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鬼和尚に聞いてみるスレ part4

1sage:2014/08/05(火) 19:29:50 ID:QMklRI/Y0
鬼和尚と修行者の為の交流スレです。

前スレ
鬼和尚に聞いてみるスレ part3
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/8276/1394101534/

144偽和尚★:2014/08/23(土) 18:04:07 ID:???0
>>41 でお願いをしましたが相変わらずこのスレに無関係な邪魔な書き込みがされていますので
そろそろ削除をしようかと思います。尚、削除される書き込みはこの板のローカルルールの通り、
こちらの独断で勝手に決めます。間違いで関係する書き込みも削除してしまう可能性もあるため
このスレの内容を保存しておきたい方は自分で日々バックアップを取ってください。

削除の実行はなるべく今から24時間以内は行わないようにしますが、約束はしません。
気が変わったらすぐやります。

また、削除を何度しても相変わらず同様な無関係な書き込みが行われた場合は規制を行います。
その際 IP アドレスやプロバイダなどは晒すかも知れません。

145避難民のマジレスさん:2014/08/23(土) 19:29:38 ID:WjNAd/8g0
>>130
どうやら本当に、自我は記憶の想起に過ぎないのではないかと思ってきています。
実際に自分で観察して確かめたいです。
さらにいろいろ試して精進します。
お答えくださり、ありがとうございました。

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147避難民のマジレスさん:2014/08/23(土) 20:44:24 ID:Ixi5VWxw0
鬼和尚説法集をいずれ紙の書籍としても入手できるように、電子書籍版をbccksにアップロードしました。
http://bccks.jp/bcck/126651/info

前回鬼和尚のブログを電子書籍化しましたので、今回はブログと重複する説法を除き、したらばでの説法を加えました。
校正が済んだら、紙の書籍も発行する予定です。一週間後くらいを予定しています。

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151鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/23(土) 22:03:21 ID:SWqJzPrs0
>>128>>129 何かを知ったり、一時的に体感する事が悟りではないのじゃ。
 本来の状態にたどり着く変化を起こすのが悟りなのじゃ。
 それには自我を滅する過程が欠かせないのじゃ。
 
 その意識を一時的に感じたり、知ったりする事はサマーディによる忘我でも起こるのじゃ。
 しかしサマーディが終ると元の自我が戻ってしまうじゃろう。
 自我を滅するのも手段であるが、それを通らずには悟りへは至れないのじゃ。
 
 意識から自我は生まれないのじゃ。
 ただの観念が己であり、主体であると誤って見られているだけなのじゃ。
 歪んだ眼鏡を通してみれば世界も歪んで見られるように、観念を己であり、主体であると認識していれば全ては誤ってみる事しか出来ないのじゃ。

 時間もまた観念に過ぎないと知れば、永遠に気付くのじゃ。 
 全ては時間が無く変化も固有の特徴もなく、同じ平等の本質を持ち永遠であると言えるのじゃ。
 言葉通りではないがのう。
 自我の謬見を去ればそれが常に如実に感じられるのじゃ。
 それが自我を滅し認識をも滅して至る真の悟りなのじゃ。

>>131 悟っていないのじゃ。
 知識はあるようであるがのう。
 気付きがあったようじゃ。

>>133>>134 それが習慣となり、慣例としてやっていてはいかんのじゃ。
 特に仕事などで効率を求めれば、仕事の為に習慣化が進んでしまうじゃろう。
 手は自分ではないと思い、本当に厭離が起きれば手は止まるじゃろう。
 それが起きないように効率化の習慣が出来てしまえば、方法が逆に罠になるのじゃ。
 習慣ではなく、注意深い観察によって刹那の今ここにある心の働きを観るべきなのじゃ。

>>135 そうじゃ、言葉に囚われず、自らの観察を深くするのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

152避難民のマジレスさん:2014/08/23(土) 22:16:53 ID:NpBkhqbI0
>ただの観念が己であり、主体であると誤って見られているだけなのじゃ。

誰が誤ってみているのでしょうか?
意識ではないですか? 意識以外のものでなければなんでしょうか
観念が観念を誤ってみているのですか?観念ごときに惑わされる意識とはなんでしょうか?

153鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/23(土) 22:22:43 ID:SWqJzPrs0
>>137 良かったのじゃ。
 実践が全てじゃ。
 またおいでなさい。

>>139 どういたしまして、またおいでなさい。

>>140 そうじゃ、それも参考にして自分の道を行くが良いのじゃ。
 それが結局は近道であり、唯一無二の道であるのじゃ。

>>141 そのようなものじゃ。良く観察すれば気付くじゃろう。
 またおいでなさい。

>>145 どういたしまして、またおいでなさい。

154鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/23(土) 22:24:05 ID:SWqJzPrs0
>>144 ご苦労さんじゃ。正に明王の如しじゃ。

>>147 ご苦労さんじゃ。正に菩薩の行いじゃ。

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156避難民のマジレスさん:2014/08/23(土) 23:30:45 ID:LC3de7YgO
>>151
鬼和尚、ありがとうございます。
集中力もイマイチ一進一退なのでありますが、観察も始めています。
どっちか一方にしないと何をやってるのか分からなくなるとのことでありますので、陽気を感じなから、ぼぉ〜っと雑念がわくのを待ち、時に雑念に巻き込まれながらできるだけ早く気付き、その瞬間をとらえることに挑戦してみました。・・・うまく行きませんヽ(;(へ);)ノ

シナリを作り、「自分の死について」とか「卑しさについて」とかテーマを決めシナリオの大枠を決めてその事を思い起こし、観察した方が良いのでしょうか?
その事により、自我の究極の恐怖や苦を見つめ直した上で、それも「止」の行で「夢」のように感じた「雑念」と同じようなものだと実感する方が良いのでしょうか?

