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独占板

6519シャンソン:2016/02/20(土) 00:18:36 ID:DRw9RNgk
  「そ・わ・か」で生きると謙虚になれる

  松下幸之助さんが、経営の神様と呼ばれるようになって、インタビューを受けました。
その中で、経営の神様と言われるようになった理由を質問された。「幸之助さんはそれがどういう理由、
原因でそうなったと思いますか」。幸之助さんの答え。「運命と言うほかはないでしょうね」。

 これはすごい言葉ですね。幸之助さんは、日本で一番のお金持ちになり、「大松下」と言われるほど会社も
大きなものになったわけですが、そういうのも全部運命として受け入れていた。
幸之助さんの中には、どうも謙虚さというものがずっとあるようです。

 自分の力でやっているのではないという概念があるのですね。
「そ・わ・か」(「掃除」「笑い」「感謝」)も「謙虚」という一つの概念でくくることができます。
謙虚の中の一部に掃除がある。謙虚さの中に笑いがあります。笑いとは肯定すること、受け入れることです。
感謝というのも、自分の力で成し遂げたのではないという謙虚さから出てくるのが「ありがとう」ですね。

 ですから、「そ・わ・か」の三つのいずれにも、全部謙虚さというものが入っているのです。
それが言い方を変えると、「運命だったんでしょうね」という言葉に集約されます。
 そういう意味では、このような話を聞けるということも、生まれる前に自分が決めてきたシナリオです。
運命というほかはない。その運命を自ら喜ぶことです。

 お釈迦様が、砂でずっと覆われている川べりを見ながら弟子たちにこんなことを言いました。
「この砂の一粒一粒が衆生である。大衆である」。次に一杯の砂を手ですくった。
「これが、縁あって私の話を聞ける人である」。お釈迦さまの教えを直接聞けるラッキーな人達です。
そして親指の爪の上に砂を載せた。「この親指の上に載っている砂だけが、私の話を理解できる人である」。

 こういうことがわかってくると、みなさんも自分がすごくラッキーであることがわかります。
自分の努力の結果としてこの教えに触れたというのはちょっと違いますから。
これを生まれる前からの運命だと思うことで、より謙虚になることができます。

 実は運命に良し悪しはありません。運命自体には、良いも悪いもないのです。
私は運が良かったと過去形で言ったとします。過去形で言った瞬間に、運の良かった人になります。
私は運が悪かったと過去形で言ったら、運が悪かった人になります。

 運の良し悪しは、結局自分が決める。自分は何であっても運が良い、ツイてる、ラッキーだと言う人は、
ツイてるし、ラッキーなんです。運が良い人とは、自分は運が良いと言ったり思ったりしている人のことです。
ですから、幸運でラッキーなものを手に入れたければ、自分がそういう言い続ければよい。

 ただ、幸運でラッキー私はツイてると言い続けている人には、本当にそう思っているかを問われる現象も起きるということを
覚えておいてください。運が良いと言っていても、思いどおりではないことが起きたら、すぐ落ち込んで愚痴を言って泣き言を言ってしまうと、
運の良い人ではなくなるようです。

 つらいとか悲しいとかつべこべ言わないで、「そういうこともあるよね」「これも自分の書いたシナリオであり、運命だもんね」と
受け入れていると、何かドーンと本当のツイてるというものが来るみたいです。
どうも人間の運というものは、幸運だ、強運だと言い続けることによって身についてくるものなのではないでしょうか。
私は運が悪いとか、ツイてないと言い続けると、運が悪くなってツイてない人になるようです。

 幸之助さんは「わしは運が強い。幸運で強運だ。わしは運がいい」と94年間ずっと言い続けた人でした。
踏切で転んでも、電車にひかれなかったから運が良かった。船から海に落ちても、冬の寒い日ではなく夏だったから死なずにすんだ、
助け上げてもらえて幸運だったというように、何があっても運が良いと言っていたそうです。
幸之助さんは、謙虚さの塊として、運命を受け入れていたのではないでしょうか。

  『なぜ、神様を信じる人は幸せなのか?』 小林正観 著

6520シャンソン:2016/02/20(土) 11:39:41 ID:XC9F6NKg

   人間の“死”の意味  小感雑感
 http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/2011/09/post-30c4.html

6521訂正:2016/02/20(土) 11:40:55 ID:XC9F6NKg
>>6520  

  小閑雑感

6522シャンソン:2016/02/20(土) 11:50:04 ID:XC9F6NKg

  愛深き男たちの絵画展 『外大生より英語が出来るオレ』 
http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue/2007/03/post_424d.html

6523シャンソン:2016/02/20(土) 14:08:52 ID:XC9F6NKg

「ありがとう」に「御座います」をつけると言霊の威力が増す
   http://transpace.jp/nihongo/arigato-gozaimasu/

6526シャンソン:2016/02/20(土) 18:20:24 ID:XC9F6NKg

 志恩さんは人を傷つけている意識がないようだって
 いわれている志恩さんから鈍感力を指摘された「皇国」さん。
 がんばって、がんばって生きてください(笑)
 
 鈍感力 http://www.shiawasehp.net/hint/6donkanryoku.html

6527シャンソン:2016/02/20(土) 18:22:44 ID:XC9F6NKg
>>6526 これのこと

http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=daityouwa&mode=res&log=4620

6528シャンソン:2016/02/21(日) 11:37:58 ID:isPDSdvc
   「修行の場」「喜びの場」「感謝の場」

 ある方から、「この世は修行の場なのですね。ある人の話を聞いて、修行の場だということを
知りましたが、この世では我慢や忍耐をして生きていかなければならないのですね。それが『この世は修行の場』という
意味なのですね」という質問を受けました。

 そのように「この世は修行の場」であるととらえてもかまいませんが、宇宙的な事実としては「修行の場」というように設定されているのではないようです。
私たちの目の前に起きる現象は「修行の場」と規定されているわけではなく、すべてゼロ(中立)なのではないでしょうか。
 現象というものは、自分のとらえ方によってどのように見えるかが変わってきます。

「修行の場」だと考えてもよいのですが、宇宙はこの世(私たちの人生の場)を「修行の場」だというふうに設定しているわけではありません。
すべてゼロ(中立=ニュートラル)なのです。物事をとらえる力を「認識力」という言葉で言い表すとすると。認識力が上がってくるにしたがって三つの段階を踏むように思います。
第1段階は「この世が修行の場である」という認識です。目の前の現象の一つが「私」を修行させるために存在しており。そのためにいろいろな現象を起しているのだと考えることで、
問題を乗り越えたり、気持ちが楽になったり、生きるのが楽になったりする人がいるのであれば、そのようにとらえてもかまわないと思います。

 ただ、この世は「修行の場」として設定してあるわけではありません。
第2段階として、同じ現象を目の前にしたとき、「実はこの世は喜びの場なのではないか」ととらえることもできます。
そのとらえ方によって、認識力は3分の2(100点満点の66点か67点)まで行く第3段階というものは、「この世は修行の場でもなく喜びの場でもなく、実は感謝の場である」という
ことに気がつくことです。

 例えば、自分の会社が倒産し、職を失ったとします。その場合に、「自分はこういう状況に耐えて我慢し続けることで人生上の修行をしている。ここで耐えなければ意味がないではないか」と
考える人がいてもおかしくありません。しかし、そのように考えている間は、その現象は自分にとってつらいものでしかありません。

 認識力が上がると、このように考えることができます。「もしかすると、この現象は私にとって喜びなのではないか」と。
意志の強い人は自分で会社を辞めることができますが、心優しい人ほど、自分の会社と縁を切って辞めていくということができません。
「あなたは本来、そういう会社でそういう仕事をしている場合ではないのですよ」という宇宙の意志がある場合、生まれる前にそのように自分で
シナリオを書いて、会社を辞めて今の仕事をすることになっていたのだな。しかも、今の仕事のほうが自分にとってはとてもうれしく、楽しく、幸せなことだ」
と思うことができます。

 同じ現象について、第1段階ではつらく悲しいことを我慢するという立場でした。
第2段階では、これが自分にとって喜びであり、幸せに考えるというものでした。
そして、認識力の一番奥にある第3段階の考え方は「この世は感謝の場なのではないか」というものです。

 会社が倒産したり自分が職を失ったりしたために、新しい仕事を探さざるをえなくなった結果として、天命・天職というものに
出会うことができた場合、「もし、あのまま会社が存続していたならば、心優しい自分は決してこの仕事を始めることがなかったであろう」
と思えるようになったとき、世の中が「感謝の場」に変わります。

 現象は何も変わっておらず、まったく同じことが起きています。その現象を、認識力の第1段階では「修行の場」としてとらえ、第2段階では
「喜びの場」ととらえ、そして第3段階では「感謝の場」としてとらえます。
 何回か同じ話を繰り返しますが、「感謝の場ととらえなさい」あるいは「感謝の場だととらえるべきだ」と言っているのではありません。

 この世を「忍耐の場」だと考えると思うよりも「喜びの場」だと思うことがより楽しく楽に生きられるのならば、そのように認識すればよい。
さらに、「喜びの場」というどころではなく「実は感謝すべきものに満ちている。この世は感謝ばかりではないか」ととらえることで自分が楽になるのであれば、
そのようにとらえてもよいと思います。

 現象は「ゼロ」。中立で色がついていません。それについて「修行の場」だととらえることも「喜びの場」だととらえることも、「感謝の場」だととらえることも自由です。
自由とは「自らに由る」と書きます。自分のとらえ方、認識の力がこの世の評価を決めるのです。


 『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』 小林正観 著

6529シャンソン:2016/02/21(日) 12:41:53 ID:isPDSdvc
  やっぱり!すべての宗教の根底は同じことを伝えている

 「人は問いを持つことで成長する。あなたが神に質問したことの答えが、日常のあらゆるものを
通してやってくる。質問する先(すべての創造主)を私は『アッラー』と呼ぶが、あなたが『宇宙』と呼んでも問題は無い」
という言葉を聞き、私はインタビューのはじめからイスラム教への偏見がかなり薄らいだのです。

 イスラム教の基礎となっている「アッラー以外に神はし」という表現も、そこだけ聞くと、他に神を認めない厳しい一神教と
思いますが「アッラー」という言葉の捉え方によって、印象が変わります。
 この聖職者の言葉通り、「アッラー」の感覚を私が「宇宙」と呼んでも構わないのだとしたら、アッラーはすべてのものを作った創造主
(大元)
のことであり、それを「光」と呼ぼうと「大いなる意志」「宇宙の叡智」と呼ぼうと自由です。ただ、「それ以外のもの」を信仰してはならない....
つまり神の名を装った偽物や、偶像や、まして、「我は神である」というような「人」を拝んではならない、ということだと捉えると、「アッラー以外に神はなし」に納得できます。

 実は私たちの中にも、神(宇宙)と同じエネルギーの一部が流れているので、「我は神」という表現もある意味では間違っていないと思います。
ですが、神のレベルのエネルギーと私たちのエネルギーは、要素は同じでも全体は違う.....たとえば海は水の一滴から成っているので、海と一滴には同じエネルギーが流れていますが、
かと言って「海=一滴」ではない、ということと似ていると思います。

 また、神が宿っていると思う「対象」を拝む偶像崇拝も、「形」があることで信仰の気持ちを持ちやすい人はそれでいいですが、信仰していているのはそのモノではなく、そこに宿っている聖なるエネルギー(神)
である、ということだと思います。.....というようなことをあれこれ話していたところ、「こうして神様のことをみんなで語ったりすること自体を神は喜んでいるし、これがすでに礼拝の一部なんです....」と言われ、またまた感心のため息だったのです。

 小学校のときの聖書の先生が似たようなことを言っていたなあと思い出し、宗教というのは、どんなものでもその根底は共通しているし、一部一部は真実を伝えている、でもそれが伝わる国の風土や文化や生活習慣によって表現が変わったり、強調する側面が違ったり...、
そして人間によってルール化された途端に、「本当に大事な部分」が曲がっていってしまう、ということを痛感しました。

