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『web「生命の實相」輪読会』 板

1トキ ◆UMw6UoGELo:2016/03/15(火) 11:09:09 ID:lgv9ASqI
 このスレッドは、生長の家信徒の人達の『web「生命の實相」輪読会』のために作成したスレッドです。『web「生命の實相」輪読会』についての話題は、このスレッドでお願いします。

(注意点)

 基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家の信仰と谷口雅春先生へのご批判をされる内容の投稿はご遠慮下さい。

 アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。明らかな他団体や特定の霊能力者の宣伝となる投稿も削除の対象になります。

 このスレッドは、「生命の實相」輪読会という目的だけの使用するスレッドです。それ以外の投稿はできません。目的外の投稿はすぐに削除します。

 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」ならびに輪読会リーダーの判断になります。ご理解下さい。

 目的外の投稿を繰り返す人は、管理人ならびに輪読会リーダーの判断で、投稿禁止にさせていただきます。

 それ以外の注意点は、他のスレッドと同じです。

 ご不明の点は、「コメント」板で管理人または輪読会リーダーへお尋ね下さい。

では、このスレッドを利用して、生命の実相の勉強をお楽しみ下さい! よろしくお願いします。

2a hope:2016/03/16(水) 10:43:17 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第1回 web「生命の實相」輪読会 案内

期間   平成28年3月16日〜4月30日まで
テキスト 「生命の實相」第25巻 教育実践篇 上
内容   人間を作る法〈上〉

     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

みなさま おはようございます。

この度、管理人のトキさまが、この掲示板に『web「生命の實相」輪読会』板を開設してくださいました。 
これからも、大好きなこの掲示板で、大好きな「生命の實相」のお勉強が続けられることに心から感謝しています。 

感謝 合掌。

3a hope:2016/03/16(水) 10:45:45 ID:cEpBaIdo

それでは、第1回web「生命の實相」輪読会 を開会させていただきます。
開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、「本流復活」を考える 『web「生命の實相」輪読会』 板 に於ける
生命の実相 輪読会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

4a hope:2016/03/16(水) 10:47:22 ID:cEpBaIdo

つづきまして、「生長の家」とはなにか?を再確認するために、『生長の家の光明宣言』と、
創始者である谷口雅春先生の開教当初のご文章である『「生長の家」とわたし』を謹写させていただきます。

5a hope:2016/03/16(水) 10:48:19 ID:cEpBaIdo

生長の家七つの光明宣言

▽ 吾等は宗派を超越し生命を礼拝(らいはい)し生命の法則に随順して生活せんことを期す。
▽ 吾等は生命顕現の法則を無限生長の道なりと信じ個人に宿る生命も不死なりと信ず。
▽ 吾等は人類が無限生長の真道(まことのみち)を歩まんが為に生命の創化の法則を研究発表す。
▽ 吾等は生命の糧(かて)は愛にして祈りと愛語と讃嘆とは愛を実現する言葉の創化力なりと信ず。
▽ 吾等は神の子として無限の可能性を内に包有(ほうゆう)し、言葉の創化力を駆使して大自在の境に達し得ることを信ず。
▽ 吾等は善き言葉の創化力にて人類の運命を改善せんが為に、善き言葉の著述、出版、講習、講演、ラジオ放送、テレビジョンその他凡(あら)ゆる文化施設を通じて教義を宣布するものとす。
▽ 吾等は正しき人生観と正しき生活法と正しき教育法とにより病苦其(そ)の他一切の人生苦を克服し相愛協力の天国を地上に建設せんが為に実際運動を起す。

