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天照 つれづれに書く

102天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/06(火) 22:46:40 ID:itZfXMLw0
>>101 誤字訂正 変な自身=× 変な自信○

103天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/07(水) 16:55:41 ID:itZfXMLw0
昨日は>>102で眠りましたので解説を再開したいと思います。

>新参者の私が、一本100円のゴマ木に願い事を書いていたら、
「それは一時しのぎで、本当の問題解決には解脱供養しかないのよね」
と思い詰めた表情で言われていました。
そう信者さんに思い込ませる。それが事務方の誘導だろうと思います。

一晩経ってこの文章を見たら、私も大事なことを言うのを抜かしていました。
kotaro氏曰く「そう信者さんに思い込ませる。それが事務方の誘導だろうと思います」とあるが、
本当の答えは「思い込ませる」ではなくて、『事務方が言うように内容を認識する』のが本当の答えです。

私が>>101にて説明しているのがそれです。
つまりは「事務方が思い込ませている」のではなくて、kotaro氏が阿含教学に疎かったからわからなかっただけのことです。

まあその護摩木を書いている時期は「新参者の私が」とありますから阿含宗に入って間もなかったか、教学を深く学んでなかった時期だったのでしょう。
ですからその時期では「教学に疎かった」のは否めない。

だが、その後事務方の人が「どうして思いつめた表情で言ったのか」または教学を勉強して行って真意がわかる、
つまり阿含宗では何を教え、何を講じさせるかがわかれば、「そう信者さんに思い込ませる。それが事務方の誘導だろうと思います」という語は出ない。
ゆえにkotaro氏は未だに阿含教学を深く認識してない、理解してない、把握してないのでは?と思いましたね。

104天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/07(水) 17:08:59 ID:itZfXMLw0
繰り返しになるが説明します。

護摩木というものは悪いものではありません。(阿含宗的に)
護摩木には祈願する人が自由に願い事を書いて成就を祈念する。そういう代物です。
ですから各々の叶えたい願い事らを護摩木に記入してそれを阿含宗にてお焚きあげしてもらうのです。

安いものは一本百円ですが、以降は千円、三千円、五千円、一万円とあり、ラストは大護摩木の10万円です。
この6種類が阿含宗にあり、それぞれに祈願用、供養用と分かれています。

なぜこのような金額の段階が付いたか、や経緯については話せますが長くなるのと今回の説明の趣旨ではないので省きます。
まずは金額面ではこの6種類の護摩木があり、尚且つ祈願用と供養用の二種類があるのだ、とご理解ください。

供養用は名称でわかるように「先祖供養系の願望」を書きます。
例えば故人の供養なら俗名か戒名を書いて、その方々の供養になる様に書き祈念します。

家系名で書いて一括りでする方法があるなど方法は様々ですが、供養護摩木には祈願は書きません。
願望成就、例えば独身の方が伴侶が欲しい、となれば「伴侶獲得成就」とか「良い異性と巡り合いますように」とか
「良縁成就」などと書きますが、それを「祈願護摩木」に書くわけです。

祈願護摩木は供養護摩木と違い、祈願が多岐にわたります。
例えばこれは昔の話ですが、急に病気になった。病院へ行くのに時間が掛かる。
その間どうぞ体が持っててほしい。また治療に間に合うようでいてほしい。
そういうために「病気抑え」などと書いて祈念した方もいたそうです。

105天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/07(水) 17:18:10 ID:itZfXMLw0
この話は自分が入信したころに聞いた話で、今ではかなり古い話です。
尚且つ僻地で交通の便が悪く、夜中に急に病変が出た。
病院へ行くにも数時間かかったところでの信者さんの話です。

窮地に陥ったその信者さんは電話で先達に相談したところ、ご本尊様に無事を祈念すると同時に
護摩木にその旨の祈願を書きなさい、と指示されそのようにしたそうです。

効果の甲斐あったか無事その病変した方は助かり、難を逃れた。
その経緯もあって阿含宗では「護摩木は家庭の常備薬」というキャッチコピーのような言葉もあるぐらいです。

もちろん病気ばかりではなく、何か人とのトラブルやら大変な事項があったとします。
その際に護摩木一本がどれだけ奇跡を生むのか、というのを阿含宗内で話されていてそれを信じて常備薬の如くで
購入している人もいるようです。

