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世間話や何でもありのスレッド

1慧空:2014/10/06(月) 20:50:29
このスレッドには、世間話の他、何でも書いてください。
例えば、
・政治経済、事件、事故等に関する社会的なテーマ(芸能ネタも(^^))
・特殊能力や肉体離脱等のサイキック全般に関すること(アセンションネタも(^^))
・この掲示板やここに来る誰かに対する提案や要望
その他、本当に何でもありです。
この掲示板に書いちゃダメなものは何もありません!!!

505新田:2015/01/02(金) 19:39:04
 全く同感です。願望達成レベルと達成すべき願望を超えたのは、違いますよね。

506なか:2015/01/02(金) 20:46:25
 ナオちゃんの映像みたよ。インタビューアーの質問鋭いから答えられてないですね!

ナチュスピのニューエイジビジネスの煽りでした。ナオちゃんかわいいからビジネスになりますよ。

浅見ちゃんラインでしょう(笑)

 映像を見て眼球運動が激しい覚者は、いないから一つの指針に皆様もしてください。

507リアル:2015/01/03(土) 13:21:37
 菜緒ちゃん見ました。一種の自覚ワークなんでしょうね。

確かに可愛いから、スター性ありますね(笑)

 肝心要の空間の認識方法について、答えに窮していました。

508新田:2015/01/03(土) 13:26:58
 なおちゃん見ました。言おうとする所は、理解できます。一生懸命に伝えようとする姿勢は確かに伝わってきました。

509児玉:2015/01/03(土) 13:34:28
 大誤者であっても、特別意識、教えてあげる的な波動を『私は』感じませんでした!

むしろ爽やかな波動『あくまでも私が感じる』でした。こう書くとこの『私を観ろ』とか突っ込んできませんか?

510くそまん:2015/01/04(日) 15:37:49
動画で言っていることが慧空さんの大悟者の分類に近いのかなと思ったので、
ちょっと興味本位で聞いてみました。私は何も大きな気づきのようなものを
得ていないので、人のことは判断できないんです。
この掲示板は覚醒に気づいた人がたくさんいるようで、面白いです。

511空我:2015/01/04(日) 17:30:30
 分類的にはそうかもしれないと私も感じました。

 ご本人もある程度そう感じたのでしょう。

512慧空:2015/01/04(日) 21:26:03
最近の書き込みの多くは(一部を除いてほぼ全部は)、同じ方が名前を変えて書き込んでおられるのではないかと思っています。
でも、上の>>503 の動画の方について少し気になったので、コメントさせていただきます。
上の動画の方は大悟者ではありません。
確か、「すべてのものはエネルギーで出来ている」と言っていたと思いますが、
大悟者がそんなことを言うはずがないのです。
大悟者なら、「すべては考えである」と言うはずなのです。

513ユウ:2015/01/05(月) 07:09:16
よく解っていないのかもしれないのですが…
悟りの段階が今どこかは意味がないように思うのですが…

514まきりん:2015/01/05(月) 18:36:37
ユウさん

子どもが遊んでるDSソフトゲーム、私は興味なくて、やる意味を見出せないんですが、ゲーム好きな人にとっては、どのステージをクリアしたか重要なんですよね。
悟りに興味がある人にとっては、悟りのどのステージにいるのか重要なんですよ^ ^

DSソフトなどのゲームは、たいてい主人公が武装して強くなっていくストーリーですが、
悟りのゲームは、武装解除していくゲームなんです。

私たちは思い込みや掴んでいる考えを武装して生活しています。

悟りゲームの「あがり」に近づいてゆく程、思い込んでいる考えが少なくなってゆき、
それに伴って思考に変化が訪れてゆくのです。
思考の変化によってステージ名を付けています。

ステージごとに、名前が付けていると分かりやすくて便利です^ ^

515くそまん:2015/01/06(火) 15:32:32
>悟りに興味がある人にとっては、悟りのどのステージにいるのか重要なんですよ^ ^

たしかにそうですね。
誰が深く悟っているとか、そういうことがやたら気になるんですよね。
そんなことより自覚ですね。

516ケイ:2015/01/06(火) 21:11:01
 ステージごとに名前ないと不安ですかね?

 それって依存では?誰かに話聞いてもらわないと不安とか?

517ケイ:2015/01/06(火) 21:11:43
 ステージごとに名前ないと不安ですかね?

 それって依存では?誰かに話聞いてもらわないと不安とか?

518なか:2015/01/06(火) 21:18:54
 そんなことより自覚ですね。同感、でも辞められないからそのまま

519空ちゃん:2015/01/06(火) 21:22:01
 なぜ辞められないの?

520新田:2015/01/07(水) 16:57:49
 悟りより幸せでいたいからでは?これを真我にしがみつき、天界にとどまりたいときれいに言うとそうなる。正直ですね!

521慧空:2015/01/08(木) 09:16:56
ここに何を書いてもいいのですが、無駄を承知で一言書かせていただきます。

他の人に向けられるその攻撃的な感情や批判心は、外向きの考えの典型例です。
また何度も繰り返される行動には、相当根深い考え(執着、囚われ)がその根底にあります。

安易に他の人を批判、攻撃するのではなく、またその相手に意識を向けるのではなく、
そのような批判心が起こっている自分自身に意識を向けて頂きたいと思います。
さもなくば、いつまで経っても同じことの繰り返しです。
何も変わらないまま、死んでいくことになります。
まあ、それも仕方がないことですが。(^o^)

522dogs:2015/01/16(金) 23:35:28
塩人間さんのブログからこちらを知りました。特定の価値観や主張に偏らないこちらの掲示板に興味を持ちました。
悟りや解脱された方々に質問なのですが、性欲や物的所有欲との向き合い方についてご意見ありますか。

私の状態は欲が無ければ色々と楽だろうなという気持ちでいるのですが、解脱すると社会的営みが難しそうですね。
そこまでのリスクは取りたくはないと思うのです。
また、何かを所有してそこで満足できたらいいだろうなという希望・夢も捨て切れません。
希望や夢が無いと自堕落で荒れた生活をするだろうと思うからです。

突然の書き込みで不躾ですが、アドバイスをいただければ幸いです。

523dogs:2015/01/16(金) 23:42:24
連投をお許しください。

非二元の世界観(多ではなく非多)と、不生不滅(既に在る)という世界観は異なるように感じるのですが
なにか思われることがあれば、ご教示をお願いします。この思念がちょくちょく出てきて、面倒なのです。

