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本迹関連の部屋

1美髯公:2009/07/18(土) 14:25:22
 「本迹」と一応銘を打ちましたが、「本迹」に限らず「教義一般」も

こちらで、お願いいたします。

話が入り組んでくれば、その時は分割も考えますのでm(__)m

123美髯公:2010/12/10(金) 13:05:54
  で、書き忘れたもんで、一点。
  「それを拡大解釈してしまった結果」ではありまへんでぇ、素直に読んでみなはれ。
  「衆生己心の妙法(御本尊)本、漫荼羅御本尊迹」と言う結果になりまっせ。

  ただ、「漫荼羅御本尊を迹門不変真如の理」と明言されたりした時、「本門随縁真如の智」は何かと言う事に関しては明言されておりまへん、
  逆もまたしかなりえおます。
  明言すれば、色々差し障りが出てきますよってに、後は各人察せよとの姿勢でおますわな。

125首都高バトル01:2011/10/23(日) 22:39:19
ご無沙汰してます。
この考え、どう思われます?

十界互具について
十界互具を人間の生命内に観ると、
まず依報(さまざまな十如是の姿)を覚知することにより十界が顕れる。
そしてそれに対処しようと、正報の自らの境涯に応じて収まる十界より顕れ、対処しようとする十如是(立ち向かう自分の姿)が、顕れる。

十界×十界、それぞれに十如是が収まる。心具から始まり心生(湧現、顕現)へ・・・十如是を持って十界は顕れ、十界を持って十如是が顕れる。

働きを捉えることで、十界互具がどういうものか、見えてくる。

妙法蓮華経は、即これ十界互具である。

126首都高バトル01:2011/10/23(日) 22:40:52
認識と対処・・・
生命内においてそれぞれの境涯に応じて十界と十如是が役割と働きを行う。

十界互具についてこういう捉え方をする内容があるかを
あちこち見たのですがなかったものですから、お尋ねしました。

127美髯公:2011/10/25(火) 21:40:47
 おばんです!初めまして、首都高バトル01 はん。

 正直、言わはっとる事が、よォ〜理解出来てへんのんやけど・・・・一つ (^^;

 > 生命内においてそれぞれの境涯に応じて十界と十如是が役割と働きを行う。

 【それぞれの境涯に応じて】とありますが【十界】そのものが【境涯】と違いますやろか?

128首都高バトル01:2011/10/25(火) 23:53:52
どうもです。
そうですね。
それぞれの十界の境涯に応じて、十如是が役割、働きを行う。

129首都高バトル01:2011/10/26(水) 00:46:30
これは、わかります?
・十如是(正確な言葉が見当たらないのですが、、、所、つまり依報の)を持って十界が顕現する。(言い換えれば依報を持って十界が顕現する)または、まわりの妙法蓮華経の姿を持って十界が顕現する。

・十界(それぞれの境涯が対処しようとする命)を持って十如是が顕現する。

いつも私が使っている例で、考えてみてください。

「 蛇に、にらまれた蛙 」
蛙は、瞬間的に依報に存在する一つの妙法蓮華経の姿、この場合は蛇ですが、
蛇の持つ特性と蛇がこれから蛙に向かって行おうとする一連の行動を見ます。
これが依報に存在する一つの妙法蓮華経の姿、十如是です。
蛙は未来に起こる一連の現象を見ます。(自分が食べられる姿を)
瞬間に心が出てきます。(恐怖の、、、この場合地獄界でしょうか?)
*十如是を持って十界が顕現する。

*十界を持って十如是が顕現する。
蛇と蛙の例で、これは想像してみてください。
蛙が何も出来ない場合は、身動きできず、地獄即地獄。
蛇は、空腹なら地獄即餓鬼。

十界互具が見えてきているように思うのですが、いかがでしょうか?

130美髯公:2011/10/26(水) 20:35:30
 おばんです、首都高バトル01 はん

 十如是が依報でっか?なら十界が正報? (^^;
 なァ〜んか、十界と十如是の関係の考え方が違うように思いまっけど (^^;
 極端な言い方を許して貰えば、十如是っちゅうのは、十界の付録みたいなもんでしゃっろう?
 所謂、本誌 (十界) があるよってに、付録 (十如是) があるみたいに。

 また、十界は項目で、十如是は、それの解説という事もいえるのと違いまっか?
 十界 (境涯) が決まる事によって、その境涯に応じた働き (十如是) が、あるのであって、
 働き (十如是) によって境涯 (十界) が決まるっちゅう様なことは、無いと思いまんけど・・・

131首都高バトル01:2011/10/27(木) 00:07:43
依報に存在する妙法蓮華経(十如是)の姿を五陰で認識し、それを持って境涯に応じた十界が顕現する。

心如工画師を思い出して下さい。

九界即仏界、仏界即九界は、真の十界互具の在り方。

これを言っておかないと単なる華厳の説明に終わってしまいますので。

言っていること、御理解していただけますでしょうか。

132首都高バトル01:2011/10/27(木) 00:22:30
斧さんところの創価王道で、
十界互具と十如是の説明をされ、十界互具は十界と十界に所と能の違いがあると言われおり、そこで終わっております。

その続きを説明しています。

133首都高バトル01:2011/10/27(木) 01:25:04
立て続けですみません。

御文に、
「釈尊五百塵点こうの当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり」御書P513.
*本は、本地久遠元初。 *理は、難思境智の妙法。

この本理が本地難思の境智の妙法、即.事の一念三千であると言うこと。

134首都高バトル01:2011/10/28(金) 18:39:57
十如是を持って十界が顕現するを否定すると、
南無妙法蓮華経、御本尊を持って仏界が湧現することを否定することになります。
御本尊に(題目を唱えることに)より、自受用身できなくなります。

話は変わりますが、(というより変わっているようで続いています。)(体と用が倶体倶用であること、そして迹本不定へ。)

御義口伝、冒頭の帰命について、
なぜ色心が出てくるか、わかります?

