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鏡の世界の迷子の旅路 無断転載

1語り(管理人):2015/05/29(金) 21:47:48
私は小閑者さま本人ではございません。願わくばご本人からのご返事が来ること願います。



・本作は恭也の年齢を変えたDWの再構成に当たります。

 お蔭様で、長らく続いたA's編も無事(?)終了しました。
 これからは拙作、鏡の世界の迷子の旅路の後日談的な続編を書いていく積りですのでよろしければお付き合いください。

 ご意見・ご感想を書いて下さる方は別スレッドへと、お手数ですがそちらへお願いします。

105小閑者:2017/07/16(日) 16:36:20
 恐らくは恭也の嫌がる内容だろうが、知ったことか!丸投げした彼に文句を言う権利など無いのだ。何より既に宣言してあるし。「嫌がることいっぱいしてやる!」と。
 そんな事を考えながら溜飲を下げているとアリサとすずかの問いた気な表情に気付いた。
 予想していた事である為、なのはに気付かれない様に答えて返す。

「励まし過ぎると負担になったり、実際に裏切られた時に八つ当たりの対象にされる可能性はあるんだけどね?その時はなのはちゃんの周囲がフォローしてあげれば良いの。
 私も気に掛けとくし、恭也にも伝えておくけど、あなた達にも期待してるんだから、がんばってよ?」
「傷付く事が予想出来るなら、けしかけるような事言わなくても…」
「アリサ、子供の頃からあんまり頭でっかちになるのは感心しないわよ?頭でっかちに育った先輩からのささやかな忠告。
 さっきも言ったと思うけど、あなた達を温室育ちのお嬢様にする積もりはないの。傷付くこと全部から逃げ出すってことは誰とも関わらないってことだよ?そんな人生、つまらないでしょ?」

 相手が八神恭也であればそれほど心配要らないだろうと考えながら、妹達の納得8割、不満2割の視線に余裕の笑みを取り繕う。世の中に“絶対”など無いことを良く知っているからこそ、皆が幸せになれることを祈りながら。




「恭也!」
「まだ何か質問か?」

 ゆったりした足取りで立ち去る恭也に、全力で走って漸く追いつけたことに内心首を傾げながらも、数歩の距離を空けて恭也と対峙する。
 周囲に人影が無いのは都合が良い。
 まっすぐに恭也に視線を合わせ、伝えなくてはならない言葉を口にする。

「ごめんなさい」
「あの話は愚にも付かない空想だ。そうである以上、謝罪される様な事をされた記憶は無いんだが?」

 そう、あの話は空想なのだ。決して恭也が信じないと決めた、真実であってはいけない仮定。

「うん。
 でも、あなたの心を傷つけたと思う。だから、ごめんなさい」
「強情なことだ。高町もそう言うところがあるようだから、やはり傾向の似た者が集まるものなんだな。
 わかった。謝罪される謂れは無いが受け取っておいてやる」

 呆れたように溜息を吐きながら数歩の距離を詰めるとフェイトの頭を優しく撫でる。
 フェイトはその手を振り払う訳にもいかず、顔を見られない程度に俯けると奥歯をかみ締め必死に耐えた。

「本当に強情だな」
「あなたには…言われたくない……もう、放して…」

 茶化す様な内容とは裏腹に労わる様な口調の恭也の言葉に、フェイトが搾り出すように抗議の声を上げるが、頭上から手が退かされる気配はない。
 傷付いたのは私じゃない。何度も自分に言い聞かせる。

「気持ちは分からん訳でもないが、そう言うな。
 …出来れば代わりに泣いてくれると助かる。俺にはなく理由はないはずだからな」
「――――ッ!」





「…恭也は、卑怯だ」
「そうか?
 その評価は不本意ながら何度か聞いた事があるが、不思議でならん」

 結局恭也に縋って泣いたフェイトが落ち着くと、泣き腫らした顔で翠屋に戻ることも出来ず、2人して臨海公園に行くことにした。
 道中、フェイトは泣き腫らした顔に視線が集まることを覚悟していたが、隣を歩く恭也が僅かに前を歩いてブラインドになってくれたのでほとんど気付かれなかったようだ。

106小閑者:2017/07/16(日) 16:37:07

 濡れた胸元を気にする風もなくベンチに座る恭也を横目に睨みながら、顔を洗っている間に買って来てくれた温かい缶紅茶を飲みつつ思い返す。
 優しく慰めてくれた訳ではない。そもそも我慢しようとしたのを恭也が無理に泣かせたのだ。どの道、恭也は自分が泣く積もりなんて無かったくせに。
 我慢しようとしていた時にあんなことを言われたら加害者の私は従うしかないんだ。言ってみれば、恭也に泣かされたようなものだ。
 でも、酷い奴なんだと思おうとしても上手くいかない。
 本当にズルイ。

「そもそも、私が泣く理由なんて何処にも無かったのに」

 恭也の感情に共感して、恭也を深く傷付けた事を悟り自責の念に駆られた上に、母の事を思い出したのだ。
 感情が高ぶるには十分な理由だったような気もするが、敢えて気付かないことにして恭也の所為にしてみる。

「理由なんて、どうでも良い。状況が許す限り泣きたい時に泣いておけ」

 あっさりと返される言葉に、頬を膨らませながら背けた顔は朱に染まっていた。
 フェイトは自覚していない。子供染みた(歳相応の)我侭を口にしていることも、それを許容してくれた事を喜んでいることも。


「…泣きたくても泣けなくなってからでは遅いからな…」


 風の音に紛れるような小さな呟きを耳にしたような気がして振り返ったフェイトが見たのは、先程と変わる事の無い仏頂面の恭也だけだった。

「どうした?」

 突然振り返って凝視するフェイトに恭也が訝る様に問いかける。
 その声に我に返ったフェイトは誤魔化す様に慌てて顔を逸らすと、とって付けたように呟いた。

「そういえば、まだゴメンとしか言ってなかったね」

 窺う様に視線だけ向けるフェイトに恭也が無言で問い返すと、フェイトはしっかりと向き直り軽く頭を下げながら微笑みを浮かべた。

「答えてくれて、ありがとう」

 恭也は特に反応するでもなく、再びゆっくりと視線を逸らす。
 フェイトも何かを期待していた訳ではないので不満に思う事はなかった。それどころか根拠もなく脳裏に浮かんだ考えに、逆に笑みを深くした。

(照れたのかな?)

 同時に今更ながら不思議に思う。何故あんなに真摯に答えてくれたのだろう?
 会ったばかりだが、恭也が内心を、特に弱音に類する物を他人に見せるのを嫌う事は容易に想像出来る。自分が頼んだ事だし、あの時は答えてくれる事を疑いもしなかったのだが、考えてみればやはり不思議だ。
 信じきっていた自分自身には疑問を抱いていない事を自覚しないまま、問いかけようと恭也の横顔を見て、開きかけた口を閉ざす。

(慌てなくてもいいか)

 そう思えた。今日会ったばかりなのだ、少しずつ知っていけばいい。

 恭也の在り方は、フェイトには真似出来ないものだ。
 それでも、記憶の中に居る優しかった母・プレシアの事を大切に想っていても良いのだと肯定してくれている様で嬉しかった。

107小閑者:2017/07/16(日) 16:37:45


「…まあいい。今度こそ帰らせて貰うぞ」
「あっ」

 調子が狂うと言わんばかりに頭を掻きながら腰を上げる恭也に、フェイトが慌てて声を掛けるが咄嗟に何度も話題を思い付けるほど都合良くは行かなかった。
 続きを待って自分を見つめる恭也の視線に、鼓動が加速していくため思考が纏まらない。何事だろうか?
 待っても続きが出そうに無いフェイトに首を傾げながら恭也が妥協案を提示した。

「まあ、思い出したら高町にでも伝えておいてくれ。体調が回復したら朝会うだろうからな」
「あ、そっその訓練に私も参加しても良い?」
「?元々時間と目的が一致しただけだから参加制限はないだろう。場所は高町に聞いてくれ」
「うん、ありがとう。それじゃあ、また」

 背中越しに片手を上げて答えながら去っていく恭也を見て心臓が落ち着いてきたことに、フェイトは安堵と寂寥が混ざった奇妙な感覚を持て余しながら先程の恭也の様子を思い返す。


 風に紛れる呟きに振り返った時に見た恭也が、仏頂面の下に必死になって隠していた感情は何だったのだろうか、と。



続く

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109小閑者:2017/07/16(日) 18:04:17
第13話 思惑




「たっだいまー」
「お帰りなさい」
「お帰り、ヴィータ」
「腹減ったー」

 帰宅の挨拶の最後に独り言として自らの状況を漏らすヴィータにシャマルとはやてが笑顔を向ける。

「今日もいっぱい遊んできたんやな」
「うん。そうだ、はやて、今日は玄さんに勝ったんだぜ!」
「お、玄三郎さんにか?ヴィータ頑張ったやない!こりゃお祝いせんとなぁ」
「やったぁ…あれ?」
「フフ、恭也君ならまだ帰ってないわよ?」
「あ、あいつの事なんて聞いてないだろ!」
「そうか?恭也さんがツッコミ入れるタイミングで身構えとったやろ?」
「なっ、違うよはやて!」

 ヴィータが慌てて否定するが言葉が強い程、裏返しにしか聞こえない。焦りの成分には、はやての嬉しそうな笑みにこの後の展開を予想した事も含まれているのだが。
 皮肉なことにヴィータの窮地を救ったのは元凶(?)である恭也だった。

「ただいま」
「お帰りなさい、恭也さん。今なぁ、ってなんかやけに疲れてへん?」
「ん?そう大袈裟な話ではないんだが、少々匂いに中てられた」

言いつつシャマルが用意してくれた熱い焙じ茶を礼を言って受け取りながら食卓に着く。

「匂い?そう言えばなんや甘い香りがするような…」
「…はやて、そういう行為ははしたないから止めておけ」
「え?…べつにこのくらい、たいしたことありません。きょうやさんはきにしすぎです。」
「はやての方が余程気にしてそうだが」
「はやてちゃん、言葉遣いが変ですよ?」

 はやてが椅子に座る恭也に染みた匂いを嗅ごうと背後から恭也の首筋に顔を埋める様に近付けたのだ。
 恭也の指摘で顔を上げると、自分の唇が恭也の頬に触れようとしていれば、動揺もするだろう。
 背もたれがあったとはいえ、肩辺りにしておくべきだったと反省しつつ、体勢を整えるべく話題を転換することにした。形勢の不利をいつまでも放置する訳には行かない。

「その上品な香りはひょっとして翠屋?」
「よく分かるな、その通りだ」
「…甘い香りが苦手ってことは独りで行った訳はないよね?女の人?逆ナン?まさかとは思うけどナンパ?」
「女性と言える年齢ではないから女の子と表現するべきだろうな。あとは…難破ではないだろうが、なんだ?」
「恭也君、今、凄い文字に変換しなかった?」
「アタシもそう思う」
「そこの2人うるさい。はやてもニヤつくな」

 恭也の語彙はかなり多いが、流行言葉(?)の類には滅法弱い。
 一般的に子供は書物よりもテレビなどのメディアや友達からの伝聞で言葉を覚えるため、文字を知らずに音声だけで覚える傾向が強いが、恭也はまるっきり逆の傾向である。友達居なかった事が丸分かりだ。

「おっと、危うく誤魔化されるとこやった。恭也さんから声かけたんか、ゆうことや。あと、子供だけで喫茶店?」
「声?…元を正すならかけられた方だ。子供だけでという点については店の娘だったらしい。俺も知ったのは今日だが。
 尤も、引っ張って行ったのはその友人だがな」
「…へぇ、あの娘かわいい思うやろ?将来絶対別嬪さんになりそうや」
「知り合いか?店で働いていた母親にも会ったが、よく似ているし美人になるのは容易に想像出来るな」

 はやての鎌掛けの質問に恭也は疑う事無く返答する。

110小閑者:2017/07/16(日) 18:04:54


 リビングの隅で放心していたはやても夕飯の準備が済む頃には辛うじて復活して、もそもそと夕食を摂った。
 当然、夕飯を作ったのはシャマルだ。メニューは無難にカレー。流石に市販のカレー粉を使ったので味付けに失敗はなかった。

「それにしてもシャマルの選定基準が分からん。それ以前にナマコなど何処で手に入れたんだ?」
「…前に一人でお買い物した時に、蛸と間違えて…。に、似てると思わない?」
「思わねーよ!」
「最早、特異技能と評価しても差し障りないな」
「シグナム、コメントがキツ過ぎない?私だって失敗しちゃったなーって思ってるのよ?」
「だから1人で料理する日に俺を台所から追い出して証拠隠滅しようとしていた訳か。それでいて、調理方法を調べておかない辺りの杜撰さがシャマルらしいな」
「“らしい”は酷いわ。それに蛸に似てるから普通ぶつ切りにすれば食べられると思うでしょ?」
「そこは同意してもいいがな」

 尤も、その見立てで両断した結果、出てきた黄色い腸に驚いて叫び声を上げてしまい、明るみに出たのだが。

「それにしても、恭也はよく調理法を知っていたな」
「知らん。シャマルに毒が無いことは確認したから、適当に掻っ捌いて内臓と軟骨らしきものを取り除いただけだ」
「何?知らない食材を澱みなく捌くことなど出来るものなのか?普段のシャマルよりも余程様になっていたじゃないか」
「切り分けるだけだからな。味付けや火の通し加減を総合して調理と呼ぶだろう?俺のは一工程に過ぎない」
「それにしてもやたら硬かったよな」
「海産物の類は火を通しすぎると硬くなるから、ナマコも同じだったんじゃないか?切った時より矢鱈と縮んでいたしな」
「結局、シャマルは良い所無しか」
「そこまで言うこと無いじゃない!」
「ス、スマン、シャマル!謝るからフォークを構えるのは止せ!」

 最後の一言しかコメントしていないのに怒りの捌け口になる辺り、流石は盾の守護獣だ、と巻き込まれないように一歩離れて見守る一同。“黒ヒゲ”を引き当てる能力があるのか、境界の見切りが甘いのか。
 そんな騒ぎの外からクスクスと笑い声が上がる。

「もう、皆が揃っとるとゆっくり落ち込んどる事もできへんなぁ」
「漸く復活したか、はやて。放心していた理由がよく分からんが元気が出たなら何よりだ」
「その話題には触れんといて。皆もゴメンな、もう大丈夫や」
「いえ、こちらこそお役に立つことも出来ず、申し訳ありません」
「ええんよ。私も皆に心配かけんようにせなあかんな、わぁ!?」
「馬鹿たれ。落ち込みたい時には落ち込め。出来る事なら誰かに相談しろ。
 無理して平静に振舞うほど周囲に心配させるものだ」

 わしわしと髪を掻き混ぜるように頭を撫でる恭也の手に浮かびそうになる笑みを抑え付け不平そうな顔を取り繕いながら、それでも手を振り払うことも無く反論する。

「恭也さんには言われたないなぁ。辛い事があってもいっつも独りで黙って耐えとるやん」
「ちゃんと話しているじゃないか」
「状況説明やのーて、“悲しい”とか“辛い”とか、そう言う気持ちは全然言わへんやん!」
(あかん。これ以上は駄目や)

 深く考える事無く始めた話題だったが、軽い切り返しとして恭也が口にした言葉にはやては過敏に反応してしまった。自分で思っていた以上に心に溜め込んでいた不安が大きかったのだ。
 はやては恭也を見ることが出来ず俯いて歯を食い縛る。
 恭也が苦しんでいる事が分かっていて、手を差し伸べたいと思っていても、これ以上は恭也を傷つける事も分かっている。
 恭也を救うためにはそれを越えて更に近付かなくてはいけないとは思っているのだが、それが恭也に致命的な傷を負わせることになりはしないか?そう思うとはやてにはどうしても踏み込む勇気が持てない。

111小閑者:2017/07/16(日) 18:05:41
「そうか。それがはやてにとっての辛い事なら、言い出した本人としては解決してやるべきだろうな」
「…え?」

 恭也が何を言ったのか理解できない。顔全体でそう表現しているはやての頭を優しく撫でると、恭也は睨む様に鋭い視線を寄せる4人に怯むことなく、全員を促してリビングへ移動した。
 彼女らの視線が恫喝ではなく自分を心配している物であることが理解できる程度には恭也も近しい関係にあるのだ。



 恭也とはやてが3人用のソファーに並んで座る。対面のソファーにシャマル、シグナム、ザフィーラの3人が窮屈そうに、ヴィータが長方形に配置されたソファーのはやて側の短辺に位置する1人用の物に座った事を確認すると恭也が話し始めた。

「さて、何から話すべきか」
「…家族の事やないの?」

 恭也の隣に体が触れるほど距離を詰めて座ったはやてが問い掛ける。

「括ってしまえばそうなるんだがな。
 状況に変化があったんだ。もう少し正確に表現するなら“他の異変に気が付いた”になるか」
「改善か?それとも…、スマン」
「構わないよ、ザフィーラ。皆も気になる事、知りたい事は聞いてくれ。思い付きで話すから漏れる事もあるだろう。
 残念ながら改善ではない。そもそも実家が全焼していた事や未来に飛ばされて来たと言った状況について進展した訳ではないから改善や悪化とは違うだろう。あ、いや飛ばされて来たこととは関連しているのか?」

 恭也自身にも整理が付いていないのだろう。
 はやてには恭也が語ろうとしている事が予想できない。家族の事でありながら、転移に関連する事柄、それでいて他の異変。
 これ以上、恭也の状況が悪くなった訳では無いと願いたい。恭也の口から聞くということは、既に生じた事なのだが。

「話す前に改めて確認するが、シャマル達の使う魔法は時間軸の移動は出来ないんだったな?」
「え?ええ、あくまでも空間だけよ」
「そして、文化や町並みが酷似する世界は確認できていないと」
「ええ。映画なんかにあるパラレルワールドの様な相似した世界は空想上の物でしかないとされているわ」
「…わかった。それじゃあ順を追って話そう。以前に隠したことも含めて全部だ」
「あの、恭也さん、無理に話さんでもええんよ?」
「いや、そろそろ話そうとは考えていたんだ。寧ろ口実にさせて貰っているんだから、はやてが気に病む必要は無い」

 特に気負った様子も悲壮な風も無い恭也を見てもはやてには安心できなかった。恭也の辛い事を隠す技能が日に日に磨かれている気がするのだ。
 少しでも恭也の気持ちが軽くなる事を願い、恭也の大きくてゴツゴツした右手を両手で包むように握り、体を寄せて自分が居ることを、恭也が独りではない事を、伝えようとした。
 恭也もはやての意図を察したのか、普段の様に照れ隠しの憎まれ口を叩く事も無く話し始めた。

「先ずは、俺が隠した事からかな。
 隠していたのは俺が習っている剣術の流派名とその素性。それに関連して八神の姓を名乗らせて貰ったことだ」
「苗字が関係あるの?」
「まぁ、な。
 俺の学ぶ剣術は江戸時代に国から最強の称号である“永全不動”を与えられた八門の流派の内の一派、御神真刀流と言う。流派の設立はもっと前だったそうだがな。
 強さは本来個人の資質に依るところが大きい。永全不動を冠された流派はどれも、一般人からすれば異常とも取れる逸脱した強さを持つ者を育成する為の体系づけた鍛練方法を確立した流派と言える」
「お前みたいなのを量産してる訳か」
「俺などまだまだだ。父の代は化け物の様だったからな」
「信じ難いと言うか信じたくないんだが」

 シグナムの弱音とも聞き取れる発言にシャマルが苦笑する。普通に魔導師と渡りあえそうだ。

「まあ、そうは言っても得物は刀だからな。魔法使いにはそうそう勝てんさ。
 せいぜい銃弾の飛び交う戦場に立つ程度だ」
「それが、低いと?」
「シグナム達は縁がないから知らないだろうが、拳銃は形状を見れば弾の種類や威力が推測出来るし、基本的に弾丸は直進しかしないから射線から退けば当たらない。散弾は射程が短いから斬りに行けば済むし、手榴弾なんかは投擲されるだけだから飛礫を当てて弾けば被害を受けない」

 簡単だろう?とでも言いたげな口調だが、勿論普通は出来ない。腕の角度を変えるだけで修正出来る射線から身体を退かし続けるなんて手段、実行出来る者など人類の範疇に入れたくない。

112小閑者:2017/07/16(日) 18:06:21
 そもそも恭也は語らなかったが、近代の戦場は刀を振り回していた時代の名乗り上げなど無い、互いに姿を隠して行動する純粋な殺し合いだ。仮に恭也が言ったように射線を躱し続ける事が出来る技能を持っていたとしても、認識の外から撃たれればそれまでなのだ。
 索敵こそが最初の、そして最大の難関なのだ。気付かれる前に敵を発見できれば、奇襲をかける事で圧倒的にリスクが下がる。この索敵能力の高さこそ、御神の剣士が戦場に立てる最大要因といえる。

「恭也さん、ひょっとして鉄砲持った人と戦った事あるん?」
「いや、演習に参加させて貰っただけだ。ッと、スマン脱線したな」

 恭也が軌道修正を告げた為、演習だから簡単だとでも?と言う言葉は全員の胸の内で蟠る事になった。演習とは実戦で役立つレベルで行うからこそ価値があるのだ。

「“全て永久(とこしえ)に動く事なかれ”と言う称号の通り、八門の流派は組織だって動く事を禁じられていた。その気になれば嘘でも誇張でもなく国家転覆できるような流派だからな。
 もっとも、強制力に成り得るものが互いの流派しか無いと言っても過言ではなかったから、結局互いを監視させる制度を作るしかなかったんだろう。
 そして、逆に個人で動く分には干渉されない。だから、護衛を仕事にする者が多く、それなりに名前が売れていった。
 重武装の出来ない街中であれば御神流を名乗れる実力を持つ者と渡り合う事の出来る者など、皆無ではないが極僅かだ。
 だから、襲撃者側から恨みを買う事になる。
 そして、“不破”と言う姓は、御神宗家の最大分家であり相手によっては御神より余程大きな恨みを買っている。
 だから、実力の無い者が流派を名乗ることを禁じられていると言うのは方便ではない。
 これが、俺が流派を隠した理由であり、姓を名乗らない様に、八神の姓を借りた理由でもある」

 恭也は言葉を切ると悲しさを隠しきれていないはやてに頭を下げた。

「すまない、はやて。俺はお前の厚意を利用した」
「…ええねん。それは私らを守る為でもあったんやろ?
 恭也さんかて名乗らんければ済むのを、大切な苗字の事で、吐かんでもええ嘘吐く事になったんやから。
 …でも、今でも八神の苗字に抵抗ある?」
「…いや、その、なんだ。こういうことは言葉にすると空々しく聞こえるから好きじゃないんだ」
「そか。私も今ので十分分かったから、もうええよ。でも、偶には言葉にしてくれた方が私は嬉しいかな」
「…善処しよう」

 はやての嬉しそうな笑顔からばつが悪そうに視線を逸らしたところで、恭也はヴィータとシグナムの突き刺す様な視線に漸く気付き話を再開する。

「度々すまん。
 言い遅れたが、御神と不破の名は口外しないでくれ。一族が滅亡して10年が経つとは言え、誰が聞いているか分からないんだ。警戒するに越した事はない」
「まさか、お前の家が焼けたのって…」
「可能性はある。ただ、言っては何だが、あの人達を出し抜くのは並大抵の事ではないから少々信じ難いと言うのが正直な所なんだが…」

 恭也は一息付くと一同を静かに見渡す。
 その視線は家族の死についての話題に揺れる事も無く、はやてにも感情を読み取ることが出来ないものになっていた。
 一月前には家族と共に在る事を当然の日常としていたであろう少年とは思えない。
 一族が滅亡する事態が絵空事ではないと以前から考えていたのだろうか。それとも麻痺した感情が撥ね付けているのだろうか。
 どちらが良いのかはやてには分からない。ただ、少しでも恭也にとって痛みの少ない方であって欲しかった。

113小閑者:2017/07/16(日) 18:06:57



「ここまでが隠し事、次は新しく気付いた事だ。
 最近、街中を歩くと人違いで声を掛けられる事が多い。夕方に話題にした翠屋と言う喫茶店の息子によく似ているそうだ。
 身長は180を超えるらしいから、明らかに頭二つ分は体格が違うのにその人物の妹にまで間違われた。雰囲気が似ているそうだ」
「あ、声掛けられたって…」
「ああ、この事だ。
 先日まで、俺は自分がその人物と同一人物ではないかと疑っていた。正確に表現するなら俺がその人物の偽物である可能性だ」
「…え?」

 はやては、恭也が文章を読み上げたかの様に感情の篭らない声で語った内容が何を意味しているのか、咄嗟に理解出来なかった。

「まって…待って!
 何言うとるん!?恭也さんはここにおるやん!その人がどんな人か知らんけど、恭也さんはここにおる恭也さんだけや!」

 縋り付く様に恭也の腕を掴むはやての方が余程追い詰められている様に見える。その事がヴィータの気に障る。どうしてコイツは何時も何時も!

「恭也!はやてに『辛いことは辛いって言え』っつったのはテメーだろうが!何普段通りのボケ面晒してんだよ!」
「失礼な。誰がボケ面だ」

 落ち着かせる様にしがみ付くはやての頭を撫でながら、ヴィータに向かって見て分かる程の苦笑を表す。

「話を戻すが、それは精神的に疲弊していた時期に何の根拠も無く浮かんだ、普通に考えれば有り得ない様な単なる妄想だった。
 思い付いた時には一笑に付したんだ。
 頭から離れなかったのは事実だが、その頃に知っていた共通点は年齢と容姿だけだったしな」

 シャマルは言葉が途切れた恭也に制止の言葉を掛けるべきか迷った。
 人に話すことで心が軽くなる事がある一方で、口にする事で曖昧だった思考が明確な形を持ち、心を傷付けることもある。
 悩んだ結果、結局シャマルは止める事を止めた。ここまで感情も思考も隠されてしまっては悩みの相談に乗ることも出来ない。恭也が悩んでいない訳が無い、それを知っていて放置できる程、恭也との距離は離れていない。

「過去形なのは、想像の域を出るだけの証拠が揃った、と言う意味かしら?」

 シャマルの補足するための質問に恭也が頷き、話を続けた。

「未だに面識もないが、その人物についての情報は増えていった。
 名前は高町恭也。大学生、男性、一般人からは掛け離れた身体能力を持つ格闘技経験者。
 父・士郎、母・桃子、恐らく妹・美由希、そしてなのは。
 たったこれだけの情報だが、一致する符合が多過ぎた。
 名前や身体能力は勿論、正確な年齢は聞いていないが、大学生なら二十歳前後、俺がこの時代まで順当に歳を重ねたとすれば一致する。
 俺の父の名も士郎と言い、妹の様に一緒に育った親戚は美由希と言う。
 母は違うが、逆に高町桃子が二十歳前後の子供を産んだと言うのは無理がある程若く見えた。後妻と考える方が妥当だろう。
 つまり、本物の不破恭也は10年前の火事で生き残り、不破士郎、御神美由希と共に消息を消して家族として過ごし、後年、士郎が桃子と再婚し高町なのはが生まれ、現在に至る。それが本来の歴史ではないかと考えている。
 高町姓が消息を絶つ為の手段なのか、再婚した際に母・桃子の家に婿入りした為かはわからないがな」
「では、お前と言う存在はどう説明を付ける?」

 シグナムが感情を殺した声で問い掛けた。先ずは恭也の考えを全て吐き出させる積りなのだろう。

「さあな。
 自然発生した異常の塊でも構わないが、御神の戦闘力を欲した組織が作成したクローン体の方がまだ現実的か?
 何れにせよ、シャマルから酷似した世界は存在しないと、観測されたことは無いと聞いている。そして、この世界に高町恭也が存在している以上、俺は高町恭也の偽者と言う事になる。
 クローンなのか、生霊なのか、ドッペルゲンガーなのか、もっと他の何かなのか。何であるにせよ、“高町恭也以外の何か”だ」

 はやては、自身を偽者扱いする恭也に対して、不満げな顔ながらも今度は止めることはなかった。

114小閑者:2017/07/16(日) 18:07:29

「続き、あるんやろ?」

 続きを促すはやてを恭也が見返す。意外だったのだろう。

「恭也さん、自分の事は我慢出来てしまうやん。それはそれで不満やけど、恭也さんが気にしてるんは違う事やないの?」

 不機嫌そうな表情に不安と心配が隠しきれず透けて見えるはやてを恭也が見詰める。その視線を順に他の4人に移すと、浮かべる表情こそばらばらだが垣間見える感情が同じである事は直ぐに察した様だ。

 恭也がゆっくりと息を吐き出す。
 気持ちを落ち着ける様に、噛み締める様に。

 はやてはこれ程はっきりと感情を顔に浮かべる恭也を初めて見た。こんな話の最中だと言うのに顔が熱い。
 不機嫌な表情を維持できなくなり、恭也から顔を隠すために釘付けになる視線を恭也の顔から引き剥がすと、それが自分だけではない事が分かった。ヴィータからシャマルまで幅広い年齢層に有効とは恐ろしい限りだ。
 唯一の救いは、それが性別の壁を超える事がなかった事か。ザフィーラに人の姿をとる事を禁じずに済んで本当によかった。
 はやてが視線を戻すと恭也は既に平静を取り戻し、皆の様子に気付くことなく続きを語りだした。

「最初にこの可能性に気付いた時には悩まなかったとは言わないが、開き直るのにさほど苦労はしなかったんだ。
 何であれ俺はここに居て、“個”としての自分を自覚しているからな。直ぐに高町恭也の偽者であろうと構わないと思えるようになった。
 だから、俺が“高町恭也の記憶を持っている何か”であっても、それはそれで構わなかったんだ。
 思い付いた時に一笑に付した理由はそれだ。
 強がりではなく、そう思えるようにはなったのはこの家に住まわせて貰っているからだろう。…本当に感謝している」

 恭也が照れ隠しの為に付け足す様に、紛らわせる様に呟いた感謝の言葉については誰も触れなかった。本心からの言葉を茶化す者などここには居ない。
 恭也も何も無かった様に、しかし、改めて感情を消した声で続きを話し出した。

「自分自身の存在については一応の結論を出せたんだが、その後、記憶と現実の齟齬に気付いてしまった。俺にとってはこちらの方が余程大事だった。
 高町士郎の娘である高町なのはが今年9歳になるそうだ。これでは10年前に一族が滅亡してから1年と経たずに不破士郎が再婚したことになる。
 御神の流派に名を連ねる者が、ただの事故だと言う証拠を並べられた所で襲撃である可能性を無視するとは思えない。必ず周囲を巻き込む危険を考えて暫くは身を隠すはずだ。
 俺が知る限り、不破士郎は巫座戯た言動や子供の様な振る舞いをする事はあっても、周囲の人間を危険に晒すことは極力避けていた。結婚を考えるような相手であれば尚更だろう。
 あるいは高町なのはが高町桃子の連れ子で不破士郎とは血縁が無いのかもしれないが、流石にそれを本人には聞ける訳が無い。
 この矛盾に気付いてからの方が、高町恭也の偽者説を真剣に否定しようとしたよ」
「…何故だ?記憶と現実がずれているなら、お前が高町恭也とは別の人間であるということだろう?
 それはお前が観測されていない近似した世界の住人と言うことになるのではないのか?」
「可能性は勿論ある。だが、俺は悲観的な精神構造をしているようでな。
 誰も観測したことの無い世界の存在よりは、有力だと思える説を思い付いた。
 俺の記憶が間違っている可能性だ」
「…何?」

 シグナムには返された答えの意味が理解できなかった。自分の抱いていた父親の人物像でも間違えているというのか?
 シグナムの考えている事が分かったのか、恭也が苦笑交じりに補足する。

115小閑者:2017/07/16(日) 18:08:05

「間違いの程度にも依るんだがな。
 俺の父親がどうしようもない碌でなしだったと言う程度でなかった場合、俺の記憶が全て間違っている可能性が出てくる。
 高町恭也の記憶を元にして、俺自身が記憶を改竄している、或いは俺を製造した者の意図によって改竄した記憶を持たされている可能性だ。
 常識的に考えれば有り得ない内容ではあるが、俺の知る常識には魔法など無いし、その非常識な魔法でさえ近似世界を否定しているとなれば、“俺の存在していた世界”こそが有り得ないんだろう。俺が偽者であった場合、俺の家族が何処にも存在していなかったことになると思ったんだ。
 転移してきたのが俺しか居ない以上、答え合わせのしようが無いからな」
「それは、…悲観的に過ぎるだろう」
「そうか?ザフィーラだって知っているだろう。元々人の記憶は時と共に本人の都合の良い様に変質して行く物だ。
 人間は記憶の“忘却”や“変質”が出来なければ生きて行くのが難しいらしいからな。
 第三者に依るものだとしたら何の意味があるのかはわからないし、俺を放置したままにしている事は説明がつかないが、どちらも相手の都合であって俺の状態とは直接関わりが無いから無視した。
 だけど、まぁ、俺もこの記憶が、覚えている家族が存在しないなんて事はあって欲しくはなかった。だから、今日、高町恭也の父と妹の名前を聞くまで偽者説を否定し続けてきた」

 淡々と語る恭也がどの様な心境なのか、はやてには想像しきれている自信がない。

「だけど、今日、高町家が経営している喫茶店で聞いた士郎と美由希と言う名前は無視する事が出来なかった。
 “頭から信じていない”態度として、“疑う”態度もとらない様に意地を張っていたんだが、軟弱なことに名前を聞いてからは確かめずにはいられなくなった。
 喫茶店を出た後、止せば良いのに、以前高町なのはを送っていった時に知った高町の家へ家捜ししようとして行ってみたら、偶然、玄関の前で美由希に会った」

 美由希の母である美沙斗に良く似た女性。
 10代半ば辺りまで成長した美由希を想起させる、美由希の面影を持った女性。
 気配も仕草も驚いた時の癖も、恭也がよく知る御神美由希と同じ、女性。

「もう、どんな言い訳も思い浮かべる事は出来なくなっていた。
 それでも、記憶の齟齬が小さいものであると思いたくて史実と記憶を突き合わせることにした。
 図書館でもう一度過去の新聞記事を確認したんだ」

 誰にも声を掛ける事が出来ない。予想出来る話の結末に反して、未だに恭也は口調からも表情からも感情を隠しきっていることが、痛々しさを助長している。

「判明するのに時間は掛からなかった。火災事故の一番最初の記事に載っていた。前回閲覧した時に気付かなかったのが不思議なくらいだ。
 結婚式の日取りが、俺の記憶より3年早かったんだ」

 恭也が何度目かになる大きく息を吐き出す姿を見てもはやては口を開かなかった。
 もう、恭也が完璧な人間であるとは思わない。これほど不安を抱いて揺れている姿を見ればそんなことは思えない。
 それでも、期待してしまう。まだ、恭也の目が全てを諦めているようには見えないから。

「…記憶を共有してくれる人がいない今の俺には、物心ついてからの数年間が全て幻だった可能性を否定する事が出来なくなった。
 …今となっては想像も出来ないが、もしもあの時気付いていれば、近似した世界の存在に縋る事も出来たのかもしれない。
 …でも、今は無理だ。どれだけ思い込もうとしても出来そうにない。

 それでも、嫌だ。
 死ぬのは、仕方ないと思う。生きていて欲しいとは思うけれど、永遠の命なんて無いんだ。少しでも幸せだと思える事が多くあってくれる事を願うだけだ。
 でも、あの人達が存在しなかったなんて事は、絶対に嫌なんだ」

 起きてしまった事実の説明ではなく、感情を源とした拒絶の意思。
 淡々とした口調のままではあるが、自発的に恭也から明確に感情を示す言葉を聞いたのは誰もが初めてだった。

「だから、これから探そうと思っている。俺の居た世界が存在している証拠を。出来ることなら帰る方法を」
「…え?」

 この状況で尚、思考を放棄していない恭也の言葉に、しかし、はやては安堵する前に自分の耳を疑った。
 帰る?何処へ?そんなの決まっている。そうか、恭也の家は、ここではなかったんだ。

「…わっ!?なに!?」

 突然髪を掻き混ぜるように頭を撫でられた事に驚いて顔を上げると、苦笑を浮かべた恭也に見つめられた。

116小閑者:2017/07/16(日) 18:08:35

「探すと言っても何の当ても無いんだ。
 魔法の発展していないこの世界に、その手の資料など有る訳が無い。だから、頼るとすれば魔法の世界の警察機構だが、存在することはシャマルから聞いたが伝どころか連絡手段すら分からない。
 結局、現状維持と全く変わらない」
「そうなんか!…ごめんなさい」
「いいさ。そこまで慕われていると悪い気もしないしな」
「うぅ」
「フッ。
 だが、逆に言えば仮に帰る手段が見つかったなら、それは千載一遇の機会だ。連絡する余裕があるとは限らない。状況にも依るが飛び付く事になる。
 不義理となることは承知しているが、突然消息を絶ったらこの関係だと思ってくれ」
「なっ!てめぇ、散々世話になっておいて挨拶も無しにトンヅラするってのかよ!」
「ヴィータ、あかん、やめて!ええねん!恭也さんが帰れるならその方がええに決まってる!」
「良いことなんてあるか!そんなの納得できねぇよ!シャマル!シグナム!ザフィーラ!何で黙ってんだよ!」
「…我々が、闇の書があるからか?」
「ザフィーラ?」
「闇の書が何か関係あるの?」

 ザフィーラの発言にヴィータが怒気を抑え、はやてが問い掛ける。

「…想像でしかないが、治安機構であれば過去に犯罪に関わった物品を所持していることは処罰まで行かなくとも、取り締まりの対象になるんじゃないか?」
「そんな!うちらは何にも悪いことしてへんよ!?」

 恭也の疑問に反論したはやての言葉に4人の表情が硬くなるが、幸い恭也を注視しているはやての視界には入っていなかった。
 恭也も承知しているため、はやての視線を固定するために正面から見つめながら言葉を続けた。

「知っている。
 だが、はやてより前の持ち主全員が善人ではなかったとも、シャマルから聞いている。
 日本では登録する事無く拳銃を所持していれば取り締まられるだろう?
 事件が発生してからでは被害が防げない以上、ある程度の規制は有効な手段だ。
 実際にその組織がどういった行動を採るかは分からないが、内密にしておくに越したことはない」

 はやてにもその理屈が十分に理解できることを承知している恭也は、優しくはやての頭を撫でて間を取ると言葉を足した。

「あまり深刻に考えないでくれ。
 そもそも魔法関連の治安機構に連絡が取れるかどうか分からないし、取れたとしても元の世界に帰る手段があるかどうかは分からないんだ。
 存在の立証はして貰いたいが、それすらも難しいのかもしれないしな。
 帰る手段が見つかったら、せめて連絡を取れる時間くらい貰える様に話してみるさ」
「…うん。見つかるとええね」
「ああ。ありがとう」







「それで、何処まで本気なんだ?」

 恭也に問い掛けながら、はやての入浴中に行うこの密談めいた遣り取りも回を重ねたな、と妙な感慨に浸るシグナム。
 ヴィータはほぼ毎回一緒に入浴しているとして、シグナムかシャマルのどちらかがはやての補助として付くことになる。
 基本はシャマルが、はやてに指名された日にシグナムが当たるため、自然にはやてに聞かせられない情報の遣り取りを恭也とするのはシグナムである事が多くなる。

「普通、事実確認から始めないか?」
「あれが嘘だとは思えなかったがな。だがまあ、確かに手順としてはそちらからか」

 密談の割にはシグナムにも恭也にも人型のザフィーラにも固い雰囲気はない。気負っても状況が改善される事が無い以上、家では無用に硬くなるべきではないとの恭也の提案を受けての事だ。

117小閑者:2017/07/16(日) 18:09:10

 ちなみに、恭也の隠し事の対価としていたヴォルケンリッターの秘密、闇の書の作り出したプログラムである事は既に明かしてある。
 恭也の反応は「そうか」の一言。予想はしていたものの流石にヴィータが「他に反応は無いのか!」と言うと、悩んだ挙句「凄いな」だった。
 自身が人間どころか生物ですらない可能性さえ受け流して見せたのだから当然の反応と言えるが、驚きさえしないとは。
 唯一シャマルだけが、恭也の精神が飽和しかけている事を危惧していると解散した後に思念通話で全員に伝えてきた。
 転移して来た事を含めてこの一ヶ月に恭也が体験したことは通常なら有り得ない事ばかりなのだから危惧して当然の内容だが、転移した直後から恭也を見続けているシグナムは元々こうなのでは?と密かに疑ってもいた。

「良いけどな。
 先程話した内容については、9割方本当だ。違うのは管理局に伝があること位か」
「伝だと?知り合いが、いや、何処かで遭遇したのか?」
「…ここは少し位は疑うべき所じゃないのか?」
「疑う?お前をか?
 フッ、お前にしてはユーモアに欠けた冗談だな」
「…もう良い。くそっ」

 恭也が失笑するシグナムとザフィーラに照れ隠しに悪態を付く。随分態度に感情を表す様になったなと言葉にする事無く、ザフィーラが感慨に浸る。

「話題に出した高町恭也の妹、高町なのはが管理局に関わっている。立場は嘱託魔導師、民間協力者だな。恐らく、あなた達が昨日の夕方に交戦して蒐集した対象だ」
「知り合いだったのか。それは、」「謝るなよ?」
「…そうだな」

 自分達のしている事は友人知人でなかったとしても赦される事ではないのだ。ならば友人知人が相手であったとしても謝罪するのは筋が通らない。

「高町家では魔法使い、魔導師だったか?それは高町なのはだけの様だ。魔導師の才能が血筋に遺伝するものなのかどうかは知らないが、少なくとも魔法を使える者は1人の様だ。
 ただし、高町の友人の内、少なくとも2人は魔導師だ。
 ユーノ・スクライアとフェイト・テスタロッサ。2人とも高町と同年代。
 スクライアは男で結界を得意とする様だ。他の魔法を使っている所は見た事が無いから、隠しているだけなのか使えないのかは分からない。
 テスタロッサは女で、魔法を使用している所は見た事が無いから分からない。格闘技は多少齧っている程度だ」
「格闘技経験まで分かるのか?」
「シグナムだって、立ち居振る舞いで多少は分かるだろう?もっとも、テスタロッサに関しては挑発して交戦したんだから自慢する程のことではないがな。
 その時は無手だったが、武器を使用するタイプだろう。射程は1m程。武装は恐らく両手で扱うタイプで刺突には向かない物だから剣や槍ではなく、斧かそれに準じた形状。柄まで含めれば身長とほぼ同じ長さ1.3mといったところか。
 心当たりはあるか?」
「…ある。男の結界は薄い緑色、女の方は腰に届く位の金髪だろう?」

 頷いて返す恭也を眺めながらザフィーラは思う。“これ”を量産していたと言う事は、この国も実はあまり平和ではなかったのでは?

「提供できる情報はこんなところだろう。
 誘い出す様な類の手伝いは必要ないな?
 活動を続ければ嫌でも交戦することになるだろうし、俺の行動にも差し障る」
「ああ、テスタロッサとは遠からずぶつかることになるだろう。
 だが、お前の行動とは?」
「はやての治療について別の手段がないか探そうと思っている。
 差し当たっては管理局に情報が無いか探る積りでいる」
「…理由は?」
「あなた達の活動が破綻した時の保険だ。犯罪以外の方法が見つかるならそれに越した事は無いしな」

 確かに管理局と明確に敵対した以上、蒐集活動が破綻する危険は飛躍的に上がっている。1対1で負ける積りはないが、多数を相手にすれば不測の事態は必ずあるだろう。“質”が力である様に“量”も間違いなく力なのだ。恭也の考えを否定するほどシグナム達も管理局を低くは評価していない。

118小閑者:2017/07/16(日) 18:09:51

「薮蛇になる可能性もあるぞ?」
「それについては後でシャマルに相談するが、リスクを背負うだけの意味はあると思っている」

 ザフィーラの当然の懸念にも恭也が動じる様子は無い。
 ザフィーラもシグナムも、恭也が承知して尚行動すると言うなら止める積りは無かった。蒐集についても綱渡りである事に変わりは無いのだ。その方針を認める位には恭也のことも信頼している。

「突然音信普通になってもはやてに訝しがられない程度の言い訳はした積りだ。
 あなた達も外で、管理局に縁のある者がいる所で俺と出会ったら他人として接してくれ。ヴィータやシャマルにもその様に」
「わかった。
 …元の世界に戻る方法を探すと言うのも本当なのか?」
「ああ、本当だ」

 即答した恭也に問い掛けておきながらシグナムは言葉を返す事が出来なかった。それは恭也にとって、何より優先しなくてはならないだろう事だから。
 ザフィーラにもそれが分かっていたが、おざなりにする訳にはいかない内容である事もまた、分かっていた。

「…それが、主の利に反する事であった場合には、―――どうする、積りだ」
「さあ、な。
 まあ、あなた達が俺の行動をはやてに害成す物だと判断したなら、躊躇せずに切り捨ててくれ。精神的にも肉体的にもだ。
 …迷うなよ?」

 恭也の挑発的とも取れるその言葉は、内容に反して2人には懇願されている様にしか聞こえない声だった。




続く

119小閑者:2017/08/06(日) 23:48:00
第14話 接近




 フェイトは心此処に在らずと言った表情のまま、帰路に着いている。先程まで恭也と過ごした夢の様な時間が原因である事は明らかだ。

「フェ、フェイトちゃん、大丈夫?」
「余り気にしない方が良いよ?」
「…無理だろ、そりゃ」

 同道しているなのはとユーノの言葉を否定するのは子犬形態のアルフだ。犬の表情が読めないなのはとユーノには分からないが、アルフもフェイトと同じ心境なのだろうか?
 フェイトはゆっくりと首を巡らし、今、自分の心を独占している恭也の事を少しでも知ろうとなのはとユーノに問い掛けた。

「…どうして魔法も使わずにあんな動きが出来るの?」

 言葉にしたことで思考が動き出したフェイトは、先程の、夢であって欲しい早朝訓練での恭也の体捌きが脳裏に鮮明に甦る。



 魔法の有無が圧倒的な優劣に繋がるのは、魔法の存在を知る者にとっては常識だ。
 御伽噺として正義の魔導師達一行が、自分達より高位の悪い魔導師を倒すという物語があるが、仮にこれが史実であったとしてもランク差を覆している訳ではなく数の暴力に訴えているだけである事は年齢を重ねて行く事で気付く事だ。勿論、コンディションの好・不調はあるためランク差だけで勝敗を決め付ける事は出来ないが、魔導師ランクとは保有魔力量、魔力の収束率、魔法の展開速度と言った魔法に関する物だけでなく、敵との駆け引きや使用する魔法の読みあい等の状況判断力も含めて評価している以上、簡単に覆らない事も事実なのだ。2つ以上ランクに開きがあれば容易にひっくり返すことは出来ないと思って良い。
 フェイトはその常識に則って恭也の実力を測っていた。見下していた訳ではない。相手とどのような関係であったとしても公正かつ厳格に見定めなければ、過剰に評価した結果戦場で命を落とす可能性があるのだ。相手の事を思うのであれば尚更正当に評価しなくてはならない。
 …別に評価に影響する様な感情を恭也に対して持っている訳じゃないよ?あくまで一般論だよ?
 フェイトは公園での魔法抜きでの対戦で遅れを取ったことは認めているが、魔法を使用すれば立場は逆転すると考えていた。魔法を使えない恭也に対して魔法を使う事で優位に立ったとしても自慢できる事だとは考えていないが、先にも述べた通り、絶対的な評価なのだ。
 だから、如何にレイジングハートが修理中の為にデバイスを使用していないとは言っても、なのはの誘導弾を大した回避行動を取っている様に見えないのに躱し続ける恭也の姿に唖然とした。フェイトもアルフも近接戦闘をこなす事は出来るが、恭也の動きは明らかに自分たちの、バリアジャケットの防御力に頼った動きではない。
 本調子ではないとは言え、なのはの腕が低い訳ではない。むしろ、PT事件後になのはとフェイトで本気で行った1対1での試合より格段に誘導弾の扱いが向上している。だから、フェイトの目から見てもヒットした様にしか見えない弾が何発もあったのに、被弾していない恭也こそ異常なのだ。だが、なのはに落胆した様子も驚愕した様子も見受けられない。つまり、この結果は2人にとって当然の事なのだろう。
 それどころか、恭也が回避運動中に時折放つ木の実がなのはの体に当たっている。なのはも決してその場に留まり続ける事無く空中を飛び回っているし、稀ではあるが反撃に気付いて対応しようとする事もある。フェイトが認識している範囲では努力も虚しく全弾命中しているが。
 だが、フェイトの動きと比較すれば劣るとは言え、なのはとて鈍重な訳ではないし直線的な機動を取っている訳でもない。恭也の飛礫が誘導弾では無い以上、なのはの動きに合わせて投擲して中てられるとは思えないので、なのはの動きを先読みして仕掛けている筈なのだ。それがここまで命中するものだろうか?