まあ、滅多にそういう危険な事項ばかり起きても何ですが、実際そういうのもそんなにはない。
あるとすれば、個人個人の願望成就の達成で書くことが大半です。
そしてそれに対して何本も書くので必然的に金額もそれ相当に増えるし、阿含宗では2月11日に京都で大護摩供がある。
そこでお焚きあげするので、それに向かって護摩木をたくさん購入した方には「法施」が授与される。
それ目的で買う人もいるので、金額(出費)がかさむ、という方も結構多いのが事実です。

つまり祈願護摩木には各々の自由な願望を書けるのだ、というのをまずはご理解ください。

106天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/07(水) 17:29:40 ID:itZfXMLw0
問題なのは「基本的には何でも自由に祈願できる」わけですが、じゃあ何でもその願いが叶うか?は別です。
それは>>100で私が書きましたが、叶うか叶わないかは「別問題である」ということです。
そしてその理由は>>100に記してあります。

またこういうのもあります。
例えば「アイドルになりたい」と書いても成れるかどうか。
「金持ちになりたい」と書いても成れるかどうか。
「痩せれますように」と書いても痩せるかどうか。

つまりは願望の程度〜常識で物を考えればわかる、というレベルのものは論外ということです。
また願望の多くは願望を願っていながら、その逆の行為をしている場合が多い。

例えば「痩せたい」と言ってバクバク過食をしているとなればさてどうか。
健康成就と願いながら、不摂生な生活や暴飲暴食、過度な飲酒・喫煙をして運動ゼロではどうなるか?

そんな護摩木に願望を書いたからといって叶うはずがない、というのは小学生でもわかりますよね。

だから護摩木は非常にイージーなアイテムであり、魔法の杖?のような存在ではありますが、万能ではない。
尚且つ努力をしても現実の世界というのは物事を達成するには時間もかかるというものです。

また大概の手が届きそうな物事であれば、別段神仏に願ったり宗教など当てにしなくても成就できるものがある。
だから奇跡に与れた人は幸いだが、そういう人はそう多くない。
なので「叶わなくても、まあいいか。叶ったら最高だけど」という程度で書く人が多いと思います。

107天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/07(水) 17:40:49 ID:itZfXMLw0
これは先の話と変わりますが、例えば世の中には努力では叶わない、のっぴきならない願いというのもあります。
特に病気などはその最たるものでしょうか。

ガン治癒は有名ですが、それ以外でも多いのは「精神疾患の治癒」も多い。
阿含宗には精神疾患を抱えた方が結構おられて、皆さんその苦しみ故に「何とかしたい一心」で宗教を講じている。

だから護摩木にもそういうのが祈願にも現れる場合があります。
「心願成就」という風に書けばわからないが、護摩木にダイレクトに記入したりすれば他者にその意がバレます。

ですからもしも私が精神疾患で悩んでいて、それを治したくて護摩木に祈願してたとします。
それを阿含宗の職員(事務員など)が見て
「そういうのは病院へいって治療するのをベースに、解脱供養とかで治さないとなかなか治らないようよ」と言われる場合がある。

つまりは「護摩木祈願程度では治らない」という意味ですね。

祈願自体は悪くはありません。しかし護摩木で祈願しただけではその成就は難しい。
尚且つ阿含教学を学べば、種々の病気などとして現れる現象は「悪因縁と霊障が原因」というのがわかります。
いわゆる宗教上の「強迫概念」ですね。

当然お釈迦様はこのようなことは説いておりません。ですが、教祖桐山氏がその様にしてしまった。
仏教ではそのような概念があるのだ、と嘘をついて信者に覚えこませているわけです。
そして何も知らない信者さんで素直な人はそれを真に受け、教祖の言う事項に従ってしまう。
つまりは病気を治したくて従っているだけだが、信者さんは真面目です。真面目な故に「宗教詐欺」にはまるわけです。

108天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/07(水) 17:56:47 ID:itZfXMLw0
あと弱みに付け込むのが宗教詐欺の嫌な点です。

例えば屈強の精神の無知主でも、ひとたび病気になって病院へ行って治療するが「治らない」とする。
するとそこに悪意があろうが無かろうが、それぞれの信じる宗教を薦める人がいます。

それは当然医者も治せない。本人も努力はしているが治せない。
ならば奇跡の力を借りるしかないわけです。

私の父を例に挙げますが、父は宗教嫌いでした。
だから私が過去阿含宗を奉じていたのを当時物凄く嫌ってたし、反対してたし、馬鹿にもしていた。
「宗教をやるやつは心が弱いからするのだ」と馬鹿にするほど毛嫌いしていた。