この色心が、「 不変.随縁 」とは何かを指す、解くヒントです。
これがなんであるかわかると、本迹一致(本迹不二と言う言葉はありません。)ではなく、本と迹が不定(迹本不定)であることがわかってきます。(また説明します。)

前回の「十如是を持って十界は顕現する」は、
創価の出版物、書籍からの引用です。

その内容は、また書きますのでよろしくです。

135首都高バトル01:2011/10/28(金) 18:56:53
また
諸法実相抄の
「実相は南無妙法蓮華経の異名なり」の実相もこの不変真如にあたります。
またあとに出てくる本有は、随縁真如にあたります。

取り急ぎですみません。
続きは、またということで。 よろしくです。

136首都高バトル01:2011/10/30(日) 01:42:42
・サイコロを転がすと毎回、目が数が違う(同じ数の時もある。)。(サイコロが止まった瞬間や、止まった時)

・生命は、たえず変化している。いま見た瞬間が次には、変わっている。転がしたサイコロのように定まらない。
そしてグ〜ルグル回っている。グ〜ルグルと。

・色心で見てみます。
生命は永遠不変であり、人間の生命は、肉体を構築し、肉体(妙法蓮華経の姿)に属します。
仏界は、心に属し、本門に有ります。また縁に随がい(御本尊、題目)、現れます。
生命も仏界も差別がなく、絶対であります。

その生命と心、仏界と肉体をグ〜ルグルまわり、一定にとどまらず、変化します。

・永遠不変の生命から縁に随がい心(十界、仏界)が現れ、その心が肉体を動かします。

・サイコロの目、数のようにある時は、永遠不変の生命のまま(ボ〜としているのかどうなのか?心が現れていない状態)。
またある時の一点をみると、心が肉体を動かしている状態。つまり不定。

生命とは、迹門不変真如。 仏界とは、本門随縁真如。
人が生きている限りたえず変化し、一定でない。

・依正で見てみます。
御本尊は、非情に属し、体は永遠不変の生命の冥伏した妙法蓮華経の姿というより、体は永遠不変の生命を保ち(冥伏し)ながら、仏界の生命が全面に出たまま、(ヒーローズのヒロ.ナカムラが時間を止めたそのままの状態)止まっている状態。

・とても失礼で申し訳ないのですが、
サイコロをふってみます。
御本尊は、不変真如から随縁真如、出現停止状態。我々は、その都度変わる、変化する。

・すべてのもの(生命)には、仏の命が具わっており、差別が無いこと。
随縁不変・一念寂照の御本尊。

・迹と本は定まらない。・・・迹本不定。

参考・・・御書P.708
御義口伝の冒頭の帰命についての所、参考にして下さい。

また御書P.239
有情.非情の所、参考にして下さい。

137首都高バトル01:2011/10/30(日) 01:52:04
訂正
×出現停止状態
○出現して、停止状態

138首都高バトル01:2012/01/04(水) 23:16:18
2012年も 宜しくお願いします。

十如是を持って十界が顕現する。は、

以下の内容の中に書かれています。
(赤鬼さんの教学.十章抄でもその内容は見れます。)

「 十如是とは、如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等である。

[ つまり諸法は必ず相、性、体…
如是本末究竟等の十の範疇をもって顕現する
ということが真実の相であると説いたのである。]

諸法とは森羅万象であるが、十界に収まる、とすると、
諸法実相十如是とは、地獄界、餓鬼界…仏界のどの界も、
平等に[ 十如是をもって顕現する ]ということであり、
十界が、現象として顕現した面では相互に差異があっても、
顕現する仕方、形式の面においては平等であるという真理が
ここに明たかにされたことになるのである。

その結果、[ 二乗も含めて一切衆生が、
仏と同じく十如是の法則に基づいて顕現している ]ことであって
成仏の可能性をもっていることが明らかになったのである。

このことによってまた、これまでの三乗を開いて一仏乗を明こすことが
仏の本意であるという開三顕一の法門がほぼ明かされたことになった。

ここから“略開三の十如実相”といわれているのである。

ちなみに、「広開三顕一」は、方便品の一大事因縁・開示悟入の説法が
それにあたる。

そこでは、はっきりと、釈尊が自らの出世の目的は衆生をして
仏の知見を開かしめ、示し、悟らせ、仏知見の道に
入らしめるところにあることが宣言されたのである。

さて、十界の一切衆生が仏知見すなわち仏界を具えているということは
十界がそれぞれに十界を具えているということである。

ここから十界互具・百界千如の法理を天台大師は立てたのである。」

139eco ◆Smw69BiSBo:2012/06/09(土) 08:18:41
お初なのですが なんか風の便りで呼ばれてしまったので・・・・・

>>122
ブログで引用した「金沢講演」の資料は、昭和50年頃に発刊された小冊子のもので
その冊子自体 絶版になっているので もしかしたら「全集」の何処かにあるかもしれません。
掲載した理由は、御本尊のことで、2ちゃんでも あれこれともめていた時期だったので 当時、「参考」という形で掲載しました。


>>人本仏迹
「字」のことは無視してください(涙)・・・・

>>衆生己心の妙法(御本尊)本、漫荼羅御本尊迹
それを聞いて「自分が御本尊だ 俺が基準」と解釈して勘違いしてしまったのが・・・・(お察しください。)
ただし、彼には過去「金本位」と「通貨管理制度」の違いを比喩にして説明したことがありましたが
それがちょっと理解ができなかったようです。
ちなみに人本仏迹は牧口先生が用いた「価値論」で簡単に破釈ができてしまう 単純なものです。


もっとも・・・・ その背景には「記憶の干渉」や「伝言ゲーム」や「思い込み」等々 
心理的な要素の観点から さまざま角度でプロセス等がよみとれますが
いずれにしても 指導者の言は、無謬性などの働きにより 一種の権力にも陥りやすく
結果的には さまざまな人に「影響を及ぼす」ので 
だから人間革命の11巻では「トップに立つ人の言葉は重い」・・・と記したんじゃないでしょうか?池田先生?
・・・と「嫌味」も記しておきます。 あの対告は 自分に降りかかる事を考えず小泉(隆)さんに言い聞かせていたけれど
今でも ここ 最近の「新人間革命」や「指導」など読んでいても、結局は「他人事」の感覚でしか物事を書いていない。
そして「自分が一身になって・・・」と たとえ小説では綺麗ごとを並べて言い張っても 
現実問題 それらの責任はとっていないし 勘違いによる暴走の結果に対しては
フォローもできずに止める事ができていないし 結果的には無責任のまま・・・・・・

140見習い:2012/06/12(火) 19:26:21
 いらっしゃいませ、eco様 m(__)m
 管理人代理をやらせて貰っております、見習いと言います。
 久々のお客様、嬉しく思います。

