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つぶやきすれっど2
1
:
管理者
:2002/12/15(日) 15:25
つぶやきすれっどが、1000レスを越えて、使えなくなりましたので、新たに、つぶやきすれっど2を立ち上げました。よろしくお願いいたします。
何となく、普段からフツフツと感じている事を、ここに書き込んでみて下さい。
このスレッドは、独り言、ボヤキですから、会話、議論の応酬は避けましょう!
本音、弱根を、思う存分サラしてみましょう!
2
:
問答迷人
:2002/12/16(月) 16:47
112020 ゲットしました。
3
:
犀角独歩
:2002/12/17(火) 23:31
皆さん、特定の個人の顔色、気にしながら投稿するのはやめよう。
4
:
犀角独歩
:2002/12/19(木) 05:24
言うまでもないことですが、誰が何を信じようとそれは自由です。その勧誘をすることも自由でしょう。しかし、反面、信じないと言うことも自由です。勧誘に反対することも自由です。
また、集団の功利面を主張するのも自由です。しかし、反面、被害に遭ったら、それを主張することも自由です。
正しいと思えば進めればよいし、間違っていると思えば止めるのも自由です。
また、進められた断るのも自由ですし、止められたら、「止めるな」というのも自由です。
ただ、ここは特定集団の、例えば顕正会、法華講などの、翼賛掲示板ではありません。
各人の発言に抑止を加えるのはやめていただきたいと思います。
5
:
やーこ。
:2002/12/19(木) 06:40
ちょっと待て。独歩さんのおっしゃる意味が微妙に違うのでは。
名前や、どのレスやスレがとはあえて言いませんが、自分の立てた某レスにおいて、ある立場のお二人がレスされなくなったようですが、それには自分を含む何人かが「やりすぎ」と思えるレスをした記憶があると思うのです。
二人ともある会員で、うち一人がもう一人を心配される立場なのですが、「まずご自身を心配すれば」等のレスがあった事等、それから某スレ、ある方が組織の会合でOFF会に参加出来ないレスに対し、「まだそんなことしているのですか」「いい子ぶり」等のレス
6
:
やーこ。
:2002/12/19(木) 06:45
(続き)(これには後で両者間でメールで解決したようですが)等です。また自分にもそういう雰囲気があった点。反省すべきだと思います。顔色をうかがうのではなく、立場を考えて投稿しよう。そういう事です。
あまりにもひどい!のでぶちぎれレスです。
7
:
ガンコ
:2002/12/19(木) 08:45
さーすが、やー古参。
でも、わたくしは大丈夫です。顕正会員はそんなにヤワじゃありませんって。
逆に、だからこそ皆さんは厳しく接して下さるのでしょう。
しばらくしたら復帰するつもりです。
わたくしの大先輩もムダな論争を避けただけで、またそのうちお出ましになると思います。
8
:
犀角独歩
:2002/12/19(木) 09:46
やーこさん、ガンコさん、だから、あなた方、何を言っているのですか。
私にも書く権利があります。こういう下らない応戦はしないでください。
だいたい無駄な論争とは何ですか。
また、個人が接する掲示板で、「大先輩」とはいったい何のことですか。
私が書いて、言い過ぎであるとそこで感じたのであれば、そこで私に直接、その本人が記せば、よいでしょう。
あなた方から横から言われる筋合いはありません。
そもそも、ここは論考の場なのに、論争とは何ですか
私は顕正会と論争しているつもりは毛頭ありません。
組織を背負って、議論するのはお門違いでしょう。
9
:
犀角独歩
:2002/12/19(木) 10:03
つづき
私が批判したという一人は、富士桜さんのことであるのはROMの人もわかります。
であれば、過去のROMを追ってもらえばよいのです。
私が石山の30万登山等において、単なる労働力にされているだけである、それは信心とは関係のないことであると、どれだけの時間と文章量を割いて書いてきたか、あるいは個人的に受けた電話、メールでもその点については、何度となく記してきました。
その結果、ご本人が「わかりました」という返答をもらっていた。
それなのに、それまで、長い時間と文章量、電話などを通じて話し、納得したという本人が、そんな私とのやりとりがなかったような投稿をすれば、「まだやっている?」という驚きの返信になるのはむしろ当然のことです。
それを、その言葉尻をとらえて、云々されるのは片腹痛いというものです。
まあ、過去のたくさんの投稿を読んでいない人、読んでも左の耳から右の耳に抜けてしまう人には、自分の気に入らない言葉だけが残るのでしょう。そして、当人すら、「反省」と言ったことを脇でケチをつけるわけです。だから、私は言われる筋合いはないと言うことになります。
また、もう一人のことはいったい誰のことを指しているのか、私は思い出せませんが、その人は、ポッと出たところで、私は言うようなことを記したのですが、それとも、それ以前に長い議論が合ってのことですか。どちらなんでしょうか。
仮に長い議論の末の発言であれば、その経緯を無視して、一つの言葉尻だけをとらえて云々することは言われなき批判であると記しておきます。
あと、その「大先輩」とやらは、ガンコさんにかばわれるその人物は誰のことでしょうか。実名(HNですが)挙げて、明示してください。でなければ、私のほうも応じようがありません。
10
:
犀角独歩
:2002/12/19(木) 10:05
9の訂正
誤)私は言うようなことを記したのですが、
正)私は言うようなことを記したのですか、
11
:
五月雨
:2002/12/19(木) 11:31
>「まずご自身を心配すれば」等のレスがあった事等…
これは私へのご批判でしょう。私がアヤエさんへ記したものです。
彼女はご自身が顕正会員だということを仰らずにこの掲示板へ書き込まれていました。全くの第三者の立場からの物言いでした。言われないから知りようも無かったのですが、私はカルト信者だったという観点から、お友達を案じる彼女に対するレスを書いていましたが、実際は顕正会員だった訳です。ただ入会しただけで、ご自身は顕正会員のご自覚も無かったそうですので、第三者的な物言いは当然だったかとは思います。だけれども、顕正会に入会したという事実はあるわけですし、それはまた違った問題を生むように思ったのです。アヤエさんご自身がまた顕正会に巻き込まれてしまう懸念です。
カルト問題にお詳しい社会心理学の西田公昭先生はこう警告されています。
『軽はずみな接触
多くの人は「やってみなきゃあ、わからない。とりあえず、経験してみてからでも遅くない」という軽い気持ちで接触してゆくが、それは非常に要注意なのである。』
アヤエさんへのレスに書きましたが、私は学会員の時にまた法華講でもそうでしたが、「活動家」を増やす活動をしていました。顕正会でもそんな活動があるのではないか、そう思ったのです。アヤエさんの場合もとりあえず入会した事実、そして顕正会員のお友達との接触があるのですから、
アヤエさんも顕正会から言葉巧みにもう一度誘われて「活動家」にされる恐れは十分にあると思って「まずご自身の心配をするのが先決」と書いたのですが、それが批判に映るとは思いませんでした。
カルト宗教に入るのも入らないのも信仰の自由でしょうね、だけれどもそれでご自身の人生を無駄にはしないのでしょうか。
私は無駄にしました。21年の時間を無駄に費やしたのです。家族まで巻き込んでしまいました。その後悔がここの掲示板で書き込まれる「ご自身の信仰に悩まれる方へ」のレスになるのです。自分では体験者としての忠告のつもりです。
真偽未決書ですが「佐渡御書」の一節に
「今謗法の酔さめて見れば、酒に酔る者父母を打て悦しが、酔さめて後歎しが如し。歎けども甲斐なし、此罪消がたし。」
私の発言は先に酔いが醒めた者としての発言のつもりなのです。私は組織の実態をあげつらうばかりで先に進まない議論に対して、たしかに教義で議論すればと意見したことがあります。でも議論するなとは言ってません、誰にも掲示板での節度ある個人の発言を封じる権利などないと思っています。
私もこの掲示板で石山のまやかしを教えて頂いたひとりです。石山の大嘘振りには本当に傷付きました。関西弁でいうならば「一体何やったんや」という感じです。でも「“真実”に対して正直」でなければなりません。何故なら日蓮聖人のお教えを信じている信徒としての姿勢だと思うからです。道に外れた組織信仰に陥っている現代の日蓮信者を見て祖師はどう思われているでしょうか。「わしはそんなことは言ってないぞ」と言われているのではないでしょうか。
石山から聞いた日蓮聖人の教えは、本当の日蓮聖人の教えでは無いですから、真実の日蓮聖人のお教えについて、独歩さんと問答さんに教えて頂きたいと願った次第です。
また、組織から日蓮聖人を見るのでは無くて、日蓮聖人から自分の所属する組織を見ることで真実が分ってくるようにも思っています。
取り止めの無い事を書きましたが、そんな気持ちを込めてのいままでの私のレスです。
12
:
やーこ。
:2002/12/19(木) 19:25
こんなくだらない事でパケ代を使いたくはありません。
自分は、言い方が悪かったみたいですね。私が北朝鮮や戦争についてまたは各組織については一部の人に配慮をかけたものだと今感じておりますし、以前のレスも少しは考慮しての事です。
しかしメールのやりとりはロムしている方にとっては分かりにくいですし、私が指摘した発言というものはそれぞれ、単体のみで力を発揮し、確実に人を傷つける言葉だととらえます。
私自身過去にいじめを受け、またいじめられた方の相談に数多く素人風でのってきました。(続きはあとで)
13
:
やーこ。
:2002/12/19(木) 19:43
(続き)そんな私から見れば、まだやっているのですか→時代遅れをからかうことば、いい子ぶり→いじめの台詞の定番、自分の心配をしたら→若い女性や女子中高生にみられるからかいの台詞、ということです。私含め富士門流信徒は、御書や機関誌の暴言(教学に詳しいらしい学会員の指摘がありました)慣れしているので知らず知らずのうちに使ってしまう癖がある。要するに、内容としては認めるが相手と言葉を選べ、ということです。もっと別の言葉を使いませんか。それに、富士桜さん同様、進んで参加する人を支える者のひとりでもありますし、
14
:
トゴシ
:2002/12/19(木) 19:47
アレアレ、ほかんとこで「ここは被害者の会運動促進の掲示板ではあ
りません。以上」て、人を批判していた人が「いじめられた方の相談
に数多く素人風でのってきました」というわけ?
