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俺が統合失調症を発症した時の話するの続き
643
:
たこ助
◆6KctQgwHqc
:2015/06/20(土) 21:45:00 ID:ONncdaXo0
>>638
俺はシステムのAPIと呼ばれる命令群を設計する時、
誰がどのように、そして何の目的が用いるかを考えます。
これはシステム的な哲学とも言える作業であり、それは思考の試作とも言うべきものです。
しかし、哲学を探求する場合、その分野について深い知識が求められます。
俺は自分の作ったシステムの用途・趣旨・目的を完全に理解しているからこそAPIを生み出すことが出来ます。
おそらく、人類がすべてを知り、すべてを解明した先には、認知し得ないものはなく、
その時代に生きる存在の思考が生み出した答えは事実なのだと思います。
ただ、それを考え出すのが人間なのか、ポスト・ヒューマンなのかは分かりませんが。
加えて、その「答え」とは俺の勝手な意見では、悲劇に限りなく近いもののように思えます。
死後の世界については、家族の健康上の心配がある現在、
俺も様々なことを考えてしまいます。
楽園のような世界があり、そこで永遠に過ごすという「次の世界」を信じたい気持ちがありながら、
自らの体験は、あたかも、この世界こそが「『死』後の世界である」と述べているように思えてしまうのです。
以前に俺は「この世界は実体のあるホログラムのようなもの」と信じていたことを書きました。
あたかも、この言葉は、世界がプログラミングされた仮想世界のような印象を与えてしまったかも知れませんが、
決して「実体が無い」、あるいは「この世界は仮想世界だ」という意味ではありません。
そして同じく「この世界は複数の世界が重なり合っている」と書きましたが、
今では当時の奇妙な感覚を思い出すことは困難ですが、この考え方は亡霊のように未だに俺の中を漂い続けているように感じます。
そして、この言葉は俺たちの世界が「多世界(可能性の世界線)」の重なり合った世界というわけではなく、
物質と情報が重なり合っている世界と俺は表現しますが、
この世界で、俺たちが「見る」、いや「認知できる」ものは、あくまで、現在のフォーカスだけという意味合いです。
>>641
が教えてくれたスレにある1と0の解釈は、俺の認識に近いものです。
それが「4次元」なのかは疑問ですが、確かに性質を表面上で見れば1ように見えるのかも知れず、
HDDのプラッタ表面の磁気体に例えるとしたら、111と000のような表現は(俺の考え方に基づけば)的を射ているように思います。
しかし「次元」という空間の広がりとは異なるとは思いますが。
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