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倉工ファン

1名無しさん:2017/08/17(木) 17:05:06
春、選抜でベスト4まで行ったからには、夏は優勝しかない。
倉敷市民の熱い期待を背に、大優勝旗に向かって走る倉工ナイン。
当然、招待試合などに招かれるケースも増える。

小山にとっては、これが不運。
痛めた左腕を休める間もなく状態を悪化させて行く。
女房役で主将の藤川は、「高校生離れした球威を誇った、一年生時の小山を思うと、どんどん状態が悪くなっていた。」

こうした中、九州招待試合があった。( 中津工 津久見 ) 「今日こそ、小山を休ませよう。」と、小沢監督。
小山を温存したのだった。ナインも投げられない小山を励ました。
ところが、スタンドからヤジが飛んで来た。「こらっ!小山を投げさせろ。
小山を投げささんか。ワシは小山を見に来ているんじゃ。」と。
このヤジに対して、小沢監督は知らん顔。

しかし、倉工ナインは燃えた。
主砲の、武のバットが火を噴いたのだ。
中津工のエース大島 康徳投手 (中日ドラゴンズ 入団) からセンターバックスクリーンに、豪快なアーチを放つ。
『武 渉選手のユニホームが、甲子園博物館に展示されています。』
津久見には、通算打率4割2分。本塁打17本をマークした、太田 卓司選手(西鉄ライオンズ 入団)がいた。
2年生の時、春の選抜 (倉工と対戦) に出場。
エース吉良 修一投手の好投もあり決勝に進出。
延長12回の熱戦の末、弘田 澄男選手の 高知高 を、2対1で降し初優勝。
この、太田 卓司選手も、倉工期待の一年生投手から、センターバックスクリーンに叩きこんだのだった。

倉敷工 武  津久見 太田 。
両主砲の一発に観客は酔い痺れた事だろう。
工業に観光に発展して行く倉敷市。水島コンビナートでは、連日フル操業が続いていた。
こうした中、倉工は、街のシンボルとして脚光を浴びて行くのだった。
当然、倉工ファンも多くなって行く。

小山は、「とにかく、倉工のファンは、特別なファンなんです。」と言う。

297名無しさん:2018/10/21(日) 15:12:32
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1989年8月18日  三回戦  「 名乗り 」


名乗りを上げる 東北の鉄腕や 大阪の神童だけでなく ここにも堂々の候補がいると

腕つき上げ 胸張って 声高らかに宣言する 帝京高校 

西高東低の冷えびえとした風の中で そう 逆風を順風に変える勢いを 今日 示して見せた


振ると 振りきると 投げると 投げ込むと 走ると 走りぬくと その差は

目に見えない動作の終了の一瞬の気合で 時間にして何分の一秒のこと その何分の一秒かの違いで

ボールは 生きて転がるか 魂のない物理のままのものになるか つまり 夢とか 勝利とか 奇跡とか

そんな不確かなものに対するには 乗りうつったものが必要で 帝京にはそれが感じられた


あの小さなボールは 物体を超えた哲学の持主で 注ぎ込むものを持たないと 実に平凡な振舞いしか

してくれないものなのだ だから 振りきる 投げ込む 走りぬく それは帝京高校の

出馬宣言のメッセージを秘めた 何分の一秒の集中であった



大会の中でも三回戦、つまり、ベスト16は特別な色合いを持つ。 ぼくは、三回戦は成層圏だと云っている。
これを突破出来るか出来ないかの重味は、一、二回戦とは全く別次元になる。

順当勝ちと、敢斗勝ちが、ここに来て顔を合せるのであるから、
思いがけない大差の試合ということもままある。一回戦、二回戦を勝ち抜いた実力校同志の対戦であるから、
伯仲の試合をと思いがちだが、それは皮相に見過ぎる。

順当勝ちと敢斗勝ちの方の力の差を残酷なほどに見せつけるのも、この三回戦である。
成層圏と呼ぶのはそれで、これを突破するには、一段上のエネルギーが必要なのだ。 その代り、
奇跡を見るのも、また、三回戦である。
さて、その成層圏での初戦、大差ながら、帝京がいい緊張感を見せた。


( 帝京10-1桜ヶ丘 )

298名無しさん:2018/10/27(土) 10:07:25
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1989年8月19日  三回戦  「 振り逃げ 」


すべては 振り逃げから始った 試合の流れも そして ヒーローの誕生も それからだった

この どこか面映ゆい 愛敬あるアクシデントが こんなにも大きな結果をもたらすとは

誰が考えただろう スタメン大抜擢の倉敷商 山本選手 


一回表の第一打席 満々の打ち気と烈々の闘志も スライダーにバットは空を切り 

与えられたチャンスも これで砕けたかと思えた直後の出来事だった

振り逃げ それは まるで 成功者たちが 人生に於ける ターニング・ポイントとして語るような

小さくて大きい神の贈り物だった 


それにしても 試合の流れ 人間の運命 ともに 砂漠を割りながら進んで来る 大洪水の流れのようで

方向を変えるきっかけが 何によって選択されるのか 全く予測がつかない


もし 吉田高にとって不運な 倉敷商や山本選手にとって幸運な ちょっとした出来事がなかったら

勝敗の行方もわからず ヒーローの誕生もわからず そう思うと 空おそろしくさえある



この試合、感心したことが二つあった。 一つは、県大会、一回戦出場なし、二回戦延長十二回、二死後、
代打に出て内野安打を打ち、サヨナラのきっかけをつくった山本選手をスタメン一番に起用したこと。

山本選手は、振り逃げをはじめ、5打席全部出塁、3安打を打っている。
チャンスを与えた者と、与えられた者のキャッチボールで、その呼吸の乱れを調整するのが運である、と思う。

もう一つの感心は、11対1という大差でありながら、一方的な無残な印象を受けなかったことである。
それは、攻める倉敷商も、守る吉田も、毎回の一点の攻防に懸命で、
終ってみれば10点の差がついていたという試合であった。 攻める方の勢い、守る方の混乱、
途中からの戦意喪失は辛いが、この試合はそれらの大差試合とは全く内容を異にしていた。


( 倉敷商11-1吉田 )



倉商史上最高成績。 2-1東邦、3-2鶴崎工、11-1吉田、
次は0-4と尽誠学園に敗れたが、天晴れな夏だった。

299名無しさん:2018/10/27(土) 11:11:13
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1989年8月20日  準々決勝  「 対決のあと 」


それを気迫と見るか 平常を失った昂揚とみるか 眼に熱い光を持ち

動作の一つ一つが跳ねる 仙台育英 


それを余裕と見るか 劇的な興奮を避けた姿と見るか トゲ立つところが一つもない

落着いた動きをする 上宮 それが対決する前の両校の 炎と風の印象だった


闘志は空まわりすると硬直し 余裕は火をつけ損うと 圧する気迫に至らない 

そのどちらに転ぶかは 勝負のアヤ 人間の運命 時の勢いの流れ方 力は五分

しかし 結果が五分でないところが高校野球


一人一人を評価して行くと おそらく コンマ以下の差であろう両校が 片や 夏に吠え

片や 夏に跪き 熱風と草いきれの中で 季節の猛々しい踊りの中で 狂おしいオペラは幕を閉じた

序曲から 間奏曲をはさんで 終曲まで 予想させ 予想を裏切り 長い長い一日は 

仙台育英の夏をのばし 上宮の夏を終らせた



準々決勝、朝から超満員。 晴れた空の下、一人一人の興奮のどよめきが五万倍に増殖され、
スッポリと超音波のドームを作る。
組み合せ抽せんの結果に、人々は、予想されるドラマの組み立てに忙しい。この瞬間が、たぶん、
最も楽しい時であって、各校の戦力分析をなし、アクシデントの予測までして気をもむのだ。

団扇の動きが、草原の風の移動のように、点描画のスタンドの表面を揺らすのも、試合直前のこの時間で、
始まってしまうとピタリと止まる。 準々決勝第四試合、最高のカードと思われる仙台育英と上宮は、
それこそ、朝から、このような長い序曲を奏でつづけて、そして、始まった。

それにしても、この展開、この結果を誰が予想しただろうか。
戦力分析の行間にさえ読めるヒントはなかった。


( 仙台育英10-2上宮 )

300名無しさん:2018/10/27(土) 12:27:26
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1989年8月21日  準決勝  「 代打主役 」


最後の波乱の数十分は これまで 全くの脇役だったきみから始まり そして きみで終った

みじかい夏をさらに凝縮した ラストシーンで きみなしでは語れない ドラマが構築されたのだ


劣勢で迎えた九回裏 代打に指名されたきみが 燃えたのか 震えたのか 闘志をたぎらせたのか

怯んだのか それは知る術もないが レギュラーが打ちあぐんだ 豪腕投手の速球を 

たった一度のチャンスの思いで叩くと 白い蒸気の線となって 三塁ベースの上をぬけ 

反撃の口火を切る二塁打となった


きみの足は一塁ベース上で少しもつれ しかし 二塁ベースへ駆け込んだ時は 

主役が巡って来たと感じた筈だ 尽誠学園 塩田道人選手 代打二塁打 同点のきっかけを作る 


だが 延長戦にもつれ込んだ熱戦の 幕を引く役まわりを演じたのも また きみだった 

ベスト4までの主役は大勢いたが この最後の試合の 最後のみじかい一景の主役は 

巡り合せもあろうが たしかに きみだった いい想い出を作れたね



想い出作りなどと云うと、ひどく感傷的で、甘いと思われるかも知れないが、高校野球はそういうものだと思う。
三千九百校の、さらに四十九代表の学校の中で、栄冠を手にするのは、どうあがいても一校なのだから、
その栄光と同じ重量の想い出をどう作るかが意義ある出場である。

一校をきらめかせるために、四十八が埋れてはならないのであって、だから、それぞれが、
主役に感じる想い出を作ってほしいと感じるのである。

代打でヒットを打つ、そんな晴れがましさは、まあ少ないだろうが、何かで存在を示し得る方法はある筈で、
一人一人、ぼくの甲子園は、と語れるものを持ち帰って貰いたいとしみじみ思う。 
それもこれも、準々決勝の祭の頂点が過ぎ、後は厳粛な儀式に移行する、少し硬ばった季節のせいであろう。
もう二校だけなのだ。


( 仙台育英3-2尽誠学園  延長10回 )

301名無しさん:2018/10/27(土) 15:11:28
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1989年8月22日  決勝  「 敗者がない 」


限界に達した肉体は 心の中の笛吹きが 純粋な思いで 熱いメロディを奏しないかぎり

動くことはありません 笛吹きが不埒をきめ込むと もう ただ疲れただけの 重い肉体なのです


炎を思わせる熱射の下で ぎりぎりの挑戦を試みた肉体は 喘ぐだけがせいいっぱいなのに

きみたちが この日 新鮮な活力で展開して見せた 緊迫の好ゲームは 感動的な心の笛吹きの存在を感じました


みちのくに深紅の大旗をと 夢見ることもロマンでしょう 春二度準優勝の壁を 飛び越えることも悲願でしょう

しかし 若さだけ示し得る力の誇らしさと 自己を昂揚させ得る無限の可能性は 結果を念じることより

はるかに はるかにロマンでした


秋を思わせた雲の形と 紗幕を通したような陽の光が 試合の緊張とともに逆戻りし 気がつくと

ジリジリと照りつける熱い夏 左翼後方には 高い 高い 入道雲さえありました

優勝帝京 準優勝仙台育英 勝者があって敗者がない 記憶にも 記録にも そう書き込むべきでしょう



四十八試合の最後であることはあっても、四十八試合の頂点であることは少ない。 
それは、決勝戦のどこか宿命のようなもので、過酷な条件のもとでのトーナメントでは、
意外に対等のぶつかり合いは望めないものである。

ともに勝ち上って来た強豪と云われながらも、その潜在的な力に於て、あるいは、
この日に蓄えた余力に於て、大きな差があることはままある。猛打の熱戦の形はとっても、
疲労から、ノーガードになり、乱打戦に過ぎないことも、ままある。

しかし、今年の帝京、仙台育英の決勝戦だけは、正真正銘、四十八試合の最後の試合であり、
頂点の試合であったと思う。 そして、この試合に限って云うなら、誰が素晴しく、
誰がヒーローでと名をあげることは避けたい気がしている。 頂点は一人では作れない、そんな思いである。


( 帝京2-0仙台育英  延長10回 )



1989年の出来事・・・昭和天皇崩御、 消費税導入、 NHK衛星放送開始、 天安門事件、

              ベルリンの壁崩壊、 日経平均株価が史上最高値

302名無しさん:2018/10/28(日) 10:13:33
{ あと10年余りで中学校の野球部員は皆無に }



野球をする子どもが減っている。 中学校の軟式野球部員は7年間で12万人減少した。
このペースで行くと、野球部の中学生は10年後には0人になる計算だ。

多くのプロ野球選手を輩出してきた中学硬式野球連盟「 リトルシニア 」で審判を務める粟村哲志氏は、
「 リトルシニアでも、名門チームの廃部や休部が相次いでいる。
“プレーする野球”の人気低下は深刻で、いよいよ後がなくなってきた 」と指摘する。


日本中学校体育連盟では、加盟校数と在籍生徒数について毎年詳細な数字を公表している。
最新の資料によれば、実は加盟校数では2010年から2017年まで一貫して軟式野球部が1位になっている。

だが、その数は毎年少しずつ減り続け、2012年には全国で8919校だったものが、2017年には8475校になった。
生徒数の減少はさらに顕著だ。 毎年1万人以上ずつ減り続け、29万1015人から17万4343人まで減少した。

その間、生徒数ではずっと2位につけているサッカー部は2013年まで逆に毎年1万人ずつ増え続けている。
それから下降に転じるが、それでも2017年で21万2239人であり、2013年時点からさほど変わっていない。
少子化による就学人口の減少を考えるとむしろ健闘していると言えるだろう。

対して軟式野球部員は7年間で12万人と、これまでにないスピードで減っている。
このペースでいけば、10年余りで中学校の軟式野球部員は0人になってしまう計算だ。


あくまでも計算上の話であってほしいけれど、少子化は顕著です。
2018年4月1日時点の日本における子供(15歳未満)の人口は前年同時期に比べて17万人少ない、
1553万人となり、37年連続して減少している。

303名無しさん:2018/10/28(日) 11:02:25
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月8日  一回戦  「 初 球 」


投手が その試合の第一球を決定するまでに どのくらいの 思考の旅をするのだろう

それは たぶん 地球を一回りするほどの 光速の速さと長さだろう 

または 巨大迷路に踏み迷い 知恵と勇気と克己で試みた 必死の大脱出か いずれにしても 

あのボールにこめた思いは 天文学的な回数の試行錯誤の 結果に違いない 


ことに ただの試合ではない 夏の甲子園の開幕第一試合の 最初に投げる一球は 大仰に云うと 

人生にも匹敵する重さで決定され 投げこまれたものに違いないのだ

たとえ 投手自身が それは無心ですと云っても 無心へ至るまでの旅路は おそろしく複雑で長い


そして 1990年 夏の甲子園の第一球は 死球で始った それが試合の戦術の上で 

取り返しのつかない一投だとしても 隠された大きなドラマを思うと 胸が熱くなるのだ 

ぼくは そんな想いで野球を見たい



ぼくの「瀬戸内少年野球団」という小説の中に、成田高の前身の成田中のことがチラッと出て来る。
戦後復活第一回の全国中等学校野球大会(昭和21年)のことが書いてあって、その記述はこうなっている。

「歴史的な意味合いを持つ戦後の中等野球のプレーボールは、京都二中と成田中学の一戦で幕を開け、
京都二中・田丸、成田中学・石原の投げ合いの末、一対零で京都二中が勝っている」

今年の開幕第一試合に登場し、快勝した成田を見ながら、ふとそんなことを思い出し、感慨にふけったが、
思えば、平和の時代の高校野球がそこから始まったかと思うと、実に意味深い。
高校野球には、有視界の興奮や感動とともに、既に歴史の中に入ってしまった感激を呼び起こす力もある。


( 成田6-2都城 )

304名無しさん:2018/10/28(日) 12:16:27
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月9日  一回戦  「 ベストプレイ 」


ベストのプレイが ベストの結果を生むとは限らないから 野球はこわい それを機微と云い

アヤと云い 運命の女神の悪戯とも云う 


もし 最後の一打の 三遊間を襲った猛ゴロに対して サードの動きが緩慢で つまり プレイがベストでなかったら

ボールは速い球足のままレフトへ飛び 二塁ランナーの本塁突入は ならなかったかもしれない


カラカラに乾いた土が 突然の雨をゴクゴクと呑みほして グランドの表面はゆるんでいた 気合のこもった打球は 

その泥をはねて少し弱まり 絶対の執念でさし出したサードの グラブの先端に触れて 急激に勢いを落した 

それが 憤死と生還の岐路で 勝利と敗北を分ける 何秒かの差となった


しかし それは誰のせいでもなく ベストの勲章は あくまで ベストの勲章で 光ることはあっても 曇ることはない

敗れたとはいえ 八戸工大一高 突然変異のない実力試合は さわやかで 美しくもあった 



記録はいつか呪縛となり、記憶は無意識の暗示となる。 たとえば、青森代表は夏に勝てないというジンクスが
二十年もつづいたり、もっともこれは、昨年、弘前工の健斗で破られたが、まだ、青森県勢だけが甲子園で
ホームランがない、というのが生きている。

暗示の方は、境高に考えられる。昭和五十九年、無安打無得点で延長戦に入り、許した初安打がサヨナラ・ホームランという、
劇的というより、悲劇か悪夢に近い敗戦の記憶があって、これは、暗示にならなければいいがなどと考えていた。

呪縛の継続の中の青森代表の八戸工大高と、暗示を危惧される境高。 この両校の対戦は、しかし、呪縛も暗示も関係なく、
実に、ぼくらが思い描く高校野球そのものの、突然変異というアゲ底のない好試合であったと思う。
素顔で、裸で、決してそれ以上でないのも、また、心地よい。


( 八戸工大高2-3境、サヨナラ勝ち )

305名無しさん:2018/10/28(日) 13:25:27
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月10日  一回戦  「 夢発進 」


去年の夏の終りは まだ熱く 鮮烈な色あいの記憶として残っている あと一歩で夢を逸した口惜しさと

ここまで成し得たという満足感が 汗を噴き出させ 汗をあふれさせ 思えばあれは 去年の終りの儀式ではなく

今年への夢の猛々しい伝承式だった


そこで 先輩から 未完成の夢を手渡されたきみたちは 重さにうめきながら やり甲斐にうちふるえながら

秋に走り 冬に挑み 春に立ち上がり そして また甲子園へやって来た 去年は連れて来て貰った甲子園 

今年は自分でやって来た甲子園  そして 仙台育英の夢は 如何にも夢らしい劇的な展開で 見事に発進した


みちのくへ深紅の大旗をの悲願は あまりにも思いが強く ともすれば 夢をこわばらせてしまう性質のものだが

きみたちは 手渡された未完成品を 完成に近づける誠意と情熱だけで つっ走ってほしい

夢をやわらかいまま 掌にのせて走ることが出来たら きっと応えてくれる そういうものなのだ



去年の決勝戦は、甲子園にいた。 まれに見る緊迫した決勝戦で、東東京と宮城の代表の、つまり、
地元とは無縁な学校同士の一戦にもかかわらず、途中からスタンドに客が増え、勝敗が決する頃には超満員になっていた。
天気さえ、薄ぐもりが快晴に変ったくらいである。 そこで、仙台育英は確かに敗者で、帝京の栄光を見守る立場にあったが、
満員になったスタンドの観客の反応は、もう一歩だよ、あと一段だよ、というものであった。 

今年、帝京は、主将ただ一人が深紅の大旗の返還にやって来て、一つの区切りがついたことになるが、
仙台育英には、まだ興奮と期待が継続している。 東日本に雨台風の11号が上陸した日。 
全く無関係に去年の終った瞬間が思い浮かび、ふと、こんなことを感じたのである。


( 仙台育英4-2藤蔭 )

306名無しさん:2018/11/03(土) 10:06:24
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月11日  一回戦  「 二千試合目 」


Never Never Never Quit  そんな言葉を思い出す 決して 決して 決して諦めないだ

夏の大会二千試合目を飾る一戦は 高知商・大宮東 乱打戦に見えてそうではなく まさに

諦めないことが 空々しい教訓ではないことを証明し また それを実感させた 壮絶な一戦だった 


彼らには 大会のメモリアルを飾る気持など さらさらなく それを思う余裕などなかっただろうが

結果として どんな儀式よりも見事で華やかな 記憶に残る飾りものを 二千試合にプレゼントしたのだ


諦めないことは信じることであり 信じることは責任を取ることであり 試合の流れに左右されて

一方的に傾くことなく 大差を追いつき また 追いつかれたからといって狼狽せず さらに一歩前へ出 


しかし もう一転して 結局は差がつき勝敗が決したが 誰一人として 流れに主役を譲らない戦いぶりは 

たとえ 二千試合目ということを外しても 記憶にとどまるに違いない 記念ボールに 壮絶と書き加えたい



Never Never Never Quit ぼくの記憶に間違いがなければ、これは、チャーチルの言葉の筈である。
この後に、「未来の王国とは、精神の王国のことである」とつづくのだが、今は関係ない。

一回を終った段階では、期待に反した乱戦になるかと思われたが、流れをそこでピタリと断ち切り、
後は、投げるも、攻めるも、また、試合を組み立てるも、決して諦めない姿勢で立ち向い、ついには、
大味な凡戦の形を緊迫の接戦にしたのである。 それは、点を取り合うスリルをはるかに超えていると思う。

それにしても、交通渋滞にまき込まれた大宮東の応援団が到着したのが、九回裏、最後の打者の時で、
アルプス・スタンドに立って一分か二分でゲームセットとなった。
彼ら、彼女らの甲子園は何であったかと、よけいなドラマを考えてしまう。


( 高知商11-7大宮東 )

307名無しさん:2018/11/03(土) 11:11:06
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月12日  二回戦  「 最後の場面 」


それにしても 何という試合をやってくれるのかと 汗ばんだ背中を冷たくさせながら 見入っていた

しかも 最後の最後の場面 打つとか おさえるとかの 技術の勝負だけではなく

決断といった 心に関わる一景が挟まれたのだから 息苦しくさえなる


八幡商 高田工 同点 九回裏 二死三塁 ベンチの指示は何で 投手の本心は何だったのか

もちろん うかがい知ることも出来ないが 何を投げるかより まず 当然のことに 

この打者と勝負するかどうかが 問題になって来る 


たとえば 確率だけを頼りに分析すれば 疑問の余地なく敬遠だろうがそれを 潔しとしない気持が

働いたのだろう いや もしかしたら 今度は勝てるという 自信であったかもしれない


見る人間には 投手の心の美しさとうつる そして 短かくも長い決断の時間の後 

美学は確率に敗れたかのように 快打が飛び サヨナラで敗れた 



劣勢を土壇場で追いつき、熱狂させた試合の幕切れは、意外なほどにあっけなく、四番打者芝田の
4安打目で八幡商の勝利となったが、その一瞬前の戦略と心の動きとの葛藤は、妄想させるに充分であった。

初出場の高田工は、前半大きなリードを許しながら、ついに九回に追いつき、しかし、
その勢いのままリードするに至らず、結局はサヨナラ負けを喫してしまった。 負けて悔いなしも、
明日があるも、どこか嘘っぽいが、百パーセント嘘でもないと思う。 立派な甲子園だったと思うのだ。

それにしても、この日の三試合は、どれも、何という試合をやってくれるのか、とうならされるものばかりで、
これを書こうという気持を二転三転させられた。 古豪平安の鮮やかな復活や、済々高の驚異の大逆転も、
既に数行の詩になっていたが、土壇場で、これに変った。


( 高田工5ー6八幡商、サヨナラ勝ち )

308名無しさん:2018/11/03(土) 12:28:05
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月13日  二回戦  「 大逆転 」


ドラマの作家が 劇的展開の知恵をしぼっても この台本を持って行ったなら おそらく

お膳立の整い過ぎた絵空事だと 却下されてしまうだろう

現実はドラマのように運ばないと リアリティーが壁になって このドラマは陽の目を見ない


しかし 甲子園に限って云えば 絵空事がリアリティーを超えることが 何度も 何度もあって

だから 誰も彼もが熱中し 現実の隙間の光を見ようとするのだ 

山陽高・葛生高 まさに絵空事そのものの あり得ない展開で山陽が勝った


八回を終って90パーセントの人が 九回二死となって100パーセントの人が もう葛生の勝利を

確信し 腰を上げた次の瞬間 面白過ぎることが欠点のドラマが 始ったのだ


一点差 二死満塁 カウント ツースリー 何から何まで整った條件の中で 結果もまた

奇跡の大逆転の快打が飛ぶというもので 勝者も 敗者も 興奮のどよめきの中で ただ呆然とした

あと一つのアウトを残して 一体 甲子園の空に 何の風が吹き過ぎたのだろうか



二死から、というのは、むしろ、この日の葛生の攻撃の特徴だった。 六回の勝ちこしも、八回の、
一時はダメ押しと思われた得点も、簡単に二死を取られた後から鮮やかな足の攻撃を見せて、奪っている。
いわば、二死からは葛生が作り出したこの試合におけるペースだったわけだが、それが、最終回、
相手側にまわるなどとは思ってもいなかった。

