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日本男児と徴兵検査  M検・徴兵検査場の羞恥

1名無しさん:2019/07/28(日) 09:15:59 ID:DK9oyGfI
日本男児と生まれたからには貴賤上下の区別なく、その年末に満0歳になるものは
その年の夏ごろに徴兵検査をうけなければならなかった。
そこには婦人会や、うら若き処女会の女たちの見学も許された。
素っ裸にして行われる徴兵検査、そのなかでもハイライトはMとよぶ性器・肛門検査だった。
徴兵検査場で繰り広げられる羞恥の検査風景

87名無しさん:2020/08/04(火) 20:20:14 ID:DK9oyGfI
昭和十九年に海軍に入隊した私の兵種は衛生兵と決まった。

 軍隊での兵務内容にはいろいろあったが、ここでは性器の露出に関係する場面だけを記すことにする。ただし、もちろんこれは兵務のごく一部である。

 私は出生地が福井の漁村であったためか徴兵検査で乙種合格すると海軍に入隊に入ることに決まった。昭和十八年四月のことである。海兵団入団の日、見送ってくれた両親と海兵団の門の前で別れ、分隊ごとに約百名ぐらいずつ各兵舎にひとまず案内された。各分隊とも下士官指導のもとに、古参の兵が引率する。入隊して最初の行事は入営時身体検査である。

 身体検査では全裸にされ詳しく全身を検査をされる。兵舎の筵(むしろ)の上で分隊百名は全裸となり、靴から褌まで一切の私物を持参の風呂敷で包む。そして紐でしばって荷物札をつけ名前を記入する。荷物は、係の手で門前の親もとに届けられ、見送りのない者の荷物は国もとへ返送される。

 こうして我々新兵は入営後、30分も経たないうちに個人の持ち物は全て取り上げられて、すっ裸にされ自分の身体だけが唯一の頼りという大変心細い状態に追いやられた。それから全裸のままで身体検査の順番を待つのである。その間越中褌ひとつ与えられず、古兵達の好奇の視線を前にただ恥ずかしそうに並んで待っていた。

88名無しさん:2020/08/04(火) 20:21:20 ID:DK9oyGfI

 身体検査は分隊毎に行われるのだが、自分の分隊の順番が来るまでにはだいぶ時間があった。その待ち時間のことであった。下士官が席を外すのを見計らうかのように、古参兵達がおもしろ半分に我々の生殖器検査を始めると宣言したのである。

「まもなく軍医による正式の身体検査があるが、その時にまごついて我が分隊の名誉を傷つけないよう注意しなければならない。そこで今から生殖器検査を受けるための訓練を行う」と古参兵から言われた。

 すでに全裸で性器を晒している新兵達は、3人ほどの古参兵に命令され直立不動の姿勢で立ち性器を検査された。そして勃起する程まで執拗にいじくり廻され、生殖器の品評会をさせられた。

 自分の分隊に身体検査の番がくると、引率されて医務室前の中庭に集合する。全裸で戸惑っている私たちは、すのこ板を渡って医務室前の控所に整列する。手で陰部を隠すことは禁止されている。古参兵は意地悪そうに陰部のあたりを眺めまわす。

 四列に並んだ新兵達の先頭には衛生下士官が4人いて検査をしている。陰茎をつかんで皮をむき上げてから厳密丁寧にしごく。それがすむと別の衛生下士官の手で四つんばいの肛門に硝子の丸棒をつっこまれて検便をした。軍医は椅子に座って眺めているだけであった。

 身体検査が終わると、再び全裸のまま行列を作ってすのこを渡り元の兵舎にもどる。やがて自分の分隊の受け持ちとなる下士官に一人ずつ名前を呼ばれる。氏名、出身地、生年月日などを申告すると、顔と陰部をじろりと眺められてから、越中褌を手渡される。

 その後下着、軍服、靴を支給され格好だけは海軍二等水兵となった。

89名無しさん:2020/08/04(火) 20:22:52 ID:DK9oyGfI
しかし翌日から始まった新兵教育訓練ではやっと支給された軍服も役に立たなかった。

 訓練中に着衣する事が許されないのである。新兵達への訓練は、正しい姿勢で兵隊らしく規律ある行動が出来るようになるまでは全裸で行われると言うのが、ここの新兵教育隊の慣例だったのである。

 海軍に入営した兵隊が一番最初に受ける訓練は兵隊の基本、命令にしたがって規律正しく行う行進である。その訓練はすっ裸で行われる。兵舎で越中褌を外して全裸のまま集合させられた。

 何百人もの全裸の新兵が号令にあわせて、規律正しく、掛け声をあげながら集団行進するのである。性器に対する羞恥心をなくす事と行進の姿勢矯正には全裸がもっとも効率的なのである。

 号令の従って準備体操をしたり、駆け足しをしたりしていると全裸の陰茎がブラブラ動いて太腿に当たったりするため、どうかすると勃起してしまう事がある。だいたい一班50人のなかで2人か3人は勃起させていたが、それでも何事もなかったかのように、隠しもせず勃起陰茎をさらしたまま大きく腕を振り行進していた。また号令をかけている上官も勃起陰茎を見てもまったく気にしていないようであった。

 キンタマをぶらぶらさせ、時には勃起してしまった陰茎ですら、隠すこともできずに晒らけ出したまま明るい太陽の下で終日、全裸の徒歩訓練させられる、それが軍隊なのである。

 全員の姿勢が矯正され、兵隊らしく号令通りに行進できるまで連日、全裸での訓練が続いた。性器への羞恥心を無くさせるため、大小さまざまな性器を訓練と称してわざと露出させるのである。

 軍隊では「集団陰部露出」を強制される場面は珍しい事ではなく頻繁にあった。それは陰部露出が新兵を早く兵隊らしくする方法の一つと考えられていたからである。

 兵隊となったからには、その肉体はすでに個人のものでなく軍隊のものである。その肉体の一部分である性器に対して個人的な感情や羞恥心を持つことは許される事ではなかったのである。

90名無しさん:2020/08/04(火) 20:24:13 ID:DK9oyGfI
性器に対する羞恥心を早く捨てさせる事も兵隊に必要な訓練であり、上官の任務であった。

