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Web誌友会 板/2

1トキ:2013/01/20(日) 11:50:32 ID:UVsStHb2
「今の教え」と「本流復活」を考える・「web誌友会」 板 です。

*web誌友会についての話題は、このスレッドでお願いします。

 このスレッドは、生長の家信徒の人達のweb誌友会のために作成したスレッドです。

 上記に関連する話題なら、狭く解釈しないで、広く受け付けます。また
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家の信仰と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
 投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
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 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。


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 や名誉毀損の可能性のある表現などは、控えて下さい。
*サイトの運営方針としては、削除は原則としてしない方針です。他者の投稿が問題のある投稿だと感じた場合は、
「削除要請」ではなく、ご自分の意見を投稿するという方向での解決をお願いします。
*生長の家の共鳴者を対象にしたスレッドです。下品な表現や特定の人物を侮辱する言葉はご遠慮下さい。
 たとえ、自分と違う意見の人でも、敬称はつけましょう。相手に対する敬意と礼儀を忘れない様に
 お願い申し上げます。
*谷口雅春先生への批判は、目的外ですので、投稿をしないで下さい。
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このサイトについて

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*「ポスティング ジョイ」や「生長の家“本流宣言”掲示板」などのサイトとは一切関係がありません。

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*「工作員」も歓迎します。同時に、特定の人を「工作員」などと議論をする事はしないで下さい。
*教団援護派、本流復活派、中間派、分裂肯定派など、どなたも歓迎します。また、相手の存在そのものを否定するような内容
 の反論はしないで下さい。
*議論が感情的になった場合は、管理人がストップをかけます。その時は、協力をお願いします。
*その他、ご不明の点は、管理人である「トキ」まだお尋ね下さい。

 原則として、身元がわかるような内容の自己紹介は避けたほうが無難です。

身元をかくすため、多少の作為(年齢を少しごまかす、住まいを変える)は、悪意がない限り、問題とはしません。

どの立場でも、(教団援護派、学ぶ会など)歓迎しますから、それは明らかにしても大丈夫です。

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それ以外で、問題となりうる投稿は、原則として、相談の上で、削除します。

 その他、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。

管理人「トキ」 敬白

5805疑問:2015/09/29(火) 08:11:30 ID:NaAec0Zc

>自分の心のうちに業を積んでいるから、それで人からいじめられるように自然になってくる。


総裁にいびられたとかいう本部講師の人達にも当てはまるのでしょう?左遷されたとかいう本部の人にも。

5806a hope:2015/09/29(火) 08:14:44 ID:cEpBaIdo
(>>5803つづき)

「生命の實相」第21巻 p145 3行目〜


このように完全円満な実相の世界、天国浄土は、ここに見よ、かしこに見よというようなものではない、現象の奥にあるものであります。

だから現象世界を眼の前にもって来て「ここに天国はあるのだぞ」と言って見せられはしないけれども、どうかわれわれにそれを見せてくれという人には、実相を映し出した世界において、実相の写真(うつし)を見せて示すことはできるのであります。

実相の映画(うつし)の世界、それはこの席にいられる多くの方が体験しておられるように、欲しいと思ったものがすぐに出て来るとか、あるいは病気が忽然と消えて無病幸福な生活に入るとか、経済的に好転を来すとかいうように現実に迷いのない世界が出て来る、それが取りも直さず実相を映した世界であります。

まだ実相を直接的悟りで知らない人には実相の写真を見せて、実相の写真を見せるより仕方ない。

写真には血も通っていないし、厚みもない、血色もない、写真と実際の人間とはそれくらい異う。

現象世界の浄土と、実相の浄土との異いも、それくらい異うのですが、見合いお写真で相手の概念を与えるくらいの役目のために、実相の世界を体得できない人に実相の写真をみせてあげることがある。

皆さんの現象界の幸福の体験は、これがその写真です。

それが実相その物なのではない。

それは実相のあらわれにすぎない。

実在の世界を得るための写真であります。

5807a hope:2015/09/29(火) 08:16:18 ID:cEpBaIdo

>>5806 a hope所感)

たとえ、現象界に地上天国が出現したとしても、それはあくまでも実相世界の写真(うつし)に過ぎないのですね(;´∀`)

「現象は無い」のですからそれはそれであたりまえのことなのですが・・・。

その本来無い「現象世界」で、本来無い「肉体」を抱えて生きているわたしたちは、
本来無い「迷い」に振り回せれて、憂苦懊悩している・・・。

うーん。

やっぱり、一日も早く「生命の実相」を悟らねばいけませんね〜!

5808疑問:2015/09/29(火) 08:16:50 ID:NaAec0Zc


>唯心所現の真理から考えれば病気は悪しき心(業・罪)の影であり、
>唯神実相の真理から考えれば悪しき心(業・罪)などない、ということになります。
>生長の家の縦横の真理は、どちらもとても大切な真理なんですね。


人を非難する時は横の真理を使い、自己弁護する時は縦の真理を使うのでは?

5809a hope:2015/09/29(火) 08:23:25 ID:cEpBaIdo

>>5805 疑問さま

Web誌友会ご参加ありがとうございます!


>自分の心のうちに業を積んでいるから、それで人からいじめられるように自然になってくる。
総裁にいびられたとかいう本部講師の人達にも当てはまるのでしょう?左遷されたとかいう本部の人にも。


唯心所現の真理から言えば、そういうことなのだと思います。
現象世界の出来事のほとんどは自分の業(前世の業も含む)のなせる結果なのではないでしょうか・・?

と、わたしは思いますがみなさまのご意見もぜひ伺いたいです。

5810疑問:2015/09/29(火) 08:45:27 ID:NaAec0Zc

>「迷い」はどこから来たと言われる方が往々にありますが、どこから来たということが答えられるくらいならば、「迷い」はあることになる、「迷い」は無いから出所(でどころ)もない。迷いをアルと言ったら迷いから出たというあらゆる悪も肯定しなければならない、それが現実界の実際の状態であります。

>こういう人たちはその反駁の根拠を現象界に置いて、いろいろのことを言ってくるのです。

>「心が病気を作る」ということが分かれば、自分の心をコントロールすることがどれだけ重要かがわかります。ですが、谷口雅春先生ですら「唯神実相」の真理を悟られる直前まで、心をコントロールするのが難しいと嘆かれていました



「唯神実相」の真理を悟るまえのa hopeさんが自分の心をコントロールできずに、反駁の根拠を現象界に置いて、総裁は現象相手の運動をしているといつも述べているから、総裁の今の現実があるということになります。しかし「迷い」は無いから出所(でどころ)もない。迷いをアルと言ったら迷いから出たというあらゆる悪も肯定しなければならない、と云われる。

迷いの出所は自分の心であるからコントロールがどれほど重要か判る、といいそれは谷口雅春先生ですら「唯神実相」の真理を悟られる直前まで、心をコントロールするのが難しいと嘆かれていました、という。

では自分の心のコントロールの出来ないあなたが現象の総裁の生き様を批判する根拠は何なのでしょうか?

5811a hope:2015/09/29(火) 09:01:03 ID:cEpBaIdo
>>5810 疑問さま

申し訳ありませんが、今日はこれから仕事なのでお返事は夜になります。

>>5805の疑問さまの質問はとても重要だと思いますので、みなさま、特に「生長の家」本部講師、
元本部講師の方々、本流関係の講師の方々のご意見、ご指導をいただけるとありがたいです。


よろしくお願いいたします。

5812疑問:2015/09/29(火) 09:07:31 ID:NaAec0Zc

>その本来無い「現象世界」で、本来無い「肉体」を抱えて生きているわたしたちは、本来無い「迷い」に振り回せれて、憂苦懊悩している・・・。

>うーん。やっぱり、一日も早く「生命の実相」を悟らねばいけませんね〜!



一生懸命努力して4,5年経ってもこの感想、実際のところ4,50年キャリアの方でも同じ心境ではないのでしょうか?迷いはないと悟った方が、迷いの産物の悪現象を相手にする訳が無いでしょうから。私の所へも現象を証拠に反論してくる人がいるけれど、と雅春先生が言われているのに、現象を根拠に非難しまくりなのが本流派と自認する人たちでしょう?

5813疑問:2015/09/29(火) 09:42:57 ID:NaAec0Zc

>たとえ、現象界に地上天国が出現したとしても、それはあくまでも実相世界の写真(うつし)に過ぎないのですね(;´∀`)「現象は無い」のですからそれはそれであたりまえのことなのですが・・・。


人間は何処で生きてるのでしょうか?この現象世界は単に映しの世界として存在するということですが、五官で自分が感じているという意味ですか?実相世界と云うところで、具体的に生きているのでしょうか?五官で諍いの生活をしているように見える時に、実相世界ではどんな生活をしているのでしょうか?普通は五官の認識を通して自分の行動はされますね。

現象本来無しという言葉、は五官を使う実際の生活の上でどのような意味になるのでしょうか?非難されるような行動をしているとの判断は五官を通しての判断ですね、その五官は肉体についているものです、そのような判断の正しいかどうかの判断は何処でされるのでしょうか?

よき現象と云っても自分にとってのものですが、それを映し出すのもこの肉体、五官を使って映し出すのですよね、そうしますと純粋に実相世界と云うところで具体的な生活を人間がしていて、それを単に五感で感じているというものではないようです?

自然界の木々は心でもって現象の自然を映し出しているわけでもないでしょう?人間が何処でどのようにして生きているのか?これが気にかかります。

5814トンチンカン:2015/09/29(火) 10:05:29 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
レストランの「メニュー」をみて <迷う> ?

これって、『迷い』。。と言うより、『選択』ではないのでしょうか??
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・レストランの「メニュー」。。なら、コレって「指をさせば」解決するのです!!




