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大中華世界的話題

7269名無しさん:2015/04/26(日) 10:40:59
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150420-00000526-san-bus_all
中国人富裕層、日本の不動産まで「爆買い」…居住者とトラブル、市況悪化の懸念も
産経新聞 4月21日(火)10時35分配信

 中国人旅行者が2月の「春節(旧正月)」に大挙して日本を訪れ、高額・大量消費する「爆買い」が話題となった。お花見シーズンにも多くの中国人客が入国し同様な行動を起こすなど、勢いに衰えはない。こうした中、円安も味方につけて、一段と加速しているのが中国の富裕層による日本の不動産の“爆買い”だ。地価の上昇にもつながってデフレ脱却を後押しする動きだけに、本来であれば歓迎すべき傾向かもしれないが、「これまで培ってきたビジネス慣習が崩壊しかねない」と不安視する声が不動産業界で出始めている。

■都内物件を買いあさり

 数カ月前、中国政府の関係者がある不動産仲介会社に話を持ち込んできた。東京・六本木の「ミッドタウン」にある高級ホテル「ザ・リッツ・カールトン東京」の一室を購入したいというのだ。1カ月あたり120万円程度で借りることはできるが、売ることはできない。そう伝えると「では、港区内のタワーマンションを購入できるか」とたたみかけてきた。

 外国人投資家に人気がある場所は、2020年に開催される東京五輪の会場に近い湾岸地区や六本木、赤坂、麻布といった港区のブランド力があるエリア。販売価格が1億円を超える“億ション”も多い。

 仲介会社の社長は、その一角にあるマンションの一室をイメージしていたが、先方の要請は「土地を購入したうえでタワーマンションを建てたい」だった。軍資金はキャッシュで97億円。100戸程度の規模で出張時に宿泊できる部屋も確保してほしい、といった細かな注文もついた。

 あまりにもスケールの大きい話なのに加え、地価と建築費が高騰している点を踏まえると、その価格では実現不可能なプロジェクト。このため丁重な断りを入れたが、中国人投資家の目覚ましい台頭を象徴する事例といえる。

 中国人の勢いを示すエピソードは、都内随所から聞こえてくる。例えば東京都心部で建設中の大型タワーマンション。大手デベロッパーはマンションの販売に関し、完成後の円滑な管理を考慮して「外国人に売るのは全住戸の3割」といった一定の自主基準を設けたが、結局、その物件は中国人への販売が半分を超えたという。

■郊外の戸建て物件にも“触手”

 “進出先”は都心部だけではない。東武スカイツリーライン沿線といった東京・城東部などで購入する動きも顕在化し始めた。しかもマンションだけでなく、分譲住宅を移住もしくは別荘目的として購入する動きも活発だ。

 安定した利回りを確保したいといった理由で、中古のワンルームマンションも投資対象として注目を集めつつある。同マンションの仲介最大手である日本財託(東京都新宿区)は1万4000戸を管理しており、オーナーの数は5500人。数カ月前まではゼロだった外国人投資家は、約20人を数えるようになった。

 ある中国人の顧客は1500万円の物件を購入するため、数千万円分の札束が入った紙袋を持参して同社を訪れた。あまりにも危険な行為なので、新宿駅西口から連絡を受けた社員が慌てて迎えに行ったエピソードもある。買い方は豪快かもしれないが、購入過程は極めて慎重。日本人と異なり自分の目で立地条件や日の当たり方まで確認するという。

 ただ、中国人による不動産の爆買いは、さまざまな弊害をもたらす恐れが指摘されている。最も懸念されるのが市況の悪化だ。

 販売現場では「来年は現在の1.15倍(の価格)で売れる。再来年はその1.15倍で売り抜くことができる」といったセールストークが繰り広げられている。投資家は価格がピークに達するとみられる東京五輪前の18〜19年に売り抜けることを考えているが、それに応える需要層が現れる保証はない。販売関係者は「『本当に売り抜けられるのか』と半信半疑で販売活動を行っている」と本音を漏らす。結果的に買い手が付かず値崩れして、不動産市況が大混乱する可能性もある。別の担当者は「『最後には誰かがババをつかむはず』と大半が思っている」と語る。

7270名無しさん:2015/04/26(日) 10:41:08
>>7269

■不動産の収益モデルを覆す!?

 生活習慣や文化の差異による日本人居住者とのトラブルが表面化する恐れもある。事実、中国人の購入者比率が半分になったマンションでは「日本人の購入者がキャンセルするのでは」といった噂が絶えない。事実、城東地区にある分譲住宅地では中国人コミュニティーができあがってしまったことから、「居住ルールを守らない」「うるさい」と、日本人居住者との関係は一触即発だ。

 マンション管理のあり方も火種の一つだといえる。日本は管理費を永遠に支払い続ける必要があるのに対し、「中国では住まない場合、『支払わなくて良い』というスタイル」(不動産関係者)であるからだ。

 春節時に大挙して中国人が訪日した際には、百貨店や飲食店、ホテルなどでのマナーの悪さを指摘する声が相次いだ。ただ、春節は短期間。嵐が過ぎ去るのを待てばよいかもしれないが、不動産が絡むと長い付き合いが不可欠となり、それなりの覚悟が必要だ。

 日本では少子高齢化社会の進展に伴い、新築市場に依存したビジネスモデルが活性化する見込みは少ない。このため良質なコミュニティーの形成、高度な管理サービスの提供など、ストック関連ビジネスの整備に力を入れてきた。しかし、中国人投資家の台頭が新たな収益モデルを根底から覆す可能性も出てきている。

7271名無しさん:2015/04/26(日) 12:49:10
http://news.biglobe.ne.jp/international/0426/ym_150426_9597232730.html
「ASEAN標準時」導入検討…経済統合を控え
読売新聞4月26日(日)10時51分
画像:「ASEAN標準時」導入検討…経済統合を控え
 【ジャカルタ=池田慶太】東南アジア諸国連合(ASEAN)が、域内の時差をなくす「ASEAN標準時」の導入を検討している。
 今年末に予定される経済統合を念頭に、加盟国間の交流をよりスムーズにするのが狙い。27日にマレーシアで開かれるASEAN首脳会議を含む一連の会議でも議論される予定だ。
 標準時の構想は1990年代から浮上していたが、市民生活への影響が大きいことなどを理由に、導入が本格検討されることはなかった。今年1月末の非公式外相会合で議長国のマレーシアが提案したところ、「ASEAN統一のシンボルとなる」と各国が注目。議論を深めることで一致した。
 加盟国の時間帯は現在、四つに分かれており、最大2時間半の時差がある。時間帯が統一されれば、株式市場を同時刻にスタートできるほか、行政機関の開庁時間や金融機関の営業時間も同じにすることが可能だ。インドネシアの金融エコノミストは「国をまたいだ貿易や銀行取引が活発になる」との見方を示した。

7272チバQ:2015/04/26(日) 18:51:02
http://www.sankei.com/world/news/150426/wor1504260041-n1.html
2015.4.26 15:56
【ネパール大地震】
身を寄せ合う邦人ら「家にいるのが怖い」余震続き、食料・水も不足






地震で倒壊したネパール・バクタプルの建物。救助隊員ががれきを取り除いて捜索を続けた=26日(AP)
 光が消えたネパールの首都カトマンズで余震が続く中、家族で身を寄せ合って寝た。ラジオも途切れがちで「ほとんど情報がない」。カトマンズ北部在住のライター上乃知子さん(42)は地震発生から一夜明けた26日、共同通信の電話取材に不安そうに話した。

 比較的広い自宅の庭には、近隣のネパール人家族数十人が避難してきた。「家にいるのが怖い」。手持ちの食料を分け合い、心細い夜を共に過ごした。気掛かりなことは多い。「店先から、どんどん食料がなくなっていく。治安の悪化も不安だが、強奪するものもない」。電気が止まっているため、地下水からくみ上げるポンプが動かない。ようやく水を手に入れても、茶色に濁り、料理を作ることさえままならない。

 6歳と12歳の子どもの朝食は、ジュースとお菓子だけだった。「いつまで持つか」。トイレの問題も深刻だ。水不足のため、各家庭では汚物を流せないという。(共同)

7273チバQ:2015/04/26(日) 18:52:29
http://www.sankei.com/world/news/150426/wor1504260002-n1.html
2015.4.26 12:00
【アジアの目】
就労ビザ規制 揺れるインドネシア





(1/3ページ)

訪中したインドネシアのジョコ・ウィドド大統領(左)を出迎える李克強首相。首脳会談では中国からのインフラ投資の拡大で合意したが、中国人労働者の大量流入には警戒心が強い=3月、北京の人民大会堂(AP)
 インドネシア政府が、外国人に就労ビザを出す条件として、インドネシア語の能力検定を義務付ける政策の導入が当面、見送りとなった。導入されれば新たな外国人労働者の受け入れだけでなく、すでに働いている7万人以上の外国人の多くが退去させられかねないとして、内外の企業を中心に反対論が強かった。ただ、情勢次第でジョコ・ウィドド政権が、外国人の就労に関する規制策を実施する可能性は残る。

語学検定の成績次第

 外国人の就労ビザ取得条件にインドネシア語の能力検定試験を導入する案が浮上したのは昨年11月。地元で次世代を担う政治家と注目が高いハニフ・ダキリ労働移住相が、外国人労働者に関するセミナーで導入の意向を表明し、今年1月に正式に発表した。

 政府がインドネシア大学の言語研究機関と共同で新たに開発する検定試験で一定の点数を取ることを、就労ビザ発行条件のひとつとした。

 東南アジア諸国連合(ASEAN)各国での就労ビザの取得条件は職種によって違うが、外国人労働者にその国の言葉に関する能力検定を導入するというのはインドネシアがASEANでは初めて。

 また、検定結果は新たにビザを取る人だけでなく、すでにインドネシア国内で働いている外国人がビザを更新する際にも必要とし、一定の猶予期間が認められるが、合格しなければ更新もされず、最終的には国外退去となる。マネジャーや取締役クラスについては免除するなどの例外も検討されていた。

 発表後、地元メディアでもさまざまな意見が飛び交った。地元英字紙ジャカルタ・グローブによると、すでに英語の試験をビザ取得の要件としているオーストラリアの企業幹部は、導入はやむを得ないとしながら、公平な運用が必要との考えを表明。一方、インドネシア人女性と結婚しているオランダ人は、「インドネシア語は1、2年で習得できるほど簡単ではない。就労する前にまずインドネシアで語学学校に通わねばならなくなり、短期の駐在などできなくなるだろう」などと話す。

 インドネシア政府は、外国からのオンライン受験も可能とする案なども検討していたが、最終的に外国企業の投資が減り技術移転も難しくなるなど反対意見が強く、導入を見送ったという。

中国人労働者を牽制か

 インドネシアは約2億5000万人とASEAN最大の人口を抱え、12月に発足するASEAN経済共同体(AEC)では、中心的役割を担うことが期待される。ジョコ大統領(53)の下、資源輸出国としてだけでなく、国内産業の育成でさらなる経済成長を狙う。そのためには、外国からの資金と技術移転が不可欠だ。

 ただ、一方で国内の若者を中心に失業率が高いのも事実だ。今回の外国人への就労ビザ制限ともいえる政策は、外国企業の進出には期待するが、雇用についてはインドネシア人を優先させる狙いがあった。

 日本貿易振興機構(ジェトロ)によると、インドネシアで就労ビザを取得した外国人労働者の数は2014年10月末の段階で、6万4604人に上る。国別では中国(1万5341人)がトップ、次いで日本(1万183人)、韓国(7678人)、インド(4680人)、マレーシア(3779人)とされる。

 なかでも中国は、東南アジアで建設プロジェクトなどを受注すると、機材だけでなく現場の労働者まで一緒に送り込む。プロジェクト完成後にそのまま居座ることも多く、各地で顰(ひん)蹙(しゅく)をかっている。今回のインドネシアの措置には、中国を牽(けん)制(せい)する狙いもあったに違いない。

 一方、インドネシアは今後、インフラ整備などで莫(ばく)大(だい)な資金をまかなうため、当初は逡(しゅん)巡(じゅん)していたアジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設メンバーに手を挙げた。経済発展には、中国マネーでも利用すべきだという意見が勝ったためだ。

 ただ、外国人労働者の受け入れ問題は常に国内の声に左右される。インドネシアは確かに親日国だが、日本も1974年1月のジャカルタでの反日暴動を忘れず、謙虚でいるべきことは言うまでもない。(編集委員 宮野弘之)

7274チバQ:2015/04/28(火) 00:50:33
http://mainichi.jp/select/news/20150428k0000m030111000c.html
中国:国有石油大手の社長「重大な規律違反」などで調査
毎日新聞 2015年04月27日 23時35分

 【北京・工藤哲】中国共産党で汚職調査を担当する党中央規律検査委員会は27日、国有石油大手「中国石油化工集団(シノペック)」の王天普社長(52)を重大な規律違反と違法行為で調査していると発表した。

 中国のニュースサイト「財新網」によると、王氏は収賄罪などで起訴された周永康前党中央政法委員会書記(前政治局常務委員)の息子に対し、シノペック傘下で山東省にある勝利油田の設備受注を巡って便宜を図った疑いが持たれている。

 反腐敗キャンペーンを展開する習近平指導部は、周氏が代表格だった「石油閥」の関係者の摘発を続けている。すでに国有石油大手「中国石油天然ガス集団(CNPC)」の前会長や社長、「中国海洋石油総公司」の元副社長も摘発や調査の対象となっている。

7275チバQ:2015/04/28(火) 00:54:52
http://mainichi.jp/select/news/20150427k0000m030065000c.html
ネパール地震:観光産業に打撃…仏教遺跡、甚大な被害
毎日新聞 2015年04月27日 00時01分(最終更新 04月27日 01時33分)
 【カトマンズ金子淳】ネパール中部で25日発生した巨大地震は、観光客に人気の首都カトマンズにある仏教遺跡を直撃した。エベレストでは日本人を含む外国人登山客が雪崩に巻き込まれて死亡。今回の地震の被害は広範囲に及ぶ見通しで、ネパールの成長産業として期待される「観光」が立ち直るには、かなりの時間がかかりそうだ。

 カトマンズ中心部近くにそびえる高さ約50メートルの塔「ダラハラ」。地震で根元部分を残して崩れ去り、多数の観光客らががれきの下敷きになった。ダラハラは19世紀に建てられた見張り塔。1934年の地震で被害を受けたが再建された。10年前から一般公開され市内を一望できる名所として親しまれていた。

 カトマンズ盆地には、仏教やヒンズー教の寺院が集まるパタンや、中世の街並みが残るバクタプルなどの古都が集中。主要な史跡は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録されているが、木材やレンガを使った古い建築物が多く、甚大な被害を受けた。

 インドと中国に挟まれたネパールは、アジア最貧国の一つ。2013年の1人当たり国民総所得は約730ドル(約8万6800円)と、インドの半分以下にすぎない。

 工業化の遅れが顕著で、就労人口の6割以上が農業に従事する。他に目立つ産業がないため、海外へ出稼ぎに出た人々からの送金に依存する経済体質となっており、海外からの送金が国内総生産(GDP)に対する比率は2割超と、南アジアでも突出している。

 こうした中、期待がかかっていたのが観光産業だった。ネパール共産党毛沢東主義派が90年代から武装闘争を続けていたが06年に終結を宣言。治安回復に伴い外国人観光客が増え、07年に50万人の大台を突破した後も順調に数を伸ばし、観光年の11年に約73万人、12年には約80万人を記録していた。

 また、世界中から登山者が集まる観光シーズンを迎えていたエベレストでは雪崩がベースキャンプを直撃し、少なくとも17人が死亡した。

 昨年4月にも雪崩で山岳ガイドのシェルパら16人が死亡・行方不明となる事故が起きた。それから1年が経過し、登山客が戻り始めたところに再び悲劇が襲った。

7276チバQ:2015/04/28(火) 00:56:01
http://mainichi.jp/select/news/20150427k0000m030076000c.html
ネパール地震:闇に包まれる首都…小雨、震える市民
毎日新聞 2015年04月27日 01時48分(最終更新 04月27日 02時40分)
 【カトマンズ金子淳】ネパール中部で25日に起きた巨大地震で被災した首都カトマンズに26日夜入った。日が沈んだ首都の街並みは異様な暗さに包まれ、外は小雨がぱらつき肌寒い。度重なる余震の中、人々は建物の倒壊を恐れ、屋外で夜を明かす人も多い。

 ◇空港に救援機

 空港から市街地に向かう通りは街灯だけがともり、暗闇に浮かぶ建物の多くは明かりが消えていた。空港の外にいた地元の男性(23)は「今日も大きな余震があり、たくさんの建物が揺れた」と不安そうに話した。

 「空港が混雑していて着陸できない」。インドの首都ニューデリーから飛行機で1時間あまり。カトマンズ上空にくると、機長のアナウンスが流れた。救援物資を運ぶ各国の輸送機などが集中しているためだ。

 ようやく午後9時(日本時間27日午前0時15分)すぎに着陸すると、機内では拍手がわいた。ただ、駐機場が混んでいるため、数十分間機内で待機を余儀なくされた。携帯電話もつながりにくい状況が続いた。

 同じ飛行機に乗り合わせたネパール中部チトワンでゲストハウスを経営するサマンさん(33)は、仕事でニューデリーに出張中、大地震のニュースに接した。故郷に残る家族の無事は確認できたが、被害があまりに大きく不安は消えない。「飛行機に乗っている間に国が壊滅するという映画を見たことがある。今まさに自分がそんな状況だ」と話した。

 カトマンズに何とかたどり着いたが、チトワンまでの道路状況は不明だ。「ようやく故郷を助けるために活動できると思うとうれしいが、数日は首都で足止めをくらいそうだ」

7277チバQ:2015/04/28(火) 00:58:46
http://mainichi.jp/select/news/20150427k0000e030174000c.html
ネパール地震:救出活動阻む余震 「食べ物、水ない」
毎日新聞 2015年04月27日 13時11分(最終更新 04月27日 15時13分)
 【カトマンズ金子淳】ネパール中部で25日に起きたマグニチュード(M)7.8の巨大地震で、甚大な被害が出た首都カトマンズに26日夜、入った。電気や通信などライフラインは一部しか復旧せず、不気味な揺れが続く中、住民らは不安な生活を強いられている。ヒマラヤ山脈に沿った国土の多くは山岳地帯で、地方では土砂崩れによる生き埋めや村々の孤立化も懸念されている。埋まった人の生存率が急激に下がるとされる発生後72時間が28日昼に迫るなか、救出活動は相次ぐ余震で思うに任せず、時間との闘いが続いている。

 「最初の地震で全て壊れた。余震が怖くて外で寝ている」。27日朝、カトマンズ南西部の旧市街スンダラ地区で出会ったキルバードゥルさん(45)が肩を落とした。街は車のクラクションなど普段の騒々しさとは打って変わった静けさに包まれている。旧市街では屋根ごと崩れ落ちた家々が多く、がれきと化した日干しれんがの茶色が目立つ。

 地区の広場は急設の避難キャンプとなり、多数の人がテントや地べたの上で夜を明かす。シシャールさん(20)が訴えた。「食べ物も水もない。政府の支援はほとんどない」

 ヒマラヤ山脈のふもとに広がる小国ネパールで、国際空港はカトマンズの「トリブバン国際空港」だけだ。他の空港は国内線の小型機しか発着できない。トリブバン国際空港は相次ぐ余震で断続的に閉鎖されているうえ、発着を待つ便で混雑。空港ホームページによると、27日朝も到着便は「キャンセル」や「遅延」が相次いでいる。

 このため、各国から民間機でカトマンズを目指す緊急援助隊の中には、経由地で足止めされるなどして現地入りできない隊もある。

 世界保健機関(WHO)によると、ネパールは人口1万人当たり、ベッドは50床、医者も2.1人しかいない。ロイター通信によると、カトマンズ市内の病院は建物の外まで数百人のけが人であふれかえり、治療が追いついていない。病院の担当者は「地震はこの国の緊急時のもろさを露呈させた」と語った。

 また、険しい山々に阻まれ、救出活動は難航している。AP通信によると、震源地に近いゴルカ地区の当局者は、各地で地滑りが発生し、山道で被災地を目指す救援隊が到着できないと語った。国際支援団体の担当者も地滑りの影響で孤立化した村が200〜300はあると指摘し、多くの人が生き埋めになっている可能性に言及した。

7278チバQ:2015/04/28(火) 00:59:44
 一方、カトマンズ中心部の五つ.星ホテル「ヤク&イエティ」は地震後、崩壊の危険があるため室内での宿泊を禁止。代わりに入り口に近いロビーを宿泊客やメディア関係者らに開放し、多くの人が床に雑魚寝した。「ゴーッ」。大きな余震の度に建物がきしみ不気味な音を立てる。「初日は30分に1回は揺れていた。26日も大きな揺れがあった」。フロントで働くアムリタ・アマンさん(27)が緊張した様子で語った。

 25日昼の地震発生時、ホテルではタ.トゥー(入れ.墨)のアーティストが技を競うイベントが開かれており、国内外から約150人が集まっていた。最初の強い揺れがあった途端、建物内にいた客は一斉に中庭や玄関に飛び出した。

7279チバQ:2015/04/28(火) 01:00:47
http://mainichi.jp/select/news/20150427k0000m030050000c.html
ネパール地震:中印が積極支援…「地域の盟主」アピール
毎日新聞 2015年04月26日 22時21分(最終更新 04月27日 09時37分)
 【カトマンズ金子淳、北京・工藤哲】ネパール大地震で、中国とインドが発生直後から救援隊を派遣するなど積極的な救助支援活動に乗り出している。被災者の中に自国民が含まれていることも理由だが、両国ともに「地域の盟主」として、存在感を示す狙いがありそうだ。

 インド民放NDTVなどによると、インド政府は25日夜から26日早朝にかけて、ネパールの被災者500人以上を空軍機でニューデリーに運んだ。また、26日には航空機10機をカトマンズに飛ばし、陸軍の医療チームやインフラ復旧の工兵部隊、救助隊、飲料水や食料などを空輸する。

 インドのモディ首相は26日のラジオ演説で、「インド国民12億5000万人はネパールの同胞だ。この危機の中で、我々はあなた方と共にいる」と、ネパール国民に呼びかけた。モディ首相はその上で、緊急を要する救出活動や、今後長期間にわたる支援活動を含め「できることはすべて行う」と宣言した。

 インドの隣国ネパールは、歴史的にインドの影響が強い国だった。しかし、近年は中国がダムや道路などのインフラ整備を積極的に行い、相対的にインドの力が落ちていた。

 中国はネパールだけでなくパキスタンやバングラデシュ、スリランカなどインド洋諸国で港湾を含むインフラ開発を進めており、インド側では「中国軍が使用できるインフラ拠点を整備し、インド包囲網を築こうとしている」との懸念を呼んできた。今回の地震を受け、インドは影響力挽回へ向けた好機と捉えている可能性がある。

 一方、中国の習近平国家主席や李克強首相は25日夜、医療隊員や地震の専門家ら62人と6匹の捜索犬などで組織される国際救援隊の派遣を決めた。また、中国中央テレビによると、発電機など2000万元(約3億8000万円)相当の支援物資を送る。

 中国政府の国際救援隊派遣は、東日本大震災(2011年)以来初の国外での大規模活動となる。ネパールは中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)の加盟国で、中国は救援や復旧で大規模支援を打ち出すことで、ネパールでの存在感を高める狙いもある。26日には王毅外相が財政省や商務省、国家観光局、国家地震局の担当者を集めて緊急対策会議を開いた。

 ネパールに駐在する中国資本の企業関係者は2100人余り。さらに春の旅行シーズンのため多くの中国人旅行者がネパールにいる。会議では「事態は深刻」と報告され、ネパール国内の中国人を迅速に帰国させ、テント、発電機、医療施設などの提供を急ぐことを確認した。また、支援物資を迅速に運ぶため、チベット自治区とネパールを結ぶ道路の復旧を急ぐ方針を決めた。

7280チバQ:2015/04/28(火) 01:01:28
http://www.sankei.com/world/news/150428/wor1504280003-n1.html
2015.4.28 00:27
【ネパール大地震】
カトマンズの国際空港混乱 支援と出国者押し寄せ






ネパール・カトマンズの国際空港に集まった旅行客ら=26日(ロイター=共同)
 ネパール大地震の救助活動支援のため被災地入りを目指して各国からやって来る民間団体の関係者などが首都のカトマンズ国際空港の混乱で入国できず足止めされている。ネパールから脱出する観光客らも押し寄せ、空港も混雑している。

 ネパールで唯一の国際空港は規模が小さい上、25日の地震発生直後には空港が閉鎖、26日も余震で数時間離着陸ができず、航空機が一気に集中した。

 在ネパール日本大使館の担当者は、上空で航空機の順番待ちが発生していると明かし「燃料が減って上空で待ちきれず、引き返す航空機も多い」と混乱ぶりを説明した。

 米メディアによると、空港には通常の運航便のほか、軍用機やプライベートジェット機なども飛来しているという。(共同)

7281チバQ:2015/04/28(火) 01:03:48
http://www.sankei.com/world/news/150427/wor1504270027-n1.html
2015.4.27 18:18

帰国の朴槿恵大統領、胃けいれんで絶対安静 韓国首相が正式に辞任 

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南米歴訪を終え、帰国した韓国の朴槿恵大統領=27日、ソウル空港(聯合=共同)
 【ソウル=名村隆寛】韓国の朴槿恵(朴槿恵(パク・クネ)大統領は27日、中南米歴訪から帰国し、裏金疑惑のため辞意を表明していた李完九(イ・ワング)首相の辞表を受理した。李氏は同日、正式に辞任した。

 李氏は、横領疑惑で自殺した与党セヌリ党前議員の成完鍾(ソン・ワンジョン)京南企業前会長から、2013年4月の国会議員補選で3000万ウォン(約330万円)を受け取った疑惑がもたれている。

 疑惑を否定していた李氏だが、世論が悪化し国政運営は混乱。李氏は朴大統領の外遊中の20日に辞意を表明し、首相業務からは外れていた。

 一方、朴大統領は帰国後の健康診断の結果、慢性疲労による胃けいれんと、いん頭炎の症状がみられた。非常によくない健康状態で、1、2日の絶対安静が必要という。28日の閣議にも出席は見込めず、崔●(=日の下に火)煥(チェ・ギョンファン)経済副首相兼企画財政相が閣議を主宰するという。

7282とはずがたり:2015/04/28(火) 19:03:14
コラム:中国の「ゴーストシティー」という神話
http://jp.reuters.com/article/jp_column/idJPKBN0NI02Z20150427?sp=true
2015年 04月 27日 11:24 JST

[22日 ロイター] - ゴーストタウンも、かつては隆盛を極めた新興都市だった。そして現在の中国には、他のどの国よりも多くの新興都市が存在する。これほど経済が急成長を遂げ、雨後のたけのこの勢いで建設が進む国はほかにない。

こうした急成長が、至るところにゴーストシティーが生まれるという中国特有の副作用をもたらしている。

とはいえ、ここで言うゴーストタウンとは専門用語として語弊があるかもしれない。ゴーストタウンとは本来、経済的に機能を停止した都市を意味する。要するに、死んでいるということだ。だが、中国のゴーストタウンはそれとは反対の意味を持つ。つまり、まだ産声を上げてはいないということだ。

中国共産党が中華人民共和国の建国を宣言した1949年当時と比べ、同国の都市数は現在、600都市ほど多い。1980年代初めに始まった大規模な都市化で農村部は再区分され、都市へと生まれ変わった。都市化は未来へ向けた中国の発展計画の中心となった。

2000年代初めにはこうした動きが加速。すでに存在する都市の郊外から狭間にある未開発の地に至るまで、中国全土で新たな都市開発が始まった。比較的短い期間に、多くの都市の規模が2─3倍に拡大。上海はわずか15年で7倍となり、人口は661万人から2300万人超へと大幅に増加した。

こうした広範囲な都市開発は野放しに行われているわけではなく、包括的な枠組みのなかで規則に従って建設が進められている。中国の戦略的に重要な場所では、新たに10の「メガリージョン(巨大地域)」を造る構想が提案されている。メガリージョンは基本的に、人口2200万─1億人以上の都市の集合体で、各都市はインフラを共有し、経済的にも政治的にもつながる可能性を秘めている。

中国の財政政策は地方自治体に対し、こうした大規模な都市計画に従うよう求めている。世界銀行によると、同国の地方自治体は国の税収の40%しか受け取っておらず、自治体予算の80%を自分たちで賄わなければならない。その大きな助けとなるのが土地売買だ。農地を安く買い占め、税金の高い宅地として売りに出して利ざやを稼ぐのだ。財政省によれば、2012年だけで地方政府は4380億ドル(約52兆3600億円)を土地売買から得たという。

7283とはずがたり:2015/04/28(火) 19:03:48
>>7282-7283
不動産デベロッパーがこうした土地を購入する場合、土地をそのままにしておくことは法律で禁止されており、何かしら建てなくてはいけないことになっている。早い段階で新しい開発エリアに参入することは大きな利益を得る鍵だと一般的に考えられているが、こうしたエリアは概して、すでに機能する都市部からはとても離れた場所にある。つまりそれは、十分な人口基盤のないところに大規模な集合住宅や巨大モールなどを建設することを意味する。

