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kujyu-metudouさんとの対話
1
:
ラピ。
:2018/07/09(月) 22:26:43
kujyu-metudouさんからの質問についてお答えしていきたいと思います。
kujyu-metudouさんからのご質問です
教えてください。
らぴ。さん こんにちわ。
見性体験って 悟り以前に経験されているかと思います(?)
一瞬間に「 」がわかり、一切の疑問が氷解して自己存在の核を思い出すような精神経験です。
先日私に書いてくれた、想像できない空間です。
私が想像する範囲の「外」にあることが内に起きたようなね(笑)
・・・これがきっかけで、精神性に興味を持ち、「そこ」にはない「苦悩」が、今にあるのは何故だろうか?この探究を進めてきました。
二度目の体験のトキに向こう側(根源)から、こちら側(自我)に訪れて、私(自我)を見抜いてくれた(ような感覚)ので、
私(自我)の中身(思考・記憶・概念・意志)がよくわかりました。同時に「静寂で何も起きていない」のが私だとも解りました。
苦の根本がそれまでの「概念」(頭の中で一切が起きている)にあることがわかりましたので、
一時期には苦悩って経験してませんでした。苦の概念を外しました。経験しようがありません(うまく書けないです、もどきかもしれませんw)
ですが、今は普通に苦しみを持ちます(耐えられる範囲、カバーできる範囲です)
私の荷物は、一瞥でかいまみた自己の本性、静寂・無の体験に、(いまだに)しがみついていることです。
知ってますよね?w
どうすれば、今にあることが成せるのでしょう?示唆頂ければ、必ず活かします。
長くてごめんなさい、それでも超ダイジェストなので、赦してね。
2
:
ラピ。
:2018/07/09(月) 23:28:01
kujyu-metudouさん へのお返事です
>見性体験って 悟り以前に経験されているかと思います(?)
>一瞬間に「 」がわかり、一切の疑問が氷解して自己存在の核を思い出すような精神経験です。
私もかつて神秘体験をしています。
私の場合、すべてが一瞬につながった感覚を得たり
周りが金色に輝く体験です。
(それぞれ別のタイミングで)
>自己存在の核を思い出すような精神経験
というのはなかなか興味深い表現ですね。
その経験は割と前のことですか?
その時の経験は本当に
「自己存在の核を思い出すような精神経験」でしたか?
今の状態で思い出して
言葉にあらわすとそうなってしまうのかな、と思います。
その経験で
そこに経験していた人はいたでしょうか?
>先日私に書いてくれた、想像できない空間です。
>私が想像する範囲の「外」にあることが内に起きたようなね(笑)
これもなかなか興味深い表現ですね。
この表現から kujyu-metudouさんの状態が
なんとなくわかります。
>・・・これがきっかけで、精神性に興味を持ち、「そこ」にはない「苦悩」が、今にあるのは何故だろうか?
>この探究を進めてきました。
この体験がきっかけで精神性に興味を持ったのですね?
その経験をするまでは何もそれについては興味なく、
偶然、体験したのですか?
確かにその体験時は苦悩はなかったと思います。
kujyu-metudouさん のその問いはなかなか鋭いと思います。
>二度目の体験のトキに向こう側(根源)から、こちら側(自我)に訪れて、私(自我)を見抜いてくれた(ような感覚)ので、
>私(自我)の中身(思考・記憶・概念・意志)がよくわかりました。
>同時に「静寂で何も起きていない」のが私だとも解りました。
なるほどです。
本当にその時の体験はこの文章の通りですか?
それとも何かの本に書いてあったことと
自分の経験を照らし合わせてこの文章を書きましたか?
「あの文章の内容はやっぱり本当だったんだ!」と。
もし、その体験が本物であれば
その状態であったときは解ることなく
しかし、その体験後
普通の状態に戻って意味づけをした、という感じになりますが
いかがでしょうか?
(うまく伝わるかな?)
>苦の根本がそれまでの「概念」(頭の中で一切が起きている)にあることがわかりましたので、
>一時期には苦悩って経験してませんでした。
苦の根源は正確に言えば
頭の中で一切が起きていると言っているそれです。
頭の中で一切が起きていることがわかる、と言っているそれです。
うまく表現できませんが
その「わかった」と言っているそれが苦悩の原因です。
頭の中で一切が起きていることが苦悩の根源ではなく
頭の中で一切が起きていることがわかった、と言っているものが根源です。
しかし、それは幸せの原因でもあるのです。
それは決して悪いものではないのです。
>苦の概念を外しました。経験しようがありません(うまく書けないです、もどきかもしれませんw)
>ですが、今は普通に苦しみを持ちます(耐えられる範囲、カバーできる範囲です)
言葉に表すのは難しいのですね。
でもそれは kujyu-metudouさんの真実なのですね。
>私の荷物は、一瞥でかいまみた自己の本性、静寂・無の体験に、(いまだに)しがみついていることです。
>知ってますよね?w
その経験があるからこそ苦しい、とも言えますかね?
>どうすれば、今にあることが成せるのでしょう?示唆頂ければ、必ず活かします。
今にあることが成せる ことが目標ですか?
>長くてごめんなさい、それでも超ダイジェストなので、赦してね。
kujyu-metudouさん の今までの経験を短い文では
表現しきれないですよね。
いろいろ書いてくださってありがとう。
超ダイジェストなので私が誤解していることもあるかもです。
少しづつ対話していけたら
と思います。
3
:
苦集滅道w
:2018/07/10(火) 09:56:25
うわぁ〜 すごい場所できてる(笑)私、めんたる弱いので攻撃はやめてねwww
まず、一瞥の内容について書いてみます。らぴ。さんは使い慣れていないようなので。
6年位前、「ソレ」を体感して、?これってなんだろう?って思い、大御所のAさんブログを見つけて、一瞥とか見性の体験って言われているのだと認識しました。
以来、私の中では「一瞥」か「見性体験」って使ってます。書籍なんかも「一瞥」が使われているのを読むと、自分の体感と一致しています。
その「空間」を説明してみますね。その体感の直前っていうのは、経営上の悩みで鬱々として日々を過ごしていました。とても苦しく、生き辛い精神状態でした。
悩みを解決するという意識よりも その苦しさをなんとかしたい気持ちで はじけそうでした(笑)
休憩室の椅子に座り、内面を見つめていました。瞬間に、「 」に入りましたというか、思い出したというか、自我を経験する以前の自己に立ち還ったような「安堵感」「安らぎ」「いつも在った場所・空間」「根源」「素」「生以前、死以後」「自我以前、自我以後」とても懐かしくて、そこに居たことが思い出されました。
「ソコ」では、そのままで充たされていて 自我の不安も心配もそれまでの苦渋に満ちた精神もありません。何も 無いです。自分を自分として確認できるものが一切ないけど一切が自然で一切が和める、永遠にいられるような空間です。
で、瞬時にそれまでの疑問が解けました。自分が自分を創り上げていたこと。今までの人生の歩みに間違いとか選択ミスとかがなくて、その現実だけで完結していること。自我が経験知であって、私自身を直接に示してはいないこと。誰の本質も私とは一切が変わらない不変の状態?にあること。
そうした思考が流れました。
で、総体的に「わかった」という感覚です。通常に生活している場面での意識では 想像ができない、つまり想像(空想)や人間的な「想定」の範囲の中にはない、意識だと思いました。
「 」の内にあって、納得ができますが、人間的な頭脳では 創造主が創造物に宿り、創造主であることを忘れて 創造物に同化して生きている。っていう説明が、近いと思います。
まぁ、そんな体感が私の身の上にだけでなく、起きていることが解ったので、色々とその後に検索を続けて、とりあえず、理解をまとめていきました。納得できる論理にまとめていきました。そこは自信あります(爆)
で、二週間位でしょうか、人の神秘、精神の成り立ちというか仕組みというかが成されたことへの感謝に歓喜的な涙に暮れて過ごしました(笑)
ですが、もとのもくあみといいますか、一度はきれいに消えた「苦しい」という感覚は戻り、人並みに戻りました。
で、本来「苦」はないことを知った後で、苦を経験することが、何故なんだろう?って、また苦しみを持ちました。死ねばあり得ない苦しみが生きてる間に経験されることは、どこか遠いところに「島流し」にあったようで、とても 重苦しい精神を経験させます。
・・・で、この苦しみを何とかしないと、生きてられない(笑)死活問題として苦悩と向き合いました。
色んなことを試して、緩和させるようなことは できました。
たぶん、思考が納得できたのでしょう。知的に理解できたので、落ち着いた精神になれたのでしょう。
一瞥の後に起きたのは、ここまでのことです。二度目も経験しますが、そのことはまた後にします。
>その経験は割と前のことですか?
