したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

web誌友会参考文献板

1トキ:2013/06/26(水) 09:56:44 ID:bcz1wXIA
web誌友会参考文献板 です。

 このスレッドは、同じ掲示板の「web誌友会」の参考になるような聖典やご高弟様の誤文章を
紹介するための専門の板です。原則として、web誌友会の指導講師や司会の方以外の方の投稿は
ご遠慮下さい。どうしても投稿を希望される場合は、事前に、場合によっては事後に、講師、司会
または管理人の許可を得て下さい。許可のない投稿は、他の適当な板へ移します。

 あらかじめご理解下さい。
 
 その他、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。

管理人「トキ」 敬白

249曳馬野:2014/12/25(木) 17:52:48 ID:PbwQ2xXs

曳馬野様

 私は、あなたが総裁でないと思っています。それは繰り返して申し上げます。

 それより、総裁を援護する人が、アラシ投稿を繰り返すと、結果として、総裁にも多大なご迷惑がかかります。

 以後、アラシ投稿はご遠慮願います。
****************************************************************************************************************

『トンチンカン』に誰々は「マサノブ爺さん」と云うカキコは止めて下さいと云い、従わなければ書き込み禁止をせよ

あらぬ事に引っ掛けて非難中傷しているだけ、これをアラシト云わずして何という

250トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/04/16(木) 22:10:13 ID:fRQPK2Kc
 ここで私が読者諸賢に申し上げたいのは、真理はそれが真理だから貴いのであって、
お経にあるから貴いのでもなく、誰々が語ったから貴いのでもないということである。
宗教的真理の悟りは、学究的研究や、典拠の渉猟とは何の関係もないことである。

 天理教祖は「学者とさとき者には隠し給う」というような意味をいっておられ、
アダムとイヴとは「知識の樹の実」を食したためにエデンの楽園から追放されて
いるのである。色々の聖句を寄集めて楽しむことは、良い趣味ではあるけれど、
一種の高級な蒐集癖にすぎないのである。

「新版 女の生き甲斐」 谷口雅春先生著、248p より謹写

251トキ ◆AXzLMGIbhk:2015/04/16(木) 22:12:38 ID:fRQPK2Kc
*以下はトキの感想です。

web誌友会で、真理を知ることの大切さを学んでおりますが、
大事なのは知識の量でなく、信仰の深さなのですね。

 本日、この部分を拝読し、感じたので、書きました。

合掌 ありがとうございます

252a hope:2015/07/03(金) 10:10:26 ID:brQxC10.

Web誌友会板 >5596 の補足です
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/5596


「生命の實相」第23巻 p114 3行目〜

谷口――ご質問は「実相人間」と「肉体人間」を混同して、「肉体人間の知恵はなぜ不完全で真理がわからぬのであるか?」と言っていられるので、いつまで経っても正当な回答ができぬのであります。

釈迦は『法句経』において「怨み心ではいつまでも怨みは解けぬ」と申されましたそのように「肉体人間の迷いの心ではいつまでも迷いは解けぬ」のであります。

「肉体人間」は本来存在しないのであります。(本来存在しないから、やがて崩壊するのであります)

存在しないものが不完全であるのは当然であって、ただ完全なるもののみが存在するのであります。

存在しないものが「存在するもの」を理解しえないのは当然であります。

あなたは「なにゆえに完全なるべき神の子『人間』がその実相を直観できないのであるか」と言っておられますが、完全なるべき神の子たる「実相人間」は、その実相を直観するもしないもない、すでに完全なのだから問題はないのであります。


この辺の消息は議論をもって押し進めても「肉体人間の知恵」にわかるはずはないのであります。

ただ「肉体人間の知恵」(迷い)を淡(うす)くすることによって、霧が破れて日光の輝き出(い)ずるがごとく、肉体人間にも実相智の光線が射しはじめるのです。

この「虚」の暗(やみ)を破って実相智の光線の射しはじめることを、「直観」によって、実相人間の完全さを知る」というのであります。


肉体人間の知恵は「暗(やみ)」のようなもので、実相人間は「光」のようなものであります。

「暗(やみ)」はそれを淡(うす)くすることによって光の存在を知るのであります。

「暗(やみ)の無知無明はなぜあるかと」とあなたは論議されますが、暗(やみ)とは「光の虚(きょ)」であります。

「光の虚」が光を知らないのは当然であります。

光を知ればもう「光の虚」(暗)ではないのであります。

だから「光の虚」なる人間知は真理を知らないのは当然であります。

あなたは「肉体人間が聖典を読んで、実相人間を知る」と言われますが、「肉体人間」が聖典を読むのは、本来無いところの我見(肉体人間の知恵――迷い)を捨てるためで、「肉体人間の知恵」がなくなれば、ひとりでに内在の光が発現してきて、「本来の実相」が輝く。