     『出逢う力』 浅見帆帆子 著

6530シャンソン:2016/02/21(日) 17:33:38 ID:CcvFMbas
  他者のエネルギーを吸う人たち

 人のエネルギーを吸う人、それによって活力を得る人、という人がいます。
たとえば、あなたに嫉妬している人、張り合っている人、依存したい人、あなたの弱い部分を突きたい人など、
相手が意識的にそれをしていようといまいと、なにか思惑のあるエネルギーをあなたに向けてくる人がそれに入ります。
会った後に「疲れる」と感じるのは、まさにあなたのエネルギーが奪われているからなのです。

 反対から見れば、あなたをやりこめたり、頼ったり、批判したりすることで、あなたからエネルギーを奪って(吸って、食べて)いることになります。
実はこのような「人間である以上誰にでも起こりえるような感情」ではなく、もっと本質的に「エネルギーを吸う人、食べる人」というものも存在します。
そのような人たちは、見た目がおどろおどろしい雰囲気であったり、明らかに「魔界?」のようななにかを持っている人ではなく、ごく普通の人の中に紛れているものです。

 私の知人(Eさん)が、魔界から来たかと思われるようなNさんと知り合い、あるときから急激に仲良くなりました。
Eさんは、Nさんに気に入られたいばかりに自分を大きく見せ、Nさんは自分に向けられるそのエネルギーを吸い取って、ますますEさんを刺激するので、Eさんの振る舞いや向かっていく方向は
どんどん質の悪いものになっていき、結果的にたくさんの人たちがEさんから離れていくことになりました。

 ですがEさんは、Nさんの魔界的な要素にはまっているので、自分のエネルギーが吸われていることに気付いていないどころか、妙に高揚したり、楽しくなっているように感じています。
まるで(恐らく)麻薬のようなもの...その楽しさがどこか異様であり、まわりの人たちに違和感を起こさせる「似て非なるもの」なのです。
 もちろん、Eさん自身がそれを選び、そのエネルギーにふさわしい人たちと類友になっていくので、それはそれでいいのです。
ですが、ここまで急にエネルギーの質が変わることがあり得る、「人のエネルギーを食べる人」というのが明らかに存在する、というのを目の当たりにしたのでした。

 人のオーラやエネルギーが見える人たち(能力者)に言わせると、人のエネルギーを吸う(食べる)人は、その人のエネルギー体のようなものが相手にのび、相手のエネルギーを絞り摂ったり、
からめ取ったりする様子がはっきりと見えると言います。もちろんこれは番外編ですから、よくあることではありませんが、
それくらい、人から受けるエネルギーというのは強い、ということを、「会った後にいつも疲れる、モヤっとする」という感覚を無視せず、素直になることが大事なのです。

     『出逢う力』 浅見帆帆子 著

6531シャンソン:2016/02/21(日) 17:45:29 ID:CcvFMbas
 
  感謝の日々 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=278

6532シャンソン:2016/02/21(日) 19:17:44 ID:CcvFMbas

 科学者デーヴィッド・エヴァンズは、常勤または非常勤のコンサルタントとして、
オーストラリア温暖化対策事務所(現在は気候変動省)に11年間勤めたのち、2011年に、
地球温暖化が詐欺であることを世間に向けて大々的に公表した。エヴァンズは、地球温暖化現象に関する議論が異常な
状態に達していると語った。

「私は科学者である。かつては炭素という儲け話に乗っかっていた。今は証拠について理解できている。かつては警告者だったが、
今は懐疑論者だ」。炭素ガスを近年の温暖化の主な原因とする考えはすべて「推論に基づいたもので、1990年代に実証的証拠によって
誤りが証明された。しかし、この儲け話はあまりに多くの仕事、産業、商業的利益、政治キャリアをもたらした。さらには、世界政府とそれに伴う
完全な管理社会を生み出す可能性」。

 これが、地球温暖化というウソのもうひとつの理由だったのだ。「問題を解決する」ために世界政府が必要だと正当化したいのだ。
詳しいことはあとで述べるとして、ビッグ・アルを気候カルト教団の教祖に仕立てあげた本当の理由はこれだったのだ。
 エヴァンズによれば「各国政府と言いなりの気候科学者たちは今、炭酸ガスが危険な汚染物質だという作り話を維持しようと躍起になっている」。

温暖化が間違いだという圧倒的な証拠があるのに、彼らは認めようとしない。2000年から2011年にかけてNASAの人工衛星が収集したデータは、偽物の
「コンピューモデル」の予測よりはるかに多くの熱が地球の大気から放出されていることを明らかにした。

 『ハイジャックされた地球を99%の人が知らない』 デーヴィッド・アイク 著

6533シャンソン:2016/02/21(日) 20:05:24 ID:CcvFMbas
1416 :うのはな:2012/01/21(土) 17:00:47 ID:El6gIMAw
  経営は、損得で判断するのではなく、善悪で判断することが大事。
 
 企業を経営する場合、損得で判断するのが、一般的だろう。しかし、稲盛は
「善悪で判断することが大変に大事だ」と話している。その善悪というのも、自分にとって
善いか悪いかということではなく、「人間として、善いか悪いか」を考える。
それはとりもなおさず、子供の頃に親や先生に教えられた「人を騙してはいけない」
「嘘をついてはいけない」というようなプリミティブな人間として守らなければいけないことを判断の
基準とすることだ。

 稲盛は「経営の最高幹部でも、非常に幼稚そうに見えるそうした規範をないがしろにして、
判断を誤ることが非常に多い」として、「人間としてベーシックな倫理観を身に付けておくこと」の
重要性を訴えている。

稲盛和夫氏 日本記者クラブでの講演

1417 :うのはな:2012/01/24(火) 17:16:40 ID:El6gIMAw
『パパ、お月さまとって!」エリック・カール 訳 もりひさし

 お父さんが娘に読み聞かせをしてほしい一冊

「お月さまとって!」という素朴で無茶な娘のお願いを、叶えてくれるパパ。
パパがもってきた長い長いはしごや、高い山の頂上にはしごを立てて登るところ、
そして大きなお月さまとの会話に、ページの枠を越えた仕掛けが....。
はじめて私の子どもにこの絵本を読んだとき、驚きと喜びの表情を見せました。
月や星に興味を持つきっかけにもなる絵本です。パパの膝の上に娘が座って、パパと
娘のファーストブックにいかかでしょうか。

 絵本ナビゲーター 荒木真紀さん 白鳩 2012/2

6534シャンソン:2016/02/21(日) 20:30:03 ID:CcvFMbas
493 :うのはな:2011/07/14(木) 16:26:39
 白鳩 創刊の辞 谷口雅春 先生

 生命の在るところ必ず道がある。生命とは道であるからである。
 それは一切所に満ち充ちているからコレだと云って凝縮して見せ得るような形はない。
 併し生命を吾々が宿しているとき、各々の生命の顕現の位置に従ってその道の
 顕れかたは異なる。亭々たる松の樹の伸び方には松の樹にあらわれたる生命の道がある。
 聱牙として磐屈する梅の古木には梅の古木としての道がある。
 或いは絢爛なる桜の花、或いは純潔なる百合の花、或いは触れば散らんばかりの
 芥子の花、或いは濃艶情趣をしたたらす牡丹の花、皆それぞれに道がある。
 道は形なく一つなれども、その顕れは無限である。
 男性には男性の道があり、女性には女性の道がある。
 ひっくるめて人のみちを守ればその儘で人生は幸福だと云うことはできないのである。
 人のみちも一つにして同時に多くに分れているからである。私は『生長の家』に
 於いて、男性にも女性にも子供にも大人にも老人にも当て嵌まる総括的な人の道を説いて来た。
 男性にも女性にも子供にも読まれる一般の雑誌に於いては特に女性にのみに
 関する特殊の道を説くことが出来なかった。『白鳩』に於いては特に女性のみに読まれる女性の
 道を説いて行きたいと思う。人生は男性と女性によって成っているから、女性の天分が発揮せられ
 ないとき、不幸となり暗黒となるほかはないのである。
 これを指導し補導し育てて行くことは人生光明化の偉大なる仕事である。
 この意味に於いて吾らの婦人部白鳩会から、女性専門の『白鳩』が発行されると云うことは
 意味あることである。女性の天分は、愛と美と優しさと純潔とですぐれている。
 その意味に於いて、『白鳩』は女性のシンボルである。併しこの雑誌はただの
 知識や教養を与える単なる雑誌としては終らせたくない。
 日本に於いて最初に起った真の女性運動の(今迄の女性運動のように男性の圧制に対する反動的ではない)
 機関として、女性的天分の愛と美と調和と平和と優しさとを拡大していく實際運動の機関として
 連絡者として此の雑誌の使命を持つものである。
 男性の専制に立ち上がっても、女性は真に幸福にならないのである。
 吾らの使命は女性がより多く女性であるが故に、男性が専制になろうとしても
 専制になり得ないような大調和の世界の創造にある。
 数は力であるから隣近所のすべての婦人の参加と協力とを薦めて頂きたい。

  
  昭和11年3月7日  光明思想普及会発行   定価二十銭

6535シャンソン:2016/02/21(日) 22:36:27 ID:CcvFMbas
    国民の苦しみを肩代わりした昭和天皇の生き方

 昭和20年8月30日、ダグラス・マッカーサー元帥が日本に降り立ちました。
終戦後、GHQの最高司令官として日本の占領政策を進めるために来たのです。
 約1ヶ月後の9月27日に昭和天皇が会いに来るということになった。
マッカーサーは、どうせ命乞いに来るのだと思って、自分の部屋でコーンパイプをくゆらせて
足を組んで待っていた。迎えには出なかったそうです。

 昭和天皇は燕尾服を着てやってきて、「マッカーサー元帥、お願いがあります。ここに皇室の財産目録があります。
私の命とこの財産目録を差し出しますから、日本国民のためにアメリカから食糧を送っていただきたい」と言ったそうです。
 マッカーサーは驚いた。今までいろんな人に会ってきたけれど、命乞いするとか亡命をするという人ばかりであって、自分の命を差し出すという
トップの人には一人も会ったことがなかった。

 それで大変驚いたのだそうで、話をしているうちに、この人はポーズで言っているのではなくて、本当に心からそういうふうに言っているのだと思ったそうです。
命も本当に差し出し、財産目録も本当に差し出している。その財産目録を見たら、細かいものまで全部載っている。昭和天皇が本当に誠心誠意対応したということがわかり、マッカーサーは本国に
連絡して、子供用の食べ物、特にチョコレートやチューインガムを大量に送らせました。
そして、届いた食べ物を米兵を使ってどんどん配り始めた。あのチョコレートを配っていたのは米兵の厚意ではあるけれど、実はその根っこには昭和天皇の一言があったのです。
マッカーサーが要請して、食べ物が来たのですが、その根底は、日本国民に食べ物を与えてほしい、もっと多くのものを取り寄せてほしいと言った昭和天皇の言葉だったということなのです。

 マッカーサーは、その人格に打たれて、昭和天皇が帰るときには玄関まで見送ったそうです。
そして、昭和天皇の車が出て行くときに、敬礼をしたという話が残っています。別に私は昭和天皇や天皇家を礼賛しているつもりはありません。
ただ、人間の意識として、自分の命を助けてくれ、なんとかしてくれというのとは違うところに意識を持っていく人がいるということ。
人間には、そんなことが可能だということです。

 1月1日、天皇陛下は東西南北四方に向かい、正座をして、お祈りをするそうです。
「今年この国に災いがあるとしたら、まず私の体を通してからにしてください」。これを四方拝といいます。
天皇家というのは、それを毎年繰り返しながら、100代以上にわたって生きてきた家系だそうです。

 この話を最初に聞いたのは、2010年6月30日、伊勢神宮での「ありがとうお礼参り」のときでした。、
そのときすでに私は糖尿病で肺に水が入るという状態でした。2009年10月末に発病して入院をしてから合計7回入退院を繰り返してきて、
その途中で、この病気が治らなくてもいいけど治ったほうがいいという気持ちもありました。

