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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き

1たこ助 ◆6KctQgwHqc:2014/04/30(水) 20:20:37 ID:KPSTbrXA0
スレを立ててしまいました。
俺が罹患してしまった「統合失調症」というワケが分からない病気。
しかし、発症に前後して体験した出来事については、多くの方々から色々な意見をいただきました。

このスレでは、みんなでこれらの体験とか、悟りとか、量子力学とか、
果ては宇宙、宗教の発生について色々と意見して行きません?
ってスレです。

579不思議な名無しさん:2015/01/11(日) 11:42:56 ID:KETw.CDw0
たこ助さん、5次元の人のスレ覗いてみて。
たこ助さんと同じようなことを言っている人がいて面白いよ。

580イジリー ◆8udsPUAZG2:2015/01/11(日) 16:40:53 ID:6CRhcifA0
有る
とは認識のことで

有りて有る
とは夜空にある見えない新月のように
認識は出来なくともあるもの、

みたいな感覚かなぁ?

581不思議な名無しさん:2015/01/11(日) 22:45:32 ID:AMaSEIP20
イジリーさん、伝達ありがとうございます。
たこ助さん、早いお返事ありがとうございます。

>>578,580
なんとなく、「有る」と「有りて有る」とを勝手に逆のように考えてしまっていました。
「有る」とはそれ単体として有り、「有りて有る」とは他があることによって有る、というように。
しかし、そうですよね、普段私達が「有る」と言えばそれは主張になりますよね。
たこ助さんのお返事を読んで、一連のスレに書かれていた体験談と考察のそれぞれがぴったりと繋がった気がします。

如何様にも解釈できる、ということが、即ち多様性の海なんですよね。
ひとつ思ったのですが、「有りて有る」をいわゆる「絶対的な有」と考えると、
成る(認識される)前のものとは、この「有りて有る」ものということになるでしょうか?
このことがつまり、すべては波であるとか、エネルギーの交換とか、
「影」というような表現に繋がっているのかな、と感じました。

12の構造に関しては、正直、興味や疑問が尽きません。
細かい話になりますが、たこ助さんが図示していた12の構造を見てみると、
「有る」という事実は認識によって成り立っていますが、では物質(概念)や心、法則などは「有る」とは別のものなのかとか、
いやむしろそれらの構造がそれぞれ部分的に協力しあうことで最終的に「有る」存在を形成しているのか、とか、
12の構造と波との関係は、とか、
いろいろなことを思います。
12の構造はあらゆる物質に適用できるということも仰っていますよね。
ブログの完成をお待ちしています。

582たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/01/12(月) 04:05:27 ID:ZGYUczus0
>>581
俺の書き方が悪かったです、ごめんなさい。
>>578で書いた、

>「成る」とは「有る」の前に存在するものであり、
>しかし、それは「有る」と含んでいます。

は、

「成りて成る」とは「有りて有る」の前に存在するものであり、
しかし、それは「有りて有る」を含んでいます。

でした、失礼しました。

しかし、この関連性は非常に難しい側面を持っています。
エキセントリックな内容となりますが、書かせていただければと思います。


「有りて有る」とは、
「そこに『有る』という事柄自体が、観測や認識に因らずとも存在していること」
これを、「絶対的な有」と呼ぶとした場合、

「成りて成る」ものは、この「絶対的な有」の前に置かれるものです。
この「成りて成る」に対して何かしらの干渉すると、「成る(有りて有る)」になる。

私たちが「有りて有る(成る)」ものに干渉して、それを何かしらの形として解釈した結果、
それは「有る」になります。

「成る」は物質でありながら別の状態を持つかも知れず、しかし、そこに存在する限りに存在するものです。
しかし、「成る」に直接干渉した場合、常識では説明出来ない挙動を示すかも知れません。
まるで「成る」が「有りて有る」ものを飛び越えて「有る」になってしまったかのような動きだと予想できますが、
その具体例は俺にも分かりません。

この問題については俺も悩むところですが、
実際には「有りて有る」や「成りて成る」という意味的な事柄は見せかけの疑問だと考えています。
ここに関わって来る問題の帰結点は「時間」です。

583不思議な名無しさん:2015/01/13(火) 00:25:30 ID:AMaSEIP20
>>582
ええと、まとめると、
成りて成る→(何かしらの干渉?)→成る・有りて有る→(解釈)→有る
という流れの構図でしょうか。
(飛び越えるという文字列から、量子力学のトンネル効果のようなものを想像してしまいましたが、これもなにか関係があるような……?)

たとえば、物質がエネルギーの波の一際高くなるところに現れる、とすると、
上記の流れの構図の(何かしらの干渉)とやらはエネルギーの波どうしの干渉のことで、
様々な波が干渉しあってある一点にエネルギーが集中すること……という過程を意味しているのではないかという気がします。

そして波である以上、時間発展が関わってくると考えているのですが、
ここで問題とする「時間」は、やはりスレの最初の方で書かれていた時間と空間の話と関係しますか……?

584たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/01/23(金) 23:33:38 ID:ZGYUczus0
ごめんなさい、パソコンのディスクコントローラが壊れてしまったので
パソ組み直すまでネットができなくなっています。
直ったらレスします・・・

585たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/02/02(月) 00:03:07 ID:ZGYUczus0
パソコン直りました。

>>583
「飛び越える」は、そんなに難しい考え方ではなく、
俺たちがいる「有る」ステージと、成りて成る、成る、有りて有るのステージは違うように俺は感じています。
ただ、これらのステージは隔てられているのではなく、そこに「有りて有る」ばかりです。

この世界のすべては波である、という感覚は、俺も自ら体験した中で確かに感じたものです。
ただ、それは物質同士の波が干渉し合うものではなく、物質を物質たらしめるもの、
存在の底流にある「成りて成る」が干渉し合い生み出されているもののように思えます。

この言い方は語弊があることを承知で言えば、
有りて有る波と、成りて成る波の両者が噛み合った部分に「有る」が生み出されるのかも知れません。


話は変わりますが、俺の友人は「この世界はゲームなのかも知れない」と言いました。
確かにこの世界は無数の変数と配列で満たされたプログラムの中のように思えることがありますが、
それは「結果論」と「目的論」の混合に因る錯覚であるように思っています。

しかし、統合失調症による妄想であったとしても、俺の体験群から得た感想としては、
この「目的」、言い換えれば「理由」が、あたかも世界を構成しているように思えました。

なぜ、この「結果」と「目的」が混ざり合うかのような錯覚に陥るのか、
その原因を考察すると、しばしば世界には「この出来事が起きた」という事象を飛び越え、
そのことを、まるで事前に知っていたかのように振る舞う現象が起こるからなのかも知れません。

いわば、事象が「原因」よりも早く「目的」が生じたようなもので、
それらは時間という箱の中で生きる俺たちに「では、なぜ我々は何によって始まったのか」という疑問を抱かせます。


「成りて成る」「成る」のステージには時間という概念があるのか。
そして、そこには空間はあるのか。
言葉を変えるなら、本当に俺たちは「時間という箱」の中にいるのか。

この疑問は非常に興味深いものです。

586たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/02/02(月) 00:23:10 ID:ZGYUczus0
1カ所訂正
「では、なぜ我々は何によって始まったのか」

「では、我々は何によって始まったのか」


ついでに、チラシの裏程度の話として・・・

俺はどちらかと言うとオカルト否定派ですが、予知(主に予知夢)は少しだけ信じています。
体験って恐ろしいです、偶然に当たっていただけでも、盲目的に信じさせてしまう。
それが何回も偶然当たってしまった場合、真実を真実としておけなくなってしまう。

数年前に探査機はやぶさが地球に戻って来ましたが、
普通に考えれば、TRONというOSを載せた小さなコンピュータで制御されている無機物であるはずの探査機が、
まるで自らの子供であるカプセルに寄り添うようにして燃え尽きる姿に、目頭が熱くなりました。

このプロジェクトに参加された多くのプロフェッショナルや技術者の方々の努力があってこその功績でしたが、
最期に撮影された地球の写真も相成って、まるで探査機に心が宿ったかのように思えてしまう。

これは、アニミズムを身近に感じてきた日本人特有の感覚なんでしょうかね。

587不思議な名無しさん:2015/02/02(月) 17:26:34 ID:wJZjMHDAC
たこ助さあはじめまして。

たこ助さの話は、科学特に物理の話が出てくるので、ひょっとしたら、
これはただの幻覚ではなく、本屠何かがあったのではないかと考えています。

私は物理の話は良く分かりませぃ

しかしもし物理と関係があると、たこ助さが考えるならば、どの様に関係していると思われますか?

また、たこ助さは物理のどな分野に興味がありますか?

宜しかったら教えて下さい。

588不思議な名無しさん:2015/02/02(月) 17:35:30 ID:drUS6pKYC
上手く表示されないのでもう一度書き込でみます。

たこ助さあはじめまして。

たこ助さの話は、科学特に物理の話が出てくるので、ひょっとしたら、
これはただの幻覚ではなく、本屠何かがあったのではないかと考えています。

私は物理の話は良く分かりませぃ

しかしもし物理と関係があると、たこ助さが考えるならば、どの様に関係していると思われますか?

また、たこ助さは物理のどな分野に興味がありますか?

宜しかったら教えて下さい。

589不思議な名無しさん:2015/02/02(月) 17:42:00 ID:lI75UFscC
>>587>>588
「たこ助さぃと書き込めませぃ

「ぃ が上手く表示されないみたいです。

また

>>>本屠何かがあったのではないかと考えています。

「本釘が、「本屠」になってしまってます。

また

>>>また、たこ助さは物理のどな分野に興味がありますか?

「どな」が、「どな」になってしまっています。
すみませぃ

590不思議な名無しさん:2015/02/02(月) 17:42:41 ID:drUS6pKYC
やっぱり上手く表示されませぃ

>>587>>588

「たこ助さぃと書き込めませぃ

「ぃ が上手く表示されないみたいです。

また

>>>本屠何かがあったのではないかと考えています。

「本釘が、「本屠」になってしまってます。

また

>>>また、たこ助さは物理のどな分野に興味がありますか?

「どな」が、「どな」になってしまっています。
すみませぃ

591不思議な名無しさん:2015/02/02(月) 17:48:30 ID:lI75UFscC
文章を直した訂正文が更におかしくなってますね。

皆さの文章が上手く書けているのに、携帯からだと上手く表示されないでしょうか?

