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鬼和尚に聞いてみるスレ part2

1:2013/10/08(火) 07:12:09 ID:WL2yRwjAO
ここは鬼和尚限定の質問スレです。

鬼和尚が提唱している修行に関する意見交換や実践しての感想などはセーフとしますが

あからさまな批判レスや中傷、論争はアウトです

ルールを守って使用しましょう

364避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 18:29:33 ID:RqjHb0Jg0
丹力の鍛え方を教えてください

365避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 20:05:48 ID:5QR1DKg.0
鬼和尚のブログで般若心経の現代語訳を出してくださいましたね。
それを見て私は、以前、漢字にふりがなをつけた般若心経をワープロで作成していたことを思い出しました。
データの日付を見ると、作成日が4年前でした。
そこで、鬼和尚の現代語訳のテキストをコピーさせていただき、ワープロのデータに追加させてもらいました。
それをPDFにしてiPhoneに入れていつでも見られるようにしました。
勝手にこのようにさせていただきましたが、ありがとうございました。

366鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/07(土) 20:34:48 ID:kaXJvxhM0
>>357 どういたしまして、またおいでなさい。

>>358 それはおぬしが幼少の頃、父母や祖父母等親しい者との別れを経験したからかも知れん。
 あまりに辛い記憶であるから自ら封印して忘れてしまったのかも知れん。

 そのような記憶も別離と別離への恐怖という苦を乗り越えて、自分の心を深く観察すれば見えてくるじゃろう。
 そしてその記憶から今も別離に対して苦の投射が行われていると、気づく事も出来るじゃろう。
 自らの意志によって観察しようとすれば、いかなる苦も乗り越えられるのじゃ。

>>359 おぬしが自分の過ちを認める事が出来ない者と良く判ったのじゃ。
 自らを省みる事の出来ない者に進歩は無いじゃろう。
 自らを省みられる修行者は幸せなのじゃ。
 これから自らを省みられない者が味わう苦を経験しなくて済むからのう。

>>363 そうじゃ、知識も囚われなければ良いものじゃ。
 またおいでなさい。

367鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/07(土) 20:35:23 ID:kaXJvxhM0
>>365 役に立って良かったのじゃ。
 またおいでなさい。

368鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/07(土) 21:20:10 ID:kaXJvxhM0
>>364 呼吸法をすると良いじゃろう。
 息を吸い下腹に力を入れて膨らますのじゃ。
 力を抜いて息を吐くのじゃ。
 体が温まり、落ち着きも出るじゃろう。

369避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 23:28:19 ID:XpOqqj3k0
>>366

国語的には誤っていないですし、道の上でも誤っていませんから。

一体何を誤ったのでしょうか。

質問者の意図が道から外れており、それに付き合ったあなたも道から外れていたというだけです。

ちょっと最初の質問文からそれを読み取ることは困難でしたが、今私は質問者の意図を見誤ったことを認めています。
それは認めていましたよ。

ですが、その意図が見tから外れていると話題を薄めたわけです。

353で「事実はそうだったのですね」とあっさり認めています。
ただ、過ちというより、想像不可能だった現実を認識するというだけです。

370避難民のマジレスさん:2013/12/07(土) 23:30:18 ID:XpOqqj3k0
ですが、その意図が道から外れていると話題を進めたわけです。

さて、本当に何を私は誤ったのでしょうか?

まず質問者の国語がおかしく、道の理解もおかしい。

私はそれとすれ違いはしましたが、間違ったとは、はて?

371避難民のマジレスさん:2013/12/08(日) 01:59:02 ID:MY0icO/Q0
横槍失礼。
2chなんかで輪廻否定論者がいますがこれは間違ってますよね?
という質問の意味は、「2chの輪廻否定論者は釈迦が輪廻を説いた事を否定しているが、否定することは誤りですよね?」という意味であって、
それを補足説明するために「釈迦は輪廻を明確に云々」と加えているわけです。
その質問の意図を、2chでの論争の存在を知っていた鬼和尚が正しく理解して、直接の解答を与えたということだから、鬼和尚の誤りではありませんね。

そして、純国語的云々と仰っているけれど、あなたが質問が出る背景を知らなかったために質問者の意図を汲めなかっただけのことですよ。
一度頭を冷やした方がいいでしょう。

道に外れる云々というのもおかしな話です。
質問者の意図は、釈迦が輪廻を説いたかどうか、ということであって、それに対する直接の回答は、
鬼和尚がどう考えるかではなく、釈迦が説いたかどうかということです。
釈迦が輪廻を説いたという事実を教えることのどこが道に外れるのかさっぱり分かりませんね。
むしろここで聞かれてもいない鬼和尚の見解を述べることの方がよっぽど対機説法から外れているということになりますよ。

これ以上ここで議論しても仕方が無いですから、そろそろやめにすべきと考えます。
横槍失礼しました。

372避難民のマジレスさん:2013/12/08(日) 12:00:57 ID:XpOqqj3k0
無意味な論争から遠ざけるのが対機説法。

答えるべきでない質問に、答えるべきでない答えを出している。

道に誤ってる。

効かれたことに答えるのが対機説法ではない。

効かれたことをきっかけに道にいざなうのが対機説法です。

それに、今ここにいない釈迦の見解を重視して、今ここに生きているうっだである鬼和尚をないがしろにすることは良くない。


あらゆるブッダが、過去のブッダはどういいましたかと聞かれたら、ここにいるブッダに訊けと言いました。
当たり前です。
その気配が全くなく、個人の意見についての議論という無駄道につきあってるのが、いかさま師らしいなと思ったわけです。

イエス、OSHO,グルジェフは該当に記憶がありますし、他も同じようなことを言うでしょう。

373避難民のマジレスさん:2013/12/08(日) 12:17:02 ID:XpOqqj3k0


グルジェフやイエスは、一度きりの人生を説きました。
それが方便になるからです。

もちろん輪廻が方便になる時もあります。


誰かがこういったからこれで安心、というのが迷信であり眠りです。
それを引っ掻き回し、わからないことはわからないままでそれをそっとしておいて、自身の意識で見出しなさいと、
そんな風に祖師は質問に答えていました。

私程度でもそうします。

374鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/08(日) 20:01:54 ID:kaXJvxhM0
>>369 自分が間違った事さえ理解できないとは可哀想じゃのう。
 そのようなおぬしも変わる事が出来るじゃろう。

 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

375避難民のマジレスさん:2013/12/08(日) 20:13:43 ID:F3Uh0Ekk0
鬼和尚、
四諦の具体的な実践方法が苦滅の法ですよね。
苦滅の法の実践は簡単な上に、自分の心をコントロールする方法として
この上なく強力だと思うのですが、2000年もの間、正しいやり方が
忘れ去られていたのは何故でしょうか?

