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死について

1管理者:2009/03/16(月) 14:47:00

新しいスレッドの提案が有りましたので立ち上げます。提案文は以下の通りです。

hage 投稿日: 2009/03/16(月) 13:07:35
2ちゃんねるのあるスレッドで、少し議論したのですが、「人間の死」についてのスレッドはありますでしょうか?
犀角独歩さんのおっしゃる、「死への過敏症」についても聞きたいですし、皆さんの「死」についての思いを聞いてみたいです。

2問答迷人:2009/03/16(月) 15:00:58

凄いスレッドが立ちましたね。人間として生を受けた以上、どうしても避けて通る事の出来ないテーマ。

宗教がこのテーマに対して、もし適切な答えを出せなければ、その宗教はその存在意味が疑われますね。当掲示板に於いて、このテーマに関して活発な議論があらゆる観点からなされることを期待してます。

アカデミー賞受賞の「おくりびと」もまさしく、死を真正面から捉えた大作で有ったと思います。当掲示板でも、納棺師の方が以前書込みをしてくださっています。人としての尊厳を維持して死を受け入れたい、誰もがそう願うのだと思います。「おくりびと」受賞によって、その願いに真正面から取り組む納棺師の方々に対する評価が国内でも一気に跳ね上がり、そういう文化を持つ日本に対する評価も一気に上がった思いました。

3hage:2009/03/16(月) 16:01:15
スレを立てて頂きまして、ありがとうございます。

「先ず臨終の事を習うて、後に他事を習うべし」

皆様は「自分の死」「家族の死」「他人の死」について直視することありますでしょうか?

4問答迷人:2009/03/16(月) 16:06:57

【死を素直に受け入れる事】について

僕は「おくりびと」を見て、納棺師の執り行う納棺の儀式が、亡くなった方の尊厳の維持に対する他者の介添えなんだと思いました。

そして、もう一方、死を迎える者自身が、自分自身の尊厳性を維持するにはどうすれば良いのだろうか、とも思いました。

宗教が人にとって必要であるとすれば、この事こそがその最重要課題であることは間違いないことだろうと思います。

その答えは、自分自身が死を素直に受け入れる事が出来れば、それこそが究極の尊厳性の維持なんだろうと思っています。

犀角独歩さんが、「死への過敏症」について、ブログに書いておられました。僕自身、過敏症なのかそうでないか、判りませんが、死を迎えた肉親を目の当たりにする時(先日、妻の父が87才で亡くなりました)、自分にも何時かその時がやってくることを強く意識させられます。そして、死を迎える自分自身を想像すると、やはりそれは大きな恐怖であることは疑う余地が有りません。今現在では、死を素直に受け入れる準備が何も出来ていない事を悟らざるを得ません。

必ず死が訪れる以上、素直に死を受け入れることが出来る事が、やはりどうしても必要なのだと思います。僕にとって残された時間はそう長くない。最長でも50年後には、この世に居なくなっていることは間違いないことです。それどころか、それが明日かも知れないからです。

5孤独な迷子:2009/03/16(月) 19:08:54
一昨年心筋梗塞で緊急入院しました。
二週間ほどICUに入れられ、一ヶ月ほどで退院できましたが、かなり危なかったようです。
治療中に麻酔のせいかもしれませんが、大きな河があり、向こう岸がとてもきれいな光景を見ました。
「今度再狭窄したら危ないですよ。」と医師に宣告され、「死」と隣り合わせに生きています。
「死後」はどうなんだろうと、よく考えてしまいます。誰にもわからないことでしょうけど・・・。

6問答迷人:2009/03/16(月) 19:23:00

孤独な迷子さん

今晩は。

>「死」と隣り合わせに生きています。

それは大変な事でしたね。お大事になされて下さい。僕も持病の高血圧があり、この冬は、薬を飲んでいるのに160-120などという恐ろしい数字が出ていました。今は小康状態で普通に暮らしていますが、降圧剤は毎日手放せません。

>大きな河があり、向こう岸がとてもきれいな光景を見ました。

記憶を辿って、出来るだけ詳しくその光景を教えていただけませんでしょうか。よろしくお願い致します。

7再挑戦者:2009/03/16(月) 19:41:26
 

 、、、。
 ご免です、、。
 イヨイヨ、、真打のご登場の実感 です、、。 ご期待 致します、!

