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『スピ系の何が違っているのか?いないのか?』

1苦集滅道w:2018/08/29(水) 18:00:45
<TK師との会話> https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/
まずは、↑このスレッドでの会話が残されていることに、感謝したい。

らぴ。さんとの縁があって、今までの流れになっています。
↑のスレッドがなければ、私は 素通りしたかもしれませんがw、御覧の通りに
立ち止まった訳です(笑)

このスレッドのテーマは、『スピ系の何が違っているのか?いないのか?』です。
ここに来られる皆様は、おそらく精神世界観探究に少なからず、興味を持って、
現在のスピ系に知識も理解もお持ちのことと思います。
いまはまだ特殊特別な分野の扱いをされているのがスピリチュアルのカテゴリかと思います。
そんな社会的には狭い分野ですが、人生という旅の途上において、精神性の知識・理解を語り合う
場面も 悪くないと思うのです(笑)

私は、今までの知識と理解を も一度見直してみたいと思ってます。
一人では、固定化した観方もあって、正しい観方って(たぶん)できないでいます。
みなさんと一緒に、精神性を深めていきたので、示唆し合えればと思います。

真理とは何か?とか、悟りとは何か?といった遠大なテーマではございません(笑)
スピ系を実践(思考・行為・観念化等)して、不都合さが起きた経験はないですか?
その不都合さをスピ系の教えに照らして、修正しようとしても、修正しきれない経験って
ないですか?

そんな、いつも(たまに?)感じている抵抗感に、全員で答えることができますように。。。

ホスト:苦集滅道w

2ラピ。:2018/08/29(水) 21:29:37
苦集滅道wさん

スレッド、どうもありがとうございます。

スピ系は私もかつて経験していますが
例えていえば今はもう卒業しております。

それゆえにわかることもあると思うので
何かお力になれたら、と思います。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

3苦集滅道w:2018/08/29(水) 23:52:59
>今はもう卒業しております。
ですよね。それが どういうことかは わかりかねますが、信頼していますので、
わからないことは、お聞きしますので、よろしくお願いします。

さて、人生を「夢」として例えて、その「夢」から目覚めることを
目覚めの現象、或いは「覚醒」として、スピ系の一部「目覚め系」にて
謳われています。

「人生という夢から目覚めること」を持って、目覚めと言う、しかし
「目覚めるのは、夢を見ている個人ではない」とも言います。

ここに、言葉上の矛盾を感じているのは、私だけではないと思います。
「目覚め」とは何を示唆しているのでしょう?

何らかの真理に沿った「啓蒙」なのか、意味の無い「心理的効果」を
狙ったものなのか?みなさんは どう 思われますか?

4ラピ。:2018/08/30(木) 22:57:04
バッサリ切ります。(笑)

>「人生という夢から目覚めること」を持って、目覚めと言う、しかし
>「目覚めるのは、夢を見ている個人ではない」とも言います。

なんだか、昔みたことあるような気がするけど
へんてこりん理論ですね(笑)

目覚めが悟りの事を言っているのであれば
そうではありません。

>ここに、言葉上の矛盾を感じているのは、私だけではないと思います。
>「目覚め」とは何を示唆しているのでしょう?

ほんと、そうですね。

>何らかの真理に沿った「啓蒙」なのか、意味の無い「心理的効果」を
>狙ったものなのか?みなさんは どう 思われますか?

まず、真理に沿ったものではありません。
それ、真理じゃありません。

そもそもこのようなことを言っているお方は真理を知らないと思いますが。
もっともらしく話すのが上手なだけ??

>「人生という夢から目覚めること」を持って、目覚めと言う、しかし
>「目覚めるのは、夢を見ている個人ではない」とも言います。

この文章を言う人って自称目覚めた人ですか?
こう言う人も、これを聞いている人も同じレベルだと思います。
夢の真っただ中。
夢を見ている人が例えていえば教えを説けますかね。

私の状態を、夢や目覚めという言葉を使って言うのなら

『目覚めることなく目覚めるのが悟りであり、例えていえば目覚めていません。
人生も夢も、そもそも悟ればありませんから目覚めようがない。

目覚める必要があるのは夢を見ている人であって
夢を見ていないなら目覚める必要がない。

>目覚めるのは、夢を見ている個人ではない

目覚めるのは夢を見ている人であって
そもそも「目覚める」、と言い続けている限り、夢も存在します。

本物なら目覚めすらない、夢見ていないから。』

一番の問題は
人生を夢だと言って、それが例えであっても
一体なんのために言っているのか、ということ。
それをみんなに伝えるのは何のため?

人生が夢だとしたなら、みなさまどう思うのですか?(心理効果は??)
なぜそう言うのか、わかりません。

嬉しい気持ちになるの?
楽しい気持ち?
やる気わく?
人生後悔ないように、って思える?
幸せだって思えるの??

人生が夢だといわれてキラキラ目を輝かせて生きる人が想像できない。
イキイキしている子供に「人生は夢」だなんて言えますかね?

「目覚めるのは、夢を見ている個人ではない」
という言葉は変な妄想が膨らむだけです。

本当に人生充実している人は
人生を夢だとか、そもそもそんなこと思う暇なく
日常を生きている。

そんな方に
「人生という夢から目覚めること」を持って、目覚めと言う、しかし
「目覚めるのは、夢を見ている個人ではない」
といっても「はぁ?」ですよね。

「人生という夢から目覚めること」を持って、目覚めと言う、しかし
「目覚めるのは、夢を見ている個人ではない」
そう言う人は目覚めることが一番良いことであって
人生、どうでもいいという感じですかね?

