レス数が1スレッドの最大レス数(1000件)を超えています。残念ながら投稿することができません。
歴史掲示板
-
古代史掲示板を新設しました
古代史掲示板を新設しました。画像・動画等の投稿も可能です。古代史関連の投稿をお待ちしています。
-
Re: 三韓諸国の位置推定
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010647M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=HJjoxKE_bEw
-
とりあえず、三韓征伐時の古代朝鮮の図について
長文だと、NGワードがあるということで投稿できないかもしれません。投稿を分割します。
とりあえず、ネット上で見つけた、三韓征伐時の古代朝鮮の図があるWebサイトをリンクします。
任那(みまな)日本府(検索サイト2017~2019)より
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkousin242.sakura.ne.jp%2Fwordpress018%2F%3Fpage_id%3D3921
「任那」(日本大百科全書(ニッポニカ)の解説)より
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
( /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fu0u1.net%2FwmRI
-
三韓征伐
私は三韓征伐について学校などで教わった記憶がありません。世界史には比較的詳しいはずなのですが。ウィキペディアで確認しただけですが、かなり史実に近い神話だと思います。管理人さんが提示するあの半島図は、新羅・百済が成立する前のものに見えます。
三韓征伐時には、新羅と百済が成立しているようですから、新羅・百済の成立や実態を考える上では役に立っても、三韓征伐のあり方について調べるのには不適切ではないでしょうか?と思って、任那が掲載されている図を探したのですが、見つかったものがどこまで信用できるのか分かりません。
管理人さんの図を見て思ったのは、古代日本について中国人があてた地名と同じ漢字を使った地名が多く見られ、それらは対馬沖の対岸から広がっているように見えることです。もともと南朝鮮には倭人のテリトリーが広がっていたが、三韓征伐の時点では海辺まで縮小していて、そこがヤマト軍の侵攻の出発点となったのではないでしょうか。倭人はヤマトに吸収されていたので、倭人のテリトリーは、大和の支配下だったはずです。
対馬の対岸の海辺から周囲の国々を制圧し、その後西の新羅に侵攻して、国境付近の村々を制圧した、ということのようです。神武東征時には、同様のことが九州側で起きた可能性があります。ヤマト勢力を日本列島に引き入れたのは倭人の一部でしょう。
-
命の木の実
管理人さんの「非時香菓(ときじくのかくのみ)」の8竿8縵(やほこやかげ)がメノラー型のレガリアと関係があるのではないかという説は、ヒクソス・ユダヤ理論からは鋭い見解です。西方では、メノラーは「命の木」のイメージで捉えられることがあるようですが、それは新羅でも同じだったと思われます。
ウィキペディア「ハヌッキーヤー」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
( /toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fu0u1.net%2FS8Ay
国立慶州博物館の名品:天馬塚の金製王冠(KOREA.net)
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fjapanese.korea.net%2FNewsFocus%2FHistory%2Fview%3FarticleId%3D137337
すると、永遠の命を与える「命の木の実」は、メノラーまたは8枝のハヌッキーヤーになっているとイメージされたのは自然なことです。私の考えでは、アメノヒボコが渡した8つの神宝の中に、そういうものが含まれている可能性があると思います。
日本に来た新羅集団の長が、天皇に「エデンの園に行って、永遠の木の実を取って来い」と命じられたのだと思います。その人はそれが出来なかったので、集団の立場を守るためもあって殉死した事件があったのだとも考えられます。その人の神話上の名前が「タジマモリ」(但馬の領主)になったのは、外国から来たその地域の集団は天皇に忠義心がある、ということを示してあげるための政治的な配慮からではないでしょうか。
-
三韓諸国の位置推定2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010651M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010651_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010651_3M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/
-
歴史捏造 韓国すごい
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010652M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=mbbSJ4q8G6c
-
いかがでしょうか?
私的に ↓ 似ていると思いますが いかがでしょうか?
国立慶州博物館の名品:天馬塚の金製王冠 と ドゴン族
ドゴン族 被り物の画像 と 新羅 被り物の画像
-
カラ
どこかで聞いたことのある説を元に考える。
高霊・コウレイ→コウライ(高麗)、カラ(加羅)
高霊原 タカタマハラ→タカアマハラ
高い所にある霊・・・天神?
こういうのは、こじつけかもしれないので、参考程度ですね。
-
Re: 鬼の岩屋と、温羅遺跡と、鬼の釜を結ぶ三角形について
https://8023.teacup.com/shimoeda/bbs
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html
-
武寧王と継体王朝
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010656M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/武寧王陵
-
馬韓諸国の位置推定
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010657M.png
https://map.konest.com/
-
古代極東を単純に考えることはできない。
>さら西方に軍を進めて、比利(ひり) 辟中(へちゅう) 布弥支(ほむき) 半古(はんこ)の四つの邑を降伏させた記事がある。
そうですね。最初に制圧した地域から西は、新羅方面ではなくて、その逆ですね。勘違いしていました。
私の感覚だと、やはり昔からの噂どおり、ヤマト勢力ともっとも関係がありそうなのは百済である。ヤマトはもともと百済と同じ集団だった。それが分かれて、一方は日本列島に入りヤマトとなり、半島に残ったほうが百済になった。
百済には、中国や西域からの文化や技術を持った人々の流入があり、独自の文化を持つようになった。ヤマトは、倭人勢力を吸収したことで、基礎体力が爆発的に増加した。土木工事や軍事に強く、文化は旧来の伝統が維持されやすかった。縄文勢力は吸収合併されなかったため、ヤマトとの交戦がつづくことになった。
ヤマトの出自としてはやはり夫余が怪しい、と思って夫余を調べたが、どうも高句麗や新羅との類縁性はあってもヤマトとは違う感じがする。ユダヤ本隊(非秦氏)との関係は強くても、ヒクソス(ヤマト)との関係は薄いと思う。
ウィキペディア「夫余」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25A4%25AB%25E4%25BD%2599
ヤマト勢力は実に不思議な集団である。どう考えても倭人とか江南文化の系統とは違うのに、西方・北方アジアに移動経路を辿ろうとしても見つからない。その一方で、文化的な実態は強く持っている。それに比べると、ユダヤ集団(本隊と秦氏の2系統)のほうは、分かりやすいと思う。
遊牧民の国家というのは、色々な勢力が離合集散を繰り返しながら成立してきた。「ヒクソス」という言葉も、一つの民族を表す言葉ではない。いくつもある異なる諸グループの中の一グループが優勢となって、それが国家の代表になったところで、他のグループが消えたわけではない場合もある。
だから、ある勢力・文化が長期間歴史的上に現れないからといっても、それが消えてしまったとは限らないし、また歴史上に新たな形をまとって現れないとは限らないのである。私にとって、ヤマトとはそのようなものの代表例なのである。
「古代装飾模様 九州の装飾古墳」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.netpia.jp%2Fhistory%2Findex.htm
-
『唐会要』倭国・日本国伝(天智天皇の朝貢)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010659M.jpg
古代韓国は 天智天皇が領主になる、其の辺りが、整理できていませんな、みなさん、大丈夫ですか。
天智天皇は(六五四年) の意訳、は初めて見るだろう、万葉集にも同文がある・
