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避難用作品投下スレ3

305希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:33:21 ID:15bKxc7I0
 気にするようなことか? とも思ったが理由もないではない。芳野は丁寧に返答する。

「まずお前が銃を持っているからだ。室内では発砲したときにどこかで兆弾する可能性があるからな。それに戦力のバランスを取ろうとすると俺はこういう人選にしたほうがいいと思った。異論は」
「……別に、特定の子と一緒にいたいとかそういうわけじゃないんだ」

 そんなことを言っている場合じゃないだろう、と言いたくなった芳野だが年頃の女が考えるのはそんなことなのかもしれない。
 どう言ったものかと思案していると、流石に不謹慎だと思ったのか窘めるようにして瑞佳が詩子の頭をこつんと叩く。

「柚木さん、今は非常時なんだからそんなことを考えてる暇はないと思うよ」
「ま、そうなんだけど……そういうのちょっとくらいあるんじゃないかなって思って」
「……芳野さん、私からも一ついいですか」

 ああ、長森がしっかり者で良かったと芳野がホッとしていると、今度はあかりが手を上げて質問する。

「人を探すほかにも役に立ちそうな物を探すんですよね。例えばどんなものを?」
「ドライバーとかの工具だな。後は車のバッテリーとか、エンジンオイルなんかも欲しいところだ。他には適当に武器になるものや、あるいは防具になりそうなものでもいい」
「要するに車関係の物を集めればいいのね? 任せて、こう見えても私機械いじりは少しだけどやったことがあるんだ」

 詩子がえへんとない胸を反らす。バッテリーの取り外し方などを説明しようと思っていた矢先のことだっただけに意外な言葉だった。

「そうか、なら外は任せたぞ。他に質問とかはないか」
 あかりも瑞佳も、もう訊きたいことは無いようであった。それを確認すると「行動開始だ」と静かに告げて四人は二組に別れる。
 芳野たちは裏口から校舎の中に。
 詩子たちはそのまま学校の周りを迂回するように移動を始めた。

     *     *     *

306希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:33:51 ID:15bKxc7I0
「ここなの」
 一ノ瀬ことみは一人、鎌石村小中学校内部にある『理科室』のプレートを指差して言った。
 保健室で酔い止めの薬を服用して少しは気分が楽になったことみは聖に理科室まで行って硝酸アンモニウムを取ってくることを申し出た(もちろん筆談で)。
 当然聖は「危険だ」と止めたのだが、保健室は医療品が多く置いてあるので殺し合いに乗っているいないに関わらず多くの人間がやってくる可能性が高く、特に殺し合いに乗った人間にそういったものを渡してはいけないので守りを固めて欲しいこと、そしてもし傷ついた『乗って』いない人のためにも医者として残っていて欲しいことを伝えると、渋々だが了承を得ることができた。

 そして今に至るというわけだ。
「比率から考えると、大体5〜6kgくらいの量が妥当なの。そして私の腕力から考えてもそのくらいの重さは楽勝なの」
 綿密な計算の元はじき出された答えに自分でうっとりしながら理科室に入ろうとした、その時だった。
 廊下の遥か向こう、曲がり角から人影が二つほど現れたのが分かった。
「!」
 危機を感じて隠れようとしたことみだが廊下に物陰はない。理科室に入っても扉の開閉音で逃げたと分かるだろう。学校の校舎が古いことを、ことみは呪った。殺されるのを覚悟で逃げ出そうとしたが、その前にことみの存在に気付いたらしい二人組が声をかけてきた。

「そこに誰かいるのか」
 びくっ、と体を震わせながらもことみは気丈に十徳ナイフを取り出しながら言葉を告げる。
「だ、誰!?」
 相手はことみの怯えた気配に気付いたのか、今度は女性と思われる人物が穏やかな声でことみに言う。
「ごめんなさい、びっくりさせてしまって。私たち、殺し合いには乗っていません。人を探してるんです」
 少しずつ相手が歩み寄ってくる。暗い校舎の中で声だけしか分からなかったのが、徐々に顔も分かるようになってきた。

 先程ことみに話しかけた一人は短い髪にリボンで彩り、そして何故かファミレスの制服を着ている、神岸あかり。
 もう一人は背丈の高い、しかしあまり目つきの良くないむすっとした表情の男、芳野祐介。
 あかりはともかくとして、芳野に対してあまりいい印象を持たなかったことみは、警戒を解かずにナイフを向けながら威嚇する。
「……しょ、証拠はあるの?」

 疑いの念を解かないことみにあかりが困ったような目線を芳野に向ける。
「……俺のせいか?」
「芳野さん、『誰かいるのか』なんて思い切り怖い声で言ったじゃないですか」
 心外だ、とでも言わんばかりに芳野は肩をすくめると自分のデイパックとサバイバルナイフをことみの足元へと投げ捨てる。あかりもそれに倣って包丁とデイパックを投げ入れる。それでようやくことみも納得し、十徳ナイフをデイパックに仕舞うとこちらも殺し合いの意思はないというようにデイパックを芳野側に向かって投げた。

307希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:34:26 ID:15bKxc7I0
「ごめんなさい、いきなり出てきたから怖くって……」
 あたまを下げることみ。ホッとしたあかりはことみのデイパックを拾うとそれをことみまで持っていってやる。
「いいよ、いきなり現れた私たちも悪いんだし。ね、芳野さん」
「だから、そんな恨みを買われるようなことをした覚えはないんだが……俺は愛に生きる男なのに」
 複雑な表情でことみの近くにあった自分達の武器とデイパックを拾い上げる芳野。サバイバルナイフを腰のベルトに差すと、包丁と彼女の分のデイパックをあかりに返す。

「それより、どうしてこんなところに一人でいたの? ええと……」
「あ、はじめまして。私は一ノ瀬ことみです。趣味は読書です。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「あ、神岸あかりです。好きなものは熊さんです。もし良かったらお友達になってくれると嬉しいです」
「……芳野祐介。電気工だ」

 芳野さんノリが悪いですよ、という非難の目線があかりから向けられたような気がした芳野だが、さらりとスルーして話を進める。

「それでどうしてここに?」
「あ、それは……」

 ことみは喋りかけて、口をつぐむ。ここで話してしまえば秘密裏に進めている首輪解除の情報が主催に伝わり、全てが水泡に帰す。とりあえず「人探しをしているの」と言ってデイパックから地図と筆記用具を取り出し、裏側にことみと聖の進めている計画を簡単に書き綴る。
 最初何をしているのかと不思議に思っていた二人だったが、ことみが書いた計画のあらましを知ると、了解したように頷く。

「そうか……俺達に何か手伝えることはあるか」
「うん。私達は灯台の方へ探しに行くんだけど、そっちは学校から西を探して欲しいの」

 言外に、そちらの方面から材料を探してほしいのだと、芳野もあかりも理解する。
「あ、そうだ。ことみちゃん、この人たちを知らない?」
 一応体裁を取り繕うのと、情報を得る意味であかりは名簿にあかり、瑞佳らの探している人物を丸でかこったものを見せる。
 ことみは黙って首を振るとまた紙に何かを書いていく。黙っていると不審に思われると考えた芳野が、ことみの計画の信憑性を確かめる意味も兼ねて質問する。

308希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:34:51 ID:15bKxc7I0
「一ノ瀬、お前たちの探しているの、本当に見つかるのか? ロクに情報もないんだろう?」
「それはそうだけど、でも、やってみなくちゃ分からないの。一応だけど、アテはあるから」

 タイミングよく書き終えたことみが、書いた内容を見せる。
 まずはこの理科室で硝酸アンモニウムをできるだけ取ってきて欲しいこと、そしてそれを外にある体育倉庫に保管して厳重に戸締りしておくこと、それから軽油やロケット花火を手に入れてきて欲しいことを伝える。
 手に入れた材料を保管しておくのは爆弾の材料を誰かに悪用されたら大変だ、と考えた結果だった。

「取り合えず私と一緒に行動している聖先生にこのことは報告しておくから、先に行ってて欲しいの」
「分かった。一応信用しよう。俺達の探している奴らのことも、よろしく頼む。それと外に残してきてる奴らもいるからな。そっちの連れには会えないがまた目的を達成するときに会おうと言っておいてくれ」

 あいあいさー、と芳野の言葉に敬礼で答えることみ。と、人探しをしているという名目だったのに肝心の探し人の情報を訊いていないことに気付き、慌てて「待って」と呼び止める。
「どうした」
 さらさらと紙に「一応私にも探してる人はいるの。訊きそびれちゃったから」と書いて名簿の『岡崎朋也』『藤林杏』『藤林椋』『古河渚』『霧島佳乃』の名前を丸でかこっていく。

「どうして口頭で言わ……」
 口を開きかけたあかりの口を塞ぐと、芳野が首を振る。岡崎朋也は芳野の知り合いでもあったが居場所を知っているわけでもないし、会話の流れ上下手に喋るのはまずい。むーむーと苦しそうにするあかりをそのままに、芳野の反応を確認したことみが「ううん、やっぱりなんでもないの」と言って会話を終了する。
「それでは、なの」
 ぺこりとお辞儀をすると、ことみは今度こそその場から背中を向けて去っていった。

「むぐー!」
「ああ、悪かった」

309希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:35:13 ID:15bKxc7I0
 まだ口を押さえていた芳野に、あかりが怒ったようにくぐもった声を出したのでようやくその手を離す。
「っは、芳野さん、何するんですか!」
 ずいっと詰め寄るあかりに、「悪かったって」と冷静にいなしながら芳野は耳元で、小声にその理由を話す。

「会話の流れだ。人探しの件なら俺達に首輪云々の以前に話せば良かった。だがそれを言い出さないまま話を進めてしまったからな。『探して欲しい』と言った後に改めて誰々の居場所を知らないか、と言われたら不自然だろ?」
「……そうなんですか?」

 気にするほどのことでもないのに、と小声で呟くあかりに「用心は重ねておくに越したことはないんだ」と釘を刺してから小声で話を続ける。
「一ノ瀬の挙動で分かるだろう。あれはかなり綿密な計画だ。俺達が知らされたことはあらすじで、恐らくあいつは頭の中でかなり考えたシナリオを練っているはずだ。下手を打って台無しにさせるわけにもいかない」
 確かに、あれだけ流暢に説明できるということはそれなりにシナリオを考えてあるということなのだろう。逆を言えば一つのミスが大きく歯車を狂わせる。
 芳野の慎重な挙動も納得がいく。

「すみません、軽率で」
「いや、この程度ならまだいい方さ」

 芳野は「気にするな」と頭をぽんぽんと叩いて「さて」と話を変える。
「まずは目の前の仕事を片付けるぞ。終わったら長森や柚木達と合流してあいつらにも手伝ってもらおう。先は長いぞ」
 理科室に入っていく芳野の後を追うようにしてあかりも続く。芳野の足取りは、少し早まっているように思えた。それはあかりとて同じだ。
 なぜなら、今まで何も見えなかった脱出へのレールが、ようやくその姿を見せ始めたのだから。

     *     *     *

「これ、こう……ちょちょっと……ほら!」
「わっ、すごい。本当に取れた」
 学校裏にある駐車場の一角で、柚木詩子と長森瑞佳は放置してあった自動車のボンネットを開けて中身を弄繰り回していた。たった今バッテリーを外して地面に下ろしたところである。

310希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:35:38 ID:15bKxc7I0
「まー私にかかればこんなもんね。でも一体何に使うんだろ?」
 詩子にとってみればバッテリーは充電する以外あまり使用用途が分からないので頭を捻るばかりだ。もっともそれは瑞佳も同じことなのであるが。
「うーん……何かの機械を動かすとか?」
「そんなとこだろうけど……何を?」
「「う〜ん?」」

 二人して悩む。とにかく詳しいことは芳野に聞いてみなければ答えは得られなさそうだ。
「まあいいか。次はエンジンオイル……だけど、さすがにこれは私も無理……で長森さんも無理だよね」
「うん、全然……」
 そもそもここにある車にオイルが入っているのか、という質問はこの際考えないことにする。気持ちを切り替えて次の物資を探しに行こうと立ち上がる二人。

「お嬢さん方、何をなさっているのですか?」

 その背後から、やけに紳士的な声がかけられる。それがあまりにも場違いだった故に、かえって二人の心に不安のようなものが浮かぶ。
 振り返ると、そこにはやけに人懐っこそうな笑顔を浮かべた――岸田洋一の姿があった。
 内心危機感のようなものを感じつつ、詩子は平静を装いながら岸田に、彼女らしくもない態度で臨む。

「い、いえ、ちょっとした……集め物でして」
「ほう? 一体何を?」
「……これです」

 瑞佳が足元にあるバッテリーを指差す。岸田はそれを一瞥すると「そんなものを、何に?」と尋ねてきた。その細い目つきからは芳野以上に思考を読み取れない。だが答えないわけにもいかず、詩子はありのままに事情を話した。
「はあ……なるほど、ひょっとしたら、私同様首輪を外そうとしているのかもしれませんね」
 岸田の言葉に口を揃えて「え!?」と驚く二人。そうだ、そういえば、目の前のこの男は、あるはずの首輪をしていないではないか。

「あなた、どうやって……!」
「おっと、口を謹んで」

311希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:36:07 ID:15bKxc7I0
 興奮して岸田に詰め寄ろうとする詩子を引きとめ、口元に手を当てる岸田。
「どこかの誰かさんが盗み聞きしているかもしれませんから、そう簡単にタネを話すわけには」
 あ……と、二人が気付く。盗聴されているのだ。この首輪を通して。下手をすればその場でこれが爆発するかもしれない。思わず詩子も瑞佳も首輪に手を当てる。今のところ、異常はない。
 ホッとする二人をそれぞれ見回すと、岸田が言葉を続ける。

「まあ、おおよそは私の用いたのと必要なものが同じですからね……恐らく、残りは武器にでも使うつもりなのでしょう」
 岸田の言葉が本当だとするならば、芳野があまり深くは語らなかったのも納得はいく。なら、本当に首輪は外せるのか?

「あの、一つ訊きたいんですけど」
「何かな?」
 瑞佳が手を上げるのに、岸田は変わらず丁寧な調子で答える。瑞佳はそのまま続ける。
「首輪を外せたのなら……どうして、脱出しないんですか? 先に外に出れば助けを呼ぶなりできると思うんですが」

 それは詩子も疑問に思うところだ。あまり考えたくはないことだが、誰だって自分の命は惜しいはず。最大の脅威が排除されたのならいつまでも危険が存在するこの島に留まる必要はなに一つないのだ。
 岸田は眉間に皺を寄せ、「それがですね」と困ったような表情になって言った。

「色々と見て回ったのですが……ここは絶海の孤島。そして、船はこの島に一つとして残ってはいないのですよ」
「残ってないって……」

 明らかに人が住んでいる気配のあった島なのに、船がないのはおかしい。そう反論しようとする詩子だが、岸田は首を振る。
「恐らく、この殺し合いを管理している人間が全て壊したか、持ち去ったのでしょう。万が一、に備えて」
 詩子は絶句するが、確かにそれはあり得ない話ではない。殺し合いを継続させるためにそれくらいの措置をとっていてもおかしくはなかった。
「ですが、何も奴らだって泳いでここから帰るわけではないでしょう。殺し合いが終わったとき、必ずヘリか船か……連絡を取って呼ぼうとするでしょう。その通信機さえ奪ってしまえば」

 岸田の言葉は憶測の域を出ないが、説得力は十分にあった。管理者側も完全に外部と通信を遮断しているとは考えられない。本拠地には、必ずそういったものがあるはず。
「しかし、それを一人で行うにはあまりにも無謀なのです。だから危険を承知で歩き回って、探しているのです。この殺し合いを管理している奴らを共に倒せる人間を」
 拳を握り締めて、岸田は熱弁を振るう。その言動からは当初感じていた気味の悪さはもう残っていない。この殺し合いに抗おうとする志のある人物のように思える。信じても……良さそうなくらいに。

312希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:36:40 ID:15bKxc7I0
「柚木さん……」
 詩子を見る瑞佳の目は、半ば岸田を信頼しているようであった。いや詩子もそうであったのだが、どこか一つだけ、ほんの些細なことであるが、忘れてしまっているような気がした。それが喉に、小骨が食い込むように。
 いや、と詩子は思い直す。最初に感じた嫌な雰囲気をそのまま引き摺っているだけだ。これはまたとない脱出のチャンスだ。ここを逃してしまっては、もう次はない。
 うん、と詩子は瑞佳に同調するように頷いた。

「あの……聞かせてください。それを、外す方法」
「おお、では!?」

 喜びの表情を見せる岸田に、二人が再度頷く。岸田は嬉しそうにしながら二人を手招きする。

「では、お二人との共同戦線の証明代わりに……握手を」
 手をすっ、と差し出す岸田に吸い込まれるように近づく二人。

「あの、そういえば名前を……」
「ああ、私ですか?」

 瑞佳が名前を訊いたとき、岸田の目元が僅かに歪むのを、詩子は見逃さなかった。
 待て。そうだ、こんな感じの特徴を、誰かから――

「!」

 忘れかけていた情報が、詩子の脳にフィードバックする。この身体的特徴、以前に聞いたある男に一致するではないか!

「ダメ! 長森さん離れて!」
 とっさに詩子が瑞佳を突き飛ばしたのと、岸田の腕が詩子の首に回ったのは同時だった。
 突き飛ばされて思わず転んでしまった瑞佳が、わけが分からぬ表情で岸田と詩子の方を見上げる。そこには――

313希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:37:03 ID:15bKxc7I0
「いい勘をしてるが、気付くのが遅かったな! 俺の名前か? 七瀬彰、とでも名乗っておこうか? ククク……」

 首を締め上げられ、胸元にカッターナイフを突きつけられる詩子の姿と、七瀬彰と偽名を名乗る岸田洋一の姿があった。
 詩子は首を半分締め上げられたまま宙吊りにされ、苦しそうな表情になっていた。
「な、ながもり、さん……私の、ミス、だから、にげ、て」
 十分に酸素が行き通らず声が出せないながらも詩子は瑞佳に逃げるよう指示する。しかし瑞佳は状況が読み込めないまま、ただ呆然としていた。

「え? これって……どういうこと? 七瀬彰……さん? なんで、こんな」
「まだ分かってないみたいだな。俺の言ったことは、嘘だ。大嘘なんだよ。そして今俺は君の連れを人質に取っている。お分かりかな?」

 震える瑞佳に対して、岸田は鼻を鳴らしながら返答する。続いて締め上げている詩子の方へと視線を移すと、
「さて、この勇ましいお嬢さんだが……立場を分かってもらわなくては、なぁ!」
 ぐっ、と更に首を締め上げる。詩子は必死に腕を外そうとするが、力があまりに強くロックを外せない。さらに不幸なことに、武器はバッテリーの近くに置きっぱなしのまま。反撃などもっての外だった。
「や、やめてっ! 柚木さんを放して!」
 そんな言葉をこの男が聞くわけがない。逃げて、と言おうとする詩子だが意識が朦朧として発声すらできない。思いが、伝えられない。

 そして詩子と瑞佳の意思を嘲笑うように、岸田はイヤらしい表情を浮かべる。

「そうだな、放してやらんでもないが……脱げ」
「え……?」

 岸田の放った言葉の意味が分からず、オウム返しに言葉を返す瑞佳。

「武器を隠されでもしていたらたまらんからな。脱げ、下着一枚残さずにな。服は真後ろに投げろ」
「そ、そん、な」

314希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:37:30 ID:15bKxc7I0
 なんて、奴――!
 朦朧とした意識ながらも、詩子はこの男の残虐性を知る。こともあろうに、この男は瑞佳にストリップショーをさせようとしているのだ。
 ダメだ、そんなことをさせてはいけない!
 詩子は必死に抵抗を試みるも、それは形にならない。僅かに身をよじる程度が精一杯で、怯ませることなど出来もしなかった。

「おや、立場を分かってないですね、このお嬢さんは。そんな悪い子には……!」
 岸田はカッターを仕舞うと、入れ替わりに今度はベルトの後ろにでも差していたのだろう釘打ち機を取り出して詩子の腕に向かってそれを、引いた。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
 首を絞められているせいで声が出なかったが、想像を絶する痛みが詩子の体中を駆け巡り、釘が打ち込まれた上腕部から赤い染みが広がっていく。

 同時に、詩子の顔が苦悶の表情に塗り変わっていく。それを捉えた瑞佳が、意を決したように叫ぶ。
「わ、分かりました! 脱ぎます! 脱ぎますからっ!」
 言い終わるか終わらないかのうちに瑞佳がファミレス服に手をかけ、それを取り去る。
「ククク……」
 岸田の表情が喜悦に変わる。この男はこんな悪魔の如き所業を、楽しんでいた。

 相変わらず釘打ち機は詩子に突きつけながら、瑞佳が一枚一枚服を脱いでいくのを眺めている。時折、舌なめずりしながら。
 恥を捨てて、人質に取られた知り合いのために、ついに瑞佳は上下の下着一枚ずつのみとなった。学生らしい清楚な、白色の下着が白日の下に、岸田と詩子の目に晒される。ひゅう、と岸田は口笛を鳴らしながらも僅かにも満足した様子はない。
「さぁ、ここからが本番だ。脱げ。お前の恥ずかしいアソコを俺の目に晒せ! さぁ!」
 ……しかし、流石に瑞佳にも抵抗があるのか、指はブラのホックにかかるがそれ以上の動きは見せない。腕を体の後ろに回したまま、瑞佳は固まってしまっていた。

 中々動かない瑞佳に対して、岸田は罵声を飛ばす。

「白馬の王子様が迎えにくるのを待っているのか? 哀れな自分を助けてくれる正義のヒーローが来るのを? はっ、王子様にもヒーローにも、ペニスはあるけどなァ! ハハハハハッ、逆に興奮して犯されるかもしれないぞ!? 見られたいのか!? そんな自分を見られたいのか!? 俺とこの女だけのうちに、さっさと脱いでしまうことを、俺はお勧めするがね!」

 岸田の言っていることは、援軍が来る前に別のマーダーがやってくるかもしれないということを示唆していた。そしてそれが岸田と同じような、卑劣な悪漢である可能性も。
「……」
 意を決したように、瑞佳が手を動かす。シュルッ、という衣擦れの音がして、瑞佳の絶妙な胸が晒される。桃色の乳首が風に撫でられほんの少し震えた。
「ハッ、ハハハ! やりやがった、本当にやりやがった! 素直でいい子じゃないか……ん、いい色艶だ……」

315希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:37:54 ID:15bKxc7I0
 けらけらと楽しそうに笑いながら岸田は視線を下に移す。もう何も思うこともなく、瑞佳がショーツを下にずらす。詩子は、直視することができず目を閉じてその光景を受け入れまいとした。だが詩子の耳元で、岸田が囁く。

「お前、もう用無しだな」

 え?
 脱ぎさえすれば、恥辱を受け入れさえすれば少なくとも瑞佳は開放されるのだと、そう思っていた詩子にはあまりにも不可解な言葉だった。
 考えてしまう。もしかしてこの男は、最初から皆殺しにするつもりだったのではないかと。脱衣ショーなど、目的のための手段に過ぎないのではないか、と。

 それが、詩子の死因となった。
 びくんっ!
 考えずに、一縷の望みを捨てずに最後まで抵抗すればあるいは詩子は死なずに済んだのかもしれない。だが、一瞬でも思考してしまった彼女にはこの結末しか残されていなかった。

 瑞佳が完全にショーツを下ろし、秘所を全て晒したのと同時に岸田が詩子の頭を釘打ち機で貫いたのだった。
 釘は完全に貫通することなく、詩子の脳に残留する形でその居場所を得る。入れ替わるようにして僅かながらに飛び出した脳みその欠片が、べちゃりと地面に落ちた。

 え……と。
 目の前の現実を現実として認識できなかった瑞佳に、岸田が飛び掛かり押し倒すのは容易かった。裸の格好のまま、岸田は瑞佳に対してマウントポジションの体勢を取る。
 にぃ、と。
 瑞佳の裸体を舐め回すように見ながら岸田は嗤った。

「いい演出だろ? 大切なお友達を助けるために恥を捨てて脱衣までしたのに、それが俺へのプレゼントになるのだからな?」
 岸田が、露になった瑞佳の乳房を激しく揉みしだき、辱める。それでようやく正気を取り戻した瑞佳が激しく抵抗する。
「いやあぁ! やめてっ!」
 岸田を撥ね退けようとするも巨石のように重く微動だにしない。

316希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:38:21 ID:15bKxc7I0
「ハハハハ! 動けないだろ? 人類が発明した、絶対有利の体勢だ! 人の力で撥ね退けることは不可能! それは格闘の歴史が証明している。しかも男と女の差だ! 無理無理無理無理、絶対に無理ッ!!!」

 ひとしきり揉みまわすと、仕上げとばかりに岸田は瑞佳のピンク色の突起を思い切り抓る。
「ひっ、いぎいぃぃぃぃっ……!」
 苦悶の表情のまま首を振り、痛みに喘ぐ瑞佳。

「痛いか? 苦しいか? だがお前にはどうすることもできない。例えば俺がこのまま鋸で肉を裂き骨を砕いたとしてもお前は絶望にのたうつだけ……そう、絶望的にな。本来ならもっともっともっともっともっともっと! ……狂わせるくらいに身体を弄んでやりたいところだが、生憎今は時間がなくてね……貫通式と、いかせてもらおうか?」

「!!!」

 瑞佳の顔が苦悶から恐怖へと変わる。岸田の言わんとしていることは、遠まわしながらも瑞佳にも分かる。
 陵辱だけに飽き足らず、この男は瑞佳の純潔まで奪おうとしているのだ! それも、ただのお遊びのような気分で!