被害者運動の促進運動はだめで、いじめの相談経験はよいの?
自分勝手だな。それにあんたの言葉も十分に人を傷つけているんじゃ
ないの。
自分で言い出して「こんなくだらない」とかいうのも最低じゃん。
くだらないというのはレスした相手をくだらないといっているわけだし
さ。そういう自分のことはぜんぜん見えてないよねえ。
15
:
トゴシ
:2002/12/19(木) 19:49
富士桜さんて人は、あんたにかばってもらわなきゃなんない
弱虫なの?
自分のことは自分で言えばいいんだよ。
あんたがかばうと富士桜弱虫のレッテル張りになるよ。
16
:
やーこ。
:2002/12/19(木) 19:53
実際にカキコしていることと行動をとるのは違いますし、違うことをするのはご自分の自由だからノータッチの立場で来ました。なお、お二人がレスしづらくなった状況を攻めているのであって、ガンコさん他の味方をしているのではありません。
あしからず。
それと、性格が180度暗い方向に変わった今の私では、みかんさんご指摘の通り、富士門流の生き方にそぐわないと思います。ですのでカルト対策を除いては仏道から離れると思い、離脱を考えています。しかしながらやり残した宿題だけはしようと思います。五月雨さん、忘れてはいませんよ。
17
:
トゴシ
:2002/12/19(木) 19:54
いい子ぶりって、独歩さんに言ってたよね。
独歩さんて文章を読むとすごい大人に見えるけど、
あんた、こどもだよね。そんなこどもが大の大人に
いい子ぶるなんていうの、すっげえ馬鹿にしてる
ことになんじゃないの。
ちっとは字分の言葉を点検しなよ。
18
:
やーこ。
:2002/12/19(木) 20:03
トゴシさん。ここは富士門流信徒の掲示板で、被害者の会みたいなことをここでやるな、という事であって、被害者の救済にかんしては、別サイトでまれにレスしていますよ。
またこの掲示板にはそれぞれテーマ別にスレがあり、方向がずれたら、自主的に該当スレに移動または新しくスレッドをつくってやっているんですよ。被害者救済はここのテーマから逸脱しているんですから当然の事です。それから、私がかばっているのは富士桜さんが、とは言ってませんよ。私には同じ立場の同居人がいるので、同じ立場の人がいるというのを言った迄です。
19
:
やーこ。
:2002/12/19(木) 20:07
(続き)よく文章を読んでくださいね。また富士桜さんに弱虫とは何事ですか。
20
:
トゴシ
:2002/12/19(木) 20:08
ここのどこが被害者救済なのさ。
それに仮にやったからなんだっていうわけ。
「やるな」とは、なんだよ。
なにがあんた、そんなに偉いわけ。
なのに、いじめ救済はいいわけかい。
21
:
トゴシ
:2002/12/19(木) 20:08
富士桜さんが弱虫だという印象を与えている
のはあんただよ。
22
:
やーこ。
:2002/12/19(木) 20:18
それとトゴシさんに、誤解の無き用訂正いたします。すみませんでした。
くだらない→意味をなさない悪口の濫用に関するテーマの議論というくだらないもの
人や相手ではありません。テーマですよ。これ以上、論争がただの喧嘩になってしまわないよう、以上の回答を持ってトゴシさんの批判には答えないこととします。批判ご意見はメールして直接会いましょうよ。
仕事でスケジュール会わないかもしれませんがお待ちしてますよ。
23
:
やーこ。
:2002/12/19(木) 20:36
トゴシさんの批判には答えない、に、掲示板では、を入れてください。
また私は仏道主義に反して、いきる権利があるなら死ぬ権利を認めたい立場になったので。
24
:
やーこ。
:2002/12/19(木) 20:41
だからここから離脱しロムする事となったのです。俺の生き方だけの問題で、自分だけの世界にとどまる選択をしました。これが正しい、二十一年生きて無駄だった。自分の存在は邪(よこしま)だった。さようならみなさん。ありがとうございます。これがOFF会後さんざん悩んだ後の答えです。なお私のここでの発言は三日たったら消去してください。
25
:
富士桜
:2002/12/19(木) 20:48
やーこさん、トゴシさん。
ちょっと待った!
今晩まとめて書き込みます。仕事から帰って来たばかりなので
取急ぎ書き込ませて頂きます。
.
やーこさん、本当に沢山の御気使いありがとうございます。
こう言った経緯になると予想もしていませんでしたので、自分自身びっくりしているのですが
今度は個人的にではなく、これ以降はすべてここに書き込みます。
大変わかりづらい所はあったかと思います。心からお礼とお詫びを申し上げます。
.
トゴシさん
自分はあなたの言う通り弱虫だと思いますよ。良い子ぶっているのかどうかは別として、少なくともこの掲示板は
他の掲示板とはちょっと違う所と言う印象はありました。いい意味でですが。
発言に関しても、差し支えないかな。。。と思う所だけに書いて来たつもりです。
何にしても、ごちゃごちゃせず、きちっと書き、けじめ取りますから、良い子ぶりだの弱虫なんだのは結構ですが
今後の応酬は自分宛にして下さい。
これも良い子ぶりなんですかね。書き込んでいてなんだかわからなくなりそうですけど。(笑)
26
:
犀角独歩
:2002/12/19(木) 21:46
トゴシさん、ありがとう、でも、もうやめてください。
私もかばっていただくほど、弱虫ではありませんので。
また、富士桜さん、この文章のいちばん、最後に問いかけています。読んでもらえれば有り難く思います
他のROMの方にも誤解があるようなので、私は私で書かせていただきます。
以下は、まあ、菊水護国さんの所のような例外の話ではなく、私が見聞した石山と法華講の本音の部分です。
私は過去2年間、最初は問答名人さんや、アネモネさんなどに対して、続いては五月雨さんなどにも、そして、いまなんだか話題になってしまった好青年・富士桜さんなどにも「やめたほうがいい」ということは、ずっと言い続けてきました。
しかし、それが、ここのところ、どうも誤解を受けているようなので、どうして、そう言ってきたのかという点を記しておきます。また、この投稿が法華講連合会で読まれ、何らかの啓発になればと思い、記し置くものです。
私が学会から寺院に移講したのは平成2年のことでした。思えば、もう干支が一回りするほど昔のことになったのだという感慨があります。
入講した時、私は住職に「お陰様で法華講になりました」、こう挨拶をしたのです。
すると、住職は、笑みを含みながら、「法華講というのはな、もう何百年も、代々日蓮正宗の檀家だった人のことを言うんだよ。昨日今日、講に入ったからって法華講なんて言わないよ」と言ったものでした。住職の笑みとは裏腹に私はちょっと納得のいかないところが残ったわけです。しかし、指導教師の“お言葉”ですから、素直に「はい」と頭を下げたものでした。
その後、それこそ四六時中、寺に泊まり込むような超多忙な日を過ごすことになります。これはもはや筆舌に尽くせない忙しさでした。その頃、支部登山(お目通り登山)、教学試験などの仕組みを構築するために連合会にも出入りするようになっていったのです。
ある時、古参の法華幹部が私を指さして、「学会出がでかい面するんじゃないよ」とこう言ったのです。私はこの性格ですから、黙って聞いてはいません。「何ですか、その言い方は!」、すると、その人間は不敵の笑いを浮かべて「学会の家なんかに生まれたのは前世に信心がなかったからだよ。前世でもちゃんと信心をしていれば、法華講の家に代々、生まれるんだよ」と、吐き捨てるように言いました。
かなり、頭に来ましたが、場所は寺院、それ以上、言い争うのはやめにしたわけです。
まあ、それでも連合会の仕事も徐々に増える傾向となっていきました。
私は役が欲しくてやっていたわけではありませんでした。ご奉公であると思えばこそ、一所懸命にやっていたわけです。
ところが「あんた、やっても無駄ですよ」と、こうある法華講幹部が私に耳打ちしたのです。「法華講というのは“法華講”しか信用しないし、登用しないんだよ」と。
「私だって、法華講…」と反論しようとしたとき、私の脳裏を住職の一言がよぎりました。「ああ、そうか。ここは生まれながらの法華講以外は法華講としてなんか見ていないのだ」とすべてを了解したわけです
。
さらに、これに連合会では本行寺閥というものがあるわけです。
かつて顕師がいた、そして柳沢さんが赤いバイクで走り回った時から人脈です。
これがすべてを握っているわけです。
はっきりと書いておきますが、この生まれながら法華講幹部という連中は、中途から入ってきた学会出を、前世の行いという因縁論でもって見下していると私には思えます。
さらに坊さんに至っては過去世の行いが良かったから坊さんの家に生まれたと本気で、…もう一度書きますが…本気で思っています。
つまり、いちばん過去世の行いが良かったのが「猊下」で、続いて、坊さん、それに続いて、生まれながらの法華講の、それも幹部と彼らは思っているというわけです。前世の行いが判断肢になっているのですよ、これが。こんな神経をした連中の下で、使われる「昨日今日法華講になった」人々、特に「学会出」は、彼らから前世から見下された上で、使われているわけです。
こんなところで、「法華講の活動をすることが信心だ」などと考えて、自分を酷使しては自分が可哀想というものだと言うことです。
そんな事情がわかっても、それでも、法華講役員に従っていた自分を思い出すと、実に慚愧の念に絶えないのです。ここから出た言葉が富士桜さんに向けた言葉でした。
