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避難用作品投下スレ5

1管理人★:2009/05/28(木) 12:49:59 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

114Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:21:22 ID:baxXJd5E0
 ありがとう。そしておやすみなさい。それらの意味を含んだ母国の言葉を最後に、マーシャはリサに戻った。
 やはり自分は大人でしかいられない。少女の心に戻るにはいささか物事を知りすぎた。

 しかし、だからと言って捨て鉢になり生きることそのものを諦めたつもりはない。
 大人だからこそ守っていけるものがある。伝えるべきものがある。
 それがリサが見出した生きる価値で、生きていく意味だった。

 涙と共に己の弱さ一切を洗い流したリサの目は疲れきった女の目ではなく、鋭さを取り戻した猛獣の目だった。
 雌狐は誰よりも誇り高く、獰猛さを兼ね備えていた。

     *     *     *

 今にして思えば、なんとまあ恥ずかしいことを言ってしまったのだろうと、藤田浩之は思っていた。
 感情が昂ぶると直情怪行になるきらいでもあるのだろうか。

 好き好き大好きおまけにキス。しかもこのやりとりは二度目だ。
 おまけに今度は野外である。リサが戻ってきていたら……どうなっていたのであろうか。
 やんわりと微笑を浮かべ、あらあらうふふとでも言うか、それともふっと溜息のひとつでも零されるか。
 何にせよ見つからなくて良かったと思う。無論自分のやったこと自体は間違っていないと言える自信はある。
 それでも、まあ、TPOを弁えなければならないことというものはあるもので……

 ぐだぐだ考え込んでしまっている自分の姿を眺め、浩之はやめようと思った。
 堂々としていればいい。見つからなかったのでした、めでたしめでたしでいいではないか。

 それでいいんだと半ば強引に納得させ、浩之はぴったりと寄り添っている姫百合瑠璃の表情を窺う。
 同じことを考えていたのか唇を堅く結んでいたが、紅潮した頬は抑えきれない嬉しさのようなものがあった。
 ひょっとしたら自分もそうなのかもしれない。これが恋人というものか。
 やはり皆には見せられないと浩之は内心に固く誓うのであった。

「ん……?」

115Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:21:40 ID:baxXJd5E0
 視線に気付いたのか、瑠璃が上目遣いにこちらを見る。
 生きたいという気持ちと一緒にいたいという気持ちが瞳を通して伝えられる。
 己の中を占めていたはずの空虚がふっと消え、「おれ」が一瞬、「俺」に戻った気がした。

 命なんてどうでもいいと思っている部分。心の片隅に潜み、何をやっても無駄だと囁いてきた暗黒が霧散し、
 曇りきりの空を晴らしてくれるような、そんな感触があった。
 みさきを始めとして知人を失うたびに感じてきた未知の物質。
 それを抱えて暮らしていくしかないものだと思っていたものが、実はその気になれさえすればどうとでもなるのではないか。

 死者が急き立てたことによって生み出された思考ではなく、自分自身が考えて生み出した思考に浩之は驚きを覚えた。
 もしかすると、こうして自分で考えることこそ彼ら、或いは彼女らが望んでいたことではなかったか。
 しがらみに囚われず、やりたいことをやればいい。
 頑張ってという言葉は責任を取れという意味ではなく、望むように生きてみろという意味ではないのか。

 浮かんだ思考が弾け、浩之はガツンと頭を殴られたような気分になった。
 そういうことなのか? 思いながらも、まだ確信は持てなかった。

 しかし新しく生まれたその考えは、頑張れという言葉に合致するように思えたのだ。
 自分たちは孤独だ。孤独であるからこそ寄り集まろうとし、時として依存や執着しようともする。
 だがそんなものは甘えでしかなく、助け合うということにはならない。互いを食いつぶしていくことにしかならない。
 だから手を取り合いつつも守るべき自分は自分で何とかする。

 自分を守れるようになって、ほんの少しだけできた余裕で誰かに手を伸ばす。
 それが協力、協調という言葉の意味ではないのか。みさきたちは既にして分かっていたのではないのか。
 ただ、その結果があまりに大きすぎたというだけで……

 馬鹿だ。自分にも、死んでいった彼らにも対して浩之は言った。
 何故今まで気付かなかった。何故黙っていたままなんだ。今さら気付くなんてあんまりじゃないか。
 ぶつけようのない思い、感極まった思いが喉元に込み上げ、浩之はいてもたってもいられないような気持ちになった。

116Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:22:00 ID:baxXJd5E0
「……いつまでも、じっとしていられない」

 二人だけの環に納まったままではいけない。やり場のない感情は行動にして発散させるしかなかった。
 ちくしょう、こんなのってないだろう。
 悔しさ、感謝、或いは喜び、或いは憤懣。ありとあらゆる感情がない交ぜになり、無性に行動を起こしたくなったのだ。
 不思議と悲しくはなかった。こんなところで燻っていてはいけないという使命感のようなものだけが突き上げてきた。
 それは瑠璃も一緒でなくてはならなかった。

「行こう。確か表には車があったはずだ。使えるかどうか調べるんだ」
「浩之……?」
「とにかく行動しないと、何も始まらない。……生きるって、そういうことじゃないかって思うんだ」

 既に十分、自分たちは守れている。ならば手を伸ばさなければならない。
 二人だけ孤独でいるわけにはいかないのだ。
 瑠璃も表情を真剣なものに変えて、浩之の言葉を受け取った。
 浩之が行くからというわけではなく、生きるという言葉の意味をもう一度噛み砕いて自分なりに理解したようだった。

「うん。でも二人で行く必要はないと思う。少し、周りに何かないか探してみる。……宮沢有紀寧の動向も気になるところやし」
「大丈夫か?」

 瑠璃は頷いた。「もう、大丈夫」という言葉がやけに頼もしく思えた。
 そうか、と微笑を返して、浩之はデイパックを持ち先行していく。
 瑠璃もその後に続く気配があった。
 玄関をくぐった先では、雨が止んでいた。

     *     *     *

117Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:22:23 ID:baxXJd5E0
 ああは言ってはみたものの、喪失の痛みは依然として与え続けられている。
 体からぽっかりと抜け落ちた感触。記憶の中にしか声を思い出せない不確かさが余計に空しさを駆り立てる。

 忘れるわけにもいかず、後を追うこともできず、苦しみだけを抱えてのた打ち回っていることしか出来ないのだと思っていた。
 それを慰めるために無意識のうちに浩之を利用しようとしていた現実。
 どうしようもないやるせなさと忌々しさが瑠璃の中に渦巻いていた。

 甘えきっている。珊瑚に縋り、イルファに縋り、今もこうして浩之に縋ろうとしていた。
 何かにしがみついていなければ自らの存在意義さえ見出せない愚かな女。
 だからいてはいけない、と思うのではなく、だから変わらなければならないと思った。

 変わりたいと願っていたにも関わらず、時間も猶予もなく、
 やるだけのことをやって死ぬしかなかった珊瑚の姿が痛烈な衝撃となって思い起こされる。
 二人は変わらなければならなかったのだ。姉妹という間柄の中だけを取り巻く環を壊し、手を伸ばさなければならなかった。
 怖いから閉じこもっているのではなく、怖いからこそ覚悟を持って踏み出していかなければならない。

 無論脅威と遭遇することはあるだろう。手を下さなければならないときだってあるかもしれない。
 だが二人だけの環では二人以外をどうすることも出来はしない。
 根拠のない平和を信じ、嫌なものを見ないようにして誤魔化すことに何の意味があるというのか。

 躊躇ってもいい、逆に自分たちが失われてしまうと恐れてもいい。
 だからこそ脅威と対峙する意味を理解し、本当に守るべきものを見据えていくことが出来るのではないか。
 珊瑚はそれが出来なくなってしまった。向坂環を見殺しにした自分たちに、ツケを支払ってまでゼロに引き戻してくれた。

 最期に薄く笑ったのはそういうことではなかったか。
 思い出した。珊瑚はあのとき口を開いていたのだ。

『やり直しやね』

 あの時は理解できず、恐怖と絶望に呑まれて底に沈んでいた言葉の意味が今さらながらに浮かび上がり、瑠璃は強烈な悔悟を覚えた。

118Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:22:39 ID:baxXJd5E0
 なぜ、忘れていた。

 すぐに思い出しさえしていれば浩之に依存することはなかった。
 珊瑚があれだけしてくれたにも関わらず、自分はもう一度ツケを抱えてしまったのだ。
 それが姫百合瑠璃の愚かさというのなら、そうなのだろう。
 あまりにも不甲斐なさ過ぎる。あまりにもみじめだ。

 だがこういう考え方もある。自分が支払い損ねたツケを返す機会が巡ってきたとも考えることができる。
 たとえどれだけの時間がかかろうとも、今度は自分の力でそれが行える。
 珊瑚に甘えず、イルファに甘えず、一人の人間として借りを返すことができる。

 今度は恐れない。
 手を自分から伸ばすのだ。
 それがやり直しという言葉の中身なのだから。

 湧き上がる思いを体に染み込ませ、瑠璃は上がった雨の中を歩き続けた。
 宮沢有紀寧は完全に逃げてしまったのか。
 リサの知人を死に追いやり、一人で生き残ることを企んでいる人間。
 絶対に許してはならない人間がいまも同じ場所にいる。

 家を出る直前浩之が貸してくれたクルツを握り締める。
 命の重みを吸った銃。この重さに負けるまいと思いながら歩を進めていくと、道端の木の陰に誰かが転がっているのが見えた。
 奇しくもその人物の服装は、探し求めている宮沢有紀寧のものと同一のものだった。
 死んでいるのか……? いてもたってもいられず、瑠璃は一直線にそこへと走り寄っていった。

「ちょ、ちょっと、大丈夫なん……?」

 近づいてみて、更にぎょっとする。
 木にもたれかかるようにして倒れていた女は左目が完全に潰れていて、
 見るだけで吐き気を催しそうなくらいにひどい有様だった。

119Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:22:58 ID:baxXJd5E0
 それだけではない、服は汚れきっていて、破けた部分には血が滲んでおり、
 元は綺麗で傷ひとつなかったのだろう足も裂傷が多く見られた。
 長く整えられた髪、端正な唇、清潔な爪などから見るに元来は美人でもおかしくない容姿であっただろうに、
 今の彼女は一見して死んでいるように見えた。それくらいひどい傷だった。

 女の周囲には持ち物だったのだろう、様々な荷物が点在していた。
 一人では到底ここまで持ってこられなさそうな量であるうえ、この有様だ。
 力尽きてしまったのかもしれない。一体誰がこんなひどいことを、と思ったとき、呻き声が上がった。

「うう……」
「生きてる! あんた、しっかりしてや!」

 苦悶の声を上げ、身じろぎする彼女は相当弱っていると瑠璃に認識させるには十分だった。
 誰かを呼んでこなければならない。リサと浩之の姿を浮かべた瑠璃は呼んでこようと立ち上がりかけた。

「瑠璃……? こんなところで何を?」

 噂をすればなんとやら。戻ってきていたのだろう、リサの声が後ろからかかった。
 偶然に感謝しつつ、瑠璃は現在の状況を話した。

「……それは良くないわね。一旦この子をどこかに運ばないと。ここじゃ何も出来ない」
「荷物はどうするんです?」
「置いてくしかないでしょう? 後で回収すればいいし、命が優先よ」

 瑠璃は頷いた。その通りだ。宮沢有紀寧がこの荷物を見つけたら、という思いはないではなかったが、
 それよりも絶対に優先すべきものが目の前にある。苦しげに呻いている女の顔を見れば尚更だった。

「担架がないからちょっと危ないけど……他にどうしようもない。一気に運ぶわよ」

120Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:23:16 ID:baxXJd5E0
 言うが早いか、リサは一気に体を担ぎ上げて走り出した。
 どこにあんな体力が、と驚き半分呆れ半分で瑠璃はその後に続くのだった。

     *     *     *

「なんか、都合よくものが揃ってたわね……」

 眠ったままの少女に毛布を被せ、リサはひとつ息をつく。ちなみに毛布の下はほぼ全裸である。
 正確には上半身ほぼ裸なのだが。制服は窓の近くにあるハンガーにかけてある。
 戻ってきた浩之は瑠璃共々荷物の回収に行かせた。

 見た目は酷いものだったが、怪我自体はそこまでのものではなく、リサの治療でもどうにかなるレベルだった。
 しかも救急箱に麻酔つきである。これでメスでもあれば完璧だっただろう。
 そういえば自分もあちこち擦りむいていたことを今さらのように思い出して、リサは苦笑を浮かべた。

 手近にあったタオルで汚れた部分を拭き取り、消毒してからガーゼや絆創膏を貼り付けていく。
 自身を治療しながら、リサはどうしてあんな怪我をしていて、あの大量の荷物を引っ張ってきていたのかと考えを巡らせる。

 戦闘になっていたのは間違いない。だとするなら相手は宮沢有紀寧である可能性も高いが、
 彼女ならばなるべく傷つけず手駒に引き込もうとするに違いない。
 直接相対したことはなかったが、柳川に仕組んだ手口から見て可能性は高かった。

 ならばまだこの島には殺戮を望む者がいるということだろうか。
 あれだけ犠牲を払ったにも関わらず、参加者同士の戦いはまだ終結していないということなのか。
 早いところ、脱出に向けて動きたいところなのに……

 暗澹たる気持ちになりかけ、だがそれは仮定の上での話に過ぎないと断じる。
 真実はこの少女が目覚めて、話を聞いてみなければ分からない。
 どうも物事を悪い方向に見る癖は健在であるらしいという結論に辿り着く。

121Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:23:30 ID:baxXJd5E0
 相変わらずだと思うが、それでいい。問題なのはそうした想定を踏まえ、対策を立てることだ。
 それを行うのが軍人の仕事であり、大人の仕事だ。

 最悪の事態を考え、リサはM4カービンを手元に手繰り寄せた。
 栞の遺品。最後まで節を通し、彼女が生き抜こうとした証。
 銃把を握るだけで栞とのやりとり、俄仕込みの訓練の様子が克明に描き出される。

 無駄にはしなかった。ひとつひとつを糧にして栞は這い上がろうとしていた。
 終わらせるために。この島から悲鳴を無くし、ひとりでも生きて帰れるように、少女は手を伸ばして銃を取ったのだ。
 それは誰かを憎んでのことではない。恐怖に駆られてのことでもない。
 痛みを知り、弱くてもやれることはあると覚悟して力を掴んだのだ。

 本当の意味での『守る』とはそういうことなのだろう。
 故にリサもそれに従おうと思った。
 狭い考えに身を押し込めず、人間としてやれることをやろう。

 リサは椅子に腰を落として、二人が帰ってくるのを待つことにした。
 とりあえず今できることは、それだった。

122Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:23:45 ID:baxXJd5E0
【時間:2日目午後22時00分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動…したいけど待つ。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる。守腹部に打撲(手当て済み)】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)。麻酔により睡眠中】
【目的:爆弾の材料を探す。生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

【その他:上記のことみの荷物はH-7付近。二人乗り用の自転車は工場の近く。ゴルフクラブ、日本酒(空)は放置。】

123Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:24:28 ID:baxXJd5E0
【時間:2日目午後23時30分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動…したいけど待つ。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる。守腹部に打撲(手当て済み)】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)。麻酔により睡眠中】
【目的:爆弾の材料を探す。生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

【その他:上記のことみの荷物はH-7付近。二人乗り用の自転車は工場の近く。ゴルフクラブ、日本酒(空)は放置。】
→B-10

済みません、こちらが正しい表記です

124Beyond the Bounds:2009/07/02(木) 02:37:37 ID:baxXJd5E0
さ、再訂正…

【時間:2日目午後23時30分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【所持品3:何種類かの薬、ベレッタM92(10/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:宗一の言葉に従い分校跡に移動…したいけど待つ。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる。守腹部に打撲(手当て済み)】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)。麻酔により睡眠中】
【目的:爆弾の材料を探す。生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

【その他:上記のことみの荷物はH-7付近。二人乗り用の自転車は工場の近く。ゴルフクラブ、日本酒(空)は放置。】

125(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:47:53 ID:XQXXsGks0
 四回目の放送があった。
 既にこれだけの回数を聞いていると聞こえる声も受け流すことができるようになってきた。
 寧ろ耳を傾けたくなかった。この期に及んで殺し合いを進め、
 勧めようとする主催者達の神経が分からなかったし、分かりたくもない。

 その一方で読み上げられる名前だけは確実に胸に刻まれていた。もう百人以上もの人間が命を落とした。
 満足に生きられもせず、やりたいことだってやれなくて死んでいった人達。
 まだまだ人生はこれからだと思っていた矢先、理不尽にもこんなことに巻き込まれ、
 わけも分からずそれでも突き進むしかなかった人達。

 それを立派だとも、愚かだとも思わない。怒りや悲しみはもう受け止めきっている。
 ただ、確かにその人達はここにいたのだという事実を覚えておこうと思った。

 牛丼に釣られ、友情を分かち合いながらも疑心暗鬼に駆られ、仲間うちで殺しあってしまったこと、
 我が身の不実に絶望し、何もかもを放棄して生きることさえ諦めかけたこと、
 それでも新しい希望を見つけようとパートナーと共に歩み始めたこと、
 思いを分かり合える人と出会えたこと、
 逆に分かり合えず、意思をぶつけ合い、その果てに散っていった女がいたこと。

 これら全てを覚えていようと思った。
 自分は自分だけの上に成り立っているのではなく、様々な人との出会いによって構成されているのだということを。
 それが川澄舞の、百人の死者に対する誓いの言葉であった。

「藤林椋は死んだのか……結局、確かめられなかったな」

 国崎往人の呟きを、舞は軽く頷いて受け止めた。
 惨劇の証人だったもう一人の生き残り。
 今にして思えば椋が犯人だった、という可能性も出てくる。

126(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:48:15 ID:XQXXsGks0
 恐怖したのかもしれない。仲間同士で殺しあう凄惨な光景に人間不信となり、戻ってこられなかったのだと思っていた。
 だがそれは椋が殺し合いに乗っていなかったらの話だ。
 もしもあの時既に椋は殺す側へと回っており、こちらの殲滅を狙って毒を入れていたのだとすれば……
 舞は軽く首を振った。詮無いことだった。

 今さら、もう確かめることなんて出来はしない。したところで、もう何も変えられはしない。
 ただ……椋が姉と出会えて死ねたのか。本望を達成することができたのかということだけが気になった。
 誰とも会えないまま、ひとりで死んでいくなんて寂しすぎるから。
 短い黙祷を胸の奥で捧げ、舞は改めて横を歩く往人の姿を眺めた。

 自分と同じく、表情を無の形に保ったままで、唇を若干のへの字に曲げている往人は、しかし多くの思いを内実に秘めている。
 誰だってそうだ。何も考えず機械のように生きられる人間なんてどこを探したっていない。
 表情に出るかどうかは微妙な差異でしかない。往人は滅多に表情に出さない人間だ。

 それは彼の強さなのだと舞は思う。自分は違う。感情を表に出せなくなったのは怖いからだ。
 記憶の奥底にある、苦い過去が痛みを味わうまいとして作り上げた檻の中に閉じ込め、出られなくなった自分。
 人と関わることを遠ざけ、辛くもなくなった代わりに喜びも忘れてしまった事実がそこにあった。

 生きていこうと決意し、こうして人と一緒にいてもなお、自分の中にわだかまった膿を取り除けないでいる。
 弱いままだと思い、だからこそ往人に対する感情を確定させられないでいるのかもしれないとも思った。

 思慕だと評していながら果たして本当にそうなのかと自答してもいる。
 恋だと断ぜられる自信はなく、寧ろ認めることではなく、
 断じた先にあるものが怖いがあまりに受け入れずにいるのではないかとすら感じた。

 話せば分かることなのだろう。ただ、そこに踏み込むには度胸が足りなかった。
 利害関係の一致で一緒にいることはできても人と人、一対一の関係を保って一緒にいることは途轍もなく難しいことのように思えた。
 要するにどう言葉をかけていいのか分からなかったし、距離を推し量ることもできなかった。

 対人関係について必要ないと捨ててきた結果がこれなのかもしれない。ツケは大き過ぎた。
 こんなことを相談できる相手もいない。一番近しいひとと距離も埋められていないのに、
 それより浅い付き合いの人間とどう話していいのか分かるはずもない。

127(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:48:35 ID:XQXXsGks0
 そもそも直接話したことのある人間が少なすぎる。往人以外では朝霧麻亜子、そして今しがた会話していた古河渚しかいない。
 伊吹風子や那須宗一とは話を聞くばかりでこちらから話すことをしていない。
 いや、麻亜子や渚とでさえ話しかけられてようやく答えるばかりだ。自分から話しかけたことはただの一度だってない。
 草葉の陰で倉田佐祐理が、相沢祐一が泣いているような気がした。そんな光景が浮かんだのだった。

「……どうした?」

 かけられた往人の声に、舞は思わず身を硬くした。
 ずっと往人の方を見ていたのだと気付いたのは、訝しげな視線を往人が含ませていたからだった。
 いや、と目を逸らし、恥じ入るような思いで舞は顔を俯けた。

 何をぼーっとしているのだろう。放送が終わったこの状況で聞くべきことはいくらでもあったはずなのに。
 そう考えると、顔を背けた自分にますます情けなくなる。
 助けを求めようにも唯一この手の話を振れる麻亜子は何故か渚や宗一と話しこんでいて、
 介入する余地はなさそうだったし、そんな度胸はやはり浮かんではこなかった。
 仕方なくそのまま黙ったままにしておくしかなかった。軽く苦笑する声が聞こえた。

「済まない。また心配させたか」

 え、と当惑の声を出す暇もなく、「もう大丈夫だ。決着はつけた」と発した往人の声は穏やかなものだった。
 勘違いしている。私は自分のことしか考えていなかった。
 言いかけようとして、しかしそれを言ってしまっていいのかと頭が静止をかけた。

 失望させたくないという思い。何が大丈夫なのかと尋ねたい気持ちがない交ぜになり、口だけが開いては閉じた。
 またもや舞は無言を貫くしかなく、どうしたらいいのだろうと白痴のように繰り返すしかなかった。
 どうにかしなければならないとは思いつつも、紙は真っ白でどんなアイデアだって思いつかない。

