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万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る

1中葉:2004/06/15(火) 12:18
朝日新聞6月11日付けによれば、5月31日に神田愛知県知事他が
北京で中国側関係者にご挨拶した際、昨年12月にBIE(博覧会
国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国
外交学院院長)は「大阪万博以降、低調傾向にある万博運動を
盛り返したい。21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニ
ケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点
からも日本の努力を期待し、BIEも愛知万博に協力を惜しまな
い」と語ったとのことです。

2005愛・地球博では、このような国際的、歴史的な期待に対応
し、地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23
その他、多種多様な企画・準備とともに、万博後の恒久的な
体制づくりも進めています。

しかし、まだまだ不十分です。
皆さんのご支援をよろしくお願いします。

2緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/15(火) 13:59
>1
あのぬいぐるみじゃぁねぇ・・・(笑)

てな冗談わおいておいて、物売りかえ?

3中葉:2004/06/15(火) 14:22
アハハ、

今度はボランティアですから、只で善意の押し売りです。

4中葉:2004/06/17(木) 23:46
それにしても、呉建民氏(前在仏中国大使、中国外交学院院長)は何を考えているんだろう?

21世紀以降の紛争解決の糸口
新しいコミュニケーションの方策
マルチラテラリズム(多国間主義)
・・・・・
の観点からも日本の努力を期待
BIEも愛知万博に協力を惜しまない

とは何を言わんとしているのだろう??

考えれば考えるほど奇々怪々!

5緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/18(金) 08:38
>4
ほれ、EIとかいう統合ソフトの売り出しのことじゃぁないの?(笑)
<エクセルとパワポとワードを一体化させたよーな、あれだよ。

まあ、万博なんぞ「物売りの場の提供」だからねぇ。

6中葉:2004/06/18(金) 18:49
私は万博大嫌い人間で、行ったことないから知りませんでしたが、

そうですか?今までは「物売りの場の提供」だったんですか。

その固定観念から見たら、万博は時代遅れで意味ない、という意見が多いのも当然ですね。

私は、BIE他の協力も得ながら、21世紀以降の紛争解決の糸口、新しいコミュニケーションの方策、マルチラテラリズム(多国間主義)の観点からも期待される日本の努力を提供するべく、準備をしているところです。

7緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/18(金) 19:29
>6
ほれ、万博ちうたら、「万国博覧会」ちうてねぇ。
「うちわ、こんな技術もっとりまふ!んで、こんな製品作れまふよぉ」
ちうのが、ことの起こりだからねぇ。

ちなみに、明治時代にゃ「内国博覧会」ちうのもあってのぉ、国内各地の
特産品を展示しとったが、あっちうまにやらんくなったわな(笑)

8ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/18(金) 23:13
>>7
バブルの頃にも流行ってましたよね。国内万博って(笑)
毎年2〜3箇所でやってたような。

大阪万博、神戸ポートピア、宇宙博は行きましたねー。
海洋博は遠くて行けず(沖縄は離島だから)、つくば科学博はいろいろあって行けず。
万博の持っていた意味というのは、その後「見本市」という専門化したものに受け継がれていくわけですね。
パビリオンは国が出すんじゃなくて、それぞれの技術を持っている企業が出すようになった。
業種によって、モーターショー、モーターサイクルショー、おもちゃショー、食品加工機械見本市、ゲームショー他多数になった。
コミックマーケットも一種の「専門化した見本市」かもしれません(笑)。
で、初期の万博は、それらを「企業出展」よりも「国としての出展」という形でやってた、と。

ちなみに昭和・平成の所謂バブル期の万博は、すでに専門化した見本市と並存してたせいもあってか、国単位で技術をひけらかす習慣が消えていたせいか、さらには「新しい技術」がない国まで「万国博」として参加するようになったせいか、「お国自慢物産展」に堕していたのは事実。
おもしろかったのはつくば博くらいまででしょう。
イカフライ女史あたりだったら万博も記憶にしっかり残ってるんじゃないですか? 私は幼少のみぎりでしたが(笑)、けっこうおもしろかったですよ。

それ以後の時代の万博しか知らない人は、ちょっとお気の毒でした。

また、昔は万博くらいしか「国際的に集まって民間が場を持つ機会」がなかったというのもあると思いますが、現在では「NGO的国際会議」もいっぱいあるわけで。
その意味では、万博でそれをやるのはアドバルーン的な意味しかないんじゃないですか?

9緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/19(土) 09:54
>8
お年がばれる(笑)

バブル直前〜バブル崩壊までで、かなり食傷気味になってしまいましたからねぇ。
<そのての内国博覧会わ

まあ、各専門分野ごとに行われる「見本市」わ、内容が濃いんでそれなりの人が行くと
ためになるからええんですがね。

ところで、横道知事がやった「食の祭典」のジェノスカード(未使用・1000円)が
引き出しの中にあるんですが、ヤフーで売れますかねぇ(笑)

今やるなら「職の祭典」かぁ〜?

10イカフライ:2004/06/19(土) 10:11
>>8

万博、というと、大阪万博しか頭に浮かばない世代です(^^ゞ
「1970年のこんにちわ-」ですね。
 親に行きたい、連れてって、とねだったもんですが「あれは大阪の子しかいけないの」とか言われまして。
 で、夏休み明けたらいってきた子がクラスに一杯(笑)
 旅費が無いなら無いっていえば良いのに。こういうすぐバレるウソをつくから、子供は親に対する信頼感を失うんだ(笑)。

 うちの亭主は行ったそうです。今でも、当時の写真を見せびらかして自慢される。

 どうも、大阪万博の印象が強いせいか、その後の博覧会はあまり興味がありませんでした。
(ポートピアもつくば博も海洋博も)。70年代は、日本が良くも悪くも元気だった時代だ。

 今、博覧会をやるのなら、なにか新しい形と言うか、吸引力がないとダメでしょうね。
 その「新しい」がなにか、解りませんが(ネット博なら良いか?というと、あれも外した様で)

11緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/19(土) 14:15
>10
いあ、やはり「職の祭典」をば(笑)

12中葉:2004/06/20(日) 22:47
>>10 今、博覧会をやるのなら、なにか新しい形と言うか、吸引力がないとダメでしょうね。その「新しい」がなにか、解りませんが

全くおっしゃる通りです。

私が興味を持ち、支援している市民プロジェクト、
地球フォーラム・シンポジウム「地球に生きるものの使命」では、
http://www.expo-people.jp/projectlog/details/project_details.php?pid=23

平和の尊さに共感し、その構築に積極的に参加の意思のある市民、NGO、NPO等、及び紛争地の市民や平和維持・難民救済活動等に関っている市民、NGO、NPO等を募集し、

近代技術文明が環境汚染や資源枯渇、紛争や文明間の対立を生み出し、憎しみの連鎖を引き起こしている現状に鑑み、これらを解決するため、様々な智を結集し、
人と人が宥和し合う地球平和の智恵をみつけたいとの想いをベースに、平和の構築を目指し、平和の構築を目指し、取り組むべき課題を明らかにし、そのメッセージを世界に発信しようとしています。

13ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 00:56
中葉さんの年齢や趣向がわからないので参考意見として聞き流してください。
過去の小説、コミック、映画などでは「1960年代以前」の悪役はナチスドイツかその残党でした。
「1960〜1970年代」の悪役は「旧ソ連」でした。
「1970〜1980年代」の悪役は「過激派や中東のテロリスト」でした。映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」ではリビアのテロリストっていうのが出てきましたよね。
「1990年代」の悪役はズバリ、「フセインまたは中東のテロリスト」。映画「ホットショット2」ではモロにフセインがラスボスでした。

