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- 1 :kazu :2024/10/06(日) 11:19:52
- 初めまして、コメント失礼します。最近、城跡に興味
- 2 :kazu :2024/10/06(日) 11:26:09
- を持ち始めまして、城跡の図を作成してみたいなと思い、私の住んでいる近くの蔵ヶ崎城を書いてみようと思いまして、
書くに当たってどのようなことを意識しながら書いているのか教えていただきたいのですがよろしいでしょうか? - 3 :kazu :2024/10/06(日) 11:31:24
- を持ち始めまして、城跡の図を作成してみたいなと思い、私の住んでいる近くの蔵ヶ崎城を書いてみようと思いまして、
書くに当たってどのようなことを意識しながら書いているのか教えていただきたいのですがよろしいでしょうか? - 4 :余湖 :2024/10/08(火) 03:25:55
- 初めまして。
私のページの図については、もともとは縄張図を描く、ということから始まっています。
ちゃんとした縄張図ができれば、それを基にした鳥瞰図も描けます。
縄張図の描き方にはいろいろとあると思いますが、私の場合は磁石を付けたスケッチブックを持って歩測に頼って描いています。
描き慣れてくれば誰でもできることだと思いますので、とにかく数をこなして経験を積むのが大事だと思います。 - 5 :kazu :2024/10/10(木) 01:10:42
- お返事ありがとうございます。少しずつ経験を積んで、
よりよい縄張り図を書けるように精進します。
- 1 :卦位 :2024/10/04(金) 12:40:45
- 余湖様。
小説投稿者の卦位と申します。
この度将軍山城の鳥瞰図を投稿先のカクヨムの近況ノートに掲載させていただきました。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。 - 2 :余湖 :2024/10/04(金) 14:12:34
- 初めまして。
わざわざ連絡いただき、ありがとうございます。
出典元を明記してありますので、ご使用には問題ありません。
よろしければご活用ください。 - 3 :卦位 :2024/10/07(月) 12:29:53
- 小説家になろう様とアルファポリス様にも投稿しているので画像を掲載させていただきます。
よろしくお願いします。
(投稿日時は10月9日です)
- 1 :横尾保 :2024/09/08(日) 22:25:31
- 信州へ出かけて雷に追われて怖い思いをしたため、今は上州を回っております。藤岡市の真下城へ出かけて、怪我の功名で東の山から登ってみたところ、竹藪の中に横堀で迎えられ、大手虎口を越えて土橋を登って行きますと曲輪4へたどり着く発見でした。機会があれば、東ルートを上って見てください。
- 2 :余湖 :2024/09/10(火) 14:10:17
- 上州ですか、以前は横尾さんと上州の城を回っていましたね。
懐かしいです。
私も来年までは上州で活動をしています。
その成果は来年、出る予定です。
- 1 :いちご :2024/05/20(月) 11:15:17
- はじめまして。
私は福島県県南部に住む者です。
私自身が歴史が好きでいろいろと調べたり聞いたりしますが、このHPと記載が異なる、もしくは違う話を知っているので情報としてお伝えしようかなと。
①福島県矢吹町小鳥遊舘
このHPで小鳥遊舘は本当は本城舘だったのではないかと推測されている理由に三城目地区と本城舘地区の境ということをあげられていますが、それはないと思います。三城目の地区名の由来は3つの城があったことが由来で、小鳥遊舘の他に本城舘があります。またすぐには思い出しませんが、もう1つの城があり、それが地名の由来です。さらに三城目地区は元々は東山道の宿場町の可能性が高いです。ついでに地名の由来になった城以外にもあるようです。三城目地区には「城見寺」という寺も無住ながらあり、檀家もいるようです。三城目地区は幕末に棚倉藩関係の人がいたとも聞きます。詳細は不明ですが、棚倉藩に何かを売ったかしていて、その縁で家族を戊辰戦争から逃すのに三城目に連れてきたとかとは聞きます。