重ね重ねごめなさい。

592不思議な名無しさん:2015/02/02(月) 17:55:25 ID:drUS6pKYC
平仮名だと n が上手く表示されないみたいです。
平仮名だと上手く表示されないので、アルファベットで名前だけでも訂正させて下さい。

Takosukesa⇒takosukesan

失礼しました。

593たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/02/06(金) 22:38:40 ID:ZGYUczus0
>>587
はじめまして。
確かに俺は物理学などの不思議な出来事に挑戦する学問に対して興味がありますが、
自分の体験と物理学等の学問は結びつかないと考えています。
仮に、万が一にも自分の妄想と物理学が結びつくとします。
しかし、これは反証不可能であるからです。

たとえば「5分前に宇宙は始まった」とする主張に対して、これを完全に否定することは出来ません。
なぜなら、我々の生きている世界が何らかの大規模な仮想空間だと仮定した場合、
そこに存在する(と我々が思い込んでいる)すべての状態は、プログラムが再現したものであるかも知れず、
そのことを反証するためには、いくら過去の出来事を調べても、未来を予測しても不可能です。
この反証できない事柄を「反証不可能」と言います。

しかし、反証不可能を証明することは簡単です。
「5分前に宇宙は始まった」
この証明は、
「だから、宇宙がある」
になります。

「反証不可能」とは、反証する余地のない完璧な考え方などでは決してなく、
言うなれば疑似科学に過ぎません。

594不思議な名無しさん:2015/02/13(金) 07:26:34 ID:IHmLGWYo0
途中までしかまだ読めてないけど
たこさんは、それらの体験をしながらも何故病気を患っている自分に戻って今を生きようとしたんですか?
個の自分に執着する理由は?

595たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/02/15(日) 20:00:21 ID:ZGYUczus0
>>594
俺の場合、守りたいものがある、やりたいことがある、というのが、
現在も治療を続けている最大の理由です。

ただ、病気を患った自分を認識しながら、なぜ生きようと思うのか。
あまり考えたことのない問題だったので、今回じっくり考えてみました。

俺の体験した出来事の因果性については、様々な意見があると思います。

病気になったから、あのような体験をした、という考え方もありますし、
あのような体験をしたから、病気になったと考えることも出来ます。
あるいは、高次の存在によって引き起こされた出来事である、そう言う考え方をする人もいるかも知れません。
それらに絶対的な正解としての答えはありません。

重要なことは「明日の自分は、どこに向かって歩いていて欲しいのか」だと考えています。
当時の俺は、向かうべき方向を見失っていました。
一挙手一投足に異常な情報が絡みついていると言う確信は、生きていること自体を恐怖させました。
この状態のままでは、いずれ俺は自殺という選択をしていたかも知れません。

ただ、これは考え方の問題である、とも言い換えることが出来ます。
その時代によっての合理的な解釈は異なりますし、
文化や文明、土地柄によっても様々な解釈があるかも知れません。
それぞれの場面で「向いている方向」があるわけで、それによって合理的解釈は異なります。

現代社会の中で生きるために治療が必要であり、それが合理的な手段であれば、
それは病気として治療が必要です。

仮に治療の必要がない社会であれば、それは病気とは認知されません。
その代償として、無治療の結果、当事者の心身は危険に晒されます。

596たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/02/15(日) 20:24:23 ID:ZGYUczus0
続きです。

統合失調症を罹患してもなお、生き続けたいと思った理由は、
この病気に根治が無かったとしても、その限られた環境で生きることも、
嬉しいし楽しい、そして、ありがたい思えているからなのかも知れません。

確かに病気(と薬)によって、俺の思考力は罹患前の70%ほどに落ちています。
罹患前であれば複数のことを同時に考えることも出来ましたし、
物事を突き詰めて考えて分析することが得意でした。
今はそれらの能力は制限され、過去と現在の自分を比較してしまうことも多々あります。

しかし、病気になったことで得たものも多くありました。
いや、病気になったことで得たことの方が多いかも知れません。
俺はスピリチュアルな事柄を信じませんが、
これは、まるで「生命」というものに対して、その一部分が等価交換されたかのようにすら思えてしまいます。

統合失調症となったものの、周囲の支えによって無事に回復した俺は、
精神障害者手帳を交付してもらうことも無く生活しています。
これは大変にありがたいことで、
この気持ちは、自分が病気になって初めて理解出来る感覚であると考えています。

よって、今を生きている理由は、
俺が生かされているからだと言うことが出来ます。

一度は亡くしかけた命を取り戻し、生きるチャンスを与えていただいたのだから、
これは生きる以外に選択肢はありません。

これが俺の答えとなります。

597583:2015/02/18(水) 05:02:35 ID:AMaSEIP20
>>585-586
すみません、ここのところ多忙で書き込みができませんでした。お返事ありがとうございます。

>「成りて成る」が干渉し合い生み出されている
そのことは、たこ助さんの体験談を読んでいると、わたしにも漠然と感じとることができます。

物質以前の何かがあって、それが干渉し合うことで初めて物質として発現する……。
そして、その「何か」とは「成りて成る」というステージにおける現象だったのですね。

隔てられていないということは、それらは「有る」のステージと重なっていると見て良いのでしょうか。
いわば、私たちが普段見ている世界の空間を裏返しにすると出てくるようなもの。
または、解釈や認識を取り払ったあとに残るもの…。

>「この世界はゲームなのかも知れない」
ここがよくわからないのですが、
波という数学的な (ある意味ではデジタルな) 構造が原因となってこの世界が生まれたというのは、錯覚かもしれない、ということでしょうか?

>本当に俺たちは「時間という箱」の中にいるのか。
もし、「有りて有る」波と「成りて成る」波があり、それらが噛み合うのだとしたら、そこには何らかの空間はあると考えられるとおもいます。
たとえそれが私たちのいる空間とは違った仕組みでできていたとしても、かといって「空間が無い」となると、何もかも存在できないことになってしまうからです。
そしてそれがどういう仕組みで構成されているのか、とても興味深く感じます。やはり12の構造が関わってくるとおもいます。

じゃあ時間は、ということですが、
たこ助さんとしては、時間と空間は本質的には同じものという感覚なんですよね。

たこ助さんは、「有る」以前のステージを体験したときに、なにかが動いていることを感じましたか?
たとえば、エネルギーの流れのようなものがあり、それは、私たちの日常の時間とは異なるやり方で進んでいたとしても、何かが「変化」していたのであれば、時間が存在すると見ても良いのではないでしょうか。

598たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/02/22(日) 22:33:52 ID:ZGYUczus0
>>597
「成りて成る」「成る」「有りて有る」「有る」は、ここに有りて有るばかりである。
俺は自分の体験から、そのように感じました。
それは、重なり合っているとも言えますが、
そこに有りながら、未だにそこに無いだけなのかも知れません。

「この世界がゲームのようなもの」という考え、これは、たとえ話です。
この世界のすべての出来事が、何かしらの仮想現実であって、
すべては作られたもの、まがい物であると考えるとしたら、
この世に存在する様々な限界や基本原理はシステム的な制限値である。
それは腑に落ちる考え方です。
これは、輪廻や神の領域とも言い換えることが出来るかも知れません。

しかし、それらは錯覚であり、俺たちがいるありのままの世界がすべてです。

けれども、その思考は「時間の箱」への疑問を抱かせます。
果たして俺たちは本当に「時間の箱」という箱庭に閉じ込められているのか。
俺の体験では、非常に強い重圧を感じた「成る」の世界で、
無数の光のようなものが、幾億もの巨大な流れを生み出し、
まるで宇宙のように広がりを持ち、流れているのを目撃しました。

しかし、そこに感じたものは「時間」や「空間」ではなく、
「成る」というステージにおける、時間や空間のようなものであって、
俺たちが生きている世界とは異なる原理が働いているように思えました。

「時」と呼ばれる概念は、物質の状態や位置が変化するスピードですが、
それは結局のところ、この世界の基本原理なのでしょう。
ただ、しばしば俺たちは、この世界に存在するすべてを一つの物差しで測ろうとします。

「有る」俺たちの世界では時間は絶対的のようであっても、
「成る」の世界では、時間(空間)とは決して絶対的なものではない。
そのようにも思えます。

599不思議な名無しさん:2015/03/19(木) 19:08:20 ID:TUXTJyrgO
感覚は今現在のみを対象として切り取り、記憶に蓄積する。意識は過去、現在、未来を対象として、妄想する。
意識に浮かぶ思考は全て、記憶と照合し評価を経た観念といえましょう。

ありのままを観察すると言っても、記憶と照合され、評価を経て認識される観察結果は、現象の一側面の評価を経た姿でしかない。

たこ助さんが、闇も灯火も宇宙全てが自分だったと実感した時こそが、「ありのまま」をとらえることができる唯一の機会であるが、その状態においては、おそらく全てを知っており、観察すべき対象も、知りたいことも何も無いのでしょう。
なぜなら、宇宙とは自分自身であり、そこに秘密はないのだから。

で、「全て」と一体ならば、比較すべき過去も未来もなく、時間も観念に過ぎないものであり、絶対ではないと感じられるのでしょうか?

しかし、変性意識が日常意識に優先するようなことは、たこ助さんが強い意思として許さず、瞑想をおえ日常に戻った時には、瞑想時の実感には執着せず、観念妄想の世界の幻覚、幻聴としてそのように感じたと述べるにとどめると言うことなのでしょう。

たこ助さんが以前より直感的理解力が減退したと感じるのは、治療による副作用のようなものなのでしょうか?

くまは、「止観」瞑想により集中力を高め、心に思考感情が生じる一瞬(=自我の登場の瞬間)をとらえようとするが、うまく行かない。

このスレの存在を知っていれば、はじめからここでお尋ねすべきだったかもです。

(´・(ェ)・`)ゞ

600イジリー ◆8udsPUAZG2:2015/03/20(金) 18:57:28 ID:xXmpQbXI0
見つかりやすいように、上げときますね。

601たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/03/24(火) 00:08:54 ID:Hosp5HgY0
>>599

>比較すべき過去も未来もなく、時間も観念に過ぎないものであり、絶対ではないと感じられるのでしょうか?
「すべてが同時で、すべてが同一」という感覚は、時間の抽象化を体験した時に見た感覚だったと記憶しています。
時間はある位置や情報が伝達される速度だと俺は考えています。
俺たちのいる世界は、時間という箱の中にあります。
しかし、仮にその箱を外側から眺めたとしたら、時間経過を認識出来るのか、という疑問にぶつかります。

時間経過がないのなら、外側からはどの場所にもアクセスが出来ますが、その「アクセスする」という行為とは、
空間の特定の座標に対して行われる場合、時間の超越を意味していると言えます。
「すべてが同時」そして「すべてが同一」とは、脳の記憶、過去や未来ではなく、
俺たちの世界そのものが果たして「時間の箱」の中にあるのか、という問いかけです。

しかし、時間がない世界が宇宙の外側に広がっているのなら、不可解な出来事が起こります。
それは、この宇宙の中で生じた「始まり」も「過程」も、そしてあるいは「終わり」も一つにまとめられてしまうのです。
始まっても続いても、そして終わってもいない状態の宇宙がある、それは奇妙なことです。