 折にふれ、部下の兵の性器を露出させ、あるいは性器をもて遊ぶようにいじくり、性器の対する羞恥心を無くさせる事が軍隊における上官の任務のひとつであったという事である。罰直としての砲身磨きや集団発射訓練もその手段である。

 特に発射訓練は班全員が上官の号令に従って一斉に射精するという点で兵隊の羞恥心をなくすと同時に、兵隊にとって一番大事な素養である。「上官の命令には絶対服従し、命令どうりに行動する」を教えるのに最適な集団訓練であり、新兵にはよく行われた。

その他に性器露出を伴う兵隊生活には以下のような物があった。

91名無しさん:2020/08/04(火) 20:25:49 ID:DK9oyGfI
■月例検査

 毎月行われる身体検査で、身長、体重を折れ線グラフにして検査表に記入される。

 体重が減っている者は、軍医あるいは衛生兵による診察が行われる。またこの月例検査では性器の検査も行われる。将校クラスを除いては、月例検査は一人の抜けも許されないほど厳格に行われた。

■性器露出を伴う罰直

 軍隊では失敗をすると厳しい制裁を受ける。その中には強制陰部露出を伴うな罰ちょくも数々あった。

「砲身磨き」とはよく初年兵に課した罰ちょくの一つである。鉄製の本物の大砲ではなくて、すべての男子が股間に所有している大砲を磨くこと、すなわちセンズリを掻くことである。

 また「セミ」、「ウグイスの谷渡り」は陸軍で広く用いられていた。いずれも褌を取らされ、強制陰部露出して課せられる罰ちょくである。

 ●有名なセミというのは昆虫の蝉の生態が語源になっている罰ちょくである。

 セミが木でミーンミーンと鳴いている。鳴きやんで飛んで行くとき、せみは小便をしてから飛んで行く。この生態のまねをさせられるのが「セミ」という罰ちょくである。

 方法は

 ・越中褌一つまたは全裸。どちらかは内務班の伝統により様々。

 ・兵舎内の柱に登らされる。登ると上でミーンミーンと鳴いてセミのまねをする。

 ・ひととき、「もっと威勢良く鳴け」とか、いたぶられたあと、「よし、小便して逃げろ」と命令される。

 ・柱に両足を絡ませ片手でチンポを握って、振り、小便をするまねをする。

 ・これで許してもらえる場合もあるが更に、

 ・「小便が出てないぞ、小便がでなければチンポをしごいて白い水を出せ」と 命令される場合もある。

  しかたなくしごくが、無理な体勢で、勃起はしても射精までは難しく、

  射精のまねごとのよがり声を出せば途中で許してもらえる 場合が多いという

 セミは大体以上であるが、屋外の場合は木に登らされるとか月例検査でチンボが大きいと思われると狙われやすいとか、チンポをしごいて射精のまねをしても上官が「よし」という終了の合図を出さないとかの変形もある。

92名無しさん:2020/08/04(火) 20:27:07 ID:DK9oyGfI
 ●ウグイスとは語源である「ウグイスの谷渡り」を省略したもの。

 軍隊で「ウグイスをやれ」といわれたら、ウグイスのまねをしてホーホケキョと鳴くのだが、普通にウグイスの物まねする訳ではない。

 ・越中褌ひとつ、または全裸にさせる。

 ・兵舎の中にずらっと並んでいる寝台を谷にみたてて、順番に訪れ、鳴き真似をする。

 ・具体的には寝台と寝台の狭い間をくぐり抜けて一つの寝台の上に乗りホーホケキョと鳴く。

 ・次の寝台はその下をくぐりぬけて、その次の寝台の上にあがり、鳴く。

 ・このウグイスの谷渡りを一列に並んだ寝台の端から端までやれされる。

以上がウグイスであるが、変形も色々あり、ウグイスの鳴き声の代わりにP屋(軍隊用の女郎屋)の客引きのまねをさせられる方法もあった。

■吹き流し

 兵舎の入り口などに吹き流しの格好で直立不動にさせる。吹き流しの格好とは、越中褌1つにし、前布を引き抜いて性器を露出させ、越中褌の布がお尻の後ろで風にはためいている状態で立たせておくという罰直である。

■砲身磨き

 兵営では班ごとに連帯責任を課された。たとえば中の一人がヘマをすると班全員に罰直が行われる。

 兵隊への罰直に”砲身磨き”という方法がある。軍隊では鉄砲は大切に整備し磨きをかけなければならなかったそうで、夜にその点検があったという。

 そして、もし鉄砲の磨きが不足と判断されると、その班全員が、砲身を磨いて”発射検査”を受けなければならなかったのだという。

 ここで砲身というのが銃ではないという事で、そこが罰直の罰直たるところ。自分の股間にぶら下げている生身の銃身を磨くのである。

 各自支給されている銃の砲身は常にピカピカに磨いておく事が大事であるが、股間にぶら下げている生身の銃も時々磨かされるのである。もちろん磨くだけでなく発射性能も検査される。

93名無しさん:2020/08/04(火) 20:29:14 ID:DK9oyGfI
■発射訓練

 兵隊は自分の意志で動いてはならない。上官から命令されたときだけ、号令通りに動かないといけないのである。そのため上官の命令による集団行動を徹底的に訓練されるのが軍隊である。

 その訓練を徹底するため精液の発射というもっとも個人的な行動まで、号令に合わせて班全員が一斉に射撃できるようになるまで訓練される。

 早漏ぎみあるいは遅漏の者がいる班は発射のタイミングがずれるので、全員が一斉に発射できるまで生殖器が赤くヒリヒリなっても何度も発射訓練される。

 徴兵検査で包茎が認められた壮丁には、入営日までに包茎手術を受けておくように指導される。衛生面の観点以外に、このような訓練に備え、早漏になりにくい完全露茎にしておいた方がいいのである。

 発射訓練は、たとえ兵務とはまったく関係ない射精という個人の秘め事であっても、上官から命令されればその命令に従って動くという「立派な兵隊」となるための訓練でもある。

