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鏡の世界の迷子の旅路 無断転載

1語り(管理人):2015/05/29(金) 21:47:48
私は小閑者さま本人ではございません。願わくばご本人からのご返事が来ること願います。



・本作は恭也の年齢を変えたDWの再構成に当たります。

 お蔭様で、長らく続いたA's編も無事(?)終了しました。
 これからは拙作、鏡の世界の迷子の旅路の後日談的な続編を書いていく積りですのでよろしければお付き合いください。

 ご意見・ご感想を書いて下さる方は別スレッドへと、お手数ですがそちらへお願いします。

70小閑者:2017/07/02(日) 14:05:36
 恭也は部屋の時計が6時を回ったことを確認してから、はやてを起こすために肩を揺すりながら呼びかけた。

「はやて。そろそろ起きる時間ではないのか?」

 呼びかけに応える様に上がったはやての顔は明らかに寝ぼけていた。恭也ははやてが寒くないように配慮して掛け布団を捲くらずに這い出し、枕のあった位置で胡坐を掻いて座ると、はやてもぼんやりとした表情のまま体を起こし、不自由な足を手で誘導しながら対面するように座り込む。
 その様を見て珍しく恭也が見て分かるほどの苦笑を表すが長く続くことはなかった。
 寝ぼけ眼が焦点を合わせることなく恭也を眺めていたかと思うと、唐突に表情を崩す事なく涙を零し始めたのだ。“泣く″と表現することが躊躇われるような、生理現象として目から涙が溢れ出したとでも言うかのように、寝起きから変わらない表情のまま涙が頬を伝うのに任せるはやてに恭也の方が狼狽した。

「は、はやて?どうしたんだ?」
「きょうやさん……う…うあ、ぁあ」

 一度恭也の名前を口にすると思い出したかの様に鳴咽が出始め、同時に表情が崩れる。
 号泣とは程遠い、途方に暮れた迷子の子供が心細くて泣き出している様な、他者に訴えかけるためではなく、ひたすらに心情を発露させる様な、そんな泣き方。不安を、心細さを埋めようとしているのか恭也にしなだれかかるように縋り付き、温もりを求めるように力なく恭也の体を掻き抱く。
 言葉も無く、意味を成さない嗚咽を上げながら弱々しく涙するはやてを、恭也があやすように頭を優しくなで背中を軽く叩いているとシャマルが部屋に飛び込んできた。

「はやてちゃん!?」

 はやての嗚咽から昨夜と同じ疑念を抱いて飛び込んだシャマルは、恭也に縋りつくはやての姿を認めるとそのまま呆然と眺めていた。本当にそれ以外の可能性を想像していなかったようで、何のリアクションも無いシャマルに呆れながら恭也が声をかける。

「また怖い夢でも見たんだろう。目を覚ましたと思ったら突然この状態だ」
「怖い夢?」
「内容までは聞いていない。
 この状態では食事の準備は無理だろうから、よろしく頼む。
 そこの3人も聞こえたな?この体勢でははやても巻き込むから切り掛かってくるなら後にしてくれ」
「え?」

 シャマルが振り向くと恭也から死角になる場所で、デバイスを構えた2人と牙を剥いた1頭が何かと葛藤しながらも辛うじて自制を利かせて踏み止まっていた。


* * * * * * * * * *


「ご馳走様でした」
「礼儀正しいな」
「…一応は、な」

 恭也の食後の挨拶にシグナムの嫌味のような言葉が返る。だが、恭也は普段から食後に感謝を込めて手を合わせている。つまり、シグナムの意図しない嫌味(つまり本心から“よく礼が言えるな”と言ってる訳だが)の台詞は言われた恭也にはそのままの意味で、頬を引き攣らせた者には潜んだ意味で届いた。

「これはやはり“はやてを泣かせた報復”だったのか?」
「バーカ、シャマルの腕はこんなもんじゃねぇ。5品中1品なんて、たったの2割じゃねぇか」
「味についても調味料の種類と分量を間違えた程度だからな。創作料理こそシャマルの真価といえよう」
「出された食事にケチをつけるのはルール違反だとは思うが、そうか、種類を間違えるのが“程度”か…できればシャマルの真価は知らずに済ませたいものだな」

 会話が進むにつれてシャマルの体の震えが大きくなっていくが、黙して語らないザフィーラも決して弁護する気が無いのは見て取れる。
 寝起きの醜態を軽く流してくれる一同に感謝しながら、はやては「シャマルはまだ料理を始めて一年未満の勉強中なのだから」と一応のフォローを入れたところで、恭也が早速ジョギングして来ると席を立った。

 はやてはたまに見かける恭也のこの行動を、自分に聞かれたくないことは今のうちに話し合っておいてくれ、と言う意思表示として受け取っていた。勿論、鍛錬を行うという恭也の言葉に嘘は無いだろうが、こちらの事情を慮ってくれているのも事実だろう。
 だが、恭也の心情を知った今では運動することで気を紛らわせているのではないかと勘繰ってしまう。そもそも、元の時代では恭也は昼間小学校に通っていたのだから、これほど剣の練習に割ける時間は無かったはずなのだ。
 もっとも、はやては知る由もないが、恭也は不破家では休日には時間を作っては刀を振り続けていたので、現在は“毎日が日曜日状態”なだけなのだが。

 何れにせよ、真実がどこにあろうと状況は進むもので、はやては想像した恭也の気遣いに感謝しながら4人に向き直った。

71小閑者:2017/07/02(日) 14:06:07
「一応、朝のこと話しとくな。
 気付いてるとは思うけど、昨日は恭也さんの部屋に泊めてもらったんよ。予定としては朝一で起き出して誰にも知られんようにしようと思ったんやけど、これは失敗してもーた」

 恥ずかしそうに笑うはやてに4人は渋面になる。はやてはその渋面を、恭也と同衾したことを諌めるもの、4人の誰でもなく恭也を頼ったこと、今朝恭也に泣きついていたこと、などに対してだと察したが、はやての目論見通りに進んだとしても、はやてに隠している蒐集活動によって、知ることになってしまっていた、という後ろめたさが加わっていたことまでは気付けない。

「でも怖い夢を見たから、言うんは嘘やねん。恭也さんが悲しい気持ちを溜め込ませんように出来んかなと思ったんよ」

 シャマルは驚きに目を見開く。
 恭也が隠していた感情は自分の不用意な行動に対する彼のリアクションにより浮き彫りになったが、昨日の夕方に帰宅した後の恭也の態度は平静そのものに見えていたはずだ。
 だが、同時に納得もしていた。恭也の所作から心境を測った実績のあるはやてなら、状況からだけでなく恭也の心情を察して積極的に動いたとしても不思議は無い。
 だが、それが同衾することに繋がらない。まさか“女”として慰めに行った、などということはあるまい。
 疑問が顔に出ていたのか、はやてが行動の意図を口にした。

「人の体温を感じると気持ちが落ち着くから、せめて寝てる時だけでも、と思ったんよ」
「ああ、それで」
「逆に私の方が釣られて悲しくなってしもたけどな」

 やー恥ずかしい、と言いつつ頭を掻く。
 シグナムは、釣られるような何かがあったのかもしれないと想像しながらも言及することはしなかった。はやてが話したくないと、話すべきではないと判断した以上無理強いする気はない。

「流石に何度も使える手やないけど、少しでも恭也さんの心を軽く出来んか、思ってるんやけど」
「でも、あんまり気を遣うと逆に恭也君が嫌がるんじゃないですか?本人も隠そうとしてるのは私達への気遣いだけじゃなくて男の子としてのプライドもあるでしょうし」
「そうやろね。プライドうんぬんのレベルをとうに超えとる気もするけど。ザフィーラは同姓としてどう思う?」
「弱い面を隠そうとする気持ちはあると思います。あまり構い過ぎるのも得策ではないかと」
「やっぱりそうか。私も事故の後は塞ぎ込んで、話しかけてくれる人を煩わしいと思うことあったしな。何様やっちゅうねん。
 その点も恭也さんは凄いな。理由が何であれ周りを気遣えるんやから」
「でも、はやてはこれからも続ける気だろ?」
「うん。直接そのことを突付くと嫌がるのはわかっとるから、なんか理由見つけて一緒に居ようて思とる。独りになりたい時は剣の練習なんかで出かけたときになれるしな。…独りやと変に考え込んでしまうかもしれんから」
「けど、ホントにアイツまだ悲しんでんのか?そりゃ昨日の昼間は良く見りゃ様子がおかしかった気もするけど言われるまでわかんなかったし、夜には平然としてたじゃん。
 見た目だけ平気そうにしてるのかも知れないけどホントに平気なのかも知れないだろ?親を亡くしたら悲しむだろうけど立ち直る速さは人それぞれじゃん」

 ヴィータの意見にも一理はあった。少なくとも恭也の内面に触れる機会の無かったシグナムとザフィーラは否定する材料を持ち合わせていない。
 だが、

「…うん。そうやね。
 私も起きてから、夢やったんかな、って何度も思ったんよ。
 でも、もうやめた。
 たとえ夢やったとしてもあんな恭也さんほっとけへんよ」

 今朝の泣いている姿を想起させるはやての弱々しい笑顔を見せられては、それ以上の言葉を発することなど出来なかった。


* * * * * * * * * *


「試合、ですか?」

 昼食時に帰宅したシグナムを待ち構えていたようにはやてが持ち掛けたのは、自己紹介のときにシグナムが恭也を誘っていた剣の手合わせだった。

「そう。前に恭也さんを練習に誘っとったよね。最近素振りばっかり言うとったから私から提案したんよ」
「意外ですね、恭也がその提案に乗るとは」
「…心境が変化するだけの出来事はあったから、なぁ。
 午前中も、な。練習を見せてくれたんよ。庭で刀振るの見せてくれたわ。あ、いや、練習見せて欲しい言うたんは初めてやし、言うたら元々見せてくれたのかもしれんけど。
 隠そうとしてると思とったから頼んだことなかったから」

 はやては気まずそうに視線を泳がせながら言葉を濁す。やましいことはないはずだが、恭也の心が弱っていることに付け込んでいるかのような後ろめたさがあったのだ。

72小閑者:2017/07/02(日) 14:06:45
 察したシグナムははやての気を逸らすために話しかけ、了承することを伝えることにした。蒐集には出られなくなるがはやての希望を無碍にはできないし、元より恭也の剣腕には興味があったのだ。

「分かりました。では午後にでも草間の道場を借りましょう」
「へ?そんな簡単に借りられるもんなん?」

 シグナムはともかく恭也は現時点では部外者だ。剣道なら体験入学のような意味合いで飛び入り参加も出来るかもしれないが、目的はあくまでもシグナムと恭也の試合なのだ。はやての疑問は当然と言える。

「実は以前から恭也のことを話していたんです。先方も興味を持たれたようで是非連れて来るようにと。幸い夕方になるまで学生や社会人はいませんから恭也も人目を気にせずに済むでしょう」
「誰もおらんの?」
「いえ、少数ですが現役を引退した方々がいます。
 先達としての畏敬の念もありますが、体力や腕力こそ落ちていますが引き換えに洞察力や技巧に秀でているので油断の出来ない相手です」
「へー、凄いんやね」
「主はやても見学にいらっしゃいますか?」
「え、良いの?ってゆうか恭也さんはともかく見た目も小学生の私が昼真っから行くのは良い顔せんやろ」

 いくら車椅子に乗っているとは言え、本来は義務教育を免除される理由にはならないのだ。咎められても文句を言えないことを承知しているからこそ、普段は学校の授業時間帯には事情を知っている馴染みの場所にしか出かけることはしてない。

「いえ、皆おおらかな方ばかりですから。女である私を剣士と認める度量を持っていることがその証拠です」
「そういうもんなん?ん〜、そんじゃ折角や、見学させてもらおか」

 こうして、はやてはシャワーからあがってきた恭也にシグナムから了承を得た旨を伝えて、昼食の仕上げに取り掛かるためにキッチンに向かった。
 シグナムがはやての背中を見送っていると今度は恭也が声を潜めて話しかけてきた。

「すまないな、午後も出かける予定だったんだろう?」
「気にするな。お前の腕を見るにはいい機会だ。それよりお前の方こそよく誘いに乗ったな」

 シグナムとてはやての言を疑うつもりは無いが、自らを剣とすることを目指しているこの男が例え親族を失ったとはいえ、いつまでも動揺を露にしているとは思えなかったのだ。自分が描いている恭也の人物像と本物とに差異があるなら埋めておく必要がある。

「気付いていない訳でもないだろう?朝からはやての様子がおかしいからな。
 怖い夢を引きずっているからなのかは知らないが、情緒不安定な感がある。
 午前中は俺が傍に居たが、俺だけでは不足だろうからな。何かしらの理由を作ってあなた達4人の内の誰かと一緒に居られた方がはやての心も落ち着くだろう」
「…ああ、なるほどな」
「どうかしたのか?」
「何でもない。食後に一息ついたら出発するから準備をしておけ」
「わかった」

 はやてと恭也は互いが互いを思いやっているが、内容がデリケートであるため直接聞くことが出来ずにいる状態にあるようだ。だが、両者の考えを聞いたシグナムにはどちらにも語ることは出来ない。知れば恭也は今以上に心情を零さないために自らを縛るだろう。はやては自身を恭也を苦しめる元凶として批難するだろう。
 もどかしい、とシグナムは思う。これほど互いを大切に思っているのだ。誰一人として血の繋がりなど無くとも、直ぐにでも周囲に自慢できる程の“家族”になれるだろう。なのに後一歩のところでブレーキが掛かる。
 枷になっているのは、はやてを蝕む魔道書か、蒐集を禁止するはやての優しさか、家族を失った恭也の境遇か、そのことを悲しむ恭也の弱さか。
 恭也に背を向けてから奥歯をかみ締めることしか出来ない自身の不甲斐なさを、痛感する。


* * * * * * * * * *

73小閑者:2017/07/02(日) 14:08:04
* * * * * * * * * *


 道場へ向かう道すがら3人で会話を交わしていた。このメンバーではやはりはやてが会話のメインとなる。主従の問題ではなくシグナムと恭也が率先して発言するタイプではないからだ。

「恭也さんはいつもあんな練習してるん?」
「同じことばかりではないが、まあ似たようなことだな」
「どんなことをお見せしたんだ?」
「ただの型だ。特に珍しいことはしてない」
「でも右手でも左手でも同じことができるって凄いんやない?シャマルも言うとったよ、左右での誤差がほとんどないって」
「鍛えれば誰でもできるだろ」
「またまた。内臓の多くは左右対称にないから全身運動で左右をそろえるのは大変やろ」
「…そうなのか?内臓がどこにあろうと筋肉はほぼ対称にあるから出来るんじゃないのか?」
「え?えーと、シャマルはそう言うとったよ?」
「受け売りか。まあ仕方ないだろうが」
「あ、後、最初ゆっくりやった動きを後で早送りみたいにして動いてたんは面白かったなぁ」
「強引な話題転換だな。
 あのゆっくりな動きだけでは実際に使いようがないからな。正確な動きを体に覚え込ませるためのものなんだ」
「へー。…あ。こんな話シグナムに聞かせて良かったん?」

 今更ながら、手の内を見せるような話を振ったことに気付いたはやてが恐る恐る恭也に確認を取る。
 普段から共に鍛錬をしているなら不要な配慮だが、今回はどちらも相手の戦闘スタイルを知らないのだ。尤もシグナムの魔法を使った戦闘スタイルを知っていたとしても、それを今回の手合わせで生かせるかどうかは疑問ではあるのだが。

「ふむ。シグナム、何か役に立ちそうな情報は含まれていたか?」
「左右どちらでも剣を扱えることはわかったな」
「1つハンデが増えたか」
「あぁ〜ゴメンナサイー」

 恭也は苦笑しながら頭を抱えながら謝罪するはやての頭をポンポンと撫でる。

「気にするな。どうせ大差はない。今回は小太刀サイズの木刀も無いだろうから、どの道片手では振るえないだろうしな」
「サイズを合わせて切り落としたらどうだ?」
「借り物をそんな扱いする訳にはいかないだろう。どうしたところで重量も重心も違うんだ。長刀のままでも構わんさ。負けた時の言い訳にもなるしな」
「長さの違う得物を扱えるのか?」
「その辺りは節操の無い流派でな。流石に“どんな種類であろうと”などとは言えないが特に日本古来の武器は見られる程度にはしている。
 それにどの道、持っていたあの小太刀は俺が使い込んでいたものではないんだ。あれの所有者は父でな、何故俺が所持していたのかはわからないが、俺が使っていたのはあれより細身で軽いものだ。
 シグナムだってあの剣、レヴァンティンだったか?それを使う訳ではないだろう」
「流石に道場で振るう訳にもいかないだろう。…はっきり言ったらどうだ?“対等な条件など有り得ない。現有戦力が全てだ”と」
「言っただろう。負けた時の言い訳は取っておくと」

 はやては自分に理解できない何かを共感している2人を交互に眺める。
 共通している目の輝きはどこから来るものだろう。自分の実力を試したい、相手の技を見てみたい、そんな感情だろうか?自分に置き換えた場合、人に料理を振る舞って喜んで貰う様なものなのだろうか。
 普段大人びて見える二人の、子供の様な面が見られてなんだか嬉しくなる。いや、恭也は正真正銘子供な筈なんだが。


* * * * * * * * * *


 道場には初老の男性が2人いるだけだった。一方は柔和な表情を、他方は鋭い眼差しをしていたが、どちらも快く3人を迎えてくれた。
 道場は試合場が3面引かれているが、基準を持たないはやてにはこの道場が広いのか狭いのかは判断できない。代わりという訳ではないが手入れがよく行き届いていることは分かった。
 シグナムが電話で経緯を説明していたのだろう。挨拶もそこそこに、2人とも木刀を手に取り早速始めようとしていたので、はやては2人の方を注視した。

74小閑者:2017/07/02(日) 14:08:52
 二人は中央に移動すると無言のまま対峙する。両者共に木刀を正眼に構えたまま時間が流れていく。はやてには理解の出来ないフェイントを応酬していると分かったのは隣に正座している初老の男性の感嘆からくる呟きを聞いたからだ。
 二人の緊張感の煽りを受けてはやてが息苦しさに喘ぎ始めた頃、唐突に二人が激突した。

 恭也は一気に距離を詰めると刺突を放つ。
 極限まで無駄を排し最短距離を飛んで来る木刀がシグナムの眼前で更に加速した。淀みなく片手刺突に移行した恭也に間合いを外されたシグナムは、躱しざまに放とうとしていた横薙ぎを中断し左方向、恭也の背面に倒れ込むようにして移動する。恭也からの追撃の薙ぎ払いを木刀を立てて受けるが、シグナムが予想した以上の威力が込められた一撃は崩された態勢で受けきれる重さではなかった。シグナムの態勢を悪化させたその一撃は、しかしシグナムを弾き飛ばす程の威力はなく、間合いを広げる助けにはならない。恭也の体格からすれば順当と言える威力だが、シグナムには意図して調節した一撃だという確信があった。
 そのことを素直に認め、潔よく追撃を躱すことに専念したからこそ、その後の途切れる事なく繰り出された恭也の連撃が二桁に届く頃には間合いを取ることに成功していた。



 再び対峙する2人を見て、はやては漸く自分が息を止めていることに気付き、2人の邪魔をしない様に密かにゆっくり息を吐き出す。掌にかいた汗を服の裾で拭いながら、深呼吸を繰り返して早鐘を打つ心臓をなんとか落ち着かせる。
 木刀での打ち合いというものを軽く考えていたが、これではまるで殺し合いではないか。

 はやては格闘技にあまり興味がないが、それでも稀にテレビで観戦したことはある。だが、今眼前で展開している試合はそれらとは全く違っていた。
 テレビモニター越しに見る映像と、呼吸さえ聞き取れるほどの至近での試合では迫力が違う。物理面に作用していると錯覚するような気迫を放ち、離れたはやてにまで振動が届くほど強く踏み込み、目に映らないほどの斬撃が応酬しているのだから当然だろう。
 また、方や剣型アームドデバイスを振るう古代ベルカの騎士にして闇の書の守護騎士を纏める烈火の将。方や若輩ながらも銃弾飛び交う戦場において、多勢にさえ2振りの小太刀と少々の暗器だけで渡り合う御神流の英才教育を受けた御神の剣士。比較されるスポーツ選手が可哀想だろう。
 何より、ほとんど膠着することも無く攻撃を繰り出し続けているのにどちらも当たらないのだ。シグナムと恭也の試合は今のところ一方的に恭也がシグナムに斬りかかる展開だったが、防戦しているシグナムすら結局一太刀も浴びていない。
 ボクシングなどの競技とて急所に受ければ一撃で意識を奪われるため、高度なディフェンス技術があるのだが、目の肥えていないはやてには相手の攻撃をひたすら我慢しながら殴り合い、先に耐え切れなくなった方が負け、というイメージを持っている。実際に肉弾戦の競技は距離が近すぎて相手の攻撃を視認してからでは到底回避が間に合わないため、余程実力差がなければ我慢比べの展開になる。そしてテレビ中継される試合に出場する選手の実力差が大きく開くことはまず無いのだから、予備知識の無いはやてが誤解するのは無理の無いことではある。

 恭也とシグナムの回避・防御技能が高いのはどちらも本来真剣を武器にしており、その思想が体の何処かに一撃を受けることを敗北とイコールで結んでいるためだ。
 骨は論外としても筋肉ですら切断されれば戦力が大幅に落ちる。痛みの問題ではなく、ただ刀を振り下ろすという行為をとっても全身の筋肉や関節を連動させた一撃と腕だけで振るったそれでは威力が違ううえ、そもそも戦闘そのものが全身運動が前提なのだ。
 多対多の戦闘であれば負傷者とて何かしら(身を挺した足止めなど)の役割を持つことも出来るが、1対1では負傷による戦力低下は致命的な差になる。そして戦闘条件は本人が選べるとは限らないのだ。
 勿論実戦であれば負傷したとしても負けを認めたりはしないし、御神流では負傷を想定した上での鍛錬までしているが、それは決して攻撃を受けることを許容している訳ではない。

 ちなみに恭也は普段から物理的な防具を装備していない。防刃・防弾着や強化樹脂などの軽量で硬質な素材は存在したが、銃弾を防ぐには相応の厚さと重さが必要になるため御神流の最大の武器であるスピードを阻害されることを嫌っているのだ。

75小閑者:2017/07/02(日) 14:09:45
(強いな)

 実際に剣を交えて技術と技の連携、手の読み合いの錬度を見た感想がシグナムの脳裏に浮かぶ。勿論、八神家での生活の端々から剣腕を推測していたし、最初に実際に対峙したことで確信できたことだが、切り結ぶことで具体的なことが実感できた。それに、油断も慢心もなく切り結んだからこそ、今再び間合いを広げて仕切り直すことが出来ているのだ。
 恭也の体格からすればかなり高く見積もっていた身体能力を、スピードもパワーも更に上をいかれた。
 恭也は決してボディビルダーのような筋肉の固まりではない。強靭でありながら柔軟な筋肉を、動作を阻害しないように、削ぎ落とす事なく、爆発しそうなほど細く細く絞り込んだ肉体。その肉体をフルに活用することで初めて得られる高度な技能。何よりそれらを統括・制御し、最大限の効果を発揮させる頭脳。
 魔法の発達していないこの次元世界において間違いなくトップクラスの戦闘者と言えるだろう。
 派手な技を使った訳ではない。だが、移動の際に上下動しない肩、ブレることのない剣先、そこから繰り出される理想とされる“点″の刺突。四肢の振りどころか、筋肉一つ一つの動きを明確に操作しなければこうはいかない。
 シグナムは、長い年月をかけて熟成させるべき技を現段階でここまで操ってみせる恭也を素直に称賛しているし、また正直末恐ろしく思う。
だが、

「まだだ。この程度ではあるまい?」

 シグナムは呟きと共に正眼から上段に構えを変える。
 特に反応を示す様子もなく、正眼のまま静かに佇む恭也に対して猛烈な踏み込みで一気に間合いを詰めると躊躇なく振り下ろした。

ッガガン!

 木刀とは思えない音をたてて二本のそれらがぶつかり合う。折れる事なく拮抗することが出来たのは、激突の寸前に恭也からも間合いを詰めて、互いの鍔元で受けたからこそだ。
 見学しているはやてには細かい理屈はわからない。だが、対峙していた2人が休憩している訳ではないだろうとは思っていたが、前触れも無く突進したシグナムが放つ断頭台の様な一撃に、表情を微塵も揺るがす事なく自ら踏み込む恭也の正気を疑った。
 自殺志願者でも恐怖感を掻き立てられそうなあの斬撃に曝される心境など想像も出来ない。
 だが、実際に鍔競り合いをしているシグナムには、この期に及んで崩すことのない鉄面皮の奥で恭也が奥歯を噛み締め必死に耐えていることが読みとれていた。

 恭也が弾き返そうと力を込めるタイミングを正確に読みとり、シグナムが木刀を翻すと狙い通り恭也の体が僅かに流れた。
 あのタイミングで外されて、この程度の重心の崩れで済ませたことにシグナムは胸中で賛辞を贈る。だが、当の恭也の目には隠しきれなくなった感情が、悔恨の念が浮かんでいた。
 恭也が初めて見せた隙は、だが即座に決着が着く程のものではない。直後に始まったシグナムの猛攻を凌いでいることがその証拠と言えるだろう。
 隙の大きさとしては、この試合の開始後すぐにシグナムが見せたものと同程度だ。だが、シグナムに出来た事が恭也には出来ない。劣勢を押し返す事が、距離を開き仕切り直す事が出来ないのだ。
 欲をかいて反撃を狙っている訳ではなく、ひたすら耐え忍んでいるが、間合いをとる事も鍔競り合いにもっていく事も出来ず、それどころか徐々に追い詰められて行く。
 これが今の恭也とシグナムの実力の差だった。

 シグナムと恭也には魔法の有無という決定的な違いがある。シグナムが本気で戦闘を行う場合は当然騎士甲冑を纏う為、余程強力な攻撃でなければ無視出来てしまう。無論、騎士としての誇りから技能の研鑽を怠ることはなかったが、恭也は常に背水の状態にある。恭也にとって回避や防御の技能は切実なものだろう。
 そうでありながら、シグナムは恭也の攻撃を凌ぎきってみせ、恭也はシグナムの攻撃を捌ききれない現状こそが2人の総合力の差を如実に表していた。
 だが、刻々と悪化している戦況を把握して尚、恭也は投げ出す事なく、懸命さを無表情の奥に隠したまま、木刀を振るい続けた。

76小閑者:2017/07/02(日) 14:10:28
 シグナムはこの状態に至りながら、なお疑念を消す事が出来ない。この程度ではない筈だ、と。初めて対峙したあの時感じたものは確かに…、そこまで考えて苦笑を漏らしそうになる。
 なんのことはない。自分が考え違いをしていたのだ。


 胸元に放たれた刺突を木刀で右側へ逸らしながら左下方へ体を沈めた恭也に、シグナムが返す刀で唐竹割を放つ。この劣勢のきっかけとなったのと同じ剣筋に対して、しかし体勢を崩した恭也は柄だけで支える事を断念して、木刀の両端を持って防御に専念する。剣道では有り得ない形だが、誰からも批難の声は上がらなかった。上がる前に恭也が弾かれた様に水平に跳んだのだ。違う。“様に″でも“跳んだ″のでもない。シグナムに蹴り飛ばされたのだ。

 シグナムは恭也を蹴り飛ばすと直ぐさま弓を引き絞る様に木刀を握る右手を引いて半身となり、蹴られた勢いのまま壁際へと床を転がる恭也へ追撃に向かうべく駆け出した。
 5mの距離を瞬時に0にすると、停止しきる前の恭也に対してシグナムが構えのまま繰り出した刺突が空を切る。一瞬前まで転がるに任せていた恭也が床を蹴りつけ水平に跳躍してシグナムの間合いを外すと膝を曲げた状態で壁に着地。伸び上がる勢いを利用して、お返しとばかりにシグナムの顔面に刺突を放つ。
 シグナムは刺突を切り上げながら、木刀と共に体勢が伸び上がる恭也にぶちかましを仕掛けようと左肩から前傾姿勢をとろうとした段階で恭也の刺突が軽過ぎる事に気付いた。
 悔恨の念を押さえ付け、舌打ちする間も惜しんで踏み出そうとしていた身体に制動をかけ、後方へ跳躍しようとした時、視界の隅に恭也が映る。

 恭也が右掌をこちらの胸元に伸ばし肘と肩を固定。
                              速い、跳躍するような余裕は無い。

 彼我の距離が無くなり壁を蹴った勢いを前に出した右足が吸収。
                              まずい!僅かに撓んでいる膝と足首の力で上体を反らす。

 恭也の左足が床板を踏み抜くような勢いで蹴り、その反作用を膝から腰、腰から肩、肩から右掌へ無駄にすることなく伝達し、結果接触しているシグナムの胸部に衝撃として炸裂した。

「ゴフッ!」

 シグナムは強制的に肺の空気を搾り出されながら背後に投げ出された。
 恭也が放った技は、射程範囲はせいぜい10cm程度、決まれば相手を吹き飛ばすことなく踏み込んだ力を100%衝撃に転換することを目的にしたものだ。シグナムが後方へ飛んでいるのは本人の努力の結果だ。
 シグナムの視界に映る恭也は技後の硬直から抜け出せていない。徒手の技だけに錬度が低いのだろう。
 シグナムは衝撃に硬直していた体のコントロールを接地する寸前に取り戻し、受身を取りながら着地、勢いを利用してそのまま起き上がる。
 恭也もそのときには硬直から抜け出し、しかし、無手の為迂闊に仕掛けることも出来ず、2人は三度対峙した。

 シグナムは既にスポーツでは放ってはいけないものを発散している。濁流の様に恭也に叩きつけられるその殺気は、余波だけでもはやての呼吸が覚束なくなるほどのものだ。だが、真っ向から受けている筈の恭也は小揺るぎもしない。怯むことも強張ることも反発することすらなく、ただそこに在る。
“止めなくては”そう思うが、歯の根が合わないはやてには声を出すことも出来ない。
 殺気を放つシグナムも、それを受けて平然としている恭也も、はやてには理解できない。どうしてこの2人は殺し合いをしているんだろう?

「そこまで!!」

 試合前に温和な表情で挨拶を交わした老人の突然の大喝によってはやての危惧する惨事は未然に防がれたが、極限の緊張状態を強いられていたはやての意識はあまりの大声に危うく暗転しそうになるのだった。

77小閑者:2017/07/02(日) 14:12:11
 木刀での試合から殺し合いの様相を呈した模擬戦へと発展した恭也とシグナムであったが、内容の深刻さに反して立ち会った2人の老人からは何のお咎めも無かったことに、はやては驚けば良いのか怒れば良いのか真剣に悩むことになった。
 だが、当事者である筈の2人も今はのんびりと家路についているため、道場での本気で殺すつもりかと疑いたくなるような気迫を伴った睨み合いさえ演技だったのではないかと思えてくる。

 はやての険しい表情が一向に晴れる様子が無いため、シグナムが口を開いた。
 終盤の殺気に中てられて怯えていたはやてに、元凶である自分から話し掛けるのは逆効果だろうと、気持ちが落ち着くまで待っていたのだが、平静を飛ばして一気に不機嫌になってしまったため今まで声を掛けられなくなっていたのだ。

「主はやて。
 先程は驚かせてしまって申し訳ありません。
 恭也の手応えが予想以上に良かったので、つい熱が入ってしまいました」
「…いつもあんな風なん?」
「初めて見たなら驚くのも無理は無いだろうが、“剣術”の場合あんなものだ。元々殺し合いの技術だからな」

 はやては、恭也の言葉にシグナムが口を挟む様子を見せないことから、これが2人の共通認識なのだと分かったが納得するには抵抗があった。平和な時代に育ったはやてならば当然の反応だろう。10年前ってそんなに物騒だったんだろうか?

「そやシグナム、道場出るときにおじいさんになんや言われとらんかった?」
「良い気迫だったが一般人が居る時には止めておくようにと。あとは道場は一般生徒がほとんどだから、指南の時にはくれぐれも見せないようにと」
「…あれ自体は批難しとらん言うことは、やっぱり剣士としては普通なんか…?」

 真剣に悩んでいるはやてを余所に、恭也とシグナムが穏やかに語り合っていた。

78小閑者:2017/07/02(日) 14:12:43
「無茶をさせてすまなかったな。普段あの道場でああいった戦い方はしていなかったんだろう?下手をすれば出入り禁止になっていたろう」
「こちらこそ余計な気を遣わせてしまったな。
 何より、お前のことを剣士と呼んでおきながら“この世界の住人”という括りで見ていた。侮辱に等しい行為だ。すまない」
「それこそ気にするな。そもそも俺が隠していたんだ。逆にどうして俺があの不意打ちに対応できると思ったんだ?真剣を所持していた事だけでは理由として弱すぎる。あの蹴りはモロに入ればこめかみを砕いて脳細胞を破壊していたぞ」

 こっそり聞き耳を立てていたはやては、あまりの内容に絶句した。普通に死亡、良くて植物人間か軽くても身体機能に後遺症が残るのだから当然の反応だが。

「人聞きの悪いことを言うな。お前が反応していなければちゃんと止めていた。
 対応できると思ったのは、初めて公園で出会ったときのお前の反応を思い出したからだ」
「初めてと言うと…」
「お前が転移してきた直後だ。
 気絶していたにも拘らず警戒しながら近付いた私に反応して即座に構えて見せただろう」
「ああ。随分昔の話をしているみたいだ」
「お前にとっては怒涛の様に時間が流れているように感じるだろうからな。
 たまには雑念の入る余地が無いほど、戦いだけに集中するのも良いものだろう?」

 はやてはシグナムの言葉に意表を衝かれた。
 それは、今朝はやてが恭也の居ない席で皆に話した内容、恭也の寂しさを紛らわせることに通じるものだ。
 直接協力を仰ぐ言葉を使わなかったとはいえ、あんな話し方をすれば皆も協力してくれる、とは全く考えていなかった。そこまで頭が回るほど余裕が無かったのだ。
 だから、はやてはシグナムが言葉を汲んで行動を起こしてくれたことが嬉しかった。方法が物騒であることは咎めるべきかも知れないが、逆に言えば恭也もそういった側面を持っているのだから、シグナムにしか出来ない方法を取ったと考えるべきだろうか?

「どうだった?少しは練習相手を務められたと思うんだが?」
「フン、言ってろ。近いうちに、せめて魔法抜きでくらいは全力を出させてやる」
「勝ったる!くらいのことは言うたらどうや?」
「先程まで何やら悩んでたくせに、敗者を嬲る話題に嬉々として飛びつくな。子供の内からそんな性格では先が思いやられるぞ」
「グハッ!う、うっさいわ!だいたい人のこと言えるんか!恭也さんかて、1歳しか違わんのに性格悪いやないか!」
「何を馬鹿な。言うに事欠いて、大抵の人から“良い性格してる”と褒められている俺を捕まえて性格悪いなどと、ちゃんちゃらおかしいわ」
「“ちゃんちゃらおかしい”なんて普通に会話に使う人初めて見たわ」
「主はやて、もっと他に指摘するべきところがあるのでは?」
「シグナム、覚えとき。レベルの低い見え見えのボケは敢えて無視するんが本当の優しさ言うもんや。“恥ずかしい”とか“悔しい”とか思わんと人間成長せえへんからな」
「恭也、主はやての御厚意を無にせぬよう、いっそう精進しろよ!」
「超巨大なお世話だ!はやて、シグナムのこれは良いのか!?」
「わかっとるくせに。シグナムのはボケやのうて天然や。このままでええねん。いやこのままだからええんや!」
「左様で」

はやては恭也をやり込めた勝利の笑顔に、呆れ交じりの穏やかな声を聞けて安堵したことを恭也から隠した。



続く

79小閑者:2017/07/02(日) 14:15:28
第10話 始動




 高町なのはの朝は早い。まだ日も昇らない時間に起き出し、早朝練習のために山腹の公園へと向かう。もっとも、家族五人の内二人、兄と姉は既に剣術の鍛練に出向いているし、残った両親も経営している喫茶店の仕込みのために間もなく起き出すはずなので、高町家は全員朝早くから活動しているのだが。
 ちなみに、魔法の事は家族に秘密にしているため、苦手な運動を克服するためのトレーニングと説明している。全員が納得してくれたことは有り難いが、自分の運動神経が鈍い事が共通認識になっているのだと再確認するはめになり軽く凹まされたのは全くの余談だ。
 季節がら早朝の空気は身を切る様な冷たさだ。魔法の行使には高い集中力が必要とされるため、疲労した状態で使用することを想定して公園までジョギングする事にしていたが、最近では体を暖める事が主目的になりつつある。
 公園へ続く階段を上りきるころには完全に息が上がってしまう。だが、たどり着く前に体力が尽きて、ヨレヨレになりながら歩いて登っていた頃に比べれば、これでもかなり進歩しているのだ。
 10分程の休憩を挟み漸く呼吸が整うと、元気な声で挨拶するのが最近の習慣になりつつあった。

「おはよう、恭也君!」
「ああ、おはよう高町」

 かなり冷え込む様になってきたのに、厚さがある様には見えない黒い長袖のシャツを着て静かに佇む姿は、容姿だけではなく在り方そのものまで兄の恭也と重なって見える事がある。

「最近はスクライアの姿を見ないな。愛想を尽かされたか?」
「もぅ!意地悪な事言わないでよ!
 ユーノ君は用事が有って出掛けてるだけです」

 口を開けばたいていこちらをからかうか意地悪を言うかなので、あっさり別人であることが判明するのだが。


* * * * * * * * * *


「じゃあ、魔法の事を現地の人間に知られたのか?」

 呆れ気味のクロノの言葉にユーノは一瞬怯んだ。
 魔法の存在しない世界の住人に魔法を見せる事は原則として禁止されているし、状況にもよるが罰則が課せられることもある。もちろん原則と言う以上、例外も存在する訳で、原因はともかくその現地人が悪用しない限り口止め程度で済まされる事が多い。

「しかたないだろう?僕は気を失っていたし、なのはは疲れで頭が回ってなかったんだから」

 言い訳にしかならないと自覚しているのか、拗ねた様に小さな声で反論するユーノに、フェイトが執り成す様に話題を進めた。

「どんな人だったの?」
「う〜ん、どう表現したら良いのか。
 初対面で人の事をからかう様な奴だから、僕の目から見ると嫌な奴とか性格の悪い奴になるんだけど、なのはから見るとちょっと違うらしいんだ。
 まあ、魔法の事を知っても僕にもなのはにも普通に接してるから悪い奴ではないみたいなんだけどね。
 子供に知られたら、悪事を働く、とまでは思ってなかったけど、怖がるか逆に友達自慢で周囲に言い触らすかするくらいは覚悟してただけにちょっと意外だったかな?」
「まあ、あんたからかい易そうたがらね」
「もう、アルフ!」

 茶々を入れるアルフをフェイトが窘めるが、頭を使うのは苦手だと公言しているアルフに、“単純だ″と言われたユーノは頬が引き攣るのを自覚する。

80小閑者:2017/07/02(日) 14:17:03
 横でニヤニヤと笑うクロノをこれ以上喜ばせない為にも表情を取り繕いながら、一応は反論しておく。

「別に相手は選んでないみたいだよ。なのはのこともからかってたし、別の時にはなのはの友人も対象になってたから」
「それって、アリサやすずか?」
「ああ、ビデオメールに2人も映ってたんだったね。そう、その2人。
 それぞれの評価は、強くて優しい人、腹の立つ奴、面白い人」
「最初のがなのは?」
「そう。流石にからかわれて喜んでる訳じゃないだろうから、別の部分を評価してるんだろうけど、腹の立つ奴って言ってたアリサも別に嫌ってる訳じゃないみたいなんだ。
 確かに言動に悪意は混ざってない気もするけど…」

 回想しようとするユーノに、クロノが雑談を切り上げて再開することを告げる。
 ユーノがなのはの元を離れて、ここ時空管理局艦船アースラに居るのはフェイトの先の事件についての裁判において証人役を務めるためだ。
 もっとも裁判とは言っても、当時のフェイトの境遇や状況、また本人の性格、反省具合、管理局への協力姿勢などから、監視付きながらも無罪同然の判決が確定していると言っても良い物ではあるのだが。
 今はその裁判での質疑応答の練習に区切りが付いて小休止していた時に、フェイトになのはの近況を聞かれたユーノが先日の出来事を話していたのだ。
 クロノにより雑談が終了したため、以降恭也についての話題が持ち上がることは無かった。ユーノの話でも特に問題がなさそうだったので誰もがそれほど意識に留めなかったのだ。
 恭也の容姿や尋常ではない運動性能まで話題が進んでいればもう少し別の反応があっただろうが、ユーノにとって恭也への印象の内、一番強いものが彼の性格だったため後回しになったのだ。
 ユーノに他意はなかった。だから、フェイトやクロノが恭也と対面したときに様々な点で振り回されることになるのは誰のせいでもないだろう。


* * * * * * * * * *


 静かな公園にアラーム音が鳴り響く。
 それを聞いて集中を解いたなのはが大きく息を吐き出し、恭也は激しい運動により乱れた呼吸を整えながらなのはに歩み寄る。
 いつものことながら会話できる距離になる頃には平常になる恭也を見て、同じ人類に分類されることがなのはには納得できない。季節柄、全力運動だった証として全身から汗が湯気として立ち上っているのが唯一の救いと言えるだろうか?

「大分、様になってきたな」
「ありがとうございます。でも、とうとう恭也君には掠りもしなくなったね」

 練習を続けている内に教師と生徒の立場は逆転していた。いや、元々なのはが何かを教えていたという訳ではない。ただ、当初は恭也に乞われて鍛錬の手伝いをしているはずだったのだが、程なく恭也が被弾しなくなったためなのはの制御訓練の意味合いが強くなってしまったのだ。

「まあ、俺の方も魔力弾の動きが把握できるようになったからな。高町が俺の動きを目で追っている間は早々中てられることはないだろう」
「恭也君の動きの先読みなんて出来ないよう」
「泣き言など聞く気は無い。
 だが、俺からの反撃には対処できるようになったんだ。ちゃんと進歩はしてるだろう」

 そうなんだけどね、と言いつつなのはは不満気だ。魔法と言う本来であれば圧倒的なアドバンテージを持つなのはの方が劣勢なのだから、分からなくもないのだが。
 優越感に浸りたい訳ではない。だが、これで恭也に魔法の才能があれば自分など手も足も出ないことになる。大した取柄の無かった自分(本人談)が、胸を張れる技能を身に付けたというのにあっさり覆されれば意気消沈するのも仕方ないだろう。
 もっとも、空を飛ぶ術の有無は戦力評価の大きなポイントになるし、魔導師としての能力だけで評価してもなのはの多少の経験の差など補って余りある火力は、自覚こそしていないが現時点でトップクラスに入るのだが。

 一方的に鍛えて貰うのは気が引けるからという恭也からの提案で、恭也が回避行動を取りながら放つ飛礫をなのはが躱すなり防ぐなりするようになった。勿論、なのははバリアジャケット無しでの練習である。
 提案された時は、あれだけ激しい回避運動の最中に飛礫など飛ばせるのかと懐疑的だったが、実演として小石を指で弾いて5m先の空き缶に中てて見せられては、納得するしかない。“納得”で済ませるのはそれまでの実績から、今更何が出来ても驚くには値しないからだが。例え指で弾いた小石がなのはの全力で投げたそれのスピードを上回るどころか、横から見ていたらまともに目に映らなかったとしても。

81小閑者:2017/07/02(日) 14:19:42
 尤も的にした厚みのあるタイプのスチール製の空き缶が凹んでいることに気付いた時には、大慌てで辞退したが。
 結局、妥協案としてどんぐりを使用することになった。練習の有用性には納得できたからだ。だが、納得できたからといって、痛みが無くなる訳でも耐えられるようになる訳でもなく、額に中てられた時には痛みに蹲って呻く事になった。
 開始当初に恭也から注意されていた、飛礫を警戒して恭也の手元ばかり注意が向いてしまい誘導弾の制御が疎かになる事態にあっさり陥り、結局はレイジングハートにシールド展開を任せて気付いた時だけ躱すことにした。これはユーノからの進言で、なのはの想定する敵は魔法による反撃がメインだから気付けない様な攻撃はないから、とのこと。勿論言い訳である。言った本人も言われたなのはも聞いていた恭也も分かっていたが、最初から出来るなら練習など要らない、とは恭也の言。

「万能たれなどと言うつもりはない。誰にだって出来ないことはある。
 想定できる事態に自分に出来ることの中から対処法を確立しておけば問題ない。
 勿論、出来なかったことを出来るようになることも大事なことだがな」

 言葉通り恭也は出来ないことにも失敗することにも極めて寛容だった。
 なのはは諦めて投げ出すことが無いため知ることは無かったが、それをしていれば恭也は諭すことも叱ることも態度を変えることもなく、ただなのはと距離を置き、助言の類は一切しなくなっていただろう。ずっと後になって雑談中にそれを聞いたなのはは、諦めなくて良かったと安堵することになる。

 可愛らしく拗ねてみせるなのはに取り合うことなく着々と帰宅の準備を進める恭也に気付き、なのはも慌てて自分の鞄を拾う。

「お待たせ。じゃあ帰ろうか」
「ああ」

 階段を下りるきるまでは練習についての反省会・講習会となる。反省とは主に恭也がなのはの攻撃の仕方や気付いたことを指摘し、講習とは互いに疑問点を確認することだ。指摘は勿論、魔法に関する質問すら恭也から聞かれることで今までに無かった着眼点が得られるため、なのはにも有意義なものとなっている。

「じゃあ、また明日」
「気が向いたらな」
「またそういうこと言う」

 階段を下りると挨拶を交わし、それぞれの帰途につく。あれだけ走り回ったにも関わらず、走って帰る恭也の体力が羨ましくてならない。走らなければ体力がつかないのは分かってるが、家まで走って帰ると疲労から朝食が食べられなくなることは経験済みだ。
 焦らずじっくりやろう。そう呟いて自分を慰めるしかなかった。
 ユーノからも今の9歳のなのはの魔力が全次元世界を含めても上位に位置するとは聞いている。これから成長すれば魔力も更に伸びるはずだとも。なのはにもこの半年の訓練でPT事件の頃より魔力が増えたことも、制御技術と運用技術が大幅に高くなったことも自覚している。
 だが、それでも自分には無いものを持つ人を羨ましいと思ってしまう。“隣の芝は青い”とは言うが、あの恭也でも他の人を見て羨ましがることがあるのだろうか?