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162そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/08/24(日) 10:55:12 ID:6u8D78pg0
鬼和尚
朝、目が覚めて、記憶を思い出すまで、しばらく間がありました。
その間、目に入った形が記憶と照合され、
イメージが浮かぶというプロセスが行われていることがわかりました。
例えば、自分の腕の体毛を見て、そこに虫がいると思いました。
そのようなプロセスが瞬間的に連続して絶え間なく行われているとわかりました。

記憶が徐々に思い出されて、昨日との連続性が回復され、それに基づいて、
今日は何をするつもりだった、何をしなければならない、
あれをしよう、これをしよう、などと思考が始まります。

記憶がなければ、あるいは、記憶があってもそれに基づかなければ、
思考や行為が起きないとわかりました。

しかし、常時記憶に基づかなければ、
どうなるのだろうか、どうすればいいのだろうか、
という不安もあります。

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169偽和尚★:2014/08/24(日) 18:09:17 ID:???0
さて削除ですが、主に下記IDの書き込みを削除しました。
関係すると思われるやり取りも全て削除しています。

k7IS4AHUO
yq6FSZJc0
Bwz0R3.60

一応バックアップは取ってありますので別の所で晒すことは可能です。
(jbbsはそのまま元の書き込みの所で復活させることは出来ないようです)。

170避難民のマジレスさん:2014/08/24(日) 20:20:38 ID:NpBkhqbI0
自己とは何ぞや

171鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/24(日) 22:06:35 ID:Zsm1YEFY0
>>152 そのような主体は誰もいないのじゃ。
 意識は主体ではないのじゃ。
 意識以外にも無いのじゃ。
 観念が観念を観る事も無いのじゃ。
 観念に惑わされる意識も無いのじゃ。
 そのように何かが在ればそこに主体があると思うことが謬見なのじゃ。

>>156 毎日続ければ観察も上手くなるのじゃ。
 苦を滅するのと同じように、何かを感知すれば縁によって自我が起こる事を観察するのじゃ。
 気が下からわいてくるのと同じように、雑念や自我も記憶から沸き起こるのを観察するのじゃ。
 精進あるのみなのじゃ。

>>162 そうじゃ、良い観察なのじゃ。
 全ての認識は記憶から思い出されてくるものなのじゃ。
 記憶が基盤となっているのじゃ。
 しかしそれは世界の真の姿を見る障害にも成っているのじゃ。
 記憶による認識がなくなる事は、実は本来の世界の姿を観られるようになる事なのじゃ。
 例えば目を閉じて歩いていた者が、目を開いて歩くようなものじゃ。
 本当は目を閉じて歩いていく事のほうがはるかに危険なのじゃ。
 しかし慣れれば目を開けるのが恐くなるようなものなのじゃ。
 それを留意して迷わず進むのじゃ。

>>169 ご苦労さんなのじゃ。正に金剛力士のようじゃ。

>>170 無じゃ。

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173そらいろ ◆EHlCk/f57s:2014/08/25(月) 00:47:14 ID:6u8D78pg0
>>171
たしかに、記憶に基づいて何かを考えたり行動したりすることは、
本来しなくてもいいことを、
わざわざ労力を使ってやっているという感覚はありました。

ありがとうございました。

174避難民のマジレスさん:2014/08/25(月) 05:42:39 ID:LC3de7YgO
>>171
鬼和尚、ありがとうございます。
記憶に起因して生じた雑念がそれに意識を向けるだけでたちどころに消えて行くところはつぶさに見ることができ、実感できます。
その雑念を見ている主体が自我であり、自我という実体のないものが脆くも崩れ去る姿見ているといっても良いのでしょうか?
ただ、雑念が消えた後も、それを観ている自我はあり、だから自我が意識されていない状況から自我が起こる瞬間をとらえなければいけないのでしょうが・・・
自我はあるといえば、常にあるし、かといって、常に意識的にある訳でもなく… 。
朝起きる瞬間の観察を今度こそやってみよう!と今晩から寝る前に念じて寝みよう。
さてと、これからすわります(・(エ)・)/

管理人様、ありがとうございます。

175避難民のマジレスさん:2014/08/25(月) 14:03:36 ID:cUE805gA0
和尚、こんにちは。
今日は「とある状態」について質問させてください。

たまに瞑想を終えて眠りに入りかけたとき、
ズンっと体に衝撃が走り全身をエネルギーのようなものが流れている感覚になることがあります。
そんな気がするとかいうレベルではなく、あきらかにそうなっていると認識できるレベルです。

どうやらウトウトしかけた時に見る夢の内容が、
何か1つのことに集中していたり、思考を放棄したりする内容だった時に生じるようなのですが、
これもひとつの禅定状態のようなものでしょうか。

176避難民のマジレスさん:2014/08/25(月) 17:07:53 ID:niio03gY0
(感受性←投射)=自己認識
ただ投射を捉えるには、かなりの集中というのか。
たぶん刹那の一瞬なんでしょうね。

こんな見解ですがいかがですか?

177避難民のマジレスさん:2014/08/25(月) 17:10:14 ID:niio03gY0
感受性→感受でした。失礼。

178避難民のマジレスさん:2014/08/25(月) 20:19:35 ID:XSjclD920
主体が無いといいますが、鬼和尚は、人間の意志は何よりも強いのじゃとかいいますよね。
意志を起こすというのは主体の存在を前提としていませんか?
主体が無いのであれば、その都度その都度偶然の振る舞い以外、何も出来ないじゃないですか?

179避難民のマジレスさん:2014/08/25(月) 20:21:54 ID:XSjclD920
主体が無いのであれば、悟りを開こうと思うこと自体、自分の意志では自由に起こせないですよね?

180避難民のマジレスさん:2014/08/25(月) 21:31:44 ID:XSjclD920
人は如何に生きるべきですか

181鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/25(月) 21:53:02 ID:9No4kDr60
>>173 どういたしまして、またおいでなさい。

>>174 それは主体でも自我でもないのじゃ。
 そのように感じる認識なのじゃ。
 それは観念がもたらしているものである事を観察するのじゃ。
 なかなか難しい事ではあるがのう。
 自分が自分であると感じたり、認識するのはどのような感覚や状態であるか、追及してみるのじゃ。
 それが自分を追及する事なのじゃ。

>>175 気が丹田に入ったようじゃ。
 気功では気沈丹田といったりするのじゃ。
 いずれその気は上昇するじゃろう。
  
>>176 見解はそれでも良いのじゃ。
 実践が重要なのじゃ。
 
>>178>>179 主体の存在を前提としてはしていないのじゃ。
 主体が無く強い意志だけが起こる事もあるのじゃ。
 老病死の苦を先見して悟りを目指すのも、快を求め不快を避ける本能の働きといえるのじゃ。
 主体があると思い、主体が全てをコントロールしているという観念があればそのように思うのじゃ。