8犀角独歩:2009/03/16(月) 20:46:38

hageさん、追って語り合いたいと思います。

問答名人さん、新スレ、有り難うございます。

孤独な迷子さん、お久しぶりですね。

再挑戦者さん、わかりやすい文章でお願いしますよ。

9空即是進化:2009/03/16(月) 21:05:52

 「永遠の生命」???。学会流の生命論が全く相手にされてないってことかな。学会OBが多いのに。
 釈尊は《無記》ということのようで。
 これまで、「死」についての考察が少なかったこと自体が、ある意味不思議ですね。

10再挑戦者:2009/03/16(月) 21:09:12

 イヤー、、大先輩 殿から 「 クギを ? 刺されましたのは ウレシー!! です ヨ、、」、、 今後とも
 小生の 方 こそ よろしく、、、「お頼み、」、です  。  失礼をば 致しました、です。

11ひきこもり:2009/03/17(火) 00:43:48
死は最終的な終焉ではないと思います。原因がなければ結果はないのですから。

宇宙生成にしても、現代宇宙観は聖書、キリスト教、イスラム教、神道に毒されて
います。特に神道が酷いです。

12幻論乙坊:2009/03/17(火) 11:20:15
死は不可避なんですが、ここでの死と言うのは生命その物、固体の滅亡を指しているのではないのでしょうね。
死の恐怖は人間だけに存在するのではないかと考えています。
(他の動物と知的コミュニケーションを図る事の出来ない現時点における人間の手前勝手な論理ですが)
死の対極にある生より死を少し語らせてもらいます。
私達、人間は何らかの意味付けをしなければ立ち往生し、一歩も前に進む事が出来ません。
この様な言動に至ったのは、これこれこう言う理由であるとか。
こちらよりあちらを選択したのは、かくかくしかじかを考慮した為である。
等といった具合に意味付けを要す。
「ただなんとなく」と言う場合もあるじゃないか!
と言う声が挙がりそうですが
「ただなんとなく」と言う意味を貼り付けているのでしょう。
人間は生きるにも意味付けが必要で、自分はこの世で生きるに値する物であると言うものを見出さなければ生きていく事が出来ないと考えます。
良く言われる「生き甲斐」ですね。
生きるに値する何らかの理由を見出さなければ心の安定感が得られない。
肉体の消滅も恐れはしますが、人は植物人間や脳死状態に自らが陥る事も恐れます、これはその状態に生き甲斐を見出せないからでしょう。
他人から見れば下らない、なんてなんてみみっちい取るに足らない内容であってもその人にとってこの世に自己を保つだけの意味付けであればよいのです。
一方、死(固体の滅亡ではない)はそこに意味付けが見出せない、見出せないと心がいつまでも不安定であるから恐怖を覚えるのだと考えます。
ですから、死に意味付けを有す自殺は経験をしていませんが他の死よりも恐怖感が少ないものと考えています。
多くの自殺は人生に絶望したと言ったケースなのでしょうがこれも絶望した。
と言う意味が付されています。
自己の自尊心や名誉や美の為に自ら生を絶つ人も存在しますね。
死に対する捉え方も時間空間的に異なるのでしょうが、死の恐怖とは生存中に満足いく生活を送れなかった、後悔が残った。
未来においてその悔いを何とか埋め合わせたい、その為に人間は未来を創りあげたんだろうけれども、その未来が絶たれたので恐怖を覚えるんじゃないでしょうか。

是全幻想

13顕正居士:2009/03/17(火) 19:11:58
死のソリューションとしての永生

これには社会的と個人的の二方面があります。何らかの著作物を残しそれが古典となった場合、
社会的永生が得られます。我々は身近な人以外はその人または他人の著作物を通して人格に
触れます。著作物とは直接に対話はできませんが、今後はそのような工夫も可能になるでしょう。

個人的の永生は脳または身体全部の情報をスキャンして磁気記録とし、現実あるいは仮想の
身体を付与すれば人格を再生できるでしょう。定期的にスキャンし、不幸に交通事故で死亡した
場合に再生したとします。その人の社会活動は継続し、他人にとっては本人と変わらないだけで
なく、再生者は記憶に一部断絶があるけれども本人だと自覚するでしょう。