で、1990年代から2000年代に入ってきてからは、急速に「環境保護団体やNGOの類が、目標達成のためにテロリストになる」という描き方をする作品が増えてきはじめました。
コミック・アニメはその傾向が特に顕著ですね。
もちろん、「真の敵は軍産複合体か大国の陰謀」というところに落としてはいますが、「純粋すぎる環境保護団体が目的のために手段を選ばなくなることで、テロリストと何ら変わらないことを躊躇わずにするようになる」という描き方は、決して珍しいものではなくなりました。
よくあるのが「月面開発反対のため、宇宙でテロを行う」とか、そういう類の設定。これは、最近だとコミック「プラネテス」の中盤の敵がこんなタイプの環境テロリストでした。

まじめ、かつ善良な正義感から平和を見つけよう、という中葉さんが危惧しておられるテーマを煮詰めていった結果、やはり「技術の放棄」「開発の放棄」「資源開発の阻止」を強硬的にするしか人類を目覚めさせる方法はないのだ、という悲痛な選択肢を選び、自らの手を血に染める原理主義的な存在として、「環境テロリスト」が俄然注目を集めているようです。
一昔前なら「宗教的な殉教者」として描かれるところだったと思いますし、実際そうした「生命の尊さを共感し、地球を救え」的環境NGOの掛け声は宗教に通じるものがあると思います。
ただ、直接的に宗教(個人の意志をスローガンで統合していく)に反抗するのではなく、形を変えた宗教的なものの暴走に対する警告という形で、環境テロリストが悪役にされてつつあるのかな、とも思いました。

平和、環境保護が「欲を制限し、我慢すること」で成立するものだとすれば、その行為も気持ちも理解はできますが、欲を追求することで拡大してきた人間の営みは、「殻の中で分け合うこと」ではなく「殻の外に飛び立っていくこと」でしか維持していけないのではないか、という考えの作家が多いことから見ても、「我慢しましょう」という禁欲的スローガンの活動にはいささか共感を感じにくく思います。

ところで、どうしてそうした「運動に参加の意思がある○○○」と続くときに、最大単位を「市民、NGO、NPO」という単位で数えるのでしょうか?
「国民、民族」や「町民、村民」じゃだめなのでしょうか? 意図的に「国」という単位を無視しているか、無効化しようとする意識があるのでしょうか?
人類が仮に「世界政府」を持つことができるとしたら、段階的な「上部行政府の統合」だと思うんですが(欧州各国がEUになったように)。
欧州各国の人々は、「市民」としてEUに参加しているわけではなく、あくまでそれぞれの国民としてEUに参加するかどうかの意思確認をした上で参加しているわけですよね。
それと同様に、「世界共通の○○○」を求めることがあるとしたら、それは「市民や個人が個別に参加」ではなく、あくまで「国民として国に意志を委ねて」その上で、になるのでは?
そう考えると、「国という現在考えられるもっとも上層に近い枠組み」とそこへの所属を意図して軽視するのはなぜなのかが、以前から不思議でならなかったわけですが、もし中葉さんがこれに何らかの明確なご意見をお持ちでしたらお聞かせ頂ければと思います。

14中葉:2004/06/21(月) 05:47
>もし中葉さんがこれに何らかの明確なご意見をお持ちでしたらお聞かせ頂ければと思います。

よい指摘と質問をありがとうございました。

私がいわゆる市民に期待を持ち始めたのは、大体1965年以来で、企業改革への刺激としてでした。
しかし、ほとんどその直後から期待は裏切られ始め、それは一貫してこれまで続いています。
これは日本の話です。かたや、日本以外では少し違うようだという印象を持ち続けています。

>>12 平和の尊さに共感し、その構築に積極的に参加の意思のある市民、NGO、NPO等、及び紛争地の市民や平和維持・難民救済活動等に関っている市民、NGO、NPO等を募集し

という文章は、最近、日本で蔓延している共通な文章として、皮肉も含めて引用しました。

私が現在、もっともバランスがとれた記述として、しばしば借用している叙述は、
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=2500&amp;KEY=1046014709&amp;LAST=100
「ウェストファリア体制の次にくるもの」の
http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1046014709/22-25
に引用したJessica Mathewsの文章です。 http://www.ceip.org/files/about/Staff.asp?r=18

私は、マシューズが提起した課題に答えようとしています。

私は万博の場を利用して準備しているのですが、その方向に一番近い議論をしているのは以下のグループです。
・DC開発フォーラム http://www.developmentforum.org/aboutus.htm
・DC開発フォーラム/寄稿 http://www.developmentforum.org/Articles/

まだ始まったばかりのようです。

私自身の構想は、いくつかの文章をホームページに掲載しています。
講義、論文、シラバス http://home1.catvmics.ne.jp/~shibatay/lecture.htm
論文、資料など http://home1.catvmics.ne.jp/~shibatay/articles.htm

15ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 06:09
>>14
すみません、概要もしくは目次、レジュメなどありましたら、まずそれをお願いします。

16ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 06:13
自説について、すでに一度でもまとめたコトがある人間は(自分も含めてですが)、ついつい「詳しくはこれを読め」で済ましてしまいがちですが、膨大な資料の細部をいきなり渡されても、相手が興味を示すことはマレかと思います。
レジュメなり、何らかの導入は必要かと。
もちろん、「問いに対する答えを求めたのはそちらなのだから、そちらが努力して近付くべきだ」というお考えを中葉さんがお持ちであるならば、「その考えが基礎にある限り、あなたの考えは広まっていかない」と反論することになってしまうのですが(^^;)

17ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 06:28
>>13について、重ねて質問しますが、中葉さんが考えておられる「市民」というものは、

1)「Citizen」ですか? 
2)それとも、「地方自治体の一階層である【市】に所属する個人」ですか?
3)それとも、何かもっと得体の知れない「個人」に対する称号でしょうか?

所謂Citizenというものは、「国の防衛に対する責任を負った階級」の意味だと思っていましたが、最近は違うのでしょうか。
地方自治体の所属員を示す「市民(町民や村民や県民と同程度の)」を殊更にクローズアップして使われているわけでもないと思うのですが違いますよね?
もっと得体の知れない個人、についてですが、NGO、NPOなどの勢力・組織が「国に変わるもの」になるのか、「国と同等の地位と権力を持つもの」になるのか、「国を凌駕する存在」になるのかで、それに対する評価はまったく変わってくるのではないかと思います。

以前、別のスレで、「武装NGO」「武装NPO」は、民兵/テロリストとどう違うか?という意見がでていましたが、暴力の暴発を抑止する力としての暴力を持たないNGO/NPOが、暴力の暴走に十分に対処しうるとは思えませんし、同等の暴力を自由意志で行使できる武装NGO/武装NPOの存在根拠を認めるのもどんなもんかとも思います。
上記質問と合わせて、お暇なときにお考え頂ければ幸いです。

18ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 06:58
以下は独り言ですので、返信は特に不要ですが、ヤスツの脳内質疑に参加なさりたい方はどうぞ(^^;)

2ちゃんねらーは市民か否か?(笑)