376避難民のマジレスさん:2013/12/08(日) 22:47:00 ID:RqjHb0Jg0
人間、というか魂はどこまでも幸せになれますか?
鬼和尚さんもこれから幸福感を進化させていきますか?
それとも悟ったら行き着いてしまったのですか

377避難民のマジレスさん:2013/12/09(月) 00:46:39 ID:XpOqqj3k0
>>374

良いから説明してごらんなさいw

間違ってる人々の間違いを予想できなかったのは事実ですが、私は特に間違ってはいない。

378避難民のマジレスさん:2013/12/09(月) 00:47:55 ID:XpOqqj3k0
無意味な論争から遠ざけるのが対機説法。

答えるべきでない質問に、答えるべきでない答えを出している。

道に誤ってる。

効かれたことに答えるのが対機説法ではない。

効かれたことをきっかけに道にいざなうのが対機説法です。

それに、今ここにいない釈迦の見解を重視して、今ここに生きているうっだである鬼和尚をないがしろにすることは良くない。


あらゆるブッダが、過去のブッダはどういいましたかと聞かれたら、ここにいるブッダに訊けと言いました。
当たり前です。
その気配が全くなく、個人の意見についての議論という無駄道につきあってるのが、いかさま師らしいなと思ったわけです。

イエス、OSHO,グルジェフは該当に記憶がありますし、他も同じようなことを言うでしょう。

373 自分:避難民のマジレスさん[sage] 投稿日:2013/12/08(日) 12:17:02 ID:XpOqqj3k0 [26/27]


グルジェフやイエスは、一度きりの人生を説きました。
それが方便になるからです。

もちろん輪廻が方便になる時もあります。


誰かがこういったからこれで安心、というのが迷信であり眠りです。
それを引っ掻き回し、わからないことはわからないままでそれをそっとしておいて、自身の意識で見出しなさいと、
そんな風に祖師は質問に答えていました。

私程度でもそうします。

379避難民のマジレスさん:2013/12/09(月) 19:08:31 ID:Bwz0R3.60
Kami//Z3IE <= #phpxu6&V
HunglyXjV6 <= #i47XGa^t
Amen//8ObM <= #Yヨ9セX}#f
Kako//8H4c <= #3;z[「{M]
WarotaWUB. <= #I7S4y?(5
Wanko/zii. <= #hメk|HgwG
Toast/mOfI <= #Sメ`C5^1h
Anjer//aVQ <= #1Vヒ+x.SH
haruo/jV7. <= #M|Sr}xKU
Wanko/n1NI <= #I}ム#*8M7
Helpmeq.mU <= #-yタO`シ\^
Kako//n8qM <= #Lf{JHwgq
WarosuTMJc <= #2ワ7W}SNz
Lucky/K03A <= #pチソ).Jj%
Yabai/0aRU <= #'5セvZz「y
DoubleUEBo <= #Lマナ1vs!=
dabo//XRMs <= #uシトE「lrJ
Yabai//K5Q <= #a5ノセf1za
NozomiuHDI <= #}],$]xCD
.Helpmess2 <= #f|ヤg^\Q*
Harukai/iM <= #SDSH3qD8
Akuma/.F4c <= #FノN%KdOL
Roba//56hk <= #.R゚Wn@$O
NIPPONiNoQ <= #(hU3oI]:
nmOmn/xSs. <= #;`!f#E~v
Haruka5H0. <= #%^xRdpM-
JAPAN/NZGA <= #VXオsシ`]c
HarukoYLxY <= #:9[*_lg;
Yukai/sszg <= #Sヘコ|Ls*0
Panda/KaWQ <= #jd}D8I$3
YamadaBGWM <= #_?ImI1)a
Yamato7FXo <= #+=lIQ5LL

380避難民のマジレスさん:2013/12/09(月) 19:52:46 ID:byGhGyc60
鬼和尚は、どのようにして苦滅の法を再発見されたのですか?

381鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/09(月) 20:13:18 ID:kaXJvxhM0
>>375 それは人間が持つ記憶による認識と本当の観察が相容れないからなのじゃ。
 記憶に依存した認識は過去の知識や経験を何度も繰り返そうとする。
 観察は常に対象の新しい特徴を探そうとするから、繰り返しを好む記憶に依存した認識は観察が苦手なのじゃ。
 修行として観察を行った者も最初はなにやら難しくてストレスになったりしたじゃろう。
 そのように観察そのものが記憶に依存した認識をもつ人間には困難である故に、徐々に廃れてしまったのじゃ。

 今、ヴィパッサナーを教えているというのも、実際には習慣的な繰り返しの集中で、もはや観察ではないものを教えたりしているのじゃ。
 ヴィパッサナーすらも廃れてしまった故に、四諦もただの知識としてのみ伝わるようになってしまったのじゃ。
 
>>376 人間は自分で決めた限界まで幸せに成れるじゃろう。
 一日幸せで居られるのが限界と想えば一日幸せじゃろう。
 3日幸せで居られると想えば3日幸せで居られるのじゃ。
 
 わしにはもはや幸せさえも必要ではないのじゃ。
 既に大金持ちになった者が小銭を得ようと必死に努力したりしないように、もはや究極の悟りに達してしまえば幸せさえも求める必要もないのじゃ。
 
>>377>>378 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

382鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/09(月) 20:26:00 ID:kaXJvxhM0
>>380 例えば昔、医者の居ない村に一人の医者が来て、病に苦しむ人々を治療していったとしよう。
 やがて医者は死んでしまって、弟子たちも次々に居なくなり、治療法が書かれた本だけが残されたのじゃ。
 無知な者達はその本を読んで意味も判らず死人に向かって唱えたりしていたのじゃ。

 そこへ新しい医者がやってきたのじゃ。
 新しい医者は完全な医学の知識を持ち、その本を見て前の医者の残した治療法を正しく知り、叉人々に教えたのじゃ。
 そして病の村人達は病から解放されたのじゃ。

 このように昔お釈迦様は人々の心の性質を正しく知り、苦からの解放の道を教えたのじゃ。
 しかし、お釈迦様が死んでしばらくすると、目覚めた者が居なくなり、教えもわからなくなってしまったのじゃ。
 わしは悟りを得た事でお釈迦様の言葉を正しく知り、苦を滅する法が観察の法の一種であると理解したのじゃ。
 目覚めた者の目で見れば、始めからお釈迦様は何度も何度も観察の法を説いていた事は明らかなのじゃ。
 四諦も12因縁も観察の為の法なのじゃ。
 わしはさらに自ら試してそれが確かに苦を滅する事が出来ると判ったのじゃ。

383避難民のマジレスさん:2013/12/09(月) 20:28:14 ID:j..Vzewk0
悟りへの方法が観察であるが、観察状態そのものが自我を超えた意識状態や霊的状態に
移行しているということでもあるので、答えでもあるような。
じゃあどうしたら観察できますか?というところが難しくて、ただもがきながら委ねるような努力を
しているうちに行きつ戻りつしながら移行している、霊的な恩寵により、という感じなのですが。

384避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 02:44:53 ID:58kVA0Ys0
鬼和尚が認識を厭離した際にその事を気づいたものは何でしょうか?
観察する意識そのものだったのでしょうか?
とすると、認識は刺激によって常に構成され続けているものだということなのでしょうか?
観察する意識は厭離されるものではないのですか?

385避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 12:10:28 ID:Elpwrbn.0
>>382
なんと、鬼和尚は苦滅の法を知らぬままに、自我を消したのですか。まさに鬼のような意志力です。
そして、自らはもう必要としない、四諦、12因縁を、悟りを得ていない人々を導くために
検証して、お教え下さるとは、想像すらできないほどの慈悲ですね。
書いていて胸の下あたりが詰まるような感覚を観察しました。

せめて、行に努め励み、悟りを得ることで報います。
また、行の過程を記録し、後に続く人たちの役に立ちたいと思います。
ありがとうございました。

386避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 12:48:34 ID:Elpwrbn.0
鬼和尚、
サマーディあるいは悟りを得る予感というものはありますか?

