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【廃道・隧道】山さ行がねが応援スレ【冒険・探索】

1とはずがたり@元林道部会長:2007/09/30(日) 23:18:53

山さ行がねが
http://yamaiga.com/index2.html
ヨッキれんを応援しようヽ(`Д´)ノ
皆の実行したアホな冒険譚も求む。

2とはずがたり:2007/09/30(日) 23:40:59
山手東側隧道
http://yamaiga.com/tunnel/yamatehigasi/main.html

ヨッキれん氏は04.8.16に訪問している。
我々は先日07.9.16に平田側の坑口だけ見てきたがあんな不気味な中によお入ろうとする気持ちが起きるもんだ。。

平田の埋め立て地は幾つか事業所が出来ていて,巧く行けば工場が建ち並ぶ場所になりそうであった。

北側の坑口も近く迄行けば良かったかねぇ。工場内で入れない様だがそっちのレポがないので。。

釜石市立 鉄の歴史館
http://www.city.kamaishi.iwate.jp/rekishikan/
にも行ったが,社線は鉄鉱石を運ぶ陸中大橋─工場間と途中小佐野付近から北へ分岐し,薪などを搬出した小川線から成っていたようである。

鉄鉱石が暴騰を続け,陸中大橋でもう一遍良質で大量の鉱脈が見つかったりして鋼都復活といかんものかねぇ??
釜石で製鉄所を復活させるのは無理だけど平田に搬出港を整備して陸中大橋から積み出せないかねぇ?

陸中大橋には錆び付いた積み出し施設の残骸が残っていたが,駅舎は撤去されていた。

3とはずがたり:2007/10/01(月) 00:45:02
【記憶屋 廃墟】
http://kiokuya-haikyo.versus.jp/index.html

田老鉱山
http://kiokuya-haikyo.versus.jp/ruins/mine/tarou/tarou1.html

【鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊】
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/kouzan.html
田老鉱山
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/taro/taro.html

宮古のラサ工業所有。こちらは銅鉱山。
こちらも銅の価格が高騰してって事になりませんかねぇ〜。

なんか非鉄金属スレでやった方が良かったかも。。

4とはずがたり:2007/10/02(火) 01:44:45
これは凄い。。日本の近視眼的な道路行政批判も出来る。県道・国道スレでも行政改革スレでも相応しいが。。
いやこんな素晴らしい所を(自分はクルマで)是非通ってみたいという気持ちを禁じ得ないんだけどね。

塩那道路に係る基本方針(平成16年8月) 栃木県庁
http://www.pref.tochigi.jp/douken/enna/enna/houshin.htm

塩那道路
(県道中塩原板室那須線)
http://yamaiga.com/road/enna/main.html

5とはずがたり:2007/10/02(火) 03:32:32

これもすげぇ・・明日があるからもう帰って寝なければ。。

道路レポート 十和田湖八甲田山連絡道路 序
http://yamaiga.com/road/hakkouda/main.html

 十和田湖八甲田山連絡道路
http://route.alpslab.jp/watch.rb?id=886bf19244bf16661091bd826cc2b21f

6とはずがたり:2007/10/02(火) 23:31:01
栃木県の道路地図と八甲田山と那須の山の地図を買ってきてしまった。
既に東北の地図はバッチリ準備済みである♪

7とはずがたり:2007/10/04(木) 22:30:46
第3回 「日本は本当に広い」──“廃道”に人生を捧げるマンネリ知らずの管理人
http://ascii.jp/elem/000/000/051/51646/

8とはずがたり:2007/10/11(木) 04:21:43
山行が覧てたらこんな時間だ(泣

道部屋
http://www10.tok2.com/home/michibeya/road.html

街道Web
http://wing2.jp/~kaido/menu.htm

9とはずがたり:2007/10/16(火) 20:06:51
【森吉山ダム】
発電も出来るし,過疎地の解体をする事が出来るし云う事無しの様にも思えるが,兎も角莫大な費用が掛かる事だけは間違いない。

森吉ダム(S28竣工)に続いて森吉山ダム(H23竣工予定)で,小俣川流域からは住民が放逐されて無人の地帯になるのだそうな。

http://yamaiga.com/rail/moriyosi/main2.html
http://yamaiga.com/road/takamori/main3.html

http://www.thr.mlit.go.jp/moriyosi/
・森吉山ダムの役割1 洪水調節
・森吉山ダムの役割2 既得用水の安定供給と水辺環境の保全
・森吉山ダムの役割3 農地にかんがい用水を供給する
・森吉山ダムの役割4 町に水道用水を供給する
・森吉山ダムの役割5 発電を行なう
http://www.thr.mlit.go.jp/moriyosi/hataraki/yakuwari_1/f_yakuwari_1.htm

10とはずがたり:2007/11/10(土) 01:29:35
ちょいと興味深い推理を含む。

http://yamaiga.com/koneta/koneta_58.html
東ノ又林道 旧道

11とはずがたり:2007/11/10(土) 13:07:45
このページのメインコンテンツは食糧倉庫。

酒田臨港開発線
http://yamaiga.com/rail/sakata/main.html


門司の田ノ浦http://www.kitakyu-fc.com/pub/guide/location/1_souko.htmlや新興http://butsuryu.web.fc2.com/foods.html#3-seihukeiなんかにもあるね

流石に鉄道貨物趣味的に復活してくれとは言い難いよなぁ。周辺が都市化してきてるところも多そうだし,土地売却・再開発がセオリーだろうけど・・
ただ東北からはコメ臨時列車も運転されるので,貨物駅の側に倉庫でも造ってコキに直接荷役とかしてくれるとお洒落だが,普段の利用に町中では使い勝手悪いだろうしなぁ・・。
酒田港は寂れた感じが強いのでその辺のてこ入れを含めて隅っこの方に建設できないかね?

12とはずがたり:2007/11/11(日) 01:46:45
知られざる最凶県道
232号 「太平山八田線」
http://yamaiga.com/koneta/koneta_9.html
秋田県道232号線「太平山八田線」は、平成14年度の資料によれば、秋田市太平と秋田市八田とを結ぶ、全長7514mの一般県道である。
市街地に接続し、太平山のリゾート地に市民を運ぶ、重要な路線の一つであるが、この路線の名にまつわる謎は、長く私を悩ませ続けてきた。
「太平山八田線」という名は、どうして、その終点と起点を取って、単に『太平八田線』とならなかったのか?
この分かりやすい矛盾点は、
「秋田には登山道が県道の道がある」
という、全国的に知られたる都市伝説を、生み出しさえもした。
この伝説は、いうまでも無く、その名が示すとおりに太平山の山頂に起点があるのではないか、という憶測によって生まれたのであろう。
しかし、先にあげた資料の通り、いや、それ以前にも、正式にその可能性は否定されており、やはり謎は、謎のまま。
都市伝説はやはり、伝説に過ぎなかった。
そう考えていた。
 しかし、昨年。
図らずして、その謎の突破口が、秋田公文書館にて、私の前に開かれた。
現在では欠番が目立つ秋田県県道の過去を探るために開いた、ある資料には…
232 太平山八田線 指定年度:昭和34年 起点:太平 終点:八田 延長:13720m 
 お気づきだろうか?
なんと、昭和34年の県道指定当時、この県道の起点終点こそ今と変わらぬものの、その延長が、長い!
現在に比較して、5000m以上も、長かったのだ。
この事実は私に、あの都市伝説が、ある一時期において、紛れもない真実であったということを、連想させた。
総延長の3分の1以上が縮小するような大規模な路線の改廃は、この地域では考えにくい。
さらにいえば、その経路において、昭和30年代と今とで大きく異なる部分など、ありはしないのだ。

 さらに調べてみると、昭和51年頃に現在の延長に再指定をうけたみたい。

登山路が県道?
http://blogs.yahoo.co.jp/yamakawa_oyazi/45753162.html
太平八田の車道にかかる鳥居付近から木曽石→金山滝(ここからは登山道)→前岳→中岳→奥岳のコースが県道だった!!

三吉神社奥宮までのお山がけでかつては賑わっていたのだそうだ。
(「秋田の山歩き」から)

藤原優太郎 編 「秋田の山歩き−身近な50座徹底ガイド−」 1986年11月第1刷 無明舎出版
藤原優太郎 「秋田のハイキング−低山徘徊−」 1989年12月第1刷 無明舎出版

13とはずがたり:2007/11/20(火) 01:14:38
林道部で此処走ったことあります。
かなりの悪路をこまのインテグラタイプRで。正直済まんかった。
あのネタ開陳した思いでの場所でもあります。

http://www.demio-go.net/fr/onyu/
小入谷・上根来林道

14とはずがたり:2008/03/18(火) 14:20:36
久々のage
東京大空襲を調べててカーチス・ルメイから源田実・三無事件・川南豊作を経てこの記事に辿り着く。よっきれんに探索して欲しいねぇ。造船所跡では大した穴はないのかなぁ。。

川南工業株式会社 浦野崎造船所跡
http://homepage1.nifty.com/masay/nagasaki/kawanami.htm

15とはずがたり:2008/05/01(木) 12:22:30

道路の改良
http://www.the-orj.org/cgi-bin/dokaiwiki/wiki.cgi?page=%C6%BB%CF%A9%A4%CE%B2%FE%CE%C9

 「道路の改良」は「道路改良会」が発行していた戦前雑誌。大正9年11月から昭和19年6月まで発行され、道路行政や道路工事などにまつわる話を掲載していた。土木学会付属図書館デジタルアーカイブスで見ることができる。

 当時の内務省の建物内に事務局があり、内務省の息が強くかかった編集体制だったようである。それでも今の私たちが想像するようなお仕着せの記事ではなく、辛辣な提言苦言や、ユーモアに満ちたエッセイ、小説まで載っていて、単に道路の情報というだけでなく、道路や土木工事を通して当時の世相を知ることができる、大変貴重な資料だと思う。(nagajis)

16とはずがたり:2008/08/19(火) 02:44:52
山いがを読んでいて気付いたが群馬県の高山村は中山と尻高の合成地名なんかな?

切ヶ久保新道
http://yamaiga.com/road/kirigakubo/main.html

17荷主研究者:2008/09/22(月) 01:35:45
黒四ダムをはじめとする黒部渓谷は昔から興味があった。是非一度行ってみたいものだ。

黒部渓谷探検シリーズ 其の壱 其の弐

黒部上部軌道を行く
http://homepage.mac.com/izunton/BlueforceFiles/kurobe.html
秘境十字峡への道
http://homepage.mac.com/izunton/BlueforceFiles/horzntlpas.html

18名無しさん:2008/09/29(月) 01:48:37
レポにコメント書くとこないからここに書こうっと。

なかなか更新来なくて心配してたら秋田入りかい!
・・・と突っ込もうと思ったが・・・お彼岸か・・・。
ヨッキ、ちゃんと墓参りしたか?
廃道探索では守られてるんだろうから、ご先祖様には手ェ合わせとけ?

