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避難用作品投下スレ3

1管理人★:2007/10/27(土) 02:43:37 ID:???0
葉鍵ロワイアル3の作品投下スレッドです。

254思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:02:03 ID:nHUW/EJY0
「自分の名前にでも祈ろうかいな」
 元より晴子は何も信じてはいない。神の存在も、奇跡の存在も。信ずるのは己が血肉。己が名前。ならば自分の名前を神に見立てよう。このために自分の名字は存在してきたのだ。
「アーメン」
 娘の通う学校の、胸の十字架の形に指を切って、晴子は大きく息を吐き出した。まだ肌寒い朝方の森に水蒸気の粒が柔らかく溶けていく。

 背負っていたデイパックを手に持ち、それを円を描くように頭上で振り回した。
 回数を重ねる度、空気を切り裂く音が徐々にだが増していく。数度振り回したところで、晴子はカウントを開始した。
「いち、にぃーの、さんッ! うらあぁぁぁっ!!!」
 唸るような怒声と共に、晴子のデイパックが柏木耕一の背中へと向けて飛来した。

「!? 耕一、危ないっ!」

 真っ先に気付いたのは梓だった。素早く懐から警棒を取り出すと、バットでボールを打つように横薙ぎにデイパックにぶつける。
 女とは言えども鬼の一族の血を宿す人間の一撃である。あっさりとデイパックは白旗を上げて地面へと落ちていった。しかしそんなことはどうでもいい。これは陽動。何かしらの行動を取らせることが晴子の狙いであった。
 H&K、VP70を携えると晴子は一直線に二人へと突進していった。

「お前……!? いきなり何を!?」
「答えるとでも思ったか、アホンダラっ!」

 VP70のトリガーに指がかけられた瞬間、二人が同極の磁石を合わせたかのようにそれぞれ逆の方向へ飛び退く。次いでその間を銃声と共に9mmパラベラム弾が通過していく。またも襲う激痛に唇を歪ませる晴子だったが、すぐにそれを笑みの形に直した。なぜなら、それが晴子のまだ生きている証だから。

 一方の梓と耕一は、いきなりの襲撃に戸惑いながらも話し合いが出来る相手ではないとすぐに認識し、それぞれの武器を構えて晴子の前に立ち塞がる。
「無駄だと思うが……俺達は殺し合いには乗ってない! 無駄な争いはやめてくれ!」
「ほーか、ならさっさと死んでくれると嬉しいんやけど」
 照準を耕一の方へ向けた瞬間、梓が警棒を振りかざして飛び掛かる。
「無駄だよ耕一! 問答無用で襲ってくるやつに……説得の余地はないよっ!」
 梓の持つ特殊警棒は金属製であり、しかも鬼の力によって威力は増強されている。晴子は既にそれを知っていた。デイパックを投げたのはただ単に陽動のためではない。敵の力量を確かめるための言わばテスト。そして先程の銃に対する反射神経。いつか戦った天沢郁未と来栖川綾香に匹敵する実力であると晴子は感じていた。

255思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:02:26 ID:nHUW/EJY0
 故に受け止められるなどとは微塵も思っていない。木を盾にするようにして回り込む。二撃目が来たのはその瞬間だった。
 めきっ、という幹の一部分が潰れる音が聞こえ、破片が飛び散る。もはやそれは殴打ではない、一撃で相手を葬る必殺の攻撃だ。
 ちっ、と舌打ちする梓が耕一の元までバックステップして戻る。晴子はVP70を構えてはいたが、発砲することはなかった。
 当てられるかどうか分からないし、何より残弾数が少なすぎる。既に一発撃ち、残り六発で敵二人を仕留めねばならない。加えて、その実力は晴子を遥かに凌駕する。何か奇策を講じねば晴子に勝機はなかった。
 視線を移して周囲の地形を確認する。木々がところどころに点在し、落ち葉の積もった柔らかい地面に緩やかな傾斜。多少隠れるに適した場所はあるものの射撃戦に持ち込むには先述の通り弾薬が少なすぎる。晴子に有利に働きそうなオブジェクトもない。どうする、どうする、さぁどうする?

「耕一、あいつ動かないね……」
「ああ、それに怪我もしてるみたいだ。拳銃も支えるので手一杯って感じだな」
「どうする? 今の調子だと二人でかかれば簡単に倒せると思うけど」
「いや俺達は殺人が目的じゃない。銃だけ奪って無力化すれば……」

 甘いよ耕一、と梓は思った。こういう完全に乗ってしまった人間はどう無力化しても再度武器を調達し何度でも殺そうとしてくる。だが自分達も殺人鬼ではない。それは同意できることではある。何にせよ、まずは目の前の敵を打ち倒すのが先決だ。
「分かった。あたしから先に行くよ。隙を作るから耕一が何とかして」
「ああ、任せてくれ」
 耕一が頷くのを確認して、梓は警棒を再度強く握り締め猛然と晴子に向かっていった。

「ちょっと痛いけど、お灸を据えさせてもらうよ!」
「はんっ、小娘が偉そうにしよって! ジャリはジャリらしく大人の言う事を聞いとればええねん!」
「悪い大人の言う事を聞く必要は……ないんだよっ!」

 梓の役目はあくまで耕一が止めを刺す為の隙を作ることであり、無理して倒すことではない。反撃を受けない程度に距離を詰めて体力を消耗させればいいのだ。
 相手が避けられる程度のギリギリのラインから警棒を振り回し、ギリギリのラインで避けさせていく。
 晴子もなんとか反撃を試みようとVP70を用いて殴ろうとするが振り下ろす前に梓の次の攻撃が来るため反撃に踏み切れない。縦から横から振り回される警棒を掠るか掠らないかの程度で回避していくのが手一杯であった。
 それどころか激しく動いているせいで傷が疼き、飛び跳ねて着地するだけでもVP70を取り落としそうになるほどの激痛が晴子を襲う。これでは引き金を引くことさえままならない。事態は悪化していく一方だった。

256思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:02:53 ID:nHUW/EJY0
「やぁっ!」
 梓が大きく腰を落とし、晴子の脛へと向かって警棒を振る。傷の痛みに意識を向けていたせいで一瞬だが、晴子の反応が遅れた。
 回避する直前、警棒の先が腿を掠り、電流を流されたような痛みが晴子の身体を駆け巡った。「くぁ……」と思わず呻きよろよろとバランスを崩してしまう。

「耕一! 今だっ!」
「おうっ!」

 気付かぬ間に側面から迫ってきていた耕一が拳をぐっと握り締め晴子の顔を狙っていた。逞しい筋肉から繰り出されるその一撃を貰えば、いかな覚悟を決めた晴子と言えど気絶は免れないだろう。勝敗は決したかに思えた。

「!?」
 晴子に殴りかかろうとしていた耕一が、急に目の色を変えて梓の方へと向かう。
「梓っ!」
 え、と呆気に取られる梓を押し倒すようにして耕一が覆いかぶさる。その真上を――
「な……」
 ――飛んでいったボウガンの矢が木の幹に突き刺さっていた。

「新手かっ!」
(新手やと……?)

 耕一も梓も、晴子もしばし目の前の敵を忘れて乱入してきた第三者の居場所を掴もうとする。敵か、味方か。事と次第によってはそれはこれからの状況を大きく変えさせるものだったからだ。
 数秒の後、ガサッ、という不自然な音を梓の耳が掴む。弾かれるようにして振り向くと、そこにはボウガンを持って走り去ろうとする一人の少女――朝霧麻亜子――の姿があった。

257思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:03:23 ID:nHUW/EJY0
「耕一、あいつだ!」
 すぐに方向転換し、麻亜子の姿を追おうとする梓。
「待て梓、迂闊に……」
 静止に入ろうとした耕一の後ろから悪意のある気配が身体を貫く。とっさに転がるようにして、耕一は緊急回避に入った。ぱん、という軽い音と共に再び敵意を向けた晴子のVP70が火を噴いたのだった。
 幸いにしてそれが命中することはなかったが、既に梓は新たに現れた人間を追って森の奥へと消えていた。鬼の持つ力は脚力にも影響を及ぼす。全力の梓が視界から消えるのには数秒の時間さえあればよかったのだ。く、と歯噛みする耕一の前に、不敵に笑う晴子の姿があった。

「うちを差し置いて逃げようやなんてええ度胸しとるやないか。これで一対一や。ゆっくり楽しもうや、なあ?」
 それは妖艶な、油断した冒険者を海中へと引きずり込むローレライの魔女であった。脂汗をかき、肩を上下させる姿さえも耕一を幻惑させる魔法のように思える。
「……悪いが、すぐに終わらせてもらう。歌のアンコールは所望じゃないんだ!」
 今度はハンマーを持って、耕一は晴子を見据える。一撃。足に叩き込んで骨を砕いて御仕舞いだ。
 耕一の目の色が、赤き狩猟者のそれへと変わった。

     *     *     *

 襲撃をかけるかかけまいか迷っていた朝霧麻亜子の視界に神尾晴子が飛び込んできたのは、彼女にとって幸運だった。
 それがゲームに乗っていない人物ならば話し合いの最中に奇襲をかけられるし、乗っているなら乗っているで存分に利用し、双方戦って疲れたところに止めを刺しにいけばいい。麻亜子は漁夫の利をとれば良かった。
 しばらく様子を見たところ拳銃のようなものを持って攻撃の機を窺っているようにも見えたから八割方乗っていることには間違いなさそうだった。なら、いつでも止めを刺しにいけるようにもっと耕一と梓の近くに接近するべきだった。

 麻亜子は誰にも気取られぬよう、静かに移動を始めようとした、その時だった。
「動かないで下さい」
 後頭部に固いものが押し当てられる感触と、骨の髄まで凍るようなトーンの低い声。麻亜子の心臓が、一瞬だが跳ね上がった。
 麻亜子の後ろを取った女、篠塚弥生は麻亜子の手に握られているボウガンを一瞥すると、地面にうつ伏せになるよう指示する。

258思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:03:56 ID:nHUW/EJY0
「え〜、あちきも一応女の子なんだしさ、汚れるのは嫌なんだけどなー」
「なら言い方を変えましょう。血で汚れるのと、土で汚れるのと、どちらがいいですか」
「……はいはい、分かりましたよ。ジョーダンの通じないひとだなぁもう」
 やれやれという感じで大人しくうつ伏せになる麻亜子。相変わらず弥生は銃口を押し付けていて、まるで隙がない。やりにくいタイプだ、と麻亜子は思った。

「で? 狙いは何かな?」
「……」
 答えない弥生に対して麻亜子が「理由、説明してあげよっか」と不敵に笑いながら続ける。
「単純に殺したいだけなら後ろを取った瞬間パーンと一発ハイそれまでよ、だーよね? でもチミはそれをしない。ならあたしに利用価値を見出したワケだ。違うかな?」
「……聡いですね」
「まーね。ベルリン陥落させたのがジューコフだってことくらい知ってるまーりゃん様にかかればチョチョイのチョチョイなのさ」

 ふざけた口調だが、バカなわけではない。弥生は銃口を放すと茂みの向こう側を指して言う。

「話は単純です。あの向こう側にいる三人を何とかしてきて下さい」
「単純すぎるなぁ。交渉とはもっと礼儀と作法をもって行うものだぞっ」
「交渉ではありません。要求です」
「その要求、果たして通るかなぁ?」

 何を、と再び手持ちのP-90の銃口を向けようとしたとき、怒声と共に銃声が響き渡る。とうとう向こう側で戦いが始まったのだ。
 三人の男女の声が混ざり合い、蠢き合い、絡み合って死の匂いを帯び始める。麻亜子はそれを悠然と聞き流しながら弥生に告げる。
「まーたぶんアンタも優勝を狙ってるクチなんだろーけどさ、なら分かると思うんだけどここで勝手に戦って死んでってくれる……『乗って』る人が殺されるのはあたしにもチミにもまずいんじゃないかな? 様子を見てたんなら分かると思うけどあたし達と同種はあの大阪のおばさん。反対はあの二人組。ゲームの進行を考えるとどっちが生き残った方が効率がいいか分かるでしょ? でしょ?」

259思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:04:20 ID:nHUW/EJY0
 答えない弥生の様子を肯定と取ったか、麻亜子はふふん、と得意げに鼻を鳴らしながら続ける。
「あたし達がするべきことはさ、お互いに助け合うことだと思うんだなコレが。助け合いの輪、不戦の誓い桃園の誓い。ああ美しきかな友情よ。どう? ここは連携してさ、あの二人組、やっつけてみない?」
 弥生の表情は変わらぬままだったが、麻亜子は確かな手ごたえを感じていた。当初の予定と違って独り占めは出来なくなったがこのように状況に応じて敵味方を変えるような人間は手懐けておいた方がいいと考えていたし、遠目からでも分かる好戦的な神尾晴子も恩を売っておけば後で役立つとも考えていた。

「内容に拠ります。危険な行動は出来ません」

 来た。乗ってきた。
 麻亜子はほくそ笑みながらいやいや、と手を振る。
「どっちかったら危険なのはあちきの方だからさ。まあ聞きなよ奥さぁ〜ん」
 ヒソヒソと内緒話でもするように弥生に耳打ちする。弥生はその内容を聞いていたが、確かに危険はこちらの方が少ない。いざとなれば見捨てて逃げればいいし、麻亜子からしてみても裏切れる余地はない。上手く行けば全員が利益を得られる。
「……分かりました。あなたの作戦に力を貸しましょう。やって下さい」
 弥生は麻亜子から離れると、少し先にある茂みの向こうへと姿を消した。麻亜子はその姿を少し見つめながらふぅ、と安堵のため息を漏らす。

「やー、良かった良かったぁ。流石は口先の魔術師と言われるあたしだね。んっふっふ、将来外交官にでもなっちゃおーかなー」
「やぁっ!」
「おっと、決着がつきそうかな?」

 素早く姿勢を整えると、僅かに茂みから身を乗り出しながらボウガンを構え、今にも止めを刺そうとしている柏木耕一……ではなく、柏木梓の方へと照準を向ける。
 別に攻撃するのはどちらでも良かった。それに当たっても外れてもそれほど作戦に問題はない。どうせ撃つなら当てやすい止まっている標的に撃ちたかったからだ。
「まーりゃんバスター……シュートっ!」
 ボウガンから発射された矢が、一直線に飛んでいく。ラッキーなことに、それは柏木梓の頭部目掛けて飛んでいた。命中すれば脳を貫き即死させること間違いなかった。が……

260思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:04:49 ID:nHUW/EJY0
「梓っ!」
 神尾晴子に攻撃を仕掛けていた柏木耕一が間一髪、梓の体を押し倒して矢の命中を避けたのだ。標的を見失った矢は空しく明後日の方向へ飛んでいく。
「あーっ! 盛り下がることしてからにーっ! ええい、モードBに移行だぁ!」
 ぷんぷんと怒りながら、麻亜子はわざと敵に居場所を知らせるようにがさがさと音を立てながら逃げるように移動を始める。その後ろに、篠塚弥生の気配を感じながら。
「耕一っ、あいつだ!」

 案の定こちらに気付いた梓が茂みから飛び出した麻亜子を追って走り出す。その形相たるや、般若を思わせる鬼のものである。
「うわっこわっ! 鬼こわっ! てか足速いよあの娘さん!」
 こればかりは麻亜子にとっても計算外だった。麻亜子自身も足の速さには自信はあったが梓の脚力はそれを大きく上回っていた。だがおびき寄せることには成功し、麻亜子の狙い通り耕一は晴子と戦いを続けていてすぐに救援に向かうことはできない。分断には成功した。ここまでが、麻亜子の計画の第一段階。

「待てっそこのチビ娘! アンタ一体何様の……つもりだっ!」
「うは!?」

 まだある程度距離は離していたつもりだったのに、気がつけばすぐ後ろで、梓が警棒を頭上に振り上げていた。
「ちょ、タンマ!」
 振り向きざまにバタフライナイフを抜き、特殊警棒を受け止めようとするが巨大な圧力を有する一撃を抑えきることなど出来るわけがなく、無様にナイフを取り落として尻餅をつく麻亜子。
 地面に落ちたナイフを慎重に拾い上げて懐に仕舞うと、梓はそのまま警棒を向けて言葉を発する。

「悪いけど、あたしは耕一と違ってそんなに心が広くないんだ。おとなしく武器を全部捨てて投降しな。そうすれば悪いようにはしない」
「やーだもんね」
 一歩詰め寄る梓に、麻亜子は慌てながら手を振る。
「って言ったらどうするの、って言おうとしただけじゃんかー! 早まらない!」
「そん時は骨の二、三本折らせてもらうよ。で、答えはどうなんだい」
 おっかないねぇーどいつもこいつもスイスもオランダもー、とぶつぶつ言いながら手元のボウガンを梓に向かって投げ捨てる。
「ほいよ。あたしだって命は惜しいからね。ごめんなさいあれは一時の迷いだったのです許してくれろ」
 梓はボウガンに矢がセットされてないのを見ると「矢は?」と尋ねる。
「ああ、矢ね。ごめんごめん、今出すからさ――」

261思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:05:11 ID:nHUW/EJY0
 麻亜子が持っていたデイパックの中に手を突っ込む。その仕草に、梓は一種の予感めいたものを感じた。

「プレゼント受け取ってぇ〜、ちょーだいっ!」
 梓がバックステップからのサイドステップで離れたのと同時に、麻亜子の手に握られていたボウガンの矢が梓の脇腹すれすれを通過していった。当たったとしても致命傷にはならなかっただろうが、それは明らかに殺意のこもった行為であった。間髪入れず、梓は腰を低く落として麻亜子へと肉薄する。
「やっぱ警戒しといて良かったよ。嘘つきには相応の罰が必要だね、チビ助!」
「ぬぬ……でもまだまだ……」

 最大の切り札であるデザート・イーグル50AEを取り出す麻亜子だが、それよりも早く梓の左腕から繰り出される正拳が麻亜子の腹部の真正面を衝いた。
「ぐへ……っ!」
 攻撃の中心点から電撃のように蔓延する鈍い衝撃に呼吸が一瞬止まり、思わずデザート・イーグルを取り落としてしまう。目がチカチカして視線が定まらない。

「や、やば……一旦離脱……」
 足元をふらつかせながらも、しかし麻亜子は倒れることなく梓との戦闘を中断し、逃走を試みようとする。だがそんな行為を梓が許すはずもない。
「逃がすか! ……ぶっ!?」
 走り出そうとした梓の顔面に大きな布のようなものが覆いかぶさる。それは麻亜子がスクール水着の上に着ていた自身の制服だった。さらにおまけのように、デイパックが梓に投げつけられる。
「こ……のっ! 悪あがきを!」

 だが所詮は時間稼ぎにもならないほどの微かな抵抗に過ぎなかった。すぐにそれを取り払うと、梓は再び麻亜子の背中を追う。不意の抵抗で僅かに距離はあいたもののそれはたったの二、三メートルほどだ。梓ならば一秒も経たずに詰めることが出来る。
 その思惑通り、梓が走り出してから一秒と経たない間に麻亜子は警棒の射程内に入っていた。これでとどめと言わんばかりに梓は警棒を今一度振り上げる。

「残念だけど……ここまでだよっ!」
「その通りです」

262思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:05:40 ID:nHUW/EJY0
 梓の耳に届いた声は麻亜子の幼さを残す声ではなく、大人が持つひどく抑揚のない声だった。
 けたたましい音が聞こえたかと思うと、梓の真横から大量の銃弾が槍のように身体を貫いた。何が起こったのか分からず、目の前を飛び散る自分の血飛沫を呆然と見つめる梓。
「え、あ……?」
 振り下ろされるはずだった警棒は梓の手を離れて地面に。捉えるはずだった足は止まり、今にも崩れ落ちそうにがたがたと震えている。
 動かない――いや動けなかった。

「人というものは」

 また聞こえてくる抑揚のない無機質な声。コンビニとの店員との間で交わされるような味気ない声だ。かろうじて首を動かした梓の視線の先には、P-90を持って悠然と向かってくる篠塚弥生の姿があった。

「後一歩で獲物に手が届きそうになると周りのことなど見えなくなるものです。私の移動にも気付けなかった」

「あ……あん、た、は」
 構えようとした梓の体が、ぐらりと傾く。均衡を失った肉体は無様に崩れ落ちる。
「正直ね、チミらの反射神経は大したもんだよ。あちきのボウガンは避けるし、銃を構えられても余裕で射線を外してくる。勘も鋭いときたもんだ。集中されてーちゃーこっちに勝ち目はないっての。だから小細工したんだなコレが」
 次に梓の視界に現れたのは勝ち誇ったように笑う朝霧麻亜子。

「仕組んで、いたのか……最初から、全部」
「いいえ、全ては偶然です。私とこの人が出くわしたのも、手を組んだのも。今貴女の連れと戦っている人も同じです」
 また、弥生が顔を見せる。麻亜子とは対照的に見下したような表情。
「後一歩。こいつが油断だったのさね。目の前のあたしに心奪われたが最後、嫉妬に狂った元恋人が復讐の包丁を突き刺す。中々いい舞台だったでしょ、ん?」
「ち、ちくしょう……ごめん……耕一、千鶴姉、はつ」

263思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:06:27 ID:nHUW/EJY0
 梓の遺言がそれ以上紡がれることはなかった。弥生が懐にあったバタフライナイフで梓の喉をかっ裂いたのだ。破裂した水道管のように、梓の喉から血のシャワーが注ぐ。
「終幕です」
「ぱちぱちぱちっと。でもまだもう一つ舞台があるんだなー。人気俳優は忙しいよ」
 制服を着込みながら麻亜子はボウガンやデザート・イーグル、デイパックを回収していく。
「貴女のナイフです。返しておきましょう」
 弥生は梓の所持していた警棒を回収すると、バタフライナイフを折り畳んで麻亜子に投げ返す。それを空中で器用に受け取りながら感心したように麻亜子が呟く。

「おりょ、てっきりネコババするかと思ったのに。律儀だねぇ」
「重要な事です。仕事でも、人間関係でも」
 ふむぅ、と麻亜子は笑いながらバタフライナイフをポケットに仕舞い、デイパックを背負い直す。
「さてもう一舞台参りますかね。二人の役者さん、まだ生きてるといいけどねー」
「どちらにしろ決着はつけます。行きましょう」
 弥生が走り出すのに続いて、麻亜子もその後を追う。
 血の華に彩られた舞台の最終公演が、始まろうとしていた。

264名無しさん:2008/02/01(金) 15:07:00 ID:nHUW/EJY0
ここまでで一旦区切って下さい

265思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:07:52 ID:nHUW/EJY0
「おおおっ!!」
 耕一の繰り出すハンマーの一撃を、晴子は紙一重で避けながらVP70を鈍器にして殴り返す。
 だが晴子の攻撃もまた避けられそればかりかカウンターに鋭い右フックを叩き込まれ、ゴホゴホッと咳き込む。
 最初のころはそれも避けられたのに、次第に命中する回数が増えてきていた。いやそれだけじゃない、こちらの反撃もまるで見透かされているかのようにかわされる。今は辛うじて最大の一撃であるハンマーを回避しているだけで、その行動もだんだん体が追いつかなくなってきている。それも、殺さず戦闘不能にするためなのか足ばかりを狙ってきているにもかかわらず、だ。

「ぐ……」

 幾重にも拳が打ち込まれた体はボディブローのようにじわじわと晴子にダメージを与えていた。鉛のように体が重く、長い間オイルを注していない機械のように手足が動かない。さらに先程の一撃でいよいよ体が限界に達したのか自力で立っていられず、たまらず木に体を預けてようやく支えている状態だ。
 疲労困憊、満身創痍という言葉が今の晴子を表す全てだった。
「……もう終わりだ。諦めて罪を償ってくれ」
 ハンマーを両手に持った耕一が、ここまで力強い抵抗を見せた晴子を悲しげな目で見つめながら前に立っていた。息も荒く全身痛みに覆われている晴子とは違い、汗一つかかず息さえ切らしていない。

