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不良サラリーマンのビジネスメモ

383はすぴー:2023/10/12(木) 17:45:52
「先人に学ぶ70歳からの人生論

江戸時代に活躍した浮世絵画家・葛飾北斎が描いた
『富嶽三十六景』。実は、この絵は国内のみならず、
海外にも大きな影響を与えました。
当時、北斎の大胆な構図や描写は、古典的な西洋絵画の
考え方を根底からくつがえす「斬新なスタイル」でした。
西洋の美術家たちは、北斎の絵に感銘を受け、
次第に浮世絵に憧れを抱き、その表現を自らの創作に
取り入れるようになりました。
19世紀後半には、欧米で ”日本美術ブーム” とも言える
「ジャポニスム」現象まで巻き起こりました。

73歳で描き上げた自身の最高傑作とも言える「富嶽三十六景」
ですが、実はなんと北斎自身は、まだこの絵に納得しておらず、
満足したものではなかったようです。
北斎は自身が75歳の時にこんな言葉を残しています。
「50歳から数々の画図を描いてきた。とは言っても、
70歳までに描いた物は本当に取るに足らない物だ。
73歳になって、少し動植物の骨格や生まれと造りを知ることが
できた。ゆえに、86歳になればますます腕が上達し、
90歳には奥義を究め、100歳には本当に神妙の域に達するで
あろうか。100歳を超えれば、私が描く一点はひとつの命を
得たかのように生きた物になるだろう。
このような私の言葉が世迷い言などではないことを、
長寿の神には、ご覧頂きたく願いたいものだ。」
そして、75歳での作品にも全く満足していません。
「いくらかは悟ることができた。しかし、まだ到達すべき先がある」と。

「北斎の言葉から読み取れるのは、老人の域に入ったから
といって変に満足せずに、最後まで『理想』を求める老い方
への哲学です。
老年期とは、自分が蓄積してきた人生の糧を生かし、
それを開花させる…最後のクライマックスとして、
これまで以上の仕事をしようと考える時期だったのです。 」
実はこうした「死際まで自分の道に没頭する」という考え方は
当時は珍しくなく、晩年に大成した有名人は数多くいます。
・「解体新書」や「蘭学事始」など、80歳過ぎるまで「蘭学」を究め続けた杉田玄白。
・青物問屋を40歳で家督を弟に譲って、有名な「動植綵絵」を描き始めた伊藤若冲。
・49歳で家業をすべて長男に譲って、のちに全日本地図の作成に携わった伊能忠敬。

現代に生きる我々からすると、これらの先人の生き方には、
少し違和感を覚えるかもしれません。
現代では、60〜65歳で定年退職し、仕事はひとまずリタイア。
それ以後は、無理せず、悠々自適な老後生活に入る…
そんな生き方が一般的であるため、70歳を過ぎても仕事を
究め続ける生き方には、「少し無理があるのでは?」と
感じてしまいます。

江戸時代までは社会的な「定年」の仕組みは存在せず、
有能な人は働けるまでバリバリ働くことができました。
(時には社会が老人を必要とし仕事の継続を強要されることも…)
ですが、20世紀に「定年制度」が普及し出すと、
次第に「60代で仕事はリタイアするもの」という
社会的な価値観が広まっていきましたことがある。

384はすぴー:2023/11/16(木) 09:43:23
スカイツリーのモデルは「法隆寺」
*****
塔としては世界一の高さを誇る
スカイツリーには、
・世界最速クラス時速36kmで
 展望デッキまで行ける高速エレベーター(東芝製)
・2000台の照明器具を搭載。
 フルカラーの演出を可能にした
 照明・時間制御技術(パナソニック)
など、日本企業の
最先端技術を駆使して作られています。

そんなスカイツリーですが、
建築するのに最大の難関になったのが…「地震対策」
日本での地震の発生件数は…
・世界中で起こる地震の10%以上を占める
・日本での地震の発生件数は年間1,500回以上(2019年度の記録)
・マグニチュード6以上の地震発生回数は世界の17.9%
と世界有数の「地震国」です。

スカイツリーの建築時には、大地震に耐えられるかどうかが
大きな課題となりました。
この手本にしたのは
今より1400年以上前の技術…

世界最古の木造建築として現代まで残る
「法隆寺 五重塔」の技術が使われていました。
五重塔の建立以来、
日本ではマグニチュード7.0クラスの地震が
40回以上起きていますが、
高さ32mにおよぶ五重塔は
一度も倒れることなく現代まで残っています。