ぼくの情緒的スコアブックには、冷静な早川投手の投球や、生沢宏選手の見事な脚や、葛生礼賛のメモが
書き列ねてあったのだが、そのチームが敗れることに不思議な気持になっている。

月の引力で潮の満干があるように、たしかに夏の甲子園には何かの引力が作用し、今年は、
殊の外それが激しく、大逆転の異常引力が満ちている。


( 葛生4-5山陽、逆転サヨナラ勝ち )



初出場校対決は、3点差、9回二死無走者から、猛攻で山陽(広島)が葛生(栃木)を逆転。

309名無しさん:2018/11/03(土) 15:18:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月14日  二回戦  「 等身大の野球 」


無名であっても あの強豪ひしめく激戦区を 勝ち抜いて来たのだから 只者であるわけがない

しかし この只者でない理由は 奇策を弄することでもなく 秘密兵器が球運を呼ぶことでもなく

また 異常な闘志で 相手を威圧することでもなく あるがままの姿で あるがままの力を

充分に発揮するだけという 等身大の野球そのものであった


等身大は無力だとか 等身大では平凡だとか ともすれば 自分の大きさが信じられない時代で

レベルとか ニュートラルとか 心と肉体に無理を強いない 等身大の力を証明してみせたことこそ

甲子園の一勝より はるかに価値あることなのだ


初出場 渋谷高校 全く きみたちは 只者ではなかった いや それどころか 実力という言葉の意味を語り

闘志という心の意味を描き 実に 実に 見事だった もう 誰も シブヤとは読まないだろう



数え上げただけで、春の優勝校の近大付をはじめ、昨年のセンバツ準優勝校の上宮、それに、北陽もいれば、
あのPL学園もいるという激戦の大阪を勝ち抜いて来たのだから、何かがある筈だと誰もが思う。

野球に関しては、全く無名であっても、ただの初出場校であるわけがないと、この四十九番目、
一番最後に登場して来た渋谷高校を楽しみにしていた。 そして、決して牛になろうとはしなかった蛙のような、
不思議なイソップを自分で作って、納得したのだ。

ドラマチックを希みながら、全試合がドラマチックになって来ると、少し恐くなる。
この日は、魔物のお休みの日かと思っていたら、宇部商・松本選手の、延長戦の決勝満塁ホームランというのが出て、
渋谷は敗れた。 しかし、そこに至る試合そのものは、決して、魔物の掌の上でのものではなかったと、思っている。


( 宇部商8-4渋谷  延長10回 )

310名無しさん:2018/11/04(日) 10:07:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月15日  二回戦  「 逆境効果 」


逆境を危機に変える天才とは 誰の言葉だったか 本来なら パニックを起しそうな状況の中で

それぞれが 大いなる覚悟をきめて 逆境の中の天才となった


天才とは マイナス思考を瞬時に払拭し いま 何を為すべきかだけに 心と技を集中させ得る人のことで

まさに 松山商の選手たちは ポッカリあいた本塁の穴に 狼狽することなく 落胆することなく

力を発揮し快勝した 松山商 太田捕手 闘志あふれるプレイでフェンスに激突 負傷退場


人間の力の不思議を見る 力と精神が連動していることを知る 集中や 昂揚や 土壇場の使命感が

大事を楽々とやってのける 可能性の存在を証明する


突如マスクをかぶった三塁手の 自信に満ちた本塁死守の姿に そして ホームランに

思いがけないチャンスに恵まれた 代役三塁手の初ヒットに 調子に乗りきれなかった投手の

見違えるほどの緊迫した投球ぶりに 夏の日の降りそそぐ朝 人間が ある時 天才になれる光景を見た



さあ大変だという時に、大変さに引きずられてガタガタになってしまうのと、大変さが潜在能力まで目覚めさせ、
大いなる力に変るのとは、実は紙一重のことではないかと思う。
とはいっても、そういう状況の時に、スイッチをプラスとマイナスと切り換えるわけにはいかないわけで、
結果を見るまで、果してどちらに転んだのかわからない。

結果として素晴らしい活躍で証明されると、これは、何か日常の、生き方の会話などで
蓄積されていた力ではないかと感心したりするだけである。

太田捕手の負傷は、まことに気の毒で、復活の早いことを祈るのみだが、彼の闘志の代償としての負傷は、
チームメイトに、大変な力を与えた気さえするのである。
さて、大会第八日、四十五回目の終戦記念日に、今年もまた甲子園が平和で美しいことを感謝している。


( 松山商3-1竜ヶ崎一 )

311名無しさん:2018/11/04(日) 11:17:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月16日  二回戦  「 好試合・名試合 」


劇的な試合の幕は 初球カーブをスタンドに打ち込んだ 宮下のホームランで開いた

まだ 誰も 試合に集中する呼吸が整わない そんな時間の出来事で 一瞬

何が起ったかと唖然として 颯爽のプロローグを見送った


いきなりのクライマックスは その後の乱打戦を予想させたが 荒れることなく 乱れることなく

また 我を忘れることなく 全く対等の力で 投げ 打ち 守り 稀に見る好試合となった


鹿児島実・高知商 讃歌は両校に贈りたい 絶頂の夏が中天にとどまり あかあかと照らした光の中で

緊張する快感を きみらは与えてくれた


好試合を名試合に変えたのは 幕が引かれる寸前の 橋本のホームランだった

2点差 二死からの二球目 試合のグレードを一段引き上げる 貴重な一発がレフトへ飛んだ


エピローグは 書きかえなければならない 二本目のホームランは 幕開きと幕閉めの

これ以上はない華々しさで飛び出したが 好試合であり 名試合であったりするのは

勝敗が決するまで 自分でありつづけた両校であった



何年前になるのであろうか、もう伝説の勝負となってしまった箕島・星稜戦を思い出した。
ぼくは、あの時興奮して「最高試合」という詩を書いたが、この鹿児島実・高知商に対しても、
それに近い、それ以上のものを書きたいと思った。

詩の中に勝敗を書き込まなかったのは、好試合、名試合が、最高試合とまた違う意味合があると思ったからである。
混乱や失敗が試合を動かしたのではない心地よさを大事にしたかった。

夏の盛りで、いつまでも異常な猛暑は去らない感じだが、しかし、よく見ると、どこかに秋の色がある。
その秋を押し隠して、いい試合が行われた。
思うに、プロのスカウトが、今年は不作だと嘆く年ほど甲子園は面白い、
というぼくの日頃の説を今年は見事に証明してくれている。


( 鹿児島実4-3高知商  延長12回 )

312名無しさん:2018/11/04(日) 12:26:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月17日  三回戦  「 去り行く少年に 」


まだ 夏の中に置きたい少年が 去って行く 夢や 希望や 悲願を たっぷりと詰め込んだ夏を思うと

少しばかり早い終りで 少年はクリクリとした目に 甲子園の巨きさと 勝利の困難さを焼きつけながら

しかし 肩を落すことなく甲子園を後にする 

陽のかげったグランドには しょう然と後を追う影はなく それが救いだ


秋田経法大付高 中川申也投手 去年一年生で 無邪気とも思える大胆さで 

甲子園の魔物を手玉にとった少年は 身長で二センチ 体重で一キロ 胸囲は六センチも大きくなり 

それにつれて 無欲と無邪気は度胸と冷静さに変り あきらかに 大人になった姿を見せてくれた


ただ 無邪気ですりぬけられた危機を 意志で打ち負かそうとする大人の業が 

きみを 勝利から遠ざけてしまったが それは もう あたりまえのことで 去年の方がよかったとは 

誰も思いはしない 来年 また逢おう 中川申也君



仙台育英につづいて、秋田経法大付が敗れ、かなり夢ふくらんだ感のあった、みちのくへ大旗の悲願も
一気に消えた。 熱い東北に熱い視線が集まり、いくらかロマンティシズムも手伝って、
今年はチャンスとぼくなども思っていたが、やはり、四千校を超す参加校の頂点に立つことが、
如何に大変かということだろう。

勝ちつづけて不思議でない戦力と、雰囲気を備えた両校でも、まだ、他に、サムシングが必要だということで、
甲子園というのは、宿題を出しつづける。 去年の宿題の解答だけでは満足しないものらしい。

しかし、宿題がない人生も青春も、考えようによってはつまらないもので、大いなる宿題を鞄に詰めて帰ってほしい。
東北は急激に秋になるだろう。 球児たちの背景に故郷を思うのは、三回戦以降のことである。


( 横浜商3-2秋田経法大付  延長12回 )

313名無しさん:2018/11/04(日) 15:15:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月18日  三回戦  「 鶴の詩 」


まさに 金属音だ やや冷たさを秘めた甲高い響きが 緊張に重苦しく淀んだ空気を

メスのように引き裂く 打球は 音の鋭さとやや違う印象で 

直線よりは 大きな放物線を描いて ライト・スタンドへ飛び込む 


いちばん欲しい時の いちばん欲しいホームランは まるで 日大鶴ヶ丘のベンチで翼をたたむ千羽鶴 

いや 原色に彩られた万羽鶴が いっせいに舞い上るような 華麗で 価値ある一発だった 


延長10回 日大鶴ヶ丘 石井選手 決勝スリーラン それにしても ホームランの威力は 知力や 胆力や

あるいは 必死に踏みとどまろうとする精神力や それら全ての頭越しに 決定してしまうのだから

球場に静寂が訪れるのも無理はない


日大鶴ヶ丘 初陣でありながら風格を備え 堂々の戦いぶりは見事で 球児たちの悲願を背負った

折鶴の舞を やや雲の多い甲子園で 存分に演じさせた 夢のように・・・



花は、勝敗を決するホームランであっても、試合というものは、それを仇花にしないためのファンデーションが
より大切になる。 つまり、最後のドンデン返しや、劇的な終局を迎えさせるためには、
呼吸困難を感じさせるような地味な押し合いが必要である。

ポンポンと花火のように乱打される試合の中で、仮に決勝点となるホームランが出たとしても、
それは単なる巡り合せということになってしまい、重い空気を引き裂くような、とはならない。

石井選手のホームランは、もちろん見事ではあったが、これを見事に見せたのは、難波投手の力投をはじめ、
クライマックスへの基礎固めをした全員にあったと云いたいのだ。

どうやら、騒ぎ過ぎた甲子園の魔物も、いささか疲れたらしい。波乱や、殊勲があっても、それは、
魔物のしわざではないと思えるここ何試合かである。


( 日大鶴ヶ丘5-3徳島商  延長10回 )

314名無しさん:2018/11/10(土) 10:08:09
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月19日  準々決勝  「 内之倉 翔ぶ 」


時代を動かし 国を変えた郷土の先輩がいるのだから 試合の流れを変えるくらい 何でもないと

きみの一撃は 五万五千の大観衆を沈黙させる鋭さで レフト・スタンドへつき刺さり

翔ぶが如く 舞うが如く きみは駆けた


鹿児島実・内之倉隆志 時代が時代なら 野望とロマンに満ちた そして どこか大らかな 

青年として生きただろうにと そんな幻想さえ抱かせ 真夏に立つ


時として甲子園は 競技の場を超えて ロマンの荒野と化す 郷土という色分けも 学校という意識も忘れて

自由な目で見つめられる一瞬がある それは 秀れたもの 美しいもの 才あるものとの遭遇の時で

きみが打席に歩を運ぶと 甲子園は まさに 束縛から解かれた夢の荒野になるのだ


そして きみは充分に期待に応え 飢えた大人の渇いた心に 一瞬の風を吹かせた

きみは いま 甲子園を去りながら きみ自身の前にひろがる荒野を 熱い瞳で見つめていることだろう



まだもう少し見ていたい逸材が、いつの場合も惜しまれながら去って行くのが、甲子園の宿命である。
かつてのPL学園の桑田、清原のように、最後まで甲子園に居残り、何もかも手に入れ、
たっぷりと人の目にその姿を焼きつけた例は少いのだ。

大抵は、少々の感傷と、大いなる期待の中で、いくらかし残した感じを、本人も、見る人も、
ともに抱きながら去って行くものである。 この、残した感じが実にいい。 誰も皆し残すもので、
完全燃焼などというものは、一試合に限ってならあったとしても、少年の才能にあるわけがないのだ。

内之倉選手は、充分にその力を発揮したが、それでも、まだ、し残した感じが残るのは、
早過ぎる敗退ということもあろうが、それだけ大物だということである。


( 西日本短大付4-3鹿児島実 )



内之倉・・・ダイエー 通算6年、2本塁打、40安打。

315名無しさん:2018/11/10(土) 11:11:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月20日  準決勝  「 未踏の階段 」


もどりの夏が 感傷を運ぶ秋をせき止め グラウンドの土を灼き アルプスを焦がし 熱風となって吹き過ぎる

夏がいちばん似合う沖縄球児に まるで エネルギーを注入するような 季節のはからいで 

きみたちは 実にいきいきとプレイし 未踏の階段を一つ昇った


きみたちにはきみたちの 世代としての思いがあり もしかしたら 大人たちが胸痛くする感慨とは

少し異っているかもしれないが それでも とうとう此処までやって来た


夢と悲願への接近は 悲痛なスローガンではなく 現実のものなんだという感激は 同じものに違いない

きみたちの一勝は きみたちが思うよりはるかに大きく ましてや 優勝の二文字が夢ではなく

手が届くところにあるとすると これは もう 歴史なのだ


勝つか 敗れるか いずれにしても快挙に違いなく 光まぶしい ブルーの色濃い空の下 

きみたちは 幻想を現実に転換する スイッチに手を掛けた 沖縄水産高校 はじめての決勝進出 



沖縄水産が決勝に進出した感慨とは別に、この試合で印象的なことが二つあった。
一つは、高校野球の監督さんが、実に選手たちのことをよく見ているということである。
気力とか、調子とか、意欲とか、記録の数字以外の活躍要素を見抜くには、余程の観察が必要になって来る。

突然先発に起用された沖縄水産横峯、山陽児玉両選手の活躍を見ながら、見つめること、
見落さないことの重大さを感じたのである。 目をそらしては人を育てられない。

もう一つ、九回、マウンドを三年生投手に譲り、レフトへ下った山陽川岡投手が、目を細めてスコアボードを見やる姿に、
とても十六、七歳とは思えない、何か人生の一山を越えた男のような、安堵と落胆の入り混った哀愁を感じたのは、
あまりに作詞家的感想に過ぎるであろうか。 いずれにしても、あと一日で秋になる。 


( 沖縄水産6-1山陽 )

316名無しさん:2018/11/10(土) 12:26:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1990年8月21日  決勝  「 笑顔に 」


泣けて泣けて仕方なかったのです 何故の涙が ゲームセットの一瞬から 

目蓋を押し上げる熱い涙を 止めることが出来なかったのです


敗者となり 大きい夢を取り逃したきみたちの 実に晴れ晴れとした笑顔に

なお一層こみ上げるものを覚え しばらくは声もなく ぼやけた視界を見つめていたのです


昭和四十七年 本土復帰の年に生れたきみたちが 悲願達成への主役となったのは 

何やら因縁も感じます しかし そのような背景を抜きにしても きみたちは立派なチームで 

見事な戦いぶりで それが あの 明るい笑顔になったのでしょう 


ぼくらが いささか感傷過多で流す涙が もう間違いだと知らされたようで

新たな野球の歴史の始りを 嚙みしめたのでした 


それにしても 最後の打者横峯のバットが発した いつまでも耳に残る快音

天理のレフト小竹の 奇跡的攻守でのゲームセット 夢が実るにしろ 夢がついえるにしろ

これ以上はない幕切れで 時間にして数秒の間に 大きな大きな感慨を凝縮した一瞬でした



決勝戦は動かないままに短い時間で終ってしまったが、その間の緊張と、内なる波乱を数えると、
乱打戦のシーソーゲームをはるかに超えていたに違いない。

ゲームという視点で見ると、攻撃面でのミスも多く、準決勝までとはいささか違う状態がうかがわれたが、
このような一戦を、スコアブックでチェックしても仕方ないだろう。
短いが、見えないヤマをたくさん含んだ稀に見る好試合だったと云いたいのだ。

さて、こんなに暑い大会も珍しいが、こんなに熱く昂揚したことも初めてである。
前評判の静かさを、試合自体の面白さで盛り上げて行き、入場者総数も九十万を超す新記録となった。
無名校の無名選手が、夏の日を浴びて、虚名のスターを超える一瞬も何度も見たし、
満足の行く夏だったと云いたい。


( 天理1-0沖縄水産 )



1990年の出来事・・・ソ連ゴルバチョフ初代大統領 ノーベル平和賞受賞、 第一回大学入試センター試験、

              イラクがクウェート侵攻、 東西ドイツ統一、 今上天皇即位の礼、 雲仙普賢岳噴火

317名無しさん:2018/11/11(日) 10:05:02
☆ 倉敷工業34のスレッドより 


2018/09/09(日) 01:54:00


10年前の秋だったかな、関西に逆転勝ちして中国大会出場を決めた時、
その当時の倉工スレに関西OBの「ワシじゃ」というコテが書き込んだんだよ。

この「ワシじゃ」さんはいい人で、関西がやや不運な負け方をしたにもかかわらず、
「中国大会出場おめでとう。」と書いてくれたんよな。あれは嬉しかった。
「ワシじゃ」さんお元気ですか?

更に驚いたことに、「ワシじゃ」さんも少年時代に倉工ユニフォームごっこで遊んだと書いてあった。
あのユニになった昭和43年に小学生だった人は現在56歳〜62歳だな。

丁度この世代には和泉さんや中山さんも含まれる。
高田は若いから分からんじゃろうが、この世代にはあのユニがえろうカッコよく見えた。
半袖の下に太目のダボっとした白い長袖ババシャツを着たようなあれが懐かしいね。



コピーさせて貰いました。 同世代の方でしょうね。
「ワシじゃ」さんではないのですが、同感で、懐かしいです。
こちらのスレは、図らずも、ワンマンになっていますが、昔話など書き込んで頂ければ幸いです。

さて、秋の中国大会で部員16名、鳥取県内屈指の進学校、米子東が決勝に進出。
23年ぶり、9回目のセンバツが確実になりました。 伝統の純白のユニがいい、身体が大きく見える。

阿久悠さんの甲子園の詩に、「同じユニホームで登場して来ると、時代を超えてつながってしまう。
甲子園のファンというものは、そういう風に忘却を知らない感傷を持ちつづけているのである」。
久しぶりに出場することが出来ても、あのユニでは、魔物も、あの倉敷工とは認識してくれないでしょう。

318名無しさん:2018/11/11(日) 10:15:01
☆ 矢野監督、2軍で育てた秘蔵っ子右腕・守屋の方程式入りに期待



矢野監督(49歳)が6日、2軍監督として手塩にかけて育てた守屋投手(24歳)に勝利の方程式入りを期待した。
高知・安芸での秋季キャンプでシート打撃に登板したスリークオーター右腕は、打者7人に無安打無四球の3奪三振。
指揮官は「使えるんやってホンマに。 きょうもすごいピッチング。 あいつが一番光っていた」と絶賛した。

切れ味鋭いストレートは、MAX149キロを計測。 主軸候補の大山のバットもへし折り、三ゴロに仕留めた。
矢野監督は「首を振って自分で考えて、味方相手にインサイドにいけたのはすごい」と、植え付けてきたメンタルの強さを評価した。


守屋はプロ4年間で通算9試合で未勝利。 だが、今季は2軍でチーム最多の39試合に登板。
2勝2敗2セーブ、防御率3・35の成績で、ファーム日本一に貢献した。
「結果は良かったです。逆球が多かったのが課題です」。
足もとを見つめながら、初の開幕1軍入りを目指す。



矢野監督になった幸運を、生かしてほしいですね。 来年は勝負の年、結果を出さないと・・・。

319名無しさん:2018/11/11(日) 11:26:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月8日  一回戦  「 はじめての甲子園 」


はじめての甲子園はどうでしたか 未知と神秘の惑星でしたか 酷薄な試練を強いる魔女の棲む

イバラの園でしたか それとも 可能性をやさしく鼓舞する女神が舞う 夢の園でしたか

遠かったですか 大きかったですか 平常心という言葉は 心のエネルギーになりましたか


緊張というプレッシャーは 快感になりましたか 遠くが見えましたか 

暑いと熱いの違いが 実感できましたか 感激は見つかりましたか 感動は手に入りましたか

口惜しさはどうですか 悔いは残りますか 


さて はじめての甲子園は きみたちにとって何でしたか 理想を掲げ 禁欲の美しさを説く父でしたか

手ごわさを示し 力を見せつける強い兄でしたか それとも 全てをゆったり包み込む

大きなあたたかい胸を持つ 母のような存在でしたか


二時間 その場に立っただけで そんなにも沢山の心の襞が生れる それが甲子園なのです

北照高のきみたちへ 甲子園からの伝言です



ある夏の、ある日の早朝、無人の甲子園の投手マウンドに立ったことがある。
テレビ取材で、その場から、僕が、外野方面を、グルッと見まわして観客席を、そして、
明けたばかりの空をふり仰ぐというものであった。

その時感じたのは、観覧席が人で埋った時の空おそろしさで、妄想するだけで震えそうになったほどである。
そして、此処で力を発揮する少年たちは、ましてや、殊勲を立てる少年たちは、たいしたものだと感心した。

甲子園というのは、単に野球場というだけでなく、もっと精神的な、神がかり的な、聖地である。
神の声を聞くことも出来る。 はじめての甲子園ともなると、神の声が重なり、
ワンワン耳を打つに違いない。 北照高を見ながらそんな風に思った。


( 沖縄水産4-3北照 )

320名無しさん:2018/11/11(日) 12:53:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月9日  一回戦  「 やまびこ神話 」


もう それは 神話になっている 頑強な肉体と旺盛な闘争心を 金属バットそのものにして

白球を宇宙遊泳させた おそるべき子供たちがいた


ダイヤモンドの野球を フィールドの野球に変え 爽快なロマンとドリームを 甲子園に持ち込んだ

高校野球の革命児たちを 夏はおぼえている


金属音のこだまに 悲鳴に似た歓声があがり 入道雲の姿に 男の雄叫びを証明した

あの大きな子供たちは たしかに たしかに時代だった それほど昔ではなく それほど近くでもなく 

しかし 過去のスクリーンの中に その時代はメラメラと存在したのだ


記憶は薄れ やがて消えるものだが 夏と甲子園をキイワードにすると あの神話は 永久に不滅になる

そう それほど強烈だった 徳島代表 池田高校 その池田が帰って来た

ただ それだけでときめく やまびこなのか さわやかなのか どちらでもいい 甲子園は待っていた



高校生だから三年で人は入れ替わる。 英雄やスターがいても、三年を過ぎるといなくなる。
だから、同じ学校でも、同じチームではないわけで、プロの球団のように、一つのイメージを求めることは無理なのである。 
そんなこと百も承知で、学校のそれなりの健闘を応援するのだが、何校かには、ついついイメージを期待する。

その最たる例が池田高校で、もう九年も前の、江上、畠山、水野の時代の強烈な印象を思い描いてしまうのである。
今年、金属バットから金属音が消えた。 野球が変わったように思える。 
その年に、池田が復活して来たのは何か象徴的な思いさえするのだ。

そして、ぼくの見た目では、姿を変えたと云われる池田の本質は、やはり、やまびこ神話の精神そのものに思えた。
やまびこも、さわやかも、ともに生きていたのだ。


( 池田5-4国学院久我山  延長10回 )

321名無しさん:2018/11/11(日) 13:56:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月10日  一回戦  「 サヨナラの演出 」


サヨナラが二度あった 女神のためらいなのか 悪戯なのか それとも 熱戦に酔ったあげくの失敗なのか

劇的であるべきサヨナラを 二度演出した 佐賀学園・春日部共栄


劇的というのは 勝者と敗者を瞬時に区分けする 実に残酷な結論のことで 好試合も熱戦も

女神の唇の一吹きのあとは 勝って喜ぶ人たちと 敗れてうなだれる人たちに 引き離してしまう

劇的でなければ退屈で 劇的であれば心痛む 試合とは かくも因果なものなのだ


肩の痛みに耐えながら むしろ後半に力を発揮して来た投手と 去年の大敗の屈辱を

見事にそそごうとしている投手が 投げ合い 投げ合い そして 何度か訪れかけた幕切れを

好守がひきのばす


延長に入って ポツリと雨 そして 不安な風 落着きのない女神の動向 どれもこれも

勝敗に関わるなと云いたいような 緊迫の ドラマたっぷりの熱戦だった



十回裏、二死走者二塁で、若林の打ったボールは高い内野フライだった。
一塁手が追い、風に流され、今度は三塁手が追い、やや目測を誤った感じで捕球が出来ず、
ボールは投手マウンド近くで大きく弾み、ファウル・グラウンドへ転がった。

二塁走者の実松は一気に本塁を駈けぬけ、その時点でサヨナラかと思えたが、
ボールに野手のグラブが触れていなくて、ファウルの判定が出され、サヨナラ勝ちは一度は消えたのである。

これだけの短い時間の間に、一喜一憂が何度か入れかわり、その都度、歓声と悲鳴が入り混った光景も珍しいだろう。
しかし、熱戦の最後がこれでなくて本当によかったと思っている。
サヨナラの仕切り直しでも運命は変らなかったが、好試合であっただけに、
雨や、風や、女神の手は借りたくなかったからである。


( 春日部共栄2-3佐賀学園、延長10回サヨナラ勝ち )