ネット内での発言に絞れば国に従属せず、特定の地域の拘束を受けず、また、「大規模OFF」と称される、市民活動にも似た行動を取ることもあり、名簿で統括されない不特定多数の参加によって成立する突発イベントや大規模イベントを幾つもこなし、それでいて明確な「頭」や「継続性のある組織」を持たず、極めて狭い目標を掲げ、費用徴収をせず、いわば参加者全員の持ち出し/持ち寄りによって目的を達成している。
不特定多数のネットワーカー(これもまた懐かしい言葉ですが)が、肩書き、実社会での立場に囚われることなく、「2ちゃんねらーである」+αだけを唯一の共通項に、同一行動を取る、というもの。
市民運動の動員で毎回苦労している人から見れば、これほど羨ましくも腹立たしいものはないらしい。
そうした行動を取る2ちゃんねらーに明確な「思想」があるかと問われれば、たぶんおそらくないんじゃないかな、という気もする。
まさに、「潜在的意志」「声を挙げずに身体が動く」というものを体現しているようにも見える。

いわゆる「市民運動」は、旗振り役の個人、組織、思想的指導者がいて、それが「白紙状態の“市民”」を牽引しようとするという構図を持つ。
思想的指導者が市民運動家の場合もあれば、研究者、学者の場合もある。日本では「欧米の最新の動き」という海の向こうのありがたいものを思想の支柱に持ってくる場合もある。
が、そうした形で、「無知の市民を引っ張り上げていこう」というスタイルで市民運動を盛りあげようということそのものが、すでに時代遅れになってきているんじゃないか、と思う。
なぜなら、思想家、思想的指導者が押っ取り刀でやってきてようやく手を付け始めたインターネットというツールは、とっくに誰もが手を付けていて、資料占有によって得られてきた思想的指導者の占有できる特権を、占有できないものにしてしまっている。
だから、思想的指導者は自分の占有性、特殊性、特権性を維持するために、「とっときのアイデア」は隠そうとし、理解しにくいものだとして希少性を高めようとする。

ところが、同じ情報を同じツールから、思想的指導者以外のものも等しく手に入れることができるようになっている。
同時に、情報の分析や解釈も不特定多数によって同時に進められている。ここでも思想的指導者の特権性は失われている。
2ちゃんねらーの「突発的大規模off」が特定の思想的指導者を持たないのは、こうした「情報と分析結果の共有」がすでになされていて、誰か一人に負わなければ成り立たないという構造を古くさい物にしてしまっているからではないか、と見ている。
だとすると、「国の代わりにNGOやNPOが出てきて」という発想そのものが、実は既に時代遅れになっているのでは、とも思われる。

NGOやNPOがインターネットというツールを活用して国境を越えていることは事実だ。
しかし、NGOやNPOが「組織」という皮を纏っている限りは、インターネットを同時に使いこなしているその他の「NGOやNPOに属さない個人の群れ(あえて市民とは言わない(笑))」とは、別個のものではないのか?
また、NGOやNPOの成立、利用しているツールが同じだからといって、2ちゃんねらーを「NGO」「NPO」とは呼ばないことを、どう説明すればいいのか?
2ちゃんねらーはNGO、NPO、「市民」と言えるのか?

19ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 06:58
2ちゃんねらーの大規模offは、言い出しっぺ(本来なら指導者になるはずの者達)が、いつの間にか「参加者を指導するのではなく、参加者に使役される側になっている」ということがしばしば見られる。
また、そういう好きこのんで苦労を背負い込む人が、進んでその他の参加者を尻馬に乗らせるためのお膳立てに奔走しているが、結局は「旗振り役の望んだとおり」ではなくて、「参加者の総意を得られたこと」しかできない。
(だから突発offで、思想的指導者が独裁をしようとしてうまくいった試しがない、というのも注目すべき点)

市民運動、NGO、NPOなどが本当に必要とされているのだとしたら、インターネットが絶えず利用される社会では、誰かが心配しなくても「必要な状態になる」し、「市民、NGO、NPOが必要だ!」と声をからして訴えても、同意が得られなければ善意に基づくマスターベーションで終わるのではないか、という気もしている。
なお、2ちゃんねらーを例に引いたのは、2ちゃんねらーを過度に評価してのことではなく、「年齢、性別、出身、職業などが不特定で、情報だけを同じツールの元で共有している個人の群れ」として、非常に興味深いから。

2ちゃんねらーは「ある世代だけが集中した特殊な存在」なのではなく、実は「最低下限の普遍的な存在」なのでは?と疑うようになったのは、こないだADSLに切り替えるために実家に帰ったら、70歳の親が2ちゃんねらーになってた、ということに衝撃を感じたからです(^^;)

20中葉:2004/06/21(月) 14:36
>>16 「問いに対する答えを求めたのはそちらなのだから、そちらが努力して近付くべきだ」というお考えを中葉さんがお持ちであるならば、「その考えが基礎にある限り、あなたの考えは広まっていかない」と反論することになってしまうのですが(^^;)

そんな考えはありません。

そもそも、私の考えが言論によって広まる、という考えがないのです。

これは「コミュにて・オブ・プラクティス」の考え方だと思います。
しかし私は、コミュニティ・オブ・プラクティスのベースになっていると言われる「状況に埋め込まれた学習」という本を読んでいるわけではありません。

21中葉:2004/06/21(月) 14:40
>>17 中葉さんが考えておられる「市民」というものは

私は基本的には、「市民」という言葉を使いません。むしろ、嫌悪感を持っています。
ここで使ったのは、ある人の文章を紹介しただけです。その人が作った万博のグループに参加したので止むを得ません。

22中葉:2004/06/21(月) 14:50
>>17 上記質問と合わせて、お暇なときにお考え頂ければ幸いです。

いや、暇も何も、私はそういう問題意識(考える必要性)を持っていないのです。
自分はなにに所属するか、分類されるかについて、昔は考えたことがあります。

最初はどうも日本人でなくアメリカ人ではないか?

次は、いやアメリカ人ではなく、ユダヤ人ではないか?

現在は地球人ではなく、宇宙人のようだ、と思っています。
言い換えると、多重・複合所属ですね。

これで当面の宿題は終わりました。
(マシューズやフィオリーナの周りを回っているだけのような気がします。)

さて、万博がますます楽しくなりそうです。

23ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 14:59
>>20
なるほど、これは失礼しました。

コミュニティ・オブ・プラクティス云々については非常に興味深く思います。
また、>>21 「市民という言葉に嫌悪感を持っている」についても了解しました。

もう少しこれについてお話を伺いたいと思ったのですが……実は一昨日から風邪を引いてまして、熱が全然下がらないため頭があまり回らなくなってきました(つД`)
質問が明後日の方角に行ってしまっては申し訳ないので、体調が回復するまでしばし休息させていただきます。

なお、>>16にある「問いに対する答えを求めたのはそちらなのだから、そちらが努力して近付くべきだ」という考えについては、以前に質問をした相手からきっぱりとそう言われたことがあった、という経験に基づくものです。
中葉さんがそういった意見をお持ちかどうかわからなかったため、このような質問の仕方になってしまったことについて、改めてお詫び申し上げます。

……ちょっと、酸っぱいものもこみ上げてきましたので、今日の所は伏せることにします。

24中葉:2004/06/21(月) 15:03
愛知万博メッセージ http://www.expo2005.or.jp/jp/study/img/message.pdf
の始まりと終わりは以下の通り。

「自然の叡智」を縦糸に、地球大交流を横糸に幅広い参加と交流の博覧会を開催します。

(中略)

 人間らしい交流の原点とは、何だろう。
 それは人が人と出会い、語り合い、理解し合い、尊敬し合い、愛し合うことにあるのではないか。
 そのための交流の舞台“EXPO 2005 AICHI”をつくろうと思う。

 私たちは世界の人々に呼びかける。
 AICHIに集まろう。互いに見つめ合い、微笑み交わし、抱き合い、多彩な知恵の交流する世界を、全身で体験し、全感覚で楽しもう。
 
 地球の総ての“いのちと未来”のために??

25ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 15:05
>>22
いや、>>17の質問の意図は、「中葉さんが何に属しているか」を問うているのではなく、「中葉さんは市民と言う言葉を使ったが、そこで使われている市民という言葉に、どのような意味を込めて使っているのか?」という質問です。
>>21で「人の文章を引用しただけで、市民という言葉に嫌悪感を持っている」という解を得ましたが、その場合でも「市民」について中葉さんご自身がどのような「意味」を持って使われているのかはよくわかりませんでした。
「嫌悪感」は単なる情緒的な感想であって、ニュアンスの説明とは異なりますし。

少々私の質問の意図がうまく伝わらなかったようなので、補足とさせていただきました。

>>14でご紹介いただいた資料ページの親ページから、MEGA-NETその周辺についても拝見しました。
それが万博で提起する方法論の外郭もしくは中核なのだとすると、少し質問と確認の上で自分の意見を申し上げたいと思いましたが……あ、やっぱ今はダメっぽいです。

熱が。

26ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/21(月) 15:08
>>24
ううっ、あとひとつだけ(^^;)

その>>24の【愛知】万博のメッセージですが……うちの父方の親戚筋が名古屋なんですが、愛知というか名古屋の県民性を考えたときに、【名古屋人】にそれほど似つかわしくないメッセージはありませんね(笑)

27中葉:2004/06/21(月) 15:10
面白くなったから、英語バージョンを紹介します。但し、前文はありません。
だから最後の部分だけの紹介です。

But what will be the catalyst for genuine exchange? We believe the answer to be people meeting people, followed by discourse that goes beyond words to achieve mutual understanding and respect.

EXPO 2005 Aichi, Japan, is the place for this intercultural exchange.

In 2005, the world will gather together in Aichi Prefecture. There, we can weave together a fabric for a new global society; we can stand together, exchange smiles and share the wisdom of the world-felt and enjoyed with all our senses and experienced with our whole being.

Let us do this for all life and the future of our planet!

何か、気持ちが悪いですね。

28中葉:2004/06/21(月) 15:18
>>26 >>24の【愛知】万博のメッセージですが……うちの父方の親戚筋が名古屋なんですが、愛知というか名古屋の県民性を考えたときに、【名古屋人】にそれほど似つかわしくないメッセージはありませんね(笑)

私は愛知県人ではあっても、名古屋人(正確には尾張人)ではなく岡崎人(三河人)です。

安っぽい嘘っぽさに平気でいられると言うのは、正に尾張人ですよ!

三河人は全然違います。(昔は、あるいは、戦前は)

29イカフライ:2004/06/21(月) 22:14
個人的なこだわりですが、私はなるべく「市民」という言葉は使わない様にしています。
今まで全く使っていないか、というと、どこかで使ったかもしれないですが、「パンピー」とか言う様には心がけているつもりです。

これは、あくまで自分の個人的感覚に過ぎないのですが。

30中葉:2004/06/22(火) 05:18
>>29 個人的なこだわりですが、私はなるべく「市民」という言葉は使わない様にしています。

私も嫌悪感を持ちながら、あまりの氾濫に辟易することが多く、ブラックユーモアのつもりで濫用しているか、と思います。

31イカフライ:2004/06/23(水) 13:53
市民と言うと、ひとつは行政分類上の住民、例えば仙台市民とか、札幌市民とか、ですよね。
 それで言うなら、私は区民であったり市民であったりしました。
 ただ、ここで言われている市民は、そうじゃないですよね。

 NGO,NPOに代表される市民団体、市民運動における「市民」というのは、本来、政府機関なのど公的なものではなく、特に資格を持たない有志が集まって行う活動、というように私は思っていたのですが。
ここで「市民」として参加、活動する場合は、特別な資格(勿論、その活動に役立つ資格や技術、特技はあったほうがよいでしょうが)というものがなくても。
それこそ、普通のオジさん、オバさんが参加できるもんだ、と本来は思っています。

 ただ、「市民」というと、どっかそういった市井の人々とは、一線が引かれた、そんな感じを受けてしまうんですよね。
 それが、なにか? どこか? は、上手く説明できませんが。

32ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/23(水) 14:18
>>31

「プロ市民」というくくりに入れられてしまう人たちでしょうか。
もしくは「声を挙げる市民」だとか「活動や運動をする市民」だとか。
プロ市民には「プロレタリアート市民(かつて学生だった学生運動家が、もう学生って歳じゃなくなったので市民運動家に変貌し、「有志」の集団を「組織化」することで乗っ取ってしまう、というアレ)」という意味と、
「プロフェッショナル市民(市民運動を生業にしていて、行政を訴えたり寄付を集めたり機関誌を売ったりすることで口に糊している市民)」という意味とがありますが、そんな感じでしょうか。



外気温が熱いせいもあるかもしれませんが、体温が全然下がらないのはそろそろ病院行かないとまずいでしょうか(つД`)

33緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/23(水) 17:16
>32
早よう病院に行かれたほーがええんじゃぁないかと。
今年の夏かぜはひつこいらしいですからねぇ(笑)

昔、学生生協の役員にむりやりされて会合に行かされたとき(あ、ゼミの代表なんでプロじゃぁないですよ)
「細胞単位」ちう言葉で、人間くくってお話しとるの聞いて以来、「市民」やら「労働者」やら言うカテゴリー
区分でお話する人が、なんとなく人見下してるよーに感じるよーになってねぇ(笑)

細胞単位わないだろ(笑)

34イカフライ:2004/06/23(水) 19:07
>>32
ヤスツさん、病院行きました?
 風は万病のもとですから、気をつけて早めに直さないと。

「プロ市民」というくくりにいれるつもりではないんですが。
 なんというのかなあ、例えば反戦平和とか、環境保護とか、差別とか、障害者やホームレスへの支援とかって、市井の普通の人々の感覚で出来る事だと思うの、本来。
 で、実際にそういった組織を作って中心的に活動するとなれば、時間やお金を多く費やすだろうから、そういう人は、その会の運営費の中から給料とか貰う事は基本的には問題無いとは思うんだけれど。

 ただ、なんてかなあ、どっか、そういう団体って、市井のパンピーとは一線が出来てしまうような気がしてならないんだよね。

 これは、随分前に触れた「偏った反戦運動」ってことに関してもそうだし、「ボランティアをしたいけれど、プロ市民みたいな人にオルグされるのは、いやだ」という奥様の感覚も当然だと思うし。

35中葉:2004/06/24(木) 05:28
>>31-34
で議論されているような「市民と非市民」の対立と不信とが
愛・地球博 市民プロジェクト
http://www.expo-people.jp/home.html
の表層と底流とにも執拗にはびこっており、今日も3つのミーティングへ出かけます。

でも、逆に見れば、偉大な止揚への前夜かもしれません。(笑)

36緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/24(木) 12:19
>35
はぁ・・・

おれ、「村民」だから関係ないや(笑)

37中葉:2004/06/24(木) 23:20
村民と非村民の対立もありますよ!

