したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

Web誌友会 板/2

1トキ:2013/01/20(日) 11:50:32 ID:UVsStHb2
「今の教え」と「本流復活」を考える・「web誌友会」 板 です。

*web誌友会についての話題は、このスレッドでお願いします。

 このスレッドは、生長の家信徒の人達のweb誌友会のために作成したスレッドです。

 上記に関連する話題なら、狭く解釈しないで、広く受け付けます。また
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、基本的に生長の家の教義と谷口雅春先生の説かれた教え
を支持、共鳴する人のためにサイトです。生長の家の信仰と谷口雅春先生へのご批判をされる内容
の投稿はご遠慮下さい。
 投稿の削除はしない方針ですが、アダルトサイトや出合い系サイトの勧誘を含む内容など
明らかに目的外の投稿は、削除の対象となります。明らかな他団体や特定の霊能力者の宣伝となる投稿も削除の対象になります。
 目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
ご理解下さい。


投稿に当たっての注意点

*このサイトは、「生長の家“本流宣言”掲示板」等と違い、自分の発言を自分で削除できません。
 削除御希望の場合は、管理人までご一報下さい。(削除要請は、削除希望の記事を投稿したのと同じ端末から投稿をして下さい。)
*必ず、スレッドのトップにある「掲示板の使い方」をご覧下さい。
*インターネットのサイトという性質上、不特定多数の人が閲覧します。プライバシーに触れる問題
 や名誉毀損の可能性のある表現などは、控えて下さい。
*サイトの運営方針としては、削除は原則としてしない方針です。他者の投稿が問題のある投稿だと感じた場合は、
「削除要請」ではなく、ご自分の意見を投稿するという方向での解決をお願いします。
*生長の家の共鳴者を対象にしたスレッドです。下品な表現や特定の人物を侮辱する言葉はご遠慮下さい。
 たとえ、自分と違う意見の人でも、敬称はつけましょう。相手に対する敬意と礼儀を忘れない様に
 お願い申し上げます。
*谷口雅春先生への批判は、目的外ですので、投稿をしないで下さい。
*「したらば」は長文の書き込みをした場合、一部が表現されない場合があります。その場合は、「下部左
 部分」にある「全部読む」を押して下さい。

このサイトについて

*宗教法人「生長の家」、「谷口雅春先生を学ぶ会」「ときみつる会」「生長の家社会事業団」「新教育者連盟」
 などの諸団体とは関係はありません。
*「ポスティング ジョイ」や「生長の家“本流宣言”掲示板」などのサイトとは一切関係がありません。

管理人からのお願い

*投稿者の身元の詮索は止めましょう。ただし、最初に簡単な自己紹介をして下さると、後のトラブル防止になります。
*「工作員」も歓迎します。同時に、特定の人を「工作員」などと議論をする事はしないで下さい。
*教団援護派、本流復活派、中間派、分裂肯定派など、どなたも歓迎します。また、相手の存在そのものを否定するような内容
 の反論はしないで下さい。
*議論が感情的になった場合は、管理人がストップをかけます。その時は、協力をお願いします。
*その他、ご不明の点は、管理人である「トキ」まだお尋ね下さい。

 原則として、身元がわかるような内容の自己紹介は避けたほうが無難です。

身元をかくすため、多少の作為(年齢を少しごまかす、住まいを変える)は、悪意がない限り、問題とはしません。

どの立場でも、(教団援護派、学ぶ会など)歓迎しますから、それは明らかにしても大丈夫です。

削除について

 投稿した文章を削除して欲しい場合は、削除希望の文章の番号を書いて、同じスレッドに、同じ端末
から「削除要請」と書いて、投稿して下さい。削除要請の文章も削除して欲しい場合は、其の旨も書いて
下さい。削除は、原則として、投稿者本人からの要請があるものに限ります。管理人が気がついたら、削除
しますが、深夜早朝や用事のある時は、気がつくのが遅れる場合があります。ご理解下さい。

 出会い系サイト等のリンク、明らかに目的外の投稿、他団体の宣伝、犯罪を予告する書き込み等以外は、削除はしません。
それ以外で、問題となりうる投稿は、原則として、相談の上で、削除します。

 その他、御不明の点は、お気軽にお尋ね下さい。

管理人「トキ」 敬白

5906a hope:2015/10/08(木) 22:55:52 ID:cEpBaIdo

通りすがりさま

あたたかい励ましのお言葉をありがとうございます。

このweb誌友会板は参加者は多くありませんが、トキさまはいつもあたたかくわたしを応援してくださっていますし、
通りすがりさまのような生長の家の大先輩方がたくさん見守ってくださっているとわたしは信じているので安心して発言ができるのです。

>>5902のご忠告には本当に感謝しています。


また>>5904

<<子供が思うようにならないのは、ある意味当然ですね。
親とは言え、親子ともに人格は別ですから、我が子は人生の師と観を転換したら面白いですよ。>>

とのアドバイスには、目から鱗が落ちたような気分になりました。

「立ち向かう人はすべて自分にとって何かを教えてくれる人生の師である」という真理はわかっていた筈なのに、
なぜか、自分の子供たちだけは自分の責任でなんとか育て上げなければいけないんだという自分自身の我執(執愛?)に気がつくことができました。

わたしの子供たちはすばらし「神の子」でした。
これからは自分の子供たちもわたしの人生の師であると尊敬したいと思います。
そう観の転換をしてみると、不思議ですがなんだかとても気持ちが楽になりました!


通ろすがりさま

わたしは、これからも今までどおりトキ掲示板で「生命の實相」を学び続けていきますので、
これからもあたたかく見守ってくだささり、また、時には今回のようにご忠告やアドバイスをいただけるととれも嬉しいです。

どうぞよろしくお願いいたします。 合掌。

5907a hope:2015/10/08(木) 23:16:12 ID:cEpBaIdo
>>5905

<<わたしの正しい発言をもとにした投稿ではありませんので、削除、または別板への移動をお願いします。>>

の発言を撤回するつもりはありません。

「教えを広めさえすれば環境問題は解結する」という内容と、

わたしの正しい発言である、

<<人類が聖典「生命の實相」の拝読をして唯神実相の考え方になれば環境問題の解決につながりますよ。
環境問題なんて本来無い現象なんですから・・・。>>

の二つの内容は全く違いますから。

5908通りすがり:2015/10/08(木) 23:21:15 ID:hhzAW3mE
a hopeさんへ

5902は、忠告ということではなく、書かざるを得ない不思議な感覚で、入力した次第です。

時折、思い出したように通りすがりますので、また拝見にまいります。
その時は、1言何やら残すこともあるやも知れません。
ただ、私は講師でも何でもありませんので、気軽に接してやって下さい。

こちらこそ、よろしくお願い致します。

5914a hope:2015/10/09(金) 10:03:57 ID:cEpBaIdo

ここでのわたしの所感は、あくまでも、テキストである「生命の實相」の真理を学んだうえでのわたしなりの解釈です。

その解釈に間違いがあるのなら、どうぞご遠慮なく聖典「生命の實相」のお言葉(光)でその「迷い」を消してくださいね。

ここは、真剣に「生命の實相」の真理を学ぶ誌友会です。

この板の秩序を保つため、テキストの内容と無関係な投稿は、今後トキさまにすべて削除もしくは別板への移動をお願いするつもりです。

5918a hope:2015/10/09(金) 10:46:00 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第21巻 p180後から4行目〜

