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「今の教え」と「本流復活」を考える・信仰/体験板

1799神の子さん:2012/03/24(土) 14:46:44 ID:lH9TEtpk
いやがらせで相手をやっつけたうのらんまんは生長の家のヒロインなのであります

キケ君ブログへの嫌がらせは最高でした(笑)

1800ぼるぼ:2012/03/24(土) 16:29:16 ID:iV0JULqA
>>1798うのはなさん、これもコピペすべき記事でしょう。

真理の言葉って不思議だね。雅春先生がバキュームオイルの求人広告を見た如く、このいいちこブログをめくっていたらこんな記事があった。


 真の宗教は、生を明らめ、生きる道を明らかにし、
 人間の生活をして真に幸福ならしめるところのものである。
 
 真の宗教は決して教会や寺院で勝手に定めて、
 それを信者に強制する教条や規則ではないのである。

 その意味に於いて、却って職業宗教家よりも、
 自由思想家、寧ろ無宗教家と云われている人の側に
 真の宗教を体得した人々があると云うことが出来るのである。

 真の宗教は所謂る宗教家の独占ではないのである。


 真の宗教家はみづから真理を実践し、
 みづから真理の生活をいとなみ、自己の生活に真理を実現し、
 神の智慧と愛と生命とを具象化するものでなければならない。



 人生の行路には色々の迷える人が満ちている。そして苦しんでいるのである。
 或る人は病いに苦しみ、或る人は経済苦に苦しみ、或る人は家庭不調和に苦しむ。

 真の宗教家はかかる人々に面して如何なる態度をとるべきであろうか。
 彼らと同一水準に降り来って一緒に同情の涙をかき垂れて号泣すべきであるだろうか。
 それとも物質的な施しを与えて一時的に救うべきであろうか。


 イエスはラザロの死せるを見たとき、同情の涙を流したことが聖書に書かれている。
 しかし、いつまでも彼は泣いてはいなかったのである。
 「死せるに非ず、寝ねたるなり」と彼は云った。

 同情して涙を流すは現象面のことである。
 現象面にいつまでも吾々は執えられていてはならないのである。
 直ちにひるがえって実相健全の姿を見るとき、却って其の相手は復活し救われるのである。

 又、イエスは病にて脚の立たぬ病人にただ「起きて床をとり上げて歩め」と云っているのである。
 「ああ可哀相に!」と云って、
  一緒にそこに倒れふし泣き濡れて動けなくなっているのではないのである。
  
 すべての人間は神の子であるから、
 「起きて床を取り上げて歩む力」を持っているのである。

 倒れているのは「迷い」の具象化に過ぎないのである。
 「迷い」に同情してはならないのである。

 その「迷い」を見ず、「起ちて歩み得る実相」を直指して、
 その力を引き出すのが真の宗教家の使命であるのである。


 真の愛と「苦痛の共嘗」とは異なるのである。
 苦痛に同悲して相手と一緒に墜落して泥まみれになるのは
 真の宗教家のつとめではないのである。


         谷口雅春師 「生長の家」誌 昭和24年10月号

波長さえ合えば、いたるところに宝物が見つかります。

1801ハイブリット:2012/03/24(土) 16:45:35 ID:227JdXOs
ぼるぼさん、いいね。
ありがとう、そのコトバが宝物になった。

1802木綿豆腐:2012/03/24(土) 16:50:51 ID:.QY5jUA6
ぼるぼさま

志恩です。昔の名前で出ています(笑)
1800:
いいですね。心に沁みる言葉ですね。
感謝です。
早速、プリントアウトさせてもらいました。

1803あさひ:2012/03/24(土) 18:46:37 ID:/3nxKE2Q
ぼるぼ様

>真の宗教は、生を明らめ、生きる道を明らかにし、
 人間の生活をして真に幸福ならしめるところのものである。
 
 真の宗教は決して教会や寺院で勝手に定めて、
 それを信者に強制する教条や規則ではないのである。

 その意味に於いて、却って職業宗教家よりも、
 自由思想家、寧ろ無宗教家と云われている人の側に
 真の宗教を体得した人々があると云うことが出来るのである。

 真の宗教は所謂る宗教家の独占ではないのである。


 真の宗教家はみづから真理を実践し、
 みづから真理の生活をいとなみ、自己の生活に真理を実現し、
 神の智慧と愛と生命とを具象化するものでなければならない。

上記掲載有難うございました。
心にしみました。
 
                 合掌

1804春らんまん:2012/03/24(土) 19:30:17 ID:DRonmiwU
>>1799

神の子さま、初めまして。こんばんは。

私は、公衆の面前で"統一教会と思われてるぜ、ホレホレ、もっと書け"と書いている人間など、男の風上にも置けない、
クズだと思ったので、ああいう展開になったのですが、

神の子様の御投稿の御主旨は、イヤミですか? おほめ言葉ですか?

神の子様の過去の投稿から、どういうスタンスの方なのか理解していないので、お聞きしたいなと思いました。

私は、いやがらせした自覚は御座いません。
彼自身が、"トキさん、しばらく出てこない方が、いいですかね?"と
と言ったので、
"二度と出てくるなよ"と
後押ししただけのつもりですが。


(考えてみれば、彼は詐欺師のトキ様に純情に子飼いにされ、全体から真実を見る
目を失わされた、気の毒な人だったと捉えております。)

再拝

1805春らんまん:2012/03/24(土) 20:27:38 ID:DRonmiwU
神の子さま、こっちの御回答、お待ちしています!

1806ももんが:2012/03/24(土) 20:47:14 ID:XXCuaQns
>>1781

あさひ様

あさひ様、先日は、素敵なお返事を頂きまして、誠にありがとうございます。感謝、合掌、拝。

<<1781:あさひ
12/03/23(金) 15:44:51 ID:/3nxKE2Q
ももんが様

ご回答有難うございました。感謝申しあげます。

せいぜい努力して本当の自分に到達したいものと思います。

宗教からも本当の自分に到達できると思いますが、心理学、フロイト ユング
 ラカン アドラー派などからの自己分析からも到達できるように思います。
なぜなら、人間は無限成長の過程を生きていますから。その時、同行2人のその人の無限の可能性
を信じる付添人が存在するとベストだと思いますが。

ももんが様はどう思われますか?お尋ね申しあげます。

色々有難うございます。     合掌>>


同行2人ですか?

私は、心理学や、哲学の事は、良くわかりまんせん。

しかし、仏教でも、他の宗教でも、“冥想”には、必ず“正師”を置きます。

正師から、色々な、“冥想”時に起きた、“心の状態”の点検、“修行の上”の注意などをしてもらいます。

例えば、“独参”では、老師の室内に入る時は、老師と一対一です。他者は、入れません。色々、老師とやり取りしている内に、“自分の自我”が、無く成っていきます。

本で読んだ感じでは、カトッリクの“告解”は、黙想の修行者の心の葛藤や自我を取り除く為の物で、一般に言われてる、“罪”の懺悔とは、違うような、印象が、私には、あります。
黙想も、師から課題が与えられるようですね。

この様に、ただいたい、冥想は、冥想の上級者が、必ず、指導をして、その“心の状態”を常に、チェックするように、成っています。
神想観は、そうした、冥想では、無いので、なんとも、言えませんが、神想観専門の正師に教わる形は、一つの方法だとは、思いますが、生長の家に馴染むかは、わかりません。

だだ、“懺悔の神示”に神想観の指導をたのめと出てきますから?

悪くは、ないように思います。

要は、指導者と生徒の関係に、常にある事ですね。

余り、上手とは、言えない、回答ですが、申し訳ありません。春ですね、花の香りに、心を観るのも、また、楽しいです。いつも、ありがとうございます。心から、感謝いたします。合掌、拝。

1807トキ:2012/03/24(土) 21:43:54 ID:2TVINrdg
 老師の言葉は常に人を見ての言葉だった。一つのことに囚われないから、こちらが同じこと
を言って褒められる暗もあれば叱られる時もある。
 これも私の未熟を語ることになるが、竜沢寺へ入って一週間ほど経った夜、何のために竜
沢寺へ入山したのかと老師に問われて、私は得々として、言下に答えた。
 「世のため、人のためにと念願して修行したいからです」
 その時は、「ああ、奇特なことじゃ」と褒められたが、それから三カ月経ってのことだ。同
じことを老師に問われて、私が同じことを答えると、いきなり頭ごなしに怒鳴りつけられた。
 「お前は、まだ解らぬのか!。わしは、世のため、人のためにと念じて修行したことは一度
もない。みんな自分のためにやっているのや」
捨て台詞のように言って、老師は隠寮に入ってしまわれた。
 さて、禅堂に帰ってよく考えてみると、世のため、人のためと独り合点して力み返っている
私が、実は自分のことで心がいっぱいで、自分のために修行するといわれる老師の一挙種一投足が、
世のため人のためになっている。小さな我見に囚われている自分の姿に、この時初めて気づか
せられた。

回想 山本玄峰 P102 田中清玄氏の文章より

1808あさひ:2012/03/24(土) 22:32:29 ID:/3nxKE2Q
ももんが様

ご回答有難うございました。感謝申しあげます。

>春ですね、花の香りに、心を観るのも、また、楽しいです。<

と書かれておられましたが、確かに花の香り、花の姿、季節の香りなど自然の中に神秘、大いなる力を観ることもある種の瞑想でしょうね。

その自然の神秘を絵に表現する、文に表現するのもある種の瞑想だと感じています。

色々有難うございました。今後ともよろしくお願いいたします。

1809ももんが:2012/03/24(土) 22:42:16 ID:XXCuaQns
>>1807
トキ様

トキ様、こんばわ。感謝、合掌、拝。

昨晩の、素晴らしい、お話と、いつも、玄峰老師のお話、大変感銘を受けながら、読ませていだだきました。ありがとうございます。

玄峰老師と言えば、田中清玄さんとの、やり取りは、大変、有名ですね。

なんせ?“日本の一大事”を本気で、任された、御二人なのですから。

清玄さん、玄峰老師が、質問をします。

玄峰老師『お前は?何の為に、修行しているか?』


清玄さんは?世のため人為と日本のための様な、御言葉を話ましす。

玄峰老師はこの答えに“一喝”

『お前は、まだ、解らんのか!わしは、世の為、人の為に念じて、修行したことなど、一度もない!みんな、自分の為に、やっているのや!』

と答えに、清玄さん、“一転悟”されたようでした。

“世のため、人のため”と言った、清玄さんは、実は誰の役にもたておらず。


逆に“自分の為に為に修行している”老師が、実は、周囲の人からも、色々な事で、人の役にたてている事に、“自分の修行”、心の在り方を反省したのだと、思われます。


掲示板内、でも、”何々の為“と”言葉“が、良く書いてあった、飛びかってますが、自己の問題を解決する事でしか、全ての問題は、解決しえないと、認識すべきであると、思うしだいあります。

完璧な人は、誰もいませんね。許しあう心を持って、和解と帰還を祈念したく思います。
トキ様、体にきおつけて、がんばってください。私は、いつも、御祈りいたしおります。感謝、合掌、拝。

1810ももんが:2012/03/24(土) 23:04:08 ID:XXCuaQns
>>1808
あさひ様

あさひ様、お返事、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

流石に、あさひ様です。

<<>春ですね、花の香りに、心を観るのも、また、楽しいです。<

と書かれておられましたが、確かに花の香り、花の姿、季節の香りなど自然の中に神秘、大いなる力を観ることもある種の瞑想でしょうね。

その自然の神秘を絵に表現する、文に表現するのもある種の瞑想だと感じています。

色々有難うございました。今後ともよろしくお願いいたします。>>


”花を愛でる心“、”鳥の囀ずりを楽しむ心“は、一つの冥想かも知れません。

生長の家なら、”神想観“に役立つのでは、ありませんか?

講師の先生に、御指導受けて、”オリジナルの神想観“良いかもしれませんね。

一般の冥想会や、ヨガでは、有りますかね。

最近、教団でしてる”絵手紙“だって、実は、”心“が、使えないと、素晴らしい作品は出来ないのですから、やはり、一つの訓練としては、素晴らしいと、思いますよ。

地球の音や、香り、空気、光、色、全てを”自分の心“で観じる行為は、神想観に繋がる、行為ではないかと、思いますよ。

コトバて?何も、人間の言語に限りませんよね。

極端な、お話、今朝の雨だて、地球のコトバですね。私には、そう聞こえましたよ。

どう、観じるか、皆様の心の観じる心、しだいと、思う、私です。

では、あさひ様、余りに、素晴らしい、お返事でしたから、直ぐに、嬉しくて、お返事してしまいました。おやすみなさい。また、よろしく、おねがいします。感謝、合掌、拝。

1811ももんが:2012/03/25(日) 08:03:58 ID:XXCuaQns
神の子皆様、おはようございます。本日も、素晴らしい、朝ですね。さあ、元気に『ありがとう』の生活をして、素晴らしい日に、いたしましょう。感謝、合掌、拝。

本日は、また、雅春先生のコトバを貼ます。


>>それから、『実相と現象』雅春先生著より、こんな、言葉を、発見しました。

★『実相と現象』235㌻〜236㌻

<『団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において完全無欠とはいうことは出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある神の子として無限の完全さを宿しているのであるけれども、現象的には努力によって徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。だから団体の幹部、役員、講師たちにも、団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は無数にあるのである。それは内部で指摘し、批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まるばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすくなるのである。信徒や誌友達は教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである』〜以上

『実相と現象』より、谷口雅春先生の言葉です。

神の子様、この言葉、現在の、総裁から、教団幹部、分派幹部、元職員幹部、全ての信徒が、聞いて欲しい、言葉かと、思われました。<<



さあ、雅春先生は『心の平和』、そして、イスライエルの別れた部族《分派》の方の御一人、御一人の御帰還を、お待ちと思います。

今朝も、『和解』と『御帰還』を祈念いたしました。皆様素晴らしい神の子ですから、必ず、和解御帰還されると、願っております。感謝、合掌、拝。

1812トキ:2012/03/25(日) 12:04:40 ID:jZpcSfxQ
 おはよございます。

 最高裁判所の判決が出たら、いよいよ生長の家も何らかの決断を迫られます。

 個人的な感想ですが、総裁制度を含めて、今後の生長の家のあり方も議論をすべきではないかと思います。
既に、総裁の条件として谷口家のゆかりの人である事は必須条件から外されています。谷口雅宣先生の言動に
は信仰的にも社会通念から見ても問題はありますが、彼にしても、言いたい事はあったでしょう。

 今回の騒動を契機に、よりよい生長の家とは何か、という事をみんなで話し合いをしましょう。

1813ももんが:2012/03/25(日) 12:33:51 ID:XXCuaQns
>>1812

トキ様

トキ様、おはようございます。合掌、拝。

レスを裁判の事、教えの事、大変、ありがたく、読ませていただいて、おります。感謝、再拝。

>>1812:トキ
12/03/25(日) 12:04:40 ID:jZpcSfxQ
 おはよございます。

 最高裁判所の判決が出たら、いよいよ生長の家も何らかの決断を迫られます。

 個人的な感想ですが、総裁制度を含めて、今後の生長の家のあり方も議論をすべきではないかと思います。
既に、総裁の条件として谷口家のゆかりの人である事は必須条件から外されています。谷口雅宣先生の言動に
は信仰的にも社会通念から見ても問題はありますが、彼にしても、言いたい事はあったでしょう。

 今回の騒動を契機に、よりよい生長の家とは何か、という事をみんなで話し合いをしましょう。<<



私個人として、裁判は悲しい、現実と思います。

私の思いますところ、『裁判』と言う”現象“を、信徒の方、”御一人、御一人“の”御心“に、写る、”嫌な思い“、”悪い事と言う思い“の”現象の姿“を乗り越える事を、神様が、与えくだされた、贈り物。基督教で言うなら、”神の試練“が、皆様の心に、与えらたのだと、思います。

”探せ!さすれれば、そうすれば、与えられる。”《マタイ7の7》に有るように、皆様、各自が、先ずは、各自の『心』や『生活』と向き合う事で、裁判の件も、自然に、善き方向に、向かうと、感じます。


トキ様、裁判のお話ありがとうございます。私も、自己内省して、自己の心、実相の探究に努め、たいと、思います。

ありがたい、御文章、ありがとうございました。感謝敬白、合掌、拝。

1814さくら:2012/03/25(日) 12:49:16 ID:y8mNVyBw
>1812

トキ様

ありがとうございます。

トキ様は、これからどこまで、生長の家では、組織としても、改革が、可能だと感じられますか。

宗教組織の変遷として、今の生長の家の組織も、例外ではない流れだと思いますが、これからの、組織のあり方は、内部ではどの様に話される可能性がありますか。

組織の理論は、まえにトキさまがお話下さり、矛盾が明らかにされたこともあったとおもいます。

組織は、実務能力により発展する性質がありますが、
社会の中の組織のあり方などは、やはり、全体像を見通せる体系的な見方が必要かと思います。

組織のあり方と、信仰のあり方と、宗教的救いのあり方の観点は、少し、分けて考える必要がある気がするのですが、
生長の家では、どの様な可能性がありますか?