まあ、過ぎた言葉であると富士桜さんが思うのであれば、私はお詫びすることは吝かではありませんよ。しかし、忠告もいけないと言われるのは私は心外ですが。
27
:
五月雨
:2002/12/19(木) 21:46
やーこ。さん
何があったのですか、よく分らない展開になっていますね、ちょっと理解出来ません。
自分が言ったことに関して、思わぬ方向から批判されて違う点があれば反論するのは、これは大人の反応でしょう。反論されてご自身に納得がいかなければ再度言葉を継げばよいのです。
トゴシさんの言うのは、少し言い方はきつい点もあったかと思いますが、それはそれで彼の考えです。
反論されたらお互いに納得がいくまで話合うのが、この掲示板の在り方だと思います。
反論されたら人身攻撃に移るというみっともない御仁も、確かにいるのはいますけど、それはその人自身がご自分の不徳の致すところと気がつけば良し、気がつかなければご自身の人生のマイナスだということでいいのではないですか。
>お二人がレスしづらくなった状況を攻めているのであって
とやーこ。さんは書かれていますが、それはその人達の問題なのですから、やーこ。さんがいくら心の優しいお嬢さんであっても同情などする必要はかけらも無いでしょう。
どんなお二人かは知りません、でもいい歳した大の大人でしょう。ご自分で解決する問題では無いですか。やーこ。さんの同情心はもしかしたらこのお二方には必要がないかもしれませんね、解決出来る大人を捕まえて余計なご心配だったのではないでしょうか。
やーこ。さんはまだ若過ぎるのですね、私にも、やーこ。さんと同じ時がありましたら言わせて貰いますね。そしてやーこ。さんよりもうんと長く生きているからもうひとつ言わせて貰いますね、人の意見に耳を傾けて、話を聞いて否定は後からしましょうと。
>しかしながらやり残した宿題だけはしようと思います。五月雨さん、忘れてはいませんよ。
やり直した宿題?五月雨おばちゃんはすっかり忘れています、何でしたっけね。
ね、歳を取るとこうなってしまいます、嫌になってしまうけどこれも自然の摂理かな。
やーこ。さんはまだ若いのですから、その柔軟な思考でいっぱいいろいろと考えて欲しいと思います。自分の頭で考えて下さいね。
やーこ。さんの詳しい状況が分りません、私でアドバイス出来ることでもあれば、どうぞ私にメールを下さいね。
28
:
富士桜
:2002/12/20(金) 00:42
実は、ようやく書き上がった原稿を書き込もうとしたら、長過ぎて入れられませんでした。
ところが、このようなお返事を頂いていた事に気が付き読みました。
また違う内容にはなっているかとは思いますが、このレスに当てたものではないと
御了承ください。特に法華講連合会の所は内容と附随しないかも知れませんが入れておきます。
そして、自分はけして好青年とは思えません。何をもって好青年なのか。
29
:
富士桜
:2002/12/20(金) 00:46
: 犀角独歩さん
.
まず、このような内容での書き込みに際し先に記された文面において、意味合いがまがってしまっている箇所が見受けられます。
.
>私が石山の30万登山等において、単なる労働力にされているだけである、それは信心とは関係のないことであると、どれだけの時間と文章量を割いて書いてきたか、あるいは個人的に受けた電話、メールでもその点については、何度となく記してきました。
.
自分が個人的に独歩さんからメールを頂いた事は三度あります。
そのうちの二つは電話番号、アドレスに関しての事です。
個人的なお返事として書かれているものは一度だけです。
.
また電話の件ですが、今夏に1度だけです。
自分の携帯電話から電話させて頂きました。ですが、その内容は30万登山などには全く関係のない内容であったと記憶しています。
また、掲示板でも30万総登山に関して自分は独歩さんと議論した事はありません。
登山参詣に関し、昔の参詣の仕方はこうだった、的な発言にレスを入れた記憶はあります。
.
その中で「距離を置く」事をアドバイスして頂きました。
のめり込むような事は危険だと言う趣旨のお話をして頂き
「それは思い当たる節があるな」と自分で納得をし、了解した事はあります。その他は自分の恋愛の挫折に至る心境をアネモネさんも含めお話を頂いきました。
.
>その結果、ご本人が「わかりました」という返答をもらっていた。
それなのに、それまで、長い時間と文章量、電話などを通じて話し、納得したという本人が、そんな私とのやりとりがなかったような投稿をすれば、「まだやっている?」という驚きの返信になるのはむしろ当然のことです。
.
このようなお話の内容になりますと、まるで自分が独歩さんとのアクセスを全く無視した成りゆきになってしまいます。
もちろんこの掲示板でのお返事も頂きましたが、自分もあまり書き込まないせいなのですが、沢山議論までも行かなく、この一連のやり取りで全て独歩さんの考え方を理解するには無理なお話です。
自分の方こそ「なんでそこまで言われるんだろう?」と逆に思ってしまいます。「いじめ」に捉えられ気味なんですが、そのように捉えられても仕方のない内容での批判ではないでしょうか。
.
もし、これこそ正当と言えるのでしたら自分も今後はレスも一切せず、オフ会にも参加しませんし、ここを見ないよう「お気に入り」からはずしますのでロムもしません。
30
:
富士桜
:2002/12/20(金) 00:49
.
>まあ、過去のたくさんの投稿を読んでいない人、読んでも左の耳から右の耳に抜けてしまう人には、自分の気に入らない言葉だけが残るのでしょう。そして、当人すら、「反省」と言ったことを脇でケチをつけるわけです。だから、私は言われる筋合いはないと言うことになります。
.
この「ケチ」とは先に個人的にお送りしたメールの事でしょうか。
一部抜粋し載せます。
.
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
独歩さん
お久し振りです。
富士門流信徒の掲示板で自分へのお返事ありがとうございました。
大変に厳しく、痛い言葉ではあったのですが、なぜかわかりませんが、暖かく感じました。
こうしてメールにてのお返事は、公の掲示板ではお話に水をさすような気がして個人的にお送りしました。
.
>富士桜さん:
まだ、法華講に会合参加に拘っているんですか。
.
はい。
月に一度は必ず登山に行っています。連合会の会合などは出席していませんが今年最後の登山参詣と思い約束したのがこの日でした。
たまたま、こういう行事があると御住職にお聞きしましたので、じゃあ、と参加する事になりました。
.
>そんなもの、出て何か意味があるんですか。
.
わかりません。。。
ですが、何度も出た事はないので、どのような事が行われるかの趣旨もよく聞いていませんでした。
折伏してもらった先輩と一緒に行く事になっていますが、ここしばらくは個人での登山だったので、しばらく振りに一緒に行こうか、と言う話になりました。
問題は、この自分の「何があるのか?」と聞かれ「なんだかわかりません」と答える所にあると思います。
.
自分は独歩さんの書き込みのファンです。
なぜにここまでインターネットの文字だけで、ここまで人を動かせるのかと。ある時は怒りの鉄槌を下す書き込み、ある時は涙がでるほど優しい言葉。この人の根底には何があるのか、とずーっと思っていました。
.
自分が独歩さんに興味があったのは
「過去何があったんだろう」
と言う事でした。
幼い頃から、創価学会で行動し、脱会後、法華講での活動。
その何十年間の中で、今に至る心境を四月のオフ会の時には聞きたいと思っていましたが、緊張してうまく聞けませんでした。(笑)
ただ、種々の書き込みを読ませて頂いて、到底、議論にはならないと感じていました。
これは感覚的なものでしかないんですけれど。
.
独歩さんはその何十年間に渡り、現在に至る答えを、今信心して三年もしない自分には等身大の言葉では聞けないのです。
どうしてなのだろう、と考えても、どうしてもある意味、神格化して聞いてしまいます。オフ会の時、以前電話でお話して頂いた時。
未だにこうして独歩さん宛にメールを打つ事も、なんだか憧れの芸能人に送っているような感覚があるんです。
31
:
富士桜
:2002/12/20(金) 00:50
どうしても、自分が「こういう風に話したい」と思う望みばかりで、例えば問答名人さん、菊水護国さん、五月雨さん達のように話せないんです。
.
自分はなんらかの劣等感を常に持っているのが強すぎるせいなのでしょうか。自信がない、まして、こんなたいした勉強もしていない自分が対等に話など出来る訳がない、と、感じてしまうんです。
.
こういう言い方をすると「何を言ってるんだ?」と思われるかも知れないですが。
相手を何も言えないくらいの勢いで負かせるその言葉の圧力を、自分は脅威とも取れるんです。
独歩さんに賛同してもらえるお話でしたら、安心して書き込めるんですが、何か独歩さんの逆鱗に触れるような書き込みをすると、言葉を失うほどの返答が帰って来ます。
また、数々のやり取り、議論を見ていてその論陣を張るには、他を寄せつけない気迫はだれよりも感じます。
何人もの方々が独歩さんと議論して来て、明らかに独歩さんは、理論明解でねじ伏せた方々は、独歩さんに賛同するか、消えて行くか、しか選択権はないような気がします。
もちろんそれが論戦なのでしょうけれど。。。
当然、そんな戦わずして負け犬の遠ぼえのような声に聞こえるかも知れません。
.
日蓮正宗を否定しながらのお話に進めないと、何も言えなくなる状況に今はあると思います。別格なのは菊水護国さんだけで。
その他の自分を含めた法華講が情けないだけなのでしょうけれど。
.