「生命の實相」第1巻 総説篇 p2 より謹写

6a hope:2016/03/16(水) 10:49:33 ID:cEpBaIdo

「生長の家」とわたし     谷口雅春先生


「わたしはこの『生長の家』の生き方がどんなに善い生活だかということについては、確信をもっている。

諸方の読者から集まって来る多くの賛辞は、わたしのこの確信がただのウヌぼれでないことを第三者として証拠だてている。

なかにはわたしを教祖あつかいにしてくださる誌友もあるが、わたしは『生長の家』の教祖ではない。

わたしは諸君と共に『生長の家』の教えを聴聞して、ひたすら、その教えのごとく生き行こうと努力する一人の求道者(ぐどうしゃ)にすぎない。

わたしがまだこの世的な悩みをいく分でも持っているのはわたしの生活がまだ『生長の家』の生き方には完全になり切っていないからである。

むろんこの雑誌の原稿はわたしの手にもったペンにより書かれる。

しかし、ひとたび『生長の家』を書こうとしてわたしがペンをもって机に向かうとき、わたしはもうふだんのわたしではないのである。

霊きたりてわたしを導く。

弱い性質のわたしにはとても書けない強い言葉が流れるように湧いて来る。

第二号の『生長の家の歌』(現在は『甘露の法雨』)のごときは自分ながら驚くほど強いことが書けている。

わたしが亀岡にいたとき、わたしが専念、教えのことを書いているのをかたわららで見ていた霊視能力者の加藤氏は、わたしと別な霊人が筆をとっている姿を見たといっていた。

それは信じてよいかどうかは知らない。

しかしもし『生長の家』に教祖というべきものがあるならば、この地上のわたしではないであろう。

およそ宗教的な深さをもったものは、それが教えであると芸術であると問わず、その源(みなもと)は霊界にあるのである。

古来から神品といい神徠(しんらい)といいインスピレーションといったのはこれである。

われわれはすべて霊界および現世の人々からラジオ的に放送されて来る思想波動を感受するところの受信機であるのである。

しかしJOAKの放送を受けるにはラジオの受信機の調節をJOAKの放送に合せなければならぬであろう。

それと同じくわれらがいっそう高き世界より来る思想波動に感ずるためには、自分の心をその思想波動に調子を合わさねばならぬのである。

ここにわれらは不断に心を清め、心をいっそう高き世界よりの波動に感ずるように訓練しなければならない。

この訓練がたりないと雑音が混じる。

受けるインスピレーションが不純なものとなる。

もしわたしの書くものに純粋でない雑音が混じっているならば、それはわたしの罪であって、霊界よりこの地上に『生長の家』運動をはじめた神秘者の罪ではないのである」


「生命の實相」第1巻 総説篇 p14 15 より謹写

7a hope:2016/03/16(水) 10:51:55 ID:cEpBaIdo

(a hope所感)

わたしは、聖典「生命の實相」のご文書を拝読したり謹写していると、自然に背筋が伸びて姿勢がよくなっています。
そして、気持ちが明るくなり、すべての出来事を肯定的に受け止められるようになって、あらゆることに自信がみなぎってきます。

<<われわれはすべて霊界および現世の人々からラジオ的に放送されて来る思想波動を感受するところの受信機であるのである。
しかしJOAKの放送を受けるにはラジオの受信機の調節をJOAKの放送に合せなければならぬであろう。
それと同じくわれらがいっそう高き世界より来る思想波動に感ずるためには、自分の心をその思想波動に調子を合わさねばならぬのである。
ここにわれらは不断に心を清め、心をいっそう高き世界よりの波動に感ずるように訓練しなければならない。>>

「生長の家」のみなさんは、今、どちらのラジオ局にチャンネルを合せていますか?

わたしはもちろん 谷口雅春先生ご放送の「生命の實相」ラジオ局 にチャンネルを合せますよ!

8a hope:2016/03/18(金) 07:56:36 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第25巻 p3


この世の中に「蛇が蛙を呑む」というごとき状態があるのは事実であります。

この生存競争、弱肉強食の事実を見つめる時、この世は善きものであること、調和せるものであることを認めることはできないとわたしは久しい間考えて悩んだのであります。

この生存競争弱肉強食の事実はその当時の自分にとっては否定することはできなかった。

そしてその嘆かわしい暗い影をじっと生活の奥に見つめてその光明化を思索している状態がしばらくつづいていたのであります。

その時代にわたしは『聖道へ』(現在は相補版)という論文集を書き、その次に小説『神を審判(さば)く』を書きました。

これは、ユダを主人公にした小説で、もしはたして善なる神が宇宙を作ったのならばなぜ世界に蛇が蛙を呑むような肉食または弱肉強食の悲惨がありうるのか、どうして戦争があるのか、どうして病人があるのか、どうして人間は苦しまねばならないのか等々とおよそ無神論者の言いそうなことをあげて神を訴え、神を審判(さば)くような調子で書いた小説でありまして『神を審判(さば)く』と題したのであります。

 (略)

震災後わたしは郷里である神戸に帰ってある心霊雑誌を頼まれて編集していたのでありました。

毎日ひまがありますので、本を読み思索を重ねていたのであります。

そのころ、わたしの心中にひらめいてきた真理がこのわたしの悩みを解いてくれたのであります。

それはこの世界は神のこしらえた世界ではない。

神を訴え、神を審判いたのはわたしのほうがまちがっていたのだ。

この五官に触れる世界は、ただ、われわれの心の現われである。

神は愛である、慈悲深きものである、その神のお創造(つく)りになった真実世界はその完(まった)き知恵と愛と生命とに満ちた大調和の世界である。

この真実の世界、久遠実成の完全世界がすでにあるという真理でありました。

それと同時に「本当の自分」というものが分かってきたのです。

本当の自分は久遠実成の仏である。

すでに久遠の昔から無限者、無限愛、無限生命なる神であるということが分かってきたのであります。

真実の世界、実在の世界は神の国である。

仏の国土である。

肉眼で見えるところの病苦充ち、人生苦満ち、蛇は蛙を呑み、弱者が強者の犠牲にならなければ生きられぬような世界は真実の世界ではない、真実に在る世界ではない。

悲惨満つるこの世界は皆心の影であって、実の存在ではない。

神はこんな世界をこしらえたのではない。

五官に視える世界は虚仮(うそ)の世界である。

かく病苦充ち、人生苦満ち、弱肉強食の修羅場が仮現(かり)のこの世界にあらわれて、在るように見えている時にさえも、神の創造(つく)り給うたままの真実の世界は常楽歓喜の世界である。

そしてわれわれは本来神の子である。

自分の中に無限の生命がある、自分の内に無限の知恵がある。

自分のうちに無限の供給がある。

これが、真実の世界、真実の我であって、この目に見える空間的世界は、われわれの肉体も環境もことごとくただ心の映像(かげ)であるとの自覚が、天の啓示であるかのように、魂の底からひらめいてきたのであります。