夢だから心配することなく楽しもう、みたいな??
がんばることはバカみたい!みたいな??(違う??わからない(笑)

ちなみに悟りに関しては悟ることが目的ではなく
人生、後悔なく精一杯生きれば結果的に悟るだけであって
悟ることが一番ではありません。

生きることが最も大切で、悟りはおまけ。

5苦集滅道:2018/08/31(金) 07:17:54
らぴ。さん ありがとう。ここの文面は永久保存版です。価値あると思います。

夢の喩えを語る人も、聞いて納得する自分も、同じ土俵にいます。
らぴ。さんの文面を読んで、はい、そうですか、そうします。とは、急にはなりません。
車は急には止まれないものですよね(笑)
私にできるのは、人生が夢と思い続けてきたことの結果(今)をみつめることです。
すると、TK氏がその対話ブログに書いてるように、何もしなくていい、責任もない
ついでに生きる気力もなくなるwそうした、内面になってることが、自覚されます。
さて、そんなんで生き易いなら、それでも 夢説を握りしめて生きていけばいいのでしょうが、
どうも そんな風に生きることに、不都合さがでてきていますので、今後 修正していきます。

さて、目覚めが「夢から醒める」の喩えですが、最初に使った人は、たぶん、正しかったと思います。
ですが、それを聞く人が、途中で改変された理解を持ち込んだのではないかなぁ?
そのきっかけは、たぶん一瞥の体験。そっちの存在感が正解なら、こっちの存在感は
夢みたいなものである。。。と、そう考えてもおかしくはないですし、何より 私が
そんな風な感覚を持っていましたのでね。ですから、同じような考え方の人に追随して
きましたが、色んな不都合さが 最近は顕著になってきましたので、疑問に上っていました。

そう、人生が夢だとするならば、色んな意志が、へたれこんでいきます。確かです。
怠け者や酔っぱらいには、都合がいい思想?啓蒙?心理的な効果?だと思います。

>人生どうでもいい・・・っていうか、どうでもいいことに気が付くことが、目覚め、悟り、覚醒といった
ニュアンスで記事は書かれています。神様詣でや、コンサートや、瞑想指導でお金を得ることは
忘れてはいないし、しっかりしてるところは しっかりしています。
そこは 素晴らしいです。w

6苦集滅道:2018/08/31(金) 08:18:26
『ひとつ・ワンネス意識』について

ひとつ、とかワンネスとかって、たぶん、こういう意味なんだろうって私なりに推察できているので、
使ったりすることもありますが、上の目覚めと違って 直接にそう思う経験ってないです。

一瞥で、私しかいない。っていう感想を持ちましたので、拡大解釈すれば、私だけ・・・すなわち、私達はひとつでしかなくて、
ひとつの意識でしかなくて、全体があるだけで、私という個は、存在していない。。。という、後付けの理解でしかありません。

ですから、ひとつ・ワンネスを実体験された人達が、何をもって、そう言われているかは、わかりません。
私の想像自体が的外れで、体験された方達のように 人はその内面に「宇宙」を有しているのかもしれません。

ただ、教えとしての「ひとつ・ワンネス意識」を考慮してみますと、先述した「夢の喩え」同様に、
今の個としての自己意識を解明してるものでなく、やはり 想像上の次元であることには違いないでしょう。

先生:<私達は・・・ひとつ・ワンネスの意識です。>
生徒:<私は個別の意識で独立した精神ですが。。。>
先生:<そう観えて、そう思っているだけで、本来は、ひとつがあるだけです>
生徒:<本来・・・って、どこにあるのですか?>
先生:<君には、解らないが、悟った者には 本来の世界にこそ、私がいるのだよ>

生徒:<先生・・・わかりませ〜〜ん>

といった、会話がスピ系では、生徒が変わりながら繰り返されていますよね(笑)

7苦集滅道w:2018/08/31(金) 19:06:34
「ひとつ」について、TK氏が書かれた記述を以下に転載してみます。
抜き書きですので、文脈は原文(20:)を参考にされて下さい。
<TK師との会話> https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/12104/1373075256/

>>すべてでひとつである。

>このような言葉を「自分」が消えていないスピ系と思われる方が、
>酔って良い気分になって振り回しているのを見たことがありました。
>しかし、これは達成した者にとっては「自分」が消えているので、一つなのであり、
>聖典や賢者はこれは実践方法としてではなく、達成した後の状態として語っているはずです。

>達成する前の者が、自分の遭遇する「現象」と「自分」を対等な位置においていたら、
>いつまでも「自分」は無くなりませんので、実践方法としては「現象」にたいして「自分」の立ち位置は下なのです。
>「すべてでひとつである。」この言葉は実践方法としての方便ではありません。
転載ここまでです。

達成者が「ひとつ」なのであって、未達成者にとっては、想像でしかないということでしょうか。
達成者が いつも「ひとつ」だと言えること自体が すさまじいですね。
未達成者が聞けば、「ひとつ」を真実だと思いこむだけなのでしょうね。
立ち位置が分離?なのに、「ひとつ」が真実であると思いこむ状態。

ここで、ややこしいのは、「ひとつ」が宇宙的な圧倒的な真実である場合。
その知識は間違ってないということ。つまり、言ってることは間違ってないけど
その中身はコピーされた認識?でしかないということ。

覚者の言葉をコピーしても 真実を極めた訳でも 見抜いた訳でもないけど
とりあえず、嘘じゃないってところが、紛らわしいですね(笑)
コピー知識でしかないことに、気がつくには 日常での「不都合さ」に意識を
向けるしかないと思います。

「ひとつ」だと 頭の中で思いこんでみても、実際の生活には 個人しか出てきませんので、
憎しみや嫉妬、差別や優越感といった、比較による思考や感情に振り回されています。
「ひとつ」に至るには・・・という方法論とその実践の過程が必要なのだと思う。