>その時の経験は本当に
>「自己存在の核を思い出すような精神経験」でしたか?
>今の状態で思い出して
>言葉にあらわすとそうなってしまうのかな、と思います。
>その経験で
>そこに経験していた人はいたでしょうか?
経験の場面と中味を上記しました。後で書籍やブログで読んだものの知的情報を思いこんだのではなくて、書かれているものが当時の経験に一致するものを表現として活用しています。後付けの知識ではなくて、当時の感性感覚を表現していると思ってくれていいです。むしろ、今の感覚では違っていることがあります。この記述のままが今の私でもないです。
今の私が 書くとすれば、もっと ねちっこく理屈になってしまいます。当時の心境の再現として読んで下さい。
一瞥はさとりでもなんでもない・・・ことを明確にしたいので、一瞥そのものの中身を書きました。
>そこに経験していた人はいたでしょうか?
・・・これ、何人もの人に聞かれて、その都度 答えに窮した問いかけです(笑)
こうして、経験知として書けていますから経験者はいます。
記憶にもイメージにも鮮明に刻印されています。
ただ、今までの自分と思ってきた自分が、実は自分ではなかったという「衝撃」はありました。
間違いなく、そのトキの私は 私ではありません。変な書き方なのは承知です(笑)
とりあえず、ここまでで、投稿します。
4
:
苦集滅道w
:2018/07/10(火) 15:51:01
>その経験をするまでは何もそれについては興味なく、
>偶然、体験したのですか?
当時は、神の子が人間だって 強く信じていました(笑)苦しみを持ち続ける自分がホントに神の子なのかどうかを確かめたかった。
その答えは、それまでに考えたことも聞いたこともない、想像しようもない真実でした。
>なるほどです。
本当にその時の体験はこの文章の通りですか?
・・・この二度目の体験には、おっしゃるとおり どっかで読んだ内容が書いてあります。
スペースがないので、簡潔さを狙いました(笑)
あらためて、当時のままを書いてみます。
一瞥の三年後、今から三年前です。苦しみって特に なかったです。順風満帆、私生活も充実してました(笑)
お昼ご飯を食べようと思い、おかずをレンジにチンしに立ち上がったトキでした。
おなかの中あたりかな、何も起きてなどいない空間っていうか静寂と表現できるもの?が拡がってきました。
これが私のホントさなのだ・・・って理解されました。
そこで、私は じゃ、普段 何かが起きていると認識しているのは、どこなんだろう?ってちゃんと思考して(笑)
探検?捜索?みたいなことやりました。瞬時にですがね、それで 頭の中にだけ「何かが起きている」のが、解りました。
で、これが自我の意識に生きてることなんだって、理解できました。
何て言うか、ホントの自分が肉体の眼とか器官とかを通して認識してるだけで、根源と自分とがばらばらではないと思いました。
っていうか、根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感がありました。
ここは、誰彼となく書いていますが、その通りだと思いました。
これが、そのままのことですが、この頃には書籍とか読み込んでましたので、言葉は借り物かもしれません。
ですが、起きたことは 実際です。別に思いこむ必要などありませんでした。割と充たされていたトキでしたので。
自我の意識って こういうものなのだって、認識できたのがこの体験でした。逆に そうでない意識ってこうなんだとも思いましたし。
>その経験があるからこそ苦しい、とも言えますかね?
・・・言えます。知ってしまったので、戻れないです。自我は経験と解っても 苦しいものは苦しいです(笑)
だから 何も さとってないです。二十四時間の そこはかとない幸せな感覚に 在り続けることが、目的とも言えます。
そこはかとない幸せ感って、人間的な感覚の中で「 」の体験に近いものと思ってます。
「 」とビンゴ(一致)には どうあがいてもなれそうにないので、いつも 幸せ感にあることを 願っています。
何も なくても、幸せ。みたいな感覚って たま〜〜〜〜にしかないです(笑)
>今に在ること・・・これは、よく見かけるスローガンですが、思考に思考を重ねてしまうことが
疲れたり、迷ったりする原因になっていますので、
今の感覚知にだけ焦点のあった 普段の在り方になりたいですね。
深い意味があるのでしょうけど、よくは解りません。浅い意味合いで 過去から切離れていたいです。
一瞥とかって、「 」は知るのだけど、今には ないから、回想することがあります。
気にしても 仕方ないのに(笑)
忘れてしまうくらいでないと、先にはいけない気がします。
先があるかどうかも解りませんが、こちらで 何かしら得るものがあれば 喜ばしいです。
今 読み返すと明確な質問にもなっていないですね。何を聞けばいいのかも わかってないなぁ〜〜私(笑)
問いには答えられたと思います。
では。よろしくお願いします。
5
:
苦集滅道w
:2018/07/10(火) 17:52:28
明確な質問を考えました(笑)
一瞥で垣間見た「 」を わかったはずなのに、或いは知ったはずなのに、
相変わらず苦悩に充ちた(ちょっともってますw)現実が体験され続けるのは、
本当には悟っていないことです(言い切ってもいいですよね)
ここで、おしまいと思いこむこともできますが(実際私はこれ以上はないと思ってました)
それにしてしまうのは、やはり本意ではありません。何より 自分が似非なことに気が付けた訳ですから、
本物のさとりそのものになるには、何をしなければいいのでしょうか?
何も しなくても「ソレ」なことは学習済ですので、何も したくはないのですが(笑)
もとから さとりそのものだから、そのものになるっていう表現は 正しくはないと思います。
でも 他に聞きようがないので、変なカンジですが さとりそのもので生きるには どうすればよろしいのでしょうか?
6
:
ラピ。
:2018/07/10(火) 23:29:14
>うわぁ? すごい場所できてる(笑)私、めんたる弱いので攻撃はやめてねwww
勝手に作っちゃいました笑
めんたる、弱いの?
そうじゃない気がしますが(笑)
攻撃するつもりは全くありません。
でもそう感じてしまったらごめんね。
いろいろありがとう
よくわかりました。
一瞥では kujyu-metudouさん改め苦集滅道wさんは「わかった」と書いていますね。
悟りでは「わからない」、これなのです。
一瞥で経験した状態がずっと続いている状態が悟りです。
そう思ってもらってよいと思います、例えですが。
>総体的に「わかった」という感覚です。通常に生活している場面での意識では 想像ができない、つまり想像(空想)や人間的な「想定」の範囲の中にはない、意識だと思いました。
>「 」の内にあって、納得ができますが、人間的な頭脳では 創造主が創造物に宿り、創造主であることを忘れて 創造物に同化して生きている。っていう説明が、近いと思います。
一瞥では純粋な体験をしていますが
(厳密には体験でもないのですが)
元に戻った時、そういった表現になるのは理解できます。
>で、本来「苦」はないことを知った後で、苦を経験することが、何故なんだろう?って、また苦しみを持ちました。
>死ねばあり得ない苦しみが生きてる間に経験されることは、どこか遠いところに「島流し」にあったようで、とても 重苦しい精神を経験させます。
表現が上手ですね。
わかります。
しかし、決して死んではいけないことも
苦集滅道wさんは解っていましたね。
もちろん私もわかっていました。
だから今があります。
死ぬことなく自我が死ぬべきです。(例えです)
そしてそれはできるんです、死ぬ気になれば。
>・・・で、この苦しみを何とかしないと、生きてられない(笑)死活問題として苦悩と向き合いました。
わかります。
「わかってしまった」からにはもう後戻りはできないですよね。
もう進むしかありません。
かつての私もそうでしたよ。
>色んなことを試して、緩和させるようなことは できました。
>たぶん、思考が納得できたのでしょう。知的に理解できたので、落ち着いた精神になれたのでしょう。
私もそういう時、ありました。
しかし、それは私の場合、
例えて言えば麻痺していたからこそ、でした。
真実を追求することをやめていた時でもありました。
真実を追求するなら向き合うしかありませんが、ある意味逃げていたのかな。
今さえ楽しければいい、みたいな。
しかし実は、この頃が一番体調が悪かったです(笑)
>そこに経験していた人はいたでしょうか?
