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鬼和尚の仏教講読会 別館2
162
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/17(木) 23:02:22 ID:j2hGh5Q20
一つ抜けてしまったのである。
256
嘲文章 2/2
傑作詩文金玉聲 傑作の詩文、金玉の声
言言句句詩人驚 ごんごん句句諸人驚く
閻魔王豈雅頌妙 閻王豈に雅じゅの妙う許さんや
銕棒可恐鬼眼睛 鉄棒恐るべし鬼眼睛
くま訳
傑作の詩文、美しい声
一言一句が詩人の心を揺り動かす
閻魔大王がどうして雅な詩文の妙味を許すことがあろうか
獄卒の鉄棒恐るべし、閻魔様には鋭い洞察眼があるのだ。
*金玉の声(きんぎょくのこえ):美しい声。また、すばらしい辞句。賞賛すべき物事。
(´・(ェ)・`)つ
163
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/18(金) 21:59:03 ID:1d4drIFg0
人々を驚かす美しい詩も閻魔の前には無意味というのじゃ。
悪事をすればどんなに美しい詩歌を作れても地獄行きなのじゃ。
自分のしたことの報いが死後に現われるのじゃ。
どんどん善事を積むと善いのじゃ。
164
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/19(土) 00:24:39 ID:QdkMQi020
くま訳改
傑作の詩文や美しい声、
一言一句が人々の心を揺り動かすが、
閻魔大王には、雅な詩文の妙味は通用しないのである。
獄卒の鉄棒恐るべし、閻魔様には鋭い洞察眼があるのだ。
(´・(ェ)・`)b
165
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/19(土) 14:03:14 ID:7eWkIgMw0
257
普明國師破百丈大智禪師法 普みょう國師百丈大智禪師の法を破る
破夏文殊宗旨勲 夏を破す文殊宗旨の勲
衲僧三昧似商君 衲僧の三昧商君に似たり
祖師大用現前境 祖師大ゆう現前の境
南嶽巫山一片雲 南がく巫山一片の雲
くま訳
普明國師が住持をつとめる相国寺は、百丈山を模して建立された建仁寺より高い格付けを、足利義満からも
らった。(ことにより、普明が百丈の法を打ち破った・・・わけではなかろう)
夏安居で文殊菩薩が宗旨において、大迦葉を打ち破ったようなものだ。
禅僧が三昧に入れば、政治家・軍人・思想家として秦の礎を築いた商君のような、働きをする。
祖師のおおいなるはたらきが、まさに現れた境涯であろう。(商君は最後には政敵に滅ぼされたが)
百丈の師であった南嶽懐譲禅師の夢に、一片の雲が流れてきた(が、直に消え去るだろう)
*知覚普明国師(諡号しごう・おくり名):春屋 妙葩(しゅんおく みょうは、1312-1388臨済宗相国寺の
第二世・事実上の開山国師。五山文化の発展に寄与した。師 夢窓疎石の法嗣(1345)室町幕府に対して
五山第一の南禅寺(臨済宗)の楼門新築を提言。園城寺(天台寺門宗総本山)、比叡山(天台宗の総本山
延暦寺)との紛争は政治問題に発展する。管領の細川頼之と対立して隠棲する。1379年頼之が失脚した
後に入京し、南禅寺住職として復帰する。妙葩は頼之が失脚する直前に丹後を出立しており、政変への関
与も考えられている。3代将軍足利義満の帰依を受け、初代の僧録となる。同年、義満の要請により全国
の禅寺を統括。義満は相国寺を創建すると、師の夢窓疎石を開山始祖とし、妙葩は第二世住持となった。
五山十刹制度を作り五山派を興した。五山文化の発展に寄与した。また多くの弟子を育て、彼らは日明貿
易を行う際に幕府の外交顧問となった。
*建仁寺:臨済宗建仁寺派の総本山は、栄西(ようさい)禅師により1202に創建された、百丈山を模して
建立された。足利義満によって五山の第三位とされた。
*百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749- 814唐代。諡は大智禅師。馬祖道一の法を継ぐ。
*南嶽懐譲(なんがく かいじょう、677- 744唐。大慧禅師 弟子 馬祖道一
*大用現前(だいゆうげんぜん):大いなる作用・はたらきが自由自在に現われること。
*商 鞅(しょう おう、紀元前390- 紀元前338)は、戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。
商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改
革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵する
も秦軍に攻められ戦死した。
(´・(ェ)・`)つ
166
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/19(土) 14:08:17 ID:7eWkIgMw0
おまけ:正法眼蔵 75巻本72安居 石井恭二先生
世尊は一つの所で、九旬安居されたが、最後の日になって、文殊が突然やって来て、法会に参じた。
大迦葉、文殊に問うた、「この夏は何処で安居したのか」。
文殊は云った、「今夏は三つの所で安居した」。
大迦葉は、これを聞いて大衆を集め槌を撃って文殊を追い払おうとした。まさに犍槌(けんつい)を挙げよ
うとしたとき、たちまち数知れず多くの寺院が表れて、その一寺ごとに一人の文殊があり、一人一人の大迦
葉があって、槌を挙げて文殊を追い払おうとしているのが見えた。
世尊はそこで大迦葉に告げて云われた、「お前は今、どの文殊を追い払おうとしているのか」。
そのとき大迦葉は茫然とするばかりであった。
(39)園悟禪氏は拈古に云った、「鐘は撃たなければ響くことはない。鼓は打たなければ鳴ることはない。
大迦葉がいま大切な涅槃に到る渡し場を占めれば、そのとき文殊は十方に坐った。その当時の仏道が顕現
した好場面である。惜しむべきは、一手も下さなかったことだ。釈迦老子がどの文殊を追い払おうとする
のかと云うのを待って、一撃を与えてみればよいではないか、他にどんな収拾の仕方があるのか」。
園悟禅師は頌古に云っている、
大象は兎径に遊ばず、
燕雀安んぞ鴻鵠を知らん
令に拠ること宛ら風を成すが如し、
破的し渾(す)べて鏃を囓するがごとし。
遍界是れ文殊、
遍界是れ迦葉、
相対して各儼然たり。
挙椎何れの処か罰せん好一箚、
金色の頭陀曾て落却せり。
大象は兎の小径では遊ばない、、
燕雀はどうして大鵬を知ることがあろう。
規則に拠りながら宛かも風を成すように自然である、
的を射れば鏃(ぞく)がすべて命中するが如きである。
世界に遍く文殊が出現し、
世界に遍く迦葉が出現し、
しかも相対してそれぞれは厳然としている。
椎を挙げて何処に振り下ろして罰しようとするのか、これは好い見物だ、
大迦葉はそのとき槌をとり落したのだ。、
*商 鞅(しょう おう、紀元前390- 紀元前338)は、戦国時代の秦国の政治家・将軍・法家・兵家。
商鞅とは、後に秦の商・於に封じられたため商君鞅という意味の尊称である。法家思想を基に秦の国政改
革を進め、後の秦の天下統一の礎を築いたが、性急な改革から自身は周囲の恨みを買い、逃亡・挙兵する
も秦軍に攻められ戦死した。"
(´・(ェ)・`)b
167
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/19(土) 23:25:43 ID:1d4drIFg0
応仁の乱の前には既に仏教諸派の騒乱があったのじゃ。
それが既に国が敗れる兆しであったというのじゃな。
先師の法を破るのは迦葉が文殊菩薩を破るようなものだというのじゃ。
そのような僧の三昧は国事で自ら身を滅ぼした商君のようなものじゃ。
祖師の法はそのような小事にかかわず悟りという大いなる用法を現前するものじゃ。
国も身も敗れれば国事による一時の栄光は山にかかる一片の雲の如しなのじゃ。
168
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/20(日) 06:12:49 ID:3uawh5ng0
くま訳全面改
第1句、先師の法を破るのは迦葉が文殊菩薩を破るようなものである。
第2句、そのような僧の三昧は国事で自ら身を滅ぼした商君のようなものである。
第3句、祖師の法はそのような小事にかかわず悟りという大いなる用法を現前するものなのだ。
第 4句、国事による一時の栄光は山にかかる一片の雲の如しなのである。
(´・(ェ)・`)b
169
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/20(日) 15:46:30 ID:Zqpiuruw0
258
敬上天子堦下 二首 1/2 敬って天子の堦下にのぼる 二首 1/2
財寶米銭朝敵基 財宝米銭朝敵のもとゐ
風流兒女莫相思 風流兒女あい思ふこと莫れ
扶桑國裡安危苦 扶桑國裡の安危の苦
傍有忠臣心亂絲 かたわらに忠臣心有りて心しを乱す
宇野 直人先生訳・解説
敬んで天子の堦下に登る二首 日野富子を批判した詩
財宝や米 金銭が朝敵のよりどころ
ふしだらな女に思いを向けてはならない
日本は今 滅びるかどうかのの正念場
傍に忠臣(自分の事)がいて、心を砕いています
応仁の乱は最終段階。日野富子が金銭を使って色々と政治工作をやっている頃。日野富子はとかく政治に介
入し、米相場の操作、高利貸、収賄など蓄財に奔走していた。その様な日野富子を批判し、天皇へは忠臣の
私が付いていますとのメッセ-ジ。
・日野富子:室町幕府八代将軍足利義政夫人。実子義尚を将軍継嗣に立てようとして、応仁の乱の端緒を
作った。悪女のイメ-ジ。
くま訳
金銭、食料が朝敵の拠り所であります。
風流な女子供と思いあっている場合ではないであいます。
日本國存亡の危機であります。
忠臣一休が、傍らに控えてるであります。
(´・(ェ)・`)つ
170
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/20(日) 23:36:08 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
幕府の者が私財を儲けようとするのは、民の財を取り上げることに成るからいかんのじゃ。
そうであるから財宝米銭は朝敵の基なのじゃ。
それも権力者が好いた女子に権力を与えるという出鱈目をしているからそうなるのじゃ。
国が傾く時忠臣は心を痛めるのじゃ。
171
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/21(月) 17:30:58 ID:gkLEI3Co0
259 2/2
乾坤海内起烟塵 乾坤海だい煙塵起る
昨夜東風逼四隣 昨夜東風四隣にせまる
禍復美人身上事 わざわひは復す美人身上のじ
榮華可悔馬嵬春 榮華悔うべし馬かいの春
くま訳
国内全土に戦火が起こり、
昨夜京都は東から攻め入れられ、取り囲まれた
禍は繰り返し、美人の身のうえにふりかかる
栄華を誇ったことを悔いるべきでありましょう。楊貴妃が、愛する武帝の命令で殺害された春である。
*烟塵:煙塵
(´・(ェ)・`)つ
172
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/21(月) 21:59:13 ID:1d4drIFg0
乱世が来ようとしているのじゃ。
もはや戦がはじまるのじゃ。
自分は大丈夫とか思っているものにも災いは来るのじゃ。
それも今までの栄華が招いたことなのじゃ。
悔いてももはや遅いのじゃ。
173
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/22(火) 20:32:10 ID:xpD5ITNM0
260
題江口美人勾欄曲 かうこう美人こうらんの曲に題す
見色聞聲吟興長 見識聞声吟興長し
明心悟道没商量 明心悟道もつ商量
愁人不識普賢境 愁人はしらず普賢の境
歌吹樽前総断腸 そん前にかすいしてすべて断腸
第四句:柳田聖山先生訳[樽が歌うて、腸しぼる]
平野宗浄先生訳[ただ酒樽を前にしての眼や歌えの遊興三昧。そのあとはすべて断腸の思いをする
だけである]
中西明子先生訳
第三句:煩悩を捨てきれぬ我が身をただ悲しむ者には普賢菩薩があらわれるに至る境涯がわからない
第四句:遊びに興じ酒樽の前で私は、言い切れぬ悲しみとこの上もない悦びを抱く
くま訳
謡曲『江口』の遊里から聞える曲と題して
自然の音を聞き、花を見て詩興がのり、いつまでも吟じていたい。
ありのままの心を明らめるのだ。悟りに至る道は無分別の道である。
煩悩を愁う人は、悟りを求める思い極まり、普賢菩薩があらわれる境涯を知ることはないのである。
酒樽の前で、歌い、演奏する、何もかも全てのことに興がのり愉快なのだ。
*江口美人:神崎川が淀川から分岐する場所で摂津国江口の娼家にいる遊女。江口:は日本最古の遊里
*勾欄:遊女屋
*見識聞聲 明心悟道:(聞声悟道 見色明心・碧眼録78)香厳が小石の竹にぶつかる音を聞いて悟ったこ
とと、霊雲が、満開の桃の花を見て悟ったこと。
*没商量:思慮分別をさしはさむ余地のないことで、その思いはかり難さをいう
*愁人:詩を吟じる者、または学者
*普賢:文殊と共に釈迦如来の二脇士をつとめ、文殊が仏の智・慧・証の徳を代表するのに対し、普賢は仏
の理・定・行の徳を代表する。
*普賢境:悟りを求める仏道を行おうとする心即ち菩提心を究め、普賢菩薩があらわれるに至る境涯
*断腸:①はらわたがちぎれるような切実な悲しみや思いにせめられること、②わらってお腹が痛くなるほ
ど愉快であること
(´・(ェ)・`)つ
174
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/22(火) 23:47:05 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
悟りの道があれば歌舞音曲も分別を没し心を明らかにすることができるというのじゃ。
それを愁える者は普賢菩薩の境地をしらんのじゃ。
普賢菩薩も鈴
175
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/22(火) 23:48:06 ID:1d4drIFg0
をもったりしているからなのじゃ。
歌って踊って酒樽の前で憂いを忘れるのじゃ。
176
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/23(水) 18:15:42 ID:gsJwLQD20
『風流』とは、ありのまま
261
見桃花圖 桃花を見る図
見處風流悟道心 見処風流悟道の心
桃花一朶價千金 桃花の一だ値千金
瑤池王母春風面 えうちの王母春風のおもて
我約愁人雲雨吟 我れは約す愁じん雲雨の吟
くま訳
わしの悟境についての見解は、風流即ち、心にうつり行くありのままこそが悟道心ということである。
桃花一枝は値千金である。霊雲は桃の花を見て悟ったと云うではないか、
天界の女神(蟠桃園の主人)も、春風に誘われ、華やいだ面持である。
わしは、女神と逢瀬の約束をして、情交の詩を吟じるのだ。
*見処・見解(見毛):修行者が師家の室内で呈する自己の悟境の表現。公案への見方、解答でもある。簡潔
な言葉や動作で示される。理論にわたらぬことが大切である。見処ともいう。
*瑤池(ようち):崑崙(こんろん)山中にあり神仙が住むという伝説上の池。周の穆王(ぼくおう)が西方を
旅行し、この池のほとりで西王母に会ったと伝えられる