1815トキ:2012/03/25(日) 18:41:01 ID:01jXXtcQ
>>1814

さくら様

 ご質問、ありがとうございました。私は単なる教区の会員ですから、私の返答が権威があり、普遍性があるとは思っていません。
しかし、何らかの参考にはなるとは思っています。

 以前、硫黄島の戦闘機の話を書いた事があります。古い中古の戦闘機と最新式の戦闘機が出撃したら、古い戦闘機が無傷で生還し、
最新式の戦闘機が全滅した、という内容です。そして、それは、人間がメカを使いこなせなかったという理由でした。
 そのたとえを流用すると、百万運動時代の教えも、今の教えも間違っていません。しかし、会員は使いこなせないのです。
信仰を持つ事と、原子力発電の増設に反対する事にどんな論理的な意味があるのか。あるいは、経済的に負担しきれない程の誌代を
払わなければ日本が救われないのか。提唱者の頭の中では論理は完結しておりますが、会員の大半は理解していません。当然の話です。

 さらには、本来、宗教法人は、信仰に関心を持つべきですが、それが、環境や原子力発電や防衛問題に関心を持ち過ぎる事で、神様
への性向が希薄になります。これは、間違った傾向だと思います。環境や原子力発電や防衛問題は大事ですが、それは組織ではなく、
組織外や関連組織を作る事で対応がなされるべき問題です。
 
 今の生長の家は、あまりにも余計なものが組織に付着しております。言い方を変えると、船の船底に牡蠣がびっしりこびりついた状態
だと思います。さらには、余計なものを、大事なものと誤解している状態です。テレビに登場するゴミ屋敷の住人を笑えない状態です。

 もともと、信徒は何を期待して生長の家に来ているか、というと、信仰であり、信仰を通じての自己実現であります。そして、この場合
の信仰とは、谷口雅春先生の教えであり、具体的には生命の実相や甘露の法雨であります。吉田國太郎先生や服部仁郎先生の時代に信徒が
いかに生き生きとし、運動が明るく展開していたか、を考える必要があります。今、「小さな政府」が議論になっていますが、生長の家で
言えば、基本的な事、初心に戻る「小さな組織」が求められていると思います。禅宗などは、800年前のやり方を今でも踏襲しています
が、世界に伸びております。それは、ファンダメンタルな部分を重視しているからです。生長の家ももっとフャンダメンタルな部分を重視
すべきです。

 あと、生長の家の歴史で言えば、地方組織に大きな権限があった時代は伸びております。今は本部の言う事に少しでも逆らうと、首が
飛ぶ世界ですが、その結果が教勢の低下です。地方への権限の移譲は、政治の世界でも始まっています。無党派の政治家が地方の首長に
続々と当選しているのはご存知の通りです。だとしたら、宗教でも、マネをすることを考えても良いと思います。

 以上、走り書きですが、お許し下さい。

合掌 ありがとうございます

1816あさひ:2012/03/25(日) 19:19:39 ID:/3nxKE2Q
ももんが様

ご教示有難うございました。

>”花を愛でる心“、”鳥の囀ずりを楽しむ心“は、一つの冥想かも知れません。

>地球の音や、香り、空気、光、色、全てを”自分の心“で観じる行為は、神想観に繋がる、行為ではないかと、思いますよ。

コトバて?何も、人間の言語に限りませんよね。

極端な、お話、今朝の雨だて、地球のコトバですね。私には、そう聞こえましたよ。<


実にそうですよね。山川草木その他宇宙からのささやきが聴けることは瞑想そのもですよね。

真善美を追及する人は皆そうではないかと思っています。

だからこそ、素晴らしい芸術作品に触れた時、瞬時にして何かを感じるのでしょうね。

戦後の廃墟のなかで、自殺志願者が冥土の土産にふらふら入った展覧会場で、作品に
感動して自殺を思いとどまったという話を河北倫明氏が書いておられたことを思い出しますが、
さもありなんと思います。

誠にありがとうございました。

1817SAKURA:2012/03/25(日) 19:27:29 ID:cCzHw4kU
トキ様 へ
>1815 拝読させて頂き…
投稿文章内容は、賛同させて頂きます…。

但し下記の“文章”は…??影響力が多大です…ネ

>あと、生長の家の歴史で言えば、地方組織に大きな権限があった時代は伸びております。今は本部の言う事に少しでも逆らうと、首が
飛ぶ世界ですが、その結果が教勢の低下です。地方への権限の移譲は、政治の世界でも始まっています。無党派の政治家が地方の首長に
続々と当選しているのはご存知の通りです。だとしたら、宗教でも、マネをすることを考えても良いと思います。<

私自身が直接お聞きしました事実ですが…
すでに今からそうです〜ネ!
■ 17年前から、本部【理事会の決定には逆らえない…】その様に、
個人的に相談しておりました「教化部長先生」の口から直接お聞きしました。

この事は、【現総裁先生…になってからと誤解を受ける“言葉”と思います。】

と云う事は、向こうの「社会事業団…」の方へ、現在携わっていらっしゃいます
方がたも、この時期の方に該当致しますので、この部類に入ると思います…。
この辺は、こだわる様ですが…【一言】申し上げたく思います。

■いつ頃からの体制?なのでしょうか??少なくとも、雅春先生時代は〜〜?
                           
                                再合掌

1820トキ:2012/03/25(日) 22:33:07 ID:mD/sOdRo
生長の家が発祥後、各地の支部を支えたのは、地方の篤信の信徒です。
そういう人達がお金や労力を出し合って、支部を結成し、運営しました。本部から駐在本部講師が
在留することがあっても、本部講師の数自体が少ないので、全部の支部に駐在員を置くのが不可能であり、
信徒が合議制で運営しておりました。いきおい、信徒の発言力は強く、当時、駐在した本部講師は苦労を
した、と聞いております。

 その後、聖使命会員制度ができると、段々と本部の発言力が強くなりました。ただ、昭和50年ぐらい
までは、本部は各支部の自主性を重んじる方針を採用しておりました。これは、当時の神誌にも掲載され
ていたのを覚えております。
 生長の家が政治に参加するようになったり、百万運動を展開するようになると、段々と本部の統制が強く
なりました。これは、先輩から聞いております。強引な方針を示したという話も聞いております。

 ただ、当時は、本部と教区とは話し合いが出来る雰囲気はあったみたいです。例えば、本部から幹部が出張
して指導をする場があり、その場では話せない事でも、会議が終わってから、場所を変えて本部と教区の人間が食事
をする慣例があり、その場で、昼間の会議で話せない事をお互いに話し合い、それでうまく流れていたのも事実で
す。また、その頃は本部の人間が教区に良く来たので、話し合いをする場面も多く、人間関係は出来ていたよう
な感想はあります。そういう部分で、結構、弊害は是正されていたとも思います。

 なお、飲み食いと行っても、大半が喫茶店やレストランで、たまに居酒屋があったかな、という程度です。
 
 ちなみに、現在では、谷口雅宣先生の方針で、教区の人間と本部の人間が公金で飲食をするのは厳禁となって
います。私も確かに公金で飲み食いするのは嫌いでしたが、たいてい、会員は自分が呑む分は自腹を切り、あと本部
の人間だけ、適当な理由を付けて公金から出していましたから、考えたらたいした金ではなかったと思います。
(当時の本部の人間の出張の多さを考えると、毎回、自腹を切るのは不可能だからです)
 最初、公金での飲食禁止の話を聞いた時には、谷口雅宣先生が公私混同に厳しい先生だと尊敬をしてい
ましたが、その後、自分のお気に入りを理事や参議に登用し、その理事や参議の給料を高給にし
たり、森のオフィスに150億もの金を投入したので、率直に言って、失望は感じました。それぐらいなら
飲み会ぐらい続けた方が良かったとも思います。
 あと、本部からの出張もC02削減とかで減少したので、本部の人間と何か話す機会はあまりありません。

 ですから、最近では、本部が何を考えているのか、正直、教区の人間はわかりません。
個人的に本部に友人がいる教区の人間が、電話をして事情を聞くしかありません。それをしないと、ある日、
突然、方針が変更になる・・・・ということになり、教区はアタフタする羽目になります。

 教区の側から見ると、こういう事になります。本部から見たらどうでしょうね。

1821ももんが:2012/03/26(月) 06:59:41 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子皆様、おはようございます。今朝も、素晴らしい、朝がやって参りました。さあ、元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日にいたしましましょう。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。


〜明るい心、暗い心〜

この世では誰でも『幸福になりたい』と思っている。では幸福になると、どんな心持ちだろうか。『まだなかったことがないから、分からない』というかも知れないが、その点をごく簡単に整理して、『明るい心』か『暗い心』かどちらかと聞かれると、『明るい心』に○をつけるだろう。
それならば、先ず『明るい心』になるとよい。するとその心によって、次第に幸福になって行く。一ぺんにならなくても、だんだん、『幸福』になる。
何故かというと、この現実世界は、心によって作られるからだ。心が全ての現実を作って行く。部屋でも、暗くしようと思えば、カーテンでも暗幕でも引いて暗くできるし、明るくしよう思えば、電灯をつけるか、窓をあけるか、天井をブチ抜くかすると、明るくなるだろう。
ところが『明るい心』になるには、そんな天井をブチ抜くほどのことをしなくてもよい。世の中の美しいところや、人に深切なところ、自分や周囲の人々の『美点』を見るようにすればよい。それん見る“練習”をし、鏡の前で笑ったりしていると、だんだん『明るい心』になって行くのだ。その反対に、人の欠点や、いやな所や、きたない所を見て、フクレ面する練習をすると、かならず『暗い心』になって、『不幸な人』になるのである。
ウソと思う人は、この二つの方法のどちらかお好きな方を、せめて一週間ぐらい続けてやると、きっと、『ハハー、なりそうだ』と予感がして来て、さらにもう一週間続けようということになるかま知れない。

〜谷口清超先生著『ありがとう』はすばらし より〜

毎日、ありがとう、してると、真に、自然、笑顔になれますね。
それでは、神の子の皆様、今日も素晴らしい日を、元気に、明るく、楽しく、お過ごしください。ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1822ももんが:2012/03/26(月) 07:25:15 ID:XXCuaQns
>>1820

トキ様、おはようございます。合掌、拝。


朝から、少しだけ、質問させてください。


>>森のオフィスに150億もの金を投入した<<


この数字て?どこで、報告された、数字なのですか?

とくに、意味は、ありません。

ただ、素直に、知りたかっただけで、解らないなら、解らなくて、大丈夫です。

いつも、心遣いある、御言葉、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1823さくら:2012/03/26(月) 08:25:05 ID:fY9NxAxY
トキ様

おはようございます。
日曜のご多用の時に、返信いただきありがとうございます。

今の段階では、本部の中はもちろん、教区の中も、
組織の改革など、あり得ないくらい硬直化してしまっているのが、
現実だと、分かっています。
しかし、これから信徒の為の組織を本当に(本気で)残していこうと考えるなら、
本部のごちゃごちゃに振り回されるだけでなく、
信徒自身の方から、どういう組織であるべきかを考えて、
行動していくことは、大切であると思います。

このことを考えないと、どんな素晴らしいトップになろうと、
これからも信徒は振り回されることが続くとわたしは考えます。
いろいろな事情を知る方には思惑があって、誰をトップにしたら、
組織が安泰だとする考えがあるようですが・・本当にそうでしょうか。
この組織はトップの行いや人格が素晴らしいから、この団体を選ぶ、
それはそれで、信徒の自由があります。
ただ、わたしには、少し、安易に感じられてしまいます。
もちろん、宗教の団体にとってみ教えに忠実な人が運営する組織、
とそのような観点が最もよいのだとは思いますが、
雅春先生でさえ、組織の運営は試行錯誤だったのですよね。
組織の性質踏まえて全体像を考えていかないと、
繰り返される問題があるような気がしています。

トキ様が仰るように、信徒が「使いこなせない」組織というのは、
現場感覚のない本部、提唱者の頭の中では論理は完結していても、
信徒には理解不能な、方針の押しつけ、などのような今の現実、
それに、閉塞的な人間関係から来る、内部でしか通用しないような妥協、
しがらみとか、思惑とか・・今までの垢といえるようなもの、
そういう雰囲気は、結果的に全体をよくない方向に導いている
原因になっていますね。
おそらく、このままの組織なら、誰がなっても、突き当たる問題があるはずだと感じます。
毎回このようなことに、信徒の信仰が左右されるのは、異常なことですね。

1824さくら:2012/03/26(月) 08:25:35 ID:fY9NxAxY
>さらには、本来、宗教法人は、信仰に関心を持つべきですが、それが、環境や原子力発電や防衛問題に関心を持ち過ぎる事で、神様
への性向が希薄になります。これは、間違った傾向だと思います。環境や原子力発電や防衛問題は大事ですが、それは組織ではなく、
組織外や関連組織を作る事で対応がなされるべき問題です。

宗教の行事と、信仰の発露と、それに基づく組織活動、というのは、
あるつながりを持ちながら、それを行うための基盤となる性質が、
明らかに異なることだと感じています。
明らかに異なるのに、なぜなのでしょうか。
それを、ごっちゃにすることで起こる問題が多いのではないでしょうか。
トキ様が言われるように、大事なものとそうでないものが混在し、
実際活動していくと、どこに何の中心をおいているのか、
葛藤が出てきたりします。必ず、出ます。
このような状態になるのは、
宗教的救いと、個人の信仰や真理の追究の問題と、
それに基づいた活動のあり方、などというまったく性質の違うものを
いっしょくたに考えてしまう点も大きいのではないかと感じています。

>生長の家が政治に参加するようになったり、百万運動を展開するようになると、段々と本部の統制が強くなりました。これは、先輩から聞いております。強引な方針を示したという話も聞いております。

このことは、組織の性質として、その成長過程で、上昇思考をその気質とするのは、
ある意味必然であったと言えると思います。
だから、間違っていたとは一概に言えない、そうような、組織の性質があると、理解しております。
では、信仰としての運動としては、どうあるべきか。
そのことを考えないと、非情なこともおこるし、必然的に衰退の方向にひかれていくと思います。
それは、一人の人間に罪があるということばかりでなく、
組織の性質とはどういうものか理解していないと、
わからない問題もたくさんあるのではないかとも考えられます。


地方のあり方も、本来は地域に密着したお互いの顔の見える救済活動が、
可能なはずですね。
トキ様が言われる小さな組織作りのために、教区から変わって行くには、
トキ様は、具体的な対策として、どんなことが可能だと思いますか。

1825トキ:2012/03/26(月) 10:10:28 ID:Jyl.MQ7g
>>1820

ももんが様

 いつもお世話になります。ありがとうございます。

 「森のオフィス」の予算には、2つの数字が会員の間では流布しております。
本部が公表した40億円台と噂で流れている150億円です。そして、公表されている計画から
見て、40億円台では不可能だ、という声が会員の間では多いです。すると、150億円という
数字が信憑性を増してきます。

 仮に40億円という数字が事実でも、やはり大きなお金であります。それが、総裁だけの
決断で決まるのは、納得はできません。ただ、この計画は既に動き出していますから、
もう、後は、うまく行くのを祈るのみです。

 では、今後ともよろしくお願いします。

合掌 ありがとうございます

1826トキ:2012/03/26(月) 10:26:32 ID:Jyl.MQ7g
>>1824

さくら様

 御質問、ありがとうございました。

 現在、教区では、独自の行事を開催できない状態です。例えば、co2の問題があるので、30名以上集まる講演会は開けません。
講師も、他の教区の地方講師を招請するのは、事実上、不可能に近い程に手続が煩雑です。新しい企画なども一々本部におう
かがいを立てる必要があり、しかも大半が却下です。少しでも本部方針に違う事を話したら、すぐに問題にされます。

 こういう事態が続き、教区の会員の士気は落ちています。最近、ある掲示板で書かれた某教区の幹部の公金横領事件も
某教区の幹部に電話をして尋ねると事実のようです。似たような話があちこちで聞かれるようになりました。
 
 しかし、こういう規定に果たして合理性があるか、今一度、検討してもよいと思います。無駄に電気やガスを遣うのは推奨
できませんが、社会生活をしている上で、このような異常とも言える環境方針を採用しているのが説得力があるのか。それな
ら、講習会も廃止すべきだという事になります。しかし、講習会は従来通り、「動員」がまかり通っています。

 教区には教区の事情があり、地域によって特色があります。それを無視して、東京の価値観を押し付けるのは、よくないと
思います。環境保護方針は大事ですが、そればかりだと本末転倒だと思います。

 例えば、講演会の開催の復活、外部講師の招請の手続の簡易化、新規行事の開催の緩和などが必要だと思います。また、会計など
は、不祥事根絶のため、会員による監査請求の制度化なども必要だと思います。