 絶対的な力の差だった。
 蟻が象に挑むような無謀な行為。しかもたった一人で、だ。勝てるわけがない。

「は」

 晴子は一笑に付した。だから何だと言うのだ。好機ではないか。完全に勝ったつもりの相手と、満身創痍ながらもまだ決定打を受けていない自分。
 それに何より、己には覚悟がある。大好きなひとを守りたいという想い。こんな殺しも出来ないような優男に、負けてなるものか。
 乾いた唇を舌で舐める。一瞬だけ水分を取り戻した口が啖呵を切った。

266思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:08:16 ID:nHUW/EJY0
「まだ終わりやない。まだ負けてへん。偉そうな大事ほざくんはウチを倒してからにしてもらおうか」
「なら……そうさせて――」
 そう言いかけた時、辺り一帯に激しい音が鳴り響いた。それはどんなのか確かめるまでもなく、銃声。

「あず……?」
 耕一が思わず後ろを向いた。それを、晴子は見逃さない。
「いて……まえっ!」
 晴子が決死の思いでVP70を持ち上げる。それに気付いた耕一は若干反応を遅らせながらも思い切り真横に飛び退く……が。
「く……あ……」
 VP70から銃弾が発射されることはなかった。力尽きたように晴子が前のめりになりながら倒れ、そのまま動かなくなった。

 恐らく、意識を失ったのだろう。見る限り晴子は包帯を巻いており、息も荒く顔色も悪かった。あれだけ強気であっても肉体が限界を超えていたのでは当然の成り行きでもある。そう耕一は考えた。
 ホッと息をつきかけた耕一だがそんなことをしている場合ではないとすぐに気付き、晴子から背を向けて銃声のした方向へと走り出した。
「梓! どうしたんだ! 返事をしてくれ!」
 力の限り腹から吐き出すように耕一は叫ぶ。しかし梓が走り去っていったであろう方向からは何も声は聞こえてこない。それがさらに、耕一の心から余裕を無くし、焦りを生み出していく。

 梓が、あの頼もしい従姉妹の梓が負けるわけがない。そんな事態があってたまるか。
「梓! あずさぁーーーーッ!」
 咆哮ともとれるような耕一の叫び。しかし依然として返事はないばかりかそこにあってはならない、かつて感じた匂いが漂っていた。
 それは血の、匂いだった。

 まさか。いやそんなはずはない。

 交錯する二つの思考。落ち着けと願う心と、跳ね上がらんばかりに脈打っている心臓。
 耕一の視界は、いつのまにか半分以下にまで縮まっていた。故に。

 ドスッ。

267思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:08:46 ID:nHUW/EJY0
 ビクン、と少しだけ耕一の体が跳ねたかと思うと、強烈な異物感と痛みが肺から急速にせり上がってきていた。
「あ……?」
 梓同様、最初耕一には何が起こったのか理解できなかった。自分の体に何かが起こった、その程度の認識しか感じられなかった。
 ゆっくりと、耕一は自分の胸元に目を下ろす。
「何だよ、これ……」
 耕一の胸からは、棒のようなものが生えていた。先端には尖った、まるで鏃のようなものがついており自身の血を浴びて凶暴な赤黒いカラーに染まっている。

 いや違う、これは矢……弓矢の矢じゃないか。そう認識出来たかと思うやいなや、耕一の視界は暗転し意識が、感覚が遠のいて体が崩れ落ちる。
 これもまた、梓と同様に。
 地面と抱擁を交わした耕一に、もはや草木の匂いが届くことはなかった。
「いやーやれやれ。実に分かりやすいお人でしたなー。映画みたいに何回も名前呼んじゃって。おねーさん恥ずかしいぞっ」
 倒れた耕一に声をかけたのは、朝霧麻亜子と篠塚弥生だった。

「あっけないものですね。周りが見えなくなるのも、同じ」
「ああ、才気溢れる逞しい若者がまた一人散ってしまうのは悲しいことだけれども残念無念、これって戦争なのよね。まああたし達がやっちゃったあずりゃんと一緒にいさせてあげるからおとなしく成仏してくれりゃんせ、なむなむ〜」

 ダレダ、コイツラハ――

「もう一人の方はどうなったのでしょうか」
「さぁ、死んじゃったかもしれないね。ま、あたしとしてはライバルが減ってくれるならいいんだけど」

 ヤッタ? アズサヲ? ナゼダ。
 アズサハ、コロサレテイイヨウナヤツジャナカッタ。カエデチャンモ。コンナ、コンナヤツラガイルカラ――

「それは同感ですね。ですが今はそれよりも武器の回収を急ぎましょう。それにあなたとの共同戦線もここでお終いです」
「ありゃ、これは意外なお言葉。あたしはそんなに使えない女なのかい?」

268思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:09:17 ID:nHUW/EJY0
 ユルサナイ、ユルサナイ、ユルサナイ
 ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイ――

「逆でしょう? あなたにとって、私は使えない女のはずですから」
「……さぁ、それはどうかな?」

           コロシテヤル

「……?」
 悪寒のようなものが弥生を包み込む。それは、倒れたはずの耕一の体から感じられた。
「ん、どしたの?」
 耕一の方をじっと見る弥生に麻亜子もまた何かを感じ取ったかのように耕一を見た。
「声が、聞こえたような気がしたのですが」
 そんなはずはない。確かに麻亜子の放ったボウガンの矢は耕一の胸を貫いていたのだから。生きているはずはない。
 しかし何だろう、この威圧感のような、拭い去れない恐怖のような予感は。それは麻亜子も同じようだった。

「気のせいだと思うけど……とどめ、刺しとこっか」
 完全に死を確認したわけではない。ひょっとしたら息くらいは残っているかもしれない。そう無理矢理に考えて、麻亜子は再びボウガンを向ける。

「グオオオォォォォォォッ!!!」

 その時、まるで獣のような、怪獣映画に出てくるような野太い絶叫が耕一だったものから聞こえた。
 それだけではない。死んだはずの耕一が。生きているはずがない耕一の体が、ムクリと起き上がり二本の足で立ち上がったのだ。
「う、うそっ……!?」
 麻亜子だけでなく、普段冷静なはずの弥生も目の前の事態を理解できず呆然と、立ち上がった生物を見ていた。

「グアアアァァアァァァアァッ!!!」

269思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:09:39 ID:nHUW/EJY0
 口を大きく開けて、天に向かって咆哮を上げる耕一。いやそれはもはや人間ですらなかった。
 元々筋肉質だった二の腕はさらに大きく盛り上がり、色も肌色から黒色の人ならざるものへと変貌している。
 爪は赤く長く伸び、さながら恐竜を思わせる凶暴なフォルムに変形し、獲物を刈り取ろうとするようにせわしく蠢いていた。
 つまるところ、それは人の領域を超えてしまった……怪物であった。

「ガァア……ッ」

 息を吐き出し終えた怪物が、ゆっくりと麻亜子と弥生に真っ赤な眼球を向ける。それは狩猟者たる『鬼』が狙いを定めた瞬間であった。
「なんかさぁ……ヤバいって感じだなあ。乙女の大ピンチ?」
「悠長にそんなことを言っている場合ではなさそうですよ。あなたとの共同戦線……もう少しだけ続きそうですね」
 二人が、すくみそうになる足を必死に押さえ込みながらじりじりと後退していく。

「グゥウゥ……ァッ!」

 怪物はグッ、と腰をかがめたかと思うとその場から思い切り跳躍し、大木のような腕を棍棒のようにして振り下ろしてきた。
「うわっと!」「……!」
 麻亜子が怪物から向かって左へ、弥生が右にステップしてその場から離れる。それから僅か一秒と経たない間に怪物の巨体がそこへ落下し、腕を叩きつける。ドスンという鈍い音と共に地面が陥没し、土煙が舞う。人間では考えられない威力の、肉体のハンマーであった。
「このっ……隠し芸なら温泉でやってよ……ね!」
 距離を取った麻亜子がボウガンを向け、怪物の頭部へと向けて発射する。いくら怪物じみた外見でも頭部に損傷を与えれば無事では済まないはず、そう考えた結果だった。

 だが怪物は切磋に頭部を守るように右手を出し、直撃を避ける。しかし当たらなかったとはいえ右手に突き刺さったはずなのに、怪物はものともしないかのように矢を引き抜き、地面へと投げ捨てた。代わりに、ライオンのような鋭く尖った犬歯を覗かせ、嗤った。嗤ったのだ。
 やばい。そう判断した麻亜子はこれ以上の反撃を諦め再び距離を取ることに専念する。
 逃げられるとは思っていなかった。あの怪物は復讐のためだけに復活した追跡者なのだ。一時的に身を隠せようとも、いつかは追いつき体を引き裂いて頭を潰し蹂躙する。ならこの場で倒してしまうほかに生き残る術はなかった。
 幸いなことに、怪物の動き自体は鈍く麻亜子とは比べ物にならない。ボウガンをデイパックに手早く仕舞うと最大の武器であるデザート・イーグル50AEを取り出して構えようとする。

「グガァッ!」

270思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:10:03 ID:nHUW/EJY0
 しかし怪物もさるもの、動きの鈍さを巨体から出るリーチで補い槍のような爪を真っ直ぐに繰り出す。あれに貫かれたら、命はない。
 仕方なく発砲は諦め木を盾にするように回り込む。
 ずん、と地響きのような音がして麻亜子の前の木が軋みを上げる。どうやら爪が突き刺さったようである。
 この隙に反撃を、と思った麻亜子だが怪物は爪を引き抜くどころか逆に爪を深々と抉るように押し込み左右に動かす。
 ミシ、ミシっと音を立てたかと思えば爪の刺さった部分から木が折れ、周辺の草木を巻き込みながら倒れていた。
「う……わぁ……」
 これには麻亜子も唖然とするしかない。普段どんなことがあってもマイペースな彼女から血の気が引き、さっきまで反撃しようという考えも忘れてそそくさと弥生のところまで後退する。

「何アレ、それなんてファンタジー? というか援護してくれってのー!」
「申し訳ありません、ちょっと手持ちの武器を確認していたもので」
「そんなの戦う前からやっとけってーの! わわっ、来たきたっ!」
 再び前進してくる怪物に、弥生がP-90を向ける。
「残弾は少ないですが……やむを得ません」
 小刻みにトリガーが引かれたP-90から、数発の弾丸が怪物目掛けて飛来する。麻亜子のボウガンの時と同じく今度は左腕で受け止めようとする怪物だが、P-90の貫通力はボウガンの比ではない。

「グガッ!?」

 分厚い筋肉の鎧に覆われたはずの腕を貫通したP-90の弾が怪物の肩や胸に突き刺さり、抉り、破壊しダメージを与えた。しかしそれは決定的な致命傷には程遠く、怪物は呻き声を上げながらも更に突進してきた。今度の標的は、弥生。
「く、中々硬い……」
 大振りに繰り出される爪撃をバックステップで回避しながら弥生は単発で発砲を続ける。だが銃身がブレて思い通りに狙いが定まらず、腕や脇腹などには命中するものの心臓や頭部には一発として当たらない。しかしそれでもダメージは蓄積され、徐々にではあるが怪物の動きは鈍くなっていた。
「これで、どうだっ! くらえーい!」
 怪物から十分な距離を取った麻亜子が、お返しとばかりにデザート・イーグルから轟音と共に強力無比な50AE弾を背中に向けて撃ち出す。しっかりと構えていただけあって弾は背中の中心へとクリーンヒットする。

「ガァ! ググ……」

 象さえ仕留めるほどの威力を誇る銃弾に貫かれてはさしもの怪物もひとたまりもない……はずだった。

271思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:10:27 ID:nHUW/EJY0
「ググ……オオオオオォォォォォ!!!」

 呻き声から絶叫にも近い怒声を発したかと思うと、怪物は手を高々と掲げ弥生へと叩き下ろす。
「随分とタフな……っ!?」
 鈍い攻撃のはずだった。躱したはずの腕が、いつの間にか横から迫っていていたのだ。叩き付けられる右腕を避けられず、弥生は直撃を受けてその場に昏倒する。続いて怪物が、麻亜子の方向を向いた。

「やば……っ!」
 距離は十分にあったはずだった。しかし怪物はクラウチングスタートのように腰を屈めたかと思うと猛烈な勢いで突進し、ものの数秒で麻亜子の体へと肩をぶつけていた。地面を跳ねるようにして、麻亜子の体が転がる。
「かぁっ、痛った〜……」
 ダメージ自体はそれほどでもなかったが衝撃が半端ではなく頭が朦朧とする。よろよろと立ち上がる麻亜子に怪物の膝がさらに叩き付けられた。
 突き抜けるような圧力と共に麻亜子の体が宙に浮き、そのまま吹き飛ばされた。そしてその先は、幸か不幸か、急な坂であった。痛みにのたうつ麻亜子がそのままごろごろと坂を転がり落ちていく。

「グルルルル……」

 怪物は麻亜子に止めを刺すのは不可能だと判断したのかゆっくりと方向を変えると体を引きずるようにして倒れている弥生の元へと歩み寄っていく。
 背中からは麻亜子のデザート・イーグルによる銃傷で大量に出血しており、他にも弥生に負わされた無数の手傷からも血が噴出している。
 それでも歩みは止まることはなかった。柏木梓を殺した奴を殺す。その思いのみを行動原理に怪物は足を進めていく。
「く……化け物のくせに……こんなところで」
 弥生もまた、意識を失わずただ生き残ることを思って体を起こそうとしていた。
 だが思うように体は動かず立ち上がることさえままならぬ状況だった。それでも石のような体を引きずって、弥生は攻撃を受けた際に手放したP-90を取りに行こうとする。

「グオォッ!」

272思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:10:52 ID:nHUW/EJY0
 しかしその行動は怪物によって中断される。匍匐前進で這い、あと少しで手の届くところまで来たけれども、弥生の体が怪物の足によって蹴り飛ばされ、近くの木に激しく叩き付けられる。
 骨が折れてしまうほどの衝撃を受けながらも弥生は意識を失うことはなかった。いやむしろ痛みこそが弥生を気絶させなかったと言うべきかもしれない。
 だが、肝心のP-90は遥か遠く――実際の距離よりも手の届かない遠くに行ってしまったのだ。
「く……」
 一応警棒はあるがそんなもので怪物の進撃を止められはしない。何か、もっと、刃物のような尖ったものがあれば。せめて一矢報いることが出来るのに。
 必死に首を動かして何かないかと見回す。すると、思いがけないものがそこに転がっていた。

 ボウガンの矢。恐らく朝霧麻亜子の放った、そしてあの怪物が引き抜いた矢だ。
 咄嗟にそれを掴むと、いつでも全力でかかれるように弥生は力をボウガンの矢を握った手に集中させる。
 怪物の足音が、重低音を響かせながら弥生に近づいてくる。足音が止まった時が、最大の攻撃チャンスだ。

 ズシン、ズシン、ズシン、ズシン。

 四歩目。そこで音が、途切れた。

「グガアァァアァァッ!」

 狂恋の叫びを上げながら、憎き仇に制裁を加えるべく怪物が爪を振り上げて弥生の首目掛けて叩き切ろうとした。
「こんなところで、私は死ぬわけにはいかない! 由綺さんのために! 由綺さんの夢のためにっ!!」
 爪が天高く差したと同時に、弥生が力を振り絞ってボウガンの矢を怪物の足へと突き刺した。

「ギャアアァァァゥッ!?」

 肉を破り地面にまで到達したボウガンの矢は、引き抜こうと足を上げようとした怪物の力にもビクともしなかった。それどころか暴れるたびにより深く食い込み、怪物の叫びが増していく。
 だが、しかし。
 弥生の反撃はそこまでだ。P-90が遠くにある以上、立ち上がってそこまで行けるか。そう問われると怪物が矢を引き抜く方が先だと言えた。それでも諦めず、弥生は必死に立ち上がろうとする。

「グゴォォォォォ!」

273思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:11:15 ID:nHUW/EJY0
 そんな弥生の努力をあざ笑うかのように、怪物が器用に手を使って矢を引き抜いた。ぎょろりと立ち上がった弥生の方を向き、凶暴に息を吐き出す。
「……!」
 走って逃げ切るだけの余力はない。ここまでか。そう弥生が思った瞬間だった。

「はっ、いつまでも帰ってきぃへんし、なんやヘンな唸り声するか思うたら……こういうことか、バケモンが。せっかく知恵振り絞ったいうのになぁ」

「グゥ!?」

 弥生も、そして怪物さえも驚いたように声のした方向を見る。そこには……
「気絶したフリまでしたっちゅーのに……ホンマムカつく奴やで。もうええわ、死ねやボケ」
 怒りの形相でVP70を構えた神尾晴子の姿が、日光を背にあった。
 迷わずに引かれたVP70から、9mmパラベラム弾が怪物を蹂躙せんと真っ直ぐに迫る。

 それは麻亜子の50AE弾や、弥生の5.7mm弾に比べれば遥かに弱い威力だった。しかし多数の怪我を負った怪物に、それを避けるだけの余力も、もう残っていなかった。
 それでも防御しようと腕を上げるが、上げきる前に晴子の放った弾丸は怪物の眉間を貫き、脳を破壊し致命傷を与えていた。
 プツンと命令の途絶えた肉体が棒立ちとなり、ぐらりと傾いてドスンと重苦しい音を立てながら地面へと倒れ臥す。今度こそ、完全に、柏木耕一だったものの肉体は死を迎えていた。

「はぁ、はぁ……っ、ホンマ、手こずらせてからに……なぁ、アンタもそう思うやろ?」
「……ええ、まったくです」

 怪物が倒れたと同時にドッと疲れたようにへたり込む晴子の言葉に、同じく決着がついてP-90を拾いに行く必要がなくなった弥生が頷く。
 二人とも殺し合いに乗っているにもかかわらず、今の二人には互いに殺し合いをする気などなかった。満身創痍でそれどころではなかったのだ。

「ふぅ……っ。あーなんかもう、どうでもええわ」
 座っていることさえ億劫になったのか晴子は身を投げ出して地面に寝転がる。そんな晴子に、弥生が疑問を持ちかける。

274思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:11:56 ID:nHUW/EJY0
「私を撃とうという気はなかったのですか」
「あのアホウは殺し合いをする気はなかったみたいやった。ならその敵のアンタはうちと同じ。それだけのことや」
「敵の敵は味方……ということですか」
「ま、そういうことやな」

 単純だが、筋は通っている。弥生は頷くとある提案を持ちかけた。

「これから先……手を組んでみる気はありませんか」
「なんや、藪から棒に」
「私も貴女ももうギリギリの……極限状態のはずです。これから先一人で殺していくにはいささか無謀と言わざるを得ません。なら少しでも戦力が欲しいのは当然の理かと」
「うちでええんか? うちはひねくれ者やで」
「ですが、貴女は大人です」
「……」
「私は先程まである少女と手を組んでいたのですが……あの少女は自分が何でも出来ると思い込んでいる若いだけの人間です。ああいう人間は、殺せると思えば状況を考えず殺しにいく。ですが少なくとも貴女は違う。今この場で私を殺そうとはしなかった」
「どうかな? ただの気まぐれかもしれへんで?」
「その時は私の見る目がなかっただけのことです。その程度の人間が生き残れる訳がありません。どうですか、私と組んでみる気は」
「あーはいはい分かった分かった。アンタの言う通りや。どうでもええから今は横になりたいねん」

 面倒くさそうに言うと、晴子はそれっきり黙りこんで何も答えようとはしなかった。それを肯定と受け取ったのか弥生も横になってしばしの休息をとるようであった。
「なーんか、平和やな……」
 気の抜けたような晴子の声は、静かにその場の空気に溶けていった。

     *     *     *

「いてててて……あーもう! この稀代の美少女アイドルの顔に傷をつけおってー! ただじゃすまさんぞぉー……って、二度とお近づきになりたくないけどねぇ」

275思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:12:14 ID:nHUW/EJY0
 坂から転げ落ちた麻亜子はまだぐらぐらする頭をさすりながら山の上へと向かって吠えていた。幸いなことに骨折などはしていなく、全身のあちこちが痛むだけである。しかし肩のあたりに若干違和感があり、ひょっとしたらひびが入っているかもしれない。
「ま、いっか」
 あの怪物の動向は気になるが耳を澄ませても叫び声などは聞こえてこない。力尽きた……と麻亜子は信じることにした。

 それよりもあの戦闘で武器弾薬を色々と消費してしまったのが痛い。それに若干二名殺し損ねた。まあ内一名は生存の確認をしてないが。
「しゃーないか。いてて」
 全て思い通りにいくとは思っていなかった。今はとにかく傷の治療などをすべきである。
「ぬーん」
 出来れば診療所の方へ行きたいが、人が居る可能性も否めない。今は出来るだけ戦闘は避けたかった。

「まっ、このまーりゃんに不可能はないっ! ただいまよりどっかの村に潜入任務を開始するっ! いざ、行進……あいたた」
 まだ頭をさすりながら、とりあえず傷の治療を目的に麻亜子は歩き出した。

276思惑/Unstoppable Monster:2008/02/01(金) 15:12:43 ID:nHUW/EJY0
【場所:F-06上部】
【時間:二日目午後:12:00】

柏木耕一
【所持品:なし】
【状態:死亡】
柏木梓
【持ち物:支給品一式】
【状態:死亡】
神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済みだが悪化)、全身に痛み、疲労困憊。弥生と手を組んだ】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、全身(特に腹部と背中)に痛み、疲労困憊。晴子と手を組んだ】

【場所:F-05】
【時間:二日目午後:12:00】

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:マーダー。全身に怪我、鎖骨にひびが入っている可能性あり。現在の目的は貴明、ささら、生徒会メンバー以外の排除。最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと。スク水の上に制服を着ている。どこかで傷の治療を行う】

【その他:耕一の大きなハンマーと支給品は死体のそばに落ちています】
→B-10

277十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:34:18 ID:4gSArroY0

爆風と閃光、焦熱の嵐の中、少女は笑う。
膝を、頸を、脊椎を踏み砕かれて倒れ伏す幾多の少女を睥睨し、来栖川綾香は呵う。
迫り来る死と踊るように歩を進めてきた少女の笑みはしかし今、ただ一点へと向けられていた。

「―――久しぶり」

少女の眼前に、一つの影があった。
皮が裂け、滲んだ血の固まった両手にそれぞれぶら下げたのは、黒焦げになった砧夕霧の躯。
三つ編みを無造作に掴んだまま引きずってきたものか、遺骸に僅かに残された白い肌の腕といわず足といわず、
無数の擦過傷が走っている。
と、影が夕霧の躯を、まるで空き缶でも投げ捨てるように放り出した。
音を立てて地に落ちたその物言わぬ体にはちらりとも目を向けず、影は静かに綾香と向かい合っている。
佇む二人の至近に光弾が着弾し、草木を焼いた。
閃光に照らされた影の瞳が、綾香をじっと見つめていた。

「どうした? 先輩に挨拶もできなくなったか」

血と煤に塗れ、どろりとした眼で自分を見る影に向けて、綾香は楽しそうに口の端を歪める。
短く切られたその髪がさわ、と揺れた。
微かに反らした上体を掠めるように、光弾が駆け抜けていく。

「―――押忍」

それは小さな声だった。
綾香の背後で石くれが爆ぜ、木々が燃え上がるのに掻き消されそうな、声。
だがそれを聞いた綾香は口元に浮かべた笑みを深くする。
くつくつと、くつくつと。