天智天皇は(六五四年) 永徽五年十二月に唐の高宗に朝貢している。文章は以下、
永徽五年十二月。遣使獻琥珀瑪瑙。琥珀大如斗。瑪瑙大如五升器。高宗降書慰撫之。仍云。王國與新羅接近。新羅素為高麗百濟所侵。若有危急。王宜遣兵救之。倭國東海嶼中野人。有耶古。波耶。多尼三國。皆附庸於倭。北限大海。西北接百濟。正北抵新羅。南與越州相接。頗有絲綿。出瑪瑙。有黄白二色。其琥珀好者。云海中湧出。
意訳、永徽五年(654年)十二月。遣(つか、)い使わし、獻(たてまつ、)る、琥珀、瑪瑙。琥珀大如斗。瑪瑙大如五升器。高宗は降書で慰(なぐさ、)める、労(いた、)わる。此れ随い云う。倭王國は新羅を与える、新羅は高麗、百濟と接し近い、新羅は常(つね、)、高麗、百濟の地を侵す。もし、危急が有れば、倭王は宜しく遣(つか、)い兵で救う。此れ倭国は東海嶼(韓半島の南部)中の野人。有る、耶古。波耶。多尼の三國。皆、素(もと、)より倭。北は限る(狗耶)大海、西北を接する百濟。正北(せいきた、)は触れる新羅。南は与える越州に相接する。偏り有る絲綿。出(で、)る瑪瑙。有り黄白二色。其の琥珀好者。云う海中に湧き出る。
万葉集
茜草指武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流 額田王
意訳、
茜は伽耶を指す、武士よく先、田舎やに行く、標す田舎や道、田舎や守と言えるない、あらわれるかな。君(天智天皇)そで広げながす。(仲裁する)
http://
-
大化の改新は捏造
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010660M.jpg
https://ja.wikipedia.org
http://
-
辰韓・弁韓の位置推定
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010661M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010661_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010661_3M.png
https://map.konest.com/
-
百済、倭国位置推定
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010662M.jpg
管理人さん、辰韓・弁韓の位置推定 は出鱈目ですな、
つい最近、白村江と八咫烏の場所が、判明したので、提供します。
八咫烏は地名で、烏の名前で在りません。烏は「エボシ」と読みます。
-
1500年間、天皇陛下はどこにいたのか。
明けましておめでとうございます。
ウィキペディア「夫余」より抜粋
「夫余が建国する以前のこの地には濊(わい)族が住んでいたと思われ、松花江上流の弱水を渡河南進して夫余を建国する以前の慶華古城(濊城)も発見されている。・・・
また『魏書』や『三国史記』には、高句麗の始祖朱蒙も夫余の出身であり、衆を率いて夫余から東南に向かって逃れ、建国した話が載っている。
『三国史記』や『三国遺事』には、解夫婁が治めていたがのちに太陽神の解慕漱が天降ってきたので解夫婁は東に退去して別の国(東夫余)を建てたという。・・・
夫余はもともと玄菟郡に属していたが、献帝の時代に夫余王の尉仇台が遼東郡に属したいと申し出たため、遼東郡に属した。この時期は玄菟郡にしろ遼東郡にしろ公孫氏の支配下になっており、東夷諸国は公孫氏に附属した。時に高句麗と鮮卑が強盛だったので、公孫度はその二虜の間に在る夫余と同盟を組み、公孫氏の宗女(公孫度の娘とも妹ともいう)をもって尉仇台の妃とした。・・・
夫余王の王印には「濊王之印」と刻まれており、国内には「濊城という名の故城」があることから、もともとは濊族の地であったことがわかる。・・・
武帝(在位:265年 - 290年)の時代、夫余国は頻繁に西晋へ朝貢した。太康6年(285年)、鮮卑慕容部の慕容廆に襲撃され、王の依慮が自殺、子弟は沃沮に亡命した。・・・
賈沈は慕容廆と戦い、これを大敗させると、夫余の地から慕容部を追い出すことに成功し、依羅を復国させることができた。しかしその後も慕容廆は夫余に侵入してはその民衆を捕まえて中国に売りさばいた。そのため武帝は夫余人奴隷を買い戻させ、司州,冀州では夫余人奴隷の売買を禁止させた。・・・
人々は体格が非常に大きく、性格は勇敢で、謹み深く親切であり、あまり他国へは侵略しない。通訳が言葉を伝える時、みな跪いて両手を地につけ、小声で話をする。・・・
中国の史書によると、夫余の言語は高句麗と同じとされ、沃沮と濊もほぼ同じとされる。」
日本人のベースは倭人で、そこに外来の血統が乗っかっているのだとすれば、朝鮮人のベースは濊族で、そこに外来の血統が乗っているのではないだろうか。
よく言われる、日本人と朝鮮人の衛生感覚や排せつ物に対する感覚の違いとかは、倭人と濊族の感覚の違いによるところが大きいのかもしれない。
朝鮮人に、長身でガッチリした体格の人が多いのは、夫余の人々の影響が大きいとも考えられる。Y染色体ハプロからは、中国人と倭人の影響が大きいが、あれは遺伝子そのものの話ではないので、民族の特質を考える上では、私はあまり参考にしない。顔つき等を見ると、モンゴル人の影響も強いようだ。
新羅と高句麗は、一時は夫余の中にあったと考えるのが自然。地理的な条件から、百済とヤマトも、一時は夫余の構成要素だったと考えるのが、とりあえずは妥当だろう。夫余は多様な集団だったが、それを構成する諸集団が朝鮮半島や日本列島に移動していき、残された夫余(の本隊)は、鮮卑との抗争で弱体化し、消滅していった、と推測する。
-
天皇は始皇帝の末裔
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010664M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=9cz3HLwy11s
-
馬韓諸国の位置推定2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010665M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010665_2M.jpg
https://map.konest.com/
-
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010666M.jpg
管理人さん、資料は有るんですか? どこかで高い値段で購入したんですか?
帯方郡は島ですよ、
-
(無題)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010667M.jpg
人口分布
現在5000万人 馬韓、辰韓、弁辰で50万人
百分の一 内陸部人口0
-
帯方郡の位置
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010668M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010668_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010668_3M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/帯方郡
-
東南アジアなのか北方アジアなのか古代オリエントなのか。
古代国家の領域を考える上で、空間的な境界に意味があるのかと思います。問題となるのは、その村(国)や部族が、どこの政治勢力に服属しているかではないのですかね。広域指定暴力団のシマに境界はあっても、固定的なものではないでしょう。
村長(首長)とか部族長が、新羅・高句麗・百済・日本(倭)・夫余のどの政治勢力(王室)の指揮監督下に入るかによって、その人が支配する領域がどの国家に属するか決まったというのが真相だと思います。
ムロというのは、日本語で石室を意味しますから、ムロという発音の地域は、古墳が多くあったのかもしれません。石という漢字を使った地域とムロという発音のある地域に何か関係はありませんかね。
古代朝鮮には、倭人の村(国)がたくさんあったのではないでしょうか?地名を見ていると、そんな気がしてきます。日本(ヤマト)と倭の合体は、朝鮮半島ですでに始まっていて、ヤマトによる日本列島侵攻は、そのためにやりやすかったのだと考えます。三韓征伐も同じ理由で、やりやすかった。仲間の倭人国という橋頭保が初めからある。
ヒクソスとエジプトの関係が、元や清と中国の関係に似ているのに比較して、ヤマトと倭の関係は鮮卑と中国の関係に似ていると思います。ヒクソスはエジプトの影響を強く受けたのに、融合度合いは低かった。私は、ヤマトと倭の宗教のあり方や気質が偶然あまりにも似ていたので、極めて速く自然に融合してしまったのだと思います。
私は、倭人の国々は、対馬対岸から北西に向かって伸びており、伯済の南あたりまであったと考えます。近代化以降の日本のアジア諸国への対応の仕方は、かつての自分たちの融合経験が無意識にベースになっていたとも考えられます。
-
勝手に推測
古代朝鮮語でフルには、村という意味があったと聞いたことがあります。だとすると、「ヒリ」みたいな発音の地域は、倭人から見て、朝鮮人(ワイ族)居住地域を意味したと考えられないでしょうか。「フィル・イ」みたいな意味だったとか。
「ソト」の発音の地域は、よそ者の住んでいるところ・異文化のところ、という意味で、倭人から見てかなり異質な文化の地域を意味したということはないでしょうか。「フシ」はよく分かりません。漢語で流刑地的な意味があるのですかね?