524慧空:2015/01/17(土) 07:47:59
dogsさん
ここは、何をどう書かれてもいいんですよ。
突然の書き込みも、連投も大歓迎ですよ。

まず、>>522 のご質問について。
まずはじめに、私には悟りには悟りへの強い意志が大切だと言っておりますが、
いくら意志があっても、湧き起こってくる発心が無ければどうにもなりません。
深い悟りへは、発心が導くものなのです。
ですから、いくら強い意志があっても、発心が起こらないことにはどうにもならないのです。
そしてもし、発心が起こってしまったなら、特にその発心が強いものであるなら、
発心の導くままに悟りを追求することになります。
そのときは、普段の生活が犠牲になろうと関係なしです。
いきり立った雄牛のように突き進むのみとなります。
そうならないと、深い悟りには至れないのです。
ですから、日常生活に支障が無い程度に、ちょうど良いあんばいに悟りたいと仰る
dogsさんの都合の良いようにはならないのです。
そこのところをよくご理解いただきたいと思います。

性欲や物的所有欲等の欲望や、普段の生活の中にある各種の執着は、
その方が握り締めた各種の二元的な考えと関係しています。
しかし通常、それらの考えを意図的に捨て去ろうしても不可能です。
それらは、各人の普段の生活の営みを通じて解消していくしかありません。
まずは、自分の人生を精一杯生きる必要があるのです。
精一杯生きることができたとき、握り締めていた考え(執着、カルマと言ってもいいです)の解放が自然と起こっていきます。
社会の中で生活されている人はその社会生活の中で、出家して修行されている人はその修行生活の中で、
野山で一人生活されている方はその隠遁生活の中で、握り締めた考えを解放していくのです。
そしてそうやって、握り締めた二元的な考えの大半を解放することができたとき、
自ずと深い悟りに導かれていくことになります。
ですから、dogsさんはまず、dogsさんの人生をしっかりと生きて頂きたいと思います。

>>523 のご質問について。
まず、過去の有名な聖者(特にアドバイタ系)の方々を含めて多くの方々が非二元について誤解されているように思っています。
そもそものところ、非二元なんて存在しないのです。
幻想なのです。
非二元と言っている方々が言っているものは、まだ二元の世界の中なのです。
なぜなら、非二元を主張されるということは、その非二元を良いものだと思っているということであり、
すなわち、そこにはまだ、非二元が良いという二元的な考えが存在しているからです。
敢えて非二元を表現するとしたら、一切の考えが存在しない涅槃しかないと思います。

続いて不生不滅(既に在る)ですが、これに至ってはいろいろな悟り階層の方々がいろいろな考えを持っておられるようですので、
まずは、dogsさんが不生不滅についてどのような考えを持っておられるのかをお伺いする必要があると思います。
dogsさんはどのようなお考えを持っておられるのですか?

525慧空:2015/01/17(土) 08:35:28
>>523 のご質問について、別の角度からお答えさせていただきますね。

非二元についても、不生不滅(既に在る)と同様に、いろいろな悟り階層の方々がいろいろな考えを持っておられるので、
一概に言うことは難しいのですが、
このあたりの理解というか考えは、ウパニシャッド系の覚者の理解が最も典型的ではないかと思っています。
私はウパニシャッド系の覚者の理解について、シャンカラさんの「ウパデーシャ・サーハスリー」(岩波文庫)を読んで、
彼らの言わんとするところを理解したのですが、
私としましては、ザックリと言いまして、ウパニシャッド系の方は、非二元と不生不滅(既に在る)は同じような捉え方をされているのではないかと思っています。
確か、シャンカラさんは、その非二元である不生不滅(既に在る)、つまりその絶対的で恒久的なものについて、
それは純粋な気づきそのものであり、気づきの光であるというふうに表現しておられたと思います。
ウパニシャッド系の方は基本的にこんな感じだろうと思いますが、仏教系(特に大乗仏教系)だとまた少し違っているのかも知れませんが、
大きくは違わないだろうと思っています。
なぜなら、非二元とか不生不滅(既に在る)等を言う覚者の方々は、天界の悟り階層(小悟)の中の上下二階層あるうちの、
その一階部分(さらに正確には一階部分のほぼてっぺん部分)におられる方であり、その理解も基本的な部分は大凡共通しているのです。

526dogs:2015/01/17(土) 09:19:40
おはようございます。
慧空さん、ご丁寧に回答いただきまして、ありがとうございます!
まずは、お礼を申し上げます。

欲求の抑える=コントロールすることではなく、営みの中でまっとうに解消する(解放する?)しかないのですね。
悟りがすべての解決の道という安易に考えていたようで、ご指摘で気づかされました。ちょっと、お恥ずかしいです。

かなり前に、ある師について座禅や数息観三昧の生活をしていました。なにかにとり付かれたように行をおこなっていましたが神秘体験があるだけで、欲望から離れることは出来ませんでした。

色々ありまして、心身を壊しそういったことからここ数年離れていたのですが、私の中でやりかけて中途半端になっているもやもや感と、解脱に夢中になっていた頃を懐かしんで非二元のサイトを読んで、自分なりに解釈しておりました。

自覚に関するメソッドはシンプルで私でも出来そうです。過去への執着や生、性への執着を眺めてみようかなと書き込みながら思う次第です。

527dogs:2015/01/17(土) 09:29:19
不生不滅が既に在るという解釈は私のものでして、どなたかが仰っていたことではありません。不生禅の営みに嘗て惹かれておりまして、それで自分の中でストーリー化したものだと思います。

生じてもいないし、滅びることもないそれは、すでに在るんだろうなぁ、という憧れです。

非2元を良しとする背景についてのご説明はなんとなく理解できました。専門用語については想像を加えつつ一知半解な状態ですので、追々勉強して行きたいです。

じつは、慧空さんのブログをまだ読み終えておりませんので、そちらが先ですね。

また、他の方々からの、欲望に関するヒントをいただければありがたいです。(←しつこいですね笑)

528慧空:2015/01/17(土) 10:02:07
dogsさん

なぜか私のしゃべりたい病といいますか、お節介心がうずきます。(^^)
すみませんが、もう少し書かせていただきたいと思います。

欲望、執着、恐れ等を解消するための最も簡単かつ根本的な方法は、その欲望等を満足させるべく精一杯生きることです。
精一杯生きるそのプロセスが大切でして、欲望が満たされたか否かはそれほど重要ではありません。
しかし、欲望、執着、恐れ等を解消するための方法にはもう一つ方法があります。
その方法は、究極的には自覚であるということになるのですが、欲望、執着、恐れ等に盲目的にただ反応して思考、行動するのではなく、
できれば一度立ち止まり、欲望、執着、恐れ等と向き合うことなのです。
欲望、執着、恐れ等は「苦」を伴うものですが、その「苦」を受けて立つ覚悟で、その真っ正面に立ち受け止めるんです。
そうやって、欲望、執着、恐れ等と向き合うことができれば、欲望、執着、恐れ等を引き起こしている根っ子にある考え(執着、カルマ)の解消が起こります(あるいは、起こっていきます)。