「おいおい、いつもの無駄な元気はどうしたよ―――葵?」

名を呼ばれた影の表情が、僅かに歪む。
呼んだ綾香は、笑んだまま握った拳を胸元に引く。

「構えろよ。それがうちらの流儀、なんだからさ」

だが影、葵と呼ばれた少女は血に濡れた拳を握ることもせず、曇天を切り取ったような眼を綾香に向けると、
ぼそりと呟いた。

「……どうして」

薄暗い呟き。

「どうしてあの人は、飛ばなきゃならなかったんですか……?」
「……」

す、と綾香の表情が消える。
ちりちりと草の焦げる音だけが、二人の間にあった。

「……知らねえよ」

僅かな間を置いて、綾香の表情に再び笑みが浮かぶ。
しかしその顔に刻まれていたのは、先ほどまでの楽しげなそれではない。

「知らねえよ、そんなの。あいつに直接聞いてこいよ」

そこにあったのは、明確な嘲笑だった。


******

278十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:35:06 ID:4gSArroY0


一つの記事がある。
新聞の地方欄の、小さな囲み記事だ。

―――
×月×日未明、首都圏の某高層ビルから、少女が屋上の柵を乗り越えて飛び降りた。
少女は約40m下の道路に叩きつけられ死亡した。自殺を図ったとみられている。

警視庁によると、事件が起きたのは午前四時ごろ。
付近を巡回していた警官が倒れている少女を発見した。
近くの病院に収容されたが、間もなく死亡が確認された。
警察では少女が自殺を図ったものとみて身元の特定を急いでいる。
―――

その後、この事件に関連した記事が一般紙の紙面を飾ることはなかった。
だが奇妙なことに、一部週刊誌やタブロイド紙を中心にして、続報は後を絶たなかった。
様々な見出しが躍り、興味本位の活字が闊歩し、憶測と邪推が少女の死を侵した。

悪意に満ち溢れた報道が無数に生まれ続ける「真実」を面白おかしく書きたてる中で、
それでも幾つかの共通した文言だけは辛うじて事実と呼べるだけの信憑性を持っていた。

曰く。
死の前日、少女は一つの催しに参加していた。
会場収容人数にして数万人、様々な媒体による中継を介してその数十倍。
百万の瞳が映したのは、少女が己の総てを賭けて挑み―――そして敗れる、その姿だった。

エクストリーム、特別ルールスペシャルエキジビションマッチ。
3R8分45秒、KO。

勝者、来栖川綾香。
そして敗者の名を、坂下好恵という。


******

279十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:35:53 ID:4gSArroY0

「前十字靭帯断裂、右膝側副靭帯断裂、肘靭帯断裂、腓骨粉砕骨折、踵骨骨折、
 鎖骨、肋骨、上腕骨橈骨中手骨鼻骨眼窩底膵臓脾臓腰椎」

訥々と、葵が人体の損傷を口にする。

「お経かよ」
「もう立てなくなっていた人に、ここまでする必要があったんですか」

茶化すような言葉を無視し、葵が濁った眼で綾香を見据える。
悪意を隠そうともせず嗤いながら、綾香が答えた。

「両者合意による特別ルール。TKOなし、セコンドタオル投入なし。……違ったか?」

噛んで含めるような口調にも、葵の表情は動かない。

「確かに、そういうルールでした。主催もドクターも、遺恨を煽ったプレスも来栖川寄りの試合。
 けれど、だからこそ止めることはできたはずです。あそこまでやる必要は、なかった。
 結局、綾香さんだってリングを離れることになって―――」

ぼそぼそと告げる葵が、ふと言葉を切った。
足元に転がる砧夕霧の死骸をおもむろに蹴り上げる。
跳ね上がったその無惨な躯を片手で掴むや、半身だけ振り向く。
直後、閃光が葵の掲げた夕霧の、黒焦げの腹に直撃した。
光が収まるのとほぼ同時、人体構造の限界に達したか、夕霧の躯が閃光を浴びた部分を境にぼろりと焼け崩れ、
脂の焼ける匂いを辺りに漂わせた。
盾代わりに使った遺骸を一瞥もせず再び放り捨てた葵が、何事もなかったように言葉を続ける。

「……して……まで、……んですか」
「……、え?」

風が、強く吹いた。
聞き返した綾香を濁った瞳で見据え、葵が今度ははっきりと口にする。

「どうして、最後までやったんですか」

280十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:36:40 ID:4gSArroY0
どろどろと渦巻くものが形を成したような、問い。
その視線を受けながら、しかし対する綾香の顔に浮かんでいたのは、困惑とも戸惑いともつかぬ表情だった。
何かを言いあぐねるように、綾香が何度か口を開きかけ、閉じて、また何かを言い出そうとして黙る。
奇妙な沈黙が下り、しばらくしてようやく綾香が捻り出したのは、ひどく簡素な言葉だった。

「―――何を、言ってんだ?」

嘲笑も悪意もない、純粋な疑問符。
それはまるで、歩き方を聞かれたとでも、呼吸の仕方を尋ねられたとでもいうような。

「なんで、止めきゃなんないんだよ」

うろたえたような声音に、徐々に別の色が混ざっていく。

「悪い冗談はやめろよ、なあ」

切迫した、どこか縋るような口調。

「なあ、なあ、葵。あたしの世界、あたしの手が届く場所、あたしの指で触れるもの」

困惑と失望と、

「世界って、そんだけだよ。そん中に、お前も入ってる。
 ……入ってるんだよ、葵」

そして―――懇願の、入り混じった声。

「だからそんな、そんなわけのわかんないこと、言うなよ。
 な、……頼むよ、言わないでくれよ」

一歩を踏み出したその足の下で、砧夕霧の黒く炭化した腕が、ばきりと折れた。
崩れた骨片が風に乗って舞い上がる。
恐々と伸ばされた綾香の白く長い指が、小さく震えているように見えた。
尚も何かを言い募ろうと綾香が口を開こうとした瞬間、葵が言葉を接いだ。

「私には分かりません……もう、あなたの勝ちは、決まっていたというのに」

281十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:37:11 ID:4gSArroY0
風が、止まった。
梢のざわめきだけが消えるよりも前、ほんの刹那の沈黙を破ったのは、綾香だった。

「ああ、」

と。
その小さな呟きを境に、綾香の表情が変わっていた。

「ああ、そういうことか」

まず困惑が、懇願が、綾香の顔から消えた。
能面のような無表情。

「……お前、だめだよ」

それから、モノトーンの世界に色彩が零れるように、落胆という表情が綾香に加わる。

「全然だめ。話になんない」

小さく首を振って、嘆息。
一瞬だけ眼を伏せた後、正面に立つ葵を貫いていたのは、冷厳とすらいえる瞳。

「お前、それは外側の言葉だよ、葵」

声音は氷の如く。

「勝つとか負けるとか、そういうのは、そんなところには、ない」

逡巡なく、

「殴って、蹴って、投げて絞めて極めて殴られて蹴られて投げられて絞められて極められて。
 そんで、なんだ? 勝ちと負けを決めるのはなんだ? あたしらを分けるのはなんだ?
 テンカウントか? レフェリーのジェスチャーか? それともジャッジの採点か?
 ……違うだろ、葵。そういうんじゃない。そういうんじゃないだろ。」

小さな火種が、燎原に燃え広がるように。

「そんなこともわかんなくなっちまったんなら、そんな簡単なことも忘れちまったんなら、
 葵、あたしがお前に言ってやれることは一つだけだ。たった一つだけだ、松原葵」

来栖川綾香が拳を握り、告げる。

「―――弱くすら在れないまま、死ね」

282十一時十二分/Why R U Here?:2008/02/06(水) 03:37:45 ID:4gSArroY0


【時間:2日目 AM11:14】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】

松原葵
 【所持品:なし】

→895 943 ルートD-5

283tactics:2008/02/10(日) 22:23:25 ID:ASdHemW20
「っ、はぁ、はぁ……っ! まったく、やってくれるわね」
 那須宗一と古河渚の追撃からどうにか抜けることができた天沢郁未であったが、失ったものは大きかった。

 まず第一に、味方の損失。
 信頼もクソもない関係だったが、味方には変わりない。戦闘能力も申し分なかった。それを失ってしまったのはかなり厳しい。

 そして第二に、古河渚が牙を剥いたこと。
 ただの足手まといは共に行動する人間のポテンシャルを大きく下げる。付け入る隙だってあった。
 それが今、死をも厭わず立ち向かうだけの闘志を剥き出しにしている。今度戦う時は真っ向勝負ではまず勝てないだろう。

「とにかく、今はあいつらから出来るだけ離れるようにしないと……」
 郁未が目指すのは限界まで血を流して戦うことではない。最終的に勝って生き残ることだ。綾香とは違う。今は逃げてでも戦力を整えるべきだ。
 できるなら、味方も欲しい。
「……難しいでしょうけどね」

 とかく知り合いもいなければ敵に回してしまった連中も多いのだ。一応少年という知り合いはいるがとてもじゃないが信用はできない。そもそも本名さえ知らないのに。
 はぁ、とため息をつきながら郁未は道をとぼとぼと歩く。どこかで休憩したいが道のど真ん中で寝転がるわけにはいかない。どこかに家でもあればいいのだが……

 そう考えながら顔を動かしてどこかに施設はないかと見回していると、木々に隠れるようにして石畳の道が置かれていた。ところどころ泥を被っていて磨り減った部分もあるそれは、遥かな年月を経ているかのように思える。
 少し中に入ってみれば、雨か何かで薄汚れた鳥居がそれでも森の中で赤の異彩を放ちながら訪問する者を待ち構えている。その奥には石の階段が天にまで届かんというように続いていた。

「神社か」

284tactics:2008/02/10(日) 22:23:50 ID:ASdHemW20
 色合いからして古臭いものだろうが一休みするには丁度いいかもしれない。郁未はそのまま進み、鳥居をくぐると木々に囲まれている神社への石段をひとつずつ上っていった。
 手すりがついていないうえ急な石段であったから郁未がそれを上りきるころには怪我をしている左腕と左足、腹部がズキズキと休ませてくれと我が侭を言ってきていた。半分行ってみようとしたことを後悔しつつ、郁未は本殿の全景を仁王立ちしながら見据える。
 菅原神社。なりは小さく、申し訳程度に置かれている小さな賽銭箱と取れてしまったのか鈴のついていない綱だけが寂しげに置かれていた。
 郁未は縁側に荷物を下ろして腰掛けると、まずは弾薬の再装填を行い、その傍らノートパソコンを起動させる。
 あれからどれだけ人が死んでいるのか。最悪郁未が殺した佳乃(と殺された綾香)だけという可能性もあったが、銃声などは頻繁に耳に届くのでそれだけはない、と思いたかった。
 慣れた手つきでタッチパッドを操作してロワちゃんねるを開く。

「やっぱりね」

 死者の情報に関するスレッドが更新されているのを見て、少し安堵する郁未。だがスレッドを覗くと、その内容は郁未の想像を遥かに超えるものであった。

「嘘でしょ、29人……!?」

 前回の放送の半分どころかそれを遥かに上回る人数。しかも、まだ昼を回った時刻でこの人数だというのだ。自然と心臓がありえないくらいのビートを叩き出し、喉がヒリつくような渇きを覚える。さらに信じがたいことに――その中には、あの『少年』も名を連ねていた。
 郁未の知る限り、あの『少年』の実力は半端ではない。不可視の力について相当な見識を持っており、力を使いこなしている。
 制限がかかっていようとも、単純な実力では郁未を遥かに上回っているはずだった。いやそれどころか全参加者中でもトップクラスの実力であるはず。
 それを超えるだけの怪物が存在するというのか?

(……落ち着け、落ち着くのよ郁未)

 思考の迷路に陥りかけている自分を無理矢理クールダウンさせ、ここから推測できる現在の状況を考える。パニックに陥って虚をつかれ殺されるわけにはいかない。何が何でも生き残らねばならないのだ。

285tactics:2008/02/10(日) 22:24:13 ID:ASdHemW20
 まず、このゲームに乗っている人間は少ないか?
 答えはNO、だ。不可視の力に制限がかかっている以上他の人間にかかっていないことはありえない。単独で殺戮を行うのは不可能に近いだろう。
 つまり、島のいたるところで小競り合いが生じ、結果死亡者が増えてこの人数になったのだろう。思っている以上にゲームに乗った人物は多い。

 次に、このまま単独で勝ち残ることは可能か?
 これもNO、だろう。ここまで生き残っている連中は大なり小なり修羅場を潜り抜けているはず。武装も殺害した人物から奪い取るなどして強化しているに違いない。もう小手先の戦法は通用しないだろう。

 最後に、どうやって味方を増やす?
 最後の知り合いである少年が死亡してしまった以上もう自分に知り合いはいない。つまりノーリスクで手を組めるような連中はいないのだ。
 それに、自分が乗った人物として情報が流布している可能性も高い。むしろ味方を作ろうとするのは危険が伴う。
 戦うにしろ味方を作るにしろ、結局は袋小路に突き当たってしまうのだ。頭をガリガリと掻きながら郁未は頭を捻っていい戦術はないかと思考を巡らせる。
 おびただしい死者の名前を見ながら数分思考錯誤した後、一つの案が浮かぶ。

「……なら逆に、逃げて隠れる、というのはどうかしら」

 別に何人殺さなければ首が飛ぶというわけでもない。最終的に最後の一人を殺せばゲームは終わる。どんなに参加者連中が手を組んでいようといつかは殺しあわねばならない。それで熾烈な争いに勝ったとしよう。だがその時は身も心もボロボロで満身創痍なのではないだろうか? どんなに強力な武器を持ち合わせていたとしても、それを扱えるだけの体力が残っていなければ?
 そこに止めを刺すなど、容易い。

 消極的ではあるが、中々有効な戦法ではあるかもしれない。郁未らしくもないが、生き残るためだ。

「なら、行動は急いだ方がいいわね」

 ノートパソコンの電源を切って仕舞うと、今度は地図を取り出して現在位置を確認する。

「確か平瀬村にいたはずだから……」

286tactics:2008/02/10(日) 22:24:34 ID:ASdHemW20
 指で道筋を辿りながら、やがてある一点に突き当たる。菅原神社。今郁未がいるのはここだ。
 ここから隠れるに適した場所は……
「ホテル跡、なんていいかも」
 指先を少し乾いた、しかし艶かしい色合いの唇にちょんと口付けし、その場所を指す。
 ホテルなら最低でも4階、5階まではあるだろうし、部屋の数も豊富だ。やや目立つ場所ではあるが身を隠すにはもってこいだ。あわよくばノートパソコンの充電を行いながら休憩もできるかもしれない。

「決めた。善は急げ、ね」
 地図を折り畳むと郁未はそれを手早く仕舞い、肩にデイパックを抱えて縁側から飛び降りる。裏手を回っていけば少々険しい道のりかもしれないが早くホテルまでたどり着ける。
 長い髪をひらめかせながら足早に郁未は神社の裏から森の奥へと消えていった。その先に待ち受けるものを未だ知らぬままに。

287tactics:2008/02/10(日) 22:25:01 ID:ASdHemW20
【時間:2日目14時00分頃】
【場所:E-2、菅原神社】

天沢郁未
【持ち物:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸20発・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、鉈、薙刀、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計】
【状態:右腕軽症(処置済み)、左腕と左足に軽い打撲、腹部打撲、中度の疲労、マーダー】
【目的:ホテル跡まで逃亡、人数が減るまで隠れて待つ。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

→B-10

288もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:45:44 ID:zrjuhbqc0
「目が覚めたみたいだね」
「ん……けい、すけ?」

まだ朦朧としたままである意識、薄く目を開けた神尾晴子の視野に一人の男の背中が映る。
橘敬介はパンとコップが乗せられているお盆を持ち、今晴子が眠っていた寝室と思われる部屋に入ってきたところだった。
もそもそと上半身を起こしながら欠伸混じりに伸びをする晴子の傍、備え付けられた椅子に敬介はお盆を持ったまま腰を落ち着けた。

「気分はどうだい」
「別に、何ともあらへんよ……ふわぁ。寝すぎたみたいやな、肩凝ってしんどいわ」
「夜中に様子を見に来たけど、起きる気配はなかったみたいだし。
 晴子も気を張り詰めすぎていたんだよ、こんな状況なら仕方ないかもしれないけどね」

こんな、状況。
そこで晴子は、はたとなる。
自分が置かれている立場のこと、娘を探し回って島の中を駆けずり回っていたこと。
今晴子が横になっていたのは柔らかいベッドだ、かけられた毛布と布団に見覚えなどあるはずない。
そもそも、ここはどこなのか。晴子は全く分からなかった。

「……晴子?」

怪訝な表情で伏せられた晴子を覗き込んでくる敬介には、彼女に対する警戒心が見当たらない。
晴子からすれば、それも疑問に値した。

「何で」
「うん?」
「うち、あんたに銃を向けたんやで。何であんたは、そんな風にしてられるん?」

289もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:46:15 ID:zrjuhbqc0
きょとんと真顔になる敬介の顔面に毒気が抜けられたかは分からないが、今の晴子には二人が出会った頃の攻撃性はなかった。
一晩ぐっすり寝て、精神的にも落ち着いたことも原因かもしれない。
それでも現状の把握が間に合っていないのか、晴子は額に手をあてながら必死に頭の整理を行った。
そんな晴子を無言で見守る敬介は、何はともあれ荒れていた彼女の面影が拭われていることに内心安堵の溜息を漏らしていた。
ここでまた晴子が暴れだした時、きちんと彼女の気性を抑えることが出来る自信というものが、敬介にはなかった。
昨晩も結局敬介自身の手では何も成すことが出来ず、晴子にしても通りがかりの見知らぬ男性に止めてもらったようなものである。
敬介の中にあったはずの尊厳、自信など自己を表す強固なものは、今彼の中には存在しないに等しかった。
少しやつれた敬介の頬に怪訝そうな視線を送る晴子、それから逃げるよう敬介はお盆を彼女に手渡し寝室を後にしようとする。

「……何か口にした方がいいと思ってね。食べたら、下に来てくれるかな」
「恩を被る気はないで」
「大丈夫、それは君の支給品である食料だ。水もこの家に通っていた物を使っている。
 毒が入ってると思うなら食べなくてもいいけど、それ以上の気遣いの必要はないよ」

晴子の返事を待つことなく、敬介は部屋から出て行った。
残された晴子は暫くの間彼が出て行ったドアを眺め、そして。
徐に、パンと水に口をつけたのだった。





「あの、おはようございます!」

不必要とも思える明るい声、晴子がダイニングと思える部屋の扉を開けた途端それが響く。
椅子に座っている赤のセーラー服に身をつつんだ少女は、ノートパソコンと思われるものを弄っていた。
その隣には画面を覗きこむように、敬介も席についている。
少女、雛山理緒と晴子はまともな会話をしたことはなかった。
だからだろう、晴子も彼女が何なのかすぐには思い出せなかった。

290もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:46:33 ID:zrjuhbqc0
昨晩のことを思い出そうする晴子は、静かに目を閉じその光景を瞼の裏に描こうとする。
そして敬介との一悶着の原因にもなった少女と、目の前の彼女が同一人物であると認識したと同時に晴子は敬介に吼えてかかった。

「……うちの話、全然聞いてなかったんやな!」
「晴子?」
「あんた、いつまでその子囲ってるん?! きしょいわ、ええ加減にしい!」
「晴子、君はまだそんなことを言ってるのか」
「じゃかあしいわ!」

叫ぶ晴子にどうしたら良いのか分からないのだろう、理緒はオドオドと晴子と敬介に挟まれた形で視線を揺らしていた。
一つ大きな溜息を吐いた所で敬介は立ち上がり、理緒を背に隠すよういまだ部屋の入り口にて仁王立っている晴子と対峙する。

「何呑気にしてるんや、そんな余裕こいてる暇あるならさっさと観鈴のために何かしい!」
「……観鈴のために、何をするんだい?」
「当たり前のこと聞くんやないボケが、それくらい自分で考え!」

敬介の淡白な応答に、晴子が沸点に到達するのは容易かった。
視線で人を殺せるくらいの強さを持った晴子の瞳、しかし敬介がそれに怯むことはない。
ここで嗜めるように、上から目線で話してくるのが敬介の気質だった。
晴子はそれを真っ向から叩こうと、敬介が次に継ぐ言葉を待ち続ける。
しかし敬介はまた溜息をつき、そのテンションの低さを晴子にまざまざと見せ付けた。

「……あんた、人を馬鹿にしとるんか! 最悪やな、そんな男とまでは思ってなかったで!」

吐かれる暴言に対しても、敬介は大きなアクションを取ろうとしない。
あまりにも張り合いが無さ過ぎる敬介に対し晴子も疑わしく思えてきたのだろう、晴子は一端口を閉じ敬介の出方を窺った。
怪訝な晴子の表情、それに気づいた敬介はそっと右手を挙上げある場所を指差す。

「晴子、悪いけど今の時間を確認してもらっていいかな」

291もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:46:57 ID:zrjuhbqc0
何やねん、と晴子が不満を口に出そうとした時だった。
敬介の指差す場所には、少し埃が積もっているものの今もまだ稼働している壁掛けタイプの時計が飾ってある。
何気ないインテリアに、晴子も今その存在に気がついたのだろう。
時計には愛らしい装飾が施してあり、それこそ観鈴などの女の子が好きそうなキャラクターがあしらってあった。
しかし今、見るべき所はそのような外観ではない。あくまで、機能としての時計の役割が重要だった。

「……十時? 十時って、何や」
「今の時間だよ」
「は? だって、十時て……嘘やん、そんな……」

間抜けにも思える晴子の独り言に、敬介は的確な言葉を続ける。

「二回目の放送があったんだ、君が眠っているうちに終わったよ」
「んな、何……」
「話したいことがある。悪いけど、大人しくしていて欲しい」

混乱がとけないのだろう、上手く言葉が紡げずにいる晴子の二の腕を掴み、敬介はそっと椅子の方へと誘導した。
ふらふらと流されるままに敬介についていく晴子、理緒は不安気にその姿をそっと目で追う。
すとん、と理緒の正面に座った晴子の目は空ろだった。

「君には……伏せておいた方がいいかもしれないと、最初は考えていたんだ。
 だけど、そんなの傷つくことを後回しにするだけのようにも思えてね」

そんな状態の晴子に何て残酷なことを告げなければいけないのだろうと、理緒は一人涙ぐむ。
伏せた視線には自分の握りこぶししか映らない、耳を塞ぎたい気持ちもあったが理緒はそれをぐっと我慢した。
敬介だって、同じはずだからである。
むしろ告げる役は彼なのであるから、痛みは彼の方が増すに違いない。

「……敬介?」

292もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:47:29 ID:zrjuhbqc0
訝しげな晴子の声に続けられることになる敬介の宣告、瞬間喉が空気を掠める音を理緒の耳が捕らえた。

「観鈴が死んだよ」

それは、敬介の言葉が吐かれるとほぼ同時に鳴ったものだった。





初めまして、神尾観鈴といいます。
私は無事です、友達もたくさんできました。
今、藤林杏さんのパソコンを借りて書き込みをさせていただいてます。
えっと、上で書いてある橘敬介というのは私の父です。
お父さん、もしこれを見てくれているなら、もう人を傷つけて欲しくはないです。
また、父に会う人がいらっしゃるようでしたら、この書き込みのことを伝えてください。
お母さんの神尾晴子という人に会った人も、伝えてもらえると嬉しいです。
よろしくお願いします。

書き込み時刻は午後十一時過ぎ、折りしも晴子が敬介等と言い争いをしていた頃のものだった。
画面に存在するウインドウは正方形で、そのタイトルには「ロワちゃんねる」という文字が添えられている。
理緒の前にあったノートパソコン、その画面を晴子の方に向けながら少女はこわばった表情で口を開く。