だがそういう父がある日病気になったら、すごく気が弱くなって私は笑った。
平素病気をしない人でしたから、病気をする人からみたら「さほどでもない状態」だったが、父にすれば大問題で
「こういう時に宗教の奇跡でも見せれば、俺のやっていることも信じるようになるのだがな」と思った。

また別な時には霊感など無い父だが、ある日憑き物が付いたようで寒気が止まらないということがあった。
親族の葬式の帰りにそのような状態になり、寝ている間以外は常時寒気がおきているといった状態でそれを
私に話をするぐらいだから、相当堪えたのだと思う。

そのようなことがあってそこに宗教的奇跡を見せられたら、結構な頑固者でもコロリとやられる場合があります。
だから宗教というのはありがたい面もあるが、怖い面もあるというのがありますね。

109天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/07(水) 19:44:24 ID:itZfXMLw0
>>108 誤字訂正 無知主=× 持ち主=○

逆にそういう詐欺に遭わない、回避できるのは一来補(旧準シュダオン)氏などです。
彼らは元来ケチで自己解釈に合う宗教に座しても、貢ぐということすらしない。
身銭を切ってでも、というのが無いので、如何に強迫じみた内容でも応じません。
まあ、それが幸いして詐欺宗教でも被害を最小限に留められるという結果になってはいますが。

普通ですと宗教詐欺に遭うと本当にかなりの出費などをしがちです。
まあ私のように本当に金が無い人なら、大枚はたいて費やす、ということすらできませんが、
知り合いの信者さんなんてその人は女性でしたが、旦那さんが公務員で相当な給料をもらっていたが
柏原の墓やら、その他様々な阿含宗のものに費やしたので、普通なら結構な貯蓄があったはずがかなり消費し、
将来はその薄額に旦那さんと揉めなければいいが・・・という方もいました。

結局は欲やら強迫の混じった観念にやられたり、またはその人が持つ信仰心などにヒットすれば後は自然と
信者さんが教団につぎ込むようになるので、非常に上手い・儲かるのが宗教詐欺です。

護摩木は信者の欲などを煽り、強迫系は教学に見られる悪因縁と霊障による人生上の不幸・災難などに
どうしたらいいか、などを則す。
供養系なら先祖を懇ろに供養したい。また阿含宗以外は先祖を完全成仏させられないということも教学にあるので
先祖供養を真摯に求める人は、その点で力を入れるようになってきたりもします。

ですから全て欲望だとかでは片づけられませんが、いづれかのその人の持つ「何か」にヒットするようにある。
そしてそれに従った結果、どうなるか? それは大概「何にもなし」で終わっているのが現実です。
護摩木を買って祈願しても駄目だったり、解脱供養を何体もやっても効果が無かったり、などです。

110天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/07(水) 19:56:48 ID:itZfXMLw0
でも、そういうと
「天照が聞いたガンが消滅した奇跡談は、どうするのか?」があります。

ここがまた何とも言えないところです。

確かに阿含宗はいろんな面で考察し検証すると整合性のなさやインチキが多く明らかに詐欺宗教です。
しかし、そういった詐欺宗教でも「奇跡談」はあるのが実際です。

「奇跡談があるのだから、真っ赤な嘘ではなかろうが」と擁護する側は言ってきます。
ですが、私は言いたい。その奇跡とやらは数が多く、確実に実証できるのかと。

手前味噌ですが、私の弟は2009年にガン死しましたが、その弟は100円の護摩木一本でも願い事が叶ったという人です。
書いて祈願すればまずほとんど外れない、と主張するほどでした。そしてそれを疑うほど私も日々聞いていた。

しかしそういうラッキーマンな弟も最後は救ってくれなかった。ガン死は避けれなかったからです。

それこそ10万円の大護摩木でも書いて弟がガン死を間逃れたなら、私も擁護のままでいたでしょう。
ところがいざ人生の肝心要の時に最愛し崇拝する宗教が何の役にたたないのを実際経験した。
がっくりしている最中に阿含宗の欺瞞を知るわけです。これは正直きつかった。
ましてや弟は過去になかなか治らない肝臓病を解脱供養で一発で治ったという経験者でもある。