>・・・これ、何人もの人に聞かれて、その都度 答えに窮した問いかけです(笑)
そうなのね。
>こうして、経験知として書けていますから経験者はいます。
>記憶にもイメージにも鮮明に刻印されています。
さすがよくわかってらっしゃいますね。
>ただ、今までの自分と思ってきた自分が、実は自分ではなかったという「衝撃」はありました。
わかります。
>間違いなく、そのトキの私は 私ではありません。変な書き方なのは承知です(笑)
変ではないのですが
何か、別の影響がある書き方になっているのではないかな
と感じることがありました。
苦集滅道wさん が「経験」した出来事は
本当だと思っています。
その出来事をこれからどう生かすのか
が大切だと思います。
ちなみに私に一部の消滅が起きたのは
職場の休憩室でのミーティングの時でした。
なんか、ちょっと似てるかな
この消滅のおかげで
ある程度「楽」は達成できていましたが
まだ、楽をコントロール(選択)しようとする自我が存在していました
それに気づき、最後の扉への道が開かれました。
7
:
ラピ。
:2018/07/10(火) 23:39:43
神の子ですか。
余談ですが、、、神という存在も悟っていません。
対象がある世界で遊んでいます。
だから争ったり、いろんな願望を達成したりするんです。
神も好き放題したらさすがに気づくでしょうね。
「これは一体どういうことだ?なぜこうなんだ?」と
そこから悟りの道は始まります。
この世界を神が創造した、はある意味本当でしょう。
しかし、悟った人なら何も創造しない。
創造するものがないし、想像する必要がないから。
この違い、なんとなくおわかりでしょうか?
しかし、この世界を創造してくれた神々には感謝ですね。
2度目の体験についてですがこの体験を経験するきっかけとして
何か精進されていましたか?
どこかを鍛えるとか?
>私は じゃ、普段 何かが起きていると認識しているのは、どこなんだろう?ってちゃんと思考して(笑)
>探検?捜索?みたいなことやりました。瞬時にですがね、それで 頭の中にだけ「何かが起きている」のが、解りました。
なるほどです。
不思議な体験ですが悟りではないですね。
何かが起きているとわかることは わかる人が存在するし、「何か」(対象)が起きていますからね。
ご存知の通りです。
しかし、その体験が悟りへ導くきっかけにはなりえるかもしれません
>で、これが自我の意識に生きてることなんだって、理解できました。
そうですね
>何て言うか、ホントの自分が肉体の眼とか器官とかを通して認識してるだけで、根源と自分とがばらばらではないと思いました。
そうなんですね?
本当にばらばらでないなら
根源も自分もない状態なのですが
この時の経験をそういう風にも表現できますか?
>っていうか、根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感がありました。
>ここは、誰彼となく書いていますが、その通りだと思いました。
自我の意識たる私という表現は面白いですね。
「根源の側」が「自我の意識たる私」を見抜く
本当にその根源が悟りと言うのであれば
自我の意識たる私を根源は見抜くことができません
「根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感」
根源は私ではなく、
私でない根源が 自我の意識たる私を見抜いてくれたのでしょうか?
苦集滅道wさんと根源は別物ですか?
そうでなければ 苦集滅道wさんを対象として見抜くことはできません
その根源とはいったい何でしょうか?
自我の意識たる私を見抜いてくれた感じを受けた苦集滅道wさんが
そう感じたのかもしれませんが
根源は何もしていないのですよ、それが本物であれば。見抜くことなく。
見抜いている、と感じたのは 苦集滅道wさんであって
本当の根源であればそれは何もしておりません、ただそうであるのみです。
これは悟った人とそうでない人との関係に似ています。
悟った人は何もしていないのに
そうでない人が悟った人に意味づけしてしまうのです。
悟った人は何もしていないのに
そうでない人が悟った人を見て
「〜している」という。
そうでない人が本当に感じていることが、それは「はずれ」なのです。
真実とは一体、どこにあるのでしょうか。
感じたことが真実でしょうか?
実は違うこと、多々あるのです。
(うまく伝わりますでしょうか)
>これが、そのままのことですが、この頃には書籍とか読み込んでましたので、言葉は借り物かもしれません。
>ですが、起きたことは 実際です。別に思いこむ必要などありませんでした。割と充たされていたトキでしたので。
本当に起こったと思っています。
少なくとも苦集滅道wさんにとっては
確実にそれが「起こった」のでしょうね。
>自我の意識って こういうものなのだって、認識できたのがこの体験でした。逆に そうでない意識ってこうなんだとも思いましたし。
自我の意識って表現が面白いですね。
自我と自我の意識は別物ですか?
私からしたらどっちも自我です。
8
:
ラピ。
:2018/07/10(火) 23:40:38
続きです
「何もなくても幸せ」はかつて私が実践していたことの一つです。
そうであるよう、頑張りました(笑)
何もなくても幸せって表現は幸せに条件を付けていますよね。
「何もなくても」という条件です。
今は条件が必要ありません。
何もなくても、でもなく
何かがあったら、でも もちろんなく
ただただそうであるのみです。
>自我は経験と解っても 苦しいものは苦しいです(笑)
正直でいいと思います。
>「 」とビンゴ(一致)には どうあがいてもなれそうにないので、いつも 幸せ感にあることを 願っています。
まず、「 」と一致することは私でも無理です。
そもそも一致するものではないからです。
一致するには分離している必要がありますから。
>今に在ること・・・これは、よく見かけるスローガンですが、
ほんと、よくある言葉です。
かつての私もそうであるよう、頑張っていました
>思考に思考を重ねてしまうことが
>疲れたり、迷ったりする原因になっていますので、
確かにそうですね。
>今の感覚知にだけ焦点のあった 普段の在り方になりたいですね。
なるほど。
しかし、悟れば今もないし、感覚知もある意味ありません。
これは、例えて言えば
悟ることなく、普通の人として生きていきたい、という理解でいいですか?
普通の人として生きられることは
とても幸せなことです。
幸せだと感じなくても。
変な表現なのですが人は、人として生まれただけでもとても幸せなのです。
>深い意味があるのでしょうけど、よくは解りません。浅い意味合いで 過去から切離れていたいです。
正直でいいですね。
「今に在ること 」 は誤訳かもしれません。
変な日本語です。
今、今、今に生きることは、精進の道の一つです。
本当にそう生きていれば勝手に過去から切り離されてしまいますね。
なぜなら今に100%生きていたら
過去に何パーセント生きることができますでしょうか。
ゼロですよね。
>一瞥とかって、「 」は知るのだけど、今には ないから、回想することがあります。
気にしても 仕方ないのに(笑)
回想することによって自分を奮い立たせ
がんばるきっかけとしたらいかがでしょうか。
今に100%生きていたら
今以外にいることはできません。
>忘れてしまうくらいでないと、先にはいけない気がします。
今を一生懸命生きていたら
過去を思い出す時間はありません。
思い出す時間がないくらい今を頑張る
かつての私の実践の一つがそれに似ています。
9
:
ラピ。
:2018/07/11(水) 00:32:14
>一瞥で垣間見た「 」を わかったはずなのに、或いは知ったはずなのに、
>相変わらず苦悩に充ちた(ちょっともってますw)現実が体験され続けるのは、
>本当には悟っていないことです(言い切ってもいいですよね)
はい、言い切っていいです。
「 」を垣間見た、わかった、と思えるのは「 」を例えて言えば体験しただけで
「 」そのものにはなれていませんからね。
>ここで、おしまいと思いこむこともできますが(実際私はこれ以上はないと思ってました)
ええ?そうなのですね。
>それにしてしまうのは、やはり本意ではありません。何より 自分が似非なことに気が付けた訳ですから、
>本物のさとりそのものになるには、何をしなければいいのでしょうか?
「 」そのものになるのには簡単ですが難しいです。
例えば私は確実に 「 」そのものになる方法を知っており
それを実践したから 「 」そのものなのですがその方法を伝えることができません。
言葉で表してもそれはその方法の一部であり正確に100%伝えることができません。
しかし、私のやった方法は100%間違いなくやらなくてはいけなくて
1%でもぶれがあったら、おしまいです。
(私のやったことを100%できるのであれば悟れます。)
ではどうしたらよいのでしょうか。
一つのヒントとして。
苦集滅道w さんが「 」を経験したきっかけはなにですか。
何度か経験した一瞥は何がきっかけでっしたか?
実はもう、苦集滅道wさんは方法を知っているかもしれません。
私は最後の道は誰にも教えてもらうことなく自分の知っている方法で突破しました。
苦集滅道wさんが経験した闇、そこにヒントがあります。
何をしてそれはそうなりましたか?
>何も しなくても「ソレ」なことは学習済ですので、何も したくはないのですが(笑)
残念ながらそういう気持ちでは無理ですね(笑)
学習したのではだめなのです。
それそのものにならなくてはなりません。
学習したら本物になるのか?