生命の霊性、愛、智慧というものは、いかなる大科学者がいかなる装置で物質を捏ね合わしても発現するものではない。

生命は霊なる愛なる智慧なる神からのみ来るのであります。

この神から来た生命の霊性が現象世界に投影したのが、現象生命である。

この現象生命はどういう状態で現象界に存在に入るかというと一つのバイブレーションとして存在するのであります。

このバイブレーションを客観的に観察すると一つの念体である。

霊魂または霊体というのはこれであります。

物質は実相宇宙の投影が認識作用によってその霊妙性を捨象されて生じたバイブレーションの体でありますが、この物質の体に、現象生命の体が複合して、肉体人間としてあらわれているのであります。

だから人間は大別すると二種の体が重複しているのであります。

われわれは体が一つしかないと思っていますが、肉体と霊体とが重なり合って一つに見えているのであります。

5919a hope:2015/10/09(金) 10:47:32 ID:cEpBaIdo

>>5918 a hope所感)

この後には現象(肉体)人間が現象界に現われてくる仕組みがとても詳しく述べられています。
その時に、よく混乱してしまうのが、「霊体(霊魂)」と「霊」の違いですが、その説明は、p173にあります。

<<仏教では「霊」という言葉を使いませんが、神道やキリスト教では「霊」という字をよく使います。仏教では「霊魂」というものを否定してしまっていますので、「霊」という字を特に嫌う方があります。しかしこの「霊」というのは「物質を超越した」「物質に障礙せられぬ」「自由自在な」「不可思議な」「無礙な」というような意味をもっているので、必ずしも霊魂のことではありません。幽霊などでも、閉め切っておいても、無礙に不思議に室内へ闖入(ちんにゅう)して来るというので、霊妙不可思議なので幽霊と言うのです。「霊の光」という言葉が嫌いならば、不可思議光とか無礙光とか言えば仏教徒に喜ばれるでありましょう。同じことを指しながら、言葉で争うのはみっともよいことではありません。>>

つまり、谷口雅春先生は『霊魂・霊体・幽霊』という言葉は主に物質的現象で使われて、
『霊』という言葉は「物質を超越した」「物質に障礙せられぬ」「自由自在な」「不可思議な」「無礙な」というような意味でつかわれているようです。

ここのところは、霊魂の存在(スピリチャル)を否定する唯物論者にはとても理解しがたい箇所なのではないかと思います。

5950「訊」:2015/10/22(木) 10:04:53 ID:XHjRyBkA

 誌友会に無関係な投稿は、削除でよいのではないでしょうか。




5951トキ:2015/10/22(木) 10:17:39 ID:wrjEtJjs
>>5960

 ご提案、ありがとうございました。
近く、適当な時期に削除をさせていただきます。

合掌ありがとうございます

管理人敬白

5952「訊」:2015/10/22(木) 17:11:14 ID:pyt3hUfk


a hopeさんですが「かなり可哀相」です。このスレは例えば、雅春先生のファンが集う場ですよね。AKBファンクラブでAKB批判はナシですよ。どうしても批判したければ、「谷口雅春アンチ」なスレでも(一時的に)開始され、そこでされればよろしいと思います。(但し「論拠不在」のキリッ系投稿は「かなり笑えます」のでご注意!)

 と、まあ、雅春先生ファンが、雅春先生の御思想を「是」としてやり取りを進めるスレッドです。「非」から雅春先生にアプローチされる方は、他スレでやって頂きたいです。ムズカシイんですよ、司会って(笑)。妨害珍文を注意すると、「あなたは和解してない」とか言われるんですからね(笑)。「ウンコは食卓の上ではなくトイレで、それが和解です」「珍文は珍文掲載場へ。人地処の三相応を得るのが和解なんですからね」・・・・・・・・そんな説明をしても、読んでおりませんからまあ、いずれにせよ司会者のa hopeさんですが、「かなり可哀相」です。




5953a hope:2015/10/23(金) 10:15:20 ID:cEpBaIdo

>>5952「訊」さま

あたたかいご助言をありがとうございます。

このweb誌友会板は、谷口雅春先生の教えでもある聖典「生命の實相」の真理を学び合い、研鑽し合うための板だと認識しています。

ですから、わたしの所感や解釈がその「生命の実相の真理」を基準に考えて、間違っている場合はいくらでもご批判くださってかまわないのですが、
ここのところわたしの人格や言動への批判や、本来の「生長の家の教え(谷口雅春先生の教え)」とはかけ離れた投稿内容が続いていました。
(今はトキさまが削除してくださってありますが・・・)

ですから、再びわたしがこのweb誌友会で書き込みを始めることにより、またそのような板の目的とは違う投稿が開始されるのではないかと危惧しております。

わたしからみれば、一連のそのような内容の投稿は「生長の家の教え(谷口雅春先生の教え)」への反逆であり、その勉強会への妨害行為としか思えません。

5954「訊」:2015/10/23(金) 11:02:39 ID:Ug2XjY8s




 まあ、司会者批判が来るってことはそれだけ、「雅春先生のご思想には問題がないため」なんですよ(笑)雅春先生の御思想自体に問題あらば、反対者はそっちに向かうんですがデキナイんだもの(笑)で、それじゃ虚しいから「司会者を攻撃する」んです(笑)。

 「あ、この方は今、私を注意した!」

 と言って、そしてつづけて「和解してない!」

 と来ます。さらには和解してない(=自分基準の和解なんだけどw)を以て今度は「教えに潜む二項対立(キリッ)」と来ますから、虚しさがさらに加速します。

 まあホント、高級用語で粉飾してるからわかりにくいダケでして、反対者の論法カラクリは笑えるくらいに単純です。ところで「オズの魔法使い」?だったと思うけど、人々を脅してた魔女の裏側にいたのは「ちっちゃいおじちゃん」だったですよね?(笑)雅春先生の反対者って、あれです(笑)あの、「ちっちゃいおじちゃん」(笑)

 用語粉飾してるからオッ!ってなるだけでして内容精査すれば・・・・・・「ちっちゃいおじちゃん」(笑)雅春先生の思想そのものには反論できないから、司会者を攻撃して悦に入っているダケなんです(笑)





5956シャンソン:2015/10/23(金) 21:50:13 ID:U14Q8fEE

  掲示板でドロドロとした詮索と喧嘩の嵐
 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=4013

5957シャンソン:2015/10/23(金) 23:14:58 ID:OmuqqVZI
 誌友会関連者様へ

見ている人たちも、ここが何の版なのか、現在のテキスト・司会などが
どうなっているのか判然としないと思うので、誌友会のお知らせの再掲示をお願いします。

5958a hope:2015/10/24(土) 00:12:35 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第37回 web誌友会 案内