そこには、
・塔の幅を上層へいくほど狭く 軽い設計にすることで、
 各階の庇(ひさし)の重量の違いから
 ずれて振動するようになり、塔全体の揺れを打ち消しあう。
・塔の中心部にある「心柱(しんばしら)」を地面から
 数センチ浮かして立てることで、
 心柱が塔の揺れを抑える方向に働く。
など、地震の揺れを軽減するための
緻密な設計がありました。

1400年以上前の飛鳥時代の技術を応用して
作られたのがスカイツリーであり、
世界一の高さを誇る塔が完成したのです。
飛鳥時代に、高い建築技術をもった
職人や設計士がいたとは驚くべきことです…

ですが、
実は、この五重塔が作られた飛鳥時代は
建築技術だけでなく、あらゆる技術や思想・芸術が
発展し現代日本の基盤になっています。
「この飛鳥・天平時代は文化的にみても 芸術的にみても、
 思想的にみても、世界最高の水準を達成しています。
 例えば、仏像・仏画群。これは世界最高峰の芸術的達成
 といえるでしょう。

 また、法隆寺の建築は
 非常に技術的にも高度なものを達成しています。
 さらには『万葉集』をみても文学的な表現の豊かさは、
 群を抜いたものがあります。

 それから、聖徳太子の十七条憲法が達成した思想水準の高さ、
 おそらくいずれをとっても世界最高の水準を達成しており、
 現代もそれを凌駕するものを見出すことができません」
*****
と述べられています。
確かに、聖徳太子の業績を見ると、
建築だけではなく、そのすごさが分かります。
神仏習合は、今も世界で争っている宗教戦争を無くし、
十七条の憲法は、明治憲法の第一条「万機公論に徹すべし」
と言う自由主義の根幹を述べているし、
冠位十二階は、実力主義の世界を描いてます。
外交で活躍した小野妹子は最高位に列せられています。
日本人は誇るべき多くの先賢を持っていますね。

385はすぴー:2024/01/11(木) 09:49:06
土光敏夫氏の秘書をやっていた吉良節子が
土光氏の回顧録を「365人の仕事の教科書」
(致知出版社)に投稿されてましたので、紹介します。
*****
昭和六十一年、電電公社や国鉄の民営化をやり遂げ
臨調は解散。その功績で民間人では初めて
「勲一等旭日桐花大綬章」を受賞されました。
神奈川の鶴見にひっそりと佇む土光家。
「地味で質素」を絵に描いたようなその家はおよそ
東芝の社長や経団連の会長を歴任されたお宅とは思えません。
門は「ギーギー」と轟音が響く、廊下は「ギシギシ」
と鳴り、クーラーもない。
修理やクーラー設置を申し出ても、「まだ使えます」と。

受勲の際、土光さんは「個人は質素に、国は豊かに」
と仰ったとおりの人生でした。
メザシが一番のご馳走で着飾ることを嫌い、
背広もカバンも使い古したものを大事に使う。

色紙を求められると「日新 日日新」と書かれた。
その意味は、「一日を有意義に暮らすためには、
その行いは昨日よりきょう、きょうよりも明日は
新しくなるべきだ」です。
そして、話されていたことは、
「一日の決算は一日にやる。毎朝「今日精いっぱい
に生きよう」と誓い、全力を傾けて生きる」と。
*****
日本には良い先達が多いですが、土光氏は別格です。
凡人の私は身につまされます。
少しでも学べればと思います。

386はすぴー:2024/01/26(金) 12:26:55
 老年学者のカール・ピレマーは、著書のなかで、米国の高齢者1000人にインタビューを行い、彼らが長い人生経験から学んだもっとも重要な教訓は何かを探った。

 ピレマーは次のように書いている。

誰も―1000人のうち誰1人として―欲しいものを買うためにもっと一生懸命働いてお金を稼げば幸せになれたと言った人はいなかった。

誰も―同じく1000人のうち誰1人として―周りの人と同じくらい裕福であることが大切で、さらに裕福ならばそれが本当の成功だと言った人はいなかった。

誰も―同じく1000人のうち誰1人として―将来にいかに高収入になれるかを基準にして仕事を選ぶべきだと言った人はいなかった。

 彼らが大切にしていたのは、温かな友情、高貴で大きな目的のための活動への参加、子どもたちとゆったり過ごす充実した時間などだった。

 モノではなく時間こそが、人生を幸せに導く――これが、人生経験豊富で、あらゆる体験をしてきた人生の先達からのアドバイスなのだ

387はすぴー:2024/02/01(木) 10:28:43
「365人の仕事の教科書」の「ストレスに負けない生き方」

*****
かって、医療社会学者のアーロン・アントノフスキー
が強制収容所から生還した人たちの健康調査を
継続的に行い、一部の人たちはとても長生きしている
ことを見つけた。その人たちは共通して
三つの特性を持っていたと発表している。

その三つの特性とは、
1.有意味感
辛いこと、面白みを感じられないことに対しても、
意味を見出せる感覚。
仕事で言えば、望まない部署への配転や仕事に
対しても「将来何かの役に立つかもしれないし」と
思って前向きに取り組むこと。

