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避難用作品投下スレ3

1管理人★:2007/10/27(土) 02:43:37 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

354十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:22:22 ID:5RrSK1jw0

頚動脈を押さえていた腕から、力が抜けていく。
反射的に酸素を取り込もうとして、貼りついていた気道に血痰が絡み、来栖川綾香は盛大に咽る。
ひとしきり咳き込んでいると、白と黒の斑模様に染まっていた視界が次第に色を取り戻していった。
起き上がろうと身を捩って、平衡感覚が狂っていることに気付く。
身体のバランスが取りづらい。原因は解っていた。
薬物の強力な麻酔効果をもってして尚、脈打つように激痛が響いてくる。
内臓破裂は間違いないだろうと自己診断して、口からゆっくりと息を吸い込む。
肋骨に響く感覚はないが、腹筋は痙攣が治まらず。
緊急の外科的措置を要する。併発症が腹膜炎で済めば御の字だ。

「やって、くれた……」

眼下、じわりと広がっていく血だまりに横たわる、小さな体を見た。
万力のようにこの首を締め上げていた腕から、疾風のような勢いで飛び込んできた脚から、
想像だにしなかった破壊力を発揮した拳から、ただ闘争だけを渇望していた澄んだ瞳から、
命の色が消えていく。
動脈が切断されたのだろう、一定のリズムで噴き出していた真っ赤な鮮血が、徐々にその勢いを弱めていた。

ほんの一瞬前、暗く染め上げられた世界を思い出す。
葵の体は小刻みに震えている。
手を翳した。黒く罅割れた、鬼の手。伸びた爪にこびりつくのは、乾きかけた葵の血。
小さな体は、一秒ごとに熱を失っていく。
爪を引き、打ち振るえば、そこにあるのは白く細い指。
握り締めれば堅く歪な、ひとつの拳。
傍ら、少し離れたところに転がるデイバックを見た。


***

355十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:22:53 ID:5RrSK1jw0

小さく息をついて、綾香は手中の物を眺める。
薄黄色の液体を満たした、細長い円筒形のプラスチック容器。
先に細い針がついている。注射器だった。

その向こう、今や赤という色味を失いつつある、小さな体を見る。
傷口からは既に血は流れていなかった。
止血されたわけではない。流れ出るだけの量が、もう体内に残っていないのだった。
意識とて、とうの昔に失われていようと思えた。

横倒しにした葵に、そっと触れる。
血液の流れきった身体は体温を失い、ひんやりと冷たかった。
見開かれた目はただ虚空を映し、微動だにしない。
黄土色の泥と赤黒い血で固まった短い髪を、静かにかき上げる。
白い首筋が、陽光の下に晒されて綾香の目を射抜いた。
ほんの一瞬だけ目を細めた、次の瞬間。
綾香は手の注射器を、無造作とも思える仕草で葵の首へと突き刺していた。
ピストンを押し込めば、薄黄色の液体が葵の体内へと流れ込んでいくのが見えた。
びくん、と葵の全身が大きく震えた。
薬液を残らず押し出すと、綾香は針を抜いて葵から離れる。

びく、びくりと、既に絶命寸前だったはずの身体が跳ねる。
幾度めかの痙攣の後、小鳥が鳴くような、甲高い音が響いた。
それが自発呼吸だと綾香が気付くのとほぼ同時。
がばり、と。唐突に、何の前触れもなく、葵が跳ね起きていた。

「あお―――」

葵、と反射的に声をかけようとして、綾香の言葉が途切れる。
立ち上がった葵と視線を交わした瞬間、綾香は正しく理解していた。
眼前に立つ少女は、意識を回復していない。
眩しい陽光の下、輝くような光を湛えていたその瞳は、まるでそこだけが深い穴の中にでも落ち窪んでいるかのように、
どこまでも昏く重く沈み込んでいた。

356十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:23:27 ID:5RrSK1jw0
「―――」

沈黙が落ちた。
立ち尽くす二人の少女の間を、砂埃を舞い上げるように風が吹き抜けていく。
堅く口を引き結んだまま、綾香はじっと葵を見つめていた。
ややあって、綾香が目を伏せる。
深い、深い溜息をついて、顔を上げた綾香が、口を開く。

「……なあ、葵」

吹く風に紛れて消えそうな、それは声だった。

「ギブアップするなら、やめてやっても、いいんだよ」

どこか寂しげな、儚げな、笑み。
来栖川綾香の浮かべる、それはひどく稀有な表情だった。
普段の彼女を知る者が見れば誰もが驚愕に言葉を失うような、そんな笑み。
しかしその表情は、ほんの数秒を経て、

「―――!」

凍りつくことになる。
綾香をしてその表情を凍結せしめたのは、眼前に立つ少女。
その、小さな反応であった。
松原葵の震える右足が、前方へと差し出されていた。
僅かな間をおいて、左手を前へ。
左の足は微かに引かれ、赤黒く血の溜まった右手は腰溜めに。
後屈に近い姿勢は空手とも、キックスタイルとも違う、独特の重心を持つ。

357十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:23:53 ID:5RrSK1jw0
「そっか」

静かに呟いた綾香の、凍りついたままの表情が、次第に融けていく。
降り積もった雪を割って、緑が大地に芽吹くように。
歓喜という表情が、綾香を満たしていく。

「そっか、そうだよな……葵」

少女の取った姿勢は、形意拳と呼ばれる武術形態の基本となる構えの一。
木行崩拳の型であった。
少女にとってそれがどのような意味を持つ技なのか、来栖川綾香は知らない。
少女がその構えに何を込めるのか、来栖川綾香は何一つとして、知りはしない。
だが、

「それでいい、それでいい、それでいい―――」

松原葵という少女が、それを消えゆく命の最後に選んだのであれば。
来栖川綾香は、その全力を以って。

「戦おう、松原葵―――!」

両の拳を握り構えるは右半身。
笑みが号令となり、咆哮は嚆矢となる。
幽鬼の如く立ち尽くす葵の引かれた左足が、ふ、と揺れた。
上半身を前傾させないまま、まるで大地の上を滑るように歩を進めるかに見えた、次の瞬間。
その全身が、爆発するように加速した。
遍く天下を打ち貫く、それは無双の弾丸。
朽ち、果てゆく命を燃やし尽くすが如き、疾風の一打。

358十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:24:39 ID:5RrSK1jw0
松原葵という武術家の、その生涯最後の拳が迫るのを瞳に映し、来栖川綾香は恍惚と笑む。
歓喜と法悦の狭間、得悟に至る僧の如く、笑む。
綾香の全身が、撓んだ。
滑るような動き。左の拳が、引き絞られた剛弓の如く音を立てる。

風が割れた。
悪鬼をすら踏み拉く裂帛を以って、葵の跟歩が大地を震わせる。
羅刹をすら割り砕く苛烈を備え、拳が打ち出されようとする、その寸前。

綾香の震脚が、足形を刻むほどに大地を踏み固めた葵の足を、真上から、粉砕した。
刹那と呼べる間をすら置かず。
雷鳴の天に轟くが如く、雷光の天に閃くが如く。
来栖川綾香の拳が、松原葵を、穿っていた。


***

359十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:25:22 ID:5RrSK1jw0

音が、遅れて聞えてくる。
それは、朽木がその重みに耐えかねて折れ砕けるような、奇妙に軽い音。
そして同時に、水を一杯に詰めた風船が弾けるような、重く濡れた音だった。

「―――わかんない」

左の拳を突き出したまま、綾香が静かに口を開いた。

「わかんないよ、葵」

それは、囁くような声。

「あたしら、笑えないからさ」

手を伸ばせば届くような、虚ろな瞳に語りかける声だった。

「頑張ったとか、精一杯やったとか、そういうので笑えないからさ」

瞳はもう、何も映してはいない。
風も、陽光も、眼前に立つ綾香すらも。

「だからあんま、うまくやってこらんなかったから」

それでも綾香は、静謐を埋めるように言葉を紡いでいく。
浮かぶのは、穏やかな笑み。

「あたしらみんな、そうだったろ。あたしも、お前も、……それから、あいつもさ」

閉じた瞼の裏に浮かんだのは、誰の影だったか。

「だからあたしにも、わかんない」

言い放つのは、問いへの回答。
戦うということの、意味。

「わかんないんだよ、葵。けどさ、けど……」

言いよどんだ後に出てきたのは、たったひとつの言葉。
自分を、自分たちを繋げる、シンプルな誓約。
誰かが言うだろう。ばかげている、と。
知ったことか。
誰かが責めるだろう。そんなことで、と。
それがどうした。
外側の人間には通じない、それはこの星に生まれたすべての来栖川綾香と、松原葵にだけ伝わる言葉。
すべての来栖川綾香とすべての松原葵が迷いなく頷く、純白の真実。

「―――楽しかったろ?」

硝子玉のような瞳の奥、来栖川綾香を映すその表情に、

「ばあか」

静かに、笑い返して。
綾香が、拳を引き抜いた。




【松原葵 死亡】

360十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:26:16 ID:5RrSK1jw0
 
 
 
【時間:2日目 AM11:18】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング】

→950 ルートD-5

361名無しさん:2008/03/12(水) 00:53:09 ID:JAd3em1s0

絶望の孤島で巡り合った四人――坂上智代、里村茜、相良美佐枝、小牧愛佳。
彼女達は全員が全員、此度の殺人遊戯を断固として否定してきた者達だった。
鎌石村役場の一室で出会った同志達は、深い絆を培ってゆける筈だった。
襲撃者がこの場に現れさえ、しなければ。

轟く爆音、煌く閃光。
戦場と化した鎌石村役場の一階にて、凶悪な火力を誇る短機関銃――イングラムM10が猛り狂う。
強力無比な重火器を駆りし者の名は、七瀬彰。
己が想い人を生き返らせる為、既に二名の人間を手に掛けた修羅である。
彰が繰り出した高速の銃撃は、半ば弛緩していた智代達の意識を強引に覚醒させた。

「……皆、こっちだ!」

思わぬ奇襲を受ける形となった坂上智代が、咄嗟の判断で傍にあった机やテレビを拾い上げて、ソファーの上に積み重ねた。
続いて仲間達と共に、即席のバリケードへと身を隠す。
だが耐久性に乏しい日常品を組み合わせた所で、短機関銃が相手ではそう長い間耐えられない。
降り注ぐ銃弾の嵐と共に、ソファーや机の表面が急激に削り取られてゆく。

「美佐枝さん、反撃だ! アサルトライフルで応射してくれ!」
「ゴメン、無理よ。さっきの攻撃を避けた時に、入れてある鞄ごと落としちゃったから……」
「く――――」

焦りを隠し切れぬ面持ちで、智代が強く唇を噛んだ。
このままでは不味い。
防壁が破られる前に、自分達にとって有利な場所――罠を張り巡らしてある二階まで逃げ延びる必要がある。
しかし、と智代は横方向に視線を動かした。

(……駄目だ、遠過ぎる)

唯一の脱出経路である廊下への入り口は、此処から十数メートル以上も離れた所にある。
卓越した身体能力を持つ自分ならばともかく、他の仲間達にとっては絶望的な距離。
強引に逃げようとすれば、ほぼ確実に仲間達の中から犠牲者が出る。
かと云ってこの場に留まり続ければ、いずれ防壁が決壊し皆殺しにされてしまう。
智代に残された選択肢は、最早唯一つのみ。

362名無しさん:2008/03/12(水) 00:53:40 ID:JAd3em1s0

「……私が時間を稼ぐから、皆は先に逃げてくれ!」
「な!? 智代、ちょっと待ち――――」

茜が制止する暇も無い。
叫ぶや否な、智代は跳ねるような勢いで遮蔽物の陰から飛び出した。
弧を描く形で駆けながら、手にしたペンチを彰目掛けて投擲する。
しかし人力による射撃程度では、相手を打倒し得る一撃とは成らない。
ペンチは簡単に避けられてしまったが、そこで智代は鞄からヘルメットを取り出した。
先程と同じように、彰へと狙いを定めて投げ付ける。

「ほら、もう一発だ!」
「チ――――」

彰が横方向へと跳躍した事でヘルメットは空転したが、構いはしない。
この連続投擲は、あくまでも敵の攻撃を封じる為のもの。
遮蔽物の無い場所では、マシンガンの銃撃は正しく死のシャワーと化すだろう。
間断無く牽制攻撃を行って、敵にマシンガンを撃たせない事こそが、この場に於ける最優先事項だった。
そして既に、仲間が逃げ延びるだけの時間は稼ぎ終えている。

「……そろそろ潮時か」

智代は自らが逃走する時間を稼ぐべく、残された最後の武器――手斧を投擲して、投げ終わった瞬間にはもう廊下に向かって駆け出していた。
破壊の跡が深く刻み込まれた部屋の中を、一陣の風が吹き抜ける。
駆ける智代の速度は、常人では及びもつかない程のものだった。

(大丈夫……二階にさえ辿り着ければ、きっと何とかなる)

銀の長髪を靡かせながら、智代は全速力で疾駆する。
敵は強力無比な銃器で武装しているが、自分達とて無策でこの建物に篭っていた訳では無い。
二階には幾多もの罠を設置してある。
罠を張り巡らせた場所まで移動出来れば、十分対抗し得るように思えた。

しかし彰とて数度の戦いを潜り抜けた修羅。
単調な牽制攻撃のみで、何時までも抑え切れる程甘い敵ではない。

「このっ……!」
「――――!?」

高速で駆ける智代を撃ち抜くのは困難。
故に彰は智代を狙うのでは無く、寧ろ廊下の入り口方向にマシンガンを撃ち放った。
逃げ道を防がれる形となった智代が、後方への退避を余儀無くされる。
その隙に彰は床を蹴って、廊下の入り口に立ち塞がるような位置取りを確保した。
五メートル程の距離がある状態で、智代へとマシンガンの銃口を向ける。

「残念だったね。君は頑張ったけど、そう簡単に逃がしてあげる訳にはいかないんだ」
「く、そっ…………!」

絶体絶命の窮地へと追い込まれた智代が、心底忌々しげに舌打ちする。
――逃げ切れない。
それは、智代が抱いた絶対の確信。
もうバリケードの影へと逃げ込む時間は無いし、廊下へと続く道も塞がれしまっている。
今の智代に、イングラムM10の銃撃から逃れ得る術は無かった。

(これで――三人目!)

彰は目標にまた一歩近付くべく、手にしたマシンガンのトリガーを引き絞ろうとする。
銃の扱いに於いて素人に過ぎない彰だが、この距離、この状況。
外す訳が無い。
しかしそこで響き渡った一つの叫び声が、定められた結末を覆した。

363名無しさん:2008/03/12(水) 00:54:55 ID:JAd3em1s0
「智代、頭を下げて下さい!」
「…………ッ!?」

甲高い声。
智代は促されるまま上体を屈めて、彰も本能的に危険を察知し横方向へと飛び退いた。
次の瞬間、空気の弾ける音と共に、それまで彰や智代の居た空間が飛来物に切り裂かれてゆく。
前屈みの状態となっていた智代が視線を上げると、廊下の先に電動釘打ち機を構えた茜の姿があった。
一旦退避した茜だったが、智代を援護すべく舞い戻ってきたのだ。

「智代! こっちです、早く!」
「ああ、分かった!」

智代は上体を屈めた態勢のまま、廊下に向かって全速力で駆け出した。
その間にも茜が幾度と無く釘を撃ち放ち、彰の追撃を許さない。
廊下の奥で智代と茜は合流を果たし、そのまま傍にある階段を駆け上がっていった。

「っ……逃がして堪るか!」

遅れ馳せながら彰も地面を蹴って、智代達の後を追ってゆく。
複数の銃火器の重量に耐えつつも廊下を走り抜けて、勢い良く階段を駆け上がった。
二階に着いた途端見えたのは、一際大きな扉。
彰はマシンガンに新たな弾倉を装填した後、扉に向かって掃射を浴びせ掛けた。
扉は派手に木片を撒き散らしながら、穴だらけとなってゆく。

「ふ…………っ!」

彰はボロボロになった扉を押し破って、そのまま奥へと飛び込んだ。
開け放たれた視界の中に広がったのは、優に数十メートル四方はある大広間。
元は役場の職員達が使用してたのか、大量の作業用机が規則正しく並べられている。
そして彰の前方二十メートル程の所に、走り去ろうとする智代の後ろ姿。

(他の奴らは何処に――いや、それは後回しで良い。まずはアイツから仕留めるんだ!)

二兎を追う者は一兎も得ず、という諺もある。
欲を出し過ぎる余り、結果として一人も倒せなかったという事態は避けなければならない。
彰は机の間を縫うように疾走しながら、智代の背中をマシンガンで撃ち抜こうとして――

「…………ッ!?」

瞬間、大きくバランスを崩した。
慌てて態勢を立て直そうとしたが、既に両足は地面から離れてしまっている。
どん、という音。
イングラムM10を取り落としながら、彰は勢い良く床へと叩き付けられた。

「あ、がぁぁぁっ…………!?」

予期せぬ事態に見舞われた彰が、苦痛と驚愕に塗れた声を洩らす。
状況が理解出来ない。
自分は決して運動を得意としていないが、戦いの場で足を踏み外す程に不注意な訳でも無い。
なのに、何故――そんな疑問に答えたのは、近くの机の影から聞こえてきた声だった。

「まさか、こんな子供じみた罠が決まるなんてねえ……」
「灯台下暗し、ですよ。勝利を確信している時こそ、足元が疎かになるものです」

そう言いながら姿を現したのは、制服姿の少女と、成熟した体型の女性。
里村茜と相良美佐枝である。
二人が眺め見る先、細長い縄が机と机の間に張られていた。
人間の膝の位置くらいに仕掛けられたソレこそが、彰を転倒させた罠だった。
立ち上がった彰がイングラムM10を拾うよりも早く、茜の釘撃ち機が向けられる。

364名無しさん:2008/03/12(水) 00:56:00 ID:JAd3em1s0

「無駄です。自身の装備を過信して深追いしたのが、命取りになりましたね」
「ク――――」

これで、完全に形成逆転。
釘撃ち機の発射口は、正確に彰の胸部へと向けられている。
既に発射準備を終えている茜と、未だ得物を回収出来てすらいない彰、どちらが先手を取れるかなど考えるまでも無い。
それに愛佳や智代も、彰を取り囲むような位置取りへと移動していた。
茜は抑揚の無い冷めた声で、死刑宣告を襲撃者へと突き付ける。

「それでは終局にしましょうか。これまで何名の人達を殺してきたか知りませんが、その罪を自身の命で清算して下さい」

茜に迷いは無い。
殺人遊戯の開始当初、自分は優勝を目指して行動する腹積もりだったのだ。
智代の説得により方針を変えたとは云え、殺人者に掛ける情けなど持ち合わせてはいなかった。
しかしそこで愛佳が、茜を制止するように腕を横へと伸ばす。

「……小牧さん? 一体何のつもりですか?」
「あの、その……ゴメンなさい。でも、幾ら何でもいきなり殺す事は無いと思います」
「嫌です。殺人鬼となんて、話し合う必要も意味もありませんから」
「そんな、頭から決め付けたら駄目ですよ。話し合えば、分かり合えるかも知れないじゃないですか……!」

その提案に茜が難色を示したものの、愛佳は引き下がろうとしない。
自分達はあくまでも殺し合いを止めるのが目的であり、殺生は可能な限り避けたい所。
話し合って和解出来ればそれが一番だと、愛佳は考えていた。
先ずは当面の安全を確保すべく、地面に落ちているイングラムM10を回収しようとする。

「悪いけど、コレは預からせて貰いますね。そうしないと、落ち着いて話も――――」
「……小牧、危ない!」

だが突如横から聞こえて来た叫び声が、愛佳の話を途中で遮った。
愛佳が横に振り向くのとほぼ同時に、叫び声の主――智代がこちらへと駆け寄って来ていた。
智代は強く地面を蹴ると、スライディングの要領で愛佳の腰へと組み付いて、そのまま地面へと倒れ込んだ。
次の瞬間、けたたましい銃声がして、愛佳の傍にあった机が激しく木片を撒き散らす。


「――見付けたわよ。殺し合いに乗った悪魔達」


冷え切った声。
愛佳が声のした方へ目を向けると、大広間の入り口、開け放たれた扉に青髪の少女が屹立していた。
少女――七瀬留美は短機関銃H&K SMG‖を握り締めたまま、憎悪で赤く充血した瞳を愛佳達へと向けた。

「アンタ達みたいな……アンタ達みたいな人殺しがいるからっ! 藤井さんは死んでしまったのよ!!」

それは、留美と面識のある愛佳や美佐枝にとって、寝耳に水の発言だった。
嘗て自分達はこの島で留美と出会い、志を共にする者として情報の交換等も行った。
少なくとも敵対するような関係では無かったし、自分達が殺し合いを否定している事は留美とて知っている筈である。

「ちょ……ちょっと待って下さい、いきなり何を言い出すんですか? あたし達は殺し合いになんて乗っていません!」
「だったら、さっき聞こえて来た銃声は何? それにどうして、その男の人を集団で囲んでるのよ?
 前に私と会った時は善人の振りをしてたって訳ね……絶対に許さない!」

謂れの無い言い掛かりを否定すべく、愛佳が懸命に声を張り上げたが、その訴えは即座に一蹴される。
冬弥の死により復讐鬼と化した留美は、既に冷静な判断力を失ってしまっている。
怒りに曇った目で見れば、彰を取り囲む愛佳達の姿は、殺人遊戯を肯定しているとも判断出来るものだった。
最早、愛佳の言葉は届かない。
ならば、と元の世界で留美と同じ学校に通っていた茜が、一歩前へと躍り出た。

365名無しさん:2008/03/12(水) 00:56:51 ID:JAd3em1s0

「七瀬さん、落ち着いて下さい。先に襲って来たのはその男の方です」
「五月蝿い、言い訳なんて聞きたくない! 私を騙そうたってそうは行かないんだから!!」
「――っ、話に、なりませんね……」

全く話を聞こうとしない留美の態度に、茜は元より、他の仲間達も一様に表情を歪める。
今の留美は、怒りが一目で見て取れる程に激昂している。
とても、会話の通じる状態とは思えない。
それでも未だ諦め切れない愛佳が、再度対話を試みようとする。

「七瀬さん、お願いですから話を聞いて下さい! 前はあんなに仲良く…………ッ!?」

愛佳の言葉が最後まで紡がれる事は無かった。
皆の注意が留美に引き付けられている隙を付いて、彰が床に落ちてあるイングラムM10を拾い上げたのだ。
愛佳達が机の影に駆け込むのと同時、彰の手元から激しい火花が放たれた。
彰は一箇所に狙いを絞ったりせずに、留美を含めた全員に向けて、弾切れまで掃射を浴びせ掛けてゆく。
銃撃は誰にも命中せずに終わったが、皆が回避に意識を裂いている間に、彰は少し離れた位置にある机へと退避していた。

「……そう。折角助けてあげたのに、アンタも殺し合いに乗ってたって訳ね。
 良いわ、なら最初にアンタから殺してやる!」

彰の行動に怒りを露とした少女の名は、七瀬留美。
留美からすれば、今彰が行った攻撃は完全に裏切り行為。
取り囲まれていた所を助けて上げたというのに、その返礼が鉛弾では余りにも理不尽である。
己が激情に従って、留美はH&K SMGⅡのトリガーを攣り切れんばかりに引き絞った。
無数の銃弾が、彰が隠れている机に向かって撃ち放たれる。

「くぅ――――」

短機関銃の集中砲撃を受けては、机程度の防備ではとても防ぎ切れない。
危険を察知した彰が、弾倉の装填作業を中断して、一も二も無く机の影から飛び出した。
殆ど地面を転がるような形で、何とか留美の銃撃から逃れる事に成功した。
程無くして、留美のH&K SMGⅡが弾切れを訴える。
彰と留美の銃は、共に弾丸が切れた状態となった。

「今…………!」

彰は何よりも優先して、イングラムM10に新たな銃弾を装填しようとする。
得物は互角――彰も留美も、短機関銃で武装している。
ならば先に銃弾を装填し終えた方が、圧倒的な優位性を確保出来る筈だった。
しかし次の瞬間留美が取った行動は、彰にとって予想外のもの。

「てやああああああああっ!!」
「な――――!?」

留美は装弾作業を行おうとせず、彰に向かって全速力で走り出した。
智代程では無いにしろ、嘗て剣道部で鍛え抜いた身体能力は、並の女子高生とは比べるべくも無い。
十数メートルはあった間合いを一息で詰め切って、駆ける勢いのままH&K SMGⅡを横薙ぎに一閃した。
彰も反射的に左腕で防御しようとしたが、高速で振るわれる鋼鉄の銃身は正しく凶器。

366名無しさん:2008/03/12(水) 00:57:44 ID:JAd3em1s0

「ガアァッ…………」

攻撃を受け止めた彰の左上腕部に、痺れる様な激痛が奔る。
意図せずして動きが鈍くなり、次の行動への移行が遅れてしまう。
だが、何時までも痛みに悶えている暇は無い。
眼前では留美がH&K SMGⅡを天高く振り上げており、もう幾ばくの猶予も無い。

「く、あ……このおぉぉぉ!」
「っ――――」

彰は強引に痛みを噛み殺すと、イングラムM10を右手で強く握り締めて、留美の振るう得物と交差させた。
二つの凶器が衝突して、激しい金属音を打ち鳴らしたが、多少左腕を痛めていようとも男と女では腕力差がある。
彰は力任せに留美の態勢を崩して、そのまま容赦の無い中段蹴りを放った。

「――甘い!」

留美も伊達に中学時代、剣道に打ち込んでいた訳では無い。
腹部に向けて迫る一撃を、留美は体勢を崩したままH&K SMGⅡの銃身で打ち払った。
しかし衝撃までは殺し切れずに、後方へと弾き飛ばされてしまいそうになる。
留美はその勢いに抗わず、寧ろ利用する形で一旦彰と距離を取った。

(良し、今の内に……!)