例えば、きだみのる「きちがい部落周遊紀行」冨山房

38うろちい:2004/06/25(金) 12:16
非市民ってのは本当はいないんだけどねえ・・
「非市民」が「市民」から市民としての更なる責任を追及されちゃうから「非市民」は市民団体から距離をおくんじゃないかと思います
牧歌的なお恵み感覚でボランティア活動とかしたら痛い目に遭うわけで
「一線」てのはそういうもんだと思うけど
「乗っ取られる」のが嫌なら「市民運動家」を追い出すのもよし、分派を作って独立するもよし
「乗っ取られる」なんて言い分はお門違いの泣き言だと僕は思いますね
僕の大学でもいち左翼組織(僕は所属してない)が自治会占めてたけど、僕は他の学生がだらしない結果だと思ってましたよ
ま、その左翼組織も不器用な点もあったんですけど

39緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/25(金) 12:55
はぁ・・・

要するに、「普通の人」と「おかしな人」ちう区分のことね(笑)
<市民と非市民ちうのわ。

なら、俺わ、普通の人でええや(笑)

40ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/25(金) 14:12
>>34
ご心配ありがとうございますm(__)m
熱はやや引き気味……体調が悪くても仕事は待ってくれない、というところが業種を問わず社会人の辛いところです。

>>38
「乗っ取られるのは泣き言だ」の話。

分派を作ったり総括したり粛正したりというのをバンバンやってたのが、マルクスをかじった昔の学生さんたちで、その人達は「組織を作る、金を集める、人事を握る、障害を排除する」という、手管に長けているわけですよね。
そうして、本来の趣旨(それが反戦であれ、ドブさらいを週に1回やりましょうであれ)と無関係に、組織を「奪って」しまう。
そういうことをする「組織立ち上げ」「組織かっぱらい」人をして、「プロ市民」としているわけです。

結局は、目的に対して組織っていうのは「手段」でしかないんだけど、その手段がないと目的に近づけない、だから仕方なく組織を作る。
でも、組織というのは人間の対抗心を「制御するためのもの」ですから、組織の制御がうまい人間がいないと、組織そのものが成立しない。
ところが、組織の制御がうまい人間は、結局は「組織運営」が主目的になってしまい、目的と手段の転倒をたびたび起こす。
「市民運動」と呼ばれているもののうち、組織がうまくできているところほど、「主目的と手段の逆転」が甚だしい。

結局は、「組織の整備」を徹底しなければできないような目的は、手段を乗っ取られやすく目的も実現しにくい、ということなのかなと考えてみたりしつつ、お薬呑んできます。

41イカフライ:2004/06/25(金) 14:20
>>38

>牧歌的なお恵み感覚でボランティア活動とかしたら痛い目に遭うわけで

 痛い目に合わせるのは誰でしょうか? 要介護者ですか? 「市民」ですか? 市井の非市民の普通の人達ですか?
 確かに人を助ける、なんてのは、甘いもんじゃありませんよ。人間、自分一人を救うのだって必死ですから。
 でもさ、牧歌的じゃいけないわけ? 普通じゃいけないわけ?

42ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/25(金) 14:34
痛い目に遭ったら「ああ、もうこりごりだ。軽い気持ちで他人に手を貸すのは辞めよう」で終了ですね。
そして、「本気ではない、軽い気持ちのボランティアお断り」ということであれば、ますますそういう活動に参加しようかな、という人は減り、垣根は高まり、門戸は狭まり……

斯くして、「弱者?別に関係ないし」という社会がどんどん拡大していくんでしょうかね。

まず自分を救え。
余力があったら他人も救え。
他人を救うために自分を犠牲にしなければならないなら、それはするな。
余力の有無の判断を他人にさせるな。自分の余力は自分にしかわからない。

てことだと思うんですがねぇ。

43ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/25(金) 14:35
というわけで、びよういんにいってきます

44中葉:2004/06/25(金) 14:45
組織に関する話題提供をありがとうございます。実は私の専門なんです。

自分のことを書く前に、先生筋のMITでは今どうなっているかを書きます。
(最初の私の先生はマグレガーでした。今はいない。後輩ばかり。)

Center for Coordination Science http://ccs.mit.edu/ccsmain.html
がベースキャンプ

Inventing the Organizations of the 21st Century http://ccs.mit.edu/21c/
がその中心プロジェクト

リーダーはThomas W. Malone, Patrick J. McGovern Professor of Information Systems, Director, Center for Coordination Science
http://ccs.mit.edu/malone/
人柄は悪くない見たい。つまり、「組織かっぱらい」人ではないみたいだが、分からんね。

彼らの基本理念はWhat do we really want? A manifesto for the organizations of the 21st Centuryらしい。
http://ccs.mit.edu/papers/pdf/wp032manifesto21C.pdf

良く書けてはいる。ただそれだけの話。社会政治分析がないから駄目なのかな?

45緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/25(金) 22:14
>44
分析の前に、無料で日本語で提供してくれ(笑)

組織なんて簡単なことだよ。

1 構成員につながりを持たせる。
2 上級者の命令を、下級者が聞いて実行する。
3 実行しなかった場合には、ペナルティを与える。

それを、どんな手段を持って行うか、ちうだけのことだからな(笑)

46中葉:2004/06/25(金) 22:36
原理は簡単だが実行は困難。
理由は人間には理屈で動かない感情があるから。
問題はそこにある。

実際をご存じないようですね。
それならそれとしてお付き合いしますが。

47ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/26(土) 08:46
>>46
いや、原理が簡単なものは実行も簡単ですよ。
理屈で動かない感情があるというのも問題ではない。
というか、感情は理屈(理論に基づいた刺激方法を試すこと)で変えることができますよ。
感情を理屈で変えられないというのは、感情を変えるための方法論を持たない/知らない人の不勉強だと思っています。

例えば、言葉の選び方ひとつで相手を怒らせ、興奮させ、正常な判断力を奪うような情緒的な状態に置く、という形で「理屈に基づいて相手の感情を動かす」ということは可能です。もちろん、無意識のうちに相手を怒らせるような物言いをする人もいる一方で、意図的にそうした方法を選ぶことは「理屈」によって可能。
逆に、相手が「なぜ感情に左右される状態に置かれているか」をよく観察することで、負の感情ではなく正の感情を引き出すような環境を理屈に基づいて作るということも可能です。

組織を構成するのは人間で、人間は理屈だけでなく感情で動く、というのは、「その組織を制御する理屈が、感情を制御する理屈にまで進化していないから」というだけのことかな、と思ったりするのですが。

研究室の外の実際をご存じですか?

48ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/26(土) 09:18
>>47
補足。

原理が簡単なものは実行も簡単。
しかし、実行の結果、目的通りの結果がきちんと出ないのだとしたら、それは「原理が簡単でも実行が難しい」のではなくて、「原理がきちんと解明されていない」か「原理を理解把握していない」か「原理を実用するためのファクターを把握できていない」のいずれかなのでは、と。
なので、これに対して「現実はそんなにうまくいかないよ」という意味の批判を加えるのであれば、「原理は簡単でも、現実には様々な変動する要素も加わり、原理は常に修正され複雑化するので、単純な原理に見えても実用(実践)では思い通りにならないよ」ということを言いたいのかな、と思いました。

中葉さんのご発言は、「me too.」と言いながら、ご自身の主張については述べられず、「近いことを言っている人の名前と論文のタイトルとリンク」の紹介と感想に留まっておられるわけですが、まるで図書館司書か何かのようですね(^^;)

「原理を解明するのは学者の仕事」
「しかし、解明した原理を実践に活用することは学者にはできない」←様々なジャンルに失敗例が夥しくある
「原理を解明できた学者には、解明した原理を説明(自分なりの理解を発表)することはできても広く理解させることはできない」

そゆことかな、と思うのですが、、、、

49イカフライ:2004/06/26(土) 21:08
組織を作り、それを運営・維持するのは、難しいもんだ、とは、過去の経験から感じるんですが。

 まあ、私の「組織」というのは、NGOや市民団体ではなく、マンガや小説の同人サークルでの経験ですが。

50ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/27(日) 09:21
例えば、3人集まって会(組織)を作ったとします。
会が崩壊しないためには、3人が対立しないことが重要です。
このとき、
「仲良くしましょう」「そうすれば会は存続する」
というのは、原理ではなくて「目標」。
この場合、「(1)会の存続」が優先順位第1位の目標。それを維持するために、「仲良くしましょう」が補助的に機能する。

で、3人が3人とも「会を存続する」ということが優先順位第1位であるうちは、共通の優先順位第1位を達成するために、「AはBが気にくわない」「CはAが嫌い」といった問題は顕在化しません。
が、「嫌いな人とは組めない」が優先順位第1位になると(構成員のうち一人でも)、「仲良くしましょう」は、優先順位第1位を達成するためには機能しなくなります。

同人、趣味のサークルに限らず、NGO、市民団体、思想団体、学術団体、スポーツ団体ですらそうだと思うのですが(テコンドー団体とか(笑))、優先順位第1位を共有できなくなると、組織である必然がなくなりますので崩壊します。
組織が崩壊しないようにするのは、構成者が優先順位第1位を共有できるかどうか、ともうここだけで。

「組織を作り、運営、維持する」というのは、構成者の間で優先順位第一位を共有する必然とリンクします。
組織がいじされなくなるというのは、その組織が不要になるもしくはその組織の優先順位が構成者によって共有されなくなった、ということですよね。
優先順位が共有されていないのに、組織そのものを延命させようとするから、様々な「手段」が必要になります。人事だったり、引き締めだったり、粛正だったり、総括だったりですね(^^;)
この時点で、すでに「目標達成のために組織がある」状態から「組織を延命しないと目標は達成できない」と、手段と目的が逆転しています。
そうなってしまった組織は、まあ構成者の自由意志で捨てていい。
捨てた構成者が新しい組織を作るのも自由だし、残された構成者はまた「同じ優先順位第一位を共有できる新しい構成者」を募ればよい。

このとき、自由意志で構成者であることを辞めることを引き留めないのが民主主義ということですね。
(本人がその気になれば、日本国籍を捨てて他国の国籍を取ることも可能ですよね。地方自治体間の引っ越しの自由は言わずもがな)

「組織の維持が優先順位第1位」なのか、
「組織を利用して何かをすることが優先順位第1位」なのか。
組織の存在意義、原理はもうここだけかな、と思われます。

51中葉:2004/06/27(日) 13:49
>>48 中葉さんのご発言は、「me too.」と言いながら、ご自身の主張については述べられず、「近いことを言っている人の名前と論文のタイトルとリンク」の紹介と感想に留まっておられるわけですが、まるで図書館司書か何かのようですね(^^;)

私に言わせれば、それは当然です。

私は実践にしか興味がないから、実践に必要ならば理論にも興味を持ち、使えるものは使うし、使えるものがなくてどうしても必要なら自分で作ります。

しかし、なるべくは、すでに確立された理論を、なんとかだましだまし使う方を選びます。
私のように、一生応用をやってきた人間はそれが普通です。

それだけでも、私の能力は目いっぱい使ったなあ。それで満足。いつでも死ねる。
それから、応用についての国際的発表も口頭および本としていくつかでき、これも満足。

言うことはないね。

これから後は、万博で恩返しをする。奇矯な理論で自己主張だけはしません。

52中葉:2004/06/27(日) 14:03
繰り返し、私が万博でやろうとすることを確認しておきます。

私は、BIE(博覧会国際事務局)議長に就任した呉建民氏(前在仏中国大使、中国外交学院院長)の以下のありがたいお申し出に日本が対応するよう、全力で支援しています。

現在のところ、この支援業務のためには、新しい独自の理論をひねり出す必要は毛頭ありません。
しかし、頭をひねり、勇気を持って決断し、あの手この手で策を弄する必要は、ものすごくたくさんあります。
丁度、昨日終わった「北朝鮮の核開発問題をめぐる協議」と似ています。

>>4 名前: 中葉 投稿日: 2004/06/17(木) 23:46
>21世紀以降の紛争解決の糸口
>新しいコミュニケーションの方策
>マルチラテラリズム(多国間主義)
>・・・・・
>の観点からも日本の努力を期待、BIEも愛知万博に協力を惜しまない。

53中葉:2004/06/27(日) 14:12
ヤスツさん、こちらでも別スレの以下の条項を適用していただけませんか?

http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1052027621/647
647 名前: ヤスツ (CnaUXqoo) 投稿日: 2004/06/13(日) 06:40
>646
>なるほど、では、まずは目の前の実務に向けてご尽力いただければと思います。

54ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/27(日) 14:37
>>53
ええ、もちろんです。
自分でこれをやると決めて、それに向かって邁進されている以上は、その手を止めてまで意見を述べよと言うつもりはありません。

ただし、誰でも自由に見られる場所に何らかの意見や見解を書き残される以上は、書き残した内容についてまったくの第三者から論評されることもあるし、また意図と異なる解釈をされることもあるし、説明を求められることもあるだろう、ということです。
説明を求められたことに対して必ずしも真摯にいちいち応えなければならない義務があるとは思いません。
その代わり、見解を述べっぱなし、言いっぱなしになるのであれば、第三者から論評されっぱなしも、同じように黙過するしかないかなとも思います。

その上で、実践を優先するというのが中葉さんの意志ですから、それはもう是非頑張って頂ければ、と。

私の興味は、「人の言い分をよく聞く」「聞いた話で理解できたものは、(可能なら)相手(=主張者)に確認した上で、第三者にもこれを【かみ砕いて】言い広める」ということ。
専門家の言い分、論説には非常に興味がありますので、こうして多くの方々の見解を伺う一方、聞いた話をそのまま右から左に流してもまるで理解されないことも身に染みて存じているため、「如何にして元の意図を失わずにかみ砕き、主唱者を知らない人にも理念や論理、理論を共有させるか?」ということに注力しています。

世界平和でも年金問題でも、それにまったく興味のない小学生に対して、小学生自身が持っている少ないボキャブラリでも彼らの同級生に彼ら自身が正しく概念が説明できるようにする。
これが、知識の一般化。
私は、中葉さんやその他の方々とは、また違ったことを実践するために、いろいろ学ばせていただいております。

55三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/06/27(日) 21:30
)ヤスツ氏
理論というものは、あくまでもモデルであって実際
そのものではありません。
自然科学と異なり、人間を対象とする社会科学にお
いての理論に普遍性や絶対性を求めること自体が誤
りなのです。
ですから人間の織りなす社会において絶対平和を達
成する理論や普遍的真理など存在しないのです。

問題は、全ての人間が共有できる価値観も普遍的真
理もない中で、それでも尚どの様にして社会秩序を
造るかと言う事ですか、この事すらも無根拠であり
なぜ社会秩序が必要かと聞かれれば根源的には根拠
などないのです。

