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映画
『ミッション:インポッシブル/ローグ・ネイション』
『キングスマン』
『コードネームU・N・C・L・E』
『007 スペクター』
今年はスパイ映画のあたり年だった
さらに来年は『エージェント・ウルトラ』や『ブリッジ・オブ・スパイ』も楽しみ
横浜ブルク13で『私にふさわしいホテル』観ました。
https://www.watahote-movie.com/
物語の舞台は1980年代の日本。
新人賞を受賞したにもかかわらず、いまだに単行本も出ない不遇な新人作家の相田大樹こと本名・中島加代子。
その原因は大御所作家である東十条宗典の酷評だった。
名だたる文豪に愛された『山の上ホテル』に自費で宿泊して文豪気分に浸り原稿用紙に向かっていた加代子の元に大学時代の先輩で大手出版社の編集者となった遠藤が訪れる。
遠藤から上階に東十条がカンヅメ中だと聞かされた加代子は「あいつの原稿が上がらなければ私の作品が載るのでは……」と、あの手この手で東十条の執筆を妨害しつつ、自らの恨みを晴らそうとする――。
書いた作品の面白さ、大衆の人気や支持よりも業界内の人脈や政治力が物を言う文壇の理不尽さに対する主人公の怒り、憤慨、妬み。嫉みといった持つ者と持たざる者への嫉妬心にガチ共感。
「才能があっても努力しても一生スポットが当たらない人間はたくさんいる。そして、なんの力もない人間がコネや政治のおかげで表舞台に立つことができる。本当にこの世は不公平だと思いませんか!? でもね! そんな既存のルールに負けちゃいけないんですよ! スポットが当たらなかったら、スポットの下に飛び出せばいい!」
「犯罪者のくせして世の中の物差しにしたがってんじゃねえよ!」
「私の人生、小説書いてる私が主人公なの! だから、私は私の夢を叶える!」
「私は枯れない。私は戦う。おなじ気持ちで。いつだって、満たされないこの悔しさを力に変えて……書き続けるんだ」
主人公のこれらの言葉にうおぉぉぉ! てなりましたね。
奇しくも最近クソラノベ原作のクソアニメを見たばかりなので、なおさら心に響きました。
誰とは言わないですけどなろうのテンプレをなぞっただけで独創性も作家性の欠片もない正真正銘のクソで、この三木なずなて奴はなろうAIなんじゃねえのかと思いましたよ。
マジ、クソすぎる。
加代子が実行する奇抜な作戦の数々は往年のドリフターズやマルクス兄弟のスラップスティックなコントのようで終始クスクスし笑いしっぱなし。
瀟洒な造りのホテルや文士が集う文壇BAR、銀座のクラブや街のスナックなど昭和レトロ感あふれる世界観も魅力的。
寡聞にして知りませんでしたが『山の上ホテル』は実在したホテルで、2024年に閉館してしまったとか。
ホテルにカンヅメで小説執筆とかあこがれます。
私もオーバールックホテルに冬の間ずっと引きこもりたい。
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマで『型破りな教室』観ました。
https://katayaburiclass.com/
物語の舞台は2011年のメキシコ、国境近くの危険地域にある犯罪と貧困まみれの街マタモロスにあるホセ・ウルビナ・ロペス小学校。
児童の学力は国内最低レベルで子どもたちは自分の未来をすでになかばあきらめている。
そんな学校に赴任してきたフアレスは意表を突く愉快な授業スタイルでたちまち生徒たちからの信頼を築いていくと共に生徒たちもまた自ら学ぶ喜びに目覚める。
しかし教育現場の不正と汚職、暴力、ネグレクト、ヤングケアラーといった児童たちを取り巻く過酷で複雑な地域環境が輝きほじめた学び舎に深い影を落とす――。
銃声が響き街中に死体が転がっているのが日常茶飯事。そんな犯罪と隣り合わせで教育環境も劣悪小学校で起きた奇跡の実話に基づいた物語。
個性を伸ばす教育という、言うは易し行うは難しという難題に挑むフアレス先生は『スーパーティーチャー 熱血格闘』でドニー・イェンが演じたような
チート級のスーパー教師ではなく過去に挫折した経験のあるごく普通の人間として描かれているのが特徴かつ重要な点だろう。
『コーダ あいのうた』でも主人公を導き背中を押すV先生を演じたエウヘニオ・デルベスが扮演しているため、まるでV先生のリブート作品みたい。
知識を詰め込むのではなく様々な事について、その理由や仕組みがどうなっているのか仮説を立てて考える事で理解できるようになる。
過程そのものに意味と喜びがあるのだと教えてくれるフアレス先生の授業のなんと素晴らしいことか。
『窓ぎわのトットちゃん』の小林校長先生くらい素敵。
フアレス先生の人徳に対して街に跋扈するギャング連中もさることながら事なかれ主義で教師にあるまじき不正をおこなう同僚や、子どもの事など微塵も考えない教育委員会の存在などは汚泥そのもの。
奇しくも日本でも東京女子医科大学の元理事長が不正給与や背任容疑で逮捕されたばかり。
「最低の歌手や最低の作家が最低の人間だとは限らないが、最低の教師は間違いなく最低の人間だ」
という、どこかで見聞きした言葉を思い出した。
横浜シネマリンで『小学校〜それは小さな社会〜』観ました。
https://shogakko-film.com/
英国人の父と日本人の母を持つ山崎エマが都内にあるありふれた公立小学校の日常を1年にわたって迫ったドキュメンタリー。
当番や行事を通じて秩序を学び協調性を身につけ、日々成長していく子どもたちの姿のなんと輝かしいことか――と、言いたいところなのですが教師も生徒もみんなマスク姿で幻滅。しかも薄汚い仕切り板で黙食とか強制されているコロナ禍まっただ中の姿が描かれており、沈黙と服従を連想させるマスク姿とあいまって楽しいはずの小学校が何かの収容所のよう。
そもそもあれはコロナ禍ではなくマスク禍。国や医者どもがただの流行り風邪を黒死病や天然痘かのようなガチの死病かのように喧伝して恐怖を煽り、まんまと乗せられた無知な大衆が怯懦してろくに治験も済ませていない怪しげなワクチンに殺到し、大して意味のないマスクにすがりつき、あまつさえ他人にまで着用を強制した悪しき全体主義の顕れ。
同調圧力に屈するどころかそれに加担する自分の頭で考えられない有害なマスクファシストどもの姿を思い出して怒りが込み上げてきた。
今だにコロナ脳でマスクをして不審者ムーブかましている輩を多く見かけるが、こういう連中はインフルエンザが大流行していたにも関わらずみんな顔出し声出しで応援していた1998年2月の長野冬季五輪の時はどうしてたんだ? セルフ緊急事態宣言でもして引きこもってソーシャルディスタンスだの五輪は無観客にしろだのマスクしろだのと言っていたのか?
ほとんどの人はマスクなんてしていなかったよね。
コロナよりもインフルの方が重篤にも関わらず。
マスクは令和の竹槍訓練。意味がなくてバカげていても右向け右、前に倣えで従わなければ非国民あつかい。日本人の国民性は戦時中とちっとも変わっていない。
先生がどんな教育理念を口にしたところでこんなアホマスク強制強要現場を目にしたらなんの説得力も無い。
そもそも先生からして考える教育を受けていないとしか思えない。
日本の学校は自分の頭で考えることを教えず、そこでおこなわれることは公務員が作ったカリキュラムであって教育とは言えないのではないか。
そしてそのカリキュラムとは国やマスコミの言うことを信じさせるための教育要綱であり、大人になっても分析的に判断することができない。
新聞やTVで垂れ流される政府の広報を盲信して物事の意味や是非善悪、なにが正しくてなにが間違っているかも何もわからない、わかろうとしない、考えない従順な羊の群れを大量生産している。
日本式教育の弊害はまさにここにある。
つい先日観た『型破りな教室』のフアレス先生の授業の素晴らしさを改めて実感。
『型破りな教室』こそこの国の学校教育者に観て欲しい、観るべき。
みなとみらいのキノシネマで『ねこしま』観ました。
https://catsofmalta-movie.com/
マルタ共和国。そこは野良猫たちと人間が共存する「ねこしま」だった。
〝猫の村〟存続をかけて開発業者と戦うローザ、巨大な猫像を制作して補修する事をライフワークにしているマシュー、猫に魅了されてマルタに移住した俳優ポリー、猫の保護活動に奮闘する少年アイザック。
猫たちと猫たちに心奪われた住民たちに姿が銀幕に流れる――。
出てくる出てくる野良猫たち。
そして猫カフェで働く保護猫たち。
日本にも宮城県の石巻市に人口50人に対して100匹以上の猫が暮らす田代島という「ねこしま」が存在するが、こちらイタリア半島の先、シチリア島の93kmに位置する地中海のねこしま。
古くから要所としてローマ帝国、フランス、イギリスなどに統治された歴史のある国で、首都ヴァレッタは街全体が世界遺産に登録されている。
猫たちの愛くるしい姿がたくさん映し出されるが、描かれている事は楽しいことばかりではなく猫の可愛さとともにマル夕共和国の愛猫家コミュニティの現状と課題がシビアに映し出されている。
左足を失った野良猫を保護しようとするも逃げ出してその後も猫からは〝嫌な奴〟として認識されている逸話は猫(動物全般)と人間とのわかり合えなさを象徴しているかのよう。
猫の村を守ろうとするも商業主義社会の時代の流れにより村は企業の強権により一方的に移転を余儀なくされる。
癒しと観光客をもたらす猫たちはマルタ共和国にとって宝であるにも関わらず給餌や治療、TNR活動(野良猫の保護したり不妊や去勢などの適切な処置をして元の場所に戻す活動)などはボランティア など個人の肩にかかっており法人格のあるNGOも存在しないという。
公的な支援や個人ボランティアを援助する仕組みを至急進めることが必要で、多くの課題や問題が挙げられている。
劇中で猫の村を管理するローザが「動物のあつかい方で国の評価が変わる」と述べているが、たしかにそのとおりだと思う。
「日本人に似ているから」という理由で柴犬を虐待したり、痛めつけると味が良くなると言って動物を虐待して屠殺する特定アジア諸国の反日ゴブリンどもなんて未来永劫劣等国だと思うし友好なんて無理無理。とっとと団交したいしするべき。
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマで『室町無頼』観ました。
https://muromachi-outsiders.jp/
物語の舞台は応仁の乱が勃発する直前の京都。
京の都は未曾有の飢饉と疫病に襲われ、飢え死んだ者の数は八万二千余。
しかし時の将軍をはじめ権力者たちは飢饉と疫病、貧困からの借金に苦しむ民を顧みず享楽の日々を過ごし、貧富の差は広がるばかり。
剣の達人で自由人の蓮田兵衛は武術の才を見い出して鍛えた才蔵らをたばねて悪政を覆そうと一揆を起こし、かつての悪友で袂を分け宿敵となった骨皮道賢とも剣を交えることになる――。
民から金を搾取する関所に火をつけ、悪人は平然と斬り伏せ、空腹に苦しむ女性に食べ物を差し出して去って行く――。
弱きを助け強きを挫くという〝侠〟の精神を持った主人公・蓮田兵衛のキャラクターはとても魅了的。
こういうキャラクターは大好きです。
そんな男が虐げられた民衆を率いて圧政を敷く権力者に武力で反撃する話とか、もう大好物。
大好物、なのですが……。
蓮田兵衛を演じる大泉洋の飄々とした佇まいなど役に合っているのですが、剣の達人という設定にしてはその動きはいまいち。実写版『るろうに剣心』の壮絶な殺陣を目にした後では正直もの足りない。
活劇映画でこれは大きなマイナス点。
序盤の関所破りの爆発シーンなど、当時にそんな爆発するような火薬あったのか? と首をかしげる場面も。
へいほう、へいほう連呼しているのも気になりました。
他のコラムでも書きましたが兵法と書いても「ひょうほう」ならば剣や槍など個人の武術の事で、「へいほう」ならば戦術・戦略などのタクティクスを指します。
でも本作では剣や槍などの武術をへいほうと言っておりモヤモヤしました。
この事を5ちゃんねるのスレで述べたら「室町時代に生きてたの?」などと見当違いのレスをしてきたアホがいましたが、こういう頭の悪い孺子の頭には時代考証という概念や語彙が無いのかしら?
それに返信しようとしたら「余所でやってください」とかなって書き込みできないし、どういう了見だよ、あの糞掲示板、マジ意味不明。
あと民を虐げる敵役のひとりなのですが、たくさんの護衛がいるとはいえ武装した集団のいる貧民街で矢を放つという危険行為をしたり、いくささながらの街中で避難もせずに酒をかっくらって翌朝酩酊状態で出仕したりと、いくらなんでもそりゃないだろと。
観客のヘイト感情を稼ぐための悪役ムーブなんでしょうけど、なろうに出てくるクズ貴族かよ!