期間   10月1日〜10月31日まで

テキスト 「生命の實相」第21巻 第4章
      「生命の實相」第22巻  聖語篇/精神分析篇

内容   『人間の実相および仮相』
       『智慧の言葉』 『精神分析による心の研究』
     
☆ ☆ ☆ ☆ ☆


>>5957 シャンソンさま

ご指摘くださり、ありがとうございます。

5959a hope:2015/10/24(土) 09:08:25 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻  精神分析篇 「精神分析による心の研究」より

p112

「生長の家」は近代の精神分析をその教えの中にとり入れている。

精神分析が人間に与えた功績は、病気という象徴を通して、人の心の奥深く潜んでいる「迷い」に穿ち入り、その「迷い」(いろいろの欲望の紛糾)を掘り出して白日下にその正体を暴露し、その「迷い」を去り、欲望を正しくしたとき、ひとりでに病気の癒える事実により、病気とは「迷いの影」であり、「欲望の紛糾」の投影にすぎないことを科学的に明らかにしたことである。

諸君はここに語られたる病者の心理描写をただ興味本位に読んでしまうだけでなく、読みながら自分の心のうちに、この話のうちにある患者と同じ種類の「迷い」が潜んでいないかを反省し、反省し、「迷い」があればその「迷い」を捨て去り、懺悔の生活の上にあらわし、いろいろの虚偽や仮面や口実で修飾しなくともそのままで完全円満な「神の子」たる自己生命の実相を自覚せられたく希(こいねが)う。

ただしい生活は心を正しくし、正しい心は病を癒やすのである。

5960a hope:2015/10/25(日) 16:55:51 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p119〜

「病気でありたい意志」

患者の有する「暴露の抵抗」の性質について説明しておこう。

簡単に言えば神経症患者はその神経症に執着があるのである。

不思議とはいえ、患者の潜在意識は、自身のもっている病気を生活の必要品としていたわっているのである。

患者は悪の世界へ現実的に堕落するのを防ぐ防御癖として、その病気をこしられたのであり、同時に自分の病的な欲望を象徴的にその病気によって満足させているのである。

彼はこの病気なしには生活に耐えられないのである。

彼の隠れたる迷いの心は健康になることを恐れて、病気でいたいことを欲しているのである。

精神分析によって人間の心を研究したものでなければ、この不思議な「病気でありたい意志」を患者がもっているということは解しがたいであろう。

しかし多くの精神分析の結果によると、神経症患者は病気によって、周囲の人に対して暴力をふるい、勝利感を味わい、不快な仕事を避けようとしているのである。

このことは読んでいるうちに諸君にわかってくるであろう。・・・

5961a hope:2015/10/25(日) 16:57:24 ID:cEpBaIdo

>>5960 a hope所感)

わたしも、過去に神経痛を経験したことがあります。

とても痛くて、大変な思いをしていたので、まさか自分の潜在意識に「病気でありたい意志」が存在したとは信じられませんが、
思い当たることがあるのです。

それは、ちょうどその神経痛を患っていたときが、仕事で必要な資格試験の直前で、
その試験が、わたしにとってはかなり難しい試験だったので、そのことを相当なストレスに感じていたのです。

そして、当時のわたしの主治医の先生は診察の度に、「その神経痛は、その試験が終われば治るよ」と言っていました。

そして、本当に、試験が終わるとその神経痛は治ってしまいました。

優秀な医師というのは、病気が心(ストレス)から来るということをちゃんとわかっているのですね。

5962山川海:2015/10/26(月) 13:19:08 ID:AmFLWX.o

「ただもうありがたい!」という感謝の念はいっさいの「内心の錯綜」を溶かし去る力があるのである。だから、心の悩みを暴露された人が「天地一切のものと和解せよ」との聖典巻頭の神示に触れるならば、分析によって抉(えぐ)り出された自己内心の葛藤の傷が、ただちに温かい神愛の被覆を受けて、痕型(あとかた)もないように癒えてしまうのである。 ( P180 〜 181 )


頭痛なんかも、心の葛藤のケースがありますね。レントゲン検査、血液検査などをしても異常がない。医師から、どういう時に頭痛があるのか、問診で医師が“ 大笑い ” 、本人は大真面目ですが、医師からそれをやめたら治りますと言われて、本当にそれが終わったら治りましたね。


今でこそ、何か、震災や事故、事件があるごとに、精神分析やカウンセリングの大切さがクローズアップされますが、谷口雅春先生は、当時から 取り入れ、説かれておりました。

そして、心の傷を、神の愛に包まれた、感謝の念にまで導いて、当時の各界の指導的立場にある方々にまで、多大な影響を与えてきました。

5963a hope:2015/10/27(火) 08:04:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p140 後から4行目〜

神経的に現われる慢性病患者は、それが胃病でも、心臓病でも神経痛でも、ないし如何なる病気でも、自分の病気を世界にまたとない複雑精巧な病気であると思っていたいのである。

誰も自分の病気をなおすことができない――自分の病気は誰よりも偉いぞ――こう思うだけで彼は自分が誰よりも偉い気がするのである。

いろいろの治療を取り替え引き替えやってみたけれども治らなかったといって自慢そうに話している病人にはよくこんなのがあるのである。

彼は非常に自尊心が強いのである。

しかし、裸(はだか)では実力がその自尊心に伴わないので、病気の鎧を着て周囲を、家人を、医者を征服し、至る所に凱歌をあげようとするのである。

しかし彼が『生長の家』を読む。

最初は彼の迷いが『生長の家』の語る真理を反発し、抵抗し、ついに『生長の家』を捨てて読むまいとする。

しかし彼が強いて『生長の家』を読めば、彼の生命はついに真理を自覚する。

自分の本質は神の子であって、外から病気の鎧を装わないでもそのままで勝利者であることを自覚する。

この時、彼は「病気の鎧」を装う必要はなくなって脱いで捨てる。

この時忽然彼の病気は癒えるのである。

5964a hope:2015/10/27(火) 08:05:34 ID:cEpBaIdo

>>5963 a hope 所感)

『生長の家』(生命の實相)を拝読すれば、病気が癒える・・・。
それは、「人間神の子」の真理を自覚するからなんですね。

「人間神の子」の自覚とその真理の伝道、「生長の家」の信徒にとってそれ以外に重要なことが他にあるのでしょうか?

5965a hope:2015/10/27(火) 08:09:05 ID:cEpBaIdo

>>5963 山川海さま

Web誌友会ご参加、ありがとうございます!

P180 〜 181 のご紹介部分は、わたしの聖典にもしっかりと赤線が引いてありました。

<<今でこそ、何か、震災や事故、事件があるごとに、精神分析やカウンセリングの大切さがクローズアップされますが、
谷口雅春先生は、当時から 取り入れ、説かれておりました。
そして、心の傷を、神の愛に包まれた、感謝の念にまで導いて、当時の各界の指導的立場にある方々にまで、多大な影響を与えてきました。>>

わたしは、心の底から湧き上がってくるような「本当の感謝の気持ち」を体験できたとき、
人は癒されるのではないかと感じています。

聖典を拝読するだけで人々をそこまで導くことができる教えって、「生長の家の教え」しかありませんね!