では逆に、「始まっている」「続いている」「終わっている」これらのすべてが同時に、同じ場所で起きているとしたら、
時間も空間も、物質すらもすべて同じ場所にあり、俺たちは時間(そして空間)によって錯覚(のようなもの)を見ているとしたら。
この考え方の方が腑に落ちるように思えます。

>直感的理解力が減退したと感じるのは、治療による副作用のようなものなのでしょうか?
いいえ、これは病気の後遺症です。
薬により思考が制限されているという面も確かにありますが、それは些細な問題です。

602くまこう(・(ェ)・) ◆Vl8B7vlc4k:2015/03/24(火) 01:05:05 ID:TUXTJyrgO
>>601
>時間がない世界が宇宙の外側に広がっているのなら、
>この宇宙の中で生じた「始まり」も「過程」も、そしてあるいは「終わり」も一つにまとめられてしまうのです。
始まっても続いても、そして終わってもいない状態の宇宙がある

>「始まっている」「続いている」「終わっている」これらのすべてが同時に、同じ場所で起きているとしたら、
時間も空間も、物質すらもすべて同じ場所にあり、俺たちは時間(そして空間)によって錯覚(のようなもの)を見ているとしたら。
この考え方の方が腑に落ちるように思えます。

→ これらのことを、禅仏教では「不二」と表現しているようであります。
また、「空」という言葉も同様でありましょう。

分別せずに、ありのままを観察することにより見えてくるとされるのが、たこ助さんが体験したような世界なのかもしれないと思いました。

たこ助さんは、これだけの実感を得ながら、徒に自我を強化されることもなく、なお冷静に分析できているところが凄いであります。

ありがとうございました。
(´・(ェ)・`)

603不思議な名無しさん:2015/03/28(土) 17:56:44 ID:wGrCCgzg0
俺は神秘学的な立ち位置で捉えるときに、糖質含め精神病は決して有害なものではないと
思ってるんだよね。もちろん、自己のコントロールから逸脱するような重症は異なるけど。

そういう意味でたこ助さんのような、自身を把握できる状況でかつこのスレで話された経験を
したというのはすごく特殊に見える。むしろ裏山。あなたは、これ以上悪化しないようにという
強い自制の態度でいるようだけれど、実際のところ、あなたのような人は、こちらからあちらへ
行ける要素を持ちえている。マトリックス的なあれね。

604不思議な名無しさん:2015/04/04(土) 17:01:35 ID:fojz6AlU0
こんにちは。 http://s.ameblo.jp/shiroi-heya/entry-12009316537.html
こちらから参りました。
最初のスレッドからここへ参り、最後まで読みました。
途中色々な方がそれぞれの役を演じて去り、一つの物語を読んでいるみたいな感じがしました。
難しいことは何にもわかりませんが、たこすけさんのレスから伝わってくるたこすけさんそのもののカラー?がとても心地良いなと感じました。
ありがとうございます。<(_ _)>

605たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/04/05(日) 21:41:52 ID:Hosp5HgY0
>>603
俺も統合失調症を発症した当時は、自分のコントロールが出来ない状態、
さらに正確に言えば、誤った認知によって本来ある姿とは異なった考え方で、世界を見てしまっていました。
今は治療によって正常な認知を取り戻し、この世界を見る新しい角度に気づき始めています。

しかし、それをすべて語ることは、今はできません。
実は家族が今、病魔によって命の危険に晒されている可能性があり、今はそのために粉骨砕身の覚悟です。
自分に出来ることはすべてして、さらに自分の力の及ばない部分に神仏に助けを求めています。

今の状態が解決されたなら、俺は神仏に覚悟をもって約束した3つのことを行うつもりでいます。
先に進む時、何かを守るためには、何かを受け入れなくてはなりません。

>>604
俺の書きたいことは簡単なことなのですが、文才がないので伝わりづらく申し訳ないです。
>>603へのレスにも書きましたが、今は俺は何も書くことが出来ません。
しかし、今の状況が解決された暁には、書きたいことがあります。

606くまこう(・(ェ)・) ◆03g2kA9xOM:2015/04/05(日) 23:43:29 ID:TUXTJyrgO
>>605
御家族の御快癒を心底より祈念いたします。

607不思議な名無しさん:2015/04/08(水) 21:45:56 ID:fojz6AlU0
こんばんは。
お返事ありがとうございます。<(_ _)>
たこすけさん、たこすけさんのこと、きっとたくさんの人が想いで応援しています。わたしはそう思います。
あと、伝わらないのはたこすけさんのせいではなくて、たとえば夢に見たことを伝えたく思ってもちっとも上手く出来ないように、言葉じゃ人にはわからないことなんだと思います。そこに行ったことのある人でも、やっぱりみんな少しは違うんじゃないでしょうか。
でも、たこすけさんが見た12の折り畳まれた構造を、いつかわたしも見ることが出来るかな、と想像するのがたのしいです。
このお話のなかでいちばん心に残ったのは、111でたこすけさんが書かれていたことです。
>>
■「成るもの」を見る

強烈な重圧のようなものを感じました。
海底で強烈な水圧に押しつぶされるような、
あるいは、高い場所から落ちて行く時に感じる風圧のような。

意識がもうろうとして、必死になって「見る」ことしか出来ませんでした。

「その場所」の外側には、漆黒の闇と、無数の光がありました。
その光は大きな流れとなって、まるで銀河のような流れへと溶け込むように、
何もかもが、あまりにも美しく、俺の稚拙な文筆では、表現できません。
それは、まるで宇宙のようでした。

俺は、そこを見ていますが、見ていません。
既にそこにある「自分」は、「自分」ではありませんでした。
さらに大きな意志とでも言えば良いのか、俺は巨大な精神活動のようなものの中で、
そこで僅かに「自分」を認識しながら、かろうじて、その場所を見ていました。

自分は、自分ではない。
そして、「成りて成るもの」の内側に自分たちはいるのです。

それは、絶望にも近い、何もかもすべてが分かったような、
悲しみにも似た感情でした。

美しすぎ、あまりにも悲しく、そこを見るべきだったのかどうか分からないまま。
俺はゆっくりと目を開きました。
既に、とっぷりと陽は落ちて、公園は夜になっていました。>>>

すべてがわかったのに、どうして悲しいのかな、どうして絶望にも似た感情なのかな、と思いました。
美しすぎ、あまりにも悲しい、という何か。特定のではないけど、宗教的な感じがしますね。
なぜ伝えなさいって言われたのかも不思議です。教祖にならないように伝えるって、きっと難しいですよね。(~_~;)
可笑しかったのは、いろんな人がたこすけさんを自分の想い越しに見てて(わたしもなのですけど)、それへのたこすけさんのお返事を見ていると、たこすけさんはちっとも変じゃないと感じることです。むしろたこすけさんはとても落ち着いてて、自分を飾ろうとしてなくて、そのたこすけさんがどうして精神疾患てことになってるんだろう?って。(笑)
人間ってみんなそれぞれ頑張って生きてるんですね、

いろいろありがとうございました。
<(_ _)><(_ _)>

608不思議な名無しさん:2015/04/14(火) 21:43:51 ID:Yao1l78I0
皆様、初めまして。
瞑想ではなく宗教?雑学からですが
少し思う所がありまして、書き込ませていただきます。

無意識には二つの法則?があります。
ひとつは ある
ひとつは ある ない

この二つのうち
ある ない はあり得ません。があります( ̄▽ ̄;)
これは人が孤独だと思い込んでるからあります。
・・・多分( ̄▽ ̄;)
これは人を錯覚させてしまい人の不幸の原因になります。
・・・多分( ̄▽ ̄;)

もう1つの
ある は完璧です。
こちらは、人の存在を庇護してくださってます。
・・・多分( ̄▽ ̄;)
ただ、この法則?はあまりに普通に当たり前過ぎて
人は忘れやすいです( ̄▽ ̄;)
深く考えないです( ̄▽ ̄;)
しかし、この法則?はすごいです。
何がすごいか?というと、
この ある は
全部 ある という事だからです。

全部、です。
内も外も、過去も現在も未来も、他諸々、
つまりこの ある は
世界そのものなんです。
そして・・・( ̄▽ ̄;)

・・・神様なんです( ̄▽ ̄;)

まあ、・・・信じませんよね?( ̄▽ ̄;)


で、私が思ったのは、
たこ助さん
ある と ある ない を
混同されてないかな?と( ̄▽ ̄;)

気のせいかもしれませんがそう思えましたので
書き込ませていただきました。

妙な文で、失礼しましたm(_ _)m

609たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/04/25(土) 00:11:44 ID:Hosp5HgY0
>>607-608
御指南ありがとうございます。
「ある」と「ある ない」とは、このように区別すべきものではないとは思いますが、
「無」という概念の完全性と、それ故に存在出来ない合理性は、
体験の初期の段階で感じたことの一部でもあります。
それと同じく「有」もしかりですから、そもそも「ある」「ある ない」と区別するよりも、
「有として顕在化している」あるいは、「有という状態の是」、
のような表現が的を射ているのかも知れません。

ともあれ、混同は俺も最も気をつけている部分でもあります。
「有」と「ある」は言い方の問題だと片付ければそれまでですが、
そもそも根本的に区別して考えるべき問題です。

これと同じように、外と内、同一でありながら同一でないもの、
さらに言えば「時間」と「空間」というものの在り方もそうですが、
ここに混同があることは危険だと考えています。
ただ表現としては「○と△は同じもの」になってしまう。
不完全性という完全性を持った「有」であるからこその問題ですが、
非常に難しい部分だとは思います。
(まあ、あまり深く考えても仕方の無い部分だと思っていますが)

610不思議な名無しさん:2015/04/25(土) 15:54:07 ID:TUXTJyrgO
>>609
>「ある」と「ある ない」とは、このように区別すべきものではないとは思いますが、
「無」という概念の完全性と、それ故に存在出来ない合理性は、
体験の初期の段階で感じたことの一部でもあります。
それと同じく「有」もしかりですから、そもそも「ある」「ある ない」と区別するよりも、
「有として顕在化している」あるいは、「有という状態の是」、
のような表現が的を射ているのかも知れません。

ともあれ、混同は俺も最も気をつけている部分でもあります。

→私も、たこ助さんと同じように思うのでありますが、私とたこ助さんの違いは、たこ助さんはそれを実感しているのに対して、私は未だ実感するに至らず、実感を求めて我が心を探求中ということであります。

>「有」と「ある」は言い方の問題だと片付ければそれまでですが、
そもそも根本的に区別して考えるべき問題です。
これと同じように、外と内、同一でありながら同一でないもの、
さらに言えば「時間」と「空間」というものの在り方もそうですが、
ここに混同があることは危険だと考えてい
ます。

→この部分はもう少し噛み砕いてご説明いただけたら嬉しいです。
(´・(ェ)・`)ゞ

611さとう ◆XksB4AwhxU:2015/05/01(金) 22:24:17 ID:14eNpAhM0
たこ助さん、お久しぶりですね!