* * * * * * * * * *


 最近の夕食は、はやてと恭也で一緒に作ることが多い。
 他の4人が不在になることが多いため、恭也が手持ち無沙汰だからと夕飯の手伝いを申し出たのが切欠で、以降は特に断ることなく恭也も台所に立つようになった。もっとも、手伝いの域を出る積りが無いのか、材料を切ることと鍋等を運ぶ以外は眺めているだけだが。
 はやてとしては、手伝ってくれることよりも一緒に作業をすることが楽しいため異論はなかった。
 予想していた通り恭也は包丁の扱い方が抜群に上手かった。魚を三枚に下ろすのもテレビに出てくるプロの板前の様にほとんど骨に身を残すことなく捌いてみせた。ただし、知識がある訳ではないようで、からかって朝食用に買ってあったシシャモを下ろすように頼むと悪戦苦闘しながらも16匹全てを見事に三枚にして見せたことがあった。捌かれたシシャモを見て呆然としているタイミングで“食べられる骨を切り分ける必要性”を尋ねられたため、頭が回らずからかっていたことが発覚した時には「ほっぺたうにょーんの刑(はやて命名)」に処せられたが。

82小閑者:2017/07/02(日) 14:20:41
 この日もいつも通り切り分け作業が終わり、背中に感じる恭也の視線をこそばゆく思いながら、具材に火を通そうとしたところで電話が鳴った。

「はい、八神です」

 調理の手を止めて電話に出ようとしたはやてを制して恭也が電話に出た。ただそれだけのことが妙に嬉しい。まるで新婚夫婦の様な気分になり、体がムズムズしてじっとしてられない。
 浮かれているはやてを気にすることなく通話を終えた恭也が、その内容を伝えようとしてはやてに視線を向けていることに気付いたのは一通り身悶えた後のことだった。

「きょ、恭也さん!じっくり眺めとらんで声掛けてーな!」
「いや、あまりにも楽しそうだったので関わってはいけないような気がしてな。
 電話はシャマルからだ。シグナムと一緒にヴィータを迎えに行くから少々遅くなるとのことだ」
「あ、そうなん?
 しゃあないなぁ。中華は冷えたら美味しなくなるから、火ィ通すんは後にしよか」

 折角の家族の団欒だ。皆揃ってからにしたいし、少しでも美味しいものを振舞いたい。それは恭也も分かってくれているようだが、今度はどうやって暇を潰すかが問題になった。普段であれば間も無く皆が揃う時間だから、食事中にテレビをつけない八神家ではこの時間のテレビ番組が分からないのだ。
 だが、今日に限っては直ぐに解決した。はやてが借りてきたDVDがあることを思い出したのだ。

「恭也さん、すること無かったらDVD見いひん?」
「DVD?…ああ、あのディスク版のビデオか。構わないぞ」

 恭也と日常会話をすると、この10年で如何に生活様式が様変わりしているかが良く分かる。もっとも、当時から普及していても所々一般常識の抜けている恭也が知らないだけと言う可能性もあるため油断は出来ない。
 恭也ははやてを車椅子からリビングのソファーに移すと、レンタルショップの袋からDVDを取り出しはやてに選ばせてデッキにセットする。映画のタイトルを見ても分かるわけがないので、全てはやてに一任である。
 はやては恭也が隣に座ろうとしたところで待ったを掛ける。

「恭也さん、私の後ろに座って。こう抱きしめる言うか足の間に挟む感じで」
「…なぜだ?それは帰ってきたシグナムたちに見られたら俺がどうなるか知った上での要請か?」
「あー、それはまあ、恭也さんならドアの開く音を聞いてからでも離れられるやろ?
 実は借りてきたのホラー映画やねん。怖いもの見たさで借りてきたけど誰かにくっついとらんとよう見られへんのよ」
「そんなもの借りてくるな。
 じゃあこれはシャマルかシグナムが居る時にして、別の奴にすればいいだろう」
「全部ホラーなんよ」
「…一人で見られんようなものを5枚も借りてくるな」

 嘆息しながらも膝の間に座らせて背凭れにまでなってくれる恭也に謝辞を述べる。
 凭れた恭也の胸板は外見から想像していたより遥かに厚い。先日のシグナムとの試合を見ているので相応の筋力がついていることは承知していた積りだが、着痩せするタイプなのか服を着た状態の恭也からはあまりマッチョなイメージが無いのだ。しかも、その感触が筋肉としてイメージしていたものとは違い、ひどく軟らかい。勿論、シグナムやシャマルのものとは全く違うが、緊張させた硬い筋肉を思い浮かべていたので驚きも一入だ。
 シグナムとの試合で剣の強さは見せ付けられたが、感触として知るとやはり驚いてしまう。

「どうしてそんなに緊張しているんだ?怖いならやっぱり止めておくか?」
「あ、や、そんなこと無いよ?ちょお重ないかなぁ思て」
「軽過ぎるくらいだ」

 会話することで余裕を取り戻したはやてはリラックスして恭也に凭れかかる。
 実は、はやてはホラー映画が怖くない。実際、恭也が来る前に皆と何本か見ているが、その時は抱っこしてもらうことも無く普通に視聴していたのだ。
 そう、これは添い寝に引き続き、恭也にくっつく作戦の第2弾なのだ。

「恭也さんはホラー映画とか良く見るん?」
「いや、初めてだ。映画自体ほとんど見ないからな。
 昔妹分が漫画の映画を見たがったから引率代わりに連れて行った位か?」
「…私の記憶違いや無ければ、恭也さんは今現在も子供のはずやけど」
「…色々あったんだ」
「あ、あー始まるで!」

 黄昏る恭也を慌てて映画の方へ引き戻す。
 この話題は失敗だった。転移前のことを思い出させるような内容を振ってどうするか。

83小閑者:2017/07/02(日) 14:22:14
 はやては無理に話題を振るより今は映画を見せることにした。選んだ映画は色々な面で話題になったものなのだ。今は何が地雷になるか分からないフリートークより映画の方が良いだろう。

「ん?」
「どうしたん?」
「外から何か聞こえた気がしたんだ」
「あれ?もう帰ってきたん?」
「…いや、聞き間違いだろう。それよりこれは洋画なのか?」
「うん。洋画は嫌い?って見たこと無いんやったね」
「ああ。聞き取れるかどうかが心配なだけだ」
「…心配せんでもちゃんと字幕が出るよ」
「それはなにより」
「ほんまに見たこと無いんやね…」

 映画の内容は、旅先で嵐にあった主人公達グループが、避難させて貰った洋館内で殺人鬼に襲われ、一人ずつ殺されていくというベタなものだった。真新しいものといえば、CGによって切られた傷からリアルに血が噴出すところ位だろうか?斬新ではあるが良くこれで放映禁止にならなかったものだ。
 はやては少々後悔した。ホラー映画に慣れているはやてでさえ気分が悪くなる映像だ。初心者の恭也には辛かったんじゃないだろうか。時折恭也の「うわっ」とか「うおっ!」とか言う声が聞こえてくる度にはやては心中で恭也に詫びていたが、声と同時にいつからか体に回された恭也の腕に抱きしめられるためちょっと嬉しかったりした。
 中盤に差し掛かる頃には、はやての興味は次はいつ抱きしめてくれるのかに移っていた。惨殺シーンを心待ちにするのは人としてどうだろう?という思考が脳裏を過ぎるが、そもそもホラー映画とはそれを期待して見るものなんだから登場人物だって喜んでくれるやろ、と自己完結しておく。…抱きしめられる事を期待しているだけなんだから、惨殺される登場人物が浮かばれるとは思えないが。
 だが、何人かが殺されても恭也が一向に抱きしめてくれないまま、残った主人公達が安全そうな部屋に逃げ込んだ。慣れてしまったのだろうか?適応能力高すぎやろう、と思わないでもないが相手が恭也では納得するしかない。
 そんなことを考えていたからだろう。突然木製のドアを貫いた鋭い槍が生き残りの一人に到達する寸前に、はやては抱きついてきた恭也に何の抵抗も出来ないままソファーに押し倒された。3人掛けのソファーの中央に座っていた2人が横向きに倒れた形だが、ただ倒れた訳ではなく恭也がはやてに覆い被さる様な体勢になったのだ。

「……?…??」
「ッハ!?す、すまんはやて!」

 我に返った恭也が体を起こしてはやてを覗き込むが、はやての方は茫然自失状態だ。倒れ込んだとき恭也が腕で自分の体を支えていたので、はやてを押し潰すような事はなかったが、流石に恭也も慌てていた。急激に倒れたことではやてが脳震盪でも起こしたと思ったのだろう。玄関の開く音を聞き漏らしてしまった事からも、恭也がどれほど狼狽していたのかが分かるというものだ。



「…で?何か釈明することはあるのか?」
「特に無いな」
「てめぇ…!」
「あ、待った待った。アカンよ皆!」

 はやての仲裁の言葉も今回ばかりは効き目が薄い。何しろ帰宅してみればソファーではやてを組み伏せている恭也を目撃したのだ。更に流石のはやても身の危険を感じたのか、声に力が無いことが3人の怒りに拍車を掛けている。
 現在、恭也をリビングの中央に正座させ3人で周囲を包囲し、震えるはやてをシャマルが抱きしめている。

「恭也君?言い訳しないのは立派かもしれないけど、ちゃんと事情を説明してくれないと誤解が解けないわ。
 はやてちゃんを悲しませるのはあなたの本意ではないでしょう?」
「どういうことだ、シャマル?何か分かったのか?」
「状況から推測してるだけだから確認を取りたいの。今言えるのは、少なくとも恭也君がホラー映画を見ながら劣情を催すとはちょっと思い難いと言うことかしら」

 シャマルが説明したタイミングでテレビから悲鳴が響いた。見ると生存者の最後の1人が断末魔の叫びを上げ、ドクドクと出血しながら息絶えようとしていた。皆殺しとは救いの無い映画である。
 皆の視線が画面から恭也へ移行する。シャマルの言に一理あると思ったのか、視線からやや角が取れていた。

「…ホラー映画を見るのは初めてだから、驚いたんだ」
「怖くて抱きついたってのか?お前がそんな玉かよ」
「最初のうちはそうやったかもしれんけど、途中で慣れたんやないの?」
「他にも罪状は有ったと言う事だな?」

 しまった、と表情が雄弁に語るはやてを特に責めることなく、恭也が淡々と言葉を綴る。

84小閑者:2017/07/02(日) 14:24:47
「…切った張ったは平気だったんだ。動脈に届かん裂傷であんなに派手に出血する訳が無いから作り物にしか見えなかったしな。だが、突然の画面の外からの攻撃には、反射的に体が動いてしまったんだ」
「それはまあ…分からんでもない」
「ザフィーラ、いきなり歩み寄んな!」
「えと、どゆこと?」
「実際の戦闘であれば、視覚以外の情報があります。音、空気の流れ、匂いなどです。
 視界が限定され、音も製作者側に意図的に編集されているテレビは、それに長けている者ほど混乱するのです。
 恭也はその能力が我々より更に特出しているため混乱も一入でしょう」

 経験を積む事で、五感から得られる情報を総合して周囲の状況を把握できるようになる。所謂“気配”と言う奴である。この技能が高度になると目を瞑ったままでも周囲の状況が読み取れるようになる。そして、本人すらも五感からの情報がどう結びついたのか分からないままに結論だけ得られるところまで来ると、“第六感”と表現される。もっとも傍から見ている一般人からすれば、五感と六感の区別など付かないが。

「はぁ、恭也さんが扉越しに人が居るのがわかるんはそういう原理やったんか。…私の心が“その原理では納得しきれん!”と騒いどるけどまぁええわ。
 …最後のだけ倒れたんは意味があるん?」
「…はやてのこと、守ろうとしたんだろ」
「…あ」

 不承不承答えるヴィータの言葉に思わず声を漏らし、恭也の方を見る。そっぽを向かれたが照れ隠しなのが見え見えで、逆にはやての方が照れてしまった。
 思い返してみれば、それまでの抱きつき方も縋り付かれている訳ではなく、守られているような安心感があったような気がする。咄嗟の事態に身を挺して守るような行動はなかなか取れるものではない。それが分かるからこそはやては頬が緩むのを抑えられなかった。

 最終的にちょっと得した気分になれた映画鑑賞だったが、はやてはこれを封印することにした。食後に一緒に入浴したシャマルに、恭也の気持ちを落ち着かせると言う目的から大きく逸脱していることを指摘されたのだ。
 どこで目的が変わってしまったのだろう?





 はやてとシャマルとヴィータの3人が入浴中、残った3人はリビングに居た。元々無口なこの3人だとそのまま口を開かずに時間が流れることも少なくない。だが、今日に限っては珍しく恭也からシグナムに話しかけた。

「珍しいな。シグナムが風呂に入らないとは。腹の傷か?」
「やはり気付いていたか」

 シグナムは苦笑しながらも恭也の言葉をあっさりと肯定すると、服を捲り上げ、腹部に付いた打撲の様な痕を見ながら呟く。

「澄んだ、良い太刀筋だった」
「シャマルに治して貰わなかったのか…ん?」
「遅れていたからな。帰ることを優先したんだ。…どうした?」

 晒した腹を恭也に凝視されている事に気付いてシグナムが怪訝な声を出した。

「どんな攻撃を受けたらそんな傷痕になるんだ?まさか木刀と言う訳じゃ…、あ、刃物の攻撃を魔法で緩和したのか?」
「ああ、お前には馴染みのない傷痕だろうな。騎士服で防ぎきれない攻撃はこの様になる」
「騎士服?…ッスマン!」

 仔細を見ようと手が届く程の距離まで顔を近付けていた恭也がシグナムの顔を見上げようとして、慌てて顔を背ける。視界に何が収まったのかは、推して知るべし。
 恭也のらしくない失態に、シグナムが邪気の無い笑みを浮かべると、服の裾を戻しながら問い掛けた。

「気にするな。
 それより何か有ったのか?今日はお前にしては珍しくヘマが多いんじゃないか?」

 苦虫を噛み潰した様な顔を見せる恭也をザフィーラが訝る。ここまで表情が豊かな恭也(あくまで本人比)を見た事がない。ザフィーラは恭也の顔面神経の麻痺を真面目に疑ったことすらあったのだ。

85小閑者:2017/07/02(日) 14:27:05
<迂闊につつくなよ?>
<承知している>

 思念通話まで使って念を押すザフィーラに苦笑を浮かべそうになる。仲間を護る事を本分とするだけあって、ザフィーラは細やかに気を使う。

「さっきの映画位しか思いつかん」
「それほど繊細だったとは気付かなかったよ」
「良い機会たから覚えておいてくれ。硝子細工の様に繊細だと」
「強化硝子か」
「なるほど、脆くは無くとも繊細と言う条件は満たすな。つついた指の方が切れそうだが」
「ザフィーラ。突然口を開いたかと思えば、自分の発言に満足そうに頷いているんじゃない!」

 恨めしそうな恭也を見るのはザフィーラにとって悪い気分ではなかった。勿論、優越感じみた暗いものではなく、感情を表に出す様になってきたことが嬉しいのだ。
 先程恭也が感情を表したことを訝しく思いはしたが、この時代に転移してくる前の恭也はこの程度の感情表現は有ったのではないだろうか?それが親族の死から立ち直ってきたのか、自分達に気を許してくれるようになってきた結果なのかは分からないが、恐らく良いことなのだろう。

 恭也も自身の不調を自覚しているのか、深みに嵌る前に撤退することにしたようだ。やはり見て取れる程度に不機嫌そうな顔をして部屋に向かおうとする。だが、夜間鍛錬の準備だと察して、シグナムが制止の声を掛けた。

「何か用事か?」
「不躾で悪いが、暫く夜間の鍛錬を控えて貰えないか?」

 肩越しに会話していた恭也が、体ごと振り返りシグナムを正面から見据えた。
 剣士に対して鍛錬するなとは、無理難題と言えるものだ。どの分野であれ、一定レベルを超えた技能は鍛え続けなければ即座に低下する。高ければ高いほど低下する幅は大きくなる。生活する上で不要なほどに付いた筋肉を減らすのも、“適応”という面から見れば成長を意味する。“1日休めば取り戻すのに3日掛かる”というのは嘘でも誇張でもない厳然たる事実だ。
 魔道書のプログラムであるシグナム達には、これが適用されない。身体性能は、鍛えても怠けても上下しないのだ。勿論、新しい技能の習得と言う点でシグナムにも鍛錬の意味はあるが、体を鍛えるのとは意味合いが違う。
 だが、先の発言は、自分に関係ないことだからと軽々しく口にした訳ではない。恭也がどれほど直向きに体を鍛えているかは周知の事だし、4人はそうできる事は尊いことだとも思っている。

86小閑者:2017/07/02(日) 14:29:26
 これは先程の戦闘の後、4人で協議して出した方針だった。
 とうとう管理局員と正面から対立してしまった。今までは撃退に成功し、自分達の痕跡を消すことが出来ていたが、今回は間違いなく姿を見られているだろう。この日が遠からず来ることは分かっていたが、来てしまった以上は今までより更に蒐集を急ぐ必要があるし、はやての安全を確保しなくてはならない。例え魔法が使えなくとも、自分達4人が蒐集で不在の間、恭也をはやての傍から離すことは避けたいのだ。
 戦力としてだけではない。最悪、自分達が捕まった場合に恭也が居れば、はやてを独りにしなくて済む。はやてを励ます役など、自分達を除けば恭也以外に考えられないと言える位に近しいことは、全員が認めていることだ。
 鍛錬を控える理由を言及されるだろうか。今まで明らかに不審者然とした4人の行動に対して、恭也から問い詰めてくるようなことはなかったが、関係が近しくなるほど問わずには居られなくなるだろう。
 だが、

「夜間だけで良いのか?」
「!…ああ。無理を言ってすまない」
「このくらいのこと、気にしなくて良い」

 あっさり承諾する恭也に、シグナムの方が全てを話してしまいたい衝動に駆られる。
 何の解決にもならないその衝動を抑えながら恭也の背を見送る。
 恭也に隠し続けるにはこれ以上近寄るべきではないのかもしれない。


* * * * * * * * * *


 翌日の早朝。
 山腹の公園には恭也の姿があった。他に動く物が何もない公園で暗闇と表現して差し支えない時分から黙々と二本の鉄パイプを振るい続ける。
 いつもなのはが階段を上ってくる時間はとうに過ぎているが、階段の方を気にした風もなく、動きに乱れを見せる事もない。
 最後に力強く振り下ろした後、残心を解き大きく息を吐くと朝日に焼かれた空を見上げる。

「…来ない、か」

 呟き、目を瞑る。

「愚痴は零した、弱音も吐いた、泣き言も言った。
 何より、いつまでも醜態を晒し続けていられる状況ではなくなって来た。受けた恩を返さなくちゃな」

 感情と思考を切り離す。
 恐怖は体を縛り、憤怒は視野を狭め、悲嘆は思考を妨げる。
 御神流の鍛錬を始めるにあたり、最初に言われる、しかし、実行できない者も少なくない、戦闘者としての必須技能。

 目を開くと、意思の強さが現れたかのように、揺らぐことのない射抜くような眼差しとなっていた。

「先ずは状況整理か」

 恭也は木切れを拾うと地面に屈み込んだ。頭を使うのは苦手なんだが、と言う呟きが漏れるのは呟きの内容そのものより現状に愚痴を零したくなる様な要因があるからだろう。

「はやて」

 口に出しながらどんぐりを一つ地面に置く。

「シャマル、シグナム、ザフィーラ、ヴィータ」

 同じく隣に4つを纏まりとして置き、先の一つと一緒に四角く枠で囲んだ上で、はやてとヴォルケンリッターの間を隔てて線で仕切る。

「4人ははやてに内密にして何かをしている。
 内容は不明。恐らくは犯罪に該当すること。
 目的は、はやてに関連していて、尚且つはやての為になること。
 足の治療?…弱いな。初めて対面した時には車椅子に乗っていたと聞いているから半年ずれていることになる。
 はやてにまで罪が及ぶ事を承知して、尚、犯罪を手段として採用しなければならない理由」

 恭也の言葉が途切れる。
 思いつかない、訳ではない。
 認めたくないのだ。だが、認めなくては先に進めない。恭也はその事を、よく、知っている。

「生命、か。
 秘密裏に行動するだけの余裕があり、徐々に焦りの色が濃くなっていると言うことは、即座に命を落とす訳ではなく、それでいて状況の悪化が窺い知れること。
 有力なのは病気の類だが、となると、やはりあの足の麻痺か?症状が進行している?あるいはまったく別の病気?
 だが、シャマルが治せないのは不自然か?万能ではないと聞いていたが、それでも地球の医学は越えているはずだ」

 ウィルス性の病気には本人の免疫力を高めることで人体には本来生成できないような抗体を作らせたり、遺伝子情報の劣化による細胞の変質である癌にすら正常な遺伝子情報に書き換えることで根本から治療できる。勿論、どちらも間に合わないことはあるが、それでも圧倒的な優劣と言えるだろう。

87小閑者:2017/07/02(日) 14:34:17
「足の麻痺そのものが医学的な原因ではない?
 あるいは足とは関係なく病気ではない可能性。
 …無理か。そもそもこれ以上突き詰めても解決しそうにも…、いや逆か。戦力にならない俺にはシグナム達と同じ手段は取れないし、助力すら出来ないんだ。協力できるとすれば、ここ、全く別の手段の調査しか有り得ないのか」

 沈黙。
 今度は理由が表情に表れている。無理難題と呼んで差し支えないような途方もない条件に、挫けそうになる心を必死に支えているのだろう。
 先程の決意も虚しく既に疲労困憊の態ではあるが、辛うじて心の再構築を果たした恭也は思考を先に進めた。

「先ずは事実の確認だな。
 シャマルが参謀役だったな。現状と目的。
 手段はどうするか。知らない方が先入観を持たずに済むが…。聞いておくか。聞ける機会が何時でもあるとは限らないからな。
 医学面は医者に任せるとして、シグナム達が手を出しているであろう魔法関係に絞り込みたいところだが・・・」

 空を仰ぐ。
 魔法に関わりのない地球上には、当然関連書物などない。シグナム達とは別の手段を調査しようとしている以上、本人達から得た知識を基にしていては得られる筈がない。
 それ以前に俄仕込みの知識で解決するほど都合良くいく筈がないのだ。
 高層建築物は高等数学、物理学、破壊力学、流体力学、化学、建築学etc、何が欠けても完成しない。僅か数日で得た算数の知識程度では犬小屋すら出来ないだろう。

 英雄願望とは無縁な恭也は、子供らしい夢に溢れる妄想ではない解決の糸口が脳裏を過ぎるが、別の問題に思い至っていた。
 幸いにも恭也には魔法の使い手に伝がある。全くの偶然で出来た八神家とは無関係のその伝は、しかし、既に被害者になっている算段が高い。

「魔法使いそのものが標的なのか、近くに居たから巻き込まれたのか、魔法使いにとって看過出来ない行為なのか。
 太刀筋と言っていたからあの傷跡は高町には無理だろうが、偶然、と言うには条件が揃いすぎている。
 …戦闘に参加していたと仮定するしかないな」

 息を吐いて、次に少し離してどんぐりを二つ置く。

「高町とスクライヤ。
 警察関係者と知り合いとか言っていたか?確か変身魔法の時だから魔法関連の警察か」

 二つのどんぐりを枠で囲うと、「警察」と書き込む。

「高町が治安機構に属している?小学生でか?
 …流石に不自然か。小学生の警官が居るようでは世も末と言うものだ。
 魔法の警察関係者に知り合いが居る程度か?だが、昨日のシグナム達の戦闘と高町が無関係とするのは楽観し過ぎだろう。
 では巻き込まれただけ?可能性はあるが、昨日聞こえたのは恐らく高町が公園で煤けていた時と同じ物だ。…と思う。それなら少なくとも参戦していた筈だな」

 恭也は口を閉じると、地面に書いた「警察」の2文字を暫くの間睨み続けた。

「地球の価値観を基準にしない方が良いか。矛盾するよりは、常識から外れても筋を通した方が良いだろう。
 この際、年齢は無視しよう。
 魔法関連の組織なら当然地球人である高町が関わるのは、魔法を使えるようになってからだ。確か1年未満だと言っていたか?
 組織である以上、役職に就く事は“力”を行使する権利と責任を負うことになる。その為の評価は、当然時間が掛かる」

 知識はもとより、判断力や決断力、人脈や交渉力など、多岐にわたる評価項目が短期間で網羅出来るとは、いくら魔法の世界とは言え考え難い。

「となれば、高町は人員に指示を出す立場よりも実働部隊と考えるべきか。
 スクライアの話では、高町の魔法に関する資質は魔法のある世界でもトップクラスだったな。
 直接シグナムに手傷を負わせたのが高町ではなかったとしても、戦力の高い者を放置するとは思えないから結果は同じか」

 集団戦の鉄則として、弱い者から潰すと言うものがある。強者同士の戦いが拮抗すれば、放置した弱者によって天秤を傾かされる可能性が高くなるからだ。だが、弱者にかまけていて強者から意識を逸らしては本末転倒となるため、結局は状況次第でしかない。つまり、なのはの実力の高低は負傷の有無と直接関係しないことになる。

88小閑者:2017/07/02(日) 14:38:18
 ただし、ヴォルケンリッターからすれば敵方の主戦力は潰しておきたいと考えるだろう。恭也が4人の具体的な活動内容を知らないとは言え、その位は想像がつく。一朝一夕で目的が達成できるなら、そもそも活動は終了しているはずだ。

「逸れたな。
 高町は治安機構側に属していると仮定しよう。となれば、高町に尋ねるのは自首しに行くのと同義だな。
 可能性があるとすれば巻き込まれた形を取る位か…。とても現実的とは言えんな」

 余程のことをしなければ仲間だと思われるのがオチだ。そして、上手くただの被害者として見られたとしてもそんな相手に情報を公開してくれるはずが無い。下手な探りを入れれば、最悪そこからはやてにまで害が及ぶ。

 最後に、先のどんぐりとは三角形の位置になるように更に2つのどんぐりを置く。

「あとは、月村とバニングスだな。
 第一に魔法使いなのかどうか。
 高町との魔法の練習に参加している様子はない。
 地球でほいほいと魔法使いが現れても困るんだが、高町とはやての前例があるからな。そうか、スクライアと同じく別の惑星からの来訪者の可能性もあるのか。
 高町との繋がりに魔法が関連しているかどうかは推察のしようがないな。
 同じ所属の魔法使いだが存在がばれ難いように接触していない。所属が違うために互いに魔法使いであることを知らない。魔法が使えない完全な一般市民。
 いや、魔法が使えなくても情報提供者の可能性は十分あるのか」

 可能性を列挙した後黙考して出した結論は無難なものだった。

「魔法を使用している現場を目撃する以外に俺には見分けがつかないんだ。何れにせよ薮をつつく訳にはいかないな」

 地面の落書きを足で掻き消して立ち上がる。

「顔を合わせた事の無い他の人員はどうにもならないし、こんなところか。
 方針としては、現状は情報収集のみ。
 都合良く情報が集まったとしても介入するのは、4人の活動内容が致命的に破綻しているか、今からでも方針転換した方が良い結果が得られると確信できるだけの情報であった場合、くらいか。
 …どう考えても自己満足にしかなりそうにないが、門外漢ではこんなものだろうな。…いや、破綻している位なら徒労に終わるべきだろう。
 今のところはやての傍に居ること以外、具体的に出来る事はない、か…。」



 両手を見る。
 誰かを守れるようにと、守ることが出来ると信じて、幼いなりに鍛えてきた要所の皮が厚くなっている掌。
 暗器を扱うための器用さと、刀を振り続けることの出来る頑強さを兼ね備えた掌。
 “万能などない”と教えてくれた、掌。

「…高町に大事無ければ良いんだが」

 それはなのはの身を案じただけの言葉ではない。
 自身に訪れる死を回避するために他者に死を振りまくなど八神はやては絶対に許容できまい。必ず残りの人生を縛り付ける鎖となる。
 何より、罪科を問われ、はやてと4人が引き離されるなどはやてには耐えられないだろう。

「間違えるなよ。ただ命さえあれば良い訳ではないだろう?」

 誰に対して発したかわからない呟きは、誰にも聞かれる事なく空に解けていった。




続く

89小閑者:2017/07/02(日) 14:43:15
第11話 確認




 ほど良く晴れた暖かい昼下がりの臨海公園で、恭也は海を眺めていた。

「意外とあっさり話してくれたな」


* * * * * * * *


 シャマルは朝食の後、恭也に現状と自分達の行為についての説明を求められた。
 何時か聞かれることは覚悟していた。だから惚ける事なく、代わりに今になって説明を求めた理由を尋ねた。自分達の行為が犯罪に値することを恭也が承知していることが前提のその問いは、実質的には犯罪に加担する理由を尋ねたことと同義だ。
 恭也はシャマルの意図を違えることなく、明確に答えた。

「あなた達にもはやてにも返しきれないほどの恩が出来た。微力であることは承知しているが俺に出来ることだけでも返したい。
 何より、家族として接して貰っているんだ。気付かなかったならまだしも、知って尚、見ない振りをする訳にはいかないだろう?
 内容によってはあなた達を俺が止める。まぁ足元の小石程度の妨害にしかならないだろうがな。
 だが、まぁあなた達のすることが私利私欲とは思え難いし、俺が推測する限り、例え世界中を敵に回したとしても止まれない理由だろう。
 …どちらかと言うと外れていることを祈っているんだがな」

 シャマルはその答えに苦笑を返した。やはり、恭也は断片的な事実を繋ぎ合わせることで全貌を推測しているのだろう。この質問は推測でしかないそれの裏付けと、知り得ようのない詳細の確認だろう。

「じゃあ、説明する前に言っておくわね。
 ありがとう。心配してくれて。家族だと思ってくれて。
 ごめんなさい。巻き込んでしまって。隠し切れなくて。
 本当は、あなたが訊ねて来る前に全てを済ませたかった。解決してしまいたかった。
 あなたが来てくれてから、はやてちゃんは毎日楽しそうだった。単に新しい家族が増えたというだけではなく、あなたの人柄に惹かれているんだと思う。
 私達4人も、あなたのお陰でたくさんの事に気付けたし、はやてちゃんの歳に見合った様子も見ることが出来た。
 私達全員、本当に感謝しているの。だから、あなたを巻き込むことなく済ませたかった」

 シャマルの言葉を聞いている恭也は無言のままだった。糾弾の言葉は無論のこと、容赦の声もなく、じっとシャマルを見つめていた。それが恭也の声無き弾劾でない事が分かる程度には人柄を理解できている積りだ。
 ゆっくり息を吸い、吐き出す。気持ちを切り替えるとシャマルは恭也への説明を始めた。

 はやての現状とその原因。解決する手段として自分達が採った行動と現在の達成率、そして本格的に敵対することになった治安組織である時空管理局について。

 ただ、自分達とはやての関係は、主と従者という説明に留めた。留めている事まで話し、隠している訳ではないことも明かしてある。理由は、恭也が八神家に来て自己紹介をした際に、恭也の「隠しておきたいことがある」との発言に対して釣り合わせる為に伏せておくべきだとはやてが判断したことだからだ。つまらない対抗心や敵愾心ではない。秘密を許容した上で、恭也が気に病まずに済むようにと配慮したのだ。

「…小学生の考えることじゃないな」
「…何を他人事の様に言ってるんだか」

 恭也の自身の事を棚上げした発言に対して、シャマルは半眼でツッコミを入れつつ呆れていた。
 一通り説明を受けた恭也からは驚嘆に類する様子が見受けられない。ぶ厚い面の皮で隠し切っている可能性はあるが、この場合は恭也の予想の範囲から逸脱しなかったと解釈するべきだろう。だが、全貌を組み立てられるだけの断片があったとしても、全てが印象に残るほどの出来事ばかりではなかったはずだ。日常に埋もれる事象を拾い上げ、矛盾無く組み立てるのは言うほど易しいことではない。そもそも恭也は自分のことで手一杯になっていた筈の時期なのだ。
 断片から像を組み上げる知性を持ち、シグナムに追い縋る武芸を持ち、魔法も使わず周辺探査や無音行動を見せ付ける。年齢以前に本当に人類かどうか解剖検査でもしてみたくなる。
 そんな馬鹿げた事を考えていると、恭也が警戒心を剥き出しにしてこちらを注目していることに気付いた。とうとう読心術まで身に付けたのかと愕然としていると恭也が口を開いた。

「シャマル。頼むからそういう恐ろしい考えは口に出すな。実行するなど以ての外だからな!」


* * * * * * * *

90小閑者:2017/07/02(日) 14:45:56
* * * * * * * *


 海沿いのベンチに腰を下ろし視線を海に向けている恭也の表情には、心情を表す要素は何も浮かんでいなかった。
 はやての容態、その原因、そして解決策、そのための手段とその結果。その運命を悲嘆しているのか。
 その性質上、殺害に至らないとは言え、間違いなく他者に危害を加える蒐集と言う“手段”。その是非を悩んでいるのか。
 状況からすると、昨日蒐集の被害者となっているであろうなのは。彼女の安否を心配しているのか。
 或いは、思考することを放棄してぼんやりと海を眺めているだけなのか。



 暫くそうして海を眺めていた恭也が前触れもなく振り向くと、20m程離れた公園の入り口にいる少女を目に留めて安堵の滲む声で呟きを漏らす。

「やっぱり高町か」

 ゆっくりした足取りで公園に入って来たなのはは、恭也に気付く事なく歩き続けた。そのまま公園を横断して海沿いの歩道まで来る積もりだろう。

「高町」
「え?あ、恭也君」

 呼びかけながら近付いた恭也は、微笑みを返すなのはの顔をまじまじと見詰める。
 特別に顔を近付けられた訳ではないが、静かで落ち着きのある黒瞳に見詰められるとまるで吸い込まれる様な錯覚にかられて、なのはは視線を外すことが出来なかった。

「今日は一人なのか?」
「…え?」

 呆けるなのはに対しても恭也は苛立つ様子はもちろん、指摘する事もからかう事もない。日常における恭也が滅多に見せない真摯な態度だが、この場には呆けているなのはしか居ないため誰にも気付かれず過ぎてしまう。

「バニングスか月村は一緒じゃないのか?」
「うん、今日は一緒じゃないよ」
「そうか。では、俺の暇潰しに付き合ってくれ」
「あ、でもこの後予定が」
「公園内の事だろう?ベンチで適当に無駄口を叩くだけだから問題ないだろう」

 一方的にそう告げると返事を待つことなく、なのはを掴んで恭也が歩き出す。

「うん、それくらいなら、ってあの、こういう場合、普通は手を繋がない?」

 数歩進んでから漸くなのはの反応が返る。まるっきり寝呆けている様な反応だ。

「そんな恥ずかしい真似が出来るか」
「だからって頭を掴まなくても」

 そう言いながらもなのはに怒る様子はない。これは寝ぼけているための反応ではなく、恭也の性格を鑑みた結果、照れ隠しだと判断したのだ。
 ただの乱暴者ではないし、必要もなく体に触れて来るほど失礼でもない。それが分かる位には早朝の練習は続いている。最近はユーノがアースラに戻っていて2人きりでの練習になるため、尚更だろう。
 今までも恭也がベタベタと触れて来たことはないので不快感を抱いたことはないが、どうせなら手を繋いでくれた方が嬉しいのにとは思う。

「ちょうど掴み易い高さだからな。とはいえ、安易に手を出したのは失敗だったようだ」

 そう言いつつ頭を掴んでいた手をなのはの肩に廻して抱き寄せると、なのはの両足を払い飛ばす。

「にゃ?」

 思考が追い付かず、足が地面から離れた事を人事の様に認識した頃、間近から大好きな女の子の声が聞こえてきた。

「なのはを、離せー!」

 膝裏と背中を恭也に支えられ、お尻から地面に軟着陸すると同時に頭上を鋭い風切り音が過ぎ去った。

91小閑者:2017/07/02(日) 14:57:05

 フェイトは、なのはが直立していても当たらない、なのはの頭の更に上の位置、つまりなのはの頭を鷲掴みにしていた変質者(フェイト視点)の側頭部を狙った右回し蹴りが空を切った事に驚愕した。
 蹴りの直前に声を発したのは、怒りに任せて怒鳴り散らしたわけではない。先制のチャンスをわざわざ不意にする愚を冒したのは、怒り心頭のフェイトに残っていた最後の理性が、例え相手が犯罪者であっても無警告で攻撃を加えるのはいけない事だ、と訴えたからだ。もっとも、驚愕したと言う事は、声に反応しても回避が間に合う訳がないと分析していたと言う事でもある。また、フェイトは気付いていないが、男が声に反応して振り返ろうとしていれば、フェイトの蹴り足は振り返りかけた男の顔面か後頭部に入っていたはずなので、結構な惨状を披露していた可能性もあったのだが。
 一旦距離を離したフェイトは驚愕を振り払うと、立ち上がり振り返った男がこちらに何歩か近付いたことに、なのはから離れたことに安堵しつつ、改めて男を観察する。

 上背はそれ程ではない。ひ弱な印象こそないが、もっと大柄な武装局員とも手合わせをして勝利したこともあるのだ。魔法を使う訳にはいかないが、条件が同じなら負ける要素はない。
 先程の蹴りをかわした事は認めるが、その拍子にぶつけたのだろう鼻を左手で押さえたまま対峙するような間抜けに負けるものか。

「あの、フェイトちゃん、」
「その短いスカートで上段に回し蹴りとはな。俺の動態視力への挑戦か?青と白が10mm位の間隔で8層並んでいたとみるが、どうだ?」
「!」
「?」

 瞬時に赤面しスカートを両手で押さえるフェイト。なのはも疑問符を顔に貼付けていたが、フェイトの様子に事情を察して恭也に非難の視線を向けるが、恭也の背後に座りこんでいるため届く訳がない。だが、なのはが非難を視線から音声に切り替える前に、眦を吊り上げたフェイトが恭也に殴り掛かった。




 右正拳で顔を狙い男の意識を上に向けてからローキックを放つ。だが、鼻を押さえたまま首を傾げる様にして右拳をかわした上、足元に注意を払う素振りも見せずに蹴りを回避してみせる男に思わず舌打ちする。
 蹴りの勢いのまま旋回して左の裏拳を放とうとしたところで、男の攻撃を察知した。男の体勢と挙動から右手での頭部への攻撃と推定。自分の裏拳より先に届く上、この体勢から回避は間に合わない。フェイトは攻撃を断念すると、旋回運動をそのままに上体を反らしつつ裏拳から肘撃ちに移行、男の右拳を迎撃。拳の側面に肘を当て、軌道を逸らす。回避には成功するが、回転運動が止まり男のほぼ正面に停止することになった。この位置はまずい。

 僅か数手だが、フェイトは徒手空拳での技能が恭也に劣っていることを認めた。暴漢程度と高を括っていたが、恭也を相手に足を止めての殴り合いは不利に過ぎるだろう。
 フェイトは己の非力を自覚している。先程の肘撃ちも拳の側面に当てたのに押し返されている。結果として拳との相対距離が開いた事で回避出来ただけだ。恭也を小柄と評価したのはあくまでも成人男性としてであり、フェイトの方が頭一つ分小さいのだ。
 なにより、彼女の戦闘スタイルは元々一撃離脱を旨としている上、今は武器であり相棒であるデバイス・バルディッシュも手元にない。

 男にとっては手を伸ばせば届く距離。だが、リーチの差があるためこちらは踏み込まなくては届かない距離。何とかして距離を取りたいが、それは男も察しているだろう。特に構えるでもなく立ち尽くしている様に見えるのに、こちらが仕掛ける全てに対応されそうな雰囲気がある。この期に及んで鼻を押さえたままの左手が腹立たしい。
 感情が混じり始めた自身の思考を諌めていると、男の自然な立ち姿において左手だけが破綻していることに気付いた。
 顔から手を離す程度は1挙動と呼ぶほどではないが、まさか鼻を押さえる姿勢を“構え”にしている訳ではないだろう。実力差は既に男も察しているはずだから、今更誘いとも思い難いし、そもそも他に狙える場所も無い。
 先程のやり取りが脳裏を掠めるが選択の余地はない。追撃がいつ来てもおかしくない以上、覚悟を決めるべきだ。

92小閑者:2017/07/02(日) 14:57:39
 左手を僅かに動かし気休め程度のフェイントを掛けた後、右足を跳ね上げ男の腹部へ回し蹴りを放つ。即座に右腕で左側面をガードしつつ踏み込んで打点を外してきた男に、蹴りの軌道を変化させ目標を頭部へ移行。空手でいう二枚蹴り。蹴り足はあっさり身を伏せた男に躱されてしまうが、何を思ったか男の方から後退して間合いを空けた。
 意表をつくことが出来たのだろう。自分には慣性に逆らって蹴り足を止める程の筋力がないため、実は先程の二枚蹴りは威力などなかったのだ。後退せずに更に踏み込まれて密着されていたら、そのまま押さえ込まれていただろう。二度は使えない手だ。
 だが、これでこちらの非力さが印象に残ったはずだ。バルディッシュが無くとも簡単な魔法であれば使うことは出来るのだ。光を放つような魔法を使う訳にはいかないが、見た目では分からない身体強化でパワーやスピードを底上げすれば、この男を打倒できるだろう。




 急激な展開に、なのはは声も無く見続けることしか出来なかった。恭也の異常な身体能力は魔法の練習に付き合って貰っているため知っていた筈なのだが、格闘技としての動きは初めて見たのだ。

「高町、いつまでも呆けてないでこいつを止めてくれ」

 恭也がフェイトから視線を外す事なく自分から挑発したことを棚上げしてなのはに仲裁を頼みだしたため、フェイトも気を張ったまま様子を窺う。

「あ、うん。フェイトちゃん、誤解だよ。恭也君は私のお友達なの」
「え?」「え!?」

別の意味が含まれた同じ言葉が二人の口から同時に零れる。

「…え?」「…え?」

今度こそ同じ意味の同じ言葉がペアを変えて呟かれた。

「あの、どうして恭也君が不思議そうに聞き返すの?」
「待て、高町。いつの間に友達になっていたんだ!?」
「ええ!?お友達だと思ってくれてなかったの!?だっていつも朝一緒に練習してるじゃない!」
「…あれだけで、友達なのか?」
「うぅ…じゃ、じゃあ改めてお友達になって下さい!」
「めげないとは。強いな高町」

 それだけ言うと恭也は何歩か後ずさり距離を取った。拒絶されたのかと、なのはがショックに目を見開くが大きく離れることもなくフェイトの方をチラッと見てから思案するように視線を彷徨わせた。フェイトが構えを解いていることを確認したのだということに思い至り、警戒のための後退だったことに胸を撫で下ろす。
 とは言え、友達になりたいと伝えただけなのに考え込まれるとは思わなかった。フェイトの時といい、今回といい、このところ友達になるのにずいぶん苦労している。2人とも難しく考え過ぎではないだろうか?

 そんなに難しく考えなくてもいいんじゃないの?一緒に居たいと思える子と仲良くなるだけなんだし。アリサちゃんやすずかちゃんやユーノ君…あれ?

 なのはは自分の特に親しいと言える友人を思い浮かべるが、直前に考えていたほど気軽に交友を結べていない気がする。難易度が高い方が絆が深い傾向があるような…?
 逸れ始めたなのはの思考を引き戻したのはフェイトだった。

「なのは、この人お兄さんじゃないの?」




 急な展開に置いて行かれた形になったフェイトは、なのはの申し入れに戸惑っているらしい、しかし仏頂面のまま変化した様に見えない恭也の顔をぼんやり眺める。間柄はともかく、二人が顔見知りであることは遣り取りを見ていて察しがついた。
 胸が痛む。優しくて可愛いなのはが人に好かれる事は分かっていたし、ビデオメールに友達としてすずかやアリサが一緒に映っていた。だが、やはり目の前でなのはの友人を見ると、まるでなのはを取られた様な気持ちになる。勝手な考えだとは承知しているが、感情が膨らむことは抑えられない。せめてこの醜い感情はなのはに知られない様にしようとそっとしまい込む。
 気持ちを落ち着けるために視線を外そうとしたところで、ふと、フェイトはこの男の顔に見覚えがあることに気付いた。先程まで左手で鼻を押さえていたので見られなかったが、この顔は記憶にひっかかる。活動範囲の狭いフェイトは男女問わず知人どころか知っている顔自体が少ない。この星の住人となれば尚更だ。
 以前、この町で活動していた時には周囲を見る余裕は無かったが、その後はそもそもこの土地には来ていない。他人の空似だろうか?だが、なのはが口にする恭也と言う名にも聞き覚えがある気がする。
 そこまで思考し、ビデオメールを思い出す。なのはの家族紹介で映っていた兄の容姿を思い出し、納得しかけたところで再び首を傾げる。なのはの言動は身内に対して採るものではないのではないだろうか?
 フェイトは恭也が黙考を続けていることを確認してからなのはへ問いかけた。

「なのは、この人お兄さんじゃないの?」
「実は、軽いイタズラをしたら嫌われてしまってな。それ以来ずっと他人として扱われているんだ」
「へ?」

93小閑者:2017/07/02(日) 15:09:02
 なのはは高町恭也を知る誰もが大抵陥る誤解を解くために口を開こうとすると、滑らかに会話に参加した恭也の台詞に虚を衝かれ思考が停止してしまう。それは当然、致命的な隙となる。
 考え込んでいるとばかり思っていた恭也から返答を得たことに面食らいながらも、フェイトが更なる疑問を口にした。

「でも、今友達に、って」
「ああ。漸く怒りが治まってきたようで、先日“赤の他人”から“知人”に地位が向上してな。これから友人、親友、恋人、家族へステップアップしていくと最後に兄に戻れるんだ」
「こ、恋人になっちゃ不味いんじゃ…」
「な、何言ってるの恭也君!」

 なのは、再起動。が、ここまで加速している恭也を簡単に止められる訳はなく、いつものごとく巻き込まれた。

「しまった!これで赤の他人からやり直しか…」
「あ…。ね、ねぇなのは?怒るのは分かるけど、他人の振りは流石に可哀想なんじゃ…」
「違、ほ本当に恭也君はお兄ちゃんじゃないんだよ!?意地悪とかじゃなくて、よく似てるけどなのはのお兄ちゃんは別にいるの!」
「まぁ嘘なんだがな」
「な!?」
「うぅ、そんなあっさりと…」

 睨みつけるフェイトに対しても、何処吹く風と余裕の態度の恭也になのはの方が呆れてしまう。先程の動揺も既に見当たらない。
 せっかく申し出たのにうやむやになってしまうのは寂しいので、もう一度尋ねてみるべきか?そんな事を考えながら恭也の顔を見詰めていると、目があった。

「とりあえず、友達になる件は保留しておこう。
 お前が俺をどう位置付けても構わないが、俺がお前を何に分類するかも勝手にさせて貰う」
「なのはの友達になるのが嫌なの!?」
「お前が反応するか?…まぁするか。高町の事になると見境がなさそうだしな。
 別に嫌うつもりはないが、万人に好かれる者もそうそういないという事だ。
 あくまで保留だ。拒絶した訳ではないのだからしょげ返るな高町」
「うぅ、だって断られるとは思ってなかったから…」

 子犬の様に打ちひしがれるなのはを直視し続けるのは流石の恭也も後ろめたいのか視線が泳ぐ。

「あー、高町、会う予定の相手はこの子であってるのか?」
「…うん」

 あからさまな話題転換ではあったが、恭也を責めるのが筋違いであることは理解できているなのはは素直に返答した。返答の鈍さに納得できていないことが如実に表れているのは仕方が無いことだろう。
 恭也はなのはの様子に溜息を漏らしながらも、未だ地面に座り込んだままのなのはを抱き上げた。あまりに自然な動作だったため見ていたフェイトは勿論、当のなのはすらベンチに降ろされるまで、それが童話に出てくる女の子の憧れ“お姫様だっこ”であることに気付かなかった。

「きょ、恭也君!?」
「今日はあまりふらついてないで、早めに帰宅しろよ」
「え?あ、そっか。今日練習に行けなかったから…。
 ゴメンね、恭也君」
「今朝は俺も行っていない。別に約束していた訳じゃないしな。
 体調不良くらい見れば分かる」

 恭也の言動が至って平静だったため、なのはも上気した頬はそのままに、恭也の大幅に省略した言葉から自分の体調を慮ってくれていることを読み取り、何とか会話に応じる。恭也の嘘が見抜けるくらいには、嘘を指摘してその気遣いを無駄にしないくらいには冷静だったことに、内心で安堵する。
 フェイトが2人の会話にある“練習”という言葉から思いついた事を確認するように呟いた。

「あ、ユーノが言ってた練習を見られた相手って…」
「あのイタチが人語を解すことを知っているということは魔法関係者か。外観や仕草で見分けが付かないのは不便だな。
 以降、顔を合わせる機会があるかどうかは分からないが、一応名乗っておこう。八神恭也と言う」
「…え?あ、わっ私はフェイト、フェイト・テスタロッサ。時空管理局の嘱託魔導師です」
「あ、時空管理局って言うのは、魔法世界の警察みたいな所だよ」

 恭也の素っ気無い名乗りが自己紹介だと気付くのに遅れたフェイトが慌てて名乗り返す。その言葉に恭也が僅かに眉を顰めたことを見て取ったなのはが補足説明を入れた。

94小閑者:2017/07/02(日) 15:09:38

「ああ、スクライヤに同情して中年太りのムサイおっさんという事実を伏せている組織か」
「…おまえ、僕がここに居る事を知ってて言ってるだろう!」
「当たり前だ。居ない所で言ったら陰口になるだろう?」
「目の前で言ったら悪口だ!」
「何か問題が?」
「有りまくりだ!」
「ま、まあまあ、ユーノ君もそのくらいで…」

 何時からか近付いて来たユーノを巻き込み、混沌が広がる様を見てフェイトが不安に襲われていた。先程から話題の矛先と刺激される感情が目まぐるしく変わるため混乱してきたのだ。
 闇の書事件の本拠地としてこの土地で生活することが決まっているため、付近の住人が先程から引っ掻き回され続けている恭也の様な人ばかりだったらどうしようかと、同じ住人であるなのはの存在を忘れて本気で心配し始めた。
 恭也は不安に揺れるフェイトに気付きながらも、触れることなく疑問を持ち出した。この会話の流れで抱く不安など大したものではないと切り捨てたのだろう。

「高町の体調不良は魔法絡みか?昨晩、市街地の方で何時ぞやの砲撃音らしきものが聞こえてきたが、また暴発か?」
「ま、またってどういうこと!?私そんなに失敗してないよ!?」
「へー、そうなのか」
「信じてない!その目は絶対信じてないでしょ!?」
「気のせいだ。それで?ただのガス欠なのか?」
「あ…いや、その」
「歯切れが悪いな、スクライヤ。部外秘ならそう言え。治安機構なら機密保持は当然だろう」
「あー、機密と言うほどじゃないんだけど、地元の民間人が知ると余計な混乱を招くかもしれないから…」
「それを機密と言うんだ、戯け」
「ゴメン」
「謝るな。部外者だという自覚ぐらいある」

 フェイトは心底申し訳なさそうに謝るユーノとそれに答える恭也を見て驚いた。先程恭也にからかわれて食って掛かっていた事からユーノは恭也の事を嫌っているのだと思っていたし、恭也の口調にユーノへの労りが感じられたからだ。

「だが、まあそうだな。暫く朝の鍛錬は控えるか」
「え!?」
「…いや、何故そこまで驚く?高町もその…食卓魔導師なんだろう?」
「嘱託。正式に職員に任命されていないけど、ある業務に携わることを頼まれた人」
「…ユーノ君、どうしたの?」
「いやー困ってる人が居るみたいだったから」
「そのニヤニヤとした不細工なツラは非常に気に入らん」

デコピン!