*王母・西王母(せいおうぼ、さいおうぼ):女仙、女神。俗称の王母娘娘、西王母とは、西方にある崑崙
山上の天界を統べる女性の尊称である。天界にある瑶池と蟠桃園の女主人でもあり、すべての女仙を支配
する最上位の女神
(´・(ェ)・`)つ
177
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/23(水) 23:44:29 ID:1d4drIFg0
見るところ全てが風流であるというのが悟道の心というのじゃ。
桃花の一枝さえ千金の値があるように見えるのじゃ。
それは天の池に居る西王母が春の風に面を向けているようじゃ。
わしは愁人が雲雨に降られようとも詠い続けることを約束するのじゃ。
178
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/24(木) 10:37:39 ID:Fdz43.Xw0
見るところ全てが風流であるというのが悟道なのだ。桃花の一枝さえ千金の値があるように見えるのだ。それは天の池に居る西王母が春の風に面を向けているようなのだ。わしは愁人が雲雨に降られようとも詠い続けることを約束するのだ。
○⌒\
(二二二) メリクリ
(⌒(´・(ェ)・`)
( o つc旦
(__し―J
179
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/24(木) 12:52:02 ID:Fdz43.Xw0
262
元日賀官軍凶徒 元日官軍の凶徒を破るを賀す
元正先破豪 元正先づ豪を破る
處處凱歌高 處處凱歌高し
百萬朝廷卒 百萬朝廷の卒
不能損一毛 一毛を損するあたわず
元日に官軍が凶徒を破ったことを祝す
元旦にまず、勢いのある敵を破ったのである
彼方此方で凱歌が聞えるのである。
百萬の朝廷の兵卒には
一人の戦死者もいなかったのである。
元正(がんしょう.がんしょう): ①一月一日。元日。元旦。がんせい。②元正天皇680―748.奈良/第 44代
の天皇 (在位 715〜724) 。奈良朝第2代の女帝。母元明天皇の譲を受けて即位した。養老2 (718) 年には
『日本書紀』ができあがり,同7年には三世一身の法が打出された。辺境に隼人
蝦夷の反乱もあり,内外多端であった。
豪:①力や才知などがすぐれている。すぐれた人。②見かけが大きく勢いがある。度はずれている。
(´・(ェ)・`)つ
180
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/24(木) 22:28:25 ID:1d4drIFg0
その通りじゃな。
朝廷の兵が勝ったと言うのじゃ。
実は勝ち組につくのが朝廷であるからいつでも勝っているがのう。
実は乱世の始まりだったのじゃ。
181
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/25(金) 12:26:20 ID:y8r1aV7o0
263
懺悔抜舌罪 抜舌の罪を懺悔す
言鋒殺戮幾多人 言鋒殺戮す幾多の人
述偈題詩筆罵人 偈を述べ詩を題して筆人をのる
八裂七花舌頭罪 八裂七花舌頭の罪
黄泉難免火車人 くわうせん免れ難し火車の人
蔭木英雄先生訳・解説
ワシは剣のような言葉でどれ程多くの人を殺してきた事か
偈や詩を作って、筆で人を罵倒する(しかし、これは雲門や黄檗のように慈悲行なのじゃ)
人を惑わす舌先三寸の罪は
死出の旅路で火車に乗せられることだろう。
碧眼録 六 平鋪の処に到って又却て人を罵る(雲門文語は日常会話でも人を罵って導く)
碧眼録 十一 人多く喚んで、「黄泉人を罵る」と為す。具眼の者は自ら他の落処を見ん(多くの人は
「黄壁希運は、よく人を罵るお方だ」と言うが、具眼の者は黄壁の真意を知っているだろう)。
の用例で明らかな如く、罵署の詩偶は胡乱の修行者を覚醒させ、警策する接化の手段なのであった。
くま訳
懺悔する。悪言を吐いて舌を抜かれる罪を犯したのである。
言葉を剣として、幾多の人を殺戮したのだ。
偈や詩により、筆で人を罵ったのだ。
人々をばらばらに裂き、砕けさせる舌頭罪を犯したのだ。
黄泉の旅路で火の車に乗せられることは免れないであろう。
*鋒(ホウ):1 刃物の先端。ほこさき。きっさき2 軍隊の先陣。「先鋒」3 物事の鋭い勢い。
*七花八裂(シチカハチレツ):ばらばらに裂け砕けること。
(´・(ェ)・`)つ
182
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/26(土) 23:28:12 ID:1d4drIFg0
一休も懺悔するのじゃ。
今まで毒舌を吐いたことをわびるのじゃ。
しかし、実は自分の筆の鋭さを誇っているようにも見えるのじゃ。
筆先だけで地獄にも落ちる罪を重ねたというからのう。
かなりの筆力なのじゃ。
183
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/27(日) 13:05:33 ID:W4iRKgJs0
264
贈山徒 比叡山の僧兵(官軍)に贈る
顕密天台妙樂途 顕密天台妙樂の途
分明傳教大師徒 分みょうに傳教大師の徒
山猿叫落西楼月 山猿叫落す西楼の月
七社霊神鎮帝都 七社の霊神帝都を鎮す
顕密天台は妙樂の途
明らかに最澄伝教大師の門徒である
山猿(西軍総大将全山名宗全)は叫び声をあげて敗れ去った西楼に月が照る
(又は、神猿(まさる)さん(官軍・僧兵)が叫び声をあげて転がるようにかけつけた、西楼に月照る晩。)
日吉七社霊神七社霊神(僧兵)が後醍醐天皇の帝都に平和をもたらしたのである。
*顕教は其の原顕然として能く衆生の機に応じて説きたる教法なり、密教は真言宗の如き悠遠の教理を説く
教えをいふ。(国訳禪学大成・脚注)
顕密(けんみつ)は、顕教と密教を併せたもの。本来は仏教の教相判釈における二分法であるため、仏教
そのものを指すことになる。ただ顕密仏教、顕密体制という場合、体制側、国家側の官僧の系譜を引くも
のを指し、いわゆる鎌倉新仏教を含まないことが多い。またベースには「密教的思潮」ないし本覚思想が
あるとされている。(天台宗HP)
*妙薬:①不思議なくらいによく効く薬。秘薬。 ②物事の解決に有効な手段
*伝教大師・最澄(さいちょう)は、平安時代の僧(766/767 -822)天台宗の開祖であり、伝教大師。中国
に渡って仏教を学び、帰国後、比叡山延暦寺を建てて天台宗の開祖となった
*神猿(まさる)さん・山王さん。「山王」とは日吉の神様の別名で、天台宗・比叡山延暦寺の守護神
*山名宗全(そうぜん)(応仁の乱の西軍総大将全
*七社霊神:太平記 巻第十七に、『後醍醐天皇は・・・とりあえず衆徒らの士気を高めるために、七社
(日 吉七社)の霊神と九院(比叡山の 主要な九つの堂塔)の仏閣に対して、それぞれに大きな荘園を二、
三ヶ所寄付されました。』とある。
(´・(ェ)・`)つ
184
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/27(日) 22:00:47 ID:1d4drIFg0
比叡山の僧兵はよくやっているというのじゃ。
実際は政治や軍事に加担しすぎたようであるがのう。
それが後に信長による焼き討ちにも繋がったのじゃ。
政治には関わらない方が善いのじゃ。
185
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/28(月) 20:39:57 ID:1W/eCbXI0
265
示病僧紹珠首座 病僧紹珠首座に示す
業識忙忙從劫空 業識忙忙劫空よりす
平生伎倆到今窮 平生の伎倆今に到って窮まる
四百四病一時發 し百し病一時に發す
苦屈苦辛安樂中 苦屈苦辛安樂のうち。
くま訳
病僧紹珠首座に示す
生来の分別心に延々とかかずらわり、
日ごろの修行のお手並みも窮まってしまい、
人が罹る一切の病が一時に発したのだ。
苦しみにくじけることも、その苦辛も、不壊の永遠の安らかさの中にあると知るのだ。
*首座:禅宗の役僧。修行僧の中で首位にある者。
*業識(ごっしき): 父母の和合によって母胎に宿る個人(子)の主体である識別作用。
*忙忙:せわしくて落ち着かないさま。せかせか
*空劫(くうこう):四劫(しこう)の第四。世界が全く壊滅して、次にまた新たに生成の時が始まるまでの
長い空無の期間。
*四百四病:人のかかる病気のすべて。人体は地・水・火・風の四つの元素(四大しだい)から構成されて
いて、これが不調なとき、それぞれ百一の病気を生ずるとされる
*四劫:仏教用語。世界の成立から無にいたるまでの期間を4期に分類。(1) 成劫 (じょうごう) 山河,
大地,草木などの自然界と生き物とが成立する期間。人間の寿命が8万 4000歳のときから 100年ごとに
1歳ずつ減少していって寿命が 10歳になるまでの期間を1減とし,10歳のときから 100年ごとに1歳ず
つ増加していって8万 4000歳となるまでの期間を1増というが,この成劫では 20増減 (20小劫) があ
るという。 (2) 住劫 自然界と生き物とが安穏に持続していく期間。 20増減がある。(3) 壊劫 (えこ
う)まず生き物が破壊消滅していき,次に自然界が破壊されていく期間。20増減がある。(4) 空劫 破壊
しつくされて何もなくなってしまった時期。これにも 20増減がある
*安楽(あんらく):み仏さまの境地、心の安らぎ、心楽しさ、心身の理想の安らかさをいいます。
全てのものの、不壊の永遠の安らかさをあらわします。自らも、そして常に周囲の人々や社会の幸福や安
心の祈念を意味するものです。真言宗 『観自在』 より
(´・(ェ)・`)つ
186
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/28(月) 23:28:42 ID:1d4drIFg0
首座の僧が病で寝ているのじゃな。
本来修業に費やすべき心身を空しく浪費してしまったというのじゃ。
そのせいで今の困窮があるのじゃ。
多くの病に犯されて苦しくとも楽ありというのじゃ。
187
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/29(火) 20:11:35 ID:g1X3Iees0
天子に直訴でありましょうか?
266
因亂 二首 1/2 乱に因って
請看凶徒大運籌 請ふ看よ凶徒大いにはかりごとをめぐらす
近臣左右妄優遊 近臣左右みだりに優遊
蕙帳畫屏歌吹底 けいちょう画へい歌すい底
衆人日夜醉悠悠 衆人日夜よふて悠悠たり
くま訳
御覧になって下さい、謀反を企む者等の大陰謀を。
近衛府の近臣が、でたらめに、心のままに振舞っております。
香草で編んだとばり、美しい屏風の内で、遊芸、遊興に耽るありさまです。
民衆も酒に酔い、緊張感など皆無であります。
*凶徒:殺人・強盗・謀反など凶悪な犯罪を行う者。
*運籌(うんちゅう):はかりごとの意。
*妄ボウ[訓]みだり〈モウ〉道理がわからない。筋道がなく、でたらめ。「
*優遊:のんびりと心のままにするさま。
*蕙帳(ケイチョウ)」蕙草(香草)で編んだカーテン
*画屏(がびょう):美しい絵が描いてある屏風(びょうぶ)。転じて、美しい眺めにたとえていう。
*歌吹:歌をうたい、笛を吹き鳴らすこと。遊芸や遊興。"
(´・(ェ)・`)つ
188
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/29(火) 21:44:06 ID:1d4drIFg0
応仁の乱の時は両派が朝廷に何度も働きかけて、勅諭が乱発されたり取り消されたりしたというのじゃ。
そのために朝廷や幕府の権威が低下してしまったのじゃ。
凶徒がはかりごとを廻らして、近臣に金や接待で働きかけて政を乱したというのじゃ。
民衆もなにごとが起きているのかを知らず、迷うばかりなのじゃ。
189
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/30(水) 15:23:08 ID:qI/s/4Kg0
267
因亂 2/2
忠臣愁思在功勲 忠臣の愁思功勲に在り
世上汗淋不識君 世上の汗淋きみを識らず
儒雅十年情寂寂 儒雅十年情せきせき
貴遊一夜醉醺醺 貴遊一夜酔ふて醺醺たり
柳田聖山先生訳
杜甫は嘆く忠臣の勲功は手柄で決り
世間の文人は天子の顔すら知らない
儒者はこの十年を淋しく耐えてきた
貴族たちは今夜も酔い今を忘却する
くま訳
忠臣の愁いは功勲のことであります。
世間の人の苦労は天子の知らないことでありましょう。
見識のある儒者はこの十年、ひっそりと押黙り、
貴族は一夜の酒に酔い痴れているのえあります。
*淋汗(りんかん): 夏の風呂。夏の入浴。また、入浴場で飲食すること。※壒嚢鈔(1445‐46)「禅家
に、風呂を、りんかんと云は何ぞ 淋汗(リンカン)と書く。汗淋(あせをながす)とて、夏の風呂を云也」
*儒雅:①儒教の正しい道理。②立派な儒者。
*貴遊:高貴の家がら。上流社会。また、その家、その人。
柳田先生の訳にある、杜甫 のそれらしき詩を探してみたが見つからなかったのおである。
(´・(ェ)・`)つ
190
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/30(水) 23:13:19 ID:1d4drIFg0
忠臣は戦で勲功上げる事ばかり思っているといのじゃ。
そのために汗水たらして働く民は君主も知らないありさまなのじゃ。
儒者はこの十年それを寂しく見るばかりなのじゃ。
貴族は夜遊びに精を出しているのじゃ。
要するに国が上下ばらばらということじゃな。
正に乱世なのじゃ。
191
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/31(木) 13:27:06 ID:Ky9gXzIs0
268
山路 譲羽 さんろ じょうう(ゆずりは)
呑聲透過鬼門關 声を呑んで透過す鬼門の関
豺虎蹤多古路間 さい虎跡多し古路の間
吟情終無風月興 吟情終に風月の興無し
黄泉境在目前山 くわうせんの境目前の山在り
*譲羽山・1447 54歳 大徳寺の一僧自殺、数人が投獄される。一休、譲羽山へ退隠し断食するが刺命によ
り中止
*豺虎(さいこ)① 山いぬととら。猛獣。② 猛々しい悪人のたとえ。
くま訳
声を呑んで鬼門を通り過ぎる
猛々しい悪人が幾人も通って行った古道である。
風月に対して吟情がわくこともない
黄泉との境は目前の山だ。死は目前に迫っているのだ。
(´・(ェ)・`)つ
192
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2020/12/31(木) 21:21:03 ID:1d4drIFg0
山の中に来たのじゃな。
声も出せずに鬼門の関を通ったのじゃ。
古い道には獣も多いのじゃ。
風月の味わいも無いのじゃ。
生死の境は目前の山にあると言うのじゃ。
193
:
避難民のマジレスさん
:2020/12/31(木) 21:28:35 ID:HNqEgA8Q0
本年5月6日から開始した、一休さん講読会、鬼和尚のご指導の下、かなり初期の段階で、『狂雲集』講読会に昇格することができたのである。
ようやく道半ばである。来年8月頃までには終わる予定であります。
(´・(ェ)・`)b
194
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/01(金) 10:38:04 ID:ts4ClNsk0
269 1/3
自讃毀他戒 三首
魔王眷属没商量 魔王のけん属もつ商量
得失是非幾斷膓 得失是非幾断腸
前他後我如來願 前他後我如來の願
前後工夫三會長 前後の工夫三ゑ長し
くま訳
自分自身をほめたたえ、他人をそしりけなすことを禁じた戒
魔王の仲間は、分別せず!
