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国際関係・安全保障論

1■とはずがたり:2003/01/22(水) 12:15
経済畑出身の私の鬼門,外交・安全保障を考える。
適宜,憲法談義・世界経済等もこちらで。

4353とはずがたり:2017/04/11(火) 14:54:24
2017.04.10
国際・外交南スーダン
ゼロからわかる南スーダン「国づくり大失敗」の真相
たった75人で4000億円の汚職…
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51377
栗本 英世大阪大学大学院教授
社会人類学、アフリカ民族誌学プロフィール

南スーダンで何が起きているのか? そもそもなぜ未曾有の人道危機となったのか? 大反響となった論考「日本では議論されない『絶望的な現状』」「政治問題を民族問題に変換した『悪魔の選択』」につづき、民族・政治・歴史的背景から南スーダン問題を読み解く――。
夢と希望が託された独立

2011年7月9日に独立した南スーダン共和国は、世界でいちばん新しい国家である。独立後数日以内に、この国は、国連の193番目の、アフリカ連合の54番目の加盟国として承認された。

首都ジュバで執行された独立記念式典は、祝祭の雰囲気にあふれていた。それは、スーダンの国旗が降ろされ、新しい南スーダンの国旗が高く掲げられたときに最高潮に達した。

祝祭は、同年1月に実施された、南部スーダンの運命を決定する住民投票のときにすでに始まっていた。私は、日本政府が国際平和協力法に基づいて派遣した監視団の一員として、投票の過程をつぶさに観察する機会に恵まれた。

投票所で、人びとは歌い、踊っていた。この大事業は、きわめて整然と遂行された。晴れ着を身にまとった人びとは、文句ひとつ言わず、数時間も投票の列に並んでいた。

どれも、南スーダンに関する「常識」を裏切るものだった。南スーダン人は、この大規模な全国的事業を組織的に遂行する能力があることを示したのである。そして、圧倒的多数が、スーダンからの分離独立に投票したのだった。

〔PHOTO〕gettyimages
独立記念式典におけるサルヴァ・キール大統領の演説は、格調高いものだった。

「私たちを誹謗中傷する者たちは、独立宣言の前に、すでに判断を下している。私たちは対話によって問題を解決する能力がないから、新しい旗が掲げられるやいなや、内戦に突入するだろうと。

彼らは、私たちはすぐに暴力に訴える、私たちの民主主義と自由の概念は不完全であると主張している。これらはすべて誤りであることを証明することは、私たちの責務である」

「私たちだけが、数世代後、歴史の本に私たちのヴィジョンがいかに書かれるのかを決定できる。私たちは難問のしもべとなってしまうのだろうか、それとも国民として立ち上がり、自らの将来を決定するようになるのだろうか。

私たちは、祖先や殉難者たちが払った犠牲にふさわしい物語を書くだろうと、私は信じている。もし私たちがひとつになれば、南スーダンの物語は世界を感銘させるだろう」

最悪の物語――早すぎる国家の破綻

今振り返ると、独立時における大統領の演説は、皮肉としか言いようがない。南スーダンは、まさに「誹謗中傷する者たち」の予想どおりの状態になり、彼ら自身が紡いできた物語は、恥辱と暴力にまみれたものになった。

現在の南スーダンは、失敗国家や破綻国家の典型である。正確に言えば、国家と国民の建設作業にとりかかったとたんに、失敗したのだった。

4354とはずがたり:2017/04/11(火) 14:54:36

しかも、政府、議会、司法制度が機能不全に陥っているというだけでなく、国民同士が殺し合い、多数が難民・国内避難民になり、全国民の半数近くが直接的な生命の危機にさらされているという、最悪の状況にある。

第2次内戦が終結した2005年の時点で、南部スーダンは、内戦で疲弊した状態から立ち上がり、国家建設を進めるうえで有利な立場にあった。

包括和平合意(CPA)に基づいて、南部スーダン政府が樹立され、解放戦争を戦ったスーダン解放運動(SPLM)が実権を握り、スーダン人民解放軍(SPLA)はそのまま政府軍となった。国連と国際社会による大規模な支援が約束されていた。

さらに、南部スーダン政府には、自前の財源があった。スーダン全体の石油収入の半分が、南部スーダン政府の歳入となったからである。これは、年間1千数百億円から二千億円に達した。