しかし2度目はなかった、ということか、救いの手はなかった。
そして欺瞞を知り考察の結果、自分と知り合いの信者の人の大護摩木の効かなかったのもわかったし、
機関誌でガンになり教祖にお助けを求めたが、捨て置かれたのも過去に知ってましたが、その理由もわかった。
ああ、やっぱりインチキ宗教だもの、助かる方が奇跡であり、まぐれなのだ。
そういうギャンブルのようなものにうつつを抜かしていた自分が馬鹿だった、ということで目が覚めた。
護摩木も解脱供養の奇跡も、皆偶発によるものでありなんら信憑性はない。
ましてや皆に通用するものでないから、当てにする方が馬鹿を見るということです。

111天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/07(水) 20:07:20 ID:itZfXMLw0
だからkotaro氏のいう
「本当は100円のゴマ木で十分効果がある。だから、それだけで既に信者さんは救われている。 」というのは
ある側面で見れば「そういうこともある」とはいえます。

私の弟がそうでしたし、また自分も過去一般の方に護摩木を勧進した際に
「以前買った護摩木、効くねえ。お蔭で助かったよ」と言われた時に逆に自分がビックリしたものでした。
そういう経験もしているので、決して教団内の体験談を聞いただけでの効果の鵜呑みでないのは自分も言えます。

しかし効果があった・奇跡を得たというのと、何もなかった、というのを両方聞いてその比率を見れば
「何もなかった」が圧倒的に多いのです。

まあ奇跡なんて早々起きる方が・・・という意見もあるでしょう。
しかしある時は100円でも効き、ある時は10万円はたいても「効果が無い」では納得がいくか?です。

だったら誰でも寝る間も惜しまず100円の護摩木を書いていればいいし、買うのも少額で済む。
それこそ100円で願いが叶うのだったら阿含宗も批判など霞む、というものでしょう。

だから100円で救われた、という人もいれば、駄目だったもある。
人それぞれの効果の得方というのは、科学で証明できないがあるときにはある。

ただ如何せんギャンブルのようなものに命も金も掛けてられない、というのが正直なところだ。
救われている、と思ううちが華だと私は思う。

本当の意味での救いを得れるかなんて「不確か」なのです。
ましてや阿含宗の欺瞞を知れば尚更です。

112天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/07(水) 20:18:29 ID:itZfXMLw0
だから締めとして言いたいことは「救われていると思っているうちは華だ」ということです。

もちろんその「救われている」などの思う、思わないは各個人の自由です。
信教の自由と同じく、実際救われたというのは阿含宗に於いて「全くない」などとは言わない。
ただ、自分に於いては「何もなかった」ということが山ほどある。

弟は様々な願いを叶え、また肝臓病も医学で治らなかったのが解脱供養で治った。
本当にあれは画期的でしたな。

でも最後の最後で救いはなかった。その寂しく死んでゆく末路というのは哀れです。

確かに人はいつかは死にます。何のきっかけであろうが死が来たら、どうあがいても逃げられない。

あと弟は徳があったが私にはなかったから効かなかった、という見方もできる。
しかしそれでは「徳のないものは阿含宗では不幸のままよ」なのであろうか。
そういう教団なのであろうか?

私は阿含宗で「救われた」というのはほとんど皆無です。奇跡的なこともほとんどない。
だったら最初から講じる必要はなかった、というべきか。

究極的な時に効果があるから信じる気も起きる。
結局は私は100円の護摩木はおろか10万円の護摩木も効かなかったし、解脱も何回かしたが何もなし。
そしてそういう私と同じ人が結構阿含宗で多いのだから、「効果が無いなあ」と思いながら信仰を続けている人がいる。
そういう現実もある、というのを述べて、この章は終わりとします。

113天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/09(金) 04:33:51 ID:fi8AOurY0
>>112の後、kotaro氏の2chでの続いた記事を見たら呆れたねえ。
何も欺瞞を分かっていないの丸出し。これじゃあ「100円で救われる人もいる」というはずだ。

私はここでは柔らかく「そういうこともある」とは書いたが、心の基軸は深山さんと同じですよ。

弟の経緯も含めて「そういうこともある」とは述べました。
ただ、今現在でも弟の「大概の願いは叶った」というのは私は今でも信じていない。

そういうと「天照も頑固だなあ」と思う人もいるでしょう。
まあ、そうとも言えるが私はこういうのがあるので、そのように思うのです。

「その叶ったという願いって簡易な物ばかりでしょう?」と。

よほど「これはどうみても宗教的な大奇跡」というなら信じますよ。
例えばあの大護摩木に書いてガンが消えたというような事項ならね。

うちの弟は解脱供養では大奇跡を得た。それは私も実際関わっていたから信じる。
だってその解脱供養を申請し書類を出したのは私だからね。
弟は金を払って後は私に頼んだ。だって弟は当時東京にいたし、東京を離れても僻地に赴任して
いたからおいそれと自分のいた地域で申請ができなかった。