>>180 自分が思う通りに生きるが良いのじゃ。
 自由なのじゃ。

182避難民のマジレスさん:2014/08/26(火) 00:15:33 ID:LC3de7YgO
>>181
鬼和尚、ありがとうございます。
>>174
>雑念を見ている主体が自我であり、
と書きましたし、悟りは勿論、無我もサマディも実感できてない現状では、それが主体であり自我であると感じているのでありますが、それは違うと実感するための修行の過程で、その文章の後段、
>自我という実体のないものが脆くも崩れ去る姿見ているといっても良いのでしょうか?
と言う部分をお尋ねしたかったのです。
自我が生じるところは未だ見極めることができませんが、雑念が夢のように消える詳細の実感を以て自我が消えて行く際の実感と理解してよいのでしょうか、と言うことをおだずねしたかったのです。>>181
>自分が自分であると感じた・・どのような感覚や状態であるか、追及

につきましては、ちょうど今夜、瞑想中に、自分が自分であると感じる雑念におそわれました。
それは現状困っている事柄がストレートに沸き上がり、頭部に血流が急上昇するのがわかりました。
自分が自分である感じるのが、そのような場面であるというのは、あぁ〜あって感じではありますがヽ(*・(ェ)・*)ノ

183避難民のマジレスさん:2014/08/26(火) 09:51:26 ID:cUE805gA0
>>181
やはり気ですか。
一時期ですが仙道を試していたことがあるので、
これを回せば小周天になるのかなとも思っておりました。
なんにせよ座ったままで出来るようになりたいものです。

ありがとうございました。

184避難民のマジレスさん:2014/08/26(火) 10:44:27 ID:16CwqxRQ0
>>181
しかし、「意志を奮い起こすのじゃ」とは、奮い起こす主体が無ければ、奮い起こせないのでは?
或いは、主体が意志を奮い起こしているのではなく、縁によって意志が生じると見るべきですか?
逆に言うと、偽主体(妄想の私)がいくら、意志を奮い起こそうとしても、機縁が熟さなければ、意志も生じないということでしょうか?
ちなみに、「鬼和尚」と言うキャラも、仮に作り上げた、偽主体ですよね。
お互いに主体があるというフィクションによって、このようにお互いに会話をしている。
フィクションとはいえ、一応、会話は成立していますよね。
すると、主体が無いとも言えない気もします。主体は後天的に作り上げたものだとしても、それなりに用を満たしています。
わけがわからなくなりますね。

185避難民のマジレスさん:2014/08/26(火) 11:13:54 ID:hSogUR/U0
結婚して、在家生活を送ることになっても悟りは開けますか?

186176:2014/08/26(火) 16:49:26 ID:f8bjIOUs0
そうですね。ごちゃごちゃ言わないで、実践あるのみですね。
ありがとうございます。

187鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/26(火) 22:11:53 ID:ijI0BR7s0
>>182 自我を克明に観察できればそのような瞬間も捉えられるじゃろう。
 しかしその前に主体という感覚はどのようなものが把握しなければならんじゃろう。
 それがわからなければ自我の状態を知ることも出来ないからのう。
 更に精進あるのみなのじゃ。

>>183 どういたしまして、またおいでなさい。

>>184 そうじゃ、主体は無いのじゃ。
 今も現に主体無く縁によって意志も起こっているのじゃ。
 観念である主体が意志を起こせる筈も無いのじゃ。
 観念を持つ者には観念を持っているふりではなさなければいかんのじゃ。

>>185 意欲があれば出来るじゃろう。
 全てはやる気次第なのじゃ。
 鬼のように精進するのみじゃ。

>>186 どういたしまして、またおいでなさい。

188避難民のマジレスさん:2014/08/27(水) 00:59:24 ID:WL2yRwjAO
観念である主体に意志を奮い起こせる力は無いのにも関わらず、偽主体である「鬼和尚」が、意志を奮い起こすのじゃと、観念に過ぎないはずの他主体に呼び掛けているのは矛盾に当たらないでしょうか?

189避難民のマジレスさん:2014/08/27(水) 02:35:23 ID:WL2yRwjAO
ヒンズー教のグル(マハリシやプンジャジ含む)などがよく「一切を放棄(サレンダー)せよ」「全てを神に捧げ、汝が行為者と言う幻想を捨てよ」
「エゴを捨てて、重荷は神に背負ってもらえ」と言うようなことを言いますが、
それは鬼和尚の観点からしても正しいのですか?
悟ってない時点でそれはどのように達成されますか?

190避難民のマジレスさん:2014/08/27(水) 07:56:42 ID:LC3de7YgO
>>187
鬼和尚、ありがとうございます。
意識を向けるだけで、記憶の断片である雑念が夢の中での出来事のように瞬く間に消え去ることを以て、
>自我という実体のないものが脆くも崩れ去る姿見ているといっても良いのでしょうか?
とお尋ねしたのですが、
その事は、格別自我を克明に観察しなくても誰でも簡単にできることではないのでしょうか?

7月以降は、「気」を意念や呼吸にのせて動かすのをやめ、丹田に放置していたのですが、昨夜初めて、会陰の辺りを起点に緩やかな=震えが起こりしばらく続く中、陽気が喉の辺りまで上昇しました。
観察するのと同様の効果を、「気」の行に期待しても良いのでしょうか?

191避難民のマジレスさん:2014/08/27(水) 18:18:29 ID:WL2yRwjAO
主体が無ければ、罪や責任も無いのではないですか?

192避難民のマジレスさん:2014/08/27(水) 19:48:21 ID:NpBkhqbI0
悟った人は、個我を滅して真我の世界に溶け込むのじゃとかいいますが
それって、ターミネーターが溶岩流の中に溶けていくのと、何が違うの?

193避難民のマジレスさん:2014/08/27(水) 20:51:32 ID:Ki831iAY0
鬼和尚さん、苦を滅することについて質問なのですが、嫌な記憶という苦はどうすれば良いのですか?
嫌な記憶は、思い出さなければ苦ではないのですが、でもやはり、思い出さないようにすることが大事なのではなく、
思い出しても苦ではないようにすることが大事なのでしょうか?
とすると、嫌な記憶をすべて思い出していき、そこから生じる苦を一つ一つ滅して行く必要があるのですか?

194鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/27(水) 22:04:37 ID:84D95kMs0
>>188 少しも矛盾していないのじゃ。
 おぬし自身に主体があらゆることを行うという観念があるとそう思えるのじゃ。
 論理より感情で思える事のほうがより強く抵抗になるものじゃ。
 そのようなことがないか自らの心を観察してみるのじゃ。

>>189 自我を滅する法の一つとして正しいと言えるじゃろう。
 しかし強い信仰心が無ければ難しいのじゃ。
 
 自らの一切を捨てて、帰依すれば無我になるじゃろう。
 さらに神のイメージをも捨てれば、無為に至るじゃろう。
 時間は掛かるがそれから認識をも滅すれば真の悟りに至るじゃろう。

>>190 自我はそれほど簡単には観られないのじゃ。
 実際に多くの修行者が無我にも達しないで死ぬからのう。
 
 何でも試して見たら良いのじゃ。
 下腹の圧力が足りないようじゃ。
 強い腹式呼吸などもやって見るのじゃ。

>>191 縁に因って起こるのじゃ。
 それが縁起なのじゃ。
 
>>192 真我は修行のための観念に過ぎないのじゃ。
 ターミネーターは映画なのじゃ。

>>193 そうじゃ、思い出しても苦ではなくなれば良いのじゃ。
 今の生活や修行に支障が出るような苦だけを滅するがよいのじゃ。
 そして苦の根本原因である己という観念を滅するが良いのじゃ。

195避難民のマジレスさん:2014/08/27(水) 22:43:01 ID:LC3de7YgO
>>194
ありがとうございます。
>自我はそれほど簡単には観られない

やっぱり私は全然理解できていないようです。

私は、朝目覚めて意識が生じる瞬間のような、自我が生じる瞬間をとらえることは難しくても、自我そなものとは普通に当たり前に自分と感じている意識のことかと思っていました。
それで、現状自我と思っている自分の記憶の断片である雑念の消滅する実感が、自我の消滅の様子ににたものかな?と思ったのですが…
無我を実感するために、自我の生じるところをとらえてやろうしてきましたが、そもそも、自我とは現状私が普通の意識ととらえているものとは異なり、自我そのものが、
>それほど簡単には観られない
ものだとすれば、
自我とは、いったい何のことなのでしょうか?

196避難民のマジレスさん:2014/08/27(水) 23:17:07 ID:nm8il/2Q0
>>194
鬼和尚さん、ありがとうございます。
嫌な記憶をすべて解決しなくても良いということで、安心しました。
では、苦をすべて滅しようとするのでなく、苦を感じていないときは、自分の心を観察することにします。
ありがとうございました。

197避難民のマジレスさん:2014/08/28(木) 12:41:04 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんにちは(・(ェ)・)ノ
自我とはいったい何のことを言ってるのでしょう?
とお尋ねしても、自我とは観念に過ぎないものであり、本来ないものであり、無我だと言うことなのでしょうが、ここでお尋ねしたいのは、現状私が自我だと感じている普通の意識のこと以外に、簡単に観ることができない「自我」があるのであれば、「無我」を実感するための方法として、「自我」の現れる瞬間をとらえようする以前に、そもそも何をとらえればいいのかもわかないことになります。
自我が生じる瞬間をとらえることができれば、無我を実感できる。眠りから目覚める際の状態も無我であるとのご説明から、本来観念に過ぎない自我とは、私の普通の意識を指しているものと思っていたのですが、全く理解できていないのでしょうか?
私が自我と考えるもの=記憶に基づく観念=普通の意識がとらえるもの=意識そのもの・・・ではないのでしょうか?
昨日とほとんど同じ質問ですが、自我とは何のことかとお尋ねしたので、観念であり、無我であるとのお答えをいただくような気がしたので、重ねて質問いたしました。

198避難民のマジレスさん:2014/08/28(木) 12:52:27 ID:LC3de7YgO
(・(∀)・)ゞ 書きおわって、思ったのですが、阿頼耶識のことを仰ってるのでしょうか?
意識を見ている意識みたいな!
それならいつでも観ているような気もしますし、これまた全然わかってないのかもしれません。

瞑想中に窓から吹き込んだ風を受けて、その風と一体のように感じたり、ちょっぴっと長めに座って脳内に快感が走ったりしたときに、阿頼耶識っぽい感じのものがそれを観ているような気がします。

199鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/28(木) 22:23:02 ID:zKpD9Gyo0
>>195>>197>>198 自我とは記憶に因っているが、記憶そのものは自我ではないのじゃ。
 例えばあるものは「自分が自分の事を一番知っている」と言う。
 別の者は「自分の事は自分が一番わからない」と言う。

 日常の意識でも自分が自分であると言う感覚やイメージは常にあるじゃろう。
 それは常に感覚や思考などの身心の刺激に対して投射される言葉とイメージの観念にしか過ぎないのじゃ。
 それ故に在る者はイメージの自分を常に見て、自分が自分の事を一番知っていると言う。
 しかし実際には他人の知る性質とは違う故に、他人から指摘されて自分の事を一番判らないと思ったりもするのじゃ。

 自分というものの中には自我の言葉とイメージと、投射される対象と、実際の身心の性質があるのじゃ。
 言葉やイメージが自分と思えば、それが自我だと思う。
 或いは対象が自我と思う。
 それらは観察している事にはならないのじゃ。

 自我が対象に投射されて主体であり、己であると認識される仕組みを全体として観察しなければならんのじゃ。
 何が自分の主体であり、己そのものであると感じるのか追及するのが、最初の観察となるじゃろう。
 それを目指して精進するのじゃ。

>>196 どういたしまして、またおいでなさい。

200避難民のマジレスさん:2014/08/28(木) 23:45:32 ID:LC3de7YgO
>>199
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ

例えば、常に正しいことを選択することは可能であると言う観念(=対象)があり、
それを投射して、
自分は正しいことを選択し、話すことができる。自分は正しいという自己イメージをもつ。 だけど、 が正しいのかもわからずにいるのが、本当の自分である。

↑こんな構造でしょうか?