そう自覚しても再生者はやはり本人ではない。ここに真の個人的永生の問題が残りますが、
シミュレーテッドリアリティの中のコピーを生前に起動しておき、本人と記憶の共有を行っておけば
解決できそうです。

14問答迷人:2009/03/17(火) 19:26:57

幻論乙坊さん

>人間は未来を創りあげたんだろうけれども、その未来が絶たれたので恐怖を覚える

なるほど。人間には【未来と言う観念】が有るから、死を認識する事が出来る、そして、死の時点で未来が絶たれるから、そこに恐怖を感じる、そういうことですね。

ただ、人間は死を知ってしまった以上、果たして、死の恐怖から逃れる事が出来るのでしょうか。それこそ、未来の観念を失ってしまえば、死を恐れる事は亡くなるでしょうが、それでは人間としての尊厳を保つ事も出来なくなるのではないのでしょうか。

限りある人生を、限りあるものと自覚し、そこに、如何に生きるべきかと言う意味づけをする事が、人としての生きるあり方なんだろうと思います。そして、死をもその意味付けの中に取り込んでしまう事に成功すれば、精神的な意味での死の恐怖は克服されるのでは無いかと思います。

取り留めのない書込みで申し訳有りません。御叱正下さい。

15顕正居士:2009/03/17(火) 20:47:22
復活、天国、転生と永生

ユダヤ人はギリシャ人、ローマ人、日本人などと同じく一世説*でしたが、ユダヤ教から派生した
キリスト教は世界の終末*にすべての人がいったん復活すると云います。
現代的に表現すれば、全知の造物主はすべての人の脳と身体の記録を保存しておくことができる。
しかし復活者は死者のコピーではないのか?死者本人というには死の記憶がなければならない。
本人問題の自覚はあったかのか否かはわかりませんが、中世の神学では世界の終末まで死者の
霊魂は天国や煉獄にとどまるとする。これは現実の身体を付与するまでシミュレーテッドリアリティの
中で記憶の連続を保持することといえます。
インド人、スリランカ人、チベット人は転生(三世説)を信じ、仏教国にはこの影響が及んでいます。
インド教徒と仏教徒は行為とその結果について客観と主観の二重の解釈をするので転生説には
さまざまな矛盾があります。けれども記憶を維持しながら意識が別の身体に転生することは将来は
可能でしょう。
復活、天国、転生は古代以来の永生についての基本的なアイデアであったといえるでしょう。

*明治の仏教学者島地大等は諸民族の死生観を一世説、二世説、三世説に分類した。
*最後の審判。ペルシャのゾロアスター教に由来する。

16孤独な迷子:2009/03/17(火) 22:07:39
問答迷人さん

ご無沙汰しています。また参加させて頂きます。

>お大事になされて下さい。

お気遣い有り難うございます。問答迷人さんもお身体をお大事にして下さい。

>記憶を辿って、出来るだけ詳しくその光景を教えていただけませんでしょうか。

当時はとにかく心臓のあたりがとても痛くて、記憶も断片的ですが、救急車で病院に運ばれすぐに検査されました。
そして急性心筋梗塞と告げられました。その次に覚えているのは、処療台の上で治療されている時でした。その時も痛くてうなっていましたが、痛み止めか何かを投与されたのでしょう、急に痛みがなくなり、身体も軽くなったように感じました。その後に「川」が見え、向こう岸はとてもきれいでした。暫くして、また痛みを感じるようになり、同時に医師や看護士さんたちの声が聞こえてきました。痛くて身体を動かしていたら、「動かないで。もう一本入れよう。」と聞こえ、その後再び痛みがなくなり、フワッとした感じになり、もう一度同じ光景を見ました。その時直感的に「向こう岸に渡ったら危ない」と思ったのを覚えています。その後気づいたらベッドの上でした。母親や妹に後で聞いたことには「最悪のこともあり得ます。」と言われていたようです。

これで参考になりますでしょうか。



犀角独歩さん

>孤独な迷子さん、お久しぶりですね。

こちらこそご無沙汰しております。
またいろいろとお聞きすることがあると思いますが、今後とも宜しくお願い致します。

17hage:2009/03/17(火) 22:08:47
私は、実際にできるかどうかは別にして、
地獄に墜ちようと、寂光浄土に参拝できようと、死後の世界が無かろうと、輪廻転生しようと、何がどうあろうと、
全て御法様におまかせしきれば、恐怖も何も無いのだろうなと想像しています。

18顕正居士:2009/03/18(水) 00:35:08
死のソリューションはいつ頃か?