 ところが、この昭和天皇の言葉を聞いたところから、頭の中がカチャカチャと動き始めました。そして1年経って、ある結論に至りました。
私はどの友人の顔を思い浮かべても、この人のためだったら、少しずつ災いをいただいてもいい、片代わりをしてもいいと思える人たちばかりだったのです。
この人の肩代わりはいやだという人が一人もいなかった。その人たちのために私の病気が進行するのであれば、それでいいという結論になりました。

 天皇陛下のように、国民すべてありとあらゆる人の災いを自分が一身に背負いますというところまではいっていませんが、天皇家というのは、そういうことを言い続けてきた
家系である。そして災いを一身に浴びて、背負いきれなくなって亡くなると、それを皇太子殿下が受け継いで、また災いを一身に浴びて死んでいくという、そういう家系だったということです。
聞いた話では、天皇陛下と皇太子殿下がヒソヒソと話をしている場面というのが結構あるそうですが、侍従長さえも、なんの話をしているのかはわからないそうです。

 天皇から皇太子にだけ教えていることがある。四方拝もどうもそうらしく、わが身に全部降らせてくださいというのは、ほかの人には一切知らせず皇太子にだけ教えていくらしいのです。
それが漏れ伝わってきたのはありがたいことで、それを活字にして書いてしまっていいのかなというところはあるのですが、人間の魂がここまで崇高なところに行くことができる実例として、どうしても紹介したくなりましたので、
書くことにしました。

(つづく)

6536シャンソン:2016/02/21(日) 22:41:11 ID:CcvFMbas
>>6535

 天皇はありとあらゆる国民の肩代わりをしてもいいと祈るわけですが、私は自分の親しい友人の一部を肩代わりするのがやっとです。
でも、この人のために肩代わりするのはいやだと思う人は一人もいませんでした。みんないい人で、私にとっては大事な友人です。
いい友人でいてくれて、みなさん、ありがとうございます。

 そのように考えられるようになると、自分が楽になります。病気がつらいもので、苦しいもので、悲しいものだという概念がなくなりました。
治そうとか、治さなくちゃいけないとか、なんとか生き延びるぞというのは、全然ありません。
病気の治療や改善のために人から言われた好意と善意のアイデアや提案は全部受け止めますが、治りたいという執着はありません。
治ってもいいのです。これがどんどん悪化していって命にかかわっても、全然なんでもないという心境になることができました。

 天皇陛下のレベルまで行けるかどうかはわかりませんが、人間の魂というのは、そこまでは行くことができるようです。

  『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』 小林正観 著

6537シャンソン:2016/02/21(日) 22:47:06 ID:CcvFMbas
   伝統板・第二 より転載

<関連Web: 何故『人間死んでも死なぬ』を書いたか
        『生長の家』誌 13年5月号
        (2月27日 日曜日 本部道場に於ける講話) より

       (谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐
         → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=71 )


               <感謝合掌 平成28年2月21日 頓首再拝>

6538シャンソン:2016/02/22(月) 00:42:28 ID:uRjsdY26

 唯神實相哲学を学ぶ女性のための掲示板 デビュー(笑)
 つづきは、のんびり書かせてもらいます。
 合掌 ありがとうございます。シャンソン拝。
 http://bbs6.sekkaku.net/bbs/?id=umenohana&mode=res&log=6

6541うの観音:2016/02/22(月) 17:45:57 ID:EmFyh7HY
>頭が痛くてしょうがないから、どこか悪いのかと思って、病院へ行き、頭を CTスキャンで診てもらったり、体も診てもらったり、詳しく調べてもらったが、どこも悪くないという。だけど、頭が痛いんですよ、なんだか、寝ても覚めても、頭の中が、わ〜ん、わ〜んと痛いんですよね。」

 これが「新経本」のせいなら、傍流で私に「きょうはうのはなさんのために
観世音菩薩讃歌をあげます」合掌 ありがとうございます。管理人軽薄男は、
うのを病院送りにした張本人なのですね!

 コメント版なんかも誰の提案でもないのに勝手に作って
頭痛のタネになるような人たちを誘導しています。
 しかし観世音菩薩讃歌・ポルトガル版発祥の地を訪問ルポ創作物語を
考えてる私は、広報・クロスメディアの批判だけは正々堂々とするトキさんより
元気そうだ。

6542転載:2016/02/22(月) 18:05:25 ID:EmFyh7HY
『夫婦関係が引き起こす病(1)〜本当は怖い妻の小言〜』
Y・Jさん(男性)/50歳 会社員
今から22年前、才色兼備のお嬢様に一目惚れしスピード結婚したY・Jさん。
しかし結婚10年目になると、景気が傾き仕事のことで頭がいっぱいの夫と、
子供の教育問題に熱心な妻との間に 意識のズレが生じ始めます。
すると、夫婦の会話を避けるようになった夫に対し、
妻は何かにつけて“小言”を言うように…
家から足が遠ざかり 毎晩のように深酒を…
妻が眠った頃を見計らって帰宅しても 妻は小言を…
さらに、妻に内緒で転職し、以前に比べて給料が減ったことを
責められると、夫は健康診断で高血圧症と診断されてしまいます。
そして結婚から20年経ち、
例によって妻にしつこく小言を言われ、ほろよい気分のまま就寝した夫。
ところが早朝4時頃、突然、胸の鼓動が激しくなる
動悸と息切れを感じ、動くことすらままならなくなります。
しばしば動悸や息切れを感じるようになったものの
しばらくすれば治まるため放置してしまいました。
動悸や息切れを感じるようになって2年 出張から帰宅した翌日
妻から長時間の小言にへとへとになった時 
いつもとは違うレベルの激しい動悸と息切れに襲われ救急車で病院へ

1)動悸・息切れ
2)激しい動悸・息切れ
病名 ⇒ 心房細動

6543シャンソン:2016/02/23(火) 11:25:22 ID:s2d.0xRQ
 トキ管理人様へ

 トキさんは訊け氏の提案によって本流移転版をつくろうかつくっても逆効果だと思うといっていました。
けれど、訊け氏の指図に従ってつくっています。
 そして本版の投稿を移転版へ移すのかなと思っていると
専用版に移動だせたりしています。

 傍流の専用版は何のためにつくったのか、教えてください。

6544迷惑老人へ:2016/02/23(火) 11:28:58 ID:s2d.0xRQ
>>6542 コメント版の暇つぶし老人へ

 これは主婦の事件簿みたいなブログからの転載で、
 あなたに関係ないですよ。勝手に読み違えて勘違いしないでください。

6545迷惑老人へ:2016/02/23(火) 11:29:49 ID:s2d.0xRQ

*コピペなども自由です。
*法律や社会常識に反しない限り、原則、投稿は自由です。
*この板の投稿について、それ以外の人は反応する義務を負いません

6546転載:2016/02/23(火) 14:00:18 ID:s2d.0xRQ

傍流運営版でも気持ち悪い老いらくの恋メールがありましたが、
 これが有名な未亡人スパムメールです。
 http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BC%E7%BF%CD%A4%AC%A5%AA%A5%AA%A5%A2%A5%EA%A5%AF%A5%A4%A4%CB%BB%A6%A4%B5%A4%EC%A4%C61%C7%AF%A4%AC%B2%E1%A4%AE%A4%DE%A4%B7%A4%BF

6547シャンソン:2016/02/23(火) 19:45:27 ID:mDB99z32
     「神さまの承諾」のないことは起きない

 そもそも、宇宙には、<正しい・間違い><良い・悪い>という事実は存在しないのです。
<神さまは、承諾したことしか起こさない>。起きてくること、存在するものは、すべて神さまによって
承認されていることらしい。

 例えば、何か悲惨な事件が起こったとします。そのとき「こういう悪い人が世の中にいる。あんなひどい事件もシナリオの一部と
して認めなければいけないのか。あんな残虐な犯人でさえも認めなくちゃいけないのか」というような質問をたびたび受けます。
この部分はとても重要ですが、「残虐でひどい事件があるじゃないか」と怒りの感情を抱いた瞬間に、その人の中に犯人に対する憎しみが湧いています。

 仮に、そういうニュース報道を見て、1000万人が憎しみの心を持ったとします。
それを一番喜んでいるのは、誰だと思いますか?
<悪魔という存在>が一番喜んでいます(ここでは、わかりやすく説明する上で、あえて〝悪魔〟という表現を使わせていただきます)。憎しみが湧いた人を、悪魔は自分の手の中に落ちたと思うようです。
1000万人の心の中に憎しみや怒りをかき立てることになったのですから、憎しみの延長線上に争いが生じるのです。

 反対に、悪魔が一番つらい状況とはどういうものか。
それは、悲惨な事件を見聞きした人が「あー、こういうことが世の中にあるんだ。じゃあ、私は、たとえ悔しさや憎しみを感じたとしても、絶対に人を殺したりはしない。そういう行動には出ない」と多くの人が固く決意する。
これは、悪魔にとっては、地団駄踏んで悔しがることなのです。

 私たちは、残虐な事件が起きたとき、その犯人を憎むという形をとって人を糾弾する側に回ります。
なぜなら、多くの人の心がそういう方向になりがちだからです。
 いつの間にか、自分のほうが正しくて、この犯人が絶対に間違っていると判断してしまいます。
憎んでも糾弾してもかまわないと思ってしまう。

 しかし、その事件について、「こんなひどいことがあったじゃないか」と怒った瞬間に、ニッコリ笑っているのは、神さまではなくて、悪魔のほうなのです。
私たちは、自分の狭い価値観で、目の前にある矛盾とか、社会の歪みを論じてしまいがちですが、「人間は、神さまと同じ価値観なのか、同じ寛容度なのか」と言われたら、違います。
きっと、神さまよりも器は狭い。その狭い度量の人が社会現象を糾弾しても、意味がないのです。
 私たちは全知全能ではない。
私たちには、わからないことが多すぎます。どんな状況で一人ひとりが生きているのかは、わからない。人には必ず様々な事情があり、悲しみがあるのですから、評論家になるのはやめて〝私〟がいかに〝実践者〟として
生きるか、を考えることにしませんか。

 そういう事件を見聞したときに、事件や人を憎まないということを毎回毎回、訓練しているんだ、ということです。
<神さまの承諾のないことは起きない>存在することは、すべて神さまによって承認されている、ということなのです。

   『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』 小林正観 著

6548シャンソン:2016/02/23(火) 22:39:59 ID:pa63i/y6
     神さまが喜ぶ「おかげさま」の発想

 講演会のあとで、こんな話をされた方がいました。
夫は長距離トラックの運転手で、自分は看護師をしているので、週に2日は夜に子供たちだけで留守番をしている。
泥棒や火事が心配なので、どちらかが仕事を辞めたほうがいいだろうか、というものでした。
ただ、住宅ローンを返しているのでどちらも簡単には辞められない、といいます。

 これまでお子さんたちだけで留守番をした日は、3年間で300日を超えているということでした。
「では、その300日が無事だったことに対して、神さまに感謝したことがありますか」と尋ねると、その方はいきなり泣き出しました。
そのようなことは考えもしなかったし、感謝をしたこともなかったそうです。

「今日から手を合わせて感謝します。帰ったら子供たちを思い切り抱きしめてあげたい」と言われました。
当たり前だと思っていることが、実は当たり前ではないのです。何事も起きず、平穏無事に過ごせることが、どれだけ奇跡的なことか。
そのことには感謝せずに心配ばかりしていると、宇宙はさびしくむなしい思いをするようです。

 宇宙は感謝をされなくても私たちに罰を与えたりはしませんが、「それなら自分で勝手にやれば」と言って、味方をしてくれなくなるのかもしれません。
私たちは人間として生まれる前に、鉱物、植物、動物、雲としての生まれ変わりをそれぞれ10万回経験するのだそうです。
そして人間として10万回生まれ変わったあと、肉体を持たなくなり、神さまになるようです。
神さまの中での最下級生が守護霊(おかげさま)です。