ホラー映画によくある〝通常では考えられない愚かな行動をする人々〟みたいで醒めました。
そういうところよりも足利義政を筆頭に幕府側の無能さだらしなさを描いて全体的なコノヤロー感を描いて欲しかった。
他にも塀の上から弓で狙撃していたキャラが矢筒にまだ矢が残っているのに意味も無く接近戦に持ち込んだりと、細かい部分が目につく目につく――。
終盤の一揆の迫力、群衆が松明を手にして京の街を駆け抜ける姿は圧巻で、一揆に参加した人々にそれぞれドラマや背景があるのも感情移入できて良かったのですが、惜しい。
侠の心を持つ英雄好漢が虐げられた民衆を率いて反旗を翻す――至弱が至強に食いつく展開など好みの食材で好みの料理を作ったにも関わらず調味料選びに失敗してコレジャナイ料理ができてしまった感じでしょうか。
惜しい……。
みなとみらいのキノシネマで『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』観ました。
https://www.trump-movie.jp/
不動産を営む父の会社が政府に訴えられ破産寸前に陥り、危機に瀕した20代のドナルド・トランプ。
そんな時に政財界の実力者が集まる高級クラブで赤狩りの急先鋒で悪名高き辣腕弁護士ロイ・コーンと出会い、勝つための3つのルール――「攻撃、攻撃、攻撃あるのみ」「絶対に己の非を認めるな、全否定で押し切れ」「負けを認めず勝利を宣言し主張し続けろ」――を伝授される。
トランプはそれらを実践し、ロイを弁護士に雇って数々の大事業を成功させるのだが、やがてロイさえ思いもよらない怪物へと変貌していく――。
ドナルド・トランプ。
1946年6月14日生まれ、米国・ニューヨーク出身。名門校ペンシルベニア大学で経済学を学び、卒業後は父フレッドの不動産会社に入社。
1973年に辣腕弁護士ロイ・コーンに出会い、1977年にチェコスロバキア人のモデル、イヴァナと結婚し、同年には長男ドナルド・トランプ・ジュニアが誕生。
その後も航空会社やホテル経営、カジノ事業など事業を大幅に拡大し、1983年にはミッドタウン5番街にトランプ・タワーを完成させる。しかし徐々に負債が増え経営が悪化してゆき、1992年に自身の不倫が原因でイヴァナと離婚。翌年にモデルのマーラ・メープルズと再婚するものの1999年に離婚。2005年には現在の妻メラニアと再婚する。
そして2017年第45代アメリカ大統領に就任するも再選を目指した2020年の大統領選ではジョー・バイデンに敗れた。
2024年の大統領選にも共和党から出馬。ペンシルベニア州バトラーで開かれた選挙集会の最中に銃撃を受けるも生還して選挙で勝利をおさめた。
2025年1月20日、第47代アメリカ大統領就任したのはつい先日のこと。
アプレンティスとは「見習い」という意味。トランプがかつて司会を務めたテレビ番組のタイトルでもある。
本作は見習いで経験不足だった若きトランプを今の姿に育て上げた男との出会いを描く映画となります。
野心はあるが自信がなく、どこか頼りない繊細な青年トランプ。それがロイのルールに従い、傲慢で不遜な自信家を演じるうちに〝本物〟になってしまう。
「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」を見事に実践、体現してしまったのですな。
物語はその過程を生々しく映してゆき、トランプの弱さにも迫っていることも作品に深みを与えている。
酒に溺れて没落する兄との相克や冷えてゆく夫婦関係、突き出た腹や薄くなる頭髪を気にする描写には彼の人間的な部分が透けて見える。
トランプをむやみに肯定して称賛する内容でもなく、逆に激烈に批判する内容でもない。
嫁にハゲ呼ばわりされてブチ切れていましたので、トランプにハゲは禁句。逆に怒らせて理性を失わせたい場合は挑発に使えるので彼と喧嘩する予定の人は覚えておくといいかも。
未熟ではあるが英邁な若き君子が歳月を重ねるにつれ勢力を拡大するも傲慢な独裁者に変貌していく姿を描いた史劇を観ているかのような気持ちになり、ラストシーンのトランプの表情とか、日本を統一した後に海の彼方を見つめる豊臣秀吉の姿を連想してしまいました。
本作に接しているかどうかで米国大統領に就任する男への見方が変わるかもしれない。
これはまさに今この時に観るべき映画。
米国では大統領就任演説の際に新大統領は宣誓するのが慣例となっているのだが、先日の就任演説でトランプはそれをしなかったのが気になる。
「『米国を再び偉大に』するために神に救われた」と、暗殺未遂事件を持ち出して自らの復帰を神の意思だと主張するトランプ。
西谷史の『デジタル・デビル・ストーリー』では大天使ガブリエルが米国大統領に転生していたが、自らの復帰を神の意思だと主張するドナルド・トランプには天使とは異なる存在が宿っているのかもしれない。
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマズで『グランド・ブダペスト・ホテル』観ました。
https://dcam.disney.co.jp/searchlightpictures/movies/30th/
物語の主な舞台は1932年、格式高いグランド・ブダペスト・ホテル。
究極のおもてなしを信条とするグスタヴ・Hは宿泊中の老婦人たちの夜のお相手もこなし、多くの客がグスタヴ目当てにホテルを訪れる。
しかしある日のこと、長年懇意にしていたマダムDが殺され、貴重な絵画を遺品として託された事で遺産争いに巻き込まれてまう事になり、濡れ衣を着せられて牢獄にまで入れられてしまう。
なんとか脱獄に成功したグスタヴは〝鍵の秘密結社〟というコンシェルジュたちのネットワークを駆使して忠実なロビーボーイのゼロ・ムスタファとともに自らの潔白を証明して事件の真相に迫ろうとする――。
こちら2014年に公開されたウェス・アンダーソン監督によるドタバタ喜劇の冒険ミステリー作品。
サーチライト・ピクチャーズ設立30周年を記念してのリバイバル上映となります。
薄桃色を基調とした、まるでお洒落なお菓子箱のような外装のグランド・ブダペスト・ホテルの外観がとにかく魅力的。
ホテルの外観のみならずウェス・アンダーソン監督作品そのものが〝お洒落なお菓子箱〟のような雰囲気に満ちている。
こういうセンスは狙って出せるものではなく、学んで身につくようなものでもない、生来の感性によるものだと思うので、このように独創的な作家性のある人はうらやましい。
脱獄場面や追走劇のくだりなど、やっていることは『007』のジェームズ・ボンドや『ミッション:インポッシブル』のイーサン・ハントばりの大活劇なのに軽妙洒脱。
ホテルという場所は不思議な空間に思えます。
人が生活するための場所でありながら、日常ではなく非日常の空気に満ちている。
『オーバールックホテル』のBARで酒が飲みたい――。
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマで『アーサーズ・ウイスキー』観ました。
https://arthurswhisky.jp/index.html
イギリス郊外、嵐の夜。アマチュア発明家のアーサーはある画期的な発明を完成させた直後に落雷に見舞われ命を落としてしまう。
彼の葬儀後に妻のジョーンは友人リンダとスーザンたちとアーサーが研究に没頭していた発明小屋の整理をしているとウイスキーのボトルを発見。
3人はリビングで老いた体を嘆きながらアーサーを偲んで遺品であるウイスキーを献杯。そのまま寝入った翌朝、目覚めた3人はお互いの姿を見て驚愕。ジョーン、リンダ、スーザンはみんな70歳代の女性だったのだが、なんと二十歳くらいの体に若返っていた!
アーサーが発明したのは若返りの効果があるウイスキーだったのだ。
しかし20代に戻れる時間はわずか数時間のみで若返りのウイスキーは量に限りがある。
それでも体だけでなく化粧や服装も今風に順応させて3人のガールたちは街へと繰り出して年下の男性に恋をしたりラスベガスに旅をしたりと限られた時を楽しむーー。
最初に述べますと本作は老いる事と、ありのままの自分を受け入れる事を肯定しています。
多くの事を経験してきた今の自分にとって何が幸せか、老いもまんざら捨てたものじゃないよと世の高齢者たちの背中を押してくれるような内容。
「なにかを生み出すのは若者だけじゃない」という作中の言葉はたしかにぐっときました。
曹操が詠んだ「老驥伏櫪 志在千里」という詩はすべての老人が座右の銘にするべきだと思います。
日本にも過去に「老人力」なんて言葉が流行った(?)時期もありましたね。
でも実際問題、老化なんて百害あって一利なしですよ。
歳を取ると体力も知力も気力も、ありとあらゆる能力が低下する。
生きてきた年月に応じた知識すら老化による記憶力の低下で活用を阻害される。
衰えを実感できるのならまだ対応や対処もできるけど、若い頃の意識はそう簡単に改まらないため肉体を損ねたりする無茶な行為と結果につながる。
私自身の例で言うと嚥下障害(おそらく加齢によるもの)の症状が出てきたため頻繁にのどを詰まらせて食べたものを吐くようになりました。
若い頃なら水なんか飲まずに早食いできたのに、ちゃんとゆっくりとよく噛んで飲み込まないとのどに詰まり、水を飲んでも流し落とせずにせき止められて逆流、うげって吐いちゃう。
でもお腹が減っているとどうしても早食いしちゃうから頻繁にのどを詰まらせる。
こうなるともう本当に飲み込めない、吐き出すしかないため外食の時なんて大変ですよ。
いかなる才気あふれる若者をも出し抜く老獪の境地に至るには長い研鑽と数多の経験、そもそも最初からある程度の高い能力が無ければそんな域には達する事はできない。
ジョーンらこの映画の主人公たちは若返ったとたんにモテモテになり過ぎ去りし日の輝きを取り戻しますが、若い頃から非モテでうだつの上がらない私みたいな者から見たら特別な感慨なんてわかないんですよ。
仮に私が運悪く長生きしてこの映画の主人公たちみないな状況になっても最初のウイスキーだけ飲んで「あー、不思議なこともあるものだなぁ」で終わらせます。物語にはなりませんけどね。
……あ、言い忘れていましたが最初のウイスキーを飲んで若返った後に他にもないかと家探しして4本くらい見つけるんですよ。でも後から見つけたものが最初に飲んだものと同じ効果のある霊薬だとは限らないでしょう?
致命的な毒物の可能性があるのだから私なら手を出しません。
下手したらとんでもない怪物に変身してしまう魔薬の可能性だってーーいや、それのほうが良いじゃないですか!
クソジジイからクソガキに戻るくらいなら妖怪変化になったほうがマシです。
俺は喜んで人間をやめるぞ! 早く妖怪になりたい!
ローソン・ユナイテッドシネマで『リターン・トゥ・リーズン』観ました。
https://longride.jp/returntoreason/
20世紀に絵画、彫刻、写真、映画制作など幅広い分野で活躍したシュルレアリスムの先駆者である芸術家マン・レイが監督した『ひとで』『エマク・バキア』『理性への回帰』『サイコロ城の秘密』ら短編映画の4Kレストア版の上映という構成。マン・レイ初監督作品から100周年を記念して制作された『RETURN TO REASON/リターン・トゥ・リーズン』となります。
100年前に生み出されたモノクロのサイレント映画に現代の音楽を融合させており、マン・レイの幻想的な作品に不穏で繊細かつ破壊的な音楽(映画監督ジム・ジャームッシュと彼の映画のプロデューサーでもありミュージシャンのカーター・ローガンのバンドSqürl《スクワール》による楽曲だそうです)が実に良く合っている。
あえて人物の輪郭をぼかしたり頭に布をかぶせて顔を見えなくする演出や物語の本筋と関係あるとは思えない脈等の無い映像の連続、抽象的な画といった〝ガチアート感〟満載な映像の奔流は確実に見る者を選ぶ内容。
でもこの意味不明でわけのわからない感じが最高になんか良いものふくんでんよな〜、てな具合に響く響く、響くったら響く。
言葉や理屈や理性ではなくひたすら感性にうったえてくる映像の数々に引き込まれました。
不気味だけど美しく楽しい夢を観ているかのような心地になり、作中で述べられた「闇の砂漠の中を永遠に迷い続ける」という言葉通り、この作品のような闇の世界に誘われて永遠に彷徨いたい。
現実には戻りたくない。
1月に観た映画
『スピーク・ノー・イーブル 異常な家族』『カルキ 2898‐AD』『ビーキーパー』『キノ・ライカ 小さな町の映画館』『フード・インク ポスト・コロナ』
『私にふさわしいホテル』『型破りな教室』『小学校〜それは小さな社会〜』『ねこしま』『室町無頼』
『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』『グランド・ブダペスト・ホテル』『アーサーズ・ウイスキー』『リターン・トゥ・リーズン』
横浜シネマリンで『ブラックバード、ブラックベリー、私は私。』観ました。
http://www.pan-dora.co.jp/blackbird/
ジョージアの小さな村で日用品店を営む48歳の独身女性エテロは男性経験も結婚願望は無く、他者に邪魔されない静かで穏やかな日々を理想としていた。
ある日のこと、山で滑落して九死に一生を得た事が転機になったのか顔馴染みの男性にモーションをかけて48歳にして処女喪失。
今だに彼女を未婚子無しと軽んじる村の女性たちを尻目に、初めての男性経験に戸惑いつつも自分らしい生き方を貫いていく――。
こいつのしている事ってただの不倫じゃねえか……。
世の中には男女逆にしたらだだの犯罪になったり、女視点に描く事でなぜか叩かれない、ゆるされるお話ってあるじゃないですか。
少し前に観た『アーサーズ・ウイスキー』は70代の女性3人が若返って若い男とのロマンスあり、老女としてと脈ありじゃね? 展開になるくだりがあるんですけど、これもジジイ3人が若返って若い女と良い感じになって老爺としてもイケるんじゃね? 展開になったら女さんたちはキモいだのなんだの叩くんでしょ?