120小閑者:2017/08/06(日) 23:49:26
 フェイトとアルフが参戦していないのは、どの様な練習をしているのか見てからの方が良いだろうと恭也が提案したからだ。フェイトとアルフとなのはは額面通りに受け取ったが、ユーノは恭也の意図を察していた。
 魔法を使えない恭也に対して、アルフはともかく、フェイトがなのはと組んで本気で攻撃する事が出来ないと予想したのだろう。三つ巴で始めるのも手ではあるが、恭也への遠慮が無くなる訳ではない。
 空中へ距離を取って範囲攻撃でもしない限り、フェイトにもなのはにも恭也に勝てる要素はないと言うのがユーノの評価だ。勿論、魔法を知る者にとっては驚愕するべき内容だが、表現を変えるなら、恭也は相手が手の届く範囲に居なければ勝つ方法が無いと言う事だ。
 もっとも、なのはは以前恭也に「どうしても」と乞われて、上空から誘導弾を交えた砲撃で狙い撃ちした事があるが、恭也は20分近く逃げ続けて見せた。結末としてはディバインバスターの爆風でバランスを崩した恭也を誘導弾で打ち抜いた事で決着となったが、なのはが落ち込みまくったのは言うまでも無いだろう。それ以来この訓練は行っていないが、次回があれば間違いなく被弾までの時間を大幅に延ばしてくることは経験上明らかだ。

 フェイトが恭也への認識を改めた事を察したユーノが、交戦中の2人を止める事も、宣言することも無く、フェイトとアルフに参戦を促した。流石にフェイトが戸惑ったが、「恭也はその程度の不意打ちに気付かない様な可愛げのある奴じゃないよ」と言うユーノの台詞に、正確には台詞の直後に飛来してユーノが事前に張っていたシールドにぶつかり粉砕された木の実と、離れた所から聞こえた舌打ちに心底から納得した。既に不意打ちではなくなっていたが。

 この後、フェイトは即席ながらもなのはと連携しながら恭也に挑むが、当然のように軽くあしらわれて終わった。納得行かない、とバルディッシュに見立てた棒を持つとアルフと共に自身の得意とする近接戦を挑むが、それこそ文字通り恭也のテリトリーに踏み込む行為だ。結局恭也を捉える事が出来ずに、一発ずつのデコピンを喰らったフェイトとアルフは戦意喪失し、盛大に凹む事になった。(なのはは恭也に負ける事に慣れている)




 余談になるが、魔導師はデバイスがなくても魔法を使う事が出来る。ただし、単純な演算処理は一般的に人間の脳よりデバイスの方が向いている為、デバイスを使用する事で術の発動までの時間が短縮出来るし、威力・照準精度が向上する。敢えて使わない者はまずいない。
 また、デバイスは大別すると魔法が詰め込まれているだけのストレージデバイスとプラスして人工知能を載せることで魔法の補助や簡単な状況判断を行って自動的に魔法を起動する事も出来るインテリジェントデバイスの2種類となる。
 共通して言えることはデバイスには魔法が詰め込んであり、使用者の意志で呼び出して魔法を行使すると言う事だ。魔法と言うアプリケーションを使用するために外付けHDDであるデバイスからソフトを呼び出し、CPUとメモリを担当する術者が起動する。この時演算処理の一部をデバイスに任せることで威力と照準が上がる。結局人間が行うのは威力・照準・誘導となる。
 デバイスはAIの有無で分類されるが、それとは別に使用者の好みによりカスタマイズされる。例を挙げるなら、術者の負担を大きくしたのがなのは、逆に最小限にしたのがクロノ、例外に属するのがユーノだ。
 なのはは威力設定や照準を感覚で行っている。勿論、いい加減なのではなくその逆の成果が得られるためだ。
 射撃において弾丸は直進しない。これは質量兵器だけでなく魔力弾にも言える事だ。物質に作用すると言う事は物理的な力である、大気の流れ、惑星の重力、自転・公転の遠心力が魔力弾に影響を与えると言う事。如何に砲径が大きいとは言え誘導の利かない砲撃で長距離射撃を成功させる照準の算出はデバイスでも難度が高いのだ。そしてその不可能を可能とするものこそ、保有魔力量に隠れがちななのはの天性の勘である。

121小閑者:2017/08/06(日) 23:50:46
 クロノは魔法を使用する上で自分自身の役割を魔力タンクと割り切り、一切の手順をデバイス任せにしている。
 一見効率的に見えるこの方式を採る者が少ないのは、第一に熟練者にしか許可が下りないこと。この方式は例えるなら銃身の強度が低いのにマグナム弾を装填出来てしまうと言う事だ。そんなことをすれば当然自爆する事になるため許可制とされている。自身で魔法を起動すれば、不相応な威力の魔法はそもそも発動しないのだ。
 また、感覚に頼るところの少なくない魔法を完全に道具として扱う事が難しい事もある。術の使用をデバイスに任せているのに、魔法を使用する度に設定してある威力や弾速等をマニュアルで再設定していては本末転倒どころかマイナスになる。解決方法は至って単純で、デバイスに多種の魔法と豊富なバリエーションを登録しておき、必要な場面で必要な術を選択すれば良い。
 この点が選択のポイントとなる。一部の演算を自身で行うことで微妙な匙加減を感覚で行うか、僅かながらでも威力や発動速度を稼ぐ為に運用面で苦労するか。
 人間の“感覚”で最適化された加減がどれほど優秀であるかは、「生卵と鉄塊を力加減だけで掴み分ける事」だけを機械に再現させるために莫大な演算処理を必要とする事からも分かるだろう。
 適正の問題である為、選択そのものに優劣は無いが、それまで慣れ親しんだ方式を捨ててまでクロノと同じ選択をする者が決して多くないのが実情でもある。
 一方、ユーノはデバイスを使用していない。
 地球に来た当初はレイジングハートを所持していたが、持っていただけで正式にマスター登録はしていなかったし、今はなのはに託している。管理局局員であれば、少なくとも代わりのデバイスは持たされただろうが、ユーノには当て嵌まらない。また、PT事件はまだしも、今回はなのはに協力しているだけで、積極的に魔法戦闘に参加している訳ではないと言う中途半端な状態にある事も一因と言えるだろう。
 ただし、これらはユーノを取り巻く“状況”に過ぎない。デバイスを持たない最大の理由は、ユーノ本人がデバイスを必要としていない為だ。これはユーノの得意分野である結界魔法を始めとする補助魔法が簡単だからではない。逆に、結界や防壁は“破れてはいけない物”と言う意味では、消耗品である攻撃魔法より緻密で堅牢な構成を必要とする。デバイス抜きでそれを成し得るのは、偏にユーノ個人の演算能力がずば抜けて高いためだ。攻撃魔法の適正が低く、保有魔力量が特出していない為に目立つ場面が少ないが、魔法技能だけを見れば後に陸海空で若くしてトップエースと呼ばれるようになる3人娘に決して引けを取る事はない。
 後に無限書庫の司書長を務める事が出来たのも、デバイスに負けない演算能力と、莫大な記憶領域を併せ持つからこそと言える。




 自身の価値観や評価基準をボロボロにされたフェイトの姿は、恭也を見慣れているなのはにとっても自分の感覚が一般的でないことを認識させられる為辛いものがあった。尤も、魔法に触れるようになって半年ほどのなのはがフェイトより柔軟だったのは当然なのだが。

「恭也君みたいな事が出来る人なんてきっと他にはいないよ」
「そうそう。あんなの使い魔にだって余程の処置を施さなきゃ出来ないんだから、生身の人間には出来ないよ」
「…そ、そうかな?」
「この世界の人間全員が出来る訳じゃ…なのはもこの世界の出身だっけ。じゃ、キョーヤが異常って事で良いのかい?」
「随分な言い草だな。少なくとも前例が目の前に居るなら他にも出来る者が居ると思うべきだろう?」
「ゴキブリ見たいな存ざっっっくぅー!」
「背後を取られていながら大胆不敵だなスクライア」
「い、今凄い音がしたんだけど!?」
「だ、大丈夫?ユーノ君」

 後頭部を押さえて蹲るユーノになのはが声を掛けるが、幸いな事に恭也のデコピンを受けた事のないなのはにはどれ程の痛みなのか想像も付かない。出来れば知る事無く済ませたいと思ってもいる、切実に。

122小閑者:2017/08/06(日) 23:51:24
「まあ、実際の所、テスタロッサもデバイスとやらを持っているんだろう?高町はデバイスを持ったら誘導弾の数が5つに増えた上に軌道が鋭くなったからな。テスタロッサも同等と考えても良いんだろう?戦い方の相性にも依るから一概には言えないが俺を打倒するのはそう先の話ではないだろう。まあ、早い内に1対1で俺を打倒できるようになるんだな。
 いつも高町とテスタロッサが行動を共にしている訳ではないだろうし、俺と同等以上の体術を持つ者が複数現れたら今のままでは対応できないことになる」
「…痛たた、ふう。だから、そんな可能性まず無いんだから心配しなくても」
「そうだね。一応恭也君に対応する方法もあるにはあるんだし」
「?……まさかとは思うが本当に俺程度が他に居ないと思っている訳じゃないだろうな?
 待て、不思議そうな顔をするな。あと、高町、距離を空けて砲撃する事を言っているなら屋内で奇襲をかけられたら如何する積もりだ」
「あ」
「そりゃ絶対に居ないとは言わないけど、心配する程じゃないだろう?」

 平然と楽観論を口にするユーノから視線を転じるが他の3人も似た表情が浮かんでいる。実際ユーノやフェイトは、他の世界の人型の種族の中にはこの世界の人類と比べて筋力や瞬発力といった基本能力が高い種族が存在することを知っているが、それとてあくまでも基本能力であって技術ではない。恭也の様な存在が確認されていれば噂話くらいにはなっていてもおかしくないのだ。

「危機意識がそこまで欠如しているのは信じ難いんだがな。
 聞き方を変えよう。俺の体術が独学だと思っているのか?思っているのか…」

 言葉にするまでも無く表情で訴える4人に恭也が盛大に溜息を吐く。
 恭也も「考えた事もありませんでした」と主張する驚愕の表情には他にリアクションの取り様が無いのだろう。
 なのはが高町家に居ながら御神の剣士の身体能力を知らないのは、彼らがなのはに鍛錬風景を見せていないからだ。知らなければ広める事は出来ない。戦闘技能を持たない家族の安全を図るのなら当然の処置だ。
 辛うじて再起動を果たしたユーノが呻く様に呟く。

「恭也って生まれた時からそのままって言うか、ある時突然その姿で発生した様な印象が…」

 聞かせる為ではなく、思考を挟む事無く思い付いた事が駄々漏れになっている感じだ。この上も無く不用意と言わざるを得ないが。

「…ほう。すまなかったなスクライア。お前の事を路傍の石程度にしか認識していなかった」
「ヒッ…、き、気にしないでよ。そそそそんなに気迫漲らせて謝って貰わなくても、だじょぶだから!」
「謙遜する事はない。今この瞬間から昇格して殲滅対象にしてやろう」
「ええええ遠慮させて頂きます!僕は石ころですからー!」
「きょ、恭也!」

 豹変、と表現できる程に劇的に雰囲気を変化させた恭也にフェイトが気力を振り絞って静止の声を掛ける。アルフは大型犬に姿を変えて、フェイトの盾になれる位置で歯を剥き出し全身の毛を逆立てて恭也を威嚇している。
 恭也が感情の赴くままに発散するプレッシャーはジュエルシードにより凶暴化して襲い掛かってきた怪物のそれとは一線を画していた。あの時も命の危険は確かにあったが、在り方が“現象”に近く明確な意志を感じ取る事がなかったのだ。
 声も無く身を竦ませるなのはが一般的な反応であり、言葉を発する事が出来ただけでもフェイトは胆力があると言えるだろう。逆に言えば真っ向からプレッシャーを受けて一番萎縮してもおかしくないユーノが、多少どもりながらも受け答えて見せた事こそ特異なのだ。これは遺跡調査におけるトラブルで獰猛な肉食獣に追い掛けられる経験を何度も積んできた成果だった。
 怯えながら後退りする3人に対して、恭也はその場に留まったまま全身の筋肉を緊張させていた。ユーノに襲い掛かるための予備動作、ではなく、正反対に怒りに任せて襲い掛かる誘惑に必死に抗っている結果だ。
 いくらユーノが昨日の喫茶店に居合わせたとは言え、あの遣り取りだけで自分の発言内容が恭也の逆鱗を逆撫で、どころか毟り取るのに等しい行為である事を察するのは無理だ。そもそも、喫茶店に居た時よりも解散後に恭也が調べて回った結果として至った結論なのだ。明確に説明したことも無く、知らない内に進展している状況を「全て察しろ」では傲慢にも程がある。恭也もそれを理解しているからこそ何とか感情を抑えようとしているのだろう。問題なのは、論理も理屈も道理も無視して“触れた”という一事のみで怒り出すからこそ“逆鱗に触れる”と表現するのだ。感情の爆発を理性で押さえ付けるのは容易なことではない。

123小閑者:2017/08/06(日) 23:51:55
 恭也が何度も大きく深呼吸した後、ゆっくりと3人の方を見据える。感情のコントロールを取り戻すことには成功したのか、少なくとも3人の恐怖心を喚起した何かは発散していない様だ。尤も、だからと言って即座に恐怖心が拭える訳ではない。顔を向けることも出来ないなのはが最も顕著ではあるが、ユーノとフェイトにも全く余裕が無いし、アルフは臨戦態勢を解除する素振りも無い。

「怖がらせて悪かったな。
 だが、まあ、良い機会でもあるんだろう。
 俺が身体を鍛えているのは逃げ回るためじゃない、戦うためだ。人を傷つけ、殺すためだ。
 それを踏まえて、まだ俺と関わるかどうか決めてくれ。暫くは早朝訓練に来ないことにする」

 恭也の言葉には落胆も諦観も悲哀も寂寥も感じられない。当然の事、そう思っているのだろう。
 察したフェイトは、思ってしまう。その考え方こそ寂しいのではないか、と。

「慌てて結論を出す必要はない。時間を掛けて考えてくれ」

 それだけ告げて普段通り走り去っていく恭也に対して、誰も声を掛ける事が出来なかった。



            * * * * * * * * * *



「恭也さん、何かあったん?」
「…はやて、俺の生活が波乱に満ちていることは認めるが、流石に瞬間の連続で出来ている訳じゃないんだ。何の前触れもなく日毎に事件が発生していたら身も心も持たないぞ?」

 はやてが問い掛けたのは、恭也が4人を威嚇してから数日経ってからの事だった。
 恭也は宣言通り、あの日から合同訓練には参加していない。とは言っても単独での早朝鍛錬は続けているため生活スタイルには変化がない。また、本当になのは達の反応を当然のものと考えている様で、落ち込んでいる姿を見せたこともなかった。だから、恭也の遠回しな否定の言葉は至って正当な内容なのだが、それを聞いても彼を知る誰からも同意は得られないだろう。今現在何かの事件が発生していなかったとしても、次の瞬間には事件の渦中に居てもおかしくない。それが多くの者が恭也に対して持つ認識だった。そして、多数派に属しているはやては、普段から恭也の行動に目を光らせている。
 ただし、外部から得られた情報と恭也の態度から読み取れる物を秤に掛けると、後者の重みがまるで無いため、あまり重きを置いていないのだが。

「今日、図書館で会ったすずかちゃんから聞いたんよ。なのはちゃんとフェイトちゃんが落ち込んでるて」

 はやての口からなのはとフェイトの名前が出たことで一緒に聞いていたシャマルの表情が強張った。その2人が管理局側に属していることは恭也から聞いているため、自分たちの事が露見しないかと気が気でないのだろう。ヴィータが居ればもっとあからさまに動揺していたかもしれない。
 実際には、はやてはすずかとしか面識が無い。先日図書館から帰って来て「友達が出来た」と嬉しそうにすずかの事を話していた。すずかには親友が居て、折を見て紹介してもらえるとも。
 彼女達と面識がある事は恭也から告げている。管理局にヴォルケンリッターの存在が知られる可能性が高まるが、すずかの名前に何の反応も示さないのは不自然だからだ。
 恭也が八神姓を名乗っている以上、すずかから恭也の名前が出て来る可能性は十分にある。なのはやフェイトと八神家の繋がりは少ないに越したことはないが、不自然さを残せば心理的に確かめたくなるものだ。
 薄氷を渡る様な気分だが、だからこそ無用な綻びを作る訳にはいかない。

「高町とテスタロッサが?」
「心当たりはあるんやろ?」
「まあ、な」

 恭也の歯切れの悪さにはやてが苦笑を浮かべる。
 恭也が女の子、に限定する必要は無いのだろうが、酷い事をするとははやても思っていない。だが、本人が意図しなくとも他人を傷付ける事はあるだろう。恭也が女の子と仲良くしている図は面白くないが、何かの行き違いで恭也が悪く思われるのは嫌だった。

「何があったか、私に話してみ?こう見えても女の子の気持ちは恭也さんより詳しいんやよ?」
「俺より疎かったら流石に問題があるだろう」

124小閑者:2017/08/06(日) 23:53:01
 恭也の苦笑交じりの軽口を聞く限り、恭也が2人に対して怒っている訳ではないのだろうと察して、はやては安堵する。すずかが良い子である事は分かっているが、その友達が必ずしも良い子だとは限らないし、良い子であっても相性が悪い事だってある。紹介して貰える事を楽しみにしている反面、不安はあるのだ。伝聞だけで面識の無い相手の評価を決め付けてしまうのはいけない事だが、恭也が嫌う様な人物であれば不安要素が増してしまう。

「今回は一方的に俺の方に非があるんだ。
 会話の中で冗談交じりに、“おまえは子供の頃の姿が想像できないから、ある時突然その姿で発生した様だ”と言われてしまってな」
「あ…」
「大丈夫だ」

 表情を歪めるはやての頭を恭也が優しく撫でる。ゴツゴツした掌の感触が不安に揺れるはやての心を不思議な程に落ち着けてくれる。

「不意打ちで言われた所為で感情の制御が出来なくてな。咄嗟に手を出す事だけは堪えたんだが、殺気を抑える事までは出来なかった。
 実際にそれを言ったのは高町でもテスタロッサでもないんだが、その場に居合わせたから怯えさせてしまったんだ。
 誰にも悪気が無い事は分かっていたから一言謝ってその場を離れてからは、あいつらとは顔を合わせないようにしている」
「で、でも、恭也さん、折角友達出来たのにそのままでええの?」
「…高町達が冷静に考える事が出来るように時間を置いてから、もう一度だけ顔を合わせる積もりではいる。
 俺は自分の事を危険“物”だと思っているから、周囲の人間に俺と関わる事を勧める気にはならないが、判断するのは相手に任せている。勝手に決める様な独り善がりな真似は流石に傲慢だと思うしな。
 関わりたくないと言われれば従う積もりでいる。
 幸い俺の検知範囲はそれなりの広さがあるから相手より先に気付けば隠れる事も出来る」

 当然の事の様に告げる恭也にはやては掛ける言葉がなかった。
 恭也は煌びやかな面にのみ憧れて剣士の道を選んでいる訳ではない。人から忌避されることを承知していて、それでも尚、力を求めているのだ。どの様な在り方が人として正しいのかなどはやてには分からないが、恭也の決意が上辺の言葉で揺らぐ物でないことはわかる。
 恭也が目指す剣士の道が現代の日本では異質であり、存在を知られれば畏怖の対象となる事が、はやてには悲しかった。

「でも、その2人は落ち込んでるんでしょう?なら、恭也君の事を怖がってる訳じゃないんじゃないかしら?」

 はやての心情を察したシャマルが、2人に対してフォローを入れた。シャマルとて恭也が人から嫌われて嬉しい訳ではないのだ。

「どうかな。月村と高町達の遣り取りの内容を知らないが、月村が誤解している可能性だってある」
「もう、恭也君はどうしてそうネガティブなのかしら」
「まぁ、楽観的な予想で舞い上がっといて突き落とされるのは辛そうやけどね。でも、悲観的になり過ぎんでもええとは思うよ?
 ところで、その事件からどのくらい経っとるの?」
「…四日程か?」
「え、そんなに?向こうからも連絡あらへんの?」
「連絡先を知らないだろうからな」
「あほかッ!それじゃあ謝りたくても謝れへんやんか!何で携帯番号くらい教えたらんのや!」
「ああ、携帯か」

 その一言ではやてにも分かったが、あまり批難する訳にもいかないだろう。恭也には八神家に招いて直ぐに携帯電話を持たせているが、本人が所持している事に馴染んでいないのだ。下手をすれば存在すら忘れている可能性がある。
 また、はやては失念しているが、恭也は一族の性質上、おいそれと人を招く訳にはいかなかったことも一因だった。

125小閑者:2017/08/06(日) 23:53:32

「もう、いくらなんでも待たせ過ぎよ。落ち込んでるって言うのも連絡が無いから、恭也君に嫌われたと思ってるんじゃないかしら?」
「それは大袈裟だろう」
「何言うとんの!乙女心は繊細やねんで!?」
「はやてちゃん、すずかちゃんに2人の番号を聞いてあげたらどうですか?」
「それでもええけど、恭也さん、会って確かめたいんと違う?」

 恭也は即答する事無く、はやてを見る。その表情は相変わらずの仏頂面だ。少なくとも同席しているシャマルにはその顔から感情が欠片ほども読み取れない。はやての方をこっそり窺うと、こちらは誰が見ても分かりそうな程の嬉しそうな笑顔が浮かんでいる。“楽しそうな”でも“面白そうな”でも、無論“嘲る様な”でもない。はやての目には別の光景でも映っているのだろうか?

「大丈夫、別に恭也さんの感情を読めるようになった訳やないから安心しいて」
「…恭也君、そんな事を心配していたの?」

 恭也は無言。これはシャマルにも分かる、図星だった様だ。
 結局、恭也ははやての笑顔の理由について言及する事無く、先程の質問に答えた。薮をつつく様な迂闊さ、ではなく勇気が無いのだろう。

「そうだな、直接確認してこよう」
「え、今から?」

 腰を上げた恭也に今度はシャマルが問い掛けた。時間的には夕方に分類しても良いが、季節柄既に日が暮れかけている。少女達の自宅を知っている訳ではないが、辿り着く頃には完全に日が沈むだろう。

「ええやん、行かせたれば。
 恭也さん、あんまり遅うならん様にな?」
「…善処しよう」

 全て承知していると言わんばかりのはやての態度にそこはかとなく悔しそうな口調でそれだけ言い残し、恭也が外へ出て行った。
 玄関のドアが閉まった音を聞いてから、シャマルが先程の遣り取りについての疑問をはやてに問い掛けた。

「どうして、電話じゃダメだったんですか?」
「電話では表情が分からへんからな。万が一、罪悪感で付き合いを続ける積もりやったら断ろう思うとるんやろ。要らん心配やと思うけどな」
「じゃあ、こんな時間に押し掛けたのは?」
「落ち込んでるって聞いて心配になったんと違うかな?」
「…はやてちゃん、よく分かりますね」
「ふふ。すこーしだけな?」

 前向きな行動力と、後ろ向きな行動理念。
 一月と言う期間が長いのかどうか分からないが、始終仏頂面の恭也の考え方が朧げながら分かるようになってきた事が、はやての誰にも言わないささやかな自慢だった。



            * * * * * * * * * *

126小閑者:2017/08/06(日) 23:54:07

 クロノ・ハラオウンは結界の外で続けていた捜索活動が実を結んだ事を確信し、珍しく笑みを浮かべた。成果を得られた事に対してではない。これで結界内で奮闘しているであろう2人の少女を危険から遠ざける事ができるのだ。本人達の意志で参戦したのだとしても、やはり可愛い女の子を危険に晒すのは気が引けるものだ。それが、例え近い将来魔導師として自分を超えていく才能を秘めていたとしても。
 クロノはビルの屋上で結界の中心を見据える人物の背後に静かに降り立った。
 まだ気付かれていないはずだ。そのために、飛行速度と引き換えに飛行魔法の行使により発散してしまう魔力波動を隠蔽した上で、探査魔法の使用を控えて肉眼で探したのだ。
 足音を忍ばせながら接近しつつ、その人物を観察する。黒いシャツに黒いズボン、更には黒い髪と全身黒尽くめ。後姿だけだが恐らくは男性。背丈はクロノよりやや高いがせいぜい150半ば、成人男性としてはかなり低い部類だ。体格は細身に見えるがひ弱な印象ではない。
 そう。面識の無いクロノは知り得ようの無いその不審者は、なのはとフェイトに会いに行ったはずの八神恭也だった。



            * * * * * * * * * *



 恭也は八神家を出ると、まず高町家に向かった。高町士郎や高町恭也と会う事は避けたかったろうが、フェイトの家を知らない恭也には選択の余地がなかった。
 高町家まであと僅かの地点で恭也が空を仰いだ。視界に映るのは町の明かりに負けじと瞬く無数の星と、その夜空を一直線に突っ切る小柄な人影。
 一瞥しただけで猛烈な勢いで移動する人影がなのはである事を識別した恭也は直ぐに視線を下げると誤魔化すように髪をかき上げて一言愚痴を零す。

「緊急なんだろうが、短いスカートで空を飛ぶのは何とかならんのか…」

 挑発したり、話題を逸らすためには躊躇無く持ち出すが、10歳男子としては珍しくそういった羞恥心も持ち合わせているようだ。だが、なのはとて気にしていない訳では無いので、見上げられても見分けが付かない位の高度を飛んでいたのだ、一般人に対しては。

 ちなみに、恭也は不破家において特別に性知識を与えられていない。元服となる12歳に達していなかったからだ。親族の中には身体が育っているのだから問題ないだろうと言う者もいたが、士郎が承知しなかったのだ。
 御神の剣士に“性的な面に弱点がある”などと知られれば、どの様にでも利用してくる世界だ(全裸の刺客くらいなら可愛いものである)。つまり実質的に御神の剣士として働けない事を意味する。ひたすら銃弾が飛び交うだけの戦場であれば別だが、流石に戦場は御神の剣士が本領を発揮できる場面とは言えない。
 士郎は「恭也に色事なんぞ10年早い!」と言い張っていたが、士郎の妹である美沙斗曰く「兄さんは意外に親馬鹿だから」との事。

 恭也にとって、なのはが飛び出して行った以上高町家に訪れる意味は無い。そして、戦力の逐次投入などの愚を犯さない限り、なのはが出撃するならフェイトも向かっているだろう。そうなれば、恭也には今外を出歩いている意味がなくなる筈だが、八神家に戻るために踵を返す事無く、なのはが向かったであろう都心に足を向け走り出した。
 恭也は道すがら見つけた公衆電話に向かい、軌道を修正して携帯電話を取り出す。
 持っている事を忘れていたのだ。
 折り畳み式の電話を開き、登録してある5つの番号を苦労して呼び出し、八神家の固定電話にかけた。

「はやてか?恭也だ。
 以前話していた俺の居た世界に繋がる情報が得られる可能性が見つかったかもしれない。
 …慌てないでくれ、不確定要素ばかりを積み上げた話だ。空振りの可能性の方が高い。だが、空振りに終わるにしても追いかければ2〜3日帰れない可能性はある。
 シグナム達は戻ったか?…シャマルまで?
 …月村に相談するか。一応、姉の忍さんにも面識があるから多少話は通り易いだろう。
 …は?ああ、美人だぞ。念のために言っておくがかなりグラマーな方だが手を出すのは自重してくれ。…違うのか?…ああ、高町恭也の恋人らしくてな、人違いで声を掛けられた。俺の立っている所だけ30cm程高くなっていたんだ。そんな事確認して如何するんだ?
 まあいい。じゃあ、月村の携帯番号を教えてくれ。…?そんな機能もあるのか。
 …分かった、任せるよ。
 …ああ、ありがとう。頑張ってみるさ。一段落したら連絡するようにする」

127小閑者:2017/08/06(日) 23:54:41

 恭也は通話を切ると更に携帯電話の電源を落とし、ゴミ箱に捨ててあったビニール袋を失敬してそれに包むと、手頃な民家の垣根に音も無く駆け上がり道路にはみ出している太い枝の道路側から見難い位置に括りつけた。
 その家の位置をもう一度確認すると、通話中には息を乱さない様に抑えていたペースから、闇夜に紛れれば視認出来ない様なペースに上げて都心に向けて走り出した。

 恭也が都心に辿り着いた時にはかなり人通りが激しかった。オフィス街の終業時間をいくらか過ぎた頃合ともなれば当然だが、逆に言えばこの人だかりの傍で音も光も派手に発する魔法の撃ち合いなど行えば注目どころかパニックを起こすだろう。
 となれば可能性は2つ。なのはの目的地が高町家と都心を結んだ直線の更に遠方にある場合、もう一つは、普段朝の訓練でユーノが展開している結界と類似の物が張られておりその内部で戦闘が行われている場合。
 恭也は空を見上げると、手近にあった高層ビルへと入って行く。帰宅しようとするサラリーマンの他に玄関口には警備員も立っているが、恭也を見咎める者、いや目に留める者すら居なかった。
 そのまま堂々とエレベータと階段を使い最上階へ上り、屋上の鍵をピッキングで開けて外に出ると空を見上げて立ち尽くした。現場だろうと予想した場所に辿り着いたもののこれ以上能動的に動ける要素がなくなってしまったのだろう。
 恭也の立つ屋上に音も無く小柄な人影が降り立ったのは、程無くしてからだった。




            * * * * * * * * * *




 町の明かりが強すぎて星の光も擦れているこの場所では、男の視線の先には結界以外は何も無いはずだ。この第97管理外世界の住人であれば、仮に魔法の才能があったとしても研鑽していないため、結界を認識する事無く何も無い虚空を見据えていることになる。背後から見る限り闇の書は確認できないが、この状況でこの場所に居てこの体勢に在りながら無関係な一般市民などと言うことはありえない。
 クロノは恭也から適度な距離、近過ぎて反撃を受けず、遠過ぎて逃走されない、全ての挙動が視線を動かさずに視界に入る位置に辿り着くと、ゆっくりと魔法杖を構えて警告を発した。

「うごおわ!?」

 失敗した。声を発した時には彼我の距離が無くなり、咄嗟に傾げた頭の横を髪を掠めて恭也の拳が通過したのだ。
 クロノは硬直しそうになる体を強引に動かし、距離を取るべく辛うじて床を蹴った。

 何が起きた!?
 気付かれた事は良い。いや、良くは無いが推測できる。隠蔽し切れなかった魔力を感知されたか、忍ばせた積もりの足音を聞かれたんだろう。
 だけど、距離を詰めた方法が分からない。僕が立ち位置を定めた時には確かに十分な距離があった。少なくとも挙動を感知してから対応できるだけの距離だった。それなのに声を、いや、多分魔法杖を構えた時にはその距離が0になっていた。だが、挙動は勿論、魔法を使った事にも気付けなかった。
 一体何がどうなっている!?

 未知の技能に対する驚愕を着地するまでの短時間に押し込め、思考を戦闘に切り替える辺り、若くして執務官に辿り着いたのは伊達ではない。だが、眼前の被疑者、八神恭也を相手取るにはそれでも遅過ぎた。
 クロノのバックステップに合わせて距離を詰めた恭也が放った前蹴りは、クロノの鳩尾を捉えた。一切加減されていないその蹴りは本来であれば呼吸困難に陥るどころが肋骨数本を粉砕する威力があったが、喰らったクロノは恭也の追撃の拳や蹴りに反応し、紙一重ながらも以降の攻撃を躱し続けた。バリアジャケットが恭也の蹴りの威力を相殺していたのだ。だが、ダメージを受けずに済んだクロノは、反撃に転じる事が出来ずにいた。
 クロノが反撃しないのは、恭也の攻撃の継ぎ目に隙が無い事だけが原因ではない。最初に喰らった蹴りにバリアジャケットが機能したことに動揺しているのだ。

 バリアジャケットはバリアやフィールドを複合した物なので、弾く事より相殺して柔らかく受け止める性質を持つ。この機能は攻撃を受けた時に発動する訳だが、自動的に行われるため“何に対して”と言う設定が必要になる。空気を遮断する訳にはいかないし、能動的に物に触れなくなったり、戦場での緊急回避措置として仲間から突き飛ばされた時に発動しても困るのだ。そのため、大抵は“魔力を含んだ攻撃”と“一定以上の速度を持った物体”で設定する訳だが、近接戦闘にも長けているクロノは魔力の消費を抑えるために物理攻撃に対する設定を一般職員よりかなり高くしている。だから、明らかに小柄な恭也が魔力による底上げをしていない純粋な体術でそれ程の威力を発揮した事が信じられなかったのだ。

128小閑者:2017/08/06(日) 23:55:46
 だが、何時までも動揺を引き摺るクロノではない。体術はほぼ同等の腕前であるため、この劣勢を押し返すことは出来ないが、クロノは魔導師、体術に拘る必要は無いのだ。
 恭也の蹴りをS2Uを立てて受け止めると同時にそのまま上空へ向けて魔法を発動。威嚇ではない。放ったのは操作性の高いスティンガースナイプ。クロノの意志を反映した魔力弾は鋭い弧を描いて恭也の頭上から襲撃した。
 だが、反射的に魔力弾を視界に納めようと恭也が頭上を仰いだところをS2Uで殴り制圧する積もりでいたクロノの予想に反して、恭也はクロノの挙動を注視したまま上空からの魔力弾をバックステップする事であっさりと躱してしまった。クロノにとって信じたくない事ではあるが、誘導弾の軌道修正が間に合わない程ぎりぎりまで回避行動に移らなかったのは決して偶然ではないのだろう。
 だが、クロノにとっての本当の悪夢はここから始まる。屋上に着弾する寸前に弧を描かせて再度恭也へ向かわせた誘導弾を恭也が躱し続けたのだ。

 何が起きている!?
 この男からは幻術系を含めて魔法を使っているような魔力を感知できない。これが本当に純粋な体術なのか!?
 だけど、さっきの攻撃は僕にも捌く事が出来たんだ。ここまで非常識では無かった。
 手を抜いていたのか?この状況ではそれも考え難い。最初に喰らった蹴りは十分に人を殺せる威力があったし、手を抜いているかどうか位は流石に分かる筈だ。…まさか、この男、本来は武器を扱うのか?

 魔導師にとって、近接戦闘は手段の一つに過ぎない。アームドデバイスの担い手が多ければ事情が変わっていたかもしれないが、そう言った者はごく少数だ。また、平均的なミッド式の魔導師は砲撃を主体としているため、近接戦闘に持ち込まれれば勝率が極端に下がる。言い換えれば武装毎の対応方法を練習するより、中・遠距離での戦闘に持っていく方法を練習する方が実践的と言える。近接戦闘能力について高い評価を得ているクロノと言えど、習得した武装の種類によって現れる所作の違いを見分ける事は出来ないのだ。
 一方、誘導弾を躱し続ける恭也も決して余裕がある訳ではない様だ。複数の誘導弾を扱うなのはの攻撃にさえ、隙を見て飛礫を放ってみせる恭也がクロノの単発の誘導弾を躱す事に専念しているのがその証左と言えよう。飛針ではバリアジャケットに阻まれて有効打にならないと予測できるからではない。“無駄な事はしない”のと“試す事無く諦める”のは違う事は恭也とて知っているのだ。
 クロノとなのはの違いは誘導弾の運用法だ。常に直撃を狙うなのはと、回避姿勢を誘導する事で身動きの取れない姿勢まで体勢を崩そうとするクロノ。眼前の光景は生まれ持った才能の差を努力で埋めた結果なのだが、残念ながら当のクロノは知る由も無い。
 クロノは成果の得られない攻撃に見切りを付けるのにいくらかの時間を要した。体力の低下に伴い回避運動が鈍る事が無いと言う結論に至るための時間、と言う事にしたが実際には、思考が停止しかけていたのだ。
 敵の回避手段が魔法を使った他の方法なら切り替えも早かったのだろうが、あまりにも想定外に過ぎた。それでも、魔導師としてのプライドを粉砕する様な恭也の技能を初めて目の当たりにしたにも拘らず、意地になって誘導弾に固執する事無く柔軟な思考を保っている辺りは流石と言って良いだろう。
 クロノは誘導弾を維持したまま、新たな魔法の詠唱を始める。選択したのは直線的に進む火炎魔法だ。誘導弾をもう一発打つのも手だが、あの動きが上限とは限らない。

「フレイム・ブレード!」

 名前の通りの炎の剣を右から左へ薙ぎ払う。と、炎を突き破るようにして飛び出す物体を確認。すかさず先程の誘導弾をぶつけるが、予想通りデコイ(上着だろうか?)だった。持続時間の限界を迎えて誘導弾もそのまま消滅するが、クロノは拘泥する事無く屋上を見渡す。
 誰も居ない。

「…に、逃げられた…?」
『クロノ君のバカー!!』
「うお!?」

129小閑者:2017/08/06(日) 23:56:28

 間髪入れずに飛んできた執務官補佐兼管制官エイミィ・リミエッタの罵声にクロノが怯む。
 相手の目的が分からない以上、この場に留まり交戦を続けるとは限らないのだ。自分にとってリスクが高いと判断すれば逃走するのは当然である。
 得られた情報として魔法が使えない可能性が高かったため逃げ場の無くなる魔法を選んだ積もりだったが、暗闇に慣れた視力には炎の明かりは眩し過ぎた。普段のクロノであればこんなミスはしないがやはり恭也の戦い方が異質に過ぎたため動揺していたのだ。勿論、言い訳にしかならない事は承知しているため口にする積もりは無いのだが。

 待て、魔法が使えない?

 エイミィの続いて発せられる筈の批難の言葉が届く前に、クロノは魔法杖を、屋上において恭也があの位置から身を隠せる唯一の場所である給水タンクに向ける。すると、磁石の同極が弾かれる様に上着を一枚減らした恭也が現れた。如何に非常識な身のこなしが出来るからと言って高層ビルの屋上から逃げ出す事は出来なかったのだ。ただし、現れたと言っても両手を挙げてなどと殊勝な態度ではない。
 恭也は給水タンクから飛び出すとフェイントを織り交ぜながらクロノとの距離を猛烈な勢いで詰めていった。
 焦ったのはクロノである。先程の火炎魔法で自身の不利は理解出来ている筈なのにこれ以上無駄に足掻く意味が分からなかったのだ。勿論、反撃を想定して既に詠唱は済んでいるが、無駄な争いはクロノの好むところではない。目的は時間稼ぎなのか?

「これ以上抵抗するな!大人しく投降しろ!」
「馬鹿か貴様は!?何処の誰とも知らん様な子供に殺傷能力の高い武器を突きつけられた状態で大人しく出来る奴など居るものか!」

 無駄を覚悟で呼びかけたクロノの言葉に、きっちりと返答する恭也。勿論、この間も距離を詰めるために走り続けている。クロノは想定外の被疑者の台詞に思わず言葉に詰まるが言い負かされる訳には行かない。誰が子供だ!っじゃなくて!

「お前が攻撃してこなければこちらからも攻撃しない!」
「貴様が馬鹿なのはよく分かった。先程までバカスカ攻撃しておいてその台詞を信じる奴がいるなら紹介してくれ。詐欺の鴨にしてやろう」
「う」

 やはり無理だった。
 恭也に対して安全と言える距離があるかどうか分からないが、少なくともあと僅かで瞬殺されかねない距離(背後から近付いた時のそれだ)に達しようとしていたため、思考を一旦保留したクロノは飛翔して距離を稼いだ。
 それにしても“鷺の鴨”とは何だろう?どちらも鳥類とは言え別の種類の筈なんだが。

「分かった、高所からで悪いがここでデバイスを仕舞おう。これなら良いだろう?まずは話を聞いてくれ」
「なるほど、貴様の事を誤解していた様だ」
「やっと聞いてくれる気になったか」
「貴様が馬鹿なのではなく、俺を馬鹿にしていた訳だな」
「何故そうなる!?」
「デバイスとやらがなくても魔法を使える事位知っている」
「では、どういう条件なら話を聞いてくれるんだ?」
「そうだな、せめて俺にも反撃の機会はあるべきだ。屋上に降りろ。距離は俺が先制した時の倍の間隔を空けても良い」
「飲める訳無いだろう」

 話し合いに応じようと言う恭也の条件をクロノは即答で拒否した。
 デバイス無しで魔法を使用できる事を知っていると言う発言は、以前から魔導師との接触があった事を意味する。あそこまできれいに誘導弾を躱して見せた恭也に対して何を今更、と思うかもしれないが、「初見で躱すせる者が絶対に居ないか?」と問われた時に最前線で戦ってきたクロノは「存在する可能性はある」と回答するだろう。ユーノたちの「絶対に居ないとは言えない」と言う答えとは一見同じでありながら大きな隔たりがある。
 そして、“魔法について何らかの知識を得ている”被疑者が提示してきた条件だ。それはつまり、恭也にとって、仮にクロノが魔法を発動しようとした場合に対処できる距離であり、外的要因などで事態が悪化した場合にクロノを制して人質に出来る距離だと考えるべきだ。先程までの遣り取りが恭也の運動能力の限界だとは限らないし、飛び道具を所持している可能性も否定できないのだ。

130小閑者:2017/08/06(日) 23:57:05

「…まあ、いいだろう。これ以上は平行線にしかならんだろうしな。中央まで移動するぞ?」

 そう言ってあっさりと背中を見せる恭也に、クロノの方が唖然とする。

「よく僕に背中を見せられるな。挑発してるのか?」
「背面から撃たれた程度で喰らう程間抜けではない」

 想像を絶する自信家。クロノはこの被疑者がそれを装っているのだろうと推測する。
 先程の遣り取りも高圧的に振舞う事で少しでも有利な条件を引き出そうとしたのだろう。クロノ個人は好まないが完全に無力化してから尋問する事も手段として考えてはいたのだ。それを承知しているからこそ恭也は自分の提案した条件を蹴られても武力行使になる前に話し合いに応じてきたのだ。

「改めて言うぞ。投降しろ」
「…分かった。それなら、先ずは目的を言え。俺の持つ何が欲しい?あるいは俺の行動の何が邪魔だ?内容によっては譲ってやる」
「…何を言っている?」
「事実関係の確認だ。生憎と俺にはこの世界で大した事をしていない。誤解の無い様に補足するなら、あー次元、世界だったか?それを含めての事だからな?」
「巫座戯るな!たくさんの人に迷惑を掛けておいて、『何もしていません』だと!?」
「そこで抽象的な表現をするな。たくさんの人とは何処の誰で、迷惑とは具体的に何を指している?まさかとは思うが、お前は動物保護団体で1ヶ月近く前に野兎を狩った事を言ってるのか?それなら悪いが投降する訳には」
「巫座戯るな!!守護騎士を使ってリンカーコアを蒐集している事だ!!」

 のらりくらりと話を逸らせようとする恭也の態度にクロノが感情を爆発させる。一刻も早く守護騎士の行動を止めたいと言う想いが焦りとなって表れ始めていた。

「…大体分かった。高町がこの中でその守護騎士と戦っているから、近くに居た俺がその仲間として容疑を掛けられている訳だ。
 あー、お前さんひょっとして時空なんたらの社員?」
「時空管理局執務官クロノ・ハラオウンだ!最初に名乗っただろう!」
「名乗ってない、名乗ってない。まあ宣誓中に殴りかかって中断させたのは俺なんだがな。
 過ぎた事は脇に置くとして、どうしたものかな」
「さっさと投降してあの3人に戦闘を中止させろ!」
「俺が仲間だと決め付けている様だが、根拠は…なんて言ってても仕方ないな。
 仮に俺が仲間だとしよう。騎士と名乗るような連中が敵に捕まった仲間の、命乞いに見られかねない投降の呼びかけに応じると思うのか?俺の価値観からすれば仲間を切り捨ててでも目的を優先するぞ?敵に命乞いをするような者であれば尚更な」
「ただの仲間ならそうかもしれない。だけど闇の書の主であれば話は別だ」
「ここで新しい単語を出すか!?
 まったく、少しも進まんな。わかった、別の面からいくぞ。
 今この場で俺の容疑を晴らす方法は有るのか?」
「お前がこの場で闇の書を出して見せればいい」
「それ絶対、容疑を認める方法だろ!?」
「冗談だ、スマン。漸く冷静に成ってきた」
「無い袖は振れんからどうでも良いけどな」
「袖…?いや、関係ないか。
 お前が言いたいのはこういう事だな?
 お前が敵の仲間だった場合、白を切って容疑を否認されれば、僕にはこの場で敵の仲間である事を証明する方法は無い。
 無実だった場合には、同様に容疑を否認されるがこれも同じくお前の無実をこの場で明かす事が出来ない。
 つまり、僕は今この場に居ても事態は好転しない」
「ご名答、と言いたいが、お前達の価値観では時間が無為に過ぎる事は“悪化”とは言わないのか?」
「痛い所を付くな。だが、言った通りお前を解放する事も出来ないぞ」

 状況的に限りなく黒であるため半ば決め付けていたが、被疑者本人の否認を超えて断定するには証拠が足りず、だからと言って逆に、白だと証明する事も簡単に出来る訳が無い。つまり、保留にするしかない。そう結論付けた以上、クロノがこの場に留まるのは無為に過ぎる。先程から宣告している通り一時的にでも管理局に投降して貰うべきだ。

「仲間ではないと言うなら時空管理局の艦船まで同行してくれ。無実である事が分かれば直ぐに釈放する」
「断る」
「な!?何故だ!?」

 十全な説明をする前に事情どころか内情まで察してくれた事で協力的な行動を期待していたクロノは、恭也の拒否に動揺した。

131小閑者:2017/08/06(日) 23:57:39

「お前が時空管理局に所属している人物である確証が得られない。そもそも、俺の中で時空管理局と言う組織の位置付けが出来てない。
 高町とスクライア、会って間もないがテスタロッサの事も信用してやってもいい。だが、あいつらが所属しているからと言って、組織の全員が一枚岩だとは思えない。
 疑い深い性格だと言う自覚はあるが簡単に変わるとも変えたいとも考えていない」
「3人を知っているのか!?お前、まさか八神恭也か?」
「ご名答。無実の罪は晴れたか?」
「!…ダメだ。実証する術が無い。画像データでも受け取っていれば…」

 結界内で戦闘をしている2人は論外としても、内部で同じく書の主か4人目の守護騎士を探しているユーノを呼び出すのも避けたい。最優先はあくまで捜索だ。限りなく白に近いグレーのこの男に2人分の手を費やす訳にはいかない。
 任意同行に応じない事も責める気にはなれない。管理外世界において時空管理局など耳にした事が無くて当然なのだ。警戒されるのもまた然り。

「では、仕方が無いな」
「…残念だ。理性的な相手には話し合いで済ませたかったが、僕にも時間が無い」
「気にするな。選択を許さない状況などいくらでもある。今もその時なんだろう。そもそも勝てる積もりでいるのか?」
「無理だとは思わないが確かに勝つのは難しそうだ。だが、動きを封じる方法はある。この屋上をカバーする程度の閉じ込める結界なら僕一人でも張れる」
「やっぱりそう来るか。種明かししてるって事は準備万端だな?
 結局、本気になった魔導師には勝てないって事か。っくそ!
 ん?」

 クロノは恭也の台詞に言葉を返さなかった。上空に突如として発生した雷雲に凄まじい魔力が込められている事に気付き、それどころではなくなったのだ。
 あれはフェイトの扱うサンダーフォールの様に自然現象を魔法で促進させることで消費魔力以上の威力を発生させる天候操作魔法とは違う。落雷の形式を取っているだけで純魔力による攻撃魔法、分類するならサンダースマッシャーやディバインバスターといった直接砲撃魔法を遠隔地から放っている様なものだ。
 ただし、クロノが驚愕していたのは魔法の威力についてではない。下手をすればなのはのSLBと同等の威力の魔法を、恐らく守護騎士の最後の一人が単身で使用したと推測したからだ。
 その電撃魔法は、アースラの魔導師が総出で維持していた結界を破壊し、閉じ込めていた3人をあっさりと解放してしまった。




「次はぜってー潰してやるからな!」

 負け惜しみに近いその言葉をなのはに投げつけるとヴィータは身を翻して逃走を始めた。
 案の定、追い掛けようとしてくるが、典型的な射撃型であり、強固なバリアジャケットを身に着けているなのはは当然の弱点として、トップスピードに達するのに時間が掛かる。
 ヴィータは追いつかれることよりも遠距離からの射撃と他の管理局員の先回りを警戒しながら、シグナム達3人とは別の方向へ進路を取り、長距離転送を行えるだけの距離を取るべく飛翔した。
 いくらも進まない内に前方から魔力の残滓を感じ取った。視線を向けるとどちらも黒ずくめの似た背格好の2人の男がこちらに気付いて魔法杖を構えようとしていた。ここに居るはずの無い人物の事が脳裏を過ぎるが、アイツは魔法杖なんて持っていない、と自身に言い聞かせ、被弾しない様に最低限の注意だけをそちらに向けて飛翔を続ける。
 だが、2秒後には通過し、背景の一部でしかなくなる筈だったその2人に対して、ヴィータは無駄な接触を行う事になる。屋上にいるのが八神家ではやてと共に自分たちの帰りを待っている筈の恭也である事に気付き、動揺して飛行速度を落としてしまったのだ。
 一度は意識の外に置いた2人組みの内の1人が恭也である事に気付いたのは、屋上の中央で何の行動も起こさず立ち尽くしていた人物に不審を抱いて注意を向けたためだ。

132小閑者:2017/08/06(日) 23:58:12
 恭也は見つからない様にと傍観姿勢をとっていた事が仇になった事に気付くと即座に飛針を放った。「俺はお前の敵だ」と言う意思表示として放った飛針は、意図を少々上回る結果を齎した。8割近くの速度エネルギーを相殺され、先端の“点”に集中する圧力を分散された飛針は、殺傷能力を奪われながらもヴィータの額に到達したのだ。ただし、効果音をつけるならザクッ!ではなくスコーンッ!だったが。

「ホゲッ!?」

 間抜けな声を発しながら仰け反るヴィータをクロノが呆然と眺める。牽制で放った2発のブレイズキャノンを無造作に躱され、足止めに放ったスティンガースナイプをあっさりシールドで弾かれていなければ、ヴィータの実力を下方に評価しかねない情景だ。

「このヤロー!」

 驚きはしたがノーダメージのヴィータは、即座にグラーフアイゼンを振りかぶって恭也に殴りかかった。
 怒りに我を忘れた訳では無い。恭也が飛針に込めた意図を正確に読み取り、皆で交わした「蒐集途中に恭也に遭っても他人の振りをする」と言う取り決めを思い出したのだ。
 この攻撃は恭也と面識がある事を誤魔化すための行動であり、一中てしたら即座に離脱する積もりでいた。まともに決まれば恭也の脳天を陥没させる威力を持ったヴィータの縦一閃の一撃は、加減して管理局側に疑われないためであり、シグナムから聞いた恭也の技能を評価した結果であって、恥を掻かされた事についての八つ当たりが混ざっている訳では無い、きっと。
 恭也はヴィータの期待を裏切る事無く右足を引いて体を開いて躱し、しかし、反撃用に構えた右拳を振るう事無く、即座に床を蹴って間合いを開いた。その直後、グラーフアイゼンがその威力を存分に発揮した結果、ヴィータの狙い通り盛大に破壊された床材が散弾のごとく周囲に飛散した。
 建材を破壊した事で周囲を満たした粉塵が風に流されるより前に、自身の一撃のバックファイアを防ぐ為に自動的に展開されるバリア(攻撃魔法と同じ様にグラーフアイゼンに掛ける攻撃補助の魔法に最初から組み込まれている)の中でヴィータが呟く。

「化け物かコイツ…」
「その細腕で鉄筋コンクリートを粉砕する一撃を繰り出す幼女にだけは言われたくない。なんて理不尽な」

 ヴィータとて魔法を使えない者からすれば、自分の攻撃力が反則に見える事くらい承知しているが、魔法による底上げすらせずに飛来する拳大の破片を片っ端から両手で弾いて見せたこの男に言われるのは納得いかない。だが、逃走中のヴィータにとってこの遣り取りは、度し難い隙でしかなかった。

「しまった!」
「捕まえた!っえ、恭也君!?」
「…阿呆が」

 ヴィータの四肢を空間に拘束しているのは、後方から追い掛けて来たなのはのレストリクトロックだ。ヴィータからやや離れた位置に着地したなのはは、自分を挟んでヴィータの対面辺りに立つ予期しない人物に驚いていた。数日間、会いたくても連絡さえ取れなかった相手ともなれば尚更だろう。

「クソッ」

 ヴィータは自身の浅慮が招いたこの状況に歯噛みする。敵に拘束された事そのものより、それにより恭也に友人を裏切らせてしまう事が悔しかった。
 ヴィータは、恭也が管理局員に友人が居る事も、それが自分達の活動とは全く別に恭也が築いた関係である事も知っていた。恐らく、転移してきた事で生じた心身へのストレスの何割かは彼らのお陰で軽減できていただろう。だから、蒐集活動に直接参加しない恭也には、彼らとの友人関係を維持してほしいと思っていた。上辺だけになってしまうとしてもだ。
 恭也がはやての為に、そして恐らくは自分たち4人の為にも、それが必要であると判断した時には自分の持つあらゆるものをあっさりと捨ててしまう事を知っていた守護騎士にとって、ささやかながらも今の自分達が恭也に返せる数少ない物の筈なのだ。それをこんな事で!