 以上、走り書きですが、お許し下さい。

合掌 ありがとうございます

1827さくら:2012/03/26(月) 12:13:54 ID:y/hbsyWc
トキ様

 >現在、教区では、独自の行事を開催できない状態です。例えば、co2の問題があるので、30名以上集まる講演会は開けません。
講師も、他の教区の地方講師を招請するのは、事実上、不可能に近い程に手続が煩雑です。新しい企画なども一々本部におう
かがいを立てる必要があり、しかも大半が却下です。少しでも本部方針に違う事を話したら、すぐに問題にされます。

このことは、非常によくわかるつもりでおります。

活動は、現在、細かなことさえも、何も通りません。
士気を失うのは、あたりまえですね、

それは、トップだけの問題ではなく、組織の体質にも問題があり、それを本当に改善しようとは考えないのでしょうか。
実際は、出来ない、こういうことかもしれますんね。

本部や教区の誰に聞いても、やっぱり、表面的な答えばかりですね。
現在は、組織は、変わらないし、誰も本気で変えようとはしないんだな、もう仕方ないんだな、とわたしも思っています。
このことを、知るにつけ、
士気を失う気持ちは、たいへん共感しております。

結局は、トップが幹部が教化部長が、信仰がない、人格がない…その議論が終始するのでしょうか。

>こういう事態が続き、教区の会員の士気は落ちています。最近、ある掲示板で書かれた某教区の幹部の公金横領事件も
某教区の幹部に電話をして尋ねると事実のようです。似たような話があちこちで聞かれるようになりました。

こういうことも、わたしも経験しましたが、信仰以前に、管理や、事後処理の問題がとても大きいのを感じました。ちょっと、一般の感覚では、信じられないと正直、感じたことがあります。
これは、組織としては、大きな問題だとおもいますが、その問題が起きたとき、大きな視点で考えるかたがいないのかな、と、不思議なくらいでした。

わたしも、雅宣総裁の方針にも、やり方にも反対ですが、
組織は、思い切った改革が出来ないと難しいことあるとは、思います。
信仰は、原点に帰るべきですが、
大きくなった組織を変えて行く力は、やはり必要だとおもいますが…。

宗教組織って、現場を知るほど、何も変わらない、そういうことなのでしょうか、やはり。

だれか、こういう問題を、考えていらっしゃる方は、
本部や教区にいらっしゃいますか?
この観点からのご意見があれば、お伺いしたいです。
お願いいたします。

1828さくら訂正:2012/03/26(月) 12:15:37 ID:y/hbsyWc
しれますんね→しれませんね。

他、誤字脱字、
失礼します。

1829SAKURA:2012/03/26(月) 17:25:03 ID:rvp6Zkdo
トキ様 へ  
>1820 拝読いたしまして…

現在・過去の【本部〜〜教区間】状況を教えて頂きありがとうございました。
■【日本の慣習…】申しますかしら〜〜〜ン(遅くなりましたが…)

企業でも“本音”を話す時は「懇親会?=酒?」多少は入り〜〜♫〜〜ものネ!
【本音…】がお互いに話す事が出来る〜とかは、良く“耳”にします。
果たして…何処まで【本音】が、言えるのでしょうか??

【人間関係=コミュニケ−ション】では??必要なモノと考えるべきでしょうか…?

この事は、【男性同士??ビジネス上??関係上??】
唯!“お酒”が入らないと、本音がいえない……??
精神的に“デリケ−ト”方は???良く解りませんが、必要なのでしょうか…?
■「雅春先生…」が文章中…私の記憶では、
必要性はないみたいな感じの“文書…”が、あったような記憶があります…。

■必要なものか?必要でないものか?それが考えるべき問題?でしょうか?

「本部<===>教区間」コミュニケ−ション活性化法……“ニ−ズ性”はありますネ!
この事が今回の「お家騒動事件…」多少は影響していますかしら〜〜〜ン?
一般信者が詳しく情報を把握しますのに、各教区部長からの事後報告に、
なりますでしょう〜〜かしら〜〜ン!

最終的には、仏法でも説かれています様に、「類は類を呼ぶ」これにて、
「生長の家」に集まり来た家族ですもの〜〜ネ!
和気あいあい〜♫〜 話の出来る【雰囲気の場】を設けられます事を…
「心より」思念させて頂きます…。これが益々「生長の家」伸びる事に!!!


                              再合掌
PS:
【本部<――>教区間】失礼ですが、
現状でも一般(末端)信者には、事の成り行きは“伝達”が、不十分です…。
しかも、支部長の認識が何処まであるかによりまして、
其の「情報の量…」左右されますものと、思いますが…?如何でしょうか…?

1830ももんが:2012/03/26(月) 19:04:01 ID:XXCuaQns
>>1825

トキ様

トキ様、今朝は、大変、管理人である、トキ様に対して、失礼な、御質問に成ったのに、誠実に心遣いある、御言葉に、感謝しております。真に、ありがとうございます。感謝敬白、合掌、合掌。

今朝の“森のオフィスの予算のお返事”を頂きまして、トキ様の“苦しい心の内”を“観た”ように、思いいました。

私は、金額に関係なく、この計画には、“賛成”なのですが。

ただ、トキ様、同様に

>>ただ、この計画は既に動き出していますから、
もう、後は、うまく行くのを祈るのみです。<<


私も、真に、工事関係各位の皆様の御安全と、この計画が、真に善い方向に行く事を祈りたいと思います。

それから、別途で、大阪講習会とS教化部長先生のお話を、されていましたね。
このお話を読ませて、頂き、人によって、“観る目”、即ち、“観る心”は、区々だなと、改めて、つうかんいたしたしだいです。

現在、“生命の実相”拝読をしていますが、書いてある通りにだし、いつぞや、照会した“非風非幡”の公案に、なってますね?本流掲示板?面白です。


S先生の善い処を、私は、噂に、聞いては、います。
悪い処も、言う人々は、“自分自身の心”に“悪い心”が、“在る ”からだと、思ってしまいます。


先日、貼り付けた。雅春先生の言葉を、私は、何時も最近は“心“に思いだしては、反省して、おります。
>>『実相と現象』雅春先生著より、こんな、言葉を、発見しました。

★『実相と現象』235㌻〜236㌻

<『団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において完全無欠とはいうことは出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある神の子として無限の完全さを宿しているのであるけれども、現象的には努力によって徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。だから団体の幹部、役員、講師たちにも、団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は無数にあるのである。それは内部で指摘し、批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう人類光明化の目的を達成すべき力が弱まるばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすくなるのである。信徒や誌友達は教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、欠点を見ないで、実相の完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである』〜以上

『実相と現象』より、谷口雅春先生の言葉です。<<

私が、今朝、トキ様に行った、”質問“も、実は、トキ様を苦しめる、行けない行為であったと、反省しております。

もっと、この、言葉の言われる様な、自分に、無意識に馴れたらと思います。

そして、分派の方も、教団の方も、この言葉の様に、振る舞える様に、なって頂きいなと、理想を願う、私であります。

トキ様、少し、愚痴に成ってしまいましたが、トキ様の、此れからも、御体大切にして、お勤めお励みください。感謝敬白、合掌、拝。

1831さくら:2012/03/26(月) 19:12:22 ID:y/hbsyWc
組織内部が硬直化していて、
本音が決して言えないような現実なら、せめて、掲示板で、
組織内部やトップ幹部の悪行より、

新しいアイディアや、方向性、
これからの全体像を
語ってくださる方がいても、
良いと思いますが、
本部の方も、教区の方も、
理想さえ、語られないのでしょうか、
それとも、どっかに書いてありますか。

組織の理想は、生命の實相を守る信仰的なトップに変わる、
それだけなのでしょうか。

1832初心者:2012/03/26(月) 20:54:22 ID:ixiWFYoQ
さくら様

トップを代えて問題が解決する?本当ですか、間違いないですか。やって
みなければわからない。今よりよくなる。そう思うなら、具体的な道筋しめせ。
ビジョンを示せ。

こんな軽口をたたきたくなる現状ですね。世の中を破壊して革命を起こせば、
よい世の中がかならず出現する。出たとこまかせの左翼思想とさして変わらぬ
発想のように思われます。

問題の本質がどこにあるのか、それがまったく語られない。不思議な状況です。
しかも語ろうとすれば、たたかれる。問題の本質を隠ぺいしたまま、状況だけを
変えようとしています。本質が変わらぬ以上、また同じことがくり返されるだけですね。

真理の追究は宗教にはできない。少なくとも大衆宗教にはできない。これは明白な
事実です。宗教にできるのは、信仰と救済です。ボロメオの輪は破綻させてもよい
でしょう。誰もその破綻に気づくものはいないはずですから。

組織改革の要諦は、ボロメオの輪を、維持するのではなく破綻させることで
したね。これができれば、組織は今よりずっとよくなると、このように考えます。

1833役行者:2012/03/26(月) 21:05:20 ID:VZgNVhwQ

 さくら様


 いまのような状態になったのは、幹部、普通の会社なら取締役の方々の責任です。
 よいアイデアはまず、取締役の方々か提唱するのが普通の世界の常識です。提供していると仰ると思いますが、このような結果になっている以上、完成度の高いものでは少なくともないですよね。

 それとたぶん、これまでいろいろな方がよいアイデアを提唱してきたと思います。それを受け入れる体質がないからこのような結果になったのではないでしょうか?

 それから、
 >>1820
 >>1826
 そのほか多箇所のところ

にて、トキ様が、教区の現場の気持ちを訴えていますよね。
 そのことに応えてますか?
 良く読み、返答することを望みます。
 そこから始まるのではないでしょうか。
 たとえば、普通考えると、宗教の目的は、第一に救済運動ですよね。
 訊けさあがよく仰っています。自殺者が年々増してきていると・・・この世に絶望して亡くなってゆく若者のイノチについて、教団挙げて取り組む姿勢を現教団に対して、生長の家世論の皆様は果たして、汲み取ることができる現状でしょうか?

 いままで、数々の方が投稿してきましたが、その一人一人の文書に、良きアイデアが溢れていたと思っています。
 それはそうとして、トキ様、はじめみなさまは、生長の家を愛しています。ですから、教団幹部の方々が門戸を開きさえすれば、つまり、聞く耳を持って下されば、また良きアイデアを見つける目を持って下されば、いくらでも良きアイデアを提唱してくれると思いますし、コミュニケーションのなか、アイデアは生まれてくるものと思うのです。

 そればかりか、本流掲示板の方、愛国掲示板の方、並びに、ここの掲示板の方、みな、いろいろな良きアイデアを提唱してくれていると思います。

 なぜなら、みな、生長の家を愛しているからです。


 生長の家をとおして、日本の国のため、世界のために貢献したいのです。
 
 手始めに、トキ様の上記二つの投稿文にも良きアイデアが、生成発展するファンダメンタルが、書かれていたと思うのですが、如何でしょうか!

 
 追伸、初心者さま!
 颯爽と、春風に乗って登場しましたねσ(^_^;

1834役行者:2012/03/26(月) 21:32:00 ID:VZgNVhwQ

 初心者さま


 >問題の本質がどこにあるのか、それがまったく語られない。不思議な状況です 。しかも語ろうとすれば、たたかれる。問題の本質を 隠ぺいしたまま、状況だけを 変えようとしています。本質が変わらぬ以上、また 同じことがくり返されるだけですね 。<

 斯様に思います。
 歴史をみれば明らかです。
 生長の家がそのようなあやまちだけは犯してはならないと思います。
 
 その一つに言葉の暴走があると存じます。
 しっかりと、シニフィエと繋げなければならぬと存じます。
 そのものの本質と!


 >真理の追究は宗教にはできない。少なくとも大衆宗教にはできない。これは明白な事実です。宗教にできるのは、信仰と救済です。<


 完全同意は出来ませぬが、これも斯様に思います。
 真理追及はシンクタンクとしては持つべきと存じます。それがなければ、その宗教団体の格が下がります。
 もちろん中核に据えるべきは、救済と信仰と私も斯様に思うのです。

 >ボ ロメオの輪は破綻させてもよい でしょう。誰もその破綻に気づくものはいないはず ですから 。組織改革の要諦は、ボロメオの輪を、維持するので はなく破綻させることで したね。これができれば、組織は今よりずっとよく なると、このように考えます。<

 ゴメンナサイ、ボロメオの輪ってなんですか?

1835さくら:2012/03/26(月) 22:17:57 ID:fY9NxAxY
初心者様
(・・っていつのまに、、)

こ、こんにちは、、初心者様。お久しぶりでございます、はい。

お言葉ありがとうございます。

>組織改革の要諦は、ボロメオの輪を、維持するのではなく破綻させることで
したね。これができれば、組織は今よりずっとよくなると、このように考えます。

ボロメオの輪、なんです。
実は、このことが、わたしには、考えを整理するのに、大変役に立ちました。

全体像と言いましたのは、組織のその時々の運営の仕方のひとつひとつのアイディア・・という意味ではなかったのですが・・わたしは本当に言葉足らずで、理解をしていただくレベルには至っておりません。自分でよくわかっております。

このボロメオの輪の発想から宗教組織を考えると、問題を比較的すっきり考えられる点が、実際多くあるのでないかと、わたしには、感じられるのです。

>組織改革の要諦は、ボロメオの輪を、維持するのではなく破綻させることで
したね。これができれば、組織は今よりずっとよくなると、このように考えます。

これがずっと頭にありますが、・・おそらく、現場では、そのような発想は、受け入れてはいただけない、とは百も承知で、ここに書いています。
現場の発想からは、現実的でない、今までのあり方とは違うので、まったくナンセンス。
なんで、勝手な妄想として、考えることに致しました、笑。

まず、意味が、通じないんです、笑。
さくらのボキャでは、余計通じません。

ですので、むなしさに打ち勝って、また、妄想を語るかどうか、
躊躇しております、笑。

初心者様は、妄想はお好きですか、、

1836さくら:2012/03/26(月) 22:41:06 ID:fY9NxAxY
役行者様

お言葉、感謝いたします。

ご指摘いただいたこと、本当にその通りです。
言葉足らずですが、トキ様の声は、胸に届いております。
一つ一つの運営をみると、矛盾点が多く、改善点を、生長の家を愛するがこそ、
皆さまが、よき方向になるよう、真摯にお考え下さっていると、私も理解しております。
そして、このことに賛同いたします。
今まで組織の垢のようなものが出て、停滞や問題の複雑化につながっている数々のことを、
トキ様も現場で感じられていることを、率直に語ってくださっていて、よく理解ができ、
組織の端っこにいるわたしなりの立場で、ですが・・
理解できる範囲のところで、共感を、とても感じております。

それは、現場の方だからこそ、、
業務的な面からも能力ある方が、変えていけることなのだと、
信頼もしております。

>現在、教区では、独自の行事を開催できない状態です。例えば、co2の問題があるので、30名以上集まる講演会は開けません。
講師も、他の教区の地方講師を招請するのは、事実上、不可能に近い程に手続が煩雑です。新しい企画なども一々本部におう
かがいを立てる必要があり、しかも大半が却下です。少しでも本部方針に違う事を話したら、すぐに問題にされます。

>異常とも言える環境方針を採用している

その他、上げてくださったことも、もちろんです。
たとえば、こうしたことも、わたしのような末端信者さえ、感じていることです。
では、どうしたら、閉塞的な組織が改善されるのか、は、わたしには分かりません。
ただ、今の方針を打ち出す、トップを変えれば解決とは、いえないのではないかな・・という気がしているものですから、
組織はどのように変わるべきか、大きな意味で、
そのことに対する上の方の見識を聴けたら幸いだと思っておりました。

そして、それは、もう一度、組織の全体のあり方のようなものを考えて行けたら、
もっと、根本的なことが見えるのでないかと、
感じたものですから、
このような表現になりました。

1837さくら:2012/03/26(月) 22:44:06 ID:fY9NxAxY
役行者さま

さくら慣れないことを表現しようとして、
ひじょうに、読みづらい文章になってしまいました、笑。
ごめんなさい。

言いたいことを伝えるのに、夢中になりすぎて、
ほんと、変な文になってます、、
済みません。

1838さくら:2012/03/26(月) 22:51:58 ID:fY9NxAxY
>教区には教区の事情があり、地域によって特色があります。それを無視して、東京の価値観を押し付けるのは、よくないと
思います。環境保護方針は大事ですが、そればかりだと本末転倒だと思います。

地方の特色ある活動をしていくためには、どのように、
組織のあり方を変えるべきか、はなしあっていけたら、
すばらしいですね、
たくさんのアイディアを持っている方がたくさんいらっしゃるでしょうから、
そのことも楽しみです。

>例えば、講演会の開催の復活、外部講師の招請の手続の簡易化、新規行事の開催の緩和などが必要だと思います。また、会計など
は、不祥事根絶のため、会員による監査請求の制度化なども必要だと思います。

これは、業務的なことで、方針をとおしていただけるのでしょうか。
それとも、今の組織では通用しませんか。
もししていただけるのなら、幹部の方にはお願いいたします。

一つ一つの改善策をこのように、皆で話し合い実現すること、
そのことが大切ですね。

それと同時に、
全体的に、組織のあり方、という全体像も、
また、話し合いができれば、よいという気がいたしました。

トキ様には、丁寧なお返事いただいていたのに、
もし、わたしが受け取っていないようにご理解されていたら、
大変失礼いたしました。

1839役行者:2012/03/26(月) 23:03:32 ID:VZgNVhwQ
 
 さくらさま

 少なくとも私にはよく理解できますσ(^_^;

 本部と教区で、また、第一線で活躍されている方々のアイデアは大変貴重なものと存じます。取りあえず、返信まで!