2.全体把握感
「いつかは戦争が終わって解放されることも
あるだろう」とか、仕事で言えば、
土日出勤になっても「なんて忙しんだ」と
思うんではなく、「今週は休めなかったけど
、来週のこの辺は少し余裕があって休めるな」
等、先を見て心の段取りが取れること。
仕事を計画的に段取りできる。

3.経験処理可能感
最初は、こんなことは絶対できないと思っても
「そういえばあの時も出来ないと思ったけど
意外とできたよな。今回も出来るんじゃない
かな。」と思えること。
過去の経験からこの程度まではでき、その先は
未知分野だなと分析でき、
対処法が明らかになり易くなる。
*****

確かに、悩むくらいなら、一所懸命に前向きに
取り組んで失敗したことはないですね。

388はすぴー:2024/04/18(木) 10:07:19
「運命をひらくもの」からの抜粋。
*****
将棋の永世七冠・羽生善治さんは、
「一つのことに対して十年二十年三十年、
同じ姿勢、同じ情熱を傾けられることが
才能だと思う」とおっしゃっている。
こういう人を「天才」という。
天才とは「天の力を借りられる人」である。
稲盛和夫氏もその典型であり、
「一生懸命ひたむきに努力していたら、
あいつはかわいそうだといって、
天が智慧の扉を開いて力を貸してくれる」
と仰っている。
二宮尊徳も「之を勤め之を勤めてやまざれば
また天助くべし」
「本業に無我夢中である」ことが運命を拓く
第一である。

運命はどこから来るのか?
運命が発展していくのも廃れていくのも
人の心次第である。運命は人の心が創るのである。
稲盛氏が生前の公園で引用されたジェームズ・
アレンの言葉がある。
「人間の心は自然と似ている。放っておくと
雑草が生い茂る。・・・・・
素晴らしい人生を生きたいのなら、自分の心を
掘り起こし、そこから不純な誤った思いを一掃し、
その後に清らかな正しい思いを植え付け、
それを育み続けなければなりません」
心の雑草を取り除くには、いい人、いい教え、
いい言葉に触れることが必須である。

病を契機に五千日の下坐行(げざぎょう)に徹して
開眼した常岡一郎氏は「人生には栄えゆく者と
滅びゆく者の流れがある」という。
「さあ、一つ災難がすんだ。さっぱりした。
しっかり勉強しよう。修養、反省の時間が出来て
良かった。こう思う人は節から芽を出して茂る人である」
松下幸之助氏も不遇の時代を経て運命を拓いた人である。
「悲運と思われる時でも、決して悲観し、
絶望してはいけない。その日その日を必死になって
生き抜くことが大事。その内、きっと思いもしない道
がひらけてくる。」
「すべてを善意に考える。すべてを修行と考える。
そこから必ず、道がひらけてくる」
*****
すごいですね。
良い運命を導くには、コツコツ弛まず、あきらめず
やり続ける。そしてまた続けるということですね。

389はすぴー:2024/05/16(木) 09:11:23
社会教育学者の田中真澄の名言から。

*****
心構えは
どんなに磨いても、
毎朝、ゼロになる
能力である
ちょうど、毎朝起きたら
歯を磨くように、
心構えも毎日
磨き直さなければならない。

人生は、
今日が始まり!
ナンバーワンの思想は
他人との競争が前提だ。
それは苦痛を伴う。
オンリーワンの思想は
自分との競争が前提だ。
そこには喜びがある。

私が若い人に何か
アドバイスをできるとしたら
「一専」を持つということです。
世の中に何事も器用にこなす
多能な人がたくさんいますが
それだけではいけません。
”これは”と思う一つの専門を
とことん磨き、
その才能を社会のために
活用できなくてはいけません。
*****
良い言葉です。
心構えの言葉などハッとしますね。
私は若い人には「仕事は納得基準で」
と言います。
残業など気にせず毎日納得できるまで
何のための作業かを考え進める。
続けていると物事が見えてきて楽しくなる。
今日も納得基準の心構えで頑張る。