本作もそういう系統に思えちゃうんですよね。それにこれ、原作はフェミニズム活動家の書いた小説なんですよ。
もうそういう気配がひしひしと伝わってくる。
パンフレットに北原みのりが寄稿していて購買意欲が失せて買いませんでした。
そういう映画。
そういう映画だったのです。
ところで48歳の女性というと世間一般ではババアだと思うでしょ? でも堀江由衣や田村ゆかりの年齢がそのくらいなんですよ。
イケるね。
じゅうぶんイケるね。
そりゃあ俺も歳を取るわけだよ。
エテロを演じる女優はエカ・チャヴレイシュヴィリという人で、1970年生まれの54歳。
54歳の女性というとババアたと思うでしょう?
でも三石琴乃や氷上恭子がそのくらいの年齢なんですよ。
イケるね。
じゅうぶんイケるね。
そりゃあ俺も歳をとるわけだよ。
なんならもう少し上の折笠愛や根谷美智子ちゃんもイケるね。
そりゃあ俺も歳をとるわけだよ。
麻倉ももや小倉唯がもう30歳だという事に戦慄するね。
そりゃあ俺も歳をとるわけだよ…………。
川崎チネチッタで『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦 』観ました。
https://klockworx.com/movies/twilightwarriors/
物語の舞台は1980年代。英国領時代の黒社会の象徴とも言える今は無き香港の九龍城塞。
黒社会が幅をきかせ、富と欲望がひしめく悪徳の魔窟に流れ着いた若者・陳洛軍《チャン・ロッグワン》は黒社会に食い物にされるも逆らったことで組織に追われて九龍城砦へと逃げ込む。
当初は命の危険に晒されるも紆余曲折を経て住民たちに受け入れられ、絆を深めながら友と呼べる人たちが出来て居場所を見つける。
しかし自身の過去にある恩讐の因縁に端を発する熾烈な闘争が勃発。
信と義、友情に命を懸けた死闘に挑む――。
過去の因果により無情な運命に翻弄される展開は武侠小説や華流ドラマさながらで、仁義や情義を重んじながら最終的には己のエゴを選ぶ姿は人の悪の性そのもののようで絶望的だが、損得を考えない朋友との絆など清流の如き一縷の望みが描かれる。
狭い通路や障害物、周囲にある物すべてを武器に利用するアクションは一見の価値あり。
※アクション監督は『るろうに剣心』の谷垣健治。
なによりも〝九龍城塞〟という今は無き歴史の遺物が物語の中のもうひとりの主人公とも言える魅力と存在感を出している。
猥雑極まりない混沌とした街は秩序と自由という相反する属性が同居する摩訶不思議な異世界に見えた。
ところで本作のラスボスは神功護体という気功をもちいた鉄壁の防御で無双します。
もしケンカ相手が剣も銃も効かない硬気功の使い手だったらどうするか?
いくら硬いといっても衝撃までは消せないので正攻法でいくのなら頭部や肝臓などの急所にひたすら打撃を与える。
あなたが使い手ならば空手の透かしや骨法の徹しなどの浸透勁の攻撃も効果があるでしょうし、関節技もありかと。
息をふさいで窒息させたりガソリン等をかけて火を点けるのも手ですよね。
今作ではどのようにして倒したか、みなさんその目で見てみて今後の生活に役立ててください。
あと叉焼飯美味そう。
ローソン・ユナイテッドシネマで『遺書、公開。』観ました。
https://movies.shochiku.co.jp/ishokoukai-movie/
新学期の始業式の朝に私立灰嶺学園2年D組の全員に1通のメールが届く。
「2-D序列」と書かれたそのファイルには担任の甲斐原と24人の生徒の名前が1位から25位までの順位と一緒に綺麗に並んでいた。
序列の1位は姫山椿。優しくて成績優秀で誰もが認める人気者の優等生で誰もが順位に納得。
しかし誰がこのような序列を書いてなんのために送信したのか?
「1位にふさわしい人間になるように頑張ります」
姫山がそう言って笑い飛ばした事によりその場では単なる悪戯として片づけられる。
だが、その半年後の10月に事件が起きる。
校内で首を吊って自殺している姫山が発見されたのだ!
そして葬儀を終えて登校してきた生徒たちの机の上には「遺書 姫山椿」と書かれた封書が置かれていた。
その内容を巡り平穏だったクラスの崩壊がはじまる――。
こちら陽東太郎《みなみとうたろう》による同名漫画を原作とした作品となります。
正直、内容にはあまり惹かれず髙石あかり目当てに観に行ったのですが先の読めないストーリーと二転三転するスピード感あふれる手に汗握る展開に引き込まれて最後までハラハラドキドキして楽しめました。
〝遺書〟の内容に翻弄され、偽りの仮面をはぎ取られた生徒たちの本性をむき出しにされた発言は人の厭〜な暗黒面を目にした気分。というか思いっきり目の当たりにした。
かなり切ない、救いのない結末であり、こういう作品にこそ『シベリア超特急』みたいなオチだったら救われたのに……。
シベ超のあのオチって散々ネタにされてますけど、誰も傷つかない優しいラストだと思うんですよ。
シベ超以降にああいうオチにしたら二番煎じだのパクリだのそしられるのはまぬがれませんが、物語の結末のひとつの定型として認められてもいいと思う。
お目当てだった髙石あかりのはっちゃけた怪演も良かった。ほんとこの娘は才媛という言葉がピッタリな女優で、日本の映画・ドラマ史に残る逸材。
こんな妹のヒモになりたかった。
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマは12番スクリーンが一番大きいと思うのですが、広い空間に客は私をふくめて二人しかいませんでした。
惜しい、ひとり占めはできなかった。
今まで映画館にひとりきりという経験は一度しかないと記憶していますが、二人だけというは多々あります。
この〝自分以外のもうひとりの客〟てなんかの妖怪なんじゃないかしら?
『妖魔夜行』の世界なら絶対いますよ、妖怪・もうひとりの客(仮)
人が大きな銀幕をひとり占めする喜びを妨げる嫌な妖怪だ。
ジャック&ベティで『デリカテッセン』観ました。
https://delicatessen4k.com/
核戦争によるものか自然災害によるものか、霧に包まれた荒廃した世界。
だが人類は死滅していなかった。
新聞の求人広告を見てアパートの1階にある肉屋にやってきた失業中のピエロ芸人ルイゾンは肉屋の娘ジェリーと心を通わせる事になる。
しかしこの肉屋には秘密があった。
肉屋で売られる肉はすべて人肉であり、ルイゾンもまた住人たちの食料になるために招かれたのだ。
ルイゾンに想いを寄せるジェリーはなんとか救おうと尽力する――。
こちら1991年に公開された作品の4Kレストア版リバイバル上映となります。
映画というものはすべてこの現実世界に〝夢〟を再現、実現する映像的表現技術そのものだと思います。
そして夢には良き夢と悪しき夢がある。
この映画《夢》は悪夢に分類されるものでしょう。
郷愁を誘うセピア色の世界は古きフランス映画のよう。
しかしカニバリズムが常習化し、居住地が異なる人たちを怪物と見なして敵対する様は近未来ディストピアそのもの。
それでいてお伽噺のような趣きの怪奇と幻想が物語を彩り、舞台そのものがグランギニョルを模したおもしろこわいおもちゃ箱のよう。
カエルとナメクジだらけの部屋に住む老人やノコギリを楽器に見立てて引く演奏など、よくこのような発想を抱いたものだと脱帽。
映画にせよ小説にせよ漫画にせよ、なんか他人の創作物に触れるとシャッポを脱いでばかりですな。
あまりにも大きな力と才能の壁、己を受け入れぬ世界の不条理。
誰にも認められず称賛を浴びる他者を仰ぎ見てばかりの人生にいい加減うんざりです。
どうせ認められないのならとっとと死にたい。
その他大勢に埋没し、頭も力も衰えて老いさらばえて生きるくらいなら今すぐ死にたいと心の底から強く思う。
労働の苦痛に苛まれて老醜を晒して生き続ける苦痛を受けるくらいならこの映画のような悪夢の世界に転生したほうがまだいい。
どんな悪夢も現実よりはましなのだから。
ジャック&ベティで『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』観ました。
https://enidfilms.jp/ilikemovies
物語の舞台はレンタルビデオが全盛だった2003年。
カナダの田舎町バーリントンで暮らすローレンスは協調性や社交性に乏しく周囲と馴染めない映画オタク。
彼の夢は尊敬する映画監督トッド・ソロンズが教鞭をとるニューヨーク大学で映画制作を学ぶ事で、学費を工面するため地元のビデオ店でアルバイトをはじめる。
そこでローレンスはかつて女優を目指していた店長のアラナをはじめとした大人たちに支えられ、アルバイト生活は順調に進んで行くと思われたのだが――。
これはいい映画。
悪人がひとりも出てこない、ほんわかとした気持ちにさせてくれる。
しかし悪人はひとりも出てこないのだが、嫌な奴なら出てくる。
いや、嫌な奴というより痛い奴と言ったほうが合っているかもしれない。
誰あろう主人公のローレンスその人だ。
もうね、痛い。
クリエイター志望特有の〝巨匠病〟とでも言いましょうか、授業の課題をガン無視して単に自分が撮りたいだけのしろものを発表して自己陶酔に耽った持論を一方的にまくしたてる。
「オレ以外はみんなバカ」という態度を隠しもせずに常に他者を見下して賢しげに衒学ぶる。
傲慢にして繊細、独善的、利己的な姿は若い頃の――いや、今現在も変わらない己の未熟な姿を見せられているかのような気持ちになりました。
単に生まれつきのクソ野郎というわけでもなく、将来への不安や無意識で自覚している己の無力さへの苛立ちがそうさせていると伝えてくるわかりやすく丁寧な人物描写はお見事。
何もかもが上手くいかずに自分の性格も環境も変えられない、理想と現実との間でもがき苦しむ若者という実に普遍的なテーマを描いた良作。
ノベプラ民のようなクリエイター気質の人たちが観たら絶対に客観的共感性羞恥心(そんな言葉あるのか?)に苛まれてアーッ! 叫んで足をバタバタさせたくなること必至。
観てください!
本作は監督であるチャンドラー・レヴァックの自伝的ストーリーのように思えるが、このような作品を生み出す事ができたのは成功した者ならではだろう。
今現在必死になってもがいている者にこんな作品は創れませんよ。
クリエイターとしての資質にあふれている(というかそれしかない)のに、クリエイターとしての才能に恵まれなかった者の人生は悲惨だ。
夢を諦めた後に待っているのは退屈で凡庸な余生。しかしそれすらも人並みの能力に恵まれた者にしか享受できない幸せ。
本当に能力の無い境界性知能や発達障害に生まれたら人生は地獄だよ。
早く死にたい。
こんな世界に産まれたくなかった。
て、前にも述べたと思うけどBlueskyで同じ書き込みをしたらこのようなメールが来た。
なんなの、ここに電話したらお金もらえるの?
働かなくて済む、労働の苦しみから解放してくれるだけの金銭を得られるわけ?
自ら命を断つほど追い詰められている者に必要なのはその場限りのおためごかしではなくて恒久的な収入だよ。
手取り20万円以下だと光熱費や食費や家賃などの生活費、スマホ代だけでお金は消える。
休日もなにもできないので家に引きこもるしかないし、さらにこの生活を何年も続けていると価値観や金銭感覚の乖離から周りの友人も消える。
自宅と職場を往復するだけの無味乾燥な日々の繰り返しが延々と続く。
死ぬまてだ。
死ぬまでこの地獄が続く。
孤独と貧困はセット。
横浜シネマリンで『ゲームの規則』観ました。
https://gamenokisoku4k.jp/
物語の舞台は1939年、第二次世界大戦前夜の欧州。
ラ・シュネイ侯爵の領地コリニエールで狩猟の集いが開催されることになり名士たちが集まる。
その中には大西洋を23時間で横断するという偉業を成し遂げたばかりの飛行士アンドレ、その友人にしてクリスティーヌの昔なじみのオクターヴ、侯爵の愛人ジュヌヴィエーヴの姿も。
アンドレとクリスティーヌが恋仲なのは社交界では周知の事実なのだが侯爵は敷地内で兎を密猟していた者すら使用人にするほど鷹揚な人柄で来る者拒まず。
昼は狩猟を楽しみ夜は踊りと音楽を楽しむパーティへと続く中でアンドレ、クリスティーヌ、シュネイの三角関係の他にも小間使いとその夫の猟場管理人と密猟人の痴情のもつれまで絡まり大騒動へと発展――。
こちら1939年に公開されたジャン・ルノワール監督によるフランス製コメディ映画の4Kデジタルリマスター版となります。
公開当初は予算の関係により短縮版で世に出たうえに興行的に惨敗。さらにカットされたり風俗を乱すとの理由で上映禁止の憂き目に遭った挙げ句に空襲でネガが消失という七難八苦のいわくつき作品。
戦後に散逸していたフィルムが集められ1959年ようやく完全版の形で復元された映画が令和の世の日本で上映されるとは実に感慨深い。
森が広がり川が流れる広大な敷地内にある狩猟場、温室まで備えてある大豪邸、優雅で瀟洒な上流階級の暮らしぶりに引き込まれました。
なにからなにまで気品と風雅にあふれており、『ダウントン・アビー』よりもよほど〝本物〟ぽく見えるのは古い作品ゆえか。
古色蒼然にして豪華絢爛たるモノクロームの幻想世界。これもまた映画が創り出す〝夢〟のひとつであり、この夢の世界にひと時でも浸る価値あり。
観てください!