ですが、「ひとつ」になりたいと願う人もいないでしょう。
ひとつなんだから 仲良くしようよ・・・って、誰か書いてましたw。
その程度の効果しかないですね。

8ゆるふぁ:2018/08/31(金) 21:03:26
こんにちは、緩流サーファー改め、ゆるふぁにしました。
ゆるい感じの自分を表現していこうかと思います(笑)
「ひとつ」ということで気になることを挙げれば、自己が確立した上での「ひとつ」
と他人に依存し主体性を失った「ひとつ」があるような気がするんですよね。
それでらぴ。さんは前者の視点であり、スピ系?に多いのは後者の視点で
あるような気がします。
スピ系の教祖?みたいな人たちは自己が確立してるのかもしれないけれど、その
フォロワーは皆それに依存した「ひとつ」を求めているような気がします。
全部「気がする」だけですが(笑)

9ラピ。:2018/08/31(金) 22:04:58
6: 苦集滅道さん

>車は急には止まれないものですよね(笑)

苦集滅道 さん次第だし、自由ですよね。
人生を夢だと思っていたのは苦集滅道 さんでしたか!!

ちなみに私の書いた内容にはからくりがあるのです
鵜呑みにしないでね!(にやり)


>そのきっかけは、たぶん一瞥の体験。そっちの存在感が正解なら、こっちの存在感は
夢みたいなものである。。。と、そう考えてもおかしくはないですし、何より 私が
そんな風な感覚を持っていましたのでね。

一瞥の存在感って、それあったのですか?
私なら
一瞥は消えてしまったから、永遠のものではないから
本物ではない、と判断いたします。

なぜ束の間の出来事を本物だと思ってしまうのでしょうか。

ちなみに私の状態はまったく 束の間ではありません


>そう、人生が夢だとするならば、色んな意志が、へたれこんでいきます。確かです。
>怠け者や酔っぱらいには、都合がいい思想?啓蒙?心理的な効果?だと思います。

全くその通りです。


>一瞥で、私しかいない。っていう感想を持ちましたので、拡大解釈すれば、私だけ・・・すなわち、私達はひとつでしかなくて、
>ひとつの意識でしかなくて、全体があるだけで、私という個は、存在していない。。。という、後付けの理解でしかありません。

そうだと思います。

>私の想像自体が的外れで、体験された方達のように 人はその内面に「宇宙」を有しているのかもしれません。

いいえ、そのようなことはないと思います。
内面に宇宙とは妄想の宇宙ともいえるものだと思います。

>といった、会話がスピ系では、生徒が変わりながら繰り返されていますよね(笑)

この会話は意味が分かりませんねぇ(笑)

私の言っている悟りとは対象=自我=私=意志の消滅ですので
>先生:<君には、解らないが、悟った者には 本来の世界にこそ、私がいるのだよ
は全く的外れですね。

この先生は悟りをどういうものだと思っているのでしょう??
(これらは「思う、想像する」段階の言葉ですね。先生は確実に悟っていない(笑)

本来の世界って?私って???

この先生は一体何が言いたいのだ
妄想は妄想しか生まない。

10ラピ。:2018/08/31(金) 22:17:32
7: 苦集滅道w さん

>ここで、ややこしいのは、「ひとつ」が宇宙的な圧倒的な真実である場合。

「ひとつ」は例えです。
よって「ひとつ」という言葉は圧倒的な真実ではないですが
圧倒的それを伝えるために 例えとして「ひとつ」と語っています。

>その知識は間違ってないということ。つまり、言ってることは間違ってないけど
>その中身はコピーされた認識?でしかないということ。

例えていえば
未達成者が思う、または言っている「ひとつ」と
達成者の例えている「ひとつ」は全く違うということです。

>覚者の言葉をコピーしても 真実を極めた訳でも 見抜いた訳でもないけど
>とりあえず、嘘じゃないってところが、紛らわしいですね(笑)

ひとつ、という例えは「現象と自分」という状態の反対語として使われています。

現象と自分の分離がない状態(←これも例え)を「ひとつ」と例え
現象と分離が一緒、という意味ではありません。

言葉にするとややこしいですね(笑)

>「ひとつ」に至るには・・・という方法論とその実践の過程が必要なのだと思う。

そうですね、そしてその方法は上記のTK師の言葉に
すでに書かれていますね。

11ラピ。:2018/08/31(金) 22:28:13
8 : ゆるふぁさん

こちらでもこんばんは!

ちなみに私は自己も主体性も視点もないです。(笑)


>スピ系の教祖?みたいな人たちは自己が確立してるのかもしれないけれど、その
>フォロワーは皆それに依存した「ひとつ」を求めているような気がします。
>全部「気がする」だけですが(笑)

フォロワーは依存しているでしょうね、ある意味。
そして私からしたらスピ系の教祖もフォロワーも同じ。

お互い依存している。

なぜなら教祖はフォロワーがいないと成り立たないからです。

12ゆるふぁ:2018/08/31(金) 22:57:32
>らぴ。さん
>ちなみに私は自己も主体性も視点もないです。(笑)
知ってます(笑)でも他に書きようを知らないのです。
無理に書こうとすると意味不明の日本語になってしまいます。

フォロワーなければ教祖なし。縁起みたいですね。

途中で乱入して失礼しました。
「自分」と「現象」という次元での「ひとつ」の話だったんですね。
私は「自分」と「他人」という次元での「ひとつ」について語ってしまいました。