以前「距離」を置くように言われましたが、確かにその通りな状況が自分の回りでも起こって来ました。距離を持たなければ、カルト宗教を始めたと勘違いされても仕方のない状況に今現状陥っています。
現実的なお話ですが、仕事場では「俺は日蓮正宗だ。創価学会はあほたれ集団だ。」な内容の話をしていると、仕事場の中に、隠れ学会が居て、「富士桜は最悪なやつだ。精神世界のレイプだ」と振りまかれ、現在は職場でも疎外されるほどに陥ってしまいました。
自分が原因なんですけれどね。
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お話があちこち飛んでしまいました。すいません。
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>集団の中で好い子に振る舞うこと、組織の中でいい人と思われるように振る舞うことに拘っていませんか。
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お寺でも、以前お話した通り、元彼女を心配して頂いているJの0さんなどは、あまり口も聞いてくれませんし、良い子で振る舞おうと何をしようとも変わりません。特に連合会など、知り合いも居ませんし、組織の中で信心している感覚はありません。
所属しているお寺のせいかも知れませんが、講頭さんや役職の方々なんかにもうるさく登山参詣はまず言われません。
言われるのは御住職に言われるだけです。
特によく思われるような行動はないと自分では思っています。
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>仏様に対して、素直であることが大切なのですよ。
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簡単な言葉がこんなに難しいと感じた事はありませんでした。
自分は大聖人が御本仏と言う考え方から変わっていません。かと言って釈尊に素直に。。。と思っても対象がわからないんです。
でも、これも感覚的なのですが、この言葉が一番暖かく感じました。
シンプルですが、仏様と言うより、今は自分に素直になりたいです。
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てんでんばらばらなお話になってしまいましたが、お許し下さい。あまり他の方々に知られたくない内容もありましたので、メールにて書き込ませて頂きました。
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実はマンションを購入しまして、色々手続きが重なり、仕事もやんやと忙しくなり始めました。ですがよろしかったら、あの内容の通り今度のオフ会にはまた参加させて下さい。
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それでは失礼します。
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富士桜
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以上、先にお送りしました個人的にお送りしたメールの内容ですが、細かい個人的な名前などは差し控えさせて頂きました。
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この中での文面から「顔色を見ないで投稿しよう」と言う内容を独歩さんが書かれていた事を見ました。
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しかし、一度だけ自分にお返事を書いてもらったメール内に独歩さん御自身が日蓮大聖人の再誕を思わせるような内容があった事を覚えていらっしゃるでしょうか。
そのような内容を自分宛にして来られた訳です。
当然、「もしかしたら本当にこの人は・・・」と思う所もあり、自分は別視していたのかも知れません。
それは、独歩さん御自身が気が付かない、身の覚えのない成りゆきかも知れませんが、そのように人を威圧する空気を持っていらっしゃる。そう書き込んだ内容のメールです。
32
:
富士桜
:2002/12/20(金) 00:51
特に、日蓮正宗御僧侶、法華講に関しては、裏側を暴露するような内容も時として見受けられますが、独歩さんが言う言葉は自分に取って、脅威に感じる事は確かです。
なにしろ法華講の元大先輩なのですから、思い当たる節は時として
「あれ?」となる場合はあります。
実際、最近は無くなりましたが、御開扉、内拝も「これって・・」と教本も見ずに、もやもやした気持ちで過ごす時もありましたし、御住職とお話している時でも変な心境になっていた時もあります。
良い子ぶる訳ではないのですが、これは独歩さんのせいではなく、自分がそのように動揺している気持ちでそうなっただけです。
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ですが、たかだか一人でも自分のような信徒が独歩さんの言葉で動揺する場合。それは個人の問題で預かり知らぬ所ではあるでしょうけれど、特に御自身が所属されていた場所の裏側を語るのは危険だと思います。
もっと言えば筋ではないと申します。
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もし、昨今このような内容を書かれるのでしたら、直接に所属の寺院に言うべきであって、インターネットで情報を開示するにはそぐわない内容だと思います。これが独歩さんの言う書き込みや、意志の自由をうたうのでしたら、日蓮正宗御僧侶がいらっしゃる掲示板(あるかどうかわかりませんが)
で、またはここへ御僧侶の方に書き込んで頂き、大石寺の意見も正当に出せる場所においてのみ可能だと思います。
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自由と言えばとかく何でもそうですが、御自身の所属して、自ら登山会を最初に形付けて行ったと自負されるのでしたから、この法華講の登山参詣が全く無意味な金もうけ主義の悪しき体質と、言うのも自由ですが、独歩さん達が形付けて行った登山会が未だに行われている事。それを知らず自分を始め新しく入信して来た人間は、当たり前のように登山しています。その事体をまずインターネットで非難するよりもなんらかの行動で改める事であると感じます。
33
:
富士桜
:2002/12/20(金) 00:52
ちなみに。
自分はとある有名な牛丼屋さんでバイトを数年していました。
そこの肉は、牛は牛でも訳わからない牛の肉でした。最近ではうるさくなって来て、検査も厳しいらしいですが。
そんな事もつゆ知らず、大勢のお客さん達はそこの牛丼を食べて行きます。
時には飛んで来たゴキブリや虫が大鍋の中に舞い込んできましたが、お構い無しで「はい!並一丁!」と出していました。もちろん虫は取りますが。
そんな実態でも、忙しい時間帯は平気でやっていました。これは店長も暗黙のうちです。ゴキブリや虫が入ったからと言って、忙しい稼ぎ時の時間に
「すいません、ただいま虫が入った為作り治しております」
なんて言える状況ではないくらいの忙しさです。
そんな牛丼を食べているお客さん、時には女の子なども、見ていて
「よくこんな牛丼食べるよな〜」
と思っていました。それもそのはず。知らないんですから。
そんな事を繰り返していると、新しい店長に変わり、同じ事をしていたら
「何を考えているんだ!時間がかかっても良いから捨てろ!やりなおせ!」
と思いっきり怒られました。
さらに
「自分が食べると思って作ったら、そんなものは出せる訳がないだろう!金を貰っているんだぞ、こっちは!」
と、むちゃくちゃに言われました。
その時に、自分のやって来た事が、なんてひどい事をして来たのか気が付きました。そこからは、どんな事があっても時間がかかっても作り直ししてお出ししました。後から入って来る後輩にも、自分が指導した記憶があります。もう何年も前の話ですが。
よく考えれば、と言われなくても、当然の事なんですけどね。
言うだけならいくらでも言えると思います。
もちろん、このお話も嘘か本当かわからない話かもしれません。
ただ、そこの店の看板を汚すのは簡単ですが、自分自身の中で、今でもそこの牛丼屋さんで安心して食べられるのは、そのような厳しき中にも正当な事を当たり前のようにこなす店長のいる店だからです。それを自分は知っているから食べれます。
もし「ふざけんな!忙しいのに、んなことやってられるかよ!」と反抗していたら首になっていたでしょう。
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牛丼屋の自分の話とリンクするのは不本意ではあろうかとは思います。
ちょっとした経験からの自分なりの話ですが。
.
意を決して大石寺を背にしたのでしょうから、ただ単に大石教学を批判するだけでは済ませれない独歩さんの連合会役員の責任はあるのではないでしょうか。正式には破門もされていなければ、通告もなされていないと聞いてはいましたし、御自身も日達上人書写の御本尊に手を合わせていると書き込まれていましたし、自分も聞きましたし。
本当に離れたのでしたら、その御本尊様は御山に返却するのですよね。
なぜ返却さないのですか?今の日蓮正宗は血脈も相乗もなにもうそっぱちなんですよね。何故なんですか?そこは個人の自由とは思えないのですが。
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とりあえず、独歩さんの顔色に関係なく書き込みました。
最後に、どんな宗派も自分は葬儀で関わって来ましたが、日蓮正宗に所属した事を後悔はしていません。良かったと思います。未だに。
日蓮正宗がカルトなら、もっと問題にされる宗派は沢山ありますけれどね。仕事上での経験ですが。
以上です。
34
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 02:40
富士桜さん:
かなり長い書き込みで、全般的にカバーできるかどうかわかりませんが、特に気になるところをカバーします。
「顔色に関係なく書き込みました」ということですが、ここで、多岐に亘って、私を批判したわけですから、その部分に関しては責任をもってこちらのレスに応えてください。
その覚悟があってのことでしょうから。
まず、いちばん大きなことは富士桜さんのなかでとらえられた私は実際の私ではないこと、かなり、あなた自身の解釈が入っている点、この誤解を私の考えとしたことには私は大いに抗議をします。
> 独歩さん御自身が日蓮大聖人の再誕