 早速の書き込み有難く存じ上げますが、当掲示板には一応【自己紹介】と言うスレッドを設けておりますので
 そちらの方に書き込みいただいて後、本迹関連の部屋、口舌の輩の部屋、管理人室への書き込みをお願い致します m(__)m

145沖浦克治:2016/01/28(木) 06:58:59
 極めて基本的な大聖人仏法の道理を書いておきます。

 日蓮正宗と言う宗派は。戒壇本尊原理主義です。
 それはご勝手にどうぞ。

 ですが、アホなことを言い過ぎると愚かを晒しますので注意しましょうね。
 例えば、

 戒壇本尊にお目通りできななら、成仏は叶わない。

 こういう事は御書に欠片もございません。
 御書には明記されてあります。

 『第六此人不久当詣道場の事
 御義口伝に云く此人とは法華経の行者なり、法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去つて彼に行くには非ざるなり、道場とは十界の衆生の住処を云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり此れを道場と云うなり、』
 (御義口伝巻下)

 これだけ具体的に書かれてあって、未だに、

 戒壇本尊にお目通りが〜〜〜〜〜〜〜!!!!!

 ダメだ!!
 こりゃ〜〜!!

146沖浦克治:2016/05/22(日) 21:01:02
今晩は、皆様方。

 今朝仏間で唱題中悟りました。

 御本尊を拝むことは、大聖人個人を拝むのではない。

 一切衆生を拝む行為!!

 ご本尊の位置づけが凄くすっきり致しました。
 嬉しいです。

 創価学会に入会した時、御本尊は大聖人そのものだと教えられて来ました。

 寛師の六大秘法を創価学会も採用していたからです。

 その後、自分で御本尊は大聖人ではないと悟りました。
 然しながら常に位置づけに疑問がありました。
 御本尊は衆生己心の妙法を写し取ったものです。
 でもやはり曖昧さが常に残っていました。
 
 今朝突然唱題中に悟りました。

 御本尊を拝むことは、一切衆生に合掌礼拝の行をしていることなんだ。

 凄くすっきりしましたよ。

147沖浦克治:2016/05/25(水) 17:16:31
 よく思います。
 
 人生の幸不幸、成功不成功って何なんだろう??
 
 長いこと生きてきて悟ったことがあります。
 それは、
 
 少し満足できる人生を望むなら味方を作れば良い。
 
 最高の人生を歩みたいなら、憎まれることを恐れない勇気を持つ。
 
 気付くのに長いことかかりましたが、今は全く生き様に迷いがございません。

148備前 ◆TtzwqSGci2:2016/05/26(木) 00:42:13
 こんばんは、沖浦さん

 >>146

 > 創価学会に入会した時、御本尊は大聖人そのものだと教えられて来ました。

 そうですね、人法一箇の故と教えられましたね。

 しかし、生命論から見るとおかしな話ですよね

 万歩譲って、大聖人ご存命中なら通用したでしょうがねェ〜

149沖浦克治:2016/05/28(土) 07:04:04
 備前さん、おはようございます。

 御書には大聖人本仏論はありません。
 最初のお人だと明記されてあります。

 捻じ曲げたのが寛師。

 習いそこないですね。

150沖浦克治:2016/05/28(土) 07:06:22
オバマ大統領が広島で語られました。

 核兵器のない世界を作ろう。
 自分が生きている間に無理だとしても必ず作らねばならない。

 1957年9月8日の戸田先生の原水爆禁止宣言から59年・・・

 https://www.youtube.com/watch?v=au0rr5zPixE

 世界の指導者がこういう講演をするところまでやってきました。
 牧口先生、戸田先生がご存命であられたならば、どれほどかお喜びになられたでしょう。

 SGIと池田先生の不惜身命の戦いが時を呼び寄せたと信じる一人でございます。

151沖浦克治:2016/05/28(土) 10:15:46
戸田先生は池田先生に、

 自分が亡き後7年間で300万所帯達成。

 を御遺命なさいました。

 200万所帯と最初に言われ、直ぐ、

 『いや300万所帯だ。
 大作やれるか?
 急がねばならんのだ。』(趣意)

 と言われた意味が、このオバマさんの演説でよく理解できました。
 あの300万所帯の達成に人類の滅亡がかかっていたのです。

152沖浦克治:2016/05/31(火) 05:57:24
フェイスブックに今書きました。

 嫌われれる勇気、という本が出ているようです。
 
 もう、30年以上前の事です。
 演出家と二人で苦労して舞台をやっていました。
 その時演出家が聞きました。
 
 沖浦、お前どういう生き様したい。
 
 お答え致しました。
 
 舐められて可愛がってもらうより、恐れられて嫌われたい。
 
 二人で大笑いしました。
 今そういう人生です。 
 でもね、10年間悪口言い続けられたお方は信頼できます
 
 悪口は下から上に向かう傾向が強いのです。
 10年間悪口雑言の嵐の人は、誰も交代できない能力を持っておられます。
 火事場の消防自動車です 
 少々の事では存在を否定できません。
 
 『鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし、』
 (日蓮聖人ご遺文)
 
 こういう人に私はなりたい・・・・・

153沖浦克治:2016/06/17(金) 04:35:38
 おはようございます。
 
 出発の朝となりました。
 7時12分のバスで新宿から成田。
 
 19日が本番。
 練習で何千回してきたことを大会でやるだけです。

 『勝ち負けは
    人の生命の
       常なれど
     最後の勝をば
        仏にぞ祈らむ 』
 
 戸田先生のお言葉を胸に秘め、戦って参ります。

154沖浦克治:2016/06/27(月) 07:58:47
 選挙で民進党へ入れた事を書きました。

 早速問題だとしてクジラさんの板で騒ぐ人がいます。
 以前、
 
 戒壇本尊本懐の邪義たること。
 興師の唯受一人を否定。
 曼荼羅は道具。

 だと書いた時も、同様の反応が激しく起こりました。

 真面目な創価学会員はそういう反応を致しません。
 反創価の人は反応します。
 何故か?