得失是非、何度断腸の思いをしたことか。
自己渡らんとすれば、先ずづ人を渡らせよというのが、如来の願いである。
渡る前も渡った後も、衆生済度の為の坐禅修行は長くつづくのである。
*自讃毀他戒:十重禁戒の第七番目の戒である。菩薩は、人々がけなされ、それに耐えているときには、そ
の人に代わってこれを受け、また悪いことは自分の方に向け、善いことは他人に与えなくてはならない。
それに反して、自らの徳を宣揚し、他人のよいところを覆い隠し、誰かに非難させるようなことがあれば
波羅夷罪とされる。
*魔王:天魔(てんま)とは第六天魔王波旬(はじゅん、サンスクリット語: pāpīyas、より邪悪なもの)、
仏道修行を妨げている魔のことである。天子魔(てんしま)・他化自在天(たけじざいてん)・
第六天魔王(単に魔王)ともいう。また、天魔の配下の神霊(魔縁参照)のことを表す場合もある。
一休さんは、自分のことを『魔王』になぞらえて、鬼のように衆生を導き、自ら励むと宣言しているので
はありますまいか。(くま説)
*眷属:随行者とか従者を意味します。特定の仏様や菩薩に、一族のように従う使者を指す。
古代のインドには、一族やたくさんの召使を養うような、豊かな暮らしを理想とする考え方があったので、
仏様の世界にもそれが影響した。
*没商量:中国語訳・相談する余地がない。融通をきかせる余裕がない。(日本古語もつ商量):思慮分別を
さしはさむ余地のないことで、その思いはかり難さをいう
*得失:1 得ることと失うこと、。2 成功と失敗 是非:1.是と非。正しいか正しくないか。
*前他後我如來願:自己渡亂とすれば、先ずづ人を渡らせよの意なり。(国訳禪学大成脚注)
*三会:①仏が三度大法会(ほうえ)を開き,衆生済度の説法をすること。多く弥勒仏の竜華三会(りゆう
げ)をいう。②禅宗で,鐘または鼓を三六回打つのを一会,一〇八回打つのを三会という。
(´・(ェ)・`)つ あけおめ、ことよろ。であります。
195
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/01(金) 21:49:16 ID:1d4drIFg0
あけおめことよろなのじゃ。
商量しないのは魔王の眷属だというのじゃ。
それで得失に関わりあって苦しむのじゃ。
自らを後にして他人を救うのが如来の誓願なのじゃ。
悟るまえも後も精進在るのみなのじゃ。
196
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/02(土) 00:18:34 ID:8fnBXJgQ0
『没商量-商量しない』は、無分別と解してはいけないのでありますね。
くま訳全面改
魔王の仲間は、商量しないのである。
得失是非に囚われると、何度も断腸の思いをすることになるのである
自己よりも、先ずづ人を渡らせよというのが、如来の誓願である
悟る前も後も、修行は長くつづくのである。
(´・(ェ)・`)b
197
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/02(土) 09:09:54 ID:yB/WV.lo0
270 2/3
自讃毀他戒三首
五逆聞雷臨済訣 五逆聞雷臨済の訣
大慈大非太親切 大慈大非はなはだ親切
活人剣兮殺人刀 活人剣せつ人刀
欲汚人満口含血 人を汚さんと欲して満くに血を含む
くま訳
五逆大罪人が天罰の知らせの雷鳴に怯えるような心もちで修行に取り組むのが、臨済の奥儀である。
仏の限り無い慈しみ、はなはだ親切なことである。
行者の智慧のはたらきをとどめ、修行の完成に向かって自由自在に導く活殺自在の剣である。
人を罵ろうとして、口いっぱいの血のような悪意をためるのである。
*五逆聞雷:五逆の大罪、父、母、阿羅漢、を殺すこと、仏を傷つけること、寺院 を破壊し焼き払い、教
団の和を破壊すること。罪人は、雷鳴を聞いただけでぎくりとする。求道者もそういった心を持てという
戒めの言葉。
*何事にも畏れる心を持てということ。
*訣(ケツ):1 きっぱりと別れを告げる。2 簡潔に言い切った秘伝の文句。奥義。
*大慈大悲:仏の限りなく大きな慈しみのこと
*親切:1 相手の身になって、その人のために何かをすること。思いやりをもって人のためにつくすこと。
また、そのさま。2 (深切)心の底からすること。また、そのさま。
*殺人刀活人剣:師が修行者の智慧のはたらきをとどめ、修行の完成に向かって自由自在に導くはたらき
を活殺自在の剣にたとえた言葉
(´・(ェ)・`)つ
198
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/03(日) 00:02:02 ID:1d4drIFg0
五逆の者は雷に打たれて死ぬというのじゃ。
そうであるから五逆の者が雷鳴を恐れるような謙虚な気持ちで居るのが臨済の教えというのじゃ。
大慈大悲で大いに親切なのじゃ。
自我を滅し、涅槃に活かす刀剣なのじゃ。
人を謗る者の口には自らを汚す血が満ちているのじゃ。
199
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/03(日) 17:50:18 ID:UGqRHdIQ0
271 3/3
自讃毀他戒 三首
誰共修歸正破邪 誰と共にか正に帰し邪を破ることを修めん
若非情識又何過 若し情識にあらずんば又何のあやまちぞ
這般作略子細看 しゃ般の作略し細に看れば
座主見知還作家 座すの見知かへって作け
くま訳
誰と共に正しい考えに立ち返り、邪説を打ち破るか
若し迷情に囚われてるのでのでなければ、どうして過つことがあろうか。
あれこれと、道をただす策略仔細に見てみると、
ここは、主席の僧の知見の方が師家にふさわしいのである。
座主=主席の僧とは、主席の僧とは、誰のことでありましょうか
(´・(ェ)・`)つ
200
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/03(日) 23:45:06 ID:1d4drIFg0
座主とは今で言えば主体というようなものじゃな。
自分が自分と認識する観念なのじゃ。
自分の核であり、他と区別する原因なのじゃ。
誰か共に破邪帰正の修業をする者はいるであろうかというのじゃ。
感情や認識に拠って苦の過ちが在るのじゃ。
一切の心の働きを仔細に観れば、
主体による知見は自分に還るのじゃ。
観察すれば観察する主体が変容すると言っているのじゃな。
201
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/04(月) 03:06:25 ID:h2Xu8weQ0
鬼和尚、いつもありがとうであります。
くま訳全面改
誰か共に正しい考えに立ち返り、邪説を打ち破る者はおらぬか!
迷情に囚われてるから、過つのだ。
一切の心の働きを仔細に見を見れば、
観察の主体の知見は自分に還り、主体が変容するのである。
(´・(ェ)・`)b
202
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/04(月) 08:20:46 ID:nhjeGxgM0
272 1/2
看杜詩 二首 杜詩を看る
古今詩格舊精魂 古今の詩格旧精魂
江海飄零亦主恩 江海飄零すまた主恩
仰叫虞舜一生涙 仰いでぐ舜と叫ぶ一生の涙
涙痕濺酒裛乾坤 るい痕せん酒して乾坤をつつむ
くま訳
古今の詩の風格は、詩聖杜甫の詩魂によって決まるのだ。
世界は落ちぶれ、天子の恩に報いる気持ちも廃れた。
天を仰ぎ伝説の名君虞舜の名を叫び、生涯涙する
涙と酒が、天下をおおうのだ。
*詩格:風格、品格。
*旧精魂:ここでは、詩聖杜甫の魂と解した。
*飄零・漂零(ヒョウレイ):落ちぶれること。「漂零」
*裛(ユウ):つつむ。水気がしっぽりとつつむさま。前スレ
>>688
参
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/589-n
*濺(音セン・訓そそぐ):①そそぐ。水をそそぎかける。 ②水の流れるさま。
(´・(ェ)・`)つ
203
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/04(月) 23:16:24 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
杜甫の詩を読んで感動しているのじゃ。
今の時勢にも似ているのじゃ。
誰もが君主を忘れ争っているのじゃ。
乱世を悲しむばかりなのじゃ。
204
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/05(火) 08:12:31 ID:EuqmL.060
273
看杜詩 二首2/2
涙愁春雨又秋風 涙して愁ふ春雨又た秋風
食頃難忘天子宮 じきけいも忘れ難し天子の宮
詩客名高天宝事 詩客の名は高し天宝のじ
寒儒忠義也英雄 寒儒の忠義また英雄
くま訳
涙して愁う春雨又秋風
片時も忘れ得ぬ天子の宮殿
詩人杜甫が、玄宗皇帝楊貴妃を詠んで名高き天宝時代の事である。
冷遇される儒者の忠義心も英雄のものである。
*食頃(じきけい・しょうけい):食事をするほどの、短い時間のこと。しばらくの間。頃は、首をかしげ
るほどの短い時間を表す。
*詩客:詩人、ここでは杜甫のこと。
*天宝:「日本の禅語録十二 一休」の解説(P306)によると、「漂泊詩人、杜甫。かれが明主と仰ぐ玄宗
は、楊貴妃にうつつをぬかして、天下を混乱におとし入れる。天宝とは、そんな時代の名である。それは、
詩人の忠節心のたかまりと表裏する。杜甫をよむ一休は、応仁・文明の日本を読んでいる」とあります。
*寒儒:貧しい儒者。
(´・(ェ)・`)つ
205
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/05(火) 23:31:32 ID:1d4drIFg0
まだ泣いているのじゃ。
食べるのも忘れて天子を想うというのじゃ。
それが杜甫だというのじゃ。
儒者でも忠義の英雄だというのじゃ。
206
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/06(水) 10:34:26 ID:ockTUM7.0
274
臨済焼机案禪板 臨済机案禪板を焼く
此漢宗門第一禪 此の漢宗門第一の禪
奪人奪境體中玄 奪にん奪境体中玄
安心立命在那處 安じん心りゅう命いずれのところにか在る
劫火洞然焼大干 劫火どうねん大千を焼く
松本市壽先生訳
臨済義玄は机案禅板をも焼いてしまった。
この男は宗門第一の禅者だ。
弟子の主体性も客体性をも奪って、真理の何たるかを悟らせる。
しかし、何もかも奪ってしまえばそこで安心立命できるのか。待てよ。安心立命したいのも迷いというもの
だ。
最後は何もかもすっかり焼き尽くしてしまうのだ。
くま訳
臨済は机も禅板も焼き棄てた。
この男は宗門一の禅師である。
修行者を徹底的な無の境地に導き、修行で現れる真理を悟らせる。
すべてを絶対のものにまかせて,心が動揺しない境地何処にあるのか。
それは、虚ろな世界を焼き尽くしたとところにあるのだ。
*几案・机案(きあん):几、案とも机つくえの意
*禪板:坐禅の時労を除かんがために衆僧の蓄ふる板、手を案じたり、身を靠(もた)らす器なり。
*安心立命:安心は仏教用語,立命は儒教の用語。すべてを絶対のものにまかせて,心が動揺しないこと。
*奪人奪境:166の詩:人境倶奪
四料簡 しりょうけん(飛不動HP解説) 前スレ31〜34の詩・参照
臨済義玄禅師が提唱、臨機応変に修行者を導くことを示した四種類の指導方法。
1、奪人不奪境:修行者が自分を見つめることを否定して、現象とか環境に没入させる。
2、奪境不奪人:修行者が現象とか環境に没入することを否定して、自分のみ見つめさせる。
3、人境両倶奪:修行者を徹底的な無の境地に導く。
4、人境倶不奪:修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導く。
*玄:臨済録・何をさすか明示されていない。一説に、
玄中玄(真理そのもの)、句中玄(言語における真理)、体中玄(修行で現れる真理)の三つをあげる。
*洞然(とうねん、とうぜん):① 洞穴のように抜け通っているさま。奥深くて静寂なさま。また、雑念が
なくて心が空なさま。② ぼんやりとしたさま。
*大千:三千大千世界:一人の仏が教化する世界のこと、仏教の世界観における宇宙の単位。
(´・(ェ)・`)つ
207
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/06(水) 23:27:53 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
よく出来たのじゃ。
臨済は全て焼いたというのじゃ。
宗門の祖師なのじゃ。
自我も境地も奪い体に玄妙なる智慧を持っていたのじや。
安心立命すらも無いのじゃ。
全てを焼き尽くすと善いのじゃ。
208
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/07(木) 20:17:45 ID:Obt11fUQ0
275
運庵還松源衣留頂相 運なん松源の衣を還して頂相をとどむ
這三轉痛處針錐 この三転痛処も針すい
看看宗門句裏機 看よ看よ宗門句裏の機
爭奈石渓肩上土 いかんせん石渓けん上の土
拾來脱屣號傳衣 脱しを拾ひ来って伝えと号す
くま訳
運庵和尚と松源和尚の夢を見て、頂相を書いたのである
その賛・三転語は痛い処をつく、針や錐のようだ。
看よ、宗門でこの句にまつわり説かれる禅機を。
どうしたものか、石渓和尚の頭についた土(くま注 参)
拾った草履を持って来て、正伝の証拠だと言う様なものである。