そもそもヤスツ氏の『平和理論は、誰が聞いても納得
理解し、実践可能でなければならない』と言いう論理
の根拠からして突き詰めれば『ヤスツ氏が、その様に
思うから』に過ぎない、つまり内在に過ぎず普遍的な
絶対的なものではないのです。

56中葉:2004/06/27(日) 22:53
>>54-55

ご両所の発言内容を歓迎し、感謝します。

57ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/06/28(月) 06:07
>>55
『普遍性を求めることがそもそも誤り』というのも、三毛猫ナナの個人の価値観に過ぎないわけで、その個人の価値観に従って他者である私の価値観を否定される謂われはどこにもありませんが。

仮に三毛猫ナナの『人は誰も価値観の共有などできない』という主張を根拠とするならば、絶対平和、限定的平和も含めて、人間同士が分かり合うことは一切不可能であり、万人が万人同士で殺し合うことによって最後の一人になったときに、そのたった一人だけが平和を得ることができる、ということになりますね。
映画『ハイランダー』はそういう話でしたが。たった一人生き残ることが幸せかどうかというテーマは古今東西多くのSFが扱っていますが、大概は『一人は不幸』という結論に落ち着いていますね。

さて。
価値観も普遍的真理もない中で社会秩序を作るかと言うことですが、『無根拠で必要などないから作る必要がない』というのが三毛猫ナナの意見だとするなら、だったらおまえは死ね、ということになりますね。
無政府主義者である点では、三毛猫ナナはテロリストと質的に同一ですから、『テロリストと接点を探し、共存していくことができるかどうか』を求め考える上では、この上ない材料だとは思います。

別スレで述べている『平和理論は、誰が聞いても納得理解し、実践可能でなければならない』ですが、それについて意見があるならそちらのスレでお願いします。
スレッドフロー式掲示板で意見を別スレに拡散させることに積極的に助力するのは、秩序形成のためのルールを理解できないただの原始人です。
あなたのような存在が秩序形成を阻害するのであり、三毛猫ナナ=無政府主義者的テロリストを排除すると、無政府主義者以外の人間は秩序に一歩近付くことができる、という展望が開けてきます。

無政府主義者は『何らかの強制に基づいた秩序』を厭がりますが、組織なり社会なりというものはその構成者に対して何らかの強制を伴うものです。
その強制が法であったり慣習であったり利益の共有であったりするわけですが、それらの法、慣習、利益の共有をしないで秩序を作る(=私としては秩序形成が対立を暴発させない→安定させる→一定の平和状態になる、に繋がると見ていますが)ということが可能であるなら、その方法を述べてください。
その方法が共有できるなら、無政府主義者的テロリストとの間にも接点を持てるのではと期待しますが。

ともあれ、具体論については別スレ http://jbbs.shitaraba.com/bbs/read.cgi/study/2500/1088069678/ にどうぞ。

58中葉:2004/06/28(月) 12:06
>>45 >>44 分析の前に、無料で日本語で提供してくれ(笑)

>>44 良く書けてはいる。ただそれだけの話。社会政治分析がないから駄目なのかな?

マローンのマニフェストを日本語訳するのはばかばかしいからできません。

ただ、彼の言い分はNHKスペシャル「NHK変革の世紀シリーズ」より、
第1回:国家を超える市民パワー http://nvc.halsnet.com/jhattori/green-net/NHK/henkaku1NGO.ASF
第2回:情報革命が組織を変える http://nvc.halsnet.com/jhattori/green-net/NHK/henkaku2soshiki.asf
などを参照してください。

その中でマローンとドラッカーはこんな風に言っています。

トーマス・マローンは以下のように言っています。
“これからの情報化時代の組織では、一人一人に大量の情報が入り、一人一人がその情報を咀嚼し、決断を下さなければならなくなる。
上司は概略の方針は決定するが、個々の決定は部下が決定し、責任を取らなければならない。
日本の組織では、伝統的に部下は上司の顔色をうかがい、独自の意見の主張は許されない風土があった。
これから、どのようにして新しい組織や意思決定スタイルを作っていくか、非常に興味深い。”

ドラッカーは以下のように言っています。
“21世紀には、「知識」に基づく労働と「知識」に基づく組織へと移っていく。
その結果、管理層の階段の数は著しく減ってくる。
今までの中間管理層の仕事は、単に情報の伝達だけであり、事実上、物も人も管理していなかった。
今後、「組織」の構造モデルは抜本的に変革されるはずで、すでに幾つかの兆しが現れ始めている。”

59緑装薬4 </b><font color=#800000>(aL5K3vps)</font><b>:2004/06/28(月) 13:37
>58
なるほどね。
つまり、「知らなくてもいい人が知ってしまい、考えなくてもええ人が考えるようになるから、今までみたいにわ人を騙せなくなるよぉ」
ちうことだな(笑)

あと、「中間管理者がいらなくなる」についてだけど、コンピュータネットワークなどの「ハイテク機能が常に保障されている」
ことが条件になるね。

例えば、軍隊の例を出すと、総理大臣の目の前に、巨大なディスプレイがあって、中隊レベルくらいの戦況がすべて確認できて、しかも
直接命令が下せるならば、大隊長以上の指揮官わ必要なく、究極の「シビリアンコントロール」が可能になる(笑)
<大隊長以上の幹部わ、すべて幕僚作業ちう実務だけで良くなる。

でも、そんな軍隊わまだ存在しとらんがね。

60中葉:2004/06/28(月) 15:08
>>59 でも、そんな軍隊わまだ存在しとらんがね。

だから意欲的な国、意欲的な企業は、開発と導入・実用化にしのぎを削っている。

日本は面白い国で、どこかやったら、あるいは、どこか成功したら要領よく真似て追いつけば良いと思っている。

これからその手は使えないことを知ってか知らずしてか、わからないが。

万博でもそのような面白い光景が展開されるに違いない。
実際、21世紀の万博は、その意味で面白い。ハノーバーもそうだった。日本の次の上海もそうなるだろう。

61三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/06/28(月) 21:16
)ヤスツ氏
>>57
ヤスツ氏の意見は価値コミットメントですが、正しい
価値の共有と社会秩序の維持は別問題です。
ホッブス問題の解決は価値の合意によってなされてい
るわけではないのです。
そもそも『正しい価値』とは何かについて全員に納得
させる方法などありません、行き着く先は排除か教化
です。更に言うと正しい価値は何かを話し合う前提は
何かについても更に話し合いが必要という悪循環に陥
ります。
だいたい『絶対平和』とか『普遍的真理』って何?
これはヤスツ氏の内在以外の何物でもないでしょうが。
『天上天下唯我独尊、大道無難唯嫌選択』が示す様に
人は自らの内在を越えられないのです。如何なるもの
も自らの認識の産物なのですから。
それをさも内在を超越した真理があると言うのも内在
に過ぎないのです。

62中葉:2004/07/02(金) 16:53
今のところ、私の万博での企画書は以下のような感じです。ご批判をお願い。

シンポジウムⅠ:「環境」(2005年7月8日10時から)
<内容>
・国連ミレニアム宣言とエコ・コミュニティ(人間の安全保障を含む)
・社会システムとしての市民参加(市民・企業・政府、グローバル・ムーブメントへ)
・物づくりの知恵を和の知恵、さらに自然の叡智として再発見
・自然と人工物(IT)との調和・融合は可能か?