「娑婆っけ」を抜き兵隊である事を肉体に叩き込むために発射訓練を好む上官もいた。

■当番兵

 そのほか罰直ではないが当番兵という役割も廻ってくる。

 中尉以上の上官の部屋掃除、洗濯など、身の回りを世話をおよそ1ヶ月間当番制でするのである。

 軍隊では新兵の性器を露出させるだけでなく、上官も平然と性器を新兵達に露出する。入浴中に背中を流すついでに前まで綺麗にさせられる事もよくあることであった。

 また腰を揉めと言われて始めたら、センズリの手伝いをさせていたという事もあり、時には尺八を所望される事もある。肩の凝っている上官が部下に按摩をさせるのと同じ気持ちで、上官は勃起した性器を新兵にさらして揉ませるのである。

h ttp://pakurogu02.fc2web.com/pakuri3/05/member/001otakara/tetuo/tetuo11-kinnji.html

94名無しさん:2020/08/04(火) 20:30:51 ID:DK9oyGfI

senzurinitouhei senzurinitouhei
検診の使役兵の一人に奥野古年兵がいた。奥野は、志願兵であった。奥野は、故郷で、伯父の診療所を手伝っていた。その経歴が買われたのか、衛生兵として従軍した。いつ外地へ飛ばされてもよい時であったが、何故か内地任務であった。

 奥野は、この三年の間、幾度も新兵の徴兵検査に立ち会っていた。数百、数千のM検、穴検をやってきた。奥野古年兵の手にかかると、どんなセガレでも固くなっていた。その手腕の結果、彼が誰よりも多くの病気持ちのセガレを見つけ出していた。

 奥野は使役に出掛ける前、内務班の仲間たちに

「俺の凄腕を見にこいや」と吹聴をした。

 見物に集まった古年兵は、彼の手練の確認に来ていたのかもしれなかった。

「こら、そこばっかり固まるな、そこの色の黒いの、こっちイこい」

 使役兵は、再三、若者たちを呼びつけねばならなかった。その三人は手荒ではなく、むしろ丁寧である。見物の古年兵たちがこの三人を中心にして集まっているのも仕事が事務的ではないからだ。

 健次は、空いている使役兵の前に立ち、名前を告げ、記録用紙を渡した。

 使役兵は何も言わずに、記録用紙に目を通し、健次の顔を見上げた。その目が健次の胸、腹、股間に移っていった。使役兵が感嘆の目を向けた。奥野使役兵であった。

「田村健次か、うむ、よい体をしておる」

 奥野は、自分の喉が乾いているのを知った。

 奥野は、健次の胸、腹、尻を手の平で撫でた。それは、男の体を触ると言うよりも、女の体を撫でるような仕草であった。

 充分な栄養と力仕事が若者の筋肉を育てている。張りつめた皮膚は、うっすらと脂肪を浮かべ、滑らかである。目の前には充分な太さを持った男根が垂れ下がっていた。

「よし、股を開いてここに立て」

 奥野は、健次の男根を見つめながら声を放った。その言葉が、喉の奥に絡んでいた。

 奥野の言葉に従って、健次が前に立つと、奥野の手がいきなり、男根を握り締めた。柔らかな男根は、手の中に充分な質量を示していた。思わず健次が腰を引くと、奥野が低い声で怒鳴った。

「こら!しゃんと立たんかい!」

 それは、健次が初めて聞く、軍隊の叱責の言葉であった。

 性病の検査は男根を扱き、尿道からの分泌液をみる。

 奥野の手慣れた手が、男根を扱きだした。

 萎縮して縮んだ男根には痛いほどの扱きを与える。被検査者があきらめを感じるまで扱くのである。被検査者は、その痛みから逃れるため、身体の力を抜く。少しでも検査者の言いなりになった方が早く終わると考える。身体の力を抜くと男根からの刺激が徐々に脳に伝わる。男根は徐々に大きくなる。

 奥野は、健次の重量感ある男根を愛しむように扱いた。それは、検査のためというよりも、健次の男根の感触を楽しむような手つきであった。

h ttp://novel.bookstudio.com/author/10910/14161/5.htm

7 リアクション

95名無しさん:2020/08/04(火) 20:34:52 ID:DK9oyGfI
fundoshinitouhei fundoshinitouhei
昭和十九年に海軍に入隊した私の兵種は衛生兵と決まった。

 軍隊での兵務内容にはいろいろあったが、ここでは性器の露出に関係する場面だけを記すことにする。ただし、もちろんこれは兵務のごく一部である。

 私は出生地が福井の漁村であったためか徴兵検査で乙種合格すると海軍に入隊に入ることに決まった。昭和十八年四月のことである。海兵団入団の日、見送ってくれた両親と海兵団の門の前で別れ、分隊ごとに約百名ぐらいずつ各兵舎にひとまず案内された。各分隊とも下士官指導のもとに、古参の兵が引率する。入隊して最初の行事は入営時身体検査である。

 身体検査では全裸にされ詳しく全身を検査をされる。兵舎の筵(むしろ)の上で分隊百名は全裸となり、靴から褌まで一切の私物を持参の風呂敷で包む。そして紐でしばって荷物札をつけ名前を記入する。荷物は、係の手で門前の親もとに届けられ、見送りのない者の荷物は国もとへ返送される。

 こうして我々新兵は入営後、30分も経たないうちに個人の持ち物は全て取り上げられて、すっ裸にされ自分の身体だけが唯一の頼りという大変心細い状態に追いやられた。それから全裸のままで身体検査の順番を待つのである。その間越中褌ひとつ与えられず、古兵達の好奇の視線を前にただ恥ずかしそうに並んで待っていた。

 身体検査は分隊毎に行われるのだが、自分の分隊の順番が来るまでにはだいぶ時間があった。その待ち時間のことであった。下士官が席を外すのを見計らうかのように、古参兵達がおもしろ半分に我々の生殖器検査を始めると宣言したのである。

「まもなく軍医による正式の身体検査があるが、その時にまごついて我が分隊の名誉を傷つけないよう注意しなければならない。そこで今から生殖器検査を受けるための訓練を行う」と古参兵から言われた。