390はすぴー:2024/07/18(木) 10:16:20
2024年7月3日に新紙幣が発行され、
新しい1万円紙幣の肖像画に渋沢栄一が取り上げられて、
「日本資本主義の父」と紹介されています。
渋沢栄一翁の晩年の生きざまがありました。
*****
昭和5(1930)年12月、90歳になっていた栄一の死の
1年ほど前のことです。
栄一は風邪を引き、もう老衰と言ってよい状態で、
ほとんど寝たきりでした。
そんなある日、20名ほどの全国方面委員会(現在の民生委員)
の人々が面会を求めてやってきました。
栄一は面会謝絶の状態でしたが、念のために報告したところ、
顔ぶれを聞いて、どうしても会うと言い出しました。

家族は総動員で看護にあたっており、皆で必死に止めましたが、
栄一は言うことを聞きません。主治医はやむなく
「5分だけですからね」と折れました。
栄一はわざわざ服を着替えて、皆に会いました。
白いヒゲが伸びて病人然とした格好に、
みなぎょっとしましたが、彼らも必死です。
__________
いま寒さと飢えに苦しむ窮民が二〇万人おります。
政府は救護法という法律を作りましたが予算がないので
一向に施行されておりません。どうか渋沢様のお力で
なんとかしていただけませんでしょうか。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
彼らの訴えにじっと耳を傾けていた栄一は深く頷きました。
__________
私はこの年になるまで、及ばずながら社会事業に
尽くしてきたつもりです。みなさんのお心持ちは
実によくわかります。老いぼれた身体で、
どれだけお役に立つか知れませんが、できるだけの
ことはいたしましょう。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
栄一の温かい言葉に、来訪者たちの目には涙が溢れました。
しかし、そこから、栄一は驚きの行動に出ます。

「すぐ車を用意せよ。大蔵大臣と内務大臣のところに行く!」

こう言い出した栄一を周囲は必死に止めましたが、
言うことを聞きません。秘書が仕方なく車の準備をし、
急いで両大臣に電話をしました。
二人は気遣って、自分の方から伺いますと言って
くれましたが、栄一はかぶりを振りました。
「頼みたい要件があって面会を申し込んだのだ。
当方から参上しますと答えよ」

真冬に、しかもほとんど寝たきりだった90歳の
老人が外出するというのです。
主治医も「命にかかわる」と止めましたが、
栄一は静かにこう答えました。
__________
先生のお骨折りでこんな老いぼれが養生して
おりますのは、
せめてこういうときに役に立ちたいからです。
これがもとで私が死んでも、二〇万人の不幸な
人たちが救われれば本望です。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
こう言われては、主治医には返す言葉がありません。
こうして栄一は出かけていきました。
この時の栄一の尽力もあって、救護法は2年後
に施行されましたが、その日を栄一は見ることは
できませんでした。
*****
日本は多くの良い先人を持って言います。
中でも渋沢栄一翁は各別です。
今の日本があるのはこのような先人のお陰です。
感謝以外の何物でもありません。
この気概は引き継がなければいけません。

391はすぴー:2024/09/12(木) 09:56:39
ウシオ電機会長の牛尾治朗氏が
創業時の気持ちを投稿されてました。
*****
大学の卒業式の日、友人と当時はやっていた
チャップリンの映画「ライムライト」を
見に行った時のこと。
人生に失望し、生きる気力を失っていた
若いバレリーナを老いた役者である
チャップリンが励ますシーンでの台詞があった。
「元気出せ。人生に必要なものは
イマジネーション(想像力)とカレッジ(勇気)
とサムマネー(若干のお金)だ」
私はその言葉に大変感動した。
父が死んで、渋々父の会社に入ってからも
数年で辞めて自由な生活を送ろうと考えていた。
しかし、30歳を前にしたころ、自分自身の中に、
「会社の繁栄と従業員一人ひとりの幸せが
一致するような経営がしたい」という思いが
湧き起こってきた。
経営者として生きることを決断した。
サルトルの言う「自分は誰も必要としない
けれども、相手が必要とする時は、その必要の
ために生きるのも一つの実存である」を思い出し、
相手の必要と期待に応える。それを自らの
果たすべき使命ととらえることも、
自分の一つの実存と言えるだろう。
*****
華やかに見えていても、誰しも悟りの決断がある。
その悟りは、
「人は人のために尽くすために生かされている」
かもしれませんね。

