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鬼和尚の仏教講読会 別館2

507鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/24(月) 23:57:31 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

曹洞宗の悪見を論破するのじゃ。

曹洞宗は今時無分別を説くのじゃ。
臨済宗の現成受用とははるかに別なのじゃ。
民間の老爺や名も無き庶民の素朴な心こそ真の禅家の風なのじゃ。
そのように曹洞宗と臨済宗の現成受用は別なのじゃ。

508避難民のマジレスさん:2021/05/25(火) 01:02:20 ID:j6e/U5/Q0
くま訳改
第三句:民間の老爺や名も無き庶民の素朴な心こそ真の禅家の風なのだ。

418
靈山徹應和尚百年忌 1/2 霊ぜん徹應和尚百年忌 
僧運酬恩妙勝薪 僧は運んで恩に酬ゆ妙勝のしん
靈山昔日涅槃辰 靈山昔日涅槃のとき
二千四百年前境 二千四百年ぜんのきゃう
梅雨流紅五月春 ばい雨こうを流すごげつの春

くま訳
僧一休が薪の妙勝寺へ行って、師から受けた恩に酬いるのである。
霊山徳禅寺を建立した徹翁義亨が昔、涅槃堂にあって死を迎えようとしていたとき、
二千四百年前、釈迦が死を前にしていた頃のような様子であったでありましょう。
春五月だというのに、梅雨に流される真紅の紅葉のような血の涙を流して悲しんだでありましょう。

*霊山:大徳寺境内の南東に、塔頭・徳禅寺がある。かつて、大徳寺とは独立した禅寺だった。霊山徳禅寺
 とも称される。山号は霊山(りょうせん)という。
*徹翁義亨(てっとう(てつおう) ぎこう)1295‐1369、五山の禅風にあきたらず,宗峰妙超(しゆうほうみ
 ようちよう)(大灯国師)の門に入り,その法を継いだ。妙超が大徳寺を開くとこれに随い,妙超没後の
 1338年より大徳寺2世として入寺し,別に寺前に徳禅寺を建立した。
 一休さん、1468 75歳 霊山徹翁100年忌を、酬恩庵にて営む。
*妙勝寺:大應国師(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後禅の道場を建てたのが始めである。 
 元弘の戦火にかかり復興もならずにいたものを、六代の法孫に当たる一休禅師が1455〜6年、宗祖の遺風
 を慕って堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名した。禅師はここで後半の生涯を送り八
 十一歳で大徳寺住職となった時もこの寺から通われたのであり、1481年八十八歳の高齢を以って当寺に
 おいて示寂され遺骨は当所に葬られたのである。このように禅師が晩年を過ごされたことにより「一休
 寺」の通称が知られるに至ったのである。
*薪(たきぎ)京田辺市薪
(´・(ェ)・`)つ

509鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/25(火) 22:51:50 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

霊山和尚の百年忌だというのじゃ。

僧一休は薪の妙勝寺に足を運んで祖師の恩に報いるのじゃ。
霊山が昔日の涅槃の時は
二千四百年前のお釈迦様の涅槃と同じ境地であつたじゃろう。
梅雨が五月の赤い花を流す春じゃった。

510避難民のマジレスさん:2021/05/25(火) 23:29:12 ID:AAHC8BY.0
くま訳改
第四句:梅雨が五月の赤い花を流す春であったのだ。

419
霊山徹應和尚百年忌 2/2
癩兒牽伴出人前 癩児伴をひいてじん前にいづ
魔魅人家常説禪 じん家を魔魅して常に禪を説く
龍寶封彊幸滅卻 龍寶の封きゃう幸に滅却す
靈山記莂瞎驢邊 靈ぜんの記別かつろへん

くま訳
癩児がお供を引き連れて人前に出る
一般大衆をたぶらかして禅を説く
幸いなことに、臨済禅の真の伝承の境は既に閉じられているのだ。
霊山徹應和尚がこの瞎驢邊、すなわち一休の承伝を予言してるのである。

*魔魅:人をたぶらかす魔物。また、邪悪な人のたとえ。
*封境・封疆:くにざかい。国境。
*鈴木真弓先生ブログより抜粋
 臨済義玄は、亡くなるとき、“自分の精神を絶やしてはならぬ”と言い、それを聞いた弟子の三聖和尚が 
 「安心してください、自分が継ぎます!」と言って師匠お得意の“一喝”を真似た。それを見た臨済は 
 「お前のような瞎驢(かつろ=盲目のロバ)によってわが法は滅却した」と歎いて亡くなったそうです。 
 ・・・一休さんは「自分こそ瞎驢だ!滅法だ!」と宣言。自分の師匠からもらった印可(悟りを得た証明
 書)を破り捨ててしまいました。・・・禅とは、原理原則を示した聖典があって、師匠がそれを代々受け
 継いで、弟子に順を追って習得させ、お墨付きや資格証明を与える・・・という宗教ではないんじゃない 
 かと思います。己の内にある仏性を己の力で磨き上げていく自律の宗教だろうと。一休さんはその本質を
 とらえ、形式的な嗣法を否定したのではないでしょうか。
*記莂:仏が弟子の未来成仏を明らかにすること。記は仏が未来世の弟子の仏果を予言し成仏を記すること、
 別は具体的に弟子の未来世の成仏の時・国土・仏名などを分別することをいう。仏が弟子に記別を授ける 
 ことを授記と呼ぶ。
*瞎驢邊:盲目のロバ、愚か者、臨済の最後の言葉、一休さんのペンネームの一つ。
(´・(ェ)・`)つ

511鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/26(水) 22:24:22 ID:1d4drIFg0
ほぼそんな感じじゃな。

癩兒が伴をつれて人前に出るのじゃ。
魔魅は人家で常に法を説くのじゃ。
幸いに龍の宝ともいえる法の伝統は境界が滅しているのじゃ。
霊山の記すとおりに驢馬の名を持つわしに伝わっているのじゃ。

512避難民のマジレスさん:2021/05/26(水) 23:52:58 ID:jPv4kKCg0
くま質問
「法の伝統は境界が滅している」とは正法がすでに一休により受け継がれてるので、邪師が邪法をいくら説
いても、問題ない、みたいな意味でありましょうか?

420
自然外道 1/2  自ねん外道 
大道廢時人道立 大道廃る時人道立つ
離出智慧義深入 智慧を離出して義深く入る
管絃歌吹人倫能 管絃歌吹人倫の能
風雨世間之音律 風雨は世間の音律

くま訳
自然外道 1/2
大いなる道が廃れた時に、人道が確立する
智慧を離れれば正しい道に深く入ることが出来る
音楽や歌は、人倫の為に役立つ
風雨等の自然の音は、世間の音律である。

*自然外道:「あらゆる存在(一切法、一切万物)は因縁によらないで自然に有る」(岩波仏教辞典)とする説 
 を唱える人を云う。
*義:条理。正しい道。道理にかなったこと。人道に従うこと

「老子(老子道徳経)」の一節『大道廃有仁義』
大道廃有仁義 大道廃れて仁義有り
智慧出有大偽 智慧出でて大偽有り
六親不和有孝慈 りくしん和せずして孝慈有り
国家昏乱有忠臣 国家昏乱して忠臣有り

走るメロス先生訳
(無為自然の)大いなる道が廃れたので、仁義(の概念)が生まれた。
(悪)知恵を持った者(儒者)が現れたので、人的な秩序や制度が生まれた。
親兄弟や夫婦の仲が悪くなると、孝行者(の存在)が目立つようになる。
国家が乱れてくると、忠臣(の存在)が目立つようになる。
(´・(ェ)・`)つ

513鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/27(木) 21:49:01 ID:1d4drIFg0
↑そういうことじゃな。
一休が既に真の法を継いでいるのじゃ。

514鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/27(木) 21:52:08 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

大道が廃れて人の道が出来たのじゃ。
知恵を離れれば法の正しい意味が深く知れるのじゃ。
管弦の笛や琴や歌は人の能くするところじゃ。
しかし自然の風雨はこの世の音律なのじゃ。

515避難民のマジレスさん:2021/05/28(金) 00:07:04 ID:kOUpZu5E0
鬼和尚、いつも、ありがとうであります。
くま訳改
第三句:管弦の笛や琴や歌は人の能くするところであるが、
第四句:しかし、自然の風雨はこの世の音律なのじゃ。
(´・(ェ)・`)つ
大道とは、仏道のことでありましょうか?その仏道とされるものすらも、むしろ廃れてしまったほうがよく、人為的なものよりも、自然のありのままがよいと、一休さんは言いてるようでありますね。

421
自然外道 2/2
聰明外道本無知 聡明の外道もと無知
精進道心期幾時 精進道心幾時をか期せん  
天然無釋迦彌勒 天然釋迦彌勒無し
萬巻書經一首詩 萬巻の書経一首の詩

くま訳
聡明そうに装っても、外道は無知なのである
一心に仏道修行していずれの日にか仏道を窮めたいという心が大切なのである。
天然の釋迦や彌勒などいないのである。
萬巻の仏教書や經も一首の詩と変わらないのである。

*精進:雑念を去り一心に仏道修行すること。
*道心:菩提(ぼだい)を求める心。仏道を信奉する心。

516鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/28(金) 23:05:46 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃろう。
老子の言葉を写してありのままの自然を道とすることを説いたのじゃな。

517鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/28(金) 23:12:24 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

聡明な外道は実は無知といえるのじゃ。
正しい道に志して精進すればいつかは悟りも得られるのじゃ。
天然には釈迦や弥勒も居ないのじゃ。
万巻の書物も一首の詩に等しいのじゃ。

518避難民のマジレスさん:2021/05/28(金) 23:59:48 ID:.L624uJ20
422
黄檗禮佛    黄檗佛をらいす
麄行沙門鬼眼開 そぎゃうの沙門鬼眼を開く
身長七尺甚奇哉 身長しち尺はなはだ奇なるかな
不知何處見黄檗 知らずいずれのところにか黄檗を見ん
立法商君破法來 法を立つる商君法を破り来たる

くま訳
黄檗は何故佛を礼拝するのかと、後の皇帝、宣宗は質問した 
その皇帝宣宗より麁行沙門(荒々しい沙門)の名を送られた黄檗が、鬼の様に鋭い眼を開く。
身長2メートル超で、甚だ奇怪な容貌。
その黄檗の仏法を今やどこに見ることができるであろうか、
商鞅は、自ら作った法を破り、沒したのである。

*黄檗希運(おうばく きうん)
 宗派 洪州宗
 生年不詳 -850年)唐代の禅僧
 百丈懐海(749年 – 814年)の法嗣
 髪塔を広業塔といった。
 宰相の裴休(797年 - 870年)に尊崇された。
 弟子に、臨済義玄らがいる
*麄行・麁行:荒々しい
 麁行は黄檗禅師の異称。黄檗が塩官斉安の会下で首座となっていた折、仏に礼拝する黄檗に、塩官のもと 
 に寄宿していた宣宗(唐朝十九代皇帝)が、礼拝して何を求めるのかと尋ねたところ、黄檗に三度打たれ 
 たという。これにより宣宗は即位の後、黄檗に麁行沙門の名を贈った
*宣宗(唐朝十九代皇帝):https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>962
*商君書:戦国時代の政治家で,法家の祖の一人,商鞅 (しょうおう) の著・土地の開墾と戦功をあげるこ
 とを国策の主眼とし,労働力増加のため貴族の特権を抑制し,分家を奨励し,耕作者に耕地を解放し,諸
 子遊説の策謀を禁じ,学問,文学を排し,商業を押え,また厳罰主義をとり,隣保の連座制をしき,税制,
 度量衡の統一を説き,酷薄な国家統治の典型を示している。
 商鞅は、法家思想を基に秦の国政改革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は 
 周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵するも敗れ、法の為に車裂の刑に処せられて死んだ。
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/  >>128
(´・(ェ)・`)つ

519鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/29(土) 22:44:35 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

粗暴な沙門が鬼のような眼を開くのじゃ。
身長七尺とてつもなく奇怪なのじゃ。
そのような黄檗をどこで見られるじゃろう。
法を作った商君でさえ自分で法を破りさったというのにのう。

520避難民のマジレスさん:2021/05/29(土) 23:17:09 ID:mj61COcs0
くま質問
仏法は、仏法であるから価値があるのではなく、悟りを求める人ごとに、その人が悟りを得る為の方法をと
して、それを実践するときに、価値が生れるのだということでありましょうか

423
徳政
賊元來不打家貧 賊は元來家の貧しきを打せず
孤獨財非萬國珍 孤獨の財萬國の珍にあらず
信道禍元福所復 いふことを信ず禍は元福の復する所
青銅十萬失靈神 青銅十萬靈神を失す

くま訳
盗賊は元来貧しい家を打ちのめしたりはしないのである。
孤独であることが宝であると言うことはどこの国においても珍しいことではない。
世間で言われてる所を信じれば、禍は元、幸福だったのがひっくり返っただけである。
青銅十万で霊神を売ってしまうこともあるかもしれぬのである。

徳政令:1428年、一休さん35歳、風狂な生活を送っていた頃、幕府や五山の腐敗に怒った近江の庶民た
ちが徳政(借金棒引き)を求めて暴動を起こした(正長の土一揆)。暴動は瞬く間に畿内各国へ拡大、手の
施しようがなくなってしまった。これにより、畿内各国の守護や大寺社は、庶民の要求をのんで徳政令を発
令した。
(´・(ェ)・`)つ

521鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/30(日) 22:15:18 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃな。
 悟りを求めない者には黄檗もただの恐ろしげなおっさんに過ぎないということじゃな。

522鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/05/30(日) 22:23:38 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

賊はもともと貧しい家を襲わないのじゃ。
孤独の財は万国に珍しくは無いのじゃ。
悟りの道を信じれば禍は元元福が帰ってくるところと知れるのじゃ。
銭が十万もあれば正気を失うこともあるからのう。

523避難民のマジレスさん:2021/05/30(日) 22:52:48 ID:qzveYPbg0
くま訳改
第四句:銭が十万もあれば正気を失うこともあるからのだ。

424
應無所住而生其心 応無所住にしょうご心
祖師禪不是如來 祖師禅は是れ如来にあらず、
接物利生尤苦哉 接もつ利しょう、もっとも苦なるかな。
明歴歴金剛正體 明歴歴金剛の正体
百花春到爲誰開 百花春到ってたがために開く

くま訳
應無所住而生其心(何ものにも囚われることなく、無心で、新鮮な意識。)「金剛經」
祖師禪は、如來禅ではないのである。
衆生を導き済度するのは、苦労が多いのである。
極めて明らかなのである、金剛経の云わんとしている事は、
春になると花が一斉に咲くのは、誰のためにというわけではない。無心に咲くのだよ、と云う事である。