「ここにある、藤林杏さんという方のお名前も……呼ばれました」

何で呼ばれたか。この流れでは一つしかない、放送だ。
いまだ現実が認識できていない晴子に向かって、畳み掛けるように色々な情報が襲い掛かる。
晴子は呆けたままの頭を抑えながら、ノートパソコンの画面を見つめた。
読むという行為までは発展しないそれ、しかし「神尾観鈴」という愛する娘の呼称だけは晴子もすんなりと理解できたのだろう。
晴子は食い入るように、それに見入っていた。
時折瞳が乾いてしまうせいか瞬きをする、その仕草さえも機械的と言えるような動作で後は何のアクションも起こさなかった。

293もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:47:49 ID:zrjuhbqc0
「僕達には観鈴に何があったのかは分からない。分からないんだ」

零された敬介のそれに、晴子の瞳が揺れる。
敬介の声には、何の表情も含まれていなかった。

「あの子がもうここにはいない……それだけ、なんだよ」

晴子の視線が動く、そこには無表情の男が棒立ちしているだけだった。
無念だとか、悔しさだとか、そのような類の色すらも含まれているようには全く見えない敬介の姿が、晴子の感情を掻き毟る。

「……そんな訳、あるかい」

晴子には、それくらいしか口にできることがなかった。
信じられない、信じたくない事柄に対し晴子が唯一できる抵抗というものがそれだった。

「あの子が死んだなんて、嘘に決まっとるやん。なぁ、うちが放送聞いてへんから騙そうとしとるんやろ? なあ?」

早口で捲くし立てる晴子、敬介と理緒を交互に見やり晴子は必死に同意を求める。
俯き視線を逸らす理緒に対し、敬介はやはり表情を崩すことなく晴子のそれを見返していた。
……本来ならば、敬介も動揺し感情を外に喚き出したい衝動に駆られたかっただろう。
しかし敬介は疲れていた。疲れきっていた。
昨晩受けたショックに続く愛娘の死は、敬介の存在意義とも呼べる渇望を根こそぎ奪い取ったようなものである。
意固地な晴子の姿勢、敬介はそれが羨ましいくらいだった。
観鈴のためにそれくらい取り乱せる晴子のこと、見苦しいかもしれないが観鈴のことを思っての上での醜態に無表情だった敬介の目元が歪む。
一歩足を踏み出し晴子との距離を詰め寄ろうとする敬介、それだけで彼女はビクリと大きく肩を揺らした。
後退する晴子が目の前の敬介かそれともせまってくる現実か、そのどちらに身を震わせているのかは敬介自身にも分からない。
逃げ腰になる晴子の腕を掴むと今一度パソコンの前へと引っ張り戻す敬介は、今はそれが最優先だと判断した上で容赦なく彼女に現実を突きつけようとする。

294もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:48:26 ID:zrjuhbqc0
「晴子、この書き込みをよく見てくれ」
「嫌や!」
「見ろ、見るんだ晴子。観鈴は争いなんか望んじゃいない、せめてその気持ちを酌んであげなくちゃいけないんじゃないのか」

暴れる晴子の背面に周りその両肩を掴み、敬介はぐずる幼子をあやすように言葉を刷り込ませようとする。
だが聞く耳を持とうとしない晴子は裏拳を敬介の頬に叩き込み、すぐさまその拘束を掃った。

「晴子……」
「うちは認めん、絶対に認めん!」
「落ち着いてくれ、晴子」
「認めたらそれまでやろ?! 観鈴は死んでなんか……」

頬を張る音、空気を振るわせるそれが鳴り響き晴子の言葉は止められる。
自分がはたかれたという認識が遅れているのか、晴子は視線を彷徨わせながら強制的に動かされた視野をゆっくりと元に戻した。
晴子の目の前、今の晴子と同じように頬を腫らした敬介の眉間には、深い皺が寄っている。
晴子は、呆然とそれを見つめた。

「……それは観鈴のためじゃないだろ、君のためだ。
 君のエゴであの子の心を傷つけるんじゃない。僕はあの子の父親だ、あの子の心を守る義務が僕にはある」

相変わらずの弱々しい佇まいだったがその声だけは凛としていて、結果周囲にいた者の注目を浴びることになる。
せめてもの誓いだと宣言する敬介の言葉には、思いの深さが満ちていた。
不甲斐ない自分に恥じ気落ちする彼が生きる意味という言葉を捜した結果が、それだったのかもしれない。
自分には何も出来なかったということ、失った自信を取り戻すためにと気力で持ち直そうとする程彼は若くない。
目の前にある義務を最優先にした敬介は、同時に一児の父としての自分を優先させたことになる。

「……アホらし」

嘆息混じりに晴子が呟く。
晴子は噛み殺してきそうな勢いを持った瞳を潜め、そうして肩の力を抜いた。

295もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:49:11 ID:zrjuhbqc0
「うちのバッグはどこや」
「うん?」
「せやから、うちのバッグはどこや。あんた等が管理してるんとちゃうの?」
「あ、それでしたら隅にまとめて……」

成り行きを見守っていた理緒が口を挟む、そんな彼女を一瞥した後晴子は狭いダイニングを見渡した。
合わせて三個のデイバッグがまとめられる様を発見し、徐に近づいていく晴子を止める者はいない。
そこから一つバッグを担ぎ上げると、晴子は戸口の方へと向かった。

「僕達と一緒にいるつもりはないのか?」
「空気読まんかい、今は一人にさせて欲しいんや」
「……そうか」

それ以上二人の応答は続かず、部屋を出て行く晴子の背中を理緒と敬介は無言で見送った。





時間にすれば、それから数十分程経った頃だろうか。

「引き止めた方が、良かったんだろうね」
「橘さん……」
「でも僕は、晴子の足を止められる言葉を持ってはいないんだ」

先程晴子が座っていた席についた敬介が、向かい合う理緒に愚痴を漏らす。
理緒は何も言えなかった。
晴子と敬介、二人の間に理緒が入り込む余地がなかったというのもあるが、その隙間を埋めようとも理緒はしなかったからである。
敬介と理緒は、言わば似たもの同士であった。

296もう疫病神なんて言わせな……あれ?:2008/02/11(月) 22:50:00 ID:zrjuhbqc0
(藤田くん……)

二人が失ったものの存在感は、あまりにも大きかった。
俯く二人はそうやって、限りある時間を食い潰していく。
ダイニングの戸口には一枚の紙切れが落ちていたのだが、二人がそれに気づく気配はまだない。
それは晴子が中身を確認せず持っていったデイバッグから落ちたものだった。

『アヒル隊長型時限装置式プラスティック爆弾 取り扱い説明書』

紙切れは本ロワイアルが開始されてから、いまだ誰も目を通していないアヒル隊長の説明書だった。

(藤田くん……私、これからどうすればいいかな……)
(僕は一体、これからどうすればいいのか……天野美汐、彼女の意図は分からないけどあの変な書き込みで、うかうかと名乗ることもできなくなったし……)

故意にウインドウのサイズを正方形にしていたことは、晴子に美汐が行ったと思われる書き込みを見せないためだった。
敬介の弁明でそれが誤解であることは、理緒も既に承知していることだった。しかし晴子はどうか。
観鈴の死というだけで情緒に問題が出るであろう彼女に、出任せであるその事柄を伝える必要はないだろう。それが二人の出した結論だった。

またそれ以外にも、椎名繭に支給されたノートパソコンにより得られた情報が二人にはまだある。
しかしそれが次の行動に移らない時点で、そんな物は豚に真珠が与えられたようなものだ。
刻々と過ぎていく時間、積もるは意味のない溜息ばかり。
二人が無駄にした時間に後悔するのは、まだ少し先のことだった。




神尾晴子
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2】
【所持品:鋏、アヒル隊長(2時間後に爆発)、支給品一式(食料少々消費)】
【状態:放送を聞いていないのでご褒美システムは知らない】

雛山理緒
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2・民家】
【持ち物:ノートパソコン】
【状態:自失気味(アヒル隊長の爆弾については知らない)】

橘敬介
【時間:2日目午前10時半過ぎ】
【場所:G−2・民家】
【持ち物:無し】
【状況:自失気味(自分の支給品一式(花火セットはこの中)は美汐のところへ放置)、美汐を警戒】

支給品一式(食料少々消費)トンカチ・支給品一式×2(食料少々消費)は部屋の隅に放置

(関連・429)(B−4ルート)


他ロワに疎いので、某所は見ているだけで精一杯です……

297十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:46:47 ID:8oOggqkE0
 
ちりちりと、音がする。
頭の中に響く音。
微細で、鋭利で、不快な音。

ちりちり。
それはきっと、私の記憶の中にある音だ。
耳を澄ましていると、次第にちりちりという音が大きくなってくる。
脳の表面の柔らかい皮を針先で擦られるような痛痒に、眉を顰める。
ちりちり。
私という劇場の、記憶という暗いスクリーンに浮かび上がってくる映像。
ちりちりという音は、映写機の回る音か、それともスピーカーから漏れ出るノイズか。
がりがりと乱暴に頭を掻きながら目を凝らせば、ぼんやりとしていた映像のピントが徐々に合ってくる。

ちりちり。ちりちり。ちりちり。
スクリーンいっぱいに映し出されていたのは、白と黒の細かい縞模様が乱雑に、ランダムに交じり合う奇妙な絵。
ああ、と思う。これは、砂嵐だ。
砂嵐。テレビを、電波を受信しないチャンネルに回したときに流れるノイズ。
してみると、ちりちりという音もこの映像から流れているBGMか。
と、スクリーンの中の砂嵐に変化が生じる。
まず現れたのは、砂嵐を囲むようなかたちの枠。
銀幕という枠の中に、更に一回り小さな枠ができた。
いや、これは……テレビか。
なるほど、徐々にカメラが引いているのだ。
最初に映っていたのはテレビ画面の砂嵐。そしてテレビの枠。
カメラはなおも引いていく。次第にテレビが小さくなる。
いまやスクリーンには不可解なノイズではなく、一つの意味のある像が結ばれていた。

それは、暗い部屋だった。
小さなテレビと、生活感に溢れた幾つかの小物。
消灯された部屋の中、砂嵐だけを映すテレビの光が、その手前に座る小さな影を照らしていた。
背中を丸め、膝を抱えた、小さな女の子。
少年のように短く切り揃えられた髪。膝小僧には絆創膏。
ぼんやりと砂嵐を見つめる、瞳。

ああ、ああ。
これは、私だ。
十年以上も前の、松原葵だ。
これは確かに私の記憶。
忘れ得ぬ、私が私自身の歩く道を定めた日の、遠い記憶だ。


***

298十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:47:13 ID:8oOggqkE0
 
それは子供の頃に見た、特撮番組だった。
遠い宇宙の彼方からやって来た正義の巨人が、悪の怪獣と戦うお話。
誰もが知っている、陳腐で普遍的な物語。
男の子と間違えられるような毎日を送っていた幼い頃の私も、毎週欠かさず見ていた。
その日も、正義の巨人は苦戦の末に勝利を収める、筈だった。
ブラウン管の中で、巨人が倒れていた。

私はじっと、動けずにいた。
もう違う番組の映っているテレビ画面を凝視しながら、私は膝を抱えたままでいた。
母親に叱られても、夕飯の時間になっても、そうしていた。
怒鳴り、宥め、すかし、やがて両親が匙を投げて眠りについても、私は灰色の砂嵐だけを
映すようになった画面を見つめていた。
巨人が負けたのが悲しかったのではない。
怪獣が勝ったのが悔しかったのではない。
私はただ、許せなかったのだ。
咎人に堕した巨人と、それを責めない世界のすべてが。

―――巨人は罪を犯している。
言葉にすれば明快な、それが幼い私の認識だった。
正義の巨人は、その正義の名の下に罪を犯している。
怪獣を倒すために街を破壊し、それを悪びれもせずにどこかへ帰っていく。
街は人の住む場所だ。そこには家があり、店があり、人の過ごす空間がある。
それはつまり街自体が記憶の結晶であり、そこに暮らす人間の生きてきた時間そのものということだ。
巨人はそれを、踏み躙る。大切な思い出を、かけがえのない居場所を、躊躇も容赦もなく破壊する。
怪獣を倒すという、そのために。

それでも人が巨人を石もて追わないのは、彼が正義だからだという、ただその一点に尽きるのだと、
私は考えていた。
そう、巨人は正義だった。いかに街を蹂躙しようと、それ以上の被害をもたらす怪獣を倒す巨人は、
紛れもない正義の味方だった。
正義の名の下に、巨人は庇護され許容され赦免される。
幼い私にもそれは理解できたし、容認もしていた。
確かにそれは正義だと、悪を倒す剣であり続ける以上、その罪は赦されるべきだと、
言葉にすればそんな風に、幼い私も考えていた。
その日、巨人が敗れるまでは。

299十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:47:56 ID:8oOggqkE0
凶悪な怪獣の猛攻の前に追い詰められ、ついには倒れ伏した巨人の姿を見たとき、私は思ったのだ。
ああ、これが巨人の最期か、と。
その時はまだ、巨人は生きていた。
力尽き、この星で過ごす仮の姿となって横たわる彼の元に仲間が駆け寄っていた。
しかしそれでも、巨人はもう終わりなのだという確信めいたものが、私の中にはあった。

悪を倒せぬ剣に、価値はない。
これまで巨人が赦されてきたのは、その存在価値が罪を上回るからに他ならない。
ならば、と私は半ば期待に胸を膨らませながら思ったものだ。
これから始まるのは、巨人の罪を指弾する弾劾であり、業を糾弾する徹底的な攻撃であり、
咎に報いを与える断罪であるはずだ。
それは胸のすくような因果応報の光景であり、私の認識に一本の筋を通す制裁となる筈だった。

―――物語世界は、それをしなかった。
情と理の双方によって巨人を裁くべき物語の住人たちは断罪も、弾劾も攻撃も制裁も行わず、
逆に一致団結して怪獣に立ち向かっていった。
最後には人間の英知によって怪獣が倒され、平和が戻り。
そして私は、目の前にある物語世界の平穏を、許せなかった。

怪獣が倒れても、街は元には戻らない。
同じような家が建ち、同じようなビルが建ち、同じような街並みが出来上がったとしても、
それは、違う。
決して同じ街などでは、あり得ない。
そこにあるのは、同じような形をした、違う街だ。
そこに住んでいた人間が、そこを訪れた人間が残した記憶や思いが、その街には存在しない。
だからそれは真新しい、墓標の群れだ。

喪われた街は弾劾を希求する。
霞みゆく記憶は報復を切望する。

磔刑に処されるべきは―――悪以下の存在と堕した巨人。
そうでなければ、ならなかった。
世界は、それを選ばなかった。

ならば、と幼い私は思う。
ならば街角の風景に宿っていた思い出は、何処へ行く。
錆びた看板の落とす影に刻まれた記憶は、何処へ行く。
光の巨人が、正義の旗の下に犯した罪は、何処へ行く。

悪を倒すために悪を為すことを許された存在が敗れたのならば。
それは、裁かれねば、ならなかったのだ。




 ―――故に、私は断罪する。悪に屈した正義を。




******

300十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:48:32 ID:8oOggqkE0
 
「私、負けたんですよ」

風を裂く音に、視認よりも早くガードを上げながら、葵が呟く。

「そう」

距離を測るためのジャブをアウトサイドへいなされながら、綾香が短く応える。

「あたしもKO食らったよ、さっき」

左半身から打ち出すはずだった右の拳を止め、同時に脇を締めながら綾香が跳ね上げるのは、右の腿。
ミドルの軌道を描く蹴り足に、左のガードを下げる葵。

「なら、どうして」

固めた前腕に受け止められるかと見えるや、その蹴り足が一段ホップする。
ガードを越え、変化する軌道は右ハイ。
葵の側頭部よりも上、目線の高さを頂点として弧を描く。

「どうして生きてるんですか」

膝先から変化する打ち下ろしの蹴りに、葵は半歩を踏み出しつつのダッキング。
ご、と硬い感触があるが、打点をずらされた蹴りに然程の威力はない。
綾香の右脚を抱えるような姿勢のまま、至近のボディへ一撃。

「どうして、生きてられるんですか」

体重を乗せての右肘が空を切る。
綾香の軸足が宙を舞っていた。
葵に預けた格好の右脚に重心を移しながらの、強引な回転。
右の肘打ちと回転軸を合わせられた葵がたたらを踏んだところへ、綾香の突き放すような前蹴り。

「ぶちのめすためさ」

距離を取った綾香が、爛々と目を輝かせながら言い放つ。
両のガードを上げながら踏み込んでくる、それはストライカーたる葵の間合い。

「ぶちのめすためだよ、葵」

葵の放つ、迎撃の左正拳はフェイク。
僅かなウィービングで回避されたそれを囮に狙う、真のカウンターは跳ね上げた右の膝。
回避の間に合わぬ打撃が綾香に突き刺さり、しかし。

「あいつはトドメを刺さなかった」

肉に食い込む感触が、軽すぎた。
ハッとして目線を上げたそこに、笑み。

「それは、あたしをナメてるってことだ!」

来る、と思ったときには遅かった。
葵の鼻面に、綾香の額が深々と食い込んでいた。

「あたしが自分を殺しに戻るなんて、思ってやしないってことだ」

痛みよりも先に、熱さが来る。
ぷ、と鼻の血管が破れるのを感じた。
鼻骨までは達しない打撃、しかし視神経の麻痺する一瞬は、あまりにも長い。
無意識に近いレベルで上げたガードの、その真下。

「なら、あたしはどうしたって戻らなきゃならない」

右の脇腹に叩き込まれる一撃。
肋骨の下から抉り込むような、教科書通りのレバーブロー。
息が、抜ける。

「そこで尻尾を巻いたらあたしの負けだ。その時にこそ、あたしは死ぬ」

崩れ落ちようとする膝を無理に支えたのがいけなかった。
空いた左胴に、今度は振り回すような脾臓打ち。
直接胃に響く衝撃に、葵の食道が上向きに蠕動する。

「人はそこで本当に死ぬんだよ、葵」

今度こそ崩れようとする葵を、髪を掴んで止めながら、綾香が空いた右の拳を振るう。
正確に鳩尾に叩き込まれた打撃に、葵の胃液が逆流した。

「だから戻る。戻ってあいつをぶちのめす」

けく、と小さな音と共に、苦い刺激が葵の舌を覆う。
それが口元から垂れ落ちようとする刹那、髪を掴んでいた手が離された。
重力のまま自由落下を始める葵の身体が、直後、まるで拳銃にでも撃たれたかのように跳ねていた。

「それが答えだ、葵。あたしの、来栖川綾香の答えだ」

松原葵の顔面を、来栖川綾香の正拳が、打ち抜いていた。


******

301十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:49:20 ID:8oOggqkE0

黒に染まった視界の中、灯る一点の朱がある。
それは街の灯り。焼け崩れる街を包む炎の朱。

ちりちりと、音がする。
瓦礫の中から、飛び交う火の粉から、逃げ惑う人々から、ちりちりと音がする。

視界を覆う黒は、巨大な影。
炎を吐き散らし、街を蹂躙する異形の怪物。
それは子供の頃、夢に見た怪獣だった。ちりちり。

「―――痛そうだなあ、葵」

紅い眼を輝かせた怪獣が、にやにやと笑いながら言う。
大きなお世話だと言い返そうとして、声が出ないことに気付く。
そう、私は一敗地に塗れ、倒れ伏しているのだ。声など出よう筈もなかった。
厭らしく笑う怪獣の視線が、私を見下ろしていた。
ちりちり。ちりちり。

断罪の時間なのだと思った。
醜い姿を晒す負け犬が、その価値に相応しい死を迎える瞬間がやってきたのだと。
悪に挑んで、何も為せずに死んでいく。
愚かな私。愚かな巨人。
にやにやと、怪獣の笑みが広がる。
ちりちり。ちりちり。ちりちり。

これでいい。
この瞬間を、待ち望んでいた。
世界はこの極刑をもって、正しいかたちを取り戻す。
首を刎ねろ。手足をもいで肥溜めに放り込め。臍に灯心を立てて火を灯せ。
断罪だ。弾劾だ。世界を救えぬ咎人の、これが末路だ。
ほうら、こんなにも無駄に、何一つ打倒することすらできず。
死んでいけ、私。

302十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:49:50 ID:8oOggqkE0
「……るなら、……てもいい……よ?」

ちりちり。ちりちり。ちりちり。
怪獣が、怪獣の言葉が、ちりちりという雑音交じりで聞こえない。
私の耳には届かない。ちりちりと、耳障りなノイズに阻まれて届かない。
だと、いうのに。

「……プするなら、やめてや……だよ?」

鼓動が跳ね上がる。
それは、不思議な感覚だった。
届かないはずの言葉が、私を刺し貫いていた。
あらゆる恥辱を越え、あらゆる汚濁を凌駕して、私の中の、最後に残ったものに、唾を吐きかけていた。

ぎり、と噛み締められた奥歯が鳴る。
どくり、と心臓の送り出す血液が全身に火をつける。
関節という関節、筋肉という筋肉、腱という腱。
私という人間を構成するパーツが、がりがりと音を立ててアイドリングを始める。
そのがりがりという音に押されて、ちりちりという音が、消えていく。

がりがり。ちりちり。がりがり。ちりちり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。
ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。ちりちり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。
がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。がりがり。

松原葵と呼ばれる私が組み上がり、起動すると同時。
霧が晴れるように、怪獣の言葉が鮮明に聞えてくる。

「ギブアップするなら、やめてやってもいいんだよ、葵……?」
「―――ふざけるな」

声は、掠れもせず、喘鳴に淀むこともなく。
ただ一直線に、見下ろす怪獣を断ち割るように。

「……」

そうだ、ふざけるな。冗談じゃない。
痛くて、苦しくて、辛くて、だけどこれは断罪で、

「私はまだ、終わってない」

言葉は、思考よりも加速して。
私に根を張る妄念を、追迫し、駆逐し、放逐し。

「まだ、やれますよ、私は」

そうして、身体の奥底の、私の一番深いところから、本当の心を引きずり出していた。

なあんだ、と笑う。
たった、これだけのこと。
これだけのことだったのだ。

私は、私の心の中の、テレビの前で膝を抱える幼い少女の首根っこを掴むと、そのまま勢いよくブラウン管に叩きつける。
鈍い音がして、砂嵐が消えた。痙攣していた少女も消えた。
手を伸ばし、光の巨人の顔を鷲掴みにすると、力を込めて握り潰す。
ぽん、と炭酸飲料の蓋を開けるような気の抜けた音と共に、巨人もまた四散した。

砂嵐も、光の巨人も、焼け落ちる街も消えた、真っ暗な世界を、丸めて捨てる。
目を開ければ、そこには蒼穹と、吹きそよぐ風。
そうしてそれから、長かった黒髪を短く切り揃え、端正な顔を血と爆炎に汚した、怪獣が立っていた。
大地に身を預けたまま、視線だけを動かして、怪獣を見据える。

「目、覚めたんなら―――立てよ」

来栖川綾香が、松原葵の夢にみた怪獣が、呵う。
爛々と輝く瞳は、きっと私と同じ色。
今ならば、違いなくそれが判る。何となれば、

「ええ。それが私たちの流儀、ですから」

私の身体は、こんなにも―――戦いたがっている。

303十一時十四分/I HAVE TO,YOU HAVE TO,THEY HAVE TO:2008/02/21(木) 02:50:26 ID:8oOggqkE0

【時間:2日目 AM11:15】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】

松原葵
 【所持品:なし】

→947 ルートD-5

304希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:32:57 ID:15bKxc7I0
「よし、いいぞ来い」
 芳野祐介が手で合図したのに合わせて、ファミレス制服姿の女の子が三人、木の陰から飛び出してくる。明らかにこの緊迫した状況には相応しくないと思う芳野ではあったが命が懸かっている状況でそんなことを言っている余裕はないし、そもそも着るように指示したのは芳野だ。
 ともかく、なりふり構ってられない。国崎往人も今頃は命を懸けて戦っているに違いない。こちらもやれるだけやらねば。