「いやああああぁぁぁっ! 助けて! 浩平、助けて、こうへ」
「うるさいな」

 恐怖と絶望から出る悲痛な叫びすらも、岸田は許さなかった。乳房を弄んでいた右手を首に回すと、万力の如き力を以って声どころか呼吸すら出来ぬほどに瑞佳の首を締め上げる。
「あっ、あ、あ……」
「雌豚は大人しく喘いでいればいいものを……興醒めだよ。さて……」
 空いた左手で、岸田はズボンのチャックを下ろし、その言葉とは裏腹の猛り狂った男根を瑞佳の身体へと擦り付けながら、局部へとあてがっていく。

317希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:38:47 ID:15bKxc7I0
「や、あ、ぁ、ぁ、ぁ……」
 涙を流しながら懸命に岸田の男根を受け入れまいとするが、それはただの空しい抵抗に過ぎなかった。
 ふん、と鼻息を鳴らすと、踏み躙るように、支配するように、押し潰すように、岸田は一気に瑞佳の中へと挿入した。
「あ゛あ゛あ゛ぅ……!」

「どうだ!? 痛いか? 叫びたいだろう? でも無理なんだよなぁ!
 俺のチンポは! 今! お前の濡れてもいないアソコをずんずんと這い回っているぞ! ギュウギュウ締め付けてくるぞ!
 なんということだっ! 生と死の狭間で感じるセックスがこんなにも恐ろしく興奮するものだとはっ!
 見ろっ! お前と俺の結合部からは血が小川のように出ているぞっ! 愛液は寸分も混じっていない!
 純粋だっ! なんて純粋なんだっ!! お前の命の欠片を、俺のチンポがしゃぶっているんだぞっ!
 吸い取っているんだぞっ! 死ぬぞ!? お前はこのままでは死ぬんだぞ!? それでいいのかっ!?」

「……」
 腰を振り続ける岸田に対する瑞佳の瞳は、最早生気を残していなかった。涎を垂らし、僅かに残った死への階段を登り続けていくだけだった。
「なんだ、もう死んだのか……まぁいい。出すか」
 失望したように瑞佳を見下すと、最後にグッ、と腰を突き入れ本調子ではないながらも多量の精を吐き出した。
 ゴポ、ゴポッと赤と白濁色が混ざり合った液体が瑞佳の局部からとめどなく溢れ出す。

 岸田は悠々とズボンのチャックを上げて、萎え始めたソレを仕舞うと瑞佳と詩子の持ち物から武器を次々と回収していく。中には不要なものもあったので放っておいたものもあり、また自分の荷物からも不要なものが出てきたのでそれを捨てたりしていたが。
「銃も手に入ったしな……まあ復帰戦としては上出来だな」
 都合のいいことに、予備弾薬まである。そしてニューナンブM60には弾丸もフルロードされている。計15発。更にナイフまである。
 高槻に復讐戦を挑むには十分過ぎる収穫と言える。

 心の底から込み上げてくる笑いを抑えきれず、岸田は含み笑いを漏らす。
「くくく、くっくっく……ん?」
 ふと横を見ると、死んだはずの瑞佳の体が、僅かにだが身じろぎしていた。岸田に首を絞められ、体を貫かれながらも必死に生きようとしている。
 ほう、と岸田は感心したように声を漏らすとつかつかと瑞佳の元まで歩み寄っていく。
「そうだそうだ、俺としていたことが忘れていたよ。奴との一戦で分かりきっていたことなのにな」
 岸田は早速手に入れたばかりの瑞佳の投げナイフを逆手に持つと……

318希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:39:15 ID:15bKxc7I0
「とどめは、必ず刺さなければならないってことを、な!」

 瑞佳の頚動脈を、思い切り、かっ裂いた。首から赤いスプレーが噴出し、僅かに動いていた口元もとうとう完全に沈黙するに至った。
「これで終いだ。さて、行くとするか……くく、くくくくく……」
 また歪んだ口元から嫌悪感を催すような、邪悪な笑みを浮かべながら、岸田洋一は優雅に去っていった。

     *     *     *

 硝酸アンモニウムを詰めた袋を台車で運びながら、芳野とあかりはこれからについて話していた。

「丁度いい具合に台車があって良かったですね」
「ああ、流石に荷物とコレを運ぶのは少しばかり辛いからな。ま、やろうと思えば出来なくはなかったが」

 台車の上には数キロ程度の硝酸アンモニウムの入った袋が載せられている。理科室に置いてあったものをあらかた持ってきたのでこれ以上の採取は無理だろう。とはいえこれだけあれば量的には十分だと言える。
 ごとごと、と古びた木の床の上を台車が走る音を聞きながらあかりが尋ねる。

「それで、次はどうしましょうか?」
「集落にある方だな。どちらかと言えばそっちから探すのが手っ取り早い」

 あかりは考える。集落、というと民家などにあるもの……つまりロケット花火か。確かにそちらの方が見つけやすいといえば見つけやすいだろう。
 それにしても口に出さずに伝えるのは大変だ、とあかりは思う。暗号文を解読するのもこんな感じなのだろうか。
 思ったことをそのまま伝えられる機械でもあればいいのに。

「とにかく行動は迅速に、だ。疲れているところ悪いがしばらく休憩もなしにさせてもらうぞ」
「……私が疲れてる、って……どうして分かるんですか?」

 確かにあかりの体力は山越えや怪我のせいでそんなに余裕はないのだがそれを芳野に話したわけではない。すると芳野は彼にしては柔らかい笑みで答える。
「目だよ。まぶたが下がってきてるからな。それに少し猫背だ」
 言われて、確かに視線が下向きになっているのに気付く。まぶたに関しては流石に鏡を見てみなければ分からないが。慌ててあかりは姿勢を戻す。

319希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:39:35 ID:15bKxc7I0
「すみません、体力なくて」
「いや気にするな。実を言うと俺も少し疲れてる。普段の仕事でもここまで動きっ放しなのはないからな」

 言いながら芳野はとんとんと肩を叩く。何となくその行動をじじくさいと思ったあかりだが言うと怒られると思ったので黙っておくことにした。
 そのまま会話もなく二人は校舎から出て硝酸アンモニウムを保管しておくための体育倉庫はどこか、と辺りを見回す。昼近くになっているのかそれとも暗い校舎から出てきたからなのか辺りは明るく見晴らしは良い。しかし体育倉庫らしきものは見つからず、校舎の裏側にでもあるのだろうかと考えた二人は移動を開始する。
「……ん?」

 その途中で芳野の鼻に風に運ばれてやってきた、強烈な異臭が漂ってくる。それも、以前嗅いだことのあるあの匂いだ。
「芳野さん、何か変な匂いが……」
 同様にそれを感じ取ったあかりが芳野を不安そうにみるが、そのとき既に芳野は台車を置いて走り出していた。
「あ、よ、芳野さん!」
 台車を引いていこうか、と一瞬考えたあかりだが芳野の表情から鑑みるにそうしている場合ではないと思ったあかりはそのまま後に続く。

 匂いは、校舎の裏側から漂ってきていた。
 地面を蹴り、疾走する。息を半分切らせながら芳野と、遅れてやってきたあかりが駐車場で目にしたのは――

「おい、嘘……だろ?」
「え? あそこで倒れてるのって、そんな、まさか、でも、これって」

 全裸で倒れた長森瑞佳と、頭から脳漿の一部を垂れ流し、そしてこちらも死亡していた、柚木詩子の無残な姿だった。

320希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:39:57 ID:15bKxc7I0
【時間:2日目午後12時00分ごろ】
【場所:D-06・鎌石村小中学校・駐車場】

芳野祐介
【装備品:サバイバルナイフ、台車にのせた硝酸アンモニウム】
【状態:左腕に刺し傷(治療済み、僅かに痛み有り)】
【目的:瑞佳とあかりの友人を探す。呆然。爆弾の材料を探す】

長森瑞佳
【装備品:なし(全裸)】
【持ち物:制服一式、某ファミレス仕様防弾チョッキ(ぱろぱろタイプ・帽子付き)、支給品一式(パン半分ほど消費・水残り2/3)】
【状態:死亡】

神岸あかり
【装備品:包丁、某ファミレス仕様防弾チョッキ(フローラルミントタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:全身に無数の軽い擦り傷、打撲、背中に長い引っ掻いたような傷。応急処置あり(背中が少々痛む)】
【目的:友人を探す。呆然。芳野と共に爆弾の材料を探す】

柚木詩子
【装備品:某ファミレス仕様防弾チョッキ(トロピカルタイプ)】
【持ち物:支給品一式(パン半分ほど消費)】
【状況:死亡】

321希望の十字架/絶望の十字架:2008/02/22(金) 03:41:41 ID:15bKxc7I0
【時間:二日目午後12:00】
【場所:D-6・鎌石村小中学校内部】

一ノ瀬ことみ
【持ち物:暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯】
【状態:爆弾の材料を探す。聖の元まで戻る】
【その他:時間軸としては浩平に会う前。芳野たちの探している人物の名前情報を得ました】


【時間:2日目12:30】
【場所:D-5】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブM60(5/5)、予備弾薬10発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機6/12、五寸釘(5本)、防弾アーマー、支給品一式】
【状態:切り傷は回復、マーダー(やる気満々)、役場に移動中】
【その他:鋸は瑞佳の遺体の傍に放置。時間軸は浩平たちが学校にやってくる以前】

→B-10
なんか、その、色々ヤバいことやらかしてます。嫌悪感を覚えた方にはすみません、とあらかじめ謝罪しておきます

322監視者:2008/02/23(土) 21:12:00 ID:YnERowGo0
 暗く閉ざされた部屋。しかし明かり代わりとすら言えるモニターの光が、その部屋にいる人物達の姿を克明に照らし出していた。
 カタカタ、と無言、無表情でキーボードを叩いているのは、女だった。

 女性がデスクワークに勤しむのは別に特別なことではない。
 しかし、キーボードに情報を打ち込むタイピングの早さが、尋常ではなかった。
 姫百合珊瑚がその場にいたとしても彼女と同等か、あるいは珊瑚でさえ速度では劣るほどのタイピング速度を、彼女は既に24時間を越えて保ち続けている。
 明らかに彼女は異常だった。いや異常なのは彼女だけではない。
 彼女の隣、そのまた隣にいる女も彼女と同じくらいのスピードで作業を続けている。顔色一つ変えずに。

 そして何より異常なのは――彼女らが、皆一様に同じ髪型、同じ顔、同じ瞳、同じ体型、極めつけに、修道服……つまり、『シスター』の姿だったということだ。

 この殺し合いを管理するアンダーグラウンドの場においては、それは何よりも違和感を覚えずにはいられないだろう。だが、誰もそれを気に留めることはない。
 何故なら……彼女達は『ロボット』だから。

「ほぅ……あの『少年』も死んだのですか……総帥といい、醍醐隊長といい、実にあっけない」
 彼女達の後ろで、現在の生存者一覧を眺めていた青年と思しき人物がさもありなん、という風に笑っていた。その胸元では銀色のロザリオが笑いに合わせて揺れている。それは彼の人物を示すかの如く、軽薄な輝きを宿していた。

「ふむ……おい、イレギュラーはどうしてる」
「はい、会話ログから確認する限り、現在D-5に移動し、鎌石村役場に向かっているものと思われます」

 女ロボットの返答を聞き、こちらはまだ生きているのですか、と感心するそぶりを見せる青年。
「人間という生き物はあまりに度し難い……不確定で、信頼するにも値しない生物ですよ」
 誰に言うでもなく一人ごちると、『笹森花梨』のモニターに目を移す。

「宝石はどうなっている」
「はい、発信機を確認する限り、現在ホテル跡に留まっているものと思われ、会話ログからも宝石は未だ彼女の手にあるものと思われます」
「そうか。……まあ、どうでもいいのですけどね。あれは総帥が欲しがっていただけですし、私は『幻想世界』にも興味はない。総帥は『根の国』と呼んでいましたがね」

323監視者:2008/02/23(土) 21:12:32 ID:YnERowGo0
 本当に興味のなさそうに吐き捨てると次に青年は残り人数を確認し、少々驚いたような表情を見せる。
「もう40人少々ですか……もうちょっと時間がかかると思っていましたが……まあいい。むしろ私の計画には好都合です。ね?」
 青年が女ロボットの肩に手を置くが、まるで触られていることを感じていないように女は反応しない。作業を続けるだけだ。

「やれやれ、面白みのない……それで、アレの最終調整はいつ終わる?」
「はい。予定では12時間後に全て完了し、実戦に投入できます」
「へえ、早いね。流石ロボット、というところかな。私の『鎧』は?」
「はい。予定では12時間後に完了し、実戦に投入できます」

 ひねりのない返答だ、と青年は顔をしかめたがすぐに、まあそんなものかと思い直しむしろ彼女らの仕事の速さを褒めるべきだと考えた。

「分かった。他に『高天原』に異常はないか」
「はい。異常ありません」
「注意を怠るな。侵入者の気配を感じたらすぐに迎撃に向かうんだ。……もっとも、そちらのほうが私にとっては好都合かな? それ以前に首輪を外せたら、ですけどね。ふふふふ、ふふふふふふっ、あははははははっ!」

 けらけらと狂ったようにひとしきり笑い、愉悦が収まるのを待ってから青年はとある部屋に通じるマイクを渡すように伝える。
 すぐに小型のマイクが渡され、モニターの一部が121人目の参加者である……久瀬のいる部屋の映像を映し出した。
 四畳もない小さな部屋の、更に小さいモニターの中で久瀬は精魂尽き果てたようにぐったりとしていた。

「ふふふ、さて、一つお遊戯と参りますか。こほん、あー、聞こえるかな、久瀬君?」
『!』

 ガバッ、と母親の怒声で叩き起こされる小学生のように飛び起きた久瀬の行動に青年はまた笑いそうになったが堪えながら話を進める。

「お疲れのようだね。まー流石にそんな小さな部屋じゃストレス溜まるかな?」
『お前……』
「怒らない怒らない。あ、そうだ。面白いニュースがあるんだけど聞きたくない?」
『……できれば、お断りしたいところなんだが』
「あ、そ。それは残念。君の大切な倉田さんがお亡くなりになったのにねぇ」
『何っ!?』

324監視者:2008/02/23(土) 21:12:54 ID:YnERowGo0
 久瀬の顔色が一瞬にして変わったのが丸分かりだったので、今度こそ青年は堪えきれずに笑い出した。事前に調べて久瀬が倉田佐祐理に関心があることは分かってはいた青年だが……ここまで過敏に反応するとは思わなかったからだ。

『何がおかしいんだ!』
「いやいや……これは失敬。大切な、ではなかったかな? くっくっく……まあそれはさておき。参加者の数が半分を切ったどころかもうすぐ40人になりそうなんだ。次の放送では忙しくなりそうだよ」
『な……にっ?』

 また久瀬の表情が変わる。今度は絶望、だ。まったく、見ず知らずの他人なのにどうしてここまで親身になれるのかと青年は思わずにはいられない。
 人間など、互いに利用し合うだけの存在だと思っている青年には、どうしても度し難いことだった。

「ま、とにかくそういうことだから今のうちに体力蓄えときなよ。ちゃお〜♪」
『お、おい待て……』

 久瀬が何かを言いかける前に、モニターは切り替わった。後にはまた参加者の命の残り香を移す光点が点在するだけとなる。
「さて、取り敢えずは次の放送まで待ちましょうか。それにしてもこんなに死者が出るとは思いませんでした……次からは6時間刻みにしましょうかね」
 青年は近くにあった椅子に腰掛けると、作業を続ける女ロボットの横顔を眺める。
「美しい顔です……まさに『高天原』……いや『神の国』の住人に相応しい

 現在この殺し合いを管理し、進行役を務めているこの青年――名前は、デイビッド・サリンジャー。
 彼の背後にあるモニターの向こうでは、惨劇が今もなお続いている。

325監視者:2008/02/23(土) 21:13:18 ID:YnERowGo0
【場所:高天原内部】
【時間:二日目午後:13:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:殺し合いの様子を眺めている。放送の間隔を変える予定】
久瀬
【状態:呆然】
→B-10

326意志の相続:2008/03/08(土) 03:21:14 ID:/js7YssY0
「何よ、これ……」

荒れ果てた鎌石村小中学校を目の前に、観月マナは思わず目を見張ってしまった。
スタート地点であるが故、爆破されたからという理由もそこにはあるかもしれない。
しかしマナの視界の先、外からでも分かる激しい損傷はとある教室と思われる場所だった。
二階に設けられているその教室の窓ガラスは砕けており、今マナからすると目と鼻の先にある地面には、それら破片がキラキラと朝陽を反射しながら散らばっている。
内部がどうなっているのか。
まだ中に入っていないマナは分からないが、そのような状態の窓は例の教室だけであった。
一体何が起きたというのか。それを知りえる術を、マナは持っていない。
得体の知れない恐怖に、マナはさーっと血の気が引いていくのを感じた。

姉のような存在である森川由綺を失ったという現実、傷ついたマナはいつしか疲れ草木の生い茂る森の中熟睡していた。
マナが目を覚ました時は既に空も大分明るさを取り戻していて、経過した時間の大きさにマナは一人焦ってしまう。
そんな彼女が今しがた見つけたのが、この鎌石村小中学校という施設だった。
もしかしたら校舎の中にはマナの知人がいるかもしれない、そんな可能性はマナも捨てきれないだろう。
しかしあまりにもリスクが高く見えてしまい、マナはどうすることもできず正面玄関入り口にて二の足を踏むしかなかった。

「……ぇ?」

その時だった。
マナの耳が捕らえたものは砂を踏みしめるジャリジャリとしたものであり、その様な音は現在マナのいる砂地の校庭でないと作ることができない足音であった。
音の大きさからして決して遠くではないであろう距離を瞬時に察したマナは、すかさず自身の支給品であるワルサーを構えると周囲へ視線を素早くやる。
マナが一人の少年の人影を発見するのに、そう時間はかからなかった。

ぞっと。
少年の姿が視界に入った途端マナの背中を走ったのは、寒気以外の何物でもなかった。
体つきからすればマナとそう年も変わらないであろう少年、しかし一つの異様さがマナの胸に警報音を叩きつける。
少年の両手は、真っ赤に染まっていた。
深紅のその意味は時間の経過によるものだろう、彼の着用している上着の腹部にも同じような染みができてしまっている。
しかし彼の足取りはしっかりしていて、とてもじゃないが出血による怪我を負った人間の物だとマナは判断することができなかった。
それでは、一体あの赤の出所は何なのか。
指し示す事象が一つであると結論付けたと同時に、マナは構えていたワルサーの照準を真っ直ぐ少年に向ける。

327意志の相続:2008/03/08(土) 03:21:50 ID:/js7YssY0
「う、動かないで!」

震える声を隠すことなんて出来ない、しかしどうしてかマナの中にはこの場から逃げ出そうという気持ちがなかった。
突然の来訪者により冷静さが欠けてしまい、自分の中での行動の選択肢を用意することができなかったということもあるかもしれない。
だが一番の理由は、彼女に与えられた支給品である武器の存在だろう。
拳銃という当たり武器、それだけでマナの気が大きくなってしまったという部分は計り知れない。
当然の如くマナは目標である少年に対し定めた座標を動かすことなく、次に少年がどのような行動に出るかを見定めようとした。
誰だって、死ぬのは嫌だろうということ。
死にたくないのなら、凶器を所持するマナは回避すべき危険な存在にはなる。
マナ自身、そう判断していた。
拳銃という当たり武器、そのリーチこそがマナの全てだった。

だから、少年の歩みが止まらないというこの現状に対し、マナは困惑を隠すことができなかった。
マナは銃を構えているにも関わらず、少年は俯き加減のままゆっくりマナとの距離を詰めてくる。
もしかしたらこちらを見ていないのか、しかし声かけはしているからこちらの存在は伝わっているはずだ、荒れていくマナの心中は鼓動のスピードに換算されていく。
伝わる汗、からからに乾いてしまった口内の気持ち悪さ、マナは眩暈さえも覚えていた。

訳が分からないということ、その恐怖。
言葉が伝わらないということ、その戸惑い。
全てがマナにとっては、初めての感情だった。
この島に来て、初めてのそれだった。

「死にたいの? だ、だって死んだら終わりなのよっ?!」

私は銃を持ってるのよ、そんなマナの言葉にも少年は何の反応も見せない。
ジャリジャリと砂を踏む音と微かな痛みを伴う乾いた自身の呼吸音、その二つがマナの聴覚を埋め尽くす。
クラクラする。自分がこの後どうすれば、いいのかマナはそこまで考えていなかった。

328意志の相続:2008/03/08(土) 03:22:11 ID:/js7YssY0
銃を構えるということ。
それは、脅しの意味でしかなかったということ。
発砲するということ。
それは人を傷つけるという行為である。
もしくは、人を死に至らしめるという行為にまでもなる。
……そんなことを行うことができる覚悟まで、マナは決まっていなかった。

「ひっ」

気づいたら、少年とマナの距離は目と鼻の先になっていた。
砂を踏む音はもう辺りに響いていない、当然である。
少年は足を止めていた。
もう進めなくなっていたからである。
何故か。

「あなた……死にたいの……?」

マナの構える銃口は、少年の胸に当たっていた。
少年とマナの距離は目と鼻の先の距離になってしまっている、それは文字通りそのままの状態を表している。
すっと、その時やっと俯き気味だった少年が顔を上げた。
甘やかな作りは中性的で、異性を感じさせない儚ささえをも含まれているように感じるマナだが、反面何の表情も見て取れない少年のそれに対する戸惑いというのも、彼女の中には同時に浮上していた。

「え?」

少年の右腕が、ゆっくりと持ち上げられる。
マナはじっと、その動きを目で追っていた。
瞬間響いた乾いた音。
痛み。
振動。
続いて感じた半身の痛みにマナが悶える、彼女の体が砂地に叩きつけられたことが原因だった。
自身が頬を張られたという事実に呆然とするマナは、まさか初対面の人間からこのような無礼を振舞われることを予想だにもしていなかっただろう。

329意志の相続:2008/03/08(土) 03:22:35 ID:/js7YssY0
「な、何すん……っ」

反射的に睨み上げ文句を吐き出すためにと口を開いくマナだが、言葉は最後まで続かなかった。
何かを弄る音、恐らく支給されたデイバッグの中身を漁っているであろう物音がマナの耳を通り抜ける。
それが止んだ次の瞬間マナが捉えたものは、首筋に伝わる絶対零度だった。
少年と目が合う、相変わらず彼の瞳には何の感情も含まれていない。
鈍い痛みが首に走りぬける、それがあてがわれた包丁が原因であることにマナはまだ気づいていなかった。
大きな戸惑いはマナの思考回路を停止させ、それは彼女の行動にも露に出てしまっている。

マナの瞳が揺れる。
困惑に満ちた彼女のそれが見開かれるのと、包丁が無残にもマナの肉を引き裂いていったのはほぼ同時だった。





カラン、と一丁の包丁が取り落とされる。
いや、それは投げ落とされたという表現の方が正しいかもしれない。
浅い呼吸を繰り返していたマナの胸の上下運動は、まだ止んではいなかった。
少年は屈みこみ絶命しかけたマナの様子を覗き込んだ後、無造作に再び血で濡れた自身の手をマナのスカートで拭い取った。
ふぅ、と漏れた息は少年の物であり、それは先ほどマナと対峙していた時には見せなかった、少年の人間らしい仕草であったろう。

『――みなさん……聞こえているでしょうか』

その時独特のノイズ音と共に、設置されたスピーカーからであろう流れる人の声が鳴り響いた。
第二回目の、放送である。

『025 神尾観鈴』

330意志の相続:2008/03/08(土) 03:22:54 ID:/js7YssY0
順々に読み上げられていく死亡者達、その中でとある少女の名が呼ばれたと同時に、少年は小さく一度瞳を瞬かせた。
そうして徐に支給されたデイバッグに手を入れると、少年は一本の布状のリボンを取り出した。
真っ白な柔らかい素材でできているそれは、所々に赤い染みができている。
手で握りこむとあっという間に皺ができてしまうそれを幾分か眺めた後、少年はそそくさと元の場所へとリボンを戻した。

ふぅ、ともう一度、少年が溜息をつく。
その頃には既にマナの動きも止まっていて、放送も終わりを告げる頃になっていた。

『さて、ここで僕から一つ発表がある。なーに、心配はご無用さ。これは君らにとって朗報といえる事だからね』

マナの横に転がるワルサーを拾い上げ、既に少年がこの地を去ろうとした時だった。
放送の声の主が変わる、少年は訝しげな表情を浮かべその声に耳を傾ける。
……しかし、少年の顔から冷淡な笑みが漏れるのに、そう時間はかからなかった。