思考が無くても、自我が無くても、記憶が無くても、私はいるかもしれないと
考えていたら、自我が消える予感を感じ、気が遠くなる感覚が生じたのですが、
そこで時計を確認して逃げようとする自我を観察し、肩の力が残っている
ことを観察したら、意識は元の状態に戻っていました。

これまでは、悟りに向かう意志の力を頼りに進んできたのですが、
どこかに、忘我あるいは無我に押し進めようとする力があるようにも
思います。私には、それが観念なのか、実際に生じていたのかの区別が
つかず、またどこから来たのかも判らないのですが、この力は何なのでしょうか?

387龍華:2013/12/10(火) 14:28:29 ID:kl1CR23s0
アングリマーラに石を投げた人々の因果について質問です。
石を投げられるのはアングリマーラの作った因果ですが
アングリマーラの状態によって石を投げた村人がその後に受ける因果に違いはあるのでしょうか?

1、悟ったアングリマーラに石を投げる
2、仏教の修行者のアングリマーラに石を投げる
3、仏教に帰依する前のアングリマーラに石を投げる

388避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 15:22:03 ID:aVX8tCSI0
鬼和尚さんに質問です。

所謂、自分を尊敬して欲しい、自分は凄い人間だと思われたい。
次元の低い事で言うなら自分は周りの友人たちよりも沢山、モノを持っている
良いモノを持っている等は誤りかもしれませんが一種の自己顕示欲の現れなのでは
ないかと思うのですが、僕の場合はこの欲? 念が強く時に現実では不可能な事を
妄想したりします。   そうすると必ず何だかのしっぺ返しで何かが壊れて痛い出費が
出る。  少しの間その妄想が収まる → また妄想で現実味の無い妄想をする → 
しっぺ返しで買ったばかりの物が壊れたりスマホを洗濯するなど普通では考えられない
ミスで出費する。  と言うループ状態なのですが、この欲を抹殺する方法は無いものでしょうか?

389鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/10(火) 20:15:11 ID:kaXJvxhM0
>>383 迷ったら基本に戻ればよいのじゃ。
 自分の手を観察してみて観察が本来どのようなものであったか思い出すのじゃ。
 手を観察して皺が多いとか少ないとかそのような気付きがあれば、観察は出来ているのじゃ。

>>384 何もないのじゃ。
 気付きもないのじゃ。
 言葉やイメージにならないものなのじゃ。
 あえて意識と呼ぶが、それが本来の名前でもないのじゃ。
 もはや観察もない故に無為なのじゃ。
 認識もないのじゃ。
 一切の観念による推測を超越している故にもはや厭離もないのじゃ。

>>385 そうじゃ、おぬしも修行して悟りを得て衆生に教えを説くのじゃ。
 またおいでなさい。

390避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 20:16:00 ID:XpOqqj3k0
>>381

私を直視できないんですね。わかります。

フレーズの中におびえて身を隠すか。

391鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/10(火) 20:26:25 ID:kaXJvxhM0
>>386 そのように自分がなくなるような感覚が予感と言えるじゃろう。
 もはや自我も消えたり起きたりしているのじゃ。
 
 自らの意志と今まで行って来た修行の力がそのような無我に向かう力になっているのじゃ。
 例えば長く走ってきた機関車が急ブレーキをかけても直ぐには止まれず、慣性の力でかなりの距離を走ってしまうようなものじゃ。
 集中も観察も無我へ行くためのものであるから、毎日続けていれば無我へと向かわせる強い力を発揮するのじゃ。
 次は恐がらずに自我を行くままにすれば滅する事も出来るじゃろう。

>>387 違いはないじゃろう。
 村人は殺人者のアングリマーラに石を投げただけであるからのう。
 悟っていても知りようがないのじゃ。

>>388 その欲の原因を探してみるのじゃ。
 昔、物が無くていやな目にあったからかもしれん。
 誰かに自慢されてばかりいたからかもしれん。
 そのような原因を探し、原因からその欲が起こり、原因がなければ欲も起こらないと観察するのじゃ。
 そうすればその欲も消えるじゃろう。

392鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/10(火) 20:27:12 ID:kaXJvxhM0
>>390 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

393避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 22:42:51 ID:aVX8tCSI0
>>391
和尚さんレスありがとうございます。


和尚さんの言う観察とは具体的にどのような事をすれば良いのでしょうか?

394避難民のマジレスさん:2013/12/10(火) 22:54:08 ID:Elpwrbn.0
>>391
>>386 です。
そういえば最近、意志の力無しで、いつの間にか呼吸に集中していたり、
観察していたりということがあります。あとは自我が生じるのを観る
勇気ですね。気負わず、一歩一歩励みます。
ありがとうございました。

395避難民のマジレスさん:2013/12/11(水) 02:16:26 ID:58kVA0Ys0
鬼和尚さま

揚げ足を取るようですみません。

自我が無くなった時、その状態を見る認識が未だ存在していた故に、それが未だ小悟と呼ばれる段階と気付いたのじゃ。
そしてその認識さえも滅した時、もはや行く者は無く、行ける境地も無い無上にして究極の境地であると気付いたのじゃ。

とあったので、気付くものはあったということだと考えました。
気づくものは自我ではないというのは分かるような気はして、
というのも坐禅をしていていい集中ができている時は、
ただ起きているものを観ている状態になれることもあり、
現象(音とか、心の動き、とか呼吸に伴う身体の感覚とか)は
自我への結びつきの前に存在するものだとわかる気がするからです。
しかし、認識そのものを滅してしまうと、起こっている現象を位置付けることができず、
何も分からない状態になってしまわないか、と思いました。
認識を滅した後も、その状態に「気づい」て戻ってこようと思えば思えるようにしているものが何であるのかが気になりました。

鬼和尚の仰る「認識」の意味を分かっていないためかとも思います。
一般に、何者かがなにかを「認識」するというばあいには、情報の流れのいろんなレベルを区別していないと思います。
例えば目から入った情報が、感覚され、感情や名称、意味に加工され、
さらにそこからの連想といったふうに派生して行くどのレベルを指しているか明確にしていないように思います。
認識の成立する過程の最初を滅した、ということだったら、
感覚情報を受け取るという働きを厭離したということになりそうな気がしたのですが、
そんな事をしたら言葉通り植物人間になってしまいそうな気がします。
認識の成り立ちが観察され、それによって認識そのものも「起こるもの」として、
他の現象と同じように見えるようになった、というような感じでしょうか?
言葉で説明し難いことであるかもしれないですが、お願いします。

396素人A:2013/12/11(水) 06:53:22 ID:gOqWUDAs0
和尚さん我々は大人だと思っていたけど本徒はまだ小我苦生なのか?
何だ観だと勉強嫌いの私だが身を持つて少しずつ学ぶしか無い野我も
中学はどんな所か解らないし楽題ばかので卒業はあるのか?何とか
動物幼稚園は卒業していたようですが

397避難民のマジレスさん:2013/12/11(水) 19:45:05 ID:RqjHb0Jg0
999人殺して石を投げられるだけで終わるのは軽くありませんか?
動機が純粋だったからですか?