322名無しさん:2018/11/17(土) 10:08:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月11日  一回戦  「 教 訓 」


Many Many Chance  One Pinch チャンスは山のようにあり ピンチは一回しかなかったのに

Many Many Pinch One Chance が勝ってしまった


昨年の覇者に対し 力を誇る挑戦者がぶつかり 大器の噂の巨漢投手に 三回まで七安打を浴せ

たとえば それは 名声に対する実力 自負に対する自信 候補に対する黒馬

本当に強いのは誰かと 誇示しているようなものだった


覇者はたじろぎ 大器は揺らぎ スコアブックの上では ワンサイドの様相を呈していながら しかし

覇者は倒れず 大器は挫けず 宇都宮学園は 絶対の候補の天理を倒しそこねた


まさに青春訓がそこにあって チャンスにこそ戦き ピンチにこそ寛ぎ 実力とは それを個々が持つことではなく

ワンチャンスに 一つに集めることだと 甲子園は また語ったようだ



勝負に、「もしも」、はあり得ないが、一回裏・宇都宮学園・無死一、三塁の好機に、三番中山の放った強烈な一打が、
投手谷口のグラブに偶然のように入るということがなかったら、そのまま大差で押し切るような展開になったかもしれない。

天理の谷口投手は、四回からは別人のように安定し、本領を発揮し始めるのだが、この、「もしも」、がわずかに
ズレてヒットになっていたら、その立ち直りも考えられなかっただろう。
しかし、詩にも書いたように、チャンスとかピンチとかいうものは、訪れる回数によって幸運や不運、幸福や不幸が
決まるのではなく、訪れた時の対応によるのだと教えられた試合だった。

まさに人生である。 大魚を逸した宇都宮学園ナインに贈る言葉もないが、たぶん、多くの警句が数年後に
よみがえるに違いないと確信している。


( 天理4-1宇都宮学園 )

323名無しさん:2018/11/17(土) 11:21:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月12日  二回戦  「 きょうは晴れたか 」


きょうは晴れたかと呟く きょうは暑いかと訊ねる 入道雲は湧いたか 陽炎の舞はあったかとも

やはり 夏の甲子園は ギラギラの陽ざしの中で 芝の匂いが充ちた方がいい

その夏が きょう戻って来た そして 戦いも熱くなった


ドクターKを向うにまわし 知恵と度胸と余裕で投げる 秋田の菅原投手 時に遊び 時に焦らすかに見える

この少年にとって 二十六年ぶりの勝利という悲願も また ゲームセットへのプレッシャーも

およそ無関係に思えたが 一点リードの九回二死 あと一つストライクを取れば あと一つ

そこで打たれて同点になった


勝利への道は 長いとか 険しいとか しかし 本当は 道が姿を消して さあどうすると迷わせることで

たぶん 知恵と度胸と余裕の少年も 恐さを実感したに違いない

戻って来た夏の日の熱戦は 一瞬のドラマのあと ふたたび秋田に微笑んだ



今年の大会でうれしいのは、大差の試合がないことである。 晴れ舞台で、悲惨な打ち砕かれようとする少年たちを見るのは、
とても辛いことで、試練とかの言葉を与えても、慰さめにもならない。 そして、毎年、そういう試合がかなりの数ある。
しかし、今年は違っている。 1点差の試合も多いし、地味ながらも、心地よく緊迫していられるのだ。

さて、東北勢の健斗が目立つ。 東北は、今日接戦の末敗れたが、お返しのように秋田がサヨナラ勝ちした。
専大北上が強豪村野工に勝ち、弘前実も外崎監督に甲子園初勝利をプレゼントし、学法石川も毎回奪三振で勝った。

敗れた米沢工も、山形県勢連続無得点をストップという最低の目的は達している。
これらと関係あるかどうか、高校野球が高校野球に戻っていることも強く感じる。


( 北嵯峨3-4秋田、サヨナラ勝ち )

324名無しさん:2018/11/17(土) 12:30:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月13日  二回戦  「 一瞬にして鮮烈の夏 」


二年生よ そして 一年生よ いま ぼくらの 一瞬にして鮮烈の夏は終った 

無念の砂ぼこりの中に 色褪せて行く虹を見送りながら それこそ 季節が変るように終ったのだ


熱戦といわれ 健闘と称えられ 好試合と喜こばれても 敗者は敗者で センターポールを仰ぐことも

校歌を歌うこともなく ぼくらは甲子園を去るのだ


夢は達成するごとに 新たな夢となってふくらみ 逃げ水ような夢を追いながら 甲子園までやって来たが

それも いま消えた もうぼくらはこの場所に立てない


必死と懸命の代償に 心の中に得たものは ここまでやったという満足と ここまでだったという衝撃で 

それは同時に ここでなければ手に入らない 大きな教科書なのだ 

その満足と衝撃をきみらに伝えよう 教科書を持ち帰ろう


一瞬にして鮮烈の夏の 瞼と皮膚が吸収した教訓を 来年のきみらのために 読んで聞かせよう

市立沼津ナインの思いは たぶん こうだろう



メンバー表を見たら、市立沼津は、ベンチ入り十五人が全部三年生だった。これは、かなり重要なことである。
高校野球にこのように熱中し、感傷的になる大きな要素の一つに、三年生にとってはラストチャンスだという思いがあるからで、
その意味では、三年生を優先してあげたいと、以前から思っていた。

そして、熱戦の末敗れた市立沼津を見ているうちに、三年生からのメッセージという形で詩を書いてみたくなったのだ。
星稜、市立沼津は実力伯仲、全く互角で進行して来たが、その膠着状態をつき破ったのは、
星稜の1メートル84、90キロの巨漢松井の二盗、三盗であった。 
これは、運命を突破するような勢いにさえ見え、流れを変えた。詩の中の、衝撃という言葉には、これも含まれている。


( 星稜4-3市立沼津 )

325名無しさん:2018/11/17(土) 15:05:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月14日  二回戦  「 2時間14分の緊張 」


緊張はいいものだ 時間の中に無駄がない 一呼吸をおろそかにすると 状況が変わってしまう

二時間十四分の試合の中で 何度の呼吸をしたか その数だけの 好機と危機が そして

成功と失敗の可能性が あったってことだ  


我孫子高・西条農  夕映えの中で緊張は始まり ピイーンと張りつめたまま 照明が灯り 

さらに波乱の予感をひそめながら きみらは戦いつづけた


荒井投手 堀投手 きみらに感動し感服するのは 内なる動揺も 内なる昂揚も 

全てを制御する知恵と精神力を しっかりと持っていたことで それこそ 一呼吸 一呼吸 

そう 緊張と格闘したのだ  試合は動く 動くと結果が出 途中が忘れられる

しかし 懸命に引き合った緊張の綱の美しさは 忘れない



はじめは、ついつい、マウンドに立つ息子と、ベンチで見つめる父親、その間はどのくらいの距離かはわからないが、
父と子が存在し合うにはちょうどいいな、などと思っていた。

我孫子の監督とエースは父子だということは、かなり話題になっていたし、それは現代に於ける”父と子”は、
今のぼくにとって最大のテーマでもあるので、興味を持って、表情の動きや、向き合う角度などを追っていたのだ。
しかし、それも最初の何回かで、それこそ、緊張の中にはまり込んでしまった。

さて、勝敗のキイになったのは、八回裏、代打の浪川が選んだ四球であるが、この大切な場面で、
予選すら打席のなかった選手を指名する監督の眼力と度胸、これには凄いものだと感心させられた。
ぼくの肩は、まだ凝っている。


( 我孫子6-3西条農 )

326名無しさん:2018/11/18(日) 10:12:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月15日  二回戦  「 麦藁帽子 」


舞い上り 舞い落ち 捨てられた麦藁帽子は いったい何なのでしょうね もしかして

ひまわりになりたかった麦藁帽子が ひまわりになれなくて そっと身を隠したのかもしれません

今日は本当に暑いから そんな風景もいくつかあって 甲子園の麦藁帽子 

ああ ちょっと無念な少年の心なんですね 


学法石川の川越投手は なぜ打たれたのでしょう そして なぜ敗れたのでしょう

いきいきと のびのびと 小気味よく投げ込み 勝利を呼び込む気迫も 満点だと思えたのに

突然何があったのでしょう  


流れが変わるとは そんなにも 人間を呪縛するものでしょうか 技や力や魂も 流れには溺れるのでしょうか

小さい大投手の 堂々の晴舞台は 一瞬の不運で暗転しました


そして 麦藁帽子です やはり 少年の心でしょうか  もうちょっとで ひまわりになれたのにと

スタンドの椅子の下に ひしゃげて落ちているのです



第二試合の五回終了時点で、ちょうど正午になり、黙とうを捧げた。 四十六回目の終戦記念日である。
戦争と全く無縁に生れ育った球児たちも、今年は、湾岸戦争もあり、少しは違う意識で目を閉じ、
そして、平和の充満した青空を仰いだかな、と思った。

そして、ぼくら大人は、この青空の厚味はどれくらいだろう、表皮一枚きりで、
すぐ下は黒雲ではあるまいかと考えてしまうのだ。

野球に目を向けよう。大会も後半に入った。ここから先は、例年のことだが、アッという間に過ぎてしまう。
ところで、今年は、熱戦や、接戦が、どうして、一瞬にして大差の試合になってしまうのだろうと不思議に感じている。
前半の緊迫は何だったのだろうと思うほどである。
偶然の成り行きではなく、何か根本的な理由がある気がしてならない。


( 宇部商8-3学法石川 )

327名無しさん:2018/11/18(日) 11:12:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月16日  二回戦  「 伝令走る 」


伝令走る 絶体絶命の危機に伝令が駈け寄る そこで いったい 何が伝えられるのだろうか

ほんの一言 おそらくはわかりやすい言葉の 再生の魔術に感動させられる 


落着け だろうか 頑張れだろうか 伝令走る 幸福の使者のように エネルギーの補給者のように 輝いて走る 

八回表 一打逆転の大危機 彼の役割りは立派に果せ エースは一点差を守った


郷土が嵐に包まれた日 沖縄水産は 快晴の甲子園にいて あたかも決勝戦のような熱気の中で

明徳義塾と対戦した 壮絶な打撃戦で しかし 乱戦に非ず キリッと引き締り カッと照り返す

まさに夏型の熱風戦だった


先行され 逆転し 引き離し 快勝かと思われた八回 彼らに嵐が訪れたのだ ここで 伝令走る

落着け だろうか 頑張れ だろうか それとも 天理に出会うまで・・・ だっただろうか



午前十時に、甲子園球場から「満員通知」が出され、そればかりではなく、決勝戦のような空気が
満ちていると思えた。 暑く、快晴だった。 球場は白く、銀紙に包まれたようにまぶしく、全てが
熱戦の条件を整えていたと言える。

沖縄水産にとっては、目の前の明徳義塾しか意識になくて、この試合を勝つことが全てであっただろうが、
見る人間の頭には、どうしても天理がチラつく。 

昨年、沖縄水産は、たった一点の、最小で最大の壁に遮られ、準優勝に甘んじた。 
その一点を超えることが、絶対の目標で、絶対のロマンであると信じたくなる。
意識の底の渇望、天理との再戦が、この戦をものにしたエネルギーだと考えたいではないか。
しかし、その天理は、佐賀学園の若林の快投と、若林の一振りで、甲子園から姿を消した。


( 沖縄水産6-5明徳義塾 )

328名無しさん:2018/11/18(日) 12:23:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月17日  三回戦  「 架空のヒーロー 」


帝京よ 池田よ 池田よ 帝京よ 八月十七日はいついつまでも きみたちの胸に

そして ぼくたちの心に 色鮮やかな記憶として残るだろう 


勝ってよかったも 負けて口惜しいも やがて いい試合だった 凄い試合だった

ただ この心の震えだけが 記録を押しのけて記憶として 残るに違いない


帝京よ 池田よ 池田よ 帝京よ 面白過ぎる罪というやつは 誰を責めたらいいのか

完璧な青空を取り戻した復活の夏か 五万三千の熱狂の客か それとも 劇的な昂揚につき動かされ

筋書きのないドラマを自作自演した きみたちか 


いや いや 面白過ぎる罪は誰にも責められない そのときのきみたちは あたかも 架空の世界に舞う

架空のヒーローにさえ見えた そして いつか 架空のヒーローが高校生に戻り 普通の大人になった時

八月十七日は たぶん 架空の意味を語るだろう きみたちは ともに 最高だったと・・・



このようにヒーローがいっぱいいて、ヒーローになかなかなれない試合も珍しい。 監督の大抜擢に応え、
見事に先制の二塁打を放った池田の池住も、超美技でピンチを救った池田の外野手の三ツ川も、南も、
普通の試合であれば、ヒーロー・インタビューを受けていておかしくない。

三ツ川は、八回に、一度はダメ押しかと思われた二点本塁打を打っているのだから、
本来なら文句なしである。 もっと凄いのは、八回、大逆転の満塁本塁打を打ち、
九回のピンチにふたたびマウンドに上り、二者を三振に打ち取った帝京の三沢が、
大ヒーローになれなかったことである。

結局、大見出しのヒーローは、十回裏にサヨナラ二点本塁打を放った稲元ということになるのだが、
これを見ただけでも如何にドラマチックで、もの凄い試合だったかがわかる。


( 池田6-8帝京、延長10回サヨナラ勝ち )

329名無しさん:2018/11/24(土) 10:01:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月18日  三回戦  「 アッから アアまで 」


ぼくが詩人でなかったら 泣くな井出元と書く 

激闘三時間四十六分 熱投二百三十二球 無念の死球と書く


ぼくが詩人でなかったら 敗れて悔いなしと云い うつむくな 胸を張れ 肩を落すな

眉を上げろ 瞳を濡らすな きみは完全燃焼だと云う 本気でそう書き 素直にそう云うだろう


ぼくが詩人でなかったら エースの意地を称え 孤独のマウンド 黙々と投げる 

左腕唸る 悲運のサウスポー ついに力尽く 力尽く 延長十六回 井出元の夏は終ったと


だがしかし この日のぼくは 心は詩人であったから 井出元の指を離れた 二百三十二球目の 

その瞬間から 打者の肩にあたるまでの何秒か そこに詰め込まれた 

IC回路のような膨大な思いを 知りたいと思う


アッから アアまでの間 時間は無限で 空間は宇宙ほども広く・・・ 

そこに 井出元投手は立っていたのだ



延長が続くと、決着はどういう形でつくのであろうかと予測する。 
これこそ、小説の筋立てを考えるように、あらゆる場面を想定して見ている。 

早い回には、どこかで劇的な終りを期待しているが、だんだんと、波乱も、劇的要素も、
意外性もない方がいいと思うようになり、この試合のように、十六回にもなると、
平凡に終了する方法はないものかとさえ考えるようになっていた。無理な話である。

ずいぶんとたくさんのケースを予測していたが、満塁、押し出しデット・ボールというのは、
考えになかった。 劇的度を計ると、ぼくが願ったように、平凡な結末の部類に入るかもしれないが、
平凡なだけに悲劇性や、残酷度が増すということを知らされた。
それにしても、アイドル不在の大会は、こんなにも面白い。


( 四日市工3-4松商学園、延長16回サヨナラ勝ち )

330名無しさん:2018/11/24(土) 11:12:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月19日  準々決勝  「 贈る言葉 」


春も夏も 大活躍でした 春も夏もさわやかでした 少しばかり懐かしい感じが 

心の原風景をかすめたような そんな印象の 市川高校でした 


夏の陽ざしに灼きついたような 強烈な記憶ではありませんが いつまでも心に残る 

心地いい想い出をつくって 甲子園を去って行きました

たとえば 風 そして 風に運ばれた青葉の匂いでした


高校野球は 等身大に心うたれるものです 野球に於けるさわやかさとは 

自分の等身大をよく心得 それを数センチ超えようとする 懸命の努力がうかがわれる時に 

心が浄化されるものです 


数センチの成長 数センチの進歩が 少年たちに感じられると 心が熱くなるもので 

それが 市川高校でした その彼らが勝つと 失われた価値観が復活したような 

心強さを感じたものでした


市川がどこにあるかも知りました 花火の町であることも 甲府盆地の南の端にあることも

そこには やがて秋が来るでしょう その頃 彼らの胸で 花火がきっとはじけます



台風の影響のようで、強風が吹いている。 朝は青空と思えたのに、
時間が経過するごとに雲の量が増えて行き、それも、かなりぶあつい雲で、波乱を思わせる。 

波乱といえば、この試合が始まる直前に、大変な波乱のニュースが、それこそ、音よりも、
光よりも速く世界を駈け巡る。 ソビエトのゴルバチョフ大統領が失脚したとか、
非常事態宣言がソビエトの一部に発令されたとか、これはもう、波乱などという表現では済まない大事である。

しかし、ここで、波乱の値打ちくらべをしても仕方ない。 激動の世界に心を動かしながら、
また、高校野球の懸命さに感動しても悪いことではない。 そんなことを考えながら、
鹿児島実の猛攻に耐える市川を見ていたら、やけに、美しく、涙ぐましいほどにさわやかに感じたものである。


( 鹿児島実7-3市川 )

331名無しさん:2018/11/24(土) 12:15:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月20日  準決勝  「 青春の達人 」


この日 きみたちは まぎれもなく 青春の達人だった

鹿児島実の選手諸君に 達人の称号を贈りたいと思う あと一点 あと一歩及ばず 


決勝の場に臨めなかったが 後半の怒濤のような追撃 マグマのような活力

そして 大差にも挫けず 執念を燃やした瞳のきらめきは 拍手に価する


きみたちは 大きく たくましく 強く 激しく 太陽に灼かれ 砂に磨かれ 

闘いつづける肉体と 闘うことの心を鍛えられた 迫力の少年たちだった 


あり余るエネルギーにつき動かされ 行き場を求めて疾駆する 壮絶で 危険で 

どこかうっとりする 若い 若い馬の姿を ぼくらは見た それが青春だと思う

だから 青春の達人と呼んだ 夏が終った きみたちにはメダルはない 

それでも きみたちを見つめた人々から 勲章は贈られる



九回裏の鹿児島実の攻撃、云いかえれば、沖縄水産の守り、この一景には、
ずいぶんといろんな要素が詰め込まれて、興味深かった。

如何にも、九回裏の攻防という言葉がピッタリの状況になり、逃げ切り、延長、
逆転サヨナラと、同じくらいの確率で予想され、正直なところドキドキした。

一死二、三塁で、打席に入ったのが一年生の中釜で、彼は、九回表、
大野の打球をランニング・キャッチ、この超美技で追加点を阻んでいたから、ラックが感じられたのだ。 
そればかりではなく、この一年生には、どことなくラッキー・ボーイ的な雰囲気があって、
沖縄水産から見ても、さぞいやだろうと思えた。

力と力、執念と執念に加えて、運のあるなしもからまって来て、充実した一イニングとなったが、
鹿児島実の頑張りも、ここで終った。


( 沖縄水産7-6鹿児島実 )

332名無しさん:2018/11/24(土) 13:22:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1991年8月21日  決勝  「 その瞬間を 」


躰を揺すりながら 指笛を鳴らしつづけたおとうさん 

気合で勝利を引き寄せようとした 空手衣のおにいさん


祭の実現を信じて疑わず 祭バンテンで踊っていた子供たち 

鉢巻をしめ 膝を強く抱いて見守っていた 野球部員たち


そして 全国からスタンドに集まり その瞬間を 息をつめて見つめつづけた 

沖縄県出身の人たち 抱き合い 喜び合い 胸の中の思いを噴出させる 

その瞬間は また一年延びてしまいました


悲願という言葉を もう横に置いても 充分に頂点に立ち得る実力を 

選手たちは備えて来たのです いつかが やがてになり 

この次こそはと確信出来る 強豪県になったのです


待ちましょう ほんの少しです 連続準優勝を称えて 選手たちを迎えて下さい 

指笛のおとうさん 空手衣のおにいさん 祭バンテンの子供たち 

鉢巻の部員たち そして あなた あなた



連載十三年目、今年も四十八試合、大仰に云うなら全球を、目をこらして見た。
目ばたきの間に、とんでもない感動を見逃してしまうのではないかと、半ば怯えながらである。

そして、ふと、ぼく自身の、高校野球を見る目が大きく変っていることに気がついたのである。
甲子園の中に、キラキラとした才能を見つけようとしていた目が、今年は、はっきりと、
今の社会の中で見失われ、軽んじられている当り前の価値観を、
懸命に探し出そうとしていたことにである。

努力が報われるとか、正直者は馬鹿を見ないとか、そういったものを、
プレイや勝敗の動きの中で追いかけていた。 たぶん、スター不在と云われた今年の大会が、
これだけ盛り上ったのも、ぼくと同じ思いの人が増えたからではないかと思う。


( 大阪桐蔭13-8沖縄水産 )



1991年の出来事・・・湾岸戦争、 バブル景気終わる、 東京都庁が新宿に移転

              ソ連崩壊、 千代の富士引退、 ジュリアナ東京オープン、



2010年の興南の春夏連覇はご覧になれず。 
2010年の「甲子園の詩」も拝読したかったものです。

333名無しさん:2018/11/25(日) 10:07:02
☆ 沖縄水産・大野倫 右腕折れても…“ナイチ”に挑んだ反骨773球



前年に続く準優勝。 地方大会から右肘の激痛を抱えていた大野倫投手は、
4連投を含む全6試合、773球を完投し、大会後に骨折が判明した。

沖縄勢初優勝の悲願達成へ右腕を振り続け、
甲子園の決勝で投手人生を終えた悲劇の主人公が「夏」を回顧した。


死力を尽くした。決勝の幕切れを告げるサイレンの中、大野は「やっと終わった」とまず思った。
体は、肘はボロボロだった。 「気力も体力も乾ききっていた。悔しさは、後で来ました」。

その1年前。2年生の夏に県勢初の決勝に進み、右翼手として準優勝に貢献した。
守備中にアルプスに目をやれば「指笛のおとうさん」「鉢巻の部員たち」の大声援。
大会後は那覇空港で約5000人の県民が出迎えた。


沖縄は今も昔も甲子園に熱狂する。地元校の登場日は県道の渋滞が収まる。
みんな仕事そっちのけでテレビにかじりつくからだ。 
大野も「テレビの前で空き缶を太鼓代わりにして、祖父らと一緒に沖縄の学校を応援した」と幼少期を思い出す。

沖縄返還翌年の73年生まれ。 大人が応援に込める“本土に負けるな”という思いを感じて育った。
意識付けを決定的にしたのは、栽弘義監督(07年死去)との出会いだ。
豊見城を4度全国8強に導いた指揮官は、沖縄水産に転じて上原晃(元中日)らを育てていた。


「栽先生は戦争で家族を亡くされた。 野球の指導者になっても、“どうせナイチには勝てない”と
周囲から言われ続けた。沖縄でも全国でやれる。 そう示したかったんだと思います」
気鋭の「沖水」に憧れて入学。 厳しさは覚悟していた。


「いつも緊張感を与えてきた。 “ボーッとしてたら手りゅう弾が飛んでくるぞ”と。夏への練習は殺気立っていた」。
2年秋からエース。 腕組みしたまま動かない監督の前での最長4時間の投げ込みなどで鍛えられた。
球速は145キロまで伸びた。

だが、3年生の5月。 投球練習中に「変な音がして右肘が吹っ飛んだ」。 勝てる投手は自分だけ。
仲間に「痛い」とは言えず、隠した。 沖縄大会は準決勝前に痛み止めの注射を打って乗り切った。
甲子園に行くと、栽監督が宿舎に呼ぶ医師や整体師の施術を受けた。


「結局は骨が折れていたわけですから。 何をやっても効かなかった」。
懸命に投げた。勝つ。頭にあるのはそれだけ。

「甲子園のマウンドで一瞬一瞬が必死で、将来のことなんて考えられる余裕がなかった」。
773球を1人で投げきった大会後、検査で剥離骨折が分かった。 軟骨も欠けていた。


「投手は、もうやめておきなさい」とのドクターストップ。 小学1年から右腕で勝負してきた男は、
栽監督に「お疲れさん。 よく頑張ったな」と初めてねぎらわれた決勝を最後に、投手生活に別れを告げた。

九州共立大では強打の外野手。
巨人入りし、99年春に沖縄尚学の日本一を神宮室内練習場のモニターで見た。
「信じられなかった。沖縄もここまで来たかと」。 
10年夏の興南の春夏連覇は沖縄で高校時代の球友と見守った。

58年にパスポート持参で首里が挑んだ初の甲子園に始まり、興南、豊見城、沖縄水産…。
挑戦を繰り返し、「強豪県」になった。 今では、むしろ有力選手の県外流出が激しい。



大野倫・・・1995年、巨人5位指名、通算1本塁打、5安打。 現在は九州共立大学の沖縄事務所長。

334名無しさん:2018/11/25(日) 11:21:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月10日  一回戦  「 予感 」 