1840SAKURA:2012/03/26(月) 23:28:28 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
皆様 へ
観覧者様 へ

■さくら様 へ
ここしばらくの“投稿文章”拝読させて頂いております…。
さて、私は【具体論】として…いつも投稿させて頂いております…。

その後、「さくら様」は、御自分の御意見の様に、投稿されます〜〜〜のネ!
それならば…昨年から拝読していますと…
かなり内部を知っている様子でしたでショ〜〜〜???
【かなりの役職として登場では、なかったのですか〜〜〜しらん】
ならば【具体論…投稿】を先に投稿出来る者と思いますし、可能なものと思います。
ですから、お願いしたく思いますが…何卒よろしくお願いいたします…。

いくら【スレ…とはいえども今!今!真剣に「生長の家」討論中です…。
そして、観覧者は、真剣に拝読いたしているはずです…。】
気分が、良いものではありません〜〜〜〜〜ネ!

■「さくら様」の言葉…( 一部抜粋)
1836>たとえば、こうしたことも、わたしのような末端信者さえ、
感じていることです<
前回と〜〜更に〜〜今回の途中の状態が違います〜〜ネ?変!!
                            再合掌

1841SAKURA:2012/03/26(月) 23:29:20 ID:FEa/NNlc
トキ様 へ
観覧者様 へ
 
先程…「奥の間」に消えていますので…【再投稿】させて頂きます…。
1829 :SAKURA:2012/03/26(月) 17:25:03 ID:rvp6Zkdo
トキ様 へ  
>1820 拝読いたしまして…

現在・過去の【本部〜〜教区間】状況を教えて頂きありがとうございました。
■【日本の慣習…】申しますかしら〜〜〜ン(遅くなりましたが…)

企業でも“本音”を話す時は「懇親会?=酒?」多少は入り〜〜♫〜〜ものネ!
【本音…】がお互いに話す事が出来る〜とかは、良く“耳”にします。
果たして…何処まで【本音】が、言えるのでしょうか??

【人間関係=コミュニケ−ション】では??必要なモノと考えるべきでしょうか…?

この事は、【男性同士??ビジネス上??関係上??】
唯!“お酒”が入らないと、本音がいえない……??
精神的に“デリケ−ト”方は???良く解りませんが、必要なのでしょうか…?
■「雅春先生…」が文章中…私の記憶では、
必要性はないみたいな感じの“文書…”が、あったような記憶があります…。

■必要なものか?必要でないものか?それが考えるべき問題?でしょうか?

「本部<===>教区間」コミュニケ−ション活性化法……“ニ−ズ性”はありますネ!
この事が今回の「お家騒動事件…」多少は影響していますかしら〜〜〜ン?
一般信者が詳しく情報を把握しますのに、各教区部長からの事後報告に、
なりますでしょう〜〜かしら〜〜ン!

最終的には、仏法でも説かれています様に、「類は類を呼ぶ」これにて、
「生長の家」に集まり来た家族ですもの〜〜ネ!
和気あいあい〜♫〜 話の出来る【雰囲気の場】を設けられます事を…
「心より」思念させて頂きます…。これが益々「生長の家」伸びる事に!!!


                              再合掌
PS:
【本部<――>教区間】失礼ですが、
現状でも一般(末端)信者には、事の成り行きは“伝達”が、不十分です…。
しかも、支部長の認識が何処まであるかによりまして、
其の「情報の量…」左右されますものと、思いますが…?如何でしょうか…?

1842志恩:2012/03/27(火) 00:07:50 ID:.QY5jUA6
さくらさま

さくらさまは、「ボロネオの輪が、私の考えを整理するのに、役立った」と、おっしゃってますが、
私には、ボロネオの輪が、なんだか、さっぱりわからないのです。

わるいけれど、さくらさまの言葉で、説明してくださいませんか?

1843SAKURA:2012/03/27(火) 00:24:23 ID:FEa/NNlc
>1840 下記のように訂正させて頂きます…。

【具体論…投稿】を先に投稿出来る者と思いますし、可能なものと思います。  ×
【具体論…投稿】を先に投稿出来るものと思いますし、可能なものと思います。○

1844ハマナス:2012/03/27(火) 00:33:52 ID:u5mC.eb2
神の子のみなさま
ありがとうございます。

昨日も、ももんが様が ★『実相と現象』235㌻〜236㌻のご文章をお書き下さいましたが、
同じご文章が『新版 生活の智慧365章』の109㌻の 「現象人間の欠点に寛容であれ」
にもありました。

「団体の幹部、役員、講師たちも、現象の人間としては、あらゆる点において完全無欠とはいうことは
出来ないのである。全ての人間はその人間は実相は既にある神の子として無限の完全さを宿しているので
あるけれども、現象的には努力によって徐々に開かれて行く最後の完成を目指しているのである。
だから団体の幹部、役員、講師たちにも、団体のメンバーから見れば不完全であり、批判の的になる点は
無数にあるのである。それは内部で指摘し、批判し、攻撃しあっているでは内部紛争を越して、外部に向かう
人類光明化の目的を達成すべき力が弱まるばかりである。幹部といえども普通のメンバー、誌友、信徒たちと同じく、
感謝され、称賛され、美点を見つけてもらい、激励されることによって励まされて、実相の完全さが現れて来やすく
なるのである。信徒や誌友達は教団の幹部の人達にも現象人間として、色々の苦労があり、悩みがあることを察して、
欠点を見ないで、実相の完全円満さを念じて、その円満さ現れる手伝いをしてあげるべきである。」


つづきます。

1845ハマナス:2012/03/27(火) 00:38:55 ID:u5mC.eb2

つづきです。
次の箇所を引用させて頂きます。

イエス涙を流し給えり (『新版 生活の智慧365章』P.110より)

「幹部に対しても、その不完全さが目についたならば病人に対するが如くせよ。
あなたは病人に対して攻撃を加えるでしょうか。病人を悪しざま酷評するでしょうか。
そんなことはしないでしょう。病人に対しては四無量心を起こすべきである。即ち
慈悲喜捨の四つの無量に深き愛念を起こすべきである。慈とは苦しみを見て苦を除かんと
欲する慈念である。この場合、幹部の労苦を少しでも軽減してあげたいと、その手伝い
する心である。悲とは人の苦しみを見て楽を与えてあげたいと思う悲念である。若し、
幹部役員と、そのメンバーとが対立関係になり、労使的な気持ちで対立するならば、
そのような処には、宗教も信仰もないのである。

苦しんでいる人、重荷を負える人はすべて病人である。病人に対しては、イエスは
どうしたか?「イエス涙を流し給えり」と『聖書』にある。同慈、同悲の心が起こったのである。
次には神に祈って「神よ、あなたは常にわが願いを聴き給うことを知る」といって自分の信念を
増強し「死せるに非ず、眠れるなり、起(た)てよ」と断言しておられるのである。
その時ラザロは健康になって起ったのである。私たちも幹部役員に向かって、
「実相は死せるに非ず、眠っているだけだ。素晴らしい神子(かみのこ)」だ。既に完全なのだ」と
念じてあげなければならないのである。」

雅春先生が私達すべてに教えて下さっておられます。とても深いご文章です。

感謝合掌

1846SAKURA:2012/03/27(火) 02:05:18 ID:FEa/NNlc

【SAKURA の 独り言】

>1840の続き〜♫〜
ヤッ〜〜〜〜〜ト“途中下車…状態”に、先程からなりました〜〜〜の?
全体の流れ「拝読させて頂きました…」
でも?変です〜〜ネ!

【去年の11月前後…つまり高裁前の状況と…同じ!!】に見えます〜〜〜ネ!!
ぐるぐる〜〜〜〜〜廻る回転木馬〜〜〜〜〜♫
■あの時も…【シニフィアン(signifiant)とシニフィエ(signifi&eacute;)…】
【哲学的???抽象論的???】討議をされて〜〜更に!!話が……?
それにて【肝心の「本部・教区・組織…」更に…具体案?が…】
中途半端にての“終結”してしまったような記憶があります…。
今回も???ですか!!!!!!!!

■「生長の家」の行く末…考えていらつしゃいますの〜〜><

■■あの時も【具体論】無かった〜〜ワ!(お一人…投稿されて?いた様な記憶が?)
そして?【問いかけ…】ばかり??
本当に「役職…」ならば、一般からの資料があるはずですので【具体案】投稿可能かと?
それとも「公表…」難しいならば…この掲示板?投稿するばかり??
もしくは、【○○モドキ】にての…投稿も可能ですモノ〜〜ネ!

■■では【真実性…】これは【フィフティ−!!フィフティ−!!】でしょうか?
観覧者は【振りまわされるのみ〜〜〜><】になります〜ネ!

この様に“解釈”になってしまうものと…思う所存ですが?
                             再合掌

1847さくら:2012/03/27(火) 07:13:00 ID:gURwerLQ
SAKURAさま

ご指摘ありがとうございます。
理解いたしました。

具体案ということで、トキ様が、内部の事情と合わせながら、それに対応する、事務的な対策から、
SAKURAさまがあげてくださったように、人間関係のコミュニケーションのありかたまで、
改善の余地があることを、
たいへん、理解いたしました。
ありがとうございます。

このように、内部からの声を具体的にあげていき、
ある問題が分かってきたら、
できることろから、出来る方から、
改善していって頂きたいと切に願っております。

しかし、その上でわたしは
同時に、全体像のようなものが、必要ではないかと、
勝手に思っているところがあります。
ひとつひとつの改善案、ということは、もちろんですが、同時に、
では、なぜ、組織がこうした問題を抱えるのかな…という、総括的なことを、お聞きしたいなと、そのように思った次第です。

なぜ、み教えを学んでいて、
このような、問題を抱えるのか…というのは、
組織というもの持つ、性質や気質を総括的に考えることも、大切なような気がいたしましたので、
同時に、このようなことを考えてもよいのではないか、と感じていました。

ですから、抽象的な表現になり、失礼いたしました。

トキさまが仰るように、たくさんのものを抱えすぎて、ゴミ屋敷を笑えない、と。
では、組織の役割は本来どうであるべきか、という根本的なことを話し合われてもよいのかな、とこういうことをおもわれました。

わたしには、そんな大それたこと、考える力がないことは、
百も承知です。
ただ、見識あるみなさまの知恵がよりよい方向へいくヒントを下さるのではないか…
と思っております。

本日は時間がないので、もし書けるとすれば、夜の投稿になりますね、

SAKURAさま、ご意見ありがとうございます。

1848ももんが:2012/03/27(火) 07:16:43 ID:XXCuaQns
トキ様、神の子皆様、おはようございます。今朝も、素晴らしい、朝がやって参りました。さあ、元気に、明るく、楽しく、素晴らしい日にいたしましましょう。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。


〜日時計主義の生き方より〜


諸君は『日時計』と云うものを見たことがあるか、それは一本の直立せる針と、時間をしるした一枚の盤とでその主要部分が成り立つている。太陽の光線がその直立せる針に落ちると、針は盤面の目盛りの上に影を落とし何時だと判るのである。太陽のない日は時間が判らない。そして自分が見た日時計の盤面きには、こんな標語が、あつた。

“I record none but of sunshine”(吾れ太陽の輝く時刻のみ記録す)


自分はこの標語を『日時計主義』だと云つている。そして『生長の家』では出来るだけ、輝く喜びの時刻だけを記憶し、語り、思いだす。喜びに言語の再現力、言葉の創造力を応用するのである。〜以下抜粋

月刊生長の家第一号、20㌻より。(谷口雅春先生著)

おはようございます。!この、第一声こそ、大切な、コトバの様に、思われます。
ハマナス様、トキ様、昨日、御言葉ありがとうございます。

では、皆様、本日も、嬉しく、楽しく、明るく、元気に、素晴らしい日をお過ごしください!ありがとうございます。感謝敬白、合掌、拝。

1849さくら:2012/03/27(火) 07:26:52 ID:gURwerLQ
志恩様

ご意見ありがとうございます。

ボロメオの輪は、3つの輪が繋がりをもちながら、同時に独立的なものでもある、という例えで、
例えば、3つの観念が、ある繋がりをもちながらも、
同時に、独立的な働きをするようなこととして、理解しておりました。

宗教がもつ、信仰と、個人救済と、真理の追求…
これは、宗教としては、どれも果たすべき役割としてありながら、
宗教の組織としては、求めるものに応じて、対応の仕方を分けるべきではないかな、とそのように考えた次第です。

純粋宗教のあり方と、
組織という有機体が持つ性質は、明らかに異なるのではないか、と、
漠然と感じておりました。
対応が違うものを一緒くたに考えるところから起こる問題も隠れているのではないか、
と思った次第です。

本日は、夜まで時間がありませんので、今は、具体的に書けずに申し訳ありません。
この度はこれで失礼いたします。

1850志恩:2012/03/27(火) 08:02:31 ID:.QY5jUA6
さくらさま

ボロネオの輪を、わかりやすく説明してくれてありがとう。
さすが、さくらさまです。おかげで少し、わかった気がする。

宗教がもつ、「信仰」と,「個人救済」と、「真理の追求」、
これを、ボロネオの輪という3つの輪に例えたわけね。
この3つは、どれも宗教として、果たす役割があるけれど、

この3つを、宗教組織としては、まとめて1つと考えず、求めるものに応じて、
1つ1つを分けて考えて、対応するべきだということね。

で、初心者さまのお考えだと、宗教には、信仰と,個人救済は、ある。つまり、
2つの輪はある。しかし、もう1つの輪である真理の追究は、ない。

それで、宗教は、ボロネオの輪という3つの輪は、破錠させること。
真理の追求は、行えないからな、と言われたのですかね。

宗教では、真理の追求は、行えないという意味は、
生長の家でしたら、谷口雅春先生の教えという教えがあるので、それしか学べず、生長の家以外の、彼の敬愛する哲学などを
学ぶことなどの、真理の追求は、できない。で、生長の家では、真理の追求はできない、ということでしょうか。
此れについては,未だ,意味が、わかりません。

1851役行者:2012/03/27(火) 08:30:44 ID:VZgNVhwQ

 さくらさま

 おはようございます。
 そして、いつもご苦労様です。これから書くことはオイウチをかけるのでなく、大切なことと思うので、志恩様に追って付け加えます。


 >>1842
で、志恩様も仰っていますが、



 >ボロメオの輪、なんです。 実は、このことが、わたしには、考えを整理するの に、大変役に立ちました。 全体像と言いましたのは、組織のその時々の運営の 仕方のひとつひとつのアイディア・・という意味で はなかったのですが・・わたしは本当に言葉足らず で、理解をしていただくレベルには至っておりませ ん。自分でよくわかっております 。このボロメオの輪の発想から宗教組織を考えると 問題を比較的すっきり考えられる点が、実際多くあ るのでないかと、わたしには、感じられるのです 。<


 本当にごめんなさい。ここはたくさんの生長の家信徒が閲覧されてます。


 ですから、組織の全体像を!と仰るのなら・・・


 >では、なぜ、組織がこうした問題を抱えるのかな… という、総括的なことを、お聞きしたいなと、その ように思った次第です <


 と皆様と発展的なコミュニケーションをする事をお望みなら・・・
 ボロメオの輪って?から、
さくら様の全体像観をお伺いしたいです。


 >組織改革の要諦は、ボロメオの輪を、維持するのではなく破綻させることで したね。これができれば、組織は今よりずっとよく なると、このように考えます 。
これがずっと頭にありますが、・・おそらく、現場 では、そのような発想は、受け入れてはいただけな い、とは百も承知で、ここに書いています 現場の発想からは、現実的でない、今までのあり方 とは違うので、まったくナンセンス なんで、勝手な妄想として、考えることに致しまし た、<


 妄想ならば、ここ公の掲示板に公表するのは如何なものでしょう!
 初心者さまは妄想を述べてはおりません。現実です。崖っぷちギリギリの生長の家教団の現状をみられての、アドバイスと思っております。

 また、「おそらく現場はそのような発想を受け入れてくれない」
 と思われているのは、失礼極まりないのですが大切な時なので云います。
 貴殿ではないでしょうか?