一方彰は、機を逃さずして近くにある机の影へと飛び込んだ。
運動神経で劣る自分にとって、単純な力勝負ならともかく、銃を鈍器代わりにしての近接戦闘は間違い無く不利。
闘争の形式を銃撃戦へと戻すべく、イングラムM10に新たなマガジンを詰め込んだ。
時を同じくして、留美も銃弾の装填作業を完了する。
二人は机と机の影を移動しながら、互いに向けて銃弾を放ち始めた。


眩い閃光が瞼を焼き、強烈な銃声が鼓膜を刺激する。
激しい破壊が撒き散らされる大広間の中、彰達から大きく離れた位置に、裏口から逃亡しようとする智代達の姿があった。
裏口の先は、智代と茜が幾多もの罠を張り巡らしたロッカールームである。
そこまで行けば、後は容易に逃げ切れる筈だった。

「美佐枝さん、茜、小牧――全員揃ったな。あの二人が潰し合ってる間に、私達は退散するとしよう」
「けど、良いのかな……。 七瀬さんがあんな事になってるのに、止めずに逃げるだなんて」
「……小牧の言いたい事も分かる。でも私達の装備であの戦いに飛び込めば、まず無事では済まないだろう。
 此処は退くしかないんだ」

367名無しさん:2008/03/12(水) 01:00:14 ID:JAd3em1s0

愛佳の指摘を受け、智代は苦々しげに奥歯を噛み締めたが、それでも決定は覆さない。
自分達の武装は、彰や留美に比べて余りにも貧弱である。
無理に戦いを止めようとすれば、仲間内から犠牲者を出してしまう可能性が極めて高いだろう。
仲間を救う為ならばともかく、襲撃者同士の潰し合いを止める為に、そこまでのリスクを犯す義理は無いように思えた。

「それじゃ、良いな?」
「……分かりました」

愛佳が渋々といった感じで頷くのを確認してから、智代は裏口の扉を押し開けようとする。
だが、その刹那。
智代達の後方で、ダンと床を踏み締める音がした。

「おいおい、何処に行くんだよ? パーティーはまだ始まったばかりじゃねえか」
「あ、貴方は――――」

愛佳が後ろへ振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。
肉食獣のような鋭い眼光に、成人男性の平均を大きく上回る長身。
忘れる筈も無い。
今眼前に居る男は、間違い無く殺人鬼――岸田洋一その人だった。

「……愛佳ちゃん、この男を知っているのかい?」
「はい。名前は分かりませんけど、この人が芹香さんを殺した犯人です……」
「――――っ、コイツが……!」

その言葉を聞いた瞬間、美佐枝は眉をキッと斜め上方に吊り上げた。
美佐枝の脳裏に浮かび上がるのは、冷たくなった芹香の死体。
そして芹香を守れなかったと知った時の、どうしようも無い程の後悔だった。
後悔は怒りとなって、美佐枝の思考を埋め尽くす。
美佐枝は鞄の中から鋭い包丁を取り出して、戦闘態勢に移行しようとする。
そこで、横から投げ掛けられる茜の声。

「……相良さん、落ち着いて下さい。悔しいとは思いますが、今は退くべき時です」
「でも、コイツが来栖川さんを……!」
「聞き分けて下さい。今此処に留まれば、七瀬さん達も交えた泥沼の戦いになってしまいます」

茜の言葉は正しい。
大広間の反対側では、今も留美と彰が戦っているという事実を失念してはいけない。
二人の襲撃者の矛先が、何時こちらへと向いても可笑しくは無いのだ。
此処で岸田洋一を倒そうとすれば、恐らくは留美達とも戦う羽目になるだろう。
だからこそ激情を押さえ込んで退くべきだ、というのが茜の判断だった。
しかしそのような判断を、眼前の殺人鬼が良しとする筈も無い。

「はっ、連れねえな。もっと怒りに身を任せようぜ?」
「一人で勝手にどうぞ。貴方が何を言おうとも、私達は退かせて貰います」
「……チッ、ガキの癖に冷静ぶってんじゃねえよ」

落ち着いた茜の声を受けて、岸田は苛立たしげに舌打ちをした。
少しでも多くの人間を殺し、犯したい岸田にとって、茜達の撤退は極力避けたい事態。
逃げ去る茜達を一人で追撃するという手もあったが、敵は四人。
彰達を巻き込んだ乱戦状態ならばともかく、正面から戦えば勝ち目は薄いと云わざるを得ない。
故にあらゆる手を用いて、茜達をこの場に留まらせようとする。

「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――少し前、お前と同じ制服の奴や、その仲間を殺してやったぞ」
「私と同じ制服の人を……ですか?」

茜が問い掛けると、岸田は邪悪な笑みを口の端に浮かべた。

「ああ、殺したよ。二人共思う存分に犯してからな。名前は確か……長森さん、柚木さんと呼び合っていたな」
「え…………」

368名無しさん:2008/03/12(水) 01:01:47 ID:JAd3em1s0

岸田の言葉を聞いた瞬間、茜は即頭部を強打されかのような衝撃に見舞われた。
クラスメイトである長森瑞佳の事もあったが、それ以上に茜に衝撃を与えたのはもう一人の名前。

「詩子、を――――」

幼馴染で、それと同時に掛け替えの無い親友でもある詩子が殺された。
それも、女性の尊厳を奪われた後で。
実際に岸田が犯したのは瑞佳一人のみだが、その事実を茜が知り得る方法は無い。
茜の動揺を見て取った岸田が、心底愉しげに笑い声を張り上げた。

「ハハハッ、ハハハハハハハハハハ! どうやら大当たりだったみたいだな? 苦痛と恥辱に歪んだ女達の顔、お前にも見せてやりたかったぜ」
「貴方は……貴方という人は…………!」
「ほら、掛かって来いよ。俺の事が憎いだろ? 殺してやりたいだろ?」
「くっ…………」

怒りで肩を震わせる茜に向けて、嘲笑混じりの挑発が投げ掛けられる。
それでも茜は、決壊寸前の理性を危うい所で何とか保っていた。
今すぐにでも眼前の怨敵を殺してやりたいが、此処で激情に身を任せる訳にはいかない。
血が滲み出る程に拳を握り締めながらも、沸騰した感情を少しずつ冷ましてゆくよう試みる。
しかし茜が怒りを抑えられたとしても、他の者達もそうだとは限らない。

「――そう。そんなに殺して欲しいのなら、望み通りにしてあげる」
「美佐枝さんっ!?」

怒りの炎を瞳に宿し、包丁片手に岸田の方へと歩いてゆく女性が一人。
相良美佐枝である。
岸田が行ってきた数々の卑劣な行為、人を見下した言動に、美佐枝の我慢は最早限界を突破していた。
驚愕する智代にも構わずに、眼前の殺人鬼目掛けて疾走を開始する。

「来須川さんが受けた痛み、その身で味わいなさい!」
「ヒャハハハッ、良いぞ! その調子だよ!!!」

岸田は鞄から大きな鉈を取り出すと、美佐枝を大広間の奥に誘い込むべく後ろ足で後退してゆく。
頭に血が昇っている美佐枝は、派手な足音を立てながら追い縋ろうとする。
その行動は、過度に場の注意を引き付ける愚行である。
案の定、新たな敵の接近に気付いた彰が、美佐枝目掛けて銃弾を撃ち放った。
所詮素人の銃撃であり、しかも遮蔽物が極めて多い屋内。
銃弾が命中する事は無かったが、美佐枝の鋭い視線が彰へと向けられた。

「……邪魔をするつもり? だったら、アンタも殺すよ!!」
「やれるものなら、やってみるが良いさ。尤も――負けて上げるつもりは無いけどね」

加速する憎悪、伝染してゆく殺意。
美佐枝が叫んでいる間にも、彰や留美の短機関銃は幾度と無く火花を放っている。
岸田も得物をニューナンブM60に持ち替えて、安全圏から必殺の機会を淡々と見計らっている。
鎌石役場の大広間は、最早完全なる死地と化していた。

「……っ、美佐枝さんを見捨てる訳には行かない。皆、行こう!」

強力な武器を持つ襲撃者二人に、殺人鬼・岸田洋一。
その三人に比べて、美佐枝の戦力は圧倒的に劣っている。
このまま一人で戦い続ければ、確実に命を落としてしまうだろう。
故に智代は仲間達の決起を促して、美佐枝を援護すべ戦火の真っ只中へ飛び込んでいった。

一度戦いが始まってしまえば、最早行く所まで行くしか無い。
坂上智代、里村茜、相良美佐枝、小牧愛佳、七瀬彰、七瀬留美、岸田洋一。
総勢七名による激闘の火蓋が、切って落とされた。

369名無しさん:2008/03/12(水) 01:03:17 ID:JAd3em1s0



「茜、小牧! まずはあの外道から何とかするぞ!」

智代が叫ぶ。
此度の戦いを引き起こした元凶は、執拗に挑発を繰り返した岸田である。
智代は岸田一人に狙いを絞って、仲間達と共に猛攻を仕掛けようとする。
だが智代達が岸田の元に辿り着くよりも早く、飛来して来た弾丸が前方の床を削り取った。

「……ふん。やっぱり、狙い通りの場所を撃つのは難しいわね……。でも、下手な鉄砲も数撃てば何とやらよ」

銃撃を外した留美だったが、すぐに智代達目掛けて次なる銃弾を撃ち放ってゆく。
留美にとってこの場で一番脅威なのは、徒党を組んでいる智代達に他ならない。
ならば智代達を優先的に狙っていくのは、至極当然の事だった。

「くそっ……先にお前から倒すしかないか!」

横から短機関銃で狙われている状態では、岸田を仕留めるなどまず不可能。
智代は腰を低く落とした態勢となって、留美に向けて疾走し始めた。
それと同時に、茜が釘撃ち機による援護射撃を行って、留美の銃撃を封じ込める。
やがて茜の武器が弾切れを訴えたが、既に智代は留美の近くまで詰め寄っている。
留美のH&K SMGⅡが構えられるよりも早く、空を裂く一陣の烈風。

「――せやああ!」
「あぐッ…………」

智代が放った中段蹴りは、正確にH&K SMGⅡの銃身を捉えて、遠方へと弾き飛ばしていた。
慌てて後退する留美の懐に智代が潜り込んで、次なる蹴撃を打ち込もうとする。
しかし留美はバックステップを踏んでから、手斧――下の階で回収しておいたもの――を鞄より取り出して、横薙ぎに一閃した。
済んでの所で屈み込んだ智代の頭上を、恐ろしく鋭い斬撃が切り裂いてゆく。
時を置かずして、返しの袈裟蹴りが智代目掛けて振り下ろされた。

「っ――――」

智代は咄嗟に首を逸らして逃れたものの、斧の先端が右頬を浅く掠める。
更に立ち上がる暇も与えんと云わんばかりに、留美の手斧が横一文字の軌道を描いた。
屈み込んだままの智代の脇腹に、鋭利な刃先が迫る。
それは常人なら回避不可能な一撃だったが、智代は強靭な脚力を存分に生かして、只の一跳びで優に一メートル近く跳躍した。
留美の手斧を足下で空転させながら、宙に浮いた状態のまま強烈な回し蹴りを繰り出す。

「シッ――――!!」
「く、う…………!」

智代の蹴撃は、防御した留美の上腕越しに強烈な衝撃を叩き込んだ。
留美はその場に踏み止まり切れず、一歩二歩と後ろ足で後退する。
そこに智代が追い縋ろうとしたが、留美は下がりながらも迎撃の一撃を振り下ろす。
縦方向に吹き荒れた凶風は、智代が踏み込みを中断した所為で空転に終わった。

「……アンタ、相当やるわね」
「お前もな。正直な話、接近戦で私と渡り合える女が居るとは思わなかった」

正しく刹那の攻防。
二人は一定の距離を保った状態で、警戒の眼差しを交差させる。
智代の身体能力は筆舌に尽くし難いものだし、自由自在に斧を振るう留美の手腕も侮れない。
殺人遊戯に対する方針や戦闘スタイルこそ異なれど、両者の実力は拮抗していた。

時と場所が違えば名勝負になっていたであろう組み合わせだが、こと戦場に於いては、何時までも眼前の敵だけを意識している訳にはいかない。
正面の獲物に拘り過ぎれば、第三者に横から漁夫の利を攫われてしまうのだ。
智代と留美が各々の方向へ退避するのとほぼ同時、それまで二人が居た場所を、猛り狂う銃弾の群れが貫いてゆく。

370名無しさん:2008/03/12(水) 01:04:04 ID:JAd3em1s0


「くそっ、今のを避けるなんて…………!」

予想以上に高い智代と留美の危険察知能力に、彰は苦虫を噛み潰す。
狙い澄ました今の連撃でさえ、戦果を挙げる事無く回避されてしまった。
これでは闇雲に銃弾を連射した所で、弾丸の無駄遣いに終わるだけだろう。
イングラムM10の銃弾も無限にある訳では無い。
彰は一旦机の影へと頭を引っ込めて、次の好機を待とうとする。
しかし好機を探っている人間は、この場に彰一人だけという訳では無い。
彰の背後には、密かに忍び寄る美佐枝の姿があった。
気配に気付いた彰が振り返るのと同時、美佐枝の包丁が斜め上方より振り落とされる。

「隙らだけよ――死になさい!!」
「っ…………、ガアアアアアッ!」

彰も身体を横に逸らそうとしたが、完全には躱し切れず、左腕の付け根付近を少なからず切り裂かれた。
切り裂かれた傷口から紅い鮮血が零れ落ちる。
続けざまに美佐枝が包丁を振り被ったが、彰もこのまま敗北を喫したりはしない。
優勝して澤倉美咲を生き返らせるという目的がある以上、未だ倒れられない。
無事な右腕を駆使して、イングラムM10の銃口を美佐枝の方へと向ける。

「こんな所で! 僕は負けられないんだっ!!」

右腕一本では銃身の固定が不十分だった所為で、そして咄嗟に美佐枝が飛び退いた所為で、弾丸が命中する事は無かった。
しかしそれでも、距離を離す時間だけは十分に確保出来た。
彰は近くの遮蔽物にまで逃げ込んで、鞄から新たな弾倉を取り出そうとする。
そうはさせぬと云わんばかりに、美佐枝が彰に向かって駆け出したが、そんな彼女の下に一発の銃弾が飛来した。

「……くあああっ!?」

左肩を打ち抜かれた美佐枝が、激しい激痛に苦悶の声を洩らす。
美佐枝の後方、約二十メートル程離れた所に、ニューナンブM60を構えた岸田が屹立していた。
岸田はニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべながら、格好の標的となった美佐枝に追撃を仕掛けようとする。
しかし咄嗟の判断で攻撃を中断すると、上体を大きく斜めへと傾けた。
案の定、岸田のすぐ傍を鋭い飛来物が切り裂いてゆく。

「くっくっく……お前もやる気になったみたいだな」

岸田は銃撃して来た犯人達の方に視線を向けると、口許を三日月の形に歪めた。
視線の先には、里村茜の姿。
茜は電動釘打ち機を水平に構えた状態のまま、絶対零度の眼差しを岸田に返した。

「ええ。こうなってしまった以上、もう怒りを我慢する必要はありませんから」

親友の命を奪った岸田は、茜にとって憎むべき怨敵。
それと同時に、可能ならばこの場で倒しておきたい強敵でもある。
戦いは最早止めようの無い段階にまで加速してしまった以上、岸田を最優先に狙うのは当然だった。
余計な会話など無用とばかりに、茜は電動釘打ち機のトリガーを何度も何度も引き絞る。

371名無しさん:2008/03/12(水) 01:05:27 ID:JAd3em1s0

(……高槻の野郎に復讐するまで、弾丸は使い過ぎない方が良いな)

飛来する五寸釘を確実に回避しながら、岸田は瞬時の判断で得物を鉈へと持ち替えた。
修羅場に於ける高い判断力こそが、この殺人鬼の快進撃を支えている大きな要因である。
リスクを犯してまで血気に逸る必要は無い。
岸田は冷静に遮蔽物の陰へと身を隠すと、茜の釘打ち機が弾切れを起こすまで守勢に徹し続けた。
電動釘打ち機がカチッカチッと音を打ち鳴らすと同時に、弾けるような勢いで物陰から飛び出す。
肉食獣の如き殺気を剥き出しにして、岸田が茜に向けて疾駆する。

「くぅ――――」

茜も急いで次の釘を装填しようとしたが、とても間に合わない。
眼前には、既に鉈を振り上げている岸田の姿。
刃渡り一メートル近くもある鉈の直撃を受ければ、即死は免れないだろう。
茜は考えるよりも早く、膝に全身の力を集中させた。
後の事を心配している余裕は無い。
とにかく全力で、力の限り真横へと跳躍する――!