5966a hope:2015/10/30(金) 08:28:19 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p154 5行目〜

・・・では、この婦人の公衆恐怖症が癒されたあとを、もう一度たどってみよう。

彼女は彼女自身が神によって選ばれた特に聖別された人間であるということを信じていた。

それは実に他に打ち勝って他を見おろしたい欲望の転化であった。

この神聖な自身を外界の誘惑によって汚してはならない。

そのためには自身をひとりで外出させないように公衆恐怖症をこしらえ上げる必要があった。

そのため潜在意識が罪の防御癖としてこの公衆恐怖症を造っているのである。

実に彼女の病気が治り始めたのは自身が特に聖別された人間であるという考えを捨てて「普通の人間」になろうと決心したときにおいてである。

すなわち周囲を見下そうとする驕慢の王座を捨てて、常人の間に下ろうと決心できたときである。
(つづく)

5967a hope:2015/10/30(金) 09:04:45 ID:cEpBaIdo
>>5966つつき)

なぜ彼女が驕慢の王座を下りて「普通の人間」になろうと決心することによって病気が治るかというと、人間が尊いのは、そんな驕慢の王座にいることによって貴いのではないということが解ってきたからである。

「生命」は「神の子」であるから、外界から誘惑されても常人同様生活を送ってもそんなことでは決して汚されることがないということが解ったからである。

だからこういう場合は、患者の「生命の実相」は何か特殊な生活をしなれば貴くなれないというようなものではなく、常人生活そのままで「生命」は限りなく尊く価値あるという真理を自覚させ患者自身をして「普通の人間」になろうと決心せしめたならば精神分析家の仕事は終わったも同然なのである。

そのためには、患者が実は医者の治療に対して治るまいとして抵抗している事実を精神内容の分析によって暴露すること、なんのために彼が治ることを欲しないのかその奥底の夢を暴露して彼を納得せしめるにあるのである。

すなわち患者をして「このままで実在は調和している。あなたの生命はいろいろの艶つけしないでも貴い、普通人のままで生命は貴いのだ」という最後の確信に到着せしむることによって自分だけが神に聖別されているという夢を捨てさし、普通人として普通の生活をしようと決心せしむるにあるのである。

誤れる理想主義は一種の虚栄である。

この虚栄の感情は、人を自己欺瞞に導いて行き、本当の真実なもの人間的なものを軽蔑し見下(みおろ)するようにならせる。

ここにこの種の患者の心の底を暴露すべき心理的鍵があるのである。

5968a hope:2015/10/30(金) 09:09:35 ID:cEpBaIdo

>>5966 >>5967 a hope所感)

<<誤れる理想主義は一種の虚栄である。
この虚栄の感情は、人を自己欺瞞に導いて行き、本当の真実なもの人間的なものを軽蔑し見下(みおろ)するようにならせる。>>

ここのところは、わたし自身が特に自戒すべきところだと感じました。

ですが、ふつうに生活していると、「普通の生活のありがた」さってなかなか分からないのも事実だと思います。


この前、TVのトーク番組に「ホリエモン」こと、堀江貴文氏が出演されていましたが、
彼の、「刑務所内の食事は美味しかったです」という発言に驚きました。

以前の贅沢すぎるような生活が続いていたのでは、「普通の食事のおいしさ」を彼が実感することはなかったかもしれませんね。


御飯がおいしく食べられる幸せ! 家族が側にいてくれる幸せ! 仕事に行ける幸せ! ここで真理のお勉強ができる幸せ! 普通であることの幸せ!

あー、わたしは本当に幸せだ!!

5969a hope:2015/11/01(日) 00:41:35 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第22巻 p177 3行目〜

現在(いま)わたしはこんなに複雑な精神分析のやり方は用いていない。

こういう複雑面倒な実例を挙げたのは「肉体は心の影」であるという真理を明らかにして読者がみずから自己を省みる資料としたいためである。

上京後は毎日百数十人の人が仮道場へ押しかけて来るのであるから、フロイト博士やステケル博士のように一人当たりに長時間または長日月を費やして精神分析を行っていては間に合わないのである。

また一人一人密室で対談するのでなくて、多勢(おおぜい)の面前でなんの隠しもなしに対談するのであるから、いくら丁寧に質問したとて若い婦人が発表して恥ずかしいような心の秘密を打ち明けるわけもないのである。

だからわたしの精神分析方法は直感で相手の「心の障(さわ)り」に鋭いメスで穿ったような一語または数語を投げかけて、その内心の錯綜を隠蔽する余地を与えないで追撃する。

しかも具体的な心境を指摘すると満座の中で恥をかかせるようになるから、具体的なことを言わないで、「あなたはこういう心を持っているでしょう。その心を顧みて捨てなさい」と、知らぬ人から聞けば抽象的な、そして本人がきけば具体的にひしひしと自分の心の秘密に触れて、そういうまちがいの心を捨てずにはいられない心に達せしめるのである。

一例をあげれば・・・ (略)

p179〜
「肉体は心の象徴(かげ)である」この法則より分析してゆくときは、フロイト博士や、ステケル博士のように長い間の対談が要らないで、しかも、神経症状が治るだけでなく、このような具体的症状さえも治ってしまうのである。

(略)

p180 後から5行目〜
げに、三界は唯心の所現、この婦人の心が分析されてその不純物が除き去られると、肉体の病気のみならず環境まで変わってしまうのであった。

フロイト博士や、ステケル博士流の回りくどい誘導的質問に比べて、この精神分析がかくのごとく短期間に効を奏したのはなぜであろうか。

それは相手の打ち明け話を導き出すように誘導する代わりに単刀直入その婦人の心の秘密に貫き入ったことと、いっさいの「内心の障り(インナー・コンプレックス)を溶かし去るのに聖典を読んで得る「ただもうありがたい」という感謝の念をもってしたからである。

5970a hope:2015/11/01(日) 00:43:46 ID:cEpBaIdo

>>5969 a hope所感)

谷口雅春先生は「生長の家」をはじめられた当初は、一人一人に時間をかけて対応されるという精神分析の方法を用いられ、
それでも解決しなければ知り合いの霊媒師を紹介したりもされていたようです。

ですが、徐々に信徒が増えてくると、その方法では間に合わず、上に謹写したような「生長の家」独特の方法で個人救済をされていたのですね。

この「精神分析篇」を拝読していると、「生長の家の教え」が単なる、神さま任せの宗教でなく、
精神分析的方面からもきちんと研究された「教え」であることがわかります。

本当に「生長の家の教え」って奥が深くて、お勉強すればするほどおもしろくなってきますね!