こんな馬鹿なことを言うわけはないでしょう。
第一、私は日蓮の無謬生を否定したわけです。日蓮は一介の僧侶であり、本仏でもなければ、上行菩薩でもない、一人の人間である、このように記したわけです。
しかし、このような日蓮の実像を明らかにする責任を過去40年の信仰生活のなかで私は負ったということを言ったかも知れません。事実、そう思っています。
> 今このような内容を書かれるのでしたら、直接に所属の寺院に言うべきであって、インターネットで情報を開示するにはそぐわない内容だと思います。
これは富士桜さんの考えであって、それ以外の考えを排斥する根拠は元よりないでしょう。私は開示するべき内容であると判断するが故に記しているのです。見解の相違というのです。決めつけないでいただきたい。
> これが独歩さんの言う書き込みや、意志の自由をうたうのでしたら、日蓮正宗御僧侶がいらっしゃる掲示板(あるかどうかわかりませんが)
ここの掲示板では少なくても5人の石山僧侶と、7人の日蓮宗僧侶が閲覧しています。
これは個人のプライバシーに関わることなので、その名前は記しません。
> で、またはここへ御僧侶の方に書き込んで頂き、大石寺の意見も正当に出せる場所においてのみ可能だと思います。
その書き込みは当人の自由意志に基づくのであって、書き込もうが書き込みをしまいが、それは各人の勝手です。
また、論点を変えれば、私が石山に異があり、例えば『大日蓮』『大白法』に、私の考えを掲載するように希望したとき、それが掲載されるでしょうか。それは不可能でしょう。私とは意見を異にするけれど、例えば今泉さんの意見が正当に扱われたことがあったでしょうか。「批判する相手のいない場所での批判」という点で、私を批判をしているとお見受けしますが、何より一方的なのは常に力を持った団体のほうである点が見落とされています。
> 意を決して大石寺を背にしたのでしょうから、ただ単に大石教学を批判するだけでは済ませれない独歩さんの連合会役員の責任はあるのではないでしょうか。
誤解があるようですね。私は先の投稿でも記したように、生まれながらの法華講ではありません。それ故、連合会役員を歴任した経験はありません。
このような読み違いによる批判の責任をあなたはどう取るのですか。
> 正式には破門もされていなければ、通告もなされていないと聞いてはいましたし、御自身も日達上人書写の御本尊に手を合わせていると書き込まれていましたし、自分も聞きましたし。本当に離れたのでしたら、その御本尊様は御山に返却するのですよね。
なぜ返却さないのですか?今の日蓮正宗は血脈も相乗もなにもうそっぱちなんですよね。何故なんですか?そこは個人の自由とは思えないのですが
相乗は相承のことであると思いますが、この点は他で書いていたと思います。漫荼羅書写と相承は別問題です。私は自身に貸与された漫荼羅は過去30年間、護持してきたのです。30年、この時間を苦しみも悲しみもこの漫荼羅と過ごしてきました。書写の達師自身、既に鬼籍に入っています。その漫荼羅を返却しようがしまいが、それは私の意志に基づくものです。「相承を否定したら返すべきだ」という前提に基づいて返却しないことに非があるように語るあなたの論調は石山義に基づく押しつけでしょう。ここを個人の自由意志で考えて何が悪いのですか。こういう頑なあなたの考えは間違っていませんか。
> 日蓮正宗がカルトなら、もっと問題にされる宗派は沢山ありますけれどね。仕事上での経験ですが。
そんなことはわかっています。しかし、自分が過去40年間関わってきた団体が日蓮正宗創価学会であったこと、また、ここが富士門流信徒の掲示板であることに基づいて、ここで、その功罪を考えることにどのような問題があるというのでしょうか。
35
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 03:05
―34からつづく―
「好青年」という表現が気に入らないようなので、これは撤回しましょう。
しかし、あなたが私のファンであるなど言う文面をここに記された点は、私にとっては極めて不快です。取り下げてください。
ここで私は真面目に日蓮を考えているのです。人に評判を得よう、人気を得よう、賛同を得ようなどという姑息な考えは元よりないからです。
> 意味合いがまがってしまっている箇所
このような表現で一方的に批判を受けることを潔しとしません。
私は記述のとおり、あなたに話したつもりですが、そうはとられなかった。
つまり受け側の受け取り方と私が意が異なったのでしょう。それを「まがった」と記述されることには不快感が伴います。
しかし、オフ会、電話で話した内容について、ここで「言った言わない」は記しても、元より、取られ方が“ずれて”しまうわけですから、水掛け論になるでしょう。故にここに記した内容に基づく以外にないことになります。
このような文面ではじめる文章は、それなりの意図に基づくと残念に思うばかりです。
> この「ケチ」とは先に個人的にお送りしたメールの事でしょうか
違います。今回のやーこさんの私への批判について言ったことです。
邪推をしないでください。
> 別格なのは菊水護国さんだけ
別格という表現は私は違うと思います。
菊水護国さんは議論をする当然のルールを守っているのに過ぎません。
このやり方は私は正しいと思います。
見習うべきでしょう。
> 理論明解でねじ伏せた方々
この表現も勝手な感情が入っているでしょう。
私は誰もねじ伏せて等いません。
何か主張するのであれば、その根拠を求めてきたのに過ぎません。
根拠を応えられず、根拠曖昧な主張は、文章として成り立ちようがありませんから、引き続きの投稿が不可能になっただけでしょう。通常であれば、そこで自らの非を認め謝罪すべきところ、そのあるべき潔い態度を取らず、黙ることで自分の考えを温存したのに過ぎないのでしょう。何で、そのような人たちの斯かる行動にまで私が責任を取らなければなりませんか。
さて、今回、私が投げかけた投稿上の疑問は以下の部分だけです。
>集団の中で好い子に振る舞うこと、組織の中でいい人と思われるように振る舞うことに拘っていませんか。
となれば、直ちに以下の文章を記せば、それで終わったのではないでしょうか。
何をこんなに長い批判文を寄せる必要があるのか、この点では私は理解に苦しみます。
> 「お寺でも、以前お話した通り、元彼女を心配して頂いているJの0さんなどは、あまり口も聞いてくれませんし、良い子で振る舞おうと何をしようとも変わりません。特に連合会など、知り合いも居ませんし、組織の中で信心している感覚はありません。
所属しているお寺のせいかも知れませんが、講頭さんや役職の方々なんかにもうるさく登山参詣はまず言われません。
言われるのは御住職に言われるだけです。
特によく思われるような行動はないと自分では思っています」
そして、このように返されれば、私は単に「そうですか。好い子という言葉は不適切でしたね。お詫びします」と終わったことでしょう。
36
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 03:21
> 独歩さん達が形付けて行った登山会が未だに行われている事。それを知らず自分を始め新しく入信して来た人間は、当たり前のように登山しています。その事体をまずインターネットで非難するよりもなんらかの行動で改める事であると感じます
この点でも、私の文章を読み違えています。
私(たち)はまだ支部お目通り登山というものがなかった時代に、自分たちの赤誠から、一度だけというつもりで、そのような登山会を企画して行ったと記したのです。その後、、連合会主導で支部登山が定例化したのです。
連合会が定例化したことに、私が何の責任を負うというのでしょうか。
的はずれの批判にも程があります。
…以上、なんだか長い文章で取り留めがなく、故に取り留めのない言葉を返すしかありませんでしたが、まとまった富士桜さんの文章を読んで、私がいちばん感じることは、私の記したことを自分のなかで自分の考えで解釈し直し…この時点で私の考えとは違ってしまっています…、それを恰も私の考えのようにして、批判を加えているところが目立ちます。
これは通常、議論をする上では大きなルール違反でしょう。
しかし、斯かる事態が、何故起きるのか。それを私なりに考えると、あなたは考えを心のなかにためすぎるのではないでしょうか。そのために、それが心のなかで一人歩きして変質していってしまう。その変質したものを相手の考えであると勝手に決めつけてしまう、そんな状況があるように見えます。
今回、私は自分の名誉のために…あなたの言葉を使えば…まがっている部分に関しては、その考え違いを記し、さらに反論を加えました。ため込めば、また、変質していってしまうでしょう。ですから、ただちに応えていただきたいと思います。
何よりも迷惑なこと、それは私が考えてもいないことを考えているように言われ、書いてもいないことを書いたように言われることです。その典型が、私が日蓮の再誕であると記した如き文面です。
しかし、このような掲示板は、単に自分の考えを押しつけ合うことは愚です。
語り合うことで、不明であった点を明らかとし、日々、自分の考えを改めていく利用の仕方が健全なのです。そのようにしませんか。ため込み、いつしか怨念に変質するような在り方は、ストレートに記せば、愚かなことです。であれば、賢明な使い方に切り替えればよいだけのことでしょう。
まあ、まだ文句が言い足りないのであれば、どうぞ、もっとお記しください。
しかし、違う、変質したと思う点は、また、私も歯に衣を着せず、反論するべきはします。けれど、元より、怒り、恨み、憎しみは生じません。どうぞ、お気軽に。
37
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 03:56
―36からつづく―
もう一点だけ。
既に成人として認められ、あなたの記述に従えばマンションも購入するという大人が
> 「いじめ」に捉えられ気味…捉えられても仕方のない内容での批判ではないでしょうか。
などという被害者ぶった発言は、私は見苦しいと思います。
私は今回、大いに曲解した独歩像を、ここに長々と記され、正直、言えば気分は悪い。
しかし、だからと言って、これを「いじめ」であるとかなんとかとは思わない。
誤解があるのであれば話し合おうと思うだけです。
文句があれば、堂々と言えばよいのです。それを、私に言えない雰囲気があるだ何だと記して反論できないことまで私にかぶせて「いじめ」とは何たる言い方かと思うわけです。
反論があれば反論していただければよいのですが、どうもあなたの言葉には怨恨と被害者意識がついて回ると感じるのは私の思い過ごしでしょうか。そんな個人的な感情の責任は、その個人が負うものではないのかと私は考えると記しておきます。
38