 すでに全裸で性器を晒している新兵達は、3人ほどの古参兵に命令され直立不動の姿勢で立ち性器を検査された。そして勃起する程まで執拗にいじくり廻され、生殖器の品評会をさせられた。

 自分の分隊に身体検査の番がくると、引率されて医務室前の中庭に集合する。全裸で戸惑っている私たちは、すのこ板を渡って医務室前の控所に整列する。手で陰部を隠すことは禁止されている。古参兵は意地悪そうに陰部のあたりを眺めまわす。

 四列に並んだ新兵達の先頭には衛生下士官が4人いて検査をしている。陰茎をつかんで皮をむき上げてから厳密丁寧にしごく。それがすむと別の衛生下士官の手で四つんばいの肛門に硝子の丸棒をつっこまれて検便をした。軍医は椅子に座って眺めているだけであった。

 身体検査が終わると、再び全裸のまま行列を作ってすのこを渡り元の兵舎にもどる。やがて自分の分隊の受け持ちとなる下士官に一人ずつ名前を呼ばれる。氏名、出身地、生年月日などを申告すると、顔と陰部をじろりと眺められてから、越中褌を手渡される。

 その後下着、軍服、靴を支給され格好だけは海軍二等水兵となった。

 しかし翌日から始まった新兵教育訓練ではやっと支給された軍服も役に立たなかった。

 訓練中に着衣する事が許されないのである。新兵達への訓練は、正しい姿勢で兵隊らしく規律ある行動が出来るようになるまでは全裸で行われると言うのが、ここの新兵教育隊の慣例だったのである。

96名無しさん:2020/08/04(火) 20:37:06 ID:DK9oyGfI
海軍に入営した兵隊が一番最初に受ける訓練は兵隊の基本、命令にしたがって規律正しく行う行進である。その訓練はすっ裸で行われる。兵舎で越中褌を外して全裸のまま集合させられた。

 何百人もの全裸の新兵が号令にあわせて、規律正しく、掛け声をあげながら集団行進するのである。性器に対する羞恥心をなくす事と行進の姿勢矯正には全裸がもっとも効率的なのである。

 号令の従って準備体操をしたり、駆け足しをしたりしていると全裸の陰茎がブラブラ動いて太腿に当たったりするため、どうかすると勃起してしまう事がある。だいたい一班50人のなかで2人か3人は勃起させていたが、それでも何事もなかったかのように、隠しもせず勃起陰茎をさらしたまま大きく腕を振り行進していた。また号令をかけている上官も勃起陰茎を見てもまったく気にしていないようであった。

 キンタマをぶらぶらさせ、時には勃起してしまった陰茎ですら、隠すこともできずに晒らけ出したまま明るい太陽の下で終日、全裸の徒歩訓練させられる、それが軍隊なのである。

 全員の姿勢が矯正され、兵隊らしく号令通りに行進できるまで連日、全裸での訓練が続いた。性器への羞恥心を無くさせるため、大小さまざまな性器を訓練と称してわざと露出させるのである。

97名無しさん:2020/08/04(火) 20:38:38 ID:DK9oyGfI
軍隊では「集団陰部露出」を強制される場面は珍しい事ではなく頻繁にあった。それは陰部露出が新兵を早く兵隊らしくする方法の一つと考えられていたからである。

 兵隊となったからには、その肉体はすでに個人のものでなく軍隊のものである。その肉体の一部分である性器に対して個人的な感情や羞恥心を持つことは許される事ではなかったのである。

 性器に対する羞恥心を早く捨てさせる事も兵隊に必要な訓練であり、上官の任務であった。

 折にふれ、部下の兵の性器を露出させ、あるいは性器をもて遊ぶようにいじくり、性器の対する羞恥心を無くさせる事が軍隊における上官の任務のひとつであったという事である。罰直としての砲身磨きや集団発射訓練もその手段である。

 特に発射訓練は班全員が上官の号令に従って一斉に射精するという点で兵隊の羞恥心をなくすと同時に、兵隊にとって一番大事な素養である。「上官の命令には絶対服従し、命令どうりに行動する」を教えるのに最適な集団訓練であり、新兵にはよく行われた。

その他に性器露出を伴う兵隊生活には以下のような物があった。

98名無しさん:2020/08/04(火) 20:39:50 ID:DK9oyGfI
■月例検査

 毎月行われる身体検査で、身長、体重を折れ線グラフにして検査表に記入される。

 体重が減っている者は、軍医あるいは衛生兵による診察が行われる。またこの月例検査では性器の検査も行われる。将校クラスを除いては、月例検査は一人の抜けも許されないほど厳格に行われた。

■性器露出を伴う罰直

 軍隊では失敗をすると厳しい制裁を受ける。その中には強制陰部露出を伴うな罰ちょくも数々あった。

「砲身磨き」とはよく初年兵に課した罰ちょくの一つである。鉄製の本物の大砲ではなくて、すべての男子が股間に所有している大砲を磨くこと、すなわちセンズリを掻くことである。

 また「セミ」、「ウグイスの谷渡り」は陸軍で広く用いられていた。いずれも褌を取らされ、強制陰部露出して課せられる罰ちょくである。

 ●有名なセミというのは昆虫の蝉の生態が語源になっている罰ちょくである。

 セミが木でミーンミーンと鳴いている。鳴きやんで飛んで行くとき、せみは小便をしてから飛んで行く。この生態のまねをさせられるのが「セミ」という罰ちょくである。

 方法は

 ・越中褌一つまたは全裸。どちらかは内務班の伝統により様々。

 ・兵舎内の柱に登らされる。登ると上でミーンミーンと鳴いてセミのまねをする。

 ・ひととき、「もっと威勢良く鳴け」とか、いたぶられたあと、「よし、小便して逃げろ」と命令される。

 ・柱に両足を絡ませ片手でチンポを握って、振り、小便をするまねをする。

 ・これで許してもらえる場合もあるが更に、

 ・「小便が出てないぞ、小便がでなければチンポをしごいて白い水を出せ」と 命令される場合もある。

  しかたなくしごくが、無理な体勢で、勃起はしても射精までは難しく、

  射精のまねごとのよがり声を出せば途中で許してもらえる 場合が多いという

 セミは大体以上であるが、屋外の場合は木に登らされるとか月例検査でチンボが大きいと思われると狙われやすいとか、チンポをしごいて射精のまねをしても上官が「よし」という終了の合図を出さないとかの変形もある。

