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田母神氏問題
14
:
キラーカーン
:2011/08/01(月) 23:13:42
「反乱官僚」こと経済産業省の古賀氏が、最近、立て続けに著書を出版していますが、その内容は「政府見解」と一致しているわけではありません(だからこそ、古賀氏は、現在、官房付という「無役」(≒「座敷牢」)にあり、大臣から辞職勧告を受けた)。しかし、そのことについて、田母神氏の事例とは異なって、「辞職すべき」という声は大きくなっていません。ということで、理由を推測すると
1 古賀氏の言説も田母神氏の言説も法令違反(「政治的行為」規制違反)ではないが
−古賀氏の見解は貴重なので、現状では不遇をかこっていても退職させるべきではない(このままでは、左遷→勧奨退職という名の事実上の諭旨免職)
−田母神氏の見解は一面の真実を含んでいても、航空幕僚長としては不適切なので左遷→定年退職は至当(左遷→定年退職という名の事実上の諭旨免職)
2 古賀氏の言説は法令違反ではないが、田母神氏の言説は法令違反である
(1) 古賀氏の言説は「正義」だから合法だが、田母神氏の言説は「不義」であるので違法
(2) 古賀氏は文官(一般職)だが、田母神氏は自衛官なので、たとえ条文が同じでも適用基準が異なる
ということになろうかと思います。
上記「1」は、現時点での状態です。両氏とも懲戒理由には該当しないので、「説得」によってやめさせるしかないということです。もちろん、古賀氏を官房付という「座敷牢」ではなく、閑職に左遷するということは充分にありえます。現時点では、「やめてくれ」という退職への説得を上司や人事部門が行っているということです。
田母神氏の顛末も、制度的な構造は古賀氏の場合と同じです。ただし、田母神氏の場合は、年齢が60歳を超えていましたので、「定年」という要素が紛れ込んでしまったということになります。
いずれにしても、この両氏の事例が懲戒免職には該当しない(しなかった)というのは両氏に対する扱いを見れば自明のことでしょう。
上記「2(1)」が、現実のところ、一番大きい理由であると推測していますが、それは、報道・論説の「偏向」の問題であり、つまるところ「自分と同じ考えだから合法」、「自分と異なる考えだから違法」というレベルですので、制度論上、法律論上の論評に値しません。したがって、これで打ち止めです。
15
:
キラーカーン
:2011/08/01(月) 23:14:32
問題は、「2(2)」の場合です。一般職公務員(文官)と自衛官とでは条文上は同じでも、適用基準が異なるというのは妥当だと思う人も多いでしょう。しかし、法律学的に「何が自衛官は(文官と)違うのか」という立論は現代日本の憲法学・行政法学ではかなり困難を極めるはずです。ここで、思い起こされるのが、三島由紀夫の「遺言」とも言うべき、市谷での檄文の一節
警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず
です。
文官と自衛官とが「違う」という感覚の原点は、「文官(経産官僚)」と「軍人(自衛官)」との違いの類推でしょう。そして、この区別の根拠が、当人は意識していないにせよ、「統帥権」、「軍刑法(軍法裁判所)」、「シビリアンコントロール」(あるいは、「特別権力関係理論」)といったものに起因するのですが、現在の日本の憲法学(特に日本国憲法)においてはこれらの全てを事実上捨て去ってしまった現状にあります。
このような中で、自衛隊(自衛官)をどのように位置づけたかといえば、現行法制上、三島が檄文で指摘したように
警察の物理的に巨大なもの
となったのです(ただし、自衛隊創設当時、「特別権力関係理論」はまだその意味を失っていませんでした)。
このことは、海外派遣される自衛官の武器使用基準において、「警察比例の原則」といった警察官との比較論や類推が出てくることにも現れています。しかし、警察官は一般職公務員(文官)であり、現在の法体系上、警察官と古賀氏の「政治的行為」は同一の条文(国家公務員法)で規制されているというのは押さえておくべき事実でしょう。
したがって、自衛隊が「警察の物理的に巨大なもの」(≠軍隊)であるのが法制度的な建前(「通常の観念では自衛隊は軍隊ではないが、国際法上軍隊として扱われる」という内容の国会答弁は存在する)であるのならば、文官と自衛官(≒警察官)とを区別する垣根は法制度上存在しないということになります。