 思いだけが募り、焦りと苛立ちの両方を含んだ感情を持て余すしかなく、そのまま顔を俯けたままだった。
 往人はそれを肯定と受け取ったのか、それ以上何も言うことはなかった。

128(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:48:52 ID:XQXXsGks0
 ひどくみじめだと考える一方、こんなことを感じている自分は、思慕以上のものを持ち始めているのだろうかとも思った。
 明らかに意識している。もうそれはどんなに意思しても御しきれるものではなくなりつつあった。

 ――それを恋というのだよ、舞君。

 つけひげをつけた麻亜子が偉そうに語りかけていたが、振り向いても麻亜子は渚と何かお喋りをしていた。
 距離を埋めたいと思うことを、恋というのなら。
 きっと、そうなのかもしれなかった。

     *     *     *

「あー、えーっと、それで、ルーシーさん……じゃなくて、るーちゃん……でいいのかな……
 あーええと、とにかくそれから無我夢中で宗一さんを助けようと、ここまで……」
「ほうほう、愛の為せる技ですな」
「愛だろうな」
「まーさんっ、宗一さんも……!」
「ごめんごめん、まあそういうことなんだね」
「……そういうことです」

 どこか不機嫌に、というよりどうにでもなってしまえという風に息を吐き出した渚に、
 宗一共々苦笑して麻亜子は頭の中で情報を整理していた。
 ちなみに舞と往人は呼ばなかった。既にある程度情報は共有していたし、何より舞に往人と接する機会を与えたつもりだった。

 ちょっとしたお節介。ささらと貴明を思い出してしまうのだ、あの二人には。
 二人の後背を少し眺めてから、麻亜子は視線を虚空に移す。

 放送が終わり、生き残りは既に二割にも満たない。環や珊瑚の死も確認した。
 またしても元いた日常の欠片が崩れていくのを感じた一方で、
 だからこそ新しい道を探すためにも考えを連ねていかなければならないのだと認識していた。

129(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:49:10 ID:XQXXsGks0
 今の自分には往人や舞、更には渚や宗一もいる。
 これまでのいきさつを話そうというのは山を下っているときに麻亜子から切り出したものだった。
 無論恨まれる覚悟も許されない覚悟、そういうものを持って話しかけたはずだったのだが、
 拍子抜けするほどあっさりと受け入れてくれた。往人と舞のときのように。
 何も知らない俺達が無責任に糾弾できるほど綺麗な人間じゃないんだ、とは宗一の弁だった。
 渚も宗一の言葉に頷いて何も語ろうとはしなかった。

 きっとここにいる全員は同じような立場なのだろうと思う。
 時には誤った判断で誰かを失い、時には殺人に手を貸す、或いは直接手を下し、
 罪を罪と馬鹿正直に糾弾出来なくなってしまった人間。

 だからといって驕るつもりもない。同じ穴の狢だろうが自分は元殺人者である事実は厳然としてそこにある。
 安心していい権利なんてなにひとつ持ち合わせてはいないのだ。
 殴られろと言われれば殴られてやるし、一生奉仕して償えと言われたらそうする。

 けれども死ねと言われたらそれだけは拒むつもりでいた。命が惜しい、そんな次元の話ではない。
 命乞いをしてでも守るべき過去があり、また未来を見据えていかなければならない自分がいる。
 だから生きていたい。それだけのことだ。

 とにかく、と横道に逸れた己の思考を元に戻して麻亜子は考えを再開した。
 残った人間を考える限り危険人物は少ない。もしくはほぼゼロに近いと考えていい。
 ここにいる連中は全面的に信用できるし、渚の話によれば待っているらしいルーシー・マリア・ミソラも志は同じなのだという。
 伊吹風子も同じだろう。渚は早く会いたいと言っていた。ちょっと嫉妬。

 ここで十五人から七人を引いて残りは八人。そのうちリサ=ヴィクセンなる人物は宗一の同業者で信用もあるとのこと。
 麻亜子自身が遭遇した高槻もあの様子では多分こちらと同じ立場だろう。
 ……自分がどうなるか、というのは蚊帳の外に置いておくことにした。

130(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:49:32 ID:XQXXsGks0
 一ノ瀬ことみ、藤林杏に関しては渚の友人だという。
 杏については「妹さんが呼ばれていたのでちょっと……いや、かなり不安なので早く会ってあげたいです」と言っていた。
 姫百合瑠璃は生きている。珊瑚が死んでしまったのでどうなっているのかは知り得ない。渚同様の不安があった。

 渚の抱える不安は分かる。いや、ささらを失った自分だからよく分かる。
 願わくば舞と往人のように、支えとなってくれる人間がいればいいのだが、
 と祈るように思ってからそんなことを考えている自分を変わったなと自覚する。

 正確には変わりつつある。本当の人の想いに触れ、夕焼けの中で確かめた生徒会の二人の姿に触れ、
 朝霧麻亜子という素の存在が現れまーりゃんという面子を保ち続けてきた仮面を剥ぎ取ろうとしている。
 しこりはまだ自分の中に残りながらも。これでいいんだと思い、麻亜子は思考を更に進めた。

 これで残すは二人だ。芳野祐介なる人物と藤田浩之なる人物。
 この二人がどんな人間なのかさえ分かれば島からは殺人鬼は一掃されたことになる。
 先はまだ想像がつかなかったが、とにかくまずは目指すべき状況に入りかけている。
 ならば自分がすべきことは生き続けることだ。

 そうでしょ、たまちゃん?

 少し泣きたくなった気持ちを堪えて、最後まで決着をつけられず言葉も交わせなかった友人へと向けて、
 麻亜子は自分のやるべきことを確かめたのだった。

「……あの、言いそびれてました。遠野さんのことですけど……」
「いい。こうなるかもしれないって覚悟してた……ルー公が生きてただけでも俺は嬉しい」
「……はい」
「済みません、は無しだ」
「……はい」

 などと考えている間に、渚と宗一はいつの間にやらいい雰囲気に。弔いなのだろうが、麻亜子が入れる雰囲気ではない。

 てゆーか、宗一っつぁん渚ちんの肩抱いてるし! 頭も撫でてるし! 渚ちんも手ぇ握ってるし!

131(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:49:48 ID:XQXXsGks0
 とても直視できる状況ではなかった。前方では歩く往人とぴったりと並ぶようにして舞が歩いている。ガードは完璧だった。
 独り身なのは自分だけか。衝動的に彼氏が欲しいなぁという情動が込み上げ、
 けれどもどうしようもあるはずもなく、麻亜子は内心に呪詛の言葉を吐きつつ塗り込められた漆黒に目を移すしかなかった。

 バカップルばかりだよ、ここは。

 麻亜子たちが麓にある民家へと辿り着いたのは、それから数十分後のことだった。
 その時間が麻亜子にとって針のムシロだったことは言うまでもない。

132(ユケ!ヤレ!マーチ)/Prepare To Take The Field:2009/07/06(月) 23:50:12 ID:XQXXsGks0
【時間:3日目午前00時30分頃】
【場所:F−3】

川澄舞
【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。軽い打ち身。往人・舞に同行】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷。椋の捜索をする】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数0/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、投げナイフ1本、鉈、H&K SMGⅡ(30/30)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【所持品2:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸9発・トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【持ち物3:ノートパソコン×2、支給品一式×3(水は全て空)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、何かの充電機】
【状態:全身にかすり傷】
【目的:渚を何が何でも守る。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る】 

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

→B-10

133ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:37:05 ID:VjZ7PxFU0
片付けられたテーブルの上に、少女が食べ残したパンはない。
柏木初音が朝食を摂るのに使っていた席には、今別の少女が座っている。

「あの、初めまして。古河渚と言います」

ぺこりとおじぎをした渚と名乗る少女は、丁寧にも机に当たるかどうかのすれすれな位置まで頭を下げていた。
そんなおっとりとした雰囲気を保つ渚の隣には、彼女と対極とも思えるしっかりした表情の少年が佇んでいる。

「那須宗一だ。よろしくな」

愛想は決して悪くない。
しかしどこか油断できない空気を彼は常に保っているように、長瀬祐介は感じていた。
横目でちらちらと宗一の様子を窺っている祐介には、先ほどの彼から受けた精神的な攻撃に怯えている節がある。
ある種の感受性が強い祐介だから、敏感になっている所もあるだろう。
得体が知れないという意味では、祐介自身も『能力者』だ。
それに似た何かを、彼も持っているのではないだろうか。
本当に宗一が信用に当たる人物ならば、話す機会も必要だろうと祐介が考えていた時である。

「宮沢有紀寧です。こちらは長瀬祐介さん。
 もう一人柏木初音さんという女の子もいるのですけれど、今は少し出ています」
「な、長瀬です。どうも」

落ち着いた様子で怯みを見せない連れの宮沢有紀寧に比べ、挙動不審気味になってしまっている自分が恥ずかしくなり、祐介はそっと顔を俯かせた。
凛とした態度で二人と対峙する有紀寧の存在は、祐介にとってさぞや頼もしいものだろう。
最初は有紀寧も戸惑っていたようだったが、こうして対峙している今彼女はしっかりと話し合いに応じようとしている。
男である自分が盾にならねばという思いが、祐介にない訳ではない。
しかしこうして有紀寧から積極的に動いてくれるならと、ここで祐介は敢えて自分から出しゃばるような真似をする気がなかった。

134ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:37:48 ID:VjZ7PxFU0
他人任せにしている意識が皆無らしい祐介は、渚達に経緯を説明してくれている有紀寧を尻目に一人考え事に耽りだす。
彼の頭を占めているのは、勿論初音のことである。
一時間以上経っているものの、初音はいまだ戻ってくる形跡がなかった。
何か彼女にあったのか。放送を聞く限り、人を殺す覚悟ができている人間は決して少なくないのである。
愛しい姉達を一気に失った初音の悲しみ、それを取り除く手伝いを少しでもできればと祐介はそればかり考えていた。

(初音ちゃんは、ここまで僕を元気付けてくれたんだ。その恩を、返したい。絶対)

祐介のそれは、決して下心から産まれた気持ちではない。
聖人君主のような純粋な思いというものも当てはまらない。
祐介は気づいていない。彼が、初音を『彼女達』の代わりとして見ている面があることを。
祐介が失った愛しい少女達の代わりとして、心の糧に初音を当てはめている部分があることを。

「……さん。長瀬さん? 聞いていますか」
「え、ぁ……っ!」

とんとんと肩を叩かれ、思わず祐介は驚きを口に出してしまう。
有紀寧に話しかけられていたということ、祐介はそれに全く気づいていなかった。
視線をやると、渚も宗一も不思議そうに祐介のことを見やっている。
不味い。話し合いの場で上の空だったことが周知となり、祐介の胸に居た堪れなさが広がっていく。
隣の有紀寧は呆れたように一つ溜息を吐く。
気まずさでびくつく体に渇を入れ、祐介は恐る恐る有紀寧の方へと顔を向けた。

「長瀬さん。わたし達の話、聞いていませんでしたよね」

じとっと、上目使いのまま責められる言葉を口にされ、祐介は慌てたように方を竦ませる。
不満そうな有紀寧の表情、明らかに自分が悪いことも分かっていたので祐介は素直な謝りを入れる。

135ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:38:26 ID:VjZ7PxFU0
「あ、あの。その。……ご、ごめん」
「考え事ですか?」
「え?」

そのままなじられる覚悟があった祐介からすると、この有紀寧の問いかけは予想外のものだった。
自然に漏れた呟きを零しながら祐介が、改めて有紀寧と視線を合わせる。
有紀寧は、心配そうな眼差しを祐介に対し送っていた。

「柏木さんのことですよね。分かっています、わたしも心配していますから」
「あ……」

祐介の考えは、有紀寧にお見通しだったのだ。
目を見開き、驚愕をストレートに表情に出す祐介の様子を内心で滑稽だと笑いながらも、有紀寧は尚優しい声色で祐介を誘導にかかる。

「古河さんと那須さんのこと、長瀬さんはどう思われますか? わたしは、信用に値すると思ってます」
「え、えっと……」
「下手な争いは、わたしも避けたいですから。お二人の理念に賛同します」

きっぱりと。有紀寧は一端祐介から視線を外し、そのまま渚と宗一を交互に見つめながら二人の考えを肯定する言葉を口にした。
ぱぁっと、花のような笑みを渚が浮かべる。
心から嬉しいといった渚の表情に、宗一も満足そうだった。

「長瀬さんはどうですか?」
「ぼ、僕も、その。……有紀寧さんが、そこまで言うなら……」

しどろもどろで答える祐介の様子を、有紀寧は満足そうに横目で確認する。
あまりの扱いやすさで思わず頬が緩むが、それも祐介からすれば渚の浮かべる真っ直ぐな表情と同じものに見えてしまうのかもしれない。

「よかったです。祐介さんが嫌がるようでしたら、わたしもこの件からは手を引こうと思ってましたから」
「有紀寧さん……」

136ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:39:03 ID:VjZ7PxFU0
自身が取る上辺だけの優しい態度に感動する祐介の姿が、有紀寧自身は面白くて仕方なかった。
祐介の意思を優先させているように見えるだけで、有紀寧はこうなることが分かりきっているような言い回ししかしなかった。
渚や宗一との話を一切聞いていなかったようにも思える祐介に、彼等の印象を問いかける意味はない。
予め自分が否定の色を消し去った意見を出せば、それに祐介がつられるであろうことは有紀寧自身容易く予測がついていたのだ。

「長瀬さん。それで、柏木さんの件なんですけれど」
「う、うん」
「捜索を開始したいと思います。柏木さんが出て行ってから、かなりの時間も経過していますし」

それは、祐介にとっても願ったり叶ったりな提案だった。
むしろ動けないでいたことの方が、祐介にはフラストレーションになっていた部分がある。

「古河さんも那須さんも、柏木さんのことはご存知ないそうです。
 柏木さんの容姿が直接的に分かるのは、わたしと長瀬さんだけということになります」
「今そのことで、外を見回って探すのと、この家で待つ二組に分かれようかという話をしていました。
 入れ違いになる可能性もありますし、この家を空にしてしまうのはよくないと思うんです」

有紀寧に続く形で説明をする渚の提案に、祐介はこくこくと、声には出さずに仕草で納得している旨を伝えた。

「……ありがたいですよね、長瀬さん。こういう時、人手があるって助かります」
「そうだね。確かに、そうだ」

そう考えると、ここで渚と宗一という仲間ができたことが本当に幸運なことなんだと祐介は実感する。
二人とも、人が良さそうな人物だった。
宗一に関しては祐介の中に燻るものがあったけれど、朗らかな印象が強い渚の優しそうな表情に嫌悪が浮かぶことは一切ないだろう。
少しおっとりとした物腰は、どこか初音を彷彿させるものがある。
そんな渚を支えるようにして横に位置する宗一のポジションは、祐介が妄想する初音と並んだ時の理想形に他ならない。

「そういえば、ここの水道って使えるか? ここに来るまでで、ペットボトル開けちまったんだ」
「あ、それなら……」

137ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:39:41 ID:VjZ7PxFU0
デイバッグから空のペットボトルを提示する宗一に、キッチンがある場所を有紀寧が指差した。
ちょっとした食料があったこと等も告げると、渚も宗一も大いに驚いた。
二人曰く、彼女達が居た診療所や他の参加者がいるか探るために入った民家は、水道は通っていたとしてもそのようなサービスは一切見当たらなかったらしい。

「それならこの家は、当たりだったんですね」

クスクスと笑う有紀寧に同調するよう、祐介も頬を緩ませる。
彼女が昨晩用意してくれたピラフの味がかなり良かったことは、祐介の頭にもしっかり記憶されている。
初音も料理が得意だと言っていた。
女の子の手作りの料理が食べられる機会というのが決して多くない祐介にして見たら、殺し合わなければいけないというこの現実さえ見なければ心から喜べるシチュエーションとなるだろう。

「あ、僕も結構飲んじゃってたんで。一緒に行きますよ」
「おう。案内してくれ」

自然と口に運んでいたらしい、半分程減ったペットボトルを片手に祐介も立ち上がる。
先導するようにすぐそこのキッチンへと、祐介は宗一と共に消えていった。





二人の姿が見えなくなった所で、有紀寧は祐介と宗一を見送るために逸らしていた背中を、ゆっくりと元の位置に戻した。
有紀寧の斜め前に座っている渚は、まだ慎ましやかにも小さく手を振り続けている。
律儀な少女だ。
目が合い、有紀寧は渚が頬を緩ませるだろうそのタイミングに合わせ、自然に見える笑顔を彼女に向ける。

「えへへ」

138ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:40:21 ID:VjZ7PxFU0
二人してほぼ同時に浮かべた笑み、有紀寧とは違い渚のそれには一切の邪気は含まれていない。
彼女の醸し出す空気はぽやぽやとしていて、この殺伐とした世界に決して似合うものではないだろう。
渚の経緯を聞かなければ、有紀寧は彼女を砂糖水の中で泳ぎ続ける能天気な弱者と決め付けたかもしれなかった。
祐介はきちんと聞いていなかったであろう彼女の身に降り注いだ昨日の出来事は、あまりにも悲惨だった。

実の両親を手に掛けられ、その死体と共に渚は一人残された。
それも一晩。
普通の人間であれば、発狂してもおかしくないシチュエーションである。
それを乗り越え、しかも復讐への道を選ばなかった彼女の精神は見かけ以上にタフだった。
隷属させるのにも、精神的に脆い人間では扱いが厄介になるかもしれない。
それプラス、渚の場合彼女自身の力は脆弱であろうとも、実力が定かではないが那須宗一というパートナーが今は付いている。
有紀寧にとって揃った条件は、正に最高のものだった。

「宮沢さん?」

有紀寧自身が自覚せずに浮かべてしまった含み笑いに、不思議そうに首を傾げる渚が疑問をぶつける形でその名を呼ぶ。
表に出かかった内心を隠しつつ、有紀寧はその場を繋ぐための世間話を口にして、自分の態度をごまかそうとした。

「すみません、何でもないです。そう言えば古河さんは、三年生なんですね」

お互い顔見知りではなかったが、有紀寧と渚は同じ学園に所属しているというのが一目で窺えた。
身に着けている制服が、同じものなのである。
渚の制服に付けられているワッペンの色は、青。
彼女が三年生として在学していることが、有紀寧にもすぐ理解できた。

「わたしはこの通り、二年生です。先輩と、お呼びした方がよろしいでしょうか」
「い、いえ! あの、気にしませんから」

139ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:41:42 ID:VjZ7PxFU0
慌てたように両手を顔の前で振る渚は、何処までも謙虚な少女だった。
常に一生懸命にも見える渚の動作一つ一つ、それは全て微笑ましい類に値するだろう。
有紀寧もだった。こんな場所でなくきっと学園で知り合えたとしたら、渚とは仲良くなれたような気すら彼女はしていた。
この不思議な親近感の理由に、有紀寧の心当たりはない。

有紀寧は彼女に好感を持っていた。
精神的な強さを見せつけられたとは言え、自分よりも年上であるにも関わらずどこか儚くも思える渚の存在が、有紀寧の心を揺さぶりにかける。
血が騒ぐ。一言で表すと、そのような激情にも似た不明瞭な欲求が有紀寧の中ではいつの間にか生まれていた。

ふと。有紀寧の脳裏で、一つの憶測が閃く。
きっと有紀寧は、比べていたのだ。
刃を取ることを決意し自分だけが生き残る道を選んだ自身と、産みの親を殺されても他者が傷つかない方法を探ろうとする渚のことを。
有紀寧も渚も、どこにでもいるごくごく普通の女の子だ。
力だって特別強い訳ではない。むしろ脆弱な部類に値する。
二人とも、スタートラインは同じだった。それなのに、進んだ方向は全く別のものとなっている。
それはどこか、可笑しい。

(後悔なんて。するはずが、ないじゃないですか)

生き残るための最善を選択を、有紀寧はしたつもりだ。
その言葉に嘘偽りは全くない。
彼女の意志は澱みなく、こうして渚と自分を比較しても軸がぶれることは一切ない。
羨望の色が皆無であるとは断言することが不可能であっても、有紀寧は自分が取った行動に誇りすら持つ勢いがあった。
何が何でも生き延びてやるという、有紀寧自身の生への執着はとてつもなく強い。
故に。腕っ節はからっきしであったとしても、有紀寧はこの島で限りなく強い部類に入る少女となる。
ただし。
―― その異常さが、本能であるのか植え付けられたものなのか。
有紀寧がそこまで考えるに至ることは、なかった。

140ベラドンナ:2009/07/15(水) 23:43:36 ID:VjZ7PxFU0
そんな有紀寧の意識は今、斜め前に座っている渚に向かって伸びている。
渚についての考えがまとまっていた所で、有紀寧はそれ以上自分の世界に居座ろうとはしなかった。
否。できなかった。
渚のことを思う度に、嫌らしいくらいの心地よさが有紀寧の背中を這っていき、彼女の理性を溶かし切ろうとする。
高まり続ける情念を幾度も幾度も擦り付けられ、滾るせつなさに有紀寧は震えそうになる体を抑えられなくなってきていた。

それは、実の両親を殺害されても崩れなかった少女を屈服させたいという、ストレートなサディスティックさだったかもしれない。
自身の性癖など考えたこともない有紀寧からすれば、想像だにできない可能性だろう。
渚は今も、呑気にぽやぽやと微笑んだままである。
有紀寧が凶行に出るなど、思ってもみていないに違いない。
そんな彼女を。有紀寧は。

そっと。スカートのポケットに伸びた手が、有紀寧の切り札であるリモコンへと自然と伸びる。掴む。
荒くなりかけた息を抑えながら、有紀寧は充血しかかった両の眼でじっと渚に視線を送った。




