したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

出版社

3名無しさん:2020/03/03(火) 12:17:53
電波を使う放送に比べ、あるいは日刊の新聞に比べ、出版は新参が
入って行きやすい土壌があるらしい。私はパソコン関係の技術屋
なのでその手の技術技巧ハウツーがらみで書物に触れる機会が多い。
さらには娯楽として漫画とかにも触れる。新書ものも好きで本屋の
棚にあれば目を止めることの多い人間だ。もちろん平積みされたら
いやがおうもなく(本屋に赴く限りは)目に入らないことは
ありえない。
 ちょっと前の社会でも出版は入って行きやすい面があったらしい。
たとえば『死霊(旧字が出ない)』。ビラのためだけれど活字を
拾う場面が出てくる。鉛の活字なんてもうなんだか大昔の話みたいな
気になってしまうけれども、昭和の、どころか平成に割り込んで
おそらく大手の日刊新聞だって「活字を拾」って日々の新聞を刷って
いた、と思う。昭和の高度経済成長くらいで終わったのだろうか。
詳細は調べていないので定かでないけれど、電植が広まるためには
電植そのものが存在しなければならない。日本語ワープロを経て
入稿さえも電気信号の集合体でなされるご時世になった。書き言葉
読み言葉の垣根さえなければ「世界中のどこにでも」平坦に交流
できてしまう。言葉の垣根は、いまや出版という生業を担保する
ひとつの有力な「力」なのでしょう。言葉は土着の「生きてある
様子だ。文化とか文明とか価値観だとかいろいろと言えるけれども
生きて在るための方便として、ここにあるってだけのことだ。だから
必要があれば世界中がひとつの言語仕様に統一されてしまうような
可能性がゼロとは言えない。つまるところ言語を担う人々の
「在り方」に寄り添うよりないのだから。その中で失われていく
徳目や視点や価値観があるとしても、それらは担う人が担うのを
やめるというのだから「しゃーなしだな」ってことだ。生きた言葉を
使うより他は生活を日々時々刻々とやっつけていけはしないから。
 どれだけ高尚なことを語るとしても、足元は切れば血が出る世の中
大勢の人々の抜き差しならない暮らしという、ある種どろどろと
しているかもしれない理屈の手前の「用を済ます」方便の世界が
ある。足元は泥に浸かっているという見方をする人もあろう。活力
ある生命力を見出す人もあろう。

 出版という新規参入しやすい「今の」商売の話から遠く未来を
見透かすようなところへ筆が滑ってしまった。
 「言葉」で商いをするのであれば、遠い過去と遠い未来とを
意識することに「今」の「足元」をみていただきたい。いやまあ
そんなこと、言葉に携わっていたら「オマエに言われるまでもない」と
言われてしまうだろうか。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板