物が欲しい理由で自己顕示欲だった場合厭離もたやすいですが
快適さ、楽しさなどの肉体の欲求だったりしたら諦めがつきません

398避難民のマジレスさん:2013/12/11(水) 20:39:01 ID:Bwz0R3.60
軽自動車税、1万800円に増税 自公合意、新車対象に】

自民、公明両党は11日、軽自動車を持つ人が毎年自治体に納める「軽自動車税」について、2015年4月以降に買う新車(自家用四輪)を対象に、現行の1・5倍となる1万800円に増税することで合意した。
今の保有車は年7200円で据え置く。

 同じ軽自動車税がかかっている原付きバイク(50cc以下)は、今の1千円から2千円に、250ccを超える小型二輪車は4千円から6千円に上がる。
農家などが使う営業用軽トラックは3千円から3800円になる。

 2016年度からは、新車登録から13年以上を過ぎた車に20%高い税金がかかる仕組みも取り入れる。
自家用四輪なら1万2900円になる。
古い車から燃費の良いエコカーへの買い替えを促すねらいだ。

 軽自動車税は、普通車の最も低い自動車税額(千cc以下で2万9500円)の4分の1以下と安く、普通車との格差是正が長年の懸案になっていた。

399鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/11(水) 20:43:59 ID:kaXJvxhM0
>>393 わしの言う観察は科学者が行う観察と基本的に同じなのじゃ。
 対象を何か新しい発見や他にはない特徴がないかと、注意深く見つめるだけなのじゃ。

 ただ学者の観察は対象の特徴等を記録して知識にするためであるが、修行の観察は対象が己ではなく、己のものでもないという厭離の感覚を引き起こすためなのじゃ。
 そこの所が違うのじゃ。
 それ故に何か発見があっても知識として記録しなくて良いのじゃ。

 目の前に手があればそれを初めて見つけたかのように見つめ、特徴や新しい発見を探すのじゃ。
 全身を見たら感覚や心の働きを観察するようにするのじゃ。
 心という捉え所のないものを観察するのは難しくなるが、迷ったら基本に戻って観察をやり直すと良いのじゃ。


>>394 どういたしまして、またおいでなさい。

400鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/11(水) 21:26:53 ID:kaXJvxhM0
>>395 もはや気づく事も気づくものも無いのが、あったのじゃ。
 行為も行為の対象も行為者もいないのであるからのう。
 ただ人の使う言葉の慣習によって気付いたとか、言うのじゃ。

 認識の全ての段階を厭離しても廃人にはならないのじゃ。
 なぜならばそれは習慣によるものであるからのう。
 タバコを止めても廃人にならないように、記憶による分別の認識を厭離しても本来の認識に戻るだけなのじゃ。

 話を判り易くするために人の認識を阿頼耶識とするのじゃ。
 阿頼耶識は記憶に依存した認識であり、記憶によって外部からの刺激を分類し、記憶内容からの言葉とイメージを投射して物事を認識しているのじゃ。
 それが厭離されれば本来の認識が戻り悟りに至るのじゃ。

401鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/11(水) 21:33:39 ID:kaXJvxhM0
>>396 そうかもしれん。
 自分がいつか必ず死ぬとわかっていても何も出来ないのが幼稚園じゃな。
 死を超える悟りへの道があるとしって修行に励んで小学生じゃな。
 修行して苦を滅し、修行の道に間違い無いと確信を抱けば中学生じゃな。
 自我を滅して高校生になり、真の悟りに至って大学生じゃ。
 悟っても衆生を導くための勉強は一生続くのじゃ。
 涅槃に入って卒業なのじゃ。

>>397 懺悔したからなのじゃ。
 懺悔告白して二度としないと誓えば許され、罰も軽くなるものじゃ。

 肉体を更に観察して肉体そのものを厭離してみるのじゃ。
 肉体が己ではなく、己のものでもないと気付いたならば肉体の欲求にも囚われ無くなるのじゃ。

402避難民のマジレスさん:2013/12/11(水) 21:45:35 ID:XpOqqj3k0
>>392

 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

その通り。
私の述べたことはOSHO,グルジェフに通ずることです。
貴方は私から勧めを聞き、教訓をうけるべきだったのですね。

そうすれば、過去の人の言葉を理解もせずに垂れ流すのではなく、知恵が身につく可能性もあります。

私はあなたの言ってることにきちんと返してますが、あなたは私の言うことに返してません。
あなたが一番やってないこと。

 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

403そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/11(水) 23:42:01 ID:sp.LjxiQ0
鬼和尚
仕事中の私はたいてい自分の仕事を黙々とこなし、職場の周りの人があれやこれやと話しをしているのが耳に入ってくると(仕事の話しもありますし、雑談もあります)、話の内容や話し方などに対してあれやこれやと思ったり考えたりします。

そこで、普段の仕事中でも瞑想中のように雑念が少ない状態で過ごせるか試してみました。

結果としては、瞑想中とはほど遠い状態でしたが、それでも一つ気付いたことがありました。
それは、あれやこれやと思ったり考えたりしている自分は、自我が自我たらんとして、まるで餌を求めるように他人の話に反応し、それをむさぼり食って思い考えをめぐらし、自らを肥え太らせ、自らの存在を健在にしようとしているのだろう、ということです。

そのような自我の働きはおそらく習慣的に行われていることなのでしょう。
私が生きてきた何十年もの間、継続して行われてきたことなのでしょう。
その行為が当たり前になりすぎて、それが有為として行われていることがわからなくなっていたのでしょう。

404そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/12(木) 00:04:38 ID:sp.LjxiQ0
>>403
念のため補足ですが
>他人の話に反応し、
と言うのは、あくまで心の中で反応するということです。

405龍華:2013/12/12(木) 00:12:04 ID:kl1CR23s0
スッタニパータなどによると聖人への悪意や害する事は(凡人に対するそれと違い)
大変な苦や地獄を受けるとあるので鬼和尚のお答とは矛盾しませんか?
他には公案などで師や修行者が殴り合ったり斬ったりするお話が多々あるのですが、
凡人同士が行なった暴力とは違った結果が発生したりしないのでしょうか?

インドで体が自然発火する赤ちゃんが生まれたとニュースでありましたが
彼は特殊な苦を受けるような行為を他生でしたのでしょうか?
鬼和尚は彼が過去に何者で何したか等の情報を知ったりできますか?