133小閑者:2017/08/06(日) 23:58:58

「恭也君、どうしてこんなところに?」
「たまたま通りかかった」
「た、たまたま…?」
「ああ。ところで高ま」

 雑談がてら歩み寄る恭也の姿が、前触れもなくその場に居る全員の視界から消失した。なのはのバインドによって拘束している犯罪者に注意を割いているクロノは勿論、恭也を正面から見ていたなのはも見失った。だが、その事実に疑問を挟む余裕はなかった。なのはの右側面、直ぐ間近で何かを叩き付ける様な大きな音が、次いでなのはを挟んだ反対面で何かがフェンスに激突する音が響いたからだ。

 一連の出来事を俯瞰出来る位置に拘束されていたヴィータは、横合いから猛烈な勢いでなのはに飛び掛かっていった白を基調とした服装の人物に恭也が体当たりし、弾かれた襲撃者がフェンスに激突した事が分かった。位置関係上、恭也が体当たりするために距離を詰める姿は見えなかったし、寸前まで恭也が立っていた位置からするとどうやって距離を詰めたのか分からなかったが、腰を落とし左手で右肩を触るほど曲げた右手首を掴んで肘を突き出して、襲い掛かった人影の進路上に佇んでいればそう言うことなのだろう。

 ほうっておけば、お前が疑われずにアタシが開放されたかもしれないのに。

 そうは思うが、恭也に看過する事が出来ない事も分かっていた。あの人影が加減無しになのはに激突すれば、なのはが重傷を負っても不思議ではない勢いだったのだ。
 実際にはインテリジェントデバイスがバリアを張って緩和しただろうが、魔導師の特性に慣れていない恭也に咄嗟にそれを考慮して襲撃者の行動を看過しろと言うのは無理だろう。
 恭也と視線が合う。普段であれば強い意志の宿るその目から感じ取れるのは悔恨と懇願。
 ヴィータの心中に焦りが生まれる。
 恭也が感情を隠せないこと自体が異常な証拠と言っても良い。ヴィータは湧き上がる不安の正体を見極めようと恭也から感じる違和感を必死になって分析した。

 なのはは唐突に右手側に現れた恭也に驚きながらも、フェンスに激突している仮面の男との対比から自分を助けてくれた事を直感的に悟ると喜色を表して恭也に近寄ろうとして、漸く恭也の様子がおかしいことに気付いた。

「…恭也君?」

 身動ぎする事無く突き出した右腕に隠れて表情の見えない恭也に不安を覚えたなのはが呼びかけると、それに答えるかのように恭也が咳き込んだ。同時に水の滴る音。
 ゆっくりとくずおれていく恭也の姿を見てもなのはには何が起きているのか理解できない。したくない。
 だが、完全に倒れ臥した恭也から目を逸らし続ける事など出来なかった。

「イヤァーー!」
「なのは!しまっ!」

 クロノは自身の失策に舌打ちしたが後の祭りだ。
 なのはが拘束していた少女はバインドを打ち破り逃走してしまった。フェンス側に目を移せば、案の定、既に仮面の男の姿も無い。
 民間人と思しき男に負傷を負わせた上に、一度は拘束した守護騎士を逃がし、更には敵に加担しているらしき仮面の男まで逃がしてしまうとは。頻発する失態に自己嫌悪しながらも負傷した男、八神恭也を治療するためにクロノはアースラへの回線を繋いだ。




 2人の意識が逸れた瞬間にヴィータはなのはのバインドを打ち破り一気に離脱した。
 あの場でヴィータに出来る事は他に何も無かった。仮面の男との接触で恭也が負傷していることは直ぐに気付けたが、自分が手を差し出せば恭也が闇の書陣営である事を宣言するのに等しい。
 あの時恭也の視線にあった悔恨と懇願は、恭也がヴィータに助けを求めたのではない。ヴィータを助ける事が出来なくなる事を悔やみ、自力での脱出を願ったのだ。意識が途切れる瞬間までヴィータの身を案じていた恭也を見捨てて独りで離脱する以外に、恭也にしてやれる事が何も無かった。
 ヴィータにはそれがこれ以上無い程悔しかった。

「ちくしょう…
 チクショー!!」





続く

134小閑者:2017/08/19(土) 11:59:26
第15話 限界




 艦船アースラの艦長室では、部屋の主である時空管理局提督リンディ・ハラオウンへ先程の戦闘についてクロノとエイミィが報告に来ていた。

「…ヴィータと名乗った少女が逃走、同時に仮面の男も取り逃がしました」
「イレギュラーがあったとは言え見事な失態ね、クロノ執務官」
「面目次第もありません」

 今回のイレギュラーである少年の特異性は確かに異常と呼んでも差し支えない物だったとリンディも理解しているが、犯人逮捕が遅れる事がそのまま被害の拡大に繋がる以上、笑って許容する訳にもいかない。だが、本人がそれを理解し反省しているならば、それ以上の罰則を与えても意味がないと言うのがリンディの方針だ。事件が解決した後であるならまだしも、今この時に無駄に時間を浪費して良い筈がない。

「それでエイミィ、彼、八神恭也さんの容態は?」
「命に別状はありませんが、軽傷と言えるほどでもありませんね。
 肋骨を2本、左脇の辺りで骨折して肺に刺さっていました。意識を失う直前に吐血したのはこれに因るものです。また、全身の至るところで内出血を起こしていて、酷いところでは何箇所か肉離れや靭帯が伸びていました」
「全身が?大半の攻撃は躱していた様に見えたけど…。他にも躱しきれなかった攻撃があったのかしら?」
「いえ、残念ながら僕の攻撃は完全に躱されていました。ヴォルケンリッターの少女の攻撃も派生した飛礫まで捌いていましたから、彼に攻撃を加えられたのは仮面の男だけの筈です」
「じゃあ、あの回避運動はかなり体に負担の掛かるものだったと言う事?」
「そんな筈は…、少なくともスティンガースナイプを躱していた時には運動能力が低下している様子はありませんでした」

 リンディは勿論、クロノも恭也の治療の手配やヴォルケンリッターとの戦闘に参加していた局員の報告を受けるために先程のそれぞれの戦闘の解析結果は聞いていなかった。だから、仮面の男との接触による外傷以外に恭也が負傷している事実に疑問を挟む。

「確かに、映像を解析した結果、結局クロノ執務官の攻撃は一度もヒットしませんでしたから、彼が受けた外傷は仮面の男がすれ違いざまに打ち込んだ肘打ちだけです」

 クロノの失態を強調するエイミィ。
 クロノには分かる。表情を取り繕ってはいるが今のエイミィの発言には他意しかない。
 頬を引き攣らせるクロノを見て満足したエイミィは説明を続けた。

「恐らく、仮面の男のなのはちゃんへの攻撃を妨害した時だと思います」
「?仮面の男の攻撃は肘打ちだけと言わなかったか?」
「そうじゃなくて、なのはちゃんの正面から瞬間移動してたでしょ?多分原因はあれだと思う」
「ああ、あれか。最初と最後に1度ずつ見たな。何か分かったのか?魔法じゃなかった様だから彼の固有技能なのか?」
「固有技能って言うか…、とりあえずこの画像を見て下さい」

 再生されたのは恭也が倒れる数秒前のシーンだった。
 なのはが敵の少女をバインドで拘束した後、恭也がなのはと言葉を交わしている最中に突然屈み込み、次の瞬間にはなのはの右隣に現れる。
 あの時クロノは敵方の少女に意識を割いていたこともあり唐突に消え失せた印象があったが、注視していれば屈み込む段階までは肉眼で捉える事が出来た。だが、それが確認できた事で新たな疑問が発生した。その姿勢に何の意味があるのかが分からなかったのだ。

「もう一度流します。今度は恭也君の姿が消えた瞬間から30分の1でスロー再生します」
「30分の1?…まさか」

 クロノの呟きは再生を始めた映像に注視する事で途絶えた。
 映像の恭也はなのはに声を掛けている最中に言葉を切ると、上体を前傾にして右足を大きく、左足を小さく引いたのだ。ちょうどクラウチングスタートで体を支える為に付いていた手を地面から離した様な姿勢まで体が傾くと地面を蹴って走り始めた。そして上体を起こす事無く“階段から転げ落ちる体を支えようと足を出し続けている”と言った走り方で、それでいて頭部と両肩はブレさせる事無く30分の1のスピードで進む世界の中を通常の動作速度で駆けて行く。スロー再生している事を知らない者が見たら、転倒していなければおかしいほど重心が前にあるため、合成かCGだとでも思うだろう。

135小閑者:2017/08/19(土) 12:00:03
 人間が移動する際に地面を蹴るのは、地面から返される反発力を得る為だ。そしてこの反発力は地面に垂直方向の力と水平方向の力の合力である。脚力(反発力)の大きさが決まっているなら、垂直方向に分散する力を減らす事で水平方向に働く力を増やせばいい。恭也の走り方は非常に理に適った物の筈だが、目の当たりにしたクロノは感嘆や感心より理不尽な想いが先に立った。彼を人類の範疇に括って良いのだろうか?
 クロノの思考を余所に、恭也が駆け出すのと同時にフレームインした仮面の男が飛び蹴りの姿勢で画面を一直線に分断する様になのはに向かっていく。そして男の倍する程のスピードで追い縋った恭也が腰を落とした肘撃ちの姿勢へと滑らかに移行し、男を弾き飛ばした。
 画面に映し出されている異常な光景の中で、男が恭也へ肘撃ちを放ち、一矢報いている事は評価されても良いのかも知れない。
 3人の間に沈黙がたゆたう。愕然としているのだろう、或いは呆然としているのか。
 沈黙を破ったのはリンディだった。

「…走ってたわね」
「…走ってましたね」
「…クロノ、あなたは恭也さんが魔力を収束している様子がなかったって言ってたわよね?」
「はい。少なくとも僕が対峙している間は一度も」
「…あまり辿り着きたくない結論に至りそうなんだけど」
「おそらく僕も同じ結論かと」

 リンディとクロノは交し合っていた視線をエイミィに向けると、苦笑いを返しながらエイミィが止めを刺した。

「はい。恐らくは生身で肉体の限界を超える程のスピードで駆け寄ったために耐久限度を越えた箇所が損傷したものかと」

 脳裏に浮かんだ否定して欲しかった想像をエイミィに肯定されたリンディとクロノは、少しの間、無言で自身の常識と葛藤した。原理としてはフェイトの使うプリッツアクションに相当する事になるが、当然ながらそれを生身で再現する者が居るなどとは想像した事も無かった。


 魔法による高速移動には2種類の方法がある。術者の肉体自体を加速し設定した座標へ移動させる方法と、術者の動作を加速することで行動そのものを高速化する方法だ。例を上げるならフェイトの使用する魔法の内、ソニックムーブが前者、プリッツアクションが後者となる。
 ソニックムーブは自身の位置と目標座標との最短距離を突き進む様な直線軌道を辿る程単純な魔法ではないが、その軌道を事前に設定する事には変わりが無い。だから進路上に魔力弾や人体に割り込まれれば衝突する事になる。無論、バリアジャケットがあるし、この魔法独自の防御壁も展開するためその事で負傷したりはしないが、“目的地に辿り着けない”という意味では失敗したことになる。当然移動距離が長くなる程その危険は高まるし、流れ弾の多くなる混戦でも同様である為、使いどころは意外に難しい。それでも駆ける足場が無い空中戦においては、高速行動魔法よりも高速移動魔法を選択する事になるだろう。
 ちなみに、適当な物体にこの魔法を掛けて弾丸として飛ばす事も出来るが、魔力運用上、効率が悪くなる上に非殺傷設定など出来ない為、管理局員で使用する者は居ない。
 一方のプリッツアクションは、行動そのものを高速化するため空中戦でこそ効果が期待できないが地上戦においては変化する状況に対応して行動を修正出来る分だけ有用性が高い。ただし、相応するだけ難易度も高い。身体を加速させれば慣性力や遠心力は勿論、棍棒で殴り掛かれば反動が帰ってる来るため身体強化が必須となるし、視覚や触覚など神経系の伝達速度も向上させる必要がある。何よりも、思考速度は魔法で向上させる事が出来ないため滅多矢鱈に加速させると制御できずに自滅する事になる。

136小閑者:2017/08/19(土) 12:00:44
 魔法が魔導師の意志と魔力により事象に干渉する技法である以上、その基盤となる自身の思考速度に干渉する事が出来ないのだ(イメージとしては自分の襟を手で引っ張って持ち上げようとする事に近い)。言い換えれば他者に干渉する事は出来るが、精神や思考への干渉には抗魔力が働くため被術者より余程高い魔導技能が必要になるし、連続して魔法を掛け続けなくてはならないため戦場で使用するのは現実的とは言えない。また、肉体の場合と同様に、加速する事で発生する熱を冷却する必要もあるが、デリケートな脳に対して行えば危険度が跳ね上がるのは言うまでも無いだろう。
 結局のところ、解決策は地道に訓練を繰り返して脳に高速行動を慣れさせるしかないのが実情だった。


 現実と常識に辛うじて折り合いを付けたクロノは、恭也との戦闘を振り返り矛盾している事に気付いた。

「待ってくれ。最初に僕が彼の背後から接近した時にも瞬間移動をしていたが、体を痛めた様子は無かったぞ。それとも何か違いがあったのか?」

 恭也に魔法を使わずに高速行動が出来る事については固有能力の様なものだと考える事にしたが、代償として肉体を損傷するのであれば多用は出来ない筈だ。仮に2度目に使用した時に限界を迎えたのだとしても、1度目とて相当な負担が掛かっていなければおかしいのだ。敵と対峙している時に負傷を隠すのは当然ではあるが、あれが故障を抱えた者の動きとはどうしても信じられなかったし、信じたくなかった。

「そう言えば、さっきもそんなこと言ってたけど何のこと?彼の姿を見失ったのはこの時だけなんだけど」

 言いつつエイミィがクロノと恭也の開戦当初の映像を再生した。
 画像では、恭也の背後から接近していくクロノが動きを止めた時点で恭也が振り向き、高速移動どころか寧ろ無造作と言える様な足取りで歩み寄り、クロノが魔法杖を構えるのに合わせる様に殴りかかっていた。
 空間投影ディスプレイを凝視していたクロノが、今度こそ驚愕に声を荒げた。

「な!?そんな馬鹿な!あの時は確かに突然目の前に現れて…!?」
「つまり、クロノに移動した事を認識させなかったと言うことね?
 …瞬間移動の件と言い、魔法抜きでどうやればそんな事が出来るのか想像も付かないわね」

 リンディは自身の知識に反している事であっても、クロノの言を否定しない。勿論クロノとて間違える事があるのは承知しているし、依存している訳ではない。だが、どれ程非常識な内容であろうと一考に値すると判断する位には信頼している。

「彼の能力については一旦保留にしましょう。目を覚ましてから確認を取れば済む事ですもの。
 それより、八神恭也さんが今回の件とどう関わっているか、クロノの意見を聞かせて頂戴」

 恭也の能力があまりにも異端であったため注意が向いてしまったが、現状からすれば些事でしかないのだ。重要な事は恭也が闇の書とどの様な関わりがあるのかだ。

「詳細は想像も付きませんが、今大事なのは闇の書との関係の有無でしょう。
 あの場面で登場して無関係とは考え難いですが、なのは達と交友があり、多少なりとも魔法の知識を得ている以上、闇の書側のスパイと断言しきる訳にもいかないでしょう。
 エイミィ、彼には魔力資質はあるのか?」
「辛うじて計測器が反応する程度だね。どれだけ効率の良い魔力運用が出来たとしてもFランク以上にはならないと思う」
「Fランクか…。闇の書の主の個人的な繋がりは残っていますが、少なくとも魔導書そのものとの関連は考え難いですね」
「そうね」

 魔導書と一口に言っても、魔法に関する知識が記載されているだけの本と、魔力を帯びていて魔法の媒体やそれ自体に“力”が宿った物とがある。そして、前者であれば知識の取得という使い道があるが、後者は魔導師ではない者にとって(過ぎた力に手を出すのが身の破滅でしかない事も含めて)“高価な本”以上の価値はない。
 魔法が未発達なこの世界で恭也が魔導書の力を認識して近付いたとは考え難い。また、保有魔力量の少ない恭也を闇の書が主に認定する事は有り得ないし、過去の記録を確認した限り、闇の書が創り出す守護騎士は既に交戦している4人だけだ。仮に表に現れていない5人目が居たとしても、魔導書が魔法の素養を持たない肉弾戦専門の個体を創り出すと考えるのは無理がある。
 犯罪者を作りたい訳ではないので「残念ながら」などとは口が裂けても言う積もりはないが、安易に一般人に分類出来る状況でもない。何より事件の早期解決への糸口を探している身としては、「無関係で幸いだった」とも言い難いのが正直な心情ではある。

137小閑者:2017/08/19(土) 12:01:35

「現状では判断材料が無いのでこれ以上推測を進めて先入観を持つのは危険ですね。こちらも保留するしかないと思います」
「やっぱりそうなるか。彼が回復するまで待つしかないわね」
「そろそろ目が覚める頃合ですから病室へ行ってみますか?」
「そうね。なのはさん達も居るんだったわね」
「はい。4人とも居る筈です」

 現在の切迫した状況と、本人の登場の仕方とその態度、更には特異な身体能力からすれば、恭也は間違いなく不審人物ではあるのだが、所々にそれを否定する要素があるため非常に悩ましい。
 クロノは知る由も無いが、その苦悩は恭也が八神家に居候するようになった当初、ヴォルケンリッターが味わったのと同様のものだった。



* * * * * * * * * *



<さて、嫌な事はさっさと済ませますか>



『ヒッ、イヤ、イヤァァァ!コナイデ!!』
『…無理ね…。
 ごめんなさい、恭也』
『いえ…、多分、当然の反応なんだと思います。予想は、していました。
 ゴメンね、フィアッセ。俺がもっと強ければ違う方法もあっただろうけど。
 さよなら』




『静馬さん、一手指南して貰えませんか?』
『良いけど、恭也君、朝から、どころかここ何ヶ月かずっとだろ?たまには遊びに行ったらどうだい?』
『ちゃんと休養は取っています。体を壊したりしませんよ』




『あれ?姉さんだけ?恭也君、兄さんは?』
『時間には戻るとは言っていたんですが…』
『また何かに興味を惹かれて彷徨ってるのか。
 まったく。本当に兄さんが恭也君の父親なのか疑っちゃうよ』
『…』
『一臣!そんな言い方があるか!』
『え?』
『お前には兄の偉大さを再認識させる必要があるようだな』
『ゲッ、兄さん何時の間に!?』



『おめでとうございます』
『ありがとう。私も何時までも恭ちゃんに捨てられた事を気に病んで俯いている訳にはいかないもの』
『あの、琴絵さん、そう言う冗談を一臣さんの居る前で言うのは流石にどうかと…』




<ん?途切れてる…。外傷、と心因性か?まあ戻りかけてる様だし、良いか>




『馬鹿野郎、人聞きの悪いことを言うな。余興の剣舞のことだ』
『何を企んでるの?』







『…死ぬな』






「うあああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」





* * * * * * * * * *

138小閑者:2017/08/19(土) 12:02:05


ガアアンッ!!

「なっなんだ!?」
「今の音、医務局から?嘘っ、壁越しに!?」

 リンディが医務局のドアを開ける寸前に響いた打撃音にクロノとエイミィが声を上げる。
 宇宙を航行する艦である以上、外壁の損傷時に隔壁の役割を兼ねる艦内の壁は当然十分な強度を持つように設計されている。更に医務局はそれなりに防音処置もされている筈なのだ。その異常性に動きが止まっていたリンディが急いで扉を開けると、そこでは想像もしていなかった状況が展開していた。
 備品が散乱し数名のスタッフが倒れ伏す中、立っているのは叫びながら壁も備品も区別無く手当たり次第に殴りつける八神恭也と、彼に向かって必死に呼びかける2人の少女だけだった。

「ああああああああああああ!」
「恭也君、目を覚まして!」
「恭也!もうやめて!手が壊れちゃうよ!」

 フェイトの叫び声の示す通り、恭也の両拳は真っ赤に染まっていた。倒れ付すスタッフは、意識を失っている者、動けないだけの者、様々だが出血している者は居ない。壁を殴りつけた際、皮膚が裂けたか、打撃音の大きさからすると最悪砕けた拳の骨が皮膚を突き破っているだろう。
 クロノは状況を一瞥するとすぐさま行動を開始した。室内に駆け込むと暴れる恭也に向けてバインドを放った。

 クロノは恭也の人格を把握している訳ではない。それでも先の交戦で恭也から受けた印象と今の状態は結び付かない。原因はわからないが明らかに錯乱している。だから、自傷行為を止めさせる為に多少乱暴であろうと正気を取り戻すまで拘束するべきだと判断したのだ。

「あ!待って!」
「クロノ、駄目!」

 なのはとフェイトから制止の声が掛かる。
 当然だ。良く分かっている。彼女達が心配しているのは、恭也の事ではない!

「危ない!」

 エイミィが上げた叫び声を聞きながら、予想した通り瞬時に距離を詰めた恭也が放つ左回し蹴りを屈んで躱した。
 クロノは倒れている者の中にユーノとアルフの姿が含まれていた事から、知人を選り分けていた訳では無い事を推察してした。更に、なのは達とユーノ達の行動の違いを想像すれば恭也が何を基準に標的を選んだかは自ずと答えが出る。スタッフもユーノ達も暴れる恭也を拘束しようとしたのだろう。
 クロノはこの場に立っている5人の中で、今恭也の相手が務まるのが自分だけだと自覚している。なのはとフェイトには恭也を攻撃出来ないだろう。出来るのならば既に行っている筈だし、動揺したまま参戦すればあっさり沈められる。2人にも他に方法が無い事を認識し、そうする事が恭也の為になる事を納得すれば行動できる強さを持っている事はクロノも良く知っているが、そうするだけの猶予は無い。もっとも、これだけ狭い限定空間内で恭也を相手にするだけの格闘技能はなのはには無いし、恐らくフェイトにも難しいだろう。また、リンディも魔導技能が頗る高い反面、格闘技能はそれ程高くない。閉所において恭也を相手取るには相性が悪過ぎる。非戦闘員のエイミィは言わずもがな。
 恭也が反応しているのが魔法なのか敵意なのかは不明だが、何れであったとしてもこれで恭也の意識を自分に向ける事には成功した。
 だがクロノは、目論見通りに開始された恭也との戦闘が、予想を上回る恭也のスピードによって防戦に専念させられている事に内心で舌打ちしながら辛抱強く躱し続けた。壁を殴りつけていた時より明らかにスピードが増しているのは、明確な標的が現れたからか?
 これ以上の自傷をやめさせる為にバリアジャケットを装着する時間を惜しんだのは失敗だったかもしれない。

139小閑者:2017/08/19(土) 12:02:55

 クロノは恭也の強さが理性によって成り立つものだと推測していた。対戦者の目的を推測し、心理を読み、挙動を予測した上で最適な行動を選択しているのだろうと。
 先の交戦でクロノの誘導弾を躱す事が出来たのは、クロノの挙動を予測した上で攻撃箇所を誘導する様な動作をしていたのだろうし、投降の呼び掛けに応じて漫談じみた問答に持ち込んだのも、そうする事でクロノの攻撃を封じたのだろう。実際に管理局員としては投降の呼び掛け中に、特に会話が成立していて流れによっては応じる意志を漂わされると攻撃する事は躊躇われる。
 だからこそ、錯乱している今の恭也であれば制圧する事は難しくないと考えたのだ。実際に今の恭也の戦い方は滅茶苦茶だ。クロノの動きを見てはいても動きの先を読んでいない為に躱す度に少なからず体勢を崩しているし、自身の攻撃も技と技に連携が無い為、酷く単調で躱し易い。恭也の本来の戦い方を目の当たりにしているクロノにすれば、芸術家の絵画と子供の落書き程の違いを感じる。
 それでも、制圧するに至れない。身体の基礎能力に差が有り過ぎるのだ。
 相手は生身で魔導師と渡り合う非常識な存在だが、そんな事は先刻承知している。承知していて尚、制圧出来ると判断したのは恭也を過小評価した訳でも自身を過大評価していた訳でもない。恭也が実力を隠していたのだ。或いは殺さない事を念頭に置いた動きと我武者羅なそれとの違いなのかも知れないが、言い換えればこのスピードと戦闘を組み立てる理性があれば、状況次第で恭也に負ける可能性があるのだ。いや、状況を整える事も戦闘の一環である以上、魔法という圧倒的な優位性を生身の恭也が覆す事が出来ると言うことだ。
 クロノは決して選民思想を持っている訳ではないが、若くして執務官に就くのに相応しいだけの実力を持っているという自負はある。責任感と傲慢さの2つの側面を持つその自尊心を酷く傷付けられた事でクロノの思考が自覚できない程度に僅かに鈍る。普段であれば直ぐに修正されるそのノイズが、恭也の異常を目の当たりにすることで動揺として現れてしまった。恭也が左正拳を振り抜いた直後に咳き込み、吐血したのだ。

「ゴフッゲフッ」
「な!?」

 治療直後にこれだけの運動を行えば当然の結果とも言えるが、動揺し一瞬硬直したクロノを、自身の体の異常に拘泥する事無く放った恭也の蹴り足が捉えた。辛うじてガードしたが壁際まで弾き飛ばされたクロノに恭也がすぐさま追い付き追撃を仕掛ける。

「クッ」
「バルディッシュッ!」
【Yes Sir!Blitz Action】
「なっ!?ヤメッ」

 フェイトの声に眼前に迫った恭也の存在を無視してクロノが反射的に意識を向けてしまった。だが、その無防備なクロノに止めを刺す事無く、恭也がフェイトに向かって転進した。
 今の恭也は与えられた刺激に反射行動を起こしているだけなのだ。改めて認識した恭也のその戦い方は、たった1度の早朝鍛錬で恭也の戦闘が脳裏に鮮烈に焼き付いているフェイトにとって、痛まし過ぎて見続ける事が出来ない。
 同時に想起させられるのは、翠屋でフェイトの問い掛けに苦痛を堪えて答えてくれた時の鉄面皮であり、早朝鍛錬後に恐怖の混ざる自分達の視線を受け止めて自分の心が傷付く事を当然だと思っている恭也の姿だった。
 バルディッシュを起動させ、しかしバリアジャケットを纏う事無く、魔法により行動を加速したフェイトは、恭也が近接戦闘に特化している事を考慮してフェイントを織り交ぜつつ間合いを詰める。だが、恭也は大幅に向上したスピードにもフェイントにも惑わされた様子も無く迎撃してきた。フェイトは内心に浮かぶ感嘆の念を押し込みつつ、それでも反応速度を高めた視力で恭也の攻撃を正確に捉え、体を攻撃の死角へと移動させる。
 デバイスで斬り付けるだけであれば恭也の死角へと目に止まらない程のスピードで回り込めば済むが、今回の様に精密な動作を要求される時には大きく加速する事が出来ないのが難点ではある。
 常人には認識し難いスピードでありながら、恭也を相手にするには圧倒的とは言えない優位性を駆使して細心の注意を払って行動した結果は、恭也の死角に回り込むという形で結実した。
 敵を自身の死角に侵入させた事について慌てる様な情動が働いていない恭也は、焦る事無く、素早く的確にフェイトへ向き直る動作を利用して攻撃を仕掛けてきた。予想していた通りの、その何の捻りも無い攻撃パターンに対して湧き上がる悲しみを押さえ付けて、フェイトは近接戦闘の間合いを更に踏み越え、正面から恭也の顔を自身の胸に埋めるように抱きしめた。

「恭也!もう止めて!お願いだから目を覚まして!」
「な!?」
「フェイトさん!?」

140小閑者:2017/08/19(土) 12:03:33

 フェイトの突飛な行動にクロノとリンディが慌てる。一撃入れて気絶させるのだとばかり思っていた2人にとってフェイトの行動は考慮の外だ。

「恭也!クゥッ」

 フェイトの口から苦痛が漏れる。恭也がフェイトの腕を掴んで引き剥がそうとしているのだ。態々後頭部に位置する手首を掴んでいるのはフェイトにとって幸いだったろう。恭也の握力で二の腕を全力で掴まれれば筋肉が潰れかねないし、そもそもフェイトの胴体を殴り飛ばされればプリッツアクションの身体強化が残っていると言っても内臓を痛めかねない。
 だが、それよりマシと言うだけで、恭也の頭はフェイトの身長より上にあるので、胸元に抱きしめる事で足が宙に浮いているフェイトには抗いようも無い。

「バカッフェイトちゃん逃げて!」
「やめるんだ、フェイト!今のそいつは正気じゃない!早く離れるんだ!怪我では済まなくなるぞ!」
「嫌だ!
 決めたんだ!どんなに怖くても逃げないって!傷付けないって!
 もう、あんな恭也、見たくない!」

 フェイトは涙を零しながら強い口調で宣言し、嘘では無い事を証明するかの様にいつの間にかバルディッシュを待機状態に戻していた。

「ック、戒めの枷、堅牢なる檻、」
「クロノ待って!」
「母さん!?…え?」

 フェイトを負傷させる位ならばと、フェイト諸共恭也を捕縛する為にデバイス無しでバインドの詠唱を始めたクロノをリンディが制止した。状況からすれば他に手は無い筈なのに制止するリンディに思わず問い返すが、直ぐにクロノも恭也の様子が変化した事に気付いた。フェイトが抱きついているため表情は見えないが、いつの間にか恭也が動きを止めていたのだ。
 誰一人として身動ぎもしないまま数秒が経過すると、騒動の張本人である恭也が声を発した。

「…もう、いい。十分だ。放せ、テスタロッサ」
「あ…、恭也、気が付いたの!?」
「ああ。もう暴れないから放してくれ」
「うん」
「高町も、もう大丈夫だから」

 腕を解いてフェイトが床に下り立った事を確認すると恭也は部屋の隅に顔を向けた。恭也の視線を追うと、そこにはデバイスモードにしたレイジングハートを恭也に向けて構えるなのはの姿があった。

「ほんとに?本当に、もう大丈夫?」
「ああ。無理をさせて済まない」
「良かっ…たぁ。良かったよう」

 緊張の糸が切れたなのははその場でへたり込むと静かに泣き出した。
 なのはの目には、暴れ出した恭也の姿は悲嘆に暮れている様にしか見えなかった。それが暴力を振るって良い理由にはならないが、錯乱していても恭也は自身に魔法を向けられるまで人間を攻撃対象にする事は無かったし、魔法を向けた本人以外には手出ししていない事にも気付いていた。だからこそ、恭也に攻撃する事をぎりぎりまで躊躇していた。

 早朝訓練では必死になって中てようとしているのに、どうして今はこんなに攻撃する事を怖いと思ったんだろう?

 涙を流す事で落ち着きを取り戻し始めたなのはは、ぼんやりした思考ながらも先程の自分の心情を思い返して不思議に思った。
 なのはが恭也に向けて魔法を使用する事に自分でも驚く程に抵抗があったのは、恐らく理性を失う程の悲しみに包まれて尚、人を傷付ける事をしない恭也に魔法杖を向ける自分を嫌悪したためだろう。
 それを押して恭也に杖を向けたのは、フェイトに怪我をさせる訳にはいかなかったからだ。フェイトの身を守ろうとしたのは勿論だが、正気に戻った恭也がフェイトを傷付けた事を知れば深く後悔する事が容易に想像出来たのだ。
 無論、先程のなのはには順序立てて考えを巡らせる余裕は無かったため、過程を飛び越え、ただただ“恭也君を止めなきゃ”と言う結論のみで行動していた。
 フェイトは傍目には極度の緊張が解けて弛緩している様にしか見えないなのはを心配して駆け寄り、声を掛けた。

141小閑者:2017/08/19(土) 12:04:09

「なのは、ゴメン。私が無茶な事した所為でなのはにまで無理させて…」
「あ、ううん。フェイトちゃんがやらなかったら、多分私が似たような事をしてたと思うから」
「…なのはにあれは無理だろう」
「そりゃあ、フェイトちゃんみたいな近付き方は無理だけど!でも、たぶんさっきの恭也君は歩いて近付けばしがみ付くまで反応しなかったと思う」
「…いくらなんでもそれは無いだろう?」

 なのはの緊張を解そうとからかう様に声を掛けたクロノは、負け惜しみにしか聞こえないなのはの反論に今度は呆れながらも柔らかく否定した。だが、直後になのはの言葉を遠回しながらも肯定する言葉が上がった。

「あ、そうか、さっきの恭也は確かに…なのはは気付いてたんだね」
「…フェイトちゃん?」
「あ、何でもない」
「済まんがそろそろ良いか?加害者が言う台詞ではないだろうが、怪我人を介抱した方が良い」

 本人達も無自覚なままに探り合う様な会話を展開していたなのはとフェイトを引き戻したのは中心に居る筈の恭也だった。楽しそうに眺めていたリンディとエイミィが落胆しているのは倒れている医療スタッフの容態が軽度である事を確認済みだからだ。
 クロノが年長の2人に呆れながらも倒れている者を介抱していく。意識のあるスタッフも体が動くようになると他の者の容態を看ていったので短時間で事態が収拾していく。先程の恭也は一撃で意識を刈り取り、追撃を掛ける事も無かったので大事に至る者はいなかったのだ。寧ろ壁を殴り付けていた恭也の両拳の方が余程状態が酷かった。


 医局長である初老の男性が先程の騒動に居合わせた一同の前で恭也を治療しながら恭也とリンディに説教をしていた。
 恭也の拳の怪我は倒れていた全員の処置が終わる頃にフェイトの悲鳴により発覚した。恭也に拳の治療をなのはと共に勧めていたフェイトは、「皮がめくれただけだ」という恭也の主張を信じる事無く一瞬の隙を突いて恭也の掌を掴み、その異様な感触に悲鳴を上げたのだ。
 隠しきれる状況に無い事を悟った恭也が観念して差し出した両手は、その体積を2倍近くに肥大させていた。
 恭也の拳は内出血と亀裂骨折、それに因る炎症で腫れ上がっていたが、処置が早かったので2日程で全快するとの事だった。

「リンディ提督!あなたの趣味に口出しする積もりはありませんが、優先すべき事があるでしょう!?」
「面目ありません」
「まったく!
 おまえもだ!こんな大怪我をしているのに何故黙っていた!?」
「…」
「医者に怪我を隠す事が格好良いとでも思っているのか!折れた骨がずれたまま癒着すればまともに物も握れなくなっていた可能性だってあるんだぞ!」
「…」
「黙っていないで何とか言ってみろ!」

 なのはやフェイトが口を開こうとしたがクロノの視線を受けて言葉を飲み込んだ。2人にも恭也が怪我を隠していた事が間違っている事は分かっている。

「…何故、あなたは加害者を心配しているんですか?」
「…何?」

 ポツリと零した恭也の言葉に医局長が聞き返した。

「俺はあなたを含め、あなたの同僚を傷付けた。心配する必要は無いでしょう?」
「…そうか。
 そういえばお前、まだわしらにさっきの事を詫びとらんな?」
「…」

 老人の言葉は恭也の非礼に対する弾劾ではなく、事実の確認だった。理解出来たと言わんばかりの老人の口調に、恭也は治療を始めてから一時たりとも相手の顔から逸らす事の無かった視線をゆっくりと逸らした。

「そこで視線を逸らすようでは、失言しました、と言っとるのと変わらんぞ?」

 先程までの剣幕が嘘の様に老人が穏やかな口調で語り掛けると、一つ小さく溜息をついて恭也が老人に向き合った。

142小閑者:2017/08/19(土) 12:04:47

「素直で宜しい。
 坊主、お前さん今年で10歳らしいな?」
「はい」
「そこのお嬢ちゃんと同じ世界出身なのに刃物を身に帯びて体を鍛えてきた訳か。
 お前さんは自分の振るう刃物が“暴力”と呼ばれる事を承知しているな?」
「はい」
「それでも振るうか…」

 老人は恭也に伝えるべき事を検討した。
 少年が知らなくてはならない事は、言葉にするのは簡単だが、理解するには経験が必要なのだ。だからと言って、伝える努力を怠れば何時までも伝わらない可能性もある。傍についていられる訳ではない以上、今この時に伝える努力を惜しむ訳にはいかない。

「お前さんはまだまだ知らない事が山程ある事も承知しているだろうから多くは言わんよ。わしは、それは身を持って知るべきだと思うからな。だから今のシチュエーションについてだけ伝えておこう。
 お前は特別なんかじゃない。
 もし、あの嬢ちゃん達が何かに失敗する事でお前さんが害を被ったとして、お前さんはそれを咎めるのか?」

 それだけ言うと老人が口を閉ざした。
 端的に伝えた言葉の意味を恭也が咀嚼するのを静かに待つ。そして、表情に変化の無い恭也の様子に、老人が言葉を端折り過ぎたかと悩み始めた頃、恭也が口を開いた。

「ありがとうございました。それから、先程は済みませんでした」

 タイミングを外された事で言葉に詰まる医局長を余所に、恭也は立ち上がり部屋の隅で固まって自分の方を窺っている一同に近付くと深々と頭を下げた。

「済みませんでした」

 態度を一変させた恭也に、先程恭也に伸された医療スタッフも毒気を抜かれた様に緊張を解いた。もっとも、謝罪しない事に憤っていたと言うより表情を崩さない恭也が再び暴れ出す事を警戒していたのだが。

 恭也が局員と和解している様子を尻目に、リンディは医局長にだけ聞こえる程度に抑えた声で先程の遣り取りの意味を確認していた。

「謝罪する事で罪が軽くなるのを嫌ったと?」
「いや、恐らく被害者が恨んだり憎んだりし難くなると考えたんでしょう。そういった感情を受け止めるのが、加害者としての義務だと。そこまで覚悟して暴力を振るっているから、謝罪も出来ないし、負傷して弱っている姿も見せられなかった。
 今、謝ってるのも、さっき暴れていたのが本人の意思ではなかったからでしょう。多分、明確に相手を傷付ける意志を持って振るった力であれば態度を変えることも無かったでしょう。そう言う意味では、あれは事故に近い」

 それだけ言うと、医局長は仕事を果たすために少女達から心配されている怪我人の所に歩み寄って忠告を伝えた。

「坊主、治療は済んだが完治した訳じゃないんだ。明日まで両手は出来るだけ使うなよ?痛みを感じたら直ぐに誰かに言え。いいな?」
「わかりました。お世話になりました」

 治療中とは明らかに態度の違う恭也を訝しみながらも、場が落ち着いた事を感じ取ったクロノが声を掛けた。

「…恭也、慌しくて悪いが事情を聞きたいから一緒に来てくれ」
「え、今から?」
「わかった」
「あ、恭也君、少し休んだ方が…」
「平気だ。会話が出来る程度に冷静で、計算が働かない程度に動揺している間に情報を引き出したいんだろう。組織内の立場的にも事件の状況的にも、時間に余裕は無いだろうしな」

 心配するフェイトとなのはを留めて、恭也がこちらの状態を看破した上、態々説明してくれた事にクロノは内心で嘆息した。既に十分に冷静さを取り戻しているではないか。

「でも、態々それを口に出してるって事は、君も見た目以上に余裕無いんじゃないの?
 錯乱した直後なんだし、本当に少しくらい休ませて貰った方が良いと思うけど?」
「…そうか。自覚は出来ないがそう見えるならそうなのかもな。だが、それが目的なんだろうから、容疑者の俺から拒否する訳にも行かないだろう。さっきみたいに暴れ出すほどではないだろうが、十分に警戒はしておいてくれ」

 恭也はユーノの気遣いも拒否して事情聴取に臨む意志を示した。少々的外れな台詞は動揺とは別に彼の地だろう。
 …この男は本当に余裕が無いんだろうか?
 恭也に心配そうな視線を向けるなのはとフェイトの姿を見る限り本当なのかもしれないが、それが過剰な物なのかどうかクロノはなんとも判断に悩む。リンディを見ても結論を出しかねているようだ。それでも、恭也が指摘した通り時間に余裕の無いクロノ達は予定通り事情聴取を行うことにした。

143小閑者:2017/08/19(土) 12:05:23

 事情聴取のために集まった部屋は、全員が席についても息苦しさを感じない程度の広さがあった。メンバーはリンディ、クロノ、エイミィ、なのは、フェイト、ユーノ、そして恭也の7人だ。アルフは「考えるのは苦手だから」と医務局を出る前から辞退している。
 これが容疑者の取調べであればなのは達3人を退室させるのだが、今回はあくまでも事情聴取、つまり事実関係の確認だ。あの時あの場に居たこと以外に、恭也の言動に不審な点を見つけられていないし、身を挺してなのはを助けた実績もある。
 こちらに信用させるための仮面の男との芝居であった可能性は残っているが、それについてはそれ程心配していなかった。仮に芝居であったとしても、外部からアースラ内に無断で転移する為には数段構えの防壁を突破する必要があるので実質的には不可能だからだ。
 そして宇宙空間に閉じ込めている限り魔法の使えない恭也には逃走手段が無い為、強行手段に出たとしても結果は分かり切っている。錯乱する姿を見たばかりなので油断は出来ないが、理性的に行動する姿を見る限り無謀な行動を選択する可能性は高くないと判断したのだ。
 もっとも、3人の同室を許可した理由は別にあった。恭也から聞き出した内容の真偽を本人の表情や所作から判別するのが困難であると判断したためだ。なのは達ならば少なくとも恭也と共有している過去についての真偽を確認できるし、クロノ達には違いの分からない恭也の表情から虚偽を見抜ける可能性がある。


 正方形に配置された長机に対して、一辺に恭也が、対面にリンディとその両脇にクロノとエイミィが、恭也から見て右側の辺にフェイト、なのは、ユーノの順で着席するとリンディが代表者として審問を始めた。