これは「肉体人間が聖典を読んだので実相人間を知った」のではなくて、肉体人間(光の虚)がそれだけ減ったので実相が輝き出したであります。

肉体人間の知恵、はからいをいっさい捨てるほど実相人間があらわれるので、「肉体人間が実相人間を自覚する」などということは「迷いが悟りを自覚する」などという言葉と同様で、ありえないことなのです。

253a hope:2015/07/03(金) 10:14:10 ID:cEpBaIdo

>>252 a hope所感)

雅宣先生は、「自分のコトバは神のコトバではない」という内容をブログで公言されています。
(出典がなくすみませんが、このことは有名ですよね)

ということは雅宣先生は、ご自分の書かれた文章、つまり讃歌、祈りの言葉等はすべて人間知で書いたと、
ご自分自身でお認めになっているのです。

上の参考文献の中に、
<<だから「光の虚」なる人間知は真理を知らないのは当然であります。>>

とありますが、この『人間知は真理を知らない』という聖典の言葉は真理ですから、
そうすると「人間知で書かれた雅宣先生のコトバは真理ではない」ということになりますよね?

つまり、聖典「生命の實相」の真理によれば、雅宣先生の祈りの言葉、お経等は本来無い「光の虚」つまり、「虚説」であり、
それをご本人が認めてしまっておられるのです。

聖経 聖典などの、「聖」という言葉がつく文章は、神のコトバであり、「光」であり、
一方、人間知で書かれた「経」「祈りの言葉」などは本来無い「暗(やみ)」であり、虚説なのですから、
わたしたち「生長の家」の信徒は「虚説」には和解してはいけないということになるのだと思います。

だって、「虚説」に和解したら、とうぜん「迷い」ますものね。

みなさま、神のコトバである聖典をもっともっと拝読して、虚説は排撃していきましょう!

254神の子さん:2015/07/03(金) 12:33:12 ID:kEnG6jMo
250 251 をそのまま差し上げます

真理はそれが真理だから貴いのであって、お経にあるから貴いのでもなく、誰々が語ったから貴いのでもないということである。

255Sue:2016/02/04(木) 05:51:45 ID:ijlEEPpo
復興G さん  よろしければ もっと 投稿お願いします。

256志恩:2016/02/04(木) 06:38:06 ID:6hRUvSRg
254 の ID:kEnG6jMoさんは、曵馬野様ですよ。過去に 曵馬野様は、このIDで 何度も ご投稿されてます。

257神の子さん:2016/02/04(木) 08:27:19 ID:P0aFguZs
>>256志恩さん 早とちりじゃないかね  >>255のSueさんは復興Gさんに書いて欲しいといっているだけかもよ

ついでに書いておこう

 だから「光の虚」なる人間知は真理を知らないのは当然であります。・・・生命の実相

 この『人間知は真理を知らない』という聖典の言葉は真理ですから、そうすると「人間知で書かれた雅宣先生のコトバは真理ではない」ということになりますよね?・・・a hopeさん

こう判断したのは肉体人間の a hope さんじゃないのかな

 
ここで私が読者諸賢に申し上げたいのは、真理はそれが真理だから貴いのであって、お経にあるから貴いのでもなく、誰々が語ったから貴いのでもないということである。・・・「新版 女の生き甲斐」 

 お経にあるから貴い(生命の実相、聖経と云われるもの)誰々が語ったから貴い(雅春先生、神)のでもないということである。とも読めますね。

258神の子さん:2016/02/04(木) 08:43:44 ID:P0aFguZs
「肉体人間の迷いの心ではいつまでも迷いは解けぬ」のであります。

「肉体人間」は本来存在しないのであります。存在しないものが不完全であるのは当然であって、ただ完全なるもののみが存在するのであります。
「光の虚」なる人間知は真理を知らないのは当然であります。


生長の家に触れ始めたころの肉体人間の迷い心と、此処で色々利口に語っている真理を知っているという心、は同じものではありませんか?

ただ完全なるもののみが存在するのであります。に成っている人はいないと思われますが。

259トンチンカン:2016/02/04(木) 08:55:25 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「曳馬野」爺さんが、「神の子さん」で出てくる理由は・・・

 ID:kEnG6jMo = 「曳馬野」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




(参考) 本流対策室/6
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
410 :曳馬野 :2015/06/15(月) 19:46:45 ID:kEnG6jMo

あれっ、アレッ、、もう恥ずかしくなって?  また『神の子さん』で出てきたの・・


あなたのように誰が言ったからどうこうだ、と云うように先入観相携えてしかものを考えられない人間に対して、名無しで書くんだよ、文の意味だけを考えられるようにね。それを態々余分な想像ばかりして考える、救いようがないね
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

260神の子さん:2016/02/04(木) 08:56:26 ID:P0aFguZs
もっと簡単に言えば

「こうしたらよいとか真理の言葉に従えばいい」とか考えるのはそうすればもっとよくなると云っているのでしょう?