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 04:31
まだ、ちょっと書き足りないので記します。
> 日蓮正宗を否定しながらのお話に進めないと、何も言えなくなる状況に今はあると思います。
別段、そんなことはないでしょう。肯定するのであれば、その根拠を示す、否定するのであれば、その根拠を示す。そう言った単純なやり取りでしょう。
ただし、今の流れでは肯定者側が説得力のある根拠を示せない、そのために流れは否定的になっているというだけのことです。肯定したいのであれば、斯かる根拠を示せばよい。それだけのことです。
もう一点。
> 御自身が所属されていた場所の裏側を語るのは危険だと思います。
もっと言えば筋ではないと申します
これは私が判断することで、筋だ何だといわれる批判される筋はありません。
危険であるというのはまったく、私はそうは思いません。
仮に裁判になれば、それなりの資料はすべて用意してあることを記していますよ。
なお、富士桜さん、あなた人には厳しく自分に甘いんじゃないですか。
自分が所属していた裏話を書くは危険で、筋ではないと私を批判しましたね。その当人が
> 自分はとある有名な牛丼屋…訳わからない牛の肉…ゴキブリや虫が大鍋の中に…お構い無しで「はい!並一丁!」と出していました
あなたは、この有名な牛丼や“所属”していたことにはならないのですか。また、ここで記したことは裏話も裏話、危険も危険な話ではありませんか。あなたの素性を知っている人が「この牛丼屋は○○のこと、店は○○」と特定されないのでしょうか。
ここは富士門流信徒の掲示板ですね。
ここで牛丼屋の危険な裏話を書くことのほうがよほど筋ではないのではないでしょうか。
もう一点。
> 日蓮正宗に所属した事を後悔はしていません。良かったと思います。未だに。
ですから、どんな感情を抱かれようとそんなのはあなたの勝手です。信仰は自由なのですから。ということは、私のように「日蓮正宗に所属したことを後悔している。悪かったと思っている」という反対の立場があってもよいことを意味します。しかし、後悔の場で、それを論うのであれば、最低限、根拠を示すというのがルールだとここでは論じられてきたのでしょう。そのルールをあなたは、いとも容易く犯しています。
ここは、そんな良かった悪かったの感情論を話すという性質より、信不信に跨る日蓮正宗とは、なかんずく富士門流とは何かを冷静に話し合う場所なのでしょう。
結局のところ、あなたは「日蓮正宗に所属してよかった」という立場から、悪かったという私に感情的に反発しているのに過ぎないのではないでしょうか。
そして、その自分が所属して良かったと思う団体の悪口を書くべきではないなどと規制を加えているだけとしか映じないわけです。
そうではなく、もし、良かったというのであれば、何が良かったのか、また良かったというものが、どのような根拠で正しいと言えるかという点について論じ合うのがこの場所ではないのですか。
単なる組織の弁明など、個人から聞いても、意味はありません。個人は組織の代理人として用をなさないないからです。用をなすもの、意味があるのは、その根拠です。
「良かった」というのであれば、根拠を示してください。私が「悪かった」根拠を示してきたように、です。
まだまだ、言いたいことはありますが、まあ、今朝はこれでやめておきます。
39
:
問答迷人
:2002/12/20(金) 07:44
113051 ゲットしました。
40
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 08:46
管理人さん:
退去の自分に斯かる記述が載ったために、それに反論せざるを得ず、当スレッドの「会話、議論の応酬は避けましょう!」という規約に違反することになりました。
慎んでお詫び申し上げます。
41
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 09:06
40 退去 → 大挙 です。
42
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 09:35
ここの掲示板を「富士門流信徒“だった人の”掲示板」になっていると指摘された方がありました。
この原因は富士門流信徒だった人の発言のほうが強いからでしょうか。
かつて、私も富士門流信徒だった一人として、思うのですが、いまだに石山門流信徒である方々は、何故、その信仰の根拠を示さないのでしょうか。
戒壇之漫荼羅は疑わしいと言われれば、真筆である証拠を示せばよいのです。
唯授一人は疑わしと言われれば、事実である証拠を示せばよいのです。
真偽未決・相伝書が日蓮の教えでない言われば、その証拠を示せばよいのです。
法華経は後世の創作であると言われれば、釈尊の真説である証拠を示せばよいのです。
そのようなことを一切せず、感情的になり、被害者意識を募らせても意味はないでしょう。少なくても日蓮の教えが折伏であると信じ、さらに三証をもって決することを知っているのであれば、その日蓮の如くにすればよいのでしょう。
ここでは賛成派も反対派も、その論拠を示すことによって、やってきたはずです。
それがいつの間にか、感情論になっていることを残念に思うものです。
論拠を示し合うなかで、論拠を示せない方が、相手を詰るのでは見苦しい、そのような個人攻撃をするのではなく、事実は何かを探るために、論拠を示せ合えばよいのでしょう。ここは事実を探求する場であるべきだと私は思うわけです。
以上、これはツブヤキです。
43
:
五月雨
:2002/12/20(金) 10:33
ここの掲示板は「日蓮正宗の礼讃掲示板」だったのですか、私はここの掲示板を四月頃に知りました。読ませて頂いてこう思いました、「日蓮正宗の真実が書いてある」。それまで抱いていた日蓮正宗に対しての疑問の数々が氷解し、そして疑問に対する答えがひとつ、ひとつ見付かっていったのです。
日蓮の教えについて、シャキャム二の教えについて、仏教についての博識な皆様方の論議は、今までの信仰生活で見聞したことがないものでした。聞いていた御書の解釈が本当は違ったこと、本尊の曼荼羅も板にして彫ってしまうのは日蓮聖人のお文字を塵にしてしまうこと、正しい視点で物事を見るというのはこのことなのかと目からウロコが落ちる思いで読ませて頂きました。
日蓮正宗の教えが全てどこかからパクってきた、昔風に言えば“盗ってきた”これがきつければ“拝借してきて知らん振り”の教義だったと、独歩さんも問答さんも論拠を示して説得力のある論議を展開されておられればこそ、そこに真実が見えたんだと思うのです。これがそれこそ感情論で「正しい」「間違っている」と遣り合っていれば、真実など見えてこなかったでしょう。事実、他の掲示板では宗・創が互いに詰りあって、それが正義だと遣り合ってる人間だけが思い込むという醜い姿を世間に曝している掲示板も数多くあります、そこにはここにある真実はありませんでした。
日蓮正宗は正しいと信じているのなら、そう思われる方はそれを論拠を持って証明してください。そこに真実が見えたなら、私もまた、日蓮正宗に日蓮聖人の教えあり、と再び信仰を置くでしょう。
富士桜さんは日蓮正宗の僧侶のいないところで議論するのは一方的だと言われていますが、私もそれは違った観点からいつも思うところです。
ここの掲示板で石山の教義は「中古天台本覚思想恵心流口伝法門のパクリ」だと証明されているのですから、ロムされている法華講員の為にも石山僧侶はそれに反論すべきだと思っています。そうでなければここで証明された石山教義のまやかしが正しいと石山僧侶が認めたことになりませんか。
それとも石山僧侶の教学力の無さを露呈するのが怖くて、ここに出てこれないのか、いずれにしろ、ここは誰でも書き込める掲示板なのですから、富士桜さんが言われる「日蓮正宗の僧侶のいない場所での議論は一方的」だという批判は的が外れているように思います。石山僧侶が勇気を持って出てくればいいだけの話なのですから。
>で、またはここへ御僧侶の方に書き込んで頂き、大石寺の意見も正当に出せる場所においてのみ可能だと思います。
ここの掲示板はまさにそんな場所だと思います、大石寺の意見も聞いてみたいものです。勇気あるご僧侶はひとりくらいはいらっしゃると、籍はある法華講員として、希望を持ってお待ちしております。
45
:
妙薬
:2002/12/20(金) 12:18
五月雨さんの考えに賛成です。
私自身、現在も法華講組織に籍を置き、宗門の大事な行事には参加しています。しかし、この掲示板を読むようになった今秋頃から、「真実」が知りたくなりました。そういう立場から、独歩さんと富士桜さんの論争は興味深く読んでいます。
是非、宗門ご僧侶の意見をこの場で披露してください。少なくても、独歩さんが指摘している「(創価学会を)脱会した法華講員」に対する僧侶方の見解については知りたいものです。一部でしょうが、旧信徒幹部(昔からの法華講員)の考え方にはあきれてしまいました。
少なくても、私の所属寺院には、そういう雰囲気はありませんでしたが。
46
:
アネモネ
:2002/12/20(金) 14:01
>ここの掲示板を「富士門流信徒“だった人の”掲示板」になっていると指摘された方がありました。
これと似た言い回しで、「あなたの言っていることは、所詮信じてない人の理屈だ」ということも、よく言われます。また「信心がないからなんじゃないの」とか、「最初から信心してなかったみたい」とかもよく言われますが、これらの言葉は人の言葉を遮るものであり、遠まわしの言論封鎖だといつも感じます。信じている人と信じていない人を分けて考える。つまり潜在的に差別して考えていると私には思えるわけです。
結局、こうやって人々を排斥し、独り善がりになっていくのが、この門流の体質なのでしょうか。
しかも当たり前に発する言葉に悪意の気持ちはなく、この体質の根はかなり深いものだとさえ感じます。
しかしお釈迦さまにしても、日蓮聖人にしても、信じる信じないの別なく、来るものは拒まなかったという印象を私はもっており、その姿勢とはかなりかけ離れた狭い心だなと感じるものです。また狭くすることがこの門流の優位姓だと勘違いをしていたりもするのではないでしょうか。それが唯一最高の教えだと、ますます自己陶酔していく、といったところでしょうか。
ここまで書くと、信じていると言っている人に対する痛烈な批判になるかもしれませんが、私は信じている人のことを排除しようなどとは思ってはいません。
これが信心だと刷り込まれたことを、今いちど、本当にそれが人の道なのかどうか、自分で考えてみることは、組織人間の社会的責任としても重要なことだ思います。そこには人を排除するような間違った考え方もたくさんあると思われます。そういうものを見直していくことも、宗教の目差す信仰のひとつの姿ではないかと、私は思いますね。