嵐が過ぎた 聖火が消えた さあ 夏の陽よ 陽炎よ ここから 今から 日本の少年たちが主役だ

少年の証明は熱風の中で 感動と奇跡の織りなす 極彩色の絵模様が 

そう 光が降りそそぐ芝生の上に どうだとばかりにひろげられた 

どうだ どうだ これが主役たちのただ一つの台詞で 心萎えた大人たちを圧倒したのだ


八月十日 オリンピックのために二日間 譲り渡した夏の日を惜しむように 

少年の心も魂の祭典は 開幕試合から火を噴いた

熱い 熱い とても序曲とは思えない興奮の試合で 長い激闘に完全燃焼した


勝った沖縄尚学よ 敗れた桐蔭学園よ 迷走する女神の奪い合いは 

ほんのわずかな力と運の差で  去る者と残る者に分かれてしまったが 試合の記憶は勝敗を超えて

少年に対する大いなる期待として 大人たちの胸に残った


予感がする とてつもなく素晴しい予感がする 試合の中で脱皮する少年を見 

四時間の中で自己発見する  何人かの少年たちを見 陽炎の彼方に未来を見た気がした



明け方四時までマラソンを見ていた。 閉会式を見ようとしてこれは果たせず、
うつらうつらと仮眠のような形で眠って目を覚ますと、
わずか五時間で、昂揚と興奮の舞台は甲子園に移っていたのである。

オリンピックでは、どう見ても少女たちの方が元気が良く、結果の如何によらず、
かつての男たちが躰の芯に備えていた美意識を持っていた。
お道化ることなく、真直ぐで、硬質の美が彼女たちには見られた。 
それは嬉しくもあり、半面、少年たちに淋しさを感じたのも事実である。

だから、甲子園を、少年復活の場としてひそかに期待していた。 
その折が、開会式直後の第一戦から証明され、途中で自分を見切らない少年たちに出会えて、
いささか興奮したわけである。 四時間は長く、しかし、一瞬でもあった。


( 桐蔭学園4-5沖縄尚学、延長12回サヨナラ勝ち )

335名無しさん:2018/11/25(日) 12:23:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月11日  一回戦  「 満足 」


投手は満足そうな顔をしていた それは ほとんど 見る者の身勝手な感想だろうが

たしかに 投手の表情の やわらいだ目のあたり 結んだ唇のあたりに

一瞬の満足が浮かんで消えたと思えた


郡山高 池上投手 延長11回 サヨナラ負け だが しかし 敗者の満足とは何だろう

勝てば明日があり 負ければ今日で終るトーナメントでは 

美しい敗者が 醜い勝者に優ることはめったにない


やはり 勝ち残ってこその満足で 敗れれば一瞬の感傷に終る 

それでも 11回を投げぬいた投手には 満足が感じられたのだから よほど

美意識にそった勝負をしたか 体内の酸素が燃えつきるほどの 肉体の限界を見極めたか 


何やら 薄ぐもり 懸命な少年の動きを追う影がなく モワッとかすんだような甲子園で 

敗戦投手の一瞬の表情だけが 心に残った あれは満足だったのだろうか 極度のくやしさが 

あんな表情にさせてしまったのだろうか おそらく 誰にも 本人にもわかるまい



少年がどんな顔をしようが、それは、二時間を超える試合の中でのほんの数秒で、
本人にしてみても無意識である。 その無意識の数秒を取り出し、焼き付け、拡大して、
あれこれ深読みするのは滑稽なことであるが、ぼくはそれを楽しみに見ているのである。

高校野球四十八試合の間には、勝敗と無縁に反応する無意識の表情、
それも、劇的な深読みを誘うものがいくつもあって、心惹かれるのである。

たとえば、この試合、勝敗の分岐点や、機微や、あやを追って行けば、
一回表の郡山の攻撃の結果が全てだと云えなくもないし、
また、十一回裏二死からの上杉の一打がポテンではなく、目のさめる快打であったなら、
勝敗の決はまだ先であったかもわからないと考える。 
しかし、今日、ぼくは、スコアブックに書きようのない戦評外の表情を書いた。


( 郡山1-2延岡工、延長11回サヨナラ勝ち )

336名無しさん:2018/12/01(土) 10:01:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月12日  一回戦  「 追伸のように・帝京へ 」


持ち物のどこかからこぼれ落ちた そんな砂を大切にしなさい 彼らこそ 本当の現場を知る砂たちだから

相手を賞める時は 笑いながら賞めないこと せっかく示した賞める勇気が 無駄になってしまいます


試合のことは忘れていいでしょう でも 何回までは勝てると思い 何回から もしやと危うんだか

それだけは確認して下さい 将来の役に立ちます 


勝った時に得た友情は 80%が形式だが 負けた時に得た友情は 80%が真実です 

ご苦労さんという言葉には 素直にありがとうと返して下さい


しばらく過ぎたら 何が満足で 何が不満足か 思い出してみて下さい 

また しばらく過ぎたら アルバムを見て下さい  もっと過ぎたら ビデオを見て下さい 

最低十人には 甲子園についての ハガキを書いて下さい  帝京高三年生殿



春の優勝校ということもあって、帝京の前評判は圧倒的であった。
中には、死角なしと断言するものさえあった。
事実予選で戦いぶりなどを見ると、そういう予想が立つのも無理はないと思われた。

しかし、オリンピックで、鳥人と称えられている棒高跳びのセルゲイ・ブブカは、
進行の不手際で集中力を欠き、ついに一度もバーを越えることが出来ずに、記録無しという結果に終った。

また、金メダルを期待された谷口浩美(男子マラソン)は、転倒し、シューズが脱げて、
大きく優勝争いから後退した。

要するに絶対ということはないわけで、死角なしのV候補でも、それを上まわる相手に出会うと敗れるのである。
ブブカや谷口は、多少なりとも自分の側にもミスがあったが、ミスがなくても、
相手が何かで上まわればこういう結果になる。
それで、甲子園が本文なら、それの追伸を書きたくなったのである。


( 尽誠学園1-0帝京 )

337名無しさん:2018/12/01(土) 11:05:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月13日  一回戦  「 背番号 1 」


エースナンバーの1を背にして マウンド遠く外野の果てにいるのは 気持としてどうなのだろうか

1が光り輝く舞台は 明らかにダイヤモンドの真中で 矜持に満ちた恍惚が用意され 

生命に似た緊張もまた集中する


それを考えると 外野手の背番号1は 軽過ぎるのか 重過ぎるのか 

果して彼の晴舞台は 外野であるべきなのか マウンドであるべきなのか 

時に 高校野球は そんなことまで考えさせる


背番号1がマウンドに駆け上る  胸の泥は 打者としての勲章であっても 背番号1に似合わない

晴舞台に立って 自己を顕示し 相手を威圧するには 敢闘の証しの泥の汚れは邪魔になる


県岐阜商 背番号1 高井公洋 八回表 絶対絶命の無死満塁 遅過ぎた登場であったが 

真価という勲章を求めて 危機を切りぬけた 意地というものだろうか プライドというものだろうか

それとも もっと素直な 無心というやつだろうか いずれにせよ 見事な1の証明



激しい雨が直前まで降っていたということで、試合開始は一時間八分遅れた。 雨こそ初めてだが、
ギラギラに照っていたのは第一日だけで、その後は、グランドに選手たちの影を見たことがない。
やはり、二日遅れた開会が、何やらいつもと違う季節感で高校野球を迎えているのだろうか。

さて、雨という条件が加わると、予期せぬ劇的な展開にもなるのだが、それは同時に、
悲劇性を帯びたものになる可能性もある。 もうすっかり心やさしいヒトになっているぼくは、
心痛めたくないものだと案じていた。

しかし、雨もやみ、劇的要素を加えることなく好試合になり、その第一試合で、
感じ入る場面と人にぶつかって、よかったと思っているのである。 背番号は便宜的な表示なのだろうが、
何かの事情で場違いを感じさせると、便宜を超えた人生ドラマのようにさえ思える。


( 鹿児島商工2-3県岐阜商、逆転サヨナラ勝ち )

338名無しさん:2018/12/01(土) 12:08:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月14日  一回戦  「 苦い薬 」


去年の ちょうど同じ八月十四日は 大会最高の五万一千人の客の前で 

3回1/3で7点を奪われ 呆然とマウンドを降りた投手が 今年 颯爽と投げている


去年の八月十四日 なぜか 初めて蝉の声が甲子園に響いたが そんなことは知る筈もないだろう

だが もし 今年であったなら 青空の彼方から降りそそぐような 激しい蝉の声を聴く余裕を
 
持っていたに違いない 樹徳高 戸部浩投手 三年生


何やら出来過ぎた物語のように きちんと 三百六十五日で復活し 

苦い苦い薬の効果を見せている 残酷に思える仕打は 大体は薄情な毒になる 

才能に疑問を持たせ 運命を呪わしく感じさせ 二度と這い上ることの出来ない衝撃を 

若い体と心に与えてしまう 毒にもなり 薬にもなる


惨敗の経験から立ち直り 克服し成長した姿を見るのは 何とも頼もしい限りで 

単なる抽せんの結果と云いながら ちょうど三百六十五日 このきりの良さに 

苦い薬を与えた神の 好意に満ちた甘い微笑みを 感じてしまうのだ



去年のノートを見ると、大会七日目の八月十四日、樹徳は大阪桐蔭と対戦し、
11対3の大差で敗れている。
そして、その試合の先発が、二人いる三年生の投手ではなく二年生の戸部浩で、
ぼくも、意外にもと書いている。

結果は、相手の大阪桐蔭が最終的には優勝した実力校ということもあって、
二年生投手には、本当に苦い薬となったのである。
しかし、一年過ぎ、今年の戸部投手の成長ぶりを見ると、あの先発が過ちでも、
奇策でもなかったことがわかるのである。

作戦に対する賛否が、一年、二年過ぎてから立証出来るところが、
また高校野球の面白さであり、恐さでもあろう。

桐蔭学園、帝京のまさかの敗退、創価も秀明もはやばやと姿を消して、
関東勢の旗色は大いに悪かったが、樹徳が一勝してまずはよかった。 
決して地域的ナショナリストではないが、
勝った学校が列島に散らばっていた方が最後の興味も大きいというものだ。


( 樹徳8-1近江 )

339名無しさん:2018/12/01(土) 13:06:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月15日  二回戦  「 妥協のない父親 」


やはり甲子園は父親なのだ それも 既に死語になり 幻想になっている 頑固で 酷薄で 妥協のない 

憎悪の対象ですらあった父親  腕の太さで圧し 無言の説得力で蹂躙し 背中の大きさで拒絶し

だが しかし どこかに絶対の愛情を秘めていた存在 


たとえば 声を荒らげての叱責のあと 時に 頬を打ち また 足を蹴って理不尽の限りを示し 

殺意に近い抵抗を感じさせながら 尊敬する人は 父 と書いたような そんな父親が甲子園なのだ


今やもう 世の中に そのような姿の父親はいない たとえ求めても現われない 荒らぐだけならいても

澄んだ魂で子を拒みはしない 少年たちは ぶつかる物もなく大きくなる それが幸福か 不幸か


そんな中で 野球を志す少年たちにだけは 無言で 大きい  絶対の父親が存在し 愛されたり

鍛えられたりしている  弘前実 一年生 二年生諸君 今年の甲子園は まだ無愛想だった 

でも もしかしたら 来年は ものわかりのいい父親で 迎えてくれるかもしれない



正午にサイレンが鳴った。 第二試合の六回表の途中で、スタンドもグラウンドも頭を垂れ、目を閉じ、
数十秒石になり、影になった。 一景として見るなら、四十七年前の玉音放送を聴く人々の姿に似ていた。
ただし、あの時は、誰もが飢え、やせ細り、疲れていた。

今は、五万人のほとんどが豊かで、平和を満喫していた。 願わくば、数十秒の黙考の行きつく先が、
飢えていた日にまで届けばいいが、などと思ったりした。
さらに、高校球児たちには、「野球と平和」の講座を必須とすべきではないかと考えを飛躍させた。

さて、その次の試合、去年にひきつづきの顔合せで、池田と弘前実、去年は13対4で池田が勝ち、
今年もまた貫禄勝ちのように8対1となった。 ただ、一年生、二年生の多い弘前実に、
甲子園で学べ、遊べ、という精神を感じて、贈る言葉を書いてみた。


( 池田8-1弘前実 )

340名無しさん:2018/12/02(日) 10:21:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月16日  二回戦  「 無念の夏か 」


あなたは たぶん 怨みごとを云ったり 作戦を誹謗したりはしないだろう

無念さは おそらく 青春期の総決算のような形で 猛々しく噴出を待っているだろうが

あなたは それを制御し 次なる人生への勲章にし エネルギーにしてしまうに違いない


感情を小出しに爆発させ その時その時の微調整をくり返し 如何にも活力あり気に振舞う人とは

あなたはスケールが違う ドンと受けとめて いつか やがて まるでこの日の不運が

最大の幸運であったかのように 変えてしまうことだろう


バッターボックスの中で 微動だにしなかった態度を称える 

ブーイングに便乗しなかった克己心を何よりも立派だと賞める 照れたり くさったり 呆れたり

同情を求めるしぐさを 欠片も見せなかったことを賛美する


一振りも出来ないまま 一塁ベースに立ち 瞑想していた男の顔を 惚れ惚れと見る

あなたの夏は いま 無念の夏かもしれないが 流れの中で自分を見失わない 

堂々の人間を証明してみせた 圧倒的に 輝やく夏だったのだ



松井の蔭に隠れてしまっているが、星稜にはもう一人、山口哲治という素晴しい選手がいる。 
投手としても、打者としても、その野球センスは並々でないものを感じる。 特に、精神的な強さ、
ここ一番の集中力を作り出す能力は、野球選手としての最大の能力であると思うのである。

一点をリードされた最終回、既に二者が凡退して、打順は山口である。 
次打者は怪物と称ばれる松井で、この試合、それまでに四回も敬遠されている。 
その松井がウエイティング・サークルに入る。

勝敗の行方も、人々の期待も、松井に打席をまわすことにかかっていて、
つなぐことだけの使命を負った立場で打つことは、並大抵の精神力では出来ない。
素晴しいというのは、山口が、この状況で左中間を破る大三塁打を放ったことで、
結果は、松井がまた敬遠され敗れたが、印象に残る時間、場面、選手であった。


( 明徳義塾3-2星稜 )



松井秀喜・・・巨人 通算10年、332本塁打、1390安打。 
       ヤンキース、エンゼルス、アスレチックス 通算10年、175本塁打、1253安打。

山口哲治・・・神戸製鋼で8年プレー、プロ入りの夢は叶わず。

341名無しさん:2018/12/02(日) 11:26:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月17日  二回戦  「 生れたての 」


生れたてのチームだから 晴舞台に立てば大人になる 一つでも勝てば それはもう歴史の始まりで

輝やかしい未来へ向っての 記念碑を建てたことになる さらに 既に立派な歴史を持つ学校と

試合をしただけで成熟を得られ 千の言葉や 一万のノックにも勝る財産を 作ることになるのだ


生れたての 若い若いチームは 雨で色を変え 風で形を変えて行く花のように 全てのことが活力の源となる

あの開会式の入場行進の時と 二つ戦った後で今では 同じに見えてまるで違う


歴史の第一走者となった誇りが 胸に満ち 体にあふれ 瞳にきらめいて そう もう生れたてではないのだ

第一走者たる権利を得た者は 堂々と 第二走者にバトンを渡せる そして それは未来につづくだろう


この小さな行為の積み重ねが 伝統という言葉になるのだ このようなことを確認しただけでも

甲子園は凄かったじゃないか 値打があったじゃないか

創部四年の 生れたての 静岡代表・桐陽 さわやかに戦い さわやかに去る



九回表の桐陽の攻撃は、レギュラー外の陰の選手を三人並べた。
おそらく、同じように練習し、苦労して来た控え選手たちに、甲子園の空気を吸わせ、
確かにバッターボックスに立ったという実績を作らせてやろうとする、指導者の親心であろうと思えた。
よくある、ちょっと感傷的な美談で、これもまた甲子園か、と感じただけであった。

しかし、九回に登場したこれらの控え選手たちが、親心などということでは済まない大活躍をしたものだから、
桐陽は、素晴しい財産を得ることになったのだ。負けは負けであった。

二点差が一点差になっただけであるが、尻すぼみの感傷的美談だけで終ることを考えると、
大きな違いで、ぼくは、九回の一打同点、もしくは、逆転という好機を経験したことこそが、
甲子園の実績ではないかと思うのである。 九回は、1/9のイニングではなかった。


( 広島工3-2桐陽 )

342名無しさん:2018/12/02(日) 12:31:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月18日  二回戦  「 連続完封 」


きれいに整備され 乾いたように見える土の数センチ下は 台風11号の雨を含んだ 泥濘でした

見上げると恐いような雲の重なりで ほんの二、三ヵ所 青空と膜に包まれた光の層が見えました


風は八メートルから九メートル 左から右へと旗をちぎって吹きました 数時間 雨がやんだ時があって

その細い隙間に収まるような 一時間三十九分の試合でした


条件は気の毒なほどに最悪で 数多くのエラーが出ました 雨と風と泥が 実力を奪い 夢をこわしました

にもかかわらず この日のヒーローは 全く揺らぐことなく キッと立って 目を見はらせました

彼が足を踏み出す場所も 七十キロの体重を支える位置も 軟弱さに変りはないのに 万全の地盤かと思わせました


途中から降り始めた雨も また 打球の運命を左右する風も 彼の集中力とは無関係で 

ただの一度も動揺することなく 美しく 力強く 実に気持よさそうに快投しました 

尽誠学園・渡辺投手 連続完封 あまりに たやすく見え 人々は 拍手も 讃辞も 忘れてしまったほどでした



第一試合だけが行われ、残り二試合は中止となった。台風11号接近の影響を受け、強い雨が降った。
アルプス・スタンドに延岡工と日大山形の応援団を残しただけで、甲子園球場は空っぽになり、
不思議な光景として目にうつった。

肩透かしを食い、予定が狂ったのは選手だけではなく、ぼくらもそうで、突然ポカッと午後の時間が空いてしまうと、
他の仕事をする気にもならず、やっぱり高校野球のことを考えた。 
どうやら、松井敬遠問題だけでなく、いろいろと考える時期に来ているようである。

オリンピックにアメリカが、勝つために、人間技を超えたプロ・バスケットの達人たちを出場させたが、
凄いと思うと同時に、これは違うという思いも強かった。 同様に高校野球の存在意義も、
勝つためだけではない、現代に通用する新しいストイシズムの発見にあるように思うのである。


( 尽誠学園7-0能代 )

343名無しさん:2018/12/02(日) 13:37:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月20日  二回戦  「 未完成 」


スマートとか 洗練とか 耳ざわりのいい言葉の陰で 力強さとか 荒々しさとか

粗けずりとか 未完成とか そんな要素が失われ 本来の野性の魅力に出会うことは 

ほんの稀なことになってしまったが きみは 違う


投げ込むとか 押し込むとか ねじ伏せるとか なぎ倒すとか 全く久々に 

素朴な力の快感を味わったのだ  熊本工・坂田正樹投手


計算も必要だし 要領も掛け引きも重要だし 相手を混乱させる技も 心理的読みも不可欠だが

まず 力感あふれた 肉体の躍動こそが全ての始まりで きみを見ていると 

胸にズシンと響く原始のこだまを感じた


目うつりのいい姿や 耳ざわりのいい言葉を弾き飛ばし あるいは 捕手のミットの中で 

粉々に砕くだけのインパクトを きみの速球は持っていた 


力感は最大級の自己表現 粗けずりは運動の本質の誇示 

未完成は 描ききれない壮大な完成図という意味 どれもこれも 羨しいほどの讃辞なのだ 

きみは 野性を いつまで持ちつづけてくれますか



これだけ賞め称える坂田投手が、結局は敗戦投手となった。
県岐阜商の下手投げの技巧派投手・高橋雅己との投手戦は、無得点ながら、
野球のスリルや興奮もたっぷりと含んで、実に高校野球らしい好試合となった。

そして、延長戦も必至かと思っていた。 0行進が果てしなくつづくような予感さえした。 
ところが、勝敗はあっさりと、サヨナラ・スクイズで決してしまったのだ。 
スクイズに至るまでの、坂田と打者石田の一球一球で変わる立場も面白かったが、
これは多少作戦も関わって来るので触れないことにする。

とにかく、フル・カウントからの石田のバントは、三塁線に磁気誘導でもされたように
正確に転がって行き、決勝点となった。 スクイズという、地味だが実に効果のある必殺技が、
トーナメントから大器を消し去った一瞬であった。


( 熊本工0-1県岐阜商、サヨナラ勝ち )


坂田投手・・・亜大、NTT九州。

344名無しさん:2018/12/08(土) 10:05:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月21日  三回戦  「 野球大国 」


ミラクルという言葉の響きに 神がかり的な幸運とか 思いがけない順風とか とかく 実力と無縁の 

突然変異を感じるが 県岐阜商に冠せられたそれは まことに地味な 実力そのものを称えるもので

不思議のニュアンスは含んでいなかった


それでも 勝ち進んで来た結果を見ると ミラクルはミラクルで 劣勢からの逆転サヨナラ

緊迫の投手戦に幕を降した サヨナラ・スクイズ そう サヨナラが二つも続けば ミラクルを拒むことは出来ない


県岐阜商のミラクルは やれば出来る人たちが やって出来ただけのことで 裏付のない劇的展開ではないのだ

もしかしたら 日々の練習の中で 培って来た自信に比べたら 奇跡でさえ不足かもしれない


まさしく やれば出来る人たちが やって出来ただけのことなのだ ミラクルを 平凡な言葉に思わせたことに

敬意をはらいたい 天からの贈り物は 努力する人への必然なのだ 野球王国は 間違いなく復活するだろう



サヨナラで二戦勝ち抜いた県岐阜商が、サヨナラで東邦に敗れると、何やら因縁めく、成り行きや、
結果からだけ見ると、そんな風にも思えるが、この試合に限っていうと、お互いを知り尽した同志だし、
奇跡とか、幸運とか、そんな甘い言葉、夢見る情緒の入り込む余地はなかったと思えるのだ。

もしかしたら、県岐阜商のファンの中には、後攻であったなら、サヨナラのお膳立がこちら側に出来ていたらと、
考える人もいるかもしれないが、この試合は、運命論と無縁のシビアなものだったと思っている。
お互い大胆な強攻策を取っていたが、あれは、強攻の形をとった金縛りかもしれない。
いやいや、悪口ではない、実力を知る者同士の戦いとは、そういうものなのだ。

さて、県岐阜商の印象的な活躍は、かつて野球王国といわれた岐阜県に、希望の灯をともしたように思える。
ぼくが少年の頃、岐阜の野球は本当に強かったのだ。


( 県岐阜商0-1東邦、サヨナラ勝ち )

345名無しさん:2018/12/08(土) 11:16:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月22日  三回戦  「 この一球 」


”この一球が” がテーマだそうだ この一球が作り出す次の瞬間の 明と暗 幸と不幸 

希望と絶望 勝者と敗者 ほんの何秒かが引き裂く運命を そして 素晴しさと恐ろしさを

”この一球” という言葉で教えているのだろう


百五十球もの投球の中の どれが いつ この一球になるのかわからないが それを知り

それに対し それに賭ける心は たぶん 野球を超えることだろう 

神港学園の選手諸君は 今年の夏 甲子園で それぞれの ”この一球”を 発見したことだろう


明につながるものもあれば 暗につながるものもあった 暗で終ってしまった池田戦も やがて

真実の言葉で語るに違いない 神経を注いだ一球が 願いと真反対の結果になっても

この一球をおろそかにしたことには 決してならないのだ


もどりの盛夏にギラつく甲子園 ややその陽も傾いた頃 天晴れ 初出場神港学園の

敢闘の夏は終った この一球のドラマを残して・・・



久しく遠ざかっていたような明るさと暑さの復活、それに土曜日が重なったせいか、
スタンドが人で埋ってホッとした。 この二、三日、何やら空席が目立つ感じがして、
既に季節は秋かと、心さびしくなっていたのである。

そんな中で、まず、広島工と対戦する明徳義塾に対して、まさかと思うが、
心ない人の悪質な振舞いがあったらどうしようと、いささか気遣っていたが、幸いなことに、
それはなかった。きっとなかったと信じる。 
世の中、何が恐いといって、心ない人が正義を信じた時ほど恐いものはない。

さて、第三試合、初出場校で唯一勝ち残っていた神港学園は、土壇場で逆転され、姿を消すことになってしまった。
決勝打のセンター前ヒットにダイビングした西浦と、後方に無情に転がった白球、
そして、マウンドの上で呆然とセンター方向を見やっていた井上投手の顔が、ENDマークに重なった。


( 神港学園3-4池田、逆転サヨナラ勝ち )

346名無しさん:2018/12/08(土) 12:23:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月23日  準々決勝  「  実力伯仲 」


五万五千人が泣いた 延長戦に入ってからはみんなが泣いた 号泣でもないし 

すすり泣きでもないが心臓の隣りが痛くなり それが涙腺につながったかのように

いつでも噴き出せる涙を用意した 


熱戦であった 実力伯仲とはこういうことか 少年たちの必死の攻防に 涙という 

実に素直な表現で応えた この日 陽は照り 気温高く 雲が湧いて 完全な夏であった 


熱戦故に季節が戻ったか 戻りの夏が熱戦を誘ったか 東邦と天理の一戦は 

久々の暑さに似合う熱い戦いだった 伝統校ではあるが ビッグ・ネームはなかった 

よく鍛えられた高校生が 実力の二倍を示そうと 体を膨張させる姿が見られた


必死という言葉が 心地よく響くような好試合で 余裕のなさも 重大なミスも それはそれ 

必死と懸命さで許された そして 勝つことはぶち当ることで 決してたくらむことではないと納得し 

五万五千人は 目で 肩で ひそかに 胸で それぞれの泣き方をした



これは、たぶん、ぼくの感情過多による見間違いだと思うのだが、最後の瞬間、
天理・井上を三振にうち取る前の東邦・山田貴志の目は泣いているように見えた。 
泣きながら投ずる最後の一球などは、あまりに劇画的だから、
これは、ぼくの、都合のいい感じ過ぎだろう。