最近のさとうは、この世界の提供する情報の中には真理の残照はあっても、真理なんて無いんだなと割り切っています。(笑)

だから、ブーブー言いながら楽しく割り切っています!

それでは!

612たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/05/01(金) 23:24:34 ID:Hosp5HgY0
>>611
さとうさんお久しぶりです。
恐縮であることに加えて不要な推察かも知れませんが、心配してしまいます。

「真理」とは各局面であるものです、仮に宇宙の誕生直後を例に持ち出します。
1回目の相転移によって真空のエネルギーの期待値が変化したとして、
その時に残っている残遺(と言うと語弊しかありませんが)エネルギーは確かに残照です。

しかし、残照には性質や情報が残されています。
絶滅してしまった素粒子を人工的に生み出す試みにより、宇宙の真理は科学的に解き明かされようとしています。
確かに今の世界とは「はじまり」つまり真理の残照なのでしょう。

しかし、それこそが「有」であり、それ故に「ある」であると俺は考えています。
文面では語ることは限られています。
良ければ、Skype等でお話をして、意見を交換しませんか。

613たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/05/01(金) 23:27:24 ID:Hosp5HgY0
>>610
「有」と「ある」とは、>>612に書いた通りです。

「有」とは存在している状態、さらにかみ砕けば「ある」の前のものです。

「ある」とはそのものです、それは疑いようのないものであり、
俺たちが認識しているものすべてと言えるかも知れません。

614さとう ◆XksB4AwhxU:2015/05/02(土) 00:14:55 ID:14eNpAhM0
心配してくれてありがとうございます。
でも、さとうは絶対的に大丈夫です。(笑)

Skypeですか。

良いですけど、少し(数ヶ月後くらい)時間をもらえませんか?その時が来たら、たこ助さんの考えを楽しく聴きます。

さとうは、さとうなりの結論に達したし、もう、それを変えることは二度とできない。これを言葉にするのは超〜難しい!

でも、Skypeで上手くお話しできるといいですね。

615たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/05/02(土) 22:51:12 ID:Hosp5HgY0
>>614
もし、Skypeが可能な状態になったら教えてください、IDを伝えます。
俺も結論に達したと思っていたら、その次のステージがあり、さらにステージがあり・・・
と、無数の連鎖を体験したことがあります。
その果てに見たものは、引き裂かれた世界、時間と空間の分離でした。

さとうさんが辿り着いた答えにも興味があります。
Skypeで有意義な意見の交換ができるといいですね。

616不思議な名無しさん:2015/05/24(日) 15:47:45 ID:z0iw3rDc0
約一年前?から読ませていただいているものです。

初めて投稿させていただくのですがたこ助さんは

617不思議な名無しさん:2015/05/24(日) 15:49:40 ID:z0iw3rDc0
間違えて途中で投稿してしまいました。

たこ助さんは仏教の解脱についてどうお考えですか?

618たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/05/28(木) 17:13:59 ID:5077.hO.0
>>616-617
仏教については、浅く学んだので間違っているかも知れませんが、
解脱が「輪廻からの脱出」ではないんじゃないかな、というのが俺の感想です。

無余涅槃のように肉体の滅びの状態や、身心都滅のように肉体も心も無になるというのは、
ちょっと大げさなたとえ話で、「生と死に対して執着が無くなること」、
これは欲望に対する無関心と言い換えることが出来るかも知れません。

ただ、仏陀は「生きてる内の苦しみから逃れるために、霊を論ずる必要はないでしょ」というスタンスだったようなので、
肉体が滅すれば心(霊)も滅するのか、という根本的な部分には触れていません。

古代のインドの宗教観に「輪廻」があり、ポックリ逝くとすぐ転生という考え方から脱したこと、
この世界は「物質」という箱に閉ざされているため、そこから脱すること。
そういう色々なことを、一つにまとめた思考的解釈が「解脱」と総称されているように思います。

ただ、こんなことを書くと「アイタタタタ」ですが、
俺が統合失調症であるという事実に目をつぶったとした場合、
解脱はこの世界ですべきものではないんじゃないかな、とも思いますが。

619不思議な名無しさん:2015/05/29(金) 04:48:59 ID:HDYrX/EQ0
たこ助さん わざわざコメントいただきありがとうございます。

無明の真っ只中で来世への恐怖心などでもがき苦しんでいる最中の私は解脱とは自我意識を滅して輪廻転生から抜け存在消滅すると捉えていますが解脱しても存在はなくなることがないとたこ助さんは思われますか?
最後の行の解脱はすべきものではないというところが気になるんですがなにか理由があるのでしたら聞いてみたいです。時間がある時でいいのでよろしければまたコメントしてみてください!もちろんしなくてもいいですけどね!たこ助さんとやり取りできてとても嬉しいです。今日はお返事ありがとうございました。

620たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/05/30(土) 13:08:23 ID:5077.hO.0
>>619

>解脱による存在の消失
2つの考え方を持っています。

1つは、スピリチュアルを信じない俺は、心や霊性と呼ばれるものは、生命活動の停止と共に消失すると思っています。
輪廻も生まれ変わりもなく、ただ茫々と世界は続くという解釈です。
仮に観察者たる知性が絶滅したとしても、宇宙はただ続きます。

もう1つは、体験によって得たもので、この宇宙は1つのフェーズであると考えています。
輪廻というものは無いように思いましたが、広義での転生と呼べるシステムは存在するように思えました。

>解脱はこの世界ですべきものではない
あくまで統合失調症を罹患した者の戯言と考えて欲しいのですが、
この世界では「心の在り方」を決めるための場所だと思えました。
それによって付着した副産物である「物質的満足」は、次の世界では無価値なものです。

苦しみは、この世界には常に存在するものです。
仮に解脱と総称される心境を「苦しみから離脱した状態」「幸せに満たされている状態」と表現するとしたら、誤りなのかも知れません。
恐怖や苦しみと、過剰な満足から得たものは、確かに同一のものだと思いますが、
恐怖や苦しみから得るもの、人から与えられるもの重要性は、「心の在り方」に結びつくように俺には思えます。

621不思議な名無しさん:2015/05/30(土) 13:30:53 ID:R8JUpKTo0
ちょっと難しいですね。
物質的満足や幸せなども普通に手放して苦痛も幸福も執着がなく
ある意味ニュートラルな状態にして解脱は成り立つと思うんですがどうなん
ですかね。

心の在り方というものについての詳細をよかったらまた詳しく教えてください。

622たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/05/30(土) 14:10:02 ID:5077.hO.0
>>621
すべてを手放すことは、俺は「苦しみからの解放」とは考えていません。
この世にある限り、必ず苦しみや悲しみ、喜びや幸せがあります。
しかし、これらを生み出すからと言って、あらゆるものを遠ざけてしまうことは、
この世界を認めていないことのように思えてしまいます。

ニュートラルな状態となる前に、自然原理の一部である自分自身にも向き合い認めて、
そこにある苦しみや喜びを含めて、それらを自分とするということ。
執着は物事と向き合えば生まれるものですから、それすらも原理として認めることが、
心の在り方なのではないかと思っています。

623:2015/05/30(土) 17:18:36 ID:B1sy3XN.0
608さん私は信じますよ 宗教というより数学ですがこんな感じじゃないですか? 0=1-1=0=-2+3-1=∞

624:2015/05/30(土) 17:28:34 ID:B1sy3XN.0
これも追加で 1=1+0

625あたこ助さんはその考え方を大切に:2015/05/30(土) 17:47:20 ID:mX48O0X.0
たこ助さんはその考え方を大切に

626不思議な名無しさん:2015/05/30(土) 18:22:01 ID:R8JUpKTo0
>>622 なるほどー

結局解脱して存在消滅するかしないかもわからないってことですか?いろいろ複雑で難しいです(;・∀・)

627たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/05/30(土) 18:59:49 ID:5077.hO.0
>>626
煮えくらない回答であると感じていると思います、しかし、その理由は明白です。
俺が隠し事をしているからです。
その隠し事を語る方法について、慎重に選択しています。

仮に「死後、このような世界へ向かうのだ」と言い切ったとしたら、
それは宗教になってしまいます。
解脱の解釈も同様であり、天国地獄の解釈も同じことが言えるでしょう。

宗教にならず、俺の体験を述べる方法として、今ブログを用意しています。
ただ、一つだけ俺が主張することは、この世界の有りて有る事柄を受け入れるということです。
心の在り方が、この世界で得るものであって、
与えられたものを捨てるために、この世界はあるのではないと考えています。

628不思議な名無しさん:2015/05/30(土) 19:51:09 ID:R8JUpKTo0
>>627 そんな複雑な問題を抱えながらもこんな俺に回答してくれて恐れ多いです((+_+))

ここもデリケートな部分なので俺も中途半端なこと書けませんがどちらかといえばこっちか
みたいなニュアンスはちょっと感じました。

ブログ楽しみにしてます。変な質問してしまってすみませんでした。個人的なことですが直感的な部分でもたこ助さんが好きなんで今後も関わる機会があればよろしくお願いします。

629たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/06/01(月) 00:17:01 ID:5077.hO.0
>>628
別にデリケートとは限らないかも知れませんが、こういう体験とか体験に至る経験というのは、
俺の感性では、別に宗教のようにしたり、その方法を伝授したり、というものではないと思います。

一連の流れが仏教寄りなので、それに習って書けば、
仏陀も言っている「そこに達すること」、それは体験しないと分からないということなのだと考えています。

あくまで、俺の想像ですが、
多分、仏陀は何かに気づいて、自分の感覚をみんなに知って欲しくて、
それを「目標」と掲げて教団を作ったんじゃないかな?と考えています。

俺の場合、統合失調症を罹患する過程で得た感覚を記憶していて、
それを「悟った」とか言うのは間違いだと考えている、それだけです。

630不思議な名無しさん:2015/06/01(月) 01:37:38 ID:R8JUpKTo0
>>629 今回はたこ助さんが何が伝えたいのか多分バッチリ理解できました!(^^)!

とりあえず現状、人間はたこ助さんはどうやって生きればいいとお考えですか?何かヒントを求めている自分がいます。

自分は1年前から瞑想などをしてきて心が変化して苦しみと楽しみのギャップが少なくなったというか
自我が大人しくなった?という感じなんですがこれからどうやって生きようかと悩んでいます。

たこ助さんに聞くのは変かもしれないですが何かあったら時間があるときでも教えてください!(^^)!