にしても貴族に生まれたかったなぁ〜。
マジ貴族に生まれたかった。
明朝最後の皇帝崇禎帝《すうていてい》は反乱を起こした李自成の軍に追い詰められ自害するに娘に対して「おまえはなぜ皇族に生まれてしまったのか!」と慟哭して剣を振るったと言いますが、平民よりも皇族の方が良いに決まってるだろボケ!
俺が皇帝になったらとりあえず消費税を廃止して夷狄が日本の土地を購入する事と生活保護の受給をはじめ奴らへの優遇政策を一切無くして女子の体操服をブルマーにするね。
ジャック&ベティで『籠の中の乙女』観ました。
https://kago-otome.ayapro.ne.jp/
プールつきの大きな庭を擁したギリシャのとある家。
裕福に見えるこの家には秘密があった。
両親が子どもたちを外界から完全に隔絶し家の中だけで育てているのだ。
邸宅の四方に高い塀をめぐらせ「猫は人を襲う猛獣」などの外の世界がいかに恐ろしいかを信じ込ませるために創作された奇妙で厳格な規則や規律の数々。
しかし成長し青年期に達した子どもたちはやがて親たちの思惑を超えた行動を取りはじめる――。
こちら2009年に公開されたヨルゴス・ランティモス監督作品の4Kレストア版となります。
※ジャック&ベティは2K版
いやぁ、とんでもない変態映画だよこりゃ。
支配と服従、自我の目覚めがテーマなんだろうけど(私にはそう感じられた)描写がヤバいしエグい。笑うに笑えない黒いユーモアにあふれた場面多し。
長男の性欲処理のために雇った女が外界の情報を子どもに与えたために処分し、代わりに姉妹のいずれかを次の性欲処理係にするためにあてがう。
しかも姉か妹を選ぶかを長男にやらせるとか、これもう半分館ものエロゲだろ……。
俺なら姉・雨宮天、妹・竹達彩奈という設定で3P希望。いや、竹達彩奈の方が雨宮天よりも4つ上なんだけどね。
でも雨宮の方が姉感あるでしょ? 竹達の方が妹感あるでしょ? 実際に下に弟のいる雨宮はリアル姉で、竹達は上に兄のいるリアル妹だし。姉オーラ、妹オーラを感じる。
そう言う俺は松来未祐より下、田中理恵より上なおっさんなんですけどね(´∀`*)ウフフ
でもいつの間にか松来未祐よりも10近くも歳上になってしまった。
監督のヨルゴス・ランティモスは「私が描きたかったのは、人の心を操作しようとすること、自分の意のままに何かを信じ込ませようとすることが、相手をどこまで極端に走らせてしまうかということです」というコメントを残しているが、家族という範囲ではなくより大きな組織、集団に置き換えて考えると外部からの情報を遮断され、指導者に都合のよい情報しか与えられないカルト集団や独裁国家を連想してそら恐ろしくなった。
キモい映画が観たい人におすすめです。
川崎チネチッタで『メイクアガール』観ました。
https://make-a-girl.com/
舞台は今よりもテクノロジーの進化した現代、あるいは少し未来の日本。
天才的な頭脳を持つ水溜明は同じく天才的な科学者である母親の遺した構想を元に人々の生活を助けるロボット「ソルト」の開発と製品化に成功。
だが自身が求める発明はことごとく失敗して行き詰まりを感じていた。
そんな時にクラスメイトから「彼女のおかげでパワーアップ」という話を聞き、自分も〝彼女〟を作れば研究が進むなでは? と考えて人造人間の彼女――0号を作り出してしまう。
日々成長する0号、そして人と心を通わせることに不慣れなままの明。
恋人として進展していくかに見えた二人の関係は徐々に不和となり、いつしか0号はプログラムされた感情と成長していく気持ちの狭間で葛藤するようになり――。
実は主人公も●●でしたという衝撃の展開は「そういえばアレやソレは伏線だったのか……」となりました。
〝黒幕〟ではなく〝真の黒幕〟と呼べる存在の目的はある種の狂気をはらんでいるようにも感じられ、その結末は解釈次第ではバッドエンドとも呼べる恐ろしい幕引きかも。
原作はYouTubeやTik TokなどSNSの総フォロワー数600万超を誇るアニメーション作家の安田現象。
…………だれ?
現象てなんだよ、現象て。なんかの自然現象を発見、定義した人かよ!
寡聞にして知りませんがこの安田現象なる人物はこれまでに個人制作の3DショートアニメやMV、企業プロモーションなどで日本国内のみならず海外からも高い評価を得てきた――だそうです。
『古墳ギャルのコフィー』や『秘密結社鷹の爪』でおなじみのFROGMANみたいな人なんでしょうか?
そんな安田現象が初めて挑んだ長編作品が本作『メイクアガール』で、本作の着手にあたって実施されたクラウドファンディングは目標金額の230%超えだったとか。
自分の手がけた作品が世間に認められて実績として評価されているとは、うらやましいものです。
なお本作には演技派声優として名高い種崎敦美の他に雨宮天と花澤香菜も声の出演をしています。
※画像はパンフレットより。
そりゃ『ゼーガペイン』の頃のあの棒ならしゃーない(´∀`*)ウフフ
なんなら今でも似たような系統の演技しかできない、役しかまわってこない大根役者ですし。
同じ時期にデビューした喜多村英梨になんで仕事まわさないんだよと常々思っています。
※画像はパンフレットより。
雨宮天の弟エピソード好き。
川崎チネチッタで劇場アニメ『ベルサイユのばら』観ました。
https://verbara-movie.jp/
将軍家の跡取りで〝息子〟として育てられた男装の麗人オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。
隣国オーストリアから嫁いできた気高く優美な王妃マリー・アントワネット。
オスカルの従者で幼なじみの平民アンドレ・グランディエ。
容姿端麗で知性的なスウェーデンの伯爵ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン。
彼らは栄華を誇る18世紀後半のフランス・ベルサイユで出会い、時代に翻弄されながらも、それぞれの運命を美しく生きる――。
革命期のフランスで懸命に生きる人々の愛と人生を鮮やかに描いた池田理代子の漫画『ベルサイユのばら』についてはもはや説明の必要はないでしょう。
1972年より週刊マーガレットにて連載され、現在累計発行部数は2000万部を突破した名作。
宝塚歌劇団による舞台化やTVアニメ化もされ、日本中で社会現象となった作品の完全新作劇場アニメとなります。
ベルサイユ宮殿のなんと豪華絢爛なことか!
家具や調度品などが描かれた背景がとにかく美しい、丁寧に描き込まれています。
アントワネットなんて登場するたびに髪型とドレスが違う、一度として同じ服装を使い回さず日時や場所が変わると装いを改めている。
これ、アニメーション作品では珍しい事ですよ。描くのが大変。昔CLAMPはキャラの服装を毎回変えろと注文してアニメーターに煙たがられたと言いますが、さすがは劇場版アニメーション。力が入っております。
民に銃を向ける事は義に反し、王家の命令に背くことは忠に反する。
苦渋の選択を迫られ、決断をくだすオスカルの悲壮さよ。
多くの創作物では無気力で無為無策な暗君として描かれがちなルイ16世ですが、彼は決して無能ではなく1774年の即位後すぐに重農主義者テュルゴを抜擢して改革に乗り出すなど、政務に対して積極的だったとパンフレット書かれています。
なるほどな〜。
しかもこれに加えてルイ14世時代の軍費のツケやらなんやらでルイ16世が即位した時はすでに国庫は空っぽだったと言うし、これもう最初から詰んでる無理ゲーだろ……。
つうか既得利権にしがみつく貴族どもマジ害悪。
やりくり上手の専業主婦がマリー・アントワネットに転生して財政難を打破するなろう系とか脳裏をよぎりましたが、どんな優れたアイデアもそれを理解しないどころか妨害されてはたまりません。
強引に実行しようとすれば廃位どころか暗殺されかねませんし。
川崎チネチッタで『ハイパーボリア人』※ 短編『名前のノート』同時上映を観ました。
https://www.zaziefilms.com/loshiperboreos/
女優で臨床心理学者でもあるアントは謎の幻聴に悩まされる患者の訪問を受ける。
彼の話を友人の映画監督レオン&コシーニャにすると2人はその幻聴は実在したチリの外交官にして詩人、そしてヒトラーの信奉者でもあったミゲル・セラーノの言葉であることに気づき、これを元にアントの主演映画を撮ろうと提案
2人とセラーノの人生を振り返る映画の撮影を始めるアントだったが、いつしか夢とも現ともさだかではない謎の世界へと迷い込み、チリの政治家ハイメ・グスマンから国を揺るがすほどの脅威が記録された映画フィルムを探す指令を受けとる。
鍵となる名前は〝メタルヘッド〟。探索を始めるアントを待っていたのは予想だにしないものであった――。
我々を悪夢の世界へと誘う映像作品がまたひとつ。
いやぁ、ヤバいものを観てしまった。
観てしまいましたよ。
架空の映画の製造過程を再現した映画を作る過程をさらに映画にするといった二重三重のメタ構想なのてすが、根底にあるのは戦中戦後のチリの近現代史を流れるオカルトとナチズム(ベルリンを脱出したヒトラーが南極に逃亡して第4帝国を興すためUFO艦隊を率いているとかそういうアレ)。
しかしそんな題材よりも映像がヤバい、音声がヤバい。
書き割りのセットによる実写にはじまり影絵や人形劇といった様々な技法のアニメーションを組み合わせて見せてくる多彩にして異様な世界に脳髄が痺れる痺れる……。
この表現手法だけでお腹いっぱい。
でももう一杯食べたい。
この映画は見る麻薬だ。
川崎チネチッタで『邪悪なるもの』観ました。
https://klockworx.com/movies/jaakunarumono/
神が死に、教会が終わったとされる世界では悪魔に魂を乗っ取られて体が腐敗していく〝悪魔憑き〟の存在が人々の生活に暗い影を落としていた。
悪魔憑きは処理人によって適切に処理されなければならず、古くから伝わる7つのルールを守らなければ悪魔の力がまるで伝染病のように広がって人々を蝕み、やがてこの世の終わりが到来するという。
ある日、ペドロとジミーの兄弟は村の外れに処理人と思われる惨殺死体を発見し、さらには近隣の住民が家族に出た悪魔憑きを隠していることに気づく。
誤った処置をしたがため悪魔憑きは拡大。
ペドロとジミーは街に住む家族を守り、感染から逃れようとするのだが――。
終始不穏な気配と緊張感が漂い、救いようのない陰鬱なラストは久々に直球のホラー。
子どもでも容赦なく殺されたり殺したり、むしゃむしゃ食われたり食ったりされます。
悪魔という超自然の存在がチラつきますが、作中の悪魔憑きは未知の病原体、疾病のメタファーにも感じられた。
これ、主人公が最初から最後まで間違った選択の繰り返しなんですよ。なんかもうおまえ全END回収のために今のルートはバッドエンド目指してんの? て思うくらい。
繰り返し観たくなるような作品ではないですが、たまにはこのようなエンタメ性をすべて投げ捨てた厭〜なお話を観るのも勉強になると思います。
あと映画とは関係ありませんが上映後に近くの席に座っていた女のスカートがめくり上がっていてパンツ丸出しだったんですよ。
あたしたちは勃起させられた。これもう精液搾取だろ。
川崎チネチッタで『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』観ました。
https://marvel.disney.co.jp/movie/captain-america-bnw
数多の可能性を秘めた未知の金属アダマンチウムの所有を決めるため米国大統領ロスが開いた国際会議でテロ事件が発生。それをきっかけに生まれた各国の対立が深まり日米開戦の危機にまで発展してしまう。
この混乱を食い止めようと正義の象徴である盾を受け継いだ新たなキャプテン・アメリカことサム・ウィルソンが奔走。
ある人物によって仕組まれた陰謀だと核心に迫るサムに黒幕の手により赤いハルクと化した大統領ロスが襲いかかる――。
作中に出てくる日本の尾崎首相、毅然としすぎ!
米軍に攻撃されて秒で反撃する日本、判断早すぎ!
敵国である南朝鮮にレーダー照射(攻撃に等しい)されたのに謝罪も賠償も要求せずになあなあで済ませた腑抜け腰抜け玉無しのバカジャップランドがアメリカに攻撃されたからって、まがりなりにも同盟国相手に即座に反撃できるわけないじゃん。
それともこの世界の日本の尾崎首相はバリバリのタカ派で「攻撃されたら反撃する」という、至極真っ当な行動ができるまともな国という設定なのかしら?