それはともかく、真夏日の日曜日、超満員のスタンドの白い波を、一球一球で揺らしたのは、
東邦・天理の十一回裏の攻防で、この場面で、五万五千人が泣いたと感じようが、
投手の涙が光ったと見ようが、全く不思議のない緊迫の幕切れであった。

何やら、長い長い期間に感じられた大会も、ベスト8が勢ぞろいする準々決勝を迎えると、
もう帰りの日が決った旅行のようなもので、さびしさと、落着きのなさを感じ始める。 
そして、V候補が全て消えた大会といいながら、残った顔ぶれを見ると、
これがもっともだと感じるから不思議である。


( 東邦5-4天理  延長11回 )

347名無しさん:2018/12/08(土) 13:32:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月24日  準決勝  「 最終回の全員野球 」


エースが降りて もしかしたら その時に もう勝利に対する拘泥は捨て 甲子園とは何かに

テーマは切り換っていたのかもしれない  エースの快投を中心に 九人野球を貫いて来た信念が

その時点で別の目を持ち 別の歓びを探そうとしたのだ


勝つための師の顔が 贈り出す親の顔に変わった時に 甲子園は やさしく 理解深く 

初めての出番の少年たちに味方した

尽誠学園・九人野球  最後の試合の最後の場面で 全員野球に変わった


強敵にリードを許した最終回 代打がコールされても 人々は 切札のスラッガーだとは思わない

代走が指名されても 足のスペシャリストとは考えない 

ただ やさしげな瞳で チャンスを得た少年を見守るだけだ


しかし この日 この試合 代打は打ち 代走は走り 勝利さえ呼び込みかねない勢いを 示してみせたのだ

最後の総力戦 最終回の全員野球 息苦しさを秘めた準決勝戦で 何やら パッと開けた風景のようであった 



八回終了時点では、拓大紅陵の強さの魅力を、前日の池田戦の逆転ホームランの印象も含めて書くつもりであった。
今年の拓大紅陵は、たとえば、やまびこ打線と云われた時代の池田、桑田、清原のPL学園、
吉岡で勝った時の帝京らに匹敵する大型チームで、久しく甲子園には現われなかった力の魅力である。

それに、自信のなせるわざか、劣勢から一気に幸運を呼び込む運気も備えていて、
奇跡などという言葉も使える学校である。

このダイナミックな魅力を押しのけてぼくに詩を書かせたのは、実にこれとは対極的な、
五試合目にして初めて甲子園で出番を得た尽誠学園の背番号⑩から後の選手たちの活躍で、
無名の晴舞台には心をうたれた。

結局勝つには至らなかったが、もし、尽誠学園が勝ちの状態にあり、九人野球を貫いていたら、
この場面はなかったわけで、そう思うと、奇妙な幸運を感じたりするのである。


( 拓大紅陵5-4尽誠学園 )

348名無しさん:2018/12/09(日) 10:16:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月25日  決勝  「 最後の一球 」


力に頼らず 技に溺れず 状況をよく見きわめ 自身の感情をコントロールし 

同時に 力の配分を心得 過酷な夏の猛暑にも 肉体的限界を知る四日連投にも
 
最少の消耗と 最大の効果のピッチングを見せ  まるで 熟練の名手のように 

あるいは 正確無比のマシーンのように そんな風に思われていた森尾投手の 顔が歪んだ


この一球で 栄光に手が届くといった一瞬 激情が大きな塊になったのか 

初めてことの重大さが襲って来たのか 実に素直な感情のほとばしりで 迷い 喘ぎ 身悶え 泣いた


その突然の変貌と 予想を超えた動揺に ぼくらは 初めて この戦う少年の健気さと

勝利への正直な執念を見 勝たせてやりたいと 感情移入したのだ


投げようとして投げられない最後の一球 それは夏を過ぎ 既に秋となった甲子園の 

本当の幕切れにふさわしい 小さくて大きいドラマで これがあってこそ 好意の喝采が集まったのだ



一年は四季で四分割されている。 単純な計算で一つの季節で三ヵ月である。
およそ九十日の季節の中で、四日のズレぐらい何程のことがあろうかと思うのだが、これは大違いで、
今年の大会は常に季節の不一致を感じながら見つづけていた。

夏でなければならないし、夏は暑くなければならないし、その表面の酷暑の奥の微妙な変化、
盛りから、傾きまでの気配が、四十九の代表が八校になり、四校になり、二校になり、
一校になる仕組と一致して風物になり、大人もまた心動かすのである。

それが今年はいささかズレた。ズレると上等の感傷になりにくいもので、いつもとは違う心持で書くことが
多かった。しかし、この決勝戦には不足はなかった。

一人の投手では優勝できないという最近の定説を占うような対戦で、結果は一人の投手の方が
投げ勝ったが、これでもって短絡に逆行すべきではないかもしれない。


( 西日本短大付1-0拓大紅陵 )



1992年の出来事・・・東海道新幹線のぞみ運転開始、 国家公務員の週休二日制始まる、

            PKO協力法成立、 バルセロナ五輪、 就職氷河期突入、

            長谷川町子死去 国民栄誉賞、 ヤクルト14年ぶりセ優勝

349名無しさん:2018/12/09(日) 11:16:03
☆ 小沢監督  甲子園初采配  ( 昭和32年  第29回選抜高校野球大会 )


左右の両エースを前面に打ち出したチーム。


1回戦  倉敷工 2−1 市沼津 (静岡)
2回に取った2点を守り切る。
2年生、左腕、渡辺が5つの三振を奪う。

2回戦  倉敷工 2−0 育英 (兵庫)
5回と8回に1点ずつ得点。
3年生、右腕、小野が2安打完封した。

準々決勝  倉敷工 4−0 高松商 (香川)
4回に1点、7回に3点を上げ、勝負を決める。
倉工14安打。 渡辺が7安打完封した。

準決勝  倉敷工 1−3 高知商 (高知)
2回が終わって、3点の失点がひびく。
小野から渡辺へ投手リレー、好機を生かせず。



決勝進出なら、早実の王貞治投手と対戦でしたね。

王貞治・・・巨人22年、 868本塁打、 2786安打、
      首位打者:5回(3年連続)、 本塁打王:15回(13年連続)、 打点王:13回(8年連続)
      最多出塁数:12回(12年連続)、 三冠王:2回、 MVP:9回

監督・・・巨人で5年。 ダイエー、ソフトバンクで14年。
国民栄誉賞受賞者第一号。 福岡ソフトバンクホークス株式会社取締役会長。

350名無しさん:2018/12/09(日) 12:12:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月8日  一回戦  「  宣 誓 」


今年の夏は 少し違った目できみたちを見ている 愛してやまないきみたちの野球が 

なお 今も 光り輝やき 精気に満ち 興奮に震え みずみずしく美しいか 猛々しいまでに新鮮か

それを確かめたくて 息を詰めて見ている


時代という風の吹き方が変わり 社会という砂漠の紋様が描きなおされ 人々は 新しい魅惑に心ときめかせ

そちらへ走ろうとしている だから 今年の選手宣誓は 果すべき役割がいつもと異る

全力を尽くすことや 正々堂々では済まない何かがある


今年は 風を呼び 光を招き そして いくらか拗ねた夏までも 引き寄せなければならない 実に大役だ

佐野日大・金子知憲主将の 「さわやかな旋風を 巻き起すことを誓います」は まさに 

そんな祈りと願いを込めた言葉で 甲子園の空は 1/4だけ青空になり とぎれとぎれだが

予告篇のように光がさした よかった  あとは 少年たちが 美しく走るだけだ



選手宣誓は、かなり時代の証明になる。裁判所の宣誓のように、定型を読み上げるだけというのは、
とうの昔に終わり、選手たちが、自分たちの感性で作り上げていると思える。

指導という名の大人の知恵も加わるのだろうが、発想の原点の部分は、選手たちのものであろうと信じる。
言葉遣いの変化や、そこに組み込まれる言葉自体の変化も面白い。
いつだったか、英文混りということもあった (87年春、京都西・上羽主将)。

さて、今年は、政治の激変や、経済状況の後退や、スポーツに限っても、サッカーの異常なほどの台頭や、
そんな中で、少年の選ぶキイワードは何であろうかと興味を持っていたら、「風」であった。
佐野日大は、残念ながら初戦で敗退してしまったが、言葉で、立派に今年を証明し、幕を開けたと思っている。


( 京都西7-2佐野日大 )

351名無しさん:2018/12/09(日) 13:26:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月9日  一回戦  「  希 望 」


ふるさとに光を 希望と呼べそうな明るい話題を たとえ一瞬でも 苦悩の表情に微笑を

閉ざされた唇に小さな歌を そして 決して悪いことばかりではないと 信じてみる心を

そう おそらく 鹿児島商工の選手たちは 甲子園の一勝に このような願いを託したに違いない


ふるさとへ送り届けるニュースが 一勝を超えた価値があることを 感じていたに違いない

とにかく一勝を グッドニュースを 九回二死を数えた時 きみたちは何を思っただろう


強い強い願望に がんじがらめになっていたものが 突然解き放たれて自由になり

まるで 神の子のように無心に ただ一球との勝負とでも云うように 奇跡を起した


代打逆転サヨナラ打 劇的な決着によって 歓喜は倍の大きさになり 幸福も 希望も

さらに その倍になって ふるさとへ走ったことだろう 

もっと もっと 何度も 何度も 送り届けねばならない



甲子園を去って行く東濃実の選手たちの背中へ、誰かが、おそらく、スタンドの客からだと思うのだが、
「ありがとう」と、云ったそうだ。 普通の場合だと、「よくやった」 「残念だったな」 「来年また来いよ」
と云った種類の言葉で、おおむねが、なぐさめか、激励である。

敗者に対して、感謝の表現というのはめったにないことである。
そのくらい、感じるもののある試合であったと解釈したい。見る側からいえば、全く困ったと云いたい試合で、
初出場の東濃実の形にこだわらない気持の野球も応援したいし、強豪校を押し込んだ力も称えたい。

また、鹿児島商工に対しては、選手たちと同様に、明るい話題を作らせたいという気持になる。
実に、高校野球が何故成立しているかを証明しているような試合で、
それが、「ありがとう」であったかもしれない。


( 東濃実3-4鹿児島商工、逆転サヨナラ勝ち )


豪雨により鹿児島で死者71名

352名無しさん:2018/12/15(土) 10:11:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月11日  一回戦  「 初勝利 」


この甲子園という 器であって器でない 場所であって場所でない 世界であり

時代であり 心と技と若さが練り合された イメージがあり つまり こんな不思議な

巨大なところで勝つということは 何に喩えたらいいのだろう

勝利の値打ちだけで 一冊の本になり 歓びの表現だけで 万語を要する


延長12回勝利の瞬間から 校歌を聴き 校旗を見上げ 

そして 感泣の儀式の終わるのを待って 応援スタンドへ走った 


智弁和歌山の選手たち その足取りの軽さと 跳ね上げた腿の高さと

躍るように舞った姿に 値打ちも 歓びも それから 待ち望んだこの日の

大きさ 遠さ 厳しさも 同時に感じた


台風一過 夏の陽がさした 雨は蒸気となって雲に変わった 一日遅れ 一時間遅れだが

自己表現の舞台は整った さあ 一勝 智弁和歌山 夢ほとばしる初勝利

今日から後 甲子園は 違った顔に見えることだろう



大抵のことは、想像がつく。人の気持にしたところで、本人が気がつかない死角の部分に
目が行き、描写することが出来る。
 
詩や小説を書いているから、自分の経験以外のことも書けるし、
自分以外の人間になって考えたり、行動したりもする。 歌の詩では女心のことも語るし、
小説では殺人者になりきって心理を語ることもある。

しかし、一つだけ、これは予想もつかないし、読み取ることも困難だと思っていることがある。
それは、甲子園初勝利の歓びの実感である。
「嬉しいです」 「感動です」と言葉にした時は、たぶん、もう相当に冷めている時で、
その瞬間に必要な言葉がわからない。

智弁和歌山も、いつの間にか、甲子園では勝てないという呪縛を意識し始めた頃で、
だから、優勝候補東北を延長で破っての初勝利は、格別であっただろうと思う。
気持の再現は到底出来なかったが、彼らが伝えようとした気持は、感じられた。


( 東北1-2智弁和歌山、延長12回サヨナラ勝ち )

353名無しさん:2018/12/15(土) 11:11:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月12日  一回戦  「 壁の向うに 」


壁の向うに いや 今年は 壁のこちらに 何がありましたか 壁ごしに唇嚙みながら

幻想し夢想していた甲子園と どこがどう違いましたか それとも 同じでしたか


あなたたちは 圧倒的な戦力を誇るライバル そう 大きな大きな壁に立ち塞がれ

十八年もの間 来ることも 見ることも 出来なかったのです


壁は全く偉大でした その間二度も頂点に立ったのです この勇姿を目にするにつけ

ますます 甲子園の夢は 膨張し 重さも増した筈です いつか壁をこえて

壁の向うに その願いが今年叶いました


遊園地のような甲子園なら 渇望した値打ちがありません どこか過酷で 薄情で

思い通りにならない頑固さが 何より魅力なのです そして 誰よりも誠実に戦った人にだけ

一瞬の微笑みをくれるのです


まばたきの間の幸運のヒントと 執念が一致すると 勝利になります

郡山高 いい試合でした 甲子園と会話が出来 しかも 堂々の 勝利者となりました



たった一本のヒットが、これほどまでに、選手はおろか、観戦する人間の心までも解放するとは知らなかった。
享栄谷川投手の前に、七回一死まで無安打に封じられていたのだが、大内の一打がセンター前に転がると、
それだけで、全ての人間から緊張が解け、急に沸き立つような空気になったのだから面白い。

郡山の大応援団のブラスバンドの音さえ、その時はじめて熱狂の演奏に気がついたほどである。
緊張は、それが解けた時になって、気がつくものなのである。

さて、天理、智弁学園の前に、出場の機会を阻まれていた郡山、久々の甲子園での対戦相手は
強豪校の享栄であったが、好試合を見せた。
恋い焦がれていた甲子園に、いささか硬直した感じもしていたのだが、一本のヒットを境にして、
アッと云う間の勝者となったのは、やはり執念だろう。夢か。


( 郡山2-1享栄 )

354名無しさん:2018/12/15(土) 12:20:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月13日  二回戦  「 元気をありがとう 」


心うたれたのは 球場を包み込むほどに満ち満ちた 元気であった

その多くを発して戦った 掛川西の元気を称えたい 元気こそ最大の発見で
 
何よりも尊く 心地よく 人間を幸福にするものだと きみたちは教えてくれた


元気は単純なハツラツさとは違う もっと もっと重要な 根本的なエネルギーで

大地でいうならマグマ 人でいうなら血と熱 それを感じさせたのだから 

諸君 凄いことじゃないか


辞書にある「元気」とは 心やからだの活動力 心やからだがすこやかなこと

また 誰かの言葉も思い出す 元気を出せば何でも出来る!


掛川西の印象は まさにその通りのもので きみたちの肉体や きみたちの眼差しや

きみたちの躊躇ない行動や きみたちのおそれのない判断や それらの全てがメッセージとなって

見る人の 聞く人の 心に響いたのだ

そして 高校野球の明確な定義は 元気の実証であると 敗者の掛川西がきょう定めた



元気などという言葉を使うと、如何にも子供っぽく、単純な思考のようで、少々気恥ずかしい。
しかし、この掛川西と高知商のような試合を見ると、他のどのような言葉を持って来ても
適当でない気がするのだ。 そして、いろんな高校野球論が展開されているが、
この一戦などをサンプルにして、元気論をやるべきではないかと思う。

さて、どのようにほめ称えても、掛川西は一歩及ばず、二十九年ぶりの勝利の校歌を歌うことは
出来なかったわけで、残念ということになるのだろう。

だが、高知商という、元気を増幅させてくれる相手と巡り会った幸運を考えると、
無念と思う必要は一つもない。 人口七万の都市から、八千人が駈けつけた熱狂の大応援団も、
きっと、ぼくと同じ感想を抱いたに違いない。


( 高知商4-2掛川西 )

355名無しさん:2018/12/16(日) 10:06:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月14日  二回戦  「 光るもの 」


好試合とは 集中心の継続くらべ 心の緊張を持ちつづければ いつかチャンスが来る

そして チャンスの女神は 集中心に対して必ず応じてくれる

市立船橋の八回の攻撃は まさに そういった 眠らない神経の勝利のようなもので

快打 快打 貴重で絶対の2点を獲った


降り始めた雨が早々に止んだのは グランドの黒い土の上の 白いユニホームの戦士たちに

これ以上はない好意を示したからで それも これも 飾りのないほんものの試合を

両校がくりひろげたからだ


キビキビと 実に キビキビと 自然体で駈け巡る姿は 胸熱くなり 1点が・・・

ホームベースを一踏みするだけの攻防に 少年たちの気が満ち 上質のドラマを見る気がした


両校とも平凡と見える しかし 平凡の強さと魅力は どんな場に立っても 

日常の自分であり得ることで それは さかのぼると 如何に日常を意味深く 

積み重ねたかなのだ 太陽は照らなくても 光るものはあった



八回は、三本松に幸運が訪れてもおかしくない状況だった。 
走者を置いて、高田の打った強烈なサード・ライナーが、右か左か、もう少々のズレがあったら、
勝敗はどうなったかわからない。 

象徴的な場面が八回までの何回か、やはり、見えない何かとの綱引きという緊張があって、
これが高校野球なのかとも思わされた。
快刀乱麻を断つような快速球投手でもなく、怪物と呼ばれる豪打の持主でもなく、
平凡といえば平凡だが、それなら、どこにでもいる少年かというとそうではない。

そういう特別に見えない特別の少年たちの、充分に実力を発揮した試合が退屈な筈はない。
また雨かと、何となく気持が湿る思いの中で、いい風を得たような、
つかの間の陽ざしを浴びたような好試合であった。


( 市立船橋2-0三本松 )

356名無しさん:2018/12/16(日) 11:21:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月15日  二回戦  「 炎の復活 」


たとえ ネバー・ギブアップを 口にしていても 7点の大差で 残り2回となれば

本当のところは諦めている ただ ぶざまに切れることを怖れ

自分をいやしめることを嫌い 辛い辛い思いの中で ネバー・ギブアップを言葉にする


そして チリチリと小さな火花になり すぐにも消えてしまいそうな火種に 息を吹きかける

炎の復活は無理としても 最後まで燃えつづけさせようと・・・


徳島商 7点の大差をはね返す 残酷なほどの逆転劇 サヨナラの瞬間

歓喜で小躍りしながら群れる勝者 そのわずか数メートルの向うに 信じられない敗戦を喫した投手が

呆然として立ち竦む まだ涙は流れない 涙が噴出するのは数分後なのだ


歓喜と悲嘆を分けたものは 一体何だったのか 誰も説明出来ない ただ 勝者の論理は

奇跡は訪れて来るものではなく やはり自らが演じるものだということを 徳島商が見事に実証した

小さくなった火を 全員で懸命に息を吹きかけたのだ それが燃えた 恐しいほどに燃えた



久慈商が大量のリードを奪い、宇部投手が見おろしのピッチングをしている時、一つの感慨を覚えていた。
二十年前なら、徳島商・久慈商の組合せで、久慈商優勢の予想をする人はいない。

四国の強豪校に対して、東北の初出場校では勝負にならないと、選手自身ですら思っていた筈である。
ところが、久慈商が圧していた。 政治よりも一足も二足も早く、地域格差はなくなり、もはや、
野球に於ける地方分権は確立したかと思っていたほどである。

結果は、詩に書いたような逆転で、野球県名門校の強さを示すことになったが、かつてのように、
名前や歴史に怯えることはなくなっているように思う。

さて、快晴の特異日である終戦記念日も、雨が降った。
強い雨は第一試合の中頃でやんだが、霧のような小雨は降りつづいた。 
平和の祈りの黙とうの時の空は、奇跡的な青空であってほしかった。


( 徳島商8-7久慈商 )

357名無しさん:2018/12/16(日) 12:36:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月16日  二回戦  「 ボールを味方にする 」


ボールは あなたにとって 敵ですか 味方ですか 

敵だから力をこめて 遠くへ 速く 投げるのですか それとも 最良の味方だから

一心同体となって ボールに魂をこめるのですか 


桐生第一 渡辺順高投手 あなたの答えは たぶん 後者 ボールとともに楽しみ
 
指先を離れる瞬間まで同体だと 答えてくれるでしょう


全く あなたのマウンドでの姿は 見る人間を快感に誘うもので それは

あなたの心の奥の奥が 歓びを求めて投げているからです

苦悩の力投は ボールを殺します 快気で投げれば 気持がいいから

ボール自身が生きるのです そう どこまでも味方だからです


あなたの躍動 あなたの勢い あなたをそうさせるバネ 信じていることの強さ

投げたい意識の素直さ 甲子園のマウンドの上で 孤独という悲壮さもなく

圧倒的なパフォーマンスで ぼくらを酔わせました 今日はボールを味方に出来ました

次もそうであるように ボールを理解し 愛して下さい 



展開としては、全く予想外のものになった。 
この試合を象徴するのは、桐生第一が先取点をあげた二回の攻撃で、無安打での得点、
あたかも、サッカーのような運動量、といってもいいくらいであった。

立ち止まる部分の多い野球が、いささかマイナーの気配が生れて来た時、このように、走る、走る、
ただひたすらゴールの方向へつき進む戦法が、もっとあっていい筈だと思ったほどである。

これが、快打による一点であったなら、宇和島東の平井投手の動揺も、
それほどではなかったのではないかと思う。 とにかく、試合開始前までは、ともに好投手といいながら、
剛腕平井投手の方が主役であった。 しかし、終わってみて、マウンド上のハイライトを浴びたのは、
完全に、桐生第一の渡辺順高投手であった。 九回裏も、よく踏んばったと感心する。


( 桐生第一7-2宇和島東 )



平井投手・・・オリックス1位指名、オリックス、中日、通算21年。 63勝43敗 41セーブ

358名無しさん:2018/12/16(日) 13:51:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月17日  二回戦  「 横綱対決 」


それは 既に 抽せんの場で始まって 近代付・常総学院の組合せに 他校の主将が鳥肌立ったと

興奮を隠さずに話していた 東の横綱といい 西の横綱といい 要するに クジの悪戯か

それとも好意か 早過ぎる決勝戦だと 誰もが思ったのだ


さて 過大な前評判は とかく野球の自由を拘束する 敵はどこにあるかというと 実に それらの

人々の空想や願望で作り上げられた 前評判の中にある 普通でいい 普段通りでいい


両横綱というのも言葉のアヤで しょせんは 同じ年齢の 似たような体格の少年たちの

ベースボールなんだと そんな風になかなか思えない 大きくなろうとする 立派にやろうとする

かなり かなり重かったことだろう


常総学院の勝利は どうやら 思うに ただの高校生の意識を 早く取り戻したことで

倉投手の自然な表情と投球に 背負うものは何もない きみの好きなように投げなさい

という哲学を感じた



こういう顔合せが、最後で出会うといいのだが、抽せんの妙で早く当ると、その部分の要素が大きくなって、
試合が崩れてしまうことが多い。 対決への過剰な意識が、何かで外れてしまった時、
一方的な大差になることが、まず高校生の野球では普通なのだ。 

ともに一回戦で圧勝し、前評判を派手に実証したものだから、この二回戦での顔合せは大変だったと思う。
それでも、好試合の範囲でおさまり、人々の期待に反しなかったのは、やはり、
相当な実力の両校ということが出来るだろう。

願わくば、もっと遅く、両校自然に勝ち上り、自然に頂点を争うという形を見たかったのだが、
それは云っても仕方がない。 両横綱も間違った表現ではない。 ただ、横綱の看板を、
常総学院の方が少し早目に下ろしたように思う。


( 常総学院4-1近大付 )

359名無しさん:2018/12/22(土) 10:01:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月18日  三回戦  「  百七十一球目の満足 」


安井謙一投手の夏は 百七十一球を投げ終わった数秒後に 突然去った

その瞬間の彼の 何とも晴れ晴れとした笑顔が 忘れられない

まるで それは 勝者のように輝き マウンドを降りる足取りも 決して重くはなかった


延長12回 気合をこめて投げつづけ 時に してやったりのポーズを取り

あるいは 精神の集中のために天空を仰ぎ 自らを鼓舞し ナインにムードを与え

投げて 投げて そして 敗戦投手となった彼の笑顔は 間違いなく満足だと思う


勝者の校歌が流れ校旗が揚がる時 整列して見守るちょっとした瞬間

涙ぐみ体もよろけるチームメイトを 最も衝撃の大きい筈の彼が 微笑みながら支える

これは 場面 誰にも演出しきれない場面で ああ 高校野球と 思ったものだ


敢闘の東海大四高ナイン そして 安井投手 満足の笑顔に恵まれる人生は

めったにないものだよ ましてや 敗戦の中で・・・ と云いたい



四時起床で八時の試合に備えていたら、また雨で、スケジュールが変更になり、
五時間遅れの十三時プレイボールとなった。 四試合が二試合になり、こういうことになったのだが、
起床から数えて九時間も緊張させていたかと思うと、気の毒でならない。