19とはずがたり:2008/09/29(月) 02:27:32
>>18
初めまして,山行がファンの方ですね。
各コンテンツの最後にコメント欄と点数評価はあるものの掲示板にはなってないですもんね。
山行がサイトの代わりに此処で書いていただけるのは非常に光栄ですが,ヨッキ氏の目には残念ながらとまらないでしょうなぁ。。

2018:2008/10/03(金) 08:22:30
遅レスすいません&駄ひとりごとで失礼しました。
うちのプロバイダが某2のつく掲示板にアクセス禁止食らって、つい・・・。
でも、「実家の墓に手を合わせるヨッキれん氏」の脳内妄想を誰かと共有できてちょっと嬉しかったり。
またお邪魔させて頂きますね。

21とはずがたり:2008/10/03(金) 12:29:05
いえいえ同好の趣味人の反応頂けるのは非常に嬉しいです。
彼の例の極限状況での自分撮り写真,を何枚も見て顔知ってるだけに墓参りで手ぇ合わす図も想像できておもろかったっすヽ(´ー`)/

またあれと似たことやってるとかあれば是非此処でご報告下さいな。最近俺は全然ですけど。。

22とはずがたり:2008/10/03(金) 15:02:51
あと2○○ねるの山行がスレって何処にあるんでしょーか??
限られた板しか見ないのであんま意識してなかったです。。

2318:2008/10/04(土) 08:09:11
ネットウォッチ板ですよー。
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/net/1220459301/l50

24とはずがたり:2008/10/04(土) 12:59:25
あざーすヽ(´ー`)/
読ませて頂きますね。

25とはずがたり:2008/10/12(日) 23:09:11

大間線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/大間線
戸井線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/戸井線
下北交通大畑線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/下北交通大畑線

大間線背景

大間にある海軍の要塞強化工事に伴う資材運搬用として、むつ市の下北駅から大間までを結ぶ鉄道として計画された。後に戦争による空襲で青函連絡船が被害を受けることが想定されたため、津軽海峡で最も幅の狭い大間〜戸井間を代替航路として利用することが計画され、これに接続する路線として建設されることになった。1937年(昭和12年)に工事が開始され2年後の1939年(昭和14年)に大畑線として下北〜大畑間が開通、大畑以北も工事が進められ路盤の大半が完成、終点の大間以外では駅も建設され僅かな未着工部分を残すのみとなったが、1943年(昭和18年)に戦時中の資材不足により工事は中断、その後再開されることなく放置されていた。青函隧道計画が持ち上がった際に東ルート案ではこの区間を通ることになっていたため、それまでは地図には予定線として記載され工事再開の備えがあったようだが、1968年(昭和43年)に西ルートに決定してからは予定線として記載されることもなくなった。

大間線

戸井線概要
改正鉄道敷設法別表128号に「渡島國函館ヨリ戸井ニ至ル鐵道」として規定されていた予定線であった。戦時中の1937年に、船舶輸送の短絡化(戸井町から青森県大間町への航路を利用)や、戸井町に要塞を建設するといった軍事的な目的で建設が開始された。9割方の路盤が完成していたものの、戦時中ということもあり資材不足のため1943年(昭和18年)に工事を中断。結局建設は再開されないまま中止となった。駅は終点の戸井駅を含めて9駅が予定されていた。

その後青函隧道計画が持ち上がった際、東ルート案では戸井線区間を通ることになっていたが、1968年(昭和43年)、西ルート(津軽線・江差線)で建設することに決定し、戸井線開通の可能性は消えた。戸井線はレールを敷設されることはなく、青函トンネルに転用されたのは美幸線のレールである。

大畑線歴史

津軽海峡に面した下北半島は日本の国防上重要な拠点で、陸奥湾側の拠点のあった大湊まで鉄道が開業したのは1921年のことであった。翌年に制定された改正鉄道敷設法においても別表第1号に「青森県田名部ヨリ大畑ヲ経テ大間ニ至ル鉄道」として規定されたが、しばらく着手されることはなかった。

この予定線が建設線に昇格するのは、大間にあった海軍の要塞の施設強化に伴うもので、1937年に第1期線として下北〜大畑間が着工され、1939年に開業した。大間までの予定線(大間線)も引き続いて建設が進められたが、太平洋戦争の戦局悪化にともなって1943年12月に工事は中止された。津軽海峡の対岸にあたる北海道の亀田半島においても要塞の施設強化のため戸井線が建設されていたが、これも未成のまま工事が中止されている。

戦後しばらくは、海産物や木材の輸送で活況を呈したが次第に減少し、1980年に国鉄再建法が成立すると第1次特定地方交通線に指定された。協議会では一時バス転換に傾いたものの、1984年になって南部縦貫鉄道が大湊線とセットでの引受を表明。これに対し地元のバス会社「下北バス」が経営地盤の防衛から引受けを表明し、一転して鉄道として存続することとなった。特定地方交通線が純民間資本の民営鉄道に引き継がれた希な例で、他には同じ青森県の弘南鉄道に引き継がれた黒石線あったが、バス会社の鉄道引受としては唯一の例である。下北バスには、鉄道経営の経験はなかったが、バス事業で関係のあった京浜急行電鉄の指導を受け、1984年に社名を下北交通に改称。1985年7月に大畑線の営業を引き継いだ。しかし、その後も経営は苦しく、結局廃止されることとなった。当初2001年6月1日廃止予定だったが、2か月早まって2001年4月1日に廃止された。

<大畑線>
下北駅 - 海老川駅 - 田名部駅 - 樺山駅 - 陸奥関根駅 - 川代駅 - 正津川駅 - 大畑駅
<大間線>
大畑駅 - 釣屋浜駅 - 木野部(きのっぷ)駅 - 赤川駅 - 下風呂駅 - 桑畑駅 - 易国間駅 - 蛇浦駅 - 大間駅 - 奥戸(おこっぺ)駅
<戸井線>
五稜郭駅 - 東五稜郭駅 - 湯の川駅 - 銭亀沢駅 - 渡島古川駅 - 石崎駅 - 小安駅 - 汐首駅 - 弁財駅 - 戸井駅

26とはずがたり:2008/10/12(日) 23:10:02
>>25-26

廃線レポート 大間線
http://yamaiga.com/rail/ooma/main.html

 第一期工事区間として大湊線から分岐する下北から大畑までの18kmを決定し、昭和12年に着工、同14年には「大畑線」としての営業を開始している。

 残る大畑から大間、そして終点奥戸(おこっぺ、大間町)までの25kmだが、このうち中間地点の桑畑(風間浦村)までが第二期工事区間とされ、昭和13年に着工されている。
戦時中にもかかわらず、大間要塞への砲弾輸送を重要視していた軍部の主導で豊富な資金が投じられ、海岸線ぎりぎりまで山が接するような難所に次々と路盤が建設されていった。
そして、昭和16年10月の時点では残り5kmほどを残して竣功していたという。
この時点で、第二期区間の完成は昭和18年とアナウンスされていた。

 しかし、順調に工事が進んでいたのはここまでで、昭和17年には突如予算が半減され、いよいよ本土の近くに米英の影が忍び寄り始める翌18年には工事中止が突如発表されることになる。

駅間 竣功
大畑 → 釣屋浜 昭和16年8月
釣屋浜 → 木野部きのっぷ 昭和17年8月
木野部きのっぷ → 赤川 着工するも竣工せず
赤川 → 下風呂しもふろ 着工するも竣工せず
下風呂しもふろ → 桑畑 昭和17年10月
桑畑 →→ 奥戸おこっぺ 未着工だが、一部の用地買収のみ実施

<大湊線>
野辺地─2.8─北野辺地─6.8─有戸駅─13.4─吹越─7.1─陸奥横浜─5.9─有畑─6.7─近川─5.0─金谷沢─5.5─赤川─2.3─下北─2.9─大湊
<大畑線>
下北─海老川─田名部─樺山─陸奥関根─川代─正津川─大畑
<大間線>
大畑─釣屋浜─木野部─赤川─下風呂─桑畑─易国間─蛇浦─大間─奥戸
<戸井線>
五稜郭─東五稜郭─湯の川─銭亀沢─渡島古川─石崎─小安─汐首─弁財─戸井

27とはずがたり:2008/10/19(日) 18:45:59
鵲橋すげぇ。
公開日が探索日の3日後ってのも興奮してそのまま書いたってのが伝わってきますなぁ。

同じ日のレポが5/11に成ってたりするけど。

橋梁レポート 華厳渓谷と鵲橋
http://yamaiga.com/bridge/kasasagi/main.html
探索日 2008. 5.10

明智隧道
http://yamaiga.com/tunnel/aketi/main.html
探索日 2008. 5.11

28とはずがたり:2008/10/19(日) 19:43:45
久しぶりに読み直した日原探索
各時代の道路が交錯し何処に向かっているのか判りにくい部分もあるけど読み応えはある。

都道204号 日原鍾乳洞線 旧道 探索日 2007.1.16
ttp://yamaiga.com/road/nippara/main.html
6期「旧都道」
昭和17年に着工し27年に完成した。初めて四輪自動車が日原まで入った。

日原古道探索計画 第1回 探索日 2007.1.16
ttp://yamaiga.com/road/nippara/main8.html

第二次 日原古道探索計画 探索日 2007.1.23
ttp://yamaiga.com/road/nippara2/main.html
4期「大正道」
大正4年に改修された道で、氷川から樽沢まで荷車の通行が可能になった。府道242号日原氷川線と呼ばれた。

第三次 日原古道探索計画 江戸道編
探索日 2007.2.21
ttp://yamaiga.com/road/nippara3/main.html
3期「江戸道」
江戸中期に日原の原島家が中心になって、とぼう岩に初めて横断する道が付けられた。

旧東京府道242号 日原氷川線 日原5期道
探索日 2007.1.23および2.21
ttp://yamaiga.com/road/nippara5/main.html
5期「昭和道」
昭和6年に、従来の「大正道」を惣岳吊橋から日原まで延伸し、遂に全線荷車の通行が可能となった。
奥多摩鉱業氷川鉱山 専用索道跡 探索日 2007.3.11
ttp://yamaiga.com/rail/nippara/main.html

29とはずがたり:2008/10/19(日) 20:32:55
こんな周囲に何もない駅など廃止しろよなぁ…どうせ殆ど利用者居ないだろうに。。
スイッチバック駅だったなんて恥ずかしながら知りませんでした。。

もっと赤字幅少ないであろうに廃止されてしまった区間もあるのに公平さが欠ける気がしてるのであるのであるけど・・。

押角駅
http://yamaiga.com/road/r340_osikado/main4.html
http://www5f.biglobe.ne.jp/~switchback/oshikado.htm 廃線画像有り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%BC%E8%A7%92%E9%A7%85
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mujinsta/osikado.html
http://blog.goo.ne.jp/naka_premium/e/337f5a2212fbc8f5eb406c4b9ebd7e04

30とはずがたり:2008/10/23(木) 00:03:39
此も盛り上がった森吉林鉄。再奥隧道は結局未攻略だよねぇ?

森吉森林鉄道跡(第Ⅰ次) 2003.10.8
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi/main.html

森吉森林鉄道跡 奥地編(第2次) 2003.11.3
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi2/main.html

森吉森林鉄道跡 探求編(第Ⅲ次) 2003.12.2
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi3/main.html

森吉林鉄 第Ⅳ次探索 2004.5.5
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi4/main.html

森吉林鉄 第Ⅴ次探索 2004.7.18
ttp://yamaiga.com/rail/moriyosi5/main.html
冒頭に森吉林鉄探索MAPあり

廃線レポート 森吉林鉄 粒様線   序文
ttp://yamaiga.com/rail/tubusama/main.html
「神の谷」2004.9.19-20
森吉林鉄粒様線 「最奥隧道計画」

31とはずがたり:2008/10/23(木) 15:23:54
すげぇっす。抜けられないのが残念。
http://rindouhunter.com/rin089-1-1.html
山行がもこの位の画像サイズ・精度だと状況がよく判って嬉しいんだけど。

32荷主研究者:2008/11/10(月) 03:18:29
ヨッキれんが興味を持つかな?

http://www.chunichi.co.jp/article/aichi/20080918/CK2008091802000038.html
2008年9月18日 中日新聞
「玉野街道」の高札見つかる 愛知―岐阜県結ぶ明治の有料道路

岐阜県多治見市で見つかった「玉野街道」通行料金を明示した高札

 明治時代に愛知県と岐阜県を結ぶ有料道路として利用された「玉野街道」(名古屋新道)の通行料金を表示する高札が岐阜県多治見市の諏訪町公民館で見つかった。春日井市の市民団体・旧国鉄トンネル群保存再生委員会が21日午前10時から同市浅山町の市総合福祉センターで開く「赤れんがシンポジウム」で概要を発表する。

 高札は、縦約30センチ横約60センチの木製。岐阜県の名前で、同県池田村諏訪(現・多治見市)から愛知県玉川村玉野(現・春日井市)までの通行料金を規定。人力車5厘、乗馬8厘、馬車・牛車1銭5厘などと種別によって分かれ、末尾で「右之通道銭相払通行可致事」と命じている。日付は明治28(1895)年4月11日。

 同委員会は、1966(昭和41)年の複線化工事で廃線となった国鉄(現JR)中央線約8キロ部分(春日井市−多治見市)の産業遺産化を目指して各種活動を進めている。廃線跡調査中に、県境に近い春日井市側庄内川右岸で近代的工事とは異質な玉石を使った道路跡を発見。各種記録に残る「玉野街道」と推定し、多治見市でも調査を進めていた。住民の協力で諏訪町公民館で集会室床の間にあった高札を見つけた。

 多治見市史などによると、玉野街道は、1891(明治24)年に愛知、岐阜県がそれぞれ県内での新道開削に着手。岐阜県側の一部区間で県負担がなかったために地元の市之倉、諏訪住民が資金を出し合って株式会社を組織し、この区間の工事を進め有料道路とした。95年に開通したものの翌年から始まった中央線工事で道路は各地で寸断。1900年の中央線開通後はすっかりさびれてしまったと言う。

 春日井郷土史研究会長の村中治彦さん(71)=春日井市中央台=は「庄内川左岸には戦後、愛岐有料道路ができたが、その先駆となる有料道路が対岸にあったことは地元以外にはあまり知られていなかった。高札はその明治の有料道路の実情を明かす発見で意味がある」と言う。