>『自我』が『対象』に『投射されて主体であり、己であると認識される仕組み』を全体として観察しなければならん

影絵のように、光源の前に『対象』があり、それを後ろから『自我』が見てその影が自分であると思ってしまうような構造でしょうか?が

201避難民のマジレスさん:2014/08/29(金) 12:54:11 ID:Ixi5VWxw0
鬼和尚、
最近、主体の感覚の起こりを観たいという思いが強く、瞑想中にその思いに囚われて、深く入れないことが多いです。
この思いは苦滅の法によって厭離してしまっても大丈夫でしょうか?
悟りに向かう力が弱まるのではないかと不安なのですが。

202避難民のマジレスさん:2014/08/29(金) 13:30:49 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんにちは(・(エ)・)ノ
今朝早速やってみました。
集中対象である陽気にぺたぁっとまずは日常の意識を貼り付け、雑念がわくのを日常の意識でじっと待ち、雑念が現れたらパコォ〜んとサーチライトを当て、その雑念を観ている日常の意識をアラヤシキらしきもので確認する・・・・
・・・と、自我の全体構造をとらえることにチャレンジしてみました。
けど、しかし、サーチライトを当てるのも日常の意識であり、後ろで観ている意識も、アラヤシキではなく、日常の意識のような気がします。
やろうとすることの方向性としては、これでよいのでしょうか?

203鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/29(金) 22:15:00 ID:a0P1k/460
>>200 本当の自分というものは無いのじゃ。
 未だ主体があるという意識に囚われているのじゃ。
 囚われがあるまま観照を起こすには、ただひたすら観察するしかないのじゃ。

 そう考えることもできるのじゃ。
 しかし実践に結びつかなければ無意味なのじゃ。

>>201 そのまま続けたらよいのじゃ。
 その意欲が不可能を可能にしてくれるかも知れんのじゃ。
 むしろ瞑想に入るという意識を消すのじゃ。
 一切の意思和放棄したところに瞑想はあるのじゃ。

>>202 何か特別な事をすれば、それをしている者が主体であるという意識が起こるのじゃ。
 しない事をするのが難しいのであるから、ひたすら観察に徹するしかないのじゃ。

204避難民のマジレスさん:2014/08/30(土) 00:01:58 ID:LC3de7YgO
>>203
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ

右往左往しておりますが、観察します。
幸いなことに、特別な訓練を要せず私は自分の気を感じることができますので、それを観察します。
「気の行」は自我を強める訓練になる一方で、脳内物質に影響を与え、ぱーになることができるらしく実感できますので、そちらの方向を追求するのが私には向いてるのかなと思いました。

205避難民のマジレスさん:2014/08/30(土) 11:11:33 ID:cUE805gA0
和尚、こんにちは。
前回、気が丹田に入ったと教えられた者です。

夢うつつではあったものの、その夢の中で極度に集中したり思考を放棄したときに、
気がどんっと入ってきたわけですが、この状態と仏教でいう初禅とは同じ境地なのでしょうか。

というのは、私の瞑想目的は仏教的な禅定を得ることでしたので、
なぜか仙道的な気という結果になって???な気分であったりします。

小周天=初禅、大周天=三禅あたり、という感じで捉えていても問題はないでしょうか。

206避難民のマジレスさん:2014/08/30(土) 19:48:05 ID:LC3de7YgO
>>203
鬼和尚、こんばんは(・(∀)・)

>>200 で「本当の自分」 と書いたのは、>>199
> 自分というものの中には自我の言葉とイメージと、投射される対象と、実際の身心の性質がある

というご説明の 「実際の身心の性質がある」、の部分を自分の言葉に置き換えたつもりだったのですが、
>>200 の 「本当の自分」 を「実際の心身の性質」に置き換えた場合、>>200 の理解でよいのでしょうか?
「投射される対象」についての私の理解が間違っているような気がするのですが、対象とは何のことを仰っているのでしょうか?
そもそも、何が何に投射されるのでしょうか?

207鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/30(土) 22:08:05 ID:15P7fxes0
>>204 そうじゃ、やってみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>205 そのようなものじゃ。
 大周天などは識無辺定ぐらいといってもよいじゃろう。
 外の気と繋がるのであるからのう。
 
>>206 実際の身心の性質などは認識外のものなのじゃ。
 投射される対象とは身心が受ける刺激なのじゃ。
 言葉やイメージが身心の受ける刺激に投射されるのじゃ。
 それが認識と自我の仕組みなのじゃ。

208避難民のマジレスさん:2014/08/30(土) 23:18:18 ID:LC3de7YgO
>>207
鬼和尚、ありがとうございます。
>投射される対象とは身心が受ける刺激
 言葉やイメージが身心の受ける刺激に投射される
 それが認識と自我の仕組み
→ 言葉やイメージ= 例えば、楽しいことを思い出す。
と それが「投射」されて、
身心の受ける刺激 = 幸せな気分になり、自分は幸せだと自我意識をもつ。

こんな理解でよいのでしょうか(´・(エ)・`)

209避難民のマジレスさん:2014/08/31(日) 10:13:47 ID:LC3de7YgO
ヽ(・(∀)・)ノこんにちは。

昔、ボケのことを英語では天使の贈り物っていうと聞いたことあるんですが、ガラ携検索サイトで調べても出てきませんでした。

しかし、自他の別なく、善悪の別なく、生死の別も時間もない・・・って、まさにボケ=天使の贈り物 =「悟り」・・・でありますね。
長寿、ボケも楽しみにできます!
違う点は、鬼和尚のように、慈悲の力でこの世に戻り、言葉を操り教えを説くことができる点くらいでしょうか。

210避難民のマジレスさん:2014/08/31(日) 10:46:39 ID:rjrCqQY20
鬼和尚さん

私たちはそれぞれの言語体系の違いによっても、心身が受ける認識に違いが出ますが
たとえば犬や鶏の鳴き声や、くしゃみなどの音に対しても耳の機能に違いがないのに言葉に表せば違いが生まれる。
全ての事柄を自分独自のフィルターを通して眺め、それによって行動を決めている。

>実際心身の性質などは認識外のものなのじゃ

私たちが認識していることがらは、本当に実体のない頼りにならないものなのですね。
それでもそれを共通認識としているこの世界では、それは無視しては生きられない。
さらに実践を続けます…。

211避難民のマジレスさん:2014/08/31(日) 11:10:40 ID:cUE805gA0
和尚、ありがとうございました。

>大周天などは識無辺定ぐらいといってもよい

なるほど、やはりそのあたりになるのですか。
長年にわたり気になっていたことなので、お答えを頂けたことに嬉しく思います。
今後も精進いたします。

212避難民のマジレスさん:2014/08/31(日) 14:04:33 ID:rjrCqQY20
>それでもそれを共通認識としているこの世界では、それは無視しては生きられない。
何故なら全ては相互依存で繋がっているから…?