また、そのように欲望、執着、恐れ等と向き合われるとき、自覚を知っている方は、欲望、執着、恐れ等が起こっている自分に意識を向けていただきたいと思います。
その欲望、執着、恐れ等は、自分がつくっているものなんだ、あるいは、自分に起きてきているものなんだと自覚して頂きたいと思います。
そして、どうして自分は過去への執着や生、性への執着に囚われてしまうのか、自分の内面に向かって追求、思索してみていただきたいと思います。
また、それらは本当に自分を苦しめ翻弄するほどのものなのか、冷静に吟味して頂きたいと思います。

私たちは何かあれば直ぐに、恐れおののき、おろおろ、ジタバタしてしまいがちですが、
それらを冷静によく観れば、恐れおののいていた自分、あるいは翻弄されていた自分が馬鹿馬鹿しくなると思います。

529慧空:2015/01/17(土) 10:07:48
>不生不滅が既に在るという解釈は私のものでして、どなたかが仰っていたことではありません。

なるほどです。
でも、何となくdogsさんが仰りたいことは分かりますよ。
おそらく、「既に在る」というのは、「在る」や「ただ在る」と似ているのではないかと思います。
「在る」や「ただ在る」は、ウパニシャッドの覚者がよく仰る理解や感覚のことですから。
「在る」という考えには、永遠、不滅、不滅、絶対等の概念(執着ですね)が入っています。

530佐藤:2015/01/17(土) 10:25:26
お久しぶりです

>「在る」という考えには、永遠、不滅、不滅、絶対等の概念(執着ですね)が入っています。

鋭さ増してますね(^_^;)
追加で、愛、神、真我も。。

531佐藤:2015/01/17(土) 10:34:27
大悟の前で手放しが起こると良いですが、
余りにもはまると抜け出せないと思います。

という私は、「在るそのもの」とかの禅定は好きですよ。なのでどちらでも良いと思います。(^_^;)

532dogs:2015/01/17(土) 11:05:40
ご回答ありがとうございます。
自分なりに咀嚼したいと思います。腑に落とすのに時間がかかるのです汗

不滅や仏性、神といった普遍的価値だと思っていたものが、単なる概念かもしれないのですね。
アッ! と思う反面、怖い気もします。自覚するのによい機会をいただきました。

533佐藤:2015/01/17(土) 11:17:37
>怖い気

自らの存在価値自体を否定することになりますからね。。まあでも問題ないですよ(^_^;)

534慧空:2015/01/17(土) 11:27:33
おお、佐藤さん、久し振りです(^^)/

>怖い気

いいですねー^^
私たちが知っている典型的な恐怖として、死の恐怖がありますが、
その死の恐怖の先に、すべての意味(価値)等の考えを捨て去ることや、存在そのものが消え去ることへの恐怖があります。
ここを超えられるかどうかは、大きな分かれ目になっています。
もちろん、超えなくてもいいんですよ。

535dogs:2015/01/17(土) 11:31:43
はい、いまは超えれそうにありません。立ちすくむ感じに近いですね。
ちょっと、距離を置いてその怖さを眺めたいです。
少し前なら、その怖さを否定してましたから、一ミリ前進 笑 です。

536慧空:2015/01/17(土) 11:36:36
dogsさんは、正直な方ですね。
また、その自分を誤魔化さない感じもすばらしいと思います。
そういう方は、自覚をされると深い自覚をされるようになると思います。

537dogs:2015/01/17(土) 11:53:49
ありがとうございます。
ひねくれておりますが、なんかこうまんま書こうかな。という、気分にさせていただきました。
日本語変ですが 笑

佐藤さん、忌憚ないご意見ありがとうございますね!

538佐藤:2015/01/17(土) 11:58:25
いえいえ、その方が自覚する際も良いと
思いますよ(^_^;)

ひねくれるの面倒くさいですし。。

539アーク:2015/01/17(土) 16:25:16
 禅定は「好き」?

540ギンガ:2015/01/17(土) 16:36:29
 どちらでもいいと、一応フォローしてる。
  
 それより強い意志と発心は、イコールではないのか!

541慧空:2015/01/17(土) 19:02:58
>それより強い意志と発心は、イコールではないのか!

両者は重複している部分はありますが、イコールではないんですよ。
発心は意志の要素も含んでいますが、意志と言うより湧き起こってくる衝動なんです。

542佐藤:2015/01/17(土) 19:43:50
>発心は意志の要素も含んでいますが、意志と言うより湧き起こってくる衝動

どうしても避けられない納得していないと言っても良いと思います。

>一応フォローしてる。

フォローありがとうございます。
禅定は悪いものでも無いです。
禅定を悟りと勘違いしなければ良いと思いますよ。(^_^;)

543アーク:2015/01/18(日) 00:21:15
 どうしても避けられない納得していないとは?

544ルキフェル:2015/01/18(日) 06:48:03
 何を自己主張したいの?

 何を恐れているの?

545佐藤:2015/01/18(日) 08:04:10
>どうしても避けられない納得していないとは?

ご自身で自覚して下さい。
納得してればそれで良いと思いますよ。

546ベリアル:2015/01/19(月) 03:34:22
 わざわざ複雑なことばを、つけくわえるのはなぜかを、自覚してみたらどうですか?

547佐藤:2015/01/19(月) 19:11:45
まあ 頑張ってください。

548ルキフェル:2015/01/19(月) 20:06:06
 無視できないご自身こそ、自覚頑張ってください。

549なか:2015/01/19(月) 20:55:38
 佐藤さんもルキフェルさんも、なぜ一言多いのか、お互いに自覚ワークしましょう。

 大人なんですから。

550dogs:2015/01/20(火) 01:04:48
お気に入りの音楽って皆さんありますか?

グールドのブラームスを最近はBGMにして流しています 
⇒ http://youtu.be/YD8i0jUmbF8

座禅ボーイズの自問自答も好きです 
⇒ https://www.youtube.com/watch?v=VJzOvCbxn4M

551慧空:2015/01/20(火) 07:58:15
dogsさん

ブラームス、いいですねー^^
私はあまり音楽を聴かないのですが、
Autumn - George Winston(https://www.youtube.com/watch?v=PFcde9aI9Z0
は、結構好きです。
それと最近、ふとカーラジオから流れてくるカーペンターズの曲が改めていいなあと思ったりしています。
いままで、カーペンターズの曲を聴くとどうしても悲しい感覚が起こってきて、意識を逸らしていたのですが、
なぜか最近、自然に聴けるようになったみたいで、いいなあと思います。
CD、買おうかなと思っています(笑)。

552dogs:2015/01/20(火) 09:02:37
慧空さん
オータムは私も最近、聴いております。奇遇だなぁー(笑
カーペンターズ、いいですねー 

みなさん解脱されているので、こんな世間話はまずいかなぁーと
思っていましたが思い切って書いて良かった!