 シンポジウムは、明治の赤れんがトンネルなどが残る旧中央線を産業遺産として広くPRするため初めて開催する。参加費無料。(問)同委員会事務局=電0568(87)6533

 (都築修)

33とはずがたり:2008/11/10(月) 05:25:04
俺のあり得ないくらいしょぼくて恥ずかしい薮漕ぎの話しもちょいと手を入れて場所を変えたので晒して置く(;´Д`)
その2の最後らへん。

国道125号線つくばバイパス((都)寺具北条線)と国道408号線延伸
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/TSUKUBA/r125r408tsukubaBP01.html
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/TSUKUBA/r125r408tsukubaBP02.html

34とはずがたり:2008/11/11(火) 23:48:59
山いがでもお馴染み元自衛官氏のホムペはけーん。
http://www.demio-go.net/

35とはずがたり:2008/11/22(土) 12:51:36
なんと1ヶ月程前によっきさん我が地元へ来はったんやねぇ。
一声掛けてくれればつきおうたのにぃ〜。

隧道レポート 鶏足山の大沢隧道
http://yamaiga.com/tunnel/keisoku/main.html

此処ら↓Mapionにも未だ隧道の記載が残っている。。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/27/28.139&el=140/13/27.742&scl=25000&bid=Mlink

過疎代行事業と云うけど要らんやろ,こんな道。不法投棄場をカネ掛けて造ってやってるようなものだ。

この辺は日本自動車研究所や日野自動車等のテストコースが集積している場所。

県道の不可思議さをヨッキ氏も言及してたけど
片庭(r1)─r224─下赤沢─r225─七会─r112─阿波山(R123)
寺崎(R50)─r39─七会─r37─塩子─r39─金井(R123)
寺崎(R50)─県北東部広域農道─七会──県北東部広域農道(一部r122重複)─阿波山
と道路が交錯する。

広域農道が一番新しいんだろうけど,無駄な公共事業の臭いを禁じ得ない。
田舎こそ渋滞が酷いので投資すべきなのは地方都市近郊であるべきである。地方都市住民はもっと怒るべきであろう。

まぁこのスレで野暮な不満はなしかw

関係ないけど茨城県道1号(及び栃木県道1号)はなんと宇都宮笠間線と云う地味な路線に割り振られて居るんですねぇ。
せめてr64宇都宮茂木線とr51水戸茂木線をくっつけてr1宇都宮水戸線とかにすれば良いのに。
宇都宮水戸線の位置づけはR123なんかな。
r51宇都宮茂木水戸線でも良いけど。
茨城県道1号は宇都宮栃木線とか宇都宮栃木足利線とかにした方が気分が出るw

36とはずがたり:2008/11/23(日) 05:37:06
「廃虚」から「廃道」萌え 退廃の歴史探るロマン 出版相次ぐ
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/books/196585/
11/17 23:40更新

 役目を終え、荒れるがままに放置された「廃道」の魅力を紹介する本が相次いで刊行された。ネット上には「オブローダー」(廃道探索者)なる新語もちらほら。退廃の美へのあこがれや郷愁に加え、人や地域をつなぐ道の“物語性”が現代人の心を引きつけているようだ。

 10月末に刊行された『廃道をゆく』(イカロス出版)は、全国に点在する廃道のうち44本を、景観・歴史・荒廃度といったテーマ別に紹介するムック本だ。写真や図版を豊富に使い、探索の心得や観察のコツも説く。同社では、通行困難な国道を特集した『酷道(こくどう)をゆく』が2巻で10万部のヒットを記録。近年の廃虚ブームの流れで「道路への関心も高まっている」(同社)と出版を企画したという。

 実業之日本社も今月、ブルーガイド・ムック『廃道本』を刊行した。歴史的価値が高い廃トンネルの建築美や、廃道に至るまでの経年変化の法則を考察する。マニア向けの内容だが、発売前からネット予約が殺到したという。担当編集者の磯部祥行さんは「工場、団地、ジャンクション…と、近年土木構造物に対するオタク的な興味も広がっている。熟年層がハイキングで行く『旧道歩き』とは楽しみ方が違う」と話す。

 ネット上でも、数年前から廃道情報サイトが目立ち始めている。じつは廃道関連本2冊の執筆者は同じで、その一人が1日約1万人が閲覧する人気サイト「山さ行がねが」を運営する平沼義之さん(31)。現地調査や文献調査で仕入れた情報をサイトで随時公開している。

 「ホテルや病院といった廃虚が『点』なら、廃道は地域や人を結ぶ『線』。どんな人が通り、代わりにどんな道ができたのか…政治的な背景や地域事情など、開通から廃止に至るまでの悲喜こもごものストーリーが多様で、いろいろと想像が膨らみます」

 そう話す平沼さんが、とくに印象に残った廃道が、明治18年に開通した群馬県みなかみ町−新潟県南魚沼市間の「清水国道」だという。東京と新潟を最短で結ぶ国家事業だったが、開通翌月に大雨で崩落し、復旧を待たずに雪崩にも見舞われた。馬車から鉄道への移行期にも重なり、10年もたたずに廃道同然に。「無念さを語り継ぎたい」とか。

 両書の共著者、永冨謙さん(33)も3年前からウェブ同人誌「日本の廃道」を発行。「陰で活躍した仕事人の姿や思いを、風化する前に集積し記述するのが使命」と話す。

 新しい道が開通すれば、元からある道は旧道になる。廃道も生まれる。誰も通らなくなった遺構を、危険も覚悟でたどるのは、利便性一辺倒の価値観を問い直す冒険なのかもしれない。(海老沢類)

37とはずがたり:2008/11/29(土) 12:18:01
此で終わりは酷いんじゃないっすかね!?(;´Д`)

http://yamaiga.com/rail/kasuge/main5.html
 危険領域 其之一

38とはずがたり:2008/11/29(土) 13:22:02
国道291号 清水峠 新潟側 <導入>
http://yamaiga.com/road/shimizu/main.html
国道291号清水峠 (新潟側) 第1回
http://yamaiga.com/road/shimizu/main1.html
国道17号旧道 二居峡谷
http://yamaiga.com/road/r17_futai/main.html
切ヶ久保新道 <導入>
http://yamaiga.com/road/kirigakubo/main.html


清水の踏破まだぁ〜!?チンチン(AA略

39とはずがたり:2008/11/29(土) 18:52:42
ヨッキさん,岐阜も侮れないっすよ

森林鉄道:半世紀ぶり復元を 調査研究委、埋まったレール7キロにわたり確認 /岐阜
11月22日13時1分配信 毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081122-00000111-mailo-l21

 ◇下呂・小坂の御嶽山ろくで
 下呂市小坂町の御嶽山ろくで、約半世紀前に廃線になった森林鉄道を復元しようとする構想が持ち上がっている。地元観光協会などで作る小坂森林鉄道調査研究委員会(熊崎武久委員長)が、土砂に埋まったりしたレールを約7キロにわたって確認した。
 小坂森林鉄道は旧名古屋営林局小坂営林署(現岐阜森林管理署)が、旧益田郡小坂町(現下呂市)の小坂川沿いなどに走らせていた約50キロの5路線。旧国鉄高山線が飛騨小坂駅まで敷設されたことに合わせて1933年から木材を運んでいたが、トラック輸送の発達などによって61年に廃線された。
 森林鉄道の復元構想は、「小坂の滝めぐり」が「岐阜の宝もの1号」に認定されたのをきっかけに盛り上がった。小坂森林鉄道調査研究委員会のメンバー6人は、小坂町落合の御嶽登山口のある濁河温泉近くの山中で行われ、崩落した橋げたや土砂に埋もれたレール、ポイントなどを見つけた。
 同委員会は、御嶽登山口の「一の鳥居」から、川岸に切り立った大岸壁で有名な「がんだて公園」の間で、森林鉄道を復元することを目指している。熊崎委員長は「歴史的遺産を残すため、調査研究を着実に進めたい」と話している。【奈良正臣】

11月22日朝刊

最終更新:11月22日13時1分

40とはずがたり:2008/12/16(火) 15:15:29
旧口野隧道はなかなか読み応え有り。やっぱ穴に入ってこその山行がですなw

沼津市口野の “隧道の辻”
http://yamaiga.com/tunnel/kutino/main.html
沼津の謎の白鳥居
http://yamaiga.the-orj.org/koneta/koneta_127.html
旧口野隧道
http://yamaiga.com/tunnel/kutino2/main.html

41とはずがたり:2008/12/17(水) 16:40:11
松の木程では無いだろうがなかなかひどす。
もう一回有料道路にして工事費用取ったらどうか?

御在所岳周辺登山道の状況 (20.9.7現在)
http://blogs.yahoo.co.jp/suzukakodo/16167050.html

42荷主研究者:2008/12/31(水) 22:57:45
釜トンネル
http://yamaiga.com/tunnel/kama/main.html

http://www.chunichi.co.jp/article/nagano/20081228/CK2008122802000005.html
2008年12月28日 中日新聞
油断は禁物、真冬の上高地

消灯した釜トンネルの前に設置された冬期閉鎖中の看板=松本市安曇で

◆釜トンネルを消灯
 北アルプス・上高地に通じる松本市安曇の県道釜トンネル内の照明が、車両通行止めとなる冬期閉鎖(11月16日−来年4月15日)の間、非常灯と待避所2カ所の照明を除いてすべて消灯されている。軽装で上高地へ入る観光客を抑制しようという初めての試みで、県松本建設事務所などが、注意を促す看板をトンネル入り口に設置した。

 環境省上高地自然保護官事務所によると、釜トンネルはかつて、路面の凍結がひどく、入山するのは冬山装備の登山者や許可を得た工事車両に限られていた。しかし2005年に付け替えられて以来、冬期閉鎖中でも上高地に気軽に歩いて入る観光客が増え、今冬も来年3月上旬までほとんどの休日に、上高地散策ツアーが組まれているという。

 冬期の県道沿いは雪崩の危険があるが、トンネルが閉鎖中でもあり、対策をほとんどしていないのが実情。「上高地は冬山と同じ」と両事務所は、トンネル内の照明を消すことで、軽装で上高地に入る人を減らそうと、今月5日から消灯した。 (福岡範行)

◆登山相談所を開設
 冬山登山の遭難事故を防ごうと、松本署と北アルプス南部地区山岳遭難防止対策協会は27日、松本市安曇の国道158号側の釜トンネル入り口に登山相談所を開設した。県警山岳遭難救助隊員や遭対協の相談員らが31日まで常駐し、登山者の計画や装備をチェックする。

 上高地などの入山口にあたる同所にプレハブ小屋を仮設した。年末は越年登山の入山者が多くなるため、登山計画書の正確な記入と提出、無理のない日程での登山を指導。登山者の装備の確認や積雪情報も提供する。

 初日は、正午から午後4時までに27組73人が登山計画書を提出。登山仲間13人と入山した川崎市の渡辺一夫さん(72)は「入念に準備をして来ました。気軽な気持ちで入山する登山者には相談所は有効だと思う」と話していた。

 (宿谷紀子)

43とはずがたり:2009/01/22(木) 01:28:36
鶴子林道と御所山
http://yamaiga.com/road/otokoroyama/main.html

鶴子山林道の二つのトンネル付近
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=38/28/40.160&el=140/34/13.293&scl=25000&bid=Mlink

山形の廃道
廃道、旧道、廃隧道、廃橋、鉄道廃線
http://mx11.hp.infoseek.co.jp/
御所山隧道(第一、第二)
http://mx11.hp.infoseek.co.jp/5syo1.htm
関山隧道
http://mx11.hp.infoseek.co.jp/link2.htm

おもしろチャレンジ
http://www.h3.dion.ne.jp/~mhoshi/index.html
関山トンネル
http://www.h3.dion.ne.jp/~mhoshi/sekiyama.html

44とはずがたり:2009/02/05(木) 02:07:29
"ガッカリ観光地"になる!? 廃墟の王様『軍艦島』の未来
2009/2/4 11:00
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1114776388/222
廃墟マニア垂涎の"軍艦島"こと長崎県・端島。


この↓島。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=32/37/30.557&el=129/44/29.652&scl=25000&bid=Mlink

流石のゼンリンも大した情報はないなw
http://www.its-mo.com/z-117448055-467067193-18.htm

45名無しさん:2009/02/17(火) 10:55:38
http://www.youtube.com/watch?v=UOT2IeBXmvc
このひとおもろいなw

46とはずがたり:2009/02/17(火) 11:16:20
>>45
テンション高めの人っすねw
映ってた"北在家中津川線"で調べてみました。此処ですな〜。

(仮)虻谷隧道
http://www7b.biglobe.ne.jp/~mmbc00877/abutani.html

47とはずがたり:2009/03/04(水) 22:11:41
>東京都奥多摩町から檜原村を通る奥多摩周遊道路は約4センチの降雪のため、通行止めになった。
どこじゃろ!?