一日二試合になるのなら、いっそ、一試合目と二試合目のカードを明日に延し、
三試合目と四試合目を消化するわけには行かなかったものかと思ったりもする。
これなら、試合時間だけでも予定通りということになり、一試合目、二試合目の学校は
緊張や苛立ちから解放され、明日を期せる。

いずれにせよ、この異常な雨つづきで、運営やりくりも大変だろうが、そんなことを考えてみたりした。
太陽と、汗と、土埃と、陽炎と、さらに、熱も、光も、
それらの言葉が使えない「甲子園の詩」は初体験である。


( 東海大四3-4修徳、延長12回サヨナラ勝ち )

360名無しさん:2018/12/22(土) 11:32:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月19日  三回戦  「  晴れた日に 」


晴れた日に 野球をやろう 涙は涙 汗は汗 それぞれに違う光を発し 

こんないい試合が出来るのだから 野球は やはり 晴れた日に 晴れた日に


水入りのあとの 何やら因縁めいた再試合 しかし 幸運とか 不運とか 大魚を逸したとか

奇跡の生還とか そんな思いは試合が始まるまでの ゆれ動く時間の感傷で
 
サイレンが鳴ってしまえば 久々に空に太陽があり 雲を散らしているが青空もあり

常総学院・鹿児島商工 まこといい試合をした 


華々しく打ち合うことも にぎにぎしく塁上を駈け巡ることも 歓喜と興奮に沸き立つことも

そんな そんな 目に見えた面白さはなかったけれど 静かに見えて 激しく 

ヤマがないと見えて全てがヤマの 水面下の緊迫に 目をそらすことが出来なかった


時の勢いや 流れで舞った踊りではなく 真実の闘いだったと思う 晴れた日に

心をうついい試合があった 勝者と敗者に分けるのが 切なくなる試合だった



鹿児島商工の二年生バッテリー・福岡と田村が魅力的だった。
コンビネーションとはどういうことをいうのかを、この少年バッテリーに教えられた気がするのだ。

投げたいと、投げさせたいの間合が絶妙で、ポンポンと投げ込んでいるだけに見えながら、
実は、気持の上でも、計算上でも、ピタリと呼吸が合っていることがわかる。
相手をたぶらかす技能派ではなく、自分たちのペースに引き込む頭脳派であると云えるだろう。

そればかりではなく、三振を取った瞬間に全力疾走でベンチへ走る福岡、
冷静さと度胸が一体となった眼鏡の田村、この二人の来年は実に楽しみである。
この好試合、誰がその空気を作ったかというと、二人の、快適なのに息苦しい、
緊張づくりが大きな役割を果したと思う。


( 常総学院1-0鹿児島商工    降雨ノーゲームの再試合 )

361名無しさん:2018/12/22(土) 15:02:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月20日  三回戦  「 大黒柱 」


掌一杯に盛り上げた 勝利という名の砂の粒が 少しずつ 少しずつ こぼれ落ち

もうあと一吹きの風で 最後の何粒かまでが飛ばされると 心も体も硬直した瞬間

大黒柱の投手は 顔付きを変えて踏んばり 二者を三振に取った 八回だった


勝負事で最も危険な心理は まだ勝っていながら もう負けている気で狼狽することで

それは 流砂のように なかなか止められない しかし 小林西の笹山投手は それを止めた

そして 勝利の砂一粒を残して勝った


大黒柱とは たぶん チームの運命を背負って立つとか 圧倒的な活躍で 大いに花を咲かし

手柄をひとり占めにするとか それもあるだろうが 揺らぎそうな場面の中で 

逆風に対して胸を出す人のことで それは目立つこともあるし 目立たないこともある


ただ その心強さを一番知るのは ともに闘うチームメイトで だからこそ 大黒柱の名が似合う

頼りになるのは こういうことを云うのだろう



八月三日に代表が決定し、翌四日には出発して甲子園入りしたのだから、宮崎県代表の感激を
ふっ飛ばして、いきなり全国区の感激につながったようだ。

初出場の小林西のベスト8進出は、実に新鮮な活躍で、一回戦の学法石川戦の奇跡の逆転から、
二回戦の長崎日大を一蹴、三回戦では、V候補の一つ高知商までも破り、今年の顔になった感じがある。

前評判も、代表決定が遅れたこともあるが、大したものではなく、印象としても地味なもので、
高校野球ファンが語らう時も、誰も話題にしなかった。

しかし、それは初出場校のための資料不足によるもので、このチームをじっと見つめていると、
地味どころか、なかなか派手なこともやらかしているし、笹山投手を中心にした戦力も侮れない。
それに、大黒柱を真中に据えたチームワークも心得ていて、実力校であると云える。


( 小林西5-4高知商 )

362名無しさん:2018/12/22(土) 16:57:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月21日  準々決勝  「  肝ッ玉 」


甲子園のど真中で 大事な大事な準々決勝で その日を決するかもしれない第一球に

超スローボールを投げる自信は 何から発するのか 恐れ入った肝ッ玉だ

まずは 敵も味方も大観衆も 空気までも 自分のものにしておいてから どうだと速い球を投げ込む


春日部共栄 二年生エース 土肥義弘 少年の自信は 恐いものを超えた大胆さか

恐いものを知らない強味か それは知る術もないが とにかく不敵に投げる

たぶん 打たれるという不安よりは 打たれる筈がないという自信の方が 常に心を支配しているのだろう


しかし 得意を崩すには  得意を叩くことで さすがの肝ッ玉も 四回の連打には我を忘れたが

さて それからで この少年投手の全く非凡なところは 試合の途中に於て 自信すら修正することで

一人で投げ勝つ投法を みんなで守り勝つ投法に 実に 実に 見事に変えてしまった
 


世界では、東西対決の冷戦構造というのはとっくになくなっているのだが、今年は、
甲子園の準々決勝に於て、見事なくらいの東西戦になった。 東から四校、西から四校残り、
上手なクジの組合せで、四試合とも、東対西の図式になる。 こんなことも珍しい。

準々がいちばん面白いという専らの評に、東西何勝何敗かまで加わったのである。
結果は、やや予想に反して、東の三勝一敗ということになった。

さて、いちばん面白い一日かどうかということになるとやや疑問で、常総学院と小林西の
一戦こそ身震いするような感じで見ていたが、他の三試合は、いささか興ざめの大差となってしまった。
しかし、試合が興味薄なら、人間がいるじゃないかと、何やら心に響く選手を懸命に探していた。


( 春日部共栄11-4徳島商 )

363名無しさん:2018/12/23(日) 10:01:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月22日  準決勝  「 誰かが見ている 」


きみは勝利に貢献したか いや きみに栄誉は与えられたか いや しかし

きみは拍手を聴いただろう 万雷とはいえないまでも 心のこもった強い拍手を

思いがけない不調でエースが降り 大量リードを奪われたあとの きみは リリーフ投手


こわれてしまいそうな試合を しっかりと引き締め 小さい 小さい可能性だが

逆転の期待を抱かせたのは ただただ甲子園で投げることに 大いなる歓びを感じているような

きみの力投 無心なのか 無欲なのか 


一球一球投げるきみの表情は チャンスへの感謝とでもいいたいもので 気負わず 気張らず

それでいて 力強く 正確に いつでも打てるという自信の相手に対し 真向から勝負した


常総学院 佐藤一彦投手 六イニング 無失点 目立つのは 何も 勝利に関わる人だけではない

自分に与えられた仕事やチャンスに 最大の意味を感じ 懸命に努める人にも

誰かが注目する 誰もとはいわないが 誰かが見ている



試合がこわれるほど、切なく、辛いものはない。 最後でこわれてしまうとそれまでが全部否定されてしまう気がする。
つまり、敗戦にも、敗戦分の引き算で済むものもあれば、マイナスの掛け算になって、
全てをマイナスにしてしまうものもあるのである。 

V候補の常総学院も、思いがけない展開で、下手すると、試合をこわしてしまい、昨日までの健闘を
無にするところであったが、それを支えたのは、リリーフの佐藤一彦投手の好投であった。

勝敗には関係なかったが、この試合を惜敗という結果で終われたのは、大変重要なことだと思うのである。
さて、もう一人の佐藤選手。 市立船橋の佐藤則満選手の、最終回、ヘッドスライディングで泥に汚れた顔で
意地を示したのが、印象に残っている。


( 春日部共栄5-3常総学院 )

364名無しさん:2018/12/23(日) 11:06:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1993年8月23日  決勝  「  この夏いちばん青い空 」


甲子園は孵化器で育児器で 卵の時では予想もつかない 大きな大きな子を育てる 

甲子園での成長は何割増ではなく倍増であるということを 育英・春日部共栄が証明した


代表となり学校をあとにした時と 一夏過ぎた今では 全く違う大きさになっているのだ

その意味でも 甲子園は 見事な孵化器であり 育児器であった


太陽のない夏にいくらか心が冷えた 灼けた土が舞い上るさまも ホースの水に虹が立つことも

さらに 投手の顎に 汗の滴が重そうに垂れることも 第一 目の眩むまぶしさの 激情の空もなかった


しかし 決勝戦 この夏いちばん青い空の下で 実力伯仲 一進一退 

力と自信にあふれた好ゲームが 光の粒のように躍った 


連投の春日部共栄土肥投手に 栄光を与えたいとか 負傷退場の育英安田主将に 大旗を持たせたいとか

人それぞれ 目にしみる青空を背景にしながら ドラマの恍惚と残酷に 酔っていたに違いない 

この夏いちばん青い空 それは好意に満ちた 少年たちのためのフィナーレであった



感傷的なドラマを好むなら、負傷退場のやむなきに至った、育英の安田主将のことを書く。
守備で傷ついた直後の第一打者が彼であるという巡り合せ。 長い時間をかけて手当した後の打球が、
三遊間のヒット性の当り、これを全力疾走がかなわず、思わず涙ぐんでしまった無念さ。

さらに、治療のため球場を去っていたと思っていた彼が、八回のチャンスにはベンチにいて、
その時の目の光り方、思いつめた表情に心うたれる。 
そして、傷ついた主将に手渡される深紅の大旗、劇的である。

ただ、それも包み込んでの、四十八試合の総決算。 加えて青い青い空の、とてつもなく大きい背景と、
季節を見送る歓送曲にも似た風の音のドラマを思い、いい試合の感謝を書きたくなった。
気がつくと、遅ればせながらの蝉しぐれである。


( 育英3-2春日部共栄 )



1993年の出来事・・・曙が初の外国人横綱、 江夏覚醒剤で逮捕、 Jリーグ開幕、 皇太子御成婚、

            政権交代 細川内閣発足、 サッカーW杯予選ドーハの悲劇、 EU発足、

            法隆寺 屋久島が世界遺産に。

365名無しさん:2018/12/23(日) 15:12:00
☆ 祝 日本野球連盟 ベストナイン



日本野球連盟(JABA)は、2018年度社会人野球表彰の受賞者を発表。
倉敷工OB、JFE西日本の三木大知選手がベストナインに輝きました。

社会人野球日本選手権で2004年以来の決勝に進んだJFE西日本。
三菱重工名古屋との決勝は、延長13回、1対2で惜敗した。
三木選手は、打率3割5分、6打点をマークし、打撃賞を受賞。

4月のJABA岡山大会で打率5割。
5月のJABAベーブルース杯では4割3分の高打率をマークした。


倉敷工時代は中山監督のもと、秋の中国大会優勝。
4番打者として悲願の選抜に出場。


「 来年は、必ず都市対抗に出場して優勝できるように頑張ります。 
ベストナインも取りたいです。 応援よろしくお願いします 」と三木選手。

366名無しさん:2018/12/23(日) 16:35:00
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月8日  一回戦  「 超の字 」


甲子園の少年たちの戦いを 息を詰めて見つめているのは 力を超え 技を超え

練習ですらやったことのないような 神がかりのプレイに遭遇出来るからだ


そして それは 時に運命を決する 運命は勝敗の行方だけではなく

この炎暑の甲子園から始まる 人生といったものまで決めてしまう もの凄さにも繋がるからだ 


長崎北陽台 唯一最大の危機は こういう神がかりで救われた 超の字を付けたい 

超美技と呼びたい 超を付ける値打ちがあるのは プレイの軽業的妙味ではなく

運命のテストに勝ったかどうかをいう


世の中大袈裟になって 何かというと 超の字を付けて煽るから 最大級の表現も色褪せているが

しかし 小江選手の バックスクリーン前の美技は 正真正銘のウルトラスーパーであった


背走から 腹這いの転倒 好捕 そして 起き上る早さ 異次元体験したような表情 きっと 少年は 

何分の一秒かで 神を見たに違いない もしも それがなかったら 好投手の冷静な快投も 

勝利に邁進していたチームも 熱風の中の苦い夏を 経験していたかもしれないのだ



去年のノートを見ると、太陽と汗と土ぼこりを書かずして、高校野球の感動を色づけられるかと嘆いている。
パラパラとめくると、気温がやっと二十度を超えた程度の日がつづいていて、まぎれもなく冷夏であった。

ひんやりとした夏、雨ばかりの甲子園を見つめながら、高校野球もこれまでか、と嘆いている記述がある。
しかし、今年は暑い。 暑いが熱いにかわることも期待出来る。
そして、光高校杉村衡作主将の長文の宣誓も、高校野球の好ましい姿の変貌を感じさせる。

誓うより発信するに意義があり 今の子らしく瞳を光らせて などという短歌を詠んでみる。
また、光眩しいアルプススタンドの光景に、
金管のマウスピースが灼けぬ間に 「狙いうち」吹く子の恍惚の顔 というのも詠む。
とにかく、他ではいざ知らず、甲子園は暑さが「超」を産むようだ。


( 長崎北陽台2-0関東一 )

367名無しさん:2018/12/29(土) 10:01:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月9日  一回戦  「  メッセージへの返信 」


おそらく きみたちは 今夏最も注目された野球少年たちで 人々の気持に響きました

劇的な勝者でもないのに 勝者にまさる感動を与えたのは 心でしょう


人の心 少年の心 野球の心 甲子園の心 さらに 青春という壮大な 時代の心

季節の心 それらをきみたちはメッセージとして さわやかに発信したのでしょう


まさに 青空への発信で 遠い遠い人の心まで揺さぶったのです 風を見たような

光にあふれたような 本の間から忘れていた手紙を 偶然発見したような

そんな気持になったものです


光高校野球部の諸君 きみたちの甲子園の夏は 一瞬といっていい短かさで

敗者のまま去って行ったのですが 感動の返信として賛辞を ささやかなお礼を

心ばかりのはげましを そんな思いになった人は大勢います


野球を愛したままですね 友情を信じたままですね 青春を感じたままですね

そうです たしかに たしかに きみたちが云ったように 青春と友情の輪は広がった筈です

それが甲子園ですから



二日目は、劇的要素の多い日で、三十年ぶり勝利の北海も書いてみたいし、
初出場盛岡四の歓喜も詩にしてみたいし、さらに、近江と志学館の死闘も綴ってみたいと、
あれこれ迷い、ぎりぎりまで決めかねていたようなところがあったのだが、やはり、
今書かなければその機会が失われると、光高校を取り上げることにした。

選手宣誓で、あれだけのことを投げかけられると、やはり、歌でいうならアンサーソング的な
ものが必要ではないかと、思ったからである。 

スポーツの心というものが「心」という字で括ってしまうと、天と地ほどにひらきが出て来る。
指導者は道だと思い、選手は愛だと解釈し、ますます離れる。そんな不確かさで悩んでいる時、
あのメッセージと称する宣誓は、なんだ、こんなわかりやすいことだったのかと思わせた。
宣誓というのもどうかな、とさえ考えさせたほどである。


( 市川4-2光 )



ファイト、フェアプレー、フレンドシップの頭文字の「F」のマークをあしらった高校野球連盟のもと、
私たち選手一同は、苦しいときはチームメイトで励まし合い、つらいときは、
スタンドで応援してくれている友人を思い出し、さらに全国の高校へと友情の輪を広げるため、
ここ甲子園の舞台で一投一打に青春の感激をかみしめながら、さわやかにプレーすることを誓います。

( 宣誓文    山口県立光高校野球部主将  杉村衡作 )

368名無しさん:2018/12/29(土) 11:15:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月10日  一回戦  「  八戸高の二年生へ 」


三年生には誇りと想い出を 二年生には怒りと悔しさを 同じように甲子園を去るとしても

そのくらいの違いがあっていい 三年生が持つ甲子園の土は これからの心の支えであっても

二年生が手にするそれは ほんの一年の預り物なのだ

来年また甲子園のグランドに パッと勢いよく撒くがいい


八戸高の二年生へ 甲子園を瞳の奥と心の襞に しっかりと灼きつけよう あれは何だと考えよう

何者なんだと思い出してみよう 何を要求し 何を語りかけて来たかを 一年かけてたずねてみよう


そして さらに 見えない襞の彼方の勝利を くり返し幻想してみよう 二つ勝つ夢も見よう

三つ勝つ場面も想像しよう 優勝行進の晴れ姿だって構わない


小さい目標設定は 身の程を知った美しさだが、小さい目標は からだも意欲も小さくさせてしまう

いっそ 巨大風車に挑む ドン・キホーテのように 壮大な幻想を見る方が たとえ滑稽であっても

甲子園に対して誠実なんだと 自信に満ちた決意しよう

八戸高の二年生へ 来年勝とう きっと勝とう



初戦突破という言葉には、必ず、悲願のというのがくっつく、そのくらい、甲子園での一勝は難しく、
値打ちがあるということである。 

予選を勝ち抜いて代表となり、甲子園の土を踏むというだけで快挙だと思うし、
到底他の場所では経験出来ないものを実感して帰ることだろうが、これに一勝が加わると、
倍にも十倍にも脹らむに違いない。 

一勝があるかないかで、同じ快挙の中で、天と地ほどに違う筈で、だから、悲願の、という言葉も使われる。
勝利至上主義はとかく批判を浴びせられるが、それは方法論の間違い、時代錯誤、
また、何のための勝利かという目的の志の問題であって、勝つことが悪いことではない。

とにかく、誰にも彼にも、あの大きな器の中で勝ったという経験をさせてやりたくて、
そのためには、勝つことを美しく念じることが必要で、まずは八戸高に気持を伝えた。


( 関西4-0八戸 )

369名無しさん:2018/12/29(土) 15:01:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月11日  一回戦  「  大いなる証明 」


甲子園って何でしょうね と問われたら そうですね やっていたことがやれない子と

やったこともないことがやれる子と 少年を二種類に分けることでしょうね と答える


あの場に登場した少年たちで やった通りのことをやるという普通は 一人もいないといっていい 

誰もみな 甲子園がさし出した踏み絵の前で 倍になり 半分になりしているのだ


江の川高校の春は まさしく やっていたことがやれなくて 完全試合を喫してしまったが

夏のきみたちは まぎれもなく やったこともないことをやれる可能性を 見事に証明した


敗色濃厚の最終回の 嵐のような逆襲は 目のかがやき 気の昂り 不可能を可能に近づけて行く勢い

可能を鷲摑みにする勇気 それらの全てを出して 春の無念をきれいに洗い流した


勝利のこそ見放されたが 甲子園って何でしょうね やったこともないことをやれる子に

たった今 変わりましたね そういう答を持って帰ることは 何よりの収穫じゃないか

きみたちは 倍の大きさになったのだ



センバツで、金沢高の中野投手に、完全試合を喫したということが頭にあるので、妙な感情移入で、
江の川を見ていた。 
一回表、佐古、富永がレフトフライで凡退した時には、重い十字架がつづくような気持になり、
三人目の森永が死球で出塁すると、やっと完全試合から解放されて、落着いて試合を見ることが出来た。

その後は、ヒット一本がいつ出るか、得点がいつ入るかと、見る目的を変更する。
江の川を応援していたということではない。 
しかし、多くの高校野球ファンというものは、そういう思いで見ているもので、対戦とは別に、
少年と甲子園との闘いに、あたかも、神話の戦士を見るように願いをかけている。

春の完全試合の枷が徐々にゆるんで行き、自由に手脚が動くようになり、自分になり、さらに、
追いかけた最終回に自分以上になった変化は、もう一つの甲子園、本当の甲子園も見た気がした。


( 江の川5-6砂川北、サヨナラ勝ち )

370名無しさん:2018/12/29(土) 16:03:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月12日  一回戦  「 九十年目の新芽 」


雪の下で長い長い時間 芽を出す機をうかがいながら 土の精を吸い 水の生命を取り込み

決して焦ることなく生きて来た 草の根のように 中越高校は きょう光を見た 季節は夏だった

空は眩しかった 九十年目の新芽は顔を出し 出したと思ったら次の瞬間 もう花を咲かせたのだ


今年の選手たちは 晴れがましく陽を浴びて 歓喜の歌を聴く 美しい芽の役どころだが

その彼らを土の上に押し出す役目の 大勢の先輩たちの 根の時代を忘れてはならない 


土を知り 雪を知り それでも挫けることなく いつもみずみずしく生きつづけ 明日は出よう

芽を出そう 光も見よう 空も見ようと 思いつづけた人たちがあって この初勝利

今年の少年たちの唇が 誇りと愛着の校歌を歌えたのだ


さて 芽を出してしまったら恩返し 土の精や水の生命の代わりに 大気の中の希望という養分を

土の中へ送り返そう たっぷりと吸って たっぷりと届けよう 何といっても財産は 

長い年月をかけた根なのだから



中越と坂出商。 試合は実に淡々と経過して行ったのだが、スコアブック上の平凡さとは別に、
何かズシンと重いものを感じた。 気が重いとか、心が弾まないといった意味の重さではない。
重厚さとか、感じることの多さとか、そういうことである。それは、学校の持つ歴史と無関係ではない。

たとえば、豪雪地域の学校といっても、今では、それに対処する設備も整い、
ほとんどハンディキャップがなくなっているのが現状だろうが、
しかし、かつて、明らかに不利な條件にあった時代が存在したのである。

目の前で試合をする選手たちは、北であれ、南であれ、遠隔地であれ、誰もみな見事な現代の少年で、
何ら不利を感じさせるものはないのだが、しかし、甲子園の高校野球を見るファンの目には、
歴史が重なって来る。 未だ勝利のなかった中越、輝かしい実績のあった坂出商、
ともに長い歴史を有し、だからこそ淡々が、ズシンと響いた。


( 中越2-1坂出商 )

371名無しさん:2018/12/30(日) 10:10:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月13日  一回戦  「  嵐の使者 」


かつては きみたちの先輩が 伝統校や優勝候補と対する時は いくらかの怯みも見られたし

反対に過剰な気負いも感じられた 巨獣に立ち向う 勇気のある犬のような健気さも

確かにあった その代わり 涙ぐみたくなるような温い声援が どこの県の代表よりも多かった


しかし いつの頃だろうか 特別な感情の拍手はなくなり 健闘を称える賛辞もなくなり

それと同時に きみたちの先輩たちから 怯みはもちろん気負いも消えた


堂々の高校野球王国 真の強豪の仲間入りをしたのだ だから この日 優勝候補の一つ

全国最大の激戦区を制した横浜の 大旗の夢を打ち砕いても 意外でもなく 快挙でもなく

ごく普通に受けとめられた 那覇商快勝


嵐は前ぶれの使者を走らせる 沖縄に接近した台風が 遠く離れた甲子園に

強く激しい雨を降らせる 何かを感じなくてどうしようか 

試合途中で駈けぬけた使者の 豪雨に託したメッセージは 何だったのか



昔、プロ野球の広島カープが優勝することが、ある種の歴史の総括になると云われたことがあった。
そして、初優勝の時の興奮と感動は、そういう役目を充分に果した。

それと同じような気持で、沖縄県代表の学校が、いつ深紅の大旗を手にするかと、願いつづけている。
興南の時も、数年つづいた沖縄水産の時も、優勝の詩をイメージしつづけていた。
しかし、まだ書けないでいる。

何とか、この「甲子園の詩」の連載がつづく間に、歴史と心の総括を野球でつけてみたい、
詩を書いてみたいと思っているのである。

それにしても、那覇商ー横浜戦の試合途中で何度か降った雨は、何だったのだろうか。
いやいや何でもない、単なる雨で、台風が近づけばああなることはあたりまえ、
と云ってしまえばそれまでだが、これは不思議だ、何かが起るに違いないと考えるのも、
高校野球の楽しみ方の一つである。


( 那覇商4-2横浜商 ) 



以前にも書き込んだけれど、2010年の興南の春夏連覇はご覧になれず。
2007年に他界されているので、あと3年あればとつくづく思います。
「歴史と心の総括を野球でつけてみたい」と云う願いを叶えて頂きたかったね。

372名無しさん:2018/12/30(日) 12:16:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」 