「っうが!?」
「ヒッ!?」

 恭也の指に額を弾かれて、首だけで勢い良く空を仰ぐユーノにフェイトが恐怖に引き攣った声を上げる。
 あれ!?さっきの互いを思い遣っている空気は何処に行っちゃったの!?
 額と首を押さえてのた打ち回るユーノを見て恭也がポツリと呟いた。

「悪は滅びた」
「恭也君、やり過ぎだよー!」
「なに、峰打ちと言うやつだ」
「指に刃なんて付いてないでしょ!」
「ああ、切りつけずに打撃を与えることを言うんだから峰打ちだろう?」
「え?…え〜と?」

 即座になのはが批難の声を上げたが、瞬時に論点をずらされた上に思考を占領されてしまう。マルチタスクは何処へ行った?


 地面でのたうつユーノ。
 それを見て呆然としているフェイト。
 頭から湯気でも上がりそうなほど考え込んでいるなのは。

「本当にこれが戦力になるのか、時空管理局とやらは?」

 恭也の呟きは、非常に失礼でありながらも、クロノが居れば反論できずに頭を抱えそうなこの光景を端的に表すものであった。



続く

95小閑者:2017/07/16(日) 15:58:46
第12話 仮定




「どうして俺はここに居るんだろうな?」
「難しいこと考えてるんだね。哲学?」
「似合わないからやめといたら?」
「大げさな内容ではないんだ、月村。
 巻き込んだ元凶に言われると流石に腹が立つぞ、バニングス」

 公園での遣り取りの後、別れようとした恭也を引き止めたのは偶然合流したアリサだった。勿論、恭也も特に用事があったわけでは無いからこそ誘いに乗ったのだろうし、なのは、ユーノ、フェイトと交流を深めることが目的に沿うものであるという打算も働いたのだろう。だが、恭也が同意した上での現状とは言え、見目麗しい少女4人に囲まれた状態で人通りのある商店街に位置する翠屋のオープンテラスに座ることになるとは考えていなかったのだろう。周囲の視線がかなり気になるようだ。
 恭也が恨みがましい視線をユーノに向ける。この町の知人にはフェレットで通していると聞いていたので、気を利かせた恭也がユーノにアリサ達が公園に入ってきた事を伝えたのだ。結果、ユーノがさっさと変身してしまった為、女子4人に男1人の状態になってしまったのだ。
 見た目高校生の男子が小学生の美少女に囲まれている図は、変質者とまでは行かなくともロリコンのレッテルは貼られるだろう。
 ちなみに、5年後同じ状況に陥った時には、道行く男達の尋常ではない視線が突き刺さるのだが、現状はそこまでには至っていない。視線を集めていることに変わりは無いが。更に言うなら“高町”恭也が普段から無自覚に似たような状況を作り出しているため、翠屋においては日常風景として処理されている。

「気になるんなら店内に座れば良かったんじゃない。あんたが外の方が良いって言い出したんだから今更文句言うんじゃないわよ」
「店内の男女比率を見れば流石にな。甘い匂いも苦手なんだ。
 …それ以前に喫茶店に来るとは思っていなかったんだが。一般論に意味は無いのかもしれんが、小学生だけで喫茶店なんて来ないんじゃないのか?」
「そうだね。いくら翠屋さんのケーキがおいしくてもなのはちゃんの家じゃなかったら私達も子供だけじゃ来てないと思う」
「ここが高町の家なのか?」
「住んでる訳じゃないんだよ?お父さんが店長さんでお母さんがパティシエ、えっとお菓子を作るコックさんなの」
「なるほど。店員のこの視線は高町兄のバッタモンを物珍しがっているのか」
「べっ別にそんな言い方しなくてもいいと思うわよ?顔が似てるのはあんたの所為じゃないんだし」
「優しいじゃないかバニングス。その言葉を真っ向から言い放った人間とは思えない台詞だ」
「っう、根に持つんじゃないわよ!陰険な男ね!」
「まあまあ」
「あら、楽しそうなところゴメンね。お待たせしました」

 すずかが仲裁に入ったところで、にこやかな店員が4つのケーキと5つのカップを運んで来た。
 美人だ。
 背中まである髪の色と整った顔立ちから、なのはの血縁であることを察するのは難しくないだろう。心を暖めてくれるような笑顔は血筋以上に家族であることを想起させる。
 女性は運んで来たメニューをそれぞれに配りながら挨拶を交わしていく。

「いらっしゃい、すずかちゃん、アリサちゃん」
「こんにちは桃子さん」
「お邪魔してます、は変か。こんにちは」
「はい、こんにちは。ゆっくりしていってね。
 フェイトちゃんは初めまして、ね。ビデオレターはなのはと一緒に見させて貰ってたから何度か会ってた気分だけど」
「あ、はい、初めまして、フェイト・テスタロッサです。よろしくお願いします」
「ふふ、あまり畏まらなくて良いのよ?私の事は“桃子さん”て呼んでくれると嬉しいな」
「はい、桃子さん」
「うん、素直でよろしい。なのはと仲良くしてあげてね。
 で、あなたは恭也君でよかったかしら?なのはから噂は聞いてるわよ?」
「初めまして。噂通りご兄弟に似ているでしょう?」
「え?」
「ん?」
 キョトンとした表情が浮かぶ桃子の顔を見返す恭也。面識の無い高町恭也と実年齢を知らない桃子に対して、兄とも弟とも明言しなかったのは恭也なりの気遣いだったのだろうが、この反応は想定していなかったようだ。
 年齢の不祥さは恭也の専売特許ではないことは叔母の美沙斗や琴絵で知っていたが、それほど多く居る訳ではないのも事実だった。だからこの誤解は仕方ないと言えるだろう。

「あはは、ありがとう。改めて自己紹介。高町桃子、なのはの母です」
「母!?姉ではなく?」
「あ〜うん。おかあさん」

 確認するような視線を寄越す恭也に、なのはが表情の選択に困りながらも肯定する。

96小閑者:2017/07/16(日) 16:00:36
 商店街では有名人といえる翠屋の看板娘その1(主婦だが)なのでこの手の誤解は多くないのだが、他の町から来た客は当然の様に間違える。なぜ間違えている事が分かるかと言うと、ちょくちょくナンパされるのだ。そして、桃子自身がその時の事を家族に語って聞かせる。別に自慢している訳ではなく、ナンパされた時の士郎の焼餅を焼く様を語りたいだけなので、結局は惚気話でしかないのだが。

「…失礼しました。少々意表を衝かれたもので」
「ふふ、どういたしまして。若く見てもらう分には全然構わないわよ?
 それにしてもホントに大人びてるのね。なのはと歳が変わらないとは思えないんだけど」
「年寄りくさいとはよく言われます。高…、娘さんから他に何か聞いてますか?」
「そうね、意地悪されたとか、からかわれたとか、嘘つかれたとか?」
「ほうほう」
「お、お母さん!」

 桃子の語る暴露話になのはが抗議の声を上げる。恭也の対応が今以上に過激になっては身が持たない。

「不満そうな顔しながら楽しそうに話してくれるから、よっぽど恭也君と一緒に居るのが嬉しいのかしらね?
 あと、凄く運動が出来るんだって、自分のことのように自慢してくれるから、お父さんやお兄ちゃんの顔が引き攣ってたのよねぇ、なのは?」
「お、おおおお、お母さん!?」

 前触れも無く内容が180度方向転換した事に、先程以上に慌てるなのは。
 熱くなった顔を自覚して思考が空回りを加速させる一方、妙に冷静な部分が“疚しい事はないはずなのにどうしてこんなに恥かしいのだろう”と首を傾げている。
 なのはは自分の反応を楽しそうに眺める桃子を、立ち上がって一生懸命睨みつける。視線を下ろせば皆の顔が見えてしまうため、必死である。返る視線は“お見通し”と言わんばかりに余裕に満ち溢れているため、桃子を睨み続けるのもかなりの気力を要するのだが。

「なのは、家で男の子の話をする事があんまりなかったから、桃子さんちょっと感激しちゃったのよ。
 恭也君、これからも仲良くしてあげてね?」
「まぁ、俺で良ければ。ですが、人選ミスかもしれませんよ?」
「ふふ、そこはあまり心配してないわ。なんたって桃子さんの自慢の娘ですもの」
「お母さん…」

 桃子の声に含まれる信頼と慈愛の感情に思わず矛先を緩める人の良さが、なのはのからかわれる最大原因であることに本人が気付くのは何時になるのだろうか。

「でも、この分だと美由希よりなのはの方が早いのかしら?
 安心して、なのは!今日、士郎さん用事で隣町に行ってて帰ってくるの夕飯頃だから!」
「何を安心するのー!?」
 
 桃子は愛娘を弄り倒して満足したのか、最後に「ごゆっくり」と言い残し去って行った。
 感情が飽和しかけているなのはの事は完全に放置である。呆れの混じる苦笑を浮かべるアリサとすずかの様子からするとこれも日常風景なのだろう。
 目を丸くしているフェイトへのフォローは後に回すとして、先ずは立ち尽くすなのはを落ち着かせるべく2人で声を掛ける。

「なのは、落ち着きなさいよ。…桃子さんも相変わらずね」
「あはは…、ホント桃子さんらしいね」
「あんたも、今のはなのはをからかうために引き合いに出されただけなんだから、図に乗るんじゃないわよ?」
「もぅ、そんな言い方しなくても…?恭也君?どうかしたの?」
「……ん?…あぁ、スマン。高町母のインパクトが強くて呆然としていた。何の話だった?」
「あんたね…まぁ分からなくは無いけど。あ、さては桃子さんが美人だから見とれてたんじゃないの?」
「…確かに美人だったな。高町は容姿も整っているが、スタイルも保障されたようなものだな…」
「!?…っえ、え〜!?」
「ちょ、あ、あんた何言い出すの!?まさか、本気でなのはの事!?」

 先程以上に赤面するなのはと動揺するアリサ、声も無く驚くフェイトとすずか。発言者の恭也が至って平静であるため、第三者からは余計にその落差が強調される。

97小閑者:2017/07/16(日) 16:02:48
「驚くようなところか?月村だって姉を見る限り将来有望だろうに」
「えっ私!?」
「こーら、公衆の面前で何平然と人の妹口説いてんの?『ガタンッ!』 へ?」

 唐突に恭也の背後から声を掛けたのは、翠屋の制服である黒いエプロンを纏ったすずかの姉・月村忍だった。だが、本人には驚かせる気は無かったようで、椅子を蹴り倒して立ち上がり自分を凝視するという恭也の過剰な反応に逆に驚いている。忍が真後ろに立っていたら蹴り倒した椅子がぶつかっていたところだ。

「あ、あれ?ゴッゴメン。驚かせちゃった?えと、八神君、だよね?」

 正確に表現するなら、忍は背後に立ったことに恭也が気付いていないとは思っていなかったのだ。思わず人違いだったかと心配するほどに。

「お姉ちゃん、急に後ろから声を掛けたら誰でもビックリするよ!」

 すずかの姉を注意する言葉を聞きながらも、全員が胸中で首を傾げる。
 初対面の時に背後からこっそり近付くなのはに気付き、早朝練習で背後から迫る誘導弾に反応し、つい先刻背後からの奇襲を(声を掛けたとは言え)躱して見せた八神恭也が、無造作に近付いた忍に気付かないのはあまりにも不自然だ。いや、不自然と言うなら先程からの褒め言葉(?)も、思ったままを、もっと的確に表現するなら思考を挟まず脊椎反射的に口にしていたような…?

「いえ、俺の方こそすみません」
「…恭也君、大丈夫?何か、その、辛そうに見えるけど、気分悪いの?」

 なのはが、言葉少なく謝罪する恭也の様子を見て心配げに声を掛ける。
 アリサはすずかに視線を向けるが小さく首を振って返された。2人には恭也の動揺が椅子を蹴り倒した行動からしか窺う事が出来なかったのだ。ここは唯一恭也の表情の変化に気付けたなのはに任せるしかないだろう。

「高町に俺以外の男友達が居ないと聞いて驚いたんだ」
「そこは忘れてー!」

 駄目だった。
 だが、頼りにならないと言ってしまうのは、なのはが可愛そうだろう。恐らく恭也も自分の変化に気付いたのがなのはだけだと察して、口撃を仕掛けたのだ。心配されることを嫌っての口撃であるなら問い質そうとしても集中砲火を喰らうだけだ。

 すずかとアリサはこの場に居る年長者である忍に視線を向ける。
 特別な期待を抱いていた訳ではない。普段おちゃらけていてもいざと言う時に頼りになる女性ではあるが、流石に今来たばかりで全てを察する事など出来るはずが無いのだ。
 だから、忍を見たのはこのテーブルに来た理由を確認する程度の意味でしかなかったのだが、視界に映った意味不明な光景に2人の目が点になった。忍が普段見せないような真剣な表情で妙な踊りを踊っていたのだ。

 周囲から置いてきぼりにされたフェイトは、この場で唯一状況を俯瞰して見られる立場に居た。
 だから、すずか達から見たら妙な踊りにしか見えない忍の動作が、店内に居る人物、恐らくは店の責任者であるなのはの母・桃子と意志の疎通を図るためのジェスチャー(この場合はブロックサインか?)である事がわかった。尤も、その内容までは推し量ることは出来ず、困惑していたことに変わりは無かったが。

「さて、桃子さんの許可も下りたことだし、ちょっとだけお姉さんも話の輪に入れてもらうわよ?」
「えっと、お姉ちゃん?」
「どうしたんです、忍さん?」
「ホントは挨拶だけの積もりだったんだけどね?
 普段の八神君ならからかう隙もなさそうだけど、今は情緒不安定っぽいから、チャンスかなーって」
「不要です」
「ダメー。この短時間で復活して見せた精神力は買うけど、それとこれとは別問題。
 可愛い妹とその友達に害が及ぶ可能性があるんですもの。危険は少しでも排除しなくちゃ」

 2人の遣り取りを聞いている間にすずかとアリサの表情が引き締まる。
 会話が不自然だ。普通恭也の返答は「止めて下さい」か、恭也らしく「返り討ちにして差し上げましょう」などになる筈だ。忍自身も「恭也をからかう」と言いながら、最後に忠告を促す内容になっている。つまり、最初の「からかう」が嘘なのだ。

「では、俺が離れましょう」
「それも駄目。過保護にし過ぎて“温室育ちのお嬢様”にするつもりは無いの。何時までも私が傍に居られる訳じゃないもの、状況と危険度を理解した上で乗り越えて貰わなきゃ。
 全てを知った上で“今の自分には無理だから回避する”って言うのは有りだけどね?
 とは言っても、あなた達には聞かない権利があるわ。どうする?」

 言葉こそ冗談を装っているが、忍の目は4人の少女にも十分に理解できるほど真剣そのものだ。

98小閑者:2017/07/16(日) 16:03:32
 なのはが心配そうに恭也へ視線を送る。今の会話の流れと恭也の硬い表情からすれば、忍がこれから語ろうとしている内容を察しているのだろう。だが、恭也の硬い表情を見てもなのはは断ろうとはしなかった。
 忍の発言に含まれる“自分達への忠告”とは恭也に妨害させない為の大義名分なのだと察したのだ。
 これから語る内容は恐らく、忍の言葉を否定できない程度には周囲に被害が及ぶもの。しかし、忍の言葉通り自分たちに降りかかるものより、遥かに多くの実害を恭也が受けるのだろう。
 つまり忍はこう言っているのだ。「心の弱っている恭也には辛いことだから助けて上げて欲しい」と。

「聞かせて下さい、忍さん」
「うん、そう来なくっちゃ。すずかとアリサも良いわね?
 フェイトちゃん、あなたはどうする?あなたはこの町に来たばかりって聞いてるから、八神君とはそれほど親しい訳じゃないんでしょ?」
「…私も聞きます。特別に恭也を助ける義理はありませんが、なのはの力にはなりたいから」
「フェイトちゃん、ありがと」
「ふふ、それも有りだね。それにしても八神君、こんな良い子に嫌われるなんて何したの?」
「心当たりがありません」

 いけしゃあしゃあと言い切る恭也にフェイトは絶句する。どれだけ面の皮が厚ければこんな事が言えるのか?
 尤も、下着を見られたのは、勘違いさせる原因が恭也にあったとは言えフェイト自身の行動の結果だし、嘘を吐いてからかうことは恭也にとってコミュニケーションと同義になりつつあるため罪悪感すらなさそうである。

「う〜ん、正負を交えて女の子の注目を集めちゃう辺り、恭也よりも女の子泣かせになりそうでお姉さん心配よ?」
「そう言う不要な親切心を“老婆”心と言うんです。若い女性らしくさっさと本題に入って下さい」
「…っく。そう言う最初から反論を封じるような言い回しは敵が増えちゃうんだからね!」
「余計な心配をされるくらいなら、敵で結構」
「フンだ!いいもんね、八神君が嫌がる事、これからもいっぱいしてやるんだから!」

 子供っぽく頬を膨らませて周囲に微笑ましい気持ちを振りまく忍。桃子といい忍といい、類は友を呼ぶと言う格言は正しいようである。

「フェイトちゃんは恭也に、なのはちゃんのお兄さんの高町恭也には直接会ったことないのよね?」
「はい、ビデオメールで見ただけです」
「そっか、じゃあ恭也の説明を先にした方が良いわね。あ、これから恭也って言ったら高町恭也、八神君って言ったら八神恭也の事だと思ってね。
 恭也はね、カッコよくて、優しくて、格闘技も強くって、頭もそこそこ良くて、それでいて努力家という、何処の漫画の主人公だ?って問い詰めたくなるような人で、私の恋人なの!」
「…は、はぁ」
「お姉ちゃんお姉ちゃん」
「大丈夫よ、すずか。脱線してる訳じゃないから。
 そんな非の打ち所の無い恭也ではあるんだけど、だからこそ周囲から妬みややっかみを受ける事がある。自分の失敗を人のせいにしたがる奴は意外と多いのよ。
 残念ながら万人に愛される人は居ないんでしょうね。
 光が強いほど出来る陰は濃くなるものでね、分かり易い実例を挙げるなら、自分が好きになった女の子が振り向いてくれないのはアイツが居るからだ!って訳。
 しかも、恭也の恋人がこんな可愛い忍ちゃんとくれば、モテナイ男共のやっかみはもう避けようがないのよ!」
「大変ですね」
「……ごめんなさい、最後のは聞き流して下さい」
「相手を選ばずに言うからですよ」
「くぅ」

 フェイトに大真面目に同意されてしまい居た堪れなくなった忍は、恭也からの追撃にも黙って耐えるしかない。すずかとアリサの呆れ4割、同情6割の苦笑がとても辛い。

99小閑者:2017/07/16(日) 16:04:11

「ゴホンッ
 そんな訳で恭也はちょくちょく人気の少ない路地を歩くと八つ当たりの襲撃を受けてるみたいなの。相応の力で撃退してるらしいけど、後を絶たないらしいわ。今じゃ噂が噂を呼んで「恭也を倒せば最強の称号が得られる」みたいなノリになってきてるみたい」
「さ、最強?」
「まあ、恭也に実力で勝てるならそこら辺のチンピラくらい物の数じゃないから、あながち間違いじゃないんだけど。で、ここからが本題。
 そんな恭也とそっくりな八神君を見かけたらそいつらはどうするでしょう?」

 想像するまでも無いだろう。勘違いで襲われることになるのだ。
 だが、アリサとすずかが言葉を発する前になのはが否定した。

「えっと、でも、恭也君もその辺りの不良さんの3人や4人には負けないと思うんですけど…」
「え?なのはちゃん?」
「あ、なんだ、なのはちゃんは知ってたんだ。こないだ隣町から来た20人くらいの団体さんを撃退したらしいんだけど」
「20人!?なのは、知ってたの?」
「20人て言うのは初めて聞いたけど、1時間くらい連続で動き回っても平気そうだからできるかなって」
「1時間!?は、まあ凄いけどジョギングとは違うのよ!?」
「目で追うのがやっと位のスピードだよ?」
「もしかして、さっきの公園での動き位?」
「うん、あんな感じ」
「…こないだ、なんかの特集で同時に3人から攻撃されると、大人と子供ほどの実力差があってもまず勝てないってやってたんだけど」

 話題の渦中に居るはずの恭也の方を窺うと、話題に興味を示すこともなく、膝に乗せた野良猫の喉元をくすぐっていた。体を弛緩させて寝転がる猫は非常に気持ち良さそうである。

「…忍さんが話したかったのはそれ?だったらあんまり役に立てそうに無いって言うか、本人が言ってた通り手助け不要な感じなんですけど?」
「違うよ。この話だけなら八神君だって止めなかったと思うよ?」

 忍の声に反応するようにそれまで弛緩していた猫が顔を持ち上げ、恭也を下から見上げて一声鳴くと膝から降りて、名残惜しそうに何度も振り向きながら去っていった。

「…嫌われたか」
「気を遣ってくれたんでしょ?猫は感情の変化に敏感なのよ?」
「あ…」

 猫に囲まれて生活しているすずかには思い当たる節がある。悲しかったり心細くなった時に慰めるように猫達が体を擦り寄せてくれる事が何度もあった。では、あの猫が恭也から離れていったのは、偶然ではなく恭也が独りになることを望んだから?

「ここからが本題。八神君、心の準備はよろしいか?」
「勝手にして下さい。何を言ってもやめるつもりは無いんでしょう?」
「ご名答」

 冗談のような遣り取りをしながらも、忍が恭也を気遣っている事が見て取れた。恭也が本気で拒否すれば辞めるつもりではいるのだろう。

「今話したのは物理的な嫌がらせ。予想がつくと思うけどこれから話すのは精神的な攻撃。
 最悪なのがそいつらは自分に非があることを自覚してない、ん〜ん、自分が正しいと信じ込んでいる辺りかな」

 思い出すのも腹立たしいと言わんばかりの忍の態度にすずかが驚いた。
 今でこそ明るいお姉さん然としている忍だが、両親を事故で亡くしてからは、恭也と恋仲になるまですずかと2人のメイドの他にはごく少数の信頼する人物にしか感情を見せる事がなかった。両親の残した莫大な遺産に顔も知らないような親族が群がってきたのがその原因だ。
 その時期に偶然、最も信頼している叔母の綺堂さくらに親族の性根の汚さについて愚痴を零している姿を見かけた事があった。あれほど苦しそうに吐露していたのに、結局すずかの前で忍が笑顔を絶やすことは無かったのだ。
 状況が違うとは言え、感情を隠すことに長けた忍が、嫌悪を露にしているからには余程のことだろう。

100小閑者:2017/07/16(日) 16:04:49

「妬み嫉みの感情を持つのは男に限ったことじゃなくてね。
 直接暴力に訴えない分、女の方が陰湿になり易いのかな。勿論、全員がそうだとは言わないし、私だけ例外だなんて言う積もりも無いんだけどね。
 回りくどく言っても仕方ないから言っちゃうよ?
 恭也に恋人が居ることを知らない女の子が、告白しようとして良く似た八神君に告白しちゃうの。ここまでは男の場合と同じ。
 八神君が説明して誤解を解くと、ごく一部に彼を批難する人がいるの」
「批難?勝手に間違えたのに?」
「フェイトちゃんの言うことは尤もなんだけどね、恋する乙女は状況が分かるほど冷静じゃ無いらしいの。
 捨て台詞は―――ッ」
「“騙したのね”とか、“卑怯者”とか、かな。月村さんが聞いてたのは“偽者”だったかな?“紛い物”ってのと合わせて言った本人的には一番的を射てるんだろうな」

 口ごもった忍の台詞を恭也が何でもない事だとでも言うように代弁した。事実、アリサにもすずかにも、恭也が特に表情を歪めている様には見えなかった。そう、表情を崩しているのは本人よりも寧ろ。

「軽い調子で言ってもダメ。そもそも、その捨てゼリフの前に延々と思いつく限りの罵詈雑言を並べ立ててるじゃない」
「毎回、よくあれだけ思いつくものだと感心していますよ。普段から悪口を考えながら生活しているんですかね?
 …そんなに気を遣って貰わなくても、悪口位で泣いたりしませんよ」
「そんな顔して言われてもねぇ。君が図太いことは知ってるけど、悪口言われて喜ぶほど捻くれてはいないじゃない。
 私が偶然見かけた回数だけで2桁に届こうとしてたんだもの。何十人から言われ続ければいつか耐え切れなくなるよ?
 しかも、律儀に最後まで付き合ってるんでしょ?今度から殴り倒して黙らせるのもありかもしれないよ?」
「恭也君…?」
「恭也、あなたは…」

 寧ろ、冗談めかしながらも心配している忍であり、恭也の肩に手を掛けるなのはであり、言葉を失うフェイトの方だった。

「気のせいですよ。月…あ〜、あなたの妹君やバニングス嬢は特に違和感を持っていないようですよ?
 あの時にも言ったでしょう?見ず知らずの他人に口先だけで何か言われた位で傷つく様な繊細さは持ち合わせていないんですよ」
「…うん。私もあの時の君だったから、その台詞を信じることにしてあげた。納得は出来なかったけどね?
 でも、今の君の言葉は100歩譲っても信じてあげることはできないよ。
 この1週間で何かあったの?それとも、さっきの桃子さんとの会話?」
「さあ?仮にあったとしても秘密です」

 埒が明かない、と忍が周囲に目をやるが4人も返せる情報など持っていない。それほど頻繁に恭也と会っている訳ではないし、先程の桃子を交えた談笑とて被害者は寧ろなのはだった筈だ。

「…もう、どうしてそう強情かな。折角女の子が心配してくれてるんだから素直に甘えれば良いのに。ねえ?」
「えっと〜、お兄ちゃんもそうですし、男の人は強がっちゃうものなんじゃないでしょうか?」




 そう。分かるはずが無いのだ。恭也の境遇など。

「…もしも本当に、自分が偽者だったら、誰かに造られた存在だとしたら、どうする?」

 だから、フェイトの発した質問の内容が恭也にとって深く傷付いた心を抉るものであったとしても、恭也がフェイトを非難する事はなかった。



 
 フェイトが漏らした疑問の声に全員がギョッとしてフェイトに視線を集めた。

101小閑者:2017/07/16(日) 16:05:37
 この場ではなのは以外知る者の無いフェイトの秘密。大魔導師プレシア・テスタロッサが、事故で亡くした一人娘アリシアを蘇生しようと試み造り出した、しかし、アリシアではない何か。“失敗作”であり“紛い物”であり“偽者”である自分。
 PT事件の後、本格的な身体検査を行った結果、何の欠損も無い人間であると言う結論が出た。その時はそれを教えてくれたリンディ達に「おめでとう」と祝福された事に素直に喜ぶ事ができたが、時間が経つにつれて別の考えが頭を擡げてくる。
 そもそもアリシア・テスタロッサであることを望まれて生み出されたにも関わらず、それ以外でしかなかった自分は“人間”であろうと価値など無いのではないか?実情として親に愛されない子供が居ることは知っていたが、少なくともその子供も両親の愛の結晶であって自分とは生まれ方が違うのだ。(フェイトが具体的にどうやって子供が出来るのか知らないからこその誤解ではあるのだが)

 確固たる自我が確立されていない子供が、価値観の全てとも言える母親に面と向かって拒絶されてからたったの半年しか過ぎていないのだから、思考が後ろ向きになるのは当然の結果だ。そして、その事が頭の隅に常にあり続けたため、自らの根幹に関わる内容である先程の恭也の発言に反応したのだ。

 フェイトは決して自分本位でもなければ短慮な方でもない。たまに思い込みで突っ走り恥かしい思いをするようなうっかりやさんではあるが、人を思い遣る優しさはある。
 にも関わらず、“八神恭也”の存在を否定するような質問を発したのは、普通の生活を送っている者であれば馬鹿げた仮定だからだ。…人と関わる経験が圧倒的に少なかった上に、恭也と会って間もないフェイトからしても、恭也が“一般的”に分類して良い存在であるのか非常に疑わしいことは感じ取っていたが、流石に現在の境遇を推測することなど出来る訳が無い。
 だから、なのはを心配させるであろう事、初対面のアリサやすずかに良い印象を持たれないだろう事を頭の片隅に浮かべながらも問わずには居られなかった。
 多少なりとも近い境遇における、フェイトの事情を知らない他者の、慰めの言葉ではない本音を聞きたい。
 後で振り返ってみると、この時のフェイトは何故か、恭也から奇異の目を向けられたり馬鹿にされる可能性を疑っていなかった。“馬鹿げた想定”でありながら、恭也ならこの問いに真剣に応えてくれると何の根拠もなく確信していた。

 そんな事を考えていたため、忍やなのはの恭也を心配する言葉は頭に入る事がなく、自身の不安と打算と奇妙な信頼に任せて疑問を発したフェイトは、ただ一人恭也の顔に表れた表情を見て、血の気が引いた。

 フェイトには恭也の仏頂面から感情や思考を読み取ることは出来ない。
 恭也の表情を読み取るには対人関係の経験だけでは足りず、本人との長い付き合いが必須となる。
 なのはと忍は“高町恭也”との経験を“八神恭也”に適用しているからこそ読み取れているが、“高町恭也”との接点の少ないアリサとすずかにはそれが出来ない。
 どちらも不足しているフェイトには望むべくも無い技能だ。

 だから、フェイトが驚いたのは希少な恭也の表情から感情を読み取れたからではない。
 自身と近似した感情であったために共感できてしまったのだ、半年前に自分が母から受けた衝撃に劣る事が無い程の心境であることを。
 せいぜいが悪口を言われた程度の事だと思っていたからこそ、自分の言葉がどれほど恭也の傷を抉ったのかを悟り、フェイトは蒼褪めた。

「あ…、ごっごめんなさい…いま、今のは」
「辛いだろうな」

 動揺し、発言を取り消そうとしたフェイトを抑え込む様に呟いた恭也の弱音とも言える台詞に誰も口を挟む事が出来ない。

 この中で恭也の境遇を垣間見た事があるのはなのはだけだ。それも出会って間もない頃、魔法を秘密にして貰うように頼んだ時のみで、その時ですら愚痴を零すことすらなかったのだ。
 アリサやすずかなど恭也に悩みがあることすら今日まで知らなかった。
 だが、たった一言の呟きにより、今まで見てきた人をからかうことに人生の全てを費やしているかのような恭也の姿がほんの一面であると言う当然の、しかし、先程忍となのはに心配されていた様子からは実感できなかったその事実を突き付けられた気がした。

102小閑者:2017/07/16(日) 16:07:30

「それが事実だったら、な。
 状況に依って随分変わるだろう。
 誰から、どの様に、何を目的として知らされたか。
 そして、何を目的にして造られたのか。
 オリジナルが健在かどうか、そして自分が周囲の人をどう思っているか。

 気にしない振りをして、それまでの道を進み続ける。
 反発して、自分のことを誰も知らない土地へ行く。
 オリジナルが健在ならそいつを押し退けて、入れ替わる。
 自棄を起こして周囲に当り散らす…のは、選択肢に上げるには稚拙か。長続きもせんだろうしな。

 何れにせよ、どれを選択したとしても共通して言えることは、恐らく知らなかった頃には戻れないと言う事だ。気にしない振りをしたところで出来る訳が無い。
 他者が自分に対してとる態度の一つ一つを、“オリジナルへの代替としての行為”として疑うことになるだろう」

 フェイトは淡々と語る恭也から視線を外す事が出来ない。
 恭也の表情の変化を確認出来たのは問い掛けた直後の、その一瞬のみだったため恭也の心情が計り知れない。だからこそフェイトには恭也が自ら心を切り裂きながら語っている様に見えるのだ。
 フェイトが期待した通り真剣に、想像し得なかった傷付く行為であるにも関わらず、何の事情も説明していない自分の問いに応えてくれている。目を逸らすことなど出来る訳がない。

「俺なら、そうだな。
 家族以外から聞いたなら信じない。全ての状況がそれを示していても、それ以外の可能性を見つける事が出来なかったとしても、絶対に信じない。信じてなど、やらない。
 家族から聞かされたなら、…仕方ないな。何を求められているのかを確認して、その通りに演じるかな。演技力に自信はないんだが」
「―――それで、良いの…?」

 幾分かの自嘲が混ざった恭也の答えにフェイトが問い返す。
 長引く程恭也に苦痛を強いるであろう事は分かっているが、ここまで語らせておきながら真意を取り違える訳にはいかない。
 震えそうになる声を必死に抑え込みながら問い掛ける。「自分を生み出した家族を恨まないのか?」と。

「ああ。
 感謝こそすれ、恨む筋合いはない。家族として接してくれた記憶があり、記憶の中の家族には感謝の念しか湧かない以上、この記憶が彼らの都合を押し付けるために植付けられた偽りであろうと構わない。
 俺にとっての世界は俺が認識できる外側には存在しないからな。
 他の誰の目から見ても、道化にしか見えなくとも俺はそれで良い」
「その人達のしようとしている事が、―――悪い事だと、しても?」
「そうでないことを祈るんだが、な。
 …もしも、彼らが俺の知る、俺の記憶にある家族が許容しない事をするなら、妨害する」
「え?でも…」
「ああ、出来る限り家族の望みに応えてやりたい。
 だけど、家族だからこそ、協力できない事、黙認できない事はある。
 犯罪かどうかは問題じゃない。それが俺の家族なら許容しないであろう行為であったなら、俺に取り得る如何なる手段を持ってしても、敵対することになったとしても、彼らを押し留める。
 憎まれても、罵られても、絶対に引かない。
 俺は彼らの奴隷でも道具でもない。対等な家族であろうと想う以上、絵空事でしかない俺の記憶の中の家族に戻ってもらう。
 それが俺を生み出した彼らの責任と言う事にしておこう。
 まぁ、“失敗作”だったと諦めてもらうしかないな」

 そう自嘲的に言うと恭也は話を締めくくった。

103小閑者:2017/07/16(日) 16:08:05

 記憶に従う。

 フェイトはそんな考え方をしたことがなかった。
 自分の記憶が、過去が、他人の物であるなら、その人の物を無断で使っているようで、記憶や経験を基にして行動しては駄目なのではないかとすら考えていた。
 ましてや、自分を生み出した存在に、母に、逆らうことなど赦されない事だったのではないかと、今でも悩み続けている。

 あれだけスムーズに口に出せた事からすると、この世界では信じがたい事ではあるが、少なくとも恭也の主観においては“自分の記憶が他者から与えられた物である証拠”が揃っている、あるいは、否定できる証拠が揃えられない状況にあるのだろう。つまり、口先だけの理屈ではないのだ。
 恭也の方針は論理的に理性的に“自分の感情を納得させられるであろう行動″を突き詰めた結果、辿り着いた結論だろう。
 感情論を正当化するための言い訳とも取れるが、家族と敵対してでも“記憶の中の家族”を守ると言う一貫した芯もある。これらの仮定が現実となったとしたら、恭也はこの考えを実行するだろう。フェイトには嫌われることを恐れて、プレシアに反論することすら出来なかったのに。
 悩んでいない訳がない。人格は記憶や経験を土台として確立される物だ。それが捏造されていたとなれば自分を成り立たせる全てが瓦解する。
 それでも、絶望する事なく、状況に合わせて在り方を決める。言うに易いその行為はフェイトには出来なかった事だ。



 恭也は語り終えると一同を眺め、最後に視線を忍に固定する。語られた内容に戸惑いつつも忍が頷いて返したことを確認すると、千円札を机に置いて立ち上がった。

「あ、恭也君!」
「高町、白けさせて悪かったな。“もしも”の話にちと力が入り過ぎた。
 思ったよりも時間が過ぎたことだし、そろそろ退席させてもらう」

 一方的に告げてさっさと遠ざかる恭也を放心したように見送る少女達の中で、フェイトが慌てて立ち上がると「ゴメン!」の一言を残して恭也を追いかけて行った。
 フェイトの姿が見えなくなっても声を発することの無い一同に、恭也に後を託された忍が何でもない事の様に話しかけた。

「…凄い想像力だね。
 突然あんな、有り得なさそうな状況を提示されてスラスラと答えちゃうなんてさ」
「…あ、そうだね。前に恭也さんが“戦う時には色々な状況を想定するんだ”って言ってたけど、恭也君もそう言うのに慣れてるんだろうね」
「あ、ああ、そうなんだ。それにしても変に細かい所まで想定してるから、私でも信じそうになっちゃったじゃない」

 忍、すずか、アリサが口々にあの内容が“空想”であることを強調しながらなのはの様子を窺う。

「うん…そう、だね」

 だが、なのはの強張った表情を和らげることは出来なかった。

「無理、か。
 まったく、自分でも言ってたじゃない。“知ってしまったら元には戻れない”んでしょ?」

 忍の愚痴交じりの小さな呟きは誰にも聞き取られることはなかった。
 忍の知る八神恭也は、不用意に周囲の人間に不安を撒き散らせるような人物ではない。それはつまり、弱音を漏らす事が、助けを請う事が出来ないという事だ。だからこそ、今日友達として接しているなのは達に恭也を支えて貰おうとお節介を焼いたのだ。(今まで恭也とあった時には常に独りか“敵”しかいなかった)
 その恭也が、恐らくは自身が直面しているであろう問題を口にしたのは、フェイトにとって絶対に必要なことだと判断したのだろう。
 どれだけ日常からかけ離れた突飛な話であろうと、本心から語る言葉を聞き違えることの無いところまで高町恭也に似ているとは。
 忍は浮かびそうになる思考を必死に振り払う。

 間違えるな!彼は八神恭也だ!

 忍は軌道を修整し、思い詰めた表情のなのはへの対処に集中する。
 なのはは軽い冗談も本気にしてしまいかねない純真さを持っているが、決して愚鈍な訳ではない。ましてや、兄とは多少の差異があるため精度が落ちるとは言え、恭也の表情を読み取る事が出来るのだ。
 話を合わせてくれたすずかやアリサとて、騙せるとは思っていなかっただろう。
 と、なれば次善の策を考えるしかない。恐らく恭也もこちらを期待していたのだろう。

(まったく。八神君、この借りは高く付くからね!)

104小閑者:2017/07/16(日) 16:19:42
 元を正せば恭也が止めるのを黙殺して話を始めたのは忍なのだが、既にそんな事実は忘却の彼方に追いやっている。程度の差はあれ、この状況は忍が企んでいた通り、恭也が独りで抱え込まないように周囲の関心を集めること、そのものなのだが。

「なのはちゃん、早とちりしちゃ駄目だよ?」
「え?」
「流石に“誰かに造られた存在”って仮定そのものの状況じゃあないとは思うけど、今、何かしら八神君が信じているものが、信じたいものが揺らいでるんだと思う。
 でも、彼自身が言ってたでしょ?本人達から言われない限り、絶対に信じないって。信じてやらないって」
「…はい」
「なら、なのはちゃんも信じてあげて。
 見たこともない“彼が信じたい誰か”の事じゃなくて良い。八神君自身の事を、心配するんじゃなくて、信じてあげて。
 彼が信じたい存在が、信じてきた存在が間違っていないって。根拠なんて無くても良いから、彼が揺らぎそうになったら、励ましてあげて」
「はい!」

 不安に揺れていたなのはの目が力を取り戻したことを確認して、忍が気付かれないように安堵した。

105小閑者:2017/07/16(日) 16:36:20
 恐らくは恭也の嫌がる内容だろうが、知ったことか!丸投げした彼に文句を言う権利など無いのだ。何より既に宣言してあるし。「嫌がることいっぱいしてやる!」と。
 そんな事を考えながら溜飲を下げているとアリサとすずかの問いた気な表情に気付いた。
 予想していた事である為、なのはに気付かれない様に答えて返す。

「励まし過ぎると負担になったり、実際に裏切られた時に八つ当たりの対象にされる可能性はあるんだけどね?その時はなのはちゃんの周囲がフォローしてあげれば良いの。
 私も気に掛けとくし、恭也にも伝えておくけど、あなた達にも期待してるんだから、がんばってよ?」
「傷付く事が予想出来るなら、けしかけるような事言わなくても…」
「アリサ、子供の頃からあんまり頭でっかちになるのは感心しないわよ?頭でっかちに育った先輩からのささやかな忠告。
 さっきも言ったと思うけど、あなた達を温室育ちのお嬢様にする積もりはないの。傷付くこと全部から逃げ出すってことは誰とも関わらないってことだよ?そんな人生、つまらないでしょ?」

 相手が八神恭也であればそれほど心配要らないだろうと考えながら、妹達の納得8割、不満2割の視線に余裕の笑みを取り繕う。世の中に“絶対”など無いことを良く知っているからこそ、皆が幸せになれることを祈りながら。




「恭也!」
「まだ何か質問か?」

 ゆったりした足取りで立ち去る恭也に、全力で走って漸く追いつけたことに内心首を傾げながらも、数歩の距離を空けて恭也と対峙する。
 周囲に人影が無いのは都合が良い。
 まっすぐに恭也に視線を合わせ、伝えなくてはならない言葉を口にする。

「ごめんなさい」
「あの話は愚にも付かない空想だ。そうである以上、謝罪される様な事をされた記憶は無いんだが?」

 そう、あの話は空想なのだ。決して恭也が信じないと決めた、真実であってはいけない仮定。

「うん。
 でも、あなたの心を傷つけたと思う。だから、ごめんなさい」
「強情なことだ。高町もそう言うところがあるようだから、やはり傾向の似た者が集まるものなんだな。
 わかった。謝罪される謂れは無いが受け取っておいてやる」

 呆れたように溜息を吐きながら数歩の距離を詰めるとフェイトの頭を優しく撫でる。
 フェイトはその手を振り払う訳にもいかず、顔を見られない程度に俯けると奥歯をかみ締め必死に耐えた。

「本当に強情だな」
「あなたには…言われたくない……もう、放して…」

 茶化す様な内容とは裏腹に労わる様な口調の恭也の言葉に、フェイトが搾り出すように抗議の声を上げるが、頭上から手が退かされる気配はない。
 傷付いたのは私じゃない。何度も自分に言い聞かせる。

「気持ちは分からん訳でもないが、そう言うな。
 …出来れば代わりに泣いてくれると助かる。俺にはなく理由はないはずだからな」
「――――ッ!」





「…恭也は、卑怯だ」
「そうか?
 その評価は不本意ながら何度か聞いた事があるが、不思議でならん」

 結局恭也に縋って泣いたフェイトが落ち着くと、泣き腫らした顔で翠屋に戻ることも出来ず、2人して臨海公園に行くことにした。
 道中、フェイトは泣き腫らした顔に視線が集まることを覚悟していたが、隣を歩く恭也が僅かに前を歩いてブラインドになってくれたのでほとんど気付かれなかったようだ。

106小閑者:2017/07/16(日) 16:37:07

 濡れた胸元を気にする風もなくベンチに座る恭也を横目に睨みながら、顔を洗っている間に買って来てくれた温かい缶紅茶を飲みつつ思い返す。
 優しく慰めてくれた訳ではない。そもそも我慢しようとしたのを恭也が無理に泣かせたのだ。どの道、恭也は自分が泣く積もりなんて無かったくせに。
 我慢しようとしていた時にあんなことを言われたら加害者の私は従うしかないんだ。言ってみれば、恭也に泣かされたようなものだ。
 でも、酷い奴なんだと思おうとしても上手くいかない。
 本当にズルイ。

「そもそも、私が泣く理由なんて何処にも無かったのに」

 恭也の感情に共感して、恭也を深く傷付けた事を悟り自責の念に駆られた上に、母の事を思い出したのだ。
 感情が高ぶるには十分な理由だったような気もするが、敢えて気付かないことにして恭也の所為にしてみる。

「理由なんて、どうでも良い。状況が許す限り泣きたい時に泣いておけ」

 あっさりと返される言葉に、頬を膨らませながら背けた顔は朱に染まっていた。
 フェイトは自覚していない。子供染みた(歳相応の)我侭を口にしていることも、それを許容してくれた事を喜んでいることも。


「…泣きたくても泣けなくなってからでは遅いからな…」


 風の音に紛れるような小さな呟きを耳にしたような気がして振り返ったフェイトが見たのは、先程と変わる事の無い仏頂面の恭也だけだった。

「どうした?」

 突然振り返って凝視するフェイトに恭也が訝る様に問いかける。
 その声に我に返ったフェイトは誤魔化す様に慌てて顔を逸らすと、とって付けたように呟いた。

「そういえば、まだゴメンとしか言ってなかったね」

 窺う様に視線だけ向けるフェイトに恭也が無言で問い返すと、フェイトはしっかりと向き直り軽く頭を下げながら微笑みを浮かべた。

「答えてくれて、ありがとう」

 恭也は特に反応するでもなく、再びゆっくりと視線を逸らす。
 フェイトも何かを期待していた訳ではないので不満に思う事はなかった。それどころか根拠もなく脳裏に浮かんだ考えに、逆に笑みを深くした。

(照れたのかな?)