「存在しないものが不完全であるのは当然であって、ただ完全なるもののみが存在するのであります。」の生命の実相の言葉で言えば不完全を自認している心です。

 完全なるものがこうすればもっとよくなるなんて考えますか?

此処でもっともらしいことを言っている心はどんな心でしょうか?

261トキ ◆UMw6UoGELo:2016/02/04(木) 10:03:25 ID:3u7tF7hI
 すみませんが、板の趣旨と違う投稿はご遠慮してください。
よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

262神の子さん:2016/02/04(木) 10:34:25 ID:P0aFguZs
a hope さんが自分の感想を書いていても何も言わずに、私がそれへの感想を書くと関係ないものとなるのですね。

面白い言い分です。本当に関係ないのは>>259みたいなのではないのかな。

263神の子さん:2016/02/04(木) 10:34:55 ID:P0aFguZs
a hope さんが自分の感想を書いていても何も言わずに、私がそれへの感想を書くと関係ないものとなるのですね。

面白い言い分です。本当に関係ないのは>>259みたいなのではないのかな。

264a hope:2016/02/05(金) 01:11:23 ID:cEpBaIdo

web誌友会板でも紹介させていただきましたが、最近、雅宣先生がFBで、短いお言葉をたくさん紹介してくださっています。

>>6095 に紹介させていただいた3つは、とても率直な祈りだったので感動しました。


ですが、正直に感想を言わせていただければ、他の多くのお言葉はわたしの魂にはまったく響いてきません。

その理由ですが、そのお言葉の内容が現象や肉体を認めてしまっている二元論だからなんだと思います。



「有限の現象世界には、無限なる神は存在しない。しかし、神そのものは存在しなくとも、“神の痕跡”はあらゆるところに満ち溢れている。」(雅宣先生)

は、本来の唯神実相の生長の家の教えなら、

「有限の現象世界など本来無い、無限なる神(実相)しかない。神しか存在しないので、すべての物には神が満ち溢れている」

となるのではないでしょうか?

また、

「私は内に無限を蔵しているから、有限な肉体をもちながらも、その肉体で捉えた世界の奥に無限を感じることができるのである。」(雅宣先生)

は、本来の生長の家の教えなら、

「私は神の子であり、有限な肉体などではないのだから、 常に無限を感じることができるのである」

となりませんか?


ご意見、反論をお待ちしていますm(__)m

265a hope:2016/02/05(金) 07:39:52 ID:cEpBaIdo

「神は悪を創り給わず。悪は妄想の産物であり実在でないから、私はそれに執着せず、攻撃せず、戦いません。」(雅宣先生)

本来の生長の家の教えでは、

「神は悪を創り給わず。実相世界は善一元である。
だから実相世界の投影である現象世界において『悪』と見えることも、本来は『悪』ではないのである。
現象世界でのすべての出来事は自分にとって魂を磨くための大切な経験ですから、すべてに感謝して善処します。」


となりませんか?


わたしは、「神の子として生きる」ということは、現象世界の『悪』と見える出来事を見て見ぬふりをすることでは決してないと思います。

268a hope:2016/02/05(金) 08:03:26 ID:cEpBaIdo
>>266志恩さま

さっそくのご意見をありがとうございます!

>>267
<<元教団の幹部や講師でいらした本流の先生方のご意見も伺いたいですね。>>

同感です。

どうぞよろしくお願いいたしますm(__)m

270a hope:2016/02/05(金) 08:09:59 ID:cEpBaIdo

本流の先生方だけではなくて、「生命の實相」を拝読している「生長の家」の信徒さんのご意見ならどなたのご意見でも大歓迎です。

ただし、ここは「生命の實相」の真理を学ぶweb誌友会の参考文献板ですから、
「生命の實相」を拝読していない方のご意見はご遠慮願います。

272志恩:2016/02/05(金) 08:35:07 ID:6hRUvSRg
a hope様

うっかりしていましたが、ここは、web誌友会参考文献板でした。

シャンソンさんから、そう御指摘がございましたので、気がつきました。
それで、
会話部分の・・266〜271は、本流対策室板の方へ移動しましたので、よろしくお願いします。

273a hope:2016/02/05(金) 08:35:43 ID:cEpBaIdo
>>271 志恩さま 

②は、雅春先生のお言葉ではありません(;'∀')

a hopeが、雅宣先生のお言葉を、「実相一元」風にアレンジしたものです。

わたしは、①の雅宣先生のお言葉は、「悪を実在でない」と表現しながらも、「悪」の存在を認めてしまっている二元論だと感じます。

今日は、これから仕事なのでこれ以上書き込みはできません。

夜、戻ります。

275a hope:2016/02/07(日) 00:02:07 ID:cEpBaIdo

「無限なる「神」というイメージは、神自身が私の心に植えつけられたものです。私はそれに感謝し、さらに大きく育て、表現してまいります。」(雅宣先生のFBより)

本当に『無限なる「神」のイメージを育て、それを表現していくこと』がわたしたち「生長の家」の信徒の使命なのでしょうか?
わたしは、雅宣先生のこのような難解なお言葉を拝読するたびに、すごく混乱してしまいますが、みなさんはいかがですか?