「もうすぐ学校ですね」
 ぴょこぴょこと髪飾りを揺らしながら神岸あかりが話しかける。女性陣の中では一番慎重で、常に周りの様子に注意しながら動いてくれる。
 恐らく、国崎往人と行動している間にいくらか戦いの場をくぐりぬけてきた結果なのだろう。そういう意味では往人に感謝できなくもない、芳野はそう思っていた。

「それで、芳野さんどうするの?」
「学校でまずひとを探して、それから何か脱出に使えそうなものを探す。そうですよね」

 芳野の代わりに答えるようにして添えられた長森瑞佳の言葉に、「ああ、そうだ」と同意する芳野。瑞佳は言葉の少ない芳野をフォローするように口添えしてくれる。割と口下手な(愛を語ることに関してはその限りではないけれども)芳野にとっては彼女もまた在り難い存在である。
 柚木詩子は……まあ、能天気だが暗くなりがちなこのメンバーの清涼剤にはなっているだろう。

「芳野さん?」
「……何でもない」

 ほんの少し、詩子を見ていただけなのに敏感にその気配を察知できる、ということも追加しておこうと芳野は思った。

「ここからは二手に別れよう。俺と神岸で学校の中を、長森と柚木で学校の外を探してくれ」
 さらに森を抜け、鎌石村小中学校の校舎が全景を見せたところで芳野は二人に指示する。四人でちまちま捜索していくよりも、別れて捜索した方が効率がいいと考えたからである。

「はいはいはーい、質問」
「何だ柚木」
「その人選の理由は?」

305希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:33:21 ID:15bKxc7I0
 気にするようなことか? とも思ったが理由もないではない。芳野は丁寧に返答する。

「まずお前が銃を持っているからだ。室内では発砲したときにどこかで兆弾する可能性があるからな。それに戦力のバランスを取ろうとすると俺はこういう人選にしたほうがいいと思った。異論は」
「……別に、特定の子と一緒にいたいとかそういうわけじゃないんだ」

 そんなことを言っている場合じゃないだろう、と言いたくなった芳野だが年頃の女が考えるのはそんなことなのかもしれない。
 どう言ったものかと思案していると、流石に不謹慎だと思ったのか窘めるようにして瑞佳が詩子の頭をこつんと叩く。

「柚木さん、今は非常時なんだからそんなことを考えてる暇はないと思うよ」
「ま、そうなんだけど……そういうのちょっとくらいあるんじゃないかなって思って」
「……芳野さん、私からも一ついいですか」

 ああ、長森がしっかり者で良かったと芳野がホッとしていると、今度はあかりが手を上げて質問する。

「人を探すほかにも役に立ちそうな物を探すんですよね。例えばどんなものを?」
「ドライバーとかの工具だな。後は車のバッテリーとか、エンジンオイルなんかも欲しいところだ。他には適当に武器になるものや、あるいは防具になりそうなものでもいい」
「要するに車関係の物を集めればいいのね? 任せて、こう見えても私機械いじりは少しだけどやったことがあるんだ」

 詩子がえへんとない胸を反らす。バッテリーの取り外し方などを説明しようと思っていた矢先のことだっただけに意外な言葉だった。

「そうか、なら外は任せたぞ。他に質問とかはないか」
 あかりも瑞佳も、もう訊きたいことは無いようであった。それを確認すると「行動開始だ」と静かに告げて四人は二組に別れる。
 芳野たちは裏口から校舎の中に。
 詩子たちはそのまま学校の周りを迂回するように移動を始めた。

     *     *     *

306希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:33:51 ID:15bKxc7I0
「ここなの」
 一ノ瀬ことみは一人、鎌石村小中学校内部にある『理科室』のプレートを指差して言った。
 保健室で酔い止めの薬を服用して少しは気分が楽になったことみは聖に理科室まで行って硝酸アンモニウムを取ってくることを申し出た(もちろん筆談で)。
 当然聖は「危険だ」と止めたのだが、保健室は医療品が多く置いてあるので殺し合いに乗っているいないに関わらず多くの人間がやってくる可能性が高く、特に殺し合いに乗った人間にそういったものを渡してはいけないので守りを固めて欲しいこと、そしてもし傷ついた『乗って』いない人のためにも医者として残っていて欲しいことを伝えると、渋々だが了承を得ることができた。

 そして今に至るというわけだ。
「比率から考えると、大体5〜6kgくらいの量が妥当なの。そして私の腕力から考えてもそのくらいの重さは楽勝なの」
 綿密な計算の元はじき出された答えに自分でうっとりしながら理科室に入ろうとした、その時だった。
 廊下の遥か向こう、曲がり角から人影が二つほど現れたのが分かった。
「!」
 危機を感じて隠れようとしたことみだが廊下に物陰はない。理科室に入っても扉の開閉音で逃げたと分かるだろう。学校の校舎が古いことを、ことみは呪った。殺されるのを覚悟で逃げ出そうとしたが、その前にことみの存在に気付いたらしい二人組が声をかけてきた。

「そこに誰かいるのか」
 びくっ、と体を震わせながらもことみは気丈に十徳ナイフを取り出しながら言葉を告げる。
「だ、誰!?」
 相手はことみの怯えた気配に気付いたのか、今度は女性と思われる人物が穏やかな声でことみに言う。
「ごめんなさい、びっくりさせてしまって。私たち、殺し合いには乗っていません。人を探してるんです」
 少しずつ相手が歩み寄ってくる。暗い校舎の中で声だけしか分からなかったのが、徐々に顔も分かるようになってきた。

 先程ことみに話しかけた一人は短い髪にリボンで彩り、そして何故かファミレスの制服を着ている、神岸あかり。
 もう一人は背丈の高い、しかしあまり目つきの良くないむすっとした表情の男、芳野祐介。
 あかりはともかくとして、芳野に対してあまりいい印象を持たなかったことみは、警戒を解かずにナイフを向けながら威嚇する。
「……しょ、証拠はあるの?」

 疑いの念を解かないことみにあかりが困ったような目線を芳野に向ける。
「……俺のせいか?」
「芳野さん、『誰かいるのか』なんて思い切り怖い声で言ったじゃないですか」
 心外だ、とでも言わんばかりに芳野は肩をすくめると自分のデイパックとサバイバルナイフをことみの足元へと投げ捨てる。あかりもそれに倣って包丁とデイパックを投げ入れる。それでようやくことみも納得し、十徳ナイフをデイパックに仕舞うとこちらも殺し合いの意思はないというようにデイパックを芳野側に向かって投げた。

307希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:34:26 ID:15bKxc7I0
「ごめんなさい、いきなり出てきたから怖くって……」
 あたまを下げることみ。ホッとしたあかりはことみのデイパックを拾うとそれをことみまで持っていってやる。
「いいよ、いきなり現れた私たちも悪いんだし。ね、芳野さん」
「だから、そんな恨みを買われるようなことをした覚えはないんだが……俺は愛に生きる男なのに」
 複雑な表情でことみの近くにあった自分達の武器とデイパックを拾い上げる芳野。サバイバルナイフを腰のベルトに差すと、包丁と彼女の分のデイパックをあかりに返す。

「それより、どうしてこんなところに一人でいたの? ええと……」
「あ、はじめまして。私は一ノ瀬ことみです。趣味は読書です。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「あ、神岸あかりです。好きなものは熊さんです。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「……芳野祐介。電気工だ」

 芳野さんノリが悪いですよ、という非難の目線があかりから向けられたような気がした芳野だが、さらりとスルーして話を進める。

「それでどうしてここに?」
「あ、それは……」

 ことみは喋りかけて、口をつぐむ。ここで話してしまえば秘密裏に進めている首輪解除の情報が主催に伝わり、全てが水泡に帰す。とりあえず「人探しをしているの」と言ってデイパックから地図と筆記用具を取り出し、裏側にことみと聖の進めている計画を簡単に書き綴る。
 最初何をしているのかと不思議に思っていた二人だったが、ことみが書いた計画のあらましを知ると、了解したように頷く。

「そうか……俺達に何か手伝えることはあるか」
「うん。私達は灯台の方へ探しに行くんだけど、そっちは学校から西を探して欲しいの」

 言外に、そちらの方面から材料を探してほしいのだと、芳野もあかりも理解する。
「あ、そうだ。ことみちゃん、この人たちを知らない?」
 一応体裁を取り繕うのと、情報を得る意味であかりは名簿にあかり、瑞佳らの探している人物を丸でかこったものを見せる。
 ことみは黙って首を振るとまた紙に何かを書いていく。黙っていると不審に思われると考えた芳野が、ことみの計画の信憑性を確かめる意味も兼ねて質問する。

308希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:34:51 ID:15bKxc7I0
「一ノ瀬、お前たちの探しているの、本当に見つかるのか? ロクに情報もないんだろう?」
「それはそうだけど、でも、やってみなくちゃ分からないの。一応だけど、アテはあるから」

 タイミングよく書き終えたことみが、書いた内容を見せる。
 まずはこの理科室で硝酸アンモニウムをできるだけ取ってきて欲しいこと、そしてそれを外にある体育倉庫に保管して厳重に戸締りしておくこと、それから軽油やロケット花火を手に入れてきて欲しいことを伝える。
 手に入れた材料を保管しておくのは爆弾の材料を誰かに悪用されたら大変だ、と考えた結果だった。

「取り合えず私と一緒に行動している聖先生にこのことは報告しておくから、先に行ってて欲しいの」
「分かった。一応信用しよう。俺達の探している奴らのことも、よろしく頼む。それと外に残してきてる奴らもいるからな。そっちの連れには会えないがまた目的を達成するときに会おうと言っておいてくれ」

 あいあいさー、と芳野の言葉に敬礼で答えることみ。と、人探しをしているという名目だったのに肝心の探し人の情報を訊いていないことに気付き、慌てて「待って」と呼び止める。
「どうした」
 さらさらと紙に「一応私にも探してる人はいるの。訊きそびれちゃったから」と書いて名簿の『岡崎朋也』『藤林杏』『藤林椋』『古河渚』『霧島佳乃』の名前を丸でかこっていく。

「どうして口頭で言わ……」
 口を開きかけたあかりの口を塞ぐと、芳野が首を振る。岡崎朋也は芳野の知り合いでもあったが居場所を知っているわけでもないし、会話の流れ上下手に喋るのはまずい。むーむーと苦しそうにするあかりをそのままに、芳野の反応を確認したことみが「ううん、やっぱりなんでもないの」と言って会話を終了する。
「それでは、なの」
 ぺこりとお辞儀をすると、ことみは今度こそその場から背中を向けて去っていった。

「むぐー!」
「ああ、悪かった」

309希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:35:13 ID:15bKxc7I0
 まだ口を押さえていた芳野に、あかりが怒ったようにくぐもった声を出したのでようやくその手を離す。
「っは、芳野さん、何するんですか!」
 ずいっと詰め寄るあかりに、「悪かったって」と冷静にいなしながら芳野は耳元で、小声にその理由を話す。

「会話の流れだ。人探しの件なら俺達に首輪云々の以前に話せば良かった。だがそれを言い出さないまま話を進めてしまったからな。『探して欲しい』と言った後に改めて誰々の居場所を知らないか、と言われたら不自然だろ?」
「……そうなんですか?」

 気にするほどのことでもないのに、と小声で呟くあかりに「用心は重ねておくに越したことはないんだ」と釘を刺してから小声で話を続ける。
「一ノ瀬の挙動で分かるだろう。あれはかなり綿密な計画だ。俺達が知らされたことはあらすじで、恐らくあいつは頭の中でかなり考えたシナリオを練っているはずだ。下手を打って台無しにさせるわけにもいかない」
 確かに、あれだけ流暢に説明できるということはそれなりにシナリオを考えてあるということなのだろう。逆を言えば一つのミスが大きく歯車を狂わせる。
 芳野の慎重な挙動も納得がいく。

「すみません、軽率で」
「いや、この程度ならまだいい方さ」

 芳野は「気にするな」と頭をぽんぽんと叩いて「さて」と話を変える。
「まずは目の前の仕事を片付けるぞ。終わったら長森や柚木達と合流してあいつらにも手伝ってもらおう。先は長いぞ」
 理科室に入っていく芳野の後を追うようにしてあかりも続く。芳野の足取りは、少し早まっているように思えた。それはあかりとて同じだ。
 なぜなら、今まで何も見えなかった脱出へのレールが、ようやくその姿を見せ始めたのだから。

     *     *     *

「これ、こう……ちょちょっと……ほら!」
「わっ、すごい。本当に取れた」
 学校裏にある駐車場の一角で、柚木詩子と長森瑞佳は放置してあった自動車のボンネットを開けて中身を弄繰り回していた。たった今バッテリーを外して地面に下ろしたところである。

310希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:35:38 ID:15bKxc7I0
「まー私にかかればこんなもんね。でも一体何に使うんだろ?」
 詩子にとってみればバッテリーは充電する以外あまり使用用途が分からないので頭を捻るばかりだ。もっともそれは瑞佳も同じことなのであるが。
「うーん……何かの機械を動かすとか?」
「そんなとこだろうけど……何を?」
「「う〜ん?」」

 二人して悩む。とにかく詳しいことは芳野に聞いてみなければ答えは得られなさそうだ。
「まあいいか。次はエンジンオイル……だけど、さすがにこれは私も無理……で長森さんも無理だよね」
「うん、全然……」
 そもそもここにある車にオイルが入っているのか、という質問はこの際考えないことにする。気持ちを切り替えて次の物資を探しに行こうと立ち上がる二人。

「お嬢さん方、何をなさっているのですか?」

 その背後から、やけに紳士的な声がかけられる。それがあまりにも場違いだった故に、かえって二人の心に不安のようなものが浮かぶ。
 振り返ると、そこにはやけに人懐っこそうな笑顔を浮かべた――岸田洋一の姿があった。
 内心危機感のようなものを感じつつ、詩子は平静を装いながら岸田に、彼女らしくもない態度で臨む。

「い、いえ、ちょっとした……集め物でして」
「ほう? 一体何を?」
「……これです」

 瑞佳が足元にあるバッテリーを指差す。岸田はそれを一瞥すると「そんなものを、何に?」と尋ねてきた。その細い目つきからは芳野以上に思考を読み取れない。だが答えないわけにもいかず、詩子はありのままに事情を話した。
「はあ……なるほど、ひょっとしたら、私同様首輪を外そうとしているのかもしれませんね」
 岸田の言葉に口を揃えて「え!?」と驚く二人。そうだ、そういえば、目の前のこの男は、あるはずの首輪をしていないではないか。

「あなた、どうやって……!」
「おっと、口を謹んで」

311希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:36:07 ID:15bKxc7I0
 興奮して岸田に詰め寄ろうとする詩子を引きとめ、口元に手を当てる岸田。
「どこかの誰かさんが盗み聞きしているかもしれませんから、そう簡単にタネを話すわけには」
 あ……と、二人が気付く。盗聴されているのだ。この首輪を通して。下手をすればその場でこれが爆発するかもしれない。思わず詩子も瑞佳も首輪に手を当てる。今のところ、異常はない。
 ホッとする二人をそれぞれ見回すと、岸田が言葉を続ける。

「まあ、おおよそは私の用いたのと必要なものが同じですからね……恐らく、残りは武器にでも使うつもりなのでしょう」
 岸田の言葉が本当だとするならば、芳野があまり深くは語らなかったのも納得はいく。なら、本当に首輪は外せるのか?

「あの、一つ訊きたいんですけど」
「何かな?」
 瑞佳が手を上げるのに、岸田は変わらず丁寧な調子で答える。瑞佳はそのまま続ける。
「首輪を外せたのなら……どうして、脱出しないんですか? 先に外に出れば助けを呼ぶなりできると思うんですが」

 それは詩子も疑問に思うところだ。あまり考えたくはないことだが、誰だって自分の命は惜しいはず。最大の脅威が排除されたのならいつまでも危険が存在するこの島に留まる必要はなに一つないのだ。
 岸田は眉間に皺を寄せ、「それがですね」と困ったような表情になって言った。

「色々と見て回ったのですが……ここは絶海の孤島。そして、船はこの島に一つとして残ってはいないのですよ」
「残ってないって……」

 明らかに人が住んでいる気配のあった島なのに、船がないのはおかしい。そう反論しようとする詩子だが、岸田は首を振る。
「恐らく、この殺し合いを管理している人間が全て壊したか、持ち去ったのでしょう。万が一、に備えて」
 詩子は絶句するが、確かにそれはあり得ない話ではない。殺し合いを継続させるためにそれくらいの措置をとっていてもおかしくはなかった。
「ですが、何も奴らだって泳いでここから帰るわけではないでしょう。殺し合いが終わったとき、必ずヘリか船か……連絡を取って呼ぼうとするでしょう。その通信機さえ奪ってしまえば」

 岸田の言葉は憶測の域を出ないが、説得力は十分にあった。管理者側も完全に外部と通信を遮断しているとは考えられない。本拠地には、必ずそういったものがあるはず。
「しかし、それを一人で行うにはあまりにも無謀なのです。だから危険を承知で歩き回って、探しているのです。この殺し合いを管理している奴らを共に倒せる人間を」
 拳を握り締めて、岸田は熱弁を振るう。その言動からは当初感じていた気味の悪さはもう残っていない。この殺し合いに抗おうとする志のある人物のように思える。信じても……良さそうなくらいに。

312希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:36:40 ID:15bKxc7I0
「柚木さん……」
 詩子を見る瑞佳の目は、半ば岸田を信頼しているようであった。いや詩子もそうであったのだが、どこか一つだけ、ほんの些細なことであるが、忘れてしまっているような気がした。それが喉に、小骨が食い込むように。
 いや、と詩子は思い直す。最初に感じた嫌な雰囲気をそのまま引き摺っているだけだ。これはまたとない脱出のチャンスだ。ここを逃してしまっては、もう次はない。
 うん、と詩子は瑞佳に同調するように頷いた。

「あの……聞かせてください。それを、外す方法」
「おお、では!?」

 喜びの表情を見せる岸田に、二人が再度頷く。岸田は嬉しそうにしながら二人を手招きする。

「では、お二人との共同戦線の証明代わりに……握手を」
 手をすっ、と差し出す岸田に吸い込まれるように近づく二人。

「あの、そういえば名前を……」
「ああ、私ですか?」

 瑞佳が名前を訊いたとき、岸田の目元が僅かに歪むのを、詩子は見逃さなかった。
 待て。そうだ、こんな感じの特徴を、誰かから――

「!」

 忘れかけていた情報が、詩子の脳にフィードバックする。この身体的特徴、以前に聞いたある男に一致するではないか!

「ダメ! 長森さん離れて!」
 とっさに詩子が瑞佳を突き飛ばしたのと、岸田の腕が詩子の首に回ったのは同時だった。
 突き飛ばされて思わず転んでしまった瑞佳が、わけが分からぬ表情で岸田と詩子の方を見上げる。そこには――

313希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:37:03 ID:15bKxc7I0
「いい勘をしてるが、気付くのが遅かったな! 俺の名前か? 七瀬彰、とでも名乗っておこうか? ククク……」

 首を締め上げられ、胸元にカッターナイフを突きつけられる詩子の姿と、七瀬彰と偽名を名乗る岸田洋一の姿があった。
 詩子は首を半分締め上げられたまま宙吊りにされ、苦しそうな表情になっていた。
「な、ながもり、さん……私の、ミス、だから、にげ、て」
 十分に酸素が行き通らず声が出せないながらも詩子は瑞佳に逃げるよう指示する。しかし瑞佳は状況が読み込めないまま、ただ呆然としていた。

「え? これって……どういうこと? 七瀬彰……さん? なんで、こんな」
「まだ分かってないみたいだな。俺の言ったことは、嘘だ。大嘘なんだよ。そして今俺は君の連れを人質に取っている。お分かりかな?」

 震える瑞佳に対して、岸田は鼻を鳴らしながら返答する。続いて締め上げている詩子の方へと視線を移すと、
「さて、この勇ましいお嬢さんだが……立場を分かってもらわなくては、なぁ!」
 ぐっ、と更に首を締め上げる。詩子は必死に腕を外そうとするが、力があまりに強くロックを外せない。さらに不幸なことに、武器はバッテリーの近くに置きっぱなしのまま。反撃などもっての外だった。
「や、やめてっ! 柚木さんを放して!」
 そんな言葉をこの男が聞くわけがない。逃げて、と言おうとする詩子だが意識が朦朧として発声すらできない。思いが、伝えられない。

 そして詩子と瑞佳の意思を嘲笑うように、岸田はイヤらしい表情を浮かべる。

「そうだな、放してやらんでもないが……脱げ」
「え……?」

 岸田の放った言葉の意味が分からず、オウム返しに言葉を返す瑞佳。

「武器を隠されでもしていたらたまらんからな。脱げ、下着一枚残さずにな。服は真後ろに投げろ」
「そ、そん、な」

314希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:37:30 ID:15bKxc7I0
 なんて、奴――!
 朦朧とした意識ながらも、詩子はこの男の残虐性を知る。こともあろうに、この男は瑞佳にストリップショーをさせようとしているのだ。
 ダメだ、そんなことをさせてはいけない!
 詩子は必死に抵抗を試みるも、それは形にならない。僅かに身をよじる程度が精一杯で、怯ませることなど出来もしなかった。

「おや、立場を分かってないですね、このお嬢さんは。そんな悪い子には……!」
 岸田はカッターを仕舞うと、入れ替わりに今度はベルトの後ろにでも差していたのだろう釘打ち機を取り出して詩子の腕に向かってそれを、引いた。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 首を絞められているせいで声が出なかったが、想像を絶する痛みが詩子の体中を駆け巡り、釘が打ち込まれた上腕部から赤い染みが広がっていく。

 同時に、詩子の顔が苦悶の表情に塗り変わっていく。それを捉えた瑞佳が、意を決したように叫ぶ。
「わ、分かりました! 脱ぎます! 脱ぎますからっ!」
 言い終わるか終わらないかのうちに瑞佳がファミレス服に手をかけ、それを取り去る。
「ククク……」
 岸田の表情が喜悦に変わる。この男はこんな悪魔の如き所業を、楽しんでいた。

 相変わらず釘打ち機は詩子に突きつけながら、瑞佳が一枚一枚服を脱いでいくのを眺めている。時折、舌なめずりしながら。
 恥を捨てて、人質に取られた知り合いのために、ついに瑞佳は上下の下着一枚ずつのみとなった。学生らしい清楚な、白色の下着が白日の下に、岸田と詩子の目に晒される。ひゅう、と岸田は口笛を鳴らしながらも僅かにも満足した様子はない。
「さぁ、ここからが本番だ。脱げ。お前の恥ずかしいアソコを俺の目に晒せ! さぁ!」
 ……しかし、流石に瑞佳にも抵抗があるのか、指はブラのホックにかかるがそれ以上の動きは見せない。腕を体の後ろに回したまま、瑞佳は固まってしまっていた。

 中々動かない瑞佳に対して、岸田は罵声を飛ばす。

「白馬の王子様が迎えにくるのを待っているのか? 哀れな自分を助けてくれる正義のヒーローが来るのを? はっ、王子様にもヒーローにも、ペニスはあるけどなァ! ハハハハハッ、逆に興奮して犯されるかもしれないぞ!? 見られたいのか!? そんな自分を見られたいのか!? 俺とこの女だけのうちに、さっさと脱いでしまうことを、俺はお勧めするがね!」

 岸田の言っていることは、援軍が来る前に別のマーダーがやってくるかもしれないということを示唆していた。そしてそれが岸田と同じような、卑劣な悪漢である可能性も。
「……」
 意を決したように、瑞佳が手を動かす。シュルッ、という衣擦れの音がして、瑞佳の絶妙な胸が晒される。桃色の乳首が風に撫でられほんの少し震えた。
「ハッ、ハハハ! やりやがった、本当にやりやがった! 素直でいい子じゃないか……ん、いい色艶だ……」

315希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:37:54 ID:15bKxc7I0
 けらけらと楽しそうに笑いながら岸田は視線を下に移す。もう何も思うこともなく、瑞佳がショーツを下にずらす。詩子は、直視することができず目を閉じてその光景を受け入れまいとした。だが詩子の耳元で、岸田が囁く。

「お前、もう用無しだな」

 え?
 脱ぎさえすれば、恥辱を受け入れさえすれば少なくとも瑞佳は開放されるのだと、そう思っていた詩子にはあまりにも不可解な言葉だった。
 考えてしまう。もしかしてこの男は、最初から皆殺しにするつもりだったのではないかと。脱衣ショーなど、目的のための手段に過ぎないのではないか、と。

 それが、詩子の死因となった。
 びくんっ!
 考えずに、一縷の望みを捨てずに最後まで抵抗すればあるいは詩子は死なずに済んだのかもしれない。だが、一瞬でも思考してしまった彼女にはこの結末しか残されていなかった。

 瑞佳が完全にショーツを下ろし、秘所を全て晒したのと同時に岸田が詩子の頭を釘打ち機で貫いたのだった。
 釘は完全に貫通することなく、詩子の脳に残留する形でその居場所を得る。入れ替わるようにして僅かながらに飛び出した脳みその欠片が、べちゃりと地面に落ちた。

 え……と。
 目の前の現実を現実として認識できなかった瑞佳に、岸田が飛び掛かり押し倒すのは容易かった。裸の格好のまま、岸田は瑞佳に対してマウントポジションの体勢を取る。
 にぃ、と。
 瑞佳の裸体を舐め回すように見ながら岸田は嗤った。

「いい演出だろ? 大切なお友達を助けるために恥を捨てて脱衣までしたのに、それが俺へのプレゼントになるのだからな?」
 岸田が、露になった瑞佳の乳房を激しく揉みしだき、辱める。それでようやく正気を取り戻した瑞佳が激しく抵抗する。
「いやあぁ! やめてっ!」
 岸田を撥ね退けようとするも巨石のように重く微動だにしない。

316希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:38:21 ID:15bKxc7I0
「ハハハハ! 動けないだろ? 人類が発明した、絶対有利の体勢だ! 人の力で撥ね退けることは不可能! それは格闘の歴史が証明している。しかも男と女の差だ! 無理無理無理無理、絶対に無理ッ!!!」

 ひとしきり揉みまわすと、仕上げとばかりに岸田は瑞佳のピンク色の突起を思い切り抓る。
「ひっ、いぎいぃぃぃぃっ……!」
 苦悶の表情のまま首を振り、痛みに喘ぐ瑞佳。

「痛いか? 苦しいか? だがお前にはどうすることもできない。例えば俺がこのまま鋸で肉を裂き骨を砕いたとしてもお前は絶望にのたうつだけ……そう、絶望的にな。本来ならもっともっともっともっともっともっと! ……狂わせるくらいに身体を弄んでやりたいところだが、生憎今は時間がなくてね……貫通式と、いかせてもらおうか?」

「!!!」

 瑞佳の顔が苦悶から恐怖へと変わる。岸田の言わんとしていることは、遠まわしながらも瑞佳にも分かる。
 陵辱だけに飽き足らず、この男は瑞佳の純潔まで奪おうとしているのだ! それも、ただのお遊びのような気分で!