雪:東京都心に今冬初 奥多摩では通行止めも
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20090227k0000e040052000c.html

雪が降り続く中、皇居周辺を散策する人たち=東京都千代田区で2009年2月27日午前10時11分、石井諭撮影

 本州南岸を通過する低気圧に北東から冷たい空気が流れ込んだ影響で、関東地方の平野部で27日午前、降雪を観測した。東京都心でも午前10時過ぎに雪が降り始め、皇居周辺を散策する人たちも肩をすぼめて歩いていた。

 気象庁によると、東京都心での降雪はみぞれを除くと今冬初。山間部ではまとまった雪となり、東京都奥多摩町から檜原村を通る奥多摩周遊道路は約4センチの降雪のため、通行止めになった。

 同日午後には気温が上がり、雪は雨に変わる見通し。【前谷宏】

48とはずがたり:2009/04/16(木) 21:23:19
よっき氏リベンジ果たしてたんですね〜。
誰か,水上から六日町迄踏破してくれないかなぁー。一筆で踏破してこその道路と思うのだがw

国道291号 清水峠 新潟側 <導入>
http://yamaiga.com/road/shimizu/main.html
公開日 2008.1.19
探索日 2007.10.7

国道291号 清水峠(新潟側) <リベンジ編> 序
http://yamaiga.com/road/shimizu2/main.html
公開日 2009. 2.16
探索日 2008.10.11

49とはずがたり:2009/04/17(金) 03:03:31

むほっ,忘れてたけど既にhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1177946351/165でリンクしてた。。

茨城県道218号線 一本杉峠 
茨城県石岡市〜桜川市
2006・7・22 来訪
http://www.geocities.jp/wxfff590/ittponnsugitouge.html

50とはずがたり:2009/04/17(金) 03:03:51
買わないと。。

「廃道本」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/440803004X?ie=UTF8&tag=yamasaiganega-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=440803004X
「廃道をゆく」
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4863201117?ie=UTF8&tag=yamasaiganega-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4863201117

51とはずがたり:2009/04/17(金) 03:21:38
光明電鉄もヨッキ氏の手に拠ってトレースされてます♪
http://yamaiga.com/rail/koumyo/main.html

52とはずがたり:2009/04/17(金) 12:11:41
そういえば昔(30年程前),掛川にも素堀の隧道が何本か有った。子供の俺は砂のトンネルと呼んでいた。
今現在,近くの知ってる2箇所は削られて無くなってしまったけど,他はどうなってるのかなぁ。。

此処は道路の拡幅で掘り割り化
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=34/47/02.886&el=138/00/42.185&scl=25000&bid=Mlink

此処は周囲の公園化で開鑿。良い雰囲気だったけど拡幅と云う訳でもなく醜悪な公園化での整備には腹立ちを感じる。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=34/47/02.969&el=138/00/18.426&scl=25000&bid=Mlink

此処は残ってるみたいだ。コンクリが申し訳程度に巻き付けられて様な気もする。
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=34/47/14.577&el=138/00/33.400&scl=25000&bid=Mlink

それなりにインパクトあったけどそれ以上に不気味さもあって幸か不幸か穴属性はそれ程高くない俺であります。それよりもこの先に何があるのかと云う道の末端・最奥部を知りたい属性の方が強めか。
他人の穴レポならすんげえ興味有りなので怖がってるだけでホントは好きなのかもしれないけど。

53とはずがたり:2009/04/18(土) 00:02:41
茨城県道248号八溝山公園線
http://yamaiga.com/road/ipr248/main.html
http://www.geocities.jp/wxfff590/hatimizoyama.html
http://peevee.tv/v?4ogxf9

http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/54/31.461&el=140/16/53.100&scl=70000&bid=Mlink

栃木県道28号「大子那須線」
http://yamaiga.com/road/tpr28/main.html

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1066974699/1403
那須南市 栃木県 協議破談 那須郡 南那須町,烏山町,馬頭町,小川町
※新市名最終候補15点:なかがわ,なか川,那珂川,那須那珂,那須みなみ,那須南,那南,みどり,八溝,やみぞ,那須烏山,那須みどり,みどり野,鮎川,那須やみぞ

54とはずがたり:2009/04/18(土) 02:24:50
道路レポート 宮城・福島県道107号線 赤井畑国見線 
ttp://yamaiga.com/road/yamazaki/main.html

県道107号赤井畑国見線(山崎峠)
ttp://roadweb.web.fc2.com/report_p/p107_akaihata/p107_akaihata.htm
この鉱山と本県道の開通は無関係ではなく、鉱産物の搬出や通勤道路として整備されたものであるが、ただし、道中の七里沢隧道が昭和28年開通(『山形の廃道』さん資料による)であるならば、やや時期的な開きがある。
これについては、謎のままだ。
(県道に指定されたのはさらに遅れて、昭和33年である)

県道107号線の通行について
ttp://www.pref.miyagi.jp/kohou/ombudsman/h13/h13_jirei07.htm

県道107号線 山崎峠
ttp://dtm.fc2web.com/3.dtm/5.project-web/project-4/1.kendou107/hido_deta2.html
 隧道の竣工は「山形の廃道」様(ttp://mx11.hp.infoseek.co.jp/)「全国隧道リスト」によると昭和28年である。当時、全長100m/幅3.2m(コンクリート改修部分の幅が記録されている。初期の素堀隧道の貫通・竣工は記録に無い。当然、中央アーチ部は幅2.5m程度しかない)の隧道を掘るのは大変な金額と労力を要したはずだ。因みに昭和11年の、宮城県内での地方費道路線認定(県道指定/準備)路線としては、ダントツに早く竣工している。これは昭和27年に一級国道4号/6号線が認定を受けた翌年に、隧道は竣工している事を意味する。(あの状態で、竣工というのも?)

…七里沢鉱山の存在である。紫水晶や銅(亜鉛という資料もある)を産出する鉱山の最盛期は戦前・戦中であり、戦時中は鉱物は総て軍需産業に転用されただろう。実は当時の鉱山の廃墟がまだ残っており、

県境という立地条件故に。
 宮城県に在籍する鉱山「三安鉱山」は宮城の会社が運営し、主だった運営や労働者も宮城からが多かったようであるが、交通の地の利から掘り出した鉱石は福島に運び出され、東北本線藤田駅から各地に運ばれたのだ。

ここからは、全くの予想である。
 宮城県としては、昭和27年の道路新法による国道113号線の認定・整備(実際には28年)と共に、鉱石を宮城側に降ろす計画を立てていたのでは無いだろうか?すでに主立った関係者は宮城から出ているのだ。一時は学校や映画館まであったと伝えられる鉱山である。地元に対するその経済効果は計り知れないだろう。自動車の普及を見越して、国道開発に連動した県道延伸と考えるとつじつまが合う。そう考えると、途中から抗口を広げようとした意図も、判る気がするのだが。
 ただ、想定外だったのは七里沢鉱山の閉鎖である。理由は不明だが可能性があるのは、隧道の計画時期より思った以上に鉱脈が細かったのではないだろうか?大正から昭和の初めはは紫水晶の産地として有名だった鉱山だが、その後は水晶より銅を生産していたらしい。国内需要の大きさの割に七里沢鉱山の埋蔵量はなく、隧道は貫通したところで、鉱山ごと放棄されてしまったのではないだろうか?
 また、産出する鉱物の価値が下がって、鉱山経営が成り立たなくなった可能性もある。この周辺は三安鉱山以外でも幾つか掘っている(試掘)らしくて、その時期もバラバラなのである。因みに三安鉱山は戦時中に一度倒れていて、その当時でも千人程度の抗夫が働いていたらしい。国見からも出資があり、また倒れたという資料も、昭和18年と鉱山統制がかかるころで、国の指針で戦争に必要な鉱床以外は閉鎖に追い込まれているはずなのだ。(軍需産業などと書いておいて、紫水晶が何に加工されたか知らないんですけど、掘り出されてるのはやっぱ銅?)
 因みに、現時点では戦後に三安鉱山が再起したのか?最終的な鉱山の放棄時期などについては、文献を見つける事が出来なかった。

山崎峠の先に謎の廃墟が・・・
ttp://www11.plala.or.jp/yamagutiya/page017.html
場所はこの辺
ttp://map.yahoo.co.jp/pl?lat=37.54.53.344&lon=140.32.30.911&la=1&sc=4&CE.x=252&CE.y=229
三安(ミツヤス)鉱山
■ H15.11.09  小野寺寅雄著 「みやぎの峠」(河北新報社刊 平成10年)
山崎峠の項に「三安鉱山」についての記述がありました。
昭和18年頃まで操業しており、最盛期は千人以上働いていて、学校や映画館もあった、とあります。

大正4〜5年頃、書かれた「苅田郡小原村誌」には、七里沢鉱山の記述があり、工夫13人で5箇所を探鉱しているが、有望なものはなく、近くの古い鉱山跡も探鉱するらしいが、そんな価値があるのだろうか、と懐疑的な所見が述べられています。
この年代にはまだ発見されてなかったようです。

55とはずがたり:2009/04/18(土) 02:25:11
>>54-55
これら↓をあたっても三安鉱山は出てこない。。マイナーな鉱山だったのか?

鉱山情報・鉱物産地情報 福島県近郊
http://www.miharu-e.co.jp/ja7fyg/kouzan/kouzan.html
鉱山探訪>資料室>一覧
http://www6.airnet.ne.jp/~mura/mine/info/index.html
記憶屋「廃墟」
http://kiokuya-haikyo.versus.jp/ruins/mine/mine.html

56とはずがたり:2009/04/18(土) 02:47:18
三安鉱山は山崎峠を越えて県を跨いだ福島県側に出荷されていたがS11には県道の準備指定が成されていた。この時点で隧道の掘削も開始?
S18年頃国の統制に引っかかり閉山させられた三安鉱山は戦後復活して県も後押しの為隧道もS28には完成し,S33には県道に指定されている。
戦後のいずれかの時点で復活したかする予定だった三安鉱山だが実際にはどうだったのかは不明。
と,纏めてみるとこんな感じ?

へなり氏のサイトも足しておこう

トップ>廃道電撃ネットワーク>南東北>宮城>県道107赤井畑国見線山崎峠
http://www.henari1.jp/H-6-001-A.htm
遂に来ましたよ七里沢隧道。山形の廃道様資料によると昭和28年竣工だそうで、それ以前からこの隧道が存在していたのかどうかは定かではない。

57とはずがたり:2009/04/18(土) 03:31:15

旗返峠 (はたがえしとうげ)
http://nagajis.dyndns.org/Bunsuirei/text_d/kyu/hatagaesi.html

【標高】 510m
【行政】大分県大野郡三重町?南海部郡宇目町
【経緯度】北緯:32°53′55″/東経:131°36′25″
【水系】大野川水系奥畑川?北川水系田代川
【二万五千図】中津留:NI-52-5-7-4 大分7号-4
【五万図】三重町:NI-52-5-7 大分7号 \ S51編
【ツーリングマップル】九州 P41 4-G・N

トップ>廃道電撃ネットワーク>北九州>大分>旗返峠
http://www.henari1.jp/H-40-002-A.htm
恐らくレポの起点は此処
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=32/54/27.564&el=131/35/40.543&scl=25000&bid=Mlink

トップ>隧道電撃ネットワーク>北九州>大分>旗返隧道
http://www.henari1.jp/Z-40-044-A.htm

旗返峠(6)
http://www.henari1.jp/H-40-002-F.htm
恐らくレポの起点は此処
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=32/53/54.824&el=131/37/00.904&scl=25000&bid=Mlink

旗返隧道(2)
http://www.henari1.jp/Z-40-044-B.htm

旧道倶樂部活動報告書
旗返峠
http://nagajis.the-orj.org/hatagaesi/hatagaesi_1.html

。角川地名辞典のこの峠の項によれば、畠返嶺とも呼ばれたこの峠は岡藩の御郡廻り(領内視察)、木浦鉱山の鉱産物輸などに利用されたという。領内視察の加籠に乗る役人も、降りなければこの峠を越えられなかったという難所である

戦国時代には島津家と大友家がこの峠を通して争った。資料によれば島津軍が峠越えして大友領内に進入し、その帰路を追撃する大友軍との間で戦闘が起こっている。この戦闘で島津軍が旗を巻いて逃げ帰ったことから「旗返峠」という名前がついたとされている(その一方で敗退したのは大友軍という説もある。大分合同新聞昭和52年11月16日付夕刊・『峠』第64回より)。翻って見れば中々に歴史の深い峠なのである。

冒頭で引用した大分合同新聞の記事では、隧道はおろか車道のことにすら触れられていない。従って、早くとも昭和52年(1977)以降にこの隧道が作られたはずである。それ以降平成8年(1996)までの19年間に、車道が作られ、隧道ができ、そして崩壊した。この短期間に一体何が起こったのであろうか。コンクリートブロック積みという工法も、実は珍しいものではないか。

58とはずがたり:2009/04/19(日) 02:08:21
がいしゅつかもしれんがこの辺纏めて現地調査と洒落込みたいところ。。

福島・宮城県道45号 主要地方道 丸森霊山線
http://yamaiga.com/road/fpr45/main.html

主要地方道31号 浪江国見線 霊山不通区
http://yamaiga.com/road/ryozen/main.html

59とはずがたり:2009/04/19(日) 02:12:33
そっか考えてみたら事故の怪我は事故の過失責任者払いが原則か( ゜д゜)Σ!