 同時に今更ながら不思議に思う。何故あんなに真摯に答えてくれたのだろう?
 会ったばかりだが、恭也が内心を、特に弱音に類する物を他人に見せるのを嫌う事は容易に想像出来る。自分が頼んだ事だし、あの時は答えてくれる事を疑いもしなかったのだが、考えてみればやはり不思議だ。
 信じきっていた自分自身には疑問を抱いていない事を自覚しないまま、問いかけようと恭也の横顔を見て、開きかけた口を閉ざす。

(慌てなくてもいいか)

 そう思えた。今日会ったばかりなのだ、少しずつ知っていけばいい。

 恭也の在り方は、フェイトには真似出来ないものだ。
 それでも、記憶の中に居る優しかった母・プレシアの事を大切に想っていても良いのだと肯定してくれている様で嬉しかった。

107小閑者:2017/07/16(日) 16:37:45


「…まあいい。今度こそ帰らせて貰うぞ」
「あっ」

 調子が狂うと言わんばかりに頭を掻きながら腰を上げる恭也に、フェイトが慌てて声を掛けるが咄嗟に何度も話題を思い付けるほど都合良くは行かなかった。
 続きを待って自分を見つめる恭也の視線に、鼓動が加速していくため思考が纏まらない。何事だろうか?
 待っても続きが出そうに無いフェイトに首を傾げながら恭也が妥協案を提示した。

「まあ、思い出したら高町にでも伝えておいてくれ。体調が回復したら朝会うだろうからな」
「あ、そっその訓練に私も参加しても良い?」
「?元々時間と目的が一致しただけだから参加制限はないだろう。場所は高町に聞いてくれ」
「うん、ありがとう。それじゃあ、また」

 背中越しに片手を上げて答えながら去っていく恭也を見て心臓が落ち着いてきたことに、フェイトは安堵と寂寥が混ざった奇妙な感覚を持て余しながら先程の恭也の様子を思い返す。


 風に紛れる呟きに振り返った時に見た恭也が、仏頂面の下に必死になって隠していた感情は何だったのだろうか、と。



続く

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109小閑者:2017/07/16(日) 18:04:17
第13話 思惑




「たっだいまー」
「お帰りなさい」
「お帰り、ヴィータ」
「腹減ったー」

 帰宅の挨拶の最後に独り言として自らの状況を漏らすヴィータにシャマルとはやてが笑顔を向ける。

「今日もいっぱい遊んできたんやな」
「うん。そうだ、はやて、今日は玄さんに勝ったんだぜ!」
「お、玄三郎さんにか?ヴィータ頑張ったやない!こりゃお祝いせんとなぁ」
「やったぁ…あれ?」
「フフ、恭也君ならまだ帰ってないわよ?」
「あ、あいつの事なんて聞いてないだろ!」
「そうか?恭也さんがツッコミ入れるタイミングで身構えとったやろ?」
「なっ、違うよはやて!」

 ヴィータが慌てて否定するが言葉が強い程、裏返しにしか聞こえない。焦りの成分には、はやての嬉しそうな笑みにこの後の展開を予想した事も含まれているのだが。
 皮肉なことにヴィータの窮地を救ったのは元凶(?)である恭也だった。

「ただいま」
「お帰りなさい、恭也さん。今なぁ、ってなんかやけに疲れてへん?」
「ん?そう大袈裟な話ではないんだが、少々匂いに中てられた」

言いつつシャマルが用意してくれた熱い焙じ茶を礼を言って受け取りながら食卓に着く。

「匂い?そう言えばなんや甘い香りがするような…」
「…はやて、そういう行為ははしたないから止めておけ」
「え?…べつにこのくらい、たいしたことありません。きょうやさんはきにしすぎです。」
「はやての方が余程気にしてそうだが」
「はやてちゃん、言葉遣いが変ですよ?」

 はやてが椅子に座る恭也に染みた匂いを嗅ごうと背後から恭也の首筋に顔を埋める様に近付けたのだ。
 恭也の指摘で顔を上げると、自分の唇が恭也の頬に触れようとしていれば、動揺もするだろう。
 背もたれがあったとはいえ、肩辺りにしておくべきだったと反省しつつ、体勢を整えるべく話題を転換することにした。形勢の不利をいつまでも放置する訳には行かない。

「その上品な香りはひょっとして翠屋?」
「よく分かるな、その通りだ」
「…甘い香りが苦手ってことは独りで行った訳はないよね?女の人?逆ナン?まさかとは思うけどナンパ?」
「女性と言える年齢ではないから女の子と表現するべきだろうな。あとは…難破ではないだろうが、なんだ?」
「恭也君、今、凄い文字に変換しなかった?」
「アタシもそう思う」
「そこの2人うるさい。はやてもニヤつくな」

 恭也の語彙はかなり多いが、流行言葉(?)の類には滅法弱い。
 一般的に子供は書物よりもテレビなどのメディアや友達からの伝聞で言葉を覚えるため、文字を知らずに音声だけで覚える傾向が強いが、恭也はまるっきり逆の傾向である。友達居なかった事が丸分かりだ。

「おっと、危うく誤魔化されるとこやった。恭也さんから声かけたんか、ゆうことや。あと、子供だけで喫茶店?」
「声?…元を正すならかけられた方だ。子供だけでという点については店の娘だったらしい。俺も知ったのは今日だが。
 尤も、引っ張って行ったのはその友人だがな」
「…へぇ、あの娘かわいい思うやろ?将来絶対別嬪さんになりそうや」
「知り合いか?店で働いていた母親にも会ったが、よく似ているし美人になるのは容易に想像出来るな」

 はやての鎌掛けの質問に恭也は疑う事無く返答する。

110小閑者:2017/07/16(日) 18:04:54


 リビングの隅で放心していたはやても夕飯の準備が済む頃には辛うじて復活して、もそもそと夕食を摂った。
 当然、夕飯を作ったのはシャマルだ。メニューは無難にカレー。流石に市販のカレー粉を使ったので味付けに失敗はなかった。

「それにしてもシャマルの選定基準が分からん。それ以前にナマコなど何処で手に入れたんだ?」
「…前に一人でお買い物した時に、蛸と間違えて…。に、似てると思わない?」
「思わねーよ!」
「最早、特異技能と評価しても差し障りないな」
「シグナム、コメントがキツ過ぎない?私だって失敗しちゃったなーって思ってるのよ?」
「だから1人で料理する日に俺を台所から追い出して証拠隠滅しようとしていた訳か。それでいて、調理方法を調べておかない辺りの杜撰さがシャマルらしいな」
「“らしい”は酷いわ。それに蛸に似てるから普通ぶつ切りにすれば食べられると思うでしょ?」
「そこは同意してもいいがな」

 尤も、その見立てで両断した結果、出てきた黄色い腸に驚いて叫び声を上げてしまい、明るみに出たのだが。

「それにしても、恭也はよく調理法を知っていたな」
「知らん。シャマルに毒が無いことは確認したから、適当に掻っ捌いて内臓と軟骨らしきものを取り除いただけだ」
「何?知らない食材を澱みなく捌くことなど出来るものなのか?普段のシャマルよりも余程様になっていたじゃないか」
「切り分けるだけだからな。味付けや火の通し加減を総合して調理と呼ぶだろう?俺のは一工程に過ぎない」
「それにしてもやたら硬かったよな」
「海産物の類は火を通しすぎると硬くなるから、ナマコも同じだったんじゃないか?切った時より矢鱈と縮んでいたしな」
「結局、シャマルは良い所無しか」
「そこまで言うこと無いじゃない!」
「ス、スマン、シャマル!謝るからフォークを構えるのは止せ!」

 最後の一言しかコメントしていないのに怒りの捌け口になる辺り、流石は盾の守護獣だ、と巻き込まれないように一歩離れて見守る一同。“黒ヒゲ”を引き当てる能力があるのか、境界の見切りが甘いのか。
 そんな騒ぎの外からクスクスと笑い声が上がる。

「もう、皆が揃っとるとゆっくり落ち込んどる事もできへんなぁ」
「漸く復活したか、はやて。放心していた理由がよく分からんが元気が出たなら何よりだ」
「その話題には触れんといて。皆もゴメンな、もう大丈夫や」
「いえ、こちらこそお役に立つことも出来ず、申し訳ありません」
「ええんよ。私も皆に心配かけんようにせなあかんな、わぁ!?」
「馬鹿たれ。落ち込みたい時には落ち込め。出来る事なら誰かに相談しろ。
 無理して平静に振舞うほど周囲に心配させるものだ」

 わしわしと髪を掻き混ぜるように頭を撫でる恭也の手に浮かびそうになる笑みを抑え付け不平そうな顔を取り繕いながら、それでも手を振り払うことも無く反論する。

「恭也さんには言われたないなぁ。辛い事があってもいっつも独りで黙って耐えとるやん」
「ちゃんと話しているじゃないか」
「状況説明やのーて、“悲しい”とか“辛い”とか、そう言う気持ちは全然言わへんやん!」
(あかん。これ以上は駄目や)

 深く考える事無く始めた話題だったが、軽い切り返しとして恭也が口にした言葉にはやては過敏に反応してしまった。自分で思っていた以上に心に溜め込んでいた不安が大きかったのだ。
 はやては恭也を見ることが出来ず俯いて歯を食い縛る。
 恭也が苦しんでいる事が分かっていて、手を差し伸べたいと思っていても、これ以上は恭也を傷つける事も分かっている。
 恭也を救うためにはそれを越えて更に近付かなくてはいけないとは思っているのだが、それが恭也に致命的な傷を負わせることになりはしないか?そう思うとはやてにはどうしても踏み込む勇気が持てない。

111小閑者:2017/07/16(日) 18:05:41
「そうか。それがはやてにとっての辛い事なら、言い出した本人としては解決してやるべきだろうな」
「…え?」

 恭也が何を言ったのか理解できない。顔全体でそう表現しているはやての頭を優しく撫でると、恭也は睨む様に鋭い視線を寄せる4人に怯むことなく、全員を促してリビングへ移動した。
 彼女らの視線が恫喝ではなく自分を心配している物であることが理解できる程度には恭也も近しい関係にあるのだ。



 恭也とはやてが3人用のソファーに並んで座る。対面のソファーにシャマル、シグナム、ザフィーラの3人が窮屈そうに、ヴィータが長方形に配置されたソファーのはやて側の短辺に位置する1人用の物に座った事を確認すると恭也が話し始めた。

「さて、何から話すべきか」
「…家族の事やないの?」

 恭也の隣に体が触れるほど距離を詰めて座ったはやてが問い掛ける。

「括ってしまえばそうなるんだがな。
 状況に変化があったんだ。もう少し正確に表現するなら“他の異変に気が付いた”になるか」
「改善か?それとも…、スマン」
「構わないよ、ザフィーラ。皆も気になる事、知りたい事は聞いてくれ。思い付きで話すから漏れる事もあるだろう。
 残念ながら改善ではない。そもそも実家が全焼していた事や未来に飛ばされて来たと言った状況について進展した訳ではないから改善や悪化とは違うだろう。あ、いや飛ばされて来たこととは関連しているのか?」

 恭也自身にも整理が付いていないのだろう。
 はやてには恭也が語ろうとしている事が予想できない。家族の事でありながら、転移に関連する事柄、それでいて他の異変。
 これ以上、恭也の状況が悪くなった訳では無いと願いたい。恭也の口から聞くということは、既に生じた事なのだが。

「話す前に改めて確認するが、シャマル達の使う魔法は時間軸の移動は出来ないんだったな?」
「え?ええ、あくまでも空間だけよ」
「そして、文化や町並みが酷似する世界は確認できていないと」
「ええ。映画なんかにあるパラレルワールドの様な相似した世界は空想上の物でしかないとされているわ」
「…わかった。それじゃあ順を追って話そう。以前に隠したことも含めて全部だ」
「あの、恭也さん、無理に話さんでもええんよ?」
「いや、そろそろ話そうとは考えていたんだ。寧ろ口実にさせて貰っているんだから、はやてが気に病む必要は無い」

 特に気負った様子も悲壮な風も無い恭也を見てもはやてには安心できなかった。恭也の辛い事を隠す技能が日に日に磨かれている気がするのだ。
 少しでも恭也の気持ちが軽くなる事を願い、恭也の大きくてゴツゴツした右手を両手で包むように握り、体を寄せて自分が居ることを、恭也が独りではない事を、伝えようとした。
 恭也もはやての意図を察したのか、普段の様に照れ隠しの憎まれ口を叩く事も無く話し始めた。

「先ずは、俺が隠した事からかな。
 隠していたのは俺が習っている剣術の流派名とその素性。それに関連して八神の姓を名乗らせて貰ったことだ」
「苗字が関係あるの?」
「まぁ、な。
 俺の学ぶ剣術は江戸時代に国から最強の称号である“永全不動”を与えられた八門の流派の内の一派、御神真刀流と言う。流派の設立はもっと前だったそうだがな。
 強さは本来個人の資質に依るところが大きい。永全不動を冠された流派はどれも、一般人からすれば異常とも取れる逸脱した強さを持つ者を育成する為の体系づけた鍛練方法を確立した流派と言える」
「お前みたいなのを量産してる訳か」
「俺などまだまだだ。父の代は化け物の様だったからな」
「信じ難いと言うか信じたくないんだが」

 シグナムの弱音とも聞き取れる発言にシャマルが苦笑する。普通に魔導師と渡りあえそうだ。

「まあ、そうは言っても得物は刀だからな。魔法使いにはそうそう勝てんさ。
 せいぜい銃弾の飛び交う戦場に立つ程度だ」
「それが、低いと?」
「シグナム達は縁がないから知らないだろうが、拳銃は形状を見れば弾の種類や威力が推測出来るし、基本的に弾丸は直進しかしないから射線から退けば当たらない。散弾は射程が短いから斬りに行けば済むし、手榴弾なんかは投擲されるだけだから飛礫を当てて弾けば被害を受けない」

 簡単だろう?とでも言いたげな口調だが、勿論普通は出来ない。腕の角度を変えるだけで修正出来る射線から身体を退かし続けるなんて手段、実行出来る者など人類の範疇に入れたくない。

112小閑者:2017/07/16(日) 18:06:21
 そもそも恭也は語らなかったが、近代の戦場は刀を振り回していた時代の名乗り上げなど無い、互いに姿を隠して行動する純粋な殺し合いだ。仮に恭也が言ったように射線を躱し続ける事が出来る技能を持っていたとしても、認識の外から撃たれればそれまでなのだ。
 索敵こそが最初の、そして最大の難関なのだ。気付かれる前に敵を発見できれば、奇襲をかける事で圧倒的にリスクが下がる。この索敵能力の高さこそ、御神の剣士が戦場に立てる最大要因といえる。

「恭也さん、ひょっとして鉄砲持った人と戦った事あるん?」
「いや、演習に参加させて貰っただけだ。ッと、スマン脱線したな」

 恭也が軌道修正を告げた為、演習だから簡単だとでも?と言う言葉は全員の胸の内で蟠る事になった。演習とは実戦で役立つレベルで行うからこそ価値があるのだ。

「“全て永久(とこしえ)に動く事なかれ”と言う称号の通り、八門の流派は組織だって動く事を禁じられていた。その気になれば嘘でも誇張でもなく国家転覆できるような流派だからな。
 もっとも、強制力に成り得るものが互いの流派しか無いと言っても過言ではなかったから、結局互いを監視させる制度を作るしかなかったんだろう。
 そして、逆に個人で動く分には干渉されない。だから、護衛を仕事にする者が多く、それなりに名前が売れていった。
 重武装の出来ない街中であれば御神流を名乗れる実力を持つ者と渡り合う事の出来る者など、皆無ではないが極僅かだ。
 だから、襲撃者側から恨みを買う事になる。
 そして、“不破”と言う姓は、御神宗家の最大分家であり相手によっては御神より余程大きな恨みを買っている。
 だから、実力の無い者が流派を名乗ることを禁じられていると言うのは方便ではない。
 これが、俺が流派を隠した理由であり、姓を名乗らない様に、八神の姓を借りた理由でもある」

 恭也は言葉を切ると悲しさを隠しきれていないはやてに頭を下げた。

「すまない、はやて。俺はお前の厚意を利用した」
「…ええねん。それは私らを守る為でもあったんやろ?
 恭也さんかて名乗らんければ済むのを、大切な苗字の事で、吐かんでもええ嘘吐く事になったんやから。
 …でも、今でも八神の苗字に抵抗ある?」
「…いや、その、なんだ。こういうことは言葉にすると空々しく聞こえるから好きじゃないんだ」
「そか。私も今ので十分分かったから、もうええよ。でも、偶には言葉にしてくれた方が私は嬉しいかな」
「…善処しよう」

 はやての嬉しそうな笑顔からばつが悪そうに視線を逸らしたところで、恭也はヴィータとシグナムの突き刺す様な視線に漸く気付き話を再開する。

「度々すまん。
 言い遅れたが、御神と不破の名は口外しないでくれ。一族が滅亡して10年が経つとは言え、誰が聞いているか分からないんだ。警戒するに越した事はない」
「まさか、お前の家が焼けたのって…」
「可能性はある。ただ、言っては何だが、あの人達を出し抜くのは並大抵の事ではないから少々信じ難いと言うのが正直な所なんだが…」

 恭也は一息付くと一同を静かに見渡す。
 その視線は家族の死についての話題に揺れる事も無く、はやてにも感情を読み取ることが出来ないものになっていた。
 一月前には家族と共に在る事を当然の日常としていたであろう少年とは思えない。
 一族が滅亡する事態が絵空事ではないと以前から考えていたのだろうか。それとも麻痺した感情が撥ね付けているのだろうか。
 どちらが良いのかはやてには分からない。ただ、少しでも恭也にとって痛みの少ない方であって欲しかった。

113小閑者:2017/07/16(日) 18:06:57



「ここまでが隠し事、次は新しく気付いた事だ。
 最近、街中を歩くと人違いで声を掛けられる事が多い。夕方に話題にした翠屋と言う喫茶店の息子によく似ているそうだ。
 身長は180を超えるらしいから、明らかに頭二つ分は体格が違うのにその人物の妹にまで間違われた。雰囲気が似ているそうだ」
「あ、声掛けられたって…」
「ああ、この事だ。
 先日まで、俺は自分がその人物と同一人物ではないかと疑っていた。正確に表現するなら俺がその人物の偽物である可能性だ」
「…え?」

 はやては、恭也が文章を読み上げたかの様に感情の篭らない声で語った内容が何を意味しているのか、咄嗟に理解出来なかった。

「まって…待って!
 何言うとるん!?恭也さんはここにおるやん!その人がどんな人か知らんけど、恭也さんはここにおる恭也さんだけや!」

 縋り付く様に恭也の腕を掴むはやての方が余程追い詰められている様に見える。その事がヴィータの気に障る。どうしてコイツは何時も何時も!

「恭也!はやてに『辛いことは辛いって言え』っつったのはテメーだろうが!何普段通りのボケ面晒してんだよ!」
「失礼な。誰がボケ面だ」

 落ち着かせる様にしがみ付くはやての頭を撫でながら、ヴィータに向かって見て分かる程の苦笑を表す。

「話を戻すが、それは精神的に疲弊していた時期に何の根拠も無く浮かんだ、普通に考えれば有り得ない様な単なる妄想だった。
 思い付いた時には一笑に付したんだ。
 頭から離れなかったのは事実だが、その頃に知っていた共通点は年齢と容姿だけだったしな」

 シャマルは言葉が途切れた恭也に制止の言葉を掛けるべきか迷った。
 人に話すことで心が軽くなる事がある一方で、口にする事で曖昧だった思考が明確な形を持ち、心を傷付けることもある。
 悩んだ結果、結局シャマルは止める事を止めた。ここまで感情も思考も隠されてしまっては悩みの相談に乗ることも出来ない。恭也が悩んでいない訳が無い、それを知っていて放置できる程、恭也との距離は離れていない。

「過去形なのは、想像の域を出るだけの証拠が揃った、と言う意味かしら?」

 シャマルの補足するための質問に恭也が頷き、話を続けた。

「未だに面識もないが、その人物についての情報は増えていった。
 名前は高町恭也。大学生、男性、一般人からは掛け離れた身体能力を持つ格闘技経験者。
 父・士郎、母・桃子、恐らく妹・美由希、そしてなのは。
 たったこれだけの情報だが、一致する符合が多過ぎた。
 名前や身体能力は勿論、正確な年齢は聞いていないが、大学生なら二十歳前後、俺がこの時代まで順当に歳を重ねたとすれば一致する。
 俺の父の名も士郎と言い、妹の様に一緒に育った親戚は美由希と言う。
 母は違うが、逆に高町桃子が二十歳前後の子供を産んだと言うのは無理がある程若く見えた。後妻と考える方が妥当だろう。
 つまり、本物の不破恭也は10年前の火事で生き残り、不破士郎、御神美由希と共に消息を消して家族として過ごし、後年、士郎が桃子と再婚し高町なのはが生まれ、現在に至る。それが本来の歴史ではないかと考えている。
 高町姓が消息を絶つ為の手段なのか、再婚した際に母・桃子の家に婿入りした為かはわからないがな」
「では、お前と言う存在はどう説明を付ける?」

 シグナムが感情を殺した声で問い掛けた。先ずは恭也の考えを全て吐き出させる積りなのだろう。

「さあな。
 自然発生した異常の塊でも構わないが、御神の戦闘力を欲した組織が作成したクローン体の方がまだ現実的か?
 何れにせよ、シャマルから酷似した世界は存在しないと、観測されたことは無いと聞いている。そして、この世界に高町恭也が存在している以上、俺は高町恭也の偽者と言う事になる。
 クローンなのか、生霊なのか、ドッペルゲンガーなのか、もっと他の何かなのか。何であるにせよ、“高町恭也以外の何か”だ」

 はやては、自身を偽者扱いする恭也に対して、不満げな顔ながらも今度は止めることはなかった。

114小閑者:2017/07/16(日) 18:07:29

「続き、あるんやろ?」

 続きを促すはやてを恭也が見返す。意外だったのだろう。

「恭也さん、自分の事は我慢出来てしまうやん。それはそれで不満やけど、恭也さんが気にしてるんは違う事やないの?」

 不機嫌そうな表情に不安と心配が隠しきれず透けて見えるはやてを恭也が見詰める。その視線を順に他の4人に移すと、浮かべる表情こそばらばらだが垣間見える感情が同じである事は直ぐに察した様だ。

 恭也がゆっくりと息を吐き出す。
 気持ちを落ち着ける様に、噛み締める様に。

 はやてはこれ程はっきりと感情を顔に浮かべる恭也を初めて見た。こんな話の最中だと言うのに顔が熱い。
 不機嫌な表情を維持できなくなり、恭也から顔を隠すために釘付けになる視線を恭也の顔から引き剥がすと、それが自分だけではない事が分かった。ヴィータからシャマルまで幅広い年齢層に有効とは恐ろしい限りだ。
 唯一の救いは、それが性別の壁を超える事がなかった事か。ザフィーラに人の姿をとる事を禁じずに済んで本当によかった。
 はやてが視線を戻すと恭也は既に平静を取り戻し、皆の様子に気付くことなく続きを語りだした。

「最初にこの可能性に気付いた時には悩まなかったとは言わないが、開き直るのにさほど苦労はしなかったんだ。
 何であれ俺はここに居て、“個”としての自分を自覚しているからな。直ぐに高町恭也の偽者であろうと構わないと思えるようになった。
 だから、俺が“高町恭也の記憶を持っている何か”であっても、それはそれで構わなかったんだ。
 思い付いた時に一笑に付した理由はそれだ。
 強がりではなく、そう思えるようにはなったのはこの家に住まわせて貰っているからだろう。…本当に感謝している」

 恭也が照れ隠しの為に付け足す様に、紛らわせる様に呟いた感謝の言葉については誰も触れなかった。本心からの言葉を茶化す者などここには居ない。
 恭也も何も無かった様に、しかし、改めて感情を消した声で続きを話し出した。

「自分自身の存在については一応の結論を出せたんだが、その後、記憶と現実の齟齬に気付いてしまった。俺にとってはこちらの方が余程大事だった。
 高町士郎の娘である高町なのはが今年9歳になるそうだ。これでは10年前に一族が滅亡してから1年と経たずに不破士郎が再婚したことになる。
 御神の流派に名を連ねる者が、ただの事故だと言う証拠を並べられた所で襲撃である可能性を無視するとは思えない。必ず周囲を巻き込む危険を考えて暫くは身を隠すはずだ。
 俺が知る限り、不破士郎は巫座戯た言動や子供の様な振る舞いをする事はあっても、周囲の人間を危険に晒すことは極力避けていた。結婚を考えるような相手であれば尚更だろう。
 あるいは高町なのはが高町桃子の連れ子で不破士郎とは血縁が無いのかもしれないが、流石にそれを本人には聞ける訳が無い。
 この矛盾に気付いてからの方が、高町恭也の偽者説を真剣に否定しようとしたよ」
「…何故だ?記憶と現実がずれているなら、お前が高町恭也とは別の人間であるということだろう?
 それはお前が観測されていない近似した世界の住人と言うことになるのではないのか?」
「可能性は勿論ある。だが、俺は悲観的な精神構造をしているようでな。
 誰も観測したことの無い世界の存在よりは、有力だと思える説を思い付いた。
 俺の記憶が間違っている可能性だ」
「…何?」

 シグナムには返された答えの意味が理解できなかった。自分の抱いていた父親の人物像でも間違えているというのか?
 シグナムの考えている事が分かったのか、恭也が苦笑交じりに補足する。

115小閑者:2017/07/16(日) 18:08:05

「間違いの程度にも依るんだがな。
 俺の父親がどうしようもない碌でなしだったと言う程度でなかった場合、俺の記憶が全て間違っている可能性が出てくる。
 高町恭也の記憶を元にして、俺自身が記憶を改竄している、或いは俺を製造した者の意図によって改竄した記憶を持たされている可能性だ。
 常識的に考えれば有り得ない内容ではあるが、俺の知る常識には魔法など無いし、その非常識な魔法でさえ近似世界を否定しているとなれば、“俺の存在していた世界”こそが有り得ないんだろう。俺が偽者であった場合、俺の家族が何処にも存在していなかったことになると思ったんだ。
 転移してきたのが俺しか居ない以上、答え合わせのしようが無いからな」
「それは、…悲観的に過ぎるだろう」
「そうか?ザフィーラだって知っているだろう。元々人の記憶は時と共に本人の都合の良い様に変質して行く物だ。
 人間は記憶の“忘却”や“変質”が出来なければ生きて行くのが難しいらしいからな。
 第三者に依るものだとしたら何の意味があるのかはわからないし、俺を放置したままにしている事は説明がつかないが、どちらも相手の都合であって俺の状態とは直接関わりが無いから無視した。
 だけど、まぁ、俺もこの記憶が、覚えている家族が存在しないなんて事はあって欲しくはなかった。だから、今日、高町恭也の父と妹の名前を聞くまで偽者説を否定し続けてきた」

 淡々と語る恭也がどの様な心境なのか、はやてには想像しきれている自信がない。

「だけど、今日、高町家が経営している喫茶店で聞いた士郎と美由希と言う名前は無視する事が出来なかった。
 “頭から信じていない”態度として、“疑う”態度もとらない様に意地を張っていたんだが、軟弱なことに名前を聞いてからは確かめずにはいられなくなった。
 喫茶店を出た後、止せば良いのに、以前高町なのはを送っていった時に知った高町の家へ家捜ししようとして行ってみたら、偶然、玄関の前で美由希に会った」

 美由希の母である美沙斗に良く似た女性。
 10代半ば辺りまで成長した美由希を想起させる、美由希の面影を持った女性。
 気配も仕草も驚いた時の癖も、恭也がよく知る御神美由希と同じ、女性。

「もう、どんな言い訳も思い浮かべる事は出来なくなっていた。
 それでも、記憶の齟齬が小さいものであると思いたくて史実と記憶を突き合わせることにした。
 図書館でもう一度過去の新聞記事を確認したんだ」

 誰にも声を掛ける事が出来ない。予想出来る話の結末に反して、未だに恭也は口調からも表情からも感情を隠しきっていることが、痛々しさを助長している。

「判明するのに時間は掛からなかった。火災事故の一番最初の記事に載っていた。前回閲覧した時に気付かなかったのが不思議なくらいだ。
 結婚式の日取りが、俺の記憶より3年早かったんだ」

 恭也が何度目かになる大きく息を吐き出す姿を見てもはやては口を開かなかった。
 もう、恭也が完璧な人間であるとは思わない。これほど不安を抱いて揺れている姿を見ればそんなことは思えない。
 それでも、期待してしまう。まだ、恭也の目が全てを諦めているようには見えないから。

「…記憶を共有してくれる人がいない今の俺には、物心ついてからの数年間が全て幻だった可能性を否定する事が出来なくなった。
 …今となっては想像も出来ないが、もしもあの時気付いていれば、近似した世界の存在に縋る事も出来たのかもしれない。
 …でも、今は無理だ。どれだけ思い込もうとしても出来そうにない。

 それでも、嫌だ。
 死ぬのは、仕方ないと思う。生きていて欲しいとは思うけれど、永遠の命なんて無いんだ。少しでも幸せだと思える事が多くあってくれる事を願うだけだ。
 でも、あの人達が存在しなかったなんて事は、絶対に嫌なんだ」

 起きてしまった事実の説明ではなく、感情を源とした拒絶の意思。
 淡々とした口調のままではあるが、自発的に恭也から明確に感情を示す言葉を聞いたのは誰もが初めてだった。

「だから、これから探そうと思っている。俺の居た世界が存在している証拠を。出来ることなら帰る方法を」
「…え?」

 この状況で尚、思考を放棄していない恭也の言葉に、しかし、はやては安堵する前に自分の耳を疑った。
 帰る?何処へ?そんなの決まっている。そうか、恭也の家は、ここではなかったんだ。

「…わっ!?なに!?」

 突然髪を掻き混ぜるように頭を撫でられた事に驚いて顔を上げると、苦笑を浮かべた恭也に見つめられた。

116小閑者:2017/07/16(日) 18:08:35

「探すと言っても何の当ても無いんだ。
 魔法の発展していないこの世界に、その手の資料など有る訳が無い。だから、頼るとすれば魔法の世界の警察機構だが、存在することはシャマルから聞いたが伝どころか連絡手段すら分からない。
 結局、現状維持と全く変わらない」
「そうなんか!…ごめんなさい」
「いいさ。そこまで慕われていると悪い気もしないしな」
「うぅ」
「フッ。
 だが、逆に言えば仮に帰る手段が見つかったなら、それは千載一遇の機会だ。連絡する余裕があるとは限らない。状況にも依るが飛び付く事になる。
 不義理となることは承知しているが、突然消息を絶ったらこの関係だと思ってくれ」
「なっ!てめぇ、散々世話になっておいて挨拶も無しにトンヅラするってのかよ!」
「ヴィータ、あかん、やめて!ええねん!恭也さんが帰れるならその方がええに決まってる!」
「良いことなんてあるか!そんなの納得できねぇよ!シャマル!シグナム!ザフィーラ!何で黙ってんだよ!」
「…我々が、闇の書があるからか?」
「ザフィーラ?」
「闇の書が何か関係あるの?」

 ザフィーラの発言にヴィータが怒気を抑え、はやてが問い掛ける。

「…想像でしかないが、治安機構であれば過去に犯罪に関わった物品を所持していることは処罰まで行かなくとも、取り締まりの対象になるんじゃないか?」
「そんな!うちらは何にも悪いことしてへんよ!?」

 恭也の疑問に反論したはやての言葉に4人の表情が硬くなるが、幸い恭也を注視しているはやての視界には入っていなかった。
 恭也も承知しているため、はやての視線を固定するために正面から見つめながら言葉を続けた。

「知っている。
 だが、はやてより前の持ち主全員が善人ではなかったとも、シャマルから聞いている。
 日本では登録する事無く拳銃を所持していれば取り締まられるだろう?
 事件が発生してからでは被害が防げない以上、ある程度の規制は有効な手段だ。
 実際にその組織がどういった行動を採るかは分からないが、内密にしておくに越したことはない」

 はやてにもその理屈が十分に理解できることを承知している恭也は、優しくはやての頭を撫でて間を取ると言葉を足した。

「あまり深刻に考えないでくれ。
 そもそも魔法関連の治安機構に連絡が取れるかどうか分からないし、取れたとしても元の世界に帰る手段があるかどうかは分からないんだ。
 存在の立証はして貰いたいが、それすらも難しいのかもしれないしな。
 帰る手段が見つかったら、せめて連絡を取れる時間くらい貰える様に話してみるさ」
「…うん。見つかるとええね」
「ああ。ありがとう」







「それで、何処まで本気なんだ?」

 恭也に問い掛けながら、はやての入浴中に行うこの密談めいた遣り取りも回を重ねたな、と妙な感慨に浸るシグナム。
 ヴィータはほぼ毎回一緒に入浴しているとして、シグナムかシャマルのどちらかがはやての補助として付くことになる。
 基本はシャマルが、はやてに指名された日にシグナムが当たるため、自然にはやてに聞かせられない情報の遣り取りを恭也とするのはシグナムである事が多くなる。

「普通、事実確認から始めないか?」
「あれが嘘だとは思えなかったがな。だがまあ、確かに手順としてはそちらからか」

 密談の割にはシグナムにも恭也にも人型のザフィーラにも固い雰囲気はない。気負っても状況が改善される事が無い以上、家では無用に硬くなるべきではないとの恭也の提案を受けての事だ。

117小閑者:2017/07/16(日) 18:09:10

 ちなみに、恭也の隠し事の対価としていたヴォルケンリッターの秘密、闇の書の作り出したプログラムである事は既に明かしてある。
 恭也の反応は「そうか」の一言。予想はしていたものの流石にヴィータが「他に反応は無いのか!」と言うと、悩んだ挙句「凄いな」だった。
 自身が人間どころか生物ですらない可能性さえ受け流して見せたのだから当然の反応と言えるが、驚きさえしないとは。
 唯一シャマルだけが、恭也の精神が飽和しかけている事を危惧していると解散した後に思念通話で全員に伝えてきた。
 転移して来た事を含めてこの一ヶ月に恭也が体験したことは通常なら有り得ない事ばかりなのだから危惧して当然の内容だが、転移した直後から恭也を見続けているシグナムは元々こうなのでは?と密かに疑ってもいた。

「良いけどな。
 先程話した内容については、9割方本当だ。違うのは管理局に伝があること位か」
「伝だと?知り合いが、いや、何処かで遭遇したのか?」
「…ここは少し位は疑うべき所じゃないのか?」
「疑う?お前をか?
 フッ、お前にしてはユーモアに欠けた冗談だな」
「…もう良い。くそっ」

 恭也が失笑するシグナムとザフィーラに照れ隠しに悪態を付く。随分態度に感情を表す様になったなと言葉にする事無く、ザフィーラが感慨に浸る。

「話題に出した高町恭也の妹、高町なのはが管理局に関わっている。立場は嘱託魔導師、民間協力者だな。恐らく、あなた達が昨日の夕方に交戦して蒐集した対象だ」
「知り合いだったのか。それは、」「謝るなよ?」
「…そうだな」

 自分達のしている事は友人知人でなかったとしても赦される事ではないのだ。ならば友人知人が相手であったとしても謝罪するのは筋が通らない。

「高町家では魔法使い、魔導師だったか?それは高町なのはだけの様だ。魔導師の才能が血筋に遺伝するものなのかどうかは知らないが、少なくとも魔法を使える者は1人の様だ。
 ただし、高町の友人の内、少なくとも2人は魔導師だ。
 ユーノ・スクライアとフェイト・テスタロッサ。2人とも高町と同年代。
 スクライアは男で結界を得意とする様だ。他の魔法を使っている所は見た事が無いから、隠しているだけなのか使えないのかは分からない。
 テスタロッサは女で、魔法を使用している所は見た事が無いから分からない。格闘技は多少齧っている程度だ」
「格闘技経験まで分かるのか?」
「シグナムだって、立ち居振る舞いで多少は分かるだろう?もっとも、テスタロッサに関しては挑発して交戦したんだから自慢する程のことではないがな。
 その時は無手だったが、武器を使用するタイプだろう。射程は1m程。武装は恐らく両手で扱うタイプで刺突には向かない物だから剣や槍ではなく、斧かそれに準じた形状。柄まで含めれば身長とほぼ同じ長さ1.3mといったところか。
 心当たりはあるか?」
「…ある。男の結界は薄い緑色、女の方は腰に届く位の金髪だろう?」

 頷いて返す恭也を眺めながらザフィーラは思う。“これ”を量産していたと言う事は、この国も実はあまり平和ではなかったのでは?

「提供できる情報はこんなところだろう。
 誘い出す様な類の手伝いは必要ないな?
 活動を続ければ嫌でも交戦することになるだろうし、俺の行動にも差し障る」
「ああ、テスタロッサとは遠からずぶつかることになるだろう。
 だが、お前の行動とは?」
「はやての治療について別の手段がないか探そうと思っている。
 差し当たっては管理局に情報が無いか探る積りでいる」
「…理由は?」
「あなた達の活動が破綻した時の保険だ。犯罪以外の方法が見つかるならそれに越した事は無いしな」

 確かに管理局と明確に敵対した以上、蒐集活動が破綻する危険は飛躍的に上がっている。1対1で負ける積りはないが、多数を相手にすれば不測の事態は必ずあるだろう。“質”が力である様に“量”も間違いなく力なのだ。恭也の考えを否定するほどシグナム達も管理局を低くは評価していない。

118小閑者:2017/07/16(日) 18:09:51

「薮蛇になる可能性もあるぞ?」
「それについては後でシャマルに相談するが、リスクを背負うだけの意味はあると思っている」

 ザフィーラの当然の懸念にも恭也が動じる様子は無い。
 ザフィーラもシグナムも、恭也が承知して尚行動すると言うなら止める積りは無かった。蒐集についても綱渡りである事に変わりは無いのだ。その方針を認める位には恭也のことも信頼している。

「突然音信普通になってもはやてに訝しがられない程度の言い訳はした積りだ。
 あなた達も外で、管理局に縁のある者がいる所で俺と出会ったら他人として接してくれ。ヴィータやシャマルにもその様に」
「わかった。
 …元の世界に戻る方法を探すと言うのも本当なのか?」
「ああ、本当だ」

 即答した恭也に問い掛けておきながらシグナムは言葉を返す事が出来なかった。それは恭也にとって、何より優先しなくてはならないだろう事だから。
 ザフィーラにもそれが分かっていたが、おざなりにする訳にはいかない内容である事もまた、分かっていた。

「…それが、主の利に反する事であった場合には、―――どうする、積りだ」
「さあ、な。
 まあ、あなた達が俺の行動をはやてに害成す物だと判断したなら、躊躇せずに切り捨ててくれ。精神的にも肉体的にもだ。
 …迷うなよ?」

 恭也の挑発的とも取れるその言葉は、内容に反して2人には懇願されている様にしか聞こえない声だった。




続く

119小閑者:2017/08/06(日) 23:48:00
第14話 接近




 フェイトは心此処に在らずと言った表情のまま、帰路に着いている。先程まで恭也と過ごした夢の様な時間が原因である事は明らかだ。

「フェ、フェイトちゃん、大丈夫?」
「余り気にしない方が良いよ?」
「…無理だろ、そりゃ」

 同道しているなのはとユーノの言葉を否定するのは子犬形態のアルフだ。犬の表情が読めないなのはとユーノには分からないが、アルフもフェイトと同じ心境なのだろうか?
 フェイトはゆっくりと首を巡らし、今、自分の心を独占している恭也の事を少しでも知ろうとなのはとユーノに問い掛けた。

「…どうして魔法も使わずにあんな動きが出来るの?」

 言葉にしたことで思考が動き出したフェイトは、先程の、夢であって欲しい早朝訓練での恭也の体捌きが脳裏に鮮明に甦る。



 魔法の有無が圧倒的な優劣に繋がるのは、魔法の存在を知る者にとっては常識だ。
 御伽噺として正義の魔導師達一行が、自分達より高位の悪い魔導師を倒すという物語があるが、仮にこれが史実であったとしてもランク差を覆している訳ではなく数の暴力に訴えているだけである事は年齢を重ねて行く事で気付く事だ。勿論、コンディションの好・不調はあるためランク差だけで勝敗を決め付ける事は出来ないが、魔導師ランクとは保有魔力量、魔力の収束率、魔法の展開速度と言った魔法に関する物だけでなく、敵との駆け引きや使用する魔法の読みあい等の状況判断力も含めて評価している以上、簡単に覆らない事も事実なのだ。2つ以上ランクに開きがあれば容易にひっくり返すことは出来ないと思って良い。
 フェイトはその常識に則って恭也の実力を測っていた。見下していた訳ではない。相手とどのような関係であったとしても公正かつ厳格に見定めなければ、過剰に評価した結果戦場で命を落とす可能性があるのだ。相手の事を思うのであれば尚更正当に評価しなくてはならない。
 …別に評価に影響する様な感情を恭也に対して持っている訳じゃないよ?あくまで一般論だよ?
 フェイトは公園での魔法抜きでの対戦で遅れを取ったことは認めているが、魔法を使用すれば立場は逆転すると考えていた。魔法を使えない恭也に対して魔法を使う事で優位に立ったとしても自慢できる事だとは考えていないが、先にも述べた通り、絶対的な評価なのだ。
 だから、如何にレイジングハートが修理中の為にデバイスを使用していないとは言っても、なのはの誘導弾を大した回避行動を取っている様に見えないのに躱し続ける恭也の姿に唖然とした。フェイトもアルフも近接戦闘をこなす事は出来るが、恭也の動きは明らかに自分たちの、バリアジャケットの防御力に頼った動きではない。
 本調子ではないとは言え、なのはの腕が低い訳ではない。むしろ、PT事件後になのはとフェイトで本気で行った1対1での試合より格段に誘導弾の扱いが向上している。だから、フェイトの目から見てもヒットした様にしか見えない弾が何発もあったのに、被弾していない恭也こそ異常なのだ。だが、なのはに落胆した様子も驚愕した様子も見受けられない。つまり、この結果は2人にとって当然の事なのだろう。
 それどころか、恭也が回避運動中に時折放つ木の実がなのはの体に当たっている。なのはも決してその場に留まり続ける事無く空中を飛び回っているし、稀ではあるが反撃に気付いて対応しようとする事もある。フェイトが認識している範囲では努力も虚しく全弾命中しているが。
 だが、フェイトの動きと比較すれば劣るとは言え、なのはとて鈍重な訳ではないし直線的な機動を取っている訳でもない。恭也の飛礫が誘導弾では無い以上、なのはの動きに合わせて投擲して中てられるとは思えないので、なのはの動きを先読みして仕掛けている筈なのだ。それがここまで命中するものだろうか?