*應無所住而生其心:原典・金剛経/山田無文解説抜粋(禅文化研究所)
 心が無である、「応無所住」、どこにも住しない、心が空っぽであって、その時に面白いと言うて笑い、 
 悲しいと言うて泣いたら、それがそのまま仏心でなければならない。心に裏づけのない斬新な心が仏の心 
 でなければならんのであります。そういう新しさというものが私どもの心にいつもなければならん。意識 
 がいつも新しくなければならん。・・・心の中に魂胆がない。そういう無邪気な、無心な心、いつも新鮮 
 な意識で生活できることが仏心というものでなければならぬはずであります。 
 六祖慧能は、出家する前に、街でたまたま、この一節を聞いて大悟したそうである。
*祖師禅:祖師達磨の流れをくむ禅。教外別伝・不立文字を主張し、言語や文字によらず、直接師から弟子
 へ以心伝心で悟りが伝えられることを説く。南宗禅。
 如来禅:如来の教えに従い、自心は本来清浄であることを悟る禅法。もとは楞伽経(りょうがきょう)に説 
 くが、祖師禅が起こってからは、それよりも低次のものとされた。
 (菩提達磨が伝えた禅。中国,唐代の華厳宗の僧,宗密が称したのに始る。これに対して批判が起り,教
  外別伝を唱える人々は,菩提達磨の禅を祖師禅と称し,宗密のものを如来禅と風刺的に称した。・・昔 
  から、もめていたらしいのである。) 
*接物利生:衆生済度、待機説法。
(´・(ェ)・`)つ

524鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/01(火) 00:05:38 ID:1d4drIFg0
住するところ無きに応じて心を生ずるのじゃ。

祖師禅は如来ではないのじゃ。
物に接し、衆生を利することが苦を生むのじゃ。
それに気付けば金剛経の意味も明白なのじゃ。
春になれば百花が開くのは誰のためでもないが衆生を喜ばせるようにのう。

525避難民のマジレスさん:2021/06/01(火) 00:22:07 ID:yvir9WOQ0
くま訳改
第二句:物に接し、衆生を利することが苦を生むのである。
第三句:それに気付けば金剛経の意味も明白なのだ。
第四句:春になれば百花が開くのは誰のためでもないが衆生を喜ばせるように。

425
美人陰有水仙花香 美人の陰、水仙花の香有り
楚台應望更應攀 楚台まさに望むべし更にまさによづべし  
半夜玉床愁夢間 半夜玉床愁夢のあひだ  
花綻一茎梅樹下 花はほころぶ一けい梅樹のもと 
凌波仙子遶腰間 りょうはの仙子ようかんをめぐる  

富士正晴先生訳
女体視るべし のぼるべし
夜半のベッド 人恋し気な顔がある
花はほころぶ一茎 梅樹の下に
水仙は腰の間をめぐるなり

柳田聖山先生訳
楚王が遊んだ楼台を拝んで、今やそこに登ろうとするのは、 
人の音せぬ夜の刻、夫婦のベッドの悲しい夢であった。  
たった一つだけ、梅の枝の夢がふくらんだかと思うと、  
波をさらえる仙女とよばれる、水仙の香が腰のあたりに溢れる

くま訳
遊里の楼台を見上げて、今まさに登ろうとしているとき、
深夜、ひと時の逢瀬に心締め付けられるような切ない思いでいるとき
花ほころぶ一枝の梅樹の下で
軽やかな美人に、の香が腰の辺りに漂う

*凌波仙子(りょうはの仙子):中国語辞典・水 仙 の花 ;足 取りの軽 い美人 の喩え
(´・(ェ)・`)つ

526鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/01(火) 21:50:14 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

楚台は正に望み、登るべきものじゃ。
半夜の玉床は愁夢の間の喜びなのじゃ。
花は梅ノ木の下の一茎に綻ぶのじゃ。
仙子の凌波は腰間を巡るのじゃ。

527避難民のマジレスさん:2021/06/01(火) 23:16:37 ID:enr795LI0
426
賛兜率悦禪師  兜率悦禪師を賛す
素老天生薄福徒 素老は天生薄福の徒
佛魔公案的傳無 佛魔公案的傳無し
鬱襟忽發烈史筆 うつきんたちまち発す烈史の筆
永辱楊雄莽大夫 永くはずやうゆうまうが大夫

くま訳
兜率寺の従悦禪師を讃える。
わしは天生幸が薄いのである。
仏も魔も投げ棄てろという公案を師から直伝されて無いのである。
そんな憂鬱な気分を忽ち晴らしてくれる、勢いのある文章の書き手である。
楊雄は王莽の大夫であったことを永く恥じたのである。自分の本性を究明して気付くことができずに生きる
ことは、王莽の本性を知らずに、その大夫であるようなものである。

*兜率の三関(無門関第47則)
 「兜率悦和尚、三関を設けて学者に問う。
  一. 撥草参玄はただ見性を図る。即今、上人の性、いずれの処にか在る。
  二. 自性を識得すれば、まさに生死を脱す。眼光落つる時、そもさんか脱せん。
  三. 生死を脱得すれば、すなわち去処を知る。四大分離して、いずれの処に向かってか去る。」
*仏魔:「仏」を貴い絶対的なものとして求めれば、それが自分を束縛する魔に変化するという意味。
*的伝:師から直接に伝授を受けること。正統から正統に伝えること。直伝
*襟(きん):胸のうち。心。 要害の地。「襟帯」
*烈:1.はげしい。ひどい。きびしい。2.火の勢いが強くてはげしい。
*史:1.できごとを書きしるした書。時勢の変遷・発達の過程の記録。またその過程。2.できごとを書きし 
 るす役人。書き役。ふびと。文章にたずさわる人。
*揚 雄(よう ゆう、紀元前53年-18年):前漢時代末期の文人、学者。
 揚雄は年少の頃から学問を好み、人と論争するのは得意ではなく、黙って思惑に耽ることを好んだ。また 
 富谷や名声を求めようとしなかった。・・貧しかったが、安らかで落ち着いており、度量が大きかった。
 30歳を過ぎたときはじめて都の京師に上るが、彼の文学の才能を推薦する者がおり、これが認められて 
 待詔(皇帝の下問に答える者)となった。・・成帝の勅許を得て3年間勉学のために休職すると、その成
 果を踏まえ辞賦作家としての名声をほしいままにした。
 揚雄63歳のときのことである。漢の高祖の廟から王莽を天子に指名する符(ふだ)が出たと称して帝位
 についた王莽は、以後はその符の神秘性・高貴さを保持するため、新たに符命を称することを禁じた。し
 かし、これに違反して劉歆の子の劉棻らが改めて符を莽に献上してしまったことから、莽は激怒、関係者
 の処罰に乗り出した。
 劉棻は揚雄の門人で、以前符の書式について棻に助言したことがあるなどの経緯から、司直の手を逃れら
 れぬと感じた揚雄は、思い余った末に天禄閣の上から投身自殺を図る。揚雄と顔見知りの間柄であった王
 莽は事を荒立てるつもりはなかったが、揚雄の一人合点で大事に至った。・・自殺未遂に終わったことも
 手伝って、都中に知れ渡るところとなった。この後、揚雄は8年ほど生き長らえた。享年71。

*王 莽(おう もう、前45-23年)は、新朝の皇帝。
 前漢の元帝の皇后の王政君(孝元皇后)の甥。・・14歳で死去した平帝の後継として僅か2歳の劉嬰を立 
 てるも皇帝ではなく皇太子とし、「符命」(一種の予言書にあたるもの)に基づいて自らが摂政として皇 
 帝の業務を代行することとした。そして自らの呼称を「仮皇帝」・「摂皇帝」としてほぼ皇帝と同格の扱 
 いとし、居摂と改元、周公旦の故事に倣って朝政の万機を執り行った。
 王莽の治世においては労役負担と税負担共に重く、貨幣制度や経済政策は現実離れし、また余りにも異常 
 な政策が実行された。
 天に救いを求めるために、泣き声の悲哀な者を郎(官僚)に取り立てた。このため、郎の数だけで5000 
 人に達したと言う。
(´・(ェ)・`)つ

528避難民のマジレスさん:2021/06/01(火) 23:25:34 ID:enr795LI0
おまけ
*兜率の三関(無門関第47則)・兜率寺の従悦和尚の3つの関門 服部潤承先生解説抜粋
兜率寺の従悦和尚(1044〜1091)は、人並みはずれた禅僧で、その力量を慕って、大勢の修行者がやって来
ました。
 そこで、従悦和尚は誰にでも同じ3つの質問をして、修行者の実力を量りました。
 まず第1の関門です。
 草をかき分け、参禅勉道の旅をするのは、ただ見性することが目的であります。今、あなたの本性はどこ
にあるのか。さあ、答えてみよ。というのです。
 見性とは、自分の本性に気づくことでありますし、自己の本性とは、「衆生本来仏なり」と言う、本来自
分にそなわっている仏性のことであります。
 臨済宗祖の臨済義玄禅師は、「赤肉団上に一無位の真人有り。」とあり、「自性とも、自分の本性とも、
一無位の真人とも、仏性とも言う真実の自己が生身の体に宿っている。」とおっしゃっています。
 とんちで有名な一休禅師は、「阿弥陀とは南をあるを知らずして 西を願ふははかなかりけり」とあり、
南は皆身で、阿弥陀様はそれぞれの身にあるとおっしゃっています。
 次に、第2の関門です。
 自分の本性に気づくと、生死の問題は解決できるはず。生死の問題が解決したならば、生死の迷いから脱
することができる。今、死を目前にして、どのように生死の迷いを脱するのか。さあ、答えてみよ。と言う
のです。
 黄檗宗祖の隠元禅師は、『黄檗宗祖真空華光大師ご遺誡』で、「生死大事ために(中略)昼三夜三己躬下
の事を究明するを努めとせよ。」とあり、「生と死は二元対立の世界であって、それを生死一如(同一体)
と悟るためには、昼夜を分かたず、己事究明(物事の本質を見極めること)に努力せよ。」とおっしゃって
います。
 己事究明の結果、「来る時、一物も無し。去る時、空索索。(隠元禅師語録26巻)」と、生まれて来る
時は無から生じて丸裸。死ぬ時は四大分離して無に帰する。まさに「有無倶に是れ錯。」とおっしゃって、
有る無しはともに同一体、これこそ安心なのですと、おっしゃっています。
 隠元禅師が示寂する5日前、・・・「快活。快活。生も也た快活。死も也た快活。」と、心地よい、心地
よい。生きるも心地よい。死ぬるも心地よいと、生死一如の心境が語られています。
 佛日寺の初代、慧林禅師も遺偈(死を目前にして詠んだ漢詩)に、「来るも也た錯。去るも也た錯。」と、
生まれてくるのも安心。死んで去るのも安心と、やはり生死を超越した心境が悟られています。
 最後に第3の関門です。
 生死の問題が解決すると、行き着くところが分かるはずです。四大分離と申しまして、肉体や心が分散し
て、どこに向かって行くのか。さあ、答えてみよ。と言うのです。
 本性に気づくと、死んでどこへ行くのか。死んだ後、どうなるのか。が分かってきます。
 一休禅師は、「死にはせぬどこへも行かぬ ここに居る たづねはするな ものは言わぬぞ。」と。
 窪田空穂は、「不生とは 不滅の意なり 在るものは 形を変へて 永久に生く。」と。
 隠元禅師は、・・示寂の際にしたためた遺偈に、「今日身心倶に放下して、頓に法界を超えて一真空」と
あり、本日、身も心も放下(捨て去る)すると、たちどころに、僧俗二世界はもちろん、僧の一法界をも超
えて、真実唯一の空に到るとおっしゃって亡くなったのであります。
(´・(ェ)・`)b

529鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/02(水) 22:00:04 ID:1d4drIFg0
兜率悦禪師の賛というのじゃ。

老師は天生から薄福の人なのじや。
仏魔の公案も伝承されていないのじゃ。
鬱を開いて忽ち烈史の筆を発するのじゃ。
楊雄が王莽の大夫であったことを長く恥じていたようなものじゃ。

530避難民のマジレスさん:2021/06/02(水) 23:45:58 ID:isomS8To0
くま質問
兜率悦禪師は名僧だったらしいでありますが、何故に薄福といわれるのでありましょうか?
「仏魔の公案」とは、邪教の教みたいなものでありましょうか?
「楊雄が王莽の大夫であったことを長く恥じていたようなもの」とは、兜率悦禪師のどのような点をそのよ 
 うに捉えていたのでありましょうか?

427
牛庵 齋名
某甲潙山僧一頭 それがしは潙山僧一頭
長渓路上即忘不 長渓路上すなわち忘ずるや否や
閑中無復祖師見 閑中また祖師の見無し
花屬春風月屬秋 花は春風に属し月は秋に属す

伊井暇幻先生訳・解説
「高名な禅僧が生まれ変わった牛にはイザン僧某甲と書いてあった。
其の牛は、名前が書いてあったぐらいだから、輪廻の長い道程で自分の過去を忘れずにいたのだろう。
とはいえ、牛小屋の中に祖師の姿はない。
僧たるイザンも牛たるイザンも、其の仏性の中核は同一であるとも思えるが、姿は似ても似つかない。

自然の摂理は、或る時には春風を起こし、或る季には秋となる。花は春風に属し、月は秋に属するものだ。
花と月は全くの別物ではあるが、元を辿れば、自然の摂理に依る存在だ。
僧としての仏性を発現するためには人間の姿をとるだろうし、牛として仏性を発現するに当たっては牛の姿
になるということなのだろう」

くま訳
それがしは、潙山僧である、と書いてある牛一頭
長い輪廻の流れの中で名前は忘れなかったのでありましょう。
静まり返った中に中に祖師の姿はない。
花は春に咲き、月は秋に映えるように、ありのままの在り様に仏性を見出すのだ。
(´・(ェ)・`)つ

531鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/03(木) 23:39:53 ID:1d4drIFg0
>>530 時代が薄福だったのじゃな。
 仏の公案が魔の公案になったということじゃな。
 当時の中国では皇帝や高官に法嗣の印可を与えていたというのじゃ。
 当然それらの者は実際にはあまり修業もしていない者たちだったじゃろう。
 そのように宗教での名誉を与えて宗派の保護を頼んでいたのじゃ。
 薄福の時代であり、公案も正統な伝統を外れて魔となり、権力におもねる恥となったのじゃ。

532鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/03(木) 23:47:10 ID:1d4drIFg0
某は蕃山僧と書いてあった牛がいたのじゃ。
長い路上でも忘れなかったのじゃ。
閑な時でも祖師の見解はなかったのじゃ。
花は春に属し、月は秋に属するようにのう。

533避難民のマジレスさん:2021/06/04(金) 00:09:43 ID:pM9ExD920
くま質問
閑な時でも祖師の見解はなかったとは、牛としての仏性はあっても、祖師としての見解は示す事ができない、
みたいな意味でありましょうか?