一から新たに都市を築くというのは長期に及ぶ構想であり、中国は実現までに約17年から23年かかると見込んでいる。2020年までには、内モンゴル自治区鄂尓多斯(オルドス)市の康巴什(カンバシ)新区には30万人が、上海・浦東新区に建設中の南匯新城には80万人が、河南省の鄭東新区には500万人が移住する予定だという。

予定通り建設が進んでいる都市開発計画はほとんどないに等しい。大半がいまだに建設中であり、故に現時点でゴーストタウンと呼ぶには時期尚早かもしれない。都市中心部の建設は急速に進められているものの、居住化には長期的な努力が必要だ。

医療や教育などの公共サービスも必要となるため、新たな都市に人を居住させるには多額の費用がかかる。また、都市が完成してから実際に人口を維持できるだけの準備が整うまでには長い時間を要する。この間の期間を「ゴーストシティー」期と呼んでもいいだろう。

中国の大規模な都市開発の多くは最終的にこの段階を経て、都市として活性化するようになる。基礎的なインフラ設備が整い、ショッピングモールができ、雇用も生まれる。新たな大都市の多くには大学のキャンパスや市庁舎が造られ、銀行や国有企業の支店もできる。そして、補助金などにより多くの企業が誘致される。そうなれば、さらに多くの人が集まり、都市は活性化していく。

スタンダード・チャータードのリポートによると、中国で最も悪名高いゴーストシティーのいくつかは、ここ数年で驚異的な人口増加を経験している。2012─14年のわずか2年間で、鄭東新区の居住率は2倍に、江蘇省鎮江市の丹徒区は同4倍、同省常州市の武進区は20%から50%に上昇した。依然としてかなりの空き室が残されており、集合住宅が集まる都市部では半分しか埋まっていない状況だが、それでも多くの人がそこで暮らしており、社会的にも経済的にも都市として十分に機能している。

通常、新たに開発された中国の都市が機能し始めるには少なくとも10年はかかる。しかし、いったん動き出せば、都市は成長を続け、最終的にはより大きな都市景観と調和するようになる。そして、そのときにはすでにゴーストシティーのレッテルは消え去っているだろう。

*筆者は中国の都市化を2年半にわたり調査し「Ghost Cities of China」を上梓。現在、香港の英字紙サウスチャイナ・モーニング・ポストの寄稿者などを務める。

7284チバQ:2015/04/28(火) 22:20:54
http://www.sankei.com/world/news/150428/wor1504280015-n1.html
2015.4.28 10:25

習氏にクーデター危機 胡錦濤政権での軍トップ・郭伯雄氏“粛清”の身柄拘束





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狙われる習近平国家主席(ロイター)
 中国の習近平国家主席が腐敗官僚の一掃を狙って推し進める「反腐敗運動」で、また新たな大物が葬り去られた。中国当局が、胡錦濤前指導部で軍制服組の最高位を務めた郭伯雄・前中央軍事委員会副主席(72)の身柄を拘束していたことが明らかになった。郭氏と同じく前政権で軍事委副主席を務めた徐才厚氏も昨夏に失脚している。だが、粛清をエスカレートさせる習政権への反発も軍部内で強まっており、軍事クーデターの危険がささやかれている。(夕刊フジ)

 共産党筋によれば、北京市内で軟禁状態にあった郭氏は今月9日、「反腐敗運動」を取り仕切る党中央規律検査委員会によって実質の身柄拘束となる「双規」を通告された。郭氏には、制服組トップの軍事委副主席に在任中、部下から多額の賄賂を受け取った疑いがあるといい、中国当局が汚職の疑いで取り調べを始めているとみられる。

 郭氏をめぐっては、先月2日に中国国防省が、郭氏の息子、郭正鋼・浙江省軍区副政治委員(少将)を収賄容疑で立件するなど、周辺に捜査の手が伸びていた。

 同じ時期に軍事委副主席を務め、今年3月に死亡した徐才厚氏も昨年6月に収賄容疑で党籍を剥奪され、失脚している。

 拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聰氏は、「郭氏の失脚によって、習政権に対抗しうる有力な勢力は事実上なくなった。2月末に軍部の会計監査の徹底調査を始めた。昨年末には7大軍区の訓練の査察もスタートさせ、綱紀粛正にも乗り出している。今後さらに軍部への圧力を強めていくことになるだろう」と指摘する。

 習政権は、軍高官の汚職の取り締まりのみならず、「ぜいたく禁止令」を発令するなどして、下士官への締め付けも厳しくしている。強権をふるう習政権に対して、軍部の不満は高まっており、軍事クーデターの芽が育ちつつある。

 加えて習政権にとって脅威となりそうなのが、「反腐敗運動」の主要ターゲットに据えられている「上海閥」の残党からの反撃だ。

 「月刊中国」の発行人である鳴霞(めいか)氏は、「郭伯雄氏も徐才厚氏も、江沢民元国家主席と近い『上海閥』のメンバーとされる。彼らの息がかかった者が軍内にはまだたくさん残っており、生き残りのために蜂起する可能性は十分ある」と指摘する。

 中国国内のみならず、国外にも不穏な動きが出ているという。

 「米国で、元北京軍区対外作戦秘書長を指導者とした、習政権の打倒を目指す人民解放軍の退役軍人連盟が組織された。彼らは、中国の民主化を求めて海外に散らばった退役軍人のほか、中国国内の現役軍人ともつながっていて、軍事蜂起を呼びかけている。彼らが、『上海閥』の残党と結託し、大規模な軍事クーデターを仕掛ける事態もあり得る」(鳴霞氏)

 習政権が進める軍の覇権奪取が、新たな波乱の幕開けとなるのか。

7285チバQ:2015/04/28(火) 22:22:38
http://www.sankei.com/world/news/150428/wor1504280039-n1.html
2015.4.28 21:21
【ネパール大地震】
被害拡大の裏に内政混乱、行政の停滞 貧困地区 進まぬ整備

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カトマンズの避難所で夜を明かした被災者たち=28日(AP)
 【カトマンズ=岩田智雄】ネパール中部を震源とする大地震で、これほど多数の死者が出たのは、政府の災害対策が不十分だったためといえる。同国では立憲君主制の時代から反政府武装勢力との和平をめぐり各政党が対立。2008年の共和制移行後も新憲法が制定できないなど不安定な政情が続き、行政の停滞も目立っていた。

 カトマンズ市内では、近代的な建物は無傷なケースが多いが、貧困地区の簡素な民家や歴史的建造物が多大な被害を受け、「被害の格差」が目立っている。

 トリブバン大学大学院講師のプレム・ラジ・カナル氏は、(1)かつて湖だった基盤の弱い土地に規制のないまま建物が建てられている(2)狭い道路が多く、救援車両が通行しにくい(3)消防車やがれきを取り除くブルドーザーが足りない(4)人口が密集し、避難場所となる広い場所が少ない(5)被災者のための薬品、食糧、テントなどの備えが足りない-などの問題点を指摘する。

 ネパールではかつて、王制打倒を目指す反政府武装勢力、ネパール共産党毛沢東主義派と政府軍の内戦が長く続いた。各政党は毛派との和平の道を探ったが意見が一致せず、政権交代を繰り返した。

 こうした中、ギャネンドラ国王が05年に直接統治を宣言。反発した主要政党は王制打倒で一致し、毛派も参加した大規模デモに発展。07年に下院が国王の全政治的権限を取り上げる暫定憲法を承認した。

 08年に行われた制憲議会選挙では毛派が第一党となり、共和制への移行とともに王制は廃止された。しかし、10年までに制定されるはずだった新憲法は、連邦制の区割りなどで意見が一致せず、制憲議会は任期切れとなった。13年11月に改めてできた制憲議会ではネパール会議派が第一党となり、コイララ首相が就任。1年以内の新憲法制定を約束したが果たせていない。

 カナル氏は、「政党は和平交渉や新憲法に時間をとられ、国民の安全を含む社会、経済問題をなおざりにしてきた」と述べ、被害拡大は不安定な政治のツケであるとの見方を示した。

 また、ネパールは日本やインド、中国をはじめとする各国の経済支援を受けているものの、支援国側からは予算の執行が不十分との声が聞かれる。

 ある支援国の外交官は「予算がきちんと使われているかどうか疑問が抱かれるケースもある。政治だけでなく官僚機構もしっかりしているとはいえない。インフラ整備などの支援が生かされていれば、被害はこれほど甚大にならなかったのでは」と話している。

7286チバQ:2015/04/29(水) 08:20:46
http://mainichi.jp/select/news/20150429k0000m030100000c.html
ネパール地震:住民、手作業で救助 古都バクタプル
毎日新聞 2015年04月28日 21時20分(最終更新 04月28日 21時35分)
【バクタプル(ネパール中部)金子淳】ネパールを襲った巨大地震は、首都カトマンズ近郊の古都バクタプルにも甚大な被害をもたらした。古い街並みは多くが崩落し、がれきの上は異臭が漂う。28日には生き埋めになった被災者の生存率が下がる「発生から72時間」を迎えたが、救助活動は人手や機材が足りず、細々と続けられていた。

 カトマンズから東へ約15キロ。15〜18世紀に当時の王朝の首都があったバクタプル中心部の路地を入ると、住宅街の一角ががれきの山になっていた。「祖父と祖母の家だ。2人はまだ中にいる」。間近で救助活動を見ていたサニーシュさん(19)はつぶやいた。

 軍の救助隊はわずか十数人。重機はなく、列を作ってバケツリレーのように手作業でがれきを取り除いている。「足が出てきた」。近くの住民が騒ぎ出すと、サニーシュさんは目をはらしたまま立ち尽くした。救助作業にあたる陸軍のラーイさん(22)は「この辺りで多くの人が亡くなった。我々も精神的につらい」と漏らした。

 地震発生当時、築約110年というレンガ造り4階建ての自宅にいたスンダリ・マヤさん(78)は、孫に抱えられ屋外に脱出。その数秒後に家屋が崩落し、間一髪で助かった。だが、最上階にいた親戚ら6人のうち1歳の子供を含む4人ががれきにつぶされるなどして死亡、2人が重傷を負った。「まだ余震が続いている。とにかく恐ろしい」。マヤさんは何度も繰り返した。

 一方、がれきの下敷きになりながら助かった人もいる。5階建て住宅の1階で洗濯していたアミタ・シザフォさん(23)は、揺れを感じて外に飛び出したが、向かいの家が倒れてきたため、再び屋内に逃げた。すると今度は自宅の天井が落ちてきた。階段裏の隙間に立っていたため直撃を免れたが、周囲はがれきに覆われ身動きができない。「助けて」。そう叫ぶと、4階にいた母(50)と弟(23)の声が頭上からかすかに聞こえた。2人も同じようにがれきの中で動けなくなっていた。「このまま死ぬのだろうか」。恐怖でパニックになった。

 約1時間後、兄のアミンさん(26)が外出先から駆けつけ、家族が生き埋めになっていることを確認。周辺住民ら数人とともに2時間がかりで全員を救出した。母と弟は骨折などのけがをしたが、アミタさんはほとんど無傷だった。救出したアミンさんは「声が聞こえたときは希望が見えた。奇跡のようだ」。アミタさんは「がれきの中では何も考えられなかった。生きていられてうれしい」と少し笑った。

7287とはずがたり:2015/04/29(水) 08:24:41
俺の感覚だとネパールはインド圏の国なんですがチバQさん的には中国圏の国なんですね〜。

7288とはずがたり:2015/04/29(水) 19:55:37
表題の付け方が下手でこんなこと強調したかったのか?と桜井女史がバカみたいに見えるやん(;´Д`)

櫻井よしこ氏 「欧州が中国に近づくのは経済、お金なのです」
http://www.excite.co.jp/News/world_g/20150429/Postseven_318966.html
NEWSポストセブン 2015年4月29日 16時00分 (2015年4月29日 16時33分 更新)

 中国はいま、軍事面やAIIB(アジアインフラ投資銀行)をはじめとした金融面などあらゆる分野で、世界の秩序を変えようとしている。ベトナムが領有を主張する南シナ海のパラセル諸島(西沙諸島)に中国海軍の巨大基地を作るなど、巨大な経済力を背景に勢力拡大を狙う。そんな隣国に世界各国が翻弄される中、日本はどう対処すべきか。ジャーナリストの櫻井よしこ氏が緊急寄稿した。

 * * *
 中国が金融面で覇権拡大を打ち出してきたのがAIIB。フィリピンはAIIBには参加しましたが、軍事的には中国と衝突を繰り返しています。

 中国は1990年代には突然、南沙諸島のミスチーフ礁をフィリピンから強引に奪い取り、近年ではルソン島からわずか200kmほどの場所にある(そして中国本土からは900kmも離れている)スカボロー礁に基地を建設中です。

 また、アメリカの上院軍事委員長、ジョン・マケイン氏らが批判した南シナ海の埋め立て工事はほとんどがフィリピン領有の島々・岩礁に対するものです。

 アキノ大統領はそうした中国の侵略に危機感を抱き、2014年2月、米紙『ニューヨークタイムズ』のインタビューで、「中国の非道を放置することは、英仏がナチスドイツに宥和政策をとって当時のチェコスロバキアへの侵略を許したことと同じだ」という主旨の訴えを世界に発信しました。

 これはドイツに対してイギリスが戦うか否かを議論していた当時、イギリスの銀行家たちが宥和政策を求めて議会に請願したことを指しています。その後の歴史はイギリスのバンカーたちが完全に間違っていたことを示しています。

 にもかかわらず、イギリスはAIIBに参加しました。キャメロン首相の姿が、かつてのイギリスの銀行家の姿に重なります。

 いかなる国でも外交の方向を決める要素が国益であるのは当然です。いまヨーロッパ諸国は中国の横暴に目を瞑り、自国の経済的利益を最優先する道を選んだように見えます。

 ヨーロッパから見れば中国は地理的に遠く、南シナ海での領土・領海の強引な収奪にも切迫感を持てず、危機感が薄いのでしょう。中国の覇権を直接の脅威として捉えることがあまりないのだと考えられます。

 しかも、イギリスが仕掛けたアヘン戦争などのように、ヨーロッパ諸国は中国に対しては加害者ではあっても、中国から害を受けた記憶はありません。それゆえAIIB参加をめぐっては現在の中国共産党の傍若無人な実態を見極めることなく、比較的簡単に中国に引き寄せられてしまった可能性があります。2012年5月、イギリスのキャメロン首相はチベットのダライ・ラマ法王と面会し、続いてチャールズ皇太子夫妻がダライ・ラマ法王を宮殿に招きました。それに対して中国側が猛烈に抗議し、英紙デイリー・テレグラフによれば、当時、様々な対英投資がストップしたと報じられています。その後、経済的に苦境に立たされたイギリスは中国の圧力に屈しました。

 2014年6月の李克強首相の訪英では、中国はエリザベス女王との面会を要求し、実現させました。女王が国家元首ではない首相と面会するのは異例のことです。この訪英では、政府と民間を合わせ140億ポンド(約2兆4000億円)もの契約が調印されたとされています。

 これらのことからわかるように、イギリスをはじめヨーロッパ諸国の優先順位は、中国の人権問題や覇権主義への対応ではなく、経済、お金なのです。2010年のギリシャ危機以降、ヨーロッパ経済は厳しい状態にあります。だからこそAIIB参加のように、中国の経済力に頼ろうとする動きが出てきているのでしょう。

※週刊ポスト2015年5月8・15日号

7289とはずがたり:2015/05/01(金) 08:06:43
内弁慶なんだからぁ。。

北朝鮮の金第1書記、5月のロシア訪問を中止
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150430-00000046-jij_afp-int
AFP=時事 4月30日(木)20時10分配信

【AFP=時事】5月9日に行われるロシアの第2次世界大戦(World War II)関連の記念式典に出席するためモスクワ(Moscow)訪問を予定していた、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong-Un)第1書記が、訪問を中止した。ロシアの大統領報道官が30日、述べた。

北朝鮮の金第1書記、今年に入り高官15人処刑 韓国情報筋

 ロシアのドミトリー・ペスコフ(Dmitry Peskov)大統領報道官はAFPに対し「(金第1書記は)来ない。北朝鮮内の事情によるものだ」と語り、「外交ルートを通じて」訪問中止の連絡を受け取ったと述べた。

 先立ってロシア政府は、第2次世界大戦の旧ソ連の対ナチス・ドイツ(Nazi)戦勝70年を記念する式典に、金第1書記が出席すると発表していた。5月のロシア訪問は、金第1書記が権力を掌握した2011年以降初めての外遊になる予定だった。【翻訳編集】 AFPBB News

7290とはずがたり:2015/05/01(金) 08:08:05

金正恩第1書記、ロシア勝戦記念式典に出席せず…中朝関係が影響か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150430-00000082-wow-kr
WoW!Korea 4月30日(木)19時49分配信

北朝鮮の金正恩第1書記が、来月9日にロシア・モスクワで行われるロシアの第二次世界大戦勝戦70周年の記念式典に出席しないことを決定したことにより、その背景に関心が集まっている。(提供:news1)

北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)第1書記が、来月9日にロシア・モスクワで行われるロシアの第二次世界大戦勝戦70周年の記念式典に出席しないことを決定したことにより、その背景に関心が集まっている。

 ロシアのペスコフ報道官は30日「金第1書記が平壌(ピョンヤン)に留まることが決定した」とし、「今回の決定は北朝鮮の内部事情に関連している」と明らかにした。

 ティモン駐韓ロシア大使は23日にソウル市内の駐韓ロシア大使館で韓国外交部の出入り記者との歓談会の際にも、金第1書記が記念式典に出席するかについて「たぶんモスクワに行くだろう」と金第1書記の出席を既成事実化していた。

 しかし金第1書記がモスクワに行かないことが決定したのに関連して、中国を意識しているのではないかという指摘がなされている。

 北朝鮮は中国と血盟関係にもかかわらず、金第1書記は2012年4月に朝鮮労働党第1書記と国防委員会第1委員長、同年7月に共和国の元帥に進級してから3年間、一度も中国を訪問していない。

 そんな中、金第1書記が国際社会デビューの舞台として北京ではなくモスクワを選択した場合、これまで疎遠になりつつあった中国との関係がより大きな負担に作用すると推測されている。

 特にモスクワで開かれる式典への出席をすでにロシア側に伝えている中国の習近平国家主席と遭遇する状況も気まずいほかない。

 また金第1書記の国際社会デビューの舞台にもかかわらず、単独訪問の場合とは違って自身に対する視線が分散されてしまう点も考慮していると見られる。

 しかし金第1書記が出席しないことを宣言して中朝関係に対する負担は減ったが、ロシアとしては残念でならないのが現実である。

 ロシア側は今回の式典に各国の首脳を招請したのは、「ビッグイベント」を通じてウクライナ事態によって追い込まれた状況を免れようとした側面もある。

7291とはずがたり:2015/05/01(金) 08:17:23
金第1書記 今年に入り高官15人処刑
http://www.wowkorea.jp/news/korea/2015/0429/10143760.html

 【ソウル聯合ニュース】韓国の情報機関・国家情報院は29日、国会で開かれた情報委員会全体会議で、北朝鮮で今年に入り4カ月間に15人の高官が処刑されたと報告した。金正恩(キム・ジョンウン)第1書記は、自分と異なる意見には権威に対する挑戦と見なし、見せしめのために処刑する統治スタイルを取っていると分析した。同委員会与野党幹事が記者会見で伝えた。
 国家情報院は次官級のイム・オムソン氏も山林緑化政策に不満を見せたという理由で1月に見せしめのために処刑されたと説明。同じく次官級の国家計画委員会副委員長は、大同江付近に建設中の「科学技術殿堂」の屋根の形をドーム形に設計したが、金第1書記に花の形に変えるよう指示され、施工が難しく、工期も延びると意見を述べたところ、処刑されたという。
 わいせつ映像を制作したとのスキャンダルが浮上した「銀河水管弦楽団」の総監督ら関係者4人も、スパイ容疑で銃殺されたとみられる。
 国家情報院は、北朝鮮では公開処刑を通じて恐怖政治を行っているとした上で、機関銃などで公開処刑することもあると説明した。
 金第1書記が処刑した高官は2012年に17人、2013年に10人、昨年に41人と集計された。
 そのほか、韓国海軍哨戒艦「天安」撃沈事件や、米映画会社、ソニー・ピクチャーズエンタテインメントがサイバー攻撃を受けた事件に関与していたとされる金英哲(キム・ヨンチョル)軍偵察総局長は大将から上将に降格された。
 国家情報院はまた、金第1書記が来月ロシアを訪問する可能性が大きいとの見方を示した。
 また、金第1書記の妹、妹、与正(ヨジョン)氏が来月出産するとし、夫は大学の同期生であると推測した。
yugiri@yna.co.kr
2015年4月29日18時5分配信 (C)YONHAP NEWS

7292とはずがたり:2015/05/01(金) 08:17:45

北朝鮮 旧ソ連映画を毎月放映=ロシアとの蜜月反映か
http://www.wowkorea.jp/news/korea/2015/0430/10143798.html

 【ソウル聯合ニュース】北朝鮮全域に放送される朝鮮中央テレビは29日午後、第2次世界大戦を舞台にナチス・ドイツのヒトラーに立ち向かう旧ソ連の様子を描いた戦争映画「危険界線」(原題)を放映した。
 金正恩(キム・ジョンウン)第1書記がロシアの対ドイツ戦勝70周年記念式典(来月9日)に出席する可能性が高まる中、第2次大戦での旧ソ連の活躍を取り上げた映画を放映することで、ロシアへの配慮を見せたとも受け取れる。
 朝鮮中央テレビは吹き替えの外国映画を毎月1〜2回、放映している。
 外国映画といっても米ハリウッド映画のような商業映画は放映しない。主に放映されるのは、戦争をテーマに社会主義理念や国家に対する忠誠を強調する内容の旧ソ連や中国のプロパガンダ映画だ。住民の娯楽目的より社会主義理念の注入と体制内部の結束を高める手段として映画を利用している。
 同テレビは今年に入ってから旧ソ連映画を毎月放映している。
 これとは対照的に関係が悪化している中国の映画は、昨年6月を最後に今年に入ってからは1度も放映されていない。
 2013年12月に親中派だった張成沢(チャン・ソンテク)元国防副委員長が処刑されて以降、中朝間には不協和音が生じている。中国に対する金正恩政権の不満が北朝鮮のテレビの編成にまで影響を及ぼしているとみられる。

sjp@yna.co.kr
2015年4月30日10時4分配信 (C)YONHAP NEWS

7293とはずがたり:2015/05/01(金) 08:18:55

南北とロシアの物流事業「本契約締結近い」=韓国統一部
http://www.wowkorea.jp/news/korea/2015/0427/10143617.html

 【ソウル聯合ニュース】北朝鮮北東部の経済特区・羅先の羅津港とロシア極東沿海地方のハサンを結ぶ韓国、北朝鮮、ロシアによる物流協力プロジェクトの本契約締結が近いことが分かった。韓国統一部当局者が27日、明らかにした。
 同プロジェクトはロシア産石炭をハサンから羅津まで鉄道で運び、羅津港から韓国の港へ船で輸送するもの。2度目のテスト輸送の現場点検が行われたことについて同当局者は「現場点検の結果をもとに韓国とロシアの事業者間で本契約関連の交渉が進むと期待している」と述べた。本契約締結までの手続きは7割以上終わったという。
 韓国政府と同プロジェクトに参加する企業の関係者で構成された点検チームは17日から23日にかけ羅津を訪れ、現場点検を終えて24日帰国した。
yugiri@yna.co.kr
2015年4月27日20時2分配信 (C)YONHAP NEWS

7294とはずがたり:2015/05/01(金) 08:21:11

南北分断には日帝の責任も大きいからあんま強くは云えないけど,韓国は開城通じて北朝鮮の体制維持に協力しているテロ支援国家ではないか??

昨年の韓国・北朝鮮貿易額 開城団地正常化で過去最高
http://www.wowkorea.jp/news/korea/2015/0430/10143787.html

 【ソウル聯合ニュース】韓国統一部が30日に発刊した2015年版統一白書によると、昨年の北朝鮮との貿易額は前年比106.2%増の23億4264万ドル(約2790億円)となり、過去最高となった。2010年の海軍哨戒艦「天安」の撃沈事件を受けた対北朝鮮制裁措置(5・24措置)が続いているが、南北経済協力事業の開城工業団地の操業が正常化したことが後押しした。
 北朝鮮からの搬入額は前年比96.1%増の12億620万ドル、北朝鮮への搬出額は同118.3%増の11億3644万ドルだった。
 開城団地を通じた貿易額は前年に比べ106.5%増の23億3781万ドルとなり、南北貿易額全体の99.8%を占めた。2013年は団地の操業中止の影響で11億3217億ドルにとどまっていた。
 一方、統一部は軍事境界線がある非武装地帯(DMZ)に「世界生態平和公園」を建設するため、適切な時期に北朝鮮と協議を進め、南北が合意する前まで地雷除去など公園建設に向けた初期事業を推進する計画を示した。
 統一部は統一政策に対する国民の理解を深め、南北の平和統一へのコンセンサスを形成するため、1990年から毎年統一白書をまとめている。

kimchiboxs@yna.co.kr
2015年4月30日9時4分配信 (C)YONHAP NEWS

7295とはずがたり:2015/05/01(金) 13:47:06
ほんとそう思うけどそういう妥協は国際法的に可能なんかな?