高句麗よりも早期に夫余から離脱していた新羅集団(ユダ)のところに秦氏がやって来た。「衝撃、古代ユダヤ人を発見」みたいな感じで近づいていって、文化的発展をもたらしたが、ガイジン扱いで不利な状況に追い詰められていった。そのうち、日本に助けを求めて離脱。秦氏が百済から来たというのは情報操作であり、新羅が本当のようです。
新羅王室には、倭人(または縄文人)も入っていて、かなり複雑な文化的・政治的状況の時期もあったのだと思います。
-
帯方郡の位置
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010671M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=VWZ__gzSRuk
-
馬韓
訂正です。管理人さんの古代朝鮮地図を眺めていると、やはり倭人の国々は、伯済の南までは伸びていないですね。中央あたりで終わっていたようです。伯済の南の月支国あたりも百済(≒ヤマト)勢力のテリトリーだったと思います。古墳がたくさんあったかもしれません。地名による推理です。
古代朝鮮人(ワイ族ではなくて、中国人に近かったかも)が「フル」、つまり「村・国」と言っていたのを倭人が聞き取り、彼らは朝鮮人居住地域を、フルに近い音で把握していた。それに倭人語のイを付けた言葉を中国人に伝えたところ、「ヒリ」と記録された。このように仮定する。
すると、「ヒリ」は、昔からの朝鮮人勢力が統治するテリトリーだということになり、その勢力は馬韓だと思われます。つまり、馬韓≒ヒリ地域でよいのではないでしょうか。
-
高きところにいます霊
夫余集団は、諸部族共通して、「天の神」を崇拝していて、自分たちの運命は天の神の意思に左右されると考えていた。組織としてのまとまりは、各部族・各個人が共通して崇めるところの、天の神によるところが大きかった。こうした文化スタイルは、遊牧民には珍しくないと思います。天には太陽が輝いているので、太陽(神)は天の神の親類である。このくらいまでは、各部族がほぼ共通して持っていた観念だったと思います。
そうすると、国号には、自分たちの国家を成り立たせている神の名前をつけたくなります。天の神は高いところにいる霊的な存在なので、中国人に対しては「高霊」と言いました。コウレイです。これがなまって、コウライとかカラとなっていきます。天神=クリにもなったとすれば、コウクリで「高きにいます天神」となって、同じ意味になります。
つまり、高霊=高句麗コウクリ=高麗コウライ=韓カラということになります。これは国号でした。ヤマト集団(百済を含む)も、ごく基本的な宗教観は同じでした。タカミムスビ(高御産巣日神)という神様がいます。「高木の神」という呼び名もありますが、「高・タカ」という言葉は共通していて、高いところにいるということに力点があります。
コウレイ=コウクリ=コウライ=カラ=タカミムスビ(タカギ)ノカミという図式が見えてきます。遅れてきた秦氏は、ユダヤ教の確立・キリスト教の成立を通過してきていますが、宗教的にまったく入り込む余地がないわけではないことは、分かり切ったことです。
八幡神=タカミムスビ神ということで、神道と合体することができました。あまり一神教的な主張とか、イエスの物語を表面に出すと怪しまれるので、出さないようにしたようです。このやり方は日本に来る前、新羅でも通用したはずです。
ヤマト勢力は、太陽神アマテラス=スメラ・ミコトへの信仰に力点がありますから、国号をヒノモト(太陽の魂)、つまり日本としたのです。神を意味する言葉を国号としたことは、コウクリとかと同じなのだと思います。日本・アマテラスが国号ですが、タカミムスビノカミよりもアマテラスのほうが偉いということには、なっていません。
-
漢文の学習
>秦野さん。
明けましておめでとうございます。
漢文について分かっていないと、秦野さんの説について判断することができません。
私は文系でしたが、漢文はあまり勉強をしませんでした。
受験は思い通りの結果を出せましたが。
面白そうなので、今から勉強してもよいと思っています。
漢文の勉強法(全部入りVer.)|教科別勉強法
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DcY7zgzoAxG8
基礎漢文
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DwNeIPjaAZ-w
-
漢文の学習
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010675M.jpg
http://www.seisaku.bz/kojiki/kojiki_10.html
http://
-
新・魏志倭人伝方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010676M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010676_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010676_3M.png
https://www.its-mo.com/
-
漢文の学習
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010677M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/卑弥呼
http://
-
高良山・鎌田原・平塚川添ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010678M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010678_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010678_3M.png
http://www.e-kama.net/area/鎌田原弥生墳墓群/
-
魏誌倭人伝 塚田敬章、よくやるよ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010679M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=VWZ__gzSRuk
-
倭と日本は別
よく知られている色々な情報から、古代の中国南部・ヴェトナム人→倭人=弥生人で良いと思う。ただし、支配層は中国文化をかなり取り入れていたと思われる。卑弥呼が使っていた鬼道は、中国の道教に近いものだからである。支配層は、朝鮮半島で中国文化を摂取したした倭人か、中国人だった可能性がある。
夫余は、典型的な遊牧騎馬民族の文化を持っていて、その文化は倭人の文化とは大きく異なる。寒冷地の遊牧文化と温暖地域の稲作文化ということで、対称的な違いがあったとさえ考えられる。夫余の風俗・文化は、大和(日本)の風俗・文化とも違いが大きいと思う。新羅・高句麗の風俗・文化とは共通点もあるし、古代の文献上も高句麗と夫余は人的な関係が指摘されている。
倭とヤマト(日本)との関係については、中国側の記述に混乱が見られる。日本と倭は別種という記述があるが、日本が倭を併合したとなっていたり、倭が日本を併合したとなっていたり、文献によってその関係についての説明が違っている。混乱の原因は、日本側が中国人に対して、併合についての説明を避けていたからと思われる。それは、古事記に出雲の国譲りの話はあっても、倭の国々の併合の話がないのと軌を一にしている。
ヤマト(日本)は、倭人とヤマトの同化政策を取っていた。だから、別の民族だったということは不都合なので隠したかった。「天孫降臨」という宗教上の概念も、支配層の空間的な移動を誤魔化すことができたので、同化政策のための情報操作に利用できた。
「Hyksos Scarab」で画像検索すると、古代九州の古墳の壁画とかなり類似したモチーフが見られる。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fu0u1.net%2FYJi7
装飾古墳データベース 九州内検索 模様検索
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fu0u1.net%2FAsWk
複数の同心円(円紋の一種)のもの、蕨手紋、S字渦巻き等である。私が注目するヒクソスの紋に、紐を曲げて立体的に交差させたタイプのものがある。あれらの立体的な組み合わせは、高度な文明に接触していないと、古代の遊牧民では維持が難しそうである。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.numisbids.com%2Fn.php%3Fp%3Dlot%26sid%3D2526%26lot%3D1237
それと、古代日本の紋で特徴的な「直弧文」との関係を疑っている。直弧文は紐の立体交差紋のなれの果てではないだろうか。
-
夫余は夫の余り
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010681M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=ItL8wF0vpD0
-
日本の始まり 徐福伝説
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010682M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010682_2M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=9cz3HLwy11s
-
新中国方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010683M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010683_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010683_3M.png
http://cnrail.geogv.org/jajp/
-
古朝鮮の記録は捏造
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010684M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/綏靖天皇
-
中東・欧州方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010685M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010685_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010685_3M.png
また、秦野さん、わかちあいありがとうございます・・・。
先日の中国方位ラインに続いて、中東・欧州の方位ラインについても調べてみました。図1がそのライン図です。図2はその拡大図です。図3は昨晩もお知らせした東アジアの方位ラインの簡略図です。
以前からその中東・欧州の方位ラインの存在を予想してはいたのですが、ここまで精度が高いとは思いませんでした。
まず中東では、アラビアのマスカット、インドのニューデリーを主な起点としてあり、それに加えてカイロ、バグダッド、テヘラン、サマルカンドといったところが起点となっています。
また先日の中国方位ラインで西方の測量起点として予想したウルムチも、図のように欧州方面へのラインの起点となっています。
具体的にニューデリーを起点としたものは、ムンバイ⇔ニューデリー⇔ウルムチのライン、ニューデリー⇔サマルカンド⇔モスクワ⇔タリン、ニューデリー⇔グラスノダール⇔オデッサ⇔ブタペスト、ニューデリー⇔テヘラン⇔ガズィテアン⇔アンタルヤ、ニューデリー⇔バスラ⇔カイロのラインがまずあります。
またマスカットを起点としたものは、マスカット⇔テヘラン⇔ブリャンスク、マスカット⇔バグダッド⇔ガズィテアン⇔イスタンブール⇔ソフィア⇔ミラノのラインがあります。
欧州ではそれに接続するソフィアが主要拠点となっており、ソフィア⇔ブタペスト⇔ベルリン、ソフィア⇔キエフ⇔ブリャンスク⇔モスクワ、ソフィア⇔デュッセルドルフ⇔ハーグ、ソフィア⇔ミュンヘン⇔ロンドン、ソフィア⇔チューリッヒ⇔パリへのラインが見えます。
また、そこにみえるモスクワやパリも起点となっており、チェニス⇔リヨン⇔パリ⇔ロンドン⇔マンチャスター、パリ⇔ハーグ⇔オスロ、モスクワ⇔ミンスク⇔ワルシャワ⇔プラハ⇔チューリッヒ⇔ベルン⇔リヨン⇔トゥールーズ⇔マドリードへのラインがあり、そしてモスクワ⇔ベルリン⇔パリのラインは、またモスクワ⇔アスタナ⇔ウルムチ⇔成都へと至り、昨晩の中国方位ラインへと接続します。
同様に、チュニス⇔ソフィア⇔ウルムチ⇔西安、ベイルート⇔サマルカンド⇔西安といった西安への接続もみてとれます。
そして、成都⇔西安⇔天津⇔鶏西、広州⇔西安⇔鳥海、酉海⇔成都⇔昆明、広州⇔鶏西などのラインは昨晩の中国方位ライン分析でも指摘したとおりです。
それに加えて、カイロ⇔ベイルート⇔エレバン⇔アスタナ⇔鶏西⇔岩木山周辺へのラインがあり、これも昨晩の中国方位ラインの北東の測量起点として指摘した鶏西へと接続するラインです。
特にその岩木山周辺には大森勝山遺跡などの縄文時代後期の遺跡があり環状列石などを残していますので、やはりこれらのラインは、昨晩も指摘した紀元前2000年前後にストーンサークルや環状列石、支石墓を、欧州から東アジア各地、その東北・北海道等に多く残した集団による測量の結果だと考えるのが妥当かと感じます。
要するにストーンサークル・環状列石というのは、測量のための道具であり、日時と特定の太陽偏角、星位をもとにして、その拠点の位置を割り出す道具だったのではないでしょうか。それで地図を作成して、交易や支配を確実なものにしていったのでしょう。
ただ、問題はその測量方法ですね。ストーンサークルや環状列石を用いたことは予想がつくのですが、ここまでの精度をもたらすには、さらにひとつふたつ工夫が必要だったでしょう。
また、彼らの造ったであろう上記の都市が、後代の大都市としてほとんど変わらない位置で継承され続けているというのも考えてみると不思議です。
電子地図をみるかぎり、ひとつの特徴として、ほとんどが同心円状の都市構造をなしていることがありますが、それは当たり前といえばそうかもしれません・・。
ただその測量された位置の都市に住むことによって、交易・交通の目標が明確になるなど、人類の生存に好適な条件が生み出されていったことが、後代までその都市が継承され続けた理由なのではないでしょうか。
その辺の測量手段と都市構造についても、また少し考えてみたいところですね。
-
マンモスを追ったのか、太陽を追ったのか。
>中東・欧州方位ライン
>新中国方位ライン
偶然ではないのだとしたら、何か意味があるのでしょう。測量の結果ではないのではないですか?人間集団もある生物種の集合体だと捉えれば、粘菌の集団としての動きと類似性があるかもしれません。
地球規模・数万年規模での人類の移動の仕方を一生物種としてマクロ的に捉えたときに、また別次元の法則や構造が見えてくる可能性はあると思います。
個々の民族や個人の違いや思いを超えた何か、が見えてくるかもしれません。諸民族・諸個人は争いを繰り返しているにしても。
Y染色体とかのハプロ(遺伝子の突然変異の痕跡)の移動については、議論が混乱するので避けるとしても、身体を構成する遺伝子の流れは重要だと思います。
縄文人と中央アジアの先住民の間に系統的な近縁性がないか、疑っています。今はウイグル人に残っている昔の中央アジア人は、白人に見えたようですが、今の欧州人とは別系統ではなかったか、調べてみるべきだと思います。
-
(無題)
測量 三角網の画像・・・
-
36度、54度、90度の直角三角形
角度が、36度、54度、90度の直角三角形があります。この直角三角形の斜辺の長さを10とする時、残りの二つの辺の長さを知りたいです
正5角形をつくる36°-72°-72°の二等辺三角形ABCを描いて(AB=AC=10)
BからACに下ろした垂線の足をDとします。
△ABDが問題の三角形です。
この三角形は有名な黄金比の三角形ですから
-
六角形で球面が覆えるか?