そして、現実にも、その鏡像として、条文上、文官も自衛官(自衛隊員)も事実上同一の条文(「コピペ」)によって規制されている(ただし、自衛隊員は特別職なので、国家公務員法ではなく、自衛隊法の管轄になります。)ということになります。そして、そのような状況である以上、警察官(文官)と自衛官とを区別する垣根も条文上は存在しないということになります。そして、そのことは古賀氏と田母神氏とを区別する理由をも消滅させることとなります(「政治的行為」を規制する法制度として、経産官僚=警察官=自衛官なので古賀氏=田母神氏、という等式が成立する)。
16
:
キラーカーン
:2011/08/01(月) 23:15:44
その様な現状において、一般職と自衛官との職務遂行上の違いによって適用基準を変えるということはどういうことを意味するのでしょうか。
A 自衛官は「暴力装置」の一員だから(経産)官僚とは異なる
この理由では、「暴力装置」の一員である警察官が一般職公務員(文官)として経産官僚(文官)と同一の条文で「政治的行為」が規制されているという現状の説明がつきません。また、他省庁のキャリア官僚と同一の試験を受験して防衛省に入った「背広組」が自衛官と(ついでに「防大校長」も含めて)同一の条文で「政治的行為」が規制されているということの説明もつきません。
B 田母神氏は航空幕僚長だから
職責によって、適用基準が変わるというのは一般論としては成立します。管理職はヒラ社員(ヒラ公務員)よりも思い責任があるので厳しく適用すべきというのも一般論として成立します。しかし、この場合でも、「航空幕僚長」という航空自衛官の最高位だったということであり、「事務次官だから」、「○○局長だから」という、一般職におけるそれと本質的に変わるところはありません。
つまり、自衛官だから、特別の服務基準に服すべしという命題が成立するためには、私が思いつく限り
1 自衛官=軍人
2 自衛官はその他の公務員と異なる特別の規律に服する(「特別権力関係」理論の復活)
という方策が考えられますが、この両者を現在の捨て去っている現在の日本の憲法学、行政法学がこれに耐えられるのか。現代の日本の行政法学第一人者といっても良い原田尚彦氏はその著書で
特別権力関係理論は、軍務において部下が上官の命令に従うという状況を典型的な例として導き出された理論であろう(記憶モード)
という旨の記述をしています。
17
:
キラーカーン
:2011/08/01(月) 23:17:05
私も、防衛法制とは何かということをつらつら考えていて、現時点における結論として
・有事においては、「法の支配」とは別の原理が支配する
・「軍令」、「統帥権」あるいは「特別権力関係」とはその「別の原理」の言い換えである
・軍においては、「法の支配」が妥当する平時においても「別の原理」が有効な領域がある
・この「法の支配」と「別の原理」を端的に表現した言葉が「ポジリスト」と「ネガリスト」である
・警察は飽く迄前者(「法の支配」及び「ポジリスト」)の領域にあり、軍隊は基本的に後者(「別の原理」及び「ネガリスト」)の領域にある。
・「軍政」は後者ではなく前者の領域に属する
ということだろうと思っています。
小室直樹が『新戦争論』喝破したように、シビリアンコントロールの客体は「軍隊」でしかありえません(警察に対してシビリアンコントロールとは言わない。憲法9条至上主義者がシビリアンコントロールを主張することは、論理矛盾以外の何者でもない)。それは、軍隊というものが、「法の支配」の枠外に存在するものということをその本質としているからであり、その軍を制御するのは「法の支配」ではなく「政治の領域における支配」(シビリアンコントロール)となるからです。
「法の支配」の外側の領域について法律学は沈黙せざるを得ません。しかし、日本国憲法はそのような【外側の領域】の存在すら認めていないというのが憲法学の多数説でしょう。このような状況で防衛法制、自衛隊どのように位置づけられようとしているのでしょうか。
経産官僚の「反乱」がなぜか、三島由紀夫の亡霊を市谷に召喚してしまったようです。
18
:
キラーカーン
:2011/08/01(月) 23:18:29
この辺りは「おおやにき」の
「due process (1)」(
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000573.html
)
「政治的行為」(
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000674.html
)
「政治的中立性(2・完)」(
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000627.html
)
が参考になると思います。
因みにブログ主の大屋名古屋大学准教授は基本的に上記「1」の立場です。
「まあこれで懲戒免職に持ち込むのは無理やなというのが、相場というものではあるまいか」