120小閑者:2017/08/06(日) 23:49:26
 フェイトとアルフが参戦していないのは、どの様な練習をしているのか見てからの方が良いだろうと恭也が提案したからだ。フェイトとアルフとなのはは額面通りに受け取ったが、ユーノは恭也の意図を察していた。
 魔法を使えない恭也に対して、アルフはともかく、フェイトがなのはと組んで本気で攻撃する事が出来ないと予想したのだろう。三つ巴で始めるのも手ではあるが、恭也への遠慮が無くなる訳ではない。
 空中へ距離を取って範囲攻撃でもしない限り、フェイトにもなのはにも恭也に勝てる要素はないと言うのがユーノの評価だ。勿論、魔法を知る者にとっては驚愕するべき内容だが、表現を変えるなら、恭也は相手が手の届く範囲に居なければ勝つ方法が無いと言う事だ。
 もっとも、なのはは以前恭也に「どうしても」と乞われて、上空から誘導弾を交えた砲撃で狙い撃ちした事があるが、恭也は20分近く逃げ続けて見せた。結末としてはディバインバスターの爆風でバランスを崩した恭也を誘導弾で打ち抜いた事で決着となったが、なのはが落ち込みまくったのは言うまでも無いだろう。それ以来この訓練は行っていないが、次回があれば間違いなく被弾までの時間を大幅に延ばしてくることは経験上明らかだ。

 フェイトが恭也への認識を改めた事を察したユーノが、交戦中の2人を止める事も、宣言することも無く、フェイトとアルフに参戦を促した。流石にフェイトが戸惑ったが、「恭也はその程度の不意打ちに気付かない様な可愛げのある奴じゃないよ」と言うユーノの台詞に、正確には台詞の直後に飛来してユーノが事前に張っていたシールドにぶつかり粉砕された木の実と、離れた所から聞こえた舌打ちに心底から納得した。既に不意打ちではなくなっていたが。

 この後、フェイトは即席ながらもなのはと連携しながら恭也に挑むが、当然のように軽くあしらわれて終わった。納得行かない、とバルディッシュに見立てた棒を持つとアルフと共に自身の得意とする近接戦を挑むが、それこそ文字通り恭也のテリトリーに踏み込む行為だ。結局恭也を捉える事が出来ずに、一発ずつのデコピンを喰らったフェイトとアルフは戦意喪失し、盛大に凹む事になった。(なのはは恭也に負ける事に慣れている)




 余談になるが、魔導師はデバイスがなくても魔法を使う事が出来る。ただし、単純な演算処理は一般的に人間の脳よりデバイスの方が向いている為、デバイスを使用する事で術の発動までの時間が短縮出来るし、威力・照準精度が向上する。敢えて使わない者はまずいない。
 また、デバイスは大別すると魔法が詰め込まれているだけのストレージデバイスとプラスして人工知能を載せることで魔法の補助や簡単な状況判断を行って自動的に魔法を起動する事も出来るインテリジェントデバイスの2種類となる。
 共通して言えることはデバイスには魔法が詰め込んであり、使用者の意志で呼び出して魔法を行使すると言う事だ。魔法と言うアプリケーションを使用するために外付けHDDであるデバイスからソフトを呼び出し、CPUとメモリを担当する術者が起動する。この時演算処理の一部をデバイスに任せることで威力と照準が上がる。結局人間が行うのは威力・照準・誘導となる。
 デバイスはAIの有無で分類されるが、それとは別に使用者の好みによりカスタマイズされる。例を挙げるなら、術者の負担を大きくしたのがなのは、逆に最小限にしたのがクロノ、例外に属するのがユーノだ。
 なのはは威力設定や照準を感覚で行っている。勿論、いい加減なのではなくその逆の成果が得られるためだ。
 射撃において弾丸は直進しない。これは質量兵器だけでなく魔力弾にも言える事だ。物質に作用すると言う事は物理的な力である、大気の流れ、惑星の重力、自転・公転の遠心力が魔力弾に影響を与えると言う事。如何に砲径が大きいとは言え誘導の利かない砲撃で長距離射撃を成功させる照準の算出はデバイスでも難度が高いのだ。そしてその不可能を可能とするものこそ、保有魔力量に隠れがちななのはの天性の勘である。

121小閑者:2017/08/06(日) 23:50:46
 クロノは魔法を使用する上で自分自身の役割を魔力タンクと割り切り、一切の手順をデバイス任せにしている。
 一見効率的に見えるこの方式を採る者が少ないのは、第一に熟練者にしか許可が下りないこと。この方式は例えるなら銃身の強度が低いのにマグナム弾を装填出来てしまうと言う事だ。そんなことをすれば当然自爆する事になるため許可制とされている。自身で魔法を起動すれば、不相応な威力の魔法はそもそも発動しないのだ。
 また、感覚に頼るところの少なくない魔法を完全に道具として扱う事が難しい事もある。術の使用をデバイスに任せているのに、魔法を使用する度に設定してある威力や弾速等をマニュアルで再設定していては本末転倒どころかマイナスになる。解決方法は至って単純で、デバイスに多種の魔法と豊富なバリエーションを登録しておき、必要な場面で必要な術を選択すれば良い。
 この点が選択のポイントとなる。一部の演算を自身で行うことで微妙な匙加減を感覚で行うか、僅かながらでも威力や発動速度を稼ぐ為に運用面で苦労するか。
 人間の“感覚”で最適化された加減がどれほど優秀であるかは、「生卵と鉄塊を力加減だけで掴み分ける事」だけを機械に再現させるために莫大な演算処理を必要とする事からも分かるだろう。
 適正の問題である為、選択そのものに優劣は無いが、それまで慣れ親しんだ方式を捨ててまでクロノと同じ選択をする者が決して多くないのが実情でもある。
 一方、ユーノはデバイスを使用していない。
 地球に来た当初はレイジングハートを所持していたが、持っていただけで正式にマスター登録はしていなかったし、今はなのはに託している。管理局局員であれば、少なくとも代わりのデバイスは持たされただろうが、ユーノには当て嵌まらない。また、PT事件はまだしも、今回はなのはに協力しているだけで、積極的に魔法戦闘に参加している訳ではないと言う中途半端な状態にある事も一因と言えるだろう。
 ただし、これらはユーノを取り巻く“状況”に過ぎない。デバイスを持たない最大の理由は、ユーノ本人がデバイスを必要としていない為だ。これはユーノの得意分野である結界魔法を始めとする補助魔法が簡単だからではない。逆に、結界や防壁は“破れてはいけない物”と言う意味では、消耗品である攻撃魔法より緻密で堅牢な構成を必要とする。デバイス抜きでそれを成し得るのは、偏にユーノ個人の演算能力がずば抜けて高いためだ。攻撃魔法の適正が低く、保有魔力量が特出していない為に目立つ場面が少ないが、魔法技能だけを見れば後に陸海空で若くしてトップエースと呼ばれるようになる3人娘に決して引けを取る事はない。
 後に無限書庫の司書長を務める事が出来たのも、デバイスに負けない演算能力と、莫大な記憶領域を併せ持つからこそと言える。




 自身の価値観や評価基準をボロボロにされたフェイトの姿は、恭也を見慣れているなのはにとっても自分の感覚が一般的でないことを認識させられる為辛いものがあった。尤も、魔法に触れるようになって半年ほどのなのはがフェイトより柔軟だったのは当然なのだが。

「恭也君みたいな事が出来る人なんてきっと他にはいないよ」
「そうそう。あんなの使い魔にだって余程の処置を施さなきゃ出来ないんだから、生身の人間には出来ないよ」
「…そ、そうかな?」
「この世界の人間全員が出来る訳じゃ…なのはもこの世界の出身だっけ。じゃ、キョーヤが異常って事で良いのかい?」
「随分な言い草だな。少なくとも前例が目の前に居るなら他にも出来る者が居ると思うべきだろう?」
「ゴキブリ見たいな存ざっっっくぅー!」
「背後を取られていながら大胆不敵だなスクライア」
「い、今凄い音がしたんだけど!?」
「だ、大丈夫?ユーノ君」

 後頭部を押さえて蹲るユーノになのはが声を掛けるが、幸いな事に恭也のデコピンを受けた事のないなのはにはどれ程の痛みなのか想像も付かない。出来れば知る事無く済ませたいと思ってもいる、切実に。

122小閑者:2017/08/06(日) 23:51:24
「まあ、実際の所、テスタロッサもデバイスとやらを持っているんだろう?高町はデバイスを持ったら誘導弾の数が5つに増えた上に軌道が鋭くなったからな。テスタロッサも同等と考えても良いんだろう?戦い方の相性にも依るから一概には言えないが俺を打倒するのはそう先の話ではないだろう。まあ、早い内に1対1で俺を打倒できるようになるんだな。
 いつも高町とテスタロッサが行動を共にしている訳ではないだろうし、俺と同等以上の体術を持つ者が複数現れたら今のままでは対応できないことになる」
「…痛たた、ふう。だから、そんな可能性まず無いんだから心配しなくても」
「そうだね。一応恭也君に対応する方法もあるにはあるんだし」
「?……まさかとは思うが本当に俺程度が他に居ないと思っている訳じゃないだろうな?
 待て、不思議そうな顔をするな。あと、高町、距離を空けて砲撃する事を言っているなら屋内で奇襲をかけられたら如何する積もりだ」
「あ」
「そりゃ絶対に居ないとは言わないけど、心配する程じゃないだろう?」

 平然と楽観論を口にするユーノから視線を転じるが他の3人も似た表情が浮かんでいる。実際ユーノやフェイトは、他の世界の人型の種族の中にはこの世界の人類と比べて筋力や瞬発力といった基本能力が高い種族が存在することを知っているが、それとてあくまでも基本能力であって技術ではない。恭也の様な存在が確認されていれば噂話くらいにはなっていてもおかしくないのだ。

「危機意識がそこまで欠如しているのは信じ難いんだがな。
 聞き方を変えよう。俺の体術が独学だと思っているのか?思っているのか…」

 言葉にするまでも無く表情で訴える4人に恭也が盛大に溜息を吐く。
 恭也も「考えた事もありませんでした」と主張する驚愕の表情には他にリアクションの取り様が無いのだろう。
 なのはが高町家に居ながら御神の剣士の身体能力を知らないのは、彼らがなのはに鍛錬風景を見せていないからだ。知らなければ広める事は出来ない。戦闘技能を持たない家族の安全を図るのなら当然の処置だ。
 辛うじて再起動を果たしたユーノが呻く様に呟く。

「恭也って生まれた時からそのままって言うか、ある時突然その姿で発生した様な印象が…」

 聞かせる為ではなく、思考を挟む事無く思い付いた事が駄々漏れになっている感じだ。この上も無く不用意と言わざるを得ないが。

「…ほう。すまなかったなスクライア。お前の事を路傍の石程度にしか認識していなかった」
「ヒッ…、き、気にしないでよ。そそそそんなに気迫漲らせて謝って貰わなくても、だじょぶだから!」
「謙遜する事はない。今この瞬間から昇格して殲滅対象にしてやろう」
「ええええ遠慮させて頂きます!僕は石ころですからー!」
「きょ、恭也!」

 豹変、と表現できる程に劇的に雰囲気を変化させた恭也にフェイトが気力を振り絞って静止の声を掛ける。アルフは大型犬に姿を変えて、フェイトの盾になれる位置で歯を剥き出し全身の毛を逆立てて恭也を威嚇している。
 恭也が感情の赴くままに発散するプレッシャーはジュエルシードにより凶暴化して襲い掛かってきた怪物のそれとは一線を画していた。あの時も命の危険は確かにあったが、在り方が“現象”に近く明確な意志を感じ取る事がなかったのだ。
 声も無く身を竦ませるなのはが一般的な反応であり、言葉を発する事が出来ただけでもフェイトは胆力があると言えるだろう。逆に言えば真っ向からプレッシャーを受けて一番萎縮してもおかしくないユーノが、多少どもりながらも受け答えて見せた事こそ特異なのだ。これは遺跡調査におけるトラブルで獰猛な肉食獣に追い掛けられる経験を何度も積んできた成果だった。
 怯えながら後退りする3人に対して、恭也はその場に留まったまま全身の筋肉を緊張させていた。ユーノに襲い掛かるための予備動作、ではなく、正反対に怒りに任せて襲い掛かる誘惑に必死に抗っている結果だ。
 いくらユーノが昨日の喫茶店に居合わせたとは言え、あの遣り取りだけで自分の発言内容が恭也の逆鱗を逆撫で、どころか毟り取るのに等しい行為である事を察するのは無理だ。そもそも、喫茶店に居た時よりも解散後に恭也が調べて回った結果として至った結論なのだ。明確に説明したことも無く、知らない内に進展している状況を「全て察しろ」では傲慢にも程がある。恭也もそれを理解しているからこそ何とか感情を抑えようとしているのだろう。問題なのは、論理も理屈も道理も無視して“触れた”という一事のみで怒り出すからこそ“逆鱗に触れる”と表現するのだ。感情の爆発を理性で押さえ付けるのは容易なことではない。

123小閑者:2017/08/06(日) 23:51:55
 恭也が何度も大きく深呼吸した後、ゆっくりと3人の方を見据える。感情のコントロールを取り戻すことには成功したのか、少なくとも3人の恐怖心を喚起した何かは発散していない様だ。尤も、だからと言って即座に恐怖心が拭える訳ではない。顔を向けることも出来ないなのはが最も顕著ではあるが、ユーノとフェイトにも全く余裕が無いし、アルフは臨戦態勢を解除する素振りも無い。

「怖がらせて悪かったな。
 だが、まあ、良い機会でもあるんだろう。
 俺が身体を鍛えているのは逃げ回るためじゃない、戦うためだ。人を傷つけ、殺すためだ。
 それを踏まえて、まだ俺と関わるかどうか決めてくれ。暫くは早朝訓練に来ないことにする」

 恭也の言葉には落胆も諦観も悲哀も寂寥も感じられない。当然の事、そう思っているのだろう。
 察したフェイトは、思ってしまう。その考え方こそ寂しいのではないか、と。

「慌てて結論を出す必要はない。時間を掛けて考えてくれ」

 それだけ告げて普段通り走り去っていく恭也に対して、誰も声を掛ける事が出来なかった。



            * * * * * * * * * *



「恭也さん、何かあったん?」
「…はやて、俺の生活が波乱に満ちていることは認めるが、流石に瞬間の連続で出来ている訳じゃないんだ。何の前触れもなく日毎に事件が発生していたら身も心も持たないぞ?」

 はやてが問い掛けたのは、恭也が4人を威嚇してから数日経ってからの事だった。
 恭也は宣言通り、あの日から合同訓練には参加していない。とは言っても単独での早朝鍛錬は続けているため生活スタイルには変化がない。また、本当になのは達の反応を当然のものと考えている様で、落ち込んでいる姿を見せたこともなかった。だから、恭也の遠回しな否定の言葉は至って正当な内容なのだが、それを聞いても彼を知る誰からも同意は得られないだろう。今現在何かの事件が発生していなかったとしても、次の瞬間には事件の渦中に居てもおかしくない。それが多くの者が恭也に対して持つ認識だった。そして、多数派に属しているはやては、普段から恭也の行動に目を光らせている。
 ただし、外部から得られた情報と恭也の態度から読み取れる物を秤に掛けると、後者の重みがまるで無いため、あまり重きを置いていないのだが。

「今日、図書館で会ったすずかちゃんから聞いたんよ。なのはちゃんとフェイトちゃんが落ち込んでるて」

 はやての口からなのはとフェイトの名前が出たことで一緒に聞いていたシャマルの表情が強張った。その2人が管理局側に属していることは恭也から聞いているため、自分たちの事が露見しないかと気が気でないのだろう。ヴィータが居ればもっとあからさまに動揺していたかもしれない。
 実際には、はやてはすずかとしか面識が無い。先日図書館から帰って来て「友達が出来た」と嬉しそうにすずかの事を話していた。すずかには親友が居て、折を見て紹介してもらえるとも。
 彼女達と面識がある事は恭也から告げている。管理局にヴォルケンリッターの存在が知られる可能性が高まるが、すずかの名前に何の反応も示さないのは不自然だからだ。
 恭也が八神姓を名乗っている以上、すずかから恭也の名前が出て来る可能性は十分にある。なのはやフェイトと八神家の繋がりは少ないに越したことはないが、不自然さを残せば心理的に確かめたくなるものだ。
 薄氷を渡る様な気分だが、だからこそ無用な綻びを作る訳にはいかない。

「高町とテスタロッサが?」
「心当たりはあるんやろ?」
「まあ、な」

 恭也の歯切れの悪さにはやてが苦笑を浮かべる。
 恭也が女の子、に限定する必要は無いのだろうが、酷い事をするとははやても思っていない。だが、本人が意図しなくとも他人を傷付ける事はあるだろう。恭也が女の子と仲良くしている図は面白くないが、何かの行き違いで恭也が悪く思われるのは嫌だった。

「何があったか、私に話してみ?こう見えても女の子の気持ちは恭也さんより詳しいんやよ?」
「俺より疎かったら流石に問題があるだろう」

124小閑者:2017/08/06(日) 23:53:01
 恭也の苦笑交じりの軽口を聞く限り、恭也が2人に対して怒っている訳ではないのだろうと察して、はやては安堵する。すずかが良い子である事は分かっているが、その友達が必ずしも良い子だとは限らないし、良い子であっても相性が悪い事だってある。紹介して貰える事を楽しみにしている反面、不安はあるのだ。伝聞だけで面識の無い相手の評価を決め付けてしまうのはいけない事だが、恭也が嫌う様な人物であれば不安要素が増してしまう。

「今回は一方的に俺の方に非があるんだ。
 会話の中で冗談交じりに、“おまえは子供の頃の姿が想像できないから、ある時突然その姿で発生した様だ”と言われてしまってな」
「あ…」
「大丈夫だ」

 表情を歪めるはやての頭を恭也が優しく撫でる。ゴツゴツした掌の感触が不安に揺れるはやての心を不思議な程に落ち着けてくれる。

「不意打ちで言われた所為で感情の制御が出来なくてな。咄嗟に手を出す事だけは堪えたんだが、殺気を抑える事までは出来なかった。
 実際にそれを言ったのは高町でもテスタロッサでもないんだが、その場に居合わせたから怯えさせてしまったんだ。
 誰にも悪気が無い事は分かっていたから一言謝ってその場を離れてからは、あいつらとは顔を合わせないようにしている」
「で、でも、恭也さん、折角友達出来たのにそのままでええの?」
「…高町達が冷静に考える事が出来るように時間を置いてから、もう一度だけ顔を合わせる積もりではいる。
 俺は自分の事を危険“物”だと思っているから、周囲の人間に俺と関わる事を勧める気にはならないが、判断するのは相手に任せている。勝手に決める様な独り善がりな真似は流石に傲慢だと思うしな。
 関わりたくないと言われれば従う積もりでいる。
 幸い俺の検知範囲はそれなりの広さがあるから相手より先に気付けば隠れる事も出来る」

 当然の事の様に告げる恭也にはやては掛ける言葉がなかった。
 恭也は煌びやかな面にのみ憧れて剣士の道を選んでいる訳ではない。人から忌避されることを承知していて、それでも尚、力を求めているのだ。どの様な在り方が人として正しいのかなどはやてには分からないが、恭也の決意が上辺の言葉で揺らぐ物でないことはわかる。
 恭也が目指す剣士の道が現代の日本では異質であり、存在を知られれば畏怖の対象となる事が、はやてには悲しかった。

「でも、その2人は落ち込んでるんでしょう?なら、恭也君の事を怖がってる訳じゃないんじゃないかしら?」

 はやての心情を察したシャマルが、2人に対してフォローを入れた。シャマルとて恭也が人から嫌われて嬉しい訳ではないのだ。

「どうかな。月村と高町達の遣り取りの内容を知らないが、月村が誤解している可能性だってある」
「もう、恭也君はどうしてそうネガティブなのかしら」
「まぁ、楽観的な予想で舞い上がっといて突き落とされるのは辛そうやけどね。でも、悲観的になり過ぎんでもええとは思うよ?
 ところで、その事件からどのくらい経っとるの?」
「…四日程か?」
「え、そんなに?向こうからも連絡あらへんの?」
「連絡先を知らないだろうからな」
「あほかッ!それじゃあ謝りたくても謝れへんやんか!何で携帯番号くらい教えたらんのや!」
「ああ、携帯か」

 その一言ではやてにも分かったが、あまり批難する訳にもいかないだろう。恭也には八神家に招いて直ぐに携帯電話を持たせているが、本人が所持している事に馴染んでいないのだ。下手をすれば存在すら忘れている可能性がある。
 また、はやては失念しているが、恭也は一族の性質上、おいそれと人を招く訳にはいかなかったことも一因だった。

125小閑者:2017/08/06(日) 23:53:32

「もう、いくらなんでも待たせ過ぎよ。落ち込んでるって言うのも連絡が無いから、恭也君に嫌われたと思ってるんじゃないかしら?」
「それは大袈裟だろう」
「何言うとんの!乙女心は繊細やねんで!?」
「はやてちゃん、すずかちゃんに2人の番号を聞いてあげたらどうですか?」
「それでもええけど、恭也さん、会って確かめたいんと違う?」

 恭也は即答する事無く、はやてを見る。その表情は相変わらずの仏頂面だ。少なくとも同席しているシャマルにはその顔から感情が欠片ほども読み取れない。はやての方をこっそり窺うと、こちらは誰が見ても分かりそうな程の嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。“楽しそうな”でも“面白そうな”でも、無論“嘲る様な”でもない。はやての目には別の光景でも映っているのだろうか?

「大丈夫、別に恭也さんの感情を読めるようになった訳やないから安心しいて」
「…恭也君、そんな事を心配していたの?」

 恭也は無言。これはシャマルにも分かる、図星だった様だ。
 結局、恭也ははやての笑顔の理由について言及する事無く、先程の質問に答えた。薮をつつく様な迂闊さ、ではなく勇気が無いのだろう。

「そうだな、直接確認してこよう」
「え、今から?」

 腰を上げた恭也に今度はシャマルが問い掛けた。時間的には夕方に分類しても良いが、季節柄既に日が暮れかけている。少女達の自宅を知っている訳ではないが、辿り着く頃には完全に日が沈むだろう。

「ええやん、行かせたれば。
 恭也さん、あんまり遅うならん様にな?」
「…善処しよう」

 全て承知していると言わんばかりのはやての態度にそこはかとなく悔しそうな口調でそれだけ言い残し、恭也が外へ出て行った。
 玄関のドアが閉まった音を聞いてから、シャマルが先程の遣り取りについての疑問をはやてに問い掛けた。

「どうして、電話じゃダメだったんですか?」
「電話では表情が分からへんからな。万が一、罪悪感で付き合いを続ける積もりやったら断ろう思うとるんやろ。要らん心配やと思うけどな」
「じゃあ、こんな時間に押し掛けたのは?」
「落ち込んでるって聞いて心配になったんと違うかな?」
「…はやてちゃん、よく分かりますね」
「ふふ。すこーしだけな?」

 前向きな行動力と、後ろ向きな行動理念。
 一月と言う期間が長いのかどうか分からないが、始終仏頂面の恭也の考え方が朧げながら分かるようになってきた事が、はやての誰にも言わないささやかな自慢だった。



            * * * * * * * * * *

126小閑者:2017/08/06(日) 23:54:07

 クロノ・ハラオウンは結界の外で続けていた捜索活動が実を結んだ事を確信し、珍しく笑みを浮かべた。成果を得られた事に対してではない。これで結界内で奮闘しているであろう2人の少女を危険から遠ざける事ができるのだ。本人達の意志で参戦したのだとしても、やはり可愛い女の子を危険に晒すのは気が引けるものだ。それが、例え近い将来魔導師として自分を超えていく才能を秘めていたとしても。
 クロノはビルの屋上で結界の中心を見据える人物の背後に静かに降り立った。
 まだ気付かれていないはずだ。そのために、飛行速度と引き換えに飛行魔法の行使により発散してしまう魔力波動を隠蔽した上で、探査魔法の使用を控えて肉眼で探したのだ。
 足音を忍ばせながら接近しつつ、その人物を観察する。黒いシャツに黒いズボン、更には黒い髪と全身黒尽くめ。後姿だけだが恐らくは男性。背丈はクロノよりやや高いがせいぜい150半ば、成人男性としてはかなり低い部類だ。体格は細身に見えるがひ弱な印象ではない。
 そう。面識の無いクロノは知り得ようの無いその不審者は、なのはとフェイトに会いに行ったはずの八神恭也だった。



            * * * * * * * * * *



 恭也は八神家を出ると、まず高町家に向かった。高町士郎や高町恭也と会う事は避けたかったろうが、フェイトの家を知らない恭也には選択の余地がなかった。
 高町家まであと僅かの地点で恭也が空を仰いだ。視界に映るのは町の明かりに負けじと瞬く無数の星と、その夜空を一直線に突っ切る小柄な人影。
 一瞥しただけで猛烈な勢いで移動する人影がなのはである事を識別した恭也は直ぐに視線を下げると誤魔化すように髪をかき上げて一言愚痴を零す。

「緊急なんだろうが、短いスカートで空を飛ぶのは何とかならんのか…」

 挑発したり、話題を逸らすためには躊躇無く持ち出すが、10歳男子としては珍しくそういった羞恥心も持ち合わせているようだ。だが、なのはとて気にしていない訳では無いので、見上げられても見分けが付かない位の高度を飛んでいたのだ、一般人に対しては。

 ちなみに、恭也は不破家において特別に性知識を与えられていない。元服となる12歳に達していなかったからだ。親族の中には身体が育っているのだから問題ないだろうと言う者もいたが、士郎が承知しなかったのだ。
 御神の剣士に“性的な面に弱点がある”などと知られれば、どの様にでも利用してくる世界だ(全裸の刺客くらいなら可愛いものである)。つまり実質的に御神の剣士として働けない事を意味する。ひたすら銃弾が飛び交うだけの戦場であれば別だが、流石に戦場は御神の剣士が本領を発揮できる場面とは言えない。
 士郎は「恭也に色事なんぞ10年早い!」と言い張っていたが、士郎の妹である美沙斗曰く「兄さんは意外に親馬鹿だから」との事。

 恭也にとって、なのはが飛び出して行った以上高町家に訪れる意味は無い。そして、戦力の逐次投入などの愚を犯さない限り、なのはが出撃するならフェイトも向かっているだろう。そうなれば、恭也には今外を出歩いている意味がなくなる筈だが、八神家に戻るために踵を返す事無く、なのはが向かったであろう都心に足を向け走り出した。
 恭也は道すがら見つけた公衆電話に向かい、軌道を修正して携帯電話を取り出す。
 持っている事を忘れていたのだ。
 折り畳み式の電話を開き、登録してある5つの番号を苦労して呼び出し、八神家の固定電話にかけた。

「はやてか?恭也だ。
 以前話していた俺の居た世界に繋がる情報が得られる可能性が見つかったかもしれない。
 …慌てないでくれ、不確定要素ばかりを積み上げた話だ。空振りの可能性の方が高い。だが、空振りに終わるにしても追いかければ2〜3日帰れない可能性はある。
 シグナム達は戻ったか?…シャマルまで?
 …月村に相談するか。一応、姉の忍さんにも面識があるから多少話は通り易いだろう。
 …は?ああ、美人だぞ。念のために言っておくがかなりグラマーな方だが手を出すのは自重してくれ。…違うのか?…ああ、高町恭也の恋人らしくてな、人違いで声を掛けられた。俺の立っている所だけ30cm程高くなっていたんだ。そんな事確認して如何するんだ?
 まあいい。じゃあ、月村の携帯番号を教えてくれ。…?そんな機能もあるのか。
 …分かった、任せるよ。
 …ああ、ありがとう。頑張ってみるさ。一段落したら連絡するようにする」

127小閑者:2017/08/06(日) 23:54:41

 恭也は通話を切ると更に携帯電話の電源を落とし、ゴミ箱に捨ててあったビニール袋を失敬してそれに包むと、手頃な民家の垣根に音も無く駆け上がり道路にはみ出している太い枝の道路側から見難い位置に括りつけた。
 その家の位置をもう一度確認すると、通話中には息を乱さない様に抑えていたペースから、闇夜に紛れれば視認出来ない様なペースに上げて都心に向けて走り出した。

 恭也が都心に辿り着いた時にはかなり人通りが激しかった。オフィス街の終業時間をいくらか過ぎた頃合ともなれば当然だが、逆に言えばこの人だかりの傍で音も光も派手に発する魔法の撃ち合いなど行えば注目どころかパニックを起こすだろう。
 となれば可能性は2つ。なのはの目的地が高町家と都心を結んだ直線の更に遠方にある場合、もう一つは、普段朝の訓練でユーノが展開している結界と類似の物が張られておりその内部で戦闘が行われている場合。
 恭也は空を見上げると、手近にあった高層ビルへと入って行く。帰宅しようとするサラリーマンの他に玄関口には警備員も立っているが、恭也を見咎める者、いや目に留める者すら居なかった。
 そのまま堂々とエレベータと階段を使い最上階へ上り、屋上の鍵をピッキングで開けて外に出ると空を見上げて立ち尽くした。現場だろうと予想した場所に辿り着いたもののこれ以上能動的に動ける要素がなくなってしまったのだろう。
 恭也の立つ屋上に音も無く小柄な人影が降り立ったのは、程無くしてからだった。




            * * * * * * * * * *




 町の明かりが強すぎて星の光も擦れているこの場所では、男の視線の先には結界以外は何も無いはずだ。この第97管理外世界の住人であれば、仮に魔法の才能があったとしても研鑽していないため、結界を認識する事無く何も無い虚空を見据えていることになる。背後から見る限り闇の書は確認できないが、この状況でこの場所に居てこの体勢に在りながら無関係な一般市民などと言うことはありえない。
 クロノは恭也から適度な距離、近過ぎて反撃を受けず、遠過ぎて逃走されない、全ての挙動が視線を動かさずに視界に入る位置に辿り着くと、ゆっくりと魔法杖を構えて警告を発した。

「うごおわ!?」

 失敗した。声を発した時には彼我の距離が無くなり、咄嗟に傾げた頭の横を髪を掠めて恭也の拳が通過したのだ。
 クロノは硬直しそうになる体を強引に動かし、距離を取るべく辛うじて床を蹴った。

 何が起きた!?
 気付かれた事は良い。いや、良くは無いが推測できる。隠蔽し切れなかった魔力を感知されたか、忍ばせた積もりの足音を聞かれたんだろう。
 だけど、距離を詰めた方法が分からない。僕が立ち位置を定めた時には確かに十分な距離があった。少なくとも挙動を感知してから対応できるだけの距離だった。それなのに声を、いや、多分魔法杖を構えた時にはその距離が0になっていた。だが、挙動は勿論、魔法を使った事にも気付けなかった。
 一体何がどうなっている!?

 未知の技能に対する驚愕を着地するまでの短時間に押し込め、思考を戦闘に切り替える辺り、若くして執務官に辿り着いたのは伊達ではない。だが、眼前の被疑者、八神恭也を相手取るにはそれでも遅過ぎた。
 クロノのバックステップに合わせて距離を詰めた恭也が放った前蹴りは、クロノの鳩尾を捉えた。一切加減されていないその蹴りは本来であれば呼吸困難に陥るどころが肋骨数本を粉砕する威力があったが、喰らったクロノは恭也の追撃の拳や蹴りに反応し、紙一重ながらも以降の攻撃を躱し続けた。バリアジャケットが恭也の蹴りの威力を相殺していたのだ。だが、ダメージを受けずに済んだクロノは、反撃に転じる事が出来ずにいた。
 クロノが反撃しないのは、恭也の攻撃の継ぎ目に隙が無い事だけが原因ではない。最初に喰らった蹴りにバリアジャケットが機能したことに動揺しているのだ。

 バリアジャケットはバリアやフィールドを複合した物なので、弾く事より相殺して柔らかく受け止める性質を持つ。この機能は攻撃を受けた時に発動する訳だが、自動的に行われるため“何に対して”と言う設定が必要になる。空気を遮断する訳にはいかないし、能動的に物に触れなくなったり、戦場での緊急回避措置として仲間から突き飛ばされた時に発動しても困るのだ。そのため、大抵は“魔力を含んだ攻撃”と“一定以上の速度を持った物体”で設定する訳だが、近接戦闘にも長けているクロノは魔力の消費を抑えるために物理攻撃に対する設定を一般職員よりかなり高くしている。だから、明らかに小柄な恭也が魔力による底上げをしていない純粋な体術でそれ程の威力を発揮した事が信じられなかったのだ。

128小閑者:2017/08/06(日) 23:55:46
 だが、何時までも動揺を引き摺るクロノではない。体術はほぼ同等の腕前であるため、この劣勢を押し返すことは出来ないが、クロノは魔導師、体術に拘る必要は無いのだ。
 恭也の蹴りをS2Uを立てて受け止めると同時にそのまま上空へ向けて魔法を発動。威嚇ではない。放ったのは操作性の高いスティンガースナイプ。クロノの意志を反映した魔力弾は鋭い弧を描いて恭也の頭上から襲撃した。
 だが、反射的に魔力弾を視界に納めようと恭也が頭上を仰いだところをS2Uで殴り制圧する積もりでいたクロノの予想に反して、恭也はクロノの挙動を注視したまま上空からの魔力弾をバックステップする事であっさりと躱してしまった。クロノにとって信じたくない事ではあるが、誘導弾の軌道修正が間に合わない程ぎりぎりまで回避行動に移らなかったのは決して偶然ではないのだろう。
 だが、クロノにとっての本当の悪夢はここから始まる。屋上に着弾する寸前に弧を描かせて再度恭也へ向かわせた誘導弾を恭也が躱し続けたのだ。

 何が起きている!?
 この男からは幻術系を含めて魔法を使っているような魔力を感知できない。これが本当に純粋な体術なのか!?
 だけど、さっきの攻撃は僕にも捌く事が出来たんだ。ここまで非常識では無かった。
 手を抜いていたのか?この状況ではそれも考え難い。最初に喰らった蹴りは十分に人を殺せる威力があったし、手を抜いているかどうか位は流石に分かる筈だ。…まさか、この男、本来は武器を扱うのか?

 魔導師にとって、近接戦闘は手段の一つに過ぎない。アームドデバイスの担い手が多ければ事情が変わっていたかもしれないが、そう言った者はごく少数だ。また、平均的なミッド式の魔導師は砲撃を主体としているため、近接戦闘に持ち込まれれば勝率が極端に下がる。言い換えれば武装毎の対応方法を練習するより、中・遠距離での戦闘に持っていく方法を練習する方が実践的と言える。近接戦闘能力について高い評価を得ているクロノと言えど、習得した武装の種類によって現れる所作の違いを見分ける事は出来ないのだ。
 一方、誘導弾を躱し続ける恭也も決して余裕がある訳ではない様だ。複数の誘導弾を扱うなのはの攻撃にさえ、隙を見て飛礫を放ってみせる恭也がクロノの単発の誘導弾を躱す事に専念しているのがその証左と言えよう。飛針ではバリアジャケットに阻まれて有効打にならないと予測できるからではない。“無駄な事はしない”のと“試す事無く諦める”のは違う事は恭也とて知っているのだ。
 クロノとなのはの違いは誘導弾の運用法だ。常に直撃を狙うなのはと、回避姿勢を誘導する事で身動きの取れない姿勢まで体勢を崩そうとするクロノ。眼前の光景は生まれ持った才能の差を努力で埋めた結果なのだが、残念ながら当のクロノは知る由も無い。
 クロノは成果の得られない攻撃に見切りを付けるのにいくらかの時間を要した。体力の低下に伴い回避運動が鈍る事が無いと言う結論に至るための時間、と言う事にしたが実際には、思考が停止しかけていたのだ。
 敵の回避手段が魔法を使った他の方法なら切り替えも早かったのだろうが、あまりにも想定外に過ぎた。それでも、魔導師としてのプライドを粉砕する様な恭也の技能を初めて目の当たりにしたにも拘らず、意地になって誘導弾に固執する事無く柔軟な思考を保っている辺りは流石と言って良いだろう。
 クロノは誘導弾を維持したまま、新たな魔法の詠唱を始める。選択したのは直線的に進む火炎魔法だ。誘導弾をもう一発打つのも手だが、あの動きが上限とは限らない。

「フレイム・ブレード!」

 名前の通りの炎の剣を右から左へ薙ぎ払う。と、炎を突き破るようにして飛び出す物体を確認。すかさず先程の誘導弾をぶつけるが、予想通りデコイ(上着だろうか?)だった。持続時間の限界を迎えて誘導弾もそのまま消滅するが、クロノは拘泥する事無く屋上を見渡す。
 誰も居ない。

「…に、逃げられた…?」
『クロノ君のバカー!!』
「うお!?」

129小閑者:2017/08/06(日) 23:56:28

 間髪入れずに飛んできた執務官補佐兼管制官エイミィ・リミエッタの罵声にクロノが怯む。
 相手の目的が分からない以上、この場に留まり交戦を続けるとは限らないのだ。自分にとってリスクが高いと判断すれば逃走するのは当然である。
 得られた情報として魔法が使えない可能性が高かったため逃げ場の無くなる魔法を選んだ積もりだったが、暗闇に慣れた視力には炎の明かりは眩し過ぎた。普段のクロノであればこんなミスはしないがやはり恭也の戦い方が異質に過ぎたため動揺していたのだ。勿論、言い訳にしかならない事は承知しているため口にする積もりは無いのだが。

 待て、魔法が使えない?

 エイミィの続いて発せられる筈の批難の言葉が届く前に、クロノは魔法杖を、屋上において恭也があの位置から身を隠せる唯一の場所である給水タンクに向ける。すると、磁石の同極が弾かれる様に上着を一枚減らした恭也が現れた。如何に非常識な身のこなしが出来るからと言って高層ビルの屋上から逃げ出す事は出来なかったのだ。ただし、現れたと言っても両手を挙げてなどと殊勝な態度ではない。
 恭也は給水タンクから飛び出すとフェイントを織り交ぜながらクロノとの距離を猛烈な勢いで詰めていった。
 焦ったのはクロノである。先程の火炎魔法で自身の不利は理解出来ている筈なのにこれ以上無駄に足掻く意味が分からなかったのだ。勿論、反撃を想定して既に詠唱は済んでいるが、無駄な争いはクロノの好むところではない。目的は時間稼ぎなのか?

「これ以上抵抗するな!大人しく投降しろ!」
「馬鹿か貴様は!?何処の誰とも知らん様な子供に殺傷能力の高い武器を突きつけられた状態で大人しく出来る奴など居るものか!」

 無駄を覚悟で呼びかけたクロノの言葉に、きっちりと返答する恭也。勿論、この間も距離を詰めるために走り続けている。クロノは想定外の被疑者の台詞に思わず言葉に詰まるが言い負かされる訳には行かない。誰が子供だ!っじゃなくて!

「お前が攻撃してこなければこちらからも攻撃しない!」
「貴様が馬鹿なのはよく分かった。先程までバカスカ攻撃しておいてその台詞を信じる奴がいるなら紹介してくれ。詐欺の鴨にしてやろう」
「う」

 やはり無理だった。
 恭也に対して安全と言える距離があるかどうか分からないが、少なくともあと僅かで瞬殺されかねない距離(背後から近付いた時のそれだ)に達しようとしていたため、思考を一旦保留したクロノは飛翔して距離を稼いだ。
 それにしても“鷺の鴨”とは何だろう?どちらも鳥類とは言え別の種類の筈なんだが。

「分かった、高所からで悪いがここでデバイスを仕舞おう。これなら良いだろう?まずは話を聞いてくれ」
「なるほど、貴様の事を誤解していた様だ」
「やっと聞いてくれる気になったか」
「貴様が馬鹿なのではなく、俺を馬鹿にしていた訳だな」
「何故そうなる!?」
「デバイスとやらがなくても魔法を使える事位知っている」
「では、どういう条件なら話を聞いてくれるんだ?」
「そうだな、せめて俺にも反撃の機会はあるべきだ。屋上に降りろ。距離は俺が先制した時の倍の間隔を空けても良い」
「飲める訳無いだろう」

 話し合いに応じようと言う恭也の条件をクロノは即答で拒否した。
 デバイス無しで魔法を使用できる事を知っていると言う発言は、以前から魔導師との接触があった事を意味する。あそこまできれいに誘導弾を躱して見せた恭也に対して何を今更、と思うかもしれないが、「初見で躱すせる者が絶対に居ないか?」と問われた時に最前線で戦ってきたクロノは「存在する可能性はある」と回答するだろう。ユーノたちの「絶対に居ないとは言えない」と言う答えとは一見同じでありながら大きな隔たりがある。
 そして、“魔法について何らかの知識を得ている”被疑者が提示してきた条件だ。それはつまり、恭也にとって、仮にクロノが魔法を発動しようとした場合に対処できる距離であり、外的要因などで事態が悪化した場合にクロノを制して人質に出来る距離だと考えるべきだ。先程までの遣り取りが恭也の運動能力の限界だとは限らないし、飛び道具を所持している可能性も否定できないのだ。

130小閑者:2017/08/06(日) 23:57:05

「…まあ、いいだろう。これ以上は平行線にしかならんだろうしな。中央まで移動するぞ?」

 そう言ってあっさりと背中を見せる恭也に、クロノの方が唖然とする。

「よく僕に背中を見せられるな。挑発してるのか?」
「背面から撃たれた程度で喰らう程間抜けではない」

 想像を絶する自信家。クロノはこの被疑者がそれを装っているのだろうと推測する。
 先程の遣り取りも高圧的に振舞う事で少しでも有利な条件を引き出そうとしたのだろう。クロノ個人は好まないが完全に無力化してから尋問する事も手段として考えてはいたのだ。それを承知しているからこそ恭也は自分の提案した条件を蹴られても武力行使になる前に話し合いに応じてきたのだ。

「改めて言うぞ。投降しろ」
「…分かった。それなら、先ずは目的を言え。俺の持つ何が欲しい?あるいは俺の行動の何が邪魔だ?内容によっては譲ってやる」
「…何を言っている?」
「事実関係の確認だ。生憎と俺にはこの世界で大した事をしていない。誤解の無い様に補足するなら、あー次元、世界だったか?それを含めての事だからな?」
「巫座戯るな!たくさんの人に迷惑を掛けておいて、『何もしていません』だと!?」
「そこで抽象的な表現をするな。たくさんの人とは何処の誰で、迷惑とは具体的に何を指している?まさかとは思うが、お前は動物保護団体で1ヶ月近く前に野兎を狩った事を言ってるのか?それなら悪いが投降する訳には」
「巫座戯るな!!守護騎士を使ってリンカーコアを蒐集している事だ!!」

 のらりくらりと話を逸らせようとする恭也の態度にクロノが感情を爆発させる。一刻も早く守護騎士の行動を止めたいと言う想いが焦りとなって表れ始めていた。

「…大体分かった。高町がこの中でその守護騎士と戦っているから、近くに居た俺がその仲間として容疑を掛けられている訳だ。
 あー、お前さんひょっとして時空なんたらの社員?」
「時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ!最初に名乗っただろう!」
「名乗ってない、名乗ってない。まあ宣誓中に殴りかかって中断させたのは俺なんだがな。
 過ぎた事は脇に置くとして、どうしたものかな」
「さっさと投降してあの3人に戦闘を中止させろ!」
「俺が仲間だと決め付けている様だが、根拠は…なんて言ってても仕方ないな。
 仮に俺が仲間だとしよう。騎士と名乗るような連中が敵に捕まった仲間の、命乞いに見られかねない投降の呼びかけに応じると思うのか?俺の価値観からすれば仲間を切り捨ててでも目的を優先するぞ?敵に命乞いをするような者であれば尚更な」
「ただの仲間ならそうかもしれない。だけど闇の書の主であれば話は別だ」
「ここで新しい単語を出すか!?
 まったく、少しも進まんな。わかった、別の面からいくぞ。
 今この場で俺の容疑を晴らす方法は有るのか?」
「お前がこの場で闇の書を出して見せればいい」
「それ絶対、容疑を認める方法だろ!?」
「冗談だ、スマン。漸く冷静に成ってきた」
「無い袖は振れんからどうでも良いけどな」
「袖…?いや、関係ないか。
 お前が言いたいのはこういう事だな?
 お前が敵の仲間だった場合、白を切って容疑を否認されれば、僕にはこの場で敵の仲間である事を証明する方法は無い。
 無実だった場合には、同様に容疑を否認されるがこれも同じくお前の無実をこの場で明かす事が出来ない。
 つまり、僕は今この場に居ても事態は好転しない」
「ご名答、と言いたいが、お前達の価値観では時間が無為に過ぎる事は“悪化”とは言わないのか?」
「痛い所を付くな。だが、言った通りお前を解放する事も出来ないぞ」

 状況的に限りなく黒であるため半ば決め付けていたが、被疑者本人の否認を超えて断定するには証拠が足りず、だからと言って逆に、白だと証明する事も簡単に出来る訳が無い。つまり、保留にするしかない。そう結論付けた以上、クロノがこの場に留まるのは無為に過ぎる。先程から宣告している通り一時的にでも管理局に投降して貰うべきだ。

「仲間ではないと言うなら時空管理局の艦船まで同行してくれ。無実である事が分かれば直ぐに釈放する」
「断る」
「な!?何故だ!?」

 十全な説明をする前に事情どころか内情まで察してくれた事で協力的な行動を期待していたクロノは、恭也の拒否に動揺した。

131小閑者:2017/08/06(日) 23:57:39

「お前が時空管理局に所属している人物である確証が得られない。そもそも、俺の中で時空管理局と言う組織の位置付けが出来てない。
 高町とスクライア、会って間もないがテスタロッサの事も信用してやってもいい。だが、あいつらが所属しているからと言って、組織の全員が一枚岩だとは思えない。
 疑い深い性格だと言う自覚はあるが簡単に変わるとも変えたいとも考えていない」
「3人を知っているのか!?お前、まさか八神恭也か?」
「ご名答。無実の罪は晴れたか?」
「!…ダメだ。実証する術が無い。画像データでも受け取っていれば…」

 結界内で戦闘をしている2人は論外としても、内部で同じく書の主か4人目の守護騎士を探しているユーノを呼び出すのも避けたい。最優先はあくまで捜索だ。限りなく白に近いグレーのこの男に2人分の手を費やす訳にはいかない。
 任意同行に応じない事も責める気にはなれない。管理外世界において時空管理局など耳にした事が無くて当然なのだ。警戒されるのもまた然り。

「では、仕方が無いな」
「…残念だ。理性的な相手には話し合いで済ませたかったが、僕にも時間が無い」
「気にするな。選択を許さない状況などいくらでもある。今もその時なんだろう。そもそも勝てる積もりでいるのか?」
「無理だとは思わないが確かに勝つのは難しそうだ。だが、動きを封じる方法はある。この屋上をカバーする程度の閉じ込める結界なら僕一人でも張れる」
「やっぱりそう来るか。種明かししてるって事は準備万端だな?
 結局、本気になった魔導師には勝てないって事か。っくそ!
 ん?」

 クロノは恭也の台詞に言葉を返さなかった。上空に突如として発生した雷雲に凄まじい魔力が込められている事に気付き、それどころではなくなったのだ。
 あれはフェイトの扱うサンダーフォールの様に自然現象を魔法で促進させることで消費魔力以上の威力を発生させる天候操作魔法とは違う。落雷の形式を取っているだけで純魔力による攻撃魔法、分類するならサンダースマッシャーやディバインバスターといった直接砲撃魔法を遠隔地から放っている様なものだ。
 ただし、クロノが驚愕していたのは魔法の威力についてではない。下手をすればなのはのSLBと同等の威力の魔法を、恐らく守護騎士の最後の一人が単身で使用したと推測したからだ。
 その電撃魔法は、アースラの魔導師が総出で維持していた結界を破壊し、閉じ込めていた3人をあっさりと解放してしまった。




「次はぜってー潰してやるからな!」

 負け惜しみに近いその言葉をなのはに投げつけるとヴィータは身を翻して逃走を始めた。
 案の定、追い掛けようとしてくるが、典型的な射撃型であり、強固なバリアジャケットを身に着けているなのはは当然の弱点として、トップスピードに達するのに時間が掛かる。
 ヴィータは追いつかれることよりも遠距離からの射撃と他の管理局員の先回りを警戒しながら、シグナム達3人とは別の方向へ進路を取り、長距離転送を行えるだけの距離を取るべく飛翔した。
 いくらも進まない内に前方から魔力の残滓を感じ取った。視線を向けるとどちらも黒ずくめの似た背格好の2人の男がこちらに気付いて魔法杖を構えようとしていた。ここに居るはずの無い人物の事が脳裏を過ぎるが、アイツは魔法杖なんて持っていない、と自身に言い聞かせ、被弾しない様に最低限の注意だけをそちらに向けて飛翔を続ける。
 だが、2秒後には通過し、背景の一部でしかなくなる筈だったその2人に対して、ヴィータは無駄な接触を行う事になる。屋上にいるのが八神家ではやてと共に自分たちの帰りを待っている筈の恭也である事に気付き、動揺して飛行速度を落としてしまったのだ。
 一度は意識の外に置いた2人組みの内の1人が恭也である事に気付いたのは、屋上の中央で何の行動も起こさず立ち尽くしていた人物に不審を抱いて注意を向けたためだ。

132小閑者:2017/08/06(日) 23:58:12
 恭也は見つからない様にと傍観姿勢をとっていた事が仇になった事に気付くと即座に飛針を放った。「俺はお前の敵だ」と言う意思表示として放った飛針は、意図を少々上回る結果を齎した。8割近くの速度エネルギーを相殺され、先端の“点”に集中する圧力を分散された飛針は、殺傷能力を奪われながらもヴィータの額に到達したのだ。ただし、効果音をつけるならザクッ!ではなくスコーンッ!だったが。

「ホゲッ!?」

 間抜けな声を発しながら仰け反るヴィータをクロノが呆然と眺める。牽制で放った2発のブレイズキャノンを無造作に躱され、足止めに放ったスティンガースナイプをあっさりシールドで弾かれていなければ、ヴィータの実力を下方に評価しかねない情景だ。

「このヤロー!」

 驚きはしたがノーダメージのヴィータは、即座にグラーフアイゼンを振りかぶって恭也に殴りかかった。
 怒りに我を忘れた訳では無い。恭也が飛針に込めた意図を正確に読み取り、皆で交わした「蒐集途中に恭也に遭っても他人の振りをする」と言う取り決めを思い出したのだ。
 この攻撃は恭也と面識がある事を誤魔化すための行動であり、一中てしたら即座に離脱する積もりでいた。まともに決まれば恭也の脳天を陥没させる威力を持ったヴィータの縦一閃の一撃は、加減して管理局側に疑われないためであり、シグナムから聞いた恭也の技能を評価した結果であって、恥を掻かされた事についての八つ当たりが混ざっている訳では無い、きっと。
 恭也はヴィータの期待を裏切る事無く右足を引いて体を開いて躱し、しかし、反撃用に構えた右拳を振るう事無く、即座に床を蹴って間合いを開いた。その直後、グラーフアイゼンがその威力を存分に発揮した結果、ヴィータの狙い通り盛大に破壊された床材が散弾のごとく周囲に飛散した。
 建材を破壊した事で周囲を満たした粉塵が風に流されるより前に、自身の一撃のバックファイアを防ぐ為に自動的に展開されるバリア(攻撃魔法と同じ様にグラーフアイゼンに掛ける攻撃補助の魔法に最初から組み込まれている)の中でヴィータが呟く。

「化け物かコイツ…」
「その細腕で鉄筋コンクリートを粉砕する一撃を繰り出す幼女にだけは言われたくない。なんて理不尽な」

 ヴィータとて魔法を使えない者からすれば、自分の攻撃力が反則に見える事くらい承知しているが、魔法による底上げすらせずに飛来する拳大の破片を片っ端から両手で弾いて見せたこの男に言われるのは納得いかない。だが、逃走中のヴィータにとってこの遣り取りは、度し難い隙でしかなかった。

「しまった!」
「捕まえた!っえ、恭也君!?」
「…阿呆が」

 ヴィータの四肢を空間に拘束しているのは、後方から追い掛けて来たなのはのレストリクトロックだ。ヴィータからやや離れた位置に着地したなのはは、自分を挟んでヴィータの対面辺りに立つ予期しない人物に驚いていた。数日間、会いたくても連絡さえ取れなかった相手ともなれば尚更だろう。

「クソッ」

 ヴィータは自身の浅慮が招いたこの状況に歯噛みする。敵に拘束された事そのものより、それにより恭也に友人を裏切らせてしまう事が悔しかった。
 ヴィータは、恭也が管理局員に友人が居る事も、それが自分達の活動とは全く別に恭也が築いた関係である事も知っていた。恐らく、転移してきた事で生じた心身へのストレスの何割かは彼らのお陰で軽減できていただろう。だから、蒐集活動に直接参加しない恭也には、彼らとの友人関係を維持してほしいと思っていた。上辺だけになってしまうとしてもだ。
 恭也がはやての為に、そして恐らくは自分たち4人の為にも、それが必要であると判断した時には自分の持つあらゆるものをあっさりと捨ててしまう事を知っていた守護騎士にとって、ささやかながらも今の自分達が恭也に返せる数少ない物の筈なのだ。それをこんな事で!