 困るからです。
 以前法華講の方々は、

 創価学会は破門であるから戒壇本尊からの功徳がない。
 唯受一人を嫡々一人として受け継ぐ猊下のご威光も及ばない。

 これが武器でした。
 私は根底から否定したのです。

 そんなの要らね〜〜。

 困ったでしょうね。
 ですので、あちらこちらで創価学会員に成りすまして私を激しく攻撃なさいました。
 次に法華講員の方々の攻撃は、

 創価学会員は聖教新聞を沢山とらされ、広布部員は何十万円と強制され、選挙になると全員が休む間もなく駆り出され、民音のチケットも無理やり押し付けられている。
 それで生活も苦しくてゆとりも全くない。

 こういうものでした。
 ですので私は、

 私は聖教新聞は家族で一部、推進はやらない、選挙活動は全くしなくて広布部員は一人一口、民音などは行ったことがない。
 創価学会関係でかかる費用は、交通費まで含め全部合わせても、年間に家族で4万円ほどしか使わない。

 と、事実をキチンと提示致しました。
 これは彼らは困ったでしょうね〜!

 これで法華講さん達の武器はもぎ取られてしまいました。
 その上、法華講さん達と仲良くなって一緒に写真を撮ってネットでドンドンアップ致しました。

 その効果も少々あって、最近は法華講さん方はめっきり弱くなってしまっています。

 クジラさんの所へ書いた人はその名残の方ですね。
 進歩のない人です。

155沖浦克治:2016/06/29(水) 15:14:25
下種仏法の血脈についてです。

 先ず、高僧から高僧へと伝授される血脈という思想は大聖人仏法にはございません。
 御書には明確に書かれてあります。

 『夫れ生死一大事血脈とは所謂妙法蓮華経是なり、』
 (生死一大事血脈抄)

 血脈とは南無妙法蓮華経そのものです。
 そして、

 『総じて日蓮が弟子檀那等自他彼此の心なく水魚の思を成して異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉る処を生死一大事の血脈とは云うなり、然も今日蓮が弘通する処の所詮是なり、』
 (生死一大事血脈抄)

 私どもが南無妙法蓮華経と唱える所がそのまま生死一大事の血脈です。
 何故ならば、一切衆生の命はすべて南無妙法蓮華経だからです。

 人が思考を重ね思索をし、突き詰めて行くと、最後は南無妙法蓮華経を悟ります。
 私どもの命はそういうふうに出来ています。
 ですので、

  何方か特別な一人が常に師匠の悟りを相伝して伝え広める。

 こういう思想は大聖人仏法にはございません。
 釈迦にもありません。

 釈迦は、舎利弗も須梨槃特も平等に教えております。
 特別な英才に後世の広布を託す、という方式は仏法にはございません。

 『所謂地獄の一人餓鬼の一人乃至九界の一人を仏になせば一切衆生皆仏になるべきことはり顕る、譬えば竹の節を一つ破ぬれば余の節亦破るるが如し、』
 (法蓮抄)

 一切衆生を仏にするためには、あらゆる階層の一人を仏にすることが肝心だ。

 この観点は、一切衆生を平等に扱うことが基本です。

 『一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し、』
 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 この通りです。
 ですので、興師に限らず何方か特別な人が大聖人の後をついで法を伝えるという思想は初めからありません。

 最初から下種仏法の血脈は断絶することがありません。
 衆生が一人でも生きている限り、その方の命には下種仏法の血脈である南無妙法蓮華経が息づいております。

156沖浦克治:2016/07/21(木) 08:06:13
 今時こんなことやってるようじゃね〜〜

 http://www.chugainippoh.co.jp/rensai/jijitenbyou/20150522-001.html

157沖浦克治:2016/08/06(土) 07:07:02
71回目の広島原爆の日。

 謹んで犠牲になられた方々の追悼を致します。

 南無妙法蓮華経・・・・

158沖浦克治:2017/01/05(木) 04:56:14
 創価学会仏、と私どもが未来の経典に書かれる。

 創価学会は公式に見解を出しました。
 ここで考えられることは、その時点では創価学会は存在を止めていると云う事です。

 運転手と云う職業がありますが、近い将来自動運転技術が円熟し普及するなら無くなります。
 自動車運転教習所も消滅致します。

 太陽光発電が進化し、蓄電池も桁違いに良くなり、インホイールモーターなどの先進技術が当然になると、ガソリンスタンドは要りません。

 以前、大きな企業には電話交換手が普通にいましたが、今はそう云う職業がありません。

 日蓮思想が世界の思想の根底に座る日は、創価学会が不要になる日です。

 既に創価学会は指導主義を止め、励まし主義になっています。
 それでないなら存在できないからです。

 近い将来、アメリカ市民が教会へ行くような信仰のやり方が、創価の信心の主流になるでしょう。

 宗教活動と日常生活の境が無くなるのです。
 当然、選挙戦を組織でやることも無くなります。

 良い悪いではなく、時代の要請です。

 私は創価学会員としての最後の世代の闘いを経験致しました。
 福運があったと感謝しております。

159沖浦克治:2017/01/10(火) 06:15:45

 自分が大聖人と寸分たがわない南無妙法蓮華経如来である、と心の底から信じる。

 これが出来るなら人生は変わります。
 師匠がネールさんの言葉を引用なさいました。

 『仏教が堕落したのは釈迦を人間から離れた特別な存在としたからだ。』(主意)

 私共は寛師の、

 大聖人だけが特別な存在で人間とはかけ離れている。

 この思想に知らず知らずの内に毒されて来ました。
 今創価学会はその思想からの脱却を図っている最中です。

 戒壇本尊本懐の否定。
 全てのご本尊への平等観。
 創価学会仏の公表。
 寛師教学の否定。

 今後の展開で更に進むと思います。

 創価思想の幕開け!!