うらやましい。
現実の日本もそのような国になって欲しい。
こういう事を言うとすぐに戦争がしたいのかだの、戦っても勝てないだの敗北主義丸出しの科白を吐く輩がいますが、戈を止めると書いて武。軍事力それ自体と軍事力を行使する意思が戦争の抑止になるんですよ。
勝つ必要はありません。
「あいつは手強い」「勝ってもこちらも無事ではない」
相手にそう判断させることで戦争を回避できるんです。
「あいつは弱い、楽勝だ」
そう思えば攻めてくる、戦争になる。
平和が一番、戦争は絶対悪だと思考停止して戦争を避ける思想と行動が逆に戦争を引き起こすんです。
だから軍事力は必要であり、いざという時に行使しなければならないのです。
初代のキャップだってこの考えに同意すると思いますよ、だって彼はバリバリの愛国青年でしたからね。
超人血清を打ってムキムキになってからは侵略者であるナチスや日本兵をなぎ倒していましたもん。
で、本作に話を戻しますが空中戦がスピード感がありかっこよかった。
正式名称は知らないので私が勝手にラドンアタックと呼んでいるのですが、飛行中に体を旋回させて翼で相手を切り裂く攻撃方法。
あれ好き。
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマで『ドライブ・イン・マンハッタン』観ました。
https://dim-movie.com/ 』
夜のニューヨーク。
ジョン・F・ケネディ空港から出た一人の女性がタクシーに乗りむ。
シニカルなトークで車内を和ます運転手と女性はなぜか波長が合い、会話が弾む。
聞けば運転手は二度の結婚を経験し、幸せも失敗も経てきたという。一方プログラマーとしてキャリアを築いてきた女性だが、既婚者と愛人関係であることを運転手に容易に見抜かれてしまう。
もう二度と会うことのない関係だからこそおたがいに本音を打ち明けていく二人。
他愛のないはずだった会話はやがて予想もしなかった内容へと発展し、女性は誰にも打ち明けられなかった秘密を告白し始める――。
ほぼ全編がタクシー車内というワンシチュエーションの会話劇。
運転手役のショーン・ペンと女性客役のダコタ・ジョンソンによる密度の濃い2人芝居で人物と設定を絞った構成と息の合った科白の応酬が調和している。
下品なジョーク交じりのショーンの語りは乗客を不快にさせない程度に親しみやすく話題に引き込むの上手で、出ず入らずの話術は熟練運転手そのもの――のようだが、一般的な日本人にはかなりドギツイ下ネタ連発で今の日本でこんな語りをしたら間違いなくコンプライアンスがどうのこうので会社にクレーム入るレベル。
まぁ、噛んだガムを窓から吐き捨てたり車内で小便しようとするような下品なアメリカ人(ガムという一度口の中に入れて咀嚼したものを吐き出すという下品で不潔な嗜好品を作った者も好む者も下品としか言いようがない)的には普通、ニューヨーカーにはちょうどいい雲助なのかもしれませんが。
タクシー運転手と乗客との交流はニューヨーカーに愛される都市文化のひとつで、タクシーは一種の告解室のようなものでニューヨークでは運転手に心の内や罪を告白する行為が何十年も前からあるとか。
ここに焦点を当てて運転手が天使や悪魔だったりする話とか面白いかも。
いや、これねぇ、観る前はもっと知的で機知に富んだお洒落かつ人生の教訓になるような会話劇を期待していたんですよ。
でもいざ観てみればかなりあけすけでチンコだフェラだのいった単語を連呼していて正直引きました。
ショーンがバックミラー越しに時折見せる視線は大人の魅力を感じさせる色気があり、表情ひとつで豊富な人生経験をにじませていたり、対峙するダコタもキャリア女性の誇りと感情の揺らぎを繊細に演じていて演者二人の演技は良いんですけどね。
映像的には夜の都市風景、臨場感ある車窓からの風景に惹かれた。
9台のカメラで事前に撮影したマンハッタンの実景だそうで、その映像を投影したLEDパネルで撮影車を取り囲み、2人が演技に没入できる環境を整えたとか。
二人の会話に合うか合わないかで作品の評価は分かれる、観る人を選ぶ作品ですが、無機質で乾いた夜の都市の画は一見の価値あり。
川松尚良 (ホラー監督/ゾンビコーディネート)
みなとみらいのキノシネマで『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』観ました。
https://mcv-movie.jp/
幼い頃に訪れた森の中の廃墟で弟が失踪した過去をもつ敬太の元に母から1本の古いビデオテープが送られてくる。
そこに記録されていたのは弟がいなくなる瞬間の映像だった。
霊視能力をもつ同居人の司はそのテープに不吉なものを感じるが敬太は取り憑かれるようにビデオの謎に引かれて山へと向かう。
そこで彼らの身に起きたのは想像もつかない異常な怪異であった――。
古いビデオテープに残された粗い映像、森閑とした森の中にたたずむ廃虚、いるはずのない何かの濃厚な気配――。
もはや古典的とも言えるJホラーの技法を煮詰めたような作品で「なんだかわからないが、とにかく怖い」という空気が全編に満ちている。
さあ怖がれ! というような派手な演出は抑えられ、超自然の描写など無くとも銀幕からは恐怖が伝わり緊迫感が途絶えないのが見事。
画面の余白やちょっとした陰り、科白と科白の間の沈黙に何かがにじみ、広がっていく。
いわくつきの山にある存在しないはずの廃墟という舞台装置は実に魅力的。
個人の幽霊や祟りや呪いといった次元ではなく、古くからその土地に隠れ潜む禍々しい〝もの〟の存在はまるでスティーブン・キング作品を連想し、宇宙的恐怖すら感じさせられた。
摩白山。おぞましい闇と秘密を抱いたこの山は今後、日本のキャッスルロックとなる可能性を秘めている。
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマで『SKINAMARINK/スキナマリンク』観ました。
https://skinamarink.jp/
真夜中に目が覚めた二人の幼い子ども、ケヴィンとケイリーは家族の姿がなく、家の窓やドアが消えていることに気がつく。
暗闇に取り残された二人は歪んだような時間と空間に恐怖し、混乱しながら暗闇に潜む蠢く影と悪夢のような恐ろしい光景に飲み込まれていくーー。
なつかしい、なんと心地よい闇だろう。
この映画は幼い頃に感じた家の中で感じる闇の恐怖を記憶と感情の奥底から思い起こしてくる。
誰もいない廊下や階段、わずかに開いたふすまやドアのすき間、窓に映る風に揺れる木々の影――。
それらに心底おびえていたあの頃の恐怖だ。
さらに見慣れたはずの家が何か得体の知れない空間に変貌しているという悪夢的な疑似体験ももたらしてくれる。
好きなんですよ、こういう夢。
自分の住んでいる家や街がどこか変わっている。
あるはずのものがなく、代わりに別のものが建っている。みたいな夢をよく観ます。
それが楽しい。
まるでアトラスのゲーム『ペルソナ』シリーズのタルタロスやマヨナカTV、メメントスやパレスにいるかのような気持ちになり本当に好きです。
タダユキパレスはBARや銘酒屋がひしめく夜の三ツ境の姿をしていることでしょう。
そんな悪夢的な映画の本作ですが、かなり観る人を選ぶ映画。
明確なストーリーが一切提示されないままVHSのようなザリザリとした荒い映像と音が流れる100分間。人によっては「わけわかんねぇよ!」となること必至。
ある程度理解できる人でも「ああ、あの家は●●の世界で、実は●●でました系のやつね」と冷めた感想を抱くかも。
これから観る人は最初から映像や演出を楽しむアート系作品だと割り切って観ることをおすすめします。
というか普通の人にはおすすめしないですけどね、これ。ここまで書いておいてなんですがぶっちゃけ評価は星ひとつですわ(´∀`*)ウフフ
無料動画で30分ならともかく、これを映画館で金払って100分はないわ。
(覚悟して)観てください!
ジャック&ベティで『本を綴る』観ました。
https://honwotsuzuru.com/
とある理由から小説が書けなくなった作家・一ノ関哲弘は全国の本屋を巡りながら本の書評や本屋のコラムを書くことを生業にしていた。
そんな折に那須の図書館司書と森の中の本屋を訪れ、古書に挟まれていた恋文を発見する。
一ノ瀬は届くことのなかった恋文を宛て先人に届けるべく京都へ向かう――。
こちら東京都書店商業組合YouTubeチャンネルで配信されているドラマ『本を贈る』の続編となります。
なるほど、元はドラマか。どうりでNHKのドラマみたいに妙に映像が小綺麗で俳優が芝居がかった演技をしていたのにも納得。
作中で森の中にひっそりと佇む本屋が登場し、まぁ、なんて素敵な本屋さんなのかしらとそのロケーションに心を動かされました。でもこれ栃木県に実在する『bullock books』という古書・新刊をあつかう本屋だそうでびっくり。
他にも香川県高松市の移動式図書館『ララ号2号』(なんと離島にも向かう!)や、移動式本屋『足軽書店』など本好き、書店好きには興味深い。
自分の書いた本で人が傷つき、本を書けなくなった主人公が各地の書店を巡りながら人々と出会い、自身と向き合うロードムービーという内容そのものには正直さしたる感銘を受けませんでしたが、こういう本屋の数々は嬉しくなり楽しめた。
太宰治の娘で自身も作家の津島佑子は中学に入るや書店通いを日課とし。
「小づかいの範囲で、親も学校も自分から遠ざけておこうとしている種類の世界を知ることのできる唯一の場所だった」
と、その名も『悪徳の喜び』というエッセーで述懐しているという。
【読書】
人生観を確固不動のものにするため時間の束縛を受けることなく本を読むこと。寝転がって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは含まれない。
『新明解国語辞典』より。
読書には教養が身につくほか、共感力を高める、孤独感、うつ症状、認知症を防ぐ、といった意外な効果もあることがわかっている。
読書をすることで多くの知識を身につけたり、物語に触れることがストレス解消になったりと、様々な効果が期待できる。
そして新しい研究により読書が長生きにつながるというメリットが明らかになっている。
研究によると、週に3時間半以上読書をする人は、まったく読まない人より死亡率が23%低いと結論づけられたとのこと。
これを別の切り口で表現すると本に夢中になる人は2年ほど長生きできることなるのだとか。
2025年現在、公共図書館も書店もない自治体が256町村に上るという。
たしかに一抹の寂しさを感じなくはないが、紙の本だけが〝本〟や〝読書〟というわけでもない。スマホを主とした電子機器で古今の名作が読める現代は見方によっては読書天国ではないだろうか?
そもそも人類が紙の本を読むようになったのはせいぜい数百年くらい前という最近のこと。紙にこだわることはないと思う。
ただ紙の質感や本の形状て読書に適しているは確か。だからタブレットではなくて紙の質感を再現した電子ペーパーと呼ぶべきものを発明して本タイプのタブレット端末で数多の作品をダウンロードできたら最高だと思うんですよ。
それ一冊で無限に本が読めるんです。
企業や出版社のみなさん考えてみちゃくれませんかね?
あとパンフレットに脚本が載ってありました。
こういうの勉強になるので助かります。
2月に観た映画
『ブラックバード、ブラックベリー、私は私。』『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦 』『遺書、公開。』『デリカテッセン』『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』
『ゲームの規則』『籠の中の乙女』『メイクアガール』『ベルサイユのばら』『ハイパーボリア人』
『邪悪なるもの』『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』『ドライブ・イン・マンハッタン』『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』『SKINAMARINK/スキナマリンク』
『本を綴る』
川崎チネチッタで『封神・妖姫とキングダムの動乱』 観ました。
https://www.chuka-eiga.com/houshin1
物語の舞台は今から約三千年前、殷の時代の中国。
冀州侯・蘇護の反乱を鎮圧する戦いのさなか妖狐の封印が解かれてしまう。
妖狐は蘇護の娘・妲己の亡骸に憑依し、殷の第2王子にして将軍の殷寿に近づき王朝を揺るがすほどの悪行を重ねさせてゆき、天の怒りを招き数多の災害が続くことに。
一方、仙界では人間界で頻発する天災や妖魔の跳梁を鎮めるため『封神榜』という宝物を殷王に献上する計画が立てられていた。
しかし仙人が封神榜に触れると法力を失い寿命のある俗人に戻ってしまう。
先輩たちに比べて修行が浅く俗人になっても失うものは無いと自ら献上役に願い出た姜子牙は殷王に即位した殷寿の元へ向かうが殷寿の暴虐な性質を目の当たりにして献上を断念。
この出来事を契機に『封神榜』の強大な力を求める人間界と妖魔界の各勢力が動き出し地上はさらなる動乱に巻き込まれていく――。
こちら中国の神魔小説『封神演義』を題材にした全3部作の映画の第1作目となります。
冒頭の合戦場面からしてみんな馬に乗っていますが『封神演義』はファンタジーなので気にしてはいけない(趙の武霊王が胡服騎射を取り入れるまで中国に馬に乗って戦う戦法はなく、さらに鐙が発明されるのは5世紀頃)馬どころか実在しない霊獣に乗ってるキャラまで登場しますからね。
3部作とはいえ原作はかなり長大な物語なのでダイジェスト感は否めず、安能務の小説版を読んだことはありますが内容なんてほとんど忘れていたので中華ファンタジーとして純粋に楽しめました。
申公豹が怪しさ大爆発の胡散臭い妖術師キャラになっていて笑えました。こいつ、たしか天から皇帝になるよう進められたのに断ったため仙人になれてチート級の宝貝《パオペエ》を与えられた達観した人物じゃなかったって?(うろ覚え)
楊戩がやたら水遁の術を使って瞬間移動するのですが、これは楊戩が道教の治水の神である二郎真君と同一視されている事から水属性持ちという設定なのかしら?