213避難民のマジレスさん:2014/08/31(日) 20:00:26 ID:.6QtQAl60
鬼和尚は、死んだら故人に会えるという話をしてたと思うのですが、死んだら肉体と共に
生前の人格や記憶も消滅するともおっしゃっていたと思いますが、その辺はどうなっているのでしょうか?

214避難民のマジレスさん:2014/08/31(日) 20:34:08 ID:CLEJYxo.0
そもそも、死んだら記憶や自我は消滅するというのに、何故、鬼和尚は
前世を思い出せるのでしょうか?

215鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/08/31(日) 22:09:33 ID:N/iGqZ2o0
>>208 そのようなものじゃ。
 観察によってそれを確かめるのじゃ。
 精進あるのみじゃ。

>>209 そうかもしれん。
 まだぼけていないからわからんがのう。
 わっはっはっは。

>>210 そうじゃ、実践あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>211 どういたしまして、またおいでなさい。

>>212>>213 見る者が在れば他己も存在すると見えるのじゃ。
 相互に依存して存在する故にのう。
 見る者が対象を存在させるのじゃ。
 
>>214 記憶は在るじゃろう。
 
 記憶があれば記憶に因ってある自我もあると思えるのじゃ。
 思い出してみるのじゃ。

216避難民のマジレスさん:2014/08/31(日) 23:07:14 ID:LC3de7YgO
>>215
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
やっと当たりました。

痛みの厭離とは、集中力を高めることによる脳内物質の分泌による麻酔効果みたいなものと考えてもよいのでしょうか?
禅病とかクンダリニ-症候群と言われるものは、熱によるシナプスの断絶みたいなものでしょうか?
それを、うまくコントロールできると、サマディーに達するのでしょうか?
あっ、言うまでもありませんが、鬼和尚のことをボケてるなんて思ったことないであります(`・(ェ)・´)/

ただ、ボケることは恐れる必要なく、悟りみたいなものかなと思ったのです。

217素人A:2014/09/01(月) 10:35:59 ID:gOqWUDAs0
鬼和尚さん 死んでも生我校を卒業した暗いで?卒業できなく留年の転生もあるか
中学高も有る業業いや高校を卒業するのも大変なのかまあ何だ観だの遊び好きなので
中々小学校も卒業は難しいのか?大学の先も学びの道は永遠に続くのですか
少し修行すれば小さく身でも大きく生きて入るでもまだ中位鴨

218避難民のマジレスさん:2014/09/01(月) 12:52:50 ID:YXJjgr6A0
>>203 ありがとうございます。
自我の起こりを観たいという意欲は厭離せずに日常を過ごし、
深い瞑想に入るという囚われを消すとともに、一切の意志を放棄することで瞑想をあらしめるということでしょうか?

ところで、鬼和尚は好きな時に仮の自我を想起したり、消したりできるのでしょうか?

219素人A:2014/09/01(月) 12:55:34 ID:gOqWUDAs0
大は小を兼ねると言うし輪から内は輪から外から観れば解らないのも
無理も内鴨でも正解の中を或る苦の野鴨鳴。大目に観ればまあ善いか?

220避難民のマジレスさん:2014/09/01(月) 20:09:42 ID:xqk39LY60
鬼和尚さん、呼吸について教えてください。
数息観をするときなど、瞑想するときの呼吸の仕方なのですが、一息ごとにわざと腹をへこませないと、深く息を吐けません。
腹式呼吸にはなっていると思いますが、自然な呼吸かと言われると疑問です。少し腹筋も使います。
でも、何も意識しないと、息をゆっくり吐けず、直ぐにまた息を吸うような呼吸になります。
普段はこういう呼吸をしているのだと思います。
寝ている姿勢か、猫背の姿勢なら、自然に深く息を吐けるのですが、背筋を伸ばして座る姿勢だと、自然にゆっくり息を吐こうとしても息が足りなくなります。
どうしたらいいでしょうか?
一息ごとにわざと腹をへこませる方法で呼吸をしていても良いですか?

221避難民のマジレスさん:2014/09/01(月) 20:36:56 ID:NpBkhqbI0
ケツの筋肉を引き締めると生命力が増すというのは本当ですか?

222鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/09/01(月) 22:06:43 ID:jefw1uJ60
>>216 そうではないじゃろう。
 意識を遠ざける事によって感覚そのものの認識が薄れるのじゃ。
 試してみるのじゃ。

 熱病なのじゃ。
 頭に熱がこもって寝られなくなったりするのじゃ。
 
 頭の中央に入れば快が生じるのじゃ。

>>217 今の世で悟れなければ叉生まれるじゃろう。
 ひたすら修行あるのみじゃ。

>>218 そのようなものじゃ。
 意欲があれば進めるのじゃ。
 進む事が出来なくなったら捨てればよいのじゃ。
 そこに悟道は訪れるじゃろう。

 何時でも起こし、消せるのじゃ。
 観念でしかないからのう。

>>220 それで良いのじゃ。
 いずれその呼吸に慣れるじゃろう。
 そうすれば落ち着くじゃろう。
 自分が出来るやり方で良いのじゃ。

>>221 そうかもしれん。
 ヨーガにも在るのじゃ。
 試してみるのじゃ。

223避難民のマジレスさん:2014/09/01(月) 23:01:13 ID:LC3de7YgO
>>222
鬼和尚、ありがとうございます。
今の足の痺れは、感覚があっても、苦にならない=認識が薄れてる感じで、鬼和尚の仰る通りなのですが、以前2週間ほど、抜歯時の麻酔を打った時のように、ほぼなんの感覚もなくなる不思議な経験をしたので、お尋ねしました。