どうして、「私は神の子です。私はそのことに感謝し、神の子らしく生活します。(a hope)」ともっと「生長の家の教え」らしいわかりやすい表現でご教示くださらないのでしょう…。

ところで、

<<このスレッドは、同じ掲示板の「web誌友会」の参考になるような聖典やご高弟様の誤文章を紹介するための専門の板です。
原則として、web誌友会の指導講師や司会の方以外の方の投稿はご遠慮下さい。
どうしても投稿を希望される場合は、事前に、場合によっては事後に、講師、司会または管理人の許可を得て下さい。
許可のない投稿は、他の適当な板へ移します。>>

とこのスレッドの一番最初にトキさまが書いて下さってあります。

わたしは、現生長の家総裁であり、法灯継承者である雅宣先生のこのようなご思想が、
本来の「生長の家の教え」、つまり「生命の實相」の真理であるとはどうしても思えないのです。
また、従来の「教え」を現代風にアレンジされたものだとも思えません。
ですから、今回、このスレッドでそのわたしの疑問をぶつけさせていただきました。

本流関係の先生方、また生長の家の講師の方、ご指導をどうぞよろしくお願いいたします。

277a hope:2016/02/13(土) 09:03:39 ID:cEpBaIdo

『悪とは善の非存在、または不足である。だから悪を語っても善は生まれない。私たちはもっと善を語り、表現する努力を続けなければならない。』(雅宣先生のFBより)


上の雅宣先生の善悪二元論を、生長の家の「実相一元」風に言いかえると、


『悪なし。だから語る悪もなし。「生命の実相」を悟れば、おのずと善一元の世界が現れるのである。』( a hope)


となりませんでしょうか?


現象世界で「悪」とみなされることや「善」とみなされることは、その時代やその国の風習で大きく異なります。


例えば、かつての日本では、切腹(自殺)が美徳とされていた時代があります。
ですが、現代においては、社会的にも、信仰的にも、自殺は決して「善」ではありませんよね?

また、あるカルト宗教の教祖は、殺人をも「善」とみなしていたからこそ、平然と信者に殺人を指示できたのだと思います。


肉食はどうでしょうか? 原発はどうでしょうか? 集団的自衛権の行使はどうでしょうか?北朝鮮問題はどうでしょうか?


何が「善」であるかを語るのはいいとしても、一成人が自己判断を放棄して、他人の「善」「悪」の判断に依存して行動するのはとても危険だと感じています。

谷口雅春先生は「生命の實相」の中で、『外の何かに依存せず、自分の中の神(実相)を信じなさい』と教えてくださっています。

わたしは、毎日「生命の實相」を拝読し、神想観をしていれば、わたしたちはしぜんにまことの善行がなせるようになるのだと心から信じています。

278曳馬野:2016/02/13(土) 12:00:46 ID:WCwkcPdg
『悪とは善の非存在、または不足である。だから悪を語っても善は生まれない。私たちはもっと善を語り、表現する努力を続けなければならない。』(雅宣先生のFBより)『悪なし。だから語る悪もなし。「生命の実相」を悟れば、おのずと善一元の世界が現れるのである。』( a hope)   あなたが感想というか真理を語っていないという総裁の言葉を取り上げるから私も述べます


八月六日 娑婆即寂光土と悟る日 けれども生長の家は世界には何ら非道なことは存在しないというのである。それは存在するものは「道」ばかりであるから、それが少なくとも存在する限りはそれは「善」であり、それが「善」でない限りに於いて、それは如何に存在するように見えようとも、それは「非道」即ち「道の欠乏」「道の無」をあらわしているに過ぎないとするのである。・・・凡て心の眼を開いてみれば「悪」なるものは存在しない。これ第一にして最後の真理てある。

これは吉田国太郎講師が現象実相の二元論に落ちていたところを救ってくれた言葉であるそうです。これの言い替えたものが総裁の言葉でしょう。こんな言葉もある。「神のなかには不幸はない。不幸は神が完全に表現されていないからある。」

八月十日 善き言葉のみ使う日 「現象世界を善くするには言葉を善くせよ。万物はその言葉の通りになる。」生命の実相六巻  『全ての人間の中には「自分」の念が映っている。彼が善であり、悪であるかは、皆「自分」の念の鏡である。・・・私の責任ではないなどと云うのは、三界唯心の真理を撥無するものである。凡そ三界唯心の真理は『類は類を呼ぶ』の真理を伴うものなのである。・・・かくの如くして・・・自分の念の展開であるがゆえに、ただ「有難く受ける」ことである。』

