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a hope
:2016/02/13(土) 09:03:39 ID:cEpBaIdo
『悪とは善の非存在、または不足である。だから悪を語っても善は生まれない。私たちはもっと善を語り、表現する努力を続けなければならない。』(雅宣先生のFBより)
上の雅宣先生の善悪二元論を、生長の家の「実相一元」風に言いかえると、
『悪なし。だから語る悪もなし。「生命の実相」を悟れば、おのずと善一元の世界が現れるのである。』( a hope)
となりませんでしょうか?
現象世界で「悪」とみなされることや「善」とみなされることは、その時代やその国の風習で大きく異なります。
例えば、かつての日本では、切腹(自殺)が美徳とされていた時代があります。
ですが、現代においては、社会的にも、信仰的にも、自殺は決して「善」ではありませんよね?
また、あるカルト宗教の教祖は、殺人をも「善」とみなしていたからこそ、平然と信者に殺人を指示できたのだと思います。
肉食はどうでしょうか? 原発はどうでしょうか? 集団的自衛権の行使はどうでしょうか?北朝鮮問題はどうでしょうか?
何が「善」であるかを語るのはいいとしても、一成人が自己判断を放棄して、他人の「善」「悪」の判断に依存して行動するのはとても危険だと感じています。
谷口雅春先生は「生命の實相」の中で、『外の何かに依存せず、自分の中の神(実相)を信じなさい』と教えてくださっています。
わたしは、毎日「生命の實相」を拝読し、神想観をしていれば、わたしたちはしぜんにまことの善行がなせるようになるのだと心から信じています。
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