<発表形式>
シンポジウム

<その他イベント>
・インターネット上での討論(会期前、会期中)
・会期前プレワークショップ(国内・国際、数回)
・会期中ワークショップ(平和宣言の事前3回、事後3回)

<協力者>
学識者
関心を持つ、または活動経験のある市民、NPO、NGOなど

63ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/02(金) 17:12
>>61
さてさて。

「絶対平和」を求めているのは、本来は私ではないということは憶えていますか?
あなたには長期記憶はありますか?
念のため繰り返しておきますと、私自身のスタンスは、

・絶対平和は達成不可能
・限定的安定(時間、または限られた地域内での限定的安全保障)は達成可能
・限定的安定は、共同体(物理的に同一近接地域内で平行的に生活している)の構成員の個々の価値観の相違を「互いに共通化、平均化【することなく】」、何らかの権力(強制力)によって制限することで実現可能
・共同体(物理的に同一近接地域内で平行的に生活している)の構成員の個々の価値観の相違(を、相手に対して相互に強制しあうこと)を優先した場合(強制力による個人の制限)は限定的安定も達成不可能
・構成員の個々の価値観の相違を制限しないで限定的安定を達成するには、構成員同士の物理的な距離を遠ざければ可能

ということですが。まさか忘れているんですか?
あなたとこうして話をするようになって、もう1年以上経つというのに。

「人類は絶対平和は獲得できない。経験から得た教訓を、人類全員が等しく共有する具体的手段が現時点で存在しないからだ」←大前提
「一国内、一地方自治体内、一家族内、一夫婦内などの限定的な地域内での平和は、部分的にであれ実現できる(価値観が共有できるか、共有できなくても相手に干渉しなければ)」

その上で、「絶対平和」も「普遍的真理」も、本来は私自身が追い求める主張ではないということを、まさか忘れているんじゃないでしょうね?
むしろ、私のスタンスに歩み寄れない方のために、私の主張を一時棚上げして、「ではどんな方法が?」という思考実験をしてさしあげているんですが。

一方で、ある種の「真理」というのは存在しますよ。
例え三毛猫ナナが同意しなくても、E=MC2ですし、水=H2Oです。
つまり、こうした真理には「同意は不要である」ということ。
「EはMC2じゃない!」「水はH2Oじゃない!」と唱えるのは三毛猫ナナの自由ですが、あなたが否定してもその事実は変わらないでしょ?

で、私が述べている(もしくは、「もしかしたらあるんじゃないかな?」という前提で、試しに考えてみよう、と提唱している)ところの、「絶対平和を達成する方法」なりなんなりというのは、「第三者の同意を必要としなくても、実現できる方法はあるか?」という思考実験に過ぎません。

まあ、あなたはそういった「遊び心」や「自分の主張以外のスタンスに立った思考実験」っていうのはできないイキモノだということはよくわかっていますから、別に何の期待もしていませんよ。

64ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/02(金) 17:13
>>62
見出し内容が曖昧すぎて、内容について批判できるほどではない、としかお応えようがありませんでした。
申し訳ありません。

65ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/02(金) 17:17
>>63
三毛猫ナナのために一応補足しておきますが、

「絶対平和」=「恒久的永久的に制限なく永続し、地域の広狭なく適用可能で、その適用を受ける構成員の性別、年齢、経験に条件が付かなくても成立する平和」

ってことで。

そんなものは、生まれたての赤ん坊から死ぬ間際の老人に至る全人間が、永久の記憶を共有できない限り実現不可能です。
学者、研究者に理解できても、幼稚園児に理解させられないものは共有できません。
理解できないものにも恩恵を与えようと思うなら、同意を得なくても強制できる「上位権力」がなければ不可能。

まさかそれもわからないんじゃないでしょうね?

66イカフライ:2004/07/02(金) 17:19
>>62

 64とも重なりますが、それぞれの細かい内容が解らないので。

 人間の安全保障を含んだエコ・コミュニティなど興味はあるのですが、それが具体的にどういう形になるのかな?によって評価は変わってくると思い間S。
 まあ、特に私は、足元からなどと言うと聞こえは良いですがあなり観念的な思考が苦手なので。
(単純に頭が悪い、ってことです)もっと具体的な説明は欲しい、とは思います。

 あくまで見出し、という感想ですので。

67中葉:2004/07/02(金) 22:25
>>64 見出し内容が曖昧すぎて、内容について批判できるほどではない、としかお応えようがありませんでした。

>>66 64とも重なりますが、それぞれの細かい内容が解らないので。

内容は登壇者が誰になるかで決まりますが、その人はまだ不明です。

私を含めたこれからの学習に懸かっています。

68中葉:2004/07/05(月) 13:23
>>4 それにしても、呉建民氏(前在仏中国大使、中国外交学院院長)は何を考えているんだろう?
>21世紀以降の紛争解決の糸口
>新しいコミュニケーションの方策
>マルチラテラリズム(多国間主義)
>・・・・・
>の観点からも日本の努力を期待
>BIEも愛知万博に協力を惜しまない
>
>とは何を言わんとしているのだろう??
>考えれば考えるほど奇々怪々!

考えるまでもなく、情勢は激しく動き始めているようだ。

2004年5月18日に東アジア共同体評議会が設立された。
http://www.ceac.jp/
http://www.ceac.jp/whats-new/040518-3.html

2004年7月22-23日に第3回「日・ASEAN対話」
「東アジア共同体へのロードマップ 」
http://www.gfj.jp/j-gf/j_conver/asean.htm
が開催される。今日が一般参加の締切りだから、私は申し込みましたが、定員20名ですから厳しいです。

69三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/05(月) 21:08
>>63
)平和
平和を語るなら、まず私と貴方の間に言葉の
コンセンサスが必要となります。
これは、価値の合意を目的としたものではな
くコミュニケーションを継続させる為にお互
いの用いる言葉の意味を確認しているのです。

ヤスツ氏の書き込みから察するに、貴方の『
平和』とは『我々を守る為に我々ならざる者達
を抑圧もしくは排除する状態』を指しているの
でしょうか?
その点を明確にして下さい。

)真理
『もしかしたら?』も何もありません。
『ないものはない』のです
自然科学と社会科学を混同されない様に。

70ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/05(月) 22:08
>>69
そちらからお先にどうぞ。
あなたの後出しジャンケンには辟易してますし、あなたが私を理解するよりは、
私があなたを理解するほうが話の進みが早いですからね。

71ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>:2004/07/05(月) 22:10
平和の定義についてはこれまでに何度となく提示していますし、
発表した文章もまとめてありますよ。
三毛猫ナナの主張をまとめた「まとめページ」はどこかにないんですか?
「過去ログ嫁」ですか?(^^;)

できれば箇条書きでお願いします。
番号付きでね。

72三毛猫ナナ </b><font color=#800000>(p3wi1A.I)</font><b>:2004/07/06(火) 20:45
)ヤスツ氏
>>69の質問は、ヤスツ氏の指す『平和』とは
『我々を守る為に、我々ならざる者を抑圧もし
くは排除する状態』か?と聞いているのです。

『全ての者に平和をもたらす事は不可能で、その
様な方法がない』から『僕は、我々を守る為に、
我々ならざる者を抑圧もしくは排除することは正
しい』とするのがヤスツ氏の指す平和ですか?
と聞いているのです。

方法の有無やカテゴリーを理由にして責任逃れを
するのではなく、ヤスツ氏自身の自己決定におい
て『自己と他者を理念としては等しい事を認める
か?』『我々を守る為に我々ならざる者達を抑圧
もしくは排除することは正しいと言えるのか?』と
聞いているのです。


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