133小閑者:2017/08/06(日) 23:58:58

「恭也君、どうしてこんなところに?」
「たまたま通りかかった」
「た、たまたま…?」
「ああ。ところで高ま」

 雑談がてら歩み寄る恭也の姿が、前触れもなくその場に居る全員の視界から消失した。なのはのバインドによって拘束している犯罪者に注意を割いているクロノは勿論、恭也を正面から見ていたなのはも見失った。だが、その事実に疑問を挟む余裕はなかった。なのはの右側面、直ぐ間近で何かを叩き付ける様な大きな音が、次いでなのはを挟んだ反対面で何かがフェンスに激突する音が響いたからだ。

 一連の出来事を俯瞰出来る位置に拘束されていたヴィータは、横合いから猛烈な勢いでなのはに飛び掛かっていった白を基調とした服装の人物に恭也が体当たりし、弾かれた襲撃者がフェンスに激突した事が分かった。位置関係上、恭也が体当たりするために距離を詰める姿は見えなかったし、寸前まで恭也が立っていた位置からするとどうやって距離を詰めたのか分からなかったが、腰を落とし左手で右肩を触るほど曲げた右手首を掴んで肘を突き出して、襲い掛かった人影の進路上に佇んでいればそう言うことなのだろう。

 ほうっておけば、お前が疑われずにアタシが開放されたかもしれないのに。

 そうは思うが、恭也に看過する事が出来ない事も分かっていた。あの人影が加減無しになのはに激突すれば、なのはが重傷を負っても不思議ではない勢いだったのだ。
 実際にはインテリジェントデバイスがバリアを張って緩和しただろうが、魔導師の特性に慣れていない恭也に咄嗟にそれを考慮して襲撃者の行動を看過しろと言うのは無理だろう。
 恭也と視線が合う。普段であれば強い意志の宿るその目から感じ取れるのは悔恨と懇願。
 ヴィータの心中に焦りが生まれる。
 恭也が感情を隠せないこと自体が異常な証拠と言っても良い。ヴィータは湧き上がる不安の正体を見極めようと恭也から感じる違和感を必死になって分析した。

 なのはは唐突に右手側に現れた恭也に驚きながらも、フェンスに激突している仮面の男との対比から自分を助けてくれた事を直感的に悟ると喜色を表して恭也に近寄ろうとして、漸く恭也の様子がおかしいことに気付いた。

「…恭也君?」

 身動ぎする事無く突き出した右腕に隠れて表情の見えない恭也に不安を覚えたなのはが呼びかけると、それに答えるかのように恭也が咳き込んだ。同時に水の滴る音。
 ゆっくりとくずおれていく恭也の姿を見てもなのはには何が起きているのか理解できない。したくない。
 だが、完全に倒れ臥した恭也から目を逸らし続ける事など出来なかった。

「イヤァーー!」
「なのは!しまっ!」

 クロノは自身の失策に舌打ちしたが後の祭りだ。
 なのはが拘束していた少女はバインドを打ち破り逃走してしまった。フェンス側に目を移せば、案の定、既に仮面の男の姿も無い。
 民間人と思しき男に負傷を負わせた上に、一度は拘束した守護騎士を逃がし、更には敵に加担しているらしき仮面の男まで逃がしてしまうとは。頻発する失態に自己嫌悪しながらも負傷した男、八神恭也を治療するためにクロノはアースラへの回線を繋いだ。




 2人の意識が逸れた瞬間にヴィータはなのはのバインドを打ち破り一気に離脱した。
 あの場でヴィータに出来る事は他に何も無かった。仮面の男との接触で恭也が負傷していることは直ぐに気付けたが、自分が手を差し出せば恭也が闇の書陣営である事を宣言するのに等しい。
 あの時恭也の視線にあった悔恨と懇願は、恭也がヴィータに助けを求めたのではない。ヴィータを助ける事が出来なくなる事を悔やみ、自力での脱出を願ったのだ。意識が途切れる瞬間までヴィータの身を案じていた恭也を見捨てて独りで離脱する以外に、恭也にしてやれる事が何も無かった。
 ヴィータにはそれがこれ以上無い程悔しかった。

「ちくしょう…
 チクショー!!」





続く

134小閑者:2017/08/19(土) 11:59:26
第15話 限界




 艦船アースラの艦長室では、部屋の主である時空管理局提督リンディ・ハラオウンへ先程の戦闘についてクロノとエイミィが報告に来ていた。

「…ヴィータと名乗った少女が逃走、同時に仮面の男も取り逃がしました」
「イレギュラーがあったとは言え見事な失態ね、クロノ執務官」
「面目次第もありません」

 今回のイレギュラーである少年の特異性は確かに異常と呼んでも差し支えない物だったとリンディも理解しているが、犯人逮捕が遅れる事がそのまま被害の拡大に繋がる以上、笑って許容する訳にもいかない。だが、本人がそれを理解し反省しているならば、それ以上の罰則を与えても意味がないと言うのがリンディの方針だ。事件が解決した後であるならまだしも、今この時に無駄に時間を浪費して良い筈がない。

「それでエイミィ、彼、八神恭也さんの容態は?」
「命に別状はありませんが、軽傷と言えるほどでもありませんね。
 肋骨を2本、左脇の辺りで骨折して肺に刺さっていました。意識を失う直前に吐血したのはこれに因るものです。また、全身の至るところで内出血を起こしていて、酷いところでは何箇所か肉離れや靭帯が伸びていました」
「全身が?大半の攻撃は躱していた様に見えたけど…。他にも躱しきれなかった攻撃があったのかしら?」
「いえ、残念ながら僕の攻撃は完全に躱されていました。ヴォルケンリッターの少女の攻撃も派生した飛礫まで捌いていましたから、彼に攻撃を加えられたのは仮面の男だけの筈です」
「じゃあ、あの回避運動はかなり体に負担の掛かるものだったと言う事?」
「そんな筈は…、少なくともスティンガースナイプを躱していた時には運動能力が低下している様子はありませんでした」

 リンディは勿論、クロノも恭也の治療の手配やヴォルケンリッターとの戦闘に参加していた局員の報告を受けるために先程のそれぞれの戦闘の解析結果は聞いていなかった。だから、仮面の男との接触による外傷以外に恭也が負傷している事実に疑問を挟む。

「確かに、映像を解析した結果、結局クロノ執務官の攻撃は一度もヒットしませんでしたから、彼が受けた外傷は仮面の男がすれ違いざまに打ち込んだ肘打ちだけです」

 クロノの失態を強調するエイミィ。
 クロノには分かる。表情を取り繕ってはいるが今のエイミィの発言には他意しかない。
 頬を引き攣らせるクロノを見て満足したエイミィは説明を続けた。

「恐らく、仮面の男のなのはちゃんへの攻撃を妨害した時だと思います」
「?仮面の男の攻撃は肘打ちだけと言わなかったか?」
「そうじゃなくて、なのはちゃんの正面から瞬間移動してたでしょ?多分原因はあれだと思う」
「ああ、あれか。最初と最後に1度ずつ見たな。何か分かったのか?魔法じゃなかった様だから彼の固有技能なのか?」
「固有技能って言うか…、とりあえずこの画像を見て下さい」

 再生されたのは恭也が倒れる数秒前のシーンだった。
 なのはが敵の少女をバインドで拘束した後、恭也がなのはと言葉を交わしている最中に突然屈み込み、次の瞬間にはなのはの右隣に現れる。
 あの時クロノは敵方の少女に意識を割いていたこともあり唐突に消え失せた印象があったが、注視していれば屈み込む段階までは肉眼で捉える事が出来た。だが、それが確認できた事で新たな疑問が発生した。その姿勢に何の意味があるのかが分からなかったのだ。

「もう一度流します。今度は恭也君の姿が消えた瞬間から30分の1でスロー再生します」
「30分の1?…まさか」

 クロノの呟きは再生を始めた映像に注視する事で途絶えた。
 映像の恭也はなのはに声を掛けている最中に言葉を切ると、上体を前傾にして右足を大きく、左足を小さく引いたのだ。ちょうどクラウチングスタートで体を支える為に付いていた手を地面から離した様な姿勢まで体が傾くと地面を蹴って走り始めた。そして上体を起こす事無く“階段から転げ落ちる体を支えようと足を出し続けている”と言った走り方で、それでいて頭部と両肩はブレさせる事無く30分の1のスピードで進む世界の中を通常の動作速度で駆けて行く。スロー再生している事を知らない者が見たら、転倒していなければおかしいほど重心が前にあるため、合成かCGだとでも思うだろう。

135小閑者:2017/08/19(土) 12:00:03
 人間が移動する際に地面を蹴るのは、地面から返される反発力を得る為だ。そしてこの反発力は地面に垂直方向の力と水平方向の力の合力である。脚力(反発力)の大きさが決まっているなら、垂直方向に分散する力を減らす事で水平方向に働く力を増やせばいい。恭也の走り方は非常に理に適った物の筈だが、目の当たりにしたクロノは感嘆や感心より理不尽な想いが先に立った。彼を人類の範疇に括って良いのだろうか?
 クロノの思考を余所に、恭也が駆け出すのと同時にフレームインした仮面の男が飛び蹴りの姿勢で画面を一直線に分断する様になのはに向かっていく。そして男の倍する程のスピードで追い縋った恭也が腰を落とした肘撃ちの姿勢へと滑らかに移行し、男を弾き飛ばした。
 画面に映し出されている異常な光景の中で、男が恭也へ肘撃ちを放ち、一矢報いている事は評価されても良いのかも知れない。
 3人の間に沈黙がたゆたう。愕然としているのだろう、或いは呆然としているのか。
 沈黙を破ったのはリンディだった。

「…走ってたわね」
「…走ってましたね」
「…クロノ、あなたは恭也さんが魔力を収束している様子がなかったって言ってたわよね?」
「はい。少なくとも僕が対峙している間は一度も」
「…あまり辿り着きたくない結論に至りそうなんだけど」
「おそらく僕も同じ結論かと」

 リンディとクロノは交し合っていた視線をエイミィに向けると、苦笑いを返しながらエイミィが止めを刺した。

「はい。恐らくは生身で肉体の限界を超える程のスピードで駆け寄ったために耐久限度を越えた箇所が損傷したものかと」

 脳裏に浮かんだ否定して欲しかった想像をエイミィに肯定されたリンディとクロノは、少しの間、無言で自身の常識と葛藤した。原理としてはフェイトの使うプリッツアクションに相当する事になるが、当然ながらそれを生身で再現する者が居るなどとは想像した事も無かった。


 魔法による高速移動には2種類の方法がある。術者の肉体自体を加速し設定した座標へ移動させる方法と、術者の動作を加速することで行動そのものを高速化する方法だ。例を上げるならフェイトの使用する魔法の内、ソニックムーブが前者、プリッツアクションが後者となる。
 ソニックムーブは自身の位置と目標座標との最短距離を突き進む様な直線軌道を辿る程単純な魔法ではないが、その軌道を事前に設定する事には変わりが無い。だから進路上に魔力弾や人体に割り込まれれば衝突する事になる。無論、バリアジャケットがあるし、この魔法独自の防御壁も展開するためその事で負傷したりはしないが、“目的地に辿り着けない”という意味では失敗したことになる。当然移動距離が長くなる程その危険は高まるし、流れ弾の多くなる混戦でも同様である為、使いどころは意外に難しい。それでも駆ける足場が無い空中戦においては、高速行動魔法よりも高速移動魔法を選択する事になるだろう。
 ちなみに、適当な物体にこの魔法を掛けて弾丸として飛ばす事も出来るが、魔力運用上、効率が悪くなる上に非殺傷設定など出来ない為、管理局員で使用する者は居ない。
 一方のプリッツアクションは、行動そのものを高速化するため空中戦でこそ効果が期待できないが地上戦においては変化する状況に対応して行動を修正出来る分だけ有用性が高い。ただし、相応するだけ難易度も高い。身体を加速させれば慣性力や遠心力は勿論、棍棒で殴り掛かれば反動が帰ってる来るため身体強化が必須となるし、視覚や触覚など神経系の伝達速度も向上させる必要がある。何よりも、思考速度は魔法で向上させる事が出来ないため滅多矢鱈に加速させると制御できずに自滅する事になる。

136小閑者:2017/08/19(土) 12:00:44
 魔法が魔導師の意志と魔力により事象に干渉する技法である以上、その基盤となる自身の思考速度に干渉する事が出来ないのだ(イメージとしては自分の襟を手で引っ張って持ち上げようとする事に近い)。言い換えれば他者に干渉する事は出来るが、精神や思考への干渉には抗魔力が働くため被術者より余程高い魔導技能が必要になるし、連続して魔法を掛け続けなくてはならないため戦場で使用するのは現実的とは言えない。また、肉体の場合と同様に、加速する事で発生する熱を冷却する必要もあるが、デリケートな脳に対して行えば危険度が跳ね上がるのは言うまでも無いだろう。
 結局のところ、解決策は地道に訓練を繰り返して脳に高速行動を慣れさせるしかないのが実情だった。


 現実と常識に辛うじて折り合いを付けたクロノは、恭也との戦闘を振り返り矛盾している事に気付いた。

「待ってくれ。最初に僕が彼の背後から接近した時にも瞬間移動をしていたが、体を痛めた様子は無かったぞ。それとも何か違いがあったのか?」

 恭也に魔法を使わずに高速行動が出来る事については固有能力の様なものだと考える事にしたが、代償として肉体を損傷するのであれば多用は出来ない筈だ。仮に2度目に使用した時に限界を迎えたのだとしても、1度目とて相当な負担が掛かっていなければおかしいのだ。敵と対峙している時に負傷を隠すのは当然ではあるが、あれが故障を抱えた者の動きとはどうしても信じられなかったし、信じたくなかった。

「そう言えば、さっきもそんなこと言ってたけど何のこと?彼の姿を見失ったのはこの時だけなんだけど」

 言いつつエイミィがクロノと恭也の開戦当初の映像を再生した。
 画像では、恭也の背後から接近していくクロノが動きを止めた時点で恭也が振り向き、高速移動どころか寧ろ無造作と言える様な足取りで歩み寄り、クロノが魔法杖を構えるのに合わせる様に殴りかかっていた。
 空間投影ディスプレイを凝視していたクロノが、今度こそ驚愕に声を荒げた。

「な!?そんな馬鹿な!あの時は確かに突然目の前に現れて…!?」
「つまり、クロノに移動した事を認識させなかったと言うことね?
 …瞬間移動の件と言い、魔法抜きでどうやればそんな事が出来るのか想像も付かないわね」

 リンディは自身の知識に反している事であっても、クロノの言を否定しない。勿論クロノとて間違える事があるのは承知しているし、依存している訳ではない。だが、どれ程非常識な内容であろうと一考に値すると判断する位には信頼している。

「彼の能力については一旦保留にしましょう。目を覚ましてから確認を取れば済む事ですもの。
 それより、八神恭也さんが今回の件とどう関わっているか、クロノの意見を聞かせて頂戴」

 恭也の能力があまりにも異端であったため注意が向いてしまったが、現状からすれば些事でしかないのだ。重要な事は恭也が闇の書とどの様な関わりがあるのかだ。

「詳細は想像も付きませんが、今大事なのは闇の書との関係の有無でしょう。
 あの場面で登場して無関係とは考え難いですが、なのは達と交友があり、多少なりとも魔法の知識を得ている以上、闇の書側のスパイと断言しきる訳にもいかないでしょう。
 エイミィ、彼には魔力資質はあるのか?」
「辛うじて計測器が反応する程度だね。どれだけ効率の良い魔力運用が出来たとしてもFランク以上にはならないと思う」
「Fランクか…。闇の書の主の個人的な繋がりは残っていますが、少なくとも魔導書そのものとの関連は考え難いですね」
「そうね」

 魔導書と一口に言っても、魔法に関する知識が記載されているだけの本と、魔力を帯びていて魔法の媒体やそれ自体に“力”が宿った物とがある。そして、前者であれば知識の取得という使い道があるが、後者は魔導師ではない者にとって(過ぎた力に手を出すのが身の破滅でしかない事も含めて)“高価な本”以上の価値はない。
 魔法が未発達なこの世界で恭也が魔導書の力を認識して近付いたとは考え難い。また、保有魔力量の少ない恭也を闇の書が主に認定する事は有り得ないし、過去の記録を確認した限り、闇の書が創り出す守護騎士は既に交戦している4人だけだ。仮に表に現れていない5人目が居たとしても、魔導書が魔法の素養を持たない肉弾戦専門の個体を創り出すと考えるのは無理がある。
 犯罪者を作りたい訳ではないので「残念ながら」などとは口が裂けても言う積もりはないが、安易に一般人に分類出来る状況でもない。何より事件の早期解決への糸口を探している身としては、「無関係で幸いだった」とも言い難いのが正直な心情ではある。

137小閑者:2017/08/19(土) 12:01:35

「現状では判断材料が無いのでこれ以上推測を進めて先入観を持つのは危険ですね。こちらも保留するしかないと思います」
「やっぱりそうなるか。彼が回復するまで待つしかないわね」
「そろそろ目が覚める頃合ですから病室へ行ってみますか?」
「そうね。なのはさん達も居るんだったわね」
「はい。4人とも居る筈です」

 現在の切迫した状況と、本人の登場の仕方とその態度、更には特異な身体能力からすれば、恭也は間違いなく不審人物ではあるのだが、所々にそれを否定する要素があるため非常に悩ましい。
 クロノは知る由も無いが、その苦悩は恭也が八神家に居候するようになった当初、ヴォルケンリッターが味わったのと同様のものだった。



* * * * * * * * * *



<さて、嫌な事はさっさと済ませますか>



『ヒッ、イヤ、イヤァァァ!コナイデ!!』
『…無理ね…。
 ごめんなさい、恭也』
『いえ…、多分、当然の反応なんだと思います。予想は、していました。
 ゴメンね、フィアッセ。俺がもっと強ければ違う方法もあっただろうけど。
 さよなら』




『静馬さん、一手指南して貰えませんか?』
『良いけど、恭也君、朝から、どころかここ何ヶ月かずっとだろ?たまには遊びに行ったらどうだい?』
『ちゃんと休養は取っています。体を壊したりしませんよ』




『あれ?姉さんだけ?恭也君、兄さんは?』
『時間には戻るとは言っていたんですが…』
『また何かに興味を惹かれて彷徨ってるのか。
 まったく。本当に兄さんが恭也君の父親なのか疑っちゃうよ』
『…』
『一臣!そんな言い方があるか!』
『え?』
『お前には兄の偉大さを再認識させる必要があるようだな』
『ゲッ、兄さん何時の間に!?』



『おめでとうございます』
『ありがとう。私も何時までも恭ちゃんに捨てられた事を気に病んで俯いている訳にはいかないもの』
『あの、琴絵さん、そう言う冗談を一臣さんの居る前で言うのは流石にどうかと…』




<ん?途切れてる…。外傷、と心因性か?まあ戻りかけてる様だし、良いか>




『馬鹿野郎、人聞きの悪いことを言うな。余興の剣舞のことだ』
『何を企んでるの?』







『…死ぬな』






「うあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」





* * * * * * * * * *

138小閑者:2017/08/19(土) 12:02:05


ガアアンッ!!

「なっなんだ!?」
「今の音、医務局から?嘘っ、壁越しに!?」

 リンディが医務局のドアを開ける寸前に響いた打撃音にクロノとエイミィが声を上げる。
 宇宙を航行する艦である以上、外壁の損傷時に隔壁の役割を兼ねる艦内の壁は当然十分な強度を持つように設計されている。更に医務局はそれなりに防音処置もされている筈なのだ。その異常性に動きが止まっていたリンディが急いで扉を開けると、そこでは想像もしていなかった状況が展開していた。
 備品が散乱し数名のスタッフが倒れ伏す中、立っているのは叫びながら壁も備品も区別無く手当たり次第に殴りつける八神恭也と、彼に向かって必死に呼びかける2人の少女だけだった。

「ああああああああああああ!」
「恭也君、目を覚まして!」
「恭也!もうやめて!手が壊れちゃうよ!」

 フェイトの叫び声の示す通り、恭也の両拳は真っ赤に染まっていた。倒れ付すスタッフは、意識を失っている者、動けないだけの者、様々だが出血している者は居ない。壁を殴りつけた際、皮膚が裂けたか、打撃音の大きさからすると最悪砕けた拳の骨が皮膚を突き破っているだろう。
 クロノは状況を一瞥するとすぐさま行動を開始した。室内に駆け込むと暴れる恭也に向けてバインドを放った。

 クロノは恭也の人格を把握している訳ではない。それでも先の交戦で恭也から受けた印象と今の状態は結び付かない。原因はわからないが明らかに錯乱している。だから、自傷行為を止めさせる為に多少乱暴であろうと正気を取り戻すまで拘束するべきだと判断したのだ。

「あ!待って!」
「クロノ、駄目!」

 なのはとフェイトから制止の声が掛かる。
 当然だ。良く分かっている。彼女達が心配しているのは、恭也の事ではない!

「危ない!」

 エイミィが上げた叫び声を聞きながら、予想した通り瞬時に距離を詰めた恭也が放つ左回し蹴りを屈んで躱した。
 クロノは倒れている者の中にユーノとアルフの姿が含まれていた事から、知人を選り分けていた訳では無い事を推察してした。更に、なのは達とユーノ達の行動の違いを想像すれば恭也が何を基準に標的を選んだかは自ずと答えが出る。スタッフもユーノ達も暴れる恭也を拘束しようとしたのだろう。
 クロノはこの場に立っている5人の中で、今恭也の相手が務まるのが自分だけだと自覚している。なのはとフェイトには恭也を攻撃出来ないだろう。出来るのならば既に行っている筈だし、動揺したまま参戦すればあっさり沈められる。2人にも他に方法が無い事を認識し、そうする事が恭也の為になる事を納得すれば行動できる強さを持っている事はクロノも良く知っているが、そうするだけの猶予は無い。もっとも、これだけ狭い限定空間内で恭也を相手にするだけの格闘技能はなのはには無いし、恐らくフェイトにも難しいだろう。また、リンディも魔導技能が頗る高い反面、格闘技能はそれ程高くない。閉所において恭也を相手取るには相性が悪過ぎる。非戦闘員のエイミィは言わずもがな。
 恭也が反応しているのが魔法なのか敵意なのかは不明だが、何れであったとしてもこれで恭也の意識を自分に向ける事には成功した。
 だがクロノは、目論見通りに開始された恭也との戦闘が、予想を上回る恭也のスピードによって防戦に専念させられている事に内心で舌打ちしながら辛抱強く躱し続けた。壁を殴りつけていた時より明らかにスピードが増しているのは、明確な標的が現れたからか?
 これ以上の自傷をやめさせる為にバリアジャケットを装着する時間を惜しんだのは失敗だったかもしれない。

139小閑者:2017/08/19(土) 12:02:55

 クロノは恭也の強さが理性によって成り立つものだと推測していた。対戦者の目的を推測し、心理を読み、挙動を予測した上で最適な行動を選択しているのだろうと。
 先の交戦でクロノの誘導弾を躱す事が出来たのは、クロノの挙動を予測した上で攻撃箇所を誘導する様な動作をしていたのだろうし、投降の呼び掛けに応じて漫談じみた問答に持ち込んだのも、そうする事でクロノの攻撃を封じたのだろう。実際に管理局員としては投降の呼び掛け中に、特に会話が成立していて流れによっては応じる意志を漂わされると攻撃する事は躊躇われる。
 だからこそ、錯乱している今の恭也であれば制圧する事は難しくないと考えたのだ。実際に今の恭也の戦い方は滅茶苦茶だ。クロノの動きを見てはいても動きの先を読んでいない為に躱す度に少なからず体勢を崩しているし、自身の攻撃も技と技に連携が無い為、酷く単調で躱し易い。恭也の本来の戦い方を目の当たりにしているクロノにすれば、芸術家の絵画と子供の落書き程の違いを感じる。
 それでも、制圧するに至れない。身体の基礎能力に差が有り過ぎるのだ。
 相手は生身で魔導師と渡り合う非常識な存在だが、そんな事は先刻承知している。承知していて尚、制圧出来ると判断したのは恭也を過小評価した訳でも自身を過大評価していた訳でもない。恭也が実力を隠していたのだ。或いは殺さない事を念頭に置いた動きと我武者羅なそれとの違いなのかも知れないが、言い換えればこのスピードと戦闘を組み立てる理性があれば、状況次第で恭也に負ける可能性があるのだ。いや、状況を整える事も戦闘の一環である以上、魔法という圧倒的な優位性を生身の恭也が覆す事が出来ると言うことだ。
 クロノは決して選民思想を持っている訳ではないが、若くして執務官に就くのに相応しいだけの実力を持っているという自負はある。責任感と傲慢さの2つの側面を持つその自尊心を酷く傷付けられた事でクロノの思考が自覚できない程度に僅かに鈍る。普段であれば直ぐに修正されるそのノイズが、恭也の異常を目の当たりにすることで動揺として現れてしまった。恭也が左正拳を振り抜いた直後に咳き込み、吐血したのだ。

「ゴフッゲフッ」
「な!?」

 治療直後にこれだけの運動を行えば当然の結果とも言えるが、動揺し一瞬硬直したクロノを、自身の体の異常に拘泥する事無く放った恭也の蹴り足が捉えた。辛うじてガードしたが壁際まで弾き飛ばされたクロノに恭也がすぐさま追い付き追撃を仕掛ける。

「クッ」
「バルディッシュッ!」
【Yes Sir!Blitz Action】
「なっ!?ヤメッ」

 フェイトの声に眼前に迫った恭也の存在を無視してクロノが反射的に意識を向けてしまった。だが、その無防備なクロノに止めを刺す事無く、恭也がフェイトに向かって転進した。
 今の恭也は与えられた刺激に反射行動を起こしているだけなのだ。改めて認識した恭也のその戦い方は、たった1度の早朝鍛錬で恭也の戦闘が脳裏に鮮烈に焼き付いているフェイトにとって、痛まし過ぎて見続ける事が出来ない。
 同時に想起させられるのは、翠屋でフェイトの問い掛けに苦痛を堪えて答えてくれた時の鉄面皮であり、早朝鍛錬後に恐怖の混ざる自分達の視線を受け止めて自分の心が傷付く事を当然だと思っている恭也の姿だった。
 バルディッシュを起動させ、しかしバリアジャケットを纏う事無く、魔法により行動を加速したフェイトは、恭也が近接戦闘に特化している事を考慮してフェイントを織り交ぜつつ間合いを詰める。だが、恭也は大幅に向上したスピードにもフェイントにも惑わされた様子も無く迎撃してきた。フェイトは内心に浮かぶ感嘆の念を押し込みつつ、それでも反応速度を高めた視力で恭也の攻撃を正確に捉え、体を攻撃の死角へと移動させる。
 デバイスで斬り付けるだけであれば恭也の死角へと目に止まらない程のスピードで回り込めば済むが、今回の様に精密な動作を要求される時には大きく加速する事が出来ないのが難点ではある。
 常人には認識し難いスピードでありながら、恭也を相手にするには圧倒的とは言えない優位性を駆使して細心の注意を払って行動した結果は、恭也の死角に回り込むという形で結実した。
 敵を自身の死角に侵入させた事について慌てる様な情動が働いていない恭也は、焦る事無く、素早く的確にフェイトへ向き直る動作を利用して攻撃を仕掛けてきた。予想していた通りの、その何の捻りも無い攻撃パターンに対して湧き上がる悲しみを押さえ付けて、フェイトは近接戦闘の間合いを更に踏み越え、正面から恭也の顔を自身の胸に埋めるように抱きしめた。

「恭也!もう止めて!お願いだから目を覚まして!」
「な!?」
「フェイトさん!?」

140小閑者:2017/08/19(土) 12:03:33

 フェイトの突飛な行動にクロノとリンディが慌てる。一撃入れて気絶させるのだとばかり思っていた2人にとってフェイトの行動は考慮の外だ。

「恭也!クゥッ」

 フェイトの口から苦痛が漏れる。恭也がフェイトの腕を掴んで引き剥がそうとしているのだ。態々後頭部に位置する手首を掴んでいるのはフェイトにとって幸いだったろう。恭也の握力で二の腕を全力で掴まれれば筋肉が潰れかねないし、そもそもフェイトの胴体を殴り飛ばされればプリッツアクションの身体強化が残っていると言っても内臓を痛めかねない。
 だが、それよりマシと言うだけで、恭也の頭はフェイトの身長より上にあるので、胸元に抱きしめる事で足が宙に浮いているフェイトには抗いようも無い。

「バカッフェイトちゃん逃げて!」
「やめるんだ、フェイト!今のそいつは正気じゃない!早く離れるんだ!怪我では済まなくなるぞ!」
「嫌だ!
 決めたんだ!どんなに怖くても逃げないって!傷付けないって!
 もう、あんな恭也、見たくない!」

 フェイトは涙を零しながら強い口調で宣言し、嘘では無い事を証明するかの様にいつの間にかバルディッシュを待機状態に戻していた。

「ック、戒めの枷、堅牢なる檻、」
「クロノ待って!」
「母さん!?…え?」

 フェイトを負傷させる位ならばと、フェイト諸共恭也を捕縛する為にデバイス無しでバインドの詠唱を始めたクロノをリンディが制止した。状況からすれば他に手は無い筈なのに制止するリンディに思わず問い返すが、直ぐにクロノも恭也の様子が変化した事に気付いた。フェイトが抱きついているため表情は見えないが、いつの間にか恭也が動きを止めていたのだ。
 誰一人として身動ぎもしないまま数秒が経過すると、騒動の張本人である恭也が声を発した。

「…もう、いい。十分だ。放せ、テスタロッサ」
「あ…、恭也、気が付いたの!?」
「ああ。もう暴れないから放してくれ」
「うん」
「高町も、もう大丈夫だから」

 腕を解いてフェイトが床に下り立った事を確認すると恭也は部屋の隅に顔を向けた。恭也の視線を追うと、そこにはデバイスモードにしたレイジングハートを恭也に向けて構えるなのはの姿があった。

「ほんとに?本当に、もう大丈夫?」
「ああ。無理をさせて済まない」
「良かっ…たぁ。良かったよう」

 緊張の糸が切れたなのははその場でへたり込むと静かに泣き出した。
 なのはの目には、暴れ出した恭也の姿は悲嘆に暮れている様にしか見えなかった。それが暴力を振るって良い理由にはならないが、錯乱していても恭也は自身に魔法を向けられるまで人間を攻撃対象にする事は無かったし、魔法を向けた本人以外には手出ししていない事にも気付いていた。だからこそ、恭也に攻撃する事をぎりぎりまで躊躇していた。

 早朝訓練では必死になって中てようとしているのに、どうして今はこんなに攻撃する事を怖いと思ったんだろう?

 涙を流す事で落ち着きを取り戻し始めたなのはは、ぼんやりした思考ながらも先程の自分の心情を思い返して不思議に思った。
 なのはが恭也に向けて魔法を使用する事に自分でも驚く程に抵抗があったのは、恐らく理性を失う程の悲しみに包まれて尚、人を傷付ける事をしない恭也に魔法杖を向ける自分を嫌悪したためだろう。
 それを押して恭也に杖を向けたのは、フェイトに怪我をさせる訳にはいかなかったからだ。フェイトの身を守ろうとしたのは勿論だが、正気に戻った恭也がフェイトを傷付けた事を知れば深く後悔する事が容易に想像出来たのだ。
 無論、先程のなのはには順序立てて考えを巡らせる余裕は無かったため、過程を飛び越え、ただただ“恭也君を止めなきゃ”と言う結論のみで行動していた。
 フェイトは傍目には極度の緊張が解けて弛緩している様にしか見えないなのはを心配して駆け寄り、声を掛けた。

141小閑者:2017/08/19(土) 12:04:09

「なのは、ゴメン。私が無茶な事した所為でなのはにまで無理させて…」
「あ、ううん。フェイトちゃんがやらなかったら、多分私が似たような事をしてたと思うから」
「…なのはにあれは無理だろう」
「そりゃあ、フェイトちゃんみたいな近付き方は無理だけど!でも、たぶんさっきの恭也君は歩いて近付けばしがみ付くまで反応しなかったと思う」
「…いくらなんでもそれは無いだろう?」

 なのはの緊張を解そうとからかう様に声を掛けたクロノは、負け惜しみにしか聞こえないなのはの反論に今度は呆れながらも柔らかく否定した。だが、直後になのはの言葉を遠回しながらも肯定する言葉が上がった。

「あ、そうか、さっきの恭也は確かに…なのはは気付いてたんだね」
「…フェイトちゃん?」
「あ、何でもない」
「済まんがそろそろ良いか?加害者が言う台詞ではないだろうが、怪我人を介抱した方が良い」

 本人達も無自覚なままに探り合う様な会話を展開していたなのはとフェイトを引き戻したのは中心に居る筈の恭也だった。楽しそうに眺めていたリンディとエイミィが落胆しているのは倒れている医療スタッフの容態が軽度である事を確認済みだからだ。
 クロノが年長の2人に呆れながらも倒れている者を介抱していく。意識のあるスタッフも体が動くようになると他の者の容態を看ていったので短時間で事態が収拾していく。先程の恭也は一撃で意識を刈り取り、追撃を掛ける事も無かったので大事に至る者はいなかったのだ。寧ろ壁を殴り付けていた恭也の両拳の方が余程状態が酷かった。


 医局長である初老の男性が先程の騒動に居合わせた一同の前で恭也を治療しながら恭也とリンディに説教をしていた。
 恭也の拳の怪我は倒れていた全員の処置が終わる頃にフェイトの悲鳴により発覚した。恭也に拳の治療をなのはと共に勧めていたフェイトは、「皮がめくれただけだ」という恭也の主張を信じる事無く一瞬の隙を突いて恭也の掌を掴み、その異様な感触に悲鳴を上げたのだ。
 隠しきれる状況に無い事を悟った恭也が観念して差し出した両手は、その体積を2倍近くに肥大させていた。
 恭也の拳は内出血と亀裂骨折、それに因る炎症で腫れ上がっていたが、処置が早かったので2日程で全快するとの事だった。

「リンディ提督!あなたの趣味に口出しする積もりはありませんが、優先すべき事があるでしょう!?」
「面目ありません」
「まったく!
 おまえもだ!こんな大怪我をしているのに何故黙っていた!?」
「…」
「医者に怪我を隠す事が格好良いとでも思っているのか!折れた骨がずれたまま癒着すればまともに物も握れなくなっていた可能性だってあるんだぞ!」
「…」
「黙っていないで何とか言ってみろ!」

 なのはやフェイトが口を開こうとしたがクロノの視線を受けて言葉を飲み込んだ。2人にも恭也が怪我を隠していた事が間違っている事は分かっている。

「…何故、あなたは加害者を心配しているんですか?」
「…何?」

 ポツリと零した恭也の言葉に医局長が聞き返した。

「俺はあなたを含め、あなたの同僚を傷付けた。心配する必要は無いでしょう?」
「…そうか。
 そういえばお前、まだわしらにさっきの事を詫びとらんな?」
「…」

 老人の言葉は恭也の非礼に対する弾劾ではなく、事実の確認だった。理解出来たと言わんばかりの老人の口調に、恭也は治療を始めてから一時たりとも相手の顔から逸らす事の無かった視線をゆっくりと逸らした。

「そこで視線を逸らすようでは、失言しました、と言っとるのと変わらんぞ?」

 先程までの剣幕が嘘の様に老人が穏やかな口調で語り掛けると、一つ小さく溜息をついて恭也が老人に向き合った。

142小閑者:2017/08/19(土) 12:04:47

「素直で宜しい。
 坊主、お前さん今年で10歳らしいな?」
「はい」
「そこのお嬢ちゃんと同じ世界出身なのに刃物を身に帯びて体を鍛えてきた訳か。
 お前さんは自分の振るう刃物が“暴力”と呼ばれる事を承知しているな?」
「はい」
「それでも振るうか…」

 老人は恭也に伝えるべき事を検討した。
 少年が知らなくてはならない事は、言葉にするのは簡単だが、理解するには経験が必要なのだ。だからと言って、伝える努力を怠れば何時までも伝わらない可能性もある。傍についていられる訳ではない以上、今この時に伝える努力を惜しむ訳にはいかない。

「お前さんはまだまだ知らない事が山程ある事も承知しているだろうから多くは言わんよ。わしは、それは身を持って知るべきだと思うからな。だから今のシチュエーションについてだけ伝えておこう。
 お前は特別なんかじゃない。
 もし、あの嬢ちゃん達が何かに失敗する事でお前さんが害を被ったとして、お前さんはそれを咎めるのか?」

 それだけ言うと老人が口を閉ざした。
 端的に伝えた言葉の意味を恭也が咀嚼するのを静かに待つ。そして、表情に変化の無い恭也の様子に、老人が言葉を端折り過ぎたかと悩み始めた頃、恭也が口を開いた。

「ありがとうございました。それから、先程は済みませんでした」

 タイミングを外された事で言葉に詰まる医局長を余所に、恭也は立ち上がり部屋の隅で固まって自分の方を窺っている一同に近付くと深々と頭を下げた。

「済みませんでした」

 態度を一変させた恭也に、先程恭也に伸された医療スタッフも毒気を抜かれた様に緊張を解いた。もっとも、謝罪しない事に憤っていたと言うより表情を崩さない恭也が再び暴れ出す事を警戒していたのだが。

 恭也が局員と和解している様子を尻目に、リンディは医局長にだけ聞こえる程度に抑えた声で先程の遣り取りの意味を確認していた。

「謝罪する事で罪が軽くなるのを嫌ったと?」
「いや、恐らく被害者が恨んだり憎んだりし難くなると考えたんでしょう。そういった感情を受け止めるのが、加害者としての義務だと。そこまで覚悟して暴力を振るっているから、謝罪も出来ないし、負傷して弱っている姿も見せられなかった。
 今、謝ってるのも、さっき暴れていたのが本人の意思ではなかったからでしょう。多分、明確に相手を傷付ける意志を持って振るった力であれば態度を変えることも無かったでしょう。そう言う意味では、あれは事故に近い」

 それだけ言うと、医局長は仕事を果たすために少女達から心配されている怪我人の所に歩み寄って忠告を伝えた。

「坊主、治療は済んだが完治した訳じゃないんだ。明日まで両手は出来るだけ使うなよ?痛みを感じたら直ぐに誰かに言え。いいな?」
「わかりました。お世話になりました」

 治療中とは明らかに態度の違う恭也を訝しみながらも、場が落ち着いた事を感じ取ったクロノが声を掛けた。

「…恭也、慌しくて悪いが事情を聞きたいから一緒に来てくれ」
「え、今から?」
「わかった」
「あ、恭也君、少し休んだ方が…」
「平気だ。会話が出来る程度に冷静で、計算が働かない程度に動揺している間に情報を引き出したいんだろう。組織内の立場的にも事件の状況的にも、時間に余裕は無いだろうしな」

 心配するフェイトとなのはを留めて、恭也がこちらの状態を看破した上、態々説明してくれた事にクロノは内心で嘆息した。既に十分に冷静さを取り戻しているではないか。

「でも、態々それを口に出してるって事は、君も見た目以上に余裕無いんじゃないの?
 錯乱した直後なんだし、本当に少しくらい休ませて貰った方が良いと思うけど?」
「…そうか。自覚は出来ないがそう見えるならそうなのかもな。だが、それが目的なんだろうから、容疑者の俺から拒否する訳にも行かないだろう。さっきみたいに暴れ出すほどではないだろうが、十分に警戒はしておいてくれ」

 恭也はユーノの気遣いも拒否して事情聴取に臨む意志を示した。少々的外れな台詞は動揺とは別に彼の地だろう。
 …この男は本当に余裕が無いんだろうか?
 恭也に心配そうな視線を向けるなのはとフェイトの姿を見る限り本当なのかもしれないが、それが過剰な物なのかどうかクロノはなんとも判断に悩む。リンディを見ても結論を出しかねているようだ。それでも、恭也が指摘した通り時間に余裕の無いクロノ達は予定通り事情聴取を行うことにした。

143小閑者:2017/08/19(土) 12:05:23

 事情聴取のために集まった部屋は、全員が席についても息苦しさを感じない程度の広さがあった。メンバーはリンディ、クロノ、エイミィ、なのは、フェイト、ユーノ、そして恭也の7人だ。アルフは「考えるのは苦手だから」と医務局を出る前から辞退している。
 これが容疑者の取調べであればなのは達3人を退室させるのだが、今回はあくまでも事情聴取、つまり事実関係の確認だ。あの時あの場に居たこと以外に、恭也の言動に不審な点を見つけられていないし、身を挺してなのはを助けた実績もある。
 こちらに信用させるための仮面の男との芝居であった可能性は残っているが、それについてはそれ程心配していなかった。仮に芝居であったとしても、外部からアースラ内に無断で転移する為には数段構えの防壁を突破する必要があるので実質的には不可能だからだ。
 そして宇宙空間に閉じ込めている限り魔法の使えない恭也には逃走手段が無い為、強行手段に出たとしても結果は分かり切っている。錯乱する姿を見たばかりなので油断は出来ないが、理性的に行動する姿を見る限り無謀な行動を選択する可能性は高くないと判断したのだ。
 もっとも、3人の同室を許可した理由は別にあった。恭也から聞き出した内容の真偽を本人の表情や所作から判別するのが困難であると判断したためだ。なのは達ならば少なくとも恭也と共有している過去についての真偽を確認できるし、クロノ達には違いの分からない恭也の表情から虚偽を見抜ける可能性がある。


 正方形に配置された長机に対して、一辺に恭也が、対面にリンディとその両脇にクロノとエイミィが、恭也から見て右側の辺にフェイト、なのは、ユーノの順で着席するとリンディが代表者として審問を始めた。

「それじゃあ、八神恭也さん、疲れているところ悪いけれど始めるわね。
 今、あなたには私達が追っている事件に関わっている人物としての容疑が掛かっています。あなたには黙秘権があり、自分が不利になる証言をする必要はありません。ただ、事件と無関係であるなら容疑を晴らす為に出来るだけ正直に話して下さい」
「わかりました」

 リンディはお決まりの前口上を終えると、改めて恭也の様子を窺った。
 特に気負った様子は見られないが、事件の容疑者と言われても感情の揺らぎが表面に全く現れていないのは異常と言っても良い。仮に全く関わりが無かったのだとしても、非日常と言える状況で審問を受ければ居心地の悪さ位はあるものだ。
 今でこそ自分の息子も子供らしい面を見せる事が少なくなったが、10歳当時はもっと感情豊かだった。錯乱するほどのショックを受けた事で一時的に感情が凍結しているのだろうか?
 そこまで思考を走らせて、漸く脇道に逸れている事を自覚するとリンディは気を引き締めて、今度こそ審問を開始した。

「あの時、どうしてビルの屋上に居たの?」
「高町に用事があって自宅を訪ねに行ったら、高町が窓から飛び出して行ったのを見かけて追いかけてきました」
「…なのはさんの自宅から現場までの距離を考えると、なのはさんとあなたの到着の時間差が5分程度と言うのはちょっと不自然なんだけど?」
「問題が時間だけであれば再現は出来ます。ただ、高町を追い掛けた事そのものは証明の方法が無いから信じなくても…、あー、高町を下から見上げる形になったので、下着が見えましたが、これは証拠になりますか?」
「えぇー!?」

 声を上げたのは当然なのはだった。
 リンディはなのはを見遣る。一緒に生活しているユーノならばまだしも、恭也にはなのはの下着を見る機会は無いので一応証明にはなるが、なのはのプライバシーの問題でもある。
 リンディが口篭ったのは僅かな時間だったが、その間にクロノが疑問を口にした。

「ちょっと良いか?あの時間帯は既に暗かったし、なのはも飛行の際にはかなりの速度と高度を取っていた筈だろう?下着どころか細部を識別出来るとは思えないんだが…」
「出来ないのか?」

 クロノの当然の、そして恭也の理不尽さを知る者ならば無視する疑問は、本人が聞き返す形で肯定した。
 その状況に一緒に居た訳ではないクロノは、即座に否定する事は出来なかったが、同時に頭から信じる事も出来ず言葉を途切れさせたのを見て、エイミィが口を挟んだ。

「恭也君、あそこに書かれてる文字は読める?欄外の小さい奴」
「…読めません」
「え?」

144小閑者:2017/08/19(土) 12:06:28

 エイミィが指差す先を追った恭也が壁に掛けられた掲示物を見て即座に不可と答えた為、エイミィの方が驚いた。彼女にも読み取る事こそ出来ないが文字が書かれている事は分かるのに、目が良いと証言した恭也が読めないとは思わなかったのだ。だが、文字が読めなかった事で恭也の目の良さを否定するのは早計というものだ。

「エイミィ、慌てるな。見えないんじゃなくて、読めないんだろう」
「あ」
「…判定するならこれをどうぞ。地球で一般的に視力検査に使う方法です」

 赤面するエイミィをフォローするように、ユーノが取り出した紙片に何事か書き込み、それを隣にいるクロノに渡す。受け取ったクロノが確認すると無地の紙片の中心には1mm位の大きさで「C」と書かれていた。

「その途切れている部分がどちらを向いているかを識別するんだ」
「なるほど。見えるか?」
「ああ。上だ。その大きさなら部屋の両端に立っても見分けられると思う」

 互いに着席したまま2m程の距離で紙片を見せると恭也が躊躇無く答え、更には難易度を上げる発言をした。対角に立てば15mを越える距離で見分けられるとはクロノには信じ難いのだが本人がそう言う以上、確認することにした。

「下」
「…正解。提督、エイミィ、見えますか?」
「辛うじて黒い点が見えるわ」
「私は見えないや…」

 またしても、即答。念のために着席したままのリンディとエイミィに尋ねると、恭也の半分位の距離でありながら、2人には見えない様だ。
 至極正常な答えを得て、クロノはもう一度だけ確認する事にした。紙片を一度体で隠し、向きを変えると恭也に見せて尋ねる。

「これは?」
「何も書かれていない」
「は?」
「…正解」

 勘で答えている事を疑ったクロノは紙片の裏面を見せたのだが、断言された以上見えていると判断するしかないだろう。

「え〜と、なのはさんの下着の色だったわね。じゃあ、なのはさんだけに伝えて貰える?」
「わかりました」

 視力の確認が取れた事でリンディが審問を再開して恭也に発言の証明を求めると、部屋の隅に立っていた恭也はそのままなのはに歩み寄り耳打ちをした。

「…合ってます」
「恥かしいならスカートでの飛行は慎む事だな」
「うぅ…」

 フェレット形体とは言え、ユーノには着替えどころか一緒に入浴する事も気にしていないなのはだが、恭也が相手だと羞恥心が現れる。許容されているのか気にも留めて貰えていないのかでユーノが真剣に悩むが気付く者は居なかった。
 赤面したまま小さくなるなのはを少々気の毒に思いながらも、リンディが質疑を進める。

145小閑者:2017/08/19(土) 12:07:48

「何故、なのはさんを追いかけたの?あなたなら空を飛んで向かった事から緊急事態だと想像出来たでしょう?」
「何かの役に立てるかと思ったんです。初対面の魔導師を驚かせる事が出来る程度には体を鍛えてますから」

 これにも頷くしかなかった。
 格闘技能にも定評のあるクロノであったからこそ驚くだけで済ます事が出来たが、クロノと同じAAA+ランクの魔導師であったとしても不用意に恭也に近付けば沈められていても不思議は無い。
 格闘技能が低い事を自覚している者であれば空中から呼びかける事も考えられるが、あの時点では恭也が一般市民であった可能性が捨て切れなかった以上、出来る得る限り魔法を見せないように屋上=恭也の攻撃範囲内に下り立っていただろう。
 だが、異常な技能を持ち合わせていたとしても「友人が心配だから」という程度の気安さで魔法の飛び交う戦場に足を踏み入れる事を認める訳にはいかない。本物の殺意を向けられても恐怖に呑まれずにいるには相応の胆力と覚悟が必要なのだ。戦場で恐慌を起こせば、被害は本人のみならず味方全体に及ぶこともある。収容時に解除した数々の武装からすると杞憂の可能性はあったが、“次回”の可能性がある以上、リンディは確認しておくことにした。

「恭也さん。今回はたまたま管理局員が相手だったから良かったけれど、相手が犯罪者だった場合、最悪殺されていた可能性もあったのよ?それを理解していたの?」
「分かっています。殺し合いという物がどういう物なのか、俺はその暗さと深さを多少なりとも知っています。
 寧ろ、一般家庭で育ってきた高町を戦場に送り出す事が、俺には信じられません。例え、高町の技能の高さや本人の意思があったとしてもです」
「…痛いところではあるわね。
 管理局では実力と本人の意思があれば局員として採用する方針なの。勿論、最大限の支援はしているわ」
「…失礼しました。当事者が納得している以上、部外者が口を挟む内容ではありませんでした」
「…恭也君、心配してくれてありがとう」
「礼を言われる程の事じゃない。親しい者が危険に晒されていれば誰だって手を差し延ばそうとする」
「うん。でも、親しいって思ってくれてるって分かって嬉しかったから」
「…そうか」

 普段の恭也が照れてこの手の心情を口にする事が無いのはなのはにも容易に想像が付く。精神状態が平常に戻っていない事は純粋に心配しているが、それとは別に恭也が自分の事を大切に思ってくれている事は嬉しかった。
 リンディはなのはのはにかむ様子を微笑ましいとは思うが、まだ確認すべき事が残っている以上、いつまでも眺めている訳にはいかない。話の軌道を戻すために再び口を開いた。

「恭也さんが、なのはさんが魔導師だという事を知ったのは何時頃?」
「1ヶ月ほど前に高町が砲撃で結界を打ち抜いた時です」
「どうして現場に行ったの?
 かなり大きな爆発音だったわ。あなたが野次馬根性に突き動かされるほど軽い性格には見えないし、爆発音を聞いて危険感を感じないほど暢気だとは思えないけれど」
「…当時の俺は、それまで想像した事も無い様な状況に陥っていたんです。だから、それを覆せる可能性を求めて、非常識な何かを探していました」
「想像した事も無い状況?」

 リンディが口にした疑問に対して、恭也は視線をいくらか上にずらして言葉を途切れさせた。恭也の思案する様子から、黙秘ではなく整理していると解釈して無言のまま待つと、暫くして恭也がリンディへ視線を戻した。

「…結論だけ話すと誤解が生じるでしょうから、少々長くなりますが始めから順を追って説明します。
 疑問に思う事も出てくるでしょうが、質問は最後まで聞いてからにして下さい」

 魔法文明においても時間移動が不可能とされている上、近似世界の存在が否定されている以上、恭也の現在の境遇を結果だけ伝えれば根拠や証拠についての質疑応答を繰り返す事になるという推測は当然だろう。
 恭也はなのは達にも語っていない自身の境遇を語り出した。

「今から20年程前、俺は日本の静岡と言う土地で生まれました」
「え?20年?」

 初っ端からおかしな情報を耳にした事で思わずなのはが声を上げるが、予想していた恭也は視線だけでなのはを制して宣言通り説明を続けた。

146小閑者:2017/08/19(土) 12:08:34

「少々特殊な家系ではありましたが、普通に育ち、普通に歳を重ねました。
 異変があったのは10歳の時、つまり10年前。その春先に開いた叔父の結婚式当日でした。式の準備を手伝っていた筈の俺は、海鳴市の臨海公園で目を覚ましました。
 自分がどうしてそこに居るのかも、どうやって辿り着いたのかも分かりませんでしたが、現状を確認する為にもとりあえず家に帰り、家のあった土地が空き地になっている事を確認しました」
「…空き地?」

 次に声を出したのはエイミィだった。こちらは恭也に問い掛けるというよりは口をついて出た程度の声量だったので、更に話を進める。

「町並みや通っていた学校を見て回って自分が住んでいた土地である事を確認しました。テレビや新聞から、叔父の結婚式から10年が経過している事も。
 これが1ヶ月程前の事に成ります。高町とスクライアに会ったのはこの頃です。
 爆発音を聞いて危険がある可能性を知りつつのこのこ出て行ったのは、自分と同じ様に10年前の世界から誰かが来た事を期待したからです」
「その時、なのはに鎌をかけて魔法使いである事を知った訳だ」
「ああ。
 “夢を見ている”と言う位しか現状を覆す方法が思いつかない状態でしたが、逃げていても解決にならないことも分かっていました。
 時間跳躍の方法に心当たりはなかったので、超常現象か超常能力と仮定する事にした矢先に異常な爆発音が響いたので駆けつけました。高町が爆発音を発生させた当事者だったようなのでその音については超常現象の可能性を消しました」
「…一応誤魔化そうとはしたんだけど。私も様子を見に行っただけの野次馬だとは思わなかったの?」
「していたのか?…一応言っておくが煤塗れであの場に居たなら当事者か巻き込まれた被害者だ。煤に塗れるほど害を被った者が拘束されてもいないのにその場に留まり続ける理由はそうそう無いから、あの場でフラフラしている時点で当事者に確定してるぞ?」
「…うぅ。もっと勉強します」
「何処まで話したか…そう、超常現象の可能性を消したので、高町が持つ能力を絞り込むことにしました。
 俺の知っている超常能力は現実的なもので超能力つまりHGS患者と霊能力者、非現実的なもので魔法使いと未来から来たロボットくらいでした。最初に魔法使いを出したのは高町が持っている杖を見たからです」

 ユーノが指摘の内容と話の腰を折った事の両方に罰の悪そうななのはを苦笑しながら執り成しているのを余所に逸れた話を軌道修正した。エイミィがいくつか聞き慣れない単語に眉を顰めたが本筋から外れる事だろうと自重した。流石は優秀な局員である。

「後日、スクライアから、魔法でも時間の移動は出来ない事を聞いたし、次元世界には近似した世界が確認された事が無いことも聞きました。だから、原因がわからないままでしたが、現象としては俺が時間と空間を移動して、その10年の間に家が全焼し家族を失くしたと結論しました。
 勿論、そんな理不尽な話を簡単に受け入れられる訳は無いので、せめて何が起きたのかだけでも調べようとして、図書館で過去の新聞記事を調べました。その結果分かった事は、俺の家で起きた火事は、叔父の結婚式当日の出来事だという事、親族全員が出席していたその式の火災での生存者が居ない事、そして新聞記事とは裏腹に恐らく生存者が居た事」
「生存者が?そうか、式に出席しなかった者が居たのか?」
「さあ、な。まだ直接話は聞けていない」

 今度はクロノが口を挟むが、話の流れを阻害するものではなかったので、恭也が話の軌道をそちらに合わせた。

「聞けない理由はいくつかある。
 一つは多分に俺の推測が含まれている事。もう一つは当時の俺を知る者からすれば、10年間歳を取っていない俺が不審人物でしかない事。何より、もう一つ」

 数日前には確認するのに心構えを要した内容の質問を、今は気負う様子も無く口にした。

147小閑者:2017/08/19(土) 12:09:39

「高町、俺はお前の家族がその式の生存者だと思っている。話題に出た事は無いか?」
「え、私の家!?」

 突然話を振られたなのはは、当然の様に慌てながら記憶を掘り返す。

「えっえと、そう言う話は聞いた事ないかな…。あ、でも10年くらい前にお父さんがお仕事中に大怪我して入院したって聞いているよ?お母さんと結婚して1年位した頃から3年くらい入院してたって。だから、結婚式に参加できなかったのかな?」
「は?それじゃあ計算が合わっぐあ!?」

 なのはの話の矛盾点に気付いたクロノが指摘しようとした瞬間、恭也が医務局で受け取っていた痛み止めの入ったピルケースをクロノの額に投げつけた。手の届く範囲であったなら負傷も気にせずデコピンを放っていたのではないだろうか?