ただし、一般論として、一般職公務員と自衛官とで適用基準が異なる「2(2)」の可能性は否定していません。
自衛官という職務の特殊性から、たとえば上官に対する犯行や秩序紊乱、一般人に対する暴力の不当な行使といった行為類型についてはより重い処罰にするべきだという考え方は十分妥当だろう。あるいは、今回問題となった田母神氏が空幕長というまさに組織の模範を示すべき立場であったことを考えれば責任は重く、処罰もそれだけ重くなるべきだという考え方も適当であろう。(「due process (1)」)
新憲法において公務員もまた等しく国民であり従って基本的人権を享有すると考えてしまっているからである。戦前日本のように「天皇の官吏」は特別権力関係に入るので一般人民と同列ではなく従って基本的人権とか制約されても構いませんとか、イギリスのようにcivil serviceの構成員はCrown (個々の国王ではなく王権の象徴としての「王冠」)に雇われているので統治される側ではなく統治する側であり、従って当然統治される国民のための権利とか保障されるわけないんだぞという制度設計にすれば政治的行為を禁止することに何の憲法上の問題もないわけである。おおそうか菅直人氏は戦前の「天皇の官吏」へと歴史を巻き戻そうとしているのかぐんくつのおとがきこえるぞおおおお。(「政治的中立性(2・完)」)
自衛隊固有の職務に基づく制約に注意しつつも、基本的には人事院規則に関する議論が通用すると言って差し支えない。それはつまり、公務員にも政治的自由はあり、ただ職務の性質から一定の制限を受ける(「政治的行為」)
そして、繰り返しになりますが、現代日本の法律学(憲法学、行政法学)は、上述の理由から、この【自衛官という職務の特殊性】あるいは【自衛隊固有の職務に基づく制約】(そして、その根拠)について、沈黙を余儀なくされ、
警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず
という三島の檄文が虚しく響くだけという状態になるのです。
(ついでに言えば、「ミリオタ」系はこの「沈黙」について、概して無知あるいは無理解であり、「国際基準」で田母神「論文」問題を論じていた。「国際基準」という意味で彼らの理解は正しい。しかし、その「正しさ」ゆえに、日本国内においては「的外れ」な議論となっていた)
19
:
キラーカーン
:2012/04/02(月) 23:07:58
>>特別権力関係理論は、軍務において部下が上官の命令に従うという状況を典型的な例として導き出された理論であろう(記憶モード)
という一文は原田尚彦氏の「行政法要論」の第7版にあるのですが、先日古本屋で第6版があったので、該当部分を見たところ、上記の文章はありませんでした。
つまり、
第6版:2005年
第7版:2010年(補訂版は2011年)→第7版かその補訂版かは未確認
の間に、この1文を入れざるを得ない状況が発生したということです。
その事情はここにある「田母神氏論文問題」しかありえません。
推測するに、原田氏は田母神氏を 「クビ」 にすべきだと思っている。
しかし、それには、
特別権力関係理論を復活させる
自衛隊を軍として認める
という現代法律学が捨て去った2つの命題を復活させる必要があります。
しかし、それは、これまでの行政法学者としての自身(原田氏)の業績を
「無にする」ことに等しい。(田中二郎の時代まで戻る)
したがって、冒頭のようなもって回った言い方をするしかなかったということです。
その傍証として、冒頭の文章を書いたのにもかかわらず、原田氏は「特別権力関係」の例に、自衛官の命令服従義務を上げていません。
軍命服従が「特別権力関係」の典型例であるのならば、真っ先に考察すべきなのは、自衛官の命令服従義務のはずです。
それを華麗に 「スルー」 しているということも挙げられます。
その点について、名古屋大学の大屋准教授は自身のブログ「おおやにき」で皮肉たっぷりに
上記のようにぐだぐだと論じなくてはならないのは新憲法において公務員もまた等しく国民であり従って基本的人権を享有すると考えてしまっているからである。
戦前日本のように「天皇の官吏」は特別権力関係に入るので一般人民と同列ではなく従って基本的人権とか制約されても構いませんとか、
イギリスのようにcivil serviceの構成員はCrown (個々の国王ではなく王権の象徴としての「王冠」)に雇われているので統治される側ではなく統治する側であり、
従って当然統治される国民のための権利とか保障されるわけないんだぞという制度設計にすれば政治的行為を禁止することに何の憲法上の問題もないわけである。
おおそうか菅直人氏は戦前の「天皇の官吏」へと歴史を巻き戻そうとしているのかぐんくつのおとがきこえるぞおおおお。