この天啓的神徠的信念が生長の家の根本思想になっているのであります。

9a hope:2016/03/18(金) 07:58:34 ID:cEpBaIdo

>>8 a hope所感)

今回のテキスト、「生命の實相」第25巻の冒頭に、【生長の家の根本思想】が、とても丁寧に説明されていました。

<<それはこの世界は神のこしらえた世界ではない。神を訴え、神を審判いたのはわたしのほうがまちがっていたのだ。この五官に触れる世界は、ただ、われわれの心の現われである。神は愛である、慈悲深きものである、その神のお創造(つく)りになった真実世界はその完(まった)き知恵と愛と生命とに満ちた大調和の世界である。この真実の世界、久遠実成の完全世界がすでにあるという真理でありました。
それと同時に「本当の自分」というものが分かってきたのです。本当の自分は久遠実成の仏である。すでに久遠の昔から無限者、無限愛、無限生命なる神であるということが分かってきたのであります。
真実の世界、実在の世界は神の国である。仏の国土である。肉眼で見えるところの病苦充ち、人生苦満ち、蛇は蛙を呑み、弱者が強者の犠牲にならなければ生きられぬような世界は真実の世界ではない、真実に在る世界ではない。悲惨満つるこの世界は皆心の影であって、実の存在ではない。神はこんな世界をこしらえたのではない。五官に視える世界は虚仮(うそ)の世界である。かく病苦充ち、人生苦満ち、弱肉強食の修羅場が仮現(かり)のこの世界にあらわれて、在るように見えている時にさえも、神の創造(つく)り給うたままの真実の世界は常楽歓喜の世界である。
そしてわれわれは本来神の子である。自分の中に無限の生命がある、自分の内に無限の知恵がある。自分のうちに無限の供給がある。これが、真実の世界、真実の我であって、この目に見える空間的世界は、われわれの肉体も環境もことごとくただ心の映像(かげ)であるとの自覚が、天の啓示であるかのように、魂の底からひらめいてきたのであります。>>


上の文章をまとめてみると谷口雅春先生の天啓的神徠的信念である【生長の家の根本思想】とは、

○虚仮の世界(現象世界・五官に触れる世界)の否定と真実世界(実相世界・完全世界)の肯定
○人間仏の子、神の子の自覚
○三界唯心所現の自覚

ということになります。


第1回 web「生命の實相」輪読会の最初に、「生長の家」の根本思想がなんなのか、再確認できたことも、
神さまのお導きのような気がして、感謝の気持ちでいっぱいになりました。 合掌。

10a hope:2016/03/18(金) 08:11:36 ID:cEpBaIdo

「生長の家」のみなさまへ

このweb「生命の實相」輪読会 は、これまでのweb誌友会と同じように進行させていただきます。

今回のテキストは「生命の實相」第25巻ですから、その中の印象に残った文章を謹写してくださるだけでも大歓迎ですし、
わたしのように(所感)を書いてくださってもいいです。

また、わたしやどなたかの謹写した部分や、所感等ににコメントやご意見をくださるのもありがたいです。

ですが、「生命の實相」の真理自体を否定するような内容や、真理の勉強に関係のないような内容のコメントでしたら、
コメント板、もしくは、今回新設された、「生長の家の教義を議論する」板の方にご投稿をお願いいたします。

そちらの方でお返事をさせていただきます。

基本的にこの『web「生命の實相」輪読会』板では、議論は控えひたすら「生命の實相」の輪読を進めていきたいと思っています。

「生長の家の教え」を愛するみなさまのご参加を、心よりお待ちしております。m(__)m

―――――――――――――――――
※りんどく【輪読】
( 名 ) スル
数人が一冊の本をかわるがわる読んで解釈し意見を交わすこと。 「万葉集を-する」

大辞林 第三版の解説より
https://kotobank.jp/word/%E8%BC%AA%E8%AA%AD-660163
―――――――――――――――――

11るん吉:2016/03/18(金) 18:46:39 ID:Jo.00maY
根本真理!すごいですよね。
他の宗教を信じてる人とか、良く「信じれるなあ」。と思いますわ

12a hope:2016/03/19(土) 08:14:20 ID:cEpBaIdo

>>るん吉さま

るん吉さまも、「生長の家」の根本真理がとてつもなくすごいことを察しておられるのですね。
この根本真理はすごすぎるから、一般にはなかなか理解しがたいのだと思うのです。

でもだからと言って、「真理」を補足しようとしたり捻じ曲げて解釈したりしたら、
もはやそれは「真理」からかけ離れたものになってしまいますね。

わたしはここで、ひたすら「生長の家」の聖典『生命の實相』を拝読することで、
谷口雅春先生から生長の家の根本真理を「直接伝授」したいと思っています。

るん吉さまがコメントくださると、やる気が倍増します。

また、いつでもご参加くださいね!

13るん吉:2016/03/19(土) 20:59:37 ID:Jo.00maY
うわぁー!a hopeさま

そんなふうに私の事言ってくださってありがたき幸せです!"(-""-)"てへっ

わたしは、なにかあると「物質あり」になって、現象にとらわれてしまってるバカ者です。何年やってるねん・・(/_;)

「現象無し。」とは 一般の常識からしたら、もう天と地がひっくり返るような お説 ですもの。難しい。(でもこれが真理!)