「クロノ君!?きょ、恭也君、えと、な、何で?」
「気にするな」
「ええ〜!?」

 審問の場で局員に手を出せば唯で済む訳がない。色めき出すほど単純な者がこの場に居なかったのは幸いではあるが、何の説明もしなければ、そのままお咎めなしなどと言う訳にも行かないだろう。
 恭也の心象を悪くしたくないなのはは必死になって考えた。状況からして恭也は間違いなくクロノの発言内容を中断させるために手を出した筈だ。そして、それはなのはに気を遣ったものだろう。

「…あっ!あ、あのね、お父さんはお母さんと再婚したの。だから、私はお兄ちゃんとお姉ちゃんとはお母さんが違うの」
「う…すまない、余計な事を言った」
「あ、いいよ、隠してる訳じゃないんだし」

 家族の血縁関係は間違いなくプライバシーの範囲だ。審問の場とは言え、その対象がなのはでは無い以上、わざわざ公開する必要の無い内容をクロノが言わせた様なものだ。勿論、あれだけ明確な齟齬であれば誰もが気付くだろうが、だからこそ態々言葉にさせる必要は無かったとも言える。
 恭也は遣り取りがなかった様に、必要な事をなのはに確認した。

「高町の家族構成は、父・士郎、母・桃子、長男・恭也、長女・美由希、次女・なのは、これで合っているな?」
「うん」
「やはりそうか。
 俺には、母は既に居なかったが、父と妹がいる。名を士郎と美由希という」
「え?」
「体格の違いが霞むほど似ている容姿。
 10年の時間移動を考慮すれば一致する年齢。
 成人男性の平均値から掛け離れた運動能力。
 10年前の、高町桃子さんと結婚する前と同一の家族構成。
 これだけ揃えば、嫌でも連想する事があるな」
「待ってくれ。何を言っているんだ?
 なのはの兄である高町恭也さんは存在しているんだぞ?」
「有り得ない、か?
 だが、時間移動の様な現象も体験しているからな。
 両方の現象を同時に説明するなら“俺が居た世界と酷似した、10年だけ先行した世界に移動した”か、“大学生の高町恭也は、俺がこれから10年前の世界に戻り成長した姿”となるが、近似世界も時間移動も否定しているお前達の常識から外れる事に変わりはない」
「…あ、あのね、恭也君。その、美由希お姉ちゃんはね?」
「そうか。それなら、尚更一緒だな」
「あ…、そうなんだ。うん。ありがとう」

 恭也となのはが半端な言葉で意志を疎通していたが、流石に全員がプライバシーの範囲である事を察して口を挟む事は無かった。次は何が飛んで来るか分からないのだから慎重にもなるというものだ。

148小閑者:2017/08/19(土) 12:10:17

「話を戻します。
 先程は高町兄が俺の10年後の姿であるという説を上げたばかりでなんですが、それでは辻褄が合わない事も見つけています。
 俺の記憶とこの世界の史実に齟齬があったんです。具体的には叔父の結婚式の日取りが史実の方が3年早かったんです。
 時代の違う良く似た世界に飛ばされた。これが俺の立たされている状況です」

 そう言って締め括ると辺りが静まり返る。全員が恭也の提示した情報を纏めるために意識が集中していた。
 沈黙を破りリンディが恭也へ問い掛けた。

「あなたの考えでは、あなたは近似した異世界から漂流して来た、という事で良いのね?」
「そうあって欲しいと考えています」
「…つまり、他の可能性も考えていると?」
「宇宙を航行する様な艦船を建造して、空間を渡り歩く術を持つ程の文明が近似世界を発見出来ていないのであれば、やはり確率は低いと考えるべきでしょうから」

 地球でもそれまで常識としていた事柄が間違っていた例はいくらでもある。天動説の様に迷信が蔓延っていた時代だけではなく、数学や物理の世界でも何十年にも渡って「定理」と信じられていた説が覆された事もあるのだ。
 だが常識とされているそれらは、それまでの経験では問題なく通用してきたという実績もあるのだ。例外が現れたなら常識を疑うよりは、それが適用出来ない様な条件が隠れている可能性を検討する方が先だろう。

「俺が思いついたのは、どれも常識外れな物ばかりですが、まあ状況自体が異常なので容赦下さい。
 まず、管理局側からすれば最も高い可能性は、俺の発言が全て偽称の場合でしょう。
 あなた方、時空管理局という組織の力を、そこまで大きくなくとも高町なのは個人の力を当てにして高町恭也氏の境遇を調べて近付いた可能性。勿論、この案は俺自身が考慮する必要の無いものですが、この派生として俺が操られている可能性があります。
 俺自身は単なる駒に過ぎず、何処かしらの組織が俺を時空管理局に潜り込ませようとしている可能性。こちらの場合は俺に騙し通させるよりも、俺に、与えられた記憶を信じさせて、暗示か何かで表層意識の認識できない所で連絡させる方が安全でしょう。魔法的な解決策があるならそちらでも。
 恭也氏の容姿と齟齬のある記憶を持たせる事で興味を持たせているとか?同時に警戒させる事にもなりますから、俺なら恭也氏本人を洗脳する方が余程現実的だとは思いますが。
 更にこれの派生として、俺は恭也氏を素体として複製したクローンで、目的は時空管理局とは関係なく、あくまで地球上で、魔法の存在しない地域で高町恭也の身体能力を欲した場合。
 ハラオウンとの戦闘を見て貰った通り、魔法無しでの戦闘であれば、未完成の俺でもそれなりの戦力にはなります。俺が修める武術の戦闘技能者を得ようと考えるのはおかしな話ではないでしょう。
 恭也氏の記憶を持たせている理由は分かりませんが、技能を身に付けた後で書き換える積もりだったのかもしれません。
 こちらの疑問点は、この武術は技能であって能力、つまり先天的に身に付いている物では無い事です。鍛えれば誰でも身に付けられるとまでは言いませんが、恭也氏の肉体に拘る必要があるとは思えません。まあ、鍛えてみた結果、上手くいかないので成功している恭也氏のクローンを作ることにしたのかもしれませんが、その場合戦力と表現出来るくらいの大人数が作られているんでしょうね」

 実際には、肉体も要素の一つではあるが、長い年月を掛けて確立された御神流の鍛錬法の方が再現するのが難しい筈だ。それは身近に御神の剣士が居る環境が絶対条件である為、“卵が先か鶏が先か”と言える。ただし、今回恭也がそれを口にしなかったのは、隠蔽よりは主題から外れない為の省略の意味合いが強いだろう。
 リンディ達には伏せられた内容は分からなかったが、「クローン」という言葉に顔を顰めた。正確にはその言葉がフェイトの心の傷に触れる事を危惧したのだが、本人のリアクションは予想とは違っていた。

149小閑者:2017/08/19(土) 12:11:23

「恭也…ゴメン」
「謝罪は前に聞いた。何度もする必要はない」
「フェイトさん?」
「…前に恭也に『自分が造られた存在だったらどうする?』って質問したんです」

 それはフェイトにとって一生忘れる事の出来ない問題だ。自分自身で答えを見つけ出さなければ、周囲の人間がいくら言葉で言い聞かせても解決する事はないだろう。勿論それはリンディも承知しているので気に病む事を責めている訳ではない。リンディが気にしたのはそれを聞いた恭也の反応だった。
 人間は仲間を集めて群れを成すが、その反面、特異な者を排斥する。肉体面、能力面、思想面、あらゆる面で差別しようとする。強大な外敵が現れればあっさりと確執を忘れて団結できる程度の曖昧な違いを、“別の生物”とでもいう程大げさに騒ぐ者も少なくないのだ。
 その質問が既に過去の話であり、フェイトが恭也に心を開いている以上、フェイトの出生を恭也が気にしていない事は分かっているが、無闇に広めて良い話題ではない。リンディも、恭也が口の軽いタイプには見えないが、念を押しておくべきだろうと恭也に向き直ると恭也の方が制する様に口を開いた。

「…別にテスタロッサの素性を聞いた訳ではありませんよ。興味もありません」

 歯に衣着せぬ恭也の発言に、3人が今度はフェイトに視線を寄せる。内向的なフェイトが真っ向から「興味が無い」などと言われれば傷付かない筈がない。そう思っていた3人は、拗ねているフェイトの姿に驚いた。“嫌われているんだ”と諦めている訳ではなく、“そんな言い方しなくても”と拗ねていられるのは、間違いなく先の発言内容が表面的な意味だけでは無いと信じているからこそだ。

「別に過去を知ったからといって彼女が別人になる訳ではないでしょう。
 俺が知っているテスタロッサが変わってしまわなければ、特に知る必要があるとは思っていません。俺から訊ねる積もりはありませんし、それを知ったからといって見る目が変わるべきではないとも思っています」

 前言を補足する様に言葉を続けるのが恭也の余裕の無さが原因である以上、フェイトはそれを心配するべきだと考えようとするが、やはり嬉しさから頬が綻ぶ事を押さえ切れなかった。
 そんなフェイトの様子に拘泥する事無く、恭也は話を戻して考えついた最後の可能性を口にした。

「最後に、先程の説が正しかった場合。
 俺が生まれ育った、今居るこの世界に限りなく似た世界が存在する可能性です」
「あなたの希望は、その世界が存在していて、その世界に還る事ね?」

 リンディが話の締め括りとして、当然その後に続くであろう恭也の言葉を先取りして、確認程度に訊ねたが、返された答えは予想とは違っていた。

「いえ。もう必要なくなりました」
「え?必要なくなったって…。でも、家族や友人が居るんでしょ?」
「先程思い出しました。
 親しい友人は居ません」

 恭也は、そこで言葉を切った。
 誰も何も言わなかった。待つ事以外、何も出来なかった。

 諦める事なのか、認める事なのか、本人にも分からない別の何かなのか。
 何れであったとしても、これから恭也が口にする事は、彼にとって重大事である事が分かる。彼をして心の準備をしなければならない程の。
 内容は察する事が出来た。“先程”がアースラに収容された後である事も、思い出した為に錯乱したのだという事も、恭也にとって最悪と言っていい結末であったであろう事も。口にさせる事は追い討ち以外の何物でもないと全員が考えたが、何故か留める事は出来なかった。

 長く感じた数瞬後、全員が想像した通りの内容が恭也の口から、感情を殺した声で語られた。



「家族も、居ません。
 皆、死にました」





続く

150小閑者:2017/08/27(日) 18:28:03
第16話 恩義




「ただいまー」
「おかえり、はやて」
「お帰りなさい、はやてちゃん」
「うん。
 それじゃあ、ノエルさん、ほんまにありがとうございました。
 すずかちゃんにまた遊びに来てって伝えてもらえますか?」
「承知致しました。
 はやて様も、ぜひまたお越し下さい。
 はやて様が遊びに来られて、すずかお嬢様もとても喜んでおられました」
「ありがとうございます」

 ヴォルケンリッターと時空管理局の2度目の大規模な闘争のあった夜が明けると、誰も居ない家で独りで過ごすべきではないという恭也の進言に従いお世話になった月村すずか宅からはやてが帰宅した。
 夜分と言える時間帯に突然押し掛ける事になってしまったにも関わらず、すずかも姉の忍も笑顔で迎え入れてくれた上に、4人の帰宅が遅れている事を知るとそのまま泊まって行くように勧めてくれたのだ。
 シャマルは、はやてを車でここまで送り届けてくれた女性、月村家のメイド長を勤めるノエルに丁寧に礼を述べ、車が遠ざかるのを見届けると玄関先で待っていたはやて達と共に家の中に入っていった。

 リビングではシグナムとザフィーラが迎えてくれた。
 朝食も月村邸でご馳走になる事を伝えてあったので4人も食事は済んでおり、はやてがソファーに座ると4人も思い思いに寛ぎだした。
 その情景を見て、はやての胸には寂寥感が込み上げてくる。一月前には暖かな、しかし、昨日と比べて1人分欠けた情景。

 ふと気付くと皆の顔がこちらを向いていた。
 気遣う様なその顔色から自分がどんな表情をしていたか悟り、気持ちを入れ替えるように頬を叩いた。恭也からの最後の電話を受けた自分は皆に恭也が不在にしている理由を告げる責任があるのだから。

「みんな、聞いてや。
 昨日の夕方な、恭也さんから“元の世界に戻る手掛かりが見つかったかもしれない”って電話があった。
 ホントは昨日、皆が帰ってきた時の電話で伝えた方が良かったんかもしれんけど、恭也さんの勘違いかもしれんかったから。
 でも、今日になっても帰ってこんちゅう事は当たりやったんやろね」
「はやて…」
「ごめんな、私だけ。皆も恭也さんにお別れくらい言いたかったやろ?」
「主はやてが謝る必要はありません。寧ろ謝罪するのは我々の方です。
 不安を感じている時に、傍に控えている事も出来ず、申し訳ありません」
「ううん、ええねん。それこそ仕方ないやん。
 …恭也さん、家に帰れとるとええね」
「…はい」

 帰る家その物がなくなっている可能性には敢えて目を瞑って、はやてが口にした思いにシグナムが同意した。
 辿り付いた家がこの世界同様全焼していたら、家族を失っていたら。そんな結末では一縷の望みに賭けた恭也も、寂しい思いを押し隠して見送った自分達も、余りにも報われない。
 せめて、恭也だけでも救われて欲しいと、はやては思わずにいられなかった。
 同時に考えてしまう。
 居なくなったのが恭也でなかったとしても、きっと同じ様に寂しいだろう。
 だから、もう誰も居なくならないで欲しいと強く願った。願う事以外に何も出来ない事に不安を感じながら、だからこそ願う事をやめる事は出来なかった。



     * * * * * * * * * *

151小閑者:2017/08/27(日) 18:29:08


 閉じていた目を開く。
 恭也の目覚めはそんな表現がぴったりと合う程、素っ気無いものだった。寝呆けるどころか眠気を引きずる様子も寝起き特有の緩慢な動作になる事もなく、体を起こし周囲を見渡す。
 白く清潔なその部屋は、閑散さと紙一重の微妙なものではあったが、窓際にある鉢植えの花の存在感を強調するために計算されたものだと説明されれば納得出来る不思議な優しさに満ちてもいた。
 実際、調度品と呼べる物は朝日を一身に浴びる鉢植えの他には特に無く、家具として恭也の寝ていたベッド以外には、座卓のガラステーブルの対面の床に敷かれた布団一式、それにタンスと壁掛け時計があるのみだ。
 恭也はベットに座ったままいつの間にか着せ替えられた暗色系のパジャマを一瞥すると珍しく眉を顰めた。アースラ艦内では気にする余裕がなかったのだろうが、武装を解除されている事はベッドで覚醒後直ぐに、目を開く前に確認していた筈なので目で見て確かめてから改めて眉を顰めるのもおかしな話ではある。
 アースラの医務局では服その物は変わっていなかった(外傷がなかったため、検査も魔法治療も非接触で行われた)のだが、まさか武装を解除された事より着ているパジャマの方が気に入らなかったなどということも無い筈なのだが。
 恭也は視界に映る金糸に初めて気付いたかの様にふと、眉を顰めたまま床に敷かれた布団へ顔を向ける。視線の先には穏やかな寝顔を無防備に布団の端から覗かせる金髪の少女・フェイトと、彼女と向かい合うように同じ枕に頭を乗せて眠る子犬形態のアルフがいた。
 恭也の方に顔を向けて眠るフェイトと後頭部を見せる子犬の様子を暫く眺めていると気持ちが落ち着いたのか、漸く恭也の表情が常態である仏頂面を取り戻す。同時に眠っていたアルフが何かを察知して耳を動かし、次いで目を開いて恭也に振り返った。

「あ、おふぁようキョーヤ。あの後も何回かうなされてたみたいだけど大丈夫かい?」
「…ああ、平気だ。ここはお前達の家か?」
「ああ、そうだよ。と言っても借りてるだけだけどね」
「…そうか。まあ、この話は後にしよう。テスタロッサがまだ寝ているしな」
「大丈夫だよ、フェイトもそろそろ起きる時間だ。ほら、フェイト、朝だよ」
「…ん」

 アルフの呼びかけに反応してフェイトが瞼を開き、きれいな紅玉の瞳が現れる。フェイトは2,3度瞬くと体を起こし、座り込んだまま両手を挙げて伸びをして眠気を追い出した。

「フゥ、おはようアル、フ…」
「おはよう、フェイト。って、恭也がどうかしたのかい?」

 視線をベットの上、恭也に合わせたまま動きの止まったフェイトにアルフが不思議そうに声を掛ける。

 恭也と同じ部屋で眠る事は昨夜話し合って決めた事だ。そして、リンディから客間で一緒に寝る事を提案された時に難色を示すクロノを抑えて同意し、更には自身のベッドを提供したのはフェイト自身なのだ。
 ちなみに「まだ、一緒にベッドで寝ても良いと思うわよ?」というリンディの台詞の“まだ”に首を傾げつつも、「恭也を起こしてしまうかもしれないから」と辞退したことで、知らぬ間にクロノの心の平穏をぎりぎりのところで保つ事に貢献していた。

 フェイトが恭也の顔を見て固まったのは、その事を忘れていた事だけが原因ではない。
 恭也が暫く前から起きていたなら、自分でどんな顔をしていたか分からない寝顔を見られていただろう。更には寝起きで恭也が居る事を失念してボゥとしているところも同じく。
 その事に思い至ったフェイトは、就寝前には想像もしなかった羞恥心に襲われたのだ。
 とは言え、何時までも恥かしがっていては恥の上塗りになってしまう。フェイトは赤みの差した頬を隠すように上目遣いになりながら恭也に挨拶した。

「お、おはよう恭也。もう起きて大丈夫なの?」
「テスタロッサ、だな?」
「え…?
 あ、うん。フェイト・テスタロッサだよ」

 念を押してくる恭也に一瞬何を聞かれているのか疑問を持つが、直ぐに何かに思い至ったフェイトは恭也の不安を解消するために慌てて同意した。同時にリンディの言葉を思い出して浮かべた微笑を僅かに翳らせた。

152小閑者:2017/08/27(日) 18:29:49

 恭也は本人の意思とは無関係に、自分の事を知る者の居ないこの世界に飛ばされて来たのだ。
 親しい者が知らない間に故人となって久しい時代に独りにされた挙句、自身の存在を否定する事実を幾つも突き付けられ、更には家族を失う現場を昨夜思い出したばかりとくれば“不安”どころではないだろう。
“目を覚ましたら知らない部屋”という状態は今の恭也には一番辛い事だろうから、とリンディから説明された時には、それで恭也の不安が解消されるならと即座に同意したのだが、それがどれほど重要な事だったのか今の恭也の様子を見て漸く実感する事が出来た。

「んじゃあ、早速朝ごはんにしよう。キョーヤもきっと驚くよ、リンディのごはんは美味いんだから!」

 アルフの陽気な声にフェイトの思考が引き戻された。
 沈みがちな事を自覚しているフェイトは、そんな自分を救ってくれる明るさを持つアルフに何時もの様に心の中で感謝した。

「…それは楽しみだな」
「もう。アルフ、着替えて、顔を洗ってからだよ?」
「わかってるって。あたしは着替える必要は無いんだから、フェイト達は早く着替えちゃってよ。あ、キョーヤの服はそこだよ」

 人間形態に変身したアルフの示した方を確認した恭也は、恭也の事を気にした様子も無く着替えるべくパジャマを脱ぎ始めたフェイトを一瞥すると、フェイトに背を向け自身もパジャマを脱ぎ始めた。アルフが驚嘆の声を上げたのはその直ぐ後だった。

「うっわ、あんた着痩せするタイプだったんだね。凄い体じゃないか!
 身長はともかく、傷も多いしそれだけ鍛えてる子供なんてあんまりいないんじゃないの?」
「背中にもあったか。すまん、見て気分の良い物ではないだろう」
「傷の事かい?戦う為に鍛えてるなら当然だろ。気にならないよ。ねえ、フェイト?」
「うん。でも、気を付けなきゃ駄目だよ?」
「そうか。だが、傷や筋肉はともかく、ハラオウンも似たようなものだろ。魔法の補助がある分、筋力に頼らずに済んでいるだけで鍛錬の量は大差ないんじゃないか?」
「でも、クロノって14歳だろ?あんたたちの歳で4年の差は大きいんじゃないの?」

 行為の意味を理解しないまま親の真似をして体を動かす事は出来るとしても、意思を持って体を鍛えるようになるのは早くても6〜7歳からだろう。仮に物心つく前から強制されていたとしても2年は増えないから4年の差は倍近い年数と言える。
 だが、恭也が聞き咎めたのはそこではなかった。

「あいつ、14歳だったのか?」
「は?…あ〜、まああんたとは別の意味でクロノも見た目と歳にギャップはあるね」
「あの、クロノも気にしてるみたいだから、背の事はあんまり…」
「承知している。からかって買うのは怒りであるべきだからな。引き際を誤って恨みまで買うようでは二流と言うものだ」
「そ、そういう事じゃなくて…」

 意図的に曲解しているであろう恭也を押しとどめようとパジャマを脱ぎ終えたフェイトは着替えを手に取りつつ体ごと向き直ると、フェイトに合わせて振り向いた恭也の視線が自身を捉えている事を唐突に意識して言葉を途切れさせた。

 恭也が普段から相手の目を見て会話する事はフェイトも知っている。
 それが洞察を主目的としているとまで察している訳ではないが、マナーとして相手の顔を見て会話するものだとはフェイトの知識にもある事だ。だから、今現在恭也が自分を見ているのは当然の事だし、その視線も自分の顔の位置で固定されている事もわかっている。
 恭也の表情は至って普段通りの仏頂面だし、視線にも時折街中で見知らぬ男性から感じる不快な感情が含まれている訳ではない。ないのだが、何か落ち着かない。
 更に、何故か視界に映る恭也の逞しい上半身に意識が向かってしまい、勝手に顔が熱くなっていく。
 フェイトは得体の知れない落ち着かなさから逃れる様に持っていた着替えを抱きしめて、無意識ながらもほぼ全裸とも言えるパンツ一枚きりの姿を隠した。同時に、視線を恭也の上半身から無理やり引き剥がし、何とか床に固定した。

「…!?―――?…??」
「?どうか…、あー、すまん。しばし待て」

 トマトの様に赤面して混乱しているフェイトを見た恭也は、フェイトに背を向けて手早く着替えを済ませると、フェイトに視線を向ける事も無く「次回からは男の前で服を脱ぐのはやめておけ」と言い残して部屋を出て行った。
 もっとも、フェイトが恭也の退室に気付いたのは、5分ほど続いたアルフの呼び掛けに正気を取り戻してからだったが。
 


     * * * * * * * * * *

153小閑者:2017/08/27(日) 18:30:49

 アースラでの審問中、恭也は家族が他界した事を告げると気力を使い果たしたのか大きく一つ息を吐くとそのまま机に突っ伏して意識を失った。
 リンディ達は泣き出しそうになるなのはとフェイトを宥めながら呼び出した医務局員に診察させた結果、心労に因るものと診断された。その診断結果を聞いたリンディは恭也を連れて海鳴に戻ることにした。
 肉体ではなく精神の疲労である以上、治療方法は当然落ち着ける場所で安静にしている事。理想としては生まれ育った家に帰るのが一番良いが、今の恭也にはそれが叶わないので次善案としてこの世界に来てから一ヶ月程の間生活していた海鳴を療養の地としたのは当然の流れと言えるだろう。
 勿論、一ヶ月程暮らしていた家の方が良いだろうが、恭也から聞き出せていないため探し出す事が出来ず、更なる妥協案として管理局の海鳴での拠点にしているマンションの一室、ハラオウン家に搬送したのだ。

 余談だが、なのはが家を抜け出してから結構な時間が経っている事に気付いたのは、マンションに移動して時計を見てからだった。
 リンディがなのはに付き添い、「遊びに来てフェイトと一緒に眠っていたことにリンディが気付かなかった」とかなり苦しい言い訳をしながら平謝りする事で、なのはは桃子から軽いお叱りを受けるだけで済んだ。
 


     * * * * * * * * * *



「フェイトさん、可愛かったわね〜」
「そうですねー」

 朝食を済ませ、フェイトが登校すると、食後のお茶を啜りながら漏らしたリンディの感想に同意したのはエイミィだけだった。
 同席しているクロノは苦虫を噛み潰した顔をしているし、クロノの隣、エイミィの対面に座る恭也は呆然と、あるいは愕然としていた。
 恭也の視線がリンディ、正確には彼女がおいしそうに飲んでいる湯飲みに向かっている事にクロノは気付いていたが、先程の罰を兼ねてフォローはしない事にした。
 着替えの際に起きた問題は恭也にそれ程の落ち度がなかった、と結論付けられた為、恭也は咎められていないのだ。
 精神の建て直しに成功したのか、恭也が自分に出された手元の湯飲みに視線を注いだまま口を開いた。尤も、湯飲みに添えられた手は微動だにする事は無く、そこに満たされた緑色の液体に口を付ける様子は無かったが。

「ハラオウン提督。テスタロッサにその手の知識が無い事は気付いていたんでしょう?
 同室する相手が子供とは言え、少々無責任なのでは?」
「あら、恭也さんなら大丈夫だと思ったからこそよ?」
「…ちなみに根拠は?」
「女の勘」

 リンディに即答された恭也は自信に満ち溢れている彼女の顔を凝視した後、重たそうに口を開いた。

「その拠り所にどれほどの信頼性があるのかは俺には判断できませんが、ご子息には異論があるようですよ?」
「母さん、フェイトを危険に曝す根拠が“勘”では、いくらなんでも酷過ぎるぞ。何かあったらどうする積もりだったんだ!?」
「そうねぇ。でも、これはフェイトさん自身も同意した事なのよ?」
「それはフェイトが何も分かってなかっただけだ!」

 リンディのあまりにも無責任な発言にクロノが声を荒げた。
 失敗して学ぶ事も確かにあるが、それが一生残る様な傷となるなら道を間違えない様に導いてやるのが大人の務めだろう。
 口調の強くなったクロノとは対照的に恭也は変わらぬ口調で言葉を継いだ。

「男の理性など当てにするべきではないらしいですよ?
 テスタロッサの容姿と無防備さなら、トチ狂う輩がいても不思議は無い。勿論、俺も含めてです」
「あら、それならフェイトさんに直接言ってあげなくちゃ。『君は思わず抱きしめたくなる程可愛いよ』って」
「表現が婉曲になっている上に論点がずれてます。
 …ひょっとして、実地で学ばせようとしたんですか?ここなら、直ぐに部屋に駆けつける事が出来るから。2対1なら片方が動きを封じられても、もう1人が騒ぐ事もできると?」
「流石ね。クロノよりよっぽど私の事を信用してくれているみたいで嬉しいわ」
「ぐっ」

 恭也はうめくクロノを横目に見ながらも、リンディの誤解を解くことは無かった。
 不意打ち、奇襲である限り、恭也が魔導師に劣ることはない。恭也にとって寝ているアルフを無力化してフェイトに手を出すのはそれ程難易度の高い作業ではないのだ。
 敢えて訂正しなかったのは話が拗れる事が目に見えているからだろう。

154小閑者:2017/08/27(日) 18:31:36

「では、俺の行動はご期待に沿えなかった訳ですね」
「まさか。フェイトさんを悲しませずに済んだんですもの、理性的に行動して貰えて嬉しいわ。
 むしろ、恭也さんの存在を気にせず着替えだす程だとは思ってなかったから、今回の事で男性に肌を晒す事が恥ずかしい事だって知ってくれたでしょう。
 恭也さんも役得だったでしょう?」
「母さん!」
「別段、注視していた訳ではありませんが、綺麗だった事は同意しますよ。性的な魅力が低かったのは年齢からすれば仕方の無いことでしょう」
「あら、やっぱり恭也さんも大きい方が好みなの?」
「他の誰と同じ枠に分類されたのかは敢えて聞く気はありませんが、メリハリがあるに越した事はないと思っています」
「そう。それじゃあ後5年位遅かったら流石の恭也さんでも自制出来なかったかもしれないのね。
 早めに改善できて良かったわ」
「左様で」

 呆れた様に短く同意する恭也にも笑顔を返しているリンディではあるが、朝食前に恭也から遅れてリビングに現れたフェイトが羞恥に顔を赤らめて、あからさまに恭也から視線を逸らしている姿を見た時には内心で盛大に冷や汗を流したものだ。
 表情と行動は精一杯何気なさを装いつつ、内心大慌てでフェイトをリンディの私室に呼んで事情を聞きだし、安堵の溜息とともに心中で恭也に感謝した。
 リンディがフェイトとアルフに男性との距離のとり方について注意点を教えてから一緒にリビングに戻ると、フェイトの態度に不審を抱いて問い詰めるクロノを恭也がのらりくらりと躱していた。勿論、フェイトの醜態を隠すためだろう。

 本当に何者なのだろうか?
 フェイトやなのはから聞いた限り、決して真面目一辺倒ではなく、隙を見つけては周囲の人間をからかっているようだが、その反面、本人達が本気で嫌がる内容からは逆に煙に巻いて話題を遠ざけようとすらしている。
 恭也には10歳という年齢からすれば肉体・精神・体術・思考・知能と規格外な面ばかり見せられている。これで知識が高ければ完璧超人なのだが、一般知識には疎いとの事なのでバランスは…いや、取れていると言うほど物知らずではなさそうだ。

 恭也と接した誰もが浮かべる疑問が思考を占めてたリンディは、当人の声で意識を引き戻された。

「ところで、そろそろ本題に入りませんか?」
「そうね。恭也さんの置かれた状況と、今後の方針について、ね」

 リンディには恭也の語っていた“本人の意思に反する無作為転移”について心当たりがあった。一月以上前に時空管理局調査部が調査対象の遺跡を暴走させた件は、公私共に親しいレティ・ロウラン提督から「どこかの次元に転移した人物がいるかも知れないから気に留めておいて欲しい」と連絡を受けていたのだ。
 現在リンディ達が第一級ロストロギアに認定されている闇の書を追っている事はレティも知っているため、捜索に割く余力が無い事は承知の上で事務的に通達したに過ぎなかった。それでも通達したのは知的生命体であれば転移した事を転移先で周囲の民間人に訴えていれば噂話として耳に入る可能性があるからだ(魔法の存在が知られていない次元世界であれば精神異常者扱いだろうが)。
 逆に言えばそれ以上を期待していない為、知性体以外の無機物及び植物・動物に関しては、遺跡を暴走させたクォーウッド艦長率いる第十七調査艦に任せきりになっていた。
 暴走後に遺跡を解析した結果、魔導師が遺跡に侵入した時点でまず避けようが無かった事故である事は判明していたが、誰かがやらなくてはならない以上、白羽の矢が彼らに立つのは仕方の無い事でもある。
 クォーウッド艦長は偶然であろうと他部署の人間の功績になろうと、一人でも多くの被害者を救済出来るのであれば瑣末事と考える人物だ。その人柄を知っているからこそリンディも恭也本人の境遇とは別に少しでもクォーウッドの心労が軽く出来ると喜んだのだが、そう単純には進まない事が今朝受けた報告でわかっていた。

「八神恭也さん。
 あなたが転送された原因は、時空管理局で行った遥か昔に滅亡した文明が残した遺失物、私達がロストロギアと呼んでいる遺跡の解析調査中に起きた遺跡の誤作動に因るものと判明しました。
 管理局を代表して謝罪します」
「構いません。俺にとって一番大きな問題は転移そのものとは関連がありませんし、元の世界に戻っても解決する事ではありませんから」

 それはリンディにも分かっていた。そして同時に誰にも解決する事が出来ない問題であることも。
 リンディが言葉に詰まった事を察したのか、恭也が先を促した。

155小閑者:2017/08/27(日) 18:32:13

「それで、俺の処遇は決まりましたか?」
「勿論、あなたを元の次元へ返します。
 ただ、遺失物は基本的に我々の文明とは技術体系が違うため、解析に時間が掛かります。
 恭也さんの居た次元世界を割り出すのに1週間以上掛かる可能性があるんです」
「構いません。どの道、今更急いで帰る理由はありませんから」
「…ありがとう。
 代わりと言ってはなんだけど、出来る限りの待遇は保障するわ。と言っても恭也さんもご存知の通り、私達も現在捜査中の身なので大したことは出来ないけれど。
 そうだわ、こちらの世界でお世話になっていた家があったのよね?帰る前に挨拶に行ったらどうかしら。連絡さえ付くなら外出しても構わないわよ?」

 事務的な会話は終了とばかりにリンディが砕けた言葉遣いで提案した内容に、恭也はやんわりと断った。

「いえ、いづれ去るのですから止めておきます。強制的に飛ばされて来たので強制的に還される可能性があるとは日頃から伝えてありますから。
 暫く顔を合わせていた程度の行きずりの人間であろうと、別れる事を悲しむような優しい人達でしたから。そんなもの、何度も味わわせたくありません」
「で、でも、ちゃんとお別れした方がその人達にも良いと思うけど…」
「そういう考え方がある事は知っていますが、そうでない場合もあります。
 明確な根拠が無い以上、短いながらもあの人達と接してきた自分の判断を信じます」

 エイミィが思わず一般的な意見を口にするが、こう言われては面識の無い3人には無理強いする事は出来ない。

「そこまで言うなら敢えて勧めないけれど…。
 さっき、フェイトさんに念を押していたのもその事?」
「はい。帰るのに時間が掛かる事は想定していませんでしたが、いづれにせよどんな繋がりで話が届くか分かりませんから、高町にもテレパシーみたいなもので伝えて貰いました。
 月村やバニングスに、俺と面識のあるあの2人の友人も含めて誰にも話さない様に、と。
 高町もテスタロッサも、あまり嘘が吐ける種類の人格ではないのであっさり露呈する可能性はありますが」
「2人とも素直な良い子だから」

 苦笑交じりのエイミィの台詞に一同が笑みを零す。彼女達の正直さは年齢相応の好ましいものだ。

「やはり純粋さは子供の美点だな、八神恭也」
「何が言いたい、クロノ・ハラオウン」
「なに。大して歳が変わらないのに疑ってばかりいるすれた奴が身近にいると、よく分かると思ってな」
「ほう、自虐ネタとは高度なボケだな」
「自虐じゃない!君の事だ!」
「凄いな。俺には自分の事を純真無垢だとは口が裂けても言えない。
 見直したよハラオウン。どれほど面の皮が厚いと“自分は例外”などと言えるのか想像もつかない。尊敬した。真似したいとは欠片程も思わないが」
「べ、別に純真無垢だなんて言ってないだろ!歳が違うと言ってるんだ!」
「…言うに事欠いて推定身長140cmの分際で何を言ってる?そういう事は俺の身長を抜いてからにするんだな」
「コ、コ、コイツゥッ!!」
「お、落ち着いてクロノ君!先に言い始めたんだから文句言えないって!
 恭也君もその辺で勘弁してあげて?」
「フッ、修行が足らんな。出直して来い」

 慣れない冷笑を浮かべようと頬を引き攣らせた様な表情の恭也と、歯軋りして悔しがるクロノを眺めながら、リンディが微笑む。
 クロノの軽口は恭也を必要以上に沈ませない為のものだし、恭也の返しはクロノの配慮を承知した上で乗ったのだろう。今回は軍配が恭也に上がったが、それ自体は結果でしかない筈だ。
 どちらも子供らしい配慮とは程遠いが、出会ってから丸1日も経過していない上に戦闘行為から始まった関係としてはそれ程悪くは無いだろう。もっとも、恭也とフェイトの場合も大差なかったと知ったら流石にリンディも呆れるだろうが。

156小閑者:2017/08/27(日) 18:32:50

「あはは〜。あ、そうだ!
 修行で思い出したんだけど、恭也君のあの動きってどうやってやってるの?」
「あの動き?」

 場を和ませようと愛想笑いをしていたエイミィが唐突に切り出したのは、昨夜のビルの屋上でクロノとの戦闘で見せた恭也の瞬間移動についてだ。
 リンディとクロノは直ぐに気付いたようだが、当然聞き返してきた恭也に説明するためにエイミィは空中にディスプレイを投影すると件の戦闘シーンを再生した。

「ほら、ここ。姿が消えてるこの動き」
「…」

 画像を説明しながら恭也に説明していたエイミィはかなり珍しいものを見た。恭也が目を見開き(と言っても当人比1.2倍程度)、絶句していたのだ。

「お、おい、恭也?」
「…凄いな、何も無いところにテレビが映るのか…」

 恭也の態度に驚いたクロノが刺激しない様に気をつけながら声を掛けると、恭也が呆然としたまま呟いた。

「ア、ハハ…、まあこの星の人は初めて見たらちょっとビックリするかもね」
「…宇宙航行船を見てるんだからこれ位で驚かなくてもいいだろう」
「気絶してる間に運び込まれて、寝てる間に連れ出されたのに実感できる訳ないだろう。それに、こちらの方が身近な分だけ実感し易い」
「それでも既に受け入れて平常心を取り戻してる辺りは、流石と言うかなんと言うか」

 空想でしかない筈の魔法を受け入れた恭也であれば、地球にある技術の延長上にある(可能性のある)技術を受け入れられない訳がないだろう。

「じゃあ、もう一回流すね?
 ほら、ここ」
「…これが何か?」
「え?えっと、出来ればこの動きを説明して貰いたいんだけど…」

 恭也の“何か異常がありましたか?”と言わんばかりの発言にエイミィの言葉が尻すぼみになる。この瞬間移動じみた高速行動はこの次元世界の人間には当然の技能なのだろうか?