 どうでしょう、現場は受け入れてくれない、ナンセンス!と云いつつ、
 組織の全体像を皆様にお伺いします!とは、辻褄が合いませんね。

 兎に角、まず、さくら様からのボロメオの輪を駆使しての、総括案に関して提唱していただくことを心より望んでおります。

 
 失礼なことを申し上げたことに関しては心より、お詫びします。
 また、おいそがしいところ恐縮しております。急いではおりませんので、ご了承ください。

         合 掌

1852さくら:2012/03/27(火) 08:58:45 ID:gURwerLQ
志恩様

ありがとうございます。

初心者様が、真の意味をお答え下さると思いますが、
私の理解する範囲ですと…
真理の追求と、信仰の問題は、探求する観点が異なりまして、
話がどうしても平行線になってしまう面があるのではないか、と感じる点も確かにありました。

どちらが重要であると決めて人に要求するものではなく
物事を理解するアプローチが、異なる問題だと思っております。
宗教では、真理の追求は、行えないというのは…極端な話で、
真理の追求をするのに、ただ、信仰という問題だけで片付けてしまわずに、その検証を求めるアプローチもあってよいのではないかと、そのような提案なのかもしれません。
もちろん、志恩様が仰っていたように、それは、生長の家でも、否定されてないところだと、理解しております。

例えば、ダライ・ラマは、科学の研究機関との交流を熱心に行われ、瞑想状態の脳科学の研究や、生物学からの仏教の心の働きや、仏教の空と量子力学の研究…その他多方面から宗教というものを、科学の研究の面からも熱心に探求されているようてます。
それは、信仰の問題と同じくらいの情熱で求められておられると思われます。

なぜ、病気が治るのか、果たして病気とは、本当に「悪」の状態なのか、言葉の力という、その言葉とは、どういう本質を持つのか…

…それは、信仰の問題では、結果がでているのだから、良いではないか、ということももちろんありますが、
違うアプローチもある、そういうことかと、感じられました。

1853さくら:2012/03/27(火) 09:02:44 ID:gURwerLQ
役行者さま

いつも、ありがとうございます。
真意を理解いたしました。

わたしのいつも、誤解を招くような表現に、
するどいつっこみをいれて、理解しようとして下る姿勢を
大変感謝しております。

ただ、今日は、時間がほんと、ないので、
また、夜に、書きますね。(眠さに打ち勝ててれば…笑。)
役行者様、
いつも、ありがとうございます。

1854八咫烏:2012/03/27(火) 11:41:29 ID:EDxUCmms
突然の割り込みをお許しください。

ボロメオの輪という観念は、初めてであり、私もよくわからず、志恩様の
リンクを読んでもよくわかりません。

独立した三つの要素が絶対必要であるというのもよくわかりません。
さらに信仰と、救済、真理の追求という要素に固定されていることも、
よくわかりません。
しかも何故これらが独立しているのかもわかりません。


さらにいえば、宗教においては、
信仰とは真理への信仰であり、信仰と真理は重なるものだと思います。
もし宗教の三要素を考えるならば、私なら、信仰、救済、祭祀です。



もし組織運営の面で、ある程度独立させる方がいいと思える要素を考えるならば、
現実的に考えて、私は、祭祀、救済、出版とするでしょう。
現実の組織を思い浮かべれば、私はそのように考えます。


さらに、真理追求といっても、宗教的真理とは、いわゆる科学的真理ではなく、
分析による追求ではないと思います。
とは言え、ダライラマのように、科学と連携するなどは
それなりに面白い企画ではありますが、
科学に本格的に参入することは無理で、そこには莫大な経費がかかり、
研究所の経営などは、とても無理だと思いますし、
又物理学などは、思索のみでも出来るという話も聞きますが、
これもやるとすれば、先ず人材を育てることから始めなくては
なりません。何れにしても、これは本業ではないと思います。

敢て真理追求を入れるなら、出版によって、
個人が得た真理というか真理体験、思想を、
広く伝達することでしょうか。
これは今までも、歴史研究や、いろいろな評論などを
出版されていましたよね。
かつてのこうした出版物はとても面白くためになった気がします。


そもそも宗教とは、一を目指すものかと思います。
信仰、救済、真理とかかれていることが、宗教の持つ観念的な要素ならば、
それは個人では完全に統合されているものです。
分裂して、それぞれが引っ張り合ったら、確かに崩壊します。

だいたい独立とは、全体であるものが独立できるのであり、
要素だけが独立出来るということはありえないと思います。

だから、ボロメオの輪をここで引用することが
ほんとうに正しいのかどうか、単に混乱を招くだけではないでしょうか。

もっと単純に、組織図を描いて、下部組織として、
半独立した部所を描くなどしたほうが、わかりやすいのではないでしょうか。

もっとも私は、生長の家では組織経験がほとんどない人間ですので、
単なるイメージですから、間違っているかも知れません。

1855志恩:2012/03/27(火) 11:49:19 ID:.QY5jUA6
さくらさま

1852に、ダライ・ラマの話題がでましたので、本流宣言掲示板のほうに、載っていた文を貼ります。
 ダライ・ラマは、迫害から逃れるために亡命の道を、よぎなく選択されたのでした。自分の主張を守るための
命懸けの逃亡をされたのです。

http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&amp;mode=res&amp;log=811

それから、
1851:役行者さまが、ポイントをついたコメントをされてます。
私も、さくらさまの回答をお待ちしています.

さくらさま曰く「病気が治るのか、果たして病気とは、本当に「悪」の状態なのか,言葉の力という、
       その言葉とは、どういう本質をもつのか…

       …それは、信仰の問題では、結果がでているのだから、良いではないか、ということも
       もちろんありますが、

       違うアプローチもある、そういうことかと感じられました」

今までの、この初心者さまと、さくらさまの会話をみてもわかりますように、
私はですね、昨年来から、初心者さまと、さくらさんの結びつきの法則は

「死に不安?」:「死には しえん」この、ラカンの説、お二人は、一対で成り立つ夫婦のような
 法則であると、かんじております。

以前、初心者さまと貴女は、ここの掲示板で、恋人同士のような感じで語り合ってました。

生長の家は、宗教教団を設立した事は、よかったんだろうか、どうだったのか、設立したこと自体が、失敗だったのではないか。設立する必要は、なかったのではないか。
組織も要るのか,要らないのか、個人が個人で地元で、いいことをしていけば、それが救済運動になるのではないか、というようなことを
トーキングスティックボードで、語りあっておられましたよね。

先日、本流対策室のほうで、初子様(初心者様)は,「私は、生長の家ではない。生命の實相も要らない。本流も潰す。そして、生長の家に真理は、あるのか」と、
昨年語っていたのと、同様な内容の話をされています」

さくら様は、昨年も、初心者様のよき理解者であったので、初心者さまは、自分は、さくらさんのためなら、1里といわず、5里でも歩いて行けます、と
深い情愛のこもった言葉を,さくら様に投げかけられてました。

なぜ、このように過去の発言を再現して,私が言ってるかといえば、初心者様は、さくらさんの発言を、とても信頼されて、見守っておられるからです。

つまり、貴女の発言は、生長の家の未来に、少なからず影響を与えるということです。ですから、役行者さまの、ご指摘のように、あやふやな返事は、避けていただきたいと
希望しています。

1856八咫烏:2012/03/27(火) 12:01:14 ID:EDxUCmms
ところで、祭祀について、
もしかしたら、私は、祭祀というものは、要素ではなく、独立したものかとも思います。
ある人が、宗教とは、祭祀の劣化したものと書いておられたのを見たことがあり、
ある程度頷けるものがあります。
祭祀とは、宗教の原始的な根源的なものかとも思います。これ自体を完全に近い独立、
というか下部ではなく、並立状態に置くべきものかとも思います。

1857初心者:2012/03/27(火) 12:14:36 ID:ixiWFYoQ
八咫烏様

わたくしは、地方の小さな組織でしか活動したことがありません。
したがって、その組織での活動から得た教訓を書かせていただいて
おります。

以上のような理由から、教団全体を見据えた発想はできておりません。

出版という感覚は、地方の組織にはまったくなかったと考えます(何が
出版かにもよりますが、出版という言葉から連想するものはなにも
なかったと考えます)。
また、信仰と祭祀をいっしょくたにしているのかもしれませんが、実感として
あったのは、真理、救済、信仰でありました。宗教という観点から、これ以外のものを
実感いたしたことはございません。

わたくしが書いておりますことは、あくまでも活動の挫折のなかで得た実感
でありますので、宗教の定義とは縁遠いのかもしれません。

1858初心者:2012/03/27(火) 12:18:01 ID:ixiWFYoQ
役行者様

お久しぶりでございます。「ボロメオの輪」についてご説明いたします。

以下がその図柄です。

http://green.zero.jp/hkabuto/fukashigi/a01.html

ご覧のように、ボロメオの輪は3つの輪でできておりますが、じつはどの輪も
交差していなくて、バラバラといってもよい状態なのですが、なぜか
うまく結びついていますね。実際には結びついていないので、ひとつでも
はずれればバラバラになってしまいます。

宗教には、真理、救済、信仰の3つの側面があるはずです。これら3つの側面を輪に
たとえたわけですが、従来の発想ですと、これら3つの輪が、どれも互いに交差して
いなければならないと考えられていたはずですので、救済がメインであるはず
の組織の活動が、「今やっていることははたして真理にかなうのか」と自問自答
しながらの「数あつめ」であったような気がいたしております。こうした自問自答が
活動の足かせになっていたのはたしかなようにおもわれます。。

わたくしは、組織活動においては割り切りが必要であると考えました。「救済を
真理と無理にからめない」。こうした発想が必要なのではないかと考えた末に、
このことを、「ボロメオの輪」で、かつて説明いたした次第であります。。

具体案を示さなくてはなりませんでしょうか。できれば避けたいところであります。
なぜと申しますに、これはきわめて個人的な発想にすぎず、たとえ論理を完結
させることができたとしても、トキ様のいわれる「使いこなせない」状態どころか、
「使いこなしたくない」状態となるのは必至だからであります。

また何か言われそうでありますが、ひと言だけ言わせていただければ、真理、
救済、信仰は、わたくし的には、ジャック・ラカンのいう「現実界」、「象徴界」、
「想像界」の3界にほぼ対応しております。ここでの書き込みも、たいていは
こうした立場からおこなっております。

「ボロメオの輪」のたとえにしても、ジャック・ラカンが3界の説明のために
もちいたものでありますから、真理、救済、信仰を3界にむすびつけるというのは、
単純といえば単純な発想なのであります(すべてを説明できるとは考えて
おりませんが、救済とは、現実界的な出来事をいかにして象徴界に持ち込むか、
ということであると理解しております。また現実界は想像界を侮蔑する。こうした
傾向があるのも、またたしかなことだろうとおもいます)。

役行者様がどうこうということではけっしてありませんが、これ以上の説明は
いたしたくありませんので、このあたりということにさせていただきます。

ちなみに、「ボロメオの輪を破綻させる」とは、わたくし的には、現実界=真理を
取り除くということです。これができれば、現教団と本流は和解が可能と考え
ます。これはあくまでもわたくし的な発想であり、実現不可能な発想でもあります。
ただそのための努力は続けてきたつもりでおります。

1859トキ:2012/03/27(火) 12:32:32 ID:XQTu5RCc
初心者様

 お帰りなさい。復活を心から歓迎申し上げます。

 今、バタバタしておりますので、感謝と敬意を表するだけになりますが、
お許し下さい。

合掌 ありがとうございます

1860志恩:2012/03/27(火) 13:07:43 ID:.QY5jUA6
八咫烏さま

初心者さまは、東京のある地区の青年会に,所属されてたことが、おありになるそうです。
以前,どこかで,読みました。

それで、昔は、東京都に教化部はなかった(本部会館の地下に、あったので)のですが、
初心者様が活動されておられたときは、東京都教化部があり、そこで、いやなやつ、えばりくさったやつ、
に出会ったので、組織というものに、ひどく嫌悪感をもつようになられたようなのです。

理想世界誌の、100万部運動も、盛んだった頃のようです。それが、トラウマになってるようです。
昔の様な、素朴な時代の生長の家組織とちがって、時代の変遷により、垢がこびりついてきていたようです。

それらも,含めて、いまは、大転換、見直す時期が来ているのでしょう、きっと。

1861役行者:2012/03/27(火) 13:51:48 ID:VZgNVhwQ
 初心者さま
 
 ご丁寧に返信くださり、ありがとうございました。

 いま、手始めに、脱構築について学び始めてます。まあ、浅くですけど・・・

 哲学ですか・・・上記文章、沈思黙考します。

           合掌

1862八咫烏:2012/03/27(火) 13:55:31 ID:EDxUCmms
志恩 様
 
ご説明有難うございます。

そうなのですか、なるほど、そういうことはあるでしょうね。

私も今は大転換の時期だと思います。
生長の家という組織は、建て替えの時期ですね。今の組織は全く一掃して、一から新組織を
立て直す時期だと思います。日本も戦後レジームから脱するために、現憲法を破棄する時が来る
と思います。そうなれば、まさに維新とでもいう状態が来るかも知れません。

生長の家も、新組織の出現が必要ですね。

ボロメオの輪は実際には、互いに全く結びついてないということですから、
実のところ、ボロメオの輪に譬えられたことは、既に組織が破綻していると
いうことではないでしょうか。
結びつくべきものが結びついていないで、恰も結びついているかのように見えている。
つまり欺瞞の中にあるわけです。

「お前は既に死んでいる」状態ではないでしょうか。

1863「訊け」管理人:2012/03/27(火) 15:58:12 ID:Lnhsn5Ng

>校長先生

 質問がございます。「ボロメオの輪」に関してでありますが、文中でお使い
になられた用語について二、三、意味を確認致したく思います。

<質問>

●真理、救済、信仰に関して。

1) ここで云う「真理」とはなにを指すのでありましょうか。これは「真理の追究」を指す、という理解でよいのでありましょうか。
2) 同じく「救済」とはどういった規模のものでありましょうか。また、たとえば現在の教団方針(CO2削減等)はここに含まれるという理解で宜しいのでありましょうか。
3) 最後に「信仰」に関してでありますが、これはどんな意味になりましょうか。「聖典を機軸とした」方針で行きつつも、「真理探究の結果知りえた」ことがらを随時反映させて行く、そういったイメージでありましょうか。

●現教団と本流の和解に関して

――――――――――――――――――――――――――――――
ちなみに、「ボロメオの輪を破綻させる」とは、わたくし的には、現実界=真理を
取り除くということです。これができれば、現教団と本流は和解が可能と考え
ます。
――――――――――――――――――――――――――――――

 この箇所での補足説明を賜れませんでしょうか。「現実界=真理」を「取
り除く」のイメージが俄かには湧いて参りません。そしてそれが可能ならば、
和解も可能とのことですが、少々思考に混乱を来たしている現在でありま
す。返信ご掲載の労を賜りましたら幸いであります。

追伸

 なお、現下掲示板の状況を見るにまあ・・・可能な範囲でお書きになられ
ても構いません。ただし、論点として非常に重要だと思いますので、広く議
論参加者の参集などありましたらば、善きアイデアも出るのかもしれません
ね。貴殿ご提示案は組織運営上、非常にオモシロイ論点であると思ってお
ります。(生意気な物言いですみません)

1864初心者:2012/03/27(火) 16:14:38 ID:ixiWFYoQ
八咫烏様

こちらの掲示板で書いたことでもあり、ひと様にことさらに伝えるべき
ことがらでもないのでありますが、じつはわたくしは、18年ほど前に
真理をつかんだとする実感を得まして、こうした感覚は、以来途絶える
ことなく続いております。このときの体験は、宗教的な体験に近いもので
あったのかもしれません。

1865初心者:2012/03/27(火) 16:24:07 ID:ixiWFYoQ
上記投稿は、投稿先を間違えたものです。
お流しください。

1866初心者:2012/03/27(火) 16:42:58 ID:ixiWFYoQ
さくら様

お久しぶりでございます。お言葉をかけていただいて、
ありがとうございます。

組織が変わらないのであれば個人でやるしかない。
そういうことだろうとおもいます。

わたくしは、生長の家が嫌いになりましたから、首を突っ込むつもりは
ありませんが、個人の立場で巻き込まれる可能性があります。
仮にそういうことになれば、私家版の「ボロメオの輪」を実践する
つもりでおります。

いうまでもないことですが、巻き込まれるということになれば、教義を
否定するがごとき乱暴な話をいたしたりはいたしません。できれば、
アーノルド・ミンデルを救済に役立てたいと考えております。

わたくしもずいぶんと嫌われましたので、この場はそろそろ去ることに
なるかと存じます。それまでに有意義な情報交換ができればとおもいます。

1867さくら:2012/03/27(火) 18:17:52 ID:gURwerLQ
初心者様

取り急ぎ、失礼いたします。

神の義は、生かし合うこと…
そのように言ってくださった方がいらっしゃいました。

…わたしには、このことの深い意味など、
到底分からないことと思います。

しかし、神の名を語りながら、排除し合うのは、
それはすでに神から最も遠い行いであると、そのように感じております。

嫌われたから出て行くなんて、、
わたしは、もうしばらく、
力になって頂きたく思っております。

今は、時間ありませんが、また、よろしくお願いいたします。

1868初心者:2012/03/27(火) 18:53:48 ID:ixiWFYoQ
訊け様

お答えいたします。

>1) ここで云う「真理」とはなにを指すのでありましょうか。これは「真理の追究」を指す、という理解でよいのでありましょうか。

わたくしのいう真理とは、生長の家とは無関係です。
現代思想と現代科学から何を学ぶかということです。
じつはわたくしのなかでは、このふたつはつながってきています。
現代科学の成果にたいして、生長の家の教義では説明できないことがらが、
現代思想では説明できてしまう気がするのですね。
その昔、仏教中観派もおなじようなことを言っていたと理解しております。
このあたり、面白いので追究していきます。
もちろん、たいしたことはできませんけども。
面白いからやるだけです。