ハリポタやロード・オブ・ザ・リングみたいな欧風ファンタジーも良いですがこういう中華ファンタジーも良いですね。
みなとみらいのキノシネマで『ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻』観ました。
https://longride.jp/firebrand/
物語の舞台は16世紀の英国、宗教対立や疫病が蔓延する暗く陰鬱なテューダー朝の時代。
5人の前妻を追放、処刑、出産死亡。己の権威のために容赦なく王妃を切り捨てた暴君ヘンリー8世と望まぬ結婚をした6番目にして最後の妻キャサリン・パー。
イングランド国教会を設立した保守的なヘンリーに反してキャサリンは改革派でプロテスタントの信念にもとづき国を光ある未来に導きたいと願っていた。
しかし国王と対立する立場であることを告発されてしまったキャサリンは様々な政治的陰謀が絡み合う宮廷で異端として処断されそうになる。
キャサリンは前妻たちのように国王によって死を賜る事になるのか、それとも病に蝕まれた国王が先に死ぬのか――。
ヘンリー8世の横暴ぶりは時代劇やなろう系のような過度に誇張された〝クソ貴族〟ではない、ナチュラルな暴君ぶりで、自然に嫌悪感を抱いた。
彼の6人の妻には〝ブラッディ・メアリー〟の母キャサリン・オブ・アラゴンやエリザベス1世の母アン・ブーリンといった女性がおり、英国史についての知識があればより深く物語を楽しめると思う。
物語の冒頭「男と戦争が歴史を作る。女の物語については想像の余地がある」的な一節があるのですが、まさにそれにふさわしいラスト。
なんか深作欣二の『柳生一族の陰謀』の最後の場面を思い出しました、そういうオチです(´∀`*)ウフフ
今に伝わる史実はどうあれ本作で異端と見なされた女性の命をかけた戦い、キャサリンの生き方に共感したり勇気づけられる人は多いのでは。
豪華な衣装や調度品といった美術面にも惹かれました。
部下がみんなハエのように死んでいく!
なに見てやがる! 戦場がどうなっているかわかるか?
俺たちが戦っているのは何のためなんだ!? 犬死にじゃねえか! 頭が変になりそうだ。
変にならなきゃこの戦争には勝てねえよ。
……それなのにてめぇらときたら、この裏切り者のブタ野郎どもが、そこらじゅうにいやがる。
だからこのアメリカ陸軍軍曹アンドリュー・スコット様が、この俺が教えてやる。どうするかな?(駆けつけてきた警官たちを全員撃ち殺す)な? 敵は大勢だろ。
映画『ユニバーサル・ソルジャー』より
横浜シネマリンで『映画を愛する君へ』観ました。
https://unpfilm.com/filmlovers/
アルノー・デプレシャン監督の自伝的作品。
6歳のポールが祖母に連れられて初めて映画館に行く。独特のざわめきと高揚感に包まれるなか、客席は次第に暗くなり皆が銀幕に視線を向けるなか、ポールだけは映写機に興味津々で後ろが気になる――。
この映画少年ポールは監督が投影された人物で、映画好きから出発し、やがて監督を志す事になる成長過程を4人の俳優が演じ人生の各段階で映画が与えた影響をエッセー風につづる。
ドキュメンタリーとフィクションを組み合わせた手法で、一般の観客が自分の好きな映画とその理由をカメラに向かって語るなど、観客それぞれの映画にまつわる記憶を鮮やかに呼び覚ます。
「映画を観ることもあなたの人生の一部だ、観た映画があなたの経験の一部になる。映画は現実の記憶とおなじように思い出のひとつとなる」
という作中の科白にぐっときた。
個人的な郷愁だけでなく1891年のキネトスコープの発明、リュミエール兄弟による映画の発明に始まり現在に至るまでの映画史を鳥の目で俯瞰しつつ虫の目で映画とは何かを問う。
映画とは時間と運動を合わせる事で絵画や写真とは異なる世界だの、映画とは近代的な代表制民主主義を体現する装置だのという説明のくだりは「おっ! てめぇ、さしずめインテリだな!?」て寅さんの言葉が脳裏をよぎりましたよ。
配信が台頭し、娯楽が多様化する現在。もはや失われつつある映画館への愛着を隠すことなく、かといって館至上主義を声高に訴えるわけでもない。
作品を届ける手段として家庭のテレビが果たした役割にも触れている。
作中で引用される映画は50本を超え、ハリウッドの娯楽活劇から作家主義のアート作品やアジアの時代劇まで並列で取り上げるあたり「おっ! てめぇ、さしずめインテリだな!?」てなりましたよ。
ただひとつだけ気になった点が。
監督の分身である〝ポール〟は6歳、14歳、22歳、30歳で別々の俳優が演じるのですが、それまで白人だったのに30歳ポールが唐突に黒人になっているんですよ。
おまえ誰だよ!? てなって最初だれだかわかりませんでした。
同一人物設定のはずなのに唐突に黒人ぶっ込んでなぜ? 人種変わったら別人だろ。
これはあれか? ポではじまってリに続きコにつながりレで終わる例のやつか?
あるいは〝ポール〟はひとりの人物ではなく世界中に存在する映画好きを体現した普遍的な存在なのかしら?
だとしたらなぜアジア人もポールにしない! 差別ニダ!
川崎チネチッタで『封神・激闘! 燃える西岐攻防戦』観ました。
https://www.chuka-eiga.com/houshin2
殷王に背き西岐へ帰還した姫発は民と共に徹底抗戦の構えを取る。
殷では遠征から帰還した太師・聞仲と女将軍の鄧嬋玉らが反旗を翻した西岐征討のため動き出していた。
姜子牙、雷震子 、楊戩、哪吒 、仙界で一命を取り留めた殷郊ら崑崙勢が姫発に加勢して殷の大軍を迎え撃つ――。
こちら先日観た封神シリーズ全3部作のうち2作目となります。
魔家四将(魔礼青、魔礼紅、魔礼海、魔礼寿)デカすぎぃ! 完全に巨人族。作中でも巨人呼ばわりされていましたがマジ巨人。トロールとかジャイアントとか、ああいう属性の人。
いでたちが仏教の四天王を彷彿とさせましたが、実際この人(?)たちって後に仏教の四天王になった設定だとか。
三面六臂と十絶陣の解釈にはっとさせられました。
原典通りに作中である人物が三面六臂の異形に変身するのですが、三面六臂て阿修羅像みたいな姿を想像していたんですよ。
でもこの映画だと一人の下半身の上に三人の上半身が乗っている〝三面六臂〟で、こっちの方が迫力がある。ただ腰に無茶苦茶負担がかかりそうですが、そのあたりは術でどうにかしているのでしょう。
十絶陣は原典だとなんだかよくわからない不思議フィールドが展開されているとしか思えなかったのですが、本作では空に十の鏡を浮かべて光を照射。光に当たると昏倒し一定時間で絶命するという、とてもわかりやすいしろものになっており、よく考えついたなぁと脱帽。
原典にはないオリジナル宝貝《パオペエ》五毒葫蘆にもぐっときましたね。
瓢箪から無数の蛇や虫があふれ出て人を蝕み蠱兵というゾンビみたいにしてしまうというエグいしろもので、央華封神ならガチ邪仙宝。使ったらガッツリ徳値が減少しそう。
楊戩が水遁の術の他に木遁、火遁、土遁を使って木や火や土のある場所に瞬間移動するのですが、これもうどこにでも転移可能だろ……。
あと雷震子大活躍。飛行ユニットて自軍にひとつでもあると違いますよね。
いよいよ次回でクライマックス、果たしてどのような終焉を迎えるのか楽しみです。
みなとみらいのキノシネマで『Playground/校庭』観ました。
https://playground-movie.com/
小学校に初登校した7歳のノラには3歳上の兄アベル以外に頼れる存在がいなかった。
学校という荒海の中に放り出された彼女は戸惑いつつもクラスの女子二人と仲良くなり学校に慣れ始めた頃、アベルが他の児童にいじめられる現場を目撃。
内気なノラにとって校内で唯一の知り合いである兄は世界のすべてで、その兄が標的にされている事に衝撃を受ける。
優しい兄が大好きなノラは助けたいと願うが、アベルは「誰にも言うな」「そばに来るな」と言ってノラを拒絶。
一方的にやられっぱなしのアベルの気持ちが理解できないノラはやり場のない怒り、悲しみ、寂しさと苦しみを募らせていく。
兄のみならず仲の良かった友だちとの関係も亀裂が生じ、再び独りぼっちになったノラは校庭で兄がいじめを〝する側〟になっている衝撃的な光景を目撃する――。
冒頭、泣きじゃくり悲壮な覚悟で学校に初めて足を踏み入れるノラの姿に心を揺さぶられた。
この作品で描かれる〝学校〟は心躍る楽しい場所などではない。
それはある意味で真実であり、学校という社会の縮図に適応できない者にとってはそこでの決まりや人間関係など地獄でしかない。
一見すると楽しげな子どもたちの遊ぶ姿や歓声にまぎれて生き残りの選別が常におこなわれている。
多くの児童が入り乱れる校庭や食堂などを主な舞台にしつつ緊張感に満ちた子どもたちの日常を〝子ども〟の目線で描写された内容は残酷。
世界(学校、社会)には弱者と強者、そのどちらかしか存在しない。
誇りと尊厳を奪われ、虐げられる弱者でいたくなければ他者を虐げ奪う強者の側に立つしかなく、両者は容易に代わりうる。
子どもたちが休み時間にのびのびと羽を伸ばして遊ぶ学校の校庭《Playground》は生き残りを懸けた荒野や戦場として捉えている。
アベルとノラの父親は失業中で母親は不在。この背景ひとつからも作品で直接的には語られない社会の病理などが込められているように思えた。
職に就かない男親を蔑む発言をする子ども(他にもサッカーは差別主義者のするスポーツなどと言う)の姿には親の思想の影響がうかがい知れる。
話はずれるが「働かざる者食うべからず」という言葉は元々レーニンが貴族や地主といった不労所得者を批判した言葉が元なのに、いつの間にか貧困層を叩く表現になっているのはおかしい。
このような発言や思想の者の姿をSNS上で散見するが、その理屈で叩くのなら生活保護受給者や失業者ではなく配当金だけで生きてる生まれつきの地主や資本家一家を叩くべきだろう。
働かざる者食うべからずだから生活保護叩きます、でも労働に従事していない資本家は叩きません。というのは道理も筋目も合わない。
閑話休題。
本作を観た〝大人〟は、子どもの心に寄り添わない大人の無関心と無理解に腹立たしさを感じると思う。
だからこそ子を持つ親も持たない者も観るべき作品。
思えば自分も小学生や中高生の頃は地獄だった。
女からはキモいと蔑まれ、男からは暴力を振るわれた。
スクールカーストという言葉は存在しなくともその概念は確実に存在し、自分はその下位層にいた。
今もそれは変わらない。
運も才能もコネも金もない、最低賃金で酷使される底辺奴隷労働で女もよってこない。幸せになる要素なんてなにひとつない。
手取り20万円未満だと光熱費や食費や家賃などの生活費、スマホ代だけでお金は消える。
休日もなにもできないので家に引きこもるしかないし、さらにこの生活を何年も続けていると価値観や金銭感覚の乖離から周りの友人も消える。
だが世の中にはそうでない連中もいる。
生まれつき金持ちだったり、才能や運に恵まれていたり、容姿に恵まれていたりして、なに不自由ない人生を送るやつらがいる。
そんなやつらが心底恨めしい。
早く死にたい。
生まれてきたのが運の尽き。
いくら寝ても寝たりない。正確には睡眠を欲しているのではなく暗闇と静寂に包まれて褥に横たわり虚無に浸っている状態がなによりも心地よい。
無に近いのが幸せなら、死という無こそが至上の幸福。つまり生まれてこない事こそが一番の幸せ。
生きているから苦しい。
続いて『マッド・マウス ミッキーとミニー』観ました。
https://hark3.com/mm/
もうじき21歳の誕生日をむかえるアレックスはアルバイト先のゲームセンターで店長から残業を頼まれて夜遅くまで働くことになった。
自分しかいないはずの店内で不気味な人影を見かけた彼女は恐怖におののくが、実は友人たちが店に集まって誕生日祝いのサプライズパーティーだったと知り安堵する。
だが楽しい時間を過ごしていたアレックスたちの前に〝例のあいつ〟の姿をした殺人鬼が出現。アトラクションを楽しむかのようにデスゲームを開始して若者たちを次々と血祭りにあげてゆく――。
こちら1928年に公開されたウォルト・ディズニー社の短編アニメ『蒸気船ウィリー』に登場するミッキーマウスを凶悪な殺人鬼として描いたスラッシャー映画となります。
黄色い熊といい正直またこのパターンか……、と思いましたが実際に観てみるとしょっぱなから『スター・ウォーズ』のOPの雑なパロディにトホホな気分に。
その予感は的中し、最初から最後までトホホな気持ちで観賞。これはあれだ、ひと昔前のテレビ東京の深夜に放送されるにふさわしい内容だ。
「自分自身の今の心境をひとり言で口に出して説明する」という、今どき三流の邦画でもそんな場面ないだろという演出にトホホ。
B級ホラー映画にありがちな〝登場人物たちがありえないような愚かな行動を取る〟という行動をしっかり取っているのはあくまでも〝これはB級ホラー映画だから〟というコンセプトゆえにわかった上でそうしているのでしょう。真面目につっこむのは野暮というもの。
元となった『蒸気船ウィリー』を改めて見てみたのですが、このミッキーて動物をナチュラルに虐待していて「このネズミ、マジキチかしら?」となるサイコパスぶりで、なるほどこんな奴なら理由も動機も無しに人を遊び半分で虐殺しても不思議じゃないなと。
しかしなんで欧米人は著作権保護期間が切れてパブリックドメイン化した作品のホラー化、キャラクターを殺人鬼化したがるんですかね。
普通に元のキャラを崩さぬまま、ほのぼのファンタジーとか描きたくないのかしら?