竹島について大前研一氏「実効支配認めた上で漁業権もらえ」
http://www.news-postseven.com/archives/20150429_314732.html
2015.04.29 16:00

 戦後70年を踏まえ、安倍晋三首相が今夏に発表する談話の検討が始まり、各国が動向を注視している。現在、日本と韓国とは「従軍慰安婦」や「竹島」などでもめているが、このうち竹島について、安倍首相は何を語れば良いのか? 大前研一氏が解説する。

 * * *
 竹島に関しては、現実問題として韓国に実効支配されている。1952年に李承晩ライン(※注)が設定された際、あるいは1965年に同ラインが廃止された際に、武力を使ってでも取り返さなかった日本の負けだ。

【(※)1952年、韓国の李承晩大統領は「海洋主権宣言」を行う。大陸棚の天然資源の保護、利用のために、朝鮮半島周辺に「李承晩ライン」を国際法に反して設定。そのライン内に竹島も取り込んだ】

 領土だと言い張ることは自由だが、いくら領有に関する歴史的事実を主張したところで実効支配されている現状は変わらない。現代世界史を鑑みて、話し合いや調停で国境線が引き直されることはない。ウクライナ問題を見てわかるように、領土を改変するには、その是非はともかく「武力」が必要だ。現実的に、日本が取れる選択肢ではない。

 そもそも、竹島が領土であるかどうかで違うのは、周辺の漁業資源だけだろう。もし島根県の漁師が竹島で操業したいというのなら、実効支配を認めた上で漁業権をもらったほうが得策ではないか。

 とはいえ、この問題は戦後70年の総括にはふさわしくないテーマなので、安倍談話で触れる必要はない。

※SAPIO2015年5月号

7296名無しさん:2015/05/03(日) 12:14:18
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150501-00020506-hankyoreh-kr
日米同盟強化で朴政権の対米外交岐路に…歴史認識問題で“孤立無援”
ハンギョレ新聞 5月1日(金)7時31分配信

 「米国動かして過去の歴史清算」 もう通用しない可能性 外交の基本構想リセットの声
 安倍晋三首相が、歴史認識問題について前向きな態度を見せないまま訪米日程を終えると予想される中、朴槿恵(パク・クネ)政権の外交戦略の根幹が揺らいでいる。過去の歴史と安全保障協力などで米国の日本寄り姿勢が目立つなど、韓国が孤立無援の状態に追い込まれる状況を乗り越えていくためにも、これから外交の基本構想を再設定(リセット)すべきだという声が高まっている。

 安倍首相の米議会両院合同演説(29日)は、彼がこれからも歴史修正主義的な志向を貫くことで雄弁を振るったものとみられる。問題は、米国政府がこのような安倍首相の「歴史退行」に、ブレーキをかける意志があまりなさそうな点にある。バイデン副大統領は、安倍首相の議会演説直後に行われた共同通信とのインタビューで、演説は「極めて巧みで意味深いもの」だったとし「(過去の)責任が日本の側にあることを非常に明確にした」と評価した。今回の演説が、米国との太平洋戦争に対する計算された謝罪だけで、アジア諸国の侵略と日本軍慰安婦問題などの率直な謝罪が抜けた中途半端なものという批判を無視し、安倍首相の肩を持ったのだ。米議会をはじめとする政界も、演説を前後して、一部の議員らが明確な謝罪を求めたり、深い失望感を吐露したものの、「演説拒否(ボイコット)」など、実質的な行動にはつながらなかった。

 米国のこのような態度は、結果的に、米国を動かして日本の歴史清算を促すという韓国の過去の外交戦略が、もはや通用しなくなったという疑念を抱かせる。専門家の間では、米国の日本寄り姿勢が明らかになった以上、韓国の対米外交基調にも変化が必要だとする指摘が出ている。ムン・ジョンイン延世大学教授は「私たち(韓国)が日本の肩を持つ米国に対して、日本と忠誠競争をする必要はない」とし「今は米国とも冷却期間を設けるべきだ。今年予定された朴槿恵大統領の米国訪問もキャンセルしなければならない」と述べた。米国にいい顔をして日本との関係で優位に立つという構想自体を、再点検しなければならない時期となったというのだ。

 米国が主導する韓米日軍事協力体制についても見直しが必要であるという見方もある。三角同盟の構築を最優先課題としている米国は、これ以上日本との歴史問題を理由に参加をためらうなと、韓国に圧力をかけている状況だ。しかし、韓米日三角同盟の構築自体が地域の緊張を高め、韓国が不要な軍事競争構図に巻き込まれる結果をもたらす可能性が高いという懸念が出ている。イ・ヘジョン中央大(ソウル)教授は「韓米日の軍事的一体化は、朝鮮半島の安定を阻害する。北朝鮮の核武装の意志を強化させるだけだ」と指摘した。米国一辺倒の外交戦略から抜け出す方法を模索しなければならないという見方もある。キム・チャンノク慶北大教授は「米国と日本がだめなら、中国とロシアで韓国外交の代案を見つけられるかもしれない」と述べた。南北関係の改善を通じて域内現象の変化の主導権を握るべきだという提案も出ている。

 日本との関係において、安全保障、経済、社会文化など他の懸案と歴史問題を分離して対応するという「ツートラック」戦略も、再点検する必要があるという注文も出されている。特に、日本の軍事大国化を前提とする安全保障協力は、独島(日本名・竹島)、植民地時代の経験などの過去の領土問題と切り離せないだけに、日本の明確な過去の歴史清算があるまでは、むしろ連携して取り組まなければならないという指摘だ。

キム・ウェヒョン記者(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

7297名無しさん:2015/05/03(日) 12:15:05
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150430-00000044-xinhua-cn
ロシアの“アジア国”認定に日本参加の可能性、AIIBでの韓国の地位がピンチに・・韓国ネット「米国の顔色を伺った結果がこれ?」「なぜ日本を…」
FOCUS-ASIA.COM 4月30日(木)22時5分配信

韓国・CBSノーカットニュースは30日、中国が主導するアジアインフラ投資銀行(AIIB)でロシアがアジアの「域内加盟国」と認められたことに加え、日本の加盟の可能性も残されており、「AIIBの主導権を巡る競争の中で、韓国の地位は予想より低くなる見込みだ」と報じた。

27〜28日に北京で行われたAIIBの実務交渉では、ロシアが域内加盟国に分類されたという。AIIBは、域内国に70〜75%、域外国に25〜30%の株式を配分すると言われているが、ロシアが域内に分類されると他のアジア諸国の出資比率が下がることになる。韓国対外経済研究院の試算によると、ロシアが域外に分類された場合の韓国の持ち分は3.93%で全加盟国中5位になるが、ロシアが域内になると3.35%で9位以下になるという。

このため、AIIBの中では中国に次ぐ発言力を確保し、副総裁の座を確保することを目指してきた韓国にとって、ロシアのアジア域内認定は大きな打撃となる。

さらに、日本がAIIBに加盟する可能性も変数として残っている。対外経済研究院は「6月の期限前に、日本が参加するという事はほぼ定説になっている」としている。日本が参加した場合には、韓国の持ち分は3%以下になり、理事国の立場の確保すら危ぶまれるという。

このニュースに対し、韓国ネットユーザーからは様々なコメントが寄せられている。

「こんな記事が出ても、韓国の国民は"反共"の一言に惑わされ、また与党を選ぶ」

「中国が30%で韓国が3.4%なら悪くない。AIIBは中国と仲良くするための安全装置」

「こんなことになるから、早く加入しておけばよかった」

「何一つもうまく対処したことがない」

「米国の顔色を伺って加入した結果がこれか?このせいで米国に嫌われ、日本に追い越され・・・」

「ひどいよ。3%程度か?」

「日本は加入させないでほしい。中国は南京大虐殺を思い出せ!」

「傲慢な外交による失敗」

「大統領が海外旅行を楽しんでいる間、日本、中国、米国が一つになって韓国は仲間外れに」

「サードを配置すると言って、中国を動かしてみろ」

「早く加入して確固たる基盤を作るべきだったのに、米国の顔色を伺って加入の意思表明が遅れてしまった。こんな時、日本がお金で押せば、韓国は終わり。米国には捨てられ、中国には見向きもされない」

「教育熱は高いのに、人材がいない。歴史を見てみても、腐った責任者とこびる部下によって国が揺らいだことは何度もあった」

「日本まで加入したら、韓国の地位は、地に落ちる」

「アジアの凶悪犯日本をなぜ受け入れる?」

「何で加入したか分からない」

「経済も崩壊、外交も崩壊・・・何かまともにできることはあるか?」

(編集 MJ)

7298名無しさん:2015/05/03(日) 12:15:42
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/jnn?a=20150501-00000021-jnn-int
人権侵害めぐる討論会、北朝鮮外交官が突然の米批判
TBS系(JNN) 5月1日(金)7時43分配信
 国連で行われた北朝鮮の人権侵害をめぐる討論会で、出席した北朝鮮の外交官が突然、発言の順番を無視してアメリカを批判する声明を読み上げ、会場は一時騒然としました。

 脱北者が強制収容所での体験などについて証言する討論会。北朝鮮の人権侵害をテーマに国連本部で開かれました。

 「一番残念なのは、妹に二度と会えなかったことです」(脱北者)

 このスピーチの直後、突然、出席していた北朝鮮の外交官がアメリカを批判する声明を読み始めました。

 「アメリカが日々犯している人権侵害の氷山の一角で」(北朝鮮外交官)
 「マイクを切ってください。今は意思表明の時間ではありません」(アメリカ パワー国連大使)
 「後で発言の機会を取りますので待っていただけますか」(司会 バーバラ・デミック氏)

 外交官はマイクの音声を切られた後も、司会や大使の制止を無視して声明を読み続けます。あきれ顔で見守る出席者たち。すると・・・

 「外に出せ!」
 「金正恩を訴えろ!」
 「訴えろ!」

 会場の脱北者たちからは「北朝鮮を解放しろ」などと怒号が飛びました。

 混乱後に再開した討論会。脱北者の女性がスピーチする間に北朝鮮の外交官は会場を後にしました。

 こうした討論会に北朝鮮の外交官が出席するのは異例で、会が始まる前にもアメリカを非難する声明文を参加者に配っていました。(01日16:23)
最終更新:5月2日(土)0時26分TBS News i

7299とはずがたり:2015/05/04(月) 17:28:30
何を云ってるんだ加藤は,露骨にテレビに圧力掛ける安倍と大同小異じゃあないかww

産経前ソウル支局長「韓国の異質性、価値観の違いを体験した」=韓国ネット「朴槿恵を理解できるわけない。韓国人でも理解できないのに」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150503-00000030-rcdc-cn
Record China 5月3日(日)21時9分配信

2日、韓国・時事IN Liveは、韓国の出国禁止解除を受け、8カ月ぶりに日本に戻った産経新聞の加藤達也前ソウル支局長(現社会部編集委員)へのインタビューを掲載した。これに対し、韓国のネットユーザーから多くの意見が寄せられている。写真は韓国大統領府。

2015年5月2日、韓国・時事IN Liveは、韓国の出国禁止解除を受け、8カ月ぶりに日本に戻った産経新聞の加藤達也前ソウル支局長(現社会部編集委員)へのインタビューを掲載した。

加藤前支局長は、帰国後の日本社会の反応について「最も強く感じたのは、日本社会が、韓国政府の捜査と起訴を産経新聞への報復だと認識しており、多くの人々が韓国に対して『怒り』よりも、『理解できない行動をとる政権』と認識しているようだ」と述べた。

さらに、この事件で感じた点については「最高権力者に関するコラムで起訴されることは、日本はもちろん、米英仏伊など自由民主主義国家ではありえないことであり、名誉毀損罪で起訴されることは言うまでもなく、検察の捜査を受けたことも驚くべきことだった」とし、「今回のことで、韓国の異質性や価値観の違いについて自ら体験して取材することができた」と述べた。

7300とはずがたり:2015/05/04(月) 17:50:58
絶えず垂れ流される中国危機説だけど,日本だとオイルショックに相当する安定成長への転換点は必ず来ると思われるが,まあ大したことじゃあない様に思われる。日本でもオイルショックで抛擲された工業用地が日本中の地方に未だに残っている。。

中国製造業界が「空前の危機」・・・企業倒産が相次ぐおそれも=中国メディア
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150504-00000003-scn-bus_all
サーチナ 5月4日(月)6時3分配信

 中国メディアの中国投資咨詢網は4月30日、世界の工場として名を馳せた中国において「製造業が空前の危機に瀕している」と伝え、メーカーの倒産が今後相次ぐ可能性があると警鐘を鳴らした。

 記事は、「HSBC/マークイット」が発表した4月の中国製造業購買担当者景気指数(PMI)速報値が49.2となり、3月の49.6から低下したうえで「12カ月の低水準となった」と紹介。

 また、PMIが50を下回ることは製造業の生産活動が低迷していることを示すと伝え、「3月、4月と50を下回り、さらに4月は前月よりさらに低下したことは中国の製造業の景気が悪化していることを示すもの」と論じた。さらに、マークイットのエコノミストの発言として「中国の製造業は需要低迷を背景にデフレ圧力にさらされている」と論じた。

 続けて記事は、中国製造業界は「企業の倒産が相次ぐ空前の危機に瀕している」と伝え、立ち遅れた技術しかない企業や資金繰りが悪化した企業、人件費の急激な上昇に耐え切れない企業などが中国には数多く存在するとしつつも、「こうした企業は事業構造の転換やメーカーとしての高度化を模索しているが、成功した企業はない」と伝えた。

 さらに、中国の製造業にとって「縮図」とも言える広東省東莞市では外資メーカーの撤退ならびに中国メーカーの倒産は2008年ごろから見られるようになったと伝え、「08年当時の倒産は金融危機を背景に需要が低迷したことが理由だったが、現在は受託製造の拠点が東南アジアへ移転していることや人件費の上昇などによる産業構造の問題が理由」と論じた。

 また、中国では過去の景気刺激策によって国内総生産に占める固定資産投資の割合が高過ぎることを指摘し、「量と規模ばかり重視し、質や技術、イノベーションを疎かにしてきた」と伝え、「中国の製造業の問題は規模ばかり大きくて、質が伴っていないこと」と論じた。(編集担当:村山健二)(イメージ写真提供:(C)Dmitry Kalinovsky/123RF.COM)

7301とはずがたり:2015/05/04(月) 20:25:22

ヤバすぎる中国進出リスク!優良企業が一転、債務超過で経営破綻 中国人社長が不正
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150504-00010001-bjournal-bus_all&pos=1
Business Journal 5月4日(月)6時0分配信

 やはり「チャイナリスク」は存在する。それにはさまざまなかたちがあり、現地の反日感情、賃金の急上昇もあるが、不適切な会計処理もまたそのひとつだ。習近平国家主席は汚職一掃に取り組んでいるが、それは汚職が蔓延していることの裏返しでもある。

 化学品・電子材料等の販売を行う事業会社、江守商事を中核とする江守グループホールディングス(GHD)は、中国ビジネスによるトラブルで経営状況が悪化していた中、4月30日付で民事再生法適用の申請に追い込まれた。中国現地子会社の粉飾決算が原因である。

 江守GHDはもともと成長路線に乗った安定企業だった。2010年3月期に657億円だった売上高は毎年伸びて14年3月期には2089億円になり、最終利益も18億円から54億円に拡大、安定成長が続いていた。しかし16年3月期からはその売り上げのうち実に8割近くが一気に失われる可能性が強まっていた。15年3月期末では巨額欠損となり債務超過へ一気に転落、優良企業が一転して企業存続をかけた戦いに挑む事態に追い込まれていた。

 落とし穴は早い段階からあった。それは、江守GHDの急成長を支える中国販売だ。中国子会社の大口顧客との取引が近年増加している一方で、滞留売掛債権についても増加していたのだ。つまり売上高の拡大が見かけ上のもので架空のものだった可能性があったわけで、これが坂を転がり落ちるきっかけとなった。もっとも、売上高が架空であったのならば、坂は最初から上っていなかったという言い方もできる。

 具体的には、滞留する未収入の売掛債権を調査した結果、江守GHDは中国子会社における総経理(社長に相当)が、その親族が経営していると思われる会社と中国子会社との間で取引を行わせていたことをつかみ、これを明らかにした。

 このため江守GHDは、まず15年3月期の第3四半期において、貸倒引当金462億500万円を特別損失として計上した。これにより、439億7600万円の最終損失となり、12月末時点で234億2400万円の巨額債務超過となった。

 当初はそれでも今回の不正取引を一掃した後、リスクの高い中国ビジネスのみを取りやめ、中国の日系ユーザーとのビジネスに限定して中国販売を継続する方向だった。しかし、著しく信用が毀損したことでユーザー離れが進み、結局中国販売そのものから事実上撤退することを余儀なくされた。中国販売はそれでも残すが、日本からの輸出に限定して、中国子会社および営業拠点はほぼ閉鎖する。これにより、地域別で中国セグメントの中国市場販売はゼロとなる。

●事実上の中国撤退、そして民事再生法申請へ

 江守GHDは江守商事を通じて、主に中国市場で化学品・電子材料等を販売、中国市場は15年3月期第3四半期で全体売上高の76%を占めていた。日本からの輸出に切り替えて中国市場での販売は継続するため、中国販売そのものがゼロになるわけではないが、継続は一握りとなることが避けられず、全体売上高の約76%がなくなることは避けられない。

7302とはずがたり:2015/05/04(月) 20:25:49
>>7301-7302
 これに伴い、中国上海地区に抱える5社の商社および9カ所の分公司の営業活動をすべて休止。現地商社ではすでに受注している案件を除き業務を取りやめ、支払いが滞留している売掛金の回収のみを行い、分公司はすみやかに閉鎖する。このため現地従業員206人について、日本からの出向者を除き、全員をいったん解雇、今後の事業縮小手続きのために必要な58人のみを再雇用する。関連して経済補償金として総額2019万元(約3億9000万円)を支払っており、この費用については16年3月期に特別損失で計上する。これまでずっと安定的だった決算は、15年3月期から一転する。

 しかしこれで事態の収束が図れるはずもなく、いったん失墜した信用の回復も難しい。江守GHDは自主再建を断念し民事再生法の適用を申請、新たなスポンサーを確保して再出発することになった。新たなビジネスのスキームはもう一度練り直す可能性もあるが、中国ビジネスからほぼ手を引いて規模が大きく縮小する構図は変わらないだろう。

 今回のケースは、江守GHDのみの問題ではない。中国販売の拡大を望む日本企業は、中国系企業との取引が避けられないが、そこには大きな落とし穴があるということが改めて浮き彫りにした出来事だった。
(文=高橋潤一郎/クリアリーフ総研代表取締役)

江守社長、中国事業の失敗に悔しさ 江守グループホールディングス
http://www.fukuishimbun.co.jp/localnews/economics/70106.html
(2015年5月1日午前7時04分)

 「苦渋の決断だったが、ある意味で危機のピリオドは打てた」「109年の歴史に幕を下ろすことになり、責任を感じている」―。江守商事など主要子会社の売却を発表した江守グループホールディングス(本社福井市)の江守清隆社長は30日夜、同市の福井商工会議所ビルで開いた記者会見で、社員の雇用を守る条件でスポンサー企業が決まったことに安堵(あんど)感を見せた。一方で「中国事業の失敗は、悔やんでも悔やみきれない」と悔しさもにじませた。

 中国事業での特別損失計上に伴い、234億円という巨額の債務超過に陥ったことを発表した前回会見から1カ月半。江守社長と管理部門担当の揚原安麿常務は「このような事態を招き、おわび申し上げます」と頭を下げた。同社の株式は上場廃止となることが決定し、「多大なご迷惑をおかけした」と株主に対しても陳謝した。

 冒頭、江守社長は「スポンサー企業が決まり、再生に一つのめどが立った。100億円という相対的に高い評価をしていただき、総合的に判断した。私は江守商事などのクロージング(取引決済)をもって子会社の社長を退任する」と説明。安定的に事業再生を目指すために、民事再生法適用を申請したことを繰り返し強調した。

 1906年に「江守薬店」として創業。伝統ある名門・江守家が主要子会社の江守商事の経営から退くことになった点には「109年の歴史に幕を下ろす責任を強く感じている。株主は変わっても(江守の)良いDNAは引き継いでもらいたい」と話した。

 商社とIT部門を一括して譲渡し、主要子会社8社と持ち株会社の491人の社員の雇用を継続する条件で契約に至ったことについて「われわれが望む形でまとまった。大変感謝している」と同席した興和紡(名古屋市)の三輪芳弘社長への謝意を表した。譲渡する事業会社に「江守」の名が残ることには「配慮していただいた」と説明した。

 福井商工会議所の副会頭など現在就いている公職の去就については「しかるべき方と協議して速やかに決断したい」と述べるにとどめた。

7303チバQ:2015/05/05(火) 21:22:14
恒例ですがGWなので外遊してきました。
今回の目的地はミャンマーでした。
>>4961 コカコーラもペプシコーラも売ってました。

びっくりするほど「軍人」を見かけず・・・
警察も観光地にたまにいる程度でまったく目立っておりませんでした。

そして、、、な・なんと!
アウンサンスーチーさんを観ることができました!
NLDの本部に観光(スーチーさんのTシャツとか売ってる)しに行ったら
まさかのご本人登場。SPなども居なくて、おつきの人2人いただけでした・・・

7304チバQ:2015/05/05(火) 21:26:45
>>7287
でしたね。インドスレだったかもー
>7279にあるとおりビミョーなところですよね

7305チバQ:2015/05/05(火) 21:32:40
http://www.sankei.com/premium/news/150504/prm1505040005-n1.html
2015.5.4 18:00
【アジアの目】
困窮「ロヒンギャ族」を戦闘資源“草刈り場”にするイスラム過激派 国際社会は無力

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(1/3ページ)
 バングラデシュとミャンマーの両国にまたがる地域で、苦しい生活を強いられているイスラム教徒(ムスリム)のロヒンギャ族の人々を狙い、イスラム過激派が勢力拡大を図っている。ミャンマー政府に対応を迫るばかりで国際社会が手をこまねいている隙に過激派はロヒンギャ族の若者を戦闘員に仕立て上げ、アフガニスタンでの戦闘に参加させているという。

ミャンマーは認めず

 ロヒンギャ族は、ミャンマー北西部のラカイン州を中心に居住するムスリムだが、ミャンマーはロヒンギャを国が指定する少数民族とは認めず、ベンガル系の不法移民と位置付ける。一方、バングラデシュもロヒンギャの仮定住キャンプはあるが政治難民とは認めず、ミャンマーからの流入を制限する。

 ミャンマー、バングラデシュだけでなく、タイやマレーシア、インドネシアなどもロヒンギャ族を難民として受け入れることには消極的だ。

 ミャンマーには昔から住んでいるムスリムも多いが、ロヒンギャ族に対してだけは政府が厳しい姿勢を取っても、国内にそれを非難する声は少ない。

 1990年の総選挙ではロヒンギャ族も選挙権があり、彼らの多くはアウン・サン・スー・チー氏(69)率いる国民民主連盟(NLD)を支持した。しかし、民政移管後に国会議員になったアウン・サン・スー・チー氏は大多数の国民の声を気にしてか、ロヒンギャ族を支持するような発言はほとんどしなくなった。

 ロヒンギャ族を取り巻く現状は、勢力拡大を狙うイスラム過激派にとって絶好の機会となっている。

国際組織と連携

 インドのシンクタンク、防衛研究分析研究所(IDSA)のスムルティ・パタナイク上席研究員は、英紙ガーディアンに対し、「バングラデシュの過激派組織が、ロヒンギャ族の若者を訓練し、アフガニスタンでの戦闘に参加させている」と指摘する。ロヒンギャ族の難民キャンプがあるバングラデシュ南部のウキア周辺が、こうした過激派組織の活動拠点だという。

 過激派集団とされる「ロヒンギャ連帯機構」(RSO)は、バングラデシュの過激派、ハルカット・ウル・ジハディ・イスラミア(HuJI)や他の過激派組織と連携していると、パタナイク上席研究員はみている。

 実際、2014年10月にインドの西ベンガル州ブルドワンで起きた爆弾事件では、12月になってRSOに所属する3人がダッカで逮捕された。

 インドのPTI通信はバングラデシュ当局者の話として、3人がイスラム過激派組織ジャマートゥル・ムジャヒディン・バングラデシュ(JMB)につながっていたと報じた。

 JMBはパキスタンに本拠をおく国際テロ組織、ラシュカレトイバ(LeT)から戦闘訓練を受けている。LeTは08年11月、インド・ムンバイで日本人を含む400人近くを殺傷した同時多発テロを主導したとみられる組織だ。さらにJMBもLeTも、イスラムの教えに基づく新たな国家建設をめざしており、国際テロ組織、アルカーイダともつながっている。

 パタナイク上席研究員はまた、ミャンマーとバングラデシュ国境地帯でのLeTの活動が、最近一段と活発化しているとして警戒を呼びかけている。

 一方でミャンマー国内では、イスラム教は脅威だとしてムスリム排斥を主張する「969運動」の指導者、ウィラトウ師を支持する声が多く、ムスリムと仏教徒との対立は、さらに先鋭化しそうだ。

 ミャンマーでは3月末、テイン・セイン政権と国内の16の少数民族武装勢力の代表が、停戦に向けた基本合意に達し、テイン・セイン大統領(69)が4年前の就任演説で重要課題にあげた、少数民族との関係改善において大きな一歩となった。

 しかし、この合意には当然だがロヒンギャ族勢力は含まれていない。だからといって、欧米のようにミャンマー政府の取り組みを非難すれば解決する問題ではない。そもそも英国が、植民地時代にラカイン族から土地を取り上げてロヒンギャ族に与えたことが、現在の対立の遠因であるのを忘れてはならない。(編集委員 宮野弘之)

7306チバQ:2015/05/05(火) 21:35:05
http://www.asahi.com/articles/ASH545302H54UHBI00P.html
武装勢力の声明「報道するな」 ミャンマー軍が警告
カトマンズ=五十嵐誠2015年5月4日18時48分
 ミャンマー国軍は3日、国内メディアや同国に支局を持つ外国メディアに対し、軍と戦闘状態にある少数民族コーカン族の武装勢力の声明などを報じないよう警告した。「報道した場合は法的措置をとる」としている。メディアからは批判が出ている。

 国軍が新聞評議会や外国特派員協会に出した文書によると、国軍は北東部シャン州で2月から激しい戦闘を続けているコーカン族の「ミャンマー民族民主同盟軍(MNDAA)」が非合法組織だと説明。MNDAAも出席して1日から開かれている少数民族武装勢力の会議中に声明が出ても、報じないよう要求した。

 ミャンマーでは非合法組織の活動を「助けた」者を罰する法律があり、これをメディアに適用すると警告した形だ。ただ、他の武装組織も「非合法」。1組織だけ名指しした背景には、国軍が中国国内の支援を受けていると見るMNDAAとは和平に一切応じないとの意向があるとみられる。

 これに対し、地元紙ボイスのチョーミンスエ編集長は「正しい情報を知るという市民の権利を侵害している。ミャンマーに報道の自由があるとは言えない」と話している。(カトマンズ=五十嵐誠)

7307チバQ:2015/05/05(火) 21:35:33
http://www.afpbb.com/articles/-/3047224
タイ南部で集団墓地を発見、人身売買の被害者か
2015年05月02日 16:58 発信地:バンコク/タイ
【5月2日 AFP】タイ当局は1日、同国南部ソンクラー(Songkhla)県サダオ(Sadao)郡で、密入国したミャンマー人やバングラデシュ人のものとみられる集団墓地を発見した。

 集団墓地は、マレーシアと国境を接し、人の密輸ルートとして知られる人里離れたジャングルにある放棄されたキャンプで見つかった。

 マレーシアとの国境周辺には人身売買される外国人を収容する秘密キャンプのネットワークがあるとされている。大半は本人の意志に反して連れて来られた人たちだとみられ、親族などが多額の身代金を支払うまで、こうしたキャンプに拘束される。タイでは政府関係者が人身売買に加担していると非難する声も上がっており、軍事政権が取り締まりに乗り出していた。

 集団墓地の発見後間もなく現場に到着した救急隊員の1人はAFPに対し、「32の墓があった。4人の遺体を掘り起こし…検視のため病院に運んでいるところだ」 「遺体は全て腐敗していた」と述べた。

 この救急隊員によると、衰弱したバングラデシュ人の男性1人も発見され、発見場所に近いマレーシア・パダンブサール(Padang Besar)の病院で治療を受けているという。病院によれば男性の容体は安定しており、命に別条はない。

 タイ警察のソムヨット・プーンパンモウン(Somyot Poompanmoung)長官はこの場所で外国人たちは竹で作られた独房に入れられていたと語り、まるで「捕虜収容所」のようだったと述べた。集団墓地とみられる32か所のそれぞれに何体の遺体が埋められているか、まだ確認できていないという。

 長官によると、人身売買業者は2日前に、病気になったバングラデシュ人男性を置き去りにして、ミャンマーのイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)人たちをこの場所から国境の反対側のマレーシア領内に移動させたとみられている。地元メディアによれば、キノコ採りに来ていた近隣の村人たちが偶然、このバングラデシュ人男性とキャンプを発見した。

■危険な国境越え

 ミャンマーからは、数万人が国境を越えてタイに連れてこられる。その大半を占めるのはロヒンギャ人だ。しかし、人身売買のルートとして古くから使われている危険な海上のルートを通ってタイ南部にたどり着くバングラデシュ人も増えている。タイが南の隣国マレーシアやさらにその先への人身売買ルートになっていることは良く知られている。

 ミャンマー西部のラカイン(Rakhine)州では2012年以降、多数派の仏教徒と少数派でイスラム教徒のロヒンギャ人の対立による騒乱を避けようと、数千人のロヒンギャ人が地元を離れた。国連(UN)はロヒンギャ人を、「世界で最も虐げられている少数民族の一つ」としている。(c)AFP/Anusak KONGLANG

7308チバQ:2015/05/05(火) 21:39:29
http://www.afpbb.com/articles/-/3047168
ネパール大地震、インドと中国が救援合戦
2015年05月01日 18:14 発信地:ポカラ/ネパール
【5月1日 AFP】ネパールの山岳地帯にあるポカラ(Pokhara)の空港で、インド軍の兵士たちが大地震の被災地に届ける食料や毛布、防水布などの援助物資を慌ただしくヘリコプターに積み込んでいる。一方、首都近郊の古都バクタプル(Bhaktapur)では、中国の救助隊員たちが倒壊した寺院や住宅のがれきをかき分けて、行方不明者の捜索を急ぐ。

 4月25日に発生したマグニチュード(M)7.8の大地震では、ネパール政府の対応の遅れに被災者たちが不満を募らせる中、外国の援助隊に称賛が集まっている。とりわけ隣国インドの評価は突出している。首都カトマンズ(Kathmandu)から避難するバスの列に並んでいたネパール人男性(30)は、「食べ物がないのにネパール政府は何もしてくれない」「助けてくれるのはインドの政府だけだ」と不満をもらした。

 貧しいネパールを挟んで、2つの大国・インドと中国はそれぞれの影響力を高めようと、長年にわたって火花を散らしてきた。死者6200人を超える大災害を受け、中国はネパールに300人の救助隊を派遣したほか、1000万ドル(約12億円)の支援を約束したと報じられている。

 一方、インドもナレンドラ・モディ(Narendra Modi)首相が「全てのネパール人の涙を拭う」と約束。空軍兵士だけで950人を派遣し、ネパール各地に400トン超の援助物資を投下した。

 インドのシンクタンク「ゲートウエーハウス(Gateway House)」のアナリスト、ラジリシ・シンガル(Rajrishi Singhal)氏は、救援活動が一段落した後の復興でも、インドと中国が重要な役割を果たすだろうと予測する。

■「中国は救援を利用」、警戒するインド

 中国の洪磊(Hong Lei)外交部報道官は4月30日、ネパール大地震の救援活動で中国の存在感がライバルのインドに負けているのではないかとの見方を一蹴しつつ、今後「災害援助を強化していく」として、復興支援に言及した。

 ネパールのマヘンドラ・バハドゥル・パンデ(Mahendra Bahadur Pandey)外相は28日、インドと中国の救援活動地域を分けているとインド紙に語っている。

 インドのモディ首相は昨年5月に就任して以降、自国の「裏庭」への影響力拡大を明言しているが、中国の経済力にはなかなか対抗できずにいる。中国はこれまでもネパールに多額のインフラ支援を行い、道路や発電所、通信などの整備に貢献してきた。3月には、世界最高峰エベレスト(Mount Everest)にトンネルを造り中国とネパールを結ぶ鉄道の計画を中国メディアが伝えた。

 中国はインドの隣国パキスタンと同盟関係にあり、スリランカやモルディブとも緊密な経済関係を構築しつつある。地域で中国の存在感が高まりつつあることに、インドは警戒感を強めている。

「中国は、ネパール救援を外交政策の道具として利用している」と、ニューデリーにあるジャワハルラル・ネール大学(Jawaharlal Nehru University)のアミターブ・マットゥー(Amitabh Mattoo)教授は断言した。(c)AFP/ Annie BANERJI、Abhaya SRIVASTAVA

7309チバQ:2015/05/05(火) 21:50:10
http://mainichi.jp/select/news/20150505k0000m030065000c.html
中国・台湾:6年ぶり国共トップ会談「運命共同体を建設」
毎日新聞 2015年05月04日 21時49分(最終更新 05月05日 00時05分)

中国・台湾:6年ぶり国共トップ会談「運命共同体を建設」
毎日新聞 2015年05月04日 21時49分(最終更新 05月05日 00時05分)