【時間:2日目午前8時頃】
【場所:I−6上部・民家】


長瀬祐介
【持ち物:無し】
【状態:水を汲みにいく・初音を待つ】

宮沢有紀寧
【持ち物:リモコン(5/6)】
【状態:渚と対峙・前腕に軽症(治療済み)・強い駒を隷属させる】

古河渚
【持ち物:支給品一式(支給武器は未だ不明)・早苗のハリセン・S&W M29(残弾4発)】
【状態:有紀寧と対峙・宗一と行動・殺し合いを止める】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾20/20)、支給品一式】
【状態:水を汲みにいく・渚に協力】

以下の荷物は部屋の隅に放置
【持ち物:鋸・支給品一式】
【持ち物:ゴルフクラブ・支給品一式】

(関連・1077)(B−4ルート)

141ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:27:06 ID:z5jnCwq20
「ご苦労様」

 へとへとになって戻ってきた藤田浩之と姫百合珊瑚の二人が、
 部屋の隅に荷物を置いたのを確認してリサ=ヴィクセンはゆっくりと微笑を浮かべた。
 僅か一回でこれだけの荷物を運びきれたことに感心する。

 そしてそれ以上に一人で荷物をどこかに持っていこうとしていた一ノ瀬ことみの根性にも呆れる。
 彼女は既に目覚め、ベッドの上で半身を起こしていた。麻酔の効き目が薄かったのか、耐性があったのかは分からない。
 体の半分は包帯にくるまれ、塞がりきっていない傷口からは黄ばんだ体液が染み付いているのが確認できる。
 しかしボロボロの様相を呈している彼女からは、無表情の中にも決然とした意思を秘め、常に先を見通しているかのような透明さがあった。
 この瞳から窺える真っ直ぐさは、節を貫き通そうとした英二や栞に似ている。

 放送では宮沢有紀寧の名前があった。逃げた後、ことみと遭遇して彼女の仲間を道連れに死んでいったのだという。
 一度も遭遇したことも会話したことさえなかったが、何故だか納得するものがあった。
 きっとそれは藤林椋のこと、柳川祐也のことがあるからなのかもしれない。
 悲しみを撒き散らすだけ散らして、自分勝手に死んでいった人間。

 自分勝手という面ではリサだって責めることはできなかった。
 それでも、なぜという思いが込み上げてきてやるせない気分になることを抑えることはできなかった。
 だが顔にだけは出さなかった。ことみが淡々と語るのに、そうするわけにもいかなかった。
 内面は察するに余りある。ことみは感情を発露させるよりも内面に押し込め、また別の方向へと向ける結論を選んだようだった。

 いいとも、悪いとも断じない。ことみの結論に自分も従おうとだけ思った。
 そう考えている間に、今まで生硬かったことみの表情が変わった。

「ありがとう。運んでくれて」

 床に腰を下ろし、弛緩している二人にことみが声をかけた。おう、と軽く手を上げて浩之が応じ、続いて瑠璃も一礼した。

「自己紹介でもしたら?」

142ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:27:29 ID:z5jnCwq20
 リサの言葉に頷いて、ことみ達がそれぞれ自己紹介をし合う。リサは起きたときにやっているので加わることはしない。
 一ノ瀬ことみ。脱出計画を企てている人物で、自らの立てたプランに沿って行動を続けている少女。
 自分でさえ具体的な行動は何もしてこなかったというのに、ことみはやるべきことを見出し、行動を続けていた。

 そんな自分を情けないと思う一方、彼女の持つ希望の火が己を照らし、導いてくれる感触もあった。
 生きて帰って、医者になりたい。そう言った彼女の顔からは澱むことのない意思、未来を信じられる力強さがあった。
 リサはそれに応えたいと思った。今一度、一人の人間として、恥じることのないように行動したいと思いを定めた。
 義務ではなく、自らが望む、自らの願いとして。

 自分のやりたいこと。それがようやく理解できて、己の内奥に染み渡ってゆく感覚が嬉しかった。
 今度は失くさない。
 新しい自分がようやく歩き出したのを知覚しながら、リサは三人の交わす会話に耳を傾けた。

「それで、一ノ瀬さん、怪我は平気なん?」
「痛いけど、多分大丈夫なの。ひどいのは見た目だけだから」
「でも、その、完全に目が……」

 瑠璃は先を続けるのを躊躇った。リサも現場にいたので、ことみの左目がどうなっているのかは知悉している。
 鋭利な物体が突き刺さっていたと思われる眼球は潰れ、二度と物を見ることが出来なくなっているのは明らかだった。
 包帯が取れても、きっと直視できるようなものではないに違いない。ことみが抱える傷は深い。女であるならば、尚更。

「どっこい、生きてる」

 けれどもことみは笑った。生きてさえいるなら、どんなことだって苦にならない。
 そう思わせるような柔らかい笑みに、リサは余計な心配だったかと考えを改めた。
 この少女はそれだけのものを潜り抜けている。
 絶望を知りながらも、絶望を乗り越える術を身につけた人間の顔を、ただ素敵だとリサは思った。

「目が潰れてても医者にはなれるの。厳しい道かもしれない。けど、そんなこと分からないの。
 やりたいことをやりたい。……それが今の、私だから」
「……やりたいこと」

143ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:27:47 ID:z5jnCwq20
 ことみの言ったことを確かめるように瑠璃は反芻した。
 真剣な表情になった彼女は、内面に何かしらの化学変化を起こさせたようだった。

「そうだ、横からで悪いがリサさんに報告だ。あの車、まだ使えるみたいだぜ。バンパーボコボコだけど」

 ああ、とリサは思い出したように言った。ことみに関心が向いていたのでそちらのことはすっかり蚊帳の外だった。
 あの時瑠璃と一緒にいなかったのはそれを調査していたからなのか、と思い、リサは内心に苦笑した。
 やるべきことを自ら見出していたのは浩之と瑠璃もだったらしい。

 負けてはいられないと負けん気を覚えながら、「それはいい知らせね」と応じる。
 実際車の一台があるだけで移動は相当に楽だ。荷物を運ぶにもこれ以上の代物はない。
 こちらには怪我人もいるから、いっそうありがたい。

「ことみ、体は動かせる?」
「根性でなんとか」
「いい答えね」
「どこかに行くの?」
「まあ、待ち合わせしててね。大遅刻して怒られそうなんだけど」

 肩を竦めつつそう答える。実際は遅刻どころの話ではないのだが、連絡がつけようもない以上どうしようもなかった。
 ことみは少し考える素振りを見せ、「そこって、電話が通じる?」と尋ねた。
 リサが頷くと、ことみは「だったら」と言って続けた。

「私、携帯電話持ってるの。島の中だけにしか通じないけど、主要施設の番号は登録してあるから、いつでも連絡できる」
「……そんな便利なものが?」
「うん。支給品。だからそれで連絡してくれて構わないの。ううん、寧ろ連絡して欲しい。それでこちらからもお願いがあるの」
「お願い?」
「待ち合わせの場所がどこか知らないけど、行く場所を学校……鎌石村小学校にして欲しいの」

144ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:28:06 ID:z5jnCwq20
 リサは目を細める。要はことみをそちらに運んで欲しいということだったが、何故そこに向かうのか。
 聞いてみたが、ことみはそっちに用事を残している、というだけで深くを伝えようとしない。
 浩之と瑠璃もよく分からないというように首を傾けている。

「うーん、できるなら待ち合わせしてる人も小学校まで来て欲しいところなの」

 言葉は柔らかいものだったが、表情からは譲れない決意が見える。恐らく、こちらが納得するまで説得を続ける気だろう。
 それだけ重要なものが鎌石村小学校にはあるということなのだろうか。ことみが答えようとしない以上、想像するしかない。

「ひとつ聞きたいんだけど」
「なに?」
「ことみはどこから来たの?」
「鎌石村小学校」

 浩之と瑠璃はますますわけが分からないというように顔を見合わせた。リサは腕を組んでその真意を探ろうとする。
 ことみが言っていることが正しいなら、わざわざこちらに足を運んで、それからまた戻ろうとしていたことになる。
 あれだけの大荷物を抱えて、あの酷い怪我で。

 ……つまり、それは。
 ことみの荷物の中に極めて重要なものがあるということだ。
 そしてそれを使うためには小学校に戻らなくてはならない。或いは、それを使える者が学校で待っている。
 口外しようとしないのはこちらを疑ってのことではない。知られてまずいことが含まれているからだ。
 そう。ことみは、既に脱出の鍵を握っている。

 脱出のために動いているとは言ったが、まさかそこまでとは。
 慎重でありながらここまで事を進められた大胆さには流石のリサも舌を巻いた。そんな表現を使ったのは那須宗一と出会って以来だ。
 ならばそこから先は自分の仕事だ。活路を切り拓いてくれたであろう彼女に対してリサが思ったのは、
 借りは返すというアメリカ的な思想の入り混じった感情だった。

145ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:28:37 ID:z5jnCwq20
 申し訳ないと思うのではなく、よくやった、先は任せろという同調する意思を見せるべきなのであり、
 またそうすることこそが信頼を築き上げるために必要なものだった。
 何をしてきたか、ではなくこれから何が出来るか。
 無力を嘆じて思考を放棄するのではなく、愚直でだって構わない。力を使えるのならば使うという考えがあった。

 ただし、力を用いるにはまた考えることが必要なのも分かっている。
 意思のない力。目的を達するためだけに為される力にも、また意味はない。
 痛いほどの経験を通して自分が学んできたことだ。その自覚を胸に染み渡らせたリサは、浩之たちが持ってきた荷物の側まで歩いてゆく。

「とにかく、連絡してみるわ。もし繋がればあなたの言うとおりにする」
「繋がらなかったら?」
「悪いけど、探しに行かさせてもらうわ。約束した時間なのにそこにいなかったら、何かあったってことでしょう?
 それを見過ごせるほど私は薄情じゃない。いいかしら?」

 リサが出した結論がそれだった。力を用いるには、人の存在も必要なのだ。
 切り捨てて行動できるほどリサは任務遂行の機械にはなりきれないし、人間としての今を知っているから、尚更だった。

「うん、そっちの方がいいと思う。私も、誰にもいなくなって欲しくないから……」

 ことみの言葉には痛みを知った、臆病なまでに優しいひとの心があった。
 それは恐らく、ことみの怪我に起因しているのだろう。自分たちと同じく……
 誰も彼もが深い傷を負っている。この傷は、いつか癒える日が来るのだろうか。

 そんな疑問を持ちながら、リサは探し当てた携帯電話を取り出し、施設の番号を確認する。
 ことみの言葉通り、電話帳には殆ど全ての施設の番号が記録されていた。
 宗一と待ち合わせを予定していた廃校の番号を選択し、ゆっくりとプッシュする。
 無機質な電子音が一定の間隔を刻みながら流れる。十秒ほどが経過したが、繋がる気配はない。
 まさか、という想像が浮かんだその瞬間、『よう』と息せき切った気配と一緒に懐かしく思える声が届けられた。

146ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:28:53 ID:z5jnCwq20
『悪いな、遅刻した』
「遅いわよ。……三時間の遅刻」
『そっちは』
「三時間の遅刻」

 くくっ、と向こう側から含んだ笑い声が聞こえてきた。さらにその遠くでは何やら宗一を揶揄するような声も聞こえる。
 どうやら宗一もひとりではないらしい。この数時間の間にたくさんのことが変わった。
 きっと全員がそうなのだろうという殆ど予感に近い確信を抱いて、リサは話を続ける。

「悪いわね、そっちにいけなくて」
『いや、こっちこそ。それで、どうして電話なんか? 今どこだ?』
「氷川村。だけど、これから鎌石村にある小学校に向かうところ。車でね」

 鎌石村、と聞き返す声が聞こえ、仲間に確認を取っている様子が伝わる。数秒の後、どこか理解した宗一が『それで』と先を促す。

「宗一たちもそっちに来て欲しいのだけど」
『おいおい、随分遠くないか』
「いいものがあるのよ。奇跡のマジックショーを見せてあげる」
『へえ、なにか、イリュージョンでも見せてくれるのかよ』

 失笑交じりの声は実に演技臭い。減点一だという思いを口の中で溶かしつつ、実直な同業者に「ええ」と言い返した。

「とにかく早くに来て欲しいのよ。お願いね」

 電話の内容は主催者に聞き取られている可能性も考慮して、リサはわざと焦りを含ませた声を出す。
 下手に冷静でいると何かを企んだのではないかと気取られる恐れもあったからだ。そういう意味では宗一の落第点な演技にも意味はある。
 幸いにして人の真意を汲み取ることには長けている宗一だ。言葉を額面通りに受け取るはずはないだろう。
 人を上手くコントロールして自分の望む方向に持って行くのは交渉の極意でもある。

 他者を屈服させるための技術を会得することを強いられた、その事実はこんな状況でもその力を発揮している。
 結局は人を支配するための術に取り付かれている我が身を眺めてリサは恥じ入るような気持ちになるが、宗一の声がそれを霧散させた。

147ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:29:13 ID:z5jnCwq20
『……いい声だ。ちょっと、変わったみたいだな』
「え?」

 予想外の言葉が頭を突き、思わず声を出してしまったリサの声を最後に通話は途切れた。
 ぽかんとしたままの頭が宗一の言葉を飲み込むまでにいくらかの時間を要し、やがて理解したらしい脳から可笑しさが込み上げ、
 そのまま温かな波紋となって体に染み渡ってゆく。気がつけば、リサは携帯を抱えたまま笑っていた。
 ことみや浩之、瑠璃がお互いに顔を見合わせ、怪訝な表情になっているのも気に咎めず、ひたすら笑っていた。
 きっと、自分の顔は間抜け面なのだろうとリサは思った。

     *     *     *

 はいどうも皆さんお久しぶりです。伊吹風子です。ちょっぴり大人になりました。
 無論風子は肉体的に大人です。ですが心の方はまだまだ甘えがあると気付かされたのでランクダウンです。

 そういうことで風子たちは今学校にいます。深夜の学校は暗くて不気味です。
 別に怖くなんてないんですが、渚さんが不安なので側についててあげることにしました。
 ……それに、久しぶりに会ったような気がしますし。

 渚さんの喜びようは尋常じゃなかったです。風子を見るなり抱きついてきましたから。
 それに泣いてました。泣くほど嬉しかったのでしょうか。無力じゃなくても、弱いままの風子でも、
 そんなことをされると切なくて、けどあったかくなります。やっぱり渚さんは渚さんだって思いました。

 違っている部分もあります。失礼な話ですが、会ったばかりのときはもっとおどおどとしてて、自信なさげでした。
 今は、うーん、謙虚になったと言いましょうか、後ろめたさがなくなったというか……明るくなった気がします。
 はっ。風子、なんか偉そうです。こういうのを慢心っていうのですよね。いけません。謙虚になるべきは風子です。
 でもグラマラスなのは譲りません。風子はせくしぃなナイスバディなのです。

148ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:29:30 ID:z5jnCwq20
 ところで風子と愉快な仲間たちは全部で七人です。大所帯です。
 えーっと、まず風子です。
 それから電話でなんやかんやとヘンなことを話しているのが那須宗一って人です。
 その那須さんに横から茶々を入れているのがまーりゃんって人だそうです。風子のこともチビ助とか呼びやがりました。最悪です。
 教室の窓から外をぼんやりと眺めているのがルーシーさんです。どことなく居辛そうです。
 ぼーっとした顔の人が川澄舞さんです。隣で腕を組んでいるのが最悪に目が怖い国崎往人さんです。
 そして渚さん。これで七人です。七って数はちょっと縁起がいいです。

 ああ、そうです。なんでこんなところにいるかというと、ぶっちゃけた話那須さんの意向です。
 ルーシーさん曰く「渚に合わせる」
 国崎さん&川澄さん曰く「那須に合わせる」
 まーりゃんさん曰く「上に同じく」

 なんて自主性のない意見でしょうか。
 もっとあれです、ヒトデ祭りをしたいとかヒトデ音頭をしたいとか、そういう建設的な意見はないのでしょうか。
 風子ですか? ……ノーコメントです。

 ま、まあそういうことで那須さんがまだ用事があるみたいだったので、しぶしぶついてきたってことです。
 そしたら丁度いい具合に職員室に電話がかかってきて、それで今に至っているというわけです。
 もっとも、那須さんが電話が鳴っていたのをダッシュで取りに行っていたのですが風子たちは悠々自適。
 のんびりと歩いてきましたので電話が終わるちょっと前くらいに着きました。

 まーりゃんさんだけは那須さんにくっついていったようですけど、単に冷やかしたかっただけでしょう。
 まーりゃんさんはよく分かりません。時々すごく寂しそうな顔をしているかと思えば、こうしてけらけら笑ってたりします。
 躁鬱の激しい人です。まあ嫌いではありませんが。

 別に「チビ助はちっちゃくてかわええのう」とか言われたことが嬉しかったわけじゃないです。
 というか、ほっぺた引っ張られました。ぷち最悪です。

「そういうわけで、予定変更だ。俺達はこれから鎌石村にある学校に行くことになった」
「はいはいー、場所はここねー、よく覚えておくんだぞー」

149ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:29:47 ID:z5jnCwq20
 などと考えている間に那須さんのブリーフィングが始まりました。まーりゃんさんが勝手にアシスタントしてます。
 散り散りになっていた皆はいつの間にか集まってきていました。

 寄り合い所帯に近い風子たちですけど、こうして協調するべきときは協調するのを見るとそうでもないように思えるから不思議です。
 お互いにバラバラでも、こうして一つに固まれる共通意識がある。そう思いました。
 そのあたりは渚さんやまーりゃんさんがパイプ役になっているようでもありますけど。

 渚さんが「るーちゃん、行きましょう」と声をかけていましたし、
 まーりゃんさんが「おら集まれいそこな美女と野獣」って言ってましたし。
 ちなみにまーりゃんさんの頭にたんこぶができているのは言うまでもありません。
 涙目になっていました。ぷちかわいそうでした。

「質問がある」

 手を上げたのはルーシーさんでした。「発言を許可しよう」とまーりゃんさんが何故か偉そうに言っているのを受け流しつつ、
 ルーシーさんは那須さんへと続けます。

「移動手段はどうする。歩いていくにはいささか遠いぞ」
「確かにな。……正直に言うと、俺も舞も……いや、全員が疲れてる」

 同調するように国崎さんが言います。話に聞く限りでも皆が連戦で限界にきているようなのは事実みたいです。
 まあ風子もヘトヘトです。ぷはーっとジュースの一杯でも飲んでベッドに潜り込みたい気分ではあります。
 川澄さんが頷くのに合わせて風子も頷きました。那須さんも「それは承知だ」と返します。

「だから別の移動手段が欲しいところだ。車かバイクか……探せばあるはずだと思う。それを使って向こうまで行く」
「あるという保障はあるのか」
「リサ……電話してた仲間も車があるそうだ。だからあるはずだ。キーはなくてもなんとかなる」
「なるんですか?」
「ふっふっふ、世界一のエージェントを舐めてもらっては困るぜ」

150ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:30:05 ID:z5jnCwq20
 渚さんとルーシーさんの疑問に対して自信満々に答えます。那須さんは世界一だとか。なんだか信じられない話です。
 岡崎さんがヒトデ祭りでヒャッホゥと言うくらいに信じられません。
 ですがあまりにも自信満々なので渚さんもルーシーさんも顔を見合わせて納得するしかなかったようです。
 ここで風子が尋ねてみました。

「車、運転できる人はいるんですか?」
「俺はできるぞ。他には?」

 真っ先に那須さんは返してくれましたが、他の皆さんは無言です。どうやら免許を持っていないようです。
 渚さんとか風子はともかくとして、意外な話でした。
 流石に七人もいて免許所持者が一人というのは情けない話です。あれ、そういえば那須さんは風子より年下な気がするのですが。
 ……気にしないことにしましょう。渚さんより学年が下でも気にしません。

「……国崎さん、免許くらい取っとけよ」
「やかましい。住民票も身分証も金もないんだよちくしょう」
「よく逮捕されずに済んだよね……」

 まーりゃんさんが呆れて言っていましたが「お前だって高校は卒業してるだろ」と国崎さんは返します。
 む、と頬を膨らませたまーりゃんさんは「あちきだってバイクくらい乗れるわいっ!」と吼えていました。
 でも風子は聞きました。川澄さんがぼそっと「……私もバイクの免許はある」と言っているのを。

「舞さん、すごいです」
「学校を出たら働こうと思ってたから……本当は車の免許が欲しかったけど」

 渚さんの賛辞に顔を赤くして答えている一方で、まーりゃんさんと那須さんが国崎さんに「やーいプータロー」とか野次っていました。
 国崎さんは「俺だって好きでプータローになったんじゃないやいっ!」と涙目になっていました。自覚はあるようです。
 司会の二人が揃って脱線していたので、風子がぱんぱんと手を叩いて路線を戻すことにしました。やれやれです。

「とにかく、車が運転できるのが一人で、バイクに乗れるのが二人ですよね。何とかなるんじゃないでしょうか」
「そうだな。都合よくそれらが転がってるかは別にして……五人なら軽でも余裕か」
「おや、バイクは二人乗りと相場が決まっているものですぜ。とりあえずあたしがまいまいの後ろに乗っておっぱ」

151ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:30:20 ID:z5jnCwq20
 ぶん、と投げられた空のペットボトルが頭に当たり、「むぎょ!」とヘンな声を上げていました。
 流石の風子もセクハラが過ぎると思います。というか、オヤジですかこの人は。ぷち最悪です。
 さらに言うなら、バイクに乗るはずのまーりゃんさんが後ろに乗ってどうするんだという極めてまともな突っ込みが浮かびましたが、
 あえて言わないことにしました。多分思いつきでしょうから。

「ちぇーちぇー。どーせまいまいの後ろには往人ちんが乗り込んでおっぱいを独せ」

 がんっ! 今度は中身入りのペットボトルが顔面を直撃していました。自業自得です。
 当の川澄さん本人は涼しい顔でしたが、視線は国崎さんに向かっていました。
 そこにどんな意図があるのかまでは分かりませんでしたが。
 国崎さんの方はちょっと目をいからせてまーりゃんさんを睨んでいました。