13苦集滅道:2018/09/01(土) 06:57:36
らぴ。さん 添削ありがとう。すんなり入ってきますよ〜。

>>聖典や賢者はこれは実践方法としてではなく、達成した後の状態として語っているはずです。
>>達成する前の者が、自分の遭遇する「現象」と「自分」を対等な位置においていたら、
>>いつまでも「自分」は無くなりません
・・・ここの意味合いを受け止めることができました。

自分が消える?が、至った人の例えだとすると、私は 自分が居るという立ち位置において、自分は消えるものと
思いこんできました。
自分が居る中で、自分が消えることを目的とし、消えていると思いこもうと心がけてきました。
「私はいない」・・・は、「私がいる」人にとっては、模倣してはいけない状態?というか、ありえない妄想
でしかないようです。「私がいる」状態?の中で、できることを限りなく「果たしていくこと」以外には
何もないのでしょう。そんな風に切り替えが、できましたよ(笑)

「ひとつ」は、私にはわからないので、妄想みたいなイメージしかないです(笑)
ですから、目的にしようもありませんので、忘れることにします(笑)

>上記のTK師の言葉にすでに書かれていますね。
>>「現象」にたいして「自分」の立ち位置は下なのです。

14苦集滅道:2018/09/01(土) 07:12:53
ゆるふぁさん、初めまして。書き込んでくれて とても嬉しいです。

なんでかっていいますと、何か 私とらぴ。さんの交換日誌wみたいなスレッドになるのでは
ないかと びびってたからです。みんなが 遠巻きに眺めている・・・みたいなね(笑)
それなら このスレッドって意味がないように思うのです。

みんなで・・・至る。
私が至ったとしても、私はそこに意味を感じません。。。

15日和る:2018/09/01(土) 12:03:28
ゆるふぁさん
はじめまして。
>「自分」と「現象」という次元での「ひとつ」の話だったんですね。
私は「自分」と「他人」という次元での「ひとつ」について語ってしまいました。

私はある方にずっと、
>「自分」と「現象」という次元での「ひとつ」
ではないですか?、それはわたしからいうと「個」で個の範疇なのではって、なぜなら、その「ひとつ」ならみんなの考えも行動もわかるのでは?という勝手な妄想ですが、ひとつの根拠として問い掛けてました。
応えは、
わかるうんぬんは抜きに、全部一緒で「ひとつ」だ。意識は「ひとつ」だってね。「全体」とも言ってますってね。

いま、TK師さんのをじっくり読んでいます。
その方の説法みたいな話への疑問としてた納得できない部分、その答え全てが、同じ考えでそれらが全部文字になって、寒気がするほど、感じてます。

まだまだ、先をじっくり読もうと思います。

16ゆるふぁ:2018/09/01(土) 12:25:35
苦集滅道さん、こんにちは!
マイペースで参加させてもらいます〜。
なんかね、自分は眺めてるだけでも満足なタイプなんですけど、
せっかくなんで色々意見があった方が多次元的に見えてくるものもあるかなと。

苦集滅道さんが一人至っても良いと思いますよ〜。
至ったら意味を感じることもないですよ〜(笑)という冗談はさておき

スピ系ってどこからどこまでを指すかよくわからないのですが、一般的な
スピ系ってのがあるのでしょうか?
とりあえず、話題に合わせていこうと思います。
ちなみにラマナとニサルガダッタは知っています。
それ以外に知っているのは原始仏教と浄土真宗くらいです。

「私はいない」と「ひとつ」て同じことなのではないでしょうか。
私とその他の垣根がないから、「私はいない」のであり、「ひとつ」と表現される
のではないかと。
自分も学生のときそれらしきものを経験したことがありますが、元来のーてんきなのと、過去も未来も
(昨日とあしたのことさえ)考えてなかったときでしたね。
ただ、その状況って一時的なもので、目指すものではないなという感じはしています。
結果として悟り?についてくるものかなと。

17日和る:2018/09/01(土) 13:25:12
もうひとつありますね。

「すべて、完璧に決まってる」「全体が起こしてる事」
「疑問に思った事もそういう疑問がわいた」と決まってる。
問うと、「信念」言ってました。ね。

なんなんだこの人はって思いました。いまここ言いながら未来の話してるんですから。それではこの世に生まれるともこの世自体の意味もなく、。。じゃ何もしなくなるだろう。
ほんと、悟りのキッカケになればっていう目的でやってるようですが、逆に迷走するも者を増やすことになってるでしょうね。

思い込みを早くやめてほしいもんです。まぁ無理でしょうけどね。

18苦集滅道:2018/09/01(土) 13:51:32
>至ったら意味を感じることもないですよ〜(笑)
・・・久しぶりに、こういうところでわらった。しえるさん以来かな?
うんとね〜すぴはね〜イギリスの何とか神霊研究所?が発祥なんですよ(って、うんちくにもなってないけどw)
日本ではね〜江原さん(芸人でない方)が有名です。一時期本、読んでました(いらん、情報w)
宗教とはまた 違っていて、学問的な意味合いがつおい(わかんないけど、雰囲気でw)
で、最近でいいますと、何とか波動で癒しますわよ。とか、あなたの守護霊と話しますとかの
ちゃんねる?ちゃねりんぐ?みたいのとか、幸せを呼ぶ宝石を売りますわよ・・・とか
その範囲は 原始すぴよりも拡大傾向にあります(ふぅ〜そんなとこかな?私の知識w)

で、私の底の浅さはいいんですけども、私が興味があるのは、阿部さんとか、クリシュナムルティさんとか
エック・ハルトトールさんとかの、目覚め系列の人達です。あ、好き嫌いは別で、とりあえず
本は読んだことがあるという程度です。仏教は、八正道で、キリスト教は「愛」くらいの
知識しかないです(ある意味で あほです。w)