谷口先生は、ほんとにたくさん真理の御本を残していただいてもう大感謝ですよね。

>>わたしはここで、ひたすら「生長の家」の聖典『生命の實相』を拝読することで、
>>谷口雅春先生から生長の家の根本真理を「直接伝授」したいと思っています。

ほんとにありがとうございます。常に真理の書から離れたらいけないですね!

私の方が、「あ、a hope様が今日も真理の書を謹写してくださってる。」とreal timeで思えて「私も頑張ろう!」って思えて

嬉しさ倍増なんですよ!ほんとにありがとう!!

15a hope:2016/03/20(日) 23:51:46 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第25巻 p14 8行目〜

わたしがクタクタに疲れて家に帰って来ましても、われ神なりの自覚を喚(よ)び起こして書き出すと、かえってグングン元気が出てきて前よりもいっそう健康になってきたのでありました。

今、自分の内に無限の力がある。今が久遠の生命である。今、無限の富を受けているのである。

その「今」わが生命に無限の力があることが真実に解ってきた時に万事がよくなりだしたのであります。

『生長の家』を三号、四号と重なて執筆してゆきまして、六号あたりまで発行した頃、「あなたの雑誌を読んで、病が治った」と不思議なことを言って来る人が出て来たのであります。

はじめは、どうも妙だ、変なことを言って来る人があるものだくらいに思っていましたが、考えてみますと、それはちっとも変なことではない、釈迦の言ったとおり、三界が唯心の所現であるならば、心が進んで善くなれば生活状態も健康状態もよくなるのは当然であるのであります。

今ではあまり病気が治るものですから、「生長の家」は病気治しの宗教だとまちがわれているような状態でありますが、決して病気治しが「生長の家」の目的ではないのであります。

わたしは病人が大嫌い、それで父親から医者になれと言われるのをやめて文学に志したのでありましたが、わたしの書いた文章の力で読む人の心がうごかされて、人生観が一変し暗い生活が明るくなり、自然と病が治ることになったのであります。

16a hope:2016/03/20(日) 23:57:23 ID:cEpBaIdo

>>15 a hope所感)

<<三界が唯心の所現であるならば、心が進んで善くなれば生活状態も健康状態もよくなるのは当然であるのであります。>>

「われ神なり」の大自覚のある谷口雅春先生がお書きになった「聖典」を拝読することで、
自分にも神の子の自覚が生まれ、心が善くなって、暗い生活が明るくなり、病も治るということですね。

わたしは、このことは本当に実感しています。

どんなに仕事で落ち込むことがあっても子育てで悩むことがあっても、神想観をするか、「聖典」を拝読するか、どちらかちょっとするだけで、
すぐに気持ちが前向きになって明るくなります。

今も、この文章を謹写しているだけで、どんどん元気になってきてますもの・・・\(^o^)/

18るん吉:2016/03/21(月) 14:13:59 ID:Jo.00maY
a hopeさま

ちょっとお伺いしたいのですけど、よろしいでしょうか?

a hope様は、自分の感情をどうしてらっしゃいますか?
幸せな感情とか、楽しい感情は、そのままで良いのですが
苦しい感情とか、つらい感情、腹立ったり、恨みの感情とか。悪感情ですね
雅春先生の「まことに恨み心をもってしては恨み心はなくすことはできない。・・云々中略 恨み無き心でなければ・・」てありますね。
つまり、恨み無き心 を持って来たら、恨み心はなくなる。ということですね。でも恨み無き心は実相の心だから、・・・
難しいかなあ、出すのが。
で、私は訊けさまのブログにお世話になってますから、最近もそこにお邪魔して、よく登場される榎本先生のお言葉を読んだら

そのまま悪感情ちゅう別名暴れ馬はほうっといて、(中々感情はどうすることもできないので)

悪感情はあるがまま、気にしないで「実相を喜んでたら良い」「実相を感謝してたら良い」

と、こうでよいのかなあ。とおもってるんですけど、訊けさまにちょっと聞きたいな。と思ってるんですけど、

a hope 様はどう考えられますか?教えていただいたらありがたいのですが。

19a hope:2016/03/21(月) 23:13:28 ID:cEpBaIdo

>>18るん吉さま

興味深い質問をありがとうございます。

そうですね、わたしは子供のころから感情の起伏が激しかったので、昔はよく泣いたり笑ったり怒ったりしていましたね。

ですが最近では、悪感情(苦しい感情とか、つらい感情、腹立ったり、恨みの感情)にしても、
良い感情(嬉しい感情とか、楽しい感情…)にしても、相変わらず頻繁に感じてはいますが、
若かった時のように、その感情(特に悪感情)を激しく表現することがほとんどなくなってきました。

そんなわたしを見て、昔の激しかったわたし(笑)を知っている親類や親しい友人なんかからは、
「○○は大人になったね」とか、「ずいぶん丸くなったね」とか感心されていますので、
そうなのかな〜と思ってはいましたが…。

今まで、そんな自分の内面の変化を深く考えたことがありませんでした。

たぶん…今のわたしは、そういうさまざまな感情が自分の中に湧き上がってきても、
五官で感じる世界(現象世界)は実際には「ナイ」世界だと悟り始めているので、
無理なく感情抑制ができるようになってきているのかもしれません。

だから、榎本先生風にいえば、「気にしなくなった」のかもしれませんね。


たぶんですが…。

「生命の實相」を拝読して、本当に実相世界の素晴らしさが実感できれば、
いかなる悪感情もまったく気にならなくなるのかもしれませんね。

20るん吉:2016/03/22(火) 02:18:24 ID:Jo.00maY
a hopeさま

回答を下すってありがとうございます。

えっと、>>いかなる悪感情もまったく気にならなくなるのかもしれませんね。

ということは、榎本先生が言われたように

「そういう悪い感情はあっても(悪い感情がありながらも)「実相を遠慮なく喜んでたら良い。実相を遠慮なく感謝してたら良い。」

こんな感じでしょうか?