GNR革命と人間の寿命延長の可能性 http://tyeestyle.blogspot.com/2008/06/gnr.html

『2001年宇宙の旅』(1968年)の未来予測と今日の現実を比較するとコンピュータの普及は予想を
越えるが、宇宙開発と人工知能の発達はいささか停滞しているように思えます。カーツワイル氏の
21世紀半ばの技術予測に不安があるとすれば基礎となる人工知能でしょう。また今後の科学技術
の発達を制限するのはもう一つ人類の寿命です。
惑星グリース581C http://beiryu.exblog.jp/5228766/ は地球から20光年の近くにありますが、
現在のロケットの速度では到達に数十万年かかります。これでは探査船計画すら立てられません。
宇宙探査には飛行速度を上げるとともに人類の寿命を宇宙サイズに近づける必要があるでしょう。
Genetics、Nanotechnology、Roboticsの最初のGが数十年でどのくらい発達できるでしょうか。
しかし寿命を倍ていどに出来ればその間に技術が進歩し、次には10倍にできるかも知れません。
10倍にできればそのまた次には半不老不死ができないとはいえませんから、前世紀終わり生まれ
の人には永生の可能性はかなりあるかも知れません。

19幻論乙坊:2009/03/18(水) 01:55:01
問答名人さんからお言葉を投げかけられるなんて光栄です。
今晩は

問答名人さん、からお言葉を投げかけられるなんて光栄で心拍数が上がった状態で書き込んでいます。
ここのところ年が年なので、心臓が弱っていて伝えたい事が最後まで記すことが出来るかとても不安ですが
なんとか頑張ってみます。


>死の恐怖から逃れる事が出来るのでしょうか。

逃れられないのだろうと考えています。

>それこそ、未来の観念を失ってしまえば、死を恐れる事は亡くなるでしょうが、

未来を失する事はパックとして、漏れなく過去も現在も失する訳ですね。
詰まり過去・現在・未来と言う時間の概念が無くなる訳ですから、その時点で人間という動物も
この世から無くなるんじゃないかと考えます。

>それでは人間としての尊厳を保つ事も出来なくなるのではないのでしょうか。

そうですね。
私達、人間は心の安定だけでは生きていく事が出来ず、生き甲斐や人間としての自尊心や尊厳が必要なのでしょうね。
ではどうして、人間は自尊心や尊厳が必要になったんだろう?
と考えたりしている訳なんです。

>限りある人生を、限りあるものと自覚し、そこに、如何に生きるべきかと言う意味づけをする事が、人としての生きるあり方なんだろうと思います。

ええ、良く言われる事で理解できます。
「限りある人生を、限りあるものと自覚し、」とは、どうして限りがり、自覚に至ったのか?
と言う疑問は在りますね。
ここは宗教の掲示板で余り深く(唯幻論を語るのは)入り込むのは場違いか?
とも思いますので止めておきます(何を言っているのだ知識[言葉]を有していないのだろう!
とお思いの方も多いのでは?図星です、生兵法はなんとやらです)

>如何に生きるべきかと言う意味づけをする事が、

意味付けをしなければ生きていけないのが人間だと考えている訳です。
この有限のにおいて私という個の何らかの成果と言うか?足跡というか?
先に挙げた後悔をしたくない訳ですね。
他の動物のように意味付けが必要なければ越した事とはないのだと考えています。

>人としての生きるあり方なんだろうと思います。

ではなくて、人間だからそうならざるを得ないんだろうと、私は捉える訳です。
しかし、この部分が非常に重要なんだと愚考致しているしです。

>死をもその意味付けの中に取り込んでしまう事に成功すれば、
精神的な意味での死の恐怖は克服されるのでは無いかと思います。

そうでしょうね。
死への意味付けは既に私が挙げたもので自殺が在りますね。
ただ多くの文化で自殺はタブー視されていますから人間は容易く自殺は出来ない。
「死に甲斐」と言う語がかつての日本においては(大東亜戦争以前まで)存在したようですが
現在の日本においてはいかほどの言語としての力を有しているでしょうか?
ほぼ死語の様相を呈していそうでが、中東辺りでは「死に甲斐」が結構存在していそうですね。