 私共は寛師から大聖人仏法へ入りました。
 ですが、SGIにはそう云う思想はございません。

 最初から大聖人本仏思想がない。

 驚くべき事実です。
 SGIでは大聖人を優れた思想家の面から強く捉えています。
 創価学会はSGI傘下の団体。
 近い将来当然その方向へ向かわざるを得ません。

 今からその思想の変換に備えておいた方が良いでしょうね。

160沖浦克治:2017/01/11(水) 06:18:04
 おはようございます。
 
 御書には一切衆生が南無妙法蓮華経如来だと書いてあります。

 後は門下としてそれを信受するかしないか?
 個々人の信心の厚薄の問題です。

 別しては大聖人、総じては一切衆生が本仏。

 これも間違いです。
 等しく大聖人と寸分たがわない本仏です。

 ここがわからないと不軽菩薩の行は出来ません。
 ご本尊手を合わせて唱題していても、

 このご本尊は一切衆生の命を形どったものだ。
 このご本尊を拝むことが一切衆生を拝むことにな。
 法華経の修行の肝心である不軽菩薩の行が、このご本尊に向かう唱題なんだ。

 ここを理解するべきですね。
 世界中の宗教が人間の上に神を据えてダメになっています。
 私共はその轍を踏む愚かを犯してはなりません。
 そのための創価学会なんですよ。

 今創価学会は未来の経典に私どもが創価学会仏と記されると高らかに宣言いたしました。
 新しい時代、新しい宗教、新しい思想の幕開けなんです。

 私共はSGIの一員です。
 そこでは大聖人を宗教かではなく、革命家思想家として捉えています。

 価値観の逆転があるのです。
 遅れないように致しましょうね。

 宗門の念仏題目なんか捨てましょう。

161沖浦克治:2017/01/12(木) 05:31:27
 人と仏の本迹について。

 創価学会は世界広布新時代にあたり、

 人のための宗教!!

 を高々と宣言いたしました。
 人間革命に明確です。

 AのためのBならば、Aが目的Bが手段。
 これは大原則。

 人間(の幸福)が目的、宗教はそのためにある手段。

 仏法は衆生のためある教えですが、日蓮正宗時代反対になっておりました。
 破門からもう直ぐ30年。

 宗門の蔭も消え去り創価学会は教義を一新。
 更にまだまだ変更するでしょう。
 良い時代となりました。

 大聖人仏法は衆生のためにあります。
 これは大原則で国の憲法見たいなもの。

 大聖人仏法では人間の事を凡夫と云います。
 凡夫に二種類あって、仏と衆生。
 同じものですが異なりがあります。
 御書には、

 『衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、』
 (一生成仏抄)

 わかりやすく云うなら 冰と水の関係に似ています。
 双方同じ、H2 O。

 仏法は人のためにある法ですので、衆生を済度するために仏が出る。
 当然主体は衆生で、仏は従になります。

 これが人類全体からの主と従ですし、本迹とも云えます。

 人が本仏は迹。

 そしていま一つの観点からです。
 では私共個々人の中ではどう云う関係になるのか?

 私共は本来は久遠の南無妙法蓮華経如来です。
 御書にありますね。
 ですが、今はそれを忘れて(迷って)います。

 貴方は100%の仏様ですか?

 こう問われて素直に、ハイと答える人は少ないです。
 迷いがそう云う答えをさせています。

 所がSGIのメンバーは同じ問いに、

 ハイ!!

 と答えます。
 迷いがないのですね。
 以下於保さんの講演から抜粋引用いたします。
 (2009年12月06日『海の文化と村の文化』)

 そこで、「この中で,自分のことを南無妙法蓮華経如来だと信じられる人?」と手をあげてもらったんです。フランスのメンバーは6人全員、「はい」と元気いっぱい手をあげたんですよ。日本のメンバーは40数人中3人でした。
 〜引用終わり〜

 御書にば私どもが人の形をしているのは迹で、本地は仏だとあります。

 『下種寂照実事体用無上の本迹 生仏一如の事の上の本覚の寂照なり人は迹仏は本なり云云。』
 (百六箇抄)

 久遠からの南無妙法蓮華経如来が、たまたま地球と云う星に人類の恰好で生きている。

 端的に云うならこう云うことです。

 ご本尊と拝む私どもの本迹などは簡単です。
 創価学会が見解を出したでしょう。

 仏道修行のためのご本尊。

 当然拝む側の私共は本、手段としてのご本尊は迹。

 迷う必要すらございません。

162沖浦克治:2017/01/12(木) 07:03:35

 私や貴方方個々人の立派から更に考察致します。

 自分の事を仏法では正報と云います。
 その正報である自分を取り巻く一切の環境を、依報、と名付けます。

 『夫十方は依報なり衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし身なくば影なし正報なくば依報なし又正報をば依報をもつて此れをつくる』
 (瑞相御書)

 最後の正報を依報がつくるとの思想は、現代の物理学や天文学をリードするものですが、又の機会に譲ります。

 依報は影であって正報が本体、正報がないなら依報は存在しない。

 ですので、正報である衆生(私共)が本、囲む環境である依報が迹。
 個々人に訳すなら、個人と云う存在がその方にとって本、囲むすべての環境は依報で迹。

 人間関係に限定して述べるなら、例えばAさんと云う方がおられるなら、Aさんだけが本、他の私共は迹。

 自明の理です。
 当然Aさんを囲む人間関係には、師匠である池田先生や同士である私どもも一切含まれます。

 若し大聖人と同じ時代で四条金吾から見ると、大聖人も迹になります。
 これは大聖人を軽んじるとかと云うレベルの事ではなく、依正から見るとそうなると云う事。

 四条金吾を私や他の方々に変えても同じですね。
 所が、ダメな方々もおられて、

 沖浦は自分が本仏で大聖人が迹仏だと云った!!

 愚かなものですね。
 頭破七分です。

 私はそう云う事は一言も云いません。
 当時御本仏は大聖人お一人と常に書いております。

 現在は機根が整い始めたので、少々発言に変化がございます。
 ですが大聖人を尊敬し奉り事には変化はございません。

 結論です。

 自分にとって自分が世界の中心にいる!!
 自分がどこまで云っても本!!
 自分の人生に主役は自分一人!!

 ここがわからないと虚しいですね。
 折角の創価人となった意味が薄れます。

 本迹って、人生の勝利に大事な大事な概念ですよ。
 迷ってる場合ではございません。

163JJJ:2017/01/22(日) 06:54:54
おじゃまします。

凡夫は、本来、本仏(南無妙法蓮華経如来)とすると、………。

御本尊は、本来、本門の本尊。

と、見るのが、整合性があると思われますが、
そう捉えるのは、私だけでしょうか??

164沖浦克治:2017/01/30(月) 05:47:05
 本尊に迷う人が多いですね。

 寛師の邪義、戒壇本尊本懐と三大秘法当体論の蔭を引きずる人たちです。

 曼荼羅本尊は迹であって、本は私共衆生己心の妙法である南無妙法蓮華経。
 御書に明快です。

 観心本尊抄には曼荼羅本尊が仏像だと明記されていますし、この御書の少し後で書かれた顕仏三来記に以下の御文がございます。

 『爾りと雖も仏の滅後に於て四味三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば諸天善神並びに地涌千界等の菩薩法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、』
 (顕仏未来記)

 本尊抄は文永10年4月、顕仏未来記は同年5月。
 本尊抄の後で明確に本尊の本体をご指南です。

 『本門の本尊妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、』

 誰でも理解出来ますが、頭破七分の人は読めません。

 怨嫉謗法ってね、御書まで読めなく致します。
 損ですね〜〜!