 この世に生きている私たち一人ひとりには守護霊がついていて個人指導をしています。
守護霊というのは、まだ人間であった時代に「私」の親や配偶者として、またあるときは子供として何度も人生をともにし、
「私」の魂を好きでい続けてくれた魂です。そして、神さまになったときに「私」の守護霊となって、人生のシナリオのとおりにことが
進んでいくように、あちらこちらの人に交渉をして働いてくれます。

 その守護霊がシナリオのままに舞台づくりをしてくれているにもかかわらず、不平や文句を言い続けていると、守護霊はとてもつらい思いをします。
ある人の話では、守護霊は遠くに行って膝を抱えてしょんぼりしてしまうそうです。
その離れた守護霊を戻す方法は、「ありがとう」を言うこと。これは声に出して言うことが重要です。心に思っていても声に出さなければ「実践」になりません。
私たちは自分の力で生きているように思いがちですが、人間の力などはないに等しく、すべて目に見えない「おかげさま」や神さまたちの力によって生かされているようなのです。

 『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』 小林正観 著

6549シャンソン:2016/02/24(水) 10:01:27 ID:YpFZqr9s
2002 :うのはな:2013/03/10(日) 10:32:54 ID:CYskCtAE
。(2012年10月)


彼岸会法要は日本独自のものであり、現在では彼岸の仏事は浄土思想に結びつけて説明される場合が多くみられる。

浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。

春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。

もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいている。心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようだ[誰?]。

しかし後述のように、天皇の詔として始められた行事であったが、いつの時代も人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至った。

彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」から来ているとも言える。日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのである。仏教語の彼岸は後から結びついたものであるという説(五来重による)もある。

6550シャンソン:2016/02/24(水) 10:11:30 ID:YpFZqr9s
2300 :トキ:2014/02/28(金) 14:03:09 ID:RQOZFu86>>2283~2293

 うのはな様の同じ内容のご投稿が数秒間隔で、異なるIDからご投稿
されています。分身の術ですね。感心しました。

2301 :神の子燦燦:2014/02/28(金) 15:16:19 ID:???うのはなさんの分身の術ね〜? だいたいいつもIDが違うのでなんだろうなーと思っていたけど
こんな方法でのアクセスしか出来ないとは、なんか胡散臭いかんじの人ですな〜。

以前10年くらい前になるかな。自分の発信地を解らなくしてアクセスするソフトがあり
それを使うと世界中の違った場所のパソコンを経由してできるものがありましたね。
それも毎回。たぶんそうゆうソフトかアプリを使っているのだろう。

怪しいサイトに行くときに使うと便利なんだよね。なぜって追跡ができないから。

2303 :うのはな:2014/02/28(金) 18:48:54 ID:pmsOSITA>たぶんそうゆうソフトかアプリを使っているのだろう。

 いいえ。そういうソフトかアプリは使っていませんよ(笑)
 でもせっかく貧弱な想像力で邪推を楽しんでるのを邪魔したくないので
 事実は伏せておきますね(笑)

6551シャンソン:2016/02/24(水) 10:16:35 ID:YpFZqr9s
1161 :トキ:2013/03/04(月) 10:25:24 ID:.x.pbmJs おはようございます。朝起きたら、多数のご意見を頂戴し、深く感謝申し上げます。
ご紹介の部分はいわゆる傍論に当たる部分でした。もちろん、本論はたいへん量が多く、
また内容も深く、私が紹介できるようなご講演ではなかったのですが、以下、概略を
申しあげます。(「一白鳩会員」のノートによる)

 昭和44年の「詳密講習会」での谷口雅春先生のご指導は以下の通りだったようです。

 本日、集まった皆様は、人を導く立場にいる人です。その事を前提にした、御伝えします。

 人を導く、と言っても、相手の信仰の程度はいろいろな人がいる。つまりかなり宗教的な
素養が深い人ばかりではなくて、まったく神様を信じない人もいる。しかし、そういう人達
の意見も尊いのです。

 お釈迦様は、最初、王族として生まれて、人生のいろいろな矛盾に悩まれて、その末に出家
をされ、ついに悟りを得られた。(ここで、釈尊の御悟りの内容と生長の家の縦の真理と横の
真理を書かれています。)

 このお釈迦様の御悟りを見ても分かるように、現象のいろいろな事を悩み、苦しむ人も本質
は神の子であるから、そういう事で生長の家に反発している人こそ、本当は真理へ向かっている
人である。皆様は、人を導く立場にある人ですから、その事をしっかりと認識して下さい。

 昭和44年の行事ですから、参加者の相当数の方は亡くなられ、またはご高齢になられている
ので、この講習の内容を知る人も少ないとは思います。が、私は、こう感じました。

 以上、ご返答に代えて、申しあげます。今、時間がないので、短い文章になり、ごめんなさい。

6552シャンソン:2016/02/24(水) 10:19:44 ID:YpFZqr9s
1168 :goro:2013/03/04(月) 12:21:28 ID:nCo1DokUトキ殿
貴方は何の意図があって、ハラワタをえぐり出すような酷いことを書くのか?

1169 :トキ:2013/03/04(月) 12:39:47 ID:.x.pbmJs>>1168

goro様

 ご投稿を拝見し、たいへん驚いています。私の意図は書いた通りです。それ以外、何もありません。
削除要請も、goro様の意図や意思が分かりません。

 詳密講習会は、当時でも3000名程の参加者があったみたいです。そういう公の場でのご発言を引用した
事が問題だとは考えていません。

 争いは好みませんから、一時、投稿の発表を停止しますが、私はgoro様の要求には、掲示板の規約上も
御答えする義務はありません。ご理解下さい。

合掌 ありがとうございます

1170 :goro:2013/03/04(月) 13:16:55 ID:nCo1DokU確かに詳密講習会での御発表の内容でしょうが、それはその時の尊師のお気持ち(お話しの目的・意図など)や
会場の雰囲気まで、文字で書き写すことは正確にはできません。尊師のお話しの内容について、
アナタがどのように受け止めておられようと、それを発表されることが、その時の尊師のお気持ちまで
正確に理解されて文字にされているとはとても思えません。公表されていることとはいえ、お身内の
微妙な問題を第三者であるアナタが、発表するということは倫理的にも大きな問題があると考えます。
掲示板の発表内容についての、規約とか義務以前の問題があると思っています。
尊師に対する尊敬や、御身内に対する惻隠の情というものはないのですか?

6553シャンソン:2016/02/24(水) 10:59:57 ID:YpFZqr9s
2061 :HONNE:2013/12/04(水) 19:04:10 ID:jtmmmlXY私の見ている生長の家というか、大切に思っている生長の家は、
下記の雅春先生の書かれたところのものです。
見ているものが違えば、話はかみ合いません。
ましてや、和解云々の範疇ではありません。
生き方が違うのです。


 そもそも生長の家の発祥が、兵庫県の住吉村八甲田に住んでいた私が、毎朝からだを禊してから近くの本住吉神社にお参りし、日本国の隆昌と皇室の弥栄のために祈っていたとき、霊感を頂いたところにあるのである。
 そして昭和8年、東京における第一回講演会の演題が「中心(すめろぎ)に帰一する道」であり、東京に本部道場が開設されて最初の十日間の講習会で連日『古事記』『日本書記』に基づく日本の話をし、現世利益・病気なしの話を第一義に期待し求めて来た受講者が驚嘆したものだ。
 (谷口雅春著『国のいのち 人のいのち』P4 はしがきより)

2062 :元本部職員:2013/12/04(水) 20:01:18 ID:???何回も何回も同じことを書くのはそろそろ終わりにしたいが・・・

大調和の神示(和解の神示)を護らない人が総裁になっているから今の争いが
おきているんですよ。至上者の自覚があれば、すべては自分の責任であると思い反省されるでしょう。
しかし、反省などしない。
裁判を指示して、さらに裁判を起こす。しかし、自分は人影に隠れてしまう。

ご兄弟を「意見が合わない」として追放して、さらに母親にも兄弟が面会できないように見張りを立て
防犯カメラを二台も設置する。秘書には防刃チョッキを着させ盾にして自分を護ろうとする。

教えを護らず自分を護る。

和解の道をふさいできたのが現総裁なんですよ。

そんな総裁がいるから信徒は分裂してこんなのや、あんなのやと掲示板が出来てしまったわけですよ。

そんないきさつが呑み込めないで同じことばかり言っても、誰も真剣には答えてくれないでしょう。
もうあきらめて退散したらいかがですかね。

現象を裁いているときに実相論を盾にしてもお話にならんのですよ。
ここはそういう場所でしかないわけですから、家で神想観を実修しているほうが神と共に生きる自覚が得られて
良いと思いますよ。そろそろ気が付いてくださいな。

6554シャンソン:2016/02/24(水) 11:09:03 ID:YpFZqr9s

 下北沢の室戸岬
 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=795

6555シャンソン:2016/02/24(水) 11:19:51 ID:YpFZqr9s
 亀の子様に、、 光明掲示板第二 から
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=552

6556シャンソン:2016/02/24(水) 17:13:03 ID:XB2wM7u.
     ソクラテスが達した「神のみぞ知る」の境地

 世界の3大悪妻というのがあるそうで、ソクラテスの妻・クサンチッペ、モーツァルトの妻・コンスタンティン、ナポレオンの妻・
ジョセフィーヌの3人ということになっています。その中でも、クサンチッペは夫に対して積極的にひどいことをしたナンバーワンです。
古代ギリシャの哲学者であったソクラテスは、いろいろな話をしても報酬を受け取らなかったので稼ぎがありませんでした。

 その稼いでいないソクラテスが、ある日、夜に弟子たちと外でしゃべっていて、夜中に帰ってきて、家の扉をドンドン叩いた。すると2階の小窓が
開いてクサンチッペが上から水を浴びせかけた。それを見た弟子たちが驚いてクサンチッペは悪妻だというのが伝わったそうです。
 妻は、朝起きて勤めに出て、稼いで帰ってきて、疲れ果てて寝ている。それなのに稼いでいない夫が夜中に帰ってきて叩き起こされたら、腹も立ちますね。

 ですからソクラテスにも非があるのですが、弟子たちが「ひどいことをしますね」と言うと、ソクラテスは笑ってこう言った。
「カミナリのあとには雨が降るものだよ」それで多くの弟子たちは、あんな妻ではなくて、もっと心優しい妻を娶ってはどうですかと進言します。そのときのソクラテスの一言。
「優しい妻を娶った男は幸せになれる。クサンチッペのような女を娶った男は哲学者になれる」

 私は哲学者になるよりは幸せ者になるほうが好きですが、とにかくソクラテスは受け入れる人だったということです。
ソクラテスの言葉というと「無知の知」が有名です。「私は自分が知らないということを知っている」ということで、ソフィストと呼ばれる当時の哲学者たちに対して、「あの人たちは知ったようなことを言っているけれども、
私は自分が何も知らないということを自覚している」と指摘し続けていった。

 その結果、ソクラテスはソフィストたちから恨まれて、憎まれて、結局、死刑ということになり、牢獄に入ります。
当時は牢獄の番人になにがしかのお金を渡すとそこで脱獄ができて、そのまま国を捨てて亡命するというのが、だいたいのならわしだった。
ですから気軽に死刑を宣告することもできたわけです。ソクラテスも弟子たちに逃亡を勧められたのですが、彼は「そういうことであれば、私は運命を受け入れる」と言って、
クサンチッペを受け入れたのと同様に、その死刑も受け入れてしまいます。

 そして、いよいよ死刑という日の直前に自ら毒をあおります。弟子たちの前で毒をあおり、それを書きとめなさいと言って、「今、毒を飲んだ。足の先の感覚がなくなった。でも私はここにいる。私は私のままだ」
「手の先の感覚がなくなった。でも私はここにいる。私は私のままだ」「舌先が痺れてきた。話すことができない。でも私はここにいる。私は私のままだ」「心臓が止まりそうだ」というふうに実況中継していった。
そうやって弟子たちの前で死んでいったそうです。ソクラテスは一言で言うと、「受け入れる人」でした。