「馬鹿馬鹿しい」

心底そう思うのか、口にした後少年はさっさと移動を開始した。
手にはマナの支給品であるワルサーが握られたままである、それを持つ少年の足取りに迷いの色は一切ない。
細い少年の身には重いであろうデイバッグは、一歩進むごとにガチャガチャといった異音を辺りに撒き散らした。
充実したその中身こそが、少年の行く道を表していると言っても過言ではないだろう。

「大体死にたいとか死にたくないとか、みんな頭おかしいよね」

少年が反芻しているのは、マナの口にした言葉だった。
ぶつぶつと独り言を吐きながら、少年は校門を出て森の中へと入っていく。

「死んだら終わり? そんな常識、ここにはないよ」

陽が木の隙間を縫って差し込んでくる、それは幻想的な御伽話を彷彿させるかもしれない。
しかし少年はそんなことにも意を解さず、黙々とただ先へと進んでいくだけだった。
草も花も無視し続け、足元に対し何の注意もやらない少年の目は、ただただ真っ直ぐ前を向いていた。
少年の意志の固さが、そこには込められている。
そう。

331意志の相続:2008/03/08(土) 03:23:14 ID:/js7YssY0
「どうせ世界は、ループする」

少年こと柊勝平からすれば、それが全てだった。


      ※      ※      ※


抱き上げた神尾観鈴の体は想像以上の重さで、さすがの勝平も途中で弱音を吐きそうになる程だった。
決して力がある訳ではない体が恨めしい、結局彼が観鈴の埋葬を終えられたのも午前六時前ぎりぎりとなる。
花壇の傍に立てかけられてあったスコップを元に戻した後、勝平は観鈴の支給品であったバッグをそのまま彼女を埋めた地の上に置いた。
ここまでで勝平が流した汗は、もう大分引いていっている。
このまま放置すれば風邪を引く原因になるかもしれない、体の弱い勝平からするとその危険性はますます上がるだろう。
しかし勝平が、特に何かしようとすることはなかった。
自身を気遣う余裕がないだけかもしれない。
勝平の手には、白い布状のリボンが握られている。観鈴の身に着けていた装飾品だった。

「ループを止めて、か」

それは最期に観鈴が勝平に託した願いでもあった。
ゆっくりと瞳を閉じる勝平の瞼の裏には、彼の知らない世界が広がる。
彼女の命が消えた後起こったこの事象、最初は戸惑ったものの今の勝平はそれを受け入れていた。

それは優しい彼女が人を殺めようとする行為に繋がる場面であったり。
何度も銃に撃たれ大怪我をしてしまうものの、何とか生き延びる場面であったり。
虎だろうか。大きな化け物が彼女に向かって今まさにかぶりついてこようとする場面であったりと、様々だった。

瞳をあけると再び朝焼けが勝平の視界を彩った、それはまるで夢でも見ているかのような感覚に似ているかもしれない。
これが彼女、神尾観鈴の世界であると勝平が認識できるようになったのはつい先ほどのことだ。
原理などは分からない、しかしこれが現実だ。勝平も受け入れるしかない。
ループを止めて欲しいと、彼女は口にした。
そしてそのために、彼女は勝平に自分の持つ記憶を与えた。
彼女の願いであり意志でもあるそれ、歩きながら勝平はずっとそのことを考えていた。

332意志の相続:2008/03/08(土) 03:23:33 ID:/js7YssY0
「う、動かないで!」

校舎の方に勝平が戻ってきた時、そこにいた見知らぬ少女の存在に勝平はこっそり眉を潜める。
銃を手にする幼い体は小刻みに震えていた、気にせず勝平が近づいていくと少女の表情に戸惑いが走る。

「死にたいの? だ、だって死んだら終わりなのよっ?!」

少女は怯まない勝平の様子に困惑しているようだった。
そんな少女に対し、表には出さないで勝平は内心一人毒づく。

(何だよ、中途半端なやつ)

銃をこちらに向けるだけでその先に進もうとしない少女の様子に、勝平は苛立ちを隠せなかった。
今、勝平の手は両手とも空いている状態である。
先ほど観鈴の埋葬を終えてから、勝平はそのままここまで来たのだから当然である。
肩に担いでいる勝平のデイバッグの中には、ナイフ類を始めとする様々な武器が入っていた。
残弾は少ないが、拾い直した電動釘打ち機も健在だった。

勝平の状況は、非常に恵まれていただろう。
身を守るための武器がこれだけあるということ、また勝平には度胸がある。
人を傷つける覚悟ができているということ。
人としての弱さや強さ、そのような問題のベクトルではない。
「できる」か「できないか」という二択の世界で、勝平は「できる」人間だった。

「できる」ということ、それで反射的に動いた体を勝平は止めようとは思わない。
止める理由もないからだ。
次の瞬間血に染まる包丁を持つ勝平の傍には、血飛沫を上げながら地に下りていく少女の体があった。
勝平の中、そんな行為に対し特別何か感情が浮かび上がることはなかった。
それこそ最初に人を殺した高揚感すら、勝平の心には存在しなかった。
ただ、虚無だった。
この行為に何の意味も持ち得ない勝平にとっては、本当にどうでも良いことであった。

333意志の相続:2008/03/08(土) 03:23:53 ID:/js7YssY0
温かな液体は勝平の体にも降り注がれる、顔についたそれを拭いながら勝平は静かに目を閉じた。
観鈴を視点とした一つの世界、流れる情報に身を任せながら勝平は再び考える。

(……ループを、止める……)

最期に観鈴が勝平に託した願い、しかし流れる情報からそれを読み取ることは叶わない。
どうすればループが止まるのか、そもそも何故世界はループしているのか。
それを勝平が分からない限り、進まない話でもある。
それに。

(ループが止まったら、もう会えないってことじゃないか……)

手にしている包丁に込めていた力を逃がす勝平、それは少女の傍へとゆっくり転がっていった。
一つ零れた溜息が、勝平の心情を語っていた。

(会いたい)

恋焦がれるような、そんな熱い思いが勝平の胸に広がる。
しかしそれは勝平の恋人である、藤林椋への柔らかな恋情とはひどく距離のあるものだった。
だからきっと、それは恋ではないだろう。

『――みなさん……聞こえているでしょうか』

その時独特のノイズ音と共に、設置されたスピーカーからであろう流れる人の声が鳴り響いた。
第二回目の、放送である。
勝平は耳だけそれに傾けて、自分の内に存在する感情をじっと考えた。

『025 神尾観鈴』

少女の名が呼ばれる。当たり前だ、観鈴は死んだのだから。
小さく一度瞳を瞬かせると、勝平は徐にデイバッグへと手を入れた。
彼が取り出したのは、観鈴が髪を結ぶのに使用していた布状のリボンだった。
彼女の持ち物は全て彼女と共にあるべきだろう、そう判断した勝平だがどうしても自分の欲望を抑えることが出来なかった。
彼女の見につけているものが、どうしても欲しかった。
その執着の意味こそが、勝平の求める答えである。

334意志の相続:2008/03/08(土) 03:24:17 ID:/js7YssY0
(観鈴……)

心の中で彼女の名前を呟き白いリボンを握り締める勝平の表情は、苦悶に満ちている。
分からない。
勝平は、分からなかった。
痛む胸が求める解答は導かれていない、そのためにも。
勝平は、もう一度観鈴に会いたいと思った。

リボンを鞄に仕舞いこみ、勝平はもう一度溜息をつく。
これから自分がどうしたら良いのか、その答えはまだ出ていない。
渦巻く勝平の心理は複雑で、本人でさえも心労を抱えるほどになっている。

『さて、ここで僕から一つ発表がある。なーに、心配はご無用さ。これは君らにとって朗報といえる事だからね』

もうここにいてもしょうがないということで、マナの横に転がるワルサーを拾い勝平が上げこの地を去ろうとした時だった。
放送の声の主が変わったことに対し勝平は訝しげな表情を浮かべると、注意深くその声に耳を傾ける。
……放送は、勝平の想像の範疇を超えていた。
放送を行っている主が一体何を言っているのか、勝平にはすぐの理解ができなかったくらいである。

(優勝して、生き返らせる? 何を言ってるんだ、だってどうせこの世界は……)

そこで勝平は、はたとなる。
そうだ。結局は、そうなのだ。
ループを止めるにしても結局はやり方が分からない以上、答えはそれしかないのだ。

「馬鹿馬鹿しい」

この世界は、ループする。
ならばどうすればいいのか。答えは一つだ。

335意志の相続:2008/03/08(土) 03:24:36 ID:/js7YssY0
(一刻もこんな腐ったこと終わらせてやるよ、そうすれば……)

そうれば世界はループし、また彼女のいる世界が始まる。
それでいいのだ。
極端ではあるが、それが勝平の出した答えだった。
そこに観鈴の意志や願いが、含まれて、いないとしても。





「へー。神尾って子死んだんだ、珍しい。あの子大概ここで撃たれても、生き残ってた気がしたけど」

その声を聞くものは、きっとその場にいる少年以外は存在しないだろう。
校門を出て行く勝平の背中を見つめる存在、彼は勝平とマナが対峙する場面からずっとそこにいた。
誰にも気づかれることなく、そこで二人の様子を見守っていた。
校舎の影から身を出した少年は、文字通り「少年」という名で名簿にも登録されている人物だった。
強化プラスチックの大盾を手に少年が見上げると、そこには無残な状態の窓ガラスが視界に入る。

「ふーん、それにしてもここの教室は大人気だね。
 世界の法則なんて僕は信じていないけど、やっぱり何かしらは関係してくるのかな」

そう言って少年は、そのまますたすたと校舎の中へと足を踏み入れた。
鎌石村小中学校はスタート地点にもなった場所である、校舎の半身は爆破されたことで左右での損傷の差は激しい。
少年はその様子に目もくれず、真っ直ぐ正面に存在する上の階へ続く階段へと向かっていった。

「あーあ、一晩ゆっくり休んじゃったからこれからは仕事頑張んないとね。
 あいつにも負けてられないし」

336意志の相続:2008/03/08(土) 03:25:06 ID:/js7YssY0
歩きながら首や肩を鳴らす少年の様子は、至って淡白である。
またその軽さから、傍から見ても彼の目的が何かはすぐに読み取ることができないかもしれない。

「さて、じゃあ待ち構えようかな」

ガラッと勢いよく扉を開ける少年、そこは深夜に争いの起きた職員室である。
乱れた机の隙間を器用に通り抜け窓際の席を陣取ると、少年は荷物を置き外からは様子が見えないよう少しだけカーテンを引いた。

「あ、そう言えば」

ふと、今気がついたという様子で少年が言葉を漏らす。

「そっか。あいつが殺し合いに乗る確立なら、本当に百パーセントなのか。
 ははっ、面白いね……これなら世界の法則ってやつも、ちょっとは信じられそうだよ」

楽しそうに笑いながら改めて椅子に座り込み、少年はデイバッグから自身への支給品であるレーションを取り出す。
それに噛り付く少年の笑みはあくまで邪気のないものだった、しかし。
瞳の鋭さだけなら勝平の非ではないその冷たさは、修羅場を潜り抜けてきた少年特有の物と言えよう。





柊勝平
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6】
【所持品:ワルサー P38・電動釘打ち機5/16・手榴弾二つ・首輪・洋中の包丁2セット・果物・カッターナイフ・アイスピック・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:早期終了のために優勝を目指す、衣服に観鈴とマナの血液が付着している、他ルートで得た観鈴の所持する情報を持っている】

少年
【時間:2日目午前6時】
【場所:D−6・鎌石小中学校】
【持ち物1:強化プラスチックの大盾(機動隊仕様)、注射器(H173)×19、MG3(残り17発)】
【持ち物2:支給品一式、レーション2つ、グロック19(15/15)・予備弾丸12発。】
【状況:健康。効率良く参加者を皆殺しにする】

観月マナ 死亡



マナの持ち物(支給品一式)はマナの遺体傍に放置
血濡れの和包丁はマナの遺体傍に放置

(関連・328・473・917)(B−4ルート)

337人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:19:26 ID:P3exjv9A0
「時にるーさん」
「何かな、なぎー」

 お米券を通じて刎頚の交わり+竹馬の友+金蘭の契くらいの関係になった遠野美凪とルーシー・マリア・ミソラはやや人目につかぬ木の陰でノートパソコンを立ち上げながら何気なく会話を交わしていた。

「パソコン……と言いますか、情報処理系には詳しいですか」
「残念だが、る……じゃなく私はこの国の機械にはあまり詳しくない。使えないわけじゃないぞ。電子レンジだって使える」
「……それは残念です」

 そこはかとなく長いため息を吐き出しながら、美凪は立ち上がったパソコンのデスクトップからメモ帳を機動させ口頭では伝えられなかった情報を伝える。

 ・このCDを通じて『ロワちゃんねる』という主催側のプログラムからホストサーバーに侵入し、情報を弄くれること
 ・ただしプログラムに通じてないとこのCD付属のプログラムを使いこなすことは難しいらしい
 ・更に、首輪についての構造もある程度知らないと解除は難しい
 ・この首輪には盗聴器がついている←ここ重要。テストに出ます

 ぐっ、と親指を上げてここから筆談にすることを要請する美凪。あの時は仕方がなかったとは言えある程度口から主催に対抗する手段を言ってしまったのだ。ここからは、一言として詳しいことは口外してはならない。
 美凪の意思を悟ったルーシーもぐっ、と親指を上げて応えたのだが……
(この機械、どうやって文字を打ち込むんだ……?)
 美凪がやっているのを見てもさっぱり分からない。キーボードにある平仮名の文字とは全く違う字が打ち込まれているし……せめて故郷のものならまだ扱いようがあるのだが。

 ルーシーがしばらく当惑しているのを見て全てを悟った美凪はカタ、とキーボードのあるボタンを押すと『かな打ちにしておきました』と打ち込む。
 かな打ちとはなんぞ、と首を傾げるルーシーに美凪が手元を見るようにジェスチャーする。
 ルーシーが美凪の手元を覗き込むのを確認してから『あ、い、う、え、お』とかな打ちで文字を打ち込む。「おお」という形にルーシーの小さな口元が開いた。
 どうぞ、と美凪が場所を空けると、ルーシーが喜び勇んで人差し指で文字を打ち込む。

338人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:20:07 ID:P3exjv9A0
『かんしゃする』
『どういたしまして』

 ピシガシグッグッ。無言でお互いの友情が更に深まったのを確認する二人。傍から見ているとホームステイに来た外国人としっかり者のお姉さんのやりとりである。

『しかしむねんだがわたしではむりだ。すまない、ちからになれそうにない』
『構いません。一人より二人です』
『いいこというな。ところでどうやってかんじにするんだ』

 すると美凪が適当に文字を打ってスペースキーで変換する。更に変換候補や打ち直し、文字の確定なども教える。既にこの場は秘密の相談ではなくパソコン教室と化していた。

『感謝する』
『どういたしまして』

 ピシガシグッグッ。彼女らの友情は鉄よりも固く海よりも深くなっていた。

『時にるーさん』
『何かな、なぎー』
『るーさんのお知り合いでこういうのに詳しい人はいませんか』
『心当たりがないではない』

 ピタ、と美凪の指が一瞬止まる。まさか、本当に、いたと言うのだ。今回も、その技術者が。逸る心を抑えながら、美凪は話を続ける。

『お名前は?』
『姫百合瑠璃か珊瑚か、どちらだったか。よく覚えてないが、片方は確かにそういうのに詳しかった』

339人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:20:41 ID:P3exjv9A0
 姫百合瑠璃、珊瑚……と美凪は心中で反芻する。確か一回目でも二回目の放送でもそのような名前は呼ばれなかったはず。即ち、まだ二人は生きているということだ。これを北川と広瀬が聞けばどんなに喜んだことだろうか……
「どうした」
 美凪の表情に影が差したのを見て取ったルーシーが、言葉で尋ねる。
「いえ、少し昔のことを思い出しまして……」
「……」

 ルーシーが悪かったわけではない。こればかりは仕方のない事柄だった。だがそれでも大切な仲間を失うことの辛さを分かっているルーシーは静かに美凪の頭に手を置いた。
 その気遣いに美凪は感謝しながらも、こんなことでくよくよしている場合でもない、とすぐに思い直す。そう、目的はまだ達成されたどころかようやく糸口が見つかったというだけだ。色々と考えるのはその後だ。

「すみません、もうお気になさらず」
 美凪は再びパソコンの画面に目を向けると、『それよりも』と続ける。
『姫百合さんたちを探す方が先決です。居場所に心当たりはありますか』
『いや、流石にそこまでは』

 ルーシーは書き込みながら首を振る。それに珊瑚か瑠璃か、どちらがパソコンに詳しいか分からない以上探す労力は二倍になる。この島において特定人物が再会できる確率はかなり低いのだから。それはルーシー自身や美凪でもその事柄は証明している。

『せめて二人一緒にいればいいのですが』
『そこまで望むのは贅沢だ。とにかく、地道に探していくしかない』
 そうですね、と美凪は同意する。文句を言っている暇があるのなら行動で示すべきだ。後悔するのはあの時でもうたくさんだった。
『問題は、どこに潜んでいるかだ』

 ルーシーはデイパックから地図を取り出すと島の各地にある施設を次々に指差していく。
『私もあまりあの二人のことは知らない。が、積極的にうろうろするような奴らでもなかったと思う。恐らくどこかに隠れている可能性が高いはずだ。あるいは私達と同じように首輪の解除を目指してどこかの施設でパソコンを弄っている可能性もある』
 言われて、美凪も納得する。パソコンが得意だというなら言われるまでもなくその方向に動いている可能性は高い。

340人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:21:12 ID:P3exjv9A0
『その上で訊きたいが、民家なんかにそのパソコンとかいうのがある可能性は、高いのか』
『分かりません。でも推論で考えるなら、3割くらいの可能性ではないかと』

 普及率から考えると9割でもいいような気はするがこの島の自然の多さからして美凪が住んでいる土地とほぼ同じと考えればそんなに高くはないはずだ(とはいっても美凪は地元でパソコンを持っているような家を殆ど見かけたことがなかったのだが)。
『低いな。それで、これらの大きな施設にある可能性は』

 分校跡、小中学校、無学寺、役場、消防分署など目印になると思われる建物を指差していくルーシー。
『恐らく、学校にあるかどうかだと思います。分校跡は跡ですから、恐らくないかと』
 ただ隠れる場所としては絶好の場所かもしれません、と付け加えておく。ふむ、とルーシーは唇に手を添えて思案する。
『一応、分校跡から当たってみることにしようか。なぎーはどう思う』
『それでいいと思います。あちこち家を出たり入ったりするのも危険だと思いますから』
 跡、というからにはパソコンなどの設備はおろか電気すら通ってない確率は非常に高いだろう。だからこそ隠れるには適した場所であり、あるいは美凪同様にノートパソコンのようなものを手に入れているとするなら隠れながら作業だってできる。
 全ては推測だが、絶対に在り得ない話ではない。
 いや、この島において在り得ないことは『在り得ない』のだ。

 美凪はそう考え、ノートパソコンの電源を落とし、それをデイパックに仕舞う。
「そうだ、言い忘れていたことがあった」
 ルーシーがぽんと手を叩く。何だろうと美凪は頭を傾げるが、さも当たり前のようにルーシーは言った。

「飯だ。腹が減っては戦は出来ぬ。なぎー、お米券はどこで交換するんだ?」
「……残念ながら、ここではお米券は使えないです。お米屋さんがありませんから」

341人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:21:35 ID:P3exjv9A0
 そんな美凪の言葉を聞いた瞬間、ルーシーがこの世の終わりを迎えたかのような壮絶な表情になった。ぱさ、と既に取り出していたお米券が手から零れ落ちひらひらと宙を舞う。
「う、嘘だ……嘘だと言ってくれなぎー。そんな、ようやく食べ物とは思えないパンとも言えないパンの味から逃れられると思っていたのに……教えてくれ、なぎー、私はいつまでこんな食生活を続けなければならない!?」
 昨晩秋子のおにぎりと味噌汁を食べていたくせにその言い分は間違っているのであるが、そんな事実は美凪の与り知らぬことであるし、グルメなルーシーからすればあんなものは食べ物とすら言えないものであるだろうからそう言ってしまうのも仕方のないことではある。

 だからロクにいい物を食べてこなかったのだろうと勘違いした美凪はこう提案する。

「ハンバーグはお好きですか」
「勿論だ」

 即答。美凪が言い終えてから一秒も経ってない。
「ではお昼はハンバーグにしましょう……まずは材料調達に、れっつごー」
「る……おー、Let's Go! だ」

 当初の目的を取り敢えず後回しにして昼飯を確保するべく動き出す美凪とルーシー。
 この二人、果たしてやる気はあるのだろうか? マイペースな□□コンビの道中はふらふらと続く……

342人生楽ありゃ苦もあるさ:2008/03/10(月) 21:22:00 ID:P3exjv9A0
【時間:2日目12時30分】
【場所:F−03】

遠野美凪
【持ち物:予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン、予備弾薬8発(SPAS12)+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発】
【状況:強く生きることを決意。CDを扱える者を探す(まず分校跡に)。だがその前にハンバーグを作って食べよう! なんだかよくわからんけどルーシーと親友に(るーさんと呼ぶことになった)】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意。美凪に協力(まず分校跡に行く)。でもその前にハンバーグ食べたい! 服の着替え完了。なんだかよくわからんけど美凪と親友に(なぎーと呼ぶことに)】
【備考:髪飾りは倉庫(F-2)の中に投げ捨てた】

→B-10

343十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:13:11 ID:5RrSK1jw0

―――ここには、色々なものが欠けている。
十重二十重に整然と並ぶ擂り鉢のような座席も、二十四フィート四方のキャンバスも、
外側と内側を区切る境界線であり逃亡を許さぬ防壁でもある三本の鋼線もない。
肌をを焼くほどに熱い照明の光もなく、怒号とも悲鳴ともつかぬ歓声も聞こえない。
勝利を、敗北を、力を、修練を、才能を、屈辱を、雪辱を、蹂躙を抵抗を応酬を望み、
そのすべてを焼き付けようと輝く幾万の瞳も、セコンドも、レフェリーも、ジャッジも、
誰も、誰もいない。
凡そここには自分たちの生きてきた世界の構成要素の何もかもが存在していなかったが、
たった一つ、たった一つだけ、拳を交える相手だけが、いた。
それで充分だと、思えた。


***


松原葵は立ち上がる。
立ち上がって、正面を見据える。
見据えて、自分はいったい何人めの松原葵なのだろう、と思う。
ヒトがまだ槍を取ることを知らず、爪と牙で戦っていた頃から数えて、いったい幾人目の松原葵であれたのだろうと、
そんなことを考える。
きっと幾千、幾万の来栖川綾香がいて、幾億もの松原葵がいて。
そうして同じくらいの数の坂下好恵が、いたのだろう。

私たちには、と葵は小指の側から静かに拳を握っていく。
私たちにはそうすることしか、できないのだ。これまでもずっと。これからもずっと。
既に原形を留めていないオープンフィンガーグローブのウレタンを口に咥え、毟り取って、吐き出す。

とん、と。
軽く一つ、ジャンプする。
腰、膝、踝、踵、爪先。問題なし。
マウスピースはない。
口中を舌先で探れば、幾つもの傷と折れた歯の欠片。
鉄の味の唾を吐き捨てて、鼻を拭う。
触れれば鈍痛、血は止まらない。鼻骨が砕けているようだった。
鼻からの呼吸を諦め、口から大きく息を吸い込む。
各部の筋肉が引き攣れるように痛んだが、刺すような感覚はない。
肋骨に異常なし。正確な内臓打ちが幸いしたのだろう。
視界は良好。歪みはなし。眩暈もなし。
左の拳を軽く引き、ジャブを一つ。遠近感にも問題はない。
左半身に構え、右の拳を心臓の上に重ねるように引く。

「―――押忍」

小さな目礼。
その一言が、合図だった。
それまで短髪を風にそよぐのをくすぐったそうに押さえていた綾香が、ゆっくりとその手を下ろしていく。
やや前屈の姿勢、両の腕を比較的高く掲げたサウスポーのボクシングスタイル。
ガードの向こうに見える綾香は口を硬く引き結び、しかしその眼差しが何よりも雄弁に心中を語っていた。
即ち―――快し、と。

344十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:13:43 ID:5RrSK1jw0
闘争という概念の中に身を置くことの悦びが、その瞳に溢れていた。
それは純粋な、原初の愉悦。

張り詰めた空気が、心地よく葵の肌をざわつかせる。
一瞬の躊躇、一手の誤りが敗北に直結する闘争の悦楽が、葵の全身にもまた、満ちていく。
細く長い呼吸の中で、末端神経の一筋に至るまでが研ぎ澄まされていく感覚。

身体に澱んでいた痛覚が、泡沫のように消えていく。
ひどくクリアな視界の中、葵の目に映る綾香は動かない。
じっと何かを待つように、ガードの向こうで牙を剥いている。

故に葵も動かない。
右足を引いた左半身のまま、ステップを踏まぬベタ足で機を窺っていた。
葵は思考する。
綾香が何を待っているのか。何を狙っているのか。
思考する。勝利のために。
思考する。ずっと追い続けてきた背中のことを。
思考する。不敗の女王の戦い方を。