165沖浦克治:2017/01/30(月) 20:36:27
 三大秘法ってね、物じゃないのですよ。
 
 命そのものです。
 衆生己心の妙法である南無妙法蓮華経が本門の題目でそのまま本門の本尊。

 本門の戒壇はその本尊と題目の活動の場です。
 固定された大伽藍ではありません。

 『されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何れの処にても候へ常寂光の都為るべし、』
 (最蓮房御返事)

 私共が信心をしながら生きて行く場所すなわち常に寂光土だとあります。
 寂光土とは仏の住所、それが本門の戒壇です。
 御書に書いてあるのですよ。

 所が寛師の邪義の戒壇本尊本懐と三大秘法の当体に惑わされた人はこの御文が読めません。

 少しだけ冷静に御書を読めば誰でもわかるんですがね〜〜。

166JJJ:2017/01/31(火) 05:56:37
失礼します。

私は、
御本尊は、開門.起後のところの、本門の本尊と捉えております。

もちろん、仏像、舎利の拝むのであれば、この御本尊を前に置きなさいと、言われていると、捉えております。

167沖浦克治:2017/02/05(日) 14:57:18
 JJJさん、今日は。
 
 御本尊は仏そのものではありません。
 仏を象ったものです。

 西郷さんの銅像は西郷さんを象ったもので、西郷さんそのものではありません。
 御本尊と仏の関係も同じです。

 御図顕なされるご本人が、

 仏像。

 と云っておられます。
 ですので疑う必要すらありません。

168沖浦克治:2017/02/05(日) 14:59:35
 何故御本尊を拝むのか?
 
 大聖人の御本尊は一切衆生の命を写しとったものです。
 この点は御書に明確です。

 更に大聖人は法華経の修行の肝心は不軽菩薩の合掌礼拝の行だと仰せです。
 これも御書にございます。

 御本尊を拝むことは一切衆生を拝むことなんです。

169沖浦克治:2017/02/06(月) 06:44:08
 あらゆるスポーツがフォームから入ると大成しないことを書きました。

 何故なのか?

 スクワットを例にとると、フォームから教えるコーチは生徒を外から規制して強くする人です。
 この場合、軽い重量を理想とされるフォームで高回数反復練習させます。
 補助も良い道具もあまり必要ありません。

 私の様にフォームから教えず、先ず重たい重量を挙げさすことから教える人は、生徒を中から強くするコーチ。
 これは高重量を2〜3回やらせます。
 当然適切な補助や優れて安全なラックなどが必要です。

 フォームから教えると生徒たちは平均的に強くなります。
 高重量からやらせると、生徒たちはそれぞれの個性でずば抜けて強くなります。

 フォーム重視のコーチングから、一流のスクワッターは出て来ません。
 突然変異で強くなれないからです。

 コーチが強くするのではなく、生徒が自分で強くなるトレーニング。
 最も重要なんです。

 アルペンレースを例にとると、板を走らせることから教えるべきです。
 所が日本は、フォームを重視します。

 ですので、突然変異で素晴らしい選手は出て来ません。
 残念ですが、我が国のコーチングの実態はほとんどがダメですね。

 仏法を内道と云いますね。
 人を内なる革命で変えるからです。
 外からの規制で律するものを、外道と呼びます。
 人は内道で成長致します。
 外道ではダメなんです。

170JJJ:2017/02/12(日) 07:29:12
失礼します。

たとえ、仏像に釈迦の霊が憑依(適切な言葉が見つからず、申し訳ありません。)したとしても、そこに実相.諸法.十如がなければ、仏界も三身.寂光土も現れず、一念三千は成り立ちません。
憑依?寄生?合致?合体?装着?着座?……着座かな。
ひと度、妙法蓮華経と唱えれば、仏から凡夫まで、すべての仏性が、顕れ集まり、自名指定の席に着座……。

御本尊は、開門(証中の[ あかしのさなかに ]不思議一.本化本尊).起後のところの本門の本尊と捉えております。九界即仏界.従因向果から、仏界即九界.従果向因へ、俗諦世間に挑めば、仏壇閉扉にて、御本尊は迹門不変真如の理に帰すると、捉えております。(参考御書→阿仏房御書P1304「ゆゆしき大事……」また「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔その前に涌現す」。法華初心成仏抄P557「一度(たび)妙法蓮華経と唱うれば……」
・また本尊の姿は、(起後のところの)本門の本尊.(証前の)[南無]妙法蓮華経の五字[七字]と捉えております。よくご存知であられます、顕仏未来記の「本門の本尊・妙法蓮華経の五字」の意です。
謎は解けましたでしょうか?
そう捉えるのは、私だけでしょうか?

171JJJ:2017/02/13(月) 11:37:57
失礼します。

訂正です。すみません。
(誤) 九界即仏界.従因向果(従因至果)から、仏界即九界.従果向因へ

○ 従果向因の仏法。九界即仏界.仏界即九界。

172JJJ:2017/02/13(月) 17:45:23
失礼します。

さらに、訂正します。すみません。
(誤) 開門(証中の[あかしのさなかに]不思議一.本化本尊)

○ 開門(本化.本門の本尊の起点、不思議一。)

173沖浦克治:2017/02/15(水) 06:32:47
 JJJさん、おはようございます。

 御本尊は方便なんです。
 実像である南無妙法蓮華経を紙に写し取ったもの。

 仏そのものではございません。
 仏は私共。
 お化粧する時鏡見ますね。
 あの鏡が御本尊、見ている私どもが本体ですね。

 同じなんです。

174JJJ:2017/03/01(水) 04:14:44
失礼します。
御本尊は、虚空会の儀式を象ったと言われておりますが、私は、そうは捉えておりません。
霊山一会儼然未散ですから、実体は見えませんが、仏性と言う心性の形でその儀式が題目と共に行われていると捉えております。不思議一ですから、書写本尊と題目に顕れ、一体となっていると、捉えております。つまり世間の物の外用を写す鏡ではなく、不思議一体の御本尊と言う仏界の明鏡を、境智冥合するところに顕れる自身の仏性、心の鏡で自身に内在する生命が、同じ南無妙法蓮華経と正観する南無妙法蓮華経如来であるとすることを、御本尊を鏡としてそこに自身が南無妙法蓮華経如来であると見ていると、捉えております。