1994年8月14日  二回戦  「  ぽんぽこ打線 」


高校野球に 力と元気が復活した気がする 台風一過の青空に 久々刺激的な

無邪気なほどに明るく響いた 筋力と活力が一つになって 白球を弾き飛ばす快感は

やっぱり 汗に似合うし 夏に似合う 


小松島西高 きみたちが見せた野球は スポーツの原点に通じるもので 強く叩く

遠くへ飛ばす 激しく対う 疾く走る それらを肉体と精神に覚え込ませて

見事なかたちでパフォーマンスし 見る人の心の汗をかかせてくれた


背も高くないのに大きく見ゆる子の マグマのごとき気魄にたじろぐ 鍛えられた人には

鍛えられた人にだけ与えられる 崇高にさえ思える威圧があって 

それを証明することに遠慮はいらない むしろ そのことの本質を知ることで 美しく輝くことがある


純粋素朴に 真直ぐに バシッと打てば カンと響く さらに強ければ キンと高鳴る
 
そういう野球がもっと見たい 

きょう 大きく見えた少年たちよ この次はもっと大きく そして 響かせてくれ



「ぽんぽこ打線」というのは、小松島が狸の市だというので命名しただけで、他意はない。
何でも、全四国を制した伝説の狸がいたそうで、そういえば、ぼくの育った淡路島にも、
芝右衛門という有名狸の話があった。

それはともかく、ぽんぽこが、ぽんぽこ打ちまくるということでも構わない。
実に久々という感じで、鍛えた肉体の力をバットからボールへのり移らせるというチームを見た。
大仰にいうなら、同じ徳島の池田高校のやまびこ打線以来かもしれない。

高校野球にも傾向があって、広島商の野球、箕島の野球、それから、
小さな巨人たちを集めたような池田の野球、桑田、清原ら天才たちのPL学園の野球、
そのあたりは、甲子園に金属音が響き渡っていた。

しかし、それ以後、力の野球は主流でなくなる。やまびこの音も忘れていたが、
小松島西の打線に、何やらそれを思い出させるようなものを感じたのである。


( 小松島西6-5海星  延長10回 )

373名無しさん:2018/12/30(日) 13:50:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月15日  二回戦  「  口惜しがる少年 」


いつも どこか 口惜しげな顔をしている少年が 私は好きだ

他人から見ればうまく行っているのに それどころか いくらか得意がっていいことでも

口惜しげな顔をする少年がいる 


不機嫌ではない 嘆いているのでもない  どこか どこか ただ口惜しいのだ 

市川高 樋渡勇哉投手 私にはなぜかそう見える 


口惜しさは 決して 不満の表われではない 自分が設定した理想の高さに

なかなか届かないもどかしさと 安易な満足と妥協したくない 誇り高さが

口惜しいという感情になって 胸から顔へつき上げる それが 口惜しいということだ


不機嫌は他者との兼ね合いだが この感情は自分のことで 他を不幸にすることはない

だから 私は 口惜しがる少年を好ましく思う


市川高にミラクル起らず 夢は粉々に砕け散り 樋渡投手もまたここで散ったが

たとえ この日快投 快勝したとしても この少年は どこか 口惜しがったに違いない



まず、空の青さはどうしたことだろうと思うほどのもので、一点の雲もなかった。
その絵具を塗ったような、いくらかわざとらしい青空を見ながら、
ああ、八月十五日なのだと気がついたくらいである。 
ぼくの記憶では、終戦記念日は晴の特異日である。

市川ー北陽戦は、正午にまたがった。 五回裏、市川の攻撃を中断して、黙とうが行われた。
五万の観客も、グランド上の少年も頭を垂れる。 影になった感じがする。
あまりに影が黒々としていて、そのままグランドの土に帰してしまうのではないかと思ったほどである。

平和を考える。 毎年のことだが、平和という言葉の具体性をだんだん問われて来た気がする。
少年たちと重なるとなおである。 
それにしても、この青空、この重大な日、この好カードと重なっていながら、
信じられないような大差の試合が三つつづいたのは何故なのか。 ミラクルもなかった。


( 北陽10-2市川 )

374名無しさん:2019/01/05(土) 10:02:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月16日  二回戦   「  さらなる大志 」


第四はダイシと読み 大志に通じる それを実らせて甲子園へやって来た 

盛岡第四高 その姿と心意気は 熱風のきれ間にさっと吹く さわやかな風を思わせた


大志は肩肘張ったものではなく 野球を愛する心を歪めずに 愛したままで頂点に昇ること

なぜか そんなメッセージが 一挙手一投足から伝わって来るようで いきいきと

のびのびと 明るく 楽しげで さらに やる時にはやる集中力と 見事な志を証明して見せた


よく打つとよく守るとは才のもの 才かなわねば 走る 守る 大志が夢に過ぎなかった時があり

夢は夢でしかない時があり しかし 自分の力で 夢を果して甲子園へ乗り込み

最後まで借り物でなく 自分でありつづけた戦いぶりは おそらく 多くの人の心をうつ 


それは きみたちが 野球を愛しつづけたことへの 純粋な評価と賛辞で 

胸を張って受けとめればいい 一回戦の衝撃的な登場 二回戦の惜しみても余りある敗戦 

盛岡第四高 きみたちの さらなる大志を



気圧の関係かどうか知らないが、荒れる日と引き締まる日があって、そういえば、
プロ野球でもホームランがよく出る日、というのがある。

八日目は荒れる日で、どうにも手がつけられない状態になったが、九日目は、違う競技を見るように、
いくらか小ぶりではあるが、キュッと引き締まって気持よかった。 荒れたり、乱れたりすると、
予測の出来ない面白さはあるが、感情移入のしようがなく、言葉も挟めなくなるのである。
思いを馳せるという作業がいくらか滑稽になる。

しかし、この日は、中越と浦和学院の緊張の投手戦、スリリングな結末。
愛知と大垣商も立ち上りの明暗を除けば投手戦。 そして、水戸商と盛岡第四も、
一回戦ともに猛打を爆発させた両校でありながら、魂を削り合うような投手戦を展開した。
こういう時は、一球一球に思いが沸き、言葉が踊るのである。


( 水戸商1-0盛岡四 )

375名無しさん:2019/01/05(土) 11:07:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月17日  三回戦   「  夏は終わらない 」


どうせなら深紅の大旗を抱いて 津軽海峡を越えて来てくれ 北海道の野球が頂点に立つ夢を

きみらが実現してくれ きみらならそれが出来るし その値打ちが充分にある


思えば 史上初の北海道対決という偶然も 何かの予言かもしれないじゃないか

あの甲子園球場に 五万五千人ものも大観衆を集めて 北海道の学校同士が対戦したのだ


ともに勝ち上っての試合だ 全国の目を一点に集めて そう 注目の一戦というやつをやったのだ

凄いことだし 素晴らしいことだ だから 勝ったきみらは ぼくらの夢の分までふくらまし

そして 勝たねばならない 一つや二つでなく全部勝って 大旗を手にしなければならない


強いんだ 本当にきみらは強いんだ 札幌が那覇より気温が高く ニューデリーよりも暑かった今年

燃えた北海が暴れたって 何の不思議もない 打って 打って 勝って 勝って 

どうせなら深紅の大旗を抱いて 津軽海峡を越えて来てくれ


北海道の野球が頂点に立つ夢を きみらが実現してくれ きみらが勝ちつづける限り 

北国の夏は終わらない



北海道対決で敗れた砂川北の選手たちの気持の中には、もしかしたら、こういう思いがあるかもしれない。
いくらか後進的に見られていた北海道の野球を一気に頂点に引き上げる大きなチャンスがやって来たのだから、
これは北海高だけの夢ではないだろう。
きみらがやれ、ぜひやれと励ましたくもなるだろうと思うのである。

今年の大会で顕著に証明されたことは、名門地域とか、強豪県といったものがなくなったということである。
激戦区を勝ち抜いたから即優勝候補ということはあり得ない。 どこの県の代表も、
優勝の可能性を実際に持っているわけで、一戦二戦の加速の付き方しだいで、巨大な存在になり得る。

埼玉、神奈川、千葉、広島、静岡は野球が強かった。
それが全て敗退したのは、サッカーブームと関係があるだろうか。
これらの県、みんなJリーグのホームタウンとなっているところである。


( 北海14-5小松島西 )

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377名無しさん:2019/01/05(土) 15:05:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月18日  三回戦   「  両者に拍手を 」


勝者があり 敗者があり 勝者は先に進み 敗者はここから去るという 

厳然とした現実がありながら 両者は決して同じでないと知りながら 

やっぱり 両校に拍手をとか 両校に乾杯とか云いたくなる


仙台育英・北陽 仙台育英サヨナラ勝ち ガップリと組み合った時 相手の強さと大きさがわかる

たとえ勝敗は どのような形で決しようが おたがいが ただならぬ強者であることを知る


拍手も乾杯も 選手同士では拘泥わりなく 心から叫べるに違いない
 
半分の青空と半分の黒雲と 半分の夏と半分の秋の下 昂るだけ昂り 意気込むだけ意気込み

リラックスするより興奮の極にあれと 壮絶な試合をくりひろげた 


勝つためか 残るためか それもあろうが真実は おたがいの強さと大きさに対する

敬意と畏怖 計算を超えた 純粋な闘志を生んだのであろう 

ひたむきに勝る 感動はない だから 両者に拍手を



圧倒的な優勝候補はないといわれた大会であるが、それでも、この二校の対戦となると、
張り詰めた空気が伝わって来る。 
両校とも優勝を目ざすには、大きな関門となる相手であると意識している。

重大な試合の時、選手をどういう精神状態にするか、緊張を解いて平常心を保たせるか、
それとも、昂揚を強いて異常な興奮のもとで戦わせるか、どちらであろうかと思っていたが、
ともに後者であった気がする。 そのため、何でもない一投一打までが、スパークしそうな感じがして、
ボルテージの高い試合となった。

平常心も貴いが、しかし、平常心だけでは勝てない時と場がある。
そんな時には平常であろうと心を込めて鎮めることを捨てる。 落着きがなく、恐く思えるなら、
そのまま、興奮や恐怖を増大させて力にする。 これは、何も野球の試合だけのことではない。
人生は平常と異常の組み合せで、重要なのは選択である。


( 北陽5-6仙台育英、サヨナラ勝ち )

378名無しさん:2019/01/05(土) 16:20:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月19日  準々決勝   「  ハートコンタクト 」


それは ひらめきなのだろう 目と目が合うのがアイコンタクトなら 心と心が一瞬に感応する

ハートコンタクトに違いない 監督の脳裏に突然芽生えた いくらか危険な賭けのような閃光が

選手には 最も信頼出来る決断として伝わる 


三回の代打ホームランがそうだ あの決断と結果の鮮やかさは何だ あんなことがあり得るだろうか

そして 仙台育英の猛追に浮き足立ち いくらか暗く沈んだ時 マウンドに送り出したのは キャプテンだ

公式戦の記録もなく 肩ならしもやっていない内野手に 突然の大役を与えた


柳ヶ浦高 監督と選手の 他からは窺い知れない 信頼に根ざしたひらめきが 見事な勝利につながったのだ

ひらめきは思いつきではなく 見つめに見つめた結果 知りつくした上での決断と知る


キャプテンのリリーフは 土手の穴に手をさし込んで 洪水から町を守るような姿で 痛々しくもあり 

健気でもあり また スリリングでもあったが それは見る側の感想で 実は もっと確固とした

自信に裏付けられていたかもしれない 奇跡のような ハートコンタクトを見た 



八回からあとの、攻め合い、守り合いは、劇画のような涙ぐましさに満ちたものだった。エースが負傷し、
二枚看板のもう一人の投手も早々に交代させ、一点を死守するマウンドに立ったのが内野手で、
しかも、予選でも投げたことがないと知らされると、救世主待望的な感情を持つ、
まさに、これこそ、劇画的なのである。

柳ヶ浦のヒーローは、前半では、代打3ランの梶原であったのだが、終わってみると、地味に黙々と
最後のマウンドを守ったキャプテンの村子になった。

しかし、そういう誰がヒーローであるかは関係ないかもしれない。なぜなら、甲子園にやって来て、
一戦一戦重ねるうちに、よくまとまったチームという平凡な評価から、
底知れぬ潜在力の恐るべきチームという、特別の評価に塗りかえて来たのは、
全員の成長が一致した結果であるからだ。 強くなる、うまくなる、大きくなる、そして、バケる。


( 柳ヶ浦6-5仙台育英 )

379名無しさん:2019/01/06(日) 10:28:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月20日  準決勝   「  ジス・イズ・高校野球 」


甲子園の土かき集める子らの背に 雲たれこめて 遠雷ひびく

惜敗の佐久高校が 八部の満足と二分の悔恨で やや足取り重く甲子園を去る時

さしもの猛暑の夏も 不安定な気圧配置に揺るぎながら 秋へ傾いて行ったのです。


しかし それは ただ感傷に満ちた景色ではなく 夏を駆けぬけた少年たちへの

充分な賛辞を含んだもので 熱さは半分残っていました

きみたちの第一戦を記したノートに ジス・イズ・高校野球と 私は記しました


高校野球は高校野球であり ベースボールでも 野球でもないのです 

独特の美意識と品性が 勝利の価値に優先する 心の野球が高校野球です

時代とともに変化するものがあっても それはそれ当然です

しかし 決して風化させてはならないものが そこに存在するのです 


きみたちのこの夏の活躍は それを証明したと云えるでしょう  ジス・イズと書いたのは

それ故のことです 佐久高校 見事でした 

プロの子とクラブ活動励む子が 好敵手たり得る 今であれば



準決勝というのは、残酷な一日である。勝ち残って来てはいるものの、三試合、四試合を
戦ったあとであり、肉体的疲労からいうと極限状態にある。 
しかし、精神的には、勝ち進んだ自信と、この先もまだ行けるという昂揚で、一種のハイ状態にある。

残酷な一日というのは、それらの結果が、極限状態であらわれるのか、ハイ状態であらわれるのか、
誰にもわからないことである。 肉体の疲労を自信の勢いが補ってくれそうな気がするし、
疲労が精神の緊張を断ち切ってしまいそうな気もする。
わからない。ちょっとしたプレイ一つで、どちらの目が出るかもしれないからである。

毎年、準決勝は、死闘か大差のゲームかのどちらかである。 佐久と佐賀商は、
緊張のままに好試合を作り得たが、樟南と柳ヶ浦の一戦は、全く反対のケースで、
一方的な試合になってしまった。


( 佐久2-3佐賀商、延長10回サヨナラ勝ち )

380名無しさん:2019/01/06(日) 11:28:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1994年8月20日  決勝   「  完全燃焼 」


百三十六球目は 魂そのものだった 打者のバットを空を切らせるに充分の 祈りがこめられていた

百三十七球目は 力のある低目のストレートで しかし 魂も祈りもいくらか薄らいだか

打者の一振りは快音を残して 満塁ホームランとなった 佐賀商8-4樟南


一球の明暗は 勝者に赤いリボンを 敗者に青いリボンを与えることになった 

おそらく 魂が炎となり 蒸気となり 次なる集中が行われる前の ちょっとした空隙の一球が

劇的であり 残酷でありする 決定的瞬間になったのであろう 


だが それは 人知を超えている 誰も責められない 天文的順列組み合せが

そこで合致したとしか云いようがない とにかく とにかく 稀に見る好試合の決勝戦であった


二十七・三度 くもり 時々小雨 熱波の夏は遠く去り 何か切なげな風も吹く中を 胸を張り

手を振り 足を上げ 堂々と行進しているのは 佐賀商高であった



一日でも長く、仲間と一緒に甲子園で野球をやっていたい、という選手のコメントをよく聞く。
監督もまた、子供たちと、と云い換えて、そういうことを云う。

この言葉が真実であるなら、佐賀商は、この夏最も長く甲子園にいて、最も長時間野球をやったことになる。
開会式直後の第一試合に登場し、最後の最後まで残ったのだから、これ以上の幸福はないに違いない。

おまけに、降雨中断とか、延長戦とかも組み込まれているのだから、滞在時間、実働時間の長さは大変なものである。
しかし、幸福とばかりは云っていられないこともあって、峯投手は、この間の七百八球を一人で投げた。
最大の幸福の優勝の感激が少し冷めたら、疲労回復を心掛けてほしい。

初日が三十八・八度、最終日が二十七・三度。 その差十一・五度、もう秋である。
そして、今年の高校野球は、ある意味で、「元年」だったなと感じている。



1994年の出来事・・・ リレハンメル冬季五輪 (夏冬隔年開催に)、 ルワンダ大虐殺、 松本サリン事件、

             大リーグでストライキ、 大江健三郎ノーベル文学賞。

381名無しさん:2019/01/06(日) 12:35:02
☆  1994年  決勝   「 佐賀商 8—4 樟南 」   



記録的な猛暑に見舞われた1994年夏の選手権は、
神がかり的ともいえる満塁本塁打によってフィナーレを迎えた。

4—4で迎えた九回表。 二死満塁で打席に立った佐賀商の西原は、不思議な感覚を味わった。
「 ボールが投手の手を離れてから少しずつスローモーションになっていったんです 」。


初球から積極的に打つタイプではなかった。 しかし、初球の低め直球に体が勝手に反応。
ボールがバットに当たる瞬間まで、はっきり見えたという。 究極の集中状態だった。
打球が左中間席に届く前から西原は右手を突き上げていた。

西原は後の取材で「 試合直後は『直球を狙っていた』と言いましたが、興奮して思わず出た言葉。
直球がくる予感はあったが、本当はなぜ初球から打ったのかも分からないんです 」と振り返った。
ベンチに戻ると手がぶるぶると震えていたという。 「 野球人生で一度きりの体験でした 」。


24年前のシーンを、エースの峯は「 一瞬、グラウンドの歓声が消えた 」と記憶している。
裏の投球に備えて一塁ベンチ前でキャッチボールをしていて、満塁本塁打の打球がよく見えなかった。
「 何が起こったんだろうと・・・。
そしたらまた歓声がワーッとなって、それで初めて満塁本塁打だと分かりました 」。

峯にとって、周囲の音が耳に入らなくなるほど強烈な瞬間だったのだろう。
2年生だった峯は、佐賀大会では背番号「11」。
甲子園で「1」を背負ったが、スタミナに自信があったわけではない。


冬場に練習過多で足がはれあがり、2カ月ほど練習できなかった。 そこで、投球術の改善に取り組んできた。
「 全力投球は頭になかった 」。 マウンドで次打者の 素振りにまで目を配り、狙い球を外す技術を磨いた。

甲子園で努力が実った。 準々決勝から3連投のマウンド。 体が重く二回に3点を失い、
あと1失点で投手交代だったという。 そこから立ち直った。
途中から疲労のため軸足に力が入らなくなったが、打者への集中力は研ぎ澄まされていった。


「 七、八回は投球内容もはっきり覚えていない。なぜ抑えられたのかもよく分からない 」。6試合で708球。
峯以降、マウンドを一度も譲らずに夏の全国選手権の頂点に立った投手は出ていない。

九州勢同士が決勝を戦ったのは、この大会だけだ。 大方の予想は「 樟南有利 」だった。
樟南は前年春夏の甲子園でも活躍した福岡と田村の強力バッテリーを擁し、大会前から優勝候補に挙がっていた。
佐賀商は「 無印 」で、田中公士監督は試合前から「 大差で負けるかも 」という不安でいっぱいだった。


当時の朝日新聞鹿児島版に掲載されたエピソードが、両校の「 格 」を如実に表していて面白い。
開会式リハーサルで、樟南バッテリーを佐賀商の控え選手数人が遠巻きに見ていた。
居合わせた記者が「 声をかけてみたら? 」と促すと、
佐賀商の選手は「 いえ、後ろから見ているだけで十分です 」と答えたそうだ。

 

〈みね・けんすけ〉 1977年、佐賀県多久市出身。
佐賀商2年の夏、6試合を投げ抜き優勝投手となった。
JR九州を経て、現在は同県小城市の医療法人ひらまつ病院ひらまつクリニック事務長。

382名無しさん:2019/01/12(土) 10:03:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月7日  一回戦   「  種まく人 」


甲子園とは何だ 才能の種まく人の夢の農場か 種で才能はわからない 芽でも未来は予測出来ない 

ましてや 木の高さ 花の大きさは しかし 種まく人の心の中には 巨木に育つ夢があり

満開の花に酔う幻想があり だから 来る年も 来る年も 丹精こめた一握りの種を摑んで

甲子園を訪れ そこに夢いっぱいの祈りとともに 種をふりまく 


他では決して育たない種が 他ではゆるやかにしか伸びない芽が 他では ささやかにしか咲かない花が

この豊饒の陽と風と土の甲子園で 奇跡のように 育ち 伸び 咲くことを 種まく人は知っているのだ

甲子園は栄光の舞台ではない 甲子園は夢の培養器なのだ


仙台育英 竹田利秋監督 この人もまた たくさんの種をこの地にまいた 

そして 去る 東北に大旗の夢は あと一歩で届かなかったが しかし 

まきつづけた種は確実に甲子園の芝の間にひそんでいる



試合としてのレベルが高かったか、低かったかは別として、開会式直後の第一戦、
仙台育英と関西のシーソーゲームは、何かを予感させるドラマティックさを含んでいた。 
予感とは、祈りや願いに通じるもので、今年は何が何でも面白く、熱く、劇的で、
見事であってほしいと思っているからである。

高校野球にこれほどまでの期待を抱くのは、もしかしたら、終戦後の復活第一回以来のことかもしれない。
それほどに、人々は暗く、萎えて、日常の中に歓喜や興奮を見出せなくなっているのである。

まず感じたのは、ブラスバンドが戻って来た、という思いであった。
春のセンバツ大会では、阪神大震災を受けて自粛であった。

賛否両論いまだにいろいろとあるだろうが、今年の夏だけは、明るく、にぎやかな方がいい。
そして、夢とか、希望とか、自信とかいった言葉を、もう一度思い出させたい。


( 仙台育英7-8関西、サヨナラ勝ち )

383名無しさん:2019/01/12(土) 11:10:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月8日  一回戦   「  伝統と変化 」


伝統を維持することは 上手に変化を取り込むこと 決して変わらないという頑固さでは

伝統は枯れてしまい生命を失う  ただし 変化が表立ってしまっては 

これは違うものになってしまうから  そこのバランスが難しい 


高校野球も七十七回となると これはもう立派なスポーツで あれやこれや良いことも悪いことも

確立してしまった部分がある そのイメージから少しでも外れると らしくないと云われがちだが

だが これから先も 伝統の名のもとに生きつづけるなら 変化に寛容で 

変化を面白がる精神が必要になる


たとえば 山梨学院大付高 このチームのこの日の試合は 高校野球の一つの変化

甲子園戦法の大いなる破調 つまりは その伝統を時代の中で孤立させ 

精気のない陳列物にしないため 記念すべき一戦と云えるかもしれない 


おそらく 甲子園雀は バントを一度も試みない戦法に しばしば啞然とするだろうが

のびのび走りまわる選手たちの 失敗をおそれない勢いに ああ これが時代なんだ

時代の中の高校野球だと 納得するに違いない 風が吹いたのだ 変化につながる風が



何も、これからの高校野球は、すべてこうならなければならないということではないのである。
たった一つのイメージ、たった一つの戦法しかないという思い込みが、硬直させるのであって、
マニュアルを捨てよ、自らの目で甲子園を確認しようと言いたいのである。

たとえば、野球というゲームの解釈にしても、とにかくホームへ接近するゲームだと
理解している人もいれば、アウトにさえならなければ何点でも入ると考える人もいる。

一人を生還させるために一人は犠牲になるというのも、また、何とかみんなが生きようと考えるのも、
野球の哲学である。 どちらであってもいい。

甲子園という巨大な場、高校野球というもの凄い伝統、これらに立ち向かうために、
それぞれの学校が、それぞれの指導者が、それぞれの哲学でぶつかることが、
「高校野球は永遠です」につながると思っている。


( 山梨学院大付7-5鳴門 )

384名無しさん:2019/01/12(土) 12:17:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月9日  一回戦   「  奇跡ふたたび 」


この青い青い夏空は いつかどこかで見た記憶がある 黒い土の上でさらに黒く

くっきりとした影法師もまた 心の襞からはい出して来る記憶である 


そして ふくれ上ったアルプススタンド 一球一球の歓声 愛して愛してやまない母校という熱狂 

勝利の瞬間のバンザイ バンザイ  そうなのだ いつかどこかで見た幻想の高校野球

そう 韮山高校は 初出場でありながら そんな懐かしい懐かしい思いを 見る者に感じさせた


静岡県代表 韮山高校 初めてであって初めてでない 高校野球ファンの記憶の中に

伝説的に棲みついた名門校 たった一度の春の奇跡を 人々は忘れることが出来ないから
 
初めてであって初めてでない いつかどこかで見たという思いに 思わず涙ぐみたくなる


春の奇跡は四十五年前 長い長い空白は 国を変え 時代を変え 人間を変え さらに

野球を変えているのに なぜか 韮山の野球は タイムマシーンそのままで 空白の時も何のその

またまた同じ奇跡を 起しそうな気がする しかも さりげなく さわやかに



韮山高校の春の奇跡は昭和二十五年、ぼくが中学生の頃である。
それなのに、大変なことのように記憶している。 その時のバッテリーが東泉、鈴木であったことも覚えている。
初出場初優勝の快挙というのが衝撃であったのかもしれない。

その三年後、高校生になったぼくは、自分の通う高校が同様の初出場初優勝の偉業を成しとげる経験もする。
洲本高校である。 しかし、それによって、韮山の記憶が薄れたり、衝撃が消滅したわけではない。
ちゃんと生きつづけていた。