ひとつ確実に言えることは日本ならホラー、スラッシャーではなくエロに走ると思う。
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマで『ウィキッド ふたりの魔女』観ました。
https://wicked-movie.jp/
物語の舞台は言葉をしゃべる動物と人間が共生する魔法と幻想の国オズ。
誰よりも優しく聡明でありながら緑色の肌を理由に家族や周囲から疎まれ孤独なエルファバと、誰よりも愛され特別であることを望むみんなの人気者のお嬢様グリンダ。
オズにあるシズ大学で出会ったふたりは大学の寮で偶然ルームメイトになる。
見た目も性格も、そして魔法の才能もまるで異なるふたりは初めこそ反発し合うが、互いの本当の姿を知っていくにつれ、次第に心を通わしかけがえのない友情を育んでいく。
ある日、誰もが憧れる偉大なオズの魔法使いに特別な力を見出されたエルファバはグリンダとともに彼が司るエメラルドシティへ旅立ち、そこでオズに隠され続けていたある秘密を知る。
それは世界を、そしてふたりの運命を永遠に変えてしまうものだった――。
こちら各国で上映されてきたミュージカル『ウィキッド』の映画化作品で、2部作の前編にあたります。
川を渡った先にある水と緑にかこまれた荘厳かつかわいい造りのシズ大学、回転する巨大な不思議装置つき本棚がある図書館、歯車で動く斬新かつクラシックなデザインのエメラルドシティ行き列車など幻想的で楽しげな舞台装置の数々は見ていて本当に楽しい気持ちになる。
ああ、あんな学校に通いたい! 作中には出てきませんでしたが、きっと学食もお洒落で美味しいんだろうなぁ……。
終盤で黒幕的人物の口から語られる「人類を団結させるには共通の敵が必要だ」という目的。それによって人語を解する知的な動物たちが悪に仕立て上げられ社会の歪みを一身に背負わされて人々の不満のはけ口にされて迫害されるくだり。
カリスマ性を持った指導者の扇動によって意図的に作られた差別や迫害という構図は人類社会でいつでも起こり得る普遍的な悪しき行為であり、明るく楽しいミュージカル映画に込められた社会性のあるメッセージにハッとさせられた。
歌と踊りのみならずエルファバとグリンダらの心理描写など細部まで凝られた丁寧な作りなだけに話の展開は緩慢で冗長に感じる部分も。
早く続きが観たい、パート2の公開が楽しみです。
横浜シネマリンで『ストップモーション』観ました。
https://cinema.starcat.co.jp/stopmotion/
偉大なストップモーション・アニメーターであるスザンヌ・ブレイクの娘エラは病に倒れた母の意思を継ぎ、中断された作品を完成させようと奮闘するも独力では物語を考えられず思うように作業が進まない。
そんな時に偶然出会った謎の少女の助言を聞きながら制作を進めるが、作品制作に没頭するうちに現実と虚構の壁が崩壊し精神の均衡が崩れてゆく――。
我々を悪夢の世界へといざなう映画作品がまたひとつ。
作品にリアリティを与えるためと称して人形の材料に残り物の生肉を、続いて死んだ狐の骨を、そしてやがて――。
なんとおぞましくグロテスクなお話を思いつくものだと脱帽。
コマ撮りのアニメーションと実写が合成された映像も観る者を怪奇と幻想に満ちた悪夢の世界へと導いてくれる。
ストップモーションアニメパートが本当に不気味でキモい! これはクセになるキモさ。
そして映画に限らずあらゆる芸術・創作活動に携わる人たちが持つ危うい部分、創造性と狂気は紙一重だということを改めて実感させられる内容。
思い通りの作品を創ることのできないもどかしさ、自身の能力と才能の乏しさに対する焦燥、己を理解しない、理解しているつもりでいる〝恵まれた〟他者に対する憤り――。
主人公エラはこの世のあらゆるクリエイター、クリエイター志望者の姿そのものに感じられた。
「うるせー! 俺は撮りたいものを撮るんだよッ!」
とばかりに社会のあらゆるしがらみや重圧から〝解放〟されたラストシーン(あくまで私の感想です)に破滅か救済か、なにを感じるかは人それぞれ。
これは一見の価値あり。
観てください!
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマで『ロングレッグス』観ました。 ※ネタバレあり!
https://movies.shochiku.co.jp/longlegs/
物語の舞台は1990年代なかばのオレゴン州。
FBI支局に勤める新人捜査官のリー・ハーカーは〝超直感〟とでも呼べるような並外れた直感力を買われて重大な未解決事件の担当に抜擢される。
ごく平凡な家族の父親が明確な動機や理由も無しに突如として妻子を殺害したのちに自らも命を絶つという異常で不可解な殺人事件が過去30年間に10回も発生していたのだ。
いずれの現場にも外部からの侵入者の痕跡はなく〝ロングレッグス〟という署名つきの暗号文が残されていたのみ。
ロングレッグスとは一体何者なのか?
真相に迫ろうとするハーカーは暗号文を解読して事件にある法則を見出して正体に迫ると、ハーカーの過去とロングレッグスの思いもよらぬ接点が浮上して事件は想像もつかない恐ろしい事態へと転じていく――。
※ネタバレありますよ!
この作品、あらすじを読んだり予告映像を見て『羊たちの沈黙』や『セブン』のようなサイコホラー、ミステリーを想像していたのですが、蓋を開けてみればガチ悪魔がガチ魔術で人を操って殺していましたというオカルト、ホラーものでした。
そりゃただの人間には捕まらないわよね(´∀`*)ウフフ
……て、なんだよそりゃ!
謎めいた暗号文だの思わせぶりな科白など、いかにもそれっぽい〝だけ〟の薄っぺらい演出や雰囲気が最初から最後まで続いた挙げ句に悪魔の仕業とかさぁ……。
なんか少し前にテレビ放送されていた『全領域異常解決室』を思い出しちゃいましたよ、あっちは悪魔じゃなくて記紀神話の神だけど。
ミステリかと思いきや悪魔とかいう超自然の存在が出てるというオカルト、ホラー展開自体はひとつのサプライズであり、過去に『ディアボロス/悪魔の扉』や『ナインスゲート』。古くは『エンゼル・ハート』(メガテンシリーズのルイ・サイファーの元ネタとされる!)といった名作がありますし。
物語の途中からジャンルがガラリと変わる『フロム・ダスク・ティル・ドーン』とか傑作だと思うので、そういうドンデン返しそのものは悪くない。
悪くないのになんで本作はトホホ感が否めないのか?
単純にお話自体が純粋につまらないから。
私は普段どんなクソ映画でもとりあえず褒める、良いところを見つけているのですが、こればかりは徹頭徹尾ダメでした。
証拠品を入れる袋を模した無駄に凝ったデザインのパンフレットとかイラッとするだけ。1300円とか地味に高いし。
なんかもうサメの出てくないサメ映画を観させられた気持ち。
またつまらぬものを観てしまった……。
しかしなんだってキリスト教圏の人たちは悪魔崇拝とかするんでしょうね、あの心理は理解できない。
だって悪魔って神に負けた連中じゃん。神よりも弱いんでしょ? そんな奴らに願ったって神より利益少なくね? 素直にヤハウェ拝んだ方が得るものがあるのでは?
ヤハウェが与えてくれないものを与えてくれる的な?
にしても願いの代償に生け贄とか高くない? ましてや自分の魂を捧げるとかボッタクリ過ぎだろ。
それとも善よりも悪に憧れる的な感情があるのかしら?
でもそれならヤハウェなんてなんの罪もないヨブから財産を奪い、子どもたちを殺し、酷い皮膚病で苦しめるわ、エジプトに災厄を起こしたりソドムとゴモラを滅ぼしたり、大洪水を起こして人類滅亡レベルのジェノサイド起こす極悪邪神なんだし、ならやっぱりヤハウェでいいじゃん。
横浜シネマリンで『鹿の国』観ました。
https://shikanokuni.vfo.co.jp/
全国に1万社ある諏訪神社の総本社である諏訪大社では古来より鹿を贄とする祭礼が行われてきた諏訪大社。
この地に住む人々にとって鹿とはどんな存在なのか。
太古の昔から諏訪の地に根づいてきた自然信仰、謎の神『ミシャグジ』と神仏らが重なり混じりあうことで形作られた独特の宗教観にもとづく世界を撮ったドキュメンタリー映画となります。
落語『鹿政談』で描かれているように鹿島や春日では鹿は神の使いとされ大切にされていて傷つけるどころか殺して食べるなど重大な禁忌なのに諏訪では狩猟にともなう殺生にこそ信仰の本質があるかのようなのは興味深い。
江戸時代には75頭の鹿が捧げられた御頭祭《おんとうさい》や蛙神事《かわずしんじ》などの動物供犠は死や血をケガレとして忌避する神道の思想とはまったく異質だ。
ミシャグジ神は大陸渡来の蛇神信仰がルーツなんだろうなぁ、とうっすらと思っていたのですが本作を観るとミシャグジ信仰とは諏訪大社の本尊である普賢菩薩や建御名方といった特定の神ではなく諏訪の地に存在するあらゆる精霊や神霊といった霊的存在そのものを崇拝しているようで一筋縄ではいかない。
諏訪勘文で唱えられる「業尽有情、雖放不生、故宿人天、同証仏果」という文句。
その大意は「生命を造作する業が尽きた存在は、もし捕らえてから放してやっても他の人間に殺されたり強い動物に食われたりして結局生きてゆくことができない。ゆえに人間が食べて一体となることで、その人間が成仏して一緒に救済されるのがよい」という一説は人の屁理屈、身勝手さを感じた。
ガチガチに強者のロジックじゃん、志々雄真実の弱肉強食論と大差なくね?
仏教の影響で肉食が忌避された時代においても諏訪大社は鹿食免《かじきめん》という鹿を狩っても食べても地獄に堕ちないよという免罪符を売っていたりと、宗教っやつはいつの時代も生臭い。人が抱く信仰の聖俗両面を垣間見た気持ちに。
パンフレットが2000円もしたのですが、むっちゃ内容が充実しておりこれは納得の適正価格。
民俗学などに興味のある人におすすめの映画。
観てください!
川崎チネチッタ
前はチケット購入のタイミングでポイント利用して無料クーポン発券して使用するかどうかできたのに
事前にマイページからポイント使ってクーポン発券しなきゃならなくなってひと手間かかるようになってんじゃん
なんだこのクソリニューアル
あと曜日の表記が英字の略語でわかりにくいんだよ、月火水木金て感じで表記しろよ
川崎チネチッタで『ヨウゼン』観ました。
https://yozen.movie/
仙界と人間界が災いに見舞われていたはるか昔の中国。
周が腐敗した殷王朝を滅ぼし、死者の魂が神に封じられる事でようやく天地は秩序を取り戻した。
しかし封神の戦いを機に仙界は衰弱し、二郎神こと楊戩《ヨウゼン》も今は凋落して哮天犬や仲間たちと人間界で懸賞金稼ぎをしながら暮らしていた。
ある日のこと、お尋ね者の瓢箪仙人を捕らえ賞金を得た楊戩のもとに婉羅という女性が現れ、姉のである万物如意盞《ばんぶつにょいさん》を盗んだ少年沈香《ジンコウ》を捕まえるよう依頼を受ける。
沈香を追う過程で魔家四将の魔礼紅と魔礼海から自分と同じ金霞洞の出だと聞かされた楊戩は金霞洞へ向かい師匠・玉鼎真人から沈香こそ12年前に金霞洞に預けた楊戩の甥であり、申公豹と共謀して兄弟子を殺してを万物如意盞を盗んだと告げられる。
一方の沈香も申公豹から楊戩が伯父であり、母を華山に閉じ込めた張本人だと聞かされる。
複雑に絡み合う宿縁、その果てにある結末とは――。
こちら中国の神魔小説『封神演義』を題材に斬新な解釈を元に描かれた中華製フルCGアニメーション作品の「新封神榜」シリーズ2作目となります。ちなみに1作目は哪吒《ナタク》を主人公にした『ナタ転生』ですが残念ながら未見。
ヴィジュアルやエフェクトといった絵的な面は素晴らしい。
俗世を離れた幽玄な深山幽谷にあるような仙界のイメージを覆す中華風サイバーパンクのような猥雑な町並み。
そこに住む腕や目がたくさんある異形の人々、という妖怪たちの多種多様な姿はさながら『スター・ウォーズ』に登場する異星人たちのよう。
太極図の力が発動する場面など『ドクター・ストレンジ』の空間が歪むアレ的な感じに山水画要素も加えてとてもアジア感、中華感が出てました。
無数の霊剣を召喚。
↓
お! Fateのゲート・オブ・バビロンみたいでかっこいい!
↓
無数の霊剣が合体して一本の巨大な剣に、
↓
おおおおおおッ!