六角形で球面が覆えるか??? 投稿日:2018年10月25日(木)08時17分32秒
三角比は二千年近くかかり三角関数に変身しました。さて、この変身の原動力こそ「抽象化」です。具体的な三角比はそれなりに十分に役立つ道具でした。しかし、三角関数はその比較にならないほど強力な道具です。数学の二千年の歩みとは「関数」という抽象概念完成への歩みだったということです。
すべては「地球を測る」に始まり「地球を測る」に終わる
「地球を測る(Geometry)」ためには膨大な計算が必要であることを身をもってわかっていたのが、天文学者であり数学者です。人類がずっと追いかけてきたこと、それは「自分たちがいったいどこにいるのか」です。
「地図を作ること(Geography)」こそ、時空を超えた人類共通の夢であり願いです。
すべてはここから始まりました。かくして地図と数学と計算機の夢は絡み合いながら発展し、今日、究極の地図を手に入れることになりました。何も描かれていない地上に緯線・経線を描き、地図を作るためにすべての数学が投入されてきました。同時に地図作成の中から新しい数学が作られました。
「地球を測る」ための三角比の計算、それは二千年近く続き、そのおかげで抽象概念「関数」を手にし、長年の夢「コンピューター」が実現し、コンピューターのおかげでGPS測量が誕生しました。はたして新次元の「地球を測る」ことが実現しました。
15度の三角比,黄金比が登場する18度の三角比は簡単に導くことができます。
頂角が36°の二等辺三角形の辺の比は黄金比です。
一辺が1の正五角形の対角線の長さは黄金比です。
-
マンモスを追ったのか、太陽を追ったのか。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010690_2M.jpg
>中東・欧州方位ライン
>新中国方位ライン
人類の移動ですな、近世ではアメリカ、オーストラリア、カナダですな、
>縄文人と中央アジアの先住民の間に系統的な近縁性がないか、疑っています。今はウイグル人に残っている昔の中央アジア人は、白人に見えたようですが、今の欧州人とは別系統ではなかったか、調べてみるべきだと思います。
何処の情報>中央アジア人は、白人に見えたようですが、・・・・
アメリカインデアン、オーストラリアアボリニジは白人など、差別は言っていない、・・・・
歴史をみると、武力で略奪したのが白人が圧倒的に多い・・・
日本の場合はハッキリしている、食料と争いをさける、遠回しに史記にある。
しかし、顛末は古事記にある、山のあなたの空とおく・・・のようです。
マンモス、太陽でもない、ただ、争いのない新天地を目ざしただけ。
アメリカ、オーストラリア、カナダは祖国からの逃亡かな・・
白人といい勝負をするのが、百済人(韓国)、日本に来て手始めに藤原を名乗り
大化の改新を捏造・・・楽をする、のには嘘でも騙しでもする。
また、百済の末裔の記録がある、偶像(秦河勝)を造り、成りすます。また、よい例が仏教のお経です、
悟ったと、云って、お経にデタラメのルビを打つ、お経を視ず空で読む・・さすが坊主は百済の末裔ですな。
現在の韓国を見ればよく解る。約束をやぶる、常習犯、すごいですな。
-
ユーラシア方位ラインの測量手段・年代
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010691M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010691_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010691_3M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/ソフィア_(ブルガリア)
-
キシさんからご指摘あった三角測量の件
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010692M.jpg
疑問は東西南北の存在でしょう、距離単位はボンヤリ存在するでしょう、方位ラインの角度 例とするが西10度、20度、35度、50度、東20度、40度、70度・・・何処から来たのか疑問です。何故か北が基準になる?
小学生が分度器を知り、世界地図を測量している模様ですな。
キシさん得意のインスピレーション
-
4大文明方位ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010693M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010693_2M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/ギザの大ピラミッド
-
神武東征に夫余
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010694M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=SNNVc6H3OkU
-
別種
『旧唐書』日本国伝に、「日本國者倭國之別種也。」とあります。
「別種」というのは、「違う種」とも解釈できるし、「分かれた種」と考えれば、「元は同じ」という意味にも取れます。私は前者に解釈していますが、後者で解釈する人たちもいます。
それにしても、中国側の記述に、倭国と日本があって、一方が一方を併合したという記述があるのは、有名な話です。
秦野さんの漢文解釈がどこまで適切なものか、私には分かりませんが、従来の解釈を疑うのは良いことだと思います。
遊牧民国家は、別々の民族が集まって、一つの国家を形成している場合が多いはずです。遊牧民の一民族の中にいくつも部族がありますが、それらは、もともとは別の民族だったこともあるでしょう。
「民族」、というのは生物学的・血統的な同一性に基づく集団ではなく、歴史的・言語的な同一性に基づく集団ですから。
千六百年前の倭人に起きたことは、大昔のギリシャ人に起きたことに類似していると思います。ヒクソスと急に合併して、突然文明や国家の性質が変わったのです。日本とギリシャの神話が似ているのはそのためだと考えます。
ギリシャに侵入したヒクソスは、倭国を吸収したヒクソスに比べて人数が少なく、しかも彼らのファラオがいなかったので、ヒクソス性の影響は日本に比べて限定的となったのだと思います。
しかし、古代ギリシャの黄金時代は、ヒクソスの血統によるところが大きかった可能性はあります。
-
「別種」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010696M.jpg
国家元首さん、「別種」を理解するなら、日本の古代史全般になりますな、要点をだけなら・・・
日本国伝の「別種」は関東日本王国(創作名)、日ユ同祖論とか言っている連中が、居るが創作です。
「別種」は230年、卑弥呼を追って来た呉の連中になる、卑弥呼を追って神風(黒潮)で遭難して、
同化する、領地を貰い、今の鎌倉幕府の祖になる。
詳細にしりたければ、メールをして下さい。指導します。「別種」を貼り付けます。
『旧唐書』倭国・日本国伝
日本國者、倭國之別種也。以其國在日邊、故以日本為名。或曰:倭國自惡其名不雅、改為日本。或曰:日本、舊小國併倭國之地。其人入朝者、多自矜大、不以實對、故中國疑焉。又云:其國界東西南北各數千里、西界、南界咸至大海、東界、北界有大山為限山外即毛人之國。
意訳、日本国者、倭国とは別者なり、その国は日のほとりに在る。ゆえ、名は日本なり、云うに、倭国はその名は雅(雅州)であるが、雅でないことを憎む、此れを改め日本にする。日本、古く小さい国と併せる、和国此れ地。その地の人が入朝する、多く慎み、無口であるが、中国は疑わない。この日本国は東西南北に数千里あり、西と南は大海に至り尽きる、東と北は大山の尽きる所を堺とする。堺の外は毛人の国になる。
-
4大文明とハプロタイプ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010697M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010697_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010697_3M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/遼河文明
-
「私の遺伝子は特別優れているの。」
染色体のハプロを民族的な集団の移動と結び付ける考え方は、話が不確実になるだけで、あまり生産的な感じがしません。肉体的(そしておそらく精神的な)特徴を与える遺伝子そのものではなく、突然変異の痕跡なのですから。Y染色体は染色体そのものなので特別ですが、人種を決定するような要因ではありません。
Yハプロの拡散のしかたを見ると、民族の移動とか人種構成とは無関係に、地理的な条件を基礎にして、数学的法則に則って拡散しているだけに見えます。
犬の品種の維持・改良のような仕組みで、各民族の容貌とか特徴は維持される傾向はあるとしても、必ず混血はしているのです。民族の移動がなされた場合は、移動してきた側は通常は少数なのだから、混血の影響は大きいのです。それでも、ハプロの拡散とは別次元の仕組みによって、民族性は維持・拡散されうるのです。
そもそも現行の科学的な見地では、Yハプロの分岐は数万年前の話が多いはずで、歴史時代に入ってからのことではないでしょう。その科学的な見地が間違っている可能性はありますが。
-
「私の遺伝子は特別優れているの。」
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010699_2M.jpg
国家元首さん、[10697] 4大文明とハプロタイプ では紀元前2700年前後など云っていますが、実の所七世紀の文章(古事記)すら、読めないのが現実です。ハプロタイプで創作が限界ですな、・・・
Yハプロと古文書をあわせて、理解できるのですな、添付は三世紀の古墳の埴輪
埴輪は卑弥呼の遣いのようですな、出兵祝い、入場行進?
