- 1 :名無しさん :2020/02/20(木) 15:58:43
- 業界事情は知らない。「出版不況だ」という話は伝え聞く。
けれど実際どうなのか、知らない。中のことも業界全般の ことも知らない。憶測や想像するばかりだ。 けれど、いち読者として「目の前にあるもの」は分かる。 目の前に差し出される、売り物としてある書物は読むことが 出来る。そしてその本という商品を通じて出版社を 評価することは出来る。エビデンスというのか論拠は 出している本そのものだ。
- 2 :名無しさん :2020/02/20(木) 16:28:37
- 老舗というのか古くからある出版社のうち、大きいところは
安泰らしい。古くからの方法論で本を作っているらしい。 老舗なら小さいところも先取の気概を持たず守旧に徹するようだ。 とりわけ販路が限られる、大学の講義あたりで使われるような 本を専業で出しているところはなおのことのようだ。 一方で、新しい出版社は新しいことをする。市場原理を思えば 至当だ。ニッチな市場を開拓していくよりない。競合するにしても 同じことをしていては割って入って行けるはずがない。
と振ってから。
USAで出され邦訳された一般向けの群論に関係する書物を愉しく 読んだ。では、かのロシア生まれでUSAでお仕事中の彼の説明を 理解しようかと群論の本を探す。私は残念ながら大学の教育を 受けていない。大学生なら教養学部時代に基礎して習っているで あろう群論を社会人が学ぶとなるとこれがけっこう難儀である。 大学生向テキストを探す。これが、なんと、驚いたことに、 pdfでもkindole形式でも、あるいは本邦の電子書籍レイアウト群でも 出版されてはいなかった。これは数年前のことなので現時点では 事情が変わっているかもしれない。当時の私は、通販で、群論の テキストを購入し送り届けてもらった。薄い群論の本一冊では 申し訳ないので環論や大学数学初学者用など数学関係のテキストも 一緒に買った。 学生の数が売れる数。単価掛ける学生数が売り上げだ、みたいな 世界だと旧来のやりかたを変えようとは思いつきもしないのだろう。
新進気鋭で「攻めている」出版社は、まあことさら書かなくても いいか。新しい出版社であっても、時が経てばいずれ古参の仲間入り。 「つまらない」本をお約束で編纂して売るようになってしまうの だろうかと思うとゲンナリする。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 3 :名無しさん :2020/03/03(火) 12:17:53
- 電波を使う放送に比べ、あるいは日刊の新聞に比べ、出版は新参が
入って行きやすい土壌があるらしい。私はパソコン関係の技術屋 なのでその手の技術技巧ハウツーがらみで書物に触れる機会が多い。 さらには娯楽として漫画とかにも触れる。新書ものも好きで本屋の 棚にあれば目を止めることの多い人間だ。もちろん平積みされたら いやがおうもなく(本屋に赴く限りは)目に入らないことは ありえない。 ちょっと前の社会でも出版は入って行きやすい面があったらしい。 たとえば『死霊(旧字が出ない)』。ビラのためだけれど活字を 拾う場面が出てくる。鉛の活字なんてもうなんだか大昔の話みたいな 気になってしまうけれども、昭和の、どころか平成に割り込んで おそらく大手の日刊新聞だって「活字を拾」って日々の新聞を刷って いた、と思う。昭和の高度経済成長くらいで終わったのだろうか。 詳細は調べていないので定かでないけれど、電植が広まるためには 電植そのものが存在しなければならない。日本語ワープロを経て 入稿さえも電気信号の集合体でなされるご時世になった。書き言葉 読み言葉の垣根さえなければ「世界中のどこにでも」平坦に交流 できてしまう。言葉の垣根は、いまや出版という生業を担保する ひとつの有力な「力」なのでしょう。言葉は土着の「生きてある 様子だ。文化とか文明とか価値観だとかいろいろと言えるけれども 生きて在るための方便として、ここにあるってだけのことだ。だから 必要があれば世界中がひとつの言語仕様に統一されてしまうような 可能性がゼロとは言えない。つまるところ言語を担う人々の 「在り方」に寄り添うよりないのだから。その中で失われていく 徳目や視点や価値観があるとしても、それらは担う人が担うのを やめるというのだから「しゃーなしだな」ってことだ。生きた言葉を 使うより他は生活を日々時々刻々とやっつけていけはしないから。 どれだけ高尚なことを語るとしても、足元は切れば血が出る世の中 大勢の人々の抜き差しならない暮らしという、ある種どろどろと しているかもしれない理屈の手前の「用を済ます」方便の世界が (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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