バイク事故記⑦
http://www10.tok2.com/home/michibeya/zakki/zakki_html/jiko/jiko_07.html

\880000・・・その金額は一瞬にして背筋が凍らせました(-_-;)

ここで看護師さんなどから病院で交通事故関係の相談を受けてくれる方がいるというので
ちょっとホッとしました。
で実際に話を聞くと色々な手続きがあるようでした。
ダラダラと書いても分かりづらいので今回の状況を含めて箇条書きでまとめると

1.交通事故は基本的に健康保険が利かない(これは皆さんご存知でしょうか)
2.今回の事故は書面上は「自損」であるので相手側からの請求などはできない。
3.自賠責保険は事故を起こした相手側に支払われるので自分への保障はない。
4.任意保険の効力が切れているのでもちろん保障無し。

以上のような状況でした。
で、今回は次のような方法を取りました。

・基本的に健康保険は利かない。しかし、事故の状況(今回の場合、トンネル内で追い越される
 という状況で転倒)から事故証明が取れれば「第3者行為」となり、健康保険が適用される。

・健康保険には一ヶ月あたりの医療費負担額の限界があり、医療費が定められた金額を越えた
 場合、超えた金額は返還される。

61とはずがたり:2009/04/20(月) 19:29:12
【山から逃げねが】
昨日R13栗子越えをする機会が在ったと云うか機会を造ったので拠ってきましたさ,万世大路(の入口)。
まぁ一つの廃道系マニアの抑えておきたいポイントであるしヨッキレン氏(ら)の重要な業績の一つがこの周囲の調査(工事用軌道ルート等の解明)であると個人的には感じているしね(後は太平山周辺の森林鉄道と日原近辺の歴史道で三大業績ではないか?また和賀近辺の調査も棄てがたい。)
で,万世大路と現道の福島方最終分岐ポイントはよく判らぬ侭通過してしまい,主要なアクセス手段となっている林道へ向かう。
東栗子トンネルの正面に欣喜雀躍し乍ら降りたった私(0゜・∀・)
写真に映り込んでいる(修正済み)のは渋々停車させられて呆れ気味の弟のにぬけん。奴が俺に山行がのサイトを教えてくれたんじゃがの
トンネルの入口の上の建物は換気設備の為の建物
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5017s.jpg
付近は深い谷であり4月中旬でも残雪が残っている。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5018s.jpg
これ見よがしの旧道もあってテンション激騰がり。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5019s.jpg
アプローチはどれかなとトンネルの横を覗くと直ぐにみるかる。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5021s.jpg
!…勾配キツっ!
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5023s.jpg
路面えぐれてないっすか??(;´Д`)
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5024s.jpg
ヘアピン二個分だけ徒歩で登攀(あ)がって這(ほ)う這(ほ)うの態で逃げ帰って参りました(´・ω・`)

凄い勢いで軽四駆がこの道を駆け上がって一瞬で消え去ったのも,私の京都の林道を駆け巡ったという些かの自負を強かにみにじって行きましたw
いやぁ暫く使われてないとは云っても京都北山付近の林道なんぞ旧国道とはいえ地方(しかも雪国)の廃道のガチンコぶりに比べるとママゴトみたいなもんすわ(;´Д`)

帰ってきてヨッキ氏の文章を読むと,確かに勾配がきついと書いている。いやぁクルマパジェロミニ辺りに買い換えないと駄目っすかねぇ。。

ttp://yamaiga.com/road/bansei/main10.html#4
>で、この林道は至って普通な山岳道路。強いて言うなら、勾配が相当にきつい。

おまけ。排気設備用の建物の側壁に描かれた謎のデザイン
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/bansei/IMGP5025s.jpg
醜悪で没個性的な都市部の若者の落書き(何で揃いも揃ってあんなに似たような独創性がない絵を喜んで描くんでしょうかねぇ。無能の証明晒して喜んでる程度のだから書くのか…)とは明らかに違う筆致であるけど。。


その他万世大路系リンク

万世大路工事用軌道
ttp://yamaiga.com/rail/bansei_k/main0.html
万世大路〜国道13号線 旧道
ttp://www10.tok2.com/home/michibeya/road/touge_html/R13_bansei_menu.html
福島1960’アーカイブ
ttp://shinobuyama.jog.buttobi.net/
旧国道13号線 万世大路(萬世大路)
ttp://lacrymasendai18maita98.web.fc2.com/obroad/bansei.html

62とはずがたり:2009/04/21(火) 04:01:22
実は>>61の余りの不甲斐なさにご近所の廃道ポイントr218一本杉峠を攻めてきた。
4輪の通行は不能でMTBやオフロードバイクでアタックしてるみたいであるけど普通乗用自動車で己への挑戦を試みたのであるが,真壁町白井から同長岡へ抜ける周回コースにチャレンジしてみたが道が沢になってて断念。踏破も試みたが地図上あと一寸の所だった様だが断念。
途中で死ぬ思いで切り返ししたんだけどそんな所を山チャリやオフロードバイクに通りがかられたら滅茶滅茶恥ずかしかったけど幸か不幸か平日の夕刻迫る時間帯にそんな酔狂な人も居らず,途中採石場の作業用の軽四駆のおじさんとすれ違った位で済んだ。道の真ん中にクルマ駐めて先の道確かめに云ってて慌てて戻ったんだけど難なく横をすり抜けて行って慌て損だったけど。
あの上はもっと酷い沢道に成っている様だ。画像&コース近日公開予定♪

r218一本杉峠リンク集

Mapion地図
ttp://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&grp=all&nl=36/17/07.031&el=140/08/25.064&scl=25000&bid=Mlink

茨城県道218号線 一本杉峠 
茨城県石岡市〜桜川市
2006・7・22 来訪
ttp://www.geocities.jp/wxfff590/ittponnsugitouge2.html

茨城県道218号線 一本杉峠 
冬季 再訪編+α
茨城県石岡市〜桜川市
2008・2月17日 来訪
ttp://www.geocities.jp/wxfff590/ittponnsugitougesaihou.html

茨城県道218号線 一本杉峠 
〜更に進化した一本杉峠〜
茨城県石岡市〜桜川市
2008・10月21日 来訪
ttp://www.geocities.jp/wxfff590/suparittponnsugitouge.html

一本杉峠林道
ttp://www.rindo21.com/kanto/ibaragi_ipponnsugitouge.html

茨城県道218号線 一本杉峠=動画
ttp://peevee.tv/v/4k2704

一本杉峠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

一本杉峠(いっぽんすぎとうげ)は、茨城県石岡市と同桜川市の境にある標高430mの峠。南北に連なる筑波連山北部の峠の一つであり、丸山(576m)と足尾山(627.5m)の鞍部にあたる。筑波連山を東西に横断する県道218号大塚真壁線と筑波連山の稜線を南北に縦走する北筑波稜線林道が峠で交差している。峠には杉の木が立っている。

県道218号は、山麓部以外は未舗装である。特に桜川市側は廃道同然に荒れており、四輪車の通行は不可能な状況となっている(2007年11月現在)。北筑波稜線林道は全区間舗装されている。

初心者せんむのヘロヘロサイクリング 「ヘロヘロサイクリング」 INDEXへ TOPへ
2002年7月4日  一本杉峠〜加波山〜燕山
ttp://iamsenmu2.easter.ne.jp/2002/cycling020704.htm

水源かん養林の自然、一本杉峠〜大塚、石岡市
ttp://www.kasumigaura.net/usr/mizukusa/Kasumigaura/page/A0691.html

一本杉峠周辺散策
2008年12月13日
ttp://blog.goo.ne.jp/hikaru2623/e/84697be47a6f59ba3aa2774e5cc24d32

63とはずがたり:2009/04/21(火) 04:18:50
>>62-63
一応断念ポイントだけ先行うp。
画面手前から登坂して此処で断念。泣きながら転回。画面左手はそのまま斜面。画面向かって奥が進行方向だが道路敷の過半が水路状になって水が流れていた。

此迄に既に数カ所可成りの難所(急勾配+ガレ場数カ所,ぬかるみ1箇所)を抜けてきた俺の心の残り基数が,
①沢から水が流れ出して来ていて岩が露出しており岩の間隔が恰度クルマの床を激しく擦りそうだった
②この先の道全体が暫く沢状態となっていて可成り岩の露出が激しい
③地図上に無い道の分岐があって場所がイマイチ自信持てなくなった
の3連コンボで磨り減って0になりますた。。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com/rindoubu/ipponsugi/IMGP5321s.jpg

此処迄苦労したんだから今更悪路を戻るよりかは強行突破しちまった方が良いというちょっと究極の葛藤に苛まれたけど何とか立ち往生の悪夢を心に言い聞かせ撤退。。

64とはずがたり:2009/04/21(火) 04:41:14
>>62
一本杉リンク追加
北筑波稜線林道,一本杉峠からウィンドパワーつくばhttp://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1227192268/42へのレポ

きまぐれ?自転車☆生活
07.06.27
http://donden.bufsiz.jp/report/07/06.27/1.html

65とはずがたり:2009/04/21(火) 04:45:00
北筑波稜線林道関連リンク集

北筑波稜線林道
http://www.rindo21.com/kanto/ibaragi_kitatukubaryousenn.html
2004-06-23
区間は大きく3つに分かれていて、北筑波稜線林道第一区間、第二区間、丸山・岩の上林道区間となっている。
北筑波稜線林道第一区間は県道150から県道7との間の3kmだが、この3kmは4輪は通行止めとなっていて、バイクや自転車のみが通行できる。

2008-04-23
第一区間がこれまでは4輪通行止めだったものが車両通行止めとなったので、バイクの通過も不可能となってしまった。このため仙郷林道から北筑波稜線林道へ入るのには、一旦県道41まで出る迂回ルートを取らざるを得なくなった。自然保護のための通行止めと言うことなのでやむを得ないと思うが、迂回するために余分に排出される排気ガスとどちらが自然を痛めるかは一考の価値は有ると思う。車両の進入が全面禁止なので法的には自転車の通過も不法となるはず。

北筑波稜線林道 +丸山林道
http://precious.road.jp/ibaraki/kitatsukuba.htm

2009年01月12日
北筑波稜線林道
http://blogs.dion.ne.jp/tonouchi_odeon/archives/7997006.html

年サラリーマンのための、ツーリング講座
筑波山・加波山周辺の林道
http://www002.upp.so-net.ne.jp/t-kimura/tsufirst.html

66とはずがたり:2009/04/23(木) 13:26:37
白棚鉄道・梁森支線 (白河市・旧表郷村)
2007.10
http://wing2.jp/~kaido/rail/hak-12.htm
白河炭鉱の専用線

どうやらこの辺
http://www.mapion.co.jp/m/37.0445225_140.318024722222_8/

67とはずがたり:2009/04/24(金) 06:02:56
>>62-64
r218下り映像
あずさ2号氏の投稿した画像で云うと6:50付近迄麓からシビックで登れたんだけどなぁ・・
もちょっと車高が高ければ4:30付近の大崩落地をだけが無理そうだが,先日一本杉峠へ東側から這入ったところ,下からランドクルーザーみたいなのが上がってきて度肝を抜かれた。ランクルならこの酷そうに見える崩落地をぬけられんのかね?
http://circle.zoome.jp/yamaiga/media/23/

68とはずがたり:2009/05/07(木) 16:36:36
>>50
購入(`・ω・´)
2冊で三千円かそこいらだけどどの位ヨッキ氏の軍資金として彼の手許にいくんでしょうねー。
普通は10%位が相場の様だが。nagajis氏と折半で150円づつって所でしょうかね。これからもがんばってくらはい。。