406避難民のマジレスさん:2013/12/12(木) 12:34:38 ID:Zcl18UUU0
鬼和尚が悟りを得てから働けるようになるまでのプロセスと、
おおよそかかった時間をお教えいただけますでしょうか?
認識の転換の後で、おそらく仮の自我を作り出す必要があるのではないかと
思われるのですが、どのような感じなのかなと思いまして。

407鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/12(木) 20:18:37 ID:kaXJvxhM0
>>402 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

>>403 そうじゃ、外からの刺激は記憶の種子となるのじゃ。
 本来必要ではない情報も自らを投射する手段になるからのう。
 それに気づいた事は良いことじゃ。
 更に進むのじゃ。

>>405 そのような言葉は後の世に付け加えたものが多いのじゃ。
 自分達が迫害されないように付け足したのじゃ。
 相手が聖人かどうかなどは一般の者が見分けられるはずは無いからのう。

 修行者同士が行うのは指導という事でよいとされているが、今ではいかん事じゃ。
 本来は戒によって禁止されているものじゃ。

 その赤子も他人を焼いたりしたのかも知れん。
 結果を見れば原因が判るものじゃ。
 
>>406 一年ぐらい掛かったようじゃ。
 記憶からの認識をつくり、言語機能を快復して、仮の自我を創り上げたのじゃ。
 元の自我の残っていた反応の回路を基にしたのじゃ。
 元の性格が少々残っているのじゃ。

408そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/12(木) 21:15:37 ID:sp.LjxiQ0
>>407
ありがとうございました。

409龍華:2013/12/13(金) 02:29:32 ID:kl1CR23s0
>そのような言葉は後の世に付け加えたものが多いのじゃ。

鬼和尚がスッタニパータを勧め、釈尊が何々と述べたと書いてあったので
重要な物だと思っていたら嘘・改変もあるという。私には虚と事実の区別は知らない。
スッタニパータに与えていた価値又はウエイト又は重要視みたいな物が
頭の中で粉コナに霧散するのを感じた。これが空なのかな。


災いや苦を受けている人のそれが因果応報なのか、新しい犠牲者なのかどう判りますか?

鬼和尚の時々云われる、相手に対し「憐れだと思え」「憐れむとよい」という言葉の「憐れ」とはどういう事ですか?
カワイソウって事でしょうか?
悪党に向ける「憐れ」と、苦の犠牲者に対する「憐れ」とは同じものですか?
それをすると相手にとって利や損などの効果でもあるのでしょうか?

410避難民のマジレスさん:2013/12/13(金) 04:56:39 ID:6NaQvIas0
鬼和尚さん。たとえば顔に痣があったり皮膚病を患っていることに悩んでいて、その苦しみを消したければ、
「痣や皮膚病が無かったとしたら自分の心はどのような反応をするのか」を観察するという方法を採れば良いのでしょうか?

411避難民のマジレスさん:2013/12/13(金) 12:53:35 ID:Elpwrbn.0
>>407
>>406 です。ありがとうございます。まるで再び誕生したかのようですね。

特に悟りを得た直後のあたりで、何ができて、何ができなかったかを、
もう少し詳しく教えていただけますでしょうか。
この質問の意図は2つあります。1つは、悟りを得た直後の認知や行動は
悟り以前と比較して、どのように変わっているのかということ。
2つめは、悟りを得たあと、肉体がこの世界にとどまるために、
他の人の助けが必要かどうかということ。この2つが知りたいです。

例えば、阿頼耶識を厭離し、本来の認識が戻った直後は、言葉もイメージも無い
とのことですが、その時に鬼和尚が使えた心の機能には、何があったのでしょうか?
今鬼和尚が肉体を持っているということは、食事はできたはずですよね。
認識が記憶によらなければ、何が食べ物かも、分からないのではないかと思いまして。
また、慈悲への執着とか、意志もありましたか?

412鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/13(金) 20:32:48 ID:kaXJvxhM0
>>409 経を全て信じるならばむしろ経など読まないほうが良いとも言うのじゃ。
 経から読み取るべき事は善事をして自らの心を清める事だけなのじゃ。
 経を参考に自らの心を観る事が一番大事なのじゃ。

 例えば病気ならば幾ら治療しても治らない病気が因果なのじゃ。
 普通は治療すれば直ぐに治るような病でも、治らずに何度もなったりするのじゃ。
 医薬の聞かない病が因果から来る病なのじゃ。
 
 かわいそうという事なのじゃ。
 同じようなものじゃ。
 哀れむだけでは何も効果はないのじゃ。
 何か施したら少しは効果があるじゃろう。

>>410 そうじゃ、そのように観察してみると良かろう。
 大抵はその病よりも、心が病に囚われる事で苦しんでいたりするものじゃ。
 体が病にかかるのは仕方がないが、心は苦を滅して楽になると良いのじゃ。

413鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/13(金) 20:39:52 ID:kaXJvxhM0
>>411 特に言葉と言葉が表すもの、対象との結びつきが失われるのじゃ。
 全ての言葉に意味はなく、叉全ての意味を含んでいるような気がするのじゃ。
 しかし、わしは大乗の誓願を行っていた故に、衆生を導くためにこの世に戻ってきたのじゃ。

 他人の助けは意味がないのじゃ。
 言葉が無意味であるからのう。
 機能は逆に増えたのじゃ。
 智慧が身についたからのう。
 肉体の制御は習慣によって出来るのじゃ。
 執着はないのじゃ。
 意志はあったのじゃ。
 誓願を捨てる事も出来たが、果たす事を選んだのじゃ。

414避難民のマジレスさん:2013/12/13(金) 21:52:11 ID:RqjHb0Jg0
大衆を助けるために戻ってきたってすごいですね
仮の自我を取り戻すというのがよくわからない感覚なのですが仮でも苦は感じますか
1年かかったと聞きましたが、赤信号で止まるなどの行為ができないと生きるのが難しくありませんか
信号を信号と認識して赤で止まるという知識が必要だと思いますが
タバコ屋や酢屋をしてる人も鬼和尚さんみたいに戻ってきた人なんでしょうか

415避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 01:46:07 ID:XpOqqj3k0
>>407

私はやっています。

イエスやOSHOやグルジェフから。
ああ他は彼らに反することを言っていて何の反省もないです。

私はしているのにあなたが全くしていないことが心配です。

416龍華:2013/12/14(土) 02:22:49 ID:kl1CR23s0
>>412
経を参考に善事に勤めます。摩擦や抵抗の中に観るべき私がたくさん有る様です。
ありがとうございました。

417避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 04:36:15 ID:6NaQvIas0
鬼和尚さん、空の法に関して質問です。たとえば嫌いな人がいて、そのことで苦しんでいるとします。その苦を滅するために、
「嫌いな人も空であり、嫌うという思いも空であり、その人が言った言葉も空であり、その人がした行為も空であり、それらを受け取る自分も空である…」
のように、その出来事に関連して心に浮かんでくるものを空と観想していくという方法をとるのは正しいやり方でしょうか?

418避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 10:46:11 ID:rjrCqQY20
>>412鬼和尚さん

肉体は長持ちしても高々百年足らずしか持ちません。
日本は世界に名だたる長寿国になりましたが、その長寿者もやがては細胞が癌化していくものだという説がありますし
そうでなくとも、肉体はやがて衰えて老衰して終える。
だとするなら、病気を殊更因果に結びつけることは、新たな因果を生んで苦しむことになりはしないでしょうか…。

419避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 11:39:48 ID:rjrCqQY20
すみません。
>>410への回答で納得しました。

420避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 19:50:51 ID:6NaQvIas0
グルジェフの瞑想法で「この世を夢とみなしなさい」というのがあるとOSHOの本で読んだ記憶があります。
この瞑想法は空の法と似ていると思うのですが、この瞑想法について鬼和尚さんの意見を聞きたいです。

421避難民のマジレスさん:2013/12/14(土) 19:58:26 ID:Dp/qMVVc0
>>413 ありがとうございます。
とりあえず、他人の助けには意味はないが、肉体の制御は
習慣によってできるということで、安心しました。
また、悟りの前に悟り後のことを、強い意志で決めておくことも
大切だと分かりました。

悟りを得た後の状態というのは、止の瞑想で無念無想になった状態が、
常に続いているという感じでしょうか?
とすると、イメージや言葉の操作以外は、悟りの後でもできそうに
思うのですが、そのような理解で大丈夫でしょうか?