「それじゃあ、八神恭也さん、疲れているところ悪いけれど始めるわね。
 今、あなたには私達が追っている事件に関わっている人物としての容疑が掛かっています。あなたには黙秘権があり、自分が不利になる証言をする必要はありません。ただ、事件と無関係であるなら容疑を晴らす為に出来るだけ正直に話して下さい」
「わかりました」

 リンディはお決まりの前口上を終えると、改めて恭也の様子を窺った。
 特に気負った様子は見られないが、事件の容疑者と言われても感情の揺らぎが表面に全く現れていないのは異常と言っても良い。仮に全く関わりが無かったのだとしても、非日常と言える状況で審問を受ければ居心地の悪さ位はあるものだ。
 今でこそ自分の息子も子供らしい面を見せる事が少なくなったが、10歳当時はもっと感情豊かだった。錯乱するほどのショックを受けた事で一時的に感情が凍結しているのだろうか?
 そこまで思考を走らせて、漸く脇道に逸れている事を自覚するとリンディは気を引き締めて、今度こそ審問を開始した。

「あの時、どうしてビルの屋上に居たの?」
「高町に用事があって自宅を訪ねに行ったら、高町が窓から飛び出して行ったのを見かけて追いかけてきました」
「…なのはさんの自宅から現場までの距離を考えると、なのはさんとあなたの到着の時間差が5分程度と言うのはちょっと不自然なんだけど?」
「問題が時間だけであれば再現は出来ます。ただ、高町を追い掛けた事そのものは証明の方法が無いから信じなくても…、あー、高町を下から見上げる形になったので、下着が見えましたが、これは証拠になりますか?」
「えぇー!?」

 声を上げたのは当然なのはだった。
 リンディはなのはを見遣る。一緒に生活しているユーノならばまだしも、恭也にはなのはの下着を見る機会は無いので一応証明にはなるが、なのはのプライバシーの問題でもある。
 リンディが口篭ったのは僅かな時間だったが、その間にクロノが疑問を口にした。

「ちょっと良いか?あの時間帯は既に暗かったし、なのはも飛行の際にはかなりの速度と高度を取っていた筈だろう?下着どころか細部を識別出来るとは思えないんだが…」
「出来ないのか?」

 クロノの当然の、そして恭也の理不尽さを知る者ならば無視する疑問は、本人が聞き返す形で肯定した。
 その状況に一緒に居た訳ではないクロノは、即座に否定する事は出来なかったが、同時に頭から信じる事も出来ず言葉を途切れさせたのを見て、エイミィが口を挟んだ。

「恭也君、あそこに書かれてる文字は読める?欄外の小さい奴」
「…読めません」
「え?」

144小閑者:2017/08/19(土) 12:06:28

 エイミィが指差す先を追った恭也が壁に掛けられた掲示物を見て即座に不可と答えた為、エイミィの方が驚いた。彼女にも読み取る事こそ出来ないが文字が書かれている事は分かるのに、目が良いと証言した恭也が読めないとは思わなかったのだ。だが、文字が読めなかった事で恭也の目の良さを否定するのは早計というものだ。

「エイミィ、慌てるな。見えないんじゃなくて、読めないんだろう」
「あ」
「…判定するならこれをどうぞ。地球で一般的に視力検査に使う方法です」

 赤面するエイミィをフォローするように、ユーノが取り出した紙片に何事か書き込み、それを隣にいるクロノに渡す。受け取ったクロノが確認すると無地の紙片の中心には1mm位の大きさで「C」と書かれていた。

「その途切れている部分がどちらを向いているかを識別するんだ」
「なるほど。見えるか?」
「ああ。上だ。その大きさなら部屋の両端に立っても見分けられると思う」

 互いに着席したまま2m程の距離で紙片を見せると恭也が躊躇無く答え、更には難易度を上げる発言をした。対角に立てば15mを越える距離で見分けられるとはクロノには信じ難いのだが本人がそう言う以上、確認することにした。

「下」
「…正解。提督、エイミィ、見えますか?」
「辛うじて黒い点が見えるわ」
「私は見えないや…」

 またしても、即答。念のために着席したままのリンディとエイミィに尋ねると、恭也の半分位の距離でありながら、2人には見えない様だ。
 至極正常な答えを得て、クロノはもう一度だけ確認する事にした。紙片を一度体で隠し、向きを変えると恭也に見せて尋ねる。

「これは?」
「何も書かれていない」
「は?」
「…正解」

 勘で答えている事を疑ったクロノは紙片の裏面を見せたのだが、断言された以上見えていると判断するしかないだろう。

「え〜と、なのはさんの下着の色だったわね。じゃあ、なのはさんだけに伝えて貰える?」
「わかりました」

 視力の確認が取れた事でリンディが審問を再開して恭也に発言の証明を求めると、部屋の隅に立っていた恭也はそのままなのはに歩み寄り耳打ちをした。

「…合ってます」
「恥かしいならスカートでの飛行は慎む事だな」
「うぅ…」

 フェレット形体とは言え、ユーノには着替えどころか一緒に入浴する事も気にしていないなのはだが、恭也が相手だと羞恥心が現れる。許容されているのか気にも留めて貰えていないのかでユーノが真剣に悩むが気付く者は居なかった。
 赤面したまま小さくなるなのはを少々気の毒に思いながらも、リンディが質疑を進める。

145小閑者:2017/08/19(土) 12:07:48

「何故、なのはさんを追いかけたの?あなたなら空を飛んで向かった事から緊急事態だと想像出来たでしょう?」
「何かの役に立てるかと思ったんです。初対面の魔導師を驚かせる事が出来る程度には体を鍛えてますから」

 これにも頷くしかなかった。
 格闘技能にも定評のあるクロノであったからこそ驚くだけで済ます事が出来たが、クロノと同じAAA+ランクの魔導師であったとしても不用意に恭也に近付けば沈められていても不思議は無い。
 格闘技能が低い事を自覚している者であれば空中から呼びかける事も考えられるが、あの時点では恭也が一般市民であった可能性が捨て切れなかった以上、出来る得る限り魔法を見せないように屋上=恭也の攻撃範囲内に下り立っていただろう。
 だが、異常な技能を持ち合わせていたとしても「友人が心配だから」という程度の気安さで魔法の飛び交う戦場に足を踏み入れる事を認める訳にはいかない。本物の殺意を向けられても恐怖に呑まれずにいるには相応の胆力と覚悟が必要なのだ。戦場で恐慌を起こせば、被害は本人のみならず味方全体に及ぶこともある。収容時に解除した数々の武装からすると杞憂の可能性はあったが、“次回”の可能性がある以上、リンディは確認しておくことにした。

「恭也さん。今回はたまたま管理局員が相手だったから良かったけれど、相手が犯罪者だった場合、最悪殺されていた可能性もあったのよ?それを理解していたの?」
「分かっています。殺し合いという物がどういう物なのか、俺はその暗さと深さを多少なりとも知っています。
 寧ろ、一般家庭で育ってきた高町を戦場に送り出す事が、俺には信じられません。例え、高町の技能の高さや本人の意思があったとしてもです」
「…痛いところではあるわね。
 管理局では実力と本人の意思があれば局員として採用する方針なの。勿論、最大限の支援はしているわ」
「…失礼しました。当事者が納得している以上、部外者が口を挟む内容ではありませんでした」
「…恭也君、心配してくれてありがとう」
「礼を言われる程の事じゃない。親しい者が危険に晒されていれば誰だって手を差し延ばそうとする」
「うん。でも、親しいって思ってくれてるって分かって嬉しかったから」
「…そうか」

 普段の恭也が照れてこの手の心情を口にする事が無いのはなのはにも容易に想像が付く。精神状態が平常に戻っていない事は純粋に心配しているが、それとは別に恭也が自分の事を大切に思ってくれている事は嬉しかった。
 リンディはなのはのはにかむ様子を微笑ましいとは思うが、まだ確認すべき事が残っている以上、いつまでも眺めている訳にはいかない。話の軌道を戻すために再び口を開いた。

「恭也さんが、なのはさんが魔導師だという事を知ったのは何時頃?」
「1ヶ月ほど前に高町が砲撃で結界を打ち抜いた時です」
「どうして現場に行ったの?
 かなり大きな爆発音だったわ。あなたが野次馬根性に突き動かされるほど軽い性格には見えないし、爆発音を聞いて危険感を感じないほど暢気だとは思えないけれど」
「…当時の俺は、それまで想像した事も無い様な状況に陥っていたんです。だから、それを覆せる可能性を求めて、非常識な何かを探していました」
「想像した事も無い状況?」

 リンディが口にした疑問に対して、恭也は視線をいくらか上にずらして言葉を途切れさせた。恭也の思案する様子から、黙秘ではなく整理していると解釈して無言のまま待つと、暫くして恭也がリンディへ視線を戻した。

「…結論だけ話すと誤解が生じるでしょうから、少々長くなりますが始めから順を追って説明します。
 疑問に思う事も出てくるでしょうが、質問は最後まで聞いてからにして下さい」

 魔法文明においても時間移動が不可能とされている上、近似世界の存在が否定されている以上、恭也の現在の境遇を結果だけ伝えれば根拠や証拠についての質疑応答を繰り返す事になるという推測は当然だろう。
 恭也はなのは達にも語っていない自身の境遇を語り出した。

「今から20年程前、俺は日本の静岡と言う土地で生まれました」
「え?20年?」

 初っ端からおかしな情報を耳にした事で思わずなのはが声を上げるが、予想していた恭也は視線だけでなのはを制して宣言通り説明を続けた。

146小閑者:2017/08/19(土) 12:08:34

「少々特殊な家系ではありましたが、普通に育ち、普通に歳を重ねました。
 異変があったのは10歳の時、つまり10年前。その春先に開いた叔父の結婚式当日でした。式の準備を手伝っていた筈の俺は、海鳴市の臨海公園で目を覚ましました。
 自分がどうしてそこに居るのかも、どうやって辿り着いたのかも分かりませんでしたが、現状を確認する為にもとりあえず家に帰り、家のあった土地が空き地になっている事を確認しました」
「…空き地?」

 次に声を出したのはエイミィだった。こちらは恭也に問い掛けるというよりは口をついて出た程度の声量だったので、更に話を進める。

「町並みや通っていた学校を見て回って自分が住んでいた土地である事を確認しました。テレビや新聞から、叔父の結婚式から10年が経過している事も。
 これが1ヶ月程前の事に成ります。高町とスクライアに会ったのはこの頃です。
 爆発音を聞いて危険がある可能性を知りつつのこのこ出て行ったのは、自分と同じ様に10年前の世界から誰かが来た事を期待したからです」
「その時、なのはに鎌をかけて魔法使いである事を知った訳だ」
「ああ。
 “夢を見ている”と言う位しか現状を覆す方法が思いつかない状態でしたが、逃げていても解決にならないことも分かっていました。
 時間跳躍の方法に心当たりはなかったので、超常現象か超常能力と仮定する事にした矢先に異常な爆発音が響いたので駆けつけました。高町が爆発音を発生させた当事者だったようなのでその音については超常現象の可能性を消しました」
「…一応誤魔化そうとはしたんだけど。私も様子を見に行っただけの野次馬だとは思わなかったの?」
「していたのか?…一応言っておくが煤塗れであの場に居たなら当事者か巻き込まれた被害者だ。煤に塗れるほど害を被った者が拘束されてもいないのにその場に留まり続ける理由はそうそう無いから、あの場でフラフラしている時点で当事者に確定してるぞ?」
「…うぅ。もっと勉強します」
「何処まで話したか…そう、超常現象の可能性を消したので、高町が持つ能力を絞り込むことにしました。
 俺の知っている超常能力は現実的なもので超能力つまりHGS患者と霊能力者、非現実的なもので魔法使いと未来から来たロボットくらいでした。最初に魔法使いを出したのは高町が持っている杖を見たからです」

 ユーノが指摘の内容と話の腰を折った事の両方に罰の悪そうななのはを苦笑しながら執り成しているのを余所に逸れた話を軌道修正した。エイミィがいくつか聞き慣れない単語に眉を顰めたが本筋から外れる事だろうと自重した。流石は優秀な局員である。

「後日、スクライアから、魔法でも時間の移動は出来ない事を聞いたし、次元世界には近似した世界が確認された事が無いことも聞きました。だから、原因がわからないままでしたが、現象としては俺が時間と空間を移動して、その10年の間に家が全焼し家族を失くしたと結論しました。
 勿論、そんな理不尽な話を簡単に受け入れられる訳は無いので、せめて何が起きたのかだけでも調べようとして、図書館で過去の新聞記事を調べました。その結果分かった事は、俺の家で起きた火事は、叔父の結婚式当日の出来事だという事、親族全員が出席していたその式の火災での生存者が居ない事、そして新聞記事とは裏腹に恐らく生存者が居た事」
「生存者が?そうか、式に出席しなかった者が居たのか?」
「さあ、な。まだ直接話は聞けていない」

 今度はクロノが口を挟むが、話の流れを阻害するものではなかったので、恭也が話の軌道をそちらに合わせた。

「聞けない理由はいくつかある。
 一つは多分に俺の推測が含まれている事。もう一つは当時の俺を知る者からすれば、10年間歳を取っていない俺が不審人物でしかない事。何より、もう一つ」

 数日前には確認するのに心構えを要した内容の質問を、今は気負う様子も無く口にした。

147小閑者:2017/08/19(土) 12:09:39

「高町、俺はお前の家族がその式の生存者だと思っている。話題に出た事は無いか?」
「え、私の家!?」

 突然話を振られたなのはは、当然の様に慌てながら記憶を掘り返す。

「えっえと、そう言う話は聞いた事ないかな…。あ、でも10年くらい前にお父さんがお仕事中に大怪我して入院したって聞いているよ?お母さんと結婚して1年位した頃から3年くらい入院してたって。だから、結婚式に参加できなかったのかな?」
「は?それじゃあ計算が合わっぐあ!?」

 なのはの話の矛盾点に気付いたクロノが指摘しようとした瞬間、恭也が医務局で受け取っていた痛み止めの入ったピルケースをクロノの額に投げつけた。手の届く範囲であったなら負傷も気にせずデコピンを放っていたのではないだろうか?

「クロノ君!?きょ、恭也君、えと、な、何で?」
「気にするな」
「ええ〜!?」

 審問の場で局員に手を出せば唯で済む訳がない。色めき出すほど単純な者がこの場に居なかったのは幸いではあるが、何の説明もしなければ、そのままお咎めなしなどと言う訳にも行かないだろう。
 恭也の心象を悪くしたくないなのはは必死になって考えた。状況からして恭也は間違いなくクロノの発言内容を中断させるために手を出した筈だ。そして、それはなのはに気を遣ったものだろう。

「…あっ!あ、あのね、お父さんはお母さんと再婚したの。だから、私はお兄ちゃんとお姉ちゃんとはお母さんが違うの」
「う…すまない、余計な事を言った」
「あ、いいよ、隠してる訳じゃないんだし」

 家族の血縁関係は間違いなくプライバシーの範囲だ。審問の場とは言え、その対象がなのはでは無い以上、わざわざ公開する必要の無い内容をクロノが言わせた様なものだ。勿論、あれだけ明確な齟齬であれば誰もが気付くだろうが、だからこそ態々言葉にさせる必要は無かったとも言える。
 恭也は遣り取りがなかった様に、必要な事をなのはに確認した。

「高町の家族構成は、父・士郎、母・桃子、長男・恭也、長女・美由希、次女・なのは、これで合っているな?」
「うん」
「やはりそうか。
 俺には、母は既に居なかったが、父と妹がいる。名を士郎と美由希という」
「え?」
「体格の違いが霞むほど似ている容姿。
 10年の時間移動を考慮すれば一致する年齢。
 成人男性の平均値から掛け離れた運動能力。
 10年前の、高町桃子さんと結婚する前と同一の家族構成。
 これだけ揃えば、嫌でも連想する事があるな」
「待ってくれ。何を言っているんだ?
 なのはの兄である高町恭也さんは存在しているんだぞ?」
「有り得ない、か?
 だが、時間移動の様な現象も体験しているからな。
 両方の現象を同時に説明するなら“俺が居た世界と酷似した、10年だけ先行した世界に移動した”か、“大学生の高町恭也は、俺がこれから10年前の世界に戻り成長した姿”となるが、近似世界も時間移動も否定しているお前達の常識から外れる事に変わりはない」
「…あ、あのね、恭也君。その、美由希お姉ちゃんはね?」
「そうか。それなら、尚更一緒だな」
「あ…、そうなんだ。うん。ありがとう」

 恭也となのはが半端な言葉で意志を疎通していたが、流石に全員がプライバシーの範囲である事を察して口を挟む事は無かった。次は何が飛んで来るか分からないのだから慎重にもなるというものだ。

148小閑者:2017/08/19(土) 12:10:17

「話を戻します。
 先程は高町兄が俺の10年後の姿であるという説を上げたばかりでなんですが、それでは辻褄が合わない事も見つけています。
 俺の記憶とこの世界の史実に齟齬があったんです。具体的には叔父の結婚式の日取りが史実の方が3年早かったんです。
 時代の違う良く似た世界に飛ばされた。これが俺の立たされている状況です」

 そう言って締め括ると辺りが静まり返る。全員が恭也の提示した情報を纏めるために意識が集中していた。
 沈黙を破りリンディが恭也へ問い掛けた。

「あなたの考えでは、あなたは近似した異世界から漂流して来た、という事で良いのね?」
「そうあって欲しいと考えています」
「…つまり、他の可能性も考えていると?」
「宇宙を航行する様な艦船を建造して、空間を渡り歩く術を持つ程の文明が近似世界を発見出来ていないのであれば、やはり確率は低いと考えるべきでしょうから」

 地球でもそれまで常識としていた事柄が間違っていた例はいくらでもある。天動説の様に迷信が蔓延っていた時代だけではなく、数学や物理の世界でも何十年にも渡って「定理」と信じられていた説が覆された事もあるのだ。
 だが常識とされているそれらは、それまでの経験では問題なく通用してきたという実績もあるのだ。例外が現れたなら常識を疑うよりは、それが適用出来ない様な条件が隠れている可能性を検討する方が先だろう。

「俺が思いついたのは、どれも常識外れな物ばかりですが、まあ状況自体が異常なので容赦下さい。
 まず、管理局側からすれば最も高い可能性は、俺の発言が全て偽称の場合でしょう。
 あなた方、時空管理局という組織の力を、そこまで大きくなくとも高町なのは個人の力を当てにして高町恭也氏の境遇を調べて近付いた可能性。勿論、この案は俺自身が考慮する必要の無いものですが、この派生として俺が操られている可能性があります。
 俺自身は単なる駒に過ぎず、何処かしらの組織が俺を時空管理局に潜り込ませようとしている可能性。こちらの場合は俺に騙し通させるよりも、俺に、与えられた記憶を信じさせて、暗示か何かで表層意識の認識できない所で連絡させる方が安全でしょう。魔法的な解決策があるならそちらでも。
 恭也氏の容姿と齟齬のある記憶を持たせる事で興味を持たせているとか?同時に警戒させる事にもなりますから、俺なら恭也氏本人を洗脳する方が余程現実的だとは思いますが。
 更にこれの派生として、俺は恭也氏を素体として複製したクローンで、目的は時空管理局とは関係なく、あくまで地球上で、魔法の存在しない地域で高町恭也の身体能力を欲した場合。
 ハラオウンとの戦闘を見て貰った通り、魔法無しでの戦闘であれば、未完成の俺でもそれなりの戦力にはなります。俺が修める武術の戦闘技能者を得ようと考えるのはおかしな話ではないでしょう。
 恭也氏の記憶を持たせている理由は分かりませんが、技能を身に付けた後で書き換える積もりだったのかもしれません。
 こちらの疑問点は、この武術は技能であって能力、つまり先天的に身に付いている物では無い事です。鍛えれば誰でも身に付けられるとまでは言いませんが、恭也氏の肉体に拘る必要があるとは思えません。まあ、鍛えてみた結果、上手くいかないので成功している恭也氏のクローンを作ることにしたのかもしれませんが、その場合戦力と表現出来るくらいの大人数が作られているんでしょうね」

 実際には、肉体も要素の一つではあるが、長い年月を掛けて確立された御神流の鍛錬法の方が再現するのが難しい筈だ。それは身近に御神の剣士が居る環境が絶対条件である為、“卵が先か鶏が先か”と言える。ただし、今回恭也がそれを口にしなかったのは、隠蔽よりは主題から外れない為の省略の意味合いが強いだろう。
 リンディ達には伏せられた内容は分からなかったが、「クローン」という言葉に顔を顰めた。正確にはその言葉がフェイトの心の傷に触れる事を危惧したのだが、本人のリアクションは予想とは違っていた。

149小閑者:2017/08/19(土) 12:11:23

「恭也…ゴメン」
「謝罪は前に聞いた。何度もする必要はない」
「フェイトさん?」
「…前に恭也に『自分が造られた存在だったらどうする?』って質問したんです」

 それはフェイトにとって一生忘れる事の出来ない問題だ。自分自身で答えを見つけ出さなければ、周囲の人間がいくら言葉で言い聞かせても解決する事はないだろう。勿論それはリンディも承知しているので気に病む事を責めている訳ではない。リンディが気にしたのはそれを聞いた恭也の反応だった。
 人間は仲間を集めて群れを成すが、その反面、特異な者を排斥する。肉体面、能力面、思想面、あらゆる面で差別しようとする。強大な外敵が現れればあっさりと確執を忘れて団結できる程度の曖昧な違いを、“別の生物”とでもいう程大げさに騒ぐ者も少なくないのだ。
 その質問が既に過去の話であり、フェイトが恭也に心を開いている以上、フェイトの出生を恭也が気にしていない事は分かっているが、無闇に広めて良い話題ではない。リンディも、恭也が口の軽いタイプには見えないが、念を押しておくべきだろうと恭也に向き直ると恭也の方が制する様に口を開いた。

「…別にテスタロッサの素性を聞いた訳ではありませんよ。興味もありません」

 歯に衣着せぬ恭也の発言に、3人が今度はフェイトに視線を寄せる。内向的なフェイトが真っ向から「興味が無い」などと言われれば傷付かない筈がない。そう思っていた3人は、拗ねているフェイトの姿に驚いた。“嫌われているんだ”と諦めている訳ではなく、“そんな言い方しなくても”と拗ねていられるのは、間違いなく先の発言内容が表面的な意味だけでは無いと信じているからこそだ。

「別に過去を知ったからといって彼女が別人になる訳ではないでしょう。
 俺が知っているテスタロッサが変わってしまわなければ、特に知る必要があるとは思っていません。俺から訊ねる積もりはありませんし、それを知ったからといって見る目が変わるべきではないとも思っています」

 前言を補足する様に言葉を続けるのが恭也の余裕の無さが原因である以上、フェイトはそれを心配するべきだと考えようとするが、やはり嬉しさから頬が綻ぶ事を押さえ切れなかった。
 そんなフェイトの様子に拘泥する事無く、恭也は話を戻して考えついた最後の可能性を口にした。

「最後に、先程の説が正しかった場合。
 俺が生まれ育った、今居るこの世界に限りなく似た世界が存在する可能性です」
「あなたの希望は、その世界が存在していて、その世界に還る事ね?」

 リンディが話の締め括りとして、当然その後に続くであろう恭也の言葉を先取りして、確認程度に訊ねたが、返された答えは予想とは違っていた。

「いえ。もう必要なくなりました」
「え?必要なくなったって…。でも、家族や友人が居るんでしょ?」
「先程思い出しました。
 親しい友人は居ません」

 恭也は、そこで言葉を切った。
 誰も何も言わなかった。待つ事以外、何も出来なかった。

 諦める事なのか、認める事なのか、本人にも分からない別の何かなのか。
 何れであったとしても、これから恭也が口にする事は、彼にとって重大事である事が分かる。彼をして心の準備をしなければならない程の。
 内容は察する事が出来た。“先程”がアースラに収容された後である事も、思い出した為に錯乱したのだという事も、恭也にとって最悪と言っていい結末であったであろう事も。口にさせる事は追い討ち以外の何物でもないと全員が考えたが、何故か留める事は出来なかった。

 長く感じた数瞬後、全員が想像した通りの内容が恭也の口から、感情を殺した声で語られた。



「家族も、居ません。
 皆、死にました」





続く

150小閑者:2017/08/27(日) 18:28:03
第16話 恩義




「ただいまー」
「おかえり、はやて」
「お帰りなさい、はやてちゃん」
「うん。
 それじゃあ、ノエルさん、ほんまにありがとうございました。
 すずかちゃんにまた遊びに来てって伝えてもらえますか?」
「承知致しました。
 はやて様も、ぜひまたお越し下さい。
 はやて様が遊びに来られて、すずかお嬢様もとても喜んでおられました」
「ありがとうございます」

 ヴォルケンリッターと時空管理局の2度目の大規模な闘争のあった夜が明けると、誰も居ない家で独りで過ごすべきではないという恭也の進言に従いお世話になった月村すずか宅からはやてが帰宅した。
 夜分と言える時間帯に突然押し掛ける事になってしまったにも関わらず、すずかも姉の忍も笑顔で迎え入れてくれた上に、4人の帰宅が遅れている事を知るとそのまま泊まって行くように勧めてくれたのだ。
 シャマルは、はやてを車でここまで送り届けてくれた女性、月村家のメイド長を勤めるノエルに丁寧に礼を述べ、車が遠ざかるのを見届けると玄関先で待っていたはやて達と共に家の中に入っていった。

 リビングではシグナムとザフィーラが迎えてくれた。
 朝食も月村邸でご馳走になる事を伝えてあったので4人も食事は済んでおり、はやてがソファーに座ると4人も思い思いに寛ぎだした。
 その情景を見て、はやての胸には寂寥感が込み上げてくる。一月前には暖かな、しかし、昨日と比べて1人分欠けた情景。

 ふと気付くと皆の顔がこちらを向いていた。
 気遣う様なその顔色から自分がどんな表情をしていたか悟り、気持ちを入れ替えるように頬を叩いた。恭也からの最後の電話を受けた自分は皆に恭也が不在にしている理由を告げる責任があるのだから。

「みんな、聞いてや。
 昨日の夕方な、恭也さんから“元の世界に戻る手掛かりが見つかったかもしれない”って電話があった。
 ホントは昨日、皆が帰ってきた時の電話で伝えた方が良かったんかもしれんけど、恭也さんの勘違いかもしれんかったから。
 でも、今日になっても帰ってこんちゅう事は当たりやったんやろね」
「はやて…」
「ごめんな、私だけ。皆も恭也さんにお別れくらい言いたかったやろ?」
「主はやてが謝る必要はありません。寧ろ謝罪するのは我々の方です。
 不安を感じている時に、傍に控えている事も出来ず、申し訳ありません」
「ううん、ええねん。それこそ仕方ないやん。
 …恭也さん、家に帰れとるとええね」
「…はい」

 帰る家その物がなくなっている可能性には敢えて目を瞑って、はやてが口にした思いにシグナムが同意した。
 辿り付いた家がこの世界同様全焼していたら、家族を失っていたら。そんな結末では一縷の望みに賭けた恭也も、寂しい思いを押し隠して見送った自分達も、余りにも報われない。
 せめて、恭也だけでも救われて欲しいと、はやては思わずにいられなかった。
 同時に考えてしまう。
 居なくなったのが恭也でなかったとしても、きっと同じ様に寂しいだろう。
 だから、もう誰も居なくならないで欲しいと強く願った。願う事以外に何も出来ない事に不安を感じながら、だからこそ願う事をやめる事は出来なかった。



     * * * * * * * * * *

151小閑者:2017/08/27(日) 18:29:08


 閉じていた目を開く。
 恭也の目覚めはそんな表現がぴったりと合う程、素っ気無いものだった。寝呆けるどころか眠気を引きずる様子も寝起き特有の緩慢な動作になる事もなく、体を起こし周囲を見渡す。
 白く清潔なその部屋は、閑散さと紙一重の微妙なものではあったが、窓際にある鉢植えの花の存在感を強調するために計算されたものだと説明されれば納得出来る不思議な優しさに満ちてもいた。
 実際、調度品と呼べる物は朝日を一身に浴びる鉢植えの他には特に無く、家具として恭也の寝ていたベッド以外には、座卓のガラステーブルの対面の床に敷かれた布団一式、それにタンスと壁掛け時計があるのみだ。
 恭也はベットに座ったままいつの間にか着せ替えられた暗色系のパジャマを一瞥すると珍しく眉を顰めた。アースラ艦内では気にする余裕がなかったのだろうが、武装を解除されている事はベッドで覚醒後直ぐに、目を開く前に確認していた筈なので目で見て確かめてから改めて眉を顰めるのもおかしな話ではある。
 アースラの医務局では服その物は変わっていなかった(外傷がなかったため、検査も魔法治療も非接触で行われた)のだが、まさか武装を解除された事より着ているパジャマの方が気に入らなかったなどということも無い筈なのだが。
 恭也は視界に映る金糸に初めて気付いたかの様にふと、眉を顰めたまま床に敷かれた布団へ顔を向ける。視線の先には穏やかな寝顔を無防備に布団の端から覗かせる金髪の少女・フェイトと、彼女と向かい合うように同じ枕に頭を乗せて眠る子犬形態のアルフがいた。
 恭也の方に顔を向けて眠るフェイトと後頭部を見せる子犬の様子を暫く眺めていると気持ちが落ち着いたのか、漸く恭也の表情が常態である仏頂面を取り戻す。同時に眠っていたアルフが何かを察知して耳を動かし、次いで目を開いて恭也に振り返った。

「あ、おふぁようキョーヤ。あの後も何回かうなされてたみたいだけど大丈夫かい?」
「…ああ、平気だ。ここはお前達の家か?」
「ああ、そうだよ。と言っても借りてるだけだけどね」
「…そうか。まあ、この話は後にしよう。テスタロッサがまだ寝ているしな」
「大丈夫だよ、フェイトもそろそろ起きる時間だ。ほら、フェイト、朝だよ」
「…ん」

 アルフの呼びかけに反応してフェイトが瞼を開き、きれいな紅玉の瞳が現れる。フェイトは2,3度瞬くと体を起こし、座り込んだまま両手を挙げて伸びをして眠気を追い出した。

「フゥ、おはようアル、フ…」
「おはよう、フェイト。って、恭也がどうかしたのかい?」

 視線をベットの上、恭也に合わせたまま動きの止まったフェイトにアルフが不思議そうに声を掛ける。

 恭也と同じ部屋で眠る事は昨夜話し合って決めた事だ。そして、リンディから客間で一緒に寝る事を提案された時に難色を示すクロノを抑えて同意し、更には自身のベッドを提供したのはフェイト自身なのだ。
 ちなみに「まだ、一緒にベッドで寝ても良いと思うわよ?」というリンディの台詞の“まだ”に首を傾げつつも、「恭也を起こしてしまうかもしれないから」と辞退したことで、知らぬ間にクロノの心の平穏をぎりぎりのところで保つ事に貢献していた。

 フェイトが恭也の顔を見て固まったのは、その事を忘れていた事だけが原因ではない。
 恭也が暫く前から起きていたなら、自分でどんな顔をしていたか分からない寝顔を見られていただろう。更には寝起きで恭也が居る事を失念してボゥとしているところも同じく。
 その事に思い至ったフェイトは、就寝前には想像もしなかった羞恥心に襲われたのだ。
 とは言え、何時までも恥かしがっていては恥の上塗りになってしまう。フェイトは赤みの差した頬を隠すように上目遣いになりながら恭也に挨拶した。

「お、おはよう恭也。もう起きて大丈夫なの?」
「テスタロッサ、だな?」
「え…?
 あ、うん。フェイト・テスタロッサだよ」

 念を押してくる恭也に一瞬何を聞かれているのか疑問を持つが、直ぐに何かに思い至ったフェイトは恭也の不安を解消するために慌てて同意した。同時にリンディの言葉を思い出して浮かべた微笑を僅かに翳らせた。

152小閑者:2017/08/27(日) 18:29:49

 恭也は本人の意思とは無関係に、自分の事を知る者の居ないこの世界に飛ばされて来たのだ。
 親しい者が知らない間に故人となって久しい時代に独りにされた挙句、自身の存在を否定する事実を幾つも突き付けられ、更には家族を失う現場を昨夜思い出したばかりとくれば“不安”どころではないだろう。
“目を覚ましたら知らない部屋”という状態は今の恭也には一番辛い事だろうから、とリンディから説明された時には、それで恭也の不安が解消されるならと即座に同意したのだが、それがどれほど重要な事だったのか今の恭也の様子を見て漸く実感する事が出来た。

「んじゃあ、早速朝ごはんにしよう。キョーヤもきっと驚くよ、リンディのごはんは美味いんだから!」

 アルフの陽気な声にフェイトの思考が引き戻された。
 沈みがちな事を自覚しているフェイトは、そんな自分を救ってくれる明るさを持つアルフに何時もの様に心の中で感謝した。

「…それは楽しみだな」
「もう。アルフ、着替えて、顔を洗ってからだよ?」
「わかってるって。あたしは着替える必要は無いんだから、フェイト達は早く着替えちゃってよ。あ、キョーヤの服はそこだよ」

 人間形態に変身したアルフの示した方を確認した恭也は、恭也の事を気にした様子も無く着替えるべくパジャマを脱ぎ始めたフェイトを一瞥すると、フェイトに背を向け自身もパジャマを脱ぎ始めた。アルフが驚嘆の声を上げたのはその直ぐ後だった。

「うっわ、あんた着痩せするタイプだったんだね。凄い体じゃないか!
 身長はともかく、傷も多いしそれだけ鍛えてる子供なんてあんまりいないんじゃないの?」
「背中にもあったか。すまん、見て気分の良い物ではないだろう」
「傷の事かい?戦う為に鍛えてるなら当然だろ。気にならないよ。ねえ、フェイト?」
「うん。でも、気を付けなきゃ駄目だよ?」
「そうか。だが、傷や筋肉はともかく、ハラオウンも似たようなものだろ。魔法の補助がある分、筋力に頼らずに済んでいるだけで鍛錬の量は大差ないんじゃないか?」
「でも、クロノって14歳だろ?あんたたちの歳で4年の差は大きいんじゃないの?」

 行為の意味を理解しないまま親の真似をして体を動かす事は出来るとしても、意思を持って体を鍛えるようになるのは早くても6〜7歳からだろう。仮に物心つく前から強制されていたとしても2年は増えないから4年の差は倍近い年数と言える。
 だが、恭也が聞き咎めたのはそこではなかった。

「あいつ、14歳だったのか?」
「は?…あ〜、まああんたとは別の意味でクロノも見た目と歳にギャップはあるね」
「あの、クロノも気にしてるみたいだから、背の事はあんまり…」
「承知している。からかって買うのは怒りであるべきだからな。引き際を誤って恨みまで買うようでは二流と言うものだ」
「そ、そういう事じゃなくて…」

 意図的に曲解しているであろう恭也を押しとどめようとパジャマを脱ぎ終えたフェイトは着替えを手に取りつつ体ごと向き直ると、フェイトに合わせて振り向いた恭也の視線が自身を捉えている事を唐突に意識して言葉を途切れさせた。

 恭也が普段から相手の目を見て会話する事はフェイトも知っている。
 それが洞察を主目的としているとまで察している訳ではないが、マナーとして相手の顔を見て会話するものだとはフェイトの知識にもある事だ。だから、今現在恭也が自分を見ているのは当然の事だし、その視線も自分の顔の位置で固定されている事もわかっている。
 恭也の表情は至って普段通りの仏頂面だし、視線にも時折街中で見知らぬ男性から感じる不快な感情が含まれている訳ではない。ないのだが、何か落ち着かない。
 更に、何故か視界に映る恭也の逞しい上半身に意識が向かってしまい、勝手に顔が熱くなっていく。
 フェイトは得体の知れない落ち着かなさから逃れる様に持っていた着替えを抱きしめて、無意識ながらもほぼ全裸とも言えるパンツ一枚きりの姿を隠した。同時に、視線を恭也の上半身から無理やり引き剥がし、何とか床に固定した。

「…!?―――?…??」
「?どうか…、あー、すまん。しばし待て」

 トマトの様に赤面して混乱しているフェイトを見た恭也は、フェイトに背を向けて手早く着替えを済ませると、フェイトに視線を向ける事も無く「次回からは男の前で服を脱ぐのはやめておけ」と言い残して部屋を出て行った。
 もっとも、フェイトが恭也の退室に気付いたのは、5分ほど続いたアルフの呼び掛けに正気を取り戻してからだったが。
 


     * * * * * * * * * *

153小閑者:2017/08/27(日) 18:30:49

 アースラでの審問中、恭也は家族が他界した事を告げると気力を使い果たしたのか大きく一つ息を吐くとそのまま机に突っ伏して意識を失った。
 リンディ達は泣き出しそうになるなのはとフェイトを宥めながら呼び出した医務局員に診察させた結果、心労に因るものと診断された。その診断結果を聞いたリンディは恭也を連れて海鳴に戻ることにした。
 肉体ではなく精神の疲労である以上、治療方法は当然落ち着ける場所で安静にしている事。理想としては生まれ育った家に帰るのが一番良いが、今の恭也にはそれが叶わないので次善案としてこの世界に来てから一ヶ月程の間生活していた海鳴を療養の地としたのは当然の流れと言えるだろう。
 勿論、一ヶ月程暮らしていた家の方が良いだろうが、恭也から聞き出せていないため探し出す事が出来ず、更なる妥協案として管理局の海鳴での拠点にしているマンションの一室、ハラオウン家に搬送したのだ。

 余談だが、なのはが家を抜け出してから結構な時間が経っている事に気付いたのは、マンションに移動して時計を見てからだった。
 リンディがなのはに付き添い、「遊びに来てフェイトと一緒に眠っていたことにリンディが気付かなかった」とかなり苦しい言い訳をしながら平謝りする事で、なのはは桃子から軽いお叱りを受けるだけで済んだ。
 


     * * * * * * * * * *



「フェイトさん、可愛かったわね〜」
「そうですねー」

 朝食を済ませ、フェイトが登校すると、食後のお茶を啜りながら漏らしたリンディの感想に同意したのはエイミィだけだった。
 同席しているクロノは苦虫を噛み潰した顔をしているし、クロノの隣、エイミィの対面に座る恭也は呆然と、あるいは愕然としていた。
 恭也の視線がリンディ、正確には彼女がおいしそうに飲んでいる湯飲みに向かっている事にクロノは気付いていたが、先程の罰を兼ねてフォローはしない事にした。
 着替えの際に起きた問題は恭也にそれ程の落ち度がなかった、と結論付けられた為、恭也は咎められていないのだ。
 精神の建て直しに成功したのか、恭也が自分に出された手元の湯飲みに視線を注いだまま口を開いた。尤も、湯飲みに添えられた手は微動だにする事は無く、そこに満たされた緑色の液体に口を付ける様子は無かったが。

「ハラオウン提督。テスタロッサにその手の知識が無い事は気付いていたんでしょう?
 同室する相手が子供とは言え、少々無責任なのでは?」
「あら、恭也さんなら大丈夫だと思ったからこそよ?」
「…ちなみに根拠は?」
「女の勘」

 リンディに即答された恭也は自信に満ち溢れている彼女の顔を凝視した後、重たそうに口を開いた。

「その拠り所にどれほどの信頼性があるのかは俺には判断できませんが、ご子息には異論があるようですよ?」
「母さん、フェイトを危険に曝す根拠が“勘”では、いくらなんでも酷過ぎるぞ。何かあったらどうする積もりだったんだ!?」
「そうねぇ。でも、これはフェイトさん自身も同意した事なのよ?」
「それはフェイトが何も分かってなかっただけだ!」

 リンディのあまりにも無責任な発言にクロノが声を荒げた。
 失敗して学ぶ事も確かにあるが、それが一生残る様な傷となるなら道を間違えない様に導いてやるのが大人の務めだろう。
 口調の強くなったクロノとは対照的に恭也は変わらぬ口調で言葉を継いだ。

「男の理性など当てにするべきではないらしいですよ?
 テスタロッサの容姿と無防備さなら、トチ狂う輩がいても不思議は無い。勿論、俺も含めてです」
「あら、それならフェイトさんに直接言ってあげなくちゃ。『君は思わず抱きしめたくなる程可愛いよ』って」
「表現が婉曲になっている上に論点がずれてます。
 …ひょっとして、実地で学ばせようとしたんですか?ここなら、直ぐに部屋に駆けつける事が出来るから。2対1なら片方が動きを封じられても、もう1人が騒ぐ事もできると?」
「流石ね。クロノよりよっぽど私の事を信用してくれているみたいで嬉しいわ」
「ぐっ」

 恭也はうめくクロノを横目に見ながらも、リンディの誤解を解くことは無かった。
 不意打ち、奇襲である限り、恭也が魔導師に劣ることはない。恭也にとって寝ているアルフを無力化してフェイトに手を出すのはそれ程難易度の高い作業ではないのだ。
 敢えて訂正しなかったのは話が拗れる事が目に見えているからだろう。

154小閑者:2017/08/27(日) 18:31:36

「では、俺の行動はご期待に沿えなかった訳ですね」
「まさか。フェイトさんを悲しませずに済んだんですもの、理性的に行動して貰えて嬉しいわ。
 むしろ、恭也さんの存在を気にせず着替えだす程だとは思ってなかったから、今回の事で男性に肌を晒す事が恥ずかしい事だって知ってくれたでしょう。
 恭也さんも役得だったでしょう?」
「母さん!」
「別段、注視していた訳ではありませんが、綺麗だった事は同意しますよ。性的な魅力が低かったのは年齢からすれば仕方の無いことでしょう」
「あら、やっぱり恭也さんも大きい方が好みなの?」
「他の誰と同じ枠に分類されたのかは敢えて聞く気はありませんが、メリハリがあるに越した事はないと思っています」
「そう。それじゃあ後5年位遅かったら流石の恭也さんでも自制出来なかったかもしれないのね。
 早めに改善できて良かったわ」
「左様で」

 呆れた様に短く同意する恭也にも笑顔を返しているリンディではあるが、朝食前に恭也から遅れてリビングに現れたフェイトが羞恥に顔を赤らめて、あからさまに恭也から視線を逸らしている姿を見た時には内心で盛大に冷や汗を流したものだ。
 表情と行動は精一杯何気なさを装いつつ、内心大慌てでフェイトをリンディの私室に呼んで事情を聞きだし、安堵の溜息とともに心中で恭也に感謝した。
 リンディがフェイトとアルフに男性との距離のとり方について注意点を教えてから一緒にリビングに戻ると、フェイトの態度に不審を抱いて問い詰めるクロノを恭也がのらりくらりと躱していた。勿論、フェイトの醜態を隠すためだろう。

 本当に何者なのだろうか?
 フェイトやなのはから聞いた限り、決して真面目一辺倒ではなく、隙を見つけては周囲の人間をからかっているようだが、その反面、本人達が本気で嫌がる内容からは逆に煙に巻いて話題を遠ざけようとすらしている。
 恭也には10歳という年齢からすれば肉体・精神・体術・思考・知能と規格外な面ばかり見せられている。これで知識が高ければ完璧超人なのだが、一般知識には疎いとの事なのでバランスは…いや、取れていると言うほど物知らずではなさそうだ。

 恭也と接した誰もが浮かべる疑問が思考を占めてたリンディは、当人の声で意識を引き戻された。

「ところで、そろそろ本題に入りませんか?」
「そうね。恭也さんの置かれた状況と、今後の方針について、ね」

 リンディには恭也の語っていた“本人の意思に反する無作為転移”について心当たりがあった。一月以上前に時空管理局調査部が調査対象の遺跡を暴走させた件は、公私共に親しいレティ・ロウラン提督から「どこかの次元に転移した人物がいるかも知れないから気に留めておいて欲しい」と連絡を受けていたのだ。
 現在リンディ達が第一級ロストロギアに認定されている闇の書を追っている事はレティも知っているため、捜索に割く余力が無い事は承知の上で事務的に通達したに過ぎなかった。それでも通達したのは知的生命体であれば転移した事を転移先で周囲の民間人に訴えていれば噂話として耳に入る可能性があるからだ(魔法の存在が知られていない次元世界であれば精神異常者扱いだろうが)。
 逆に言えばそれ以上を期待していない為、知性体以外の無機物及び植物・動物に関しては、遺跡を暴走させたクォーウッド艦長率いる第十七調査艦に任せきりになっていた。
 暴走後に遺跡を解析した結果、魔導師が遺跡に侵入した時点でまず避けようが無かった事故である事は判明していたが、誰かがやらなくてはならない以上、白羽の矢が彼らに立つのは仕方の無い事でもある。
 クォーウッド艦長は偶然であろうと他部署の人間の功績になろうと、一人でも多くの被害者を救済出来るのであれば瑣末事と考える人物だ。その人柄を知っているからこそリンディも恭也本人の境遇とは別に少しでもクォーウッドの心労が軽く出来ると喜んだのだが、そう単純には進まない事が今朝受けた報告でわかっていた。

「八神恭也さん。
 あなたが転送された原因は、時空管理局で行った遥か昔に滅亡した文明が残した遺失物、私達がロストロギアと呼んでいる遺跡の解析調査中に起きた遺跡の誤作動に因るものと判明しました。
 管理局を代表して謝罪します」
「構いません。俺にとって一番大きな問題は転移そのものとは関連がありませんし、元の世界に戻っても解決する事ではありませんから」

 それはリンディにも分かっていた。そして同時に誰にも解決する事が出来ない問題であることも。
 リンディが言葉に詰まった事を察したのか、恭也が先を促した。

155小閑者:2017/08/27(日) 18:32:13

「それで、俺の処遇は決まりましたか?」
「勿論、あなたを元の次元へ返します。
 ただ、遺失物は基本的に我々の文明とは技術体系が違うため、解析に時間が掛かります。
 恭也さんの居た次元世界を割り出すのに1週間以上掛かる可能性があるんです」
「構いません。どの道、今更急いで帰る理由はありませんから」
「…ありがとう。
 代わりと言ってはなんだけど、出来る限りの待遇は保障するわ。と言っても恭也さんもご存知の通り、私達も現在捜査中の身なので大したことは出来ないけれど。
 そうだわ、こちらの世界でお世話になっていた家があったのよね?帰る前に挨拶に行ったらどうかしら。連絡さえ付くなら外出しても構わないわよ?」

 事務的な会話は終了とばかりにリンディが砕けた言葉遣いで提案した内容に、恭也はやんわりと断った。

「いえ、いづれ去るのですから止めておきます。強制的に飛ばされて来たので強制的に還される可能性があるとは日頃から伝えてありますから。
 暫く顔を合わせていた程度の行きずりの人間であろうと、別れる事を悲しむような優しい人達でしたから。そんなもの、何度も味わわせたくありません」
「で、でも、ちゃんとお別れした方がその人達にも良いと思うけど…」
「そういう考え方がある事は知っていますが、そうでない場合もあります。
 明確な根拠が無い以上、短いながらもあの人達と接してきた自分の判断を信じます」

 エイミィが思わず一般的な意見を口にするが、こう言われては面識の無い3人には無理強いする事は出来ない。

「そこまで言うなら敢えて勧めないけれど…。
 さっき、フェイトさんに念を押していたのもその事?」
「はい。帰るのに時間が掛かる事は想定していませんでしたが、いづれにせよどんな繋がりで話が届くか分かりませんから、高町にもテレパシーみたいなもので伝えて貰いました。
 月村やバニングスに、俺と面識のあるあの2人の友人も含めて誰にも話さない様に、と。
 高町もテスタロッサも、あまり嘘が吐ける種類の人格ではないのであっさり露呈する可能性はありますが」
「2人とも素直な良い子だから」

 苦笑交じりのエイミィの台詞に一同が笑みを零す。彼女達の正直さは年齢相応の好ましいものだ。

「やはり純粋さは子供の美点だな、八神恭也」
「何が言いたい、クロノ・ハラオウン」
「なに。大して歳が変わらないのに疑ってばかりいるすれた奴が身近にいると、よく分かると思ってな」
「ほう、自虐ネタとは高度なボケだな」
「自虐じゃない!君の事だ!」
「凄いな。俺には自分の事を純真無垢だとは口が裂けても言えない。
 見直したよハラオウン。どれほど面の皮が厚いと“自分は例外”などと言えるのか想像もつかない。尊敬した。真似したいとは欠片程も思わないが」
「べ、別に純真無垢だなんて言ってないだろ!歳が違うと言ってるんだ!」
「…言うに事欠いて推定身長140cmの分際で何を言ってる?そういう事は俺の身長を抜いてからにするんだな」
「コ、コ、コイツゥッ!!」
「お、落ち着いてクロノ君!先に言い始めたんだから文句言えないって!
 恭也君もその辺で勘弁してあげて?」
「フッ、修行が足らんな。出直して来い」

 慣れない冷笑を浮かべようと頬を引き攣らせた様な表情の恭也と、歯軋りして悔しがるクロノを眺めながら、リンディが微笑む。
 クロノの軽口は恭也を必要以上に沈ませない為のものだし、恭也の返しはクロノの配慮を承知した上で乗ったのだろう。今回は軍配が恭也に上がったが、それ自体は結果でしかない筈だ。
 どちらも子供らしい配慮とは程遠いが、出会ってから丸1日も経過していない上に戦闘行為から始まった関係としてはそれ程悪くは無いだろう。もっとも、恭也とフェイトの場合も大差なかったと知ったら流石にリンディも呆れるだろうが。

156小閑者:2017/08/27(日) 18:32:50

「あはは〜。あ、そうだ!
 修行で思い出したんだけど、恭也君のあの動きってどうやってやってるの?」
「あの動き?」

 場を和ませようと愛想笑いをしていたエイミィが唐突に切り出したのは、昨夜のビルの屋上でクロノとの戦闘で見せた恭也の瞬間移動についてだ。
 リンディとクロノは直ぐに気付いたようだが、当然聞き返してきた恭也に説明するためにエイミィは空中にディスプレイを投影すると件の戦闘シーンを再生した。

「ほら、ここ。姿が消えてるこの動き」
「…」

 画像を説明しながら恭也に説明していたエイミィはかなり珍しいものを見た。恭也が目を見開き(と言っても当人比1.2倍程度)、絶句していたのだ。

「お、おい、恭也?」
「…凄いな、何も無いところにテレビが映るのか…」

 恭也の態度に驚いたクロノが刺激しない様に気をつけながら声を掛けると、恭也が呆然としたまま呟いた。

「ア、ハハ…、まあこの星の人は初めて見たらちょっとビックリするかもね」
「…宇宙航行船を見てるんだからこれ位で驚かなくてもいいだろう」
「気絶してる間に運び込まれて、寝てる間に連れ出されたのに実感できる訳ないだろう。それに、こちらの方が身近な分だけ実感し易い」
「それでも既に受け入れて平常心を取り戻してる辺りは、流石と言うかなんと言うか」

 空想でしかない筈の魔法を受け入れた恭也であれば、地球にある技術の延長上にある(可能性のある)技術を受け入れられない訳がないだろう。

「じゃあ、もう一回流すね?
 ほら、ここ」
「…これが何か?」
「え?えっと、出来ればこの動きを説明して貰いたいんだけど…」

 恭也の“何か異常がありましたか?”と言わんばかりの発言にエイミィの言葉が尻すぼみになる。この瞬間移動じみた高速行動はこの次元世界の人間には当然の技能なのだろうか?