北京の人民大会堂で握手する中国共産党の習近平総書記(右)と台湾・国民党の朱立倫主席=2015年5月4日、国民党提供
北京の人民大会堂で握手する中国共産党の習近平総書記(右)と台湾・国民党の朱立倫主席=2015年5月4日、国民党提供
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7310チバQ:2015/05/05(火) 21:51:10
http://www.sankei.com/world/news/150504/wor1505040045-n1.html
2015.5.4 21:43

国共トップ6年ぶり会談 習主席「中台一体感」を演出、台湾世論刺激避け「統一」すら封印

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4日、北京の人民大会堂で、台湾の与党、中国国民党の朱立倫主席(左)と握手する中国共産党の習近平総書記(共同)■■キャプション■■ 4日、北京の人民大会堂で台湾与党、国民党の朱立倫主席(左)と握手する中国共産党の習近平総書記(共同)
 【北京=田中靖人】中国共産党の習近平総書記(国家主席)は4日、北京の人民大会堂で、台湾の与党、中国国民党の朱立倫主席と会談した。国共両党の党首会談は6年ぶりで、両氏の対面は初めて。習氏は会談後、昼食をともにして朱氏を厚遇。会談では、経済協力などで中台の「一体感」が強く打ち出された。

 習氏は会談で「10年前、(国共)両党が両岸(中台)関係を戦争の縁から平和へと変えた」と両党の協力の成果を強調。一方で、仮に「一つの中国」を前提とする「92年コンセンサス」を否定し、民進党の陳水扁前総統が唱えた「一辺一国」や「一つの中国、一つの台湾」を掲げたりすれば「平和も発展も維持することはできない」と台湾独立を批判した。来年の総統選で優勢が伝えられる台湾の野党、民主進歩党を牽制(けんせい)する狙いとみられる。

 これに対し、朱氏は92年コンセンサスが中台交流の基礎だとする考えを再三、表明。さらに、台湾が日清戦争後に割譲され日本の植民統治を受けたことは「台湾人が望んだことではない」と述べて、中台の一体感を強調した。その上で、アジアインフラ投資銀行(AIIB)への「中華台北」名義での台湾の加入を要請した。朱氏から台湾が主張する「中華民国」の存在を認めるよう求める発言はなかった。

 総統選で劣勢の国民党では、今月18日締め切りの予備選で目立った立候補者がおらず、朱氏の出馬を求める声が根強い。朱氏はこれまで出馬しないと言明してきたが、今回の会談に対する世論の反応を見極めた上で、最終的に判断するとみられている。



 【北京=矢板明夫】中国の習近平国家主席は4日、台湾の与党、中国国民党の朱立倫主席との会談で、強硬な態度を抑えて双方が対立する話題をあえて避け、「経済協力」や「台湾企業の権益を守る」といった言葉を連発した。中国の最大の主張である「中台統一」という表現すら封印。最近、嫌中感情が高まっている台湾世論を刺激するのを避け、友好姿勢を懸命に演出しようとした。

 習主席は会談で、地方指導者として福建省に勤務した際に、多くの台湾の企業家らと交流した経験があり、台湾の方言である「●南語」を理解できるなどと語り、自身が台湾問題の専門家であることをアピールした。そのうえで、今後の中台関係を発展させるための5つの主張を発表し、「両岸のすべての党派の関係者と協力し、両岸の新しい未来をつくろう」と台湾の野党、民進党にも友好的なメッセージを送った。

 習主席が“優しい”態度に出たのは、来年1月の台湾総統選挙を意識しているとみられる。台湾独立志向が強い民進党が優勢とされるなか、中国としては国民党の形勢逆転を望んでいるものの、台湾に強い態度をみせて台湾世論の中国離れが進むことを警戒した。

 習近平政権は発足後、台湾の経済、社会など各分野への浸透を強め、統一攻勢を仕掛けたが、台湾社会から強い反発を招いた。2014年3月には、中国とのサービス貿易協定の調印に反発する台湾の大学生らが立法院(国会に相当)を占拠するなど大規模な抗議活動に発展。また、同年11月に行われた台北市長選挙では、中国に近いとされた国民党の候補が落選している。

 習主席は今回の会談を通じて台湾社会に対し、自らが台湾の良き理解者と支援者であることを示そうとしたとみられる。



 【用語解説】92年コンセンサス

 中国と台湾が1992年、香港での協議で達した合意。「一つの中国」を認めつつ、解釈は各自に委ねるとの内容で、台湾側が「中国とは中華民国」と主張する余地を残している。台湾の野党、民主進歩党は受け入れを拒んでいる。

7311チバQ:2015/05/05(火) 21:51:49
http://www.nikkei.com/article/DGXLASFK04H0F_U5A500C1000000/
国共トップ、6年ぶり会談 中台融和を再確認
2015/5/4 13:21
 【北京=山下和成】中国共産党の習近平総書記(国家主席)は4日、北京で台湾の与党・国民党の朱立倫主席と会談した。国共のトップ会談は2009年以来6年ぶり。台湾で対中警戒感が高まるなか、両党が進める中台融和の姿勢を再確認する狙いがある。

4日、北京の人民大会堂で台湾与党、国民党の朱立倫主席(左)と握手する中国共産党の習近平総書記=共同
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4日、北京の人民大会堂で台湾与党、国民党の朱立倫主席(左)と握手する中国共産党の習近平総書記=共同
 台湾では来年1月の総統選挙で独立志向の最大野党・民進党が政権奪回を視野に入れる。台湾統一を目指す中国は国民党との友好を強調し、台湾の政権交代をけん制する思惑もあるようだ。

 習氏と朱氏は北京の人民大会堂で会談した。両氏の会談は初めて。朱氏は3日に両党が上海で開いた交流フォーラムに参加するため2〜4日の日程で訪中しており、最終日に習氏と会談した。

 習氏は1月に主席に就任した朱氏に対し、台湾は中国の一部であるという「1つの中国」の原則を改めて認めさせ、対中融和姿勢を堅持させたい意向だ。

 一方、朱氏は会談で、中国主導で設立を目指しているアジアインフラ投資銀行(AIIB)へのメンバー入りの希望や、台湾での対中警戒感の高まりを踏まえての新たな中台交流のあり方などを提案するもよう。朱氏は会談後に北京市内で記者会見し、同日夜に台湾に戻る予定だ。

 朱氏は現時点では総統選への不出馬を表明しているが、党内には待望論も根強い。国共トップ会談を踏まえての朱氏の総統選への最終判断や、台湾の世論への影響も注目される。

7312チバQ:2015/05/05(火) 22:07:05
http://mainichi.jp/select/news/20150504k0000m030047000c.html
ネパール地震:雨期目前、家ほしい…2次災害や衛生悪化も
毎日新聞 2015年05月03日 21時28分(最終更新 05月03日 22時44分)
 【ゴルカ(ネパール中部)金子淳、カトマンズ平野光芳】「テントの中が膝上まで浸水した」−−。ネパール大地震の震源に近い中部ゴルカ地区では3日、前夜に激しい嵐に見舞われたことから、今後の厳しい避難生活を心配する住民の声が聞かれた。ネパールは間もなくモンスーン(雨期)を迎える。地滑りなどの2次災害や衛生環境の悪化が懸念されており、復興支援は待ったなしの状況だ。

 首都カトマンズから車で約5時間。ゴルカ地区の山村パスランヌで、がれきから拾い集めた材木や竹で掘っ立て小屋を作る人たちに出くわした。「テントではずぶぬれになるので小屋を作っているんだ」。頭にトタン板を載せて運んでいたディーパク・サイさん(37)が言った。一帯を襲った前夜の嵐でテントの中は膝まで浸水し、わずかな家財道具はぬれてしまった。サイさんは「いつまでこんな生活が続くのか」と力なくつぶやいた。

 ゴルカ地区は山あいに集落が点在し、狭い山道が続く。4月25日の地震発生時は至る所で崖崩れが起きた。雨が降れば交通は寸断され、地滑りなどが起こる危険性もある。

 中心都市ゴルカに近い村ゴヒダラのマドゥ・ワタライさん(42)も「嵐でテントが約300メートル先まで飛ばされた。テントで雨期を乗り切るのは不可能だが、お金がなくて小屋も建てられない」と嘆く。そして「それより明日の食事の方が心配だ」とも。

 ネパールでは5月から雨量が増え、6〜8月のモンスーンには、多い月で800ミリ近い雨が降る。カトマンズで最大規模のトゥンディケル避難所には現在約2000人が暮らすが、支援物資の頑丈なテントはまだ全員に行き渡っていない。

 水を通す布をがれきで支えたテントで暮らすビマヤ・グルンさん(31)は「雨が降ったときは水漏れがひどく寝られなかった。12歳と8歳の子供もおり、早く新しいテントに移りたい」と訴えた。

 ネパールを視察に訪れた国連のエイモス事務次長(人道問題担当)は2日、「モンスーンが迫っているので(テントなどの)シェルターや生活必需品を緊急支援する必要がある」と強調した。

7313チバQ:2015/05/05(火) 22:08:26
http://mainichi.jp/select/news/20150503k0000m030054000c.html
ネパール地震:病状訴える人、殺到 自衛隊が診療所開設
毎日新聞 2015年05月02日 22時09分(最終更新 05月02日 22時21分)
 【カトマンズ竹内良和】ネパールの大地震で、現地に派遣中の自衛隊が2日、医療援助活動を本格化させた。テント暮らしなどで体調を崩す被災者が続出しているものの、貧しさから治療費を払えなかったり、押し寄せたけが人で手いっぱいの病院に診療を断られたりするケースが多く、現地の医療事情は悪化している。このため自衛隊が開設した診療所には、多くの患者が詰めかけた。

 診療所となる大型テントが張られたのは、首都カトマンズ最大規模のトゥンディケル避難所の空き地。この日は医師、薬剤師を含む約40人の隊員が約3時間、診療活動をした。ネパール語に堪能な隊員がいないため、病状をイラスト入りで記した特製シートを患者に指してもらうなどして診察。テント前は、診察待ちの人でいっぱいになった。

 「体調が良くない。飲み水が悪いせいかもしれない」と話したのは、地方の村の出身で大学生のナンドゥ・カーキさん(23)。地震で壊れ危険な状態のアパートで今も暮らし、「学生でお金がなく、なかなか病院にも行けない」と漏らした。

 ラリタ・モガルさん(23)は、血便が止まらない長男サウラブちゃん(4)を連れてやってきた。「昨日病院に行ったのに『薬もないし、けが人の治療で忙しい』と治療を断られた」と訴える。アパートが壊れ、この1週間は一家でテントに身を寄せ、夜の寒さに悩まされているという。「この子は食事も少ししか口にしない。血便の原因も分からない」と顔を曇らせた。

 患者の受け付けなどを担当する岡本史郎・救護陸曹(38)は東日本大震災でも発生直後に福島県で医療援助活動に当たった。「がれきのほこりでのどを痛めて

7314チバQ:2015/05/05(火) 22:14:09
http://mainichi.jp/select/news/20150502k0000m030109000c.html
ネパール地震:進まぬ防災 脆弱な建物、都市に集中
毎日新聞 2015年05月01日 22時11分(最終更新 05月01日 22時45分)
【カトマンズ金子淳】ネパールで起きた大地震は2日に発生から1週間を迎えるが、救助や支援活動は大幅に遅れ、被害の全容もつかめていない。米地質調査所(USGS)によると、ネパール周辺では1934年にマグニチュード(M)8.1の大地震が発生するなど「地震国」であるにもかかわらず、防災対策は進んでいなかった。ヒマラヤ山脈沿いの険しい山岳地帯を抱えるネパールでは、貧困や内戦後の政治混乱により支援インフラの整備や地震対策が後回しにされてきた歴史がある。

 首都カトマンズの安宿街タメル地区。路地の奥に建つ7階建てホテルががれきの山になっていた。隙間(すきま)から、直径約1センチの細い鉄筋が何本も突き出ていた。

 住民によると、ホテルは道路を挟んだ向かい側の広場に倒れ、宿泊客や広場にいた住民らが亡くなった。「数年前に建った新しいホテルだ。建築がちゃんとしていれば、こんなことにならなかったはずだ」。近くに住む運転手、ナジールさん(35)が憤った。

 日本政府の国際緊急援助隊に同行している建築構造の専門家、一條典(つかさ)さんによると、カトマンズは地震に弱いレンガ造りの建物が大半で、古い家はレンガを粘土で積み重ねただけの造りだ。鉄筋コンクリート造りの建物でも、鉄筋の太さは「日本の半分ほど」で、日本のように複数の鉄筋を組み合わせて強度を保つ工夫もない。一條さんは「コンクリートも品質が悪く強度が弱い。建築基準は守られていたのだろうか」と話した。

 カトマンズ盆地は2006年まで続いた内戦で地方から避難民が流入し、人口は11年までの10年間で約2・5倍にふくれ上がり、現在は盆地全体で250万人を超える。脆弱(ぜいじゃく)な建物に人々が集中したところへ大地震が起き、犠牲者の拡大につながった格好だ。死者は1000人以上に上る。

 救助や支援体制も整っていなかった。ネパールは空軍がないうえ国際空港はカトマンズの一つだけ。駐機場も狭く、各国の救助隊や支援物資を積んだ航空機は着陸できず引き返す便が相次いだ。救助の主力、陸軍は約9万6000人のうち9割が出動したが、ヘリは十数機しか所有していない。軍用車両も約3割が破損。山岳部や農村部には、いまだ支援の届かない場所があるとみられる。

 また、災害救助訓練も不足していた。外国の支援関係者によると、別の救助隊と情報を共有するため、確認済みの建物には目印をつけるのが普通だが、地元の軍や警察はこうした措置を取っていない。ある支援関係者は「ネパール軍は救助の基本がなっていない」と明かす。

 地震の危険性は以前から明らかだった。02年には日本の国際協力機構(JICA)が地震の被害想定をまとめた報告書を作成し、ネパール政府に提出したが、都市開発などの実務には生かされなかったという。JICAは今年6月ごろから再度、被害想定調査をする予定だったが、その矢先に震災に襲われた。

 JICAネパール事務所の清水勉所長は「都市部の人口増加で災害リスクが高まっていたところへ大地震が起きた。きちんと被害調査をし、今後の町づくりに生かしてほしい」と語る。

 ◇長引く政治的混乱、インフラ整備後回し

 防災対策が後手に回った背景には、政治の混乱がある。ネパールでは06年に10年間続いたネパール共産党毛沢東主義派との内戦が終結し、翌07年に暫定政府が発足。08年には新憲法を決めるための制憲議会選が実施されたが、任期中に憲法を制定できずに解散した。

 13年に再度、制憲議会選が実施されたが、その後も憲法の制定期限はたびたび延期されている。国内には多数の少数民族やカースト間の対立があり、あつれきを避けるために議員が討議に時間をかけているとされる。ただ「政治家が自分の立場を守っているだけ」(地元住民)との批判もある。

 長引く政治混乱は経済も停滞させた。13年の国内総生産(GDP)成長率は3.8%だったが、インフレ率は9%。政治への不満は頻繁に国民によるゼネストを引き起こし、経済低迷に拍車をかけた。さらに、昨年にはエベレストやアンナプルナ連峰で雪崩や暴風雪により多数の外国人観光客が死亡。成長産業として期待のかかる観光業が大打撃を受けた。

 ネパールはアジア最悪レベルの貧困国でもある。空港や道路などの大規模なインフラ整備は、海外援助に頼らざるをえない。地元記者が嘆いた。「政府のシステムが機能していないうえ、資金が限られ防災対策がほとんど実施されてこなかった。何度も地震で被害を受けてきたのに、そのたびに見過ごされてきた」

7315チバQ:2015/05/05(火) 22:16:18
http://mainichi.jp/select/news/20150502k0000m030117000c.html
ネパール地震1週間:水も食料も物資も何も来ない
毎日新聞 2015年05月01日 22時27分(最終更新 05月01日 23時52分)
 【カトマンズ平野光芳、竹内良和】ネパール大地震の発生から2日で1週間を迎える。AP通信によると死者は1日、6260人に上り、周辺国を含めた犠牲者は6300人を超えた。また、中部シンドゥパルチョーク地区で約3000人が行方不明との情報があるほか、欧州連合(EU)の駐ネパール大使は、加盟国の観光客ら約1000人が所在不明だと明らかにした。一方、被災地では多くの人がテント暮らしを強いられ、支援物資も行き届いていない。ネパール政府の対応は後手に回り、物資の配給をはじめあらゆる面で混迷が深まっている。

 カトマンズ中心部にある首相公邸。1日、武装警官が目を光らせる監視塔のすぐ脇の空き地に6張りのテントが並んでいた。近所の数十人が集まる自主避難所だ。敷地にたまったゴミが異臭を放ち、ハエがしつこくまとわりついてくる。

 「水も食料も物資も、支援は何も来ない。そこに首相が住んでいるのに、なぜなんだ」。2畳ほどのテントに妻や子供ら6人で暮らす観光業のミラン・タマンさん(38)が吐き捨てるように言った。

 自宅アパートにひびが入り、料理や食事で家に戻る以外はテントで横になって過ごす。隣のテントで暮らすめいのアイサちゃん(7カ月)は、被災後ずっと下痢が止まらない。「政治家は選挙の時は都合の良いことを言うが、いざとなると何もしてくれないと分かった」。ミランさんが嘆いた。

 カトマンズでは普段から停電や断水が頻発し、市民は不便な生活には慣れっこだ。それでも被災者支援の遅れには多くの人が業を煮やす。

 「もう7日。私たちの支援物資はどこ?」。各国の支援物資が到着する国内唯一の国際空港「トリブバン空港」でこの日、約40人が模造紙を掲げて抗議していた。雑誌編集者、ソン・シンさん(44)は「世界中から集まった支援物資がここで止まっている」と怒った。

 警官が「空港ではなく政府庁舎でやりなさい」と声をかけると、参加者らは口々に「我々は物資の配布を手伝いたいだけだ」「国民は助け合うべきだ」と詰め寄り、騒然となった。

 また、カトマンズ最大規模のトゥンディケル避難所では、中国の支援団体が食料の入った袋や清涼飲料水を配り始めたところ、順番待ちの行列に「うちには子供が居る」などと言って割り込む人が続出。複数の物資を取ろうとする人もおり、支援団体のメンバーが注意したものの収拾できず、最後は物資を置き去りにして逃げ出した。その後、物資を巡ってもみ合いが起きた。被災者のストレスは高まっている。

 こうした状況は、地方ではなおさらだ。最大規模の被害が出たシンドゥパルチョーク地区では29日、軍のトラックを住民が取り囲み怒声を浴びせる光景が目撃された。必要なテント400張りに対し、配られたのは30張りだったからだ。住民の一人は「各国の支援団体は物資をネパール政府に渡さず、被災者に直接届けてほしい」と訴えた。同じ日、同地区では、道にタイヤを並べて軍のトラックの通行を妨害して抗議の意を示す活動も行われた。

7316チバQ:2015/05/05(火) 22:21:02
http://www.sankei.com/world/news/150502/wor1505020016-n1.html
2015.5.2 07:08
【ネパール大地震】
発生から1週間 道路寸断、地方に支援届かず

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 【カトマンズ=岩田智雄】ネパールでの大地震は、2日で発生から1週間になる。首都カトマンズを別にすると、地方では多くの地域でいまだに支援の手が届いておらず、復旧にはほど遠い状況だ。同国が誇る多くの歴史的文化財も震災で破壊され、経済にも深刻な打撃を与えている。

 ネパール内務省のラクスミ・ダカル報道官によると、カトマンズと地方都市を結ぶ複数の幹線道路が寸断されたままで、被災地支援に支障をきたしている。

 首都より多い約2千人が死亡した首都東方のシンドパルチョーク地区で、政府は限られた数のヘリを使って食糧投下や負傷者の搬送を行っているものの、「時間ばかりがかかっている」(ダカル報道官)状況だ。

 また、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に登録されているカトマンズ市内のダルバール(王宮)広場など多数の歴史的建造物が被災した。

 文化観光・航空省のスレシュ・マン・シュレスタ次官によれば、広場では数世紀前に建立された約50の寺院や旧王宮のうち、15棟が全壊した。首都郊外の2カ所にある別の世界遺産の王宮広場を含め、カトマンズ周辺の歴史的建造物の被害は100件以上にのぼる。シュレスタ氏は「文化財の修復には少なくとも5、6年、数十億ネパールルピー(1ネパールルピー=約1・2円)がかかる。ユネスコや、日本など友好国の支援を期待する」と述べた。

 ネパール商工会議所のスラジ・バイデヤ前会長は、「さまざまな会社の運営が正常化するには1、2カ月、経済活動が元に戻るには半年〜1年かかるだろう」と予想した。

 一方、ネパールのマハト財務相はロイター通信に、復興には20億ドル(約2400億円)が必要との見通しを明らかにした。

7317チバQ:2015/05/05(火) 22:24:11
http://www.sankei.com/world/news/150503/wor1505030023-n1.html
2015.5.3 19:45

6年ぶりの国共党首会談、その行方は? 国民党・朱主席は総統選に「最後のカード」


中国・上海市内のホテルで開幕した国共フォーラムで、演説する台湾与党国民党の朱立倫主席=3日(共同)
 【上海=田中靖人】中国訪問中の台湾の与党、中国国民党の朱立倫主席は4日、北京で中国の習近平共産党総書記(国家主席)と会談する。国共党首会談は習氏の総書記就任後初めて。朱氏は将来、総統選に出馬する可能性が高く、会談は今後の中台関係の行方を占うものとして注目が集まっている。

 国共党首会談は2009年5月以来、6年ぶり。朱主席にとっては、来年の総統選で国民党の劣勢が伝えられる中、同党こそが中台関係を安定させうる政党だとアピールする格好の機会で、総統選への「最後のカード」(台湾メディア)との見方もある。

 朱氏は3日、上海で国共両党が共催した「両岸経済貿易文化フォーラム」(国共フォーラム)で演説。中台関係は「一つの中国」を前提とする「92年コンセンサス」が基礎だとしつつ、「台湾は国際的な空間でより積極的に活動すべきだ」と述べ、アジアインフラ投資銀行(AIIB)などへの台湾の加入を認めるよう求めた。

 これに対し、共産党政治局常務委員で党内序列4位の兪正声全国政治協商会議主席は、中台の平和と安定にとり「台湾独立分裂勢力が最大の脅威だ」述べ、中国が独立派とみなす台湾の野党、民主進歩党を牽(けん)制(せい)した。兪氏は2日夜に朱氏と会談した際も、中台関係は「『一つの中国』が前提だ」と強調。台湾内の「さまざまな声」に向き合うよう求める朱氏との温度差を印象づけた。

7318チバQ:2015/05/05(火) 22:32:54
http://www.nikkei.com/article/DGXLASGM03H0H_T00C15A5FF8000/
台湾与党・朱立倫主席、アジア投資銀入りアピール
2015/5/3 19:38
 【上海=山下和成】台湾の与党・国民党の朱立倫主席は3日、国民党と中国共産党が上海市内で共催した「両岸(中台)経済貿易文化フォーラム(通称・国共フォーラム)」に参加した。朱氏は開幕式で、中国主導で年内設立を目指すアジアインフラ投資銀行(AIIB)について台湾も「貢献していく」と語り、メンバー入りを望む姿勢を強調した。

 中国は4月に発表したAIIBの創設メンバー57カ国から台湾を除外した。台湾を国家でなく自国の一部とみなしているためだ。台湾の馬英九政権はAIIB入りを最優先し、一般メンバーでの参加を目指している。朱氏の発言はこの方針に沿ったものだ。

 一方、共産党序列4位の兪正声・全国政治協商会議主席は開幕式で、中台交流は「一つの中国」を認め台湾独立を許さないことが前提だなどと強調した。国民党に対中融和姿勢の堅持を求める狙いがあるもようだ。

 国民党の主席が国共フォーラムに参加するのは2009年以来6年ぶり。同フォーラムは両党の交流を目的として06年から中国で開催しており、今回は10回目だ。14年は台湾の統一地方選挙で国民党が大敗して党内が混乱したため、開催が見送られた経緯がある。

7319チバQ:2015/05/05(火) 22:43:08
http://www.sankei.com/world/news/150505/wor1505050046-n1.html
2015.5.5 18:31

タイ国王、即位行事に出席 TV生中継で健康回復アピール
 タイのプミポン国王(87)は即位記念日で祝日となっている5日、王宮で行われた記念行事に参加した。昨年10月から病気療養のためバンコク市内の病院に入院している国王は、3月と4月にそれぞれ外出、健康回復をアピールしている。

 5日は入院先の病院から王宮までの沿道に多くの市民が詰め掛け、国王が乗る車が前を通ると「国王万歳」と歓声を送った。国王は車いすに乗ったまま式典会場に入り行事を見守った。発言する機会などはなく、1時間程度で病院に戻った。一連の模様はテレビで生中継された。

 1946年に王位を継承したプミポン国王は、50年5月5日に即位式典を行っている。(共同)

7320チバQ:2015/05/05(火) 22:57:57
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_date4&k=2015050200048
デモ規制法案を可決=首相府などでの抗議禁止-タイ立法議会


 【バンコク時事】昨年5月のクーデター後に設置されたタイの立法議会(暫定議会)は1日、反政府集会やデモを規制する法案を賛成多数で可決した。国会や首相府、裁判所での抗議活動が原則禁止されるなど規制を強化する内容。官報で公布された後に施行される。(2015/05/02-05:51)

7321チバQ:2015/05/05(火) 22:59:08
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_date4&k=2015050200185
マハティール氏、首相に辞任要求=政府系会社の巨額負債批判-マレーシア



マレーシアのマハティール元首相(左)とナジブ首相(AFP=時事)
 【クアラルンプール時事】マレーシアのマハティール元首相(89)がナジブ首相に対する批判を強めている。政府系投資開発会社が巨額負債を抱え込んでいるのが主な理由で、「(与党は)次期総選挙にナジブ首相で臨めば敗れる」と辞任を迫る。マハティール氏は引退後も政界に影響力を持つだけに、ナジブ首相にとっては厄介な状況だ。
 2009年設立の政府系投資開発会社ワン・マレーシア・デベロップメント(1MDB)は、ナジブ首相も経営に関わっている。発電事業や大規模不動産開発を手掛けるが、負債額は14年3月期で419億リンギ(約1兆4100億円)にまで膨らんだ。
 ナジブ首相は4月上旬、テレビのインタビュー番組で、「1MDBに時間を与えることが必要」と指摘。投資が先行し、負債が増加していると釈明した。しかし、マハティール氏の姿勢に変化はなく、「私が首相にとどまるべきだった」といった発言を繰り返している。(2015/05/02-14:52)

7322チバQ:2015/05/06(水) 09:29:11
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/150504/cpd1505040500004-n1.htm
マレーシア、不寛容な国に イスラム支持獲得へ宗教保守化政策 (1/2ページ)
2015.5.4 05:00
さまざまな文化が融合した多民族・多宗教国家のマレーシアでイスラム色が強まりつつある。人口3000万人の60%余りをイスラム教徒が占め、イスラム教を国教とする同国は、憲法で信教の自由が認められており、長年、「寛容な」国家を自任してきた。だがナジブ首相率いる与党・統一マレー国民組織(UMNO)が2013年の総選挙で大幅に議席を減らして以来、イスラム勢力の支持を取り込もうと宗教保守化の政策を講じ、これが民族間の火種となっている。

 宗教的な不寛容さは随所に現れている。今年1月にマレーシアの連邦裁判所(最高裁)は、カトリック教会紙で神の名を「アラー」と呼ぶのを禁じる判決に対する上告を退けた。3月にはイスラム原理主義政党、汎マレーシア・イスラム党(PAS)が政権を握る北東部のクランタン州で姦通を死刑、窃盗を手足切断の刑とするイスラム刑法(ハッド刑)導入案に与党議員も支持を表明した。

 シンガポールのナンヤン工科大学S・ラジャラトナム国際研究院(RSIS)の上級研究員、胡逸山氏は「人種と宗教は昔から使われてきた便利な駆け引きの道具だ」と指摘する。

 首相府傘下のイスラム開発局(Jakim)は、このほどコンサートの主催者に対する指針を定めた。報告書では、国内でパフォーマンスを行うアーティストに犯罪歴がないと主催者側が保証することや、アーティストは性別が紛らわしくない髪形、服装をすることなどを挙げている。歌手は挑発的なダンスを封印し、コメディアンはまじめな話題をちゃかさないことが求められる。

 マレーシアでは06年に米ポップグループ、プッシーキャット・ドールズのコンサートが品位法に違反するとして主催者が罰金を科せられた。英BBCによると、13年10月には米ポップ歌手、ケシャの公演が中止された。

 女性・家庭・地域開発省副大臣でマレーシア華人協会(MCA)副総裁(副党首)のチュー・メイフン氏は「マレーシアは多民族、多文化、複数の宗教からなる国家だ。行為を規制したり、非イスラム教徒の通常のライフスタイルを変えるような公共政策はこの国では実現不可能だ」と反発している。(ブルームバーグ Shamim Adam)

7323チバQ:2015/05/06(水) 09:46:42
http://www.wwdjapan.com/business/2015/04/28/00016319.html
三井不動産がマレーシアに大型アウトレットモール 空港敷地内に5月30日開業
TUE, APR 28, 2015
 三井不動産は、マレーシアのクアラルンプール国際空港の敷地内に大型アウトレットモールを5月30日開業する。テナントは順次オープンし、7月末までに店舗面積約2万4000平方メートルに約130店舗が営業する予定。2018年と21年にも拡張を計画しており、最終的には営業面積4万4000平方メートル・約250店の東南アジア最大級のアウトレットモールになる。