428
臨濟曹洞座主各未後句 1/2 臨濟曹洞座主おのおの未後の句 
大死底人心塊土 大死ていの人こころくわいど
元來是燈籠露柱 元來是れ燈籠露柱
變易分段只任他 変易分段只ださもあらばあれ
新月黄昏五更雨 新月くわうこん五更の雨

石井恭二先生訳
大往生した人でも、心は土塊にすぎず、
もともと、灯籠や露柱と同じだ。
変易生死とか分段生死とか、聖者の生死と凡夫の生死を
別にするけれど、そんなことはほうっておこう、
夕方に三日月が見えたと思えば、夜明け前には雨が降り出した。

くま訳
臨濟宗や曹洞宗の座主達の最後のことば
全く自己を忘じた、大悟した人の心は、土くれと同じである。
元来、これ燈籠や露柱と同じなのである。
大悟した聖者の死と、凡夫の死の違いがあると言うのであれば、それもよかろう。
新月の黄昏、明け方の雨

*大死底人「死にきった人。万死に一生を得た人。一切の見聞覚知・情識分別を離れ、世出世・順逆を見な 
 い大悟人をいう」「死に切った人」「全く自己を忘じて、一切殘り物のない大悟底の人をいふ。また、大 
 悟者にして未だ敎化の機を發せざる者を、死在底の漢といふことあり。畢竟大死は消極の絶點を云ひ、そ 
 の絶點即ち大活の現成なる意を寓せる也」
*塊土:土塊(つちくれ)土のかたまり。また、土のこと
*分段生死:六道に輪廻 (りんね) する凡夫の生死。人の身は寿命・果報などに一定の限界があるところか
 ら分段という
 変易生死:聖者が迷いの世界を離れて、輪廻 (りんね) を超えた仏果に至るまでに受ける生死。
*五更:1.一夜の、昔の五区分法。ほぼ午後七時から二時間ずつに区分した、初更(甲夜)・二更(乙夜
 (いつや))・三更(丙夜)・四更(丁夜)・五更(戊夜(ぼや))。
 2.五更⑴の第五更。寅(とら)の刻(午前三時〜五時までの間)
(´・(ェ)・`)つ

534鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/04(金) 23:16:27 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、牛に生まれかわるのもそうなる行いがあつたからであるからのう。
 名前を忘れずに居て時間があっても祖師としての見解は示せないのじゃ。

535鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/04(金) 23:39:13 ID:1d4drIFg0
大体善いのじゃ。

大悟して死んで生きる仏陀の心は土塊と同じようなものじゃ。
元来灯篭や柱と同じく無でありながら用を足すことができるものじゃ。
分別や知識は他の者に任すのじゃ。
黄昏に新月、五更には雨なのじゃ。

536避難民のマジレスさん:2021/06/04(金) 23:49:03 ID:V7K29P4Y0
くま訳全面改
大悟して死んで生きる仏陀の心は土塊と同じようなものなのだ。
元来灯篭や柱と同じく無でありながら用を足すことができるものなのだ。
分別や知識は他の者に任すのだ。
黄昏に新月、五更には雨なのだ。

429
臨濟曹洞座主各未後句 2/2 臨濟曹洞座主おのおの未後の句 2/2
平生信施涅槃堂 平ぜいの信施涅槃堂
暮往天台南岳朝 暮に天台にゆき南岳はあした
公道世間只病苦 世間に公道たるはただ病苦
貴人身上不會饒 貴人身上もかつてあまさず

くま訳
臨濟宗や曹洞宗の座主達の最後のことば 2/2
常日ごろ信者がお布施を捧げる、涅槃堂
暮には天台宗の寺に行き、朝には南嶽の禅寺に行く
世間ではそれが当たり前だが、それはただの病苦である。
貴人の身の上に関しても、それは全く同じことである。

*信施:信者が仏・法・僧の三宝にささげる布施
*天台宗(天台法華宗):妙法蓮華経(法華経)を根本仏典とする。実質的開祖の智顗が天台山に住んでいた
 ということに由来する
*南嶽懐譲:677年 - 744年、師 慧能
 懐譲は慧能の元に赴き型通りの初相見となったが、自己紹介の後に「ノコノコとわしの前に出てきた奴は
 何者か」と再度問われ答えることができなかった。懐譲は長い修行の間、この這個の問答が胸につかえて 
 いたが、8年経って忽然として気が付き、師に「あの時は答えることができませんでしたが、ようやく見
 解を呈する自信がつきました」と伝えた。聞かせてみよ、と促されて懐譲が呈したのが「説似一物即不
 中」(ある程度それらしい説明はできるが、その真味を伝えることは到底できない)である。
 弟子に著名な禅僧である馬祖道一がいた。仏になろうと座禅の修行にひたすら打ち込む道一に対し、瓦を 
 磨いて鏡にしようとするのと同じだ、と戒めた。

↑懐譲が慧能に対して、凡庸な答えを言うのに8年間かかたのは、大悟した者の心は、土くれと同じだから、
 格別気の効いた事を云わなくても良いのだと悟ったからでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

537鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/05(土) 21:56:59 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

平生は信者が信心深く施しをする涅槃堂なのじゃ。
しかしそれらのものは暮れには天台に行き、朝には南岳に行ったりするのじゃ。
世間では当然のことであるが病苦のもとなのじゃ。
貴人でさえも同じなのじゃ。


違うのじゃ。
それは真に言葉に出来ないことを悟ったからなのじゃ。
以前はまだ気付いていなかったのじゃ。
それを悟ってまた相見できたのじゃ。

538避難民のマジレスさん:2021/06/05(土) 23:07:06 ID:uxoZjgoI0
くま訳改
第三句:世間では当然のことであるが病苦のもとなのじゃ。
第四句:貴人でさえも同じなのじゃ。

430
扶起東福寺荒廢蓋因美少年之舊交 甲子十二 東福寺の荒廢を扶起す、けだし美少年の旧交に因る、かつし十二 1/2
看看慈楊禪正傳 看よ看よ慈楊禪の正傳
誰來純老面門前 誰か來たる純老面門の前
宗門潤色風流道 宗門の潤色風流の道
舊約難忘五十年 旧約忘れ難し五十年

くま訳
東福寺の荒廃を立直す、一休が美少年だった頃、昔からの縁があるのだ。 1405年一休12歳・1444年一休
55歳  1/2
見よ、慈楊禪の正伝を!
誰か一休の面前に出て来れるものはいるか!
宗門の上辺を取り繕う、風流道
昔の約束が忘れ難いのだ五十年たっても

*一休年譜によると、一休十二歳、山城嵯峨宝幢寺において清叟師仁(虎関師錬の弟子、東福寺聖一派の
 人)の『維摩経』の講席に連なり
*慧日山東福寺:臨済東福寺派の本山、京都山の、聖一國師開山、藤原道家の創立による(禅学大成脚注)
*扶起(ふき)立直す・(中国語辞典)
*蓋し:1 物事を確信をもって推定する意を表す。まさしく。たしかに。思うに。2(あとに推量の意味 
 を表す語を伴って)もしかすると。あるいは。3(あとに仮定の意味を表す語を伴って)万が一。もしも。
 ひょっとして。4 おおよそ。大略。多く、漢文訓読文や和漢混淆文などに用いる。「よって勧進修行の 
 趣、―もって斯(か)くの如し」〈平家・五〉
*甲子(かつし):きのえね(十干の甲は陽の木、十二支の子)
 西暦年を60で割って4が余る年が甲子の年⇒1444年 一休さん55歳
*潤色:1 色をつけ光沢を加えること。2 表面をつくろい飾ったり事実を誇張したりしておもしろくする
 こと。「潤色を加える」「事件を潤色して伝える」3 天の恵み。また、幸運。
(´・(ェ)・`)つ

539鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/06(日) 21:40:29 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

見よ見よ慈楊禪の正傳はここにあるのじゃ。
誰か門前でわしに面会する者はあるのかのう。
宗門の潤色は風流の道なのじゃ。
五十年前の約束も忘れがたいものじゃ。

540避難民のマジレスさん:2021/06/06(日) 22:10:42 ID:fCy0.NNc0
くま訳改
第二句:誰か門前でわしに面会する者はあるのかのう。
第三句:宗門の潤色は風流の道なのだ。

「宗門の潤色は風流の道」、宗門の うわべをつくろい飾るのが風流道であると、
風流道を評価してるのでありますね。

431
扶起東福寺荒廢蓋因美少年之舊交 甲子十二2/2
大慈聖一是開山 大慈は聖一是れ開山
建立魔宮救五山 魔宮を建立して五山を救ふ
東福分派南禪寺 東福派を分つ南禪寺
千歳猶輝慧日山 千ざいなほ輝くゑにち山

くま訳
大いなる慈悲を以って聖一国師が開山された
魔宮を建立して京都五山を救ったのである。
東福寺の分派が南禪寺である
慧日山東福寺は千年後も輝き続ける出ありましょう。

*聖一:円爾(えんに、1202-1280年)鎌倉時代中期の臨済宗の僧。駿河(静岡県)の出身。諡号(しご 
 う)は聖一国師(しょういちこくし)。
 1235年、宋に渡航して無準師範の法を嗣いだ。1241年、帰国後、博多にて承天寺を開山、のち上洛して
 東福寺を開山する。宮中にて禅を講じ、臨済宗の流布に力を尽くした。その宗風は純一な禅でなく禅密兼
 修で、臨済宗を諸宗の根本とするものの、禅のみを説くことなく真言・天台とまじって禅宗を広めた。こ 
 のため、東大寺大勧進職に就くなど、臨済宗以外の宗派でも活躍し、信望を得た。

541鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/07(月) 23:41:10 ID:1d4drIFg0
↑そういうことじゃな。
 本来仏道には要らないものであるからのう。
 虚飾を風刺しているのじやな。

542鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/07(月) 23:44:01 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

大慈の聖一国師が開山したのじゃ。
魔宮を建立して五山を救ったのじゃ。
東福寺の分派の南禅寺なのじゃ。
千年後もなお輝く慧日山なのじゃ。

543避難民のマジレスさん:2021/06/08(火) 00:45:57 ID:ihBMrWr20
432
大機居士卜小築   大機居士しょう築をぼくし
額曰瞎驢因贅以偈云 額してかつろといふ、よってぜいするに偈を以ってすといふ
大人消息有誰通   だいにんの消息、誰有ってか通ぜん   
不堕靈山記莂中   りょうぜんきべつのうちに堕せず  
臨濟宗風掃地滅   臨済の宗風地をはらって滅す  
紅塵紫陌閙忽忽   こうじんしはく ねうそうそうたり

くま訳
大機居士(陶山公)が、小さな建物を、占って選んでくれたので、
瞎驢(庵)と命名して掲額した。ここで、蛇足の偈を付すのである。
大人たる師の動静は誰からともなく伝えられるものである。  
世尊が迦葉に伝授した奥義、「不立文字」。言葉に捉えられてはいかんのだ。無論この言葉も含めて。 
臨濟の宗風はきれいさっぱり消滅してしまった。(今後はこの瞎驢一休が背負うのだ) 
俗世間が煩わしくてかなわんわんのである。

*瞎驢:「盲目の驢馬」臨済義玄の末期の一語に由来。臨終の間際に「誰知吾正法眼藏、向這瞎驢邊滅卻」
(豈図らんや、吾が正法眼蔵(しょうぼうげんぞう。仏法の正しい教え・真髄。)が這(こ)の盲目の驢馬
(臨済義玄の弟子)のところで滅びてしまおうとは!)と言い終わると、端然として亡くなった。
*卜する(ぼくする);1うらなう。うらなって、よしあしを判断する。2うらなって定める。また、判断し
 定める。
*1444 一休51歳 妙心寺 日峰宗舜の大徳寺入山を、養叟と謀って拒み、華叟が説いた大燈徹翁下の一 
 流相承を固持する。
 1447 一休54歳 大徳寺の一僧自殺、数人が投獄される。一休は再び譲羽山へ退隠し断食するが刺命に 
 より中止する。
 1448 一休55歳 陶山公の旧隠を売扇庵と名付け、ここに身を寄せる。先に火中に投じた印可が未だ保 
 存されているのを知り、再びこれを焼却する。
 1452 一休59歳 売扇庵南の小庵に移り、そこを瞎驢庵と名付ける。
*瞎驢庵は陶山氏に庇護されていた。
*陶山氏は一休の命名で大機居士と称した。
*陶山氏(すやまし)とは、平安時代から鎌倉時代にかけて備中国に割拠していた武士団のひとつ。国人と 
 して次第に成長し、室町幕府では奉公衆として名を連ねている。
*贅する;蛇足を添ふることなり(禅学大成脚注)・言わなくてもよいことを言う。。
*大人(だいにん・だいじん):師、徳の高いりっぱな人。度量のある人。大人物。地位や身分の高い人。父、
 成人男子に対する敬称。
*不堕靈山記莂中;世尊、靈山に於いて迦葉尊者に伝え給う時の、「我に不立文字教外別伝、正法眼蔵涅槃
 妙心あり、爾に授く」とて禪法の奥旨を許し給う。而して又かかる言句の為に捉えられぬを云ふ。(禅学 
 大成脚注)
*紅塵紫陌:帝都の賑(にぎ)やかな通りの塵(ちり)。〔寓意:帝都では、煩(わずら)わしい俗世間の 
 塵 ・紫陌:しはく;都の市街。帝都の郊外の道路。・紅塵:賑やかな街の埃(ほこり)。市街地に立 
 つ土ぼこり。繁華な市街地。また、空が赤茶けて見えるほどの土ぼこり。また、浮き世の塵。煩(わず
 ら)わしい俗世間。俗塵。(詩詞世界HP解説)
*閙:呉音 : ニョウ(ネウ)漢音 : ドウ(ダウ)慣用音 : トウ(タウ) さわぐ。さわがしい。にぎやかなさ 
 ま。みだれる。みだす。かきみだす。あらそう。あらそい。
*忽忽・惚惚(こつこつ):① 物事をかえりみないさま。② 失意のさま。がっかりしたさま。気がふさい 
 ださま。③ すみやかなさま。たちまち。④ うっとりとしたさま。気がぬけたさま。⑤ まようさま。⑥  
 堅苦しいさま。傲慢で気取っているさま。
(´・(ェ)・`)つ

544避難民のマジレスさん:2021/06/08(火) 00:50:37 ID:ihBMrWr20
おまけ;*一休年譜
 永亨九年丁巳 師年四十四歳
(京都はんなり旅HPより)
 純藏主悟徹後、  純蔵主(じゅんぞうす)悟徹の後、
 與一紙法語、   一紙の法語を与えしに、
 道是甚麼繫驢橛、 是(こ)れ甚麼(なん)の繫驢橛(けろけつ)ぞと道(い)いて、
 拂袖去、     払袖(ほっしゅう)して去る。
 可謂瞎驢邊滅類也、謂(いい)つべし、瞎驢(※1)辺に滅するの類(たぐい)なり、と。
 臨濟正法若墮地、 臨済(りんざい)の正法(しょうぼう)、若し地に堕ちなば、
 汝出世來扶起此、 汝、世に出で来(きた)りて此れを扶起(ふき)せよ。 
 汝是我一子也、  汝は是れ我が一子なり。
 念之思之、    之を念(おも)い、之を思え。
 應永二十七年五月日 華叟 