要するに私がお聞きしたかったのは、私が実相を感ずるときに(或は実相を感謝するときに)、ついつい

自分の普段持ってしまってるどうにも制御できない悪い感情(例えば自分の嫌いな相手、そしてその者に対する悪感情とかね、色々ネガテイブな感情や考え)
こんな感情を持ってたら、実相を自覚したり実相を喜ぶなんて権利あるのかしら・・?そんな風に思ってしまうときがあるんです。

心を何とかしないとダメ。(←こういう書き方じゃないけど)みたいな、悩み相談でもどっちか言うと心の法則の面に強きを置いた

回答があったりするでしょ。私の廻りにおひとりそういう考え方のお人がおって、その人としゃべってたら自分の悪い感情のことを意識してしまうようになって

それでこんなふうに(こんな自分に、実相を自覚する権利ある?)って考えてしまうようになって


それで、他の人はどうかな?てお聞きしたんです。

榎本先生も、そういう現象の心は放っておいて(現象の心は無いのだから)そのまま「実相を遠慮なく喜んでた良い」て書いて下さってるし。(訊けサンのブログからです)


ほんとはそんな風に(悪い感情等があるから実相を自覚する権利が無い)なんて考える必要はない、て榎本先生がおっしゃてるからだけでなく

自分でもほんとはわかっては いるのですけどね。(もち、榎本先生のお言葉は、色々迷いがある自分には有難いです)訊けサンに感謝)

ただ、横の真理ばかりいうお人(自分の身近にいる)とは、もう真理の話をしたくないかなあ。です・・・有難うございました。おやすみなさい。

何時も、有難う。

21a hope:2016/03/22(火) 11:49:34 ID:cEpBaIdo

>>20 るん吉さま

<< >>いかなる悪感情もまったく気にならなくなるのかもしれませんね。
ということは、榎本先生が言われたように
「そういう悪い感情はあっても(悪い感情がありながらも)「実相を遠慮なく喜んでたら良い。実相を遠慮なく感謝してたら良い。」
こんな感じでしょうか?>>

たぶん、そうだと思います。

榎本恵吾先生は、「実相独在」を貫かれた先生だとお聞きしています。
でもお若いころは、その「実相」を悟るために、たくさんの修行みたいなこともされ、
その後も谷口雅春先生ご指導の生長の家の教えを真面目に信仰されていたのだと思います。

そんな榎本先生だからこそ「実相を遠慮なく喜んでたら良い。実相を遠慮なく感謝してたら良い。」
と自信をもってご指導してくださっているのだと思います。


あと、「横の真理」についてですが、「生長の家」がなぜ縦の真理だけでばく「横の真理」も教義とり入れているか?
と考えてみると、答えがみつかるような気がします。

「横の真理」(心の法則)は他者を裁くためにあるのではなくて、
自分自身や他者に「縦の真理」を悟らせるための方便としてあるのだとわたしは理解しています。

生長の家の愛である「自他一体の自覚」をもってみれば、自分の前に現われた人はすべて自分の鏡、つまり観世音菩薩さまですから、
そう考えて、その人にどんなに辛い思いをさせられても、嫌な事を言われても、心から感謝できるようになれば、
相手の「実相」が現れて、すべてがうまくいきますよ・・・。
ということが生長の家の「横の真理」で説かれているような気がします。

でも、るん吉さまのご指摘のとおり、この「横の真理」って、他人から説教されると(特に実践できていない他人だとよけいに…)
素直に聞けないものなのかもしれません。

そんなわたもこの真理はなかなか実践できませんが・・・でもわたしはこの「横の真理」もまた、「縦の真理」を悟るための方便として、
決しておろそかにできない重要な「真理」だと感じています。


最後になりますが、るん吉さまご自身ももうお気づきのようですが、るん吉さまがどんな悪感情を持たれても、どんな悪人であっても、
「神の子」であることには変わりはありませんよね!

だから、榎本恵吾先生の「実相を遠慮なく喜んでたら良い。実相を遠慮なく感謝してたら良い。」というお言葉通りに、
堂々と、ご自分の「実相」を喜ばれ、感謝されたらいいのではないでしょうか?

23るん吉:2016/03/22(火) 18:23:58 ID:Jo.00maY
>>るん吉さまがどんな悪感情を持たれても、どんな悪人であっても、
「神の子」であることには変わりはありませんよね!
>>だから、榎本恵吾先生の「実相を遠慮なく喜んでたら良い。実相を遠慮なく感謝してたら良い。」というお言葉通りに、
>>堂々と、ご自分の「実相」を喜ばれ、感謝されたらいいのではないでしょうか?

a hopeさま
再度お答えありがとうございます。ほんとにうれしいです。

はい、そうしますね。一番大事なのは「実相を喜んでたら良い、感謝してたら良い。遠慮したらダメ。」榎本先生の言葉。訊けサンのブログより

いつも有難う。これからも応援します。また書かせてくださいね!