「…画像が途切れている事を俺に指摘させる事に意味があるんですか?」
「…は?」
「待て、恭也。何の話だ?
 ここからここまで一瞬で移動した方法について聞いてるんだぞ?」
「お前こそ何を言ってる?
 この場面は高町に向かって跳び蹴りしようとした男を弾き飛ばした時だろう?
 記憶が飛んでなければ、俺は走り寄って肘打ちしただけだぞ」
「…」
「…」
「つまり、恭也さんは特別な何かをした訳ではなくて、いつも通り走っただけ、と言うことかしら?」
「勿論です。俺に超常能力は備わっていません。少なくとも、そんな便利な機能があるなんて把握してません」

 答えた恭也は、表情は勿論、呼吸が乱れる事も、心拍数が変化して顔色が変わる様子も無い。
 問い掛けた3人は視線を交わすと念話での密談を始めた。

<クロノ、どう思う?>
<動揺した様子はありませんが、鉄面皮は何時もの事でしょう。それに初めから質問される事を想定していた可能性もあります。
 そもそもあそこまで極端な前傾姿勢を取るのは、あのスピードで走ることを前提にしていなければ有得ません>
<あ〜、でもスピードに合わせて体を倒すのは当然だって言われちゃうと反論が難しいと思うよ?我武者羅な時って覚えてないことあるし>
<或いは自分達の技術を隠蔽しようとしているのかもしれないわね。
 分からないのか隠しているのかすら不明だけど、何れにせよ問い詰めても答えが得られる事は無いでしょうね>

「どうかしましたか?」
「あ〜、何でもない、何でもない。
 それじゃあ、こっちは?
 一番最初に君がクロノ君に近付いた時、クロノ君には君の動きを認識出来なかったらしいんだけど…」
「こちらも特別な事をした訳ではないんですが…、とは言ってもあれだけ驚いていたと言う事は魔法の世界では存在しない技法なんですかね」
「じゃあ、こちらは何かしているのか!?」
「気配を抑えただけだ」
「…は?」

 余程気になっていたのか、クロノが勢い込んで問い掛けると恭也は何でも無い事の様に答えた。だが、技法が存在しないと言うことは“気配を抑える”という概念そのものが存在しないのだ。初めから言葉だけで伝わる訳が無い。

157小閑者:2017/08/27(日) 18:33:34

「えっと、それは具体的には、って、え〜〜!?」
「な、な!?」
「わかったか?気配を誤魔化されると、視界に映っていても認識し難くなるだろう?」

 クロノの感覚では目の前に座っている恭也が霞んで見えた。いや、色彩が薄れて透明に近付いたと表現するべきか?
 この感覚は、体験しなければ絶対に理解できないし、説明したところで誰も信じないだろう。そして、こんな事を意図的に行えるなら、瞬間移動が偶然の産物などと言う戯言を信じる気になれる訳が無い。
 またもや長年信じてきた常識を覆されてリンディが呆然と呟く。

「…魔法も使わずにこんな事が出来るものなの?」



 リンディ達が混乱するのも無理も無い事ではある。
 魔導師とは“魔法を使える人間”だ。人間と言うカテゴリーの中で魔法の使える一部の者と言う事は、言い方を変えれば魔法を使わなければ一般人と変わらないのだ。
 恭也を“一般人”にカテゴライズする事は、彼を知る全ての人から反対されるだろうとクロノは思うが、恭也の瞬間移動や認識阻害が彼個人の先天的な特殊技能では無いと言う言葉を信じるならば自分達も訓練すれば同じ事が出来ると言う事になる。…信じる、ならば…、信じられるか!!
 確かに、体を鍛えれば速く動けるようになるし、息を殺して身を潜める事もある。だが、限界は当然ある。あるべきだ!
 クロノの誘導弾を躱していた時の恭也のスピードは十分にレッドカードを付き付けられても文句を言えないレベルだったが、それでも常識の範囲の端っこにぎりぎり引っ掛かっているという事で目を瞑れなくは無いだろう。(そもそもあの回避行動の一番恐ろしい所はスピードそのものではない)
 だが、いくら体を鍛えた所で30倍速で行動できて良い筈が無いし、息を殺してコソコソしていたからと言って人の目に映らなくなるなら泥棒など遣りたい放題である。



 恭也の持つ脅威の能力を目の当たりにした事で自失していた3人は、お茶を入れ直して気持ちを落ち着けると、話題を今後の方針に戻して再開した。
 ちなみに3人は先程見せ付けられた精神衛生上よろしくない事柄については、アイコンタクトによる緊急会議で今後触れない方針で行く事が可決されたのだった。無論、何の解決にもなっていない。

「すっかり、話が逸れちゃったわね。
 どこまで話したかしら?
 …そうそう、挨拶に行かないなら恭也さんはどうするの?その一家と距離を取るなら街中を歩き回る積もりは無いんでしょ?
 このマンションに居て貰う分には構わないけれど息が詰まらない?」
「テスタロッサが警戒心を覚えたなら、同じ部屋で寝起きするなんて暴挙には出られないでしょう。
 昨日の、…宇宙船?あれの部屋が余っているならあそこでも構いませんが」
「空いてる部屋はあるけれど、閉鎖空間に閉じ篭るのは今のあなたにはお勧めできないわね。このマンションの空き部屋じゃ駄目かしら?」
「空き部屋があるのに同室に放り込んだんですか…?
 いえ、それでは暫くそこを貸して下さい。
 後は、何かする事を貰えませんか?出来れば昨日の事件の関連の手伝いを」

 恭也の申し出にリンディは思わず眉を顰めた。
 恭也がなのはとフェイトに出会った経緯は分かったし、例の遺跡のランダム転送に巻き込まれた被害者の1人である事も裏が取れている。恭也が闇の書側の陣営に属している可能性はまず無いという事になる。
 だが、そうなると態々事件に関わろうとする理由が分からない。
 なのはの時の様に事件の関係者に強い思い入れがある訳ではない。
 事件に関われば死に繋がる可能性がある事は判っているだろう。
 自分だけは大丈夫などと高を括っていたり、ゲームの様に死んでも生き返れると思っている訳でも無い。
 そして、それらが分かっている以上、参加表明は気軽なものでは無い筈だ。
 そうなると一番高いのは、家族の死を知って自暴自棄になっている可能性だろうか。

 リンディの危惧を察したのだろう。恭也が苦笑しながら言葉を足した。

「自棄になっている訳ではありませんよ。
 この世界に来てから助けられてばかりいるんです。
 あの人達が居なければ、俺は目の前の現実に呆気なく潰されていた」

 それは容易に想像出来る仮定だ。恭也にとって根幹と言える物を、何の前触れも無く全て喪失したのだから。

「だから、受けた恩に報いたい。
 皆に危険が迫っているなら、看過する事は出来ない。何が出来る訳では無いだろうけど、“何もしないでいる”なんて事、出来ない」

 何かを噛み締める様な、慈しむ様な眼差しに反して、淡々とした口調で語り終えた恭也にクロノが重い口を開いた。

158小閑者:2017/08/27(日) 18:34:09

「気持ちは、まあ、察する事位は出来る。
 だけど、許可する事は出来ない。
 僕らにはない技能を持っている事は認めるが、それでも魔法を使えない君では、力不足と言わざるを得ない」
「…そうか。
 分かった。無理強いして状況を悪化させたら目も当てられないからな。
 だけど、戦力にならないなら戦闘に参加させろとは言わないから、何かしら手伝わせて貰いたい。荒事の方が得意である事は事実だが雑用くらいは出来るだろう」
「お前だって被害者なんだ。そこまでしなくても、良いだろう?」
「いや、こちらは俺自身の都合で申し訳ないが、何かに集中していないと忘れていた反動なのか、あの記憶が繰り返し再生されて、あまり健全でない精神状態になりそうなんだ。
 物を考える余裕が無くなるほど闇雲に走り回っているのも手ではあるが、出来れば役に立つことをしたい」
「…わかった。何か出来る仕事を探しておこう」
「感謝する」

 自覚があったのか、恭也が納得して大人しく引き下がった事にクロノは小さく安堵した。
 恭也の技能はかなりの戦力として期待出来るが、一般人を巻き込むのは極力避けたい。それがクロノの偽らざる思いだ。リンディも、なのはの時とは違い本人が引き下がったためそれ以上勧めることはなかった。
 尤も、結論から言えば恭也は引き下がりこそしたが、納得した訳でも大人しかった訳でもなかったのだが。





「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔します」

 フェイトはいつもの4人で学校を出ると高町家でアリサ達と別れ、着替えを済ませたなのはと、合流したユーノと共にハラオウン家に帰宅した。
 普段から放課後には一緒にいる事の多い仲の良い2人ではあるが、この日の目的は恭也の様子見だ。
 昨夜、ハラオウン家に運び込んだ恭也が意識を取り戻す前に帰宅する事になったなのは達は勿論、フェイトも復調したとは言い切れない今朝の様子が気になっていたのだ。
 だが、帰宅と来訪の言葉に声が返される事はなかった。
 海鳴での拠点となるこのマンションで暮らすようになってから、フェイトが帰宅した時には必ず家にいる者が「おかえり」と迎えてくれていた。そのちょっとしたやり取りをここで暮らすようになってから得た数ある楽しみの内の一つとしていたフェイトは小さく落胆した。今日は誰もいないのだろうか?

「なのは、上がって。ユーノも変身解いたら?」
「うん、お邪魔します」
「僕も失礼して」

 フェイトの言葉に従って玄関に上がったなのはが脱いだ靴を揃えている隣で、なのはの肩から降りたユーノが人の姿に戻る。フェイトは着替える前に2人をリビングに通す為にそこに通じるドアを開けると、目の前の光景に立ち尽くした。
 先程の予想に反してリビングには先客がいた。立ち尽くすクロノとアルフ、そしてソファーに座った恭也だ。しかし、フェイトが言葉を無くしたのは予想を覆されたからではなく、場を満たす険悪な雰囲気に呑まれたからだ。

「主人の帰宅と来客だ。迎えてやったらどうだ?」
「あ、フェイトお帰り」
『え?あ、フェイトちゃん、お帰り』
「ただいま、アルフ、エイミィ。…何かあったの?」

 ドアノブから手を離す事も出来ずに立ち尽くすフェイトに背を向けたまま発した恭也の言葉に反応したのは、ドアが開いた事に気付かない程緊張していたアルフとこの場にいないエイミィの空間ディスプレイ越しの声だった。
 フェイトは改めて帰宅の挨拶を返してから、小声で恐る恐る現在の状況に至る原因を問い掛けた。恭也とクロノの仲は決して良好だった訳ではないが、理由も無く睨み合う程犬猿の仲と言う訳でもなかった筈だ。

『それがねぇ…』
「この男が模擬戦中のアースラの武装局員を襲撃したんだ」
「ええ!?」
「人聞きの悪い事を言うな。別に背後から忍び寄った訳でも、不意打ちした訳でもないだろう」

 クロノの怒気を孕んだ声に答える恭也の声は普段通りの平坦そのものだ。

159小閑者:2017/08/27(日) 18:35:37

「参加表明もしたし、あからさまに刀を構えて敵対姿勢も示したし、相手が認識したのも確認した。
 実際、彼らも初めて直ぐは躊躇していたが、最終的には全力を出していた筈だ。彼らが本気になるまで俺も躱す事に専念していたしな」
「だからと言って、彼らが自信喪失して塞ぎ込むまで追い詰めるのはやり過ぎだ!」
「それこそ俺を非難するのはお門違いも甚だしいぞ。
 模擬戦で遅れをとったのは彼ら自身の責任だ。あれが彼らの実力の全てだったとは言わないが、打ち負かした事に非があると言う理屈は承服しかねる。
 攻撃についても治療が必要になる程の負傷は負わせていない」
「それはっ…」

 恭也の台詞にクロノが言葉に詰まる。参戦そのものは恭也から押し付けたに等しいが、その勝敗の責任の所在については確かに正しい。正論だ。だが正しいからと言って納得出来るとは限らない。ただし、模擬戦が3対1だった上に当然ながら恭也が魔法を使えないため、圧倒的に優位にある筈の局員を負かした事を公然と非難出来る訳がない。尤も、だからこそ負けた局員のプライドが粉砕された訳だが。
 それでも人間は何も感じない木石でも感情の無いロボットでもないし、ましてや聖人君子でもないのだ。同僚が塞ぎ込んだ元凶が昨日医務局で暴れた人物となれば恭也への印象が良くなる事などない。今回は恭也が強引に仕掛けた事も不評を買う原因の一つだろう。

「ダメだよ、恭也君。悪い事をしたと思った時はちゃんと謝らないと」

 クロノに代わって恭也を諌める声は意外な人物から上がった。たった今事情を聞いただけのなのはだ。ただし、それはそれまでの会話の流れをまったく無視して恭也に非がある事を前提とした内容だった。隣にいるフェイトも不思議そうになのはを見ている事から、なのはの台詞こそ疑っていないながらもその根拠が分からないのだろう。
 なのはの台詞に援護して貰ったクロノを含めた恭也以外の全員が驚き注目する中、恭也はドア付近にフェイトと並んで立つなのはに背を向けたまま言葉を返す。

「…非難される要素が俺の何処にある?参戦が強引過ぎたと言うなら非を認めんでもないが、ハラオウンが咎めているのはそこではないだろう」
「そうだね。でも、私が言ってるのはその事じゃないよ。
 私はお父さんに『自分の心にだけは嘘をつくな』って言われてる。恭也君は違ってた?」

 その言葉に今度は恭也が沈黙した。この場合、“沈黙は肯定”と受け取るべきだろう。

 クロノは恭也の参戦そのものを責める積もりは無かった。なのは達との訓練内容は聞いていたし、恭也が戦う事を目的として体を鍛えている以上、必ず対戦形式のそれを必要とするのだ。だから、今回の騒動は、単純に恭也のやり過ぎが問題だと考えていた。
 しかし、なのはの台詞は恭也が故意に局員を過剰に追い詰めたか、恭也の参戦そのものが別の意図を、謝罪が必要な彼にとって後ろめたい理由を含んでいる事を示唆していた。

「なのは、どう言う事だ?彼が局員と戦った事に何か理由があるのか?」
「え?」

 クロノが自覚出来る程硬くなった声でなのはに問い質した。
 昨夜からの審問とその事実確認によって恭也が闇の書側の陣営に属している可能性は限りなく低いと結論したが、彼が意図して局員を害したとなれば“白に近いグレー”という評価が黒味を増すことになる。
 だが、キョトンとしたなのはの表情にはどう見ても『何を聞かれているのか解りません』と書かれていた。その反応にクロノが怪訝な顔をすると、リビングの入り口に佇んだままのフェイトとなのはをソファーの方へ行くように促したユーノが苦笑しながらフォローをいれた。

「クロノ、なのはは別に恭也の考えてる事を推測してる訳じゃないよ」
「どういう事だ?恭也の考えを予想できるから行動を咎めたんだろう?」
「それが勘違いなんだよ。
 なのはが指摘してるのは、行動じゃなくて今の恭也の態度だよ。ねぇ、なのは?」
「…うん。恭也君がした事が悪い事なのかどうかは私には分からないけど、後悔してる様には見えたから…」
「高町、一つだけ確認しておく。表情も見ていないのに何故そう思った?」
「え?えっと、話し方とか雰囲気とか、かな…」
「…理不尽な」

 恭也は小さく溜息を吐くと右手で髪を掻き揚げた。それは何気ない仕種ではあったが、恭也がこういった気を紛らわせる類の振る舞いをする事は少ない。その新鮮さと、物憂げな表情と仕種に、知らずなのはとフェイトの視線が釘付けになっている事をエイミィだけが目敏く気付いて浮かびそうになる笑みを苦労しながら隠していた。
 全員が静かに見守っていると、根負けした様に恭也が口を開いた。

160小閑者:2017/08/27(日) 18:36:09
「…ただの八つ当たりだ」
「八つ当たり!?…何に対して?」

 クロノが怒りよりも疑問が先に立ったのは、クロノの描いている恭也のキャラクターから離れ過ぎていたからだ。
 悪戯のレベルならともかく、今回は陰湿と言えるレベルだし、それを屁理屈を並べて誤魔化そうとするとは思っていなかった。自分よりも付き合いの長い4人の様子を伺うと全員が驚いている事から、自分の見立てが見当違いという訳ではない様だ。
 恭也も自覚があるのだろう、酷くばつが悪そうにしている。それでも話し続けるのはなのはの指摘通り後ろめたい気持ちがあるのだろう。

「…認めたくなかったんだ。
 俺が習ってきた、…いや、父さん達が教えてくれた剣術が魔法に劣るなんて、認めたくなかった。絶対に。
 あんな事をしても意味が無い事は分かっている。
 強さなんて相対的なものだから、相性はあっても絶対的な優劣なんて存在しない。高町やテスタロッサ、ハラオウンに俺が勝てないから魔法の方が優れている訳でも、俺が他の局員を制したから剣術が勝る訳でもない。
 模擬戦の勝敗なんて当事者個人の問題でしかない、それが分かっていても我慢出来ずに勝つ事に拘った。
 八つ当たり以外の何物でもない。…無用な波風を立てた事は謝罪する」
『…それはひょっとして、今朝クロノ君から言われた『魔法が使えないから参戦を認められない』っていう、あれの所為、かな?』
「ずっと燻ってはいたんですが、まあ止めを刺したと言うならそれです」
「うっ」

 しばしば現れる現地の協力志願者を事件から遠ざける為に一番説得力のある理由としてクロノが普段から使っている台詞なのだが、今回ばかりは裏目に出てしまった。尤も、今までに内容そのものに反感を持たれたとしても、根拠を覆された事は無かったのだが。

「私、恭也に勝てたこと無いんだけど…」
「私も初めの頃はともかく、最近は負けっぱなしなんですが…」

 おずおずと挙手しながら弱々しく報告するのはフェイトとなのはだ。
 2人とも恭也を事件に巻き込みたいと思っている訳ではないが、恭也よりも強いと評価される事には物凄く抵抗感がある。

「それはお前達が態々俺の戦い方に合わせているからだ。テスタロッサはデバイスすらなかったからな」
「その代わりにあたしとフェイトの2対1だったけどね」
「それに私は近接戦闘も出来る積もりだったんだけど…」
「悪くはなかったと思うぞ?」

 恭也のフォローに対してフェイトは何とか愛想笑いで応えた。
 恭也に認められたと思えば嬉しいと思えなくはないが、恭也の動きを知っているだけにお世辞にしか聞こえない。

「何にせよ、空を飛ばれれば追撃できない事に変わりはない。ハラオウン執務官の言う通り戦力にはならないだろう」
「キョーヤも魔法が使えれば良かったのにねぇ」
「そう…、あれ?恭也は魔法が使えるかどうか確認した事あるの?」
「無いな」
「じゃあ、もしかしたら恭也君も私みたいに」
「ぶっつけでレイジングハートを託した僕が言うのもなんだけど、なのはは例外中の例外だと思うよ?」
『そうだね、残念だけど無理だと思う。昨日、医務局に担ぎ込まれた時についでに計測して貰ったんだけど、保有魔力量はFランク相当しかなかったから』
「それはどの程度なんですか?」
「11段階に分類したランクの一番下だ。
 魔法の資質は魔力量だけで決定する訳ではないんだが、魔法への変換効率や運用技術は練習量がそのまま反映されると言っても過言じゃないから初心者でそれらが高い事はまず無い」
「ちなみに管理局の平均はAランクだよ。
 なのはは認定試験を受けた事がないから正式なものじゃないけど上から4つ目のAAAランクくらいだ。フェイトは最近試験を受けて正式にAAAランクに認定されてる」

 ユーノの補足説明を聞いても、当事者のなのはに驚いた様子は無い。勿論、当然の事と受け取っている訳ではなく実感が湧いていないだけであるとこの場の全員が理解している。それに、明らかに魔導師としての資質についてが例外中の例外に分類されるなのはを引き合いに出して強調すれば恭也を混乱させてしまうだろう。

161小閑者:2017/08/27(日) 18:36:45
『更に付け加えるならさっきの模擬戦の相手は3人ともAランクだったんだよ?』
「敵方、闇の書の陣営は?」
「前衛の2人は推定AAAだ」
「テスタロッサと同程度か…。やはり、まともに相手を務めるのは無理と考えるべきか」

 改めて確認した事実に落胆する恭也とは対照的に、恭也の技量にエイミィは戦慄から頬を冷や汗が伝う。
 管理局には魔導師ではない局員も多いが、彼らが戦闘要員として前線に立つ事はない。局が彼らに要求しているのは指揮能力であって戦闘能力ではないからだ。
 そして、一般的に非魔導師が魔導師を制すると言えば、指揮を執る事で魔法を使えない状況に魔導師を追い込むか、局所的な戦術で遅れをとっても大局的な戦略で勝利を収める事を言う。
 恭也がしたのは、この一般論を真正面から覆す事だ。

 恭也はAランクを真っ向勝負で3人同時に下した。勿論、彼らが本来の力を発揮出来ていない事は想像できる。初見で恭也の動きに冷静に対処できる者は居ないと思ってい良いだろう。実際、恭也は昨夜AAA+であるクロノすら戦闘開始直後に撹乱する事に成功している。如何にクロノが無傷での無力化を念頭に置いていたとは言え、恭也とて殺傷する意思が無いからこそ武装しながらも徒手で応じたのだ。対峙が長引き、冷静さを取り戻すことで恭也の特性に付け入る方法を思いついたに過ぎない。
 つまり、魔導師の取り得る手段を知る恭也は、彼の戦闘スタイルを知らない魔導師を相手にする限り、付け入る隙を見出せることになる。
 更に、模擬戦では5ランクの開き、いや恭也は魔法を使えないのでFランクの資質を無視したとして6ランク差を覆したのだ。単純計算で恭也がDランクに達すれば、AAAランクの魔導師に対抗出来る事になってしまう。

『面白そうな話をしてるわね』
「かあさっ、リンディ提督…」

 話に割って入った通信者のにこやかな笑顔を見たクロノが頬を引き攣らせる。
 彼の母親は非常に有能な指揮官ではあるのだが、極稀にこの上も無く突飛な手段を思いつく面がある。ほとんどの場合にその突飛な手段が功を奏して通常よりも迅速な解決やより良い結末を迎えるのだが、堅実なプロセスを積み重ねて解決へ向かうクロノにとって胃を痛める思いばかりさせられるのだ。何より、その方針の拠り所が“勘”と明言されては、仮に長年の経験や観察眼を元にした信頼性の高い推測だったとしても、心配せずには居られなかった。
 今、空間ディスプレイ越しに彼女が浮かべている表情は、クロノに胃痛の苦しみを想起させるのに充分過ぎる威力を持っていた。

『話は聞かせて貰ったわ。
 八神恭也さん。
 模擬戦については実質的な被害も無かった事ですし不問とします。
 それから、あなたに参戦する意思があるなら、特別にこちらで魔法を使うためのデバイスを用意します』
「本当ですか!?」
『本当よ。
 あなたの資質と努力次第で飛躍的な力を得られるでしょう。
 ただし、私が実力不足と判断した場合には絶対に参戦を認めませんから、その積もりで』
「十分です。御厚意、感謝の言葉もありません」





続く

162小閑者:2017/09/17(日) 14:54:43
第17話 製作




「で、オメーの望みは何だ?」

 開口一番に投げかけられたその台詞には、辟易とした、と言うよりは興味なさ気な、つまらなそうな感情が込められていた。それは、声音に留まらず表情にも態度にも見て取れるのだから勘違いと言う訳ではないだろう。
 この人に頼んでホントに大丈夫かな?
 なのはとフェイトが揃って不安に駆られているのを他所に、恭也は感情を表す事無く男と向かい合っていた。



     * * * * * * * * * *



 リンディからデバイスの貸与を許可された恭也だが、その後もトントン拍子に話が進んだ訳ではなかった。
 何しろ恭也は魔道資質が低い上に、これまで一度として魔法の訓練を受けていなかったのだ。何年も先を見据えて訓練を始めるのであればまだしも、彼の目的はあくまでも現在直面している闇の書事件への参戦なのだ。
 そんな恭也に武装局員に制式採用されているストレージデバイスを持たせても当然魔法は使えない。魔法を行使するための演算をしてくれるデバイスと言えど、そもそも魔法を起動できなければ意味を成さないからだ。
 その予想は、クロノのS2Uを持たせてピクリとも反応しなかった事で裏付けが取れている。
 その結果に、当然の事と考えていたクロノ・エイミィ・ユーノと比べて、なのは・フェイト・アルフはあからさまにがっかりしていた。恭也にはそもそも魔法を起動する感覚が無いことは分かっていたので、これには確認以上の意味は無いのだが、普段の恭也が理不尽なまでにあらゆる事(主に特撮映画かCGでしか実現できない様な運動)をこなして見せてきたために、無意識の内に恭也に出来ないことは無いと思い込んでいたのだ。
 その様子を見て苦笑していた3人だが、僅かに眉を顰めている恭也に気付いて全員が驚いた。当然、魔法が発動しない事に対してだろうが、その程度で恭也が表情を崩すとは思っていなかったのだ。たとえ、事件に参戦出来るかどうかの瀬戸際だとしてもだ。
 エイミィは恭也にストレージデバイスの特性を説明し、本命である所有者の魔力を使用して自律的に魔法を発動できるAIを搭載したインテリジェントデバイスでの確認を促した。
 確認に使用したのは、なのはのデバイスであるレイジングハート。フェイトのバルディッシュを使わなかったのは、バルディッシュと恭也が初対面だったからだ。勿論、面識が無ければ出来ない訳ではないが、意思を持つデバイスである以上、普通はマスター登録を済ませた者以外に使用される事を拒む。今回はなのはからの頼みである事と、あくまでも確認だけだからこそ引き受けてくれたのだろう。だが、恭也に握られたレイジングハートが魔法を起動して見せても、恭也は納得しなかった。
 別に恭也が贅沢を言っている訳でも見栄を張っている訳でもない。戦闘で使用するなら恭也の意図を反映した魔法でなければ意味を成さないからだ。長年の付き合いを経て、阿吽の呼吸で互いの意思が汲み取れるようになっていれば未だしも、渡されて間もないデバイスのAIと即座に意思疎通が出来るようになる訳が無い。
 また、恭也のデバイスとしてではなく、魔法の使える戦闘要員としてインテリジェントデバイスを携える事も出来ない。魔力タンクとしての役割を果たすには恭也の魔力容量は小さ過ぎるのだ。

163小閑者:2017/09/17(日) 15:03:58

 落胆を表す恭也の姿に、クロノはふと違和感を覚えた。
 恭也の落胆は、自分が魔法を使えなかった事に対するものだ。それはつまり、闇の書事件に参戦出来ない事を悔しがっていると言う事。
 「戦力外」という汚名を返上しようとしている恭也が落胆してもおかしくは無いだろう。そう考えてみるが、違和感は拭えなかった。
 クロノは自身の勘を軽視していない。全幅の信頼を寄せるほどではないが、危機に直面している訳ではない現在、違和感の正体を突き止めるために思考を割くことを厭う理由はない。何に足元を掬われるか分からないので、今回の事件に限らず、クロノは懸念事項を極力その場で解決するようにしていた。

 もともと恭也には魔法が使えない事を理由に戦力外通告を出した訳だが、それが彼のプライドをいたく傷つけてしまった為に局員への八つ当たり紛いの行動を取らせてしまった。
 だが、本来なら咎められるべきその問題行為は結果的に彼の益となった。彼の戦闘技能を評価した提督が、戦力の向上を条件にして参戦を許可したからだ。
 しかし、そのための手段である魔法が、本人の適正の低さから足しにならないことが判明し、その事を悔しがっている。

 経緯を思い返す事で、クロノは違和感の正体に気付いた。
 クロノには恭也が事件に参戦する事に拘り過ぎている様に思えたのだ。
 汚名返上の手段としての参戦ではあるが、そのために魔法を使っていたら彼の技能、つまり彼の流派の優位性を示すと言う当初の目的は果たせていない事になる。
 まさかとは思うが、手段である「参戦」に固執するあまり目的を忘れているのだろうか?有得ないことではない。忘れがちだが彼は10歳児なのだ。目先の事に囚われたとしても何の不思議も無い。
 だが。
 正直、否定したい。したいのだが、考慮しなくてはならない。あらゆる可能性を考慮する事こそが、恭也へと何の疑いも無く信頼の眼差しを向けるなのはとフェイトに対して、彼女らの協力を得ている自分の責務だ。

 恭也の目的が事件への「参戦」だとすれば、あの「八つ当たり」はそのための布石、つまり戦力となる事をアピールするために計算して取った行動なのではないのか?
 だが、八つ当たりである事を指摘したのはなのはだったはずだ。彼女だけが気付くように演技したと言うのは無理が無いか?
 ならばもっと以前、ビルの屋上での僕との戦闘は?赤い少女とのやり取りや、仮面の男ともグルなのか?まさかとは思うが、フェイトと、いや、なのはとユーノに接触した事さえも?
 しかし、ロストロギアの誤作動に巻き込まれてこの世界に無作為転移してきた事は裏が取れているんだ。あの身の上話は事実なんじゃないのか?
 では、なのは達と知り合ったのはあくまでも偶然で、単にそれを利用しているだけ?

 自分が酷く混乱している事に気付いたクロノは大きく息を吐き出した。疑惑と証拠、状況と結果が絡まっていて、際限なく疑いが深まってしまいそうだ。

 落ち着け。
 今、一番重要なのは、彼の目的だ。
 参戦がなのは達への純粋な助力であれば問題は無い。
 …では、そうでなかった場合は?彼が、八神恭也が闇の書の陣営に属していたとしたら?



 ハラオウン家のリビングを包む奇妙な沈黙を破ったのは、デバイス貸与を認可してから通信を切っていたリンディだった。

『お待たせ。デバイスの当てが出来たわよ。
 あら?ずいぶんと沈んでるように見えるけど、何かあったの?』
「いえ、自分の不甲斐無さを痛感していただけです」

 恭也が自ら顛末を話すと、リンディが納得したように頷いた。

『そう。
 それで、どうするの?ここで諦めるのも選択肢の一つだと思うけど?』
「いえ、最後まで足掻く積もりでいます。
 一朝一夕で技能が上がる事は無いのでしょうが、座して待つことは出来ません」
『そう。
 でも、多分魔法が使えるようになるだけでは、あなたの戦力を向上させるのは難しいと思うわよ?』
「え!?どういう事ですか!?
 魔法抜きでもあんなに強いんだから、恭也君が魔法を使えるようになれば凄く強くなると思うんですけど…」

164小閑者:2017/09/17(日) 15:06:46
 リンディの言葉に反応したのはなのはだったが、当の本人である恭也とクロノ以外は同じ感想を持ったようだ。
 認めたくない事実だろうに、やや口篭りながらも恭也が口を開いた。

「…魔法でどんなことが出来るのか把握し切れていないが、高町の様に射撃魔法を主体とした様式では俺の戦い方に組み込めない。当然ではあるが、剣術には“射撃”や“飛行”の概念が含まれていないからだ。
 勿論、俺の魔法に高町ほどの威力があれば遠距離と近距離で使い分ければ済むんだろうがな」
『だけど恭也さんでは、たとえ攻撃魔法が使えるようになったとしても敵を打ち落とせるほどの威力は期待できない。
 やっぱり、ちゃんと分かってたのね』
「一応は。
 それでも新しく技能を身につけて、参戦出来るだけの戦力に上げて見せます」
『良い返事ね。それでこそ紹介する甲斐もあるってものよ。
 今から紹介するデバイス製作者は、私の知っている中ではいろいろと無理も聞いてくれる人で、一番上手に恭也君のような変則的な要望を適えてくれる筈よ。
 ただ、職人気質で気難しい人だから、気に入らないお客は相手にしない事もあるの。あ、媚び諂えって意味じゃないのよ?そういう人を一番嫌ってるみたいだし。
 いまいちあの人の選定基準が分からないんだけど、上手く気に入られる様に努力して』
「…わかりました。努力してみます」

 酷く漠然としたアドバイスであったが、恭也が同意した。勿論、他に返しようなど無かったのだろう。



     * * * * * * * * * *



 恭也がフェイトとなのはに連れられて訪れたのは、長閑な田舎染みた次元世界の片隅にある、民家にしては大きめな一軒家だった。
 無限書庫での事件に関わりのある資料探しを依頼されたユーノも、多数で出向くべきではないとのリンディの指摘で留守番役のアルフもいない。たった3人で初めての土地に訪れた心細さを表に出す少女達とは異なり、恭也は気後れすることも無く呼び鈴を押して来訪を告げた。
 そして、フリーのデバイス製作者の工房で、通された部屋にいた男に、自己紹介どころか挨拶も無しに開口一番に投げかけられたのが冒頭の台詞だった。

 老人の域に至ろうかという外見や面倒臭さそうな言動によって少女達から不安いっぱいの視線を浴びせられても、その男は態度を改める事も、入室直後から恭也に合わせていた視線を逸らす事も無かった。

「…聞いて貰っているとは思いますが、俺はデバイスはおろか、魔法にも馴染みが薄いんです。
 即席ではありますが概要は頭に詰め込んできましたから、具体的な表現でお願いします。
 インテリジェントデバイスかストレージデバイスかと言うことですか?」
「そんな事聞いてんじゃねーよ。
 リンディの嬢ちゃんが俺んトコに話を持って来たってこたー標準的なデバイスじゃあ役に立たねーってこったろーが。用途なのか形状なのか知らねーが、一般的なデバイスで満足できねー理由を言えってこった」

 一口に職人気質と言っても、要求されたスペック通りの製品を“賃金を得るため”に黙々と製作する者も居れば、そのスペックを要求する理由、ひいては顧客の性格や人柄を知り、“気に入った客の為に働く事”を生き甲斐にする者も居る。態度こそ客を相手にしたそれではないが、男は後者に分類されるようだ。
 別に優劣の問題ではない。賃金を得るためにも、気に入った客を喜ばせるためにも製作した品が他より優れていなくてはならないのだ。単に“仕事”と“趣味”の違いとも言える。
 仕事を請けて貰えるかどうかはこれからの会話に掛かっていると言っても良い。恭也もそれが分かっているのか、考えを纏める為に間をおいてから口を開いた。

「…守りたいものが、あります」

 恭也の答えは男の質問からはやや外れていたが、特に怒り出すことも無く会話を続けていった。

「魔法が使えりゃー守れんのか?」
「可能性が増えると思っています。
 勿論、魔法が万能でないことは知っています。それに、そもそも相手は魔法の達人で、俺には魔法の才能が欠片もありません」
「それじゃー意味ねえだろ。才能のある奴に任せといたらどうだ?」
「まず間違いなく、結果的には他の誰かが解決するんだと思います。ですが、俺自身が指を銜えて眺めている事に納得できません」
「自己満足か」
「はい」

165小閑者:2017/09/17(日) 15:10:00

 男の揶揄する様な言葉にも小揺るぎもしない恭也に、男の表情に笑みが含まれる。必死になって言葉を押し留めているのに、考えがありありと顔に表れている後ろの2人が恭也との落差を強調してくれるので尚更楽しいのかもしれない。
 なのはにとってもフェイトにとっても、真摯な思いを嘲笑するかのような男の態度は許せるものではなかった。それが大切な友人に対するものであれば尚更だ。それでも、声に出して非難する事を踏み止まっているのは、偏にこの家に入る直前に当の本人から口を出す事を固く固く禁じられていたからだ。

「オメーがその欠片も無い才能に縋り付きてぇって気持ちは分からんでもない。だが、縋り付く前に何かしらの努力はしてきたのか?
 それすらしてねぇってんなら、回れ右して、祈ってるだけで願いを叶えてくれる神様でも探しに行け」
「…才能が無い事に変わりはありませんが、努力を続けてきた事はあります」

 そう言いながら恭也は左の袖から鞘ごと取り出した八影を見せた。隠し持つには大き過ぎるそれを見た男は、隠し切っていた恭也の技量に驚き目を見開いた。

「剣か?」
「はい」
「そいつがオメーの住んでる次元世界の武器としては主流なのか?」
「いえ、疾うの昔に廃れています。俺の世界の優れた対人兵器といえば銃器になります」
「じゃあ、何でそいつを使わねぇ?剣だって十分に立派な殺傷力がある。遊び半分で握ってる訳じゃあねぇんだろ?」
「…憧れたんです。
 比較するのも馬鹿馬鹿しいほど性能の勝る拳銃に見向きもせず、ただ剣を極めようと邁進する先達の背中に。
 助けた誰かから送られる僅かばかりの感謝の気持ちに嬉しそうに浮かべる笑顔に。
 誰かを助けるなら、これにしよう、と」
「…それがオメーの誇りって訳か」
「誇りなんてありません。どう言い繕った所で人を殺傷している事に変わりは無いんですから。
 先達の姿を格好いいと思ったから真似をしている、それだけです」
「それなら、浮気なんかしちゃ拙いんじゃねーのか?」
「別に罰則がある訳ではありませんから。
 きっと、あの人達なら魔法に頼る事無く守りきって見せるんでしょうが、残念ながら俺には無理でした。
 それなら、些細な事に拘る訳にはいきません」
「…その手、一月や二月で出来るもんじゃねぇな。
 本当に良いのか?その拘りを捨てちまって」
「俺は誰かを守るために剣を取りました。
 そして、腕が未熟なのは俺自身の責任です。
 そうする事で大切な人が助けられるなら、俺の拘りなどドブにでも捨てますよ」

 言葉に熱を込める事も感情を滲ませる事も無い恭也を見つめていた男は、そこで初めて視線を外し、悲しそうに恭也の背中に視線を投げ掛ける少女達を見やる。

 本人の口調ほど軽い決断じゃあねえな。少なくともこいつが剣に捧げてきた物は半端なもんじゃねえはずだ。
 たいしたもんだ。手段に拘って目的を果たせない奴なんざ幾らでも居るってのに。
 今まで積み重ねてきた全てを犠牲にしてでも、守りたい存在、か。
 しょうがねぇなぁ。

「いいだろう。この仕事、引き受けた」
「!ありがとう、ございます」
「そういうのは物ができてからにしろ」

 男の了承の言葉に深々と頭を下げる恭也に男は視線を逸らしながらそっけなく返す。
 その態度になのはとフェイトが顔を見合わせ微笑した。横柄な態度ばかり見せられていたので印象が悪かったが、正面からの感謝の言葉に照れている姿を見る限り、悪い人ではないのだろう。

166小閑者:2017/09/17(日) 15:12:05

「それで、お前さんはどんな奴がいいんだ?朧気でもなんかあんだろ」
「はい。まず、アームドデバイスにして下さい。形状は出来る限りこの刀と同じに」
「え!?…あ」

 恭也の回答になのはが思わず驚きの声を上げ、約束を思い出してバツの悪そうな顔をする。
 なのはは父や兄・姉が武器を、刀を大切にしている事を知っていた。危険物としての取り扱いという意味とは別に、自身の命を預けるものとしてとても丁寧に扱っているのだ。
 如何に剣への拘りを捨てると言ったところで、愛刀を手放すなんて想像もしていなかった。もっとも、これはなのはが本格的な、二刀を使用した御神流の鍛錬を見させて貰えていないからこその驚愕である。
 そして、初対面の男にとっても意外な回答だった。訝しむ様な表情で留めているのは、武器を消耗品と捕らえる考え方がある事を承知しているからだ。

「別にその剣を手放す必要はねえだろう?
 アームドデバイスを指定するって事は接近戦を主体にする積もりなんだろ?」
「手放す積もりはありません。
 今は一振りしかありませんが、俺の流派は二刀流、剣を二振り扱うんです」
「ええ!?」

 今度の驚きはフェイトのものだった。
 彼女は一度きりの早朝練習で徒手の恭也に惨敗を喫していた。だから、武装した恭也と対峙した事は無いのだが、一度だけ見せて貰った刀を使っての型稽古は一刀だったのだ。
 優雅な舞の様でありながら、敵の姿が幻視出来るほどの実践的な動きに、フェイトは目を奪われた。仮想の敵が、直前に素手の恭也に翻弄されていた自分とアルフだったのだから尚更だった。
 あの動きすら本来の恭也の動きではなかった事実に、もう恭也が何をしても驚くまいという暫く前からの誓いを、またも守ることが出来なかった。

「他には?」
「後は思い付きません。最初に言った通り、俺は魔法の知識がありませんから。
 目的は空中を飛び回る魔導師と渡り合う事、その一点です」
「…飛び回ってない魔導師なら渡り合える様な言い草だな?」
「これまで一度も魔法の練習をしたことも無く、魔道資質は最低ランク。そんな俺が、AAAランクの魔導師との能力差を埋める性能をデバイスに要求するのは、勝手が過ぎると言うものでしょう。
 飛び回っていない魔導師との能力差は頑張って補います」
「はぁ!?目標はAAAランクだと!?馬鹿かテメーは!頑張ったくらいで補える訳ねーだろーが!!」
「あの、それは物凄く当然の意見だとは思うんですけど…、恭也君は補えちゃうみたいですよ?」
「…あん?」

167小閑者:2017/09/17(日) 15:16:53

「…信じらんねぇ。
 お前さん、デバイスなんていらねえんじゃねぇの?」

 疲れ切った男の言葉になのはが口に出さずに心の底から同意する。
 男の反応は予想出来る物だったので、持参したクロノとの遭遇戦と局員3人を相手にした模擬戦のデータを見せ、それでも納得しない男を外に連れ出し、目の前でフェイトを相手に手合わせをした。
 恭也の武装は刀に見立てた工房にあった2本の金属パイプ、フェイトは当然バルディッシュ。
 結果は、

「何を言ってるんです。テスタロッサの圧勝だったじゃないですか」

という恭也の台詞通りフェイトの勝利だった。
 だが、内容が正確かどうかは視点によって異なるのだろう。少なくとも、なのはの隣で黄昏るフェイトを見る限り、恭也とフェイトの見解には高くて厚い隔たりがあるようだ。
 フェイトが受けたダメージは皆無、恭也は一発の魔力弾で昏倒しているので、恭也の意見にも一理はある。
 だが、恭也はその一発以外の射撃、斬撃、仕掛け罠、全ての攻撃を悉く躱し続けた。逆にフェイトは恭也にしこたま殴られている。それはもう嫌というほど。ダメージが無いのはバリアジャケットの性能故。
 フェイトのバリアジャケットは防御力より機動性を重視しているため、同じランクの者と比べれば確かに弱い。だが、AAAランクは伊達ではない。
 そして、恭也が敵対しようとしているヴォルケンリッターが推定AAAランクである以上、この模擬戦はそのまま実戦での結果となるだろう。

「…けどなあ、流石にバリアジャケットを破るような方法は思い付きそうにねえぞ?」
「いえ、そこまでは望みません」

 バリアジャケットを纏った魔導師にダメージを与える方法は2つ。
 属性か純粋な威力でバリアジャケットの性能を上回る攻撃を放つか、バリアジャケットそのものを無力化するか。
 どちらも簡単に実現させる事は出来ない。出来るならば魔導師の優位性がここまで高く評価されてはいないだろう。

「俺が欲しいのは空中にいる魔導師に近付く手段です。
 テスタロッサは基本的に接近戦を主としているので接点がありましたが、遠距離攻撃を主とする者もいますし、近接戦闘者だとしても頭上を支配されると圧倒的に不利になりますから」
「そうは言っても、高速移動する高位魔導師に追いつくのは簡単なこっちゃねえぞ?」
「ですが、同じ相手と何度も対戦することはあまり無いはずです。
 程度はともかく空を飛ぶ手段があれば、やりようによっては騙す事が出来るかもしれませんし、少なくとも警戒させることは出来るでしょう」
「確かにな。特にお前さんの戦い方なら、敵が順応して対応策を模索する前に潰せるって訳だ。
 攻撃さえ通用すれば、だが」

 男の指摘は尤もだ。
 少なくともフェイトとの模擬戦を見た者ならば、空を飛べない事よりも余程明確な欠点に見えたはずだ。

「攻撃が効かない事については、最悪、時間稼ぎの足止めに専念すれば、なんとか」
「そう甘かぁねえだろ。
 効かねえ事がばれりゃあ、お前さんの攻撃を無視して突っ込んで来るぞ」
「そうでしょうね。
 ですが、直撃させなければ威力が無い事はばれず、警戒させる事が出来ます」
「理屈だな。だが、そう上手くいくかい?」
「少なくとも、ハラオウン執務官とアースラでの模擬戦の相手には有効でした」
「あん?…まさか、あの対戦者がギリギリで凌いでた様に見えた攻撃は、お前さんが加減して凌がせてたってえのか!?」
「ええっ!?」
「嘘っ!?」
「…ええ、まあ。
 念のために言っておきますが、余裕と呼べるほどの力量差があった訳ではありませんよ?“2撃で体勢を崩して3撃目を入れる”という組み立てをやめて、全て1撃で捉えようとしただけです。
 恐らくは魔力弾を躱す体術があるせいで、当たりさえすれば攻撃にも相応の威力があると思い込んでくれるんでしょう」