「……なぜそうなる」
「な、投げる前に言ってよ……」

 鼻っ柱に直撃したらしいまーりゃんさんはうずくまって涙目でした。なんだか涙目になってる人が多い気がします。
 かわいそうだと思いましたが、口は災いの元です。ルーシーさんと一緒にさもありなんという風に頷いておくことにしました。
 渚さんだけは「だ、大丈夫ですかっ」と救急箱を持って駆け寄っていました。天使です。ここに天使がいますっ。

「うう、渚ちんは優しいなあ……でも大丈夫。あたしのセクハラ魂は永久に不滅なのだよ」

 自覚してたようです。「どうしようもないな……」とルーシーさんが言うのに頷いておきました。
 反省の二文字は辞書にないらしいです。ついでに自重という言葉もあるかどうか怪しいです。

「あ、あの、わたしも、そういうのはあまりよくないんじゃないかと……」
「うおぅっ! 辛辣な言葉がっ!」

152ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:30:32 ID:z5jnCwq20
 渚さんの正直かつ真っ当な言葉にまーりゃんさんはダメージを受けているようでした。
 もっとも、すぐに回復すると思いますけど。本当にこの人は分かりません。一番ヘンな人です。
 完璧に話が脱線していました。コホン、と大きく咳き込んだ那須さんが話題を元に戻します。

「あ、あー。とにかくだ。車さえあれば移動についての問題は解決だ。異論はあるか?」

 ですが崩れてしまった場の空気は変わりようがなく、
 ぎゃーぎゃーと罵り合っている国崎さんとまーりゃんさんを中心に渚さんと川澄さんが必死になだめ、
 ルーシーさんは仕方ないなという風に、でも面白そうにその光景を眺めています。
 はぁ、と大きく嘆息していた那須さんの肩を叩いて、風子は言ってあげました。

「心中お察しします」
「へっ、小学校の担任になった気持ちだぜ……」

 やさぐれた表情になって、ふっ、と那須さんは笑いました。
 でも、と風子は思います。きっと皆さんは分かっていて、その上でこうしているんじゃないかって。
 まるで今まで欠けていたものをひとつひとつ埋めてゆくように。

 きっと、それは。
 風子たちの願いの欠片なのだと、そう思ったんです。

153ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:30:43 ID:z5jnCwq20
【時間:3日目午前1時30分頃】
【場所:I-6】

リサ=ヴィクセン
【所持品:M4カービン(残弾15/30、予備マガジン×3)、鉄芯入りウッドトンファー、ワルサーP5(2/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式】
【所持品2:ベネリM3(0/7)、100円ライター、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾1発)、吹き矢セット(青×4:麻酔薬、黄×3:効能不明)】
【所持品3:何種類かの薬、ベレッタM92(10/15)・予備弾倉(15発)・煙草・支給品一式】
【状態:鎌石村の学校に移動。どこまでも進み、どこまでも戦う。全身に爪傷(手当て済み)】

姫百合瑠璃
【所持品:MP5K(18/30、予備マガジン×8)、デイパック、水、食料、レーダー、携帯型レーザー式誘導装置 弾数2、包丁、救急箱、診療所のメモ、支給品一式、缶詰など】
【状態:浩之と絶対に離れない。浩之とずっと生きる。珊瑚の血が服に付着している】
【備考:HDD内にはワームと説明書(txt)、選択して情報を送れるプログラムがある】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、レミントン(M700)装弾数(3/5)・予備弾丸(7/15)、HDD、工具箱】
【所持品2:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:絶望、でも進む。瑠璃とずっと生きる。守腹部に打撲(手当て済み)】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:H&K PSG−1(残り0発。6倍スコープ付き)、暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、ポリタンクの中に入った灯油】
【持ち物2:要塞開錠用IDカード、武器庫用鍵、要塞見取り図、フラッシュメモリ】
【持ち物3:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式(保健室でいくらか補給)、乾パン、カロリーメイト数個、カメラ付き携帯電話(バッテリー十分、全施設の番号登録済み)】
【持ち物4:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×13、包帯、消毒液、スイッチ(0/6)、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:左目を失明。左半身に怪我(簡易治療済み)。麻酔により睡眠中】
【目的:生きて帰って医者になる。聖同様、絶対に人は殺さない】

【その他:外にある車は使用可能なようです】

154ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:31:01 ID:z5jnCwq20
【時間:3日目午前1時30分頃】
【場所:F−3】

川澄舞
【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。軽い打ち身。往人・舞に同行】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷。椋の捜索をする】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数0/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、投げナイフ1本、鉈、H&K SMGⅡ(30/30)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【所持品2:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸9発・トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【持ち物3:ノートパソコン×2、支給品一式×3(水は全て空)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、何かの充電機】
【状態:全身にかすり傷】
【目的:渚を何が何でも守る。鎌石村小学校に移動し、脱出の計画を練る】 

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

→B-10

155ほほえんでいこ:2009/07/21(火) 00:38:39 ID:z5jnCwq20
伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(0/15)、イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン×1、M79グレネードランチャー、炸裂弾×2、火炎弾×9、Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン】
支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全身に細かい傷、及び鈍痛。民家に残る】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:とりあえず渚にくっついていく】 

すみません、こちらの状態表も追加で…

156この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:25:42 ID:fpOY18Yg0
 
「家庭の問題です。口を挟まないでいただけるかしら」

ぽたり、ぽたりと。
実妹の肉片のこびり付いた深紅の爪から粘りつくような血を垂らしながら、
柏木千鶴が薄く笑う。
足元、切り落とされてなおびくびくと蠢く黒腕とその主には目もくれない。
血の海にもがく妹の、声にならぬ悲鳴が広い洞内を反響するのも聞こえぬように、
優雅とすら映る仕草で胸元から白いハンカチを取り出すと、濡れた爪を拭い出した。
純白を彩る精緻な刺繍が、瞬く間に鉄錆の赤黒さに侵されていく。

「まあ、興味はないね」

来栖川綾香が肩をすくめれば、鋼線に薄い脂を巻き付けたような裸身が焔に揺らめいて艶かしい。
ひたり、と歩を進める。
素足が赤黒く滑る水溜りに踏み込んで、粘ついた音を立てた。

「それより……家の人間がこっちに顔、出さなかったかな」

生温い血が、ねっとりと糸を引くように足裏に絡みつく。
気にした風もなく、切り出した。

「お宅の方、ですか。……さあ、存じませんが」

貼り付けたような笑みを浮かべたまま、ほんの僅か虚空を眺めるようにして、千鶴が答える。
一呼吸、二呼吸。
垂れ落ちる鮮血を指先で掬って、互いの気管に塗り込め合うような沈黙の後。

「―――ああ、もしかして」

157この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:26:06 ID:fpOY18Yg0
弓形に歪んだ深紅の瞳に、瑞々しい侮蔑と匂い立つような嘲りとを浮かべて、
千鶴が糊の効いた、真新しい濃紺のスーツの懐に手を差し入れる。
仕立てのいい上質の布が、さらさらと耳を楽しませる衣擦れの音を立てた。
その長い手指が、ゆっくりと懐から掴み出したのは、

「これの、ことかしら」

はらはらと。
はらはらと、音もなく舞い散る、絹糸のような何か。
揺らめく焔の光を拒むような漆黒。
力なく横たわる蛇の亡骸の如く地に落ちて広がる、それは。

「―――」

長く、美しい、女の黒髪。
切られたものではない。
断たれたものではない。
その片端に、白い毛根と脂とをこびり付かせたそれは、刃によって裁断されたものでは、あり得ない。
薄桃色に見えるのは皮膚組織とその下の、血に塗れた小さな欠片だろうか。

「残りは……ほら」

五指に纏わり付く黒髪を払った千鶴が、周囲を睥睨するようにその両手を広げる。
ゆらゆらと、蜀台の炎に薄暗がりが照らされて、岩場の陰影を際立たせる。
つられるように、綾香がゆっくりと視線を向けた、その先に。

「その辺りに、散らばっているわ」

158この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:26:36 ID:fpOY18Yg0
ゆらゆらと揺れる影と、ひたひたと拡がる血溜まりと、はらはらと舞う黒髪と。
悶える少女と、起伏の激しい剥き出しの岩場を彩る、もう一つ。
千切り取られたような、掌に収まるほどの、何かが一つ。

「―――」

ポタージュに浮かぶ、小さなクルトンのような。
血溜まりに落ちた、塊がある。
白と、赤と、薄黄色と桃色と。
およそ、人の皮を剥いた下にある、色の全部が、そこにある。
ゆらゆらと、揺らめく光に照らされて。
ゆらゆらと、血の池に浮かんでいる。
骨ごと削り取られた、肉と脂と皮と、人体がそこに、浮かんでいる。

目で追えば、もう一つ。
その向こうに、更に一つ。
ああ、言われてみれば。
バケツに一杯のペンキを、辺り構わず何度もぶち撒けたような。
一面に拡がる鮮血は、今し方に切り落とされた腕一本から流れ出るには、多すぎる。

「―――」

ぬるりと。
意識をすれば、吸い込む大気に甘い香りの混じっているような錯覚を覚える。
取り込んだ肺の内側、小さな胞の一つづつを染め上げる、潰えた命の香り。
挽き潰された香辛料のような、爪の先の血管まで染み渡る、濃密で鮮烈な刺激。
それは途絶えた命の、途絶えさせられた命の、殻の中の甘い実の立てる、悲鳴だ。

159この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:27:03 ID:fpOY18Yg0
「―――」

岩場に転がる小さな塊が、揺らめく焔を照り返す。
染み出た脂が包むのは、胃の腑の欠片だろうか。
あちらに見えるは腹の肉。
丁寧に臍の周りを丸く抉り取っているから判じ易い。
そら、よく見ればあれは足先だ。
剥がされた爪がほんの少しの肉片をこびり付かせて並べられている。
してみれば、その向こうに乱雑に放り出されているのは手指の成れの果てだろうか。
或いは捻じ曲げられ、或いは細切れにされ、或いは踏み躙られたものだろうか、
幼子が飽きた玩具を放り捨てるようにばらばらに散らばっている。
ふるふると震える、薄黄色い葡萄の房のようなものは何だろう。
大きさからすれば乳房の中身かもしれない。
腕は何処だ。肩は何処だ。肺腑は何処だ。肝臓はあそこにあった腎臓は向こうに見える。
脾臓は何処だ膵臓は何処だ腸は何処だ子宮は何処だ骨盤は何処だ性器は何処だ掌は何処だ。
脚は何処だ腿は何処だ膝は何処だ脹脛は何処だ踝は何処だ足は何処だ。
肋骨と腰椎と脊椎と延髄と脳髄と眼窩と眼球と鼻腔と口唇と頬と眉と顎と耳と、
犬歯と臼歯と切歯と内舌筋と外舌筋と喉頭と声帯とは何処にある。

ああ、ああ。
集めればそれは、人体と呼べるものに、なるのだろうか。
掬い上げて、練り合わせて、再び人と呼べるもののかたちに、戻るだろうか。
それほどに、散らばったものは数多く、乱雑で、複雑で、猥雑で、そして、醜い。

それは、かつてそれが人であったことに思いを馳せるにはあまりに遠く。
それが、かつて来栖川芹香と呼ばれていたことを思い出すにはあまりに脆く。
しかし。

「……ああ、そっちのつもりじゃあ、なかったんだが」

だから、ではなく。
故に、でもなく。
ただ、表情を変えずに、来栖川綾香は、小さく呟いた。

「まあ、いいさ」

そこに情はなく。
そこに色はなく。
水底に沈む神代の宮殿のような、透明の静謐を以て来栖川綾香は、その惨劇を首肯する。

160この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:27:38 ID:fpOY18Yg0
「姉が世話になった」

細く呟く、その瞳は奇妙に凪いでいる。
来栖川芹香であった肉の欠片たちを見下ろしてなお、その瞳は揺らがない。
冬の夕暮れ時の、雨にも雪にもならぬ薄曇りのどこか霞がかったような昏さだけが、そこにある。

「いいえ、とんでもない。退屈しのぎには充分でした」

可笑しくて仕方がない、というように笑む柏木千鶴にも、綾香は感情を返さない。

「何よりだ。連れ帰ってもいいかな」
「どうぞ、ご随意に」

す、と。
深く笑んで頷いた、柏木千鶴が優美な仕草で歩を踏み出す。
高いヒールが、かつりと音を立てた。
踏み出したその細い足が、文字通り間髪を入れず捻られる。
ぐり、ざら、と、嫌な音を立てて踏み躙られるのは、地に落ちて広がる長い黒髪の束。
来栖川芹香の、遺髪だった。

「……」
「どうか、されましたか」

蹂躙される黒髪が焔の影に煽られて、乱れた繻子のようにその綾を変えていく。
がり、と音がする度に、長く美しかった髪が傷つき、千切れる。
その暴虐を、しかし無感情に見返して、綾香が口を開いた。

「別に。……本題に入ってもいいかな」
「何でしょう」

襟足で短く切り揃えられた髪をかき上げながら、綾香が瞼を閉じ、開く。
光届かぬ高い天井の、黒々とした闇を一瞬だけ見上げて、視線を下ろした。

「家の使用人は見てないかな。元々、捜してたのはそっちの方でね」
「使用人、と仰ると」
「メイドロボ。特注の一品物でね」

綾香の口元が、微かに緩む。
それが笑みの萌芽とでも呼ぶべき表情であると、綾香自身も気付いていたかどうか定かではない。
しかしそこには、確かな温度があった。
姉の身の無惨をして無色透明を貫いた女の顔に浮かぶ、それは感情の欠片だった。

161この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:28:09 ID:fpOY18Yg0
「……さあ、存じません」

その微笑を見返して、こちらは笑顔という面の形に練り上げられたような柏木千鶴の、
深紅の瞳が冷ややかに細められていく。

「妙な鉄屑なら、あちらの方に落ちてきたように思いますが」

目線だけを動かした、その先には闇が広がっている。
血溜まりは見えない。
浮かぶ塊は見えない。
暗闇に飲まれて、そこには何も見えない。
しかし、赤い瞳の鬼は笑みを深めていく。
熱という熱を奪い去るような、暗く深い、冷笑。

「ただ何しろ我楽多のこと、ガタガタとやかましくて敵いませんでしたので―――」

色と音とを喪って、透き通る氷の華が鋭い棘を伸ばすように。
鬼が、嗤う。

「―――螺子の一本に至るまで、つい」

くつくつ、くつくつと。
言葉を切って、肩を震わせる。

「そういえば」

くつくつと。
声を漏らして、忍び嗤う。

「お姉様は随分と礼儀正しくていらっしゃるのね」

くつくつと。
本当に、心の底から嬉しそうに。

「五体くまなく切り刻まれているのに、悲鳴の一つも上げないなんて」

くつくつと。
歓喜と法悦とに、突き上げられるように。

「はしたなく泣き叫んでくれれば、もう少し楽しかったのだけれど」

くつくつ、くつくつと。
腐った傷から、膿が垂れて流れるように。

「あなたにも見せてあげたかった。とても残念だわ」

ぐつぐつ、ぐつぐつと。
嗤う。

162この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:28:54 ID:fpOY18Yg0
「―――そうかい」

膿を掬って鍋に集めて、火にくべて煮込むような音の中。
噴いた灰汁の泡立ってぶつぶつと潰れるような笑みの中。
その悪意を凝集し憎悪を結晶させたような湯気の立つ中に、来栖川綾香は霞んでいる。
霞んでしかし、立っている。

「厳しい家訓が我が家の売りでね」

立って返した、言葉の色は白。
降り積もる雪の、どこか青みがかったような深い白。

「……ああ、それと」

浮かべた笑みの色は群青。
明けゆく夜に名残を惜しむような、淡い星に彩られた群青。

「―――化け物が、人間面して礼儀を語るなよ。気分が悪い」

吐息に混じる色は緋。
紅蓮を燃え盛る焔の纏う衣に宿る、灼業の嚆矢たる緋。

「……これは、申し訳ありません」

ちろちろと、己を舐める炎に炙られて柏木千鶴が笑みを収める。
代わりに浮かぶのは、混じり気のない侮蔑。

「成り上がってたかだか百年程度のお家柄に、作法のお話は難しすぎましたか」

ひと吸いで人の善意を侵し尽くすような汚辱。

「道を空けろ、売女」

べっとりと肺の内側に貼り付くように濃厚な嘲弄。

「力ずくでどうぞ、河原者のお嬢様」

軽侮と憎悪と怨嗟と恩讐とを捏ねて焼き上げた器を、地面に叩きつけて割るような。

「そうするさ」

言葉が、途絶える。



***

163この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:29:20 ID:fpOY18Yg0
 
 
先手は風。
疾風と化した来栖川綾香である。
疾走開始の一歩目、走るより跳ぶに近い前傾姿勢。
二歩目、体を更に落とす。
三歩目、間合いに踏み入らんとする刹那、綾香が体幹を軸に身を捻る。
慣性を回転力へと変換し、遠心力を加えて薙ぐのは一度大きく後ろに振り出した右の脚である。
細いピンヒールを履いた千鶴の両足を刈り込むような軌道は初手奇襲、下段後ろ回し蹴り。
迫るのは二択。跳ぶか、退がるか。
地面すれすれ、踵で足首関節を狙う絶妙の狙いはカットで凌げない。
跳ぶならばよし。
顔面へ打ち下ろされる迎撃の蹴りを警戒しつつ遠心力を維持。
接近しての左肘、或いは足を取って関節、二秒で折る。
退がるならば追撃。
押し込んで距離を詰め、刃の爪の間合いの内側で打撃戦に持ち込む。
入りは左のフェイントから、髪を掴んで右の膝。
考えられる迎撃は無限、対応のパターンもまた無限。
しかし膨大な経験が或いはそれを有限とする。
流れに組み込めぬ水面蹴りの大きなモーション、ならば初手。
女王と呼ばれたストライカーの、それが思考である。
だが。

164この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:29:35 ID:fpOY18Yg0
「ちぃ……ッ!」

舌打ちは綾香。
前進が止まっている。
対峙する千鶴は、跳ぶも退がるもしていない。
ただ悠然と、立ち尽くすのみである。
躱されたのではない。
綾香の踵は、寸分の狂いもなく千鶴の足首を真横から打ち抜いている。
だが、揺らがぬ。
まるでそれは、大地に根ざした巨樹の如く、小揺るぎもしておらぬ。
硬く、重く、誤って分厚い壁にでも蹴りを当てたような、痺れるような痛み。
重量に大きな差があるとも見えぬ。
太極の技の如く、打撃の瞬間に力を逃がされたわけでもない。
ならばそれは慣性を、作用反作用を、物理法則を無視した異様であった。
原理原則は知れぬ。
しかし確かなのは、眼前に迫った危険である。
格闘家としての経験則がすべての疑問を棚に上げて綾香を衝き動かす。
蹴り足を引きつつ、抱え込んだ軸足を全力で解放。
後転と側転の合間を縫うような後ろ受身から、上体へのガードを固めつつ一気に立ち上がる。
追撃の一発は覚悟。胴への警戒は半ば放棄する。
よしんば横薙ぎの爪の一閃で切り裂かれたとして、それも想定の内。
人体には致命傷となるはずの斬撃に対しても、綾香にはある種の計算があった。
必要なのは覚悟と認識。
何が死に直結し、何がそうでないのか。
死ぬ一撃と、それ以外。
真の意味で刹那をしか見ない綾香の思考は、既に生物として破綻している。
痛覚など無視すればそれで済むという高揚が、湧き上がってくる。
暗い水底に沈んでいた感情が泡を吐きながら浮上してくるような、どこかで空転していた歯車が
かちかちと噛み合って一つの機構となって、巨大で重いギアをようやくにして回そうとしているような、
そんな天井知らずの昂奮。
背筋に奇妙な電流の走る感覚を、綾香は愉しんでいる。
来栖川綾香という存在がその意義を満たそうとしているという、錯覚の自己認識。
空腹に任せて焼けた肉を噛み千切るが如き多幸感に包まれて、綾香は己を切り裂く刃を待っている。
願うは胴を断ち臓腑を引き裂いて背骨を粉砕せしめる圧倒の刃風。
破滅よ迫れと、告死の神よ来たれと、近づいたその黒衣を抱いて口を吸うような、倒錯の悦楽。
終焉を紙一重を隔てた刹那をこそ、ダンスパートナーに選ぶように。
白い裸身に歓喜を纏い愉悦を履いて暴虐で身を飾り、来栖川綾香は破滅を踊る。

果たして―――、一閃。

165この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:30:09 ID:fpOY18Yg0
広がるのは血潮。
飛沫を上げる赤をその舌で舐め取って、綾香が一歩、二歩を下がり、止まる。
ひぅ、と漏れた吐息が濡れている。
追撃はない。
柏木千鶴は深紅の爪を無造作に振り抜いた姿勢のまま、悠然と立っていた。
その瞳に宿る殺意と憎悪と、そして微かな失望の色とを見て取って、綾香が嗤う。
ぱっくりと開いた傷口を押さえた手の中に、ぐずりと滑るものがある。
溢れる血と混じって零れる、それは薄い脂肪の膜だ。
探る手指は腸には触れない。
創傷は、臓物までは届いていないようだった。
皮膚と脂肪と、腹筋と。
それだけを抉って、そこまでを引き切って、刃は引かれていた。

「面倒ね」

―――成る程。
嗤う綾香が、呟く千鶴の声に内心で頷く。
気にくわない。
この傷は、実にまったく、気にくわない。
あのタイミング、あの反応、あの速さで斬られておいて、これではひどく―――浅すぎる。
成る程、成る程。
ぎり、と噛んだ奥歯が音を立てた。
その鈍い音に感じる不快に身を任せて、ぼたぼたと垂れる自らの血溜まりに足を踏み入れる。
一歩と半分で、蹴りの間合い。
再び迫る綾香に、柏木千鶴は表情を変えない。
つまらなそうな、冷ややかな瞳が綾香を射抜く。
構わず、踏み込んだ。
迎撃は変わらず右手の爪。
向かって左の側から横薙ぎに振られるそれに綾香は左腕を翳す。
ばつりと筋繊維が断裂する感覚を、単なる神経情報として処理。
更に一歩を踏み込む。
既に突きの間合いをすら越えている。
殆ど密着するようなクロスレンジ。
半ばまで断たれた左腕から刃が抜き去られるのを感じながら選択したのは右脚。
裂けた腹を押さえた右の腕で胴を抱え込むように、強引に体幹を捻る。
垂直にかち上げた腿から、更に体を引きつつ膝下だけを外側からしならせるように蹴り上げる。
驚異的なバランスに加え、筋肉のみならず関節の柔軟性をすら要求される、密着からの外廻し蹴り。
芸術とすら云える軌道から狙うは側頭、薄い頭蓋に覆われた神経組織―――テンプル。
音に近い疾さを以て放たれた一撃を、しかし、迎え撃つのは鬼神の反応。
微かに表情を変えた千鶴が、白くたおやかと見える左の腕を上げる。