>そもそも現行の科学的な見地では、Yハプロの分岐は数万年前の話が多いはずで、歴史時代に入ってからのことではないでしょう。その科学的な見地が間違っている可能性はありますが。
-
4大文明と分子時計論
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010700M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010700_2M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハプログループA_(Y染色体)
-
「79万年前の巨大隕石」が生んだクレーター
ちょうど今朝のヤフーニュースに下記の記事が掲載されていましたのでご紹介します。
およそ79万年前、巨大な隕石が地球に衝突した。これは巨大隕石の衝突としては最も新しいもので、吹き飛んだ破片や粉塵で地球全体が覆われるほどの規模だった。直径1キロ級と推定される隕石の衝突で形成されたテクタイトと呼ばれるガラス質の石は、アジアやオーストラリアのみならず南極からも発見されている。
その巨大さや年代が比較的新しいことから衝突地点は簡単に特定できそうだが、これまで明確なクレーターが発見されていなかった。
しかし、先日、学術誌「米国科学アカデミー紀要」に発表された論文で、この巨大隕石がラオス南部に衝突し、直径13〜17キロのクレーターが形成されたことが指摘された。クレーターはその後、溶岩によって埋まってしまったため、これまで発見されなかったという。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fheadlines.yahoo.co.jp%2Farticle%3Fa%3D20200112-00031717-forbes-int
有史でも隕石落下の可能性があった事を示してますね。小さいものならば、数万年単位、あるいは数千年単位で落下しているはずで、その度に人類は気候変動や津浪などで滅亡の危機に遭遇していたことも考慮すべきかもしれません。
あともうひとつ留意しておきたいのは、溶岩で埋もれてしまったとのこと、これは以前も指摘したように、その隕石落下にともない、マントルを刺激し、噴火を誘発する可能性を示すものでしょう。その火山灰がまた二次的な気候災害をもたらした可能性もありそうです。
-
4大文明と津波地層
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010702M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010702_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010702_3M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/インダス文明#滅亡
-
埴輪
>今城塚古墳
あの女性の埴輪は、葬式関係の儀式をしているように見えますが。
私のヒクソス・ユダヤ理論では、ヒクソス集団がファラオの死に際して、太陽神であるスメラ・ミコトの魂と共にあったファラオの魂が冥界に旅立つのを見送っていることになります。
埴輪が開発されるまでは、ファラオの周囲の人たちが生き埋めにされることがかなりあったようです。死後も仕えるように、ということでしょう。
「今城塚古墳の埴輪2019」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Furx.blue%2Ff8tW
関東地方で出土するユダヤ教徒みたいな恰好をした埴輪は、祭祀に携わるレビ人の類ではないでしょうか。関東は新羅や高句麗から来たユダヤ勢力が多かったので、関西とは信仰形態に違いがあって、それが出土する埴輪のあり方の違いになるのだと思われます。
「レビ記 19章27節」より
「・・・ あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。・・・」
-
Re: [10702] 4大文明と津波地層
管理人様> 超・古代史版へのコメントからきました。
短日間のうちにすごい量の情報量ですね。それ等を四大文明にからめてのご考察、大変参考になります。じっくりと消化したいと思います。ありがとうございます。
岩淵先生や平の名前を出して頂きましてありがとう御座います。二人は、「四千年前の東北巨大隕石説」を持っているのですが、先さまも挙げられている、ミドルインパクトによる地球規模の気温降下、地震や巨大津波、そして火山の誘発等、人類を含めた生物への影響は多大なものがあります。それの一番身近なものである4000年前のものにしぼって喚起を願っているのですが未だ日の目を見ていません。
中で、世界共通の“地球規模の事象”として論じ合えることは、隕石の冬がおこす “海水位の後退” があります。わたしは推量値で、約1.6mの後退。気温ではおよそ13℃の降下とみています。これが短期2〜3年のうちに変動することに大きな問題があります。生物相の変化移動はもちろんですが、稲作文明を持つ大陸では大きな影響が考えられます。そして浅海化がありますので魚介類の変移等を地球規模で「共通の論題」として論じあえたらいいなと思っています。ありがとうございました。
追記 「年代の決定合意の難しさ?」
こういったものを論じ合うとき、何時の場合もその年代の食い違いが出ることがあります。巨大隕石の衝突という“一瞬のできごと”でも、何がしかの補正があったり、堆積する地層についても “巨大津波” の発生によって経年の異なるものが混ぜ合わされたり、津波が第二波、第三波・・による堆積状をていすることから、一般的な斉一説をとれない難しさがあります。そして、現科学の多くは、巨大津波が内陸奥深くまで運んだ貝やサンゴ類を『かつてここは海だった!』とする考えが定着しており、この考えを取り除くのは至難です。
十年以上前だったと思います。九州大の女先生が貝類の年代測定に着目されたことがありました。ご存知のように貝類の生息地はあまり移動しません。ところが巨大津波の性質として、それ等を根こそぎして津波の端部や、先端部へ置き去ることがあります。これはすべての事象に当てはまることですが『流体が媒体となって各々の物質を運ぶ時、それ等は非常に効率よく似たものは似たもの同志で分別される同似集合の原理・作用(筆者提唱)』があります。この考えは現科学が巨大(orミドル)隕石と、それによって生じる巨大津波へ、シフトしないかぎり難しいと考えています。(そこで素人的ヒラメキ^^!、人のDNA調査は著しく進歩しているが貝やサンゴのDNAは変わらないのかな??、汗~~!)
そして、津浪についても一元的な論じ方がされていることに問題があります。津波の波高は、地形・地勢によって 震源地の直近にあっても大きく変わります。津波のやつはズルい^^!から抵抗の少ない方へ方へと移動します。「津波は川を上る」といわれますが、これは川が遠浅状になっていて津波は楽に登れるからだと申し上げたことがありました。□
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html
-
[10703] 埴輪
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010705M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010705_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010705_3M.jpg
>ユダヤ教徒みたいな恰好をした埴輪は・・・議論は年代が基準になる、
今城塚古墳の 埴輪ですが、モデルに成った情景が存在したのでしょうな。
ユダヤ教の恰好?当時、ユダヤ教は三角帽子をしていたのか?疑問です。
ところで、ユダヤ教は古代の葬式で埴輪を使ったの?埴輪は偶像ですな?