もう一点、お聞きしたいことがございます。
記憶を介さない状態の認識から、記憶を介した認識を作り上げるのは、
例えばリンゴを認識した時に、意志の力により記憶のリンゴを想起して、
両者を結びつけるといった訓練をするのでしょうか?

422鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/14(土) 20:08:06 ID:kaXJvxhM0
>>414 苦は感じようと想えば感じられるのじゃ。
 意味はないがのう。
 習慣による行為は簡単に出来るのじゃ。
 肉体の記憶は在るからのう。
 戻ってきたのじゃろう。
 
>>415  箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

>>416 どういたしまして、またおいでなさい。

423鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/14(土) 20:10:01 ID:kaXJvxhM0
>>417 そうじゃ、それで良いのじゃ。
 心に浮かぶ全てを空であり、実在せず、夢幻のようなものと観想するのじゃ。
 そうすれば執着や囚われが無くなるのじゃ。
 
>>418>>419 良かったのう。
 またおいでなさい。

424そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/15(日) 00:39:27 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
坐っておりました。
断片的な記憶の再生もありましたし、窓の外から聞こえてくる音もありましたが、気にせずスルーしていました。
すると、次のような、これまでにない感じになりました。

意識や感覚といったいわゆる精神と、肉体という物質的なものの間に、境界線というものがあったとするならば、
あるいは、
精神と肉体が別々のものであったとするならば、
その境界が極めて不明瞭になり、とろけてしまうような、溶け合ってしまうような感じになりました。
眠るときの睡眠に入る一歩手前のようでもありました。

外部からの刺激によって生ずる快楽とは異なる種類の心地よさもありました。

425473:2013/12/15(日) 01:11:14 ID:XpOqqj3k0
>>422

わたしはOSHOやイエスやグルジェフの教訓を受け、知恵を得たのかもしれません。

彼らと同じことを言う私の言葉を聞こうともしないあなたが本当に心配です。

あなたは決して自分がしないことだけを人に言いますね。

そうや手貴方は言葉に逃げ込んで自分の無知と無理解から逃避する。

意味も解ってない言葉を自分のペースで垂れ流すことしかできない。

私があなたにした指摘はOSHOやグルジェフがした指摘そのものです。

だからあなたは反論ができない。見て見ぬ振りすることしかできない。

自分の間違いを認めればそれで済むのに。

そして、自分が輪廻そのものの審議を体感しておらず、迷信としての知識しかないということも認めればそれで済むのに。

あなたは輪廻を自分自身で語れない、悟ってないことを自身で暴露してしまってますからね。


その事実から逃れるべく必死で私を否定しようとしてる。

そんな記号の並列でしかない言葉にしがみついて。

426473:2013/12/15(日) 01:23:33 ID:XpOqqj3k0
かくいう私も言葉を愛しすぎてるかもしれない。

要は精神的に平均的な大人にも全く達していない幼児である存在が、
自分が普段使ってる言葉を全く違う意味で使ってることが気に入らないということかもしれない。

言葉なんて音の羅列に過ぎない。

悟りという言葉に何の意味も無い。

発言者が何者かによってそれにこめられる意味は決まる。
どんな意味を込めるかは発言者の自由だ。

発言者が何者か破綻後ではなく文章全体の文脈に出る。
もし、悟りと無明に込める意味を逆にしても、悟った人(この場合無明な人)の文脈は悟りのものになる。

言葉や表面的なロジックには何の意味も無いのだが、、、どうもそれに愛着があるようだ。

言葉やロジックにどんな意味を込めるかはその人の自由、、いや、その人の不自由なのだが、、、

理解してない人がその言葉を使うべきではないと私は思ってしまう。
もちろんその人が成長したいなら理解してない言葉は使うべきではない。

が、ごくわずかな道の人を除いては、わからない言葉を使って自分を安心させ納得させるために宗教と関わってるだけなのだ。

427避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 01:24:07 ID:XpOqqj3k0
発言者が何者かは単語ではなく文章全体の文脈に出る

428避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 01:29:24 ID:Z/k1vghg0
なんで迦葉は花を見て笑ったの?

429避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 03:23:05 ID:LC3de7YgO
鬼和尚、私は以下のように考えますが、これでよいでしょうか。
真偽を確かめることができない説や懐疑論等をとなえる者を外道として退け、苦を滅する実践こそ大切である(* ̄O ̄)ノ
確かに輪廻があることを前提に取り組んだ方が、切実な苦に悩みそこから脱したいと実践に取り組む者が、その目的を達することができず安易に死を選択することを避けさせることができるかもだけど、そんなことは修行の実践にとって重大事ではない(* ̄O ̄)ノ

430避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 14:13:09 ID:XpOqqj3k0
あなtが苦しみを消そうとしていますね。

あなたが即苦しみの原因ですから、それでは抑圧にしかなりませんよ。

431避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 14:17:52 ID:XpOqqj3k0
>>429

信じようとするから懐疑の問題が出てくるのであって、

「知らない」という事実に留まるなら

何も信じることは無いし、なにも疑うことはありません。

知らないことについては知らないだけです。
疑いようがありません。

あくまで信じたとき、迷信してるときだけ、それを疑うことができます。

だから、疑うことは迷信のレベルから出ることなので信じること寄りは宗教的なのです。

信じることをやめたとき疑うことも消えます。

知らないという事実に留まります。


何でも疑いなさい、私の言ってることが正しいと解っていても疑いなさい====グルジェフ

疑いということは人類最大の祝福である====OSHO

432避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 14:19:42 ID:XpOqqj3k0
疑うということは人類最大の祝福である====OSHO

OSHOは疑いを捨てることを言いましたが、信じることはもっと捨てるように言いました。
この2つは同時におちると言いました。

信じてるよりは疑ってる方がましです。
疑いが落ちる時信じることも落ち、無知に安住します。これを信と表現していました

433鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/15(日) 20:17:52 ID:kaXJvxhM0
>>424 感覚が乖離されてきたのじゃな。
 肉体の囚われから離れていくじゃろう。
 快も生じてきているのじゃ。
 そのまま進むと良いのじゃ。

>>425 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

>>428 何か可笑しかったのじゃろう。
 特に意味はないのじゃ。
 あえていえば人は華の様であるとかわかったのじゃろう。
 
>>429 そうじゃ、全ての教えは実践のためのものなのじゃ。
 実践のない知識は無意味なのじゃ。
 実践が全てなのじゃ。

434避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 20:43:14 ID:byGhGyc60
鬼和尚
>>420>>421 にも、ご回答いただけますでしょうか。

435鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/15(日) 21:09:42 ID:kaXJvxhM0
>>434 見逃していたのじゃ。
 すまんのう。