392はすぴー:2024/09/26(木) 07:22:09
「一日一話 読めば心が熱くなる」(致知出版)
から大仏師の松久朋琳氏の投稿を紹介します。
*****
今から1500年前に伝教大師が修行僧の
心得を説かれた中に、
「一隅を照らす、是れすなわち国宝なり」がある。
意味は、道を志す人間は広い世の中の片隅で
ささやかな灯火(ともしび)を揚げていれば
良い。それこそが「国の宝」と言える人間
なのだ。
とかく人間は片隅にいるより脚光を浴びる
所へ出たがるもの。
私は昔、こう教えられた。
「下積みがなけりゃ、偉くなれない」。
比叡山に行くと良く分かります。
谷がたくさんありますが、ええ材料に
なる木は谷底からグーンと伸びてきた木です。
てっぺんでひょろひょろ生えている木は
材料になりません。

我々が古仏に相対する時、何百年という
時間と空間が飛び去り、まるで今この仏像が
現れたというような驚きの一瞬を感じる時が
あります。
この時空を超越して永遠に生きるものこそ
本当の仏像ではないかと思います。
金や財産では人は感動しません。
感動しても一時的なものです。
感動のない人生は不幸だと思います。

運慶の仁王像を見れば誰でも感動する
でしょう。
一丈五尺の仁王さんは永遠に生きています。
仁王さんを見習って作った私の仁王さん
を見て感動してくれるならこんなうれしい
ことはありません。
私が死んでも、その感動は永遠に続くのです。

人はよく、仕事と遊びを別にしているけど、
仕事する喜びがあったら、
何も別なところに娯楽を求めんでもいいんです。
楽しい仕事を持ったものは「幸福者」です。

*****
私もこんな人生を送りたい。
最後まで楽しみながら。
子供や孫が見て楽しい父やじじでありたいですね。

393はすぴー:2025/01/09(木) 09:54:54
松下幸之助氏の言葉は日本人の宝です。
悩んだ時、困った時に奮い起こす心の糧です。
こんな偉人が日本におられて良かったと思います。
*****
・事業は、無理したらあかん。人様には借りではなく、貸しをつくれ。
 僕はこれまで、ギブ、ギブ、ギブでやってきた。

・刻苦勉励せよ。
 紙一枚も節約して、隅々まで工夫して、低コストは可能となる。

・早くて、しかも丁寧、これが本当のサービスなり。

・5つや6つの手を打ったぐらいで、万策尽きた、と言うなかれ。
 刻々と報告を受けて、指示する。指示を受けて、手を打って、報告する。

・不況は、モノの価値を知るための、得難い体験なり。

・困っても困らんことや。ビジネスは難しい問題がたくさんあるわ。
 いちいちそんなことで困ったら、あかん。困った、
 困ったと思うから、心も狭くなり、知恵も沸かないんや。

・真面目に、一所懸命やっておれば、新しい風が吹くもんや。
 困ったとグチをいう前に、こんなことで困らんぞ、と前向きに対策を練らんかい。

・一円を無視したらゼロや。だが人間を無視したら怨念が残って、マイナス無限大や。
 人間を大切にして、光を当てて、人に感謝すれば、無限大の宝に変わるんや。
*****

394はすぴー:2025/02/20(木) 09:35:12
1991年、HONDAの創業者
本田宗一郎さんは亡くなっています。
生前、宗一郎さんは、
こんなことを言っていたそうです。
「素晴らしい人生を送ることができたのも、
 お客様、お取引先のみなさん、
 社会のみなさん、従業員のみなさんの
 おかげである。 
 俺が死んだら、世界中の新聞に
 “ありがとうございました”
 という感謝の気持ちを掲載してほしい」
 
実は、宗一郎さんは結構早く、
社長を引退しているんです。
66歳で引退し、
いわゆる「会長職」にも就いていません。
「終身名誉顧問」にはなったんですけれども
仕事からは、一気に離れたそうです。

で、社長を辞めた後、
宗一郎さんは何をしたかというとですね、
日本中にある、ホンダの事業所…
販売店から工場から…当時、
700カ所あったそうですが、
その700カ所すべてを回って、
すべての従業員一人一人と握手して、
「ありがとう、ありがとう、
 いつもありがとう!」
と言い続けていたそうです。 
しかも、中には、
2〜3人しか働いていないような、
ものすごく田舎の販売店もあったのですが、
…そんなところも全部回ったそうです。

そして、その後、
海外事業部も全部回ったそうです。
全部まわって一人一人と握手して…
何年もかかったそうです。
周りの人たちは、
「ホンダの創業者が直々に握手しにいけば、
 社員のモチベーションはあがりますよね。 
 仕事をもっと頑張ってくれて、
 業績も上がりそうですよね。 
 だから握手しに行くんですね」
って言っていたそうです。