さて、本題ですw。学生のときに、体験があったのですね〜、なんとなく自分と同じかなぁと
思います(もっとすごいかもですがw)なるほどです。一時的なもの。って捉え方が
素敵ですね。私は ずっとひっこづってますw。あ もうばれてますねw

私はいない、と ひとつ。は、同じかもしれませんし、違うかもしれません。
ひとつ・・・って、草も木もパソコンも「私」だった〜みたいな体験した人が
書いてます。私はいない、は、散歩してたら私がいなくなったみたいな体験してる
人が書いてます。両者共に、一時的で、日常的にその状態にはないようです。

それで、らぴ。さんのおっしゃる「至る」・・・いつもそうである。こと。の記述に
興味を持ちました。そんな人が いるのだろうか?という半信半疑ですが(笑)

ひとつ、感覚的な意見を聞かせて下さい。
自我と真我って、スピによくでてきます。
自我ならざるものが 真我なのですか?つまり自我と真我は別個なんですか?
それとも、自我が嘘で真我だけが 本当なのですか?
(はなさないよ〜w)

19ゆるふぁ:2018/09/01(土) 17:08:39
日和るさん初めまして。

スピ系の教祖さんに疑問を抱かれてるんでしょうか。
本物かどうかハッキリさせたいのでしょうか。

自分は怪しい人からはそっと離れるだけで良いと思いますが、
迷走する人を減らしたいということでしょうか。

20ゆるふぁ:2018/09/01(土) 17:31:12
>苦集滅道さん

目覚め系ですね、自分の知らない系統です(笑)力になれないかも(^^;

「私はいない」と「すべて私」はオモテとウラの関係に見えますね。
1つのコインのオモテとウラ。自我で翻訳するとどちらかになる気がします。

真我は残念ながら私にはわかりません(^^;
自我は嘘というのはわかりませんが、縁起のものでしょうね。
真我は縁起ではない何かを指してるんでしょうね。
「全体」を指してるのかもしれないし、それを超えた何かを指してるのかもしれない。
らぴ。さんの出番です(笑)

21日和る:2018/09/01(土) 18:42:05
ゆるふぁ さん

グチです。そう、正直、最初っから分かってましたが、依存してしまった。
離れるに決めてますが、TKさん言われる「気にならない」になってないが自覚してます。
抜け出すために書きました。正直、ムコウにも「ムダでした」って書きたい。(怒)はじめて使います。

22名無しさん:2018/09/01(土) 19:04:11
A氏の教えにしてもその取り巻きの教えにしても、結局その教えを聞いても楽になれませんよね。
あれを悟りとするなら皆悟ってると思います。
それに反応してしまうのは結局、同じ穴のムジナですね。次元が同じってことです。

らぴ。さんはその先があると言ってます。

らぴ。さん、TK師は方向を指し示してくれています。
自ら進みなさいと。そうなりなさいと。

そうでない人は何を言っても酔っ払いです。

ですが人はそれでいいんです。
本当にそれをやり尽くしたら何れそう進むしかないでしょう。

23苦集滅道:2018/09/01(土) 19:32:42
やばい・・・ここ、面白くなってきてる(ひとりごとよw)

日和さん、胸中お察しします。海に向かって一緒に叫びましょう。そうだったんかい〜〜〜(泣)
ゆるふぁ〜さん、忌憚のないご意見、ありがとうございます。・・・僕は聞かないw、自分で見つける(かっこつけてるのか?)
名無しさん・・・>人はそれでいいんです。・・・というか、僕はそれでしかないです(笑)
御意にて。

24日和る:2018/09/02(日) 07:10:08
苦集滅道さん
以前も書きましたが、結局、「至る」っていうのは「半端ない。」ことだと思いますね。一瞥して「あははは」じゃなくて、「みんなっぁ、ひとつ♪」ってわかるんじゃなくて、くうさん、ハルト氏同様、「端から見たら俳人同様な状況下」
ではないですかね。TK師さんがらぴ。さんに「期間を聞くのは野暮でしたね」みたいに書かれてましたが、一定期間そのようになる、過酷な状況になると思います。肉体を思うように動かす訓練が必要になると思いました。改めて怖い思いましたね。
つまり、自我喪失ってあてはまる思います。らぴ。さんどの期間だったのでしょう。いずれにせよ。そこまで行き着くまでは簡単ではないでしょう。>やり尽くして。。切り詰めて。。振り切って。そう。稀では。しかしながら、もうひとつのケースは「苦しみの限界」にある方もそうなる場面がある気がします。
くうさん、ハルト氏はそのケースですね。

25苦集滅道:2018/09/02(日) 07:54:47
日和る(るがはいるんですねw)さん、そうですね。彼らの内面が私らの想像の範囲にあるかどうは わかりませんね。
とりあえず、その想像そのものが、わたしらなんでしょうね〜。日和るさんの想像は、私と近いです(笑)

>自我喪失・・・って、何か大切なものを突然に無くすような意味にもとれますが、らぴ。さんの記述からは、
別のニュアンスを感じます。おわらせる、とか おわるとかの人為的な精神行為の果て、みたいなね。
で、目覚め系って、人為的な精神行為には 関係なく、恩寵とか 大いなる存在が向こうから訪れるとか 全体が個人に気づく事だ、
とかって 自我の行為には無関係に、悟りも目覚めもある。。。っていうニュアンスですよ。

前者の行為にあるのは、精進・努力といった個人の意志。
後者にあるのは、一攫千金をねらうけど、基本何もしないし、できないという意志ですよね。

で、後者の説(恩寵・自己の無力性・他力)を信じて私は、何もしないできたのだけど、
前者の説(自力・根性努力・精進)をないがしろにしてきた 報いみたいなのを今経験中です。
「思念・想念」が実現して私がカタチ創られていると思うので、当然の末路、結末にある 自分です。

