- 1 :エル・アルコン :2024/05/01(水) 12:31:34
- 1が1000になったら移行しましょう。
- 326 :エル・アルコン :2024/10/27(日) 13:16:55
- 一連の施策と新幹線岡山開業があった1972年は鉄道百年、というビッグイベントの紹介はありましたが、東京地下駅への総武大階段にあった「天地創造」が鉄道百年記念モニュメントだったんですよね。ステンドグラスの下縁に「鉄道100年」とありましたから。京葉線通路に移設されましたが、本来あの位置にあってこそ映える、そして意味のあるモニュメントです。鉄道百年の節目の年の一大プロジェクト竣工としての画竜点睛でしたから。
歴史を捨ててしょうもないサイネージに変えてしまった時点で、誇りも気概も失ったんでしょうね。
- 327 :エル・アルコン :2024/10/27(日) 14:30:04
- 鹿児島線の昼行急行廃止は1980年でした。1986年は30分ヘッド化で3連のミニ特急が誕生し、遜色すぎると批判された時です。
あと、マリ区の編成でクハ182でしょうか、先頭車化改造車が先頭に立っている画像がありましたが、これも珍車のはずです。マリ区は1500番台車への改造車こそ入りましたが、先頭車化改造車は基本的に中央線用の長モト所属でしたから。
- 328 :八千代台民 :2024/10/28(月) 21:23:37
- 今朝は本線上り最混雑列車であろう通勤特急に船橋まで乗りましたが
津田沼〜船橋は先頭車両でもぎゅうぎゅうでした。 まぁ津田沼でもすんなり発車したので八千代台や津田沼でドア閉めに手こずるのは過去の事です。
ちょうど八千代台で乗る前に、1本目の下り成田空港行き特急来ましたが、 こちらも前5両は上りにひけをとらない混雑でびっくりしました。平日ダイヤだと次の空港行きは快速へ繰り下げ のせいもありこの特急に集中していそう。 津田沼〜勝田台は学校多いので、空港通勤客は快速を敬遠しているかもしれません 京成からしたら船橋からの客もアーパー線経由でアクセス特急使ってほしいのかもしれませんが
- 329 :エル・アルコン :2024/10/29(火) 19:37:15
- 京成のイフとしては、千葉方面へのルートを行徳経由とした場合でしょうかね。帝釈天をにらんで高砂経由は官道としての佐倉道と重なりますが、何とも遠回りということで、江戸時代の成田詣のルートを踏まえて押上からいきなり東南に向かい、篠崎あたりで江戸川を渡ると。
総武鉄道に十分競争力のあるルートで開業、というアドバンテージと思いきや、1917年に発生した「大正6年の大津波」(高潮)で壊滅的な被害を受けて再起不能、という歴史になった可能性が強いです。高潮が市川駅の南口まで洗ったという大水害により、東葛人車軌道もとどめを刺されましたし、行徳塩田も壊滅しています。(その後再建するも1947年のカスリン台風では被害を免れたが1949年のキティ台風での高潮でとどめを刺され、1969年の東西線開通まで蓮田と若干の畑だった)
ただ鉄道は水害に対しては案外抵抗力があるようで、カスリン台風で利根川決壊により荒川、江戸川間を水没させた氾濫流に正対する格好の東武野田線、常磐線、京成線、総武線とも越流レベルで済んだようですが、大津波と形容される高潮だとどうだったか。 もっとも明治末の段階で荒川放水路計画があり、大正年間には江戸川放水路の計画が具体化していたはずで(1919年竣工)、両放水路の建設がまともに影響する行徳ルートはさすがになかったでしょう。史実では荒川放水路だけは不可避でしたが、ルートを若干変更して架橋しています。
- 330 :エル・アルコン :2024/10/29(火) 19:37:45
- 治水関係では新京成のイフも出てくるわけで、1939年に建設が開始された利根川放水路に対して鉄道連隊の演習線はどうなっていたかのイフがあります。二和のU字ルートのあたりがちょうど交差地点になるわけで、当然河川に対して直行するというセオリーを考えると、現行線に近い線形になっていたか。あるいは現行線は利根川放水路計画に対応する区間として検討済みであり、それを新京成が流用したか。河口付近となる花輪で京成線の線形変更が計画され、放水路橋梁の橋脚が今も残るのは有名ですが。余談ですが、成田新幹線関連といわれることが多い二和高校付近の地割ですが、本掲示板でも以前紹介いただいた革洋同さんの労作だとどうも分筆前は一面が国有地のようで、分筆で怪しい地割になったという以前として、なぜそこが国有地なのか、という謎があるわけで、利根川放水路計画関連で用地買収した名残かもしれません。鎌ヶ谷付近に内務省の事務所があったという話もありますし。
- 331 :エル・アルコン :2024/10/29(火) 19:38:31
- 歴史ついでに、まだほとんど検証されていない話として、初富付近の路線があります。
東武野田線から新京成を結ぶ渡り線があったり、北総線に重なるように下総基地に向かう路線が戦後すぐの航空写真から見て取れます。六実から下総基地への路線はそれなりに知られていますが。 初富から先は今も松戸駐屯地の真ん中を貫きますが、隣接して松戸飛行場があり(松飛台の名はそこから来ている)、戦時中は陸軍の飛行部隊が駐屯していました。敗戦間際にいまの下総基地が藤ヶ谷飛行場として開設され、陸軍の飛行部隊が松戸から移転していますが、その経緯を考えると松戸飛行場と藤ヶ谷飛行場を結ぶ軌道があってもおかしくありません。 あるいは工事関係で普通鉄道だった東武船橋線(戦時統合までは総武鉄道)との貨車の受け渡しがあり、その渡り線がいくつかあるのかもしれません。
- 332 :八千代台民 :2024/10/31(木) 10:34:40
- 東洋バスですが、勝田台北口-宮ノ台線の佐倉市区間が12月に廃止になると家族から聞きました。
この路線上高野という戸建て住宅街を通るのですが、ラッシュ時は駅への通勤、通学需要があります。 昔、村上団地に住んでましたが雨の日は、勝田台駅へ向かう道は296手前から駅までは渋滞酷かったです。
この宮ノ台や上高野は、勝田台、志津、ユーカリ京成各駅から離れています。 佐倉市区間もユーカリが丘線やコミュニティバスあるのですが、東葉勝田台へ直接出れるバスも優位かと思います。 座って都心まで出れますし。 ふと東洋のHPを見たところ廃止理由が出ており、やはり従業員不足と出ています。
コロナを起因に八千代〜佐倉、公共交通の利便性が下がっています。 元々耐えていたものが出てきた感じですかね。 友人曰く、朝ピーク時でも東葉勝田台発車直前でも座れるのが良いことと言ってました。
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