全く違います。
あほな例えですが算数の教科書を学んだら算数の教科書になれるのか?
なれません
教科書が存在していて、教科書を学ぶ自分がどうしても存在していますよね。
教科書そのものになるためにはどうしたらいいか、私は知っています
>もとから さとりそのものだから、そのものになるっていう表現は 正しくはないと思います。
本当にそう思っていますか?
さとりをわかっていないからこそ言える言葉です。
>でも 他に聞きようがないので、変なカンジですが さとりそのもので生きるには どうすればよろしいのでしょうか?
もとからさとりそのものであればご存知の通り何もしないでそのままでいいと思います。
というか、さとれが何もしません(例えですが)
なぜ、問いが出てくるのでしょうか。
なぜなら実はさとりそのものではないことを知っているからなのです
本当にさとりそのものであればそのような問いは発生しません。
どうやっても発生しようがないのです。
さとりという言葉は例えです
さとるという 言葉を調べてみると
1.はっきりと理解する。見抜く。「言外の意を―」。感づく。「陰謀を―」
これは対象ある状態についてなのでここで言っているさとりとは違いますね
2.仏教 心の迷いを去って真理を会得(えとく)する。悟りを開く。
この表現はさとってない人が「悟るとはこういうことだ」と定義しただけです。
さとれば真理を会得する?
そもそも真理を会得するって、どういうことでしょうか。
会得したものは必ず失われます。
失われない為にはどうしたらいいか、真理そのものになればよい
悟りを開く、というのは例えであってほんとうに開いたり、開けたりはしません。
この世界にある悟りについての解説は厳密に言えば間違いが多いです
釈迦の教えは釈迦以外の人が残したものです。
釈迦はなにも残しませんでした。
しかし、釈迦の言葉を、それを聞いた人が残しています。
釈迦の言葉を聞いた人の解釈が入ったものが代々伝わっているのですよ、確実に。
釈迦の教えがきちんと伝わっていたら
この世は悟りそのものの人だらけなはずですからね。
さとりそのもので生きるのにはどうしたらよいか?
一つヒントです
苦集滅道って、どうことかご存知ですか?
10
:
苦集滅道w
:2018/07/11(水) 07:21:46
たくさん書いてくれましたね〜(感謝)
それと私の書き方があなたに妙な気遣いさせてました。
攻撃って私の被害妄想です(笑)
で、感想なのですけども、たくさんでてきます。
上から順に書いていきますが、ゆっくりと書いていきますので、
途中で気がついたことがあれば、差し込んでくれてかまいません。
>悟りでは「わからない」、これなのです。
・・・この言葉がわからないw・・・そういうものなのですね〜
>一瞥で経験した状態がずっと続いている状態が悟りです。
>そう思ってもらってよいと思います、例えですが。
・・・そんな風に思っています。ですが、最初に自我の次と自我の前にそうであるっていう思い込みを持ってしまい、今がそうであるっていう観点には立ちづらいのです。
何も無い世界?空間?から、人身に宿り 自我が芽生え、人身を去って そこへと回帰するっていうイメージが定着しています。
これが なかなかしぶといです(笑)体験に意味を自分で持たせたようです。
たとえですね?雰囲気だけは、そんな気でいるようにします。ただ、あの「 」が続くっていうイメージは、人間的な活動とか一切できなくなるような気がしていて、それでは生きてる意味がないような感覚もしばしば持ちます。
あれで 生きる?ことは、現実には 難しいと思う。色んな意味で。それで生きなきゃいけないっていうことでもないらしいし、一種のあこがれも 今はなくなりました。
このあたりのことは、自分で処理?できます。
一瞥とか心境とか わかってもらえて嬉しいです。やはり通じるものですね(笑)
ただ、この気持ちの中にも、私を認めて的なある種の自己顕示がはいってます。別の影響って、そんなことかもしれません。
自分で気がつけるのは、一瞥の記述とか一連に まだ、優越感みたいなおごりがはいってることです。(ここはながしてね)
>ラピ。 :2018/07/10(火) 23:29:14への感想は、ここまでです。
ありがとうございました。
11
:
ラピ。
:2018/07/11(水) 08:04:37
>悟りでは「わからない」、これなのです。
・・・この言葉がわからないw・・・そういうものなのですね〜
わからなければ考えようもないですよね。
想像ができない。
それが正しい姿勢です。
さとりに対してもそうあればいいかな
過去の体験を思い起こしてそれを悟りと結び付けたら
それは間違いで
そもそも悟りは想像してしまったらそうではなくなってしまいます。
よってさとりについて想像することは意味がないのです。
それはさとりもどきですから。
ちょっと書き込みました
12
:
苦集滅道w
:2018/07/11(水) 08:24:45
らぴ。さん おはようございます。膨大な時間費やしてくれてありがとう。
うん、全体的に やわらかく書いてくれているので、とても 読みやすいです。
もう、言葉の意味を考えたりとか 思索とかでは、なんともできないことがよくわかっています。
想像するのも やめます(笑)無駄に思えるのでねwww
今日は昨日よりは体調もよくなっています。動けるからね(笑)御心配なく。
13
:
苦集滅道w
:2018/07/11(水) 17:28:15
ラピ。 :2018/07/10(火) 23:39:43のコメントへの返信です。
>余談ですが、、、神という存在も悟っていません。
・・・って、神は存在している?そして悟っていないと?
わかりませんが、興味深いコメントです。
>悟った人なら何も創造しない。
>創造するものがないし、想像する必要がないから。
・・・全く わかりません。腑に落ちません(笑)
>しかし、この世界を創造してくれた神々には感謝ですね。
・・・?わかりません。感謝の対象として創造神がでてくるの?
>2度目の体験についてですがこの体験を経験するきっかけとして
>何か精進されていましたか?
>どこかを鍛えるとか?
・・・特にないです。一瞥後の苦しみをなんとかカバーして、わりと幸せだっただけですが、
直前に 自分のものではないとわかる 悲しみの感情に支配されて、自分は悲しくないけど、涙がでて結構泣きました。
悲しい感情と私は 別でした?(笑)
その後、涙を拭いて ご飯たべようと思ったトキのことです。w
>>私は じゃ、普段 何かが起きていると認識しているのは、どこなんだろう?ってちゃんと思考して(笑)
>>探検?捜索?みたいなことやりました。瞬時にですがね、それで 頭の中にだけ「何かが起きている」のが、解りました。
>何かが起きているとわかることは わかる人が存在するし、「何か」(対象)が起きていますからね。
>ご存知の通りです。
・・・そう、何も起きていないことが わかる自分がいました。どこで起きているかが わかる自分がいました。
「静寂」とか「無」とか「何も起きていない」って 使っている人の出所(体感)がわかったと思います。それだけかな。
14
:
苦集滅道w
:2018/07/11(水) 17:30:07
ラピ。 :2018/07/10(火) 23:39:43 への返信2です。
>しかし、その体験が悟りへ導くきっかけにはなりえるかもしれません
・・・そうですね、一瞥と同様にそのイメージは 今も残っています。
だから そうした言葉を使っている人達の意図みたいなことは 読み解けます。
・・・ですが、らぴ。さんの言葉は さっぱりわかりません、私に体感がないからです。
>>何て言うか、ホントの自分が肉体の眼とか器官とかを通して認識してるだけで、
根源と自分とがばらばらではないと思いました。
>そうなんですね?
>本当にばらばらでないなら
>根源も自分もない状態なのですが
>この時の経験をそういう風にも表現できますか?
・・・ええと、一瞥では、根源と自我は別個として 認識しました。自我以前、自我以後、生前、死後が根源であると。
今も そうである。・・・この認識があの場面で起きました。それが わかったので、見抜くって言葉になってます。
15
:
苦集滅道w
:2018/07/11(水) 17:33:12
ラピ。 :2018/07/10(火) 23:39:43 への返信3です。
>本当にその根源が悟りと言うのであれば
>自我の意識たる私を根源は見抜くことができません
・・・見抜く・・・は、見抜かれた。の意味合いです。自我ってこうなってるんだ、とあの場面で思いました。
で、こうしたところに つっこんでくるということは、根本的に私が認識違いをしている可能性があると思います。
私の意図が、ここでは読み取られていないです。それは 私の意図が間違っていることを意味しているとも 取れます。
私は間違っているかもしれません。
>「根源の側?が自我の意識たる私を見抜いてくれた感」
>根源は私ではなく、
>私でない根源が 自我の意識たる私を見抜いてくれたのでしょうか?
>>見抜いてくれた感・・・は率直な感想なのですが、伝わらないってことは、私の考え違いかもしれません。
>苦集滅道wさんと根源は別物ですか?