 ●ウグイスとは語源である「ウグイスの谷渡り」を省略したもの。

 軍隊で「ウグイスをやれ」といわれたら、ウグイスのまねをしてホーホケキョと鳴くのだが、普通にウグイスの物まねする訳ではない。

 ・越中褌ひとつ、または全裸にさせる。

 ・兵舎の中にずらっと並んでいる寝台を谷にみたてて、順番に訪れ、鳴き真似をする。

 ・具体的には寝台と寝台の狭い間をくぐり抜けて一つの寝台の上に乗りホーホケキョと鳴く。

 ・次の寝台はその下をくぐりぬけて、その次の寝台の上にあがり、鳴く。

 ・このウグイスの谷渡りを一列に並んだ寝台の端から端までやれされる。

以上がウグイスであるが、変形も色々あり、ウグイスの鳴き声の代わりにP屋(軍隊用の女郎屋)の客引きのまねをさせられる方法もあった。

99名無しさん:2020/08/04(火) 20:40:36 ID:DK9oyGfI
■吹き流し

 兵舎の入り口などに吹き流しの格好で直立不動にさせる。吹き流しの格好とは、越中褌1つにし、前布を引き抜いて性器を露出させ、越中褌の布がお尻の後ろで風にはためいている状態で立たせておくという罰直である。

■砲身磨き

 兵営では班ごとに連帯責任を課された。たとえば中の一人がヘマをすると班全員に罰直が行われる。

 兵隊への罰直に”砲身磨き”という方法がある。軍隊では鉄砲は大切に整備し磨きをかけなければならなかったそうで、夜にその点検があったという。

 そして、もし鉄砲の磨きが不足と判断されると、その班全員が、砲身を磨いて”発射検査”を受けなければならなかったのだという。

 ここで砲身というのが銃ではないという事で、そこが罰直の罰直たるところ。自分の股間にぶら下げている生身の銃身を磨くのである。

 各自支給されている銃の砲身は常にピカピカに磨いておく事が大事であるが、股間にぶら下げている生身の銃も時々磨かされるのである。もちろん磨くだけでなく発射性能も検査される。

■発射訓練

 兵隊は自分の意志で動いてはならない。上官から命令されたときだけ、号令通りに動かないといけないのである。そのため上官の命令による集団行動を徹底的に訓練されるのが軍隊である。

 その訓練を徹底するため精液の発射というもっとも個人的な行動まで、号令に合わせて班全員が一斉に射撃できるようになるまで訓練される。

 早漏ぎみあるいは遅漏の者がいる班は発射のタイミングがずれるので、全員が一斉に発射できるまで生殖器が赤くヒリヒリなっても何度も発射訓練される。

 徴兵検査で包茎が認められた壮丁には、入営日までに包茎手術を受けておくように指導される。衛生面の観点以外に、このような訓練に備え、早漏になりにくい完全露茎にしておいた方がいいのである。

 発射訓練は、たとえ兵務とはまったく関係ない射精という個人の秘め事であっても、上官から命令されればその命令に従って動くという「立派な兵隊」となるための訓練でもある。

「娑婆っけ」を抜き兵隊である事を肉体に叩き込むために発射訓練を好む上官もいた。

■当番兵

 そのほか罰直ではないが当番兵という役割も廻ってくる。

 中尉以上の上官の部屋掃除、洗濯など、身の回りを世話をおよそ1ヶ月間当番制でするのである。

 軍隊では新兵の性器を露出させるだけでなく、上官も平然と性器を新兵達に露出する。入浴中に背中を流すついでに前まで綺麗にさせられる事もよくあることであった。

 また腰を揉めと言われて始めたら、センズリの手伝いをさせていたという事もあり、時には尺八を所望される事もある。肩の凝っている上官が部下に按摩をさせるのと同じ気持ちで、上官は勃起した性器を新兵にさらして揉ませるのである。

h ttp://pakurogu02.fc2web.com/pakuri3/05/member/001otakara/tetuo/tetuo11-kinnji.html

100名無しさん:2020/08/05(水) 08:47:19 ID:DK9oyGfI
小山内宏著三恵書房1975刊「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」に絵
がある。
また、NHK取材班編「赤紙」創元者1997に徴兵検査の素っ裸の写真が
載っている。
 (この写真は,毎日新聞社1955「写真・昭和30年史」の写真である。

岩波写真文庫101(復刻ワイド判50)「戦争と日本人]岩波書店1987
に素っ裸で こちらを向いている伝説的な写真が載っている。
本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけな
い露もない姿で,勿論隠したり女々しいことは許されない。朝から終わりまで
、地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。

101名無しさん:2020/08/05(水) 08:48:00 ID:DK9oyGfI
小山内宏著三恵書房1975刊「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」に絵
がある。
また、NHK取材班編「赤紙」創元者1997に徴兵検査の素っ裸の写真が
載っている。
 (この写真は,毎日新聞社1955「写真・昭和30年史」の写真である。

岩波写真文庫101(復刻ワイド判50)「戦争と日本人]岩波書店1987
に素っ裸で こちらを向いている伝説的な写真が載っている。
本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけな
い露もない姿で,勿論隠したり女々しいことは許されない。朝から終わりまで
、地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。

102名無しさん:2020/08/05(水) 08:54:13 ID:DK9oyGfI
小山内宏著三恵書房1975刊「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」に絵
がある。
また、NHK取材班編「赤紙」創元者1997に徴兵検査の素っ裸の写真が
載っている。
 (この写真は,毎日新聞社1955「写真・昭和30年史」の写真である。

岩波写真文庫101(復刻ワイド判50)「戦争と日本人]岩波書店1987
に素っ裸で こちらを向いている伝説的な写真が載っている。
本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけな
い露もない姿で,勿論隠したり女々しいことは許されない。朝から終わりまで
、地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。