>2)同じく「救済」とはどういった規模のものでありましょうか。また、たとえば現在の教団方針(CO2削減等)はここに含まれるという理解で宜しいのでありましょうか。

救済は、なすとすれば、個人で勝手にやってみようということです。極小規模です。
アーノルド・ミンデルを応用できれば、これはよいですね。
組織としての救済は、もちろん環境問題ですね。

>3) 最後に「信仰」に関してでありますが、これはどんな意味になりましょうか。「聖典を機軸とした」方針で行きつつも、「真理探究の結果知りえた」ことがらを随時反映させて行く、そういったイメージでありましょうか。

イメージしている信仰は、個人的には素朴なものですね。
宗教とはおそらく無関係です。
自然状態への回帰。これができればよいですが、以前にもこちらで書き込み
いたしましたように、ヘタにこれをやると、日常生活への適応が困難になります。
組織としては、『生命の實相』中心ということになるでありましょうね。

>この箇所での補足説明を賜れませんでしょうか。「現実界=真理」を「取
り除く」のイメージが俄かには湧いて参りません。そしてそれが可能ならば、
和解も可能とのことですが、少々思考に混乱を来たしている現在でありま
す。返信ご掲載の労を賜りましたら幸いであります。

これは、相当に無茶苦茶なことを言っています。
ここではちょっと書けませんね。
すでに書きましたとおり、現実味はまったくありません。
いずれ機会があれば、メールなどでお知らせいたします。

1869初心者:2012/03/27(火) 19:29:10 ID:ixiWFYoQ
さくら様

了解いたしました。しばしおともさせていただきます。

1870トキ:2012/03/27(火) 20:44:28 ID:XQTu5RCc
「100歳の美しい脳」(デビッド・スノウドン 著、藤井留美 訳、株式会社DHC発行)という本を読みました。

 カソリックの修道女は、生涯に渡り詳細な記録が残り、またライフスタイルも共通しております。この特性に着目した
ケンタッキー大学神経学教授が、アルツハイマーの研究のため、引退した修道女の協力を得て、知能テスト、さらには
死後の脳の病理学解剖を実施します。彼女達の大半は20世紀初頭に生まれましたが、その85%が学士号を持ち、45%
は修士号を持っています。当時の女性の進学率を考えると、高い知性と教養を持っていると言えるでしょう。その彼女
達は、後世への貢献になるなら、と脳の提供を承諾します。ナン・スタディと言われるこの研究によって、アルツハイマー
の実態がかなりわかってきました。(ナンとは修道女のこと)

 しかし、研究者である著者は、生前の彼女達に触れ、強い畏敬の念を感じる様になります。高い信仰をもった人達が
真理への追求への手助けをする献身的な姿を見る時に、単なる実験対象ではなく、神への献身を決意した信仰者の姿を
見るのです。

 信仰と学問が矛盾せずに生かし合う姿の実例がここにあると思いました。

合掌 ありがとうございます

1871トキ:2012/03/27(火) 20:47:37 ID:XQTu5RCc
>>1870

ここで言う「真理」とは、学問的な意味での「真理」です。

1872さくら:2012/03/27(火) 21:55:35 ID:tPVxKQcE
八咫烏様

はじめまして。さくらと申します。

真理に関しましても明快なご文章を読ませていただきまして、
勉強になります、ありがとうございます。

私の問題意識にも、関連することを書いて下さっていて、
感謝いたします。

理解も半端なものですので、ご了承願います。

>信仰と、救済、真理の追求という要素に固定されていることも、
よくわかりません。

>宗教においては、信仰とは真理への信仰であり、
信仰と真理は重なるものだと思います。

ボロメオの輪に例えた理由は、要素の固定ではないからです。
3つの要素が、交わり合いながら、決して関与できない部分がある、
このような実感があります。
それを組織のあり方に応用できないか、と考えることがありました。
なぜなら、実際そのことから起きる問題が多いように感じたからです。

また、真理の追究は、人間を、救うとは限らない面があります。
信じれば、その事実が変わる、という性質のものでも無いと思われます。

この点は、真理をどういったこととするか、というちょっと複雑な問題があり、
わたしには言及に及ばない点がございますが、
認識の違いがあるかも知れません。

八咫烏様は、信仰をセンスの問題、とおっしゃっていた箇所があったかと、思われます。

私は、信仰は、「縁」だとの理解があります。
これはとても深いことだな、と思っております。
宗教団体は、選ぶ自由があるかも知れませんが、
信仰は、各自のセンスの善し悪しが決めることではないと感じます。

「神縁」という言葉はありますが、
日本人は日本の国土に生まれるというご縁を、
地域の氏神のご縁を、家系のご縁を・・
そのようなものに信仰の縁の要素があると思われます。

ご縁を頂いた神に感謝を捧げる、
これは、宗教の祭祀につながると思われますが、
これが信仰の原点であるようにも思われます。

祭祀は、この場合信仰のかたちとして、考えておりました。

1873さくら:2012/03/27(火) 21:56:10 ID:tPVxKQcE
>もし組織運営の面で、ある程度独立させる方がいいと思える要素を考えるならば、
現実的に考えて、私は、祭祀、救済、出版とするでしょう。
現実の組織を思い浮かべれば、私はそのように考えます。

生長の家に関しましては、生命の實相は神殿であり、聖典でありますから、
これは、信仰の位置づけにあると思われます。
結果的に「救い」が起きるとしても(救いを目的にはおきませんので)、
これは、信仰によるものです。
生命の實相は、この場合の「救い」の位置づけにもおかれないと考えます。

組織として考えますとき、
救済というのは、別機関などの小組織で具体的な取り組みを行うことがよいのではないでしょうか。
カウンセリングやボラティア活動でも、環境への取り組みでも、地域の問題でも・・、社会への具体的取り組みなどを、各人の個性や、地域のニーズによって、行われればよいのではないでしょうか。
それは、信仰に基づいた菩薩行、といわれるように、決して、信仰とは切り離されることではないと思いますが、組織の性質を理解して、運営を明確に切り離すすべきことではないかと思います。
聖使命などは、すべて祭祀や、神癒祈願、などや、生命の實相を出版するために使われるのが良いのではないでしょうか、とも思います。

1874八咫烏:2012/03/27(火) 23:03:33 ID:goGdBN5E
さくら様の書き込みを読み、非常に組織のことを思われている真情に
心打たれました。

私は、長い間組織と無関係でいた人間ですので、
現実の組織を知らないために、ピント外れなことを言うかも知れないですが、
お許し下さい。

ここでは、多くの方が、トップを変えてもそれが本当に組織の改善につながるかとは
思えないというご意見をお持ちのようです。

確かに、そういう面があるのは確かであろうと思います。
ただ、私は、現教団がここまでおかしくなったことの原因の一つに、
総裁が世襲であったということが、大きな要因であると思っています。
もし、世襲でない総裁であったならば、ここまでおかしくは
ならなかったのではないかと考えるものです。

宗教組織が、そのトップを世襲で選んでほんとうに良いものだろうかという疑問は
ごく一般的な疑問だと思います。もちろん皇室の例もあり、世襲には世襲の良いところも
あるとは思います。
私も最初は、清超先生がよくやっておられたので、何も疑問に思いませんでしたが、
三代目となると、やはり疑問が起こります。

清超先生は、ご養子さんで、雅春先生を非常に尊敬し慕っておられた御弟子さん
という立場でしたから、そこに謙虚さがあり、敬虔な信仰姿勢があられて、
何ら問題なかったと思いますが、雅宣さんは、全く違うようです。

いろんな情報では、どうやら『生命の實相』すらあまり読まれてないようですし、そもそも生長の家の
信仰をお持ちかどうかさえ怪しいという話ではないですか。三代目として相応しく育てられ、
それなりの実力をお持ちならば、問題なかったかも知れませんが、
ここまで信仰に疑問のある方を総裁に戴くのは、本来宗教組織としておかしいのではないでしょうか。
これは世襲制度の失敗だったと考えるべきではないでしょうか。

総裁を変えただけでは問題は解決しないというのはたしかにその通りかも知れません。
組織の経年劣化は確かにあると思います。
しかし、それは又別の問題なのではないでしょうか。

私は生長の家教団は、経年による組織の硬化、劣化の問題と、世襲総裁の問題と、
複合した二つの問題が同時に起こっていると考えます。
複合しているから、まるでひとつの問題のように思えますが、
これはそれぞれ別の問題であると思います。

私は現総裁が世襲であることから、現在の恐怖政治、独裁が起こっていると
考えます。先ず総裁に辞めてもらわないと、自由に組織論を議論することさえできないと
いう話ならば、辞めてもらうしかないと思います。
そこから第一歩をはじめるしかないのではないでしょうか。

その後を暫定的な総裁で運営するなり、現理事会を総辞職して、
新しい理事会で話し合うなり、何らかの暫定組織で、しっかりと話しあえばいいのでは
ないでしょうか。

21世紀は霊性の時代と言われています。新時代に向けて、新しい組織を用意する時が
きたのではないでしょうか。もはや古い革袋を新しい革袋にやりかえる時期ではないでしょうか。

1875八咫烏:2012/03/27(火) 23:29:27 ID:goGdBN5E
さくら様、

>1872を読む前に書きこんでしまいました。

さくら様がそれ以前に書いておられた組織に対する書き込みに感動致しました。
たしかに、さくら様は現実に組織にたずさわれて、私等より現実的に思考されるので、
私の出る幕ではない気もしております。

ところで、私がセンスの問題だと申し上げたのは、
もっといえば、その人の機縁が熟していないという意味を込めたのですが、
これは、そのように言うのは少し失礼かなと思い、機縁が熟していないことで、
宗教センスが養われていないという意味でいったのです。

人間は神の子ですから、縁はもともと誰にでもあるでしょう。
しかし、機縁というものはやはりあると思います。
縁が熟してくると、自然に、心が動き、それを受け入れる感性が養われると考えます。
それは誰にでも信仰の種はあるものの、それが芽生え、硬い蕾がほころぶように、
受け入れる感覚ができてくるという意味で、センス、感性という言葉を使ったのです。

それから、私は日本人はやはり神道が一番原点にあると思っています。
そして、神道とは、宗教というよりも、祭祀であり、祭祀であるからこそ、宗教を超えた、
もっと広く大きな世界を救う世界観、宇宙観であると思っています。
このように言ってもよくわからないかも知れませんが、伊勢神宮に、
アンドレ、マルローやトィンビーなどの世界の著名人が参拝し、感動を覚えるのは、
この祭祀を基本にした神道の霊性であろうと思っています。

天皇陛下は、祭祀王であり、
日本人は、まずはじめに祭祀の民族であったと思います。
だから、出来れば私は、もし生長の家が新組織に生まれ変わるならば、
祭祀は、一つの独立した、機関として、他の組織とは別にあるべきではないかと
考えるものです。

1876初心者:2012/03/27(火) 23:31:48 ID:ixiWFYoQ
さくら様

わたくし、じつは、真理の立ち位置というものを問題にしております。
通常の真理の立ち位置とは、「そこで何が起きているか」を問題にしますね。
あるいは「それはなぜ起こるのか」を問題にします。

生長の家の真理の立ち位置は、根本に実相を想定して、実相があらわれる
とすればこうしたことがあらわれるはずだと想定して、そうした出来事が
あらわれるかどうか、ということを問題にする立ち位置ですね。つまり
「何が起きたか」を問題にいたします。

組織の活動においても、生長の家の真理という立ち位置に立てば、実際の活動を
とおして、そこで「何が起きているか」ではなく「何が起きたか」が問題になります。

しかし、たとえば人を集めたり、受講券を頒布したりといった、「数を追う」という
組織活動においては、「何も起きない」というのが通り相場であったという事実が
あります。「何かが起きて欲しい」とする期待に反して何も起きなければ、その活動
は真理ではない、とみなされます。組織活動にたいする疑念が増大し、会員の士気
は低下するというパターンがくり返されていましたね。

この問題を解決する糸口が「ボロメオの輪」でした。「ボロメオの輪」では、救済と
真理が分離されてますね。「数集め」という救済活動のさなかに何かが起きる
ことを期待してなくてすむという環境を「ボロメオの輪」は提供してくれるはず
ですね。これをどうやって実現するかというのは問題ですが、実現すれば、
組織活動は以前よりもずっとやりやすくなるはずです。ボランティアという
活動を考えればよくわかります。「特別なことは何も起きなくてよい」。これが
ボランティアの精神であるはずです。

以上述べましたこと、いくらか的外れな点もあるはずですので、いま少し考えて
みたいとおもいます。

それと、これは余談ですが、現在起きている問題の根底には、雅春先生が
あまりにも多くの扇情的な言葉をお使いになりすぎたということがあると、
わたくしはこのように考えてます。総裁先生に問題があるとすれば、それは
こうした問題の反動形成ではないかとわたくしは理解しております。

1877役行者:2012/03/28(水) 08:28:59 ID:fae17xNQ
 
 >初心者さま

 改めて、お久しぶりです(^_^;)
 昨日は、いろいろ深く熟考したのですが言葉にならず、また旧友と会っておりまして、コメントする機会を逸してしまいました。

 時間がないので、まずは感想を簡潔に書きます。

 一連の投稿者のコメントを読んで感じたのは、まず、真理とは?信仰とは?救済とは?の定義がばらばらであったということです。今更なんですが・・・
 定義をまず確定しないことには、かみ合わないですね。

 それから、次に下記初心者さまの投稿文。

 >これは余談ですが、現在起きている問題の 根底には、雅春先生が あまりにも多くの扇情的な言葉をお使いになりすぎ たということがあると わたくしはこのように考えてます。
 総裁先生に問題 があるとすれば、それは こうした問題の反動形成ではないかとわたくしは理 解しております <


 この余談にて語られたこの文章にすべての答えが隠されているような気がします。

 原因がなければ結果は起きません。その意味で大切な投稿と思ってます。

 和解するにしても、ここをボカしては先に進めないような気がします。

 つまり、大切な時期なのでズバリ云いますと、組織運営論の中核に、言葉の煽動の問題に如何に対するか!と云うようなことを据えなければならないと存じております。

 シニフィエ、そのモノの本質を如何に捉えて、伝えていくか!