そして私が過去に戒名長などを作成する点で戸籍を取っていたし墓もまわって先祖の戒名なども
把握していたから、私が代理で申請するには適していたから適任として私が申請した。
だから申請も成仏後のことや奇跡も見ているし知っているわけ。

一方護摩木でのことごとく願いが叶ったというのは私は知らないわけ。
本人の言うことは「ほとんど書けば願いが叶った」とは言うよ。毎度。
逆に「なんで兄貴は願いが叶わないんだろうね」と不思議に言われていたほどだ。

114天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/09(金) 04:47:21 ID:fi8AOurY0
>>113 誤字訂正 過去長=× 過去帳=○

そりゃあそうでしょう。弟は東京などにいて護摩木を書いたっていってもそれを私が見れるはずがない。
また見れなくても書いたたびにいちいち弟に「どういう祈願を書いた?」と聞く自体も変。
逆に弟から祈願内容を話してくるのも変だが(笑)

だから今でもその書いて祈願した内容はどのようであって、どう成就したかはわからん。
想像の範囲だがパチンコに勝てるようにとか、何か障害があった際にそれを乗り越えれるようにとかだろう。
そんな滅多やたら祈願して、99%ヒットするなんてありえないと思っているよ。

ただ思うのは意固地になって「俺はほとんど願いは叶った」と言ってないということ。
弟は嘘は言ってない。それは信じれる。ただ、詳細と程度がわからないだけ。

詳細と程度がわからないから、といってもすべて切り捨てれない。
だから「そういうこともある」と譲歩したのが真相。
自分の人生での護摩木祈願で言えば「叶ったな」と思うのは10%もない。
本当に外れクジを引いたようなものだったよ。

そんなものに金を費やしたのはやっぱり自分を誤魔化したのと法施欲しさだね。
それが無ければ買わないって。

効果もない、法施もないで買うか? 洗脳されてもそこは判別できますぜ。
だからkotaro氏は「よっぽど弟のように効いたんだろうなあ」と思うしかないわけで。

ただ深山さんの言うように女性職員の云々が目的で護摩木買ったんだったら呆れるね。
それって何も奇跡もクソもないじゃん。男の下手な下心だけじゃないか。

飲み屋のねーちゃんに惚れて通うのと変わらんでしょうが。嗚呼。

115天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/09(金) 05:03:12 ID:itZfXMLw0
だから思えば弟が中々欺瞞を説明しても信じるのに時間が掛かったのはそこもあるだろうなあ。
護摩木に祈願を書けば悉く叶う。解脱供養で肝臓病も治った。それ以外にもちまちま奇跡は個人的にあったようだし。
だからそういう面で弟は阿含宗は良い宗教だっただろうよ。

だけどガンになって闘病中、頼みの綱の護摩木は効かない、ご宝塔も駄目。
そして一番身近な私が欺瞞を知ってその説明を受けると嫌でも認めざるを得ないでしょう。
だが、やはり理解するには時間が掛かったよね。
内容は批判的な事ばかりだから「そういう風に捉えなくてもいいじゃない?」という意見が多かった。
だけど批判内容は精度が高い内容だから、反論に詰まるよね。

だから今回の自分の投稿にも書いているけど、下手に護摩木か解脱供養で効いたならまた違ったのかも。
それこそ悪魔でもいいから助けてくれるならそれが欲しい、と思ったもの。
阿含宗でなくどこかの別宗教でもいから奇跡を起こせるなら宗旨・宗派替えしてもいい、と思ったもの。

窮地に立たされる人間ってそういうものだよ。

弟はすでに人工肛門と人口膀胱のダブルなので身体障害者さ。認定も受けてた。
そういう不憫な肉体でも生きたかったんだよ。俺も死んでほしくなかったし。
ただ思うのは「生きててもその状態じゃあ大変だろうなあ」とは思ったが。

116天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/09(金) 05:15:45 ID:itZfXMLw0
だから言うわけ。究極のところにいてそれで報われなかったらどう思う?って。
阿含宗命って来てさ、それが適わないわけ。