553慧空:2015/01/20(火) 10:17:42
dogsさん
はい、ここは何でも書いてくださいね。

オータム、奇遇ですねー^^

554dogs:2015/01/22(木) 23:43:31
こんばんは、どうもです。

神や仏が尊いと感じていました。師や先生、オーバーソウルでもワンネスでもいいのですが。
尊いと感じる”それ”があるから、私が私で居られる。って、いう安堵感を手放したくなかったです。
でも、そういった尊さも私が作り出した考えなんですね。それが単なる思考だって、なんだか残念です。
落ち込みの感情はないのですが、どに向かっていけばいいのやら。また、迷うのかな(笑

555dogs:2015/01/22(木) 23:45:56
祈りって、無駄なんですかね。

556名無しさん:2015/01/23(金) 08:04:50
dogsさん

>そういった尊さも私が作り出した考えなんですね。

そうなんです、尊さもその殆どの部分が固定観念なんですね。

>どに向かっていけばいいのやら。

その感覚、とてもいい感じだと思いますよ。
私たちは、脅迫観念に追い立てられるようにして、常にどこかに向かっていこうとしてきたんです。
改めて、そういうご自分の姿を冷静に考えてみてくださいな。

>祈りって、無駄なんですかね。

ハッキリ言ってしまえば、祈りは無駄でしょうね。
悟りが深くなってくると、祈ったりしませんから。
祈りは、こうなってほしいとか、そうなったらいいなあという願望ですから、
それは二元の囚われの中の考えなんです。
それにアレです、どんなに深く祈っても、多くの場合、その祈りは叶いません。
ある意味、叶わない可能性が高いことを知っているから、祈るですから。(^^)

なんだか、dogsさんはどんどんほどけていっておられるようですね。
そんな気がします(^^)

557慧空:2015/01/23(金) 08:34:33
上の>>556は私です。
昨日、PCを交換したので、名前の入力が消えてました。

558dogs:2015/01/23(金) 09:08:43
ご返答、ありがとうございます。
?それ?っていうものが思い込みならば、
?それ?を尊ぶ自分こそが思い込みかもしれない。
などと考え出すとおかしくなりそう笑 です
不安感はあまり無いのですが、こんな状態でも自覚ワークとして成り立ってますかね?

559慧空:2015/01/23(金) 09:26:14
はい、間違い無く、自覚が進んでおられると思いますよ。
だって、自分の囚われや、意識の動きに気づいておられるじゃないですか。

560dogs:2015/01/23(金) 09:54:01
慧空さん
どうも、教えてくださりありがとうございます。
精進しますね!

561慧空:2015/01/23(金) 09:54:58
>?それ?を尊ぶ自分こそが思い込みかもしれない。

ここをさらに追求されるのもいいかも知れませんよ。

562慧空:2015/01/23(金) 10:29:07
ちなみに、この掲示板は、昨年の10月2日につくったのですが、
昨日まで、およそ110日間に、12310人の方が訪問してくださいました。
平均すると、一日当たりおよそ110人の方が訪問してくださっていることになります。

だから何だと言われても困るのですが、
意外にたくさんの方が来ておられるんだということを書いてみました。

563ユウ:2015/01/27(火) 06:36:35
自覚を続けていると、
それぞれの気付きはその人の人生経験で少し違ってくるように思います。
答えは1つではないんだなぁと思います。

564慧空:2015/01/27(火) 18:43:11
ユウさん
まだ頭で自覚をしておられる感じです。
自覚は、私に自身に意識を向けるだけでいいんですよ。

565ユウ:2015/01/28(水) 11:57:32
慧空さん
私に意識を向けているつもりですが、日常生活を送っていると、
なぜこの人はこんな風に思うのかと思ってしまうことが多々あるので…。
でも以前より明らかにいらいらすることが少なくなっています。
自覚は続けたいと思います。

566ベルゼバブの息子:2015/01/30(金) 08:55:49
自称大悟者って、やはり多いですね(笑)

567リアル:2015/02/01(日) 11:39:23
 結局、真実は白日の下にさらされたわけでしょ!悟っている存在は、そもそも他者のふんどしで相撲を取り続けないからね。
 また、解脱者が最初は意図的?に、学びの材料として泳がせてるみたい!
最終的には、詰めて詰め抜いて来れなくする、つまり切るわけだ。

 我々の中にも、自称大悟者を盲信した人いたでしょ?このスレッドを、初めから読むと凄く勉強になりますね!

 むやみやたらに、信じると混乱して主宰マスターに、喰ってかかる?これ自体が依存や、かまって病かもしれないが。まあ、納得したようで本当に良かったと自己のエゴは感じている
(笑)

568慧空:2015/02/01(日) 20:12:02
佐藤さんのことや、佐藤さんと私の間であったことは、基本的には何も触れずにそのままにしようかとも思っていたのですが、
少しコメントさせていただこうと思います(佐藤さん、そこのところお許しください)。

佐藤さんとはメール等でかなり密接にいろいろやり取りさせていただきました。
メール等を頂くようになって直ぐに自覚を始められ、それから1ヶ月くらいが経過したころに、大悟を得られました。
佐藤さんは、「観るものは観られるもの」をしっかりと体感されたんです。
佐藤さんは、ウソを言うような方ではありませんし、大悟に関する感触についてはそれを実際に体感しないと決して分からないことですから、
仮にウソを言っても簡単に分かりますので、佐藤さんが「観るものは観られるもの」を体感されたことは間違いないのだろうと思っています。
佐藤さんは、大悟者なのです。

569慧空:2015/02/01(日) 20:26:12
上の続きです。
佐藤さんが大悟を得られてから、確か3週間か1ヶ月が経ったころに、佐藤さんとやりとりをしている最中に、
どうやら佐藤さんが何かに気づかれた(あるいは、何かの手放しが起きた)という何か感触を感じることがあったのです。
佐藤さんご自身にとって、その手放しは結構大きなものだったようで、もの凄く意識が軽くなり、落ち着いたようでした。

