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実相哲学を論じる部屋
1
:
トキ
:2013/12/18(水) 18:58:49 ID:0/huqta2
実相哲学を論じる部屋を作りました。
2
:
うのはな
:2013/12/19(木) 16:10:40 ID:buTH5B6I
岡本さんは練成中に講話をききながらも、どうも割切れない気がするのです。
「俺は正しいことをして、こんなに苦労している。そして自分は銀行から金を借りたり、親戚で無理を言って
金を借りたりして品物の代金を支払っている、それなのに、俺に“屁”をかました奴は、のうのうとして、“晩酌でもやろうか”と
言っている。こっちは、そんな所の騒ぎではない。八方金策をして、夜行の電車に乗って集金に往ってふらふらに草臥れて帰ってくる。
やられた者が苦労して、やった奴がのうのうと楽をしている。こんな割切れん問題はない」と思って、その考えが頭の中に一杯充満しているものですから、
折角の練成中の講話も、最初の五日間は自分の胸にピッタリ来なかった。
青白い痩せた顔を骨ばらせて、眉を釣り上らせ、鬼のような顔をして、相手を呪いながら講話を機械的に聴いていた。
ところが六日目になって徳久講師や喜村講師の講話を聴いているときに何かパッと悟るというか、心にコツンと来たものがあったのです。
(原文は旧漢字)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
このあとを読まれたい方は、『秘められたる神示』君民同治の神示講義 谷口雅春先生著を読まれるか、
自殺を考えた俺からすると甘ったれるなと女性信徒に絡んでくる自称「谷口雅春の弟子」である
訊け管理人さんの謹写をお待ちください。
3
:
うのはな
:2013/12/19(木) 16:14:36 ID:buTH5B6I
○ 環境を通して實相を語っている現教団は、ダメなんですかね。
環境を通して實相哲学書を絶版にしている教団ではダメですね。
これは訊け先生に頼るしかありません(笑)
4
:
復興G
:2013/12/21(土) 03:31:19 ID:AB6RqYXc
< 本流対策室/5 >5021のつづきです。>
>5019 :身分いやしきもの様
>> 実相世界はどうなっているのかと問うのはすべてナンセンスだということですね。わかりました。わかるはずのない実相世界でみんな仲良く暮らしているだとか、健やかに暮らしているだとかというのももちろんナンセンスですよね。実相世界について復興Gさまが語っておられることもすべてナンセンスということですね。「実相世界にはパースペクティヴがある」だとか「無限の素晴らしいアイデアがある」だとかといっておられたのもナンセンスであったということですね。「善のみ」というのもナンセンスということですね。無限定で無限に変化する世界が「善のみ」に限定されるはずがありませんものね。<<
上の前半(わかるはずのない実相世界でみんな仲良く暮らしているだとか、健やかに暮らしているだとかというのももちろんナンセンス)は、「その通りです」 と言えるでしょう。
しかし、あらゆるもの(の霊的原型)が備わっているのだから、「無限の素晴らしいアイデアがある」 というのは、そう言って間違いではないでしょう。
また、
>> 「善のみ」 というのもナンセンスということですね。無限定で無限に変化する世界が「善のみ」に限定されるはずがありませんものね <<
というのは――「善・悪 相対の善」 に限定されるということはない。対立を一切の対立を包み超えているんですから。
では、実相世界に 「悪」 も存在するのか、と言えば、「悪」 という 「善に対立するもの」 は存在しない。現象界に於いても、「悪」 はない。「悪」 と見えるものは 「善」 が現れようとしている過程である、と見るのが光明思想なのですね。
また、「わかるはずのない実相世界」 のことを、わかったかのごとく、ナンセンスなことを語ってしまいましたね……。
まあ、本当は何もわかっていない私ですが、以上のようなことを考えながら、ただ生かされていることに感謝あるのみです。ありがとうございます。
5
:
身分いやしきもの
:2013/12/21(土) 09:15:23 ID:tDxKbxFM
復興Gさま
>まあ、本当は何もわかっていない私ですが、以上のようなことを考えながら、ただ生かされていることに感謝あるのみです。ありがとうございます。
どうしてこのようなきれいごとで締めくくられるのですか。ここは哲学を論議する
場所でありますので、ご自分をかえりみられるのは、まだまだ先であってよいので
はないですか。
>特定の構造に限定されていないものを、「どのような構造をしているのか」 と問うのは意味が無いというか、答えられません、ということなのですが、「ナンセンス」 と言ったのは失礼だったかと思います。それはお詫びいたします。