ところで、もう日にちが変わり 11月になってしまいました(笑)
11月からは、第38回 web誌友会 を開会させていただきます。
テキストは第23巻になります。

今夜はもう遅いので、明朝、開会のお祈りをさせていただきます。

それではみなさま、おやすみなさい。

5971a hope:2015/11/01(日) 09:00:41 ID:cEpBaIdo

みなさま おはようございます。
11月に入りましたので第38回 web誌友会を開会させていただきます。
それでは、開会にあたり、祈りの言葉を掲載させていただきます。


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

住吉大神様 住吉大神様  谷口雅春先生 谷口雅春先生有難うございます、有難うございます。
 
生きとし生けるものを生かし給える御祖神元津霊ゆ幸へ給へ 
吾が生くるは吾力ならず、天地を貫きて生くる祖神の生命
吾が業は吾が為すにあらず、天地を貫きて生くる祖神の権能
天地の祖神の道を伝へんと顕れましし生長の家の大神まもりませ
  
住吉大神様、今月の「今の教え」と「本流復活」を考える WEB誌友会板/2 に於ける
生命の実相 輪読誌友会で、生長の家の御教えを正しく把握し、広く伝道するための 
必要な霊の選士を集え給うて、真理の研鑽を導き給う。
住吉大神様 勉強会を正しく導き給う 住吉大神様 勉強会を正しく導きたもう。
参加者お一人、お一人を浄化し給うて、使命を授け給う。
有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます 有難うございます

世界平和の祈り

神の無限の愛、吾に流れ入り給いて、愛の霊光燦然と輝き給う。
その光いよいよ輝きを増して全地上を覆い給い、すべての人々の心に愛と平和と秩序と中心帰一の真理を満たし給う。


光明思念の歌

天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり
天照す御親の神の大調和の生命射照し宇宙静かなり


☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5972a hope:2015/11/01(日) 09:01:53 ID:cEpBaIdo

つづきまして、テキストである「生命の實相」第23巻 p2より、謹写させていただきます。


○われらにとっては毎朝が新生である。

われらは朝ごとに新しく生まれかわる。

一日の務めを終わって振り返るとき、そこにどんな過ちがあろうとも、われらは夜ごとにそのすべてを大生命にあずけて新生の準備をするのである。

かの大海原が地上のすべての塵芥(じんかい)を呑吐(どんと)しても、すべてを浄化して澄みきっていると同様に、われらがすべての過ちを大生命にあずけて眠るとき、大生命はわれらの罪すべてを浄化して下さるのである。

この偉大な大海原の浄化力よ、この不思議な大生命の罪の消去力よ!

過去がいつまでもその呪いをもって、われらに追い迫っていると思うのは誤れる見解である。

過去はすでに過ぎ去ったものである。

涙はすでに流されたのだ。

過去を捉えて離さないものはただ自分の心でしかない。

過去の過ちを消す極意はただ過去からの心を放つにある。

毎日の朝は一日の過去から心を放って新しく生まれかわる好機である。

「生長の家」は新年の朝において半生の過去から心を放って新生する。

5973a hope:2015/11/01(日) 09:14:53 ID:cEpBaIdo

☆ ☆ ☆ ☆ ☆ 

第38回 web誌友会 案内

期間   11月1日〜11月30日まで
テキスト 「生命の實相」第23巻 【常楽篇/経典篇二/宗教問答篇】
内容   久遠常楽の生活/聖経『天使の言葉』講義 /人生の悩みに答う

☆ ☆ ☆ ☆ ☆

5975a hope:2015/11/01(日) 21:41:47 ID:cEpBaIdo
>>5974さま

お返事を別板に書きました。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11788/1346745644/4687

5976トキ:2015/11/01(日) 22:14:00 ID:IdEbqKhQ
a hope様の誌友会でのご文章は評判がよく、管理人宛にも賞賛のメールが届きます。
他の掲示版でも、賞賛の文章が掲載されています。

 管理人としても、a hope様を支持します。

妨害に屈せずに頑張って下さい。

合掌 ありがとうございます

管理人敬白

5978山川海:2015/11/02(月) 17:00:57 ID:RM7MmwUQ


夜、就寝前 と 朝、起床後に

「 お父さん、ありがとうございます。 お母さん、ありがとうございます。 」

と、20回以上、小声で唱え、30日間、実践してみて下さい。

運命が、“ バッ ” と 変わりますよ。

5979a hope:2015/11/03(火) 00:25:46 ID:cEpBaIdo

>>5978 山川海さま

はじめて生長の家の練成に参加した時、「お父さんありがとうございます。お母さんありがとうございます。」
と言いながら畳を拭くと言う「感謝行?」を経験させていただきました。

当時はまだ「教え」がよくわかっていなかったので、ドン引きしてしまいましたが・・・💦。


わたしの両親は健在ですが、友人のなかにはご両親のどちらかを亡くされたり、
もしくは両方を亡くされてしまった人もいます。

その友人たちは口をそろえたように、両親が健在のわたしがうらやましいと言います。

本当に、両親が生きているうちに感謝できることほど幸せなことはないかもしれません。

今夜から、さっそく「お父さんありがとうございます。お母さんありがとうございます。」
と20回唱えたいと思います。

今なら、感謝の気持ちが真っ直ぐに伝わるようなきまします。

5980a hope:2015/11/03(火) 11:45:12 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p6後から3行目〜

四、神は自己の内面に潜在している

われわれが苦悩の底から、また悲しみの深淵から、神を呼ぶのは一見「外」にある神を読んでいるかのように見えますけれども本当はそうではないのであります。

われわれが「苦しい時の神頼み」をしたく感じますのは苦悩というものは、神を呼べば消えるということを本能的に知っているからであります。

換言すれば神無きことが苦悩であることを先見的に知っているからであります。

誰が先見的に知っているかといいますと、彼自身が知っている。

彼自身が神を先見的に知っているのは、彼自身のうちに神が本来宿っているからであります。


苦悩がそんなに感じられず、五官の歓びが人間を、誘惑している間は心は五官の方へ気をとられていますので、実相(かみ)を心に見ない空虚感を感じないのであります。

空虚はあれど空虚感は伴わないのであります。

幾年も幾十年も、移り変わる年月のあいだ、人生の表層表皮の快楽に気をとられて、神を呼ばなかった心が、一朝事変(いっちょうじへん)が起って絶体絶命、人力のいかんともすべからざる苦境に立つとき、彼は「神こそ全ての全て」「神こそ最後の幸福の源泉」であることを思い出してはじめて神を呼ぶことになるのであります。

5981a hope:2015/11/03(火) 11:53:12 ID:cEpBaIdo

>>5980 a hope所感)

<<われわれが苦悩の底から、また悲しみの深淵から、神を呼ぶのは一見「外」にある神を読んでいるかのように見えますけれども本当はそうではないのであります。>>

誰でも、一度は「神さま、助けて!」という『神頼み』をした経験があるのではないでしょうか?

さらに、英語圏の人たちは、日本人よりもっと頻繁に「Oh my God!」 と叫びますが、
それも、無意識に自己内在の神を呼び出しているということになるのでしょうか・・・?

なんか、興味深いですね。

5982a hope:2015/11/04(水) 09:18:18 ID:cEpBaIdo

「お父さん、ありがとうございます。お母さん、ありがとうございます。」の効果なのかどうかわかりませんが、
さっそく運命が変わり始めたような予感がしています。

具体的な報告ができないのがもどかしいですが、今までずっと足踏み状態だったある問題が昨日から解決に向かい始めたのです。

信仰とは「信じて仰ずる」と書きますから、どれだけその「教え」を信じられるかで運命も決まるのではないでしょうか?