「…画像が途切れている事を俺に指摘させる事に意味があるんですか?」
「…は?」
「待て、恭也。何の話だ?
 ここからここまで一瞬で移動した方法について聞いてるんだぞ?」
「お前こそ何を言ってる?
 この場面は高町に向かって跳び蹴りしようとした男を弾き飛ばした時だろう?
 記憶が飛んでなければ、俺は走り寄って肘打ちしただけだぞ」
「…」
「…」
「つまり、恭也さんは特別な何かをした訳ではなくて、いつも通り走っただけ、と言うことかしら?」
「勿論です。俺に超常能力は備わっていません。少なくとも、そんな便利な機能があるなんて把握してません」

 答えた恭也は、表情は勿論、呼吸が乱れる事も、心拍数が変化して顔色が変わる様子も無い。
 問い掛けた3人は視線を交わすと念話での密談を始めた。

<クロノ、どう思う?>
<動揺した様子はありませんが、鉄面皮は何時もの事でしょう。それに初めから質問される事を想定していた可能性もあります。
 そもそもあそこまで極端な前傾姿勢を取るのは、あのスピードで走ることを前提にしていなければ有得ません>
<あ〜、でもスピードに合わせて体を倒すのは当然だって言われちゃうと反論が難しいと思うよ?我武者羅な時って覚えてないことあるし>
<或いは自分達の技術を隠蔽しようとしているのかもしれないわね。
 分からないのか隠しているのかすら不明だけど、何れにせよ問い詰めても答えが得られる事は無いでしょうね>

「どうかしましたか?」
「あ〜、何でもない、何でもない。
 それじゃあ、こっちは?
 一番最初に君がクロノ君に近付いた時、クロノ君には君の動きを認識出来なかったらしいんだけど…」
「こちらも特別な事をした訳ではないんですが…、とは言ってもあれだけ驚いていたと言う事は魔法の世界では存在しない技法なんですかね」
「じゃあ、こちらは何かしているのか!?」
「気配を抑えただけだ」
「…は?」

 余程気になっていたのか、クロノが勢い込んで問い掛けると恭也は何でも無い事の様に答えた。だが、技法が存在しないと言うことは“気配を抑える”という概念そのものが存在しないのだ。初めから言葉だけで伝わる訳が無い。

157小閑者:2017/08/27(日) 18:33:34

「えっと、それは具体的には、って、え〜〜!?」
「な、な!?」
「わかったか?気配を誤魔化されると、視界に映っていても認識し難くなるだろう?」

 クロノの感覚では目の前に座っている恭也が霞んで見えた。いや、色彩が薄れて透明に近付いたと表現するべきか?
 この感覚は、体験しなければ絶対に理解できないし、説明したところで誰も信じないだろう。そして、こんな事を意図的に行えるなら、瞬間移動が偶然の産物などと言う戯言を信じる気になれる訳が無い。
 またもや長年信じてきた常識を覆されてリンディが呆然と呟く。

「…魔法も使わずにこんな事が出来るものなの?」



 リンディ達が混乱するのも無理も無い事ではある。
 魔導師とは“魔法を使える人間”だ。人間と言うカテゴリーの中で魔法の使える一部の者と言う事は、言い方を変えれば魔法を使わなければ一般人と変わらないのだ。
 恭也を“一般人”にカテゴライズする事は、彼を知る全ての人から反対されるだろうとクロノは思うが、恭也の瞬間移動や認識阻害が彼個人の先天的な特殊技能では無いと言う言葉を信じるならば自分達も訓練すれば同じ事が出来ると言う事になる。…信じる、ならば…、信じられるか!!
 確かに、体を鍛えれば速く動けるようになるし、息を殺して身を潜める事もある。だが、限界は当然ある。あるべきだ!
 クロノの誘導弾を躱していた時の恭也のスピードは十分にレッドカードを付き付けられても文句を言えないレベルだったが、それでも常識の範囲の端っこにぎりぎり引っ掛かっているという事で目を瞑れなくは無いだろう。(そもそもあの回避行動の一番恐ろしい所はスピードそのものではない)
 だが、いくら体を鍛えた所で30倍速で行動できて良い筈が無いし、息を殺してコソコソしていたからと言って人の目に映らなくなるなら泥棒など遣りたい放題である。



 恭也の持つ脅威の能力を目の当たりにした事で自失していた3人は、お茶を入れ直して気持ちを落ち着けると、話題を今後の方針に戻して再開した。
 ちなみに3人は先程見せ付けられた精神衛生上よろしくない事柄については、アイコンタクトによる緊急会議で今後触れない方針で行く事が可決されたのだった。無論、何の解決にもなっていない。

「すっかり、話が逸れちゃったわね。
 どこまで話したかしら?
 …そうそう、挨拶に行かないなら恭也さんはどうするの?その一家と距離を取るなら街中を歩き回る積もりは無いんでしょ?
 このマンションに居て貰う分には構わないけれど息が詰まらない?」
「テスタロッサが警戒心を覚えたなら、同じ部屋で寝起きするなんて暴挙には出られないでしょう。
 昨日の、…宇宙船?あれの部屋が余っているならあそこでも構いませんが」
「空いてる部屋はあるけれど、閉鎖空間に閉じ篭るのは今のあなたにはお勧めできないわね。このマンションの空き部屋じゃ駄目かしら?」
「空き部屋があるのに同室に放り込んだんですか…?
 いえ、それでは暫くそこを貸して下さい。
 後は、何かする事を貰えませんか?出来れば昨日の事件の関連の手伝いを」

 恭也の申し出にリンディは思わず眉を顰めた。
 恭也がなのはとフェイトに出会った経緯は分かったし、例の遺跡のランダム転送に巻き込まれた被害者の1人である事も裏が取れている。恭也が闇の書側の陣営に属している可能性はまず無いという事になる。
 だが、そうなると態々事件に関わろうとする理由が分からない。
 なのはの時の様に事件の関係者に強い思い入れがある訳ではない。
 事件に関われば死に繋がる可能性がある事は判っているだろう。
 自分だけは大丈夫などと高を括っていたり、ゲームの様に死んでも生き返れると思っている訳でも無い。
 そして、それらが分かっている以上、参加表明は気軽なものでは無い筈だ。
 そうなると一番高いのは、家族の死を知って自暴自棄になっている可能性だろうか。

 リンディの危惧を察したのだろう。恭也が苦笑しながら言葉を足した。

「自棄になっている訳ではありませんよ。
 この世界に来てから助けられてばかりいるんです。
 あの人達が居なければ、俺は目の前の現実に呆気なく潰されていた」

 それは容易に想像出来る仮定だ。恭也にとって根幹と言える物を、何の前触れも無く全て喪失したのだから。

「だから、受けた恩に報いたい。
 皆に危険が迫っているなら、看過する事は出来ない。何が出来る訳では無いだろうけど、“何もしないでいる”なんて事、出来ない」

 何かを噛み締める様な、慈しむ様な眼差しに反して、淡々とした口調で語り終えた恭也にクロノが重い口を開いた。

158小閑者:2017/08/27(日) 18:34:09

「気持ちは、まあ、察する事位は出来る。
 だけど、許可する事は出来ない。
 僕らにはない技能を持っている事は認めるが、それでも魔法を使えない君では、力不足と言わざるを得ない」
「…そうか。
 分かった。無理強いして状況を悪化させたら目も当てられないからな。
 だけど、戦力にならないなら戦闘に参加させろとは言わないから、何かしら手伝わせて貰いたい。荒事の方が得意である事は事実だが雑用くらいは出来るだろう」
「お前だって被害者なんだ。そこまでしなくても、良いだろう?」
「いや、こちらは俺自身の都合で申し訳ないが、何かに集中していないと忘れていた反動なのか、あの記憶が繰り返し再生されて、あまり健全でない精神状態になりそうなんだ。
 物を考える余裕が無くなるほど闇雲に走り回っているのも手ではあるが、出来れば役に立つことをしたい」
「…わかった。何か出来る仕事を探しておこう」
「感謝する」

 自覚があったのか、恭也が納得して大人しく引き下がった事にクロノは小さく安堵した。
 恭也の技能はかなりの戦力として期待出来るが、一般人を巻き込むのは極力避けたい。それがクロノの偽らざる思いだ。リンディも、なのはの時とは違い本人が引き下がったためそれ以上勧めることはなかった。
 尤も、結論から言えば恭也は引き下がりこそしたが、納得した訳でも大人しかった訳でもなかったのだが。





「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」

 フェイトはいつもの4人で学校を出ると高町家でアリサ達と別れ、着替えを済ませたなのはと、合流したユーノと共にハラオウン家に帰宅した。
 普段から放課後には一緒にいる事の多い仲の良い2人ではあるが、この日の目的は恭也の様子見だ。
 昨夜、ハラオウン家に運び込んだ恭也が意識を取り戻す前に帰宅する事になったなのは達は勿論、フェイトも復調したとは言い切れない今朝の様子が気になっていたのだ。
 だが、帰宅と来訪の言葉に声が返される事はなかった。
 海鳴での拠点となるこのマンションで暮らすようになってから、フェイトが帰宅した時には必ず家にいる者が「おかえり」と迎えてくれていた。そのちょっとしたやり取りをここで暮らすようになってから得た数ある楽しみの内の一つとしていたフェイトは小さく落胆した。今日は誰もいないのだろうか?

「なのは、上がって。ユーノも変身解いたら?」
「うん、お邪魔します」
「僕も失礼して」

 フェイトの言葉に従って玄関に上がったなのはが脱いだ靴を揃えている隣で、なのはの肩から降りたユーノが人の姿に戻る。フェイトは着替える前に2人をリビングに通す為にそこに通じるドアを開けると、目の前の光景に立ち尽くした。
 先程の予想に反してリビングには先客がいた。立ち尽くすクロノとアルフ、そしてソファーに座った恭也だ。しかし、フェイトが言葉を無くしたのは予想を覆されたからではなく、場を満たす険悪な雰囲気に呑まれたからだ。

「主人の帰宅と来客だ。迎えてやったらどうだ?」
「あ、フェイトお帰り」
『え?あ、フェイトちゃん、お帰り』
「ただいま、アルフ、エイミィ。…何かあったの?」

 ドアノブから手を離す事も出来ずに立ち尽くすフェイトに背を向けたまま発した恭也の言葉に反応したのは、ドアが開いた事に気付かない程緊張していたアルフとこの場にいないエイミィの空間ディスプレイ越しの声だった。
 フェイトは改めて帰宅の挨拶を返してから、小声で恐る恐る現在の状況に至る原因を問い掛けた。恭也とクロノの仲は決して良好だった訳ではないが、理由も無く睨み合う程犬猿の仲と言う訳でもなかった筈だ。

『それがねぇ…』
「この男が模擬戦中のアースラの武装局員を襲撃したんだ」
「ええ!?」
「人聞きの悪い事を言うな。別に背後から忍び寄った訳でも、不意打ちした訳でもないだろう」

 クロノの怒気を孕んだ声に答える恭也の声は普段通りの平坦そのものだ。

159小閑者:2017/08/27(日) 18:35:37

「参加表明もしたし、あからさまに刀を構えて敵対姿勢も示したし、相手が認識したのも確認した。
 実際、彼らも初めて直ぐは躊躇していたが、最終的には全力を出していた筈だ。彼らが本気になるまで俺も躱す事に専念していたしな」
「だからと言って、彼らが自信喪失して塞ぎ込むまで追い詰めるのはやり過ぎだ!」
「それこそ俺を非難するのはお門違いも甚だしいぞ。
 模擬戦で遅れをとったのは彼ら自身の責任だ。あれが彼らの実力の全てだったとは言わないが、打ち負かした事に非があると言う理屈は承服しかねる。
 攻撃についても治療が必要になる程の負傷は負わせていない」
「それはっ…」

 恭也の台詞にクロノが言葉に詰まる。参戦そのものは恭也から押し付けたに等しいが、その勝敗の責任の所在については確かに正しい。正論だ。だが正しいからと言って納得出来るとは限らない。ただし、模擬戦が3対1だった上に当然ながら恭也が魔法を使えないため、圧倒的に優位にある筈の局員を負かした事を公然と非難出来る訳がない。尤も、だからこそ負けた局員のプライドが粉砕された訳だが。
 それでも人間は何も感じない木石でも感情の無いロボットでもないし、ましてや聖人君子でもないのだ。同僚が塞ぎ込んだ元凶が昨日医務局で暴れた人物となれば恭也への印象が良くなる事などない。今回は恭也が強引に仕掛けた事も不評を買う原因の一つだろう。

「ダメだよ、恭也君。悪い事をしたと思った時はちゃんと謝らないと」

 クロノに代わって恭也を諌める声は意外な人物から上がった。たった今事情を聞いただけのなのはだ。ただし、それはそれまでの会話の流れをまったく無視して恭也に非がある事を前提とした内容だった。隣にいるフェイトも不思議そうになのはを見ている事から、なのはの台詞こそ疑っていないながらもその根拠が分からないのだろう。
 なのはの台詞に援護して貰ったクロノを含めた恭也以外の全員が驚き注目する中、恭也はドア付近にフェイトと並んで立つなのはに背を向けたまま言葉を返す。

「…非難される要素が俺の何処にある?参戦が強引過ぎたと言うなら非を認めんでもないが、ハラオウンが咎めているのはそこではないだろう」
「そうだね。でも、私が言ってるのはその事じゃないよ。
 私はお父さんに『自分の心にだけは嘘をつくな』って言われてる。恭也君は違ってた?」

 その言葉に今度は恭也が沈黙した。この場合、“沈黙は肯定”と受け取るべきだろう。

 クロノは恭也の参戦そのものを責める積もりは無かった。なのは達との訓練内容は聞いていたし、恭也が戦う事を目的として体を鍛えている以上、必ず対戦形式のそれを必要とするのだ。だから、今回の騒動は、単純に恭也のやり過ぎが問題だと考えていた。
 しかし、なのはの台詞は恭也が故意に局員を過剰に追い詰めたか、恭也の参戦そのものが別の意図を、謝罪が必要な彼にとって後ろめたい理由を含んでいる事を示唆していた。

「なのは、どう言う事だ?彼が局員と戦った事に何か理由があるのか?」
「え?」

 クロノが自覚出来る程硬くなった声でなのはに問い質した。
 昨夜からの審問とその事実確認によって恭也が闇の書側の陣営に属している可能性は限りなく低いと結論したが、彼が意図して局員を害したとなれば“白に近いグレー”という評価が黒味を増すことになる。
 だが、キョトンとしたなのはの表情にはどう見ても『何を聞かれているのか解りません』と書かれていた。その反応にクロノが怪訝な顔をすると、リビングの入り口に佇んだままのフェイトとなのはをソファーの方へ行くように促したユーノが苦笑しながらフォローをいれた。

「クロノ、なのはは別に恭也の考えてる事を推測してる訳じゃないよ」
「どういう事だ?恭也の考えを予想できるから行動を咎めたんだろう?」
「それが勘違いなんだよ。
 なのはが指摘してるのは、行動じゃなくて今の恭也の態度だよ。ねぇ、なのは?」
「…うん。恭也君がした事が悪い事なのかどうかは私には分からないけど、後悔してる様には見えたから…」
「高町、一つだけ確認しておく。表情も見ていないのに何故そう思った?」
「え?えっと、話し方とか雰囲気とか、かな…」
「…理不尽な」

 恭也は小さく溜息を吐くと右手で髪を掻き揚げた。それは何気ない仕種ではあったが、恭也がこういった気を紛らわせる類の振る舞いをする事は少ない。その新鮮さと、物憂げな表情と仕種に、知らずなのはとフェイトの視線が釘付けになっている事をエイミィだけが目敏く気付いて浮かびそうになる笑みを苦労しながら隠していた。
 全員が静かに見守っていると、根負けした様に恭也が口を開いた。

160小閑者:2017/08/27(日) 18:36:09
「…ただの八つ当たりだ」
「八つ当たり!?…何に対して?」

 クロノが怒りよりも疑問が先に立ったのは、クロノの描いている恭也のキャラクターから離れ過ぎていたからだ。
 悪戯のレベルならともかく、今回は陰湿と言えるレベルだし、それを屁理屈を並べて誤魔化そうとするとは思っていなかった。自分よりも付き合いの長い4人の様子を伺うと全員が驚いている事から、自分の見立てが見当違いという訳ではない様だ。
 恭也も自覚があるのだろう、酷くばつが悪そうにしている。それでも話し続けるのはなのはの指摘通り後ろめたい気持ちがあるのだろう。

「…認めたくなかったんだ。
 俺が習ってきた、…いや、父さん達が教えてくれた剣術が魔法に劣るなんて、認めたくなかった。絶対に。
 あんな事をしても意味が無い事は分かっている。
 強さなんて相対的なものだから、相性はあっても絶対的な優劣なんて存在しない。高町やテスタロッサ、ハラオウンに俺が勝てないから魔法の方が優れている訳でも、俺が他の局員を制したから剣術が勝る訳でもない。
 模擬戦の勝敗なんて当事者個人の問題でしかない、それが分かっていても我慢出来ずに勝つ事に拘った。
 八つ当たり以外の何物でもない。…無用な波風を立てた事は謝罪する」
『…それはひょっとして、今朝クロノ君から言われた『魔法が使えないから参戦を認められない』っていう、あれの所為、かな?』
「ずっと燻ってはいたんですが、まあ止めを刺したと言うならそれです」
「うっ」

 しばしば現れる現地の協力志願者を事件から遠ざける為に一番説得力のある理由としてクロノが普段から使っている台詞なのだが、今回ばかりは裏目に出てしまった。尤も、今までに内容そのものに反感を持たれたとしても、根拠を覆された事は無かったのだが。

「私、恭也に勝てたこと無いんだけど…」
「私も初めの頃はともかく、最近は負けっぱなしなんですが…」

 おずおずと挙手しながら弱々しく報告するのはフェイトとなのはだ。
 2人とも恭也を事件に巻き込みたいと思っている訳ではないが、恭也よりも強いと評価される事には物凄く抵抗感がある。

「それはお前達が態々俺の戦い方に合わせているからだ。テスタロッサはデバイスすらなかったからな」
「その代わりにあたしとフェイトの2対1だったけどね」
「それに私は近接戦闘も出来る積もりだったんだけど…」
「悪くはなかったと思うぞ?」

 恭也のフォローに対してフェイトは何とか愛想笑いで応えた。
 恭也に認められたと思えば嬉しいと思えなくはないが、恭也の動きを知っているだけにお世辞にしか聞こえない。

「何にせよ、空を飛ばれれば追撃できない事に変わりはない。ハラオウン執務官の言う通り戦力にはならないだろう」
「キョーヤも魔法が使えれば良かったのにねぇ」
「そう…、あれ?恭也は魔法が使えるかどうか確認した事あるの?」
「無いな」
「じゃあ、もしかしたら恭也君も私みたいに」
「ぶっつけでレイジングハートを託した僕が言うのもなんだけど、なのはは例外中の例外だと思うよ?」
『そうだね、残念だけど無理だと思う。昨日、医務局に担ぎ込まれた時についでに計測して貰ったんだけど、保有魔力量はFランク相当しかなかったから』
「それはどの程度なんですか?」
「11段階に分類したランクの一番下だ。
 魔法の資質は魔力量だけで決定する訳ではないんだが、魔法への変換効率や運用技術は練習量がそのまま反映されると言っても過言じゃないから初心者でそれらが高い事はまず無い」
「ちなみに管理局の平均はAランクだよ。
 なのはは認定試験を受けた事がないから正式なものじゃないけど上から4つ目のAAAランクくらいだ。フェイトは最近試験を受けて正式にAAAランクに認定されてる」

 ユーノの補足説明を聞いても、当事者のなのはに驚いた様子は無い。勿論、当然の事と受け取っている訳ではなく実感が湧いていないだけであるとこの場の全員が理解している。それに、明らかに魔導師としての資質についてが例外中の例外に分類されるなのはを引き合いに出して強調すれば恭也を混乱させてしまうだろう。

161小閑者:2017/08/27(日) 18:36:45
『更に付け加えるならさっきの模擬戦の相手は3人ともAランクだったんだよ?』
「敵方、闇の書の陣営は?」
「前衛の2人は推定AAAだ」
「テスタロッサと同程度か…。やはり、まともに相手を務めるのは無理と考えるべきか」

 改めて確認した事実に落胆する恭也とは対照的に、恭也の技量にエイミィは戦慄から頬を冷や汗が伝う。
 管理局には魔導師ではない局員も多いが、彼らが戦闘要員として前線に立つ事はない。局が彼らに要求しているのは指揮能力であって戦闘能力ではないからだ。
 そして、一般的に非魔導師が魔導師を制すると言えば、指揮を執る事で魔法を使えない状況に魔導師を追い込むか、局所的な戦術で遅れをとっても大局的な戦略で勝利を収める事を言う。
 恭也がしたのは、この一般論を真正面から覆す事だ。

 恭也はAランクを真っ向勝負で3人同時に下した。勿論、彼らが本来の力を発揮出来ていない事は想像できる。初見で恭也の動きに冷静に対処できる者は居ないと思ってい良いだろう。実際、恭也は昨夜AAA+であるクロノすら戦闘開始直後に撹乱する事に成功している。如何にクロノが無傷での無力化を念頭に置いていたとは言え、恭也とて殺傷する意思が無いからこそ武装しながらも徒手で応じたのだ。対峙が長引き、冷静さを取り戻すことで恭也の特性に付け入る方法を思いついたに過ぎない。
 つまり、魔導師の取り得る手段を知る恭也は、彼の戦闘スタイルを知らない魔導師を相手にする限り、付け入る隙を見出せることになる。
 更に、模擬戦では5ランクの開き、いや恭也は魔法を使えないのでFランクの資質を無視したとして6ランク差を覆したのだ。単純計算で恭也がDランクに達すれば、AAAランクの魔導師に対抗出来る事になってしまう。

『面白そうな話をしてるわね』
「かあさっ、リンディ提督…」

 話に割って入った通信者のにこやかな笑顔を見たクロノが頬を引き攣らせる。
 彼の母親は非常に有能な指揮官ではあるのだが、極稀にこの上も無く突飛な手段を思いつく面がある。ほとんどの場合にその突飛な手段が功を奏して通常よりも迅速な解決やより良い結末を迎えるのだが、堅実なプロセスを積み重ねて解決へ向かうクロノにとって胃を痛める思いばかりさせられるのだ。何より、その方針の拠り所が“勘”と明言されては、仮に長年の経験や観察眼を元にした信頼性の高い推測だったとしても、心配せずには居られなかった。
 今、空間ディスプレイ越しに彼女が浮かべている表情は、クロノに胃痛の苦しみを想起させるのに充分過ぎる威力を持っていた。

『話は聞かせて貰ったわ。
 八神恭也さん。
 模擬戦については実質的な被害も無かった事ですし不問とします。
 それから、あなたに参戦する意思があるなら、特別にこちらで魔法を使うためのデバイスを用意します』
「本当ですか!?」
『本当よ。
 あなたの資質と努力次第で飛躍的な力を得られるでしょう。
 ただし、私が実力不足と判断した場合には絶対に参戦を認めませんから、その積もりで』
「十分です。御厚意、感謝の言葉もありません」





続く

162小閑者:2017/09/17(日) 14:54:43
第17話 製作




「で、オメーの望みは何だ?」

 開口一番に投げかけられたその台詞には、辟易とした、と言うよりは興味なさ気な、つまらなそうな感情が込められていた。それは、声音に留まらず表情にも態度にも見て取れるのだから勘違いと言う訳ではないだろう。
 この人に頼んでホントに大丈夫かな?
 なのはとフェイトが揃って不安に駆られているのを他所に、恭也は感情を表す事無く男と向かい合っていた。



     * * * * * * * * * *



 リンディからデバイスの貸与を許可された恭也だが、その後もトントン拍子に話が進んだ訳ではなかった。
 何しろ恭也は魔道資質が低い上に、これまで一度として魔法の訓練を受けていなかったのだ。何年も先を見据えて訓練を始めるのであればまだしも、彼の目的はあくまでも現在直面している闇の書事件への参戦なのだ。
 そんな恭也に武装局員に制式採用されているストレージデバイスを持たせても当然魔法は使えない。魔法を行使するための演算をしてくれるデバイスと言えど、そもそも魔法を起動できなければ意味を成さないからだ。
 その予想は、クロノのS2Uを持たせてピクリとも反応しなかった事で裏付けが取れている。
 その結果に、当然の事と考えていたクロノ・エイミィ・ユーノと比べて、なのは・フェイト・アルフはあからさまにがっかりしていた。恭也にはそもそも魔法を起動する感覚が無いことは分かっていたので、これには確認以上の意味は無いのだが、普段の恭也が理不尽なまでにあらゆる事(主に特撮映画かCGでしか実現できない様な運動)をこなして見せてきたために、無意識の内に恭也に出来ないことは無いと思い込んでいたのだ。
 その様子を見て苦笑していた3人だが、僅かに眉を顰めている恭也に気付いて全員が驚いた。当然、魔法が発動しない事に対してだろうが、その程度で恭也が表情を崩すとは思っていなかったのだ。たとえ、事件に参戦出来るかどうかの瀬戸際だとしてもだ。
 エイミィは恭也にストレージデバイスの特性を説明し、本命である所有者の魔力を使用して自律的に魔法を発動できるAIを搭載したインテリジェントデバイスでの確認を促した。
 確認に使用したのは、なのはのデバイスであるレイジングハート。フェイトのバルディッシュを使わなかったのは、バルディッシュと恭也が初対面だったからだ。勿論、面識が無ければ出来ない訳ではないが、意思を持つデバイスである以上、普通はマスター登録を済ませた者以外に使用される事を拒む。今回はなのはからの頼みである事と、あくまでも確認だけだからこそ引き受けてくれたのだろう。だが、恭也に握られたレイジングハートが魔法を起動して見せても、恭也は納得しなかった。
 別に恭也が贅沢を言っている訳でも見栄を張っている訳でもない。戦闘で使用するなら恭也の意図を反映した魔法でなければ意味を成さないからだ。長年の付き合いを経て、阿吽の呼吸で互いの意思が汲み取れるようになっていれば未だしも、渡されて間もないデバイスのAIと即座に意思疎通が出来るようになる訳が無い。
 また、恭也のデバイスとしてではなく、魔法の使える戦闘要員としてインテリジェントデバイスを携える事も出来ない。魔力タンクとしての役割を果たすには恭也の魔力容量は小さ過ぎるのだ。

163小閑者:2017/09/17(日) 15:03:58

 落胆を表す恭也の姿に、クロノはふと違和感を覚えた。
 恭也の落胆は、自分が魔法を使えなかった事に対するものだ。それはつまり、闇の書事件に参戦出来ない事を悔しがっていると言う事。
 「戦力外」という汚名を返上しようとしている恭也が落胆してもおかしくは無いだろう。そう考えてみるが、違和感は拭えなかった。
 クロノは自身の勘を軽視していない。全幅の信頼を寄せるほどではないが、危機に直面している訳ではない現在、違和感の正体を突き止めるために思考を割くことを厭う理由はない。何に足元を掬われるか分からないので、今回の事件に限らず、クロノは懸念事項を極力その場で解決するようにしていた。

 もともと恭也には魔法が使えない事を理由に戦力外通告を出した訳だが、それが彼のプライドをいたく傷つけてしまった為に局員への八つ当たり紛いの行動を取らせてしまった。
 だが、本来なら咎められるべきその問題行為は結果的に彼の益となった。彼の戦闘技能を評価した提督が、戦力の向上を条件にして参戦を許可したからだ。
 しかし、そのための手段である魔法が、本人の適正の低さから足しにならないことが判明し、その事を悔しがっている。

 経緯を思い返す事で、クロノは違和感の正体に気付いた。
 クロノには恭也が事件に参戦する事に拘り過ぎている様に思えたのだ。
 汚名返上の手段としての参戦ではあるが、そのために魔法を使っていたら彼の技能、つまり彼の流派の優位性を示すと言う当初の目的は果たせていない事になる。
 まさかとは思うが、手段である「参戦」に固執するあまり目的を忘れているのだろうか?有得ないことではない。忘れがちだが彼は10歳児なのだ。目先の事に囚われたとしても何の不思議も無い。
 だが。
 正直、否定したい。したいのだが、考慮しなくてはならない。あらゆる可能性を考慮する事こそが、恭也へと何の疑いも無く信頼の眼差しを向けるなのはとフェイトに対して、彼女らの協力を得ている自分の責務だ。

 恭也の目的が事件への「参戦」だとすれば、あの「八つ当たり」はそのための布石、つまり戦力となる事をアピールするために計算して取った行動なのではないのか?
 だが、八つ当たりである事を指摘したのはなのはだったはずだ。彼女だけが気付くように演技したと言うのは無理が無いか?
 ならばもっと以前、ビルの屋上での僕との戦闘は?赤い少女とのやり取りや、仮面の男ともグルなのか?まさかとは思うが、フェイトと、いや、なのはとユーノに接触した事さえも?
 しかし、ロストロギアの誤作動に巻き込まれてこの世界に無作為転移してきた事は裏が取れているんだ。あの身の上話は事実なんじゃないのか?
 では、なのは達と知り合ったのはあくまでも偶然で、単にそれを利用しているだけ?

 自分が酷く混乱している事に気付いたクロノは大きく息を吐き出した。疑惑と証拠、状況と結果が絡まっていて、際限なく疑いが深まってしまいそうだ。

 落ち着け。
 今、一番重要なのは、彼の目的だ。
 参戦がなのは達への純粋な助力であれば問題は無い。
 …では、そうでなかった場合は?彼が、八神恭也が闇の書の陣営に属していたとしたら?



 ハラオウン家のリビングを包む奇妙な沈黙を破ったのは、デバイス貸与を認可してから通信を切っていたリンディだった。

『お待たせ。デバイスの当てが出来たわよ。
 あら?ずいぶんと沈んでるように見えるけど、何かあったの?』
「いえ、自分の不甲斐無さを痛感していただけです」

 恭也が自ら顛末を話すと、リンディが納得したように頷いた。

『そう。
 それで、どうするの?ここで諦めるのも選択肢の一つだと思うけど?』
「いえ、最後まで足掻く積もりでいます。
 一朝一夕で技能が上がる事は無いのでしょうが、座して待つことは出来ません」
『そう。
 でも、多分魔法が使えるようになるだけでは、あなたの戦力を向上させるのは難しいと思うわよ?』
「え!?どういう事ですか!?
 魔法抜きでもあんなに強いんだから、恭也君が魔法を使えるようになれば凄く強くなると思うんですけど…」

164小閑者:2017/09/17(日) 15:06:46
 リンディの言葉に反応したのはなのはだったが、当の本人である恭也とクロノ以外は同じ感想を持ったようだ。
 認めたくない事実だろうに、やや口篭りながらも恭也が口を開いた。

「…魔法でどんなことが出来るのか把握し切れていないが、高町の様に射撃魔法を主体とした様式では俺の戦い方に組み込めない。当然ではあるが、剣術には“射撃”や“飛行”の概念が含まれていないからだ。
 勿論、俺の魔法に高町ほどの威力があれば遠距離と近距離で使い分ければ済むんだろうがな」
『だけど恭也さんでは、たとえ攻撃魔法が使えるようになったとしても敵を打ち落とせるほどの威力は期待できない。
 やっぱり、ちゃんと分かってたのね』
「一応は。
 それでも新しく技能を身につけて、参戦出来るだけの戦力に上げて見せます」
『良い返事ね。それでこそ紹介する甲斐もあるってものよ。
 今から紹介するデバイス製作者は、私の知っている中ではいろいろと無理も聞いてくれる人で、一番上手に恭也君のような変則的な要望を適えてくれる筈よ。
 ただ、職人気質で気難しい人だから、気に入らないお客は相手にしない事もあるの。あ、媚び諂えって意味じゃないのよ?そういう人を一番嫌ってるみたいだし。
 いまいちあの人の選定基準が分からないんだけど、上手く気に入られる様に努力して』
「…わかりました。努力してみます」

 酷く漠然としたアドバイスであったが、恭也が同意した。勿論、他に返しようなど無かったのだろう。



     * * * * * * * * * *



 恭也がフェイトとなのはに連れられて訪れたのは、長閑な田舎染みた次元世界の片隅にある、民家にしては大きめな一軒家だった。
 無限書庫での事件に関わりのある資料探しを依頼されたユーノも、多数で出向くべきではないとのリンディの指摘で留守番役のアルフもいない。たった3人で初めての土地に訪れた心細さを表に出す少女達とは異なり、恭也は気後れすることも無く呼び鈴を押して来訪を告げた。
 そして、フリーのデバイス製作者の工房で、通された部屋にいた男に、自己紹介どころか挨拶も無しに開口一番に投げかけられたのが冒頭の台詞だった。

 老人の域に至ろうかという外見や面倒臭さそうな言動によって少女達から不安いっぱいの視線を浴びせられても、その男は態度を改める事も、入室直後から恭也に合わせていた視線を逸らす事も無かった。

「…聞いて貰っているとは思いますが、俺はデバイスはおろか、魔法にも馴染みが薄いんです。
 即席ではありますが概要は頭に詰め込んできましたから、具体的な表現でお願いします。
 インテリジェントデバイスかストレージデバイスかと言うことですか?」
「そんな事聞いてんじゃねーよ。
 リンディの嬢ちゃんが俺んトコに話を持って来たってこたー標準的なデバイスじゃあ役に立たねーってこったろーが。用途なのか形状なのか知らねーが、一般的なデバイスで満足できねー理由を言えってこった」

 一口に職人気質と言っても、要求されたスペック通りの製品を“賃金を得るため”に黙々と製作する者も居れば、そのスペックを要求する理由、ひいては顧客の性格や人柄を知り、“気に入った客の為に働く事”を生き甲斐にする者も居る。態度こそ客を相手にしたそれではないが、男は後者に分類されるようだ。
 別に優劣の問題ではない。賃金を得るためにも、気に入った客を喜ばせるためにも製作した品が他より優れていなくてはならないのだ。単に“仕事”と“趣味”の違いとも言える。
 仕事を請けて貰えるかどうかはこれからの会話に掛かっていると言っても良い。恭也もそれが分かっているのか、考えを纏める為に間をおいてから口を開いた。

「…守りたいものが、あります」

 恭也の答えは男の質問からはやや外れていたが、特に怒り出すことも無く会話を続けていった。

「魔法が使えりゃー守れんのか?」
「可能性が増えると思っています。
 勿論、魔法が万能でないことは知っています。それに、そもそも相手は魔法の達人で、俺には魔法の才能が欠片もありません」
「それじゃー意味ねえだろ。才能のある奴に任せといたらどうだ?」
「まず間違いなく、結果的には他の誰かが解決するんだと思います。ですが、俺自身が指を銜えて眺めている事に納得できません」
「自己満足か」
「はい」

165小閑者:2017/09/17(日) 15:10:00

 男の揶揄する様な言葉にも小揺るぎもしない恭也に、男の表情に笑みが含まれる。必死になって言葉を押し留めているのに、考えがありありと顔に表れている後ろの2人が恭也との落差を強調してくれるので尚更楽しいのかもしれない。
 なのはにとってもフェイトにとっても、真摯な思いを嘲笑するかのような男の態度は許せるものではなかった。それが大切な友人に対するものであれば尚更だ。それでも、声に出して非難する事を踏み止まっているのは、偏にこの家に入る直前に当の本人から口を出す事を固く固く禁じられていたからだ。

「オメーがその欠片も無い才能に縋り付きてぇって気持ちは分からんでもない。だが、縋り付く前に何かしらの努力はしてきたのか?
 それすらしてねぇってんなら、回れ右して、祈ってるだけで願いを叶えてくれる神様でも探しに行け」
「…才能が無い事に変わりはありませんが、努力を続けてきた事はあります」

 そう言いながら恭也は左の袖から鞘ごと取り出した八影を見せた。隠し持つには大き過ぎるそれを見た男は、隠し切っていた恭也の技量に驚き目を見開いた。

「剣か?」
「はい」
「そいつがオメーの住んでる次元世界の武器としては主流なのか?」
「いえ、疾うの昔に廃れています。俺の世界の優れた対人兵器といえば銃器になります」
「じゃあ、何でそいつを使わねぇ?剣だって十分に立派な殺傷力がある。遊び半分で握ってる訳じゃあねぇんだろ?」
「…憧れたんです。
 比較するのも馬鹿馬鹿しいほど性能の勝る拳銃に見向きもせず、ただ剣を極めようと邁進する先達の背中に。
 助けた誰かから送られる僅かばかりの感謝の気持ちに嬉しそうに浮かべる笑顔に。
 誰かを助けるなら、これにしよう、と」
「…それがオメーの誇りって訳か」
「誇りなんてありません。どう言い繕った所で人を殺傷している事に変わりは無いんですから。
 先達の姿を格好いいと思ったから真似をしている、それだけです」
「それなら、浮気なんかしちゃ拙いんじゃねーのか?」
「別に罰則がある訳ではありませんから。
 きっと、あの人達なら魔法に頼る事無く守りきって見せるんでしょうが、残念ながら俺には無理でした。
 それなら、些細な事に拘る訳にはいきません」
「…その手、一月や二月で出来るもんじゃねぇな。
 本当に良いのか?その拘りを捨てちまって」
「俺は誰かを守るために剣を取りました。
 そして、腕が未熟なのは俺自身の責任です。
 そうする事で大切な人が助けられるなら、俺の拘りなどドブにでも捨てますよ」

 言葉に熱を込める事も感情を滲ませる事も無い恭也を見つめていた男は、そこで初めて視線を外し、悲しそうに恭也の背中に視線を投げ掛ける少女達を見やる。

 本人の口調ほど軽い決断じゃあねえな。少なくともこいつが剣に捧げてきた物は半端なもんじゃねえはずだ。
 たいしたもんだ。手段に拘って目的を果たせない奴なんざ幾らでも居るってのに。
 今まで積み重ねてきた全てを犠牲にしてでも、守りたい存在、か。
 しょうがねぇなぁ。

「いいだろう。この仕事、引き受けた」
「!ありがとう、ございます」
「そういうのは物ができてからにしろ」

 男の了承の言葉に深々と頭を下げる恭也に男は視線を逸らしながらそっけなく返す。
 その態度になのはとフェイトが顔を見合わせ微笑した。横柄な態度ばかり見せられていたので印象が悪かったが、正面からの感謝の言葉に照れている姿を見る限り、悪い人ではないのだろう。

166小閑者:2017/09/17(日) 15:12:05

「それで、お前さんはどんな奴がいいんだ?朧気でもなんかあんだろ」
「はい。まず、アームドデバイスにして下さい。形状は出来る限りこの刀と同じに」
「え!?…あ」

 恭也の回答になのはが思わず驚きの声を上げ、約束を思い出してバツの悪そうな顔をする。
 なのはは父や兄・姉が武器を、刀を大切にしている事を知っていた。危険物としての取り扱いという意味とは別に、自身の命を預けるものとしてとても丁寧に扱っているのだ。
 如何に剣への拘りを捨てると言ったところで、愛刀を手放すなんて想像もしていなかった。もっとも、これはなのはが本格的な、二刀を使用した御神流の鍛錬を見させて貰えていないからこその驚愕である。
 そして、初対面の男にとっても意外な回答だった。訝しむ様な表情で留めているのは、武器を消耗品と捕らえる考え方がある事を承知しているからだ。

「別にその剣を手放す必要はねえだろう?
 アームドデバイスを指定するって事は接近戦を主体にする積もりなんだろ?」
「手放す積もりはありません。
 今は一振りしかありませんが、俺の流派は二刀流、剣を二振り扱うんです」
「ええ!?」

 今度の驚きはフェイトのものだった。
 彼女は一度きりの早朝練習で徒手の恭也に惨敗を喫していた。だから、武装した恭也と対峙した事は無いのだが、一度だけ見せて貰った刀を使っての型稽古は一刀だったのだ。
 優雅な舞の様でありながら、敵の姿が幻視出来るほどの実践的な動きに、フェイトは目を奪われた。仮想の敵が、直前に素手の恭也に翻弄されていた自分とアルフだったのだから尚更だった。
 あの動きすら本来の恭也の動きではなかった事実に、もう恭也が何をしても驚くまいという暫く前からの誓いを、またも守ることが出来なかった。

「他には?」
「後は思い付きません。最初に言った通り、俺は魔法の知識がありませんから。
 目的は空中を飛び回る魔導師と渡り合う事、その一点です」
「…飛び回ってない魔導師なら渡り合える様な言い草だな?」
「これまで一度も魔法の練習をしたことも無く、魔道資質は最低ランク。そんな俺が、AAAランクの魔導師との能力差を埋める性能をデバイスに要求するのは、勝手が過ぎると言うものでしょう。
 飛び回っていない魔導師との能力差は頑張って補います」
「はぁ!?目標はAAAランクだと!?馬鹿かテメーは!頑張ったくらいで補える訳ねーだろーが!!」
「あの、それは物凄く当然の意見だとは思うんですけど…、恭也君は補えちゃうみたいですよ?」
「…あん?」

167小閑者:2017/09/17(日) 15:16:53

「…信じらんねぇ。
 お前さん、デバイスなんていらねえんじゃねぇの?」

 疲れ切った男の言葉になのはが口に出さずに心の底から同意する。
 男の反応は予想出来る物だったので、持参したクロノとの遭遇戦と局員3人を相手にした模擬戦のデータを見せ、それでも納得しない男を外に連れ出し、目の前でフェイトを相手に手合わせをした。
 恭也の武装は刀に見立てた工房にあった2本の金属パイプ、フェイトは当然バルディッシュ。
 結果は、

「何を言ってるんです。テスタロッサの圧勝だったじゃないですか」

という恭也の台詞通りフェイトの勝利だった。
 だが、内容が正確かどうかは視点によって異なるのだろう。少なくとも、なのはの隣で黄昏るフェイトを見る限り、恭也とフェイトの見解には高くて厚い隔たりがあるようだ。
 フェイトが受けたダメージは皆無、恭也は一発の魔力弾で昏倒しているので、恭也の意見にも一理はある。
 だが、恭也はその一発以外の射撃、斬撃、仕掛け罠、全ての攻撃を悉く躱し続けた。逆にフェイトは恭也にしこたま殴られている。それはもう嫌というほど。ダメージが無いのはバリアジャケットの性能故。
 フェイトのバリアジャケットは防御力より機動性を重視しているため、同じランクの者と比べれば確かに弱い。だが、AAAランクは伊達ではない。
 そして、恭也が敵対しようとしているヴォルケンリッターが推定AAAランクである以上、この模擬戦はそのまま実戦での結果となるだろう。

「…けどなあ、流石にバリアジャケットを破るような方法は思い付きそうにねえぞ?」
「いえ、そこまでは望みません」

 バリアジャケットを纏った魔導師にダメージを与える方法は2つ。
 属性か純粋な威力でバリアジャケットの性能を上回る攻撃を放つか、バリアジャケットそのものを無力化するか。
 どちらも簡単に実現させる事は出来ない。出来るならば魔導師の優位性がここまで高く評価されてはいないだろう。

「俺が欲しいのは空中にいる魔導師に近付く手段です。
 テスタロッサは基本的に接近戦を主としているので接点がありましたが、遠距離攻撃を主とする者もいますし、近接戦闘者だとしても頭上を支配されると圧倒的に不利になりますから」
「そうは言っても、高速移動する高位魔導師に追いつくのは簡単なこっちゃねえぞ?」
「ですが、同じ相手と何度も対戦することはあまり無いはずです。
 程度はともかく空を飛ぶ手段があれば、やりようによっては騙す事が出来るかもしれませんし、少なくとも警戒させることは出来るでしょう」
「確かにな。特にお前さんの戦い方なら、敵が順応して対応策を模索する前に潰せるって訳だ。
 攻撃さえ通用すれば、だが」

 男の指摘は尤もだ。
 少なくともフェイトとの模擬戦を見た者ならば、空を飛べない事よりも余程明確な欠点に見えたはずだ。

「攻撃が効かない事については、最悪、時間稼ぎの足止めに専念すれば、なんとか」
「そう甘かぁねえだろ。
 効かねえ事がばれりゃあ、お前さんの攻撃を無視して突っ込んで来るぞ」
「そうでしょうね。
 ですが、直撃させなければ威力が無い事はばれず、警戒させる事が出来ます」
「理屈だな。だが、そう上手くいくかい?」
「少なくとも、ハラオウン執務官とアースラでの模擬戦の相手には有効でした」
「あん?…まさか、あの対戦者がギリギリで凌いでた様に見えた攻撃は、お前さんが加減して凌がせてたってえのか!?」
「ええっ!?」
「嘘っ!?」
「…ええ、まあ。
 念のために言っておきますが、余裕と呼べるほどの力量差があった訳ではありませんよ?“2撃で体勢を崩して3撃目を入れる”という組み立てをやめて、全て1撃で捉えようとしただけです。
 恐らくは魔力弾を躱す体術があるせいで、当たりさえすれば攻撃にも相応の威力があると思い込んでくれるんでしょう」

168小閑者:2017/09/17(日) 15:17:59
 クロノとの遭遇戦において、恭也の出鼻に放った蹴撃がクロノの鳩尾にモロに命中している。本人の言葉を信じるならば、その初撃でダメージを与えられなかった事を見て取った恭也が以降の攻撃をギリギリで躱せる物に抑えていた事になる。
 恭也の台詞を冷静に聞いてみれば、攻撃を躱させるのはあくまでも威力の低さを隠すための苦肉の策であると分かる。それは先程の模擬戦でフェイトにダメージを与えられなかったことで良く分かる。
 だが、対戦したフェイトは勿論、観戦していたなのはでさえ、恭也が実力を隠すための言い訳にしか聞こえなくなっていた。
 そして、剣術どころか剣道すら知らない3人は気付かなかったが、たった3撃で捉えられる事が、既に圧倒的な実力差なのだ。
 ちなみに、早朝練習時に恭也から攻撃を仕掛けた事はなかった。近付くことが困難だった事もあるが、いくらバリアジャケットの存在を説明された所でなのはやフェイトを殴り飛ばす事に抵抗があったのだろう。万が一にでも怪我を負わせる訳には、と言う訳だ。
 2人が習得しているのが魔法ではなく何らかの武術であったならば、訓練過程での負傷はあって然るべきものとして気にしなかっただろうが、恭也にとって“魔法”の位置付けが明確になる前だった事が要因だったのだろう。

「何れにせよ、明日にでも力が必要になる可能性があるんです。万全など望むべくも無い。
 同じ舞台に立てるならそれ以上の贅沢を言う積もりはありません」
「そこまで急ぐのか?
 だが、リンディの嬢ちゃんなら速攻で必要な材料は揃えてくれんだろうが、製作時間だけでもけっこうかかるぜ。
 取り敢えず、どんくらい時間が掛かるか試算してみるから、ちっと待ってろ。
 ついでに必要なモンの洗い出しと在庫の確認か」

 言い終えると男が席を立った。言葉通り在庫の確認に向かったのだ。

「手伝える事はありますか?」
「今んトコねぇよ。
 少し掛かるだろうから、そこらに適当に座ってろ。飲み食いしてぇならそっちの奥に台所があるから勝手に漁れ」
「ありがとうございます」

 恭也の謝辞を最後まで聞く事無く、扉が閉まった。
 勿論、恭也の謝辞は男の配慮に対するもので、本当に台所を漁ったりする事は無い。
 扉が閉まると、部屋には落ち込んでいるフェイトと彼女を宥めるなのは、そして緊張を解くように静かに、しかし大きく息を吐き出す恭也だけになった。



     * * * * * * * * * *



「提督、少し宜しいでしょうか」
「ええ、入って」
「失礼します」

 クロノが許可を得て入室したのは、リンディの執務室だ。
 クロノは自室に戻り、先刻抱いた恭也への疑念を整理すると、リンディに恭也の身辺調査を提案するためにやって来た。
 だが、そこにはリンディの他に予想していなかった先客がいた。

「おお、クロスケ!」
「久しぶりね」
「げっ、ロッテにアリア!」
「ほほ〜。
 久しぶりに会った師匠に対して随分なご挨拶じゃないか」
「これは久しぶりに師匠への接し方って奴を、みっちりと体に教え込む必要があるみたいだね」
「コ、コラ、近寄るな!纏わりつくな!!服を脱がすなー!!!」
「あらあら、愛されてるわねぇ、クロノは」
「笑ってないで止めて下さい!」

 クロノにじゃれ付いている2人の先客は、どちらも公私共に何かと世話になっているギル・グレアム提督の使い魔だ。そして、本人たちの言葉通りクロノの師匠でもあり、リーゼアリアが魔法を、リーゼロッテが体術をクロノの体に文字通りの意味で叩き込んでいる。
 また、2人が獲物を嬲って遊ぶ猫を素体としている事が関係しているのか、頻繁にクロノをからかって遊んでいる。生真面目なクロノが一々反応するため、悪戯に拍車が掛かる傾向にある。
 クロノにとっては、管理局員としても先輩に当たるため、3重の意味で頭が上がらない存在だった。

169小閑者:2017/09/17(日) 15:19:20
「それで、クロノの用件は何かしら?」
「ハァハァ、八神恭也の転移後の生活範囲について再調査を提案します」
「…それは闇の書との関わりについて、と言う意味ね?」

 クロノがなんとか2人を振り払うと、リンディの問い掛けに対して率直に提案した。

「恭也さんが異次元漂流者である事は間違いないようよ?
 それでも調査を再開する理由は?」

 民間の協力志願者についての身元調査は当然行う。管理局への入局志願者と同程度、と言うほどの労力は割かないが、担当している事件との関連性についてはそれ以上に厳重に行う。
 ただし、身辺調査と言ったところで、調査対象が管理外世界の出身であった場合、それまで過ごした年月を日毎に確認する事も、接触のあった全ての人物とその背後の繋がりを確認する事も実質的には不可能だ。思想や習慣に関連する行動範囲や、所属する団体の調査が限界なのだ。
 そして、調査範囲も基本的にはデータベース上に存在するものまで。存在さえすれば、技術力の差から大抵の管理外世界のデータは確認できる。
 恭也の場合は状況が特殊ではあるが、それでも協力の申し出を受け入れたのは、同情や憐憫、何より負い目が含まれていなかった訳ではないが、当然それだけではない。
 まず最初に、恭也自身とは別に事件の背景について。
 1つは、この第97管理外世界で過去に次元犯罪に関わる組織の存在が確認されていない事。勿論、今まで無かったから今も無いとは言えないが、「見つかるまで探し続ける」などという事は出来ない。管理局に限らず治安機構の活動が対処療法になるのは宿命とも言える。
 もう1つは闇の書の陣営が組織だった活動をしていない事。何処かの組織の中枢だった人間が主に選ばれれば話が変わってくるが、そうであるなら今までの蒐集活動を守護騎士だけで行ってはいなかっただろう。
 次に、当然恭也自身について。
 仮に彼が転移前に何処かの犯罪組織と繋がりがあったとしても現状では連絡を取り合う手段がなく、また、この事件に絡む可能性は考え難い。
 そして、既に恭也が転移後に暮らしていた八神家についても調査は終了していた。調査結果は、恭也を迎え入れた事からも分かる通り“シロ”。
 八神家の構成は9歳の少女1人きり。両親は数年前の交通事故で他界しており、親類はなし。それが、戸籍や病院の記録から判明した八神家の全てだったのだ。

 クロノが自分の気付いた恭也の言動の矛盾と意図的に行動している節がある事を説明すると、リンディは驚く様子を見せる事無く頷いて見せた。

「なるほど。
 つまり、あなたと同じ結論に至って恭也さんを疑う人が現れる前に彼の潔白を証明しておきたいのね」
「…どう聞いたらそういう結論になるんですか」

 同じ内容ではあるのだが、視点を変えただけでニュアンスが180度反転している。
 勿論クロノにも、リンディが自分をからかうために態とそういっているんだという事は分かっている、という事にしておいた。その考えが無かった訳ではない事を認められない程度には、男としての矜持を持ち合わせていた。


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