 純蔵主が悟りの境地に入った後、
 わし(師華叟)は一枚の法語(左券)を一休に与えた。
 すると一休が、左券を受取ればまるで驢馬が棒杭に繋がれて身動きできなくなるようなもので邪魔物でし 
 かない(左券に執着して挙句の果てには束縛されるだけだ)、と言って、
 左券を袖で払い捨てて去ってしまった。
 このままでは臨済和尚が臨終の間際に言われた「瞎驢辺に滅却」することになる(盲目の驢馬のようにも 
 ののわからぬ未熟者の代で法統を途絶えさせてしまうことになる)。
 だが、臨済の正しい教えがもし地に堕ちるようなことになれば、
 一休よ、汝が世の前面に出てこれを立て直せ。
 汝は我が法統を嗣ぐ者、これができるのは汝をおいてほかにない。
 このことをよくよく心に留め置き、考えよ。
 応永二十七年五月日 華叟 
(´・(ェ)・`)b

545鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/08(火) 21:48:41 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

大機居士という者が占って小さな庵を建てたから瞎驢庵と額して蛇足として詩をよんだのじゃな。

大人の消息は誰が知っているじゃろうか。
霊山の記は堕落していないのじゃ。
臨済宗の風は地を掃って滅したのじゃ。
世間はさわがしくさまようものばかりなのじゃ。

546避難民のマジレスさん:2021/06/08(火) 23:30:09 ID:Ou5pO.120
433
戒参玄僧智愚  参玄僧の智愚を戒む
大智元來迷道愚 大智元來迷道の愚
未聞小智菩提扶 未だ聞かず小智菩提のたすけなることを
一千公案繋驢橛 一千の公案けろけつ
學者江湖飯袋徒 學者は江湖飯たいの徒

くま訳
求道野僧を智愚が戒めたのである
元来、智恵などというものは過ぎれば、愚かしく道に迷うはめになるのである。
だからと言って、小智が悟りの助けになるなどとは、聞いた事がない。
一千の公案に取り組んでみても、足手まといになるだけであるのである。
夏安居の間、學者ぶってる奴は、役立たずである。

*繋驢橛(けろけつ);驢を繋ぐ杭、杙の類をいひ、却って羈絆となるをいふ(禅学大成脚注)
*虚堂智愚(きどうちぐ)1185―1269,南宋の臨済宗の僧。南浦紹明 (なんぽじょうみょう) は虚堂の法脈 
 を受けた臨済禅を日本に伝えた。
*大智(だいち)1290-1367、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての曹洞宗の僧。
 大智という法名に関して、以下のような伝説が伝わっている。 齢七つの萬仲は、肥後大慈寺の寒巌義尹 
 に弟子に入ることとなった。相見の時に寒巌が年齢を問うた「名前はなんと申す」「萬仲と申します」 
 「幾つになる」「齢七つになります」そこで寒巌は手元の饅頭を勧めた。饅頭を食す姿を見て寒巌は問う 
 た。「萬仲が饅頭を食べるとは、いかなる心地か」すると萬仲は澄まして答える。「大蛇が小蛇を食らう 
 ようなものです」その答えに甚く感心した寒巌は、川(大慈寺の傍を流れる緑川)を指差して言った。 
 「この川は川舟の往来が激しく騒がしい、この場で舟の往来をとめて見せよ」萬仲座を立ち川を望む側の
 障子を閉て座に戻ると言った。「これで舟はとまりました」「ならば、その場を動かずにとめて見せよ」 
 萬仲は黙って目を閉じた。七歳の智慧に甚く感心した寒巌は「なかなか知恵の回る小僧だ、出家したら小 
 智と名乗るがよかろう」「いやでございます」「何故じゃ」「小智は菩提の障りとなります」寒巌は笑い、
 大智と名付けたという。"
*江湖(ごうこ、こうこ)大きな江(川)と湖(狭義ではその代表たる長江と洞庭湖)の併称で、転じて官 
 に対する民間、世間一般を指す言葉。禅宗用語 – 夏安居の別称
 安居(あんご)は、それまで個々に活動していた僧侶たちが、一定期間、1か所に集まって集団で修行す 
 ること。および、その期間のことを指す。
*酒嚢飯袋(しゅのうはんたい)「酒嚢」とは酒を入れる革袋、「飯袋」はご飯を入れるおひつのことで、 
 大酒を飲み、飯をたらふく食べるだけで、何の役にも立たない無能な人物のこと。
(´・(ェ)・`)つ

547鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/09(水) 21:49:28 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

弟子の智愚といものをいさめたというのじゃ。


大智は元来迷い道の愚なのじゃ。
小賢しい智慧が菩提の助けになったことは未だ聞かないのじゃ。
一千の公案も驢馬を繋ぐためなのじゃ。
世間の学者は飯袋であるのみなのじゃ。

548避難民のマジレスさん:2021/06/09(水) 22:55:49 ID:8o3Hfofg0
くま訳全面改
弟子の智愚というものをいさめたというだ。

大智は元来迷い道の愚なのだ。
小賢しい智慧が菩提の助けになったことは未だ聞かないのだ。
一千の公案も驢馬を繋ぐためなのだ。
世間の学者は飯袋であるのみなのだ。。

*智愚とは、虚堂智愚のことではなくて、一休さんの弟子のことだあったのでありますね、

434
百丈絶食
大智禪師難行道 大智禪師難行道
末法爲人眞落草 末法ゐ人眞の落草
飽食痛飲熱鐵丸 飽じき痛飲熱鉄丸
初懼泉下閻羅王 初めておそる泉下閻ら王

くま訳
百丈絶食
大智禪師は修行をもって悟りの境地に達しようと難行道を歩んだが、
末法の世にあって、地に落ちてしまった
たらふく飲み食いし過ぎて、消火できず、 更に真っ赤に燃える鉄の塊を呑んだようなものだ
初めて、あの世での閻魔様に対面して震え上がっているであろう。

一休さんは、大智禪師の、どの様なところが「真の落草」だと指摘しているのでありましょうか?
曹洞宗の教え、実践法に対する批判をしてるのではありょうか? 

*百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749- 814年唐代の禅僧。諡は大智禅師。南宗禅中の洪州宗の祖馬祖道 
 一の法を継ぐ。一日(いちじつ)作(な)さざれば 一日食(くら)わず。
 師がご高齢となり 周囲の者が気遣い 作務を行わなくともよいようにしようとしたが、老師は納得され 
 ない。仕方が無いので 作業の道具を隠してしまった。道具がないのに気付いた老師は 黙って部屋に入 
 り、幾日もの断食に入られた。
*難行道:自力による修行をもって悟りの境地に達する方法。聖道門⇔易行道
*末法思想(まっぽうしそう)とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正
 法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来 
 て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のこ
 とである
*落草:((宋元明清時代の話し言葉の上に形成された書き言葉)) 盗賊の仲間に入る,山賊になる。
 鷹が鳥を追い落とした草原。また、鳥が飛びおりて隠れる草むら。
*泉下:死人が行くという地下の世界。
*閻羅王:=閻魔王。冥界の王、悪罪に対して刑罰を司る冥界の覇者
(´・(ェ)・`)つ

549鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/10(木) 20:45:30 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、弟子に居たのじゃろう。
死んだ者をいさめても意味がないからのう。

大智禅師は戒に拘りすぎたからじゃな。
そんな小さなことに囚われるより法を説くべきだったのじゃ。
それこそ真の師匠が成すべき務めだったのじゃ。
それを怠って断食をしていたから落草なのじゃ。

550鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/10(木) 20:48:32 ID:1d4drIFg0

百丈の断食わ批判じゃな。

大智禅師の行道は難ありなのじゃ。
末法の人のために真の落草なのじゃ。
飽食の痛みは熱く焼いた鉄丸を飲む如しなのじゃ。
冥土で閻羅王に会って初めて驚くのじゃ。

551避難民のマジレスさん:2021/06/10(木) 22:47:12 ID:4UJkw2b.0
くま訳全面改
百丈絶食
大智禅師の行道は難ありなのだ。、
末法の人のために真の落草なのだ。
飽食の痛みは熱く焼いた鉄丸を飲む如しなの
冥土で閻羅王に会って初めて驚くのだ。

くま質問
「末法の人のために真の落草」とは、末法世で悟りを求める修行者に対して、戒に拘るような修行法を示す
ことは、盗賊のような在り様である、みたいな意味でありましょうか?、

435
題大燈国師行状末 大燈国師行状のすゑに題す
挑起大燈輝一天  大燈をかかげ起して一天に輝く、
鸞輿競誉法堂前  らんよ、ほまれを競う法堂の前。
風飡水宿無人記  風さん水宿人の記する無し。 
第五橋辺二十年  第五橋辺二十年。

くま訳
大燈国師行状のすゑに題す 
大燈をかかげ起して天下に輝く、
説法を聞きに来る天子の御者が、法堂前で誉を競う
ここには大燈が風を食い水辺に寝た乞食行のことを記していない。 
五条大橋の下での二十年間の乞食行のことである。

*大燈国師行の行状;是れは大燈録の終りに附せる行状にて春作禪興の作なり、其の行状の終に題せられし 
 もの。偈の意に謂ふ、「春作は盲坊主なり、國師が天子の歸依を受けられし事ばかり麗々しく書きたてて、
 第五橋邊二十年を恥と思ふて載せず、何と云ふ手落ちまりや」と。風餐水宿、頭陀乞食を発揮せられたる 
 作なり。(大成脚注)
*春作禅興:華叟と同門の兄弟弟子
*1451年 一休 58歳 春作禅興作「大燈国師行状」を批判、養叟との対立が表面化。
*鸞輿(ランヨ):天子の乗る輿(こし)。鳳輿(ほうよ)。鳳輦(ほうれん)。
*風飡水宿(ふうさんすいしゅく):「風を食い、水のほとりで寝た」という意味。
(´・(ェ)・`)つ

552鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/11(金) 21:36:49 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃろう。
 戒は修行者が修行しやすい生活を整えるためのものじゃ。
 それに拘って本来の修業を教えないのでは本末転倒なのじゃ。
 真の落草なのじゃ。

553鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/11(金) 21:50:37 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

大燈国師の行状の末に題するというのじゃ。

大燈をかかげ起して天下一に輝いたのじゃ。
天覧の誉れを法堂前で受けるのじゃ。
風を食らい水に宿る生活をしていたことを記す者は無いのじゃ。
第五橋の辺に二十年いたのじゃ。

554避難民のマジレスさん:2021/06/11(金) 22:10:32 ID:Q18p6jK20
くま訳改
第二句:天覧の誉れを法堂前で受けるのだ。

436
大應國師賛 妙勝寺
大唐國裏沒禪師 大唐國裏禪じなし
傳授明明東海兒 傳授明々たり東海の児  
一天法窟妙勝寺 一天のほつ窟妙勝寺
天澤宗風更有誰 天澤の宗風更に誰か有る

くま訳
大應國師賛 妙勝寺
大唐國にはもう禪師はいない。
禅が日本の僧に伝授されたことは明白である。
天下一の修行道場となった妙勝寺
臨済の宗風をを伝える適任者が他に誰がいるというのか。

*大応国師(南浦紹明):25才の時に唐に渡り、虚堂智愚に禅を学び、帰国。弟子・宗峰妙超(大燈国師)
 が京都の大徳寺を開山。中国から帰って「妙勝寺」でその教えを弟子たちに伝え、晩年ここで暮らした。
 その後酷く荒廃してしまったこの寺を大応国師を尊敬する一休さんが、修復をし、「報恩庵」として自ら 
 も住まわれた。
*法窟(ほうくつ):修行の道場
(´・(ェ)・`)つ

555鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/12(土) 23:19:50 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

大応国師の賛というのじゃ。

大唐国にはもはや禅師はいないのじゃ。
日本の僧によって正統な伝授が受け継がれたことは明白なのじゃ。
天下一の法の修行場である妙勝寺なのじゃ。
天澤の宗風が更に誰に有ると言うのじゃ。

556避難民のマジレスさん:2021/06/12(土) 23:55:30 ID:RV3c13Ko0
437
賛二祖 二祖(慧可)を賛す
大唐今古沒禪師 大唐今古 禅じ没(な)し
断臂虚傳人不知 だんぴのきょでん人知らず
只許南山道宣筆 只許南山道宣が筆
恰如痛處下針錐 あたかもつうしょにしんすいをおろすがごとし

くま訳
二祖(慧可)を讃える
大唐国には今はもう禅師はいない。
太祖慧可が達磨さんに弟子入りを請うために腕を切り落としたという伝説は嘘であることを皆しらないの
だ。南山道宣が書いた続僧傳にのみ真実が語られているのである。
あたかも、痛いところに針を刺すような話である。
(賊に腕を切り落とされたが、法を以って心を御し痛苦を覚えず、火を持って切ったところを焼いたとのこ
とである。)

太祖慧可 
南山道宣:続高僧伝
道宣(どうせん):596-667年 唐代の律宗の僧侶。南山律宗の開祖。
道宣の弟子は千人を数え、その教えを拡大させ、南山宗は一世を風靡し、現在の中国の僧侶も彼の四分律を
学んでいる。法席を嗣いだのは周秀である。また、弟子の文綱系統からは鑑真が出ている
(´・(ェ)・`)つ

557鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/13(日) 21:54:27 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

二祖の賛じゃな。

大唐には古今の禅師がいなくなつたのじゃ。
腕を切ったのは嘘であると皆知らないのじゃ。
ただ南山道宣の書いたことが正しいのじゃ。
あたかも痛いところに針を刺すようなものじゃ。

558避難民のマジレスさん:2021/06/13(日) 22:57:22 ID:jip11rhE0
438
文明甲午春     文明かぶ午の春
拝大徳禪寺住持勅請 大徳禪寺住持勅じょうを拝す
門客交賀 吁    門客かわるがわる賀す。ああ
五十年簑笠淡如   五十年さりゅうたんじょたり
勅黄捧照      勅おうほう照して
無愧于懐乎     かいに愧づる無からんや
因作詩泄之     因って詩を作り之をもらす

大燈門弟滅残燈 大燈の門弟殘燈を滅す
難解吟懐一夜氷 解け難し吟懐一夜の氷
五十年来簑笠客 五十年來さりゅうの客
愧慙今日柴衣僧 愧慙す今日柴えの僧

柳田聖山先生訳
大灯国師の弟子である拙僧が消えのこる灯火を滅す
懐に抱いている氷の塊が一晩では解けそうにはない
ここ五十年というもの蓑笠のみで放浪した身なのだ
今朝は紫の袈裟を羽織る姿となって恥入るばかりだ