*運庵:臨済宗虎丘派松源下の運庵普巌(1152〜1226または1156〜1222)といえば、南宋中期臨済宗虎丘派
(松原派祖)の松源崇嶽の法を嗣いだ高弟の一人として知られ、江浙の禅林で活動し、法嗣に虚堂智愚、
石帆惟衍という二人のすぐれた禅者を育成したことで名高い
*衣を返す(ころもをかえす):衣を裏返に着る。こうして寝ると思う人を夢に見ることができるという俗
信があった
*頂相(ちんぞう):禅僧の肖像画。禅宗では,法の師資相承を重んじることから印可の証明として,師の
肖像画と法語を弟子に与える。北宋時代から盛大に行われ,日本にも伝来し鎌倉,室町時代に盛行した。
上部に師の自賛が墨書されるのが原則。
*綿上・肩上・綿嚙(わたがみ):① 鎧(よろい)の前面と背面とをつなぎ、左右の肩にかけて全体をつるす部
分。② 後頭部。うしろ髪。
*石渓心月:南宋時代の禅僧として名高い石渓心月(円覚寺HP解説抜粋)
円覚寺開山・無学祖元禅師がまだ中国で修行中の頃、石渓心月禅師の住持するお寺に怪石という僧がいて、
石渓心月禅師が住持であったにもかかわらず、修行僧は誰も石渓心月禅師に参禅をせずに、その怪石とい
うのが修行僧を煽り立てたという・・・
それが無字の工夫をやっていたのですけれど、行き過ぎてしまいます。異常なまでに、まるで神がかりの
ようになって、大きな「無」の字を掲げて張り出して、100〜500人の修行僧が立ったまま、あるい
は、坐ったまま「ムームー・・・」と大声で叫びような修行をしていた。
中には、高い崖の上から「ムー」と叫んで飛び降りて、けが人も出るは、果ては、死人まで出てくる。そ
して、怪石は、また、言う。「本当の無字になったならば、たとえ、死んでも目だけは残る。」と。
邪教は恐ろしいもので、それで、修行僧を煽り立てて、きちがいの集団のようになってしまった。成り切
るということは、大事でありますが、しかし、ちゃんと教えを学んで冷静に観ていくという「観(か
ん)」という眼(まなこ)もまた必要であります。
*肩上(献上・わたがみ):① 鎧(よろい)の前面と背面とをつなぎ、左右の肩にかけて全体をつるす部
分。② 後頭部。うしろ髪。
*屣(し):わらぐつ、草履の類なり
(´・(ェ)・`)つ
209
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/07(木) 20:20:26 ID:Obt11fUQ0
おまけ
佐藤秀孝先生 論文より
妙心寺に松源崇嶽と運庵普巌の師資を描いた対幅の頂相が存し・・賛はどちらも大応派妙心寺派)の
雪江宗深(仏日真照禅師 )1408-1486によって、拝写された。
断楊岐正脉 滅臨済綱宗 楊岐正脉を断じ、臨済の綱宗を滅す。
猿啼碧嶂 月鎖千峯 猿は碧嶂に啼き、月は千峯を鎖す。
影落于闐国 人在大遼東 影は于闐国に落ち、人は大遼の東に在り。
応縁淡泊 無分従容 縁に応じて淡泊にして、従容するに分無し。
謂是運菴真面目 是れを運菴の真面目なりと謂わば、
澄潭不許臥蒼龍 澄潭には蒼龍を臥せしむるを許さず。
右運菴祖翁自賛 右は運菴祖翁の自賛なり。
拙孫宗深 、 拙孫宗深 ,
焼香九拜謹写 焼香九拝して謹んで焉れを写す。
*雪江宗深(せっこうそうしん、1408-1486妙心寺の六祖 1462大徳寺の住持となった。乱後は後土
御門天皇の勅命を受け、細川勝元・政元の援助を受けて大徳寺・妙心寺・龍安寺を再興した。
一休さんが住持になったのは、1474年であります。雪江さん41世、一休さん47世である。
(´・(ェ)・`)b
210
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/07(木) 22:28:23 ID:1d4drIFg0
運庵は松源の衣を還して絵だけ留めたというのじゃ。
教えを蔑ろにして形だけのものにしたというのじゃな。
このように教えを三転したことは針で突かれたような痛みなのじゃ。
宗門の機密は言葉の裏に在るのじゃ。
石渓の頭の土はどうにもならんのじゃ。
脱ぎ捨てた靴を拾って伝来の衣というようなものじゃ。
211
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/08(金) 18:50:36 ID:aE0R8Ro20
くま訳全面改
運庵は松源の衣を裏返して、その絵だけを残したのである。
このように師の教えを三轉したことは、針で突かれたような痛みである。
看るべきは、宗門の言葉の裏にある禪機である。
石渓の頭の上の土は、どうにも出来ないのだ。
脱ぎ捨てられたた靴を拾って伝来の衣というようなものである。
276 1/2
洞山三頓棒 洞山三とんの棒
這棒頭宗門大功 この棒頭宗門の大功
慈明之子是黄龍 慈明の子是れ黄龍
明皇不識風流道 明皇は識らず風流の道
今夜馬嵬千歳風 今夜馬嵬千歳の風
柳田聖山先生訳
この棒で叩くのが、そもそも禅の極みである。
慈明の弟子は黄竜を措いて他にはいない。
楊貴妃を亡くした唐の玄宗は風流を知らない。
馬嵬の悔恨は尽きず、今夜も無情の嵐である。
くま訳
洞山三頓の棒
この棒の活用こそが、宗門第一の功績である。
慈明禅師の一番弟子が黄龍禅師である。
玄宗皇帝は風流を知らなかった、
今夜も楊貴妃が処刑された馬嵬には、玄宗千年の後悔の風が吹く
*洞山三頓の棒:(堅田観光協会HP解説)洞山守初が若い頃、師の雲門分堰から「どこから来たか、どこ
で過ごしたか」などと問われたので、これまでの行脚のあとをこまごま答えると、雲門は「このうつけ者
が。三頓の棒をくれてやるところだが勘弁してやる、即刻立ち去れ。」と叱らはった。何がなんだか分か
らない洞山は、再び雲門に参じ、自分の答えのどこが悪かったのかを問いなおすと、またもや大声で叱り
つけられはった。けどその瞬間、洞山は師が何を求めようとされていたのかが分かり、初めて悟ることが
出来たというのです。
そして、悟りというものは師や周りからもらえるものではなくて、自分への問いかけの中から見つけ出し
つかむもの。そのためには、心の中のこだわりを一切捨て切り、爽やかな心に立ち返りなさい、それが分
からない者は棒で叩くよりない、というのがこの公案の教えるところやということです。
*7臨済下七世の慈明禅師(986-1039)師匠である汾陽禅師は何も教えず、顔を見るたびに罵る、または、
誹って追い出した。「どうして何も御教えにならないのですか?」というと、慈明禅師を杖でもって打ち
のめして、追い出して、さらに慈明禅師が何かを言
おうとしたとき、その口をぐっと押さえつけて、その瞬間、慈明禅師が悟ったそうである。。
*黄龍慧南(おうりょう えなん、1002-1069)宋代の臨済宗の僧。後世五家七宗の一つに数えられる黄龍派
の祖。日本に伝えられた臨済禅のうち、栄西によるものがこの黄龍派に属する。
慈明石霜楚円を紹介されてその弟子となった。1037年、趙州勘婆の公案より大悟する。公案を用いて宗
風を振るい大いに法を広めた。普覚禅師と諡された。
(´・(ェ)・`)つ
212
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/08(金) 23:38:32 ID:1d4drIFg0
棒をくれてやるのが宗門の大いなる功力だというのじゃ。
慈明の弟子黄龍はこれで悟ったのじゃ。
玄宗はこれを知らないから国を傾けたのじゃ。
愛する者をこそ厳しく教育すべきなのじゃ。
今も楊貴妃の墓には千年の後悔の風が吹くのじゃ。
213
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/09(土) 08:01:22 ID:a9Oiz5LE0
くま訳全面改
棒をくれてやるのが宗門の大いなる功力である。
慈明の弟子黄龍はこれで悟ったのである。
玄宗はそれを知らないから国を傾けたのだ。愛する者をこそ厳しく教育すべきなのだ。
今も楊貴妃の墓には千年の後悔の風が吹くのである。
277
洞山三頓棒 2/2
遭人罵辱長嗔情 人にあってめ辱してしん情を長ず
是即眞迷道衆生 是れ即ち其の迷道の衆生
無始無終黒山下 無始無終黒ざんのもと
無明濁酒幾時醒 無明の濁酒幾時か醒めん
くま訳
人にののしられ、はずかしめられると、怒りの感情に長く苛まれる。
これがまさに、衆生の執着による迷道である。
永遠の暗黒の下にあるのである。
自我に執着する無明の濁り酒の酔いから、いつになったら覚めるのだ。
*罵辱(めじょく・めにく): ののしりはずかしめること
*瞋恚・嗔恚(しんい・しんに):①三毒・十悪の一。怒り・憎しみ・怨うらみなどの憎悪の感情。②怒り
恨むこと。腹立ち。いかり。
*黒山:三千大千世界をもってして、須弥界世界つまりこの仏教界宇宙が構成されているのである。 中央
から北に向って三ヶ所に其々、三重に囲まれている黒山がある。臨済禅師「黒山の鬼窟、誠に怖畏ふいす
べし」
(´・(ェ)・`)つ
214
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/10(日) 00:01:22 ID:1d4drIFg0
善く出来たのじゃ。
侮辱されて怒っても迷いなのじゃというのじゃ。
暗い生死の道にいて夢幻をみているのじゃ。
いつそれが覚めるのじゃというのじゃ。
215
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/10(日) 21:33:05 ID:FZS7ebmw0
278
鰥齋 くわん齋
古佛堂中交露柱 古佛堂中露柱に交わる
斬成兩段定誵訛 斬って兩段と成してがいぐわを定む
青山綠水一閑客 青山緑水一閑客
可咲岩頭黒老婆 わらふべし岩頭の黒老婆
くま訳
禪僧
古佛は堂中で無心を窮める
いりくんだ物事を一刀両断にして、単純にするのだ。
森羅万象生も死も、閑な客人みたいなもんだ
厳頭が撈波(エビ漁のかご)老婆と間違って伝わり、そのままもっともらしく論じられてるなど、お笑いである。
*鰥(かん)①大魚の名。「魴鰥(ホウカン)」類鯤(コン) ②やもお。妻のない男。男やもめ。 ③や
(病)む。なやむ。
*齋:①心身をきよめて神に仕えること。また,その人。②神をまつる場所。
*古仏は露柱と相交わるという公案の精神は「露柱は無心で立っている。それと同じように古仏は無我無心
の境涯に居る。」ということ(禅と悟りHP解説)
*青山緑水:青い山、緑の水。雄大な自然の情景。天地森羅万象との融和を意味しています。
*岩頭黒老婆:『聯燈會要』30巻南宋初(1183)晦翁悟明 編纂の『祖堂集』(おまけ 参)
(´・(ェ)・`)つ
216
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/10(日) 21:35:32 ID:FZS7ebmw0
おまけ: 岩頭黒老婆 『聯燈會要』より
余乾道初。客建康蔣山。邂逅泉州一老僧。
有巖頭錄。因閱之。見其問僧。甚處去。
僧云。入嶺。禮拜雪峯去。
巖頭云。雪峰若問儞。巖頭如何。但向他道。
巖頭近日在湖邊住。只將三文。買箇撈波子。
撈蝦摝蜆。且恁麼過時。
因問老僧。余閱巖頭錄。他本盡作老婆。
此云撈波。何也。渠笑云。
老婆誤也。巖頭雪峯皆鄉人。
吾鄉以撈蝦竹具。曰撈波也。鄉人至今。
如是呼之。後人訛聽。作老婆字。
教人一向作禪會。・・・所謂字經三寫。烏焉成馬。
於宗門雖無利害。不可不知。
雪峰空禪師頌。有云。
三文撈波年代深。化成老婆黑而醜。
蓋方語有所不知。不足怪也。
衣川賢次先生訳〈抜粋)
乾道年間の初め、建康蒋山に滞在した時、泉州から来た老僧にめぐり逢った。
その人が『巖頭録』をお持ちだったので拝見した。その一節にこうあった。
僧に問う、「どこへ行くのか?」僧「嶺を越えて雪峯禪師に拝謁に参ります。」
巖頭「雪峯がきみに、わしはどうしているかと尋ねたら、こう言ってくれ。
近頃は湖のはたに住みついて、三文で買った撈波子で、
えびやしじみなんぞをすくって、そんなふうに日を送っておる、とな。」
わたしはその老僧に問うた。「わたしが以前読んだ『巖頭録』はみな〈老婆〉
となっておりましたが、ここは〈撈波〉です。どうしてでしょうか。」その人は笑って
「〈撈波〉は間違いだ。巖頭と雪峯はふたりともわしの同郷人で、
わしのところではえびをすくう竹製のざるを〈撈波〉というのだ。村の者は今でも
そう呼んでおる。」となるほど、のちの人が〈撈波子〉と聴きまちがえたうえに、
禪的理解を押し付けていたのだ。・・・いわゆる「字は三寫を経て、烏焉は馬と成る」
という類で、宗門に直接の害はないけれども、注意しておくべきである。
雪峯慧空禪師は頌を作って皮肉っている。
「三文の撈波、年代深し、化して老婆と成り黒くて醜し」と。
けだし、方言を知らぬことによる誤解で、無理もないことではある。
(´・(ェ)・`)b
217
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/10(日) 23:59:49 ID:1d4drIFg0
古の仏などは堂の柱と一緒だというのじゃ。
それを拝んでも悟りは訪れないのじゃ。
公案は訛りの間違いを断じて正したのと同じなのじゃ。
大千世界に独りの己を観て悟りは訪れるのじゃ。
古の仏を拝むのは訛りの間違いを在り難く伝えているのと同じ笑うべきことなのじゃ。
218
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/11(月) 16:27:53 ID:Ozq3PxCA0
くま訳全面改
古仏などは堂の柱と一緒なのだ。
慎みなく、錯雑して判然としない言葉の意味を断じて正すのだ。
大千世界に独りの己を観て悟りは訪れるのだ。
古の仏を拝むのは訛りの間違いを在り難く伝えているのと同じ笑うべきことなのだ。
鰥齋(かんさい)を禅僧と訳してみたのでありますが、これで良かったでありましょうか?