631北角:2015/06/13(土) 14:21:23 ID:dwcAS9z.0
単純な質問なのですが、タコ助さんが瞑想中に見た12角形?7角形?の物体・立体というのは、どの様に存在しているものだったのでしょうか?また、それが何角形であるというのは目視で数える感じ?もしくは直感的にそう認識したの?材質など詳しく教えていただけると、、乱文ですみません。
その認識の
仕方諸々が何かしらのヒントになりそうな気がして。

632たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/06/13(土) 19:53:33 ID:5077.hO.0
>>631
12の構造は、それは図形ではなくイメージでしたが、
無数の12の構造が綺麗に折りたたまれて存在していました。
正確に書くとワケが分からない表現をしてしまいそうなので、端的に書くと、
宇宙の外側にいながら、宇宙の内側にあるものを見ることが出来た、という感覚です。
それらは「情報」によって構成されていました。

ここで得た感覚や見た図形については、それを形にすることに、
あまり意味を感じていません。
どちらかと言うと、空間も時間も、そして物質(として俺たちが見ているもの)も、すべては同時に同一に存在しているということ、
こちらの方が重要なのでは・・・と思います。

633北角:2015/06/14(日) 10:59:49 ID:rklioltI0
回答ありがとうございます。私の好奇心で、あなたにご迷惑な結果を生みかねないとしたら、程々にお付き合い下さい。今はもう辿りつけないのですが、あるサイトで、自分の意識を抜け出し、同時に様々な人間の自我を認識し、それぞれが個々に自分は自分であると思い込んでいる、と知覚した体験の書き込みを見ました。タコさんの筆記に対しては規模が小さいと思いますが、全ては共通しており、一つであるという概念が同じだと思いました。全ての根本に神を設定しうる前提があるのでしょうね。

634北角:2015/06/14(日) 11:10:45 ID:rklioltI0
私の一時期の興味として、自我.意識の根源とは何か、ということがありました。やはり私の考えていることも、私が私として、人間としてその答えを得ることは道理的にあり得ないのだろうと考えたのですが、今の科学や仏教などでも言われている、物資.エネルギーなどの不確かさを前提としても、意識や思考、概念そのもの、もしくは何かを感じている私達というもの、若しくはその考えを観ている感じている受け手、若しくは主体そのものの存在はある意味確実に存在していると定義できると思います。先程も書いたように、そのものの存在を私達がこのまま認識するのは不可能なのでしょうが、それに対する好奇心は消え去りません。その思考自体がいわゆる病的な状態であり得るという認識も認めます。若しくはむしろ、それを思考するととが何かしらの進歩に結びつきうるプログラムであるのかとも感じています。

635北角:2015/06/14(日) 11:14:59 ID:rklioltI0
質問をする段階まで考えはまだ行き着いていないですし、私思考の先に何か質問が生じるものでもないのだろうとも今は考えているのですが、今現在の考えをタコさんに聞いてほしくて書き込みをさせていただきました。霊であるとか、宇宙人だとか、色々興味はつきませんが、人間の次の段階もしくは別ジャンルの
生命体、もしくは私達が認知しえない、想像さえ出来ないような、何かしらにしかその謎は解けないのでしょうね。
乱文大変失礼しました。

636不思議な名無しさん:2015/06/18(木) 17:05:59 ID:koHrMGVI0
根源に至ったか……
人の原型たる形質を得たようだな

637たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/06/18(木) 20:25:50 ID:5077.hO.0
>>633-635
自我が自分自身の存在を思い込んでいるだけとは、俺の体験と似ていますが、現時点の「世界」では考える必要はないように考えています。
確かに体験の中で、そうした「自我」と呼ばれるものを均一化した向こう側を見たことは白状しますが、
現段階(この世界)で、それを「自分自身のすべてとする」ことは、現実的に不可能です。

自我・意識の根源と、物質の不確定性原理は切り分けて考える必要があると、俺は考えています。
これは、今用意しつつあるブログで詳しく書かせていただきたいと考えているのですが、
俺たちは影を見ているように思えます。
では、その影を落としているものとは真理なのかと言えば、それは「自我・意識」の界面からと、「物質」の界面からとでは、意味合いが完全に異なってしまいます。

ここまで書くと、聡明な>>633-635には分かると思いますが、
道理的に俺たちが「見ている」と思っているもの、これが果たして「事実」であるのかという問いにぶつかります。
なぜ、俺たちには「事実」が見えないのか、言い換えれば、この世界とは果たして「事実なのか?」。

この先の俺の体験はエキセントリックなものですから、このスレの「考察」という趣旨からは外れてしまいます。
それは、俺が最も苦手とするスピリチュアルと形容されるものとなってしまいます。

いかに、そのエキセントリックな表現をするか、これは難しい問題です。

638北角:2015/06/18(木) 22:56:12 ID:rklioltI0
色々と興味深い話や、僕の散らかった思いつきばかりの書き込みへのお返事度々ありがとございます。
哲学をイメージとしては最終的には人間として生きる道標・道徳に結びつくもの、脳科学や心理学等々を科学的に思考諸々を解き明かす学問だと思っているのですが、真理云々の概念は哲学的なものに含まれると思います。
このサイトやスレッドの趣旨とはずれてしまう方向に興味を持っていて興ざめさせてしまうかもしれませんが、タコ助さんの考察等を心理学や科学的な方向で活かしたいと思っています。
私達が人間である以上、それをもって解き明かそうとすべきものの行き着く先が道徳なものであったとしても、勿論そこへはこだわらないのですが、私の性質も含め、真理や宗教的なものを極めようとする方向はないようです。
直近の回答でもいただいた共通意識的な概念も、内容はほとんど知らないのですが、養老孟司の書いたバカの壁の趣旨に僕の考える個人個人がヒトとして意識を持つ性質において共通性があると考えているのですが、その特性を突き詰めていったとことで、私達が個人の人として認知し得るものには枠をこえた認識を得ることはないと思います。
その考えに至った次に思ったのは、先ずは一旦そこから視点を変え、私達はナゼ、私の考え然り、タコ助さん然り、このスレッドを読んだりまた書き込みをした人、この世の全ての人々は、哲学や心理学云々で認知し得ない(現時点での考えですが)思考をするのか、という事です。

639北角:2015/06/18(木) 23:15:51 ID:rklioltI0
問題を設定した時点で、例えば目的に対してよりスマートな解決法を見出そうとする思考と、哲学などの、思考を始めた時点では前者と同じことはあり得るにせよ、恐らく答えはないだろうと推測しつつも答えのない事を予感しつつも禅問答的に考え続けるテーマには違いがあると思います。
自らの死そのものを怖れることや、死後の世界を想像することなどが例えばそれで、死後の世界を想像したり研究することはひょっとすると科学的に解き明かそうとすればこその考察かもしれませんが、死を怖れ、色々と思いを巡らすことも思考の一つだとするならば、この回路は、私達が私達である限り認識し得ないだろう世界を想像することと同義で終着点はそもそも無く、むしろナゼそのことを考えようとしている私達がいるのか、ということを考えた方が、人間私達としては意味のあるものに辿りつきうるのだろうと考えています。
それを例えばいわゆる病的回路の類いだとして、病を何かに対する対応策のプログラムだとするならば、それらの回路を辿り、何かしらのアプローチ力を鍛える、もしくは、解明とまでは行かなくとも、その方向に、その思考を必要とした私達にとって有意義な概念を得るものがあるのではないかと思います。
大枠で見てこのジャンルのクエスチョンに答えがないとするならば、今、この社会で人間として生きていく上で、私達自身が何か不足要素を持っていて、ここだけを切り取れば、このクエスチョンを持つ必要のない人々に対しては劣であり、この解けない謎を解こうとする私達のゴール・卒業は、この謎を解くことを諦めた時・自然と飽きた時なのではないかな、と思っています。
でもこの理屈自体、誰にもそれを定義することは出来ないかもしれませんが、不足なく、劣なく、純粋な好奇心でクエスチョンを持った人間には当てはまらないのでしょうが。

またもや思いついたことばかりを書きました。

640北角:2015/06/18(木) 23:26:24 ID:rklioltI0
きっとここに書き込んで下さるのでしょうが、ブログを始められたら是非見てみたいので教えてやってください。
楽しみにしています。
しかし今までの書き込みを見ていると現代日本の典型的な猛烈ハードワークライフをされているようなので無理はくれぐれもなされないように。
真面目な方でしょうし仕事をさぼりまくっている私が言えないことですが、僕達ファンのためにも身体や心を大切にしてくださいね。

641不思議な名無しさん:2015/06/18(木) 23:59:05 ID:ewshsRoY0
懐かしいスレを思い出したわ

四次元を見つけてしまった
http://hobby7.2ch.net/test/read.cgi/occult/1109175263/

642北角:2015/06/19(金) 02:43:06 ID:rklioltI0
風呂上がり夜更かししてしまいました。1さんが何を言おうとしたのか結局理解出来なかったけど、何かを認識したんでしょうね。ただ単に感覚が研ぎ澄まされた瞬間にいつもと違う自分の認知感に違和感を感じたのかなとも思ったけど、そうでも無い気もしましたが、、難しい。
でもふと時間というものこそ、意識の存在より、物資やエネルギーの存在よりあやふやで、人間に生み出された概念でしかないのかなぁと言うのが何となくわかった気がしました。
一次元というものも、点をイメージした時点で0ではないので、二次元くらいからしか人間には認識出来ないのかなぁとか、運動ありきの次元を認識しようとした時には、イメージしようとする我々に時間が必要であるというのも何となく不思議な感じがしました。物体が動いてる映像を脳でイメージしてるんだから当たり前のことなんだけど。
寝よ

643たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/06/20(土) 21:45:00 ID:ONncdaXo0
>>638
俺はシステムのAPIと呼ばれる命令群を設計する時、
誰がどのように、そして何の目的が用いるかを考えます。
これはシステム的な哲学とも言える作業であり、それは思考の試作とも言うべきものです。
しかし、哲学を探求する場合、その分野について深い知識が求められます。
俺は自分の作ったシステムの用途・趣旨・目的を完全に理解しているからこそAPIを生み出すことが出来ます。

おそらく、人類がすべてを知り、すべてを解明した先には、認知し得ないものはなく、
その時代に生きる存在の思考が生み出した答えは事実なのだと思います。
ただ、それを考え出すのが人間なのか、ポスト・ヒューマンなのかは分かりませんが。
加えて、その「答え」とは俺の勝手な意見では、悲劇に限りなく近いもののように思えます。

死後の世界については、家族の健康上の心配がある現在、
俺も様々なことを考えてしまいます。
楽園のような世界があり、そこで永遠に過ごすという「次の世界」を信じたい気持ちがありながら、
自らの体験は、あたかも、この世界こそが「『死』後の世界である」と述べているように思えてしまうのです。