 私も運命と闘うことをやめたほうが人は楽になる、受け入れたほうが楽であると思っています。
今、私は眼底出血ということで、目の中に出血があって、眼科で診てもらうと右目の中が血だらけだそうです。右目はほとんど見えない状態ですが、左目が見えているので、なんとか生活はできる。ただ、両目が見えないとバランスが取れないので
歩くのに支障があります。両目が見えていて初めて奥行きが出て、立体感があるのですが、左目だけで見ていると立体感がなく平面に見える。片目だと距離感がなくて、うまく奥行きがつかめないのですが、これはこれです。

 右目が見えないことを嘆くよりも、左目が見えることを喜んだほうがいい。右目が見えないということはつらく悲しい話になりますけど、左目が見えるということは喜びになります。
左目が見えるので、歩くこともできるし、食べることもできる。そうやって考えると、左目が見えるということを肯定することになります。
右目が見えないことを否定的に言うのではなくて、左目が見えることを肯定的に言ったほうがいいということです。

 ある事業をやっている人で喘息の人がいました。咳をするたびに体力を消耗してとてもつらい。
3年間で喘息がずいぶん悪くなって、1日に4時間しか寝られないのだそうです。
夜、横になっても、4時間後には咳で目覚めてしまう。4時間以上ぐっすり寝られたことがない。2時に寝たら6時に、12時に寝たら4時になると
激しく咳き込んで起きてしまい、吸入器を使ってやっと助かるという話でした。

6557シャンソン:2016/02/24(水) 17:17:08 ID:XB2wM7u.
>>6556

 ところが、この不況の時代にあって、その人はこの3年間で自分の会社の売上を1億円から2億5000万円にまで伸ばしたそうです。
2・5倍にした。ですから事業は非常に順調にいっているわけです。そこで私はこんなことを言いました。
「もしかすると、その3年間、事業が順調にいって売上が上がるということの代償として喘息になっているのかもしれない。咳の一つが1000円の売上。ゴホッ、ゴホッ、これで2000円、ゴホッ、ゴホッ、ゴホッ、
これで3000円、売上が上がったと考えたら、売上が連動しているのかもしれないと考えてみたらどうですか」

 そうしたら、3年の間にその喘息の状態が悪くなっているのと売上が伸びているのがちょうど対応しているということで、そうかもしれないと思えたのだそうです。
それで咳が出るたびに一つずつ。「あ、これで売上が上がってくれているのかもしれない。ありがたい」と思えるようになった。すると、そう思うようになった翌日は4時間で目覚めなかったそうです。
6時間も寝ることができた。しかも、起きたときにはいつもは痰がすごく出るのが、その日は半分だった。何日かそういう日々が続いたあと、ついに8時間とか10時間とか寝られるようになったのだそうです。

 現象は何も変わっていないし、体も特に変わったわけではありません。ただ、思い方、とらえ方が変わっただけ。
その喘息がつらいもので、苦しいもので、いやなもので、と思っていたときは、4時間で起きて必ず咳き込んでいた。
けれども「喘息さん、ありがとう」と言って、喘息のおかげで事業がうまくいっていると考えて、咳が出るたびに「ありがとう、ありがとう」
「ああ、これで事業もうまくいって、従業員も食べさせてあげられる」と思うようになったら咳で起きなくなった。面白い話です。

 肯定的であることは、いろいろなものを変えていくようです。
ですからソクラテスのような考え方というのは面白い。どんな妻でもいいのです。哲学者になれるのですから。
「神のみぞ知る」というソクラテスの口ぐせも、それを物語っています。

 『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』 小林正観 著

6558シャンソン:2016/02/25(木) 20:34:35 ID:a.Bo5NM.

772 :元本部職員D:2012/10/14(日) 15:09:23 ID:???○ 各種聖典ですが、本当に「焚書」の意図があったのでしょうか。

 わたしはあったと理解しています。当時の副総裁は現在の理事長(当時広報編集部長)磯部氏に
雅春先生聖典の中より、大東亜戦争について「聖戦」もしくはそれに類するご発言の書かれている本を
リストアップするように指示したようです。このことの根拠は、磯部氏の口から
「僕だってこんなことをやりたくてやっているわけではないんです。上から命じられて業務でやっているんですから」
と、重版保留計画が否決された常任役員会の昼休みに発言したことを複数の理事が聞いています。
私も上司や当時の理事さんから聞きました。磯部氏の上司とは言うまでも無く雅宣氏です。
 重版保留という言葉は何故用いられているかというと、そもそも日本教文社は谷口雅春先生の聖典を出版する使命を持って
設立された会社ですから、雅春先生の本を絶版にはさせないという社是のようなものが守られてきました。ですから
出版部数が落ちてきたら絶版にするというのではなく、重版を保留という形になっていたようです。
 重版は追加注文が500冊あれば採算が取れるといわれているので行事などでテキストとして決まれば
直ちに重版は可能となるからです。

 それでは、この社是のような事がどうして崩れたのかということです。それは「採算」の問題ではなく
「内容上の問題」という今まで無かった(ありえない)考えが示されたからです。それを示したのが谷口雅宣氏です。
丁度そのころから日本教文社に今までは無かった外部(本部)からの取締役が新たに加えられました。

 よく考えてください。日本教文社の生命線は谷口雅春先生の書籍です。それを社内の誰が絶版を進めるでしょうか。

 今回、その取締役会の内部事情がはからずも公表されましたが、谷口雅春先生の愛国書の内容上に問題を指摘されたという
「聖典」や新刊書の新たな発行を禁止する提案に対して取締役会では完全に賛否が別れたことが明るみに出ました。
私はこのときの様子を複数の社内取締役に後に聞きましたが、反対。つまり雅春先生の聖典を社是どおり出したいと意見表明した
メンバーはすべて日本教文社内部取締役であったそうです(1名は棄権されたとか)

 これで察しのよい訊けさんならばお分かりになられたと思います。

内容上に問題があると指摘した人。理事会で否決された問題を日本教文社の社内決定として強引に進めた人は誰なのか。
重版保留という曖昧な言葉を利用して事実上の絶版をすすめたのは、特定の権力を持った人以外に出来ないことは自明です。

○ 本当に左翼なんでしょうか。

 これは私は言いすぎだと思います。左翼的と思われていることは事実ですが・・・
これは、例えば先の愛国書の絶版問題もあり、また講話においても日本国の素晴らしさや天皇陛下のご聖徳を語ることが特定の場でしかないこと。
総本山の大祭における「特別誓願券」に各人が必ず記載する誓願文より「日本国の実相顕現」を削除し世界平和と置き換えたこと。などが
左翼ではないかと疑われる根拠になっていると思いますが・・・左翼というより戦後に多数育成された、根無し草的無国籍地球人だと思っています。
「アメリカを中心とした国際平和信仰運動」という言葉がよく出てきましたように、この方は国際連合的な平和運動をされたいのではないかとも思いました。

6559シャンソン:2016/02/25(木) 20:41:17 ID:a.Bo5NM.


773 :元本部職員D:2012/10/14(日) 17:26:54 ID:???ご参考*10月2日付け本部公式ページの見解の一部より

************************************************************************************************************************************************

議事録によると、第1号議案としてA取締役から「日本教文社書籍出版方針(主に外部出版)案について」が提案され、同提案に対して磯部取締役が意見を述べ、その中で「谷口雅春先生の旧神誌(会員向けも含む)に発表された原稿による新刊の出版には無理があり、原則として打ち切るべき」という提案がされました。
 この提案は当然、慎重を要するため、議事録にも「審議がやや紛糾した」とあり、中島氏の「陳述書」にも「日本教文社サイドの取締役から種々反対意見が出され議論が紛糾しました」と書かれています。この中島氏の陳述は重要です。つまり、中島氏は当該提案について自由、かつ活発な討論が行われたことを認めているのです。ちなみに、議事録によると、B取締役は「売上の減少につながるので反対」と述べています。その発言によって、B取締役が他の構成員から難詰されたり、批判されたりしたことなどなく、むしろ「明確な意見」として尊重されたほどです。また、その発言が原因で、B取締役の社における処遇が変化したことも、不利益になることが発生したことも全くありません。
 ここで、その場に居た他の取締役たちが明瞭に記憶している決定的な事実を提示します。前記した通り、自由かつ活発な討論を経て、当該提案について採決が行われました。結果は「可否同数」で、議長決裁となりました。議長はほかならない、代表取締役社長の中島省治氏、その人です。この事実について、中島氏は口に緘をしているようですが、その中島氏がどのように決裁したかは自明でしょう。当該提案について「反対」の意思を手のひらを返すように突如として翻し、「賛成」に“変節”したのです。

774 :10月11日光明掲示板より:2012/10/14(日) 17:40:57 ID:???〉「経営判断」を「焚書」と騒いでいる者が、いるだけ

何と言う言いぐさでしょうか!

「経営判断」とは何か!

宗教団体は、売ろうと思えばそれなりに売れるのですよ!

それが証拠に、貴兄もおかしいと非難した新たな二つの「経本」だって強制的に販売したから増刷になっているではないですか!

生長の家の信徒がこれだけいるのですから、練成会、講習会、講演会等の各種行事でテキストに指定したら、それなりに売れるのですよ!

問題は、悉く、谷口雅春先生のご本をテキストにしない、それでいて「売れないから」と宣う、こういう尊師への尊敬心なき態度を私たちは心から悲しんでいるのですよ!

尊師・谷口雅春先生を余りにも貶め、そして、このままでは教団から谷口雅春先生の御名が消えてゆくと心底、危惧しているからこそ、こうして、抗議の声をあげ続けているのです!

そういう思いへの共感がない人に、何を言っても無駄なのかなと今は半ば、諦めの境地の中に私はいます!

「谷口雅宣先生がそんなことするわけない」

結局は、そういう思い込みから、「事実」を直視しようとはしない…?

そういう人には、なかなか「言葉」が届かないなあ…?

6560シャンソン:2016/02/25(木) 21:58:06 ID:a.Bo5NM.
> 仄聞するところでは、人間としては悪い人ではないみたいですが、総裁への忠誠心
は抜群の人だといいます。しかし、参議の会議で決まったということは、総裁もご
承諾ということになりますから、教団指導部の総意ということになります。<

傍流ですっぽんトキさんの組織指導が行き届かないために、
 訊け管理人さんが、うのはなさんに、大物からぼくのところにメールが来ています。
 ぼくにメールしてくれたら実名を教えます。と書いています。
 興味のある方は訊け管理人さんにメールしてください。

6561シャンソン:2016/02/25(木) 22:01:11 ID:a.Bo5NM.

 谷口雅春に訊け 訊け管理人さんのブログ
  http://blog.livedoor.jp/con5151/

6562シャンソン:2016/02/25(木) 22:08:58 ID:a.Bo5NM.
>>6561

それに、完全部外者を名乗るだけでなく、原宿教団との関係が噂になると
 会社取引に損失の可能性がある、と心配している訊け管理人さんから
 ミバレしているのである人から訴えられる可能性があるといわれている
 志恩さんについての情報を知りたい方も、
 訊け管理人さんに連絡してみるのもいいのではないかと思います。

6563シャンソン:2016/02/25(木) 22:10:40 ID:a.Bo5NM.
トキ管理人様へ

 志恩さんは義兄様が、聖使命会費を支払っているということですから、
 教区会員版へ書き込み資格があるのですか?

6564シャンソン:2016/02/25(木) 22:19:23 ID:a.Bo5NM.