ですので、
御本尊は、(開門 [開塔] .起後のところの、本化本尊 →起後のところとは、久遠を明かす寿量品所顕の本化本尊 .)本門の本尊と捉えております。

分かりにくいかと思いますので、
次回に、長文になりますが、全容を書きます。
また御本尊、中央.実相.南無妙法蓮華経について語らせて頂きますと、久遠や法界、宇宙という概念が加わります。

本日は、これで失礼いたします。

175沖浦克治:2017/03/28(火) 05:57:11
 昨日は今年2回目のオフ日に致しました。
 連日の闘いで疲れた身体と心を癒しました。

 唱題もお昼の1時から30分。
 朝夕の勤行を一回にまとめてやりました。

 それまでの時間ひたすら食べて寝ていました。
 そして思いました。

 近い将来勤行も朝夕ではなく、日に一回自由な時間帯でやるようになるだろうな・・・

 その方が合理的ですね。

176沖浦克治:2017/04/02(日) 06:29:32
 上行菩薩は一人だけではないと書いたら、色々あちらこちらで反論がございます。

 真面目なご意見もございましたので少々ご説明致します。

 御書には

 『此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中国ごと人ごとに弘むべし、』
 (妙密上人御消息)

 とございます。
 人ごと国ごとに弘めるのですから、一人では不可能です。
 地涌の菩薩の代表としてのシンボルの上行菩薩。
 この菩薩の本地は何か?

 久遠の南無妙法蓮華経如来です。

 そして私共一切衆生も同じく寸分違わぬ久遠の南無妙法蓮華経如来。
 御書に如来の説明がございます。

 『されば文句の五に云く其車高広の下は如来の知見深遠なるに譬う、横に法界の辺際に周く堅に三諦の源底に徹す故に高広と言うなりと、所詮此の如来とは一切衆生の事なり既に諸法実相の仏なるが故なり、知見とは色心の二法なり知は心法見は色法なり、色心二法を高広と云えり、高広即本迹二門なり此れ即ち南無妙法蓮華経なり云云。』
 (御講聞書)

 『然らば無作の三身の当体の蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等なり南無妙法蓮華経の宝号を持ち奉る故なり云云。』
 (御義口伝巻下)

 『此の妙法蓮華経とは我等が心性総じては一切衆生の心性八葉の白蓮華の名なり是を教え給ふ仏の御詞なり、』
 (一念三千法門)

 ここまで書くと必ず無知な方が云いますね。

 仏に総別があって、別しては大聖人お一人だ!!

 これって大間違いなんですね。

 『御義口伝に云く此の品の題目は日蓮が身に当る大事なり神力品の付属是なり、如来とは釈尊惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、』
 (御義口伝巻下)

 寛師の害毒は凄まじいものがございます。
 捨てて良かった日蓮正宗。
 辞めずに良かった創価仏法!!

 追記致します。

 御書は大聖人お一人との表記が多くある。
 だから大聖人だけが特別の仏様なんだ。

 これも大きな勘違いです。
 大聖人を特別な存在に祭り上げ、聖人化してしまうと、それに使える僧侶たちも簡単に特別な人種に出来ます。

 後世の習い損ないが犯した自己保身の大嘘。
 代表は寛師ですね。
 御書には、

 『一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し、』
 (三世諸仏総勘文教相廃立)

 最初のお一人が大聖人です。
 後は一切衆生が全て同じ。
 そして、大聖人も一切衆生の中です。
 当然ですよ、人間ですからね。
 

177沖浦克治:2017/04/08(土) 05:51:03
 他板でも、上行菩薩で浮かれ騒ぐ方もおられます。

 少し整理しておきます。
 多くの方の位置付けは、

 久遠元初の仏>上行菩薩。
 
 こう云うものですね。 
 久遠元初の自受用身如来が宇宙の最初の仏で、それが大聖人。
 釈迦はその法門である南無妙法蓮華経を修行久遠実成で仏に成った。
 上行菩薩はその釈迦の法華経を末法で弘める人。

 ですので、大聖人が上行菩薩の再誕だと云う思想はありません。 
 大聖人は御書の中で、ご自身が上行菩薩である事を明確に否定されておられます。

 『而るに日蓮上行菩薩にはあらねどもほぼ兼てこれをしれるは彼の菩薩の御計らいかと存じて此の二十余年が間此れを申す、』
 (新尼御前御返事)

 明快に否定されておられる。
 誰がどう読んでも大聖人は上行菩薩ではあり得ません。

 釈迦仏法の限定された思想の中の上行菩薩の位置付けは、私共大聖人門下とは無関係なのです。

 大聖人は久遠の南無妙法蓮華経。

 これは変わりません。
 そして、

 私共一切衆生も寸分違わず久遠の南無妙法蓮華経如来。

 ここが日蓮思想の極意。
 これが分からないと御書はわかりません。
 ですので、何処かの誰かさんの様に、

 沖浦は自分を久遠の南無妙法蓮華経如来から上行菩薩への格上げをしている。

 などと云う方は、御書に暗い見本ですね。

 まあ寛師教学ではそんなものです。

178沖浦克治:2017/04/17(月) 06:34:48
 クジラさん所にsewさんが書き込まれておられますね。

 私はこの件でどちらの味方もいたしませんが、一つだけ書いておきます。

 sewさんとは現実に何度か対面しております。
 クジラさんとは対面をしておりません。
 ですので、現状では

 sewさんのご指摘の内容が実際にあった。

 と、大きな確率で考えております。
 但し双方のお話をお聞きしないと結論は出せません。
 将来クジラさんと対面することがあるなら、その時お聞きいたしますでしょう。
 クジラさんに対面をしてその説明を要求する、と云う事ではございません。

 対面の機会があって(私は強く望んでおりますが)、クジラさんがその話題に触れる事をお許しになられるなら、その時はお聞きしたいと存じます。

 対面による対話こそが、創価学会の基本であり、大聖人仏法の根幹をなす行い。
 これは昨日も書かせて頂きました。

 『人生の大事は対面による対話しかどうしようもない。』(主意)