「いやああああぁぁぁっ! 助けて! 浩平、助けて、こうへ」
「うるさいな」

 恐怖と絶望から出る悲痛な叫びすらも、岸田は許さなかった。乳房を弄んでいた右手を首に回すと、万力の如き力を以って声どころか呼吸すら出来ぬほどに瑞佳の首を締め上げる。
「あっ、あ、あ……」
「雌豚は大人しく喘いでいればいいものを……興醒めだよ。さて……」
 空いた左手で、岸田はズボンのチャックを下ろし、その言葉とは裏腹の猛り狂った男根を瑞佳の身体へと擦り付けながら、局部へとあてがっていく。

317希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:38:47 ID:15bKxc7I0
「や、あ、ぁ、ぁ、ぁ……」
 涙を流しながら懸命に岸田の男根を受け入れまいとするが、それはただの空しい抵抗に過ぎなかった。
 ふん、と鼻息を鳴らすと、踏み躙るように、支配するように、押し潰すように、岸田は一気に瑞佳の中へと挿入した。
「あ゛あ゛あ゛ぅ……!」

「どうだ!? 痛いか? 叫びたいだろう? でも無理なんだよなぁ!
 俺のチンポは! 今! お前の濡れてもいないアソコをずんずんと這い回っているぞ! ギュウギュウ締め付けてくるぞ!
 なんということだっ! 生と死の狭間で感じるセックスがこんなにも恐ろしく興奮するものだとはっ!
 見ろっ! お前と俺の結合部からは血が小川のように出ているぞっ! 愛液は寸分も混じっていない!
 純粋だっ! なんて純粋なんだっ!! お前の命の欠片を、俺のチンポがしゃぶっているんだぞっ!
 吸い取っているんだぞっ! 死ぬぞ!? お前はこのままでは死ぬんだぞ!? それでいいのかっ!?」

「……」
 腰を振り続ける岸田に対する瑞佳の瞳は、最早生気を残していなかった。涎を垂らし、僅かに残った死への階段を登り続けていくだけだった。
「なんだ、もう死んだのか……まぁいい。出すか」
 失望したように瑞佳を見下すと、最後にグッ、と腰を突き入れ本調子ではないながらも多量の精を吐き出した。
 ゴポ、ゴポッと赤と白濁色が混ざり合った液体が瑞佳の局部からとめどなく溢れ出す。

 岸田は悠々とズボンのチャックを上げて、萎え始めたソレを仕舞うと瑞佳と詩子の持ち物から武器を次々と回収していく。中には不要なものもあったので放っておいたものもあり、また自分の荷物からも不要なものが出てきたのでそれを捨てたりしていたが。
「銃も手に入ったしな……まあ復帰戦としては上出来だな」
 都合のいいことに、予備弾薬まである。そしてニューナンブM60には弾丸もフルロードされている。計15発。更にナイフまである。
 高槻に復讐戦を挑むには十分過ぎる収穫と言える。

 心の底から込み上げてくる笑いを抑えきれず、岸田は含み笑いを漏らす。
「くくく、くっくっく……ん?」
 ふと横を見ると、死んだはずの瑞佳の体が、僅かにだが身じろぎしていた。岸田に首を絞められ、体を貫かれながらも必死に生きようとしている。
 ほう、と岸田は感心したように声を漏らすとつかつかと瑞佳の元まで歩み寄っていく。
「そうだそうだ、俺としていたことが忘れていたよ。奴との一戦で分かりきっていたことなのにな」
 岸田は早速手に入れたばかりの瑞佳の投げナイフを逆手に持つと……

318希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:39:15 ID:15bKxc7I0
「とどめは、必ず刺さなければならないってことを、な!」

 瑞佳の頚動脈を、思い切り、かっ裂いた。首から赤いスプレーが噴出し、僅かに動いていた口元もとうとう完全に沈黙するに至った。
「これで終いだ。さて、行くとするか……くく、くくくくく……」
 また歪んだ口元から嫌悪感を催すような、邪悪な笑みを浮かべながら、岸田洋一は優雅に去っていった。

     *     *     *

 硝酸アンモニウムを詰めた袋を台車で運びながら、芳野とあかりはこれからについて話していた。

「丁度いい具合に台車があって良かったですね」
「ああ、流石に荷物とコレを運ぶのは少しばかり辛いからな。ま、やろうと思えば出来なくはなかったが」

 台車の上には数キロ程度の硝酸アンモニウムの入った袋が載せられている。理科室に置いてあったものをあらかた持ってきたのでこれ以上の採取は無理だろう。とはいえこれだけあれば量的には十分だと言える。
 ごとごと、と古びた木の床の上を台車が走る音を聞きながらあかりが尋ねる。

「それで、次はどうしましょうか?」
「集落にある方だな。どちらかと言えばそっちから探すのが手っ取り早い」

 あかりは考える。集落、というと民家などにあるもの……つまりロケット花火か。確かにそちらの方が見つけやすいといえば見つけやすいだろう。
 それにしても口に出さずに伝えるのは大変だ、とあかりは思う。暗号文を解読するのもこんな感じなのだろうか。
 思ったことをそのまま伝えられる機械でもあればいいのに。

「とにかく行動は迅速に、だ。疲れているところ悪いがしばらく休憩もなしにさせてもらうぞ」
「……私が疲れてる、って……どうして分かるんですか?」

 確かにあかりの体力は山越えや怪我のせいでそんなに余裕はないのだがそれを芳野に話したわけではない。すると芳野は彼にしては柔らかい笑みで答える。
「目だよ。まぶたが下がってきてるからな。それに少し猫背だ」
 言われて、確かに視線が下向きになっているのに気付く。まぶたに関しては流石に鏡を見てみなければ分からないが。慌ててあかりは姿勢を戻す。

319希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:39:35 ID:15bKxc7I0
「すみません、体力なくて」
「いや気にするな。実を言うと俺も少し疲れてる。普段の仕事でもここまで動きっ放しなのはないからな」

 言いながら芳野はとんとんと肩を叩く。何となくその行動をじじくさいと思ったあかりだが言うと怒られると思ったので黙っておくことにした。
 そのまま会話もなく二人は校舎から出て硝酸アンモニウムを保管しておくための体育倉庫はどこか、と辺りを見回す。昼近くになっているのかそれとも暗い校舎から出てきたからなのか辺りは明るく見晴らしは良い。しかし体育倉庫らしきものは見つからず、校舎の裏側にでもあるのだろうかと考えた二人は移動を開始する。
「……ん?」

 その途中で芳野の鼻に風に運ばれてやってきた、強烈な異臭が漂ってくる。それも、以前嗅いだことのあるあの匂いだ。
「芳野さん、何か変な匂いが……」
 同様にそれを感じ取ったあかりが芳野を不安そうにみるが、そのとき既に芳野は台車を置いて走り出していた。
「あ、よ、芳野さん!」
 台車を引いていこうか、と一瞬考えたあかりだが芳野の表情から鑑みるにそうしている場合ではないと思ったあかりはそのまま後に続く。

 匂いは、校舎の裏側から漂ってきていた。
 地面を蹴り、疾走する。息を半分切らせながら芳野と、遅れてやってきたあかりが駐車場で目にしたのは――

「おい、嘘……だろ?」
「え? あそこで倒れてるのって、そんな、まさか、でも、これって」

 全裸で倒れた長森瑞佳と、頭から脳漿の一部を垂れ流し、そしてこちらも死亡していた、柚木詩子の無残な姿だった。

320希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:39:57 ID:15bKxc7I0
【時間:2日目午後12時00分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・駐車場】

芳野祐介
【装備品:サバイバルナイフ、台車にのせた硝酸アンモニウム】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:瑞佳とあかりの友人を探す。呆然。爆弾の材料を探す】

長森瑞佳
【装備品:なし(全裸)】
【持ち物:制服一式、某ファミレス仕様防弾チョッキ(ぱろぱろタイプ・帽子付き)、支給品一式(パン半分ほど消費・水残り2/3)】
【状態:死亡】

神岸あかり
【装備品:包丁、某ファミレス仕様防弾チョッキ(フローラルミントタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:全身に無数の軽い擦り傷、打撲、背中に長い引っ掻いたような傷。応急処置あり(背中が少々痛む)】
【目的:友人を探す。呆然。芳野と共に爆弾の材料を探す】

柚木詩子
【装備品:某ファミレス仕様防弾チョッキ(トロピカルタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:死亡】

321希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:41:41 ID:15bKxc7I0
【時間:二日目午後12:00】
【場所:D-6・鎌石村小中学校内部】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【状態:爆弾の材料を探す。聖の元まで戻る】
【その他:時間軸としては浩平に会う前。芳野たちの探している人物の名前情報を得ました】


【時間:2日目12:30】
【場所:D-5】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブM60(5/5)、予備弾薬10発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機6/12、五寸釘(5本)、防弾アーマー、支給品一式】
【状態:切り傷は回復、マーダー(やる気満々)、役場に移動中】
【その他:鋸は瑞佳の遺体の傍に放置。時間軸は浩平たちが学校にやってくる以前】

→B-10
なんか、その、色々ヤバいことやらかしてます。嫌悪感を覚えた方にはすみません、とあらかじめ謝罪しておきます

322監視者:2008/02/23(土) 21:12:00 ID:YnERowGo0
 暗く閉ざされた部屋。しかし明かり代わりとすら言えるモニターの光が、その部屋にいる人物達の姿を克明に照らし出していた。
 カタカタ、と無言、無表情でキーボードを叩いているのは、女だった。

 女性がデスクワークに勤しむのは別に特別なことではない。
 しかし、キーボードに情報を打ち込むタイピングの早さが、尋常ではなかった。
 姫百合珊瑚がその場にいたとしても彼女と同等か、あるいは珊瑚でさえ速度では劣るほどのタイピング速度を、彼女は既に24時間を越えて保ち続けている。
 明らかに彼女は異常だった。いや異常なのは彼女だけではない。
 彼女の隣、そのまた隣にいる女も彼女と同じくらいのスピードで作業を続けている。顔色一つ変えずに。

 そして何より異常なのは――彼女らが、皆一様に同じ髪型、同じ顔、同じ瞳、同じ体型、極めつけに、修道服……つまり、『シスター』の姿だったということだ。

 この殺し合いを管理するアンダーグラウンドの場においては、それは何よりも違和感を覚えずにはいられないだろう。だが、誰もそれを気に留めることはない。
 何故なら……彼女達は『ロボット』だから。

「ほぅ……あの『少年』も死んだのですか……総帥といい、醍醐隊長といい、実にあっけない」
 彼女達の後ろで、現在の生存者一覧を眺めていた青年と思しき人物がさもありなん、という風に笑っていた。その胸元では銀色のロザリオが笑いに合わせて揺れている。それは彼の人物を示すかの如く、軽薄な輝きを宿していた。

「ふむ……おい、イレギュラーはどうしてる」
「はい、会話ログから確認する限り、現在D-5に移動し、鎌石村役場に向かっているものと思われます」

 女ロボットの返答を聞き、こちらはまだ生きているのですか、と感心するそぶりを見せる青年。
「人間という生き物はあまりに度し難い……不確定で、信頼するにも値しない生物ですよ」
 誰に言うでもなく一人ごちると、『笹森花梨』のモニターに目を移す。

「宝石はどうなっている」
「はい、発信機を確認する限り、現在ホテル跡に留まっているものと思われ、会話ログからも宝石は未だ彼女の手にあるものと思われます」
「そうか。……まあ、どうでもいいのですけどね。あれは総帥が欲しがっていただけですし、私は『幻想世界』にも興味はない。総帥は『根の国』と呼んでいましたがね」

323監視者:2008/02/23(土) 21:12:32 ID:YnERowGo0
 本当に興味のなさそうに吐き捨てると次に青年は残り人数を確認し、少々驚いたような表情を見せる。
「もう40人少々ですか……もうちょっと時間がかかると思っていましたが……まあいい。むしろ私の計画には好都合です。ね?」
 青年が女ロボットの肩に手を置くが、まるで触られていることを感じていないように女は反応しない。作業を続けるだけだ。

「やれやれ、面白みのない……それで、アレの最終調整はいつ終わる?」
「はい。予定では12時間後に全て完了し、実戦に投入できます」
「へえ、早いね。流石ロボット、というところかな。私の『鎧』は?」
「はい。予定では12時間後に完了し、実戦に投入できます」

 ひねりのない返答だ、と青年は顔をしかめたがすぐに、まあそんなものかと思い直しむしろ彼女らの仕事の速さを褒めるべきだと考えた。

「分かった。他に『高天原』に異常はないか」
「はい。異常ありません」
「注意を怠るな。侵入者の気配を感じたらすぐに迎撃に向かうんだ。……もっとも、そちらのほうが私にとっては好都合かな? それ以前に首輪を外せたら、ですけどね。ふふふふ、ふふふふふふっ、あははははははっ!」

 けらけらと狂ったようにひとしきり笑い、愉悦が収まるのを待ってから青年はとある部屋に通じるマイクを渡すように伝える。
 すぐに小型のマイクが渡され、モニターの一部が121人目の参加者である……久瀬のいる部屋の映像を映し出した。
 四畳もない小さな部屋の、更に小さいモニターの中で久瀬は精魂尽き果てたようにぐったりとしていた。

「ふふふ、さて、一つお遊戯と参りますか。こほん、あー、聞こえるかな、久瀬君?」
『!』

 ガバッ、と母親の怒声で叩き起こされる小学生のように飛び起きた久瀬の行動に青年はまた笑いそうになったが堪えながら話を進める。

「お疲れのようだね。まー流石にそんな小さな部屋じゃストレス溜まるかな?」
『お前……』
「怒らない怒らない。あ、そうだ。面白いニュースがあるんだけど聞きたくない?」
『……できれば、お断りしたいところなんだが』
「あ、そ。それは残念。君の大切な倉田さんがお亡くなりになったのにねぇ」
『何っ!?』

324監視者:2008/02/23(土) 21:12:54 ID:YnERowGo0
 久瀬の顔色が一瞬にして変わったのが丸分かりだったので、今度こそ青年は堪えきれずに笑い出した。事前に調べて久瀬が倉田佐祐理に関心があることは分かってはいた青年だが……ここまで過敏に反応するとは思わなかったからだ。

『何がおかしいんだ!』
「いやいや……これは失敬。大切な、ではなかったかな? くっくっく……まあそれはさておき。参加者の数が半分を切ったどころかもうすぐ40人になりそうなんだ。次の放送では忙しくなりそうだよ」
『な……にっ?』

 また久瀬の表情が変わる。今度は絶望、だ。まったく、見ず知らずの他人なのにどうしてここまで親身になれるのかと青年は思わずにはいられない。
 人間など、互いに利用し合うだけの存在だと思っている青年には、どうしても度し難いことだった。

「ま、とにかくそういうことだから今のうちに体力蓄えときなよ。ちゃお〜♪」
『お、おい待て……』

 久瀬が何かを言いかける前に、モニターは切り替わった。後にはまた参加者の命の残り香を移す光点が点在するだけとなる。
「さて、取り敢えずは次の放送まで待ちましょうか。それにしてもこんなに死者が出るとは思いませんでした……次からは6時間刻みにしましょうかね」
 青年は近くにあった椅子に腰掛けると、作業を続ける女ロボットの横顔を眺める。
「美しい顔です……まさに『高天原』……いや『神の国』の住人に相応しい

 現在この殺し合いを管理し、進行役を務めているこの青年――名前は、デイビッド・サリンジャー。
 彼の背後にあるモニターの向こうでは、惨劇が今もなお続いている。

325監視者:2008/02/23(土) 21:13:18 ID:YnERowGo0
【場所:高天原内部】
【時間:二日目午後:13:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:殺し合いの様子を眺めている。放送の間隔を変える予定】
久瀬
【状態:呆然】
→B-10

326意志の相続:2008/03/08(土) 03:21:14 ID:/js7YssY0
「何よ、これ……」

荒れ果てた鎌石村小中学校を目の前に、観月マナは思わず目を見張ってしまった。
スタート地点であるが故、爆破されたからという理由もそこにはあるかもしれない。
しかしマナの視界の先、外からでも分かる激しい損傷はとある教室と思われる場所だった。
二階に設けられているその教室の窓ガラスは砕けており、今マナからすると目と鼻の先にある地面には、それら破片がキラキラと朝陽を反射しながら散らばっている。
内部がどうなっているのか。
まだ中に入っていないマナは分からないが、そのような状態の窓は例の教室だけであった。
一体何が起きたというのか。それを知りえる術を、マナは持っていない。
得体の知れない恐怖に、マナはさーっと血の気が引いていくのを感じた。

姉のような存在である森川由綺を失ったという現実、傷ついたマナはいつしか疲れ草木の生い茂る森の中熟睡していた。
マナが目を覚ました時は既に空も大分明るさを取り戻していて、経過した時間の大きさにマナは一人焦ってしまう。
そんな彼女が今しがた見つけたのが、この鎌石村小中学校という施設だった。
もしかしたら校舎の中にはマナの知人がいるかもしれない、そんな可能性はマナも捨てきれないだろう。
しかしあまりにもリスクが高く見えてしまい、マナはどうすることもできず正面玄関入り口にて二の足を踏むしかなかった。

「……ぇ?」

その時だった。
マナの耳が捕らえたものは砂を踏みしめるジャリジャリとしたものであり、その様な音は現在マナのいる砂地の校庭でないと作ることができない足音であった。
音の大きさからして決して遠くではないであろう距離を瞬時に察したマナは、すかさず自身の支給品であるワルサーを構えると周囲へ視線を素早くやる。
マナが一人の少年の人影を発見するのに、そう時間はかからなかった。

ぞっと。
少年の姿が視界に入った途端マナの背中を走ったのは、寒気以外の何物でもなかった。
体つきからすればマナとそう年も変わらないであろう少年、しかし一つの異様さがマナの胸に警報音を叩きつける。
少年の両手は、真っ赤に染まっていた。
深紅のその意味は時間の経過によるものだろう、彼の着用している上着の腹部にも同じような染みができてしまっている。
しかし彼の足取りはしっかりしていて、とてもじゃないが出血による怪我を負った人間の物だとマナは判断することができなかった。
それでは、一体あの赤の出所は何なのか。
指し示す事象が一つであると結論付けたと同時に、マナは構えていたワルサーの照準を真っ直ぐ少年に向ける。

327意志の相続:2008/03/08(土) 03:21:50 ID:/js7YssY0
「う、動かないで!」

震える声を隠すことなんて出来ない、しかしどうしてかマナの中にはこの場から逃げ出そうという気持ちがなかった。
突然の来訪者により冷静さが欠けてしまい、自分の中での行動の選択肢を用意することができなかったということもあるかもしれない。
だが一番の理由は、彼女に与えられた支給品である武器の存在だろう。
拳銃という当たり武器、それだけでマナの気が大きくなってしまったという部分は計り知れない。
当然の如くマナは目標である少年に対し定めた座標を動かすことなく、次に少年がどのような行動に出るかを見定めようとした。
誰だって、死ぬのは嫌だろうということ。
死にたくないのなら、凶器を所持するマナは回避すべき危険な存在にはなる。
マナ自身、そう判断していた。
拳銃という当たり武器、そのリーチこそがマナの全てだった。

だから、少年の歩みが止まらないというこの現状に対し、マナは困惑を隠すことができなかった。
マナは銃を構えているにも関わらず、少年は俯き加減のままゆっくりマナとの距離を詰めてくる。
もしかしたらこちらを見ていないのか、しかし声かけはしているからこちらの存在は伝わっているはずだ、荒れていくマナの心中は鼓動のスピードに換算されていく。
伝わる汗、からからに乾いてしまった口内の気持ち悪さ、マナは眩暈さえも覚えていた。

訳が分からないということ、その恐怖。
言葉が伝わらないということ、その戸惑い。
全てがマナにとっては、初めての感情だった。
この島に来て、初めてのそれだった。

「死にたいの? だ、だって死んだら終わりなのよっ?!」

私は銃を持ってるのよ、そんなマナの言葉にも少年は何の反応も見せない。
ジャリジャリと砂を踏む音と微かな痛みを伴う乾いた自身の呼吸音、その二つがマナの聴覚を埋め尽くす。
クラクラする。自分がこの後どうすれば、いいのかマナはそこまで考えていなかった。

