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倉工ファン

339名無しさん:2018/12/01(土) 13:06:01
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1992年8月15日  二回戦  「 妥協のない父親 」


やはり甲子園は父親なのだ それも 既に死語になり 幻想になっている 頑固で 酷薄で 妥協のない 

憎悪の対象ですらあった父親  腕の太さで圧し 無言の説得力で蹂躙し 背中の大きさで拒絶し

だが しかし どこかに絶対の愛情を秘めていた存在 


たとえば 声を荒らげての叱責のあと 時に 頬を打ち また 足を蹴って理不尽の限りを示し 

殺意に近い抵抗を感じさせながら 尊敬する人は 父 と書いたような そんな父親が甲子園なのだ


今やもう 世の中に そのような姿の父親はいない たとえ求めても現われない 荒らぐだけならいても

澄んだ魂で子を拒みはしない 少年たちは ぶつかる物もなく大きくなる それが幸福か 不幸か


そんな中で 野球を志す少年たちにだけは 無言で 大きい  絶対の父親が存在し 愛されたり

鍛えられたりしている  弘前実 一年生 二年生諸君 今年の甲子園は まだ無愛想だった 

でも もしかしたら 来年は ものわかりのいい父親で 迎えてくれるかもしれない



正午にサイレンが鳴った。 第二試合の六回表の途中で、スタンドもグラウンドも頭を垂れ、目を閉じ、
数十秒石になり、影になった。 一景として見るなら、四十七年前の玉音放送を聴く人々の姿に似ていた。
ただし、あの時は、誰もが飢え、やせ細り、疲れていた。

今は、五万人のほとんどが豊かで、平和を満喫していた。 願わくば、数十秒の黙考の行きつく先が、
飢えていた日にまで届けばいいが、などと思ったりした。
さらに、高校球児たちには、「野球と平和」の講座を必須とすべきではないかと考えを飛躍させた。

さて、その次の試合、去年にひきつづきの顔合せで、池田と弘前実、去年は13対4で池田が勝ち、
今年もまた貫禄勝ちのように8対1となった。 ただ、一年生、二年生の多い弘前実に、
甲子園で学べ、遊べ、という精神を感じて、贈る言葉を書いてみた。


( 池田8-1弘前実 )




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