>>420 そうじゃ、やはり空と同じものと言えるのじゃ。
 金剛経にもこの世を夢幻と見るようにと教えられているのじゃ。
 グルジェフは博識であるから知っていたのかも知れんのじゃ。

>>421 そうじゃ、出来れば皆悟りを得たら戻ってきて教えを説くという誓願をして置くと良いのじゃ。
 それが修行を進める力にもなるのじゃ。

 そのような理解で良いのじゃ。
 意志を起こさなければずっと無念無想でいられるのじゃ。

 そのような訓練はしなくとも、以前の自分の認識を呼び起こせば使えるのじゃ。
 記憶に依存した認識もやはり習慣によって身についているのであるからのう。
 一つ一つの物を言葉と結び付けていては、もう一度赤子の頃からの教育をやり直さなくては成らないから大変なのじゃ。

436避難民のマジレスさん:2013/12/15(日) 21:52:53 ID:XpOqqj3k0
>>435

グルジェフやOSHOの実践的な話にはまるでついてこれないようですね。
自分のペースで言葉を垂れ流してばかり。

悟り、、、か。

言葉に過ぎない。

人の数だけ悟りという言葉に込める意味は異なる。

悟りという言葉を鬼和尚は独り占めしたがる。

所詮言葉だ。
好きに使うがいい。

437そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/15(日) 22:45:46 ID:hUDzEkKo0
>>433
ありがとうございました。

438避難民のマジレスさん:2013/12/16(月) 00:04:58 ID:LC3de7YgO
>>433
ありがとうございますm(__)m
精進します。

439そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/16(月) 00:08:55 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
先ほど坐っておりました。

自分の肉体と呼吸は、この地上にいる間だけ、たまたま、肉体として形作られ、それを維持するしくみの一つとして呼吸が行われているに過ぎない、刹那的なもののように感じられました。

坐ったまま、まるで眠りに入ったかのような静寂がありました。

家の近くに鉄道の駅があり、踏切もあるので、瞑想中に電車のゴーという音と遮断機のカンカンカン…という音が聞こえます。
それで、いつもはわずかにうるさいという思いが生ずるのですが、今日は何かを思うということはありませんでした。
音が聞こえても、静寂でした。

440避難民のマジレスさん:2013/12/16(月) 08:02:53 ID:TWsIZlsE0
鬼和尚さん
心を制御するということと、何にも心を捕らわれないようにすることは、同じことですか?

441避難民のマジレスさん:2013/12/16(月) 12:45:51 ID:jfWCoXjM0
座れ座れって言うけど座って何するの?

442避難民のマジレスさん:2013/12/16(月) 13:06:07 ID:fgD13pAM0
>>435
>>421 です。
悟りを得た直後にどのようになるのか分からず、恐怖が
あったのですが、幾分かイメージが掴めました。
悟り後をイメージしてみても、肩に力が入らなく
なっています。

誓願を胸に、実践に励みます。
ありがとうございました。

443鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/16(月) 21:05:23 ID:kaXJvxhM0
>>436 箴言
 「勧めを聞き、教訓をうけよ、
  そうすれば、ついには知恵ある者となる。

>>437 どういたしまして、またおいでなさい。

>>438 そうじゃ、実践あるのみじゃ。
 またおいでなさい。

>>440 違うのじゃ。
 その二つは互いに補い合う性質のものなのじゃ。
 心を制御すれば心が囚われないようにすることもできるのじゃ。
 心が囚われなければ心を制御する事も容易いのじゃ。

 例えば人の心は車に荷物を一杯積んでいるようなものじゃ。
 そのままではまとも走る事も中々難しいのじゃ。
 操縦が巧みならば荷物を振り落とし、軽くする事も出来るのじゃ。
 軽くなれば操縦もし易くなるのじゃ。

 荷物とは囚われであり、ハンドルを握って車を操縦する事が制御なのじゃ。
 様々な囚われによって制御し難い心も、修行によって心を制して囚われを払えるのじゃ。
 そうすれば制御もし易いのじゃ。

444鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/16(月) 21:10:29 ID:kaXJvxhM0
>>441 瞑想をするのじゃ。
 数息観などをするとよかろう。
 成功者の多くは瞑想の習慣があると言う。
 世間で成功するにも有利なのじゃ。
 やってみたらよいのじゃ。

>>442 そうじゃ、実践してみるのじゃ。
 またおいでなさい。

445そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/16(月) 21:38:05 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
>>439もお願いします。

446避難民のマジレスさん:2013/12/16(月) 22:05:53 ID:ncKanP4g0
静寂とか色々書いてる割には鬼に対する依存心が強すぎだな。

447避難民のマジレスさん:2013/12/17(火) 13:15:50 ID:9sUr3kKo0
>>443
鬼和尚さんありがとうございます。
何にも捕らわれないようにすれば、心を制御できる気がしたのですが、その二つには違いがあるのですね。

心を制御できるようになりたいのですが、数息観以外にも何か方法はありますか?
鬼和尚さんは、数息観で集中力がついてから観察をすると良いとおっしゃっていますが、
どのくらい集中力がついたかは、どうやって測ることができますか?
また、どのくらい集中力がつけば、観察に適する程になったと言えますか?

448避難民のマジレスさん:2013/12/17(火) 19:38:58 ID:wPQXVTUw0
言葉やイメージを用いない観察について質問です。
苦しみがあって、目を閉じてその苦しみを観察しようとしてみても苦しみはどこにもなく、体の感覚しか観察できません。
言葉とイメージを使った観察でしたら記憶を辿ったり連想したりして苦しみの原因を探っていけるのですが…
やり方に問題があるのでしょうか?

449鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/17(火) 20:20:58 ID:kaXJvxhM0
>>445 見逃していたのじゃ。すまんのう。
 >>439 感覚が乖離されたようじゃ。
 外からの刺激に自動的に反応する事がなくなったのじゃ。
  その静寂も更に深くなっていくじゃろう。
 更に進むのじゃ。

>>447 自分の心を観察し、囚われを少なくすると良かろう。
 囚われがあれば心は勝手に反応して制御が難しいのじゃ。
 観察して囚われを無くすのじゃ。

 時間を量ればよいのじゃ。
 10分ぐらい一つの事をやれれば十分なのじゃ。
 伝統的な教えでも第2禅までいければ観察して良いと言うのじゃ。
 観察による心の反応は直ぐに現れる故に、10分ぐらいで十分なのじゃ。

450鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/17(火) 20:27:34 ID:kaXJvxhM0
>>448 それで良いのじゃ。
 苦もまた肉体の反応として観察できるものであるからのう。
 苦があれば腹が痛くなったり喉が詰まるような感じがしたりとさまざまな反応があるものじゃ。
 それが観察できれば苦は観察できているのじゃ。

 原因を探すのは言葉とイメージを使ってよいのじゃ。
 言葉とイメージによる何らかの観念として囚われているのであるからのう。

451そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/17(火) 21:14:56 ID:hUDzEkKo0
>>449
ありがとうございました。

452避難民のマジレスさん:2013/12/18(水) 15:19:58 ID:sXV.DIYU0
>>449
鬼和尚さんありがとうございます。
何に心が捕らわれてしまうかについて、その時どきで観察してみます。

それから、集中力は10分でいいということで意外にできそうなので安心しました。
今は5分くらいしか続きませんが、がんばってみます。

集中の次の、観察のやり方について質問なのですが、座りながら10分間集中して数を数えられるようになったら、次は同じように目を閉じて座って、自分の心を観察すればいいということでしょうか?
でも、そうやってただ座っているだけでは、心もぼーっとしているだけなので掴み所がない気がするのですが、何か観察のためのちがうやり方があるのでしょうか?