>そうでなければ 苦集滅道wさんを対象として見抜くことはできません
>その根源とはいったい何でしょうか?
>自我の意識たる私を見抜いてくれた感じを受けた苦集滅道wさんが
>そう感じたのかもしれませんが
>根源は何もしていないのですよ、それが本物であれば。見抜くことなく。
>見抜いている、と感じたのは 苦集滅道wさんであって
>本当の根源であればそれは何もしておりません、ただそうであるのみです。
・・・うん、これ わかるんです(笑)偽の根源って感じようがないですよ。
二人の共通認識として根源と使ってますが、人間的な意識がある訳ではないです。「 」とかがいいかな。
何もしていない・・・っていうのは、超わかりにくいです。
何かをしているのは、自我であるという認識と自我は何かをしているという認識にしか 普段はいません。
(このあたりは 不問に願いますw)
>これは悟った人とそうでない人との関係に似ています。
>悟った人は何もしていないのに
>そうでない人が悟った人に意味づけしてしまうのです。
・・・うん、そうです。とても素晴らしい境地に達してられる、どんなに素晴らしい世界観と心情が展開されてらっしゃるのでしょう・・・みたいな、
期待感満載です。・・・そうですね、勝手に神様みたいに持ち上げていきますね(笑)
>そうでない人が本当に感じていることが、それは「はずれ」なのです。
・・・ああ〜、そこ解ります。本当に感じているから 本当だと思います。これ以外に本当はない。
・・・それが、はずれだとは、思い難いです。何か体験がないと、本当に対しての「嘘」の感覚というか、
疑念っていうのは出てこないと思う。
>真実とは一体、どこにあるのでしょうか。
>感じたことが真実でしょうか?
>実は違うこと、多々あるのです。
>(うまく伝わりますでしょうか)・・・うん、根源の体験に絡んだものでも、違うことはありそうです。。。
>これが、そのままのことですが、この頃には書籍とか読み込んでましたので、言葉は借り物かもしれません。
>ですが、起きたことは 実際です。別に思いこむ必要などありませんでした。割と充たされていたトキでしたので。
>本当に起こったと思っています。
>少なくとも苦集滅道wさんにとっては
>確実にそれが「起こった」のでしょうね。
・・・起こったというよりも 体験したですね。自己体験を否定はできないので、起きたと言えば起きたことです。
>>自我の意識って こういうものなのだって、認識できたのがこの体験でした。逆に そうでない意識ってこうなんだとも思いましたし。
>自我の意識って表現が面白いですね。
>自我と自我の意識は別物ですか?
>私からしたらどっちも自我です。
自我の意識って 違う意識と区別して使ってます。違う意識って 根源だけど、意識として扱っていいかは わからないです。
自我と自我の意識は同じです。で、根源と区別するのは、通常は自我の意識が全面・全体を支配しているので、
根源のままというのは、考えられないからです。・・・という意見を持ってます(笑)悟りを根源の意識?として使うなら、
その状態で生きることは、私の中では あり得ない。だから さとりって、ない・・・(はずwww)
別に 否定しようと 望もうとも そのトキがくることに 変わりはないでしょう?死んでからかもしれませんが(笑)
二度目の体験と称しているところで、少し 動きました。もしかしたら勘違いかもしれないって 思いました。
後は、神への認識が 今までには聞いたことがなかったので 残りました。
16
:
ラピ。
:2018/07/11(水) 18:16:27
>何も無い世界?空間?から、人身に宿り 自我が芽生え、人身を去って そこへと回帰するっていうイメージが定着しています。
>これが なかなかしぶといです(笑)体験に意味を自分で持たせたようです。
この部分はよくわかりますよ。
私もそういう体験がありますし、
そう意味づけていました。
(やっぱり似ていることろがあるかも)
しかし、私は常に自分を捨てていたため
この経験に捉えられることはありませんでした。
「そういうことがあった」くらいの位置づけでした。
これが苦集滅道w さんとの違いかな。
体験したは似ているかもしれません。
>ただ、あの「 」が続くっていうイメージは、人間的な活動とか一切できなくなるような気がしていて、それでは生きてる意味がないような感覚もしばしば持ちます。
>あれで 生きる?ことは、現実には 難しいと思う。色んな意味で。
>それで生きなきゃいけないっていうことでもないらしいし、一種のあこがれも 今はなくなりました。
そういわれていること、とてもよくわかります。
私も同じ思いでした、悟る前は。
その状態が悟りと言われても、あれが?それって幸せなん?みたいな。
しかし、私は生きています。
楽ちんに。
悟らずに経験した「 」は
まだ「 」そのものではない状態で経験したので
例えて言えば引き裂かれかけたような感じでした。
まだ自我があったため、
自我のない世界に耐えられない、とも例えられるかもしれません。
自我のあるままで 「 」を 経験して
よく無事、もどってこれたなぁ、としみじみ思います。
苦集滅道w さんもですよね?
ええ、言われていること、わかります。
でも安心してください。
すっかり「 」そのものになってしまえば
(自我がすっかり消滅してしまえば)
そこはある意味、想像できなかった想像以上の天国です。
>今日は昨日よりは体調もよくなっています。動けるからね(笑)御心配なく。
よかった。
嬉しいです。@(*・ω・*)ポッ
17
:
苦集滅道w
:2018/07/11(水) 18:31:47
9: ラピ。 :2018/07/11(水) 00:32:14・・・への返信です。
一瞥のきっかけ?私は知っているかもしれない?経験した闇?そうなったのは何故か?苦集滅道の意味は?
・・・???ここから 導き出される ことって・・・もしかしたら、私が 数年?行い続けて、一瞥の後に否定した
精神の行為???
でも、それだと きれいに説明がつきます。
結局、中途半端で その「道」って行いきれてないです。
うん、今 結構苦しんでる最中です。そうなっているのは、何故か?・・・ここですね。たぶん、いや、きっとね。
私に伝わったと思います。いえ、私だけでなく 読んでる人にも 伝わったと思います。。。
お疲れ様でした。ありがとうございました。。。
約束通り、活かします。
18
:
苦集滅道w
:2018/07/11(水) 18:39:35
16: ラピ。 :2018/07/11(水) 18:16:27・・・のらぴ。さんへ
>よく無事、もどってこれたなぁ・・・あの後、「虚無」に襲われて、寝たきりに近くなりました(爆)
面白い経験でしたね。どれほどの精神の苦痛を経験しようとも・・・「無傷」よね〜
19
:
ラピ。
:2018/07/11(水) 18:41:47
>わかりませんが、興味深いコメントです。
>・・・全く わかりません。腑に落ちません(笑)
そう言っていただけて嬉しいです(笑)
ありがとう
>>しかし、この世界を創造してくれた神々には感謝ですね。
>・・・?わかりません。感謝の対象として創造神がでてくるの?
ありがとう。
もちろん私が感謝しているわけではなく一般論的に書いただけです。
私にはそもそも世界も存在していませんからね、ご存知の通り。
例えて言えば
悟る前の私が言えたこと、かな
>・・・特にないです。一瞥後の苦しみをなんとかカバーして、わりと幸せだっただけですが、
>直前に 自分のものではないとわかる 悲しみの感情に支配されて、自分は悲しくないけど、涙がでて結構泣きました。
>悲しい感情と私は 別でした?(笑)
>その後、涙を拭いて ご飯たべようと思ったトキのことです。w
そうなんですね。
そこは私と違いますね。
そっかぁ、、、。なるほどです。
>>私は じゃ、普段 何かが起きていると認識しているのは、どこなんだろう?ってちゃんと思考して(笑)
>>探検?捜索?みたいなことやりました。瞬時にですがね、それで 頭の中にだけ「何かが起きている」のが、解りました。
瞬時、ですよね。
私もそうでした。
なるほど、なるほどです。
>・・・そう、何も起きていないことが わかる自分がいました。どこで起きているかが わかる自分がいました。
これがわかるなら先があります。
>「静寂」とか「無」とか「何も起きていない」って 使っている人の出所(体感)がわかったと思います。それだけかな。
うん、うん。
そういう世界はあるんだな、みたいな?