103名無しさん:2020/08/06(木) 07:33:08 ID:DK9oyGfI
日本段位として、この世に生を受けたものは貴賤上下なく必ず受けた徴兵検査、地方によっていくらかやり方に
違いはあったようだ、それは下着の着用。

一般には、褌着用、徴兵検査の令状には裏に小さく。「褌着用のこと」と書いてあって、
褌のみ着用が許された。
徴兵検査は、本籍地で受けることになっているのだが、都会で仕事をしているものは、たいていパンツで褌などはいたこともない。
検査場で、褌を持たず。パンツ一枚で検査場に出て行くと、ビンタを食らった上、パンツは脱がされる。
徴兵検査場には婦人会の手伝いがあり、婦人会や処女会の見学がゆるされていた。しかし、
褌を忘れてパンツで出て行くものも必ずいて、可哀そうに婦人会も見学してるのに、朝から晩まで生まれたままで右往左往することになる。

地方によっては、最初から褌一枚許されず全員生まれたままのフリチンの素っ裸でてきぱきと行動させられる。
徴兵検査場につくと、持ってきたフロシキにきているものをすべて脱ぎ、まとめて預けてしまう。

当時の身長は150センチ代で、今の中学生くらい、ほとんどが包茎だったようだ。

最初から、素っ裸というのも恥ずかしくかわいそうということで、素っ裸になって、
前垂れだけをつけることができたところもあった。
ハンカチ大の小さな布切れに紐をつけただけで尻は前だし。
、自分で、母親が作って持たせるようだが、これも忘れるものが必ずいて、忘れたものは可哀そうに
最初から生まれたままで検査場を右往左往羞恥に耐える。

104名無しさん:2020/08/06(木) 07:34:42 ID:DK9oyGfI
日本男児として、この世に生を受けたものは貴賤上下なく必ず受けた徴兵検査、地方によっていくらかやり方に
違いはあったようだ、それは下着の着用。

105名無しさん:2020/08/06(木) 09:21:28 ID:DK9oyGfI
貴賤上下の別なく徴兵検査場に立たされた壮丁は、M検という性器・肛門検査を受ける。
これは、徴兵検査だけでなく、陸軍身体検査規則というのによって厳しくきまっていて、
兵隊だけではなく、14歳の少年兵、13歳の陸軍幼年学校や17歳士官学校等の軍学校、国民徴用身体検査、中学生からの国民体力検査、
専門学校や大学の入試身体検査でも行われた。

徴兵検査でも、6割は包茎だったという。中学生のように先まで硬く包まれているのは当たり前。

M検では、チンポはむんずと掴んで剥きあげる。先まで包まれていても、中1,2,13歳の陸銀幼年学校でも同じで、亀頭が露出し環状口が露になるまで完全に剥きあれる。

徴兵検査では。その場面を周りで婦人会や処女会の女が見ることができる。

そんなとき、先まで包まれているチンポコは、直ぐ剥きあげないそうだ。
見ている女たちにサービスとして、すぐ剥くことはしないで、その敏感な包皮を揉んだりつついたりする。
嫌でも、恥かしくとも意思に反して膨らみ始め、硬さを増し角度を増す。
でも、まだ、まだ駄目だ!、先が出てこんではないか!とやる。

M検では膿がでないか、ギュっと扱く・・膿ではなく白い液体が噴き出してしまう。

そして四つん這いになって肛門検査を受け、やっと解放される。
次ぎのものも、まだ包茎、自分ももうすぐ、次にはあんなことをされるのかと思うと羞恥にたまらない。
婦人会の女も早く行ってしまえ‥と思うのだが…次!・・

106名無しさん:2020/08/06(木) 09:56:58 ID:DK9oyGfI
*「風俗奇譚」 昭和37.年8月号「読者サロン」から・・

大勢の一糸まとわぬ壮丁が整列して、検査官の号令一下行動する検査場のながめは、すばらしいものでした。
徴兵検査でかかせないのはM検で、当時の青年たちの恐怖のまとでした。徴兵検査では、これが公衆の面前で、何の遠慮容赦もなく行われ、軍医の手でつかまれたり、周りで見学している婦人会の人の視線がそこに集まるのを感じて、全身が厚くなる思いでした。当時は、性器の検査は、入試の身体検査や国民体力検査でも行われ、
何度か経験がありましたが、女性を交えてた大勢の前で検査されたのは初めてであり、そのときの光景を思い浮かべ、そのことだけで、徴兵検査が再開され羞恥と屈辱の検査風景画実現してほしいものです。検査が済むと入営です。
入営時の身体検査は体重とM検だけで性器の検査が以下に重視されてたかがわかります。・・
入営後、古兵によって加えられるヤキ入れなど、私刑が皆初年兵を裸体にし、時には褌まで取らせて行われたのは全国同じだったでしょう。・・
  h ttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/33/1054372095/
  h ttp://www.megabbs.com/cgi-bin/readres.cgi?bo=boylove&vi=1190343261&rm=100


M検は徴兵検査以外にも、いろいろなところで行われた。中学生以上の男子が上級学校
を受験する時にはたいてい受けなければならなかった。高校や大学入試ではそうであり、特に軍関係の学校では必ず行われたし、軍需工場の少年工の採用試験(14才)でもおこなわれた。

陸軍幼年学校(中学1.2年)、陸軍士官学校、海軍兵学校(以上中学5年)予科練、(甲種15.才、乙種15才,その後14才に引き下げ)、少年戦車兵、少年航空兵、少年通信兵、海軍特別年少兵(以上14歳)、少年志願兵(16歳以上、実際は15歳から、実際海軍は志願兵がほとんど)などで行われた。
なお海軍ではオナニー盛りの15-6,7の少年兵が多く、彼らに対する罰直に“砲身磨き”(集団センズリの強制)というのがあった。