こんな言葉があります。
人間が「生きがい」を求めるということが、人類にもっとも大きな被害を
及ぼす行動なんです。
生きがいを求めずに生きられる人間がいるとすれば、最も平和的な、
人に迷惑をかけない人間なんですよ。(幻想を語る 岸田秀 青土社)

是全幻想

20問答迷人:2009/03/18(水) 12:42:11

孤独な迷子さん

誠に有難う御座います。経過が良くわかりました。もう少し質問してもよろしいでしょうか。

>「川」が見え、向こう岸はとてもきれい

〇 大きな川と言うのは、向こう岸が良く見えるのですから、50メートルくらいの川幅だったのでしょうか。或いは、もっと幅が広かったのでしょうか。

〇 その川を見ていらっしゃった角度はどのようでしたか、川岸辺りから見た光景だったのでしょうか、高台から見渡したような光景だったのでしょうか。

〇 向こう岸がとてもきれい、というのは、花が咲き乱れているような、お花畑が向こう岸にあるような感じでしたか、それとも、岩や木々の有様がとても綺麗だったのでしょうか。

よろしくお願い致します。

21問答迷人:2009/03/18(水) 13:07:31

幻論乙坊さん

>ではどうして、人間は自尊心や尊厳が必要になったんだろう

それは自分自身を客観視する能力を身に付けたからだと思います。又、客観視できるからこそ他者の死を見て自分も死ぬ存在なのだと理解するのだと。

>中東辺りでは「死に甲斐」が結構存在していそうですね。

『葉隠れ』の武士道では有りませんが、僕は「『人生』とは死ぬ事と見つけたり」と言うのが、精神的な死への恐怖を克服する道ではないかと思っています。そして、その先に仏教の南無、釈尊と法華経に命を奉ってしまうということがあるのではないかと。

23幻論乙坊:2009/03/18(水) 18:31:38
問答迷人さん
こんにちは。

先ず、HNの打ち間違い大変申し訳御座いませんでした(謝)

>それは自分自身を客観視する能力を身に付けたからだと思います。

と言う解釈を宜しければもう少し詳しく解説していただけますでしょうか。

>客観視できるからこそ他者の死を見て自分も死ぬ存在なのだと理解するのだと。

同感です、近しい人の死を見て自分も何時は死ぬのだと覚えるんでしょうね。
又、これはどうでしょう。
死の対極に生が有る訳ですね。
死が有ってこその生ですから、死が無くなれば生も無くなる、そうなると生きていても生の実感が得られなくなる事でしょう。
自分は何時かは死ぬんだと認識していなければ活力のない生に成ってしまうんじゃないかな、死を意識する事に拠って充実した生を送る事が出来る。

>僕は「『人生』とは死ぬ事と見つけたり」と言うのが、精神的な死への恐怖を克服する道ではないかと思っています。

同じような事を岸田秀氏が述べています。
「死を否認すればするほど、死から逃げようとすればするほど死は怖くなるものである。
いつか死ぬ自分というものをきちんと知って、思い描く。
そのうち死ぬんだと自覚しておく、明日死ぬかもしれなといつも考えておくことしか死
の恐怖を克服する術はないかもしれない。」(「哀しみ」という感情 岸田秀 新書館)

24再挑戦者:2009/03/18(水) 22:11:52
、、、。
 諸賢さまの、、言々は 誠に、、スッゲー、、です。

 ウマシカのクラスの ドアホの 小生の感じを 言わせて 下さい、、。

 、、、「ワシなどは、 アッ、、と 気が着いたら、、ヒト として 生きておりました、、」、、です。

 その、生きていく 根本には ?? かが、? 必要、? と 期待した方も 御在りでしょう ネ !?

 しかし、、「生命が、 断絶 するのか、? 連続 ? するのかは !!?」、でしょうか ?

 また、「、、仏の境涯を知らしめたい、と、願った、教主の釈尊様の、、カネアイも、?・」、、でしょうか、??

 これから、、も 「、、アッ、、と、、、気が着いたならば、、ソコイラノ、、ノライヌ〜〜ノラネコ〜〜に ”生”、、」を受けることも、、否定は不可能、、でしょうか、!?


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