69とはずがたり:2009/05/19(火) 00:12:30
紀伊高原長大トンネル・峠越え地図特集

<R166>
女寄トンネル<桜井市-宇陀市>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/30/03.009&amp;el=135/54/42.540&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
高見トンネル<奈良県-三重県>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/24/38.690&amp;el=136/05/48.181&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<R168>
新天辻隧道(+r732坂本五條線 出屋敷峠)
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/13/14.979&amp;el=135/43/39.312&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
岩原トンネル+田長瀬トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/07/06.468&amp;el=135/46/13.246&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
山崎大橋+池穴トンネル+池穴大橋+小井トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/00/54.046&amp;el=135/47/23.872&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
七色高架橋+土河屋トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=33/53/05.612&amp;el=135/45/46.426&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
東敷屋トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=33/49/52.173&amp;el=135/49/05.339&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<R169>
五社トンネル<吉野町-川上村>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/21/47.557&amp;el=135/55/33.438&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
伯母谷トンネル+栗の木トンネル+伯母谷ループ橋+大嶽トンネル+新伯母峯トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/14/58.462&amp;el=136/00/00.744&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/13/24.725&amp;el=135/59/42.305&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
北山峡 東野トンネル+田戸隧道
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=33/54/48.808&amp;el=135/53/22.640&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<R309>
新笠木トンネル+新川合トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/15/45.156&amp;el=135/50/19.029&amp;scl=250000&amp;bid=Mlink
行者還トンネル…未整備?
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/11/09.891&amp;el=135/56/47.528&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink


<R311>
鳳伝トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=33/51/34.532&amp;el=135/58/19.462&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<R369>
開路トンネル+栂坂トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/29/00.323&amp;el=136/03/53.460&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink
土屋原トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/28/44.823&amp;el=136/07/59.307&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<r37桜井吉野線>
新鹿路トンネル<桜井市-吉野町>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/26/38.016&amp;el=135/52/41.851&amp;scl=250000&amp;bid=Mlink

<r155多武峯見瀬線>
建設予定
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/27/35.501&amp;el=135/51/23.087&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<やまなみロード(奥宇陀広域農道)>
室生トンネル
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/32/36.316&amp;el=136/02/41.662&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<農道?>
矢井内トンネル
>多武峯見瀬線参照
大峠トンネル<桜井市-宇陀市>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=34/27/22.219&amp;el=135/53/38.843&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

<林道?>
不動トンネル<吉野郡下北山村-東牟婁郡北山村>
http://www.mapion.co.jp/c/f?uc=1&amp;grp=all&amp;nl=33/59/09.526&amp;el=135/58/55.494&amp;scl=70000&amp;bid=Mlink

70とはずがたり:2009/05/28(木) 01:00:08
仙北は気になる地名であった。従って仙岩トンネルも然りである。
併し大曲が大仙市になったのも何となくやだし,仙北市も中仙町と併せて北浦市になれば良かったのにと思わざるを得ない。

走破レポート  「国道46号旧線 仙岩峠」 その1
http://yamaiga.com/road/sengan/main.html
秋田県内に3本存在する旧一級国道のうちの一つである、国道46号線。
現在県内の旧一級国道路線で、最長の旧道区間となっているのが、この仙岩峠だ。
また同時に、廃道化しているのも、ここだけだと思う。

国道46号旧線 仙岩峠 廃後29年目の春 <前編>
http://yamaiga.com/road/sengan/main_tokubetu.html

仙岩国道 工事用道路 その1
http://yamaiga.com/road/sengan_k/main.html
先ほどから旧国道の話題に終始してきたが、今回のテーマは異なる。
現道だ。
もっと言えば、現道を建設するに供された仮設道路の存在である。


国道46号旧旧道 仙岩峠(秋田側) 第一回
http://yamaiga.com/road/sengan_a/main.html
我々オブローダーにとっての仙岩峠と言えば、昭和52年に「旧道」となり、そのまま廃道化した旧国道が有名であるが、それ以前にも車道があったことは殆ど知られていない。
それこそが、明治8年に秋田・岩手両県合同で整備を開始した、初代・仙岩峠である。

 もっとも、この時の道は車道と言っても馬車がようやく通れる程度の内容で、しかも秋田県側の整備は明治末まで遅れたという。
また、自動車の台頭にあってはもなすすべもなく、結局昭和37年に先の“旧国道”が完成するまで、殆ど地図上だけの道であったと記録されている。

仙北郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
仙北郡(せんぼくぐん)は、羽後国および秋田県の東部に位置する郡。古い資料では「山北」「仙福」「仙乏」と表記している事もある。

北浦3町村の合併問題
仙北郡北部のの田沢湖町、西木村、角館町は古来から北浦(きたうら)と呼ばれ、歴史的にもつながりが大きかったが、合併を巡っては問題が奮発している。当初、3町村は合併して新市「仙北市」を誕生させる予定であった。ところが、庁舎の位置や、行政プロセスのあり方などを巡って西木村&田沢湖町VS角館町、という対立構造が顕著になり、角館町は合併協議会を離脱した。これに伴い、西木村と田沢湖町は合併して新町「田沢湖町」を誕生させる予定で交渉を進めた。しかし、角館町議会は合併協議会解散の決議を否決し、合併の是非を問う町長の出直し選挙で合併推進派の新人候補が現職に大差で勝利した。そして、角館町が合併協議会に復帰、合併関連議案を可決したことで、2005年9月20日に仙北市が誕生する事になった。なお、旧中仙町も北浦と呼ばれた地域であり、当初は北浦4町村での合併を模索していたが、離脱し大仙市に加入した。

71荷主研究者:2009/06/05(金) 00:38:28

http://www.chunichi.co.jp/article/gifu/20090426/CK2009042602000023.html
2009年4月26日 中日新聞
旧国鉄の愛岐トンネル群保存で連携 6月に多治見支部設立

旧国鉄中央線トンネル群の一つ「玉野第4トンネル」。多治見産の赤れんが使われている=愛知県春日井市で

 多治見市と愛知県春日井市境に残る明治期の旧国鉄中央線トンネル群の保存再生に向け、「愛岐トンネル群保存再生委員会」(事務局・春日井市)の多治見支部が6月6日に設立される。これまで愛知県側を中心に保存活動が進められてきたが、「碓氷峠(群馬県)に次ぐ国内第2の規模」(再生委)といわれる地元の産業遺産の再生に連携して取り組んでいく。

 トンネル群は、1900(明治33)年の旧中央線の開通に合わせ、高蔵寺−多治見駅の土岐川沿い約8キロ間に14基建設された。「イギリス積み」と呼ばれる総れんが積みで、赤れんがは多治見産が用いられた。66(昭和41)年の複線電化工事完成に伴い廃線となったが、春日井市側に6基、多治見市側に7基が現存している。

 再生委は、2007年6月に住民有志で発足した「旧国鉄トンネル群保存再生委員会」が前身。トンネルや軌道跡の整備を進めた運動が認められ、今年2月には経済産業省から「近代化産業遺産」の認定を受けた。現在は、企業所有地であるこの区間を買い取るため、賛同者から寄付を募りナショナルトラスト運動も進めている。

 多治見支部設立により、トンネル群全体の整備やトラスト運動を足並みをそろえて進めていく。設立総会は6月6日午前10時から多治見市池田町の池田町屋公民館で。支部長を務める山本輝さん(38)は「地元の貴重な近代化遺産に岐阜県側からも一人でも多く興味を持ってもらい、入会してもらえれば」と話している。

 これに先立ち、5月2−6日の5日間の午前10−午後3時、春日井市側の3−6号トンネルで一般市民見学会を開く。JR中央線定光寺駅下車、北3分。事前申し込み不要。無料。問い合わせは事務局の村上真善さん=電090(4860)4664=へ。

 (有賀博幸)

72とはずがたり:2009/07/14(火) 12:41:27

ヨッキを生んだ秋田県だけに山チャリ意識してる!?

「ハマちゃり」始めました 男鹿市、散策用に自転車貸し出し
http://www.sakigake.jp/p/akita/news.jsp?kc=20090714f

観光客らに貸し出す「ハマちゃり」

 男鹿市の男鹿駅前のにぎわいを考える会(事務局・男鹿市商工会)は13日から、駅前周辺や船川地区の散策を楽しんでもらおうと、観光客らに自転車を貸し出す「ハマちゃり」を始めた。同会では「船川地区の歴史や文化などに触れてもらい、にぎわいの一助になればと思っている。自転車でさわやかな風を受け、気軽に楽しんでほしい」と利用を呼び掛けている。

 同会は市商工会や市観光協会、JR男鹿駅、地元企業などの有志8人で組織。男鹿駅で降りた観光客から「自転車はありませんか」などの問い合わせが多かったため、自転車の貸し出しを決めた。

 「ハマちゃり」は、海に囲まれた男鹿半島の「浜辺」と、自転車の俗称「チャリンコ」からもじった。市内の企業から寄せられた協賛金で、大人用5台、子ども用2台の計7台の自転車を購入した。料金は1台200円(午前8時半?午後5時)。市観光協会が管理し、男鹿駅の並びにある男鹿駅観光案内所で利用を受け付ける。
(2009/07/14 11:32 更新)

73とはずがたり:2009/07/26(日) 02:07:31
何処だ?>尾花沢市山刀伐峠←一発変換しやがったぞ。。
スレ違いとよっきに怒られそうだけどw

車で沢に転落→1週間後、自力で生還 尾花沢
http://www.kahoku.co.jp/news/2009/07/20090724t73035.htm

 23日午後5時15分ごろ、山形県尾花沢市の山刀伐(なたぎり)峠から、宮城県大崎市古川清水沢、会社員遠藤健一さん(51)が「乗用車ごと転落した」と最上広域消防本部に通報し、救出された。遠藤さんは転落してから約1週間、沢地で過ごしていた。左腕を骨折し、衰弱が激しいため、新庄市内の病院に入院した。命に別条はないという。

 同消防本部と尾花沢署によると、遠藤さんは今月17日ごろ、新庄方面から尾花沢方面に向かって乗用車で市道を走行中、道路右側から車ごと落ち、約60メートル下の沢地に転落したという。

 遠藤さんは「(落ちてから)沢の水を飲んでいた。痛くて動けなかったが、3日ほど前から動けるようになった」と話しているという。携帯電話を持っていたが、圏外で通報できず、転落場所から公衆電話があるところまで自力で移動し、救助を求めたらしい。


2009年07月24日金曜日

74荷主研究者:2009/09/17(木) 22:22:01
列車壕なんて知らなかった。貫通しているとのことだが、ヨッキれん氏は興味を持つだろうか…。
>右の穴は130メートルの長さがあり、山の反対側まで貫通

http://www.chunichi.co.jp/article/shiga/20090909/CK2009090902000011.html
2009年9月9日 中日新聞
未完の列車壕整備 戦後、ごみ捨て場に

列車壕の跡を案内する藤本伝一さん=米原市岩脇で

 太平洋戦争中に蒸気機関車(SL)を空襲から守るため造られた列車壕(ごう)が、米原市岩脇に残っている。戦後忘れられた存在だったが、先月住民の手により改修を終え、戦争を後世に伝える戦争遺跡として復活した。

 東海道線と北陸線が交わる米原駅は、戦時中、多くのSLが行き交い、兵士や武器の輸送拠点でもあった。戦争末期になって旧国鉄が列車壕を造ったのは、米原駅から2キロ北にある小高い岩脇山。しかし列車壕は完成されないまま終戦を迎えた。地元住民が日ごろから親しんでいる稲荷(いなり)神社の裏手に、未完成の暗い2つの横穴が残された。

 向かって左の穴は幅3メートル、52メートルの長さがあり、入り口の高さは進んでいくごとに低くなる。行き止まりには、火薬を詰める穴やつるはしの跡が生々しく残る。右の穴は130メートルの長さがあり、山の反対側まで貫通している。壕中は涼しく、山の冷たい水がしみ出し、あやしく光っている。戦時中には、東海道の上り線からこの壕まで、引き込み線があったという。

 「壕は戦後ごみ捨て場になり、2メートルほどの高さまでゴミであふれていました」と、壕の修復に携わった岩脇まちづくり委員会の藤本伝一さん(67)は話した。藤本さんらまちづくり委員会のメンバー43名が昨年11月から壕とその周辺を整備し、先月8日に完成を祝って神事が行われた。

 「ここの岩盤はとても硬い。戦争に行った人も大変だったが、壕を掘った人たちも大変な思いをしただろう」と、藤本さんは戦時中苦労した人に思いをはせた。まちづくり委員会では、壕の見学を通して戦争の愚かさを知ってもらおうと、26日午後2時から見学会を開く。問い合わせは、市米原公民館=電0749(52)2240=へ。

