- 1 :名無しさん :2021/02/25(木) 21:28:59
- 弟子じゃなくてもOK
一緒に雑談するスレです
- 565 :562 :2026/02/10(火) 19:42:21
- 564さんが伝えてくださったように、瞑想や坐法だけでなく、日常生活や戒律を守ることも修行によるお布施になります
これは修行の供養という方法で、師匠の教えを強い意志をもって行うことですね 師の教えはどんな些細なことであっても守ると決意して実践する 人によって修行法は様々ですね
有名なのはお釈迦様の弟子である周利槃特(チューラパンタカ)、彼は過去世の業により大変物覚えが悪く、自分の名前すら忘れてしまうような人物でした そんな彼にお釈迦様は「塵を払わん、垢を除かん」と念じて掃除するように言いました(掃除、布磨きなど諸説あり) 彼は一心に唱えながら掃除を続けました 周りの者からどんなに馬鹿にされても、ただひたすらに一つの教えを実践しました そしてある日「塵と垢は物質的な汚れではなく、心の穢れなのだ」と智慧が生じ、大変優れた弟子になったといいます
- 566 :562 :2026/02/10(火) 19:43:05
- 周利槃特のように、瞑想や呼吸法は全く教わらず、ただひたすらに師の教えだけを実践して修行が進むお話は、数多く存在します
師の教えや振る舞いは、時に不可解なことがありますが、本物の師が弟子に与える教えは、その弟子の業や性質を見極めて与えるものなのです
どんなに小さな教えや忠告でも、師が弟子に与えた素晴らしい導きだと信じ進むこと それにより修行が進み、素晴らしい修行の供養となります
- 567 :名無しさん :2026/02/11(水) 06:02:32
- 大変勉強になります。
貴重な法話をありがとうございます。
- 568 :562 :2026/02/13(金) 18:00:55
- 日常生活の中では、目の前に現れた相手や出来事を、師や神(如来や菩薩)だと思うことで修行が進みやすくなります
例えば相手が自分を怒らせるような態度をとるならば、自分の中に怒りや嫌悪や憎しみの業があり、その悪業を打ち砕くチャンスを、師や神が姿を変えて与えてくださっているのです
この修行法は、聖者やバクティに関するお話で数多く登場します 目の前のどんな人物も出来事も、全て師の現れであり、弟子の業や穢れやこの世の偏った見方などを別の形で現してくれるのです ですからもし嫌なことや苦しいことが起こった時は、自分にはそのような業や苦しみがあるのだと知り、自分と師を信じて乗り越えることで大変善き修行となります
- 569 :名無しさん :2026/03/05(木) 06:09:58
- >>568
「全ての人を師匠と思え」という言葉はチベット仏教の本で読んだけど…ずっと疑問だった。 だって、強盗や強姦をするような極悪人にも、弟子入りしたつもりにならないといけないの?って。
でもひょっとして…今まで意味を勘違いしてた…?
悪人を含めた全ての人に弟子入りしたつもりになるのは間違いで。 正解は、「悪人を相手にした時も、師匠が姿を化けて悪人に成り済まして試練を与えに来てるのだと思え!」ということ??
- 570 :562 :2026/03/05(木) 19:33:45
- まずは縁に関するお話をしますね
自分の前に現れる全ての出来事は、因と縁と果があります この三つはよく植物の話に喩えられます 種(因)があり、種をまいて条件(縁、水やり肥料や日光)を満たすことで、ようやく花(果)となります 種を持っていて、育つ条件を満たすと、花となる 私たちの業(カルマ)は、このように全ての条件が揃うことで現れます 普通は悪業を増やし続け、死んだ後は三悪趣(餓鬼、畜生、地獄)に落ちると言われています
もしもあなたの目の前に、極悪人が現れたとしますね あなたにとっては最悪で、場合によっては傷つけられるかもしれない それは自分の中にそのような業(因縁果)があったから生じたもの 今までの人生や過去生で人を傷つけ苦しめた、恨み憎んだなどの業が極悪人の姿となって現れたに過ぎないのです 「なんてひどい人だろう!相手も同じように苦しめばいい」と考えるのではなく 「私の業を師が現してくださった、この痛みは自分の悪業を燃やしてくれるだろう 極悪人の苦しみが消え去るように 貴き師の導きに感謝します」 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
- 571 :562 :2026/03/05(木) 19:37:08
- チベット仏教では、師の現れ方について「ティローパに弟子入りするナーローパの話」が有名ですね
ナーローパはとても有名な仏教学者でしたが、ある日目の前に老婆が現れて 「おまえは本当にその教えについて理解しているのか?」と問われます 教えの本当の意味を理解できていないと感じたナーローパは、今までの地位を捨て、師匠を探す旅に出ます 彼の行く先々で、奇怪な行動をする人々と出会い、その度に彼の中にあった捉われや執着が打ち砕かれていきます 道中で出会う人全てが、彼の探した師であるティローパで、姿を変えてナーローパの前に現れ教えを与えていたのです
他にはインドだとクリシュナのリーラーといって、全ての現象は神の遊戯だと表現されます 全てはクリシュナが起こすもの、善悪はなく、ただひたすらに帰依し一体となって歓喜することをバクティといいますね
私たちは三次元という物質世界に捉われ、あらゆることに苦しみを抱きます ですがもっと上の世界、神の視点から私たちの魂を見ると、全ての魂は一つで同じなのです 魂を知る修行者は、相手と自分が同じ存在だと知っているから、相手の苦しみを自分の苦しみと同じように感じて菩提心が生じるのです 本来全ての魂は輝き清浄、今は曇っているだけで、善悪などありはしないのです
(省略されました・・全てを読むにはここを押してください)
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