166この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:30:34 ID:fpOY18Yg0
神速がほんの僅か、音速を凌駕した。
蹴り足が、打点の寸前で止められていた。
やはり手応えというものを感じさせず綾香の一撃を止めたのは、細い五指である。
ただ翳されているだけとすら思える細腕を、薄い掌を、摘めば折れてしまいそうな白い指を、
綾香の蹴りは打ち抜けない。
風をも切り裂く蹴撃をまるで見切ったかのように己の足首をしっかりと掴む手に、
綾香が苦笑に近い形で口元を歪める。
跳んで身を引く事も許されず、体を支えるのは軸足一本。
左腕は半ばまでを断たれ上がらず、即ちそれを隙という。
隙は窮地となり、窮地は瞬く間に危地へと変わる。
与えられた間は、許された思考時間は正しく刹那。
誤れば死へと繋がる絶対の分水嶺が眼前に迫っていた。

―――闘え、と。

声が、聞こえた。
勝利するために闘えと、己を突き上げる声が聞こえると、綾香には感じられていた。
闘え。恐怖を捻じ伏せ怯懦を切り伏せ闘争と繁栄との本能を鬩ぎ合わせろ。
拳と意地のやり取りの中で培ってきたものたちを炉にくべろ。
勝利への執念を手がかりに無敗の矜持を足がかりに危地の山脈を踏破しろ。
闘争せよと、勝利せよ蹂躙せよ君臨せよと命じる声が、来栖川綾香を加速する。
それらは今、唐突に聞こえてきた声ではない。
それは常に来栖川綾香の内に在る声で、誰の耳にも聞こえているはずの声で、誰も聞こうとしない声だ。
衝き動かされるように、思考は言語を凌駕して演算を開始。
敵、柏木千鶴の姿をイメージに投影。
一瞬前を、その一瞬前を、更にその僅か前を思い、並べ、時という連続体の錯覚を設定。
彼我の状況を分析し解析し解読する。
敵の必殺は爪、恐れるべきは右の斬撃。
頭部への一閃を避けるのが至上命題、他の部位はくれてやれと優先順位を設定。
引き抜かれた右は戻りきらず至近に突きはあり得ない。
必殺の斬撃と化す鬼の爪による一撃は、しかし故に刃と同じ対処を適用できる。
伸びる爪刃は掌より凡そ五寸。

167この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:30:54 ID:fpOY18Yg0
引けぬ、と判断。
ここから距離を開ければ敵にとって絶好の間合いとなる。
逆に相手はこちらを突き放すことを第一の目標と定めて動くと仮定。
密着状態、重心は僅かに後傾、考え得る攻守の手筋を思い浮かべる。
定石ならばまず頭突き、側頭への肘、打ち下ろしての鎖骨打ち、或いは寸打に近い胸骨打ち。
いずれ単体では致命に至らず、しかし彼我の距離さえ離してしまえば投了へと続く筋。
先は取れず、守勢に回れば手が詰まるか―――否。
否、と綾香は結論付ける。
定石だけを考えるな。リングの上の常識で相手を図るな。思考を、縛るな。
柏木千鶴がこれまでに見せた動きのすべてを思い起こせ。
圧倒的な力、異様な防護、戦慄すべき反応と速度―――違う。
スペックではない。見方を変えろ。探すべきは付け入る隙。
振るう爪の直線的なモーションはどうだ。
視界に入った打撃を直截に防ごうとする後手の反応を考えろ。
体の捌きは、重心移動は、視線の位置は攻防予測は間合いの読みは。
幾つかの断片から見えてくる絵が、綾香をして内心で大きく頷かせる。
敵は鬼。怪力乱心、無双を誇る怪物だ。

―――しかし、鬼でしか、ない。

その打撃には、鍛錬がない。
練磨なく、研鑽なく、修養がない。
素養に胡坐をかいた、それは磨かれることのない巨大な原石だ。
故に定石を知らず、故に基礎と応用と機に臨んで応えるだけの抽斗が存在しない。
彼我の間に横たわる断崖を、資質という。
その断崖に架ける橋の名を、経験と、そして修練と呼ぶ。
ならば―――と。
手筋を練り上げるまでに要したのは、実に刹那の間。
しかし均衡を保つのも、それが限界だった。
瞬間、足首を掴んだ繊指からの圧力が膨れ上がるのを感じて、綾香が哂う。

168この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:31:17 ID:fpOY18Yg0
「……だよなあ、化物」

そうだ。そうするしか、ないだろう。
みしみしと、己が肉と骨とが軋む音を耳朶の奥に感じながら綾香が推論の正しさを確信する。
鬼の思考にはこちらを突き放すための定石がない。
距離を開けるために思いつく手段が、限られている。
そして選ぶのは、その中で最も直線距離の近いもの。
短絡とすら呼べる、しかし確実で容易い手段だ。

「―――!」

転瞬、変生が始まる。
白くきめ細やかな肌が、まるで悪性の病に冒されたかのように黒く分厚く、醜く罅割れていく。
しなやかだった五指は一瞬の内に野太く膨れ上がり、その錆びた鉄条網を芯にして委細構わず
砂礫や石くれを練り込んだような刺々しく硬い手が、万力の如く綾香の足首を締め上げる。
そして変生を締め括るように顔を覗かせたのは、刃である。
漆黒の手指の先から伸びるそれは深紅。鬼の手に生える、爪だった。
柏木初音も見せた、両腕の変生。
いや増す鬼気に綾香の背筋を戦慄に近い悦楽が走った、その瞬間。

169この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:31:41 ID:fpOY18Yg0
痛覚神経が、緊急を脳髄に伝達してくる。
最優先と銘打たれけたたましく鳴り響く信号は同時に四つ。
曰く表皮が裂け曰く真皮が爆ぜ曰く血管が破れ曰く神経が抉られ曰く筋繊維が千切られ、
曰く骨膜が斬られ骨質が砕かれ骨髄が欠損し―――即ち鬼の手の、親指を除く四本の爪が
綾香の右脚に深々と突き立てられ、豆腐に包丁を立てるようにその半ばまでを易々と切り裂いて、
肉と骨とを、食んでいた。

「―――」

声の一つも、漏らさない。
苦痛として変換されようとする痛覚を、過剰に分泌される脳内麻薬が相殺していく陶酔感。
生物としての本能が発する死に繋がる信号は、既に来栖川綾香には脅威と認知されていない。
ぐらりと揺れる世界に、上体の傾きが増していると認識。
血飛沫の珠が、明度の落ちた視界を彩る。
ぱっくりと口を開けた四つの傷跡から緋色の尾を引きながら、右脚が流れていく。

「ああ、本当に面倒なこと」

半ば放り棄てるように、或いは突き飛ばすように。
人体としての機能を停止させつつある綾香の右脚を力任せに払い除けて、柏木千鶴が呟く。
掴んだその手を握り締める、単にそれだけの動作で人を破壊せしめた鬼の左手が、空いた。
突き放された綾香を支えるのは軸足一本。
左腕と右脚は骨に達する傷を負い、上体を支持する腹筋は大きく抉られ、最早抗すべくもない姿を
その冷たい瞳に映して、千鶴が心底から憂鬱そうに息を吐く。

「こう脆くては……嬲り殺すにも、苦労する」

容易く二つに裂けたはずの胴を薙がず。
苦もなく切り落とせた左の腕を、ほんの少し力を込めるだけで断ち切れた右脚を落とさず。
ただ、あっさりと殺してしまわぬようにだけ腐心したと言わんばかりに辟易した表情を浮かべる千鶴の、
深紅の爪が、高々と振り上げられる。
次に薙ぎ、裂き、抉るのはさて、何処にしようか。
目玉に十字を刻もうか。かんばせに二目と見られぬ恥辱を描こうか。

―――そんな風に考えているか、化物。

170この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:31:57 ID:fpOY18Yg0
天頂を指し、今まさに振り下ろされんとする爪刃を目の端に映して、綾香が哂う。
哂うその眼には、恐怖も覚悟もない。
そこにあるのは、闘争に身を置き勝利と生と死と敗北とを隔てず渾然と認識する者だけが宿す、
爛々と光を放つ焔である。
込めるのは力。そして、意志。
脳髄から神経を通して伝えられる指令に、全身の細胞が励起する。
開いた距離を繋ぐように迫る斬撃の、その緋色の軌跡よりも早く。
来栖川綾香が、躍動する。
それは練り上げた手筋から、ほんの僅かも逸れることのない、澱みのない流れ。
柏木千鶴に弾かれ、放り棄てられた綾香の右脚は、股関節と重力との描くモーメントに従って
外側へと弧を描いて落ち、しかしその勢いは止まらない。
骨の半ばまでを断たれ、鮮血を噴いて力なく垂れ落ちるはずの脚が、地を摺るように加速。
円弧の運動をそのままに、後傾させた上体を軸として跳ね上げられる。
時計回りの軌道は遂に真円を描くが如く、加速の頂点で千鶴の顎を刈るように吸い込まれていく。
視界の外、想定の外から迫る打撃に、如何な千鶴の神速の反応とて追いつかない。
振り下ろさんとする左の爪、突き入れんとする右の爪。
共に、迫る打撃を防ぐことはかなわない。

「その、脚で―――」

蹴りを放てるはずがない、と言おうとしたものか。
或いは、苦し紛れの打撃に威力のあるはずもない、と続けようとしたものだったか。
いずれ柏木千鶴の言葉は途切れていた。

171この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:32:13 ID:fpOY18Yg0
「……!?」

驚愕に彩られたその瞳に、綾香の笑みが深くなる。
それが映しているものを、怪奇と受け取ったか。
成る程、この身に宿るは鬼をして戦慄せしめる怪異であったかと、綾香が声を漏らして哂う。
さも、ありなん。
円を描いて奔る綾香の右脚は、ずぐずぐと泡を噴きみぢみぢと音を立て、奇怪に満ち面妖に溢れている。
噴き出していたはずの鮮血は既にない。
流れきり、絶えたものではない。
千切られ抉られて断面を見せていた血管は、とうの昔に癒えていた。
否。癒えているのは、血管ばかりではなかった。
傷が、ばっくりと裂け骨を覗かせていたはずの創傷が、見る間に癒えていく。
ぶつぶつと黄色い泡が桃色の肉の断面を覆い尽くせば、肉はたちまち腐って爛れるように融け崩れ、
しかし直後にはめりめりと奇妙な音を立てて粘ついた糸を引き、肉の断面から伸びる糸同士が繋がって
傷を塞ぐように癒着していく。
塞がった傷から漏れ出した泡が固まって薄皮が張り、桃色の真皮はすぐに肌のきめを取り戻す。
存在していたはずの傷跡は、そうしてどこにも見当たらない。
右脚が、左腕が、裂かれた腹が、そうしてみぢみぢと、めりめりと、ぶつぶつとずぐずぐと、癒えていく。
それは、鬼の血が持つ驚異的な治癒力をすら一顧だにしない、怪異の領域。
仙命樹と呼ばれる不死の妙薬をもってしても遠く及ばぬ、醜怪な神秘。
その二つを共に宿した来栖川綾香の身の内に起きる霊妙を、語り得るものはない。
自身ですら、それが如何にして為されるものかを理解してはおらぬ。
しかし一度は人の形をも喪った来栖川綾香に、再び大地を踏みしめさせたのはこの力であった。
何時まで続くものかは知れぬ。
何処まで耐えられるかも判らぬ。
だが来栖川綾香は、怪異の上に立っている。
立って打ち放ったその蹴りが、柏木千鶴を、その整った顎先を、掠めるように射貫く。

172この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:32:43 ID:fpOY18Yg0
「―――」

一撃。
右内廻し蹴り、太極拳に云う擺蓮脚。
脚を畳むように身に寄せると同時、軸足でバックステップ。
三歩を下がった綾香の眼前で、深紅の爪が力なく空を切る。
必殺とみえた刃を振り抜いた千鶴が、ぐらりと揺れ、たたらを踏む。

「へえ」

その様子に、最早流れ出た血の跡すら見当たらぬ白い裸身を誇らしげに晒して、綾香が口を開く。

「脳震盪か。鬼の頭にも入ってるんだな、脳味噌くらいは」
「……」

僅かな沈黙。
変生した漆黒の掌をこめかみに当てるようにして細く息を吐いた千鶴が、静かに眼を見開いて、
綾香を見据える。色は深紅。
魔の跋扈する夜に浮かぶ月の色。
鮮血と臓物の色の瞳に燃えるような憤怒をはっきりと湛えて、千鶴が言葉を返す。

「……訂正するわ」

かつり、と響くのは踵を踏み鳴らした千鶴の靴の、細いヒールが折れる音。
菜園を荒らす芋虫を踏み躙るような仕草で靴を放り出した千鶴が、広がる血溜まりに足を踏み出す。
ひたり、と淡い色のストッキングが粘る血を吸い込んで赤黒く染まっていく。

「それだけ頑丈に出来ているのなら―――嬲り殺すには、丁度いい」

剥き出しの殺意に、綾香が愉しげに、哂った。

173この物語の最後の戦い:2009/07/26(日) 18:33:45 ID:fpOY18Yg0
 
【時間:2日目 ***】
【場所:***】

来栖川綾香
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)】

柏木千鶴
 【状態:エルクゥ】

柏木楓
 【状態:エルクゥ、瀕死(右腕喪失、全身打撲、複雑骨折多数、出血多量、左目失明)】

来栖川芹香
 【状態:死亡】

→1081 ルートD-5

174Crazy for You:2009/08/09(日) 02:30:44 ID:MibganzY0

痙攣する気管を抑え込んで、震える肺に酸素を取り込む。
ひ、ひ、と奇妙に高い音が喉から響くのを、柏木楓は自ら流した鮮血の池に頬を擦りつけながら聞く。
口元から流れ込む鉄錆の味が苦い唾液と混ざり合って粘膜を刺激する。
反射的に滲んだ涙の向こう、ぼやけた世界に、浮かぶものがある。

それは、珠だ。
紅く、黒く、小さな、ぶよぶよと僅かに形を歪ませる、小さな球形。
流れ拡がる血が飛沫を上げて撥ねた、そのひと雫が中空に結晶した、泡沫の紅い珠。
ほんの刹那、痛みも苦しさも忘れたようにその結晶珠に見入った、楓の眼前。
風が吹き―――珠が、弾けた。

ひょう、と。
鮮血の珠を二つに断ち割って吹き抜けた烈風が、倒れ伏す楓の前髪を揺らす。
その一瞬、風は実体と質量とを備えた影となり、それで楓はようやく気付く。
風は、影は、人だ。

風と感じるほどに疾く、影と見紛うほどしなやかに体躯を操ってぶつかり合うのは、二人。
ぼんやりと霞む視界と錆が挟まったかの如く回らぬ思考の中、懸命に目を凝らそうとした楓を
思い出したように襲ったのは、地獄の苦痛である。
ぶつりと、片肺に針の刺さるような激痛に楓の呼吸が止まる。
取り込んだ大気に棘でも生えているかのような、身体の芯を貫く惨苦。
まるで逃避は赦さぬと、眼前の死に向かい合えと命じるように響く煉獄の責め苦が、楓の脳髄を空転させる。
視界が狭まる。音が遠くなる。吹く風を感じる肌の感覚が、ひどく鈍くなっていく。
暗い井戸の底に引きずり込まれるような感覚。
冷たい岩肌を掻く指先が、がり、と音を立てて、柏木楓に新たな傷を作った。


***

175Crazy for You:2009/08/09(日) 02:31:06 ID:MibganzY0
 
一対の風は吹き荒れる虞風となり、瞬く間に嵐となって周囲のあらゆるものを薙ぎ払う。
じ、と摺り足に近い運びで半歩の更に半分だけ間合いを詰めた来栖川綾香が左構えから繰り出すのは左中段蹴り。
定石通りの肝臓打ちを狙った軌跡は、定石の範疇外から迎撃される。
柏木千鶴の右爪は外側へ無造作に薙ぎ払う動き。
肉を裂き骨を断つ刃を前に、しかし綾香は足を止めない。
濃密な筋肉を湛えた白い腿が、爆ぜるように膝から下の蹴り足を撃ち出す。
速度と質量との積算が即ち力であると証明するように、綾香の一撃が深紅の爪と激突する。
転瞬そこにあったのは、一秒を何倍にも引き伸ばす映写機に映せばぞぶりと音が聞こえてきそうな光景だ。
刃と化した千鶴の爪が触れた途端、綾香の白い肌がぷつりと裂ける。
裂けた皮は捲れ上がり血の珠を浮かべ、続いて顔を覗かせる桃色の肉を祝福するかのように紅く染まる。
ずぶずぶと肉を抉った刃が目指すのは脛骨。
と、人体第二の威容を誇るそれを断ち割らんと往くそれが、がくりと勢いを落とす。
骨を噛んだ刃が、桃色の肉に飲み込まれようとしていた。
肉から伸びるのは細い糸。ぬるぬると滑り、どろどろと粘り、ぶつぶつと泡を噴くそれは
深紅の切っ先を取り込んで癒合しようとでもいうかのように刃爪に絡みつく。
文字通り振り切るように、千鶴の爪に力が込められた。
滑る肉の糸をぶちぶちと千切りながら進む紅の刃が、食い込んだ脛骨の罅を広げていく。
びきりびきりと音を立てる五本の罅は無数の枝分かれを経て互いに近づいていき、終にはその肢を繋いだ。
鋭い欠片を撒き散らして周りの肉を傷つけながら太い骨が折れ砕ける。
勝利を謳歌する刃が、余勢を駆って腓骨を襲う。
抵抗は儚い。腓骨は腓腹筋とヒラメ筋を伴って断ち切られた。
深紅の爪が、血と肉と骨と皮との長い隧道を、抜ける。
脳髄から続く連結を断たれた綾香の左下腿が、重力に従って落ちるか。否。
輪切りにされたその瞬間には、ざらざらと汚らしい傷口のいたるところから肉の糸が伸びている。
糸はぐずぐずと縒り合わさり結びつき、更には噴き出そうとする鮮血を嘗め取るように掬って肉の内側に運んでいく。
ばらばらに断ち切られたはずの足が、瞬く間に繋ぎ合わさって傷を塞ぎ、痕には何も残らない。
繋がった綾香の左足が、勢いを殺さぬまま千鶴の腹を狙う。
舌打ちして千鶴が半歩を下がる。
体を開いた構えの僅かに前を、鋭い蹴りが駆け抜けた。

176Crazy for You:2009/08/09(日) 02:31:50 ID:MibganzY0
ここまでが、一瞬。
蹴り足を斬撃で輪切りにしてのける柏木千鶴も異形なら、顔色一つ変えずに断ち切られた足を繋ぎ、
むしろそれを織り込んだかのように蹴り抜いてみせた来栖川綾香も、正しく異形であった。
躱された左中段を戻しながら体を引こうとする綾香に迫る色は深紅。
千鶴の左爪が斜め下、右脇腹から切り上げる形で大気を斬る。
対する綾香は右半身に近い姿勢で軸足も右、回避は困難。
ならば右腕を犠牲にガードを固めるか。否。
綾香が採ったのは更なる攻めの一手であった。
即ち、軸足の右一本で前傾から、全体重と慣性とを飲み込んで加速。
元より詰めるほどの間合いもない。
文字通りの意味で手が届く距離からクロスレンジへ移行。
流れるような動作から叩き込むのは、眉筋ひとつ動かさぬ千鶴の、生き血を煮詰めたような瞳の間。
眉間への、縦方向の肘のかち上げである。
ご、と鈍い音に続く、ぞぶりと濡れた音。
肘打ちは命中。千鶴の眉間、頭蓋を直撃している。
しかし当然、ガードを捨てた綾香の右脇は無防備であった。
迫っていた爪刃の、それを見逃すはずもない。
五つの真っ赤な筋が綾香の白い裸身、薄い脂肪に覆われた肋骨の下から盛り上がった乳房までを深々と切り裂いている。
砕いた肋骨と肺腑とを混ぜて捏ねるように食い込んだ爪がぐるりと抉られるのと同時、綾香がバックステップ。
力任せに爪を引き抜いた傷口から鮮血の漏れたのは一瞬。
見る間に癒えていく傷を誇るように笑みを浮かべた綾香の口から漏れる呼吸も、間を置かず
喀血の混じった湿り気のある音から、乾いた鋭い音へと整えられていく。
千鶴の右爪が追い討ちをかけるように突き込まれたときには、既に綾香は間合いの外である。

攻防を組み立て直すように距離を取った綾香が、とん、と小さなステップを踏む。
軽快な足捌きは、徐々に小さく右へ、右へと回り込もうとする動きへと変わっていく。
対する千鶴はあくまで待ちの姿勢。
自身を中心として円を描く綾香を目線で追いながら、時折足を引いて白い裸身を正面へと置くように向き直る。
その冷徹な眼差しが光る貌に腫れはない。
肘打ちの直撃を受けたはずの眉間には、微かな鬱血の気配すらみられなかった。
何らの誇張もない無傷という、怪異。
それを一瞥した綾香もまた浮かべた笑みを隠さない。
代わりに唾を一つ吐き捨てて、ステップを続ける。

