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倉工ファン

382名無しさん:2019/01/12(土) 10:03:03
「 甲子園の詩  ( 阿久悠 ) 」

1995年8月7日  一回戦   「  種まく人 」


甲子園とは何だ 才能の種まく人の夢の農場か 種で才能はわからない 芽でも未来は予測出来ない 

ましてや 木の高さ 花の大きさは しかし 種まく人の心の中には 巨木に育つ夢があり

満開の花に酔う幻想があり だから 来る年も 来る年も 丹精こめた一握りの種を摑んで

甲子園を訪れ そこに夢いっぱいの祈りとともに 種をふりまく 


他では決して育たない種が 他ではゆるやかにしか伸びない芽が 他では ささやかにしか咲かない花が

この豊饒の陽と風と土の甲子園で 奇跡のように 育ち 伸び 咲くことを 種まく人は知っているのだ

甲子園は栄光の舞台ではない 甲子園は夢の培養器なのだ


仙台育英 竹田利秋監督 この人もまた たくさんの種をこの地にまいた 

そして 去る 東北に大旗の夢は あと一歩で届かなかったが しかし 

まきつづけた種は確実に甲子園の芝の間にひそんでいる



試合としてのレベルが高かったか、低かったかは別として、開会式直後の第一戦、
仙台育英と関西のシーソーゲームは、何かを予感させるドラマティックさを含んでいた。 
予感とは、祈りや願いに通じるもので、今年は何が何でも面白く、熱く、劇的で、
見事であってほしいと思っているからである。

高校野球にこれほどまでの期待を抱くのは、もしかしたら、終戦後の復活第一回以来のことかもしれない。
それほどに、人々は暗く、萎えて、日常の中に歓喜や興奮を見出せなくなっているのである。

まず感じたのは、ブラスバンドが戻って来た、という思いであった。
春のセンバツ大会では、阪神大震災を受けて自粛であった。

賛否両論いまだにいろいろとあるだろうが、今年の夏だけは、明るく、にぎやかな方がいい。
そして、夢とか、希望とか、自信とかいった言葉を、もう一度思い出させたい。


( 仙台育英7-8関西、サヨナラ勝ち )




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