独立した南スーダンの政府は、6年間続いた南部スーダン政府のシステムをほぼそのまま引き継いだ。したがって、独立後の政府を考察するには、CPAの移行期から考えなければならない。

なぜ、国家建設と国民建設は失敗したのか。

南部スーダン政府は何を失敗したのか

CPA移行期に、南部スーダン政府の要職に就いたのは、SPLAの元ゲリラたちであった。行政能力のない人たちがトップを占めたことが、失敗の第一の要因である。

しかし、これは解放戦争をへて、ゲリラが政権を奪取した国では、どこでもある問題である。より重要なのは、「金(かね)」の問題だ。

2005年から、当初はSPLMの事務所、南部スーダン政府が樹立されてからは、財務省や大統領府には、段ボール箱に入った数億円から数十億円単位の現金があふれていた。銀行制度が確立していなかったので、スーダン政府から送金される石油収入は、米ドルの現金でハルツームから運ばれたのであった。

会計制度のみならず、政府のシステムが確立していない状況で、省庁の責任者が大金を手にするとなにがおこるのは、ほとんど自明である。

さらに、SPLM/SPLAの主要メンバーたちのあいだには、20年以上にわたって解放戦争を戦った自分たちは、もともと南部スーダンのものである石油の収入が「自分たちのもの」であり、分け前にあずかるのは当然という意識があった。

政府予算の不正使用の実態があきらかになったのは、独立後だ。会計検査院が、2011年に国会に提出した詳細な報告書は、事情に通じているはずの国会議員たちにも衝撃を与えた。

南部スーダン政府の最初の年度予算のうち、使途不明金は10億ドルに達した。単位は円ではなく、米ドルである。車両の購入のために支出された1億2000万ドルについては、購入された証拠がなかった。15の政府機関で、公務員給与の総額8割にあたる4億4000万ドルは、だれに支払われたか不明であった。

会計検査院は、続編の報告書を翌年に提出した。独立までの6年間、状況は改善されなかったので、移行期の使途不明金の総額は、日本円では数千億円になる。

会計検査院が不正経理の実態を調査し公表したことは、政府がちゃんと機能していることの、数少ない証拠である。

検査院長は、移行期にスーダン国民統一政府の日本大使を務めたスティーヴン・ウォンドゥである。SPLM/SPLAが信頼を失っていくなかで、彼の良心的で勇気のある活動は特筆に値する。

4355とはずがたり:2017/04/11(火) 14:54:47

しかし、政府と議会は、会計検査院の報告に基づき、事実を解明し、責任者を処罰する能力を欠いていた。

政府予算の不正使用は、大臣や将軍が自分の懐に入れるほかは、契約を結んだ関連会社に支払うというのが常套手段である。こうした会社は、実態のないペーパーカンパニーであり、契約した事業を実施することはない。支払われた金は、大臣や将軍、およびその取り巻きたちに還流したのだった。

復興と開発の基礎となるべき道路、学校、病院などのインフラ整備の事業は、予算があったにもかかわらず、実施されないままで、現金はどこかに消えてしまったのである。

ジュバには、政府やSPLAのお偉方たちの邸宅が軒を連ねる高級住宅地が出現した。敷地内には、最新型のトヨタ、ランドクルーザーが数台駐車されているのが、おきまりの光景だ。

彼らの月給は2000米ドル程度なので、公的な収入で、こうした豪邸が建設できるはずはない。彼らは、ケニアやウガンダにも家屋敷を所有し、家族はそこに住まわせている。

お偉方の住居に関するもうひとつのパターンは、自分は高級ホテルに住み、自宅を国際機関に貸すというものである。ジュバは住宅難なので、家賃は高く、毎月100万円以上の収入になる。ホテルの請求書は、すべて政府が支払ってくれる。

高級住宅地や、ホテル、レストラン、スーパーマーケットの出現など、2005年以降のジュバは急速に発展した。

しかし、政府予算によって、新しい学校や病院が建設されることはなかった。大規模な会議が開催できる会議場もないし、ジュバ国際空港のターミナルも、内戦中の粗末な建物のままである。

こうしてジュバの復興と発展は、きわめていびつな形で進展した。ジュバ市内でも、水道や電気の供給がない、草ぶき土壁の小屋に住んでいる人は多い。貧富の格差はすさまじい。

首都を離れると、地方の人びとの暮らしは、30年前とほとんど変わらない。

携帯電話の普及くらいが、目に見える変化だろうか。ここでも、大物政治家が、電話会社におおきな利権を有しているという噂がある。教育や医療の面で、発展の証を見出すことは難しい。証があるとしたら、それは国際NGOの成果であり、政府の手によるものではない。