>旧信徒幹部(昔からの法華講員)の考え方にはあきれてしまいました。
私もそう思います。代々の法華講の人が元学会の方について、陰がコソコソっと口にする言葉で呆れたのは、「育ちが悪い」「生まれが悪い」といった言葉です。そんなことを本当に思っている代々の法華講は、「心根が悪い」と私は思います。
しかし、その法華講、宗創蜜月の頃には、「お寺信心」と学会から馬鹿にされていた存在だったとか。もうどこを見ても聞いても、信仰するものの心ある姿とは思えなかったですね。離れてよかったです。それこそ信心がおかしくなります。
トゲのあるつぶやきで失礼いたしました。
47
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 18:05
一つだけ。「富士門流信徒“だった人の”掲示板」と感想を漏らされた方、けっして悪意をもって仰ったことではなかったと思います。名前の通り、心も不信もなく、皆が参加できるのがよいという意味であったのであろうと拝察しています。その方もROMなさっていると思いますので、お詫び旁々、小さな軌道修正と言うことで、記させていただきました。
48
:
犀角独歩
:2002/12/20(金) 18:06
どうして、こう打ち間違えてしまうのでしょう。すみません。
47 心も不信も → 信も不信も
49
:
モモ
:2002/12/21(土) 11:52
アネモネさん
私は「信じるのも自由、信じないのも自由」だと思います。
もっとも信じる人から信じない人の理論をはじめて聞くと「うーん」
と思ってしまうのです。「差別」と言う表現はいかがかな、と思います。
あとある連合会の役員の言葉で
「日蓮正宗にいらない人はいない」と言ったひとがいます。
私がその言葉をはじめて聞いたときは目からうろこが落ちる思いをしたのですが、
しかしその人は連合会の活動の人事について自分のお寺系統の人を重く用いると
いうようなえこひいき人事をしています。ちゃんと信心と人格と適正を考えて人
事をしているとは到底思えません。
「信心に役職は関係ない」とも言いました。だったらまず御自身が役職を降りて
その見本を是非とも示してほしいと思います。はじめすごい尊敬していたのです
が結局このひとはきれいごとばかりで他人に厳しく自分は勝手なひとなんだな、
と思いました。
50
:
犀角独歩
:2002/12/21(土) 12:30
横レス失礼します。
モモさん、差別している人間は差別していることに気がつけないのが常です。
私は法華講は十分に差別的であると思います。
その例を私も引いたし、アネモネさんも引いた。その例にコメントもせず、なぜ、「差別」という言葉だけに敏感に反応するのですか。
モモさんは、自分の信仰に向けて使われては困る言葉に敏感に反応しますね。
この前は「信伏随従」でした。すべて、根拠を示して、そのことが語られているのに、言葉チェックだけというのは「はいかがかな、と思います」。
まあ、しかし、その後半の人間は私が取り沙汰したことと同じ問題ですね。ということから、単に言葉チェックで、アネモネさんが言われているような実態は肯定していると言うことなのでしょうね。
51
:
アネモネ
:2002/12/21(土) 12:36
モモさん
この話は、オフ会の2次会でも出ましたね。もう少し書いておきます。
「日蓮正宗にいらない人はいない」という言葉、敢えて言う必要もないほど、とても当たり前なことだとなのではないでしょうか。だけど、わざわざ言われてみると、目からウロコと感じる人がいるということは、裏を返せば、その組織がいかに、いらない人といる人を選別するかのような体質であることを物語っていると思うんですね。いろんなお寺があって、一概には言えないかもしれませんが、少なくとも私はそんなことを感じる法華講組織だったと思います。
オフ会で話したことの繰り返しになるかもしれませなんが、人の内心が自由であるということは、言い換えれば基本的には誰も立ち入れないものだと私は思っているんです。私は○○を信じていますということは、わざわざ人に言わなければならないことではありませんし、逆に言わないからといってその人の心に信仰心がないと言い切れるものでもないわけですね。
たとえば私自身の内心に、どのような信仰心を持っているか、いないかは、私以外の他人が表面的に推し量れることなどできるものではないわけです。お寺に行かなくなったから、所属寺院の悪口を言ったから、その表面的な行為をもって信心がないというのは、それこそ石山が刷り込んだ思考回路でみた、もの言いであって、それが真実であるというわけではありません。その刷り込まれた思考方法を私は、批判しているわけです。私の拙い説明で理解して頂くには、無理があるかもしれませんが…。
考えてもみて下さい、どこまでいっても他人の内心には誰も立ち入ってみることはできませんし、表面的な行動だけで、その人の内心がわかるほど単純なものでもないわけです。
モモさんが信じている心、信じようとしている心にも私は立ち入れないですし、それは私についても同じです。一見、組織を離れ、お寺の悪口を言っている。信じることをやめたと思うかもしれませんが、信じているか信じていないかの、内心までは他人にもわからないことですね。
だから、信じる信じないということを問題にして、教義を語り始めると検証にはならないと思うのです。それが言いたいのです。自由なのですから、それを言ってしまえば、そこで話は終ってしまいます。自由だからこそ、わさわざ信じる信じないなど関係なく、科学的に教義を検証してほしいと思うのです。時間がなくて、とりとめもなく、誤解を招くかもしれませんが、記しておきます。
また、オフ会でお会いできたらお話ししましょう。
52
:
アネモネ
:2002/12/21(土) 12:38
訂正です。
オフ会の2次会でも出ましたね。→この話は3次会でしたね。
53
:
みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>
:2002/12/21(土) 14:16
「日蓮正宗にいらない人はいない」のオリジナルは
「創価学会にいらない人はいない」はないかもしれませんねぇ。
創価学会で聞いたことがあります。まあいかにも多用されそうな
言葉なので、もっとほかがオリジナルなのでしょうが。
そういえば昨日金八の再放送で「腐ったみかん」やってましたね
見ませんでしたが。
犀角さんに「富士門流信徒“だった人の”掲示板」と言ったのは
私だと思いますが、私自身「だった人」なので私は全然かまわないんです
ただ、現役信者の方々は居心地悪いだろうなと思っただけでね。
わたしはこういう掲示板の方が楽ですが、開設者の意図とは
ずれているんだろうなぁとは思いました。
まあ、掲示板は所詮生物(なまもの)なので、意図とずれるのは
仕方がないんですけどね。
仏教における「信」という漢字の意味の話はオフでもしたと
思いますが、またこんど。
54
:
みかん</b><font color=#FF0000>(z8VoUpnM)</font><b>
:2002/12/21(土) 14:21
あと一言だけ。
創価学会や日蓮正宗に蔓延している前世論についてはねぇ……。
日本の現代の宗教は因縁・因果を誤解していて、
大まかに分けると「前世の業」「先祖の業」の二つのいずれかで説明
します。
どっちも差別の元だし、因果を正しく見ていないので批判されるべきだと
思いますが、やはりこれもまたこんど。
55
:
問答迷人
:2002/12/21(土) 18:26
113509 ゲットしました。
56
:
モモ
:2002/12/22(日) 02:01
>モモさん、差別している人間は差別していることに気がつけないのが常です。
>私は法華講は十分に差別的であると思います。
>その例を私も引いたし、アネモネさんも引いた。その例にコメントもせず、なぜ、「差別」という言葉だけに敏感に反応するのですか。
先日、私がアネモネさんに「(大石寺を)信じない人の理論ではないですか」
と申し上げたことがありました。私は別に差別するつもりはなくその発言をしたということです。
そのときの返答が51の内容のレスだったわけです。二元論で考えることは有効な思考方法である
と同時に危険が伴う場合があると思います。
>信じる信じないということを問題にして、教義を語り始めると検証にはならないと思うのです。それが言いたいのです。
まさしくこの部分について私が考え込んでしまうところです。検証できなければ証明できない、という答えが返ってきそうですが
はたして仏法の功徳とは検証できるような性質があるのか、と思います。そういってしまえば
どんな宗教にも功徳がある、ということになってしまうか。うーん。
内心の自由=人が立ち入れない、という視点は重要だと思います。
私自身、自分の言っていることを理解してもらえず、
所属寺院の指導教師や奥様から「ばかやろう」「ばか」なんて言われたときは「やれやれ」と思ったものです。
58
:
犀角独歩
:2002/12/22(日) 09:47
モモさん:
ちょっと、言葉の意味が取れないのですが、
> 二元論で考えることは有効な思考方法である
と同時に危険が伴う場合があると思います
これは至極当たり前のことでしょう。
さらに言えば、二元論で考えるか・考えないのかという二元論もまたあるわけですね。
それは私の意見として、このモモさんの2行が、どうして、私の質問の「差別という語に敏感に反応する」の答えになっているのかが、わからないのです。
ちょっと、補足してもらえませんか。
あと、相手が坊さんだろうと、そのパートナーだろうと「馬鹿」呼ばわりされたら、「そんなことをいうお前さんと所属宗派こそ、馬鹿野郎」だと言い返せばよろしいのです。そして、相手が言い返しそうになったら、「不軽菩薩の但行礼拝を知らぬのか」と言えばよろしいのです。
59
:
アネモネ
:2002/12/22(日) 10:26
みかんさん
>犀角さんに「富士門流信徒“だった人の”掲示板」と言ったのは私だと思いますが、
そうでしたか。私、言葉の真意を曲解して引用してしまったかもしれませんね。失礼いたしました。
60
:
アネモネ
:2002/12/22(日) 10:30
モモさん>私がアネモネさんに「(大石寺を)信じない人の理論ではないですか」
この言葉、実はモモさんに言われたのが初めではないのです。所属寺院の方からもよく言われてきた言葉なのです。モモさんのことだけを指して書いたのではありません。そして、私はこの言葉には敏感なんですね。差別という悪意のつもりはないことはわかってますよ。だから、潜在的に…と書いているのです。それが差別になりかねない考え方だということ、なかなか気がつかないものなんです。でも、「差別」という言葉に反応したモモさんは、どこかで私の言ってることも理解しつつあるのではないでしょうか。それこそ潜在的に気づきはじめている。そんな印象も受けます。
