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278
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曳馬野
:2016/02/13(土) 12:00:46 ID:WCwkcPdg
『悪とは善の非存在、または不足である。だから悪を語っても善は生まれない。私たちはもっと善を語り、表現する努力を続けなければならない。』(雅宣先生のFBより)『悪なし。だから語る悪もなし。「生命の実相」を悟れば、おのずと善一元の世界が現れるのである。』( a hope) あなたが感想というか真理を語っていないという総裁の言葉を取り上げるから私も述べます
八月六日 娑婆即寂光土と悟る日 けれども生長の家は世界には何ら非道なことは存在しないというのである。それは存在するものは「道」ばかりであるから、それが少なくとも存在する限りはそれは「善」であり、それが「善」でない限りに於いて、それは如何に存在するように見えようとも、それは「非道」即ち「道の欠乏」「道の無」をあらわしているに過ぎないとするのである。・・・凡て心の眼を開いてみれば「悪」なるものは存在しない。これ第一にして最後の真理てある。
これは吉田国太郎講師が現象実相の二元論に落ちていたところを救ってくれた言葉であるそうです。これの言い替えたものが総裁の言葉でしょう。こんな言葉もある。「神のなかには不幸はない。不幸は神が完全に表現されていないからある。」
八月十日 善き言葉のみ使う日 「現象世界を善くするには言葉を善くせよ。万物はその言葉の通りになる。」生命の実相六巻 『全ての人間の中には「自分」の念が映っている。彼が善であり、悪であるかは、皆「自分」の念の鏡である。・・・私の責任ではないなどと云うのは、三界唯心の真理を撥無するものである。凡そ三界唯心の真理は『類は類を呼ぶ』の真理を伴うものなのである。・・・かくの如くして・・・自分の念の展開であるがゆえに、ただ「有難く受ける」ことである。』
悪なし。だから語る悪もなし。は言葉としてはそうなんですが、あなた自身が総裁を悪として語っていることに気が付いていない。「生命の実相」を悟れば、おのずと善一元の世界が現れるのである。は、自称本流の本部講師級の方々が私たちの真理の体得の方が正しいと「生命の実相」の真理を判定できるほどに、悟っているのに10年経っても善一元の世界は顕れていない。これは総裁の「だから悪を語っても善は生まれない。私たちはもっと善を語り、表現する努力を続けなければならない。」を実践していないからではないでしょうか。
彼らにしてそうですから、あなたの悟りを待つのでは何時のことやら。
『人の悪を咎めるよりも、自己が俱に泣くの愛の欠乏していることを恥じよ。「愛」の中にこそ聖泉がある。それは智慧が如何にきり開いても発見することの出来ないところの聖泉である。その聖泉に身をひたすとき、一切の不完全は癒やされるのである。』『人の悪を指摘して改心せしめようとする場合には腹立った聲、憎む表情、そんなものを伴うならばこれを指摘しない方がよい。』との雅春先生の言葉もある。
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