 施設の名称は「三井アウトレットパーク クアラルンプール国際空港 セパン」。同空港の運営会社との合弁事業で、三井不動産は70%を出資した。年間約4900万人の同空港利用客や周辺100㎞商圏の居住者873万人をターゲットに、欧米や日本のファッションブランドはもちろん、地元マレーシアで人気のテナントも多く誘致する。観光客に向けて空港と施設を往復するシャトルバスを設けたり、クアラルンプール市内と空港を結ぶ路線バスを運行させたりする。また買い物前後に登場手続きができる自動チェックインシステムを設置するなど、空港側との全面協力で施設を運営する。主なテナントは「ポロ ラルフローレン」「ボス ヒューゴ ボス」「エルメネジルド ゼニア」「バリー」「スーパードライ 極度乾燥(しなさい)」「アディダス」「プーマ」「オニツカタイガー」「エース」「イセタン」など。

 三井不動産による海外アウトレットモール事業は中国・寧波に続く2施設目。現在、台湾と上海でもアウトレットモールの開発を進めている。

7324チバQ:2015/05/06(水) 10:08:42
http://mainichi.jp/select/news/20150505k0000m040027000c.html
ネパール地震:「でも頑張る」観光業の在留邦人に打撃深く
毎日新聞 2015年05月04日 19時27分(最終更新 05月04日 19時29分)
 【カトマンズ竹内良和】ネパールの大地震は現地の在留邦人たちにも打撃を与えている。地震直後からカトマンズに拠点を置く日本人会を中心に被害情報の発信や安否確認を進め、混乱をしのいできた。だが、今後は同国へ登山や観光に訪れる客が激減するとみられ、多くの在留邦人が携わる観光業への影響は避けられない状況だ。

 「ゴールデンウイークの予約は全てキャンセルになりました」。ネパール人の夫と結婚し、カトマンズで旅行会社を経営する上乃(うえの)知子さん(42)は淡々と口にした。契約を結んでいる日本の代理店は5月いっぱい、ネパールへのツアー客の募集をやめてしまった。「これからは、被害が少ないネパール西部への観光に切り替えて再起を図りたい」と話す。

 現地の在留邦人は約1100人。4日までに死者は確認されていない。在ネパール日本人会(会員約150人)によると、会員の一部は家を失って友人宅やホテルに避難。在留邦人の子供が学ぶカトマンズ補習授業校も休校が続く。同会は地震後、メールやフェイスブックで会員に被害の状況や生活情報を発信し、不足するガソリンや食料品、水が手に入りそうな場所などを伝えてきた。

 ネパールには、日本人が営む旅行会社が十数社、和食レストランも数軒あり、エベレストやカトマンズの世界遺産を訪れる登山客や観光客が出入りする。客が増えるのは雨期(6〜9月)を避けた春と秋の年2回。だが、登山シーズンの真っただ中に大地震に見舞われてしまった。

 和食レストランを併設するカトマンズの「ホテル・キド」のマネジャー、タクール・ちず子さん(61)は「世界遺産が壊れてしまい、観光客がぐっと減るのではないか。大きな余震が来て更に敬遠されないか心配だ」と顔を曇らせる。

 日本人会副会長の高田英明さん(48)は「カトマンズの日本人は何とか生活ができているが、今後の観光への影響は心配だ」と漏らす。一方で、「支援の手が行き届かない農村部で困っているネパール人は多く、今後は会として支援を模索したい」と話した。

7325チバQ:2015/05/06(水) 22:32:27
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150506-00000067-san-soci
ネパール被災者に「助け合いの精神」 東日本大震災同様に略奪や暴動見られず
産経新聞 5月6日(水)7時55分配信

ネパール被災者に「助け合いの精神」 東日本大震災同様に略奪や暴動見られず
カトマンズ市内の避難所で、コメなどの配給のため列を作る被災者たち(早坂洋祐撮影)(写真:産経新聞)
 【カトマンズ=天野健作】ネパール大地震は5日で発生から10日を迎えた。食糧事情の悪化が懸念されているが、目立った暴動は起きていない。無人の商店街では略奪も見られず、テント暮らしの被災者は比較的穏やかに過ごす。東日本大震災でも略奪などはほとんどなく、海外から称賛された。ネパール在住の日本人らは「こちらにも助け合いの精神がある」と両国の類似性を語った。

 首都カトマンズ最大規模の避難所となったラトナ公園では約2500人がテントで暮らし、毎日、ネパール軍による配給がある。配給のたびに1千人以上の列ができるが、整然と一列に並び、割り込む人もいなければ、支援物資を奪い合うこともない。

 テントで暮らす4人家族のダルマラール・サキアさん(44)は「ここに来れば皆さんが助けてくれる。大変ありがたいことだ。皆で分け合えば、なるようになるし、騒いでも仕方がない」と話す。

 ネパールに14年間在住する酒卸会社経営、高田英明さん(48)は「持てる者が持てない者に与える助け合いの精神があり、物を奪ったりした人は強く非難され、その社会で生きていけなくなる。輪廻(りんね)転生の宗教的精神もあり、起こったことに対し悔やむのではなく、あっさりと納得するという気質がある」と説明する。

 同国在住約20年の日本語教師、坂本みどりさん(64)も「政府の支援に頼るのではなく自ら何とかしようという気概がある」と強調。もともと貧しい国で、インフラも整っていない。半日の停電が当たり前で、不便な生活には慣れているという。豊かさを示す国連の指数で、ネパールは187カ国中145位(2014年版)だ。

 カトマンズで医療支援活動に携わる陸上自衛隊の佐藤裕己・2等陸曹(34)は、東日本大震災でも震災直後から約2カ月、被災者の巡回診療をした経験がある。佐藤氏は「被災されたネパール人は、日本人の被災者と同じように結構、表情が明るくて気持ちのよい対応をされる。こちらが逆に元気を分けてもらっている」と話す。

 06年のジャワ島中部地震で被災後に略奪や暴力行為が発生するなど、今回のネパール地震と同様レベルの災害では過去、略奪や暴動がニュースになってきた。

 ただ、在ネパール日本人会の水橋雄太郎会長(54)=JICA専門員=は「今は無事を親族たちと喜び合うことの方が大事。長期的には、家を失った人や仕事がなくなった人を助けていく必要がある」と継続的な支援の必要性を訴えた。

7326チバQ:2015/05/07(木) 20:47:08
http://www.sankei.com/world/news/150507/wor1505070036-n1.html
2015.5.7 20:29
【ネパール大地震】
観光業ピンチ…被災地以外でもキャンセル殺到 風評被害を懸念

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ポカラの山道で土産物を売る女性。地震後に観光客が激減したという(吉村英輝撮影)
 【ポカラ(ネパール中部)=吉村英輝】大地震発生から9日で2週間となるネパールで、主要産業である観光が危機に直面している。首都カトマンズなどの歴史的建造物倒壊に加え、世界最高峰エベレスト(8848メートル)で多くの犠牲者を出し、「危険」のイメージが増幅した。被災を免れた観光地でも海外客からキャンセルが相次ぎ、業界関係者は“風評被害”の影響を懸念している。

 「地震被害はなく、安全なのに、向こう3カ月の宿泊やレジャーの予約の9割がキャンセルになった。これでは地震の“2次災害”に巻き込まれたのと同じだ」

 カトマンズの西約200キロの第2の都市ポカラ。間近にヒマラヤ連邦をいただき、トレッキングなどの観光拠点だが、ホテル協会のパラジュリ会長は、こう訴える。宿泊客がなくなり、従業員を故郷に返したホテルも出てきたという。

 実際、カトマンズと約30分で結ぶ航空路線は、震災前は1日50便近くあったが10便程度に激減。座席もガラガラだった。

 ポカラの丘陵頂上に建つ日本山妙法寺。仏塔に続く山道で土産物の屋台を出す女性(38)は、「毎日150人以上はいた参拝客が、地震後は10分の1に減った」という。3千円以上あった売り上げがゼロの日も。「夏の本格シーズンになっても客が戻らなければ家族5人食べていけない」

 同寺のドゥルガ・ボゴディ住職(51)は、地震で生じた仏塔下部の亀裂を指さし、「すぐに修復できる被害だが、日本からも参拝客も激減した」という。

 ネパール当局は、世界最高峰エベレスト(8848メートル)への今季の登山中止を決めた。冬や氷が溶ける夏は危険で、3〜5月がシーズンだが、地震で崩れた登頂ルートの修復が見込めなくなった。昨年も雪崩でシェルパが死亡しシーズン途中で登山打ち切りになっており、安全性が問われる。

 アジア開発銀行は、ネパールで成長顕著な産業が観光だとして、大地震が雇用や経済に与える影響は「甚大」と指摘。今年度(2015年7月期)の経済成長率が、3月予測の4.6%から3%台前半に落ち込む可能性を指摘した。

 ネパール商工会議所連合観光部のバワニ・ラナ議長は、「エベレスト以外にも8千メートル級の山は多く、今も安心して楽しめる自然の宝庫だ。観光の復活が復興にもつながる。今こそ遊びに来て欲しい」と主張。観光業再建へ首都以外への国際空港拡充などを政府に求めていくという。

7327チバQ:2015/05/07(木) 21:36:46
http://news.biglobe.ne.jp/international/0503/sgk_150503_5049833804.html
サイゴン解放40周年現地ルポ 抑圧から解放された国民たちは
NEWSポストセブン5月3日(日)16時0分
画像:ベトナム戦争終結40年と経済発展
ベトナム戦争終結40年と経済発展
今年4月30日はベトナム戦争終結40周年だった。10年以上の長きに渡って続いたあの大戦争は、40年前のこの日に終わった。かつてこの国に暮らしていたフリー・ライターの神田憲行氏が、40年目のホーチミン市を取材した。

 * * *

 いやまったく、こんな時代が自分がしゃんとしている間に来るとは思わなかったな。サイゴン市内にあるビルの32階、オープンテラスのバーで打ち上げ花火を待ちながら、私はそんな想いにひたっていた。

 今年は「サイゴン解放40周年」に当たる。サイゴンというのは昔のホーチミン市の名前で、「解放」というのは、アメリカ帝国とその傀儡政権を共産主義の北ベトナム政権が戦争で打ち破り、南ベトナムの人民をその抑圧から「解放」した、という意味である。

 40周年の節目ということがあって、市内では大きなパレードの他に打ち上げ花火が予定されていた。そこで市内にあるビル高階層にあるオープンテラス形式のバーでは、その「花火席」みたいなのを売り出した。ウオッカの「スミノフ」が1本ついたチケット33万ドン(約1800円)を購入し、さっそくバーに入ったところ、客のほとんどが若いベトナム人だった。ベトナム人ではないのは、私と欧米系の中年のカップルぐらいだ。

 カップルだけでなく、家族連れ、グループもいる。料理でいちばん安いものでも600円くらいするのだが、みんな派手に飲み食いしている。ホーチミン市の平均年収は約5100ドルという。92年に私がベトナムに住んでいたころはベトナム全体の平均年収が300ドル、ホーチミン市は1000ドルと言われていた。20年でおよそ5倍になったわけだが、統計に関しては怪しいこの国、実際はもっとあるのではないか。

 女性の店員さんもピチピチの白いTシャツにピチピチのオレンジのショートパンツという「フーターズ」そっくり(というかパクッたのかもしれない)の姿で、みんな背が高い。健康的なお色気というのか、そばに寄ってこられると中年男は照れる。ここまでベトナム人の栄養が良くなかったかと、さぞや建国の父・ホーおじさんも草葉の陰でお喜びになられているに違いない。

 私が住んでいたころのベトナムは貧しく禁欲的な生活を強いられていたので、まさか20年後にこんなバーで花火を見ているとは思わなかったなあ。貧しさに喘いでいた友人たちを知っているので今のベトナムを見て「昔の素朴さが失われた」などとは、全く思わない。ベトナムはもっと変わっていい。もっと豊かになってほしい。

7328チバQ:2015/05/07(木) 21:37:01
 さらにベトナムでいまブームといえば、日本旅行だ。ベトナムに行く前に旅行ガイドをしているベトナム人の友人に連絡を取ったのだが、彼は私と入れ替わりでベトナム人ツアー客を日本に連れて行くところだった。帰国した彼と落ち合い、話を聞いた。

 ベトナム人に人気のツアーコースは「黄金ルート」と呼ばれるそうで、まず東京について浅草見物をしたあとディズニーランド。そのあと箱根に周り、芦ノ湖、大涌谷を観光(私が大涌谷を知らないというと、日本人としてどうかと思うと説教された)、さらに富士山に登り(!)、名古屋で泊まり(!)、京都のお寺と西陣織の見学をして(!)、大阪回って帰るのだそうだ。5日間でこれだけこなす。

「疲れませんか」

「みんなバスの中で朦朧となっています」

 これでしめてツアー代金20万円、ハイシーズンの桜の季節は24万円。それでもハイシーズンには彼の会社だけでも毎週3、4本はツアー客を送り出す。定員の40人がいっぱいになることも珍しくない。ちなみに人気のお土産は資生堂の化粧品と健康食品で、

「治安が良くて安全で美味しい食べ物が多い」

 というのが日本の魅力だそうだ。

 一方、元気がないのは、日本からベトナムに来る観光客。彼はもともと日本語を活かした日本人専門ガイドだった。以前は毎週のようにお客さんをカラオケクラブ(アオザイを着たホステスが隣に座る)に案内したものだったが、「1年くらいはそういうところにいっていない」。

 たまに来るのは年配客で、レストランに入り、料理を注文したあと1ドルのお茶を我慢する。

「日本だと水はタダで出てくるので、有料なのが嫌みたいです」

 私自身の経験では、ここ数年、ベトナムで日本人の若い観光客を見かける機会が少なくなった。たまに女性はまだいるが、男性は本当に少ない。

 若者人口が減っている面もあるし、お金がないといわれればそれまでなのだが、何かを節制して、無理をしてでも若いときに外国を見るべきだと思う。それも現地に友人ができるくらいハマッてほしい。ベトナムでなくてもどこでもいい。自分とその国が一緒に歳を重ねていくというのは、実に楽しい。マザーカントリー以外にもうひとつ「母国」を作って置くと、人生を二つ生きている気がする。

 別のベトナム人の友人にも5、6年ぶりぐらいに会った。

私は、ホテルまで彼に迎えに来られ、ボーイから強奪したヘルメットを被せられ、彼のバイクの後ろに乗せられ、

「神田さんをこうして乗せるのは何年ぶりですかね」

と笑顔で懐かしがられ、魚屋で酒のツマミのイカを買われ、せめてビール代くらい払わせてよと出したお金を押しとどめられ、彼の姉の家に招待され、次々とビールの缶を開けられ、彼の甥とか姪のダンナとか、初めて会うベトナム人に「先生」とかしずかれ、料理を取り分けられ、二口飲めばビールを注がられ、グラスをあおり、タバコをふかし、息をすることしか許されなかった。

 私は彼に何かをしてあげたことがない。何年音信不通でも昨日別れた親友のように扱う、この国の人々の厚情に涙が止まらなかった。

7329チバQ:2015/05/07(木) 21:40:37
http://www.47news.jp/47topics/e/264781.php
【緊急ルポ ネパール大地震】 「世界が壊れたようだ」 余震の古都、叫ぶ市民
 【カトマンズ共同=高山裕康】「世界が壊れたようだ」。ネパール中部の大地震で男性ニムラジ・シャクヤさん(50)は力なく語った。地震から一夜明けた26日、共同通信記者は大きな被害が出た首都カトマンズに入った。もろくも崩れ去った多くの歴史的な建造物。救急車両のサイレンが響く中、余震のたび、避難者から叫び声が上がる。世界中から観光客を集める古都は極度の緊張に包まれていた。
 シャクヤさんががっくりと肩を落としていたのは、多くの寺院が倒壊した国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産ダルバール広場近くの小道。記者が取材している間にも余震が襲った。

 ガラガラガラ…。余震で寺院の屋根かられんががごう音をたてて崩れると、広場の状況を見ようと訪れていた市民らはパニック状態になり、女性らの泣き声が交錯した。
 周辺にはホテルや飲食店などが入ったれんが造りの5、6階建てなどの古いビルが密集。今にも倒れそうな建物も目立つ。
 「とにかく怖い。家に戻りたくない」と近くに住む自営業ナシム・ハンさん(37)。地震後は建物の崩壊に巻き込まれにくい広場に住民や観光客ら数百人が身を寄せ合い、水も食料も不十分なまま夜を過ごしたという。
 カトマンズ「名物」だった乗用車やバイクの渋滞は姿を消し、代わりに大半の空き地が、緑、オレンジ、青などのテントで覆われていた。

 余震で目の前の建物が壊れ、おびえる被災者=26日、カトマンズ(共同)
 「逃げ場がないので小道には入っては駄目だ」と叫ぶ消防隊員。ドイツ人観光客のホーガー・ミシュさん(42)は「どこに行けば安全なのか」と途方に暮れた。
 土台を残して倒壊した高さ約50メートルの塔「ダラハラタワー」の近くにいたラリタ・シャヒさん(52)は「ネパールの歴史の象徴だったので悲しい。混乱が続いている。ずっと地面が揺れているように感じる」とおびえた表情で話した。

(共同通信)
2015/04/27 10:18

7330チバQ:2015/05/07(木) 21:41:07
http://www.47news.jp/47topics/e/264876.php
【ネパール大地震現地ルポ】悲しみの煙、途切れず 火葬場に響く泣き声
 【カトマンズ共同=中檜理】両親と兄を亡くし途方に暮れる少女、働き盛りだった息子の遺体脇で泣き崩れる母―。ネパールの首都カトマンズの火葬場では、大地震で犠牲になった人たちを火葬する煙が天高く上り、遺族の泣き声がこだました。
 カトマンズ中心部から数キロ離れたヒンズー教寺院前の川岸。「お母さん、お母さん!」「息子よ、何で私を置いていくの」。数百人の遺族や住民らが見守る中、白い布に包まれた遺体が次々と運び込まれた。
 10カ所ほどある屋外のコンクリート台にそれぞれ丸太を組み、遺体を乗せてオレンジ色のマリーゴールドの花輪を供える。遺族が川の水を掛けてお清めをし点火すると、辺りは真っ白な煙に包まれた。
 川の中州にも臨時の火葬台が準備されていた。地元の男性は「昨日だけで200体以上が焼かれた。火葬場の対応能力を超えている」と話す。
 火葬を待つ遺体のそばで、女子中学生のビジュア・リンブーさん(15)が地面にしゃがみ、うつむいていた。父(46)と、母(44)、兄(20)を一気に失った。観光客に人気のダルバール広場にいたところ、れんが造りの塔が崩落し下敷きになったという。シンガポールの学校に通うビジュアさんは一報を聞いて駆けつけた。「家族全員がいなくなってしまった。何が起きたか今でもよく分からない」
 遺体脇に行き、そっと布を外して、苦痛でゆがんだ顔の家族と対面。「何で死んじゃったの」と泣きじゃくり、倒れそうになるのを親族らが必死に支えていた。
 すぐ近くには男性警察官の遺体が横たわり、娘のニンワ・トゥンマハンペさん(13)の手紙が置かれていた。「お父さん、私を置いていかないで。でも約束します。立派な大人になります」
 (共同通信)
2015/04/29 11:38

7331チバQ:2015/05/07(木) 21:41:54
http://www.47news.jp/47topics/e/264979.php
【ネパール大地震ルポ】 壊滅の町や村、悲痛な叫び  死者最多、“野戦病院”も
 がれきの下に消えた町や村。医師がいない“野戦病院”―。ネパール大地震で最多の死者が出た北東部のシンドパルチョーク地区に1日までに入った。けがをした子供は「痛い、痛い」と悲痛な叫びを上げるが、医療支援はなく、なすすべがない。「見捨てられている」。孤立した村の住民らには怒りと不満が渦巻いていた。
 首都カトマンズから約100キロ離れ、険しい山に囲まれた同地区バラビセ。中国との国境に近く、道路沿いに宿や食堂、両替屋が並ぶにぎやかな町だったが、れんが造りの家屋の多くが崩壊。電柱は傾き、電線が垂れ下がっている。土煙が舞いマスクなしでは歩けない。
 半壊した私立病院裏の空き地に、テントと簡易ベッドだけの臨時の病院。後頭部を負傷した7人きょうだいの末っ子ダヌ・バハドゥル君(11)が、ぐったりしながら地面で横になっていた。包帯には血がにじみ、紫色に腫れた顔の傷にはハエがたかっている。
 倒れた家の下敷きになった。父と母に抱えられながら山を越え、翌日バラビセにたどり着いた。しかし、応急処置を受けただけ。父のディルさん(56)は「大きな病院に連れて行きたいけど、交通費がない。食べ物や水も買ってあげられない」とうなだれた。
 シンドパルチョーク地区は人口約30万人。約2千人が死亡し、約3千人が行方不明になった。ディルさんの村の家屋約30戸は全て倒壊。4歳の孫も頭にけがをしたが、けがの程度がひどいバハドゥル君だけを連れてきた。「誰も助けに来てくれない。見捨てられている」とディルさんは不満をぶちまけた。
 テント内では看護師のミナ・マガルさん(19)が一人で奔走。医師不足に悩まされてきた山村地域のバラビセの病院では、震災前から医師がいない。負傷した被災者約500人が殺到。「息つく間がなく家に帰れない。家族にも会えていない」と涙声になった。
 そばの家屋跡からは強烈な異臭が漂う。救助隊ががれきをかき分け、埋もれた人を捜していた。
 「薬をくれ!」。記者が乗っていた車に年配の男性が駆け寄ってきた。医薬品が十分に手に入らないという。道路が土砂崩れで一時寸断され、救助活動や支援物資の運搬が大幅に遅れた。日本の国際緊急援助隊の医療チームが、1日からバラビセで活動を始めた。
 同地区内には、壊滅した複数の町や村がある。バラビセから山道を車で2時間ほど行った村では、家屋約20戸全てが崩れ去っていた。
 静まりかえる中、洋裁店を営んでいたハルカバハドゥル・タマンさん(47)一家がおわんで土をかき分け、埋もれた商売道具のミシンを捜していた。「隣の家の赤ん坊が下敷きになって死んだよ。この辺りの村はどこもこんな状況さ」と吐き捨てるように話した。(シンドパルチョーク共同=中檜理)
 (共同通信)
2015/05/02 14:32

7332チバQ:2015/05/07(木) 21:44:01
http://www.sankei.com/economy/news/150507/ecn1505070038-n1.html
2015.5.7 20:09
【ビジネス解読】
韓国財閥系など軒並み業績悪化 揺らぐ経済の屋台骨

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サムスンのスマホ、ギャラクシーS6の広告の前でスマホを使う男性=4月28日、ソウル(ロイター)
 韓国製造業の2015年1〜3月期連結決算で、サムスン電子、現代自動車などの主要企業が軒並み減益に陥った。中国企業などとの競争が激しくなっているうえ、ウォン高で輸出の採算が悪化していることが背景にある。就任から2カ月で首相が辞任するなど、朴槿恵(パク・クネ)政権の基盤が依然不安定な中、主要製造業の業績不振が鮮明になり、政・経の両面で韓国の屋台骨が揺らいでいる。

 韓国にとって何と言っても痛いのは、グループの売上高が国内総生産(GDP)の約2割を占めるサムスンの不振だ。低価格品で攻勢をかける中国勢との競争激化などで、主力のスマートフォン事業の営業利益が前年同月比57%減と低迷が続き、連結営業利益も同30%減の5兆9800億ウォン(約6546億円)と落ち込んだ。

 LG電子も、ロシアなど海外でのテレビ事業が振るわず、営業利益は36%減。現代自動車にとってもウォン高は逆風で、18%の営業減益を余儀なくされた。鉄鋼大手のポスコは減益こそまぬがれたが、中国企業の増産による市況悪化などで前年並みの営業利益にとどまった。

 日本ではトヨタ自動車や日立製作所など複数の主要企業が15年3月期に過去最高の営業利益を見込んでおり、日韓製造業の業績は明暗が分かれている。

7333チバQ:2015/05/07(木) 22:19:19
http://news.biglobe.ne.jp/international/0506/ym_150506_6171899971.html
高速鉄道計画先送り…シンガポール—マレーシア
読売新聞5月6日(水)17時52分
 【ジャカルタ=池田慶太】シンガポールのリー・シェンロン首相とマレーシアのナジブ首相は5日、シンガポールで会談し、両国を結ぶ高速鉄道計画(約330キロ)の開業時期を、当初目標の2020年から先送りすることで合意した。
 年内とみられていた国際競争入札も来年以降にずれ込む見通しだ。両首相は会談で、同計画を両国の最重要プロジェクトと確認したが、1兆円以上とされる建設費用の調達方法などで協議が続いており、スケジュールの見直しで一致した。新たな開業目標は今年末に決定する。

http://www.asiax.biz/news/2015/05/07-091125.php
KLー星高速鉄道、完成予定を先送り シンガ終点はジュロンイーストに決定
マレーシア2015年05月07日 09:11

〈クアラルンプール〉

2020年の完成を予定している、クアラルンプール(KL)とシンガポールを繋ぐ高速鉄道(HSR)プロジェクトの完成予定が見直されることが明らかになった。完成予定は2020年に設定されていたが、2年程度先送りするとみられる。プロジェクトの規模が大きく、調整を要する案件が多いことから2020年開業は難しいとの見方が出ていた。

完成予定の見直しについて、非公式にシンガポールを訪問したナジブ・ラザク首相とシンガポールのリー・シェンロン首相が首脳会談後の共同声明で発表した。両首相はプロジェクトが成功するために努力するとした上で、世界各国から技術支援や経験の共有に関する提案が出ていることに謝意を示した。

■シンガポール終点はジュロン・イーストに決定■
 一方、シンガポール側の終点をジュロン・イースト地区にすることが発表された。ターミナルを建設し、シンガポール第2のビジネス地区とする計画。税関、出入国管理、検疫(CIQ)も建設される。マレーシア側の終点は、スンガイベシのバンダル・マレーシアに決まっている。

同プロジェクトは2013年にマレーシア・シンガポール両国間で合意したもので、計画案ではKL—シンガポール(全長350キロメートル)を90分で結ぶという。

7334チバQ:2015/05/08(金) 00:21:14
http://mainichi.jp/select/news/20150506k0000m030096000c.html
ネパール地震:震源地バルパク「ツナミにやられたようだ」
毎日新聞 2015年05月05日 22時43分(最終更新 05月06日 01時28分)
◇標高2000メートル 「ドルルルル」大きな揺れが2分間

 【バルパク(ネパール中部ゴルカ地区)金子淳】ネパール大地震の震源地の村バルパクに4日、入った。標高約2000メートル。急な斜面を5時間かけて登り切った先に、これまで見たことのないような多量の石や廃材があった。尾根に広がる村の中心地のはずだった。「道の両側に家や店が並んでいたが、全てなくなった。ツナミにやられたようだ」。鳥のさえずりが響く中、村人が言った。

 中部ゴルカ地区の中心都市ゴルカからふもとの村バルワまで四輪駆動車で約3時間。そこから約1000メートルを登った。道は至るところで崩れ、巨岩が転がっている。ネパール軍兵士がむき出しの斜面をシャベルで削り、階段を付けていた。

 何度も大きなかごを背負った人とすれ違った。バルワまで救援物資を取りに行くバルパクの村人だ。女性や子供、老人も多い。雑貨店経営のチョウンさん(41)は、バルワの学校で寮生活をしていた息子(14)を捜しに行く途中だった。

 バルパクは山頂に近い尾根の上に約1500戸が集まっており、外国人旅行者も訪れる風光明媚(めいび)な土地だった。だが、大地震で9割以上が倒壊し、約70人が死亡。残った家屋も柱や壁が壊れ、人が住める状態ではない。車が通れた山道は崖崩れで寸断され、村は孤立した。一面の茶色いがれきの中にたたずんでいたアズテックスミー・ガレさん(22)は「美しい村だったのに完全に壊れてしまった」と、目に涙を浮かべた。

 「ドルルルル」。4月25日の昼、マグニチュード(M)7・8の大地震で、バルパクではごう音とともに大きな揺れが約2分間続いた。大工仕事をしていたテクバードル・ガレさん(50)は、山のあちこちで地滑りが起き、もうもうと空に舞い上がる土煙を見た。

 石細工師のチェバードゥル・グルムさん(51)は自宅の庭で仕事をしていたが、激しい横揺れで思わず地面に倒れ、一瞬気を失った。気がつくと自宅は崩れ、中から母(65)の叫び声が聞こえた。「ここから出して」。夢中で掘り、めい(7)らを助け出したが、約20分後に再び大きな余震が起きた。すると、がれきの中から炎の柱が噴き上がり、自宅は黒焦げになった。

 娘(5)ら4人が見つかったのは6日後。歯と小さな骨片だけになっていた。「何も残らなかった。でも怒っても仕方がない」

 発生から約4時間後、一度、軍のヘリが上空に来たが、着陸せずに飛び去った。村人はがれきの中からわずかな米を見つけ出し、ひとつまみずつ分け合ったという。その夜、雨が降った。誰もが眠れず、広場をうろうろ歩き回った。

 最初の救援物資が届いたのは翌日。インド軍のヘリが飛来した。その後も1日数回ヘリは来るが、テントは数家族に一つだけと、何もかもが不足している。

 だが、村人には明るさがあった。子供はテントの周囲を駆け回り、女性は井戸で洗濯しながら時折、笑い声を上げていた。かろうじて残った雑貨店で食事や飲み物の在庫を売っていたウサデビ・ガレさん(42)は「ここもいつ崩れるか分からず怖いけれど、人が来るから店を開けた」と、照れくさそうに笑った。