私も佐藤さんも、そのときの手放しを解脱の悟りと勘違いしてしまったのです。
正直なところ、佐藤さんの意識に不安定で彷徨っている様子がうかがえるので、本当に解脱の悟りを得られたのかどうかはよく分からないところもあったのですが、
ご本人も、終わったという感触や、迷いが止まったという感触があると仰るので、あまり深くは追求せず、
私の気持ちの中でも、佐藤さんは解脱の悟りを得られたということにしてしまったのです。
不思議だなあ、どうしてあのように不安定なんだろうなあと思いながらも、余り疑うこともなく、勘違いしたままつい先日まで来てしまっていたのです。

そして、私のブログコメント欄での佐藤さんと私の一昨日(?)のやり取りがあり、
ああ、そうだったのかという具合に、自分自身の誤解や、モヤモヤが晴れたということなのです。

570慧空:2015/02/01(日) 20:29:26
さらに続きです。
正直なところ、私は佐藤さんのことが大好きでして、佐藤さんとやり取りするのがとても楽しかったのです。
ですから、今回の件では、正直なところ、心が痛んでいます。
囚われと思われようが、何と思われようが、痛むんです。
ちょっと休憩します。

571慧空:2015/02/01(日) 20:42:22
続きです。
でも、今回の佐藤さんとのことで、改めて分かったことがたくさんありました。
この書き込みの最後に、そのことについて書かせていただきます。

一つ目は、大悟の有無の判断はとても簡単なのですが(観るものは観られるものに関連したことや、その周辺のことを質問すれば直ぐに分かるので)、
解脱の悟りの有無については、判断が難しいということです(少なくとも、私には難しいです)。
その人の囚われが言葉や文章の中にハッキリと出てくれば直ぐに分かりますが、出て来ない場合は、わかりにくいということが分かりました。

二つ目は、大悟者はまだいくつかの考えを握りしめておられるのですが、
その握りしめた考えのバリエーションは私が予想していた以上に多岐に及んでいる可能性があるということが分かりました。
まさか、大悟者である佐藤さんが、私という存在である意識の成立根拠を肉体や現実世界に置いておられる(あるいは、求めておられる)とは思いもよらなかったのです。

572慧空:2015/02/01(日) 20:56:31
続きです。
三つ目は、私という存在(意識)の成立根拠をどこかに求めてしまうこと自体が、成立根拠に対する囚われがあるということが分かったことです。
つまり、成立根拠を肉体や現実世界の求めることは、成立根拠に対する囚われと、肉体や現実世界に対する囚われの二つの囚われがそこにはあるんだということです。
かと言って、成立根拠を私自身に求めるめても、成立根拠に対する囚われと、私に対する囚われが生じてしまうということです。
これらのすべての囚われを手放す必要があるんだということが分かったことは、私の理解にとってとても大きかったです。

四つ目は、やはり、解脱の悟りに至る際の最後のポイントは、私という存在の根本にある苦に気づき、かつ、その苦から生じる迷いの衝動を断ち切ることだということが分かったことです。
この最後のポイントが再認識できたことも、私の理解にとってとても有り難かったのです。

佐藤さんとご縁がこのような展開を迎えてしまったことに、とても複雑なものを感じつつ、一端ここまでとしたいと思います。

私としては、また佐藤さんとやり取りできたらいいと思っております。
何しろ、私は佐藤さんのことが大好きなんです。

573まきりん:2015/02/01(日) 23:38:49
慧空さん

私は大悟もしてないので、おふたりのお気持ちは分からないので、感想を申し上げるのは、おこがましいのですが、言いたいので言わせて頂きますと(笑)
慧空さんは、痛みを感じていらっしゃるようですが、佐藤さんは、何とも思ってないように、私は感じますし、慧空さんに、「大丈夫ですよ」と言ってあげたくなりました。^ ^

574慧空:2015/02/02(月) 08:04:40
まきりんさん
お心遣い、ありがとうございます。
佐藤さんも、私も、大丈夫です(^^)

575ひろみ:2015/02/02(月) 23:41:16
 大悟ではなく小悟ではないかと感じられました。悟りの捕え方、定義が上座部、禅宗、真言宗それぞれの宗派や人によって全然違いますよね。私の宗派では、大悟と解脱は同じです。

576慧空:2015/02/03(火) 08:01:02
ひろみさん
それでは、あなたが大悟者だと思われる方としてどういう方がおられるのか、
具体的に何人か(お一人でもいいですが)か名前を挙げてみていただけませんか。
既に故人の方でもいいですし、現存されている方でも結構です。
但し、その方の言葉や文章がそれなりの分量でネット等で閲覧可能な方をお願いします。

577ひろみ:2015/02/03(火) 08:52:17
 成瀬雅春さんです、悟りのプロセスを、お読みになられてご感想を、お聞かせください。

 タオプレイスの島田明徳さんの「悟りの意味」もお願い致します

578慧空:2015/02/03(火) 09:06:44
ひろみさん
なるほどです。
ありがとうございました。
コメントは控えさせていただきます。

579dogs:2015/02/03(火) 21:47:57
こんばんは、時事ネタISISについてです。

彼らは回教を名乗っていますが、野蛮なテロを繰りかえし、それを褒め称える
都合の良い神を作り上げたと思います。
また、他者を従わせるために暴力的恐怖を宣伝しています。

ISISのことや、人質事件ニュースを見るにつれ日本や自分達の無力感で心が
重くなり、また思考が混乱します。自己責任で片付けていいのか、そんな憤りも
感じますね。

ISISのような圧倒的な悪を知ると、またそれに反応するネットの論調を読むと
パニックとまではいきませんが、目も耳も塞ぎたくなります。

自分(達)には関係のない世界の話だと切り捨てることも有りでは
ありますが、皆さんはどう思いましたか?

580慧空:2015/02/03(火) 22:39:41
dogsさん、こんばんは。

dogsさんは、善悪の二元の観念を握っておられるのですね。
善悪や、人の命は尊いものだ等の考えを握りしめておられるのです。
そこに現象がただ起きているだけなのに、こららの握りしめられた固定観念が、
思考を起こし、感情を増大させ、心の混乱を増大させます。

こんなことを書くと私(慧空)は人間じゃないようですが、私は今回のIS関連の事件報道を見聞きしても、
それほど心は動かないのです。
後藤さんの最後のシリア渡航前にアップされたyoutube動画を観たときや、湯川さん、後藤さんが殺害されたことを知ったときは、
正直、涙が流れました。
後藤さんたちのの行動も愚かだと思いましたが、ISの行為には計り知れない愚かさを感じました。
それと、同時に、これもどうしようもないことだと思いました。
そして、ISや後藤さんたちを巡る報道に関する私に起こった涙も、それらの思考も、流れ去っていきました。
なぜなら、それらはすべてただ起きてきて、流れ去っていく現象たちだからです。