24a hope:2016/03/23(水) 22:56:09 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第25巻 p22 6行目〜

・・・わたしの教えを受けて以来、母親は
「今あばれているのは、それは息子の仮の相(すがた)である。ほんとの息子は少しも暴れていない癇癪(かんしゃく)も起こしていない神の子である」と信じ、
息子があばれ出すと、わざとその席を去って、あばれている息子の相(すがた)を見ないで、
二階の息子さんの部屋に安置してある大黒像の前に行って、
「息子の実相はこの大黒像のようなにこやかな、おとなしい子なのだ」と息子の円満完全なる実相を念ずるように、されたのであります。

すると今まであばれていた子が、不思議にたちまち静かになったのであります。

しかしこれは少しも不思議ではない。

あばれたり、癇癪をおこしたりすると、その現象を見て、その現象そのものを息子の実相だと思って、
「ウチの息子は悪い、いけない、いけない」と責めつけたり、説教したりして、心の中に悪を描くから、
心に描く者は皆形に顕われるという「心の法則」によってますます息子の悪が増長していたのです。

ところがその悪い現象を心に見ず、「そんなに悪い息子は無い。本当は神の子である」と、
実相を心の中でみるようにすると、すぐ静かになってしまうのであります。

これは事実であって理論ではない。

今ではこの息子さんはすっかり温順(おとな)しくなられて、勉強先から母親宛に実に優しい手紙を書いてよこされた。

わたしはその手紙を見せてもらいましたが、親を思う切々たる情がその手紙に出ていました。

今年は高等学校に入学せられました。

こうしてその息子が救われ、親が救われ、家庭が救われたのであります。

25a hope:2016/03/23(水) 22:57:23 ID:cEpBaIdo

>>24 a hope 所感)

<<あばれたり、癇癪をおこしたりすると、その現象を見て、その現象そのものを息子の実相だと思って、
「ウチの息子は悪い、いけない、いけない」と責めつけたり、説教したりして、心の中に悪を描くから、
心に描く者は皆形に顕われるという「心の法則」によってますます息子の悪が増長していたのです。

ところがその悪い現象を心に見ず、「そんなに悪い息子は無い。本当は神の子である」と、
実相を心の中でみるようにすると、すぐ静かになってしまうのであります。>>


これが、生長の家の教え(横の真理【心の法則】と縦の真理【人間神の子】)による個人救済の典型的な体験談ですね。

26るん吉:2016/03/24(木) 00:41:43 ID:Jo.00maY
a hopeさま

そうですね。
「縦の真理あって、初めて横の真理が生きる。」

横の真理だけいじっててもダメなんですよね。マーフイになっちゃいますよ。引き寄せとかになっちゃう。

本日も有難うございますね。いつも有難う。

27a hope:2016/03/27(日) 09:52:06 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第25巻 p24 後から1行目〜

誉めるということは実によいことであります。実に人類を光明化するのは誉め言葉であります。

ところがたいていの人はかわいい者ほど誉めない。人前で悪く言う。自分の子を悪くいう。

謙遜のつもりかもしれないけれど、自分の信頼している親が、自分を悪い悪いと言うものだからまちがいはない。

自分は悪い子だと思い込んでしまって、その子供は悪くなってしまうのであります。

誰の前でも、自分の子供を正直に誉めればよいのであります。

世の中では前科者を見ると彼は悪いことをした奴だ、前科者だといって爪はじきする。

だから、刑務所を出ても行くところがない、誰も雇ってくれ手がない。

それでもういっぺん悪事をやれという気になる、「悪人、悪人」というから、言葉の力で悪くなってしまうのです。

これまでの宗教家もそのとおりで、人類を愛するあまり、善くしてやりたいあまり、人類よ、お前たちは罪人であるぞ、悪人であるぞ、そんなことではいかんから善くなれと言って諭すのでありますが、「罪人罪人」と呼ぶ以上、「どうせ自分は善くなれっこはない」とますます悪くなってくるのであります。

宗教家が、人間は罪人である、罪深いものであるから改悛(かいしゅん)してよくならなければならないと、いくら大呼しても世の中を光明化することができなかったのは、「お前たちは罪人だ」という言葉の力であります。

「お前は罪人だぞ、罪人だぞ」といわれていて善くなれるものではありません。

今までの宗教家も決して人類を悪くするつもりではなかった。

母親が愛する子供に対するように、「お前たちは悪い人間である。人類よ、お前たちは罪が深いぞ。悪人よ、早く善くなれよ」といっていた。

ところが言葉の力ということを知らないために、結果は正反対でますます悪くなってきたのであります。

これは少し心理学を研究したほどの人ならだれでもすぐに解る道理であります。

催眠術を少し研究なさった方なら、誰でも知っていらっしゃることであります。

催眠術をかけて、ここにあるコップでも「このコップはとても重い。君は力が無い弱い者だ。あなたはもうこれをあげることはできないぞ。サア上げてごらんなさい」という暗示をかけて上げさせると、どうしてもこのコップをもちあげえないのであります。

今までの宗教家の言葉の使い方はまちがっていたのであります。

「お前は力が無い。サア持ち上げてみよ」と言うと持ち上がらない。

それと同じく「お前は悪人だ。サア善くなれ」と言っても善くなれない。

こうして今までの宗教家は人類を光明化そうと思いながらかえって人類を暗黒化していたのであります。

28a hope:2016/03/27(日) 09:59:16 ID:cEpBaIdo


>>27a hope 所感)

「罪なし」「実相独在」が生長の家の根本真理である「生長の家」は、
たとえ犯罪歴がある人であっても「実相」を見て、あたたかく迎え入れるというわけですね!