 下山中、救援物資をかごに積んだ村人たちが続々と登ってきた。その中に、見覚えのある顔があった。ふもとまで子供を捜しに行くと言っていたチョウンさんが、打って変わったような晴れやかな笑顔で言った。「やっと息子に会えたよ。気をつけて」

7335チバQ:2015/05/08(金) 00:21:52
http://mainichi.jp/select/news/20150508k0000m040092000c.html
ネパール地震:山車「ラト」に祈り…もうすぐ豊作祝う祭り
毎日新聞 2015年05月07日 21時30分(最終更新 05月07日 22時34分)
 【カトマンズ竹内良和、金子淳】仏教やヒンズー教の寺院が集まるネパール中部の古都パタンで、大地震により中断した伝統行事「マチェンドラナート祭り」の再開準備が進められている。シャッターを開ける商店も多くなり、街は落ち着きを取り戻しつつある。

 祭りは、豊作などを祈って雨期前のこの時期に数百年前から行われてきた。7日、パタンを訪ねると、出番を待つ「ラト」と呼ばれる巨大な山車の前で、人々が手を合わせたり、花を供えたりしていた。靴店を営むトリラトナ・バズラツァリヤさん(56)は「祭りがまた始まれば、街は良い方向に向かうだろう」と話した。

 ネパール政府によると国内の死者は7759人に達した。近隣国を含めると約7800人に上る。日本の土木学会などの現地調査では、山間部の河川沿いで地滑りや亀裂の跡が多数見つかっており、調査団長の清田隆・東大准教授は「2次災害の起きる恐れが高い。危険性を調査して住民に周知する必要がある」と言う。

 一方、日本政府の国際緊急援助隊の救助チーム(70人)は7日、活動を終了。カトマンズ中心部など3カ所で捜索にあたり、1遺体を収容した。派遣は4月25日の発生直後に決まったが、首都カトマンズの空港が混雑していたため搭乗機が着陸できず、現地入りが同28日に遅れた。援助隊の医療チームや自衛隊は引き続き活動する。

7336チバQ:2015/05/08(金) 00:23:37
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2015050700732
シルクロード経済圏へ協力強化=中国主席、カザフ大統領と会談


 【モスクワ時事】中国の習近平国家主席は7日、カザフスタンの首都アスタナで、ナザルバエフ大統領と会談した。両国は首脳会談に合わせ、習主席が提唱するシルクロード(一帯一路)経済圏構想に関するプロジェクトに署名。今年設立されるアジアインフラ投資銀行(AIIB)を念頭にインフラ支援についても話し合った。
 習主席のカザフ訪問は2013年9月以来で、前回の訪問で習主席はシルクロード構想を初めて提唱。中国は中央アジアを通じて欧州へ至る「陸上ルート」での経済圏構築で隣国の資源国カザフを重要なパートナーとみており、タス通信によると、習主席は「中国カザフの戦略的パートナー関係の強化は加速している」と評価した。
 4月に6選を果たしたばかりのナザルバエフ大統領は選挙直後の習主席の訪問を歓迎した上で「中国との善隣関係はカザフの外交の優先課題だ」と述べ、協力強化に意欲を示した。(2015/05/07-23:27)

7337チバQ:2015/05/08(金) 20:48:46
http://www.sankei.com/world/news/150508/wor1505080026-n1.html
2015.5.8 18:46
【世界遺産登録へ】
「日本にしてやられる」と韓国 歴史認識盾に阻止活動 外相の進退問題にも発展か

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(1/3ページ)

明治日本の産業革命遺産 長崎「端島炭坑」(通称・軍艦島) 
 安倍晋三首相の米上下両院合同会議での演説に反発していた韓国が、今度は日本の世界文化遺産登録を阻止する動きに出ている。首相演説と同様、日本との「歴史認識」の問題がその動機のすべてだ。登録撤回を狙い、すでに関係各国に協力を呼びかけており、日本にも撤回を要求する構えだ。(ソウル 名村隆寛)

 「明治日本の産業革命遺産」は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関、国際記念物遺跡会議(イコモス)から、世界文化遺産への登録を勧告されたばかり。日本政府が勧告を発表した4日から、韓国がまた、ざわつき始めた。

 今回の勧告を受け登録が見込まれる産業革命遺産は23件。韓国が穏やかでいられないのは、このうち福岡県や長崎県などの7施設で日本の朝鮮半島統治時代に、「朝鮮人が動員され94人が死亡した」というのがその理由。登録は「人類の普遍的価値」とは相いれず「世界遺産条約の基本精神に反する」(尹炳世外相)というのが韓国政府の言い分だ。

 日本政府は、幕末から明治時代の1910年が対象で「西洋技術が日本文化と融合し、急速に産業国家が形成された過程を時系列に示しており、普遍的価値観がある」と主張。韓国側が異議を唱える「強制労働(徴用)」とは時期や背景が違うとし、政治的な問題とはみなしていない。

 だが、こうした日本側の説明を受け入れる考えは、韓国側には全くない。「登録を強行し、ユネスコを政治化した責任は日本にある」(韓国外務省報道官)と、日本を非難している。

 韓国が登録阻止に向けた「主戦場」に位置づけるのは、6月末にドイツで始まる世界遺産委員会(21カ国で構成)だ。メンバー国の立場を使い、他のメンバー国に登録阻止を訴えて回っている。 

 同委員会で勧告が覆されることは原則としてない、との見方が大勢だが、登録の適否を問う投票が行われた場合、登録には3分の2の「賛成」が必要だ。

 登録阻止のため韓国は、3分の1以上の「反対票」を集めるのに現在、奔走している。

 一方、韓国は日本に直接訴えて、登録を断念させようともしている。今月末に東京で日本政府と協議し、「申請資産」の一部撤回を求める構えだ。

 韓国が望む通りに産業革命遺産の一部が登録されない場合、日本の対韓感情のさらなる悪化が予測される。しかし、韓国は日本の世論悪化など、意に介していない。

 安倍首相の米議会での演説が、成功裏に終わったこともあって、「国際社会では日本のペースで物事が進んでいる」「また日本にしてやられる」との思いが韓国では政府、政界、メディアの間で特に強まっているからだ。

 日本の世界遺産登録を許した場合、韓国政府に世論の批判が集まり「責任論」に発展するのは必至の情勢となっている。政界や外交筋など一部では、「状況次第では尹炳世外相の進退が問われて当然」との声も聞こえてくる。

7338チバQ:2015/05/08(金) 20:49:06
http://www.sankei.com/world/news/150508/wor1505080005-n1.html
2015.5.7 23:10
【世界遺産登録へ】
韓国「政治問題化させた日本に責任」 “逆転”狙い対日協議も

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(1/2ページ)
 【ソウル=名村隆寛】「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録に強く反発する韓国は、関係国などに登録反対を呼びかける一方、登録阻止に向けて日本との直談判に持ち込んだ。

 韓国は、登録が見込まれる23件中、長崎県などの7施設に日本の朝鮮半島統治時代、約5万7900人の朝鮮人が動員され、94人が死亡したと主張。「人類の普遍的価値を持つ遺産を保護する世界遺産条約の基本精神に反する」(尹炳世外相)との立場だ。

 韓国外務省報道官も7日の定例会見で、「再考を促したにもかかわらず、日本は登録を強行し、政治問題化させた。責任は日本にある」などと述べた。国会の羅卿●(=王へんに援の旧字体のつくり)外交統一委員長は同日までに、世界遺産委員会の各委員国に登録反対を訴える書簡を送った。

 韓国側を登録阻止に駆り立てる背景には、歴史認識問題に加え、安倍晋三首相による4月末の米上下両院合同会議での演説がちらつく。韓国は演説に反発し、慰安婦問題などでの謝罪を盛り込むよう米国を舞台に強く働きかけたが、不発に終わった。

 こうした結果に、韓国では「日本にやられっぱなし」という一方的な不満が募っている。「無能な外交」(韓国メディア)として、非難の矛先は政府にも向けられている。登録決定の見通しとなっても、最終決定まで各委員国に反対を訴え、逆転を狙う構えだ。

 一方、日本との協議では、韓国が反対する7施設を登録から外すよう要求するとみられる。登録が決定しても、7施設に関しては「少なくとも『朝鮮人が働かされ、死亡した』と明記されるべきだ」(外交筋)との立場で、譲歩の姿勢はうかがえない。

7339チバQ:2015/05/08(金) 20:49:21
http://www.sankei.com/world/news/150507/wor1505070031-n1.html
2015.5.7 18:19
【世界遺産登録へ】
中国「植民地支配を美化するな」とけん制 登録反対の韓国に同調





 【北京=川越一】中国外務省の華春瑩報道官は7日の定例記者会見で、韓国国会の羅卿●・外交統一委員長が「明治日本の産業革命遺産」の世界文化遺産への登録勧告に反対を表明したことを受け、「植民地支配の歴史を美化するべきではない」と、韓国側に同調する姿勢を示した。

 華報道官は「申請する世界遺産は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産条約の、平和を構築し、人類の価値観を尊重するという理念に符合しなければならない」と述べた。

●=王へんに援の旧字体のつくり

7340チバQ:2015/05/08(金) 20:50:06
http://www.sankei.com/world/news/150508/wor1505080031-n1.html
2015.5.8 19:28

韓国、大統領側近の裏金疑惑で検察が聴取 慶尚南道知事、当事者としては初めて

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韓国の朴槿恵大統領の側近ら8人に裏金が渡ったとされる疑惑で、ソウルの検察施設に出頭した洪準杓慶尚南道知事=8日(共同)
 【ソウル=名村隆寛】韓国の朴槿恵大統領の側近ら8人への裏金疑惑で、検察は8日、洪準杓(ホン・ジュンピョ)慶尚南道知事(60)をソウル高検に出頭させ、事情聴取した。洪知事は与党セヌリ党の前身であるハンナラ党の元代表。裏金疑惑の当事者が当局から事情聴取を受けるのは初めて。

 裏金疑惑は、4月に自殺した京南企業の成完鍾(ソン・ワンジョン)元会長が死の直前に韓国紙の取材で語った証言や、遺体に残されていたメモにより発覚。洪氏には成氏から1億ウォン(約1100万円)が渡った疑いがある。

 韓国メディアによると、洪氏がハンナラ党代表選に出馬した2011年6月、成氏の側近が現金入りとみられるバッグを洪氏側に渡したと証言しているという。洪氏の逮捕に発展すれば、成氏が残した証言やメモの信ぴょう性が裏付けられた形となり、朴政権が打撃を受けるのは必至だ。

7341チバQ:2015/05/08(金) 20:51:35
http://www.sankei.com/world/news/150508/wor1505080022-n1.html
2015.5.8 17:03

「アジアの歌姫」テレサ・テン没後20年 台湾で追悼式  「時の流れに身をまかせ」「つぐない」…






8日、台北郊外で開かれた追悼式でテレサ・テンさんの曲を合唱する中国のファンら(共同)
 「アジアの歌姫」として人気を集めた台湾出身の歌手テレサ・テンさんが死去して8日で20年となり、テレサさんが眠る台北郊外の「金宝山」で追悼式が開かれた。台湾のほか日本、中国、香港、マレーシアなどからのファンら数百人が花束や線香を手向け、人気曲を合唱するなどしてテレサさんをしのんだ。

 日本デビューを実現させた立役者で、追悼式に毎年出席してきた舟木稔さん(82)は「テレサは華人社会を中心に今も頂点にいる。今後も歴史的な歌い手として名をとどめるだろう」と語った。

 「時の流れに身をまかせ」「つぐない」などで知られるテレサさんの曲は、中国ではかつて台湾の影響力拡大を懸念する当局に放送を禁じられた。中国・南京市から参加した楊振新さん(62)は「(放送禁止時代の)10代のころからひそかに聴いており、今も仕事の際に毎日聴く。深く穏やかな歌声に引かれる」と話した。(共同)

7342チバQ:2015/05/08(金) 21:20:34
http://www.sankei.com/world/news/150504/wor1505040004-n1.html
2015.5.4 12:00
【国際情勢分析】
習氏「はい、はい」と軽視される台湾 AIIBでハシゴ外された馬英九政権の“面子丸つぶれ”





(1/3ページ)

4月14日、台北市内の総統府で、日本メディアと会見する馬英九総統
 台湾が中国主導で設立準備が進む国際金融機関、アジアインフラ投資銀行(AIIB)の創設メンバーから除外されたことで、馬英九政権への批判が強まっている。期限の3月末に“駆け込み”申請し、名称や参加資格について控えめの要求をしたにも関わらず、はしごを外されメンツを失ったためだ。低姿勢での要求でも「満額回答」で応じない中国の姿勢は、来年5月の任期満了を前にレームダック(死に体)化が進む馬政権を、中国側が軽視する現状を印象付けた。

習氏は「はい、はい」とだけ

 「当然、遺憾に思うが、正式メンバー、完全なメンバーとなるために努力し続ける」

 馬英九総統(64)は14日、台北市内の総統府で日本メディアと会見、創設メンバーから除外されたことを問われ、こう強調した。今後は一般メンバーとしての参加を目指す。

 中国当局が台湾の除外を公表したのは13日。香港の通信社の報道を追認する方法を取ったが、中国側が事前にリークした可能性がある。

 中国での報道を受け、台湾の行政院(内閣に相当)の報道官は、前日の夜に情報を得ていたと明らかにした。中国財務省が創設メンバー57カ国を発表したのは15日。それよりも前に台湾当局に通知し公にすることで、一定の配慮は示した形だ。

 伏線はあった。台湾当局がAIIBへの参加方針を中国に伝えたのは3月28日。中国海南省ボアオで開かれた「ボアオアジアフォーラム」年次総会の開幕式の直前、蕭(しょう)万(ばん)長(ちょう)前副総統(76)が中国の習近平国家主席(61)と立ち話で会談をした際だった。台湾メディアによると、習氏は「好、好(はい、はい)」と答えただけ。会談に同席し、その様子を見ていたはずの国務院(政府)台湾事務弁公室の張志軍主任(62)は「正式な加入申請は受けていない」とそっけなかった。

要求水準下げ参加申請も…

 そもそも中国側には当初から、台湾を創設メンバーに迎えるつもりがなかった節がある。台湾当局者が参加の意向を明らかにしたのは3月19日。張盛和財務部長(財務相、65)が立法院(国会に相当)の審議で、「参加を求められれば」と条件付きで表明した。だが、その後も参加要請はなかったようだ。中国は「一つの中国」原則に基づき、台湾を自国領と主張している。自らが主導し「国際機構」と位置付けるAIIBに、他の参加国と同等の地位で台湾を迎えるとみるのは、計算が甘いといわれても仕方ない。だからこそ、台湾側は、参加資格は主権国家ではなく「経済体」として、名称は「中華民国」ではなく「中華台北」で構わないと、要求水準を始めから下げてもいた。

 ただ、経済的な利益や国際的な地位向上に加え、「将来の両岸(中台)関係の発展のため」(馬総統)と対中関係を重視して参加申請に踏み切った馬政権にとり、創設メンバー除外は「顔をたたかれる」(自由時報)結果となった。与党、中国国民党寄りの聯合(れんごう)報(14日付)ですら「(参加)申請は評価不足で政府の威信を傷つけた」と批判している。

さらに「値切られる」か

 創設メンバーからの除外が判明した13日昼、毛治国行政院長(首相、68)は急(きゅう)遽(きょ)、立法院を訪問し、王金平立法院長(国会議長、74)と対応を協議した。その後、記者団の前に現れた王院長は「一般メンバーの権利義務は、創設メンバーと完全に同じだという認識で一致した」と強弁した。3月31日夜に“駆け込み”申請したことへの批判に対し、「先に手を挙げてこそ発言権が得られる」(張財務部長)と反論していた同じ政権与党関係者の言葉とは思えない。その後も、王院長らからは「名称は『中華台北』が最低ラインで、守られない場合は絶対に参加しない」と一見、強気な発言が相次いだが、始めから「最低ライン」で交渉していたのを忘れたかのようだ。

 参加条件について、林永楽外交部長(外相、65)が10日、「尊厳と対等」の原則を強調していたのに対し、馬総統は14日、「尊厳と公平」と、条件を引き下げたかのような表現を用いた。「参加最優先」で交渉を続けた場合、中国側からさらに条件を“値切られる”可能性も否定できない。(台北支局 田中靖人、写真も)

7343チバQ:2015/05/08(金) 21:46:05
http://www.sankei.com/region/news/150502/rgn1505020050-n1.html
2015.5.2 07:06
 ■軍人軍属として20万人が従軍 「夢破れたが間違いなかった」

 「僕はお国のために、勝利に一役買いたくて、南の島に従軍した。戦争に勝って、大東亜共栄圏の偉い役人になりたい。そんな夢を見ていた…」

 4月中旬、台湾中部の中核都市、台中市郊外にある王春茂氏(91)の自宅を訪ねた。戦時中、日本海軍所属の農業技術員として、太平洋の熱帯の島、ラバウル(パプアニューギニア)に志願して従軍した。

 終戦翌年、台湾に戻った。その後、営林署勤務や木材商などをして妻と子供5人の家庭を築いた。戦友会「台湾海軍ラバウル方面会」の会長も務める。

 ラバウル再訪の願いを胸に抱いたが、仕事の都合で実現できないままだった。

 「ラバウルはよいところ。私の第二の故郷です」

 王氏はラバウルの地図を広げ、70年前の記憶をよみがえらせながら、話し始めた。

                 × × ×

 日本統治時代、台中州東勢郡(現・台中市)に生まれた。公学校(初等教育)、国民学校高等科(中等教育)で日本の教育を受けた。

 17歳だった昭和16(1941)年12月8日、太平洋戦争が開戦。日本軍は南シナ海、南太平洋など南方に進出した。

 政府は日本を盟主とし、アジアを欧米列強の支配から解放するとうたった「大東亜共栄圏」構想を掲げた。王氏は「大東亜の幹部になりたい」と思った。

 かつての台湾はマラリアや赤痢など風土病が蔓延(まんえん)し、「瘴癘(しょうれい)の地」と呼ばれる貧しい島だった。それを急速に近代化させた日本なら、大東亜共栄圏を打ち立てるという理想も可能であるかのように思えた。

 日本は、120年前の明治28(1895)年4月、日清戦争勝利で台湾を手にし、その開発に巨費を投じる。近代的な植民地経営を欧米列強に見せることで、アジアの盟主をアピールする狙いもあった。

 特に、徳山藩(現在の山口県周南市)出身の陸軍軍人、児玉源太郎が第4代総督に就任し、民政長官に後藤新平を任命した明治31(1898)年以降、台湾は目覚ましい発展を遂げた。後藤は8年8カ月の在任中、縦貫鉄道建設や、日本本土より先進的な上下水道整備、医療の近代化を手がけた。当時の台北は、東京よりもインフラ整備が進んでいたともいわれる。

 土木技師の八田與一(よいち)は、巨大な烏山頭ダムと、計1万6千キロと、地球半周分に近い灌漑(かんがい)用水路を建設した。不毛の「嘉南平野」を一大穀倉地帯に変えた。福岡藩出身の第7代総督の明石元二郎は、台湾電力を設立した。教育にも熱心で、日本人と台湾人の教育機会の均等化を図るなどし人気があった。

 そんな台湾総督府は昭和17(1942)年11月、「熱地農業技術員」の養成施設を5カ所に設立した。「日本についていけばアジアはよくなる」と信じた王氏は、迷わず志願した。

7344チバQ:2015/05/08(金) 21:46:22
                 × × ×

 熱地農業技術員の任務は海軍の南方進出に従軍し、現地住民に農業を教えて食料を生産し、軍部に食料を提供することだ。

 養成施設で学んだ後の18(1943)年7月、19歳の王氏は十数隻の輸送船団で台湾・高雄港をたった。

 出港から間もなく、台湾とフィリピンの間に位置するバシー海峡で、米軍の潜水艦に僚船2隻が撃沈された。王氏の船は辛くも逃げ切った。その後も、敵船を警戒しながら1カ月かけて、ニューブリテン島の北端にあるラバウルに到着した。日本にとって南方作戦の前線拠点だった。

 王氏は、海軍の補給部門である第8軍需部の傘下に入り、田ノ浦と呼ばれる海岸付近で食料生産を担った。20人以上の技術員を含めて、大勢の台湾人が駐屯していた。原住民は逃げてしまったので、技術員自らが農民となった。生い茂るアシ群を切り開き、畑を整備し、台湾から持込んだイモ、稲、野菜を栽培した。

 技術員の上司にあたる日本人指導員は6人いた。中には台湾人技術員を乱暴に扱う者もいた。

 技術員が食べるのは毎食1杯の野菜汁。空腹に耐えかね、ヤシの実や魚を取って食べようとした。その姿を日本人指導員に見つかると、「精神注入棒」という固い木棒で連続12回尻をたたかれた。

 「日本人指導員(上司)の大ばか野郎どもにいじめられた。今でも会ったらぶん殴ってやりたい。でも、自分たちをいじめるのは指導員だけで、軍人はよい人たちだった」という。

 戦局悪化に伴い、毎日昼と夜の2回、オーストラリアを出撃した敵機が襲来するようになった。防空壕(ごう)で寝泊まりするようになった。王氏も負傷し、今も尻に傷が残る。

 昭和20(1945)年8月15日。敗戦を告げる玉音放送を全員正座して聞いた。みんな泣いていた。理想と現実は違った。

 戦後、日本の敵国だった中華民国(中国国民党)が、台湾の新たな統治者となった。戦地から台湾に帰った“元日本人”には軍人軍属恩給も支給されなかった。寂しそうに言う。

 「日本の敗戦は私の敗戦と同じ。夢、破れました。おまけに、国民党に台湾を奪われてしまった。私は、台湾に残された日本人のみなしごだ」

                 × × ×

 王氏のように軍人軍属として戦地に赴き、日本国民として戦った台湾人は約20万人にのぼる。3万人余りが戦死し、このうち2万8千人が靖国神社に祀られている。

 陳添良氏(86)は、16歳で南方派遣軍に軍属として志願した。インドネシア・スマトラ島の陸軍第25軍の司令部で、幹部宿舎の管理・清掃などに従事した。

 昭和20年8月15日。食堂での夕食の際、上官に敗戦を告げられた。それでも陳氏は「日本が負けるわけがない」と信じなかった。食堂のあちこちから「信じられません」「最後の一兵まで戦います」との声が次々に上がり、陳氏も続いた。あの時はそれが本心だった。

 陳氏は現在、故郷の台北市最古の寺院、龍山寺近くで眼鏡店を経営する。取材の最後、こう語った。

 「戦争なんてやるべきではなかったが、日本がアジアのリーダーを目指したことは間違っていなかったと思う。現代でもアジア(の平和)に貢献できるリーダーは日本しかいない。でも、政治も外交も今はなんだか頼りない。もっと頑張ってください」

                   ◇

 福岡から台北まで空路で約2時間。九州とほぼ同じ大きさの台湾は、1895年から1945年までの半世紀、日本に統治されていた。さきの大戦が終わるまで、共に日本国民として生き、戦い、敗れた台湾の人々は「日本語世代」と呼ばれる。高齢化が進み、近年急速に減少している。

 戦後をどう生き抜き、平和国家としての歩みを進める現在の日本が、彼らの目にどう映っているのか。福岡市の民間団体「台湾研究会」の同行取材を利用して、それぞれの思いを聞く旅に出た。5回にわたって報告する。(田中一世)

7345チバQ:2015/05/08(金) 21:46:49
http://www.sankei.com/region/news/150503/rgn1505030053-n1.html
2015.5.3 07:08
【それぞれの70年 台湾から】
(2)「日本人教師の慈しみ今も胸に」
 ■〝強制〟は歴史の歪曲 動員の生徒前に嗚咽、内地と同じ教育

 昭和20(1945)年、日本統治下の台湾でも米軍爆撃機B29の空襲が激しさを増し、学生も次々に軍に動員された。

 「戦局は非常に厳しくなり、軍は諸君の意気と若さに期待するところ甚だ大である」

 同年4月、台湾南部の軍事都市、高雄の州立工業学校の校庭に、200人余りの生徒が集められた。台湾人と内地(日本本土)から来た日本人がおよそ半数ずつ。化学科3年で台湾人の楊應吟氏(88)=当時(18)=もいた。

 曇り空だった。内地から赴任した宮本清利校長の訓話が始まった。楊氏ら3年生は、日本軍の南進に備えた技術人材の育成を目的に開校した高雄工業の第1期生だ。そんな大切な教え子に向けた校長の声は、次第に震え始めた。

 「学業半ばの諸君を戦闘に送り出すのは不本意だけれども…。国のため、頑張ってください。そして風邪をひかないように…。身体を大事にしてください…」

 必死に抑えようとしたが、ついには嗚咽(おえつ)に変わった。慈父がわが子を思いやるような言葉に、楊氏は「本当の先生とは、宮本先生のような方のことだ」と胸が詰まる思いだった。

 楊氏はその日から陸軍二等兵になり、米軍の上陸に備えて高雄を警備する部隊に配属された。地面の穴に身を潜め、敵の戦車が近づいてきたら飛び出して爆雷を投じる。命懸けの任務だ。「自分たちが故郷を守らなければ他に誰が守るんだ」と奮い立った。

 軍隊生活中も、宮本校長の言葉が思い出された。後にわかったことだが、宮本校長は、軍部から「高雄工業からの志願兵が少ない」となじられたときも「技術奉公も国のためだ」とはね返したという。

 結局、米軍は台湾ではなく沖縄に上陸した。多くの学徒兵が沖縄で戦死した。

 戦うことなく生き延びた楊氏は、省立工学院(現・成功大学)を卒業し、工業研究所でコンクリートの非破壊検査などの技師として働いた。現在は台北市内で鍼灸(しんきゅう)院を営んでいる。

                × × ×

 日本統治下の台湾の学校では、台湾人は生徒の2割程度なのが一般的だった。しかし、高雄工業は宮本校長の強い意向で、栄えある1期生として日本人と台湾人を半数ずつ入学させた。

 教育内容も充実していた。内地から化学や国語(日本語)の優秀な研究者を招いた。宮本氏自身、東京工業大出身の優秀な研究者だった。

 専門教育だけでなく、日本国民としての素養も身に付けた。教育勅語(ちょくご)を暗唱した。父母の恩を忘れずに親孝行を実践し、兄弟と仲良くし、国を大切にしなさいという教えは、今でも素晴らしいと思っている。

 戦局悪化に伴い奉仕作業に駆り出される機会が増えたため、勉学に集中できたのは1年余りに過ぎなかった。それでも多くを学んだ。楊氏の印象に残っているのは、日本人教師は責任感が強く熱心に授業をしてくれたことだ。

 日本教育は、礼儀や勤勉、正直といった「日本精神」を教えてくれた。放課後の教室の掃除当番も全員でした。サボれば日本人でも台湾人でも関係なく、叱りつけられた。そこに、人種差別は感じなかった。みな同じ日本の国民だったし、楊は日本国民であることが誇らしかった。

7346チバQ:2015/05/08(金) 21:47:07
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 日本語世代の多くは「日本統治時代で一番良かったのは教育だ」と言う。

 日本が清国から台湾を割譲されたのは明治28(1895)年。その直後の台湾の児童就学率は1%未満だった。だが、昭和17(1942)年には7割を突破し、終戦直前は9割程度だったとされる。

 一方、オランダが統治したインドネシアの児童就学率は、わずか3%だった。住民は教育の機会を満足に与えられなかったのだ。日本の台湾統治は、欧米列強の植民地支配とは大きく異なった。

 国内7番目の帝国大学として台北帝大が開校したのは昭和3年のことだ。その4年前には、現在の韓国・ソウルに京城帝大も開校している。大阪や名古屋の帝大開校より早かった。

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 終戦後、中国国民党(中華民国)が台湾を統治すると、中国人教師は「日本はひどいことをした」「残虐だった」と強調した。楊は「嘘ばかり言っている」とあきれた。

 母校・高雄工業の結束は固く、交流は戦後も続いた。昭和61(1986)年、日本人と台湾人の元生徒、そして日本人教師が参加して旧交を温めた。その後も数年おきに高雄、沖縄、東京などで交流会を開き往時を懐かしんだ。

 植民地における日本教育は、日本国内でも「言語やアイデンティティーを押しつけた」と批判されるが、楊氏は「内地も台湾も同じ日本国なので同じ教育をやっていただけだと思う。よい教育を行い、台湾を一生懸命近代化させた。今の台湾があるのは日本のおかげだと大半の台湾人は感謝している」と言い切る。

 もちろん差別がまったくなかったわけではない。暴言を吐く教師も中にはいたし、高等教育機関への進学や企業内の昇進で日本人のほうが有利だったこともあろう。とはいえ「日本語世代は被害者だ」といった論調を見聞きするたび「そうではない」と不満を感じるという。

 同じく日本教育を受けた実業家の蔡焜燦(88)は、著書「台湾人と日本精神」で、母校の清水公学校(現・台中市)に在籍していた昭和10年当時、校内有線放送学習という、内地にもない先進的な授業科目があったと紹介する。童謡、神話、日本の歴史などが各教室のスピーカーに流され、耳を通して学習したのだという。そして蔡はこう記している。