陸軍幼年学校は軍の最上級幹部を養成するもので、なんと中学1年生か2年生(13,4才)しか受験できない。大将はたいてい幼年学校出身が多く、幼年学校に合格者を出すということは、その中学の大変な名誉だったらしく、優秀な生徒は先生から受験をすすめられたそうだ。東京でも一中とか四中とかの優秀な生徒たちであったという。

幼年学校は、東京、広島、名古屋、仙台、熊本などに有り、まさに優秀な美少年集団であった。
少年兵は高等小学校(2年制)を出た14才で受験した。予科練は15才で受験。陸軍士官学校と海軍兵学校は中学5年で受験。
村上兵衛は幼年学校を中一で受験したが、休が小さく身体検査で不合格、中二で再度受験して合格、その模様を「陸軍幼年学校よもやま物語」(光人社)に書いている。

107名無しさん:2020/08/07(金) 17:39:17 ID:DK9oyGfI
M検は被験者を全身脱衣させ、性器や肛門を検査した。検査の内容は鼠径部、睾丸、陰茎の目視と触診を行い、包皮をめくり、亀頭を露出させ、陰茎を按圧して性病の罹患を検査し、肛門部では臀部を開脚させ、痔疾、痔瘻の有無を検査した。 「陸軍身体検査規則」(1928年3月26日陸軍省令第9号/昭和3年第15号)第二十三条七号で軍隊での検査方法が確立された。

「陰部ノ検査ハ受検者ヲシテ脱褌セシメ両脚ヲ開キ検者ニ正面シテ立タシメ鼠蹊部、陰茎、陰嚢、精系、睾丸及副睾丸ノ異常ノ有無ヲ検査シ排尿ノ難易、遺尿ノ有無ヲ検シ必要アルトキハ排尿セシメテ尿ノ性状ヲ検査ス」とした。

108名無しさん:2020/08/08(土) 12:32:16 ID:DK9oyGfI
羞恥の徴兵検査場 日本男児とM検
h ttps://min-h.com/63643

109名無しさん:2020/08/18(火) 11:08:22 ID:DK9oyGfI
陸軍身体検査規則 徴兵と志願、12歳のM検
[書誌情報]

責任表示:
木谷俊男 編著
出版者:
[木谷俊男]
出版年月日:
2003.2
請求記号:
AZ-666-H3
書誌ID:
000004023794

110名無しさん:2020/08/21(金) 21:34:02 ID:DK9oyGfI
徴兵検査には,婦人会(既婚)や処女会(未婚)の女の見学があった。徴兵検査場
で花婿を探す者もあったという。徴兵検査礼状には「フンドシ着用のこと」となっ
ていてフンドシ一枚でてきぱきとうごくのだが、普通 M検は,ついたての中でやった
そうだ。よく体操の時、パンツを忘れ,昔はフリチンでさせたりした事もあるそうだ
が、どこの世界にも間抜けなヤツはいるもので、100人200人となると必ず一人や二人
はいるもの。特に都会でサラリーマン生活をしていて、フンドシなど付けた事がなく
パンツをはいて来た物は、ビンタを食らった上,フンドシ姿も気恥ずかしいだろうに
可愛そうにその場でパンツを取らされ、そのまま最初からフリチンのブラブラの素っ裸
で検査場に出ていかなければならなかったという。勿論隠したり女々しいことは許されない。



小山内宏著三恵書房1975刊「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」に絵
がある。
また、NHK取材班編「赤紙」創元者1997に徴兵検査の素っ裸の写真が
載っている。
 (この写真は,毎日新聞社1955「写真・昭和30年史」の写真である。

岩波写真文庫101(復刻ワイド判50)「戦争と日本人]岩波書店1987
に素っ裸で こちらを向いている伝説的な写真が載っている。
本籍地の同級生や、同級の女が見ていてもその前でフンドシ一枚すらつけな
い露もない姿で,勿論隠したり女々しいことは許されない。朝から終わりまで
、地獄の羞恥の一日。強制露出の一日。


また九州やその他の地区では,全員最
初から素っ裸で行われたという。都会暮らしのインテリでも、たとえば九州出
身者は,地もとの九州の小学校の講堂とかでうける。徴兵検査令状には「ふん
どし着用のこと」とは書いてなく忘れる必要はない。全てが検査場に着くと,
来ている物は全て脱ぎ生まれたままの姿になって,たとえ朝顔の蕾でも,ずる剥
けでも,大きくても小さくても,毛深くても、パイパンでも,色が白くても黒く
ても隠さず,てきぱきと行動しなければならない。身長・体重は勿論M検さえ全裸,
ついたてもない広広とした講堂の中で,様々な羞恥が繰り広げられる。
[赤紙]や「絵とき日本陸軍」「絵とき日本海軍」のとおり。当時20歳の身長は
5尺5寸といわれ、165センチ台,今の中学生でもそのくらい。M検では6割が
包茎だったという。性器検査は,徴兵検査のハイライト。まず陰嚢をぐいと掴みぐ
りぐりした上で,親指人差し指で,指を丸めるようにして陰茎の根元を掴み下に向け
て絞るように強くしごくようにも揉みしだく,その上で包皮を剥く。剥くといっても,
環状溝が露になるまで剥くので生易しいことではない。たとえ,ずる剥けでも,
さらに剥きあげることなので、朝顔の蕾では大変なこと。
しかし,剥くのよりもっと大変な目にあうこともある。
徴兵検査場では,その雰囲気からして,とても立つような雰囲気ではないとい
う。 最初から裸で,女がいたら、とても恥ずかしく立たないで、縮みあがっ
てしまうだろう。 これから恥ずかしい事の順番を待つ者もたまらない。
包茎の一物を縮こませ,毛の中に隠れてしまうくらい羞恥にどうしようもないと
いう者もいる。嫌らしい検査官は剥かない代わりに,先端の皮を指でさする。
そして,敏感なところをいじめられようやく起ちあがった頃,もじもじして逃れ
ようとするのを、「どうした,まだまだ、まだだめだ・・まだ先が出てこんで
はないか…」とやる。勿論出そうになっても手を押さえたり抵抗は許されない。
次の順番を待つ同じようにちじ込ませている者も,次は自分も同じ目にと思うと
たまらなくなってくる,そして早く女があっちへ行ってくれないかなと祈る。