実相世界に支配的な構造は存在しない。こういうことをいっておられるのですね。
構造を持たず、無限定であり、それでいて秩序だけはあるというのが実相世界で
あるようですね。もしそうなら、秩序はいったいなにによってもたらされているの
でしょう。「なにによって」というよりも、無限定でありながら、秩序はどのようにして
維持されているのでしょう。
実相世界についてはなにも語れないのであれば、秩序があるかどうかもいえない
ということになるのでしょうか。
ここで構造について私見を述べさせていただきます。すべての物事が縁によって
起こるとすれば、これをひとつの構造ととらえることができます。これを構造と
とらえるならば、こうした構造はどこにあるのかが問題になります。
わたしの考えは、構造は実相世界にある、というものです。実相世界にこうした
構造があるがゆえに、現象世界にもその写しとしての構造があらわれている。この
ように考えればすっきりとした解釈が成り立つものと考えます。
しかもこうした構造は、現象世界においては支配的な構造となっております。こ
のことから考えるなら、この構造は実相世界においても支配的な構造なのでは
ないか、との推測が成り立つはずです。
いずれにしても、復興Gさまは、このような推測に意味はないと考えておられるの
でありますね。であるならば、復興Gさまは、縁起の構造はどこにあるとお考えに
なっておられるのでありましょうか。
6
:
身分いやしきもの
:2013/12/21(土) 09:27:32 ID:tDxKbxFM
復興Gさま
>「時空連続体」 の意味がよくわかりません。
詳しいことは存じませんが、相対性理論によると時間と空間はおなじもので
あるようですね。つまり時間と空間は連続している。こういうことになるようです。
復興Gさまは、時間と空間は認識の形式であるいっておられますが、時間と空間の
関係は認識する側の立ち位置によって変わってくるようですね。認識の形式は
固定されておらず、認識者の立ち位置によってうまく調整されるようです。
7
:
身分いやしきもの
:2013/12/21(土) 10:05:24 ID:tDxKbxFM
復興Gさま
「宇宙は無から生じた」。これが今回のやりとりの発端であったとおもいます。
復興Gさまは、宇宙がはじまるまえに「実相があった」といっておられますが、
それが実相であるという確証はいまたどこにも見いだせてはおりません。
実相ではないべつのなにか、である可能性もあります。しかもこの「べつのなにか」
は時空間上にもあらわれていない可能性があります。もしもそれが時空間上に
あらわれていない「べつのなにか」であったとしても、それは実相ではないという
意味で「ない」といわなければなりません。
それを「ない」というとき、どのような根拠をもって「ない」といえるのでありましょうか。
「唯神実相哲学」は、神とわたしたちが住む4次元時空連続体との関係からはじ
まったと考えます。4次元時空連続体の悲惨なありさまを雅春先生がご覧に
なられて「ない」と看破され、「実相だけがある」と語られたのであります。
論理の進みゆきとしては、神と4次元時空連続体との関係において、4次元時空
連続体が非在であるがゆえに「神のみあり」との結論がくだされたのであります。
たしかにこうした2項間の関係において、一方が非在であれば、他の一方のみが
「ある」ということになります。しかしこれは、2項間の関係にしぼれば、の話で
あります。第3の項があるのではないか。こうした疑問はとうぜんのごとく出て
まいります。
第3の項については、いかがでありましょう。雅春先生が「実相だけがある」と
悟られたときの論理の進みゆきからは、第3の項の非在を決定することはでき
ません。第3の項の非在の決定はどのようにしてなされたのでありましょうか。
8
:
復興G
:2013/12/21(土) 10:57:08 ID:AB6RqYXc
身分いやしきもの様
まず、
>>4
の追補として書いたものをアップさせていただきます。
<本流対策室/5 >5019 身分いやしきもの様>
>> (実相世界は) 「善のみ」 というのもナンセンスということですね。無限定で無限に変化する世界が「善のみ」に限定されるはずがありませんものね <<
のお答えについて、追補です。
屁理屈なら、そういうことも出来ます。
しかし、私には体験があります。「ただ善のみ」 を全心身全霊で感得した体験です。
それは、高校2年生を終え、3年生になる前の春休み、ある病気でもう死ぬと覚悟したあと、回復して静養していた或る日のことです。それは、前にも書いたことがあると思いますが……。
突然、魂の底から、
「お前は生きているのだ! 生かされているのだ! すべては善のみだ! 人生のどんな困難と見えることも、魂にとって向上の機会とならないものはない。このことを忘れなければ、人生は、ただ喜びばかりだ! ただ前進あるのみだ!」