みたいな感じで視覚的に熱くなること間違いなし。
みんなガチバトルになると巨大な自分の姿をしたスタンド的なペルソナ的なものを召喚していてなんじゃこりゃと思いましたが、あれは法天象地という原典にある異能力だったのですね。
でもマジでペルソナみたい。
ただ正直話の流れがいまいち理解できませんでした。
あれがそうなってこうなったとして、なんでそうなるのかしらと。
そもそも封神演義の後になんで仙人が落ちぶれるのか、そうはならんだろと。
まぁ、私の読解力が足りないのかもしれませんし、そういう設定だと言われればそれまでですが。
あと主要キャラの声を本職の声優ではない人が声を当てているのも人によっては受け入れられないかも。
やっぱ腹から声が出ていない。
哮天犬の中の人なんてワチャワチャやかましいだけ。
いや、それはワチャワチャやかましい演技をしているだけだろうと思い脳内で本職の声優である佐倉綾音や悠木碧がワチャワチャやかましい演技をしている様を想像しましたが、おなじやかましい演技なら佐倉綾音や悠木碧のほうが洗練されていると思いますね。
声優未経験なのによく沢城みゆきとおなじ現場に立てたなと、その度胸にだけは感服。まぁ、アフレコは別撮りだったのかもしれませんが。
川﨑チネチッタで『この素晴らしい世界に祝福を!3 -BONUS STAGE-』観ました。
http://konosuba.com/3rd/ova/
「レッドストリーム・エクスプロージョン!」
カズマたちがギルドで食事をしていると受付嬢のルナがめぐみんへの指名依頼を持ってきた。アクセルの街に接近する台風と化した風の精霊王を正気に戻すためにめぐみんの爆裂魔法が必要なのだという。
ここぞとばかりにもったいぶるめぐみん。しかしゆんゆんとウィズも参加することになりじゃあイラネ状態に。
あわてて涙目で自分も参加すると宣言するめぐみんへ。かくして冒険者たちは水着になり(濡れてもいいように)暴走する風の精霊王に立ち向かうのであった。
「偽者注意!」
ある冬の日にひとりの冒険者からが声をかけられたカズマ。男はサトウカズマという冒険者を探しているらしい。
なにやら悪い噂をを聞きつけひと言もの申したい男を煙に巻くカズマ。
後日騙されたと憤慨して家に乗り込んで来た男にカズマはさらなる詭弁でまくしたてるが――。
こちらTVアニメ『このすば』第3期の未放送分の2本立てとなります。
正直この作品を見たのはまさにその第3期からで、原作も未読なんですよね。
なので設定や世界観、キャラクターの能力、性格などかなりあやふやなところがあるのですが、ノリややり取りなど面白かったので劇場版も観賞する気になりました。
なんか主人公のカズマのキャラが懐かしいんですよ。
今のなろう系のイキリすかし散らかして俺強しまくる、ろくに苦戦しない万能系のチート主人公とは違ってなんか昔読んでいたラノベの主人公に似ている気がする。
今の若い人は知らないでしょうが『爆れつハンター』とか、ああいう系の等身大スケベ少年て感じの感じが感じるんですよ(語彙力
主人公カズマを取り巻く3人の女性キャラ。アクア、ダクネス、めぐみんもユニークで魅力的。声を当てる声優の演技も素晴らしい。
やっぱ声のプロは違うわ。
特に高橋李依ってキャラによって声質まで変えている気がする。特に『るろうに剣心』の薫とか、旧作の薫に声を寄せつつしっかりと上手いとか流石の猿飛、恐れ入谷の鬼子母神。
うろ覚えですが前にベテラン声優の柴田秀勝が「声を変えれば演じ分けられると思うのは大違い。声優は声色師ではなく声で演じる役者なのだから」的な事を述べていましたが、そういう意味でも高橋李依はすごい。
横浜ブルク13で『Flow』観ました。
https://flow-movie.com/
物語の舞台はおそらくつい最近まで人間がいたけれど、なぜかひとりもいなくなってしまった世界のどこかにある森。
一匹の黒猫が主なき無人の家で気ままに暮らしていたが、ある日突然大洪水に見舞われ、水かさがどこまでも増えていき森を飲み込む。
黒猫は流れてきた舟に意を決して飛び込む。他にもカピバラやキツネザル、犬や鳥などの動物も乗り込み、さながらノアの方舟のよう。
いつの間にか動物たちは生きていくために連帯するようになり、水の上の世界で起きる数々の試練を乗り越えていく――。
まず印象に残ったのは森や水などの自然の描写の美しさ。色とりどりの魚が泳ぐ水中など、さながら浮遊しているかのような感覚に。
そして特筆すべきは動物たちの造形と動き。
限りなくリアルに寄せており、ディズニーアニメのような不自然に擬人化されていない。
動物の擬人化、あるいは逆に人間の擬動物化はディズニー作品に代表されるアメリカ文化の気持ちの悪い一面で、動物に服を着せて後肢だけで立たせて人間のような表情を浮かべたり仕草をしたりさせて喜ぶという心理は理解できない。
アニメーションのキャラクターとしてデフォルメだとしても創作表現としてセンスが良いとは思えず、人間と動物の双方の醜悪なカリカチュアのように感じられる。
その点、本作は実にいい塩梅にリアルっぽくて見ていて普通にかわいい。観終わったあとに黒猫を抱きしめたくなること必至。家に黒猫がいる人がうらやましい。
このリアルさは行動にも現れており、チームとして助け合った次の場面で己の本能に従い我関せずな行動を取ったりする。
この辺のバランス感覚は見事で、前述したような擬人化キャラにはできない芸当。
人類が滅亡した終末SF感ある世界といい、不思議な夢を観ているかのような心地にひたれました。
一見の価値あり。
観てください!
ジャック&ベティで『Kfc 食人連鎖』観ました。
https://kfc-movie.jp/
ベトナム・ハノイを舞台に人間狩りにいそしむ医者とその生き残りたちが、互いに喰い合う。
↑
というのが公式サイトに掲載されているあらすじ。
ベトナム・ハノイを舞台に救急車で人間狩りにいそしむ医師と、その犠牲になった売春婦の娘らが狂気と復讐の連鎖に陥っていく様を容赦ないゴア描写と共に描いた衝撃のカニバルリベンジ・ホラー。
という筋書きのようなのですが、正直わけがわからなかった。
冒頭、救急車で人を轢いて拉致する場面以降はスリや置き引き、刃傷沙汰が横行する猥雑な街を舞台に反社連中の抗争が描かれ〝誰が誰をどんな理由で殺害しているのかわからない〟状態が延々と続いた挙げ句に食人医者が唐突に殺されて「こんな人いたっけ?」な人たちが出てきて終幕。
本当にわけがわからなかったよ……。
監督はベトナム出身のレ・ビン・ザンという人で本作が長編映画デビューとのこと。
本作は映画学校の卒業制作として企画されていたのだが脚本を読んだ大学側が「あまりに残虐すぎる」という理由で却下。ザン監督は退学の憂き目にあったといういわくつきの作品でベトナム国内では2025年3月現在に至るまで劇場公開されていないという。
……いや、それってゴア描写や食人設定うんぬん以前に物語がとっ散らかっていて支離滅裂でお話としての体を成していないからじゃないの?
食人映画を撮りたいのか犯罪映画を撮りたいのか中途半端に感じられた、まるで別々に作られたふたつの作品の脚本を無理やりひとつにしたかのような印象。
話し下手な人から昨日見た夢の内容を延々と聞かされているかのような気持ちになりました。
またつまらぬものを観てしまった……。
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマで『デーヴァラ』観ました。
https://devara-movie.com/
1996年、クリケットのワールドカップを控え厳戒態勢にあったムンバイのインド警察本部に巨大犯罪組織による破壊工作の情報が入る。
特別捜査班のシヴァムは犯罪組織のリーダーを追って南インドへ向かう。
アーンドラ・プラデーシュ州とタミル・ナードゥ州の州境にあるラトナギリという地域には〝赤海〟と呼ばれている海域があり、その海を縄張りとする4つの村からなる集落は航行する貨物船から積荷を密かに運ぶ密輸団の巣窟として恐れられていた。
シヴァムは密輸業者に成りすまして情報を得ようとするが、そこで長老シンガッパから12年前に起きた凄惨な抗争事件と英雄デーヴァラの伝説を聞くことになる――。
完結しないのかよ!
『SALAAR/サラール』と同じくまさかのパート2に続くのかよ! つうか『SALAAR/サラール』も続編まだじゃん! もうストーリー忘れちゃったよ……。
水中からの大ジャンプや海中でサメに縄をかけて疾走したりといった実写にCGをこれでもかと盛り込んだ映像は物理的にありえようがありえまいが問答無用の大迫力。
CGのショットは約3000と公言されているのだからそのケレン味を素直に楽しむべき。
自分たちが奪って売った武器で村の人々が武装集団に無惨に殺された事をきっかけにデーヴァラが改心してテロを憎み、違法行為に激しい怒りを抱くようになる展開は現実のインドの社会情勢の反映に感じられた。『JAWAN/ジャワーン』の選挙に関するくだりのようにもう少しそのあたりの描写に踏み込めば物語にさらなる深みが生まれたと思うので、少しもったいない。
あとデーヴァラがよく使っている鉤爪ダガーと握り懐剣がかっこよくて欲しくなりました。
3月に観た映画
『封神・妖姫とキングダムの動乱』『ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻』『映画を愛する君へ』『封神・激闘! 燃える西岐攻防戦』『Playground/校庭』
『マッド・マウス ミッキーとミニー』『ウィキッド ふたりの魔女』『ストップモーション』『ロングレッグス』『鹿の国』
『ヨウゼン』『この素晴らしい世界に祝福を!3 -BONUS STAGE-』『Flow』『Kfc 食人連鎖』
みなとみらいのローソン・ユナイテッドシネマで『ミッキー17』観ました。
https://wwws.warnerbros.co.jp/mickey17/
なんの取り柄も無くうだつの上がらない人生を送る男ミッキー。兇猛な借金取りに命を狙われるはめになり、一発逆転のために惑星ニヴルヘイムへの移住を申し込む。なんの技術も資格もないミッキーが唯一就く事ができる仕事は〝エクスペンダブルズ〟のみだったため契約書もろくに読まずサインをしてしまう。
それは死を前提にした人体実験や過酷な任務で命を落としては幾度も肉体を蘇生させられ酷使され続ける人権ガン無視のブラックジョブだった。
上からの命令で命を搾取され消耗品《エクスペンダブルズ》として搾取されるミッキー。
17番目のミッキーが九死に一生を得て任務から帰還すると18番目のミッキーが!
すでに彼が死んだと判断した上層部が新たなミッキーを作っていたのだ。
複製された同じ人間が同時に存在する事は重罪で、発覚すればオリジナル共々抹消され本物の死を迎える事になる。生き残れるのはひとりだけ、果たしてどちらのミッキーが助かるのか――。
このお話はジャンルで言えばブラックユーモアにあふれるSFコメディに分類されると思うのですが、監督の描きたかった事、込められたテーマは社会の不平等、格差と分断、植民地主義、無意識の優越思考、人間性の喪失などなど――。
極めて多岐に渡る寓意や風刺が込められており、深読みすればするほど社会派作品に思えてきます。
〝生きるために死に続ける〟というミッキーのおかれた境遇はまさに生活を人質に取られて最低賃金で酷使される労働者階級に属する人々の姿そのもの。
弱者が抑圧的な社会で生き延びる物語が描かれています。
まぁまぁ面白いし最後には弱者の逆転、カタルシスが用意されているんですが、なんかね、そういう社会派な部分にあらわれる監督の賢さ利口さが鼻について私のような阿呆には素直に楽しむ事ができませんでした。
人体複製《プリンティング》や重複存在《マルティプル》といったクローン人間関連の設定やあらゆる有機物を再利用するサイクラーなどのSFまわりの設定や、雪と氷に覆われた惑星ニヴルヘイムや生活感あふれる宇宙船内の造形などは観ていてワクワクしました。
なによりもニヴルヘイムの先住生物クリーパーがキモかわいい!
ほんとかわいい、ダイオウグソクムシを百万倍かわいくした感じ。
触手のある生き物でこんなにも愛おしいと思ったクリーチャーは初めてかも。
あと吹替版では作中に登場する悪役の夫婦を山路和弘と朴璐美の夫婦が声を当てています。
リアル夫婦が役でも夫婦を演じるなど声の配役をした人は遊び心がありますね。
そういえば今季アニメで花澤香菜と小野賢章がメインで出ている作品がありますが、私が業界のお偉いさんなら主役を梶裕貴で花澤香菜、竹達彩奈、内田真礼、佐倉綾音をハーレム要員で出すアニメを作らせたい(´∀`*)ウフフ
1月に観た映画
『スピーク・ノー・イーブル 異常な家族』『カルキ 2898‐AD』『ビーキーパー』『キノ・ライカ 小さな町の映画館』『フード・インク ポスト・コロナ』
『私にふさわしいホテル』『型破りな教室』『小学校〜それは小さな社会〜』『ねこしま』『室町無頼』
『アプレンティス:ドナルド・トランプの創り方』『グランド・ブダペスト・ホテル』『アーサーズ・ウイスキー』『リターン・トゥ・リーズン』
2月に観た映画
『ブラックバード、ブラックベリー、私は私。』『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦 』『遺書、公開。』『デリカテッセン』『I Like Movies アイ・ライク・ムービーズ』
『ゲームの規則』『籠の中の乙女』『メイクアガール』『ベルサイユのばら』『ハイパーボリア人』
『邪悪なるもの』『キャプテン・アメリカ:ブレイブ・ニュー・ワールド』『ドライブ・イン・マンハッタン』『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』『SKINAMARINK/スキナマリンク』
『本を綴る』
3月に観た映画
『封神・妖姫とキングダムの動乱』『ファイアーブランド ヘンリー8世最後の妻』『映画を愛する君へ』『封神・激闘! 燃える西岐攻防戦』『Playground/校庭』
『マッド・マウス ミッキーとミニー』『ウィキッド ふたりの魔女』『ストップモーション』『ロングレッグス』『鹿の国』
『ヨウゼン』『この素晴らしい世界に祝福を!3 -BONUS STAGE-』『Flow』『Kfc 食人連鎖』
次スレに続く。
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