またあの一帯は台風19号での被害が大きく、遊水地もできるため、もし遺構があるようないわゆる埋蔵文化財でも残らない可能性はあります。
あ、小鳥遊舘だけならば地元の方が「研究者が来て、道具を使って測量していた」って言っていたのです。あそこは地元民ならば小鳥遊舘の1番上まで登ることがあるそうですが、途中までは軽トラで行けても、途中からは徒歩で30分くらいかかるそうです。あと以前に農耕地から古い陶器のかけらなどが出て多少は発掘調査をしているようです。
②福島県玉川村高御城
この城跡に住む人の多くは「溝井」という姓の人で、溝井氏というのは石川氏の家老職で、石川氏を伊達氏に渡すために三芦城で切腹しています。その子孫は福島県須賀川市、玉川村、石川町にわざと別れて住んだと言われていて、高御城に住むのも「溝井」さんなんですよ。しかも玉川村小高地区って北畷、南畷、稲荷畷とかいう地名があり、畷門が地名の由来のようです。この高御城だけに関して言えば、思うより広い範囲だったのではないかと思うくらいの構造に小高地区の一部がなっています。
私が知るのはそれくらいですが、あそこの福島県矢吹町三神地区(三城目地区を含む小学校区)と玉川村小高地区のあたりというのは、南北朝時代の言い伝えなんかもあったり、河童とやりとりした言い伝えがある家があったりと、もしかしたら地区の形成がかなり早くからされたところかもしれないというのと、きちんと調べればおもしろい地区なのかもしれないとは思います。
※私もそこらへんには仕事で行って興味があるだけで、住民ではないですが、住民には歴史が好きな人がいていろいろ教えてくれたりします。小鳥遊舘ではびっくりするくらい大きい白菜をもらい、教えてもらえました。もちろんこういう住民ばかりではないでしょうが、フレンドリーな方が多かったです。 - 5 :余湖 :2024/05/24(金) 03:19:44
- 情報ありがとうございます。
いただいた情報をもとに、ホームページの本文を少し修正してみました。 - 6 :いちご :2024/05/28(火) 15:46:28
- >>5
ホームページの変更、ありがとうございます。
先日、私が伺った当時のメモを見ていたのですが、
現在、高御城に済むのは溝井姓の人間だと書き、溝井氏についてあまり記載をしなかったのがいけなかったと思い、さらに情報を加えます。
溝井氏というのは石川氏の家老職の家系で、石川氏が伊達氏を頼り仙台に逃げる際に、三芦城で主君のために切腹した人の子孫が、その切腹した人の命で福島県石川町、玉川村、須賀川市にわざと別れて住むようになったという言い伝えがあります。
たしかに溝井姓の分布を見てみるとその3つの市町村にかなりいらっしゃる苗字で、おそらくそれは間違いがない言い伝えのようです。
このホームページで小高氏の居城であると知りましたが、もし小高氏が石川氏から派生しているとか、小高氏が石川氏の家臣団だったとかなら、もしかしたら石川氏が仙台に向かった後に溝井氏がわざとその地に残っていたわけですから、同じ石川氏の家臣団だった小高氏の土地をいただいたのかとも思いました。
もしかしたらそこらへんは地元の詳しい方とかの方がもっとよい情報があるかもしれませんが、私もまた機会があれば行ってみようと思いました。 - 7 :余湖 :2024/05/29(水) 04:17:26
- 高御城の城主を小高氏としているのは『城郭大系』で、それも確定的な言い方をしているわけではなかったので、推定と言うことなのかもしれません。
周辺に溝井姓が多いということから、溝井氏が城主であった可能性も高いと思われますが、現段階ではこちらも推定問いことになるかと思います。
城主周辺に多い姓が、城主ではなく、城主の退去後にその土地の管理を任されていた家臣の一族であったという例もあります。
いずれ、今後何かの手掛かりが出てきたら、確実なことが言えるようになるかもしれません。 - 8 :いちご :2024/08/29(木) 18:45:18
- >>7
お久しぶりです。
私、あの後に三城目地区に行くことができ、地区の方に矢吹町が発行元?みたいな遺跡についての地図を見せていただきました。
その地図ではやはり小鳥遊舘と別に本城舘が存在していて、本城舘は小鳥遊舘とあぶくま高原道路に挟まれたあたりに存在している旨の記載がありました。