というような思いが、湧き上がってきたのです。それで、私の生き方が一変しました。劣等感と罪の意識、自己嫌悪で死にたいとすら思っていた人生が、希望と光明に輝く人生に。
後に、一年以上経ってから、『生命の實相』 を真剣に読むようになった時、
「これだ! 高校三年になる前の春休みに湧き上がってきた強烈な思いと、まさに一致して、自分の人生を導いてくださるものは、これだ!」
と魂が踊りました。
そうして、今の私があります。
だから、「(実相世界は) 「善のみ」 というのもナンセンスということですね。無限定で無限に変化する世界が「善のみ」に限定されるはずがありませんものね」 なんて、屁理屈ではそう言えるかも知れないけれども、私は、「善一元」 が真理であると、固く信じています。
悪いものは一つもない。ただ善が現れようとしている過程なのだ! と思います。
教団と “本流” の方たちがきびしく対立して争っているように見えるのも、本当は善一元の、もっともっと素晴らしいすがたが現れようとしている課程なのだと思います。
激しい対立の後に、どんな素晴らしい世界が待っているか、ワクワクする思いです。
9
:
復興G
:2013/12/21(土) 11:05:02 ID:AENtSm/U
>>5
:身分いやしきもの様
>> ここで構造について私見を述べさせていただきます。すべての物事が縁によって起こるとすれば、これをひとつの構造ととらえることができます。これを構造ととらえるならば、こうした構造はどこにあるのかが問題になります。
わたしの考えは、構造は実相世界にある、というものです。実相世界にこうした構造があるがゆえに、現象世界にもその写しとしての構造があらわれている。このように考えればすっきりとした解釈が成り立つものと考えます。
しかもこうした構造は、現象世界においては支配的な構造となっております。このことから考えるなら、この構造は実相世界においても支配的な構造なのではないか、との推測が成り立つはずです。<<
――そのお考えには、納得できます。
10
:
復興G
:2013/12/21(土) 11:12:54 ID:AB6RqYXc
>>6
:身分いやしきもの様
>>「時空連続体」 の意味
>>詳しいことは存じませんが、相対性理論によると時間と空間はおなじものであるようですね。つまり時間と空間は連続している。こういうことになるようです。<<
――それは、その通りだと思います。納得しました。
>>復興Gさまは、時間と空間は認識の形式であるいっておられますが、時間と空間の関係は認識する側の立ち位置によって変わってくるようですね。認識の形式は固定されておらず、認識者の立ち位置によってうまく調整されるようです。<<
――ちょっと意味がよくわかりませんが……
>>時間と空間の関係は認識する側の立ち位置によって変わってくるようですね<<
そんなことはないと思います。
11
:
復興G
:2013/12/21(土) 12:17:25 ID:AB6RqYXc
>>7
:身分いやしきもの様
>>復興Gさまは、宇宙がはじまるまえに「実相があった」といっておられますが、それが実相であるという確証はいまたどこにも見いだせてはおりません。実相ではないべつのなにか、である可能性もあります。<<
――何かが始まるという時には、必ずその計画者が存在する。宇宙が始まったという時にも、その計画者といいますか、第一原因者があったはずです。
その 「第一原因者」 を、「実相」 と名づけたのです。
それは、キリスト教では 「太初にコトバあり」 と言われる 「コトバ」 であり、「仏」 と言ってもよし、「サムシング・グレート」 と言ってもよい、その意味するものはいずれにしても宇宙の 「第一原因者」 をさしているのであって、別の名前をつけたから別のものであるということにはならないと思います。
「第一原因者」 は因縁所生のものではなく、すべてのすべてであって、対立する別のものはない、根源なるものでありますから、「実相ではない別のなにか」 はあり得ない。そういうものを 「実相」 というのだと思います。
>>「唯神実相哲学」は、神とわたしたちが住む4次元時空連続体との関係からはじまったと考えます。4次元時空連続体の悲惨なありさまを雅春先生がご覧になられて「ない」と看破され、「実相だけがある」と語られたのであります。<<
――ちょっと違うのではないでしょうか。
谷口雅春先生は、自伝篇に書かれていますように、現象界の悲惨なありさまをご覧になって、『神を審判く』 という小説を書かれたりし、思索を続けられたけれども、思索によって答えを見出すことはできなかった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
<『生命の實相』 第20巻 自伝篇 p.134〜 より>
わたしは思索を重ね、静思を重ねたけれども安住の境地には達しなかった。