ですが、世の中には、真理からかけ離れたような「暗黒思想の教え」も存在します。

谷口雅春先生はそのような間違った教えのことを「虚説」といって、徹底的に排撃されました。

わたしたちも、その虚説に惑わされたいけませんね。



その教えが「真説」か「虚説」か、見分けるのは以外に簡単なのではないでしょうか?


信仰していて幸せを感じて、運命も好転してくるのであればその人は「真説」を信仰しているのでしょうし、
信仰すればするほどストレスを感じ、運命もよくない方に進んでいるようであればその人はもしかして「虚説」を信仰しているのかもしれません。

そんな時は、ちょっと立ち止まって自分の信仰してる「教え」が本当に正しい教え(真説)なのかどうか考えてみてもいいかもしれませんね。


わたしたち、生長の家の信徒は、「聖典」に書かれてある通りに「教え」を信仰していけば必ず幸せになれるのですから、
こんなに嬉しいことはありませんね!

5983a hope:2015/11/05(木) 23:06:08 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p9 後から5行目〜

人間知でなんとかやれると思えるような日常の仕事の場合には人は往々にして神を呼ばない。

しかし、人間智でどうにもできないギリギリのところまでいったとき、どうしても人間は神を呼びたくなるのであります。

「神」という言葉を使わないにしてもなんとなしに漠然とした人力以外の「大いなる救いの御手」を呼ばずにはいられなくなるのです。

これは決して今まで軽蔑していた宗教的偏見に屈従したからではありません。

われわれは平常は小知才覚で理屈をつけて自己が本能的にすでに知っている神を否定していますけれども、人間的小知才覚が役に立たなくなった時、そのすでに知れる神を呼ばずにいられなくなるのです。

戦争、大事変、危機一髪の重大事に際して、いかに多くの平常の「無神論者」が神を読んだことでありましょう。

だから、無神論は理論的には存在しえても本能的には存在しえないのであります。

5984a hope:2015/11/05(木) 23:08:15 ID:cEpBaIdo

>>5983 a hope所感)

ほとんどの人間は(それがたとえ無神論者であったとしても)、人間知ではどうにもならないような危機的状況に陥ると、
「神」もしくは「大いなる救いの御手」を呼ばずにはいれなくなるのですね。

<<だから、無神論は理論的には存在しえても本能的には存在しえないのであります。>>

どんなに凶悪人であっても、どんなに無慈悲極まりない人であっても、本能的には人間はみんな神を信じているということですね。

それって、「人間はみんな神の子だ」という真理の証明みたいな気もしますね。

5986a hope:2015/11/06(金) 08:49:20 ID:cEpBaIdo
>>5985

組織板にお返事を書きました。

http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1322573377/2578

5987a hope:2015/11/06(金) 09:00:53 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」 p10 9行目〜

絶望、失意、落胆の極みにおいても、自己よりいっそう偉大なるもの――「なんらかの形における神」を呼び続けることのできる者は、やがてはその困難を切り開き、その絶望から起き上がることができる人です。

神を呼ぶことができない人が絶望したときは、それこそ本当に絶望です。

なぜならその人は「いっそう大なる力」より汲むことを知らないからです。

いかに平常強き者も、自己に限られたる力以上の力に汲むことを知らない人は弱き人であります。
(つづく)

5989a hope:2015/11/07(土) 08:47:24 ID:cEpBaIdo
>>5987 つづき)

しかし、われわれは失意の時、危急の時、困難の時ばかりに神を呼ぶのでは、それは危急を逃れるのに役立つばかりで、常に偉大に生長する道ではありません。

常に偉大に生長するためには、常にわれらは神を呼ばねばなりません。

その人がいかに大きく生長するかは、その人の神を呼ぶ度合いで定まるのです。

神を呼ぶのも「外(ほか)にある神」を呼ぶのでは、それはかえって依頼心を増長せしめることになります。

それは偶像崇拝になります。

神を呼ぶのは常に自分に対(むか)って呼びかけねばなりません。

自分の内に「無限者(かみ)」がある。

その無限者、――無限能力者、全能者に対って呼びかけなければなりません。

これに呼びかける時、天地に満つる無限の親様の力が自己自身の内に出口を開いて、滾々(こんこん)と、必要な力を自分自身の内に湧き出させてくれるのであります。

5990a hope:2015/11/07(土) 08:50:50 ID:cEpBaIdo

>>5987 >>5989 a hope所感)

わたしは、ここに「生長の家の教え」がカルト宗教ではなく、健全な思想の宗教である証拠が述べられていると思います。

つまり、「生長の家」は創始者、総裁、または、特定の神さまなどの対象物を偶像化(理想化)して、崇拝するような教えではないのですよね?

『神殿は「生命の実相」であり、神さまは自分自身の中にいる』という、その真理を広めるのが「生長の家」の人類光明化運動で、
だからこそ、分け隔てなく世界中にその真理を広めることができるのだと思うのです。


「生長の家の教え」というのは、右翼であっても左翼であっても、日本人であっても外国人であっても、強者であっても弱者であっても、
罪人であっても善人であっても、肉食であっても草食であっても、富者であっても貧者であっても、
誰でも分け隔てなく受け入れることのできる本当に度量の広い世界一の「教え」なんですね!

5991山川海:2015/11/07(土) 12:50:48 ID:6EFcssHY

《 自分の内に 「 無限者(かみ) 」 がある。 》

素晴らしいですね。
無限の智慧、無限の愛、無限の生命、無限の供給、無限の歓喜、無限の調和が、
すべて自分の内にある。
それを、神想観で観ずることによって、現象世界に映写(project)してゆく。
自らの内に 無限の可能性を秘めているということが、光明思想の大きな特徴の一つであると思います。

5992a hope:2015/11/08(日) 10:50:28 ID:cEpBaIdo
                
あなたの力、あなたの智慧、あなたの愛、あなたの富は、実は〝わたし〝 の力、〝わたし〝 の智慧、〝わたし〝 の愛、〝わたし〝 の富の自己実現であることを、やがてあなたは知るときが来るであろう。

それを知るとき、あなたは〝小さいあなた〝 でなくなるのである。

あなたは、その時〝自分〝 という〝小さな殻〝 を破って「新たに生まれる」のである。

「新たに生まれる」ということは、そのようなことなのである。

<<〝無限者〝 >>の自覚に入ることである。

その時、あなたの生命は〝わたし〝 と共にひろがり、虚空に満つる普遍者となるのである。

その時、もう現象の〝生〝 もなく〝死〝 もない。

あなたは生死を超え、生滅を超え、全智にして普遍、すべて包容する宇宙的な大愛の所有者となるのである。

あなたが、そのような豊かな実を結ぶことは、親樹である〝わたし〝 の大いなる悦びであるのである。
              
 
『神 真理を告げ給う』 p90 より

5993a hope:2015/11/08(日) 10:52:33 ID:cEpBaIdo

>>5992 a hope 所感)

ちょっと不思議なことなのですが、>>5991の山川海さまのコメントを拝見したあと、
なんとなくいつも枕元に置いてある、聖典『神 真理を告げ給う』を手に取りたくなって「パッ」とページをめくりました。
そうすると、