また、こんなことも言えます。
普通の感覚から観て、ISがやっていることは間違いなく悪です。
また、どうやらこの世の中は人間社会も自然環境も不安定化の方向に流れていっているようです。
しかし、それを良くないことだ考えているのは、私たちの自我であり、そこには良し悪しという二元の囚われがあるのです。
要するに、観点が偏っているのです。
自我は偏った観点しか持てないものですが、
仮にあらゆる観点からものごとを観ることができたとしたら、どんなことがらも、すべてニュートラルであり、
完全完璧なのです。
人々が世の中が良くないから、良くしようとしてがんばるとします。
すると、ある側面では世の中が良くなるかも知れませんが、その逆側の側面から観れば、必ず悪くなっているのです。
すべてのことがらには、一長一短、プラスマイナス両面があるのです。

それじゃあ、私たちはどうしたらいいのでしょう。
どうしようもないのです。
そのことが本当に府に落ちてくると、積極的にがんばって何かをどうこうしようという意志(これがエゴの迷です)が、
消失していきます。
そして、自然と起こってくる流れに、身も心も任せるようになっていきます。


すべてのことがらは、ニュートラルで、

581慧空:2015/02/03(火) 22:41:19
上の最後の「すべてのことがらは、ニュートラルで、 」は、編集ミスです。

582dogs:2015/02/03(火) 22:57:56
慧空さん、どうもありがとうございます。
何か私の内面を見透かされた気がしました。
もちろん、心を覗き見るようなことにはご興味ないと思いますが、
表現のあやです(笑

見性者の方、大悟の方など他の方のご意見も、差し支えなければぜひ伺いたいです。

583dogs:2015/02/03(火) 23:06:54
慧空さんのご返事を読んで、感じたこと。

私は、事象やその事象に反応する人々を自分も含めて、裁く傾向があるようです。
また、こちらでは詳細は控えますが、ある復讐心から大悟や解脱に関心があることも思い出しました。

尊いものを、尊いと感じる私の心を手放したくない。
同時に、その尊いものを貶めたい。
そんな、深い妄執が私の本性。

単なる思考だとは頭では理解してますが、自覚が深まるにつれて邪悪な面が色々と目に付きます。困った、見たくなかったです。
どうしたらいいのやら。

584慧空:2015/02/03(火) 23:26:17
dogsさん

>自覚が深まるにつれて邪悪な面が色々と目に付きます

これは、普通です。
上手に自覚が出来ている証拠でもあります。
上で、すべてはニュートラルで、プラスマイナス両面があると書きましたが、
私たち個々の心の中もまったくそうなのです。
他人から観ても、本人が自分を観ても、いかにも清らかそうな人が確かにいますが(
例えばマザーテレサでも誰でもいいです)、
その人が素晴らしく清らかな面を持っているのであれば、その同じ心の中のどこかに、とんでもなく汚れた考えを握りしめています。
間違いないのです。

自覚をすれば、そうやって、普段は目に付かない、自分の心の動きや衝動が見えてくるんです。
何を隠そう、私(慧空)なんて、サタンもびっくり仰天するような衝動が自分の心の中にあることが分かりました。
それは、この世の中すべてを(もし天界があるのなら天界も含めて全部を)、跡形もなく破壊してしまいたいたいという
とても強い衝動がありあす(実はそれはいまでもあるんです、(^_^;))。
その一方、この世の中すべての調和、統合を完成させたいという、これまた途方も無い衝動もあるんです。
余談ですが、この相反する二つの衝動に気づいたとき、私は思わず号泣しました。
なぜか分からないのですが、心の奥底からわき起こるようにして、そして、辛かったであろう自分自身を慰めるようにして、
号泣しました。
そんなこともあったなあ〜、懐かしいです(^^)

585dogs:2015/02/03(火) 23:33:02
慧空さんへ、質問です。連投すみません。

考えを持たなくとも、人間の本性は邪悪に落ちないでしょうか。
考えがあるからこそ、人たらしめているのではないでしょうか。

586dogs:2015/02/03(火) 23:35:49
584のご返答に気づかずに、上記の質問をしていました。重複する面もありますが
上記質問についても、差しつかえなければご返事をお願い致します。

587dogs:2015/02/03(火) 23:39:51
>とんでもなく汚れた考えを握りしめています。間違いないのです。

悲しいですね、同時に軽くもなりました。
私の自覚が進んでいるとのこと、確認ができて嬉しいです(笑

>私(慧空)なんて、サタンもびっくり仰天するような衝動が自分の心の中にあることが分かりました。

大変な思いを経て、掴まなくなったんですね。覚悟したいと思います!

588慧空:2015/02/03(火) 23:46:05
>考えを持たなくとも、人間の本性は邪悪に落ちないでしょうか。

ですから、その「邪悪」という考えが固定観念なのですってば。
考えを持たない存在、あるいは殆ど考えを持たない存在とは、
典型的には、動物たちの生き様がそれに該当するのだろうと思います。
あるいは、少し語弊があり得ますが、未開の地の原住民の生き様も、
あまり思考を使わない生き方かも知れないと思います。

彼らは、けっして邪悪ではありません。
ただ生きているだけの存在たちです。
それを邪悪と考えるのは、dogsさんの自我の偏った判断です。
かららの生き様は、まさにニュートラルなのです。

>考えがあるからこそ、人たらしめているのではないでしょうか。

はい、そうです。
悟りを得るためには、十分な思考力、つまり十分に発達した自我が必要なのです。
十分な思考力が無いと、悟りに必要な智慧が働かないのです。

悟りとは、本当に面白い現象だと思います。
悟り、特に深い悟りを得るためには、十分に発達した自我を一度育てる必要があるんです。
そして、その発達した自我の中に芽生えた智慧の力を使って、今度は自我をそぎ落としながら、深い悟りに入っていくんですから。
本当に不思議な現象だと思います。

589dogs:2015/02/03(火) 23:53:25
稚拙な質問にお付き合いいただき、ありがとうございます。
あ、そうか。と、納得させていただきました。

なぶり殺すような事象の邪悪さと、それを見て断定する私の考えとしての邪悪さ。
混同していました。
自覚に必要な、自我も知性もまだ不足しているようでお恥ずかしい限りです(汗

590慧空:2015/02/04(水) 00:01:11
いえいえ、大丈夫です。

そう考えると、事件を引き起こしているISの人たちも、単に彼らの自我がまだ幼いというだけなのかもしれないと、
ふっと思いました。

私たち、先進国の住民も、数百年か、千年ほど前には(あるいは、そんなに遡らなくとも)、
ISの彼らと似たようなことをやっていたのかも知れません。

591dogs:2015/02/04(水) 00:12:23
>ISの人たちも、単に彼らの自我がまだ幼いというだけなのかもしれない

同意見です。(私自身のことは脇においてですが 汗)
彼らなりの価値観で蛮行を繰り返していると思いますが、なんというか
他者への共感や痛みを感じない幼い自我なんでしょうね。