必ずしも強い集中を要せずに陽気を感じるようになり、クヲダリニ症候群予防のため、「気」の行に取り組み、わりと短期間に「気」を巡らすこともできるようになりました。その過程で後頭部までは陽気のまま上がっても、どうやら頭部には簡単には入らないらしいと実感しています。
上がった気を降ろすことも、なんとなくできますし、そろそろ熱病を怖れず、中央部を目指してみようと、昨日一昨日はかなり長時間、といっても30分〜50分を6〜8回やってみました。
丹田の陽気は強くなり、瞑想中以外にも残ったままなのですが、一度だけ経験した、会陰の辺りを中心とした揺れは再現しませんでした。
また、気の行を始めたばかりの頃に陽気ではなく、頭頂部から身体を貫くように気の柱を感じ、それがまさに「快」であり、安心感を感じました。それも再現しません。
インターバルをおきながら、短時間を繰り返すより、できるだけ長時間一気に座るようにした方がよいのでしょうか(´・(ェ)・`)?

224避難民のマジレスさん:2014/09/02(火) 00:49:50 ID:unbTbnlg0
>>222
鬼和尚さん、ありがとうございます。
この呼吸で数息観を続けます。
ところで、瞑想するとき以外にも、このような呼吸をしていたら、身体に良いということはありますか?
じつは、少し免疫力不足でなる病気というか症状が、なかなか治らなくて困っていて、少しでも免疫力をつけたいのです。

225避難民のマジレスさん:2014/09/02(火) 07:30:13 ID:WL2yRwjAO
休みの日になれば修行が出来ると思うが、そうでもない。
もはや平日に悟るしかない。
と言うか、時間的な意味では何年も修行している訳で、苦が少なくなり楽になった面はあるが
悟りには到達していない
不安や心配が弱まったとしても消えることもない
前世が見えることもなく
遊戯三昧と言う心境にもならない。

226避難民のマジレスさん:2014/09/02(火) 09:15:27 ID:B063L1XQ0
>>222
意欲は、悟りへと進むためにあるということで、進めなくなったら捨てることにします。

(仮の)自我を何時でも起こし、消せるとは、まさに自由自在ですね。
自我を観察していると、自我により、行動や思考などの妨げが多いことに気づきます。
早く自由になりたいです。つとめ励みます。
ご回答下さり、ありがとうございました。

227避難民のマジレスさん:2014/09/02(火) 19:34:14 ID:NpBkhqbI0
鬼和尚。この先に進めません。ヒントをください。

228避難民のマジレスさん:2014/09/02(火) 21:02:22 ID:cUE805gA0
和尚、こんにちは。

例えば人を見て、「あ、なんかこの人嫌いかも」と思ったとします。
その時、なぜ嫌いなのか原因を探していく方がいいのか、
それとも嫌いだと思っていることに気づいて思考を流した方がいいのか、
真理に近づくとしたらどちらが良いのでしょうか。

もし気づいて流した方がいい場合、嫌いだと思う原因が解明される時は来るのでしょうか。

229鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/09/02(火) 22:46:29 ID:x60nw14o0
>>223 普通は長くやった方が良いがのう。
 しかしおぬしが短時間で何度もするほうが良いと感じるならば、その方が良いのじゃ。
 自分にあったやり方が一番なのじゃ。

>>224 そうじゃ、体にも良いじゃろう。
 長い息は長生きにも通じると言うのじゃ。
 気功やヨーガなども実践して見たら良いのじゃ。

>>225 焦らずに瞑想を楽しむのじゃ。
 すでに苦を滅したならば世間の人には楽しめない境地に居るのであるからのう。
 
>>226 どういたしまして、またおいでなさい。

230鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/09/02(火) 22:53:27 ID:x60nw14o0
>>227 先ずは瞑想を深めるが良いのじゃ。
 できる事が多くなり、安らぎも味わえるのじゃ。
 無理に進もうとするより瞑想を楽しむのじゃ。
 気がつけば進んでいたりするじゃろう。

>>228 それは原因を探したほうが良かろう。
 自分の心を深く知る事が出来るのじゃ。
 流していたらいつまでも知ることは出来ないじゃろう。
 偶然にわかる事もあるかも知れんがのう。
 それでは死ぬまでわからん事もあるじゃろう。
 自ら原因を探すが良いのじゃ。

231避難民のマジレスさん:2014/09/02(火) 23:44:42 ID:nm8il/2Q0
>>229
鬼和尚さん、ありがとうございます。
やはり、この呼吸は身体に良いのですね。
ヨガなども自分にできそうなものがあれば、生活に取り入れてみます。
ありがとうございました。

232避難民のマジレスさん:2014/09/03(水) 00:21:11 ID:LC3de7YgO
>>229
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ
自分にあったやり方で続けます。
今夜は45分座り、かなり深まりました。思考のない状態を観察しているのではなく、その状態と一瞬一体になったような感じでした。次の瞬間、観察している意識が戻り、暗闇で目を瞑っていますが、暗闇の場面が変わったような視覚もありました。
陽気は今夜は丹田でおとなしくしていました。
瞑想を楽しみにます。

233素人A:2014/09/03(水) 09:26:27 ID:gOqWUDAs0
鬼おしょうさんありがとう。何かこの頃テレビで観察?していた事が現実と
ごちゃごちゃになり夢に出てくる。降らないとテレビ等見ない鬼和尚さんや
ぽ師匠の様に悟りの人から見たらくだらないドラマやニュース興味本位の
芸術性ゼロの人気取りの世界だしでもまあ良い私には勉強になる観察で
きつとブラフマンが芸術を理解しない人だつたら大変不幸鴨。興味本位の
不幸ドラマや殺人ドラマや災害シーンを興味本位で観て良いのか?これは
大丈夫ではなくドラマの世界の中で泣いているの矛盾もありででも面白い
でドラマの中は本当でないからまあ良いかで罪に問われなければ少しくらい
まあ良いかで質問もまとまらない。正解など誰も知らない世界なのか
きつと興味本位で流される私は不味いのかでも本当の事を知ると苦しい世界鴨
知らぬが仏それで良い鴨?果てなく?で矛と盾で位置が正しい友癒えず