<<〝無限者〝 >>

という文字が眼に飛び込んできたのです。

でも、真理のお勉強をしていると、こういうことは頻繁に起こりますね(*^▽^*)

5994a hope:2015/11/10(火) 08:41:45 ID:cEpBaIdo

「生命の實相」第23巻 p16 6行目〜

多くの人たちは物質の世界で幸福を求め、平和を求め、調和を求めて、どうしたら、それが得られようかと日夜奔命に疲れていますが、本当の平和、本当の調和、本当の幸福は物質の世界から得られるものではありません。

物質の「無」ということを悟る――物質というものは「マイナスの存在」であるから、いくら加算してもマイナスを積みかさねても積極的(プラス)の歓びというものは出て来るものではないということを悟って、物質に頼った心をカラリと捨てさり、本来のわが実相(神なる無限の力)に頼って障礙(しょうげ)に会って障礙を見ず、苦しみの中にあって苦しみを見なくなるとき、突然本当の調和というものがわれわれの心の世界だけでなく現実の世界にまでも現れてくるのであります。

5995a hope:2015/11/10(火) 08:45:54 ID:cEpBaIdo

>>5994 a hope所感)

出典が示されていないので本当はあまり触れたくはないのですが、部室板で「良寛禅師の逸話」(?)が紹介されています。
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/11346/1357725489/875

<<障礙(しょうげ)に会って障礙を見ず、苦しみの中にあって苦しみを見なくなる>>
 という生き方とは、無実の罪を着せられてもなにも抵抗せず、言われるがまま、されるがままにされてしまう・・・そういうことなのでしょうか?

そう言えば、キリストも無実の罪を着せられて磔(はりつけ)にされ処刑されましたがその後復活し、キリスト教が興りました。

わたしは、良寛禅師も、キリストも「物質なし」の真理を完全に悟られていたからこそ、最終的に救われたり復活できたりしたのだと思うのです。

本当の悟りを得ていない業を持った人間が、聖者のまねをしても救われることも復活することも決してないと思います。

5996a hope:2015/11/10(火) 09:21:03 ID:cEpBaIdo

〝業〝 というものは本来ないから、過去の業に引っかかるなと教えてあるのは、実相に超入した立場について言うことであって、現象界にまごまごしていて、色々の欲情をもち、煩悩に引き廻されていながら、「業は無いのだ」と放言して悪業を重ねて行くならば、業果は覿面(てきめん)にあらわれて業報の中に沈んでしまわねばならなくなるのである。

〝業因〝 〝業縁〝 〝業果〝 は、あなたたちが現象世界の思慮分別の境界にいて、煩悩や欲情にふり廻されていながら、「業(ごう)本来無し」などと詭弁を弄して自分自身を晦(くら)まして欲情遂行の口実にしているような事では決して消えるものではない。

そして業果、業報は覿面にむくいられて来るであろう。

人は自分自身を晦まし得ても、因果の法則は眩(くら)ますことはできないのである。

だからあなた達は常に自己の心と行いとを顧みて善を修め、愛を行じ、よき業因を積むように日常の生活を慎むようにしなければならないのだ。

「神 真理を告げ給う」p91 〜92 より

5997曳馬野:2015/11/10(火) 09:25:48 ID:LjM.KVNs
至道無難禅師のエピソードに、懇意な商家に赴いて、お金が紛失してどうも禅師のほかには思い当たらぬというので、禅師に問い質したところ、そのお金を返してよこした、まあそんなものかと思っておったが、後に紛失したお金が出てきた、申し訳なかったといって詫びると、にこにこしてただお金を受け取ったという。またある老人庵を提供して禅師を住まわせたところ、姪かだれか懐妊した、禅師が相手だという、責め立てると忍び忍びてそういうことになったというた、老人は怒って禅師を追い出した、のち娘が白状して、男は別にいて禅師は見も知らぬ人であったという、老人が詫びるとやっぱりにこにこ笑っただけであった。これをどう思いますか、白陰禅師に逸話がだぶっている、聖人というものはかくあるべしか、いいや時代が違う云々というような人が多いんでしょう。自分に引き比べて下さい、なぜにこう我慢というかすなおというか、うっふ我慢という、これわがままと読むんです、いつか必ず現れるからという期待の辺に行なう、まったくそうではないんです。よくよく鑑がみて下さい、禅師はただニールバーナ涅槃寂静であっただけです、如来もってなすのに方便力の故に涅槃を示す、ことはまったくほかにはなかったんです。ただただ頭の下がるのはこれです、仏の生活、仏であるということはまさに四面楚歌です、至道無難禅師がかつかつ正受老人に伝えるほかに、あるいはまったくこれを知るものはなかったです。これをまっとうする、ただただ怨罵の毒を歓喜しと云われるごとくに、誤解噂ものはこうあるべきの、残虐陰惨な世の中に放り出されるだけです。たとい仏教を知る狐狸の類です、舌頭たたわわとして定まらず、世の嬰児の五相完具するが如しと、なんの武器も取り柄もなしの、仏という陰日向なしなんです、裏を見せ表を見せて散る落葉かな、良寛さんのような無一物の暮らしがかつかつ成り立つ。世間体お寺のあとつぎなど、こりゃもってのほかの余計ごと、身から出た錆を今にして痛切に思うわけです、しかも一柱身心脱落、ちらとも屈託あれば不可です。わしは七十過ぎて代を譲って、ようやく一人暮らしを始める、ほんにまあ始めからずいぶん方向違いでしたか。

http://www17.plala.or.jp/tozanji/teisyou/sidoubunan.htmlより

同じ話は色々あるんです。「本当の悟りを得ていない業を持った人間が、聖者のまねをしても救われることも復活することも決してないと思います。」この言葉が観念では一元論であるが現実は物質ありの二元論であることを証明している。

5998a hope:2015/11/10(火) 09:36:31 ID:cEpBaIdo

>>5996 a hope所感)

わたし自身も現象世界の煩悩に苦しむ、業を持った一求道者です。

ですから、聖典を学び続けて、三正行に励み、
<<常に自己の心と行いとを顧みて善を修め、愛を行じ、よき業因を積むように日常の生活を慎むように>>
努力していきたいと思っています。

5999a hope:2015/11/12(木) 10:08:05 ID:cEpBaIdo

兎も角、あなた達は現象世界で、五官の感覚によって、過去を意識し、現在を意識し、未来を想望しながら普通に生活している限りに於いては、自分の起こした想念の業果や、自分の発した言葉の業果や、自分の為せるところの行為の業果から免れることはできないのである。

それ故にあなた達は〝善き想い〝 を起し、善き言葉を発し、善き行為を務めてなさなければならないのである。

そうすることが新たなる善徳の業因をつくることによって互いに善と悪との業因が相殺されて、もし今後行う善徳の方が多ければ、過去に種子を蒔いた業因は発芽する力を失って、将来あなたの運命は、善き業因の結果のみを穫(か)り取ることになるのである。