「………………っ」

ブウン、という音。
加速する身体に置いて行かれた金の髪が、唸りを上げる鉈によって両断される。
正に紙一重のタイミングで、何とか茜は己が命を繋ぐ事に成功した。
跳躍に全てを注ぎ込んでいた所為で、着地に失敗して隙だらけの姿を晒してしまう。
地面に倒れ込んだ状態の茜に向けて、岸田が追撃の剣戟を叩き込もうとする。
だが岸田と違って、茜には仲間が居る。
向けられた殺気に気付いた岸田が飛び退いた直後、一条の銃弾が傍の机へと突き刺さった。

「里村さん、大丈夫ですか!?」
「……有難う御座います、助かりました」

救援者――小牧愛佳に礼を言いながら、茜は直ぐに立ち上がって、釘打ち機に新たな釘を装填していった。
その一方で愛佳は、狙撃銃であるドラグノフを装備している。
二つの凶器、二つの殺意が同時に岸田へと向けられた。

「二人掛けかッ…………!」

不利を察知して後退する岸田に向けて、次々と五寸釘が迫り来る。
このままでは良い的になってしまう。
岸田は近くの机に身を隠そうとしたが、そこで広間中に響き渡る一発の銃声。
音が鳴り止んだ時にはもう、机に深々とした穴が穿たれていた。

「本当はこんな事したくないけど……でも、皆を守る為なら!!」

備え付きのスコープを覗き込みながら、愛佳が自らの決意を言葉に変えた。
貫通力に優れるドラグノフの銃弾ならば、机の防御ごと岸田を倒し切る事が可能。
素人に過ぎない愛佳が用いている為に、そう簡単に直撃はしないだろうが、敵の警戒を促すには十分過ぎる。

「チィィィ――――――」

遮蔽物を利用出来なくなった岸田が、それでも卓越した身体能力を活かして耐え凌ぐ。
ある時は上体を逸らし、ある時は横に跳び、またある時は地面へと転がり込む。
しかし時間が経つに連れて、回避に余裕が無くなってゆき、済んでの所で命を繋ぐといった場面が増えてきた。
追い詰められた岸田が、焦燥に唇を噛み締める。

(糞ッ、このままじゃ不味い……! どうすれば――――)

372名無しさん:2008/03/12(水) 01:06:17 ID:JAd3em1s0

そこで視界の端に、あるモノが映った。
同時に、頭に浮かぶ一つの案。
リスクは伴うが、成功すれば間違い無く敵を『絶望の底』へと叩き落せるであろう悪魔的奇手。
悩んでいる暇は無い。
直ぐ様岸田は、己が策を実行に移すべく動き出した。
まずは集中力を最大限に引き出して、茜が放つ攻撃を弾切れまで躱し続ける。
その作業は決して楽なものでは無かったが、十分な距離を確保していたお陰で、何とか避け切る事に成功した。

「次は…………」

岸田は何処までも冷静に計算を張り巡らせながら、目的の地点へと移動する。
到着するや否や、その場に仁王立ちして、愛佳の動向に全集中力を注ぎ込んだ。
戦場で足を止めるのは自殺行為に近いが、それでも早目の回避行動を取ったりはしない。
愛佳に狙いを外されては、『困る』のだ。
十分な時間的余裕を与える事で、正確に照準を定めて貰わなければならない。
そしてドラグノフの銃口が岸田の胸部へと向けられた瞬間、二人分の叫びが部屋中に木霊した。


「ここだ――――!!」
「当たって――!!」


愛佳のドラグノフが咆哮を上げる。
岸田は全身全霊の力で横へと飛び退いて、迫るライフル弾を薄皮一枚程度の被害で回避した。
次の瞬間、部屋の中央部付近で、唐突に真っ赤な霧が広がった。
美しい薔薇の花のような、そんな光景。
戦っている最中の者達も、一旦敵から間合いを取って、各自が霧の出所へと視線を集中させる。

373名無しさん:2008/03/12(水) 01:06:52 ID:JAd3em1s0


「――――あ、」


愛佳の喉から、酷く掠れた声が漏れ出た。
目の前の光景に、あらゆる思考が停止してしまっている。


「あ、ああ――――」


頭の中を、ミキサーで乱暴に掻き回されているような感覚。
全身の表面には鳥肌が立ち、喉はカラカラに乾いている。


「ああ、あ、あああ…………ッ」

愛佳が銃口を向けている先。
古ぼけた机の影には――頭の上半分を消失した、相良美佐枝の姿があった。


「あああああアアァァァアアああああああああああああああああッッ!!!!!」


愛佳の絶叫を待っていたかのようなタイミングで、美佐枝の身体が地面へと崩れ落ちる。
何故このような事態になったか、考えるまでも無い。
愛佳の発射した銃弾が、岸田の後方に居た美佐枝を撃ち抜いたのだ。

「あたしは……あたしはぁぁぁ…………っ!!」

愛佳はドラグノフを取り落として、地面へと力無く膝を付いた。
美佐枝は何時も自分を気遣ってくれていたのに。
何時も自分を守ってくれていたのに。
その恩人を、自らの手で殺してしまった。

「フ――――ハハハハハハハハハハハハハハッッ! 良いぞ、もっと喚け! もっと叫べ!
 そうだよ、お前がその女を殺したんだよっ!!!」

更なる追い討ちを掛けるべく、岸田が愛佳へと哄笑を浴びせる。
お前が殺したのだ、と。
お前の所為で相良美佐枝は死んだのだ、と。
覆しようの無い残酷な事実を、少女の心へと突き付ける。

374名無しさん:2008/03/12(水) 01:07:54 ID:JAd3em1s0

「あたしはああああアアアァァああああああああああアアアア……ッ!」

愛佳は壊れ掛けたラジオのように叫び続けながら、自身の顔を乱暴に掻き毟った。
皮膚が裂け、赤い血が漏れ出たが、愛佳の狂行は止まらない。
喉から迸る絶叫は悲鳴なのか慟哭なのか、それすらももう分からない。

「うわあああああああああぁあああああああっ!!!!」

救いは無い。
頭部を砕かれた美佐枝は、もう二度と動かない。
疑う余地は無い。
ドラグノフのトリガーを引いた指は、間違い無く自分自身のモノ。
理性を完全に失った少女は、獣じみた本能で逃走だけを乞い求めて、大広間の外へと走り去っていった。



「美佐枝、さん…………」

静寂が戻った大広間の中で、智代は呆然とした声を洩らす。
岸田と愛佳の会話から、大体の状況は把握出来ている。
過程までは分からないが、愛佳は自らの手で美佐枝を殺してしまったのだ。
最悪の事態を防げなかったという絶望が、智代の心を押し潰そうとしていた。

「こ、んな…………事って…………」

深い失意の底に在るのは、茜も同じだった。
標的を岸田一人に絞っていた自分は、危険を察知出来る状況にあった筈なのに。
攻撃に意識を集中する余り、岸田の後方に美佐枝が居るという事実を見落としてしまった。


「くくく、くっくっく……ハーハッハッハッハッハッ!」

哄笑は高く、屋根を突き抜けて、天にまで届くかのように。
岸田は絶望する智代達を見下しながら、狂ったかのように笑い続ける。
智代も茜も未だ、岸田に立ち向かえる程精神を回復出来てはいない。
だから岸田の狂態を遮ったのは、意外な人物の一声だった。

「――この、下衆が…………!!」

放たれた声に岸田が視線を向けると、そこには留美の姿があった。
留美は怒りも露に、鋭い視線を岸田へと寄せている。
H&K SMGⅡを握り締めている手から零れる血が、彼女の怒りが並大抵のものではないと物語っていた。

「おいおい、お前が言うなよ。殺し合いをしてたのは、お前だって同じだろ?」
「私をアンタと一緒にしないで! 少なくとも私は、アンタみたいに人の不幸を楽しんだりはしてない!」

眼前の男がどれ程外道か、復讐鬼と化した留美でも理解する事が出来た。
何か譲れぬ目的があって殺人遊戯に乗っているのなら、許しはしないが未だ分かる。
だがこの男は、只自分が楽しむ為だけに、非道な行為を繰り返しているのだ。

375名無しさん:2008/03/12(水) 01:08:52 ID:JAd3em1s0

「そんなに殺し合いが好きなのなら! そんなに人の不幸を楽しみたいのなら! 地獄に堕ちて、其処で勝手にやって来なさい!!!」
「ハッ、お断りだね。俺はまだまだパーティーを盛り上げなくちゃいけないからな」

岸田洋一は何処までも愉しげに、留美は般若の形相を浮かべて。
二人の殺戮者が、各々の銃器を携えて対峙する。
感情を剥き出しにして行動する二人は、良くも悪くも人間らしい。
しかし全員が全員、彼らのように感情で行動している訳では無い。
この場には一人、己が目的を果たす為だけに、文字通り修羅と化した男が居る。
皆が各々の心情を露にする中、彰は一人淡々と行動を続けていた。

(……僕は彼女みたいに怒れないし、怒る資格も無い。僕は目的の為に全てを棄てたんだ。
 美咲さんを生き返らせる為には、絶対に勝ち残らないといけないから――)

感情任せに、これ以上戦いを続けるのは愚行。
お世辞にも体力があるとは云えない自分の場合、極力長期戦は避けるべきだろう。
故にこの場に於ける最善手は、最強の一撃を置き土産として撤退する事だった。
既に必要な位置取りは確保した。
得物の準備も済ませてある。
遅まきながら他の者達も彰の動向に気付いたが、最早手遅れ。
出入り口の前に陣取った彰は、M79グレネードランチャーを皆が密集している地点へと向ける。



「――全員、死んでくれ」



短い宣告と共に、猛り狂う炸裂弾が撃ち放たれた。
正しく突然の奇襲。
七瀬留美や岸田洋一といった面々は各々が即座に回避行動へと移ったが、茜は一瞬反応が遅れてしまった。

「あ――――」

立ち尽くす茜の喉から、呆然とした声が零れ落ちた。
視界の先には、高速で襲い掛かるグレネード弾の姿。
駄目だ、もう間に合わない。
茜は自身の死を確信して――――

「茜―――――――!!」
「智代ッ…………!?」

そこで、真横から勢い良く智代が飛び込んできた。
その直後、大広間の中央部で激しい爆発が巻き起こされる。
爆発の規模は建物を倒壊させる程では無かったが、それでも大きな破壊を齎した。
轟音と爆風が大気を震わせて、閃光が部屋中へと広がってゆく。
規則正しく配列されていた机が、次々と中空に吹き飛ばされる。
爆風が収まった後も、巻き上げられた漆黒の煙が、大広間の中を覆い尽くしていた。

376名無しさん:2008/03/12(水) 01:09:22 ID:JAd3em1s0

「あっ――、く……そ……」

怒りと苦悶の混じり合った声。
飛散する木片を左手で振り払いながら、留美が黒煙の中から姿を表した。
整った顔立ちは埃に塗れ、制服は至る所が黒く汚れている。

「やって、くれたわね……」

爆心地から比較的離れた位置に居た為、深手を負う事は避けられたが、爆発時の閃光を直視してしまった。
お陰で視力は大幅に低下し、前方数メートルに何があるのか把握するのも楽では無い。
恐らく症状は一時的なものだろうが、これ以上戦闘を継続するのは不可能だ。
此処は一旦撤退するしか無いだろう。
勘を頼りに出入口へと向かう最中、留美は一度だけ後ろを振り向いた。
頭の中を過るのは一つの疑問。

(――私は本当に正しいの?)

小牧愛佳は殺し合いに乗っていなかった。
優勝を狙おうという腹積りなら、いずれは共闘者すらも殺す覚悟があった筈。
手違いから早目に殺してしまったとしても、あそこまで取り乱したりはしない筈なのだ。
間違いなく愛佳は殺し合いに乗っていないし、その仲間達も美佐枝が死んだ時の反応を見る限り、恐らく殺人遊戯否定派だろう。
だというのに自分は、一方的に彼女達を襲ってしまった。
これでは、冬弥を殺した殺人鬼と何も変わらないのではないか。
そこまで思い悩んだ後、留美は左右に首を振った。

(……考えるのは後ね。まずはこの場から離れないと)

此処は戦場だという事を忘れてはならない。
煙が晴れる前に脱出しなければ、いらぬ追撃を被ってしまうかも知れない。
そう判断した留美は、途中で見付けたH&K SMGⅡを回収した後、大広間の外へと歩き去っていった。
心の中に、大きな迷いを抱えたまま。

377名無しさん:2008/03/12(水) 01:09:50 ID:JAd3em1s0



二人の七瀬が立ち去った後、やがて煙も薄れてゆき、大広間の全貌が明らかとなる。
規則正しく配列されていた机も、その殆どが爆発の煽りで吹き飛ばされ、乱雑な形で床に転がっている。
部屋の所々では、赤々と燃える残り火達。
荒らされ尽くした広間の中、その一角で茜が声を張り上げていた。

「智代! しっかりして下さい、智代!」

彰の奇襲に対して、茜は何の回避行動も取れなかったが、智代が庇ってくれたお陰で殆ど怪我せずに済んだ。
しかし、その代償は決して軽くない。
屈み込んだ態勢で叫ぶ茜の眼前には、横たわったまま動かこうとしない智代の姿。

「どうして……どうしてこんな事をしたんですか! 私を庇ったりしなければ、こうはならなかった筈なのに!」

叫びながら智代の肩をガクガクと揺さぶるが、一向に何の反応も返っていない。
完全に意識を失ってしまっている。
茜は尚も智代の肩を揺らそうとしたが、そこでようやく我に返って、大きく一度深呼吸をした。

(……違う。こんな時こそ落ち着かないと……!)

乱れる心を懸命に抑え込んで、智代の状態を良く注視する。
身体中に無数の掠り傷を負ってはいるものの、致命傷となるような傷は見受けられない。
ただこめかみの辺りから、一筋の血が流れ落ちている。
恐らくは側頭部を強打して、その所為で気絶してしまったのだろう。
まずは安全な場所まで運んで、意識の回復を待つべきだ。
そう判断した茜は、智代の身体を持ち上げようとして――


「ククク……未だ残ってる奴らが居たか」
「…………ッ!?」

愉しげに弾んだ声。
驚愕に振り返った茜は、瓦礫の下から這い出てくる悪魔――岸田洋一の姿を目撃した。
岸田は立ち上がると、自身の服にこびり付いた埃をパンパンと払い除けた。

「あの糞餓鬼、いきなりふざけた物をぶっ放しやがって……。危うく死ぬ所だったじゃねえか。
 でもま、獲物達が残ってただけマシか」

語る岸田の外観からは、目立った外傷は殆ど見受けられない。
精々、頬の辺りに軽い掠り傷がある程度だ。
彰がグレネードランチャーを放った瞬間、岸田は傍にある机の影へと逃げ込んだ。
その甲斐あって、被害を極限まで抑える事に成功したのだ。

「お前達、もうボロボロだな? 他の奴らはもう逃げたようだし、痛ぶってから殺すにはお誂え向きの状況だ」
「……この、悪魔…………!」

岸田は銃火器を用いるまでも無いと判断したのか、鞄から鉈を抜き出した。
応戦すべく茜も立ち上がったが、彼我の戦力差は果てしなく大きい。
恐るべき殺人鬼と、戦い慣れしていない只の女子高生。
どちらが有利かなど、考えるまでも無かった。

378名無しさん:2008/03/12(水) 01:10:49 ID:JAd3em1s0

「そら、掛って来いよ。何なら、そこで倒れてるお仲間から殺してやっても良いんだぜ?」

岸田の表情には、緊張や焦りといった類のものは一切見受けられない。
それも当然の事だろう。
岸田からしてみれば、この戦いはあくまでも余興だ。
初めから勝つと分かり切っている戦いに、恐れなど抱く筈も無い。

(此処は逃げ――いえ……駄目ですね)

茜は浮かび上がった考えを、一瞬の内に打ち消した。
自分とて、勝ち目が無い事くらいは理解している。
愛佳と二人掛かりでも倒せなかったのに、自分一人で勝てる筈が無い。
どうせ勝てないのら、気絶している智代を置いて、一人で逃げるのが最善手かも知れなかった。
だが――

「智代――今の私が在るのは、貴女のお陰です。貴女が居なければ、私は外道の道を歩んでいたでしょう」

殺人遊戯の開始当初、自分は殺し合いに乗るつもりだった。
どんな手段を使ってでも、優勝を勝ち取るつもりだった。
そんな愚か極まり無い自分を、智代が諫めてくれたのだ。
あの時の出来事が無ければ、自分は岸田と然程変わらぬ下衆になっていただろう。
智代が居るからこそ、今の自分が在る。

「貴女は何時だって無茶をして、私を救い続けてくれた。だから今度は、私が無茶をする番です。
 たとえ此処で死ぬ事になろうとも、私は絶対に退いたりしない……!」

そう云って、茜は電動釘打ち機を構えた。
茜の瞳に恐れや迷いといったモノは無く、ただ決意の色だけがある。
その姿、その言葉が気に触ったのか。

「助け合いの精神か……反吐が出るな。幾ら綺麗事を吐こうが、所詮この世は弱肉強食なんだよ。
 お前みたいな弱者は、誰も救えないまま野垂れ死にやがれ!!」

直後、岸田の足元が爆ぜた。
幾多もの人間を殺してきた殺人鬼が、肉食獣のような前傾姿勢で茜へと襲い掛かる。
放たれる釘を左右へのステップで避けながら、一気に間合いを詰め切った。
茜も釘打ち機の照準を定めようとしたが、そこに振るわれる鉈の一閃。

「遅いぞ、雌豚」
「っつう………!」

鉈の刀身は正確に釘打ち機を捉え、空中へと弾き飛ばしていた。
続いて岸田は手首を返して、肘打ちで茜の脇腹を強打した。
殺害では無く破壊を目的とした一撃は、容赦無く獲物に衝撃を叩き込む。

379名無しさん:2008/03/12(水) 01:11:31 ID:JAd3em1s0

「がふっ……、く……」

呼吸困難に陥った茜が、後ろ足で力無く後退してゆく。
それは岸田にとって、仕留めるのに十分過ぎる程の隙。
今攻め立てれば、ものの数秒で勝負を決める事が出来るだろう。
だが岸田は敢えて追撃を行おうとせずに、心底馬鹿にしたような視線を投げ掛ける。

「お前、馬鹿か? お前みたいな餓鬼如きが、この俺に勝てる訳無いじゃねえか」
「……そう、でしょうね。云われなくても、そんな事くらい分かっています」

肯定。
自分に勝機が無いという事実を、茜はいとも簡単に認めた。
釘打ち機は今の衝突で失ってしまったし、もう碌な武器が残っていない。
しかしその事実を前にして尚、茜の瞳に絶望は浮かび上がっていない。

「――だけど、私は信じています」
「信じている……だと?」

訝しげな表情となった岸田が、眼前の少女に問い掛ける。
数秒の間を置いた後、茜は自身の想いを言葉へと変えた。

「私は智代を信じています。智代なら絶対に起き上がって、貴方を倒してくれます。
 だから、私がするべき事はそれまでの時間稼ぎだけです」

諦めなど無い。
智代が意識を取り戻すまでの間、自分が岸田を食い留める。
それが茜の選んだ道であり、勝利に至る方程式だった。
揺るがない想い、揺るがない信頼が、茜を巨悪に立ち向かわせる。

「ハッ、下らないな。女の一人や二人増えた所で、何が出来るってんだ?
 お前達に残されているのは、俺に殺される未来だけなんだよ!」

岸田は茜の言葉を一笑に付すと、すぐさま攻撃へと移行した。
邪悪な笑みを湛えたまま前進して、勢い任せに鉈を振り下ろす。
得物を失った茜には、回避する以外に生き延びる術が無い。

380名無しさん:2008/03/12(水) 01:12:38 ID:JAd3em1s0

「っ――――」

茜は自身の全能力を注ぎ込んで、横方向へとステップを踏んだ。
敵の攻撃が大振りだった事もあって、紙一重の所で命を繋ぐ事に成功する。
だが岸田からすれば、今のはあくまで威嚇の一撃に過ぎない。
攻撃が外れた事など気にも留めず、茜の懐へと潜り込んだ。

「悶えろ!」
「あぐっ…………!」

岸田は上体を斜めへと折り畳んで、拳で茜の脇腹を強打した。
続けて足を大きく振り被り、渾身の回し蹴りを打ち放つ。
純粋な暴力の塊が、茜に向けて襲い掛かる。
茜も咄嗟に両腕で防御したが、その程度ではとても防ぎ切れない。
岸田の攻撃は、ガードの上からでも十分な衝撃を叩き付けた。

「ぅ、……あっ…………!」

度重なる攻撃を受けた茜が、後ろ足で力無く後退する。
そこに追い縋る長身の悪魔。
岸田は茜が苦し紛れに放った拳を避けると、天高く鉈を振り上げた。


「――さて。そろそろフィナーレと行こうか?」


振り下ろされる銀光。
岸田の振るう鉈は茜の右太股を深々と切り裂いて、真っ赤な鮮血を撒き散らした。
茜は苦悶の声を上げる事すら侭ならず、無言でその場へと倒れ込んだ。

「本当なら犯してから殺す所なんだが、生憎と少し前に楽しませて貰ったばかりなんでね。
 お前は直ぐに殺してやるよ」
「あ……っつ…………くああっ…………」

茜は懸命に立ち上がろうとするが、如何しても足に力が入らない。
動けない茜の元に、鉈を構えた殺人鬼が歩み寄る。
反撃の一手は無い。
逃げる事も不可能。
最早完全に、チェックメイトの状態だった。
迫る死が、覆しようの無い状況が、茜の心に絶望の火を灯す。

(智代、すみません。私は貴女を守れなかった――――)

武器を奪われ、機動力も封じられた茜は、心の中で謝罪しながら目を閉じた。
精一杯頑張ったつもりだが、結局自分は何も出来なかった。
無力感に苛まれながら、数秒後には訪れるであろう死の瞬間を静かに待ち続ける。


「…………?」

だが、何時まで経ってもその時は訪れない。
疑問に思った茜が、目を開こうとしたその瞬間。
茜の耳に、鈍い打撃音が飛び込んできた。

381名無しさん:2008/03/12(水) 01:13:35 ID:JAd3em1s0

「…………え?」

最初に茜が目にしたものは、数メートル程離れた位置まで後退した岸田の姿。
岸田は驚愕と怒りの入り混じった形相で、茜の真横辺りを睨み付けている。
茜が岸田の視線を追っていくと、そこには――


「――待たせたな」
「あ、あ…………」


眼前には待ち望んでいた光景。
この島でずっと行動を共にしてきた、何よりも大切な仲間の横顔。
茜の傍で、意識を取り戻した坂上智代が屹立していた。

「……もう何度も後悔した。私はこれまで死んでいった人達を救えなかった。美佐枝さんも救えなかった」

智代はそう云うと、視線を地面へと落とした。
語る声は後悔と苦渋に満ちている。
この島では余りにも多くの人が死んでしまい、智代の周りでも同志が倒れていった。
救えなかった苦しみ、守れなかった無念が、智代の心を苛んでいる。

「だけど、もう後悔なんてしたくないから――」

銀髪の少女は首を上げて、真っ直ぐに岸田を直視した。
後悔ばかりしているだけでは、何も変わらないから――
直ぐ傍に、何としてでも守り抜きたい人が居るから――

強く拳を握り締めて。
自身の苦悩を、そのまま燃え盛る闘志へと変えた。

「この男を倒して! 茜だけは絶対に守り切ってみせる!!」
「智代……ッ!」

瞬間、智代の身体が掻き消えた。
生物の限界にまで達したかと思えるような速度で、前方へと駆ける。
岸田を間合いに捉えた瞬間、智代の右足が閃光と化した。

382名無しさん:2008/03/12(水) 01:14:15 ID:JAd3em1s0

「ガ――――ッ!?」

岸田には、蹴撃の残像すら見えなかったかも知れない。
まともに左側頭部を強打されて、そのまま大きく態勢を崩してしまう。
その隙を狙って、智代の彗星じみた連撃が繰り出される。

「ハァァァァァァァアッ!!」
「ぐがあああああっ…………!」

一発、二発、三発、四発――
一息の間に放たれた蹴撃は、例外無く岸田の身体へと突き刺さっていた。
余りにも凄まじいその猛攻を受ければ、並の人間なら意識を手放してしまうだろう。
だが岸田とて歴戦の殺人鬼。
そう簡単に敗北を喫したりはしない。

「こ……のっ…………クソがあ!」

岸田は罵倒で痛みを噛み殺すと、右手の鉈を横一文字に奔らせた。
派手な風切り音を伴ったソレは、直撃すれば間違いなく致命傷となるであろう一撃。
だが、智代の表情に焦りの色は無い。

「……この程度か? 七瀬の斧の方が余程速かったぞ」
「な、に――――!?」

智代は優に一メートル以上跳躍して、迫る鉈を空転させる。
そのまま空中で腰を捻って、岸田の顔面に強烈な蹴撃を打ち込んだ。
直撃を受けた岸田は大きく後方へと弾き飛ばされて、背中から地面に叩き付けられた。


「智代……凄い…………」

地面に腰を落とした状態のまま、茜が驚嘆に言葉を洩らす。
智代が見せた動きは、岸田を大幅に上回っていた。
彼我の体格差などものともせずに、一方的に岸田を痛め付けてのけたのだ。
智代の実力は最早、女子高生などという枠に収まり切るものでは無い。

383名無しさん:2008/03/12(水) 01:15:18 ID:JAd3em1s0


「早く立て。倒れている相手を追い打つのは、私の流儀に反するからな」

智代は敢えて追撃を仕掛けずに、岸田が起き上がるのを待っていた。
殺し合いの場であろうとも自分を曲げるつもりは無い。
あくまで自らの信念、自らの生き方を貫いたまま、目的を達成してみせる。
智代と茜の視線が注ぎ込まれる中、ようやく岸田がよろよろとした動作で立ち上がる。

「……調子に乗るな、雌豚がああああっ! もう後の事なんぞ知るか、コレでお前をぶっ殺してやる!」

岸田はそう叫ぶと、直ぐに鞄からニューナンブM60を取り出した。
高槻と戦う時まで銃弾を温存しておくつもりだったが、最早そんな事は考えていられない。
今この場で全力を出し切ってでも、この女達は八つ裂きにせねば気が済まない。

「さあ、パーティーは終わりだ! 死ね! 死んでこの岸田に逆らった事を後悔しろ!」

怒りも露に岸田が叫ぶ。
銃という凶悪な力を手に、智代達に死刑宣告を突き付ける。
だが智代は銀の長髪を靡かせながら、口の端に強気な微笑みを浮かべた。

「パーティーか。そうだな……仮にこれを、パーティーの中で行われる演劇とすれば――」

智代の腰が落ちる。
それに呼応するようにして、岸田の銃が水平に構えられる。

「――主役(わたし)が勝ち、敵役(おまえ)が負ける! それが演劇のフィナーレというものだ!!」

鳴り響く銃声、木霊する叫び。
それを契機として、最後の戦いが幕を開けた。

384名無しさん:2008/03/12(水) 01:15:58 ID:JAd3em1s0


「ハッ――――――!」

智代は凄まじい速度で横に跳躍して、岸田の初弾から身を躱した。
間を置かずして前進しようとするが、そこで再び銃口と対面する事になる。
智代が咄嗟に前進を中断した瞬間、ニューナンブM60が死の咆哮を上げた。
容赦も躊躇も無い銃撃が、必殺の意思を以って放たれる。

「ク――――」

全力で身体を捻る。
智代の頭上付近を、黒い殺意の塊が通過していった。
何とか危険を凌いだと思ったのも束の間、更に二連続で放たれる銃弾。

「……………っ」

態勢を崩したままの智代は、地面へと転がり込む事で、迫る死からどうにか身を躱した。
しかし、それで限界。
今の状態では、これ以上の回避行動を続けるなど不可能だった。

「そら、そこだ!」
「グッ……ガアアアアアアア!」

智代が起き上がるよりも早く、岸田のニューナンブM60が五発目の銃弾を放つ。
放たれた銃弾は智代の左肩へと突き刺さり、そのまま肉を抉り貫通していった。
迸る鮮血に、智代の服が赤く染まってゆく。

「ハーハッハッハッハッハッハ! 馬鹿が、素手で銃に勝てる訳が無いだろうが!」

先程から一方的に攻め立てている岸田が、勝ち誇った笑い声を上げる。
確かに現在の所、勝負は圧倒的に岸田が押している。
岸田が銃を持って以来、智代は一度も近付けてすらいない。

――だが、岸田は失念してしまっている。
銃という武器が持つ、最大の弱点に。
智代は無言で起き上がると、そのまま一直線に岸田の方へと走り出した。

「馬鹿が、真っ直ぐに向かってくるとは――、…………ッ!?」

迎撃を行おうとした岸田の表情が驚愕に歪む。
智代に向けてニューナンブM60の引き金を絞ったものの、銃弾は発射されなかった。
弾切れ。
銃器である限り、絶対に逃れられない枷。
圧倒的優位に酔いしれる余り、岸田は残弾の計算すらも忘れてしまっていたのだ。

385名無しさん:2008/03/12(水) 01:17:03 ID:JAd3em1s0


「オオオオぉおおおおおお―――――――!!!!」

敵の弾切れを確認した瞬間、智代は文字通り疾風と化した。
これこそが、智代の待ち望んでいた機会。
度重なる連戦で負った疲労とダメージは決して軽くない。
この好機を逃してしまえば、自分にはもう後が無い。
故に今この時、この瞬間に自分の全てを注ぎ込む――――!!