(参考) <小閑雑感>
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
2007年9月11日 迷いはどこから来る? (4)

迷いはどこから来るか? 現時点での答えは、こうなる……「欲望追求のために自由を行
使せんとするところから来る」。

谷口 雅宣
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

『迷いは ナイ!!』。。。  ≪谷口雅春先生≫

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5815トキ:2015/09/29(火) 10:21:31 ID:ksUeryWU
 少し時間がないので、簡単に。

 例えば、中華料理店に入って、餃子を注文したのにラーメンが出てきたら、
「これは違うよ。」と普通は言います。そう指摘することは、別に、他人を
攻撃する事にはなりません。ましてや、人間の実相を見ない事でもありませ
ん。それに対して、中華料理店の店主が、それに応じないのなら、それを説明
する義務が生じます。

 社会通念という観点からは、説明をする義務の所在を考える事が大事だと
思います。

 現在の教団の方針は、伝統的な谷口雅春先生の解釈から違っています。
当然、それに納得しない人は、「現在の教えは、過去の谷口雅春先生の教え
とは違っている」と指摘します。これに対して、教団は、「いや、これは
谷口雅春先生の教えを現代風にアレンジしたもので、基本的な部分は同じ
です。」と抗弁をします。この場合も、教団側は信徒や社会に対して、そ
れを変更した理由をきちんと説明をし、納得してもらう義務が生じます。

 教義の解釈の大幅な変更を含めて、現在の方針の変更の多くは、教区の
人間の預かり知らないところで決まる事が多いです。これに納得しない人
が疑問の声を上げる事は、別に普通の事で、悟りの云々とは関係はありま
せん。

 生長の家が、あくまでも谷口雅春先生の教えが基本である、というのな
ら、教団側はこの義務から解放される事はないと考えます。

 疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと
外れていないと説明することだと思います。

5816疑問:2015/09/29(火) 11:22:25 ID:4q2kCbp2
>>5815

私ははahopeさんの引用並びに感想への疑問を述べているのです。教団の解釈が伝統的解釈と違うということはどちらでもいいのです。

真理は生きなくてはなりません、その生き方に於いての疑問を呈しているのです。どちらが正しいかということを論じているのでなく、伝統的解釈とあなたが云うその生き方そのものが、どのように生きれば矛盾が無いのかを、今の本流派を自認する人に問いただしているのです。

教団内で10年、本流を造って10年、20年かかって統一した生き方が出来ない、それでいて真理を悟れば本来の良き世界が出て来る、という話に聞こえるのです。

20年かかって世間の物笑いになっている生長の家の在り方を、相手方に答えを求めてどうするのですか?教団側は好きにすればの態度であるのでしょう、であれば本流を自認する側が真理を生きることにより不完全と見えることの解消をするしか仕方ないでしょう。

そんな意味で真理を生きるという事がどんなことか聞いているのです。私はよき結果が出ていないことの原因は何処にあるのかを聞いているのであって、出てない以上本流を名乗っていても正しく真理の実践が出来ていないのではないか?との疑問から発議しているのです。真理の実践は誰かに求めるものでなく自らするのが当たり前の事ではないですか?

5817疑問:2015/09/29(火) 11:58:34 ID:4q2kCbp2

真理を生きるということはどのような事なのですか?と聞いているのです。トキさんが不完全な事が有るとの認識を持っている、それに対し総裁はそんなことは知らんとの態度を取るように見える、その現実の事実に対してあなたはどんな行動をとるのですか?

不完全があると見えている時にどんな行動をするのが真理に適った生き方なのですか? 不完全を表している中心者の生き様を代えろ、と主張しても、それは相手の事です。自分の行動としてはお前は駄目だと言葉で云っているだけです、そんなことは真理を知らなくても誰でもします。

中国指導者相手に、共産主義を正しいものとして独裁的に政治をするのは間違っている、お前たちは辞めろと云っているのと何も変わりません。伝統的解釈と違うという貴女の真理の実践が正しいのであれば問題は解決向かっていることでしょう。

そんな意味で伝統的解釈が物事の解決に役立っていないのではないか?であればどのように真理の言葉を受け入れて実行すればよいのか?そのことを正当な解釈をしているという人に聞いているのです。

不届きな嫁に苦しんでいますとお婆さんに云われたら、そんな嫁は追い出しなさいというのですか?さんざん注意をしても嫁さんには嫁さんの考え方があります。こんな息子は死んでくれたらいいと考えていた母親が息子と和解で来た話もあります。相手の心変わりを求めるのが伝統的生長の家の解釈ですか?

5818疑問:2015/09/29(火) 13:32:32 ID:4q2kCbp2
 国家は吾々の最高理念である。数字に先立って『数』が存在するがごとく、理念はすべての形あるものに先行して存在する最高の存在であり、生命(いのち)の生命である。

国家はその理念のうちの最高なるものである。個生命はこの最高理念のために、『生命の生命』のために、一切をなげうって奉仕しなければならぬ。否、奉仕することそのことが喜びであり、それが個生命なる小さな理念的存在が最高の理念にまで包摂せられ向上し行く最後唯一の道である。

銃後の親戚知友に送られて征途に旅立つ軍人の歓呼こそは、見送る人も、見送られる人も、それは個生命が最高の理念に包摂し向上する刹那の生命の凱歌であり、鬨(とき)の声である。

(谷口雅春『明窓浄机』草創篇284-285頁「昭和12年 天皇は中心理念に在す」)

5819疑問:2015/09/29(火) 13:40:31 ID:4q2kCbp2

戦争の倫理的意義 谷口雅春

 私は『大自然が催し、大自然がはかろうて自分をその境遇にまで追い寄せた現在の生活』を百パーセント完全に生きることが、生長の家の生き方であるといった。この意味において『戦争』というものが吾々に課せられた場合には(現に課せられているのであるが)それを完全に戦い抜くことが生長の家の生き方でなければならないのである。

今与えられた環境から飛出すところの出家道は、否応の選択が働くのであるから、戦争というものは魂の修養にならないというような価値判断がはたらいて、戦争忌避や、敗戦主義に捉えられるおそれがあるが、生長の家では出征する人にとっては戦場が直に魂の修養の道場となり、戦争が直に吾々の魂を練るところの公案となるのである。

多くの人たちは戦争の悲惨な方面ばかり見ていて、その道徳的、宗教的意義を理解しない。そして動もすれば戦争を忌避するのであるが、戦争は実に真剣な、否応なしに左右をいわずに、ただひたすらに至上命令に従うところの激しき宗教的行事なのである。しかも同時に、肉体の『無』を理屈でなしに実証するところの行事である。

かの天華の修行に天華の教祖渡辺薫美が修行者たる一婦人に課したところの『千仭の谷へ、今跳べ!』の必至命令の如く、否やの選択を許さぬ絶対命令と同じことである。『爆弾を抱いて、そのまま敵のトーチカに跳び込め!』これに対して、軍人はただ『ハイ』と答えて跳び込むのである。宗教の修行においては、たとひ教祖の命令通り跳び込まなくとも、『修行が足りない、まだ心境がそこまで達していない』位で許されるだけに、それは修行の『型』をやっているだけである。また、その命令者が教祖という個人である。

しかし戦争においては否応はない、言葉通り肉体の生命が放棄せられる。そして軍隊の命令者は天皇であって、肉体の放棄と共に天皇の大御命令に帰一するのである。肉体の無と、大生命への帰一とが、同時に完全融合して行われるところの最高の宗教的行事が戦争なのである。戦争が地上に時として出て来るのは地上に生れた霊魂進化の一過程として、それが戦地に赴くべき勇士たちにとっては耐え得られるところの最高の宗教的行事であるからだと観じられる。

(『谷口雅春選集』谷口雅春著 潮文閣、1941年、302-303頁)

5820疑問:2015/09/29(火) 13:47:09 ID:4q2kCbp2

常住戦死の心 谷口雅春  

 宇宙には唯一つ、大御心のみがある。天皇の大御心である。『忠』とは、大御心に無我帰一する心である。すなはち天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)の心に『中』(ちゅう)する心である『中』とは的に中(あた)るであり、生命の本質に貫き徹するのである。

宇宙の実相に少しもウラハラなることをせず、無我になりて宇宙の心に従ふのである。吾らが大御心を行ずるのは、それによって幸福になれるからでも、都合がよくなるからでもない。さふ云う第二次第三次の事物よりも、尚尚すぐれて無常価値なるものが大御心である。その大御心を実現することは無常価値であるが故に、そのやうな第二次、第三次のお蔭などは心に微塵も止めないで、大御心を行ずるのが『忠』である。そしてそれがまた生長の家家族の心である。

大御心を行ずる為に、その他の物質的なるもの悉くを戦死せしむるのである。戦場に於(おい)て戦死せしむるだけではなく、常住戦死の心である。これを『死』と云ふ不吉な連想を伴ひ易き言葉を用ひず、『肉体なし、物質なし』と吾らは云ふ。その死に切った心だけでは消極的否定の心である。そこに『大御心のみあり』の大肯定がなければならぬ。生長の家ではこれを『神一元』と云ふ。天皇独在とも云ふのである。

  (谷口雅春「常住戦死の心」『谷口雅春選集』潮文閣、1941年、2頁)

5821疑問:2015/09/29(火) 13:55:24 ID:4q2kCbp2

常住戦死の心 谷口雅春  

 宇宙には唯一つ、大御心のみがある。天皇の大御心である。『忠』とは、大御心に無我帰一する心である。すなはち天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)の心に『中』(ちゅう)する心である『中』とは的に中(あた)るであり、生命の本質に貫き徹するのである。

宇宙の実相に少しもウラハラなることをせず、無我になりて宇宙の心に従ふのである。吾らが大御心を行ずるのは、それによって幸福になれるからでも、都合がよくなるからでもない。さふ云う第二次第三次の事物よりも、尚尚すぐれて無常価値なるものが大御心である。その大御心を実現することは無常価値であるが故に、そのやうな第二次、第三次のお蔭などは心に微塵も止めないで、大御心を行ずるのが『忠』である。そしてそれがまた生長の家家族の心である。