***


来栖川綾香は典型的なストライカーだ。
エクストリームにおける戦績は全勝無敗、打撃によるKO・TKO率は7割を越える。
反面、パウンドを除くグラウンドからのKO勝利は殆ど例がない。
多彩な蹴り技と一撃必殺の左による打撃戦。
それがかつて幾万の観衆を魅了した、女王の戦術だった。
しかし綾香はフィジカルにおいて、特に外国人選手に対しては優位を保っていたわけではない。
むしろ多くの場合において体格面では劣勢に置かれているといえた。
161cm、49kgというのはそういう数字だった。
にもかかわらず彼女が体重別という概念のないエクストリームの頂点に君臨し続け、名実ともに
パウンド・フォー・パウンドの名をほしいままにしていたのには、葵の見るところ三つの要因があった。
一つにはその驚異的な動体視力。二つめに、それを活かしきるだけの反応速度。
そして最後に挙げられるのは、恐るべき適応力だと葵は考えている。
来栖川綾香を最強の格闘家たらしめているのは、その眼と頭脳。
それが葵の見る、常勝の女神を支える柱だった。

345十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:14:25 ID:5RrSK1jw0
後の先という言葉がある。
相手の打ち込みを先んじさせておきながらその筋を見て取り、裏をついて自らの一撃を決めるという、剣の道の教えだ。
攻撃態勢に入ってからその軌道を変えることは容易にできない。
故に、その打撃・斬撃の軌道を観測することができれば、完全な対応が可能となるという戦術理論だ。
無論、言うほど簡単なことではない。
相手に先手を取らせるということは、それ自体が状況的に不利であると言っていい。
一瞬の対応の遅れ、迷いが即ち致命傷となる。
極意を実践に移すには、考えうる限りの攻撃方法に対応できるまでの膨大な練習量と想像力、各流派はもとより
人体工学から生理学に至るまでの知識、そして何より相手の攻撃の出端、その刹那を見切るだけの動体視力が必須だ。
だからこそ極意は概念として伝えられ、目指すべき境地として教えられるに留まっている。
だが、来栖川綾香はそれを実践してみせたのだ。
その才能と努力の、両方によって。

綾香の戦いはだから、極めてクレバーだ。
勝利にいたる最適手を思考し、そのための練習を怠らず、実際に拳を交える一瞬のやり取りの中でそれを判断し、実行する。
そこに一切の迷いはなく、セオリーも奇手もその勝利すべく用意された手段に過ぎず。
だから来栖川綾香と戦った者、その戦いを見た者が、口を揃えて評するに曰く―――「最強」。
それが今、松原葵の眼前に立つ存在だった。

無策で挑めば、必ず敗れる。
打撃の威力において、反応速度において、出入りの瞬発力において、リーチにおいて、ウェイトにおいて、
経験において、知識において、才能において、松原葵は来栖川綾香に劣っている。
ただ殴り、蹴り合うならば、そこに勝利の余地はない。

だから、と松原葵は考える。
だからさっきは、どうにもならなかった。
勝てるはずのない戦い方だった。

そうして、と松原葵は思う。
そうして今はもう、さっきまでとは違う。
勝つために、私は立ち上がった。

追いつくために、その背中を目指してきたんじゃない。
いま目の前にいる人に勝つために、走り続けてきたんだ。
この人がリングから去った後も。
ずっと、ずっと走り続けてきた。
練習と、試合と、練習と試合と練習と試合を繰り返してきた。
いま、誰一人見守る者とてない、この戦いに勝つために。

だから、そう。
ゴングも何もないけれど。
ここが松原葵の目指し、辿り着いた―――最後のリングだ。

さあ、
女王を越えるための戦いを、始めよう。


***

346十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:15:39 ID:5RrSK1jw0

先に動いたのは葵だった。
ほんの半歩を踏み込めばそこはミドルレンジ。
ガードの高い綾香の視界の外側から狙うのは前屈姿勢の軸足、右腿へのローキックである。
鞭のようにしなる蹴り足が迫るのを、しかし綾香は右脚を上げることで正確にカットする。
ディフェンスされるのは織り込み済みとばかりに、葵が勢いを止めずに打って出る。
左のローを戻すか戻さぬかの間合いから右のストレートへと繋ぐ葵。
綾香のガードを弾くには至らないが、元よりガードを釘付けにするのが目的の一発である。
次の瞬間には更に一歩を踏み込み、クロスレンジへと移行している。

迎撃の右ジャブを葵は左ガードから内側へパリィ。
ガードの空いた顔面に向けて打つ右ストレートは、僅かに頭部を傾けた綾香に回避される。
姿勢を崩したかに見える綾香の、だが右膝が毒針の如く伸びてくるのを葵は見ていた。
完璧なタイミングのカウンターに、ステップでの回避は間に合わないと判断。
打ち抜いた右の拳を戻すよりも早く膝がヒットする。
ならば、と葵が選んだのは、回避ではなく更なる打撃。
右の拳を戻すのではなく、振り抜いた体勢から状態だけを強引に捻る。
間合いは至近。鋭角に曲げた肘が、旋回半径の小さな弧を描く。
ご、と小さな衝撃。
葵の肘と綾香の膝、その両方がヒットし、しかし互いに有効な打撃とはならない。
右側頭部を抉る軌道の肘が直撃するのを避けようと、綾香が重心を崩した結果である。
間合いは変わらずクロスレンジ。
だが回転の勢いで綾香に向き直りつつある葵に対し、綾香は姿勢を崩している。
千載一遇の好機に、葵の左足が大地を噛み、同時に右足が蛇の如く低空を這って綾香に迫る。
捻った上体はそのままに肘を振り抜き、しかし転瞬、その掌が綾香の顔面を覆うように広がると、
左の側頭部、耳の辺りを髪ごと掴む。
膝を止められ片足で立っている綾香の、その軸である左の足が、正確に払われた。
完璧に決まったのは、葵の変則小内刈り。
綾香の身体が円を描くように宙を舞う。
そのままいけば、柔道であれば背中を付いて文句なしの一本という軌道。
だが葵は投げた姿勢を自ら崩し、地面に叩き付けられようとする綾香を更に巻き込むように重心をかけていく。
左側頭部を掴んだ右手をそのままに、空いた左の手は掌底の形に固められ、綾香の鼻面へと添えられる。
刈った右の膝もまた引かれることなく綾香の下腹部、恥骨の上に密着していた。
受身を許さぬ、危険極まりない投げである。

「……ッ!」

347十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:18:09 ID:5RrSK1jw0
綾香の目が見開かれ、しかし完璧な空中姿勢からは文字通り手も足も出せず、その首筋から
剥き出しの岩肌へと吸い込まれていく。
次の瞬間、鈍い音が響いた。
大地に叩き付けられた延髄、掌底の衝撃を殺せずに砕かれた鼻、そして真っ直ぐに膝で貫かれた腰椎。
人体の要衝である三点に対する同時打撃。
相手を再起不能に追い込むことを目的とした破壊的な攻撃に、綾香が悶絶する。
かは、と綾香が小さな呼気を漏らすのを聞くより早く、葵が動いていた。
右膝を腰の上から腹部へとずらし、左の足を伸ばして膝を床から浮かせた、ニーオンザベリーの体勢を取る。
ぴったりとしたボディスーツを着込んだ綾香の襟は取れない。
故に左手で綾香の髪を掴み、延髄への衝撃で一瞬だけ意識を飛ばした綾香が回復するより前に右拳を固め、
正拳ではなく拳の側部、第二中手骨を叩き付ける様に、破裂したように血を流す綾香の鼻と目の間を目掛けて、
躊躇なく振り下ろす。
一撃、鮮血が飛び散る。
ニ撃、粘液が糸を引く。
三撃、音が、消えた。

「……!?」

固い手応え。
ごつ、という重い音と共に拳と岩肌の間で跳ね回っていた綾香の頭部を打ち砕かんとする三撃目のパウンドは、
その着弾の寸前において、止まっていた。
綾香の両の腕が十字の形をとって、葵の拳を受け止めていた。
ガードの向こう、綾香の目が己をねめつけているのを、葵は見た。
眼球の毛細血管が破裂したか真っ赤に充血した、それでも爛々と輝く瞳の力強さに、葵の背筋が凍る。
まずい、と直感する。
葵がその半生を賭けて打ち込んできた闘争の経験が警告を鳴らしていた。
体制を立て直そうとした瞬間、伸びきった葵の右腕が、がっちりと綾香の両手に掴まれていた。
迂闊、と後悔にも似た思考が過ぎった刹那、葵の視界が唐突に黒く染まる。
重い感触が葵の顔面を薙ぐと同時、ぐらりと重心が揺らぐ。
掴まれた右腕を軸に、円を描いて巻き込まれるような感覚。
警告。警告。警告。危険。危険。危険。
葵の脳裏に数秒後の自身の姿が浮かぶ。
見事なスイープから腕十字。折られる右腕。敗北。


***

348十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:18:38 ID:5RrSK1jw0

一秒にも満たぬ刹那の中、勝機が泡沫のように消えていく。

 ―――やられた!

時間がいつもの何倍にも引き伸ばされたような感覚の中で、葵は歯噛みする。
来栖川綾香を倒すための戦術は完璧だった。完璧の、筈だった。

綾香の強さは、その眼と頭脳。
その裏づけとなるのは、膨大な練習量だった。
対戦相手のあらゆる戦法に対応するだけのシミュレーション能力と、実戦の中で無数に派生していく
その攻撃パターンに練習成果を当てはめる適応力。
それこそが綾香の強さの源泉であると、葵は確信していた。
対戦相手を研究し、シミュレーションを重ねた綾香に予想外という言葉は存在しない。
たとえ試合開始直後に僅かな誤差があったとしても、次のラウンドにはそれを修正してくるのが来栖川綾香だった。
想定の中で戦う綾香は無敵だ。
故に、松原葵が来栖川綾香に勝利するための戦術はただ一つ。
綾香の思い描く、松原葵という格闘家像―――その外側から、戦うことだった。

綾香の現役時代から現在に至るまで、葵のスタイルは一貫してストライカーである。
それは無論、葵が空手を出身母体としていることに起因していたが、しかしエクストリームのリングへと
上がるにあたって、寝技の練習を怠ったことは一度としてなかった。
柔術やサンボをベースとする選手と相対したとき、グラウンドに持ち込まれた段階で
敗北が確定するというのでは話にならない。
練習を重ねる内、葵のグラウンド技術は着実に向上していった。
その中でトレーナーからグラップルへの転向を勧められたことも何度かあった。
153cmという葵の身長はストライカーとしては不利といえたし、グラウンドの技術に関する飲み込みの速さは
自身でも自覚していたが、葵はそれをすべて断っていた。
空手に対する愛着もあった。
打撃で相手を仕留める快感も魅力だった。
しかし何よりも大きく葵の心中を占めていたのは、他の理由だった。
即ち、来栖川綾香という存在への挑戦を念頭に置いた、秘匿戦術。
ストライカーとしてだけでなく、グラップラーとしての戦い方を身につけたトータルファイターとしての
松原葵を見せれば、綾香は必ずそれに対応してくる。
それでは勝てないという確信が、葵にはあった。
故に、葵はリング上ではストライカーであり続けることを選んだ。
ただ一度、至高への挑戦において勝利を得る、そのために。

349十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:19:10 ID:5RrSK1jw0
練り込んだ戦術は、その功を奏した。
あのクロスレンジ、綾香の動きは投げの可能性をまったく想定していなかった。
一瞬の戸惑いを逃さず、完全に機を手にしたと言っていい。
そう、投げからのポジショニングまでは完璧だった。
否、完璧すぎたのだと、葵は自省する。
パウンドで勝てると、グラップリングに持ち込む必要がないと、そう思ってしまうほどに。
慢心の謗りは免れ得ない。
来栖川綾香を相手にしながら、これまでの自分が通用すると勘違いしていた。
つい今しがた、完膚なきまでに叩きのめされたことを忘れたとでもいうのだろうか。
ストライカーとしての松原葵は来栖川綾香に遠く及ばないと思い知らされたはずだ。
愚かな選択を悔やんでも、時は戻らない。
戻らないが、悔やまずにはいられなかった。
グラップラーとしての松原葵が通用するのはほんの一瞬だけだと、葵は理解していた。
投げが決まり、綾香の意識を飛ばした一瞬がすべてだったのだ。
その機会を逃してしまえば、綾香はグラウンドで勝負をかけられる松原葵に、適応する。
ならば猶予など存在するはずもなかったのだ。
ウェイトに欠ける自分がニーオンザベリーからのパウンドなど狙うべきではなかった。
横四方からの膝、否、間髪を入れない腕十字。
利き腕は取れずとも、右の腕を破壊せしめれば勝利は確定していたはずだ。
グラップリングを隠し球として好機を掴みながら、最後の詰めで打撃にこだわった、それが敗因。

 ―――敗因?

否、と葵は思う。
一瞬にも満たぬ時の中で、葵は浮かんだ思考の帰結を否定する。
消えていく好機を、失われた勝利を、葵はまだ、諦めるわけにはいかなかった。
勝ちと負けの間に飛び込めば何かが変わると思って、それでも何も変わらなかった。
殴られる痛みも、殴った相手から流れる血も、潰した鼻にもう一度拳を叩き込むときの濡れた感触も、
何一つとして、ブラウン管の向こう側に見ていたのと違わなかった。
リアルなんてその程度のもので、知ってしまえば、反吐が出るほどにつまらない。
けれど、たった一つ。
たった一つだけ、葵を揺り動かしたもの―――勝利。
幼い頃に見た光景の意味を知るための手段であり、その結果でしかなかったはずの、
明快にして残酷な、絶対の回答。
しかし、いつしかそれは密やかに、葵自身でも気づかぬほど密やかに手段という概念を越え、
結果という単語を凌駕し、唯一至上の目的になっていた。
諦められるはずが、なかった。
まして相手は、至高。
憧れ続けた不敗の女王。
ほんの一秒の迷い、ほんの一手の誤りが敗北に繋がるというのなら。
迷いなく、誤りなく、足掻き続けよう。

350十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:19:27 ID:5RrSK1jw0
右腕を極められ、視界はゼロ。
回転はまだ半ば。綾香の身体は密着状態。踏み込みは使えず。
左の拳は空いている。呼吸はできる。敵の位置は分かる。

ならば。
ならば、まだ―――続けられる。

時が動き出す。
重力を感じる方向が変わっていく。
伸びた右腕の腱が嫌な音を立てている。
綾香の身体は熱く、流れる汗は冷たい。
それが、感じられるすべて。

細く息を吸う。
身体が上を向く。
左の拳を、綾香の腹にそっと押し当てる。
細く、細く息を吸う。
肩が大地に触れる。
綾香の身体が、完全に横倒しになっていく。
細く、細く、細く息を吸う。
右肘の関節が、可動域を超えた圧力に悲鳴を上げる。
肩甲骨までが地面を擦った、刹那。

練り上げた呼吸が―――爆ぜた。


***

351十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:21:05 ID:5RrSK1jw0
かひ、かひ、と。
細く荒い呼吸を繰り返すのは、右の肘を押さえた葵であった。
鼻血が汗と混じって、ぼたぼたと地面に垂れている。

その眼前、咳き込むことすらもできず蹲る姿があった。
来栖川綾香である。
両手で右の下腹部あたりを押さえたまま、動かない。

寸勁。
ワンインチパンチとも呼ばれる、至近の打撃。
形意拳の崩拳とも似た、しかし非なる拳理によって生み出される破砕の拳。
それこそが松原葵が来栖川綾香に挑み、勝利するための、もう一つの秘手だった。

ゆらり、と紫色に腫れ上がった右の腕を離して、葵が立ち上がる。
呼吸は荒く、足取りは覚束ず、しかし眼光だけはぎらぎらと光らせて、葵が綾香に歩み寄る。
綾香はうつ伏せに蹲ったまま動かない。
おそらくは腸の一部が破裂しているのだろうと、葵は見て取る。
失神せずにいるのが不思議なくらいだった。
短く切り揃えられた綾香の髪を、無造作に掴み上げる。
微かな吐息を漏らし、しかし抵抗らしい抵抗を見せない綾香の、白い喉にそっと腕を回していく。
背中から抱き締めるように、いとおしむように、葵は己の身体を綾香に密着させる。
腕が、綾香の首を回ってクラッチされる。
最後に地面を蹴るように、重心を移動。ごろり、と転がる。
仰向けになった綾香の背中に、葵が張り付くような格好。
腹を押さえる綾香の腕の下から、葵の足が絡まっていく。
バックグラブポジションからの裸絞め。
ぎり、と葵の腕に力が込められた。
綾香の白い細面に血管が浮き上がり、見る間に赤く染まっていく。
びくり、びくりと痙攣する綾香はしかし、首に回った腕を振りほどく仕草をすら見せようとはしない。
抵抗しようにも、この体勢になってしまえば最早その手段とてありはしなかった。

「ねえ、綾香さん」

352十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:21:26 ID:5RrSK1jw0
静かに、語りかける。
ほんの数秒、綾香の意識が落ちるまでの数秒に、問う。

「綾香さんにとって、戦うって」

それが、葵の勝利宣言だった。

「戦うって……どういうこと、でしたか」

答えは返らない。
当然だった。全力で気道を締め上げている。
声など出るはずがなかった。
綾香の体温を全身で感じながら、葵は確信する。
不敗の女王の伝説に終止符が打たれる瞬間が、すぐそこまで来ていることを。
己が勝利が、ほんの数秒後に迫っていることを。

そして、葵は思い知る。
確信が、脆くも崩れ去っていくことを。
数秒後の栄光など、存在しないことを。

「……え、」

声を漏らしたのは、一瞬。
最初に感じたのは、違和感だった。
次に襲ってきたのは猛烈な寒気。
同時に、圧倒的な熱。
そして最後に、激痛と呼ぶも生温い、衝撃だった。

353十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:21:52 ID:5RrSK1jw0
「あ、……ッ、……」

悲鳴も出ない。
絶叫も上がらない。
震える横隔膜が、狂ったように鼓動を跳ね上げる心臓が、それを赦さない。
反射的に溢れた涙に霞む視界の向こうに、じわりと広がる赤があった。
すっかり泥に汚れた体操服に滲む、自らの鮮血だった。

それは、爪のように見えた。
貫手のように伸ばされた指から生えた、鋭く細い何か。
来栖川綾香の手から、松原葵の胴へと伸びる何か。
滲み、広がっていく血の真紅と同じ色をした十の刃が、葵の腹を両側から刺し貫いていた。


******

354十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:22:22 ID:5RrSK1jw0

頚動脈を押さえていた腕から、力が抜けていく。
反射的に酸素を取り込もうとして、貼りついていた気道に血痰が絡み、来栖川綾香は盛大に咽る。
ひとしきり咳き込んでいると、白と黒の斑模様に染まっていた視界が次第に色を取り戻していった。
起き上がろうと身を捩って、平衡感覚が狂っていることに気付く。
身体のバランスが取りづらい。原因は解っていた。
薬物の強力な麻酔効果をもってして尚、脈打つように激痛が響いてくる。
内臓破裂は間違いないだろうと自己診断して、口からゆっくりと息を吸い込む。
肋骨に響く感覚はないが、腹筋は痙攣が治まらず。
緊急の外科的措置を要する。併発症が腹膜炎で済めば御の字だ。

「やって、くれた……」

眼下、じわりと広がっていく血だまりに横たわる、小さな体を見た。
万力のようにこの首を締め上げていた腕から、疾風のような勢いで飛び込んできた脚から、
想像だにしなかった破壊力を発揮した拳から、ただ闘争だけを渇望していた澄んだ瞳から、
命の色が消えていく。
動脈が切断されたのだろう、一定のリズムで噴き出していた真っ赤な鮮血が、徐々にその勢いを弱めていた。

ほんの一瞬前、暗く染め上げられた世界を思い出す。
葵の体は小刻みに震えている。
手を翳した。黒く罅割れた、鬼の手。伸びた爪にこびりつくのは、乾きかけた葵の血。
小さな体は、一秒ごとに熱を失っていく。
爪を引き、打ち振るえば、そこにあるのは白く細い指。
握り締めれば堅く歪な、ひとつの拳。
傍ら、少し離れたところに転がるデイバックを見た。


***

355十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:22:53 ID:5RrSK1jw0

小さく息をついて、綾香は手中の物を眺める。
薄黄色の液体を満たした、細長い円筒形のプラスチック容器。
先に細い針がついている。注射器だった。

その向こう、今や赤という色味を失いつつある、小さな体を見る。
傷口からは既に血は流れていなかった。
止血されたわけではない。流れ出るだけの量が、もう体内に残っていないのだった。
意識とて、とうの昔に失われていようと思えた。

横倒しにした葵に、そっと触れる。
血液の流れきった身体は体温を失い、ひんやりと冷たかった。
見開かれた目はただ虚空を映し、微動だにしない。
黄土色の泥と赤黒い血で固まった短い髪を、静かにかき上げる。
白い首筋が、陽光の下に晒されて綾香の目を射抜いた。
ほんの一瞬だけ目を細めた、次の瞬間。
綾香は手の注射器を、無造作とも思える仕草で葵の首へと突き刺していた。
ピストンを押し込めば、薄黄色の液体が葵の体内へと流れ込んでいくのが見えた。
びくん、と葵の全身が大きく震えた。
薬液を残らず押し出すと、綾香は針を抜いて葵から離れる。

びく、びくりと、既に絶命寸前だったはずの身体が跳ねる。
幾度めかの痙攣の後、小鳥が鳴くような、甲高い音が響いた。
それが自発呼吸だと綾香が気付くのとほぼ同時。
がばり、と。唐突に、何の前触れもなく、葵が跳ね起きていた。

「あお―――」

葵、と反射的に声をかけようとして、綾香の言葉が途切れる。
立ち上がった葵と視線を交わした瞬間、綾香は正しく理解していた。
眼前に立つ少女は、意識を回復していない。
眩しい陽光の下、輝くような光を湛えていたその瞳は、まるでそこだけが深い穴の中にでも落ち窪んでいるかのように、
どこまでも昏く重く沈み込んでいた。

356十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:23:27 ID:5RrSK1jw0
「―――」

沈黙が落ちた。
立ち尽くす二人の少女の間を、砂埃を舞い上げるように風が吹き抜けていく。
堅く口を引き結んだまま、綾香はじっと葵を見つめていた。
ややあって、綾香が目を伏せる。
深い、深い溜息をついて、顔を上げた綾香が、口を開く。

「……なあ、葵」

吹く風に紛れて消えそうな、それは声だった。

「ギブアップするなら、やめてやっても、いいんだよ」

どこか寂しげな、儚げな、笑み。
来栖川綾香の浮かべる、それはひどく稀有な表情だった。
普段の彼女を知る者が見れば誰もが驚愕に言葉を失うような、そんな笑み。
しかしその表情は、ほんの数秒を経て、

「―――!」

凍りつくことになる。
綾香をしてその表情を凍結せしめたのは、眼前に立つ少女。
その、小さな反応であった。
松原葵の震える右足が、前方へと差し出されていた。
僅かな間をおいて、左手を前へ。
左の足は微かに引かれ、赤黒く血の溜まった右手は腰溜めに。
後屈に近い姿勢は空手とも、キックスタイルとも違う、独特の重心を持つ。

357十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:23:53 ID:5RrSK1jw0
「そっか」

静かに呟いた綾香の、凍りついたままの表情が、次第に融けていく。
降り積もった雪を割って、緑が大地に芽吹くように。
歓喜という表情が、綾香を満たしていく。

「そっか、そうだよな……葵」

少女の取った姿勢は、形意拳と呼ばれる武術形態の基本となる構えの一。
木行崩拳の型であった。
少女にとってそれがどのような意味を持つ技なのか、来栖川綾香は知らない。
少女がその構えに何を込めるのか、来栖川綾香は何一つとして、知りはしない。
だが、

「それでいい、それでいい、それでいい―――」

松原葵という少女が、それを消えゆく命の最後に選んだのであれば。
来栖川綾香は、その全力を以って。

「戦おう、松原葵―――!」

両の拳を握り構えるは右半身。
笑みが号令となり、咆哮は嚆矢となる。
幽鬼の如く立ち尽くす葵の引かれた左足が、ふ、と揺れた。
上半身を前傾させないまま、まるで大地の上を滑るように歩を進めるかに見えた、次の瞬間。
その全身が、爆発するように加速した。
遍く天下を打ち貫く、それは無双の弾丸。
朽ち、果てゆく命を燃やし尽くすが如き、疾風の一打。

358十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:24:39 ID:5RrSK1jw0
松原葵という武術家の、その生涯最後の拳が迫るのを瞳に映し、来栖川綾香は恍惚と笑む。
歓喜と法悦の狭間、得悟に至る僧の如く、笑む。
綾香の全身が、撓んだ。
滑るような動き。左の拳が、引き絞られた剛弓の如く音を立てる。

風が割れた。
悪鬼をすら踏み拉く裂帛を以って、葵の跟歩が大地を震わせる。
羅刹をすら割り砕く苛烈を備え、拳が打ち出されようとする、その寸前。

綾香の震脚が、足形を刻むほどに大地を踏み固めた葵の足を、真上から、粉砕した。
刹那と呼べる間をすら置かず。
雷鳴の天に轟くが如く、雷光の天に閃くが如く。
来栖川綾香の拳が、松原葵を、穿っていた。