453避難民のマジレスさん:2013/12/18(水) 16:36:53 ID:JXKkxHbE0
全てを空とか夢幻と観想することで、どうして(どのようなメカニズムで)悟りが得られるのですか?

454避難民のマジレスさん:2013/12/18(水) 17:48:26 ID:gOqWUDAs0
鬼さん人間は自分の体に密着して生活している殻だ。少しは余裕を持つて
身体から離れて観る事も必要なのですか。そうすれば少しは情けない
自分も見つめられる鴨。でも自分を攻めない性格の人なら安心鴨責める人は
如何なんだろう?私は責めない性格なのでそれは良くわからないし関係無いし
責めないで温かく見守れば良い鴨

455鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/18(水) 20:27:04 ID:kaXJvxhM0
>>451 どういたしまして、またおいでなさい。

>>452 心に苦があるならばそれを観察すると良かろう。
 原因を探し、原因から苦が起こることを観察するのじゃ。
 そして原因がなければ苦も起きない事を観察するのじゃ。
 そうすれば苦は消え、心の観察も上手くなってくるじゃろう。

>>453 簡単に言えば観念への囚われから解放されるからなのじゃ。
 人は自分と言う観念から自分のもの、他人のもの、自他のものではないものとか、様々に観念を抱えているものじゃ。
 その観念がある限り、己への囚われがあり、苦があり、悟る事は出来ないのじゃ。
 それを我見とか有身見とか言ったりするのじゃ。

 一切を空と見なせば我もなくなり、無我になり、無我を見る認識も去って真の悟りが得られるのじゃ。
 
>>454 そうじゃ、自分を客観的に観る事も必要なのじゃ。
 否定も肯定もせずに観られれば大きな進歩があるじゃろう。
 それこそが真の観察なのじゃ。

456そらいろ ◆EHlCk/f57s:2013/12/18(水) 23:44:45 ID:hUDzEkKo0
鬼和尚
坐っている間、爽快感を感じるようになりました。
脳内麻薬が出ているのかもしれません。

また、どうやらしばしの間何もしてなかったらしい、と気付きます。

457避難民のマジレスさん:2013/12/19(木) 03:46:26 ID:pwM0EAio0
>>455
幻想と見做す、というのは方法かもしれませんが、本当に幻想だった、と目覚めないと
自我からは解放されないので思い込みになりますよね。
自我に同化して自我がゆるせないものがあったとき、自分も他人も世界も幻想なんだ、
と見做そうとして板挟みになり心身ともに追い詰められました。
実際には幻想だと見做せていないからです。むしろ自我は絶対に幻想だと見做せないし
許せない、これを最後まであらわにしたことで、シフトがあったように感じました。
チャクラとかクンダリニーとか幻想だとか言いますが、実際に霊的状況が移行していく過程
を経なければ、幻想だという境地になれないのも事実です。はじめから目覚めている人以外は。

458避難民のマジレスさん:2013/12/19(木) 03:48:21 ID:pwM0EAio0
他の方の質問に横入りしてしまいました。

459避難民のマジレスさん:2013/12/19(木) 07:10:21 ID:JXKkxHbE0
457さんの発言について鬼和尚さんに質問です。
”めげずに何度も空と観想することで効果が表れる”という趣旨のことを
鬼和尚さんのブログで読んだ気がしますが、実際はどうなんでしょう?
自我が空を観想しても観念の遊戯で終わってしまうのでしょうか?

460避難民のマジレスさん:2013/12/19(木) 12:09:46 ID:7rD9T5220
鬼和尚、
実在と観念について、少し詳しくお教えください。
何か言葉で説明された時に、その言葉の指すものが、
実在なのか観念なのかを判断したいというのが、質問の意図です。

例えばリンゴは実在、社会は観念というように、言葉の
指す先のものが、五感によって認識できるものが実在であり、
言葉とイメージによって作り出されたものが観念であると
私は理解しています。

とすると法は、人が実践すべき方法と、正しく実践できた
場合に認識可能な結果が組になっているものと理解しているのですが、
これは、実在と観念のどちらでしょうか?
あるいは別のものでしょうか?

461避難民のマジレスさん:2013/12/19(木) 12:41:52 ID:q6nZMvw60
>>455
鬼和尚さん何度も質問に答えてくださってありがとうございます。
また質問させてください。すみません。
まだ観察のやり方が曖昧にしかわからないので教えてください。

観察する場合も、数息観をする時のように、毎日10分くらい時間をとって、目を閉じて座って、苦を観察すれば良いですか?
そのとき苦を感じていない場合は、何を手がかりにしたらいいでしょうか?

それから、昨日、苦を観察してみたのですが、体が苦しいことを見るだけで精一杯で、その原因がなかったことを想像するのはとてもできませんでした。
想像しようとしても、原因がなかった場合の心の状態をうまく実感できません。
どうしたら良いと思われますか?

462鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/19(木) 20:22:52 ID:kaXJvxhM0
>>456 快が生じてきたようじゃ。
 瞑想の味わいを楽しんだら良いのじゃ。
 世間を越えた喜びが感じられるじゃろう。

>>457 幻想の思い込みで良いのじゃ。
 それは観念を破壊する観念なのじゃ。
 真摯に行えば結果は出るものじゃ。
 途中で恐れを生じて逃避すると却って苦しいのじゃ。
 自我を放棄するまで行うが良いのじゃ。

>>459 何度も行えば確実に効果は出るのじゃ。
 むしろ途中で自分がなくなるとか、それで狂気に陥るとか思って止めてしまう者が多いのじゃ。
 効果がなかったとか言うのは大抵はそのような逃避が原因なのじゃ。
 本当に効果を知りたければ自ら試してみる以外にないのじゃ。

463鬼和尚 ◆GBl7rog7bM:2013/12/19(木) 20:40:16 ID:kaXJvxhM0
>>460 法とその結果は別といえるのじゃ。
 法とは観念を破壊するための観念なのじゃ。
 それ故に筏の喩えには法もまた彼岸に達すれば捨て去られるべきものとして説かれるのじゃ。

 法によって得た苦の滅や彼岸は感じられるものであるから実在といえるのじゃ。

>>461 修行として時間を取ってやるのも良いのじゃ。
 日常でも常に観察しても良いのじゃ。

 苦を感じていなければその時感じていることを観察すれば良いのじゃ。
 瞑想によって起こる快などを観察するのも伝統的な観察法として在るのじゃ。

 観察を続けていれば苦は減っていくのじゃ。
 苦を詳細に観察するだけでも半分はなくなっているのじゃ。
 やがて原因が無い事もよく観察出来るように成るじゃろう。
 全ての法は修行者が何度も繰り返し、自分だけのやり方を編み出していく事で身に付いて行くものじゃ。


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