四十五年前というと、テレビの無い時代であるから、試合っぷりの細部に心うたれたということではない。
あくまでも、大摑みの情報によってそんな気持になっているのだから、人間の記憶は不思議なものである。
そして、今年、韮山はまたやりそうな気がする。 ぼくは伊豆の住民になっている。


( 韮山12-2田辺 )

385名無しさん:2019/01/12(土) 15:05:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月10日  一回戦   「  ワンチャンス 」


その時 フッと すぼめた唇で羽毛を吹くように 神様はチャンスをくれた

風に舞う金色の羽毛に 気がつくもつかないもセンス次第 それを手に出来るか出来ないかは

まさに 力次第 初陣の旭川実は 思いがけなく目の前を掠めるチャンスを 見事にものにした


ワンチャンス 価値あるワンチャンス そして 選手たちにとっては この試合だけではなく

次の試合も いや 将来までも 大きく試されるような 神様が仕掛けた踏み絵

たった一度の力試し運試しに きみたちは勝った


四回裏 打者10人 一挙5点 金色の羽毛をしっかりと口に銜え この時とばかりに走ったきみたち

大きく運命を支配する気の力と 体の中に満ちたエネルギーが 一体化する快感を知ったに違いない


それを感じるために 野球をやり 甲子園に来 戦っているのだと知ったなら 大旗に勝る宝物かもしれない

初出場が 古豪を相手に あざやかに勝利を得た瞬間 きみたちは 神のテストに合格したのだ



その一回だけ、あまりに見事過ぎて、思わずこんなことを思ってしまう。 しかし、野球とは、甲子園とは、
常にそういう一瞬をはらんでいるから面白い。 要は、その一瞬をドラマティックに仕上げるセンスと
能力があったかどうかということで、旭川実には、それがあったということである。

四回の猛攻のきっかけとなったのは、坪崎の内野安打であったが、バントで二進したところまでは
セオリーの中の出来事である。 その次の三盗で、いわば、音楽が鳴り始めた。
三盗が野球をドラマに変えたのである。

試合のことにもう少しふれるなら、旭川実のリリーフの川村の冷静さと、計算高い投球を評価したい。
助演賞だろう。 それにしても、松山商というと、高校野球のビッグネームである。 かつてなら、
初出場の高校などは名前に怯んだ。 怯まない者は意識過剰になったが、今は違うらしい。


( 旭川実5-4松山商 )

386名無しさん:2019/01/13(日) 10:02:04
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月11日  一回戦   「  誇りと自信 」


ありがとう ありがとう ありがとう 好試合 緊迫の 白熱の 壮絶の 劇的の

それでもまだ言葉足りない 究極の好試合をありがとう


勝った観音寺中央には もとより絶賛の拍手だが それよりも 春の王者を追いつめ 追いつめ

勝利の90%を掌中にしながら 無念の涙を呑んだ宇都宮学園に くり返し ありがとうと云いたい

「高校野球は何処へ?」 と憂えて問う人たちに 「高校野球は此処に」 ときみたちは答えたのだ


それにしても 嗚呼! 勝つことが如何に難しいことか 少なくとも三度 これで勝ったと思えた時があり

そもそも 突然の黒雲 ポツリと来る雨 一瞬のちの豪雨 四分間の中断 そして 同点 逆転

流れはすべてきみたちにあった だが しかし 勝利の女神は微笑まなかった


残念か 口惜しいか 無念でたまらない思いもあるだろう しかし ここで 勝者に学ぼう

彼らが流れまでも逆流させたのは 一つは 誇り 一つは 自信 この二つにほかならないことを



青空は消えたが、気持は晴れ晴れとした。今大会初と云っていいくらい、裏表十八回のすべてに緊張が
満ちていて、これこそ高校野球という思いがしたからである。 それまでは正直なところ、いくらかの心配と、
失望もあったのである。

観音寺中央は春の優勝校ではあるが、それまでは誰も知らなかった。 カンノンジではなく、
カンオンジだというのも、四国以外の人では初知識という人も多いはずである。

春の優勝も、何となく微笑ましい感じのそれで、ぼくなども、何となく青春小説ふうの気分で見つめていて、
夏の出場は危ういだろうぐらいの見方をしていたのである。

しかし、日本一になるということは、只事ではないことで、選手一人一人の、さらに、
その細胞の一つ一つにまで誇りと自信が組み込まれているように思えた。
それは同時に、ぶざまになれない責任でもあるようだ。


( 観音寺中央8-6宇都宮学園 )

387名無しさん:2019/01/13(日) 11:06:04
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月12日  一回戦   「  記念日 」


たぶん 数年後 一人のスラッガーが時代に君臨していて その彼の鮮烈の記念日が

平成七年八月十二日だと 語り合うに違いない

特に この日 甲子園球場を脹らませた 五万四千人の人々は 瞼の裏にやきついた英姿を

何度も何度も再生し 一代の自慢のように話すことだろう


「そうだよ あの日なんだよ」  「あの日のヒーローと認知されたんだよ」 

記念日とは 記念の誕生日ではなく 人々の心に衝撃的な印象を残した その日その時のことを云う


PL学園 福留孝介 超満員の客の熱い視線の中で すごいことをやってのけた

それも 偶然の殊勲打ではなく 誰が見ても 力そのもの 才能そのもの センスそのもの


疑いようもない見事さで 甲子園は一瞬静かになった 納得したのだ 戦慄もあっただろうが

より多くの快感に 敵も味方も酔いしれたのだ そして この場に居合せた幸運を嚙みしめ

近い将来 今日この日を 記念日と呼ぶだろうと思ったのだ



今年の大会には、いくつかの不満があった。 本塁打が少ない。 完封試合がない。
本格派投手がいない。 エラーが多い。 ちょっとしたことで試合がこわれ、大量点を許してしまう。

スターがいない。 客が少ない。 応援団も寂しい。 三者凡退が少ない。 1対0の試合がない。
試合時間が長い。 投球の間合も長い。 魅力ある敗者と感じられない。
順不同で不満を書きだしてみると、こうである。

そして、これは、高校野球にとっては由々しき問題であると思っている。
一時間五十分くらいで終わる試合があっていい。 三者凡退まで魅力に思えるのでは困るのである。

しかし、福留孝介選手の衝撃の活躍で、本塁打が少ないも、応援団が寂しいも、解決されたように思う。
特に、スターに関しては、胸ときめくものがある。 スターと人気者は違う。
人気者は時代の中の玩具だが、スターは、時代を玩具に出来る存在で、彼にそれを期待する。


( PL学園12-3北海工 )



福留孝介・・・中日、阪神、270本塁打、1808安打、現役中。

       インディアンス、ホワイトソックス、42本塁打、498安打。

388名無しさん:2019/01/13(日) 12:06:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月13日  二回戦   「  不死鳥 」


友へ 見てくれましたか 兵庫県は不死鳥です 何度でも生命を復活させる

奇跡の鳥です はばたけば風が起ります 飛べば明日が見えます 鳴けば元気がとび散ります


友へ ぼくらもまた 決して挫けることのない 生命の子供です それが証明出来たと思います

絶体絶命の危機を脱した時の 小さなガッツポーズを ほんの一握りの挙だけの

しかし 充分に力と心のこもった 快心のポーズを


元気が伝わりましたか 感謝が届きましたか 甲子園発のメッセージです 

いま ここにいることの幸運と ここで野球をやれることの幸福を そして 

多くの人の愛を感じたことの歓びを ぼくらはプレイすることで 表現したいと思っているのです 


友へ やりましたよ ぼくらは 三時間二十分も めいっぱいの健闘を見せましたよ

元気です 元気です あいつらオバケだと 手を叩いて下さい

震災地兵庫代表 尼崎北高 延長13回サヨナラ負け しかし 拍手 拍手



九回裏、同点に追いつかれて、なお二死満塁、勢いからいってサヨナラのけはい濃厚であったが、
救援の二年生投手山内はがんばって、三振に取る。
その時の、誰に見せるでもない小さなガッツポーズが、すべてを云いつくしているように思えて、
あたかも、彼が語るかのような詩を書いた。

全国49代表の中で、ここにいることの幸運と、ここで野球をやれることの幸福を、
実感している人たちは、そんなにはいない。
しかし、唯一、尼崎北の選手たちはそれを知っている筈である。
幸運は本当に幸運であり、幸福は本当に幸福であると、彼らはわかっているのである。

そして、この一戦、敗れはしたが、それらのメッセージは充分に伝わったと思う。 
延長戦になってから、甲子園へ急ぐ客を大勢見かけたと報道していたが、
まさに、心が届いたということだろう。  


( 尼崎北6-7青森山田、延長13回サヨナラ勝ち )

389名無しさん:2019/01/19(土) 10:06:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月14日  二回戦   「  優良試合 」


小さくあれとは云わないけれど 窮屈であれとは求めないけれど 自然で正直な野球もあっていい

ボールを返されたらすぐに投げ ボックスに入ったらむやみにははずさず 

その瞬間の勝負に目を輝かせ 火花を散らすことのみに専心する 


奢らず 悪びれず ただひたむきに 慌てず 怯えず 逆上せず かといって 過剰に余裕を示さず 

軽々しく自慢せず あくまで謙虚に自分を知り 黙々と闘う姿も美しい


強い打者だからといって逃げず 何かというと 寄り集まって相談することもなく ベンチの顔色も読まず

よけいなパフォーマンスもせず キビキビと全力を尽くす そんな高校野球をぼくは見たい


星稜・県岐阜商 一時間四十五分の優良試合 気持に遊びを加えず プレイの無駄をはさまず

必要以上の笑顔や これ見よがしのポーズがなければ 一つの試合は 一時間四十五分で終わるという見本

よく鍛えた若い肉体が 理にかなった動きをするのは それだけで気持がいい 星稜・県岐阜商 まさに 優良試合



いくらかは気のせいもあるのかもしれないが、高校野球の試合時間がどんどん長くなっている。
この連載は十七年目だが、当初は、一日四試合の日でも五時半には終了していた記憶があるから、
気のせいばかりではないと思う。

ぼくは、高校野球の試合は短ければ短いほどいいという暴論の持ち主である。
どうすれば、短い試合が出来るかと考えることが、強くなるもとにもなると考えている。
そして、美しくも、面白くもなる筈だと信じている。

無駄ダマ、悪しきコンビネーション、無意味な牽制球、過剰なシフト変更・・・
緊張の糸が切れる要素がいっぱいある。 自らが切って、力を失わせている。そんなことを思っていたら、
一時間四十五分の、それでいて中味の濃い試合を目にし、思わず「優良試合」と書いたわけである。


( 星稜3-0県岐阜商 )

390名無しさん:2019/01/19(土) 11:02:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月15日  二回戦   「  終わらない祭 」


長い長い 熱い熱い 終わらない祭の中にあって 身も心も水分を使い果したような そんな試合であった

夏の陽は傾き 影は伸び しかし 沈むことを忘れて 甲子園はギラギラと 祭の興奮をかき立てつづけた


旭川実・鹿児島商 想像を絶した死闘熱闘は 15対13 まるで書き過ぎたドラマのように 劇的に幕に近づき

そして 意外な結末の幕を下ろした 八回までは もしかしたら 只の乱打戦であったかもしれない


しかし 2点をリードされた 旭川実の九回表の攻撃は 祭であれ ドラマであれ 戦慄しそうな成り行きで

この回だけで見た甲斐はある 鹿児島商のレフトの超ファインプレーで 走者ともども併殺となり

敢闘もここまでかと思われたが 


次の瞬間 岡田の放ったホームラン それでもまだ1点足りない状況で

三塁線の打球の神がかりのバウンド 執念が幸運を呼ぶのか 祭はふたたび上り 

ついに逆転となった 旭川実・鹿児島商 この一回の攻防をもって 長く記憶に残るに違いない



今日は、五十回目の終戦記念日である。 特に、五十年、半世紀という区切りの年にあたり、
あらためて戦争とはと問い返し、この五十年とは一体何であったのかと、考えるべき時に来ていると思う。

毎年、正午に、試合を中断して黙とうを捧げるが、今年の感慨はまた格別で、
少年たちに語るべき多くのことを思いながら、影になったような選手たちを見ていた。
そして、五十年前 誰が 投げ 打ち 走ったか という詩を書くつもりにしていたのである。

旭川実ー鹿児島商の派手な打ち合いを面白がって見ながらも、まだ、頭の中には、
どう書くべきかと考えつづけていた。 そして、九回である。 この一回を見た途端に、今、
この場の野球の興奮を書くことが、平和のメッセージになるとテーマを変えた。


( 旭川実15-13鹿児島商 )

391名無しさん:2019/01/19(土) 12:01:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月16日  二回戦   「  怪物封じ 」


どうせやるなら 強い相手がいい 猛練習の成果を試すには 頂点を臨むようなチームと

ぶつかることが望ましい 力は勝ったか 技はどうか 精神力は対等だったか

それを知るためには 強い強い相手に 正々堂々の戦いを挑まなければ 答が出せない


どうせ投げるなら 凄い打者がいい 天才とか 怪物とか あるいは 人の心までもつかんいるスターとか

気迫で圧して来る打者がいい 五万人の目の中で 一球たりとも気の抜けない思いで

投げ込むことが出来たなら 投手としての何よりの幸福だ


かわすとか はぐらかすとか 危いから敬遠するとか そんなことを思うくらいなら 初めから勝負を望まない

気持が逃げたら 体が逃げる 体が逃げたら ボールが逃げる だから 目をそらさず 間合いも作らず

平然といちばんいい球を 心とともに投げる 


城北 楢木貴晴投手 PL福留選手を二三振 無安打 魂の投球の怪物封じ 静かな決闘は福留に勝ったが

試合は無念にも敗れる  だが いつか 怪物を封じた男といわれるだろう



甲子園に客が戻って来ている。 満員札止めで、なお、ウエイティングの人たちが行列を作っているという。
もちろん、PL学園人気、中でも、前の試合で十年ぶりの逸材と力を誇示した福留人気ということもあるのだろうが、
前日の旭川実と鹿児島商の壮絶な試合をはじめとして、高校野球の面白さの再認識ということがあると思う。

さて、その過剰な期待の中で、注目の福留選手は、正直なところ、不発であった。
しかし、これは、城北の楢木貴晴投手の投球を評価したい。 実に見事に投げた。

一回戦の桐生第一戦では、安打も十数本打たれているし、
これといって印象に残るところのない平凡な投手に思えた。 ところが、この試合では見違える。 
それはおそらく、目標があったことと、逃げないという決心がそうさせたのだと思う。


( PL学園3-1城北 )

392名無しさん:2019/01/19(土) 13:05:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月17日  三回戦   「  ライバル 」


ナンバーワンはどっちだと ともに思ったに違いない そして ひそかに 熱いものを呑み込みながら

それは自分だと マウンドに立った筈である ともに ここまで勝ち ともに左腕 その上

遠い少年の日からの ライバル意識を背負ってだから 負けるわけにはいかないのだ


星稜 山本省吾  関西 吉年滝徳  いつもあいつがいたと 思ったことだろう

いつか決着をつけなきゃと いくらか劇画めいて考えただろう 舞台は夏の甲子園である

左腕ナンバーワンは 譲るわけにはいかないと・・・


ライバルがいると少年は伸びる ライバルに対すると アドレナリンが倍になる 力が出る

技が磨かれる 目が輝きを持つ 心が大きくなる しかも 決して退けない 危機感も同時に持つ


星稜・関西  どっちが勝って どっちが負ける ナンバーワンもどっちかの胸に飾られる

しかし この日 この時 ライバルを感じて投げ合った ピカピカの勲章は 両者の心に飾られる



ぼくが、この試合に夢見たのは、1対0の試合であった。 今年の大会、まだこの1対0がない。
こだわるようだが、高校野球の大会には、この胃の痛くなるような投手戦が不可欠で、
そういうのが何試合かあって、乱打戦も、奇跡の逆転も興奮するのである。

その貴重な1対0が、もしかしたら、星稜と関西の一戦では見られるかもしれないと、
期待したのである。 関西の吉年、星稜の山本、今大会を代表する左腕投手で、
彼らが、本領を発揮するなら、青い火花がチリチリと散るような展開ののちに、1点が如何に大きく、
重いかを知らせて終わる、そんな試合になる筈だと思ったのである。

しかし、残念ながら、そのようには運ばなかったが、両投手をかき立てる内なる闘志を核にして、
いい試合になった。 特に、九回裏の星稜山本の三者三振は、1対0の緊迫さえ思わせて感動した。


( 星稜4-2関西 )



山本省吾・・・近鉄ドラフト1位、近鉄、オリックス、横浜、ソフトバンク、通算13年、40勝42敗2セーブ。

吉年滝徳・・・広島ドラフト2位、広島で1999年に4登板のみ。勝ち負けなし。2000年に戦力外通告。

393名無しさん:2019/01/20(日) 10:02:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月18日  三回戦   「  満足の夏 」


朝のけはいの中で既に 気温は三十度 もどり夏の酷暑にまみれて 延長十五回

百九十三球を投げた敗戦投手の顔は 晴れやかとはいえないまでも 満足感にあふれたものであった


柳川高・花田真人投手 唇こそ固く結ばれて 大いなるくやしさを表わしているが 黒々とした瞳の奥の奥に 

悲しみをこえた和みを見た きっと 彼は 恍惚とするほどの満足を 自分の中に感じたのだ


投げられない投手 走るだけの投手の期間を 黙々と耐え いつの日にかという思いを

かすかな希望の灯として 泣かず 嘆かず こぼさず 挫けず 黙々と 黙々と 

過したに違いない投手の晴舞台 見事に 見事に復活して 熱投を見せたのだ


敗れはしたけれど 多くのことを証明した もう大丈夫 これならやれる 

甲子園は 黙々の努力に報いるに充分の 少年の美しさを称え 投手としての輝く素質を認め 

彼を送り出した 百九十三球 まさに満足の夏 



準々がいちばん面白いというのは定説であるが、今年に限っていうなら、準々より一日早く、
三回戦の二日目が異常な昂りを見せた。 延長十五回を投げ合った敦賀気比の内藤と柳川の花田の力投。

その静かだが緊張に満ちた長い試合を幕あけとして、四試合がそれぞれドラマティックに展開し、
中には意外な結末もあった。

第七十七回大会を盛り上げた今年の華が、すべて顔をそろえた一日であるから、面白くないわけがない。
「忘れ物を取りに来た」と豪語するだけあって、スキのないチームとなった敦賀気比。
自分の世界を持っているという韮山。 古豪を全部打ち破った初出場旭川実の奇跡的な快進撃。
逸材の福留が注目される候補のPL学園。

彼らがすべて彼ららしく、最後の猛暑の中に躍ったにぎやかな一日。 
ぼくはいちばん静かな花田投手に魅せられた。


( 柳川1-2敦賀気比、延長15回サヨナラ勝ち )

394名無しさん:2019/01/20(日) 11:07:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月19日  準々決勝   「  PL敗戦 」


ゲームセットの瞬間の 何ともいえない悲鳴を含んだどよめき それが一つの決着を示して鎮まると

勝利を称える喝采と 強敵を倒した歓喜がオーバーラップして 甲子園を包んだ 


PL学園敗れる いや 智弁学園勝利する いずれの感じ方をしようが 人々はこの時に 

これは事件だと 思ったに違いない どんな時であっても PL学園が敗れるということは

高校野球にとっては 大きな 大きな事件で 何かが変わる一瞬かとも 重大に考えてみる


直接に対戦しようがしまいが 四千校をこえる高校のほとんどが PLを仮想敵として

チームづくりをしてきたといっていい 敵という言葉が過ぎるなら 到達したい理想でも

打破したい壁でもいい だから PL学園には普通を求めない 普通の高校生といってほしくない 


数少ない特別を 彼らに求め 夢見つづけてきたのだから そういう時代が もう二十年にもなる 

事件とは 自らの理想を失うのではないかと 恐れることである



PL学園は八年ぶりの出場である。 空白の期間がずいぶんと長い。 
このくらい長いと、時代はすっかり変わり、もうPLの時代ではないといわれる筈なのに、
新しいリーダーが誕生しなかったのか、そのまま八年前に繋がって、イメージとしては格別であった。

四十九代表は全て対等で、いや、厳密にいうと四千九十八校がみんな同格で、と考えるのが
正しいことなのだが、それでは、進歩にもつながらないし、活況が生れることもない。
どこか、誰か、特別の力で引っ張るところがあってこそ、大きなうねりとなって前進するのである。

それがここ二十年近い年月の間は、PL学園であったということで、
そこが敗れると「事件」になるのも当然である。 しかし、何から何まで特別であったPL学園チームに、
ずいぶんと普通の顔がのぞいたことを、どう考えるべきか悩んでいる。


( 智弁学園8-6PL学園 )

395名無しさん:2019/01/20(日) 12:06:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月20日  準決勝   「  今年の華 」


読唇術ができるなら あぁ 読唇術ができるなら 孤独のマウンドの投手のひとりごとを

聞いてやることも可能なのに 握りしめた白球に強い視線をあて 小さく唇が閉じたり開いたり


それは 明らかに語りかけ 投手とボールが一体となるための 神々しいほどに孤独な儀式

何を願うのか 何を祈るのか それとも 何かを命じるのか 投手以外の誰も知らない


敦賀気比 内藤剛志投手 酷暑の中の三日連投 二百十三球 百二十九球 そして この日

百十二球 若い肉体を削るようにして投げた 三日間合計四百五十四球が光る


試合がどう展開して行くのか ドラマがどこで仕掛けられるのか 勝敗は何によって決するのか

そして 勝つのは誰か 敗れるのは誰か いろいろと心を魅了するものはあるが 投手のひとりごと

群衆の中の一つの顔が 誰にも聞こえない本心を発するさまは 胸が痛くなるような

涙を誘われるような感じさえする


野球とは 九十九の激情と 一の感傷の組み合せ そして 一の印象が勝ることもある

内藤剛志投手 今年の夏の華でした



美しさには、いたいたしさが伴う。 いたいたしいから美しいともいえる。
連続酷暑日の中での三日連投を、悲壮感だけで絶賛するのは、一方では問題を含んだことかもしれないが、
内藤剛志投手には、悲劇を超えた凄さがあった。 
だから、ほめて書く。 可哀相になどとは、とても云えないのだ。

さて、準決勝は引き締った。 常識的に考えると、疲労も極に達し、ともすれば一方的な試合か、
乱打戦になりがちなのだが、星稜と智弁学園も、帝京と敦賀気比も、ともに緊張感の満ちた好試合で、
一回戦あたりで感じたさまざまの不満や不安も解消してくれた。

一試合目が終わって星稜の決勝進出が決定した時、多くのロマン好きの甲子園ファンたちは、
敦賀気比との「日本海決戦」を夢見たに違いない。 それを打ち砕いた帝京は、ちょっと損な役まわりだが、
一試合目に比べて別チームのように仕上げたのはさすがである。


( 帝京2-0敦賀気比 )



花田真人(柳川)・・・中央大学、ドラフト5位でヤクルト。通算10年、10勝7敗2セーブ。

内藤剛志・・・駒沢大学、JR東海。

396名無しさん:2019/01/20(日) 13:16:02
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月21日  決勝   「  夢・全国制覇 」


「全国制覇」の道は近くて遠い 「全国制覇」の壁は薄くて厚い 「全国制覇」の夢は軽くて重い

しかし 「全国制覇」のゴールは決して逃げない 


近づいて行く熱と力があればいい だから 星稜高校 今日の涙で明日も走れ もう一歩

もう一息 もう一段 もう一押し 優勝と準優勝の差は実に このもう一歩にあり

それは九十九歩よりはるかに困難で 考え深い一歩だと知らされる


重々しい一歩の痛々しい経験は 必ずや 栄光を踏みしめるための 一歩になるだろう

もうきみたちは神に予約したのだ 
 

帽子に書いた「全国制覇」の文字は きっと汗でにじんだことだろう 道の遠さ 壁の厚さ

夢の重さ それらを嚙みしめ 嚙みしめ にじんだ文字を 心と体にプリントしよう


北陸へ大旗の夢は 正夢を八割見させて 満身創痍の星稜ナインたち きみらが彩った

平成七年の夏は おぞましい世相をしばし忘れさせる 熱くて 涙ぐましくて さわやかなものであった

まだ 夏 今年は芝生に赤とんぼも舞わない 暑い暑い 熱い熱い



思えば、平成元年、あの大越投手を擁して仙台育英が、「みちのくへ大旗を」の夢のもとに快勝をつづけたが、
それを最後の最後、打ち砕いたのが帝京であった。
そして、今年、北陸の雄の星稜が、「北陸へ大旗を」と、高校野球史の色を塗りかえるほどの力を発揮したが、
それもまた、帝京によって阻まれた。

巡り合せの問題ということもあろうが、別の考え方をすると、新しい夢を実現するためには、
帝京を打ち破らなければならないという現実があることに気がつく。

PL学園以後、仮想の敵が存在しないと書いたが、帝京は、イメージまでリードできるかどうかわからないが、
厳然とした「壁」になっていることは否定できない。 
帝京で感心するのは、いつも、決勝戦でベストになることである。 象徴的なのは白木投手で、
最後で堂々のナンバーワンになった。


( 帝京3-1星稜 )



1995年の出来事・・・阪神大震災、 野茂が大リーグ移籍、 地下鉄サリン事件、 1ドル=79・75円

            殺人の時効廃止、 高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩




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