234避難民のマジレスさん:2014/09/03(水) 10:14:59 ID:cUE805gA0
和尚、いつもありがとうございます。
ご返答をいただき二つの疑問が浮かびました。

①原因を探すことについてですが、瞑想時においても原因を解明するようにした方が良いのでしょうか。
例えば瞑想していて「知り合いの顔」が浮かんだとします。そして「なんか嫌な感じだ」という思考が走ったとします。
この時も嫌な感じの原因を探った方がよいのでしょうか。
それとも瞑想の時は「知り合いの顔」も「嫌な感じ」もただの思考のひとつとして、淡々と見続けておいた方がよいのでしょうか。

②原因を探し自分の心を深く知る(平常時の場合)ことについてですが、これは思考で行うということでしょうか。
例えば「この人が嫌い」と思ったとします。その原因が、その人が高圧的な態度だったからだとします。
ではなぜ高圧的な態度だと嫌いなのか。その原因が、子供の頃に高圧的な人にひどく怒られたからだとします。
それでなぜ嫌いになるのかと言えば、突き詰めれば自分という存在を軽く見られたというエゴに突き当たるのですが、
思考でわかる範囲はここまでになります。
そんな感じなのですが、これでよろしいのでしょうか。

235避難民のマジレスさん:2014/09/03(水) 12:37:06 ID:pEe1v5Oo0
鬼和尚は悟りを得る直前に、一回にどれくらいの時間坐っていたのですか?
また、一日何回くらい坐っていたのでしょうか?

236避難民のマジレスさん:2014/09/03(水) 17:45:47 ID:8G0JVMZg0
鬼さまはミーンミーンと聞いて
蝉と判断されますか?

237鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/09/03(水) 21:58:15 ID:AlxQ/MYQ0
>>231 そうじゃ、続けたらよいのじゃ。
 またおいでなさい。

>>232 どういたしまして、またおいでなさい。

>>233 テレビのみ過ぎのようじゃ。
 一日1時間とか決めると良かろう。
 
>>234 集中している時は流したら良いのじゃ。
 観察している時に出たら観察してみるのじゃ。
 初志貫徹なのじゃ。

 そのようなやり方で良いのじゃ。
 間違っている時は感情や肉体に違和感が起こるじゃろう。
 それを鋭敏に感知するのじゃ。

238鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/09/03(水) 21:59:45 ID:AlxQ/MYQ0
>>235 特に決めてなかったのじゃ。
 未だなれていなかったのじゃ。
 一日一回20分ぐらいかも知れん。

>>236 ミーンという音と判断するのじゃ。

239避難民のマジレスさん:2014/09/03(水) 23:23:03 ID:T1UTbVsI0
>>237
鬼和尚、ありがとうございますヽ(・(∀)・)ノ

ところで、鬼和尚の瞑想時間は1日1回20分とは・・・聞けてよかったです。
瞑想の「快」に溺れず、短時間で集中を高め、質を高める。俗世間に身をおいても悟りはひらける! ということをでありますね!!

鬼和尚から当意即妙のお返事がいただけるのは、悟ってるからと思いますが、博学なのは当然読書によるものでありましょう。、時間配分として瞑想と読書どちらに時間を多くしましたか?

240避難民のマジレスさん:2014/09/04(木) 10:31:40 ID:cUE805gA0
和尚、毎々の助言に感謝します。
とても助かっております。

>初志貫徹なのじゃ
ときおり何がなんだかわからなくなってしまうことがあるので、
最初の志を忘れないようにしたいと思います。

>間違っている時は感情や肉体に違和感が起こる
それは気づきませんでした。今度からより注視して観察してみます。

241避難民のマジレスさん:2014/09/04(木) 12:56:28 ID:zz3du5Nk0
>>238 ありがとうございます。
やはり悟りを得たいという意志に勝るものはないということでしょうか。

自分という感覚を観察しているのですが、興味深いことがわかりました。
ある場所を訪問するために向かっていたときに、その場所にいる自分が想起され、その場所での自分という感覚が生じました。
それで、実際にその場所を訪れると、同様な感覚が生じました。
その後試しに、自分をある場面に置いたと想像してみると、それに対応する自分という感覚が生じます。
そして、その場面が無いと想像してみると、対応する自分という感覚が消えます。

これらは正しい観察でしょうか? それとも観念の遊戯になっているでしょうか?

また、このように想像(観想(?))によって想起される自我イメージと、実際の場面で生じる自我イメージというのは同じものなのでしょうか?

もう一点、自我の観照が起こるためには、これらの心で起こる現象が一部始終、はっきりと観られる必要があるということでしょうか?

242避難民のマジレスさん:2014/09/04(木) 22:18:03 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、こんばんはヽ(・(∀)・)ノ
今朝、ちょびちょび変わった瞑想体験がありました。
集中が高まってきて、周囲の生活音や鳥や虫の鳴き声、陽気を含めた皮膚感覚等が碁盤の目にきっちり収まるように、ただそこにあるだけで、個々を観察している意識が非常に弱く…と言うか感じられず、かと言って不思議感もなく、それが当たり前のような感じでした。
今から思うと不思議です。

243鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2014/09/04(木) 22:35:17 ID:PV8Zr5VA0
>>239 読書の方が多いのじゃ。
 何時間も本を読むのじゃ。
 7:3位かのう。

>>240 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

>>241 そうじゃ、意志が一番重要なのじゃ。
 
 良い観察なのじゃ。
 その通り人間は環境に自分を投射しているのじゃ。
 その環境はイメージする事でも変えられるのじゃ。
 そのように場をイメージする瞑想が経にもあり、ヨーガにも場の瞑想があるのじゃ。
 
 自我の厭離を起こすには、そのように観られたものが自分ではなく、自分のものでもないと気付く事が大事なのじゃ。
 ほんの少し観ただけでそのように気付く者も居り、全部観ても気付かない者もいるかもしれん。
 さまざまな習慣や執着や恐れが障害になるものじゃ。
 さらによく本心を観察してみるのじゃ。

>>242 そのような不思議な事も修行中には多々起こるじゃろう。
 それらにも囚われずに進むのじゃ。


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