どうもありがとう。
20
:
ラピ。
:2018/07/11(水) 19:02:50
>・・・そうですね、一瞥と同様にそのイメージは 今も残っています。
>だから そうした言葉を使っている人達の意図みたいなことは 読み解けます。
悟っていない人の言葉だから
悟ってない人が共感できる内容になるんです。
>・・・ですが、らぴ。さんの言葉は さっぱりわかりません、私に体感がないからです。
それが正解です。
ありがとう
今まで私の言葉をどれだけのことが誤解してきたか(笑)
さっぱりわからない、本当ならそうであるはずです。
>・・ええと、一瞥では、根源と自我は別個として 認識しました。自我以前、自我以後、生前、死後が根源であると。
>今も そうである。・・・この認識があの場面で起きました。それが わかったので、見抜くって言葉になってます。
なるほどです。
ではその一瞥はさとりの断片でもなく
神秘体験です。
すっかり忘れたほうが良いと思います。
さとりとは関係ない体験です、残念ですが。
私の神秘体験も
さとりの断片ではなく、ある意味素晴らしい体験でしたが
それは自我があるからこそ素晴らしいと感じるのであって。
さとれば、例えて言えば
素晴らしい体験すらも必要ないのです。
変な表現ですけど(笑)
21
:
ラピ。
:2018/07/11(水) 19:12:14
>一瞥のきっかけ?私は知っているかもしれない?経験した闇?そうなったのは何故か?苦集滅道の意味は?
>・・・???ここから 導き出される ことって・・・もしかしたら、私が 数年?行い続けて、一瞥の後に否定した
精神の行為???
>でも、それだと きれいに説明がつきます。
その精神の行為でしょう。
ちなみに苦集滅道wさんの経験は
さとりに近いものと、そうでないものがあります。
今までのやり取りで何となくわかりましたか?
そうでないものはさっぱり忘れてください。
そしてそうであるものも、、、、さっぱり忘れてください
>結局、中途半端で その「道」って行いきれてないです。
ほら!道がありましたね。
途中まで行ってその経験をしているのなら
そこがヒントです。
>うん、今 結構苦しんでる最中です。
>そうなっているのは、何故か?・・・ここですね。たぶん、いや、きっとね。
その苦しみ、代わってあげたいです。
いくらでもその苦しみを私に投げてください。
ぜひ、私に。私が受け取ることなく受け取りますから、大丈夫です。
でもでも、最後は自分が頑張るしかありません。
でも危険な道かもしれません。
おすすめはできない。
でももう苦集滅道wさんは道の途中まで来てしまっている。
引き返す?
進み続ける?
>私に伝わったと思います。いえ、私だけでなく 読んでる人にも 伝わったと思います。。。
ありがとうございます。
22
:
ラピ。
:2018/07/11(水) 19:22:57
よく無事、もどってこれたなぁ・・・あの後、「虚無」に襲われて、寝たきりに近くなりました(爆)
面白い経験でしたね。どれほどの精神の苦痛を経験しようとも・・・「無傷」よね〜
無傷 、そうやね(笑)
人って思ったより強いよね。
寝たきりは大変でしたね。
>今日は昨日よりは体調もよくなっています。動けるからね
とのことでほんとよかった。
私の場合は、そこから帰って、普通になるのに必死でした。
(そもそも普通って何?状態でもありましたが)
私のやってきたことは自分の意志を精一杯使うものだったので
普通になるのにも精一杯頑張りました
※コメントのお返事できていないところがありました。
またお返事します
23
:
苦集滅道w
:2018/07/11(水) 21:03:31
ラピ。 :2018/07/11(水) 19:12:14・・・のらぴ。さんへ・・・
いや、大げさよね(笑)でも 有難いですよ。
うん、絶対に大丈夫(受け売りw)。何も危険など ありはしません。
むしろ・・・心地よく この道を生きます。
色々と ご指示・ご示唆頂きまして ありがとうございます。
コメント的には これで良いかと思いますw
※裏で二人で 笑ってますよねw
24
:
ラピ。
:2018/07/11(水) 21:08:45
>・・・うん、そうです。とても素晴らしい境地に達してられる、どんなに素晴らしい世界観と心情が展開されてらっしゃるのでしょう・・・みたいな、
>期待感満載です。・・・そうですね、勝手に神様みたいに持ち上げていきますね(笑)
(笑)
しかし、私のことはそうとは思わないでしょう?
私は普通ですから(笑)
>・・・ああ〜、そこ解ります。本当に感じているから 本当だと思います。これ以外に本当はない。
>・・・それが、はずれだとは、思い難いです。何か体験がないと、本当に対しての「嘘」の感覚というか、
>疑念っていうのは出てこないと思う。
そうですね、そうなんですが
はずれなんですよね、それについては。
>・・・起こったというよりも 体験したですね。自己体験を否定はできないので、起きたと言えば起きたことです。
なるほど、わかりました。
>自我の意識って 違う意識と区別して使ってます。違う意識って 根源だけど、意識として扱っていいかは わからないです。
「 」=根源という定義で使われていますか?
答えだけを言ってしまえば
「 」は意識ではありません。
>自我と自我の意識は同じです。で、根源と区別するのは、通常は自我の意識が全面・全体を支配しているので、
>根源のままというのは、考えられないからです。・・・という意見を持ってます(笑)悟りを根源の意識?として使うなら、
>その状態で生きることは、私の中では あり得ない。だから さとりって、ない・・・(はずwww)
なるほど。
さとりは根源の「意識」ではありませんが
言っていることはわかります。
>別に 否定しようと 望もうとも そのトキがくることに 変わりはないでしょう?死んでからかもしれませんが(笑)
いいえ、来ないかもしれません。
だからまた、何度も生まれ変わるんです。
例えて言えば、何度生まれ変わって来たでしょうか。
しかしついに私はもう生まれ変わりません。
今世が最後です。
カルマは終了です。
>二度目の体験と称しているところで、少し 動きました。
>もしかしたら勘違いかもしれないって 思いました。
くわしく教えていただいてもいいですか?
気が向いたらでいいです。
この掲示板でのやり取りは大切ではありません。
苦集滅道wさんの日々が最も大切です。
だから気が向いた時で書き込みはいいですからね。
私はどんな時も応援しています。
ちなみに 苦集滅道とは
苦をめちゃくちゃ集めて消滅させる、という意味です。
私の実践に近いものがあるので
苦集滅道という言葉を初めて聞いた時、
実は、そういうことかと少ししてからわかりました。
それで悟ったようなものですから
苦集滅道 はさとりの道を表しています。
(この言葉を初めに言った人、すごい!)
苦集滅道さんのやっていた精神の行為と
苦集滅道wさんの共通点はありますか?
またお時間あったときでもいいし、
お答えしなくてもよいです。
すべてが苦集滅道さんの道の力になれますように。
25
:
苦集滅道w
:2018/07/12(木) 08:08:45
>だからまた、何度も生まれ変わるんです。
>例えて言えば、何度生まれ変わって来たでしょうか。
>しかしついに私はもう生まれ変わりません。
>今世が最後です。
>カルマは終了です。
・・・輪廻からの解脱と理解しますが・・・知識情報でしかないです。
両者ともに、確認?自覚?解明?実際?真理?と、わかる人っているんですね。
私には 両者ともに真偽はわかりません。信じる信じないも しません(笑)
>この掲示板でのやり取りは大切ではありません。
>苦集滅道wさんの日々が最も大切です。
・・・うん、そうですね。百万の言葉を連ねても、苦労自慢を書いても、決意表明を書いても、
精神世界の用語を知的な理解で解説してみても、誰かの心境を憶測しても・・・聞いてみても、
私の思考?は、自己満足はするかもしれないけど・・・祭りの後は、また 一人の世界です。
そこには 私しかいませんね。他者へのオファーもコミュニュケーションも イットキの出来事で、
いつも 終わり続けていきますね。
今までの ここでの会話を終わらせます。とても 面白かったです(笑)
私の中では 悟り系精神世界観の知識や情報に左右されてきた自分との 決別の場となり、
この機会を与えられたことに 感謝しております。
真実は 普段の生活・日常の中に見出だして生きます。
その中で 何か問題があれば、また 質問させて頂きます。
ここは、消されても、置かれても 管理者にお任せします。
26
:
ラピ。
:2018/07/12(木) 12:55:27
苦集滅道wさん
こちらこそ、いろいろありがとう
>真実は 普段の生活・日常の中に見出だして生きます。
はい!そうですね。
まずは生きることが大切です。
>・・・輪廻からの解脱と理解しますが・・・知識情報でしかないです。
>ともに、確認?自覚?解明?実際?真理?と、わかる人っているんですね。
>私には 両者ともに真偽はわかりません。信じる信じないも しません(笑)
もう生まれてくる理由がないので、その通りです。
苦集滅道wさんのその姿勢は大切だと思います。
つい私も書き込んでしまいましたが
不必要などうでもいい情報でした。
いつか分かるときが来るかもしれません。
でもそれはそうであればやってくるので
今は今を生きること、どうぞ大切になさってください。
この掲示板は置いておきますね。
誰かの道のヒントになるかもなので。
いつまでも応援しています。
どうもありがとうございます!!