〔PHOTO〕gettyimages
想像を絶する汚職腐敗

独立後の2012年6月、キール大統領が75名の政府と軍の高官に「お願いの手紙」を送ったことがリークされた。その内容は、国庫から盗んだ合計40億ドルを返してほしい、返してくれたら罪は問わないということだった。

政府はのちに、この事実を認めた。ただし、75名の氏名は公表されていない。また、不正に取得された金が、国庫に戻されたという報告もない。

1人あたりの平均は、約60億円だ。4000億円を超える汚職の総額は、ふつうの国では考えられない、天文学的数字である。

汚職腐敗の、もうひとつの重要な側面は、「幽霊公務員」である。雇用されていることになっている警官、兵士、教員などのなかには、実際には存在しない者がいる。その人たちの給料は、だれかの懐に入っているのだ。

2013年8月、政府は全警官5万2000名のうち1万1000名が存在しない、1万6000名については調査を継続中という調査結果を発表した。2013年12月に内戦が勃発した時点で、SPLAの総兵力は公式には23万人だった。実数は17万人だと言われている。つまり、6万人が「幽霊」だったことになる。

4356とはずがたり:2017/04/11(火) 14:55:14
>>4353-4356
警官や兵士の月給を4万円とすると、1万人の「幽霊」の給与総額は年間で48億円になる。

キール大統領は、繰り返し汚職腐敗の根絶を表明している。しかし、現在に至るまで改善の兆しはない。司法制度が弱体であるため、裁判にかけられて有罪となった大臣や将軍はいない。

南スーダンという新国家は、国の指導者たちが私腹を肥やすための手段になった。指導者たちは、寄ってたかって、文字通り国家を食い潰してしまったのである。

膨らむ軍事費といびつな軍隊

23万人という総兵力は(実数が17万人だったとしても)、南スーダン程度の国の規模からすると並はずれて巨大である。隣国のケニアやウガンダは、2万人から4万人程度にすぎない。内戦が終結した時点で、SPLAの兵力は4、5万人だった。

なぜ数倍に膨れ上がったのだろうか。これには二つの理由がある。

第2次スーダン内戦が終結したとき、南部スーダンにはSPLA以外に数十の軍隊が存在した。新政府は、内戦中スーダン政府の支援を受けてSPLAと戦っていたこれらの軍隊を、政府の内側に取りこむ必要があった。それは、和解と平和構築にとって必須の過程であったが、その結果、SPLAは肥大化することになった。

さまざまな軍隊は、将兵をつなぎとめるために、実態よりも高い階級を与えていた。SPLAに統合されたとき、降級は行われず、元の階級のままであった。それに見合うかたちで、SPLA将兵も昇級させた。そのため、SPLAは、将軍数百名、大佐は2000名を擁するような軍隊になった。

ふつうの国軍なら、大隊長や連隊長を務めるべき大佐が、SPLAでは小隊長に相当する。多くの高級軍人は、英語の読み書きは言うにおよばず、話すことすらできなかった。

もうひとつの理由は、スーダン政府との関係である。

CPAの移行期から独立後を通じて、南スーダンの平和と安定に対する最大の脅威は、スーダンであった。

スーダン政府軍が、国境を越えて侵攻する可能性と、第2次内戦中にスーダン政府が支援していた軍隊を教唆してSPLAと戦わせ、南スーダンを不安定化する恐れがあった。

無理してさまざまな軍隊をSPLAに取り込むことには、国防の観点から、合理的な理由があったのである。キール大統領が国民統合のためにとった方法は、潜在的な敵に、ポストと金を与えることであった。これは同時に、汚職腐敗の構造の一部でもあったのである。

スーダン政府の軍事的脅威に対抗するため、SPLAは軍備の増強につとめ、戦車や攻撃用ヘリコプターなどの兵器の購入を続けた。多数の兵士の給与も含め、軍事費は毎年歳出の8割程度を占めている。教育や医療に割り当てられる予算の割合は、きわめて低い。

こうして南スーダンは高度に軍事的な国家になった。しかし、この軍事国家は強固とはいえなかった。国軍としての統合度の低い、寄せ集めのSPLAは、2013年12月に内戦が勃発すると、またたくまに分裂することになったのであった。

(つづく)


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