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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き

598たこ助 ◆6KctQgwHqc:2015/02/22(日) 22:33:52 ID:ZGYUczus0
>>597
「成りて成る」「成る」「有りて有る」「有る」は、ここに有りて有るばかりである。
俺は自分の体験から、そのように感じました。
それは、重なり合っているとも言えますが、
そこに有りながら、未だにそこに無いだけなのかも知れません。

「この世界がゲームのようなもの」という考え、これは、たとえ話です。
この世界のすべての出来事が、何かしらの仮想現実であって、
すべては作られたもの、まがい物であると考えるとしたら、
この世に存在する様々な限界や基本原理はシステム的な制限値である。
それは腑に落ちる考え方です。
これは、輪廻や神の領域とも言い換えることが出来るかも知れません。

しかし、それらは錯覚であり、俺たちがいるありのままの世界がすべてです。

けれども、その思考は「時間の箱」への疑問を抱かせます。
果たして俺たちは本当に「時間の箱」という箱庭に閉じ込められているのか。
俺の体験では、非常に強い重圧を感じた「成る」の世界で、
無数の光のようなものが、幾億もの巨大な流れを生み出し、
まるで宇宙のように広がりを持ち、流れているのを目撃しました。

しかし、そこに感じたものは「時間」や「空間」ではなく、
「成る」というステージにおける、時間や空間のようなものであって、
俺たちが生きている世界とは異なる原理が働いているように思えました。

「時」と呼ばれる概念は、物質の状態や位置が変化するスピードですが、
それは結局のところ、この世界の基本原理なのでしょう。
ただ、しばしば俺たちは、この世界に存在するすべてを一つの物差しで測ろうとします。

「有る」俺たちの世界では時間は絶対的のようであっても、
「成る」の世界では、時間(空間)とは決して絶対的なものではない。
そのようにも思えます。


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