328意志の相続:2008/03/08(土) 03:22:11 ID:/js7YssY0
銃を構えるということ。
それは、脅しの意味でしかなかったということ。
発砲するということ。
それは人を傷つけるという行為である。
もしくは、人を死に至らしめるという行為にまでもなる。
……そんなことを行うことができる覚悟まで、マナは決まっていなかった。

「ひっ」

気づいたら、少年とマナの距離は目と鼻の先になっていた。
砂を踏む音はもう辺りに響いていない、当然である。
少年は足を止めていた。
もう進めなくなっていたからである。
何故か。

「あなた……死にたいの……?」

マナの構える銃口は、少年の胸に当たっていた。
少年とマナの距離は目と鼻の先の距離になってしまっている、それは文字通りそのままの状態を表している。
すっと、その時やっと俯き気味だった少年が顔を上げた。
甘やかな作りは中性的で、異性を感じさせない儚ささえをも含まれているように感じるマナだが、反面何の表情も見て取れない少年のそれに対する戸惑いというのも、彼女の中には同時に浮上していた。

「え?」

少年の右腕が、ゆっくりと持ち上げられる。
マナはじっと、その動きを目で追っていた。
瞬間響いた乾いた音。
痛み。
振動。
続いて感じた半身の痛みにマナが悶える、彼女の体が砂地に叩きつけられたことが原因だった。
自身が頬を張られたという事実に呆然とするマナは、まさか初対面の人間からこのような無礼を振舞われることを予想だにもしていなかっただろう。

329意志の相続:2008/03/08(土) 03:22:35 ID:/js7YssY0
「な、何すん……っ」

反射的に睨み上げ文句を吐き出すためにと口を開いくマナだが、言葉は最後まで続かなかった。
何かを弄る音、恐らく支給されたデイバッグの中身を漁っているであろう物音がマナの耳を通り抜ける。
それが止んだ次の瞬間マナが捉えたものは、首筋に伝わる絶対零度だった。
少年と目が合う、相変わらず彼の瞳には何の感情も含まれていない。
鈍い痛みが首に走りぬける、それがあてがわれた包丁が原因であることにマナはまだ気づいていなかった。
大きな戸惑いはマナの思考回路を停止させ、それは彼女の行動にも露に出てしまっている。

マナの瞳が揺れる。
困惑に満ちた彼女のそれが見開かれるのと、包丁が無残にもマナの肉を引き裂いていったのはほぼ同時だった。





カラン、と一丁の包丁が取り落とされる。
いや、それは投げ落とされたという表現の方が正しいかもしれない。
浅い呼吸を繰り返していたマナの胸の上下運動は、まだ止んではいなかった。
少年は屈みこみ絶命しかけたマナの様子を覗き込んだ後、無造作に再び血で濡れた自身の手をマナのスカートで拭い取った。
ふぅ、と漏れた息は少年の物であり、それは先ほどマナと対峙していた時には見せなかった、少年の人間らしい仕草であったろう。

『――みなさん……聞こえているでしょうか』

その時独特のノイズ音と共に、設置されたスピーカーからであろう流れる人の声が鳴り響いた。
第二回目の、放送である。

『025 神尾観鈴』

330意志の相続:2008/03/08(土) 03:22:54 ID:/js7YssY0
順々に読み上げられていく死亡者達、その中でとある少女の名が呼ばれたと同時に、少年は小さく一度瞳を瞬かせた。
そうして徐に支給されたデイバッグに手を入れると、少年は一本の布状のリボンを取り出した。
真っ白な柔らかい素材でできているそれは、所々に赤い染みができている。
手で握りこむとあっという間に皺ができてしまうそれを幾分か眺めた後、少年はそそくさと元の場所へとリボンを戻した。

ふぅ、ともう一度、少年が溜息をつく。
その頃には既にマナの動きも止まっていて、放送も終わりを告げる頃になっていた。

『さて、ここで僕から一つ発表がある。なーに、心配はご無用さ。これは君らにとって朗報といえる事だからね』

マナの横に転がるワルサーを拾い上げ、既に少年がこの地を去ろうとした時だった。
放送の声の主が変わる、少年は訝しげな表情を浮かべその声に耳を傾ける。
……しかし、少年の顔から冷淡な笑みが漏れるのに、そう時間はかからなかった。

「馬鹿馬鹿しい」

心底そう思うのか、口にした後少年はさっさと移動を開始した。
手にはマナの支給品であるワルサーが握られたままである、それを持つ少年の足取りに迷いの色は一切ない。
細い少年の身には重いであろうデイバッグは、一歩進むごとにガチャガチャといった異音を辺りに撒き散らした。
充実したその中身こそが、少年の行く道を表していると言っても過言ではないだろう。

「大体死にたいとか死にたくないとか、みんな頭おかしいよね」

少年が反芻しているのは、マナの口にした言葉だった。
ぶつぶつと独り言を吐きながら、少年は校門を出て森の中へと入っていく。

「死んだら終わり? そんな常識、ここにはないよ」

陽が木の隙間を縫って差し込んでくる、それは幻想的な御伽話を彷彿させるかもしれない。
しかし少年はそんなことにも意を解さず、黙々とただ先へと進んでいくだけだった。
草も花も無視し続け、足元に対し何の注意もやらない少年の目は、ただただ真っ直ぐ前を向いていた。
少年の意志の固さが、そこには込められている。
そう。

331意志の相続:2008/03/08(土) 03:23:14 ID:/js7YssY0
「どうせ世界は、ループする」

少年こと柊勝平からすれば、それが全てだった。


      ※      ※      ※


抱き上げた神尾観鈴の体は想像以上の重さで、さすがの勝平も途中で弱音を吐きそうになる程だった。
決して力がある訳ではない体が恨めしい、結局彼が観鈴の埋葬を終えられたのも午前六時前ぎりぎりとなる。
花壇の傍に立てかけられてあったスコップを元に戻した後、勝平は観鈴の支給品であったバッグをそのまま彼女を埋めた地の上に置いた。
ここまでで勝平が流した汗は、もう大分引いていっている。
このまま放置すれば風邪を引く原因になるかもしれない、体の弱い勝平からするとその危険性はますます上がるだろう。
しかし勝平が、特に何かしようとすることはなかった。
自身を気遣う余裕がないだけかもしれない。
勝平の手には、白い布状のリボンが握られている。観鈴の身に着けていた装飾品だった。

「ループを止めて、か」

それは最期に観鈴が勝平に託した願いでもあった。
ゆっくりと瞳を閉じる勝平の瞼の裏には、彼の知らない世界が広がる。
彼女の命が消えた後起こったこの事象、最初は戸惑ったものの今の勝平はそれを受け入れていた。

それは優しい彼女が人を殺めようとする行為に繋がる場面であったり。
何度も銃に撃たれ大怪我をしてしまうものの、何とか生き延びる場面であったり。
虎だろうか。大きな化け物が彼女に向かって今まさにかぶりついてこようとする場面であったりと、様々だった。

瞳をあけると再び朝焼けが勝平の視界を彩った、それはまるで夢でも見ているかのような感覚に似ているかもしれない。
これが彼女、神尾観鈴の世界であると勝平が認識できるようになったのはつい先ほどのことだ。
原理などは分からない、しかしこれが現実だ。勝平も受け入れるしかない。
ループを止めて欲しいと、彼女は口にした。
そしてそのために、彼女は勝平に自分の持つ記憶を与えた。
彼女の願いであり意志でもあるそれ、歩きながら勝平はずっとそのことを考えていた。

332意志の相続:2008/03/08(土) 03:23:33 ID:/js7YssY0
「う、動かないで!」

校舎の方に勝平が戻ってきた時、そこにいた見知らぬ少女の存在に勝平はこっそり眉を潜める。
銃を手にする幼い体は小刻みに震えていた、気にせず勝平が近づいていくと少女の表情に戸惑いが走る。

「死にたいの? だ、だって死んだら終わりなのよっ?!」

少女は怯まない勝平の様子に困惑しているようだった。
そんな少女に対し、表には出さないで勝平は内心一人毒づく。

(何だよ、中途半端なやつ)

銃をこちらに向けるだけでその先に進もうとしない少女の様子に、勝平は苛立ちを隠せなかった。
今、勝平の手は両手とも空いている状態である。
先ほど観鈴の埋葬を終えてから、勝平はそのままここまで来たのだから当然である。
肩に担いでいる勝平のデイバッグの中には、ナイフ類を始めとする様々な武器が入っていた。
残弾は少ないが、拾い直した電動釘打ち機も健在だった。

勝平の状況は、非常に恵まれていただろう。
身を守るための武器がこれだけあるということ、また勝平には度胸がある。
人を傷つける覚悟ができているということ。
人としての弱さや強さ、そのような問題のベクトルではない。
「できる」か「できないか」という二択の世界で、勝平は「できる」人間だった。

「できる」ということ、それで反射的に動いた体を勝平は止めようとは思わない。
止める理由もないからだ。
次の瞬間血に染まる包丁を持つ勝平の傍には、血飛沫を上げながら地に下りていく少女の体があった。
勝平の中、そんな行為に対し特別何か感情が浮かび上がることはなかった。
それこそ最初に人を殺した高揚感すら、勝平の心には存在しなかった。
ただ、虚無だった。
この行為に何の意味も持ち得ない勝平にとっては、本当にどうでも良いことであった。

333意志の相続:2008/03/08(土) 03:23:53 ID:/js7YssY0
温かな液体は勝平の体にも降り注がれる、顔についたそれを拭いながら勝平は静かに目を閉じた。
観鈴を視点とした一つの世界、流れる情報に身を任せながら勝平は再び考える。

(……ループを、止める……)

最期に観鈴が勝平に託した願い、しかし流れる情報からそれを読み取ることは叶わない。
どうすればループが止まるのか、そもそも何故世界はループしているのか。
それを勝平が分からない限り、進まない話でもある。
それに。

(ループが止まったら、もう会えないってことじゃないか……)

手にしている包丁に込めていた力を逃がす勝平、それは少女の傍へとゆっくり転がっていった。
一つ零れた溜息が、勝平の心情を語っていた。

(会いたい)

恋焦がれるような、そんな熱い思いが勝平の胸に広がる。
しかしそれは勝平の恋人である、藤林椋への柔らかな恋情とはひどく距離のあるものだった。
だからきっと、それは恋ではないだろう。

『――みなさん……聞こえているでしょうか』

その時独特のノイズ音と共に、設置されたスピーカーからであろう流れる人の声が鳴り響いた。
第二回目の、放送である。
勝平は耳だけそれに傾けて、自分の内に存在する感情をじっと考えた。

『025 神尾観鈴』

少女の名が呼ばれる。当たり前だ、観鈴は死んだのだから。
小さく一度瞳を瞬かせると、勝平は徐にデイバッグへと手を入れた。
彼が取り出したのは、観鈴が髪を結ぶのに使用していた布状のリボンだった。
彼女の持ち物は全て彼女と共にあるべきだろう、そう判断した勝平だがどうしても自分の欲望を抑えることが出来なかった。
彼女の見につけているものが、どうしても欲しかった。
その執着の意味こそが、勝平の求める答えである。

334意志の相続:2008/03/08(土) 03:24:17 ID:/js7YssY0
(観鈴……)

心の中で彼女の名前を呟き白いリボンを握り締める勝平の表情は、苦悶に満ちている。
分からない。
勝平は、分からなかった。
痛む胸が求める解答は導かれていない、そのためにも。
勝平は、もう一度観鈴に会いたいと思った。

リボンを鞄に仕舞いこみ、勝平はもう一度溜息をつく。
これから自分がどうしたら良いのか、その答えはまだ出ていない。
渦巻く勝平の心理は複雑で、本人でさえも心労を抱えるほどになっている。

『さて、ここで僕から一つ発表がある。なーに、心配はご無用さ。これは君らにとって朗報といえる事だからね』

もうここにいてもしょうがないということで、マナの横に転がるワルサーを拾い勝平が上げこの地を去ろうとした時だった。
放送の声の主が変わったことに対し勝平は訝しげな表情を浮かべると、注意深くその声に耳を傾ける。
……放送は、勝平の想像の範疇を超えていた。
放送を行っている主が一体何を言っているのか、勝平にはすぐの理解ができなかったくらいである。

(優勝して、生き返らせる? 何を言ってるんだ、だってどうせこの世界は……)

そこで勝平は、はたとなる。
そうだ。結局は、そうなのだ。
ループを止めるにしても結局はやり方が分からない以上、答えはそれしかないのだ。

「馬鹿馬鹿しい」

この世界は、ループする。
ならばどうすればいいのか。答えは一つだ。

335意志の相続:2008/03/08(土) 03:24:36 ID:/js7YssY0
(一刻もこんな腐ったこと終わらせてやるよ、そうすれば……)

そうれば世界はループし、また彼女のいる世界が始まる。
それでいいのだ。
極端ではあるが、それが勝平の出した答えだった。
そこに観鈴の意志や願いが、含まれて、いないとしても。





「へー。神尾って子死んだんだ、珍しい。あの子大概ここで撃たれても、生き残ってた気がしたけど」

その声を聞くものは、きっとその場にいる少年以外は存在しないだろう。
校門を出て行く勝平の背中を見つめる存在、彼は勝平とマナが対峙する場面からずっとそこにいた。
誰にも気づかれることなく、そこで二人の様子を見守っていた。
校舎の影から身を出した少年は、文字通り「少年」という名で名簿にも登録されている人物だった。
強化プラスチックの大盾を手に少年が見上げると、そこには無残な状態の窓ガラスが視界に入る。

「ふーん、それにしてもここの教室は大人気だね。
 世界の法則なんて僕は信じていないけど、やっぱり何かしらは関係してくるのかな」

そう言って少年は、そのまますたすたと校舎の中へと足を踏み入れた。
鎌石村小中学校はスタート地点にもなった場所である、校舎の半身は爆破されたことで左右での損傷の差は激しい。
少年はその様子に目もくれず、真っ直ぐ正面に存在する上の階へ続く階段へと向かっていった。

「あーあ、一晩ゆっくり休んじゃったからこれからは仕事頑張んないとね。
 あいつにも負けてられないし」

336意志の相続:2008/03/08(土) 03:25:06 ID:/js7YssY0
歩きながら首や肩を鳴らす少年の様子は、至って淡白である。
またその軽さから、傍から見ても彼の目的が何かはすぐに読み取ることができないかもしれない。

「さて、じゃあ待ち構えようかな」

ガラッと勢いよく扉を開ける少年、そこは深夜に争いの起きた職員室である。
乱れた机の隙間を器用に通り抜け窓際の席を陣取ると、少年は荷物を置き外からは様子が見えないよう少しだけカーテンを引いた。

「あ、そう言えば」

ふと、今気がついたという様子で少年が言葉を漏らす。

「そっか。あいつが殺し合いに乗る確立なら、本当に百パーセントなのか。
 ははっ、面白いね……これなら世界の法則ってやつも、ちょっとは信じられそうだよ」

楽しそうに笑いながら改めて椅子に座り込み、少年はデイバッグから自身への支給品であるレーションを取り出す。
それに噛り付く少年の笑みはあくまで邪気のないものだった、しかし。
瞳の鋭さだけなら勝平の非ではないその冷たさは、修羅場を潜り抜けてきた少年特有の物と言えよう。





柊勝平
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:ワルサー P38・電動釘打ち機5/16・手榴弾二つ・首輪・洋中の包丁2セット・果物・カッターナイフ・アイスピック・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:早期終了のために優勝を目指す、衣服に観鈴とマナの血液が付着している、他ルートで得た観鈴の所持する情報を持っている】

少年
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、MG3(残り17発)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、グロック19(15/15)・予備弾丸12発。】
【状況:健康。効率良く参加者を皆殺しにする】

観月マナ 死亡



マナの持ち物(支給品一式)はマナの遺体傍に放置
血濡れの和包丁はマナの遺体傍に放置

(関連・328・473・917)(B−4ルート)

337人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:19:26 ID:P3exjv9A0
「時にるーさん」
「何かな、なぎー」

 お米券を通じて刎頚の交わり+竹馬の友+金蘭の契くらいの関係になった遠野美凪とルーシー・マリア・ミソラはやや人目につかぬ木の陰でノートパソコンを立ち上げながら何気なく会話を交わしていた。

「パソコン……と言いますか、情報処理系には詳しいですか」
「残念だが、る……じゃなく私はこの国の機械にはあまり詳しくない。使えないわけじゃないぞ。電子レンジだって使える」
「……それは残念です」

 そこはかとなく長いため息を吐き出しながら、美凪は立ち上がったパソコンのデスクトップからメモ帳を機動させ口頭では伝えられなかった情報を伝える。

 ・このCDを通じて『ロワちゃんねる』という主催側のプログラムからホストサーバーに侵入し、情報を弄くれること
 ・ただしプログラムに通じてないとこのCD付属のプログラムを使いこなすことは難しいらしい
 ・更に、首輪についての構造もある程度知らないと解除は難しい
 ・この首輪には盗聴器がついている←ここ重要。テストに出ます

 ぐっ、と親指を上げてここから筆談にすることを要請する美凪。あの時は仕方がなかったとは言えある程度口から主催に対抗する手段を言ってしまったのだ。ここからは、一言として詳しいことは口外してはならない。
 美凪の意思を悟ったルーシーもぐっ、と親指を上げて応えたのだが……
(この機械、どうやって文字を打ち込むんだ……?)
 美凪がやっているのを見てもさっぱり分からない。キーボードにある平仮名の文字とは全く違う字が打ち込まれているし……せめて故郷のものならまだ扱いようがあるのだが。

 ルーシーがしばらく当惑しているのを見て全てを悟った美凪はカタ、とキーボードのあるボタンを押すと『かな打ちにしておきました』と打ち込む。
 かな打ちとはなんぞ、と首を傾げるルーシーに美凪が手元を見るようにジェスチャーする。
 ルーシーが美凪の手元を覗き込むのを確認してから『あ、い、う、え、お』とかな打ちで文字を打ち込む。「おお」という形にルーシーの小さな口元が開いた。
 どうぞ、と美凪が場所を空けると、ルーシーが喜び勇んで人差し指で文字を打ち込む。

338人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:20:07 ID:P3exjv9A0
『かんしゃする』
『どういたしまして』

 ピシガシグッグッ。無言でお互いの友情が更に深まったのを確認する二人。傍から見ているとホームステイに来た外国人としっかり者のお姉さんのやりとりである。

『しかしむねんだがわたしではむりだ。すまない、ちからになれそうにない』
『構いません。一人より二人です』
『いいこというな。ところでどうやってかんじにするんだ』

 すると美凪が適当に文字を打ってスペースキーで変換する。更に変換候補や打ち直し、文字の確定なども教える。既にこの場は秘密の相談ではなくパソコン教室と化していた。

『感謝する』
『どういたしまして』

 ピシガシグッグッ。彼女らの友情は鉄よりも固く海よりも深くなっていた。

『時にるーさん』
『何かな、なぎー』
『るーさんのお知り合いでこういうのに詳しい人はいませんか』
『心当たりがないではない』

 ピタ、と美凪の指が一瞬止まる。まさか、本当に、いたと言うのだ。今回も、その技術者が。逸る心を抑えながら、美凪は話を続ける。

『お名前は?』
『姫百合瑠璃か珊瑚か、どちらだったか。よく覚えてないが、片方は確かにそういうのに詳しかった』

339人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:20:41 ID:P3exjv9A0
 姫百合瑠璃、珊瑚……と美凪は心中で反芻する。確か一回目でも二回目の放送でもそのような名前は呼ばれなかったはず。即ち、まだ二人は生きているということだ。これを北川と広瀬が聞けばどんなに喜んだことだろうか……
「どうした」
 美凪の表情に影が差したのを見て取ったルーシーが、言葉で尋ねる。
「いえ、少し昔のことを思い出しまして……」
「……」

 ルーシーが悪かったわけではない。こればかりは仕方のない事柄だった。だがそれでも大切な仲間を失うことの辛さを分かっているルーシーは静かに美凪の頭に手を置いた。
 その気遣いに美凪は感謝しながらも、こんなことでくよくよしている場合でもない、とすぐに思い直す。そう、目的はまだ達成されたどころかようやく糸口が見つかったというだけだ。色々と考えるのはその後だ。

「すみません、もうお気になさらず」
 美凪は再びパソコンの画面に目を向けると、『それよりも』と続ける。
『姫百合さんたちを探す方が先決です。居場所に心当たりはありますか』
『いや、流石にそこまでは』

 ルーシーは書き込みながら首を振る。それに珊瑚か瑠璃か、どちらがパソコンに詳しいか分からない以上探す労力は二倍になる。この島において特定人物が再会できる確率はかなり低いのだから。それはルーシー自身や美凪でもその事柄は証明している。

『せめて二人一緒にいればいいのですが』
『そこまで望むのは贅沢だ。とにかく、地道に探していくしかない』
 そうですね、と美凪は同意する。文句を言っている暇があるのなら行動で示すべきだ。後悔するのはあの時でもうたくさんだった。
『問題は、どこに潜んでいるかだ』

 ルーシーはデイパックから地図を取り出すと島の各地にある施設を次々に指差していく。
『私もあまりあの二人のことは知らない。が、積極的にうろうろするような奴らでもなかったと思う。恐らくどこかに隠れている可能性が高いはずだ。あるいは私達と同じように首輪の解除を目指してどこかの施設でパソコンを弄っている可能性もある』
 言われて、美凪も納得する。パソコンが得意だというなら言われるまでもなくその方向に動いている可能性は高い。

340人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:21:12 ID:P3exjv9A0
『その上で訊きたいが、民家なんかにそのパソコンとかいうのがある可能性は、高いのか』
『分かりません。でも推論で考えるなら、3割くらいの可能性ではないかと』

 普及率から考えると9割でもいいような気はするがこの島の自然の多さからして美凪が住んでいる土地とほぼ同じと考えればそんなに高くはないはずだ(とはいっても美凪は地元でパソコンを持っているような家を殆ど見かけたことがなかったのだが)。
『低いな。それで、これらの大きな施設にある可能性は』

 分校跡、小中学校、無学寺、役場、消防分署など目印になると思われる建物を指差していくルーシー。
『恐らく、学校にあるかどうかだと思います。分校跡は跡ですから、恐らくないかと』
 ただ隠れる場所としては絶好の場所かもしれません、と付け加えておく。ふむ、とルーシーは唇に手を添えて思案する。
『一応、分校跡から当たってみることにしようか。なぎーはどう思う』
『それでいいと思います。あちこち家を出たり入ったりするのも危険だと思いますから』
 跡、というからにはパソコンなどの設備はおろか電気すら通ってない確率は非常に高いだろう。だからこそ隠れるには適した場所であり、あるいは美凪同様にノートパソコンのようなものを手に入れているとするなら隠れながら作業だってできる。
 全ては推測だが、絶対に在り得ない話ではない。
 いや、この島において在り得ないことは『在り得ない』のだ。

 美凪はそう考え、ノートパソコンの電源を落とし、それをデイパックに仕舞う。
「そうだ、言い忘れていたことがあった」
 ルーシーがぽんと手を叩く。何だろうと美凪は頭を傾げるが、さも当たり前のようにルーシーは言った。

「飯だ。腹が減っては戦は出来ぬ。なぎー、お米券はどこで交換するんだ?」
「……残念ながら、ここではお米券は使えないです。お米屋さんがありませんから」

341人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:21:35 ID:P3exjv9A0
 そんな美凪の言葉を聞いた瞬間、ルーシーがこの世の終わりを迎えたかのような壮絶な表情になった。ぱさ、と既に取り出していたお米券が手から零れ落ちひらひらと宙を舞う。
「う、嘘だ……嘘だと言ってくれなぎー。そんな、ようやく食べ物とは思えないパンとも言えないパンの味から逃れられると思っていたのに……教えてくれ、なぎー、私はいつまでこんな食生活を続けなければならない!?」
 昨晩秋子のおにぎりと味噌汁を食べていたくせにその言い分は間違っているのであるが、そんな事実は美凪の与り知らぬことであるし、グルメなルーシーからすればあんなものは食べ物とすら言えないものであるだろうからそう言ってしまうのも仕方のないことではある。