<不真面目なWEBサイト・ブログ>

○トキ傍流・・・・・(教団管理)
http://jbbs.livedoor.jp/study/11788/

○トキ本島・・・・・(教団管理)
http://jbbs.livedoor.jp/study/11346/

○谷口雅春に訊け・・・・(呼捨てブログ)
http://blog.livedoor.jp/con5151/



 上記は「要注意」です。こんなトコで投稿とかしておりますと、「頭オカシイ」と認定されます。注意しましょう。

6565シャンソン:2016/02/25(木) 22:43:35 ID:a.Bo5NM.
645 :うのはな:2011/07/20(水) 00:33:36
『聖使命』二十九年十月一日号に「聖使命特信」として掲載されたもの

〜〜中略〜〜〜

 尚、近頃、各地を巡講いたしておりますと、私のことを余り「教祖先生」
としてあがめ過ぎるきらいがあります。「教祖先生が休む暇もなく光明化に
専念して居られ、その収入の全部を、その光明化に献納して居られるのを見ると、
吾々として申訳ない」というような言葉が度々各地で発せられるのでありますが、
私は決して教祖ではないのであります。
生長の家の人類光明化運動の教祖は神であり、台風さえも自由になし得、原爆さえも
その神啓の『甘露の法雨』によって防ぎ得る偉大なる全能力をもちたまう神であります。
教祖は決して「私」ではないのであります。
このことは重大なことであり、『生命の實相』の第一巻に「生長の家と私」と
題してハッキリ書いてあるのであります。その神からインスピレーションに
よって『生命の實相』の真理を伝えられ、それを私が個人企業的に小規模に経営
して居たのを、前述の如く今回、聖使命会にそのパテントを譲り渡したのでありますから、
私は教祖ではなく「前任経営者」と謂うべきところであります。
従って今後は、私を教祖と呼ばないようにして戴きたい。
そして「教祖先生に申訳ないから光明化運動を大いにやろう」というのではなく、
「聖使命会の結成せられるこの聖業を遂行することは吾ら聖使命会員の使命であり
聖嘱である」という自覚で、みずからが霊の選士として聖使命に招請された者で
あるとして、この聖使命遂行のために協力願いたいのであります。
吾ら(複数に注意して下さい)の聖使命なのであります。
数は力でありますから、一人でも多くの同志を獲得して下さらんことを希望するのであります。
常に今が「時」であります。

 谷口雅春 先生

6566シャンソン:2016/02/25(木) 22:50:53 ID:a.Bo5NM.
  葉書で教科書を正せる機会という動画と記事転載
 http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=kimidouge&amp;mode=res&amp;log=1070

6567シャンソン:2016/02/26(金) 01:15:55 ID:a.Bo5NM.
> その意味では、暴挙なのですが、抗議活動が過激になるのも気をつけるべきかと思います。

でも時分の掲示板のことでも、ぼくはケンカが苦手ですう、巻き込まれたくありません
といって、しゃしゃり出るうそつきおばさんがやいやいいってる最中にでも寝込んでる
男はなにも抗議活動しませんよね?

 暇老人といっしょに、総本山に出向くのでしょうか?
私はそこまでする気がないので、最初からこの話題には関係していませんが、
他の掲示板のスレにまで、御意見ありがとうございましたって
勘違いして顔を出してる人がいてびっくりしました。

6568シャンソン:2016/02/26(金) 01:25:48 ID:a.Bo5NM.
>3044 :トキ :2016/02/26(金) 00:16:18 ID:jPDkRDI. うーん、難しい問題ですね。

 確かに、今回の件はたいへんな暴挙だと個人的には思っています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 個人的には思っているけど、職員としては自分の掲示板で
 お茶の間テレビのごとく、感想をいうだけしかできないということですね?
 平野部の職員らしいと思います。

6569シャンソン:2016/02/26(金) 01:32:20 ID:a.Bo5NM.
>「長崎総本山、ヒルクライム」・・どうするのか???  3月1日に判明する!!

「とんでも総裁」の<ボンクラ度>と・・  取り巻き茶坊主達の<マヌケ度>・・

 この掲示板のボンクラと迷惑おばさんだけは一人だけで十分ですね。

6570シャンソン:2016/02/26(金) 17:46:15 ID:iJO8PSUc
   三浦綾子さんに学ぶ「そこから先は神の領域」

 作家の三浦綾子さんのエッセーを読んで、これはいい言葉だ、面白いというので
自分のノートに書き写した言葉があります。その三浦綾子さんの言葉は、このようなものでした。
 そこから先は神の領分----------
この言葉を、自分の中にいつも思い出すように生きています。結局やるべきことは、〝うたし〟な人、
きれいな人、謙虚な人、素直な人、誠実な人という五つの人格を目指すのですが、「そこから先は神の領域だ」ということです。

 結果として数字や売上が、こうなるに違いない、というのは驕り。「私」にできることは、その五つを目指すことであって、「そこから先は神の領域」。
ですから、売上がどうの、という話になると、神の領域に踏む込んでものを考えている、ということになる。
年間300回ほどの講演会をやっているのですが、よく「疲れないのですか」と聞かれます。

 それに対して、私は、「このまま疲れ果てて死んでいきます」と言っています。
「じゃあ、講演を断って半分くらいいして、長生きすればいいじゃないですか」と言う人もいるのですが、私の場合は、
「そこから先は神の領域」。頼まれたことは「はいはい」、と言いながら淡々とやっていって、疲れ果てて死ぬ、というだけのことです。

 もし、ガンになった人が、「ガンと闘うぞ」と決めたとすると、神の領域に踏み込んで闘おうとするからつらい、ガンになって、「3ヵ月は、4ヶ月で死ぬ」と言われたら、
「そこから先は神の領域」と考えると、ずいぶん楽になります。
 自分の人格として、手の届く範囲の身のまわりをきれいにする、謙虚に物事を考える、誠実に生きる、というのは自分の手の内にあることですが、「そこから、何が生まれるの」
「そこから先、自分の人生はどうなるの」ということについては、「そこから先は神の領域」なのかもしれません。

 三浦綾子さんは、ガン、膠原病、パーキンソン病にもなりましたが、「これはどういう意味があるの」と問いかけることはしませんでした。
「そこから先は神の領域」という概念があったから、いつも心穏やかに生きていくことができたのだと思います。
三浦綾子さんは、クリスチャンでしたから、そう思えたのかもしれませんが、私たちはクリスチャンや仏教徒でなくても、「そこから先は神の領域」という概念があるので、
すごく楽。ストレスの少ない生活をしています。

 一般常識で言うと、夢や希望に満ちあふれているというのは、「あれが足りない」「これが足りない」「あれ欲しい」「これ欲しい」と言っていることですから、
結局ストレスになって思いどおりにならない。思いどおりにならないのは、「思い」があるからです。「思い」をなくして、自分が頼まれてやる羽目になったことについては、何も
考えないで、「はい。わかりました」と言いながらやっていけばいい。

 そう思っている人は、ストレスがたまらない。ストレスがたまらない状態だと、自分が一番楽に生きることができます。

 『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』小林正観 著

6571シャンソン:2016/02/26(金) 18:44:40 ID:iJO8PSUc
     正しくとも心の柔軟性を失ってはならない

 「正しい」と云うことは一つの美徳でありますけれども、「正しさ」に凝り固まって、
柔軟性を失ってしまうと、心が棘立ち、心が窮屈になり明るさを失ってしまうことになります。
「あんな正しい人がどうしてあんなに不幸なのか」と問われることがありますが、それは心の柔かさと
明るさを失ってしまうからであります。

 〝対機説法〟とか〝人をみて法を説け〟という語がありますが、相手に従って自由自在の説法や働きが出来るためには、
善もつかまず、悪もつかまず、無相の心、柔らかい心になって、何ら摑む所が無くなって、八方正面にならなければなりません。
もう一定の型にはまって固ぐるしくなってしまったら、自由自在になれない。陶器なら、もう三角ときまった形になったら、四角にも丸にも
六角にもなれないのと同じです。

 水は方円の器に従って、四角にも丸くなれる。それは水は柔らかいからどんな形にでもなれるのであります。
水のようなやわらかな心になればいいのであります。そしたら、どんな形にでも自由自在になれるのであります。
自由自在になりますと、心が何物にも引っかかることがないから一ヵ所に停滞しない。

 だから肉体にも凝りがなく、血液の循環も自然にそのままに順調で、いつまでも健康が保たれるのあります。

 『日常生活の中の真理』 無門関・聖書篇 谷口雅春 先生著

6572シャンソン:2016/02/26(金) 18:53:42 ID:iJO8PSUc

 弁護士 クリスチャン・V・ボヴィーの名言

    たとえ全てが失われようとも、
    まだ未来が残っている。

6573シャンソン:2016/02/26(金) 20:33:49 ID:iJO8PSUc

  プラトンの名言

 賢者は、話すべきことがあるから口を開く。
愚者は、話さずにはいられないから口を開く。

6574シャンソン:2016/02/26(金) 20:40:00 ID:iJO8PSUc

 「The truth is rarely pure and never simple」(オスカー・ワイルド)
(真理は純粋ではあり得ず、単純でもない)

人類が有史以来挑んでまだ到達できないものが、そんなに簡単な
ものである訳がない。
学ぶ事もせず、創造的に考えもせずに、日常の感覚による自説を
押し通し、理解できないものを批判する姿勢では、理解できるはず
がない。

6575シャンソン:2016/02/26(金) 20:45:18 ID:iJO8PSUc

 いらっしゃいませ。訊け様、トキ様、
 これが「しわくちゃ」クラブでございます。
 https://www.google.co.jp/search?q=%E3%81%97%E3%82%8F%E3%81%8F%E3%81%A1%E3%82%83&amp;hl=ja&amp;biw=702&amp;bih=312&amp;tbm=isch&amp;tbo=u&amp;source=univ&amp;sa=X&amp;ved=0ahUKEwioz9jVrJXLAhVF56YKHXHoA4MQ7AkIMQ

6576シャンソン:2016/02/26(金) 20:55:05 ID:iJO8PSUc
>さようならとは言いません。ここの皆様には感謝でいっぱいです。

 最後の上映会 https://www.youtube.com/watch?v=ndEy-YsRcjg

6577シャンソン:2016/02/26(金) 22:14:32 ID:iJO8PSUc

  愛国の志士 西村真悟泣ける話
 https://www.youtube.com/watch?v=8ju2jcLMzLM

6578シャンソン:2016/02/26(金) 22:20:28 ID:iJO8PSUc

   松下兄の遺訓を護ろう
  http://blogs.yahoo.co.jp/tachiyan50/31733612.html

6579シャンソン:2016/02/26(金) 22:31:59 ID:iJO8PSUc

  元・本部講師 吉田武利 先生著『今ここ道場』
 http://blog.zaq.ne.jp/sinseityounoierengou/article/808/

6580シャンソン:2016/02/27(土) 17:10:00 ID:eS.kazKQ
     モヤッとする人から距離を置く方法

「似て非なるもの」を含め、本気で離れたい人とは、「まず、心の中で線を引く」と
先に書きました。あなたのイメージの世界で、境界線を引くのです。
「線を引く」と決めただけで、あなたのエネルギーは強まります。

「エネルギーの強い人には、幽霊のような次元のものはとりつかない」と言われるように、
強くぶれないエネルギーで人の邪気をはらうイメージです。
 さらに、あなたの全身を光のオーラで覆うような、「結界を張る」イメージも効果的です。
陰陽師の世界では、実際に良からぬものから身を守るために結界を張るもです。

 正式な方法は私にはわかりませんが、どんなことでも、結局最後はそこに込められている本人の意識の強さにかかってきます。
イメージの中で、あなたのエネルギーの膜が全身を覆い、他の異質なものをはねのける、というイメージを持ってみてください。

     『出逢う力』 浅見帆帆子 著

6581シャンソン:2016/02/28(日) 14:17:51 ID:kIUlRs96
>で、先日も、何故、また、入ったかという理由を書きましたが、

去りまして、見ることは、見ていました。
そうしますと、あまりに、書き手が 少ないものですから、見ていられなくなり、<

資金繰りの下手な男が「弊社のブログ」で悪質業者に何回もしつこく
人から嫌われるリスクを負いなさいといったあげく、女子大生にリスクを負わせたように、
そんな男や低次元な詮索しかできない女性にうのはなさんの愚痴や批判を相談しているような
人が、冷たくなった侮辱されたとぼやいていても仕方がないと思いますよ。
夫が昇天するぐらいで。