茶の湯に親しむHP先生訳
大灯国師の門弟たる者がわずかに残されていた灯明を消してしまった。
このため、詩心は一夜の氷のように固まって解け難い。
五十年来、放浪の旅人であったが
今日は恥かしくも紫衣をまとう(名利をまとう)僧侶に成り果ててしまった

くま訳
1474(文明6年)一休81歳 春
刺命により、大徳寺住持拝受。
祝賀の客が後を絶たない。あぁぁ
五十年間簑笠を着てあっさりとした生活してたのである。
天子様からの勅命をいただいてしまい、
内心恥ずかしく無いわけがなかろうもん!
そこで、詩を作ってその思いをもらすのである。

大燈の弟子達が大燈の教の残灯を消してしまう。
胸中の凍てついた詩情は、一夜の氷のようで溶け難い。
五十年来簑笠を着て行脚を続けてきたのであるが、
今日は、紫衣を着る羽目となり恥じ入るばかりである。
(´・(ェ)・`)つ

559鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/14(月) 22:54:25 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

天皇からの命令で大徳寺の住持を受けたのじゃな。

祝賀の客が後を絶たず悲鳴を上げるのじゃ。
五十年蓑笠を着て淡白に暮らしていたのじゃ。
勅命に照らされて恥ずかしいことであるからこの詩を作ったというのじや。

大燈の門弟達は法の残り灯を消してしまったのじゃ。
懐に抱く氷は一夜では融けないのじゃ。
五十年来蓑笠の客であったのに、
今日紫衣僧になったことを恥じるのじゃ。

560避難民のマジレスさん:2021/06/15(火) 02:15:52 ID:MyFrn1YY0
徹翁和尚
大燈子大應孫 大燈の子大應の孫
正傳臨濟宗門 正傳臨濟の宗門
儼然靈山一會 儼然たりりょうぜんの一ゑ
何妨三界獨尊 何ぞ妨げん三界の獨尊

くま訳
大燈の弟子、大應の孫弟子である
臨濟宗門の正伝である
釋迦が説法をした霊鷲山の法会の伝統が今でも厳然として続いているのである。
三千世界で釋迦独り尊しとすることに、何の妨げがあろうか

*徹翁義亨〈てつおうぎこう〉南北朝時代の臨済宗の僧。おそらく出雲守護佐々木氏の一族であろう。19
 歳で出家し,上洛して建仁寺,南禅寺に参じたが,五山の禅風にあきたらず,東山の雲居(うんご)庵に
 隠棲していた宗峰妙超(しゆうほうみようちよう)(大灯国師)の門に入り,その法を継いだ。妙超が大徳
 寺を開くとこれに随い,妙超没後の1338年,勅により大徳寺2世(1世説多)として入寺し,別に寺前に
 徳禅寺を建立した。
*三界:① 欲界・色界・無色界の総称。衆生が輪廻する世界。②三千大千世界の別称。③三世 – 過去世・ 
 現在世・未来世の総称。三界ともいう。
(´・(ェ)・`)つ

561鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/15(火) 21:54:11 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

徹翁和尚の詩じゃな。

大燈の子であり大應の孫なのじゃ。
臨済宗門の正伝なのじゃ。
霊山の一会から厳然として続いているのじゃ。
三千世界に独り尊しと宣言しても何の妨げも無いのじゃ。

562避難民のマジレスさん:2021/06/15(火) 22:11:49 ID:MyFrn1YY0
くま質問
「三千世界に独り尊しと宣言しても何の妨げも無いのじゃ。」において、尊いのは、徹翁=悟った人と一休
さんは読んでるのでありましょうか?

440
拝大徳寺住持勅請之頌 大徳寺住持勅じょうの頌を拝する
呈廣徳堂上柔仲和尚  廣徳堂上にゅう仲和尚に呈す
大徳大燈龍寶山 大徳大燈龍寶山
靈光天上又人間 靈光天上又人間
焼香酬恩曇華叟 香をたき恩に酬ゆどん華そう
金色頭陀曾破顔 金色の頭陀かつて破顔す

柳田聖山先生訳
大燈国師の開かれた竜宝山大徳寺
霊験は天界と人間社会を照し出す
華叟和尚の恩に酬いるため焼香す
頭陀袋が金色になっても心は同じ

くま訳
大徳寺住持勅請の頌を拝したので
廣徳寺堂上柔仲和尚に呈する

大燈国師が開かれた龍寶山大徳寺
靈光は、天上界又人間界を遍く照らす
華叟宗曇和尚の恩に酬いる為に焼香します
金色の頭陀袋を見て昔、笑ってくれたものである。

*廣徳寺は、兵庫県尼崎市寺町にある臨済宗大徳寺派の寺院。山号は瑞雲山。1390年に京都から尼崎の大 
 物に移された。1478年頃には柔仲宗隆が住持となった。
*華叟宗曇(かそう そうどん、1352-1428年。大徳寺の徹翁義亨に投じ、14歳で出家。のち徳禅寺の言外 
 宗忠に参じ、印可を得る。
 一休さんの名付け親。「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」の言葉から、華 
 叟が道号として授けた。
(´・(ェ)・`)つ

563鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/16(水) 21:47:16 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、徹翁なのじゃ。
お釈迦様と同じ大悟徹底したから独尊でよいのじゃ。
 大悟すれば皆同じなのじゃ。

564鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/16(水) 21:54:12 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。


柔仲和尚に呈する詩なのじゃ。

大徳寺は大燈が龍宝山に開いたのじゃ。
その霊光は天上と人間も照らすのじゃ。
焼香して華叟宗曇和尚の恩に報いるのじゃ。
かつては金色の僧は笑っていたのじゃ。

565避難民のマジレスさん:2021/06/16(水) 23:30:56 ID:xp4dYwns0
くま訳改
第四句:かつては金色の僧は笑っていたのだ。

*頭陀:衣食住に関する貪欲(どんよく)を払いのけて仏道修行にはげむこと。その修行のため、食を乞いな
 がら野宿などして旅を続けること、またはその僧。

霊山和尚の元気が出る修行決意宣言!
441
汲井輪略無停息  きゅうせい輪ほぼていそく無きがごとし
今既得出家    今既に出家することを得て、
僧相圓備     僧相円備
在三衣一鉢下   さんえ一はつげに在り
想是過去幾生修來 想ふに是れ過去幾生が修し來つて  
得如此乎     かくの如きことを得るか。
若是再      若し是れ再び
入驢胎馬腹去   ろ胎馬腹に入り去らば
不知又經幾生   知らず又幾しょうを経てか  
歸來改修此錯   帰り来たってこのあやまりを改修せん
努力努力     努力せよ努力せよ
切須今生了達   切に須らく今じょうに了達して、
無如是殃過    かくの如きのおう過無かるべし
念之思之     之をおもへ之を思へ

右靈山和尚法語  右靈ぜん和尚の法語
題其後云     其の後に題すと云ふ

互操高低汲井輪  互ひに高低をとるきふせい輪
威音彌勒一回春  威音の彌勒一回の春  
三世諸佛歴代祖  三世の諸佛歴代の祖
泉聲滴涙苦吟身  泉せい涙したたる苦吟のみ

くま訳
井戸の釣瓶の滑車が、ほぼ停まることなく動くように、常に自覚せねばならぬのだ。
今既に出家することができたのであるから、
僧としての見てくれは、完璧に調えねばならぬ。
三衣一鉢のみを持って生きるのだ。
思うに、過去生で、何度も修行を重ねてきたお陰さまで、
いま、このようにして在れるのである。
もしこの度もまた、驢馬の胎に戻るような事があっても、
何回生れ変らねばならぬのか分からないが、
必ず修行者に生れ変ってきて、その誤りを正すのだ。
努力努力
切に、何としても、今生で修行を完成させて、
どうか、何としても、このような災難が起こらないようにするのだ。(輪廻から解脱するのだ。)
これを念じるのだ。これを思うのだ。

上記靈山和尚の法語
其の後に題して云う。

互いに上がったり下がったりする、井戸の釣瓶
悠久の過去から弥勒の未来まで、春は一回きりである。
過去・現在・未来の三世にわたって存在する一切の仏、歴代の祖師は、
多くの言葉で、何とかして伝えようと、涙するほど苦しんで言葉を紡ぎ出しているのである。

*汲井輪:井戸の釣瓶(つるべ)の滑車などの機構。
*三衣一鉢:三衣と一個の食器用の鉢。僧侶が携帯するささやかな持ち物。
*殃禍(おうか):わざわい。災難。
*威音:威音王仏のことで、『妙法蓮華経?』「常不軽菩薩品」にて説かれる、過去荘厳劫?最初の仏陀。そ 
 のことから、無量無辺の極遠に喩えられる。
*弥勒:現在仏であるゴータマ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の次にブッダとなることが約束された菩薩(修行 
 者)で、ゴータマの入滅後56億7千万年後の未来にこの世界に現われ悟りを開き、多くの人々を救済す 
 るとされる。未来仏。
(´・(ェ)・`)つ

566鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/17(木) 21:40:00 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

井戸水を汲む輪が止まらないように
今既に出家することができて
僧としての装備を完全にして
衣三枚と鉢一つ手に在り
思うにこれは過去何世か修行してきて
このように僧になれたのであろう。
もしこれで再び
驢馬や馬に入るようなことになれば
又何生か経て帰り来たって過ちを修正しなければならないかわからないのじゃ。

努力努力するのじゃ。
どうしても今の世で悟りに達してそのような災いが無いようにするのじゃ。
これを念じ、これを思うのじゃ。

567鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/17(木) 21:51:36 ID:1d4drIFg0
その霊山和尚の法語に後に題して言うのじゃ。

互いに上下する井戸汲みの輪の如く
威音仏から弥勒まで仏は一度ずつ世に現れるのじゃ。
三世の諸仏や歴代の祖師は
水音が出るほどに涙したたる苦吟の身の衆生のために現われるのじゃ。

568避難民のマジレスさん:2021/06/17(木) 22:55:28 ID:Ky9gXzIs0
くま訳改
第二句;(その如く、)威音仏から弥勒まで仏は一度ずつ世に現れるのだ。
第三句:三世の諸仏や歴代の祖師は、
第四句:水音が出るほどに涙したたる苦吟の身の衆生のために現われるのである。

442
薄氷
但看江海薄氷池 ただかう海薄氷のちを看て
不管人人身上危 にんにんしん上の危をかんせず
可憐極苦目前急 憐れむべしごく苦目前に急なり
迷道衆生終不知 迷道の衆生つひに知らず。

くま訳
薄氷
但看江海薄氷池 ただ、薄氷が張った水辺に佇んで見ても、
不管人人身上危 人々は身の危険を感じないのである。
可憐極苦目前急 憐れむべきである。最大の苦(死)が目前に迫っているのである。
迷道衆生終不知 道に迷う衆生は、最後(死ぬ)までその事に気付かないのである。

*江海(こうかい)① 川と海。入江と海。② 俗世間から離れた場所。
*不管〜(中国語):〜にかかわらず ,〜を問わず
(´・(ェ)・`)つ

569鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/18(金) 23:04:21 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

ただ河海の氷が張っているのを看ても
人々は身の上の危険を知らないのじゃ。
憐れむべし極苦が目の前にせまるのを
迷い道の衆生は遂に知らないのじゃ。

570避難民のマジレスさん:2021/06/18(金) 23:15:12 ID:TzONvbZk0
443
山庵雑録曰。       山なん雑録に曰く。
楚石住嘉興天寧。     「楚石、か興天寧に住す。
値有司重作官宇闕木石。  有司の重ねて官宇を作るに、木石をかくに値ふ。 
欲取村落無僧廢庵應所需。 村落無僧の廃庵を取って、もとむる所に応ぜんと欲す。
因集諸寺住持議之。    因って諸寺の住持を集めて之を議す。
時楚石力陳不可者沮之。  時に楚石つとめて不可なる者をのべて之をはばむ。
有司不聴。        有司聴かず。
遂撾退鼓皈海鹽天寧。   遂に退くをうってかいえんの天寧に帰る。
二老皆勇於行義      二老皆義を行ふに勇み、
視棄師席之尊不啻如葉弊屣。師席の尊を棄つることただにへいしを棄つるが如くなるのみならざるを視る。
今雖荐禍患嬰己。     今しきりにくわげん己にかかるといえども、
而猶濡忍戀戀       しかもなほじゅ忍恋々たり、
亦獨何哉。        また独りなんぞや。」
予讀此有感因作偈云。   予これを読んで感有り、因って偈を作ると云ふ。
又有了庵一事省之     又了庵の一事有り、之れを省く。

奪人奪境事猶稠 奪じん奪境じなほしげし
幽谷閑林不自由 幽谷閑林自由ならず
莫道江山無定主 いふなかれかう山定主無しと
普天之下帝王州 普天のもと帝王の州

くま訳
山なん雑録に曰く。
「楚石、か興天寧に住んでいた。
役所の担当者が、寺を作りたくても、木石が無いので。 
僧が居ない村落の廃寺の廃材を取って、希望する所に応じたいので、
そこで、諸寺の住職を集めてこれを議論すると言って来た。
その時に楚石は、強く反対意見を述べてこれを阻止しようとした。
役人は聴き入れなかったので、
礎石は遂に席を蹴って、かいえんの天寧に帰ってしまった。
二人はともに議論することに熱くなり、
それなりの立場にある人が、その尊厳を棄てるのに、まるで使い古しの靴を棄てるような、無用なものを棄
てるようにしかできないように見えるのである。
今まさに禍が自分に降りかかろうとする時でも、
しかもなお何かもじもじと耐えているのである。
これはいったい、どういう事でありましょうか。」
予これを読んで観想があるので、因って偈を作るのである。
又了庵の一事有り、之れを省く。

徹底した無の境地になり、自我も「境地」も奪い去られた後でも、いろいろと面倒なことはおこるのだ。
のどかな深山幽谷であっても、きままで自由なわけではないのである。
言うのはやめておきなさい、山河に定まった主などいないのだなどと。
天下は全て、帝王の島なのであります。天子様が主なのであります。

*山庵雑録;恕中無慍禪師の撰する所、叢林の先徳先閒の学者の勧善懲悪の資料たるべき嘉言善行を編録せ
 るものなり(禅学大成脚注)
*楚石梵琦(ぼんき):1296‐1370元末・明初の禅者。臨済宗大慧宋杲(そうこう)下6世の法孫である。
*有司: その職を行なうべき官司。また、そこに属する官人。官署。官吏。
*闕;1 宮城の門。また、宮城。2 (「欠」と通用)不足する。かける。3 あやまち。
*宇:1 大きい屋根で覆った家。ひさし。のき。大空に覆われた世界。天下。3 器量。度量
*弊屣:(中国語)使い古した靴を意味します。役に立たないもの。
*濡(ジュ)ぬれる・うるおう・とどこおる・こらえる。たえしのぶ。
*奪人奪境:人境両倶奪:修行者を徹底的な無の境地に導くこと。自我も境地も奪い去ること。
(´・(ェ)・`)つ

571鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/19(土) 22:07:06 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