そこが、他の「人類暗黒化運動」の宗教との決定的な違いですね!

29a hope:2016/03/29(火) 08:29:42 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第25巻 p30 6行目〜

中野の結核療養所に入院されていた井上弘治という方も『生命の實相』の分冊、『吾が心の王国』というのをよんで、さっそく元気を回復し退院して、もう病気は無いと豪語せられました。

看護の人や近親の人は井上さんを気が狂ったのではないかと言ったそうであります。

十二月の下旬数回目の大喀血をして衰えていた人が、一月には本を読むだけですっかり元気になって退院した。

退院すると、その足でお礼に光明思想普及会を訪ねて来られた。

来てみると創立当時の社の間口が小さいので「これはやっぱりインチキかな」と思われたが、ともかく、中に入ってみて自分の病気のなおった話をされると、社の人たちはみんな仕事の手をやめて親身になって話をきかれ、わが子の病気が治ったかのように涙を流して喜んでくれた。

それで、やっぱりインチキではない、本物だったとわかったと、大変な喜びようで帰られました。

30a hope:2016/03/29(火) 08:31:28 ID:cEpBaIdo

>>29 a hope所感)

<<来てみると創立当時の社の間口が小さいので「これはやっぱりインチキかな」と思われたが、ともかく、中に入ってみて自分の病気のなおった話をされると、社の人たちはみんな仕事の手をやめて親身になって話をきかれ、わが子の病気が治ったかのように涙を流して喜んでくれた。
それで、やっぱりインチキではない、本物だったとわかったと、大変な喜びようで帰られました。>>


当時の「生長の家」は、他人を自分のことのように思いやるあたたかい愛で溢れていたのですね。

31トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/03/29(火) 20:31:48 ID:LzMmjpuQ
>>30

 生長の家の信徒のことを昔は「家族」と言いましたが、戦前の生長の家のことを覚えている
人に尋ねると、本当に暖かくて、家族的な雰囲気だったそうです。

32a hope:2016/03/29(火) 22:04:29 ID:cEpBaIdo

>>31トキさま

やはり、宗教には「愛」が必要ですね。

お世辞みたいになっちゃいますが、トキさまには「愛」がありますね。
わたしも「生長の家の愛」でトキさまのように、個人救済がしてみたいです。

33a hope:2016/03/31(木) 22:57:48 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第25巻 p37 後から5行目〜

・・・その方は有名な人格者であって、額の真ん中に疣(いぼ)があった、それがその校長さんの人相の特徴をなしていたのであります。

ところが、講演をきき終ると同時に、その疣がころりと落ちたのであります。

これは本当の話で、不思議ではない。心が変われば肉体は変わるのであります。

肉体は心の影でありますから、病気を治したい人は、心を変わらすことのみが必要なのであります。

それが言葉の力であります。

なかには、話を聞いても治らない人もある。それは心が治らないからなのであります。

そんなことはあるものかと反抗する気持ちで聞いていたのでは治るものではないのであります。

なるほどと、幼な児(ご)のごとき白紙の心になって受け取る気持になりさえしたら治るのであります。

34a hope:2016/03/31(木) 23:06:45 ID:cEpBaIdo


>>33 a hope 所感)

<<なるほどと、幼な児(ご)のごとき白紙の心になって受け取る気持になりさえしたら治るのであります。>>

これが、『信じるものは救われる』という本来の意味なのではないでしょうか・・・?

35a hope:2016/04/02(土) 08:34:49 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第25巻 p49 8行目〜

十一、人類無罪宣言

「生長の家」は、在来の宗教家の人類有罪宣言に対して人類無罪の宣言をしたのです。

われわれは罪人にあらず、神は罪を創り給わない。

「生長の家」出現の使命はこの言葉の力によって人類の罪を消すことであります。

罪は本来ない、それは心に描かれた時だけ、アルかのごとき観を呈する。

その人類の罪を言葉の力によって、消すことが「生長の家」の使命であります。

(略)

イエス時代のユダヤ人はイエスが罪を消す事実に驚いた。

が罪を消すということがキリストにできるだけではなく、世のすべての人にできるものであることを生長の家は発見したのであります。

この聖典『生命の實相』を読むだけで、吾れ神の子なる実相を悟り、すべての生物と調和し、家庭はよくなり、人の病気までもどんどん治すことができるということはもう多勢(おおぜい)のみなさんがすでに実証していられるのであります。

「生長の家」は開祖だけが偉いのではない。

今までの宗教はおおむね何教でも釈迦、キリスト開祖自身はそんな説き方をせられないが、後の祖述者が開祖だけを偉くして、他の者は皆罪人であるぞ、お前たちは罪深いものであるぞ、というふうな調子に脅(おど)しつけて開祖を仲介にしてのみ辛(かろ)うじて罪の赦しを得るような説き方をしていたので、人類個々のうちに宿る無限の力を封じてしまっていたのであります。