悪なし。だから語る悪もなし。は言葉としてはそうなんですが、あなた自身が総裁を悪として語っていることに気が付いていない。「生命の実相」を悟れば、おのずと善一元の世界が現れるのである。は、自称本流の本部講師級の方々が私たちの真理の体得の方が正しいと「生命の実相」の真理を判定できるほどに、悟っているのに10年経っても善一元の世界は顕れていない。これは総裁の「だから悪を語っても善は生まれない。私たちはもっと善を語り、表現する努力を続けなければならない。」を実践していないからではないでしょうか。

彼らにしてそうですから、あなたの悟りを待つのでは何時のことやら。

『人の悪を咎めるよりも、自己が俱に泣くの愛の欠乏していることを恥じよ。「愛」の中にこそ聖泉がある。それは智慧が如何にきり開いても発見することの出来ないところの聖泉である。その聖泉に身をひたすとき、一切の不完全は癒やされるのである。』『人の悪を指摘して改心せしめようとする場合には腹立った聲、憎む表情、そんなものを伴うならばこれを指摘しない方がよい。』との雅春先生の言葉もある。

279a hope:2016/02/14(日) 19:21:48 ID:cEpBaIdo

>>278 曳馬野さま

「聖典」等の文章を引用をされるときは、出典、著者を明記してください。
よろしくお願いいたします。

280a hope:2016/02/21(日) 09:33:35 ID:cEpBaIdo

『死は死にあらず、生の始まりである。腐敗は腐敗にあらず、豊饒の母である。病は病にあらず、生命の方向転換である。挫折は挫折にあらず、新たな機会の到来である』(雅宣先生のFBより)

「生命の実相(不生不滅?)」風に↓

『死なし、生命は生きとおしである。 肉体なし、腐敗なし 病なしが「生命の実相」である。挫折なし、人生は希望に満ちている』(a hope)



『命あるもののみが命を感じ、知恵あるもののみが知恵を感じ、愛あるもののみが愛を感じるのである。』(雅宣先生のFBより)

「唯神実相」風に↓

『人間はみな神の子だ、全てを生かし、すべてを知り、すべてを愛す。』(a hope)



『外界は内界の映しである。自然の営みの中に神の無限の知恵と愛と生命を感じる者は、その知恵と、愛と、生命力とを内部に包蔵しているのである』(雅宣先生のFBより)

↑理解不能です。



『一の拡大でなく、多の共存が美しいのである。単一性でなく多様性が美しいのである。自然界は多様であるから美しく、宇宙も多様であるから美しい。』(雅宣先生のFBより)

↑理解不能です。



『人生の「+」の時には「ー」の人がいることを思い、余剰分を他に与えよう。人生が「ー」に転じた時は、すでにある「+」に感謝し、さらに他に与えよう。』(雅宣先生のFBより)

「善一元」風に↓

『人生に「-」なし。すべての経験に感謝して魂を生長させるのが「生長の家の教え」である』(a hope)


『善とは、一つの個体が他を征服して伸び広がることではなく、個体と個体とが扶け合いながら共存し、全体の多様性が増すことである。』(雅宣先生のFBより)

↑理解不能です。



『常住不変、常に一定の結果を生むものを「真」という。神は真なり。泣きついて御心を曲げようと思うな。人間の側が神の御心に近づくことだ。』(雅宣先生のFBより)

「唯神実相」風に↓

『神は「真」なり。神の子も「真」なり。人間の実相は神そのものである』(a hope)

281a hope:2016/02/21(日) 09:35:03 ID:cEpBaIdo
>>280

雅宣先生のご文章は、常に「実相・現象」「善・悪」「人間・神」「真・偽」「+・-」…という二元的ご思想がベースになって表現されています。

ですが、本来の「生長の家」の教えは、神・実相以外なしの「唯神実相」であり、「実相一元」です。

Web誌友会板 >>6011 参照
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/6100-n

ですから、雅宣先生のご文章は本来の生長の家の教え(雅春先生の真理のお言葉)に茶々を入れたものだとわたしは思っています。

ですが、わたしは雅宣先生を「悪」であるとは思っていません。
雅宣先生はわたしたち「生長の家」のすべての信徒に何が本当の「生長の家の教え」であるかを、自ら考えさせてくださる貴重な機会をくださっている、

282a hope:2016/02/21(日) 09:36:35 ID:cEpBaIdo
>>281 つづき

大観世音菩薩さまだと思って、心から感謝しています。

283a hope:2016/02/21(日) 09:45:19 ID:cEpBaIdo

以下の聖典の文章に、何が「茶々」であるかの説明があります。

―――――――――――――――――――――――

薬剤に併用禁忌(きんき)の薬があります。

たとえば鉄剤を飲んでから、タンニンを含有するものを飲むと、鉄とタンニンとが結合して、吸収不能のタンニン鉄になるのであります。

生長の家で「病気はない、老死はない、あるように見えても現象はない」と言いきるところに飲み易い(無学者にも解り易いの意)美妙な言葉の鉄剤となるのですが、その「ない」という言葉に茶々を入れる批評を読むときには、その「茶々」の中にはタンニンが含まれていますので、そのタンニンがせっかくの「ない」という言葉の鉄剤と結合して吸収不能のタンニン鉄となり、読者の心に「無」の字の吸収を不完全ならしめ、心の鉄剤の効果を薄めますので、わたしはこれを避けたいと思っているのであります。