山庵雑録に書いてあったというのじゃ。

楚石が嘉興天寧に住んでいたのじゃ。
役人が役所を更に建てようとしたが木石が足りなかったのじゃ。
村の無僧の廃寺などから取ろうとしたのじゃ。
よって寺寺の住持を集めて議論したのじゃ。
楚石は反対したが役人は聞かないから天寧に還ったのじゃ。
二人のいい大人が自分が正しいと思って勇みたってのことなのじゃ。
議論の席を捨てるに古靴を捨てる如しなのを見たのじゃ。
今しきりに災いが己にかかるというのに、しかもなお辱めに耐えることが出来ないのじゃ。
これが一人だったらまたどうじゃろうか。

わしはこれを読んで感じることがあり偈を作るのじゃ。
また了庵の一事有もあるがこれを省くのじゃ。

572鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/19(土) 22:09:11 ID:1d4drIFg0
奪人奪境も猶騒がしいものじゃ。
幽谷閑林も不自由なのじゃ。
河山に定めた主無しと言ってはいかんのじゃ。
天下は全て帝王のものなのじゃ。

573避難民のマジレスさん:2021/06/19(土) 23:37:12 ID:yFDyK2DQ0
くま訳改
而猶濡忍戀戀(しかもなほじゅ忍恋々たり):しかもなお辱めに耐えることが出来ないのだ。
亦獨何哉(また独りなんぞや):これが一人だったらまたどうだろうか。

444
面壁達磨
誰人任運問安心 誰人か任運に安じんを問ふ
昔日神光侍少林 昔日神光少林に侍す
面壁功成無面目 面壁功成って面目無し
不知積雪滿庭深 知らず積雪滿庭に深きを

くま訳
面壁達磨
天地自然の法則に随い、安心を求める者は誰か、
昔、少林寺に、人為を超えた霊妙不可思議な光(達磨さん)が、降臨したのだ。
面目無き所、即ち真面目なりである。 ほんとうに豊かなものはどこか不足しているよう見えるものなのだ。
知らない内に雪が降り積もり、庭一面深雪になっているように、達磨さんの御利益が降り積もるのだ。

*任運問安心:天地自然の法則に随うは即ち任運なり、自然に安心を問ふ、即ち達磨不答の所、自然なれば 
 なり。(大成脚注)
*面壁功成無面目:面目無き所、即ち真面目なり、老子の「大辨咄の如し」の意なり。(大成脚注)
 <老子>大弁如訥『大弁は訥なるが如し』茶臼甕tyausukame先生ブログより
 「大直は詘(くつ)するが如く、大巧は拙なるが如く、大弁は訥なるが如く、大嬴(たいえい)は絀(ちゅつ) 
 なるが如し」である。
 真の雄弁は訥弁(とつ弁)と変わりがない。雄弁よりも訥弁、訥弁よりも無言の説得をよしとする考えに
 他ならない。「ほんとうにまっすぐな者は、曲がっているように見える。真の雄弁は訥弁と変わりがない。
 ほんとうに豊かなものはどこか不足しているように見える」
 ことごとく逆説的表現であるが、それでいてある真実を的確にとらえている。それは、「大弁は訥なるが 
 如し」の一句をとりあげてみても明らかであろう。ここで『老子』の謂わんとしているのは、しゃべり過
 ぎの害である。※ しゃべり過ぎは百害あって一利なしである。
*訥弁(とつ弁):つかえつかえしゃべる話し方 
*少林寺:禅宗の開祖達摩による禅の発祥の地と伝えられる
*神光:人為を超えた霊妙不可思議な光
(´・(ェ)・`)つ

574鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/21(月) 00:01:31 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

誰か運を天に任せ、安心を問う者はおらんのじゃろうか。
昔は少林寺に神光があったものじゃ。
達磨が面壁九年の行を成し遂げ大悟徹底したのじゃ。
積雪が知らないうちに庭を深く満たしたようにのう。

575避難民のマジレスさん:2021/06/21(月) 00:11:44 ID:jaQ9dkAw0
くま訳改
第三句;達磨が面壁九年の行を成し遂げ大悟徹底したのだ。

445
賛魚籃観音   魚らん観音を賛す
丹瞼青鬟慈愛深 丹けん青くわん慈愛深し
自疑雲雨夢中心 自ら疑ふ雲雨夢中の心
千眼大悲看不見 千げん大悲看れども見えず
漁妻江海一生吟 漁妻かう海一生の吟

くま訳
賛魚籃観音
赤い瞼、美しい黒髪慈愛深い容貌。
自分は、朝雲暮雨、恋焦がれているのではないかと疑う。  
大悲呪を唱えても千手千眼観音は見えない。
魚籃観音を妻と念じて俗世間から離れて一生思いを吟じつづけるのだ。

*魚籃観音(ぎょらんかんのん):三十三観音に数えられる観音菩薩の一つ。中国で生れた観音の一つで、
 同じ三十三観音のひとつである馬郎婦観音(めろうふかんのん)と同体ともされる。
 唐の時代、魚を扱う美女がおり、観音経・金剛経・法華経を暗誦する者を探し、めでたくこの3つの経典
 を暗誦する者と結婚したがまもなく没してしまった。この女性は、法華経を広めるために現れた観音とさ
 れ、以後、馬郎婦観音(魚籃観音)として信仰されるようになったという。この観音を念ずれば、羅刹・
 毒龍・悪鬼の害を除くことを得るとされ、日本では中世以降に厚く信仰された。
 形象は、1面2臂で魚籃(魚を入れる籠)を持つものや、大きな魚の上に立つものなどがある。日本では
 あまり単独で信仰されることはないが、東京都港区の魚籃寺などにある。
 得度者既皆現此而以説法の誓願に出づ一例を仮説せるもの(大成脚注)
*青鬟(せいかん)中国語:美しさを表すために借りた黒いリング状の髪のお団子を意味します
*鬟:みずら/髪を中央から左右に分けて、両耳のあたりで輪に束ねた上代の成人男子の髪の結い方/わげ
 /髪を頭の上で束ねた髪形などの意味をもつ漢字。"
*丹(タン あか・に):硫化水銀鉱、すなわち辰砂(しんしゃ)の色。あか色。
*雲雨:朝雲暮雨(ちょううんぼう)
【故事】楚の懐王が高唐に遊び、夢の中で女と契ったが、その女が別れ際に「朝には雲となり、夕には雨 
となって君にお会いします。」と言った。夢から覚めた王は朝雲を見て神女であったことを知り、巫山の 
陽に廟を立てたという。
*大悲心陀羅尼(だいひしんだらに)は、仏教の陀羅尼である。主に禅宗で広く読誦される。普及したのは
鎌倉末期から室町時代以降と推定されるが確証はない。臨済宗では略称大悲呪、正式呼称大悲円満無礙神
咒と呼ばれる。
陀羅尼(だらに):呪文の一種で、比較的長いものをいう。通常は意訳せずサンスクリット語原文を音読し
て唱える。意訳して総持、能持、能遮等ともいう。「記憶して忘れない」という意味 。本来、暗記して繰
り返しとなえる事で雑念を払い、無念無想の境地に至る事を目的とした。「能遮」という意訳は雑念妄想
を「能(よ)く遮(さえぎ)る」という意味である。
(´・(ェ)・`)つ

576鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/21(月) 21:29:01 ID:1d4drIFg0
魚籃観音の賛なのじゃ。

赤い瞼に青巻髪の慈愛深い菩薩なのじゃ。
しかし、自ら疑えば雲雨の中でも夢の如しなのじゃ。
それでは千の眼、大慈悲の観音も看ようとしても見れないのじゃ。
漁師の妻はそれ故に河海に一生観音呪を吟じるのじゃ。

577避難民のマジレスさん:2021/06/21(月) 22:07:46 ID:FtEx7/DM0
くま訳改
第二句:しかし、自ら疑えば雲雨の中でも夢の如しなのだ。
第三句:それでは千の眼、大慈悲の観音も看ようとしても見れないのだ。
第三句:漁師の妻はそれ故に河海に一生観音呪を吟じるのだ。

くま質問
「しかし、自ら疑えば雲雨の中でも夢の如し」とは、自分が見たもの、思ったことに対して、ありのまま
に気付いていろみたいな意味でありましょうか?

446
香嚴擊竹
潭水北兮湘水南 たん水の北しゃう水の南
竹枝曲裏口喃喃 竹し曲裏口なんなん
樽前爛醉豪家客 そん前爛醉す豪家の客
不識愁人夜雨談 しらず愁人夜雨の談

くま訳
香嚴擊竹
李白が詠う潭水は北、水墨画に描かれる湘水は南
屈原も歌うはやり歌竹枝はいつまでも歌い続ける
樽の前で酔っ払う豪邸の客
愁人には雨の夜になにを談じたらよいのか分からないのだ。

*潭水:(参)贈汪倫 李白 汪倫(王倫)に贈る 李白
      李白乗舟将欲行 李白舟に乗って将に行かんと欲す、
      忽聞岸上踏歌声 忽ち聞く岸上踏歌の声
      桃花潭水深千尺 桃花潭水深さ千尺
      不及汪倫送我情 及ばす汪倫が我を送るの情に

      李白は舟に乗って今や出発しようとしていた。
      ちょうどその時、岸の上から足を踏み鳴らして歌う声が聞こえてきた。
      桃花潭の水は深さが千尺もあるというが、
      それでも汪倫が私を送ってくれる情の深さには、及ばないだろう。

*香嚴擊竹:https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/。 >>117 〜
*湖水:瀟湘八景(しょうしょう はっけい)、山水画の伝統的な画題。瀟水と湘江の合流するあたりを瀟
 湘といい、古より風光明媚な水郷地帯として知られる
 湘水は、江西省僮族自治区興安県の陽海山を源とし、延々と八百十七キロの旅をして、湘陰県濠河口で洞 
 庭湖に注ぐ。洞庭湖は、湖南省の長江中流の中南区に位置する。中国第一の湖である
*竹枝:土地のはやり歌なり、劉萬錫、阮湘に在り、俚歌鄙陋なるを以って、乃ち屈原が作る所の九歌によ 
 りて竹枝新詩を作り、里中の小児をして之を歌わしむ。もと巴蜀の歌なり。(大成脚注)
*喃喃「喃」はしゃべる音、またはしゃべる意) しゃべり続けること。小声でいつまでもしゃべっているさ 
 まをいう。
*愁人:① 悲しい心を抱いている人。なやみのある人。② もののあわれを解する人。風流人。詩人。文人。
(´・(ェ)・`)つ

578鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/22(火) 21:48:34 ID:1d4drIFg0
↑神仏も疑う心があれば見えないという事じゃな。
信じれば見えるのじゃ。

579鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/22(火) 21:56:31 ID:1d4drIFg0
香嚴が飛んだ石が竹を撃った音で目覚めたという題じゃな。

潭水の北、湘水の南なのじゃ。
流行り歌をひそかに歌い続けるのじゃ。
酒樽の前で酔い乱れる豪家の客なのじゃ。
愁人は夜雨に何を話せば善いのかしらんのじゃ。

580避難民のマジレスさん:2021/06/22(火) 22:58:25 ID:5azQ.QpI0
447
傀儡
抽牽者即主人公 抽けんは即ち主人公
地水合成隋火風 地水合じゃうして火風に随ふ
一曲勾欄曲終後 一曲のこうらん曲終ってのち
本然大地忽爲空 本ねん大ぢたちまち空と為る

植田 信隆先生ブログ翻訳・解説より
人形の糸を引く者が主人公であり、
地水からなる粗雑なものが火風のような精妙なものに従うのに似ている。
人形の立ち位置となる手すりがいわば、大地であったが、曲が終われば
忽ち空虚となる
水上勉先生解説より抜粋
案外、この世は、すべて、一曲の人形芝居かもしれぬ。うらで糸をひき、操る者がいて、人も風も、火もう
ごく。操るものは主人公である。その主人公をとっつかまえねばならぬ。いや、その主人公こそ、求めつづ
ける正伝の正体なのだ。狂雲もまた狂風に舞っている。

くま訳
操り人形
糸を引くものが即ち主人公である。
地水が合成して火風に随うようなものである。
演劇一曲の舞台。曲が終って後は、
本来自然の大地、空となる。

https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/  >>727
*勾欄(こうらん):宋・元(960‐1367)時代,諸都市に設けられた劇場をいう。原義は欄干のことであるが,
 舞台のまわりを欄干で囲んでいたため,一般に劇場をこの名でよんだ。
(´・(ェ)・`)つ

581避難民のマジレスさん:2021/06/22(火) 23:01:08 ID:5azQ.QpI0
くま質問
『香嚴擊竹』で一休さんは何を詠んでるのでありましょうか?
何も思い浮かばないこともあるという、ありのままを詠んでるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

582鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/23(水) 23:06:17 ID:1d4drIFg0
↑竹の音と竹枝にかけているのじゃな。
流行り歌も豪家の客が聞けば楽しいが、愁い人には楽しくないのじゃ。
同じように竹の音で香嚴は悟りを得たが、修行していない者が聞いても何も得られ無いのじゃ。
実践が大事なのじゃ。

583鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/23(水) 23:09:03 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

操り人形の糸を引くものが主人公なのじゃ。
地水が合わさって火風を随わせるようなものじゃ。
一曲の舞台曲が終わり、
本然の大地はたちまち空と成るのじゃ。

584避難民のマジレスさん:2021/06/23(水) 23:39:23 ID:IbBEeE2.0
448
東坡像     東ば像
竺土釋迦文殊師 竺土の釋迦文殊師
即今蘇軾更看誰 即こん蘇しょく更に看よ誰ぞ
黄龍禪味舌頭上 黄龍の禪味舌頭の上
萬象森羅文與詩 まん象森羅文と詩と

くま訳
東坡像
天竺の釋迦や文殊師
即今挙げるとすれば、蘇東坡の他に見るべき人はあるまい。
四神の長のような禪機に充ちた言動である
森羅万象を、文と詩で表現しているのである。

*東坡 (とうば):蘇軾 – 北宋の詩人、政治家。号が東坡
 蘇軾(そ しょく)1037-1101年)宋代きっての文豪としてもあらゆるジャンルで輝かしい業績をあげた。 
 書家、画家として優れ、音楽にも通じていた。
 東坡居士と号したので、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれる。