>あの女性の埴輪は、葬式関係の儀式をしているように見えますが。
>関東地方で出土するユダヤ教徒みたいな恰好をした埴輪は、祭祀に携わるレビ人の類ではないでしょうか。関東は新羅や高句麗から来たユダヤ勢力が多かったので、関西とは信仰形態に違いがあって、それが出土する埴輪のあり方の違いになるのだと思われます。
>「レビ記 19章27節」より
「・・・ あなたがたのびんの毛を切ってはならない。ひげの両端をそこなってはならない。・・・」
-
ハプロは集団移動を考察する基礎にならないと思う。
ハプロというのは、実際に肉体的な要素を形作る遺伝子そのものではなくて、(ミトコンドリアとかの)DNA上の変異パターンに過ぎないのではないですか。だから、進化(変化)とは無関係。
ただし、Y染色体ハプロの場合は少し特別で、Y染色体そのものと一緒にハプロも移動する。しかし、Y染色体は、肉体的な特徴を大きく規定するようなものではない。
そのように理解しています。
ハプロが生存競争に関わることも、異性の選択の基準となることもない。
人種や民族とは無関係に、歴史的集団の移動とも無関係に、ただ人類の海の中を、地理的な条件に従って、拡散していく。
それだけのことでしょう。
頭蓋骨の形とか、目の色がY染色体と関係があるのだとすれば、Yハプロと顔相に関係があるとは言えるかもしれませんが、
それでも人種や民族とは直接の関係はありません。実際にそうなっています。
「ハプロの分布からは、過去にこういうハプロを持った人が移動してきた」ということがわかるだけで、歴史的な集団の移動は分かりようがありません。
地元にもともといた人々が多数派なのですから、よほどの大量虐殺でもしないかぎり、集団の移動によって、ハプロの構成比が変わるということはないでしょう。
普通に考えれば、移動してきた側のハプロは、時間が経つとともに消えると思います。それは、移動してきた集団の民族的特徴が消えることを意味するわけではありません。
ハプロと民族的特徴に関係がないだけです。ハプロと歴史的集団を紐づけることはできないのです。
ハプロはDNA上の変異のパターンですから、いつ発生したものか、直接測る方法はないのではないですかね。確率を基に推測するしかないでしょう。
太古の大洪水については、キリスト教の創造論の立場から、面白い見解を述べる人がいます。
【ノアの大洪水発生!】後編:科学の説明が聖書に近づいた(創造論5)久保有政・解説
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DcD8WeEEPf8s
-
[10706] ハプロは集団移動を考察する基礎にならないと思う。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010707_2M.jpg
Y-DNA、mtDNAをどう理解するかですな。
生命 の 進化 図をDNAで統一して表したようですな・・、動物、植物、・・・
ハプロは犬でいいますと、外観はデカイ柴犬、柴犬とシベリアンハスキー雑種。注、秋田犬でない
仰るとうり、拘りすぎですな
-
N系統とR系統の拡散
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010708M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010708_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010708_3M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/ハプログループN_(Y染色体)
-
サピエンス全史
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010709M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=xHbcJuOwUOM
-
ハプロの拡散≠人の移動
ハプロの拡散は、人の移動ではなくて、ハプロの移動でしょう。基本的には、人の移動に伴うのではなく、ハプロだけが移動しているのです。ゲルマン民族の大移動とか、英米植民地の拡大みたいな例は、あまり聞いたことがありません。
ハプロを特定の集団に結び付けることはできませんし、特定のハプロの人たちが集団を構成することもありません。
Yハプロの拡散図から見えることは、それが地理的な条件にしたがって、社会集団とは無関係に広がっていくということです。
たとえば、現在の日本では、いくつものY-ハプロがありますが、その人が保有するYハプロによって肉体や精神の特徴が規定されているわけではありませんし、ましてやハプロの種類ごとに集団を形成しているわけではありません。
こうした状態は、今の日本だけでなく、世界中、昔から同じです。特定のハプロを保有する集団そのものが、よほど特殊なケースを想定しないかぎり、存在しないのです。
ある特定のハプロを持つ集団を仮に想定して、その集団に強固な民族意識があったとしても、その状態を維持するのは困難です。
社会的に劣位な他集団の女性が混血児を生む傾向があるから、世代交代が少し進めばYーハプロは混交します。少数派のハプロは消える場合も多いでしょうね。
-
ストーンサークル
古代のストーンサークルが、日本とイギリスにしか見られないのであれば、両者の間に何か関係がないか疑ってみるべきでしょうね。
ウィキペディア「Drombeg stone circle」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fen.wikipedia.org%2Fwiki%2FDrombeg_stone_circle
「大湯環状列石」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.kazuno.akita.jp%2Fkanko_bunka_sports%2Fbunkazai%2F7%2Findex.html
「佐田京石」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.usa-kanko.jp%2Fspots%2Fdetail%2F56
-
[10711] ストーンサークル
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010712M.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Drombeg_stone_circle
-
ストーンサークルとハプロタイプ
また、みなさん、わかちあいありがとうございます・・。
ストーンサークル、確かにイギリスのそれと縄文のそれ、とてもよく似てますね。
似ているというのは、可能性としては、あまりその拡散に時代差がないということを意味しているのかもしれません。
仮に1世代いないならば、ほぼ同じ形状のものを残す可能性がありますね。文字もそうでしょう。
数世代だと、双方で少しづつ特徴が違ってくるかも。
そして、元首さんご指摘のように、ハプロも混交していくでしょう・・・。
ただ、特殊ケースでユダヤ人のようにきわめて排他的な集団においては、初期のハプロの種類のまま維持される可能性もなくはないでしょう。
そして、ストーンサークルをつくった集団については、どうだったかも気になるところですね。
あと、いま見つけたんですが、これなんだろうね・・ユダヤ・タート語
ユダヤ・タート語(Judæo-Tat)、ジュフリ(JuhuriあるいはJuwri)は東部コーカサス地方、特にダゲスタンのジュフリーム(山岳ユダヤ人)の伝統的な言語。
この言語は中世ペルシア語と近接性が深く、印欧語族のイラン分派に属している。アゼルバイジャンのイスラム教徒タート人(英語版)(かつて山岳ユダヤ人もこのグループに属していたという説がある)の言語とも近いが、やはり異なっている。ジュフリの話者はジュフロ(Juhuro)と呼ばれる。ユダヤ人という意味である。
この言語はあらゆる側面でセム語(ヘブライ語・アラム語・アラビア語)の特徴を備えている。近隣言語にないヘブライ語の発音'ain(?)を持つのは、その一例である。
20世紀初頭、この言語はヘブライ文字を使って表記していた。1920年代にラテン文字で表記されるようになったが、のちにキリル文字で記されるようになった。最近では再びヘブライ文字で表記することが一般的になっている。
現在、ユダヤ・タート語の話者の数は10万1000人と見積もられている。
イスラエルに7万人
アゼルバイジャンに2万4000人
ロシアに7000人
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%25A6%25E3%2583%2580%25E3%2583%25A4%25E3%2583%25BB%25E3%2582%25BF%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2588%25E8%25AA%259E
山岳ユダヤ人の言い伝えによると、彼らが東部コーカサス地方に住み着いたのは西暦722年のことである。ペルシア系の言語を話すのは、かつてペルシア南西部に住んでいた名残と考えられている。その起源については諸説が唱えられている。
遊牧民の侵入を防ぐ目的でパルティア朝とサーサーン朝の王たちの意向で配備された、ユダヤの武装入植者の子孫であるという説。
ユダヤ教に改宗したタート人の子孫であるという説。(ただし、イスラム教徒タート人こそイスラム教に改宗した山岳ユダヤ人であるという説もある。)
ハザール人の子孫であるという説。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E5%25B1%25B1%25E5%25B2%25B3%25E3%2583%25A6%25E3%2583%2580%25E3%2583%25A4%25E4%25BA%25BA
ブハラ語(Bukhori)は、インド・イラン語派の言語の一つ。ユダヤ・タジキ・ペルシア語、ユダヤ・タジク語とも呼ばれる。ブハラ・ユダヤ人の主要な言語である。
概要
古典ペルシア語に基づくが、ヘブライ語から多数の語彙を借りている。また、ウズベク語やロシア語からも少数の語彙を借りている。永い歴史を持つにも拘らず、タジク語の話者はブハラ語をおおよそ理解できるし、ジーディ(ユダヤ・ペルシア語)とも多くの共通点がある。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E3%2583%2596%25E3%2583%258F%25E3%2583%25A9%25E8%25AA%259E
やはりこのような閉鎖的な集団内だと、周辺諸民族の影響をうけながらも、2000年以上、独自の習俗や言語を保持する可能性を示してますね。
ハプロを当てにできるかどうかは、その集団の閉鎖性、環境的な孤立性にかかってきそうです。
-
マリモ同祖説
マリモの場合は、遺伝子そのものを調べているのでしょうか。ハプロではなくて、遺伝子そのものを調べるとよいですね。
縄文人が白人と関係がない、とされるようになった理由は、Y染色体ハプロがD型だったことが大きいようですが、それはおかしいと考えます。
ハプロと人種は関係がないのです。Y-O、Y-C、Y-Dの白人がいたとしても少しもおかしくありません。
昔は、尿による遺伝子検査では、縄文と白人は同じ遺伝子配列が見られるという話がテレビでもありました。
私には、ハプロの不用意な取扱いが、合理的な思考や観察を阻害するような面があるように思えます。
「マリモは日本が起源、渡り鳥が運搬か 釧路の研究員ら、遺伝子調査で確認」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.nikkei.com%2Farticle%2FDGXNASDG0701B_X00C12A1CR8000%2F
「・・・オランダなどの研究者と共同で日本やドイツ、フィンランド、アイスランドなど33カ所の湖のマリモの遺伝子を調査。最も古いタイプの"祖先型"は日本に集中。祖先型のマリモが最も時間をかけて変異を重ねたものが琵琶湖(滋賀県)にあることなどを理由に日本が起源と結論付けた。・・・」