大御心を行ずる為に、その他の物質的なるもの悉くを戦死せしむるのである。戦場に於(おい)て戦死せしむるだけではなく、常住戦死の心である。これを『死』と云ふ不吉な連想を伴ひ易き言葉を用ひず、『肉体なし、物質なし』と吾らは云ふ。その死に切った心だけでは消極的否定の心である。そこに『大御心のみあり』の大肯定がなければならぬ。生長の家ではこれを『神一元』と云ふ。天皇独在とも云ふのである。

  (谷口雅春「常住戦死の心」『谷口雅春選集』潮文閣、1941年、2頁)

5822疑問:2015/09/29(火) 14:01:49 ID:4q2kCbp2

ああ天地万物を見るたびに、吾々は、天皇陛下があがめられます。 天皇の下に生まれ 天皇の大みいのちに還りて死し死して永遠のいのちを得る。   
 天皇万歳である。…・万歳は久遠の象徴(しるし)である。…・・この際、この時、この生長の家の思想を広めて吾ら死なん。死なんかな。死なんかな。来りてともに死に給へ。死は大なる生につながる。

(谷口雅春『明窓浄机』飛躍篇106頁 昭和16年 「天皇はすべてのすべてにまします」)

上二つダブりましたすみません

5823<削除>:<削除>
<削除>

5824<削除>:<削除>
<削除>

5825<削除>:<削除>
<削除>

5826<削除>:<削除>
<削除>

5827トンチンカン:2015/09/29(火) 15:30:35 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
≪迷いのルツボ≫にはまり込み、右往左往して出口の見えない「曳馬野ご一統」!!

「頭脳明晰」なるが故、色々と考えるのでしょうね? 「無の関門」を越えられない・・
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・『迷いはナイ!!』。。 信じるのか・・ 信じないのか・・

5828トンチンカン:2015/09/29(火) 15:46:10 ID:z9V4A.MQ

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『20年かかって世間の物笑いになっている生長の家の在り方』
『不完全を表している中心者の生き様を代えろ、と主張しても、それは相手の事です』
                            <曳馬野ご一統>

多くの人々が≪総裁のご乱行≫を言っているのです。 ≪総裁の「責任問題」≫です!!
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜


・今や、「開き直り」しかないのですか? 「屁理屈」で逃げ切るのですか?

・『世間の物笑いになっている』のは、「マサノブ爺さん」なのですよ・・・


(参考)
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
5816 :疑問:2015/09/29(火) 11:22:25 ID:4q2kCbp2>>5815

私ははahopeさんの引用並びに感想への疑問を述べているのです。教団の解釈が伝統的解
釈と違うということはどちらでもいいのです。

20年かかって世間の物笑いになっている生長の家の在り方を、相手方に答えを求めてど
うするのですか?教団側は好きにすればの態度であるのでしょう、であれば本流を自認す
る側が真理を生きることにより不完全と見えることの解消をするしか仕方ないでしょう。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
5817 :疑問:2015/09/29(火) 11:58:34 ID:4q2kCbp2

真理を生きるということはどのような事なのですか?と聞いているのです。トキさんが不
完全な事が有るとの認識を持っている、それに対し総裁はそんなことは知らんとの態度を
取るように見える、その現実の事実に対してあなたはどんな行動をとるのですか?

不完全があると見えている時にどんな行動をするのが真理に適った生き方なのですか? 
不完全を表している中心者の生き様を代えろ、と主張しても、それは相手の事です。自分
の行動としてはお前は駄目だと言葉で云っているだけです、そんなことは真理を知らなく
ても誰でもします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

5829トキ:2015/09/29(火) 16:41:27 ID:ksUeryWU
 いやいや、疑問さんは、痛いところを突かれたので、錯乱されているのです。

 しかし、「疑問」さん、a hope 様も社会人ですから、質問をするのなら、
それなりの礼儀作法というものが必要です。こういう詰問をするような口調
の文章をいきなり送りつけて回答を要求するのは、社会通念上、「失礼」と
言います。

 ご理解ください。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5832トキ:2015/09/29(火) 17:07:09 ID:ksUeryWU
 疑問様の投稿は、誌友会と関係がないので、一部の投稿を別板の移転板へ
移しました。こういう投稿は大変迷惑なので、以後、疑問様はそちらへ
投稿をしてください。

合掌 ありがとうございます

管理人

5833疑問:2015/09/29(火) 17:45:33 ID:gJV5Cq.Q

>疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと外れていないと説明することだと思います。私は、教義の解釈の変更が重大な事柄だ、と言っているのです。逃げずに返答をしたまえ。

>いやいや、疑問さんは、痛いところを突かれたので、錯乱されているのです。


教義が変更されたかどうかそんなことは知りません。教義が変更されて嫌だというのであればさっさと辞めたらいいのでは。なんで私があなたに説明しなくてはならないのですか?どこが痛いところなんですか?私は痛くもかゆくもありません。

国家が起こす戦争で死ぬことは神の子の無我の最高の心に到達するための最高に尊いことであると、常に常住戦死の心で生きるのが最高と云うから、そんな心を求められるのが生長の家の真理だと知ったうえで誌友会版で真理の研鑽に励んでいるのですか?と聞いて何が悪いのですか?

解釈の変更がたとえ有ったにしても、それを重大な事柄とするのはあなた並びに自称本流派でしょ。総裁は何も困っていないから10年以上同じ路線を走っていのでしょう。困るのは困る人が悪いと云った有名な本部講師がいました。困るならさっさと辞めて自分の思う運動をすればいいでしょう。

世間の常識で行くと人間神の事はどんなことかの話は邪魔で、トンチンカンのアジ演説は素晴らしと云うのですね。世間の人はウダウダ云っている人のその姿にあきれているのでしょ。世間の人で教団の在り方を批判している人がいますか?世間の人が何を考えているかに関する引用ですよ、原文に当たってみたらよいでしょう。

5834疑問:2015/09/29(火) 18:05:29 ID:gJV5Cq.Q

>>5830>>5831を自由に削除して自分の体裁を繕う姿が素晴らしい神の子の姿と云うのですか?

いくら少なく見積もっても2,3万の信徒はまだいるでしょう、今でも講師試験を受ける人がいるのです、その人たちは馬鹿で阿保であるというのですか?少なくても新たに講師になる人達にとっては重要な問題でなく、世間を笑わせようとするあなた方にとって問題と云うだけです。

総裁は公人であるから幾ら汚い言葉で批判しても許されるという判断でトンチンカンはそのままにしているのですね。そんな考えのトキさんはさっさと辞めて本流派と合流するほうがいいです。

5835トキ:2015/09/29(火) 18:22:34 ID:ksUeryWU
>>5833

疑問様

 トンチンカン様の投稿は、確かに、最初は削除と移転をしようと思いました。
と、同時に、疑問様の全ての投稿を全部、削除と移転をしようと思いました。
  
 しかし、それでは、誌友会としての流れが止まります。仕方がないので、
全く誌友会のテーマと関係がない部分をとりあえずは移転と削除しました。

 なお、疑問様とトンチンカン様には申し訳ありませんが、適当な時期に、
お二人の投稿を削除と移転をさせていただきます。

 次に。

 教義が変更されたというのは、たいへん重要な問題です。生長の家というのは
宗教法人です。法人というのは、法人としての「目的」があります。その「目的」
は、登記され、誰でもが閲覧することができるのです。

 戦前、天理教が当局の要求により教義の「革新」を余儀なくされたときに、大騒ぎに
なったこともありました。

(つづく)

5836トキ:2015/09/29(火) 18:37:35 ID:ksUeryWU
 それぐらい、教義というものは重要なものなのです。

 法律に詳しい人に尋ねると、法人における「目的」はかなり重要で、
目的外の行為は、原則として「無効」になる、というぐらいの重みがある
みたいです。

 生長の家の場合、生命の実相が目的に明記されていたと記憶しており
ます。だとしたら、生命の実相が教団内部で語られなくなったのは、
問題である、という声があがるのは当然ではないでしょうか。

 さて、疑問様は、教義の変更が嫌なら辞めろ、という発言をされまし
た。生長の家が発祥当時のような任意団体ならその解釈も可能でしょう。

 しかし、現代のような法人格を取得して団体では、一部の人の独裁の
ような行動が正当化され、異論を唱えた者が容赦なく排除されるのなら、
それは、法人格をもらった趣旨から逸脱すると思います。

(つづく)

5837トキ:2015/09/29(火) 18:47:56 ID:ksUeryWU
 さらに申し上げると、私が問題にしているのは、この掲示板では何を
書いても構わないが、誌友会の板では、テーマが決まっているので、それに
沿った内容の投稿をしてほしい、ということです。

 掲示板で、管理人がいたら、その管理人の指示に従う前提で掲示板は
成立しています。もちろん、運営上のご意見も可能な限りは拝聴しますが、
「疑問」様の投稿は、板の趣旨を逸脱しています。

 トンチンカン様の投稿も確かに表現に問題はありますが、トンチンカン様
の投稿が「疑問」様への反応であることを考えると、いきなりの削除ができ
ないと考えています。

 最後に付け加えますが、私の考えは、本流復活派も支持しないし、また、
今日の状態に至ったのは、総裁だけの責任でもない、という立場です。

 その考えは、過去、再三、表明しています。

 しかし、掲示板の方針として、極力、検閲はしない方向でいます。
問題になる投稿については、反論という方法での対応をお願いをしており
ます。

5838トキ:2015/09/29(火) 18:53:49 ID:ksUeryWU
 ですから、「疑問」様の投稿の原則としては、削除したくありませんでした。

 しかし、関係のない文章を長々と書いて、誌友会のリーダーに返答を強要す
るのは、これは違うと思います。

 この点はご理解をお願いします。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5840トキ:2015/09/29(火) 19:38:02 ID:ksUeryWU
以下、訂正します。