近ごろ、生長の家思想の有名なると効果の顕著なるにつれて、その全体の思想を踏襲して包装や名称だけを加えて、一旗あげてみようとし、かつあまり同じことを書いても受け売りであると一見わかるので、同じ意味を異なる文章で書き表し、「何々会」等という別意の名称で雑誌などを出される方がありますが、そういう雑誌の文章は「無」の字の言葉の調合法がちがうので、わたしの処方した「言葉の鉄剤」に「茶々」を入れることになります。

茶々を入れられるとその人の心のうちで、「無」字のバランスがこわれるので『生長の家』を読んで万事好転していた人がその種の雑誌を併用したために「無」字の鉄剤の吸収率が鈍ってふらつく人があります。

そうしてその種の、雑誌の現象はあるとかないとか論じてある文章を読んだ日には、心のバランスが破れてなんとなく不安で、会社にいても思うように仕事が運ばなかったり、集金が集まらなかったり、ついぞ起こらなかった歯痛が起こってきた人などもあります。

「無」を説くのは仏教でも、一燈園でも説いている。

キリスト教でも解釈の仕様によれば「無」を説いているのです。

生長の家と、それらの宗教とどこが違うかと言いますと、「無」字の扱い方が「ない」と易しく言いきって、その「ない」がわたしの文章全体の流れの上に巧みに効果的に織り混ぜられていて、古今に多く類例を見ないような、読む人のこころに端的に作用して、病を即座になおすほどに心の開放を与え、「無」を説くとも隠遁的にならず、かえって積極的な活動力を与える点にあるのであります。

―――――――――――――――――――――――

「生命の實相」第24巻 p97 2行目〜

284a hope:2016/03/02(水) 10:11:31 ID:cEpBaIdo

web誌友会板>>6118 6119の参考文献として「明鏡」さまのご投稿を紹介させていただきます。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1358650232/6118-n

_______________


日時:2016年02月29日 (月) 14時17分
名前:明鏡



>新経本については、立場上、どうしても読まざるを得ない人もいます。

>そういう人に尋ねると、例えば、教化部で新経本を1回あげると、

>自宅に帰ってから甘露の法雨を2回以上は あげて、新経本の悪影響と

>甘露の法雨の功徳を相殺するという話も聞いています。



‘ 一緒に使う ’ と危険なものに、アルカリ性タイプの洗剤 と 酸性タイプの洗剤があります。

‘ 一緒に使う ’と  “ 有害な塩素ガス ” が出て、危険であります。

死亡した事例もありますので、洗剤の容器には、【 まぜるな 危険 】 と書かれています。


“ 人間は 自然の一部 ” という あやふやな「 新経本 」を読誦することは、

現象を捉えて 因縁因果の世界を呼び込むことになります。

現象を捉えていますから、焦点が定まらず、精神的な不安を引き起こしているように思います。


‘ 裁判 ’ や ‘ 争い ’ の念に満ちている心境で、書かれている「 新経本 」 は、

どうしても 潜在意識に 二元論が 「 新経本 」 の根底にあります。


やはり「 新経本 」の読誦は 中止するべきであります。

______________

http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=kaelou&mode=res&log=150

285a hope:2016/03/02(水) 10:18:19 ID:cEpBaIdo

>>284 a hope所感)

わたしも経験がありますから、雅宣先生のご文章を雅春先生の説かれた「唯神実相」の真理と同じだと思って読むのはとても危険だと思っています。

信じれば信じるほど「迷い」が深くなり、なにか「真実」なのかわからなくなり気が狂いそうになりました。

それだけ、「真理」は神聖で穢すことのできないものだという証拠なのだと思います。

286トキ ◆NeaLgIQX3w:2016/03/04(金) 17:41:25 ID:aj0ShO5U
>>284

 余談ですが、「新経本」が発売された当時、本部から教区へ、

 「新経本を読んで、何か奇蹟か体験が出たら、教えて下さい。」

と問い合わせがありました。後で聞いたら、他の教区や練成道場にも同じ問い合わせがあったみたいです。
おそらくは、全国の教区や練成道場に問い合わせがあったのでしょう。

 しかし、その後、機関誌にも普及誌にも、新経本を読んで、何か奇蹟か体験が出たという記事はついぞ掲載されませんでした。
と、言うことは、新経本を読んでも、どこにも奇蹟も体験もなかったと言うことかと思います。