 ということだと思うのです。

 このことは今に始まったことでなく、数十年前からずっと総裁選先生が願い続けていたことだと思います。憶測で云っておりますので事実は定かではありませんが・・・

 また、時間があるとき、改めて投稿します。

           合 掌

1878さくら:2012/03/28(水) 08:49:55 ID:f56xiaeQ
八咫烏様

>私は日本人はやはり神道が一番原点にあると思っています。
そして、神道とは、宗教というよりも、祭祀であり、祭祀であるからこそ、宗教を超えた、
もっと広く大きな世界を救う世界観、宇宙観であると思っています。
このように言ってもよくわからないかも知れませんが、伊勢神宮に、
アンドレ、マルローやトィンビーなどの世界の著名人が参拝し、感動を覚えるのは、
この祭祀を基本にした神道の霊性であろうと思っています。

天皇陛下は、祭祀王であり、
日本人は、まずはじめに祭祀の民族であったと思います。
だから、出来れば私は、もし生長の家が新組織に生まれ変わるならば、
祭祀は、一つの独立した、機関として、他の組織とは別にあるべきではないかと考えるものです。 

これは、私個人の感覚としても、たいへん理解ができ、賛同いたします。
そして、生長の家においても祭祀は独立させることがよいと私も賛同いたします。
また、祭祀こそ、聖使命などをお預かりするに、ふさわしいと思われます。

1879さくら:2012/03/28(水) 08:51:45 ID:f56xiaeQ
>私は生長の家教団は、経年による組織の硬化、劣化の問題と、世襲総裁の問題と、
複合した二つの問題が同時に起こっていると考えます。
複合しているから、まるでひとつの問題のように思えますが、
これはそれぞれ別の問題であると思います。

世襲の問題は、生長の家では法燈継承の問題がありますし…
天皇制度は特殊なものですし…私には一概に言えないことが色々あると思いますので、言及を避けますが、

組織の硬化、劣化の問題、
これは、組織の性質、気質にあまりに無頓着に運営してきた責任が、明らかだと思われます。

《「生長の家の自殺」と思われる5つの要因》として、役行者様がコスペしてくださった以下についても、そうです。

�理事・参議等の保身の肥大化 �イエスマンを厚遇し、異議を申し立てるものは排除するという悪平等 
�宗教本来の救済を放擲した“エコ”イズムの氾濫
�聖典絶版等、宗教的自制を欠いた野放図な権力支配 
�「中心帰一」の強要による信徒の総裁迎合主義<

これは、個人、責任者などの信仰の問題以上に、宗教組織というものを、考えなおさなければならないと、思っております。
宗教組織のあり方の根本的な改善、これもまず、問題にされるべきではないでしょうか。

純粋宗教を守ることと、組織を拡大していくこと、これは、根本的に全く違う性質であり、
組織のために、信仰の良心が犠牲になることは、あってはならないことと思います。

トップに独裁があるとしたら、なぜその独裁を許す土壌が、組織にあるのですか。
良心の葛藤に悩みながら、宗教組織の方針に従うのはなぜですか。
「悪」を排除するように見えるのは、組織のどんな体質によるものですか。
み教えを学びながら、なぜ、組織の中で、信仰の葛藤が生じるのですか。

「生かし合うため」には、どんな組織つくりがあるかを、考えて頂けたら、と切に願っております。

私は、それを、信仰、救済、真理の追求、という、ボロメオの輪をヒントに、
互いにその存在を認め合って連携しながらも、決して関与できない部分は、尊重し合う、
そのような組織作りがあって良いではないか、と考えた次第です…

私には経験乏しく、現実に有効性がまだまだ、みえません、、
ですので、これに限ったことではありません。
しかし、改善に向けて話し合う糸口になればと願っております。

1880さくら:2012/03/28(水) 08:52:25 ID:f56xiaeQ
初心者様

立ち位置の問題は、もっと大切にされるべきと私も思っております。
これは、善、悪や正、偽の問題で済まされないことが多いですね。

初心者様が書いてくださったように、組織活動においての救済や、個人の信仰における問題が、
例えば、「結果がでているからそれは真理だ」…とそんな認識があるのも、宗教組織の弊害になっている部分ではないかと、感じておりました。
それが、宗教組織の問題のひとつになっていると感じています。

その場合、真理、とはなんでしょうか。
では、人間にとっての、「不都合」は、真理ではないのか…
そんな疑問もわいてまいります。

私としては、真理とは何かを探求することには、興味があります。
そこに、救いや信仰は、問題にされないことと、思っております。

また、救いや信仰は、守られ、尊重されるべきことであると思っております。

この「ボロメオの輪」は、それについても、何か糸口になると思いました。

まだ、具体的にまとまりがつきません、、がよろしくお願いいたします。

1881初心者:2012/03/28(水) 11:01:47 ID:ixiWFYoQ
>>1877
役行者様

ずいぶん以前より、外部の識者から、雅春先生があまりにも多くの扇情的な
言葉を用いておられることへの警告がなされていたとおもいます。いずれ
弊害があらわれる。これは十分に予想されたことでありました。

矯正が必要と考える人があらわれたとしても、それは無理からぬことと考えます。
「脱構築」はそのためのひとつのプロセスであるのかもしれません。わたくしは
もちろん、脱構築の専門的な知識を持ってはおりません。しかし、なぜそれが
必要であるのか、それは理解しておるつもりです。

脱構築とは何か、を自分なりの理解でいえば、「主体は言葉の効果なのでは
ないか」と疑ってみることだろうとおもいます。「言葉の力を使っているのでは
なく、使われているのではないか」と、このように疑ってみることだろうと
おもいます。

脱構築は各個人の問題ですね。誰かが代行しておこなえる問題ではないはず
です。総裁先生は、各人による脱構築の必要性を訴えておられると、わたくし
はこのようにも理解しております。

1882八咫烏:2012/03/28(水) 11:29:36 ID:goGdBN5E
さくら様

祭祀に関して、ご賛同いただき、大変有難う御座います。

それから、組織おける総裁の世襲問題については、実のところ、
私もよくわからず、さくら様と同じくらいの気持ちで、どちらが良いか悪いかは
全くわからないという方が正しいかも知れません。ただ現総裁に関しては、
これはふさわしくない方だと思うので、そこから世襲に疑問が生じたのですが、
考えてみれば、他のご兄弟姉妹がいらっしゃるのですから、世襲でもいいのかも知れません。

現実世界は現象世界ですから、一人ひとりの信徒の心の状態の総和が影として、
組織に映るのではないでしょうか。信仰も人それぞれに段階がありますし、
一時的には後戻りすることもあるでしょうから、これは当然起こりうることだと思いますが、
でも何故龍宮住吉本宮が完成し、これからだと思うような時に、
問題が現れ始めたのだろうと、わたしも非常に疑問が起きました。

しかし、住吉大神出現と現組織の現状が関連あるとすれば、
自壊作用としか考えられません。きっとそれまでに、積もっていた組織の垢を
一気に削ぎ落とすために、破壊神として現総裁がその役を買って出られたのかも知れません。

新時代にふさわしい組織を作るには、一度完全に壊して、更地にする必要があるのかも知れません。

私は、信仰者としては全く浅く、初心者様と同じく人間知の思索ばかりで考える人間ですから、
いろいろに想像はしますが、わかりません。

しかし、この世界は動・反動の世界だという話ですから、組織の中の一人一人にとっては、
それは与えたものが与え返されているのではと思います。
もし、総裁が独裁的に振る舞うのなら、かつて増上慢に陥って上部組織の人が、
下部組織の人に、そのように振舞ったことがあるのだろうかとか想像します。
又人間は正しいとわかっていても、現実の生活もあり、家族との絆もあり、
運動との板挟みになるときもあります。そういう板挟みの辛さを理解せずに、
真理だということで、正しい事だからと圧力的に押し付けたことがあるのかもと思ったりします。
正しいことはやるべきかも知れませんが、その人の辛さを理解するというのも必要で、
その葛藤の辛さを体験させられているのかもとも考えられます。
などと、いろいろ頭で、想像するだけです。

何れにしても、そこを抜け出す信仰を進化させるための、解脱の過程であり、良くなるための過程だと思います。
組織としても、よくわかりませんが、きっと良くなるために今があるのだろうと信じるしかありません。
組織は、つねに古い皮を脱ぎ捨てるように、脱皮していくことが必要なのかも知れません。企業もそうですから、
宗教組織もきっと同じなのではないかと思います。

雅春先生亡き後、信徒はやはり、何処か少しづつゆく道がずれてきたのではないでしょうか。
原点に立ち返るために、反発が起きているのだと思います。雅春先生の教えに立ち返るための
現状だと思います。

1883八咫烏:2012/03/28(水) 11:46:01 ID:goGdBN5E
ボロメオの輪がほんとに組織論に必要かどうかは、私にはよくわかりませんが、
宗教組織にとって、真理の探求は、組織としては必要ないと思います。
真理の探求は個人でやるべきものだと思います。
それが哲学的真理であれ、科学的真理であれ、宗教組織としてやるべきものとは
思いません。

そして、信仰とは、悟りを目指すものであり、信仰者にとって、悟りを目指すことこそが、
真理の探求であると考えます。そしてそれは、生長の家の信徒にとっては、神想観であり、愛行などの行であり、
そういうものの実践から、その悟りに至るものです。

そして、宗教的真理とは、実感の世界であり、まさに体得するものであり、
物理的な真理のように、知識として、理解するというのとはまた違うものであると思います。
もちろん、その悟りを色々に工夫して、語ることは出来るでしょうし、それに至る方法を示すことも
出来るでしょうが、根本的には、神との一体感を感じることだと思います。

私は、ボロメオの輪の1つとして、真理の探求を不可欠なものとされていることに、
非常に違和感を感じます。

1884初心者:2012/03/28(水) 13:12:19 ID:ixiWFYoQ
さくら様

>立ち位置の問題は、もっと大切にされるべきと私も思っております。
これは、善、悪や正、偽の問題で済まされないことが多いですね。
初心者様が書いてくださったように、組織活動においての救済や、個人の信仰における問題が、
例えば、「結果がでているからそれは真理だ」…とそんな認識があるのも、宗教組織の弊害になっている部分ではないかと、感じておりました。

立ち位置の問題。たしかにあるとおもいます。「結果がでているからそれは真理だ」
といった考え方にも見られるように、何を行為するか、何を思索するかではなく、
行為の結果なにが起きたか、思索の結果なにが起きたかによって真理と非真理を
判別しようとする立ち位置にある人々によって生長の家という宗教組織が構成
されているのは間違いないといってよさそうですね。

こうした立ち位置によってなされる宗教活動には問題があるのではないかと、
このようにさくら様はいっておられるのですね。かつての組織活動の経験から
しか申しあげられないのですが、問題点をひと言でいえば、それは、結果主義を
旨とする真理観にもとづく活動でありながら、望まれる結果が少しもあらわれて
こない活動であった、ということになるかとおもいます。

「望まれる結果」というのは、奇跡的な出来事が起こるという劇的な結果では
なく、たとえば活動することによって真理の自覚が深まるとか、心境が高まるとか、
組織が調和に向かっていくとか、そうしたことでもあったかとおもうのですが、
実際には、数あつめの活動をいくらつづけたところで、こうした結果がちっとも
あらわれてこないばかりか、逆に組織が徐々に疲弊していくという結果しか得られ
なかった、というのが、かつての組織活動から得たわたくしの正直な感想であります。

たしかに問題はあったようにおもいます。問題の根はどこにあったのか、という
ことを考えなければなりませんね。組織活動と求道の関係を見直さなくては
ならない。こうした考え方が、当然のごとくでてくるとおもいます。これにかんして
どのような具体的な意見や考え方があるのか、ということだろうとおもいます。

見直す必要はない。見直す必要があるとすれば、そのために何をすればよいのか。
さくら様は、ご自身の見地からこうしたことの展望を述べられつつ、広く意見を
求めておられると、このように拝察いたしました。

1885初心者:2012/03/28(水) 13:27:51 ID:ixiWFYoQ
八咫烏様

ご意見に賛同いたします。生長の家から長く離れておられながら、ここまで
ご洞察なされるとは、見事と感じ入りました次第です。逆に離れていたほうが
よくわかる、というのはあるのかもしれません。

>私は、ボロメオの輪の1つとして、真理の探求を不可欠なものとされていることに、
非常に違和感を感じます。

ひとつの方向に流されすぎたときには、ときに嬌声手段が必要になる。増上慢の
きわみではありますが、このようにご理解いただければとおもいます。相場では
よくありますね。冷やし玉。逆に、火に油をそそいでいるだけとのうわさもありますが。

1886八咫烏:2012/03/28(水) 13:44:16 ID:goGdBN5E
さくら様と初心者様のやり取りを見ていて、真理の探求について、あまりにも
固執されているのが、どうしても気になります。

そもそも、結果が出ているから真理だというのは、単なる事件的結末ではなく、そこにはやはり悟りを含む結果を
言っているのです。もちろん悟りといっても頓得の悟りから深い悟りまで段階があるでしょうが、
少なくとも何らかの実感を得られての結果です。
宗教の世界なのですから、体験はもっと重視されてもいいのではないですか。

ところで、
たとえば、講習会のチケットを水増しして、不正に数合わせをするのは何故であるか、それは一番の原因は講習会に魅力がないからです。
魅力がなく勧誘しても意味がないし、誘っても喜んできてくれないと思っていながら、ノルマだけは課せられるから、仕方なく数合わせが起こるのです。
本当はそういう勧誘など無意味だと思えば、やる必要はないのに、それをはっきりという勇気がでない、
何故勇気がでないか、それは自分自身が、神の子としての自覚が足らないからです。
自分が主人公であるという主体性の自覚がないからだと思います。
それは、雅春先生の教えを実行してないところから来るのではないでしょうか。
これは信徒一人一人の自覚の問題であり、また同時に組織として、
そのような講習会を開いていることの問題であると思います。

これが何故真理の探求と結びつけて論じられるのかが不思議です。
立ち位置とかの問題ではなく、
生長の家の信徒としてどうあるべきか
講習会を有意義に開くにはどうするかの問題ではないですか。

1887八咫烏:2012/03/28(水) 13:49:33 ID:goGdBN5E
初心者様

1885の書き込みを見る前に、書いてしまいました。
お許し下さい。
そのように賛同いただければ、何も申すことはありませんでした。

1888ももんが:2012/03/28(水) 16:52:55 ID:XXCuaQns
復興G様

復興G様、お返事大変遅くなって、申し訳ありませでした。お返事くださりました事は、真に、感謝しております。ありがとうございます。感謝、合掌、拝。
返信文は、書いてあったのですが、日にちが立ち多少、修正いたしました。世見辛い処もあるかと、思いますが、御許しください。

復興G様、『第二青年書』は、若い時、読まれたのですね。素晴らしいですね。

御文章も、大変素晴らしいものですね。ありがとうございます。

復興G様の“心配事”この事ですか?

>>
 私たちは谷口雅春先生から直接、>>1699〜1703に書きましたような真理(神のコトバ)を拝聴することができました。それ故に、只今谷口雅宣総裁がそれを直接お説きにならなくとも、生長の家の教えはこの「日本建国の理想」「日本の実相」顕現にある、それは生長の家の教えの中心部分であると信じ続けております。私たちはそれでよいとして、後継者たちにそれが伝えられ受け継がれなければ、神から与えられた使命が全うされないのではないか。それでは日本の使命が果たされず、世界に「神の国」を実現することができないのではないか。それでは生長の家出現の意義がなくなるのではないかと考えますが、いかがでしょうか。>>


先日も言いましたが、『日本の実相』は、私の“心の眼”には既に“現れ”て観えていますが?
復興G様の、“心の眼”には“観えて無い”のでしょうか? 

確かに?“菩薩は何を為すべきか”にあるよな“日本”では無いのかもしれません。人でもそうですが?例えば?ある理由で『御父さんと呼べない人』が、『御父さんと呼べる人』に成るまで、大変な心の葛藤が有り、時間が、かかる、物ですよね。まあ、中には、すぐに、呼べる人もいますが。それと、同じで、今の日本の姿が、ベストの姿では無いにしても、確り、実相は現れているのだと思いますよ。これから、少しづつ、善くなると、私は思います。

『生命の実相・第二巻』に

★『物質』と『霊質』とは性質においても、本質においても正反対であります。どちらか一方が『実在』ならば、どちらか他方が『非実在』でなければなりません。二元論は自己撞着に陥ります。
存在《もの》の実相《じっそう》をとらえるには『実相覚』によって『一つの神』すなわち、在りとし在らゆるもを在らしめてる一つつの力、生きとし生きけるものを生かしている一つの力を認めねばなりません。『在る』ということと『生きている』ということとは『実相覚』で観れば一つのことであります。在るものはすべて生きている。存在とは生命の別名である。神とは完全の別名である。すなわち存在するものはすべて生命であり、神であり、完全であるのであります。〜(105㌻)

そして、

『生命の実相・第六巻 』
★『なんじ、心を尽くし、精神を尽くす、思いを尽くして主なるなんじの神を愛すべし』


これは、『聖書』の言葉ですね。

『聖書』は、正式には、日本の聖典ではありません。
ここで、言う『神』とは、全人類の共通の神です。


聖書にもでてきます。神の名前は『在る』と言う御名前だったと記憶してます。
いま、日本の文化が、盛んに、外国で好評なのと、昔より、日本語や日本に住む外国人が多いは、良い、悪いは、別にして、一つの、心の流れだと思います。理想とは言えなくても、実相顕現しているのだと思います。日本の役目が、果たされてると思いますよ。


>>、この世界は言葉によって創られて行く世界ですから、積極的に言葉の力を駆使するのが生長の家の生き方なのではございませんか。<<


それから、復興G様、大変恐縮なのですが、復興G様は?『言葉』は『人間の言葉』『話言葉』と理解していられるようで、大変残念です。


以前、お話したことがありますが、
『コトバ』は、動物、植物含めて、この、宇宙に存在する物の『音』です。

生命は全て、『音』を出します。

復興G様も、当然、お分かりなのだと思いますが。

『行い』も『コトバ』になります。

これは、清超先生の著書にもありました。


ですから、地球は大生命ですから、人間の言葉とは違う、コトバを、発していると思われます。

宇宙は、常に、創造し続けいます。

問題は?我々、人間が、その“声”“コトバ”を“心の眼”“心の耳”で“観る”“聞く”が、出来ているのかが、問題なのでは、ないでしょか。


つづく〜

1889ももんが②:2012/03/28(水) 16:59:40 ID:XXCuaQns
つづき②〜復興G様

それと?