***

359十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:25:22 ID:5RrSK1jw0

音が、遅れて聞えてくる。
それは、朽木がその重みに耐えかねて折れ砕けるような、奇妙に軽い音。
そして同時に、水を一杯に詰めた風船が弾けるような、重く濡れた音だった。

「―――わかんない」

左の拳を突き出したまま、綾香が静かに口を開いた。

「わかんないよ、葵」

それは、囁くような声。

「あたしら、笑えないからさ」

手を伸ばせば届くような、虚ろな瞳に語りかける声だった。

「頑張ったとか、精一杯やったとか、そういうので笑えないからさ」

瞳はもう、何も映してはいない。
風も、陽光も、眼前に立つ綾香すらも。

「だからあんま、うまくやってこらんなかったから」

それでも綾香は、静謐を埋めるように言葉を紡いでいく。
浮かぶのは、穏やかな笑み。

「あたしらみんな、そうだったろ。あたしも、お前も、……それから、あいつもさ」

閉じた瞼の裏に浮かんだのは、誰の影だったか。

「だからあたしにも、わかんない」

言い放つのは、問いへの回答。
戦うということの、意味。

「わかんないんだよ、葵。けどさ、けど……」

言いよどんだ後に出てきたのは、たったひとつの言葉。
自分を、自分たちを繋げる、シンプルな誓約。
誰かが言うだろう。ばかげている、と。
知ったことか。
誰かが責めるだろう。そんなことで、と。
それがどうした。
外側の人間には通じない、それはこの星に生まれたすべての来栖川綾香と、松原葵にだけ伝わる言葉。
すべての来栖川綾香とすべての松原葵が迷いなく頷く、純白の真実。

「―――楽しかったろ?」

硝子玉のような瞳の奥、来栖川綾香を映すその表情に、

「ばあか」

静かに、笑い返して。
綾香が、拳を引き抜いた。




【松原葵 死亡】

360十一時十五分/i've been here, BattleJunkies.:2008/03/11(火) 03:26:16 ID:5RrSK1jw0
 
 
 
【時間:2日目 AM11:18】
【場所:F−6】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング】

→950 ルートD-5

361名無しさん:2008/03/12(水) 00:53:09 ID:JAd3em1s0

絶望の孤島で巡り合った四人――坂上智代、里村茜、相良美佐枝、小牧愛佳。
彼女達は全員が全員、此度の殺人遊戯を断固として否定してきた者達だった。
鎌石村役場の一室で出会った同志達は、深い絆を培ってゆける筈だった。
襲撃者がこの場に現れさえ、しなければ。

轟く爆音、煌く閃光。
戦場と化した鎌石村役場の一階にて、凶悪な火力を誇る短機関銃――イングラムM10が猛り狂う。
強力無比な重火器を駆りし者の名は、七瀬彰。
己が想い人を生き返らせる為、既に二名の人間を手に掛けた修羅である。
彰が繰り出した高速の銃撃は、半ば弛緩していた智代達の意識を強引に覚醒させた。

「……皆、こっちだ!」

思わぬ奇襲を受ける形となった坂上智代が、咄嗟の判断で傍にあった机やテレビを拾い上げて、ソファーの上に積み重ねた。
続いて仲間達と共に、即席のバリケードへと身を隠す。
だが耐久性に乏しい日常品を組み合わせた所で、短機関銃が相手ではそう長い間耐えられない。
降り注ぐ銃弾の嵐と共に、ソファーや机の表面が急激に削り取られてゆく。

「美佐枝さん、反撃だ! アサルトライフルで応射してくれ!」
「ゴメン、無理よ。さっきの攻撃を避けた時に、入れてある鞄ごと落としちゃったから……」
「く――――」

焦りを隠し切れぬ面持ちで、智代が強く唇を噛んだ。
このままでは不味い。
防壁が破られる前に、自分達にとって有利な場所――罠を張り巡らしてある二階まで逃げ延びる必要がある。
しかし、と智代は横方向に視線を動かした。

(……駄目だ、遠過ぎる)

唯一の脱出経路である廊下への入り口は、此処から十数メートル以上も離れた所にある。
卓越した身体能力を持つ自分ならばともかく、他の仲間達にとっては絶望的な距離。
強引に逃げようとすれば、ほぼ確実に仲間達の中から犠牲者が出る。
かと云ってこの場に留まり続ければ、いずれ防壁が決壊し皆殺しにされてしまう。
智代に残された選択肢は、最早唯一つのみ。

362名無しさん:2008/03/12(水) 00:53:40 ID:JAd3em1s0

「……私が時間を稼ぐから、皆は先に逃げてくれ!」
「な!? 智代、ちょっと待ち――――」

茜が制止する暇も無い。
叫ぶや否な、智代は跳ねるような勢いで遮蔽物の陰から飛び出した。
弧を描く形で駆けながら、手にしたペンチを彰目掛けて投擲する。
しかし人力による射撃程度では、相手を打倒し得る一撃とは成らない。
ペンチは簡単に避けられてしまったが、そこで智代は鞄からヘルメットを取り出した。
先程と同じように、彰へと狙いを定めて投げ付ける。

「ほら、もう一発だ!」
「チ――――」

彰が横方向へと跳躍した事でヘルメットは空転したが、構いはしない。
この連続投擲は、あくまでも敵の攻撃を封じる為のもの。
遮蔽物の無い場所では、マシンガンの銃撃は正しく死のシャワーと化すだろう。
間断無く牽制攻撃を行って、敵にマシンガンを撃たせない事こそが、この場に於ける最優先事項だった。
そして既に、仲間が逃げ延びるだけの時間は稼ぎ終えている。

「……そろそろ潮時か」

智代は自らが逃走する時間を稼ぐべく、残された最後の武器――手斧を投擲して、投げ終わった瞬間にはもう廊下に向かって駆け出していた。
破壊の跡が深く刻み込まれた部屋の中を、一陣の風が吹き抜ける。
駆ける智代の速度は、常人では及びもつかない程のものだった。

(大丈夫……二階にさえ辿り着ければ、きっと何とかなる)

銀の長髪を靡かせながら、智代は全速力で疾駆する。
敵は強力無比な銃器で武装しているが、自分達とて無策でこの建物に篭っていた訳では無い。
二階には幾多もの罠を設置してある。
罠を張り巡らせた場所まで移動出来れば、十分対抗し得るように思えた。

しかし彰とて数度の戦いを潜り抜けた修羅。
単調な牽制攻撃のみで、何時までも抑え切れる程甘い敵ではない。

「このっ……!」
「――――!?」

高速で駆ける智代を撃ち抜くのは困難。
故に彰は智代を狙うのでは無く、寧ろ廊下の入り口方向にマシンガンを撃ち放った。
逃げ道を防がれる形となった智代が、後方への退避を余儀無くされる。
その隙に彰は床を蹴って、廊下の入り口に立ち塞がるような位置取りを確保した。
五メートル程の距離がある状態で、智代へとマシンガンの銃口を向ける。

「残念だったね。君は頑張ったけど、そう簡単に逃がしてあげる訳にはいかないんだ」
「く、そっ…………!」

絶体絶命の窮地へと追い込まれた智代が、心底忌々しげに舌打ちする。
――逃げ切れない。
それは、智代が抱いた絶対の確信。
もうバリケードの影へと逃げ込む時間は無いし、廊下へと続く道も塞がれしまっている。
今の智代に、イングラムM10の銃撃から逃れ得る術は無かった。

(これで――三人目!)

彰は目標にまた一歩近付くべく、手にしたマシンガンのトリガーを引き絞ろうとする。
銃の扱いに於いて素人に過ぎない彰だが、この距離、この状況。
外す訳が無い。
しかしそこで響き渡った一つの叫び声が、定められた結末を覆した。

363名無しさん:2008/03/12(水) 00:54:55 ID:JAd3em1s0
「智代、頭を下げて下さい!」
「…………ッ!?」

甲高い声。
智代は促されるまま上体を屈めて、彰も本能的に危険を察知し横方向へと飛び退いた。
次の瞬間、空気の弾ける音と共に、それまで彰や智代の居た空間が飛来物に切り裂かれてゆく。
前屈みの状態となっていた智代が視線を上げると、廊下の先に電動釘打ち機を構えた茜の姿があった。
一旦退避した茜だったが、智代を援護すべく舞い戻ってきたのだ。

「智代! こっちです、早く!」
「ああ、分かった!」

智代は上体を屈めた態勢のまま、廊下に向かって全速力で駆け出した。
その間にも茜が幾度と無く釘を撃ち放ち、彰の追撃を許さない。
廊下の奥で智代と茜は合流を果たし、そのまま傍にある階段を駆け上がっていった。

「っ……逃がして堪るか!」

遅れ馳せながら彰も地面を蹴って、智代達の後を追ってゆく。
複数の銃火器の重量に耐えつつも廊下を走り抜けて、勢い良く階段を駆け上がった。
二階に着いた途端見えたのは、一際大きな扉。
彰はマシンガンに新たな弾倉を装填した後、扉に向かって掃射を浴びせ掛けた。
扉は派手に木片を撒き散らしながら、穴だらけとなってゆく。

「ふ…………っ!」

彰はボロボロになった扉を押し破って、そのまま奥へと飛び込んだ。
開け放たれた視界の中に広がったのは、優に数十メートル四方はある大広間。
元は役場の職員達が使用してたのか、大量の作業用机が規則正しく並べられている。
そして彰の前方二十メートル程の所に、走り去ろうとする智代の後ろ姿。

(他の奴らは何処に――いや、それは後回しで良い。まずはアイツから仕留めるんだ!)

二兎を追う者は一兎も得ず、という諺もある。
欲を出し過ぎる余り、結果として一人も倒せなかったという事態は避けなければならない。
彰は机の間を縫うように疾走しながら、智代の背中をマシンガンで撃ち抜こうとして――

「…………ッ!?」

瞬間、大きくバランスを崩した。
慌てて態勢を立て直そうとしたが、既に両足は地面から離れてしまっている。
どん、という音。
イングラムM10を取り落としながら、彰は勢い良く床へと叩き付けられた。

「あ、がぁぁぁっ…………!?」

予期せぬ事態に見舞われた彰が、苦痛と驚愕に塗れた声を洩らす。
状況が理解出来ない。
自分は決して運動を得意としていないが、戦いの場で足を踏み外す程に不注意な訳でも無い。
なのに、何故――そんな疑問に答えたのは、近くの机の影から聞こえてきた声だった。

「まさか、こんな子供じみた罠が決まるなんてねえ……」
「灯台下暗し、ですよ。勝利を確信している時こそ、足元が疎かになるものです」

そう言いながら姿を現したのは、制服姿の少女と、成熟した体型の女性。
里村茜と相良美佐枝である。
二人が眺め見る先、細長い縄が机と机の間に張られていた。
人間の膝の位置くらいに仕掛けられたソレこそが、彰を転倒させた罠だった。
立ち上がった彰がイングラムM10を拾うよりも早く、茜の釘撃ち機が向けられる。

364名無しさん:2008/03/12(水) 00:56:00 ID:JAd3em1s0

「無駄です。自身の装備を過信して深追いしたのが、命取りになりましたね」
「ク――――」

これで、完全に形成逆転。
釘撃ち機の発射口は、正確に彰の胸部へと向けられている。
既に発射準備を終えている茜と、未だ得物を回収出来てすらいない彰、どちらが先手を取れるかなど考えるまでも無い。
それに愛佳や智代も、彰を取り囲むような位置取りへと移動していた。
茜は抑揚の無い冷めた声で、死刑宣告を襲撃者へと突き付ける。

「それでは終局にしましょうか。これまで何名の人達を殺してきたか知りませんが、その罪を自身の命で清算して下さい」

茜に迷いは無い。
殺人遊戯の開始当初、自分は優勝を目指して行動する腹積もりだったのだ。
智代の説得により方針を変えたとは云え、殺人者に掛ける情けなど持ち合わせてはいなかった。
しかしそこで愛佳が、茜を制止するように腕を横へと伸ばす。

「……小牧さん? 一体何のつもりですか?」
「あの、その……ゴメンなさい。でも、幾ら何でもいきなり殺す事は無いと思います」
「嫌です。殺人鬼となんて、話し合う必要も意味もありませんから」
「そんな、頭から決め付けたら駄目ですよ。話し合えば、分かり合えるかも知れないじゃないですか……!」

その提案に茜が難色を示したものの、愛佳は引き下がろうとしない。
自分達はあくまでも殺し合いを止めるのが目的であり、殺生は可能な限り避けたい所。
話し合って和解出来ればそれが一番だと、愛佳は考えていた。
先ずは当面の安全を確保すべく、地面に落ちているイングラムM10を回収しようとする。

「悪いけど、コレは預からせて貰いますね。そうしないと、落ち着いて話も――――」
「……小牧、危ない!」

だが突如横から聞こえて来た叫び声が、愛佳の話を途中で遮った。
愛佳が横に振り向くのとほぼ同時に、叫び声の主――智代がこちらへと駆け寄って来ていた。
智代は強く地面を蹴ると、スライディングの要領で愛佳の腰へと組み付いて、そのまま地面へと倒れ込んだ。
次の瞬間、けたたましい銃声がして、愛佳の傍にあった机が激しく木片を撒き散らす。


「――見付けたわよ。殺し合いに乗った悪魔達」


冷え切った声。
愛佳が声のした方へ目を向けると、大広間の入り口、開け放たれた扉に青髪の少女が屹立していた。
少女――七瀬留美は短機関銃H&K SMG‖を握り締めたまま、憎悪で赤く充血した瞳を愛佳達へと向けた。

「アンタ達みたいな……アンタ達みたいな人殺しがいるからっ! 藤井さんは死んでしまったのよ!!」

それは、留美と面識のある愛佳や美佐枝にとって、寝耳に水の発言だった。
嘗て自分達はこの島で留美と出会い、志を共にする者として情報の交換等も行った。
少なくとも敵対するような関係では無かったし、自分達が殺し合いを否定している事は留美とて知っている筈である。

「ちょ……ちょっと待って下さい、いきなり何を言い出すんですか? あたし達は殺し合いになんて乗っていません!」
「だったら、さっき聞こえて来た銃声は何? それにどうして、その男の人を集団で囲んでるのよ?
 前に私と会った時は善人の振りをしてたって訳ね……絶対に許さない!」

謂れの無い言い掛かりを否定すべく、愛佳が懸命に声を張り上げたが、その訴えは即座に一蹴される。
冬弥の死により復讐鬼と化した留美は、既に冷静な判断力を失ってしまっている。
怒りに曇った目で見れば、彰を取り囲む愛佳達の姿は、殺人遊戯を肯定しているとも判断出来るものだった。
最早、愛佳の言葉は届かない。
ならば、と元の世界で留美と同じ学校に通っていた茜が、一歩前へと躍り出た。

365名無しさん:2008/03/12(水) 00:56:51 ID:JAd3em1s0

「七瀬さん、落ち着いて下さい。先に襲って来たのはその男の方です」
「五月蝿い、言い訳なんて聞きたくない! 私を騙そうたってそうは行かないんだから!!」
「――っ、話に、なりませんね……」

全く話を聞こうとしない留美の態度に、茜は元より、他の仲間達も一様に表情を歪める。
今の留美は、怒りが一目で見て取れる程に激昂している。
とても、会話の通じる状態とは思えない。
それでも未だ諦め切れない愛佳が、再度対話を試みようとする。

「七瀬さん、お願いですから話を聞いて下さい! 前はあんなに仲良く…………ッ!?」

愛佳の言葉が最後まで紡がれる事は無かった。
皆の注意が留美に引き付けられている隙を付いて、彰が床に落ちてあるイングラムM10を拾い上げたのだ。
愛佳達が机の影に駆け込むのと同時、彰の手元から激しい火花が放たれた。
彰は一箇所に狙いを絞ったりせずに、留美を含めた全員に向けて、弾切れまで掃射を浴びせ掛けてゆく。
銃撃は誰にも命中せずに終わったが、皆が回避に意識を裂いている間に、彰は少し離れた位置にある机へと退避していた。

「……そう。折角助けてあげたのに、アンタも殺し合いに乗ってたって訳ね。
 良いわ、なら最初にアンタから殺してやる!」

彰の行動に怒りを露とした少女の名は、七瀬留美。
留美からすれば、今彰が行った攻撃は完全に裏切り行為。
取り囲まれていた所を助けて上げたというのに、その返礼が鉛弾では余りにも理不尽である。
己が激情に従って、留美はH&K SMGⅡのトリガーを攣り切れんばかりに引き絞った。
無数の銃弾が、彰が隠れている机に向かって撃ち放たれる。

「くぅ――――」

短機関銃の集中砲撃を受けては、机程度の防備ではとても防ぎ切れない。
危険を察知した彰が、弾倉の装填作業を中断して、一も二も無く机の影から飛び出した。
殆ど地面を転がるような形で、何とか留美の銃撃から逃れる事に成功した。
程無くして、留美のH&K SMGⅡが弾切れを訴える。
彰と留美の銃は、共に弾丸が切れた状態となった。

「今…………!」

彰は何よりも優先して、イングラムM10に新たな銃弾を装填しようとする。
得物は互角――彰も留美も、短機関銃で武装している。
ならば先に銃弾を装填し終えた方が、圧倒的な優位性を確保出来る筈だった。
しかし次の瞬間留美が取った行動は、彰にとって予想外のもの。

「てやああああああああっ!!」
「な――――!?」

留美は装弾作業を行おうとせず、彰に向かって全速力で走り出した。
智代程では無いにしろ、嘗て剣道部で鍛え抜いた身体能力は、並の女子高生とは比べるべくも無い。
十数メートルはあった間合いを一息で詰め切って、駆ける勢いのままH&K SMGⅡを横薙ぎに一閃した。
彰も反射的に左腕で防御しようとしたが、高速で振るわれる鋼鉄の銃身は正しく凶器。

366名無しさん:2008/03/12(水) 00:57:44 ID:JAd3em1s0

「ガアァッ…………」

攻撃を受け止めた彰の左上腕部に、痺れる様な激痛が奔る。
意図せずして動きが鈍くなり、次の行動への移行が遅れてしまう。
だが、何時までも痛みに悶えている暇は無い。
眼前では留美がH&K SMGⅡを天高く振り上げており、もう幾ばくの猶予も無い。

「く、あ……このおぉぉぉ!」
「っ――――」

彰は強引に痛みを噛み殺すと、イングラムM10を右手で強く握り締めて、留美の振るう得物と交差させた。
二つの凶器が衝突して、激しい金属音を打ち鳴らしたが、多少左腕を痛めていようとも男と女では腕力差がある。
彰は力任せに留美の態勢を崩して、そのまま容赦の無い中段蹴りを放った。

「――甘い!」

留美も伊達に中学時代、剣道に打ち込んでいた訳では無い。
腹部に向けて迫る一撃を、留美は体勢を崩したままH&K SMGⅡの銃身で打ち払った。
しかし衝撃までは殺し切れずに、後方へと弾き飛ばされてしまいそうになる。
留美はその勢いに抗わず、寧ろ利用する形で一旦彰と距離を取った。

(良し、今の内に……!)

一方彰は、機を逃さずして近くにある机の影へと飛び込んだ。
運動神経で劣る自分にとって、単純な力勝負ならともかく、銃を鈍器代わりにしての近接戦闘は間違い無く不利。
闘争の形式を銃撃戦へと戻すべく、イングラムM10に新たなマガジンを詰め込んだ。
時を同じくして、留美も銃弾の装填作業を完了する。
二人は机と机の影を移動しながら、互いに向けて銃弾を放ち始めた。


眩い閃光が瞼を焼き、強烈な銃声が鼓膜を刺激する。
激しい破壊が撒き散らされる大広間の中、彰達から大きく離れた位置に、裏口から逃亡しようとする智代達の姿があった。
裏口の先は、智代と茜が幾多もの罠を張り巡らしたロッカールームである。
そこまで行けば、後は容易に逃げ切れる筈だった。

「美佐枝さん、茜、小牧――全員揃ったな。あの二人が潰し合ってる間に、私達は退散するとしよう」
「けど、良いのかな……。 七瀬さんがあんな事になってるのに、止めずに逃げるだなんて」
「……小牧の言いたい事も分かる。でも私達の装備であの戦いに飛び込めば、まず無事では済まないだろう。
 此処は退くしかないんだ」

367名無しさん:2008/03/12(水) 01:00:14 ID:JAd3em1s0

愛佳の指摘を受け、智代は苦々しげに奥歯を噛み締めたが、それでも決定は覆さない。
自分達の武装は、彰や留美に比べて余りにも貧弱である。
無理に戦いを止めようとすれば、仲間内から犠牲者を出してしまう可能性が極めて高いだろう。
仲間を救う為ならばともかく、襲撃者同士の潰し合いを止める為に、そこまでのリスクを犯す義理は無いように思えた。

「それじゃ、良いな?」
「……分かりました」

愛佳が渋々といった感じで頷くのを確認してから、智代は裏口の扉を押し開けようとする。
だが、その刹那。
智代達の後方で、ダンと床を踏み締める音がした。

「おいおい、何処に行くんだよ? パーティーはまだ始まったばかりじゃねえか」
「あ、貴方は――――」

愛佳が後ろへ振り返ると、そこには見覚えのある男が立っていた。
肉食獣のような鋭い眼光に、成人男性の平均を大きく上回る長身。
忘れる筈も無い。
今眼前に居る男は、間違い無く殺人鬼――岸田洋一その人だった。

「……愛佳ちゃん、この男を知っているのかい?」
「はい。名前は分かりませんけど、この人が芹香さんを殺した犯人です……」
「――――っ、コイツが……!」

その言葉を聞いた瞬間、美佐枝は眉をキッと斜め上方に吊り上げた。
美佐枝の脳裏に浮かび上がるのは、冷たくなった芹香の死体。
そして芹香を守れなかったと知った時の、どうしようも無い程の後悔だった。
後悔は怒りとなって、美佐枝の思考を埋め尽くす。
美佐枝は鞄の中から鋭い包丁を取り出して、戦闘態勢に移行しようとする。
そこで、横から投げ掛けられる茜の声。

「……相良さん、落ち着いて下さい。悔しいとは思いますが、今は退くべき時です」
「でも、コイツが来栖川さんを……!」
「聞き分けて下さい。今此処に留まれば、七瀬さん達も交えた泥沼の戦いになってしまいます」

茜の言葉は正しい。
大広間の反対側では、今も留美と彰が戦っているという事実を失念してはいけない。
二人の襲撃者の矛先が、何時こちらへと向いても可笑しくは無いのだ。
此処で岸田洋一を倒そうとすれば、恐らくは留美達とも戦う羽目になるだろう。
だからこそ激情を押さえ込んで退くべきだ、というのが茜の判断だった。
しかしそのような判断を、眼前の殺人鬼が良しとする筈も無い。

「はっ、連れねえな。もっと怒りに身を任せようぜ?」
「一人で勝手にどうぞ。貴方が何を言おうとも、私達は退かせて貰います」
「……チッ、ガキの癖に冷静ぶってんじゃねえよ」

落ち着いた茜の声を受けて、岸田は苛立たしげに舌打ちをした。
少しでも多くの人間を殺し、犯したい岸田にとって、茜達の撤退は極力避けたい事態。
逃げ去る茜達を一人で追撃するという手もあったが、敵は四人。
彰達を巻き込んだ乱戦状態ならばともかく、正面から戦えば勝ち目は薄いと云わざるを得ない。
故にあらゆる手を用いて、茜達をこの場に留まらせようとする。

「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――少し前、お前と同じ制服の奴や、その仲間を殺してやったぞ」
「私と同じ制服の人を……ですか?」

茜が問い掛けると、岸田は邪悪な笑みを口の端に浮かべた。

「ああ、殺したよ。二人共思う存分に犯してからな。名前は確か……長森さん、柚木さんと呼び合っていたな」
「え…………」

368名無しさん:2008/03/12(水) 01:01:47 ID:JAd3em1s0

岸田の言葉を聞いた瞬間、茜は即頭部を強打されかのような衝撃に見舞われた。
クラスメイトである長森瑞佳の事もあったが、それ以上に茜に衝撃を与えたのはもう一人の名前。

「詩子、を――――」

幼馴染で、それと同時に掛け替えの無い親友でもある詩子が殺された。
それも、女性の尊厳を奪われた後で。
実際に岸田が犯したのは瑞佳一人のみだが、その事実を茜が知り得る方法は無い。
茜の動揺を見て取った岸田が、心底愉しげに笑い声を張り上げた。

「ハハハッ、ハハハハハハハハハハ! どうやら大当たりだったみたいだな? 苦痛と恥辱に歪んだ女達の顔、お前にも見せてやりたかったぜ」
「貴方は……貴方という人は…………!」
「ほら、掛かって来いよ。俺の事が憎いだろ? 殺してやりたいだろ?」
「くっ…………」

怒りで肩を震わせる茜に向けて、嘲笑混じりの挑発が投げ掛けられる。
それでも茜は、決壊寸前の理性を危うい所で何とか保っていた。
今すぐにでも眼前の怨敵を殺してやりたいが、此処で激情に身を任せる訳にはいかない。
血が滲み出る程に拳を握り締めながらも、沸騰した感情を少しずつ冷ましてゆくよう試みる。
しかし茜が怒りを抑えられたとしても、他の者達もそうだとは限らない。