「――これは美佐枝さんの分!」
「ガッ、グ…………!」

智代は一息の間に距離を詰めて、岸田の腹部を思い切り蹴り上げた。
強烈な衝撃に、岸田の手からニューナンブM60が零れ落ちる。

「これは小牧の分!」
「っ――――ぐ、ふっ…………!」

智代の上段蹴りが、岸田の顎へと正確に突き刺さった。
激しく脳を揺らされた岸田が、完全に無防備な状態を晒す。

「これは私と茜の分!」
「あ、が、ぐ――――」

蹴る、蹴る、蹴る、蹴る。
叩き込まれた攻撃は実に十発以上。
皆の怒りを、皆の無念を籠めて、智代の足が何度も何度も振るわれた。
だが、未だ終わりでは無い。
銀髪を流星の尾のように引きながら、智代が更なる攻撃を仕掛けてゆく。


「そしてこれは――」


踏み込む左足が、力強く、大地を震わせた。
その勢いは前進力となって、完全に同軌したタイミングで右足が一閃される――!!


「お前に殺された人達の分だ――――――!!!」
「うごぁぁああアアアアアアアアア…………ッ!」


正に全身全霊、渾身の一撃。
交通事故にも等しい衝撃が、岸田の腹部へと叩き込まれる。
智代が放った蹴撃は、巨躯を誇る岸田洋一の身体すらも、優に十メートル以上弾き飛ばした。

386名無しさん:2008/03/12(水) 01:18:27 ID:JAd3em1s0



「ぐっ……糞、ど畜生が…………!」

岸田が何とか立ち上がって、鞄から電動釘打ち機を取り出したものの、その動きは目に見えて鈍くなっている。
とても、智代の攻撃を裁き切れるような状態では無い。

「これで、終わりだ…………!」

智代は勝負に終止符を打つべく、一気に踏み込もうとする。
次に智代が岸田を間合いに捉えれば、その瞬間に戦いは決着を迎えるだろう。
満身創痍となった岸田洋一は、碌に反撃すらも出来ず、意識を刈り取られる。



だが――その刹那。


もう少しで、智代の足が届く距離になるという時に。
追い詰められている筈の岸田が、あろう事か禍々しい笑みを浮かべ出した。


「……そうか。最初からこうすれば良かったんだな」
「――――え、」


智代の動きがピタリと停止する。
前方で、岸田の電動釘打ち機が水平に構えられていた。
智代に向けてでは無い。
岸田は咄嗟の判断で、智代では無く茜に釘打ち機を向けたのだ。
足を怪我している茜に、釘打ち機の発射口から逃れる術は無い。

「動けばどうなるか、分かってるよな?」

智代が下手な行動を起こせばどうなるか、考えるまでも無い。
殺人鬼・岸田洋一はそれこそ何の躊躇も無く茜を撃ち殺すだろう。
例えその後、自分自身が殺される事になろうともだ。
岸田は空いてる方の手で投げナイフを取り出すと、一歩も動けない智代に向けて構えた。

387名無しさん:2008/03/12(水) 01:20:05 ID:JAd3em1s0

「駄目です、智代! 私の事なんて良いから、戦って――」
「……じゃあな、雌豚」

茜の叫びも空しく。
冷たい宣告と共に、ナイフが容赦無く投げ放たれた。
鋭い白刃は正確に智代の腹を突き破って、中にある内蔵すらも破壊する。
智代は呼吸器官から湧き上がる血液を吐き出して、自身の服を真っ赤に染め上げた。

「……す、ま、ない。あか………ね―――――」

膝から力が抜けて、上体が折れる。
智代は最後に一言だけ言い残すと、冗談のような鮮血を流しながら地面へと倒れ込んだ。
倒れ込んだ智代に向けて、更に岸田が一発、二発と五寸釘を打ち込んだ。
衝撃に智代の身体が揺れたが、それも長くは続かない。
十数秒後。
そこにはもう、二度と動かなくなった亡骸のみが残っていた。

「と、智代…………!!」

茜が右足を引き摺りながら、懸命に智代の死体まで歩み寄ろうとする。
だが目的地に到着するよりも早く、背中に強烈な衝撃が突き刺さった。
茜は盛大に吐血すると、力無く地面へと崩れ落ちた。


「ったく、手間掛けさせやがって。身体中が痛むし最悪だ」

茜の背中からナイフを引き抜きながら、不快げに岸田が呟いた。
岸田は茜の肩を掴むと、強引に身体を自分の方へと向けさせる。

「何はともあれ、これで理解出来ただろ? 仲間なんて下らないモノに拘ってる連中は、馬鹿みたいに野垂れ死ぬだけだってな」

岸田はそう言い放つと、茜の胸にナイフを突き立てた。
生命の維持に欠かせない心臓が破壊され、夥しい量の血が飛散した。
だが、茜は尚も身体を動かして、智代の下に這い寄ろうとする。

388名無しさん:2008/03/12(水) 01:21:05 ID:JAd3em1s0


(せめて……智代の…………傍で――――――)

霞みゆく視界、薄れゆく意識の中で、懸命に這い続ける。
萎えてしまった腕の筋肉を総動員して、少しずつ距離を縮めてゆく。
せめて。
せめて最期は、智代の傍で。
残された唯一の望みを果たすべく、茜は尚も動こうとして。

「――しつけえよ。いい加減死ね」

そこで岸田のナイフがもう一度だけ振るわれて、茜の首を貫いた。
周囲の床に血が飛び散って、赤い斑点模様を形作る。
神経を遮断された茜は、最早指一本すら動かせない。


誰一人として守れないまま、大切な仲間の下にも辿り着けないまま。
里村茜の意識は暗闇へと飲まれていった。
見開かれたままの大きな瞳からは、血で赤く染まった涙が零れ落ちていた。

389名無しさん:2008/03/12(水) 01:24:39 ID:JAd3em1s0
【時間:2日目15:00】
【場所:C-03 鎌石村役場】

相楽美佐枝
【持ち物1:包丁、食料いくつか】
【所持品2:他支給品一式(2人分)】
【状態:死亡】

坂上智代
【持ち物:湯たんぽ、支給品一式】
【状態:死亡】

里村茜
【持ち物:フォーク、釘の予備(23本)、ヘルメット、湯たんぽ、支給品一式】
【状態:死亡】

小牧愛佳
【持ち物:火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】
【状態:中度の疲労、顔面に裂傷、極度の精神的ダメージ、役場から逃亡】

七瀬留美
【所持品1:手斧、折りたたみ式自転車、H&K SMGⅡ(26/30)、予備マガジン(30発入り)×2、スタングレネード×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、支給品一式(3人分)】
【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、中度の疲労、右腕打撲、一時的な視力低下、激しい憎悪。自身の方針に迷い、役場から逃亡】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(16/30)、イングラムの予備マガジン×4、M79グレネードランチャー、炸裂弾×9、火炎弾×10、クラッカー複数】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、疲労大、マーダー。役場から逃亡】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブM60(0/5)、予備弾薬9発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機6/12、五寸釘(5本)、防弾アーマー、支給品一式】
【状態:肋骨二本骨折、内臓にダメージ、身体中に打撲、疲労大、マーダー(やる気満々)。今後の方針は不明】


【その他:二階の大広間に電動釘打ち機(11/15)、ドラグノフ(1/10)が、一階に89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ペンチ数本、ヘルメットが放置】



→B-10


>まとめサイト様
タイトルは『激戦、慟哭、終焉/アカイナミダ』で御願いします。
また凄く長い話になってしまったので、二分割掲載を希望します(後編は>>377から)

390名無しさん:2008/03/13(木) 19:35:18 ID:QjCmsZtU0
>まとめサイト様
申し訳御座いません
幾つか矛盾点がありましたので、以下のように訂正お願いします


>>363
>そう言いながら姿を現したのは、制服姿の少女と、成熟した体型の女性。
           ↓
そう言いながら姿を現したのは、長い金髪の少女と、成熟した体型の女性。



>>367
>「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――少し前、お前と同じ制服の奴や、その仲間を殺してやったぞ」
>「私と同じ制服の人を……ですか?」
                       ↓
「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――お前と同じ年頃の女を二人、殺してやったぞ」
「私と同じ年頃の……ですか?」



>>387
>鋭い白刃は正確に智代の腹を突き破って、中にある内蔵すらも破壊する。
       ↓
鋭い白刃は正確に智代の胸部へと突き刺さって、中にある内蔵すらも破壊する。

391『激戦、慟哭、終焉/アカイナミダ』作者:2008/03/13(木) 19:35:51 ID:QjCmsZtU0
嗚呼……名前忘れました

392Intermission-1:2008/03/19(水) 03:40:59 ID:C1BCUMC.0
「…………」
「…………」
 何もしなくても時間は過ぎる。
 奥の部屋では珊瑚が独りでワームを作っている。
 あの部屋に到るまではたとえ何処からでも確実にこの部屋を通らなくてはならない。
 珊瑚と同じ部屋にいたままだんまりは宜しくない。その判断の元で一つ前の部屋に三人は集まっていた。
 やっていることはレーダーによる監視。
 誰かが首輪を外す手段を見つけていないなら確実にこれで捕捉出来るはず。
 起きている必要もない。寧ろ先を考えるなら寝ている方が良いだろう。独りで十分なはずなのに、そう思いながら珊瑚からレーダーを預かった瑠璃は目の前の男を見て溜息を吐く。
「寝たらどうや?」
「いや俺はまだ元気だから」
「後で足手まといになられても困るんやけど」
「じゃあ瑠璃が寝ればいい」
「ウチがさんちゃんから預かってるねん。そんなんできひんよ」
「…………」
「…………」
 これの繰り返し。
 みさきは既に布団の中。
 戦力になりうる二人がいざと言う時に戦えないのはどう考えても致命的なのだが、双方折れない。
 客観的に見れば今浩之は何もしていない。先程までは手分けして家中虱潰しに捜索し、食べ物以外にも役立つものもそれなりには見つけたのだが――そこまでだ。
 守勢に回る以上瑠璃がレーダーを抱えている限りやることもない。
 寝ていた方が百倍マシだろう。
 戦闘要員を差し置いてみさきが一番マシな行動をしているのも問題があるかもしれないが。

393Intermission-1:2008/03/19(水) 03:41:51 ID:C1BCUMC.0
 が、浩之にも浩之なりの理屈はあった。
「まぁ……俺よりは瑠璃の方がずっと疲れてるだろうからな。取り敢えず寝ておけよ」
「あかん」
 あの姉を連れ、守り、規格外に強力な武器を手に入れ、その割りにその武器は対峙した相手には使えず、漸く巡り合えた家族とは時を待たずに散り散り、挙句その命は……
 珊瑚は他に誰も出来ない事をやっている以上眠ってくれとは言えない。曲がりなりにも一応は安全と言える状況で道具も揃っている。又とない機会だ。これを逸する手はない。
 しかしその妹が休める状況があるのに休ませない手も又ない。
 集団で行動する時の速度は集団で一番遅いものに併せられる。
 流石にみさきと珊瑚より遅くなることはないだろうが、それでも疲れが溜まっているものから休ませるべきではあるだろう。
 と言う理屈もあるが、何より憔悴した目の前の娘が張り詰めた弦のように切れないようにしたいと言うのが一番の本音だった。
 それでも二人が起き続けるのが一番無駄なのだと言う事は二人とも分かっているのだが。
 その静寂がもう暫く続いた後、瑠璃が口火を切った。
「なぁ」
「ん?」
「さんちゃん頭ええやろ?」
「そうだな」
 掛け値ない本音だ。自分や自分の知り合い全てひっくるめても丸で敵わないだろう。正に規格外の天才だ。
「最高の天才だ」
「そうやねん。でも、ウチはアホなんや。さんちゃんと双子やってのが信じられへんくらい全然違う」
「瑠璃?」
「でもな、ウチ考えたんや。いっぱいいっぱい考えたんや。これからどうなるんか。どうするんか。イルファは……ウチのせいで……」
 涙を溜めて言葉を詰まらせる。が、それでも最後まで言い切った。
「ウチのせいで死んだ。ウチがさんちゃんが止めるの聞かずに勝手に行ったからや。その後さんちゃん連れて逃げたんは後悔しとらへん。ほんまはしとるかもしれへんけど……それでもしとらへん。ウチはさんちゃんが一番大事や。それはかわらへん。でも、ウチが行かんかったらイルファも死なんですんどったかもしれんのや」
「それは違うぜ」
 見過ごせないペテン。浩之は遮った。
「浩之?」
「それは違う。瑠璃。イルファって人が死んだのは瑠璃のせいじゃねー。そのイルファを殺した人のせいだ。そしてこの糞ゲームを開いた奴のせいだ。確かに瑠璃が行かなかったらイルファは死ななかったかもな。そこまでは事実だ。だが、断じて瑠璃のせいでイルファが死んだんじゃねーぞ。そこだけは履き違えるな」
 それでも納得は行かないのだろう。浩之の理論は一面では正しい。が、そうでない部分もある。
「いいな?」
「あかんよ」
「何?」
 哀しげに首を振る瑠璃は、なおも自分に断罪の杭を撃つ。
「あかん。それでもあかんねん。確かに直接殺したんはそいつやし、そうさせたんはゲーム開いた奴のせいかもしれへんけどな。そんな時に不用意に動いたウチが悪くないはずないねん。――――浩之。ここは戦場やで。戦場で散歩して撃ち殺されて。撃った奴が悪いゆってられへんやろ?」
「…………」
 それも又正しかった。でなくばこの世界に自衛なんて必要ない。
「だからイルファが死んだのはウチのせい。……でもある。それは間違いない」
 それでも訂正を入れてくれたのだ。陳情は無駄ではなかったのだろう。

394Intermission-1:2008/03/19(水) 03:42:24 ID:C1BCUMC.0
「でな。アホやけど考えてん。ウチがこの世で一番なんはさんちゃん。それだけはかわらへん。ずっとずっと。でも、この島は戦場や。ここもいつまで安全かはわからへん。レーダーあるから奇襲だけは……それでもないとは言えへんけど、そんなに気にせんでええ。でもウチらには武器があれしかないからな。家でも吹っ飛ばせるけど、先に撃たれておしまいや。やからこのままやと最初に戦闘する時にはどうしてもウチらが戦わなならん。さんちゃんもみさきも戦えへんからな。さんちゃんがウチより先に死ぬ事はない。ウチがさせへん。でも、ウチが死んだらここにはもう浩之しかおらんねん。浩之、そうなったらさんちゃん……守ってくれるか?」
「ったりめーだろ?」
 何を言い出すのかと思えば。考えるに値しない。
「ちゃう!」
 彼はそう思ったのだが。
「そうやない! 浩之はわかってへん! っ……ふ……浩之。さっき、ウチゆうたよな。『守る覚悟』って。その後も色々考えてん。でもな、最後まで考えると浩之が行った通り人殺しをする覚悟も必要になるんや。ウチがイルファ殺した人みたいなの殺すの躊躇してさんちゃんが殺されるのは絶対にだめなんや。イルファはそれが出来た。きっと出来た。そう言う相手を『殺してでも』さんちゃんとみさきを……守ってくれるんか?」
 瑠璃の問いは遥かに重かった。決まっていない覚悟を見せるな。その眼は言外にそう告げている。これが年下の少女が見せる眼だろうか。澄んで、燃えて、何処までも重い。
 浩之は暫し眼を閉じ、黙考した。
 瑠璃は解答を急かさない。
 手元のレーダーも、そこで寝ている少女も、今この瞬間はこの世界からは切り離されていた。
 何もしなくても時間は過ぎる。
 彼は漸く眼を開ける。
「……確かに、認識が甘かったな」
 穏やかに口を開き、彼は続けた。
「あいつは俺達を殺そうとした。川名は後少し、ほんの僅か俺が遅れるだけで死んでいた。間違いなく。あのデイバッグのように弾けていたんだよな」
 それは瑠璃に語っているのではないのかもしれない。
 ここまで来た幸運、悪運、不運。自分の認識の甘さ、覚悟の薄さ。
 それをただ確認しているだけなのかもしれない。
「そして俺は川名を連れて逃げ出した。そのこと自体は間違っているとは思わねー。現にこうして生きている。が、あの時はちゃんと武器もあったんだよな。反撃する為の武器が。それを捨てたから逃げられたんだけど、捨てなきゃ返り討ちには出来たかもしれないのか。――確かにここは戦場だわ。有無を言わさず殺しに来る奴がいる。そう言う奴らを殺せなかったせいで川名が死ぬのは……許せねえな」
 これは間違った認識なのかもしれない。しかしここは戦場だった。理想を抱いて周りの者を殺す選択肢を選ぶことは、彼には出来なかった。
「――瑠璃。守ってやる。川名も、珊瑚も、お前も。覚悟は決めたぜ。襲ってくる殺人鬼を殺さずに追い返す、なんて真似はしない。まぁ、逃げられる事はあるかもしれねーけどよ」
 最後は肩を竦めておどけてみせる。それでも瑠璃には十分過ぎた。貴明はここにはいない。イルファは自分のせいで亡くなった。自分が倒れた後他に頼る当てもなかった彼女にとって、浩之の誓いは何よりも有難いものだった。
「……あんがとな」
 呟かれる礼に、彼は無言を持って応えた。

395Intermission-1:2008/03/19(水) 03:43:20 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前10:00頃】
【場所:I-5】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、包丁、工具箱、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料】
【状態:瑠璃と行動を共に。ワーム作成中】

藤田浩之
【所持品:包丁、フライパン、殺虫剤、布、空き瓶、灯油、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:特になし】

B-10

396Intermission-2:2008/03/19(水) 03:43:52 ID:C1BCUMC.0
「せや」
「?」
 瑠璃の唐突な呟きで先刻までの重い空気は破られた。
「もう一つ大事な事があったんや。忘れるとこやった」
「忘れてなかったか?」
「やかまし。浩之、うちらの事信じとる?」
 又も今更。当然だろう。
「あたりめーだろ?」
「ウチもや。浩之たちのことは信じとる。やけど、この先ずっと4人のままとはかぎらへんやん。誰かが来るかもしれんやろ?」
「まぁ、そうだな」
 その可能性は往々にして在り得る。偶然がなければこうして姫百合姉妹と出会うこともなかった。
「でも、そいつが本当に信じられるかはわからへんやん。騙そうと思って近付いてきとるのかもしれん」
「まぁ、そうだ」
 その可能性も十二分に考えられる。そしてこちらが油断した時に致命的な一撃を放つそう言う奴の方が始末に追えない。
「やから、ウチは絶対に信用できる奴以外は仲間に入れたくないんや」
「でもそれだと、本当に困ってる奴が助け求めてきたらどうすんだ?」
「見捨てる。と言いたいとこやけど、さんちゃんもみさきも反対するやろ。ウチかて本当はそんなんしたない。やから今の内に話しときたいねん。浩之。絶対に信用できる人間は誰がおる?」
「そーだな……あかり、雅史、……志保もまぁこんな馬鹿げたのにゃ乗らんだろ。後は来栖川センパイ、マルチ、理緒ちゃん辺りは何があっても平和主義者だろうぜ」
「ウチはイルファと貴明とさんちゃんだけやねん。でな、ウチは貴明は疑えへん。やから貴明が来たら浩之が警戒して。その代わり今浩之が言った人間はウチが警戒する」
「!!」
 信頼してる人に対しては警戒が甘くなる。ましてこの状況。疑心暗鬼より拒絶するのでなければ、どうしても仲間は求めたくなる。そして、この状況で正常を保っている保障は誰にもないのだ。
「で、どちらでもない人間が来たら二人で警戒する。完全に信用できるまで。ウチにはこれくらいしか思いつかへんねん」
 この目の前の少女はそこまで考えた。姉の為だけに。その事実に内心驚愕する。
「……や、頭悪いなんてとんでもねえな」
「? 何が?」
「いや別に。こっちの話。それでいいんじゃねえかな。ずっと4人でやってくんじゃなきゃどっかで妥協点は必要なんだし。まぁそれもなるべく信用できる人間ってのが最低条件だけどな」
「当たり前や」
 そう言って笑いあう。緊張がほぐれていくのを何とはなしに感じる。
「瑠璃」
「なんや?」
「寝とけ」
「……任せるわ」
 レーダーを渡し、瑠璃は床についた。
 間をおかず、安らかな寝息が布団から聞こえてきた。
「……無理しすぎだっつの」
 まぁ俺も言えたことじゃねえか、と自嘲しつつレーダーを見つめる。
 守るべき重責が圧し掛かる。が、彼はそれを心地良く感じた。
「――かったりぃ」
 封印したはずの日常が口を吐く。
 しかしその口元は笑っていた。

