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本門の戒壇について
122
:
直人
:2004/05/16(日) 00:38
>>121
の続き
こうした正本堂の意義づけに対して真っ向から反発したのが今日における顕正会の前身
である妙信講であった。『日蓮大聖人の仏法』『日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ』によれ
ば、妙信講は「第一次諌暁」「第二次諌暁」「第三次諌暁」(第四次以降は破門後)と称して
細井師・創価学会に対して《正本堂=本門戒壇》とする意義づけを批判し、国立戒壇論を主
張している。こうした経緯を経て、妙信講は昭和49年8月12日、講中解散処分(破門)となる
のである。
今回、私は所定の手続きを経て本日付をもって妙信講の解散処分を行いました。昭和四
十五年五月三日、日大講堂において私は大聖人の仏法が日本一国のみにとどまらず、
全世界の民衆を救済すべき大仏法であるたて前から「今後国立戒壇の名称は一切使用
しない」旨を公式に言明いたしました。然るに妙信講は、この公式決定に従わず、更に昭
和四十七年四月二十八日付の正本堂に関する「訓諭」に異議を申立て
(「元妙信講講員へ」『大日蓮』343号[昭和49年9月号]P12)
正本堂の意義づけのために著された『国立戒壇論の誤りについて』『本門事の戒壇の本義』
であるが、この二書を以ってしても宗内の戒壇思想の統一を図れなかったようである。
いまだに妙信講のことについて、妙信講の方が正しいんだなんていうような僧侶があるか
のようにこの間聞きまして、まことに残念に思っております。
(昭和51年5月27日・第18回寺族同心会大会 達全2−6−P529)
それにしても、かくの如く資料を見たとき大石寺門流は本門戒壇論をあまりにも軽々しく論
じているようにさえ感じる。結局、国立戒壇論の放棄は僧俗一致体制の破綻(妙信講破門)、
宗史改竄(国立戒壇論に関する語句改竄
>>113-114
)しかもたらさなかったのである。そして
その根源は史料批判・先師批判、何より大石寺本来の立義でなかったことに起因していると
云えるのではなかろうか。哀しいかなこれが亜流の宿命なのであろうか。
なお、正本堂は平成10年、阿部師によって取り壊され、その跡地に奉安堂が建立されたが、
奉安堂の意義は、
「我々が『三大秘法抄』『一期弘法抄』の戒壇として奉安堂を建てる」などというようなナン
センスな、莫迦げたことを今、日蓮正宗においてはけっして考えていないのであります。
(平成13年1月1日・元旦勤行の砌『御法主日顕上人猊下御言葉集』P19)
というものであって、本門戒壇建立は未来に委ねられているようである。
#変遷が過ぎるので頭が痛い(苦笑)
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