 (森若奈)

75とはずがたり:2009/10/02(金) 12:12:58
【古地図:国立公園南アルプスと大井川安倍川流域】
先日実家の大掃除に駆り出されてきたのだが古い地図を発掘♪

曰く「国立公園南アルプスと大井川安倍川流域」という表題の付いた大判のやつだ。
井川村(1969年静岡市に編入),伊那里村(1959年(S34)に美和村と合併し長谷村に,長谷村は2006年に伊那市、高遠町と合併し現伊那市)の表記があるので昭和30年代前半の地図か?しかしS39開通の東海道新幹線もあるしその辺の齟齬はちょい疑問。無い筈のものを書く可能性よりも合併で消えた地名の訂正し忘れる方が可能性高そうなのでS39以降であろう。

其れは兎も角営林署軌道・林用軌道が載ってるのでスキャンしてうpしてみる。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com//rindoubu/s-alps/img012s.jpg
ttp://tohazugatali.web.fc2.com//rindoubu/s-alps/img013s.jpg

それぞれマップルだとこの辺。
伊那市長谷浦
http://www.mapion.co.jp/m/35.6066680555556_138.154069166667_6/
上村・南信濃村(現飯田市)境界付近 地図は飯田市南信濃木沢
http://www.mapion.co.jp/m/35.3840969444444_138.046620555556_6/

因みに最新の隧道レポ
隧道レポート 国道52号旧道 下山隧道
http://yamaiga.com/tunnel/simoyama/main.html
の下山隧道も当時はばっちり現存中だ。
ttp://tohazugatali.web.fc2.com//rindoubu/s-alps/img014t.jpg

ヨッキ氏の調査によると昭和43年には下山隧道は廃されて川縁の新ルートに移行しているので,伊那里村の表記が誤りだとするとS39〜S43のいずれかの地図という事になる。

76とはずがたり:2009/11/13(金) 22:43:59
佐夜の中山や青田のトンネル迄あり!

道路隧道
http://haisentn.s78.xrea.com/douro.htm

掛川の廃止になったトンネルというと確かこれ↓がそうな筈だが。。
http://www.mapion.co.jp/m/34.7298233333333_138.028711666667_9/

77とはずがたり:2009/11/22(日) 01:30:26
昭和53年編集昭和54年修正の「10万分の1 東京とその周辺」なる古地図が出てきた。

横横道路が南横浜バイパスとかなってて未だ日野町IC(現在の日野IC)〜朝比奈IC迄しかできておらず後は建設中の印である。
神奈川臨海も本牧埠頭方面には未だ無いようでその代わりに山下埠頭に臨港線がある。
新川崎も無いけどそれも未だなのか?!横浜羽沢も建設中の記号である。
矢部から米軍補給廠内へ専用線が延びている。
八王子BPも建設中ですらないようで,246も上草柳から山王原迄鶴間駅前を通る旧ルートである。鷺沼から梶ヶ谷迄も偉い彎曲した旧道である。
鷺沼入口交叉点から246に延びるインターのランプ道路みたいなのが旧道だった訳ね。。梶ヶ谷の旧道は判りやすかったけど此処は判らなかった。


首都高5号線は高島平R迄で素直に読むと練馬IC迄既に延びている関越道と直結できそうなものなのにその後の展開は全くちがうものに。。
新大宮BPは既に出来ているが西大宮BPは影も形もない。
新4号BPも庄和IC迄であるし東大宮BPも宮ヶ谷塔から原市中迄建設中だったようだ。

東北道も浦和迄で首都高川口線も中環も建設中で前者の路線名は葛飾川口線とされている。
常磐道も建設中で三郷線は足立三郷線とされている。そもそも向島線も向島R迄しか出来ていない。
外環も点線すらない。

湾岸線も開通しているのは辰巳Jctから浦安ぐらいである。行徳あたりなんぞ沼地みたいだ。
東関東自動車道も未だ宮野木Jctから成田空港迄で名前も新空港自動車道である。

小田原どころか平塚等迄も切れてしまって載ってないけど我らが筑波を初めとする茨城県南は東京の周辺と認定されていてかちゃんと入っている。
関鉄も新守谷駅は未だ無いようだが逆に筑波鉄道は未だ分社化される前で関鉄筑波線として営業中であり,北条の手前で地図は切れてしまっている。

さて学園都市の様子は未だ未だ未開発である。
国道6号は藤代以北はR125と土浦BPとの交点まで全部未改良の様子であり,新利根橋も架かっていない。この時点で柏市北柏付近〜新利根橋〜茎崎村(当時は未だ村だった様だ)〜土浦市中村を構想できてりゃねぇw
土浦学園線は土浦市街から西松代付近迄しか出来てない。サイエンス大通りは全く見当たらない。牛久学園線はR6迄出来ている。西大通は当時は未だ県道だった様子のR35以北,東大通りは既に完成と云った感じである。
筑波大学もちょぼちょぼとしか建物が書いてない。ループも未だ無さそうである。大学の西側を流れるどぶ川みたいなのが当時の新治郡桜村と筑波郡の境界だったようである。
吾妻や竹園など主だった場所は桜村だったようだ。既に学園郵便局や竹園の宅地があったようであるがそれいがいはがらんとしているように見える。
高エネ研も当時は高エネルギー物理研究所成る名前だったようである。

78とはずがたり:2009/11/22(日) 02:14:43
>>77
南横浜バイパスに就いて

横須賀発   なんでもヨコスカ!    yokosuka
http://members2.jcom.home.ne.jp/nandemo-yokosuka/y-doro.html
<本文>

1.横浜横須賀道路〔1〕 そもそも

 横浜横須賀道路というのは、一般国道16号のバイパスとして計画されたそうで、上下計4車線の高速自動車国道(有料)です。現在、狩場IC(横浜市保土ヶ谷区狩場町)から佐原IC(横須賀市佐原一丁目)までの区間、28.5kmが供用されています。

 この道路は三浦半島全体の経済・産業活動に、生活道路(お墓参りに便利!)として、そしてまた観光道路としても非常に有効な働きをしています。
 横浜横須賀道路の当初の全体計画はよく分かりません。1970年(S45)5月「南横浜バイパス」朝比奈〜狩場間が事業許可されました。この南横浜バイパスは1980年(S55)9月に「横浜横須賀道路」に名称変更になっていますから、このころ南横浜バイパスが、横須賀へ延びている一般国道16号全体のバイパス計画へと見直しされたのでしょう。

注記:1980年(S55)12月15日付朝日新聞朝刊に関係記事があり、「南横浜バイパス(横浜横須賀道路」と横浜横須賀道路が括弧書きされています。さらに狩場IC〜衣笠IC(横須賀市衣笠町)間全長26.63kmの計画が記されており、開通予定は1983年(S58)3月となっています。

79とはずがたり:2009/11/22(日) 14:41:24
>>77
>首都高5号線は高島平R迄で素直に読むと練馬IC迄既に延びている関越道と直結できそうなものなのにその後の展開は全くちがうものに。。
>新大宮BPは既に出来ているが西大宮BPは影も形もない。

スキャンしてみた。
素直に見ると寧ろ和光富士見道路と直結ですねー。
志木市宗岡付近の連中の反対で頓挫してしまったけど。。
http://tohazugatali.iza-yoi.net/TOKYO/23KU/S54wako00.html

5号線は既に渋滞で麻痺状態であるからやっと動き出した和光富士見道路に直で繋げろとは云えないけど,①放射35,36号の環八・環七接続,②外環の建設,③首都高練馬線の建設の次ぎ(順位低っw)くらいには検討しても良いかもしれない。

80とはずがたり:2009/11/22(日) 15:32:21
>>77
筑波の部分もうp。
う〜ん新鮮である♪
http://tohazugatali.iza-yoi.net/TSUKUBA/S54tsukuba00.html

81とはずがたり:2009/12/10(木) 23:49:47
地滑りで元路線を抛棄して対岸へ線路を移設した大規模なものだったが地下でひっそりと空間が生き残ってたんですねぇ。

幻の旧鉄道トンネル、残っていた 昭和初期に閉鎖 大阪
http://www.asahi.com/national/update/1209/OSK200912090149.html
2009年12月10日5時27分

写真:見つかった亀ノ瀬隧道の一部。蒸気機関車のすすで天井が黒くなっている=9日午後、大阪府柏原市、筋野健太撮影見つかった亀ノ瀬隧道の一部。蒸気機関車のすすで天井が黒くなっている=9日午後、大阪府柏原市、筋野健太撮影

 「幻のトンネル」は残っていた――。昭和初期の大規模地滑りで崩壊したとみられていた明治、大正期建設の旧鉄道トンネルが大阪府柏原市で見つかった。国土交通省近畿地方整備局が9日、報道陣に公開した。当時のれんが造りの構造が良好な形で残っており、一部を保存して今後、一般公開する方針。
〈動画〉幻の旧鉄道トンネル、残っていた

 見つかったのは、JR大和路線の前身、旧大阪鉄道の亀ノ瀬隧道(ずいどう)(延長約500メートル)の一部。1892(明治25)年に開通した下り線の長さ66メートル分(高さ4.6メートル、幅4.3メートル)と、1924(大正13)年の複線化で増設された上り線の長さ49メートル分(高さ5.5メートル、幅4.1メートル)。

 現場近くの大和川右岸では、31(昭和6)年から翌年にかけて大規模な地滑りが発生。広さ約32ヘクタールに及ぶ山塊が旧鉄道側へ流れ込んだ。亀ノ瀬隧道は閉鎖され、大和川の対岸に新たな路線が敷設された。

 再び大規模な地滑りが起きれば家屋の崩壊や鉄道・国道の遮断、上流の奈良盆地の浸水被害などが予想されるため、国は62(昭和37)年に直轄で地滑り対策工事に着手した。対象面積は約85ヘクタール、総事業費約800億円。工事は来年度に完了の予定。

 この工事の一環で、地滑り地の地下水を抜き取るための排水トンネル(長さ計約6.5キロ)を整備。昨年11月、排水トンネルの一部(長さ580メートル)を掘削中、亀ノ瀬隧道が見つかった。

 近畿地方整備局は排水トンネルを補強するために、見つかった旧鉄道トンネルのほとんどをモルタルで覆った。ただ、明治期開通の下り線の一部39メートル分は安全性が確認されたため、れんが構造の姿をそのまま残すことにした。今後、同整備局と柏原市の共催で、定期的に一般公開する方向で協議している。(北村哲朗)

82とはずがたり:2009/12/11(金) 01:45:26

すげえっす。

旧魚梁瀬森林鉄道の支線軌道跡、初の発見 高知
http://www.asahi.com/travel/rail/news/TKY200905010249.html
2009年5月1日

写真国有林内で見つかったレールと枕木=馬路村魚梁瀬

 明治から昭和にかけて高知県安芸郡内を走っていた旧魚梁瀬森林鉄道の支線の軌道跡が、馬路村魚梁瀬の国有林内で約100メートルにわたって見つかった。これまで軌道はすべて撤去されたと見られていたため、軌道跡の発見は初めて。同鉄道の本線の関連施設は今年度、国の重要文化財への指定が予定されている。

 軌道は徳島県境近くの影地山を流れる東川沿いにあった。レールは一部が複線で、枕木が残り、線路を切り替えるポイントもあった。下流部からも土砂に埋もれたレールや長さ約8メートルの鉄製橋梁(きょうりょう)が見つかった。

 安芸森林管理署の職員らが3月、森林調査に入った際に発見。村職員や「中芸地区森林鉄道遺産を保存・活用する会」(清岡博基会長)の会員らが今月、土砂や草を取り除いて確認した。

 村や同会によると、発見場所は1930(昭和5)年に開通した東川線の始発部分で、貨車の入れ替えをしたと見られる。奥に材木の積み出し場があったらしい。1958年に発行された路線概略図には載っていないため、それ以降に敷設され、63年の廃線まで使われたらしい。

 見学などの問い合わせは安芸森林管理署魚梁瀬地区合同事務所(0887・43・2314)へ。

83とはずがたり:2009/12/17(木) 12:24:05

久しぶりに京都の山道走りたいねぇ・・(´・ω・`)

京都府道370号 佐々里井戸線
走行日 2004,12,19
http://f19.aaa.livedoor.jp/~kendougt/Kyoto-370.html

84とはずがたり:2009/12/18(金) 15:10:13
寧ろスポーツスレか?