397Intermission-2:2008/03/19(水) 03:44:16 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前10:20頃】
【場所:I-5】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、包丁、工具箱、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る。睡眠中】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料】
【状態:瑠璃と行動を共に。ワーム作成中】

藤田浩之
【所持品:レーダー、包丁、フライパン、殺虫剤、布、空き瓶、灯油、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:特になし】

B-10

398そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:56:08 ID:C1BCUMC.0
 よく寝ている。
 本当に疲れていたのだろう。
 そして自惚れるなら、寝ている間のことを任せられる位には信用されたということだろう。
 その信頼には応えたい。
 あかり達を探したくもあるが、武器もないこの状況下。一手間違えれば最悪の場合即破滅。
 それに三人を巻き込むのは認められない。
 先ほどレーダーの電源が気になって珊瑚に見てもらいに行ったが、
「こんなん簡単やで」
 と言って本当に簡単に予備電池を作ってくれた。当面はその心配もないだろう。
 俺はまだ動ける。ただ、限界まで酷使はしない方が良いだろう。瑠璃が起きたら見張りを変わってもらうか。
 持ち物見ててなんとなく思い付き火炎瓶を作って見た。
 ビンに灯油を入れ、布で口を固定し、終了。これでいいのかは分からなかったが、多分使えないことはないだろう。空き瓶と灯油が続く限り作り続ける。
 作業の合間にぼーっとレーダーを見つめていると、端から……
「!?」
 新たな反応が。ついに来た。光点は……二つ? 三つ? 片方の点が時々ぶれて増えているように見える。速度は遅い。這う様な遅さだ。負傷か? それとも……
 もう少し寝かせてあげたかったが仕方ない。緊急時、独りで判断して失敗する愚行だけは避けなければ。
「瑠璃、川名」
「ん……」
「んー」
 ぐずる二人を何とか起こす。眼が覚めるや否や瑠璃が噛み付いてくる。
「敵!?」
「かもしれねえ。レーダーに反応がある」
 そう言ってレーダーを差し出す。受け取った瑠璃は慌てるでもなく、静かに言う。
「来たんやね……」
 暗く沈んでいく瞳が最悪のケースを浮かべているだろうことを容易に推察させる。
「さんちゃん呼んでくる」
 そう言って瑠璃は隣へ消えて行った。
「川名」
「何?」
「万一の時は」
「逃げないよ」
「何?」
「どうせこの島じゃ私独りでは生きてはいけないから。それならせめて浩之君と一緒に散るよ。私を助けてくれた貴方を見捨てることはしたくない。だから私を逃がす為に玉砕覚悟、なんてやめてね?」
「川名……」
「何?」
「聞いてたのか?」
「何のこと?」
 さっきの話。数時間前にした瑠璃との話。
「それと、さ。瑠璃ちゃんと珊瑚ちゃんは名前なんだから私もそれでいいよ」
 川名……みさきはくすくす笑ってとぼけやがる。全く……
「……かったりぃ」

399そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:56:38 ID:C1BCUMC.0
 程なく珊瑚と瑠璃が現れる。なんとなく見分けがつくようになった気がする。
「どうだった?」
 紙を付き付けられる。
「よう、わからん。なんとか外に繋がらんかなーおもて色々やったんやけど、ローカルで繋がらんし。ちょっと寝てしもた」
『あるていど。HDDはもってきたけどできればまたもどってきたい。パソコンまではもってけへん』
 ミミズののたくった様な文字で書かれている。が、意味する内容は大きい。
「駄目か……」
 とんでもねえ。まさに掛け値なしの天才だ。この短時間でもう眼に見える程度の成果が出たというのか。
「レーダーは?」
「見た。なんか遅いみたいやけど……光も三つあるみたい。二つ重なってるんやと思う」
「どうする?」
「取り敢えず、様子を見てみない? どうするにしても相手を見なくちゃ始まらないと思うな」
 まぁ、正論だ。
 それなら家の中よりも外の森の方が良いだろう。何しろ武器が武器だ。瑠璃との会話を思い出す。相手によっては殺す覚悟で挑む。その時は先制攻撃でないと話にならない。
「じゃ、一旦出ようぜ。終わったら又ここでごろ寝だ」

400そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:56:58 ID:C1BCUMC.0
「はっはっはっ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 全身が痛む。力が入らないとは言え、金属バットで滅多打ちだ。雄二に殴られた傷は決して浅くはない。七瀬と名乗るあいつにやられた傷もだ。場所がよくなかった。
 が、それだけ。身体は動く。絶対にタカ坊は私が守る。このみも守ってあげたかった。ごめんね。このみ。
 雄二はどうなっただろうか。あのこがあんなになるなんて正直考えもしなかった。あれで正気を取り戻してくれればいいんだけど。儚い望みなんだろうか。それでも血を分けた弟だ。どうしたら良いんだろう。どうすれば
「向坂」
「えっ……あ……何?」
 いつの間にか祐一が目の前に立ち塞がっていた。
 丸で気付かなかった。気付けなかった。いけない。こんな事では奇襲を受けた時瓦解してしまう。
「向坂。何を考えてるかは知らないけど、後にしようぜ。ぼろぼろの身体で考えてもいい事ないだろ」
 不覚。そんなにも外から見て丸分かりだったのか。
「ええ、そうね。ごめんなさい」
 気を付けなければ。祐一が観鈴を運んでいる以上、即対応出来る戦力は私しかいない。一瞬の油断が命取りになる状況でこれは度し難い行為だ。せめて、信頼できる仲間が出来るまでは止めておこう。
 だと、言うのに。
 いつの間にやら私は再び思考の螺旋に囚われて行き、
「そこの三人! 止まれ!」
「!!」
 最悪の形での奇襲を許す羽目となった。

401そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:57:21 ID:C1BCUMC.0
「動くな。頭も動かすな。右の女、武器を全て捨てて手を上げろ。こちらはそちらを纏めて吹き飛ばせるだけの武器を持っている。こちらの質問に正直に応えてくれ」
「…………」
 観鈴の持ち物から勝手に借り受けたワルサーP5を捨てて、手を上げる。
 今すぐ殺すつもりはないらしい。取り敢えずは従うべきだろうか。この事態を招いたのは私の責だ。最悪、私が犠牲になっても二人を逃がす。
「質問に正直に応えてくれたら……無闇な危害は加えないことを約束する。まず、左の男。お前が背負っている女はどうした?」
「……撃たれたんだよ」
 苦虫を噛み潰したような声で祐一が応える。目配せをしたいが、微妙にこちらから祐一の顔は見えない。
「足手纏いと分かっていてもか?」
「! っ……そうだよ」
「今は眠っているのか?」
「そうだよ」
 仕方ない。祐一が何らかの行動を起こした瞬間に声の元へ行くしかない。今度こそ、集中するんだ。
「そうか……じゃあ、次だ。右の女。何処に向かっている?」
 来た。しかし、何処まで明かすべきだろうか。後ろから銃を突き付けているであろう男がどういうつもりで質問しているのかが読めない。出来る事ならあの紙のことは知らせたくない。妥協点は……
「……平瀬村。氷川村で襲われて、今逃げているの。撒いたつもりだけどもしかしたら追って来ているかも知れないから、なるべく早く質問を終わらせて欲しいわね」
 こんなところか? 怪しまれはしなかっただろうか。
「それだけか?」
 心臓が弾んだ。が、表には出ていないはず。どうする?
「……一応ね。出来ればその子の縫合もしたいんだけど」
「……そうか。次の質問だ。……君達は、この殺し合いに乗っているのか?」
「!!」
「んなわけねーだろ!」
 祐一が吼えた。
「誰がこんな糞ゲームに乗るか! いいからとっとと行かせやがれ! こっちは急いでんだ!」
 観鈴を背に抱えたまま、顔も動かせず、それでも背後の人物にその声は響いた。
「女の方もか?」
「ええ。勿論」
 躊躇する理由はない。そして、この質問の流れ。もしかすると彼は。
「そうか。分かった。じゃあ、最後の質問だ」
 心なしか背後の声が和らいだ気がした。
「手は下ろしてくれていい。落とした銃も拾ってくれていい。こちらはもう君達に武器を向けてはいない」
 銃を拾う。彼は、こちら側の人間なのだろう。きっと。
「安静に出来る場所とそれなりの食事を提供しよう。一方的に武器を突き付けた非礼も詫びる。俺達の……」
彼は砕けた口調で続けた。
「仲間にならないか? Yesなら――こっちを向いてくれ」

402そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:57:45 ID:C1BCUMC.0
 遡る事尋問前の森の中。
「三人……だな」
「あのうち独りは知っとるよ。環や。貴明のお姉さんやで」
「本当のお姉さんちゃうけどな」
「一人は担がれてるが……怪我してんだろうな、多分。怪我人抱えて移動って無茶じゃねーか?」
「うん……下手すると傷も開くと思う」
「瑠璃ちゃん、助けてあげられへん?」
「……ちょっと待ってて。さんちゃん、みさき、耳塞いでてくれへん?」
「えー? 瑠璃ちゃん、ウチにナイショするん? つまらんなー」
「あう……さんちゃ〜ん……」
「珊瑚ちゃん、瑠璃ちゃん苛めちゃ駄目だよ」
「イジメてへんのにぃ〜」
 そういいながらも珊瑚は耳を塞ぐ。みさきも続いて塞ぐ。
「浩之、どないする?」
「んー、正直、乗ってるようにはどう見ても見えねーんだよなぁ。怪我人抱えて必死で移動して。自分自身もぼろぼろなのに、それを押して警戒して」
「ウチもそうやと思う。でもここで大丈夫やおもて駄目やったらさんちゃんが……」
「でも、いつかは渡んなきゃいけない橋なんだよな。……瑠璃、任せてくれるか? ちょっと芝居を打ってみる」
「芝居?」
「ああ。もし駄目だったらそん時は……二人連れて逃げてくれ。集合場所はその家だ」
「ちょっ……大丈夫なん?」
「四人とも信じられる人間だと思ったんだ。これ以上の条件もねーだろ。あの娘をなんで運んでるのか。怪我人でも見捨てられない仲間の為、ってんなら文句なしだろ。ただ、そん時は……仲間に引き入れてもいいか?」
「……そやね。ウチも出来るなら助けてあげたい」
「決まりだ。みさき、終わったぞ」
「さんちゃん、もうええよ」
 二人の手をとり、話し合いが終了したことを知らせる。
「さんちゃん、浩之が芝居してくれるんやて。それで大丈夫やおもたら助けてあげられる」
「ホンマ?」
「ああ」
「浩之君芝居出来るんだ。すごーい」
「いやメインはそこじゃなくてだな……いいや。行って来る」
「ウチらはどうする?」
「珊瑚はレーダー見ててくれ。瑠璃はロケット構えててくれ。みさきは……会話をじっくり聞いててくれ。俺からは見えない粗も見えるかもしれない。ただし、絶対に見つからないようにな。後レーダーに他に反応がでた時は即刻中断だ。すぐに出てきてくれ」
「はーい」
「んじゃ、行って来る」

403そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:58:07 ID:C1BCUMC.0
 時は戻り、尋問後。
「仲間……?」
「祐一」
「向坂?」
 ここは覚悟を決めるべきだろうか。相手のことは殆ど分からない。でも、最後のあの声は信じたい。信じられると思う。あの七瀬と名乗った奴の時のような嫌な感じはしない。だから。
「私に任せてもらえないかしら。最悪……二人だけでも逃がすようにするから」
「ばっ……」
「一つだけ質問させて。何でこんな回りくどいことしてるの? 」
「仲間を守る為だ」
 私達と同じ。私達が乗っていた時、被害を自分だけに留める為。私達と同じだ。
「祐一。振り向いて、いい?」
 否は返ってこなかった。

404そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:00:42 ID:C1BCUMC.0
「軍隊口調ってなむずかしーな」
「えー、上手だったよ。浩之君」
 森の中から三人が出てきた。
「姫百合さん!? 貴方もいたの……」
「ウチもおるよ〜」
「二人とも……」
「勘弁してくれよ。二度とやりたかねえ」
「ふふっ……」
「立ち話より落ち着いて話した方がええやろ。家にもどらへん?」
 自己紹介も終わり、情報交換。最優先は危険人物。
 巳間良祐、柏木千鶴、神尾晴子、篠塚弥生、朝霧麻亜子、岸田洋一。
 最も良祐と千鶴の名前は分からず身体的特徴に留まり、岸田は『七瀬と名乗った』が首輪をしていない事と日本人離れした大柄な身体、酷薄な眼で間違える事もないだろう。環は話している間に浩之と瑠璃の眼が暗く沈んでいくのをただ黙って見ていた。
 又、晴子が観鈴の母親であることも話した。晴子と名乗ったわけではないが、先ず間違いないだろう事も。
 豹変して姉を襲った向坂雄二、そして。
「マルチが!?」
 二人が同時に叫ぶ。
「え……ええ……」
「あのマルチが……っくそ! マジかよ!」
 浩之が両の掌を打ち合わせる。
「ウチも信じられへん……マルチがそんなになるなんて……」
「嘘じゃねえよ。そのせいで英二さんと離れ離れだしな」
「あ……信じてへんわけやないんで? ただ……」
「ただ、なんだよ」
「マルチはな、長瀬のおっちゃんが作り上げた友だちやねん。モデルベースやけど感情もちゃんとある。パターン反応言う奴もおるけど……それでもちゃんと生きとった。人を傷つけるなんてできひん子やったから……」
「俺の知ってるマルチは絶対そんな事はしねえんだよ。いっつも泣いて、笑って、頭撫でると嬉しそうにして……糞っ……」
「でも俺達は実際に襲われた! だからこそ今逃げてんだよ!」
「祐一」
「っ……すまん」
 豹変した弟と相対した環の言葉は重い。
「でも、本当よ。私達は元々どんなメイドロボだったかは知らない。でも、確かに雄二と一緒に襲ってきた。二人とも……壊れてたわ」
 その一言を紡ぐのに、どれだけの気力が要ったのだろう。肉体ではない。外見には一切分からない、精神が壊れている。それを認めることのなんと難しいことか。
「とにかく、私達のあった危険人物はそんなところ。……なんかこうしてみると相当沢山遭ってるわね」
 未だに未練を引き摺っているようだが、浩之と珊瑚の顔にも諦観の色が濃く見えた。
 こうやって心は削られていくんだろう。ここでは。
「弟がもしかしたら追って来るかもしれない。なるべくここを早く……」

405そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:01:11 ID:C1BCUMC.0
 唐突に珊瑚が環の唇を塞いだ。
「あかんよ。三人ともぼろぼろやん。ここで少しやすまな。倒れるで?」
 そう言って紙を付きつける。
『ひつだん。りゆうは?』
 筆談? 何故そんな事を。
 わけも分からず呆けていると珊瑚が書き足す。
『くびわ、たぶんとうちょうされとるで』
「!!」
 環と祐一は声にならぬ声で驚く。
「さんちゃんの言う通りや。怪我人連れて道で襲われるよりずっとええ」
『ここにはパソコンがある。いまワームつくってるねん。できればここでさぎょうつづけたい』
「そう言えば、武器の確認してなかったわね。貴方達、何持ってるの?」
『ワームって何? パソコンが必要なの? それで何するの?』
「ウチらは……」
『ワームってのはな、』
 とまで書いたところで浩之がペンを取り上げた。
『相手の首輪爆弾を無効にするためのプログラムだ。それを使えば最後反旗翻す時首輪で吹っ飛ばされないですむ』
 珊瑚が睨んでくる。とは言え傍から見れば拗ねているようにしか見えないが。それを見た瑠璃が浩之を蹴っ飛ばしてやりたいのを我慢つつ会話を続ける。
「ウチらはこれと、これと、これと、これ」
 そう言ってレーダー、誘導装置、この部屋で拾った包丁、フライパン、殺虫剤。そして外の森に行った時に壁に立てかけてあるのを見つけた鉈。
「あー後暇だったから作って見た」
 浩之が火炎瓶を取り出す。
「こんなことしとったんか……火は?」
「見つからなかった」
「駄目やん……」
「あー……なんていうか……武器は強力なんだけどね……」
 丸で汎用性がない。レーダーは非常に強力な武器ではあるが、近接戦闘の役には立たない。誘導装置は威力は桁外れだが、威力が発揮されるまでには時間が掛かり過ぎる。包丁、フライパン、殺虫剤、鉈は中距離じゃ殆ど役に立たない。火のない火炎瓶は言うに及ばず。
 銃撃が適した距離だと何も出来ない。
 ならばこれが丁度いい。
「私達は、これとこれ。」
 ワルサーP5とレミントン。これを合わせれば、どの距離でも対応出来る。
 レーダーのおかげで先手を取られることも(現在確認している中では岸田以外)ない。
 装備だけ見れば島のグループの中でも最上クラスではないだろうか。
「つーか、さっきのあれハッタリだったのかよ」
 祐一が憮然と返す。
「中々迫真じゃなかったか?」
「のやろ」
 浩之と祐一がじゃれあう。相性が良かったんだろうか。祐一が漸く気を許せる人とあえたのもあるんだろう。上手く噛み合っているように見える。

406そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:01:41 ID:C1BCUMC.0
「これがあれば奇襲を受ける事も早々あらへんし、急いで平瀬村行かんでもええんちゃう?」
 瑠璃が話を戻す。
「あっ……そういえば」
「どうかしたか?」
「ごめんなさい。あの時嘘ついたの。貴方達がどちら側か分からなかったから。これを見て」
 取り出された紙には『日出ずる処のなすてぃぼうい、書を日没する処の村に致す。そこで合流されたし』、『ポテトの親友一号』、『演劇部部長』とあった。
「もしかしたらこの紙を書いた人と仲間になれるんじゃないかって。多分これは平瀬村の事でしょ。暗号めいたモノを残す以上罠とは考えにくい。そう思ったの。この名前に心当たりは?」
 揃って首を振る。が、珊瑚だけは何かを考えるように俯く。
「姫百合さん?」
「あんな、このなすてぃぼういってもしかしたらエージェントのナスティボーイかもしれん」
「エージェント?」
「うん。名簿にも那須宗一ってあったし、多分そうやと思う。ただ……」
「いや待てそもそもエージェントって何?」
 珊瑚はきょとん、として黙り込む。そしてすぐに微笑みながら説明する。
「えーっとな、簡単に言うとお手伝いさんやねん。で、ナスティボーイってのがそれの世界一なんや」
「お手伝いさんの世界一位……」
 脱力。
「強いよー」
「珊瑚ちゃん、お手伝いさんの世界一位が強いの?」
「うん。お仕事頼んだら色々してくれるねん」
「強いお手伝いさん……」
 環の頭におたまとフライパンで戦うエプロン少女が浮かぶ。頭を振って消す。どう考えても不自然だ。齟齬がある気がする。
「姫百合さん。エージェントはどんなお仕事してくれるの?」
「何でもしてくれるよー。そやなぁ……留守番から戦争まで何でもって人もおったかな」
「ああ……」
 合点がいく。そういうものか。
「となると、味方になれば相当な戦力じゃないかしら」
「かもしれんけどな。ただ……」
『ここにはパソコンがある。いまワームつくってるねん。できればここでさぎょうつづけたい』
 言葉を詰まらせ、珊瑚は先ほどの紙を示す。瑠璃が会話を引き継ぐ。
「でも、そんな有名な人やったら、誰かがナスティボーイのまねっこしとるのかもしれへんやん。」
「まぁ俺達誰も知らなかったけどな」
「やかまし。取り敢えず環も祐一も休んだ方がええ。ウチが見とくから皆寝たらどうや」
「でも、本物だったら」
「そんなぼろぼろでどないすんねん。途中で倒れたらどうしようもないで」
「それはそうだけど……」

407そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:02:06 ID:C1BCUMC.0
 膠着状態に陥りかけた時、環が声を上げる。
「あ」
「なんや」
「あーーーーーーーーーーっ!」
「!?」
 呆気にとられる。
「ど、どないしたんや」
「忘れてた! 姫百合さんがいたのに……姫百合さん!」
「ウチ?」
「違う。お姉さんの方!」
「ウチ?」
「ちょっと待ってて!」
 環は今は布団で安らかに寝ている観鈴のポケットを探る。
「これ!」
「フラッシュメモリ?」
「そう!」
「向坂、落ち着け」
「う……」
「で、これは?」
「パスワードが掛かってるんだよ。中に何入ってるかはしらん」
「さんちゃん、見てくれへん?」
「ええよ」
「まぁ、これで決まりだな。暫くここに逗留だ」
「しょうがないわね……」
 環と祐一は諦めてへたり込む。疲れが溜まっていたのは否めない事実だった。
「そうや」
「瑠璃ちゃん?」
「あ、さんちゃんフラッシュメモリの方頼むわ」
「任せて〜」

408そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:02:31 ID:C1BCUMC.0
 珊瑚が奥の部屋に消える。それを確認して、瑠璃は環と祐一に向き直った。
 が、横にみさきがいるのを見て躊躇う。変わりに浩之が口火を切った。
「瑠璃。大丈夫だ、みさきは。向坂、祐一。二人に聞きたい。さっきお前達、弟の雄二とマルチに襲われたっていったよな」
「ええ」
「それでどうしたんだ?」
「雄二は私が、マルチは祐一と英二さんが相手したの。私が雄二を撃退して、英二さんが引き付けてくれている間に一緒に逃げてきたの」
「ふむ……なぁ、今なら雄二とマルチに負けることはないよな。飛び道具が石、武器がバットだけならさ。で、だ。二人には、雄二とマルチを殺せる覚悟はあるか?」
「浩之!?」
 祐一が立ち上がる。が、瑠璃が祐一を押し留める。
「ウチが言おうとしたのもそれやねん。ウチ、いっぱい考えたんや。ウチはさんちゃんを守る。その為にはどうすればいいか。いややけど、ここは戦場や。誰かを殺す人がいる限り、戦争はなくならへん。誰かを殺す人は誰かに殺されるまで誰かを殺す。誰かを殺す人を殺せるのに逃がして、誰かが死ぬかもしれへん。それはさんちゃんかもしれん。ウチはそれだけはいやや。やから、そういう人を殺す覚悟もした。守る覚悟をするなら、それもいるねん。ここでは、それも必要やねん。やから……やから……」
「瑠璃、もういい。そういう事だ。俺はみさきと珊瑚と瑠璃を守る。その為に無差別に殺す奴を殺す覚悟も決めた。だが、これがあかりや雅史になると俺だって殺せるかわかんねえ。正直、マルチだって……でもな、明らかに周りに害をなすんだったら誰かがやる必要がある。でもそれをやるのが辛い人がやる必要はねえ。守りたい人がそうなったら誰だって狂う。俺だって。だから、向坂。もし雄二とマルチが来たら、ここにいてくれ。俺達はお前の弟を殺す覚悟で臨む。俺達の邪魔だけはしないで欲しい」
「浩之……! お前……」
 祐一が激昂して掴みかかる。浩之は黙ってなすがままにさせる。祐一が腕を振り上げ、それを止めたのは。
「向坂……」
 環だった。
「そう……私が甘かったのよね。結局ここで雄二を追い返しても、別の所で誰かと殺し合いをするのよね……あの子が。それがタカ坊かもしれないし、もしかしたらこのみだったかもしれない。そして、最後には誰かに殺されるのよね。誰にも顧みられることなく、唯の殺人気として。浩之。不逞の弟の不始末は姉がつけるわ。手出しは無用よ。あの子の性根を……叩きなおす。絶対」
「向坂……いいんだな?」
「ええ。意味は分かっているつもり。武器は……これをかしてもらうわね」
 そう言って環は鉈を取り上げる。
「マルチは? 多分二人一緒にいるんだろ?」
「俺がやる。向坂にばっかりいい格好させられないしな」
「俺もいく。マルチは……俺が何とかすべきなんだと思うからな」
「…………」
 そしてだんまりを極めていた瑠璃を見る。
「瑠璃。留守番、頼めるか?」
 溜息をついて、諦めたように応えた。
「……ホンマはしたくないけどな。ええよ。さんちゃんたち守る人も必要やし。正直、正体まで分かってる相手ならレーダーで後ろからって言いたいけど……姉弟で戦うなんて、ウチには絶対無理やからな。そんなするくらいやったら……環は凄いで。その代わり、絶対生きて帰ってきてな」
「任せとけ」


 瑠璃以外が床に着いて暫く。レーダーに二つの光点が現れた。

409そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:03:15 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前16:30頃】
【場所:I-5】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:瑠璃と行動を共に。色々】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、包丁、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る】

藤田浩之
【所持品:レーダー、包丁、フライパン、殺虫剤、火炎瓶*3、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る。睡眠中】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:睡眠中】

向坂環
【所持品:支給品一式、鉈、救急箱、診療所のメモ】
【状態:頭部から出血、及び全身に殴打による傷(手当てはした)。睡眠中】

相沢祐一
【持ち物:レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)支給品一式】
【状態:観鈴を背負っている、疲労、南から平瀬村に向けて移動。睡眠中】

神尾観鈴
【持ち物:ワルサーP5(8/8)支給品一式】
【状態:睡眠 脇腹を撃たれ重症(手当てはしたが、ふさがってはいない)】

向坂雄二
【所持品:金属バット・支給品一式】
【状態:マーダー、精神異常。疲労回復。姉貴はどこだ!?】

マルチ
【所持品:支給品一式】
【状態:マーダー、精神(機能)異常 服は普段着に着替えている(ボロボロ)。体中に微細な傷及び右腕、右足、下腹部に銃創(支障なし)。雄二様に従って行動】

410そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:06:58 ID:C1BCUMC.0
↑B-10

411誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:07:22 ID:C1BCUMC.0
 遡ること環達が逃げ出した後。
 雄二は環を追いかけるため数歩歩き、
「雄二様!?」
 倒れた。
 マルチは思う。
 問題。何故雄二様h倒れられたのか。解答。疲れていrしゃったのに私如きに教育しtくださる為にその手でな――ださったkらだ。問題。雄二様はこrからdうなさりたいのか。解答。雄二様は姉をouと仰られa。向坂たまkを追うヴぇきだrう。問題。何処に向坂環は――だろうか。解答。不明。但し、東は屑である私がiた。こちらではない。又、雄二様は――にいらっしゃ。エラー。リトライ。問題。何処に向坂環はいるだろうか。解答。不明。但し、東は屑である私がいた。こちらではない。又、雄二様は西にいらっしゃった。しかし、遺kんにも負けて。エラー。リトライ。何処に向坂環はいるだろうか。解答。不明。但し、東は屑である私がいた。こちらではない。又、雄二様は西にいらっしゃった。東のあのninげんはおとりdろう。では西方mんだろうか。問題。屑であr私はどうすbきか。解答。雄二様が疲れ――っしゃるのd、私gおtれしよう。起kしては向坂tまき殺gいに悪えい響をおよbすおそれあr。このままやうんdいたdこう。
 マルチは思考を止め、雄二を担ぎ上げ、雄二が行こうとした道を歩き出した。
 彼女の思考には、雄二が起きた時に自分がどうなるかと言う内容は全くなかった。

412誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:07:50 ID:C1BCUMC.0
「雄二様……雄二様……」
「ん……」
 雄二は眼を覚ます。目の前にはマルチがいた。
「おはようございます。雄二様」
「!!」
 雄二は飛び起き、辺りを見渡す。
「おいマルチ! ここは何処だ! 姉貴は何処だ!?」
「ここはI-05とI-06の境目の道路です。雄二様のお姉さんの場所は分かりません」
「ああ!?」
「分かれ道まで来ましたので雄二様に決めて頂こうかと起こした次第です」
「んだとぉ!? この糞ロボット! 何ですぐにおこさねえ! あのままならあの糞姉貴をぶち殺してやれたのによぉ! 分かれ道だ!? ふざけんじゃねえ! このっ! 屑が! 屑が! 屑がぁっ!!」
 マルチは黙って殴られるに任せる。感情プログラムは既に大半が逝かれている。それを悲しむ感情もない。唯雄二のする事は全て正しい。故に殴る雄二が正しい。
「はぁっ……はぁっ……糞……もう反応もしねえのかよ……」
「申し訳ありませんでした。雄二様」
 壊れかけたプログラムに則り、自らの過ちを悔い、詫びる。
 又も激昂し掛けた雄二だが、自身の体調が先程に比べて格段に良い事に気付き、姉を追うことを優先させた。
「ふん……あの糞姉貴が考えそうなこった……どうせこそこそ逃げてんだろ」
 雄二は南西の道を選択した。
「行くぞ。糞ロボット」
「はい。雄二様」
 歪な主従関係の二人は、それと知らずに望む道を選び、進んでいった。

413誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:08:05 ID:C1BCUMC.0
 レーダーに映る二つの反応。
 瑠璃は一人で考える。本当なら、先制攻撃して安全に終わらせたい。
 しかし姉弟である事を考えるとどうしてもそれは出来なかった。
 無論、珊瑚に被害が及ぶようなら即座にでも撃ち殺す覚悟はある。しかし、出来るなら環のいいようにさせてあげたい。
 ジレンマに悩まされるが、この場は動けない。まずは皆を起こすだけ。
「きたで」
 皆の体を揺すって静かに起こす。
「ん……」
「瑠璃、レーダーを」
「ん」
 浩之はレーダーを受け取って確認する。
「……二人。状況を考えると可能性は高そうだな。最初は隠れよう。向坂、祐一。相手を確認してくれ。違うようなら最悪やりすごす」
「ええ」
「任せろ」
「あ、そうだ。ちょっと待っててくれ」
 浩之がそう言って台所に消える。程なく帰って来た。
「なにしとったん?」
「や、相手がマルチなら包丁よりこっちのがいいかなって刃物よりは鈍器かな?」
「そんな暇あんのかよ……」
「瑠璃」
「うん」
 瑠璃がレーダーを受け取って一歩引く。
「ウチがここを守る。銃一つ貰うで」
 レミントンを拾い上げ、ドアからの死角に待機する。
「帰ってくる時なんか合言葉決めるか?」
「そうだな……ドアを開ける前に『努力・謀略・勝利』ってのはどうだ?」
「なんでそんな後ろ暗いのを」
「じゃあ『愛・友情・勝利』は?」
「どっちでもええ。……ちゃんと帰ってくるんやで」
 浩之と祐一は揃って言った。
「任せろ」

414誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:08:27 ID:C1BCUMC.0
 森の中から来客者を確認する。
「間違いないか?」
「ええ」
「じゃ、行くか」
「絶対生きて帰るぜ」
「応」
 森の影から歩み出る。
「お?」
 雄二の動きが止まった。横のぼろぼろのメイドロボの動きも。
「おおーーーーーーっ! 逢いたかったぜ糞姉貴! あんときゃ雄二様の全力出せなくてすまなかったな! 今度こそ雄二様大・復・活で塵のようにぶち殺してやるよ! はははははははははははっ!」
「…………」
 環は応えない。俯いているので雄二からは表情も見えない。唯右腕にぶら下がっている鉈が眼に入るのみ。雄二はぴたりと哄笑を止め、環をねめつけた。
「姉貴。俺に弱いって言った事を後悔させてやるよ。俺はつええ。誰よりつええんだ。それを分からせてやる」
「そう……」
 環は弟の陳情を聞くと、顔を上げた。
「もう、無理なのね……」
 その瞳からは涙が流れていた。
「ひゃーーーーーーっはっはっは! 姉貴、ぶるってやがんのかぁ!? ああ気分がいい! よし姉貴! 今なら土下座して『申し訳ありませんでした雄二様。貴方様が最強です。私が間違っておりました。下賎な環をお許しください』って三回言えたら慈悲深い俺様が許してやんぜ!? 勿論そっちの屑二匹は殺すけどなぁ!」
「この……馬鹿雄二っ!!」
 裂帛の気合が響き渡る。雄二は気圧され、気圧された事を帳消しにすべく怒鳴り返す。
「んだよ! せっかく許してやろうと思ったのによ! もういい! 俺が直々にぶっ殺してやらぁ! マルチ!!」
「はい」
 応えてマルチが一歩出る。
「お前は屑二匹だ! 近付けさせんじゃねえぞ!」
「はい。雄二様」
「マルチ!」
「?」
「マルチ! 俺が分かるか!」
「……浩之さん?」
「なんでお前はそいつに従う! 応えろ!」
「雄二様が正しいからです。全てにおいて雄二様が正義だからです。雄二さがっ」
 マルチは言葉の途中で横に吹っ飛んだ。主に蹴っ飛ばされて。
「この糞ロボット! 誰が屑と話せと言った!? 俺は殺せと言ったんだぜ!? 言われた事すらできねえのかこのガラクタがっ!!」
「! 手前なんて事を!」
「あー? なんか言ったか? 屑。この奴隷人形がどうかしたのか? このっ! スクラップがっ! どうか! したのかよっ!!」
 何度も吹き飛んだマルチに蹴りを入れながら雄二は応える。
「申し訳aりませんでした。雄二様」
「マルチ!?」
「あの屑共を殲滅してまいrます」
「マルチ! 何でそこまでしてそいつに従うんだよ! マルチ!!」
「よし、とっとと行ってこい」
「てめえっ!」
「浩之」
 祐一が諫める。
「あいつは、向坂が何とかしてくれる。何とかする。俺達はマルチを何とかするんだろ。そう、決めたはずだ」
「っ……ああ。畜生。そうだな。そうだった。向坂!」
 環に向き直って、親指を上げる。
「負けんなよ!」
「当然」
 環は地を蹴立てて雄二に向かって行った。
「さて」
 改めて浩之はマルチに向き直る。
「マルチ」
 最早何も応えはない。
「お前も、もう戻れないんだな」
 最早何も応えはない。
「マルチ」
 右手におたまを。左手にフライパンを。それらを打ち鳴らし、彼は吼えた。
「行くぞおおおおおおおおおおおおおっ!」

415誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:09:09 ID:C1BCUMC.0
「そろそろ、始まったんかな……」
 家の中で、彼女は一人ごちる。
「勝つよ……浩之君も。向坂さんも。祐一君も。きっと、負けない」
 みさきは観鈴の手を握りながら、独り言にそう返した。
「……そやね。きっと……そう……」
 銃とレーダーを見ながら、瑠璃は祈るように呟いた。


「でやあああああああああああああっ!」
 浩之がおたまでマルチに殴りかかる。はっきり言ってあのマルチ相手じゃかすりもしないだろう。切り札は二つ。一つは言うまでもなくワルサーP5 。立ち回る必要のある相手に狙撃中は使えない。まして浩之がマルチと近接戦闘をする状況。遠距離でぶっ放すなどとんでもない。俺も近付く必要がある。もう一つ。使えるかどうかは分からないが、一応は持ってきた。役に立つといいんだが。
 浩之がマルチに向かって行ったと同時に、俺は横手に回りこんだ。その間にマルチは石を拾って浩之に投げつける。相当な速度で、硬球よりも硬い石。大きいのをまともに食らえば洒落にならない。当たり所が悪ければ多分死ぬ。大当たり。ジャックポットでございます。脳味噌目玉の払い出し。冗談じゃねえ。
 浩之は飛んでくるその石を。
 フライパンで受け止めた。
 ガーン、といい音がした。
「っつー……やっぱ、重いな。手が痺れるぜ」
 マルチはそれを確認すると、今度は浩之の足元に石を投げる。
 浩之はそれもすんでのところでかわす。
「マルチよぉ……この運動神経がエアホッケーの時にあったらきっと楽しかったのになぁ……」
 浩之が近付く。マルチが投げる。受け止める。その間に俺はマルチの斜め後ろに回り込む。浩之には悪いが、こいつはやばすぎる。出来るんなら早急に止めを刺したい。なるべく誰かが傷付く前に。俺は、こっからだ。
 近付こうとした瞬間に、マルチが反応してこっちに石を投げてくる。っておい。なんだその反応は。あぶねえ。
 何とかぎりぎりの所でかわし、再び距離をとる。
 しまった。こんなことならレミントン持ってくりゃ良かったか。いや、無駄だな。斜め後ろにあんだけの反応する奴だ。俺程度じゃ構えてる間に銃を石で撃ちぬかれる。何とかして近付かなければ……

416誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:09:28 ID:C1BCUMC.0
 糞姉貴をぶち殺す。そうすりゃ俺は最強だ。姉貴を殺せば俺が最強だ。姉貴も俺に平伏するし、姉貴も俺に服従する。姉貴は俺に惚れるし、姉貴は俺のものだ。だから姉貴をぶち殺す。俺は最強だ。俺が最強だ。だから俺が最強なんだ。だから姉貴を殺す。だから姉貴は俺のモノだ。
「ぶっ殺してやるよ! 糞姉貴!」
「上等! かかってきなさいこの愚弟!」
 鋼で鋼を打ち鳴らす、甲高い音がする。打ち下ろしたバットは、打ち上げられた鉈と拮抗して弾けた。
「ハッ! 今度はちゃんと殺る気かい! いいぜ姉貴! それでこそ姉貴だ! いつもみたいに俺に得意のクローかけてみるか!? ええっ!?」
 再度、全力で一撃。
 上下が入れ替わり、同じように弾きあう。
 楽しい。糞姉貴を殺せる。今の俺なら殺せる。今の俺は最強だ。このバットで頭蓋を砕いて、姉貴の脳味噌を啜ってやる。姉貴を殺してやる。姉貴を食ってやる。なぁ、姉貴。俺ら仲のいい姉弟だもんな? 殺してやるよ。食ってやるよ。ずっと一緒だぜ? 有難いだろ。糞姉貴。はははははははは。ははははっはははあはははははっはははっはははは。
「ははははははははははははははははははははははははっ!!」

417誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:10:39 ID:C1BCUMC.0
 マルチが投げてくる石を弾く。フライパンはでこぼこだが、全然撃ち抜かれる気はしない。だが……
「これ以上近付けねえ……」
 余りに近付きすぎると反応しきれず石を食らう。
 一発食らったら後は石の雨に撃ち抜かれて御陀仏だろう。怪我したままかわしきれるほど甘いもんじゃねえ。
 正直今でもかなり……っと、ぐっ!
「かすった……あっぶねえ」
 腿にかする。後1cm左にいたらまともに歩けなくなるとこだ。
「くっそ……お前は全然駄目なメイドロボじゃねえじゃねえか……」
 一歩引く。さっきより少しは余裕が出来た。しかし。
「近付かなきゃ……話になんねえよな……」
 と、マルチは急に斜め後ろに石を投げた。祐一か!
 チャンス!
 一気に近付く、と、近付こうとするとマルチがこっちに向かって石を投げてきた。
「たわっ!」
 適当に翳したフライパンに偶然当たってくれる。
「やべっ!」
 大きくバックステップで一気に下がる。その隙に投げられた石はフライパンで弾く。
「くっそ……近付けねえ……」

418誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:11:11 ID:C1BCUMC.0
 目まぐるしく入れ替わる攻防。馬鹿な弟の哄笑。響き渡る鋼の音。
 この馬鹿雄二は。まだ気付かないのか。もう気付けないのか。そこまで壊れてしまったのか。
「このっ……馬鹿雄二っ! いい加減気付きなさい!」
 この子の中でそんなにも狂気は育っていったのか。この島の最も酷い暗部を目の当たりにし続けたのか。大好きだったメイドロボを奴隷と言い、こうして私を殺そうとし、他人を塵と認識し。塵の中であの子は何の王になるつもりなのか。同じものを見れば私もこうなってしまうのだろうか。雄二やタカ坊、このみに躊躇なく殺しに掛かれるように。でも。私は誓った。あの子の性根を叩きなおすと。私は約束した。あの子の始末は私がつけると。あの子が見知らぬ誰かと殺しあって、見知らぬ誰かを殺し、見知らぬ誰かに殺される。私はそれだけはさせない。正気に返るまで何度だって打ち合ってやる。何度だって叫んでやる。
「あんたは何がしたいの!? あんたが強い!? 馬鹿なこと言わないの! あんたは弱い! 何度だって言ってやるわよ! あんたは弱い! 前の雄二の方が兆倍強かったわよ!」
「んだとおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!?」
 押して、引いて、撃って、合わせる。
 でも。それが叶わないのなら……
 鋼の噛み合う音が響く。
 姉弟の歪んだなダンスはまだ終わりそうになかった。

419誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:11:29 ID:C1BCUMC.0
 拾う。投げる。拾う。投げる。拾う。投げる。
 問題。このmま石を投げ続kれば――さんともう一人を殺せるか。解答。可能性は限定シミュrーションd計sんすると7.86%。エネrギー残ryyyう12%。不足。問題。そのtきの屑たる私の破損kkk率。解答。1.02%問題。問題。近接えん闘に持c込んだ時の勝りt。解答。限ていシミュレーsyンで計算srと72.21%問題。そn時の屑tるわたsssの破損確率。解答。51.39%問題。正しi雄二様の指示をまmる為には。解答。近sつ戦闘に持ちkむ。その際、前シmュレーションより……ロードエラー。リトライ。エンド。――さんを先に殺すべし。――さん? 雄二様のtきはヒトじyyyない。モノだ。モノに敬しょは不要。故に――さんは――さんではない。――さん? ロードエラー。リトライ。ロードエラー。リトライ。ロードエラー。リトライ。不許可。――さんを先に殺す。問題。――さんを殺すために最適な動作は。解答。前シ――ションより……ロードエラー。リトライ。エンド。パtーン32の形しkで近付く。
 拾う。投げる。拾う。投げる。拾う。投げる。

420誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:11:50 ID:C1BCUMC.0
「おっ? おおっ!?」
 いきなりこっちに沢山石が飛んできやがった。
 とっ……ほっ……駄目だこの距離じゃかわしきれねえ!
「つっ!」
 一つ貰った。足の甲だ畜生フライパン欲しいぜ。血が出てきたか? 骨は多分折れてねえ。とっさに距離をとったがまだ投げてきやがる。
 今だ。浩之。


 狙いを変えたのか? フライパンで防ぐ俺より先に祐一を潰す気か!
 近付くチャンス!
「っ――らぁっ!!」
 一気に走りよって、マルチに向けておたまを思いっきり振り落とす。
 その一撃をマルチは。
 左の腕で受け止めた。

421誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:12:07 ID:C1BCUMC.0
 回ひ失敗。s腕部23%はそn。制御かいふく。反撃かish。

422誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:12:24 ID:C1BCUMC.0
「くっ!」
 マルチに両腕を掴まれ、腹に蹴りを貰う。
「がはっ!」
 なんつー蹴りだおい。死ぬぞこれ。中身が出る。中身が。
「げっ!」
 もう一発。割れる割れる内臓割れる。あ、アンコがでるアンコが。やべ。おたま落とした。ええい。とっとと来いよ祐一。
「ごっ!」

423誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:12:41 ID:C1BCUMC.0
 浩之が捕まった。なるほどこの布石か。あのロボットやるじゃねえか。とか考えてる場合じゃねえよな。くそっ。足がいてえ。気にしてる場合か。急げ!
「ぐぅっ……!」
 浩之が血吐いてるのがこっからでも分かる。
「いい加減にしやがれ、暴走メイドロボ」
 届いた。
 ガンッ! ガンッ!
 左手と切り札その2を添えて、マルチの右肩にぶっ放す。よし! ついた!
「浩之! 離れろ!」
「無茶言うな! 糞っ……」
 右腕は逝ったが左手が離れてない。又一発浩之が蹴られる。ええい畜生。おたま! あった! 銃をしまって拾い上げる。
「いいから、逃げろっ!!」
 そして思いっきりマルチの左腕に振り下ろす!
 バキ、と鈍い音がする。しかし左腕は離れない。
「離せ、マルチいいいいいいいいいいいいいっ!」
 浩之が叫ぶ。
 足りないか。もう一度振り上げる。離れた!?
「離れろ! 浩之!」
「あ……」
「浩之!」
「お……応っ」
 浩之が驚いたように飛び退く。
 そして、マルチが動く前に、ノズルファイアで点火した火炎瓶を、投げつけるっ!

424誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:12:57 ID:C1BCUMC.0
 マルチが炎に包まれる。
 最後、あの時マルチはこっちを見た気がする。
 一瞬で握られていた手が離れた。
 マルチは俺の言う事を聞いてくれたんだろうか。
 それとも俺と祐一に殴られたせいであの瞬間に壊れたんだろうか。
 マルチが炎に包まれる。
 これで排熱は出来ないはずだ。周りの方が温度が高いんだから。
 すぐに焼け付いて動けなくなるだろう。
 これできっと俺達の勝ち。
「マルチ……」
 腹ん中がグルグル回る。
 マルチに蹴られた所がいてえ。
 畜生なんだこの遣る瀬無い気持ちは。
「浩之……」
 祐一が後ろに立つ。
「フライパンを。止めは俺がさす」
「……いや、そりゃあやっぱり俺の仕事だろ」
「浩之……」
 祐一を尻目に、燃えるマルチの所に歩み寄る。
「……じゃ、な。地獄で逢おうぜ。マルチ」
 フライパンを、思いっきり、叩きつけた。

425誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:13:19 ID:C1BCUMC.0
 もんdい。なぜわああああ離して――のか。かいtttう。ひだrrrうd通ddはんおうあr。ふめい。もんだい。なぜあの ――は」私をっをおをおyんだのkあ。解読エラー。リトライ。もんだい。なぜあの――は私をををよんだのkあ。kいとう。ふめい。mnだい。――はかあ。さ。j。解読エラー。リトライ。もnだい。――はdあrか。かいtu。ふmi。不許可。リトライ。もんだい。――はだrか。かいtう。ふmい。不許可。リトライ。問だい。――はだれか。かい答。ふめい。不許可。リトライ。問題。浩之さんは誰か。解答。――――――

426誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:13:37 ID:C1BCUMC.0
 一瞬で熱暴走を起こした機体は、一瞬で思考を止めた。


 最後に聴こえたマルチへの呼び声は、唯のバグだったのだろうか。


 砕けたチップにそれを確認する術はなかった。

427誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:13:52 ID:C1BCUMC.0
「!?」
 向こうで戦っていたマルチが燃え盛っているのが見えた。そして屑の一人にフライパンで頭をかち割られるのも。
「あの木偶人形!! 言われた事も出来やしねえのか!? 糞っ! ガラクタが!! 人間様の役にも立てないスクラップは工場から出て来んじゃねえ!!」
「雄二……」
「これで三対一か!? 上等だ! まとめてぶっ殺してやるよ! 俺は最強だ! 最強なんだ!!」
「ふざけんじゃねえっ!!」
 屑の一人が吼えやがった。フライパンで叩き割った方だ。
「手前みてえな屑の為に、どんだけマルチが頑張ったと思ってんだ!? っごほ……! 木偶人形? 人間様の奴隷? ふざけんな! どんだけ手前が偉いってんだ!! 生きてる……っぐ……生きてる奴に、人間もロボットもあるか!!」
「手前こそ何抜かしてやがんだ!? 屑が俺様に意見してんじゃねえよ!! その奴隷人形がどんだけ役に立ったってんだ!? ロボットが生きてる? 屑は頭ん中まで屑なんだな!! 手前が今砕いた頭ん中には何が詰まってたよ? 脳味噌か? 頭蓋骨か? ただの粗末なガラクタだろうがよ!!」
「てめっ……」
「二人とも!」
「向坂……」
「愚弟の始末は私がつける。手出しは無用。そう言ったはずよね?」
「ハッ! 上等だよ。糞姉貴! その度胸に免じて、殺した後犯してやるよ!!」
 姉貴の身体も悪くねえ。存分に楽しんでやるよ。

428誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:14:11 ID:C1BCUMC.0
 もう……無理なのね。私の声なんかまるで届かない所にまで行ったのね。
 雄二に従っていたメイドロボの死でも、この子を正気には戻せなかった。
 全てが雄二の狂気を後押しする。多分、私の死でも。
「馬鹿雄二」
「なんだ糞姉貴!?」
 もう、終わりにしましょう。貴方は他の人には殺させない。他の誰にも殺させない。
「一発。殴らせてあげるわ」
「向坂!?」
 自己満足は分かってる。それでも、私の手で蹴りを付ける。
「は? 姉貴、何言ってんだ? そんなに俺に犯されたいのか?」
「黙りなさい」
「っ……」
「その代わり、良く狙いなさい。貴方が一発で私を殺しきれなかったら、私が貴方を殺す。逃がしはしない。背を向ければその瞬間に貴方を切る。さあ。一発。殴りなさい」
 これはけじめ。私なりの、弟に対するけじめ。愚かなのは分かっている。これで皆に迷惑が掛かることも。それでも、これだけはどうしてもやっておきたかった。
「な……何言ってんだよ糞姉貴! ハッ! どうせ騙そうとしてんだろ!? 俺と真っ向勝負じゃかなわねえもんな! 俺が全力で打ち込んだのをかわしてカウンター食らわそうってんだろ!? その手に乗るかよ! さあ! 見破られたんだぜ!? 続きをやろうぜ!!」
 私は答えない。今言うべきことは全て言った。唯雄二の眼をじっと見詰める。この愚弟にはそれすらも歪んで見えるのだろうか。
「おい……糞姉貴……何言ってんだよ! そうじゃねえだろ! こっちだ! こっちで戦うんだ!! 違うだろ!? 姉貴はそうじゃねえだろ!?」
 私は答えない。雄二の瞳をじっと見詰める。
「俺は最強なんだよ! ちゃんと姉貴より強いんだよ!! そんな事しなくても姉貴より強いんだよ!! おい、手前ら! 手前らもなんか……」
 雄二は浩之たちの方を向き、言葉を詰まらせる。想像は付く。
「み……見るな! その目で俺を見るな!! そんな目で俺を見るな!! うわああああああああああああっ!!」
 私と同じ眼をして雄二を見ているのだろう。覚悟を見せろ、と。本当にあの二人には感謝しきれない。私の我侭でこれだけの被害を被っているのに。
「糞! 糞!! 畜生おおおおおおおおおおおおお!!」
 雄二は金属バットを振り上げ、振り下ろしてきた。それを見詰め……


 ――――――ゴッ

429誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:14:28 ID:C1BCUMC.0
「糞っ! 糞っ!! 畜生っ!!」
 違う! こんなんじゃねえ!! 俺は姉貴を実力で超えてこそ最強なんだ!! 糞っ! 糞っ! どいつもこいつも! 馬鹿にしやがって!! 糞! 糞! あの屑共のせいで姉貴との勝負が台無しだ! あの屑共を
「ゅうじ……」
「ひっ!?」
 なんだ!? なんなんだ!?

430誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:14:51 ID:C1BCUMC.0
 ……私は、死んでいない。左の耳が良く聞こえない。左の目もあまり見えない。でも、私は死んでいない。
「ゅうじ……」
 私は、死んでいない。目の前の弟を抱き締める。前に抱き締めた時より随分筋肉が付いている。タカ坊に比べて抱き心地はすこぶる悪い。
「ゅうじ……」
 さっきのあんたの一撃、効いたわよ。あんたも根性出せば中々の一発、出せるじゃない。ああ、目がかすむ。鉈が重い。でも、最後にやっておかなくちゃいけないことがある。それだけは、私の責任。
「ゅうじ……ごめんね……」
 最後の謝罪は弟に届いただろうか。
 丸太より重い右腕を上げて、抱き締めたまま、首筋を切り裂く。
「げぶっ……」
 それを見届けると、私の意識も拡散して行った。

431誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:15:10 ID:C1BCUMC.0
 ――俺は、負けたのか? あの糞姉貴に? 先に一発殴らせておいてもらいながら? 首筋から何かが抜け出して、身体が冷えていくのがわかる。あの姉貴、最後俺を殺す時に謝りやがった。泣きながらごめんとか言いやがったよ。あの姉貴が。傍若無人の、あの姉貴が。俺が姉貴を殺そうとしたのに、殺すつもりで殴って、事実死に掛けたのに。馬鹿じゃねーのか。あの姉貴は。自分を殺そうとした奴を抱き締めて、殺しながら、泣きながら謝って。なんで俺姉貴殺そうとしたんだっけ。あー、血が足りねー……ちくしょー……結局最後まで姉貴にはかなわねーんだな……あれ、マルチと新城と月島はどうなったんだっけ。ああ、そうか。新城は自殺して、月島は俺が間違って殺して、マルチは俺が壊したんだ。そん後に知らない奴を殺して、それから天野を犯して殺して。俺って最悪だな。なんでこんな事になったんだっけ? あー……もうどうでもいいや。それより最後に姉貴に謝りてーや。
「ぁねき……ごめんな……」
 声出たかな? あ、もう無理だ。手足の感覚がねえ。重いし。ん? 姉貴が乗ってんのか? 俺ちゃんと抱き締めてやれてるかなー……

432誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:15:24 ID:C1BCUMC.0
 二人の少年が抱き合うようにして折り重なる少年と少女に向かって駆ける。
 少年と少女を引き剥がし、少女の息を確かめ、早急に家の中に連れ込んだ。
 うち捨てられた少年は、奇妙に満足そうな顔を浮かべて死んでいた。

433誰が為の鎮魂歌:2008/03/19(水) 04:16:24 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前16:40頃】
【場所:I-5】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料、フラッシュメモリ、工具箱、HDD】
【状態:瑠璃と行動を共に。色々】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、包丁、レミントン(M700)装弾数(5/5)・予備弾丸(12/15)、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、救急箱、診療所のメモ、缶詰など】
【状態:守る覚悟。民家を守る】

藤田浩之
【所持品:レーダー、包丁、フライパン、殺虫剤、火炎瓶*2、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。腹部に数度に渡る重大な打撲】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:待機】

向坂環
【所持品:支給品一式、鉈】
【状態:左側頭部に重大な打撲、左耳の鼓膜破損、頭部から出血、及び全身に殴打による傷(手当てはした)】

相沢祐一
【持ち物:ワルサーP5(8/8)、支給品一式】
【状態:右足甲に打ち身】

神尾観鈴
【持ち物:支給品一式】
【状態:睡眠 脇腹を撃たれ重症(手当てはしたが、ふさがってはいない)】

向坂雄二
【状態:死亡】

マルチ
【状態:死亡】

B-10

元々一つの話だったんですが、時系列飛んでるし糞長いんで分けてトウカ。

434pure snow:2008/03/21(金) 17:41:22 ID:8CMfG.sA0
 ねっとり、と。
 粘つくような視線が眼前の整備された道だけでなく、左右に広がる緑色の空間にも向けられる。
 何も動いていないことを確認すると、すぐに目を別の場所に移す。
 見つかるまでは常に定まることのない、獲物を追い続けることだけに終始した視線であった。

 変わらぬのは表情。
 変わらぬのは足取り。
 変わらぬのは思考。

 好きな人と、二人だけの幸せな世界を築くために、少女、水瀬名雪は全ての参加者を抹殺するために北上を続けていた。
 彼女は血に塗れている。
 それは決して比喩的な表現ではなかった。文字通り、名雪が着込んでいる防弾性の割烹着は腰から上の部分殆どが赤黒く、独特のムラを残しながら色づけされていた。
 無論それは名雪自身の血液ではない。これだけの血液が染み込んでいるなら通常では出血多量で失血死してもおかしくないほどのものであったからだ。
 この割烹着は広瀬真希の死と……つまり命と引き換えに手に入れた形見の品というべきものでもあった。それも防弾チョッキというにはお粗末な、9mm弾を数発防げるかどうか怪しいという性能だというのに。

 人の命を奪ったことに対して罪を感じる気持ちも、逆に殺戮を快楽と感じ得る狂気の情念も、あるいは自らを生存させるための自己正当化だとも考えることは名雪にはなかった。
 殺害というのは目的ではなく手段であり、それをどうこう思うだけの感情は既に無くなっている。歩くことが手段ではないように。
 成り行きとしては当然の事である。度重なる苦痛と恐怖、ストレス、ショック……そして友人の死などが積み重なり、名雪は崩壊した。
 自分が死ぬのが、大切な人を失うのが、裏切られるのが、怖かったから。
 だから、名雪は手からするりと逃げてしまう前に奪ってでも捕まえることを決意したのだった。

435pure snow:2008/03/21(金) 17:41:53 ID:8CMfG.sA0
 いつかの雪の日。
 ただ待っていたから、掴めなかった。
 ただ待っていたから、横取りされた。
 もう、待たない。
 手に入れる。手に入れる。しあわせ。しあわせ。
 もう、逃がさない。

 水瀬名雪の狂気は、止まらない。

     *     *     *

 名雪が歩を進めるのはゆっくりしていて遅い方であったため、そこについたのは昼を少し過ぎた時間になってからであった。
 菅原神社。
 つい先程までそこには天沢郁未が今後の方針についてうんうん頭を唸らせていたのだが、現在は彼女も去って無人の場所である。
 名雪がここに来たのも目立つ場所だから誰かがいるかもしれない、と判断してのことだったのだが、どうやら見当違いであったらしい。
 誰かがいたら射殺しようと、ポケットから取り出していたIMI・ジェリコ941を再び仕舞い直すと、今度はGPSレーダーを取り出してこの付近に誰かが潜んでいないかチェックを始める。

 このレーダーはコンパクトなサイズで重量も軽いのだが、捜索範囲がイマイチ狭い上に連続使用時間も短かったのでこのように隠れる場所が多いところ以外では使わない、と名雪は決めていた。
 光点は見受けられない。どうやら神社の内部にも何者かが潜んでいるわけでもなさそうだった。
 肩を落とすわけでもなく、ホッとするでもなく、名雪はレーダーを仕舞うと次の獲物がいそうな場所を見つけて移動するだけである。

 と、ふと地面に目を落とした名雪の目に、奇妙な跡が映った。
 石畳から少し離れた、柔らかい焦げ茶色の地面。そこに細長い楕円型の跡が、内部にミステリーサークルのような文様を残しながら転々と神社の裏側に続いていた。
 名雪はしゃがみこんで、その足跡に触れてみる。まだ柔らかい土の感触が、指に伝わる。
 いつごろ付けられたものかは定かではないが、この場には一種類しか見られないことを考えると単独、それも最近になってつけられたものだと、名雪は予測する。

436pure snow:2008/03/21(金) 17:42:23 ID:8CMfG.sA0
 そのまましゃがんだ体勢で地図を取り出し、広げて目安になりそうな建物を探してみる。
 ――ホテル跡。
 神社の裏側を通って、どこかに向かうとすればここしか在り得ない。
 とん、と。
 地図上の鎌石村を指で指す。考える。ここに向かうならわざわざ神社の裏側を抜けて山登りする必要はない。
 とん、と。
 同じように平瀬村を指す。考える。ここに向かうとしても同じ。真っ直ぐ行けばいいだけのこと。
 故に。ホテル跡しか考えられないということだ。

 地図を手早く折り畳むと、それをデイパックに入れ、元のように背負いなおしてからその足跡を――引いては、ホテル跡へと向けて、歩き出した。
 もちろん、道中で遭った人物も殺せるように、手はポケットの中に、視線は常に動かしながら。
 真っ黒な闇を含んだ瞳は、今は森の奥に向けられていた。


【場所:E−2】
【時間:2日目15:30頃】

水瀬名雪
【持ち物:ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾13/14)、予備弾倉×2、GPSレーダー、MP3再生機能付携帯電話(時限爆弾入り)、赤いルージュ型拳銃 弾1発入り、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(治療済み。ほぼ回復)、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。ホテルへ向かう】
【その他:足跡は郁未のもの。GPSレーダーの範囲は持ち主から半径50m以内ほど】

→B-10

437十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:15:53 ID:IHprr5pU0
 
「―――決着がついたようだな」

銀髪の軍人がふと漏らしたような声に、久瀬はぼんやりとした視線を南側へと向ける。
そこには荒涼とした岩場を歩く、ひとつの小さな影があった。
来栖川綾香だった。
長く美しかった黒髪は短く切り揃えられていたが、その存在感を見紛うはずもない。
松原葵を制し、この頂へと歩む姿には、やはり一片の翳りもなかった。
遠く、その表情は見えなかったが、顔にはきっといつも通りの不敵な笑みが浮かんでいるのだろう。
強い女だ、と思う。いつだって人の二歩、三歩先を行き、振り返ろうともしない。
同じペースで歩んでいるつもりでいても、いつの間にか差が開いていく。
生き急ぐでもなく、焦るでもなく、ただ悠然と歩む彼女についていこうとした自分は、いつだって小走りに生きるしかなかった。
それは純粋に、存在としてのスケールの差なのだと、久瀬はそう理解していた。

その来栖川綾香が、迫ってくる。
距離にしてほんの数百メートル。
文字通り無人の野を往くが如く、綾香はその行く手を阻まれることなく歩んでくる。

「……陣を、組み直さないんですか」
「あの女の纏う雰囲気、最早夕霧では抑えきれまい。……俺が出る」

気負いも迷いもなく返す男に、久瀬もまた驚きを見せることなく静かに問いを重ねる。

「ここを、空けるんですか」
「指揮はお前が引き継ぐんだ」

間髪を入れぬ言葉。
予想通りの回答に、苦笑じみた表情を浮かべて久瀬が俯く。

「僕には無理ですよ」
「何故そう思う」
「理解できないからです」

短いやり取りの中、血と死臭に澱んだ空気が揺れる。
閃光と爆発。何かが焦げるような臭いを運ぶ風。
北と西では未だ激しい戦闘が続いているという、それは証左だった。
だが南側を向いてしまえば、それは単なる音でしかない。
人が死んでいく音。それだけのことでしか、なかった。

438十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:16:51 ID:IHprr5pU0
「どうして、撃たなかったんですか」

座り込んだ尻に、屍から流れ出す血と体液が染みてじんわりと冷たい。
その冷たさを感じながら、久瀬が問う。
南側に音がしない理由。
南側で、人が死なない理由。

「いくらだって、機会はあったはずです。二人まとめて殺してしまえる機会が、いくらだって。
 ……どうして夕霧たちを退かせたんですか。それが僕には理解できない。
 それが正しい指揮だというのなら僕には無理だと、そう言ったんですよ、坂神さん」

一気に言い放つ。
淡々とした、しかし拭いきれぬ苦味を感じさせる、その声音。
その指示を聞いた瞬間の、愕然とした思いが久瀬の脳裏に蘇る。
松原葵と交戦に入った来栖川綾香に対し、坂神蝉丸は夕霧による狙撃を停止した。
幾度も膠着状態に陥り、あるいは互いに倒れ伏して動きを止めた二人を仕留める機会のすべてを、蝉丸は座視していた。
北側と西側で続く戦闘の指揮を執りながら、しかし南側に対してだけは何の対策も採らなかった。
久瀬が問うているのは、その理由だった。

「……」

一瞬の沈黙。
流れる風が、血の臭いと砂埃を運んでくる。
歩み来る綾香に視線を向けながら黙していた蝉丸が、ほんの僅かだけ視線を動かして、口を開いた。

「人が、その尊厳を賭ける闘いに水を差せば、我らは義を失う……それだけだ」
「矛盾ですよ、それは」

陰鬱な、しかし斬りつけるような久瀬の言葉。

「一方では死人を物みたいに扱っておきながら、一方では大義を口にする……。
 矛盾してるじゃないですか、そんなの」

439十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:17:26 ID:IHprr5pU0
割り切れと、蝉丸は言う。
その通りだと、目的に至る最短の道を選べと、久瀬の理性は告げている。
しかしそれでは、それでは筋が通らないと、久瀬の中の少年は首を振っていた。
人の道を捨てろと命じた男が、同じ口で仁義を説くのか。
わかっている、分かっている、判っている。
今はそれを語るべき時ではない。一分一秒を稼ぐために命を磨り減らすべき時だ。
味方を詰ったところで何ひとつ益はない。
だが、口を閉ざすことはできなかった。
閉ざしてしまえば、何かが死ぬ。
それは心臓や、血管や、温かい血や、そういうものを持たない何かだ。
だがそれはきっと、ずっと長い間、久瀬の中に息づいてきた、大切な何かだ。
いま目を逸らせば、口を閉じれば、耳を塞げば、それは死ぬ。
だから、久瀬は言葉を止めない。

「じゃあ……、じゃあ夕霧たちは、何のために死んでいったんですか。
 綾香さんを食い止めるために死んでいった、沢山の夕霧たちはどうなるんですか。
 矜持がそんなに大切ですか。どれだけの命を費やせば、それに釣り合うんですか。
 あなたは矛盾に満ちている。あなたは勝利を目指していない。あなたは幻想に縋っている。
 あなたは何も願っていない。あなたは夕霧の幸せも、まして僕のことも、何とも思っちゃいない。
 あなたはただ、ありもしない何かに手を伸ばそうとしているだけだ。あなたは―――」

尚も言い募ろうとした久瀬が、ぎょっとしたように目を見開いて飛び退こうとする。
遅かった。宙を舞った大きく重い何かが、久瀬を押し潰すように覆い被さっていた。
小さな悲鳴を上げてそれを押し退けようとして、できなかった。
ぬるりとした手触りのおぞましさが、怖気の立つような冷たさが、それをさせなかった。
自らの上に乗ったものを正視できず、しかし目を逸らすこともできずに、久瀬は涌き上がる嘔吐感をただ必死に堪えていた。
背中から首筋にかけて露出した肌をケロイド状に焼け爛れさせた、それは砧夕霧の遺体だった。

440十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:17:57 ID:IHprr5pU0
「死人は重いか、久瀬」

傍らに土嚢の如く積み上げられた骸の山の内から無雑作に一体を放り投げたまま、蝉丸が口を開く。
透徹した視線は遥か南を見据え、久瀬の方へは向けられようとしない。

「どうした。それは重いか。それとも抱いて歩けるほどに軽いか」

久瀬は答えない。
答えられない。
口を開けば、反吐ばかりが溢れそうだった。
ねっとりと絡みつくような手触りが、久瀬に圧し掛かっていた。

「三万だ。お前の肩には、それが三万、乗っている。既に喪われ、今また散りゆく三万の骸を、お前は背負っている。
 抗うと決めた、その時からだ」

組んでいた腕を静かに下ろして、坂神蝉丸が歩き出す。
カツ、と軍靴の底が岩肌を打つ音が響いた。

「将はお前だ。命じるのはお前だ。
 立って抗えと、座して死ねと命じるのはお前だ、久瀬」

震える手で遺体の肩を掴めば、それは冷たく、ぬるりと重い。
まるで生者の熱を奪おうとでもいうようなその温度に全身の毛が逆立つような錯覚を覚えながら久瀬が振り向けば、
蝉丸の姿は既に数歩を経て遠かった。

441十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:18:31 ID:IHprr5pU0
 
「―――あなたはまるで、擦り切れた軍旗のようだ」

徐々に小さくなる蝉丸の後ろ姿を見ながら、久瀬が呟く。
それは先刻口にしようとしていた言葉、言いかけて止められた言葉の、その続きだった。
威風堂々と振舞う男。
何度も死線を潜り抜けてきた歴戦の勇士。
幾つもの勲章を胸に下げた肖像の中の英雄の如く少年の目に映る彼は、坂神蝉丸という男はしかし、脱走兵だ。

戦場にはためく紋章旗の空虚を、孤独を、滑稽さを、久瀬は思う。
絶えず舞う埃に塗れたその姿を。
何の前触れもなく日に数度降る雨に濡れたその姿を。
水溜りから跳ね飛ぶ泥に塗れたその姿を。
曲射砲の撒き散らす鉄片に小さな穴をいくつも空けられたその姿を、久瀬は、思う。