-
神功皇后の陵を発見
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010715M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/神功皇后
-
邪馬台国は神功皇后に滅ぼされたか。
ウィキペディア「神功皇后」より
「・・・3月25日には筑後川下流域の山門県に移動して田油津媛という女酋を討ちとり、兄の夏羽は戦わずして逃げ出した。この女酋田油津姫は邪馬台国女王の末裔とする説もある。いずれにせよ最後まで抵抗していた九州北部もヤマト王権の支配下になり、ここにヤマト王権の全国制覇が完了したとされる。」
ウィキペディア「田油津媛」より
「・・・田油津媛(たぶらつひめ)は日本書紀によれば山門郡に居たとされる土蜘蛛族の巫女女王。日本書紀では仲哀9年3月丙申に神功皇后により誅殺されたとされるが、事実とすれば4世紀半ば頃の出来事になる。・・・
田油津媛には夏羽という兄がいたが、夏羽率いる軍は妹の死を聞いて逃亡したとされる。 (日本書紀原文)丙申 轉至山門縣 則誅土蜘蛛田油津媛 時 田油津媛之兄夏羽 興軍而迎來 然聞其妹被誅而逃之
山門郡の女王という記述から、邪馬台国連合の女王卑弥呼(西暦248年死去)の100年後の子孫の可能性がある。
福岡県みやま市の老松神社には、田油津媛(葛築目)を葬った蜘蛛塚とよばれる古墳が残されている。雨が降ると古墳から血が流れるという言い伝えがある。・・・
別名大塚。明治時代までの旧称は女王塚だった。 しかし大正2年の頃神社南の田の中まであった古墳を分断する形で新道建設がなされたとき、皇室への忖度で蜘蛛塚へと改称された。」
-
邪馬台国は神功皇后に滅ぼされたか。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010717M.jpg
https://osaka-info.jp/page/kishikijinja
-
ストーンヘンジ・環状列石の構造と位置測量
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010718M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010718_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010718_3M.png
https://www.youtube.com/watch?v=QAM3yOb5sqA
-
謎の土版
「大湯の土版」と「ネブラ・ディスク」は似ているところもあるような。
「夏至冬至を環状列石に記し計数器を手にしていた縄文人」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Furx3.nu%2F2axW
「紀元前1600年頃の天文盤?ネブラ・ディスク。」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Furx3.nu%2F4eow
-
ストーンヘンジは神殿
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010720_2M.jpg
https://rutsu.exblog.jp/12380356/
-
ストーンヘンジ・環状列石の構造と位置測量2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010721M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010721_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010721_3M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウッドヘンジ
-
大湯の土版
「秋田・大湯環状列石(ストーンサークル)観光で知る縄文時代の世界観」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.travel.co.jp%2Fguide%2Farticle%2F37654%2F
大湯の土版をざっと眺めると、もしかしたらあそこでは6進法を使っていたということはないですかね。シュメールの60進法は、天文学と関係があるはずです。
縄文人が天文学を持っていたという話は聞いたことがありませんが。
URL短縮を使うと、ウイルス感染の警告が出やすい傾向があるようです。普通にリンクしたらどうでしょうか。
「夏至冬至を環状列石に記し計数器を手にしていた縄文人」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fsyokota888.ec-net.jp%2Fmeasurement-news-site%25E3%2583%25BC2017-1-%2Fmeasurement-news-sice-2017-c1-%2F2018-02-13-stone-circle-ooyu-kanjyo-resseki-kaduno-kazu-no-doban-to-kazu-no-gainen-measurement-news-.html
-
JVC(ヒト・ポリオーマ・ウイルス)
ウイルスの遺伝子というのも、肉体を構成している遺伝子はないのですが、過去にどういう人たちが来たかを推理する材料にはなりそうです。
『興亡古代史』(小林惠子、文芸春秋社)
「・・・東大の余郷嘉明、北村雄一氏ら医学研究グループによると、弘前・秋田・仙台など北日本の住人の一部からは一〜二割の割合で欧米の白人にしかみられないウイルスの遺伝子(ポリオーマ・ウイルスA型)が見つかるという。」
「青い目の東北人」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.tankyu3.com%2Fentry%2F20090222%2Fblueeyes
-
禾(のぎ)偏(へん)の「のぎ」は、タミル語 かも。 【国語・中国語・インド語・英語、のお勉強】
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/220px-Danwon-Byeo.tajak.jpg
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html
-
JCウイルス(JCV)
先に紹介したJCウイルス(ヒトポリオーマウイルス2)についての情報は、正確さに欠けるようです。
ウィキペディア「JCウイルス」より
「・・・JCウイルスを用いたヒト集団の系譜を探る試みも行われている。JCウイルスは感染するために、純粋なヒト集団の系統を反映するわけではないが、ある程度の参考になる。西南日本には中国北部で高頻度のCYタイプが、東北日本には国外では朝鮮とアメリカ先住民にみられるMYタイプが、それぞれ高頻度である。
また、秋田県や青森県西部ではヨーロッパ人の系統に近いEu-a2(JK)がみられるとされ 、秋田美人や伝説上の鬼との関連性が指摘されることがある。 しかしながら、同様のEU型のハプロタイプは朝鮮半島にも見られることから必ずしもヨーロッパ人のみの系統を示すというわけではないということに留意すべきである。」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2FJC
一番科学的に正確な最新分析は、以下のサイトでしょうか。このサイトの分析からすると、日本の白人型JCVは、一部のヨーロッパ型に近い。
「JCウイルス(JCV)から見たヨーロッパ系の人々の分岐と移動/最古のヨーロッパ系JCVを極東アジアの先住民から発見!」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F1452702
-
秒は蘖(ひこばえ)のようです
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010726_2M.jpg
https://ja.wikipedia.org/wiki/稲孫
http://
-
Re [10726] 秒は蘖(ひこばえ)のようです
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_SanTami.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html
-
印欧語族の拡散と縄文人
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010728M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010728_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010728_3M.png
https://www.yfull.com/tree/R1a/
-
ゲルマン民族東方大移動かノルマン東方コンクウェストか
先に紹介した余郷嘉明さんのHP(togetter)からすると、
先ず、イギリスに行った集団と近い集団が日本に来て、その後ドイツ・オランダに行った集団と近い集団が来たという感じですかね。
「以前も述べたように,JCVは移動の際、人類集団と行動を共にしてきたと考えられるから(Suzuki et al., 2002)、図2はA型JCVをもったヒト集団の分化と移動を示していることになる。もしそうなら、図2は太古におけるヨーロッパ系の人々の、東方への大移動が三回あったことを示している。
第一波はEU-cをもった集団の移動である。彼らは東北シベリアに辿り着いて、そこに永住した。彼らの一部は北海道に渡り、アイヌの中核になった。第二波と第三波はほぼ同時に進行し、それらのうちの一つはEU-a1/JKをもって東進し、極東に至った後に南下して日本列島と朝鮮半島に渡来した。
もう一つはEU-a1/Arcをもってアジア大陸の東端まで進み、その後、北上してベーリング海峡の周辺や北極圏に住み着いた。以上は私が描いたヨーロッパ系の人々の東方への大移動のシナリオだが、信じてもらえるか。」
何度も言いますが、民族集団とかその移動をYハプロと紐づけて考えることに、合理性も現実性もないと思います。
普通に考えて、そう思いませんか?仮にAという民族の民族意識が強くても、異民族との混血女性が生む男性にはAの要素が強い人たちがいるので、Y染色体はどんどん混ざっていきますよ。
白人縄文人のYハプロは「Dが多い」で良いのです。RとかIとかを考える必要はありません。Yハプロは人種や民族と関係がないのですから。
(中国人は男系の宗族のシステムがあるから、Yハプロとの紐づけは可能かもしれません。)
最初に来た縄文白人集団は、日本に来る前から「Dが多い」になっていた可能性もあると思います。むしろ、日本にY-Dを持ち込んだのは、白人かもしれません。
-
東方への大移動が三回あった?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010731M.jpg
国家元首さん、ヒト集団の移動ですが、疑問があります。例ですがもしです、ヨーロッパ系集団が東北シベリアに移動、アジア系集団が東北シベリアに移動、東北シベリア移動がアイヌに移動すると、ヒト集団はヨーロッパ系集団、アジア系集団、東北シベリア、アイヌの単純な確率で、4集団Yハプロになる。
東方への大移動が三回あった、は疑問で一回の可能性がある。混血の移動もあるよ・・・
>「以前も述べたように,JCVは移動の際、人類集団と行動を共にしてきたと考えられるから(Suzuki et al., 2002)、図2はA型JCVをもったヒト集団の分化と移動を示していることになる。もしそうなら、図2は太古におけるヨーロッパ系の人々の、東方への大移動が三回あったことを示している。
-
re:東方への大移動が三回あった?