177Crazy for You:2009/08/09(日) 02:32:21 ID:MibganzY0
じり、と。
千鶴が何度目かに左足を引いた、その刹那。
視線が揺れ、重心がずれ、向き直ろうとする動作に両足が揃う、その一瞬を狙い澄ましたかのように綾香が掻き消えた。
否。正確を期するならば、千鶴の視界から消えるように、綾香が加速していた。
右へ、右へと回り込むステップから一変。
ほんの僅かな間だけ身を起こすと同時、倒れ込むように低い姿勢を取って慣性を相殺。
逆方向、向かって左側へと地を蹴り、緩い弧を描いて千鶴へと迫る。
フェイントと緩急による心理的、或いは視覚的な錯覚を最大限に駆使した、疾走。
押し退けられた大気が巻き起こす風とその中に混じる殺意とに千鶴が眼を向けた瞬間には遅い。
綾香は爪刃の間合いの内側、懐に飛び込んでいる。
密着に近い状態から、しかし綾香は速度を緩めない。
僅かに身を起こすが、未だ打撃に移るには低すぎる前傾姿勢。
女王の選択は初手、右の肘。
肝臓へと捻じ込んだ肘には微かな手応えも、やはり千鶴の体躯は揺らがない。
構わず、肘を抉り込みながら更に半歩。肩から全体重を腰骨へと叩き込む。
同時、空いた左手は千鶴の右腿を後ろから掬うように回り込んでいる。
変則のスピアー・タックル。
千鶴の経験次第では容易に膝でのカットもあり得ただろう、それは純粋にして古典的な突撃。
しかし密着からの攻防ではリングの女王に一日の長があった。
綾香の肩を支点、掬われた足を力点とした円運動は止まらない。
真後ろに回転していく視界の中、千鶴が咄嗟に身を捩ろうとする。
それが、失策だった。右の腿を抱えられたままの姿勢、自然と体は左側へと捻られる。
それは即ち、綾香へと背を向けながら岩場へ倒れるということである。
千鶴の足に絡みついた綾香が、得たりとばかりに笑む。
腿に絡む腕を振りほどくことも、視界に入れることも叶わぬまま倒れ込む瞬間、
タイトスカートのベルトに綾香の手が掛かるのを、千鶴は感じていた。
べしゃりと音を立てて二人の倒れた岩場には血の池が広がっている。
見る間に赤黒い染みに汚れていく千鶴の真新しい濃紺のスーツが、淡いベージュのシャツが、
ずるりと引き摺られ、更なる惨状を晒した。
ベルトに手を掛けた綾香が、半ば力任せに千鶴を仰向けに転がしたのである。
腿までまくれ上がったスカートの、仕立ての良い生地が、び、と音を立てて裂けた。

178Crazy for You:2009/08/09(日) 02:32:36 ID:MibganzY0
「……!」

状況を把握できぬまま本能的に上体を起こそうとした千鶴の目に飛び込んできたのは、
ごつごつと硬い角質に覆われた足の裏である。
反射的に爪で薙ぎ払い、裂いた足が出血もそこそこにぞぶぞぶと肉の糸で繋がるのに舌打ちした千鶴が
何かに気付いたように己が脚に目をやった頃には、既に綾香の仕掛けが完成していた。
いつの間に身を反転させていたものか、綾香は千鶴の足指を眼前に愛でるような姿勢。
その白い裸身を妖しく摺りつけるように、両手両足で千鶴の右脚を抱え込んでいる。
右の肘は千鶴の踵に添えるようにフック。
クラッチした腕と両脚とが、淡色のストッキングに覆われた千鶴の膝を挟むように絡みつく。
それがヒールホールドと呼ばれる、容易に膝関節を破壊せしめる危険な技であると千鶴は知らない。
知らぬがしかし、本能が告げる警告のまま、千鶴の身体が動いていた。
それは、綾香が完璧なホールドから上半身を捻り、千鶴の膝靭帯を捩じ切るよりも僅かに早く。
鮮血を煮詰めたような濃密な鬼気を口から漏らすと同時、千鶴の右脚がぐ、と持ち上がる。
眼を見開いたのは仕掛けた綾香である。
腹筋を使えぬ片足の筋力だけで、しかも膝を曲げ固定された姿勢から人ひとりの重量を支え、
あまつさえ持ち上げるなどは尋常ならざる驚異であった。
驚愕の内にも千鶴の膝を極めた上体を捻ろうとするが、遅い。
ふわ、と。一瞬の浮遊感。

「―――!」

僅かな間を置いて響いた轟音には、濡れた音が混じっている。
鉞の如く振り下ろされた千鶴の足が、絡みついた綾香ごと、血に塗れた岩盤を粉砕していた。
脊椎と骨盤と五臓とをいちどきに破壊され、さしもの綾香もけく、と奇妙な音を口から漏らして全身の力を抜く。
飛び散った血液と肉片と骨片とはすぐさま集合を開始、まるで逆回しの映像のように綾香の胴を再形成していくが、
その隙に千鶴は足を引き抜き、二歩、三歩を下がって呼吸を整えている。
がつ、と足元を踏み拉いたその右脚が、僅かに震えた。
渾身の力を込めた千鶴の一撃は、己が身体にも無視できぬ痛手を与えているようだった。



***

179Crazy for You:2009/08/09(日) 02:34:13 ID:MibganzY0
 
 
ぞぶりぞぶりと再生しながら、来栖川綾香が思考する。

―――今のやり取りは、惜しい。惜しいが、負けだ。
僅か半目の差で遅きに失した。これで命一つ。
ずるり、ずるり。
千切れた腸が癒合していく。

―――敵は両手に刃持ち。
悠長に締め落とす選択肢はない。
それは松原葵の辿った道だ。
ならば、と極め技を試してみればこの有様だった。
障害は常軌を逸した筋力と超絶的な反応速度。特に後者は厄介だ。
サブミッションは構造上、仕掛けに入ってから結果を出す、即ち相手の関節を破壊するまでに
どうしてもタイムラグが存在する。
それがたとえ寸秒であれ、人外の反応速度で対応されてしまえば何度仕掛けても結果は同じだ。
極める、という方向性も現段階で捨てざるを得ない。
それが、今の攻防で得た第一の結論。

―――しかし。
と、べちゃべちゃと子供が口を開けて物を噛むような音を立てて腹の穴が塞がっていくのを感じながら、
綾香が思考を先鋭化させていく。
締めるも極めるも通じないとなれば、残るは投げと打撃。
本来的にストライカーたる綾香の専門分野だ。
だが立ちはだかるのは、あの常識を逸脱した防護である。
防護と呼んではみたが、魔弾の拳で撃ち抜けない以上は防衛的な概念ではないのかも知れない。
まるで打ち込みの威力、運動エネルギーや慣性そのものを完全に相殺されているかのような手応え。
いずれ硬い、重いという位相を超越した、何かまったく別の物理法則が働いているかのような、
絶対障壁とでもいうべき何かであった。ある意味で筋力や反応速度といった、超絶的ではあっても
リングの上の物差しで計れるものより余程得体が知れぬ。
故に綾香もグラウンドに活路を見出そうと試みたものだったが、その道の一端は見事に断たれていた。
しかしそれとても決して無駄な行為ではなかったと、綾香は考えている。
一連の攻防、その流れの中には打撃戦に持ち込むための方法論、或いはその重要な手がかりが
転がっていると、膨大な経験に裏打ちされた勘が告げていた。

180Crazy for You:2009/08/09(日) 02:34:43 ID:MibganzY0
―――極限を思考し構築し適応しろ。
自らに与える猶予は一秒。
彼我の距離、呼吸のリズム、再生速度。デザイン、トレース、エミュレート、アジャスト。
寸暇を惜しんだ修練と実戦とで末端細胞に至るまで叩き込んだ動作を展開し実践。
来栖川綾香の戦場に無様は要らない。
その手に掴み、掲げるべきは勝利の二文字。
そこへ辿り着くための道筋を、寸秒の間に導き出せ。

―――ここまでの攻防、通った打撃は二つ。
密着の内廻し蹴り、そしてフェイントからのレバー打ち。
共通点は一つ。いずれも不意打ちの類、視野の外からの一撃。
その他の打撃は、過たぬ直撃を含めて悉く手応えがない。
即ち推論、あの異質な防護は視認によって為される。
否、修正。通った打撃はしかし、振り抜く前に威力の半分方を殺されていた。
超反応と考え合せれば推論の二、防護は打撃に対する認識と同時に為される。
一撃、ヒットの瞬間に認識が開始され、何らかの形で防護を形成しているとなれば説明がつく。
いずれにせよ導き出される結論は単純にして明快。
勝利するには視野の外、認識の埒外からの一撃で防護が形成される前に痛撃を与える。

―――道筋は見えた。
しかしまだ、至るには足りぬ。
往く手には幾つもの谷が、壁が、急峻な山がある。
越えるには足りぬ。
力が足りぬ。
砕くには足りぬ。
重みが足りぬ。
登り詰めるには足りぬ。
速さが足りぬ。
否。
否、否、否。

―――足りぬは、焔。
命を火種と燃え盛る、赤々とした焔が足りぬ。
鬼を灼く拳に至るは、ただそれだけが足りぬ。
それだけがあれば、事足りる。

181Crazy for You:2009/08/09(日) 02:34:58 ID:MibganzY0
ああ。
ああ、ああ、成る程。
ならば、燃やせばいい。
命の如き。
生の如き。
この身を焦がす衝動の前に、何程の価値がある。

それが闘うということだ。
それが来栖川綾香であるということだ。
それが松原葵であり坂下好恵であったということだ。
ならば、ならば命の如きを火にくべるのに、何の躊躇が必要か。

―――来栖川綾香は、来栖川綾香の選択を肯定する。


***

182Crazy for You:2009/08/09(日) 02:35:47 ID:MibganzY0
 
刹那の思考が、終わる。
ぎらぎらと、路地裏に餓える子供の、一切れのパンを見るような。
略奪を渇望し蹂躙を羨望し充足を切望する瞳に宿る常軌を逸した熱に浮かされるが如く、
来栖川綾香が口の端を上げる。紅を注したように赤い唇が、笑みの形に割り裂けた。

「―――なあ、おい」

声と共に、吐息が漏れる。
鼻を刺すような鉄の臭いと、えづくような汗の臭いが入り混じった、どろどろと色の滲みつくような吐息。

「こいつ、知ってるか」

べろり、と。
唇と同じ色の、赤い舌が伸びる。
長く、厚く、ぬめぬめと照り光るやわらかい粘膜の上に、何か小さなものがあった。
透き通る素材は硝子だろうか。
小指ほどの長さの円筒形を満たすように、中には液体が詰まっている。
琥珀を酒に溶かしたような薄黄色の、薬じみた液体。

「まあ、知らないよな」

事実、それは薬品であった。
それは坂神蝉丸との戦いにおいて使われ、人を凌駕する力を綾香に与えながら、
同時に人としての形をすら喪わせる破滅を齎した、悪夢の産物。
ゆらゆらと揺れる炎に照らされた綾香が舌の上で転がすのは、その劇薬を詰めたアンプルであった。

「大したもんじゃあ、ない」

183Crazy for You:2009/08/09(日) 02:36:13 ID:MibganzY0
かり、かり、と。
口の中で硝子製のアンプルを弄ぶ綾香が、すう、と微笑う。
微笑って、透き通ったそれを、一気に噛み砕いた。
鈍い音。砕けた硝子の欠片が綾香の口腔に刺さり、粘膜を裂いて血に染める。
染まった傍から癒えていく傷口の、その隙間を縫うように、薄黄色の液体が滲み込んでいく。
ぶるり、と震えて己が肩を抱くようにした綾香が、白く鋭い歯を剥き出して、笑んだ。
癒えた傷から抜け落ちた硝子の欠片が、がちがちと牙を鳴らすように震える口の中を跳ね回って
新たな傷を作るのを、綾香は気にした風もない。
吊り上げた口の端から、だらだらと唾液と鮮血が垂れ落ちた。
一瞬だけ白目を剥いた綾香の、血の色の瞳孔がぐるりぐるりと廻りながら開閉を繰り返す。

「ほんの少し―――」

ひう、ひうと。
奇妙に表情を歪めて短い呼吸を繰り返す綾香の顔を、彩るものがある。
初めに浮き上がったのは右の目の下、小さな発疹のような、赤。
一呼吸、すぐ下に赤点がもう一つ。
二呼吸、点と点が繋がって、頬を裂くような線になる。
次の瞬間、線が、爆ぜるように増えた。
膨れ上がった血管の全部が、内圧に耐え切れず浮き出してきたように、整った鼻筋を熱病の痕が冒すように。
女郎蜘蛛の互いに脚を絡め合うが如き不気味な紅の、それは綾香の顔の半分を覆う、紋様。

「―――頑張れる、クスリさ」

或いは立ち枯れた木々の、葉の一枚も残らぬ節くれ立った枝を幾重にも重ね合わせたような紋様に
端正な顔立ちの半ばまでを侵されながら、綾香が笑う。

「で……、」

184Crazy for You:2009/08/09(日) 02:36:54 ID:MibganzY0
じゅぶ、と。
濡れた雑巾を叩きつけたような、音。
笑んだ綾香が、自らの脇腹、肋骨の僅か下に、指を突き込んでいる。
だらりだらりと鮮血が垂れる。
根元までを肉に埋めた指は、ぐじゅぐじゅと桃色の糸を伸ばす肉を押し退けるようにして、
腹腔の中を掻き回しているようだった。
やがて何かを探り当てた指が、ずぶりと引き抜かれる。

「これが、残り、全部」

鮮血と脂肪とリンパ液とに濡れた指が、てらてらと光る。
示すように差し出した、その指の間には透明な円筒。
先刻綾香が噛み砕いてみせたのと寸分違わぬアンプルが三本、そこにあった。

「一々呑むのも、面倒だ」

告げた綾香が、空いた片手を白い喉に添える。
躊躇なく、爪を立てた。
か、けく、と血の泡が漏れ出したのは、気管と動脈とを傷つけたものだろうか。
間髪入れず、三本のアンプルが赤黒い泡を噴く傷へと差し込まれ、掴んだ指に力が込められる。
甲高い音は一瞬。ほぼ同時に三本の円筒が砕け散って、薄黄色の中身を溢す。
舐め取るように、血と肉とが硝子を練り込んだまま傷口を塞いでいく。
一瞬の、後。

185Crazy for You:2009/08/09(日) 02:37:16 ID:MibganzY0
「―――」

ぎぢ、と。
歯車の、錆を噛むような音。
生理的な嫌悪感を伴う音が、綾香の全身から響いていた。
ぎぢ、ぎぢ、ぎぢぎぢぎぢ。
ざらざらとした音が響く度、綾香の顔に蔓延る紅の紋様が、その版図を広げていく。
と、白い裸身に蔦の這うが如く拡がっていく紋様を追うように、綾香の身体に瘤が生まれる。
皮膚組織を内部から押し出すように膨れたそれは、見れば筋繊維の極端に肥大したもののようであった。
ぼこり、ぼこりと綾香の身体のいたるところで膨らんだ瘤が、しかし唐突にその肥大を止める。
刹那の間を置いて、鈍い音と共に、瘤が爆ぜた。
水風船の、割れて中身を撒き散らすように、爆ぜた筋繊維から舞い散った鮮血が赤い霧となって、
綾香の周りに漂った。

「……ここ、から、」

ぎぢぎぢと錆びた音の中、血の霧の舞う中で、紅の紋様に覆われた裸身が、声を放つ。
爆ぜた筋肉が、撥ねた血を呑んで蘇るように濡れた音を立てて癒えていく。
それはまるで内燃機関の、燃焼と爆発とを以て動力と変えるように。
白の裸身が、紅の紋様と桃色の肉と深紅の霧とを交互に纏って、立っていた。

「ここから、だ、化け物」

そこに人の面影はない。
それは断じて、人の範疇に納まり得ない。
ただ人の形を模した、人に非ざる何かが、そこには哂っている。
人を棄ててげたげたと哂う女が、跳んだ。

186Crazy for You:2009/08/09(日) 02:38:09 ID:MibganzY0
 
【時間:2日目 ***】
【場所:***】

来栖川綾香
 【状態:仙命樹、ラーニング(エルクゥ、魔弾の射手)、オーバードース】

柏木千鶴
 【状態:エルクゥ】

柏木楓
 【状態:エルクゥ、瀕死(右腕喪失、全身打撲、複雑骨折多数、出血多量、左目失明)】


→1086 ルートD-5

187Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:26:55 ID:VP5F8fys0
 死んだ。

 妹が。

 藤林杏が放送越しに確認した名前はあまりに淡白であっけないものだった。
 名前を呼ばれた頭はすぐに理解できず、数分経過してからじわじわと浸透してきた。

 ここに来てからずっと会えなかった妹。
 過酷な状況下で、それでもここまで生きてきたはずの妹。
 ちっぽけになってしまった自分を尻目に、変わっていたのだろうかと想像していた妹。

 引っ込み思案で、料理が下手で、占い好きで、ごくありふれた姉妹で、それでもどんなものより大切だった存在。
 それが……いなくなった。一目として会えず、どんな言葉も伝えられないまま。
 ついこの間まで一緒に料理の勉強をして、教えてやっていたというのに。
 他愛もない話で盛り上がっていたというのに。
 ずっと続くかと思っていたはずの現実が過去となり、急速に色褪せていくのが分かった。

 こうなるかもしれない、とは思っていた。
 知人が死に、友人の死を目の当たりにしてきた杏には痛いくらいに分かっている。
 それでも納得はできるものではなかったし、受け入れられるものではなかった。
 こんな理不尽な別れ方をして、仕方ないんだと言えるはずはなかった。

 ならばどうする。妹を殺した奴を憎み、恨むのか。
 残り二十人の中に必ずいるであろうその人物に怨嗟の丈をぶつけるのか。
 しかしそれも出来るはずがない、と杏は思った。
 そうしてしまえば自分も誰かに殺されるだとか、憎しみは憎しみを生むだけだからとか、そんな分かりやすく大層な理由ではない。
 妹が死んでしまった責任の一端が自分にもあると分かっていたからだった。

 この殺し合いであまりに小さくなりすぎて、自分を保つのに精一杯でしかなかった事実。
 思いばかりを空回りさせ、本当はできたはずのことさえできなかった不実。
 今まで積み重ねてきた大小の選択ミスが妹の死という原因のひとつになったということだ。
 そしてそういう失敗を犯しながら、未だ取り返せていない自分にも腹が立った。

188Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:27:28 ID:VP5F8fys0
 結局その程度の人間でしかないのだろうか、あたしは。

 諦めを覚え始めた新しい自分、まだ諦められないという本来の自分とが交差し、杏の心を傷つけていくのが分かった。
 こういうときはどうすればいいのか思いつかない。
 昔からそうだ。
 思いを伝えられず、臆病なまま時間を無為にしてきた。
 本当にどうしようもないときに、自分は立ち止まっていることしか出来ない――

「あの、藤林さん……」

 かけられたのは高槻の声でも芳野祐介の声でもなく、ほしのゆめみのものだった。
 工学樹脂の瞳には揺れ動くなにかが見えたが、果たしてそれがゆめみの感情を表しているのかは分からない。
 いや、そもそもゆめみに感情があるはずがない。ロボットにあるのは状況に応じた言葉であり、そうするようにプログラムされているだけだ。
 不躾で酷い考えだと自分でも嫌悪を抱いた杏は、憎めないなどと言いながらその実憎むだけの理由を探しているのかもしれないと思った。

 対象は誰でもよくて、ただ憤懣をぶつけられさえすればいい。
 生存競争の中に身を置き、常に敵を探し続けようとする習い性。
 忘れたくても忘れられない、人間の本性がそうさせているのか。
 内奥を巡る血がぐずぐずと粟立ち、不快感となって杏の頭を占拠した。
 今口を開いてしまえば、どんな言葉が出るかも分からず、杏はゆめみから目を背けた。

「こんなことを、言っていいのかどうか分かりませんが……お悔やみ、申し上げます」

 そう告げたゆめみの言葉尻には、言った本人さえもこれで良かったのかと逡巡する躊躇いがあった。
 彼女は疑っている。こんなことを無神経に言っている、己自身のプログラムに。
 理解した瞬間、杏は自分がたまらなくみじめなように思えて、我知らず言葉の箍を外していた。

「……なんで。なんで、あたしは……こんななのよ」

189Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:27:48 ID:VP5F8fys0
 体を抱えたのは、そうしなければ暴れだしてしまいそうなくらいに自分が制御できなかったからだ。
 泣き喚き、見境もなくやり場のない怒りをぶつけてしまうであろう我が身を想像したからだった。
 それほどに藤林杏という人間は小さい。変わろうとする意思も持てず、流されるがままにここまで来てしまったことが辛かった。

「わたしには、ご姉妹のことは分かりません。どんな人で、どんなことをしてきたのかも……
 ですから、わたしが言葉をかけられるような立場でないのは分かっていますし、その資格もないと理解しています。
 ……ですが、そうだとしても、声をかけなければいけない、と思いました。
 誰も言葉をかけてあげないと、一人で抱え込むしかないですから……」

 最後の言葉だけは杏そのものに向けた言葉ではなく、その先の別の誰かに対して向けられているように思えた。
 ゆめみは誰かの苦しみを請け負いたいのだろうか。そんなことが頭を過ぎる。

「わたしは、ロボットですから」

 何の脈絡もなく付け加えた言葉は、何の打算も思惑もなく、ただ人に尽くそうとする愚直なまでの誠実さだけがあった。
 これも教え込まれたものなのだろう。ロボットは人の役に立つことを役割として期待され、それを第一義として動く存在だ。

 だとしても、ロボットだって自分で考える頭を持っている。
 マニュアル通りの役に立つ方法ではなく、対象となる人が一番喜んでもらえる役立ち方を考え出そうとしている。
 ゆめみはロボットとしての役割を受け入れながらも、それを自分なりに解釈しているようだった。
 杏はゆめみの生き方に、軽い羨望を覚えた。

「それは、誰かから教わったことなの?」
「かもしれません」

 ゆっくりと振り返ると、曖昧に笑うゆめみの顔が目に入った。

「誰かにそうしろと言われたわけではありません。ここで色々な人の姿を見てきて、わたしなりに想像した結果です」

190Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:28:07 ID:VP5F8fys0
 ああ、と杏は自分とゆめみが持つ違いの正体をようやく理解した。
 ゆめみは自分から探しに言っている。教えてくれないのならば探せばいい。
 見つけられないのならば見つけに行けばいい。
 自分は待っていただけだ。