ある日、わたしは静座合掌瞑目して真理の啓示を受けるべく念じていた。わたしはその時、偶然であろうか、神の導きであろうか、仏典の中の 「色即是空」 という言葉を思い浮かべた。と、どこからともなく声が、大濤(おおなみ)のような低いが幅の広い柔らかで威圧するような声が聞こえてきた。
「物質はない!」 とその声は言った。で、わたしは 「空即是色」 という言葉を思い浮かべた。
と、突然その大濤のような声が答えた。「無よりいっさいを生ず。一切現象は念(こころ)の所現にして本来無。本来無なるがゆえに、無よりいっさいを生ず。有(う)よりいっさいを生ずと迷うがゆえに、有に執して苦しむのだ。有に執せざれば自由自在だ。供給無限、五つのパンを五千人に分かちてなお余り、『無』より百千億万を引き出してなお余る。現象界は念のレンズによって転現せる化城(けじょう)にすぎない。かしこに転現すると見ゆれどもかしこに無し。ここに転現すると見ゆれどもここに無し。知れ、一切現象無し。なんじの肉体も無し。」
では、心はあるであろうかと思うと、その瞬間、「心もない!」とその声は言うのだった。今まで、わたしは「心」という得体の知れない悍馬(かんば)があって、それを乗りこなすのに骨が折れると思っていたのだ。ところが「心もない!」という宣言によって、わたしは、その「心」の悍馬から実相の大地に降りたのであった。
「心もなければ何も無いのか」 とわたしは再びその声の主にたずねた。
「実相がある!」 とその声はハッキリ答えた。
<つづきます>
12
:
復興G
:2013/12/21(土) 12:18:36 ID:AB6RqYXc
<つづきです>
「では、実相とはなんであるか」 とわたしは訊いた。
「実相とは神である。あるものはただ神のみである。神の心と、神の心の顕現のみである。これが実相だ」 ここに神というのはむろん 「仏」 という意味も含んでいた。
「心も無いのが本当ではないか。」
「無い心は受想行識の心だけだ。そういう意味でなら仏もない、衆生もない。心、仏、衆生三無差別(しん、ぶつ、しゅじょう さんむしゃべつ)と説く場合には、心もない、仏もない、衆生もない。衆生を抹殺(ころ)し、仏を抹殺し、心を抹殺し、いっさい無いといっさいを抹殺(まっさつ)したときに、実相の神、久遠実成(くおんじつじょう)の仏が出て来るのだ。」
「それが、キリスト教ならイエスを十字架にかけることになるのですか。」
「そうだ。肉体イエスを抹殺した時、実相のキリスト、アブラハムの生まれぬ前(さき)から生き通しの久遠のキリストが生きているのだ。イエスの十字架は現象を抹殺せば実相が生きて来るという象徴である! 今、ここに、久遠生き通しの生命が復活する。今だ、今だ! 久遠の今だ! 今が復活だ! 今を活きよ。」
わたしの眼の前に輝く日の出の時のような光が燦爛(さんらん)と満ち漲(みなぎ)った。何者か声の主が天空に白く立っているように思われたが、それはハッキリ見えなかった。しばらくするとその燦爛たる光は消えてしまった。わたしはポッカリ眼をひらくと、合掌したまま坐っている自分をそこに見出したのであった。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
――先生は、このようにして、思索によってではなく、天界からの啓示によって 「実相」 を悟られたのではありませんか。
だから、生長の家は 「唯神実相哲学」 であるとも言われるけれども、単なる哲学ではない。『叡智の断片』 に
○
私を哲学者だと思っている人があるが、私は哲学者ではない。私は神の啓示を、取りついだものである。そして神の啓示にしたがって生きんことを希い、また努力しつつある者である。
○
哲学的の思索は間違うことがある。唯物論の次には唯心論が現れる。思索というものはより多く頭脳的なものであり、論理的なものである。それだけ人間には合理的に見えるけれども、哲学というものは、時代を超えることが出来ない。合理は時代に即して合理だと思われるのである。時代に即しない合理は人から不合理だと思われる。或る時代に合理的だと思われたものは、次の時代には不合理だと思われる。人間の作った合理などは決して当てにならないものである。
○
と書かれています。ですから、身分いやしきもの様が
>> 論理の進みゆきとしては、神と4次元時空連続体との関係において、4次元時空連続体が非在であるがゆえに 「神のみあり」 との結論がくだされたのであります。<<
とおっしゃるのは、ちょっと違うのではないかと、私は思います。谷口雅春先生は、ご自分で思索なさった結果として、論理の進みゆきとして「神のみあり」 との結論がくだされたのではなく、神の啓示によってそれを悟られたのではありませんか。
13
:
身分いやしきもの
:2013/12/21(土) 13:18:26 ID:tDxKbxFM
復興Gさま
>ちょっと意味がよくわかりませんが……