*279〜286は、テキストに依って、ちょぴっと編集が異なってるのである。
国訳禅学大成(以下国訳大成)、寛永版 狂雲集(以下寛永)、明42.9民友社版 狂雲集(以下民友社)
民友社版は、8/8が8/4の後に置かれてるのである。
279 1/8
龍寶山大徳禪寺入寺法語
山門
一跳直入 一ちょうじきにいる
龍寳三門 龍宝の
門々有路 もんもんみち有り
逼塞乾坤 けんこんにひっそくす
くま訳
山門(三門)
一足飛びにすぐに山門(三門)から仏国土へ入れるのだ
龍に守られた釈迦の三門
門へ通じる道はいろいろあるのだ。
て、言うか、そもそも天地はその門に守られた内側にあるのだ。既に仏国土にいるのだ。
*三門は空門・無相門・無願門の三境地を経て仏国土に至る門、三解脱門を表すとされる。
*既に
https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/
で取上げた詩である。くま訳第4句を
修正してみたのである。
(´・(ェ)・`)つ
219
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/11(月) 23:44:05 ID:1d4drIFg0
↑よかったのじゃ。
禅僧もまたまだ病に陥っている者であるからのう。
無明の病を治すために修業しているのじゃ。
その通りなのじゃ。
220
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/12(火) 14:00:40 ID:E.c2fM8.0
280 2/8
佛殿
古佛堂中露柱雲雨 古佛堂中露柱雲雨
作以手分破勢云 手を以って分くる勢をなしていわく
分破後如何 分破して後如何
雲門霧露 雲門霧露
くま訳
古佛は堂中の柱や雲雨と同じである。
直接自ら道を切り開いた経験から云うのである。
切り開いた後、さて、どうなるかというと、
雲門が言うように、いつでもどこでも霧露は霧露と言うことである。
*雲門文偃(うんもん ぶんえん、864-949年、中国の唐末から五代の禅僧。五家七宗の一つ、雲門宗の
開祖。一休さんお気に入りの師匠。
雲門語録:「誕生したばかりの世尊は、七歩あるいて、「天上天下、唯我独尊」と言われました。この世
尊の故事を評して雲門は、「我れ当時(そのかみ)、若し見しかば、一棒に打殺して、狗子(くし)に与え
て喫却せしめて、貴ぶらくは、天下太平を図(はか)りしに」と言ったのです。「俺がその場にいたら、そ
の赤子を打ち殺して犬に食わせたものを、そうすれば、天下は太平であったのだ」というような意味で
す。」(禅文化研究所のブログ)
*露柱雲雨:雲門の示衆に曰く「古佛露柱と交わるる、是れ第幾機ぞ。」自ら代わって曰く、「南山に雲を
起し、北山に雨を下す」と。即ち釈迦も達磨も彌勒も露柱も皆同じなり。同一真理何も別はない、南山も北
山も自ら創痍ならずして雲雨の相応するの自然、具眼者須らく自得すべし。(国訳禪学大成脚注)
(´・(ェ)・`)つ
221
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/12(火) 22:02:53 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。
古仏は柱と同じであり雲と雨も同一じゃな。
分別の手を以って分ければどうなるかというのじゃ。
雲門は霧露の同じ水である如しというのじゃ。
222
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/13(水) 15:38:56 ID:X71OGAw20
くま訳全面改
古佛は堂中の柱と同じであり、雲と雨も同じなのである。
分別をする方法で、
分けると、どうなるかというと、
雲門は霧露の同じ水である如しというのである。
281 3/8
土地堂
上天是梵天帝釋 上天は是梵天帝釋
下天是多聞持國護法神 下天は是多聞持國護法神
向何處見新長老 いずれのところに向かってか新長老を見ん、
新長老聻六六三十六 新長老、にい、六六三十六
くま訳
上天は是れ梵天帝釋天
下天は是れ多聞持國護法神
どちらを向けば、新長老たるわしを見れるかというと、
新長老、おぉいと呼びかければ、森羅万象がわしなのである。
*土地堂:土地神及び護法神を奉祀する堂なり
*帝釋:須彌山の頂上、忉利天の天主にして、善見城に居り、四天王及び三十二天を領して。仏法帰依の人
を護り、阿修羅の軍を征する天王なりといふ
*多聞・持国、四天王の2を挙げて4を兼ねる。欲界六天四方に住し、正法護持し、又世を守る
*聻(にい・ジ・セキ・セン): 1物事を指すさま。者を指すときの語なり。2鬼が死んだ後になるもの。
この鬼とは人が死んだ後になる、幽霊や亡者のことを指す。
(´・(ェ)・`)つ
223
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/13(水) 23:36:17 ID:1d4drIFg0
上の天は梵天帝釈天がおり、下の天は多聞天とかの護法神がいるというのじゃ。
それでは新たに悟りを得て死んだ長老はどこにいったのじゃ?
それらの長老は三千大千世界の全てになったというのじゃ。
天でさえも輪廻の中であるから悟れば天も超越するのじゃ。
224
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/14(木) 19:47:34 ID:X71OGAw20
くま訳改
第3句:どちらを向けば、新たに悟りを得て死んだ長老は見れるのかというと、
第4句:新長老は、森羅万象になったのだ。
282 4/8
祖師堂
祖師何人我何人 祖師何人ぞ、我何人ぞ
咄誰奪境奪人 咄、誰か境を奪ひ人を奪ふ。
くま訳
祖師堂で、我とは何だと問い続けるのだ
自分に全てをありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導くのは、自分しかいないのだ。
*奪境奪人:人境倶不奪にんきょうぐふだつ 修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも
束縛されない境地に導
(´・(ェ)・`)つ
225
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/15(金) 00:18:44 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
祖師とは何じゃ、我とは何じゃ、と追求し続けるのじゃ。
奪境奪人をするのは誰じゃと更に追求し続けるのじゃ。
どこまでも己を追及し続けるのじゃ。
そうすれば悟りは向こうからやってくるのじゃ。
226
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/15(金) 12:40:07 ID:X71OGAw20
283 5/8
拈衣
小艶平生心亂絲 小艶平生心しを乱す、
慈恩先祖手中絲 慈恩先祖手のし
順老明巖衲僧 順老みょうげんの衲僧
擲袈裟云 袈裟をなげうって云く、
是甚脚下紅絲 是れ何の脚下の紅しぞ。
嗣法の儀式で衣を授かる衣
小艶詩が日頃心を乱してるのである、
けど、先祖のお陰さま、ご縁に恵まれてるのである。
順爺は鋭い洞察眼ある僧なのである。
袈裟をなげうって云ったのである、、
これ何の因縁であるか。
*拈衣(ねんえ):衣は嗣法の信として師之を弟子に授く、弟子衣を拈じて法語を挙して披す。
*順爺:一休さんのペンネームの一つ、と、どこかで読んだような気がするのである。
(´・(ェ)・`)つ
227
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/15(金) 22:33:00 ID:1d4drIFg0
糸に掛けているのじゃな。
小艶等で日頃から心の糸を乱していると、
先祖の霊が婚姻の糸を結んだりするのじゃ。
明厳の僧が袈裟を擲って言うのじゃ。
足を結ぶ婚姻の赤い糸がついていると。
まだ色情から離れていない者は直ぐにわかるというのじゃ。
228
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/16(土) 11:38:15 ID:X71OGAw20
くま訳全面改
小艶詩が日頃心の糸を乱してるのである、
先祖から、ご縁の糸を結んでもらえたりするのである。
洞察眼ある僧が、
袈裟をなげうって云うのである、
婚姻の赤い糸が見えてるぞ、色情をを離れてない者は直にわかるのだ。
284 6/8
室
明頭來明頭打 みょう頭來明頭打
暗頭來暗頭打 暗頭來暗頭打
四方八面來旋風打 四方八面來旋風打
虚空來連架打 虚空來や連架打
新長老 聻 新長老、にい
乾坤一箇蠚苴僧 乾坤一箇の蠚苴僧
喝一喝云 喝一喝して云く
無人來問相如渇 人の来って相如が渇を問ふことなし、
敲破梅花一夜氷 打 かう破す梅花一夜氷 打
くま訳
是非分別で来るなら、それなりに対処し、
差別なく一味平等で来るなら、それなりに対処する。
四方八方から来るなら、旋風のように対処し、
虚空から来るなら、連打して対処する。
新長老は、
天下一、がさつな僧である
喝一喝して云ってやる
誰一人として司馬相如の渇(のような人間の苦しみ)を問うて来るものはいないのであるが、
叩き割るのだ、春を告げるまだ寒い朝の梅花についた氷を。(薄い氷の様な「観念」を叩き割り、ありのま
まの真実のあり様に気付きさえすれば、そこに悟りがあるのだ)
* 明頭来や明頭打、暗頭来や暗頭打:「明頭来」の明は大小・長短・是非・美醜などの差別の歴然として
いること、活人剣の働きである。「暗頭来」の暗はその反対で差別がなく一味平等なことである。殺人剣
の働きがある。「打」の一字は、「それに即応して、行動する」という意味。
*四方八面来や旋風打:殺中の活有り、活中の殺有りというように、手目を見せず千変万化して出てくるこ
と。そして相手がこのように縦横無尽に千変万化して出てくるならば、こちらもあたかも「旋風」つむじ
風のように、変転自在、虚実とりまぜて応対するということ。
*虚空來連架打:「虚空来」とは、虚空のような真空無相、清浄無一物の肚から、明だの暗だの、殺だの活
だのという一切の定石を離れ、軌格を超越して無心に出てくること。普化和尚はこれに対しては、「連架
打」で応対するというのである。連架というのは、小豆などの脱穀に使う農具で、太い棒の先端にクルリ
クルリと変転自在に回転する小さい棒をとりつけたもの。相手が真空無一物の場から無心に働いてくるな
らば、こちらもあたかも連架のように変転自在で無心で対応するということ。
*相如が渇:侍臣に文才秀れた司馬相如がいたが糖尿病を病んで苦しんでいた。帝は、それを知らぬはずの
ないのに、豪華に設えた承露盤の露、それは不老長寿の薬であり、盃に一杯だけでも賜ろうとしなかった。
*敲破(こうは):中国語・叩割る,叩き割る
(´・(ェ)・`)つ
229
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/16(土) 11:39:47 ID:X71OGAw20
おまけ: *明頭暗闘 (普化和尚の話 瑞雲院法話のページHPより抜粋) 臨済録:勘弁 参
奇僧として知られる普化(ふけ)和尚は、唐代の人。生没年、生地、などすべて不詳、馬祖大師の法嗣の
盤山宝積(ばんざん・ほうしゃく)禅師に師事して深く堂奥(どうおう)に入り法を密受したが、常に狂
をよそおいその発言は尋常ではなかった。
・・・盤山禅師が亡くなると普化は臨済宗の宗祖、臨済禅師が住む河北省鎮州へ行き、街頭や墓場で鐸
(たく。大きな鈴)を振りながら人々に呼びかけて言った。「明頭に来たるもまた打し、暗頭に来たるも
また打す」。あるとき臨済和尚が一人の僧に命じて普化を試みた。その僧は普化和尚の胸ぐらをつかむと
言った。「明ならず暗ならざる時は如何」。普化和尚が言った。「ありがたいことに、明日、大悲院でお
斎(とき。食事)の供養がある」
また普化和尚は人の耳のそばで鐸を振り、あるいは鐸で人の背を打ち、そして相手が振り返ると言った。
「我れに一銭供養せよ」。このようにおよそ人を見れば、相手の高下にかかわらず鐸を振ること一声した
ことから普化(普遍の教化)と号したという。
・・・滅を示すべく市に入り人々に言った。「我れに衣を一枚供養せよ」。ところが人々が衣を与えても
受けとらなかった。そこで臨済和尚が人をつかわして棺桶を一つ与えると、普化はそれを受けとって言っ
た。「臨済の小僧は饒舌だ」。そして皆に別れを告げて言った。「明日、東門へ行って遷化する」
翌日、人々が連れ立って見送りに行くと普化は言った。「今日は日が悪い。二日後に南門で遷化する」。
人々が南門へ行くとまた言った。「明日、西門から出発するのが吉だ」。ところがその日も遷化せず、見
送る人がようやく少なくなってきた。そして四度目には北門へ行き、門の外に棺桶をかつぎ出すと鐸を振
りながら自ら棺桶に入って亡くなった。それを聞いた人々が競って北門へ走り棺桶のふたを開けると、そ
こに和尚の姿はなくただ遠ざかる鐸の声を聞くのみであった。
(´・(ェ)・`)b
230
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/17(日) 00:01:07 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。
聡い物には聡い教えを授け、愚昧な者には愚昧な教えを授けるというのじゃ。
さまざまな求めには、さまざまに応じ、無心の者には無心に応じるというのじゃ。
一休は気合のものであるから森羅万象に喝をいれるのじゃ。
一喝して曰く司馬相如のように誰も見抜けぬような渇を抱える者にも、氷を破って水を与えるのじゃ。
231
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/17(日) 14:13:15 ID:X71OGAw20
285
龍寶山大徳禪寺入寺法語 7/8
退院
平生蠚苴小艶吟 平生らそ小艶の吟、
酒婬色婬詩亦婬 酒に婬し色に婬し、詩も亦婬す
擲拄杖云 しゅじょうなげうって云く
七尺拄杖還常住 七尺の拄杖、常住に還す。
吹尺八云一枝尺八少知音 尺八を吹いて云く一枝の尺八、知音なり。
くま訳
日頃は気合で、艶詩を詠み、
酒色に耽り、詩に耽。
杖を投げ出して云うのだ、
七尺の拄杖は寺の公用物なので返還すると。
尺八を吹いて云ったのだ、一枝の尺八の風流を解する者、わしの仏道を解する者はこの寺にはおらんのだ。
286 8/8
帖 てふ (ちょう)
頂戴即是 即ち是