168小閑者:2017/09/17(日) 15:17:59
 クロノとの遭遇戦において、恭也の出鼻に放った蹴撃がクロノの鳩尾にモロに命中している。本人の言葉を信じるならば、その初撃でダメージを与えられなかった事を見て取った恭也が以降の攻撃をギリギリで躱せる物に抑えていた事になる。
 恭也の台詞を冷静に聞いてみれば、攻撃を躱させるのはあくまでも威力の低さを隠すための苦肉の策であると分かる。それは先程の模擬戦でフェイトにダメージを与えられなかったことで良く分かる。
 だが、対戦したフェイトは勿論、観戦していたなのはでさえ、恭也が実力を隠すための言い訳にしか聞こえなくなっていた。
 そして、剣術どころか剣道すら知らない3人は気付かなかったが、たった3撃で捉えられる事が、既に圧倒的な実力差なのだ。
 ちなみに、早朝練習時に恭也から攻撃を仕掛けた事はなかった。近付くことが困難だった事もあるが、いくらバリアジャケットの存在を説明された所でなのはやフェイトを殴り飛ばす事に抵抗があったのだろう。万が一にでも怪我を負わせる訳には、と言う訳だ。
 2人が習得しているのが魔法ではなく何らかの武術であったならば、訓練過程での負傷はあって然るべきものとして気にしなかっただろうが、恭也にとって“魔法”の位置付けが明確になる前だった事が要因だったのだろう。

「何れにせよ、明日にでも力が必要になる可能性があるんです。万全など望むべくも無い。
 同じ舞台に立てるならそれ以上の贅沢を言う積もりはありません」
「そこまで急ぐのか?
 だが、リンディの嬢ちゃんなら速攻で必要な材料は揃えてくれんだろうが、製作時間だけでもけっこうかかるぜ。
 取り敢えず、どんくらい時間が掛かるか試算してみるから、ちっと待ってろ。
 ついでに必要なモンの洗い出しと在庫の確認か」

 言い終えると男が席を立った。言葉通り在庫の確認に向かったのだ。

「手伝える事はありますか?」
「今んトコねぇよ。
 少し掛かるだろうから、そこらに適当に座ってろ。飲み食いしてぇならそっちの奥に台所があるから勝手に漁れ」
「ありがとうございます」

 恭也の謝辞を最後まで聞く事無く、扉が閉まった。
 勿論、恭也の謝辞は男の配慮に対するもので、本当に台所を漁ったりする事は無い。
 扉が閉まると、部屋には落ち込んでいるフェイトと彼女を宥めるなのは、そして緊張を解くように静かに、しかし大きく息を吐き出す恭也だけになった。



     * * * * * * * * * *



「提督、少し宜しいでしょうか」
「ええ、入って」
「失礼します」

 クロノが許可を得て入室したのは、リンディの執務室だ。
 クロノは自室に戻り、先刻抱いた恭也への疑念を整理すると、リンディに恭也の身辺調査を提案するためにやって来た。
 だが、そこにはリンディの他に予想していなかった先客がいた。

「おお、クロスケ!」
「久しぶりね」
「げっ、ロッテにアリア!」
「ほほ〜。
 久しぶりに会った師匠に対して随分なご挨拶じゃないか」
「これは久しぶりに師匠への接し方って奴を、みっちりと体に教え込む必要があるみたいだね」
「コ、コラ、近寄るな!纏わりつくな!!服を脱がすなー!!!」
「あらあら、愛されてるわねぇ、クロノは」
「笑ってないで止めて下さい!」

 クロノにじゃれ付いている2人の先客は、どちらも公私共に何かと世話になっているギル・グレアム提督の使い魔だ。そして、本人たちの言葉通りクロノの師匠でもあり、リーゼアリアが魔法を、リーゼロッテが体術をクロノの体に文字通りの意味で叩き込んでいる。
 また、2人が獲物を嬲って遊ぶ猫を素体としている事が関係しているのか、頻繁にクロノをからかって遊んでいる。生真面目なクロノが一々反応するため、悪戯に拍車が掛かる傾向にある。
 クロノにとっては、管理局員としても先輩に当たるため、3重の意味で頭が上がらない存在だった。

169小閑者:2017/09/17(日) 15:19:20
「それで、クロノの用件は何かしら?」
「ハァハァ、八神恭也の転移後の生活範囲について再調査を提案します」
「…それは闇の書との関わりについて、と言う意味ね?」

 クロノがなんとか2人を振り払うと、リンディの問い掛けに対して率直に提案した。

「恭也さんが異次元漂流者である事は間違いないようよ?
 それでも調査を再開する理由は?」

 民間の協力志願者についての身元調査は当然行う。管理局への入局志願者と同程度、と言うほどの労力は割かないが、担当している事件との関連性についてはそれ以上に厳重に行う。
 ただし、身辺調査と言ったところで、調査対象が管理外世界の出身であった場合、それまで過ごした年月を日毎に確認する事も、接触のあった全ての人物とその背後の繋がりを確認する事も実質的には不可能だ。思想や習慣に関連する行動範囲や、所属する団体の調査が限界なのだ。
 そして、調査範囲も基本的にはデータベース上に存在するものまで。存在さえすれば、技術力の差から大抵の管理外世界のデータは確認できる。
 恭也の場合は状況が特殊ではあるが、それでも協力の申し出を受け入れたのは、同情や憐憫、何より負い目が含まれていなかった訳ではないが、当然それだけではない。
 まず最初に、恭也自身とは別に事件の背景について。
 1つは、この第97管理外世界で過去に次元犯罪に関わる組織の存在が確認されていない事。勿論、今まで無かったから今も無いとは言えないが、「見つかるまで探し続ける」などという事は出来ない。管理局に限らず治安機構の活動が対処療法になるのは宿命とも言える。
 もう1つは闇の書の陣営が組織だった活動をしていない事。何処かの組織の中枢だった人間が主に選ばれれば話が変わってくるが、そうであるなら今までの蒐集活動を守護騎士だけで行ってはいなかっただろう。
 次に、当然恭也自身について。
 仮に彼が転移前に何処かの犯罪組織と繋がりがあったとしても現状では連絡を取り合う手段がなく、また、この事件に絡む可能性は考え難い。
 そして、既に恭也が転移後に暮らしていた八神家についても調査は終了していた。調査結果は、恭也を迎え入れた事からも分かる通り“シロ”。
 八神家の構成は9歳の少女1人きり。両親は数年前の交通事故で他界しており、親類はなし。それが、戸籍や病院の記録から判明した八神家の全てだったのだ。

 クロノが自分の気付いた恭也の言動の矛盾と意図的に行動している節がある事を説明すると、リンディは驚く様子を見せる事無く頷いて見せた。

「なるほど。
 つまり、あなたと同じ結論に至って恭也さんを疑う人が現れる前に彼の潔白を証明しておきたいのね」
「…どう聞いたらそういう結論になるんですか」

 同じ内容ではあるのだが、視点を変えただけでニュアンスが180度反転している。
 勿論クロノにも、リンディが自分をからかうために態とそういっているんだという事は分かっている、という事にしておいた。その考えが無かった訳ではない事を認められない程度には、男としての矜持を持ち合わせていた。

170小閑者:2017/09/17(日) 15:20:17
「照れてる照れてる」
「やーさしいなぁクロスケは」
「勝手な事言うな!
 …提督も同じ結論ですか」

 クロノが見る限り、リンディが驚かないのは“納得”というより“予想通り”というニュアンスだった。
 勿論、意外だとは思わない。自分が気付く事にリンディが気付いていない事はそれほど多くない。

「私が気になったのは、元の世界の縁故が一切無くなったと言っているのに、命懸けで守りたい人がいるこの世界に留まる意思を見せない事ね。
 余裕が無いせいで思いついてないって可能性もあるし、否定はしていたけど元の世界に戻りたいと思わせる誰かがいるのかもしれないから決定的ではないけれど。
 それに、昼間恭也さんに状況説明をしていた時、過去の闇の書事件の顛末を聞いて酷く驚いていたでしょ?
 暴走による被害が広範囲に渡る事を知って八神さんを心配したのかもしれないし、事件の問題点が襲撃とリンカーコアの蒐集だけだと思っていたからかもしれない。でも、私には書の主の身を心配しているように感じられたわ。訓練場に押し掛けたのもその後だしね。
 あと、恭也さんが恩を受けたと言っている相手が何時も複数の人を指している事もね。もっとも、八神さんの家は両親が他界していて女の子1人だけだから、世話をしてくれる誰かが居ても不思議は無いんだけど」
「そう、か。言われてみれば確かに不自然ですね。
 ですが、気付いていたのに何故彼の参加を認めるような事を言ったんです?確認が取れてからでも遅くは無かったでしょう」
「不自然と言ってもそれほど強いものではないし、管理局が彼に負い目がある事は事実ですもの。
 それに彼が本当に闇の書と関わりがあるならこちらが疑っている事を気付かれない方が良いわ。
 ヴォルケンリッターは間違いなく強敵ですもの。なのはさん達が実力をつけたとは言っても、拮抗出来るようになっただけ。天秤がどちらに傾くか分からない程度の力関係ですもの。
 数で押せるとは言っても危険は少しでも減らしたいのが本音だわ」

 魔導師の実力は高性能なデバイスを装備すれば自動的に上がる訳ではない。道具とは担い手の実力を引き出す事はあっても、底上げはしてくれない。
 金に飽かして手に入れたデバイスに振り回される高官の子息の姿は陸士訓練校の入校直後の風物詩として親しまれている程だ。
 なのはとフェイトがカートリッジシステムにより出力の上がったデバイスに振り回される事無く、完全に魔法を制御下において見せた事でも分かる通り、システム搭載前のデバイスには2人の能力を引き出しきれていなかった事を示している。
 だが、能力の上がった彼女達でさえ、客観的に見て“拮抗”だ。リンディの懸念は当然のものだろう。
 総合力で勝るとは言ってもそれは犠牲を前提にしたものだ。単一戦力として見た場合、アースラクルーの大多数は守護騎士に瞬殺されかねない程実力に開きがあるのが現実だった。

「ロッテ達に頼む積もりですか?」
「もう了解は得られたわ」
「ま、当たりを引いたら漏れなくAAAランククラスの魔導師4人に囲まれて歓迎されるとなれば、流石に通常の武装局員では手に余るだろうしね」
「私達だって馬鹿正直に正面から訪ねていけばあっさり潰されるのは目に見えてる。
 いや、潰されればまだマシか。逆に隠れていることにも気付かずに素通りさせられるのが一番まずいわね」
「だが、ハズレの可能性の方が高いんだ。存在しないのを上手く隠れているからだと思い込めば永遠に探し続ける事になる。
 君達の力を遊ばせておけるほど現状に余裕は無いんだ。見切りをつけるタイミングを間違えないでくれよ」
「分かってるさ」

 リーゼロッテはクロノに返事を返しながら、目配せをしてきたリーゼアリアに頷いて返す。

171小閑者:2017/09/17(日) 15:20:59
 危ないところだった。あの男の存在によって計画が大きく揺らいでいる。アリアが記憶を覗いて確認しているので、あの男があくまでも偶然彼女たちと関わりを持ったのだと言う事は分かっているが、それだけの事でここまで計画に狂いが生じるとは想像も出来なかった。
 もともと綿密な計画など立てようがなかったため、自分たち2人がイレギュラーに対して迅速に対処していく事にしていた。実際、一月ほど前にあの男、恭也が現れるまでは大きな狂いもなく進んでいたというのに。
 事がここまで進んでしまえば、恭也を排除するのも状況的に難しくなってしまったため、皮肉な事に彼の行動の尻拭いまでする羽目になっている。リンディの提案がなければこちらから不審な点を上げて、調査を買って出るという不自然な行動を取る事も覚悟していたのだ。逆に自分たちの登場が遅れていたら、クロノ自身が調査に出向き、守護騎士の存在が露見していた可能性もあったのだ。
 絶妙のタイミングだった事を思えば、まだ完全にツキに見放された訳ではない。

<ロッテ、気を抜かないで>
<分かってるって。こんなところで尻尾を掴まれたりしないさ>
<そうじゃない。タイミングが良すぎる事を疑えって事。
 リンディにとってもこのタイミングで現れた私たちは不自然に見えるはずよ。
 調査を振ってきたのも釜掛けの可能性があるわ>
<リアクション次第では疑われるって事か。最近はクロノも勘が働くようになってきたみたいだし、油断は出来ないね>
<父様の苦渋の決断なんだ。絶対に失敗は許されない>
<分かってる>

 自分達の主であるギル・グレアムが11年前の事件を悔いて下した苦渋の選択。それが決して正しい事ではないと分かっていても、悲しむ人間を最低限にするためには必要な事だと信じた。ならば自分達は使い魔として主の願いを叶えるために尽力するのみだ。




 それぞれの思惑が絡み合いながらも、時は止まる事無く進み続ける。



     * * * * * * * * * *



 男が試算を終えて部屋に戻ると、結局立ったままの3人に出迎えられた。
 栗色の髪の少女の目が赤みを帯びている事から、先程聞こえてきた泣き声がこの娘のものだと察する事が出来た。
 険悪な雰囲気も無く、来訪時に感じた張り詰めた気配が消えた事からすれば、何かしら心配事が片付いたのだろう。内容がこの少年に関する物だろうと思えるのは単なる当てずっぽうだが、外れてもいまい。
 金髪の少女も模擬戦で受けたショックからは立ち直っている様だ。この短時間で回復できるほど軽いものだとは思えなかったが、現実との折り合いは付けられたのだろう。
 上手いフォローが出来たのか、既に慣れていたのかまでは分からないが、何れにせよ余程少年に心を許していなくてはこうは行くまい。

「随分、賑やかだったじゃねぇか」
「すみません」
「バーカ、ガキが気ぃ使ってんじゃねぇ」

 子供は元気であるべきだ。
 面識の少ない者からは誤解されがちだが、男は子供好きなのだ。態々誤解を解いて回る積もりはないが、隠す積もりも無いのである程度親しくなった者は察している様だが。
 幼い子供があらゆる面で未熟である事は当然だと思っている。経験不足なのだから当たり前だ。
 同時に男は相手の年齢が低いからといって侮ることも無かった。今、目の前にいる3人は対等に扱うに足る人格を持っている。

172小閑者:2017/09/17(日) 15:21:44
「気のせいか、随分楽しそうに見えますが、何か良い事がありましたか?」
「そう見えるか。
 どんなデバイスにするか構想を練ってみたんだが、なかなか面白いモンに仕上がりそうだからよ。
 お前さんの剣は隠し武器とか仕込んであるか?」
「いえ。
 これには確実で堅牢な基盤としての役割を求めていますから、奇をてらう様な仕掛けはありません。
 出来ればデバイスもその方向でお願いしたいのですが」
「クックック、そうだろうそうだろう、それで良い。
 デバイスってのは、本人の能力を引き出すためのモンだ。縋り付く為のモンでも装飾品でもねぇ。
 最近はそんな事も忘れて不相応な性能やら無意味な機能やら付けて喜んでやがる連中が多過ぎる。
 シンプル イズ ベスト!
 今回のコンセプトはこいつだ。スペックの全てをお前さん固有の戦闘スタイルを引き出す事に注ぎ込んでやる!」

 フェイトと恭也の模擬戦を見た時には、完成された彼の戦闘スタイルに介入できるのかと懐疑的だった。芸術的な絵画に色を足して完成度を高めるなど普通は有得ない。
 単純に魔法技能を高めるだけであればどうとでもなる。現状が“0”なのだからどれだけ小さな増加量でも倍率としては無限大だ。
 だが、恭也が求めているのは魔法技能ではない。戦闘能力を高めるための手段としての魔法だ。
 しかし、だからこそ遣り甲斐がある。彼の技能を高められればどれほど爽快だろうか。

「製作には最低でも三日は掛かりそうだ。
 完成を急かすからには、お前さん時間は取れんだろうな?
 試作の度に調整が必要になんだから、完成するまで泊まってけよ?」
「それで短縮できるなら、異存ありません。
 聞いての通りだ。運んで貰っておいて悪いが、今日は帰ってくれ。デバイスが完成したら連絡する」
「うん。
 恭也君、無理しちゃだめだよ?」
「高町の方こそ、今日はちゃんと寝ろ。
 テスタロッサも突然の模擬戦で悪かったな」
「いいよ。
 良いデバイスが出来るといいね」
「ああ」



続く

173小閑者:2017/09/17(日) 15:25:38
第16.5話 共感



 艦船アースラで境遇を語り終えると同時に心労で倒れた恭也を残し、リンディに送られて高町家に帰宅したなのはは、深夜になっても眠れずにいた。

 いくらリンディに送って貰ったとは言え、普通なら間違いなく叱られる時間帯に帰宅したにも関わらず、母・桃子が注意を促すに留めていた事を考えれば自分は余程酷い顔をしていたのだろう。
 食欲も全く湧かず、「寝る前に食べたお菓子でお腹がいっぱいだから」という苦しい言い訳にも、母は疑問を返す事無く頷き、今日は風呂で体を暖めて早めに寝るようにと勧めてくれさえしたのだ。
 だが、母の気遣いに心の中で感謝しながらベッドに潜り込んでも一向に眠気が訪れる様子はなかった。戦闘による気分の高揚など当の昔に消え失せているし、高い集中と極度の緊張による疲労は間違いなく体に蓄積されていると実感できるが、それでも目が冴えてしまっていた。
 理由もちゃんと分かっている、恭也の事が気になっているのだ。

 リンディには恭也の事はアースラスタッフに任せて今日はゆっくり休むようにと言われている。なのはにも今の恭也にしてやれる事が無い事は分かってるが、だからといって感情を納得させる事など出来る訳ではない。
 ただ、なのは自身も自分の感情を測りかねている部分があった。倒れた恭也が意識を取り戻す前に帰宅したため、恭也の体を案じている積もりになっていたが、親友のアリサが風邪で倒れた時と違う気がするのだ。
 そこまで進めた思考をなのはは意識して停止させた。その先は何かとても怖い事のように思えたのだ。
 次にヴィータ達を捕捉出来るのが何時になるか分からない以上、常に万全の体勢を保つべきだ。
 意識が脇道に逸れないように、その建前に縋り付いて眠りに付こうと目を閉じていると、両の拳を血に染めて、感情を噛み殺す様に歯を食いしばり、力の限り壁を殴りつける彼の姿が鮮明に脳裏に蘇った。


 気が付くと母に抱きしめられていた。
 不思議に思って母の顔を見上げると、ほっと胸を撫で下ろしながら優しく微笑んでくれた事に心の底から安堵した。母の肩越しに家族3人の姿も見えた。
 聞いてみると、自分の悲鳴が聞こえたので駆けつけたら、泣きながら縋り付いてきたのだそうだ。言われて漸く、母の胸元が濡れている事に気付いた。広がり具合からすると、かなり長い間泣き続けていたのだろう。
 流石に恥ずかしくなって俯くが、まだ離れる事は出来なかった。柔らかな胸に包まれて髪を撫でられていると安心できた。
 父や兄姉ではなく母に抱きついていると言う事は、きっと帰宅後の自分の様子を心配して部屋のそばに居て、真っ先に駆けつけてくれたのだろう。夜間の鍛錬に出かけている時間帯に父達が居るのもきっと同じ理由からだ。そう思い至るとまた、涙が溢れた。
 先程なのはが怖くなって目を背けようとしたのは、恭也はこんな存在を永遠に失くしてしまったという事実に思い至ろうとしていたからだと気付いた。

 家族を失くしたという点ではフェイトも同様だが、プレシアはなのはの目から見る限り「母親の姿」からかけ離れていたため実感が湧かなかった。打ちひしがれるフェイトの姿に心を痛めはしても、それがどれほどの辛さなのか想像しきれなかったのだ。
 だが、恭也の家族はなのはも知っている。厳密には桃子との再婚前であるため共通の家族は士郎だけで、恭也にとって美由希は従兄弟なのだが、その2人を通してその先の家族がイメージできる。そのイメージが合っているかどうかはともかく、イメージを持った事で恭也の境遇に共感することが出来てしまった。

174小閑者:2017/09/17(日) 15:27:01

 家族が就寝し静まり返った高町家で、なのはは1人で自分の部屋のベッドで横になったまま恭也のことを考えていた。
 桃子や士郎から一緒に寝るように誘って貰ったが、なのははやんわりと断った。
 普段から両親の布団に潜り込む事はあったため、添い寝をして貰うこと自体には抵抗は無い。アリサに知られるとお子様呼ばわりされるため頻度は下がったが、なのは自身は両親と一緒に寝るのは好きだったし、両親よりも更に頻度は少ないが、兄・恭也あるいは姉・美由希と一緒に寝ることもあった。
 なのはを気遣っての誘いを断ったのは、恐らく今日は眠る事が出来ないだろうという予感と、1人で考える時間が欲しかったからだ。
 考え事とは勿論、八神恭也に何をしてあげられるのか?だ。

 誰かに相談することも考えた。子供であるなのは一人で考えるより余程しっかりした答えが得られるだろう。
 兄である高町恭也に意見を聞くことも考えた。なのはは、既に八神恭也の事を一個人として認識してしまっているため高町恭也と同一人物と言われてもピンと来なかったが、それでも意見を聞く相手としてはうってつけだろう。
 しかし、それらの選択肢を捨てて一人で考える事を選んだ。
 恭也の家族を取り戻す方法が無い以上、それ以外の行動は気休めでしかない。正解足り得ないのであれば、初めから相談するのではなく、自分の意見を纏めてからにするべきだ。その方がきっと恭也に喜んで貰えるだろう。

 周囲に精神年齢の高い者が集まるため、普段の言動から幼く見られがちななのはだが、そんな考え方が出来る程度には子供らしくない聡い少女だった。



 翌日。
 結局、予感が的中して一睡も出来なかったなのはは登校はしたものの授業に関する記憶がまるでなかった。登校途中に出会ったフェイトに恭也の様子を聞き出して安心した後、いつの間にか放課後になっていた。やはり小学生の身に徹夜は堪えた様で、居眠りこそしていなかったらしいのだが意識は完全に飛んでいた。

 帰宅すると荷物だけ置いて、ユーノと共にフェイトについてハラオウン家に訪れた。
 クロノに非難されていたため少々険悪な雰囲気ではあったが、昨夜の様子を引きずる事無く力を取り戻した恭也の姿を見た事で随分と安心できた。
 条件次第で恭也が参戦できるようになった事に驚きながらも、恭也が活力を取り戻そうとしている事が純粋に嬉しくもあった。その内容が少々殺伐としている気もするが、昨夜の様子と比べればどんな形であろうとやはり嬉しい。

 だが、恭也が元気になると、周囲の人間が凹むように出来ているのか、デバイス製作者に模擬戦を見せた後にはフェイトが黄昏ていた。リンディに紹介されたデバイスマイスターが家の奥に入っていった後になのははフェイトに話しかけた。

「フェイトちゃん、そんなに落ち込まなくても…」
「なのは〜
 だって、やっとシグナムとも互角に戦えるようになったと思ったのに、恭也には全然敵わないんだもん。
 バルディッシュが危険を承知でパワーアップしてくれたのに、私は全然バルディッシュの思いに応えられてない。
 私、弱いんだ…」
「たわけ」ッズビシ!
「キャウ!?」

 落ち込んだ気分と共に俯いていたフェイトの顔を持ち上げるように、恭也の左手の中指が額に炸裂する。

「〜〜ックゥーー」

 言葉を纏める余力の無いフェイトは、涙を溜めた瞳で襲撃者に抗議を訴えるが、当然の様に受け流された。

175小閑者:2017/09/17(日) 15:29:30

「阿呆が。それが勝者の台詞か」
「うぅ、だってあんなのどう見たって恭也の勝ちじゃない。
 きっとシグナムも恭也と戦う方がいいって言うよ」
「敵の機嫌を伺ってどうする。そして俺を殺す気か?
 だいだい、決着がついた時点で気絶していた俺と無傷のお前を並べれば勝敗など一目瞭然だろうが」
「だって、私は恭也の攻撃をほとんど躱せなかったんだよ!?恭也が今回初めて本気を出したのは分かったけど、今までこんなに誰かから攻撃を受けたことなんてないよ!」
「恭也君、ワザと避けられる攻撃をしてたって本当なの?」
「攻撃が効かない事は分かっていたからな。敵を殴ってばらす訳にはいかんだろ」

 “ギリギリで躱す事に成功しているから敵からダメージを受けていない”のと“敵の攻撃が弱過ぎて喰らってもダメージを受けない”のとでは意味が全く異なる。防御・回避を考慮する必要がなければ、その分攻撃に力が注げるのだから当然だ。
 拳銃を持った敵を牽制するには、自分の持つモデルガンを本物だと思わせなくてはならない。それには、チラつかせることはしても、弾を命中させて威力を実感させるなど論外だ。

「でも、恭也に攻撃力があったら、私なんて手も足も出ないよ…」
「…その言い方をするなら、テスタロッサに攻撃を当てられる技能や精度があれば完璧な訳だ」
「そんなの簡単に身につく訳無いよ…」
「俺にバリアジャケットを抜ける攻撃力が簡単に付くとでも?」
「それは、…恭也が魔法を使えるようになれば…」
「その魔法の才能が無い事が、目下のところ最大の問題になっている訳だ」
「…ごめんなさい」

 フェイトも自分の台詞が無い物強請りでしかないことに気付ける冷静さが戻ると、その内容が恭也のプライドを傷付ける類であることに思い至った。
 異様なまでの回避能力で忘れがちになるが、恭也の攻撃の性質は純物理的なものだ。高位魔導師の纏うバリアジャケットで防ぐ事は難しい事ではない。

「…でも、その、恭也、ホントに全力で攻撃してる?」
「フェ、フェイトちゃん?」
「ほー。
 フェイト・テスタロッサ様にとっては周囲を羽虫が飛び回っているようにしか感じないから、手を抜いているんじゃないかと。そう言いたい訳だ?」
「ちちちち違うよ!!そういう意味じゃなくてっ、剣のことみたいにまだ隠してるんじゃないかって!」
「あ、それはありそう」
「そうだよね!ほ、ほら、なのはだってそう言ってるよ!?」
「言質をとって仲間を増やしたか。1対2だからといって手を緩めると思われているとは心外だな」
「待って待って待って!2回もされたらおでこが割れちゃうよ!」
「安心しろ。3回目までは骨に皹が入らないのは実証済みだ」
「4回目で皹が入ったの!?まままま待って!恭也君指を構えながら近付いてこないでぇ!!」
「誰か助けてぇー!」
「お前たち、他所様の家で騒ぎ過ぎだ。少しは落ち着け」

 散々怖がらせておきながら、あっさりと態度を翻す恭也に恨みがましい視線が寄せられるが、勿論恭也には通じている様子が無い。そして、下手に抗議すれば「確かに中途半端は良くないな」などとデコピンの恐怖が復活しかねない。なんて理不尽な。

「もぅ。それでホントに隠してる事は他にないの?」
「疑い深いじゃないか。人を信じる純粋さを忘れてしまうとは寂しいことだな」
「そ、そんなの恭也のせいだよ!」
「そうだよ、フェイトちゃんはとっても素直な良い子だったんだから!」
「なるほどな。
 今のテスタロッサが人の言う事を信じない悪い子になった事を高町も認めている様だから言っても仕方ないかもしれないが、隠している事はないぞ」
「なのはぁ…」
「ち、違うよ!?今のは言葉の綾で、フェイトちゃんは今だって素直な良い子だよ!」

 半泣きのフェイトに必死になって前言を訂正するなのは。揚げ足を取って引っ掻き回した元凶は楽しそうな仏頂面で眺めている。

176小閑者:2017/09/17(日) 15:31:45

「もう、恭也君!どうしてフェイトちゃんを苛めるの!?」
「そうは言われてもな。あんな事を言われたら少しくらい反撃したくなるのが人情というものだろう」
「そ、そうりゃあ、さっきの言い方はフェイトちゃんにも悪いところがあったとは思うけど…」
「そんな生易しいものではないぞ。
 俺が高町との練習で毎回自分の非力さにどれほど打ちひしがれていると思っている。毎夜毎夜悔し涙で枕を濡らしているんだぞ?」
「え…」
「あ、ご、ごめんね?私、恭也君がそんなに気にしてたなんて知らなくて…」
「知らなくて当然だろう。
 嘘なんだから」
「な!」
「…恭也!」
「2人ともまだまだ素直な良い子な様で安心した」

 誤魔化すために頭を撫でられているだけなのに恭也の手を振り払えない。その事実がなのはの頬を膨らませる。
 だが同時に、恭也にからかわれている事に安堵もしていた。
 数日前のフェイトを交えた早朝訓練以降、恭也が冗談を言っている姿を見た覚えが無かったからだ。いくら早朝訓練から昨日の夜にビルの屋上で遭遇するまで顔を合わせていなかったとは言え、恭也の境遇を聞いた今、たとえ毎日顔を合わせていたとしてもそんな余裕など無かったのではないかと思ってしまう。
 だが、冷静に考えれば恭也は随分前からその境遇にある可能性に気付いていたのだから、ここ数日だけ落ち込んでいた訳ではないはずなのだ。
 なのははフェイトとなかなか逢えなかっただけで、あれほど寂しいと思っていた。昨夜など大切なアリサやすずかといった友人どころか、大好きな家族にまで2度と会えなくなることを想像しただけで泣き出してしまった程だ。
 そんな事を考えていると、恭也の戸惑いがちな視線に気付いた。

「…あ〜、やり過ぎたか?
 デバイス製作を引き受けて貰えて少々浮かれていた様だ。済まん」
「あ、なのは…」
「え?っあ、違う、違うよ!これはそんなんじゃないの!恭也君の所為じゃないから!」

 恭也の表情が翳る僅かな変化を敏感に感じ取ったなのはが目に溜めた涙を拭いながら慌てて否定した。だが、慌てれば慌てるほど溢れる涙が止まらなくなる。
 恭也の喜びに水を差している事が悲しくて、これを切っ掛けに境遇を思い出させてしまう事が怖くて、その境遇の過酷さに絶望して。
 何時からか、なのはは声を上げて泣いていた。既になのは自身にも何に対して泣いているのか分からない。困惑し、声を掛けることも出来ないフェイトに見守られながら、ただ只管、抱えきれない感情を吐き出す為に、弱々しく掴んだ恭也の胸元に額を押し付けて、声を上げて泣いていた。

「…心配を掛けたようだな。
 大丈夫だ。俺は、平気だ」

 肩に手を添え、空いた手で頭を撫で続ける恭也が、そんななのはを見守り続けた。



つづく

177小閑者:2017/09/18(月) 19:48:20
第18話 宣言




 恭也がデバイスの製作のために異世界へ行って二日が経った。予定では今日の夕方には恭也のデバイスが完成している筈なので、学校が終わったら状況を確認してなのはとフェイトで恭也を迎えに行く事になっている。
 フェイトは前日まで普通に過ごせていたが、三日目の今日は朝から落ち着けなかった。それはなのはも同じようだが、この二日間ずっと心ここに在らずでぼんやりしていたなのはほど酷くは無いだろう。

「あんたたち、なんかあったの?ここんとこずっと変よ」
「そうだね。フェイトちゃんはうっかりやさんに拍車が掛かってたし、なのはちゃんは何時も以上にぼんやりしてたよね?」

 …大差は無かったようだ。
 だが、恭也本人から内緒にしているよう頼まれているので話す訳にもいかない。別に恥ずかしいからじゃないんだよ?

「まさか、男じゃないでしょうね?」
『え!?』
「…そうなの!?」
「あ、あんた達、何時の間にそんな相手見つけたのよ!?」
「ち、違うよ!そんなんじゃなくて!」
「そうだよ!あの、えっと、ちょっと心配な事があって、今日その結果が分かる予定だから落ち着かないだけだよっ」
「怪しいわね」
「怪しいね〜」

 アリサだけでなく、普段ならアリサを抑えてくれるすずかにまで言われると圧倒的に劣勢になってしまう。
 フェイトはなのはとアイコンタクトを交す。大好きななのはのためならどんな苦労も厭う積もりはないし、今回に至っては利害まで一致しているのだ。1人では敵わない強大な難敵であっても2人で意思を揃えて立ち向かえば、きっと大丈夫だ。

「そ、そろそろ次の授業が始まるよ!」
「そうだよね!早く準備しないと!」
「…それで逃げれた積もり?」
「まあまあアリサちゃん。まだ、1時間目が終わったばかりなんだし」

 団結した2人が足並み揃えて背中を見せて全速で逃走しようとすると、すずかが助け舟を出してくれた。瞬殺するのと包囲網を狭めて少しずつ確実に刈り取るのと、どちらがより残酷なのかは考えない。先の不安に脅えるよりも現時点での無事を喜ぶのは、きっと正しい事だと信じたい。
 その判断は正しかった。結果的に、敵前逃亡して時間を稼いだ事が功を奏してアリサ達の追及を躱しきる事に成功したのだ。
 予定より半日早くデバイスの完成した恭也をアルフが迎えに行く事になったと授業中に念話で聞いて、酷く落ち込んでしまった2人にアリサ達の矛先が鈍ったから、という不本意な理由だったが。

「あんな抜け殻みたいになられちゃ、流石に追求できないわよ」
「何があったか知らないけれど、凄く楽しみにしてた事を横取りされちゃった様に見えたわ」

 それが後日聞いた2人の感想だったそうだ。

178小閑者:2017/09/18(月) 19:49:42


 時空管理局が第97管理外世界において拠点としているマンションの一室、別名ハラオウン邸。その中のベッドとタンスと机だけが置いてある簡素な部屋で、その部屋を宛がわれた部屋の主、恭也がベッドに横になっていた。
 フェイトの部屋も似た様なものだが、この部屋は簡素や質素なのではなく何も無かった。机の中には文具が無く、タンスの中には着替えも無い。勿論、何かの主張ではなく、着の身着のままハラオウン邸に匿われた恭也に手荷物は無く、部屋を宛がわれた当日から外泊をしていたので物が増えることも無かっただけだ。
 ただし、現在部屋には本人とリンディ達に用意された家具の他に部屋の中央、ベッドの脇に鎮座する存在があった。立派な毛並みをした大型犬、アルフだ。
 部屋は静かなものだ。リンディとクロノは不在、エイミィは別室にて事務仕事をこなしているため、物音一つしない。
 そんな中、アルフが不意に耳を立てた。玄関の開く音に続き、帰宅と来訪を告げる声。フェイトがなのはを伴って帰宅したのだ。

「キョーヤ、キョーヤ。フェイト達が帰ってきたよ!」
「…ああ、今起きた」

 恭也が体を起こす様子をアルフは心配げに眺めやる。
 確かにこのマンションは広く、この部屋は玄関からは奥まった位置にある。いくら静まり返っていても、扉をいくつか隔てたこの部屋で玄関の開閉音を聞き取る事は難しいかもしれない。だが、一般人に出来なくても恭也にならば出来るはずだ。自分が呼び掛けなければ起きられないという事は、やはり相当弱っているのではないだろうか?
 そんなアルフの心配に恭也が不服そうな声色で弁解してきた。

「念のために言っておくが、この部屋から玄関の開閉音が聞こえないのは人間としておかしなことじゃないからな?
 疲れている事は認めるが異常と言う程の状態じゃあない」
「じゃあ、多数決でも取るかい?今の状況をみんなに説明して、恭也に異常があると思う人と無いと思う人、どっちが多いか聞いてやろうか?」
「…さて、部屋に押し掛けられる前にリビングで出迎えるか」

 状況の不利を悟ったらしい恭也はあっさりと身を翻した。ちゃんと自覚はあった様だ。
 いそいそと扉に手を掛けた恭也にアルフは言葉が強くならない様に意識しながら声を掛けた。

「キョーヤ、あんまり無理しちゃ駄目だよ」
「テスタロッサが心配するからな?」
「それも有るけど、何で捻くれた取り方するんだい!」
「…ああ。
 これが片付いたらゆっくり休むさ」

 言い残し、退散していく恭也を今度は黙って見送った。

179小閑者:2017/09/18(月) 19:50:27
 恭也がリビングに入ると、帰宅したフェイトとなのはをエイミィが出迎えているところだった。扉の開く音に気付いたフェイトが恭也を見つけると微笑みながら声を掛ける。

「あ、恭也、ただいま」
「お邪魔してます」
「ああ。
 テスタロッサ、悪いが後で手合わせを頼みたい。1人でデバイスを振り回していても分からない事が多くてな」
「…いいけど、お帰りって言ってくれないの?」
「いらっしゃいって言ってくれないんだ?」
「…間借りしているとはいえ、俺はこの家の住人ではないんだ。そんな厚かましい事は言えんよ」
「それくらい言ってあげればいいじゃん。固いなぁ恭也君は。
 そんな事言われたら私もお帰りって言えないじゃん」
「あなたは長く家族付き合いをしているんでしょう?それに将来的に家に入るなら問題ないじゃないですか」
「いや、そういう…ん?」

 もっと気楽に言って良いんだよと恭也を促そうとしたエイミィは、聞き流しそうになった恭也の台詞に首を傾げた。今、彼は何と言った?

「エイミィ、クロノと結婚するの?」
「わぁ、おめでとうございます」
「っな!?ふ、ふ、2人とも何言ってるの!?
 無い!無いよ!そんな事!!
 恭也君、何言い出すの!」
「場所は鍛錬に使っていた公園で良いだろう。テスタロッサ、直ぐに行けるか?」
「どうして話が進んでるの!?
 恭也君、さっきのちゃんと訂正してよ!」
「テスタロッサ、高町。リミエッタさんが恥ずかしさのあまり赤面している。
 その話はここまでにしよう」
「締め括ってどうすんの!」
「クロノ君と結婚するのは恥ずかしいんですか?」
「べ、別にクロノ君だから恥ずかしい訳じゃないよ!」
「え?結婚する事が恥ずかしいの?」
「テスタロッサ、察してやれ。
 神聖な行為であろうと年頃の女性にとっては恥ずかしい事もあるらしい。特に異性に対しての感情は本人にも分からない場合があるそうだ。感情は理屈ではないからな。
 お前たちももう少し大きくなれば、自然に知るようになるんじゃないのか?」
「そうなんだ、エイミィ、大人なんだね」
「フェイトちゃん!?違う、違うよ!私達何もしてないよ!?」
「は?」

 ヒートアップして墓穴を掘りかけたエイミィを救ったのは部屋中に鳴り響くエマージェンシーコールだった。
 瞬時にして表情と共に思考を切り替えたエイミィがモニター室に入り操作を始めると、後を追った3人が部屋に入る頃には、シグナムがどことも知れない荒野で巨大な百足の様に見える何かと戦っている姿が映し出されていた。

「シグナム」
「え?」
「…違ったか?」
「あ、ううん、合ってるよ」

 姿を見て徐に呟いた恭也にフェイトが驚き、声を上げた。たった一言だったが声の響きに暖かい感情が篭っていた様に感じたのだ。
 だが、聞き返す恭也からは何も感じ取れなかったし、なのはも特に反応している様子がないので勘違いだったのだろう。そう結論付けたフェイトは意識をモニターに映るシグナムへ戻した。
 別室に居たアルフが合流する頃にはその次元世界にいるのがシグナム一人だけである事が判明していた。ヴィータやザフィーラは別行動のようだ。

「シグナムが相手なら私が出るよ」
「うん、お願いね、フェイトちゃん」
「私はどうしますか?」
「なのはちゃんは待機してて。見つけられたのは1人だけだから、赤い方のヴィータって子が別行動してる可能性が高いと思う。
 アルフと恭也君も待機ね。使い魔の男も現れてないし、恭也君はまだデバイスの慣らしも済んでないんでしょ?」
「いえ、試験運転は繰り返し行っていますから問題ありませんよ。する事がないならテスタロッサに付いて行きます」
「え!?」
「だ、駄目だよ。敵は物凄く強いんだから恭也君じゃ勝てるわけ無いじゃん!」

 余程驚いたのかエイミィの台詞は彼女にしては珍しく物凄くストレートな内容だ。
 だが、フェイトとなのはがその内容に驚き絶句している横で恭也はショックを受けた様子も無く平然としていた。

180小閑者:2017/09/18(月) 19:51:07

「それが順当な予想だとは分かっていますし、それを覆して見せるといっても信じては貰えないでしょうね。
 では、別の観点から提案し直しましょう。
 連中は、今のところ殺人を犯していません。リンカーコアを抜き出すためとも考えられますが、自分達の存在を隠す積もりなら抜き出した後ででも殺すべきだ。それをしないということは、何の意味があるのかは知りませんが、少なくとも自分に余裕がある限り、敵対する者の命を奪う積もりは無いのでしょう。それなら、俺の命は保障されたようなものです。
 そして、テスタロッサとシグナムの実力は俺が見る限り拮抗している。それなら、勝率を上げるために先に捨て駒をぶつけて少しでも敵を疲弊させるべきです」
「うっ」
「そ、それはちょっと、…ずるいんじゃ」
「ほう。敵を打倒して自分の方が強い事を見せ付けたいということか。なかなか自己顕示欲が強いじゃないか」
「ち、違うよ!」
「それなら目的を見失うな、阿呆。
 あいつらを止めたいのだろう?
 自分達が間違ったことをしていると知っていて、尚、他人を害してリンカーコアを集めている連中から事情を聞いて、誰も不幸にならない解決策を模索したいんだろう?
 目的が手段を正当化する、とは言えないが、集団で戦う事が卑怯だと言うなら弱い者は強い者に従っていろ言っているのと変わらんぞ?」
「あ、う」

 恭也に捲くし立てる様に並べられた言葉に誰も言い返せなかった。
 間違いなく恭也にとって都合の良くなるような観点からの理屈だったが、聞いた限り即座に反論できるほどの穴が見つからず、何より決して敵は待っていてくれない。

「うぅ、分かった。この現場には2人で向かって」
「良いの?エイミィ」
「時間がないんだから何時までも悩んでらんないよ。
 ただし!絶対に無事に帰ってくる事!いいね!?」
「善処はしましょう。
 後でハラオウン提督に説教を受ける時には同行します」
「やっぱり、なんか拙い事なの!?」
「滅相もない。単に判断ミスの可能性を言っているだけです」
「嘘だ、絶対確信犯なんだ!
 はぁ、この場での責任者は指揮代行である私なんだから、恭也君の案を採用した責任は私にあるんだよ。気持ちだけ受け取っとく」
「この場合、確信犯とは言いませんがね。
 分かりました。後日何かしらで埋め合わせはしましょう」

 エイミィの台詞は当然ではある。
 提案者が持つ責任は、様々な視点から現状に適した方策を考案し、採用者(イコール責任者)の判断材料を増やして支援する事だ。そして、提示された案を採用するかどうかは、採用者が決める事であり、方針を決定する責任は採用者が取るべきものである。
 当然、提案された内容が相応しくないと判断した場合には、採用者の責任において不採用としなくてはならない。
 “恭也に提案されたから”などと言い訳しようものなら執務官補佐失格である。

「恭也、急いで!」
「ああ、すまん。
 …手を繋げば良いのか?」
「うん。
 っわ、おっきい手だね。それにゴツゴツしてる」
「気分の良いものではないだろうが、我慢してくれると助かる」
「そんな事ないよ!暖かいし…凄く、安心できる」
「…そうか?まあ、兎に角急ごう」
「あ、ごめん」

 そんな会話を交わしつつ姿を消した2人の居た方向を眺めていたなのはがポツリと呟く。

「…いいなぁ」
「…管制室。ここは管制室なの…」

 アラーム音が鳴り響いた直後の緊迫感など既に何処にも存在しない。尤も、手を繋ぐのが恥ずかしいからといって頭を鷲掴むような男と手を繋ぐ機会は確かに少ないだろう。
 目の幅涙を流すエイミィの様子を無視するように、なのはが先程の遣り取りについてに尋ねた。表情も口調も至って平静であることから、エイミィの呟きは聞こえなかったようだ。

「エイミィさん、恭也君が出ちゃったら何か拙かったんですか?」
「う〜ん、相手が相手だけにやっぱり不安ではあるんだよね。
 敵が対戦者を殺していない事だって、経験則であって、理由が分からないから安全とは言い切れないし。そもそも、致命傷ではないとは言っても無傷じゃないしね」
「そっか。
 そういえば、恭也君もまだ、デバイスには慣れてないんでしたね。本当はこれからフェイトちゃんと練習しようとしてたんだし」
「そうなのかい?」
「あ、そう言えばそう…ああー!」
「にゃあ!?
 エ、エイミィさん?」
「どうしたんだい!?フェイトに何か!?」
「そうだ…、リンディ提督から『相応の実力が認められない限り戦場には出さない』って言われてたんだ…」
「あ…」

 虚ろなエイミィの視線の先、モニタに映し出された異次元の荒野にはシグナムに追いついたフェイトと恭也の姿があった。

181小閑者:2017/09/18(月) 19:57:15

【Thunder Smasher】

 フェイトの放った雷撃魔法がシグナムを締め上げていた触手を持った巨大な百足の様な生物を一撃で葬り去った。
 結果的に労せず拘束から抜け出す事が出来たシグナムは、しかし、憮然とした表情で手助けをしたフェイトを見やり、同時に彼女の左手にぶら下がる様に掴まる恭也に気付いて片眉を跳ね上げた。

『ちょっとフェイトちゃん…敵を助けてどうするの?』
「あ、ごめんなさい」

 何故か弱々しいエイミィの声に内心で首を傾げつつもフェイトが謝罪すると、恭也が助け舟を出す。

「いや、あれで良い。敵の目的がリンカーコアの蒐集である以上、妨害する手段としては有効だ」
『だからって、先制攻撃するとか出来たでしょう』
「速度重視で来ましたから俺達が辿り着いている事は気付かれていますよ。
 百足もどきに苦戦していたのは生け捕り目的だったからでしょう。その気になれば何時でも抜け出せたはずだ。
 テスタロッサの存在に気付いていながら雑魚にかまけている様な、攻撃力しか能の無い阿呆にアースラの武装局員が遅れを取っている訳ではないでしょう?」
『…本当に良く口が回るよね」
「随分、含みのある言い方ですね」
「身内を引き合いに出して反論を封じるなど、真っ当な精神構造では出来んだろうからな」
「敵にまで言われるとは。
 俺は新参者でな、味方と言っても身内と言えるほどの関わりはないんだ。
 テスタロッサ、もう放してくれて大丈夫だ」
「え、この高さから?…じゃあ、放すよ?」

 残り10m以上の高さから危なげも無く着地する恭也を見やり、シグナムが目を細める。

「ほう。てっきり、テスタロッサが一人身の私に当てつけるために連れてきた恋仲の男かと思ったんだがな。
 その体術と先程の毒舌、ただの優男ではないな」
「な!?ち、違います…」
「否定する時には最後まではっきり言った方がいいぞ、テスタロッサ。
 シグナムといったな?毒舌に何の関係があったのかは知らんが、優男というのは優しげな男の事、一般的に美男子を指す言葉だ。
 皮肉として使うにはありきたり過ぎるし、本気で言っているなら眼科に行くか街中で審美眼を磨いてから出直して来い」

 言い切った恭也から視線を外したシグナムが恭也の背後に降り立ったフェイトを見ると、彼女も不思議そうに恭也の背中を見つめていた。
 恭也の顔は造作も整っていると言える範囲だし、何より視線に強い意志が宿っている(仏頂面なので表情には表われ難い)ため、美醜を超えて人の意識を惹き付ける。実際、“美人”と見なされる顔とは“平均的な顔立ち”という説もあるくらいなので、魅力とは顔立ちだけで決まるものではないだろう。
 結局、個人の好みに依存する程度のものではあるが、恭也の顔は10人に聞けば半数以上にはカッコイイと評価して貰える位には整っている。つまり、恭也本人が評価しない方の半数に属しているのだろう。