でも、実はそうじゃないんです。
宗一郎さんはそんなこと、
どうでもいいんです。
自分がお礼を言いたいから
まわっているだけだったんですって。 
ある日ね、田舎の販売店をまわった時に、
車の整備をしていた人が、
「宗一郎さんが来た!」
って聞いて、喜んで走ってきたんですって。
握手してもらいに。

で、握手をしてもらおうと思って
自分の手を差し出した瞬間に、
「アッ!」って言って、
パッと自分の手を引っ込めたんですって。
なぜかと言うと、
手が油まみれだったんですね。

仕事中に急いで走ってきたから、
「今、洗ってきます!」
って、手を洗いに行こうとしたら、
宗一郎さんはその社員の背中に向かって、
「その油まみれの手がいいんだ!」
って言って、
その整備士を引き止めて、
握手したそうですよ、両手で。
でね、嬉しそうにその手をながめて、
目を細めて、
手の油のにおいをかぐんですって。

そんなの見てたら感動しますよね。
泣きますよね。  
宗一郎さん、
こんなことも言っていたそうです。
「握手すると、みんな泣くんだ。
 そして、その涙を見て、自分も泣くんだ」 
って。
すごいですよ、この人。
だから、本気ですよ。
この「ありがとう」は。
本当に心からみんなに
感謝しているんですよ。

395はすぴー:2025/03/15(土) 16:54:53
人間には、寿命の回数券と呼ばれる
「テロメア」がある。
テロメアは染色体の末端にあり、
生まれた時に約1万基対あり、
年齢を重ね細胞分裂を繰り返すことで
短くなっていき、5千塩基対を割り込むと
寿命が尽きると言われている。
テロメアは平均的に1年で50塩基対
減っていき、100年が限界になります。
しかし、このテロメアも規則正しい
生活や食生活によってその短縮を防ぐ
ことが出来る。
早寝早起き、バランスの良い朝ご飯を
食べる習慣を身に付けることです。

その他に精神力を鍛えることがあります。
厳しい戒律で知られる禅宗の僧侶は
寿命が長い。
菜食や規則正しい生活が影響している
のはもちろんですが、何より修行や
信仰心によって鍛えられる精神力が
関与していると言われている。
瞑想や祈祷によって心身の活力を高める
ATP合成酵素(アデノシン三リン酸)が
増え、テロメアが伸びることが分かって
きました。

僧侶でなくても心配いりません。
日々「誰かのために」という思いで
誠実に、一所懸命に生き、
家族や友人を大切にし、時に楽しみや
美味しい食事を生活に撮り言えていく。
それが幸福感を脳に与えるドパーミン
の分布に繋がり、循環器の緊張を
緩和し病気を防ぎます。

396はすぴー:2025/06/05(木) 09:51:30
「OODA」は何と読むか分かりますか?
正解は「ウーダ」です。
最近、経済界ではやっているようです。
「OODA」(ウーダ)とは、観察(Observe)、
判断(Orient)、決定(Decide)、行動(Act)
の頭文字を取った言葉で、
欧米の経営やマーケティングでは
従来のPDCAだけでなく、
OODAが必要不可欠な意思決定プロセス
として認知されています。

PDCAは安定した状況下でプロジェクトや
チームを適切に管理し、品質や効率を
改善していくことを目的としています。
一方、OODAとは、
「その瞬間、どう動くのが最善か」という
意思決定を優先するものであり、
常に変化し続ける予測不能な状況に対して、
常に最善手を打っていくことを目的としています。
OODAの出現背景は、
ビジネス構造そのものがシンプルであれば、
高度経済成長期のように問題はありませんでした。
しかし、近年はデジタル社会によって
ビジネスが多様化し、過去の成功体験が
通用しなくなっています。

「リーダーシップとマネジメントは似て非なる
ものである」ということです。
PDCAはマネジメントには良いが、
OODAはマネージャーは複雑さに対応し、
変化に対応するリーダーに必要ということです。

仮説検証と言う言葉を頻繁に耳にしますが、
社会や経営環境の変化を観察し、仮説を立て
小さく試行する。その結果を素早くレビューし、
仮説を改善又は変更し素早く繰り返し
適切な対策に作り上げていく。
OODAは仮説検証型です。
そのためには、
よく観察し、素早く決断できるリーダシップ
が必要になります。