これは因果を超越するのではなく、因果の数量的な差益計算でそのようになるのである。

普通の人間は、〝因果を超越する〝 などという超音速ジェット機のような離れ業を試みるよりも、地道にコツコツと善因を重ねて行く方が確実な過去の悪業消滅の方法である。

しかし「因縁を超越する」というのは因縁がなくなるのではなく、因縁がありながら、因縁のない世界に超入することである。

超音速のジェット機で飛行するならば自分は轟々(ごうごう)たる空気振動の音をたてながら、しかし自分はその音のとどかぬ速さで飛んでいるのである。

こんなハナレ技(わざ)は普通の人間が試みてもなかなか出来ることではない。


『神 真理を告げ給う』p94〜95

6000a hope:2015/11/12(木) 10:09:38 ID:cEpBaIdo

>>5999 a hope所感)

テキストから少し離れますが、〝業〝 や〝因果の法則〝 について考えていたら、『神 真理を告げ給う』の上の文章に出会いました。


<<超音速のジェット機で飛行するならば自分は轟々(ごうごう)たる空気振動の音をたてながら、しかし自分はその音のとどかぬ速さで飛んでいるのである。
こんなハナレ技(わざ)は普通の人間が試みてもなかなか出来ることではない。>>

↑のところを拝読しているときに、わたしは前回の中国での大会で見事なトリプルアクセルを決めて優勝した浅田真央ちゃんのことを思い出していました。

女子フィギュアスケートの選手が、トリプルアクセルを決めるというのは、相当なハナレ技だそうです。

過去からさかのぼってみても、世界中でたった6人しか成功させていないのですよね!

http://matome.naver.jp/odai/2141499045587180201

わたしは、〝因果を超越する〝 というのも、そのようなことなのではないかと感じました。

それは、相当な宗教的天才(聖者・聖人)にしかできないハナレ技なんですよね💦

<<こんなハナレ技(わざ)は普通の人間が試みてもなかなか出来ることではない。>>

って、神さまもおっしゃってますし・・・。


だったら、わたしたちはどう生きるべきなのでしょうか?

上の文中には、

<<それ故にあなた達は〝善き想い〝 を起し、善き言葉を発し、善き行為を務めてなさなければならないのである。>>

とありますが、具体的にはどうすればいいのでしょうか?


つづけて謹写していきます。

6003a hope:2015/11/13(金) 11:14:11 ID:cEpBaIdo

あなた達が善業を積み重ねて行くには、「与えよ、されば与えられん」の黄金律に従って、人のためになるものを与えるという愛行を積み重ねるのが最も確実で容易な道である。

〝与える〝 といっても色々の与え方があり、何を与えるかの問題である。

貧しい人に金銭を恵んで与えるもの其の人の一時的な助けにはなる。

その人が助かった程度だけ、あなたはそれだけ善業の種子(たね)を蒔いたことになる。

けれども金銭その他の物資を恵み与える場合には、その助けは永遠の助けとはならないで、その金銭又は物資が無くなる時までの一時的な助けとなるだけである。

その功徳は一時発芽して伸びただけで旱(ひでり)に遭って途中で枯れてしまう苗木のようなものである、物質を与える場合の功徳は一時的であるから、あなたが折角蒔いた善業の種子(たね)も発芽して少しだけ伸びて、あとは枯れてしまうのは惜しいことである。

折角あなたは与えたのだけれども途中で枯れてしまうようでは、あまりにも勿体ない事であるから、途中で枯れてしまうようでは、あまりにも勿体ない事であるから、途中で枯れないような永遠に伸びて生長して行くような善業の種子をお蒔きなさい。


永遠に伸び増殖して行くものを布施するならば、相手が受けた功徳は永遠に伸びるのであるから、その功徳があなたに撥ね返って来る功徳も永遠に伸びることになるのである。


それでは永遠に伸び増殖して行くような布施とは何を与えたらよいであろうか。

それは真理を与えることである。

〝人間・神の子、無限力〝 の真理を、あなたが人々に与えて、与えられたその人が真理を使えば、真理は永遠に減るものでなく、それを繰返し使えば使うほど光を発揮し、能率は増加し、その真理を又その人が他の人に伝えるならば、恰も鼠算用のように功徳が殖えて行くから、あなたに撥ね返ってくる功徳も永遠に伸び増殖して、最初蒔いた真理の〝小さな種子〝 がついに天を摩(ま)する巨樹のように伸びて行くことになる。

真理を与える功徳はまことに無限無尽であるといわねばならない。

                    ○

人を称賛する言葉を与える功徳も無限に伸びる功徳であるのである。

称(ほ)められることによって、その人が自信力を得、そうでなかったら困難に面して倒れてしまったかも知れない人が再び起ちあがる勇気を恢復し、捲土重来(けんどじゅうらい)の力をもって、何かの事業に成功し、その事業がまた多くの人々の為になる善き事業であり、救われる人々が無数に出るような場合には、あなたに撥ね返って来る功徳もまた無限に増幅して尽きる事がなくなるのである。

この世界を称讃の善き言葉で満たすことは、この世界ぜんたいを明るくすることになり、称讃の一つ一つの言葉は、相手を生かすだけでなく、全人類を光明化し、あなた自身を生かすことになるのである。


称(ほ)める事の功徳は、単に現象の相手の外形や外貌を観てほめるに止まらず、相手の実相たる〝神の子〝 を観じてそれを称め讃えるならば更に大なる功徳を積むことになるのである。

つまりそれは神想観を修して「心の世界」で相手の実相が完全円満なることを観て称め讃えるのである。

その時、相手が不良の子供であれば、優秀善良なる模範児童に一変し、相手が病気の人であれば、その病気が癒えることになるのである。

『神 真理を告げ給う』p95〜93

6004a hope:2015/11/13(金) 11:15:37 ID:cEpBaIdo

>>6003 a hope 所感)

わたしたちが「因果の法則」にできるだけ縛られないように生きて行くにはどうしたらいいのでしょうか?

神さまからのお答え その1
<<それは真理を与えることである。>>

神さまからの答え その2
<<つまりそれは神想観を修して「心の世界」で相手の実相が完全円満なることを観て称め讃えるのである。>>

それを実行すれば、

<<〝人間・神の子、無限力〝 の真理を、あなたが人々に与えて、与えられたその人が真理を使えば、真理は永遠に減るものでなく、それを繰返し使えば使うほど光を発揮し、能率は増加し、その真理を又その人が他の人に伝えるならば、恰も鼠算用のように功徳が殖えて行くから、あなたに撥ね返ってくる功徳も永遠に伸び増殖して、最初蒔いた真理の〝小さな種子〝 がついに天を摩(ま)する巨樹のように伸びて行くことにな>>り、

さらには、

<<相手が不良の子供であれば、優秀善良なる模範児童に一変し、相手が病気の人であれば、その病気が癒えることになる>>

ということです。


つまり、「因縁を超越する」ことができたキリストや釈迦、谷口雅春先生のような宗教的天才ではないわたしたち普通の人間であっても、
「人間・神の子」の真理の伝道(愛行)による『個人救済』をつづけ、常に相手の実相を観る『実相礼拝』を続けていくことにより、
善徳の業因ができて過去の悪業因が相殺され、自分の周りを光明化していくことが出来るのですね!

「生長の家の教え」ってほんとに完璧ですね!


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板