「別に間違ってないと思うけど…」
「何の話だ?」
「お前達はここに雑談をしに来たのか?」
「ふむ、それでも良かったんだがな。身の上話でもしてみないか?」
「断る。
 態々来てくれたのだ。有り難く蒐集させて貰う」
「性急だな。では、お前達の目的を明かしてくれたら俺のリンカーコアを提供しよう。それでも不服か?」
「恭也!?何を言ってるの!」
「交渉か。だが、お前達管理局は既に我々が闇の書のプログラムの一部であることを知っているだろう。我等が主の情報以外に自身のリンカーコアを掛けてまで知りたい事があるとは思えんが?」
「では、闇の書を完成させて何をする気だ?世界征服か?それとも世界平和か?」
「さあな」
「答えられん目的か、目的そのものが主に繋がるか。そのくらいは知っておきたかったがな」

 交渉決裂とばかりに恭也が抜刀した。右手に小太刀、左手に小太刀型アームドデバイス、それぞれを順手に握り、しかし構える事無く自然体のままでシグナムと対峙した。

「流石に態々付いて来て傍観という事は無い様だな。だが、お前のその灼熱の日差しに真っ向勝負するような黒尽くめの服は騎士服、いやバリアジャケットではないな。余裕の積もりか?」
「試してみれば分かる事だ。あと、色は趣味だ。ケチを付けるな。
 テスタロッサ、悪いが先に出るぞ」
「なんだ、一人ずつか。親切な事だな」
「残念ながら連携出来るほどの練習はしていなくてな。
 さて、久しぶりに二刀が揃った事だし名乗らせて貰おうか」

 気軽に言葉を紡ぎながらゆっくりと二刀を構えた恭也を離れた場所から見ていたフェイトは、照り付ける日差しの暑さも通り過ぎる風の音も消失した様な、正確には認識できなくなった事に気付けないほど、身体中の全感覚が恭也から逸らせなくなった。

「永全不動 八門一派 御神真刀流 小太刀二刀術 八神恭也」
「!」

 シグナムは言葉を失い恭也を見つめた。

182小閑者:2017/09/18(月) 20:01:45
 恭也は名乗ると同時にそれまでの隙こそ見せないながらも弛緩した雰囲気を、一瞬にして触れれば切れてしまうと思わせるほど張り詰めたものに一変させた。
 だが、勿論シグナムが意識を奪われたのはそこではない。恭也が流派を名乗った事に驚愕したのだ。
 流派を名乗るという事は、これからの行動は全て流派の代表者としての振る舞いである事、そしてその行動に嘘偽りが無いことを自分の流派の名誉に掛けて宣言しているのだ。
 流派の名誉は剣士にとって命よりも尊いもの。それが次元も年代も超えてなお、剣士の共通の認識である事は、草間一刀流の道場で指南役を勤めている間に確認している。
 つまり、恭也はこう言っているのだ。

“ヴォルケンリッターとは袂を分かち、敵対する”

 シグナムは恭也の言葉の意を汲み取ると、感情を押し殺し、表情と態度に細心の注意を払いながら、自らも名乗り返す事で恭也の意思に応えた。

「ヴォルケンリッター 烈火の将 シグナム、そして我が剣 レヴァンティン」
“承知した。今、この時より我等は貴様を敵と見なす”

 その言葉と意味に満足げに目を細めた恭也の様子から、彼の期待に応えられた事を察したシグナムは内心で安堵した。
 自分も彼も剣士だ。意見が対立すれば敵対する可能性がある事は百も承知だ。だが、最後の瞬間だけでも家族の意に沿う事が出来た事が嬉しかった。
 その喜びを胸に、目を閉じて長剣を上段までゆっくりと掲げる。
 再び目を開いたシグナムからは、ただ眼前の敵に対する闘志だけが溢れていた。



 シグナムは上段に構えたまま感覚を研ぎ澄ませ、恭也の様子を伺う。
 恭也は右足を引いた半身で、やや前傾。左手のデバイスを水平に寝かし胸の高さに構えている。
 草間の道場で一振りの木刀を両手で構えていた時にも堂に入ったものだと感心した覚えがあったが、二刀を構えた今の姿と見比べてしまえば明らかに一刀は錬度が足りない事が分かった。あの時は、道場での立会いであった事、得物の長さが違う事が恭也にとってのハンデだと考えていたが、一刀であった事こそが最大のハンデだったのだ。シグナム自身も全力を見せた積もりはなかったが、恭也の方が隠していた引き出しの数は多かったのだろう。
 道場で見た彼とは別人だと思わなければ危険だ。
 それは、左手に握るアームドデバイスの存在を差し引いたとしても変わる事の無いシグナムの見解だった。

 彼我の距離はおよそ20m。
 魔法戦において近距離と言えるこの間合いは、白兵戦においては距離を詰めなければ攻撃の届かない遠距離だ。
 恭也がこの短期間に魔法を習得していて、魔法戦を仕掛けてくる。そんな意表を突いた戦法がシグナムの脳裏を掠めた瞬間を見透かしたかのように、恭也が柔らかな砂地をものともせずに猛烈なスピードで前進を開始した。

 恭也の選択は至極真っ当なものだ。
 仮に恭也の魔導師ランクがシグナムと並ぶ程のものだったとしても、それは才能でしかない。
 なのはですら、魔法に初めて触れた頃は、現在と比べて“稚拙”と評価せざるを得ない技能だったのだ。勿論、“習い始めたばかりにしては驚異的な技能”であっても“絶対的な評価からすればまだまだ低レベル”というのは当然だ。
 ましてやシグナムは高位魔導師との戦闘経験も豊富な歴戦の魔道騎士だ。強力な砲を撃てたとしても、戦術どころか戦技とも呼べない様な単発の魔法を使う駆け出しの魔導師など何の脅威にも成り得ない。
 シグナムが予想した、恭也が取る可能性の最も高い、そして恭也が勝利する可能性が僅かでも存在する戦法とは、剣術を主軸とした白兵戦のみなのだ。

 砂を蹴り上げながら距離を詰める恭也のスピードは、シグナムに肉薄する頃には道場での踏み込みに見劣りしない程になっていた。それは道場での手合わせ以外に恭也の戦闘行動を見ていないシグナムを驚愕させるに足るものだった。
 砂地では固い地面を走る様には移動できない。砂が変形して力を逃がしてしまうからだ。
 足で地面を押すと同じ大きさの、向きを反転させた力が跳ね返ってくる。この反作用を移動の際の推進力にしている訳だが、このベクトル成分の内、鉛直方向分が体を持ち上げ、水平方向分が体を前進させる。地面を蹴る力を効率良く推進力に変えるには、水平方向に地面を蹴れば良いのだが、砂地ではこの理屈を適用する事が難しい。水平に力を加えれば砂が飛散して力が逃げてしまうからだ。砂が移動しない程度の角度と力で砂地を蹴らなくてはならないのだ。原理は違うが、摩擦の少ない氷の上を移動するのと同じ現象である。
 恭也はこの問題を地面を蹴る回数を増やす事で解決している。一蹴りで得られる推進力が少ないなら回数をこなして合計値を合わせれば良い、という理屈なのだが、魔法で飛翔すれば済むシグナムからすれば、その解決方法を発案する事も実行する事も実行出来る事も正気の沙汰とは思えなかった。

183小閑者:2017/09/18(月) 20:02:24
 シグナムが驚愕を振り払い、恭也の突進にタイミングを合わせる。
 恭也の移動方法は突飛ではあるが、理屈の通ったものだ。そして、理屈に沿っている以上、この移動方法では急激な制動も針路変更も出来ない事になる。ならば、如何に砂地における移動としては非常識なスピードであろうとそれ以上のものではない。

 だが、この男がただ突進するだけ等と、そんな単純で無様な真似をすると誰が信じるものか。
 警戒レベルを最大まで高めろ。
 魔法の有無など関係なく、この男は危険だ!

 シグナムは恭也の行動を予想する事を放棄した。砂地での移動一つとってみても基盤となる技術の隔たりが大き過ぎることが分かる。下手に予想すれば先入観を生み、虚を衝かれた時に反応が致命的に遅れかねない。
 恭也の一挙手一投足を観察し、リアルタイムで次瞬の動きを予測し、それらの行動を積み重ねる事で恭也が目指す成果、つまりは戦術を洞察する。
 シグナムの行動はまさしく、対等の敵を迎え撃つためのものだった。

 シグナムの間合いの2歩手前で前傾だった恭也の姿勢が起き上がった。意図を察したシグナムが瞬時に間合いを詰める為に飛び出すが、それすら考慮の内だったのか体を起こした恭也は動揺する事無く、つっかえ棒の様に右足を前方の地面に突き立てた。
 突進による運動エネルギーが集約されたその一歩を受け止めた地面は、反作用として何割かを恭也に跳ね返しはするものの、エネルギーの大半を砂を弾き飛ばす事に転換し、結果、砂の瀑布が出来上がった。だが、恭也の行動を阻止出来なかったシグナムは、巻き上がる砂に動じる事無く、滝の向こう側にいる恭也を見据えていた。

 阻止する事は出来なかったが、シグナムが相手ではそもそもこの技(蹴りつけるだけでは有り得ないほど砂が舞い上がっている事からも分かるように特殊な踏み込みをしている)の効果が半分以下しか発揮されないのだ。
 砂を舞い上げたのは単純に姿を隠すためなのだが、その方法として目潰しとブラインドの二つの役割が込められている。だが、シグナムの騎士服は肌が露出している様に見える頭部や手足も保護しているため、機能の一部であるバリアが蹴り飛ばした程度の砂など完全に遮断するのだ。そして、飛散する砂のブラインドには恭也の位置を隠し切るほどの厚さと密度がない。

 シグナムは彼我の距離が自身の間合いに達した事を把握すると、恭也の間合いまで踏み込ませる前に上段に掲げたままのレヴァンティンを袈裟に振り下ろした。軌跡を斜めにする事で水平方向の射程範囲を広げた斬撃は空間に舞う砂の壁を切り裂きながら恭也へと迫り、しかし、剣に加えられた力によってベクトルの向きを強制的に変えられた。それは、確認するまでもなく恭也の仕業でしかなく、確信出来るのはこの一撃だけで終わりであるはずがないという事だ。
 シグナムの確信を裏切る事無く、恭也は更に踏み込むと、シグナムの斬撃を逸らした右の薙ぎ払いの回転運動をそのまま利用して左の小太刀型デバイスを振り抜いた。

「ああ!」
『嘘!?』
『凄い!』

 フェイトとエイミィ、なのはが展開された光景に思わず叫び声を上げるが、当事者であるシグナムは騎士服を切り裂かれた事に対して驚愕も焦燥もなく、翻って切り上げてきた右の小太刀を弾き返した。

 当然だ。二刀を構える姿を見た時から分かっていた。対等な実力を持つと認めた恭也の刀が騎士服を切り裂いた事に対して驚く理由が何処にある?
 何より、騎士服がその役割を全うしているからこそ、恭也の刀は肌まで届いていないのだ。あの威力の斬撃を受ける事は想定の範囲内。言ってしまえば騎士服の防御力未満の攻撃は幾ら受けても問題にならないのだから、シグナムの戦い方は恭也に今以上の斬撃を放たせない、あるいは喰らわない事だ。ただし、それとて決して容易なことではない。シグナムは、今の斬撃とて回避行動を取れていなければこの程度で済んでいなかったと思っている。

184小閑者:2017/09/18(月) 20:03:21
 長刀と短刀の戦いでは間合いの奪い合いになる。
 至極単純な図式として両者の腕力を同等と仮定して考えた場合、振り回された長刀を停止させた短刀で受け止める事は出来ない。腕力に加えて運動エネルギーが加算されるからだ。当然、立場を逆にした場合にも適用される内容だが、距離を詰めていった場合に先に間合いに到達するのは長刀である事を考えれば、この条件は長刀の利点と考えるべきだろう。
 振り回された長刀に対して同様に短刀を振り回してぶつけたとしても相殺するには条件が必要になる。長刀の方が質量が大きい分、速度との乗算であるエネルギーが大きいし、回転速度が同じなら回転の中心から離れるほど速度が増すため、これも長刀に分がある。相殺に必要な条件とはこれらを逆に考えて、長刀以上の速度でぶつけるか、短刀の先端で長刀の鍔元にぶつけるかをしなくてはならない。
 では、短刀の間合いではどうなるか。
 よく聞く通り、取り回しは短刀に分があるだろう。長刀とて短刀と同じ長さの部分だけ使用する積もりであれば切り付ける事も出来るが、物理的にその先がある以上、短刀よりも質量も大きく、先程長所として上げた中心点から離れた先端のエネルギーが逆に作用して刀の加速を鈍らせる。
 刀に運動エネルギーを与えるのが自身の両手である以上、大きなエネルギーを長所とする長刀は、短所として長刀にエネルギーを与えるための時間が多く必要になるのだ。つまり、同等の運動エネルギーであれば軽量の短刀は速度が速い。そして、人間の皮膚を切り裂くには大きなエネルギー量を必要としない。
 これらの優劣を覆すために技術が生まれた訳だが、逆説的に技術を持ってしか埋められない根本的な優劣が存在する以上、戦う上で間合いを制する事は絶対的なアドバンテージを得る事になる。
 ましてや二刀流の恭也はこの傾向が更に顕著になる。
 敵の間合いでは、片手で剣を握るため敵の攻撃を受け止める事が難しくなる。両手であれば、鍔側を握る手を支点とし柄尻を握る手を作用点とした梃子の原理が適用できるので、刀身で受けた敵の刀と拮抗させることが出来るが、片手では刀身に掛かる力により発生するモーメントを握力のトルクだけで対抗しなければならないからだ。
 逆に自身の間合いにおいて左右の刀で切り付ければ一刀の敵が対応する事はまず出来ない。無論、刀での「斬る」という動作は刀を叩き付けるだけでは成立しないので二刀を同時に出す事はないが、それでも圧倒的な優位性が覆る訳ではない。
 また、古流の場合はどの流派でも基本的に卑怯万歳、生き残りさえすれば良いという思想がある。今回、恭也は長刀の間合いを過ぎ、短刀の間合いに至る為に使用した砂の目晦ましもその思想からだ。だが、この場の思い付きで出来ることではない。ただ砂を蹴り飛ばしたとしても人の頭の高さまで砂を上げる事は出来るものではないし、敵に狙いを悟られるほどあからさまな予備動作をする訳にもいかないからだ。この技が砂地の少ない日本国内では日の目を見る機会がほとんどない事は分かっているはずだが、何時来るかも知れないその日のために練習していた事になる。
 古流で言う“戦い”が“殺し合い”を意味する以上、同じ相手と二度戦う事を考慮する必要はない。ならば、10回戦って1回しか勝てない実力差があろうと、最初にその1回を引き当てれば良く、そのための努力を惜しむ事は文字通り自殺行為と言える。奇策に頼り、溺れてしまっては意味が無いが、小太刀の間合いという圧倒的なアドバンテージを比較的安全に得る事の出来る手段を持つ事は重要なことだろう。

185小閑者:2017/09/18(月) 20:04:57

 恭也の攻勢が続いた。
 無論シグナムとて怠けていた訳ではない。凌ぎ、躱し、防ぎ、時には騎士服の防御力に任せて敢えて受けもしたが、恭也との間合いを広げる事が出来ないのだ。
 草間の道場で出来た事が実戦であるこの場で出来ない。それは恭也が実力を意図的に隠していた事を意味する。二刀流である事だけではない。小太刀と木刀では長さも重量も違うため、間合いも踏み込み速度も剣速も重さも違う。対峙した時に思ったのとは別の意味でも、道場で仕合った彼とは別人だ。
 だが、時間が掛かりはしたがシグナムは恭也の動きにも慣れてきた。恭也の戦い方は二刀と言う手数の多い利点を生かした文句の付けようのないものだが、この世界の住人では持ち得ない騎士服の防御力がそれを覆した。
 万全の体勢からの斬撃以外はほとんど無効化出来てしまうなど、恭也の世界では反則と言える機能だ。魔法世界では「実力の違い」と斬って捨ててきたその事実にシグナムは僅かな後ろめたさが心を過ぎる。それは恭也が当然の事と受け入れているからこそ助長される。
 だが、シグナムの侮りにも似たその思いは、恭也に冷水を浴びせかけられ消え去った。

 恭也の左の一撃を弾き、反撃に転じようとしたシグナムの脳裏に最大級の警鐘が鳴り響く。思考を挟む間も無く反射的に上体を反らすと、

警戒網を掻い潜ったかのように右の小太刀がシグナムの胸元を掠めた。

 僅かな痛みに刃が届いた事を悟る。切り裂かれたのは血が滴る程度の皮一枚分。だが、傷を負った事そのものより、右の薙ぎ払いに反応出来なかった事実にシグナムは混乱した。
 恭也は常に二刀を振るい続けている。ならば当然左の斬撃を受けている最中だろうと右の刀にも注意を払っていて然るべきだし、実際に直前までシグナムはそうしていたのだ。あの瞬間、あの右の刀から意識が外れた、いや、外されたのか!?
 シグナムの混乱を他所に、恭也の右の小太刀が翻り唐竹割が放たれる。
 混乱を引き摺りながらもシグナムが今度こそ両刀に意識を向けながらレヴァンティンを切り上げ、背筋を走る怖気に従い柄から離した左手に鞘を顕現させ、

鞘が実体化した瞬間、レヴァンティンをすり抜けた右の小太刀がシグナムの鞘と激突した。

 斬撃を防いだシグナム自身が驚愕に目を見開く。
 馬鹿な!何故、そこにある!?
 シグナムの驚愕も、攻撃を防がれた事にも、突然現れた鞘の存在にも拘泥する事無く、恭也が連撃の流れを滞らせることなく次の攻撃態勢に移行する様子を目にしたところで、シグナムが恭也より先に手札を切った。

「レヴァンティン!」
【Sturmwinde】

 主の呼び掛けに答え、レヴァンティンが魔法を発動、シグナムは狙いを付ける事無く地面に向かってその衝撃波を叩き付けた。騎士服の防御力に任せて被爆を覚悟で放った一撃だったが、地面の砂を爆散させはしたものの、既に恭也は安全圏まで退避していた。おそらく、魔力の高まりを感じ取って即座に行動したのだろう。バリアジャケットを装着していない恭也にとって魔法による攻撃はそれだけで脅威となるため警戒するのは当然だ。
 だが、シグナムにはそれで十分だった。もとより体勢も崩せていない状態で放った技を恭也が喰らう事など期待していない。攻撃を中断させ、距離を取る事を目的にし、達成できたのだ。それ以上は望むべくもない。

186小閑者:2017/09/18(月) 20:07:22
 冷静さを取り戻したシグナムは恭也を見据える。
 先程の2撃が技術なのか魔法なのかは未だに判断できないが、方法はともかく結果が分かれば対処の仕方もある。
 この戦いではあれを破る事は出来ない。ならば、出させなければ良い。
 弱腰にも思える考え方だが、当然の対処でもある。目的を達するために戦っているのであって、敵を打倒する為に戦っている訳ではないし、ましてや敵の技を破って勝ち誇ることには何の意味もない。
 そして、ここに至れば認めざるを得ない。剣の技量において恭也は自分を超えている。
 勿論、今回の一方的な展開は奇策により間合いを詰められた事が原因であると分かっているが、それを成功させた事も含めて技量だ。そもそもあの砂のブラインドで隠したかったものは、姿そのものではなくレヴァンティンの剣筋を逸らす為の最初の一薙ぎだったのだろう。見えていれば対処のしようもあったあの一薙ぎが勝敗を決したのだ。その意図を看破できなかった事こそが敗因と言える。
 おそらく騎士服を纏わず、魔法を使用しなければ、10回仕合ったとして5つは勝てないだろう。懐に入り込ませなければシグナムが勝利出来るが、恭也は正攻法でも間合いを詰める手立てを持っているに違いない。

 悔しい、と思う。羨ましい、とも。自分よりも強い者に対してこの思いを抱くのは当然だ。
 だがそれ以上に、尊い、と思う。
 武術は魔法程極端に生まれ持った素養が実力を左右するものではない。同じだけの修練を修めても上り詰められる者が一握りでしかない事に変わりはないが、威力のある術を組む事で飛躍的な効果を得られる魔法より、一つずつ積み重ねるしか道がない武術の方が道のりが険しいと思うのはシグナムの贔屓目だけではないだろう。
 どれほどの時間と汗と血を供物として捧げれば、この歳でこれほどの実力を身に付けられるのか想像もつかない。

 だが。
 それでも。

「魔法に頼る事無く、その若さでそれだけの技能を修得したことに対しては敬意を払おう。
 だが、何時までも付き合っている訳にはいかない。この力を持って押し通らせて貰うぞ」
「…」

 シグナムの宣言にも恭也は答えない。表情すら揺るがせる事無くシグナムの姿を注視している。
 その、流派を名乗った直後から変わらない、自らを剣にした姿こそが、彼の描く御神流剣士としての在り方なのだろう。





「凄い…」

 なのはの口から零れた言葉は、恭也への賞賛だった。7階級も上位の魔導師相手に手傷を負わせられる者など他には居ないだろう。
 だが、その内容に反して、彼女の表情は強張っていた。
 この均衡はシグナムが魔法を使用すれば呆気なく崩れ去るだろう。恭也が魔法を使う姿は見た事がないし、Fランクの魔法がどの程度の威力を持つのかなのはには実感できないが、誰に聞いても同じ答えしか返してくれなかった。
 “焼け石に水”
 恭也の非常識さを目の当たりにした者でさえ、なのはへの気休めの言葉にすら否定的な響きが含まれていた。恐らく、それは当の本人さえ認めている事実だ。
 それが分かっていても、圧倒的な力の前に立ち塞がろうとしている。

 何が彼をそこまでさせるのかが分からないなのはには、彼の願いを手伝う事が出来ない。
 だから、せめて無事に帰ってきてくれる事を心の中で祈った。




 再び対峙したシグナムと恭也だったが、今回は睨み合いは続かなかった。恭也に予想を上回る行動を取られる事を警戒したシグナムが即座に仕掛けたのだ。

【Explosion】  ッガシュン!

 シグナムの意思を受けたレヴァンティンがカートリッジから魔力を抽出、シグナムとレヴァンティンの固有特性である炎熱変換によって剣身に炎を纏う。それはシグナムの決め技の一つであり、シュツルムファルケンを除けば1,2を争う破壊力を持つ「紫電一閃」を放つための準備だ。ファルケンを選択しなかったのは発動までに時間が掛かる技では恭也に先制されてしまうと判断したからであって、恭也の安全を考慮して威力を落とした訳ではない。何故なら、紫電一閃は並みの魔導師ではバリアジャケットごと切り捨てられる威力がある「必殺技」と称しても決して誇張表現ではない技だからだ。バリアジャケットを纏っていない者であれば消し炭に出来るだろう。

187小閑者:2017/09/18(月) 20:09:32
 そもそも、致命の威力を忌避するのであればシグナムは攻撃魔法を使う訳にはいかない。非殺傷設定を持たないシグナムにとって、攻撃魔法は純粋に“魔法で防御力を上げている敵を打ち破る術”なのだ。魔法を使用していない恭也に対して行使すれば、シグナムの持つ如何なる攻撃魔法であろうと命中する事は即ち命を奪う事になる。言い換えれば、シグナムがカートリッジを消費してまで紫電一閃を放つのは、恭也の命を絶てる威力があろうとも他の魔法では用を成さないと判断したからに他ならない。
 ベルカ式の魔法は近接戦に特化している。そして武器を介して直接魔力を叩き込む事を基本としている以上、一撃の威力が大きい半面、単発になる傾向がある。ヴィータのようにオールレンジで戦えるベルカの騎士の方が稀なのだ。その事は日が浅いとは言え管理局に属している恭也も知っているだろう。ならば、たとえ命中すれば致命傷を被る攻撃であろうと躱しさえすれば反撃のチャンスになる、という絵空事の様な“言うに易い理屈”をこの男なら実現して見せる可能性がある。そして、この男が数少ないチャンスを何度も手放すとは思えない。他にどんな手段があるかなど想像も付かないが必ずシグナムを脅かす何かを仕掛けてくるだろう。ならば、限りなく低い可能性さえも潰えさせるためにも、恭也の回避範囲全域を攻撃対象とするしかない。
 極めて乱暴な方法だ。そもそも恭也が回避を選ばなければその時点で恭也の身が消滅しかねないのだ。
 シグナムとて恭也を殺害する事など本意ではない。幸いこれまで取ってきた方針のお陰で、無力化さえ出来れば命を奪う事が無くとも恭也との関係を疑われる事は無いはずだった。しかし、殺さないための手加減、つまりは魔法を行使する以前での決着というシグナムの目論見は恭也自身の手によって脆くも崩されてしまった。
 恭也の技量を目の当たりにしたシグナムには、魔法抜きでの恭也の制圧があまりにも細い綱を渡った先にあることが理解出来ている。後先を考えずに没頭出来るのならばシグナムとて心弾むこの戦いに全精力を費やす事に何の躊躇もないだろうが、今は戦う事を目的とする訳にはいかず、この後にはフェイトも控えているのだ。

 万が一にも負ける事は許されない。
 恭也が自分たちと敵対する道を選んだように、自分達は誰を敵に回そうとも主はやてのために闇の書を完成させると決意したのだ。

「行くぞ」

 聞かせるためではなく、自らの躊躇を断ち切るための言葉を呟くと、シグナムは飛翔魔法で恭也との間合いを猛烈な勢いで詰めていった。当然の様に先程恭也が技術を駆使して走破した速度を上回るその移動方法に対して、恭也は目に見えるような反応を示す事無く注視していた。
 攻撃を回避するにはタイミングが重要になる。回避行動を取るのが早すぎれば攻撃軌道を修正されてしまうからだ。恭也が未だに行動を開始しないのはそのタイミングに至っていないと判断しているのだろうが、それはつまり、回避距離が短くなるという事だ。
 最小限の動きで敵の攻撃を回避するのは武術の基本的な思想ではある。しかし、それでも普通はフェイントを交える事で的を絞らせないようにするのがセオリーと言えるのだが、恭也に回避運動を行う様子はない。
 何より、“数mmの間合いで刃を躱す”という実現するには非常に困難な理想的な回避方法は魔法のない世界でしか通用しない。余波だけで岩くらい砕きかねない威力を伴った攻撃に対して実行するには、相応の防御力が必要であり、バリアジャケットを纏っていない魔法初心者の恭也に実現できるとはシグナムには思えなかった。そのことにシグナムの中で小さな焦りが生じる。

188小閑者:2017/09/18(月) 20:10:39
 シグナムの中に芽生える逡巡を他所に彼我の距離がなくなる。シグナムは余計な思考を排斥すると振りかぶっていたレヴァンティンを恭也に向けて叩きつけるために両の腕に力を込めた。そしてそのまま斬撃のためのモーションを起こした瞬間、シグナムの目にはアームドデバイスを握っている恭也の左手が霞んで見えた。
 シグナムにとって攻撃をするには変更の効かない絶妙のタイミングではあったが、およそ小細工をするには遅過ぎる間合いでもある。
 紫電一閃には恭也のどんな行動であろうと叩き伏せる威力がある。その自負の元、狙いを定めて技を放とうとしたシグナムの眼前、文字通り両の眼球の直前で同時に何かが弾けた。そう気付けたのは、抑える事の出来なかった反射行動として目を瞑り僅かに顔を背けた後だった。
 恭也は実質的には何の脅威にも成り得ない威力しか持たないその“何か”によって、シグナムの視覚と攻撃の妨害という破格の成果を叩き出したのだ。
 だが、紫電一閃の一連の動作を体に染み込ませているシグナムは、キーとなる初動を入力した事で、停滞する事無く恭也の居た空間に向かって技を放っていた。

--ッズドン!!

 爆音と共に地面が爆散した。舞い上がる砂埃と膨大な熱量による光の屈折で視界は利かないが、直径が優に20mを超えるクレータが出来ているだろう。だが、シグナムは周囲への警戒心を最大に高めていた。

 何の手ごたえもなかった。その事実にいたく自尊心を傷付けられた。
 命中していれば恭也を消滅させていたのだから、躱されて良かったのだという思考もあったが、そんなものでは感情は納得してくれない。
 この結果は自分の驕りが原因だ。
 攻撃魔法を使う事を決めた時点で、恭也との実力差は大きく開いた。この認識が間違っている訳ではない。
 しかし、それは恭也の実力が下がった事を意味しない。どのような手札を隠し持っているか分からない、油断ならない強敵。その評価を無意識の内に取り下げてしまっていたのだ。
 なんという浅はかさか!
 このような醜態は二度と許されない!
 警戒を怠るな。恭也は必ず何処かから攻撃の機会を窺って


【SIiiiiMPLE IS BEeeeST!】



「…は?」



 シグナムは寸前まで纏っていた緊張感を霧散させると、背後を振り向きながら音源である上方を振り仰ごうとして視界を縦断する影を見つけた。
 影に視線を向けた時点で、既に恭也は地面に接触していた。素直に「着地」と表現しないのは小石を水の表面で跳ねさせる水切りの要領で、猛烈なスピードで砂地の表面を水平方向にバウンドしている最中だったからだ。
 砂煙を撒き散らしながら20m近く転がって漸く停止した恭也は、体中についた砂を払いながら起き上がった。距離がやや離れているため、ただでさえ読み取り難い表情は更に判別が付かなかったが雰囲気としてバツが悪そうにしている事は分かった。
 そんな恭也に向かってシグナムが口を開いた。これだけはどうしても確認しなくてはならない。

「1つだけ聞きたい。
 先程絶叫したのは、おまえか?」
「断じて違う!」

 間髪入れずに力強く否定したことから考えても、本人も余程恥ずかしかったのだろう。御神の剣士としてのスタイルもかなぐり捨てて、断固とした態度である。



 その、先程までの殺し合いから団欒の場面を編集で繋ぎ合わせたかのような場面転換に、爆発に巻き込まれた恭也を見て叫び声を上げる事も出来ずに固まっていたフェイトが、肺に溜まった空気を大きく吐き出すことで、止まっていた呼吸を再開した。
 呼吸と共に停止していたのではないかと思える心臓も、サボっていた分を取り戻す様に猛烈な強さと速さで拍動している。
 綱渡り、どころか、まるで糸を渡っているようだ。バランスを崩さずとも加減を間違えただけで糸が切れてしまうような危うさの中、漸く命を繋ぎとめたと言うのに瞬時にして気持ちを切り替えるなど、恭也の精神構造はどうなっているのだろうか?しかも、これだけの実力差を見せ付けられても恭也は自分と交代する積もりはないだろう。糸渡りはまだ終わっていないのだ。
 数日前の模擬戦で幾ら殴られてもダメージが無かった事を思えば、あの時ですら手加減をされていた事になるが、そんな事は既にフェイトの思考の片隅にもなかった。

189小閑者:2017/09/18(月) 20:11:50
「さっきのはデバイスの起動音だ」
「そうか。起動音にそれを選んだ訳か」
「それも違う!製作者の趣味だ!
 まったく。さっきまでの緊張感が粉微塵だ」
「対戦相手の気勢を殺ぐ事が目的だったなら、目論見通りと言えるんじゃないのか?」
「担い手の気勢まで粉砕していては本末転倒だろう。
 勘弁してくれ、おやっさん…」

 恭也のぼやきに苦笑を見せながらも、シグナムは彼の挙動から一瞬たりとも視線を外す事はなかった。
 デバイスの起動音に呆気にとられたのは事実だったが、恭也が地面に着地する様を見た時点でシグナムは冷静さを取り戻していた。軽口を叩いたのは確認作業に過ぎない。
 わざわざ魔法を使用して自由落下による垂直の速度ベクトルを水平方向へ変化させて、地面を転がりながら落下の勢いを殺している姿を見て、シグナムは恭也が負傷している事を察したのだ。
 起動音が上空から聞こえたことから、垂直方向に吹き飛ばされた事は分かる。だが、フェイトにつかまって現れた時には10mの高さから難なく降りたっているのだ。空中で停滞できなかったのも、飛翔して地面に接触する前にUターン出来なかったのも、単に魔法に不慣れなためか魔法の適正が低いからだと考えればそれで済む。それでも敢えて着地を不確実な魔法に頼らなくてはならなかった事自体が、恭也が負傷している証拠と言える。
 つまり、シグナムの呆れ口調の問い掛けに返事を返したのは時間稼ぎだ。立ち上がった恭也は左半身を前にしているため詳細は分からないが、上着の右袖とズボンの右裾が破れているようだ。熱により破損したのなら生身の肉体も火傷を負っているだろうし外傷だけとは限らない。
 負傷の程度の確認か、痛みをやり過ごそうとしているのか。そこまで恭也の思考が読み取れる訳ではないが、魔法を使い始めたシグナムを相手にして、デバイスの起動音ごときに呆気に取られる余裕が恭也に無い事だけは確かなことだ。

 恭也が紫電一閃を妨害するために放った金属の針は、技の直後に周囲を警戒していて見つけている。飛来物に因って目を背けさせられる直前に恭也の左手が霞んで見えたので投擲したのは左手だった事はわかるが、寸前までデバイスを握っていた手で隠し持っていた針を引き抜いて投擲し、自由落下を始めたデバイスを再び握り直した事になる。それだけの早撃ちでありながら、高速移動する自分の眼球を正確に狙撃したなどとは信じたくない話だが、闇雲に投げた針の数がたまたま2本で、それが偶然目の位置だったなど有り得ない。
 デバイスを起動させた時に自分の背面に居た事から、針を投擲して視界を晦ませた後、自ら前進して交差する事で斬撃を躱した事が推測できる。魔法で発生した炎を纏った剣で切り付けた事から、その威力が術者の前方、せいぜい扇状に広がると推測しての行動、いや博打を打ったのだろう。術者を中心にして放射状に破壊力を撒き散らす術だったならその時点で恭也の命はなかったのだが、賭けに出なければどの道未来はなかったのだから選択の余地などなかっただろう。
 そこまでして尚、恭也は紫電一閃の余波で空高く舞い上げられた。如何に舞い上げられた原動力が空気とは言え、「爆圧」だ。衝撃波で鉄筋製のビルを崩壊させる事すら出来るのだから、爆風に晒された恭也が致命傷を負っても何の不思議もない。少なくとも紫電一閃にはそれだけの威力があるのだ。しかし、風圧で飛ばされたからこそあの程度の火傷で済んだとも言える。仮に恭也がバックステップして斬撃の範囲から逃れていたなら本当に消し炭になっていたところだ。
 だが、恭也は術の余波に考えが至らなかった訳ではないだろう。紫電一閃に対して剣を合わせる事すらしなかったという事は、それだけの威力があると見積もっていたからだ。「炎」から「爆発」を連想する事もそれほど難しい事ではなかった筈だから、斬撃を躱すだけではなく出来る限り距離を取りたいと考えていただろう。ならば余波は「食らってしまった」のではなく「喰らわざるを得なかった」のだ。その理由は、紫電一閃を妨害するために恭也が「時間」という対価を支払った事にある。
 恭也は術の余波を往なせるだけの距離を取るために必要な、何物にも変え難い貴重な「時間」を費やすことで、針を投擲するタイミングを得たのだ。針に因るダメージが皆無である以上、早過ぎれば即座に体勢を立て直して斬りつける事が可能だったと自分でも分析できるし、遅過ぎれば斬撃が届いていただろう。つまり、恭也は余波を受けるという代償を支払う事で、紫電一閃の本命である斬撃そのものを回避したのだ。

190小閑者:2017/09/18(月) 20:14:43
 そこまでの労力を費やして獲得した回避の隙にしても余裕などなかっただろう。如何に直前で標的を見失ったとは言え、それまではしっかりと照準していた以上、あのタイミングでは踏ん張りの利かないこの地面では素早く動く事が出来ないため半身になって躱した程度の筈だ。逆に言えば、余波とは言ってもそれだけの至近距離で受けて生き延びているのは、自分が斬撃の姿勢を崩された事が大きかっただろう。
 つまり、偶然という要素も含まれているとは言え、五体満足で生き延びていること自体が、魔法の使えない恭也が得られる成果としては法外なのだ。ならばそれだけの難行を成し得た報酬として、せめて恭也の体勢が整うまで戯言に付き合ってもいいだろう。


「さて、そろそろ続きを始めようか?」
「私の攻撃を目の当たりにして続行しようと言えるのは大した胆力だな。同じ事が二度通じると思っている訳ではないだろう?」
「逃げ帰って布団の中で震えて居たい位だが、お前たちを投降させる為には相応の対価が必要だろう。優勢にある者が敵の呼び掛けに応じる訳はないし、劣勢に立ってもお前が投降するとは思えん。叩きのめして拘束し、交渉の材料になって貰う。
 お前自身の身の安全では他の守護騎士への投降の対価にはならないだろうが、お前たちに殺生を禁じている主には交渉の材料になる筈だ」
「誰がそんな命令を受けているといった?」
「命令でないのなら、お前たち自身が主のために自ら禁じていることになるな」
「それも推測でしかあるまい」
「闇の書の守護騎士が、書の主のため以外に行動する理由があるものか」
「水掛け論だな。それに、お前が自らの命を削る戦いを継続する理由を答えていないな。先程管理局員になって日が浅いと言っておきながら、そこまでする理由があるのか?」
「…お前たちが蒐集活動を続ければ悲しむ人がいる。それだけだ」
「…そうか。
 私にも成さねばならぬ事がある。テスタロッサも待たせている事だし、次で引導を渡してやろう」
「そう急ぐなよ、お客さん。
 不破、弾丸撃発」
【Rock'n Roll!!】  ッバシュー!
「…おいおい。趣味に走り過ぎだろう」

 恭也のコマンドヴォイスに従いカートリッジをロードするデバイスにシグナムが目を見張る。起動音声に引き続きやたらファンキーな音声確認だったが、当然注目すべきはそこではない。苦笑を交えて呟く恭也にシグナムが問い掛けた。

「魔法が使えるなら何故今まで使用しなかった?少なくとも私が使い始めたのに合わせていれば先程の私の攻撃を躱すのに砂の上を転げ回る必要はなかったのではないか?」
「嘗めていた訳ではない。個人的な意地だ。それも先程跡形もなく粉砕して貰ったがな。
 何とかして御神流の技で決着を着けたいと思っていたんだが、“敗北”という結果では困るんだ。
 不破、身体強化」
【Circult of SOLDIER】
「さて。信条を曲げてまで縋り付いて手にした力だ。退屈はさせん。篤と御覧じろ」

 言葉と同時に恭也が駆け出した。
 40mの距離を詰めるべく駆ける恭也の姿は戦闘開始時を彷彿とさせるが、決定的な違いがあった。
 初速から全速。
 砂地では有得ない筈のその速度は身体強化では得られないものだ。だが、のんびりと併用している魔法を推測している猶予などない。小太刀の間合いに入られてはシグナムの持つ魔法では恭也の動きに対応する事は難しいのだ。
 シグナムは即座に飛翔し、自らも恭也との間合いを詰める。交差の瞬間、シグナムの斬撃を躱すために中空を駆ける恭也を見て、漸く彼の併用している魔法の正体がわかった。直径30cm程度の円盤状の魔方陣が垂直の壁を蹴るような姿勢になっている彼の足元に見て取れた。

 足場の形成。
 恭也以外の誰であっても、それ単体では効果の薄いその魔法は、恭也にとっては絶大な成果を齎すだろう。地という“面”を駆ける事しか出来なかった彼が、任意の“空間”を足場に出来ればその行動範囲に圧倒的な広がりを見せる。今回の様な不安定な足場であれば効果は絶大だ。恭也の跳躍は、自分が飛翔魔法を使用して旋回や方向転換を行った場合を圧倒的に上回る速度を持つ。つまり範囲こそ限定されているが超高速機動手段を手に入れた事になる。
 だが、それでも自分との戦力差は埋め切れない。
 恭也には魔法の才能がない。恐らく、あれ以上並列で魔法を起動する事は出来ないか、出来ても強い効果は得られない。一芸だけは自分をも上回るほどに秀でているが、それ以上の広がりがない。
 致命的なまでの攻撃力不足だ。

191小閑者:2017/09/18(月) 20:17:57

 シグナムはそう結論を下す自身の理性を笑い飛ばした。あの男にそんな常識に納まっているほどの可愛げがあるものか!
 シグナムが空中に停止して振り向くと、既に恭也が追い縋って来ていた。流石に速い、そんな賞賛が思考を掠めるが、勿論油断はしない。
 突拍子もない事を当たり前のように仕掛けてくる恭也を相手にして“待ち”を選択するなど下策ではあるが、彼に攻撃をヒットさせるのは容易でない事も想像が出来る。もしかするとヴィータの中距離誘導型射撃魔法シュワルベフリーゲンすら空間を駆ける恭也なら躱しきるかもしれない。そして、シグナムには使い手の良い空間攻撃法がないのだ。ならば、騎士服の防御力を頼りに攻撃で動きの鈍ったところへカウンターを打ち込むのも一つの手だ。

 恭也は間違いなく格下だ。それにここまで梃子摺る事自体がイレギュラーなのだ。
 シグナムの持つどんな攻撃でも一撃入れば沈められる。だが、その一撃が入れられない。これ以上ずるずると戦いを引き延ばされて消耗すれば後に控えているフェイトとの戦いに影響するし、今はまだ来ていないが時間が掛かるほど増援が来る確率が跳ね上がる。
 その一方で、恭也が次に何を仕掛けて来るかに心を躍らせている自分がいることにも、シグナム自身気付いている。

(この攻撃が躱されたら次こそ紫電一閃で決着を着ける)

 誰にも聞こえないその言い訳を胸中に留めて、接近する恭也を睨み付けていると突然自身の周囲が明るくなる。それが恭也の使用している足場のための魔法陣が同時に複数展開されたためだと理解する前に、シグナムはレヴァンティンへ防御を命じた。

「レヴァンティン!」
【Panzerhindernis】

 展開したのは全方位をカバーする障壁パンツァーヒンダネス。高い防御力と引き換えに術者の行動を封じるためシグナム自身は歴代の守護騎士としての人生を通して数えるほどしか使用した事のないその防御魔法が発動した瞬間、凝視していた恭也の姿が忽然と掻き消えた。
 次瞬、障壁上を斬撃が走り回る。シグナムの全方位から聞こえてくるその斬撃音と、初撃に獣の鉤爪の様に四本同時に刻まれたものを初めとした連続した斬線が、攻撃者が本当に一人なのか、両の手に握った二振りの刀だけなのかと疑いたくなるものだった。
 驚愕のあまり思考の停止しかけたシグナムの引き伸ばされた時間間隔では何分間にも感じられたその斬撃の嵐は、実際には2秒にも満たない内にガラスを砕く様な硬質な音と共に停止した。
 シグナムが愕然とした面持ちで視線を向けた先に見たものは、砕かれた無残な障壁ではなく、足場を踏み抜いて明後日の方向へ体を投げ出す恭也の姿だった。



「ッゼェ、ッゼェ、ッゼェ、ハッ」

 シグナムはパンツァーヒンダネスを解除すると、吹き飛んでいった先で不時着し、戦闘態勢を取りながら乱れた呼吸を整えようとしている恭也の方向を見やる。流石に視認出来ないスピードで飛んでいっただけあって、20m以上離れている。魔法初心者が形成した足場に耐えられなかったのも頷ける面はある。間抜けだが。
 息を乱している恭也を見て、シグナムは漸く今までの魔法に頼らない戦闘行動において恭也が呼吸を荒げている姿を見た覚えがない事に気付いた。勿論、恭也にとって大した運動量ではなかった、という事ではなく、消耗の度合いを敵に悟らせないようにしていたのだ。
 最終的にはあまりにも間抜けな形で強制終了したようだが、あの時、使用する魔法の選択を誤っていれば流石に無傷では居られなかっただろう。

「ゼェ、普通、ハァ、格下相手に、ックゥ、完全防御は、ハァ、大人気ないんじゃないか?」
「あれだけの真似をしておいて良く言うな。
 それにしても、先程姿を消して攻撃したのはどんな魔法だ?」
「…こんなに息を切らせて見せているんだから、根性を入れて走ったと考えるのが礼儀じゃないのか?」
「そんな礼儀は知らん。が、やはりな」

 問い掛けると同時に瞬時に呼吸を落ち着けて見せた恭也にシグナムは呆れるしかなかった。先程の攻撃が体術である事は分かっている。魔法の発動を感じなかった以上、これは絶対だ。それでもシグナムがあれを魔法だと思い込んでいる姿を見せると、すぐさま呼吸が乱れている事こそが演技だったように見せかけた。
 恭也自身が本当にシグナムを騙せたと思っているかどうかは微妙なところだが、大抵の者は彼の態度に疑心暗鬼になるだろう。何が本当で何が嘘なのかがとても分かり難い。あまりにも非常識な事を何気なくやって見せるから尚更だ。

192小閑者:2017/09/18(月) 20:20:14
 楽しい。非常に楽しい。
 一度の対戦でここまで次々と驚かせてくれる者は初めてではないだろうか?
 奇を衒う魔法を次々に仕掛けてきた者は居たが、恭也のそれは常識を無視して予想の斜め上を行くものではあるがどれもが正攻法の延長にあるもののようだ。
 だが、これ以上は本当にまずい。これ以上深みに嵌まる訳にはいかない。

「惜しいとは思うが、次で最後だ。
 正面から来い、とは言わんが逃げるなら全力で逃げろ。
 半端な真似をすれば、死ぬぞ」
「怖い事を笑顔で言うな。不殺の誓いはどうした」
「先程言っただろう。そんな物はお前たちの推測に過ぎないとな」
【Explosion】  ッガシュン!
「やれやれ、少しくらい休ませてくれよ」

 炎を纏ったレヴァンティンを見ても軽口を絶やす事無く恭也が二刀を納刀した。当然、それは逃走のための準備ではないのだろう。そのまま刀の柄から手を放す事無くシグナムと対峙した。

 真っ向勝負。
 そう見せかけて絡め手で来る可能性も考えないではないが、今回ばかりは堂々と正面から来るだろう。と思う。もっとも、恭也にとっての正攻法が自分と同じ基準とは限らないだろうが。普通に考えれば、魔法の補助に期待できない恭也に紫電一閃と破壊力で競えと言うのは無理難題と言う物だ。
 そもそも、恭也に紫電一閃に対抗できる攻撃手段があるのだろうか?
 武器は耐えられるだろう。彼の身体強化が装備にも掛かっているのは、先の紫電一閃で所々焼け焦げている服が、目に映らないほどの高速行動にも耐えている事から推測できる。
 問題は攻撃そのものだ。身体強化を解除する事が自殺行為である事は分かっているだろう。
 攻撃は最大の防御、紫電一閃の攻撃力を完全に相殺出来るだけの威力を持つ攻撃魔法であればバックファイアから術者を守るための相応の障壁が展開されるため全て解決する。だが、当然の事ではあるがそれは高等魔法だ。魔法初心者の恭也に扱えるものではない。
 それに恭也が気付いているかどうか分からないが、仮に同威力の砲撃で競ったとしても正面からぶつかれば斬撃という一点に威力を集中している紫電一閃に軍配が上がる。
 常識の範疇に納まるならば恭也に対抗手段は無い。だが、彼は先程身を持って紫電一閃の威力を体感していながら正面から対峙している。命懸けのハッタリという事はないだろう、自信はないが。
 可能性の高い方法は先程の高速行動で斬撃を躱しての反撃だが、明らかに消耗を隠しきれなくなっている今、如何に身体強化が継続していようと再度実行できる技とも思えない。
 ならば、純粋な身体技能で紫電一閃に対抗するだけの破壊力を実現出来るのか?無理であって欲しいところだが、先程はテスタロッサの使っていたプリッツアクションと同等の事を成したという実績がある以上、油断は出来ない。