以前に俺は「この世界は実体のあるホログラムのようなもの」と信じていたことを書きました。
あたかも、この言葉は、世界がプログラミングされた仮想世界のような印象を与えてしまったかも知れませんが、
決して「実体が無い」、あるいは「この世界は仮想世界だ」という意味ではありません。

そして同じく「この世界は複数の世界が重なり合っている」と書きましたが、
今では当時の奇妙な感覚を思い出すことは困難ですが、この考え方は亡霊のように未だに俺の中を漂い続けているように感じます。
そして、この言葉は俺たちの世界が「多世界(可能性の世界線)」の重なり合った世界というわけではなく、
物質と情報が重なり合っている世界と俺は表現しますが、
この世界で、俺たちが「見る」、いや「認知できる」ものは、あくまで、現在のフォーカスだけという意味合いです。

>>641が教えてくれたスレにある1と0の解釈は、俺の認識に近いものです。
それが「4次元」なのかは疑問ですが、確かに性質を表面上で見れば1ように見えるのかも知れず、
HDDのプラッタ表面の磁気体に例えるとしたら、111と000のような表現は(俺の考え方に基づけば)的を射ているように思います。
しかし「次元」という空間の広がりとは異なるとは思いますが。

644北角:2015/06/21(日) 00:24:20 ID:WnYaLlpE0
明石家さんまが、人間が想像できるものには必ず辿り着けるという言葉を誰か言ってたってのを思い出しました。
クエスチョンを持った時点で、答えは何かしらの形で解明できるってことなのでしょうか。
タコ助さんが悲劇と表現されましたがそれは、それを見ていた瞬間にもマイナスなイメージで捉えていたのでしょうか、もしくは今現在の状態から振り返ってみて、悲劇であるという主観で思われるのでしょうか。
感情を排除したとしても、死後の世界でありうる状況が、私達の魂なりがそこへ行った時に悲劇的であるといわざるをえないものなのかが知りたいです。
また、その世界を見ていた時に、
その世界は人間としてのタコ助さんを抜け出した主体が存在しうる世界だったのでしょうか。あくまでタコ助さんであった主体があったからこそ見れた世界?
生命体的なもの・意識は存在しえるものだったのでしょうか。

四次元スレッドの1さんしかり、もう書こうとされている内容の想像すら難しすぎてできなくなってきました、、
ただ興味だけはつきませんが、、

645たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/06/21(日) 22:15:17 ID:UiBli1GU0
>>644
人類が想像することは実現出来る、科学的背景は異なりますが、
実現不可能なことはない、これは言うなれば人類が物理法則に打ち勝ってきた成果でもあります。
同時に、物理法則を利用した結果であり、将来の俺たちの子孫は距離や時間すら超越するでしょう。
ただし、それは速度とは異なり、量子のもつれの解明によって、これらが実際は解決されていくこととなると思います。

悲劇的な世界は、ケプラーの地動説モデルに基づいて作られたルドルフ表のように、
この世界が自分たち中心ではなかったことを知った時と似た感情かも知れません。
あくまでも、俺の感想でしかありませんが、それらはマイナスではなく、ごく当たり前のことでした。
プラスでもマイナスでもあり、そこに「有りて有る」限りのものです。

俺の感じた「次の世界」では、最初は「自分」と言うものがあります。
しかし、次のフォーカスでは「自分」というものは大切ではなくなります。
今と呼ばれる世界から見れば、自分を失うことは悲劇的かも知れませんが、俺の言う「悲劇的」とは意味が異なります。
では何が悲劇的であるのかと言えば、異なるフォーカス(上位や高い層という表現ではありません)では、それは重要ではない以上、
俺たちの世界も、ただ単に「フォーカス」でしかないという悲劇です。

俺はここでは書く必要の無い様々な体験をして、主治医とその体験内容を共有しています。
それらの体験は俺からすれば「統合失調症」によるものと主張しても、主治の考え方は異なるようです。
この状況において、俺は常に主体がありましたが、
主体を必要としないことを理解するフォーカスもありました。

そこには生命はありますし、別のこの世界と様々なことは変わりませんが、
最も異なることとは、それぞれのフォーカスで「大切なこと」が異なるというものです。

俺の体験はあくまでも通常はする必要がない(病気になる必要がない)ものです。
より詳しくは、Skypeで話すことも出来ますが、>>644の考え方としては、それは重要ではないのでしょう。
そして、これらを想像することは困難です、(病気だとしても)体験した人の話を聞くか、体験するしかありません。
けれども、この選択は著しく理不尽なものです。

646北角:2015/06/22(月) 00:18:49 ID:RTcNpfjM0
我々の命が終わった時、いわゆる死を迎えた時に、人間として個々人としての意識という意味では消滅するとしても、何かしら今私達がイメージする意識的なものは存在するという解釈を導いて間違いはないとお考えでしょうか。
昔手塚治虫のブッダという漫画で、死後の世界に行ったスジャータという女の子の魂を連れ戻す場面を描いたものがありましたが、1度魂の集合体のようなものに既に取り込まれ、その中から同サイズの魂を抜き出して連れ戻す件を思い出しました。
私達がノンレム睡眠の状態を、覚醒している今、思い出そうとすると、意識がないのだからそれは無なのだろうとイメージしますが、それと同じように我々は死んだ瞬間に我々の自我や意識を失い、言葉そのまま死を迎えますが、もはや我々個々人が命を持った状態であろうと無かろうと、常にどこかしらの次元に生命体もしくは意識らしきものが存在し続けているという認識をお持ちでしょうか。
タコ助さんが特殊な状態にあった時に感じた世界は、あくまでタコ助から派生した存在がある次元の世界を見たとお感じでしょうか。もしくはタコ助さんから派生したもの自体がその次元の意識的なものを持ったものと同義であったことを気づいた感じなのでしょうか。

647北角:2015/06/22(月) 00:24:54 ID:RTcNpfjM0
タコ助さんがおっしゃった、通常する必要の無い体験というニュアンスについてですが、世間一般の人間として生きていく上において、ということでしょうか。
例えばブッダなど、悟りの境地に至るなどの道筋においては必要となりうる、何かしらの思考に辿りつこうとする途上において必要になりうる、という意味であれば異なってくるものでしょうか。

648不思議な名無しさん:2015/06/22(月) 10:20:43 ID:Zpa3WaZw0
ボリューミー過ぎてまだ途中までしか読んでないけど

何らかの悟り、 発見を得たのちに驚き、恐怖感が来る、
そして謎の存在からのコンタクト

最初そういった展開のレス見た時は衝撃だったけど
2ちゃん歴も長くなるとちょこちょこ見つけるようになって、
良くあるパターンなんだなと思うようになった
でもどの体験者の話も真摯で面白い

驚き程度よりも恐怖感も得た人の方が、コンタクトの割合高いかな…
いやそうでもないのかな?
恐怖感無しに受け入れてるのは女性が多い気もする

>>80の話、ちょっと詳しく調べてみます。

649不思議な名無しさん:2015/06/29(月) 16:31:12 ID:kwb2XEi20
とかいって全然調べてないのであった


12の構造が気になってるがなんと捉えるべきか
人間が心と法則の間、って事は動植物生命、鉱物はまた違う場所だったりする?

流れってのもよう分からん
法則を基盤として構造を認識、その時エネルギーが認識した分だけ流れて心を動かし法則に影響を与える…
という考え方で良いのか??
二重スリット実験の一連の流れが思い浮かんだ

650たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/07/06(月) 00:47:28 ID:UiBli1GU0
遅くなりました。

>>646
意識的なものが肉体の消滅の後も残るのかどうか。
あるいは、死後と夢を見ている時の体験を同一視することは、誤りなのかも知れません。

俺の考えでは肉体の死と同時に、意識的なものも失われると考えています。
夢も脳が情報整理のために見せているものであって、別に魂や精神体のような高尚な何者かが、
それに作用しているとは考えていません。
よって、俺の体験した出来事は、俺の脳が認知したものでしかないと考えます。

これらの体験は、俺が病気を発症したことにより体験した出来事であり、
体験自体が異常であったと捉えることが出来るわけで、それが合理的と言えるでしょう。
このため、俺は自分の体験を「悟り」や「神秘体験」とは考えることは出来ません。
もしろ、俺のような人間が悟り体験をしたなどとは、思い上がりも良いところです。

けれども、自分自身の体験に基づいて考えると、
まるで「死後にも世界がある」
いや、「死後こそが本当の世界である」とも考えてしまうことは白状します。
そして、この世界も「死後の世界」と思えてしまう、この考え方は病的なのかも知れません。

>>648
おっしゃる通りで、悟って発見、そして恐怖を知って謎の存在と出会う、
こんなベタベタな体験をしたこと自体が恥ずかしいのですが・・・

651北角:2015/07/08(水) 17:56:34 ID:2kNuaS360
結果として体験したものが、タコ助さんがおっしゃる病的なものであったとしても、仮にタコ助さんが今まで得てきた情報が集約されたものによる派生もしくは何かしら生命体である私達人間が奥底に持ち合わせているものによる体験であるとすれば、病的と名のつかない悟り等々に辿りついた人間が体験したものと、あながち全く別物としえない面はあるのではないか、と思います。
よく、悟りを得た人間が、そのは特別なものでは無く、またその人自身も悟りを得たからといって、特別な状態になるわけではない云々ということを聞きかじったことがありますが、悟りというものがさも特別で素晴らしい輝かしいものであるというイメージがそれに至っていないであろう私達のある意味偏見であるとすれば、そのように考えることもできると思います。

652北角:2015/07/08(水) 18:04:06 ID:2kNuaS360
釈迦も統合失調症であったのではないかともいわれています。もしそれが事実でなかったとしても、高僧とされる達磨の言葉にも、様々な修行方法があったとしても、その道に辿りつくことが共通しており、マスターとなるための道筋として、病的なと定義される状態にタコ助さんがあったとしても、何かしらを得るためもしくは手放すためなのかはわかりませんが、道を歩んでいる過程であったことは事実だと思います。

653北角:2015/07/08(水) 18:16:50 ID:2kNuaS360
いずれにしても、現段階では、かもしれませんが、タコ助さんのお考えでは、やはり現代社会でもおそらく科学的に1番納得されているであろう考えと同様、私達が死を迎え、意識や自我を失った時には、自我を持つ人間私達にとってそこは無である、ということだと拝見しました。
私の一番の興味である、意識の感じ手、もしくは自我そのものの存在が何であるか、ということには直結しないのかもしれませんが、今これらの問題を考えている私達自身の意識や自我自体は、仮に死を迎えたとしてもそのままではその存在が何であったのかということを認識しえないのだろうとも感じます。
それは仮に悟り諸々を得た人間だとしても、特別な自我に変性する訳ではないとすれば同様で、科学的なアプローチしかり、当然ですが人間でありつつその正体に辿りつくのはやはり不可能だろうとの結論に達します。
私達はよくもわるくもただ人として生き続けるのでしかないのでしょう。
その奥に辿りつこうとするのはけして無駄な面だけではないにせよ好奇心などから考えを巡らせてしまう人間の性なのでしょうね。
推測なり理論立てることは仮に出来たとしても、追い求めるような形での実感はできない、といった感じでしょうか。悔しいですが。