 「(日本教育の)“強制”などという卑しい言葉は不適切であるばかりか、我々台湾人はそうした歴史の歪曲(わいきょく)に不快感を覚えることも知っておいていただきたい」(田中一世)

7347チバQ:2015/05/08(金) 21:47:32
http://www.sankei.com/region/news/150505/rgn1505050025-n1.html
2015.5.5 07:09
【それぞれの70年 台湾から】
(3)「目を覚まし、誇り取り戻して」
 ■“蛮行”でっちあげる日本人教授

 「内地(日本本土)から来た先生は優しくて素敵(すてき)だった。日本統治時代は、私にとって黄金時代だったのよ。本当によい時代に生まれて幸せでした」

 4月中旬、楊素秋さん(82)に、彼女が住む台北市内で話を聞いた。楊さんは、鍼灸(しんきゅう)師の兄、楊應吟氏とともに、日本教育を懐かしむ1人だ。日本統治時代に話していた美しい日本語を台湾に残そうと、勉強会などを開く「友愛グループ」の会員でもある。

 楊さんは昭和7(1932)年、南部の台南市で電気店を営む台湾人家庭に生まれた。父も日本統治下の生まれで、すっかり「日本人」になっていた。

 楊さんは、日本人と台湾人両方が在籍する小学校に通った。当時、台湾には小学校と公学校があった。日本人や、楊さんのように日本語を常用する台湾人は小学校に、普段台湾語を話す台湾人は公学校に通った。

 「先生こんにちは!」

 放課後、自宅にカバンを置くと、小谷霊明氏という教師の家に行くのが、楊さんの日課だった。3年生の途中から5年生のはじめまで担任だった小谷氏は、いつもお菓子を出してくれた。鳥取県出身で、当時20代と若かったが、三つ指をつく礼の仕方や、食事の作法も教えてくれた。

 「この子は本当に面白い声の持ち主だ。何万人に1人かもしれない」

 小谷氏は、地元のラジオ局に楊さんを連れて行き、子供向けラジオ劇の語り手をやらせてくれた。

 台湾だけでなく、内地でも流れる全国放送で、台湾を紹介したこともある。放送直前には、台南のデパート屋上で練習した。小谷氏は、お金を入れると動く木馬で遊ばせてくれ、あんみつもごちそうしてくれた。何より楽しい時間だった。

 3年生の冬、太平洋戦争が始まった。

 4年生の秋だっただろうか、何かと遊び相手になってくれた「竹田」という教生(教育実習の学生)が出征した。大好きな先生だった。児童みんなで台南駅で見送った。

 その後の学校の朝礼。君が代斉唱の後、学校長が「今日は悲しいお知らせがあります」と切り出した。竹田先生がサイパンで戦死したと報告した。楊さんはその場で号泣した。

                × × ×

 そんな時代は中学1年生だった昭和20(1945)年の敗戦で終わった。

 新たに台湾を統治したのは、日本の敵だった中国国民党だ。父に突然、「私たちは今日から中国人だ」と言われた。「なんで?」と問い返しても、父は目にうっすら涙を浮かべるだけだった。「戦争に負けたからだ」とは悔しくて言えなかったのだろう。

 翌年、国民党軍が大陸から進駐してきた。楊さんら近所の人々は駅に出迎えに行った。予定から8時間も遅れてきた兵隊を見て、群衆からため息が漏れた。

 ボロボロの服に素足で、肩に担いだてんびん棒に鍋釜をぶら下げ、道に痰(たん)を吐き捨てた。

 規律に厳しい日本軍とは正反対で、非常に不格好に見えた。「こんな兵隊さん、認めたくない」と暗澹(あんたん)たる気持ちになった。

 楊さんは高校卒業後、幼稚園や商社勤務、病気の子供の支援、通訳などの仕事を経験した。

 終戦から約30年後の42歳の時に、初めて日本本土を訪れ、かねて望んでいた靖国神社に参拝した。「竹田先生、そして日本の兵隊さんたち、ありがとうございました」と手を合わせた。

 楊さんは、靖国参拝が中国、韓国のみならず、日本国内でも批判的に見られることに、今でも納得がいかないという。

 「国を守るために家族と別れ、故郷を離れ、命をささげた人の霊になぜ『ありがとう』といえないのか」

 2度目の訪日時は、小谷氏の故郷、鳥取の水産会社で商談があった。

 水産会社の社長が手を尽くし小谷氏の自宅を探し当ててくれた。だが、連絡を取ると、前の月に亡くなっていた。亡くなったという“現実”を受け止めたくなかったため、墓参りには行かなかった。

7348チバQ:2015/05/08(金) 21:47:44
             × × ×

 10年ほど前、九州の大学教授だという男性が、楊さんにインタビューにやってきた。「日本統治時代はどうでしたか」と聞くこの教授に、楊さんは「素晴らしかった」と応じた。

 教授「そんなことはないでしょう。差別はあったはずだ。日本人教師に殴られなかったか」

 楊さん「まったくありません」

 教授「日本人は小学校に通うのに、台湾人の多くは公学校に入れられた。これは差別でしょう」

 楊さん「日本人か台湾人かではなく、日本語ができるかできないかで学校を分けたのです。それはおかしなことではないでしょう」

 教授「かわいそうに、あなたは洗脳されているんですね」

 この教授は植民地における日本の“蛮行”の証言が、是が非でも欲しかったのだろう。思い込みを押しつける態度に、楊さんは腹を立てて「あなたに教えられる学生がかわいそうよ」と言って席を立った。

 間もなく戦後70年を迎える日本をどう見ているのか。楊さんはこう語った。

 「戦前、台湾に来た日本人は、みんな誇り高かったのに、いつから誇りを失ってしまったの。もっとしっかりしてほしい。私は、日本人の本来の気性を信じています。必ず目を覚ます日が来るはずです」(田中一世)

7349チバQ:2015/05/08(金) 21:48:08
http://www.sankei.com/region/news/150506/rgn1505060049-n1.html
2015.5.6 07:06
【それぞれの70年 台湾から】
日本の言葉、獄中の支えに
 ■「自分の道を歩め」「尊い汗を流せ」…

 台湾北部の新北市新店区に、台湾戦後史の負の側面を伝える施設「景美人権文化園区」がある。戦後38年間続いた戒厳令時代、政治犯を収容した監獄(看守所)だった。

 「28歳から50歳までの22年2カ月もの間、4カ所の監獄を回され、投獄されていた。弁護士、医師、教師ら日本教育を受けたエリートが狙われたのですよ」

 ボランティアガイドの郭振純氏(89)はこう説明する。

 70年前、敗れた日本に代わり、新たな台湾統治者となったのは、戦勝国となった蒋介石率いる中国国民党(中華民国)だ。国民党政府は38年もの間、戒厳令を敷き、反共産党の旗印の下、共産党とは無関係の知識人や、台湾独立を企てていると見なされた者を逮捕した。いわれなき罪で獄につながれた多くの人々が、拷問の末に処刑された。いわゆる「白色テロ」だ。「100人間違って殺しても1人を逃すな、という恐怖の空気」(陳水扁前総統)が台湾社会を包んだ。

 郭氏は先の大戦中、日本陸軍歩兵部隊に所属していた。彼ら元日本軍人も「敵国人」と見なされた。自身の経験した白色テロ時代を語りながら、施設内を案内してくれた。

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 「守るも攻めるも黒鉄の、浮かべる城こそ頼みなる…」

 終戦から1年半後の1947年2月28日。台湾のラジオに突然、戦時中に聞き慣れた軍艦マーチが流れ、「台湾人よ、立ち上がれ」という号令が日本語で放送された。国民党政府に反発する若者らがラジオ局を占拠したのだ。

 「2・28事件」だった。戦後やってきた国民党に対し、台湾人の不満が爆発したのだ。

 国民党の統治下、戦前はほぼ皆無だった警官らによる汚職や賄賂要求が、台湾社会にはびこるようになった。郭氏の家業である食品雑貨店では、高圧的な態度で値切られるのはまだマシで、支払いをしない客も少なくなかった。戦前統治していた日本人は礼儀正しく、支払わない客がいれば、警察が逮捕した。

 日本人が去り、国民党軍が来ることになったとき、歓迎する台湾人も多かった。だが、期待とかけ離れた現実を目の当たりにし、失望へと変わった。

 国民党への抵抗運動は全土に急拡大した。郭氏は当時21歳で、故郷・台南市にいた。三八式歩兵銃や日本刀を手に、40人以上の群衆と台南飛行場に突入した。飛行場職員らはすでに逃げた後だった。

 難なく占拠に成功したメンバーには、元航空兵もいた。日本軍が残した航空機で東京へ飛び、GHQ最高司令官のダグラス・マッカーサーに「台湾も占領下に置いてほしい」と頼もうと計画していた。

 だが、機体は部品が取り外され、使い物にならなかった。

 間もなく中国大陸から国民党の大軍が送り込まれた。1カ月の間に推定1万8千〜2万8千人の台湾人が、銃撃戦や処刑などで殺された。郭氏は中国大陸に渡り、難を逃れた。

7350チバQ:2015/05/08(金) 21:48:18
             × × ×

 「白色テロ」時代、国民党は密告を奨励した。

 郭氏は1949年に台湾に帰ったが、4年後に逮捕された。先に逮捕された知人が、自身の刑を軽くしてもらうために「郭は独立運動をやろうとしている」と密告したのだった。

 取り調べでは、でっち上げの調書に署名するよう求められた。拒否すると、麻袋に入れられて水に落とされ、危うく命を落としかけた。砂糖水をかけた下半身にアリの大群をはわせられたのは非常に辛かった。

 それでも署名をするのは自尊心が許さなかった。1953年、強制労働を伴う無期懲役の判決を受けた。死刑は免れた。

 10畳程度の部屋にひどいときは20人が収容され、体を折り畳まないと寝そべることができなかった。

 出口の見えない監獄生活で正気を保てたのは日本語の読書と、母校・港公学校(台南市)の校訓だ。

 「自分の道を歩め」

 「尊い汗を流せ」

 「互に栄え共に生きよ(共存共栄)」

 教師に手をたたかれながら必死に覚えた言葉のおかげで心が折れなかった。1975年、蒋介石死去に伴う大赦で出獄した。こう振り返る。

 「日本人は台湾人を奴隷扱いするどころか、自分の道を歩めと教えてくれた。形としては植民地だが、立派な日本国民に育てようとした。欧米の植民地となって搾取されたアジア諸国に比べれば、僕たち台湾人は幸せだった」

 戦後、残酷な運命にさらされたため、日本統治時代がなおさら美しく見えるのかもしれない。

 その後、日本教育を受けた李登輝総統が誕生し、民主化を進めた。1996年には初の総統直接選挙もあった。台湾初の“政権交代”で総統に就任した民進党の陳水扁氏は、郭氏らの冤罪(えんざい)を証明する「回復名誉證書」を発行した。

 郭氏は3年前、ボランティアガイドを始めた。見学に訪れた若者にこう伝えている。

 「あの頃、台湾人の多くは黙り込んだ。人には、生命・財産を保障する人権があることを知らなかったか、人権を主張する勇気と知恵がなかったからだ。勇気と知恵があれば明るい社会になる」

 台湾では昨年3月、中国とのサービス貿易協定に反対する学生らが台北市の立法院(国会に相当)を占拠する「ヒマワリ学生運動」が起きた。親中政策を進める国民党・馬英九政権が昨年末の統一地方選で大敗する結果につながった。

 「若い人が勇気を持っていることの表れだと思う。台湾の未来にとって、とても大きな一歩だ」。郭氏はほほえんだ。(田中一世)

7351チバQ:2015/05/08(金) 21:48:46
http://www.sankei.com/region/news/150508/rgn1505080055-n1.html
2015.5.8 07:09
【それぞれの70年 台湾から】
(5)若い世代「次は私たちの番だ」
 「(安全保障の面で)台湾は日本の生命線、日本も台湾の生命線です。そして台湾は世界一の親日で、東日本大震災で最も多くの義援金を送りました。でも日本人はその気持ちを分かってくれません。私はよく言うんですよ。台湾は片思いばかりしていると」

 4月中旬、台湾北部の町・淡水。台湾の李登輝・元総統(92)は、福岡市からの訪問団と故郷の事務所で面会し、こう語った。訪問団は元航空幕僚長の田母神俊雄氏が団長を務め、福岡県郷友連盟メンバーらが参加し、記者もこれに同行した。

 李氏は、1988年から2000年までの総統在任中、総統直接選挙を断行するなど国民党独裁から民主化を進めた。「民主化の父」とたたえられる。

 日本で最も有名な「日本語世代」の台湾人でもある。台湾の学校で日本教育を受けた後は、内地(日本本土)の京都帝国大学農学部で学び、陸軍に志願入隊した。兄は海軍志願兵としてフィリピンで戦死し、靖国神社に祀られている。

 親日家として知られる李氏は、国民党が進めた反日的な歴史教育を改めた。

 日本からの訪問団がよほどうれしかったのか、冗舌に語り続けたが、その間、日本に対し何度も不満を漏らした。

 平成23年3月11日、東日本大震災の発生から1時間もたたないうちに、台湾側は救援隊を派遣する意思を伝えた。しかし、「台湾は自国領土の一部」との立場をとる中国に配慮したのか、日本の外務省は「受け入れ準備が整っていない」などと応じた。当時は民主党政権である。結局、被災地入りできたのは震災発生から4日後。人命救助の可否の境界線といわれる「72時間」は過ぎていた。

 李氏が総統在任中の1999年9月の台湾大地震の際には、日本からいち早く救援隊が駆けつけた。李氏は、3億円の寄付を届けた日本財団の曽野綾子会長に「日本で何かあったら台湾の救助隊が真っ先に駆けつけます」と約束していた。それだけに「約束を果たせなかった…」と、この一件をしきりに残念がった。

                 × × ×

 70年前、敗戦によって日本国民だった台湾人は突然、「今日から中国人だ」と、国籍の変更を強いられた。

 27年後の昭和47(1972)年9月には、田中角栄首相が北京を訪問、中華人民共和国(中国)と国交を結び、中華民国(台湾)と断交した。

 日本政府はその際、「台湾は中国の領土の一部」という中国の主張を「理解し、尊重する」と表明した。李氏は著書「新・台湾の主張」で、「受け入れることはできない。台湾国民に対しては『理解もしなければ、尊重もしない』ことを意味しているからである」と記す。

 その後も日本政府は中国側に急速に傾倒する。その態度は、李氏ら日本国民として育てられた世代のみならず、親日的な台湾人を「日本に見捨てられた」と落胆させた。

 平成13(2001)年春、心臓病治療のため訪日を計画した李氏へのビザ発給を、日中関係への配慮から、当時の河野洋平外相や外務省の担当局長が拒否した。最終的に森喜朗首相が反対を押し切って発給させたものの、3週間にわたり問題は混迷した。

 河野氏には、こんなこともあった。1994(平成6)年、タイ・バンコクでのASEAN外相会議に向かう途中、搭乗機が台風に遭い台北に緊急着陸した。彼は機内に5時間とどまった。台湾当局に礼も言わず、バンコクに到着するや、中国の外相に「一歩も外に出なかった」とアピールした-。こう台湾で報じられた。

 台湾とは正式な国交がなく、日本政府は中国に配慮するばかり。それでも台湾は「片思い」を続けてきた。

 東日本大震災では、人口2300万人に過ぎない台湾から世界最高規模の200億円以上の義援金が寄せられた。高齢の日本語世代だけでなく、若い世代の個人寄付も目立った。

 にも関わらず、民主党政権は震災1周年の追悼式典で、台湾の代表者を2階席に座らせ、名前が読み上げられる「指名献花」をさせない愚挙に出た。

 民主党だけではない。田中派の流れをくむ自民党旧経世会を中心に、「親中」「媚中」派とされる議員の言動も数知れない。

7352チバQ:2015/05/08(金) 21:48:56
 ◆安倍首相「台湾は大切な友人」

 だが、平成24(2012)年末に安倍晋三政権が誕生すると変化の兆しが見られた。震災2周年の追悼式典からは、台湾も指命献花の対象とした。中国は反発して代表を出席させず、安倍首相はフェイスブックで「大変残念だが、私たちはこれからも礼儀正しくありたい」「台湾は大切な日本の友人」とつづった。

                 × × ×

 2014年2月、台湾で映画「KANO」が封切りとなった。

 日本統治下の昭和6年、高校野球の甲子園大会に台湾代表として出場した嘉義農林(嘉農)が、内地の学校を破って準優勝を果たした実話を基にしたストーリーだ。漢族系台湾人、先住系台湾人、日本人の混成チームが、日本人監督の指導の下で1つになって夢を追いかけ、快進撃を果たし、台湾全土が熱狂した。

 「中国寄り」といわれる現地メディアは、公開前から「植民地支配を美化するな」と批判を展開した。だが、上映されると、観客動員数で昨年1位の大ヒットとなった。

 「台湾の若い世代は、アニメやゲームを通して日本のことが好きだった。しかしKANOを見て過去の歴史にも関心を持ち、深く知ろうとしている」

 台湾北部・宜蘭出身で、現在は福岡市に住む林紀全氏(31)はこう指摘する。

 林氏の母親は日本統治下に生まれ、日本教育も受けた。その母の影響で日本に関心を持ち、3年前に早稲田大学大学院に留学。卒業後は日台の交流イベントの運営に携わり、4月、台湾文化を日本などアジアに発信するウェブサイトを友人らとつくった。林氏はこう語る。

 「地味な活動だが、自分ができることをやり続けるしかない。次は私たちの番ですから」 =おわり (田中一世)

7353チバQ:2015/05/08(金) 21:57:48
2014年に台湾で2本の映画がヒットしました。
「KANO」と「大稻埕」という映画
KANOは産経も持ち上げるような、日本人はいい人的な描き方。
大稻埕はまさにその真逆。

台湾はもちろん 韓国や中国、そして東南アジア諸国も単純な感情では
ないはずなんだけどなあ・・・サンケーさんの手にかかるとなんで
こう安易になってしまうのか・・・>>7325のきじも・・・

映画のストーリーとかは↓ (個人のブログですが)
http://ameblo.jp/pourquoi/entry-11790319377.html

7354チバQ:2015/05/08(金) 23:19:37
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/150220/mcb1502200500008-n1.htm
【飛び立つミャンマー】ヤンゴンの都市開発中断、再調査 (1/3ページ)
2015.2.20 05:00
■政府、総選挙控え公正性を確保

 最大都市ヤンゴンの中心部で進む大規模都市開発プロジェクトのうち、5つの開発事業にミャンマー政府から待ったがかかった。建設される高層ビルなどが、隣接する寺院「シュエダゴンパゴダ(パヤー)」の眺望を妨げる可能性があるとして、建設計画の再確認をする間、工事中断を命じられたという。背景にはヤンゴン都市開発をめぐるさまざまな事情がありそうだ。

 ◆シュエダゴンに隣接

 中断しているプロジェクトのうち、最も注目されているのが「ダゴンシティ1」だ。他のプロジェクトよりも規模が大きく、国際的なデベロッパーのマルガ(シンガポール)とミャンマーの地元企業が合弁で開発を進めている。

 シュエダゴンパゴダに隣接する22エーカー(約8.9ヘクタール)の土地に高級マンションや、五つ星のホテル、ショッピングセンターなどを建設する。事業費は3億ドル(約356億円)とされる。マルガのホームページによると、すでに高級マンションの第1期販売分はすべて予約済みで、まもなく第2期分の予約が始まるとしている。

 中断は建設される8階建ての建物の高さが、当局に提出した計画を上回っているのではないかという疑惑のためだ。

 ダゴンシティ1プロジェクトをめぐっては、当初から地元住民の反対が強かった。というのもシュエダゴンパゴダに最も近いうえ、外国企業が参加していることもあって、建設開始当初からテレビCMを含め派手な宣伝を行うだけでなく、予約開始前から、大きな気球を上げ、それがパゴダと一緒に遠くからも見えることもあり、常に注目を集めてきた。

 ヤンゴン市の開発計画ではとくにシュエダゴンパゴダについて、市内の離れたところからでも見ることができるよう、ゾーンを設け、高さ制限を行っている。今回の建設が中断された各プロジェクトについても、こうした計画に基づいて、建設が承認されているはずだ。

 しかし、実際にはこうした規制が守られていないのではという疑念が市民の間から噴出。このため、中央政府が対応に乗り出し、開発許可を出したヤンゴン市が統括するヤンゴン市開発委員会(YCDC)と政府機関であるミャンマー投資委員会(MIC)に対し、再調査を指示した。

 MICのアウン・ナイン・ウー事務局長は、現地紙に対し、「上層部、おそらく大統領府だと思うが、プロジェクト全体について、歴史的建造物に対してどの程度の影響があるのかを調べるよう指示があった」と説明したうえで、調査が終わり次第、建設は再開されるだろうと語った。

 同局長はまた、別のメディアに対し「(MICとしては)YCDCからプロジェクトについての推薦があったので、承認した」と説明しており、YCDCとMICの間の連携に問題があったことを示唆している。

 ◆関係者に旧軍政首脳

 民政移管後、ヤンゴン市の開発をめぐっては、YCDCからの依頼を受けて日本の国際協力機構(JICA)が住民の意向調査や基礎測量などを行い、さらにヤンゴン市内の建物を細かく調査したうえで、ヤンゴン市再開発プランを提案している。住民の希望を取り入れ、景観を維持するために、どこに建物や駅、陸橋などの構造物をつくるべきかも定めた。

 ただ、プランはそのまま全部が採用されるわけではなく、実施にあたっては、YCDCに加えて、ミャンマー政府の意向も反映される。

 開発会社の思惑もある。ダゴンシティの建設地はヤンゴン中心部の一等地だ。もともと国軍の土地で、このため旧軍政の最高首脳の関係者が、この開発に関わっているとされる。開発側も苦労してプロジェクトの実現にこぎ着けたのは、想像に難くない。それだけに年末の総選挙を控え、できるだけ早く投資を回収し、もうけたいと思ったとしても無理はない。

 一方、ミャンマー政府にすれば、総選挙で政権交代もしくは野党との連立政権になった場合を想定し、後から不正取引などといわれることのないよう神経をとがらせている。ダゴン開発をめぐる問題は、経済的にも政治的にも、大きな転換期を前にしたミャンマーの今を象徴しているようだ。(編集委員 宮野弘之)

7355チバQ:2015/05/08(金) 23:20:41
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/141226/mcb1412260500003-n1.htm
【飛び立つミャンマー】ホテル規制緩和で観光業振興 31の外資系施設を認可 (1/3ページ)
2014.12.26 05:00
 民政移管と経済開放で、外国からの投資家や観光客が急増した結果、ミャンマーは慢性的なホテル不足に悩まされてきたが、そうした状況がようやく解消されそうだ。ミャンマーのホテル・観光省はこのほど、新たに31の外資系ホテルのオープンを認めた。さらに地方でのB&B(簡易宿泊施設)開設も進める方針だという。ただ、ミャンマー政府の中には、外国人との接触が急増することを警戒する声もあり、B&Bについては当面は地方に限定したい考えだ。

 ◆地方都市にB&B

 地元紙のイレブン(電子版)によると、同省が認めた外資系ホテルの内訳は、ヤンゴンに20軒(3047室)、マンダレーに4軒(660室)、古都バガンに1軒(127室)。このほか、最南部でタイ国境のコートーンに2軒(252室)、リゾートとして名高いメイク(メルギー)に1軒(41室)。さらに東部シャン州のタチレクに3軒(291室)となっている。タチレクはミャンマー、タイ、ラオスにまたがり、アヘン交易で栄えた「黄金の三角地帯」に近く、いまもタイとの国境貿易が盛んな場所で、いずれも外国人観光客が多い地域だ。

 同省によると、現在、正式な営業許可を取得しているホテルはヤンゴン地域で279、マンダレー地域329、シャン州200に上るという。

 ただ、こうしたホテルのオープンも、増え続ける観光客には対応しきれないため、同省は新たにB&Bの認可を進める方針という。

 民政移管後、地方都市とくに少数民族地域への観光客が急増したが、それに対応するだけの施設がない。このため、これまで外国人を泊める場合は10室以上の客室を備える必要があるとしていた規制を緩和し、9室以下でも認めることとした。

 ミャンマーは2013年に発表した政策「観光業における社会参画(CIT)方針」で、観光を主要産業に位置付け、観光がもたらす利益を地域に還元する方針を表明。それまで厳しかったホテルライセンスの発行を緩和したことで、ヤンゴンなどで一般市民が小規模ホテルの経営に乗り出すようになった。

 さらに、少数民族が住む地方でも外国人観光客が増えたことで、こうした地域にも宿泊施設を整備する必要性が高まった。ただ、こうした小規模の村々では、ホテルは大きすぎることから、同省としてもB&Bの普及を図ることにした。

 ◆民族文化保護が名目

 もっとも、B&Bについて政府側は、ホテル建設が難しい少数民族居住地域などの地方にとどめたい考え。さらに認可についても政府がライセンスを発行することで、ホテル同様に管理をしたいようだ。

 同省幹部は今月初め、B&Bをこうした地方に普及させることで、観光収入と雇用機会を増やすことができると説明。同時に「地元の人々が外国人と一緒に滞在することで、カルチャーショックを受けないだけでなく、B&Bがわれわれの文化に衝撃を与えないようにしなければならない」と述べ、政府が管理する必要性を強調した。

 こうした規制が果たしてどこまで有効かは微妙だ。かつて軍政下のミャンマーでは一般人が外国人を自宅に泊めることは禁じられた。ミャンマー人の親類、友人を泊めるにも地元の役所の許可が必要だった。現在は、外国人の場合でも届け出だけで済むようになった。

 B&Bの場合、客室とオーナーや従業員の住居は別とされているが、外国人の滞在に関する規制が緩和されたことで、ヤンゴンでもホームステイの形で滞在できる場所も増えている。今後はヤンゴンなど都市部でも、こうした小規模宿泊施設がさらに増えそうだ。

 すでにミャンマーでは輸入中古車は値段が下がり、ビジネスにならなくなった。ホテルビジネスもまもなく潮時がくるのは確実だ。(編集委員 宮野弘之)

                  ◇

【用語解説】B&B

 Bed and Breakfastの略で、文字通り、ベッド(宿泊室)と朝食のみを提供する簡易サービスの小規模宿泊施設。一般的に民家などを転用して開業し、低料金で客を引き寄せる。英米を中心に広まり、都市部に立地する施設も多く、節約志向の長期滞在旅行者などに人気がある。

7356チバQ:2015/05/08(金) 23:21:43
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/150306/mcb1503060500002-n1.htm
【飛び立つミャンマー】店頭から消えた輸入酒 (1/3ページ)
2015.3.6 05:00
 ■9割が密輸品 政府、排除へ圧力

 ミャンマーの小売店から、外国産のウイスキーやワインなどのアルコール飲料が一斉に姿を消した。現地紙ミャンマー・タイムズによると、ミャンマー政府が外国産品の9割が違法に輸入されたものとして、小売店に販売をやめるよう“圧力”をかけたためだという。

 ◆抜き打ち調査で露呈

 これまで政府が調査したところでは、国内で出回っている輸入酒の90%が密輸品だった。正規品は免税店やホテルで売るために輸入された分だけで全体の10%に過ぎなかった。もともと、ミャンマーでは、外国製の酒やたばこなどの輸入は原則禁止され、正規品は外国人が泊まるホテルや空港の免税ショップで販売するために輸入されているだけだった。その一部が一般の小売店に横流しされていた。

 しかし、横流しされた酒でも正規品は少ないという。以前、ヤンゴン市内の小売店でスコッチウイスキーを買ったが、偽物だった。本物そっくりのラベルが貼られていたが、味は全く違う。そもそも値段が安い。日本のディスカウントショップより、安く売られているものさえある。

 だから、知人のミャンマー人は、パーティーなどに輸入酒を持って行くときには、必ずヤンゴン国際空港まで行き、税金を払ってワインやウイスキーを買って来る。

 このように多くのミャンマー人は輸入酒の嘘を知っていたが、実態が明らかになったのは2013年にミャンマー商業省や税制諮問委員会が小売店協会とともに、抜き打ち調査を行ったのがきっかけだ。

 ミャンマー・タイムズに商業省の幹部が語ったところでは、輸入品として流通している酒の7割は偽物という。

 偽物は国内でも製造されている。ホテルのレストランなどから正規品の空になったボトルを集めて中身を入れ、中国やタイから輸入したラベルやシールなどを使って偽装したうえで販売していたという。中身もスコッチの場合は、同じ銘柄のボトルでも、入っている本物のスコッチの割合によって値段が違うとか。半分どころか3分の1も本物が入っていればいいほうだ。

 実態が明らかになったことを受けて、政府と小売店協会では2年間かけて、正規品の輸入・販売を行うための方策を協議してきた。しかし、政府側が輸入再開に向けた具体策を示さなかったため、小売店協会が2月21日から輸入品の販売を停止するよう、各小売店に通知した。

◆合弁義務付け

 ミャンマー・タイムズによると、密輸品の実態調査自体が、ミャンマーの有力な酒造会社からの要請で行われたものという。そのためか会議では、小売店協会側が東南アジア諸国連合(ASEAN)各国の制度を参考に、酒類の正規輸入拡大に向けた法整備を提案したが、政府側は密輸品対策に終始し、輸入を拡大する意志はみられなかったという。

 ミャンマーの外国投資法では、ビールやウイスキーや焼酎などの蒸留酒を含むアルコール飲料の製造・販売はミャンマーの地元企業との合弁が義務付けられている。輸入を抑えることで国内企業を保護する狙いがあるのは明らかだ。ビールなどを製造・販売する大手企業は、ミャンマービール、ダゴンビール、マンダレービールの3社があり、いずれも政府もしくは軍関連企業の資本が入っている。