放下即是 即ち是
くま訳
書置き
大徳寺の住持を引受けるも是
投げ棄てるも是なのである。
入院の時に、退院の書き置きをしている法語でありました。
232
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/17(日) 22:03:02 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。
入山なのに退院なのじゃ。
平静は艶詩などを詠い、酒色と詩に溺れているのじゃ。
任杖を投げ捨てて云うのじゃ。
七尺の任杖は仏性に還すと。
尺八を吹いて云うのはその意を知る者が少ないことじゃ。
233
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/18(月) 13:58:26 ID:eA/TPUFU0
287 臨済録パロディーで山居を嘆く
山居
孤峰頂上出身途 孤峰頂上出身の途
十字街頭向背衢 十字街頭かうはいのちまた
空聞夜夜天涯雁 空しく聞く夜夜天涯の雁
郷信封書一字無 郷信の封書一字も無し
くま訳
孤峰頂上は、解脱した者の道である。
街中にあれば、迎合したり、対立したりすることもあるのである。
山居していると、空しく夜毎雁の鳴き声を聞くことになるのである。
故郷からの便りはない。封書どころか、一字とてないのである。
*出身:解脱する、解脱せしむるの両方の意味があり(円覚寺HP解)
*向背:正面を向くことと背面を見せること、迎合と背棄。(円覚寺HP解)
*昔漢の蘇武、雁の足に書をつけて故国に放つ、時の昭皇帝の上林宛てに幸ありし時、雁の足に文付け来る、
帝の傍らに下り来る、之を取って見、蘇武の書の細々しき誠忠の程、伺わさせられて、やがて帰国叶い、
元の燗に復しけりと。故に音信を一に雁書ともいひ、その昔を偲ぶなり(国訳大成 脚注)
おまけ:臨済録 上堂 (沢田天瑞先生・庭園の構想に関する研究Ⅲより)
一人在孤峰頂上無出身之路、 一人は孤峰(こほう)頂上に在って、出身の路無く
一人在十字街頭亦無向背。 一人は十字街頭に在って、亦た向背無し。
那箇在前、那箇在後。 那箇(なこ)か前に在り、那箇かしりえに在る。
不作 維摩詰、不作 傅大士。 維摩詰となさざれ、ふだい士となさざれ。
珍重 ちんちょう
円覚寺HP解説抜粋
孤峰頂上にあって、人を導く方便を持たない・・・、徳山禅師を念頭においていると言われます。
峻厳一徹の徳山禅師は、誰がなんと言おうと三十棒を与えたのでした。
しかし、臨済禅師は、そうではなく、人に応じて自在に教えを説かれました。
否定するだけではなく、相手の境地に応じた教えを説いたのです。
ですから臨済禅師は、この二人のありようを示しておいて、自分は後者を取ると言いたいのだと思われま
す。
沢田天瑞先生訳
一人は孤峰の頂上ともいうべき悟りの絶対的な世界な世界にとどまって、その世界から出て活動する路がなく、
もう一人は十字街道ともいうべき世俗の相対的世界にとどまって、進退の自由を失っている。
いずれに優劣があるかといえば、いずれも取るべきものがみられない。
維摩居士か、それとも傅大士か、などとこの二人をなぞらえて考えてはならない。
ご苦労さま。
*維摩詰:維摩経に登場する主人公で、古代インドの毘舎離(びしゃり)城に住んだとされる大富豪。学識
に富み、在家(ざいけ)のまま菩薩の道を行じ、釈迦の弟子としてその教化を助けたといわれる。
*傅大士(ふたいし):[497〜569]中国、南北朝時代の在俗仏教者。善慧大士と号し、双林寺を建て、大
蔵経を閲覧する便をはかって、転輪蔵を創始した。俗に「笑い仏」といわれる。
(´・(ェ)・`)つ
234
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/18(月) 23:31:24 ID:1d4drIFg0
孤峰頂上の途に出る身なのじゃ。
十字の街頭には背を向けるのじゃ。
毎晩空しく天に鳴く雁の声を聞くのじゃ。
故郷の便りには一字も無しじゃ。
今度は字に掛けているのじゃな。
235
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/19(火) 09:11:39 ID:eIfwtw9k0
くま訳全面改
わしは孤峰頂上に出る身なのである。
けど、十字街頭に背を向けることはしないのだ。
毎晩空しく天に鳴く雁の声を聞くのである。
故郷の便りには一字も無いのだ。
288
山居僧擁葉 山居の僧、葉を擁す
孤峯頂上謝塵寰 孤峰頂上塵くわんを謝す
三十年來不出山 三十年來山を出でず
因憶南陽擁葉意 因っておもふ南陽葉を擁す意
半身暖氣半身寒 半身は暖氣半身は寒
くま訳
山居の僧、葉を抱きかかえる。
孤峰頂上に住み、俗世間から去る。
三十年來山から下りなかったと伝えられる、
南陽慧忠禪師は、長年山居して枯葉につつまれていた間は、どんな思いだったのだろう、
半身暖かく、半身寒かっただろう。
*塵寰(じんかん):俗世間。塵界。
*謝す:去る。①わびる。謝罪する。②感謝する。③(恨みなどを)晴らす。たち切る。
*南陽慧忠禪師、唐・675年 – 775年・慧能のもとで悟りを得た後、南陽の白崖山にある党子谷に庵を結び
40年の間隠棲した。その後、皇帝粛宗の招請により都に上り、宮廷において教えを授けた。死後、皇帝
は国師号を贈った。 中国では単に国師といえば、ほとんどの場合慧忠のことを指すといわれる。
(´・(ェ)・`)つ
236
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/19(火) 23:04:14 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
山の頂に居て俗世間から離れたのじゃ。
三十年も山を出なかったのじゃ。
それに因って南陽が葉っぱを抱いていた意味を知ったのじゃ。
半身は温かく、半身は寒いのじゃ。
三十年も山に居て南陽が葉っぱを抱いていた意味を知ったというのじゃ。
まだ半分仏で半分は俗人だったというのじゃ。
小悟であったのじゃな。
完全に大悟していればそんなに長く山に居る必要もないからのう。
まだ修行が必要だから長く山にいたのじゃ。
237
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/20(水) 11:03:24 ID:0zM9Wu460
289
慈楊塔
不是平生好境痕 是れ平生好境の痕にあらず
任他鶏足月黄昏 さもあらばあれ鶏足月くわうこん
誰氏風流我盟約 誰かうじぞ風流我が盟約
馬嵬青塚舊精魂 馬くわいの青ちょう旧精魂
柳田聖山先生訳
これは拙僧の寿塔ではなくて夫婦塚なのだ
鶏足山に眠る迦葉が弥勒の出現を臨んだが
二人が相思相愛を誓い合った盟約の記念碑
馬嵬の楊貴妃と青塚の王昭君の亡霊である
くま訳
この塔は、日頃の恵まれた境遇の記念碑ではないのだ、
夕暮れの鶏足山で弥勒を待つ摩訶迦葉のようなわしの心境の碑なのだ。
わしが風流な約束(三生の誓い)をした相手は誰か、
馬嵬で死んだ楊貴妃、青塚に眠る王昭君のような美女の生れ変りである、森の為の塔なのである。
*慈楊塔:1475年,一休の敬慕する宋の慈明禅師と楊岐禅師の名を取って「慈揚塔」と名付けられた。今日
の建物は「法華堂」と改称されている、宮内庁が後小松天皇落胤説に基づき陵墓(宗純王廟)として管理
している
*鶏足山:大迦葉が、入定された地。その時お釈迦様から衣と言葉を預かり、56億7千万年の後、弥勒菩
薩が鶏足山に姿を現した時、それらを授けると言われている
(´・(ェ)・`)つ
238
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/20(水) 23:07:54 ID:1d4drIFg0
大体そのような感じじゃな。
これは平生の境地の塔ではなく、迦葉と弥勒のための塔というのじゃ。
二人の盟約の塔であり、馬嵬や青塚のような後生を誓う精魂の塔というのじゃ。
慈明と楊岐が弥勒の世に会う盟約の塔という意味じゃな。
239
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/21(木) 19:28:58 ID:ZSuyUWXo0
くま訳全面改
第一句:これは平生の境地の塔ではないのである。
第二句:夕暮れの鶏足山で弥勒を待つ摩訶迦葉のための塔なのだ。
第三句:慈明と楊岐が弥勒の世に会う盟約を刻んだ塔なのだ
第四句:馬嵬や青塚のような後生を誓う精魂の塔なのだ。
290
示斬猫僧 ざんめう僧に示す
是吾會裏小南泉 是れわがえりの小南泉
信手斬猫公案圓 手にまかせてめうを斬る公案まどかなり、
錯來自悔行斯令 あやまり来って自ら悔ゆこのれいを行じて、
驚起牡丹花下眠 牡丹花下の眠りを驚起することを。
くま訳
猫を斬った僧に示す
これ、一休会派のえりの徒の、小南泉の話である。(南線禅師の真似をして、猫を斬ったのである)
無造作に猫を斬る公案は、よく出来ている。
錯って、この公案と同じ様に猫を斬った僧は後悔しているのである。
猫ではなく、自分が、夢に驚き飛び起きる破目になったのである。
*小南泉:南泉普顧禅師、座下の雲水に対する提示に類するをいう(禪学大成脚注)・
*「南泉斬猫」は『碧巌録』『無門関』に採録。東西両堂が猫の子の仏性の有無について争ったとき、南泉
が猫の子をとらえ会得したところを明らかにせよと迫り、返答がなかったためその猫を斬ったという故事。
*牡丹花下眠猫児(ぼたんかかすいびょうじ)牡丹の花の下に眠っていた子猫が、人の気配を感じてすぐに
起きて逃げてしまった。この猫は眠っていたのか、寝ているふりをしていたのか。という禅問答(公案)
(´・(ェ)・`)つ
240
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/21(木) 23:50:40 ID:1d4drIFg0
公案をまねて猫を切った僧が居たというのじゃな。
公案を完成させるために根を切ったというのじゃな。
それが間違いだったと一休に懺悔したのじゃな。
それを又考案にかけて牡丹の花の下で寝ていたのを驚き起こされたというのじゃ。
241
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/22(金) 14:25:29 ID:eDempLCw0
くま訳改
第二句:公案を完成させるために根猫切ったというのである。
第三句:それが間違いだったと懺悔してきたのである。
第四句:それを又考案にかけて牡丹の花の下で寝ていたのを驚き起こされたと言うのである。
291
心隋萬境轉 心はばん境に随って転ず
今日佛心猶未生 今日佛心猶ほ未だ生ぜず
衆生界地獄先成 衆生界地獄先づ成る
萬機萬境皆情識 萬機萬境皆情識
轉處能幽劍戟城 転処能く幽なり剣戟城"
くま訳
心は外界に随って移ろい行くのである。
今日仏心がまだ生じてないならば、
衆生が輪廻する六道では、先ず地獄が作られるのだ。
あらゆる機会、あらゆる境遇で、迷いが生じたら、
心を転じて執着を離れ、幽玄の境地の城を剣と矛で守るのだ。
おまけ:『景徳伝灯録』・摩拏羅尊者 の偈
心随万境転 心は万境に随って転ず
転処実能幽 転処実に能(よ)く幽なり
随流認得性 流れに随って性(しょう)を認得すれば
無喜亦無憂 喜びもなくまた憂いもなし
*承福禅寺HP訳・解説(〜朝日カルチャー「禅語教室」より〜)抜粋
人の心と言うものは、外界の現象に惑わされて揺れ動き、移ろい変わりやすいものである。
しかしその外界の現象に執着することなく、無心無自性であれば自由無碍であり、まさに幽玄
なる心境にあ
るといえる。
たとえ外界はたえず揺れ動き、激しく変貌することがあっても、心中においては常に平常であり
喜びも、悲しみも時の流れのままに処して何のわだかまりもなく、随処に主となる
ところの境地である。
喜怒哀楽はつきものである。悲しみ、喜びはあれど、実はその実体は何もなくただ、縁に随い、感に赴いて
いるにすぎないのだ。すなわち「心は縁に随って転ずる」だけなのだ。このように悟れば喜び悲しみあれど
その時その時、その場その場に応じて自ずから心のままに泣き、また悲しみ、また喜べばよい。心のままに
あって二念、三念なければ転処実によく幽の境いられよう。
*『景徳傳燈録』:北宋代に道原によって編纂された、禅宗を代表する燈史。禅宗を研究する上で代表的な
資料であり、必ず学ぶべきものとされる。
(´・(ェ)・`)つ
242
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/22(金) 23:40:26 ID:1d4drIFg0
心はよろずの境に従って転じるというのじゃな。
環境や境地に従って変化するというのじゃ。
今日仏心が生じていないならば、衆生の住む世界は地獄が先ず生じるというのじゃ。
全ての心の働きや状況は皆、感情や認識として捉えられるのじゃ。
その心が転じれば攻撃的な心や自らを守る心として能くとらえられるのじゃ。
243
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/23(土) 12:33:18 ID:KIqelnRo0
くま訳改
心は環境や境地に従って変化するのである。
第三句:全ての心の働きや状況は皆、感情や認識として捉えられるのである。
第四句:その心が転じれば攻撃的な心(劍戟)や自らを守る心(城)として能くとらえられる(幽なり)。
292
泉涌寺雲龍院後小松院廟前菊 泉にう寺雲龍院後小松の院廟ぜんの菊
袞龍錦袖碧雲天 こんりょうきんしう碧雲の天
叡信宗門列祖禪 叡信す宗門列祖の禪
生銕鑄成黄菊意 しゃう鉄つい成すくわう菊の意
秋香未老玉堦前 秋香いまだ老いず玉かいの前
くま訳
泉涌寺雲龍院の後小松院廟前の菊
後小松天皇の威徳を讃えるような青空
宗門祖師の禅を信仰されたのだ。
鍛えられてない鉄を、仕上げよと言うのが、後小松天皇のご意志であった。
その時の秋の香が、未だに衰えることがない宮中のみはしの前であります。
*雲龍院(うんりゅういん):真言宗泉涌寺派の寺院。南北朝時代は北朝の後光厳天皇の勅願により、応安
5年(1372年)に龍華院と共に創建された。後円融天皇、後小松天皇、称光天皇など皇室の帰依を受けて
発展したとされる。文明2年(1470年)には応仁の乱の余波を受けて全焼
*袞竜の袖(こんりょうのそで):1 天子の衣の袖。2 天子の威徳のたとえ。
*叡信(えいしん):天子が神または仏を信じ尊び、従われること。また、その信じる心。天皇の信仰。
*列祖:代々の祖先。歴代の祖先。
*鑄(ちゅう):1鋳造する,鋳る.2作り上げる,形成する.