>東方への大移動が三回あった、は疑問で一回の可能性がある。混血の移動もあるよ・・・
日本に入って来た状況のことを説明しているのではなく、東アジアに移動して来た状況を長期間のスパンで説明しているのだと思います。
余郷さん曰く、「ヒトポリオーマウイルスの一つであるJCウイルス(JCV)は、ヒトの腎に寄生し、殖えた仔ウイルスは尿中に排泄される。JCV DNAは健常人の尿から容易に得ることができるので、分子疫学的な研究の格好の材料となる。
加えて、?JCVは日常的に接する大人(通常は両親)から子へ伝播する、事実上の垂直感染により伝播すること、?JCVの進化速度が適度に早いこと(JCVの塩基置換速度はヒトの染色体の約100倍であり、全長約5100塩基対のJCV DNAに進化の足跡を残すのに十分早い)、
?異なる株間での組み換えが起きないこと、?ヒト集団の移動に伴って寄生しているJCVも移動することなどが、JCVのヒト集団の指標としての有用性を高めている。」
CYが弥生人(倭人)から、MYが縄文人から、EUが縄文支配勢力から、という感じですかね。
私のヒクソス・ユダヤ理論からすると、夫余の地域からの移動の痕跡がほしいところです。その観点からは、甲府と鹿児島にB1-aがあるのは、興味深いです。甲府は新羅とか高句麗の影響が強そうです。
B1-aだとすると、侵入時にはかなり少数派だったのでしょうか?EUはマンモスでも追って、大陸と地続きだった時代にやって来たのでしょうか。
4世紀以降に日本に来るとなると、海を渡る必要があります。女性が渡るのは困難だったでしょうね。支配層は、子育てを妻に任せきりになる場合も多いので、JCVが感染しにくいとも考えられます。
まあ、こういう話は、参考資料程度でしょう。
「JCウイルスから見た現代日本を築いた人々/ヨーロッパ系の渡来人も貢献!」
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftogetter.com%2Fli%2F1450392
-
長期間のスパン?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010733M.jpg
>日本に入って来た状況のことを説明しているのではなく、東アジアに移動して来た状況を長期間のスパンで説明しているのだと思います。
長期間のスパン?とは時間軸で、何年? 高句麗、新羅は400〜700年ぐらいの歴史になるが?
どう見ても最低2万年は・・・小生は思う。
-
蘇るか騎馬民族侵入説。
甲府のB1-a、割合けっこうあります。12%。日本全体では、わずか0.8%。なぜ甲府は、B1-aの割合が特別に高いのでしょうか?
沖縄を除いて829人から尿を採取した結果の資料のようです。
陛下、研究のためでございます。
○子様、研究のためでございます。
この紙コップに・・・。
感染だから、母親に他の民族が入ったら、JCVの種類は入れ替わりそうです。皇室でさえ維持が難しいと思います。
田舎の閉鎖的な集団でないと、JCVの種類も維持されないでしょうね。JCVもあまりアテにはなりません。
どこから人が入って来たかの、参考資料程度ですね。
-
エジプト天文学
元首さん、秦野さん、またわかちあいありがとうございます。
ちょっとバタバタしており手がつかないのですが、同系集団の複数回の移動も視野にいれておきたいところですね。
関連していまみていたエジプト天文学についての下記の動画で、古代人が砂漠に北の方角を示すための石を置いていった様子を取り上げているのですが、星の位置から北を割り出していたようで、しかも数千年単位で変化していくその星の位置にあわせて、その目印とする石の位置も変化させていったことが指摘されています。
これなども複数回にわたって同系の集団が移動する際に、目印を変化させていったことを示すものでしょう。参考になります。
/toraijin/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DK8qTwIgw5H4
-
Y染色体の特定の配列の紡ぎだす真実。
Y染色体ハプロはダメ。根拠の無い前提の上に思い込みを積み重ねて、妄想を固める役にしか立たない。
例えば、白人のYハプロなるものはないのに、あるように思いこむ。または、縄文人のハプロタイプなるものをでっちあげる。
人種とも民族とも、いかなる社会集団ともハプロは無関係なのは、理論的にも実際上もはっきりしているのに。
あるハプロが突然変異で発生した時点で、それは一人の人間に発生したものであって、集団で発生したわけではない。
奇妙な話を勝手にでっち上げて良いのだったら、こういうのはどうだろうか。
日本列島にいる日本化した白人のハプロがY-Dなのだとしたら、もともと白人は全員Y-Dのハプロだった。白人は、全員縄文人だった。すなわち、白人は日本人から派生した。
だから、環状列石が日本列島にあるのである。オリンポスの神々の神話は、高天原の神話に似ているのである。
一神教を人類に与えたアクエンアテンが日本人のおっさんにしか見えないのも同じ理由による。
世界の全アーリア人は、その魂と肉体の故郷である大日本帝国に帰依しなければいけない。
ハイル・ウセルマートラー!スメロギイヤサカー!ラムセスの永遠なる治世に栄光あれ!
-
古墳の円方判明
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010737_2M.jpg
古事記に円方の表現がある、円は縵(ゆるやか)、方は矛(ほこ)他の文章で確認がが必要かも・・・
尚、古墳は御陵だそうです。
参考文献、古事記
又天皇、以三宅連等之?・名多遲摩毛理、遣常世國、令求登岐士玖能迦玖能木實。自登下八字以音。故、多遲摩毛理、遂到其國、採其木實、以縵八縵・矛八矛、將來之間、天皇既崩。爾多遲摩毛理、分縵四縵・矛四矛、獻于大后、以縵四縵・矛四矛、獻置天皇之御陵戸而、擎其木實、叫哭以白「常世國之登岐士玖能迦玖能木實、持參上侍。」遂叫哭死也。其登岐士玖能迦玖能木實者、是今橘者也。
-
Yハプロが歴史学にもたらす害毒
Yハプロに基づく推論の最大の問題点は、不確かな前提に基づいていることと、非合理的な思考と結びつきやすいことである。
ある地域や社会集団における過去のハプロの拡散状況については、どうしても情報量が限られている。議論の基礎にするのは無理がある。
さらに、イメージで物事を判断したり、単語を基礎にものを考えるという人間の習慣から、Yハプロを個々の社会集団と結びつけてしまうことが起きる。ハプロはDNA上の配列にすぎないので、JCウイルスと同様に、特に肉体的・精神的な性質、民族の特徴と結びついているものではない。だから、人種や民族と無関係なのである。
しかし、人種や民族とYハプロを結びつけてしまいがちである。この傾向がさらに進むと、個々の社会集団の精神的・肉体的性質とYハプロを結びつけるようになる。つまり、Yハプロが遺伝子に昇格する。これは科学にも実態にも合っていない。
閉鎖的な社会でない限り、ある地域の社会集団のYハプロの構成が変わらないということはありえない。人間の顔にハプロタイプが書いてあるので、お互いのハプロが確認でき、さらに性交・結婚するときにハプロ番号を考慮する、という条件は歴史上今まで存在しなかった。社会集団どうしが融合するときには、少数派のハプロとかウイルスは減少・消滅する傾向にあるだろう。
最近、保守派のアイヌや縄文人に対する発言に混乱が生じている原因の一つには、Yハプロの非合理な取扱いがある。「独立した民族である縄文人は存在しなかった。」、「独立した民族であるアイヌは存在しなかった。」、「縄文人がヤマトに征服されたことはなかった。」、「倭人は縄文人だった。」、「アイヌ人は先住民ではなく、中世にシベリアから日本にやって来た。」等々。
Y染色体と民族を結びつけようとするから、考古学や歴史的文献、ある集団で見られる人の容貌と無関係に、思い込みだけで歴史をねつ造し、しかもそれを科学に基づく説だとするのである。Y-Dハプロについて言えば、日本にあるタイプは大きく2種類に分かれるのだが、それを無視して話を作っていくので、余計に非合理性が強くなる。
歴史を考察するときは、社会と人間、文化を観察し、遺物や遺跡を推理の手掛かりとし、文献を調査検討することを基本とするべきである。Y-Dハプロを奇妙に取扱い、逆にそこから歴史を解釈することは科学的行為でもなければ歴史の正しい考察でもない。
私の感覚では、まだJCウイルスのほうが、実際の観察や文献、考古学と一致していると思う。ハプロ話では白人も、渡来人も消される傾向にある。
-
沖縄弁 vs. インド弁
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/Grimm's_Law_in_J_20_O.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html
-
印欧祖語の起源
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010740M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010740_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010740_3M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/インド・ヨーロッパ祖語
-
四大文明とY-R,Q系統の拡散
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010741M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010741_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010741_3M.png
https://www.eupedia.com/europe/Haplogroup_Q_Y-DNA.shtml
-
烏(からす):えぼし
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010742M.jpg
https://www.youtube.com/watch?v=SNNVc6H3OkU
-
亀ヶ岡文化と殷墟
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010743M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010743_2M.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010743_3M.jpg
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/heritagebig/324248/0/1
-
re [10742] 烏(からす):えぼし
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_SanTami.html
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html
-
烏帽子岳(えぼしだけ) とは、 --- 国境の 山、 みたい。
https://www.yamakei-online.com/yamanavi/yama.php?yama_id=18114
http://www5d.biglobe.ne.jp/~the_imai/etymology/AA_Indo.html
-
烏
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010746M.jpg
https://www.kanjipedia.jp/kanji/0001680900
-
夏王朝と夏文字の起源
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010747M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010747_2M.png
https://img.shitaraba.net/migrate1/8220.toraijin/0010747_3M.png
https://ja.wikipedia.org/wiki/夏_(三代)
|
|
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板