坂神蝉丸は擦り切れた軍旗だ。
ただ風を受けて己を示し続ける、薄汚れた、誇り高い布きれだ。
それは暗い密林で熱病を運ぶ蚊に怯える兵士の見上げるとき、あるいは砂漠で乾いた唇を摩りながら見上げるとき、
崩れかけた心に小さな火を灯し、清水を満たす紋様だった。
斃れた戦友の痩せこけた手を握るとき、それは遥か遠い故郷へと続く道標のように見えた。
そこにあるのは戦神の加護であり、散っていった者たちの魂だった。
その薄汚れたぼろぼろの布きれは、戦場にはためくとき、そういうものであれるのだった。
敗残の兵、軍務違反の脱走兵である坂神蝉丸という男は、つまりそういう男だった。

「あなたは戦う者たちの希望。あなたは抗う者たちの刃。そう在り続けられると、自身でも信じている。
 ……だけど同時に、恐れてもいるんだ」

そうして久瀬は、口にする。

「戦争が終わって、桐箱に仕舞われる日のことを」

442十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:19:00 ID:IHprr5pU0
坂神蝉丸の、それはこの世界で唯一の恐怖なのだと、久瀬は思う。
思って、天を見上げる。
日輪は蒼穹に高く、しかし天頂には未だ遠い。
瞼を閉じてなお、陽光は眩しく瞳を灼いた。
大きな深呼吸を一つ。
目を開ければ、収縮した瞳孔が映す世界には蒼という色のフィルターがかかっている。

南に視線を下ろせば、男の背中が見えた。
寂寞と荒涼の骨格を矜持と凛冽によって塗り固めたような、遠い背中だった。

背中の向こうには、一人の女が立っている。
笑みの形に歪んだ顔を、動脈血と静脈血で赤黒く染め上げた女。

「―――」

何事かを小さく呟いて、久瀬は対峙する二人から目を逸らす。
それは訣別であり、また激励であったかもしれない。
いずれにせよ、踵を返した少年が振り返ることは、遂になかった。
山頂の南側にあるのは、坂神蝉丸と来栖川綾香の物語だった。


***

443十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:19:33 ID:IHprr5pU0

向き直った少年が目にするのは、幾筋もの光芒。
爆音と焦熱の臭い、無軌道に蠢く無数の影。
それは血と苦痛と災禍と、消えゆく命に満ちた物語。
砧夕霧の物語が、そこにあった。

「僕の名前は、どこにも刻まれない」

少年が、一歩を踏み出す。

「だけど、決めた。抗うと決めた」

屍の山の只中に。

「それは意志だ。他の誰でもない、僕自身の意志だ」

散華する少女たちの王として、

「だから、もう一度だけ言おう。これが僕の、僕たちの答えだ」

高らかに、

「聞けよ、世界」

美しく。

「―――諸君、反撃だ」

開戦を、告げた。

444十一時十八分/Seifer Almasy:2008/03/26(水) 03:20:06 ID:IHprr5pU0
 
【時間:2日目 AM11:20】
【場所:F−5】

久瀬
 【状態:健康】
砧夕霧コア
 【状態:健康】
砧夕霧
 【残り6911(到達・6911)】
 【状態:迎撃】

坂神蝉丸
 【状態:健康】
来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング】

→943 955 ルートD-5

445誰が為に:2008/03/26(水) 16:11:51 ID:we92bBF.0
「……ふむ、それで、バラバラになって逃げてきた、と」
 鎌石村小中学校内にある保健室。古い校舎故か八畳の広さもないと思われる狭い空間に、四人の男女(内一人は意識がないが)が輪になりながら話し合いをしている。
 消毒用のアルコールの匂いに紛れてはいるが、それでも染み付いた赤の汚れは飛散し、そこは決して安息の地などではないことを示していた。
 頼りなげに彼らの天井で光る照明も、それに拍車をかけている。チカ、チカと、彼らの命が儚いものだとでもいうように。

「ええ、ひょっとしたら、今にでもあの女がここに足を運んでいるかもしれません。目立つ場所だから、ここは」
「確かにな……」

 藤林杏の治療を終えてようやく折原浩平の話を聞く事ができた聖は、腰掛けた回転椅子の上で足を組み替えながら何事かを考えているようだった。
 その隣ではパートナーである一ノ瀬ことみが心配そうに杏の様子を窺いながらも、まずはこの会話に集中することにしたのか自分のデイパックから一枚の紙を取り出すと、それを浩平に渡す。
「私達は、今は人探しをしているんだけど……」
 それが本当の目的ではないということは、あまり考えるのが得意ではない浩平にもすぐに分かった。
 浩平に渡されたのは、先にことみが芳野祐介や神岸あかりと出会った時に書き綴った脱出計画のあらまし。そのために必要な材料の確保。これが現在の行動指針ということらしかった。恐らく、友人を探すのはそのついでなのだろう、と浩平は思った。

「私は佳乃という妹。ことみ君は岡崎朋也、古河渚、藤林椋、そして今ここにいる藤林杏……を探しているんだが、君に心当たりはないか?」
「……いや」

 割と数多くの人間と行動してきたつもりではある浩平だが、その人間については知らない。それよりも気になるのは、本当にこんなもので爆弾が、それも建物一つを吹っ飛ばせるものが作れるのか、ということだったが、だからといって浩平に別案があるわけでもなかったので信じるべきだろう、と自分を納得させる。

「あ、そうだ。さっき会った人達と情報交換をしてきたんだけど……」
「何? 初耳だぞ、ことみ君」

 いつの間にメモなんか書いていたのか、と思っていた聖だったが誰かに会って脱出計画の話をしてきたというのなら一応納得は出来る。ただ、その情報交換をした人間とやらが本当に信用できるのか、という疑問はあった。万が一にでも、この計画は主催者側には知られてはならないのだから。

446誰が為に:2008/03/26(水) 16:12:17 ID:we92bBF.0
「うん、芳野祐介って人と、神岸あかりって人と……別行動をしてるみたいなんだけど、長森瑞佳って……」
「長森!? 待て、詳しく聞かせてくれっ! オレの知り合いなんだ!」

 瑞佳の名前を聞いた瞬間、身を乗り出すようにしてことみに詰め寄る浩平を、「落ち着け」と頭を軽く叩いて椅子に座らせる聖。何はともあれまずは冷静に話を聞け、と付け加えて。
 いきなり形相を変えた浩平の様子に怖気づきながらも、ことみは話を進める。

「えっと、それと、柚木詩子って人もその長森瑞佳って人と別行動してて、今はそれぞれ分かれながら使えそうなものを探しているらしいの」
「柚木もいたのか……なら、いいが……」
「折原君、一ついいかな」

 瑞佳が知り合いと一緒にいると分かって少し安堵していた浩平に、今度は聖が問いかける。
「その長森君、とやらはどんな人物なんだ? ああ、それと柚木君、という方も知っているようだからそちらについても教えてくれると助かる」
 直接会ったわけではない聖は若干ながら疑いの念を持ってはいる。浩平の様子からそこまで危険視するほどでもないと考えてはいるが、一応尋ねておくべきだ、と思ったからだった。

「長森はオレの幼馴染だ。ガキんときからの腐れ縁だからあいつの性格はおつりが来るくらい知ってるさ。世話焼きで、まあしっかり者だよ。お人よし、とも言うかな……とにかく、あいつは絶対信頼できる。間違いないっす。柚木の方は……うるさい。やかましい。アホ。これくらいっす」

 瑞佳の評価に対して詩子のほうはおざなりだな、と聖は思ったが子供の時からの腐れ縁、だというならその性格に関しては問題ないだろう。
 残りは芳野祐介と神岸あかり、という人物だが……名前からして、芳野という方は男だろうし、ことみの言動から見ても、心配はないはずだ。
 いささか慎重になりすぎだろうか、と聖は自分を分析しながら「すまない、話の腰を折ってしまったな。ことみ君、続けてくれ」と話を促す。

「うん、それで、お互いの目的を確認し合って、芳野さん達には西を、私達は東を当たることにしたの」
 ことみは浩平の手から紙を取ると、鉛筆で『硝酸アンモニウム』の部分に横線を引き、上に小さく『芳野組、達成』と書き足した。
 つまり、既に芳野達は行動を開始している、ということになる。残すは軽油とロケット花火だった。

「ふむ、つまり、私達は当初の行動を変える必要はない……むしろその芳野祐介とやらが肩代わりしてくれているから手間が省ける、そういうことだな?」
「大正解なの」

 ぱちぱちぱち、とことみが拍手する。だがそれを遮るように、浩平が「もういいか?」と言いながら席を立ち、保健室の外へと向かおうとする。

447誰が為に:2008/03/26(水) 16:12:45 ID:we92bBF.0
「悪いが、オレは長森を追いかける。芳野とか神岸って奴がどんなのか知らないが、長森もオレを探してここまで来たはずなんだ。会ってやらないと」
「待て、折原君」
「……何すか、聖さん」

 扉に手をかけられたとき、聖が呼び止める。

「会って、それからどうする? 一緒に行くのか? それともここに戻ってくるか、それだけ聞かせてくれ。場合によってはこちらも行動指針を変えなければならないからな」
「……? どうしてすか?」
 一人がいなくなったところで何か変わるものなのか。かなり真剣な様子の聖の声に、浩平は疑問を抱かずにはいられない。それよりも早く瑞佳を追いたい、そればかりが浩平の頭の中を過ぎっていた。

「そんなことも分からないか?」
 やれやれという調子で肩をすくめる聖の挙動に、少しイラッとした浩平が声のトーンを上げる。
「もったいぶってないで、早く言ってくれませんか」
「……本当に分からんか」
 呆れたようにため息を吐き出すと、聖は立ち上がり保健室の奥にあるカーテンを引く。
「あ……」

 浩平が、呆けたように声を出す。
 それは患者を寝かせるベッドと聖達のいる応接間というべき部分を分かつカーテンだった。
 ミントグリーンの、柔らかな絹のそれに守られるようにして、ベッドで眠っていたのは、藤林杏。
 肩から上の部分しかその姿は確認できないが、穴が開き、赤と土色で無残に汚れた制服がハンガーにかけられていることから、恐らくは下着のみなのだろう。
 つまり、それだけの大怪我を負っていた。その事実を雄弁に物語っている。
 さらに時折聞こえる苦しそうな寝息が、彼女の命がまだ危ういものであることを証明している。

「――分かったか」
 数メートル先にいるはずなのに、聖の声は耳元で話しかけられたように、浩平には思えた。
 見せるべきではなかったんだがな、と呟いてから聖はカーテンを閉め直す。
「あんな怪我人を連れて行動なんてできない。いや、医者としてそうさせるわけにはいかない。これは私の意地だ」

448誰が為に:2008/03/26(水) 16:13:14 ID:we92bBF.0
 連れて行けるわけがない。そうだ、連れて来たのはオレなのに。どのくらい酷い怪我だったのかはオレが一番良く知っていたはずなのに。
 どうして失念していたんだろう。

 思いながら、そう、浩平は肩を落とした。
「彼女をここに置いておくとなると、当然護衛……というのは大げさにしても、付き人が必要だ。何せ抵抗もできないのだからな。となると、折原君が戻ってこなかった場合、私かことみ君のどちらか一人で探索に向かうことになる。それはそれでまた危険だ。だから君に答えを求めた」
 確かに、爆弾を作る材料を抱えながらの移動は危険極まりない。加えて聖……はともかく、ことみは女性だ。腕力的にも材料を持って運べるか、と尋ねられると……無理だろう、と浩平は考える。
 それに、二人のやろうとしていることは万が一にでも失敗が許されないものだということは浩平にも分かっている。万全を期すためにも危険は極力避けたいところなのだろう。

 つまり、今後どう行動するかは、浩平に委ねられている、と言っても過言ではなかった。
「どうなんだ、折原君」
 再度、聖が尋ねる。ようやく平静さを取り戻した浩平の頭が、この場の全員にとって、最善だと思える選択肢を、瑞佳にとって最良の選択肢となるように、論理を導き出す。

「……やっぱり、長森には会いに行きます。それで、もし聖さん側に連れて来れるようだったら、そっちに戻ってその後はついて行きます。ダメだったら……長森について行きます。その時は、その旨は必ず伝えるつもりですけどね。だから、オレが長森に会って答えを出してくるまでここで待ってて下さい」
 妥協できるのはここまでだった。何はともあれ、ずっと浩平と共に在った瑞佳の存在は、やはり大きなものだった。
 えいえんのせかい。
 そこに消えていくだけの浩平を連れ戻してくれたのは、瑞佳だったのだから。

「……どうだ、ことみ君」
「10分で済ませな。それまでは大人しく待っててやるぜベイベ、なの」
「何の真似だよ、そりゃ」

 一昔前の映画俳優のような渋い口調で提案を受け入れたことみと、そして聖に、浩平は呆れ顔で笑いながらも我侭を許してくれたことを感謝する。
 ぺこり、と一つ大きく頭を下げて。
「それじゃ、行ってきます」
 平凡な日常で、学校に行くときの挨拶のように。

449誰が為に:2008/03/26(水) 16:13:39 ID:we92bBF.0
 折原浩平は永遠から日常へと回帰するためにドアを開け放った。

     *     *     *

「芳野、さん……」
 瑞佳と詩子の身体を調べていた芳野は、黙って首を振る。もう手遅れだ、と付け加えて。
「畜生……なんで、俺はあんなことを」

 仏頂面ないつもの芳野祐介は、もうそこにはいなかった。
 突如瑞佳と詩子の命を奪った殺人鬼への怒りと、間違った判断を下してしまった自分への情けなさとが入り混じって。
 何度も何度も、歯を食いしばりながら芳野は拳を地面に打ち付ける。血が滲むほどに、芳野の手は土埃で汚れていく。

「くそっ……くそっ!」
 一際大きく拳を振り上げようとしたところで、芳野の異変を感じ取ったあかりが慌ててその腕を掴む。
 拳先から僅かにあふれ出していた血が、あかりの目に留まる。
 それは詩子の脳からあふれ出していたそれとはまた違う、土と赤が入り混じった絵の具のような汚い色だった。

「神岸、放せ」
「だ、だめです」

 ドスを利かせた暗闇の中からの声に一瞬力を緩めてしまいそうになるが、それでもあかりなりの意地を出して芳野の腕をがっちりと止める。
 ぎゅっ、と。抱きかかえるようにして。
「お願いです、自分だけを傷つけるようなことだけはしないでください……誰が悪いわけでもないんです。でも、みんなに責任があるんです。私も、長森さんも、柚木さんも……芳野さんにも」
 なお振りほどこうとする芳野だったが、殴り続けていたせいで力が入らずあかりの拘束を受け続ける羽目になる。
 力でねじ伏せることの出来なくなった芳野は、口先を武器に反論する。

450誰が為に:2008/03/26(水) 16:14:11 ID:we92bBF.0
「全部俺の責任なんだ。効率ばかりを重視して、こいつらの安全を確保しなかった。時間がかかってもいい、命はあってこそのものなんだ。それを、俺は……俺はっ!」
「違います! これは私たちが、自分で決めたことなんです!」
「何を!」
「反対ならいくらでも出来ました! 別れることの危険性や、デメリット……それくらい私にだって分かります。木偶人形じゃないんだから! 口には出さなかったけど、みんな、それを納得して芳野さんの意見に賛成した! だから責任は私たち全員にあるの!」

 芳野の怒りにも負けぬような、あかりの決死の反論。
 それは推測に過ぎない。本当にそれらを分かっていたかどうかなんて、今となっては知りようもない。
 けれども、別れるときに異論はないかと尋ねた芳野に、誰も異論は挟まなかった。それは事実だ。確かに、納得していたのだ。その時は。
 どんな人物に二人が殺害されたのかは、芳野にもあかりにも分かるわけがない。
 だがあかりは、今までの話から詩子も瑞佳もそれなりの戦闘を掻い潜ってきていることは知っている。警戒心が全くなかったわけではない。
 つまり、そこから考え出せる推論は、こうだ。
 二人は、してやられたのだ。狡猾に、隙を窺い、卑劣にも恥辱を与えるような、残虐で凶悪な人間に。
 それは誰かが悪かったわけではない。だが責任がなかったわけでもないのだ。そこまで最悪な事態を考慮できなかった、その思考に。

「仕方がなかったなんて言えないけど……でも、自分を傷つけたってどうにもならないよ……後悔しても、もう、戻ってこないから……」

 不用意な行動のせいで、あかりは自分を信じてくれた一人の人間を殺害したにも等しい行為をしてしまった。
 いくら謝罪しても、いくら泣いて喚いても時間は戻らない。
 だから、せめて。

「無理矢理にでも、先に進むしかないよ……長森さんや、柚木さんが探していた人と、会えるまで」

 一際強く、あかりは芳野の腕を抱きしめる。許しを請うわけではなく、贖罪をして、償っていくために、逃げることはあかりには許されていなかった。
 それが、国崎往人の拙い人形劇を見たときに決めたことだったから。

「逃げちゃ、いけないんです」

 ふっ、と。
 芳野の腕から、急速に力が抜けていく。握り締められていた拳は、いつの間にか開かれていた。

451誰が為に:2008/03/26(水) 16:14:38 ID:we92bBF.0
「……確かにな」
 自嘲するような、芳野の呟き。
「いつもそうだ。何もかも背負い込んだ気になって、一人で勝手に潰れて、逃げようとする。昔っから変わらない」

 遠い、今ではなく遥かな昔に、青かった時となんら変わらない自分に、芳野は辟易する。
 伊吹公子が優しく迎え入れてくれたあの時に、もうそんな真似はしないと誓ったはずだったのに。
 また、こうして叱ってくれるまで忘れていた。
 男だから。年上だから。
 そんなつまらないプライドのために逃げ出そうとしていたのだ。
 嘆いて形ばかりの責任を取るよりは、もう過ちを犯さないために彼女らの死を無駄にしないことの方が余程マシだ。

「ああ、そうだ。今は、やれることをやるしかない」
 石のように重たかった芳野の頭は、今は羽のように軽い。
 だから、空を見上げることができた。
「いつか、歌を贈らせてもらう。その時まで、今はまだ俺を許してくれ」
 題名は、そうだな。『永遠へのラブ・ソング』。

 目標を立てることで、芳野は新たに生き残る意思を固める。またそうすることで、少しは彼女らの意思を継げると思ったから。
「すまない。手を、離してくれ。長森と、柚木を弔ってやらなくちゃいけない」
「……はい。私も手伝います」

 あかりの腕が静かに離れる。手の甲についていた血は、すっかり乾ききっていた。力も、十分に入る。
「一人ずつだ。まずは……長森からだ。裸のままにしておくのは、忍びないからな」
「ですね……」
 近くにあった瑞佳の制服を取り、丁寧に包み込むように、贈り物を包装するように瑞佳の身体に包んでやる。これ以上、誰にも汚させぬように。
 芳野が、お姫様抱っこの要領で持ち上げ、埋葬に適した場所に連れて行こうとした、その時だった。

452誰が為に:2008/03/26(水) 16:15:07 ID:we92bBF.0
「……おい、あんた、何だよ、それ」
 一人の少年の声。
 信じられないというように、当惑するように、そして、怒りを隠しきれぬ声色を以って。
「あんた……長森に、柚木に何をしやがった!」
 ――折原浩平が、仁王立ちとなって、芳野とあかりの背後で叫んでいた。

 握り締められた包丁はカタカタと震え、一直線に進む視線からは明らかな殺意が見て取れる。いや、殺意だけではない。
 そこには絶望が、悲しみが、困惑が。大切な宝物を奪われた少年の顔が、そこにあった。
「お前……推測を承知で言うが、折原浩平か」
 見ず知らずの芳野に言い当てられたことに少々驚いた浩平ではあったが、すぐに表情を怒りのそれへと戻して返答する。

「ああ、そうだ。あんたが抱えてる……長森瑞佳の……幼馴染だよ。あんたが殺した、長森のなっ!」
 は、と唾を吐き捨てて浩平は芳野への罵倒を続ける。
「そうやって騙したんだろ? 善人の振りして、情報を引き出して、用済みになったから殺したんだろ?」
「ちが……」
 それは間違っている、と主張しようとしたあかりを、芳野は片手で制して止める。言わせてやれ、と浩平には聞こえないように、小声で言いながら。
「大事そうに抱きかかえやがって、そんな悲しそうな目をしてたって……オレには分かるんだからな。あんたは人殺しだ、殺人鬼なんだろ。全部演技なんだろ。無駄だからな、オレを騙そうったってそうはいかないんだからな……なあ、何とか言えよ! 図星なんだろっ!?」

 芳野は黙ったまま。言い訳もせず、ただ黙って目を伏せたまま、浩平の罵倒を受け入れていた。
 それくらいなら、いくらでも聞いてやる。そうとでも言うように。

「なあ、オレはな……」
 怒りだけだった浩平の声が、次第に転調を始める。
「長森のこと、どうしようもないアホで、お節介で、世話焼きで、鬱陶しいとか思ってたときもあったけどさ、でもオレにはいなくちゃいけないやつだったんだよ……あんたみたいなクソ人殺しには分からないに決まってるだろうけどさ、長森は、オレの支えだったんだ。いつだってオレを助けてくれてさ、いつだってオレのバカに付き合ってくれてさ、そんないいやつ、この世にいると思うか?
 いないんだよ、長森はたった一人なんだよ、他にどんなバカ正直なお人よしがいたとしてもさ、長森はたった一人で、オレがありがとうって言えるのは長森しかいないんだよ。なのに」

453誰が為に:2008/03/26(水) 16:15:34 ID:we92bBF.0
 一本の線が、浩平の頬を伝う。
 震えの原因は、怒りから、悲しみに。喪失感で溢れたものへと、変わっていた。
「なのに、もう、いないんだよ。言ってること分かるか? いなくなったんだ。もう、オレは長森に何もできない。できたとして、全部自己満足なんだよ。もう、あいつから、何も聞けないんだ。あいつには、いっぱい、しなきゃいけないことがあったのに」

 浩平には分かっていたのだ。芳野が、演技などではとてもできない本気の涙を流しながら、瑞佳を抱いていたから。
 何も言わず、言い訳すらせず、浩平のしようとしていることを受け入れようとしている。
 そんな奴が、長森を殺すはずがない。長森も、そんな奴じゃなきゃ付いていかない。だって、一番よく知ってるんだから。
 そんなこと、とっくの昔に分かってたのに。
 やり場のない怒りを、目の前の男にぶつけることで何とか発散しようとしている。
 なんて小さい男なんだ、オレは。
 だから、浩平は、泣き喚きながらそうするしかなかった。

「責任取れよ」

 包丁を捨てる。
 カラン、と卑小な音を立ててそれが地面に落ちる。
 ゆっくりと、浩平は芳野に向けて歩き出す。

「責任取りやがれよ」

 分かっている。こんな行動こそ、まさに自己満足でしかない。
 なのに、止まらない。止められない。
 ガキだから。聞き分けのないクソガキだからだ。

「長森と柚木がどんだけ苦しんで、どんだけ助けを求めたか、あんたには分かるんだろ! なら、お前もそれを味わえよっ! この……」

 ――走り出す。
 拳にやり場のない怒りを乗せて。
 まずは一発、いや、最初で最後の一発を放つ。


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