「――そう。そんなに殺して欲しいのなら、望み通りにしてあげる」
「美佐枝さんっ!?」

怒りの炎を瞳に宿し、包丁片手に岸田の方へと歩いてゆく女性が一人。
相良美佐枝である。
岸田が行ってきた数々の卑劣な行為、人を見下した言動に、美佐枝の我慢は最早限界を突破していた。
驚愕する智代にも構わずに、眼前の殺人鬼目掛けて疾走を開始する。

「来須川さんが受けた痛み、その身で味わいなさい!」
「ヒャハハハッ、良いぞ! その調子だよ!!!」

岸田は鞄から大きな鉈を取り出すと、美佐枝を大広間の奥に誘い込むべく後ろ足で後退してゆく。
頭に血が昇っている美佐枝は、派手な足音を立てながら追い縋ろうとする。
その行動は、過度に場の注意を引き付ける愚行である。
案の定、新たな敵の接近に気付いた彰が、美佐枝目掛けて銃弾を撃ち放った。
所詮素人の銃撃であり、しかも遮蔽物が極めて多い屋内。
銃弾が命中する事は無かったが、美佐枝の鋭い視線が彰へと向けられた。

「……邪魔をするつもり? だったら、アンタも殺すよ!!」
「やれるものなら、やってみるが良いさ。尤も――負けて上げるつもりは無いけどね」

加速する憎悪、伝染してゆく殺意。
美佐枝が叫んでいる間にも、彰や留美の短機関銃は幾度と無く火花を放っている。
岸田も得物をニューナンブM60に持ち替えて、安全圏から必殺の機会を淡々と見計らっている。
鎌石役場の大広間は、最早完全なる死地と化していた。

「……っ、美佐枝さんを見捨てる訳には行かない。皆、行こう!」

強力な武器を持つ襲撃者二人に、殺人鬼・岸田洋一。
その三人に比べて、美佐枝の戦力は圧倒的に劣っている。
このまま一人で戦い続ければ、確実に命を落としてしまうだろう。
故に智代は仲間達の決起を促して、美佐枝を援護すべ戦火の真っ只中へ飛び込んでいった。

一度戦いが始まってしまえば、最早行く所まで行くしか無い。
坂上智代、里村茜、相良美佐枝、小牧愛佳、七瀬彰、七瀬留美、岸田洋一。
総勢七名による激闘の火蓋が、切って落とされた。

369名無しさん:2008/03/12(水) 01:03:17 ID:JAd3em1s0



「茜、小牧! まずはあの外道から何とかするぞ!」

智代が叫ぶ。
此度の戦いを引き起こした元凶は、執拗に挑発を繰り返した岸田である。
智代は岸田一人に狙いを絞って、仲間達と共に猛攻を仕掛けようとする。
だが智代達が岸田の元に辿り着くよりも早く、飛来して来た弾丸が前方の床を削り取った。

「……ふん。やっぱり、狙い通りの場所を撃つのは難しいわね……。でも、下手な鉄砲も数撃てば何とやらよ」

銃撃を外した留美だったが、すぐに智代達目掛けて次なる銃弾を撃ち放ってゆく。
留美にとってこの場で一番脅威なのは、徒党を組んでいる智代達に他ならない。
ならば智代達を優先的に狙っていくのは、至極当然の事だった。

「くそっ……先にお前から倒すしかないか!」

横から短機関銃で狙われている状態では、岸田を仕留めるなどまず不可能。
智代は腰を低く落とした態勢となって、留美に向けて疾走し始めた。
それと同時に、茜が釘撃ち機による援護射撃を行って、留美の銃撃を封じ込める。
やがて茜の武器が弾切れを訴えたが、既に智代は留美の近くまで詰め寄っている。
留美のH&K SMGⅡが構えられるよりも早く、空を裂く一陣の烈風。

「――せやああ!」
「あぐッ…………」

智代が放った中段蹴りは、正確にH&K SMGⅡの銃身を捉えて、遠方へと弾き飛ばしていた。
慌てて後退する留美の懐に智代が潜り込んで、次なる蹴撃を打ち込もうとする。
しかし留美はバックステップを踏んでから、手斧――下の階で回収しておいたもの――を鞄より取り出して、横薙ぎに一閃した。
済んでの所で屈み込んだ智代の頭上を、恐ろしく鋭い斬撃が切り裂いてゆく。
時を置かずして、返しの袈裟蹴りが智代目掛けて振り下ろされた。

「っ――――」

智代は咄嗟に首を逸らして逃れたものの、斧の先端が右頬を浅く掠める。
更に立ち上がる暇も与えんと云わんばかりに、留美の手斧が横一文字の軌道を描いた。
屈み込んだままの智代の脇腹に、鋭利な刃先が迫る。
それは常人なら回避不可能な一撃だったが、智代は強靭な脚力を存分に生かして、只の一跳びで優に一メートル近く跳躍した。
留美の手斧を足下で空転させながら、宙に浮いた状態のまま強烈な回し蹴りを繰り出す。

「シッ――――!!」
「く、う…………!」

智代の蹴撃は、防御した留美の上腕越しに強烈な衝撃を叩き込んだ。
留美はその場に踏み止まり切れず、一歩二歩と後ろ足で後退する。
そこに智代が追い縋ろうとしたが、留美は下がりながらも迎撃の一撃を振り下ろす。
縦方向に吹き荒れた凶風は、智代が踏み込みを中断した所為で空転に終わった。

「……アンタ、相当やるわね」
「お前もな。正直な話、接近戦で私と渡り合える女が居るとは思わなかった」

正しく刹那の攻防。
二人は一定の距離を保った状態で、警戒の眼差しを交差させる。
智代の身体能力は筆舌に尽くし難いものだし、自由自在に斧を振るう留美の手腕も侮れない。
殺人遊戯に対する方針や戦闘スタイルこそ異なれど、両者の実力は拮抗していた。

時と場所が違えば名勝負になっていたであろう組み合わせだが、こと戦場に於いては、何時までも眼前の敵だけを意識している訳にはいかない。
正面の獲物に拘り過ぎれば、第三者に横から漁夫の利を攫われてしまうのだ。
智代と留美が各々の方向へ退避するのとほぼ同時、それまで二人が居た場所を、猛り狂う銃弾の群れが貫いてゆく。

370名無しさん:2008/03/12(水) 01:04:04 ID:JAd3em1s0


「くそっ、今のを避けるなんて…………!」

予想以上に高い智代と留美の危険察知能力に、彰は苦虫を噛み潰す。
狙い澄ました今の連撃でさえ、戦果を挙げる事無く回避されてしまった。
これでは闇雲に銃弾を連射した所で、弾丸の無駄遣いに終わるだけだろう。
イングラムM10の銃弾も無限にある訳では無い。
彰は一旦机の影へと頭を引っ込めて、次の好機を待とうとする。
しかし好機を探っている人間は、この場に彰一人だけという訳では無い。
彰の背後には、密かに忍び寄る美佐枝の姿があった。
気配に気付いた彰が振り返るのと同時、美佐枝の包丁が斜め上方より振り落とされる。

「隙らだけよ――死になさい!!」
「っ…………、ガアアアアアッ!」

彰も身体を横に逸らそうとしたが、完全には躱し切れず、左腕の付け根付近を少なからず切り裂かれた。
切り裂かれた傷口から紅い鮮血が零れ落ちる。
続けざまに美佐枝が包丁を振り被ったが、彰もこのまま敗北を喫したりはしない。
優勝して澤倉美咲を生き返らせるという目的がある以上、未だ倒れられない。
無事な右腕を駆使して、イングラムM10の銃口を美佐枝の方へと向ける。

「こんな所で! 僕は負けられないんだっ!!」

右腕一本では銃身の固定が不十分だった所為で、そして咄嗟に美佐枝が飛び退いた所為で、弾丸が命中する事は無かった。
しかしそれでも、距離を離す時間だけは十分に確保出来た。
彰は近くの遮蔽物にまで逃げ込んで、鞄から新たな弾倉を取り出そうとする。
そうはさせぬと云わんばかりに、美佐枝が彰に向かって駆け出したが、そんな彼女の下に一発の銃弾が飛来した。

「……くあああっ!?」

左肩を打ち抜かれた美佐枝が、激しい激痛に苦悶の声を洩らす。
美佐枝の後方、約二十メートル程離れた所に、ニューナンブM60を構えた岸田が屹立していた。
岸田はニヤニヤと底意地の悪い笑みを浮かべながら、格好の標的となった美佐枝に追撃を仕掛けようとする。
しかし咄嗟の判断で攻撃を中断すると、上体を大きく斜めへと傾けた。
案の定、岸田のすぐ傍を鋭い飛来物が切り裂いてゆく。

「くっくっく……お前もやる気になったみたいだな」

岸田は銃撃して来た犯人達の方に視線を向けると、口許を三日月の形に歪めた。
視線の先には、里村茜の姿。
茜は電動釘打ち機を水平に構えた状態のまま、絶対零度の眼差しを岸田に返した。

「ええ。こうなってしまった以上、もう怒りを我慢する必要はありませんから」

親友の命を奪った岸田は、茜にとって憎むべき怨敵。
それと同時に、可能ならばこの場で倒しておきたい強敵でもある。
戦いは最早止めようの無い段階にまで加速してしまった以上、岸田を最優先に狙うのは当然だった。
余計な会話など無用とばかりに、茜は電動釘打ち機のトリガーを何度も何度も引き絞る。

371名無しさん:2008/03/12(水) 01:05:27 ID:JAd3em1s0

(……高槻の野郎に復讐するまで、弾丸は使い過ぎない方が良いな)

飛来する五寸釘を確実に回避しながら、岸田は瞬時の判断で得物を鉈へと持ち替えた。
修羅場に於ける高い判断力こそが、この殺人鬼の快進撃を支えている大きな要因である。
リスクを犯してまで血気に逸る必要は無い。
岸田は冷静に遮蔽物の陰へと身を隠すと、茜の釘打ち機が弾切れを起こすまで守勢に徹し続けた。
電動釘打ち機がカチッカチッと音を打ち鳴らすと同時に、弾けるような勢いで物陰から飛び出す。
肉食獣の如き殺気を剥き出しにして、岸田が茜に向けて疾駆する。

「くぅ――――」

茜も急いで次の釘を装填しようとしたが、とても間に合わない。
眼前には、既に鉈を振り上げている岸田の姿。
刃渡り一メートル近くもある鉈の直撃を受ければ、即死は免れないだろう。
茜は考えるよりも早く、膝に全身の力を集中させた。
後の事を心配している余裕は無い。
とにかく全力で、力の限り真横へと跳躍する――!

「………………っ」

ブウン、という音。
加速する身体に置いて行かれた金の髪が、唸りを上げる鉈によって両断される。
正に紙一重のタイミングで、何とか茜は己が命を繋ぐ事に成功した。
跳躍に全てを注ぎ込んでいた所為で、着地に失敗して隙だらけの姿を晒してしまう。
地面に倒れ込んだ状態の茜に向けて、岸田が追撃の剣戟を叩き込もうとする。
だが岸田と違って、茜には仲間が居る。
向けられた殺気に気付いた岸田が飛び退いた直後、一条の銃弾が傍の机へと突き刺さった。

「里村さん、大丈夫ですか!?」
「……有難う御座います、助かりました」

救援者――小牧愛佳に礼を言いながら、茜は直ぐに立ち上がって、釘打ち機に新たな釘を装填していった。
その一方で愛佳は、狙撃銃であるドラグノフを装備している。
二つの凶器、二つの殺意が同時に岸田へと向けられた。

「二人掛けかッ…………!」

不利を察知して後退する岸田に向けて、次々と五寸釘が迫り来る。
このままでは良い的になってしまう。
岸田は近くの机に身を隠そうとしたが、そこで広間中に響き渡る一発の銃声。
音が鳴り止んだ時にはもう、机に深々とした穴が穿たれていた。

「本当はこんな事したくないけど……でも、皆を守る為なら!!」

備え付きのスコープを覗き込みながら、愛佳が自らの決意を言葉に変えた。
貫通力に優れるドラグノフの銃弾ならば、机の防御ごと岸田を倒し切る事が可能。
素人に過ぎない愛佳が用いている為に、そう簡単に直撃はしないだろうが、敵の警戒を促すには十分過ぎる。

「チィィィ――――――」

遮蔽物を利用出来なくなった岸田が、それでも卓越した身体能力を活かして耐え凌ぐ。
ある時は上体を逸らし、ある時は横に跳び、またある時は地面へと転がり込む。
しかし時間が経つに連れて、回避に余裕が無くなってゆき、済んでの所で命を繋ぐといった場面が増えてきた。
追い詰められた岸田が、焦燥に唇を噛み締める。

(糞ッ、このままじゃ不味い……! どうすれば――――)

372名無しさん:2008/03/12(水) 01:06:17 ID:JAd3em1s0

そこで視界の端に、あるモノが映った。
同時に、頭に浮かぶ一つの案。
リスクは伴うが、成功すれば間違い無く敵を『絶望の底』へと叩き落せるであろう悪魔的奇手。
悩んでいる暇は無い。
直ぐ様岸田は、己が策を実行に移すべく動き出した。
まずは集中力を最大限に引き出して、茜が放つ攻撃を弾切れまで躱し続ける。
その作業は決して楽なものでは無かったが、十分な距離を確保していたお陰で、何とか避け切る事に成功した。

「次は…………」

岸田は何処までも冷静に計算を張り巡らせながら、目的の地点へと移動する。
到着するや否や、その場に仁王立ちして、愛佳の動向に全集中力を注ぎ込んだ。
戦場で足を止めるのは自殺行為に近いが、それでも早目の回避行動を取ったりはしない。
愛佳に狙いを外されては、『困る』のだ。
十分な時間的余裕を与える事で、正確に照準を定めて貰わなければならない。
そしてドラグノフの銃口が岸田の胸部へと向けられた瞬間、二人分の叫びが部屋中に木霊した。


「ここだ――――!!」
「当たって――!!」


愛佳のドラグノフが咆哮を上げる。
岸田は全身全霊の力で横へと飛び退いて、迫るライフル弾を薄皮一枚程度の被害で回避した。
次の瞬間、部屋の中央部付近で、唐突に真っ赤な霧が広がった。
美しい薔薇の花のような、そんな光景。
戦っている最中の者達も、一旦敵から間合いを取って、各自が霧の出所へと視線を集中させる。

373名無しさん:2008/03/12(水) 01:06:52 ID:JAd3em1s0


「――――あ、」


愛佳の喉から、酷く掠れた声が漏れ出た。
目の前の光景に、あらゆる思考が停止してしまっている。


「あ、ああ――――」


頭の中を、ミキサーで乱暴に掻き回されているような感覚。
全身の表面には鳥肌が立ち、喉はカラカラに乾いている。


「ああ、あ、あああ…………ッ」

愛佳が銃口を向けている先。
古ぼけた机の影には――頭の上半分を消失した、相良美佐枝の姿があった。


「あああああアアァァァアアああああああああああああああああッッ!!!!!」


愛佳の絶叫を待っていたかのようなタイミングで、美佐枝の身体が地面へと崩れ落ちる。
何故このような事態になったか、考えるまでも無い。
愛佳の発射した銃弾が、岸田の後方に居た美佐枝を撃ち抜いたのだ。

「あたしは……あたしはぁぁぁ…………っ!!」

愛佳はドラグノフを取り落として、地面へと力無く膝を付いた。
美佐枝は何時も自分を気遣ってくれていたのに。
何時も自分を守ってくれていたのに。
その恩人を、自らの手で殺してしまった。

「フ――――ハハハハハハハハハハハハハハッッ! 良いぞ、もっと喚け! もっと叫べ!
 そうだよ、お前がその女を殺したんだよっ!!!」

更なる追い討ちを掛けるべく、岸田が愛佳へと哄笑を浴びせる。
お前が殺したのだ、と。
お前の所為で相良美佐枝は死んだのだ、と。
覆しようの無い残酷な事実を、少女の心へと突き付ける。

374名無しさん:2008/03/12(水) 01:07:54 ID:JAd3em1s0

「あたしはああああアアアァァああああああああああアアアア……ッ!」

愛佳は壊れ掛けたラジオのように叫び続けながら、自身の顔を乱暴に掻き毟った。
皮膚が裂け、赤い血が漏れ出たが、愛佳の狂行は止まらない。
喉から迸る絶叫は悲鳴なのか慟哭なのか、それすらももう分からない。

「うわあああああああああぁあああああああっ!!!!」

救いは無い。
頭部を砕かれた美佐枝は、もう二度と動かない。
疑う余地は無い。
ドラグノフのトリガーを引いた指は、間違い無く自分自身のモノ。
理性を完全に失った少女は、獣じみた本能で逃走だけを乞い求めて、大広間の外へと走り去っていった。



「美佐枝、さん…………」

静寂が戻った大広間の中で、智代は呆然とした声を洩らす。
岸田と愛佳の会話から、大体の状況は把握出来ている。
過程までは分からないが、愛佳は自らの手で美佐枝を殺してしまったのだ。
最悪の事態を防げなかったという絶望が、智代の心を押し潰そうとしていた。

「こ、んな…………事って…………」

深い失意の底に在るのは、茜も同じだった。
標的を岸田一人に絞っていた自分は、危険を察知出来る状況にあった筈なのに。
攻撃に意識を集中する余り、岸田の後方に美佐枝が居るという事実を見落としてしまった。


「くくく、くっくっく……ハーハッハッハッハッハッ!」

哄笑は高く、屋根を突き抜けて、天にまで届くかのように。
岸田は絶望する智代達を見下しながら、狂ったかのように笑い続ける。
智代も茜も未だ、岸田に立ち向かえる程精神を回復出来てはいない。
だから岸田の狂態を遮ったのは、意外な人物の一声だった。

「――この、下衆が…………!!」

放たれた声に岸田が視線を向けると、そこには留美の姿があった。
留美は怒りも露に、鋭い視線を岸田へと寄せている。
H&K SMGⅡを握り締めている手から零れる血が、彼女の怒りが並大抵のものではないと物語っていた。

「おいおい、お前が言うなよ。殺し合いをしてたのは、お前だって同じだろ?」
「私をアンタと一緒にしないで! 少なくとも私は、アンタみたいに人の不幸を楽しんだりはしてない!」

眼前の男がどれ程外道か、復讐鬼と化した留美でも理解する事が出来た。
何か譲れぬ目的があって殺人遊戯に乗っているのなら、許しはしないが未だ分かる。
だがこの男は、只自分が楽しむ為だけに、非道な行為を繰り返しているのだ。

375名無しさん:2008/03/12(水) 01:08:52 ID:JAd3em1s0

「そんなに殺し合いが好きなのなら! そんなに人の不幸を楽しみたいのなら! 地獄に堕ちて、其処で勝手にやって来なさい!!!」
「ハッ、お断りだね。俺はまだまだパーティーを盛り上げなくちゃいけないからな」

岸田洋一は何処までも愉しげに、留美は般若の形相を浮かべて。
二人の殺戮者が、各々の銃器を携えて対峙する。
感情を剥き出しにして行動する二人は、良くも悪くも人間らしい。
しかし全員が全員、彼らのように感情で行動している訳では無い。
この場には一人、己が目的を果たす為だけに、文字通り修羅と化した男が居る。
皆が各々の心情を露にする中、彰は一人淡々と行動を続けていた。

(……僕は彼女みたいに怒れないし、怒る資格も無い。僕は目的の為に全てを棄てたんだ。
 美咲さんを生き返らせる為には、絶対に勝ち残らないといけないから――)

感情任せに、これ以上戦いを続けるのは愚行。
お世辞にも体力があるとは云えない自分の場合、極力長期戦は避けるべきだろう。
故にこの場に於ける最善手は、最強の一撃を置き土産として撤退する事だった。
既に必要な位置取りは確保した。
得物の準備も済ませてある。
遅まきながら他の者達も彰の動向に気付いたが、最早手遅れ。
出入り口の前に陣取った彰は、M79グレネードランチャーを皆が密集している地点へと向ける。



「――全員、死んでくれ」



短い宣告と共に、猛り狂う炸裂弾が撃ち放たれた。
正しく突然の奇襲。
七瀬留美や岸田洋一といった面々は各々が即座に回避行動へと移ったが、茜は一瞬反応が遅れてしまった。

「あ――――」

立ち尽くす茜の喉から、呆然とした声が零れ落ちた。
視界の先には、高速で襲い掛かるグレネード弾の姿。
駄目だ、もう間に合わない。
茜は自身の死を確信して――――

「茜―――――――!!」
「智代ッ…………!?」

そこで、真横から勢い良く智代が飛び込んできた。
その直後、大広間の中央部で激しい爆発が巻き起こされる。
爆発の規模は建物を倒壊させる程では無かったが、それでも大きな破壊を齎した。
轟音と爆風が大気を震わせて、閃光が部屋中へと広がってゆく。
規則正しく配列されていた机が、次々と中空に吹き飛ばされる。
爆風が収まった後も、巻き上げられた漆黒の煙が、大広間の中を覆い尽くしていた。

376名無しさん:2008/03/12(水) 01:09:22 ID:JAd3em1s0

「あっ――、く……そ……」

怒りと苦悶の混じり合った声。
飛散する木片を左手で振り払いながら、留美が黒煙の中から姿を表した。
整った顔立ちは埃に塗れ、制服は至る所が黒く汚れている。

「やって、くれたわね……」

爆心地から比較的離れた位置に居た為、深手を負う事は避けられたが、爆発時の閃光を直視してしまった。
お陰で視力は大幅に低下し、前方数メートルに何があるのか把握するのも楽では無い。
恐らく症状は一時的なものだろうが、これ以上戦闘を継続するのは不可能だ。
此処は一旦撤退するしか無いだろう。
勘を頼りに出入口へと向かう最中、留美は一度だけ後ろを振り向いた。
頭の中を過るのは一つの疑問。

(――私は本当に正しいの?)

小牧愛佳は殺し合いに乗っていなかった。
優勝を狙おうという腹積りなら、いずれは共闘者すらも殺す覚悟があった筈。
手違いから早目に殺してしまったとしても、あそこまで取り乱したりはしない筈なのだ。
間違いなく愛佳は殺し合いに乗っていないし、その仲間達も美佐枝が死んだ時の反応を見る限り、恐らく殺人遊戯否定派だろう。
だというのに自分は、一方的に彼女達を襲ってしまった。
これでは、冬弥を殺した殺人鬼と何も変わらないのではないか。
そこまで思い悩んだ後、留美は左右に首を振った。

(……考えるのは後ね。まずはこの場から離れないと)

此処は戦場だという事を忘れてはならない。
煙が晴れる前に脱出しなければ、いらぬ追撃を被ってしまうかも知れない。
そう判断した留美は、途中で見付けたH&K SMGⅡを回収した後、大広間の外へと歩き去っていった。
心の中に、大きな迷いを抱えたまま。

377名無しさん:2008/03/12(水) 01:09:50 ID:JAd3em1s0



二人の七瀬が立ち去った後、やがて煙も薄れてゆき、大広間の全貌が明らかとなる。
規則正しく配列されていた机も、その殆どが爆発の煽りで吹き飛ばされ、乱雑な形で床に転がっている。
部屋の所々では、赤々と燃える残り火達。
荒らされ尽くした広間の中、その一角で茜が声を張り上げていた。

「智代! しっかりして下さい、智代!」

彰の奇襲に対して、茜は何の回避行動も取れなかったが、智代が庇ってくれたお陰で殆ど怪我せずに済んだ。
しかし、その代償は決して軽くない。
屈み込んだ態勢で叫ぶ茜の眼前には、横たわったまま動かこうとしない智代の姿。

「どうして……どうしてこんな事をしたんですか! 私を庇ったりしなければ、こうはならなかった筈なのに!」

叫びながら智代の肩をガクガクと揺さぶるが、一向に何の反応も返っていない。
完全に意識を失ってしまっている。
茜は尚も智代の肩を揺らそうとしたが、そこでようやく我に返って、大きく一度深呼吸をした。

(……違う。こんな時こそ落ち着かないと……!)