トンチンカン様

 ご覧の通り、「疑問」様から、総裁を「侮辱」する表現を問題視
する投稿が届いております。

 管理人としては、内容については容喙するものではありませんが、
表現については、多くの方が閲覧をしている現状もありますので、
より丁寧な表現をしてくだされば、助かります。それで削除をする
ということはありませんが、どの人であれ、人格を尊重する態度は
必要だと思いますので、ご協力をお願いします。

 勝手なお願いをして、すみません。

 今後とも、投稿をお願い申し上げます。

投稿者様各位へ

 もちろん、ここでは本流復活派へのきわどい表現もあるので、
総裁への投稿だけを問題視するつもりはありません。本流派への
投稿も、表現については慎重にお願いします。
 賛成意見も反対意見も大事ですが、本流復活派の方々
も、ご自身の信念により頑張っているのは事実ですから、その点
は尊敬したいと思います。

 同時に、教団への支持も批判も歓迎ですが、表現については慎重に
お願いします。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5841トキ:2015/09/29(火) 19:41:49 ID:ksUeryWU
謹告

 以上の投稿は、誌友会とは関係のない内容が多いので、適当な時期に
削除させていただきます。もちろん、私の投稿も含めてです。

 ご了承ください。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5842疑問:2015/09/29(火) 20:02:18 ID:gJV5Cq.Q
>しかし、関係のない文章を長々と書いて、誌友会のリーダーに返答を強要するのは、これは違うと思います。

関係のない人間が関係のない文章を書いたのはトキさんあなたでしょう。誌友会版でのa hopeさんの言葉解釈への疑問を書いていたところに、あなたが勝手に総裁と間違えての感想を、勝手に書いたのでしょう。

国家が起こす戦争で死ぬことは神の子の無我の最高の心に到達するための最高に尊いことであると、常に常住戦死の心で生きるのが最高と云うから、そんな心を求められるのが生長の家の真理だと知ったうえで誌友会版で真理の研鑽に励んでいるのですか?と聞いて何が悪いのですか?

とあなたへの返事は書いてあります。誌友会、講演会で真理の話をするのは何の為、本当の神の子の自覚に至る為でしょう。その神の子の自覚は天皇信仰に至る事でありその神髄は斯くの如しと書いてある文を投稿するのが何故削除に値するのですか?

いちゃもんをつけてきたのはあなたトキさんです。引用したような書き方で神の子の自覚を説くのが生長の家であるとの認識の下で、a hoopeさんがその体得にいそしむのであればよろしいのですが、そうでなければ後でこんなはずではなかった云うことになりかねません。

あなたが割り込まなければ、引用文までは書かなかったのです。趣旨に則った質問だから夜にの返事があったのでしょう。出しゃばり、趣旨に反したのはあなたなのです。

5843トキ:2015/09/29(火) 20:23:28 ID:ksUeryWU
>>5842

 すみません、一箇所、申し上げます。

>>勝手に総裁と間違えての感想を、勝手に書いたのでしょう。

私は、そういう文章は書いていません。また、あなたが総裁だとも思っていません。
その点はお願いします。

 誌友会、あるいは輪読会では、あくまでもリーダーの指示で動くことが前提になって
います。この点もご理解ください。

合掌ありがとうございます

5844トキ:2015/09/29(火) 20:46:31 ID:ksUeryWU
>>5805

 では、あらためて書きましょう。
 
 谷口雅春先生が、かってバキュームオイルカンパニーを馘首されたあと、
馘首した上司と対面をした時の話を講演で言われています。

 「会社をクビにされても恨んではいけませんが、クビにするのもよくない」

と。よほど修行ができた人でないと、クビにされたら恨みます。生長の家を
していても、それは、現象の人間ですから、酷い扱いや侮辱を受けたら、
やはり恨みます。ただ、それをいつ切り替えるかです。

 そういう念は、クビにした人のところへ行きます。確かに前世なり何なり
で、そういう人には原因になる行為があったのかもしれませんが、何でも
かんでも、前世の因縁とかでかたずけると、人間の自由な意思というものが
無視されてしまいます。それは魂の向上という観点からは、有害無益なので
す。また、そういう恨みの念で復讐をすると、今度は、また、次にその人が
その因縁で不幸になる、という循環になります。

 私も経験があるのですが、侮辱されたり、嫌がらせをされた人がいて、自分
が強い立場になったら、復讐をしたいという感情にはかられます。そこを逆転
して、そんなつまらないことをしないと決めるかは、難しいですが、大事な事
だと思います。本流復活派の中には、ごく一部ですが、パワハラのような言動
をする人もいて、そういう人に不愉快な経験をした人の中には、そういう人が
不遇な目にあって喝采を叫んでいる人もいるかもしれません。

 しかし、それをしたら、私は、「負け」だと思っています。

 前世の因縁が全てではありません。人間、どこかで、上のような悪循環をと
めるかが大事だと思っています。

5845疑問:2015/09/29(火) 20:54:52 ID:gJV5Cq.Q
https://twitter.com/search?q=%E8%B0%B7%E5%8F%A3%E9%9B%85%E6%98%A5&src=typd

でヒルコ蛭義氏が「完全にイ○カレてる。」「稲田の朋ちん様、あなたと一緒に進め、一億火の玉だとか、ほんと勘弁してください」と感想を言っている、何を読んでそんな感想になったのか?それは

http://sei4ch1ou.seesaa.net/article/421281552.html の資料2なのだ

世間で笑われているのは雅宣総裁でなく、創始者の説く生長の家の神髄を読んでの事なのです。私は大っぴらになるのは困るなんていう時期は通り過ぎていると思いますよ、トキさん。この資料2に書かれていることを世間に解るように説明する義務が本流は並びにトキさんには生じていると思います。

5846疑問:2015/09/29(火) 21:35:26 ID:tQSsSw6E

>>5843 >>勝手に総裁と間違えての感想を、勝手に書いたのでしょう。
私は、そういう文章は書いていません。また、あなたが総裁だとも思っていません。その点はお願いします。

>>5815が何処が誌友会の内容に関係しているというのですか?教団非難のアジ演説のみのトンチンカンの肩を以て私に「疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと外れていないと説明することだと思います。」いかにも教団の人間として教えの違いを説明するのがなすべきことと云っている。

私は教団の人間でないからそんなことはあずかり知らないことです。それでも>>5816>>5817で必要な返事はしておきました。しかるに「疑問様のなすことは、具体的に、現在の方針が谷口雅春先生の教えと外れていないと説明することだと思います。私は、教義の解釈の変更が重大な事柄だ、と言っているのです。逃げずに返答をしたまえ。」

「いやいや、疑問さんは、痛いところを突かれたので、錯乱されているのです。」とのたもうたではないですか。

5805に関しての事との断りもないのに、今になって「 >>5805 では、あらためて書きましょう。」とは何事です。5815を誰が読んでも5805への返事だとは思わないでしょう。 

トキさんはトンチンカンに似て論理がめちゃくちゃです。

5847トキ:2015/09/29(火) 21:41:11 ID:8GVLXtaY
>>私は教団の人間でないからそんなことはあずかり知らないことです。

ああ、そうですか。ここは、生長の家の信仰を持つ人を対象にする掲示版です。

真面目に生長の家の信仰をしている人にとって、あなたの存在は迷惑ですから、
以後のご投稿はご遠慮願います。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5848疑問:2015/09/29(火) 22:12:51 ID:gJV5Cq.Q
ろくな返事もしないで、神の子の自覚など話し合う必要はないトキたもんだ。アジ演説のみの人間は教団にとって迷惑ですからお辞めなさいと勧めてあげたのに。

あなたのように組織の幹部じゃないんだよ、なんで説明責任なんてあるものか。

「真面目に生長の家の信仰をしている人にとって」だからこそ真髄中の真髄の言葉を投稿してやったじゃないか、それを削除したのがトキさんあなただよ。どこが真面目なんだか。そんな人こそ教団にとってお邪魔虫でしょ。

5849a hope:2015/09/30(水) 00:05:19 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第36回 web誌友会 案内 (改訂版)

期間   8月2日〜9月30日まで
テキスト 「生命の實相」第21巻 経典篇 
内容  『甘露の法雨』講義
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5850a hope:2015/09/30(水) 00:33:44 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p152 5行目〜


今までのように迷いや、物質や、罪や、病や、死があると思っていたのでは、四十七年間もの痘痕(あばた)は治らない、物質の骨折などは治らない、こんなひどい病気は治らないと思いこんでいた、その迷いを、無いものをあると思いこんでいた迷いを、「迷いなんて本来ないのだ。罪なんて本来ないのだ。人間は神の子であって本来円満完全」であるという生長の家の歌『甘露の法雨』の功徳によって、スカッと罪の迷える意識を断ち切ってしまう。

その時にいっさいの罪は姿を消して、そこに本来の濁りなき完全なる実相が現象世界にも、その写真として姿を現してくるのであります。

この現(うつ)し世に、完全円満な人間の本来相が現われてきた時に、天国浄土が現実に顕現して、いっさいの罪も、病も、死も、悪もことごとく消滅して、ただ光明そのものの実相世界の映しとなるのであります。

これがいわゆる地上天国の建設であります。

5851a hope:2015/09/30(水) 00:38:30 ID:cEpBaIdo

>>5850 a hope 所感)

ふーん(@_@;)
地上天国の建設なんて、夢のそのまた夢のようなお話にも聞こえてしまうのはわたしだけでしょうか?

ですが、谷口雅春先生は本気でその目的に向かっておられたのですね!