前者と後者の思念思考の形態って、ずいぶんと自我の形成に影響を及ぼすものだなぁ〜と分析しています。

どちらが いいとか悪いとかは、私には判断できませんが、それは 両者共に良い作用もありますからね。
決めつけるには及びませんよね。

日和さんも これからは、後者の道筋を選択されていかれるのでしょう?
私も 後者を選択しますが、できれば その道筋を通して、何か もっと大きな自我への認識を得たいと
考えてもいます。

思考思念によって、自我が形成されていきます。ですが それはあくまでも個人の意識の中で始まり、終わるものでしょう。
そんな自由性も 悪くないけど、もっと 大きな意識を揺り動かしてみたいです。あはは。。。

26苦集滅道:2018/09/02(日) 07:59:08
>後者の道筋を選択・・・間違えてました。前者の説(努力・精進)に訂正です(笑)

27日和る:2018/09/02(日) 08:25:49
苦集滅道さん
ウキウキヤデ記載の「胡蝶の夢」読みましたか?
望まれる自由は、荘子の本心「逍遥遊(しょうようゆう)」ではないですかね。
目的意識にしばられない「自由な境地」のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができる。と荘子は説く。
引用です♪

28日和る:2018/09/02(日) 08:40:46
苦集滅道さん。
最近は自身だけの枠「でしかない」って狭さがお悩みのよぉな。TK師は至ったら視野の広がりを表現してましたが、自由度も想像外なのでしょう。
そこに至って。。満足しそうですね。
だから、本心が望んでるは、そこに進んでるのではないでしょうか、かなり苦しそうですから。。限界なら。。。ありそぉ。な。

29ラピ。:2018/09/02(日) 08:44:32
みなさま、おはよございます

なんだか楽しそうですね(笑)

>自分が居る中で、自分が消えることを目的とし、消えていると思いこもうと心がけてきました。

これ、そうされている人、多いんですよね。

悟った状態を記述していることを見て
そうであるようふるまえば悟れると勘違いすること。

悟りは精進した結果、そうなっただけのことで
悟ったふりは全く意味がないです。


>草も木もパソコンも「私」だった〜みたいな体験した人が書いてます。
>私はいない、は、散歩してたら私がいなくなったみたいな体験してる人が書いてます。

草も木もパソコンも「私」だった ってこれ、神秘体験の一つでしょうね。
私もかつて、すべてがつながった経験をしています。感動しました。
があっという間に終わりました。

今の状態から言えば、それは単なる神秘体験です。
今はね、そもそもつながるものがないのです。

例えていえばAがあってBがあってCがあって。
それらがつながる感覚を得るということは
もともと分離しているABCが存在しなければ体験できないことなのです。

散歩してたら私がいなくなったみたいな体験 は
一瞬、どこかに意識が飛んだのでしょうね。
でも、すぐに戻っちゃったでしょうね。


>自我ならざるものが 真我なのですか?つまり自我と真我は別個なんですか?
>それとも、自我が嘘で真我だけが 本当なのですか?

自我がある状態で真我とは何だと問うても
それはいつまでたっても自我なのですね、変な言い方ですが。

真我が「 」を指すのであれば、真我は知ることも想像することもできません。
よって真我って何だ?と問うこと自体、真我=「 」から離れるだけです。

そもそも真我って何?と思っています。
>それとも、自我が嘘で真我だけが 本当なのですか?
もっともな疑問です。わけわからんよね。

別の言い方で例えれば
自我はどこまで行っても自我で
自我が表現する(想像する)真我も自我です。

真我と自我と言う言葉を使い分ける意味が分からない
我は我(笑)

真実の私?
本当の我?

なんじゃそれ、そんなもんないんです。
そもそも私がないもんで(笑)

本当が存在すれば、偽りも存在します。

なぜなら偽りが存在するから、本当だといえるものがわかるからです。

、、言葉に表すのは難しいですが、
自我ならざるものが真我、と言う場合、
現実から逃げている気がしますね。

自我から逃げています。

私はしっかり自我を生き切ったから今の状態です。
理想の世界を思い浮かべるより(行動の動機となる理想の世界ならいいですが)
それならそれを実現するために現実的に動くべきでしょうね、理想論ばかり言わず。

夢ばかり見て、どうするんだろう、

それより精進、精進。

30ラピ。:2018/09/02(日) 09:05:33
>肉体を思うように動かす訓練が必要になると思いました。

この状態は私が悟る前の1段階終了(一部の消滅)の時がそうだったかもしれません。
(さらに精進して2段階で悟りました)

実際、1段階終了時、今までどうやっていた?わからない。状態でした(笑)


自我喪失という言葉は例えとしては使わないですね
>おわらせる、とか おわるとかの人為的な精神行為の果て
この例えがなかなかあっています。

例えで言うと
何か大きな出来事が起きた時、ボー然とすることあると思います。
そのままその状況に流されるか
いいや、それに負けず、進み続けるかが道の別れめです。

後者は悟りの道ですよ、例えていえば

>目的意識にしばられない「自由な境地」のことであり、その境地に達すれば自然と融和して自由な生き方ができる。と荘子は説く。

そういう言葉があるんですね。

>目的意識にしばられない「自由な境地」
はなかなかいい表現です。

詳しく言えばそもそも目的意識がないので縛られようがないのですが。
自由な境地であることはその通りです。

しかし、例えとして自然と融和して自由な生き方ができるとは言わないかな。

融和することがないからです。融和するものがない。融和ってなに?
生き方もないですしね。

ちなみに至っても満足することもないです。

ただただそれそのもの

31日和る:2018/09/02(日) 09:08:38
苦集滅道さん!
気が収まらないんで。。。ムコウにTK師の4文字引用で書きなぐってやりやした!