6582シャンソン:2016/02/28(日) 14:20:52 ID:kIUlRs96
>去りまして、見ることは、見ていました。
そうしますと、あまりに、書き手が 少ないものですから、見ていられなくなり、<

6583シャンソン:2016/02/28(日) 14:26:07 ID:kIUlRs96
>去りまして、見ることは、見ていました。
そうしますと、あまりに、書き手が 少ないものですから、見ていられなくなり、<

 そして、光明のほうへ顔を出し、もうトキ掲示板のコピペをしないで下さいといわれたら
激怒し退散し、トキ掲示板のほうに戻っては、他の掲示板の批判をやりだし、
うのはなさんの過去文を利用しては絡み迷惑かけ続ける男の肩を持つだけでなく
その男と同様の手口で、うのさんの過去文を一部取沙汰しては、なんだかんだといってくる。

 その前は、卒業したけど、生長の家の現状を見るに見かねて書き込みを再開したと書いていたと思います。

6584シャンソン:2016/02/28(日) 14:34:46 ID:kIUlRs96
>去りまして、見ることは、見ていました。
そうしますと、あまりに、書き手が 少ないものですから、見ていられなくなり、<

しかしここの管理人自体が、うのはなさんも他の人に絡むから絡まれた人の気持ちがわかるようにと思って、
と、るん吉などの低次元投稿を誘発し傍観看過しながら、
資金繰りの下手な男がキャバクラに行くのを、
「難行苦行ですね。がんばってください」なんて言って見送っているような人だから、
「投稿者数」を問題にしても仕方がないと思いますね。

 そして入院行にまでケチをつけられながらも、看護師でも知らない室の横の通路を通過し、
数々のセキュリティを突破して、なんていわれる悪質業者から、
寝込んでる男を叩き起こして立会人にしろなんて怒鳴られる。
トキ様のために老身に鞭打って書いていますという老女の夫は叩きお越しようもない所へ昇天。
世の中はなるようになっていると思います。

6585シャンソン:2016/02/28(日) 15:56:06 ID:kIUlRs96
私は通院歴も職歴も長いほうですが、女神の部屋時代からトキ掲示板
 本島、傍流をまたがり、いろんな詮索中傷をし続ける、るん吉さんや訊け氏には
本当に辟易しました。管理人の方針なんてあってないようなものです。
実際、いやなことが続いたけど、祭日にいいお天気になったし気分転換できたと思っていると、
るん吉さんの友達だとかいう人が、こんな不真面目な職員がいるなんてと
私の勤務シフトのことや自分の話を必死に話し始め、私のことを批判しはじめたときは
まさにブチ切れました。
部室版3でもるん吉さんはそんな友人のことを必死にしゃべり、わたしをうそつきよばわりし続けます。

 驚いたことに、最近では、しわくちゃ老婆までるん吉さんや訊け氏と同様、
親戚の一万円ポンとくれるおばさんの話や、私の過去文を持って来て愚弄したり
批判したりしてきたことです。
そんなことがなかなかふっ切れず、ウツウツとしていると、以下のような文章と巡り合い、
なんとなく胸がすっとしました。

6586シャンソン:2016/02/28(日) 16:14:17 ID:kIUlRs96
    子どもに突然一万円をあげてみる

 この前、「うちの子どもの教育、どうしたらいいでしょう」っていう人がいて、
私は「英才教育しな」って言ったの。それで、「英才教育ってどういう意味ですか?」っていうと、
「お金に対する英才教育」をするんです。

 実は私も、お金に対する英才教育をされて育っちゃたんだよ。
子どものときにお金や社会のことを学ぶのには、三つの段階があるんです。
一つ目は、子どもに対して、タダで家の手伝いをさせる。昔はどこの家庭もそうで、
その時代は日本が貧しかったの。二つ目は、日本もだんだん豊かになってきて、子どもに
お小遣いをあげられるようになったんです。

 それで、これはすでにみんなもやってるかもわからないんだけど、子どもがお手伝いをすると「いくらあげるよ」って。
たとえば「毎日下駄箱を掃除すると100円あげるよ」とか。
 これをやるとどうなるかっていうと、子どもは「働けばお金になる」って思うんだよ。
もちろん、これはいいことです。「働いたらお金がもらえる」ということを教えるのは、続けたほうがいいよね。

 でも、これだけでは英才教育にはならないんだよ。
そこで三つ目。英才教育っていうのは、脈絡もなく突然一万円をあげたりするんです。
それが誕生日とかお正月とかじゃダメなの。「なんで今日くれるんだ?」っていうときに、突然あげるんだよ。

 そうすると、脳は「俺はここの家に生まれただけでお金がもらえるんだ」とか、脳が臨時収入を受け入れるようになるんです。
ひとは、時々何の労働もなく所得が入ってこないと、不労所得がある人を妬むようになるんです。
うまくやってる人のことを妬むようになるんだよ。

 これね、代々お金に苦労する家の特徴なの。〝一子相伝〟みたく、ずーっと続いているんだよ(笑)いや、本当なんだよ。
私の育った家はおかげさまで、外からお客様が来たりなんかすると、「僕ちゃん」とかいってお金をくれて、やたらお金がもらえる家だったんです。
だから臨時収入があるのは当たり前だったから、「人にもそういうことがあるもんだ」って思うんだよね。

 そうすると、人の臨時収入がっても妬んだりしないんです。
でも人の臨時収入を妬んだりすると、自分の臨時収入もなくなってきちゃうの。うまくお金が入り込んでこなくなっちゃうんです。
なぜこないかっていうと、そういう人のことを許せないから。あなた自身が「臨時収入を許さない」っていう波動を出しているんだよ。


『 天も応援するお金を引き寄せる法則 』 斉藤一人 著

6587シャンソン:2016/02/28(日) 17:14:14 ID:kIUlRs96
     山岳系に造化の三神を祀るということ

 触らぬ神に祟りなしというがごとく、教団ブログも長い間目を通さず、
 ネットでこの話題を見て以来、わたしはあまり教団の話題に近寄らなくなった。

 平野部でも力のある神様を山岳系に祀るということはそれはそれ相当のことにちがいないと思う。

 ヒルクライム抗議活動の足を引っ張る気はないけど、
 考えようによっては、もう総本山には生長の家の神様をお祀りしている場所ではないようだ。
 そんなところで鳥居や神社の話題をしてどうなるというのだろうという気もある。

6588百人:2016/02/28(日) 17:36:13 ID:Zqb7/s4.
現場の写真を送れ。

証明のために、写真撮ったりメンドクサイ事しろってこと?
これ、ちょっとどうかと思う。
いいアイデアのつもりか知らないが、コレでは、うのはな氏ひとりがめんどくさい事全て
やらなゃならんじゃん。
例えば、刑事ドラマでも、疑るほうだってそれ相応の証拠集めするなりなんなり、するからねえ。
うのはな氏ひとりに、すべて、あれもこれもせよ。ではフェアじゃないかもね。

6589百人:2016/02/28(日) 17:37:48 ID:Zqb7/s4.
あ、かく場所まちもがえた

6590シャンソン:2016/02/28(日) 18:32:12 ID:kIUlRs96
>>6588

うのはな氏ひとりに、すべて、あれもこれもせよ。ではフェアじゃないかもね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
そうですよ。部室版2からずっと、こんなやいやいした話をぶっかられて、
終結のために、いやいやながら勤務先のことを明かしたら、記憶の補正だ、うそだ
どうだっていわれ続けてきたんです。

 それを傍流なんかでトキ管理人はどうおさめていいのかわかりません。
うのはなさんは活動歴が長いのだからうまくさばいてくださいって傍観していたのに
急に部室版4などでるん吉さんの気持ちもわかります。うのはなさんがそれに回答するようにしたら
いいんじゃないかって言い出したので怒り心頭したのです。

 もともとこういう詮索話題は規約違反なのではないかとか、いろいろ話しましたがぬかにくぎです。
ユーチュッブにアップしろというのは、罰金の話が出ると逃げだした訊け氏のセリフです。
証拠集めをしたり不毛な会話を続行するより、現場で実証したら一日で済む話じゃないですか。
だから去年の暮れそういう話を打ち出したんですが、いまだにそういう核心の部分は避けて、
ひたすら、うのはなを中傷揶揄することだけが楽しみなようです。

6591シャンソン:2016/02/28(日) 18:41:34 ID:kIUlRs96
>だから去年の暮れそういう話を打ち出したんですが、いまだにそういう核心の部分は避けて、
ひたすら、うのはなを中傷揶揄することだけが楽しみなようです。

  去年の暮れじゃなくて、2014年の暮れごろでした。

6592シャンソン:2016/02/28(日) 21:24:43 ID:KwxoNoc2
  「祈り」「願い」とは神さまに感謝すること

 日本語の語源辞典で「ありがとう」を引いたあとに「祈り」という言葉を引き、その次に「願い」という
言葉を引きました。その結果、やはり衝撃的なことがわかりました。
「祈り」とは「意に乗る」(神の意に乗る)こと、つまり神の意に沿うことで、そういうことを神の意のままに
やっておけばよいというのが「祈り」ではないか、と自分なりに解釈していたのですが、実は「祈り」とは「意(神の意)+宣(宣言のりごとの宣のり)」で、
神の意を寿ぐこと、賞賛すること、ほめたたえることだ、ということがわかりました。

「祈り」とは、神さまの考えていること、為せることについて賞賛すること、ほめたたえることだったのです。
一方、「願い」とは「ねぎらい」だったのです。
「ねぎらい」とは、誰に対するご苦労さまの言葉かというと、神・仏・天上界の方々に対するものです。
「ねぎらい」とは「ご苦労さまでした。ありがとうございます」という意味で、本来は上の立場から下の立場の人にかける言葉ですが、
私たちが神・仏に対してかける言葉というのは、下から上にであって、上から下へという方向ではありません。ですから、
「ねぎらいの言葉=ご苦労さまでした」というのは、当然、感謝の意を込めて「ありがとうございます」ということになるのではないでしょうか。

 つまり「祈り」も「願い」も、神さまの為せる業に対してほめたたえ、賞賛し、感謝をすることであった、ということがわかりました。
私たちは子供のころから、寺社仏閣に行って「お祈りしなさい」「お願いをしなさい」というふうに言われてきました。
「お祈り」や「お願い」は、かなえてもらうべき自分の希望や望みにことであったのですが、実は、語源からすると「祈り」も「願い」も、すべて神・仏・天上界に
対するお礼の言葉・感謝の言葉・賞賛の言葉であった、ということがわかったのです。

 神・仏に対するお礼の言葉・感謝の言葉・賞賛の言葉というのは何かというと、
これは「ありがとう」にほかなりません。私たちは、神・仏に対する言葉として「ありがとう」という素晴らしい文字をいただいたわけですが、
この言葉を寺社仏閣に行ってひたすら言い続けることが「祈り」であり「願い」だったのです。

「祈り」とは、「願い」とは、自分の夢や希望をかなえてもらいたいという意味で使う言葉ではなく、神・仏に対して、今私たちがしてもらっていること・
置かれている状況について、ただただお礼を言い、感謝の言葉を伝えること。それが「祈り」であり「願い」ということでした。
ですから、これから寺社仏閣に行ったときには、「あれをしてください」「これをしてください」「これをかなえてください」と言うのではなく、ひたすら
「ありがとうございます」と言うことで、もうすべてOKということになります。

 そして、その声を聞いたときに、神さまは誰が言っているのかきちんと認識し、その人の「ありがとう」の回数をカチカチと上空で数えているようです。
その結果、5万回とか、10万回、50万回、100万回を越えた時点で、新しい奇跡が起きるようになっている。
 最近、宇宙のしくみがそうなっているように思えるようになりました。

 『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』 小林正観 著

6596神の子さん:2016/02/29(月) 13:35:21 ID:09wikuwA
 管理人様へ

傍流「うの」専用版346 下品なリンク投稿を削除お願いします。

6597シャンソン:2016/02/29(月) 13:52:50 ID:09wikuwA
その独占板のことについて、私は、何1つ、批判したこともありません。
批判ではなくて、
馬さんと私の要望は、申し上げましたが、うのはなさんは、その要望を断られたけれどね。<

 いや、志恩さんがこれは曳馬野のおじいちゃんじゃないかしらといって
コピペしてきたので、曳馬野さんに確認すると、それはぼくとはちがうといっていました。
それに、独占版ができてから、志恩さんは本版に戻しても耐久できるのかとか
いろいろケチをつけていますよ。

6598シャンソン:2016/02/29(月) 16:00:41 ID:09wikuwA

602 :うのはな:2014/01/15(水) 21:21:28 ID:BJfvhy62・トキ管理人は、時々こうして「現教団の問題点」を述べているのですが・・・


・でも、最後には 「落とし文句」 があるのです?