 そこまで考えて、シグナムは考えるのを止めた。集中が乱れて威力を落とすほど未熟ではないが、何をしてくるか予想の付かない恭也を相手にして他事を考えていては対応できる訳が無い。

 汗が滴る。
 日差しは強く、地面からの照り返しも焼けた地面から立ち上る熱もある。シグナムが騎士服により大半の熱を遮断しているのにこれだけ熱いなら、恭也が熱によって奪われる体力はどれほどだろうか。この日差しに長時間さらされるだけで日焼けどころか火傷するだろうに。
 片隅でそんなどうでも良い思考を弄びながら対峙していたにも関わらず、恭也の意思が混線したかのように駆け出す瞬間がピタリとあった。
 飛翔するシグナムと疾走する恭也は、その中間点で接触した。
 シグナムが上段に構えたレヴァンティンを振り下ろすのに対し、恭也は右手で腰に挿した八影を、それを追うように左手で左肩越しから不破をそれぞれ抜刀、一振りの剣と二振りの刀が同時に空間の一点で接触した。

193小閑者:2017/09/18(月) 20:22:33

「目が覚めたようだな。
 そのまま聞け」

 結界の中で意識を取り戻したボロボロの姿の恭也に、覚醒しきる前の意識で致命的な発言をしないように牽制してからシグナムが語り掛けた。

「テスタロッサのコアは蒐集させて貰った。言い訳は出来ないが彼女が目を覚ましたら“済まなかった”と伝えてくれ」
「…何故、俺のリンカーコアに手を出さない?」
「お前の貧弱な魔力では数行程度にしかならん。情けだとでも思っておけ」
「テスタロッサに頼まれたか?」

 シグナムの言葉を無視するように尋ねる恭也にシグナムが逡巡するが、直ぐにそれが答えと同義である事に気付いて言葉にして肯定した。

「…ああ。
 今のお前が戦う力を失えば、自分の体を誰かの盾にするためだけに戦場に出かねないと。
 同意見ではあったが従う義理も無かったので無視するつもりだったが事情が変わった。その程度で謝罪になるなら数行分くらい他で調達すれば良い」
「この結界は、テスタロッサか?」
「ああ、ここの日差しでは私との戦いに決着が付く前にお前が丸焼きになりかねんからな。
 感謝しておけよ?カートリッジまで消費して、細部まで丁寧に築き上げた一品だ」

 フェイトは結界魔法の適正が低い。使えない訳ではないが、術者の意識が断絶した状態で継続するほどの結界は日差しを和らげ気温を調整する程度の物とは言っても容易いものではない。
 からかう様な台詞を顰めた顔のまま口にしたシグナムが、両手で抱き上げていた気絶したフェイトを結界内の恭也の隣に横たわらせようとしたところで、恭也が苦労して上体を起こし両手を差し出してきた。誤解しようの無い、フェイトを受け取る仕種に対してシグナムが意外さを表情に表しながらも無言で応じた。
 気絶している人の体は重く感じるものだが、恭也は軽い仕種で横抱きのまま受け取った。もっとも紫電一閃で受けたダメージはやはり深刻な様で動作は酷くゆっくりとしたものだったが。それでも、そのまま胡坐を掻いた足の上にフェイトのお尻を乗せて、上体を自分の胸に凭れ掛けさせた。たったそれだけの動作に呼吸を乱しながらも、力を失って傾くフェイトの頭を肩で支えながら、恭也がポツリと呟いた。

「阿呆が、人の心配をしている場合か…」

 それは言っている本人にも適用される言葉だったが、既にその場に聞いている者は居なかった。



     * * * * * * * * * *

194小閑者:2017/09/18(月) 20:24:45
     * * * * * * * * * *



「シグナム、恭也と戦ったってホントか!?」
「ヴィータ、少し落ち着け」
「落ち着いてるよ!どうなんだ!?」
「騒ぐとはやてちゃんを起こしてしまうわ。落ち着いて」

 シャマルがヴォルケンリッターに対する絶対的な強制力を発動させる魔法の言葉を口にすると覿面にヴィータが口を閉じた。それでも表情だけでシグナムを急かしている辺り、いかに恭也のことを心配していたかが見て取れる。
 負傷した恭也が管理局に収容された時の出来事は聞いている。負傷については直ぐに治療が施されている事は想像出来るためそれほど問題にしていなかったが、恭也のヴィータに対する態度を不審に思われたのではないかという点を非常に気にしていたのだ。

「ああ。ちゃんと管理局員として振舞っていた」
「そう、か」
「良かった、って手放しに喜べないところが複雑ね」
「俺としては恭也が前線に出てくるというのは意外だが。もっとも資料庫に立て篭もっていられる風でもなかったがな。実力はどうだった?」
「梃子摺らされた。次から次に予想を上回られた」
「戦場に現れるだけの事はある訳だ」
「そんな可愛げのあるレベルではなかった。極めつけは紫電一閃に真っ向からぶつかってきたぞ」
「はぁ!?知らないからって無茶にも程があんだろ!
 っつーかシグナム!恭也相手に何本気出してんだ!」
「そうよ!恭也君を殺す気!?」
「落ち着け、2人とも。
 …それほど恭也の実力が高かったのか?」

 興奮する2人を宥めたのは唯一冷静さを保っていたザフィーラだが、流石に疑わしげに問い掛けた。その当然と言える反応にシグナムがどこか誇らしげに答える。

「紫電一閃は二度放ったんだ。
 一度目は魔法の補助も無しに躱された。余波で跳ね飛ばしはしたが初見であそこまで見事に躱されては言い訳もできん。
 二度目は一度目で威力を実感していながら、身体強化しか使えないくせに正面から打ち合いに来た。結果は、奴は衝撃で意識を失い、私はレヴァンティンが刃毀れした」
「刃毀れ!?いや、正面から打ち合って生きてんのかよ!?」
「流石に見た目はボロボロだったし目を覚ましてもまともに身動きが取れない様だったが、紫電一閃の8割方の威力を相殺された事になる」
「ちょっ、待ってシグナム!恭也君、身体強化しか使ってなかったってほんとなの!?」
「使えない、と表現する方が正しいようだ。魔導師としての適正は低いらしい」
「では、身体技能だけでそれだけの威力を発揮したというのか!?」
「そうなるな。方法は全く分からんが、レヴァンティンが言うには強力な振動波を放っているようだ。恐らく武器破壊を目的とした技なんだろう。
 先程は8割を相殺と言ったが、刃毀れを起こしたレヴァンティンが自壊しないために威力を抑えた事も含めてだ」
「それでも、それは恭也君が刃毀れさせた事による成果ね」
「ああ」

 シャマルの正当な評価に満足げに答えたシグナムが静かに興奮していた。恭也との戦闘を反芻しているのが丸分かりだ。

「それにしてもこの短期間に魔法を使えるようになっていたとはな」
「登場した時から八影の他に同じ様な形状の刀を差していたんだが、待機状態にしていなかったから私も初めはアームドデバイスだとは気付かなかった。
 最初は魔法を使わずに済ませようなどと甘い考えを持っていたら、たいした時間も掛からずに追い詰められて使わされたよ」
「剣技だけでシグナムを上回るのかよ。振動波を打てるなら出来ない訳は無いんだろうけど…何に驚けばいいのか分かんねぇな」
「確かにな。しかし、恭也は何故最初から魔法を使わなかった?出し惜しんで命を危険に晒すタイプではなかったように思うが」
「そこは私も不思議に思っている。実際、魔法を使い始めたら惜し気もなく仕掛けてきたしな。本人は『剣士の意地』と言っていたが、目的と手段を違えるような未熟さが残っていたのか?」

 その手の失敗は熟練者でも陥る可能性のある罠なので、完全に否定するほどの事ではない。ただ、それは長期間一つの事に携わっている場合に陥りやすい傾向にあるものだ。

195小閑者:2017/09/18(月) 20:25:16
 恭也が八神家に来た当初、“目的と手段”の話題でかなり明確な基準を自分の中に備えている様だったので少々違和感を感じたのだが。

「管理局側に何かを隠そうとしていたんじゃないかしら。
 恭也君、他に何かメッセージを伝えようとしていなかった?」
「…そうか、それなら辻褄は合う。不用意だったんじゃないかと思っていたが、管理局側でも流派への拘りを見せていれば隠せるはずだ」
「何だよ、一人で納得してないでさっさと言えよ!」
「開戦時に、あいつが正式に流派を名乗ったんだ」
「…え?」
「永全不動・八門一派・御神真刀流・小太刀二刀術 八神恭也」

 シャマルの口から零れた声にシグナムが砂漠で聞いた恭也の名乗りを口にした。

 この世界の剣術であればその戦技に魔法は組み込まれていない。だからこそ、恭也は名乗りを上げる事が不自然にならないように、流派の戦い方に拘る者として魔法を一切使わなかった。
 魔法を使わざるを得ないほど追い詰められてからは、流派の技こそ振るっていても、御神流の剣士として振る舞う事無く、軽口を重ねて見せた。

「…そう。誓いと警告ね」

 戦闘に直接携わらないシャマルも、剣士が流派を名乗る意味を取り違える事は無かった。
 ヴィータもザフィーラも無言のまま時が流れる。
 静寂を打ち破るようにシャマルが再び口を開く。

「誓いについては、良かった、って言うべきかしら。それとも残念ね、かしら?」
「勿論“残念”だ。この言葉は主はやてに宛てた内容ではないだろうが、それでも出来る事ならご報告したい言葉だった」
「そうね。はやてちゃん、一生懸命隠そうとしてるけど、やっぱり恭也君が居なくなって寂しく思っているもの」
「“管理局に所属しても八神として在り続ける”
 あいつが態々戦場に出向いて来たのは、その宣言をするためだけと言っても過言ではなかったんだな」

 流派を名乗るのは、嘘偽りが無いことを自分の流派の名誉に掛けて宣言する事。
 恭也はシグナムと戦う事が避けられなくなる事を知りながら、ただ2つのメッセージを伝えるためだけに、細い糸を渡る様な戦いに身を投じたのだ。

 “八神”である、と。はやての味方で在り続ける、と。

 文字通り、恭也が命懸けで伝えてきたその1つ目のメッセージを、今一番その言葉を欲しているであろうはやてに届けられない。
 自分たちという存在こそが、はやてに害を齎しいるのではないかという考えが浮かんでしまう。
 そして、恭也が名乗りに込めたもう1つの意味。それは先程脳裏を過ぎった否定したい考えを指摘するかのような内容。4人共が正確に読み取り、しかし、口にする事で認めたくない内容。

 八神として、はやてのために、ヴォルケンリッターを止める。

 それは名乗ることで誰しもが連想する表面上の意味と重なる、スパイとしてではない、事実上の敵対宣言だ。
 誰も恭也が寝返ったとは思っていないし、決して肯定している訳ではないだろうが今更犯罪行為を理由に中止を呼びかけてくるとも思っていない。つまり、こちらの言葉の裏には警告が込められているのだ。

 『ヴォルケンリッターの行動、あるいは存在そのものに、はやてに致命的な不利益を齎す可能性がある』と。

 ただし、それも有力ではあっても可能性でしかない段階だ。絶対の確証を得れば、形振り構わず八神家に押し掛けている筈だからだ。

196小閑者:2017/09/18(月) 20:25:59

 恭也が居なくなってから、一度だけ4人で協議した事がある。恭也が安全・確実かつ平和的な方法を見つけてきた場合には、潔く自首するというものだ。4人共、好んではやての命令に背いて蒐集活動を行っている訳ではないため、当然の結論ではある。
 しかし、蒐集活動がはやての害悪になるという可能性は想定していなかった。闇の書の主として覚醒すればはやては絶対たる力を手に入れ、その一部として肉体機能が万全になる。書の侵食による下半身の麻痺はもとより、病気の類とは一生無縁になるのだ。手に入れた力を悪用すれば確かに害悪とも言えるが、はやてがそれをするとは思い難いし、万が一そうなったとしてもそれはその時対処する問題だ。
 だからといって、恭也が軽はずみな行動を取っているとも思えない。管理局側に信用させるためのポーズとしては、事が重大すぎる。剣士としての側面を持つ恭也が戦場に立つ以上、殺される覚悟は勿論、状況によっては4人のうちの誰かに止めを刺す覚悟も出来ている筈だ。
 恭也が決意するほどの、せざるを得ないほどの懸念事項。それが何なのか誰にも分からない。
 しかし、恭也の調査結果を座して待つ事は出来ない。闇の書の侵食速度が速くなっているとシャマルが診断したからだ。原因は不明だが、状況的に見て恭也の不在によるはやての気力の低下が有力だろう。ならば、蒐集を進めて結果的に悪化させる可能性と、停滞させた結果有力な解決手段が見つからず蒐集が間に合わなくなる可能性、二つを秤にかけて4人は前者を選択した。どちらも可能性でしかないならば、自分達の知る手段を実行することにしたのだ。

「闇の書が完成して、はやてが真の主になって、それではやてはホントに幸せになれるんだよね?」

 ヴィータが漏らした弱音の様なその言葉に即座に同意出来る者は居なかった。




続く

197小閑者:2017/09/19(火) 21:45:53
第19話 悪夢



 全身に軽度の、そして右腕、及び右足に他より症状の重い火傷
 右耳の鼓膜の破裂
 右側の肋骨が3本骨折、2本に皹
 多数の打撲、打ち身、擦過傷
 過度の運動による糖分、蛋白質、その他の栄養素の欠乏。つまりは疲労。

「あいつの非常識さには慣れてきた積もりだが、それでも信じ難いな…」
「うん、7階級差の敵と戦って“この程度”で済んだなんて、誰も信じないよね。多分、遭遇して直ぐに逃げ出したって言っても疑われるんじゃないかな」

 シグナムとの戦闘による恭也の負傷の診断結果を見たクロノが零した感想にエイミィが同意した。
 戦闘中に意識が途切れた時点で戦いには負けているが、エイミィの言葉通り五体満足で生きている事自体が異常事態だ。
 逆に止めを刺されなかった事自体はそれほど特異な事ではない。ヴォルケンリッターがこれまでの蒐集活動で殺害を避けていた事とは関係なく、本来なら7階級も格下の敵とは塵芥と同義なので態々止めを刺すような手間を掛ける魔導師は少数だ。今回はフェイトが後に控えていた事も根拠を補強している。
 尤も今回の戦いを見る限り、恭也を相手にした者は、彼を脅威と認定して止めを刺しに来ても不思議ではないので、魔導師ランクを覆す事が良い事ばかりとは限らない訳だ。

「それもあるが、これだけ負傷しながら、決定的な戦力低下に繋がるような傷が無い。
 骨折の痛みを無視するのは簡単な事じゃないが、あいつなら体力さえ回復すれば平然と戦線復帰する。骨折したのは例の高速行動の前のはずだしな」
「…あ〜、確かに」
「困ったものね」

 その程度の感想で済んでしまう辺り、恭也の非常識度に対する共通認識はかなり浸透しているようだ。


 現在、艦船アースラの会議室の一室には艦の首脳陣が集まっていた。先の戦いの事後処理がひと段落して反省や方針の確認を行うためだ。

 恭也がシグナムと交戦を始めた後、暫くすると別の次元世界でヴィータを発見した。
 闇の書を携えている事からこちらが本命であると推測し、捕縛のためになのはが出撃するがヴィータを追い詰めたところで仮面の男の横槍が入り失敗に終わった。
 しかし、エイミィが悔しがる暇も無く駐屯地である海鳴のハラオウン邸に設置した管理局と同レベルの防壁が組まれているシステムが、クラッキングを受けて即座にダウンさせられた。
 通常であれば有り得ないその事態に対してエイミィがすぐさま対処に乗り出せたのが、自分の中の常識という価値観を覆される事に慣れてきたお陰かどうかは不明だが、短時間でシステムを復旧させる事に成功。だが、時既に遅く、補足できたのは結界内で寄り添って座り込む傷だらけの恭也と気を失ったフェイトの姿だった。
 試験運行中だったアースラが現地へ急行して2人を収容し、即座に治療を行えた事で大事に至る事は無かったのが不幸中の幸いと言えるだろう。
 リンカーコアから魔力を吸収されたフェイトが意識を取り戻したのと入れ替わるように今は恭也が眠りについている。
 正確に表現するならば、疲労と負傷で何時気絶しても不思議ではないほど体力を消耗しているはずの恭也が全く眠らなかったため、治療に託けて魔法で眠らせたのだ。
 勿論、恭也が治療を拒絶していた訳ではないし、起きていたからといって治療できない訳でもない。実際、恭也の傷は鼓膜の再生も含めて治療が終了している。だが、蓄積した疲労を回復するには睡眠は不可欠と言ってもいい。

 恭也に眠りの魔法を掛けた時、アルフがなにやら慌てていたため何か問題を抱えているのかと少々気にはなった。
 だが、クロノと同様に疑問を持ったフェイトが問い掛けても、アルフは言葉を濁して明言を避けていた。アルフが主であるフェイトに対してそんな態度を取る事は滅多に無い事を知っているだけに余計に気になったが、フェイトに無理強いする積りが無い様なのでクロノにはどうにもならなかったのだ。
 流石に致命的な問題を隠しているという事は無いだろうから、何か恭也が個人的に困るような事を知っているのだろうか?
 無いとは思うが、おねしょが治っていなくて医務局のベッドを水浸しにしていたら、指を指して笑ってやろうとクロノは心に固く誓っている。

198小閑者:2017/09/19(火) 21:46:41
「恭也は魔法に頼れない以上周囲の情報は五感で集めるしかない。多分、傷そのものより右耳が聞こえないことの方が深刻だろう。
 尤も、それさえも視覚や触覚で補っていたようだけど」
「目で耳の代わりは出来ないでしょ?」
「唇の動きを見て台詞を読み取る技術がある。
 実際、爆圧で吹き飛ばされた時、鼓膜が破れた右耳は勿論、左耳もまともに聞こえなかった筈なのに会話を成立させていたしね」
「え、あれって聞こえてなかったの?」
「確かに恭也さんはバリアジャケットを展開出来ないものね。あれだけ至近距離から生身であの爆発音を受ければ暫くは聞こえないか。
 幾ら我慢強くても骨が折れた直後は痛みが引くまで動作に支障が出るから、少しでも回復する時間を稼ぎたかったとは言え凄いわね」
「いえ、もっと深刻な問題があった筈です」
「肋骨の骨折以上に深刻って事?」
「ああ。
 あの時の恭也は三半規管が揺らされて平衡が保ずに、戦闘行為以前に歩く事もままならなかった筈だ。ゆっくりした動作とはいえ立ち上がれたのが不思議なくらいだ」
「…とてもそうは見えないけれど」
「ですが、着地の際に砂の上を転がり回っていたのは恐らくそれが原因です。
 あいつの身体能力ならあのくらいの着地で無様を晒すとは思えません」
「信頼してるんだねぇ」
「…知っているだけだ」

 面白がっているエイミィの視線から顔を反らして熱を持ち出した頬を隠すクロノを見てリンディが微笑む。年頃の男の子としては素直にその事実を認めるのは恥ずかしいのだろう。

 クロノには同年代の友人が少ない。プライベートの時間がなかなか取れないからだ。職場では役職上、同年代はほとんどが部下となり、軍事組織としての側面を持つ管理局では階級差があると馴れ合う事が出来ない。更に本人の気質がその関係を助長してしまう。
 訓練校を卒業してから脇目も振らずに局員として過ごしてきたクロノにとって、立場を気にする事無く接する事が出来る相手は貴重だ。
 ましてや、各分野の技能を水準以上に高める事で高い戦闘力を得たクロノに対して、一分野の技能をとことん高める事で他を補っている恭也の在り方はとても刺激になるのだろう。
 エイミィの追求を避けるためにクロノが話題を修正した。

「それに時間稼ぎ以外にも目的があったと思う。多分、敵に自分の情報を与えない為のハッタリも兼ねているんだ」
「情報?…ダメージの大きさや箇所の事?」
「そうだ。負傷を隠すのは戦闘の駆け引きでは重要な事なんだ。
 “どれだけ攻撃しても効果が無い”と思わせれば敵に攻撃を躊躇させる事が出来るかもしれない。
 不安にさせるだけでも集中力を低下させる事が出来る。
 敵の表情が見分けられる近接戦では必須技能と言っても良いだろう。
 もっとも、恭也のは異常だけどね。僕だって、診察結果とモニターを見比べたから推測出来たけど、実際に対戦しているシグナムの立場だったら何処まで気付けたか…」
「理屈では分かるけど、私もここまでする人にも、ここまで出来る人にも会った事は無いわね」

 エイミィは勿論だが、リンディも近接戦闘の経験は多くない。
 典型的なミッド式の魔導師であるリンディは距離を取った戦闘を基本とし、その“基本”だけでほとんどの敵を撃墜出来てしまえるほど優秀だったため、訓練以外では近接戦闘の場面はなかった。勿論、訓練結果は優秀だったが、実戦でなければ分からない事は多い。尤も、そもそも指揮能力が高かったため前線にいる期間も長くはなかったのだが。

 クロノは恭也の戦闘についての講釈が一区切りついたところで、バルディッシュが記録していたシグナムと恭也の戦闘シーンを見終えたリーゼ姉妹に声を掛けた。

「感想は?」
「非常識」
「異常者」
「うわぁ、物凄く端的な感想だね」
「頷けてしまう辺り、恭也さんに同情してあげるべきなのかしら」

 2人の至極真っ当な感想に苦笑を浮かべるエイミィとリンディ。もっとも、多少なりとも恭也の戦闘方法を事前に知っている3人にとっても、この展開は異常極まるものだ。

199小閑者:2017/09/19(火) 21:50:02

「ロッテ、君にならあの戦い方は可能か?」
「…大半の行動は、再現は出来る。でも、この戦闘方法自体は無理だね」
「使い魔の身体能力でもそうなんだぁ」
「エイミィ、ロッテが言っているのは身体能力とは関係ない部分だ」
「言ったろ?再現は出来る。身体能力自体はこのボーズより私の方が上だ。勿論、魔法の補助があるからこそだけどね」

 リーゼロッテは猫を素体とした使い魔だ。魔法が無くてはそもそも人型をとることすら出来ない。そして、人型を取った時点で通常の人間の身体能力を大きく上回る。
 それは一般人と比較すれば人間を逸脱したような身体能力を持つ恭也すら超えるものだ。ならば、恭也の戦い方が出来るのか、と言えばそういう訳にはいかないのだ。

「だけど、戦い方そのものは真似できない。
 どの場面を見ても、私なら絶対に採用しないような選択肢ばかり、いや、選択肢として発想しないものばかりを実行してる。それは私の持つ技能からすると最適じゃないから、ってのもある。アリアほどではないとは言っても私も魔法は使えるからね。
 そもそも私の存在が魔法の上に成り立っている以上、魔法を使わないなんてナンセンスだ。それでも敢えてこの戦い方をするとなれば、少なくともこのレベルに達するには相当な年月を費やして練習する必要があるね」

 近接戦闘では敵の攻撃に対して一から十まで思考を働かせて体を動かしていては間に合わない。だが、条件反射だけで戦闘を成立させる事も難しい。敵を打倒する事が目的とは限らないし、そうであっても反射行動では同じパターンの繰り返しになりかねず、それは隙となる。
 一般的に武術では“型”を体に覚えこませる。敵の行動に対して適当な型を選択して実行する事で全ての動きをその場でアレンジするよりも格段に動作が速くなる。勿論、一連の行動を体に染み込ませる事で動作そのものにも技の連携にも無駄を無くす事も大きな目的の一つだ。
 荒っぽい表現をするなら、格闘ゲームでコマンド入力すれば技が出せるのと同じ様なものだが、その“一連の動作”の長さが問題になる。
 ロッテが再現出来ると言ったのは、流派を名乗るところから紫電一閃に打ち負ける所までの全てを“一連の動作”とする事だ。だが、当然ながらこれでは実戦では使いようが無い。少しでも敵が違う動作をした時点でかみ合わなくなるからだ。
 普通は“一連の動作”とは一撃単位まで分割し、敵の動作に合わせて他の“一連の動作”と組み合わせるなどの応用が不可欠だ。
 ロッテが練習の必要があると言ったのは、動作の習得と習得した動作の選択を適切に行えるようになる事の2つがある。

「とは言え、私の目からするとシグナムが魔法を使い始めてからは、あの戦い方は全部が博打にしか見えないわね。
 彼の実力でAAAクラスと遣り合おうと思えばこの辺りが限界なんでしょうけど、普通はそもそも遣り合おうなんて発想自体が湧かないわ。
 無知って怖いわね」
「意外だな。『戦いに“絶対”や完璧は無い。敵の攻撃を予測し、自分の取れる最善を模索する事こそ戦いの本筋だ。自分より弱い者としか戦えないようじゃあ役に立たない』そう言っていたのは、アリア、君だったはずだ。
 それに恭也はシグナムの技を見ても怯む様子を見せていない。AAAの実力を知っていたとしても平然と挑んで行っただろうさ。内心はどうか知らないけれどね」
「クロスケが男の味方をするとは珍しいね?」
「待て!性別で態度を変えた事はないぞ!」
「男性への評価が辛口になるだけよね?」
「公明正大を心掛けてます!」

 寄って集って苛められるのは最早クロノの日常と化しつつある。逆らえない存在と苦手な者と天敵が集まればジリ貧でしかないが、最後の矜持とばかりにクロノは必死になって抗う。その反応こそが彼女達を焚き付けるのだが、そのことに本人が気付くのはまだまだ先のことのようだ。

200小閑者:2017/09/19(火) 21:54:49
「ロッテ、話を戻すが恭也が終盤に見せた高速行動や剣を交差させた攻撃も再現できるのか?」
「チッ、嫌なところを付いてくるね。
 あの2つは難しそうだ。高速行動魔法を突き詰めれば近い事は出来るかもしれないけど、たぶん同じにはならないと思う。
 あれは異常だ。あれほどの高速行動に思考速度が追い付けるとは思えない」
「そうね。でも、もしかすると追い付いていないかもしれないわ」
「どういうことだ、アリア?」
「今回は敵が完全な防御体勢に入っていたでしょう?動かない標的であればそれほど思考を挟まなくても斬りつける事が出来てもおかしくはない。
 同じ速度で動く敵に対しては同じ事が出来ない可能性があるわ」
「あ、そうか」
「確かに、仮面の男を弾き飛ばした時も反撃の肘打ちに対応出来ていなかったな」

 クロノにも今度のリーゼアリアの見解には一理あるように思える。
 確かに魔法を使わずにあれだけの高速行動が出来る事には脅威を感じるが、発想を転換すれば魔法を使えない恭也が力技でそれを補っているに過ぎない。…力技で補える事自体が驚異的なのだが、恭也の非常識さに驚くのもそろそろ疲れてきたのだ。

「それに、何よりもあれほど疲弊するようでは戦闘中においそれと使えないわ。文字通りそれで戦闘を決着させる決め技にしなくちゃならない。一対一でなければ使いどころは無いと言っても良いくらいでしょうね」
「脅威的ではあっても絶対的では無いという事か。
 剣戟の方はどうだ?」
「どうって言われてもねぇ、解析結果くらい教えてよ。
 あんな細い剣を二振り重ねたくらいでアームドデバイスを刃毀れさせられるとは思えないんだけど?」

 その感想は当然と言えるものだ。
 刀は西洋の剣とは違い、刀身が細く、見た目からして強度が低い。それは“引き裂く”あるいは“切り裂く”刀と、“叩き切る”あるいは“押し切る”剣との用途の違いでもある。小太刀は刀身が短い分、やや厚みを持つが、それでも刀の域を超えるものではない。
 ただし、この剣戟の異様さはそれだけではなかった。

「特に後から追った剣は先の剣に叩きつけてるんだから、普通一振り目が折れるでしょ?
 見た目だけを真似るなら、まあ、簡単じゃないけど練習すれば出来なくはない。だけど同じ成果は得られない。
 今言えるのはそれくらいだね」
「見た目を真似るだけでも簡単には出来ないの?」
「出来ないよ。
 エイミィには実感が湧かないかもしれないけど、全力で振った両手の剣を同時に交差させて当てるってのは難しいんだ。
 どの程度のタイムラグまで許容するかにも依るだろうけど、真っ先に思いつくのは、一振り目の後ろから当てるためには、二振り目は剣の幅の分だけ手前を到達点にしなくちゃならない。右と左で到達点が違う上に、敵の剣も高速で向かって来るんだから勘に頼る部分も少なくないだろうね。
 更に言うなら、剣を振った時の軌跡の中で威力の高い場所は限られてるからね。あれが技術の集大成だってんなら、ただぶつければ良いって訳じゃあ無いだろうさ。想像出来そう?」
「…はは、難しそうだって事はなんとなくわかったかな」

 リーゼロッテが憮然とした表情ではあるものの、正直に考えを口にした。
 戦闘に従事する者は無意味に見栄を張る事はない。必要な場面ではハッタリも使うし、手の内を隠すために嘘も吐くが見栄とは別物だ。
 何より、リーゼ達は恭也の戦闘技能を知る必要があった。
 何処からか紛れ込んで来た取るに足らない羽虫、その程度の認識だった恭也が、状況と方法によっては十分に脅威と成り得る事がこの戦闘記録で明らかになったのだ。リンディ達に不審に思われない範囲で恭也に関するデータを収集しなくてはならない。
 ロッテの疑問に特に警戒する様子もなくエイミィが苦笑しながら解析結果を答える。

「あれを真似するのは、まだ“難しいみたいだ”って思えただけマシかもしれない。中身の方はもうどうやってるのか想像もつかないんだよ。
 原理は不明だから現象だけ言うと、剣を叩き付けた時の衝撃を任意の点、この場合なら敵さんの剣に集めてたみたい」
「…ハァ?」
「あ、やっぱり想像つかない?」
「衝撃を集めるって言っても…、ブレイクインパルスの様なものかしら?」

 エイミィの言葉から何とか既存の概念に当てはめようとしたリンディが考え付いたのは、物質の持つ固有振動数を解析し、その周波数の振動波を送り込む事で対象を破壊する魔法だ。
 固有振動数による破壊は、実際に吊り橋などで発生した事例もある事から分かる様に純粋な物理現象であり、ブレイクインパルスはその現象を魔法で強制的に発生させているに過ぎない。
 それが人間に出来る事かどうかは問題ではない。既に非常識の領域を漂っている恭也に今更そんな事を言うのはナンセンスだ。

201小閑者:2017/09/19(火) 21:57:34
「いえ、あれとも少し違うみたいです。
 先に言っておきますが、推論でしかない事を忘れないでくださいね?
 彼がやったのは、10枚重ねたガラスの板を、上から叩いて5枚目だけを割る、そういう技術だと思います」
「…また、そんな絵空事みたいな事を…。
 じゃあ、後から追った左の剣の威力が、一撃目の剣を透過してシグナムの剣を破壊しようとしたという事か?」
「そうなるかな。
 一撃目と二撃目の破壊力が、両方とも同じ点で同時に炸裂したからこそシグナムの剣を欠けさせる事が出来たんだと思う。もしかすると、相乗効果みたいな現象も働いてるのかもしれないね」

 そう締め括るエイミィの頬は引き攣っていた。まだ、恭也の行動の非常識さに悟りを開く事までは出来ていないのだろう。尤も、この場に居る誰一人としてそんな事は出来ていないのだが。

「…まぁ、恭也君が敵じゃなくて良かったよねぇ。何してくるかわかんないし」
「この戦闘記録の後じゃ、私たちの報告なんて大した意味が無かった気もするけどね」
「そんな事はないさ。恭也とシグナムがグルで、こちらに信じさせるために演技している可能性もあったんだ」
「でも、恭也さんがデバイスを持てたのは偶然の要素が強過ぎるわ。お爺さんからは間違いなく魔法に関して初心者だって報告も受けてるし。
 結託しているとしてもシグナムが恭也さんの魔法戦闘の実力を知っていることは有り得ない。相手の力量も把握していない状態であそこまでギリギリの攻撃を仕掛けるとは思え難いわね」

 リンディが苦笑しながらこの戦闘が演技であった可能性を否定した。尤も、本当に命懸けで騙そうとしてくるやばい連中も居るため油断する訳には行かないので、リーゼ達の「異常なし」の報告が有ったればこその結論と言える。
 その点、恭也とヴォルケンズとの繋がりを知っているリーゼ姉妹の方が余程驚いている。
 リンディの台詞にあった通り、シグナムは恭也の魔法戦闘の実力を知らない筈なのだ。少なくともバリアジャケットを装着していない事から大した魔法適正がない事は推測出来る筈だ。にも関わらず恭也に対して全力攻撃を仕掛けるなんて想像もしていなかった。

 ひょっとして、仲悪かったの?

 共にアイコンタクトで片割れに問い掛けるが、2人で同じ疑問を発している時点で答えなど得られる訳が無かった。


 姉妹が仲良く睨み合っているのを訝しげに眺めていたクロノに医務局の局員からコールが掛かった。内容は目を覚ました恭也が呼んでいるので手が空いたら来て貰いたいとの事。

 本来、執務官は多忙であるため一個人が、それも民間協力者が呼び出して良い存在ではない。恭也側から面会に行くのも同様だ。役職を無視したら組織など成り立たない。
 だが、ここはリンディを艦長に戴くアースラだ。上位者側に選択権があるとは言え、その行為自体を咎められる事はない。
 クロノとしても先の戦闘について恭也に訪ねたい事がいくつか出来たため、出向く事にした。尤も、彼固有の攻撃方法に関しては知る事が出来ないだろうと諦めている。回答が得られたとしても真実では無い可能性が高いからだ。幾ら突飛な答えだったとしても、行動そのものが非常識なので嘘か本当か判断できないから性質が悪いにも程がある。
 あと半日は眠り続けるはずの恭也が目を覚ました事で、自身の医療知識に不安を抱く通信をくれた医務局員に、くれぐれも恭也の事例は無視するように念を押したクロノは一同に断りを入れて退室すると、当然のように追って来たエイミィを伴って医務室に向かった。

「それにしても、恭也君、随分早く目を覚ましたよね」
「今更その程度の事、驚く気にもなれないけどな」
「そうなんだけどね。
 ただ、恭也君からクロノ君に、って言うより自分から誰かに話し掛ける事って無かったから、何か関係があったりするのかなって」
「…流石に、よく見ているな」

 エイミィの言う通り、恭也はアースラクルーに自分から近付く事がなかった。

202小閑者:2017/09/19(火) 22:00:09
 別に、恭也にもっと社交的になれと言うつもりはないし、なのはのプロフィールを調べる過程で知ったこの世界の御神流の在り方からしても目立つ行動を取るとも思えない。
 そもそも、仮面の男の攻撃で負傷してアースラに収容されてからたいした日数は経過していないし、乗艦していた時間自体も極短いのだから、クルーの中に溶け込めていなくて当然とも言える。
 しかし、異邦の地だからこそ不安を軽くするためにも意識・無意識に関わらず、少しでも面識のある者と共に行動しようとするものだ。いくら肉体面・行動面が非常識な恭也であっても精神面まで逸脱している訳ではないと思いたいのだが、知己の仲だと思っていたなのは、フェイト、ユーノが相手であっても自分から話し掛ける様子はなかった。
 当初は監視カメラにより行動を捕捉していたため、この結果は間違いが無い。与えた部屋から一歩も外に出歩いていないため、監視するまでも無く得られた結論ではあるのだが。
 恭也のこの行動が何を意図したものなのかは分からない。
 距離を取る事でアースラクルーと馴れ合わないようにしているのか、意外にも本性は引っ込み思案の恥ずかしがり屋…無い無い、絶対無いし信じない。

「まぁ、行ってみればわかるさ。逆に言えば、あいつの事は確かめてみなくちゃ、一つとして分からないよ」
「そういう言い方も出来るね」

 クロノの見解にエイミィが苦笑を浮かべながらも相槌を打ったのを確認すると、クロノは医務局の扉を開け放った。
 見渡すまでも無く視界に入ったのは、体を起こして立てた片膝を抱くようにしている気だるげな恭也と、見舞い用の椅子に座るなのはとフェイトの後姿だった。

「失礼する。
 随分早いお目覚めの様だが体調はどうだ?
 …?何かあったのか?」
「お蔭様で。
 医者に止められてるからベッドを離れる事が出来ないんだ。ここまで来てくれ」

 クロノの入室に気付いて僅かに振り向いたなのはとフェイトの沈んだ表情に気付いて問い掛けたクロノの言葉が無視された形になったが、恭也に呼び寄せられた事で、大きな声では言い難い内容なのだと察して文句を口にする事無くクロノは恭也に歩み寄った。
 廊下側からは死角になっていて気付かなかったが、入室する事で壁際に立っていたアルフにも気付いた。感情が表れ易い彼女から読み取れるのは、“何かに失敗して落ち込んでいる”といったものだ。そして、アルフの表情と比較する事で、なのは達の表情が“心配”を源にしている事に気付けた。だが、収容された直後の恭也の姿なら兎も角、治療後の現在、心配しなくてはならないような傷が残っているという報告は受けていない。
 クロノはベッドに歩み寄るとなのは達を刺激しない様に落ち着いた声で恭也に問い掛けた。

「何があった?」
「なに、人の努力を水の泡にしてくれた礼をしたかっただけだ」ッズビシ!!
「☆#%ッ〜〜〜!?」

 予想もしていなかった恭也の攻撃が、クロノに想像を絶する痛みを引き起こした。
 執務官として前線に立ってきたクロノは、当然多くの傷を負ってきた。だから、ある意味慣れ親しんできたこれまでの負傷による痛みとは一線を画する恭也のデコピンによる痛みに悶え苦しむ事になった。
 額表面の皮膚は全く痛みを感じないのに、脳味噌が物凄く痛い。いや、脳組織に神経は通っていないそうなので、この痛みの発生源は頭蓋骨の内側辺りなのかも知れないが、そんな場所だけを負傷した事など無いので何処が痛いのか判断がつかない。
 声を漏らす事無く(漏らす事も出来ず)、蹲ってひたすら痛みに耐えるクロノに女性陣がうろたえる。
 これまで恭也が披露してきたデコピンは、被害者の顔が空を仰ぐため痛みが直ぐに連想出来たが、今回クロノの頭部は微動だにしていなかった。それにも拘らずクロノの痛がり様は今までの比ではないのだ。それでも誰一人としてクロノが大袈裟だと思う者は居なかった。絶対、恭也が想像もつかない方法で、言語に絶する痛みを与えたに違いない。

203小閑者:2017/09/19(火) 22:02:38
「ク、クロノ君、大丈夫?」
「ッ痛ぅー、いきなり何をする!」
「…フンッ、ただの八つ当たりに決まっているだろう」
「堂々と言い放った!?」
「どんだけ理不尽なんだ、お前は!?」
「チッ、浅かったか。復活が早いな。
 医者の言う通り、まだダメージが抜け切らんか」
「これだけやって、まだ不服か!?」
「台所に現れる生命力豊かなアレの様に床の上をのた打ち回らせてやろうと思ったんだがな」
「イヤー!見たくない、そんなの見たくないよ!クロノ君、こっち来ないでー!」
「エイミィ、突っ込み所はそこじゃないだろう!それから簡単に混同しないでくれ!」

 クロノが入室してからものの数分で場が混沌と化していく。
 理不尽なまでの速度で伝達してくるその空気にクロノも半ば取り込まれかけたところで、援軍と言うには心許無いながらも普段であれば同じ軍勢に参列してくれる筈の少女達が沈黙したままである事に気付いた。

「フェイト、なのは?
 …恭也、もう一度聞くぞ。何があった?」

 当初の雰囲気を取り戻したクロノが再度問い掛けると、小さく溜息を吐いた恭也が同様に雰囲気を一変させて口を開いた。
 クロノにとっては非常に迷惑な話ではあるのだが、今のはなのは達の意識を逸らす為の演技だったのだろう。

「…やっぱり、こうなるか。
 たいしたことじゃない。眠りが浅くなると魘される事があるようでな、それをこいつらに見られたんだ」
「…内容は察しがつくが、そんなに酷いならなぜカウンセラーに相談しない?錯乱して暴れた時に医局長に念を押されていただろう」
「自分では見れんから詳しくは分からんが、それほど頻繁にある訳じゃない。
 要らん心配をさせないために人前では眠らないようにしていたと言うのに、つい先程その努力が水泡に帰したと言う訳だ」

 言葉とともに投げつけられる視線を受け流しながら、クロノは“頻繁ではない”という言葉が嘘だと断定した。
 人間の睡眠は、眠りに就いた直後に一番深くなり、その後、浅く深くという振幅を繰り返しながらその平均が浅くなっていくものだ。つまり、恭也は一時的に浅くなったタイミングだったとしても後半日は眠り続けられるほどの深い眠りにありながら、魘されて目を覚ましたのだ。“見るか見ないか分からない”などと言うほど浅い傷ではないし、それが自覚出来ていないとも思えない。
 恐らくは隠しているのだろう。戦闘を生業とする家系に生まれ育ったためなのか、恭也は行動の根底に自分の情報を隠す面がある。何が出来て何が出来ないか、その範囲や補う方法、技能・思考・身体等、自身に関するあらゆる情報を隠している。何処の誰が敵もしくはそのスパイであるか分からないため日常においても見せる事はない。
 現代の日本では過剰に過ぎるそのスタイルを否定する事は出来ない。クロノとて情報の重要性は嫌というほど理解しているし、彼らにとっては死活問題なのだろう。
 だが、心の底から恭也の身を案じている少女達が居るのに、その思いを裏切るような真似をする事がクロノには許せなかった。

「いい加減にしろ!
 お前が自分の弱みを隠すのは勝手だが、無理を重ねて命に関わる事態に陥ったらどうする積もりだ!
 お前自身は満足かもしれないが、フェイト達がお前の事をどれほど心配しているか分からないのか!?」
「止めとくれ!」
「え、アルフ?」
「あんたが怒るのは分かるけど、キョーヤも一生懸命なんだ。
 キョーヤの考えてる事知らないままで責めるのはやめとくれよ…」

 クロノの弾劾の台詞を止めたアルフにフェイトが驚きを表した。普段のアルフであればこういった場合には、内容的にクロノの台詞を支持する側に回るからだ。

「アルフ」
「ごめん、キョーヤ。これ以上は無理だよ」
「態々言う必要は…、無理か。
 ここまで来たら、言わないのは隠していた理由に反するもんな」

 恭也とアルフが互いにしか分からない問答を進めているのを眺めている内に、クロノにも凡その事情が分かってきた。
 短期間とは言え恭也があの状態を隠せていたのは共犯者が居たからだ。そして、アルフが共犯者足りえたのは、その結果がフェイトのためになる内容だからだろう。それに反しようとしている今、アルフが隠し続ける理由は無くなったのだ。
 一方、ハラオウン邸でアルフが恭也との行動を優先する場面を何度か見ていたフェイトは、ちょっと寂しかったり羨ましかったりと自分の感情を持て余し気味だったので、その理由を察する事が出来て知らず安堵の溜息を零していた。

「ごめん、フェイト。
 あたしはキョーヤが夢に魘されるのを知ってたんだ。でも、誰にも言えなかった。
 きっと、誰か詳しい人に相談した方が良いって分かってたけど、キョーヤにどうしてもって言われて、これ以上酷くならない限り黙ってるって約束したんだ」

204小閑者:2017/09/19(火) 22:07:37
 恭也が錯乱して暴れた夜。
 意識を失った恭也をハラオウン邸のフェイトの部屋に寝かしつけると、早々にフェイトとアルフも眠りに就いた。
 シグナムとの戦闘での疲労が大きかったためフェイトの眠りは少々の物音では覚めないほど深かった。
 逆にアルフは動物ならではの生まれ持った才能により浅い眠りのままだった。それは戦闘による疲労からすると浅過ぎるものだったが、無防備に眠っているフェイトを守るためには当然の処置だろう。警戒対象は勿論、同じ部屋に居る人物、八神恭也だ。
 この時のアルフの価値観では、既に恭也は“仲間”に分類されてた。普段であれば警戒する事はないが、今はフェイトが睡眠中という無防備な状態であり、恭也が錯乱してから大した時間は経っていない以上、警戒は当然だ。
 そして、アルフの危惧が現実になったのは住人全てが寝静まり暫くした頃だった。それまで身動き一つしていなかった恭也が呻き声を発したのだ。
 アルフはすぐさま意識を覚醒させると、恭也の動向を窺った。疲労の濃いフェイトを出来るなら起こしたくはなかったし、恭也に対しても手荒な事はしたくなかった。
 だが、魘され方は徐々に酷くなっていく。このままではアースラの医務局での惨事が再来しかねない。アルフは思いつく中で最も穏便な手段を取る事にした。
 まず、フェイトに対して外向きの結界を、部屋全体に内向きの結界を張る。これで恭也が暴れだしてもフェイトの身は安全だし、壁をぶち抜く事も無いだろう。
 自分に向けられた魔法にしか恭也は反応しない、と言っていたなのはの言葉が正しかった事を実証したあと、アルフは恭也に向かって恐る恐る手を伸ばした。
 アルフが取った穏便な手とは、至極単純ながらも魘されている恭也を起こす、というものだ。ある意味当然の対応ではあるのだが、つい数時間前に何をされたのかも分からないうちに無力化された身としては恐ろしく勇気の必要な選択肢だろう。

「キョーヤ…、キョーヤ!」

 アルフが声を掛けながら肩を揺すっても恭也は目を覚まさなかった。いくら気絶して運ばれてきたとはいえ、八神家の者であればそれだけで動揺しかねない状態だ。
 アルフも、眉根を寄せる程度とはいえ苦悩の表情を見せる恭也にどう対処すれば良いか分からず、不安が大きくなっていく。普段の恭也が感情も苦痛も表情に表さない鉄面皮だけに、今の恭也の表情を直視するのは痛ましくてならない。
 それは普段の恭也の無表情が、本人が意図して作り出しているものだという証拠でも有るのだが、動揺しているアルフにはそこまで考えが至る事はなかった。

「キョー「父さんっ父さん!っあああああああああああ!」
「キョーヤ!しっかりして!キョーヤ!」

 アルフの呼びかけも空しく、恭也が絶叫とともに虚空に向かって何かを掴もうとするように手を伸ばしながら跳ね起きた。勿論、意識を取り戻した訳ではない。そのまま暴れだそうとする恭也の頭を正面から抱きしめると、アルフは必死になって呼びかけた。
 その姿は半年前の、プレシアを亡くして暫くの間の、今でもたまに見せるフェイトの姿と重なるものだ。違いがあるとすれば、フェイトがそのまま消えてしまいそうな弱々しい姿であるのに対し、恭也は突き付けられた過去に全力で抗おうとしている事だろう。しかし、両者とも、僅かでも加わる力が増せば呆気なく折れて砕けてしまいそうな儚く脆い印象を受ける点は共通していた。
 だが、静かに泣き濡れるフェイトとは違い、全力で暴れようとする恭也は、押さえつけているアルフを傷付けた。“攻撃”ではないため致命的な傷を負う心配こそないものの、素の身体能力が既に人類のトップレベルからはみ出しかけている恭也に対して無抵抗に体を晒し続けるのは容易な事ではない。
 錯乱状態の恭也に敵意や魔法を含めた攻撃行動を取ってはいけない。その結果は数時間前にアースラの医務局で実証されている。尤も、アルフの行動は経験を活かした的確なものに見えるが、本人にはそんな考えがあった訳ではない。傷付き苦しんでいる恭也に対して強硬手段に出るという考え自体が浮かばなかったのだ。
 アースラでは、フェイトを守るという使命感から鎮圧に向かった。だが、涙を流す事無く獣の如く咆哮を上げながら暴れる恭也の姿に、群から逸れて彷徨う獣を想起させられた途端、攻撃する気力を根こそぎ奪われ、抵抗も出来ずに鎮圧された。
 意志力を漲らせ、何者にも侵される事の無い力強い普段の姿からは想像も出来なかった恭也の一面は、誕生から僅かな歳月しか経ないアルフの幼い母性を刺激するには十分だったのだろう。それは、たった今こうして恭也に傷付けられても尚、衰える事の無い庇護欲として表れていた。


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