 どうして変われないのか、どうしてこうなってしまったのか、きっと誰かが教えてくれるだろうと決めてかかっていたのだ。
 学校での勉強と同じ、黙っていれば誰かが教えてくれる環境に慣れきり、当たり前にしてしまった人間の考え方だった。
 疑問が解消された瞬間、澱んでいた空気が抜け穴を見つけ、するすると外へ出てゆく感触があった。
 ゆめみは既にして、独立していたのだ。
 臆病かどうかなんていつか分かると考えていた自分に恥じ入り、引き裂きたい思いに駆られた。

 ……だったら。確かめにいかなくちゃ。

「ありがとう」

 自分でも驚くほど素直に出てきた言葉は取り繕うものでもその場しのぎの言葉でもなく、やるべきことを教えてくれたことへの感謝だった。
 妹を殺した奴と、言葉を交わさなければならない。
 理不尽な死の原因を理解は出来ずとも納得するために、杏は自ら歩み寄ることを選んだ。

 そして今度こそ、見つけてみよう。
 自分が思いを伝えられる相手も。

 ゆめみは無言で微笑した。
 どこか困ったようなその微笑は、単に理由が分からず、返す言葉が分からなかったからなのかもしれない、と思った。

     *     *     *

「あれで良かったのか。役目をほしのゆめみ一人に押し付けて」
「お互い様だ。お前だってそうだろうが。……俺達が言ってもしょうがないだろ」

191Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:28:25 ID:VP5F8fys0
 言いながらも、高槻の口調はどこか歯切れが悪かった。
 高槻の言う通りで、結局最後まで口に出せなかった自分も同じだ。
 慰めの言葉すら自分が言うと空疎で中身のないもののように思えたからなのだが、そうではないのかもしれない。

 自分達には言葉がなかった。杏の気持ちに気を使うあまりに何を言っていいのか分からなかったのだ。
 不器用と言えばそれまでの話だが、実際は無遠慮や素直さ、真っ直ぐさを忘れてしまったからなのだろう。
 大人になって様々な芥を浴びてきた自分達は言葉を額面通りに捉えられなくなってしまった。
 裏を探し、真意を読もうとし、素直に受け取る術を忘れてしまった大人。
 思う気持ちはあっても、大人として生きる術を覚えてしまった体が踏み込むことを躊躇わせた。
 高槻が煮え切らないのもそこに起因するのに違いなかった。

「自分勝手だな、俺は」

 ぽつりと呟かれた高槻の声は微かで、隣にいた芳野にも僅かな音量でしか届かなかった。

「生きるためには人の力が必要なことも分かってるのに、肝心なときに何もしようとしない。黙って見てるだけだ」
「そしてそれを自覚していながら、結局は踏み止まる。自分のことしか考えられずに……」

 高槻の後を引き取り、芳野が続けた。
 ここで人から教わったこと、学んだことは多いのに、恩に対して無言という形でしか応えていない。
 自分が変わった、良くなったという自覚はあっても、人に同様のことができたかというと答えは否だ。

 やろうと思ってやれるものでもないし、やるものでもない。
 それでも無為にしてしまうことに後ろめたいものがあった。
 こうなりたいと思って、なったわけではないのだから。

「なぁ、芳野の兄ちゃん。告白のひとつやふたつやったことはあるだろ?」
「いきなりどうした、藪から棒に」
「いいから答えろ」

192Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:28:41 ID:VP5F8fys0
 話題の転換にしては唐突で脈絡ないな、と芳野は思ったが、言わなければ高槻が不機嫌になりそうだったし、
 このまま沈黙が落ちるだけだろう。「一応な」と返した芳野に、「どんな気持ちだった?」と矢継ぎ早に質問が重ねられた。

「どうって……」

 伊吹公子に婚約を申し込んで、受け入れられてはいるがあれを告白と言っていいものなのだろうか。
 学生時代にはよく告白されてはいたが、自分から告白したことはない。
 どだい、愛だ何だと普段から叫んでいたがために本気にしてもらえなかったというのもあったのだが。

 いや公子に婚約を申し込んだときでさえ思慕の念が先立ち、
 付き合いを繰り返すようになって愛情へと変化していったようなものだから、
 そう思うと自分は恋愛というものを知らないのかもしれないと思った。

「……無我夢中としか言いようがない」
「なんだよそりゃ」

 呆れ果てた高槻の声に、芳野は自分でもげんなりした気分になる。
 今考えた自分の推測が正しいのなら、愛だと叫んでいた自分は何だったのだろう。
 ひょっとすると中身など分かっておらず、憧れのままに情動を発していたのかもしれない。

 自分の無知に嘆息する。一方でそんなことだからあのような人生を送ってきたのだと納得もしていた。
 ただ歌詞を捻り出し、表面だけ取り繕う歌を作り出してきた、過去のみじめな人生を……

「参考にならんな」
「参考って、何をするつもりだ? ……愛の告白か」
「馬鹿」

 憮然と受け流した高槻の表情を見るに、そうではないようだ。
 これ以上詮索するのも無粋だと思った芳野に、「やっぱ自分で考えるしかないんだな」と諦めたような吐息が出された。

193Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:29:00 ID:VP5F8fys0
 小学校の門は、すぐ近くに見えていた。

     *     *     *

 よい子のみんなよ、元気にしてたかい?
 ここ最近あんまり出番に恵まれない気がする高槻でござる。
 久々に暇になったのでここいらでひとつ俺語りをしてみようというわけさ。

 まず現在の状況を言っておこう。
 ここは職員室だ。普通の職員室ならコーヒーと煙草とコピー機の音がガションガションと聞こえてきそうなもんだが、そんなもんは全くない。
 そういうことで俺はゆめみにコーヒーを探して淹れてこいと命じた。
 喉が渇いてたし、一人と一体でじっと待つというのも気詰まりだからな。

 ポテトだって? あいつはあの恐竜馬みたいたのが気に入ったらしくぴこぴこけーけーとやかましく喋ってるんだろう。
 別に寂しくなんてないぞ。元々犬畜生なんだ。ああしてるのがお似合いさ。

 ちなみに芳野と藤林は外に何かを回収に行っているらしい。忘れ物って言ってたが、まぁ大体想像はつく。
 俺とゆめみは学校の中に誰かいるか調べてこいって言われたんだな。

 だが一通り部屋を回っても誰もいなかった。そりゃあ残りが二十人もいないっていうんだから、人がいる確率なんて低いんだろうよ。
 ただ視聴覚室の電気がついてたのはちょっと怪しかったね。PCの電源は消えてたから、多分誰かが使ってそのままってことだろう。
 電気は消し忘れたに違いない。念のため机の下やらロッカーの中やらも調べてみたが何もなかった。
 やれやれ、一度完全攻略したダンジョンの中を探っている気分だったね。

 もっとも、二手に別れている状況で戦闘にならなかったのは幸いだと言えるが。
 少し前なら張り合いがないだとかフラグが立たないとかそういうことを言っていたんだろうが、もうそんなゲーム脳じゃないんでね。
 何? ついさっきゲームに例えたものの見方をしていただって? ……た、たとえだよ、たとえ。

 とにかく。ここには誰もいなかったってことで戻ってきたんだが、肝心の藤林と芳野が来ない。
 ちょいと不安になったので見に行ったら、まだ作業をしていた。手伝おうかとゆめみが進言していたが、もうすぐ終わるのでいいと断られた。
 中々間が悪かったようで。ゆめみが肩を落として戻ってきたので、俺はコーヒーでも淹れておけばいいんじゃねえのと言ってやった。

194Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:29:18 ID:VP5F8fys0
 それで今に至るというわけさ。煙草のひとつでも欲しいところだが机の中を漁っても出てこなかった。
 どうやら禁煙奨励の小学校という設定だったらしい。随分と健康志向な設定で施設を建てたもんだ。
 主催者に文句のひとつでも言ってやりたいところだが、吸えないものはしょうがないので俺は椅子の背もたれに身を預けて天井を眺めていた。

 蛍光灯の頼りない明かりがチカチカと揺れ、ここから先はどうするという疑問を投げかけていた。
 仮に首輪を外せて、爆破される恐れはなくなったとしよう。だが問題なのはそこからで、どうやって島から脱出し、日本まで帰るか。
 こちらが確保しておくはずだった岸田の置き土産は木っ端微塵にされちまったし。

 今さらのようにあの失態が重く圧し掛かる。早かれ遅かれ、妨害はされていただろうという言い訳染みたものは浮かんだが、
 後手に回りきっていたという事実は変わらない。それに、目前でやられりゃあ、負い目のひとつも浮かんでくるというものだ。
 この失敗をどうやって取り返す? 言い訳をやめ、俺は底に沈みかけた責任の文字を引っ張り上げた。

 取り繕ったところで自分の失敗は取り返せない。ミスをミスとして認め、どうすれば挽回できるかを考えなければならないのだ。
 もうそんな悠長な状況じゃない。俺の勘だが、もうそんなに時間は残されていないような気がする。
 忽然と消えたアハトノイン。淡々と名前を告げるだけの放送。それでいて脅しもなにもないときた。
 俺には逆に敵の余裕のように感じられた。後はひとつ手順を踏むだけで、こちらを一揉みに揉み潰せる、そんな奴らの余裕が見える。

 余裕の中に、傲慢の一つでもあればいいんだがな……
 神頼みに近いことをしている俺の焦燥振りにも腹が立った。
 出来ることは、神頼みしかないのか。そんなのは断じて許せるはずがなかった。

「攻め入るには、一手が欠けるんだ……万全を期して待ち受ける奴らと戦うんじゃない。隊列の崩れたところから突けるような部分があれば」

 呟く間にも思考を重ねてみるが、今のところどうにもいいアイデアがない。
 彼我の情報差が大きすぎる。
 戦力は? 奴らの陣地は? 指揮系統は? 通信手段は?
 何一つとして分かっちゃいない。奴らは、徹底的に自分達の存在を秘匿している。

195Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:29:37 ID:VP5F8fys0
 そうする必要がないからでもあるし、臆病なまでの慎重さがあることも窺える。
 逆に考えれば、奴らもミスが許されないという状況でもあるかもしれない。だがこれも推測だ。
 確信の持てることがありゃしない。裏切り者でもいれば……ゆめみさんじゃね?
 よくよく考えればゆめみは元敵側だ。支給品だが、敵側だ。分解でもしてデータを抜き出せば……

 即座に馬鹿らしいという思いが立ち上がり、俺は再び思考の波に身を委ねた。
 抽出できるかなどの理屈がどうこうより、ただそうしたくないという気持ちの方が強かった。
 少しは仲間意識が芽生えているのか、などと思いつつ俺は対アハトノイン戦のパターンを考え始めた。

 恐ろしいことにまるで歯が立たなかったからな。武器差があったとはいえ、45口径が通じないなんて反則にも程がある。
 なんとなくガバメントを取り出して眺める。いつの間にか愛用の銃になっていた。最後まで、俺を守ってくれるだろうか。
 ゆめみも守ってくれたんだ、きっとまだ愛想は尽かされていないだろうと勝手に納得しながら、アハトノイン戦の肝はこいつだという思考に至る。
 思い出したのだが、アハトノインは『完全に防げる攻撃』は防御しないという特徴があるのだ。
 避けたのはあくまでも損傷が与えられる可能性のある武器だけ。ならば、その防御しない特性を逆手に取って何とかできるかもしれない。

「メモにでも起こすかね……」

 ガバメントを仕舞い、天井に向けていた顔を地上へと戻すと、そこにはお盆を手に持ったゆめみがいた。
 おわっ、といきなり現れたというか、多分ずっと待っていたのだろう彼女に驚き、思い切り体を逸らす。
 勢い良く動いた体がストンと落ちる感触があった。椅子からずり落ちたのだろうと認識する合間に、ゆめみが笑ったような気がした。
 コーヒーをお持ちしました、とかそういう意味の笑いだったのか、俺の無様に対する笑いだったのかは分からん。

 ちくしょう、要領の良さを身につけやがって。睨んだ俺に「どうぞ」とゆめみがコーヒーを差し出した。
 正確には、コーヒー豆だった。未開封のコーヒー豆。税込み数百円くらいの安っぽい袋が俺の前に待ち構えている。

 ここで俺はようやく思い出した。
 ゆめみはメイドロボじゃなかった、と。

196Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:29:49 ID:VP5F8fys0
 真実を教えてやり、ぺこぺこと例の如く平謝りするゆめみに、もういいよと言ってやろうと思った瞬間、がらがらと職員室のドアが開いた。
 どうやら作業を終えたらしい二人が「何をやってるんだ」という風な視線を投げかけている。

「メイド修行だ」

 割と真面目な意味でそう言ってやったところ、今度は溜息が増えた。
 馬鹿の相手はしてられないとばかりに二人は近くにあった椅子に座り、作業で疲れた体を休め始めたようだった。
 お前ら、いっぺんコーヒー豆食ってみるかと詰め寄ろうと思ったところ。

 職員室の電話が鳴り始めやがったのさ。
 さてここでお前らに質問だ。

 この電話は吉兆か凶兆か?
 取るべきか取らざるべきか?
 俺と芳野と藤林は顔を見合わせた。
 ポテトと恐竜馬は不在。
 ゆめみは暢気に応対しに行こうとしたので首根っこを掴んでおいた。

 さて――どうしますかね?

197Twelve Y.O.:2009/08/10(月) 19:30:13 ID:VP5F8fys0
【時間:3日目午前02時00分ごろ】
【場所:D−6 鎌石小中学校】

メイドマスター高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、コルトガバメント(装弾数:7/7)、鉈、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、P−90(50/50)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:全身に怪我。一旦学校に戻る。船や飛行機などを探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、S&W 500マグナム(5/5、予備弾2発)、ドラグノフ(0/10)、はんだごて、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動くようになった。運動能力向上。パートナーの高槻に従って行動】

芳野祐介
【装備品:ウージー(残弾30/30)、予備マガジン×2、サバイバルナイフ、投げナイフ】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:一旦学校に戻る。思うように生きてみる】

藤林杏
【所持品1:ロケット花火たくさん、携帯用ガスコンロ、野菜などの食料や調味料、食料など家から持ってきたさまざまな品々、ほか支給品一式】
【所持品2:日本刀、包丁(浩平のもの)、スコップ、救急箱、ニューナンブM60(5/5)、ニューナンブの予備弾薬2発】
【状態:重傷(処置は完了。激しすぎる運動は出来ない)。芳野に付き従って爆弾の材料及び友人達、椋を探す】

ウォプタル
【状態:杏が乗馬中】

ポテト
【状態:光二個、ウォプタルに乗馬中】

→B-10

198Twelve Y.O.:2009/08/11(火) 00:21:50 ID:1fDn27tQ0
済みません、加筆があります…… >>191

 言いながらも、高槻の口調はどこか歯切れが悪かった。
 高槻の言う通りで、結局最後まで口に出せなかった自分も同じだ。
 慰めの言葉すら自分が言うと空疎で中身のないもののように思えたからなのだが、そうではないのかもしれない。

 自分達には言葉がなかった。杏の気持ちに気を使うあまりに何を言っていいのか分からなかったのだ。
 不器用と言えばそれまでの話だが、実際は無遠慮や素直さ、真っ直ぐさを忘れてしまったからなのだろう。
 大人になって様々な芥を浴びてきた自分達は言葉を額面通りに捉えられなくなってしまった。
 裏を探し、真意を読もうとし、素直に受け取る術を忘れてしまった大人。
 思う気持ちはあっても、大人として生きる術を覚えてしまった体が踏み込むことを躊躇わせた。
 高槻が煮え切らないのもそこに起因するのに違いなかった。

「自分勝手だな、俺は」

 ぽつりと呟かれた高槻の声は微かで、隣にいた芳野にも僅かな音量でしか届かなかった。

「生きるためには人の力が必要なことも分かってるのに、肝心なときに何もしようとしない。黙って見てるだけだ」
「そしてそれを自覚していながら、結局は踏み止まる。自分のことしか考えられずに……」

 高槻の後を引き取り、芳野が続けた。
 ここで人から教わったこと、学んだことは多いのに、恩に対して無言という形でしか応えていない。
 自分が変わった、良くなったという自覚はあっても、人に同様のことができたかというと答えは否だ。

 やろうと思ってやれるものでもないし、やるものでもない。
 それでも無為にしてしまうことに後ろめたいものがあった。
 こうなりたいと思って、なったわけではないのだから。

 無為にしてしまったという意味では、霧島聖に対しても借りを返すことは出来なかった。
 一ノ瀬ことみはまだ生きているようだったが、少なくとも争いに巻き込まれたのには違いない。
 あの聖のことだ。多分、ことみを庇って逝ってしまったのだろう。
 ことみは聖に対して懐いているようだったから心配ではあったが、聖の性格から考えると最悪の事態にだけはなっているまいと思う。
 大人でありながら誠実さを忘れずにいた彼女と、もう一度会いたかったと思いを結びながら、芳野はごく短い黙祷を終えた。

「なぁ、芳野の兄ちゃん。告白のひとつやふたつやったことはあるだろ?」
「いきなりどうした、藪から棒に」
「いいから答えろ」

としてください。お手数ですが宜しくお願い致します

199へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:51:07 ID:e5.BK2Jg0
 デウス・エクス・マキナというものがある。
 機械仕掛けの神という意味で、脈絡もなく現れて物事を一気に解決してしまう。
 いわゆるご都合主義のことを指す。本来、そういうものは現実にありえるわけがないのだし、信じられるものでもなかったが――
 今、機械仕掛けの神は目の前に存在していた。

「……本当にありましたね」

 半ば唖然としている皆の先陣を切って、古河渚はぽつりとだが漏らした。
 学校裏側の駐車場。車が一台とバイクが二台。さあ使ってくださいと言わんばかりに暗闇の中で鈍色の光沢を放っている。
 流石に鍵こそかかっていなかったが、あまりにも早く見つかりすぎたので拍子抜けする思いの方が強かった。
 何故廃校になっていたはずの場所に車とバイクがあるのだろうか。渚はその旨の質問を重ねてみたが、宗一からすぐに返答があった。

「ここ、人工島かもしれないって言ったぜ」
「そうでしたね……」

 言われて、渚はようやく納得を抱えた。機械仕掛けの神が舞い降りたのではなく、この舞台そのものが神に作られていたのだ。
 言ってしまえば殺し合いご都合主義に即したものの配置になっているということだ。
 多分、鍵だって探せばすぐ見つかるのかもしれない。
 だが利用できるのなら何も問題はない。今の自分達がやるべきことは生きて帰ること。それだけだ。

 ここまで来たという感慨が実を結び、渚の中にようやくひとつの光景が見えるようになった。
 霞がかかっていて一歩先までしか見えなかったはずの坂道が、もう坂の上まで見通せるようになっている。
 ひとりで歩いていたはずの坂にはいつの間にか人が増えており、自分はその人達と肩を並べて歩いている。
 ようやく立たなければならない場所まで戻ってこれた、いや進んでこれたのだと自覚する。

 まだ終わりではない。道はまだ続いていて、登りきった先にどうするかも決めてはいない。
 空白のページはたくさんある。一つ一つ丁寧に埋めていけばいい。
 急く必要はない。横からアドバイスしてくれるひとも、アドバイスを求められるひともここにはいるのだから。

「やほほーい♪ さー動かすぞー!」

200へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:51:25 ID:e5.BK2Jg0
 いつの間にかドライバーやら何やらを手に持って飛び出していたのは朝霧麻亜子だった。
 どうやら鍵を探す気は皆無らしく、早速バイクに取り付いてがちゃがちゃと弄繰り回していた。
 相変わらず凄まじいバイタリティだなあ、と感心しながら渚は他のメンバーの顔を見回した。

「どうします? 鍵、探してきたほうがいいでしょうか」
「いや、それには及ばん」

 ニヤと笑った宗一の手にあったのはツールセットだった。どうやら宗一も鍵を探す気はないらしい。

「まあ任せとけ。数分もあれば終わるさ」

 ぐっ、と指を立てて宗一は車へと突進していった。
 車には鍵がかかっているようだったが、それも開ける気まんまんのようだった。
 バイクに張り付いて作業していた麻亜子が「勝負じゃ若造がー!」と言うのに合わせて「格の違いを思い知らせてやる!」と息巻いていた。
 渚だけでなく全員が苦笑していた。出番が全くなくなってしまったので待つしかなく、必然的に立ち話に移行した。

「で、振り分けはどうする?」

 国崎往人がバイクと車を見ながら言う。そういえば結局あの時……移動手段について話し合っていたときはうやむやになってしまっていた。
 現在の人員は七人。車には四人、バイクにはそれぞれ二人は乗れる。
 車には若干余裕があるようだったが、ルーシー・マリア・ミソラが「車には荷物を載せるべきだろう」という意見に全員が一致の意を得たので、
 車に三人、バイクに二人ずつということに落ち着いた。勿論麻亜子にも宗一にも相談はしていない。
 麻亜子の方は後々文句を言ってきそうな気がしなくもなかったのだが、楽しそうに勝負していたので邪魔するのも憚られた。

「というか、あいつが混ざるとグダグダになるからこのまま進める」

 それは先の一件でも明らかだったので、これにも全員が頷いた。
 あまりこういうことはしないのが渚の信条だったが、往人の言葉もまた頷けるものだったので今回は何も言わないことにしたのだった。
 それに、ちょっとした仕返しです。さっきからかわれましたから。
 こんなことを考える自分は、少し遠慮がなくなったのかもしれないと渚は思った。

201へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:51:45 ID:e5.BK2Jg0
「とりあえず、那須とまーりゃんと川澄はそれぞれ別だな?」
「だな。それは確定事項だ」

 ルーシーの言葉に往人が首肯する。付け加えるなら宗一が車で、他の二人がバイク。
 となれば、後は基本ここの面子の希望で配置が決定されることになる。
 なんだか修学旅行みたいだ、と渚は場違いだと思いながらもそんな感想を抱いた。