そこで確認をしに行くつもりでしたが、現地は熊が出没しているようで、小鳥遊舘付近でも目撃情報があるようで地区住民に止められました。
なので実際のところは確認できませんでした。
また古舘と呼ばれる舘跡はやはり遊水地に沈む可能性があるそうで、地区の方に陣ヶ丘舘も沈む可能性を指摘されました。
また陣ヶ丘舘跡付近には旧石器時代の遺跡もあるようですが、こちらも熊が出没する上に採石をしていたようで落石とかの危険もあり近づける場所ではなかったです。
高御城についてはちょっと伝手があり、溝井氏が行き着いた経緯などは知ることができたのですが、溝井氏が住み始めたのは豊臣秀吉の奥州仕置きで溝井氏先祖が三芦城内で石川氏を仙台に逃して、その責任をとり城内で切腹し、その子孫を福島県石川町、玉川村小高字東耕地、須賀川市雨田に帰農して住まわせたことに始まるようです。
高御城は玉川村小高字東耕地が住所地ではあるようなので、そこに溝井姓の人間がたまたま住んでいても、はたまた先祖代々住んでいてもおかしくないようです。
高御城の奥に溝井さんというお宅があり、その先に少し遺構?があるようです。
ただ小高地区にはたくさん溝井姓の方がいらっしゃって、私はたまたま知り合った方が(高)御城の分家の方で教えていただきましたが、地区の方でも、さらに溝井姓の方でも本当にそこが城跡とは知らない方がほとんどでした。
ただ小高地区には畷(なわて)門が由来の住所があったり、地名は城があったことには矛盾しませんでした。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください) - 9 :いちご :2024/08/29(木) 18:45:38
- >>7
お久しぶりです。
私、あの後に三城目地区に行くことができ、地区の方に矢吹町が発行元?みたいな遺跡についての地図を見せていただきました。
その地図ではやはり小鳥遊舘と別に本城舘が存在していて、本城舘は小鳥遊舘とあぶくま高原道路に挟まれたあたりに存在している旨の記載がありました。
そこで確認をしに行くつもりでしたが、現地は熊が出没しているようで、小鳥遊舘付近でも目撃情報があるようで地区住民に止められました。
なので実際のところは確認できませんでした。
また古舘と呼ばれる舘跡はやはり遊水地に沈む可能性があるそうで、地区の方に陣ヶ丘舘も沈む可能性を指摘されました。
また陣ヶ丘舘跡付近には旧石器時代の遺跡もあるようですが、こちらも熊が出没する上に採石をしていたようで落石とかの危険もあり近づける場所ではなかったです。
高御城についてはちょっと伝手があり、溝井氏が行き着いた経緯などは知ることができたのですが、溝井氏が住み始めたのは豊臣秀吉の奥州仕置きで溝井氏先祖が三芦城内で石川氏を仙台に逃して、その責任をとり城内で切腹し、その子孫を福島県石川町、玉川村小高字東耕地、須賀川市雨田に帰農して住まわせたことに始まるようです。
高御城は玉川村小高字東耕地が住所地ではあるようなので、そこに溝井姓の人間がたまたま住んでいても、はたまた先祖代々住んでいてもおかしくないようです。
高御城の奥に溝井さんというお宅があり、その先に少し遺構?があるようです。
ただ小高地区にはたくさん溝井姓の方がいらっしゃって、私はたまたま知り合った方が(高)御城の分家の方で教えていただきましたが、地区の方でも、さらに溝井姓の方でも本当にそこが城跡とは知らない方がほとんどでした。
ただ小高地区には畷(なわて)門が由来の住所があったり、地名は城があったことには矛盾しませんでした。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください) - 10 :いちご :2024/08/29(木) 19:26:10
- >>9
すみません、先ほど二重の投稿になってしまいました。
ここまで書いて、私がこの地区を何度も再訪している理由を書いていないことに気がつき、不審者と誤解されないためにも書き加えようと思います。
私の先祖は戊辰戦争で矢吹町三城目地区に来たのではないか?と言われているためで、一時的な滞在しかしていないはずですが、この地区に私の先祖の足跡を探してきています。
先祖自体は幕府側の身分の低い武士ですが、ネットで名前が検索すると出てくるような有名な隊にいました。