111名無しさん:2020/09/07(月) 10:10:05 ID:DK9oyGfI
参考

h ttps://min-h.com/?s=%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%95%E3%82%93

112名無しさん:2020/09/07(月) 11:50:00 ID:DK9oyGfI
エッチ健康診断
学校で人権問題になることがよくある。
昭和44年に、映画「青い山脈」のロケ地にもなった岐阜県の辺地にある岩○高校では、春の定期健康診断に男女とも全裸にして性器・肛門まで検査し人権問題化した。「週刊新潮」は、「下着を脱がせた病院長のクビ」と題しレポート。これなどによると、この高校は共学で女子のほうが多い(男子265人、女子310人)そうで、5月15日の午後、2年生・
1年生の順で校内の医務室と礼法室を使って男女別に5人ずつが呼ばれて校医の病院長と随行の看護婦が検診した。その健康診断を受けた2年生女子の話として、5人一組みで診察室にはいり、そこで一人ずつパンツまで取らされ、一人ずつ検査を受けた。

第一日目は2年生全員(男女210名)と1年生の半数(男女80名)が受けた。普通の検査の後ヘルニアと痔をしらべるからと言って全裸に脱がせた。直接手を触れてくまなくなく検査したといい、なまやさしいものではなかったという。

「今までの健康診断とは、ぜんぜん違って、みんなに裸になりなさいといわれてもはじめのうちパンツまでは、と思ってそのまま取らずにいると、診察の終わった同級生たちが、[全部脱ぐのよ、パンツも。]と赤い顔をして言うので私達5人もパンツをぬいで一人ずつ院長さんの前へ立って検診を受けました。いつもは胸部をたたいたりで終わりなんですが、後ろ向きになったとき、院長さんが背中の下半部を両手で腰まで押えるようにさわって検診されました。きょうはヘンだな、とは思いました。」ということで「ヒドいわ、エッチだわ」と泣いている子をなぐさめながら学級委員が担任の先生に抗議を申しこんだため、学校側もビックリぎょうてんして診断を中止させたが、もうあとのまつりだったという。翌日校長の手元に届いた身体検査書には、血圧異常などの通常疾患の他、大腿部膿瘍1名、陰部白癬(インキン)3名、痔核7名が報告されていたという。

「男生徒はともかく女生徒のなかには恥ずかしさのあまり、教室に帰ってから泣き出す者もいたと」いう。第2回目(6月5日)の検査を受ける予定の生徒は、学校をやめちゃいたい」とまで言いだしていたという。
こんな時、男生徒はともかくと言うが男子の方が困るはずだ。男子には大きいとか小さいとか、ムクレているとかいないとか、それに一番困るのは形が変わることだ。
高校一年頃といえば、中学時代とともに恥ずかしい盛りだ。5人一組みといえば他の生徒の目の前で触診されるわけだから、初めのものも勿論、それをみながら間もなく自分もあのようにされるのかとおもいながら順番を待つものも気が気でないだろう。膨らみ始めたらどうするのだろうか。


エッチ検診、ストリップ検診と騒がれ、議員の中には「兵隊検査を思い出す」と言ったそうだ。兵隊検査(徴兵検査)では、頭の先からつま先まで、性器肛門まで男のすべてを検査した。M検と言い、だんだん知っている者はいなくなってくるが、これまで雑誌に何回か写実的に取り上げられているので参考になる。

113名無しさん:2020/09/12(土) 18:27:28 ID:DK9oyGfI
参考
h ttps://min-h.com/?s=%E3%81%BC%E3%81%8F%E3%81%95%E3%82%93

114名無しさん:2020/11/03(火) 11:15:18 ID:DK9oyGfI
資料・徴兵身体検査規則 : 徴兵と徴兵検査   木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <AZ-666-H2>

陸軍身体検査規則 : 徴兵と志願、12歳のM検  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.2 <AZ-666-H3>

115名無しさん:2020/11/03(火) 11:17:47 ID:DK9oyGfI
国会図書館所蔵

身体検査の歴史とM検 : 学校身体検査と受験等  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2004.1 <Y94-H6440>

新聞記事に見る杉並の少年通り魔事件と、戦後少年愛事件史 木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <Y94-H2314>

身体検査の歴史とM検 : 徴兵検査と国民体力検査の時代  木谷俊男 編著. 木谷俊男, 2003.1 <Y94-H2039>

身体検査の歴史とM検 : 国民徴用と身体検査  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <Y94-H1966>

身体検査の歴史 : 徴兵検査、大学等入試身体検査と"M検"  木谷俊男 編. [木谷俊男], 2001.10 <EF91-G466>

116名無しさん:2020/11/03(火) 11:18:21 ID:DK9oyGfI
宦官とカストラート : 少年去勢の歴史と文献   木谷俊男 編. [木谷俊男], 2001.10 <GE257-G11>

賎のおだまき考 : 少年13歳・少年美と少年愛の系譜  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1998.10 <EF91-G289>

文献に見る小中高校男子に見られる性的イジメの諸相  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1998.9 <EF91-G279>

文献に見るセクハラの系譜と諸相 : 性と人権 男子篇   木谷俊男 編著. [木谷俊男], 1997.4 <EF91-G91>

資料・徴兵身体検査規則 : 徴兵と徴兵検査   木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.1 <AZ-666-H2>

陸軍身体検査規則 : 徴兵と志願、12歳のM検  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.2 <AZ-666-H3>

資料・健康優良児表彰 : 健康優良児表彰,その光と 影  木谷俊男 編. [木谷俊男], 2003.5 <FC14-H31>

蔭間と少年性愛の系譜 : 日本における少年愛と少年売春の歴史  木谷俊男 編著. [木谷俊男], 2003.2 <EF91-H20>

男子児童生徒と性被害の諸相 : 性的いじめ・裸体罰、逆セクハラ被害、少年売春の衝撃実態  木谷俊男 編. [木谷俊男], 2001.10 <EF91-G464>

身体検査の歴史とM検 : 健康優良児表彰、その光と影   [木谷俊男], [2003] <Y94-H2851>


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