事業への応用には、PDCAとOODAを
両輪として適切に適用することでしょう。

397はすぴー:2025/06/19(木) 11:04:53
老人はなぜ「意欲」が低下するのか

2021年、ノーベル物理学賞を受賞した
眞鍋淑郎さんは90歳での受賞でした。
聖路加国際病院の名誉院長を最後まで
務めた医師の日野原重明先生は105歳で
亡くなる直前まで仕事を続けていました。
作家の佐藤愛子さんは『九十歳。何がめでたい』
を書いたあと、
『九十八歳。戦いやまず日は暮れず』を上
梓じょうししたように100歳間近で
いまだに執筆を続けています。
瀬戸内寂聴さんも99歳で亡くなる直前まで
旺盛に活動されていました。

こういった人たちは、
ただ長生きするというだけでなく、
100歳前後まで現役で創作や講演活動を
続けているのですから、脳もしっかり
していることになります。

それで気がついたのですが、
私の印象として学者や作家のような
創造的な頭の使い方をしている人が案外、
皆さん長生きしているということです。

肉体的な老化はよほどのトレーニングを
実行し続けない限り、避けられません。
けれども知的な活動はいくつになっても
続けることができます。
それによって脳の機能が衰えなければ、
いろいろな好奇心や楽しみを見つけることができます。

すると、好奇心を満たすためにも身体を
動かすことになります。
老いが加速するフェーズに入っても、
活動的に生活できて老いを食い止めることが
できるのです。
「私にはまだまだやりたいことがある」
たぶん瀬戸内寂聴さんもそんな気持ちで
亡くなる直前までご自身の意欲を奮い起こして
いたのだと思います。

歳を取るほどいろいろなことが億劫になってくる
「その気になれない」はいくつになっても最大の壁
好奇心や自分にとって楽しいことが脳を刺激すると
わかってしまえば、あとは簡単な気がします。

ところが、ここからが難しいのです。
「そのうち」とか「気が向いたら」というブレーキ
がかかってしまいます。
「いまはその気になれない」と言い訳が出て
しまいます。老いは意欲を低下させるのです。

この意欲の低下も老いの大きな特徴になります。
たとえば定年前はあれこれやってみたいことが
頭の中にはあります。
「時間ができたらずっと我慢していたことが
できるんだな」と想像すると嬉しくなります。
ところがいざ仕事を引退して半年ほど骨休めの
つもりでのんびりしてしまうと、
「さあ、やろう」という意欲がわいてきません。

なぜ老いは意欲を低下させるのでしょうか。
そのいちばんの原因は感情が老化することです。
いわゆるワクワクするとかドキドキするといった
高揚感がなくなってくると、
「さあ、やろう」という意欲も薄れてきます。

ではなぜ感情が老化するのでしょうか?
じつはこれも脳と関係があります。
前頭葉と呼ばれる、ちょうど額(前頭部)に
包まれた部分から萎縮が始まっていきます。
前頭葉は感情や創造性といった、
ある意味ではいちばん人間らしい分野を
受け持っています。
この「創造性」というのも大事なポイントになります。
いわゆる中年期の意欲減退や高揚感の
消失というのも、この前頭葉の萎縮が原因と
なっていることが多いのです。

前頭葉は、刺激を与えることで機能低下
を防ぐことができます。
前頭葉が好きなのはドキドキすることです。
(1)初めての体験
(2)ワクワクするような楽しいこと
このふたつがポイントになります。
逆に言えば、いつもと同じような行動や、
最初から結果のわかっているようなことには
前頭葉も刺激されません。マンネリは最大の敵なのです。
*****
面白いと思います。
好奇心は、新しいことを勉強する
ことで生まれることは同感です。
江戸時代の儒学者、佐藤一斉は
「壮にして学べば老いて気衰えず」と
言ってます。先人は良い言葉を残しています。
サミュエルウルマンも「日々新たな活動
をつづける限り青春はその人のものである」
と言っていますね。

398はすぴー:2025/07/17(木) 09:28:39
船井総合研究所(船井総研)の創業者である、
船井幸雄氏の言葉が出ていました。
約20年間、船井氏の右腕として活躍した
和田一廣氏からの紹介です。
人生、仕事を成功させる
「五つの大切な要素」があるそうです。
*****
「五つの大切な要素」とは、
「出会い」「考え方」「習慣」「環境」「経験」の五つ。

まず大切なのは、「出会い」。
私自身、船井さんとの
「出会い」がなければ、
経営コンサルタントとしての
今の自分は存在していません。
人生では 「誰と出会うか」は決定的に重要です。
ですから、「出会い」を求める努力を
しなければなりませんし、
貴重な「出会い」があれば、
「人生の師」「座右の師」として
徹底的に学ばなければなりません。