例えばその大腸がんを解脱供養で奇跡を得て乗り越えてもさ、またガンとか別な病気になって死ぬなら諦めれる。
あれだけ過酷状態でも助けてもらったから二度目はない。そのくらいわかるって。
だから何度も助けてくれなんて言わないから、この正念場を助けて欲しいと思ったわけ。

ところが現実ってどうよ?何もない。あったのは余命を緩やかに下っただけ。
だからいうのさ。「救われていると思っているうちは華だ」って。

確かに病気ばかりではないよ。人生生きていれば病気以外でも窮地に遭う人はいると思う。
それから助かるっていうのは本当にありがたいし、嬉しいものだよ。

だけど見捨てられるというか手がない人ってさ、本当に哀しいものだよ。
先般の「川島なお美さん」ではないが、本当に言葉に表せないぐらい哀しく無念だ。
鎧塚さんも本当にそういう境地・心境でしたでしょう。
また少し前になるが今井雅之さんだって非常に無念だったと。

阿含宗ではガン死をあまり救えないから無理だと思ったが、やっぱりね。
インチキ教団だもの当然だわ。

だから、救われていると思っているうちが華だしそこか漏れた人は絶望しかない。
これをkotaro氏はいつ味わうのだろうね、とは思うな、うん。

117天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/09(金) 05:36:18 ID:itZfXMLw0
久しぶりに書くとタイプミスが非常に多いな(呆)
>>114 再度訂正。 戒名長=× 戒名帳=○

だけど哀しい現実地と思い出になったが、私はよかったと思っている。
2009年に弟のガン闘病と同時期に欺瞞を知り考察できたことは本当に阿含宗から目を覚ますのには
またとない機会だったからね。

ただ弟の闘病と同時並行はかなりきつかったが。
どっちか片方ずつ別進行だったらまだ精神的に和らいだと思う。
もっと負荷が掛かったら私も精神が崩壊したかもだよ。本当。

ああ、でも思えば精神崩壊にならなかったのは弟がガンになる前に道場に通っていたのが
良かったのかな。阿含宗で一生懸命やっても全然効果が無かったからね。
皮肉にもあれがよかったのか(汗

その苦労した時期は約5年だからね。よくまああのクソ阿含宗でそこまでやれたわ。
ラストチャンスだと思って、無職時期と並行して道場に通ったもの。

中天命の最中だとわかってはいたが、何が中天命だか。その時期になるまでの自分の行いの報いを
受けてただけだものな。アホな宗教にほだされるからそういう目に遭うんだ。

どんなに頑張っても効果が出ないのは弟に救いの手がないのと似てたね。
誠心誠意なんて何の役にたたない。本当にそれを嫌というほど経験したなあ。

だって道場には神仏いないもの(笑)

118天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/09(金) 05:56:08 ID:itZfXMLw0
またタイプミスか・・・>>115 哀しい現実地→「地」は不要文字。

平成15年から苦しんだからそれから通算10年は苦しんだよ。
本当に一息つけたのはここ1・2年のこと。
阿含宗にいた際に「中天命で苦しむと10年は苦しむ」というのは当たってはいたな。
要らない苦しみなんてクソくらえだが(笑)

良くないことばかりだったが、良い経験ともなった。
ただ阿含宗へいたラスト辺りは哀しい思い出が多く・強かったな。その5年間は特に。

阿含宗から離れて徐々に良くなった。逆に在籍中に良い兆しがあったら辞めなかったかも。
そう思うと非常に怖いし、未だに良くない方向へ行ってただろうね。

私の遠い親族にある宗教に騙されて「宗教はもうこりごり」と言ってた気持ちが良くわかったね。
自分もその気持ちに激しく同意ですから。それこそ宗教なんて要らない、マジに。

猊下は宗教間の融和みたいなものを言っていたが、そんなもの。私個人は「宗教イラネ」だ。
未だに宗教間のいざこざで世界で戦争が絶えないだろうよ。

仏教以外は争いを率先指定しているじゃないか。そして仏教は元々哲学だし。
下手に宗教なんて持ったり属するから駄目なんだわ。

救われている気になっているうちが華。本当に。

119天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/09(金) 06:04:30 ID:fi8AOurY0
今度はアンカーミスかw 早朝書き込みもほどほどにしないと・・・。
正しくは >>117 で、哀しい現実地→「地」は不要文字。