>>時間と空間の関係は認識する側の立ち位置によって変わってくるようですね<<
>そんなことはないと思います。
縦軸をt、横軸をxとした直交座標を考えてみてください。tは時間でxは移動距離
です。移動距離は空間とおなじものだと考えてよいでしょう。
この直交座標の第1象限にわたしたちが住む宇宙があります。物体が移動をはじめ
ると、もちろんx軸の方向に進みますが、時間も経過するのでt軸の方向にも進み
ます。グラフ上では、物体の移動は斜めの直線として表示されることになります。
通常の物体の速度は遅いので、斜めの直線はt軸に近いところにあります。時間
は経てども進まずといったところです。
物体の速度が光速に近づいたとします。斜めの直線はt軸から次第に離れていきま
す。このときおどろくべきことがおきるといわれれています。t軸とx軸がたがいに
近づきはじめるのです。直交座標ですから、はじめは90度あった角度が、80度、
70度と角度をかえていきます。
こうなると、どんなに速度をあげようとも、x軸方向にもt軸方向にも進めなく
なります。これが、物体が光速に近づけば近づくほど時間の進みが遅くなると
いう現象であるとわたしは考えます。
t軸とx軸の角度が変わるということは、、時間、空間という認識の形式のあり方が
変化していっているということです。変化しなければ、物体はついに光速を追い越
し、因果律が逆転して世界を正しく認識できなくなる可能性があります。時間、空間
の認識の形式はとてもよくできていると、わたしにはおもえます。
ただしわたしはド素人ですので、間違った解釈をしている可能性もあります。トキ様
にたずねれば、より正確な知識を伝達していただけるものと考えます。
14
:
復興G
:2013/12/21(土) 13:29:17 ID:AB6RqYXc
>>13
:身分いやしきもの様
私は数学が苦手なので、「わかりました」 とは言えませんが、多分その通りなのでしょう。
ご教示ありがとうございました。
15
:
身分いやしきもの
:2013/12/21(土) 14:03:45 ID:tDxKbxFM
復興Gさま
>> 論理の進みゆきとしては、神と4次元時空連続体との関係において、4次元時空連続体が非在であるがゆえに 「神のみあり」 との結論がくだされたのであります。<<
>とおっしゃるのは、ちょっと違うのではないかと、私は思います。谷口雅春先生は、ご自分で思索なさった結果として、論理の進みゆきとして「神のみあり」 との結論がくだされたのではなく、神の啓示によってそれを悟られたのではありませんか。
ここでいう「論理の進みゆき」とは、雅春先生が「論理的に考えられた」というので
はなく(もちろん論理的にも考えておられたでありましょうけども)、まず実相独在
がありきで、それを根拠に「現象なし」とされたのではなく、順番としては、「現象
なし」から実相独在へと進まれたと、論理的にはこういう順番になるだろうという
意味です。
問題は、「現象なし」から実相独在への飛躍があったのか、「現象なし」を根拠に
実相独在を悟られたのかということです。雅春先生のご文章を拝読するかぎり、
飛躍があったと考えられますが、雅春先生は、4次元時空連続体と霊界での体験は
おありでありましたでしょうけども、それ以外の世界についてはいっさい体験して
おられたはずがありません。なのに、そういう未体験の世界の存在をいっさい考慮
にいれられることもなく「実相のみがある」とされたのであれば、いかにそれが
天啓であろうとも、説得力には欠けるのではないかということをもうしあげております。
ただし、復興Gさまは、「第一原因を実相と名づけた」と述べておられますので、
「それ以外の世界」についても、それが第一原因の結果としてあらわれた世界で
あれば、その世界を現象と分類することで「実相独在」と述べることはできます。
しかし、第一原因がひとつだけというのは、なぜいえるのでしょう。第一原因が
複数ということもありえますね。第一原因が100個あれば、100個の実相が存在
することになります。その100個の実相はそれぞれに性質のちがったものである
やもしれず、そうであれば、「実相世界とはこういうものだ」といってのけること
は、ますますできなくなってしまいます。「実相独在」という言い方もおかしなもの
に感じられてまいります。
復興Gさまはおそらく「宇宙の計画者」はひとりしかいないといっておられると
おもいますが、無限の数の宇宙が存在するかもしれないとされる現代にあっても、
計画者はただひとりであるとお考えなのでしょうか。
16
:
身分いやしきもの
:2013/12/21(土) 14:10:41 ID:tDxKbxFM
いかに大閑人のわたしといえども、このペースはさすがにしんどいです。
もすこしゆるりとまいりたいとおもいます。
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