5852a hope:2015/09/30(水) 08:12:45 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。

今日は、9月30日で第36回 web誌友会最終日です。

今月中に、第21巻を終了したかったのですが、まだ第四章の「人間の実相および仮相」が終わっていません。

この第四章の講話は「甘露の法雨」最終項目である『人間』の解説になっているのですが、
実はわたしはこの『人間』の項目に関しては不思議な体験があるのです。

それは、数年前に宇治別格本山の練成会にはじめて参加した時のことです。
その日の早朝神想観は幽斎殿で行われていました。

たしか神想観が終わった後に「甘露の法雨」の一斉読誦が始まりました。

もうすでに1時間近い静座をしているわけですから、まだそのころは静座に慣れていなかったわたしの足は痺れて、
坐っているのが辛くて意識も朦朧としてほとんど「甘露の法雨」の内容には集中できずにいました。

そんなとき、やっと「甘露の法雨」の読誦が最終項目の『人間』に入って、
わたしは「あーもう少しで終わりだ!」などと現在意識では考えていたのです。

ところが、その時突然、わたしの目から涙が滝のように流れだして止まらなくなってしまったのです。
何かに感動して泣いているというのではなくて、ただ、ただ、涙が流れてきて止まらなくなってしまったのです。

今思えば、その時のわたしの現在意識は「辛い、早く終わってほしい」と感じていただけでしたが、
わたしの潜在意識が「人間は神より出でたる光だったんだー」とその真理に感動して、浄化の涙が流れていたのだと思います。

そんなわけで、わたしにはこの「甘露の法雨」『人間』の項目には特別な思い入れがあるのです。


トキさま、みなさま、またまた勝手を言って申し訳ありませんが、もう少しだけこの21巻をお勉強させてくださいm(__)m


ですが、明日になりましたら、第37回 web誌友会を開会させていただきます。

テキストは第22巻になりますが、内容は「聖語篇 智慧の言葉」と「精神分析篇 精神分析による心の研究」ですが、
第21巻の第四章の「人間の実相および仮相」も合わせて学んでいきたいと思います。

みなさま、第22巻の「聖語篇 智慧の言葉」は、「聖光録」や、「ひかりの語録」、
「ジュニア 希望の祈り」などにも収録されてます。

一文一文が短文なので謹写にも時間がかかりません。

どうぞ、お気に入りの「智慧の言葉」をご紹介くださいね!

5853a hope:2015/09/30(水) 08:22:48 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第37回 web誌友会 予告

期間   10月1日〜10月31日まで

テキスト 「生命の實相」第21巻 第4章
「生命の實相」第22巻  聖語篇/精神分析篇

内容   『人間の実相および仮相』
『智慧の言葉』 『精神分析による心の研究』
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5854トキ:2015/09/30(水) 11:21:13 ID:4h78wox6
a hope様

 誌友会の運営、深く感謝申し上げます。
今回、管理人が至らず、板が荒れた事を心から陳謝いたします。

 会場リーダーのご意向が最優先ですから、「生命の實相」第21巻
を続けてください。また、他の板と違い、この板は明確に投稿の目的
が決まっていますから、誌友会とは関係のない投稿は、会場リーダー
の請求があれば、削除いたしますので、ご連絡ください。

 では、今後ともよろしくお願い申し上げます。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5855ほんとに理解できない:2015/09/30(水) 13:50:24 ID:gJV5Cq.Q
この現(うつ)し世に、完全円満な人間の本来相が現われてきた時に、天国浄土が現実に顕現して、いっさいの罪も、病も、 ≪死も≫ 、悪もことごとく消滅して、ただ光明そのものの実相世界の映しとなるのであります。


ここに ≪死も≫ と書かれているけれど、雅春先生でも死んだのです。現象界で永遠の命を保った人は一人もいません。神様でも口が滑るのでしょうか? 過去誰も不思議に思わないのが不思議。

≪   ≫は私が付けました

5856トキ:2015/09/30(水) 19:57:42 ID:4h78wox6
>>5852

a hope様

 私は、少し前から、禅宗のご住職様と仲良くなり、よくお寺に遊びに行きます。
もちろん、私は自分が生長の家の信徒であることも伝えております。生命の実相
をお見せすると、「谷口雅春さんが生命の実相で書かれている事は、臨済宗の悟り
と同じですね。」と感心されました。

 その時に、夏目漱石の話が出ました。夏目漱石は、鎌倉の禅寺に参禅していた
そうですが、禅宗の有名な公案である、「無字」の公案は通っていなかったとい
います。彼の有名な則天去私という言葉も、現在の自分の心境というよりも、目標
という意味合いだったみたいです。

 その彼がもっとも愛したのは、若い、無学に近い禅宗の修行僧だったそうです。
ご存知の通り、夏目漱石にはたくさんの優秀な弟子がいました。しかし、この
修行僧(正確には2名いたそうですが)は、素直な人だったみたいです。

 宗教上の経験を得る上で大事なのは、学識や学歴ではなく、a hope様のような
素直な気持ちになることだと思いました。

5857a hope:2015/09/30(水) 22:26:56 ID:cEpBaIdo

>>5856 トキさま

あたたかいお言葉をありがとうございます。 感謝 合掌。

わたしは宇治別格本山の練成会には、何度か参加していますが、すべてこの掲示板で書き込みを始めた後のことです。

わたしは、あの場所で、楠本加美野先生といっしょにお食事をしたり、
義春さんといっしょに講話を聴いたりしたこともあるのですよ!

本当にあそこは、素晴らしい霊的な雰囲気のある場所でした。


ところで、今回、トキさまはこの掲示板の閉鎖を考えられているのですね。

この掲示板は、わたしにとってはたくさんの思いでのある大好きな掲示板ですから、
閉鎖というのはちょっとショックでしたが、そろそろそういう時期なのかもしれませんね。

わたしは、トキさまが新しい掲示板を用意してくださるのであれば、
また、そこで、聖典「生命の實相」のお勉強会であるweb誌友会をぜひ続けさせていただきたいと思います。

トキさまにはお世話になるばかりですが、これからも a hopeをどうぞよろしくお願いいたします。

5858a hope:2015/10/01(木) 09:21:22 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。
10月に入りましたので第37回 web誌友会を開会させていただきます。
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。

5859a hope:2015/10/01(木) 09:22:36 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の 生長の家 本流復活について考える WEB誌友会板 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5860a hope:2015/10/01(木) 09:23:21 ID:cEpBaIdo

つづきまして、聖経「甘露の法雨」より『人間』を謹写させていただきます。

5861a hope:2015/10/01(木) 09:25:51 ID:cEpBaIdo

人間 

吾は『真理』なり、『真理』より遣わされたる天使(てんのつかい)なり。
『真理』より照りかがやく『光』なり、迷いを照破する『光』なり。
吾は『道』なり、吾が言葉を行うものは道にそむかず。
吾は生命(いのち)なり、吾に汲(く)む者は病まず死ぜず。
吾は救(すくい)なり、吾に頼む者はことごとくこれを摂取して実相の国土に住せしむ。


天使かくの如く説き給えば天の童子また重ねて問う。
『師よ、人間の本質を明らかになし給え』
天使答えたまわく――
人間は物質に非ず、脳髄細胞に非ず、神経細胞に非ず、
血球に非ず、血清に非ず、筋肉細胞に非ず、
それらすべてを組み合わせたるものにも非ず。
汝ら、よく人間の実相を悟るべし、人間は霊なり、生命なり、不死なり。

神は人間の光源(ひかりのみなもと)にして人間は神より出でたる光なり。
光の無き光源はなく、光源の無き光はなし。
光と光源とは一体なるが如く 人間と神とは一体なり。
神は霊なるが故に人間も亦(また)霊なるなり。
神は愛なるが故に 人間も亦愛なるなり。

霊は物質の性に非ず、愛は物質の性に非ず、知恵は物質の性に非ず、
されば、霊なる愛なる知恵なる人間は、物質に何ら関わるところなし。
まことの人間は、霊なるが故に、愛なるが故に、知恵なるが故に、生命なるがゆえに、
罪を犯すこと能わず、病にかかること能わず、死滅すること能わず、
罪も、病も、死も、畢竟汝らの悪夢に過ぎず。

汝ら生命の実相を自覚せよ。
汝らの実相たる『真性の人間』を自覚せよ。
『真性の人間』は神人にして神そのままの姿なり。
滅ぶるものは『真性の人間』に非ず。
罪を犯すものは『真性の人間』に非ず。
病に罹るものは『真性の人間』にあらず。

地上の人間よ、われ汝らに告ぐ、汝ら自身の本性を自覚せよ。
そのほかの如何なるものにも非ず。
されば人間は真理の眼より見る時は、罪を犯す事能(あた)わざるものなり、
病に罹る事能(あた)わざるものなり、滅ぶること能(あた)わざるものなり。
誰か云う『罪人よ、罪人よ』と。
神は罪人を造り給わざるが故にこの世に一人の罪人もあらず。

罪は神の子の本性に反す、病は生命其(それ)自身の本性に反す、
死は生命其自身の本性に反す、罪と病と死とは、
畢竟(ひっきょう)存在せざるものを夢中に描ける妄想(まよいのかげ)に過ぎず。
実相の世界に於ては神と人とは一体なり、
神は光源にして人間は神より出でたる光なり。

5862a hope:2015/10/01(木) 09:28:35 ID:cEpBaIdo
罪と病と死とが実在すると云う悪夢を、人間に見せしむる根本妄想は、
古くは、人間を塵にて造られたりと云う神学なり。
人間は物質にて造られたりという近代科学なり。
これらは人間を罪と病と死との妄想に導く最初の夢なり。
この最初の夢を摧破するときは 罪と病と死との根本原因は摧破せられて その根本の無に帰するなり。