(
http://www.axis-cafe.net/weblog/t-ohya/archives/000627.html
)
と書いています。
といっても、大屋氏はこの問題について、「配置転換の問題」 であって、
公務員の政治的行為と公務員の基本的人権の制限という問題ではない
という立場に立っていて、自衛官の自由権も問題については言及を避けています。
ただし、ブログを見る限り、大屋氏も自衛官と警察官とで有意な差がつけられる理論を持っているとは思えません。
20
:
キラーカーン
:2012/04/02(月) 23:16:37
補足です。
上の大屋氏の文は、どこかの省の事務次官か局長の発言に対して、「政治的行為」だという菅直人元首相の発言に対するコメントです。
24
:
キラーカーン
:2013/08/19(月) 02:01:21
先日、海上保安庁長官に「制服組」を充てるという人事がありました。
海上保安庁長官は従来、いわゆる事務系の「キャリア組」の指定席とされていましたが、その慣例が崩れたと言うことでも話題になりました。
この事例は、仙谷官房長官(当時)のいうところの「暴力装置」である警察(及び海保)と自衛官との越えがたい溝を示しています。
単純に言えば、
警察官と海上保安官は「文官」
自衛官は「武官」
であるということです。
事務系キャリアが海上保安庁に出向すれば、海上保安官になりますし、警察庁に出向すれば警察官になります。
しかし、防衛省の背広組が統合幕僚長になることも無ければ、その逆に、自衛官が事務次官になることもありえません。つまり、警察官や海上保安官と異なり、自衛官と「背広組」とはその本質が異なると言うことです。
上の投稿にも関連しますが、「文官」は行政機関の一員として「法治行政」の一角を担い、いわゆる「ポジリスト」によって、法律に書かれた任務「しか」できないこととなっています。しかし、「武官」は本来的に法治行政の「枠外」の存在として、「ネガリスト」方式によって、やってはいけないと法律に書かれてあること以外はやって構わない存在となっています。
(これが、「特別権力関係」理論が兵役を典型例としている本質的な意味。法治行政の枠外の存在に対する権利制限は法治行政以外の手段によってしかなされない)
もっとも、エジプトの例を見るまでも無く、軍(武官)というものは、政府を改廃する実力を持った集団であることから、「ネガリスト」で勝手気ままに振舞われても困ります。したがって、法律によって「ネガ」の範囲を局限させることによって、軍の自由裁量による行動の余地を可能な限り狭めると言うこととなります。
三島由紀夫は、このような試行経路ではなかったでしょうが、「警察力の巨大なもの」と自衛隊と評したことは、この警察と軍隊との本質的な差異を理解していたと言うことなのでしょう。
25
:
Emmanuel Chanel
:2014/01/26(日) 21:59:23
田母神氏が東京都知事選に立候補していますね。
ツイッターを見ているとこの人は不適格であるとして支持しない保守系の方がいますし、私自身、更迭
の件で擁護せず、言動もフォローしていないので、いいのか悪いのかという感じではあります。FBでは
田母神支持一色な感じですけど。(喋りが面白いのはよくわかりました。)
都民だったとして、真面目に不支持の方の意見に従い舛添氏にするかもという感じではありますけど、
不真面目な話としては、田母神氏が都知事になるのは面白いとか、支持キャンペーンが面白いとか
いう事は出来るなあと感じたり…
26
:
キラーカーン
:2014/01/28(火) 23:27:42
実は、住民票を移していないので、都知事選挙の有権者だったりする
27
:
キラーカーン
:2014/02/03(月) 00:24:18
というわけで、丁度東京に戻る用事があったので、
期日前投票をしてきました
28
:
キラーカーン
:2014/02/18(火) 00:32:52
都知事選挙も終わり、その結果について色々論評されていますが、田母神氏が60万票以上獲得したことが一番の注目の的であるのは間違いないでしょう。
桝添氏もどちらかといえばリベラルに分類される政治家であることから、いわゆる保守系からも票を集めたのは間違いないでしょう。
又、40台以下の若年層の得票率が高く、特に、20台では二位ということに「若者の右傾化」といわれています
あと、23区内の方が得票率が高くなっているということで、若い独身層に浸透したのでは、とも言われています。
私は、この結果が「サヨクの限界」か「ネトウヨの限界」か判断が着きかねています。
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