>>むしろ破壊的な、悪い方向に向かっているかも知れません。日時計主義とは、問題から目を背けることではないでしょう。>>


復興G様の、上の考えは、けして、“光明思想”では無いと思ってしまう、わたくし、で、あります。

私は、“生長の家誌第一号”を復興G様より年輩の地方講師の方に、頂きました。

そのアンダーラインに“日時計主義”は、生長の家の生き方と、雅春先生が、書いています。


日時計主義は、生長の家の基本と思ってます。


それに、悪くなった”心“に捉えてるは、復興G様御自身の“心”であのるではないかと、私は感じを受けてしまうのです。


私は、“悪い中にも光はある”の精神を常に、心に抱いております。


復興G様、余り、悪く成ったとか、お考えにならないように、なさって、ください。復興G様は、大変、お優しいから、そう言うお気持ちが、沸くのかなと、私勝手に、思いました。


>> ももんが様に教えて頂いた、各宗各地での祈りも、皆このただ一つの霊なる“本源神”を、それぞれの形で礼拝していることになっているのだとは思いますが、それがどれだけ自覚されているか。生長の家のように<<


あと、世界各地の宗教は、可なり、“万教帰一”については、自覚はあるとは思われます。

”世界宗教者平和会議”の様なことが、あるのも、一つの形としては、中身は兎も角として、一つの形とし、現れてるのは、善い事と思います。


>> 昨年3.11の東日本大震災で、それまで隠れていた日本人の素晴らしさが表に出て、世界から讃嘆されるようなこともありました。天皇陛下の素晴らしさも、改めて国民の魂に刻み込まれました。<<



私も、この、東日本大震災の意味は、“震災の被災”の事に限らず、“日本と言う国の世界に果たしてる役割“、そして、”奥州、東北地方の日本に置ける、世界に果たしてる役割“ の大きさを、世界の人々、日本の人々が、改めに知る事が出来たのでは、ないでしょうか。私の祖先も、東北の人間がいますので、遠い親族は被災したようであります。被災の悲しみは、確かに、言葉に表し様がなく、ただ、祈るばかりであります。
ただ、日本の実相は、世界に、この様な、形であれ、素晴らしい事は、復興G様の御言葉の示され、とうりであると、私も、思うしだいであります。


〜つづく

1890ももんが:2012/03/28(水) 17:01:11 ID:XXCuaQns
つづく③〜復興G様


>> 『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか』というベストセラー書を書いた竹田恒泰氏、まだ三十代のすばらしいオピニオンリーダーです。「神武天皇が実在したことは、疑いようのない事実である」と言っておられ、31歳で山本七平賞を受賞しておられます。こうして、ももんが様のおっしゃるように、中心帰一は「“神様の無言の智恵”により、“自然に成されてく”」のかも知れませんが、生長の家はその最先端を行く神の啓示を受けて谷口雅春先生がお伝え下さっており、それが生長の家の教えの中心でありますから、私たち信徒はそれをしっかりと受け止め、受け継ぎ、伝えて行くべきではないでしょうか。<<


竹田恒泰氏の『神武天皇は存在した。』は、真偽は兎も角、賛同したいです。ただ、学問的には解明されたく無い分野ではありますが面白いところです。
それと、「“神様の無言の智恵”』に、ことに、御賛同下さり、ありがとうございます。

この事、生長の家が最先端なのでは無く、仏教でも、キリスト教でも、すでに、すでに、説かれていたのであって、別、生長の家が最先端では、ありません。

久遠の昔から、説かれていた事が、最近は、たくさんの人々が、共有出来るようになったのだと、私は観ております。

谷口雅春先生の説かれて事も、素晴らしい事の、あったと思います。

しかし、日本にも、世界にも、たくさんの、尊敬すべき、宗祖、祖師方が、たくさん、います。

私、雅春先生だけでなく、全ての、私の心から、尊敬すべき、祖師方に、感謝をすることが、神様への感謝と、思っております。

日本だけを愛するの処から、越えて、地球その物を愛するのが、私、個人の在り方です。勿論、日本も愛し、天皇国日本も素晴らしいと、いう事も理解し、更に、日本人である事に埃を持っているから、此を越えないといけないと思うのです。

すいません、復興G様、大変、お返事に時間がかかり、申し訳ありませんせんでした。現在、大変、忙しく、文章が支離滅裂だとおもいますが、申し訳ありません。自分で、思った事とは、多少違う表現なのと、言葉使いが、少し荒いところは、御許しください。なるべく、丁寧に書こうとしましたが、中々難しいですね。復興G様、ご旅行、楽しく過ごされましたか?
花見も、もうすぐですね。では、元気に、楽しく、お過ごしください。
また、よろしく、おねがいします。
御教え、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

1891ももんが:2012/03/28(水) 18:29:03 ID:XXCuaQns
神の子皆様、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

本日は、『ブッダのことば  スッタニパッター』より、『慈 経』を、載せます。この教えは、史上のお釈迦様の説かれた、”御言葉“として、南方の仏教徒は、”般若心経“のように、読まれるようです。

内容は、大変素晴らしく、既にに、2500年前に、生長の家と同じような事を説かれています。

皆様も、存分な、味わって下さい。感謝、合掌。

>  〜『慈経』〜

目的をよくわきまえた人が、静かな場所に行ってなすべきことは《以下のとおりである》

・何事にもすぐれ、しっかりして、まつすぐしなやかで、人の言葉をよく聞き、柔和で高慢でない人になるように。

・足ることを知り、手が掛からず、雑務少なく、簡素に暮らし、諸々の感覚器官が落ち着いていて、裏表がなく、在家に執着しないように。

・《智慧ある》識者たちが批判するような、どんな過ちも犯さないように。

・幸福で平安でありますよに。生きとし生けるものが幸せでありますように。

・いかなる生命であろともことごとく、動き回っているものでも、動き回らないでも、長いものでも、大きいものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、巨大なものでも、見たことがあるものも、遠くに住むものでも、近くに、住むものでも、すでに生まれたものも、《卵など、これから》生まれようとしてるものも、生きとし生けるものが幸せでありますように。


・どんな場合でも、人を欺いたり、軽んじたりしてはいけません。


・怒鳴ったり、腹を立てたり、お互いに人の苦しみを望んではいけません。


・あたかも母が、たった一人の我が子を、命がけで守るように、そのようにすべての生命に対しても、無量の《慈しみの》心を育てることです。

慈しみの心を、一切世間《全ての生命》に対して限りなく育てることです。

上に、下に、横《まわり》に《棲む如何なる生命に対して》も、わだかまりのない、怨みのない、敵意のない心を育てることです。


立っている時も、歩いている時も、座している時も、あるいは横になっていても眠っていない限り、この《慈悲の》念をしっかり保つものである。これが梵天《崇高な者の例え》の生き方であると言われています。

《このように実践する人は》邪見を乗り越え、常に戒を保ち、正見を得て、諸々 の欲望に対する執着をなくし、もう母体に宿る《輪廻を繰り返す》ことはありません。<<



私は、特に、この部分が、大変、気に入ってます。

>・幸福で平安でありますよに。生きとし生けるものが幸せでありますように。<



>・怒鳴ったり、腹を立てたり、お互いに人の苦しみを望んではいけません。<

我が国の聖徳太子も、この様な、ブッダの精神を深く、尊敬され、学ばれて我が国の精神と融合し、日本精神の『和』が、出来上がっていったのかと、思います。


それでは、皆様、春も、花見も、近いです。

では、では、本日も、ありがとうございます。心の平安を、願いながら、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。

1892ももんが:2012/03/28(水) 19:09:39 ID:XXCuaQns
〜『怒り』の種類について
①、怨む心→一旦、怒りだしたら、何ヵ月でも、継続する。

②、人を軽蔑する心→いつも、自分の事を高く評価して、他人の良いところを軽視してみる性格の心です。他人に、何か言いがかりをつけて軽視する人は、この心をどこかに抱えます。

③、張り合う心→他人と調和して仲良く生きる事ができない。いつも、誰かと競争して、倒したい気持ちがある人が持つ心です。


④、嫉妬の心→他人の良いところを認めたくないのですが、その心が、内心に向いて暗くなります。

⑤、物惜しみの心→ 俗に言われる、ケチな心の事てであり、自分が持ってる物を他人も使用して喜ぶのは嫌な人です。分かち合うことが嫌いなので、暗い心です。

⑥、反抗的な心→他人からあれこれ言われる事に、拒絶反応を起こす心。


⑦、後悔の心→過去の失敗や過ちを思いだして、悩む心です。


⑧、激怒の心→異常な怒り、人を突然殴ったり、殺したりする心の状態です。


これは、仏教の怒りの観察の状態です。

『幸福(明るい心)』が、失われる状態になると、人は『怒り(暗い心)』を抱きやすくなるようです。


生長の家でも、似た様にに説かれたところありますね。

掲示板の中は、たくさんの、怒りで、満たされますから、私が思うに、皆様、たぶん、心の奥に、不幸を感じてしまってるのでしょうか?

勝ってな、想像をしてしまいした。

では、では、ありがとうございます。感謝、合掌、拝

1893うのはな:2012/03/28(水) 19:16:58 ID:El6gIMAw
 伊勢神宮には二つの顔がある

 第一の顔は皇祖神、アマテラスを祀る顔だ。天上界で日の神だったアマテラスは時代の変化とともに
皇祖神、国家神に変貌し、天皇を頂点とする現世の政治構造と深く結びついた。
その結果、アマテラスの神域は不可侵な存在にまで高まっていく。

 第二の顔は農耕神としての顔だ。ブルーノ・タウトは伊勢神宮の正殿に田んぼの真ん中の藁葺きの農家を見、
その素朴さ、透明さ、清楚さに感嘆したが、それは農耕によって生きていた古代の生活の反映であり、素朴な信仰だったと
いえるだろう。『日本書紀』にも記されている。「農は天下の大本なり。民の恃みて以て生くる所なり』と。

 伊勢神宮では三百六十五日を通してなんらかの祭事がおこなわれている。
その数は大小あわせて千七百回にのぼるといわれる。ざっと計算して一日に四回の勘定になる。
それはヤマトヒメが伊勢の地をアマテラスの終の住処と定め、「祠」が建立されたときにはじまり、
徐々に確立され、以後、営々とつづけられている。それらの祭事も皇祖神、国家神としての
アマテラスにかかわる祭事と、五穀豊穣を願う祭事に大別される。

 二つの顔をもつ伊勢神宮は祭事にはじまり、祭事に終わるのである。

『謎解き伊勢神宮 神々と天皇と日本人のDNA 』 井上宏生 著

1894ももんが:2012/03/28(水) 19:25:29 ID:XXCuaQns
うのはな様

うのはな様、伊勢神宮の御文章、拝読しまた。感謝、合掌、拝。

>>1893:うのはな
12/03/28(水) 19:16:58 ID:El6gIMAw
 伊勢神宮には二つの顔がある

 第一の顔は皇祖神、アマテラスを祀る顔だ。天上界で日の神だったアマテラスは時代の変化とともに
皇祖神、国家神に変貌し、天皇を頂点とする現世の政治構造と深く結びついた。
その結果、アマテラスの神域は不可侵な存在にまで高まっていく。

 第二の顔は農耕神としての顔だ。ブルーノ・タウトは伊勢神宮の正殿に田んぼの真ん中の藁葺きの農家を見、
その素朴さ、透明さ、清楚さに感嘆したが、それは農耕によって生きていた古代の生活の反映であり、素朴な信仰だったと
いえるだろう。『日本書紀』にも記されている。「農は天下の大本なり。民の恃みて以て生くる所なり』と。

 伊勢神宮では三百六十五日を通してなんらかの祭事がおこなわれている。
その数は大小あわせて千七百回にのぼるといわれる。ざっと計算して一日に四回の勘定になる。
それはヤマトヒメが伊勢の地をアマテラスの終の住処と定め、「祠」が建立されたときにはじまり、
徐々に確立され、以後、営々とつづけられている。それらの祭事も皇祖神、国家神としての
アマテラスにかかわる祭事と、五穀豊穣を願う祭事に大別される。

 二つの顔をもつ伊勢神宮は祭事にはじまり、祭事に終わるのである。

『謎解き伊勢神宮 神々と天皇と日本人のDNA 』 井上宏生 著<<


処で?うのはな様は、式年遷宮には、行かれた事があるのでしょうか?


ありがとうございます。合掌、拝。

1895うのはな:2012/03/28(水) 19:35:34 ID:El6gIMAw
  硫黄島の戦いが終わって五十年

 硫黄島の戦いが終わって五十年が経ちました。皆さんには、七月六日の戦没者追悼式に参列し、この長い年月を
振り返られることに、深い感慨をお持ちのことと察しております。
 私どもは、昨年二月、硫黄島を訪れました。慰霊碑に参拝し、島を巡り、水もなく地熱の高い厳しい壕生活の中で、
祖国のために死力を尽くして戦った戦没者をしのびました。二万の未来ある命が失われ、今なお一万の遺骨が地下に眠っていることに、
尽きることにない悲しみを覚え、今日の日本がこのような多くの犠牲の上に築かれたことに、深く思いを致しました。

 追悼式の行われる七月六日には、遥かにこの地より当時をしのび、戦没者を追悼したく思っています。
追悼式が滞りなく行われ、つつがない旅であることを祈ります。


 平成七年七月三日 宮殿 東京都硫黄島戦没者追悼式に参列の遺族代表拝謁

『道』 天皇陛下 御即位十年記念記録集 平成元年〜平成十年 宮内庁 編

1896うのはな:2012/03/28(水) 19:40:13 ID:El6gIMAw
ももんが様 おひさしぶり、のような感じですね。

 私は式年遷宮の儀式には行ったことがありません。
 ももんがさんは経験があるような感じですね。。 合掌、拝。

1897ももんが:2012/03/28(水) 20:23:54 ID:XXCuaQns
>>1896
うのはな様

うのはな様、お返事、ありがとうございます。感謝、合掌、拝。


はい、有ります。前回の式年遷宮の時に、行きました。


儀式当日、秋篠宮殿下のお車が、橋を渡ると、伊勢神宮の門が閉門されたんですよ。

前日から、泊まって、伊勢神宮は、参拝しましたから。

あと、うのはな様が、伊勢神宮に、伊勢神宮に行かれて無いて、思ったのは、御文章の中に、豊受大御神の事が、出て来ませんでしたのでそう思ったんです。

豊受大御神が、食物に関する神様で、農業とは、この神様が、関わりがあるようです


家の近所にも、豊受大御神様を祭る神社があります。


あと、昔、家の田舎祖母に聞いた話だけだったので、伊勢に行って、初めて見た物に、“色の着いた米”を見ました。何色忘れましたが、“赤色の米”と“黒い色の米”は覚えてます。


家の田舎祖母は、お米の事たくさ教えくれたので、伊勢神宮に行ったら、絶対見ようと思っていたものですから。


あまり関係ないけど、当時は、日光江戸村の第三番目、伊勢戦国村に行ったよ。


出雲大社も式年遷宮だそうですが、出雲大社も、造りは、凄いよ。


うのはな様も、是非、どこかへ、参拝して観てください。解答ありがとう、ございました。感謝、合掌。

1898役行者:2012/03/28(水) 20:52:11 ID:xxNMXb8o

 >>1881

  初心者さま


 >ずいぶん以前より、外部の識者から、雅春先生があまりにも多くの扇情的な
言葉を用いておられることへの警告がなされていたとおもいます。いずれ
弊害があらわれる。これは十分に予想されたことでありました。<


 初心者様のように、すでに教団から離れた方の場合、物申すことにやぶさかでも
ないかもしれませんが、私の場合、教団に属して居るものですから、斯様なことがあったと知っていても、創始者 雅春先生のことを、とやかくいうのはつい遠慮がちになってしまいます(^_^;)


 >矯正が必要と考える人があらわれたとしても、それは無理からぬことと考えます。
「脱構築」はそのためのひとつのプロセスであるのかもしれません。<


 現総裁先生がその矯正をされているのでしょうが、


>現在起きている問題の根底には、雅春先生があまりにも多くの扇情的な言葉をお使いになりすぎたということがあると、わたくしはこのように考えています。
 総裁先生に問題があるとすれば、それはこうした問題の反動形成ではないかとわたくしは理解しております。<


 この、こうした問題の反動形成!これなんですが、いま、反動により現在の状
況がつくりだされた、と思うのです。
 となると、中道に戻すことが必要かと存じます。それが和解かと存じる次第です。


>脱構築とは何か、を自分なりの理解でいえば、「主体は言葉の効果なのでは
ないか」と疑ってみることだろうとおもいます。「言葉の力を使っているのでは
なく、使われているのではないか」と、このように疑ってみることだろうと
おもいます。<


 今までの既成概念を離れて、改めて組み立て直すのが、脱構築かと・・・
 コトバの力を駆使するのが本来の生長の家であるはずですよね。
 その生長の家の方が、言葉に使われている・・・これは衝撃的なことです。
 まあ、もちろん、生長の家の方ばかりではないでしょうが・・・
 権威ある方が扇情的に言葉を発せられると、大変、危険です。
 その団体そのものが、暴走することがあるからです。
 そのような体質を改善することは、喫緊の課題かと存じます。
 

 >脱構築は各個人の問題ですね。誰かが代行しておこなえる問題ではないはず
です。総裁先生は、各人による脱構築の必要性を訴えておられると、わたくし
はこのようにも理解しております。<


 しかと受け止めました。それにしても、宗教団体における信仰とは!について、深い考察による定義が必要になってくると思われるのです。
 盲信でならず、疑心でならず、己を軸として、モノの本質見分ける。
 一人一人が天の御中の心をもって洞察し、中道を生きる。
 抽象的なのですが、コトバによって導かれ、偽物の言葉を見極める、このことが大切なときかと存じます。

       感謝 合掌


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