汝ら『生長の家』を読んで真理を知り病の癒ゆるは この最初の夢の摧破せらるる故なり。
この最初の夢なければ 次の夢なし。
悉(ことごと)く夢なければ本来人間清浄なるが故に 罪を犯さんと欲するも罪を犯す事能わず、
悉く夢なければ自性無病なるが故に 病に罹らんと欲するも病に罹ること能わず、
悉く夢なければ本来永生(かぎりなきいのち)なるが故に死滅すること能わず。
されば地上の人間よ 心を尽くして自己の霊なる本体を求めよ、
これを夢と妄想との産物なる物質と肉体とに求むること勿れ。

キリストは『神の国は汝らの内にあり』と云い給えり。
誠に誠にわれ汝らに告げん。
『汝らの内』とは汝ら『人間の自性』なり、『真の人間』なり。
『汝らの内』即ち『自性』は神人なるが故に 『汝らの内』にのみ神の国はあるなり。
外にこれを追い求むるものは夢を追いて走る者にして 永遠に神の国を得ること能わず。
物質に神の国を追い求むる者は 夢を追うて走る者にして 永遠に神の国を建つる事能わず。

キリストは又云い給えり、『吾が国は此の世の国にあらず』と。
此の世の国は唯影にすぎざるなり。
常楽の国土は内にのみあり、内に常楽の国土を自覚してのみ 外に常楽の国土を其の映しとして顕現せん。
内に無限健康の生命を自覚してのみ 外に肉体の無限健康は其の映しとして顕現せん。

人間の五官はただ『写しの世界』を見るに過ぎず。
『写しの世界』を浄めんと欲すれば心の原版を浄めて 迷いの汚点を除かざるべからず。
われ誠に物質の世界の虚しきを見たり、物質の世界が影に過ぎざることを見たり。
われはまた人間が神より放射されたる光なる事を見たり。
肉体はただ心の影なる事実を見たり。

汝ら、物質は移りかわる影にすぎざること 恰も走馬灯に走る馬の如し。
されば、影を見て実在となすことなかれ。
人間真性(そのもの)はこれ神人、永遠不壊不滅の霊体にして 物質をもって造り固めたる機械にあらず、
また物質が先ず存してそれに霊が宿りたるものにもあらず、斯くの如き二元論は悉く誤れり。

5863a hope:2015/10/01(木) 09:29:16 ID:cEpBaIdo
物質は却ってこれ霊の影、心の産物なること、恰も繭が先ず存在して蚕がその中に宿るに非ずして、
蚕が先ず糸を吐きて繭を作り 繭の中にみずから蚕が宿るが如し。
人間の真性は先ず霊なる生命にして 心の糸を組み合わせて肉体の繭を造り
その繭の中にわれと吾が霊を宿らせて、はじめて霊(ことば)は肉体となるなり。

汝ら明らかに知れ、繭は蚕に非ず、然らば肉体は人間に非ずして、人間の繭に過ぎざるなり。
時来たらば蚕が繭を食い破って羽化登仙するが如く、人間もまた肉体の繭を食い破って霊界に昇天せん。
汝ら決して肉体の死滅をもって人間の死となす勿れ。
人間は生命なるが故に 常に死を知らず。
想念(こころ)に従い 時に従い 必要に従いて 肉体と境遇とに様々の状態を顕わせども、
生命そのものは病むに非ず、生命そのものは死するに非ず、想念(こころ)を変うることによって
よく汝らの健康と境遇とを変うること自在なり。

されど汝ら、ついに生命は肉体の繭を必要とせざる時到らん。
かくの如きとき、生命は肉体の繭を食い破って 一層自在の境地に天翔けらん。
これをもって人間の死となすなかれ。
人間の本性は生命なるが故に 常に死することあらざるなり。


――かく天使(てんのつかい)語り給うとき、虚空には御妙の天楽の声聞え、
葩(はなびら)は何処よりともなく雨ふりて、天の使いの説き給える真理をばさながら称(たた)うるものの如くなりき。     

(聖経終)

5864a hope:2015/10/01(木) 09:39:18 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第37回 web誌友会 案内

期間   10月1日〜10月31日まで

テキスト 「生命の實相」第21巻 第4章
      「生命の實相」第22巻  聖語篇/精神分析篇

内容   『人間の実相および仮相』
       『智慧の言葉』 『精神分析による心の研究』
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5865a hope:2015/10/01(木) 10:06:17 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p155 後から7行目〜

救ってやろうという働きは真理の発した救いの言葉、仏教で言えば弥陀の本願力である。
その本願力は霊眼、霊耳の開けた人に分かって姿が見えるのです。
また姿が見えなくとも、その人が救いの本願力を振り向けられ、真理の言葉を口で語り、
筆に現してゆくことにすればそれによって、多くの人が救われるということになってくるというのは、
真理を取り次ぐ人の言葉はもう肉身の自分がいう言葉ではなく、真理みずから神みずからが語る言葉であるからであります。

5866a hope:2015/10/01(木) 10:07:33 ID:cEpBaIdo

>>5865 a hope所感)

<<真理を取り次ぐ人の言葉はもう肉身の自分がいう言葉ではなく、真理みずから神みずからが語る言葉であるからであります。>>

生長の家の「聖経」「聖典」と呼ばれている書物は、それを拝読するだけでたくさんの人々が救われてきました。

なぜなら、執筆者である谷口雅春先生御自身が、唯神実相を完全に悟られて神さまの言葉を真っ直ぐに伝える能力、
つまり霊眼、霊示などの霊覚をお持ちの方だったからなのですね。

5867a hope:2015/10/01(木) 10:14:46 ID:cEpBaIdo
訂正  ×つまり霊眼、【霊示】などの霊覚 → ○つまり霊眼、【霊耳】などの霊覚

5868a hope:2015/10/02(金) 09:57:55 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p157 7行目〜

神の救いは、衆生が救ってほしいというその時代に相応する姿であらわれるのです。

神は要するに時代に相応して教祖というものを遣わしたまいて、それを通じてわれわれに現われられる。

だから、すべての宗教の教祖は天の使であると言えるのです。

肉体はどんな服装をし、容貌をしていましょうとも、真理を語る人には真理が宿っておる。

だから、その「内なる人」は天の使であり、霊眼の見える人が見たら後光が見えたり、キリストの姿が見えたりするのです。

いくら神の救いの念波を送られても霊智、心眼の開けていない人々にはそれが見えもしないし、聞こえもしないのですから、それを聞くことのできる、見ることのできる人を通して、教祖を通して、時代に相応して救いが現されるということになるのです。

5869a hope:2015/10/02(金) 10:06:30 ID:cEpBaIdo

>>5868 a hope所感)

いったい「生長の家」の教祖って誰なんでしょうか?

谷口雅春先生は「生長の家教団」の創始者であって、教祖とは呼ばれてていないような気がするのですが・・・。

キリスト教においては、肉体のキリストではなくて、永遠(実相)のキリストが天の使(てんのつかい)だったのであれば、
「生長の家」においては、肉体の谷口雅春先生ではなくて、永遠(内なる)の谷口雅春が天の使だったということになります。

ならば「生長の家」の教祖は、永遠の谷口雅春 永遠のキリスト 生長の家の大神 となって、肉体人間の谷口雅春先生を指しているのではないですよね?

どなたか、ご指導をいただけるとうれしいです。

5870トキ:2015/10/02(金) 10:47:18 ID:Kttdv9Ec
>>5869

 谷口雅春先生は、「私は教祖ではありません。みなさんと同じ一求道者です。」
と言われていました。

 ただ、終戦後、公職追放で谷口雅春先生が教団の役職から解任された時期に、
、部内で谷口雅春先生をどう呼んだら良いか困ってしまい、一部の信徒さんが
谷口雅春先生を教祖先生と呼んだ事があったみたいです。が、その呼称は先生
の復帰と同時に消えたと聞いています。

 生命の実相第1巻に、ある青年が神想観中に「神がかり」になり、谷口雅春先生
の執筆中のお姿が、指導神に変化した姿をご覧になられていますが、それが参考に
なるのではないか、と考えています。

 私が青年会時代に接した古い直弟子の先生方も、谷口雅春先生を心から尊敬し、
愛しておられましたが、神格化したり、崇め奉るというような姿勢ではなかった
と記憶しています。

 肉体人間の谷口雅春先生は偉大な存在ですが、生長の家の教祖は、あくまでも
霊的な存在だと考えるべきかと思います。

 出先からの投稿なので、簡単になり、失礼をします。

5871a hope:2015/10/03(土) 08:41:02 ID:cEpBaIdo

>>5870 トキさま

<< 肉体人間の谷口雅春先生は偉大な存在ですが、生長の家の教祖は、あくまでも
霊的な存在だと考えるべきかと思います。>>

お返事をありがとうございます。
わたしもそんな気がしていますし、谷口雅春先生御自身が聖典の中でなんどもそのことをおっしゃっていますよね。

ですが、谷口雅春先生を生長の家の教えの祖(教祖)だという考え方をしてしまう方々は、
その霊的存在(神)のことは理解できないということでしょうか・・・?