これでいったん終わりにしますが、kotaro氏、目覚ますには早い方が良いでっせ。
阿含宗の肩を持っているうちが華、いや夢の中だ。

こと阿含宗にいるうちは現実という物を見れない傾向がある。これは自分も経験している。
尚且つ阿含信者は本当の仏教を知らない。これは致命的な欠陥です。

猊下は欠陥があったら直さねばならないと言った。ならば直すのは「阿含宗自体および信者」ではないか。
教祖は直せと言っても直らないから早く死んでもらうということで(笑)

まあそんな願いも無理だから、信者さんが早く現実と本当の仏教を知ることだね。
それが一番確実でてっとり早い。そして効果があり信者の皆さんが幸せになる一番の方法だ。
それを望まない狂ったやつもいるがね。

阿含宗は偽仏教で詐欺宗教。この事実を理解し正しい仏教を知って正しい仏教を講じるべき。
これがわからない人は大いに身を以って苦しめ。以上。

120天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/21(水) 23:51:44 ID:itZfXMLw0
2chの阿含スレ258に記事が載っていましたので転記します。

67 :神も仏も名無しさん:2015/10/21(水) 21:47:20.71 ID:B9b/SWnR
阿含宗報 第356号より

万燈会期間中、関西総本部内陣で生じた奇蹟の報告


8月度例祭にて万燈会期間中、関西総本部内陣に生じた奇蹟について宗務局より発表が行われた。

8月12日朝、関西総本部内陣に、神々しいお姿の方がいらっしゃり、管長猊下であるとはっきり分かりました。
黒の直綴(じきとつ)に朱色のお袈裟で、お顔、髪型、耳、手の形、肩の線まで、3D映像のような現形でした。
それでカメラで恐れながら撮影いたしました。

※写真: 「関西総本部内陣に現形された管長猊下」

管長猊下は真正仏舎利尊に合掌されており、そのお姿は神々しく微動だにせず、威厳に満ちて、
荘厳な不動の祈りのようでした。

管長猊下は8月12日から16日まで毎日、同内陣にはっきりと現形されておられました。以前、管長猊下は
毎日、各道場の内陣を見ているとおっしゃったことがあります。本当にそのとおりだと、あらためて
実感させていただきました。

また、管長猊下はこのことについて、「そのようなことは驚くようなことではない」「今さら言うことではないのだ」
「いつものことなのだから」「自分にとっては当たり前」とご指導され、いつも私たちを内陣から見守って
くださっているのだと確信いたしました。

121天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/21(水) 23:59:20 ID:itZfXMLw0
阿含宗報を見れない方には大変申し訳ないのですが、自分はあるルートで見れたので述べますが呆れますね。
写真が載っているのですが、非常にはっきりしない画像で「何が3D映像のよう」なのかと。
それこそ三身即一のしっぽ如来の方がまだ形がある、と言えるくらい酷いものです。

また>>120の転記文にあるように、仮に教祖が現形したからといってそれがどうしたと。
生きているのだから目の前に出てきたほうがよかろうではないか。

というか教祖は段々老いには勝てず、昨年よりも姿を出せなくなっている。
昨年までもでかいイベントしか姿を現さずだったが、今年の初ゴマと京都大護摩以降はさっぱりと聞く。
そういう状態ということは、そろそろ教祖もやばいのではないか。

やばい状態の教祖だから、はっきりとしない現行もどきでこの騒ぎである。
なんとも目出度いのは欺瞞を知らない信者か、というばかりか。

122天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/22(木) 00:08:23 ID:fi8AOurY0
教祖教祖と言わない信者さんもいると思うからその方面から見れば、内陣に現れた教祖の姿はキモイだけなのか。
だって生霊が飛んでいる、というわけでしょう?

今の画像や映像技術では何でもアリの時代です。幽霊だってUFOだってお茶の子さいさい、です。
教祖が現行された、と騒ぐには持って来いのネタと言える。

教団でそのように騒げば、また釣れるということでしょう。
しかし「教祖なんて別に」という信者から見れば「冷めたネタ」でしかない。
かくいう自分にも非常に美味しくないネタでしかない。

自分が在籍していたころにも「教祖は透明で我々には見えないが全国の道場を見られている」
「何でもお見通しなのだ」ということをよく言われていた。

しかしそれが嘘だとわかったのは2chではなかった。
自分が実際道場に通うようになっての平成15年からのしばらくの間、あまりにも道場の過疎に愕然とした。
その状況を何年経っても改善ができない現実に打ちひしがれていた際、教祖はそのことに全然認識が無かったのを見て分かったのだ。

