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万博で新しい紛争解決の糸口、コミュニケーションの方策を探る
18
:
ヤスツ </b><font color=#800000>(CnaUXqoo)</font><b>
:2004/06/21(月) 06:58
以下は独り言ですので、返信は特に不要ですが、ヤスツの脳内質疑に参加なさりたい方はどうぞ(^^;)
2ちゃんねらーは市民か否か?(笑)
ネット内での発言に絞れば国に従属せず、特定の地域の拘束を受けず、また、「大規模OFF」と称される、市民活動にも似た行動を取ることもあり、名簿で統括されない不特定多数の参加によって成立する突発イベントや大規模イベントを幾つもこなし、それでいて明確な「頭」や「継続性のある組織」を持たず、極めて狭い目標を掲げ、費用徴収をせず、いわば参加者全員の持ち出し/持ち寄りによって目的を達成している。
不特定多数のネットワーカー(これもまた懐かしい言葉ですが)が、肩書き、実社会での立場に囚われることなく、「2ちゃんねらーである」+αだけを唯一の共通項に、同一行動を取る、というもの。
市民運動の動員で毎回苦労している人から見れば、これほど羨ましくも腹立たしいものはないらしい。
そうした行動を取る2ちゃんねらーに明確な「思想」があるかと問われれば、たぶんおそらくないんじゃないかな、という気もする。
まさに、「潜在的意志」「声を挙げずに身体が動く」というものを体現しているようにも見える。
いわゆる「市民運動」は、旗振り役の個人、組織、思想的指導者がいて、それが「白紙状態の“市民”」を牽引しようとするという構図を持つ。
思想的指導者が市民運動家の場合もあれば、研究者、学者の場合もある。日本では「欧米の最新の動き」という海の向こうのありがたいものを思想の支柱に持ってくる場合もある。
が、そうした形で、「無知の市民を引っ張り上げていこう」というスタイルで市民運動を盛りあげようということそのものが、すでに時代遅れになってきているんじゃないか、と思う。
なぜなら、思想家、思想的指導者が押っ取り刀でやってきてようやく手を付け始めたインターネットというツールは、とっくに誰もが手を付けていて、資料占有によって得られてきた思想的指導者の占有できる特権を、占有できないものにしてしまっている。
だから、思想的指導者は自分の占有性、特殊性、特権性を維持するために、「とっときのアイデア」は隠そうとし、理解しにくいものだとして希少性を高めようとする。
ところが、同じ情報を同じツールから、思想的指導者以外のものも等しく手に入れることができるようになっている。
同時に、情報の分析や解釈も不特定多数によって同時に進められている。ここでも思想的指導者の特権性は失われている。
2ちゃんねらーの「突発的大規模off」が特定の思想的指導者を持たないのは、こうした「情報と分析結果の共有」がすでになされていて、誰か一人に負わなければ成り立たないという構造を古くさい物にしてしまっているからではないか、と見ている。
だとすると、「国の代わりにNGOやNPOが出てきて」という発想そのものが、実は既に時代遅れになっているのでは、とも思われる。
NGOやNPOがインターネットというツールを活用して国境を越えていることは事実だ。
しかし、NGOやNPOが「組織」という皮を纏っている限りは、インターネットを同時に使いこなしているその他の「NGOやNPOに属さない個人の群れ(あえて市民とは言わない(笑))」とは、別個のものではないのか?
また、NGOやNPOの成立、利用しているツールが同じだからといって、2ちゃんねらーを「NGO」「NPO」とは呼ばないことを、どう説明すればいいのか?
2ちゃんねらーはNGO、NPO、「市民」と言えるのか?
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