時々、すごい唯物論者であっても、ある日突然、自分自身に劇的な霊的体験がおとずれて、
神(霊的存在)を信じるように転身するという実話がありますよね?
スターデイリーなんかもその一例ですが、昔は、「生長の家」の講話を聴いたり「生命の實相」を拝読するだけで、
そのような霊的体験をする人が続出していたようですね。

宗教とはその「真理」を心から信じるか、信じないかで結果に大きな差が出て来るものだと感じでいます。

「生長の家」の聖典は「生命の實相」ですし、中心真理は「唯神実相」ですから、
わたしはそのことだけを信じて、これからも「生長の家」を信仰していきたいです。

5872a hope:2015/10/04(日) 10:36:21 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p161 8行目〜

日蓮上人の弟子になるということは、何も坊さんになるということではありません。

お寺の坊さんになって、死骸に念仏を称えることが日蓮上人の弟子になることだなんて飛んでもない話です。

日蓮上人は『立正安国論』を書かれ、そして日本国をば本当に生かすべき道を教えられた傑僧(けっそう)です。

だから本当の日蓮上人の弟子は、生長の家により、『法華経』の神髄を理解して、その教えに従い、本当に日本国を生かす者でなければならないはずです。

ですから、日蓮上人の弟子になることは坊主になることではありません。

あなたも言われたように、『法華経』の神髄を解くものが生長の家です。

それを知らすために観音様があなたに『主婦の友』を読めと言われた。

それなら、『法華経』の神髄である生長の家の教えをそのまま行って、日本国の杖となり、柱となる人間になることこそ本当の日蓮上人の弟子になることではありませんか。

子供を坊主にしなかったということで思い煩(わずら)う必要はない。

あなたは帰ってお子さんに『生命の實相』をよく読ませ『法華経』の神髄を体得させ日本国の柱になるような人間に要請しなさい。

これこそ真(しん)に日蓮上人の弟子になる道です。

あなたはこれまで、日蓮上人の弟子になるということを思いちがいしておられた。

それでそのことを気づかせるためにあなたが普段信仰していられる観世音様のお声が聞こえたのであります。

こういうように観音様と生長の家の神様とは連絡がある。

いな、同じ神様が時と場所と人とに応じて、観音様とも現われ、キリストとも現われ、生長の家の神様とも、現われるのです。

5873a hope:2015/10/04(日) 10:37:55 ID:cEpBaIdo

>>5872 a hope所感)

なんだかこのあたりには、すごく深い教訓が述べられているような気がします。
つまりは、日蓮上人の弟子であるということは日蓮上人と同じように僧侶になることではなくて、
日蓮上人が示された「道」つまり本当に日本国を生かすべき道を歩む者であることなのですね。

その実現方法として、谷口雅春先生は

<<それなら、『法華経』の神髄である生長の家の教えをそのまま行って、日本国の杖となり、柱となる人間になることこそ本当の日蓮上人の弟子になることではありませんか。>>

とおっしゃっておられます。

さらに、

<<あなたは帰ってお子さんに『生命の實相』をよく読ませ『法華経』の神髄を体得させ日本国の柱になるような人間に養成しなさい。>>

と相談者の方にアドバイスされています。

つまり、『法華経』の神髄=『生命の實相』なんですね!!

では、これをわたしたち「生長の家」を信仰し、また、谷口雅春先生のご遺志であった日本国実相顕現を望んでいる信徒に置き換えて考えてみると、

<<それなら、『生命の實相』である生長の家の教えをそのまま行って、日本国の杖となり、柱となる人間になることこそ本当の【谷口雅春】の弟子になることではありませんか。>>

<<<<あなたは帰って『生命の實相』をよく読み生長の家の教えを体得し日本国の柱になるような人間になりなさい。>>

ということになりませんか?

我こそはまことの谷口雅春先生の弟子であるというのであれば、やはり「生命の實相」を何百回も拝読し、
その教えの神髄である『唯神実相』を体得していなければいけませんね。

わたし、がんばろーっと。

5874トキ:2015/10/04(日) 11:36:02 ID:mVHM0jU.
 そうですね。戦前の誌友の方などは、谷口雅春先生に、まるで父親のような感情を
持っておられました。が、組織が大きくなり、信徒の数が増えると、雰囲気として
信徒の側が勝手に崇めるような雰囲気になったのも事実です。直弟子の東山半之助先生
は、著書「ざっくばらん」の中で、こういう風潮に苦言を呈しておられました。

 昔は、谷口雅春先生が講習会などで地方に行かれると、信徒さん全員を囲んで、みんな
で会食をされたみたいです。その写真も残っています。

 特に、現在では、大半の信徒が、谷口雅春先生を存じ上げない方ですから、これは
仕方がないかもしれません。

 しかし、谷口雅春先生の本心は、一人一人が「神の子」の自覚を得ることだと考え
ます。

5875a hope:2015/10/05(月) 10:15:57 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p166 8行目〜

生長の家では、天地一切のものと和解せよと、説いています。

しかしこれも和解という言葉にひっかかってはならない。

和解という一筋道に凝り固まるとかえって衝突することもある。

何事も和解、和解、とその一本道に乗っていると、医者が病苦で弱って自分で死にそうだと言っている患者を診察して、患者の悪い症状と和解したつもりで「あなたは大変熱が高い、もう死にそうだ」などと言ってごらんなさい。

医者はいかにも病人の意見とは和解したことになるでしょうが、そのために患者を生かすことはできないでありましょう。

そのために患者を生かすことはできないでありましょう。

また、すべての人と和解せよ、と言うと、敵が攻めて来ても、それに手向かうことは和解にならないというので、こちらは少しも防ぐこともせずに、ただ頭を下げている――そうしたら結果はどうなるか、敵に踏み躙(にじ)られて滅びてしまうことになる。

そのように、「こうせねべならぬ」という窮屈な一本のレールの上に乗っていたら、他人も生かされないし、自分も滅びてしまわなければならない。

それでは真理を明らかにすることもできないのであります。

それでは本当の道ではない。

5876a hope:2015/10/05(月) 10:18:35 ID:cEpBaIdo

>>5875 a hope所感)

「天地一切のものと和解せよ」とは、実相世界の一切のものとの和解であって、現象に現れている仮相や虚説に和解するということではないのですね。

ですが、わたしたちのほとんどは実相を悟っていないわけですから、何が実相で何が仮相なのか、何が真説で何が虚説なのかハッキリわからない・・・。

そこで、聖典のお言葉や、過去の谷口雅春先生のされた運動などを指針として、自分なりの解釈をして、
自分なりの運動を展開してしまうのだと思います。

ですが、そのような人まねの運動では本当ではないようですね。

続けて謹写していきます。

5877a hope:2015/10/05(月) 10:43:56 ID:cEpBaIdo
>>5875 つづき)

「生命の實相」第21巻 p167 3行目〜

本当の道というのは、一つに凝り固まってしまうものでなく、機に応じて縦横無尽に姿を変じ、それによってすべてが生かされる道でなければならないのです。

ある時は観世音菩薩のごとく優しくあることも必要だし、またある時は不動明王のごとき権威をもって起つことも必要なのです。

常にこうでなければならないというのではない、臨機応変、無礙自在に動きうる道でなければならない、そうあるのが本当の道であって、その本当の道にのった生活をすることが大切なのであります。

では、どうしたら一つに凝り固まらない自由自在な本当の道にのることができるかと言いますと、それは実相に入ること、すなわちわれわれの実の相を悟ることであります。

いつも言いますように、われは神の子なり、という実相をしっかりと摑(つか)んだ時に、自然に、自由自在な実相が顕れて、無礙自在な本当の道を、生きて歩むことができるのであります。

5878a hope:2015/10/05(月) 10:45:51 ID:cEpBaIdo

>>5877 a hope所感)

谷口雅春先生がされていた過去の運動の数々は、過去のその時点では正しい運動だったかもしれませんし、社会的影響力も強かったかもしれません。

ですが、現在の社会状況の中でその運動をそのまま展開するというのは、それは違うような気がします。

<<いつも言いますように、われは神の子なり、という実相をしっかりと摑(つか)んだ時に、自然に、自由自在な実相が顕れて、無礙自在な本当の道を、生きて歩むことができるのであります。>>

やはり、まことの「生長の家の運動」を展開するには、まずは「実相」の悟りを得ることが必要なのではないでしょうか?

そうでないと、何をやってうまくいかないと思います。

5879a hope:2015/10/06(火) 08:25:53 ID:cEpBaIdo

「生長の家」第21巻p171 後から6行目〜

要するに観世音菩薩も、普賢菩薩も、キリストも、また生長の家の神様も、皆神すなわち真理より出でたる光であり、人間もまた真理すなわち神より出でたる光であるのですから、要するに人間は、キリスト、釈迦と同じものである。

衆生の一人一人としてここにいながら、実は現象界のここにいることなく、実相界に釈迦、キリストと等しき仏または神の子としているのであって、現象の人間はただそれを知らないだけなのであります。

それを知らないから、神に頼れと言うと、自分とは別の、どこかの、天にまします神とか、宮にまします神とか、仏像とか、自分を離れた何物かに頼らなければならないように考えるのです。

5880a hope:2015/10/06(火) 08:27:09 ID:cEpBaIdo

>>5879 a hope所感)

それでは、本当に「神に頼る」とはどういうことなのでしょうか?
謹写をつづけます。

5881a hope:2015/10/06(火) 08:28:17 ID:cEpBaIdo

>>5879 つづき p172 2行目〜

しかし神に頼れというのは、何も余所(よそ)のものに頼りなさい、と言うのではない。

あなたの実相をみよ、釈迦でありキリストである――なんじの真性を見よ、その真性に委(ま)かせきれということであります。

あなたと神とは別々のものではない、あなたの奥が(奥とか内とかいうと、中に小さく種のように含まれているようですが、そうではない)、あなたの実が、実の相(すがた)がすなわち神である。

実の相(すがた)に委かせきったら嘘の相である不完全な状態は消えてしまうとこういうのであります。

5882a hope:2015/10/06(火) 08:29:18 ID:cEpBaIdo

>>5881 a hope所感)

すごい真理ですね!!!