・『こう申しあげても、私個人は総裁の引退とか指導部の総退陣とかを言っているのでは
 なりません。また、本流復活派を支持しているのでもありません。』


・それに、マサノブ君および、その影武者と称される人達には、<敬語>を使い、すごく
 丁重であります。

6599シャンソン:2016/02/29(月) 17:17:06 ID:09wikuwA
2046 :トキ:2013/06/25(火) 22:00:28 うのはな様

 そうですね、少しお互いに休んで、ゆっくりと考えましょう。

要するに、うのはな様は、訊け管理人様と私が相談して、うのはな様を排除しようと
考えている、という印象を持っているようですが、それは違います。

 今でも、うのはな様の幸せをお祈りしています。

おやすみなさい。

合掌 ありがとうございます

6600神の子さん:2016/02/29(月) 17:42:05 ID:09wikuwA
名前:トキ 投稿日: 2013/06/10(月) 10:28:06 ID:9HdRqq2M 追伸すると、以前、NGワードで投稿ができない、とのご連絡を頂戴したときに、NGワードを一時、機能停止にしたのに、
やはり投稿できなかった事がありました。

 何かシステム上の問題があるのかもしれない、とも思っています

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

    わら人形のせいかも???(笑)

6601シャンソン:2016/02/29(月) 19:05:53 ID:09wikuwA
>何かシステム上の問題があるのかもしれない、とも思っています

いまでも、別版には掲載できても、おなじものが本版には掲載できなかったりしますよ。
 新・掲示板セキュリティもお金を支払った甲斐がないみたいですね。
 これは管理人自身に問題があるのではないかと思います。

6602シャンソン:2016/03/03(木) 17:17:23 ID:5bed9yCw

  徳久日出一さんの講演録をアップしました。
 http://www.sni-tobitakyu.or.jp/article.php/20141028134412625

6603シャンソン:2016/03/03(木) 20:18:18 ID:4Ds3hyDI
招神歌と村上春樹と女の子と

 こういう題名で、自分の体験を書こうと以前思っていたのですが、
 村上春樹から女性の珍文まで軒並み攻撃してくる
 大儀名分のために人の注射痕を増やす男に閉塞して、もうなにもやる気を失くしました。

 それで去年の12月の『いのちの環』での特集「意識を拡大する瞑想」
 の中で、「神想観で世界の人々の幸せを祈る」P19の体験談を読んで、
 ふっくらと心が元気になってきました。

 こういう体験でも、どんな体験でも、いろいろ掲示板のほうでも
 書いてくれる人が続出したらいいなあと思います。
 以前は信仰版は試合版に指定されたりしていましたが、
 私のほうでは他の版を閲覧するしか権利がないので、
 他の信徒さんたちの体験をお待ちしています。

6604シャンソン:2016/03/03(木) 20:27:36 ID:4Ds3hyDI
>2046 :トキ:2013/06/25(火) 22:00:28 うのはな様

 そうですね、少しお互いに休んで、ゆっくりと考えましょう。<


トキさんみたいに「ゆっくり」しすぎている人の個人救済や組織指導の話を
 聞いていると、あきかんでも拾ってるほうがまし、っていう気分になりますね。
 愛国のほうに面白い川柳が掲載されていましたが、
 個人救済より地球が先、だとか今の教団を批判していますね。
 その気持ちはわかるけど、トキさんみたいな人を見ると、個人指導やそんなことはムリみたいなので、
 他の信徒は自然と地球環境を考える方向へ向かうでしょう。

6605シャンソン:2016/03/03(木) 20:32:25 ID:4Ds3hyDI

 それにきょうは「うれしいひなまつり」の日なんだから
 もたつい男は掲示板に来るのを遠慮してほしかったですね。

6606シャンソン:2016/03/03(木) 20:36:06 ID:4Ds3hyDI

  新版 よろこびの発見 徳久克己 先生著
   科学から宗教へ
  https://www.ssfk.or.jp/p/a/106314.htm

6607シャンソン:2016/03/05(土) 09:36:47 ID:JBb5SeLI

どうして確認できないことを書くのか
 http://tecnopla1011.blog.jp/archives/55721028.html

6608シャンソン:2016/03/05(土) 09:43:36 ID:JBb5SeLI
>286 :トキ ◆NeaLgIQX3w :2016/03/04(金) 17:41:25 ID:aj0ShO5U>>284

 余談ですが、「新経本」が発売された当時、本部から教区へ、

 「新経本を読んで、何か奇蹟か体験が出たら、教えて下さい。」

と問い合わせがありました。後で聞いたら、他の教区や練成道場にも同じ問い合わせがあったみたいです。
おそらくは、全国の教区や練成道場に問い合わせがあったのでしょう。<

トキさんは、きょうはうのはなさんのために「観世音菩薩讃歌」を読みたいと思います。
って、以前書いていましたよ。それでどうでしたか?
 なにもできないくせに、お祈りしていたらうのはなさんと話すようにいわれました。
少しお話ししましょうだとか、トキさんの言論そのものが「禍い惨歌」
みたいなものです。私が強かったらからいいものの、普通の女性信徒だったら
どうなってるだろうって思います。

6609シャンソン:2016/03/05(土) 11:16:17 ID:bH0tC8sI
>>6608

それも、トキさん自身は(今はどうだか不明だが)
そのときは、新経本を所持していないのに、持っている人間に対して
そんなことをいう。それがいいかげんだというのです。

6610シャンソン:2016/03/05(土) 11:22:19 ID:bH0tC8sI
>曵馬野ー
まったく誤読の限りです。総裁がそんなこと何処で言いましたか?
貴女や自称本流派の方々は「曳馬野」を勝手に総裁であると信じ込んでの発言ばかりです<

志恩さんは、以前も、誰かに、志恩さんの話が曲解だというのなら
正しい解釈を説明してください、とかっていっていましたね。
独占版ができたときも、ひとりで曲解舞踊りをおどっていまいた。
そして、うのはなさんが正しい解釈を説明してくれませんかというかんじです。
傍流に書いてたんですが。
なんか疲れますね。

6611シャンソン:2016/03/05(土) 11:27:00 ID:bH0tC8sI

 心臓に悪い夜のNG行動
http://news.livedoor.com/article/detail/10995447/

6612シャンソン:2016/03/05(土) 19:28:46 ID:qZOLvQN2

雑草とは何か?
 それは美点がまだ発見されていない植物である。

      ラルフ・ワルド・エマーソン

6613シャンソン:2016/03/05(土) 21:21:36 ID:qZOLvQN2
>生長の家で言うことが素晴らしいというから、その素晴らしい真理で自由に環境をしてみなさいということです。皆さんが色々言えば云うほど真理が何の働きもしないことを証明することになっています。

 
 曳馬野さんもうのはなさんも、この掲示板を好き勝手に使っています。
 それに比べれば○○さんの違反なんてとるにたらないことだ。
 今まで間に入ったものはみな、酷い目に遭っているから教訓を得ています。
 って、こんなセリフしかいえないところで、真理がどうたらって
 こむずかしい話をしなくてもいいと思いますよ。
 
 だいたいここの管理人は現場で不調和な雰囲気に巻き込まれたくないように
 気をつけているとか、仲裁って何をどうしたらいいのかしらって、
 まるで無能なのに、組織的な和解論をいくらいっても宙に浮くだけです。

6614シャンソン:2016/03/05(土) 22:37:51 ID:qZOLvQN2
     秩序と無限

  修行道場というところは、およそ不自由だらけの場所である。
早朝の起床から夜中の就寝まで、なにかにつけてうるさい決まり事ばかりだ。
しかも起きて半畳、寝て一畳という狭すぎるスペースで、プライヴァシーなど全くない。
全てが公の時間といっても過言ではないのである。

 ではそうした場所で、修行者たちは何を学んでいるのか、というと、私は「自由」なのだと思う。
これ以上ないほど不自由な場所で、自由を学ぶとは、どういうことか。
修行も二年を過ぎた頃、私はふいに気づいたのである。

 基本的にはここで制限されているのは、行為だけではないか。行為の結果、どう感じるかは、まったく当方の自由なのだ....。
そう。秩序は決められた行為によってもたらされる。世の中では、上司に考え方まで押しつけられ、それを教育と呼んでいる会社も多いようだが、
それを思えば道場ほど自由な場所もない....。むろん行為が招き寄せる自然な考え方は期待されているのだろうが、
少なくとそれが言葉として強要されないのはありがたい。

 そんなことを思った背景には、間違いなく自分の中での「行為の習熟」があった。
経験を重ね、行為そのものに慣れてきていたため、ほとんど無意識にできることが多くなっていったのである。
もともと長い禅宗の歴史の中で生き残ってきた起矩(きく)(道場の決まり)だから、
当然ながら集団生活にとっては合理的な内容である。当初は外から押しつけられた決まりでも、習熟するうちに内在律化していくのだろう。

「左進右退」という動き方も、食事中音を立てないことも、しばらくするとみな必然と思えてくる。人間、こうあるのが自然じゃないか、
とまで思えてくるのである。必然と感じ、自然になったことで、不自由は自由に反転したと言えるだろう。

     『ないがままで生きる』 玄侑宗久 著

6615シャンソン:2016/03/06(日) 00:01:54 ID:qZOLvQN2
  資金繰りの下手な男に使われている男と
  気の回らない次男の嫁さんと、珍文女性のド根性 

  トキ掲示板での女性投稿者の投稿を元にして、
 数々のブログや掲示板を好き勝手につくっては不調和と迷惑を増大
 させている男に、ここの管理人はなにも裁可できず、
 まとめることもできず、しまいには、社会人同士はお互いに話し合うべきだ
 ぼくが運営しているのではないからわからないと言い出す。
 そしてそんな男の肩を持つのに必死な老婆は、私の夫は〇月に昇天していて
 私は今独身です。とわけのわからない話をしだす。
 そして資金繰りの下手な男から訴訟話をふっかけれると、あたふた。

 今まで間に入った者はみな酷い目に遭うそうである。
 この映画は感動した。サイトの方法は良くなかったかもしれないけど、
 不条理や不況に立ち向かっていく生命力が感じられて、私はいい映画だと思う。

 チャットレディ 偽りの代償 http://enosama.com/movie/1470/

6616シャンソン:2016/03/06(日) 00:37:36 ID:qZOLvQN2

 この世の中でまたとないと思われるほど痛ましい
 境涯にあっても、そこには多かれ少なかれ感謝に
 値するなにものかがある。

   ダニエル・デフォー (イギリスの作家・ジャーナリスト)

6617シャンソン:2016/03/06(日) 00:39:49 ID:qZOLvQN2

独占版が10000投稿になったら、閉鎖されるっていう噂もありますよ(笑)

 365日の紙飛行機 http://www.uta-net.com/movie/198805/

6618神の子さん:2016/03/06(日) 01:38:38 ID:oOpfnF3I
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