乱れる心を懸命に抑え込んで、智代の状態を良く注視する。
身体中に無数の掠り傷を負ってはいるものの、致命傷となるような傷は見受けられない。
ただこめかみの辺りから、一筋の血が流れ落ちている。
恐らくは側頭部を強打して、その所為で気絶してしまったのだろう。
まずは安全な場所まで運んで、意識の回復を待つべきだ。
そう判断した茜は、智代の身体を持ち上げようとして――


「ククク……未だ残ってる奴らが居たか」
「…………ッ!?」

愉しげに弾んだ声。
驚愕に振り返った茜は、瓦礫の下から這い出てくる悪魔――岸田洋一の姿を目撃した。
岸田は立ち上がると、自身の服にこびり付いた埃をパンパンと払い除けた。

「あの糞餓鬼、いきなりふざけた物をぶっ放しやがって……。危うく死ぬ所だったじゃねえか。
 でもま、獲物達が残ってただけマシか」

語る岸田の外観からは、目立った外傷は殆ど見受けられない。
精々、頬の辺りに軽い掠り傷がある程度だ。
彰がグレネードランチャーを放った瞬間、岸田は傍にある机の影へと逃げ込んだ。
その甲斐あって、被害を極限まで抑える事に成功したのだ。

「お前達、もうボロボロだな? 他の奴らはもう逃げたようだし、痛ぶってから殺すにはお誂え向きの状況だ」
「……この、悪魔…………!」

岸田は銃火器を用いるまでも無いと判断したのか、鞄から鉈を抜き出した。
応戦すべく茜も立ち上がったが、彼我の戦力差は果てしなく大きい。
恐るべき殺人鬼と、戦い慣れしていない只の女子高生。
どちらが有利かなど、考えるまでも無かった。

378名無しさん:2008/03/12(水) 01:10:49 ID:JAd3em1s0

「そら、掛って来いよ。何なら、そこで倒れてるお仲間から殺してやっても良いんだぜ?」

岸田の表情には、緊張や焦りといった類のものは一切見受けられない。
それも当然の事だろう。
岸田からしてみれば、この戦いはあくまでも余興だ。
初めから勝つと分かり切っている戦いに、恐れなど抱く筈も無い。

(此処は逃げ――いえ……駄目ですね)

茜は浮かび上がった考えを、一瞬の内に打ち消した。
自分とて、勝ち目が無い事くらいは理解している。
愛佳と二人掛かりでも倒せなかったのに、自分一人で勝てる筈が無い。
どうせ勝てないのら、気絶している智代を置いて、一人で逃げるのが最善手かも知れなかった。
だが――

「智代――今の私が在るのは、貴女のお陰です。貴女が居なければ、私は外道の道を歩んでいたでしょう」

殺人遊戯の開始当初、自分は殺し合いに乗るつもりだった。
どんな手段を使ってでも、優勝を勝ち取るつもりだった。
そんな愚か極まり無い自分を、智代が諫めてくれたのだ。
あの時の出来事が無ければ、自分は岸田と然程変わらぬ下衆になっていただろう。
智代が居るからこそ、今の自分が在る。

「貴女は何時だって無茶をして、私を救い続けてくれた。だから今度は、私が無茶をする番です。
 たとえ此処で死ぬ事になろうとも、私は絶対に退いたりしない……!」

そう云って、茜は電動釘打ち機を構えた。
茜の瞳に恐れや迷いといったモノは無く、ただ決意の色だけがある。
その姿、その言葉が気に触ったのか。

「助け合いの精神か……反吐が出るな。幾ら綺麗事を吐こうが、所詮この世は弱肉強食なんだよ。
 お前みたいな弱者は、誰も救えないまま野垂れ死にやがれ!!」

直後、岸田の足元が爆ぜた。
幾多もの人間を殺してきた殺人鬼が、肉食獣のような前傾姿勢で茜へと襲い掛かる。
放たれる釘を左右へのステップで避けながら、一気に間合いを詰め切った。
茜も釘打ち機の照準を定めようとしたが、そこに振るわれる鉈の一閃。

「遅いぞ、雌豚」
「っつう………!」

鉈の刀身は正確に釘打ち機を捉え、空中へと弾き飛ばしていた。
続いて岸田は手首を返して、肘打ちで茜の脇腹を強打した。
殺害では無く破壊を目的とした一撃は、容赦無く獲物に衝撃を叩き込む。

379名無しさん:2008/03/12(水) 01:11:31 ID:JAd3em1s0

「がふっ……、く……」

呼吸困難に陥った茜が、後ろ足で力無く後退してゆく。
それは岸田にとって、仕留めるのに十分過ぎる程の隙。
今攻め立てれば、ものの数秒で勝負を決める事が出来るだろう。
だが岸田は敢えて追撃を行おうとせずに、心底馬鹿にしたような視線を投げ掛ける。

「お前、馬鹿か? お前みたいな餓鬼如きが、この俺に勝てる訳無いじゃねえか」
「……そう、でしょうね。云われなくても、そんな事くらい分かっています」

肯定。
自分に勝機が無いという事実を、茜はいとも簡単に認めた。
釘打ち機は今の衝突で失ってしまったし、もう碌な武器が残っていない。
しかしその事実を前にして尚、茜の瞳に絶望は浮かび上がっていない。

「――だけど、私は信じています」
「信じている……だと?」

訝しげな表情となった岸田が、眼前の少女に問い掛ける。
数秒の間を置いた後、茜は自身の想いを言葉へと変えた。

「私は智代を信じています。智代なら絶対に起き上がって、貴方を倒してくれます。
 だから、私がするべき事はそれまでの時間稼ぎだけです」

諦めなど無い。
智代が意識を取り戻すまでの間、自分が岸田を食い留める。
それが茜の選んだ道であり、勝利に至る方程式だった。
揺るがない想い、揺るがない信頼が、茜を巨悪に立ち向かわせる。

「ハッ、下らないな。女の一人や二人増えた所で、何が出来るってんだ?
 お前達に残されているのは、俺に殺される未来だけなんだよ!」

岸田は茜の言葉を一笑に付すと、すぐさま攻撃へと移行した。
邪悪な笑みを湛えたまま前進して、勢い任せに鉈を振り下ろす。
得物を失った茜には、回避する以外に生き延びる術が無い。

380名無しさん:2008/03/12(水) 01:12:38 ID:JAd3em1s0

「っ――――」

茜は自身の全能力を注ぎ込んで、横方向へとステップを踏んだ。
敵の攻撃が大振りだった事もあって、紙一重の所で命を繋ぐ事に成功する。
だが岸田からすれば、今のはあくまで威嚇の一撃に過ぎない。
攻撃が外れた事など気にも留めず、茜の懐へと潜り込んだ。

「悶えろ!」
「あぐっ…………!」

岸田は上体を斜めへと折り畳んで、拳で茜の脇腹を強打した。
続けて足を大きく振り被り、渾身の回し蹴りを打ち放つ。
純粋な暴力の塊が、茜に向けて襲い掛かる。
茜も咄嗟に両腕で防御したが、その程度ではとても防ぎ切れない。
岸田の攻撃は、ガードの上からでも十分な衝撃を叩き付けた。

「ぅ、……あっ…………!」

度重なる攻撃を受けた茜が、後ろ足で力無く後退する。
そこに追い縋る長身の悪魔。
岸田は茜が苦し紛れに放った拳を避けると、天高く鉈を振り上げた。


「――さて。そろそろフィナーレと行こうか?」


振り下ろされる銀光。
岸田の振るう鉈は茜の右太股を深々と切り裂いて、真っ赤な鮮血を撒き散らした。
茜は苦悶の声を上げる事すら侭ならず、無言でその場へと倒れ込んだ。

「本当なら犯してから殺す所なんだが、生憎と少し前に楽しませて貰ったばかりなんでね。
 お前は直ぐに殺してやるよ」
「あ……っつ…………くああっ…………」

茜は懸命に立ち上がろうとするが、如何しても足に力が入らない。
動けない茜の元に、鉈を構えた殺人鬼が歩み寄る。
反撃の一手は無い。
逃げる事も不可能。
最早完全に、チェックメイトの状態だった。
迫る死が、覆しようの無い状況が、茜の心に絶望の火を灯す。

(智代、すみません。私は貴女を守れなかった――――)

武器を奪われ、機動力も封じられた茜は、心の中で謝罪しながら目を閉じた。
精一杯頑張ったつもりだが、結局自分は何も出来なかった。
無力感に苛まれながら、数秒後には訪れるであろう死の瞬間を静かに待ち続ける。


「…………?」

だが、何時まで経ってもその時は訪れない。
疑問に思った茜が、目を開こうとしたその瞬間。
茜の耳に、鈍い打撃音が飛び込んできた。

381名無しさん:2008/03/12(水) 01:13:35 ID:JAd3em1s0

「…………え?」

最初に茜が目にしたものは、数メートル程離れた位置まで後退した岸田の姿。
岸田は驚愕と怒りの入り混じった形相で、茜の真横辺りを睨み付けている。
茜が岸田の視線を追っていくと、そこには――


「――待たせたな」
「あ、あ…………」


眼前には待ち望んでいた光景。
この島でずっと行動を共にしてきた、何よりも大切な仲間の横顔。
茜の傍で、意識を取り戻した坂上智代が屹立していた。

「……もう何度も後悔した。私はこれまで死んでいった人達を救えなかった。美佐枝さんも救えなかった」

智代はそう云うと、視線を地面へと落とした。
語る声は後悔と苦渋に満ちている。
この島では余りにも多くの人が死んでしまい、智代の周りでも同志が倒れていった。
救えなかった苦しみ、守れなかった無念が、智代の心を苛んでいる。

「だけど、もう後悔なんてしたくないから――」

銀髪の少女は首を上げて、真っ直ぐに岸田を直視した。
後悔ばかりしているだけでは、何も変わらないから――
直ぐ傍に、何としてでも守り抜きたい人が居るから――

強く拳を握り締めて。
自身の苦悩を、そのまま燃え盛る闘志へと変えた。

「この男を倒して! 茜だけは絶対に守り切ってみせる!!」
「智代……ッ!」

瞬間、智代の身体が掻き消えた。
生物の限界にまで達したかと思えるような速度で、前方へと駆ける。
岸田を間合いに捉えた瞬間、智代の右足が閃光と化した。

382名無しさん:2008/03/12(水) 01:14:15 ID:JAd3em1s0

「ガ――――ッ!?」

岸田には、蹴撃の残像すら見えなかったかも知れない。
まともに左側頭部を強打されて、そのまま大きく態勢を崩してしまう。
その隙を狙って、智代の彗星じみた連撃が繰り出される。

「ハァァァァァァァアッ!!」
「ぐがあああああっ…………!」

一発、二発、三発、四発――
一息の間に放たれた蹴撃は、例外無く岸田の身体へと突き刺さっていた。
余りにも凄まじいその猛攻を受ければ、並の人間なら意識を手放してしまうだろう。
だが岸田とて歴戦の殺人鬼。
そう簡単に敗北を喫したりはしない。

「こ……のっ…………クソがあ!」

岸田は罵倒で痛みを噛み殺すと、右手の鉈を横一文字に奔らせた。
派手な風切り音を伴ったソレは、直撃すれば間違いなく致命傷となるであろう一撃。
だが、智代の表情に焦りの色は無い。

「……この程度か? 七瀬の斧の方が余程速かったぞ」
「な、に――――!?」

智代は優に一メートル以上跳躍して、迫る鉈を空転させる。
そのまま空中で腰を捻って、岸田の顔面に強烈な蹴撃を打ち込んだ。
直撃を受けた岸田は大きく後方へと弾き飛ばされて、背中から地面に叩き付けられた。


「智代……凄い…………」

地面に腰を落とした状態のまま、茜が驚嘆に言葉を洩らす。
智代が見せた動きは、岸田を大幅に上回っていた。
彼我の体格差などものともせずに、一方的に岸田を痛め付けてのけたのだ。
智代の実力は最早、女子高生などという枠に収まり切るものでは無い。

383名無しさん:2008/03/12(水) 01:15:18 ID:JAd3em1s0


「早く立て。倒れている相手を追い打つのは、私の流儀に反するからな」

智代は敢えて追撃を仕掛けずに、岸田が起き上がるのを待っていた。
殺し合いの場であろうとも自分を曲げるつもりは無い。
あくまで自らの信念、自らの生き方を貫いたまま、目的を達成してみせる。
智代と茜の視線が注ぎ込まれる中、ようやく岸田がよろよろとした動作で立ち上がる。

「……調子に乗るな、雌豚がああああっ! もう後の事なんぞ知るか、コレでお前をぶっ殺してやる!」

岸田はそう叫ぶと、直ぐに鞄からニューナンブM60を取り出した。
高槻と戦う時まで銃弾を温存しておくつもりだったが、最早そんな事は考えていられない。
今この場で全力を出し切ってでも、この女達は八つ裂きにせねば気が済まない。

「さあ、パーティーは終わりだ! 死ね! 死んでこの岸田に逆らった事を後悔しろ!」

怒りも露に岸田が叫ぶ。
銃という凶悪な力を手に、智代達に死刑宣告を突き付ける。
だが智代は銀の長髪を靡かせながら、口の端に強気な微笑みを浮かべた。

「パーティーか。そうだな……仮にこれを、パーティーの中で行われる演劇とすれば――」

智代の腰が落ちる。
それに呼応するようにして、岸田の銃が水平に構えられる。

「――主役(わたし)が勝ち、敵役(おまえ)が負ける! それが演劇のフィナーレというものだ!!」

鳴り響く銃声、木霊する叫び。
それを契機として、最後の戦いが幕を開けた。

384名無しさん:2008/03/12(水) 01:15:58 ID:JAd3em1s0


「ハッ――――――!」

智代は凄まじい速度で横に跳躍して、岸田の初弾から身を躱した。
間を置かずして前進しようとするが、そこで再び銃口と対面する事になる。
智代が咄嗟に前進を中断した瞬間、ニューナンブM60が死の咆哮を上げた。
容赦も躊躇も無い銃撃が、必殺の意思を以って放たれる。

「ク――――」

全力で身体を捻る。
智代の頭上付近を、黒い殺意の塊が通過していった。
何とか危険を凌いだと思ったのも束の間、更に二連続で放たれる銃弾。

「……………っ」

態勢を崩したままの智代は、地面へと転がり込む事で、迫る死からどうにか身を躱した。
しかし、それで限界。
今の状態では、これ以上の回避行動を続けるなど不可能だった。

「そら、そこだ!」
「グッ……ガアアアアアアア!」

智代が起き上がるよりも早く、岸田のニューナンブM60が五発目の銃弾を放つ。
放たれた銃弾は智代の左肩へと突き刺さり、そのまま肉を抉り貫通していった。
迸る鮮血に、智代の服が赤く染まってゆく。

「ハーハッハッハッハッハッハ! 馬鹿が、素手で銃に勝てる訳が無いだろうが!」

先程から一方的に攻め立てている岸田が、勝ち誇った笑い声を上げる。
確かに現在の所、勝負は圧倒的に岸田が押している。
岸田が銃を持って以来、智代は一度も近付けてすらいない。

――だが、岸田は失念してしまっている。
銃という武器が持つ、最大の弱点に。
智代は無言で起き上がると、そのまま一直線に岸田の方へと走り出した。

「馬鹿が、真っ直ぐに向かってくるとは――、…………ッ!?」

迎撃を行おうとした岸田の表情が驚愕に歪む。
智代に向けてニューナンブM60の引き金を絞ったものの、銃弾は発射されなかった。
弾切れ。
銃器である限り、絶対に逃れられない枷。
圧倒的優位に酔いしれる余り、岸田は残弾の計算すらも忘れてしまっていたのだ。

385名無しさん:2008/03/12(水) 01:17:03 ID:JAd3em1s0


「オオオオぉおおおおおお―――――――!!!!」

敵の弾切れを確認した瞬間、智代は文字通り疾風と化した。
これこそが、智代の待ち望んでいた機会。
度重なる連戦で負った疲労とダメージは決して軽くない。
この好機を逃してしまえば、自分にはもう後が無い。
故に今この時、この瞬間に自分の全てを注ぎ込む――――!!


「――これは美佐枝さんの分!」
「ガッ、グ…………!」

智代は一息の間に距離を詰めて、岸田の腹部を思い切り蹴り上げた。
強烈な衝撃に、岸田の手からニューナンブM60が零れ落ちる。

「これは小牧の分!」
「っ――――ぐ、ふっ…………!」

智代の上段蹴りが、岸田の顎へと正確に突き刺さった。
激しく脳を揺らされた岸田が、完全に無防備な状態を晒す。

「これは私と茜の分!」
「あ、が、ぐ――――」

蹴る、蹴る、蹴る、蹴る。
叩き込まれた攻撃は実に十発以上。
皆の怒りを、皆の無念を籠めて、智代の足が何度も何度も振るわれた。
だが、未だ終わりでは無い。
銀髪を流星の尾のように引きながら、智代が更なる攻撃を仕掛けてゆく。


「そしてこれは――」


踏み込む左足が、力強く、大地を震わせた。
その勢いは前進力となって、完全に同軌したタイミングで右足が一閃される――!!


「お前に殺された人達の分だ――――――!!!」
「うごぁぁああアアアアアアアアア…………ッ!」


正に全身全霊、渾身の一撃。
交通事故にも等しい衝撃が、岸田の腹部へと叩き込まれる。
智代が放った蹴撃は、巨躯を誇る岸田洋一の身体すらも、優に十メートル以上弾き飛ばした。

386名無しさん:2008/03/12(水) 01:18:27 ID:JAd3em1s0



「ぐっ……糞、ど畜生が…………!」

岸田が何とか立ち上がって、鞄から電動釘打ち機を取り出したものの、その動きは目に見えて鈍くなっている。
とても、智代の攻撃を裁き切れるような状態では無い。

「これで、終わりだ…………!」

智代は勝負に終止符を打つべく、一気に踏み込もうとする。
次に智代が岸田を間合いに捉えれば、その瞬間に戦いは決着を迎えるだろう。
満身創痍となった岸田洋一は、碌に反撃すらも出来ず、意識を刈り取られる。



だが――その刹那。


もう少しで、智代の足が届く距離になるという時に。
追い詰められている筈の岸田が、あろう事か禍々しい笑みを浮かべ出した。


「……そうか。最初からこうすれば良かったんだな」
「――――え、」


智代の動きがピタリと停止する。
前方で、岸田の電動釘打ち機が水平に構えられていた。
智代に向けてでは無い。
岸田は咄嗟の判断で、智代では無く茜に釘打ち機を向けたのだ。
足を怪我している茜に、釘打ち機の発射口から逃れる術は無い。

「動けばどうなるか、分かってるよな?」

智代が下手な行動を起こせばどうなるか、考えるまでも無い。
殺人鬼・岸田洋一はそれこそ何の躊躇も無く茜を撃ち殺すだろう。
例えその後、自分自身が殺される事になろうともだ。
岸田は空いてる方の手で投げナイフを取り出すと、一歩も動けない智代に向けて構えた。

387名無しさん:2008/03/12(水) 01:20:05 ID:JAd3em1s0

「駄目です、智代! 私の事なんて良いから、戦って――」
「……じゃあな、雌豚」

茜の叫びも空しく。
冷たい宣告と共に、ナイフが容赦無く投げ放たれた。
鋭い白刃は正確に智代の腹を突き破って、中にある内蔵すらも破壊する。
智代は呼吸器官から湧き上がる血液を吐き出して、自身の服を真っ赤に染め上げた。

「……す、ま、ない。あか………ね―――――」

膝から力が抜けて、上体が折れる。
智代は最後に一言だけ言い残すと、冗談のような鮮血を流しながら地面へと倒れ込んだ。
倒れ込んだ智代に向けて、更に岸田が一発、二発と五寸釘を打ち込んだ。
衝撃に智代の身体が揺れたが、それも長くは続かない。
十数秒後。
そこにはもう、二度と動かなくなった亡骸のみが残っていた。

「と、智代…………!!」

茜が右足を引き摺りながら、懸命に智代の死体まで歩み寄ろうとする。
だが目的地に到着するよりも早く、背中に強烈な衝撃が突き刺さった。
茜は盛大に吐血すると、力無く地面へと崩れ落ちた。


「ったく、手間掛けさせやがって。身体中が痛むし最悪だ」

茜の背中からナイフを引き抜きながら、不快げに岸田が呟いた。
岸田は茜の肩を掴むと、強引に身体を自分の方へと向けさせる。

「何はともあれ、これで理解出来ただろ? 仲間なんて下らないモノに拘ってる連中は、馬鹿みたいに野垂れ死ぬだけだってな」

岸田はそう言い放つと、茜の胸にナイフを突き立てた。
生命の維持に欠かせない心臓が破壊され、夥しい量の血が飛散した。
だが、茜は尚も身体を動かして、智代の下に這い寄ろうとする。

388名無しさん:2008/03/12(水) 01:21:05 ID:JAd3em1s0


(せめて……智代の…………傍で――――――)

霞みゆく視界、薄れゆく意識の中で、懸命に這い続ける。
萎えてしまった腕の筋肉を総動員して、少しずつ距離を縮めてゆく。
せめて。
せめて最期は、智代の傍で。
残された唯一の望みを果たすべく、茜は尚も動こうとして。

「――しつけえよ。いい加減死ね」

そこで岸田のナイフがもう一度だけ振るわれて、茜の首を貫いた。
周囲の床に血が飛び散って、赤い斑点模様を形作る。
神経を遮断された茜は、最早指一本すら動かせない。


誰一人として守れないまま、大切な仲間の下にも辿り着けないまま。
里村茜の意識は暗闇へと飲まれていった。
見開かれたままの大きな瞳からは、血で赤く染まった涙が零れ落ちていた。

389名無しさん:2008/03/12(水) 01:24:39 ID:JAd3em1s0
【時間:2日目15:00】
【場所:C-03 鎌石村役場】

相楽美佐枝
【持ち物1:包丁、食料いくつか】
【所持品2:他支給品一式(2人分)】
【状態:死亡】

坂上智代
【持ち物:湯たんぽ、支給品一式】
【状態:死亡】

里村茜
【持ち物:フォーク、釘の予備(23本)、ヘルメット、湯たんぽ、支給品一式】
【状態:死亡】

小牧愛佳
【持ち物:火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】
【状態:中度の疲労、顔面に裂傷、極度の精神的ダメージ、役場から逃亡】

七瀬留美
【所持品1:手斧、折りたたみ式自転車、H&K SMGⅡ(26/30)、予備マガジン(30発入り)×2、スタングレネード×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、支給品一式(3人分)】
【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、中度の疲労、右腕打撲、一時的な視力低下、激しい憎悪。自身の方針に迷い、役場から逃亡】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(16/30)、イングラムの予備マガジン×4、M79グレネードランチャー、炸裂弾×9、火炎弾×10、クラッカー複数】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、疲労大、マーダー。役場から逃亡】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブM60(0/5)、予備弾薬9発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機6/12、五寸釘(5本)、防弾アーマー、支給品一式】
【状態:肋骨二本骨折、内臓にダメージ、身体中に打撲、疲労大、マーダー(やる気満々)。今後の方針は不明】


【その他:二階の大広間に電動釘打ち機(11/15)、ドラグノフ(1/10)が、一階に89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ペンチ数本、ヘルメットが放置】



→B-10


>まとめサイト様
タイトルは『激戦、慟哭、終焉/アカイナミダ』で御願いします。
また凄く長い話になってしまったので、二分割掲載を希望します(後編は>>377から)

390名無しさん:2008/03/13(木) 19:35:18 ID:QjCmsZtU0
>まとめサイト様
申し訳御座いません
幾つか矛盾点がありましたので、以下のように訂正お願いします


>>363
>そう言いながら姿を現したのは、制服姿の少女と、成熟した体型の女性。
           ↓
そう言いながら姿を現したのは、長い金髪の少女と、成熟した体型の女性。



>>367
>「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――少し前、お前と同じ制服の奴や、その仲間を殺してやったぞ」
>「私と同じ制服の人を……ですか?」
                       ↓
「そうだな、じゃあやる気になるような事を教えてやるよ。知り合いかは分からんが――お前と同じ年頃の女を二人、殺してやったぞ」
「私と同じ年頃の……ですか?」



>>387
>鋭い白刃は正確に智代の腹を突き破って、中にある内蔵すらも破壊する。
       ↓
鋭い白刃は正確に智代の胸部へと突き刺さって、中にある内蔵すらも破壊する。

391『激戦、慟哭、終焉/アカイナミダ』作者:2008/03/13(木) 19:35:51 ID:QjCmsZtU0
嗚呼……名前忘れました

392Intermission-1:2008/03/19(水) 03:40:59 ID:C1BCUMC.0
「…………」
「…………」
 何もしなくても時間は過ぎる。
 奥の部屋では珊瑚が独りでワームを作っている。
 あの部屋に到るまではたとえ何処からでも確実にこの部屋を通らなくてはならない。
 珊瑚と同じ部屋にいたままだんまりは宜しくない。その判断の元で一つ前の部屋に三人は集まっていた。
 やっていることはレーダーによる監視。
 誰かが首輪を外す手段を見つけていないなら確実にこれで捕捉出来るはず。
 起きている必要もない。寧ろ先を考えるなら寝ている方が良いだろう。独りで十分なはずなのに、そう思いながら珊瑚からレーダーを預かった瑠璃は目の前の男を見て溜息を吐く。
「寝たらどうや?」
「いや俺はまだ元気だから」
「後で足手まといになられても困るんやけど」
「じゃあ瑠璃が寝ればいい」
「ウチがさんちゃんから預かってるねん。そんなんできひんよ」
「…………」
「…………」
 これの繰り返し。
 みさきは既に布団の中。
 戦力になりうる二人がいざと言う時に戦えないのはどう考えても致命的なのだが、双方折れない。
 客観的に見れば今浩之は何もしていない。先程までは手分けして家中虱潰しに捜索し、食べ物以外にも役立つものもそれなりには見つけたのだが――そこまでだ。
 守勢に回る以上瑠璃がレーダーを抱えている限りやることもない。
 寝ていた方が百倍マシだろう。
 戦闘要員を差し置いてみさきが一番マシな行動をしているのも問題があるかもしれないが。