 だからロクにいい物を食べてこなかったのだろうと勘違いした美凪はこう提案する。

「ハンバーグはお好きですか」
「勿論だ」

 即答。美凪が言い終えてから一秒も経ってない。
「ではお昼はハンバーグにしましょう……まずは材料調達に、れっつごー」
「る……おー、Let's Go! だ」

 当初の目的を取り敢えず後回しにして昼飯を確保するべく動き出す美凪とルーシー。
 この二人、果たしてやる気はあるのだろうか? マイペースな□□コンビの道中はふらふらと続く……

342人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:22:00 ID:P3exjv9A0
【時間:2日目12時30分】
【場所:F−03】

遠野美凪
【持ち物:予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン、予備弾薬8発(SPAS12)+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発】
【状況:強く生きることを決意。CDを扱える者を探す(まず分校跡に)。だがその前にハンバーグを作って食べよう! なんだかよくわからんけどルーシーと親友に(るーさんと呼ぶことになった)】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。美凪に協力(まず分校跡に行く)。でもその前にハンバーグ食べたい! 服の着替え完了。なんだかよくわからんけど美凪と親友に(なぎーと呼ぶことに)】
【備考:髪飾りは倉庫(F-2)の中に投げ捨てた】

→B-10

343十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:13:11 ID:5RrSK1jw0

―――ここには、色々なものが欠けている。
十重二十重に整然と並ぶ擂り鉢のような座席も、二十四フィート四方のキャンバスも、
外側と内側を区切る境界線であり逃亡を許さぬ防壁でもある三本の鋼線もない。
肌をを焼くほどに熱い照明の光もなく、怒号とも悲鳴ともつかぬ歓声も聞こえない。
勝利を、敗北を、力を、修練を、才能を、屈辱を、雪辱を、蹂躙を抵抗を応酬を望み、
そのすべてを焼き付けようと輝く幾万の瞳も、セコンドも、レフェリーも、ジャッジも、
誰も、誰もいない。
凡そここには自分たちの生きてきた世界の構成要素の何もかもが存在していなかったが、
たった一つ、たった一つだけ、拳を交える相手だけが、いた。
それで充分だと、思えた。


***


松原葵は立ち上がる。
立ち上がって、正面を見据える。
見据えて、自分はいったい何人めの松原葵なのだろう、と思う。
ヒトがまだ槍を取ることを知らず、爪と牙で戦っていた頃から数えて、いったい幾人目の松原葵であれたのだろうと、
そんなことを考える。
きっと幾千、幾万の来栖川綾香がいて、幾億もの松原葵がいて。
そうして同じくらいの数の坂下好恵が、いたのだろう。

私たちには、と葵は小指の側から静かに拳を握っていく。
私たちにはそうすることしか、できないのだ。これまでもずっと。これからもずっと。
既に原形を留めていないオープンフィンガーグローブのウレタンを口に咥え、毟り取って、吐き出す。

とん、と。
軽く一つ、ジャンプする。
腰、膝、踝、踵、爪先。問題なし。
マウスピースはない。
口中を舌先で探れば、幾つもの傷と折れた歯の欠片。
鉄の味の唾を吐き捨てて、鼻を拭う。
触れれば鈍痛、血は止まらない。鼻骨が砕けているようだった。
鼻からの呼吸を諦め、口から大きく息を吸い込む。
各部の筋肉が引き攣れるように痛んだが、刺すような感覚はない。
肋骨に異常なし。正確な内臓打ちが幸いしたのだろう。
視界は良好。歪みはなし。眩暈もなし。
左の拳を軽く引き、ジャブを一つ。遠近感にも問題はない。
左半身に構え、右の拳を心臓の上に重ねるように引く。

「―――押忍」

小さな目礼。
その一言が、合図だった。
それまで短髪を風にそよぐのをくすぐったそうに押さえていた綾香が、ゆっくりとその手を下ろしていく。
やや前屈の姿勢、両の腕を比較的高く掲げたサウスポーのボクシングスタイル。
ガードの向こうに見える綾香は口を硬く引き結び、しかしその眼差しが何よりも雄弁に心中を語っていた。
即ち―――快し、と。

344十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:13:43 ID:5RrSK1jw0
闘争という概念の中に身を置くことの悦びが、その瞳に溢れていた。
それは純粋な、原初の愉悦。

張り詰めた空気が、心地よく葵の肌をざわつかせる。
一瞬の躊躇、一手の誤りが敗北に直結する闘争の悦楽が、葵の全身にもまた、満ちていく。
細く長い呼吸の中で、末端神経の一筋に至るまでが研ぎ澄まされていく感覚。

身体に澱んでいた痛覚が、泡沫のように消えていく。
ひどくクリアな視界の中、葵の目に映る綾香は動かない。
じっと何かを待つように、ガードの向こうで牙を剥いている。

故に葵も動かない。
右足を引いた左半身のまま、ステップを踏まぬベタ足で機を窺っていた。
葵は思考する。
綾香が何を待っているのか。何を狙っているのか。
思考する。勝利のために。
思考する。ずっと追い続けてきた背中のことを。
思考する。不敗の女王の戦い方を。


***


来栖川綾香は典型的なストライカーだ。
エクストリームにおける戦績は全勝無敗、打撃によるKO・TKO率は7割を越える。
反面、パウンドを除くグラウンドからのKO勝利は殆ど例がない。
多彩な蹴り技と一撃必殺の左による打撃戦。
それがかつて幾万の観衆を魅了した、女王の戦術だった。
しかし綾香はフィジカルにおいて、特に外国人選手に対しては優位を保っていたわけではない。
むしろ多くの場合において体格面では劣勢に置かれているといえた。
161cm、49kgというのはそういう数字だった。
にもかかわらず彼女が体重別という概念のないエクストリームの頂点に君臨し続け、名実ともに
パウンド・フォー・パウンドの名をほしいままにしていたのには、葵の見るところ三つの要因があった。
一つにはその驚異的な動体視力。二つめに、それを活かしきるだけの反応速度。
そして最後に挙げられるのは、恐るべき適応力だと葵は考えている。
来栖川綾香を最強の格闘家たらしめているのは、その眼と頭脳。
それが葵の見る、常勝の女神を支える柱だった。

345十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:14:25 ID:5RrSK1jw0
後の先という言葉がある。
相手の打ち込みを先んじさせておきながらその筋を見て取り、裏をついて自らの一撃を決めるという、剣の道の教えだ。
攻撃態勢に入ってからその軌道を変えることは容易にできない。
故に、その打撃・斬撃の軌道を観測することができれば、完全な対応が可能となるという戦術理論だ。
無論、言うほど簡単なことではない。
相手に先手を取らせるということは、それ自体が状況的に不利であると言っていい。
一瞬の対応の遅れ、迷いが即ち致命傷となる。
極意を実践に移すには、考えうる限りの攻撃方法に対応できるまでの膨大な練習量と想像力、各流派はもとより
人体工学から生理学に至るまでの知識、そして何より相手の攻撃の出端、その刹那を見切るだけの動体視力が必須だ。
だからこそ極意は概念として伝えられ、目指すべき境地として教えられるに留まっている。
だが、来栖川綾香はそれを実践してみせたのだ。
その才能と努力の、両方によって。

綾香の戦いはだから、極めてクレバーだ。
勝利にいたる最適手を思考し、そのための練習を怠らず、実際に拳を交える一瞬のやり取りの中でそれを判断し、実行する。
そこに一切の迷いはなく、セオリーも奇手もその勝利すべく用意された手段に過ぎず。
だから来栖川綾香と戦った者、その戦いを見た者が、口を揃えて評するに曰く―――「最強」。
それが今、松原葵の眼前に立つ存在だった。

無策で挑めば、必ず敗れる。
打撃の威力において、反応速度において、出入りの瞬発力において、リーチにおいて、ウェイトにおいて、
経験において、知識において、才能において、松原葵は来栖川綾香に劣っている。
ただ殴り、蹴り合うならば、そこに勝利の余地はない。

だから、と松原葵は考える。
だからさっきは、どうにもならなかった。
勝てるはずのない戦い方だった。

そうして、と松原葵は思う。
そうして今はもう、さっきまでとは違う。
勝つために、私は立ち上がった。

追いつくために、その背中を目指してきたんじゃない。
いま目の前にいる人に勝つために、走り続けてきたんだ。
この人がリングから去った後も。
ずっと、ずっと走り続けてきた。
練習と、試合と、練習と試合と練習と試合を繰り返してきた。
いま、誰一人見守る者とてない、この戦いに勝つために。

だから、そう。
ゴングも何もないけれど。
ここが松原葵の目指し、辿り着いた―――最後のリングだ。

さあ、
女王を越えるための戦いを、始めよう。


***

346十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:15:39 ID:5RrSK1jw0

先に動いたのは葵だった。
ほんの半歩を踏み込めばそこはミドルレンジ。
ガードの高い綾香の視界の外側から狙うのは前屈姿勢の軸足、右腿へのローキックである。
鞭のようにしなる蹴り足が迫るのを、しかし綾香は右脚を上げることで正確にカットする。
ディフェンスされるのは織り込み済みとばかりに、葵が勢いを止めずに打って出る。
左のローを戻すか戻さぬかの間合いから右のストレートへと繋ぐ葵。
綾香のガードを弾くには至らないが、元よりガードを釘付けにするのが目的の一発である。
次の瞬間には更に一歩を踏み込み、クロスレンジへと移行している。

迎撃の右ジャブを葵は左ガードから内側へパリィ。
ガードの空いた顔面に向けて打つ右ストレートは、僅かに頭部を傾けた綾香に回避される。
姿勢を崩したかに見える綾香の、だが右膝が毒針の如く伸びてくるのを葵は見ていた。
完璧なタイミングのカウンターに、ステップでの回避は間に合わないと判断。
打ち抜いた右の拳を戻すよりも早く膝がヒットする。
ならば、と葵が選んだのは、回避ではなく更なる打撃。
右の拳を戻すのではなく、振り抜いた体勢から状態だけを強引に捻る。
間合いは至近。鋭角に曲げた肘が、旋回半径の小さな弧を描く。
ご、と小さな衝撃。
葵の肘と綾香の膝、その両方がヒットし、しかし互いに有効な打撃とはならない。
右側頭部を抉る軌道の肘が直撃するのを避けようと、綾香が重心を崩した結果である。
間合いは変わらずクロスレンジ。
だが回転の勢いで綾香に向き直りつつある葵に対し、綾香は姿勢を崩している。
千載一遇の好機に、葵の左足が大地を噛み、同時に右足が蛇の如く低空を這って綾香に迫る。
捻った上体はそのままに肘を振り抜き、しかし転瞬、その掌が綾香の顔面を覆うように広がると、
左の側頭部、耳の辺りを髪ごと掴む。
膝を止められ片足で立っている綾香の、その軸である左の足が、正確に払われた。
完璧に決まったのは、葵の変則小内刈り。
綾香の身体が円を描くように宙を舞う。
そのままいけば、柔道であれば背中を付いて文句なしの一本という軌道。
だが葵は投げた姿勢を自ら崩し、地面に叩き付けられようとする綾香を更に巻き込むように重心をかけていく。
左側頭部を掴んだ右手をそのままに、空いた左の手は掌底の形に固められ、綾香の鼻面へと添えられる。
刈った右の膝もまた引かれることなく綾香の下腹部、恥骨の上に密着していた。
受身を許さぬ、危険極まりない投げである。

「……ッ!」

347十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:18:09 ID:5RrSK1jw0
綾香の目が見開かれ、しかし完璧な空中姿勢からは文字通り手も足も出せず、その首筋から
剥き出しの岩肌へと吸い込まれていく。
次の瞬間、鈍い音が響いた。
大地に叩き付けられた延髄、掌底の衝撃を殺せずに砕かれた鼻、そして真っ直ぐに膝で貫かれた腰椎。
人体の要衝である三点に対する同時打撃。
相手を再起不能に追い込むことを目的とした破壊的な攻撃に、綾香が悶絶する。
かは、と綾香が小さな呼気を漏らすのを聞くより早く、葵が動いていた。
右膝を腰の上から腹部へとずらし、左の足を伸ばして膝を床から浮かせた、ニーオンザベリーの体勢を取る。
ぴったりとしたボディスーツを着込んだ綾香の襟は取れない。
故に左手で綾香の髪を掴み、延髄への衝撃で一瞬だけ意識を飛ばした綾香が回復するより前に右拳を固め、
正拳ではなく拳の側部、第二中手骨を叩き付ける様に、破裂したように血を流す綾香の鼻と目の間を目掛けて、
躊躇なく振り下ろす。
一撃、鮮血が飛び散る。
ニ撃、粘液が糸を引く。
三撃、音が、消えた。

「……!?」

固い手応え。
ごつ、という重い音と共に拳と岩肌の間で跳ね回っていた綾香の頭部を打ち砕かんとする三撃目のパウンドは、
その着弾の寸前において、止まっていた。
綾香の両の腕が十字の形をとって、葵の拳を受け止めていた。
ガードの向こう、綾香の目が己をねめつけているのを、葵は見た。
眼球の毛細血管が破裂したか真っ赤に充血した、それでも爛々と輝く瞳の力強さに、葵の背筋が凍る。
まずい、と直感する。
葵がその半生を賭けて打ち込んできた闘争の経験が警告を鳴らしていた。
体制を立て直そうとした瞬間、伸びきった葵の右腕が、がっちりと綾香の両手に掴まれていた。
迂闊、と後悔にも似た思考が過ぎった刹那、葵の視界が唐突に黒く染まる。
重い感触が葵の顔面を薙ぐと同時、ぐらりと重心が揺らぐ。
掴まれた右腕を軸に、円を描いて巻き込まれるような感覚。
警告。警告。警告。危険。危険。危険。
葵の脳裏に数秒後の自身の姿が浮かぶ。
見事なスイープから腕十字。折られる右腕。敗北。


***

348十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:18:38 ID:5RrSK1jw0

一秒にも満たぬ刹那の中、勝機が泡沫のように消えていく。

 ―――やられた!

時間がいつもの何倍にも引き伸ばされたような感覚の中で、葵は歯噛みする。
来栖川綾香を倒すための戦術は完璧だった。完璧の、筈だった。

綾香の強さは、その眼と頭脳。
その裏づけとなるのは、膨大な練習量だった。
対戦相手のあらゆる戦法に対応するだけのシミュレーション能力と、実戦の中で無数に派生していく
その攻撃パターンに練習成果を当てはめる適応力。
それこそが綾香の強さの源泉であると、葵は確信していた。
対戦相手を研究し、シミュレーションを重ねた綾香に予想外という言葉は存在しない。
たとえ試合開始直後に僅かな誤差があったとしても、次のラウンドにはそれを修正してくるのが来栖川綾香だった。
想定の中で戦う綾香は無敵だ。
故に、松原葵が来栖川綾香に勝利するための戦術はただ一つ。
綾香の思い描く、松原葵という格闘家像―――その外側から、戦うことだった。

綾香の現役時代から現在に至るまで、葵のスタイルは一貫してストライカーである。
それは無論、葵が空手を出身母体としていることに起因していたが、しかしエクストリームのリングへと
上がるにあたって、寝技の練習を怠ったことは一度としてなかった。
柔術やサンボをベースとする選手と相対したとき、グラウンドに持ち込まれた段階で
敗北が確定するというのでは話にならない。
練習を重ねる内、葵のグラウンド技術は着実に向上していった。
その中でトレーナーからグラップルへの転向を勧められたことも何度かあった。
153cmという葵の身長はストライカーとしては不利といえたし、グラウンドの技術に関する飲み込みの速さは
自身でも自覚していたが、葵はそれをすべて断っていた。
空手に対する愛着もあった。
打撃で相手を仕留める快感も魅力だった。
しかし何よりも大きく葵の心中を占めていたのは、他の理由だった。
即ち、来栖川綾香という存在への挑戦を念頭に置いた、秘匿戦術。
ストライカーとしてだけでなく、グラップラーとしての戦い方を身につけたトータルファイターとしての
松原葵を見せれば、綾香は必ずそれに対応してくる。
それでは勝てないという確信が、葵にはあった。
故に、葵はリング上ではストライカーであり続けることを選んだ。
ただ一度、至高への挑戦において勝利を得る、そのために。

349十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:19:10 ID:5RrSK1jw0
練り込んだ戦術は、その功を奏した。
あのクロスレンジ、綾香の動きは投げの可能性をまったく想定していなかった。
一瞬の戸惑いを逃さず、完全に機を手にしたと言っていい。
そう、投げからのポジショニングまでは完璧だった。
否、完璧すぎたのだと、葵は自省する。
パウンドで勝てると、グラップリングに持ち込む必要がないと、そう思ってしまうほどに。
慢心の謗りは免れ得ない。
来栖川綾香を相手にしながら、これまでの自分が通用すると勘違いしていた。
つい今しがた、完膚なきまでに叩きのめされたことを忘れたとでもいうのだろうか。
ストライカーとしての松原葵は来栖川綾香に遠く及ばないと思い知らされたはずだ。
愚かな選択を悔やんでも、時は戻らない。
戻らないが、悔やまずにはいられなかった。
グラップラーとしての松原葵が通用するのはほんの一瞬だけだと、葵は理解していた。
投げが決まり、綾香の意識を飛ばした一瞬がすべてだったのだ。
その機会を逃してしまえば、綾香はグラウンドで勝負をかけられる松原葵に、適応する。
ならば猶予など存在するはずもなかったのだ。
ウェイトに欠ける自分がニーオンザベリーからのパウンドなど狙うべきではなかった。
横四方からの膝、否、間髪を入れない腕十字。
利き腕は取れずとも、右の腕を破壊せしめれば勝利は確定していたはずだ。
グラップリングを隠し球として好機を掴みながら、最後の詰めで打撃にこだわった、それが敗因。

 ―――敗因?

否、と葵は思う。
一瞬にも満たぬ時の中で、葵は浮かんだ思考の帰結を否定する。
消えていく好機を、失われた勝利を、葵はまだ、諦めるわけにはいかなかった。
勝ちと負けの間に飛び込めば何かが変わると思って、それでも何も変わらなかった。
殴られる痛みも、殴った相手から流れる血も、潰した鼻にもう一度拳を叩き込むときの濡れた感触も、
何一つとして、ブラウン管の向こう側に見ていたのと違わなかった。
リアルなんてその程度のもので、知ってしまえば、反吐が出るほどにつまらない。
けれど、たった一つ。
たった一つだけ、葵を揺り動かしたもの―――勝利。
幼い頃に見た光景の意味を知るための手段であり、その結果でしかなかったはずの、
明快にして残酷な、絶対の回答。
しかし、いつしかそれは密やかに、葵自身でも気づかぬほど密やかに手段という概念を越え、
結果という単語を凌駕し、唯一至上の目的になっていた。
諦められるはずが、なかった。
まして相手は、至高。
憧れ続けた不敗の女王。
ほんの一秒の迷い、ほんの一手の誤りが敗北に繋がるというのなら。
迷いなく、誤りなく、足掻き続けよう。

350十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:19:27 ID:5RrSK1jw0
右腕を極められ、視界はゼロ。
回転はまだ半ば。綾香の身体は密着状態。踏み込みは使えず。
左の拳は空いている。呼吸はできる。敵の位置は分かる。

ならば。
ならば、まだ―――続けられる。

時が動き出す。
重力を感じる方向が変わっていく。
伸びた右腕の腱が嫌な音を立てている。
綾香の身体は熱く、流れる汗は冷たい。
それが、感じられるすべて。

細く息を吸う。
身体が上を向く。
左の拳を、綾香の腹にそっと押し当てる。
細く、細く息を吸う。
肩が大地に触れる。
綾香の身体が、完全に横倒しになっていく。
細く、細く、細く息を吸う。
右肘の関節が、可動域を超えた圧力に悲鳴を上げる。
肩甲骨までが地面を擦った、刹那。

練り上げた呼吸が―――爆ぜた。


***

351十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:21:05 ID:5RrSK1jw0
かひ、かひ、と。
細く荒い呼吸を繰り返すのは、右の肘を押さえた葵であった。
鼻血が汗と混じって、ぼたぼたと地面に垂れている。

その眼前、咳き込むことすらもできず蹲る姿があった。
来栖川綾香である。
両手で右の下腹部あたりを押さえたまま、動かない。

寸勁。
ワンインチパンチとも呼ばれる、至近の打撃。
形意拳の崩拳とも似た、しかし非なる拳理によって生み出される破砕の拳。
それこそが松原葵が来栖川綾香に挑み、勝利するための、もう一つの秘手だった。

ゆらり、と紫色に腫れ上がった右の腕を離して、葵が立ち上がる。
呼吸は荒く、足取りは覚束ず、しかし眼光だけはぎらぎらと光らせて、葵が綾香に歩み寄る。
綾香はうつ伏せに蹲ったまま動かない。
おそらくは腸の一部が破裂しているのだろうと、葵は見て取る。
失神せずにいるのが不思議なくらいだった。
短く切り揃えられた綾香の髪を、無造作に掴み上げる。
微かな吐息を漏らし、しかし抵抗らしい抵抗を見せない綾香の、白い喉にそっと腕を回していく。
背中から抱き締めるように、いとおしむように、葵は己の身体を綾香に密着させる。
腕が、綾香の首を回ってクラッチされる。
最後に地面を蹴るように、重心を移動。ごろり、と転がる。
仰向けになった綾香の背中に、葵が張り付くような格好。
腹を押さえる綾香の腕の下から、葵の足が絡まっていく。
バックグラブポジションからの裸絞め。
ぎり、と葵の腕に力が込められた。
綾香の白い細面に血管が浮き上がり、見る間に赤く染まっていく。
びくり、びくりと痙攣する綾香はしかし、首に回った腕を振りほどく仕草をすら見せようとはしない。
抵抗しようにも、この体勢になってしまえば最早その手段とてありはしなかった。

「ねえ、綾香さん」

352十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:21:26 ID:5RrSK1jw0
静かに、語りかける。
ほんの数秒、綾香の意識が落ちるまでの数秒に、問う。

「綾香さんにとって、戦うって」

それが、葵の勝利宣言だった。

「戦うって……どういうこと、でしたか」

答えは返らない。
当然だった。全力で気道を締め上げている。
声など出るはずがなかった。
綾香の体温を全身で感じながら、葵は確信する。
不敗の女王の伝説に終止符が打たれる瞬間が、すぐそこまで来ていることを。
己が勝利が、ほんの数秒後に迫っていることを。

そして、葵は思い知る。
確信が、脆くも崩れ去っていくことを。
数秒後の栄光など、存在しないことを。

「……え、」

声を漏らしたのは、一瞬。
最初に感じたのは、違和感だった。
次に襲ってきたのは猛烈な寒気。
同時に、圧倒的な熱。
そして最後に、激痛と呼ぶも生温い、衝撃だった。

353十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:21:52 ID:5RrSK1jw0
「あ、……ッ、……」

悲鳴も出ない。
絶叫も上がらない。
震える横隔膜が、狂ったように鼓動を跳ね上げる心臓が、それを赦さない。
反射的に溢れた涙に霞む視界の向こうに、じわりと広がる赤があった。
すっかり泥に汚れた体操服に滲む、自らの鮮血だった。

それは、爪のように見えた。
貫手のように伸ばされた指から生えた、鋭く細い何か。
来栖川綾香の手から、松原葵の胴へと伸びる何か。
滲み、広がっていく血の真紅と同じ色をした十の刃が、葵の腹を両側から刺し貫いていた。


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