5883トキ:2015/10/06(火) 21:13:47 ID:ODqgl6hw
 素晴らしい真理を書いてくださり、ありがとうございます。

 本当におっしゃる通りだと思います。生長の家の基本というのは、一人一人が
「人間 神の子」である、というところから出発するのだと思います。そういう
人が、社会に増えることで、世の中が良くなる、国も栄える、というのが運動の
基本だと思います。

5884a hope:2015/10/07(水) 08:46:06 ID:cEpBaIdo

>>5883 トキさま

そうなんですよね。
生長の家の運動って、本当はそういうことなんですよね。
聖典を拝読ればするほど、それしかないってわたしは確信が強くなるばかりなんですが・・・。

現在の「生長の家」教団総裁である雅宣先生や純子先生は、
この「人間 神の子」というお言葉をほとんど発言されませんね。

5885a hope:2015/10/07(水) 08:47:01 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p172 7行目〜

実相としてのわれわれに神人と本源唯一の神との関係はちょうど、日光と日光を発する太陽とのような関係である。

光のない光の源はあるはずがないと同時に光があればそれには、必ず源があるのであって、源のない光もあるはずがない。

要するに光と光の源とは離すことのできない一つのものであって、神という源を知れば、それからでた人間も光であり光源である神と、光である人間とは本来一つであって、決して別々なものではないことが分かるのであります。

その光は物質的光ではない。

太陽の光線を例に引いたのは喩(たとえ)であります。

で、「神は霊なるが故に人間も亦霊なるなり、神は愛なるが故に人間もまた愛なるなり。神は智慧なるが故に人間も亦智慧なるなり」とありますように、われわれが神から出でた物質的光ではなく、霊の光、愛の光、智慧の光であります。

5886a hope:2015/10/07(水) 08:49:33 ID:cEpBaIdo

>>5885 a hope所感)

<<光のない光の源はあるはずがないと同時に光があればそれには、必ず源があるのであって、源のない光もあるはずがない。
要するに光と光の源とは離すことのできない一つのものであって、神という源を知れば、それからでた人間も光であり光源である神と、光である人間とは本来一つであって、決して別々なものではないことが分かるのであります。>>

わたしは、ここの場所を拝読するたびに、何度でも感極まって涙が流れてしまいます。
どんなに悪人に見える人でも、どんなにミジメに見える人でも、どんなに意地悪をする人でも、
すべての「人間は神より出でた、光そのもの」なんですね・・・。

この「甘露の法雨」の『人間』の項目の解説である第四章には、人間の実相とは何なのかがとても詳しく説明されているので、
読み飛ばしができません。

この後、「愛」についての説明が続きます。
神の愛である『法愛』と肉体人間の『執愛』の違いがよく解ります。

じっくり何度でも拝読したいと思います。

5887トキ:2015/10/07(水) 21:38:30 ID:2YkAhnD.
 臨死体験をした人の多くが、死後の世界で、大いなる「光」を見た、という
報告をされています。その光は、慈愛に満ちており、どの人も安心して受け入
れられるとも言われています。

 臨死体験をした人が見た「光」と、谷口雅春先生が説かれた「光」が同じ
か、違うか、それはわかりません。しかし、近い存在のような印象は持って
います。

 ネイティヴ・アメリカンの人たちが「人類が忘れたもののために、祈れ」
と言っていますが、私たちの祈りは、人間が神の子であることを思い出す
ことが大事なのだと感じます。

5888a hope:2015/10/08(木) 10:34:28 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 第21巻 p173 後から3行目〜

・・・この「法愛」が要するに本当の神の愛、実相の愛ということであって、実相の愛とは、すなわち自他一体の愛であります。

愛というのはすべて他と自分とが本来一つであると観ずることです。

たとえば、親が子供を愛するというのでも、子供とわれとは一体であると自覚することから起こるのでありますし、あるいはある男性が女性を愛するというのでも、わたしはあの人と一体である。

あるいは一体になりたいという念を持つことなのであります。

ところがこの愛が一人一人というように、少ない範囲に凝り固まってししまったときに、それは「執愛」になってしまって「法愛」にはならない。

ではどういうのが「法愛」であるかといえば、何にも執しないで、天地の流れそのままに、自由自在に愛すること、これすなわち「法愛」でありまして、何かに執する愛は自在ではないから「法愛」ではないのであります。

5889a hope:2015/10/08(木) 10:35:47 ID:cEpBaIdo

(.>5888 a hope所感)

肉体をもった人間としてこの現象世界に投影されているわたしたちの中に、この「執愛」を少しも持たない人間が果たして存在するのでしょうか?

母親であれば自分の子供と他人の子供がいれば、自分の子供をより愛してしまうのが当然の本能だと思いますし、
また、男性であれば戦場で窮地に陥れば相手を攻撃してしまうというのも、自分を護るという自然の本能ですよね?

肉体人間の持って生まれた「本能」を手放したときに、神の「法愛」が実現するというのでしょうか・・・?

5891a hope:2015/10/08(木) 14:06:08 ID:cEpBaIdo
>>5890

それでは、今日はお仕事がお休みなのでお返事させていただきます。

あの夜、返事をしなかったのは、>>5810の投稿の後に今月のweb誌友会のテキストの内容からかけ離れた
内容の投稿がずっと続いてたためにこの板の混乱を避けるためにお返事をしなかったのです。


わたしは、今まで雅宣先生や純子先生個人の生き様を批判したことなど一度もありません。

ただし、「生長の家」の法灯継承者としての「教義」内容の変更や、
その変更に伴う「森での生活」やソーラーパネル等の物質的手段に頼った環境保護運動への批判はさせていただきました。

ですが前にも一度言いましたが、今は「おかしい(虚説である)」とは思っていますが批判していません。

ここはweb誌友会板ですので、これ以上のお返事は控えさせてただきます。

5893a hope:2015/10/08(木) 14:55:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p174 7行目〜

「執愛」でも愛には違いはないのですけれど、それは捉われている愛でありますから、それでは、あらゆる時にすべての人を生かす力は出て来ないのであります。

自由自在にあらゆる物を千変万化しながら、その実相を生かす。

これが法愛であり、神の愛であります。

施しをするのでも執着の施しと法施とがある。

執着の施しは誰々には何々をやりたいが、誰々には何々をやりたくないというような、人に物を凝り固まった偏寄った愛であります。

人に物に偏寄らないで一様に実相を生かすのが法施であります。

先刻、「道の道たるは道に非ず」ということを申しましたが、ここでは「愛の愛たるは愛に非ず」ということも言えるのであります。

ただ子供がかわいいからいたわるというのは盲目的な親の愛で、かえって愛するがゆえに愛するわが子を害している場合も多々あるのであります。

なせ愛するがゆえにかえって愛する者を害するなどということになるかといえばその愛が執愛であるからで、愛とはやたらにいたわりかわいがるということだという一本のレールの上に乗ってしまっているからで、その一本道のほか融通がきかない、そのためにせっかく愛しながらかえって愛する者を生かすことができないということになるのであって、それは法愛ではない。

法愛というのは無軌道電車みたいなもので、レールははずれても決してひっくり返らないで平気で走って行けるような自由自在な愛になって、はじめて相手を生かすこともできるようになるのであります。

5894a hope:2015/10/08(木) 14:57:19 ID:cEpBaIdo

>>5893 a hope所感)

きっとわたしたち現象人間は、『「自由自在な愛」仕方』を学ぶためにこの人生で色々な人間関係の経験を積むのですね。

子供が自分の思い通りにいうことを聞かないだけでパニックをおこしてしまうようでは、
わたしなんてまだまだなのでしょうね (;´∀`)

ですが、すべての経験は魂を向上させるためにあるのですから、その様な経験も決して無駄ではありませんね!

「自他一体の愛」「自由自在の愛」「相手を生かす愛」=法愛

わたしたちが目的とすべく、究極の「愛」ですね!

5897a hope:2015/10/08(木) 16:02:14 ID:cEpBaIdo
>>5859

<<ホープさんは「教えを広めさえすれば環境問題は解結する」といっておられるが>>

↑のような発言はわたし a hopeはしていません。


トキさま

>>5895>>5896は、わたしの正しい発言をもとにした投稿ではありませんので、削除、または別板への移動をお願いします。

5899a hope:2015/10/08(木) 16:49:08 ID:cEpBaIdo

ここでのわたしの所感は、あくまでも、テキストである「生命の實相」の真理を学んだうえでのわたしなりの解釈です。

その解釈に間違いがあるのなら、どうぞご遠慮なく聖典「生命の實相」の真理をもとにご批判ください。

ここは、「生命の實相」の真理を学ぶ誌友会です。

「生命の實相」の真理をご批判する投稿は、トキさまにすべて削除していただきます。

5901a hope:2015/10/08(木) 16:59:56 ID:cEpBaIdo

>>5900

わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理でぜひご批判ください。

聖典「生命の實相」の真理の研鑽こそが、このweb誌友会を開催している一つの大きな目的なのですから・・・

どうぞよろしくお願いいたします。

5902通りすがり:2015/10/08(木) 18:01:11 ID:eRL0Pjck

生命の實相は、相手の間違いを批判するために、あらせられるのではない。

生命の實相は、神殿であり、その他のなにものでもない。

私達は神そのものである。

生命の實相は、私達の實相そのものである。

生命の實相の学びは、まさに私達の内にそのものに宿る神の叡智と、神殿なる生命の實相の饗宴のように感じる今日この頃である。

5903a hope:2015/10/08(木) 18:10:59 ID:cEpBaIdo
>>5902 通りすがりさま

すばらしい真理のお言葉をありがとうございます!

通りすがりさまのおっしゃる通りなので、自分の浅はかな発言を取り消します。

×『わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理でぜひご批判ください。』
               ↓
○『わたしの解釈(考え方)が間違っていれば、聖典「生命の實相」の真理の言葉(光)でわたしの「迷い」を消してください。』

みなさま どうぞよろしくお願いいたします!!

5904通りすがり:2015/10/08(木) 19:07:53 ID:FF/vzSxM
a hopeさん

あなたはとても素直な方ですね。時折、こちらを通りすがり拝見致しておりますが、あなたの学びの探求心には、感心致しております。

子供が思うようにならないのは、ある意味当然ですね。

親とは言え、親子ともに人格は別ですから、我が子は人生の師と観を転換したら面白いですよ。

しかし、あなたの生命の實相、あなたが神様そのものであらせられるからこその、素晴らしい探求心だと思います。これからも頑張ってください。


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