自分が欺瞞を知らない時期でも気づいたのがそれです。
だから教祖には神通力があり、何でも承知しているぞなんてのは、ハッタリだとわかっていましたよ。

123天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/22(木) 00:44:57 ID:itZfXMLw0
2chでも批判記事によくあるように、教祖が自分らの目の前で奇跡事項を見せてもらったことが一度も無いんですね。
だから色々教団内で話も聞くし教祖の著書でも色々知るが、さて実際に何か「これは」と言う物を見たことが無いんですよね。

一番訝しく思ったのは、教祖は結構各道場にノルマみたいなのを課せているんですよね。
それをクリアしないと結構機嫌が悪い。だから普通の信者だと教祖が地方道場に来る、といえばワクワクだが、
幹部らはノルマが達成できてないと顔が青ざめているわけです。
なぜかと言うと教祖にこっぴどく叱られるからです。

そういうのを知っているから、道場が過疎で尚且つ入信者も少ないのが続いているのを教祖は数値上知らないはずがない。
ならばもっと各道場に発破を掛けたり、例祭などでも信者に向かってもっと何か促しのようなものがあってしかり、なわけです。

それが皆目ないのですよ。また道場が過疎ということは運営もあまり良くないわけです。
だったら信者らに何か言ってくるのが普通です。

ところが実際(現実)といえば教祖が興味のあることしか言わない。または当時は輪廻転生瞑想法の出る時期でしたから、
そのことを述べたりしているなどが多かった。全然危機感も焦燥感が感じられないのです。

124天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/22(木) 00:55:08 ID:itZfXMLw0
確かに下手に教祖自ら「焦りとか苛立ちを見せれば、器の小さい人間とみられる」ということで余裕を見せていたとも取れる。
しかし、教団が勢いのあった時期を自分は知っていますが、そういう時期なのに「焦りや苛立ち全開」だった。

一方、長年過疎が続いているのに「逆に余裕ぶり」というのはどう見ても変です。
ああ、これは教祖が脳梗塞でボケているのもあるが、異常な余裕ぶりというか無関心さには異を感じた。
それから派生して思いつくのは、教祖は神通力があり何でも知っているというのは嘘だな、と思った。

もし本当にあるのなら実際道場で悪い環境のために困窮している信者らを見て、何も思わないはずがない。
現実の教祖は本当にお構いなしの、我が道独走状態だった。

だから2chで批判側と対峙した際に言われていた「教祖は自分らの目の前で神通力の有無も奇跡の行為も見せたことがない」と言うのにはすごく合点が行ったのです。
体験談での信者からの発表や、何かあった際に「これは教祖の何々ですよ」と言われる事項だけが知らされて、生で目の前で「これ」というものを見た人が皆無です。
自分だけじゃない先達もしかりです。明らかにおかしい。

だから今回の現行にしても「茶番にすらならない茶番」と言えよう。
また現行したからどうしたというのだ? 何かあるのか? 

まさか教祖の死が近づいてきています、なんていわないでしょうなwww

125天照 ◆MO30b8Jwoo:2015/10/22(木) 01:08:24 ID:itZfXMLw0
だから私は皮肉を言うわけではないが「死が近づいてきているから魂が体を抜けて現れた」なんてぐらいにしか思わない。
いや、厳密に言えばそれすらさえも信じたくない、と言うのが本音だが。

教祖が死んでしまってその後に「現れた」というのならまだわかる。
まあ、これも皮肉で「教祖、成仏してないんだろう?」なんて言ってしまいそうだが。

阿含宗は現行をウリにしていたのもあるが、もうそんな子供だましも通用しない。
教祖の熱烈なファンしか騙せないでしょう。

ヤフー知恵袋の某氏ではないが、宗教は確かに「救われて何ぼ」と言う面はある。
宗教が未だに世の中から廃れないのは、そこに理由があるかとも思う。

ならば自分が信奉(信仰)したものが「救われない宗教」だったとしたら、貴方は何を思うか?
私はここを言いたいわけです。

悪魔の何かでも「救われた」があるから寄る辺となる。
ところがどれほど命を懸けても「救われなかった」なら何の意味があろうか。
私はそれを阿含宗で嫌と言うほど学ばされた。

阿含宗は早く世の中から無くなってしまえば良いと本当に思う。(終)


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