 牧口先生以来、創価の伝統でございます。

 『書は言を尽さず言は心を尽さず事事見参の時を期せん、』
 (太田入道殿御返事)

 創価三代の聖人方、日蓮大聖人、これ等の末法広布の偉人方が、押しなべて対面による対話をせよと云われる。

 私は、大聖人門下の創価人として、ネットを助縁とした対面対話を目指すことが仏法者のネットの王道だと定めて来ましたし、今後も変えるつもりがございません。

 当然、対面には危険が付きまといます。
 先ずアポをとる時から、自身の連絡先や実名などの個人情報が相手に知られます。
 それを悪用されることが十分に考えられます。

 事実、私も凄まじいまでのバッシングに晒され、結果として家業に大きな影響をもたらしました。
 2008年ごろからその傾向が強くなり、一昨年まで継続致しました。

 白馬村での体育協会加盟にも横槍があり、私共の仕事も紆余曲折を強いられました。
 何よりも恋女房が精神的に落ち込み、家庭が暗くなることもございました。
 ですが、御書には、

 『日蓮も又かくせめらるるも先業なきにあらず不軽品に云く「其罪畢已」等云云、不軽菩薩の無量の謗法の者に罵詈打擲せられしも先業の所感なるべし何に況や日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ旃陀羅が家より出たり心こそすこし法華経を信じたる様なれども身は人身に似て畜身なり魚鳥を混丸して赤白二・とせり其中に識神をやどす濁水に月のうつれるが如し糞嚢に金をつつめるなるべし、心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思はず身は畜生の身なり色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり心も又身に対すればこそ月金にもたとふれ、又過去の謗法を案ずるに誰かしる勝意比丘が魂にもや大天が神にもや不軽軽毀の流類なるか失心の余残なるか五千上慢の眷属なるか大通第三の余流にもやあるらん宿業はかりがたし鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし』
 (佐渡御書)

 私自身の過去世現世の謗法故に悪口罵詈される。
 それはそのまま現世での宿命転換の原動力だ。

 この御文をそう定めて身で少々読みました。
 その結果現在の大成功がございます。

 ネットの掲示板で創価を語るなら、魔が競うのが当然。
 それを恐れていて、ネットを舞台にした人間革命境涯革命は不可能。
 御書にございます。

 『願くは我が弟子等は師子王の子となりて群狐に笑わるる事なかれ、過去遠遠劫より已来日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕せ師子は値いがたかるべし、国主の責めなををそろしいわうや閻魔のせめをや、日本国のせめは水のごとしぬるるををそるる事なかれ、閻魔のせめは火のごとし裸にして入るとをもへ、』
 (閻浮提中御書)

 当時門下への大弾圧の真っ最中。

 その国家による命に及ぶ弾圧でさえ、水に濡れるようなものだ、閻魔の責めは火の中に裸で入るほどの物、国主の責めなど恐れてはならない。

 この様に門下を激励なさっておられる。
 ネットで実名晒して責めらる程度、そよ風に頬を吹かれるようなもの。
 しかも、そのそよ風で自身の境涯革命が成し遂げられる。

 これほど素晴らしい話は滅多ございません。
 更には、ハンネのままであってもお互いに対面し合うなら、その部分から宿命転換は開始できます。
 但し私は皆様方にお勧め致しません。

 志のあらんお方はそう云うネットをなさいませ。
 志のないお方はご遠慮なさいませ。

 これだけの事でございます。

 『其の故は経文明白なり道心堅固にして志あらん人は委く是を尋ね聞くべきなり。』
  (法華初心成仏抄)

 広くは広宣流布。
 狭くは、自身の人間革命虚がい革命。

 これらへの志のないお方は、どうぞハンネでのネットでおやり下さいませ。
 それはそれで楽しいでしょうから。

179沖浦克治:2017/06/11(日) 06:35:42
縦線時代の戦友たちが4人で昨夜やって来られました。

 ご夫婦お二組。
 70歳超えてます・・・・・

 4人ともに池田先生から名前で呼ばれる人です。
 昭和33年〜37年の入会の方々。
 私は組織では全く出世(書き方良くないですが)せず、戦友たちは幹部になって大活躍。

 人生の総仕上げにかかって全く平等に戻りました。
 忌憚のない話が弾んで楽しかったです。
 
 4人ともに関西創価学会の草分けの方々です。
 それで質問いたしました。
 掲示板で常に争っていたことです。

 一大秘法って何ですか?

 4人一斉に即答。

 本門の題目です!!

 やはりな〜〜・・・・・
 
 私は兵庫県神戸市で入会して、4か月後の任用試験。
 三大秘法の勉強でそう教わりました。

 所が、長野県に来てからは全てと言っていいほどの方々が、

 一大秘法は本門の本尊。

 と信じておられます。
 この落差はなんだろう?

 池田先生が昭和31年関西の戦いをされた時、常に御書講義をなさったと聞きました。

 その時、将来の将来を思われ、寛師共学否定の真実の法を教えられたとわかりました。
 私が、

 関西以外は一大秘法は本門の本尊なんですよ。

 と言うと、

 エ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!

 と驚かれました。
 私は関西の教学で育った人間です。
 池田思想の洗礼を強く受けていたのですね。

 だから御書をスムースに理解できたのでしょう。

 ネットで教宣とか広宣の方々とやりあいましたし、現在も少しあります。

 大聖人仏法の肝心要である、

 一大秘法が本門の題目(私共の命)。

 これがわからないなら、御書は絶対理解出来ません。

 昨夜はこの話題に花が咲きました。
 久々の研鑽とオアシス。

 創価の戦友はありがたいです。

180沖浦克治:2017/08/29(火) 15:28:00
 テレビも北朝鮮のミサイルで塗りつぶされています。

 ミサイルは怖いですが、桁違いに恐ろしいものがあります。

 隣国が何時責めてくるかわからない。
 だからわが国も核兵器を所有して対抗すべきだ!!

 それには先ず憲法九条を何とかせねばならない。
 憲法改正に向けて国民の危機感を煽り、それによって再軍備を正当化すべく憲法改正の世論を作ってしまおう。

 軍備は凄くお金がかかります。
 当然膨大な利権が生まれます。

 原発の利権の見通しが立たない現在、軍備で儲けたい一握りの政治家と企業がある。

 今こそ私共は、トルストイ、ガンジーに代表される武力によらない抵抗を思うべきです。

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