654ふくろう:2015/07/10(金) 20:41:41 ID:beS9mxNI0
>>652
「釈迦ムニが統合失調症だった」は軽はずみな発言だ。どうせ
「そう、断定した訳じゃない」
と言うのだろ。
確かに、
「サトリは統失といっしょ」
と言う言葉は聞いた事がある。
聖者には幾つかのタイプがある。ラーマクリシュナ師の様に全身が硬直したりトランス状態なったりすることを指しているのでは。どの程度の知識か知らんが、何を根拠に言っているのか?
釈迦ムニは「人」の中で過ごされた。私の見方ではインド系の聖者では異例のことだ。人知れず亡くなった聖者が圧倒的に多いはずだ。パドマサンバヴァ師の様に叡知を分かち合い、いつの間にか居なくなる。こちらがオーソドックスだろう。
釈迦の肉声に最も近いとされているお経スッタニパータにも、鍛治工の子、学生他と会話をしているではないか?
少なくとも、総合失調症の「疎通性の乏しさおよび社会的引きこもり」
には該当しない。

655ふくろう:2015/07/10(金) 20:50:10 ID:beS9mxNI0
>>652
なぜ、この様なことを言うか?は過去に自分の興味で病院の総合失調症の個人情報を漁ろうとした人がいたからだ。自己流の密行に精をだし、精神科の処方する薬にお世話になる方が後をたたないからだ。
タコ助さんの様に、誰もが社会復帰できる訳じゃない。

656ふくろう:2015/07/10(金) 21:07:12 ID:beS9mxNI0
サトリについては私も考えるよ。クンダリニーとか、無想三昧、大羅天に至ってもそれは所詮テクニックだ。無想三昧もユックリ微かが来てまた三昧を繰り返すんだろう?あんたも分かってるんだろ。
静かな青空、ソコから降り注ぐ神の慈愛の声をどう聞いた?サトリとは、其処に至るまでのプロセスでは?例えば、ヒトが総合失調症にかからないように祈るべきではないのか?
結果的に総合失調症を軽視にはなっている。患う人は後をたたんやろ。

657たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/07/10(金) 21:52:08 ID:UiBli1GU0
>>654-656
俺は宗教に明るくありませんが、仏教に詳しいのですね。
このスレの趣旨は「様々な意見を通わせる」ことを目的としています。

おそらく、あなたは仏教の先人たち、または「聖人」と総称される人たちのことを
「統合失調症かも知れない」と評価されたことが悲しかったのだと思います。

しかし、俺は思うのですが、あなたの信仰心(誰かが独自の修を積もうとする行為に対する危惧も含めて)が本物であるのなら、
誰かの言葉、誰かの思いによって、それらは傷つけられるものではありません。

なぜなら、過去に俺は「自分の海」という話をしましたが、
その海は決して「誰か」が波立たせ荒立てるものではないからです。
自分の海を穏やかにすることも、波立たせることも、自分自身の心の在り方だと考えています。

「悟り」と呼ばれる状態は、おそらくは、心安らかなものでも、すべてが分かったと感じるものでもなく、
ましてや、偉いことや凄いことでは決してないのかも知れません。
つまり、すべてを認めることが出来る寛容さに気づくことのように思えます。

その状態は決して瞬時に獲得するものではなく、
「気づいたこと」に基づいて、少しずつ学んでいこうとする姿勢なのかも知れないと、俺には思えます。

「間違っていることを、なぜ擁護するんだ!」と、あなたは思ったかも知れません。
あなたが間違っていると思ったことが、必ずしも「相手」にとっては間違っていないとしたら、
まず、相手の言葉を良く聞くことです。
その上で「友達になろうよ」と思い、そのために知ってもらおうとすること、
俺はそれが大切なことであると、一連の体験の中で学んだ次第です。

658北角:2015/07/11(土) 10:47:31 ID:Kz1TepmU0
タコ助さん、言葉足らず?な僕のためにフォローしていただきましてすいませんm(_ _)mありがとうございます。
統合失調症も含め、病全般を、健康な状態-病気という風に線引きをしてしまうことが、実は病という概念に壁を作ってしまい、その病的な状態の原因を含め本質を見えなくなってしまうような気がして、今回の様にごくごく軽いタッチで病名を語りました。
もちろんその状態にあることで、本人はもちろんそこに関わる人の苦しみが生まれ得ることについては、特に今回の統合失調症に限って言えば、家族、仲の良い友達がその状態に長年ありますし、また、おそらく私自身もその状態にある.もしくは少なくとも過去にはあったと考えているので知っているつもりです。
症状を結果ではなく、仮に過程だと捉えるとすれば、何かしらの負荷がかかり、それに対する反応をごく当たり前のこととして行い、次回同様の負荷がかかった時に対処できる為の備えをする期間である、と定義すれば、病を壁の中に閉じ込めるだけの概念に留まらないと思います。
その実行性は当然様々です。
鉄人衣笠も風邪をひいたでしょうし、シッダルタも赤ちゃんの頃には泣いていたと思います。
悟っても悟らなくても一緒。生きてる間の喜怒哀楽を全て味わい尽くすもよし。寝て過ごすもよし。健康な人間も病気の人間もアリンコも石ころも同じ。ってゆうスタンスの話をしたいのが僕のスタンスです。

659たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/07/11(土) 19:03:36 ID:UiBli1GU0
>>658
おそらく、>>654-656が言いたかったことは、
統合失調症になったから、悟りに達したかのような表現は、
先人に失礼であり、そうした考え方に基づいたスピリチュアルに対する警鐘なのだと思います。
例えば仏陀が統合失調症だったかも知れないと考えることは、
2つの解釈を生み出します。

1つは、統合失調症を肯定することです。
1つは、先人が切り拓いた教えを病的なものから派生したという認識です。

これらの解釈は、あたかも有頂天に達するために、
精神病という道具が優位に作用するかのように見えてしまいます。

そうした解釈は、>>656の言葉を引用すると、
>ヒトが総合失調症にかからないように祈るべきではないのか?
と言う「手段の取り違えに対する警告」を生みます。

けれども、「正しい修行」とは往々にして仏教の言葉である「外道」を
否定するかのような振る舞いとなってしまうことは確かです。

しかし、俺の個人的な思考では「自分が考えるものが本物だ」と主張することは重要ではないのかも知れません。
自分が知っているものは、それ自体が本当であるからです。
もし、自分が苦しみを知っていれば、苦しんでいる人に対して、同じ苦しみを抱えた姿となって、
自分を表すことが出来るものです。

「精神病」と「悟り」を直接的に結びつけることは、
この病気と悟りを「知っている」と思い込み、軽んじているように見えてしまうのです。
精神病は「環境」であり、その結果として出会った出来事は「体験」であるのに対し、
悟りとは「気づき」言い換えれば「ひらめき」です。

このような、様々な考え方が浮き沈みし、多くの人々と共有している状態を、
俺は過去に「多様性の海」と呼びました。
この多様性の海の中では、事実に対して自分の不整合を正すために、
本来想定すべきではない変数を与えてしまうことがあります。

精神病を罹患した結果として「悟り」を得たとする主張も、
あるいは修行によって「悟り」を得たとする主張も、
それぞれ本質や環境は異なりますが、そもそも「悟り」は重要なものではないのです。

660ふくろう:2015/07/11(土) 22:14:16 ID:beS9mxNI0
せめて、他人には穏やかな人生を送っていただきたい。脳の病気は完全になおらん。ウチも姉に症状がある。おまえって奴は、ホンマに周りにいるんかい?
外道、正しいとか、一番嫌いな言葉だぜ。
精神世界のあこがれ→精神疾患を患うことが多い
て、ことよ。

661たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/07/11(土) 23:08:00 ID:UiBli1GU0
>>660
あなたの最善を尽くしてください。
インターネットは、あなたを助けてくれません。
なぜ、このような文言から始まったのかは、俺のレスポンスを全て読んでください。

精神世界については、俺は明るくありませんが、
必ずしも統合失調症を罹患する傾向と、
精神世界への憧れが正比例するとは俺は考えていません。

彼に、あなたがその認識を持っているとしたら、
あなたが指摘した「仏陀は統合失調症だったかも知れない」とする憶測、
これと似てしまうように思います。

なぜなら、あなたの周囲の人に、あなたの認識する
「精神世界への興味があり、統合失調症を罹患した人物」
がいたとしても、それはごく一部の環境に限った解釈であって、
それを全体的な解釈とすることは困難であるからです。

そのような解釈よりも、何よりも、
あなたがまずしなくてはならないことは、
『>脳の病気は完全になおらん。ウチも姉に症状がある。』
という発言から、周囲に脳に何かしらのダメージを受けた人物がいると仮定すると、
その人物に対して、最善の策を講じることではないでしょうか。

俺の友人にも、くも膜下出血で半身不随となった人がいますが、
その人物はリハビリによって、かなり回復することが出来ました。
俺自身も、統合失調症という脳の病気を罹患しましたが、かなり回復することが出来ています。

このようなスレッドに書き込みをしている場合ではありません。
「あなたの周囲の人物」を、インターネットは助けてくれません。
もちろん、あなた自身もインターネットは助けてはくれないのです。

何が大切なのか、何をすべきなのか、
それらの答えは、インターネットにはありません。
現実世界にのみ存在するものです。

662不思議な名無しさん:2015/07/11(土) 23:46:55 ID:C2LW6o/Y0
>>659>>661
大体の人は他人の言葉によって真理は変わるものかも〜。
同調反発妥協のちに承認を繰り返して自分の定位置を探すみたいな?

葉っぱは木陰を避けて枝を伸ばし、無駄の無い葉のつき方をしてる。
光を当てる空間の余剰があるなら、枝はそれほど伸びなくて済む。木陰を作れば枝は伸びるってね。
枝、そんなに必要ないでしょ?