晩くまでお付き合い、どうもです!
気持ちが落ち着きましたよー なにか借りをいつか返しますね(笑

592ユウ:2015/02/09(月) 13:46:09
内観することは私にとって癖のようになっていますが、
時間が経って自然にいろんなことが進んでいくと、私の気持ちにも変化があります。
これでよかったんだなぁと思えるようになりました。
それがもしかすると手放しになるのかなぁと思ったりします。
自分の気持ちに関係なく時間は過ぎますし、年だけは取っていきますね…(^_^;)

593まきりん:2015/02/09(月) 21:08:15
ユウさん

こんばんは(^o^)/

内観されていて、素晴らしいですね!
愛で満ち溢れる女性になっていかれると思います☆

あと、ユウさんが、凄いのは、
慧空さんのブログと掲示板は、
夢も希望もないんですよ〜(笑)
愛とか卒業する人には希望ですが。

なので、
ユウさんは、その先へ行かれる方なのかもしれませんね☆

594まきりん:2015/02/09(月) 21:18:08
慧空さん、dogsさん

久しぶりに訪問させていただきましたので、遅ればせながら、投稿させていただきます^ ^

ご存知かもしれませんが、
Isのメンバーで日本人とTweetしてる人がいるんですね。

http://matome.naver.jp/m/odai/2142222254072200701

「アメリカが謝れば、許す」というのが印象的でした。

捕虜のお二人が亡くなったニュースを聞いたときは、心が痛みました。

あと、Isの話とはズレるのですが、

私は二年くらい前に、たぶん真我の第一覚醒をしてるのですが、
それから半年くらいたった頃に、

人を殺すということは、凄いエクスタシーを感じるんだと分かったんです。
ワクワク感とどちらか選べと言われたら、迷うくらいの、かなり気持ちがいい周波数のようなものを感じました。

それを感じる以前は、快楽目的で人を殺す人を理解できなかったですし、怒りを感じていました。

しかし、あのエクスタシーを感じてから、殺戮を愉しむ人に対して、
疑問に思うことはなくなりました。

その後、彼女の存在を知りました。

血と殺戮を好む戦いの女神
http://ja.m.wikipedia.org/wiki/カーリー

595慧空:2015/02/10(火) 07:53:06
まきりんさんへ

まきりんさんは、カーリー神と関係がおありなのかも知れませんね
久し振りにウィキでカーリー神の像の画像を観ましたが、やっぱり凄いですねー(^_^;)
でも、すべてのことがらには二面性があるので、カーリー神の中には、
その反対側の側面もきっとあるんです(一見しただけじゃ、なかなか分かりませんが、笑)。
同じように、人殺しや、戦争にも、別の側面が必ずあるんです。

596まきりん:2015/02/10(火) 08:50:09
慧空さん

カーリーと関係があるのは、あまり嬉しくないですが(笑)

「死」という概念は凄いなと思います。
「死」という概念は、苦しみや悲しみを与えてくれますし、
感動もの与えてくれます。

「死」がなくなったら、感動のない世界になってしまいますね。

あ、「死」がない世界なんてないですね。

自我があるかぎり。

597山口:2015/02/13(金) 20:07:08
 死も生も初めからないように感じています

 仏教で不安定な大悟があると誰が言ってるんですか?

598山口:2015/02/13(金) 20:08:13
 死も生も初めからないように感じています

 仏教で不安定な大悟があると誰が言ってるんですか?

599慧空:2015/02/25(水) 22:01:37
今日は、私の唯一の不思議体験について書いてみたいと思います。

それは、2013年の9月末か10月始めの夜中のことでした。
眠れないのもあって、ふっと瞑想をしてみようと思って、自宅のいつも家族と寝ている部屋から、
廊下を通って真っ暗な別の部屋に入ったときでした。
部屋に入ったところで、何か薄ぼんやりとした光のようなものを感じたのです。
でも最初は、特に気にしないでそのまま部屋の中の方に入って行こうとしたのです。
そうしたら、自分の顔に何かもわんとする、気のエネルギーのようなものが触れたのです。
それで、何かあると思って驚いて、一歩下がって、目の前を見たのです。

すると、ちょうど目の高さの正面に、薄ぼんやりとした直径40cmほどの紫色の光りのボールのようなものがあったのです。
恐怖心は不思議なほど全く無く、その光のボールを両手で両側から包むようにしながら、私はそれを何だろうと思って凝視しました。
そして、私はその光のボールに、
「あなたは誰ですか?」、
「私に何かご用ですか?」
と聞きました。

しかし、その光のボールからは何の返事もありませんでした。
そのまま、おそらく1分ほどの時間が過ぎたころ、その光のボールが帰ろうとしていることが分かったので、
私は、
「来てくれてありがとう」
と言って、光のボールに添えていた手を離したのです。
すると、光のボールはゆっくりと上方に浮かび上がりながら、消えていきました。

そのあと私は、いまの光のボールは何なのだろうと思いながら、その部屋で瞑想を始めました。
そのときしようとしていた瞑想は、目を閉じて意識を静かに落ち着かせるだけの普通の瞑想でした。

瞑想を始めて直ぐに、自分の意識が宇宙空間のような空間に入ったのでした。
そして、それに続いて、私の意識は、光のトンネルに吸い込まれていったのでした。
そのトンネルは、ちょうどSF映画のワープ航法のときの映像のように、
白色か黄白色色の光が後ろの方にもの凄い速度で流れ去っていくような感じでした。

不思議と恐怖心はなく、私はそのとき、どこまでも行ってやろう、そして見てやろうと思っていました。
どのくらいの時間、光のトンネルの中を進んだのか分かりませんが、途方も無い遙か彼方まで飛んで行っているような感じがしていました。

すると、スーッと光のトンネルを抜けて、また宇宙空間のような空間に出たのです。
そして、その空間の中を前方に進んでいっていると、その空間の右斜め前方に、
宇宙人らしき存在の肩から上の姿が、1人から3人ずつ、順番に浮かんでは消えていったのです。
全部で10人ほどの姿が浮かんで消えると、間もなく、再び光のトンネルに入っていきました。
そして、光のトンネルの中をまた延々と飛んで、普通の瞑想の意識に戻って来ました。

私は光のボールを見たことも、瞑想中に変わった体験をしたこともありませんでしたので、
私は頭の中が「???」になり、瞑想を終えて寝てしまいました。
もちろん、いまでもあの体験が何だったのかは分からないままです。