 経済政策や、教育政策に反対したため、2度にわたり流罪を被り辺鄙な土地へ名ばかりの官名を与えられ 
 て追放された。
 最初の追放は1079年44歳。
 左遷先の土地を東坡と名づけて、自ら東坡居士と名乗った。黄州での生活は足かけ5年にも及び、経済的 
 にも自ら鋤を執って荒地を開墾するほどの苦難の生活だったが、このため彼の文学は一段と大きく成長し 
 た。流罪という挫折経験を、感傷的に詠ずるのではなく、彼個人の不幸をより高度の次元から見直すこと 
 によって、たくましく乗り越えようと努めた。1086年に名誉を回復され50歳で中央の官界に復帰した。
 1094年に再び左遷され(59歳)、恵州に流され、さらに62歳の時には海南島にまで追放された。二度目 
 の追放である。黄州時よりもより高い役職に就いていた為、左遷時の罰も重かった。それでも飽き足りな 
 かった朝廷側は、場所をさらに恵州から昌化軍(現在の海南島西部)に移した。熱帯で異民族の黎(ロ 
 イ)族がいる環境で一層侘しい生活を送る。
 66歳の時、ようやく許された。名誉職を授けられたが、都に向かう途中病を得て、常州で死去した。し 
 かし、この苛酷な運命にあっても、彼の楽天性は強靭さを失わず、中国文学史に屹立する天性のユーモリ 
 ストであった。
*黄竜:中国の伝承五行思想に現れる黄色の竜。黄金に輝く竜であると言う異説もある。四神の中心的存在、 
または、四神の長とも呼ばれている。黄竜は皇帝の権威を象徴する竜とされたが、後に麒麟と置き換えら 
 れたり、同一視されるようになった。

* 東坡のことを正しく評価できた一休さんは、やっぱりすごいでありますね。
(´・(ェ)・`)つ

585鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/24(木) 21:18:51 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。

東坡の像なのじゃ。

天竺の釈迦や文殊菩薩を
今蘇軾以外に誰に看られるか。
黄龍の禪味が舌頭の上にあるのじゃ。
森羅万象がその文と詩にこめられているのじゃ。

586避難民のマジレスさん:2021/06/24(木) 23:56:38 ID:rzzREG9o0
449
童子南詢圖   童子南詢の図
知識華嚴五十三 知識華嚴五十三
美人焦熱抱持談 美人焦熱抱持の談
南方佛法非吾事 南方佛法吾が事のあらず
膓斷風流童子参 膓斷す風流童子の参

くま訳
善財童子南方を尋ね廻るの絵
華厳経によると善知識五十三人を尋ね廻った 
布施行を実践する美人・信女自在や、 苦行により煩悩を焼き尽くす波羅門方便命が、色々と持ちネタを語るのだ
南方佛法は、わしには関係ないのだ
興味をそそる、風流ば童子と五十三人の交流ではある。

*善財童子(ぜんざいどうじ)は、仏教の童子の一人であり、『華厳経入法界品』、『根本説一切有部毘奈 
 耶薬事』などに登場する。
 『華厳経入法界品』については仏道修行する内容で広く知られる。
 インドの長者の子に生まれたが、ある日、仏教に目覚めて文殊菩薩の勧めにより、様々な指導者(善知 
 識)53人を訪ね歩いて段階的に仏教の修行を積み、最後に普賢菩薩の所で悟りを開くという、菩薩行の 
 理想者として描かれている。 善知識の中には比丘や比丘尼のほか外道(仏教徒以外の者)、遊女と思わ 
 れる女性、童男、童女も含まれている。

*十、 波羅門方便命226(苦行により煩悩を焼き尽くす)
 十四、信女自在227年尚ほ若く花のような容色(布施行)
*断腸:① はらわたを断ち切ること。また、はらわたがちぎれるほどの悲しさ、つらさなどをいう。② は 
 なはだしく興趣のあること。また、哄笑するほどおもしろいこと。
(´・(ェ)・`)つ

587鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/25(金) 22:49:35 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

善財童子が南を巡った話というのじゃ。

華厳経には童子が五十三の善知識とあったというのじゃ。
美人とか熱いものをもち続ける者とかなのじゃ。
南方仏教はわしの専攻ではないが、
風流童子の善知識のもとに推参する話はとても面白いのじゃ。

588避難民のマジレスさん:2021/06/25(金) 23:37:51 ID:4B.mEajw0
450
亂世正工夫  亂世しゃう工夫
丈夫須具正見 
諸妄想隋境現 諸々の妄ざう境に随って現ず
馬問良馬麼無 馬は問ふ良馬なりやいなやと  
人答此刀利劍 人は答ふ此のとう利劍

くま訳
乱世に於ける正しい工夫
一人前の男は須らく正しい物事の見方考え方を具えなければならないのである。
諸々の妄想は世界環境の変化に随って現れる。
良馬かどうかと問う、(愚者は生れの良し悪しを問う、)
人は答える、この刀は、剣として使えると。(賢者は、能力の存否を問うのである。)
(´・(ェ)・`)つ

589鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/26(土) 21:45:52 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

乱世の正しい工夫なのじゃ。

大丈夫はすべからく正見を身に付けるべきなのじゃ。
もろもろの妄想は環境や境地に従って現われるものじゃ。
馬は己を良馬か否かと問うじゃろうか。
人はこの刀は利剣と答えるじゃろうか。

590避難民のマジレスさん:2021/06/26(土) 22:20:52 ID:ZSZp25UE0
くま訳改
馬は己を良馬か否かと問うであろうか。
人はこの刀は利剣と答えるであろうか。

451
羅漢菊
茶褐黄花秋色深 茶褐黄花秋色深し
東籬風露出塵心 東籬の風露出塵の心
天台五百神通力 天台五百の神通力
未入淵明一片吟 未まだゑん明が一片の吟に入らず

柳田聖山先生訳
羅漢菊
茶褐色の羅漢菊が晩秋を彩る
東の垣根は風露に濡れ静寂だ
天台の羅漢らは神通力も衰え
陶淵明の詩情一句に及ばない

くま訳
茶褐色の羅漢菊が咲き誇る晩秋
東のまがきの菊に吹く清らかな風が、俗心をあばき出す。
天台五百羅漢の神通力は、
陶淵明の一片の詩にも及ばない

*東籬風露出塵心:東のまがき、東籬の君は菊をいふ、陶淵明が東籬に菊をうゑしよりいふ(大成脚注)
*天台五百神通力:天台山の石橋は、古来五百羅漢の霊場として大いに崇敬せらる(大成脚注)
*風露:風と露か、露出か?柳田先生と違う解釈をしてみた。
*塵心(じんしん):俗塵に汚れた心。俗世間の名利をむさぼる心。俗心。
(´・(ェ)・`)つ

591鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/27(日) 21:18:17 ID:1d4drIFg0

それでよいのじゃ。
羅漢の菊じゃな。

茶褐黄色の花が咲いて秋が深いのじゃ。
東籬の風は塵心を露出するのじゃ。
天台の羅漢五百人の神通力は、
陶淵明の一片の詩にも入らないのじゃ。

592避難民のマジレスさん:2021/06/27(日) 22:27:26 ID:.vBRUEPs0
452
示入定僧     入定僧に示す     
塵縁塵境萬端稠 塵縁塵境萬端しげし
到此誰人截衆流 ここに到って誰人か衆流をきらん
誓心決定魔宮動 誓心決じゃうすれば魔宮動く
長信西風琪樹秋 長信の西風き樹の秋

くま訳
禅定に入ろうとする僧に示す
俗世間との関係、諸々の感覚の対象は煩わしいものでる。
であれば、この世の妄想や気を散らす邪魔な考えを完全に断ち切ろうとする者は誰かいないか、
強い決意さえあれば、魔宮でも動かせるのだ
長信愁詞のように、ただ嘆いているだけでは取り逃がしてしまうのである。しっかり、定をつかまえるのだ。

*入定:原義は単に「禅定に入る」
*塵縁:俗世間のわずらわしい関係。世俗とのつながり。
*塵境:六根の対象となる、色・声・香・味・触・法の六塵。
*稠し:おおい。しげる。こ(濃)い。こみあう
*截断衆流(せつだんしゅる):この世の妄想や気を散らす邪魔な考えを完全に断ち切ること。「截断」は断
 ち切ること。「衆流」は様々なものの流れという意味から、雑念や煩悩のたとえ。「衆流を截断す」
*琪樹:(きじゅ)玉のように美しい木。雪をかぶった木のさま。
*西風:秋風。
*長信の西風き樹の秋:李白が長信秋詞の詞に曰、「眞成薄命久しく尋思す、夢に君主を見て覚めて後疑ふ、
 火は西宮を照らして夜飲を知る、分明に複道恩を奉ずる時」と。夢に見る位では到底駄目である、現に之 
 れをとらへなければならぬと云ふ意なり・・と(大成脚注)にありましたが、長信秋詞は・・王昌齢 の作 
 らしいのである。
長信秋詞 王昌齢
長信宮に孤独な秋の夜を過ごす班はん婕しょう妤よの嘆きを歌ったもの。。
王昌齢 … 698〜755。盛唐の詩人。727年進士に及第。秘書省の校書郎に任ぜられたが、素行が悪かったた
め、左遷された。のちに安禄山の乱が起こったので故郷に逃げ帰ったが、殺されたという。李白とともに七
言絶句の名手として有名。。

眞成薄命久尋思 真成に薄命なるかと久しく尋思し
夢見君王覺後疑 夢に君王を見 覚めて後疑う
火照西宮知夜飮 火は西宮を照らして夜飲を知しる
分明複道奉恩時 分明なり 複道に恩を奉ぜし時

真成 … ほんとうに。真実に。
薄命 … 不幸せなこと。不運。薄運。
尋思 … いろいろ考えること。次々と思いをめぐらすこと。
西宮 … 長信宮。
夜飲 … 夜の酒宴。
分明 … ありありと、はっきりとしていること。
複道 … 上下二重の宮中のわたり廊下。上は天子、下は臣下が通る。
奉恩時 … 天子の寵愛を受けたとき。"

*長信(ちょうしん、1014-1072年:平安時代中期の真言宗の僧侶。1054年には東寺と真言宗全体の長であ 
 る第29代東寺長者に任じられて法印に昇進する。1066年)権僧正となり、この年の旱魃に際して僧侶20 
 人を率いて雨乞いの修法を行った。1070年には僧正に任じられて、後三条天皇の信任が厚く、この年に
 は百官を連れて長信の元を訪れ、封戸25戸を下賜された。
(´・(ェ)・`)つ

593鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/28(月) 20:59:43 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

入定する僧に示すのじや。

入定しようとすれば万端の塵の如き縁と塵の如き境界が激しく襲い掛かるじゃろう。
そのような心境に至っても誰か衆流を切ろうとすれば、
その誓心の決定が魔宮をも動かすのじゃ。
西風の長い便りが宝樹を揺らして秋を知らせるようなものじゃ。

594避難民のマジレスさん:2021/06/28(月) 22:40:45 ID:vmWuQ8p20
くま訳全面改
入定しようとすれば万端の塵の如き縁と塵の如き境界が激しく襲い掛かるであろう。
そのような心境に至っても誰か衆流を切ろうとすれば、
その誓心の決定が魔宮をも動かすのだ。
西風の長い便りが宝樹を揺らして秋を知らせるようなものである。

453
圓悟大師投機  圓悟大師の投機
沈吟小艶一章詩 沈吟す小艶一章の詩
發動乾坤投大機 乾坤を発動して大機を投ず、
撃竹見桃若相問 きゃく竹見桃若し相問はば、
須彌脚下石鳥龜 しゅみ脚下の石うき

蔭木英雄先生訳・解説
(園悟禅師は)小艶詩を静がに吟じて
天地を動かし仏祖の機(はたらき)に合致して大悟した  
香厳和尚の撃竹や霊雲禅師の見桃(の大悟の契機)をもし問う者がいたら
ワシは「二人とも須弥壇下の黒亀のような大馬鹿者じゃ」と答えようぞ。(小艶詩はすばらしい)

一休の師の華聖宗曇は諡号を大機弘宗禅師というので、承句は起句と同様、一種の懸詞である(禅文学では
機縁の語という)。従って起承句は、
わし(一休)も小艶詩を吟じて、天地を憾がして華叟老師に参禅した。と解釈する事が可能である。香厳智
閑と霊雲志勤とが、石烏亀の如くに不動であったのに対し、園悟と一休とは、小艶詩を吟じて天地を震憾さ
せたのだった。

くま訳
円悟大師の悟りについて
小艶詩をじっくりと吟じて、
天地を動かして、大いなる機に身を投じ、一体となったのだ。
香厳撃竹や霊雲見桃に付いて、もし問う者があれば、
須弥壇の下の石の亀のように、彼等は不動であったとだけ言っておこう。

烏亀(うき)中国語(亀の正式な呼び方)・・亀は首をすくめて甲羅の中に隠れることから、不甲斐ない男
という意味に使われる・・侮蔑語として使われることがあるらしい。
@禅学大成のみ、石烏亀⇒赤烏亀
(´・(ェ)・`)つ

595鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/29(火) 22:00:10 ID:1d4drIFg0
よくできたのじゃ。

円悟大師の投機なのじゃ。

小艶一章の詩を沈吟したのじゃ。
天地を揺るがし大いなる投機を得たのじゃ。
竹を打つ音や桃を見る投機について問われれば
須弥山の下の石の鳥亀の如しというのじゃ。

596避難民のマジレスさん:2021/06/29(火) 22:56:51 ID:gyukOno20
454
@民友社版、454の詩の題は、「見桃花悟道」である。
 禅学大成と寛永版は、「見桃花圖 二首」、 261の詩と454の詩を分類している。
 ここに於いては、民友社版分類に随った。
参)261の詩「見桃花圖」https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>173
又、民友社版は、玄沙が玄妙となっているが、玄沙と読んだ。

見桃花悟道
開陣玄妙法戦場 陣を開く玄しゃの法戦場
宗門議論老禪場 宗門の議論老禪の場
衲僧遊戯諸三昧 衲僧ゆけ諸三昧
拄杖腰包桃李場 しゅ杖やう包桃李の場

くま訳
桃花を見て悟りを開く件に付いて、   
玄沙師備禪師は法戦場での議論をやめたのだ。
禅宗各派は昔から議論に明け暮れてるのである。
禅僧であれば誰でもお遊びの様に三昧の境地に到れるのだ。
杖を持って行脚をし、錢を持って師匠の試験を受けに行き、悟りの印可をもらう方法を議論する場になって
しまっているのだ。

*開陣:かいじん、陣を開く: 兵を引き揚げ、陣営をあけること。帰陣(きじん)。
*玄沙:玄沙師備禪師なり(大成脚注)
 玄沙師備(げんしゃ しび、835-908年、号は宗一大師。
 30歳まで漁師をしていたが(異説あり)、突然出家を思い立ち、芙蓉霊訓の所で出家した。兄弟子に当 
 たる雪峰義存と意気投合して、共に雪峰山に登って寺院を開創した。
 雪峰門下においては堅固な求道者ぶりから「備頭陀」と称されるほどで、一番弟子として布教を行い、閩 
 の王審知の帰依を受け、師の雪峰と共に政庁で供養を受け、紫衣と宗一大師の号を賜った。
 のちに独立して玄沙院で布教活動を続け、雪峰の禅風を発展させて「十方世界は一顆の明珠」という独自 
 の思想を開発し、やがてそれは羅漢桂琛・法眼文益と受け継がれ、五家七宗の一つである法眼宗へと発展 
 していった。
 864年 出家、道玄律師のもとで具足戒を受ける
 866年 雪峰義存に嗣法
 この世界は全て悟りその物であるという、「尽十方世界は一顆の明珠」という思想を成し遂げ、その豪快 
 な禅風は、多くの弟子を教化した。
*法眼宗https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>665
*拄杖(しゅじょう)つえ。特に、禅僧が行脚(あんぎゃ)のときに用いるつえ。
*腰包(中国語)(腰につける)きんちゃく,銭入れ.(比喩的に)懐,財布.
*桃李:1 桃とすもも。また、桃の花とすももの花。2 《唐の劉禹錫 (りゅううしゃく) の「満城の桃李 
 春官 (しゅんかん) に属 (しょく) す」の詩句から》試験官が採用した門下生。自分がとりたてた人材。