32ラピ。:2018/09/02(日) 09:19:56
>>肉体を思うように動かす訓練が必要になると思いました。

>この状態は私が悟る前の1段階終了(一部の消滅)の時がそうだったかもしれません。
(さらに精進して2段階で悟りました)

ちょっと訂正。(;・∀・)

肉体を思うように動かす訓練状態は1段階よりも前ですね。
1段階の扉に前に立つきっかけになった時のことです。

33日和る:2018/09/02(日) 10:00:11
「覚悟があるか」ってことでしょうね。
まぁ、突き詰め精進なのだから当然、覚悟もあるってことになるか。

34苦集滅道:2018/09/02(日) 10:13:38
日和さん・・あ、るが抜けたw

ホントにあなたは、僕の心境が読めてますよ。ありがとうございます。
>限界なら。。。ありそぉ。な。・・・限界じゃないです(まだ余裕wよ)
したがって、ないです(きっぱりw)
こんな場面、素通りしないといけないのに、ひっかかり?がたくさんあるので、
思うままにいかないです〜。

今しかない。って思えば、素通りもできそうですが、思考回路がざわめきます(笑)
思考の設定みたいなものについては、らぴ。さんに改めて聞いてみようと思います。

向こうでの「発言」は、まだ読んでないけど・・・ちょっと こわいです(笑)
でも、いいんじゃないですか?心の中に留め置くよりも、少し 恥ずかしいかもしれないけど
あからさまにしてしまった方が、ストレスは軽減されると思います。よ〜・・・(ふぇーどあうと・・・)

35苦集滅道:2018/09/02(日) 10:15:36
>素通り・・・っていうのは、添削候補にあがりますね(笑)
自己責任の回収と収集?に訂正。よw。
これでも、だめだなw。君の言いたいことは 読めているよ(爆)

36苦集滅道:2018/09/02(日) 10:22:37
らぴ。さん

>ちなみに至っても満足することもないです。
・・・ダイナミックに聞きます。誰かの為になりますか?・・・は、却下でしょう。www

この世界全体にとって プラスですか?

37苦集滅道:2018/09/02(日) 10:32:56
コーヒータイムです(笑)

>肉体を思うように動かす訓練状態は1段階よりも前ですね。
・・・って、そのハードル上げる記述、ここでいる?(爆)

38日和る:2018/09/02(日) 10:43:14
>この世界全体にとって プラスですか?
この考えが出る?
って。。。も。。。考えなくなる自由さ。でっす。(ペコン! ウルトラクイズ正解不正解?)

思うに、多分、至ったら やってないけどやってる行動が世界全体にとって プラスになる行動するんじゃないのかな。

らぴ。さん、TK師のよぉに。などと書いてみた。

39日和る:2018/09/02(日) 10:48:42
苦集滅道 さん。

ムコウのセオリー。気に入ったら即、アップ。気に入らなかったら記事出してから〜の承認。商売のじゃまと思ったら未承認。
(どうでるでしょうーかっ)

40苦集滅道:2018/09/02(日) 11:10:18
日和るさん・・・今度は、ひ、忘れないでいれたよw

うん、らぴ。さんがどう判断されるか、興味があります。ずばり、不正解・・・な、はずです。
大いにプラスである。これが、欲しい(笑)三次元現象界においては、日和るさんは もっともです。

らぴ。さんへ

大筋として「目覚め(悟りと同義)」なる、現象体験とその「普及活動」が、
どうして起きているのかが、理解されてきました。

で、まだ疑問は残ります。

「今」しかない・・・という観方・捉え方は、至った人からは どう、観えますか?
「思考」は、幻で 起きてもいないし、何も起こしてなどいない・・・という観方・捉え方に
ついても、どう 思われますか?あ、質問を分けます。
「思考」とは、頭脳の中での「妄想」ですか?(生きるに必要な部分以外において)
「何も起きていない」・・・は、至った人の至った後の「感想?」にありますか?

以上、よろしくお願いします。

41苦集滅道:2018/09/02(日) 11:45:56
なんか、幼少時のエジソンさんみたいで、忙しい中の質問すいません。
(自分で見つけるんじゃなかったんかい〜〜〜、って、過ぎたことよw)
人生が夢である・・・と、ほぼ同義語に、人生は物語り(ストーリー)であり、
各人が好きなストーリーに生きれば良い。。。っていう光門様の印籠みたいな
「格言」があります。
これも、至った人からの視点?(かも)であり、至らない自我は そんな第三者的な立場に
立つべきでなく、真剣に精進を重ねないといけない。。。そう、思われますか?
よく、スピで聞く喩えに 映画館で鑑賞する自己は、映画の登場人物ではないけど
登場人物を自分だと思って生きているだけなのです。。。っていう、解説がなされています。
ここの間違い?を ずばっときってもらえないですか?
私は、その『喩えは』ありだと思いますが。。。

42苦集滅道:2018/09/02(日) 12:03:08
日和るさん・・・あれは承認されますよ、むしろ歓迎されます(笑)
わきが甘いです(笑)私なら。。。

先生:「全体はどこに向かおうとしているのだろう。」
   「全体のことは全体に任せて、今日も生きるとしよう。」
生徒:「全体って、何ですか?想像とどう違いますか?」

全体って何でしょうね?「個から全体へ」・・・?