27
:
苦集滅道w
:2018/07/12(木) 13:11:58
>不必要な・・・
あ 聞きそびれたな(笑)実は 今朝から、輪廻と解脱・・・けっこう気になってます。
・・・そうですね。聞いても真偽はわかりませんからね、我が身でわからないとね。
もう、生まれてくる理由がないってことは、生まれてくる理由があって 私達は生まれてきているのですか?
生まれる理由って なんですか?(結局、聞いてみるwww)何故、生まれていますか?(まさか、生まれてないし死ぬこともないとかって、よく聞くものではないですよね?)
もう 生まれない・・・って、何故自覚されたのですか?今 生きてるから、不自然な気がしますが(って、深く聞いてもみるwww)
28
:
名無しさん
:2018/07/12(木) 20:35:54
>あ 聞きそびれたな(笑)実は 今朝から、輪廻と解脱・・・けっこう気になってます。
そうなのね
>・・・そうですね。聞いても真偽はわかりませんからね、我が身でわからないとね。
そうですね
>もう、生まれてくる理由がないってことは、生まれてくる理由があって 私達は生まれてきているのですか?
なるほど
うんと、
生まれてくる理由がない、それだけです。
理由がない、理由がある、の理由がないではなく、単に理由がない、それです。
自我(対象)が消滅していますから体がなければこの世界に存在できません。
だから体が死んでしまったら
本当に消滅でしょう。
こうやって苦集滅道wさんとの対話も悟る前の名残である体がなければ不可能です。
本当に消滅してしまったらどうやってまた生まれることができるでしょうか。
(生まれる元がない)
もう、対象もないためそして私の存在には理由がないため、生まれることができません。
生まれようがない。
しかし、普通、人には理由が必要だったりします。
だから、生まれてくる理由が必要であり、知りたいのですね?
人は生まれる「もの・元」があるから生まれるのです。
>生まれる理由って なんですか?(結局、聞いてみるwww)
>何故、生まれていますか?(まさか、生まれてないし死ぬこともないとかって、よく聞くものではないですよね?)
そもそもなぜそのような質問が出るのでしょうか?
なぜ知りたいのですか?
それは自我(願望)があるからです。
悟った人からしたら答えは「生まれる理由はない」です。
人はなんでも意味をつけたがる。
それが人が生まれる理由のひとつでしょう。
なぜ?と問えば答えがある。
なぜ?が発生すれば、答えも発生しているんです。
なぜ生まれるのか?
この問いが発生すれば例えて言えばその答えを得るために出来事が起こるのです。
言い換えればその問いが生まれる限り(自我がある限り)生まれ続ける、ということです。
ちなみにかつての私を思い出せば
人とはどういうことかを学び(「なぜ?なぜ?」が多い人でした(笑)
しかしもう十分学んだから卒業、という感じですかね。
もう問いが発生しないのです。
>もう 生まれない・・・って、何故自覚されたのですか?
>今 生きてるから、不自然な気がしますが(って、深く聞いてもみるwww)
自覚したのではありません。そうだから、です。
(自覚しようがないんです)
悟る前の名残である体があるからこうやって例えていえば生きています。(笑)
しかし自我はもう生まれも死にもしない状態です。
悟った人は何もしていません。
何の理由もありません。
ただただそうであるのみです。
もう発生したり、消滅したりするものがないのです。
ただ名残があるだけ。
私に理由がありません。
苦集滅道w さん、この表現しがたい状態、そうなればわかります。
その時に問いが解決する、というよりは問いそのものが消滅するのです。
この状態は想像できないと思います。
そして「問いそのものが消滅するって、どういうこと?」と問いが発生しますよね。
例えて言えば問いが消滅していない状態だからそのものになれず問いが発生する。
問う=疑いがある、疑問がある、ということですからね。
ちなみに今、生きていく上で
苦集滅道w さんに生まれた理由が必要ですか?
29
:
ラピ。
:2018/07/12(木) 20:41:21
↑投稿者はラピです
30
:
苦集滅道w
:2018/07/12(木) 21:07:34
うわぁ〜〜〜、予想外の展開ですが、わからないなりにも そうなんだぁ〜って思います。
想像できないなりにも、ああ〜って 納得がいきます。。。
この手の質問には 肩透かしっていうか のらりくらりの回答が多いイメージがありますが、
あなたの回答は「がち」だと 信じることができます。
ありがとうございます。体裁でなく本心です。で、その感覚って 生意気かもしれませんが、受け入れられます。
>生まれた理由が必要ですか?・・・いえ。気がついたら生きていたので、理由も何もなく、今が「がち」です(笑)
この現実に中で、生きる以外にはありません。
理屈っぽい質問でしたが、あなたのお応えは大いに 役立ちました。
聞いてみて、良かったです。
らぴ。さん 楽できたね(笑)
31
:
苦集滅道w
:2018/07/12(木) 21:09:14
>投稿者はらぴ。です。
ちゃんちゃんwww
32
:
苦集滅道w
:2018/07/12(木) 21:24:17
>その問いが生まれる限り(自我がある限り)生まれ続ける
・・・いえ、「 」に問いも疑問も何もないです。それは、共通の認識かと思います。
死後の「 」が、肉体に宿りますか?私は その場に在って「 」に、留まる。自信があります(笑)
・・・って、くいついてみる。どう 答えますか???
33
:
ラピ。
:2018/07/12(木) 22:10:14
>>その問いが生まれる限り(自我がある限り)生まれ続ける
>・・・いえ、「 」に問いも疑問も何もないです。それは、共通の認識かと思います。
そう意味ではありません。
「 」に問いも疑問もないというのは
「 」に対して問いも疑問もない、という意味ですよね?
そもそも問いも疑問もない というのと
「 」に問いも疑問がない
この違い、わかりますか?
>死後の「 」が、肉体に宿りますか?私は その場に在って「 」に、留まる。自信があります(笑)
>・・・って、くいついてみる。どう 答えますか???
死後の「 」ってなんですか??
(多分「 」についての定義がそれぞれ違っています。
私と同じであれば 死後の「 」 という表現はへんてこりんんすぎてできません)
>私は その場に在って「 」に、留まる
「 」は留まる対象ではないのですが?
その自信があるのならぜひ、そうしてみてください。
なぜそうしたいかはわかりませんが。
34
:
ラピ。
:2018/07/13(金) 07:50:59
そう意味ではありません。→そういう意味ではありません
そもそも問いも疑問もない というのと
「 」に問いも疑問がない
→そもそも問いも疑問もない というのと
「 」に問いも疑問もない
の間違いです(;・∀・)
35
:
苦集滅道w
:2018/07/13(金) 08:15:56
>「 」に対して問いも疑問もない、という意味ですよね?