 私の所属する教区でも、読んでいる人が悲惨な状態になったという事例を複数見聞しましたが、これについては、「偶然」という
ことで処理されてしまいました。

 仄聞するところでは、「新経本」を真面目に誦んでいる本部員の間に、いろいろと問題が広まっているみたいですが、これも
きっと「偶然」かと思います。

287るん吉:2016/03/13(日) 00:51:50 ID:Jo.00maY
a hopeさま
私は、雅春先生の本以外読みません。
そして、うぅぅうんと・・・家にある「生命の実相」や「真理」の本の中でも
どっちかというと・・横の真理っぽいことが書いてある部分より、実相独在的な部分、要するに根本真理の部分を好んで読んでます。
この「物質無し、現象無し、実相独在」この部分がもう耐えられないくらいの凄さ!なんですもの!
こんなすごいを書きてくださる方がいはるでしょうか?雅春先生は昭和5年?に書き始めてくださいました。
それ以前もそしてその後ももう何十年もたつのにここまでの真理を書いてくださる方は出てきません。
「自分は紙と同体だ」という説を書いてある本などは案外あるんですけどね。でも「物質無し」は考えもつかないのでしょうね、
その辺がうやむやですねんね。だから全然「うわぁー凄い」て、ならない。或は大体、心の法則 系統の本ですよね。
ちょっと前の「引き寄せ」なんかも単なる心の法則。マーフイの時代となんにも変わってないんですね。
とか何とか云いながら、実は私は祖父が亡くなってから、そう切羽詰まったことがなかったので
雅春先生の御本から離れてました。何年も。バカでした。前は必死で読んでたのに。
毎日読んでも「物質無し」は難しいのに・・今、猛省して読み始めてます。
a hope様のように毎日毎日拝読せねば。いつも毎日、毎日謹写ありがとうございます。
有難く思ってます。
>>雅宣先生のご文章を雅春先生の説かれた「唯神実相」の真理と同じだと思って読むのはとても危険だと思っています。
>>信じれば信じるほど「迷い」が深くなり、なにか「真実」なのかわからなくなり気が狂いそうになりました。

ほんとですね。読んだらダメですね。「奇跡」なぞ起こらない。「物質無し」「実相独在」がわかりやすく書いてない限り。

長々と何を書いてんにゃろ。ごめんなさいです。有難うございます!

288a hope:2016/03/13(日) 17:55:59 ID:cEpBaIdo

>>487 るん吉さま

うれしいご投稿をありがとうございます!

<<どっちかというと・・横の真理っぽいことが書いてある部分より、実相独在的な部分、要するに根本真理の部分を好んで読んでます。
この「物質無し、現象無し、実相独在」この部分がもう耐えられないくらいの凄さ!なんですもの!
こんなすごいを書きてくださる方がいはるでしょうか?雅春先生は昭和5年?に書き始めてくださいました。
それ以前もそしてその後ももう何十年もたつのにここまでの真理を書いてくださる方は出てきません。>>

わたしはこの掲示板で書き込みを始めた当初は「縦の真理」も「横の真理」もよくわかりませんでした。

でも、「生命の實相」や他の雅春先生の聖典を拝読していると、なぜか気分がよくなって、元気になってくるし、運気も上がってくるので、
「生命の實相」の波動がとてもよいというのは最初からわかっていましたが・・・。

ですが「生命の實相」を読み進めるうちにだんだん理解が深まってきて、その真理がわかってくると、
なぜ、波動がよいのかもわかるようになってきました。

それは、著者である谷口雅春先生が「縦の真理」である「唯神実相」「実相独在」を大悟されたまことの宗教者(覚者)だったからなんですよね!

谷口雅春先生だから、魂に響く「真理の言葉」が書けるのであって、頭で「真理」のしくみを理解しただけ人間がそれを真似てみようとしても絶対無理です。

無理どころか、(聖典にも説明がありますが)「真理」に茶々を入れることになって、その茶々の入った文章を読むと、
読んだ人の魂を迷わし、精神を不安定にして、運気も落とすことになってしまうようです。

今回、宇治別格本山の職員さんが亡くなられましたが、お仕事で雅宣先生の経本を読まれ精神を病んでいらしたそうですね。

雅春先生の「生命の実相」の真理だけを信仰されていたのならば、「生きとおしの生命」を信じられるはずですから、
間違っても自分から命を絶つようなことはしなかったと思います。

その方の純粋な信仰に「茶々」をいれられたためにおこった悲劇だと感じています。

宇治の職員さまのご冥福を心からお祈りしています。

289るん吉:2016/03/14(月) 09:00:15 ID:Jo.00maY
a hope さま

レスありがとうございます。
「物質無し、実相独在」これですよね。これ以外の説は気分が高揚しません。
悟るのは難しくても、だれでもこの「根本」の部分を読んだ時
絶対「うわーーす、すごい」ってちょっとした歓喜をあじわえる。はずですよね。
雅春先生の本8或は雅春先生の根本真理を把握した人が書いた本とかしか読まない。今藤原先生の本をよんでるのです)
そしてその本は死ぬまで離しません。死んでからも、です。離さないのです。
いつも謹写ありがとうございます、感謝してます。お体をご自愛くださいね。

290宇治大好きだった者:2016/03/14(月) 21:59:58 ID:xnscMkgM
あれほど多くの人を救い、教団を発展させ、宇治=K先生だったお方のご一家の
現況を仄聞しますと、真理とは?と悩んでしまいます。何を信じたら良いのか・・・

292a hope:2016/03/15(火) 00:27:07 ID:cEpBaIdo

>>290宇治大好きだった者さま

わたしも宇治が大好きでした。(過去形で表現するのが悲しいですが・・・)
そして、K先生(たぶん同じ方)も大好きです。

宇治の現状がどうであれ、K先生ご一家の現況がどうであれ、「真理」はなにも変わらないのではないでしょうか?