43日和る:2018/09/02(日) 12:48:39
苦集滅道さん

ただのさんとかne..さんには届いてますよ。
お別れの挨拶として。。。

44ラピ。:2018/09/02(日) 18:08:18
>>ちなみに至っても満足することもないです。

これって至った、という認識もないし
至った!満足!という思いも浮かぶこともない、という意味です。

ただ「 」。

しかし例えで
自我あった時と消滅したときを表現上、区別するため
至ったと例えています

言葉で「至りました」と表現していますが
それは例えで、至っていません。
何に至るのでしょうか、そうでしょう?ニヤリ


>・・・ダイナミックに聞きます。誰かの為になりますか?・・・は、却下でしょう。www

まず、苦が消滅した状態になりました

世の中、苦に押しつぶされそうな人がいるとき、
私の状態(苦から解放された状態)があると知れば
それが勇気にならないでしょうか?

>この世界全体にとって プラスですか?

そもそも世界全体って何でしょうか。
苦集滅道さんが認識している世界全体って?
それって本当に世界?

少なくとも私のような存在(対象がある人にとっては私は存在しています)
は苦集滅道さんにとってどうでしょうか。
(私は存在していませんが。変だけどそうです、笑)

私にはもちろん世界はありませんが
(よって私には損も得ももちろんない)
苦集滅道さんには世界がありますよね。

苦集滅道さんにとってどうですか?

私が「プラスかどうか?」という評価をするのではなく
対象が存在する人々はどう評価されるでしょうか。
これ、私が決めることではないですよね。

>・・・って、そのハードル上げる記述、ここでいる?(爆)

わはは
ハードル上げる意味ではなく、間違って書いたから訂正しただけです


>多分、至ったら やってないけどやってる行動が世界全体にとって プラスになる行動するんじゃないのかな。

かつては苦があり
精進して至れましたから
かつての私の経験が生かせるのではないかと思っています

もう一つの質問の答えはしばしお待ちを!

、、、なんだかみなさま可愛いです

ごめん〜@(*・ω・*)ポッ

45苦集滅道:2018/09/02(日) 20:15:32
>そうでしょう?・・・そうですね。至りようがないです。原始(から)です。
>本当に世界?・・・って、聞いてきますよね。わかりません。
>私には損も得ももちろんない・・・うん、充分です。ありがとう。
>かつての私の経験が生かせるのではないか・・・これも充分です。ありがとう。

46ラピ。:2018/09/02(日) 23:22:35
40: 苦集滅道さん

>「今」しかない・・・という観方・捉え方は、至った人からは どう、観えますか?

まず、余談ですが至れば今も何もありません。
「今」しかない、というのは対象のある方への言葉です。
精進する過程において「今しかない」
と今に集中する姿勢は悟りの道ですよ、有益です。
普通の日常においても
今していることに集中できることは良いことではないでしょうか。

しかし、生きていたら過去の事を思い出したり未来の事を想像したり、
いろいろと人は思いを巡らせてしまいますね
思いはいい方向にいかしていけばいいと思います。

>「思考」は、幻で 起きてもいないし、何も起こしてなどいない・・・という観方・捉え方に
ついても、どう 思われますか?

例えていえば、その通りかもですし、その通りではないかもです。
これについて 至ったものは
自我がある方に伝えるときに使い分けます。
もし、自我のある人が思考で苦しんでいるとき、
それは幻である、というでしょう。
もし、自我のある人の思考の中で例えば理想的思考がうまれた時、
それは幻とは言わず、活かせ、というでしょう。

何となく伝わりますか?
対象のある世界では「絶対」はありません。臨機応変です。
だからこそ、自分の理想を絶対であると信じることができるのです。
それを生かして精進することができる。
(至れば信じることも、絶対という定義もない)

たとえば至った人を師匠としたとき
師匠の言っていることがあれこれ変わっているように見えても
「はい!」としたがうのが子弟関係です。
そしてあれこれ変わっているように見えても
師匠は嘘は全く言っていないのですね。

弟子からしたらこんがらがるかもですが
実はいろんなからくりがありまして
それを言ってしまえば、
自我のある人はわかったつもりになるから
本当のからくりは 明かしませんし、私も明かしません。

言えることは「至ればわかる」です。

>「思考」とは、頭脳の中での「妄想」ですか?(生きるに必要な部分以外において)

妄想ともいえるし、それが行動のきっかけになれば指針となるし。
何かに役に立つ思考であればそれは生かすべきです。
しかし、生きている中で害になるものは妄想として切り捨てましょう。

思考は自我であり、人として生きていくのに活用されます。
しかし、害になる場合もあります。
そこを至った人は自我がある人に伝えるときに自由に使い分け
(からくりを知っているから)
自我のある方に、その都度の必要事項をお伝えすることができます。

>「何も起きていない」・・・は、至った人の至った後の「感想?」にありますか?

これはどういう意味でしょう。
捉え方がまちがっていたらごめん、ですが

まず、何も起きていない、というのは何も起きていないのではなくて、
「 」だからそれを例えで「何も起きていない」と言っています。
例えば普通、人が行動するとき、
目の前に箸があってそれをつかもうとするとき、
まず、箸を認識し、自分が箸をつかもうと決め
手を動かすことを選択し、箸をつかみます。

箸をつかむだけでいろいろ動きが起こっているのですが(書ききれないほどですね)
たくさんのことが人には起こっているのですね。

しかし、至ればそれらの事が起こることなく
箸をつかむことができるんです。
でも至った人にとっては箸をつかむというのも例えで
実はつかんでいない。(笑)

でも自我がある人が至った人を見たとき
ちゃんと箸をつかんでいるように見える。
箸ひとつをつかむのも 悟った人にとっては名人技なわけです。(例えですが 笑)

そうすることなくできてしまう、みたいな。

何となくわかりますか?

よって >「何も起きていない」・・・は、至った人の至った後の「感想?」にありますか?

感想ではありません。「 」の状態を例えているだけです。


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