先祖の足跡を辿り埼玉県行田市忍城から始まり福島県白河市小峰城、福島県棚倉町棚倉城周辺へとこの足跡巡りは始まりました。
三城目地区は元々宿場町であり、棚倉藩に馬を売っていた地区のようでなんとなく足跡が見つかるかもしれないと三城目地区のお寺などを含めて見学させていただいています。
私の先祖の足跡はたぶん見つからない気がしますが、なんとなく遺跡を巡るのが楽しくなってついつい再訪してしまいます。
三城目地区は結城氏家臣団だった方が戊辰戦争に応援に行った記録が残されていたり、かなりおもしろい地区なのです。
私はいわゆる歴史関係の大学とか卒業しているわけでなく、今は病院で奴隷のように働いている人間で福島県とは縁もゆかりないので趣味でこの再訪を繰り返しています。
また実は今、病気をしていていつまでこの再訪ができるかわからないというのも事実です。
私の先祖は戊辰戦争の傷が原因で早くに亡くなったと聞いていて、なんだか親近感がわいたのです。
まぁまだ死ぬ気はないですが、AYA世代のガン闘病はとても辛いです。
矢吹町の果てだし、福島県石川郡玉川村とのつながり大きく、何かと行政に捨てられる地区だと三城目地区の方に聞きました。
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください) - 11 :余湖 :2024/09/01(日) 03:59:25
- 詳しい解説、ありがとうございます。
- 1 :横尾保 :2024/08/13(火) 18:53:54
- 久しぶりに上州甘楽町にある天引城を訪ねました。関越ハイランドゴルフクラブの南側裾の道に登り口の案内があり、ここから登りますと、今まで見逃していた段曲輪や北曲輪など新たに見つけて、国嶺城の支城としては一級の規模の山城と再認識しました。また北尾根・南尾根にも今回初めて歩き感動しました。
- 2 :余湖 :2024/08/14(水) 06:16:53
- 天引城ですか。
この城はまだちゃんと見ていないので、涼しくなってきたら、ちょっと訪れてみたいと思います。
情報ありがとうございます。
- 1 :あきちゃん :2024/08/03(土) 10:46:23
- 地区社教で地域興しの冊子(絵本)をつくっています。
お城について、とともよくまとめられているので、一部の写真や図を
冊子にのせさせていただければと思います。宜しくお願いします。 - 2 :余湖 :2024/08/04(日) 04:46:22
- 初めまして、余湖です。
私のページの図や写真は、出典が「余湖くんのホームページ」であることを明記してあればご使用は自由です。
自分の作品であるかのように掲載するのはアウトですが、引用元がしっかり記載されていれば大丈夫です。
よろしければご活用ください。
お役に立てれば幸いです。
- 1 :横尾保 :2024/06/27(木) 23:22:55
- お久しぶりです、相変わらず信州の山城めぐりを行っております。霜台城で宮坂武男氏の縄張り図にない詰め丸を見つけましたので報告します。
山城めぐりFC2 霜台城5 - 2 :余湖 :2024/06/28(金) 03:30:48
- 横尾さん、ご無沙汰しております。お元気ですか。
相変わらず信州の山城めぐりをされていますか。
私は最近信州はあまり行っていないのですが、近年はクマが怖いですね。
霜台城に詰の丸がありましたか。
本体よりも山奥に入った所ということでしょうか。
それではまたです。
- 1 :夕湖 :2024/06/25(火) 19:36:34
- 余湖さんご無沙汰しています。千葉県から栃木県に引っ越して4年たちました。今、1300城を巡りました。余湖さん、他の方のおのお蔭です。
行っていないのは宮崎県と長崎県だけ。まだ国内は不十分ですが、韓国の倭城へ行ってみようと思います。毎日新聞旅行で申し込みましたが
最少催行人員8名に達していません。出発は10月月28日から3泊4日です。行けたらいいのですが…。余湖さんは行きましたよね。感想を聞かせてください。 - 2 :余湖 :2024/06/26(水) 03:55:54
- ご無沙汰しています。栃木にいらっしゃったのですね。栃木はなかなかいいお城が多いので、楽しい場所ですよね。