*玉階(ギョッカイ):① 宮中、または神社の階段。御階。みはし。② 広く、階段の美称。
(´・(ェ)・`)つ
244
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/23(土) 13:00:30 ID:KIqelnRo0
一休さんの青春
303
年譜:應永十六年 師十六歳
結制日。秉拂僧喜記氏族門閥掩耳出堂。
乃作二偈呈慕喆翁。曰。今叢林頽靡。
非一柱可及。三十年後子言必行。
忍以侍之。其偈曰
戸谷太一先生訳
師(一休)16歳、
結制の日(禅寺の行事)に、ひんほつの僧(説教をする僧)が喜んで氏族や門閥の話(家柄自慢)を記して
いるのを聞き、耳をふさいでお堂を飛び出した。
そして、詩を二つ作り慕哲翁(一休の詩の師匠)に見せたところ、翁は言った、今の叢林(当時の禅宗社
会)の頽廃は一人の人間で支えられるものではない、30年後に言ったことを実行しなさい、なので忍んで
機会を待ちなさい。
(´・(ェ)・`)つ
245
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/23(土) 13:06:40 ID:KIqelnRo0
304
余四十年前、秉拂僧在法堂上 余40年前、ひんぽつ僧の法堂上に在りて、
而説禪客之氏族焉。 禅客の氏族を説くを聞く
于商于工手行僕者流 商にあれ、工にあれ、行僕者の流れにあれ、
各訐其所業。 各々其の業とする所をあばく。
甚者乃臻出手以爲模様。 甚だしきは、すなわち手を出して以て模様を為すにいたる。
吁是何爲也。即乃掩耳而出矣。 あぁ、是れなんするものぞ。すなわち耳をおおうて出づ。
因廼べ述二偈意在革弊。 因りて二偈を述ぶ。意は弊をあらたむるに在り。
凡四姓之入吾門。皆稱釋氏、 およそ四姓の吾が門に入って、皆な釈氏と称するは、
以其乞食而資姓乞法而資姓也。 其の乞食して命をたすけ、乞法して身を資くるを以てなり。
亦何貴冑望族之有哉。 亦た何の貴ちゅう望族が之れ有らん。
今世山林叢林之論人、 今の山林叢林の人を論ずる、
必議氏族之尊卑焉。 必ず家柄の尊卑の話をする。
是可忍孰不可忍乎。 是を忍ぶべくんば、いずれか忍ぶ可からざらん。
遂寫前偈以掲示四方。 遂に前偈を写して以て四方に掲示す。
誰敢撃節。其偈曰 誰か敢えて撃節せん。其の偈に曰く、
1/2
説法説禅挙姓名 法を説き 禅を説いて姓名を挙げる
辱人一句聴呑声 人を辱かしむるの一句 聴いて声を呑む
問答若不識起倒 問答もし起倒を識らずんば
修羅勝負長無明 修羅の勝負無明を長ぜん
くま訳
わしは、40年前、説法する僧が、法堂上で、
法談に招かれた僧の家柄の話をするのを聞いた。
商業者、工業者、仏道修行者や身分の低い人等、
各々其の業とする所をあばいた。
甚だしきは、作り話をでっちあげることまでした。
あぁ、是れは何とした事か。その場で耳をおおい、退出した。
その事ににより、二偈を述べた。意図するところは、悪しきならわしをあらたむることである。
およそ四つの身分の者が我が門に入って、皆、釈氏と称するは、
其の乞食して命をつなぎ、法を学んで身をたすけるからである。
そこにおいて、何の血筋や家柄の違いがあろうか。
今の禪寺では人を評価する時に、必ず家柄の尊卑の話をする。
そんな話を我慢して聞けるくらいなら、我慢できない話など何もないであろう。
今日に至って、前に作った偈を写して以て四方に掲示する。
誰か敢えて共感する者はいないか。その偈に曰く、
法を説き 禅を説く者でありながら、身分をあげつらう。
そのことで人を辱かしめる言を吐くのを聞いて、声が出ない。
問答における勝敗のつけ方を知らないのであれば、
醜い言い争いが、決着がつかないまま、愚かにいつまでも続くであろう。
*秉(ヒョウ・ヘイ・ヒン・とる):①いねたば。ひとにぎりのイネの束。 ②とる。手に持つ。にぎる。
③まもる。心にかたく守る。④え(柄)。転じて権勢。「権秉」
*払(ホツ・はらう):1 はらいのける。はらう。2 やみをはらうように空が明ける。
*秉払の(ひんぽつ)::払子を持つ
*払子(ほっす):仏教の法要の際に僧が威儀を示すために用いる法具である。麈尾(しゅび、しゅみ)、
白払(びゃくほつ)ともいう。
*客僧:1 旅の僧。旅僧。かくそう。2 他の寺に身を寄せている僧。また、法談などのため招かれた僧
*修羅: 醜い争いや果てしのない闘い、また激しい感情のあらわれなどのたとえ。
*貴冑望族:貴族又名望家の族
*撃節;節を撃たん・意に適って、手又は膝を打ちて、同意を表すをいふ。
(´・(ェ)・`)つ
246
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/24(日) 00:53:34 ID:1d4drIFg0
後小松院廟の前に菊が供えられていたか花壇があったのかもしれん。
それを詠んだのじゃな。
天子の衣のような紺碧の空というのじゃ。
それは天皇の威徳が空一杯に広がっているということじゃな。
後小松天皇は宗門の禅に列して修行したのじゃな。
生鉄を練成して黄色い菊にしたというのじゃ。
修業を完成させたというのじゃ。
黄色い菊は皇室の印じゃな。
その菊の香りがまだ廟前に残っているというのじゃ。
247
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/24(日) 11:06:04 ID:eGllDJ6Q0
鬼和尚、いつもありがとうであります。
>> 245の詩もお願いするであります。
γ⌒:"-ヽ〟
(∪( )
∪∪∨-∨
248
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/24(日) 23:43:11 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じなのじゃ。
そもそもお釈迦様は生まれに拠って四性の区別があるのではなく、行いによって四性があると説いたのじゃ。
そうであるからその弟子の筈である僧が、四性の生まれた家柄による差別を語ってはおかしいのじゃ。
一休も当然それを知っていたが、無知な僧は知らずに論っていたのじゃ。
その頃は一休はまだ若いから説教とかできなかったのじゃな。
一休が四十年前、権威のある僧が法堂上にあって他の客僧がどこの氏族の生まれであるか説いたのを聞いたのじゃ。
商家、工人の家、肉体労働者の流族であるとか暴き、酷いのは手でその生業を真似て示したりもしたのじゃ。
一休は何じゃ、これはと嘆いて耳を覆って堂から出たのじゃ。
是に因り二偈を述べて悪幣を改めるつもりなのじゃ。
およそ四性の者がわが門に入って皆、釈氏と称するのは乞食行をして、身を養うからなのじゃ。
それなのに素性の貴さを望むことなどありえないのじゃ。
今の人が僧を論じる時に必ず出身の家柄の尊卑を語るのじゃ。
このようなことを忍ばなかったら、何を忍ぶというのか。
遂に前の偈を写して四方に掲示するのじゃ。
誰か是をあえて同意する者はいないかというのじゃ。
その偈はこの通りなのじゃ。
法を説き、禅を説く者が氏素性をあげつらう。。
それによって人を辱める一句を聞いて声を呑むのじゃ。
そのような問答の利害がわからなければ、修羅の如く勝敗に係り患って無明を強化するのみなのじゃ。
249
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/25(月) 18:18:36 ID:68E1el720
305 2/2
犀牛扇子与誰人 犀牛の扇子、誰人にか与えん、
行者盧公来作賓 あん者ろ公、来って賓となる。
姓名議論法堂上 姓名を議論す、法堂の上、
恰似百官朝紫宸 あたかも百官の紫宸に朝するに似たり
仏性(仏になるための性質 )をあらわす犀牛の扇子は与えるまでもなく誰もが持っているのだ。
六祖慧能は出身がいやしくとも、見出されて五祖の客となった
身分のことを法堂上で議論しているのである、
あたかも朝廷に仕える役人のようである。
*行者盧公:六祖慧能:中国の禅僧。ここでは、出身が貧しい慧能が師に見抜かれた、ということ
*おまけ①:犀牛の払子『碧眼録』第91則「塩官の扇子」
【本則】
挙す。塩官、一日侍者を喚ぶ、「我が与に犀牛の扇子を将ち来れ」。
侍者云く、「扇子破れたり。」
官云く、「扇子既に破れたれば、我に犀牛児を還し来たれ」侍者対うること無し。
投子云く、「将棋出だすことを辞せざるも、恐らくは頭角全からざん」。
雪竇拈げて云く、「我は全からざる底の頭角を要す」。
石霜云く、「若し和尚に還さば即ち無からん」。
雪竇拈げて云く、「犀牛児は猶お在り」。
資福一円相を画き、中に一つの牛の字を書く。
雪竇拈げて云く、「適来、為什麼にか将き出ださざる」。
保福云く、「和尚は年尊し、別に人に請えば好し」。
雪竇拈げて云く、「惜しむべし、労して功無し」。
横田観風先生訳・解説抜粋
塩官というのはお師匠さんで、ある日世話係(待者)を呼んで「わしのために犀牛の骨で作った扇子を持っ
て来てくれ」と言った。すると世話係は「扇子は破れて使い物になりませんよ」と言った。
・・・すると塩官は「扇子が壊れたなら、わたしに犀牛そのものを持ってきてくれと」言った。
・・・すると世話係は何も答えられなかった。
・・・塩官が示唆した犀牛というのを、我々が生まれついて持ってきたものが隠れて無くなったものととら
えられれば、何か答え方があった訳である。
「お師匠様、いつも持っているじゃないですか」とか。
ここでは世話係が答えられなかったという事実があるので、後の世の人達がこれを禅問答の材料にしている。
投子は「犀牛を引っ張り出してくる事は良いとしても、恐らく角は完全じゃありません」と言った。
結局、犀牛とは言葉にならない世界、形にならない世界のもの、つまり仏性、それを表に見えるように出す
となると、もう完璧ではなくなる。
欠けたようにしか出せませんよと、そういう意味。
見えないものがそのまま備わっているのに、何もかたちにして見せる事ないだろうと。
雪竇は「私ならば、その不完全な頭角の犀牛児が必要なのだ」と言った。
説明するためには必要という事。
石霜は「もし、和尚に返したら無くなってしまいます。」
だいたい誰にも備わっているものを返せというのがおかしい。
説明しなければ、返したり返さないとかできないけれども、人に知らしめるためには表現しなくてはいけな
い。
表現するにはそういうものは必要だ。お師匠さんから弟子らにいっぱい話をしないといけないとか。
雪竇は「犀牛児はなお在り」と言った。
もともと誰の中にもある。在るとか無いとかの問題でないので、禅は反対の事を言う。片方が無いと言うと
、もう一方は在ると言う。どっちも正しい。
そういう世界では無い所を求めているので、こういう言い方をしている。
資福は犀牛児を円相で描いた。これは表現できないものを丸で表現して象徴化した。さらにその中に牛(仏
性)と描いた。
すると雪竇は「そんなに立派な牛がいるのなら、どうして持ち出して来なかったのだ?」と言った。
これは宇宙そのものが牛なのだという風に表現した。
保福は「和尚は随分年取ったぞ、別の人に頼んで下さい」と言った。世話係の引退宣言。
雪竇は「惜しい事だ。お前さんも長く勤めてくれたがさっぱり功が無かったなあ」と言った。
私だったら何と言うか。「和尚はすでに持っているのに、欲張りですね」とか。いろいろある。
(´・(ェ)・`)つ
250
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/25(月) 18:28:56 ID:68E1el720
*おまけ②:犀牛の払子『碧眼録』第91則「塩官の扇子」
【頌】
犀牛の扇子用うること多時、問著れば元来総な知らず。
限り無き清風と頭角と、尽く雲雨と同に去って追い難し。
雪竇復た云く、「若し清風の再び復し、頭角重ねて生ぜんことを要せば、請う禅客、各一転語を下せ」。
問うて云く、「扇子既に破れたれば、我に犀牛児を還し来たれ」。
時に有る僧出でて云く、「大衆、参堂し去け」。
雪竇、喝して云く、「鈎を抛って鯤鯨を釣りしに、箇の蝦蟆を釣り得たり」と。
便ち下座す。
横田観風先生・訳・解説より
犀牛の扇子を用いる事久しくとも、どういうものかと聞いても、誰も知らない。
認識を超えて霊妙不可思議というものは知っているけれども、こういう形があるとかは誰も知らない。
知ろうとしてもわからないものだ。
塩官と世話係の問答について、五人(投子、石霜、資福、保福、雪竇)がいろいろ見解を述べて答えている
が、皆、悟っている人なので、そのものズバリとは言わないが、それぞれ答え方が清い風を受けるようなも
のだ。
雪竇が塩官の真似をして「誰か、弟子の中で答えが言える人はいるか?」と皆に言った。
するとある僧が出て来て「大衆、禅堂に帰れ」と言って、皆を禅堂に帰す働きを示した。
すると雪竇は誰かに出て来てもらって問答したかったのに、帰されてしまったので、喚いて「わしは皆に釣
り針(言葉)を投げかけて、誰か鯨みたいな大物がいないか釣り上げようと思ったのに、何と釣り上げたの
は余分な事をするちっぽけな蛙だったわい」と言ってすっと帰ってしまった。
(´・(ェ)・`)b
251
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/25(月) 23:12:40 ID:1d4drIFg0
法を継ぐ者の証である犀牛の扇子を誰に与えるべきかというのじゃ。
身分が低い家の出であった慧能が受けるべき賓客となったのじゃ。
法堂で生まれた家の貴賎を語るのは役人が朝廷に集まっているのにも似るのじゃ。
俗臭紛々なのじゃ。
252