紫の光のボールや、瞑想中の光のトンネルが何なのか、もしお分かりの方がおられたら、教えてほしいと思っています。
だって、光のボールに関しては、ちゃんと感触までありましたから、そりゃあ、気になりますよ(笑)。
光のボールの色が紫というのも気になるでしょ?(笑)

以上、私の唯一の不思議体験でした。(^o^)

600めがね:2015/02/26(木) 10:44:30
私はただ一瞬見ただけですが
光のボール繋がりで書いてみようと思います!
昨年の11月の上旬頃に家族4人で
夕食を食べていました。
私は妻と並んで右側に座っています、テーブルの角を挟んで
私の隣が息子、妻の隣が娘が座っています。
普通に食事をしていた時に突然
私の左眼に妻側の目にですが直径15センチ前後の球体の白い光が
目に飛び込んでくる感じを察知したので思わず「ワッ」て声を出している私が居ました。
そうしたらですね、その時点では自分では何が起きたか解らない感じで放心していたのですが
娘がお父さんも見えたの?ていったんです!!
何が見えたの?て聞き返したら私には飛行機雲の様な線がシュッてお父さんたちの方へ
飛んでくるのが見えたって言ったんです。面白くないですか!

娘は色んな物を見ているのですが
一緒にそういったモノを見たのが初めてで嬉しかったです。

数日かけてそのことを考えていたのですが
娘は視力が悪く、焦点がしっかり合う遠点は50cm程度なんです
なのでそんな飛んでくるものは通常の眼球の眼では見えないはずなんですが
違う部分で感じるものなんだろうと解りました。
光の玉は当たった感触は無かったし、あの至近距離で近づいてくる感覚では
体をすり抜けているんだろうと思いました。

せっかくなんでもう1つ
あまり不思議体験は無いんですが
上記の数週間後に私がお風呂から出て髪の毛を乾かしていた時
娘が次のお風呂に入りに来ました
その少しあとに娘がお父さん今キラキラが見えてるって言ったんです
以前小さな光る物体の話をしていましたがチカッチカッするタイプのです(私は見た事はないのですが)
エッそうなの?お父さんには見えないよて会話で終わりですが
その同じ場面にいても私には見えなかった話です(笑

娘曰くその光が見える前兆があるそうでその空間の明かりが少し暗くなるそうです
その後に光が見えだすので来るのが解るそうです。面白くないですか(笑

601慧空:2015/02/26(木) 16:31:12
めがねさん
娘さんと一緒に光のボールを見られたのですね。
ちょっと羨ましいです。

それにしても、これらの光は何なのでしょうねぇ。
誰か教えてくれる人、おらんのでしょうか(笑)。

602慧空:2015/02/26(木) 17:15:31
そう言えば、もう一つだけネタがありましたので、書きますね。
それは胎内記憶と呼ばれるものです。
どうやら私は、母親の子宮の中でいたときの記憶があるようなのです。

どんな記憶かと言いますと、一つは、ポワーンと浮いている安らかで心地よい記憶です。
二つ目は、足先や手など弾力のあるゴムのような壁にポヨン、ポヨンと当たる感じの楽しい感じの記憶です。
三つ目は、足や腕などが絶えずゴムのような壁から圧迫されている感じで、足や腕でいくらその壁を押しやっても、その壁をどかすことができずに、
とても圧迫されていて、窮屈でもどかしい感じの記憶です。

どうして、これらの記憶があるのかといいますと、
物心がついたころから、小学校の高学年ころまで、上の三つの記憶に関連した夢をめったやたらと頻繁に見ていたのです。
本当に頻繁に見るときは、ほぼ毎晩のようにそのような夢を見ていました。

夢を見ていた当時は、その夢のことが何のことなのか分からなかったのです。
小学5、6年生ころになってその夢を見なくなったこともあり、その夢のことは殆ど忘れていたのです。
それが、2012年12月に起きた明け渡しがあった翌日に、なぜか、その夢のことを思い出し、その次の瞬間、
その夢が胎内記憶であるという確信が起こったのです。

明け渡しが起きた次の日は、頭の中の記憶の構成や繋がりまで変化していたようで、
うっすらとした輪廻の記憶のようなものも思い出したりと、
いろいろ不思議なことがありました。

それで、うちの息子(次男)はどうかと思って、次男が7歳になるかならないかのころに(ちょうど2年くらい前です)、
息子に、胎内記憶について聞いてみたことがあるんです。

息子に、「父ちゃんは、父ちゃんのお母さんのお腹の中におるときに、お母さんのお腹の壁を足でグイグイ押しやっとったのを覚えとるんやけど、
○○(息子の名前です)は、なんか覚えてないか?」って聞いたのです。
すると、息子が、「ああ、その話しね、それだったら、覚えてるよ」と言って、
私の腕に浮き出た血管(静脈)の筋を指さして、
「父ちゃん、これ何て言うの?」、「母ちゃんのお腹の中にいるとき、これが見えたよ」って
言ったのです。

私は思わず、「へーー、○○はそんなん、覚えとるんか」と言いながら、
これは面白い、もっと聞いてやろうと思い、
続けて「ほな、○○は、母ちゃんのお腹に入る前のことを覚えとるか?」、
「母ちゃんのお腹の中に入る前はどこで何をしとったか覚えとるか?」
って聞いたのです。
そしたら、息子が「うーーん」と考え始めたところで、
その様子を見ていた家内が、「もうやめて!」、「○○にそんな話し、せんといて!」
と言って遮ったので、そこで息子とのやり取りは途切れてしまったのです。

せっかく面白い展開だったのに、ちょっと残念でした(笑)。

先日、息子に、胎内記憶のことをもう一度聞いたみたら、血管が見えた記憶を含めて、
一切の記憶を忘れてしまっていました。
息子に、「父ちゃんのこんな話しを聞かせてくれたことがあるやけど、何も思いださへんか?」と
言っても、自分がそんな話しをしたことさえ覚えていないのです。

オチが無い話しになってしまいました(笑)。
でも、ちょっと面白い話しでしょ(^o^)

603めがね:2015/02/26(木) 19:18:26
慧空さん
感触があったんですよね、色も紫で
私は白いく感触が無かったです。
お客さんや知り合いの方に3人見える方がいるので
色の違いや触れるのかなど今度会う機会には
聞いてみようと思います(笑)

604慧空:2015/02/26(木) 19:30:04
めがねさん
そうなんです、私の体験は、気のエネルギーのような感触があったんです。
色は紫で、透けるような感じの薄ぼんやりとした光のボールでした。

>お客さんや知り合いの方に3人見える方がいるので

へー、いわゆる類ともですね(^o^)
お願いしまーす^^


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