次は「考え方」。
成功する人は、「利他の精神」を大事にします。
「私心」ではなく、「他者(全体)の立場」
で考え、行動する。
すると、人生、仕事を通して、
いつも前向きなプラス思考でいる
ことができるのです。

三つ目は「習慣」。
習慣は「第二の天性」とも言われますが、
成功する人は「成功する習慣」が身についています。
「時間を有益に使う」「有益な人と会う」
「有益な本を読む」「適度な食事・運動を心がける」
……当たり前のことを、当たり前にやる。
「いい習慣が、いい仕事、いい人生をつくる」のです。

四つ目は「環境」。
環境とは、会社であり、家庭であり、地域です。
どんな環境にいるかで、人生は決まります。
一度しかない人生、成功する人は、
自分の環境を納得するものにするためにも、
「環境を良くする主体」となるべきなのです。

最後は「経験」です。
人生、多くを経験したほうが、
それだけ人生が豊かになります。
ですから、なるべく多くの人と会って、
多くの場所に行って、多くの話を聞く。
成功する人は、そこから成功する経験を選ぶわけです。
*****
当たり前のことを言われている。その中で、
実感としてあるのは、「考え方」「習慣」。
故中村天風氏は、人と話すとき
常に前向きの言葉で終われと言われている。
「暑くて嫌だな」ではなく、
「暑いと汗が出て代謝が良くなるね」と言え。
故宇野千代さんは、
「いいことはみんな習慣にするのよ」と。
故稲森和夫氏は、「利他の心」と。
実践していると、
確かに、思考がポジティブになり、
悪いことが少なくなってくる。

399はすぴー:2025/07/25(金) 10:20:35
鍵山秀三郎氏はイエローハットの創業者で、トイレ掃除で文化をつくる偉人。

*****
世の中で皆様が、
それぞれに努力をされていらっしゃるのですが、
一生懸命仕事をされても、
成果を上げられる人、上げられない人の両方があります。

成果を上げられない人は、
なまけて遊んでいるかというとそうではなく、
むしろ成果を上げる人よりも
一生懸命長い時間休まないで、
働いていることの方が多いのですが、
結果をみると成果につながらない人が割合多いのです。

どうしてこういうことになるのでしょうか。
成果の上がらない人は、やる事為す事に、
無駄が多い。

無駄が多いということは、
例えば自分の手元にある商品の価値がわからない、
そのものの持っている命がわからないから、
自分の手の中にある商品の魅力を
見出すことができなくて、
絶えず目がよそへ散ってしまうことが多いということです。

それではどうしたら無駄が少なくなるのか。
鍵山さんはいいます。

「当然いつも気づく人になることです。
これはあたりまえのことでわかっていることですが、
気づく人になかなかなれない。
どうしたら気づく人になれるかというと、
私はいつも、気づく人になる方法を二つお話しています」と。

気づく人になる方法は、
「一つは、微差。
あるいは僅差をいつも追求しつづけると
いうことです。」
一ミリでも二ミリでもこっちの方がいいと思ったら、
そっちの方をずっと追求していくということです。
普通、僅かな差だとつい馬鹿にしてしまいます。

「例えば、今までAという方向でものを売っていたが、
これをBに変えるとします。
この差が大きければ誰でも変えるのですが、
ほんの僅かしか結果は変わらない、
あるいは成果がよくなるかどうかわからない
ということになると、だいたいやらないで、
今までやってきた方法を続けてしまいます。」

でも自分は、ちょっとでも
1ミリでも2ミリでもいいと思ったら、
そっちの方へ、微差、僅差を追求していく。
そうして長い年月を積み重ねていくと、
大きな力となってくるのです。
   
そうしたら、ああしたらいいな、
こうしたらいいなと気づきが連関してくる。
気づきが連鎖する。
一つのことに気づく人は
他のことにも気づくようになるのです。

では2つ目の方法は?
「気づく人になるもう一つの条件は、
人を喜ばすということです。
絶えず人を喜ばす気持ちで仕事をする、
人生を送る、毎日を送るということです。
これを一年続けていれば、
人が変わるくらい気づく人間になってしまいます。」

そこでまた気づきが連鎖していく。
そうしたらその人の人生は変わっていくのです。
大事な人生の真理を
鍵山さんは平明に語っています。
まさに現代の覚者です。
*****
鍵山さんはトイレ掃除も楽しんでやられる。
公園掃除も13年目だけど、
毎日やっていると気づきも増えて、
楽しみになってくる。


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