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/26(火) 16:47:52 ID:Zd7tgxm60
306
自戒
罪過彌天順藏主 罪過彌天順藏主
世許宗門賓中主 世に許す宗門賓中の主と
説禪逼人詩格工 禪を説いて人にせまる詩格の工
無量劫來悪道主 無量劫來悪道の主
くま訳
自戒
罪過は天いっぱいに拡がるほど多いのである。
世間から禅宗門は、修行者は師よりも劣ると看做されているのであるが、
わしが禅を説く際に、聞き手に強い印象を与えるのは、言葉選びがたくみななだけである。
永遠の、悪道主でる。
*罪過弥天(ざいかみてん):弥はあまねくいきわたるという意味で、罪や過失が空一面に広がるほど大き
く甚だしいことを意味する。
*賓中主:飛不動HP解説
四賓主は、賓と主、二人の能力の関係を四通りに分けたものです。賓は客、主は亭主。通常、客が修行者、
主は師となります。
① 客看主 「客、主を看る」
修行者が力量のある者で、師に力量がない=劣る場合。
② 主看客 「主、客を看る」
師に力量があり、修行者に力量がない=劣る場合。
③ 主看主 「主、主を看る」
師も修行者も、ともに優れた者の場合。
④ 客看客 「客、客を看る」
師も修行者も、ともにまだ悟っていない力量不足者同志の場合。
以上は臨済宗の場合で、曹洞宗では、
①主中賓 ②賓中主 ③主中主 ④賓中賓 と表します。
① 修行者に見破られている状態。
② にわか住職に見破られている状態。
③ 共に悟りの眼があり、禅の話をして相通じる状態。
④ 共に悟りの眼がないので、お互い話がチンプンカンプンの状態。
*詩格:1 詩の作り方の規則。詩の法則。2 詩がもつ風格。詩の品格。
(´・(ェ)・`)つ
253
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/26(火) 18:24:52 ID:x7otsCkY0
305の詩・くま訳全面改
法を継ぐ者の証である犀牛の扇子を誰に与えるべきであるか。
身分が低い家の出であった慧能が弘忍に認められたて六祖となったのだ。
法堂で生まれた家の貴賎を語るのは
役人が朝廷に集まっているのにも似るのだ。
(´・(ェ)・`)b
254
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/26(火) 23:28:50 ID:1d4drIFg0
自戒の詩じゃな。
わしの罪過は天に満ちるほど多いのじゃ。
世間ではわしは宗門でも一番の名僧とされているのじゃ。
しかし実は詩の作り方がうまくて人に禅を説いているだけなのじゃ。
無量劫にも無いほどの悪道の者なのじゃ。
255
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/27(水) 16:29:04 ID:QvALKIzw0
くま訳全面改
わしの罪過は天に満ちるほど多いのだ。
世間ではわしは宗門でも一番の名僧とされているのだ。
しかし実は詩の作り方がうまくて人に禅を説いているだけなのだ。
無量劫にも無いほどの悪道の者なのだ。
307
大徳寺火後題大燈國師塔 大徳寺火後大燈國師の塔に題す 1283 1338
創草百二十八年 創草百二十八年
看來今日體中玄 看來ればこんにち體中玄
正邪境法滅卻後 正邪境法滅卻して後
猶是大燈輝大千 猶ほ是れ大燈大千に輝く
くま訳
大徳寺火災後の大燈國師塔と題して
大徳寺は創建されて百二十八年で(炎上してしまったので)ある。しかし、
創建されて以来の真実は大燈國師の中に見出せるのである。
正邪、意識対象となるもの全てを滅却した大燈国師は、
これからも三千大世界に輝き続けるのである。
*三玄三要(臨済録):玄は黒を表わし、奥の深い状態を指すので、真理、真実を深く極めた人という意味
で捉える事ができる。89の詩 参
1、「体中玄」とは、物事の姿や形の中に真実を見つけ出そうということ
2、「句中玄」とは、言葉に込められた根本の意味を見つけ出そうということ
3、「玄中玄」とは、形や言葉に囚われない真実の姿を求めること
臨済録・何をさすか明示されていない。一説に、玄中玄(真理そのもの)、句中玄(言語における真
理)、体中玄(修行で現れる真理)の三つをあげる。265の詩 参
*大徳寺・山号は龍宝山 開基は大燈国師宗峰妙超、1325年
1453年・60歳の時・大徳寺が炎上。
(´・(ェ)・`)つ
256
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/27(水) 23:26:53 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
大燈国師の塔が再建されたのじゃな。
大徳寺が創建百二十八年というのじゃ。
看に来たれば体中玄なのじゃ。
正邪も滅却して後、なおも大燈国師の威光は大千世界に輝くというのじや。
257
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/28(木) 17:24:07 ID:GLxyV7yo0
くま訳改
第二句:看来れば、物事の姿や形の中に真実を見いだせるのだ。
第三句:正邪、意識対象となるもの全てを滅却した後も、
第四句:なおも大燈国師の威光は大千世界に輝くのである。
308
賛鳥窠和尚 てうくわ和尚を賛す
巣寒樹上老禪翁 巣は寒し樹上の老禪翁
寂寞淸高名未空 せきばくせいかう名いまだむなしからず
諸悪莫作善奉行 諸悪まくさ善奉行
大機須在醉吟中 大機はすべからくすゐ吟のうちに在るべし
肝冷斎先生訳・解説より
そこの巣は寒くはございませんか、樹上の老いた禅じじいよ、
孤立し、清く高尚で、その名は今でも知られている。
白楽天の問いに答えて、「悪いことはしてなりません、いいことをしなさい」と(外面よく答えたが)
(悟りへの)大きな転換ポイントは酔歌する(ようなキモチ)の中にこそあるはずだ。
「酔吟」・・・白楽天が晩年に「酔吟先生」と自称しているので、それを踏まえると、(悟りへの)大きな
転換ポイントは、白楽天の方にあるはずだ(和尚の方はヒントを示しているだけだ)。
くま訳
鳥巣(ちょうか)和尚について詠うのだ
松の木の上に住んだ鳥巣老僧は、寒かったでありましょう。
寂寞たる中で、清らかに生きたその名は、未だに思い起こされてるでありますよ。
悪事をなさず、善事をなせ。(よと、鳥窠和尚は白楽天の問いに答えて言ったのだ。)
悟りを求める実践法は、すべからく、酔吟のうちにあるのだ。
*鳥窠道林(ちょうかどうりん、741-824、唐代 白居易との交流で知られる。198 40の詩 参
*道林和尚と白楽天の間に交わされたという有名な問答の概要・禅の視点 - life - HPより
白居易来って宗要を問ふ、居易曰く、「禪師の住所甚だ危険なり」と。
窠曰く、「居士の危険尤も甚だし。」
居士曰く、「弟子の位、江山に鎮す、何の険なることか之れあらん」と。
窠曰く、「薪火相交って識性停まらず、険に非らざることを得んや。」
「和尚さん、そんなところで坐禅をしていては危ないのではないですか?」
「ワシには、あなたのほうが危険に見えるが」
「私はこの度新しく杭州の長官として赴任してきた白居易です。この辺りはすべて私が治めています。何の
危険があるというのでしょうか」
「薪を燃やすかのように、煩悩の炎が燃えあがっておる。どうして危険がないなどということが言える
か」(この後に135の詩の詞書がつづく)
*諸悪莫作善奉行:一休さんお気に入りの言葉。
*寂寞(ジャクマク・せきばく):ひっそりしていてさびしいこと。また、そのさま。静かなさま。
*清高:清らかですぐれている・こと(さま)。
*大機:大乗の教えを受け、それを実践する資質。また、その資質を有する者
(´・(ェ)・`)つ
258
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/28(木) 23:38:35 ID:1d4drIFg0
鳥巣和尚の賛じゃな。
寒樹は葉の落ちた樹なのじゃ。
寒樹の上に巣を作る禅翁なのじゃ。
清き涅槃の境地によって高名未だ空しくないのじゃ。
鳥巣禅師は白居易に諸々の悪はなさず、善き事を奉じ行えと説いたのじゃ。
なぜならば悟りへの大いなる機会とは白居易自らの中にあらねばならぬからなのじゃ。
259
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/29(金) 17:29:17 ID:Mq7fRKlY0
くま訳全面改
第一句:寒樹は葉の落ちた樹の上に巣を作る禅翁なのだ。
第二句:清き涅槃の境地によって高名未だ空しくないのだ。
第三句:鳥巣禅師は白居易に悪事はなさず、善事を行えと説いたのだ。
第四句:なぜならば悟りへの大いなる機会は白居易自らの中にあらねばならぬからなのだ。
一休さんらしいオチと言うべきでありましょうか。
309
賛靈昭女 靈昭女を賛す
笟籬賣却甚風流 さうりまい却して甚だ風流
一句明明百草頭 一句明明たり百草頭
相對無心弄禪話 相對して禪話を弄ずるに心無し
朝雲暮雨不甚愁 朝雲暮雨愁に堪えず
くま訳
賛靈昭女(りんしょうじょ)について詠うのだ。
竹かごを売って生活していた風流な女性である。
森羅万象はありのまま、(仏法の真髄、悟りの法)の一句を遺している
相対して禅話をしても、無心なのだ。
しかし、情を交わすことがあったとしても、ものわびしく感じてしまうであろう。
*靈昭女:(りんしょうじょ・れいしょう)龐居士(ほう)の娘、一家そろって禪宗に在家で歸依、竹漉籬
売りて父母を養ふ。
150の詩参
*おまけ: 龐居士VS 靈昭女 親子問答
居士一日坐次。問靈照曰。 居士一じつ坐する次いで、りんしょうに問とうて曰く、
古人道。明明百草頭。明明祖師意。 古人いう、明明たり百草頭、明明たり祖師意、と。
如何會。 如何が会す
照曰。老老大大。作這箇語話。 照曰く、老老大大として這箇の語話をなす。
士曰。你作麼生。 士曰く、なんじはそもさん。
照曰。明明百草頭。明明祖師意。 照曰く、明明たり百草頭、明明たり祖師意。
士乃笑。 士、すなわち笑わう。
細川景一先生訳・解説抜粋
父、龐居士が娘に問いかけます。「古人いう、明々たりひゃくそうとう、明々たり祖師そし意い、如何にえ
すや」。
霊照が答えます。「老々ろ大々、お父さん、いい歳をして何をいっているのですか」。龐居士、驚いた顔を
して問います。「じゃ、お前ならなんという」。
霊照、おもむろに、「明々めいめいたり百草頭、明々たり祖師意」。
龐居士、頷いてにっこり笑います。
答えは一緒です。どう違っていたのでしょうか。龐居士は、ただ古人の言葉として取り上げたにすぎません。
霊照はこの「明々たり百草頭、明々たり祖師意」の語を、自分の見解(けんげ)として呈し、その真意を体得
したのです。そこを看て取って龐居士は頷いたのです。
「明々」とは、はっきり・・、ありあり・・としているさま。「頭」は意を強める助辞。また、文字通りの
頭、先のことと解することもできます。「百草」とは、草花に限りません。森羅万象、山河大地、草芥人畜、
一切の存在と現象を意味します。「祖師意」とは、祖師西来意・・といわれるもので、達磨大師がインドか
ら中国にやって来た本当の意ということから、禅問答の中では、仏法の真髄・・とか悟り・・とかの意に用
いられます。
「明々たり百草頭、明々たり祖師意」。私たちの目前に拡がる山川草木、禽獣、虫魚、瓦礫塵芥(がりゃく
じんかい)等一切の存在と現象一つ一つが、そのまま仏法の真理であり、悟りであるというのです。故に一
草、一木、一匹、一箇の事々に、物々の一つ一つに耳を傾け、目を凝らし、心を通わせ、その真実の姿を収
得しなければならないのです。霊照は父親の手引きで、目前の一草一木の先に輝く仏の命を学び取ったのです。
(´・(ェ)・`)つ
260
:
鬼和尚
◆Yj52hBkdLM
:2021/01/29(金) 23:39:43 ID:1d4drIFg0
靈昭女は竹かごを売却してはなはだ風流なのじゃ。
一切が明らかになった境地を句に表したのじゃ。
相対すれば無心で禅話を玩弄するじゃろう。
それが一夜の逢瀬で終わったとしても愁いが甚だしいこともないのじゃ。
261
:
避難民のマジレスさん
:2021/01/30(土) 17:25:12 ID:VDH662kQ0
くま訳改
第四句:それが一夜の逢瀬で終わったとしても愁いが甚だしいこともないのだ。
不甚(たえず))あまり…でない.あまりはっきりしない,よくわからない.そんなにはっきりしていない.
くまの元訳は、耐えずと誤訳してしまったのである。
310 1/2
大燈國師百年忌 二首
曩覔青銅無半文 さきに青銅をもとむるに半文無し
酬恩一句豈驚群 恩にむくゆる一句あに群を驚かさん
祖師遷化己百載 祖師のせんげすでに百さい
空拝婆年婆子裙 むなしくば年を拝すばしがくん
柳田聖山先生訳
いくら頭陀袋を探しても、半文もないのに
どうして気の利いた詩句を捧げられようか
祖師が亡くなって早や百年が過ぎた年月は、
老婆が年月を数えるように、虚しい限りだ。
くま訳
まずは、銭を探してみたが半文も無いのである
大燈國師の恩に報いたくて一句を詠んでも、多くの人の注意をひくことが出来ない。
大燈亡くなってすでに百年
虚しく老婆の様に年を数える
*半文:斎宮歴史博物館HPによると、平安時代の貨幣価値は、1文24円くらいだそうである。くまより貧
乏な一休さんであるが、いずれ、一休文化サロンのパトロン達から何十億円も寄付を集めて、大徳寺を再
建するのである。
(´・(ェ)・`)つ
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