393Intermission-1:2008/03/19(水) 03:41:51 ID:C1BCUMC.0
 が、浩之にも浩之なりの理屈はあった。
「まぁ……俺よりは瑠璃の方がずっと疲れてるだろうからな。取り敢えず寝ておけよ」
「あかん」
 あの姉を連れ、守り、規格外に強力な武器を手に入れ、その割りにその武器は対峙した相手には使えず、漸く巡り合えた家族とは時を待たずに散り散り、挙句その命は……
 珊瑚は他に誰も出来ない事をやっている以上眠ってくれとは言えない。曲がりなりにも一応は安全と言える状況で道具も揃っている。又とない機会だ。これを逸する手はない。
 しかしその妹が休める状況があるのに休ませない手も又ない。
 集団で行動する時の速度は集団で一番遅いものに併せられる。
 流石にみさきと珊瑚より遅くなることはないだろうが、それでも疲れが溜まっているものから休ませるべきではあるだろう。
 と言う理屈もあるが、何より憔悴した目の前の娘が張り詰めた弦のように切れないようにしたいと言うのが一番の本音だった。
 それでも二人が起き続けるのが一番無駄なのだと言う事は二人とも分かっているのだが。
 その静寂がもう暫く続いた後、瑠璃が口火を切った。
「なぁ」
「ん?」
「さんちゃん頭ええやろ?」
「そうだな」
 掛け値ない本音だ。自分や自分の知り合い全てひっくるめても丸で敵わないだろう。正に規格外の天才だ。
「最高の天才だ」
「そうやねん。でも、ウチはアホなんや。さんちゃんと双子やってのが信じられへんくらい全然違う」
「瑠璃?」
「でもな、ウチ考えたんや。いっぱいいっぱい考えたんや。これからどうなるんか。どうするんか。イルファは……ウチのせいで……」
 涙を溜めて言葉を詰まらせる。が、それでも最後まで言い切った。
「ウチのせいで死んだ。ウチがさんちゃんが止めるの聞かずに勝手に行ったからや。その後さんちゃん連れて逃げたんは後悔しとらへん。ほんまはしとるかもしれへんけど……それでもしとらへん。ウチはさんちゃんが一番大事や。それはかわらへん。でも、ウチが行かんかったらイルファも死なんですんどったかもしれんのや」
「それは違うぜ」
 見過ごせないペテン。浩之は遮った。
「浩之?」
「それは違う。瑠璃。イルファって人が死んだのは瑠璃のせいじゃねー。そのイルファを殺した人のせいだ。そしてこの糞ゲームを開いた奴のせいだ。確かに瑠璃が行かなかったらイルファは死ななかったかもな。そこまでは事実だ。だが、断じて瑠璃のせいでイルファが死んだんじゃねーぞ。そこだけは履き違えるな」
 それでも納得は行かないのだろう。浩之の理論は一面では正しい。が、そうでない部分もある。
「いいな?」
「あかんよ」
「何?」
 哀しげに首を振る瑠璃は、なおも自分に断罪の杭を撃つ。
「あかん。それでもあかんねん。確かに直接殺したんはそいつやし、そうさせたんはゲーム開いた奴のせいかもしれへんけどな。そんな時に不用意に動いたウチが悪くないはずないねん。――――浩之。ここは戦場やで。戦場で散歩して撃ち殺されて。撃った奴が悪いゆってられへんやろ?」
「…………」
 それも又正しかった。でなくばこの世界に自衛なんて必要ない。
「だからイルファが死んだのはウチのせい。……でもある。それは間違いない」
 それでも訂正を入れてくれたのだ。陳情は無駄ではなかったのだろう。

394Intermission-1:2008/03/19(水) 03:42:24 ID:C1BCUMC.0
「でな。アホやけど考えてん。ウチがこの世で一番なんはさんちゃん。それだけはかわらへん。ずっとずっと。でも、この島は戦場や。ここもいつまで安全かはわからへん。レーダーあるから奇襲だけは……それでもないとは言えへんけど、そんなに気にせんでええ。でもウチらには武器があれしかないからな。家でも吹っ飛ばせるけど、先に撃たれておしまいや。やからこのままやと最初に戦闘する時にはどうしてもウチらが戦わなならん。さんちゃんもみさきも戦えへんからな。さんちゃんがウチより先に死ぬ事はない。ウチがさせへん。でも、ウチが死んだらここにはもう浩之しかおらんねん。浩之、そうなったらさんちゃん……守ってくれるか?」
「ったりめーだろ?」
 何を言い出すのかと思えば。考えるに値しない。
「ちゃう!」
 彼はそう思ったのだが。
「そうやない! 浩之はわかってへん! っ……ふ……浩之。さっき、ウチゆうたよな。『守る覚悟』って。その後も色々考えてん。でもな、最後まで考えると浩之が行った通り人殺しをする覚悟も必要になるんや。ウチがイルファ殺した人みたいなの殺すの躊躇してさんちゃんが殺されるのは絶対にだめなんや。イルファはそれが出来た。きっと出来た。そう言う相手を『殺してでも』さんちゃんとみさきを……守ってくれるんか?」
 瑠璃の問いは遥かに重かった。決まっていない覚悟を見せるな。その眼は言外にそう告げている。これが年下の少女が見せる眼だろうか。澄んで、燃えて、何処までも重い。
 浩之は暫し眼を閉じ、黙考した。
 瑠璃は解答を急かさない。
 手元のレーダーも、そこで寝ている少女も、今この瞬間はこの世界からは切り離されていた。
 何もしなくても時間は過ぎる。
 彼は漸く眼を開ける。
「……確かに、認識が甘かったな」
 穏やかに口を開き、彼は続けた。
「あいつは俺達を殺そうとした。川名は後少し、ほんの僅か俺が遅れるだけで死んでいた。間違いなく。あのデイバッグのように弾けていたんだよな」
 それは瑠璃に語っているのではないのかもしれない。
 ここまで来た幸運、悪運、不運。自分の認識の甘さ、覚悟の薄さ。
 それをただ確認しているだけなのかもしれない。
「そして俺は川名を連れて逃げ出した。そのこと自体は間違っているとは思わねー。現にこうして生きている。が、あの時はちゃんと武器もあったんだよな。反撃する為の武器が。それを捨てたから逃げられたんだけど、捨てなきゃ返り討ちには出来たかもしれないのか。――確かにここは戦場だわ。有無を言わさず殺しに来る奴がいる。そう言う奴らを殺せなかったせいで川名が死ぬのは……許せねえな」
 これは間違った認識なのかもしれない。しかしここは戦場だった。理想を抱いて周りの者を殺す選択肢を選ぶことは、彼には出来なかった。
「――瑠璃。守ってやる。川名も、珊瑚も、お前も。覚悟は決めたぜ。襲ってくる殺人鬼を殺さずに追い返す、なんて真似はしない。まぁ、逃げられる事はあるかもしれねーけどよ」
 最後は肩を竦めておどけてみせる。それでも瑠璃には十分過ぎた。貴明はここにはいない。イルファは自分のせいで亡くなった。自分が倒れた後他に頼る当てもなかった彼女にとって、浩之の誓いは何よりも有難いものだった。
「……あんがとな」
 呟かれる礼に、彼は無言を持って応えた。

395Intermission-1:2008/03/19(水) 03:43:20 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前10:00頃】
【場所:I-5】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、レーダー、包丁、工具箱、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料】
【状態:瑠璃と行動を共に。ワーム作成中】

藤田浩之
【所持品:包丁、フライパン、殺虫剤、布、空き瓶、灯油、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:特になし】

B-10

396Intermission-2:2008/03/19(水) 03:43:52 ID:C1BCUMC.0
「せや」
「?」
 瑠璃の唐突な呟きで先刻までの重い空気は破られた。
「もう一つ大事な事があったんや。忘れるとこやった」
「忘れてなかったか?」
「やかまし。浩之、うちらの事信じとる?」
 又も今更。当然だろう。
「あたりめーだろ?」
「ウチもや。浩之たちのことは信じとる。やけど、この先ずっと4人のままとはかぎらへんやん。誰かが来るかもしれんやろ?」
「まぁ、そうだな」
 その可能性は往々にして在り得る。偶然がなければこうして姫百合姉妹と出会うこともなかった。
「でも、そいつが本当に信じられるかはわからへんやん。騙そうと思って近付いてきとるのかもしれん」
「まぁ、そうだ」
 その可能性も十二分に考えられる。そしてこちらが油断した時に致命的な一撃を放つそう言う奴の方が始末に追えない。
「やから、ウチは絶対に信用できる奴以外は仲間に入れたくないんや」
「でもそれだと、本当に困ってる奴が助け求めてきたらどうすんだ?」
「見捨てる。と言いたいとこやけど、さんちゃんもみさきも反対するやろ。ウチかて本当はそんなんしたない。やから今の内に話しときたいねん。浩之。絶対に信用できる人間は誰がおる?」
「そーだな……あかり、雅史、……志保もまぁこんな馬鹿げたのにゃ乗らんだろ。後は来栖川センパイ、マルチ、理緒ちゃん辺りは何があっても平和主義者だろうぜ」
「ウチはイルファと貴明とさんちゃんだけやねん。でな、ウチは貴明は疑えへん。やから貴明が来たら浩之が警戒して。その代わり今浩之が言った人間はウチが警戒する」
「!!」
 信頼してる人に対しては警戒が甘くなる。ましてこの状況。疑心暗鬼より拒絶するのでなければ、どうしても仲間は求めたくなる。そして、この状況で正常を保っている保障は誰にもないのだ。
「で、どちらでもない人間が来たら二人で警戒する。完全に信用できるまで。ウチにはこれくらいしか思いつかへんねん」
 この目の前の少女はそこまで考えた。姉の為だけに。その事実に内心驚愕する。
「……や、頭悪いなんてとんでもねえな」
「? 何が?」
「いや別に。こっちの話。それでいいんじゃねえかな。ずっと4人でやってくんじゃなきゃどっかで妥協点は必要なんだし。まぁそれもなるべく信用できる人間ってのが最低条件だけどな」
「当たり前や」
 そう言って笑いあう。緊張がほぐれていくのを何とはなしに感じる。
「瑠璃」
「なんや?」
「寝とけ」
「……任せるわ」
 レーダーを渡し、瑠璃は床についた。
 間をおかず、安らかな寝息が布団から聞こえてきた。
「……無理しすぎだっつの」
 まぁ俺も言えたことじゃねえか、と自嘲しつつレーダーを見つめる。
 守るべき重責が圧し掛かる。が、彼はそれを心地良く感じた。
「――かったりぃ」
 封印したはずの日常が口を吐く。
 しかしその口元は笑っていた。

397Intermission-2:2008/03/19(水) 03:44:16 ID:C1BCUMC.0
【時間:二日目午前10:20頃】
【場所:I-5】

姫百合瑠璃
【持ち物:デイパック、水、食料、包丁、工具箱、携帯型レーザー式誘導装置 弾数3、缶詰など】
【状態:守る覚悟。浩之と共に民家を守る。睡眠中】

姫百合珊瑚
【持ち物:デイパック、水、食料】
【状態:瑠璃と行動を共に。ワーム作成中】

藤田浩之
【所持品:レーダー、包丁、フライパン、殺虫剤、布、空き瓶、灯油、その他缶詰など】
【状態:守る覚悟。瑠璃と共に民家を守る】

川名みさき
【所持品:缶詰など】
【状態:特になし】

B-10

398そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:56:08 ID:C1BCUMC.0
 よく寝ている。
 本当に疲れていたのだろう。
 そして自惚れるなら、寝ている間のことを任せられる位には信用されたということだろう。
 その信頼には応えたい。
 あかり達を探したくもあるが、武器もないこの状況下。一手間違えれば最悪の場合即破滅。
 それに三人を巻き込むのは認められない。
 先ほどレーダーの電源が気になって珊瑚に見てもらいに行ったが、
「こんなん簡単やで」
 と言って本当に簡単に予備電池を作ってくれた。当面はその心配もないだろう。
 俺はまだ動ける。ただ、限界まで酷使はしない方が良いだろう。瑠璃が起きたら見張りを変わってもらうか。
 持ち物見ててなんとなく思い付き火炎瓶を作って見た。
 ビンに灯油を入れ、布で口を固定し、終了。これでいいのかは分からなかったが、多分使えないことはないだろう。空き瓶と灯油が続く限り作り続ける。
 作業の合間にぼーっとレーダーを見つめていると、端から……
「!?」
 新たな反応が。ついに来た。光点は……二つ? 三つ? 片方の点が時々ぶれて増えているように見える。速度は遅い。這う様な遅さだ。負傷か? それとも……
 もう少し寝かせてあげたかったが仕方ない。緊急時、独りで判断して失敗する愚行だけは避けなければ。
「瑠璃、川名」
「ん……」
「んー」
 ぐずる二人を何とか起こす。眼が覚めるや否や瑠璃が噛み付いてくる。
「敵!?」
「かもしれねえ。レーダーに反応がある」
 そう言ってレーダーを差し出す。受け取った瑠璃は慌てるでもなく、静かに言う。
「来たんやね……」
 暗く沈んでいく瞳が最悪のケースを浮かべているだろうことを容易に推察させる。
「さんちゃん呼んでくる」
 そう言って瑠璃は隣へ消えて行った。
「川名」
「何?」
「万一の時は」
「逃げないよ」
「何?」
「どうせこの島じゃ私独りでは生きてはいけないから。それならせめて浩之君と一緒に散るよ。私を助けてくれた貴方を見捨てることはしたくない。だから私を逃がす為に玉砕覚悟、なんてやめてね?」
「川名……」
「何?」
「聞いてたのか?」
「何のこと?」
 さっきの話。数時間前にした瑠璃との話。
「それと、さ。瑠璃ちゃんと珊瑚ちゃんは名前なんだから私もそれでいいよ」
 川名……みさきはくすくす笑ってとぼけやがる。全く……
「……かったりぃ」

399そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:56:38 ID:C1BCUMC.0
 程なく珊瑚と瑠璃が現れる。なんとなく見分けがつくようになった気がする。
「どうだった?」
 紙を付き付けられる。
「よう、わからん。なんとか外に繋がらんかなーおもて色々やったんやけど、ローカルで繋がらんし。ちょっと寝てしもた」
『あるていど。HDDはもってきたけどできればまたもどってきたい。パソコンまではもってけへん』
 ミミズののたくった様な文字で書かれている。が、意味する内容は大きい。
「駄目か……」
 とんでもねえ。まさに掛け値なしの天才だ。この短時間でもう眼に見える程度の成果が出たというのか。
「レーダーは?」
「見た。なんか遅いみたいやけど……光も三つあるみたい。二つ重なってるんやと思う」
「どうする?」
「取り敢えず、様子を見てみない? どうするにしても相手を見なくちゃ始まらないと思うな」
 まぁ、正論だ。
 それなら家の中よりも外の森の方が良いだろう。何しろ武器が武器だ。瑠璃との会話を思い出す。相手によっては殺す覚悟で挑む。その時は先制攻撃でないと話にならない。
「じゃ、一旦出ようぜ。終わったら又ここでごろ寝だ」

400そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:56:58 ID:C1BCUMC.0
「はっはっはっ……」
「はぁ、はぁ、はぁ……」
 全身が痛む。力が入らないとは言え、金属バットで滅多打ちだ。雄二に殴られた傷は決して浅くはない。七瀬と名乗るあいつにやられた傷もだ。場所がよくなかった。
 が、それだけ。身体は動く。絶対にタカ坊は私が守る。このみも守ってあげたかった。ごめんね。このみ。
 雄二はどうなっただろうか。あのこがあんなになるなんて正直考えもしなかった。あれで正気を取り戻してくれればいいんだけど。儚い望みなんだろうか。それでも血を分けた弟だ。どうしたら良いんだろう。どうすれば
「向坂」
「えっ……あ……何?」
 いつの間にか祐一が目の前に立ち塞がっていた。
 丸で気付かなかった。気付けなかった。いけない。こんな事では奇襲を受けた時瓦解してしまう。
「向坂。何を考えてるかは知らないけど、後にしようぜ。ぼろぼろの身体で考えてもいい事ないだろ」
 不覚。そんなにも外から見て丸分かりだったのか。
「ええ、そうね。ごめんなさい」
 気を付けなければ。祐一が観鈴を運んでいる以上、即対応出来る戦力は私しかいない。一瞬の油断が命取りになる状況でこれは度し難い行為だ。せめて、信頼できる仲間が出来るまでは止めておこう。
 だと、言うのに。
 いつの間にやら私は再び思考の螺旋に囚われて行き、
「そこの三人! 止まれ!」
「!!」
 最悪の形での奇襲を許す羽目となった。

401そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:57:21 ID:C1BCUMC.0
「動くな。頭も動かすな。右の女、武器を全て捨てて手を上げろ。こちらはそちらを纏めて吹き飛ばせるだけの武器を持っている。こちらの質問に正直に応えてくれ」
「…………」
 観鈴の持ち物から勝手に借り受けたワルサーP5を捨てて、手を上げる。
 今すぐ殺すつもりはないらしい。取り敢えずは従うべきだろうか。この事態を招いたのは私の責だ。最悪、私が犠牲になっても二人を逃がす。
「質問に正直に応えてくれたら……無闇な危害は加えないことを約束する。まず、左の男。お前が背負っている女はどうした?」
「……撃たれたんだよ」
 苦虫を噛み潰したような声で祐一が応える。目配せをしたいが、微妙にこちらから祐一の顔は見えない。
「足手纏いと分かっていてもか?」
「! っ……そうだよ」
「今は眠っているのか?」
「そうだよ」
 仕方ない。祐一が何らかの行動を起こした瞬間に声の元へ行くしかない。今度こそ、集中するんだ。
「そうか……じゃあ、次だ。右の女。何処に向かっている?」
 来た。しかし、何処まで明かすべきだろうか。後ろから銃を突き付けているであろう男がどういうつもりで質問しているのかが読めない。出来る事ならあの紙のことは知らせたくない。妥協点は……
「……平瀬村。氷川村で襲われて、今逃げているの。撒いたつもりだけどもしかしたら追って来ているかも知れないから、なるべく早く質問を終わらせて欲しいわね」
 こんなところか? 怪しまれはしなかっただろうか。
「それだけか?」
 心臓が弾んだ。が、表には出ていないはず。どうする?
「……一応ね。出来ればその子の縫合もしたいんだけど」
「……そうか。次の質問だ。……君達は、この殺し合いに乗っているのか?」
「!!」
「んなわけねーだろ!」
 祐一が吼えた。
「誰がこんな糞ゲームに乗るか! いいからとっとと行かせやがれ! こっちは急いでんだ!」
 観鈴を背に抱えたまま、顔も動かせず、それでも背後の人物にその声は響いた。
「女の方もか?」
「ええ。勿論」
 躊躇する理由はない。そして、この質問の流れ。もしかすると彼は。
「そうか。分かった。じゃあ、最後の質問だ」
 心なしか背後の声が和らいだ気がした。
「手は下ろしてくれていい。落とした銃も拾ってくれていい。こちらはもう君達に武器を向けてはいない」
 銃を拾う。彼は、こちら側の人間なのだろう。きっと。
「安静に出来る場所とそれなりの食事を提供しよう。一方的に武器を突き付けた非礼も詫びる。俺達の……」
彼は砕けた口調で続けた。
「仲間にならないか? Yesなら――こっちを向いてくれ」

402そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:57:45 ID:C1BCUMC.0
 遡る事尋問前の森の中。
「三人……だな」
「あのうち独りは知っとるよ。環や。貴明のお姉さんやで」
「本当のお姉さんちゃうけどな」
「一人は担がれてるが……怪我してんだろうな、多分。怪我人抱えて移動って無茶じゃねーか?」
「うん……下手すると傷も開くと思う」
「瑠璃ちゃん、助けてあげられへん?」
「……ちょっと待ってて。さんちゃん、みさき、耳塞いでてくれへん?」
「えー? 瑠璃ちゃん、ウチにナイショするん? つまらんなー」
「あう……さんちゃ〜ん……」
「珊瑚ちゃん、瑠璃ちゃん苛めちゃ駄目だよ」
「イジメてへんのにぃ〜」
 そういいながらも珊瑚は耳を塞ぐ。みさきも続いて塞ぐ。
「浩之、どないする?」
「んー、正直、乗ってるようにはどう見ても見えねーんだよなぁ。怪我人抱えて必死で移動して。自分自身もぼろぼろなのに、それを押して警戒して」
「ウチもそうやと思う。でもここで大丈夫やおもて駄目やったらさんちゃんが……」
「でも、いつかは渡んなきゃいけない橋なんだよな。……瑠璃、任せてくれるか? ちょっと芝居を打ってみる」
「芝居?」
「ああ。もし駄目だったらそん時は……二人連れて逃げてくれ。集合場所はその家だ」
「ちょっ……大丈夫なん?」
「四人とも信じられる人間だと思ったんだ。これ以上の条件もねーだろ。あの娘をなんで運んでるのか。怪我人でも見捨てられない仲間の為、ってんなら文句なしだろ。ただ、そん時は……仲間に引き入れてもいいか?」
「……そやね。ウチも出来るなら助けてあげたい」
「決まりだ。みさき、終わったぞ」
「さんちゃん、もうええよ」
 二人の手をとり、話し合いが終了したことを知らせる。
「さんちゃん、浩之が芝居してくれるんやて。それで大丈夫やおもたら助けてあげられる」
「ホンマ?」
「ああ」
「浩之君芝居出来るんだ。すごーい」
「いやメインはそこじゃなくてだな……いいや。行って来る」
「ウチらはどうする?」
「珊瑚はレーダー見ててくれ。瑠璃はロケット構えててくれ。みさきは……会話をじっくり聞いててくれ。俺からは見えない粗も見えるかもしれない。ただし、絶対に見つからないようにな。後レーダーに他に反応がでた時は即刻中断だ。すぐに出てきてくれ」
「はーい」
「んじゃ、行って来る」

403そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 03:58:07 ID:C1BCUMC.0
 時は戻り、尋問後。
「仲間……?」
「祐一」
「向坂?」
 ここは覚悟を決めるべきだろうか。相手のことは殆ど分からない。でも、最後のあの声は信じたい。信じられると思う。あの七瀬と名乗った奴の時のような嫌な感じはしない。だから。
「私に任せてもらえないかしら。最悪……二人だけでも逃がすようにするから」
「ばっ……」
「一つだけ質問させて。何でこんな回りくどいことしてるの? 」
「仲間を守る為だ」
 私達と同じ。私達が乗っていた時、被害を自分だけに留める為。私達と同じだ。
「祐一。振り向いて、いい?」
 否は返ってこなかった。

404そして舞台の幕は開け:2008/03/19(水) 04:00:42 ID:C1BCUMC.0
「軍隊口調ってなむずかしーな」
「えー、上手だったよ。浩之君」
 森の中から三人が出てきた。
「姫百合さん!? 貴方もいたの……」
「ウチもおるよ〜」
「二人とも……」
「勘弁してくれよ。二度とやりたかねえ」
「ふふっ……」
「立ち話より落ち着いて話した方がええやろ。家にもどらへん?」
 自己紹介も終わり、情報交換。最優先は危険人物。
 巳間良祐、柏木千鶴、神尾晴子、篠塚弥生、朝霧麻亜子、岸田洋一。
 最も良祐と千鶴の名前は分からず身体的特徴に留まり、岸田は『七瀬と名乗った』が首輪をしていない事と日本人離れした大柄な身体、酷薄な眼で間違える事もないだろう。環は話している間に浩之と瑠璃の眼が暗く沈んでいくのをただ黙って見ていた。
 又、晴子が観鈴の母親であることも話した。晴子と名乗ったわけではないが、先ず間違いないだろう事も。
 豹変して姉を襲った向坂雄二、そして。
「マルチが!?」
 二人が同時に叫ぶ。
「え……ええ……」
「あのマルチが……っくそ! マジかよ!」
 浩之が両の掌を打ち合わせる。
「ウチも信じられへん……マルチがそんなになるなんて……」
「嘘じゃねえよ。そのせいで英二さんと離れ離れだしな」
「あ……信じてへんわけやないんで? ただ……」
「ただ、なんだよ」
「マルチはな、長瀬のおっちゃんが作り上げた友だちやねん。モデルベースやけど感情もちゃんとある。パターン反応言う奴もおるけど……それでもちゃんと生きとった。人を傷つけるなんてできひん子やったから……」
「俺の知ってるマルチは絶対そんな事はしねえんだよ。いっつも泣いて、笑って、頭撫でると嬉しそうにして……糞っ……」
「でも俺達は実際に襲われた! だからこそ今逃げてんだよ!」
「祐一」
「っ……すまん」
 豹変した弟と相対した環の言葉は重い。
「でも、本当よ。私達は元々どんなメイドロボだったかは知らない。でも、確かに雄二と一緒に襲ってきた。二人とも……壊れてたわ」
 その一言を紡ぐのに、どれだけの気力が要ったのだろう。肉体ではない。外見には一切分からない、精神が壊れている。それを認めることのなんと難しいことか。
「とにかく、私達のあった危険人物はそんなところ。……なんかこうしてみると相当沢山遭ってるわね」
 未だに未練を引き摺っているようだが、浩之と珊瑚の顔にも諦観の色が濃く見えた。
 こうやって心は削られていくんだろう。ここでは。
「弟がもしかしたら追って来るかもしれない。なるべくここを早く……」


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