他に頼る信仰は、本物ではないと思います。

「生長の家」の聖典は「生命の實相」ですから、「真理」が知りたかったら聖典を拝読し自ら悟るしか方法はないと思います。

294トキ ◆UMw6UoGELo:2016/03/15(火) 11:06:43 ID:lgv9ASqI
謹告

 web誌友会板が閉鎖されますと、『web誌友会参考文献板』の必要性もなくなってしまいますので、
代わりに、『web「生命の實相」輪読会参考文献』板を開設します。

 よろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

295人妻:2017/02/10(金) 12:03:21 ID:ujnPaRNY
熟女
http://128348.peta2.jp/?guid=on
人妻
http://127971.peta2.jp/?guid=on
癒しの熟女
http://127375.peta2.jp/?guid=on

人妻
http://s001.10.tool.ms/
地域別
http://s001.10.tool.ms/1/

http://s001.10.tool.ms/2/

296神の子さん:2017/03/01(水) 00:05:38 ID:GFWemD/o
150万円程度の中性子線測定器で正常値が0.00μSv/hのはずの中性子線が特定個人の元ではか不明だが測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=8R0luOy8ce8

新幹線の中やその付近でも27万円程度の測定器で正常値が0.058μSv/hのはずのガンマ線が特定個人の元ではか不明だが最大測定値を上回る形で測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=41lQN7rF3fQ

ベータ線(ガンマ線)を一つ計測すると、一回"ピィ"と鳴る測定器で正常値が約55カウント/min程度のはずが観測者の自宅では大きくそれを上回ってしまって測定されてしまう
https://www.youtube.com/watch?v=4veAJaorl1s

297神の子さん:2017/03/19(日) 17:23:56 ID:ujnPaRNY
熟女,人妻,主婦,不倫,セフレ専門出会いサイト 人妻専門出会い
‎高齢者・中高年 · ‎厳選の人妻出会い · ‎30代以上 · ‎中年・熟女
人妻出会い系サイト セフレ不倫若妻・熟女中出しSEX体験談
人妻(若妻熟女)と出会い系サイトでセフレになり不倫浮気セックスする方法
出会い系で知り合った20代の人妻と昼間に会ってきた時のガチ体験談
人妻出会い掲示板 人妻出会い系サイト 人妻出会い系サイト セフレ人妻出会い
人妻掲示板書き込み一覧
http://galscom.eek.jp/zds06/00/

人妻とヤレる男性無料出会い系サイトと掲示板
http://galscom.eek.jp/zds06/000/

熟女・おばさんの掲示板
http://galscom.eek.jp/zds07/0001/

地域別|セフレ募集出会い掲示板
http://galscom.eek.jp/zds05/0001/

熟女,人妻,主婦,不倫,セフレ専門出会いサイト
http://galscom.eek.jp/zds11/00/

逆サポート掲示板
http://galscom.eek.jp/zds12/00/

逆援助交際掲示板
http://galscom.eek.jp/zds15/00/

書き込み一覧
http://galscom.eek.jp/zds17/00/

熟女出会い系サイト
http://galscom.eek.jp/zds01/000/
人妻 逆サポート掲示板で逆サポ出会い
熟女,人妻,主婦,不倫,セフレ専門出会いサイト 人妻専門出会い
?高齢者・中高年 ・ ?厳選の人妻出会い ・ ?30代以上 ・ ?中年・熟女
人妻出会い系サイト セフレ不倫若妻・熟女中出しSEX体験談
人妻(若妻熟女)と出会い系サイトでセフレになり不倫浮気セックスする方法
出会い系で知り合った20代の人妻と昼間に会ってきた時のガチ体験談
熟女,人妻,主婦,不倫,セフレ専門出会いサイト 人妻専門出会い
?高齢者・中高年 ・ ?厳選の人妻出会い ・ ?30代以上 ・ ?中年・熟女
人妻出会い系サイト セフレ不倫若妻・熟女中出しSEX体験談
人妻(若妻熟女)と出会い系サイトでセフレになり不倫浮気セックスする方法
出会い系で知り合った20代の人妻と昼間に会ってきた時のガチ体験談
人妻出会い掲示板 人妻出会い系サイト 人妻出会い系サイト セフレ人妻出会い


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板