[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
つぶやきすれっど2
26
:
犀角独歩
:2002/12/19(木) 21:46
トゴシさん、ありがとう、でも、もうやめてください。
私もかばっていただくほど、弱虫ではありませんので。
また、富士桜さん、この文章のいちばん、最後に問いかけています。読んでもらえれば有り難く思います
他のROMの方にも誤解があるようなので、私は私で書かせていただきます。
以下は、まあ、菊水護国さんの所のような例外の話ではなく、私が見聞した石山と法華講の本音の部分です。
私は過去2年間、最初は問答名人さんや、アネモネさんなどに対して、続いては五月雨さんなどにも、そして、いまなんだか話題になってしまった好青年・富士桜さんなどにも「やめたほうがいい」ということは、ずっと言い続けてきました。
しかし、それが、ここのところ、どうも誤解を受けているようなので、どうして、そう言ってきたのかという点を記しておきます。また、この投稿が法華講連合会で読まれ、何らかの啓発になればと思い、記し置くものです。
私が学会から寺院に移講したのは平成2年のことでした。思えば、もう干支が一回りするほど昔のことになったのだという感慨があります。
入講した時、私は住職に「お陰様で法華講になりました」、こう挨拶をしたのです。
すると、住職は、笑みを含みながら、「法華講というのはな、もう何百年も、代々日蓮正宗の檀家だった人のことを言うんだよ。昨日今日、講に入ったからって法華講なんて言わないよ」と言ったものでした。住職の笑みとは裏腹に私はちょっと納得のいかないところが残ったわけです。しかし、指導教師の“お言葉”ですから、素直に「はい」と頭を下げたものでした。
その後、それこそ四六時中、寺に泊まり込むような超多忙な日を過ごすことになります。これはもはや筆舌に尽くせない忙しさでした。その頃、支部登山(お目通り登山)、教学試験などの仕組みを構築するために連合会にも出入りするようになっていったのです。
ある時、古参の法華幹部が私を指さして、「学会出がでかい面するんじゃないよ」とこう言ったのです。私はこの性格ですから、黙って聞いてはいません。「何ですか、その言い方は!」、すると、その人間は不敵の笑いを浮かべて「学会の家なんかに生まれたのは前世に信心がなかったからだよ。前世でもちゃんと信心をしていれば、法華講の家に代々、生まれるんだよ」と、吐き捨てるように言いました。
かなり、頭に来ましたが、場所は寺院、それ以上、言い争うのはやめにしたわけです。
まあ、それでも連合会の仕事も徐々に増える傾向となっていきました。
私は役が欲しくてやっていたわけではありませんでした。ご奉公であると思えばこそ、一所懸命にやっていたわけです。
ところが「あんた、やっても無駄ですよ」と、こうある法華講幹部が私に耳打ちしたのです。「法華講というのは“法華講”しか信用しないし、登用しないんだよ」と。
「私だって、法華講…」と反論しようとしたとき、私の脳裏を住職の一言がよぎりました。「ああ、そうか。ここは生まれながらの法華講以外は法華講としてなんか見ていないのだ」とすべてを了解したわけです
。
さらに、これに連合会では本行寺閥というものがあるわけです。
かつて顕師がいた、そして柳沢さんが赤いバイクで走り回った時から人脈です。
これがすべてを握っているわけです。
はっきりと書いておきますが、この生まれながら法華講幹部という連中は、中途から入ってきた学会出を、前世の行いという因縁論でもって見下していると私には思えます。
さらに坊さんに至っては過去世の行いが良かったから坊さんの家に生まれたと本気で、…もう一度書きますが…本気で思っています。
つまり、いちばん過去世の行いが良かったのが「猊下」で、続いて、坊さん、それに続いて、生まれながらの法華講の、それも幹部と彼らは思っているというわけです。前世の行いが判断肢になっているのですよ、これが。こんな神経をした連中の下で、使われる「昨日今日法華講になった」人々、特に「学会出」は、彼らから前世から見下された上で、使われているわけです。
こんなところで、「法華講の活動をすることが信心だ」などと考えて、自分を酷使しては自分が可哀想というものだと言うことです。
そんな事情がわかっても、それでも、法華講役員に従っていた自分を思い出すと、実に慚愧の念に絶えないのです。ここから出た言葉が富士桜さんに向けた言葉でした。
まあ、過ぎた言葉であると富士桜さんが思うのであれば、私はお詫びすることは吝かではありませんよ。しかし、忠告もいけないと言われるのは私は心外ですが。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板