 いつもこういうときはひとりで、気がつけばバス席も部屋割りも決まっていた。
 小学校や中学校ではそんな感じで、高校に至っては病欠という有様だった。
 ひとりじゃないという感慨が浮かび上がり、渚は気持ちが落ち着いてゆくのを感じていた。

「はいっ。風子バイクがいいです」

 元気に手を上げて発言したのは伊吹風子だった。
 期待に目を輝かせ、しゃきっとした表情になってピンと手を伸ばす風子には、滅多にできない経験への興味があるようだった。
 こういう部分は変わっていないのだなと渚は苦笑する。

 久々に再会した風子はどこか様変わりしていて、ぼんやりしたところがなくなり、代わりに鋭さを備えたように見えた。
 くりくりとした大きな薄茶色の瞳の奥に見える、決然とした堅い意思。
 幼さを残す風貌と不釣合いになっていることが可笑しく、また危うさを含んでいるようにも感じられた。

 今にも己自身を壊してしまいそうな、どこまでも真っ直ぐに過ぎるひとつの決意――
 衝動的に抱きしめてしまったのはそれらの脆さを感じてしまったからなのかもしれない。
 ふぅちゃんは、ふぅちゃんのままいてくれれば、それでいいんです。
 口に出せなかったのは想像はできても確信には至れなかったことがあるかもしれない。
 また、止められるものではないと分かっているからなのかもしれなかった。

 知り合ったときから変わらない一種の頑固さ、意固地さは更に強くなっているように思えた。
 そんな風子だからこそ、尚更生き続けて欲しいと、渚は切に願ったのだった。

202へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:52:03 ID:e5.BK2Jg0
「よし。ならまーりゃんの後ろだな」
「ええっ」

 風子が途端に嫌そうな……とまではいかないが、不満を滲ませた声を出した。
 頭を撫でられるたびにふーっ! と反発していた風子からすると、子供扱いする麻亜子とは性が合わないのかもしれない。
 実際二人の外見年齢はほぼ同じだったし、納得いかないものがあるのだろう。
 ……実年齢もほぼ同じだというのもあるのかもしれないが。

「身長的に考えてお前が適任だろう?」

 ルーシーの理路整然とした言葉に「それはそうでしょうけど……」と憮然とした態度で答えた風子は、
 麻亜子の方をちらりと見て、「やっぱりヤです」と言った。

「どうして」
「セクハラされますっ」

 往人の目とルーシーの目が風子の胸に注がれた。風子は胸に手をやり、持ち上げる仕草をした。
 二人は顔を見合わせ、深く頷きあった。

「「いっぺん出直して来い」」
「がーん!?」

 大仰にショックを受けたリアクションをとって、風子はよよよと泣き崩れた。
 渚は自分の認識を訂正しようと思った。麻亜子と風子は似ている。間違いなく。

「そ、そんな……風子の貞操はこうして奪われてしまうのですね」
「伊吹。川澄の胸を見てみろ。ぼいんぼいんだ」

203へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:52:24 ID:e5.BK2Jg0
 微妙にセクハラ発言をしているルーシーだが、顔が極めて真顔かつ真面目なので突っ込めない。
 風子の目が舞に移る。胴衣の上からでも分かる大きな盛り上がりに「ふーっ!」と敵愾心に満ちた声を上げた。

「……嫌われた?」
「たぶん、ただのライバル意識なんじゃないかと……」

 しゅんと落ちこんだ舞に渚がフォローする。何故胸の話になったのだろうと思いながらも。

「いいんです! おっぱいの大きさなんて些細な問題なんです! おっぱいは形! 風子は美乳だからセクハラされると大問題なんです!」
「美乳じゃなくて微乳の間違いだろう」
「というか、お前が胸を語れる立場か」
「大顰蹙ですっ!?」

 往人とルーシーに一蹴され、そんな馬鹿なとくず折れる風子。
 いつからここは胸を議論する集団になったのだろうという認識が持ち上がりながらも、勝手に話が捻れていくのでどうしようもなかった。

「まーりゃんとそっくり……あっちは意図的だけど、こっちは天然」

 的を的確に射ていた舞の言葉に、渚はただ頷くしかなかった。

「あのー……それで、結局ふぅちゃんはどこになるのでしょうか」
「まーりゃんと一緒。もう確定だ」
「そ、そんな! 数の暴力ですっ!」
「わっはっは、何がそんなに嬉しいのかね?」

 尚も反論しようとしていた風子の肩をがしっと掴んだのはいつの間にか背後に忍び寄っていた麻亜子だった。
 わーっ! と抵抗するが麻亜子は器用に風子を羽交い絞めにすると頬を摺り寄せてうりうりとし始める。
 自分達がおっぱい議論をしている間に向こうは決着がついてしまったらしく、宗一は車に寄りかかってこちらを眺めていた。
 勝負の行方はどうなったのだろう、などと渚は思いながら、隣で聞こえる喧騒を半ば聞き流していた。

「さて、一組目は決まった。後は誰が舞と同乗するかなんだが」

204へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:52:53 ID:e5.BK2Jg0
 うーっ! とか ふーっ! とか風子の貞操がー、などと聞こえてくる声は誰も気にしていないようだった。
 というよりは触れてしまったらまた話がややこしくなると誰もが認識しているからなのだろう。
 渚も別に喧嘩しているわけでもなさそうなので口は挟まなかった。「風子、お嫁にいけません……」なんて聞こえたような気がしたが、
 それでも気にしないことにした。仲良きことは美しきかな。
 ……ですよね?

「まあぶっちゃけた話、私か渚が適当だろう」
「なんでですか?」

 渚は首を傾げた。普通に考えればそれまで行動を共にしてきた往人が一番適当だと思っていたからだ。
 疑問を挟まれたことそのものが意外だったらしいルーシーは目をしばたかせたが、すぐに合点のいった様子になった。

「いや、いい。気にするな。渚は渚の信じる道を行くがいい」
「……なんで話が大きくなってるんですか?」

 ルーシーは薄く笑っただけで、ぽんぽんと渚の肩を叩いた。ちんぷんかんぷんだった。

「……で、どうするの?」
「そこで俺に振るか」

 話の流れを読んだ舞が往人に聞いていた。

「私は別に構わない」
「いや……それでいいのか?」
「あーっ! 往人ちんめ、ここぞとばかりにおっぱへぶっ!」

 敏感に会話の内容を察知したらしい麻亜子が割り込もうとしたが、風子の頭突きによって阻まれる。
 たぶん、みんな心の中で親指立ててるんだろうなあと思いながら、渚はようやくルーシーが言おうとしたことの意味を察していた。

205へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:53:07 ID:e5.BK2Jg0
 よくよく考えればすぐ分かることだった。バイクに二人乗りするということは、必然、体が密着するわけである。
 それまでよく分からないおっぱい議論の渦中にいたせいで感覚が麻痺していたのかもしれない。
 自分は案外空気に毒されやすいのだと渚は認識せざるを得なかった。
 内省をしている間に、麻亜子と風子はキャットファイトの様相を呈していた。なぜ頭突きしたし! とか、ふかーっ! とか聞こえていたが、
 殴り合いでも引っかき合いでもなさそうだったので大丈夫そうだと理解して、渚は放っておくことにする。

「……いや、遠慮する。身長差があるし、見た目にも格好がつかん」
「そう……」

 無表情に頷いた舞の言葉は落胆しているようでもあり、最初から分かっていたと納得しているようでもあった。
 往人もなんとなく目を合わせ辛くなったのか、「……荷物、運ぶぞ」と言って舞や渚達の荷物を持ち、車の方へと歩いていってしまった。
 残された三人の間には微妙な空気の流れが漂い、口が開きにくい状況になってしまった。

 発端は自分だ。そう思い返した渚はおずおずと手を上げて「じゃあ、わたしが舞さんと一緒でいいですか?」と提案していた。
 気付いていなかったとはいえ、やや後ろめたいものがあるのは事実だったし、それに……
 自分に話せるだけの余裕も知識も、器の大きさもあるのだろうかと逡巡したが、やろうと思い立っている自分がいることは事実だった。
 もっと、知りたいから。

 その気持ちがあればいいと断じて、渚はもう一度「どうでしょうか」と尋ねていた。
 舞はこくりと頷き、ルーシーも「なら、私もそれでいい」と言っていた。

「じゃあ、よろしくお願いしますね、舞さん」

 はにかんだ笑顔を向けると、舞はうん、と再度頷きかけて……ぴたりとその動きを止めた。

「どうしたんですか?」
「……私、スクーターしか乗ったことがない」

 え、と渚の顔が強張る。
 つまり、それは。

206へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:53:21 ID:e5.BK2Jg0
「バイクに乗ったことはない……ってことですか?」

 ん、と申し訳なさげに舞は頷いた。よくよく考えてみれば学生という身分でバイクに乗れるなんてことは金銭面的に難しいところがある。
 一応免許を取る過程で運転はしているかもしれない。が、ペーパードライバー同然だという事実は覆しようもあるはずがない。

「だ、大丈夫ですっ。安全運転なら大丈夫ですよ……ね?」

 思わず確認してしまったのは失敗だったかもしれない、と渚は後悔した。
 舞は少し目を泳がせ、「多分」といくらか細い声で言った。
 ルーシーは既に車に乗り込もうとしていた。またもや漂い始めた微妙な空気を察知したらしい。
 どうする術もなくした渚は「えへへ」と笑うしかなかった。

「大丈夫……私が守る」

 交通安全か、渚の身か。どちらにしてもこの場では滑稽以上の意味を持たない言葉であることは、間違いがなかった。

207へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 21:53:40 ID:e5.BK2Jg0
【時間:3日目午前2時00分頃】
【場所:F−3】

川澄舞
【所持品:日本刀・投げナイフ(残:2本)・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。額から出血。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている。剣道着を着ている。バイクに乗って移動(相棒は渚)】
その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(1/7)、ボウガン(32/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。軽い打ち身。往人・舞に同行】
【その他:体操服(上下のジャージ)を着ている。バイクに乗って移動(相棒は風子)】

国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 4/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾4/10) 予備弾薬35発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。全身にかすり傷。椋の捜索をする】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数0/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、投げナイフ1本、鉈、H&K SMGⅡ(30/30)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【所持品2:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸9発・トカレフ(TT30)銃弾数(0/8)、デザートイーグル(.44マグナム版・残弾4/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、S&W、M10(4インチモデル)5/6】
【持ち物3:ノートパソコン×2、支給品一式×3(水は全て空)、腕時計、ただの双眼鏡、カップめんいくつか、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、何かの充電機】
【状態:全身にかすり傷】
【目的:渚を何が何でも守る。鎌石村小学校に移動し、脱出の計画を練る。車に乗って移動(同乗者は往人・ルーシー)】 

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 1/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:心機一転。健康】
【目的:人と距離を取らず付き合っていく。最優先目標は宗一を手伝う事】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(0/15)、イングラムM10(0/30)、イングラムの予備マガジン×1、M79グレネードランチャー、炸裂弾×2、火炎弾×9、Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン】
支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全身に細かい傷、及び鈍痛。民家に残る】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(20/30)・予備カートリッジ(30発入×4)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。髪飾りに美凪の制服の十字架をつけている】
【目的:とりあえず渚にくっついていく】 

→B-10

208へっぽこマーチ:2009/08/14(金) 22:53:54 ID:e5.BK2Jg0
おっと、感想スレで指摘があったみたいだ…
その通りです、「鍵はかかっていなかったが」じゃなくて「鍵はかかっていたが」です…

209メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:52:12 ID:NMxDrVA.0
 漆黒の闇はいよいよ深まり、明かりも殆どないこの島では見えていたものさえ見えなくなる。
 雨は上がり、雲もなくなった空では少し欠けた月と星の瞬きが地上を照らし出しているのがせめてもの救いだった。

 車に荷物を詰め込み、もう忘れ物がないかと再三に渡るチェックを行ったリサ=ヴィクセンは、
 廃屋同然になった民家を眺めてひとつ息をついた。

 何せ車があるのをいいことに持っていけるものは持ち出せるだけ持ち出したのだ。
 タオル、着替え、食べられるもの、食器、果ては生理用品まで。
 まるで夜逃げのようだとリサは思ったものだったが、実際はこんなものは持っていかないだろう。
 通帳と手形、パスポートに印鑑といったものを頭に浮かべ、ひとつとして荷物の中になかったことを考えると、
 寧ろ旅行というに相応しいという結論に至り、リサは苦笑するしかなかった。

 徐々に自分たちは日常に回帰しつつある。人と人が関わることを始め、自らもその環に入っている事実。
 決して元通りではない、それどころか何一つとして戻ってくるものなどはない。
 バラバラに砕け散って、寄せ集めて形にしたようなものでしかない。そうすることでしか傷を塞げないのが自分たちなのだろう。
 だが元に戻せなくとも、傷が完全に癒えなくともなんとか出来てしまうのが人間なのだし、新しい欠片を見つけて繋ぎ合わせることだって出来る。
 その気になりさえすれば理由をつけ、しぶとく生きていられるのが人間なのだ。

 少なくとも、そういう逞しさ、ひたむきさを身につけたのは間違いのないことだった。
 もっとも、私はただ諦めが悪いだけなのかもしれないけれど……

 筋を通しきれずここまで来てしまった女。まだ何も為していない。それは機会を逃してしまった結果だろう。
 英二に先を越され、愚直になりきれなかったがために、自分はまだ生きている。
 それで良かった。筋を通して生き抜いた英二の姿を見たからこそ、こうして責任を覚える生き方をしている自分がいるのだから。
 恐らく、早かれ遅かれ、どちらかが死に、どちらかが残されていたのだろう。英二と自分、双方ともが不実を抱えていた人間だったから。
 生きる役割を任されたのが自分なら、それを全うしてみせるのが軍人だった。

 でも、とリサは思う。それでも共に道を歩める未来があっても良かったのではないだろうか、と考えてしまう。
 掴めるはずのない理想なのだとしても、二人で道を拓けたかのもしれないのに……
 できなかったのは、二人ともが大人であったから。その一事に尽きるのだろうと結論したリサは、
 いつか英二と同じ場所に行ったら散々に愚痴ってやろうと考えたのだった。
 女を残して行ってしまったことは、少々許しがたいものがあった。

210メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:52:29 ID:NMxDrVA.0
 どうやら諦めが悪いのは異性との関係についても同じことらしいと自覚し、雌狐と渾名された理由が掴めたような気がした。
 自分が俄かに人の匂いを帯び始めたことがただ可笑しく、口元を歪めながらリサは民家を後にした。

「リサさーん。まだ?」

 踵を返してみると、車の窓から顔を出している一ノ瀬ことみの姿があった。
 腕をぷらぷらさせ、顎を枠に乗せている様子からは、失明したとは思えないほどの元気さがあった。
 或いは、怪我などもうどうでもいいという領域にまで達しているのかもしれない。
 どっこい生きてる、という彼女の言葉と、やりたいことがあると語った真っ直ぐな表情との両方を思い出して、そうなのだろうとリサは納得する。

 不思議と、悲しいことだとは思わなかった。悲劇ではあるが、それを乗り越えられるくらいのものも手に入れている。
 だからといって幸せでもないのも確かだ。ことみ自身が今のことみを受け入れているから、悲しくはないだけのかもしれない。
 詮無いことだ、とリサは思った。自分だって、今が幸せだと言えるはずもない。だが納得はしているし、それでいいとも思っている。
 昔のままでは掴めなかった、知るはずのなかった希望が、自分の手元にあるのを感じられるから……

「瑠璃と浩之は?」
「寝てるの」

 窓から後部座席を覗き見ると、そこでは肩を寄せ合って、静かに寝息を立てている二人が確認できた。
 荷物に囲まれて窮屈そうではあったが、緊張の糸が切れたかのように安らかに眠っている。
 無理もない。ここまで緊張状態を保ってきて、体が疲れていないはずはなかった。
 逆に、ようやく眠れる場所を見つけていることに安心する気持ちを覚えながら、リサは「まあ、いいわ」と微笑んだ。

「起こすのも可哀想だし。あなたも寝ていいのよ」

 ことみにもそう言ったが、彼女はゆっくりと首を振る。

「もう寝たから」

211メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:52:48 ID:NMxDrVA.0
 ああ、とリサは頷いた。一応、麻酔で眠ってはいた。意識的に眠れない状況なのだろう。
 苦笑を漏らし、「だから、居眠り運転しないように見張っててあげるの」と続けたことみに、リサは「どうも」と言いながら肩を竦めてみせた。
 正直なところ、疲れてはいるが眠くはなかった。そうなるように訓練されているからだ。
 走行距離にしたってここから目的地までは三十分ほどの距離だ。呆けることもないはずだった。

 運転席に乗り込み、キーが刺さっていることを確認し、エンジンをかける。
 浩之の情報ではバンパーが潰れているだけ、らしかったが、実際のところはどうか分からない。
 だがそんなものは杞憂だったようで、エンジンが小気味よく音を立て始め、車が微弱に揺れた。
 音からしても特に問題はなさそうだった。

「……そういや、マニュアルじゃないのね」

 リサ達が乗り込んでいるのは一般的によくあるオートマ車で、よく乗っている車種とは程遠い。
 運転する快感は得られないのか、とどこかで残念がっている自分を見つけ、贅沢を言うなと言ってやる。

「車、好きなの?」
「ええ。早く走らせると気持ちいいものよ」
「……走り屋さん?」
「子供ね」

 恐らくはボケだったのだろうが、リサは眉一つ動かさず受け流した。
 逆にムッ、としたのはことみの方で、一蹴されたことが気に障ったようだった。

「免許取って、アメリカあたりにあるただっ広い田舎道を走ってみれば分かるわよ。特に自分の操作がダイレクトに伝わるタイプの車だと、最高」
「そういうものなの?」
「そういうものよ」

212メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:53:03 ID:NMxDrVA.0
 言いながら、リサはアクセルを踏み込んで車を走らせた。思った通り、ごくありふれた車では思った以上の初速も得られない。
 やはり残念がっている自分がいて、走り屋と言ったことみが正しいようにも思えたリサは、
 逆らうようにゆっくりとした速度を保ちながら運転を始めた。今までの調子だとどんな運転になってしまうかも知れず、
 寝ている二人を起こしてしまう可能性があったからだった。

 存外大人しい運転のリサに、ことみはしばらく怪訝な目を向けていたが、
 やがて気にすることもなく、車の窓を開けて夜陰の涼しい風に身を浸すようになった。
 低いエンジン音の他には何の音もない、静けさそのものに沖木島は包まれていた。

「そういえば」

 ふと思い出したように、ことみが呟いた言葉が流れてくる。

「もしも、の話なんだけど、学校にいっぱい人が集まってることって、十分考えられるよね」
「そうね。宗一も人は何人か集めてるだろうし」
「今の生き残りが十四人。どれくらい集まるかな」
「流石に、全員ってことはないでしょうけど……」

 専ら美坂栞と行動を共にしていたので、遭遇した人間は少ない。残り十四人のうちどれだけがまだ殺し合いを続けようとしているのかは分からない。
 それでも、自分達のように脱出を目論もうとする連中よりは少ないことは確実だろう。
 氷川村において、宮沢有紀寧を始めとして五人の『乗っている』人間は死亡している。大きくバランスが傾いたのは間違いない。
 完全にいない、と楽観視はできる状況とは言い難いが、一箇所に集合することができたなら、もはや一人二人程度ではどうにもならない。

 武器も集まっていることから、どれだけの犠牲を出したとしても『乗っている』連中を殲滅することは事実上可能だ。
 逆に言えば、説得も可能ということになる。脱出の手段があることを示してやれば、応じる可能性は十分に高い。
 それこそ、柳川祐也のように絶望しか見る事ができなくなってしまった人間でもない限りは。

 想定の上では殲滅は出来ると考えたが、実際のところもう参加者同士で戦うのは無駄だとリサは思っていた。
 戦力は一人でも多い方がいいし、この状況で人殺しだの何だのと言い合っている場合でもない。
 人の死に関わっていない人なんているわけがないのだ。
 説得に応じ、これまで行ってきたことを正直に告白するのならば、リサは殺すつもりはなかった。
 絶望と対峙してきた中で、それ以上に信じられるものもあると理解することが出来たのだから。

213メリーさんの羊はどこへ消えた?/へっぽこ四重奏:2009/08/27(木) 23:53:22 ID:NMxDrVA.0
「ちょっと、電話使っていいかな」
「どこにかけるの?」
「学校。言い忘れてたけど、別行動してる人がいるの」

 言い忘れていたというよりは、言わなかったのだろう。リサは即座にそう考えた。
 別行動というからには理由があるはずだった。
 例えば、脱出するのに必要な資材の確保だとか、その他雑貨の調達などだ。
 そうでなければ立て篭もっている方が安全性は高い。

 ことみにしろ、ことみの仲間にしろ外に出なければいけないくらい時間と道具が不足していたのだろう。
 いくら計画が完璧であっても、先立つものがなければ意味はない。
 そういう意味では不完全なことみの計画に乗せられたということになる。
 一種の駆け引きに負けたということだ。悔しいとは思ったが、それよりもことみのしたたかさは本物だと気付けたことが幸いだった。

 彼女の頭のキレは、脱出するのに必要不可欠だと言える。少しばかりムラはあるが、誤差の範囲だろう。
 人間性よりも先に能力の方を見てしまうのは癖としか言いようがなく、リサは誰にも聞こえないくらいの溜息をついた。
 この感覚を共有できる相手がいなくなってしまったことが、本当に惜しすぎる。

「どうぞ。どんな人なの?」
「んー、友達、なの」

 既にスピーカーの向こうに意識をやっているらしいことみは話半分にしか聞いていないようだった。
 聞き耳を立てるわけにもいかず、リサは運転に集中することにした。
 とは言っても、安全すぎるほど安全運転なので、集中も何もあったものではなかったが。

「Mary had a little lamb, little lamb, little lamb, Mary had a little lamb...」
「なんでメリーさんの羊?」
「メリーが羊を大好きだから」
「ことみちゃんは困って、困って、困ってことみちゃんはしくしく泣きだした」


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