*261の詩、鬼和尚訳解説(2020/12/23(水)再掲
見桃花圖    
見處風流悟道心 見るところ全てが風流であるというのが悟道の心というのじゃ。  
桃花一朶價千金 桃花の一枝さえ千金の値があるように見えるのじゃ。
瑤池王母春風面 それは天の池に居る西王母が春の風に面を向けているようじゃ。 
我約愁人雲雨吟 わしは愁人が雲雨に降られようとも詠い続けることを約束するのじゃ。
(´・(ェ)・`)つ

597鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/06/30(水) 21:27:10 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

霊雲が桃の花を見て悟ったというのじゃ。

玄妙なる法の戦場が開陣したのじゃ。
宗門の議論は老いた禅場なのじゃ。
真の僧は諸々の三昧に遊ぶのじゃ。
杖を腰に包み、桃李の場に休むのじゃ。

598避難民のマジレスさん:2021/06/30(水) 22:37:55 ID:uGxGcTws0
くま訳改
第二句:宗門の議論は老いた禅場なのだ。
第四句:杖を腰に包み、桃李の場に休むのだ。


455
不飲酒戒    不おん酒戒
痛飲三盃未濕唇 痛飲三盃未まだしんをうるほさず
醉吟只慰楽天身 醉吟只だ慰す楽天が身
稜道者任念氣處 りょう道じゃ念氣のところに任す
宣明酒伴也誰人 宣明酒伴また誰人ぞ

くま訳
不飲酒戒
三杯、ぐっと飲み干しても満足することはない。
酔って吟じ、ただ。ただ身心を安らげるのである。
威光ある仏道を歩むものとして、思うところに任せるのだ。
酒は我が友であると宣言してはばからない僧は他にいるか。

*楽天:自分の運命や境遇を、天から与えられたものとして受け入れ、物事にあくせくしないこと。人生を 
 楽観すること。のんきなこと。⇔厭世。
(´・(ェ)・`)つ

599鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/01(木) 21:58:06 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

痛飲三杯でも唇を潤せないほどなのじゃ。
ただ酔っ払って詩吟をするのが楽しい身なのじゃ。
千鳥足で行く者は気に入りの所に行くのじゃ。
酒を共にすると宣明する者は誰かおらんかのう。

600避難民のマジレスさん:2021/07/01(木) 22:46:15 ID:DZtocCFw0
くま訳改
第三句:千鳥足で行く者は気に入りの所に行くのだ。

456
誹謗三寶戒
杜撰飯袋悪禪和 杜撰の飯たい悪禪な
塞壑滿溝亡國家 がくにふさがり溝に満ちて國家を亡ぼす
歸依佛法僧檀越 帰依佛法僧の檀のつ
閑看世間殘照斜 閑に看る世間殘照のななめなるを

くま訳
仏・法・僧の三宝をそしることを禁じる戒
杜撰な無駄飯ぐらいの悪辣な禪者達が、
溝をうずめ、谷をふさぐようにそこらじゅうで、幅を利かせると国が滅びてしまう。
仏・法・僧に帰依する檀家さんたちは、
落ち着いて世間の残照を見るのだ、斜に構えて見るようにするのだ。騙されてはいかんのだ。

*謗三宝戒(ほうさんぼうかい)
 仏・法・僧の三宝をそしることを禁じた戒。このようなことを誰かに教えて、させることも禁止されてい 
 る。不誹謗ふひほう三宝戒、毀謗きほう三宝戒、助謗じょぼう三宝戒などともいわれる。菩薩は、仏教徒 
 以外の人や悪人が仏をそしるのを聞いたときには、自らの心が切り刻まれるような思いをすべきであり、 
 また人々を教え導くことを役目とするのに、自ら三宝をそしり、あるいは他人に三宝をそしらせ、悪人を 
 増長させ間違った考えを助長させるのであれば、波羅夷罪とされるのである。
*"壑(ガク・たに・ みぞ)
 渓壑1 深い谷。渓谷。2 深い谷川の水は尽きないところから欲望が次から次と起こって満足を知らない 
 ことのたとえ。
 填溝塞壑:「溝に填ち壑を塞ぐ」と読み、別々の物が一体になっている様子を示す言葉。
 而今の大悟は、自己にあらず、他己にあらず、きたるにあらざれども、填溝塞壑なり、さるにあらざれど 
 も切忌隨他覓なり。 『正法眼蔵』「大悟」
*「填溝塞壑」(みぞをうめたにをふさぐ)
 少しの隙間もなく(真理で)満たされていること。<あたり一面真理で満たされているにもかかわらず、   
 それに気付く者がいない>と碧巌録には記述されている。【碧巌録・宋】
*檀越(だんのつ だんおつ)〈梵〉dāna-patiの音写。施主の意》寺や僧に布施をする信者。檀那。檀家。
(´・(ェ)・`)つ

601鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/02(金) 21:59:32 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

三宝を誹謗するのを禁じる戒じゃな。

杜撰な飯袋の悪禅者は、
谷に落ち溝に満ちて国家を滅ぼすのじゃ。
仏法僧に帰依する檀家の者は
静かに世間を斜めの残照から見るのじゃ。

602避難民のマジレスさん:2021/07/02(金) 23:19:15 ID:Vo1wDGXs0
457
寒夜嘆雪山鳥  寒夜雪山の鳥をたんず
朝來公案晩來吟 朝來の公案晩來吟ず
求食忘巢前業深 じきを求め巢を忘じて前業深し
晝夜人人雪山鳥 昼夜にんにん雪さんの鳥
無間苦痛月沈沈 無げんの苦痛月沈沈

くま訳
夜寒さを嘆く雪山の鳥
朝が来ると公案に取り組み、夜になると詩を吟じる
食(欲)を求め、巣作り(やるべきこと)を忘れる。前世の業が深いのだろう。
昼夜別なく、皆、雪山の鳥の苦を思わねばならぬのだ。
無限に苦痛は続くのだ。風流な月は沈んでゆくのだ。 

*雪山の寒苦鳥 大谷大学HP
 印度の雪山( せつせん)、高みなる故夜の寒気、それはそれはすさまじく草木も凍るが、昼また陽光あ 
 たたかなり。この雪山に、寒苦鳥と名付く鳥あり。夜は寒苦に堪えず、岩の間( はざま)に身をおいて、
 がたがたとふるえ乍ら、「明日は必ず巣を作らん、明日は必ず巣を作らん」と鳴いて一夜を送り、夜明く 
 れば、朝日の暖かさにたちまち寒苦を忘れ、一日を遊び呆け、夜はまた寒苦に泣くとある。
 近世後期の法座手控の類に多く見える故、寺院における法談の隆盛と共に成長した説話であろう。
 ただし、これは生活の中の仏教用語ではなく、我々の心の実際の有様を、「怠惰から生れた希薄な決意な 
 ど、何の役に立とうか」と喝破した、仏教の眼である。
*前業:前世の業因。これによって現世の禍福が定まるとされる。先業
(´・(ェ)・`)つ

603鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/03(土) 21:10:17 ID:1d4drIFg0

それでよいのじゃ。
雪山の寒苦鳥の嘆じゃな。

朝に公案を練り、夜に詩吟するというのじゃ。
食を求めて巣を忘れる前世の業の深さなのじゃ。
昼夜人々は寒苦鳥を思うのじゃ。
無間地獄の苦痛に人は嘆くも、月は沈んでいくのじゃ。

604避難民のマジレスさん:2021/07/03(土) 23:03:02 ID:cSbDI/2w0
458
畫虎      画虎
覿面當機誰一拶 てき面当機誰か一拶せん
寒毛卓竪老岩頭 寒毛卓じゅ老岩頭
恠哉儞在扶桑國 あやしいかななんじ扶桑國にあり、
凛凛威風四百州 凛々たる威風し百州

くま訳
画虎
まのあたりに、正面対峙して、ためしてみようなどと誰も思うまい。
盗賊に殺される際にも、大いに吼ゆること一聲した岩頭和尚でさえも、身の毛もよだつ恐ろしさを感じるだ
ろう。 
不思議なことである。汝は日本国に居る、
なのに、その凛々たる威風堂々の姿は全世界に知れ渡っているのだ。

*覿面:「まのあたり」といふことなり(大成脚注)
*老岩頭:岩頭和尚、常に曰、「死にあたて正に一吼すべし」と。唐の光啓中、仲原賊起り、師を責むるに、 
供の饋(おく)ることなきを以ってし、遂に刄を倳(し)するに、神色自若、大いに吼ゆること一聲し了って
 寂す、其の意気又比すべきか。(大成脚注)
*一拶(いっさつ):(「拶」は強くふれる意) 禅家で、禅者同士が出会うときに、ことばや動作で相手をた 
 めすこと。
*寒毛卓堅(かんもうたくじゅ):恐れあわてるるさま。悚然(しょうぜん)
*四百州:中国全土のこと。
*伊井暇幻先生訳・解説抜粋
 画虎よ、オマエと真正面から出会い頭に顔を合わせ、誰が落ち着いて世辞なんぞ言えようものか。
 侵略軍に包囲されてもジタバタするどころか、却って殺された瞬間に生命の重さを主張し暴力を叱咤して 
 遙か彼方まで聞こえる叫びを上げた豪毅な岩頭老和尚でさえ、鳥肌を立て恐ろしがるに違いない。
 不思議なことだ。画虎よ、オマエは日本にいる。
 なのにオマエの発する威風は、中国全土さえ圧している

 一休は、「自山中帰市中」で他の禅僧に負けぬ宗教倫理を堅持していることを宣言した。当然、反論が予 
 想される。女郎街に入り浸る破戒僧が何を云うか、と。対して一休は、老婆焼庵の公案を引き合いに出し、
 「清浄の沙門」をこそ糾弾する。更に「画虎」で、自分は甚だ強固な倫理を以て自律していると主張する。
 狂雲集に載す「画虎」は、表面上の破戒を繰り返す一休が心に秘めた宗教倫理であった。

*自山中帰市中:https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>959 165の詩


*くま質問
「儞在扶桑國」この儞(なんじ)とは、一休さん自身のいことでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

605鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/07/04(日) 23:56:51 ID:1d4drIFg0
↑岩頭和尚のことじゃな。
扶桑國とは神仙が住むという仙境なのじゃ。
虎の絵の賛にみせかけて岩頭和尚の賛じゃな。

誰が面と向かって挨拶できるじゃろうか。
岩頭和尚にあえば皆恐れるのじゃ。
災いにあって和尚は仙境に在るが、
威風凛々として中国全土に名は轟いているのじゃ。

606避難民のマジレスさん:2021/07/05(月) 00:10:29 ID:d.4pDBUY0
くま訳全面改
誰が面と向かって挨拶できるだろうか。
岩頭和尚にあえば皆恐れるのだ。
災いにあって和尚は仙境に在るが、
威風凛々として中国全土に名は轟いているのだ。
9
寄南江山居   南江の山居に寄す
天下禅師賺過人 天下の禅師人をけん過 す
黒山鬼窟弄精神 黒山鬼窟に精神を弄す
平生杜牧風流士 平生杜牧は風流士の
吟断二喬銅雀春 吟じ断つ二喬けう銅雀の春

くま訳
山居している 南江宗沅に送る
天下の禪師は人をたぶらかしてるのである。
邪悪な外道が精神を疲れさせてるだけなのだ
つねひごろ、杜牧は風流な人であった
天下分け目の赤壁の戦いを、二人の美女が曹操のものになっていたかという詩にまとめてしまっているのである。

*南江宗沅(なんこうそうげん)1387-1463僧,五山文学者。一休を師として参禅に励むかたわら、堺で 
 ともに遊んだ。https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>822 126の詩
*野毛孝彦先生解説:一休と同じく淫坊を往来して女を愛した南江に対して、杜牧と同じ悠々たる風流の士 
 であることを詠んだもの。"
*賺過:たぶらかす を云ふ(大成脚注)
*黒山鬼窟(こくさんきくつ):不浄な苦悩に満ちた山やおそろしい鬼などの住むほらあな。転じて、蒙昧 
 な外道(げどう)の世界のたとえ。仏道以外の邪悪な世界。 
*二喬銅雀春:杜牧之の赤壁の詩に曰く、「折戟沙を沈めて恨み未だ鎮せず、自磨洗を将って前朝を験めす、 
東風周郎の與に便ぜずんば、銅雀春深うして二喬を鎖さん」と。赤壁の戦いに曹操、周瑜の爲に破れ、二
 喬をとらる。(二喬は二人の美女、喬公の両女をいふ。)(大成脚注)

*おまけ
折戟沈沙鐵未銷 折戟(せつげき)沙に沈んで 鉄未だ銷せず
自將磨洗認前朝 自ら磨洗をもつて 前朝を認む
東風不与周郎便 東風 周郎の与に便せずんば
銅雀春深鎖二喬 銅雀 春深うして 二喬を鎖(とざ)さん

左大臣光永先生HP訳・解説抜粋
砂の中に折れた矛が埋もれていた。
掘り出してみると鉄はいまだにさび付いていない。
自分で磨いてみると、まさに三国時代のものとわかった。
もし赤壁の戦いで、呉の周瑜や蜀の諸葛亮が望んだように東風が吹かなかったら、
美人で名高い大喬・小喬姉妹は魏の宮殿【銅雀台】に捕らえられ、曹操の慰みものにされていただろう。
赤壁の戦い(208年)は、孫権・劉備連合軍が曹操軍を破った戦いです。               

この時、孫権軍の最高司令官周瑜は、武将黄蓋の策を容れて魏の船団の密集している所を焼き討ちにします。
この策が成功するにはどうしても東南の風が吹くことが必要だったのです。それを孔明が天に祈って風を吹
かせたという話です。                                      
周瑜公瑾(175年 – 210年)「美周郎」などといわれ、イケメンの印象が強い人です。大喬・小喬姉妹は呉
の喬玄の美人姉妹。 姉の大喬は孫策に、妹の小喬は周瑜に嫁ぎました。              
【折戟】 折れた矛。 【未銷】 まだ錆びていない。
【前朝】 以前の王朝。三国時代。 【銅雀】 曹操の宮殿。銅雀台。
(´・(ェ)・`)つ


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