倭城ツアーなんていうのがあるんですね。知りませんでした。
私は倭城は行ったことがないので、いつか機会があったら行ってみたいです。
この日程だと残念ながら仕事の関係で行けませんが、いつかは倭城の鳥瞰図も描いてみたいですね。
- 1 :備前守長政 :2024/06/09(日) 16:04:04
- ご無沙汰しています。実は長く放置してたPCを漸く買い替え新たなアドレスも取得し、こうして又書き込み出来る様になりました。
- 2 :備前守長政 :2024/06/09(日) 16:12:01
- 今度佐渡に行こうと思うのですが、羽茂城や相川奉行所
以外でお勧めの城ありますか?教えてください。 - 3 :余湖 :2024/06/11(火) 20:21:13
- 備前守殿、ご無沙汰しております。
佐渡のお城巡りに行かれますか、時間があれば案内したいところですね。
時間のある時に私のページを見ていただければと思うのですが、それ以外には
旧新保村の新穂城、青木城(村殿の城として水堀が現在も残されています)
旧真野町の雑田城(太平記にも出てくる城で、当時の国守の居城。妙宣寺というお寺になっています)
旧畑野町の宮浦城(「久知軍記」という軍記に出てくる戦国の城で、鉄砲玉が発見されたりしています)
旧両津市の梅津城(一応公園化されていて、遺構も残っています)
旧沢田町の獅子ヶ城(遺構はほとんど残っていませんが、戦国期の本間氏の本拠地です)
同じく沢田町の五十里城(一応城址公園となっています)
級赤泊村の赤泊城(展望台が建っています)
旧小木町の小木城(本間氏が上杉景勝の来襲に備えて築いた城)
きりがないので、このくらいにしておきます。 - 4 :備前守長政 :2024/06/11(火) 23:54:30
- ありがとうございます。余湖さんの図面一覧、佐渡はかなり
内容が濃いので1件1件拝見するよりお勧め聞いた方が早い
かと思いお尋ねしました。横着してすみません。
これから図面拝見します。
実は母の介護を抱えここ2年余り城歩き出来ない中、対馬
や壱岐、五島列島(といっても下五島だけ)など島めぐり
を兼ね城を見てきました。淡路は洲本城に行ったので次は
佐渡島かなぁと漠然と思った次第。助かりました。
- 1 :タメやん :2024/06/03(月) 13:48:54
- 大分前に一回書き込みましたが、掲示板がリニューアルされていたので新規作成しました。
ttps://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=33.476798&lng=133.383117&zoom=16&dataset=kochi&age=1&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
伊乃保岐城(戸波城)から北北東約3kmで、今昔マップだけに記載されていて、城名等検索しても分からなかった。
向かって東の城跡は、グーグルマップの「岩戸一本桜」への小路から墓場の参道終点に進み、すぐ上の稜線に上ったらすぐに着いた。
中央の小高い所のすぐ北にボロボロの城八幡と思われるものがあった。(他に小さいフタ付き土管)
帰路は北の尾根から下った。
向かって右の城跡は、北西の小路から墓道になり、墓(すぐ下に小祠)で道が途切れたので尾根を西に進んだ。(途中にTVアンテナあり)
ttps://maps.gsi.go.jp/#18/33.477211/133.386215/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m
ここには何も無かったので北の尾根から降りようとしたが厳しいと見て段々畑状の竹林を南西に進むと小径のある尾根にたどり着いた。
すぐに下らずに一旦上に上がってみると、コルの横の小高い所に小祠が2つと「弘法大師」と彫られた5cm角の石柱が立っていた。
ttps://maps.gsi.go.jp/#18/33.477057/133.384764/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1&d=m
尾根の小径を下って行くと民家が見え出した辺りで急に藪になり道が無くなったが、もう少しで下りれるし戻るのもめんどくさいのでそのまま強行突破して下りた。