 こうした指摘に対し、ミャンマー政府は、アルコール類を国内製造に限定することで、より適正な課税が可能になるためと説明している。

 ミャンマーには敬虔(けいけん)な仏教徒が多く、特に年配の人は勧めてもあまり酒を飲まなかったが、最近は経済開放もあって、若い人を中心にビールに限らず、ウイスキーやワインなどを飲む人が多く、外国産の人気は高い。このため、政府も外国ブランドの参入を認め、タイ・ビバレッジやデンマークのカールスバーグなどにライセンスを与えた。ただ、いずれも国内企業との合弁にとどまっている。

 ミャンマーではビールのほか、地方に行けば良質なワインや焼酎に似たおいしいスピリッツも多い。輸入品もいいが、こうした地元の良質な酒類が広く出回るようになることを期待したい。(編集委員 宮野弘之)

7357チバQ:2015/05/08(金) 23:23:07
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/150327/mcb1503270500005-n1.htm
【飛び立つミャンマー】観光振興の目玉 世界遺産巡り (1/2ページ)
2015.3.27 05:00
□アジア母子福祉協会常務理事・寺井融

 ミャンマー経済発展のカギの一つが観光振興だ。アジア母子福祉協会常務理事で旅行作家の寺井融氏は今月初め、新たに世界遺産に登録された「ピュー王朝の古代都市群」を回った。寺井氏の寄稿を紹介する。

 ◆地方にも日本食堂

 2014年6月、ミャンマー中部の「ピュー王朝の古代都市群」が世界遺産に登録された。有力な観光資源でありながら世界遺産を巡る日本からのツアーは今のところ見当たらない。そこで先日、仲間数人と世界遺産巡りをしてきた。

 1日目。最大都市ヤンゴンから北へ320キロのピイに、ワゴン車で向かう。並木や田んぼの農村風景が続き、心が和む。2年前のピイ旅行では、道路脇で用を済ませた。現在は、そこここにできたガソンリンスタンドのトイレを借りることができる。ただ、コーヒースタンドまでは併設されておらず、お茶は道路沿いの食堂となる。

 そんな食堂の一つ、ピイ近郊の「大阪」で、緬(めん)を食べた。汁そばではなく、日本の油そばみたい。さっぱり味でお代わりを所望した。店名は、店主が1970年の大阪万博に行ったときに料理のヒントを得たからだそうな。

 ピイは古都である。人口20万を擁する中核都市だ。郊外にある世界遺産、シュリー・クシェトラ(タイエーキッタヤー)遺跡のボーボージーパゴダに行く。親指を突き立てたような太い円筒形。レンガづくりの仏塔で、金箔(きんぱく)は貼られていない。

 ピイで、ぜひ夕方に訪れてほしいのはシュエナゴンパゴダである。「黄金の魂の山」の意味で、こちらは金箔の伽藍(がらん)だ。イラワジの大河を眺めながらの日没は気を引き締めてくれる。大仏もすぐ隣に立っていた。

 夕食はイラワジ河沿いの「横浜」に。日本人が経営する日本食レストランである。経営者の上村正幸さんは、奥様を亡くされてから、この地で開業を思い立ったという。現地の食材を使っているが味は日本風。箸が進んだ。上村さんはレストラン経営の傍ら日本語学校を始め、地元の子に日本語を教えているとのこと。ピイに泊まる。

 2日目。北に3時間ほど走ってベイタノー遺跡を訪れた。2世紀あたりの城郭跡と、出土品を納めた博物館があり、入館するためにパスポートの提示を求められる。銀製の稠密(ちゅうみつ)な細工を施された貨幣など見どころは多い。また3時間ほど走る。この日は05年にできた新首都ネピドーに泊まる。

 ◆壮大な軍事博物館

 3日目。森のなかに建物が点在する新首都での一番のお薦めは軍事博物館だ。神殿のように壮大であり、展示物も豊富。旧日本軍南機関の鈴木啓司機関長の写真も飾られている。ミャンマー独立に日本が果たした役割も学べる。

 歴史を感じた後、また北へ。高速道路を4時間、第2の都市マンダレーに着いた。中国の影響が強い同市だけに中華料理で夕食を済ませ、就寝。

 4日目。マンダレーから北に3時間、ハリン遺跡に着いた。ここは2〜3世紀の城郭遺跡がある。生活用品などが出土した跡も見ることができた。近くに湯温32度の温泉がある。奥様方が洗濯とおしゃべり。子供らは水遊びに興じていた。足湯を楽しむ。「入浴施設があったらいいな」「日本人は来るけれど」などと話し合った。温泉はラショー、インレーに続き3湯目だ。

 帰途、サガインヒルに立ち寄り、旧日本軍兵士の慰霊碑に線香を手向けた。この日もマンダレーのホテル泊。シャワーのみの部屋が多いせいか、日本人はほとんどみかけない。

 5日目。マンダレーヒル麓のクドードォパゴダの「世界最大の経典」と言われる仏教経文碑を見学した。

 見終えて飛行機でヤンゴンへ戻った。ただ、観光立国というものの、旅行中、博物館ほかでパスポートの提示を求めるなど不慣れな様子が見られた。インフラの整備だけでなく、サービスの改善が求められる。

7358チバQ:2015/05/08(金) 23:24:07
http://www.sankeibiz.jp/macro/news/150417/mcb1504170500002-n1.htm
【飛び立つミャンマー】大統領資格条項が最大の焦点 (1/3ページ)
2015.4.17 05:00
■憲法改正 与野党6者協議始まる

 今秋に予定されている総選挙を前に、憲法改正を含む諸問題を話し合う与野党の6者協議が10日、ネピドーで始まった。協議にはテイン・セイン大統領、トゥラ・シュエ・マン下院議長、最大野党の党首アウン・サン・スー・チー氏、ミン・アウン・フライン国軍司令官らが出席した。次回会合は4月下旬から5月初めにも開く予定だ。

 現地情報によると、今回の会合では出席者が憲法改正と自由で公正な選挙の実施、選挙後も政治・社会の安定を目指すことなどで一致した。憲法のどの部分を見直すなど、詳細については次回以降の会合で協議することで合意した。

 ◆英国籍の息子が鍵

 憲法改正の最大の焦点とされるのは、正副大統領の資格を定めた59条だ。同条では本人や配偶者だけでなく、親や子供、その配偶者も外国勢力や外国の影響下にあってはならない-として、外国籍の親族を持つものは正副大統領にはなれないとしている。

 スー・チー氏は、亡くなった配偶者が英国人で、息子2人も英国籍であることから、彼女を大統領にさせないためのものだと主張。同条項の撤廃を求めている。また、全議席の25%の軍人枠を定めた条項の改正も要求している。

 ただ、政府・与党側は過去にスー・チー氏に対し、憲法の同条項を改正する代わりに息子2人に英国籍を捨ててミャンマー国籍を取らせることを提案している。

 これに対し、スー・チー氏は、昨年、ラジオ・フリー・アジア(RFA)のインタビューで答えたように「彼らにミャンマー国籍を取るよう強制するのはおかしい」として、政府・与党の提案を受け入れる考えがないとしている。

 インタビューでスー・チー氏は「息子であれ娘であれ、21歳を超えれば、親は彼らに代わって法的な決定を行うことはできない。彼らは大人であり彼ら自身の意志で決める権利がある」と語っている。さらに「もし憲法を改正するなら、なぜ息子たちが国籍を変える必要があるのか。これでは憲法を改正する意味がない」と話した。

 スー・チー氏の発言はもっともだが、半面、この発言で感じたのは、もし本当に大統領になってミャンマーを引っ張っていくつもりなら、自分の子供ぐらい説得できなくてどうするんだというのが率直なところだ。

 ミャンマーでも「彼女の息子は父親以外はすべてビルマ人。まして祖父は建国の英雄のアウン・サン将軍であり、申請すれば、息子たちがミャンマー国籍を取ることはできるはずだ」(現地ジャーナリスト)として、国籍変更に期待する意見は少なくなかった。

 ◆選挙ボイコット示唆

 しかし、スー・チー氏の考えは変わっていないようだ。英BBC放送のインタビューでも、憲法改正が行われ、公平公正な選挙の実施が保証されない場合、選挙をボイコットする可能性に言及し、あくまで憲法改正を要求。現政権は民主化に積極的ではないとして、国際社会の支援を求めた。

 スー・チー氏を支持する勢力は、59条が彼女を大統領にさせないために導入されたと主張する。だが、閣僚や軍の高級幹部なども外国籍の親戚を持つものは多い。このため実力者のミン・スエ・ヤンゴン地域首相は、娘婿がオーストラリア国籍のために副大統領になり損ねている。なにもスー・チー氏だけが対象ではないのだ。

 憲法改正はあくまでミャンマーの国内問題だ。スー・チー氏も現憲法に基づいて国会議員になったのだから、改正作業も憲法を踏まえて行うしかない。

 6者協議で、ミン・アウン・フライン司令官は「軍としては憲法改正よりも社会の安定が優先だ」と発言した。

 スー・チー氏も政府や軍を批判するばかりでなく、息子たちを説得する努力をしてみたらどうだろうか。自らできることをせず、外国からの圧力に頼って物事を解決しようという姿勢を続ける限り、彼女に対するミャンマー国内の保守派の不信感は一向に解消されないだろう。(編集委員 宮野弘之)

7359チバQ:2015/05/08(金) 23:25:58
http://www.sankeibiz.jp/compliance/news/150508/cpd1505080500003-n1.htm
【飛び立つミャンマー】根本敬・上智大学教授の「ビルマ考現学」(4) (1/3ページ)
2015.5.8 05:00
 ■「親日説」を検証する

 ミャンマー人は「親日家」だといわれる。それは本当だろうか。戦後の日本が平和国家を築き、目覚ましい経済発展を実現させたことから、ミャンマー国民の対日イメージはけっして悪くない。しかし、戦時中、日本軍は英領植民地だったこの国を3年半にわたって占領し、その間に中途半端な「独立」しか認めず、最後は組織的な抗日闘争と直面した。この事実をミャンマー人は学校教育で「独立の父」アウン・サン将軍の偉業と結び付けて教えられている。

 ◆つらい過去は忘れる

 幸い、独立後のミャンマーは日本占領期を歴史的過去として認識し、現実の対日関係と結び付けることなく国民に教育してきたため、戦後の日本人はミャンマー人の敵意にさらされることはなかった。国民の9割を占める上座仏教徒が「つらかった過去は忘れる」という宗教的姿勢を持って生きてきたことも、日本人への憎しみを生みにくくさせた。

 だが、ミャンマー人の心には「平和国家」「経済大国」という良い日本のイメージとともに、「かつての占領者」というマイナスのイメージも併存していることを忘れてはならない。

 ミャンマーへ遺骨収集に行った日本の元軍人の多くは、苦しい戦場で自分たちを助けてくれたミャンマー人へ感謝の気持ちを抱いていた。恩返しの気持ちからミャンマー人留学生に奨学金を出す人もいた。戦記や回想録にもミャンマー人の戦時中のやさしさに触れたものが少なくない。

 しかし、ミャンマー人が戦時中の日本軍将兵に同情的だったという見方は、バランス感覚を持って受け止めたほうがよい。というのは、彼らが戦時中、英人に対しても同様にやさしかったという指摘が英側の公式記録に残されているからだ。

 日本軍がミャンマーを占領中の1943年11月、英領ビルマ総督ドーマン=スミスがまとめた「ビルマ作戦報告書」の中に、その記述が登場する。ここでいう「ビルマ作戦」とは、英軍が日本軍に敗北を喫した初期のビルマ防衛戦のことを指す。わずか半年の間にビルマを占領され、英軍と英人行政官らは家族とともに険しい山々を必死に乗り越え、西隣の英領インドへ避難した。

 その際、多くの英人はビルマでの反英運動の強さを知っていたため、彼らから「仕返し」をされるのではないかと恐れた。しかし、避難後に総督が実施した調査によると、誰一人そのような目に遭った英人はおらず、逆にさまざまに助けてもらったエピソードがたくさん集まり、総督を驚かせている。そのため「ビルマ人は英人を嫌っておらず、われわれの帰還を待ち望んでいる」と結論づけたほどである。

 ◆英国にも親近感

 こうなると、ミャンマー人は戦時中、日本人にも英人にも親切だったということになる。共通点はそのような「語り」が、いずれも日英それぞれの敗戦状況下で生まれていることにある。このことからわかるように、ミャンマー人は「困っている外国人」には誰でもやさしく接する特徴があるといえよう。

 しかし同時に、英国と日本がミャンマーから遠く離れた国であるという地理的条件にも留意すべきである。戦後の地理的距離の遠さが、独立後のミャンマーと日英との関係を友好的なものに変容させる一要因として機能したといえるからだ。

 距離の遠さから、英国や日本が再びミャンマーに来て危害を加える可能性を国民は感じにくくなり、両国への敵意や憎しみを和らげていったと考えられる。このことは、ミャンマーと国境を接する中国、インド、タイとの関係が、独立後一貫して微妙であることを考えるとわかりやすい。地理的にあまりに近い他国との間では、日常的な接触が多い分、大小の反発が国民の間で生まれやすいのだ。

 私たちはミャンマー人「親日説」をそのまま信じるのではなく、ここに記したような歴史的・宗教的・地理的要因を複合的に受け止めながら、地道に良好な関係を築くよう努めるのがよいだろう。

7360とはずがたり:2015/05/09(土) 01:42:02
何でもかんでも韓国発祥にしないと気が済まないみたいだけど韓国人は狂ってないか?これフォーカスアジアの報道の仕方が偏ってるの?
ちゃんと王桜に誇り持ってソメイヨシノと区別してちゃんと王桜を大事にしようぜ〜。
ソメイヨシノも靖国も嫌いな俺だけど韓国人の精神衛生がちと心配である。実際はまともな人も多いけど矢鱈と日本で云う所のネトウヨみたいなのが目立ってるだけだと思いたいんだけど。。

ソメイヨシノの起源論争に終止符!韓国・済州島が“唯一の起源”・・韓国ネットは「学会で証明された」「日本は自分たちのものと言い張っているが…」
http://www.excite.co.jp/News/chn_soc/20150327/Xinhua_13192.html
フォーカス・アジア 2015年3月27日 21時26分 (2015年4月1日 12時02分 更新)

サクラの開花とともに、韓国では今年も「ソメイヨシノ韓国起源説」がメディアを賑わせはじめた。

韓国・漢拏日報はこのほど、済州島でソメイヨシノの自生木100本が発見され、「日本との起源論争に終止符が打たれた」と報じた。
記事は「毎年3〜4月に通りを華やかに彩るソメイヨシノは、日本と長い間起源論争が続いてきた」とし、伊豆大島自生説や雑種説、伊豆半島発生説、そして済州島自生説の4説があると紹介する。
済州島自生説は「複数の研究者の調査をもとに提起されたが、個体数が少ないために否定されてしまった」ものの、その後の研究によって韓国国立山林科学院が「ソメイヨシノが韓国の在来種であり、済州島原産であることを確信するに至った」という。
同科学院の暖帯亜熱帯森林研究所によると、済州島の漢拏山に自生するソメイヨシノは今までに100本余り発見されている。実際の自生木はこれよりはるかに多いと推定され、樹齢も若木から200年以上まで多様。海抜450〜850メートルの天然林に均等に分布し、葉や花、種子などの変化の幅が大きいという。
植物分類学者のムン・ミョンオク博士は、植物の原産地を確定するためには「自然な状態で育っていることが基本的な必要条件」と指摘。個体数の多さや、周辺に近縁種が存在していることなどと合わせ「ソメイヨシノは済州島が起源であることが確実だ」と断言。暖帯亜熱帯森林研究所長で“ソメイヨシノ研究の世界的権威”とされるキム・チャンス博士は、「済州島が唯一のソメイヨシノの原産地であり、交雑種と呼ばれる根拠もない」と主張している。
一方で、日本については「ソメイヨシノは1901年に日本人の松村(任三)博士が発表して学名が与えられた。しかし、当時から植栽された木をもとに発表されており、自生地がない問題が提起されていた。現在も日本には確認されたソメイヨシノの自生地がないことが知られている」と紹介。日本で有力な「園芸家による人工的な品種改良説」には全く触れないまま日本起源説を否定している。…

7361とはずがたり:2015/05/09(土) 22:10:08

クーデター未遂とかが起きて完全に習氏が優位に立つと云う状況なら有りそうな気もする。。

習氏にクーデター危機 反腐敗運動に不満の「上海閥」残党が反撃か
http://www.iza.ne.jp/kiji/world/news/150428/wor15042820250026-n1.html?obtp_src=www.iza.ne.jp
2015.4.28 20:25

 中国の習近平国家主席が腐敗官僚の一掃を狙って推し進める「反腐敗運動」で、また新たな大物が葬り去られた。中国当局が、胡錦濤前指導部で軍制服組の最高位を務めた郭伯雄・前中央軍事委員会副主席(72)の身柄を拘束していたことが明らかになった。郭氏と同じく前政権で軍事委副主席を務めた徐才厚氏も昨夏に失脚している。だが、粛清をエスカレートさせる習政権への反発も軍部内で強まっており、軍事クーデターの危険がささやかれている。

 共産党筋によれば、北京市内で軟禁状態にあった郭氏は今月9日、「反腐敗運動」を取り仕切る党中央規律検査委員会によって実質の身柄拘束となる「双規」を通告された。郭氏には、制服組トップの軍事委副主席に在任中、部下から多額の賄賂を受け取った疑いがあるといい、中国当局が汚職の疑いで取り調べを始めているとみられる。

 郭氏をめぐっては、先月2日に中国国防省が、郭氏の息子、郭正鋼・浙江省軍区副政治委員(少将)を収賄容疑で立件するなど、周辺に捜査の手が伸びていた。

 同じ時期に軍事委副主席を務め、今年3月に死亡した徐才厚氏も昨年6月に収賄容疑で党籍を剥奪され、失脚している。

 拓殖大学海外事情研究所教授の富坂聰氏は、「郭氏の失脚によって、習政権に対抗しうる有力な勢力は事実上なくなった。2月末に軍部の会計監査の徹底調査を始めた。昨年末には7大軍区の訓練の査察もスタートさせ、綱紀粛正にも乗り出している。今後さらに軍部への圧力を強めていくことになるだろう」と指摘する。

習政権は、軍高官の汚職の取り締まりのみならず、「ぜいたく禁止令」を発令するなどして、下士官への締め付けも厳しくしている。強権をふるう習政権に対して、軍部の不満は高まっており、軍事クーデターの芽が育ちつつある。

 加えて習政権にとって脅威となりそうなのが、「反腐敗運動」の主要ターゲットに据えられている「上海閥」の残党からの反撃だ。

 「月刊中国」の発行人である鳴霞(めいか)氏は、「郭伯雄氏も徐才厚氏も、江沢民元国家主席と近い『上海閥』のメンバーとされる。彼らの息がかかった者が軍内にはまだたくさん残っており、生き残りのために蜂起する可能性は十分ある」と指摘する。

 中国国内のみならず、国外にも不穏な動きが出ているという。

 「米国で、元北京軍区対外作戦秘書長を指導者とした、習政権の打倒を目指す人民解放軍の退役軍人連盟が組織された。彼らは、中国の民主化を求めて海外に散らばった退役軍人のほか、中国国内の現役軍人ともつながっていて、軍事蜂起を呼びかけている。彼らが、『上海閥』の残党と結託し、大規模な軍事クーデターを仕掛ける事態もあり得る」(鳴霞氏)

 習政権が進める軍の覇権奪取が、新たな波乱の幕開けとなるのか。

7362チバQ:2015/05/10(日) 09:20:36
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150509-00050123-yom-int

ネパール大地震2週間…支援届かず被災者に不満
読売新聞 5月9日(土)21時35分配信

ネパール大地震2週間…支援届かず被災者に不満
読売新聞
 【カトマンズ=石田浩之】ネパール中部で発生した大地震は9日で発生から2週間が経過した。同国政府などによると、周辺国を含めた死者は9日現在、8000人を超え、倒壊家屋も50万棟以上となっている。

 首都カトマンズ近郊の町では9日、がれきの中から使えそうなものを探す被災者らの姿が見られた=写真、石田浩之撮影=。被災した山間部や地方の村には政府などの支援がいまだに届いていない状況が続いている模様だ。約3000人の犠牲者を出したカトマンズ北方地域の住民からは、「政府からはまだ一切支援を受け取っていない」と不満の声が上がっている。

 外国からの救助チームは徐々に帰国し始めるなど、焦点は、生存者の捜索活動から被災者の生活支援へと移っている。

7363とはずがたり:2015/05/10(日) 11:59:57
2015.5.7 05:30更新
【北朝鮮情勢】
金正恩氏が特別指示 「敵の人権攻勢に逆攻勢を仕掛けよ!」 脱北者を狙い撃ち 経歴“詐称”糾弾を「快挙だ」と称賛
http://www.sankei.com/world/news/150507/wor1505070008-n1.html

 北朝鮮の人権侵害を追及する国際社会に対抗するため、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記名で同国幹部らに「人権問題で逆攻勢を仕掛けよ」という特別指示が出ていたことが5日、複数の消息筋の話で分かった。著名脱北者の経歴詐称を糾弾するキャンペーンを展開して訂正に追い込むと、金第1書記が「非凡な戦略で形勢を逆転させた」と喧伝(けんでん)。北朝鮮は国連でも日米韓の人権状況の一方的非難を繰り返し、対決姿勢を鮮明にしている。(桜井紀雄)

 「敵の人権攻勢に対し、脱北者の宣伝が嘘で、米韓日が反人権国家だと逆攻勢を仕掛けよ」

 中朝関係者らによると、海外工作を担う秘密警察、国家安全保衛部幹部らに昨年後半、金第1書記名のこんな「特別指示」が出されたという。人権蹂躙(じゅうりん)で金第1書記の刑事責任を問う動きに対抗したものとみられる。

 昨秋以降、北朝鮮の外相らが国連で「人権問題の悪用に反対する」との主張を展開。先月末の国連の討論会では、外交官が脱北者の証言に割り込み、「米国こそ人種差別で人権侵害している」とまくし立てた。

 北朝鮮が狙い撃ちしたのは、収容所で生まれたとされる脱北者の申東赫(シン・ドンヒョク)氏(32)だ。インターネット上や国連で「証言は嘘だ」と強調するキャンペーンを進め、申氏は1月、経歴の一部を訂正した。人権問題の象徴的存在だっただけに、北朝鮮の人権問題に取り組む非政府組織(NGO)の一部にも「脱北者の証言は信用できない」との見方が出た。

 これに対し、金第1書記は「快挙だ」とたたえ、政権内では「金第1書記は戦略の天才だ」と流布されたという。

 国際社会で同調者を増やすため、北朝鮮視察の便宜を図るなどし、NGO関係者を積極的に取り込むようにも指示されているという。

 一方で、人権侵害の一つとされるロシアの森林伐採現場などへの労働者派遣をめぐり、過酷な環境を取材にきた外国人に対し「撮影機材を奪うといった実力行使も辞すな」と現場に命じ、現場映像が公開された場合、責任者を処罰すると通達されているともいう。

 【用語解説】申東赫氏の経歴訂正問題

 申東赫氏は、完全統制区域の政治犯収容所から2005年に唯一脱出したとして国連などで証言。著書は、日本語を含め世界中で翻訳された。北朝鮮は、父親とされる人物に会見させるなどし、「証言は嘘だ」と主張。申氏は脱出当時、別の収容所にいたことなど一部誤りを認めた。北朝鮮は、申氏の証言も反映した国連の報告書や人権非難決議は「無効」だと主張している。

7364とはずがたり:2015/05/10(日) 14:24:49
習氏の姉、自粛要請後も不動産株取得か…米紙
http://www.yomiuri.co.jp/world/20150501-OYT1T50006.html
2015年05月01日 11時15分

 【北京=比嘉清太】米紙ニューヨーク・タイムズ(電子版)は4月28日、中国の習近平(シージンピン)国家主席の姉である斉橋橋氏が経営していた投資会社が中国の不動産開発大手「大連万達集団」の株式を大量に保有していたと伝えた。

 斉氏の会社は2009年、同集団による非公開の株式売却に応じ、2860万ドル(約34億円)分を購入。習氏が国家主席に就任し、党幹部らに対する大規模な腐敗摘発を始めた13年に、斉氏のビジネスパートナーに売却した。評価額は2億4000万ドル(約285億円)まで値上がりしていたが、譲渡額は不明という。

 習氏一家に近い関係者によると、斉氏と習氏の弟の習遠平氏は、習氏が17年にわたって勤務した福建省を中心に開発投資などを手がけていた。習近平氏が最高指導部入りし、胡錦濤(フージンタオ)前国家主席の後継になる見通しとなった07年、親族に一切の経済活動を自粛するよう求めたという。報道が事実なら、斉氏は自粛要請後も経済活動を続けていたことになる。
2015年05月01日 11時15分

7365とはずがたり:2015/05/10(日) 15:46:26
中国製造業の衰退・・・「重大な危機に直面」=中国メディア
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1060165061/693
サーチナ 5月10日(日)6時33分配信

2015.1.12 11:00
中国「EV普及策」に人民そっぽ トヨタ「HV」排除がアダの“自業自得”
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/2246/1060165061/694

7366とはずがたり:2015/05/10(日) 15:53:01
北朝鮮が短距離ミサイル3発…日本海上に着弾か
2015年05月09日 20時13分
http://www.yomiuri.co.jp/world/20150509-OYT1T50107.html?from=ycont_navr_os

 【ソウル=吉田敏行】韓国軍合同参謀本部によると、北朝鮮軍は9日午後4時25分から約1時間、東部・元山付近の海上から北東方向に、3発の短距離ミサイルを発射した。射程約100キロの対艦ミサイル「KN―01」で、日本海上に着弾したとみられる。

7367名無しさん:2015/05/10(日) 16:13:58
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150507-00000038-jij-kr
慰安婦資料、世界遺産へ国際委=韓国
時事通信 5月7日(木)11時27分配信

 【ソウル時事】7日付の韓国紙・ソウル新聞は、旧日本軍の従軍慰安婦関連資料を国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産に登録するため、韓国などが国際連帯推進委員会を21日に結成すると伝えた。元慰安婦がいる中国、北朝鮮、オランダ、台湾、フィリピンと共同で登録実現に向けた作業を行う。

7368名無しさん:2015/05/10(日) 16:14:29
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150506-00000503-san-kr
北朝鮮情勢 金正恩氏が特別指示「敵の人権攻勢に逆攻勢を仕掛けよ!」
産経新聞 5月7日(木)8時0分配信

 北朝鮮の人権侵害を追及する国際社会に対抗するため、金正恩(キム・ジョンウン)第1書記名で同国幹部らに「人権問題で逆攻勢を仕掛けよ」という特別指示が出ていたことが5日、複数の消息筋の話で分かった。著名脱北者の経歴詐称を糾弾するキャンペーンを展開して訂正に追い込むと、金第1書記が「非凡な戦略で形勢を逆転させた」と喧伝(けんでん)。北朝鮮は国連でも日米韓の人権状況の一方的非難を繰り返し、対決姿勢を鮮明にしている。(桜井紀雄)

 「敵の人権攻勢に対し、脱北者の宣伝が嘘で、米韓日が反人権国家だと逆攻勢を仕掛けよ」

 中朝関係者らによると、海外工作を担う秘密警察、国家安全保衛部幹部らに昨年後半、金第1書記名のこんな「特別指示」が出されたという。人権蹂躙(じゅうりん)で金第1書記の刑事責任を問う動きに対抗したものとみられる。

 昨秋以降、北朝鮮の外相らが国連で「人権問題の悪用に反対する」との主張を展開。先月末の国連の討論会では、外交官が脱北者の証言に割り込み、「米国こそ人種差別で人権侵害している」とまくし立てた。

 北朝鮮が狙い撃ちしたのは、収容所で生まれたとされる脱北者の申東赫(シン・ドンヒョク)氏(32)だ。インターネット上や国連で「証言は嘘だ」と強調するキャンペーンを進め、申氏は1月、経歴の一部を訂正した。人権問題の象徴的存在だっただけに、北朝鮮の人権問題に取り組む非政府組織(NGO)の一部にも「脱北者の証言は信用できない」との見方が出た。

 これに対し、金第1書記は「快挙だ」とたたえ、政権内では「金第1書記は戦略の天才だ」と流布されたという。

 国際社会で同調者を増やすため、北朝鮮視察の便宜を図るなどし、NGO関係者を積極的に取り込むようにも指示されているという。

 一方で、人権侵害の一つとされるロシアの森林伐採現場などへの労働者派遣をめぐり、過酷な環境を取材にきた外国人に対し「撮影機材を奪うといった実力行使も辞すな」と現場に命じ、現場映像が公開された場合、責任者を処罰すると通達されているともいう。

 【用語解説】申東赫氏の経歴訂正問題

 申東赫氏は、完全統制区域の政治犯収容所から2005年に唯一脱出したとして国連などで証言。著書は、日本語を含め世界中で翻訳された。北朝鮮は、父親とされる人物に会見させるなどし、「証言は嘘だ」と主張。申氏は脱出当時、別の収容所にいたことなど一部誤りを認めた。北朝鮮は、申氏の証言も反映した国連の報告書や人権非難決議は「無効」だと主張している。


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