片山右京さん、富士山で遭難=「同行1人死亡」と電話−静岡県警
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&amp;k=2009121800200&amp;j1

 18日午前0時50分ごろ、元F1ドライバー片山右京さん(46)ら男性3人が富士山で遭難したと、片山さんの事務所から静岡県警御殿場署に救助要請があった。片山さんは事務所の従業員に「テントを飛ばされた」と連絡してきたという。
 同署によると、片山さんは午前7時半すぎに同署に電話してきた際、「1人が亡くなっているかもしれない。もう1人も危ない」と話した。
 県警は、富士山の6合目から9合目付近までの間で遭難したとみて、山岳遭難救助隊とヘリコプターを出して捜索している。ただ、現場付近は風が強く、ヘリが十分に高度を下げられない状況。
 片山さんの事務所によると、ほか2人は事務所の従業員。片山さんは南極大陸最高峰ビンソンマシフの登頂を目指し、今月25日に出発する予定だった。富士山にはトレーニング目的で、南極用の装備を持って登ったという。
 ホームページによると、片山さんは全日本F3000選手権などで活躍した後、1992年に日本人3人目のF1ドライバーとしてデビュー。97年にF1から撤退したが、その間に本格的な登山にも挑戦し、アフリカ最高峰のキリマンジャロや北米のマッキンリーなどの登頂にも成功していた。(2009/12 /18-12:44)

85荷主研究者:2009/12/20(日) 23:59:58
>トロッコは、作業員輸送や山岳部トイレのし尿運搬に活用
軌道は撤去されずに輸送に活用されるようだが、土埋木を運ぶ森林鉄道としての役目は終わりかー。

http://373news.com/modules/pickup/index.php?storyid=21117
2009 12/17 10:21 南日本新聞
江戸時代以降伐採の屋久杉土埋木 トロッコ搬出に幕

ロープでトロッコのブレーキを掛けながら土埋木を運ぶ作業員=16日、屋久島町の安房森林軌道・荒川分岐点

 屋久島にある国内唯一の森林軌道「安房森林軌道」のトロッコが16日、屋久杉土埋木の最後の搬出を行った。

 土埋木は江戸時代から伐倒されてきた屋久杉の切り株や風倒木。1923年に開設した同軌道は60年前後から土埋木搬出を始めた。縄文杉登山ルート入り口の荒川分岐点から石塚までの7.1キロで、作業員が土埋木にまたがり、ロープでブレーキを掛けながら下る。

 トロッコを長年運転してきた林業高田久夫さん(76)は「土埋木を資源として生かさなければとの思いでやってきた。大きな事故もなくホッとしている」と感慨深げ。屋久島森林管理署によると、ここ数年の運搬量は年間約300立方メートル。

 土埋木は今後トラックで搬出。トロッコは、作業員輸送や山岳部トイレのし尿運搬に活用される。

86とはずがたり:2009/12/26(土) 17:26:02
よっきれん遂に岐阜にも進出。
御母衣ダムを攻略したらしいが,落部辺りはめったに水が来ないかのような雰囲気だそうでその辺もダムのもったいなさでありますな。

岩瀬秋町線 (御母衣湖右岸道路)
http://yamaiga.com/road/akimati/main.html

必見!!!
【秋町隧道 探索動画】(2:44 17MB)
http://yamaiga.com/road/akimati/main3.html

六厩川橋攻略作戦
http://yamaiga.com/road/morimo/main.html

目標は此処だ!
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=36.13094824296731&amp;lon=136.94850805705383&amp;z=20&amp;mode=aero&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=36.271014004003&amp;hlon=136.89847628738&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

87荷主研究者:2009/12/30(水) 20:15:41
この辺かなぁ?
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=34.13883314425915&amp;lon=136.2578802796784&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=34.180470289156&amp;hlon=136.23699123587&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

http://www.chunichi.co.jp/article/mie/20091222/CK2009122202000019.html
2009年12月22日 中日新聞
幻の「三浦越え」復活 73年ぶり住民が整備

青々と輝くシダが生い茂る道=紀北町海山区の矢口峠で

 紀北町の海山区と紀伊長島区を結び、かつて「三浦越え」と呼ばれた生活道の矢口峠が、地元住民有志の手で整備され、73年ぶりに通行できるようになった。東紀州の“秘境”を巡る探検ツアーを企画している「くまの体験企画」が早速ツアーを計画し、参加者を募集している。

 矢口峠は、海山区矢口浦と紀伊長島区三浦を結ぶ約4キロの山道。道幅は1メートル程度で、正確な記録が残っていないため、峠の標高などは不明。江戸時代以前から海山区の人たちが伊勢方面に向かう生活道として使われていたという。

 昭和になってからも電柱が立つなど主要な生活道として機能したが、1937(昭和12)年に隧道(ずいどう)が開通し廃道と化した。

 住民有志は、先祖が歩いた道を大切にしたいという思いから、20人で今年1月から作業を開始。倒木やシダに覆われて道の跡が消えていたり、がけ崩れしたりしていた場所もあり、1日5時間かけて10メートルしか進まない日もあった。見晴らしのいい地点には、手作りのベンチを置いた展望台も作り、約5カ月で整備を終えた。発起人の同区白浦の奧村敏之さん(68)は「カマを持ってすべて手作業でやった。太いシダを切り進むのが大変だった。たくさんの人に歩いてもらいたい」と話していた。

 峠道は青々と輝くシダや滝を楽しめるほか、海岸線が一望できる。道中の傾斜は緩く、体力のない人でも踏破できる。ツアーは来年1月17日午前9時半、同町海山区の熊野灘臨海公園太白公園に集合。申し込みは同15日まで。参加費1700円、定員15人。

 くまの体験企画の内山裕紀子代表は「峠を歩いて、整備した地元の人の熱い思いを感じてほしい」と呼び掛けている。問い合わせは内山さん=電090(7865)0771=へ。

 (福田大展)

88とはずがたり:2010/01/01(金) 14:10:39

ぷうむ。

2010 01 30 [Sat]
前回SOLD OUTし異常に盛り上がったした廃道ナイトがリクエストに応え新年お台場再上陸!! ヨッキれん&nagajisプレゼンツ
廃道ナイト!2010早春 オブローダー総決起集会!!
Open 18:00 Start 19:00 End 22:00 (予定)
前売券\2,000・当日券\2,500(飲食代別途必要・ビール\590など)
http://tcc.nifty.com/cs/catalog/tcc_schedule/catalog_091217202733_1.htm

89荷主研究者:2010/01/01(金) 14:24:02
面白い。すごい情熱だなぁ〜。

廃墟探索 岐阜県の廃墟
私よごれんやTEAM酷道の仲間たちと訪れた岐阜県の廃墟をご紹介しています。

http://www.geocities.jp/teamhaikyo/haikyo.htm

90とはずがたり:2010/01/01(金) 14:53:31
すげえ。。
猟奇!エロ本小屋を読んだだけだがこれはガチだ。。

91とはずがたり:2010/01/01(金) 18:36:24
こんな要らん道まで国道にしやがってという批判的視点が抜けて国家様のやることに全面肯定する残念な酷道ぶりをはしゃぐバカっぽいレポであるけど,458は山形の奥羽線や東北中央道の一山西側を行く不要国道。こんな道路を余分な国庫負担率で整備する必要なし。
今や未舗装国道此処だけと叫んでるけど其処迄血税投入され尽くして未舗装区間絶滅寸前なんか!?嘆かわしい。

http://www.vesta.dti.ne.jp/~nishiuch/route_x/R458/R458.htm

92とはずがたり:2010/01/01(金) 18:37:30
>>91
そのR458がらみの記事。

“酷道”458号、Uターンする県外客続出 通行止め分からず
http://yamagata-np.jp/news/200807/04/kj_2008070400045.php
2008年07月04日 09:15

 例年6月に冬期間通行止めを解除している国道458号の寒河江市−大蔵村間で、今年は7月に入っても通行止めが続いている。大蔵側で路肩の崩れが確認され補修工事を行っているためだが、カーナビ情報で国道を抜けようとして、現場でUターンする県外客が続出している。
[MAP]

 県最上総合支庁によると、国道458号は11月から翌年6月まで寒河江市幸生−大蔵村肘折間27.4キロ区間が通行止めとなる。今季は6月上旬の解除を予定し5月に現場調査を行ったが、葉山登山口の一つ、三本橋の南側で路肩が長さ18メートル、幅3メートルにわたって崩れているのが発見された。

 県は、寒河江側の幸生・柳沢橋−十部一峠、大蔵側の肘折−三本橋の通行止めを6月9日に解除。十部一峠−三本橋間8.2キロについては、復旧工事を行っているため今月7日の開通を予定している。

 この情報が県外ドライバーらにうまく伝わっていないという。大蔵村観光協会によると、肘折温泉の利用客などから「国道が通れなくて困った」という旅館への苦情や連絡が6月に入って十数件に達した。例えば首都圏から車で同温泉を目指す場合、カーナビをセットすると「東北自動車道から山形道に入り、寒河江インターチェンジ(IC)か西川ICで降りて国道458号を抜ける」と案内されるためだ。交通規制情報を受信しているタイプのカーナビは途中でルート変更されるが、受信していない車は、そのまま通行止め区間に来てしまうようだ。

 カーナビの有無にかかわらず、当然、通行できると思って来る観光客も多い。3日午前、通行止めを知らずに幸生のゲートまでオートバイでやってきた仙台市の会社員、水谷広さん(44)は「肘折を通って大石田でそばを食べようと思ってきたのに。どうしようかな」と肩を落とし、Uターンした。

 県の担当者は「ICを降りて幸生のゲートに来るまでに5カ所で情報案内をしているのだが、景色もいいし見逃してしまうのかな」と話し、地元からは「国道なのに一部未舗装など全国でも有数の未整備路線だから」という恨み節が聞こえてくる。

93とはずがたり:2010/01/02(土) 01:28:01
また凄い線型ですなぁ。ダム絡みの様だ。
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=35.71422884926501&amp;lon=138.93865055938412&amp;z=16&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=35.736212776481&amp;hlon=138.78520674606&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

94とはずがたり:2010/01/03(日) 17:44:04
はっきり云ってあんま他のサイトに探しに行かない出不精なせいもあるけど,ヨッキレンの文章(文体)と徒渉実績が廃道系では抜きんでた一番であると思っているが,この戸倉峠の未成隧道のnagajis氏の探索ぶりはなかなかである。

思うに俺が廃道に惹かれるのは勿体ない,その抛棄された社会資本を使用する為のコスト(ましてや使用出来る様に成る迄の整備コストが加われば尚更)が便益を下回るのは明らかなんだけど使われてないのは勿体ない,と云う感覚であるように思う。

http://www.the-orj.org/ORJ_0001/index.php
2008.G.W.OFF報告
戸倉峠
【FREE!】

[ORJ第29号(2008年9月発行)初出]

 兵庫県と鳥取県の境にある国道峠の旧道を探索した記録。明治中期に開削されて以来ずっと国道の地位にありながら、戦後になるまで真っ当な改良が加えられなかったという珍しいケースの旧旧道。終戦間際に掘鑿が始まり、途中で放棄されたという未成隧道。いずれも単なる廃道という以上の意味のある遺構だと思う。

 個人的には書くのに4カ月もかかったことが印象に残る。書きたいこともおおかた書けた。ただし時間をかければ良いものができるという見本にはならない。なお掲載がORJ29号なのはたまたまだ。

95とはずがたり:2010/01/05(火) 17:15:18
北海道の地図見てて発見♪これは香ばしそうな。。

ここ↓
http://map.yahoo.co.jp/pl?type=scroll&amp;lat=43.01164213809597&amp;lon=142.30190889816305&amp;z=15&amp;mode=map&amp;pointer=on&amp;datum=wgs&amp;fa=ks&amp;home=on&amp;hlat=34.857724800309&amp;hlon=133.01657336263&amp;layout=&amp;ei=utf-8&amp;p=

北海道道136号夕張新得線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

歴史 [編集]
1994年4月1日 路線認定(路線番号1099)。
1994年10月1日 路線番号変更。
かつては、ニニウ夕張線(路線番号968)・占冠穂別線(一部区間)・占冠落合停車場線(路線番号489、一部区間)・落合新得線(路線番号1073)の道道4本によって結ばれていた。占冠穂別線以外を廃止して、新たに認定した路線である。

その他 [編集]
夕張市から占冠村の間と、南富良野町から新得町の間は未開通である。


調べてみるとしっかりへなりワンも突撃してるw
こりは凄そうだ。。
http://www.henari1.jp/H-1I-001-A.htm

96とはずがたり:2010/01/07(木) 21:16:06
日本の廃道バックナンバー集#2届きました。
#1もそうだったけどどうも仕組みがよく分からずに読みにくいんだよな〜。
まあ寄付金の心算であるがそんならとっとと振り込まねば。。これがまた面倒で。。


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