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田母神氏問題

24キラーカーン:2013/08/19(月) 02:01:21
先日、海上保安庁長官に「制服組」を充てるという人事がありました。
 海上保安庁長官は従来、いわゆる事務系の「キャリア組」の指定席とされていましたが、その慣例が崩れたと言うことでも話題になりました。

 この事例は、仙谷官房長官(当時)のいうところの「暴力装置」である警察(及び海保)と自衛官との越えがたい溝を示しています。

 単純に言えば、
 警察官と海上保安官は「文官」
 自衛官は「武官」
であるということです。

 事務系キャリアが海上保安庁に出向すれば、海上保安官になりますし、警察庁に出向すれば警察官になります。

 しかし、防衛省の背広組が統合幕僚長になることも無ければ、その逆に、自衛官が事務次官になることもありえません。つまり、警察官や海上保安官と異なり、自衛官と「背広組」とはその本質が異なると言うことです。

 上の投稿にも関連しますが、「文官」は行政機関の一員として「法治行政」の一角を担い、いわゆる「ポジリスト」によって、法律に書かれた任務「しか」できないこととなっています。しかし、「武官」は本来的に法治行政の「枠外」の存在として、「ネガリスト」方式によって、やってはいけないと法律に書かれてあること以外はやって構わない存在となっています。
(これが、「特別権力関係」理論が兵役を典型例としている本質的な意味。法治行政の枠外の存在に対する権利制限は法治行政以外の手段によってしかなされない)

 もっとも、エジプトの例を見るまでも無く、軍(武官)というものは、政府を改廃する実力を持った集団であることから、「ネガリスト」で勝手気ままに振舞われても困ります。したがって、法律によって「ネガ」の範囲を局限させることによって、軍の自由裁量による行動の余地を可能な限り狭めると言うこととなります。

 三島由紀夫は、このような試行経路ではなかったでしょうが、「警察力の巨大なもの」と自衛隊と評したことは、この警察と軍隊との本質的な差異を理解していたと言うことなのでしょう。


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