・・・「 」の内に在っては、問いも疑問もないです。今は「 」の内には いませんので、問いも疑問も持ちます。
そのことも 理解・認識しているので、「 」の内 そのものに至ることが、私には悟りと思えます。
今、自我であること。四苦八苦しながら 生きていることに、抵抗はなく、受け入れているのは、「 」が、自我のない、
というか もともとの私であることを 思い出しているので、安心して 自我を経験しているのです。
無傷であり、直接の自分は 真理そのものであり、地上での思考感情、苦悩・迷い・欲望といったものは、
経験として過ぎ去っていきますし、また 過ぎ去ることがわかっています。
らぴ。さんは 「 」のままに、今に在るのかと推察していますが、
私は 自我の経験・観察・独立した意識(意志)を、味わっているところです。
「 」は、「 」であることを知っています。そこから 人の意識が経験されている場面が 私の意志と生涯の全体です。
これが 終われば、「 」であることに 在り続けます。
悟った人と 悟っていない人の違いは、自我の経験だと思います。根本根底には 違いはないです。誰もが。
ただ、生きて「 」という根本を知るか 知らないかで、違っているようには観えます。
ここまでのことで、おわるか 「 」のままに生きるかは、選べない気がします。
自我を拡大・拡張する行為では そうはならないと思うし、為す術はないかと思います。
今日は 比較的 平静な精神が戻ってきています。あなたの 言うことにYESということは簡単ですが、自己主張してみました(笑)
問いも疑問もない、は 問いも疑問もない場所(心の内)が、「 」ということでなく、
問いも疑問も持つ 自我の意識に対しては、そこは 自我の疑問も問いかけも迷いもない場所だと言えます。
「 」に自我はない。その「 」が自我を経験するのは、自我の全体を創造しているから、自我からは「 」は観えない。
その「 」を表現するには、自我にあるものを 否定しつづけないと書けないです。
疑問も 問いも 謎も 苦しみも 生き辛さも 概念も 個性(私)が創造される 以前には、何も 無いです。
何も無いことを説明するには、今 持ちうるもの全体を消去していくしかないですね。
意識の全体が 創造物・経験であることを知ることは 最初の「山場」です。
これが 多くの人には まず 伝わらない。
伝わらないと 思っていることを伝えようとすることもないと、今は思ってます。
以前は ブログで挑戦していましたが、諦めました。
らぴ。さんが 私に書いてくれることも、同じように 今の私には 伝わらない次元の性質かもしれませんし、
もしかしたら すでに伝わっている性質のものかもしれません(笑)
脱線したことを 書いちゃいましたが、このままにします。
わからないことだらけです。ただ、わからない・・・が 何故起きてくるか、思えるのか・・・は、わかります。
疑問や問いは、自我の拡張しようとする好奇心みたいなものだと思います。
「 」は 一切のはじまりにありますので、疑問も問題意識も 持ちようがありませんね(笑)
36
:
苦集滅道w
:2018/07/13(金) 14:25:56
自我がない・・・っていう人の言葉を 見つけました。
わかんないけど、そういうものか〜って、思いましたので、その部分を転載してみます(問題があれば 削除して下さい)
>なぜすべての自我が死んだと言い切るかと言うと、それから数ヶ月をかけて、この体を通し、この体が歩んだ人生がどんな風だったかを努めて思い出し、
>更には初めはすべての認識が持てなかったので、ひとつひとつの名称から覚えた。例えばコップをコップと見ることができなかった。家族を、家族として認識することができなかった。
>言葉を知らない赤子同然だった。
>その体を、この世に存続させたのは、お釈迦様の話しで言うところの梵天だった。
>個人的な意識はなくとも、梵天の、宇宙の叡智が体を生きた。
「ブログ永遠の無題」
http://kuujigen.hatenablog.com/entry/2016/08/12/063720
よりの引用ここまで。
この言葉を発した人も、このブログを書いている人も、らぴ。さんも、自我がない・・・っていうのは、ホントなんだと思います。
なんか すごすぎて、私の次元には 出てこないかと思う(笑)
37
:
ラピ。
:2018/07/13(金) 23:18:04
「 」の内 という表現は(言いたいことはわかりますが)変ですね。
>そのことも 理解・認識しているので、「 」の内 そのものに至ることが、私には悟りと思えます。
内外は人の世界のものです。
>今、自我であること。四苦八苦しながら 生きていることに、抵抗はなく、受け入れているのは、「 」が、自我のない、
>というか もともとの私であることを 思い出しているので、安心して 自我を経験しているのです。
本当に安心して経験していますか?
>らぴ。さんは 「 」のままに、今に在るのかと推察していますが、
「 」そのものです
しかし、「 」のままに、今に在る とは表現しがたいです。
>「 」は、「 」であることを知っています。そこから 人の意識が経験されている場面が 私の意志と生涯の全体です。
これが 終われば、「 」であることに 在り続けます。
この表現は面白いですね。
「 」は、「 」であることを知っています、とは誰が知っているのでしょうか? 苦集滅道w さん??
私の今の状態である「 」だったら、「 」であることに 在り続けます。なんて表現はしません。
在るも続けるもないのです。
>悟った人と 悟っていない人の違いは、自我の経験だと思います。根本根底には 違いはないです。誰もが。
悟ればそもそも経験しないんです。根本根底が違うのです。
(そういう意味ではないかな??)
>ただ、生きて「 」という根本を知るか 知らないかで、違っているようには観えます。
「 」は知るものではないので「 」であれば知ることはありません。
>ここまでのことで、おわるか 「 」のままに生きるかは、選べない気がします。
>自我を拡大・拡張する行為では そうはならないと思うし、為す術はないかと思います。
本当にそうですか?
>今日は 比較的 平静な精神が戻ってきています。あなたの 言うことにYESということは簡単ですが、自己主張してみました(笑)
はい
いいのですが、その自己主張は私からしたら「??」が多いです。
>問いも疑問もない、は 問いも疑問もない場所(心の内)が、「 」ということでなく、
>問いも疑問も持つ 自我の意識に対しては、そこは 自我の疑問も問いかけも迷いもない場所だと言えます。
そうではないのですがそう思うのは自由です、、。というしかないのかな、、、。
>その「 」が自我を経験するのは、自我の全体を創造しているから、自我からは「 」は観えない。
「 」 であったら自我を経験しようがありません、ないから。
>その「 」を表現するには、自我にあるものを 否定しつづけないと書けないです。
そうでしょうか。
苦集滅道wさんの言われている「 」は自我の延長上にあるもので悟りではないのではないでしょうか。
>疑問も 問いも 謎も 苦しみも 生き辛さも 概念も 個性(私)が創造される 以前には、何も 無いです。
知らないのにそう断言するのですね??
>何も無いことを説明するには、今 持ちうるもの全体を消去していくしかないですね。
それはそうなのですが、全体を消去しようとしても通常できません。
なぜなら、その消去しようとすること自体が自我だからです。
>意識の全体が 創造物・経験であることを知ることは 最初の「山場」です。
>これが 多くの人には まず 伝わらない。
意識の全体、ってなんですか?
「 」は意識じゃありませんが、「 」のことではないですよね?
>わからないことだらけです。ただ、わからない・・・が 何故起きてくるか、思えるのか・・・は、わかります。
>疑問や問いは、自我の拡張しようとする好奇心みたいなものだと思います。
そうでしょうね。
わからないことだらけ、でいいと思います。それが正解です。「 」はわかる「もの」ではないのです。
>「 」は 一切のはじまりにありますので、疑問も問題意識も 持ちようがありませんね(笑)
なぜそう断言するのですか?
「 」は 一切のはじまり ではありません。
「 」って今の私の状態、悟りでよかったですかね?
今回の内容は言い切っている内容が多いですがほとんど間違っているとしたらどうしますか?
(厳しい言い方になってしまいましたか?ごめんね)
38
:
<削除>
:<削除>
<削除>
39
:
苦集滅道w
:2018/07/14(土) 07:37:24
>内外は人の世界のものです。・・・うん。そうですね、そうらしいですね。
>「 」は知るものではないので「 」であれば知ることはありません。
・・・同上。
>本当にそうですか?
・・・いやwなんか言い訳じみてる。努力しないことの正当化みたいにね。
>その自己主張は私からしたら「??」が多いです。
・・・うん、途中経過はあってるかと思いましたが、そこも違ってるみたいですね。
>知らないのにそう断言するのですね??
・・・経験知で、そうだったから そう 思っています。断言できます(笑)ここ、引きさがると、私の中では何が何やら訳わからなくなりますので、変えないです。
>その消去しようとすること自体が自我だからです。
・・・うん、ここはわかりますよ。全体?にある人(肉体)には、そう思えるのだと思う。
でも 説明には、有効かと思いました。
>意識の全体、ってなんですか?・・・うん、「全体」に対しての「部分」が自我の意。
「 」を意識ではないと定義すると、意識は自我だけのものですが、それでも「部分」として、自分の一部として私は認識していて、全体っていうのは、全部って思う。
自我は 今の自分を生きています。でも、経験の一部だと思います。その経験の一部が自分そのものであるかと言えば、経験する以前に私は在る。と、認識しています。
>今回の内容は言い切っている内容が多いですがほとんど間違っているとしたらどうしますか?
・・・これは、簡単。ある意味では 自分の「支え(思い込み・信念・結論・プライド・達成感・実力?)」を全部なくすことになりますが、
そんなことがあっても 私は「無傷」なので、私個人の考え方とか 持ち物とかが全否定されても、何も 思わないし、感情も微動だにしない自信があります。
借り物は 借り物で、生きる為に使っているだけです。
そうは 言っても「思考」はその判断・認識を変えざるをえないでしょう。
全く、心から わからない・・・って、思うでしょう。それは それで いいと思う。
うん、ここでは 今の私の認識・理解が 通じるか否かを求めました。聞いてみました。
なんか ほとんど全滅みたいなので、根底から 考え違いがあるようですね(笑)
今までの変な観点を持って 今後生きなくてもいいのですから、楽になりましたよ。
それだけでも 貴重です。ありがとう ございます。
うん、「空手」で 生きてみます。
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