663北角:2015/07/12(日) 01:05:05 ID:ifNDRu360
どんなものでもそうだけど、言葉にあらわした、悟りというのは人それぞれの概念でしかありません。
色んな宗教の教祖様や、歴代の聖人や、それぞれが思い描く神様でさえも、やはりそれぞれ個々が絶対視しているということでしかありません。
悟り云々に対するイメージも、話題の統合失調症に対するイメージもまた個々であり、それが、これまた個々のものですが真理なのでしょう。
サンタさんを信じ続けることと、仏教やキリスト教やイスラム教を信じ続けることは同じと言えます。
例えそれが私の言う過程だとしても、やはりそれが病的な状態で苦しみが派生し、そこから脱したいとするならば、その時点では幸せな状況ではないのですが、だからと言って極論でいえば悪だ、と定義づけてしまうと、それは偏見を生み、本当の実りにつながらない傾向が強まるという意味で、私は別の考えを持っている、ということです。
家族、と言いましたが、私の場合はくしくも兄なので、続柄的には同位置にあります。症状や環境も当然様々なのですから、そこからどう考えを派生させるかは自由ですが、タコ助さんがこのスレを作り、せっかくだから色々とアウフヘーベンしていこう、という趣旨を味わいたいと思っています。
でもとりあえず色んな意見が出て楽しい?というか盛り上がってると思います。

664北角:2015/07/12(日) 02:19:06 ID:rKcB7/TQ0
広〜い視点に立って、脳の病気は完全に治らん、との発言があるが、病気を、状態に置き換えてみよう。
脚に障害があって生まれた、もしくはどの時点かで障害を持った。
イメージ的に認識しにくいかもしれないが、これを病気としよう。
病気と定義した時点で、治すべきもの、という認識が加わるが、先天的にせよ後天にせよ、治してもいいし、それを受け入れて生きるもよし、個々の判断やニーズに拠ってくる。
良し悪しは極論好みだし、ありのままを受け入れていく選択肢を設ければ、その状態即ち病としたものに対するイメージを広く持つことができるんじゃないかな?
今置かれている環境を、幸か不幸かなんて縛り付けずに見つめることが、適応し、もしかすると自分自身にとって別の視点を持ち得るヒントになるんじゃないかな。
もちろん今のままでいてもいいし。自由だよ。
釈迦にこだわって話を進めると、宗教として伝わっている時点で、その教えは、広めらるべきものとして存在しているけど、釈迦が結局終生にわたってその悟りを広めようとしなかったという説について切り取ってみる。本人にしかその理由はわからないにせよ、行き着いた境地から派生したものを理解させることは出来ないと考えたかもしれない。またはあえて理解させない方がよいと考えたのかもしれない。または別にみなが悟りを開いても開かなくてもいいやと考えたのかもしれない。
今まで伝わってきた仏教の教えとか、悟りをマスターしたい、という欲は、教えの中にある内容と、学ぼうとする欲が矛盾し得ることだって言える。釈迦は、宗教化することや、悟り諸々を絶対的に理想しすることの弊害がありうることを想定した可能性もある。
悟りが素晴らしいものでなければならず、それを否定しようとする存在を排除しようとすることに限って言えば、タコ助さんが書いたことにも共通し、矛盾があるんしゃないかな。
ま、それはそうとして、お互い家族がいい感じになるといいね。そして全世界の病気がなくなるに越したことはないし、人に問わず全生き物が平穏に暮らせるといいね。はたまた微生物も。ここまでくると線引きが難しいね 笑 まぁ生きてるうちは悩みが出てき続けるってことかな。
長電話しすぎて眠いのもこれまた然り。
寝るか

665ふくろう:2015/07/12(日) 04:46:23 ID:beS9mxNI0
>>664
釈迦は、晩年血便をたれながらも叡知を分かち合いながら北進した。そして帰郷はかなわず果てた。臨終まで周りを気づかった。途中、居なくなったのは、チベット仏教を招聘した蓮華生をageとるのじゃが。が、まぁ、どーでもいいか…
あなたの考え方は受け入れますよ。

すでに、あふれる光が
ますます澄みわたりますよう
パンニャー(叡知)の花びらが
その手に舞い降りますよう

このマントラがあなたへのプレゼントですよ

666くまこう(・(ェ)・) ◆03g2kA9xOM:2015/07/12(日) 17:56:21 ID:TUXTJyrgO
>>664

>病気と定義した時点で、治すべきもの、という認識が加わるが、先天的にせよ後天にせよ、治してもいいし、それを受け入れて生きるもよし、・・・ありのままを受け入れていく選択肢を設ければ、その状態即ち病としたものに対するイメージを広く持つことができるんじゃないかな?

くまもそう思うであります。

こう認識するのが正解ということではなく、あくまでも自分の心がどのように感じてるかをありのままに観察し、得た実感が各自の答であるかと思うのであります。

日常生活に決定的な支障をもたらす症状は「病気=死にいたる病」として治療を要しますが、その状態を脱したと自覚できたら、その状態を自分の「心」あるいは「脳」の現状として受け入れ、追求する道もあると思うのであります。

667不思議な名無しさん:2015/07/12(日) 20:49:52 ID:euB0Dec20
>>666
悪魔の数字
あくまのすうじ
あ、クマの数字!

それだけ

668くまこう(・(ェ)・) ◆03g2kA9xOM:2015/07/12(日) 21:08:00 ID:TUXTJyrgO
.∧_∧
(*・(ェ)・*)
.(つ666と)
.と_)_)

お祓いをしなくちゃいけないでありますね。

669ふくろう:2015/07/13(月) 10:19:42 ID:beS9mxNI0
>>668
6は、聖数さ。
亀の甲羅は六角形の集合体。6は堅固で安定していると言える。脳のコラム、脳の動脈ウイルス管も6角形。

ダビテの星、アナログの時計盤、1年の半分。6が循環をあらわす。
スゴくパワーのある番号を手に入れたのさ。
なにより、タコ助さんが言ってた
「12の展開」
に縁のある数字ではないか!

670くまこう(・(ェ)・) ◆03g2kA9xOM:2015/07/13(月) 14:02:32 ID:TUXTJyrgO
>>669
.∧_∧
(・(ェ)・)
.(つ6と)
.と_)_)

なるへそ!へそのごま!
ありがとう。
縁起がよい数字だったのでありますね♪

671北角:2015/07/13(月) 14:22:51 ID:Kz1TepmU0
マントを貰ったスーパーマンです。もしくはパーマンです。
6はスロットでいえば最高設定だし縁起が良いよね。
それはそうと、うちのアニキはおそらく虐待的なもんで思春期あたりから調子を崩しちゃって早20年以上経つんだけど、ふくちゃんのお姉さんもだいぶ長いの?
ちょっと前に心臓麻痺でもう亡くなっちゃったけど、叔父さんも青年期に発症してるから遺伝の割合も半分くらいはあると思ってるんだけど、ふくちゃんはその気は出てたりしないんだろか?内緒なら内緒でもちろんいいよ。

672不思議な名無しさん:2015/07/16(木) 05:29:29 ID:7FJX2pls0
俗物なんで全部は読んでない
けど統合失調かどうかははっきり言えばあなたが周囲の人に迷惑をかけてるかかけてないかで決まります
あなたが頭の中でどんな奇奇怪怪な体験をされて、どんな判断をしようが
普通の生活をしていれば統合失調ではないです
ゲスな例えをすれば頭の中で幼女を虐殺してレ○プしてても、実際に行動を起こさなければ普通なのと一緒です
勿論それを起こす気があるのと、妄想だけに留めておくのかには大きな違いがあると思いますが…

統合失調は周囲の人間を物凄い不幸に陥れます
家に帰ったら妄言で警察がきてた、自分を宇宙人だと数時間責める、親戚・近所に土下座、○千万溶かされた的な数々です
あなたが統合失調かそうでないかにしろ、その世界に対する理解を他人に求めない方がいいと思います
統合失調の家族の意見です

もし普通に生活できるなら行き着くとこまで行ってみれば?と思います

673たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/07/16(木) 12:34:50 ID:Nkrawmug0
>>672
忠告を受け止めました。
このスレの趣旨は>>1の通りですので、
ここでは返答は避けます。

674くまこう(・(ェ)・) ◆03g2kA9xOM:2015/07/16(木) 13:16:38 ID:TUXTJyrgO
>>674
横レスでありますが、

それ(>>1の趣旨)でよいと思う・・と言うか、この趣旨を貫いて欲しいであります。

今まで通り、あくまでも、たこ助さんに「病気」の自覚がある限り、それとして書いて欲しいでありますし、その病気と自覚される脳が見たまま、感じたままをありのままに書いてほしいであります。

むろん、治療に差し障りのない範囲でお願いしたいであります。

675北角:2015/07/16(木) 14:54:01 ID:.Om4C7C.0
実体験からその被害を受けておられ、思いが強くなるのは当然だとは思いますが、統合失調症の概念として、他人に迷惑をかけているか否かというのは、理論に主観が入り過ぎていると思います。別の問題としては受け入れられますが、症状はあくまで当人にとってのものであり、そこから派生するのはその一個人が環境に与える影響です。症状を持っていようといまいが、被害を与えることはあり得る訳で、例から話を進めると、妄想をしている人間や行動に移すかどうかを問わず、その妄想をしている人間が統合失調症であるかどうかの線引きは直接的には無関係です。
そのままの理屈でいけば、統合失調症は基本的に悪であるとまで結論づけてしまわれます。
そこから派生する影響を考慮しても、根源である、何故統合失調症を患い、そのような影響を与えてしまう人間となってしまったのかという解決を導く道筋までを消してしまいかねません。

676北角:2015/07/16(木) 14:56:16 ID:.Om4C7C.0
もちろん私個人の好みや思い込みもあるでしょうが、タコ助さんはおそらく一般の人よりも、他人に迷惑をかけるなどの割合がむしろ低く、それどころか他人に対する思いやりを持つ力まで同じく上回っているくらいだと思います。

677ふくろう:2015/07/16(木) 18:33:31 ID:1iTAD1Nw0
>>671
叔父さんのご冥福をお祈りします。
姉も長いよ。10年以上はたつ。病名は勘弁してね。母方の親戚も発症してるから素質とかあるかもね。科学的解明を待つ。
周期的に気が沈んだりするよ。誰にでもあるよ。ひどく不安になったりね。
周りは、しんどいよ。でも、いいんだよ。道に点字ブロックがあるだろう。あって当然。お金や労力を使うべき所に使うべき。
俺は俺流にしか生きられないから、君も君流でいい。
事故で俺の脚の腱が切れた。先生と相談して保存療法にすることにした。今は、再腱術も多いみたい。スポーツがダメな俺が、サッカーだけはそこそこ出来るようになってた。
今は、できん。残念やが受け入れることにした。

678ふくろう:2015/07/16(木) 18:46:45 ID:1iTAD1Nw0
あっ、書きこみボタン(送信)を押してしまった…。文は途中だったけど。
他も含めて、症状、障がいなんかは個性と同じホクロみたいなもの。
じゃっ、(ノ-_-)ノ~┻━┻ ひゅるん〜、なべぶた拳!
クマ様には、ヽ( ´ー‘)ノ⌒○ 白玉拳(抹茶練り込み+アンこ+きな粉)
太るがよい!(´・ω・`)


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