ところが「生長の家」では、全人類みな神の子である、本来罪なく病なく死なく悩みなく、苦しみなきものであることを宣言して、今までの宗教家が人類罪ありと宣言してその無限生命を縛っていた言葉の呪縛を解いてしまったのであります。

「生長の家」の人類無罪宣言の言葉によって人類を今まで縛っていた言葉の呪縛が解けてすべての人間に無限の力が内から湧いてくるということになったのであります。

36a hope:2016/04/02(土) 08:37:47 ID:cEpBaIdo

>>35 a hope所感)

<<「生長の家」では、全人類みな神の子である、本来罪なく病なく死なく悩みなく、苦しみなきものであることを宣言>>

この真理が生長の家の「唯神実相」「実相独在」つまり、根本真理というわけですね。


※岡正章先生がブログ「みすまるの珠」で、この生長の家の「根本真理」と現教団の教義・運営方針の矛盾をご指摘され、
『教勢回復へ「起死回生」の手立ては、』というタイトルで、勇気あるご発言をされているのでweb「生命の實相」輪読会参考文献板の方に紹介させていただきます。 

http://misumaru.o.oo7.jp/

37トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/04/02(土) 10:05:06 ID:rNf9Lqo.
>>32

 私より、a hope様のほうがはるかに愛深いですよ。

38a hope:2016/04/03(日) 18:13:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第25巻 p56 後から1行目〜

・・・たいていの人はスリという行為を見て、これは悪いと申しますけれども、なぜ悪いかとよく考えてみますと、ちょっと善悪の判断がつかなくなるのです。

それを善とか悪とかいうのは見る人の立場の相違になるのであります。

たとえば、物を掏(す)るということを一つの芸術として観ますと、それは奥堂に達すれば、天狗飛切りの術というか、忍術の達人というか、一つのすぐれた術ということができるのであります。

これはスリを芸術として観た場合であります。

ところが芸術方面から観たならかくも立派なスリを、悪いというのは、掏られた側から言うと、自分の物が減ったので悪いということになる。

またスリを奨励して、そういうことが殖えてくれば社会秩序をみだすことになり人心を不安ならしめるから悪いということにもなるのであります。

これはスリそのものが悪いのではなく、人の所有権の保護とか社会秩序の維持とかいう尺度というものが、いわば軌道であります。

軌道に乗って、ある一定の尺度から見る場合にはじめて善悪の見(けん)が生ずるのです。

そしてこの行為は、罪悪である、貴様は悪い人間であると判断が下されることになるのです。

そしてひとたびある尺度によって批判を下して、言葉によってお前は悪い者だと、こう断定してゆきますと、その断定を下された者は「わたしは悪人である」という自覚を得てくる、――そうすると、その人はなかなか善人に転向することができなくなってくるのであります。

これに反して、同じ行為をしましても、お前は悪人であると非難せずに、「これだけのことのできる君は天才である。立派な天分をもっている。何もこんなつまらない事をしなくても、良い素質があるのがお前だ」と教えてまいりますと、「そうか、本当はわたしは立派な者であったのか!もう一つ奮発すればこんなちっぽけなスリみたいなことをしなくてもいい人間なんだ」と気がついてくるのであります。

39a hope:2016/04/03(日) 18:34:10 ID:cEpBaIdo


>>38 a hope所感)

『「生長の家」の教義について議論する』板>>46に所感を書きました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1458205600/46

40るん吉:2016/04/03(日) 21:05:30 ID:Jo.00maY
a hopeさま

>>「生長の家」では、全人類みな神の子である、本来罪なく病なく死なく悩みなく、苦しみなきものであることを宣言>>

この真理が生長の家の「唯神実相」「実相独在」つまり、根本真理というわけですね。


すごい真理ですね!私が中学の時に読んだ本でダンカスターて人の本ですけど、心の法則の本(マーフイがこの人の本をそっくりそのまま真似してます)なんですが、

罪に対してどういう考えかといいますと、「今はまじめに生きてたら、過去の罪はないのですよ」こんな教えでした。大概こんなことしか考え付かないのですね。

物質無しを知らないのですもの。こんなのしか知らなかったら、苦しかったと思います。谷口雅春先生はほんとにすごいです。

日本人で、そして生長の家のことを知っててよかったですよね!

41a hope:2016/04/05(火) 00:15:09 ID:cEpBaIdo
>>40 るん吉さま

<<罪に対してどういう考えかといいますと、「今はまじめに生きてたら、過去の罪はないのですよ」こんな教えでした。大概こんなことしか考え付かないのですね。>>

そうですね。
一般的に「悔い改める」とか「生まれかわって生きる」などという場合は、
『昔は悪いことをしたけれど、今は反省して真面目に生きています・・・』みたいな感じですものね。

ですが、「生長の家の教え」では「悔い改め」(生まれ更わり)とは、「われ神の子」の自覚であると学びました。

罪を犯したり、悪さをするような自分は本物の自分ではない、わたしたちはみんな神の子なんですよね!

わたしも日本人に生まれて、この教えが学べてほんとによかったと思っています。


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