それから、「功徳」とは何かということも、オフ会でも出たことですが、確か認識を誤って理解されているといった話が出たのではなかったでしょうか。いま一度、あの場での功徳の話を聞きたい気がします。
乞食信心という表現がありますが、私としては、法華講で当たり前に使われていた功徳という言葉は、どことなく何かの見返りを期待するために功徳を積むという、損得勘定で認識されているような感じをうけ、先にキリスト教を経験している私としては、まさに乞食信心のようで、どうも馴染めないのです。
キリスト教が説く「無償の愛」のほうが、高い境地にあるような気がするんですね。これはキリスト教のほうが正しいという話ではありません。ただ仏教が目差す本当の素晴らしい慈悲の教えが、正しく今日に伝えられていないのではないかと感じるのです。いちりんさんや、独歩さん、そしてみかんさん方が、研究なさってこられた内容を伺っても、感じていることは、そんなに外れたことではないと思うんですね。やはり、原書や文献をきちんと追って、体系立てて勉強していくことは重要なことだと思います。そのうえで、個人的宗教体感というものを全面に打ち出すならば、また聞く側に響くものもあるかもしれません。
どんな宗教にも、個人的体感や奇跡話があるということも、オフ会で出てましたね。個人的な思いでもって、その教えの正しさは結局は、どこまでいっても個人的な体感を超えるものではなく、その教えの正しいを本当に証明することはできないと思います。
しかしだけど、個人がその教えによって、どのような考えを確立し、どのような人格となって、どのような心でどのような行いをしているのか、ということではもしかすると、その教えの素晴らしさを示せるのかもしれません。それが宗教の実践ということなのではないかと思います。その見地からいって、法華講での指導の内容は、私にとっては求めるものが違っていたという気がするのです。しかし日蓮聖人への敬慕、さらに仏教への崇拝を捨てたというわけではないのです。
> 二元論で考えることは有効な思考方法であると同時に危険が伴う場合があると思います
私もこの発言は意味がとれないのですが、私の前のレスの説明が二元論だということなのでしょうか。
61
:
犀角独歩
:2002/12/22(日) 15:08
破壊的カルトの特徴について、少しハッサン氏の言を引用しておきます。
上述までの議論と照らしながら、参考にすると、一つの現実が見えるでしょう。
◇マインド・コントロールの定義◇
個人が自己自身の決定を行うときの人格的統合性を壊そうとするシステムだけを、私はここで『マインド・コントロール』と呼ぶ。マインド・コントロールの範質は、依存心と集団への順応を助長し、自立と個性を失わせることである
◇集団組織での生活に浸して操作する◇
マインド・コントロールは、ある人をひとつの集団環境へ浸すことで達成されるのであり、その人は、その環境でやっていくためには、自分の古い人格を捨てて、そのグループが期待する新しい人格を身につけなければならない。以前の自分の人格を思い出せるような現実――彼の古い自意識を認めるようなもの――はすべて排除され、それはグループの現実と置き換えられる。はじめはわざと役割演技をやっていても、ついには演技そのものが現実となる。彼は全体主義的なイデオロギーを身につけ、それが自分のものになってしまうと、それが以前の彼の信念体系にとって変わる。通常、人格の根本的変化と人生行路の劇的中断(変更)が起こる。この課程は、2、3時間で作動することもあるが、それが固まるには、ふつう数日か数週間かかる。
◇話し見れば所属団体がわかる理由◇
特定のグループにはそれぞれ、そのグループを結び合わせる特色ある儀礼的な行動のセットがある。それには、グループの信仰を表す比較的伝統的な方法とともに、型にはまった話しかた、身振り、表情などが含まれる。
もしだれかが『熱烈に』行動していないと、その人はリーダーに呼びつけられ、利己的だとか不純 だとか、あるいはじゅうぶんに一生懸命やっていないとか非難される。先輩メンバーのようになる ように迫られ、先輩の声の調子までまねる。
リーダーに対する服従こそ、身につけるもっとも大切な教えである。
リーダーといえども、だれかの内面の思想まで支配できない。しかし【行動】を支配できれば、感 情と精神はそれについてくる。
◇使わせる言葉で思想を操作する◇
ある言葉をコントロールすると、思想をコントロールするのに役だつ。たくさんがグループが、複雑な状況を単純化してそれにレッテルをはり、カルトの決まり言葉に換言してしまう。このレッテルこそ、詰め込み言語を具体的な言葉に表したものなのだが、それが、ある状況でメンバーがどう考えるかを支配する。カルトの決まり文句または『詰め込み言語』は、また、信者と外部の人々の間に見えない壁をつくる。詰め込み言語は、メンバーたちが自分を特別だと感じるのを助け、彼らを一般大衆から引き離す。詰め込み言語はまた、メンバーが何のことを話しているのか理解したいと思っている新参者を混乱させ、真理を『理解』するためには自分はひたすらもっと勉強しなければいけないのだと思わせるのに役だつ。実際は、詰め込み言語を身につけることで、彼らはいかに【考えない】かを学ぶにすぎない。彼らは、理解するとは信じることだということを学ぶ◇破壊的カルトは
◇正当な脱会理由を認めない◇
破壊的カルトは、メンバーがそもそもグループをやめること自体を怖がるように、恐怖症を心に植えつける。こうすることで彼らは、自由な選択の扉を閉ざしてしまう。人々は破壊的カルトに入る自由はもっていたのだが、やめる自由はない。実際、破壊的カルトの目には、だれかがそのグループをやめる『正当な』理由など存在しないのだ
◇個人的な体験を経験させて操る◇
破壊的グループはマインド・コントロールのテクニックを使って新会員を勧誘する。その人の人格を崩壊させ、教え込みをし、カルトのイメージに作りあげてしまうために、その人の体験をコントロールすることが欠かせない
◇空想世界の住人◇
破壊的カルトでの生活は、ほとんど犠牲と苦痛の生活である。破壊的カルトですべての時間を過ごす人々には、全体主義のもとで暮らすのがどんなことかわかるのだが、自分自身にどんなことが起こっているのかは、客観的にわからない。彼らはグループが作りだす空想の世界に暮らしている
62
:
犀角独歩
:2002/12/22(日) 15:12
61の訂正
誤)
理解するとは信じることだということを学ぶ◇破壊的カルトは
◇正当な脱会理由を認めない◇
正)
理解するとは信じることだということを学ぶ
◇破壊的カルトは正当な脱会理由を認めない◇
63
:
sat
:2002/12/22(日) 19:50
J.C.ロス、M.D.ランゴーニは破壊的カルトについて以下のように記しているようです。
皆様のご参考になれば・・
①真理はその組織に占有されており、その組織を通してのみ知ることができると主張する。
②組織を通して与えられた情報や考え方に対しては、疑ってはならない。
③自分の頭で考えることをしないように指導する。
④世界を組織と外部とに二分する世界観を持つ。
⑤白黒を常にはっきりさせる傾向が強い。
⑥外部情報に対して強い警戒感を与え、信者の情報経路に様々な制限を加える。
⑦信者に対して偏った情報、偽りの情報を提供することがしばしばある。
⑧組織から離脱した人間からの情報に接することを禁じる。
⑨家庭や社会との関わりで多くのトラブルを生じている。
⑩社会からの迫害意識を持ち、それをかえってバネにする。
⑪外部に対して正体を隠す傾向がある。
⑫生活が細部にわたって規定される。
⑬組織が信者の生活のすべてになっている。
⑭共同体内部でのみ通用する言葉を多く持っている。
⑮組織からの離脱について極度の恐怖心を与える。
64
:
sat
:2002/12/22(日) 20:32
上記の書き込みどうも出所を間違えたようです。
正しくは、①マインド・コントロール研究所「親は何を知るべきか」(いのちのことば社)、②中澤啓介「宗教は恐ろしいか」(大野キリスト教会)、③スティーブン・ハッサン「マインド・コントロールの恐怖」(恒友出版)、④浅見定雄「統一協会=原理運動 その見極め方と対策」(日本基督教団出版局)を参考に、日本イエス・キリスト教団函館中央教会の長田永一牧師が書いたものとのことです。
修正いたします。すみません。
65
:
トゴシ
:2002/12/22(日) 21:26
うー、ここまで読んでくんのシンドかった。
えーー、ほんとにsatさんて、学会の人なの??
66
:
トゴシ
:2002/12/22(日) 21:58
>複雑な状況を単純化してそれにレッテルをはり、カルトの決まり言葉に換言してしまう。このレッテルこそ、詰め込み言語を具体的な言葉に表したものな
なある、てことは、戒壇の本尊を絶対に疑わない、国立戒壇は、決まり言葉なんだわさ。
67
:
sat
:2002/12/22(日) 22:03
トゴシさん
正真正銘の創価学会員ですが・・
なにか変ですか?
68
:
トゴシ
:2002/12/22(日) 22:15
あれ、怒った。
学会てさ、「極悪日顕」とかいう人ばっかみてきたんだよね。
だから、satさんみたいな常識人がいるとは知らなかったのよね。
気、悪くしたんなら、ゴメンね。
69
:
sat
:2002/12/22(日) 23:07
トゴシさん
いえいえ怒ってなんかいませんよ(笑 怒る理由もないですし・・
70
:
犀角独歩
:2002/12/22(日) 23:20
satさん:
適切な資料を提示していただきました。
①はパスカル・ズィヴィ師、主に統一協会問題、②はエホバの救済支援者、③は言わずと知れています。みなControversial Groupを扱う方々ですね。
これらの方々の指摘が、ここ富士門―学会を含む石山系教学範疇―に当て嵌まってしまう現実は、やはり解消されていかなければなりませんね。
71
:
犀角独歩
:2002/12/22(日) 23:39
みかんさん、お詫びが遅れました。私の“だった”投稿、失礼しました。
また、アネモネさん、妙薬さん、五月雨さん、貴重なご意見、有り難うございました。
石山教義の差別性、しかし、よく考える必要があるのは事実ですね。
「信じない人の理論」を無視する信じている人の論理を「独善」と呼ぶのだと、私は思います。独り善がりの社会から乖離した独善主義、しかし、そういう人から見ると世間のほうが独善と見える、この180度の見解の相違がどこから生まれるのか、よくよく考えてみる必要があると思うわけです。
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